「人を救うということ、慈悲の心である」
いちりんさんが、お書きになられていましたが、私は疑問に思うのです。
確かに大聖人様は折伏の大事を仰せになられていますが、私みたいなくだらない人間が、人を救う事なぞ出来るのかと。「折伏は御本尊様がするのよ」とはよく聞いたフレーズですが、御本尊様は言葉をお話しになられません。結局は“人”がするのだと思うのです。学会は折伏をして来ました。結果は皆様ご存知の通りです。
信心した人もいますが、返って反発を抱いた人はその何倍になるのでしょう。
一般の人が「創価学会」の言葉を発する時に笑顔で言いません。
桃梨さんが、この掲示板の人たちは人を救うという点がないと仰っていましたが、
それほど大事な事なのかと思ってます。「慈悲の心」はなにも人を救う事だけではなくて、現実生活の中で困っている人に「May I help you?」という気持ちで、接してあげる事が、本当は大切な事なのではないのかしらと思うのです。他者に対する優しさです。かくいう私はご存知の通りに“弱者”の立場です。だからこそ人のあたたかい振る舞いがとても有り難く、深い感謝の気持ちを持っています。でもその温かさが当たり前にならないようにとは、“自戒”していますが。
「汝らに伝えた第一の事柄とは、余が経験したことであって、聖経にいうとおりにキリストは
我らが罪の為に死し、かつ葬られて、三日後に聖経にいうとおりによみがえり、ケファスと及び
十二人に現れたことである」 *ケファス−ペテロのこと
3 tradidi enim vobis in primis quod et accepi quoniam Christus mortuus est pro peccatis
nostris secundum scripturas/4 et quia sepultus est et quia resurrexit tertia die secundum
scripturas/5 et quia visus est Cephae et post haec undecim/(Vulugata)
猟奇殺人の歴史は古い。15世紀フランスの侯爵でジャンヌ・ダルクの部下だったジル・ド・レー(Gilles de Rais)は、農奴の子供を数百人、ただの娯楽のために殺した。16世紀にはドイツのPeter Stubbeなどが知られている。かれは子供を襲い、切り裂いて食べた。恐るべきことにStubbeは自分の子供の体を切断し脳を生で食らった。(The A-Z Encyclopedia of Serial Killers Harold Schechter)
魔女とされた女性を生きたまま公衆の面前で火あぶりにするといった非常に残酷な事件が西洋には多いのは、聖書の影響が大きいだろう。聖書では"悪"とされるものを神が裁くという話に満ちている。イスラム原理主義の指導者オサマ・ビン・ラーディン氏のように、信仰を守るためには手段を選ばなくてもかまわないという考えが、一神教を旨とする人々には一般的だったためだろう。
ただ、漢の高祖の妻呂后が若い妾に嫉妬し、高祖の死後、その妾を囚人に輪姦させ、手足を切断、目をつぶし目鼻を削ぎ落として生きたまま便所の壺の中に入れたという話がある。日本のような宗教戦争のおきたことがない多神教国でも、キリシタンへの処刑は逆さ吊りにして脳の血管が破裂するまでじわじわと苦しませて殺害したということもあった。
こうした点から考えると宗教は人間の残酷な行為の原因ではなく、正当化の理由や意味付けとして使われており、すべての人間はもともと残酷な性質を持っていると考えたほうがいい。ルソーは「エミール」のなかで、人間の本性は無垢で善良なものであり、その天性を素直にのばすことが教育だといったが、これは人間に対する認識を根本的に誤っているものというべきだろう。
19世紀 スティーブンソン(Robert Louis Stevenson)は「ジキルとハイド」を著したが、人間のこうした矛盾した性質は、地元名士として成功しながら30人以上の少年を殺害し床下に埋めていたゲーシーのみならず、どんな人間にも備わっているものだ。実際に猟奇的な殺害に至る人間は稀だが、両者の違いは残酷な狂気を抑えることができるかどうかという点にしかない。
カナダの人類学者エリオット・レイトン(Elliott Leyton)は、「原始社会では殺人の対象が知らない人間になることは極めて稀だった」としているが、現代になって目立って増えている快楽殺人(Lust Murder)は概して明確な動機がなく、犠牲者は大部分が犯人とはまったく面識がない。
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蓮祖が授与された大曼荼羅には複雑な意味があると考えました。
① 本尊として
② お守りとして
③ 賞与として
勿論、①と②を兼ねていたり、①と③を兼ねていたりと単純には断定できないかもしれませんが、本尊としてのみ大曼荼羅を書かれたのではないでしょう。
その上、表面に年月、授与者名等を記入している事から考えて、大曼荼羅とは私信・手紙に類する、蓮祖と信者間のとても私的なもののような印象を受けます。
そこで、大曼荼羅を寺院に安置して本尊として公開するというような、現在どこの日蓮宗系寺院で見られる形式は、本来、蓮祖の意図するところでは無かったのではないか、と推測いたしました。
すると「1月1日」の物は、特別御形木ではく、「1月7日」の物だけが特別御形木として扱われているのでしょうか?
そして「1月7日」の物の中に、『MADE IN 地下室』と『MADE IN 法道院』があると考えていいのでしょうか?
それと当時の週刊誌に、「地下室で作られた物かどうかは僧侶が見ればわかる」と、そんなような文章があったような気がします。
やはり 『MADE IN 地下室』と『MADE IN 法道院』には見ればわかるような違いがあったのでしょうか?
いくらなんでも表装をはがしてまで確認はしたくないですから…。
ちなみに実家では「その特別御形木を下付されたのは会館で御供養も出した」と言っていました。(やはり『MADE IN 地下室』なのかもしれない…。)
藤川さんが仰るように神道系の可能性はあるでしょうね。神上げに榊を使うことが先行し、仏にも常緑の葉を供えるようになったのかもしれません。ただ、その字が「密」をもって充てることは、既に密教の影響ありと思います。
また、[木*佛](しきみ)が国字であること、また、Japanese Anise Tree という英名が示すとおり、日本固有種ですから、仏教伝来後、仏前に使用されるに至ったのでしょう。
それでは、整理する為に当該部分の創価学会の英訳を記載しましょう。
But when the Nirvana Sutra says that one should carry swords and staves or that one should cut off their heads, it is referring to the shakubuku method.
松本佐一郎氏は『富士門徒の沿革と教義』(昭和54年復刻第一刷(初版:昭和44年)、大成出版社、199頁)に、
「曼荼羅は曼陀羅とも書き、Man dala の訳語。壇、道場、又は輪円具足、功徳聚の意で、諸仏菩薩を安置し、その功徳を聚集して一大法門を成じ、仏世界を造るの謂である」とあります。
また、この個所の注(1)には、「外の書き方もあるが日蓮宗では用ひる人が無いから略す」(200頁)とあります。