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顕正会の実態を検証する

1管理者:2002/12/30(月) 09:25

新しいスレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。活発な議論を期待いたします。

2モトミナ:2002/12/30(月) 12:09
独立スレッド作成されて嬉しく思います。
顕正会は平成15年100万達成を迎える重要な時期に差し掛かってきている、と考えております。
100万達成後の会長の指針など、注目すべき点がたくさんあると思っていますので、私もできる限り参加させて頂きたいと思っていますので、よろしくお願いします。
今までは「・・・カルトっぽいか」の方でお話を展開させて頂いておりましたが、他の組織の問題とごちゃごちゃになる恐れがあったので、単独スレッドの立ち上げは助かります。

3アヤエ:2003/01/02(木) 01:21
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
さて、この新にできましたスレでの専門的な見解を私は大変期待しております。
専用なら仏教の教義に詳しくない私も遠慮せずに質問ができる気がします。
(と言いましても今までもさほど遠慮していたとは思えませんよね・・汗)

4モトミナ:2003/01/02(木) 15:59
平成15年1月5日付の顕正新聞が発刊されました。
近年の新年刊は裏表紙に日本全国の設置会館及び各都道府県別会員数が克明に記載されています。
別スレでガンコさんは”100万問題よりも本尊問題”と言われましたが、何よりも顕正会自身が100万をこうまで克明に記載している事実を見れば、どう直視するべきなのか、無視できぬ大事な事だと思います。
例えば埼玉県では120,918名の会員、東京都では145,280名が会員である等とその入信者の人数が細かく記載されていて、だとすると会員はこれを真に受けるのは当然でしょう。
しかし実態は別スレで提示した通り、退会者、死亡者、多重入信者等、その数字に疑惑が残る、というよりもその数字は虚偽だと断ずる他ないでしょう。
そして全顕正会員数が現在918,393名であると。
本年ほぼ間違いなく累計100万に顕正会は到達するでしょう。
そして必ず幹部及び会長は言うはずです。
「一分の狂いも無く100万達成できた事はただ大聖人の御守護あればこそ」と。
かつての10万、20万、50万等、どれだけ軌道修正されても「一分の狂いも無く」といい続けてきたわけですから。
また阿部管長へ再度送付したという平成二年の諌暁書の改編版も、同様に様々な記述の変化が見られます。
詳細は後々指摘しようと思いますが、顕正会的言い方をすれば、あまりに無慙ではないかと思います。

5問答迷人:2003/01/02(木) 21:24

モトミナさん

>近年の新年刊は裏表紙に日本全国の設置会館及び各都道府県別会員数が克明に記載されています。

そうなんですか。ビデオ放映の会場案内は知っていますが、会館名や、会員数まで最近は書くようになったのですね。1月5日号が来たら、確認してみます。僕は、本部から顕正新聞を送って貰っています。

>阿部管長へ再度送付したという平成二年の諌暁書の改編版

改編版があるのですか。存じませんでした。是非、内容の変化とその無慙さを紹介して下さい。

6菊水護国:2003/01/02(木) 23:16
> >阿部管長へ再度送付したという平成二年の諌暁書の改編版
> 改編版があるのですか。存じませんでした。是非、内容の変化とその無慙さを紹介して下さい。

これは昨今販売開始されたばかりです。問答さんが知らないのは当然だと思います。定価は1000円です。
人づてに買ってくるように頼んであります。

7犀角独歩:2003/01/03(金) 11:23

モトミナさん:

以前にも他の方に同じような質問をしたのですが、そもそも顕正会では、なにをもって「会員」としているのでしょうか。

8モトミナ:2003/01/03(金) 11:58
多分顕正会の会員基準というのは”顕正会の折伏で御本尊に縁した者”を会員と換算しているのではないかと考えられます。
それ以外に会員の増加基準がないからです。
例えばそれまで日蓮正宗に何ら関わりの持たない人(いずれの正宗団体にも所属していなかった人)は、入信勤行という報告書を作成します。
反対に創価学会の人や法華講の人が顕正会で信心するような場合は、入会勤行といって薄緑の通常とは別の報告書を作成するようになっています。
通常入信・入会勤行終了時に会長からの挨拶として勤行終了後に栞を読むのですが、以前は入信・入会と別の内容のものを使用していました。
最近では同一の書式の栞を読むようになりましたが。
上記のような形態を取ってその者が入信・入会勤行を正しく終了して報告書が本部へ報告されると、会員として1名のカウントがなされる仕組みになっています。
つまり過去に他団体で御本尊に縁していた者であっても、顕正会で新たな信心に望む以上は新規会員と見なされる事になるわけですから、”他団体で御本尊に縁した者”ではなく、”顕正会の折伏によって御本尊に縁した者”が顕正会員になるという理屈になるわけです。
では”顕正会の折伏で御本尊に縁した者”と”他団体で御本尊に縁した者”の違いは何か。
つまり”国立戒壇という大聖人一期の御遺命を教えられた者”ではない限り、大聖人の御意に叶っていない、だから過去に他団体で御本尊に縁していても、全く大聖人の御意に叶っていないから意味が無い、という解釈ができることになります。
そして顕正会に入信・入会した後に退転した者でも、”国立戒壇”の四文字を、つまり大聖人究極の御遺命を命に打ち込んだ以上は、現在退転していたとしても、やがて発心するから会員数として減らすことはしない、のだと思われます。

これ以外に弁明しようがありませんし、会員もそう考えている筈です。(笑)
但し私はこの考えには無理・矛盾があるとは当然思っていますが。

9犀角独歩:2003/01/03(金) 13:54

モトミナさんのご説明によると、顕正会で言う会員とは、

・顕正会によって、戒壇之漫荼羅に縁した
・顕正会によって、国立戒壇を目指す

というのが条件になるということになりますね。
しかし、現段階で、戒壇之漫荼羅に遙拝勤行をせず、国立戒壇を目指さない減数、休眠会員もカウントされてしまっているわけですね。

実際のところ、条件を付けて、会員をというのであれば、その条件が各人によって守られているかどうか、チェックできる機能がない限り、カウント数は虚偽であるということになるでしょうね。

あと、100万人になると何かが起きるというのはいったい何を根拠にしたものなのでしょうか。かつて正本堂建立の時、その供養名簿は実名800万人でした。そこから、1世帯3〜4人換算で3000万強の学会員という虚構数が導き出され、に当時の日本の人口1億人の3分の1で舎衛三億と当て嵌めて広宣流布宣言をしたのが創価学会でした。それにケチをつけたのは妙信講。

その数に比べれば、たかが100万人ばかりがどうしたというのだ、まして、その数は虚構じゃないかという思いが私にはあるわけですが、それはそれとして、この100万人になったからどうにかなるという言いっぷりは、何を根拠にしたものなのでしょうか。

10モトミナ:2003/01/03(金) 14:48
独歩さん
>この100万人になったからどうにかなるという言いっぷりは、何を根拠にしたものなのでしょうか。

100万になるとどうにかなるという事については会長自らが「年頭の辞」という本年初の挨拶において述べていますのでこれを引用させて頂きます。

「百万法城は、ついに本年の十一月、濁悪を極める日本国の中に厳然として屹立する。
(中略)七百年前の日本国は、あろうことか主・師・親の三徳、大慈大悲の日蓮大聖人に対し奉り、二度も流罪し、ついには御頸刎ね奉るという、血の凍るような大逆罪を犯した。
この大禍により、大蒙古の責めがあったのである。
だが日本の人々は、未だに大聖人に背き続け、しかも七百年前の大逆罪を全く忘れ去っている。
たとえ凡夫は忘れても、日本国の侵したこの大禍は消えず、諸天またこれを凝視している。(中略)されば大聖人は、諸天が二千二百余年前に、法華経の会座で釈尊に誓った「世尊の勅りの如く当に具さに奉行すべし」の誓状を重しとされ、その誓いを果たすことを申し付けておられる。
かかる諸天、もし御本仏に背き続けるいまの日本を見るならば、如何ように思うであろうか。
必ずやこの国土を捨て去るに違いない。
このゆえに、いま日本国に、人心の荒廃、政治の炉心溶解、国家の破産等々の亡国の予兆が現れ、さらに大地動乱ののち他国より逼められんとしているのである。
すべては、日蓮大聖人に背き奉るところに起因している。
このとき、百万の地涌の大集団が、濁悪の日本に出現せんとしている。
この大集団は、一念も御本仏を忘れ奉らず、一切世間の名利を求めず、ただ日蓮大聖人の大恩徳を一国に顕すことを以て命としている。
この仏弟子の大集団の雄叫びが一国にこだまするとき、日本の人々は順逆を問わず、御本仏の重き御存在を始めて知る。
この大運動だけが、日本を根本から変革し、国家を救済するのである。」

要するに百万法城が屹立する事によって、この百万仏弟子の大運動(会としては一国諌暁・会員としては折伏)が国家救済の鍵だと言っているわけですね。
中略部分には百万途上においては1万で宗門諌暁に立ち、二十万で「本門寺改称」の陰謀を打ち破り、五十万にて最初の一国諌暁に立ち(諌暁書「日蓮大聖人に帰依しなければ日本国は亡びる」)、その九ヶ月後には「不思議の還御」(正本堂から戒壇大本尊移動)があった、として節目の戦いで必ず大きな大変動があったことを指摘しています。
つまり、五十万以前では宗門諌暁を主体として、結局正本堂の悪を打ち破ったとしており、その後も宗門諌暁を続けるももはや道念なき今は(顕正会の主張を用いず)、顕正会のみで広宣流布を成し遂げてしまおう、その基盤が百万だ、と述べているわけです。

当時の学会総世帯数からは見る比にもならない百万なのですが、顕正会自身の意識では、名利目的で活動してきた創価学会、それに諂ってきた宗門の数字とただ大聖人の御意のままに目的を達成しようとしている顕正会とでは全く比較対象にはならないと思っているはずです。

11犀角独歩:2003/01/03(金) 15:04

1万、20万、50万と、数ごとに何かが起きるという日蓮遺文、天台釈、法華経の明証、すなわち、文証は何に求めるのでしょうか。

「所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、只仰いで仏の金言をまぼ(守)るべきなり」

との、真偽未決文を金言と仰げば、人(浅井)の言によらず、仏(日蓮)の金言によるべきですね。100万の金言は何を取り出すわけでしょうか。

12モトミナ:2003/01/03(金) 15:21
それは全く依文がありません。
独歩さん、私が責められてるようで動揺してしまいました。(笑)
あくまでも顕正会側の主張ということで記載したまでです。
私自身は、だからこそこの数字のマジックというか、集団心理というか、こういった演出など本来日蓮大聖人の仏法を広める、広宣流布を目指す事には関係ないことだと思うのです。
ところが前記の挨拶を読んでいると、会員はあたかも100万達成が何か大事な仏事だと錯覚してしまうのでしょう。
しかも数字上で計上されただけの100万で。
そうやって顕正会は今までやってきたわけです。

13犀角独歩:2003/01/03(金) 15:40

いやいや、モトミナさん、責めるなどと言うことはありません(笑)
私のわからないところをお尋ねしたまでです。
むしろ、モトミナさんの分析に私は敬服しています。
お応え有り難うございます。

14アヤエ:2003/01/08(水) 16:44
顕正会について友人に質問をしました。
友人はその場はこじ付けや根拠のない事を断言していきましたが、
納得できなかった私は、是非幹部の方にでも 同じ質問をして
私を納得させるようにいいました。しばらく答えを待ってましたが
相手から返事がなく こちらから電話をかけると 友人は電話には出ずに
メールが届きました。メールには「アヤエには魔が入っていて私と関わっていると
日蓮さまを誹謗中傷して 罪障を積んでしまう、だからしばらく連絡を絶つ」
というものでした。しつこく信仰を迫ったのに 疑問をぶつけると会員の退転を
恐れて 連絡をとらせないように上から圧力がかかったのです。
彼等には「自分達こそ正しい」といいながら 自信がないんだなと思いました。
私は「幹部は友人関係にまで口を出してくるのか…」と呆れました。
と同時に それにしたがう友人にも呆れてしまいました。
しかし 入信前の友人は決してそんな人間ではなかったのです。
ですから きっと気付いてくれる事と思います。今は耳を塞いでいても
絶対と思っている教義に疑問が出てきたら やはりその「?」は残りますよね。
私は友人を信じて待つ事にしました、しばらくそっと見守ります。

この掲示板で皆様にご教示して頂いた事で 友人に「?」の種を植える事ができたようです。
ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。

15菊水護国:2003/01/08(水) 18:21
つい先日(と言っても昨年末ですが)、法華講の方の依頼で顕正会員の方と話す機会がありました。
初日は夕刻7時位にその法華講の方の家に顕正会が来て、戒壇論だけで8時間費やし、何と夜中の3時までおりましたが、私が宗史や化儀を上げると混乱をきたし、声を荒げ途中、民家であることを示唆し、何度も帰るように促しましたが、何とか私を屈服しようと帰らず、最後は体力消耗、意識朦朧として彼は帰りました。
当然電車が終わっていたので、タクシーを呼んで帰りました。その際、さすがに彼は動転していたのでしょうか、私の靴を履いて帰りました。私は27センチ、彼は24センチですから、相当ブカブカだったでしょう(爆)。
おかげで、私は彼の窮屈な靴を踏みながら帰りました(私は車だったので、車中にはサンダルがあったので良かったのですが・・・)。
その数日後、靴の交換のため、またまた同家に来たのですが、そこでも夜11時にに来て、私は全く話す気は無かったのですが、強引に上がりこみ、朝方帰りました。彼は人の迷惑全くお構いなしに、浅井さんの書籍を読み始め、それでも納得しないので、一語一句関係無しに読み続ける戦略に出ました。
最後はシュンとして帰りましたが、既に朝6時でした。
何と同じ人物とトータル15時間の話し合いです(法論とは申しません。彼は浅井著の書籍を読みつづけるだけで、私は記憶だけで一切無資料でしたから)。
彼は昭和55年入信ですから、妙信講解散後ですが、20年以上の生粋の顕正会員でした。
昨年末はお蔭様で私は体力消耗してました。忘年会でも発散出来ませんでした(十分発散してた何て言わないでね、みなさん)
しかし、ああなるともはや怨念です。持久戦に持ち込み、人を寝かさず、警察の違法取り調べのような方法でした。私は意識朦朧で死ぬかと思った(笑)。特に2度目は彼は昼間十分寝て現れましたから、計画的かと誤解したほどでした。
あれでも活動報告では「法華講員を屈服した」と報告するのだろうけど・・・。

16犀角独歩:2003/01/09(木) 07:48

> 浅井さんの書籍を読み始め…

そうそう。私がこの前会った顕正会の男の子もそうでした。
しかし、ちょっと、覗き込んだら、赤線で真っ赤か(笑)
学生が、試験前に虎の巻を赤線引きながら頭にたたき込んだのと同じ。
違うのは本番で、そのアンチョコ出して読み出してしまうところでしょう(笑)

御書の一節なんかを切り文で読み上げるタイミングで、「その文の前後はなんて書いてあるのかな」と突っ込むと、えらく狼狽したりするわけです。切り出され、つなぎ合わされ、捏造(つく)り上げられたものが絶対だと思っているだけ。考証もしなければ、御書全編すら読もうともしない。あるのは都合よく御書を切り張りした虚構だけ。もっとも、この浅井節はオリジナルではなく、言っている内容は聞いてみると学会・戸田さんが40年前に話していた内容大同小異。オリジナルは、もっとも自分たちが憎む学会にあることすら気がついていないわけです。誰よりも国立戒壇論を実践する唯一の団体は、その戒壇に入れる漫荼羅も、広布の達成の目師も、そのうちやってくるという雲を掴む夢物語で会員を煙に巻いています。

読み上げている内容を聞いて、こんな簡単に決めつけて、まとめて人を煽動してるのだと改めて思った次第。仏教や、日蓮の教えがあんな簡単なものであったら苦労しない。

なんで何事もああも簡単、単純化して教え込み、さらに鵜呑みにさせ、人格が変わるまで思い込めさせられるのか、取り憑かれたような怒りに固まった表情と、人心煽動、人格操作という非宗教という側面ばかりを自分たちが喧伝していることも気づけない異常心理下というものの実態を、チワワや、スピッツが吠える如きヒステリックで甲高い朗読を鬱陶しく思うように眺めていたものでした。「弱い犬ほど、よく吠える」とはよく言ったものだと思うわけです。

まあ、気の毒を通り越して、五月蝿いだけ。
あれは折伏なんて高尚なものではなく、勧誘という説得でもない。ただ、自分の頭に叩き込まれたヘドロを、吐き出さずにはおれない嘔吐のようなものでしょう。まあ、顕正会に限ることではないですが。

勧告しても帰らなかったら“110番”通報。すべて警察に訴えて、さらにマスコミを読んで報道要請。

官憲・報道にはお互いパイプも強いのですから、上述のような違法行為があったら、お互い直ちに世間の露出して対処しましょう。

17:2003/01/09(木) 08:13
アヤエさんのカキコを読んで。

>「アヤエには魔が入っていて私と関わっていると
日蓮さまを誹謗中傷して 罪障を積んでしまう、だからしばらく連絡を絶つ」

会員にこういうことを言われて連絡がとれなくなってしまった、と訴える非会員のカキコを、他所の掲示板でも見ました。
顕正会の心理操作の巧みさには、恐ろしさを感じます。

18:2003/01/09(木) 08:46
    2ちゃんからコピペです。

    −−−−−−−−−−−−−−−
    407 :名無しさん@1周年 :03/01/08 23:59
    世雄のHP落ちてるね。罰か?
    −−−−−−−−−−−−−−−

    確かに現在のところ、「世雄会」で検索して、サイトを見ようとしても、見られません。
    どうしたのでしょうか?

19アヤエ:2003/01/09(木) 13:34
あさん
そうですか、他でお読みになったと言う事は 顕正会全体がそういった体制である
ということなんでしょうね。
耳に入れたくない情報源を絶つ インターネットを禁止しているという辺りも
その表れで、顕正会の批判などは「魔」と称して耳を塞いでしまうのでしょうね。
会員は罰を異常に怖がります、どんな罰が当ると聞いているんでしょうね。

20波木井坊竜尊@日蓮宗葵講(元富士山東光寺預かり信徒):2003/01/12(日) 23:13
どうも最近富士宮での顕正会の活動は完全に沈静化にむかっている。

数年前に山宮にラブホの跡地を750年で建てるか、と思ったが立てずじまい。

21行き詰っている会員です:2003/01/31(金) 18:03
私は現在活動を小休止しています。
実は内部的な話で申し訳ないのですが、数年前にどうしても納得できないことがあって、そこから段々と活動に積極的ではなくなってしまったのです。
顕正会員ならご存知だと思いますが、私は37隊という組織に所属しております。
数年前の当時、3隊・10隊・21隊・37隊は”神奈川男子部”と称されて、顕正会の中心的な戦いをしていたのです。
ところが2年前に突然3隊長、10隊長、そして私の所属する37隊の隊長が次々と消えていってしまったのです。
本当に信頼していた隊長が突然交代してしまい、中心的な戦いをしていた神奈川男子部があっという間に壊滅してしまったのです。
このことについて先輩は何も話してくれません。
それからは次第にやる気が起こらなくなってしまって、ついに今に至っています。
どなたか、事の真相についてご存知の方いらっしゃいませんか?
どうしてこんな事態になっているのか、私はどうしていいのか、もう解らないです。
誰か教えて下さい。

22犀角独歩:2003/01/31(金) 19:26

行き詰っている会員です さん:

顕正会の真実を知る人はたくさんいます。
しかし、具体的な内容、あるいは具体名を記述すれば、相手に塩を送りかねないこともあります。
必要があれば、事実を知っている人を紹介することも吝かではありません。
もし、お気持ちがあれば、個人的にメールをお寄せください。

23菊水護国:2003/02/03(月) 07:51
この土曜、日曜と顕正会の方と会う機会がありましたが、最近の顕正会員は国立戒壇論すらまともに覚えてない方が多いですね。
ただ「プロフェッショナルの浅井先生の指導のままに闘うことが日本を救うこと」だそうです。
だから、恐らく浅井さんが「今日から国立戒壇をやめましょう」と言ったら、意外とすんなり通ってしまうのでは無いかと、思った次第です。

24モトミナ:2003/02/03(月) 09:15
行き詰っている会員さんへ

独歩さんの仰られるとおりだと思います。
私はその顛末を少なくとも知る一人として、この大事件に関しては多くの人が知るべきだとは思います。
同じ顕正会男子部であれば、当時TOPとして君臨していた三つの隊隊長が突如活動停止して消えてしまったわけですから、あれほど衝撃的な話はないと思います。
しかし、詳細を考察していく上で、個人的な内容にも及ぶ恐れもありますので、公開としてしまうのには疑問が残るわけです。
もしよければ独歩さんでも私にでもメールを頂ければ、ご相談には乗ります。

今の男子部は気概も何もない、ただの言いなりの幹部ばかりだ、と思わざるを得ない感があります。
つまりこの事件をきっかけに、顕正会男子部は大きく方向転換し、粛清を恐れて我が意の決意で戦う人材がいなくなったものだと思うわけです。
以前は会長、部長を中心にして引力に引かれるものの、そこには自ずと個性を光らせた強き人材が多くいたように思います。
そういった人材が排他されてしまったということは、つまりマシンのような自己判断を持たない人材が残っているだけ、と思うわけです。
その熱意も闘志もない彼等が男子部という会の中心組織を構成して、国立戒壇を・・・というのは不可能に近いのではないのか、と思えてしまうのです。

25アヤエ:2003/02/05(水) 11:32
行き詰っている会員さん、その後どうされましたか?
もしもなにか変わった事があったら書きこんでもらえませんか?
ちょっと気になってます。私の友人にも変化がありました。
仲間の会員が何人か辞めたらしく、心が大きく揺らいでおりました。
気付いてくれる事を祈って 見守っています。

26行き詰っている会員:2003/02/06(木) 08:04
アヤエさん
現在は色々な方から情報をお聞きしている最中です。
まだまったく情報がない状態なので何の進展もないのです。

27ワラシナ:2003/02/06(木) 18:11
「色々な事を隠したがる顕正会の体質はなぜ?」という感慨。

0、あそこをくびになってそろそろ4年目になるんだが、細かい会の歴史でわからなかったことが多かっ。そのひとつにこういうのがあった。

1、再建後吾妻橋時代では、その所属寺院の名前が機関紙に堂々と明かされているのに、再建前の池袋時代では「某末寺所属」というばかりでとうとう名前が明かされなかったこと、だ。
みんな知ってることなのに、なぜ?と思うのだった。(これは私の在籍していた当時の機関紙の事であって、最近の扱いは知りません。)

2、だから、そんなことすら解らない、というか「解らせないように」している体質、としか言い様がないのである。

28ワラシナ:2003/02/06(木) 18:44
「顕正会の情報開示法の特徴」
*no27の「多かっ。」は「多かった」の間違いです。すみません。

1、最近は知りませんが、四年前位にあった情報開示の特徴というのがあった。教界の最新情報、宗内情勢の最新情報などを必ずワンテンポずらして会員に公表するやりかたであった。そのずらし期間の長さの単位には二パターンあって、「三ヶ月遅らせての発表」「半年ずらしての発表」の二つであり、或いは「一切触れない無視、無発表」というやり方もあった。そもそも、機関紙からもれてくる情報の絶対量というものが顕正会では少なかった。針の穴から水滴が落ちてくるような感じでしか新情報が出てこないのである。勿論、在籍当時から私は「今自分が所属している世界は東側世界なんだから当然なんだ」と自分に言い聞かせていたけれども、教界のどこかにあるかもしれない「西側世界」には対する憧れを抱かずにはおれなかった。
だから、顕正会が批判している他の団体の機関紙「継命」「大白法」「日蓮宗新聞」などの方が多彩な内容を持っていることがショックだった。

2、私は「一代発心在家」だったから教界人脈がなく「今何がどうなっているか」についての指南は、東陽堂の書棚の隅っこに寄せられた教界ミニコミ雑誌に求めるしかなかった。

29犀角独歩:2003/02/06(木) 20:26

ワラシナさん:

私はいまも初めて本門戒壇分類学のHPに至った感激を忘れていません。
私は一言、ワラシナさんに公開の場で御礼を述べておこうと思います。
私は心からワラシナさんに対して、「有り難うございました」と申し上げます。
近く犀角独歩は、もう一度、独り歩みだし、人々との交わりから去ろうと思っています。人との会話はその相手の高さを基準にしてしまいますので、そのうえの世界が見えなくなります。しかし、その低い天井のさらに上に広漠とした青空が広がっていることを私は知っています。

いつの日か、その青空の美しさをワラシナさんの語り合いたいと思います。
私にとってワラシナさんは「市中の独覚」であり、かけがえのない宝玉を手にされる方であると信じます。

30(冬眠中):2003/02/06(木) 23:11
やや事実誤認があるように思います。

池袋の法道院に所属していたことは、かなり前に聞いた記憶があります。
少なくとも平成五年には、その旨の発言が残っています。

だいたい浅井先生は、ご自分の中でじゅうぶんにこなれていない事案については容易に発言しない、ある意味おくびょうなくらい慎重であることは、多くの人の認めるところでしょう。

31さかなこ:2003/02/07(金) 00:26
>独歩さん、ワラシナさん

>本門戒壇分類学のHP

を拝見させていただきたいと思い、検索してみたのですが上手くヒット
しませんでした(>_<)
もしよろしければURLを教えていただけると嬉しいです。

33犀角独歩:2003/02/07(金) 01:11

さかなこさん、Leoさん:

故あって一時閉鎖されていらっしゃるHPを安易に紹介する形になりました。
ワラシナさん、失礼しました。

という事情を踏まえての私の記述であるとご理解いただきたくお願い申し上げます。

34Leo:2003/02/07(金) 01:28
 ワラシナさんのHPは閉鎖中なのですね
ワラシナさん、独歩さん 
 先走ってしまい大変申し訳ございませんでした。

36犀角独歩:2003/02/07(金) 03:07

> 34

いや、謝らなければいけないのは私のほうです。

37ワラシナ:2003/02/07(金) 14:13
「顕正会の情報開示法の特徴 2」
*no30冬眠中さんへ

0、「少なくとも平成五年には、その旨の発言が残っています。」との事。そうですか確かめる暇がないのでこれは私の間違いでした。すみません。ご指摘感謝します。そこでno
27の「とうとう名前が明かされなかったこと、だ。」の部分の前に「私の見た「富士」に限っては」の文句を付け加え訂正します。

1「だいたい浅井先生は、ご自分の中でじゅうぶんにこなれていない事案については容易に発言しない、」との事。
これも正しい指摘です。

2、ここで当時から興味深かったのは、安易に語りえる事柄と用意に言及なさらない事柄との差が際立って印象付けられた点でした。
そこの落差の意味を考させられる様になってしまうのは、大方のまじめな幹部の特徴だった、と言えます。
一般会員にとってはその落差の意味にしか新情報が見出せなかったからでした。

38ワラシナ:2003/02/07(金) 14:45
「本門戒壇分類学のHPの今後」

0、「本門戒壇分類学のHP」閉鎖のわけ。飽きてきたこと、読書して思考する時間や、書き込む時間が取れなかった事。大事な内容は作るのに時間がかかりすぎる事。人文学研究では、それ自体を職業にしている研究者に叶わないこと。
一人で豊富な内容を盛り込むのは不可能なこと、(情報消費量に比して産出量が低すぎる事)だから、共同HPに参画した方が気持ちの上で無理する必要がなく楽になって取り組めること。

1、もし時間が出来た時のHPの新構想、、としては、著作権侵害にならないような範囲での「石山系宗学宗史用語辞典」の作成。ちょうどnbさん置時計さんがやっているような資料作成。
2、それに隣接している宗教関係の研究テーマに三つありライフワークにとして仕上げたい。
2−1、もともとの「本門戒壇分類学」の原稿をまとめる事、
2−2、「宗祖本佛論の考察」の原稿を作ること。
2−3、「偶然性の問題」の考察。(自分でも之は抜群に魅惑的テーマに映っています。勿体無くて余り喋り散らしたくない位に。

3、以上は宗教関連ですが、それ以外の勉強構想というのがある。たとえば量子力学の勉強。之には初等解析学の会得が不可欠なので現在「ベクトルと行列」の本を何度も行きつ戻りつしながら読んでいますが簡単そうで難しいです。

39ワラシナ:2003/02/08(土) 14:54
no29 犀角独歩さんへ
「心境変化したような独歩さんに触れて抱いた思い 」

1、長い間の継続的投稿の労作業本当にお疲れ様でした。その御訴えの主眼「はっきりした証拠を出せ」に影響されて私も宗門上代史の勉強をしなければと思いました。

2、>私はいまも初めて本門戒壇分類学のHPに至った感激を忘れていません。
>私は一言、ワラシナさんに公開の場で御礼を述べておこうと思います。
>私は心からワラシナさんに対して、「有り難うございました」と申し上げます。

私のHPも教界発展の為全くの犠牲的義務観念だけでやってましたので上のお言葉を頂いて救われた思いです。
それと今、思い出すのは私が顕正会資格喪失処分(実質除名)を受けた時やはりあなたから「本当におめでとうございます」と言われた。その時にも解っているつもりでしたが、今あらためて、その時の「おめでとう」の言葉に、組織信心で人生の根底が狂わされ苦悩の青春を送らざるを得なかった人の悲痛さが胸に迫ってきたものでした。
あの時の「おめでとう」には本当に勇気付けられました。有難うございました。あの時は本当に「自分が哀しかった。」自分としては会発展の為に自分の人生を捧げてきたつもりが拒絶されたのですから。

3、>近く犀角独歩は、もう一度、独り歩みだし、人々との交わりから去ろうと思っています。人との会話はその相手の高さを基準にしてしまいますので、そのうえの世界が見えなくなります。しかし、その低い天井のさらに上に広漠とした青空が広がっていることを私は知っています。

この言葉で思ったのは、上の感慨の趣旨から若干外れていますが、次の事です。
「電子メディア社会の中では、一人になる事が難しい。自分にとっての理想の一人との出会いも電子メディアに依存してしまう厄介な傾向有り」という事です。
考えてみれば、桜川さんと私は、同じ顕正会に十数年在籍していたのにお互いがその存在すら知らなかった。それが知り合うことが出来たのは電子メディアのおかげ、独歩さんとも同じ原理。

みんな組織から孤立して一人でものを考えつづけてこられた人々と言える。私も顕正会で自分ひとりだけが独自の思索をしている人間だろうと慢心していたが、上には上がいてその10年前からあれこれものを考えつづけていた先輩がいて、それが桜川さんだった。
そこで、自分だけが一人で苦しんでいたんじゃないんだ、と気がついただけでも、電子メディア以前の昔と比べて進歩していると思う。
その昔、ミニコミ教団誌にありつける人、教団脱藩ベンチャー勉強会に参加できる人だけが情報を得られて、未組織個人信者が情報を得るのは難しかったが、電子メディアになって違ってきた。

4、それとno38で、「本門戒壇分類学のHP」閉鎖のわけ。を補足しますが、
自分の内容が不満足だったから、もっと本格的な内容にしたいが勉強時間が出来ないから。
また、いくらやっても日蓮教学ではカネにならないから。生活できないから。

5>いつの日か、その青空の美しさをワラシナさんの語り合いたいと思います。

目指す「その青空」とは何であるのか、興味津津、あれこれ勝手な想像をしています。

6>私にとってワラシナさんは「市中の独覚」であり、かけがえのない宝玉を手にされる方であると信じます。

本当にそうありたいです。特に現在強烈に願っているのは、その「宝玉」の内容が、「カネに結びつく性質のものであってほしい」事です。
「カネがある生活」と「無い生活」とでは「全然違う」からです。

7、最後に、、、。あまりご無理なさらぬよう。

40元顕正会○○○○長:2003/03/05(水) 10:41
昔、広布御供養に困り果てて相談した時、浅井子息は平然と私に言った。
”なんだ、○○君。君がそんなじゃ困るな”
と十数万入りの財布を出し、中から八万を取り出して私の目の前に差し出して、
”これ、使えよ”と言った。
浅井子息の思惑は、八万を貸してくれた事に有り難い、と思わせようとの行為だったのだろうが、
私には”みんなピーピーしてる時期に、何でこいつはあんなに金持ってるんだ?”
と正直に思った。
借りた私も私なんだけど・・・(笑)
ふと思い出したから書いてみた。

41元顕正会○○○○長:2003/03/05(水) 10:53
ついでに。
かなり前だが、私が後輩に折伏の応援を出して、新宿に向かわせた時のこと。
後輩から電話があって”今、浅井男子部長がそばにいます!”と。
そして”女性と服を買いに来てるみたいで、あれこれ選んでます、選んでる姿も格好いいですね”
後輩は純粋に間近で浅井子息を見た事がうれしかったのだろうが、私はアホ臭くなった。
会員が真剣に戦ってる最中、婚前とはいえ女と街中を歩くな! 指揮に関わる! と言いたかった。
しかし言えず仕舞いだった。(笑)

42黙さず語る者:2003/04/04(金) 10:38
ではガンコさん こちらにて。
まず私が疑問に思う点を上げさせて頂きたいと思います。

顕正会では折伏(?)の場で「絶対」という言葉を頻繁に使用しますが、「絶対」だと言い切る以上は、「絶対」である解説できなければならない、と思うわけです。
「なぜ絶対なの?」と聞き返して「とにかく絶対だ」という答では相手がまず納得するわけありません。
仏教は広く深い理解力が必要なのは分かるのですが、しかし最低限の回答位は用意されてあるべきだと思うのです。
ましてや信仰の対象となる本尊に関して何も回答できないというのは、問題ではないでしょうか?
顕正会としては指導徹底は常に会長の言葉のみに終始し、なぜそうなのか?といった説明が何もないように思うのです。
聞かれなければ問題はない、というスタンスでは法を勧める側の姿勢に問題があるようにも思います。

とするとこうゆうことになるのではないでしょうか?
本尊が一体どうゆう経緯で存在しているか分からないが、きっと正宗に所属していた頃の者、会長指導では妙縁寺より譲られた本尊であるから、きっとそうであろう。
会長がそう言っているのだから。
昭和年代の指導と平成年代の指導では会の本尊所持数の捉え方が違う表現になっているが、最初の指導では別に触れなかっただけであって、その時から会所持の本尊数に変わりはないのだろう。
今目の前で拝んでいる本尊もそうゆう事だろう。

こういった曖昧さのまま「この御本尊様に祈ると幸せになる」と言い切れてしまう事が相手に対して失礼ではないか、と思うわけです。
自分が幸せになるための対境であり、人にも勧めて本尊の前に座らせて、別に聞く者もいないから言う必要もない、という程度でしょう。
ここら辺が随分だなぁと思うのですが。

ガンコさんはこの点、どう思われているのでしょうか?

43黙さず語る者:2003/04/04(金) 10:48
こう考えると顕正会員の思考回路がどうなっているかがはっきり分かってしまうのです。

つまり、「会長が言っているのだから、間違いない」と。
これに尽きてしまうわけです。

そして指導では事ある度に「浅井先生の」「浅井先生が」と、浅井会長を中心にして仏法を語り、浅井会長を中心にして仏法を薦めようとしている。
ここが一般には変に見えるわけで、しかし会員はそれを変だとも思わない。

他を見ればよく分かりますよね。
アレフにしても法の華にしてもライフスペースにしても、外部から見ると「何で?その人の言ってる事、おかしくない?」と思えても、内部ではトップが言ったことだから全然疑うことはしない。
信じているのはトップの発言であり、神格化した偶像でしかない、と思うのです。

これが顕正会の場合だと「浅井先生は学会と達師を論破したのだから、浅井先生より深い教学と見識を持った人はこの世にいない」というのが信じていく理由になるわけです。
でも、本当にそうなのでしょうか?とは微塵も考えないわけです。

そうやって教え込まれて信じ込まされてきたわけですから。
そして宗門は金の亡者、学会は世間に諂う集団なのだと信じ込まされてるから、本当にそう思っている。
でも、本当にそうなのでしょうか?とは、やはり微塵も考えないわけです。

44ガンコ:2003/04/04(金) 11:50

どうもです。

まず、「絶対」についてですが、いやらしい先輩がいるんです。
「ガンコちゃん、そんなんじゃダメよ。ゼッタイを言い切りなさい。相手はこちらの確信によって心を動かすのよ。そんな弱々しい折伏じゃ入信するわけないじゃない」
応援と称して、人の折伏の欠点ばかりあげつらうのです。

おそらく「絶対」というのはマニュアルどおりに言っているだけ、本当の確信に基づいてしゃべっている人は少ない。これが実態でしょう。

>こういった曖昧さのまま「この御本尊様に祈ると幸せになる」と言い切れてしまう事が相手に対して失礼ではないか、と思うわけです。

おっしゃるとおり。ですからわたくし、わりと本尊問題に関心があるんです。

>でも、本当にそうなのでしょうか?とは、やはり微塵も考えないわけです。

いや、けっこう考えていると思います。ひとつだけ申し上げますと、ここ数年はやや伸び悩んでいるけど、それをいちばん感じているのは現場の人間でしょうから・・・

45黙さず語る者:2003/04/04(金) 12:17
ガンコさんはかなり問題意識を持たれた数少ない会員の方なんですね。

それで、本尊問題等はなぜ本部に直接聞くことができないのでしょうか?
まずそういった体制にも問題があるように思います。
決定打がまず欲しいと仰られているようですが、本尊数が明確になっていない、曖昧だということ自体、大問題だと考えない事が問題だと考えるべきではないでしょうか?

達師本尊、顕師本尊を顕正会では拝まない、というスタンスはガンコさんはどのように考えられているのでしょうか?

46モモ:2003/04/04(金) 13:03
ひょっとしてHN変えただけだったりして。
更なる御活躍を期待しております。

47ガンコ:2003/04/04(金) 14:26

い、いきなり質問ばかり並べられて、こ、困りました。

まず先に、達師本尊、顕師本尊について申し上げますが、今現在も両師の御本尊を所持している顕正会員をわたくし知っております。
むろん学会ないし法華講からの入会者ですがわりとちゃんと御給仕申し上げているように見受けられます。ただ正直に書けば、現時点では顕正会員としてあまり活発に活動していないです。
ですから熱心に活動している会員でなおかつ両師の御本尊を拝んでいるという例は知りません。
ただ、このことについて浅井は一切おおやけには発言していないですが、いわゆる口コミで聞いた話があります。記憶があいまいなので申し訳ないですが少し時間をください。整理してから書きます。

本尊問題は開き直って申し上げるならば、わたくしは今なお現役顕正会員なのですから、批判者に対して「これほど大事な問題はないのだからちゃんと調べてから書いてくださいな」と申し上げているのです。
あいまいな情報だけではさすがに本部には聞けませんでしょう。

本尊数・・・これも開き直って、やや責任転嫁を承知で申しますが、当の御宗門では御形木御本尊をどれだけ印刷したか、そしてどこにどれだけ下したか、把握しているんでしょうか。
いちばん手っ取り早いのは御宗門の方で「妙縁寺には〇〇上人の御本尊をいくつ、〇〇をいくつ」等と発表すれば、浅井のウソが(ウソであれば)いっぱつでわかるでしょう。
おそらく御宗門でもことに御形木御本尊に関してはいい加減な数しか把握していないだろうと思います。
だから顕正会も許されるってことにはなりませんが、まあ許してちょうだい。

48黙さず語る者:2003/04/04(金) 14:43
ガンコさん
私は現実に活動会員のうちで、達師本尊から顕正会の用意した寛師本尊に取り替えた事例を知っているわけです。
取り替えた時期は、丁度平成11年の血脈授受断絶あたりから始まった事を覚えています。
取り替えた理由は”相承受授できなかった者の本尊を、しかも顕正会に対立している者の書写した本尊を拝むのも、何だし”ということでした。
とすると少なくとも顕正会では達師顕師本尊とその他の本尊とは区別、差別をしていると当然考えられるわけです。
にも関わらず現実にはガンコさんの知人のように達師顕師本尊のままの者も多くいるわけです。
ここら辺が指導の不徹底と申しますか、かなりアバウトな風に取れるわけです。
私の感触では”本尊に関する問題なのに”となってしまうんです。
公では確かに会長は本尊に関しては取り替える旨の発言はしていませんね。
しかし一方では取替え、一方では取り替えない、というのも変に感じます。

49ガンコ:2003/04/07(月) 17:04


「顕正会における達師顕師本尊の取り扱いについて」 その1

断るまでもないことだが、わたくしは顕正会の上層部とは関係のない人間である。
であるからして、以下に述べることは活字になっている会長指導と、わたくし
の所属する組織の諸先輩がつね日ごろ何気にしゃべっていることを勘案して、顕正会の見解はこうであろう、いや、こうあるべきだ、いやいや、こうでなければおかしい、ということを書くものである。

“達師顕師本尊を拝まない”ことと“本尊の取り替え“とは個別に考える必要がある。
また、“御相承の断絶”とも分けて考えるべきである。
むろん、これらはまったく無関係の事象ではない、大いに関係があるのであるが、われわれはえてして関係ないことまで関係づけて考えてしまうものである。

1、 “御相承の断絶”はまごうかたなき会長発言である。
2、 “本尊の取替え”は直接的な発言はないが間接的発言はある。
3、 “達師顕師本尊を拝まない”とする発言はまったく存在しない。

まず、1については説明するまでもないが平成11年の本部指導会での浅井発言である。これについては昨年わたくしなりの見解を示したので参照いただきたい。
2は会員が勝手にできることではないし、本部が為したことであるのはまちがいないからして、であれば浅井の意向であることは疑いようのないことである。そのうえでいわゆる“御高徳の日寛上人日布上人”発言をみれば間接的とはいえ本尊の取替えを示唆することは疑いようのないところである。
では3はどうか?
じつは、これこそが勝手に関連づけて考えてしまう、ということの好例であろうと思うのである。
顕正会では達師顕師本尊を拝まない、というのは大間違いである。もし上層部からそのような指導が下りてきているという明白な証拠があれば、わたくしは即座に脱会する覚悟である。
そんな指導は絶対存在しない。
ようするに一部の幹部が勘違いをしているだけの話である。だから仮に大幹部で今もそんな勘違いをしている者がいるとしたら、早くあらためないと大変なことになるだろう。最悪その幹部は詰め腹を切らされることになろう。

50ガンコ:2003/04/07(月) 17:10

「顕正会における達師顕師本尊の取り扱いについて」 その2

絶対? 何でそこまで言い切れるのか?

そのまえに本尊の取替えについて、もう少し書いておく必要がある。なぜなら、達師顕師本尊から寛師本尊に取り替えるという事象をみれば、だれだって達師顕師本尊は拝んじゃいけないんだと勘違いしてしまう可能性があるわけで、それらを別の問題だと主張する以上は、なぜに本尊を取り替えるのかについて別の理由をたてなければならないだろう。

わたくしはこのように聞いたことがある。「御本尊様に向かい奉るにあたっては“雑念”を排してすっきりとした気持ちで勤行申し上げなければならない」と。
これが本尊取替えの理由だとすると日達上人日顕上人に失礼ではないかと法華講員に叱られそうだが、浅井の深謀遠慮を思うべきである。
雑念というのはまさしく細井管長阿部管長書写の本尊だからということになるけれども、“雑念”とは本尊の責めに帰すべきものではなくあくまで信仰者の責めに帰すべき事由である。
日ごろ宗門に対しては強言を構える浅井であるから、そうした先入観を持っているとわたくしのいわんとすることはわからないかもしれない。ともかくも御本尊様に対する浅井の姿勢は終始一貫変わることはなく、この件にしても“雑念”という表現をもちいることによって辛くも御本尊誹謗を逃れている、とわたくしは見る。

以下は類推であるが、法華講から顕正会に入ってきた者はおおむね達師顕師本尊を日夜拝んでいる、今まで猊下様絶対だった、しかしそれが崩れる、「時の貫首たりと雖も・・・用ふべからざる事」、はたしてこの御本尊を拝んでいてよいものだろうか?という迷いが生じる。
こうしたすっきりしない状態で勤行するのは好ましくない。
また、学会から顕正会に入ってきた者はもっと複雑である。かつては顕師本尊を拝んでいた、ところが平成3年以降、徹底的に宗門とりわけ日顕上人の誹謗中傷をくりかえす学会のなかにいて、結句は顕師本尊を捨てさせられた、そして顕正会に入る、あれ?なんじゃこりゃ?日顕のほんぞんがあるぞ? 学会員の日顕上人に対する憎悪ははんぱじゃないから、顕正会員が顕師本尊を拝むのを理解できない。

ともかく複雑な宗門情勢のなかで純粋な信仰を保つことはむずかしい。浅井の会員に対する配慮もここにある。かねてより“宗門は日淳上人の時代に戻ってやり直さなければならない”と言い続けてきたことを思えば、本尊の取替えはさして不自然ではない。

51ガンコ:2003/04/07(月) 17:16

「顕正会における達師顕師本尊の取り扱いについて」 その3

すこしばかり、ウソを書いてきた。正直にじぶんからバラしてしまおう。
一部の幹部の勘違い・・・というのは不適切である。一部どころの話ではないだろう、大多数の幹部が勘違いしていたと思われる。ようするにどう繕ったって顕正会全体で達師顕師本尊を忌避する傾向にあったことは否めないのである。
ではこれは本部が仕向けたことなのか? ゆいては浅井の意向であろうか?
断じてちがうと申し上げる。絶対にちがうのである。

なぜならば、この問題に関して浅井はちゃんと見解を示しているのである。

「ことの序に、このことについて謹んで所信を述べておく。
御本尊七箇之相承にも聞こえるごとく、御本尊を書写・活眼遊ばすお立場は、正しく『代々の聖人悉く日蓮』であらせられる。なればこそ嫡々代々の御本尊に御利益があらせられるのである。
但し、正法に魔障は付きものである。まことに恐れ多いが、御付属とは別な次元で問題の起こることも稀にはあろう。かかる正系門家の非常事態に備えて、日興上人は
『時の貫首たりといえども、仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざること』
と厳誡されたのである。但し、いかなる事態が起ころうとも、清浄の法水にはいささかの変化もない、これが本宗の有り難いところである。
初信の者が見れば、御本尊七箇之相承の御文と、日興上人の御遺誡とは一見矛盾するように見えるが、決してそうではない。まことに、このところに、本宗の令法久住の有り難さが存するのである。しかしながら、初信の者が感情にまかせて軽々しく判断することは厳に謹まなければいけない」(冨士271号)

いわゆる「試練と忍従の歴史」の記述である。古い本ではあるが、いまも読まれていることからして、これが顕正会の公式見解であることは疑いようのないところである。

おそらく解散処分以降、達師顕師本尊に対する忌避意識がつねに内在していたと考えられる。それに浅井はクギを刺しているわけであるから、初信の者(と勉強不足の幹部)が感情にまかせて軽々しく判断することは厳に謹まなければならない。

また、引用文を読めば“御相承の断絶”発言における浅井の真意もおのずと読み取れるはずである。
断じて見誤ってはならない。

522ちゃんより:2003/04/07(月) 17:44
何故 そんなに回りくどく現すのか、もっとシンプルに分かり安く説明しないのか
と 素人からは思ってしまうんですけど…
会員はそんなに浅井さんの発言を汲み取らなくてはいけないのですか?
会員は自分の発言を良い風に読み取ってくれるだろう、という考えなのでは?
こんな持っているか持っていないか こんなシンプルな事を煙に巻くような浅井さんの
難しい言い回し。これは 解釈する側に責任を転嫁するずるいやり方に見えます。

ちょっと自分には難しい問題なので もしも全然見当違いの事だったらゴメンナサイ。
自分なりの感想でした。

532ちゃんより:2003/04/07(月) 17:46
現すのか→表すのか
です 失礼しました。

54黙さず語る者:2003/04/07(月) 20:28
ガンコさん
私は少なくとも本尊取替え問題と達師顕師本尊を拝まないことと、相承授受断絶の問題は立て分けるべきではないと思います。
なぜなら、平成十一年の相承発言以前には達師顕師本尊を拝まない、などという考えは会員内にはなかったわけで、当然本尊を取り替えるなどという発想すら会員にはないわけです。
相承発言以前に常に会内言われてきたのは「本尊を誰が顕したから駄目とか良いということはない」という指導であり、日本銀行の総裁個人の善悪に関係なく紙幣は紙幣として価値がある、との例えをよく引いていたものでした。
つまり平成十一年以前にはそういった”どの本尊なら拝んでも良い、どの本尊なら良くない”という発想すら会員には全く存在せず、だからこそ達師顕師本尊で入信勤行を執り行う行為は繰り返されてきたわけです。
ところが平成十一年の相承授受断絶の発言以降に初めて、本尊取替え問題が現実に行われるようになり、当然会員内では達師顕師本尊を取り替えられた事実がある以上は、拝むべき対象ではないのだろうという発想が出てきたわけです。
また、会長指導をしっかりと聞いている者や、古参の会員であれば、本尊数の問題も疑念となるかは別にしても、「どうして布師本尊が突如出現し、寛師本尊が増大したのだろう。すっきりとした回答をしてくれればいいのに」という考えは頭をよぎるはずです。
とすると、ガンコさんが言われているような
>「御本尊様に向かい奉るにあたっては“雑念”を排してすっきりとした気持ちで勤行申し上げなければならない」という概念が本尊に向かうべき姿ならば、本尊数等の問題は尚更顕正会として明確に提示すべきなのではないでしょうか。
実際に私は少なくとも会館安置の布師本尊の出処が不明であるという疑念が出来した上で、会館への参詣はできなくなりました。
”雑念”を排してというなら、もっとも優先すべき問題なのは会としての本尊所持数を明確に提示すべきだと思うわけです。
達師顕師本尊への”雑念”よりも何よりも顕正会の本体である会館安置の本尊への”雑念”の消去がまず最優先されるべきであるのではないでしょうか。
更には浅井会長は現在会員が大抵抱いている考えとは違うことを「試練と忍従」を引かれて説明されていますが、現実にはガンコさんの言われる通り大多数の会員がそうは思っていないわけです。
である以上、会員の考え方を改めるべき指針を打ち出すべきでしょう。
わざわざ「試練と忍従」を熟読しなければ会長の意を汲み取れないのであれば、会として戒めていかなければならないはずです。

>はたしてこの御本尊を拝んでいてよいものだろうか?という迷いが生じる。
>こうしたすっきりしない状態で勤行するのは好ましくない。
こんな疑念は以前から会員はさんざん持ち合わせてきた問題なわけです。
正本堂問題で妙信講を解散処分とした以上、妙信講側から見れば「正義を叫ぶ団体の首を刎ねた」となるわけで、つまり解散処分以降から、達師顕師本尊に対する考え方は会員の中で指導されてきたわけではないですか。
そう考えればこれが平成十一年の指導を受けて、急激にそういった本尊を取り替える傾向に本部が奔走するのも、やはり”相承授受断絶”と”拝むべき本尊か否か”とリンクされるのは当然です。
浅井会長自身が指導したわけではなくとも、本部の子息が号令を出していたわけですから、この状態で尚、会の意向を汲んで良き理解者になるべきなのか、それとも詳細指導がなされるべきなのか、私は甚だ疑問に思うわけです。

55黙さず語る者:2003/04/07(月) 20:34
更に重ねていうならば、ガンコさんの論が顕正会の意としている所であるならば、何も本尊に対する”雑念”などを個人的に考えるよりも、会長がきっちりと指導すれば問題ないわけです。
つまり”達師顕師本尊について、相承授受断絶の事実はあるがこれ等の本尊を拝んでも功徳に変わりはない。雑念など抱くのはもっての外だ”と。
それとも”達師顕師本尊について 相承授受断絶の事実はあるのでこれ等の本尊を拝んではならない”と。
明確に指導すれば会員は何も迷わず浅井会長の意として”雑念”の入る余地なく本尊に向えるはずです。
これがなされていないから、ガンコさんのように意を汲み取るような作業が必要になるのだと思います。
これこそ”落ち度”ではないでしょうか?
或いは外部の者から見たとき”きちんと説明できない何かがあるのか?”と思われ疑われても言い訳できないでしょう。
何よりも、命より大事な御本尊の御事なわけですから。

56ガンコ:2003/04/08(火) 11:24

2ちゃんより さん
黙さず語る者さん

まあ、大体おっしゃるとおりだと思いますけど、わたくしそんなに先生の弁護をしているつもりはないです。

1、顕正会が勝手に本尊をこさえているとしたら、その事実が発覚した時点で顕正会は一気に崩壊する。

2、上の引用文「ことの序に、このことについて謹んで所信を述べておく・・・」はまさしく重要な見解を示すものであり、こんご日顕上人に対する憎悪を増大させていくならば明らかなる自語相違に陥ることになる。

これだけの話です。

57黙さず語る者:2003/04/08(火) 12:12
ガンコさん
よく分かりました。
しかし、返す返すも思うことは、何故昭和六十年指導と平成五年指導では布師形木本尊には一切ふれていなかったのに、平成十一年の地方会館の相次ぐ開設に併せて出てきたのだろうか、と思うのです。
少なくとも以前の指導になぜこの布師形木本尊に触れていなかったのか、弁明すればここまで縺れる問題ではなかったと思うのです。
あれ程詳細に顕正会所持本尊の解説をしておきながら、なぜ当時布師形木については一切触れていなかったのだろうか。
と疑問に思ってしまうのは当然といえば当然、無理もないことだと思いますが。

58黙さず語る者:2003/04/08(火) 12:16
まだ私が活動中、同じ組織の者が浅井主任理事に質問を許され、まだ初心だった彼が次のような質問をしました。
「現在学会で配布されている寛師のコピー本尊はどう受け止めるべきでしょうか」と。
これについて浅井主任理事は「そんな話、触れたくもない」と一蹴し全く別の戒壇建立の話題に持っていたのです。
どう受け止めるべきかは人それぞれなのでしょうが、私はふとこの件について書き込みしていて思い出しました。

59ガンコ:2003/04/08(火) 13:13

どうもです。

わたくしも布師形木本尊については、う〜んと知りたいです。

昨年お暇庵さんがおっしゃってらしたことが興味深かったので次に引きます。

>九州開導の師、妙寿尼の九州開拓の折りに堅樹院派の折伏に於いて帰伏信徒の本尊を交換に布師の形木本尊という記述が妙寿尼の伝にみられます。時代的に言って幾分の残余はあったと思いますが、布師御形木は明治からの九州や関東の完器講の折伏において作成された物ではないかと思うのです。

問題は顕正会の御本尊様が該当するのかどうかですよね。
それとどこかのサイトに布師の御本尊様の御写真がありますけど、あれは顕正会のとは違いますよね。

あと、主任理事の話は正確には何年何月ころのことでしょうか?

60黙さず語る者:2003/04/08(火) 13:31
確か・・・
創価学会が寛師本尊をコピーしだした以前のよりも大きい本尊が配布された辺り・・・つまり学会が宗門から破門された後より数年内の座談会での出来事だったと記憶しております。

上述の文には興味を惹かれますね。
本尊問題は布師形木本尊について詳しく知られている方からの情報も必要ですね。

612ちゃんより:2003/04/09(水) 13:23
素人の意見ですみません
その御本尊が本物であるかどうかっていうのは 判断のしようがあるんでしょうか。
本物か偽物かの証明ってどうやったらできるんでしょうか。

そもそも信心してないものには ああ言った物に何かの力があるとか
成仏するために必要だ とか、、どうもピンとこないんですよね。

会員に聞いてみたところ「功徳が出ているのが何よりの証拠」と言い返され
その功徳について突っ込んで話すと「理屈じゃない 命で感じるもの」と
納得いく答えはもらえませんでした。

第一功徳ってなんでしょう  私が見て「運が良い人だな」と思う人は
ものすごい努力を惜しみなく楽しげにやっています。
その他にも運が良いと思える人もいますが、他で大きなマイナスを出してます。
こうみていると世の中プラスマイナスゼロなんじゃないかと思うんですね。

会員に「今入れば国教になった時にとてもいい」と何か「今買うとお買い得」
という感覚でいわれました。でも損得で考えていくとがんじがらめになって
ちっとも人生楽しくない。楽しいって言うのは何も楽をしようとかじゃないんです。
こんな会話をするうちに 私は会員に「畜生界の人ですね」と言われました。
相手の人は言い放ったという感じ、私にその言葉をぶつけて満足そうでした。

その時 私を勧誘した一人と 知らない人が二人来てました。
本人達は悪い人達じゃなさそうに感じましたが、少し常識がない人だと思いました。
私は是非会員の方々に目を覚まして欲しいと思います。
ガンコさんのように、会話のできる人は少なくともその場にはいませんでした。
探してみればあの支部にもガンコさんのような話せる人もいるんでしょうね。

長々とだらだらと書いてしまいました。
御本尊を証明する方法があると良いですね。今後はここを見守りたいと思います。
よろしくお願いします。

62ガンコ:2003/04/09(水) 18:59

2ちゃんより さん

>ガンコさんのように、会話のできる人・・・ガンコさんのような話せる人

とんでもござあませんです。昨年あたりは“質問をぶつけても答えない無礼なやつ”と言われてました。まあ本年は少しはマシになったかもしれませんが、そんなに人間変われるものではないですから、そのうちボロが出るでしょう。

上でお暇庵さんの文を紹介したのは言わば日付を照会したわけです。
ようするにお暇庵さんが布師形木本尊の日付をご存知であれば、それと顕正会の布師形木本尊の日付が一致するかどうか確かめられると思ったのです。
もちろん日付がおなじであっても、さらにそれが本物なのか複製なのか、これは難しいですね。

63黙さず語る者:2003/04/10(木) 09:14
2ちゃんよりさん
一般の人から見た時の感じ方はよく御理解できます。

>会員に「今入れば国教になった時にとてもいい」と何か「今買うとお買い得」という感覚でいわれました。

以前から入信方法に何かと問題提起がなされている顕正会ですが、やはり根本的な誤りになってきてしまうのが、”広宣流布を急がねばならない”という指針ではないかと思うわけです。
強引な勧誘、末法思想を強要する、罰論で相手に不快感を与える。
折伏の月(通常顕正会では2・3・4、6・7、9・10・11月)ともなれば、会員は気持ちがはやって何とか入信させようと躍起になる結果、強引になり、また暴論を吐いたり、といった事になるわけです。
これが最終日(折伏締切り日)近くにもなれば、一層拍車がかかり、誓願(会員が立てる月々の入信者の数)に届いていないような組織などは、何でもありのような姿になってしまうものです。
だから、一人の者が一日で5人も6人も一度に入信させたり、なんていう事が可能になり、またそれを横目で見ている会員は”あの組織は凄い”という的外れな感情を持ったりするわけです。

これ等が積み重なると、遂には幽霊会員が大量発生し、また勧誘していた者が退転などしてしまおうものなら、それこそ幽霊会員数は留まる事が無くなるわけです。
そうして年月が経った今の姿が顕正会であるわけですから、公称100万といっても実働3万弱でしかないのも頷けるわけです。

顕正会として、日蓮大聖人を思うがゆえに広宣流布を急ぐ気持ちが、かえって身の無い組織にしてしまった、ともいえるのではないでしょうか。
尤も顕正会としては、現状全会員が信心している、していないというのは、あまり重視されず、顕正会の縁で入信した者が100万、1000万になればこそ”一国は動く”と考えているのです。

642ちゃんより:2003/04/10(木) 17:17
ガンコさん、過去ログ読みましたよ。
前回はとても気持ちが揺らいだようにみえました。あそこまでいってなぜ脱会に
踏み切らないのかと不思議に思いました。と同じに洗脳の怖さを感じました。
でもまだ私の知っている信者さんよりは自力で考える力がまだ残ってるな、
と感じたのですが・・・ どうなんですかね、会ってもいないので分かりませんが。
ガンコさんも勧誘活動を活発にされてるんですか?

黙さず語る者さん
以前どこかで読んだのですが、浅井さんが顕正会の今後について
「良くも悪くも有名になればいい」というような発言があったと聞きました。
今、会員に煽ってむちゃな勧誘をさせてるのはそれが狙いなんじゃないかと感じました。
浅井さんの目論みとしては誰もが「顕正会」と聞けば「ああ聞いた事がある」
と言うふうにさせたいんじゃないかと思いました。
ただそれだけの為に会員を煽っているんじゃないかと・・・実際どうなんでしょうか。

65黙さず語る者:2003/04/10(木) 17:51
全くその通りです。
表現としては「もっともっと顕正会は悪口中傷されなければ駄目だ」と会長は言います。
理由として
・日蓮大聖人ですら日本国中から悪口を言われた。
・末弟が臆病では大聖人の弟子ではない。
・日本国中に顕正会を排他するような大運動が起きてこそ、広宣流布が近い。御在世にも大聖人を誹謗したからこそ日本に蒙古襲来の罰が下り、本門戒壇本尊を顕した

だから顕正会中傷の声が高まると会員は喜んでるわけです。
そして浅井会長は「まだ誹謗が小さい。もっと大誹謗を顕正会になしてくるようにならなければ、日本に大罰が出ない。広宣流布が達成できない。」と言う訳です。
すると会員は「誰からの中傷をも恐れない会長とは一体どんなスケールの方なんだ」と惚れ惚れしているわけです。
目先にとらわれて生きてきた者達にとってみれば、その浅井会長の言葉に「この方しかいない」と付き随っていこうと決意するわけです。

内部ではかなり姑息事に終始している団体なんですがね。
表立ってはかなり、いや表面だけ見るならば「何をも恐れない、媚びない、ただ大聖人の御意のままの団体」と会員は思い込んでいるわけです。

66ガンコ:2003/04/10(木) 20:52

>ガンコさん、過去ログ読みましたよ

お恥ずかしいっす。

>勧誘活動を活発

全然だめっす。



>内部ではかなり姑息事に終始している団体

黙さん、相変わらず手厳しいっす。

672ちゃんより:2003/04/11(金) 17:25
黙さず語る者さん
すごく理解に苦しみます。中傷されたいだなんて。
結果的に活動し難くなるものですよね。全然わかりません、カルトチック…

ガンコさん
黙さんの言ってる事、どうなんです?ガンコさんも頷けましたか?
私のレスはしなくていいですよ、黙さんとの会話希望します。

68ガンコ:2003/04/11(金) 19:21

生意気にも最近は自力で大聖人の御法門を学んでいますが、やはり日蓮大聖人御自身に自虐的なところがあったように思えます。
ですから、顕正会も日本全体から総バッシングを受けるようになれば、うれしいのです。

69kk:2003/04/26(土) 20:07
はじめまして。元・顕正会の法華講員です。ずっとROMしておりましたが、ガ
ンコさんの投稿を見て、失礼ながら、かつての自分の心理状態にそっくりな所が
あるだな、と勝手に思いこみ、一言申し上げたくなって投稿させていただく次第
です。

>>49
>顕正会では達師顕師本尊を拝まない、というのは大間違いである。もし上層部か
>らそのような指導が下りてきているという明白な証拠があれば、わたくしは即座
>に脱会する覚悟である。
>そんな指導は絶対存在しない。
>ようするに一部の幹部が勘違いをしているだけの話である。

”達師顕師本尊を拝まない”とする発言はなくとも、日顕上人御形木御本尊を所持
する会員には、一筆書かせて会が御本尊を回収し、本部に送致して、寺院にも返
却せず、「保管している、と思う」などと称してはいますが、少なくとも、どこ
に「保管」してあるのか答えられない状態になっている訳ですよね。これだけで
十分、御本尊不敬行為ではありませんか?この件について、私は、某地方事務所
の管理主任を問い詰めましたが、最後は、「本部が上でやってる事じゃないです
か!」という答えでした。(証拠テープあり) ですから少なくともこの行為に
ついては、明らかに、「一部の幹部」ではなく、上層部の指示によって行われて
いる事であるし、その結果発生している”達師顕師本尊を拝まない”という大邪
義の組織内における広範囲な口コミ的浸透を、みすみす黙認してはっきりと呵責
しない、その全責任は、本部の最高指導者である「会長・浅井昭衛」にあると思
います。

>>56

>顕正会が勝手に本尊をこさえているとしたら、その事実が発覚した時点で顕正会
>は一気に崩壊する。

しないと思います。平成12年まで横浜会館等では時折テレビ本尊を拝ませていまし
たが、今の会員たちにその話を暴露しても「たとえその話が本当でも、顕正会がや
ってた事なら正しいことに決まってる」という回答の方が圧倒的に多いです。

また、昨年末ごろから顕正新聞では、御本尊様の写りこんだ写真を堂々と紙面に掲
載する行為を再開しはじめてますよね。その事を指摘しても、反射的に出てくるの
は「そんなはずはない。自分はそんな写真見てない」という言葉です。毎号のよう
に載ってるのに...。まるっきり、「石を珠といへども珠とならず珠を石といへど
も石とならず」(同生同名御書)の御金言に指摘されている状態こそが、まさしく
今日の会の雰囲気ではありませんか。

私も以前は、「組織が多少曲がっても、自分が自分の信心をしっかりしてさえいれ
ばいい。いつかは組織も変えられるはず」などと考えていました。しかし上記の事
実に気がついて恐ろしくなり、脱会したのです。いくらなんでも、ここまでの御不
敬行為に与同する罪を重ねつづけたら、これ以上は自分の身がもたない、ニセ本尊
疑惑の真偽について決定的証拠が出るのをのんびり待ってなどいたら、手おくれに
なりかねない、というのがその時の自分の心境でした。

70求道者123:2003/04/26(土) 20:28
さすが、、、、。 です、、。

71ジャージルーカス:2003/04/26(土) 21:41
> 69
私の眷属で元顕正会の方は、顕正会に御当代の御本尊を一時預かりさせてましたが、即座に本部職員T田氏に電話を入れ、翌日に本人同伴の上、私も出向き、T田氏から御本尊を返してもらいました。
でもこれは「一時預かり」と言う処置を取っていたからであり、「返却願」を書いた人は戻ってきたと言う話は聞きません。

72ガンコ:2003/04/27(日) 20:31

kkさん、はじめまして。

ほぼ一昼夜、あなたの文章をながめていました。
これは容易ならざる投稿と考えます。このところ、調子に乗ってつまらぬことを書き散らしてきましたが、いっぺんに筆が止まりました。
さて、何を申し上げたらよいものでしょうか。
まず、確認のために次の二点、詳述いただきたいと思います。

>平成12年まで横浜会館等では時折テレビ本尊を拝ませていました

これはどういう意味ですか?

>昨年末ごろから顕正新聞では、御本尊様の写りこんだ写真を堂々と紙面に掲載する行為を再開しはじめてます

最近の顕正新聞では、何号の何頁に該当写真がありますか?
あるいはいままでで、一番大きく写っているのは何号ですか?

ご承知のごとく、本掲示板には顕正会をよく知らない方々もたくさんいらっしゃるのです。そうした方々にもわかるようにお書きになられたほうが、よろしかろうと思います。
わたくしとしてはお手柔らかに願いたいところですが、あなたが真実をお書きになられるのであれば、それは真摯に受け止めなければならないと心得ております。

73黙さず語る者:2003/04/28(月) 12:03
横レスすみません。

ガンコさん。
>平成12年まで横浜会館等では時折テレビ本尊を拝ませていました
現在は顕正会では本部も新たに造り、テレビ本尊を拝ませる行為はないのですが、平成12年までは実際には本部でも横浜でも本尊をモニターに映して、部屋に入りきれない者に見させ、そのモニターを通した本尊を拝ませていたわけです。
ところが平成12年には本部会議にてこれを一切廃止路線に転換転換していくわけです。
これは様々な論があるようですが、やはり様々なネットでの批難に対しての措置だというのが有力な論だと思われます。
奉持本尊についても、この時指示がありましたし、自宅拠点についての指導もこの時の本部会議からですから。
直前にあった公園横の本部などでは階段に座った者が、本尊を見れないわけですから、そこら辺に設置されていたものを拝み、またトイレ前に設置されていたモニターでは一階でつっ立っている者が拝んでいるわけです。
同時に四、五方向を向いてそれぞれのモニターに拝んでいるのがかなり滑稽であるわけです。
こういった事実があるわけです。

失礼しました。

74ガンコ:2003/04/28(月) 18:25

これは黙さん、大変わかりやすい解説をいただきました。

現・東京会館でもそうでしたし、最初の本部会館もそうだった記憶があります。
しかし横浜会館もそうだったんですか? これがわかりません。というのは、横浜会館には御本尊をとらえる位置にカメラはないと思うんです。あるいは本部会館の大御本尊の映像を横浜会館等で流している、という意味なのでしょうか?

それと本部会議というのは平成11年の本部指導会とは別のことですか?

また、顕正新聞に御本尊の写真が掲載されているというのは、なにか心当たりございますか?

質問ばかりで恐縮です。

75無記名:2003/04/28(月) 19:52
ん?まだモニターに映していたはずだけど。。

76求道者123:2003/04/28(月) 20:02
信仰の深層「本尊」が「移り変わるTVやVDT」などで「イインデしょうかネ、、??」。一求道者としまして「疑念プンプン、、クサイですよ、、」 早々。

77真実11:2003/04/28(月) 23:51
欠陥的な本尊=日付、宛名が”不明”なのが多いようです、、。 日蓮サン直筆のホンマ物には「どちらか一方かどちらの双方も記録」されておるようですが、、。
 このHPでぜひ御確認を::http://www.lbis.jp/gohonzon/ 敬具

78無明者:2003/04/29(火) 19:49
エエカゲンな「^本尊サマ」にだまされたあげくの「グチ・ネタ、、、」には「エエカゲンにセー、、」ではないでしょうか、、、?? ゴメン、、。

79naiman:2003/09/02(火) 16:40

黙さず語る者さんへ

はじめまして、naimanといいます。突然の書き込みで失礼します。どうしても知りたいことがありましてお尋ねしたいのですが、、、

以前の書き込みで

>58
まだ私が活動中、同じ組織の者が浅井主任理事に質問を許され、まだ初心だった彼が次のような質問をしました。
「現在学会で配布されている寛師のコピー本尊はどう受け止めるべきでしょうか」と。
これについて浅井主任理事は「そんな話、触れたくもない」と一蹴し全く別の戒壇建立の話題に持っていたのです。
どう受け止めるべきかは人それぞれなのでしょうが、私はふとこの件について書き込みしていて思い出しました。

実は某顕正会員のものでして、過去に幾度となく男子部長時代から座談会等で主任理事の指導を受けてきたものです。常に自信に満ち満ちた態度、正々堂々としていて逃げも隠れもしない方なのだ、少なくとも私にはそのように映りました。
そんなわけでして、どうにも想像のつかないことというか、俄かに信じがたいのです。そこでできればですが、このことがいつの話で、どこで何の会合の場で発言されたものか教えていただきたいのですが(なるべく詳細を知りたいのですが、とりあえず)。

このスレッドはだいぶ時間が経ってしまってるみたいで、伝わらないかもしれませんが、、、

願わくば見つけてもらえることを、望みます。

80ティグレ:2003/11/29(土) 18:24
2ちゃんねるにおいて顕正会員とリアルで討論する予定でしたが、
相手の顕正会員が有利な条件を追加したりと逃げ腰でしたが
最後は難くせつけて書き逃げしました(笑)

『顕正会はネットでもリアルでも討論できないヘタレ』の現証を見せてくれました(笑)
↓はその証拠です。

http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1068595488/

スレの流れを断ち切ってしまった事お詫びいたします

81ガンコ:2003/11/30(日) 03:14

いよいよ、わたくしが血祭りにあげられる番なのかしら? や〜ね、まったく。

82ガンコ:2003/11/30(日) 18:54

ふたたび顕正会問題について

振り返ると、わたくしが富士門流信徒の掲示板に参加するようになって、すでに一年が過ぎてしまいました。いったい、じぶんは何をやっているのかと思うことがあります。ネットサーフィンという言葉がありますが、じぶんのばあいは単にネット上をさまよっていただけ・・・それで気がついたら一年たっていた、という感じが否めません。
いろいろのサイトを覗き見ておりますが、顕正会問題というのはそれほど深刻さが感じられません。どちらかというと、宗門対学会のほうがより深刻であり、困ったものであると感じます。
おそらく、それはネット上に顕正会員が少ないゆえであろうと考えます。つまり、議論が成り立たない。参加する人がいないから。いっぽう、宗門・学会には人材がたくさんいる。宗門系・学会系のサイトが多数存在することを考えると、やはり、そこにおのずと実力があらわれている、と考えなくてはならないだろうと思うわけです。
顕正会員はわき目も振らずに折伏に専念しているから、ネットなんてやっているヒマはない、とする考えもありますが、しかし、御宗門だって、あるいは創価学会だって、べつにネットでの活動に主眼をおいているわけではないでしょうから、多くは個人が時代の趨勢にかんがみてネットでの活動を有効と判断してやっている、あるいは、まあ、趣味を活かしてと言ってもいいかもしれませんが、ともかくも、活動会員の絶対数に比例していると考えるならば、なるほど、各所で指摘されているように、顕正会員の実数はそれほど多くはないと、言わざるを得ないかもしれません。
本尊疑惑について、一向に事態が進展しないのは、まさにここに理由の一端があると考えます。顕正会問題じたい、じつは大して注目されていないのではないかと思われます。わたくしがサイトを各所、見て回った印象で言えば、まず、大別すると社会的問題と教義上の問題にわかれる。社会的問題というのはご存知の如く強引な折伏活動によって種々の事件が起きていることをさしますが、じっさいにはまだまだ小さいとしか言いようがないと思います。つまり、ネット上での苦情レベルではなく、一般の大マスコミが取り上げるようにならなければ、社会問題とは言えない感じがします。わたくしとしては、こうした事件は個々の問題であり、ケースバイケースで考えないといけないと、今の段階では思います。いずれ本格的に社会問題化したとき、その時こそ顕正会の体質が問われるであろうと。
さて、教義上の問題ですが、これはもともと国立戒壇が焦点でした。しかし、どうも事情が変わってきたように思います。ようは、宗門・学会・正信会・その他もろもろ、いまや分裂状態で、それぞれ教義上さまざまの論争があって、もはや国立戒壇が俎上に上がることは少ない印象があります。むしろ顕正会に向けられている問題は、本尊疑惑の一点のように思えます。ここがまさに急所でありましょう。ところが、各サイトを見ていて感じることですが、この問題とて大して注目されていない気がします。すでに創価学会は自前で本尊を作成していますから、いちおう顕正会批判の材料として把握しているだろうけれどもさして突っ込みを入れてこないようですし、御宗門のほうでも公式には何も言っておられないように思えます。つまり、一部の元顕正会員、それと一部の法華講員だけがご執心であって、全般的には関心がきわめて低いと思われます。
やはり、これも顕正会が本格的に社会問題化したとき、注目をあつめることになる? いや、一般人にはどうでもいいこと? 先のことはまったく見えません。

83一刀両断:2003/12/04(木) 15:27
がんこさん はじめまして。
私は元顕正会員の一刀両断と申します。
がんこさんの記事を拝見しまして、がんこさんのご意見なども頂ければと思い、思う付くまま書き込みすることにしました。

がんこさんはどうやら、現役顕正会員さんの様子だと思われますが、よく自団体の組織を冷静に分析できるお方だと尊敬いたします。
通常会員は、自団体に対して問題意識を抱くことすら、魔や謗法などといった身勝手な解釈で封じ込めてしまうものですが、がんこさんのようにしっかりと問題意識を持たれている顕正会員がどれほどいるものなのだろうかと感服いたしました。
私もかなり長い間顕正会にはお世話になりましたが、振り返ってみればあれほど封建的な体質を持ち、統制を計る信仰団体も中々ないのであろうと今は思うものです。
その顕正会もようやく百万(公称)に達したと聞きますし、これから様々な場所で議論は活発になってくるものだと思っています。

その中で私が特に顕正会について問題であろうと思うのは、やはり独自の教義でありながらも、日蓮正宗系の唯一正統を名乗る振舞いではないかと思います。
国立戒壇論もそうですし、御遺命守護完結問題、本尊問題、教義独自解釈問題、血脈授授断絶論など多く会員はしっかりとその教義の実体を考えねばならぬものがあるでしょう。
こういった独自の教義展開する以上、日蓮正宗と全く無縁の独立宗派を名乗れば、その教義はさしあたって問題点はなかろうものの、日蓮師、日興師、日目師という系統の流れを含めてしまう故に、この流れを正しく汲んだ団体は顕正会であると名乗らずをえず、かえって問題となると考えるわけです。

私は数年来顕正会の事を第三者的立場にできる限り立って色々考えてきましたが、このサイトの方々のご意見や様々なサイトの情報を拝見する中、顕正会の独特の風潮は一体どこから確立されたのかと考えると、これはつまり日蓮正宗教義自体にその端を発していたのであろうと思うわけです。
日蓮正宗の教義路線の飛躍発展版が現在の顕正会の姿ではなかろうかと。
勿論私は創価学会にも法華講にも所属したことがないので、他の団体、組織については口を挟むつもりはありませんが、外部から見聞きしていると、どこの団体、組織も少々独自の風味を加味しながら、日蓮正宗独自の教義の中で、特に自身の団体に都合の良い部分を流用している流派のように感じます。
では、一体これらの独自流派の源はどこなのかと日蓮正宗の教義の流れを時間的に見ていくと、やはり日寛師こそがその原点ではなかろうかと思います。
日寛師の独自展開教義についてはここでは割愛させて頂きますが、宗史や自身の目で見る正宗教義を解釈して現在の顕正会の姿を映してみると、どうしてもそこに辿りついてしまうわけです。
そしてその一流派として顕正会を見ていくと、遂にはこういった形態の信仰に発展するものなのかと興味深くなるものです。

84一刀両断:2003/12/04(木) 15:28
顕正会は過去はそれなりに教義に対して忠実な組織であったろうと私は考えています。
しかし次第に路線を逸脱していった背景には、やはり痛烈な宗門批難の繰り返しから、修復不能となった正宗との関係があったからではなかろうかと考えます。
私自身、何よりも痛烈に感じた会の路線変更は、完全なる初期目標の見失、であろうかと考えます。
昭和四十年代に勃発した戒壇論問題から顕正会は常に国立戒壇論の主張のみを繰り返し、この戒壇論の宗門復活の為に会員は没頭してきたわけです。
会は今でこそ広宣流布は顕正会で為す、というような発言が繰り返されますが、当時は会長自らが会の存在意義を御遺命守護のみに尽きる、と発言し、御遺命守護完結ができたならばもう顕正会は必要ないとさえ断言してきたわけです。
多分当時の会長構想は御遺命守護完結、つまり国立戒壇論さえ宗門に復活すれば、ある程度顕正会の主導は想像していただろうけれども、僧俗一体になって広宣流布へ突き進んでいけるのだろうと考えていたのでしょう。
このため御遺命守護という言葉は観念文にさえ含まれ、遙か総本山に顕正会主張の論が受け入れられる事をただひたすら目指して活動してきたのですから、当時の会員にとってはそのことのみが主眼であったわけです。
ところが、御遺命守護という言葉の意味合いが突如変更されてしまったわけです。
本来は国立戒壇論の宗門復活を意味していた御遺命守護という活動は、平成十年の戒壇本尊遷座を以て会長は御遺命守護完結としてしまい、当初目的としていた御遺命守護の意味を変更したことによって、宗門に戒壇論の復活もなければ顕正会主導の広布布陣体制も出来上がらなくなってしまったわけです。
これは当時の会員にとっては理解しがたい会の行動であり、また多くの幹部が会を去ってしまった事実がその衝撃の大きさを物語っていると思われます。
では元々顕正会には変貌体質があったのだろうか、一体何が変貌を遂げさせてしまったのかと考えると、私は平成二年の本門寺改称陰謀粉砕(顕正会呼称名)に会全体が躍起になっていた辺りではないだろうかと思うのです。
それまでは顕正会というよりも、一講中として宗門を諌めていくスタンスを取っていたのに対し、この辺りから次第に独自の会で広布達成を目指すようなスタンスに切り替わっていったように思えるのです。
そして、度重なる書籍、文章等による宗門批判も黙殺、或いは否定される事態を見る中、宗門復帰は恐らく不可能と感じた平成五年辺りに、完全に会長崇拝路線に変更、これが表面化し、具体的には会歌で会長を賞賛させたり、何ら信仰に無関係である体育文化祭など文化的活動も開始されるようになり、また教義的にも独自の教義解釈が頻発するようになってきたのだと思います。
本年の元旦勤行などは、芙蓉楽団と称する和楽団が演奏を奏でたりと、古参の幹部や元会員の者から見るととても信じられない様々な装飾がなされているのです。
或いは教義的には会員には「無智たる仏弟子」を推進しています。
「歓喜の増幅」「一念信解」などと言って、会員の無教学化をすすめており、これは一見すると会そのものの弱体化に繋がりそうですが、その実はかえって団体信仰のみに忠実になれる者達を増やしているわけです。
十五年前の会員でしたら、現在の無智な会員などいようものなら、とんでもない叱咤を先輩から受けたものです。

全てが路線変更されていきながらも、それでいて日蓮正宗教義を主点においている会体制というのは、何とも興味深さを感じるものです。
そして現在の諸問題、とりわけ四派乱立したような正宗問題も、元を見ていけば、やはり日蓮正宗の教義そのものに欠陥を感じてしまうのです。
それは教義の矛盾などではなく、教義そのものに含まれる、信を以て全てとするという根本的な教義こそが、顕正会などの独自の組織が生まれてきた原因ではないだろうかと思うのです。

この度顕正会が百万(公称)を達成したという情報を耳にし、今後、多くの場で問題提起され、議論されていくものだろうと考えています。
長文失礼いたしました。

85ガンコ:2003/12/05(金) 00:06

一刀両断さん、どうもです。かねてから、他の掲示板でのご活躍、あらあら拝見しておりました。

いっぺんにいろんなことを考えるだけの能力はありませんので、とりあえず今日は簡単に申し上げます。
当掲示板にはアネモネさんという論客が居りまして、前にひょんなことから顕正会についての質問をいただきました。ところがわたくしにはとても高度な質問だったので、すぐにはお答えできなかったのです。じつはいまだにお返事をしていないのですが、他にもそういうのがいっぱいあるんですよ。
まあ、ともかく、そういうことで、それまでは顕正会問題など、あんまり考えたことなかったんですが、いつかはちゃんとお答えしないといけないと思って、それからというもの、顕正会について書かれているサイトをよく見るようになったんです。とくにいまは二つの掲示板を毎日チェックしています。
で、結論として、ダメだこりゃ、と思っています。
何がどうダメなのかは、おいおい書いていきたいと思いますが、ともかく顕正会に有利な話はほとんどないですね。どの問題ひとつ取ってもほとんど顕正会側がおかしい、という結論にならざるを得ない。それは、顕正会サイドの論客が存在しないから、というよりも一事が万事、顕正会の主張に客観性が認められない、ということなのだろうと思われます。
たとえば、顕正会批判の掲示板を拝見しますと、学会の謀略説を主張する顕正会員がときたま見られますが、まあ、わたくしもいくらかはそうだろうと思っていますけど、全部が全部ではないだろうと考えます。むしろ、非学会員・非法華講員からの投稿が多い、と考えるべきではないかと思います。
なぜならば・・・いまや顕正会は百万人の仏弟子の大集団であり、すでに日本国の中の顕正会とうたっているわけです。であれば、その整合性からすれば、一部の敵対勢力だけが掲示板に顕正会批判を投稿しているとするのは、かえって顕正会がいまだに極小の団体に過ぎないとみずから白状しているようなものではないかというものでしょう。ですから、学会・法華講だけでなく、もっと広く、あらゆるところから批判があがっている、苦情が出ている、と考えるのがほんとうではないのか、と思います。
ここに、ある種のねらいがあって、意図的に学会のせいにしている、ということも考えられます。
こんなこと書いていると、にらまれちゃいますが、組織というのは何らかの戦略を持っているでしょうから、それはそれで構わないのですが、しかし、ねらいが単純すぎる、行き当たりばったり、っていう感じも否めません。

今日のところは、こんなところで失礼します。

86アネモネ:2003/12/05(金) 12:11
ガンコさん

>当掲示板にはアネモネさんという論客が居りまして、前にひょんなことから顕正会についての質問をいただきました。

論客だなんてとんでもない。私は、無知なくせに口調が偉そうなだけで…
…そんな自覚をもあって、反省もしてます。
それはともかく、以前の質問、気にしてくださっていたのですか。嬉しく思います。

>それからというもの、顕正会について書かれているサイトをよく見るようになったんです。とくにいまは二つの掲示板を毎日チェックしています。…結論として、ダメだこりゃ、と思っています。

敬服します。自分の信仰や組織に疑問を持って、納得がいくまで精査してみることは、とても勇気のいることですね。そこで出てきた結論を、自分に都合よく解釈したりすることなく、ありのままを受け入れることは、さらにもっと勇気のいることだと思います。

素朴な疑問で、菩薩道というテーマから慈善活動ということに発展した議論になったわけですが、ガンコさんのレスを読ませて頂きながら、掲示板の投稿も場合によっては慈善活動に通じる社会活動ともいえるなあと思いました。
私などは、口うるさいだけですが、しかし、過去約三年間の掲示板を振り返り、本当に実に多くの方々から学ばせて頂きました。
教義の研究とか調査ということは、これは大変な時間と労力、さらに専門書などの資料の入手には、大変な費用がかかるわけですね。
そのような専門の書籍を書いてくださる専門の学者の方々の恩恵ももちろん大きいです。しかし、専門の先生方はそれを生業としていらっしゃるわけですから、費やした研究の成果は発表できれば収入にもつながるものです。しかし、一般の人の場合は違うわけですね。費やした時間と労力と資金は、どんなに時間をかけてこのような掲示板に投稿しても、何ら金銭的な見返りがあるわけではありません。しかし、そのような投稿を通して、私などのように認識を新たにしてきた人も多くいるだろうと思うわけです。慈善活動とまでは言い切れなくても、社会活動のひとつに通じるものだろうと思います。
もしも信仰の葛藤に苦しむ人が掲示板のレスを通して、組織信仰の呪縛という苦しみから解放されたならば、地道な研究の一端を披露してくださった方々の投稿という行為のひとつひとつは、慈善活動ともいえる行為ともいえるだろうと思いますね。
研究したことを、自分だけのものとせず、無償で披露してくださるということは、私は大変有り難いことだと思いますね。
ですから、参加されている各人におかれましては、ぜひとも生活に支障のない範囲で、続けて頂きたいものと願います。

また、ここのところの、ガンコさんの純粋に学ぼうとする姿勢というのはとても気持ちよく、レスを通してありありと感じるところです。
時折りみせるお茶目なレスは(失礼だったらごめんなさい)、人の心を和ませてもくれてもいます。
同じく組織信仰に振り回されながら、ひとりで悩み、迷い、葛藤している人はたくさんいることと思いますが、そのような人が、ガンコさんの、ありのままの思いを綴るレスを通し、その変化をつぶさにご覧になりながら、一緒に変っていかれている方も多くおられるのではないでしょうか。
ここ数日の議論もあって、ふと、そんなことを思いましたね。

87アネモネ:2003/12/05(金) 12:12
一刀両断さん

はじめまして。アネモネと申します。
ガンコさんへのレスですが、興味深く拝見させて頂きました。

>平成五年辺りに、完全に会長崇拝路線に変更…何ら信仰に無関係である体育文化祭など文化的活動も開始されるようになり、また教義的にも独自の教義解釈が頻発するようになってきたのだと思います。…芙蓉楽団と称する和楽団が演奏を奏でたりと…

顕正会のことは、直接的にはわからないのですが、この文章から拝見すると、結局、どことなく創価学会に限りなく組織の体質が似ているように思えてしまいますね。まあ、30万登山あたりまでの法華講しか、私はわかりませんが、法華講にしても同じようなもので、会員増幅に躍起になっていくと、どうしても、同じ路線になっていくようです。いわゆるカルト傾向といっていいと思います。

>それは教義の矛盾などではなく、教義そのものに含まれる、信を以て全てとするという根本的な教義こそが、顕正会などの独自の組織が生まれてきた原因ではないだろうかと思うのです。

今年のはじめから、「信」についての議論が随分と持ち上がってきました。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1043190919/l100
顕正会の方も多くご覧になっているようですので、どうぞ、これからも参加されますように。

88アネモネ:2003/12/05(金) 13:40
最近の私のレスは、どうも自分で読み返すと、言葉足らずのようなところがあくさんあるなあ…ということで、>86の補足を少しばかり…

>掲示板の投稿も場合によっては慈善活動に通じる社会活動ともいえるなあと思いました。

実際に汗や泥にまみれて、援助の活動をなさっている人のことを思えば、投稿をもって活動だとは、多少短絡発言だったかもしれませんが、しかしこのような掲示板の投稿のひとつひとつが、信仰に関わった人の、心の問題に何らかのはたらきになっている一端はあるだろうなあと思います。

>専門の書籍を書いてくださる専門の学者の方々の恩恵ももちろん大きいです。しかし、専門の先生方はそれを生業としていらっしゃるわけですから、費やした研究の成果は発表できれば収入にもつながるものです。

誤解があってはいけませんので補足をしておきたいと思います。学者といえども、書けば収入になるというものではなくて、論文や読み物として発表するに至るには、これまた並々ならない専門家としての努力とご苦労があるわけですね。それはたとえ仕事であっても、社会活動の一環ととらえられるものだろうと、私は思っております。
ただ、非常に高度な内容となると、それを理解する側にも相応の知識水準が要されるわけで、とてもじゃないですが、一般の人にはなかなかその真髄までは理解されにくいものです。学術論文にいたっては、一般読者にはとても読みこなせるものではないでしょう。
だからといって、自己探求に学びを捨てるわけにはいかないわけですから、なんとかそれを理解するためには、エッセンスを抽出した解説がどうしても必要になってくるわけですね。この掲示板は、そのような手引きの一端を果たしているように感じるところです。高度な学術研究の内容の要旨を、私たち一般人にわかりやすく解説してくださっている方々のレスをはじめとして、非常に多くのことを学ばせて頂いたと思います。

89アネモネ:2003/12/05(金) 14:33
またまた、自己レス補足のつぶやき

>投稿をもって活動だ…

…しかしもはや「活動」という語彙そのものに、抵抗を感じていらっしゃる人も多いわけで…
なんだか、いろいろ考えてしまう今日このごろです。

90ワラシナ:2003/12/05(金) 22:19
「一刀両断様の顕正会組織観への共感」

*始めまして。元顕正会員のワラシナです。とりあえず以下の2点は特に共感しました。

>私もかなり長い間顕正会にはお世話になりましたが、振り返ってみればあれほど封建的な体質を持ち、統制を計る信仰団体も中々ないのであろうと今は思うものです。

1、本当にその通り。何でも体験した分だけ人生の成長に役立つ、と思って中にいましたが、「不当で不合理な苦痛の甘受体験」だけだったとしたら「健やかな毎日」を送るのは無理と判りました。特に、なまじ有能な人材など始からうちに居てくれては困ると言わんばかりの「使い捨て人事の惨さ」。、、、しかし「かかる清純なる講中」を思わせる美点もあった。

>具体的には会歌で会長を賞賛させたり、何ら信仰に無関係である体育文化祭など文化的活動も開始されるようになり、、、、

2、合唱については、、私は加藤女子部長作詞作曲の「使命に立つ」しか歌いたくなかった。あれは最高傑作。その他の曲は歌う気分になれなかった。
体育文化祭については、、、あれが行われた報道の機関紙を手に取った時の辛さ、、といったらその忌々しさ、情けなさに、思わず涙が出そうになった位でした。「うちは学会とは違うんだから」という気高い誇りを何故自ら打ち砕くようなことをなさるのかという。
第一、参加自由なら信心一筋の本部行事とはいえない、なら、中核たる信心活動を載せる機関誌に何故載せる必要があったのか、という疑問でもあった。

3、<全体を読んで最後に感じた事>
皆大抵同じ事を気にして感じて苦しんでいたんだなあ。

91犀角独歩:2003/12/06(土) 11:03

アネモネさん:

> 専門の学者の方々の恩恵

これはたしかに大きいですね。
この前提になるのは、科学的思考ということなのでしょう。
神話を廃した合理主義に基づく研究、その事実を積み重ねによる考証。
その結果、日蓮その人が学的根拠は崩れ去ったとわたしには映じます。
そのために研究成果は大きな指標になります。

> 地道な研究の一端を披露してくださった方々の投稿

この点について、わたしも大いに感謝しています。
当板を設置した問答名人さんの存在はわたしは常に敬意を表しています。
わたしがはじめて出会ったネット上の恩人はワラシナさんでした。
三学無縁さんその他との出会いがありました。
富士宗学要集のテキストデータ化は置時計さんでしたか。富士年表その他はnbさんに負うところも大でした。御書全集のなかから真跡遺文を抽出してくださったのは問答名人さんでした。
ここでは学問全般から該博な知識を提供くださる顕正居士さん、日蓮・天台研究の該博な知識を提供くださる川蝉さん、また、古文書の正確な資料を提示くださるれんさんと言った方々の見識は本当に参考にさせていただくところが多々あります。現時点さん、愚鈍凡夫さん、空き缶さん、心者雖念不直相鴨さんの地道な資料提供にも感謝しています。そう、石山のお流儀を紹介する菊水護国さんも忘れられない存在でした。書き出せばきりがなく、その他多くの方々の惜しみない知識の提供から学ばせていただくところが多々ありました。

もちろん、資料の提供ばかりではなく、思考スタンスの提示ということも実に貢献度の高いことであると、わたしは思うわけです。特定の集団から刷り込まれた信念体系が実は一般から見たとき実に偏向したものであることを気付くために、まったく違う視点に接することは重要な意義を持ちます。わたしはその筆頭にアネモネさんへの感謝を申し上げたいと思います。

また、アネモネさんもお書きになっていましたが、ガンコさんの投稿の変遷をわたしも実に興味深く見つめています。

自分の気に入らない議論となると、ただケチをつけたり、揚げ足を取ったりするばかり、文句を言うばかり、ひいては人格攻撃しかしない見苦しい行為が目立つ掲示板の投稿で、ここはそのような人が比較的少ないので、有効な議論ができるのだと思います。その意味でロムの方々の良識がまた、当板の質を支えているのだとも思います。

やや、当スレッドテーマから逸れましたことをお詫びいたします。

92犀角独歩:2003/12/06(土) 11:06

> 83、4 一刀両断さん:

はじめまして。たいへんに興味深く、そして、頷きながら投稿を拝読させていただきました。

> 90 ワラシナさん:

このような思いを持ってお出でであったと改めて認識し、新鮮な驚きを感じました。

93犀角独歩:2003/12/06(土) 11:15

おっと、わたしも言葉足らず。補足します。

> 日蓮その人が学的根拠は崩れ去った

とは、例えば、法華経が釈尊の真説である、あるいは天台が最高の法華経解釈者である、羅什が正確な訳経僧である、日蓮が生きた時代は末法である…等々、富士門一般で常識として受け容れられてきたことが、批正、再考の俎上に乗ったという意味です。

また、日蓮の素意を真跡主義に基づいて再考したことは日蓮本仏・板漫荼羅の証憑性を大いに揺るがしたとわたしは一つの成果を実感しています。

しかし、日蓮が学的根拠としたことの多くは崩れ去りましたが、日蓮その人の慈悲の発露は現代の学的成果に基づいて再考され、そして、日蓮信者の社会的善意の行動として発言されるとき継承されていくであろうと思います。

94常識人:2003/12/06(土) 11:39

<カルト宗教問題>

日蓮は釈迦を越えた存在ではありません。菩薩すらなっていないでしょう。釈迦を否定する法華経信仰はホウボウ罪になりますよ。創価の教祖独自のやり方は破滅へと導いていますね。

── =  /ヾ∧
── =彡| ・ \ =←良識ある人間
── =彡| 丶._)  ≡    ガッ     ∧_∧
─ =≡○_   ⊂)_=_  \ 从/-=≡ r(; ー ;)
── =≡ >   __ ノ ))<   >  -= 〉#  つ ←池田大作
─ =≡  ( / ≡    /VV\-=≡⊂ 、  ノ   
── .=≡( ノ =≡           -=  し'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
.            .│
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.            .│〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
.            .│   ペルシア湾

95ガンコ:2003/12/06(土) 12:04
アネモネさん、恐れ入ります。いつも暖かいお励ましをかけてくださって感謝にたえません。さて、昨日のつづきがありますので、ご覧いただきとうございます。

前回、行き当たりばったり、ねらいが単純と書きましたが、どういうことか、少し長いスパンで見てみます。
平成二年末に宗門・学会の抗争が勃発しました。平成三年、四年ころ、顕正会は何をやっていたかというと、ようは宗門学会抗争のウォッチングをやっていたわけです。
浅井先生の毎度の講演は、学会ではこんなこと言っている、それに対して宗門はこのように反論した、またそれを受けて学会はこのように言い返した・・・などと取り上げて面白がっていたのでした。しかし、こんなことずっと続けているわけにもいきません。一刀両断さんはよくご存知でしょう、先生は宗門学会抗争を「修羅と悪竜の合戦」「醜い仲間割れ」「もはや宗門は腐敗堕落、学会は邪教化」等と下し、「もう顕正会以外に広宣流布を為すものは断じてない」とつねづね言っておったですね。
そしてそれが平成五年の「一国広布の出陣式」に発展していったと考えられるわけです。
それ以降、わたくしの印象では、先生の講演は一時期、学会ネタ・宗門ネタをあまり多用しなくなった・・・もちろん、何回かに一回は話題にしていたけど、毎度毎度ということはなかったように記憶しています。
ところがです。ここ数年、やたらと学会を、あるいは御宗門を、下す発言が目立つように感じるのです。しかも、その内容はあまり込み入ったものではなくて、ともかく学会員の罰の現証ばかりを強調するものです。
わたくしは宗門復帰を強く願ってますので、御宗門の動向はつねに注目していないといけないと思いますが、失礼ながら「学会は完全に邪教化してしまった」と顕正会では言っているのですから、それならば相手にしなければいいのに・・・と、先生の発言を聞くたびに思っておったわけです。
なぜにそこまで執拗に、学会員の罰の現証を強調するのか?
その理由ですが、学会系の顕正会批判サイトを見ていて、気がつきました。おそらく、顕正会本部には毎月、ぼう大な脱会届が送られてきていると思われます。それは、学会系のサイトで脱会届の書き方を教えているからで、しかもそこの掲示板には、それこそ毎日のように「うっかり顕正会に入ってしまいました。どうしたらよいでしょう。」「脱会届を内容証明・配達証明付で出しなさい」「ありがとうございました。さっそく出します。」「先日はアドバイスありがとうございました。本日、郵便局にいって脱会届を出してきました。」等の書き込みが見られます。他にも脱会届の書き方を教えているサイトがありますが、いずれも顕正会本部で把握しているでしょう。ようはそれらの書式にのっとって書かれたものが本部に送られてくるわけです。
たぶん、顕正会でこれを直接取り上げるのは、いわゆるヤブヘビということなのだろうと思います。ですから、あまり細かいことには触れずに、学会は邪教化してしまった、だから罰ばっかり・・・という「一切は現証に如かず」作戦を取っているのだろうと考えられます。
・・・ちょっと書きすぎちゃったかなあ。もう破門されちゃうかも?

96アネモネ:2003/12/06(土) 19:16
犀角独歩さん

>日蓮その人の慈悲の発露は現代の学的成果に基づいて再考され、そして、日蓮信者の社会的善意の行動として発言されるとき継承されていくであろうと思います。

慈悲の発露とは、とてもいい表現を提示してくださったと思います。
日蓮という人を知るうえにおいても、またお釈迦さまの悟りというものを知るうえにおいても、私が最も関心を寄せるところは、まさに慈悲の発露というところだと思うのです。
そこを離れたところでの教義解釈には、私にとっては、ほとんど意味を感じないといってもいいかもしれません。
そこが宗教の原点であり、また目的でもあるだろうと思うものだからです。

私にとって宗教は、子供の頃から気がつけば自ら求めてきたものであり、人生を通したごくありふれた生活の中の、何も特別なことではなかったと振り返ります。むしろ、宗教組織というものが、特別な存在だったと思います。組織からすっかり離れてみて、自分に宗教や信仰が消えてしまったかというと、実は全然そうではなくて、むしろ普通に暮らす生活の中に、宗教や信仰を感じることが多いんですね。
家族がいて生活を営み、仕事に励む、その人生の中での人との交わりに喜怒哀楽があって、失敗や後悔も繰り返し、そして移ろいゆく季節の中で、年を重ねていっている。

私が法華講入講によって仏教に触れ、一番最初に知った経文とは、四苦八苦でした。その次が四苦八苦の中の、生老病死と愛別離苦で、そして抜苦与楽。
今では、怨憎会苦と求不得苦、そして五蘊盛苦も覚えましたが、当たり前の人生の中に、いつもこれらの経文が思い浮かびます。人生の中の、なにげない普通の生活のなかに、明らかにこれらの苦が誰にもあるわけですね。

97アネモネ:2003/12/06(土) 19:17
(つづき)
この10月に私の祖母が亡くなりました。享年八十九で老衰だったのですが、しかし、大病が原因ではなかったものの、晩年は歩けなくなり、実家の母が介護をしていました。
介護に伴う精神的苦痛は、親子といえでも、日々向き合っている当事者でなければわからない問題ですね。遠く離れて暮らす私は、今でも介護の現実的な苦しさに対して十分な理解者になってあげられなかったのではないかという、後悔や反省があります。語り始めればきりのないことですが、自分の人生を生きる我が子の助けを当てすることはできないという思いの中で、母は必死で自分なりに精一杯の介護に努め、それでも誰にも言えない苦しさと向き合っていたことが伺えます。そんな母の心身を癒してくれていたのは、介護ヘルパーさんであったり、祖母の臨終までお世話をしてくださった看護士さんだったようです。そんな母の力になってくれた方々に、私も心から感謝をしますね。
老衰ですから、何をどう医術で施したところで完全に元気になるというものではなくて、いわば臨終を待つための入院だったなあと振り返ります。その約一ヶ月の間、気管支の機能が弱まっていた祖母は、一日に何度も何度も痰を詰まらせていたといいます。寝たきり状態なったとはいえ、痰がつまれば相当に苦しむわけで、そんな祖母の様子に、オロオロする母の知らせを受けて、看護士の方が駆けつけ、痰を吸引してくれるわけです。その苦しみは夜中であろうが、明け方であろうが、容赦なく襲ってくるわけです。痰の吸引は、看護士の当然の仕事とはいえ、連日の様子に母の目にも大変なことだと映ったようです。しかも、痰を取り除いたからといって、祖母の老衰が回復するわけもなく、思わず母は、深夜に駆けつけ額に汗して吸引を施してくれている看護士さんに、
「看護婦さん、大変ですから、もういいですよ。おばあちゃんは、これ以上良くなるわけでもないのですから」
そう言ってしまったと言います。その言葉に対して、看護士さんは、
「いいえ、私たちは、どんなに死を目前にしている患者さんであっても、今、苦しんでいる、その苦しみを少しでも取り除いてあげ少しでも楽にしてあげることが、私たちの務めなのです」
そう言っていたと、声をつまらせて母は私に語ってくれました。
そのとき私は、「抜苦与楽」という経文が頭に浮かびましたね。
看護士さんはもちろん仏教を行じているつもりのことでもなんでもなく、自分の仕事の責務として精一杯のことをして下さっているわけですが、精神的に落ち込み、打ちひしがれている母にしてみれば、痰の吸引ひとつといえども、祖母の苦しみを取り除くことに尽くしてくれることに感謝し、祖母の苦しみが取り除かれるように、自分の心も癒されていたのだろうと思うのです。
母には特別な信仰心はまるでありませんし、祖母も同じです。だけど、私は、特定の宗教に対する信仰心はなくても、私の目にはそこに宗教があると思ってしまうんですね。
つまり、私が宗教に接し、そして教えを学ぶということは、普通の日常の当たり前の生活の中に見い出したいと感じるものなのです。

法華講という組織を離れても、私自身の宗教を求める気持ちは、何も変っていないと思います。私は、自分の人生と向き合うなかで、社会をみつめ、そこに仏教を見い出していきたいと思うのです。自分が何をどう考え、そして何をどうするのか。その指針に経文なり聖句なりが活かされるとき、聖典は無用の長物でも観念論でもなく空論でもない、実生活に生きた教えとなるものではないかと思っています。

98アネモネ:2003/12/06(土) 19:17
ガンコさん

>95
しっかり読ませて頂きました。

私にとっては、顕正会そのものよりも、顕正会の人が顕正会の指導をどのように感じていらっしゃるのかが、とても興味があるところですので、とても参考になりました。

>・・・などと取り上げて面白がっていたのでした。

なにげなく書かれていらっしゃいますが、組織の指導に対して、率直に「面白がっているなぁ」と感じるところ、ここが、いわゆるガンコさんの内心における良心に関わるところで感じていらっしゃることだと思います。
もともと人間は、人の不幸やトラブルを面白がるところがありますね。そのような、人間の内面のいやーなところが人の「苦」の原因であり、そこをいかに克服していくかというところに、仏の教えがあるとも思うんですよね。
偉そうに書いてしまいましたが、もしも違っているならば、どなたかご指摘ください。

>ともかく学会員の罰の現証ばかりを強調するものです。

法華講でもそうでした。どこで知り得るのか、とにかく人の不幸を、待ってましたかのように情報を入手し、これでもかと強調しますね。人の不幸を待つ…これほど卑しい心はないと思います。
しかしこれは、顕正会に限ったことではなく、私のいた法華講にしてもそうでしたし、恐らく創価学会もそうでしょう。これら近親関係のいずれの教団も、自らの教団の正当性を証明するために、人の不幸を引き合いに、罰論に絡めて誇張するわけですが、それがどれだけ卑しい憎悪の心へと導く指導であり、信徒の心を著しく歪めかねないものなのか、これは個々の信徒に残された良心によって自ら気付くより他はないと思います。気付いた人が、口を勇気をもって口を開くことが他の人の良心を呼び起こすキッカケにもなるわけですね。

これまでの議論の中でも、幾度となく取り上げられてきたことですが、石山系の教団で、憎悪が煽られているのではないかということは、ひとつの着目すべき事実だと思います。もともとのお釈迦さまの教えが、滅苦を目的としているにも関わらず、憎悪を植え付けることは、人の心に更なる「苦」をもたらすものではないかと思いますね。
私もそれなりに、人生長いですから、人を憎んでしまったことがないわけではありません。憎悪という心の苦しみは本当につらいです。いろんな形で誰しも、嫉妬や怨執という心にさいなまれ、出口の見えない闇をもがいたことがあると思いますが、要するに、分裂した教団同士が近親憎悪で正義を争い合うということは、憎悪の心に陥ることであり、煽られる信徒は、「抜苦与楽」どころか、余計な苦が与えられているものではないかと思われます。

>わたくしは宗門復帰を強く願ってますので、御宗門の動向はつねに注目していないといけないと思いますが、

この点は、法華講を通して宗門を知る私としては、なんとも言いようがありませんが。本当は、宗門を直接見聞できればいいんですが、なぜかこの信仰圏はそのようなことが出来ない。それぞれの教団の閉塞性にも問題があると思います。
仏教を求めるその手解きとして、そのとっかかりに教団が必要だとして、どの教団を選ぶか選ばないかは個人の自由意志に委ねられるはずですから、本来ならば、掲示板参加と同じで、自由に教団の出入りが出来てしかるべきだと思いますね。

それから別のスレで、教団間のサーフィンという問題が出ましたが、たとえ教団組織からは離れたとしても、心理的拠り所の依存サーフィンが続けばそれは同じことですしね。石山系の問題はただ単なる組織依存ではなくて、本質はリーダー(カリスマ)依存だと思います。ある特定の人にカリスマ性を見出して、その人に自分の思考を依存することから脱却しないうちは、組織にいようがいまいが、それは同じことだといえますね。
だから、失敗を恐れず、自分で考えていくことを怠らないだと思います。

99アネモネ:2003/12/06(土) 19:18
(つづき)
また宗門復帰を強く願っているとのことですが、このことについてはもっと別の捉え方もあると思うんです。
もともとの仏教にしても、素朴な疑問で、三吉さんのレスにもあったように、もともとの仏教は釈迦滅後に分裂の一途をたどるわけですね。さらに聖徳太子の時代に日本に伝わった仏教はひとつのはずなのに、その後はやはりいくつかの宗派に分裂をたどるわけです。日蓮の仏道の初心には、分派している仏教に対する疑問があって、復古の意味で法華経の立場をとったにも関わらず、日蓮滅後はやはり分派という道が避けられなかったわけです。そのうちのひとつの日興の流れですら、またさらなる分裂。そのうちの大石寺ですら、また更なる分裂ですね。
ここに何を見るかがポイントではないでしょうか。
キリスト教だって同じです。もともとはユダヤ教から出発していることから考えれば、キリスト教やイスラム教は、いわば分派したようなもの。そのうちのキリストはカソリットクとプロテスタントに分派し、そしてそれぞれもまた細かく分派しているわけです。
たいていは指導者滅後の分派が多いわけで、最初は、解釈をめぐる、理念の違いに端を発した問題で譲れなくなるわけですが、後に理念上のことに解決がみられたとしても、もはや合同は難しいのです。なぜならば、ここが大事なことですが、理念上のことで分裂した教団も、時を経て組織が利権化した頃には、利害関係の調整により理念上の問題以上に修復困難となってしまうということではないでしょうか。
組織の建前と本音、人間の表と裏、そこが問題の本質だと思います。
そこに、自分の道を見極めるべきではないかと思います。
だけど恐らくガンコさんは、そんな教団の内情に関わる本質部分にも、ちゃんと目が向いているだろうと拝察いたします。

>それは、学会系のサイトで脱会届の書き方を教えているからで、しかもそこの掲示板には、それこそ毎日のように「うっかり顕正会に入ってしまいました。どうしたらよいでしょう。」「脱会届を内容証明・配達証明付で出しなさい」「ありがとうございました。さっそく出します。」「先日はアドバイスありがとうございました。本日、郵便局にいって脱会届を出してきました。」等の書き込みが見られます。

確かに、ガンコさんが別の投稿のなかでも書かれていましたが、ごく一般的には顕正会問題というのは、関心が希薄ですね。顕正会という宗教組織の認知度からして低いでしょう。
私も、週刊誌などで顕正会問題に関わる記事を読んだことはありますが、実際に記事を取り上げているのはいずれも、創価学会の息がかかった媒体だったと思います。
そうしたカラクリについても、一般的には関心のないところでしょう。
それを顕正会では学会の謀略として、魔とか法難にでもなぞらえるところなのでしょうけれど、本当は憎悪心を植付けながらの、信徒の取り合いでしょうね。

私がいた頃の法華講の折伏は、破門したはずの学会員をターゲットにした再折伏というのが盛んでした。折伏の大半は、今でも再折伏でしょう。なにせ、日蓮仏法について一から説明する必要がありませんから、手っ取り早いわけです。
そういう観点からいっても、創価学会にとってみれば、法華講に流れた信徒よりも、戒壇本尊を知らない顕正会員を脱会させ勧誘するほうが手っ取り早いと感じるところかもしれませんしね。これは私の勝手な想像ですけれども…。いずれにしても体質的には似ているわけですし、小さな教団から大きな教団に移って、その施設の規模の大きさに目を見張れば、移籍は正解だったと確信したりするものかもしれませんね。

100アネモネ:2003/12/06(土) 19:19
(つづき)
>たぶん、顕正会でこれを直接取り上げるのは、いわゆるヤブヘビということなのだろうと思います。

ネット禁止としているならば、尚更でしょうね。下手なことをいえば、大人しく従っている信徒まで、ネットを覗いてそんなサイトにたどりついてしまうかもしれないと…。

>だから罰ばっかり・・・という「一切は現証に如かず」作戦を取っているのだろうと考えられます。

なるほどね。しかし、よくご自分の教団を観察されていますね。
先ほどにも書きましたけれども、結局、社会のことを考えているように見えて、そんなのは口先だけ。要は、自分たちの教団の存続のことしか頭にないのだと思います。
ですから、後に存続が危ぶまれれば、いずれかの大きな教団との合併か吸収もあるかもしれませんね。こういうことは、政治の世界と同じだと思います。自由党が民主党と合併し、保守党が自民党に吸収される。離合集散を繰り返していくものだろうと思います。それは、一見表向きには、政治理念に基づく政策の合意、宗教ならば教義・理念上のこととされるわけですが、そんなのは建前であって、内実は利権に絡んだ利害の調整に他ならないものとみなければならないでしょう。
政治の世界はともかく、宗教においては、本来はそのような人間の欲望を克服するところにその目的があるわけですから、教団の離合集散の本質が本当は何であるのかを見極めるなかに、自分の道を模索するのが望ましいでしょうね。要は、自分の人生を振り回されないことかと思います。とはいえ、私の言葉は参考に留めて、どんなに時間をかけても、ガンコさん自身が納得がいくまで、自分の感覚と判断で道を選ぶことが大事なのでしょう。
これからも、思いのレスをそのときどきで綴ってくださいね。私は御書を通読してきたわけではないので、今、ここでガンコさんがときどき用いてくださる御書からも学ばせて頂いてます。

101一刀両断:2003/12/07(日) 10:40
アネモネさん はじめまして

「信」についての議論をじっくりと拝見させて頂いております。
ここの方々は非常に知識を持ち合わせていらっしゃるようで、一言ずつしっかりと読ませて頂いております。
まだ全てのスレッドを拝見しきってはおりませんが、このサイトは信仰者、ことに日蓮正宗系信仰者にとっては宝の山のようなサイトです。
特に顕正会では御書もなければ要学集もないわけで、拝見するもの全てが顕正会員の全く知る所でなかったものばかりです。
日蓮正宗の正統などと息巻いていた私自身が本当に恥かしくなります。
言語でいうならば文法も何も分からない、数個の単語のみを知っている者が、”ただ日本語は素晴らしい”と賛嘆していたような愚かさでして、基本も何もあったものではないわけです。
じっくりとここで勉強させて頂いて、自身にとっての信仰とは一体何だったのか、どうあるべきなのか、しっかりと考えてみたいと思っています。

ワラシナさん はじめまして

私は何年か前にまだネットが復旧し始めの頃、ワラシナさんのサイトを拝見させて頂いて、本当に驚いたものです。
同じ顕正会員がばっさりと顕正会の教義の問題点を詳らかにする様には、当時の幹部からも内々に、驚きの声が出ていたものです。
ワラシナさんのその後の動向も少々ですが本部中核幹部から直接聞いたことがありますが、会の言い分はやはり嘗ての会を去っていった者と同様の扱いでしかなかったわけで、それはつまり顕正会の不利、疑問を論じる会員は存在してはならないという体質そのものの顕れであって、そういった性質が先に投函した私の会に対する、日蓮正宗信仰の結論が導き出されてしまうわけです。
最近はたくさんの脱会者、元幹部のサイトなどがありますが、顕正会本部はこれ等の出処を察知すると、関係者達を何の聴取もせず一方的に処分するわけです。
逆に言えばこの素早い対応こそ、いかに会が内部へ体質指摘、矛盾指摘の波紋が広がる事への恐怖を頂いているかという証拠であり、その狼狽する様はあまりに滑稽です。
体育文化祭について触れられていましたが、当時大幹部という立場の人ですら、当日の会場内で、ぼそりと「顕正会は何て馬鹿なことをしてしまったんだ」と嘆いていた事を思い出しました。

犀角独歩さん はじめまして

独歩さんの発言には殊更驚かされています。
日蓮師の目指すところは一体何だったのか、信仰者、かつての信仰者であった者が、その呪縛から未だ解き放たれていない問題について、ばっさりと断じられている様には、私自身が顕正会での活動を停止し、脱会に至ったまでの大きな糧とさせて頂きました。
そう言った意味で、アネモネさんが言われた
>地道な研究の一端を披露してくださった方々の投稿
の偉大さを思い知るものです。
何もレスした方だけではないわけです。
ただ掲示板の投稿をロムしている方々にも多大な影響を及ぼしている事になります。
少々大袈裟かもしれませんが、この掲示板の投稿は日蓮正宗信仰者にとっての生命線かもしれない、とすら思えてきます。
真実を開放する、そんな事が一切許されなかった日蓮正宗系の内部にいた人達の手で、詳らかにされていく。
少々誇大かも知れませんがこの掲示板は「革命」ですら有り得ると私は思うわけです。
少なくとも私の今生一度の人生の全てを賭けた信仰観を根底から見つめ直す事ができたわけですから。
そういった意味で問答名人さんや、独歩さんの存在は貴重であると感謝するものです。

ガンコさん

>・・・ちょっと書きすぎちゃったかなあ。もう破門されちゃうかも?

この言葉ほど顕正会の体質を表現しているものはないですね。(笑)
なぜ顕正会は(他団体も同様の観がしますが)ここまで自団体の批難を恐れるのでしょうかね。
最近も会を辞めた私の所に相談がきまして(笑)、どうも噂だけで一方的に除名されてしまった者がいたんです。
本人に一切事情を聞くこともなく、です。
情報発信源が総班長という役職だった、というだけで本部はその下の班長をばっさりと除名できてしまうわけです。
その班長は「もう顕正会は信じられない、でも日蓮大聖人は信じたい。これからどうすればいいのか」と泣きながら語っていました。
顕正会の体質を自身で体験したものの、正宗信仰から脱却できていない者の苦しみは、相当な痛みのはずです。
まして「正しいのは顕正会しかない」と散々教わっていたのですから、その当該団体に無実かどうかの確認もせず、和合を乱す者として一方的な処分が下されたわけですから。
団体は個人の信仰心をここまで刷り込んできておいて、それについての責任は一切取らないわけです。
改めて無責任な信仰(個人・団体共)の恐さ、それによって被害者とも加害者ともなっていく可能性がある心の揺れを恐れたものです。

103犀角独歩:2003/12/07(日) 13:06

101 一刀両断 さん:

過分な言葉を頂戴いたしまして恐懼の限りです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

104アネモネ:2003/12/07(日) 13:21
五月雨さん

>アネモネさんはいまだキリスト教の考え方で、仏教を見ようとされているような気がするのですが。

そのようなご指摘は無理もないことかもしれません。ただ今の私は、仏教かキリスト教かという選択肢をもつ気持ちはないのです。それぞれの良さもあれば、それぞれの欠点もあると思います。私としては、両方とも学びとして必要な教えとなっております。ただ、ここは富士門の掲示板ですので、キリスト教や聖書の教えについては、押し付けにならないよう慎み配慮した投稿を心掛けたいと思います。

>失礼なお願いかもしれませんが、もう少し短く纏めて頂くわけにはいかないでしょうか。

ご忠告ありがとうございます。そうですね。ロムの方々にご迷惑をかけていたこと、この場をお借りしてお詫びいたします。
以後、手短にまとめるように気をつけます。

>アネモネさんはプロの書き手でありますし、そこのところよろしくお願いいたします。

誤解があってはいけませんが、私はプロの書き手ではありません。だからこそ、簡潔にまとまらない長文になってしまうのです。それこそプロならもっと簡潔にまとめております。

ただ思うのですが、このような匿名の掲示板において、個人の仕事が何であるかといった個人情報に関わることを、それが本当のことであったとしても、本人に無断で投稿されることは人権侵害でありますし、またこの掲示板のルールにも抵触しかねないことかと思います。また今回のように誤ったことを投稿で誤解されることは、もっと迷惑なことでもありますね。

105アネモネ:2003/12/07(日) 13:32
>104訂正

誤)また今回のように誤ったことを投稿で誤解されることは、もっと迷惑なことでもありますね。

正)また今回のように事実と誤った投稿で誤解されることは、もっと迷惑なことでもありますね。

106五月雨:2003/12/07(日) 13:51
>>104 アネモネさん

長文を書かれるということで、プロと少し揶揄した気持ちで書いたのですが、プライバシーに
触れてしまったようですみませんでした。私の考えの足りなさをお詫びします。

107犀角独歩:2003/12/07(日) 13:55

96、97 アネモネさん:

いつも長文のレスをいただきまして有り難うございます。
先頃、カルト被害者の会がありました。ここでは石山系集団被害を訴える人も多いところなので、わたしは当板を紹介していました。

そんなことから、たまたま掲示板の話題になったのです。その時、「アネモネさんの投稿は丁寧で参考になります」という意見が出ていました。「ロム専なので、アネモネさんによろしく」とのことでした。皆さん、熱心に読んでいらっしゃいます。

> 慈悲の発露…離れた…教義解釈…ほとんど意味を感じない

仏教信仰にある人が心しなければいけない一点であると思います。
蓮師真跡でも「世間の法には慈悲なき者を邪見の者という」(顕謗法鈔)という一節がありました。

> 私の祖母が亡くなりました

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

> 看護士さんは「…苦しみを少しでも取り除いて…楽にしてあげる…務め」
> …特定の宗教に対する信仰心はなくても…日常の当たり前の生活の中に見い出したい…
ここに宗教の原点があるのでしょうね。
宗教集団にではなく、宗教心に人は共鳴するのだということなのでしょうね。

カルト問題を扱っていると、カルトに入会する子供達には一定の共通点があることを気が付きます。それは家庭のなかで宗教心が不在であるということです。
親が無宗教である、あるいは極端に熱心であるという偏重が見られるという点です。ここで重要なのは、宗教ではなく、「宗教心が」ということです。

この宗教心とは、仏教で言えば慈悲の発露、キリスト教で言えば博愛の精神という心地(物や事に接した時の心の状態)を形成する基礎となりますね。わたしは長らく勝劣派におり、闘争、勝負として宗教をとらえてきました。その名残と日々格闘しています。
昨日も統一協会を脱会したあと、牧師になられ、いまは脱会支援に取り組まれている方と話していたのです。かつて、その方と公開で討論のようなことになったことがありました。その時、それを端で見ていたある知人の社会心理学者が「二人とも脱会経験を持つトラウマに突き動かされている」と、穏やかに指摘をくださったのでした。

その先生からすれば、方やキリスト者、方や仏教者でありながら、私どもの論調に、かつての名残がトラウマとしてあることを分析してくださった。これは実は宗教の問題ではなく、宗教心の問題であったと思うわけです。

この宗教心の発露は人間性として、文言に明らかに現れるものでしょう。
時折、この点を反省しませんと、かつての習気(じっけ)が無意識に働いてしまいます。そんな折、たおやかなアネモネさんの文章に触れると心が洗われる思いがします。襟を正す瞬間です。そして文章がストレートで、何を批判し、何を肯定しているのかが、すっきり明瞭に読み取れるアネモネさんの文章をわたしは好きです。

今後とも質量ともに充実した投稿を期待いたします。

108一刀両断:2003/12/07(日) 15:42
独歩さん こちらこそ宜しくお願いいたします。

「宗教心」について

横レスになりますが、私は過去に顕正会の人材として活動していた折、親類の者に顕正会仏法を紹介(折伏)した際、相手の考え方について「こうあるべき」とか「こうするべきである」と断言し、或いは相手の理に矛盾が出ると「それはこうなんだ」「このような解釈をするべきである」のようなある種の決め付けているような言い方を続けてきました。
また顕正会を脱会してからも、相談相手や話相手の生活の問題等の話に触れる度に、相手が私が嘗て顕正会員だった事を知っている人には「君の考えや話し方は根本に日蓮仏法が見える。」と指摘されました。
それは相手にも私の根本の宗教心が見えたのかもしれませんが、もっと恐ろしかったのが相手が宗教に無縁の人にすら私の申し上げた言葉に対するものでした。
彼の云く「君の言葉には一見真理を追究した言葉のように見えるが、実は君自身の体験、或いは実践結果に基づくものではない」ときっぱり言われたのです。
全く信仰について述べ合った議論ではないにも関わらず、です。
少々彼の意見に不満を感じたものの、冷静に考えてみると、つまり日蓮正宗系の信仰というものは、何か結論的な導きを常に求め、また与えないと済まない心情になっているのではないか、と思ったのです。
信仰継続中には、理に合わない事は信に任せ、信仰を一切断ち切った途端に、信を捨てると理ばかり追求してしまっているような気がするのです。
これは私だけのことかもしれませんが、どうも私は辻褄が合わせを無理にしよう、或いは理に拘り過ぎている観があります。
人というのはもっと曖昧的、Ambiguousな感覚がたくさんあるようで、日蓮仏法を信仰してきた者が、乗り越える壁の大きさを感じるものです。

109犀角独歩:2003/12/07(日) 16:47

108 一刀両断さん:

横レス、大いに歓迎です。有り難うございます。

断定的な決めつけ、たしかに日蓮本仏圏で散見できるところですね。
これは集団の“教育”の賜物であろうとわたしは観察しています。
現役会員のこうした調子は一般の人びとからは顰蹙の対象ですね、たしかに。
これは集団からの心理操作に基づく人格変貌の一つであろうと思います。いわゆる破壊的カルト・マインド・コントロールの一つです。

この事例が深刻なのは、脱会後でもその心理プログラムが永続しがちである点です。
例えば日蓮本仏信仰をやめた人がいます。その人はその信仰をやめることで、マインド・コントロールも溶けたと即断してしまいます。ところが教義への信仰と心理プログラムは別の問題であることを、このような人は知らないわけです。ですから、信仰をやめても、集団から離れても、依然として心理プログラムは作動し続けているわけです。しかし、本人は気付かずじまいとなります。

では、このような人はどのように見極められるのかですが、いくつかのマインド・コントロール下の特徴を有し続けていないかどうかを観察することで、ある程度、判断できます。面談するのがいちばん的確に判断できますが、このような投稿上での文言からもある程度、推し量ることも可能です。

その特徴の一つに一刀両断さんが

> 人というのはもっと曖昧的、Ambiguousな感覚がたくさんある

と指摘される普通一般の健全な心理状態が見られないこともその特徴に数え上げることができます。

通常、これを「思考の固さ」が挙げられます。
スタンフォード大学、マインド・コントロール研究の第一人者・ジン・バルドー師に学んだ静岡県立大学助教授・西田公昭師は、その著『マインド・コントロールとは何か』(紀伊國屋書店)のなかで

「威主義的パーソナリティの特徴は、強者への服従、弱者への攻撃、白か黒かといったステレオタイプ的判断、因習主義などの特徴を共通してもつとされた。その後の多くの研究で、これらに共通の特徴は「思考の固さ(rigidity)や「あいまいな状況に対する寛容性の低さ(ambiguity tolerance)」としてまとめられた」(P233)

と記しています。権威主義的パーソナリティについてはネオフロイド派・E・フロムが『自由からの逃走』(創元社)のなかで分析・解説が特に参考になります。西田師もフロムの研究を記して

「フロム……によると、人間は根元的な不安をいだいている。現代人は共通して、その不安を克服しようとして、自らの自由を放棄し、強力な権威者に絶対的支配を受けたいと願う傾向にあるという。その傾向は、「権威主義的パーソナリティ(authoritarian personality)と呼ばれる性格構造としてとらえられ、非常に多くの研究がなされた」(P232)

と解説しています。

脱会後も権威主義的パーソナリティから脱却できない人は、その言動、行動において、常に依存先を確保していきます。この依存先は人であったり、その依存先の人の言動であったり、多岐に亘りますが、善悪二極思考で物事を「決めつけて」捌き、自分が悪と決めつけたものを憎悪し・侮辱し・見下すという、ちょうど、現役会員が自分たちの信念体系以外の人びとに対するのと同様の行動言辞を示すので、判断ができます。

一刀両断さんが、この点を「乗り越える壁」とお感じになることは、ことのほか、重要な点であると賛同いたすものです。

110無徳:2003/12/07(日) 16:50
横レス失礼します。
一刀両断さん始めまして無徳と申します。

>「君の考えや話し方は根本に日蓮仏法が見える。」

>「君の言葉には一見真理を追究した言葉のように見えるが、実は君自身の体験、
或いは実践結果に基づくものではない」

と、どなたからか言われたことを一刀両断さんは

>つまり日蓮正宗系の信仰というものは、何か結論的な導きを常に求め、また与え
>ないと済まない心情になっているのではないか、と思ったのです。
>信仰継続中には、理に合わない事は信に任せ、信仰を一切断ち切った途端に、信を
>捨てると理ばかり追求してしまっているような気がするのです。
>これは私だけのことかもしれませんが、どうも私は辻褄が合わせを無理にしよう、
>或いは理に拘り過ぎている観があります。
>人というのはもっと曖昧的、Ambiguousな感覚がたくさんあるようで、日蓮仏法を
>信仰してきた者が、乗り越える壁の大きさを感じるものです。

と、受け止められた訳ですがその辺の事をもうすこし詳しくと言いますか?
噛み砕いてお話し願えますでしょうか、

特に「君の考えや話し方は根本に日蓮仏法が見える。」とはどの様な意見合いなの
でしょう?

また、ある真理を追求なり探求するに中っては、自分自身の体験的及び実践的で有
らねばならないとは、どのような事を意味するのでありましょう。

なにせガンコさんの言い方をお借りすれば、私の場合は近頃「脳内溶融」した感が
ありまして、旨く理解が届かないところがありますので宜しくお願いいたします。

111孤独な迷子:2003/12/07(日) 18:05
五月雨さん、アネモネさん、独歩さん

みなさんが参加されていることをとてもうれしく思います。

112アネモネ:2003/12/07(日) 19:42
>103五月雨さん

ご理解くださって有難うございます。せっかく久しぶりに頂いたレスですので、もう少し、ご返信をお許しください。もしも関心がなければ、流してくださって構いません。

>自分は正論を持っていると信じ込んで、反対意見を封じ込める人を見かけますが…

この点は、人はみな誰しもそうだと思います。自灯明ですから、自分で考えるということは、あるところまでの持論を正論と思うことでもあると思うんですね。ただそれが、ひとりよがりの思い込みに陥らないためにも、こうした議論の場が活かされるものだと思います。そこで主張されることは多種多様であって、それぞれが正論と思って主張するところに、議論の醍醐味があり、ときに相反する意見が対立すれば、当然のこと激論にもなります。そのときには、互いに相手の論を封じ込めようと、誰しも言葉と論を尽くすわけで、そうしたことは議論の場では避けられないことでしょう。
また議論の方法には、ブレーンストーミングという、決して相手を否定しないという手法もありますが、学術的な分野に関われば、そればかりというわけにはいきませんね。
ここは掲示板ですから、基本的には経歴も何もわからない者同士の議論ということで、ほとんどそこに記される文言が全てを決定してしまいかねないわけです。これは致し方ありません。そういう意味でのネット議論の限界はあって、五月雨さんの危惧もわからなくもありませんが、そのためにも更なる議論を尽くすことが重要ではないかと思います。

>いままで、自分が言ってたことを翻してでも、その意見を封じ込めてしまう。

これまでの議論のなかで、五月雨さんが、そのように危惧される議論があったということなのかもしれませんが…しかし、前に言ったことが、どのような背景や経緯の中で発せられた言葉なのかということによっては、ときには一見、辻褄の合わない整合性の伴わないように思われる発言というものも出てくることでしょう。ましてや、掲示板にはたくさんのスレッドがあり、テーマの趣旨によっては、どうしても矛盾するような場合もあるかと思います。
それはたとえば、日蓮の御書そのものにもあらわれていると思うのです。それこそガンコさんが示してくれた、いくつかの御書の整合性に戸惑っているという事例をひとつとってもいえることでしょう。日蓮自身の思想の変遷もありますし、御書が書かれた背景や状況や相手というものにも大きく関わると思います。ですから、議論のテーマによっては、話が違ってくることは必然的にあるあるでしょうから、もしも、釈然としなかったり、不審に思ったりするレスが見られれば、投稿者に対して率直に疑問を投げかけてみられればよいことだと思います。

>ただ、ひとつ思うことは、仏教という概念は、自分の頭の中でいくら考えても分からないと思うんですね。…ですから、仏教の本を読んだり、仏教に詳しい人の意見を聞くことも大切なことだと思うのです。

もちろんそうですね。だけど、本を読むにしろ、人の意見を聞くにしろ、いずれも大事なことですが、それこそ、頭の中だけで考えた観念の域を越えないものと思われます。だからこそ、仏教では「行」が求められるのではないでしょうか。
たぶん、本当に仏教の真髄を極めて開悟しようと思うのならば、行じなければ到達できない境地というものもあるものだと思います。もちろん、それを石山系では、勤行・唱題・折伏・供養など、それらを行として一般信徒にまで強要していたわけですが、果たして仏道を行じるとは、本当にそういうことなのだろうか…という素朴な疑問から始り、そもそもの「行」が何であるだろうかというところに、この度の菩薩道の議論があったと思われます。その議論がキリスト教のマザーテレサに至ったことに、戸惑いを覚えた方は多くおられるかと思いますが、しかし実際にマザーテレサに神や仏や菩薩を観じる人は確かにいるわけで、翻って仏教における真の菩薩行とは何であろうかと、原点に返って考えてみようということの議論だったと思いますね。もちろん、五月雨さんの投稿のようなご意見も一理あるでしょう。ならば、五月雨さんが研鑚されてきて思うところの、仏道や菩薩道の「行」が何であると思われるのかを提示されるとよろしいのではないかと思います。

113アネモネ:2003/12/07(日) 19:43
(つづき)
>自分の意見を押し通し続けていることで、自分がリーダー(カリスマ)になっていることも分からないのでしょうね。自分が裸の王様になっていないかどうかを振り返ってみることも必要なのではないかなと思います。

先ほどの繰り返しになってしまうかもしれませんが、特定の誰かということではなくて、誰しもいえることですね。誰もが、自分の身に置き換えて考えることだと思います。人の裸は見えたとしても、自分の裸にはなかなか気がつかないものです。だからこそ、このような掲示板での議論がとても有効かつ有意義なのだと思います。
結局、長くなって申し訳ないです。

しばらく投稿されておられなかったようで、私としても、気にしておりました。人にはそれぞれ個性があるように、人生も違えば、価値観も違い、ですから見解の相違はとても自然なことだと思っております。これからもまたこれを機に思いの丈を、率直に投稿してくださることを私も期待しております。自身の裸に気づかないことのないよう、議論を通して、学ばせて頂きたいと思っております。

114管理者:2003/12/07(日) 20:47

五月雨さん

102レスは個人情報に関する掲示板のルールに抵触しますので申し訳ありませんが削除させていただきます。

115五月雨:2003/12/07(日) 20:56

分かりました、管理人さん。ご迷惑をお掛けしました。

でも、議論の流れが分からなくなってはと思いますので、問題の箇所を削除したものを
次のレスに投稿させていただきます。

116五月雨:2003/12/07(日) 20:58
>102レス再稿

>それから別のスレで、教団間のサーフィンという問題が出ましたが、たとえ教団組織からは離れたとしても、心理的拠り所の依存サーフィンが続けばそれは同じことですしね。石山系の問題はただ単なる組織依存ではなくて、本質はリーダー(カリスマ)依存だと思います。ある特定の人にカリスマ性を見出して、その人に自分の思考を依存することから脱却しないうちは、組織にいようがいまいが、それは同じことだといえますね。
だから、失敗を恐れず、自分で考えていくことを怠らないだと思います。

横レス失礼致します。

アネモネさんのご意見に賛同いたします。
さすがアネモネさん、相も変わらず洞察力が素晴らしいですね。こういうことは、ネットの世界でも言えることではないでしょうか。
自分は正論を持っていると信じ込んで、反対意見を封じ込める人を見かけますが、これも同じことが言えると思います。自分が依存していることに気づかず、自分が依存しているものにケチをつけられたと思ったら、いままで、自分が言ってたことを翻してでも、その意見を封じ込めてしまう。
自分の意見を押し通し続けていることで、自分がリーダー(カリスマ)になっていることも分からないのでしょうね。自分が裸の王様になっていないかどうかを振り返ってみることも必要なのではないかなと思います。

ただ、ひとつ思うことは、仏教という概念は、自分の頭の中でいくら考えても分からないと思うんですね。縁起とか空とか無我とか、漠然と考えていたのでは結局間違った解釈をしてしまい、それが仏教だと思い込む危険性があります。
ですから、仏教の本を読んだり、仏教に詳しい人の意見を聞くことも大切なことだと思うのです。
人の意見を聞くことは、自分の思考を依存することではないと思います。
他者の意見を聞いたときこそ、いちりんさんの言葉をお借りして言えば、それが学びのきっかけになるのではないでしょうか。

話は変わりますが、アネモネさんはいまだキリスト教の考え方で、仏教を見ようとされているような気がするのですが。とエラソーなこと言ってる私も仏教を分かってはいませんけれど、ただ仏教の考え方で仏教を見ようという努力はしているつもりです。そうでなければ、仏教の概念は分からないように思うのです。
あー、また余計な老婆心だったかも、そうでしたらゴメンナサイ。m(__)m

#お願いがあります、私の友人で宗教に興味があるという人がいたので、ここの掲示板を紹介しました。興味深く読んでは貰っているのですが、アネモネさんのご熱心なレスの長さがしんどいそうでです。実は私もしんどいです。アネモネさんがいいこと言ってるのは分かるのに、正直言うと長さでギブアップする時があります。ネットの世界に長年住んでる友人が言うには、長いレスは人に読んでもらえないとのこと。そう考えるとアネモネさんのレスを読まない人がいるというのは実に勿体ないと思います(私も含めてです、申し訳ない
失礼なお願いかもしれませんが、もう少し短く纏めて頂くわけにはいかないでしょうか。
そこのところよろしくお願いいたします。

117ガンコ:2003/12/07(日) 21:04

なんだかにぎやかですねえ。

アネモネさんには重要なご教示をたくさんいただきましたが、とりわけ次のくだりにはうならざるを得ませんでした。

>最初は、解釈をめぐる、理念の違いに端を発した問題で譲れなくなるわけですが、後に理念上のことに解決がみられたとしても、もはや合同は難しいのです。なぜならば、ここが大事なことですが、理念上のことで分裂した教団も、時を経て組織が利権化した頃には、利害関係の調整により理念上の問題以上に修復困難となってしまうということではないでしょうか。

よく現実というものを見据えていらっしゃいますね。わたくしのは単なる願望にすぎないということを気付かせていただきました。考えれば考えるほど、実現は困難だということがわかってまいりました。
顕正会では、このところ毎年、2,3箇所ずつ会館を建設しております。いわば安定成長をつづけているように見えます。おっしゃるごとく「時を経て組織が利権化」してゆく、その途上にあるようにも見えます。もう元には戻れないんでしょうかね。あ〜あ、いやだなあ。

顕正会は広宣流布の暁には解散するってうたっているんです。これはけっこう自慢なんですけどね。具体的には、顕正会の資産をぜんぶ総本山に御供養申し上げるというのです。言ってることがすごいですよね。
こうしたことも、批判サイトでネタになっているわけです。
ひとくちに言えば、広宣流布などできっこないから浅井ははったりをかましているだけ、会員はそれに踊らされているだけ・・・っていうんですよ。
でも、わたくしなんかには、けっこう浅井は本気で言っているように思えるんですけどね。まあ、こういうことを書くとまだまだ重症患者だと思われそうですが。

日顕上人だって、最後に大英断を御下しになられるかもしれませんし、後の猊下でそういう方が御出ましになられるかもしれませんし・・・

べつに顕正会だけの復帰を望んでいるわけではないです。正信会だって、学会だって、みんな復帰できたらおめでたいではないですか。
まあ、こんなこと言っている顕正会員は他にいそうもありませんけどね。

118ガンコ:2003/12/07(日) 21:07

一刀両断さん

除名といえば、もう十年以上前になりますが、現役の支部長が除名になりましたね。
わたくしの記憶が確かなら、あれ以来、公式に除名が発表されることは一度もないと思うのですが、いかがでしょうか?

ところで、除名というのは本人にどのように通知されるのでしょうかね。そういう書式があるのか、あるいは口頭で言い渡されるのか?
仮に除名になってから会館に参詣するとどうなっちゃうのでしょう。
・・・というのは、なんとなくたいていはすでに本人にやる気がない場合が多く、来なくていいと言われて来なくなる・・・そんな気がするのですが。

わたくしも、むかしはよく幹部から言われたものでした。やる気がないのなら、来なくてよろしい、と。
でも、その頃はまだまだ純粋で、そういう叱咤を受けながらも歯をくいしばって、なんとかしがみついていたものでした。

いま、そんなこと言われたら、
「ああ、そうですか。来なくてもいいのですね。わかりました。そうさせてもらいます。」
なあんて、言ってしまいそうでこわいです。

しかし、幹部も何かを感じるんでしょうかね。おもしろいことに最近ではあんまりきびしいことを言わないんですよ。まあ、単に見込みがないと思われちゃっているだけかもしれませんが。

119犀角独歩:2003/12/07(日) 23:53

111 孤独な迷子さん:

お久しぶりです。
わたしも、こうして孤独な迷子さんが投稿されることを嬉しく思います。

120一刀両断:2003/12/08(月) 10:32
無徳さん はじめまして

>「君の考えや話し方は根本に日蓮仏法が見える。」
>「君の言葉には一見真理を追究した言葉のように見えるが、実は君自身の体験、
或いは実践結果に基づくものではない」

これはつまり、いくら日蓮仏法、特に本物論を基盤としてきた日蓮正宗系信仰をしていた私は、その信仰から脱したとしても、根本的な心の内側までは完全に脱しきれていない、思考回路はいつまでも信仰当時のままである、ということです。

これについては独歩さんが109において、更に詳らかに記して下さっていますので、そちらをご覧頂ければと思います。

そもそも私は顕正会で信仰する以前は何も宗教観を持たない一人間であったわけです。
身の回りに起こる様々な事象に対しても特に結論を見い出さず、いや出す必要もなかったわけです。
つまりその当時は「不思議なことがたくさんあるものだ」とか「どうしてこんな事になってしまうんだろう」と疑問は感じるものの、曖昧なスタンスであったわけです。
しかし信仰を持つと団体や教義から常に確信を教わり、その確信から眼を背けて生きていくことが愚かである事を教わるわけです。
そして年月を経るごとにその信仰、教義の反復作用によって何事に対しても結論を導き出さずにはいられないような思考回路を作り上げてしまうわけです。
そして例え信仰を捨てたとしても、その思考回路だけは既に信仰以前の自分ではなくなっているので、思い悩んでしまったりするわけです。
独歩さんはそれについて「思考の固さ」と表現しておりますが、まさしくこの通りなのです。

顕正会員と色々と話すのですが、すると彼等の結論は決まってこうなります。
「君はそう言うが、では絶対とは何であるのか?、どれが絶対なのか?」と。
この言葉は完全に思考回路が「絶対」というものに常に服従すべきである、という心理に陥ってるものでしかありません。
彼等は常に自分の人生を意味あるものにせずにはいられなくなっているので、「絶対服従」できる存在が必要とされています。
勿論意味のある人生は誰もが求めていることでしょうけれども、彼等の心の問題は「意味ある人生」とは「自分の人生は特別である」という意味であり、常に人生に意味を持たせてなくてはならないものになっているのです。
それが顕正会員であることが「意味ある人生」に摩り替えられ、正宗信仰者独特の「自分は特別の存在である」という事に「意味ある人生」を摩り替えて安堵しているのではなかろうかと思うのです。

しかしながら一旦信仰心を捨ててしまった時、その時点では自身は解放されたつもりでも、実はその「思考回路からの開放」まではされておらず、私の知人に指摘されたが如くの問題になってしまうのです。
非常に難しい問題であるので、その専門でない私には上手に表現できませんが、最近になって思うのが本当に解決せねばならないものの一つにこういった問題も含まれると思います。
単にカルト的思考団体からの脱出、カルト的信仰を捨て去るよりも、この問題は人格にまで影響を及ぼしているので、非常に難しいことではないでしょうか。

121一刀両断:2003/12/08(月) 10:58
ガンコさん

>顕正会は広宣流布の暁には解散するってうたっているんです。
>これはけっこう自慢なんですけどね。
>具体的には、顕正会の資産をぜんぶ総本山に御供養申し上げるというのです。言ってることがすごいですよね。

私は会長の長男から特に数十名だけの幹部を集めた打ち合わせの際にこんな事を言われました。
「この本部には誰にも公開しない部屋を設けてある。これは大石寺に国立戒壇の正義が蘇った時、その時の貫主(顕正会では法主とは呼ばないので)上人をお迎えする場所である」と。
まあここまでは良かったのですが、更に続いた言葉に驚いたものです。
「そして広宣流布に向って一斉に大行進し、国立戒壇建立が為された後にはこの部屋は時の総理大臣や大臣が多くやってくる。そして日本の将来をどうするべきか会長にお伺いを立てる部屋にもなる」と。
また別の同様の会合でも
「広宣流布すれば政治は仏法主導になる。なれば当然国家の運営問題などで日本国首脳陣は顕正会を尋ねてきてお伺いを立てるようになる。」と。
勿論そのまま活字に起こしたものではありませんが、大意はこういった事を言っておりました。
私もガンコさんの言われる通りに聞いていましたから、驚いたものです。
広宣流布の後も会長というポストはやっぱり存在し続けるのか、と含み笑いを漏らした事がありました。
まあ、公式な発言ではないし、あの人の思いつきで出たその場の言葉かもしれませんが、正直「これを会員が聞いたら驚くだろうな」と思ったものです。

除名というのは、現在は口頭でその者の管轄長が面談や電話で伝えるようになっています。
正式には色々処分の方法があるようでして、謹慎やら破門やら除名やら。
詳細、差についてはよくわかりませんが、そういった処分を言い渡された方は割と多くいます。
突然総幹部会の壇上から姿を消してそれっきり、というような幹部などはだいたいそういった処分が下った方だったりします。
処分が下った幹部がかなりの実力者だったりすると、その下で活動していた者達は直に本部へ呼んだりして、経緯を話すのですが、それがまたかなり歪曲されたものになってしまうようです。
「学会の手先だった」などといわれて処分された大幹部もいましたね。
或いは「彼の信心は根本から腐っていた」と言われた人もいました。
下で活動していた会員も引きずられていく事に恐怖を抱いている会としては、できるだけ影響を残さないようにするには、悪人に仕立て上げるのが一番良いのはわかるのですが。
まあ、私もただの嫉妬から引き摺り下ろされる方々を散々見てきて、団体内部の醜さに信仰から離脱する要因の一つにもなったわけです、が。

122ガンコ:2003/12/08(月) 18:54

一刀両断さん

「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」

たまたまマイルドセブンさんが池田氏の過去の発言をあげていらっしゃいますが、なんとなく共通するものがありますね。しょせん創価学会の二番煎じにすぎない、との批判がありますけど、なるほど、そうかもしれないと思わざるを得ません。

ご紹介の、浅井主任理事の内部発言は、いかにもそういうことを言いそうな気がします。まあ、おかしな発言です。二重の意味でおかしいと思います。
まず、申すまでもなく、広宣流布の暁に解散することとの矛盾。もうひとつには、国立戒壇との不整合です。
ようするに顕正会の教義?でいくと国立戒壇が建立されれば、日本ないし世界が仏国となって「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず」の理想社会が実現するというのですから、政治に口を突っ込む必要はないとしていたはずなのです。
確かに先生は政治に詳しいです。へたな政治家よりはよほど詳しいと思いますけど、その専門家ではないわけです。
うっかりすると、主任理事の発言は、しょせん国立戒壇は天下をとるための手段にすぎない・・・と言っているようにも聞こえてしまいます。

問題は、そうした失言のようなものに対して、まわりの人間が意見を言えない状況にあるってことなんでしょうね。

「諌臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し。」

顕正会員なら、みんな知っている御金言ですけど、これを国家とか正系門家に当てはめて考えるだけでなく、顕正会という枠にも当てはめなければいけないんでしょうね。

ほんとうなら、顕正会の中に諌臣・争子が出てこないとダメなんでしょうけど、おそらくは破和合僧とか師子身中の虫とか言われてつぶされちゃうんでしょうね。

123孤独な迷子:2003/12/08(月) 20:09
>119 独歩さん

お声をかけて頂きまして有り難うございます。

レスをするのはなかなか難しいので、ロムばかりになっていますが、よろしくお願い致します。

124ワラシナ:2003/12/08(月) 22:00
「一刀両断様no121への感想」

過去幾度も繰り返されてきた政治蔑視発言は自分が権力外に置かれて中に食い込めない不満から既成政治の持つ愚鈍なまだらっこしさを糾弾したものであって、その執拗な政権観察力は、裏面では、自らの絶対権力希求欲を示すもの、と前から思っていました。その「王国建設風な広宣流布観(正信会雑誌の中にある表現をお借りした)」「有無を言わさず」「一気に」「ぐんぐん」「なぜできないんだ」などはその気分を伝えていると思う。

125アネモネ:2003/12/09(火) 13:29
107犀角独歩さん

先にこちらのご返信をしなければと思っていたのですが、遅くなってしまいました。

>「ロム専なので、アネモネさんによろしく」とのことでした。…

私の駄文の長文を、大切な生活の時間を割いてお読み頂き、とても嬉しく思います。独歩さんからも、機会がありましたら、どうぞよろしくお伝えくださいませ。
とはいえ、五月雨さんのご忠告ももっともなことです。配慮を欠いた長文はうんざりもします。簡潔な文章を少しでも心掛けたいと思います。

>蓮師真跡でも「世間の法には慈悲なき者を邪見の者という」(顕謗法鈔)という一節がありました。

このような御文も残されているのですか。お講に参詣しなくなった私は、掲示板で御書を学ぶことが全てになっておりますので、こうして教えて頂くことは、とても有り難く思います。それにしても、とてもいい御文ですね。
考えてもわかることではありませんが、今の時代に日蓮がいらしたら、仏教をどう考え、社会にどんなメッセージを発してくださるのだろうかと、その思いは、いつも尽きません。

>カルト問題を扱っていると、カルトに入会する子供達には一定の共通点があることを気が付きます。それは家庭のなかで宗教心が不在であるということです。

これは、まさに社会全体の問題だと思います。
宗教心が不在ということは、道徳や倫理観やさらに良心の育成といったことが見落とされているということだと思いますね。子供がカルトに入会してしまった家庭だけの問題とするのではなくて、社会全体で考えていかなければならないことだと思います。

>親が無宗教である、あるいは極端に熱心であるという偏重が見られるという点です。ここで重要なのは、宗教ではなく、「宗教心が」ということです。

心穏やかにして、人に親切にするとか、思いやりをもって接するとか、…言われてみれば人として当たり前の道で、なにも宗教で学ぶ必要もないと思われている方も多いかもしれません。だけど、宅間の事件をはじめとする凶悪犯罪の背景をみていくとき、その当たり前と思われる人の心が、子供が成長していく過程の中でほとんど置き去りにされてきている現状が確かにあるといえます。根本的に家庭教育で行われるべきだとしても、核家族化に伴い、その責任は母親ひとりの肩にのしかかり、その母親自身が心の悩みや苦しみを抱えて孤独に育児と向き合っている現実もあります。結局、子供に教えるべき人としての心というのは、誰からも教えられることなく、体だけが大人になっていく。そしてそれが次の世代にも連鎖しているといえるのではないでしょうか。
愚鈍凡夫さんが、マザー・テレサのお母様のことを書かれていましたが、子供が育つ環境になかで、とりわけ母親の存在は大きいことは確かでしょうね。しかしその母親でさえ、既にそのような道徳・倫理といった教育はおざなりにされつつある中で大人になってきておりますし、育児や教育に不安を抱えてる母親も多く、育児不安を抱える母親をサポートする地域の体制というのも、まだまだ整ってきてはいません。
本当ならば、そうした人間教育のサポート体制としての宗教教団の存在意義は大きいはずで、法話や説法とは、そのような人格形成に通じる指導であるはずだと思うのです。それら道徳心を育む教えが、宗教の中には様々な言葉で導かれていると思います。それこそ「戒」のなかからもそれは伺えるでしょう。しかし…現実はまるで違う方向の存在になっているといえますね。そこがそもそもの問題だと思うのです。

126アネモネ:2003/12/09(火) 13:31
(つづき)
私は、以上のことからも、宗教が目指す人格形成、もしくは自己実現と言ってもいいかもしれませんが、そうした観点から、やはり菩薩道ということを続けて考えてみたいと思います。

いくつかのスレッドが進行形で動いておりますが、それぞれ相互に関連したテーマであると感じますね。それぞれに内容が濃く、非常にどれも関心のある内容で、興味深くどのスレッドも拝見しております。
私自身のレスも、分散して書くことになるかもしれませんが、当面の私自身のテーマとしては、宗教の目指す人格形成(自己実現)という観点から、「菩薩道とは」というところに論点を置いて投稿していきたいなと思っております。

たとえば宅間のスレッドでいえば、学会員の犯罪が統計的に多いという指摘もあるわけです。それは人間主義と言いながら組織内での指導内容が、道徳や倫理観や良心といったことに結びつく人間教育(人格形成)に目が向けられていないのではないかとも考えられます。それは、自分が所属した法華講についても同じことを感じるところだからですね。そこのところは、どうしても押さえておきたいですし、ちょうど「戒」ということで、愚鈍凡夫さんや、心者雖念不直相鴨さんのレスが、とても重要な示唆を与えてくれていると思います。もっといえば、そのような心に問題を抱えている人の更生ということにも、宗教は目を向けなければならないと思います。それもひとつの菩薩道かもしれません。

さらに、一刀両断さんのレスを通して、顕正会の実態も垣間見ているわけですが、高校生の入信が多いと伝えられている教団の指導のあり方としては、やはり問題が多くあるなあと感じます。しかし、いずれも、自分たちの教義は絶対だとする教団ですから、どんな形であれ、根本的にそこに疑問を持つことすら許されないわけですから、問題提起は難しいわけですね。しかしそれでも、自らの組織の問題に目を向けることができるということは、これは大変なことであり、貴重なレスだと思いますね。
ということでこちらのスレッドでは、一辺両断さんやガンコさん、そしてワラシナさんのレスのやりとりを、興味深く拝見させて頂いております。

127アネモネ:2003/12/09(火) 13:36
↑読み返すと、結局長いですね…申し訳ないです。

128アネモネ:2003/12/09(火) 18:33
イラクの自衛隊派遣基本計画決定ということで、小泉首相の記者会見が行われました。
派遣決定の説明理論として憲法の前文の一部が読み上げられました。
私個人のイラク派遣に対する意見は、ここでは控えたいと思いますが、この憲法前文は、崇高な理念が書かれた名文といわれ、富士門では憲法改正論を打ち立てている顕正会を考える意味で、この前文を紹介しておきたいなと思います。
http://constitution.at.infoseek.co.jp/zenbun.htm
この前文のなかで、小泉さんが読み上げたのは、以下の箇所でした。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

アメリカによってもたらされた日本国憲法の理念の根底には、キリスト教精神があるわけですが、この前文は、博愛精神や菩薩精神を思わせるところといえるかもれません。
しかしこの理念が、ディックスの絵の祭壇画にある「国家権力の美辞麗句」にならなければいいなあと思います。崇高な理念とはいえ、これ以上の犠牲者はひとりも出してほしくないものです。

129とと:2003/12/09(火) 22:55
§116の投稿について意見を述べたい§
当掲示板のルール【禁止事項】 1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。」
に、該当したから102は削除された。
いくら問題箇所を削ったからといって、それをふたたび投稿するのはおかしい。なぜならばルールでは「全体削除」となっているからだ。部分を問題にしているのではなく1投稿全体の削除を定めている。だから、再投稿は「全体削除」というルールに違反している。
また、削除投稿の再投稿は
「3 無意味な多重投稿・反復投稿を禁止します。」
の多重投稿・反復投稿にも該当している。このような放置は「あらし」を助長することになる。管理人さんは自分で定めたルールを管理する義務があるはずだと思う。

130犀角独歩:2003/12/10(水) 13:46

125〜127 アネモネさん:

>>カルト問題…家庭…宗教心が不在
> まさに社会全体の問題だと思います。

そうですね。
「日本人は無宗教である」という認識が一般化しています。しかし戦前までの日本人は極めて宗教的な人びとであったのではないのかと思えます。
戦後、「神々のラッシュアワー」と表現された如く、自由憲法の制定、さらに宗教法人法を経た宗教ブームはいまも続いていると言えます。日本人の宗教心情は実に両極端で、カルトと酷評されるほどの重症の宗教依存と極端な宗教無関心に二分され、その合間に伝統宗教その他に基づく因習化した儀礼ばかりの宗教が息をつないでいます。そこに共通しているのは宗教心の不在という点であるとわたしは思います。

このように記すと学会や顕正会を引き合いに出し、熱烈な信仰をしている多くの人びとがいると指摘される方もいるかも知れません。けれど、ここに宗教心はなく、あるのは宗教に仮託する利権組織と構成員だけです。そこで論じられることも行われることも宗教心というにはほど遠いものです。

マザーテレサが「日本は貧しい国です。人々は飢えています」というのはこの点なのでしょう。宗教心という心貧しく、慈愛に飢えているのでしょう。

このような状況下で学会を含む石山系集団が呈示する宗教心は、集団と指導者の絶対を補強されるために使用される日蓮本仏と本尊信仰だけでした。
当スレッドで言えば、顕正会は国立戒壇という現代の仏塔を建てれば国土安泰・人臣快楽(けらく)なるという戦前からの煽動をそのままに利用しているわけです。

絶対に正しいものを信じることが宗教心であるという詐術が罷り通っています。集団・指導者・教義・本尊を守る奴隷・兵隊になることを「絶対の確信」「強盛な信心」であり、そのような信念体系にある人格構成が正当化されています。

残念なことに一般の人々は疲弊し商業化した伝統教団に呆れ果てた挙げ句、全体主義しか想像させない絶対信仰に酔いしれる凶暴化した日蓮本仏集団の心象が宗教心なのだと思い、宗教心自体を捨て去る「無宗教」という選択を講じるしかなかったのかも知れません。しかし、宗教心を捨て去る代価はあまりにも高いものであったとわたしには見えます。

> 宗教心が不在…道徳や倫理観やさらに良心の育成…見落とされている

そのとおりですね。
無宗教を選択した人々は、宗教とともに、その心までも捨て去ってしまったように見えます。しかしでは、学会を含む石山系集団はどうかと言えば、宗教はあっても、その心がないという深刻な事態に陥っています。結局のところ、無宗教とカルト、この両極に分かれる宗教事情に共通しているのは、宗教“心”の不在でした。

砂漠の砂のように乾ききった日本人の宗教心、しかし、本来、人間には宗教心、いまアネモネさんがお使いになった言葉で拝借すれば「良心」があります。思春期から成人していく段階にある子供達は、この良心が何であるのか、どのように実践すべきなのかを教えられることがありません。教えられる親も先生もいないからです。心の飢渇状態にあります。子供達はどのような生きればいいのか、何より自分が何ものであるのかを理解することができず、学校制度というベルトコンベアで自動的に運ばれながら、社会に“排出”されてしまうわけです。

このときに「人生とは何か」「自分とは何か」「正しいものは何か」と、本来、容易に応えられないはずのことをいとも簡単に、安直に、答えを与えるのが宗教集団と指導者であるわけです。子供達は、この虚偽の答えを真実であると思い、熱中していきます。その熱中は、生涯継続する力を持っています。

確信を持って生きることを否定しているわけではありません。
虚偽の確信によってさらに失われてしまう宗教心の不在を悲しんでいるわけです。
上述の如き、強い信念体系を植え込まれて醸造される権威主義的パーソナリティでは、二極思考(善悪、白黒)に陥るために、そこには必ず差別観が生じます。

131犀角独歩:2003/12/10(水) 13:47

―130からつづく―

> 子供がカルトに入会してしまった家庭だけの問題とするのではなくて、
> 社会全体で考えていかなければならないことだと思います。

そうだと思います。また、実際、その成果は上がっています。1995年に起きた地下鉄サリン事件の犯人、オウム真理教(現アーレフ)、統一協会、ライフスペース、法の花三法行などを弾劾したのは、被害を訴えた信者家族とそれを支えた心ある宗教家と弁護士でした。その先頭に立つ神学者・浅見定雄師が指摘されたことですが、日本ほど、弁護士がカルト問題に熱心に関与する国は世界にも類例がないとのことでした。霊感商法被害弁連・山口広師、オウムに暗殺されかけた滝本太郎師、また、ネット被害では辣腕を振るう紀藤正樹師など、日本はこの点でたしかに恵まれています。

> 人として当たり前の道

渡辺照宏師が指摘されるように現在、ヒューマニズムと言われる精神を日本では仏教が担ってきたわけでした。親は仏教の精神を通じて、子供にこの当たり前を当たり前に伝えてきました。

> …子供が育つ環境になかで、とりわけ母親の存在は大きい

ええ、そうでしょうね。
ここで経験則から少しだけ記させてください。
当スレッドで問題にされる顕正会の実態についてです。
顕正会は高校生にターゲットにしているところにその特徴があります。
また入会の比率から見ると女子が多いと報告されています(この点、合っていますか、ガンコさん、どうでしょうか?)
子供の入会被害を訴える親御さんに会うと、わたしが直ちに了解するのは、家庭内における宗教心の不在、そして、もう一つ、父権の不在です。子供を母親に任せきりにし職場に自分の居場所を求める父親の無責任です。

宗教を、父型/母型に分類して考える場合があります。わたしはこれは案外当たっていると思うわけです。キリスト教で言えば、プロテスタントは父型で、カトリックは母型。日本仏教で言えば日蓮は父型で、親鸞は母型でしょうか。
資料手放しをおことわりして記しますが、家庭内要素で父不在の場合は父型を、母不在の場合は母型を、子供が宗教に走るとき、求める傾向があるように見えます。

顕正会の場合、日蓮に投影される父性は、さらに浅井さんに投影され、子供達は走っているとわたしには映じます。

> 宗教が目指す人格形成、…自己実現…そうした観点から…菩薩道…考えてみたい

引き続きよろしくお願い申し上げます。
わたしは宗教心と関連しながら、先に「菩薩の堕落」と記した点をもう少し勘案していきたいと思っています。

富士門流信徒を考えるとき、単に仏教学、あるいは宗教(史)・社会学的な分析でその是非を考えることで、ここ3年でいちおうの成果を得るところがあったと思います。さらに社会一般の視点から、宗教団とその構成員に求められている視点を加えることは重要であるとわたしは思います。文献的実証性が確実な資料にあるように、公共性は社会的功績に求められることはむしろ当然のことです。

> 読み返すと、結局長いですね…申し訳ないです。

長文のレス、そんなに非難されなければならないことでしょうか。
短く言葉足らずで意味を取れない投稿より、わたしはむしろ歓迎します。また、いきおい長文になるまで思いの丈を投稿されるアネモネさんに、わたしは敬意を表します。
この点は多くの文献資料を提供くださる心者雖念不直相鴨さん、愚鈍凡夫さん、Leoさん、また、その他皆さんの惜しみない投稿にも同様の感を懐きます。

ここ顕正会スレッドに関連して言えば、時折、気合いの入ったガンコさんの長文投稿、また、一刀両断さんの力が籠もった長文投稿も読み応えのあるものでした。

短文で、愚弄罵倒を掛け合う他の日蓮本仏系掲示板とは異なる挙証義務に基づく懇切丁寧な投稿が当板のよき特徴なのではないでしょうか。
長文であるなどと文字を数えるのではなく、そこに何が記されているかを読む取ることが大切です。また、短文であっても、議論に参加するわけでもなく、質問に答えもせず、評論揶揄侮蔑して流れを妨害ばかりという不誠実な姿勢こそ、よほど注意に値することであるとわたしは思います。

132さかなこ:2003/12/10(水) 15:48
独歩さんこんにちは。おひさしぶりです。

個人的な質問で申し訳ないのですがご教授下さると幸いです。

>家庭内における宗教心の不在

とのことですが、具体的に家庭内で宗教心を養うというのはどのようなこと
すれば良いのでしょうか??
私自身、父親が創価学会的エリートを育てようとやっきになってそれを
私に求めました。結果的に反発することになったのですが…
そんな父を見ていて自分の子供には宗教的なものにはなるべく触れさせたく
ないと考えてます。私の所有物である仏教関係の書物とかも見せたくないなあ
と思ってたりもします。祖父母が創価学会の活発な活動家であることも
どのように教えていったらいいのか…。
とは言っても普通に七五三とか初詣とかお墓参りとかお祭りとかいう行事は子供が喜ぶので
参加させてあげたいとは思ってますが。

子供に過度の期待をしてるわけではありませんが親になる身となって浮かぶのは
父親から受けた嫌な宗教的教育です。子供に同じような嫌な
思いをさせないためにはどのように接してあげるのがよいのでしょうか…?

133犀角独歩:2003/12/10(水) 16:57

> 132

お久しぶりですね。お元気ですか。
さかなこさんはお母様になられたんでしょうか。
遅ればせながら、お祝いを申し上げます。

さかなこさんが、お子さんに創価学会に触れさせたくない、仏教書に触れさせたくない、そうお考えになるのは、たぶん、そこに本当の宗教心を見ないからだと思うのです。
さかなこさんが成育の過程で味わった苦痛は、弓山・藤田両師の言葉を借りれば、スピリチュアル・アビューズということだったのですね。

わたしも創価学会2世ですからそのお気持ちはわかります。創価学会であったわたしの家には「宗教心がなかった」と思っています。もちろん、その事情は法華講でも、顕正会でも同様ですね。

言葉を定義せずに議論を進めるのはNGなのですが、実はわかって敢えてそうして書き込んでいます。

宗教心とは何でしょうか。シッダルタにも、イエスにも、日蓮にも、親鸞にも共通している心、それらを生み出してきた人類共通の精神的な宝。それは宗教集団という形を取るととたんに干上がってしまいます。教義だ何だというと文字化けしてしまいます。口で説明すれば、説教臭くなってしまいますよね。

人が人との触れ合いのなかでしか伝えられない、感じさせられないもの。しかしかけがえのない心ですね。

さかなこさんが宗教団体、書籍、教義その他を介さないで、家庭内で宗教心を養うという在り方にわたしは賛成します。

> 具体的に家庭内で宗教心を養うというのはどのようなことすれば良いのでしょうか

文章では尽くせませんが、簡潔に申し上げれば「いのちの尊さを伝えること」ではないでしょうか。いのちとは人の命に限らず、もののいのち、自然のいのち、生物を含めて森羅万象いっさいの、いのちの尊さということです。もちろん、こうして書く文章では、その大部は損なわれて伝わりませんが。

宗教心…、それはいのちと言っても、霊性と言っても、あるいはスピリチュアリティと言っても言い方はそれぞれであると思います。要はその心を、心から心に伝える。お母様の心からお子さんの心に伝えるということではないかと、わたしは考えます。

議論ある団体がいうような宗教が、宗教などと言える代物でないことを見抜ける眼力は、この心を通じて養われるでしょう。あれら宗教集団が言う宗教が宗教であるわけもなく、まして、そこに宗教心があるわけはありません。

要は本当の宗教心とは何か、その答えを親御さんがしっかりと持てるかどうか、そこからはじまることですね。その答えは、お子さんを慈しむさかなこさんの心のなかに既にある、そうわたしは思います。

134ガンコ:2003/12/10(水) 20:48

みんな知っていることだから、わたくしがあえて書くこともありませんが・・・

顕正会は、壮年・婦人・男子・女子の四つに組織がわかれる。
そして、女子部が最強、逆に弱いのが壮年部。
さて、婦人部と男子部はどっちがつよいか? これは微妙・・・

ずいぶんむかし、浅井は婦人部の集会で言ったものだった。
「将来、婦人部は、顕正会の中で最大の組織になる」と。

新しい人は知らないだろう。(やや自慢)

135さかなこ:2003/12/10(水) 20:50
独歩さん>

レスどうもありがとうございました。正式には母親の卵なので気が早い
話なのですが…。
一日一日と育っていく命を愛しく感じ、また母親になる身となって両親の
私への気持ちを痛いほど感じ複雑な思いを抱く日々を過ごしています。

独歩さんのレスを拝読して私は私なりに考えていけばよいのだなと…安心
いたしました。ありがとうございました。

それとレスを読んでいて母子手帳に書いてあった育児の仕方を思い出しました。
読んだときになるほどなあ…と感心した内容だったのですが…。

「幼児が指しゃぶりをしたら怒ったり、無理にやめさせてようと
してはいけません。なんらかの不安要因があるため幼児は安心を得ようと指しゃぶりを
します。その不安要因を取り除いてあげることが大事です。まずは指しゃぶりをしたら
話し掛けてあげてください。」と

カルト問題も、もしかしたら幼児の指しゃぶりと何ら変らないところに問題点は
あるのかなあと…思いました。
「本当の宗教心とは何か」…。まだまだ私には難しい問題ですが近いうちに
会えるかもしれない我が子と一緒に考えていきたいと思います。

136アネモネ:2003/12/10(水) 21:05
>その答えは、お子さんを慈しむさかなこさんの心のなかに既にある、そうわたしは思います。

私もそう思います。

雅子皇太子妃が、愛子さまのお誕生の記者会見のとき、
「生まれてきてくれて、ありがとう…」
そんなことを、声をつまらせてお話しになられていましたが、子供のいのちの誕生を喜び慈しむ親の心は、そのままで宗教心だと感じますね。

宗教っていうと、まず宗教組織のことを思い浮かべてしまいがちですね。一般的にもそうでしょう。しかし、宗教組織が宗教なのではないと思います。
どんな心を育んでいくのか、その心の導きに、宗教があるのだろうと思いますね。
心の導きといっても、信仰心や信心と解釈される方もあるかもしれませんが…私は、慈悲や慈愛といった、慈しみの心へのいざないが、心の導きなんじゃないかと思いますね。

137アネモネ:2003/12/10(水) 21:10
さかなこさん

お体を大事になさってくださいね。
おめでとうございます。

138アネモネ:2003/12/11(木) 00:29
犀角独歩さん

>このような状況下で学会を含む石山系集団が呈示する宗教心は、集団と指導者の絶対を補強されるために使用される日蓮本仏と本尊信仰だけでした。

たぶん石山系で育まれる心とは、組織への忠誠心だけなのかもしれないと思いました。

>しかし、宗教心を捨て去る代価はあまりにも高いものであったとわたしには見えます。

同様に思います。

>しかしでは、学会を含む石山系集団はどうかと言えば、宗教はあっても、その心がないという深刻な事態に陥っています。

ガンコさんのレスを通しても、段々とわかってきたことですが、教団信徒の確保のために、罰論を説き、人の不幸を待っているわけですね。待っているからこそ、キャッチした不幸の事実を喜ぶことになもなるわけです。
本当ならば、いかなる人の不幸も、自分の不幸と思って同苦の心、つまりは慈悲の心で受け止めるのが、宗教心だと思うのです。ところが、反対に人の不幸を喜ぶ心が培われてしまっいるといえます。
その心の源泉、要するに発露は何かというと、実は、「慈悲」とはまったく対極にある「憎悪」であり、その憎悪が組織の指導によって植え付けられているわけですが、これは、前にも書きましたが、さらなる「苦」の重圧だと思います。
だけど、その憎悪の心の強さこそ、信心の強盛さに植え付けられているわけですから、これは大変な錯覚の刷り込みだと思います。それでしかも、さらにその憎悪がどこからくるものかと考えてみると、実は、組織への煽られた忠誠心だったりするわけですね。

>弁護士がカルト問題に熱心に関与する国は世界にも類例がないとのことでした。

憲法上からいっても、たとえカルト的宗教といえども、国家が宗教組織に立ち入ることはできませんものね。それだけに、個々の宗教被害に関しては、何より弁護士の力が求められるところなのでしょう。
恐らく、カルト問題と人権問題とは非常に相関性があって、日本人はまだまだ人権意識は希薄ですから、どうしても人権問題の最前に立つ弁護士の先生方が、その人権意識の危機感を肌で感じてカルト問題に取り組んでいらっしゃるのではないでしょうか。

> また入会の比率から見ると女子が多いと報告されています(この点、合っていますか、ガンコさん、どうでしょうか?)

ガンコさんのレスでも明らかなようですね。
父親像、もしくは男性像を求めるからこそ、女子が多く入信するのでしょうね。
つまり、ファザーコンプレックスといってもいいでしょうか。女の子には誰しもあるコンプレックスですが、しかし、それが家庭内の深刻な父権の存在である場合、屈折した不健全な父権を外に求めていってしまう心理というのは、往々にしてあることだと思いますね。
父権の不在ということも、大きな社会問題ですね。それは、顕正会を通しても、明らかにいえる社会問題ということだと思います。

>顕正会の場合、日蓮に投影される父性は、さらに浅井さんに投影され、子供達は走っているとわたしには映じます。

これは、オウム(現アーレフ)の場合も同じようなことがいわれましたね。大半の信者は、麻原に父権を求めていたといったことを聞いたことがあります。

>わたしは宗教心と関連しながら、先に「菩薩の堕落」と記した点をもう少し勘案していきたいと思っています。

ぜひ、よろしくお願いいたします。私も非常に関心をもっております。

139アネモネ:2003/12/11(木) 00:29
(つづき)
>富士門流信徒を考えるとき、…公共性は社会的功績に求められることはむしろ当然のことです。

いずれの宗派であっても、いかにあるべきかということは、永遠の課題だと思います。お釈迦さまも日蓮さまも、この今の現代という時には、いらっしゃらないわけですから、だからこそ、今を生きる自分たちが、いかにあるべきかを考えていかなければならないことだと思いますね。
ただし、いわゆる宗教組織の既得権益に基づく勝手解釈との区別が、難しいところでもあります。結局そこは、個々の良心、仏教では自灯に委ねられるところなのでしょう。

>長文のレス、そんなに非難されなければならないことでしょうか。…この点は多くの文献資料を提供くださる…その他皆さんの惜しみない投稿にも同様の感を懐きます。

確かに、そうですね。
私自身の長文についてクレームがついたからといって、それは私個人へのクレームですから、他の皆様方が、長文の投稿を控える必要は全くありませんね。
私の場合は、あまりにも目に余る傾向があったものと反省するところですが、しかし私自身、他の皆さま方の長文レスは、独歩さん同様、まったく気になりませんし、とても興味深く拝見し歓迎するところです。
真剣に考えたところの思いがこめられたレスは、レスの長短に関らず、その心は強く伝わってくるものですしね。
たぶん大事なことは、自分の言葉や感性で綴るということなんだろうと思います。
文章の長さや短さも、その人の言葉や感性というものでしょうから…(なんか自己弁護みたいになってきたかもしれませんが)とにかく、それでも直らない私の長文は、私の個性とご容赦頂けたらなあと思いました。

140さかなこ:2003/12/11(木) 11:40
>アネモネさん

ありがとうございます、てれてれ(´▽`)

学会2世として生まれた私には普通の家庭を築くことは無理だろうと
子供心に重い十字架を背負い必要のない劣等コンプレックスを周囲に
抱いてきました。
その私が今のような状況になれたのは3年前に始めたネットで学会問題について
活発に議論をする人たちのレスを見てからです。(それでもネットを始めた
最初の一年間は学会系のサイトは怖くて近づくことができませんでしたが…)
いわゆるMCから抜け出したときの開放感は今でも忘れることができません。
初めて自分の足で歩いているという気がしました。自分の好きなように考え
行動することができると…。
それまでは無条件に自分の子供には学会へ入会させると思っていたのです。
自分が学会に入会させられて嫌な思いをしているのにも関わらず…。
今となっては何故そのように思っていたのか…思い出すこともできません。

子育てにはまだまだ不安は沢山ですが、私1人だけで育てるわけではありません
し、そんなに考えずに産まれてくる日を楽しみに待つことにします。

141とと:2003/12/11(木) 18:19
顕正会の実態は
浅井親子女好き
オヤジは婦人部
ムスコは女高生
憲法改正しよと
本気で考えたら
女子供集めてる
わけないもんね

142管理者:2003/12/11(木) 21:00

ととさん 始めまして

116レスについて

>いくら問題箇所を削ったからといって、それをふたたび投稿するのはおかしい。なぜならばルールでは「全体削除」となっているからだ。部分を問題にしているのではなく1投稿全体の削除を定めている。だから、再投稿は「全体削除」というルールに違反している。

掲示板の機能上、部分削除が出来ませんので、全体を削除させていただいております。必要ならば、問題箇所を訂正して再投稿する道があるからです。

>また、削除投稿の再投稿は「3 無意味な多重投稿・反復投稿を禁止します。」の多重投稿・反復投稿にも該当している。

この場合の再投稿は、削除されたレスを書き直して再投稿されていますので、「無意味」な多重投稿には当たらないと考えています。

>このような放置は「あらし」を助長することになる。管理人さんは自分で定めたルールを管理する義務があるはずだと思う。

お叱り、ありがとうございます。また、ご心配をお掛けして申し訳ありません。以上の様に考えています。ご理解賜りたく存じます。

143アネモネ:2003/12/11(木) 21:25
ととさん はじめまして

144アネモネ:2003/12/11(木) 21:55
さかなこさん

>子育てにはまだまだ不安は沢山ですが、私1人だけで育てるわけではありません
し、そんなに考えずに産まれてくる日を楽しみに待つことにします。

そうそう、そうですよ。何も気負うことなく、のんびりゆったり大切に、喜びの日を迎えてください。

145五月雨:2003/12/11(木) 23:01

さかなこさん

お久しぶりです。もうすぐお母さんになるんですね。
心よりお祝い申し上げます、おめでとう。

私も、はるか昔の初めての赤ちゃんが産まれる時の、喜びと興奮と不安を思い出しました。
でも、案ずるより産むが易しという諺どおりで、どうにかなるもんだと今になるとそう思います。
子どもが生まれたら生まれたで、どう接すればいいのだろうとか、どう躾ければいいのだろうなどと、初めての経験には山ほどの不安も心配もあるものです。
だけど、まあ、その山ほどの不安も心配もほとんどが杞憂で終わるものなんですけどね。

家庭内での宗教心を養うということですが、取り立てて無理に考えなくてもいいように思います。まずは、赤ちゃんへの愛情が基本ですよね。
宗教心という言葉をどんな定義で使っているかで違うと思いますが、情操面で考えるとすれば、子どもと一緒に、キレイな花を見たらキレイと思い、夕焼け空に感動したり、海の青さに海の底に住む魚を想像したりすることで十分だと思います。
倫理面で考えれば、良いことをする、悪いことはしない。社会一般常識内で生きることで倫理は学べると思います。

七五三とか初詣、クリスマスなどの宗教行事も気にせず参加させてあげたらいいですね。
子どもって、こういう行事がとても思い出に残るようです。
もしも、さかなこさんの親御さんが学会流でしたいと言っても、さかなこさんの家庭のやり方を
教えてあげてください。
「恋学」の掲示板でも、こういう悩みはよく聞きますが、子どもを守れるのは母親しかいないんだし、それに母は強しです。なぜだかね、女はね自然と強くなるのよね(^^)v

赤ちゃんを産むのは女としての最大の幸福だと思います。
元気な赤ちゃんを生んでください、くれぐれもお身体を大切に。

#学会一世の私から、反省の意味も込めた些細なアドバイスでした。

146犀角独歩:2003/12/12(金) 10:00

138、139 アネモネさん:

>「慈悲」…「憎悪」

あ、この対句化、実に見事です。

> 人権問題の最前に立つ弁護士…危機感を肌で感じてカルト問題に…

そうですね。
また、弁護士の積極的なカルト問題への参入と併せて、日本はカルト研究では世界の中でも実は最先端です。また、この研究を支えているのは実際に被害者と関わる在野の支援者です。統一協会、エホバ問題では牧師方、オウム真理教・法の花三法行・顕正会問題などでは一部日蓮宗僧侶の活躍が見られます。ここのスレッド「顕正会」については、過去10年間で延1万人以上の相談が寄せられています。それら要素が研究され、破壊的カルト・マインド・コントロール理論として裁判の基礎資料として供されていきました。

弁護士の活躍は、その基礎研究、さらにその資料を提供する実際の支援者、そして、なにより被害を訴える人々の努力に支えられてのことです。ニュースで見るだけでは気付けませんが、被害者が、支援者、研究者、弁護士と強いネットワークを形成する生きた言論が日本社会の宗教事情を変えてきたのです。

あと、日本社会で変えなければならない宗教事情、50年来の積み残されたここ学会を含む石山集団の問題であるとわたしは考えています。それは単に教義の見直しばかりではなく、今後、これら集団がどのように社会貢献を果たせるように世論が誘導するのかという民衆の言論による誘導です。

わたしは次代のために学会を含む石山系集団が“お題目”だけの存在から、慈悲の一念を基に実質的社会貢献をする集団に替える言論・世論のプロトタイプをここで皆さんと考えさせていただいているわけです。

その意味から「菩薩の堕落」という視点を据えて考えてみたいと思っています。
それはまた、もっとも現代社会から脱線してできも国立戒壇とうそぶく「顕正会」こそ典型的な存在であるとも思う故、ややここで議論となっています。しかし、これは一人顕正会の問題であるというより、アネモネさんが提案された「創価学会の功罪を考える」スレッドに特に関係するものであり、ひいては石山僧侶と法華講をも視野に入れて考えるべき問題であるとも思うわけです。

低劣な横槍や、議論妨害が入ることなく、有効な意見の交換できればよいのにと願うばかりです。

147犀角独歩:2003/12/12(金) 13:24

128 アネモネさん:

イラクに対する問題の提示に敬意を表します。

本日、わたしが尊敬する四半世紀、インドで実践布教されて帰国した法華沙門の方からメールが来ました。

「私は京都で一週間断食をして12月8日の成道会を勤めまして、昨日立正安国の為に官邸の内閣情報室のトップの人に一時間イスラムテロの対応と危険性を進言しました。私に出来うる立正安国です。対応は非常に良かったです」

行住坐臥、常に袈裟を纏い、四六時中、僧である自覚に生きることが修行であるという聖僧です。

148犀角独歩:2003/12/14(日) 10:33

○日弁連、顕正会を公式に宗教トラブルを起こす団体と認識
 アーレフ、統一協会、法の花三法行、ライフスペースなどと同列に論じる

先頃、消費者ニュース発行会議 '03.9 別冊『宗教トラブル特集』(編集:民事法研究会/日本消費経済新聞社/\3,500)が発刊されました。この中「【実態編】9「冨士大石寺顕正会」の問題点」(日本脱カルト研究会理事/社会福祉法人立正福祉会「青少年こころの相談室」室長/日蓮宗僧侶:楠山泰道師)と他カルト団体と並列して、顕正会が取り上げられています。

1.激しい折伏勧誘に関するトラブルの多発
2.恐怖を煽る勧誘説得と心理操作
3.顕正会の現役会員のメンタリティ
4.顕正会のこれから
  (同書P97)

また、顕正会の実名を載せないが「21 カルト入信問題相談の現場から」(日本脱カルト研究会理事/社会福祉法人立正福祉会「青少年こころの相談室」相談員/日蓮宗僧侶:貫名英舜師)は以下のように記しています。

「仏教系新宗教
 法華系新宗教の特異点は、伝統的な法華至上主義の立場から他の仏教宗派に対する絶対的優位主義を唱えることに加えて・同じく宗教的枠組みに属している他のグループに対しての激しい対抗意識を持っていることである。この組織には、自らの宗教の「国教化」という理念が存在する。…この国教化が実現されない時には、近未来に日本に未曾有の大地震などの大災害が、あわせて国内の内乱という破綻的状況に至り、さらに近隣諸国からの軍事的侵略を受けて「日本は滅ぶ」とする」

と記されています。
この書籍は特に霊感商法被害弁連、青春を返せ裁判、違法伝導訴訟、法の花三法行詐欺など、数多くのカルト問題を戦ってきた山口広弁護士がその編集の先鞭をつけたものですから、実質的に日弁連は顕正会をカルトと断定したと見て差し支えないように思えます。

この書籍では題名で「カルト」とは言っていませんが、その掲載文中「24 カルト問題をどう克服するか」(東北学院大学名誉教授:浅見定雄師)があることから、カルト全般を扱ったものであることがわかります。以下、この浅見師の見解にはわたしは大きく賛同するところがあります。いわば現在のカルト認識における最先端の整理であると拝せます。
1.心の「消費者問題」として
2.人権教育としてのカルト予防教育
3.差別と偏見の克服
  (同P79)

ここで浅見師がいう「消費」とは経済的なものではなく、心身の宗教活動に時間・労力・精神を消費する側面から論じられたものです。

やや付録的に記せば、「27 日弁連の判断基準」の意義と活用」(弁護士(福岡)平田広志師)の以下の文章は参考になりました。

「宗教的活動にかかわる人権侵害についての判断基準
 −反社会的宗教活動がもたらす消費者被害救済のための指針
 …2 信者の勧誘について
 …(2) 本人の自由意志を侵害する態様で不安感を極度にあおって、信者になるよう長時間勧めたり、宗教的活動を強いて行わせることがないか」(同P86)

平田師がいう「消費」は霊感商法被害などの側面から主に経済被害に重点を置いたものです。しかし、青春を返せ裁判、違法伝導訴訟も考慮されたものですから、上記、浅見師が言うところの心身信仰活動の消費の意味も含んでいると思えます。

149さかなこ:2003/12/14(日) 17:52
>五月雨さん

お久しぶりです。こんにちは♪。ちこっと里帰りしててレスを本日拝見
しました。

お母さんとしては大先輩である五月雨さんにレスをいただけて嬉しい思いで
いっぱいです。ひとつひとつ大事に拝見させていただきました。
産まれる前は不安いっぱいでもいざとなると肝がすわるものなのですね…
女性はそういう風にできてるのかもしれないですね。

一般的な宗教的行事には喜んで参加させてあげたいと思ってます。かつて周囲の
友達が楽しそうにしてるのを横目に寂しい幼少時代を過ごした思い出が
ありますのでそういう思いをさせないようにしたいと思ってます。

150アネモネ:2003/12/14(日) 23:28
>147
犀角独歩さん

フセイン元大統領が、米軍特殊部隊により身柄が拘束されたと速報で伝えられ、日本時間の午後9時から行われた、バクダットでの記者会見の様子が中継で伝えられましたね。

会見の冒頭、ブレーマー行政官が、
「皆さん、彼を捕まえました」
と発表するや否や、イラク人をも含む記者団からは歓声が聞こえてきました。
クリスマス前、また米大統領選を来年に控えたこの時期のトップニュース、今後、何がどう変っていくのか、その動向を冷静に見極めていきたいと思います。

>本日、わたしが尊敬する四半世紀、インドで実践布教されて帰国した法華沙門の方からメールが来ました。

日蓮の立正安国の精神を引き継ぐ実践をされているご僧侶が、現代に確かにおられるということを知って、私はとても嬉しく思い、このようなご僧侶の実践行動に、心からエールを送りたいと思います。

またここ富士門に関連していえば、絶対正しいとする板本尊を護持する僧侶の中から誰ひとりとして、このような実践行動が見受けられないという現実(現証)を、どうみるかを法華講の方々は考えてほしいと思うところです。
むしろ、あの板本尊の存在に甘んじ依存するあまりに、日蓮を彷彿させるような諌暁精神(立正安国の精神)の社会的実践が忘れられてしまっているところではないでしょうか。
本当に日蓮の正しい本尊を信じ護持していることが正しい法の護持であるならば、まさに日蓮のような実践者が出てきてもおかしくないはずですが…だいたい日蓮正宗は、今回のイラク派遣問題に対する見解の声明など、公式に何か出されているのでしょうか

151犀角独歩:2003/12/15(月) 00:40

144 アネモネさん:

> フセイン元大統領…身柄が拘束

わたしもこの報道に見入っていました。

> 日蓮の立正安国の精神…心からエールを送りたいと思います。

有り難うございます。
ご本人にお伝えします。

その方からフセインの報道後、メールが来ました。
「原理主義者の報復が心配」と記されていました。
糠喜びをしていたわたしは冷や水を浴びせられる思いでした。
日本イラク“参戦”でも直ちに「日本はこれでテロの対象になる」と警鐘を鳴らした方の言ですから、わたしはその重みを受け取りました。

> 板本尊を護持する僧侶の中から誰ひとり…実践行動が見受けられない

いや、僧侶ばかりではなく、その信徒もです。
あるのは言い訳、自己肯定論のみです。
実に浅はかな、見苦しいところであると感じます。

> 日蓮正宗…イラク派遣問題…声明…公式

わたしは存じ上げません。
日蓮本仏論者の多くは現実の問題を板漫荼羅信仰と戒壇建立で解決するという神話を信じる不可思議な人々ですから、そんな公式発表をするまでもなく、広宣流布すれば世界が平和になると呪文を唱えるのが関の山ではないでしょうか。

152アネモネ:2003/12/15(月) 02:53
犀角独歩さん

>「原理主義者の報復が心配」と記されていました。
糠喜びをしていたわたしは冷や水を浴びせられる思いでした。

仰るとおりですね。
やはり原理主義というものに着目して、この中東問題を見ることも重要でしょうね。イスラム原理主義者のテロ行為は、日蓮正宗系の憎悪思考にも、非常に重なるところがあるように思います。

>現実の問題を板漫荼羅信仰と戒壇建立で解決するという神話を信じる不可思議な人々ですから…

池田小児童殺傷事件の犯人に象徴されるような凶悪犯罪にしてもそうですが、戒壇を建立したところで凶悪犯罪がなくなるなど、決して変るものではありません。実際に入信をしてご本尊に拝んだ人が、その信仰だけでは何も更生されなかった事実をもってしても、そのことは証明されています。
如何なることも、実際の問題に目を向けて、実践的に対処し取り組まない限りは、何も変らないということに、早く気づいてほしいと思います。

他のスレッドですが、「自分対御本尊」というレスがありました。これは石山系でよく聞かれる言葉でありまして、結局これが、まさに現実逃避なんだろうなあと思います。
人生の苦に対して、一時期、逃避が必要な場合もあります。しかし、逃避したままではいつまでたっても、何も変りませんね。
本当に変ることが出来るとしたら、その問題に具体的に対処した場合だけだという、ごくごく当然のことに、気づいてほしいと思います。

>そんな公式発表をするまでもなく、広宣流布すれば世界が平和になると呪文を唱えるのが関の山ではないでしょうか。

まったく、八正道になっていませんね。

日本国政府に対して、日蓮正宗が物申した記憶としては、創価学会の宗教法人格の取り消し陳情しか私には浮かびません。法華講機関紙の号外にその様子が掲載されていましたが、私がその記事に唖然としたのは、陳情に行った僧侶方が、背広姿だったことです。
僧侶としての自覚の欠如が、姿としてありありとあらわれていると思ったものです。
陳情の内容からして、自分の教団の私情、つまり損得勘定しか頭にないんだろうなあと思ってしまいました。

153MILD SEVEN:2003/12/15(月) 07:25

フランスで創価学会に解散命令?
カルト教団“抑制強化法”ができてサア大変

 先月末、フランスでカルト教団(セクト)に解散を命じる法案が成立した.この影響で、「創価学会がフランスから追い出されるのでは」という見方が出ている.
 「“セクト運動防止・抑制強化法”がそれで、フランス国民会議が全会一致で可決しました.反社会的活動を続ける宗教団体が、①刑法で禁止された生命、財産などを侵害 ②公衆衛生法で禁止された医薬品の使用 ③消費者保護法で禁止された虚偽宣伝、詐欺などで有罪判決を受けた場合、団体に解散を命じることができるとしている.問題はその対象で、フランスでは過去2回、“創価学会はカルトである”と国民会議で報告されている.そのため、学会サイドは、“ヘタをしたらウチも解散させられる”とピリピリしているのです」 (事情通)
 フランスは創価学会のヨーロッパにおける活動の中核で、約1万人の信者がいるといわれる.そこで解散命令を出されたら、世界への影響も計り知れない.
 「池田大作名誉会長は、外国要人との交遊が自慢で、信者獲得の最大の道具としても利用してきた.その人脈を生かして“将来はノーベル平和賞を狙う”などともみられていた.しかし、ヨーロッパの大国で“カルト呼ばわり”されたら、さすがに、そんな野望もあきらめざるを得ない.大作サンのガッカリする顔が今から見えるようです」 (学会ウオッチャー)
http://the49-2.hp.infoseek.co.jp/other/gendai130607.htm

154アネモネ:2003/12/15(月) 11:29
随分と前のガンコさんの記述ですが…

>122
>確かに先生は政治に詳しいです。へたな政治家よりはよほど詳しいと思いますけど、その専門家ではないわけです。

ガンコさんへの反論というわけではなくて、政治と宗教について、少しレスをしたいと思います。

日蓮さんの「立正安国論」における諌暁精神からいって、日蓮系教団が政治に関心を持つ傾向性というのはひとつの特徴だろうと思うところです。
政教分離は、憲法で定められていることですが、だからといって信仰を持つ人やその教団が政治に関心をもってはならないということではなく、教団内で政治についての話題が出たとしても、それは必ずしも違憲といえるものではないでしょう。
政治というある意味きな臭い印象をもつ語彙を使わずとも、社会に関心をもつということであるならば、むしろ積極的に考えてしかるべきことかもしれません。
ただし、そこではどういう思想に基づく政治が語られているか、その内容が問題です。

私が参詣していた頃の法華講組織では、月例登山などで、柳沢さんがよく政治に関わる話をされていました。
恐らく日蓮の諌暁精神にのっとってのつもりでしょうけれど、たいていの話は政治なり社会なりをことごとく批判しているわけですが、それはともかく、結局、話の落としどころは、「日蓮正宗の正しい信心をしてる私たち法華講に任せれば世の中はよくなるんです」と、なるわけです。それを受けて満場の拍手喝采がお決まりのパターンでしたね。

柳沢さんはそのお年からいっても、私などよりは長く日本の社会をご覧になってきている人ですから、政治を語る言葉にも、それなりの重みや説得力があるかもしれません。顕正会の浅井さんにしても恐らくそうでしょう。もともと政治に疎い、女子高生や主婦がそうした人の政治話を聞けば、なんとなく政治に精通した気にもなるものでしょう。
しかしそこが落とし穴でもあると私は懸念します。政治を知った気がするというところの、その錯覚です。

特に私が最も危険視するのは、たとえば柳沢さんの語る政治に民主主義がみられないということ。「私たち法華講に任せれば…」という言葉が象徴するように、政教分離を逸脱した発言を平然とするわけです。何も知らない人は、政教分離の社会が間違っていると思うことでしょう。
近代政治を語るうえで、このように民主主義の後退を意味する発言が平然と語られ、満場の拍手喝采が送られる教団の状況に、私は思想的危機すら覚えました。

また顕正会における浅井さんの政治評論については、私は一度も聞いたことがないものの、しかし、顕正会の憲法改正案の一部を読ませて頂いた限りにおいていもやはり、民主主義はもちろん、基本的人権の後退さえ危ぶまれる内容であったと感想をもちました。

私が何を言いたいかというと、近代政治を語る…このことにおける最低限の前提ともいえる大原則は、基本的人権と民主主義だろうと思うわけです。
そこに政教分離という社会構造が築かれたという、その背景すら理解されていないのではないだろうかと危うく感じるものなのです。そのような言葉を鵜呑みにする信徒の人たちの無自覚な意識とは、地下鉄サリン事件を起した、オウムの信徒と同じものだと思えて懸念してしまうところなのです。

ここで、政教一致で何が悪い、正しい信心をしている人が政治をすれば、正しい世の中になるんだ…と信じている人は、中世の世界史と、日本の戦前の歴史を今一度勉強したほうがいいでしょう。

155アネモネ:2003/12/15(月) 11:30
(つづき)
世界平和だのなんだのと、それこそ美辞麗句を並べたところで、政教一致で行われた政治は、特定宗教教団への政治的優遇を生み出し、組織幹部は特権階級となって、社会全体の身分差別を生みます。ついには、三権分立も崩れてしまいます。

三権分立の重要性は、恐らく中学生くらいで習うところのことですが、顕正会に入信する高校生たちは、顕正会が目指す国立戒壇と国教化を目指すことが、三権分立の崩壊をも招きかねない恐怖政治にもつながるものであるということが、イメージとして結びついていないのかもしれません。

そうした危険思想が現実の事件として起きた例が、独歩さんが「創価学会の功罪を考える」で提示してくださったチラシの「NTTドコモの携帯電話通話記録を盗み出し事件」の内容だろうと思います。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/964

この事件の被害者とは、携帯電話通話記録を盗み出された女性一人だけのことではなく、個人情報の漏洩危険にさらされている、私たち個々の国民全員が被害者といえるでしょう。更にそのことが、教団の圧力によって捜査が打ち切られ、公平に裁かれないとなるならば、既に三権分立が崩壊しつつある社会構造が危ぶまれます。

しかし、これは学会だけにいえることではありません。そうした思想を支持しているのは、大きく石山系であるといえるのではないでしょうか。
ある特定の教団宗教が国教化されるということは、日常的なことの全てがこの事件のように、その教団によって支配されてしまう「恐怖政治」が行われてしまうというところまで、想像をめぐらせてほしいです。果たしてそれが本当に、平和な社会を保障し構築するものといえるのかということをです。
石山系組織は、いずれの教団が語る政治も、恐怖政治に通じる思想が根底にあるということを私は感じます。そこに連なる信徒の方々の意識にも、人権感覚と民主精神が欠如されていることも懸念するところです。

三権分立について、下記のサイトでモンテスキューの「法の精神」がわかりやすく書かれています。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sannkennbunnritunihonn..htm

一部抜粋しておきたいと思います。
*******抜粋**************
モンテスキューの時代は,「王が法を制定し,それを実行し,かつ裁判も行っていた」“王”独裁の絶対王制の時代であった。
このため,人々は,王の一言で,理由もなく高い税金を課し,あるいは,いささかでも王に抵抗すると牢獄に入れられ,処刑されることが日常茶飯事となった。
******抜粋終わり**************

また、モンテスキューの三権分立論は,アメリカ独立宣言やフランス革命(フランス人権宣言=人及び市民の権利宣言)に大きな影響を与えたわけですが、創価学会をカルトとして認定している国も、アメリカとフランスではなかったでしょうか。
カルトを考えるうえで、人権意識は決して外せないものなのだろうと思います。カルトの認定は、そこが大きな基準であるものと考えます。

具体的にいえば、「仏法の為」が、「組織の為」に摩り替えられている組織に人権は存在し得ないですし、そこで語られる政治は、恐怖政治にもつながりかねない民主政治の後退を意味するものであるということを、見据えてほしいと思います。

組織のトップが語る政治を聞き、組織が発行する機関紙で政治を読む、それで自分も政治に精通している気になっていくという錯覚こそ、危険思想の第一歩だろうと思います。
国民のよりよい生活を考えるところに民主政治の基本があるわけですから、信徒の生活を犠牲にさせてまで組織の勧誘活動を煽る政治に人権思想はなく、恐怖政治につながる危険思想を植え付けるだけのものであるということを、ぜひ考えてほしいものと思います。

*【恐怖政治】
(1)権力者が逮捕・投獄・暗殺などの暴力的手段によって反対者を弾圧して強行する政治。暗黒政治。
(2)〔(フランス) La Terreur〕フランス革命時代のロベスピエールらによるジャコバン派独裁をさす。
(大辞林 国語辞典)

156心者雖念不直相鴨:2003/12/15(月) 12:21
最近、こんな本をよみました。序文に、執筆にいたる動機(強烈な危機感)が記されていますのでご紹介します。

保坂俊司:インド仏教はなぜほろんだのかーイスラム資料からの考察―、北樹出版、2003
************** 引用開始 **************
インド仏教の衰亡というテーマをある意味でわが身のことと考えなければならないような事件が起こった。オウム事件である。(中略)いかに変則的で、独善的であるにしろ仏教、しかも真の仏教を名乗り、仏教の理論一かなり独善的で、未熟な部分もあるが、その全てが否定されるわけでもない一と称して、殺人を含む多くの社会問題を発生させたこの集団に対して既存の仏教界から、反論も非難も、あるいは賛意も全くといって良いほど聞こえなかった。少なくとも、その渦中において、そして最もその発言が期待された時期に発言される仏教者が皆無に等しかったことは、この国の宗教性の問題点を浮き彫りにしたように思われる。つまり、伝統仏教界からも、所謂新興宗教といわれる仏教集団からもオウム問題への公式の批判も、賛同も一切といって良いほどに聞こえなかった。まさに等閑視するのみであった。このようなことで、日本の仏教は社会的な信用や役割を担ってゆけるのか? あるいは、このようなことにも是非を論じられないほどに仏教は衰退してしまったのか?あるいは変容してしまったのか?少なくとも筆者は、失望した。仏教は宗教的な自浄作用を失ってしまった。少なくとも社会から遊離してしまったように恩えた。勿論既存の仏教教団が、オウム真理教というような未熟な宗教団体と、同一視されることを嫌った、ということも理解できないわけではない。しかし、オウム事件への既存の仏教界の対応は、仏教への日本人の信頼を大きく損なう結果を招いた、ということの意味を日本の仏教者、それは伝統宗派から、様々な新興の仏教系集団も含めて深刻に反省すべきであろう。いずれにしてもオウム教団は、正統なる仏教と自らを位置づけ、その上で仏教教理からの必然としてサリン事件など一連の事件を引き起こしたのである。したがって、その刑事犯罪的な部分とは別に、彼らの行為について即座に宗教的見地、つまり仏教思想から批判一あるいは賛同がなされなければならなかったはずである。しかし、未だにその本格的な議論は、仏教界からは十分なされていないようだが、キリスト教、あるいはイスラム教であれば、おそらく徹底的な反省がなされるであろう。(中略)もし、そのような超世俗のスタンスを現代仏教界がとろうとするのであれぱ、日本仏教はあるいはインド仏教と同様の運命を辿ることになるのかも知れない、という危機感が筆者に強く湧き上がった。(中略)もちろんその後も仏教の一派を名乗り詐欺的集金活動をする団体は後を絶たないし、仏教界からのこの件に関しての意見を聞くことはほとんどない。
*************** 引用終了 **************

顕正会は、オウムの事件に際してどのような発言をなさったのでしょうか?

157一刀両断:2003/12/15(月) 15:56
心者雖念不直相鴨さん はじめまして。
顕正会のオウム事件に対するコメントは大意は次のようなものです。
・仏教の仮面を被った犯罪革命組織であること。
・サリン事件、弁護士殺害事件等は破壊神を本尊とした事による信仰結果であること。
・阪神大震災と併せ、日本の安全神話崩壊であり、広宣流布の時節が眼前に迫っていること。
・また自叛難でもあり、後に他逼難も必ず広宣流布前に来る証明であること。
・広宣流布に対する魔であること。(宗教に対する偏見が増すことによって国立戒壇への怨嫉を起こらしめる)
当時はこのような指導内容でした。

158犀角独歩:2003/12/15(月) 16:24

152 アネモネさん:

> イスラム原理主義者のテロ行為…日蓮正宗系の憎悪思考…非常に重なる

ええ、わたしもそう思います。
「憎悪」によって人を動かそうとする集団は、教義がどう、本尊がどうではなく、憎悪で人を動かす時点で既に間違っており、批判されるべき議論ある団体と言えます。
その意味において、顕正会のみならず、石山も学会も妙観講なども同様の危険集団であるとわたしには思えます。

そもそも他国侵逼難で捌く如き似非政治論でいちばん問題なのは、攻められる国の信仰的資質ばかりを取り沙汰し、攻めてくる(加害者)側の責任、あるいはその回避をなにも論じないと言う実に浅はかな指摘である点です。

続くガンコさんへのアネモネさんのレスでも問題にされていますが、以上のような間抜けな政治論こそまさに浅井さんの話なのであって、日本の危機の回避を顕正会の躍進で置き換えて結論づける、柳沢さんと同様の短絡話が、優れた政治論であるはずがありません。
まさに「先生は政治に秀でている」という会内部のすり込まれた心理プログラムが継続しているマインド・コントロールに気づくべきです。もちろん、これはガンコさんを批判していると言うより、過去の議論のなかでも同様の元会員の投稿は散見できた故についでに記すところです。

> 戒壇を建立…凶悪犯罪がなく…決して変るものではありません

当然すぎる話ですね。ただ建物が建つだけ、その宗教集団の権威が上がるだけ、それ以上、なにも変わりません。これは断言できます。もっと言えば、国民全員が日蓮を本仏と信仰しても平和は来ないでしょう。来るのは日蓮本仏以外を認めない独裁と全体主義という中世暗黒時代への逆行ばかりです。

この当たり前のことに、顕正会は気づけない。いや、浅井さんの息子辺りは気づいているのでしょう。しかし覆水盆に返らず、賽は投げられた以上、引っ込みがつかないと言ったところかも知れません。しかし、ととさん(はじめまして)も書かれていましたが、女子高生を煽動して、憲法改正、国教化、国立戒壇、まるで冗談か遊び半分で署名ばかりの100万人、「世間お騒がせの馬鹿騒ぎ」、もういい加減にすべきです。おままごとはおしまいにすべきですね。ところがまた来年の4月かに、前にもばらまいた冊子のばらまきをまた企画しているという情報があります。また、これを会員に買わせる商売をやろうというわけです。地に堕ちた商魂とわたしは批判します。

> 如何なることも、実際の問題に目を向けて、実践的に対処し取り組まない限りは、何も変らないということに、早く気づいてほしいと思います。

まったくそのとおりです。お題目だけではなにも変わりません。
掲げた目標を具体的にどのように進めていくか、その実践行動でしかなにも変わりません。

> 一時期、逃避が必要な場合もあります。しかし、逃避したままではいつまでたっても、何も変りませんね。

これもそのとおりですね。
信仰という仮想現実に逃げ込んで、観念の遊戯に耽るばかりでは、それこそ絵に描いた餅でしょう。国家の手に届かない国民の公共福祉に従事する故の非課税特権です。それをしないのであれば、宗教法人法に違反することになります。対社会への実践を各宗教団体は違法性があるとわたしは言いたいほどです。その閉鎖集団をシェルターに模せば、仮想現実はやがて現実と区別が付かなくなります。会員は、このような精神状態が異常か正常か、よくよく呻吟自問してみる必要があります。

> 陳情に行った僧侶方が、背広姿だったことです。

これは実はわたしも驚きました。
石山のアナウンスで、袈裟衣は漫荼羅本尊御前の正装だそうで、その他は着ないということでした。おかしな話です。

やや、話はずれますが、身延山久遠寺の自負は四六時中、山中のどこかで唱題の声が絶えないことであるといいます。朝昼夕ばかりではなく、夜通し、いつもお題目の声が絶えないということです。換言すれば、あの山中は365日24時間、修行者を受け入れているということです。わたしは延山信者でも何でもありませんが、その有様を、あるべき姿と思います。

それに比し、石山といい、末寺といい、朝の勤行で開門、夜の勤行、あるいは会合後は閉門しておしまいにします。そのあとは袈裟ばかりではなく、出家である身分まで脱ぎ捨てて在家と変わるところがありません。「陳情に背広姿」も、その延長にある話なのでしょう。まあ、これは顕正会の実態とはややずれる「冨士大石寺」と顕正会が宗教法人の届け名とは別に自称する部分に掛かる問題ではありますが。

わたしは、アネモネさんの、その当たり前の感覚をここに披瀝くださり、学会を含む石山系集団が如何に非常識、夢想と独善に陥っているかの証左を示してくださることを、今後とも期待するものです。

159犀角独歩:2003/12/15(月) 16:28

【158の訂正】

誤)対社会への実践を各宗教団体は違法性があるとわたしは言いたいほどです。
正)対社会への実践のない各宗教団体は違法性があるとわたしは言いたいほどです。

160ガンコ:2003/12/15(月) 16:42

日蓮正宗顕正会第二十六回総会における会長講演(抜粋)

そしてついに今、自界叛逆すなわち内乱が、すでに影ではなくてその姿を現してきたではないか。それが日本国中を震撼させた、あのオウム事件であります。
地下鉄サリン事件直後の三月度総幹部会で私は、このオウムを「宗教の仮面をかぶった内賊」と断定した。内賊とは内乱を起こす賊、国家顚覆を企てる賊ということです。
その通りでしょう―。
オウムは内乱の武器として、猛毒ガス・サリンを製造した。押収された原材料の量から推定すると、一億人以上を殺せるサリンを作ろうとしていたらしい。
また、ボツリヌス菌という、一グラムで一千七百万人の命を奪うとされる猛毒細菌の培養も手がけ、培養タンク二基を設置していた。警視庁の調べに対し遠藤誠一容疑者は昨日二十日、「細菌兵器も完成寸前で、大量培養に取りかかるところだった」と供述しております。
さらに自動小銃や爆薬も作り、ロシアからは軍用ヘリコプタと小型潜水艦を買い付け、さらに戦車・ロケット砲・ジェット機・核弾頭の購入計画まで立て、ロシアで軍事訓練も受けていた。
そして国家顚覆の暁にはオウム王国を作るとして、麻原彰晃を唯一絶対の統治者とする憲法草案まで準備していたという。
これらを見れば、オウムのめざすところは、まさしく大量殺戮兵器を用いて日本国家と戦い、国家を顚覆することにあったことは一分の疑いもない。
その予行演習が松本サリン事件であり、地下鉄サリン事件であり、また犯人こそまだ特定できないものの国松警察庁長官の狙撃事件だったと思われる。
彼等のたくらみは一見荒唐無稽にも見えるが、すでに松本と地下鉄では十九人を殺し、五千数百人を負傷させている。これだけでも、未だ曽て見ない大規模・残忍な殺戮です。
その上に彼等は、本年十一月にいよいよ本格的戦闘を起こす予定だったらしい。もしこれが行なわれていたら、どれほど大量の犠牲者が出たことか、そしてもし一都市・一町村の住民すべてが人質に取られるなどしたら、政府はいかなる譲歩をも強いられるではないか。国家顚覆も夢ではない。
まさにオウムのやったこと、なさんとしていたことは、内乱そのものなのであります。
ゆえに法務・検察当局は、内乱罪の適用を真剣に検討していたのです。刑法七七条の内乱罪というのは、政府顚覆を謀ったり、国土のある区域を占領して領土権を侵害するなど、国家の基本組織を破壊する目的で暴動を起こした者に適用される法律であるが、明治四十年に刑法が制定されて以来、これまでに一度も判例になったケースがない。戦前のあの二・二六事件ですらこの内乱罪は適用されなかったのです。
ところが今回のオウムに対しては、この五月七日までに、法務・検察当局によってその適用の検討が始められた。ことの深刻さを思うべきであります。
しかし、内乱罪の適用には総理大臣の決断が不可欠である。これはいまの村山首相には望むべくもない。そこでとりあえず殺人罪を適用して麻原逮捕ということになったが、これは単なる殺人というような犯罪レベルの事件ではない。まさしく国家破壊をめざした武装蜂起です。これを内乱といわずして、どこに内乱があるのかと私は言いたい。まさにこれが仏法でいう自界叛逆なのであります。

161犀角独歩:2003/12/15(月) 17:03

> 160

ああ、やはり、自界叛逆“オチ”にしていますか。
それで、これを免れるためには顕正会の言う如く、国立戒壇の建立しかない、日蓮は悪しく敬えば日本は滅ぶ、とこう講釈を垂れて会員を煽る道具としているわけですね。

では、実際のところ、被害者となった人々に具体的に何をしたのかということが問題にされなければならないわけです。これは同じ年に起きた阪神淡路大震災罹災者に対しても同様です。

顕正会はそれら被害者にどのような支援・救済の手を差し伸べたか、わたしは156の心者雖念不直相鴨さんに引き続き、質問させていただきたいと思います。

162ジャンノレン:2003/12/15(月) 17:40
横からすいません。ちょっとガンコさんの発言で面白い同一性を見つけたものですから。
それは浅井さんのオウム事件に関してのコメントの趣旨がです。

>国家?覆の暁にはオウム王国を作るとして、麻原彰晃を唯一絶対の統治者とする憲法草案まで準備していたという。
>これらを見れば、オウムのめざすところは、まさしく大量殺戮兵器を用いて日本国家と戦い、国家を?覆することに
>あったことは一分の疑いもない。

>これを内乱といわずして、どこに内乱があるのかと私は言いたい。まさにこれが仏法でいう自界叛逆なのであります。

これと同趣旨の事を某宗内過激団体の長が言ってましたね。
あれは「自界叛逆」だと、この後、必ず他国から戦争が起きるということを指導していました。
その前に自分の会社がやられてしまいましたが・・・・・。

ところで独歩さん、新宿で撒かれたあれは、そこの副幹部さんが絡んでいるヤツですよ。
私はちょっと、いわゆるそこのプロパガンダっぽい一つの運動ですから、しらけていますが・・。
しかし、手本にしているとは聞いていましたが、これは殆ど、運動方式から発言までパクリですね。

163犀角独歩:2003/12/15(月) 18:19

162 ジャンノレンさん:

お久しぶりです。
ビラの件、ご指摘有り難うございます。

> …副幹部さんが絡んでいる

て、どなたでしたか?

> プロパガン…しらけています

これはたしかに言えます。
それでも、こんな事件があったことを知らない人もいるということで、あくまで紹介ということで。もちろん、わたしはまるで運動に関与していません。

> 手本…運動方式から発言までパクリ

これは、どこを、でしょうか。

164ガンコ:2003/12/15(月) 18:33

>顕正会はそれら被害者にどのような支援・救済の手を差し伸べたか、わたしは156の心者雖念不直相鴨さんに引き続き、質問させていただきたいと思います。

まったく存じません。おそらく何もしていないだろうと思います。

これは一刀両断さんのほうが詳しいと思いますが、その昔、浅井はよく申していました。何かと申しますと、じぶんが入信したころだったですが、創価学会のほうでアフリカ難民のための街頭募金を大々的にやったことがあって、それに対してだったと思いますが、ようするに、顕正会ではそういうマヤカシはやらない、そんなものは根本的解決にはならない・・・といったようなことを言っていたと思います。
それで、まあ、いつも結論は同じなんですけどね。

165ガンコ:2003/12/15(月) 18:40

ところで独歩さん、
>もちろん、これはガンコさんを批判していると言うより、過去の議論のなかでも同様の元会員の投稿は散見できた故についでに記すところです。

ここで“元会員”とされた意図はなんでしょうか? 元会員すら是くの如し、況んや現役会員においておや、ってこと?

166ジャンノレン:2003/12/15(月) 18:56
独歩さん、こんばんわ。ご無沙汰致しております。

お尋ねの件は、チラシが手元にあれば、見て頂ければ一目瞭然です。
>> …副幹部さんが絡んでいる
>て、どなたでしたか?

これは被害者とされたお二人の一人、Sさんですね。チラシに実名が出ていると思います。

>あくまで紹介ということで。もちろん、わたしはまるで運動に関与していません。

そうでしょうね、だって仮に、独歩さんが絡んだら、天地がひっくり返りますよ(笑)

ちなみに、震災期、正宗寺院では近畿近隣(和歌山くらいまで)の法華講は炊き出しとか、服や食料を持って各非難小学校
に、毎週、行ってましたよ(あまり、知られていませんが)よく、お寺さんの人や在家の人と非難校舎で、談笑しました。
たしか、某講中も阪神大震災の時には、炊き出し行為で毎週、参加していたはずです。

そこでのエピソードは、さる小学校にオウムも来ていまして、テントを設けて食料配布していました。
キリスト教あり、仏教系あり、幸福の科学も来ていましたね。なぜかオウムは配っていても人気が無く
その直ぐ側で、某講中の人が和歌山の先生を、御尊師、御尊師様と呼ぶものですから、その先生がいやがって
「君ら、その言い方は辞めたまえ」と怒っていました。
まぁ、近くにオウムがいて「尊師、尊師」とはちょっと、やばいですよね。

>>手本…運動方式から発言までパクリ
>これは、どこを、でしょうか

そうですね、やっぱりあそこの頭目の終末論や同窓会名簿の総当たり勧誘でしょうね、K会から移った人は殆ど、
思想的に同じだと言いますね。私も見聞きする範囲では、H院出身でもあるし、影響は大きいのではないでしょうか。

167アネモネ:2003/12/15(月) 19:14
自界叛逆難とは、学会版の辞書からの参照では不適切かもしれませんが、
「仲間同士の争い、同士討ち、内乱、自国内の戦争などの難のこと。叛とは、そむく、わかれる、にげる、たがう等の意。薬師経の七難の一つ。−略」(仏教哲学大辞典 政教新聞社刊)
とあります。
要するに浅井さんは、国家が日蓮正宗を国教化し、国立戒壇を建立しないから、オウム事件が起きたとでもいいたかったのでしょうけれども、まあしかし、仲間同士の争い、内乱とは、まさに顕正会、創価学会、法華講…これら石山系の姿そのものとも思えますね。
自分たちの自界叛逆難を棚上げして、「自界叛逆すなわち内乱が、すでに影ではなくてその姿を現してきたではないか。」もないものと思います。

>そして国家顚覆の暁にはオウム王国を作るとして、麻原彰晃を唯一絶対の統治者とする憲法草案まで準備していたという。

この考え方は、顕正会の日蓮正宗の国教化や戒壇建立と、思想的には同列のものだと思えますね。
国家転覆、オウム王国建設という信念が、誰によって刷り込まれ、どうしてサリンを蒔くといった殺人行為が、仏教の大儀のもと正義と確信されてしまったのか。そこについて敢えて触れられていないところなど、同じ思想構造にあることを浅井さん本人が、よーくわかっていらっしゃるようにも思います。

>これを内乱といわずして、どこに内乱があるのかと私は言いたい。まさにこれが仏法でいう自界叛逆なのであります。

灯台下暗しで、自分たちの信仰に、内乱がありますでしょうね。
まず、自分たちの信念体系の正当性の誇示のために、社会への憎悪が煽られています。オウム事件の取り上げ方にしても、社会への憎悪を煽る内容といえるでしょう。
信仰の社会還元という意味においても、社会に対する問題意識を持つことは、決して悪いことではありません。だけど、それが憎悪に駆り立てられるものであっては、慈悲の仏教の体現には、とうていなり得ないでしょうね。

168アネモネ:2003/12/15(月) 19:15
(つづき)
オウム事件の実行犯に駆り立てられた人たちの、強い信念構築の背景には、組織からの粛清の恐怖というのが常にあったわけです。見せしめに殺された信徒もいたわけですから、従わなければ明日は我が身と強迫観念に陥れば、正常な判断能力は自ずと疲弊していきます。
それと同じことが、石山系でも行われてきているわけです。もちろん、殺害といったことは行われてはいません。しかし破門や除名とは、信徒にとっては粛清や処刑と同じくらい信仰上の抹殺という処遇といえるでしょう。その恐怖に煽られて、自分の意見を押し殺して、常にトップに従い忠誠を誓わされる構図は、まさに恐怖政治といえるわけです。

たまたま、フセイン大統領の独裁恐怖政治の実態がニュースでまとめられていましたが、似たような思想背景が石山系にあります。組織信仰者にとって、破門や除名は、まさに公開処刑と同じ、信仰生命を断たれるようなもの。
だからこそ、ガンコさんじゃありませんが、頭のどこかで組織の不健全さはわかってはいても、やはり除名という心理的恐怖から、なかなか逃れられないわけですね。
組織からの除名の恐怖は、要するに、罰論に操られてもいますから、その恐怖から逃れるためにも、組織外の人を通して、仏教を聞くということは、心理操作を弱める意味でも、非常に大事なことだと思いますね。

しかし、日蓮正宗法華講では、オウム事件については、ほとんど何もきちんとしたことは語られていなかったですね。>156で、心者雖念不直相鴨さんが紹介してくださった内容にあるように、なんだか「我関せず」の姿勢でしたね。信徒の人も、邪宗の現証みたいなことで、その先は何も考えてはいませんでした。
オウムの施設は、同じ富士山にあって、大石寺からも遠くはありません。戒壇建立の地とする山にオウムがあるというのに、なんだか、能天気な印象を受けたものです。
しかし、結局、振り返ってみると、オウムを検証するとき、そこに横たわるものは、信徒を恐怖で煽るマインドコントロールであり、そこを追究することは、独自組織の自己批判をも意味するところでありますから、とうてい批判はできないでしょう。その矛盾を突かれることを避け、おとなしの構えを決めていたことがうかがえます。
謗法、邪宗の現証と、ただ繰り返すだけだったと思い出されます。信徒も口移しで、そう繰り返るだけで、何も考えてはいなかったですね。
御本尊対自分の世界だけに生きている、まさに現実の証という組織の実態だったと思い返します。

169Jルーカス:2003/12/16(火) 01:20
>>>手本…運動方式から発言までパクリ
>>これは、どこを、でしょうか
>そうですね、やっぱりあそこの頭目の終末論や同窓会名簿の総当たり勧誘でしょうね、K会から移った人は殆ど、
>思想的に同じだと言いますね。私も見聞きする範囲では、H院出身でもあるし、影響は大きいのではないでしょうか。

とかく手本にすると、元祖を超えることがあります。
その某講中出身の方から聞いた話ですが、タウンページを上から順番にかけていくそうです。
「創価学会の○○さんですか」と言うわけです。相手が「違います」と言えば「失礼しました。間違えました。」と言って切るわけです。
「そうです」と言われたら、何とかアポを取る訳ですが、それに失敗すると「偽本尊拝んでいると死にますよ」と脅して切るそうです。
私の知人はその行為を見て、その講中から離れる決意をしたそうです。

さすがにあれが折伏とは思えなかったそうです。

170心者雖念不直相鴨:2003/12/16(火) 04:00
一刀両断さん:
ガンコさん:

詳細にわたるレスありがとうございました。
オウムの事件に関しては、当時業務上で直接的なかかわりがあり、対応に忙殺されていました。従って、発生時より刑事事件的な側面に関しては(一般報道を)逐一追跡していましたが、創価学会の組織からは離れていたため、当門流がどのような対応をとったのかに関してはまったく存じませんでした。朝、読、東京の三紙を通覧していた限りでは、当門流からの公的な(記者会見や代表者による声明といった形での)仏教教義上からの批判はなかったという記憶があります。
 一般紙にオウムの教義にある秘密金剛乗(タントラ・ヴァジラヤーナ)とは、悪行をなす生き物はポワ(殺害)して、より高度な位へと上げてやることが成就者の慈悲心であるとの説明がありました。一方で、真言を唱えたり、護摩を焚いたりする密教の実践を行う日本の真言宗や天台宗も、実は密教、すなわちタントラ・ヴァジラヤーナなのであるとの解説もありました。
 「なぜ、既成の仏教教団は教義上からきちんと批判をしないのだろうか?」と、疑問に思っていました。それが、前掲書(保坂俊司:インド仏教はなぜほろんだのかーイスラム資料からの考察―、北樹出版、2003)の序文を読んで、「やっぱり、誰も(どの教団も)公的には、きちんと教義上の批判はしていなかったのだな。」と、納得したわけです。

ガンコさんよりご紹介いただいた、日蓮正宗顕正会第二十六回総会における会長講演(抜粋)の内容も、自宗側からみた一方的な批判(レッテル張り)で、経典の内容に即した批判ではありません。「真言亡国」と切り捨ててしまうのではなく、内容を理解した上で批判できるような教学も必要なのではないでしょうか?
これは、オウム真理教(現アレフ)が 「既存の各仏教教団が、祖先崇拝など仏教には相容れない日本的土壌と融和し葬式仏教化・法事仏教化している中で、オウムの仏教観は「日本仏教の惰性と欺瞞をトータルに否定する苛烈な潔さ、ファンダメンタリズム独特の透徹した論理性を具備」(宮崎哲弥:仏教原理主義とテロルの理論、宝島30(6),pp42,宝島社)し、依然として一定数の若者を魅了し続けているという現実がある以上、重要なことであると私は考えます。
なぜ度脱(麻原のいう「ポア」)という考えが出てきたのか。度脱は本当に正しいのか?(間違っているのか?) 自分の言葉で考えて、説明できるような教学が必要だと思います。

171三吉:2003/12/16(火) 07:44
基本的に、宮崎哲弥さんのような時流やマスコミにのる半可通な知識人が
撒き散らすイメージ(祖先崇拝など仏教には相容れない日本的土壌と融和し葬式仏教化・
法事仏教化している)と逆の意味でのオウムの美化(日本仏教の惰性と欺瞞をトータルに
否定する)の影響で若者の一部にオウムがホンモノに見えたという構図がある
とおもいますけどね。彼ら知識人はサリンが発覚してなかったら、まだオウム
を伝統仏教と比較した上で褒めてただろうと思う。

172三吉:2003/12/16(火) 07:52
さて「祖先崇拝など仏教には相容れない日本的土壌と融和し葬式仏教化・
法事仏教化している」は、二つの視点から事実無根のデマである。

一、現代残っている仏教は、南伝も祖先崇拝と結合しているので、先祖供養
は、日本仏教の特質ではない。
二、「葬式仏教化・法事仏教化」は、江戸期民衆の「現世安穏・来世善処」
という願望に仏教が真正面から応えた結果であり、史実の釈尊も、
釈尊時代の民衆の「現世安穏・来世善処」という強い願望を踏まえて教えを
説いている。つまり一概に拒否しとらん。説かれ方は違えど、庶民の「現世安
穏・来世善処」という情を否定せず、教えに導くために利用している点は
おなじ。

173犀角独歩:2003/12/16(火) 11:49

165 ガンコさん:

> ここで“元会員”とされた意図はなんでしょうか

実際に元会員との議論であったからです。
具体名を挙げることはやめにしておきます。

「況んや現役会員においておや」は、たしかにそう思います。

それにしても「マヤカシ」とは笑止千万です。
人前で演説ぶっているだけで、なにもしない人間は軽蔑の対象以外の何ものでもありません。


166 ジャンノレンさん:

震災時、ジャンノレンさんもまた、支援に行かれたのですね。尊敬いたします。また、篤志の石山末寺僧、講員の活動にも同様に尊敬します。

その尊い個人の行動とは裏腹に「宗教法人日蓮正宗」が何をしたかということを問題にしてきました。たしか、法華講連合会としては義捐金を募ったことは記憶しています。

わたしが石山・法華講の見解でもっとも卑劣であると思ったのは、学会が顕師の印刷漫荼羅を焼いたから未曾有の災害が起こったなどとまことしやかに喧伝したことです。自然災害を自宗の肯定化に利用した挙げ句、敵対集団の攻撃に利用したうえで、自分たちは何もしない。阪神淡路大震災に対する日蓮正宗、ならびに法華講連合会の公式見解は血も涙も、一片の慈悲もない、冷酷無惨な印象を世間に与える以上のものではなかった、そして、信者には、罹災者の苦悩をよそに、罰の恐怖と、敵対者への憎悪を煽る道具とする以上のものでなかったことで、石山評価はまさに地に堕ちたとわたしは思います。もちろん、この点は顕正会も同様であったのでしょう。

なお、創価学会では以下のような資料があるようですが、その実際をわたしは確認しておりません。(もちろん、学会を肯定するという意味ではありません)

救援活動概要[レジュメ] 発行:[創価学会], [1995]. 2,3p:26cm
会議情報:国際宗教研究所公開シンポジウム / 主催等:国際宗教研究所
請求記号: 震災-7-v48. - MID:00005193 (パンフレット類)

174犀角独歩:2003/12/16(火) 12:15

167、168 アネモネさん:

自界叛逆難への切り口、言えていますね。
現在の顕正会、創価学会、日蓮正宗、まさに同士討ちそのものとはなるほど納得のいく観察と拝読しました。

これを敷衍して言えば、興門各派の分裂、ひいては五一相対もそうで、さらに言えば、日本仏教が各宗に分かれて自讃毀他を繰り返す様もそうであることになります。
寿量仏と無量寿仏に類型を見るわたしは、法華・浄土の争いは殊の外、滑稽に見えます。
なにか『宗論』のようなレスになりました。失礼しました。
http://www.tarokaja.com/list/shuron.htm

175ガンコ:2003/12/17(水) 08:31
心者雖念不直相鴨さんの、つねひごろのご投稿とその背景となる研鑽姿勢には、ひそかに驚嘆しておるばかりでありまして、とうていわたくしのようなものの遠く及ぶところではないと思っております。

>内容を理解した上で批判できるような教学も必要
>自分の言葉で考えて、説明できるような教学が必要

まさしく顕正会の実態を示す好例でありましょう。いまや顕正会員の大半が、他のあらゆる宗教を「謗法」の一語をもって片付けてしまうわけですから、当掲示板のみなさんとの乖離ははなはだしいものがあります。
さて、またしても浅井の言葉を紹介させていただきますが、これは通称「折伏理論書」と呼ばれている、自覚のある顕正会員が読んでいる本の、一部抜粋です。

では、幸福とは何か。“人によってさまざまである”などという曖昧なものではなく、万人に共通する普遍的幸福とはいったい何であろうか。
これを解く鍵は、人間にとって最も大事なもの、貴重なものは何かということにある。
いうまでもない。人間にとって最も大事なものは、我が生命である。大聖人の御指南を拝してみよう。
「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれを延るならば千万両の金にもすぎたり」(可延定業書)
「有情の第一の財は命にすぎず、此れを奪う者は必ず三途に堕つ」(主君耳入此法門免与同罪事)
「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、『遍満三千界無有直身命』と説かれて、三千大千世界に満てて候財も、いのちにはかへぬ事に候なり」(白米一俵御書)
人間にとって生命ほど大切なものはないとの仰せである。ゆえに人はこの命を失うことを、何よりも恐れる。
「世間に人の恐るる者は、火炎の中と、刀剣の影と、此の身の死するとなるべし。牛馬猶身を惜む、況や人身をや、癩人猶命を惜む、何に況や壮人をや」(佐渡御書)と。
以上の御指南を拝するならば、幸・不幸の本質が明確になるであろう。 ―引用終了―

かくもふんだんに御書が引用されているにもかかわらず、うっかりすると顕正会員は御書の部分をすっ飛ばして読んでしまっている・・・そういう人が少なくないとわたくしは感じています。してみれば、法門無尽誓願智にはほど遠い現状といわざるを得ません。

176ガンコ:2003/12/17(水) 08:32
アネモネさんより宿題をいただきながら、いまだに果たせずにいること心苦しく思っております。

かつて議論になったことと、いまの議論と、共通する点が見いだされますので、いまだじぶんの言葉で申し上げる力はありませんが、浅井の立正安国論謹講より、抜粋・引用させていただきます。

―引用開始―
さて、釈尊が過去世において国王たりし時、謗者の命根を断ったというのも、いつに謗法を禁めて正法を護持するためであり、また大慈悲のゆえである。
大慈悲のゆえに命を奪うというのはおかしく聞こえるかも知れぬが、よくよく考えれば、謗法者は知らずとはいえ自らの仏種を破壊せんとしているのだ。この自らを殺す非行を命根断絶により救済する。すなわちその色心を断じて慧命を全うさせるのである。またこれ以上の悪業をなすを許さず、命根断絶して未来の堕獄を救うのである。されば殺にも憤怒・残忍から出るものと、このように慈悲より出るものの二つがあるを知るべきである。
しかしここで注意しなければならないことがある。それは、このような謗法者に対する命根断絶という行為は、国主・国家権力がなすべきことであって、個人は絶対にしてはならない。ゆえに涅槃経にも、釈尊が過去世において国王であった時の行為として説かれているのである。
また時代によっても適・不適がある。後段に御指南があるが、釈迦以前においては命を断ずることが説かれているが、釈迦以後の時代・社会においては、その施を断つことを以って断命に代えるのである。
これは謗法者の命を断ずること自体が本意ではなく、あくまでも謗法を禁断することがその目的であるからである。
―引用終了―

なお、わたくしが所持している「立正安国論謹講」(浅井昭衛著)は昭和六十三年版ですので、近年発刊された最新版とは内容が異なるかもしれません。

177心者雖念不直相鴨:2003/12/18(木) 05:55
>175 ガンコさん:

いつも、ご懇篤なレスをいただき、ありがとうございます。

>まさしく顕正会の実態を示す好例でありましょう。いまや顕正会員の大半が、他のあらゆる宗教を「謗法」の一語をもって片付けてしまうわけですから

私も、まさにその一人でした。富士門流のどなたかが、経文を引いてオウム真理教を明快に破折してくださっていたら、今もそのままだったと思います。

>かくもふんだんに御書が引用されているにもかかわらず、うっかりすると顕正会員は御書の部分をすっ飛ばして読んでしまっている・・・そういう人が少なくないとわたくしは感じています。してみれば、法門無尽誓願智にはほど遠い現状といわざるを得ません。

人間本当に切羽つまらないと、なかなか勉強はできないような気がします。私も、若い頃は教学試験の勉強くらいしかやりませんでした。独歩さんの「日々雑記」
「一切衆生皆成仏道と言った責任」
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/
を読み、これではいけない、と発心したわけですが、自分のどこにこんなエネルギーがのこっていたのかと驚いています。
創価学会で入信当時お世話になった先輩が、以前破廉恥事件をおこして除名になりました。事件の内容が内容だけにやむをえないと(当時は)思ったのですが、同じような事件が頻発し、しかも教義自体にその原因があるのではないかとの指摘に大変なショックを受けたわけです。
生まれて初めて、本心から教学を勉強しなければと思いました。
当分はオウムの問題も含めて、「宅間守と..」のスレッドで、「不殺戒」の問題を考えていこうと思っていますので、よろしくお願いします。

178心者雖念不直相鴨:2003/12/18(木) 06:18
>171,172 三吉さん:

はじめまして。レスありがとうございました。宮崎哲也さんに代わって私がお答えするのも、おかしいのかもしれませんが、引用責任がありますので愚見をのべさせていただきます。

> 二、「葬式仏教化・法事仏教化」は、江戸期民衆の「現世安穏・来世善処」という願望に仏教が真正面から応えた結果であり、史実の釈尊も、釈尊時代の民衆の「現世安穏・来世善処」という強い願望を踏まえて教えを説いている。つまり一概に拒否しとらん。説かれ方は違えど、庶民の「現世安穏・来世善処」という情を否定せず、教えに導くために利用している点はおなじ。

江戸期民衆の云々に関しては、三吉さんのおっしゃるとおりかもしれませんが、「葬式仏教化・法事仏教化」は「昭和・平成期民衆」の苦悩・願望をとらえきれず、その要求に真正面から応えていない結果ではないでしょうか?
「教えに導くために利用している点はおなじ。」についても、おっしゃるとおりかもしれませんが、ともすれば法会が業者の都合を優先したりして説法に十分な時間が割けず、その点に不満を感じている人(壇徒)も多いとの新聞記事を目にしたこともあります。

179三吉:2003/12/18(木) 07:50
心者雖念不直相鴨さん おはようございます。 突然の横レス失礼いたしました。

「伝統仏教駄目。オウムいい」という言説がサリン前、マスコミや若手知識人の間でハヤッテイタような記憶があります。
先祖供養として仏教に接する者にたいしては、伝統仏教は「先祖供養」としか見えませんが、仏法を求めるならば、伝統仏教は、仏法で応えると思います。

私の先祖の墓は日蓮系の法華宗の寺にあるのですが、私の親が墓参りに熱心ではありませんでしたので、代わりに塔婆供養に行ったものですが、先祖供養として寺を把握していた私は、ついぞ日蓮さんが何をおっしゃり、法華経がどういう経典なのか、寺に行きながら、まったく関心を持ったことはなかったです。でも実家を遠くはなれ、寺にも行かなくなり、私の分の塔婆供養を親にお願いするようになって、すこし仏教に関心を持ち出してから、仏教に関心ある目でお寺をみますと、定期的に「法華経」講座は行われているのにきづきました。たぶん昔からされたのでしょうが、関心ない私はきづくことはありませんでした。

180心者雖念不直相鴨:2003/12/19(金) 02:56
三吉さん:

>先祖供養として仏教に接する者にたいしては、伝統仏教は「先祖供養」としか見えませんが、仏法を求めるならば、伝統仏教は、仏法で応えると思います。

先祖供養は祖先を尊崇する気持ちの強い日本人にふさわしいきっかけだと思います。
私と仏教との出会いも、「ご先祖供養の霊友会」に入信させられ法華経を読授させられたことが、その始まりでした。
ただ、「ご先祖供養」では、だんだん人を引き付けられなくなったせいか、その後「インナートリップの霊友会」というキャッチフレーズにかわってしまいました。インナートリップとは「内的世界の探求」とでも言った概念でしょうか?

「デフレ」、「失業」、「就職難」、「イラク戦争」と問題は山ほどあり、「苦」も山ほどあるのに、伝統仏教がこれに対する「発信能力」を失っていることが大きな問題かと思います。

かつては、社会の諸矛盾に対抗し「救済活動」を行おうとすると、必然的に「僧侶」という形をとらざるを得ないような時代があった。しかし、それが専門化し、分化し葬儀や法事を除いてはほとんど手元に残らなくなった。それが、現状なのでしょうか?

181犀角独歩:2003/12/23(火) 19:52

177 心者雖念不直相鴨さん:

遅まきながら、

> 「日々雑記」
 「一切衆生皆成仏道と言った責任」
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/

お読みいただいていたのですか。有り難き極みです。
改めて御礼申し上げるものです。

182真如会:2004/01/04(日) 03:10
学会も顕正会も同じ、聖人の面汚し

183Jルーカス:2004/01/12(月) 01:01
顕正会では、4月から国家諫暁を開始するそうです。
浅井会長が書いた「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅びる」を大量に配布し、上は小泉首相から下は小学生に至るまで全国民に知らせる未だかつてないスケールの戦いを展開すると言われてますが、これって数年前の「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず滅ぶ」を配布した時と余り代わり映えしないように思うのですが、どうなんでしょうか。

184ガンコ:2004/01/12(月) 14:48

一国諌暁についての現時における所感

悲しいことに、末端会員は巷間とびかっている情報以上のことを何ら知らされていない。
近年、入信した者たちは期待と不安でむねをふくらませているかもしれないが、平成九年の一国諌暁を知るものはその立場によって思うところはさまざまなのだろう。
わたくしなどは、まったく期待というものを懐いていない。
正直、前の諌暁と代わり映えがしない、という論評にかなり共感をもってしまっている。
いわゆる平成九年の諌暁は、顕正会五十万を背景におこなわれた。そして今回は顕正会百万を背景に起こされる戦いという。
単純に考えれば倍増であり、まったくスケールを変えた諌暁になると思われる。じじつ、浅井先生の起こされる戦いは、ある意味でつねに会員の意表を突いてきたところがあって、今回の諌暁でも何かわれわれの思いもつかない秘策を考えていらっしゃるかもしれない。反対勢力にしてみても、この辺は想像のつかないところだろう。
しかし、それはそうなのであるが、顕正会の実質的勢力は倍増というところまでいっていないのではないか・・・という点はみごとに反対勢力に見破られてしまっている。
広宣流布の最終段階といわれているが、本気でやるなら今はようやく広宣流布のスタート地点に立つことができた、と考えるべきとも思う。もちろん折衷案的にいえば最終段階の幕開け、ということなのだろう。
日本には時間がない、というのも先生の口癖であるが、急がば回れ、という言葉もある。
すでに、多くの批判者が指摘するところをわたくしなりに申せば、百万までの顕正会はある意味、自覚のない顕正会員を増大させてきたといわざるを得ない。
百万を達成する何年も前から、気の早いことに一千万を口にもしているが、これ以上、自覚のない会員ばかりを増やしてどうするものか。というより、今の手法はもう限界と見るのが妥当であろう。おそらく、今のままでは二百万すら何年先になるか、わかったものではない。
先生の諌暁書の内容は、平成九年の延長線上のものであることは容易に想像がつく。すなわち、巨大地震と国家破産について、最新のデータを駆使してお書きになられることは間違いない。そして、この問題は深刻である。一部の批判論者は、ことさらこれらを矮小化するがそれはどうかしていると思う。
むしろ、わたくしの考えを申せば、まじめな国民は誰もが考えているところであろう。しかし、それが、いったい、どうして日蓮大聖人の仏法と関係するのか・・・現代感覚ではとうてい及びもしないところであって、先生にしても、そのことは百も承知であって、諌暁書執筆に当たってはずいぶんと悩まれていることだろうと思う。
結局のところ、先生の諌暁書について、いわゆる社会時評的な部分に関しては多くの共感を呼ぶのではないかと想像するが、さりとて、日蓮大聖人の仏法を信仰しなければならないとする、その切迫性までに思い至る人間は少ない・・・というのが現状であろう。

185犀角独歩:2004/01/12(月) 17:17

> 諌暁書…社会時評的な部分に関しては多くの共感を呼ぶ

そんなことはないでしょう。
社会時評的に共感を持つと思うこと自体、顕正会経験者の‘思い込み’に過ぎないでしょう。今回の‘本の販売’に関しては、先の倍する利益が見込めるという2匹目の泥鰌以上の意味は何もないでしょう。

さて、広宣流布の総仕上げとはいったい何の夢物語なんでしょうか。
以下はわたしは真筆と思いませんが、顕正会ではそう扱うものです。
この‘金言’に即して、どこが総仕上げなのか、いやはや、いつまで下らない騒ぎを繰り返して、商売するのはいい加減にやめるべきでしょう。

「広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」

署名・勤行した人間が100万人になったぐらいで、広宣流布の大騒ぎ、商売の宣伝ももっとうまくやればいいのです。まったく笑止千万です。

186ガンコ:2004/01/12(月) 18:37

うぅ。

187一刀両断:2004/01/12(月) 23:57
平成九年の諌暁書は、会員は一冊二百円で大量に購入し、友人・知人に多く発送、若しくは手渡しがなされました。
それを総幹部会では、幹部が得意げに「私は何万部購入した」とか「何千部追加した」などと会員への大量購入を促し、また手応えや反応を登壇させ、両手を挙げて喜んでいたわけですが、実際のところ、全く何ら効果を得られなかった、というのが実情でしょう。
新聞紙面において大宣伝を行い、当時の会員を大量動員させた結果として、何かが変わったわけでも何でもありませんでした。
今回もまた同様の内容で、同様の手段を使用する可能性が考えられますが、実態は顕正会内部での自己満足でしかないでしょう。
ただ平成九年の諌暁書に関しては私は一つだけ不明の事があります。
それは本屋において販売されなかった、ということです。
これについて顕正会では「学会が妨害した為、発売日ギリギリで出版差し押さえされた」と主張していますが、現在においてもこういった出版差し押さえのような行為が果たしてできるのかと考えたものです。
いずれにせよ、考えられる方法は全会員動員しての頒布活動が主軸になるのでしょうが、何ら効果は得られないというお粗末な結末を迎えるのでしょう。

188Jルーカス:2004/01/13(火) 00:17
200円×1万部でも、200万円か。
出費だね。
いや、郵送料もかかるのか。

189一刀両断:2004/01/13(火) 10:37
送料に関しては会が第三種郵便扱いとし、会員負担ではなく会の負担となっていたはずです。
しかし機関紙にしても、諌暁書にしても、実働会員にとってはとてつもない負担額にはなるわけです。
機関紙などは五月に会が推進月として躍起になって購読推進をするのですが、各組織5%から10%の増加を誓願とされるわけです。
前年度100部なら110部を目指して、毎週定例報告において厳しく推進度をチェックされるわけですが、名簿会員ばかり増加してしまう現状では、5%増しなど、幹部にはかなりの負担になってしまうわけです。
実際のところ、総幹部会や御書講義といったビデオ放映も含めての参加動員数は99%本部側で掴んでいるわけですから、活動会員が増加していない事は重々理解しているはずなのですが。
それでも尚、強烈に推し進められる理由は一体何なのだろうと疑問視するところです。

190Jルーカス:2004/01/13(火) 10:55
一刀両断さん

> 送料に関しては会が第三種郵便扱いとし、会員負担ではなく会の負担と
> なっていたはずです。

これは認識の間違いです。
送付のための封筒は会が無料で配布しましたが、第三種郵便料金(84円)は
会員負担だったそうです。当時の会員が持っていた当時の顕正新聞に1冊の
場合○○円、2冊○○円等と、個人負担であることがはっきりと明記されております。

さて、いずれにしてもこれはかなりの売り上げになる訳です。
知っての通り、毎年の広布御供養は上限が決まっておりますが、この書籍に
関しては上限が無い訳ですから、こぞって購買する訳です。
つまり、上限を撤廃した資金集めの意義があるのだと思います。

191犀角独歩:2004/01/13(火) 11:04

一人で1万部ですか。それはすごいですね。
顕正会が販売する本の印刷部数は何万などという単位ではないでしょうね。
100万、あるいは1000万という単位ではないでしょうか。
100万人会員というわけですから、名簿だけになった会員には勧誘者は、購入させられて送ることになるでしょうし。そうなるとこの販売利益はどれくらいになるのか。そもそも浅井さん一家というのは石山の出版物を扱っていた印刷屋であったわけですから、かなり安価に印刷を行うことができるでしょう。

さて、どれほどの出版利益を見込んでいるのか。興味があります。
頒価200円で100万部であれば20億円。大量に印刷すれば、一冊原価は数十円でしょう。それを差し引いても莫大な利益が上がることになります。なんてことはない、この出版利益にこそ目的があるのでしょう。
ちなみに学会が石山と喧嘩を始めた年、あの団体は前年比37%も出版利益を伸ばしました。

これら団体にとって、人々の憎悪、恐怖感、切迫感は、イコール、金になる仕組みです。イラク参戦その他で日本が騒然としてるときに、人心を煽り、金儲けをするこの団体のやり方を、わたしはあくどいと思います。

> 本屋において販売されなかった

出版流通については、わたしは学生の頃から関連し、いまに至っています。
書籍・雑誌が一般書店に流通するためには条件が満たされない限りできません。
その第一は、出版する者が‘流通コード’を取得しているかどうかという点です。
書籍の販売は一部の例外を除いて流通業を経由しますね(例えば、ニッパン、トーハン)これらの中間業種を経由するために流通コードが必要なわけです。
しかし、この取得は至難です。果たして顕正会が取得できていたかどうか。
いま、日本図書コード管理センターの‘出版社検索’で「ケンショウカイ」「フジタイセキジケンショウカイ」で検索してみましたがヒットしませんでした。
http://www.isbn-center.jp/cgi-bin/isbndb/isbn.cgi

出版社記号、流通コードすら、取得していないとすれば、当初より書店流通するための当然の手配は何も行っていなかったということでしょう。

仮に取得できていれば、原則的には一般書店への流通は可能と言うことになります。
例の本には、裏表紙にISBNコードと13桁の数字が付されたバーコードは付されているのでしょうか。
もし、その印刷がなければ、その本は当初から流通を考えていないものということになります。
この取得がない場合、そのコードを取得している出版社の名義を借りることになります。この場合、その出版社名は奥付に明記されなければなりません。もちろん、この場合もINBSコード、バーコードは印刷されているはずです。

以上が明記されていたのであれば、当初はたしかに一般書店へ流通する目的があったことになります。なければ「嘘」ということでしょう。しかし、出版社記号すら登録されていないとすれば、真っ赤な嘘ということになります。

さて、学会がそれに圧力をかけることが可能かどうか、出来そうな話だと思いますね。
しかし、それが事実であれば、それこそ、裁判でも何でも訴えて所期も目的を果たせばよいわけです。それをせず、創価学会のせいにする話法に問題はあります。

これまた、余談ですが、昭和45年、創価学会は言論出版妨害を起こし、世間の厳しい批判を受けることになりました。その結果、田中智学の影響を受けた戸田教学の廃棄を余儀なくされ、世間面としては政教分離を謳うことになりました。これ以降、かなり長い間、大手書店では創価学会出版物をオミットしました。わたしは学生時代、神田に本店のあるS書店でアルバイトをしていたのですが、学会書籍は置かない方針で一貫していました。

ですから、仮に顕正会が版元となり流通コードを取得して、正規のルートで流通を図ろうとしても、書店は、その‘商品’は扱わないことは起きます。
また、新刊は毎日大量に発行され、流通業者は割当で各書店に送りつけます。それを全部、店売に出せるわけはありません。気に入らなければ、その時点で返品します。

仮にあの手の本が新刊配本されてきても、置こうと考える書店は、まずないでしょう。
即返品の憂き目に遭うだけです。これは学会の圧力以前、書店の嗜好の問題です。

もし顕正会側が「一般書店に置く」と言っていたとしたら、以上の業界常識を知らない人々を当初から欺くためであったか、あるいは、その常識を知らなかったかどちらかでしょう。

192ガンコ:2004/01/13(火) 14:20

平成九年七月十六日の朝刊各紙に顕正会の広告が載っていたのは間違いありません。
そして、諌暁書が全国書店にて一斉発売になる・・・はずであったが、どこの本屋にも諌暁書は見当たらなかった。
どういう手違いがあったのか、それはわかりませんが、後日、店頭に並べられたことは事実です。
なにしろ、わたくしは本屋で五部、買いましたからね。
流通コード云々はよく存じませんが、すでに顕正会では国書刊行会から二冊出版してましたので、実績はあったわけです。

わたくしが当時、考えていたのは、定価千円で出している本を内部では二百円で売っていた、これはよくないのではないか、つまり、出版社に対して申し訳ないことをしているのではないのか、と思っておりました。
あの本は、薄っぺらかったですから、書店で平積みになっているときには目立ったけど、本棚に差し込まれてしまうとぜんぜん目立たなくなってしまう。はっきりした記憶ではありませんが、本屋に置いてあった期間は短かったですね。

本の売れ筋ランキングの常連として、池田大作氏とか大川隆法氏がいますけど、池田氏は別格にしても大川氏あたりは何か細工を施しているのではないか、っていう気がするのですが・・・顕正会でも、一万部も買ったというつわものがいるのであれば、むしろ積極的に一般書店での購買運動を展開するべきではなかったのか、そうすれば出版社の顔を立てることにもなるし、ランキングの上位に入って注目をあつめることもできたのではないかと思います。
そして、なにより、長い期間、書店に並べられていることのほうが強力な宣伝になるでしょうし。

ちなみに、いま顕正会で売っている平成九年の諌暁書は、国書刊行会の名前を抜いてしまって、バーコードもついていないと思います。(手元にないので、未確認ですが)

193一刀両断:2004/01/13(火) 15:47
Jルーカスさん
全くその通りです。私の記憶違いのようでした。失礼いたしました。
当時、私自身は数冊購入して、結局郵便での送付は行わなかったので、そう思い込んでいた。

ガンコさん
そうですか、書店に並びましたか。
私には書店で購入したという者や、置いてあるのを見たといった報告をしてくるものがいませんでしたので、本屋には置かれず終いだったと認識していました。
ガンコさんのおっしゃる通り、確かに国書刊行会から2冊出版されており、諌暁書なるものも同出版社から出る予定だったと記憶しています。
ということは、実際に独歩さんが指摘されるように書店側で拒否したのかもしれませんね。
当時直接書店にて取り寄せるように申し込んだ人でもいれば、どのような形であの書物が扱われていたのか判るのでしょうけれども。

また、実際に二百円で会員は購入できるのに一般の人は千円と、頒価に相当の開きがあったわけですが、その価格差が結局会内部での購入してしまう原因だったのでしょう。
しかし、今となってしまえば、あの時会員達が自分の部屋を倉庫のように足の踏み場もない位に山積みにしていた「諌暁書」は、今回の「諌暁書」配布が事実であるならば、一体何の意味を持っていたのか疑問に思うところです。
改めて会長が書き下ろすか、若しくは手を加えて改訂版のようにするのか不明ですが、五十万を背景にしようとも百万を背景にしようとも「諌暁」は「諌暁」なのでしょうし、今度の「諌暁書」に真新しい目を見張るような内容が記されている可能性も期待できないでしょう。
とすると、一体平成九年の全会員総動員の「諌暁書配布」は何ら効果をもたらさなかった事を自ら認めていることにもなりかねませんし、効果どころか何の意味すらもたなかったのではなかろうかとさえ思えてなりません。

194Jルーカス:2004/01/13(火) 20:15
ガンコさん
一部の書店に並んでいても、正式に流通しているとは限りません。
個人的な縁故で、一店一店回って置いていただく方法もあるわけです。
所謂、日販等を通すのは独歩さんが言うように、条件が必要な訳です。
後は、顕正会が足で営業して、置いているのでしょう。
とても全国書店で云々と言う規模ではありません。

195菱村正敏:2004/01/14(水) 06:50
こちらの地元の丸善には一冊だけ置いてありましたよ。立ち読みさせてもら
いました。

 流通云々は意識したことはありませんが、とりあえず、事実のみ。

196ガンコ:2004/01/15(木) 16:31

前回、ずいぶんと間抜けなことを書いてしまったものだと、いまごろになって気がつきました。

ひとりで一万部購入した人がいるという話があるけど、そうすると二百万円の出費である。じぶんは、同じ二百万出すなら、書店で二千部・・・つまり、定価千円ですから、これで二百万円分になる、そのほうが効果が大きいのではないのかと思ったわけでしたが、よく考えてみると、浅井先生ほどの方であれば、そんなことは当然わかっていただろうということです。
しかし、ただでさえ、商売だの、金儲けだのと、言われてしまうんですから、もし、書店での大量購入を会員に指示するようなことをすれば、それこそ批判者らに格好の材料を提供することにもなりかねないわけで、おそらくは、そうしたことも考慮して、ああいう方式をとったのだろうと思います。

なお、顕正会ではじめて書店に本を出した時、先生はおおむね次のようなことを会員に申されました。すなわち、本を書いても本屋さんで扱ってもらえるかどうかが問題で、顕正会には実績がないので普通には本屋に置いてもらえない、そこでみなさんにお願いしたいのだが、それぞれの住む町の書店に注文書を出してもらいたい、それが全国的にたくさん集まれば取り扱ってもらえるようになる云々。(取意)

おそらく自費出版やなんやで本を出したがっている人は五万といるのでしょうけど、本屋さんも商売だから売れる見込みのない本は置かないわけです。しかし、あのころ、まだ今よりも顕正会は小さかったけど、その本は大きな書店では平積みになっていたし、また、全国的には一位になったかどうか記憶がありませんが、顕正会員の多い地域では一位になるほど売れました。わたくしも十冊買いました。

そして、先生が次にお書きになった本の時は、会員に対して上記のような発言をされることもなく、当たり前のように書店に並べられました。この時はわたくし、一冊しか買いませんでした。

今回はいったい、どういう方法をおとりになるものか、不明の点が多々ありますが、いずれにしても、先生のおやりになることは、もう、それこそ、やることなすこと、すべて批判されちゃうんですから、ああ、先生もつらいなあ、ってわたくし思っております。

197犀角独歩:2004/01/15(木) 19:08

196でガンコさんが紹介した浅井さんの言ったやり方で書店販売して布教したのが幸福の科学ですよ。また、学会も新聞社から出した『池田大作全集』の販売の際、この方法を採りました。もし、浅井さんが本当にこんな発言をしているとしたら、まさに二番煎じ(爆)

そもそも日蓮の遺言を受けて広宣流布をしようなどという大志を抱く者が本の販売なんかを当てにするようじゃお話になりません。

本の販売は商売。正確に言うと宗教法人に認められている収益事業33種の筆頭・物品販売業に当たるものです。広宣流布ではありません。国が宗教法人に認めた収益事業の一つです。収益事業=商売=営利追求です。お間違いなく。

http://www.hi-ho.ne.jp/yokoyama-a/syukyohoujin.htm#

わたしが仕事が携わっていた当時、書店へ書籍を搬入する率は定価の77.5%、雑誌が78.5%でした。今もそれほど変わってはいないでしょう。ですから、1000円の本を販売すれば275円が書店の利益になります。版元は卸価格-(製造原価+流通諸費用+在庫管理費+その他諸費用)が粗利となります。余計なことですが持ち込み本が200円だったら書店の利益は55円。こんな商品を扱うのはばかばかしいと考えるでしょう。1冊も売れないか数冊から二桁程度しか売れない商品、扱うことを嫌がるでしょう。頒価1000円はそんな背景を反映してると言えるでしょうね。しかし、書店1000円、直販200円の二重価格は、商常識を逸脱していると言うより、委託業者(書店)に対する裏切り行為です。会員に版元(顕正会)が書店販売価格の5分の1で販売していると知れば、それこそ、扱う書店などあるはずもありません。書籍販売は版元が直販をしても、販売相手が卸・書店といった業者ではない個人である場合、定価販売をすることが商業上のルールです。その鉄則を遵守するところで版元・卸・書店の信頼関係は成立しています。この社会ルールをまったく無視することを、わたしは非常識と解説しておくことにします。

まったく余談ですが、世界で一番売れた本は『聖書』だそうです。学者によっては宗教は世界最古の情報産業といった人がいます。

198犀角独歩:2004/01/15(木) 19:17

197補足します。

顕正会が書籍を自前で印刷すれば印刷業、自前で出版すれば出版業に当たります。物品販売業というよりこちらに該当するでしょうか。
経本・数珠の販売は物品販売業ですね。あの面白い浅井さんの録音テープなども物品販売業に該当するでしょうね。

顕正会は、会員に対して、ちゃんと会計監査を発表していますか。収益事業に基づく納税は行っているのでしょうか。このような点が不明な団体が国家・国民に認められることはありません。広宣流布以前の問題ですね。

199一刀両断:2004/01/15(木) 19:52
ガンコさん
全くもって独歩さんの仰られる通りであると云わざるを得ません。
本を頒布して、顕正会の主張を読んで貰おうという行為が広宣流布に繋がるのでしょうか?
冷静に考えてみて頂きたいと思いますが、この行為が一体広宣流布にどう繋がる根拠があるのか。
本当に広宣流布を目指している行為とは到底受け止める事はできません。
会内では”一対一の折伏こそ”といい、”縁故を辿ってこそ”と会員を先導していながら、会自体がある程度会員数を確保すると”一国諌暁”などという綺麗な言葉を並べて本を出版して一般人に理解を求める。
本当に国を憂う者が、こんな行為をするとは到底思えません。

付加して顕正会の機関紙を考えてみて下さい。
顕正新聞を見てガンコさんはどう思われているでしょうか?
大抵の会員はそれを見て読んで、”感激した”、”信心が固まった”などと云っておりますが、会内発行の機関紙ほど恐ろしいものはないと私は思っています。
私は過去顕正会に在籍していたし、機関紙を真剣に読んでもおりましたから、私自身、散々行った行為ですから、こんな事を申し上げても「貴方もそうでしたよね?」と指摘される方も多くいるでしょう。
しかし敢えて多くの人からも批難もあるでしょうけれども、反省の意も含めて本当に思うものです。
”自己批判をできない機関紙は嘘のみで固められている存在である”と。
自己批判した顕正新聞をどこかで拾い出すことができるでしょうか?
常に”会は凄い””有りがたい””尊い”と賛嘆こそすれども、一度たりとも自己反省的な記事を読んだ事がありません。
本当に顕正新聞の記事しているだけの内容の通りでしょうか?そんなわけありません。
会員でも多々虚栄の発言はしますし、幹部も勿論しかり。
添削に次ぐ添削にて発表させられた体験発表は、最早登壇会員の意図する内容とはかけ離れることなどザラなのです。
自己反省している登壇といえばただ”無二の師匠に対して申し訳ない”、”先生の驥尾に伏せさせて頂く以上、自身の恥じた戦いを一変させ”等という、会と会長を常に尊敬させる言葉だけです。
これのどこが”清き団体”の機関紙でしょうか?
かえって”自己反省すらできない愚かな団体”と嘲笑を受けてしまうものです。

日本国内で新聞各社が、天皇を一斉に敬い、尊び、日本神国を主張した時代を御存知でしょう。
あの時代、誰も批判的発言など一つもなく賛嘆のみ記事にされたわけです。
独逸も伊太利亜もまた同様です。
現在の北もまた同じ。
批判的発言が含まれない機関紙、しかも会内出版の本など、読むにすら値しないものです。

顕正会員が創価学会の聖教新聞を読んでどう思われますか?
結論、この程度のものでしかないわけです。

たとえ100万を期して諌暁書が発刊されたとしても、私はだから自己満足でしかないと申し上げているのです。

200ガンコ:2004/01/16(金) 15:14

>しかし、書店1000円、直販200円の二重価格は、商常識を逸脱していると言うより、委託業者(書店)に対する裏切り行為です。会員に版元(顕正会)が書店販売価格の5分の1で販売していると知れば、それこそ、扱う書店などあるはずもありません。

ええ、まあ、そうなんですよ。わたくしは当時から、そのように思っておりました。

それと、上のほうで、
>さて、学会がそれに圧力をかけることが可能かどうか、出来そうな話だと思いますね。
>しかし、それが事実であれば、それこそ、裁判でも何でも訴えて所期も目的を果たせばよいわけです。それをせず、創価学会のせいにする話法に問題はあります。

これですが、学会かどうかは別にして、莫大なお金をかけて広告を打ったわけですから、その日に本が並ばなかったということは、顕正会側に落ち度がなければ損害賠償を請求できる道理かと思うわけです。しかし、あきらかに矛盾したことをやっちゃった。つまり、会員を総動員して無料頒布をやった。わざわざ売れない原因を作ったようなものです。仮に買おうと思っていた人がいても、その前にどこからともなく本が送られてきたら、もう買う必要ありませんものね。

浅井が一般書店向けに書いた二冊の本は、はじめのうち、顕正会の会館・事務所には置いてませんでした。かつて、冨士という月刊誌があって、そのいちばん後ろに浅井の著書が一覧されていましたが、そのうち一般書店向けの二書には「◎全国書店にて発売」とのただし書きが付されていました。記憶がはっきりしませんけど、ともかく、けっこう長い期間、顕正会内では売っていなかったはずです。

わたくしはそれを知ってたものですから、諌暁書の時は、ちょっとまずいんじゃないかと思っていたのでした。

201ガンコ:2004/01/16(金) 15:17

>会内では”一対一の折伏こそ”といい、”縁故を辿ってこそ”と会員を先導していながら、会自体がある程度会員数を確保すると”一国諌暁”などという綺麗な言葉を並べて本を出版して一般人に理解を求める。

これはですね、ぶっちゃけ申せば、宣伝パフォーマンス以外の何ものでもないです。な〜んてこと言うと、もう、わたくしの立場も危ないですが、つまり、一対一の折伏だけで、本当だったらもっと伸びていなければおかしいのだろうと思います。かつての学会とは時代状況が違うので一概には言えないとはいえ、学会が伸びていった時は一国諌暁みたいなことはやらなかったのではなかったでしょうか。むしろ一人ひとりが功徳を体験して、それが拡大の主要因だったのではなかったか・・・って、わたくしはそんなに昔を知ってるわけじゃないですけど、そんな気がしております。
すでに一千万の大目標があるとはいえ、現状では何十年かかるか、わかったものじゃない。ようは起爆剤がほしいわけです。ご存知のように顕正会は「爆発」だの「大爆発」が好きですからね。

顕正新聞の件ですが、まあ、上の話題とからめて申しますると、ある婦人部幹部が次のようなこと言っております。

・・・心ある幹部全員が名簿を点検し直しました。入信者の数の多さ、ことに置き去りにしてきた者の圧倒的な多さに一同驚愕し、あまりの申し訳なさで打ちのめされるほどでありましたが、この申し訳なさがすぐさま沸々たる闘志と「絶対に変われる」との確信へと変わり、・・・

まあ、この程度じゃ、納得していただけないでしょうが、わたくしなんかから見ると、けっこう正直だなあって、思うんですけどね。
それと、多くの後輩を抱えているような幹部は顕正新聞をくまなく読んでいるのでしょうけど、逆に読んでいない人も多いように感じています。とくに、わたくしのようにダラダラとながく在籍している会員は、もう読んでません。いえ、わたくしは読んでますけど、じぶんと同じくらいの会員歴の人と話していると、あれ? この人、読んでいないのかな? と思わざるを得ないことがよくあるのです。つまり、話が通じない。もう、惰性でやっているわけです。

マンネリからの打開策・・・今後の飛躍のための起爆剤・・・あ〜あ、書きすぎちゃったかな?

202元ヤン33:2004/01/19(月) 00:15
今、日蓮大聖人いたら 何するのかな
飢餓も疫病も無く 大した権力も無い政府 心は病んでるかな
どー思います かみさん顕正会です 困ってます

203元ヤン33:2004/01/19(月) 00:55
たびたびすいません かみさんのメール盗み見したら 
脱会した親子が 子供の火遊びで火事になり 子供が
焼死したらしいのですが それを脱会したから罰が当たったような言い方 
子供が御本尊様を信じてないから こうなった様なことよく言えるよな 人の死も利用するのか
必ずこう言うよね この手の人たちは だから信じなさいって
日蓮もすごいと思うけど 顕正会は 人の死や終末思想や罰だとかを言って
だから信じろ 入会しろって 日蓮ってどんな人だったの人物像は 




要旨

204ガンコ:2004/01/19(月) 14:29
顕正会員の説く罰論には種々の問題がある。

王舎城事に、
「今生に法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給ひて皆人にみこりさせ給へと申しつけて候。日蓮法華経の行者にてあるなしは是にて御覧あるべし。かう申せば国主等は此の法師のをどすと思へるか。あへてにくみては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生にけさしめんとなり。」

このように、罰は大聖人の御教示によるけれども、わたくしの思うに、今の段階で罰論を説くには二つの問題をクリアしなければならない。
一つには、教義上の齟齬。二つには、現代感覚との齟齬である。
教義上の齟齬とは、顕正会内部では学会・宗門について悪く言うけど、本当にそうかと考えると、なかなかそうとも言い切れないところがある。学会・宗門は御遺命に背いてしまったから罰ばっかり・・・というが、ここ何年かの学会系・宗門系の顕正会批判サイトを見ると、必ずしも顕正会が絶対的に正しいとは思えなくなる。つまり、顕正会が絶対的に正しいとの前提にたてばこそ言えるのであって、教義上、いまだに決着がついたとは言えない状態では、とても罰を言い切れるものではない。
また、仮に顕正会が絶対的に正しいとしても、ここで言う正しいとは大聖人の御意に適うことではあるけれども、はたしてそれが現代に通用するものなのかという問題がある。

また、ひるがえって罰論の運用の仕方が間違っているとも思える。
「日蓮が弟子にせう房と申し、のと房といゐ、なごえの尼なんど申せし物どもは、よくふかく、心をくびゃうに、愚癡にして而も智者となのりしやつばらなりしかば、事のをこりし時、たよりをえておほくの人をおとせしなり。殿もせめをとされさせ給ふならば、するがにせうせう信ずるやうなる者も、又、信ぜんとおもふらん人々も、皆法華経をすつべし。さればこの甲斐国にも少々信ぜんと申す人々候へども、おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候。」(上野殿御返事)

大聖人は、相当の幹部が退転していったことについて、諸御書において繰り返し言及せられている。そして、この御文では、幹部の退転は多くの後輩をも退転させることになる、であるから、まず、入信にあたっては本人が本当に入信を希望しているのかどうか見きわめ、まだ腹が決まらないうちは入信させない、これが退転者を出さないための第一歩になる、との仰せを拝する。ところが顕正会では、「おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候」の御制誡に背いて、どんどん入信させちゃって、挙句の果ては退転者の続出である。で、もって、こうした退転者に罰を説く。こりゃ、だいぶん無理がある。ヘタすると、顕正会員こそ罰を受けかねない。

205ガンコ:2004/01/31(土) 02:40

現役顕正会員による顕正会批判 その1 (全5回)

阿達正照氏の「冨士大石寺顕正会の真実」を読んで、思うところが多々あった。
何より強く感じたのは、人材の流失である。
阿達氏をはじめとして、法華講にいってしまった者がかなりの数にのぼると考えられる。しかも、自覚のない顕正会員たちにくらべると、阿達氏らはあきらかに信仰心があって、顕正会時代にも相応の活躍をしていたであろう、そういう者たちが法華講に流れていくわけだから、顕正会にとっては大きなダメージである。
また、文中、元男子部長のことにふれられているが、わたくしの知る範囲で現在の消息は不明であるけれども、当時、顕正会きっての論客というイメージがあったこの人がいなくなったことも、やはり痛手というほかない。

今日、百万を誇る顕正会ではあるが、批判者の「紙切れ百万枚」との指摘もけっして無視できないのは、上のような事情からである。単にやる気のない者が脱落していくだけではなく、有能な人材と思われていた者たちが次々とすがたを消していく実態をわれわれは直視しなければならない。

今、顕正会では、四月の一国諌暁に向けて、ひとくちにいうと「置き去りにしてきた人材の掘り起こし」をやっている。これはけっこうなことだし、正直だとも思う。
では顕正会は真っ正直な団体かというと、そうでもない。かつて浅井先生は大芝居を打ったことがある。俗に「はったりをかます」というやつである。

「私は思う。その時、全顕正会員は、こぞって大石寺に総登山すべきであると。本日は顕正会の代表二万人だけが集っているが、その時こそ、二十万顕正会の全員が、戒壇の大御本尊の御前に馳せ参じ、大石寺の境内を埋めつくし、信心の力を以て、本門寺改称を断固粉砕しようと私は決意しているが、皆さん、どうでしょうか。」

しかし、はなはだ矛盾するようであるが、わたくしはこの発言を、きわめて正直なものと受け止めている。おそらく批判者は言うだろう、二万人集めるのがやっとなのに二十万総登山なんてできっこない、と。それはそうなのだが、わたくしは先生の心情を思うのである。今の百万顕正会にしたって、実情は大同小異である。それでも先生の心意気はいささかも変わらないし、だからこそ、ついていく会員もいるのである。

206ガンコ:2004/01/31(土) 02:42

現役顕正会員による顕正会批判 その2

さて、今回、ぎょうぎょうしくも顕正会批判と題して書くにいたった理由を申せば、浅井先生著「日蓮大聖人の仏法」、通称「折伏理論書」の初版と改訂版では重大な相違がある、すでに阿達氏の指摘するところではあるが、わたくし自身、前々から注目していた部分なので、これを機会にわたくしの考えを述べてみようと思ったのである。

初版と改訂版の相違は、改竄と言ってもいいくらいである。当該部分を読みくらべていただきたい。

初版(平成元年六月二十八日発行)
「やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである。」(66頁)

改訂版(平成十一年十一月三十日発行)
「やがて宗門が御在世の信心に立ち還るとき、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである。」(70頁)

ページ数は違っているが、まったく同じ部分である。なんたることか、と思う。

むろん、同一著者が改訂版と銘打って書きかえているのだから、さすがに改竄というのは言い過ぎかもしれない。しかし、正直申して、はじめにこれを発見した時のショックはけっこう大きかったのである。もしかしたら多くの顕正会員がいまだにこのことに気がついていないのではないか・・・というのは、わたくし自身、改訂版出来の当初、新加の九・十章を読みはしたものの、ざっと前のほうをながめてさして変わっていないように思われたので、ちゃんとは読まなかったのである。一部、表記をあらためたところがあるのは承知していた。御書の名称変更や御観念文の部分、あるいは貫首・貫主を貫首に統一するなど、これらはそれほど問題ではないと思う。逆に上記の書きかえは、あまりに大胆なのでしばらく気がつかなかった。それだけに、ショックが大きかったのである。

浅井先生は御遺命守護完結の定義を変更してしまった・・・こういわれても仕方がないのではないか、という思いがわたくしにはある。

207ガンコ:2004/01/31(土) 02:43

現役顕正会員による顕正会批判 その3

正本堂問題における先生の所論を一言で申せば、“正本堂は御遺命の戒壇にあらず”ということだろう。わずか二十数年で取り壊されてしまった、その現証だけを見るならば、やはり御遺命の戒壇ではなかったのだと思える。
「舎衛の三億」「広宣流布は終着点のない流れ自体」「法体の広宣流布が果実を結ぶ」「因に約すれば広宣流布」等々、これらの多くは池田大作氏の発言である。そして、これらに対して先生は、「デタラメ広宣流布である。つまり、広宣流布の定義を変更することによって、正本堂を正当化そうとの魂胆」(取意)と言う。
また、日達上人は「戒壇の御本尊のまします所は、いつでもどこでも事の戒壇である」と仰せになったそうであるが、これも先生に言わせれば「正本堂を正当化せんとして、事の戒壇の定義を変更してしまった」(取意)ということになる。
ご注意願いたいのは、わたくしはここで、創価学会や御宗門に議論をふっかけようとしているのではない、ということである。

広宣流布の定義を変更してしまった! 事の戒壇の定義を変更してしまった! かく言う浅井先生こそ、御遺命守護完結の定義を変更してしまったのではなかったか!!!
先生は自分の人生をかけて戦ったのではなかったか? 命を捨てる覚悟で戦ったのではなかったか? その戦いの完結という大事な局面において、わざわざその価値を、みずから低めてしまったのではあるまいか?

そして、先生自身じゅうぶん承知していることだが、御遺命守護の戦いとは、しょせんは序分の御奉公にすぎないのである。つまり、この先に待っているのが本格的な広宣流布の戦いなのであって、一応、その筋にのっとって本年より一国諌暁の戦いが開始されるわけである。しかし、わたくしは思うのである・・・序分の御奉公すら定義をまっとうできなかったではないか、いわんや、本格的な広宣流布などできようものか、と。

ちなみに、くだんの書きかえを行なった理由は、きわめて単純である。新加の十章で、御遺命守護が完結した意味の記述が出てくるから、旧版のままだとひじょうに困ることになるのである。再掲すれば「やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである」とあって、すでに平成十年四月五日に御遺命守護が完結したとしている手前、整合性がとれなくなるわけである。敵対団体から矛盾をつかれるのを嫌ったのであろうか。しかし、かえってこのような書きかえは見苦しいと思う。もうちょっと、うまい書き方があったのではないだろうかと、悔やまれる。

208ガンコ:2004/01/31(土) 02:44

現役顕正会員による顕正会批判 その4

ここらで、先生の弁護をしておきたい。「冨士」三百二十七号の記述は重要である。

「顕正会の諌暁すでに二十一年、ようやくいま、正本堂の誑惑だけは崩壊いたしました。残るところは、戒壇の大御本尊に対し奉る不敬解消、この一事だけであります。ここに今回の諌暁書の重大意義がある。・・・直ちに阿部管長に一冊送附いたしました。・・・願わくば―、法のため、国のため、真剣に本書に目を通し、真の改悔を以て戒壇の大御本尊への不敬解消を速かになされんことを、私は心から念願しております。すべては御仏意であります。いつまでも大聖人様が、このような不敬を、お許しになるはずがありません。顕正会は一分の油断もなく、ただ身を捨てて完結への御奉公に驀進するのみであります。この諌暁書と顕正会の死身弘法があるならば、御遺命守護は必ず完結する。本日の御大会式に当り、いよいよ御遺命守護完結と広宣流布への決意を堅め、以て大聖人様への御報恩に擬し奉ろうではありませんか。」(平成三年十月十三日、浅井先生講演)

すなわち、“残るところは不敬解消の一事のみ”として、その文脈において「完結への御奉公に驀進」「御遺命守護は必ず完結する」「御遺命守護完結と広宣流布への決意を堅め」等というわけであるから、まさに御遺命守護完結の定義は明瞭である。

先生は戒壇本尊第一主義者である。その文証は数え切れない。
つまり、御遺命守護完結とは、第一義的には御遷座にあったわけであり、顕正会の宗門復帰などは二の次三の次なのである。事実、先生の御遷座をうったえる発言はたくさんあるが、逆に我が身の失地回復を求める発言はきわめて少ない。
言うもおろかであるが、御戒壇様が主であり、浅井は従である。主の思し召しに従うのみ・・・であれば、いまだ御奉公足らずということなのかもしれない、顕正会はもっとおもてで苦労せよ、と。

戒壇本尊第一主義の信心にブレがないかぎり、顕正会もまだまだ救いがあるのではないか。わずかながらも、御宗門と和解の可能性があるのではないか。
わたくしは、そのようにひそかに思っているのである。

209ガンコ:2004/01/31(土) 02:49

現役顕正会員による顕正会批判 その5

最後に、浅井先生の自語相違について、触れておきたい。
批判サイトを読んでいると、むかしの冨士や顕正新聞を引っぱりだして、いろいろと先生の発言の矛盾をあばきたてている。その中には、取るに足らないものもあれば、けっこう鋭いものもある。ここで私見を申せば、四十六年一貫不変の浅井先生に矛盾などあるはずがない、断じてありえない・・・などと強弁するつもりはさらさらない。おそらく、たくさんあるだろうと思っている。
しかし、さしたる問題ではない、と思うのである。
もう少し言葉を添えるならば、昭和四十五年以前以後(宗門諌暁開始の年)・昭和四十九年以前以後(解散処分の年)・平成十年以前以後(不思議の還御・正本堂崩壊の年)等に自語相違があっても、むしろ当然なのではないかと思うのである。大きな出来事があって、それが何らかの変化をあたえたとして不思議ではない。一貫不変だからといって、まったく変化が見られないのはおかしい。先生の著作を読んで先生の心理的変遷すら読み取れないとするならば、その人の読解力がないのか、あるいは先生の文章がヘボであるか・・・いや、わたくしにはそんなにヘボには思えないので、そうなるとおそらく先生の書いているものは虚構のかたまりなのであろう。ようするに顕正会の歴史は虚構である、ということになる。きわめて逆説的であるが、つまるところ、そちこちに矛盾があるほうが人間的には正しいと思うのである。なかには本当に隙のない人物というのもいる。しかし、そういう人はたいてい、人間味に欠けているような気がする。
このように書くと、まるで先生の矛盾を正当化しようとしているかと思われるかもしれない。そうではない。矛盾は矛盾である。しかし、さしたる問題ではないと書いた。では何が問題か?
ようは、変化変遷はなまみの人間であれば当然であるが、問題はその変化変遷が許容範囲を超えているかどうかではなかろうか。
かつては顕正会に種々の問題ありとも、許容範囲内であろうと思っていた。しかし、正直に申せば今のわたくしはだいぶん御宗門に傾きつつあって、その尺度を以てすると相当に危うく見える。ことに平成十年以降の顕正会のありようは許容の限度を超えてしまっているのではないかとすら思える。

御遺命守護は、第一義的には完結したとしてよかろう。しかし、顕正会の宗門復帰・国立戒壇を宗門の公論とする等の実現はまだまだ遠い先のことなのであろうか? 先生はここ何年か、これらの展望を語ることをしなくなった。
わたくしには、「天生原までの四キロの道のり」よりも近くにあるはずの大石寺までの道のりが遠くとおく感じてならないのである。

210犀角独歩:2004/01/31(土) 11:05

ガンコさんの長文の投稿、拝読しました。大作である点は評価できます。しかしながら、わたしの個人的な管見を敢えて述べれば、問題の本質を突いていないというのがいちばんの感想です。

要は浅井さんの教学はすべて戸田さんの教学を鵜呑みにした形で成り立っており、その証拠確認がなされないままに事実として扱い、人々を煽動してきた点を先ず考えなければならないのでしょう。これは3年間、わたしが繰り返し論じてきたことです。またこれは顕正会独りの問題ではなく、創価学会、大石寺、正信会といった、所謂、日蓮本仏圏に属するすべての集団と会員に通じて言えることです。問題の本質とは何か。所謂、

・「戒壇之大御本尊」が本物であるかどうか
・「御遺命」と言うところが本当に蓮師の言ったとおりなのか

この簡単な問題の事実確認をせず、騒いだところで、それはただの煽動に過ぎないということです。また、

・蓮師の末法観は時間計算が間違っていた
・漢訳仏典は梵本を故意に改竄した問題点がないのか
・法華経は釈尊が説いたものでなかった
・大乗経典に限らず、経典の大半は釈尊が説いたものではない

つまり、日蓮本仏・戒壇本尊論は蓮師の真跡に拠らず、後世創作された真偽未決書と伝聞で成り立っており、さらに蓮師が基礎とした天台学は梵本研究に拠らない漢訳仏典の問題が山積しており、さらに梵本もまた釈尊の言説とは関係のない後世の創作であるという幾重にも土台の腐った砂上に楼閣が立っています。

いくら浅井さんが「御遺命守護だ」「広宣流布だ」と口角泡を飛ばしたところで、虚構妄想の域を何も出ず、それに踊らされる会員は集団幻想に陥っているのに過ぎないということです。

わたしはこのような姿勢を病的、あるいはわかってやっているのであれば、無責任と批判しなければなりません。

言葉は悪いですが、「真実」であることの証拠確認もせず、それを事実として扱うのであれば、‘詐欺商法’と何ら変わらず、わたしは敢えて、そのような不誠実な姿勢を「ペテン」である断じざるを得ません。

211れん:2004/01/31(土) 11:38
ガンコさん。おひさです。以前あるサイトで拝見した石山の古い檀家に伝わる「真実の御遺命の戒壇建立」の次第によると、広宣流布の暁、富士に天皇が帰依し、石山貫首の先導により、天皇が御宝蔵の戒壇本尊におしきみを備えるのが戒壇建立となるとのことです(其の場で天皇は紫宸殿本尊の軸で授戒を受ける)。顕正会の天生原戒壇や学会の正本堂は、上記の石山義から見て、間違いということになります。室町期の石山貫首の文献には天生原戒壇説は無いので、天生原戒壇説は江戸期の要山義の逆輸入によるものと私は考えてます。m(__)m

212犀角独歩:2004/01/31(土) 12:16

横レス失礼します。

「紫宸殿本尊」は、中世、石山が言い出したことであり、その祖証ないことを志師に霑師が詰問され、答えに窮した一幕があったと記憶します。
天生原戒壇は寛師が要山義を受けたもので要山出身の石山住職が来る前に言われたことのないものである点は、たしか妙観講の顕正会批判でも述べられていました。

余談ですが、天生原戒壇論では広宣流布の暁には戒壇院に併せて六万坊建立が条件付けられています。この点は顕正会はどうアナウンスしているのでしょうか。

213犀角独歩:2004/01/31(土) 12:19

少し補足。
ややガンコさんに難を記した形になりましたが、けれど、「現役顕正会員による顕正会批判」という視点は、高く評価できます。

214愚鈍凡夫:2004/01/31(土) 14:50

横レス失礼します。
「忍者ハッタリ君」という意味では、浅井さんよりも池田さんのほうが数段上を行っているようですね。 ( -_-)ノ ---===≡≡≡ 卍 シュッ!
何故なら、池田さんの場合、「二度と」とか「永久に」とか言う言葉は何の意味も持ちませんから。創価学会では一瞬一瞬が「久遠」ですので、差詰め池田さんが"心変わり"するまでが「永久」ということでしょうか。 (^0^))☆爆笑☆((^Q^)v
まあ、いい意味でも悪い意味でも「日蓮」の名を広く世に知らしめたという功績は、「創価学会」「顕正会」ともにあるんでしょうけど・・・・・。 (-"-;A ...アセアセ

215れん:2004/01/31(土) 17:51
紫宸殿本尊につき、堀日亨師は杉谷香道師筆録の講述にて「古来より確たる文献なし唯斯様に申し伝へ来ている」と述べ、また「現今謂ふ所の紫宸殿の本尊を紺紫金泥で写した本尊が仙台佛眼寺にあり、それに日量上人が紫宸殿の本尊と云ふ文字を書き込まれた、之は時の佛眼寺住職吉岡阿日威が願ったのである」と述べている。紫宸殿本尊の名称の初見は祖師伝の中の日陽伝で江戸期である。故山口範道師は、安国会編御本尊集中の御本尊の内、所蔵不詳の八十二、百十一、百十六番の御本尊は石山蔵としている。八十二番が紫宸殿本尊と伝承されたもの様である。

216れん:2004/01/31(土) 17:54
訂正。誤、伝承されたもの様である。
正、伝承されたものの様である。

217れん:2004/01/31(土) 18:35
なお室町期の石山の戒壇義は有師が「大石は父の寺・重須は母の寺・父の大石は本尊堂・重須は御影堂・大石は本果妙・重須は本因妙・彼は勅願寺・此は祈願寺・彼は所開・此は能開・彼は所生・此は能生即本因本果本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり、開山置状に云く日目・日仙・日代は本門寺の大奉行中にも日代は日興が補処たり文、是は日興は母の得分にて御座すに依て日代には母の方を授け日目には父の方を授け給へり」(保田日要師新池抄聞書)と述べ、石山が事の戒壇との主張が見える。これによっても天生原戒壇説が後世のものであることが分かる。

218愚鈍凡夫:2004/01/31(土) 21:52

紫宸殿本尊は、富士年表によると1280(弘安3)年3月図顕となっていますね。そして、1445(文安2)年11月6日、日有紫宸殿本尊を模刻す(8-194・石蔵)となっています。
石山の伝説によると、「戒壇之本尊」の身代わりとして日有師が模刻したということだったと思います(「戒壇之本尊」を駿東に避難させた)。
もっとも「戒壇之本尊」、「紫宸殿本尊」、共に紙幅のオリジナルがあれば、筆跡鑑定などの検証ができて白黒はっきりするんでしょうがね。

確か雪山荘の本尊が「紫宸殿本尊」のレプリカであったと思いますが、日亨師にとって「紫宸殿本尊」は何か特別な思い入れがあったのでしょうか。

219ケン:2004/01/31(土) 21:52
独歩さん

210の「蓮師の末法観は時間計算が間違っていた」の内容を
教えてください。
すでに、どこかにお書きになっていると思います。
どこを見ればよろしいでしょうか。

220れん:2004/01/31(土) 22:30
大黒喜道師編著「日興門流上代事典」によると、京都要法寺開山日尊師の暦応三年の板本尊は石山の紫宸殿本尊の摸刻であり、信行寺本堂安置の日影師の代(応永十九年)に造立した板本尊も石山の紫宸殿本尊の摸刻であると記されてます。なお堀日亨師は先に引用した杉谷師筆録の講述にて、石山の紫宸殿本尊について「紙質と云ひ、筆法と云ひ、現存せる聖筆本尊の中で弘安度之ものとしては随一のものである」と述べていますので、日亨師にはそれなりに紫宸殿本尊に対する思い入れはあったと思います。

221ジャンノレン:2004/02/01(日) 08:23
れんさん、はじめましてジャンノレンです。

堀上人の晩年の住まいされた畑毛雪山庵の御宝前の御本尊は紫宸殿の模刻板御本尊でした。
思い入れは確かにあったのでしょうね、訪れる方々に自慢されてたみたいですから。

222れん:2004/02/01(日) 10:41
ジャンノレンさん、はじめまして。ジャンさんは、累代法華の方とお見受けいたしております。私は学会所属ですが、戒壇建立の次第については、日有師の御主張に鑑み累代法華の方に伝わる伝説に賛同いたしております。今後とも宜しくお願い致します。m(__)m

223犀角独歩:2004/02/01(日) 11:14

219 ケンさん:

この点は戦前、日蓮主義でも大いに論じられた大問題であったわけでした。
簡潔に申し上げれば、蓮師が採用していた年代は、現在の研究成果から導き出された年限と500年のずれがあり、大集経の三時説からすれば、蓮師が生きた13世紀は、まだ像法時代であったということです。この点について、愕然として種々整合性を考えたのは石原完爾でしたか。

なお、わたしはさらに仏滅年代に、まだ二、三、問題点があると考えます。
一つには蓮師教学の場合、天台・伝教は自分たちが像法時代の師であると認識して、本師末法の出現を恋慕したなどとしますが、これは事実と相違します。
この点については高木豊師が簡潔に記していますので、それを紹介すれば充分でしょう。

「中国では正法500年、像法1000年を経て、末法に入るとされ、日本では正法・像法各1000年を経て、末法に入るとされた。したがって中国では552年、日本では1052(永承7)年が入末法の歳であった」(『日蓮』太田出版 P124)

「末法有太近」と中国人が言うとき、自分たちは末法の人との認識に基づいていたことになります。

次に、わたしが問題にしてきたのは、大集経と法華経の末法観は脈絡がないという点です。つまり、蓮師その他の末法観は、大集経と法華経を共に釈尊の真説であるという視点から同一者が述べたという前提なので、整合性を認めますが、これは牽強付会に過ぎません。

大集経では「次の五百年は我が法の中に於いて闘諍言訟して白法隠没せん」とありますが、これが法華経の末法観とは違います。何故ならば、法華経の末法観には三時観がないからです。この二つは別の思想系譜でしょう。やや想像を逞しくすれば、大集経は先頃世紀を跨ぐときに騒ぎになったミレニアム思想の影響に基づいて創作されたように見えます。

法華経の末法思想は言うまでもなく、薬王菩薩本事品に基づきます。

「宿王華、此の薬王菩薩本事品を以て汝に嘱累す。我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ」

梵本では

「ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、偉大なる志を持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章(薬王菩薩本事品)が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間に、このジャンプ=ドゥヴィーパに行なわれて、消滅しないように、また魔王パーピーヤス(波旬)が襲撃の機会を得ず、悪魔の眷属や神や、竜、ヤクシャ、ガンダルヴァ、クンバーンダどもが襲撃の機会を与えないように、余はそれを汝に委ねよう」(『法華経・下』岩本訳、岩波文庫 P207)


つまり、法華経における末法広宣流布とは宿王華に属し、薬王菩薩本事品を釈尊滅後500年の間に広宣流布することを意味したものでした。大集経三時説とはなんら関係を認められません。

さらに梵本では釈尊滅後500年ではなく、50年であるとされる点も注視されます。この点は以前、議論の対象となった点でした。いずれにしても、ここで言われる500年(50年)は2000年を経た次の年を言うのではなく、釈尊滅後の日から500年(50年)を言うものです。敢えて大集経に当て嵌めても正法を言い、紀元前の話に属することになります。

本より、大集経が釈尊に由来するわけもなく、悠久の大地、絶えず流れるガンジス川に浴しながら時間経過の概念がないのがインド人の思惟といいます。そこで三時観があるとすれば、それはこの思惟法と違和を生じるでしょう。さらに言えば法華経における寿量仏は「常住此説法」なのであって、三時観がそこに看取できるはずはありません。

224犀角独歩:2004/02/01(日) 12:00

218 愚鈍凡夫さん:

> 日有紫宸殿本尊を模刻…「戒壇之本尊」の身代わり

この指摘は実に重要ですね。
達師は精道師時代『悪書 板本尊偽作論を粉砕す』のなかで

「日有上人は戒旦御本尊の御身替りの御本尊を模刻遊ばされたのは事実で、其の御本尊には日有上人が署名を遊ばされている、此は今日大石寺の御宝蔵に納められてある」(P65)

と記しています。また、この根拠は応師『弁惑観心抄』の

「日有彫刻ノ本尊假立シテ且ツ戒壇ノ本尊に擬セシナリ…惟フニ後世是ヲ訛傳シテ日有眞ノ戒壇ノ本尊ヲ彫刻スルノ説ヲナセシナラン」(186頁)

わたしはこれらを読み、有師の身代わり板漫荼羅と戒壇漫荼羅は同一相貌であると思っていた経緯がありました。


221ジャンノレンさん:

亨師の紫宸殿本尊の逸話、学会向けの印刷漫荼羅頒布以前の石山人感覚を表すものですね。通り一遍の戒壇本尊信仰党では、戒壇漫荼羅とそれを書写した歴代漫荼羅以外は礼拝対象としないことになっています。仮に蓮師御筆漫荼羅でも礼拝対象としないというアナウンスです。これは言うまでもなく、寛師の戒壇漫荼羅観を敷衍したものですが、亨師はさすがに闊達な発想に基づいており、微笑ましく感じました。

なお、紫宸殿本尊と聞いてわたしが直ちに思い出す記述は亨師の

「学頭日照師が朝鮮に布教するや、紫宸殿御本尊を有師の模写せるものによりて写真石版に縮写し・新入の信徒に授与せり」(冨要1)

という件です。古来「紫宸殿と称す」ということで、伝聞からこの漫荼羅が「紫宸殿御本尊」と呼ばれるようになり、特に尊皇思想の時代を生きた亨師方は、殊の外尊重したという時代性を背景にしての雪山坊への模刻安置、天皇神聖主権下、新本仏迹も鷹揚に帯した時代の風景と言うところでしょうか。もっとも石山の尊皇思想は、表向きはどうであれ、いまも変わっているはずはありませんが。

225ガンコ:2004/02/01(日) 13:08

独歩さん、ご感想をいただきましたこと、感謝にたえません。

>問題の本質を突いていない

ええ、まあ、独歩さんの、つねにより本源的な議論を志向されていらっしゃるところから見れば、そうだと思います。
今回のわたくしのは実態論ということでご理解ください。

>わかってやっているのであれば

折伏理論書新版の旧版とちがっているところなどは、意識的に改訂したわけで、ことにわたくしが指摘した部分はあきらかに矛盾を糊塗するために書きかえてしまったとしか思えないわけです。この辺に顕正会の本質が垣間見えているのかもしれません。

独歩さんが箇条書きで提起された問題ですが・・・
このところ日蓮正宗系の掲示板などをいくつか覗いておりまして、勉強させていただいているのですが、独歩さんの提起されているような問題を研究している人はほとんどいないようです。
ということは、独歩さんと議論のできる人は(正宗系には)いないことになります。まあ、まったくいないわけでもないでしょうから、そのうちお出ましになられるかもしれませんけど、どちらかというとみなさん、日蓮本仏圏内でああだこうだ言ってるのが好きなんでしょうね。

あと、もうひとつ・・・
「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」(大石寺大坊棟札)というのが折伏理論書に出てます。ところが、当の御宗門のほうで大坊棟札を偽作と言ってしまってる。いちおう浅井は反論を書いていますが、どうもこの件に関しては顕正会のほうが不利のように思えます。

226ガンコ:2004/02/01(日) 13:11

れんさん、どうもです。

笑われそうですが、わたくし顕正会のくせに戒壇論には不案内なんです。というか、今の顕正会員は資料を持ってませんから、知らない文証を出されると対応できないのです。

広宣流布の暁を待って戒壇建立というのが一般的なのでしょうか? じつはわたくし、個人的にはべつの考えを持ってまして、ようは天皇が帰依すれば戒壇は建立できる、もっと言えば、天皇が帰依すれば広宣流布である、なあんて思ってます。れんさんはともかく、なみの学会員が聞いたらぶったまげるでしょうけどね。
そのへんの根拠については今、申し上げられるだけの能力がありません。いずれ発表できればいいなあ、って思ってます。

ご提示いただいた、日有上人の御指南は、まったく存じ上げませんでした。
わたくしの拝するところでは、大石と重須を比較して、やわらかに大石の優位を仰せなのでありましょう。
また、「大石は本尊堂」→「事の戒壇」は、日達上人仰せの「戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇」と同義のように思えます。これはたいへんな御指南ですね。浅井は、広宣流布以前に事の戒壇を称するのは断じて不可との見解ですから、これは困ったことになります。

戒壇論とは別に、
>大石は本果妙・重須は本因妙

これって、わたくしが習ってきたことからすると違和感があります。大聖人を本因妙の教主とするのが本宗ではなかったですか? であれば、大石を本因妙・重須を本果妙とするべき? いや? これも変ですかね?

227愚鈍凡夫:2004/02/01(日) 13:11
>>220:れんさん。レス有り難うございます。

>>224:犀角独歩さん。レス有り難うございます。

> 有師の身代わり板漫荼羅と戒壇漫荼羅は同一相貌であると思っていた経緯がありました。

もし、この2つが同一相猊であれば、「初代戒壇之本尊」は今のような半丸太ではなく、板であった可能性もアリですかね(もちろん、初代があったかどうかは分かりませんが)。

228ガンコ:2004/02/01(日) 13:13

愚鈍凡夫さん、いつもいつも絶妙のフォローを下さりまして、まことにありがとうございます。

229ジャンノレン:2004/02/01(日) 13:41
独歩さん、こんにちわ。すっかりご無沙汰致しております。

>学会向けの印刷漫荼羅頒布以前の石山人感覚を表すものですね。通り一遍の戒壇本尊信仰党では・・・。
そうですね、御形木の意義は根本尊形をおかねば信仰ができないという意義の他に暫定の意味が多いと思います。
御守り(携帯御本尊)すら形木が先行して、直筆のものが無いと思っている人が多いです。

>蓮師御筆漫荼羅でも礼拝対象としないというアナウンスです。
これはそんな事はないんです、ただ石山は新来講員には余り話さないだけで、私の存じ上げています講頭さんは
自宅以外の別宅に紫宸殿を板にして安置されています。勿論、御当代のお認めです。累代で宗祖真筆を所持して
おられる御方も多いですし(山中喜八さんの影印本以外に相当数の真筆があると伺っています)みんな、お話に
ならないだけで、今の奉安化儀の在り方と食い違いが出来てくるので、おしゃべりにならないだけです。

>「学頭日照師が朝鮮に布教するや、紫宸殿御本尊を有師の模写せるものによりて写真石版に縮写し・新入の信
徒に授与せり」(冨要1) という件です。
石山の紫宸殿は近年、師資伝とか言い変えられていますが、秘密のベールに包まれています。私が伺ったのは一
体だけではないという事です。何体あるのか知りません。

>石山の尊皇思想は、表向きはどうであれ、いまも変わっているはずはありませんが。
はい、今も変わっていないと思います、強力に言わなくなっただけです。時代相応の発言という事による弊害が
多いからです。二天門の上や塔中のある坊の意義を変えない乃至撤廃しないかぎり、その意志は深く靜かに保ち
続けていると思います。客殿の勅使門はその前にしつらえました。目師還住の時とその日は美しい伝統です。

230犀角独歩:2004/02/01(日) 14:30

225 ガンコさん:

> 今回のわたくしのは実態論

ええ、もちろん、その点は評価しています。
秀作であると思います。

> 独歩…提起…問題

そうですね。ですから、日蓮本仏党は、時代から100年も置き去りになった時代錯誤であると嗤われるわけです。

しかし、そんな蒙昧な集団とは別に、わたしは日蓮が好きです。日蓮に対する恩義を感じています。このまま、この人の思想を死滅させること、また、日蓮その人の考えと違うことがその人の考えのように言われることをしのびなく思います。事実を事実としてしっかりと認識掌握し、そのうえで「では、日蓮は」と考え、次代に引き継ぎたい思いがあります。何より、誤った日蓮認識を席巻した信仰圏に属した自己責任を「訂正」によって埋め合わせ、世人への贖罪とし、それをまた日蓮への報恩に手向けたいと念願しています。

> 日蓮本仏圏内でああだこうだ言ってるのが好き

そうですね。「井の中の蛙大海を知らず」、竹の棒を振り回して、自分は誰よりも強いと思う幼子の体たらくです。

> 三堂並びに六万坊を造営…(大石寺大坊棟札)と…折伏理論書に

わたしはピンとこないのですが、大石寺大坊棟札とは何を指すのでしょうか?
ご承知のように石山伽藍では大坊には六壺・客殿・宝蔵が主です。そこに棟札ですか。どの棟の札を言うのでしょうか。棟札というか、それら縁起を示すもので目を見張るのは御影堂を精師が「本門戒壇堂」と記したことは思い当たりますが。

三堂棟札は「本門寺根元」の北山・御影堂に係るものですね。これは亨師が「日興」の‘興’の字が書き間違えているから本人のものではない・彫りがその時代のものとは違うと指摘していましたね。また、六万坊は石山義ではなくて要山義です。折伏理論書にいうようなごちゃ混ぜの記載がされた札が存在するわけはないように思えます。

なお、もう少し子細に記せば、戒壇院、上行院、本門寺本堂、本門寺戒壇/事戒法、事戒壇、本門戒壇などは、それぞれ発生が別と見え、あとからまとめて論じられるようになる時系列を読み落としてしまうと誤解が生じます。

> 顕正会のほうが不利

もっとも至極です。

学というのは自分の信行を肯定するためになすのではなく、信行をなすべきものを求めるためになす姿勢が大切であると、わたしは思うわけです。集団や指導者のご都合に振り回されて時間を無駄にしないことです。光陰矢のごとし、人生は短いものですから。

231愚鈍凡夫:2004/02/01(日) 14:32
ガンコさん、どうも有り難うございます。

小生は、顕正会についてインターネット上で流れている情報以外は知りませんので、リアリティーがありませんので、いろいろと御教示下さい。

尚、戒壇論について早坂師の論文が出ています。

「『六巻抄』の構造と問題点(三)「文底秘沈抄」本門の戒壇編を通して 早坂鳳城」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/03/03_086.htm

232犀角独歩:2004/02/01(日) 14:47

229 ジャンノレンさん:

ご無沙汰しています。
「戒壇之大御本尊と歴代書写本尊以外は駄目。御本尊は一世帯に一体。古いものは変換する」などということをヒステリックに推し進めたのは学会の折伏闘争でした。しかし、これは石山の伝統と仰るとおり通用のないところでした。

> 紫宸殿は近年、師資伝とか言い変えられ

ほお、そうですか。案外、師資伝が聞く音から転訛して紫宸殿となったなどと想像を逞しくしたくなるお話です。このほうが意に適う呼称と感じます。

わたしは、石山は蓮師が知らない、興師ともそれほど縁の深いとは言えない、実質的に目師に始まる寺であると個人的には結論しています。しかしそれでも、その後、700年、神仏習合、尊皇護国、寺請制度という時代変遷を経ながらも培われてきた、仰るところの「伝統」流儀の在り方を美しいと思う気持ちはあります。

朱に塗られた山門・同じく朱塗りの二天門・その奥にある本門戒壇堂である朱塗りの御影堂、そして、名を伏せられる坊もたぶん朱塗りでしょうか。精師の異図はいまはひっそりとした佇まいとして時代に溶け込んでいると言うことなのでしょうね。

蛇足ですが、朱塗りに対して、黒塗り、これは武家様を表すものと見られるのでしょうか。お答えいただければ有り難く存じます。

皆さんには、スレッドテーマから逸脱し、恐縮です。

233ガンコ:2004/02/01(日) 17:57
大坊棟札については、詳しく存じ上げません。

浅井が昔からよく引用するのが次の日淳上人の御指南です。
「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります。大石寺大坊棟札に『修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく、広宣流布を待つ可し』とあるのが、それであります」(大日蓮三十四年一月号)

あの英邁の聞こえ高き日淳上人が仰せであられるわけですから、御宗門も困ったでしょう。今の学会でも日淳上人を悪くいう人はあまりいませんし。

また、日達上人にも次の仰せがあるそうです。
「歴代の法主は日興上人の遺命による丑寅勤行を怠慢なく行いて広宣流布を祈願し」云々と。

これは大坊棟札の御文を借りて仰せられたものと思われます。ところがこの日達上人、数年を経ずして偽作説に転じるわけです。時間軸の上では、浅井の宗門諌暁を受けてから偽作説に転じているので、まるで顕正会の主張をかわすために寺宝のひとつだったはずの大坊棟札を斬って捨てるがごとき暴挙に出た・・・という気がしないでもないのですが。

そうであっても、わたくしがこの真偽論で顕正会に理がないと思っているのは、上記の論理は確かに一定の説得力があるとは思うけど、最終的には直接の真偽にかかわらないことがらですから。
浅井の云はく、「そこで細井管長は『当国天母原に於て・・・』と記されている日興上人の『大坊棟札』を〝後世の偽作〟と云い放った。その理由を十ほど挙げているが、そのすべては例によってズサン極まる推量にすぎない。その一々についてはいずれくわしく破折するが」云々と。
ここが各サイトで指摘されている箇所なんです。すなわち、平成元年にこのように言っているわけですが、いずれくわしく破折すると言いながら、いつまで経っても破折しないのです。
つまり、浅井はいちおうの反論は書いたけど、いまだちゃんとした真偽論には立ち入っていないわけです。

234ガンコ:2004/02/01(日) 18:00
愚鈍さん、いつも資料のご紹介、ありがとうございます。

しかし、毎度のことながら、早坂先生って大石寺には辛いですね。激辛というか、過激というか。当然、これは大石寺のしかるべき御僧侶が反論すべきところでしょうけど、どうなさっていらっしゃるのでしょうね。

ところで文中、一ヶ所だけ気になったところがあるんです。
いわゆる三大秘法抄の「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて」という御文ですが、ここでは「三大秘密の法」となってますよね?
じつは顕正会での表記はすべて「三大秘密の法」なのです。
ご存知のように御書全集では「三秘密の法」ですし、平成新編でもそうです。また、現宗研のもそうなってますよね。

これはどういうことなんでしょうか? ご存知でしたらご教示ください。

235ジャンノレン:2004/02/01(日) 19:03

独歩さん、なかなか凄いところ突いてきますね、あまりちゃんと話すと色々と問題がありますので。

>朱塗りに対して、黒塗り、これは武家様を表すものと見られるのでしょうか。

石山内のことでも御質問でしょうか?一応、其の想定であれば総門近くの其の色の門の事は、堂上の
お使いの御方が其の門をご使用されるのではないでしょうか、よって武家とは関わりがないと思います。
昔、塔中を体の関係といって輿にのって練り歩いた御方がいましたが、如何に高貴な御方といえども
三門前では下馬、或いは輿から降りられて塔中を進むものなのです。しかし、近年、そういう化儀を
無視された方もいました。開かずの門は客殿前ばかりいいますが、もう一つある事をお忘れの方が多いです。

こういったことをお知りの上で恐らく御質問だと思いますが、これ以上は勘弁してください。


追伸、れんさん。ご挨拶頂いていたのにお返しせず申し訳ございません。
今後ともよろしくお願い致します。

236Jルーカス:2004/02/01(日) 19:26
ジャノレンさん
その塔中を練り歩いた方ですが、私の聞いた話では、体の関係が理由ではありません。
「これこそ、広宣流布の暁、勅使が来られたときの模擬試験である。俺がその勅使に成り代わって・・・」
等とのたまったそうです。
なかなか豪快な方だったようですな。

塔中を輿で練り歩き、塔中に女を連れ込み、塔中で僧侶をリンチした。
このような方は、石山始まって以来の豪傑ですね(笑)。

237れん:2004/02/01(日) 20:08
ガンコさん。戒壇建立につき、私見を述べれは、蓮祖が観心本尊抄で示された四菩薩出現の二パターンを踏まえれば、上行再誕の聖僧である蓮祖が本門本尊・題目を建立し、不軽菩薩の行儀と精神を継承して弟子檀那とともに弘持し、上行再誕の賢王(天皇)が広布の暁に出現して残る本門戒壇を建立することになります。上行再誕の賢王が帰依するのは、蓮興両師の嫡子たる目上の還住の方ですね。なお、三位順師は「先謗法を対治して後法門一閻浮提に流布せばやがて本門大戒立つべきなり」と述べてるので、広布は先・戒壇建立は後というのは不変かと存じます。

238れん:2004/02/01(日) 20:24
次に先に引用した大石寺九世日有師の御主張は、日興跡条々事を踏まえれば、智父日蓮の寺、嫡子日目管領の大石寺→能生の事戒壇。日本乃至一閻浮提の内の山寺等(境母日興の寺の重須を含む)→所生の理の戒壇にして、半分は嫡子分として日目師が管領・残る半分は自余大衆等領掌で、能生の事の戒壇である大石寺に本門寺の戒壇(本尊三度相伝第二本尊聞書)を建立すべしとの意図であると、私は理解しております。

239れん:2004/02/01(日) 20:47
最後に、大石寺は本果妙・重須は本因妙の事ですが、ここにおける本因本果の語彙は所謂、種本脱迹説から導きだされる本因本果教主論の意味ではなく、有師の「上行菩薩の御後身日蓮大士は九界の頂上たる本果の仏界と顕れ、無辺行菩薩の再誕日興は本因妙の九界と顕れ畢ぬ」(日拾聞書)との言葉を踏まえれば、大石は本果妙・重須は本因妙の語は、あくまで大石寺→智父上行・仏界本果妙の日蓮の寺、重須→境母無辺行・九界本因妙日興の寺との日有師の御主張・持論の強調の意図で相対させたものと思います。以上ガンコさんの教学上の参考になれば幸甚です。

240愚鈍凡夫:2004/02/01(日) 20:51
>>234:ガンコさんへ

> いわゆる三大秘法抄の「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて」という御文ですが、ここでは「三大秘密の法」となってますよね?

「むむっ。気づかなかった」(独り言) (^_^;)

「戒壇とは王法、仏法に冥し、仏法、王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王、覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戎壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ。」(「三大秘法禀承事」昭和定本)

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持て、有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。」(「三大秘法禀承事」昭和新定)

「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ」(「三大秘法禀承事」学会版)

仰る通り、それぞれ「三秘密の法」となっていますね。

ちなみに「六巻抄」の「文底秘沈抄」を検索すると、
「秘法抄に云わく、王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり等云云。」(「文底秘沈抄」富要3-90)

これも「三秘密の法」となっていますから、早坂師の勇み足のようですね。多分、意識の中に「三大秘法」のことがあって、しらぬまに「三大秘密の法」としてしまったのではないでしょうか。

241犀角独歩:2004/02/02(月) 00:01

「三秘密の法」についてですが、かなり古い書き込みになりますが問答名人さんが転載されたことがありました。

2001/03/07(水) 09:10、『富士門流と国家諌暁』の8です。
以下、転載します。

*** 転載はじめ ***

昭和三十年に奉安殿と名付けられた新御宝蔵が建設されたおりの、第六十四世日昇上人の慶讃文によく現われているので、参考のためここに引用する。

「夫れ戒壇の本尊は、宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生帰命の法体、一宗依止の当体なり。
宗祖大聖人弘安二年十月十二日之を建立して、血脈付法の二祖日興上人に身に宛て給はるところなり。
上人心魂を尽くして護持し大石寺に奉安し、
一閻浮提の座主日目上人に付属してより血脈の法主歴世に奉戴し、
或る時は校倉を、あるときは土蔵を宝蔵として奉安し、
専心に守護し、国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。
国立戒壇こそ本宗の宿願なり。
三大秘法抄に『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、
王臣一同に‘三大秘密の法’を持ちて、
乃至、勅宣並びに御教書を申し下して建立するところの戒壇なり』と。
之は是れ、宗祖の妙法蓮華経が一天四界に広宣流布の時こそ之の時なり。・・・・・・
血脈付法の法主を継げる日昇・・・・・・『時を待つべきのみ、事の戒法とは之れなり』の金言を身に体して、
必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。
後々の法主も一心同体たるべきと確信す。
願わくば宗祖大聖尊の法魂、安穏に常住したまわんことを」と。

*** 以上転載おわり ***

たぶん、この趣意を早坂師は承けたのでしょう。

242犀角独歩:2004/02/02(月) 11:49

241の自己レス

昇師の記述にも表れる「三大秘密の法」は、「文の底に沈め」を「文底秘沈」とする如き、言い換えなのではないでしょうか。

まあ、些細なことです。愚鈍凡夫さん、ガンコさんの気を殺ぐ意図はありません。
引き続きのご投稿を期待します。

243犀角独歩:2004/02/02(月) 12:34

れんさん、横レス失礼します。

> 「観心本尊抄で示された四菩薩出現の二パターン

これはすなわち

此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す

を指すのでしょうか。

> 上行再誕の賢王(天皇)が広布の暁に出現して残る本門戒壇を建立

先に引く如き「賢王」は飽くまで「愚王を誡責」するというのであって、戒壇建立をするという記述は見られません。何より、同抄で戒壇に関する論及すら見られません。

244ガンコ:2004/02/02(月) 14:18
れんさん、濃密なるご教示、どうもでした。

やや揚げ足取りを承知で書きますが、
>日興跡条々事を踏まえれば

この日興跡条々事を拝すると、はじめに「本門寺建立の時」とあって、つぎに「本門寺に懸け奉るべし」とありますが、最後は「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ・・・」となっています。
これをもっとも素朴に読むと本門寺と大石寺はべつのお寺を意味しているように思うんです。
まあ、広宣流布の暁には大石寺が本門寺になる、という会通は昔からあるみたいですけどね。


愚鈍さん、独歩さん

日昇上人の慶讃文ですが、要注意だと思うのです。
「三大秘密の法」で検索してみると、ほとんどが顕正会にからむ内容なんです。問答名人さんのあれだって、顕正会の資料の丸写しでしょう。ですから、ほんとうに慶讃文の原文がそうなっているのかどうか、確認してみないとあやしいのでは? (わたくしもずいぶんうたぐりぶかくなってしまったものだ)

245犀角独歩:2004/02/02(月) 14:49

235 ジャンノレンさん:

有り難うございます。
ここで皇室と現石山との話題は限界があります。
機会があれば、口伝(笑)ということで。

戸田さんのこと。何も名を伏せる必要はありません。
乗った御輿を「車駕」と言ったわけです。車駕とは天子の輿ですね。あるいは天子を指す言葉です。境内を踏みにじり、僭称し天子を気取ったあの強行は二重の大罪と、わたしは見ます。

重鎮の石山役僧とこの話を交わしたとき、重々しく苦渋に満ちた表情になったことが思い出されます。とある石山人は「あんな馬鹿なことをするから、直ぐに罰が当たって死ぬことになったのだ」と吐き捨てるように言ったものでした。事実、あの事件が3月16日、その2週間を経て死没しました。それでも石山では「大宣院法護日城大居士」との戒名を下し、五重塔脇に墓所を赦したわけです。

まあ、そうは記しても、わたしは石山の肩を持つものではありません。しかし、生まれて間もないときから半世紀近く、数百回も登山した地です。いまのわたしのスタンスから遙か遠い山になりはしましたが、郷愁を伴います。その地を汚した陵辱には、やはり、不快感が伴います。狸祭り同様、実に不届きな事件でした。

246犀角独歩:2004/02/02(月) 16:35

244 ガンコさん:

なかなか鋭い指摘ですね。
条々事の読み、同等に考えます。
昇師慶讃文、時間の余裕があるとき、古い『大日蓮』を捲ってみることにします。

さて、早坂師のこと、わたしはこの論文は高く評価します。
愚鈍凡夫さんの言葉を籍りれば「勇み足」は、寛師その人であると思います。

247れん:2004/02/02(月) 19:21
独歩さん。観心本尊抄には勿論戒壇建立についての文はありませんが、蓮祖が本尊抄執筆の当時、四菩薩再誕の賢王の出現を期待していたのは事実でしょう。また身延入山後執筆の取要抄草案(真蹟身延曽存)には、比叡山迹門戒壇に相対して、場所は富士と選定してませんが、本門戒壇を建立すべき文意が示されております(都守基一師解説による)。つまり、蓮祖は上行再誕の賢王が愚王を誡責し、その延長線上に戒壇建立を意図していた節があるので、あのように記したまでです。この辺は、興風談所の山上師が興風誌上で指摘してるので、ご一読ください。

248ケン:2004/02/02(月) 19:31
223 独歩さん
「蓮師の末法観」についての解説有難うございました。
2日間ほど出張していたので、お礼が遅れました。

249れん:2004/02/02(月) 19:47
ガンコさん。石山六世日時師の御指南によると、石山には当時まで興師が南条時光氏に「本門寺の朽木書の御堂を大石に立て申す」云々と述べられたことを伝承しております。条々事の読みは上代石山貫首(有師の代まで)の御指南に本門寺建立の場所について、石山以外の地を選定したものは無いので、有師の説のごとく、石山義としては大石寺を事戒壇として本門寺(戒壇を含む)建立の地と理解して差し支えないでしょう。ゆえに「本門寺」「大石寺」という表記の相違のみをもって、本門寺は大石寺とは別のものと読み込むのは逆に早計に存じます。m(__)m

250愚鈍凡夫:2004/02/02(月) 20:34
>>244:ガンコさん。
「三大秘密の法」が顕正会絡みとは面白いですね。

ひょっとして、日蓮宗は顕正会対策の小冊子「顕正会について」を出していますから、これと関係があるのでしょうか。それとも、日寛師、日昇師ともに破す目的で「三大秘密の法」と表現されたのでしょうか。ちょっと興味があります。

話は変わりますが、戒壇論に関して、こんな論文もあります。

「現代に於ける本門戒壇建立の必然性と必要性について 齋藤朋久」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/03/03_050.htm

「顕正会について」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/booklet.htm

251ケン:2004/02/02(月) 20:52
独歩さん
230:『事実を事実としてしっかりと認識掌握し、
そのうえで「では、日蓮は」と考え・・・』について

上記のような立場で執筆された日蓮入門書で、
独歩さんのお薦め書籍があれば、教えてください。

252犀角独歩:2004/02/03(火) 11:00

247 れんさん:

> 観心本尊抄には勿論戒壇建立についての文はありません

そのとおりですね。
この段階で蓮師に題目・本尊と並び称して戒壇を考えるアイディアには至っていなかったでしょう。

> 蓮祖が本尊抄執筆の当時、四菩薩再誕の賢王の出現を期待していたのは事実

ええ、これも同抄の文面から読み取れます。

> 身延入山後執筆の取要抄草案(真蹟身延曽存)には、比叡山迹門戒壇に相対して、場所は富士と選定してませんが、本門戒壇を建立すべき文意

これをそのままに受け止めても、それは本尊抄執筆からあとの話です。
本尊抄には戒壇義はなく、「現折伏時成賢王誡責愚王」は涅槃経の有徳王・覚徳比丘説話に基づく摂折論であり、「此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚」の結として記されるところです。同抄全文、また、この句説は戒壇義を述べるところとなっていません。

また、富士・大石寺は日蓮没後、目師の縁故で建つ寺院に戒壇を建てることを意図しているなどと考えられるはずはありません。
大石寺建立の工を始めたのは正応2(1289)年のことであって、本尊抄執筆の文永10(1273)から16年もあとのことです。

蓮師は真跡で見る限り、富士山に対する特定の思い入れもなく、さらに没後建立される大石寺のことなど、知るはずもないわけです。ですから、そこに建造物としての階段が建つことを想定して「現折伏時成賢王誡責愚王」と記したというのは作為的な解釈と言うしかないとわたしは思えます。ただし、これはれんさんに難癖をつける意図ではありません。

253犀角独歩:2004/02/03(火) 11:03

251 ケンさん:

残念ながら、ご質問の如き内容をまとめた良書をわたしは知りません。
それ故、当掲示板において管見を記してきたとおり、自力で考えるしかありませんでした。

254犀角独歩:2004/02/03(火) 11:31

○興師の「朽木書」について

れんさん、引用される「石山六世日時師の御指南」とは何でしょうか。ご教示いただけませんか。

冨要で「朽木書」を検索すると以下のような記述が見られます。
たしかに石山に係るものもありますが、その意味するところは重須(北山本門寺根元)、それも八幡神社の造立を意味するものです。富士大石寺戒壇との脈絡は見いだせるのは近代に係ります。

***

一、日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり内には本尊を懸けらる、是れは本門寺の朽木書と云云(化儀抄)

「本門寺の朽木書等」とは・重須の垂迹堂を八幡なりとすること(亨師)

大石寺は鎮護国家の本門の朽木書(類聚翰集私)

本門寺根源とは事戒壇を造立すべき根源の堂と云ふ意にして此の朽木書の本堂を広高厳飾して事の戒壇とするの義(両山問答)

***

大石寺を朽木書とするのは、左京阿教師が勝手解釈と見えます。

255犀角独歩:2004/02/03(火) 11:33

【254の訂正】

誤)富士大石寺戒壇との脈絡は見いだせるのは近代に係ります
正)戒壇、との脈絡は見いだせるのは近代に係りますが、北山について述べるばかりです。

256れん:2004/02/03(火) 13:26
独歩さん。興師の「朽き書」を記した文献は応永年間の晩年の石山日時師談を弟子某が筆録した「大石記」です。これは戦前刊行の雪山書房版の富士宗学要集に全文収録されてますが、戦後の山喜房版や学会版の富士宗学要集や歴全には収録されていません。近年の刊行書では、大黒喜道師編著「日興門流上代事典」に全文収録があり、興門資料刊行会からも、雪山書房版のコピーが出版されて出回っていると記憶しています。m(__)m

257犀角独歩:2004/02/03(火) 16:50

256 れんさん:

有り難うございます。やはり『大石記』ですか。
この書について、石山・水島公正師は

「また『大石記』は、家中抄にあるごとく文献的にも問題のある文書であり、宗門の大事に引用するほどのものではないのである」(『久保川論文の妄説を破す』所蔵『「世界宗教への脱皮』の妄見を破す』第2章第1項(1)「大石記」について」日蓮正宗宗務院教学部 昭和56年2月16日 P44)

と言います。その根拠とする『家中抄』の記載が何を指すのか。同師はしかし、「その理由については冗長となるので今は省略する」とその言及を避けています。

当時、教学部に傾倒していたわたしは、この経緯から『大石記』傍系資料とそれを軽んじいまに至っています。

仮に時師が、引用の如き思いを懐いていたとして、そののちの嫡嗣分である有師がこの説を言わず、北山八幡社壇造立を「朽木書」とすることは整合性を欠くように思えます。

達師の略解に拠れば「朽木書とは絵画の下書のこと、手本の意」(P92)というわけですから、大石の寺も重須八幡社壇も、ともに未来、本門寺の雛形として造立したという見方は出来るかも知れません。

しかし、わたしは蓮師は事壇を説かず没したと考えますので、いずれにせよ、興師の発展的解釈がその濫觴であると考えます。

258ガンコ:2004/02/03(火) 19:04

みなさん、こんばんは。

愚鈍さんご提示の二つのサイト、ざっと読ませていただきました。面白かったです。
しかし、齋藤朋久先生のこの論文、お読みになったかどうか存じませんが、おそらく独歩さんなら思いっきり突っ込みいれたくなるでしょうね。
わたくしにとってはけっこう明快でした。
要を取って申せば・・・大聖人はなぜに本門の戒法といわず本門の戒壇と仰せられたか? すなわち戒壇ということで築壇の意味を含ませている。よって、大聖人の戒壇義は事壇である。
この論文の全体的な輪郭は、わりと顕正会の戒壇論に近いように思いました。もちろん詳細はちがいますけど。

もう一つのサイトは、まあ、顕正会の本部でそれなりの反論を発表すべきでしょうし、わたくしがどうこう言ってもしょうがないですから、とりあえずノーコメントです。

それから、れんさんって、書いていることだけ見ていると、ばりばりの法華講員みたい。気に触ったら、ごめんなさいね。

それでは、みなさん、本日はこれにて失礼つかまつりまする。

259れん:2004/02/03(火) 19:47
独歩さん。大石記の信憑性ですが、同書には例えば「越後国の法華宗平孫太郎助時は法すきの者なりしが、伊賀阿闍梨を教化して日目上人に参らす」とあります。この孫太郎について他資料を検索すると、延慶二年十月十三日、千葉妙本寺蔵日興書写本尊日目脇書に「越後国孫太郎妻女申与」とあり、同書に登場する人物の一人の実在を裏付けています。この様に他資料により裏付けが採れるものがある以上、水島師の如く、現宗門の如く、安易に大石記を軽視するのは早計です。また他資料による裏付けは、多少なりとも大石記の資料的価値を高めていると存じます。

260れん:2004/02/03(火) 20:18
それから、もう一つ、独歩さんは蓮師は事壇を説かず没したとご意見ですが、蓮師は法華行者値難事や法華取要抄等の真蹟に本門「戒壇」と残された以上、斎藤師ならずとも比叡山迹門戒壇に相対する将来の本門戒壇建立を蓮師の意思の中に見るのは可能かと思います。しかし、蓮師の晩年にも四菩薩再誕の賢王は現じなかったことから、蓮師の中では四菩薩再誕の賢王によるの折伏に対する希望は薄れたのも事実です。故に蓮師は上行再誕の聖僧として不軽の精神・行儀を継承し、門弟にもそれを奨励した、それを示すのが諫暁八幡抄末文です。

261れん:2004/02/03(火) 20:37
ですから、諫暁八幡抄の末文から読み取ると、蓮師は将来的には本門戒壇建立を希望しながらも、現実に四菩薩再誕の賢王が出現しない限りは、ご自分とその門弟は釈尊の因行と伝えられる不軽菩薩の精神・行儀を継承して、ひたすら上行菩薩所伝の妙法五字(一大秘法)を受持唱題し、非暴力・非妥協の逆縁広布・法躰折伏に徹するべきと考えておられたと拝察いたします。しかして、富士戒壇論そのものは、現存資料から推して、独歩さんの云われる如く、興師の発展的解釈がその根源にあることは否定できないものです。

262れん:2004/02/03(火) 20:57
ガンコさん。私の書いた文だけ読むと、ばりばりの法華講員に見えますか?まあ、私自身勤行の際の観念文はと言いますと戸田氏の勤行要典講義に掲載された奉祈念天皇陛下護持妙法云々と記された古いものを観念しているので多少は法華講員チックになってしまうのでしょうかね。まぁ、私は気にしないので、お気遣いなくm(__)m
では、ガンコさんにならい、今日はこれにて失礼つかまつるm(__)m

263犀角独歩:2004/02/04(水) 10:45

れんさん:

レス、有り難うございます。
何点か。

まず、大石記に関するご指摘については参考になるところ大でした。
ただし、時師資料を直ちに信頼する蛮勇はわたしは起こりません。
しかしもちろん、仰せのとおり、一を捨て全体を捨てるは愚であると思います。

次に戒壇について。たしかに事檀論を持っていたと考えることは可能でしょう。しかし、蓮師は自ら「三つの法門」と言いいます。これは実質的な建造物を指すと言うより、法門、すなわち理論的な構築と見るほうが、字句どおりであるとわたしには思えます。
また、事檀は、その機能するところは、れんさんも指摘されたとおり、天子の受戒を最大の目的とするわけです。また、副次的な目的もあるでしょう。もし、比叡山を迹門戒壇と斥けて、それに代わる本門戒壇とすれば、僧侶の出家受戒その他においても、機能を果たすことになります。しかし、これら方法論について、蓮師は何ら考証することも、伝えた形跡もありません。仮に事檀構想があったところで、有名無実といわざるを得ないわけです。結局のところ、戒壇に関しては未完のまま没したと見るほかありません。

> 上行再誕の聖僧…法躰折伏

この記述は本尊抄が指示しません。
「此四菩薩…行‘摂受’時成僧弘持正法」ですから、四菩薩変化の僧が成すのは折伏ではなく‘摂受’です。

ま、些細なことですが。

264れん:2004/02/04(水) 19:28
独歩さん。事壇論については、蓮師は信頼できる真蹟現存・曽存の著作において書き残されてないので独歩さんの様な見解も成り立つ余地はあります。学問的には富士戒壇論は興師の師説の発展的解釈により成立し、不造像・不読誦という石山の伝統法義の土台の上に石山の戒壇義が成立したと見た方が自然ですね。なお、観心本尊抄の四菩薩の解釈は興風収録の山上師論文「日蓮大聖人の折伏観」における「現実的には逆縁世界において上行再誕の僧たる大聖人及びその門下が摂受(不軽菩薩の折伏)を行い、将来上行再誕の賢王が出現し、勢力的折伏をもって愚王を

265れん:2004/02/04(水) 19:37
誡責し、『法華経』は広宣流布するのである」(興風第十四号収録)との解釈に基づき記させていただきました。独歩さんの観心本尊抄の四菩薩に対する解釈は、普通一般の日蓮宗の方々と同様の模範的解釈と拝察いたしました。m(__)m

266れん:2004/02/04(水) 20:11
訂正。
誤、不造像・不読誦という石山の伝統法義の土台の上に石山の戒壇義が成立した。
正、不造像・不読誦という石山の伝統法義の土台の上に曼陀羅中心の石山の戒壇義が形成された。

267犀角独歩:2004/02/05(木) 11:28

れんさん:

> 普通一般の日蓮宗の方々と同様の模範的解釈

いや、そんなことはないですよ(笑)
わたしは単に日蓮真跡から読み取れるままを記したまでです。
宗派や、指示する解釈はありませんので、そのままの日蓮を素描すれば、そうなると言うだけのことです。引用される山上師の解釈も()内はまるで不用のはずです。
「上行再誕の僧たる大聖人及びその門下が摂受を行い」は何も間違っていません。本尊抄の四菩薩が僧と現ずる姿を正確に記しています。

ところで「折伏」という語の用法は近年は創価学会によって定着しました。それに倣うのが顕正会ですね。

「相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化道法のこと」(『日蓮大聖人御書辞典』昭和51年12月10日3刷 聖教新聞社 P474)と言います。

しかし、真跡、あるいは天台に見られる折伏の用法からすれば、この解釈は明らかに間違っています。たとえば、れんさんは「不軽菩薩の折伏」と記されていますが、「不軽菩薩は折伏された」のであって、「折伏した」わけではありません。かくの如き摂折論は、今成師の言説を基礎にして、過去に論じられたことでした。

さらに言えば「法体折伏」という石創に通じて使用される用語は、れんさんに申し上げるまでもなく、真跡遺文に見られません。真跡で「法体」を言うときは「如是者所聞法体」などと記さればかりで、折伏との合成語で述べられることはありません。

しかしながら、以上の点は、文献証拠の問題ではなく、それを扱う際、‘解釈上の固定観念(すなわち、石創の解釈論)’が判断を枉げてしまう点について申し上げることです。これらの解釈は日蓮の教説を扱うとき、やはり、真跡遺文から抽出した日蓮の原思想を基礎とすべきであり、滅後、中世から近代に至る人々の宗派の、なにより護教・宗派教学擁護の解釈は用いれば、答えは違ってしまうと考えられます。

いわば「法体折伏」とは、その典型と映じましたので、一言、その点を指摘させていただいたものでした。以上です。

268中道一筋:2004/02/05(木) 12:41
皆様初めまして、中道一筋と申しあげます。
我が家は戦国期から代々石山信仰をしておりますが「創価学会等の主張していた石山義」そして「石山への批判者が言う石山義」そのどちらも我等から見ればまるで他宗を論じているとしか思えない。
本来、日蓮正宗にて戒壇という建物にこだわる歴史は無かった。
我等代々の感覚では、以下のような解釈をしていた。

『蓮祖御立ての法門の「本門戒壇」には、傍意の戒壇と正意の戒壇がある。
まず傍正をもって本門戒壇を述べるなら、本門の妙戒は既に理戒ですから、本門戒壇も事相の戒壇である。ではこの戒壇はどこにあるのか。戒壇とは如法に戒受得の道場である。本門戒壇は、本門如説修行者の行者の心中にこれを求める。
しかし先師尊宿は、本門戒壇をもって本門本尊の住所としている。心性即妙法蓮華経の久遠本時の寂光土であり、久遠本時の寂光とは本門戒壇である。すなわち「己心中の久遠本時の実相の眞壇、南無妙法蓮華経の中に生佛のけみょうを絶して、三世十法法界悉く久遠本時の寂光土なり」これが正意の戒壇である。
次に傍意の戒壇を述べれば、浄地に事相の本門の戒壇を設け、本門の本尊を安置し、更に本門の戒儀を選し、本門伝戒の師は如法に当家(富士門)の僧俗に本門の妙戒を授与する。この事相の戒壇をもって傍意の戒壇となす。大石寺に伝わる「一期弘法抄」の事の戒法を受けるため、国主が願主となって、富士山に建立すべき戒壇及び百六箇抄の種の本迹勝劣を説ける中の四十三条に出ずる三箇の秘法建立の勝地に造立すべき富士山本門寺の本堂の戒壇とは、僧俗の受戒の道場であり、明らかに事檀ですから、傍意の戒壇である。』

以上が代々檀家の1人が昭和40年代に、創価学会への批判的論法をもって著作した「本門一仏乗論」からの要旨抜粋ですが、本来は石山といえども「正意は己心戒壇」なのであります。
その上で「傍意の本門寺の戒壇」を論じるのが本来の石山義なのでありますが、創価学会が広宣流布達成を誇るために、無理に片方だけをとりいだし、妙信講がそれを同じ土俵に乗って批判し 現在も勘違いしていると考えた方が良いと考えます。
妙信講も無理に傍意の戒壇にこだわることは無かった。傍正のたてわけが出来ていれば、正意の戒壇が壊されてないのだから、創価学会さんが何を言おうと笑って済ませれば良かった。

269ガンコ:2004/02/05(木) 15:48

うあああっ、む、むずい。

270ジャンノレン:2004/02/05(木) 17:01
中道さん、はじめましてジャンノレンです。

遂に登場なさったのですね、御高名はお聞きしております。
本門一仏乗論、某古書店では7、8万するような稀書だったと記憶しております。
100部限定で確か、全部配られずにホンの一握りの人だけが、浴したという事も聞いております。
しかし、難解な論ですが傍正の立て分けから考察すれば本門伝戒之師のところに戒壇義も備わるという
様に聞いております。

271愚鈍凡夫:2004/02/05(木) 18:41
皆さん今晩は。
ガンコさん、齋藤師の論文がお気に召されたようですね。
それでは、石山に在籍する方の論文を紹介しますので、お楽しみ下さい。

「本門事壇論 〜日蓮大聖人は理壇か事壇か〜」
http://www.h4.dion.ne.jp/~hotaro/lenpou02.htm

次は、日達師の御指南です。石山の戒壇論を理解する上で役立つと思います。

「日達上人講述・略解日興遺誡置文」
http://www.h4.dion.ne.jp/~hotaro/yuikaiokimon.htm

272TT:2004/02/05(木) 18:56
>日蓮正宗にて戒壇という建物にこだわる歴史は無かった
そうなんだ。
あれ、ならばどうして正本堂建て、現時における事戒壇と言ったの?
中道さんは日達さん批判者なの?

273中道一筋:2004/02/05(木) 20:48
TTさんはどのようなお立場の方でしょうか。
「日達さん」と表記されている事を見ると、当宗の信徒さんではありませんね。簡単に自己紹介御願いします。

さて本題ですが、
当宗には、信徒間に差別が歴然とあります。
残年ながら「常住御本尊様御下付前の信徒さん」には真実の御指南はいたしません。
御先師様は創価学会のように傍意の戒壇に執着する信徒が多い時代だったから、それに即して、傍意の戒壇のみ論じただけです。正意の戒壇については論じられていませんよ。
それがどうして、達師批判となるのでしょうか(Why)。

274れん:2004/02/05(木) 20:56
中道さんはじめまして。「正意は己心戒壇」は我が意を得たりですね。この板の性質上傍意の事壇論を論じて来ましたが、私自身は「正意は己心戒壇」です。但し、二箇相承や百六箇抄を石山伝承とするのは早計でしょう。二箇相承の蓮師「真蹟」と言われていた本は重須曽存ですし、両巻血脈も堀日亨師は「石山に於いても、古い時代の先師方々は此の両抄を余り大切になさらなかったらしい」と述べられております。二箇相承や両巻血脈を石山固有の伝承と見ることは、今日の学問上の諸研究の成果から見れば、些か首を傾げざるを得ないというのが私の感想です。

275犀角独歩:2004/02/06(金) 12:56

戒壇のこと、少し整理したほうが好いでしょう。

(1)蓮師の戒壇観
(2)興師の戒壇観
(3)石山の戒壇観

以上の三つが混濁して議論になっていませんか。
正傍の戒壇論ということが言われていますが、石山や、その信徒がそれを言うのは勝手です。しかし、そんな考えが蓮師や興師にあったかどうかは別問題です。あったというのであれば、その挙証を示されればよい。

石山住職がいうところの「真実の指南」がどんなもんであるか、それは石山相伝を信じる人たちだけの話で、その信仰者同士でのことです。また、石山住職が漫荼羅を書いて下したからといって真実の指南を語るというのもおかしな話であると思います。
我が家の近くに学会の古参幹部ながら畳一畳ほどの大きさの常住本尊を安置する家があります。だからといって石山住職から真実の指南を聞いたとは言っていません。
だいたい「(石山で言うところの)真実の指南」を石山住職が下すのは、信者ではなく、(石山住職が言うところの)唯授一人法嗣に限るのではないでしょうか。

ここまでの話の流れはれんさんは蓮師より事檀論あり。わたしは蓮師に具体的な事檀論なし。そこで中道一筋さん(はじめまして)は石山に傍正戒壇論と、こうなったわけです。(通論的には富士事檀論は興師、殊に重須檀林にその濫觴を見るというのが資料が指示するところでしょう)

なお、れんさんが

> 二箇相承や両巻血脈を石山固有の伝承…首を傾げざるを得ない

というご意見にはまったく同感です。

そもそも二箇相承は北山・蓮興代/澄順の血脉相伝で厳護していた(とされた)のであってそこに石山・蓮興目道の血脉相伝が介在する余地はないでしょうし、要山(上行院)・蓮興目尊の血脉相伝を伝える両巻血脉抄もまた石山の相伝譜とは脈絡を認められないからです。もしそれが石山の相伝であるというのであれば、例えば、譲座本尊、あるいは条々事(わたしが偽書説に立ちますが、それは置きます)のごとく、その正本が石山に伝わっているはずです。その伝承もなく、他山から写しを持ってきて自山の相伝というのはまことにもって珍妙なことです。隣家の権利書のコピーを持っているから、あの家は自分のものであるというようなものです。

276犀角独歩:2004/02/06(金) 13:39

中道一筋さん:

寛師説から質問させていただきます。
いわゆる己心戒壇が正異の戒壇論ということですが、この点は寛師の六大秘法論における義事戒壇と趣を異にしています。寛師は「戒壇之大御本尊」を安置するところを事戒壇というのであって、いわゆる一般日蓮門下の事理戒壇論とは別異の戒壇論を立てています。ですから、通日蓮門下でいう事檀と寛師がいう事檀は、字は同じでも意味が違っています。その点を確認して前に進めれば、寛師が理事戒壇を簡んで義事戒壇を言い、その上で事戒壇(戒壇本尊所住)を戒壇の正意としたことは自明です。

しかしながら、中道一筋さんが引くところに拠ると石山では己心戒壇が正意の戒壇論であるといいますが、これでは寛師の事檀を傍意と下していることになります。これは通日蓮では一般に理檀と言われるところであって、石山義であるというより池山の理戒壇論に似通っています。寛師と異なる理壇説がどうして正意の戒壇なのでしょうか。

277みかん:2004/02/06(金) 17:37
>>273
> TTさんはどのようなお立場の方でしょうか。
> 「日達さん」と表記されている事を見ると、当宗の信徒さんではありませんね。簡単に自己紹介御願いします。

当宗がどこか知りませんがw、他人に自己紹介を強要できない、あくまでも任意のお願いであるということは確認しておくべきだと思います。

当宗とは浄土真宗ですかねw

278ガンコ:2004/02/07(土) 17:11

愚鈍さん、どうもありがとうございます。

>それでは、石山に在籍する方の論文を紹介しますので、お楽しみ下さい。

楽しませていただきました。
きわめて個人的な関心を申しますと、この事壇論のなかで「三時弘経次第」に触れられていますが、浅井の書いた平成二年の諌暁書では「三時弘教次第」となっていること。
また、きわめて微妙なことを申しますと、浅井は引用文の後に(三時弘教次第)と出典を入れているわけですが、一昨年この諌暁書を復刊させた時には、その同じ部分に(日興上人・三時弘教次第)と、わざわざ日興上人を書き入れているんです。だからなんなんだといえば、べつにどうってこともないのですけど。

日達上人の御指南は、いくつか注意書きが付されていましたが、そこがたいへん興味をそそられました。

「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。」

この解釈が一定していないことは、顕正会幹部であれば、みんな知っているところです。日達上人の御指南も一理ありますが、ややひねりすぎの印象はぬぐい難いですね。今の御宗門でもその辺は承知しているのでしょう。

「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首或は習学の仁に於ては、設ひ一旦の媱犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事。」

ここで、わざわざ辞書を引いて「差し置く」に注意を促している意図を、愚鈍さんはいかが思われますか?

279愚鈍凡夫:2004/02/07(土) 20:50
ガンコさん、楽しんで頂けて何よりです。 (^_^)v

> 「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の妖犯有りと難も衆徒に差し置くべき事。」

> ここで、わざわざ辞書を引いて「差し置く」に注意を促している意図を、愚鈍さんはいかが思われますか?

小生のような下々の者にはあずかり知らぬことという意味と解釈しました。
まあっ。正直言って、日達師の御指南にはがっかりというのが感想です。
相当苦しいこじつけと拝察いたしました。

280Jルーカス:2004/02/09(月) 09:25
ガンコさん
一応、言っておきますが辞書を引いているのは達師御自身では無く編者が勝手に引用しているだけです。
それが証拠に、国語辞典は1988年版という、達師御遷化後かなりたってからのものを、使用しています。

281れん:2004/02/09(月) 14:30
ガンコさん。「三時弘経次第」について、目師申状(真蹟保田妙本寺蔵)には、「三時弘経次第」とありますので、浅井氏の「教」字は間違いで「経」字の方が本来の表記ですね。本書は興師の真蹟は不現存で、古写本でのみの伝承ですが、堀日亨師の宗門古典考査によると、石山蔵・興師真蹟「破禅要文」(内容未詳)に同義の文があるとのことで、三時弘経次第はほぼ興師撰述の文献と見て間違いないものと存じます。m(__)m

282ガンコ:2004/02/09(月) 16:57

愚鈍さん、がっかりですか? そうか、がっかり(創価学会)ですか。
冗談はともかく、日達上人は御高徳の上人であられると、わたくし思っております。


れんさん、ご教示ありがとうございます。
しかし浅井にしてはめずらしい。
単なるミスか、あるいは何かの資料に依ったのか、どなたかご存知ありませんこと?


Jルーカスさん。
そそそんなこと、わわわかってますってば!

ですから、この「差し置く」にどのような意味があるのか、編者は何を言いたいのか、それがまったく見えてこないから、その意図するところはなんなのか、知りたいのです。
どうなんです? 何かご存知ですこと?

283犀角独歩:2004/02/12(木) 06:53

> 267までに「折伏」語の誤用について記しましたが、

先頃、発刊された『福神』第9号(太田出版)に『福神討論《日蓮再読》摂折観をめぐるテキスト論 今成元昭先生』としてこの問題を取り上げていました。
今成師がいままで主張されてきたことが整理されて繰り返されており、参考になります。また、末に『資料編』を置き、近代碩学の「折伏」語の誤用問題点、また今成論を裏付ける蓮師遺文、法華三大部も抜き書きされています。

その他、当スレッドからはずれますが、ついでに紹介すると、同誌では大木道惠氏『創価学会攻防史の研究(1)』の連載が始まっています。なかなか興味深い内容となっています。また、松戸行雄氏『凡夫本仏論の宗教的個人主義』も掲載。こちらは遺文真偽問題をぜんぜん無視した、なんともはやというところでしょうか。反面、澁澤光紀師『聖なる暴力は肯定されるか―「非戦と非暴力」日蓮/宗東京京浜教研会議報告』は考えさせられる内容でした。

284愚鈍凡夫:2004/02/12(木) 12:57
現在、読売新聞に「裸の教祖 10年目の真実」と称する連載記事があります。
この中で、カルト宗教指導者の自己中心で傲慢な態度の本質を突いていると思える内容がありましたので、引用します。

**************************************************
(前略)
 鵜飼いが盛んな岐阜県関市。長良川沿いの山の中腹に宮前住職の寺はある。
 「麻原は著書で、体がなくなる体験について語っているが、私も似たような経験をしたことがある」
 35年余り前、睡眠時間を極限まで削り、ひたすら座禅を組む日々を送っていた住職に、体が体と感じられなくなる瞬間が訪れた。「ついに解脱した」と思えてしまうほど強烈な体験だった。
 「おれは価値ある人間だと思ってしまった。解脱したのだから死も恐れない。何をやっても許されるという心境だった」
 「(神秘体験は)修行の入り口に過ぎないのに、麻原は解脱したと勘違いした」。宮前住職はそう指摘する。教団への強制捜査後、住職のもとには、50人以上のオウム信者が訪れ、半数近くが教団を脱会した。
*
 坂本弁護士事件の実行犯、端本悟(36)は、ドラム缶で作った潜水艦の実験でおぼれかかったことがある。「教団ではバカバカしい話が山ほどあった」。その度に疑問が芽生えかけたが、「グルはすべてを分かった上で自分に試練を与えている」と考えた。
 端本の弁護団は、「『疑念を持つこと自体、帰依が足りない証拠』という教えによって『自発的な』思考停止状態に陥っていた」と分析する。
 経済という名の暴力。理不尽なことも"試練"として正当化する教義――松本は、様々な手法で弟子たちの心を揺さぶりながら、忠誠心を絡め取っていった。
(被告の呼称略)

2004(平成16)年2月11日 読売新聞朝刊
**************************************************

世に恐ろしきは、「思い込み」と「勘違い」ってやつですか・・・・・・。 /(-_-)\ コマッタァ・・・

> 端本の弁護団は、「『疑念を持つこと自体、帰依が足りない証拠』という教えによって『自発的な』思考停止状態に陥っていた」と分析する。
> 経済という名の暴力。理不尽なことも"試練"として正当化する教義――松本は、様々な手法で弟子たちの心を揺さぶりながら、忠誠心を絡め取っていった。

かつて、創価学会員だった自分がだぶったりして・・・・・。 (-"-;A ...アセアセ

285犀角独歩:2004/02/12(木) 13:22

愚鈍凡夫さんは、いつも興味深い資料を紹介くださいますね。

「思考停止」はスティーヴン・ハッサン師が『マインド・コントロールの恐怖』(浅見定雄師訳/恒友出版)で使った破壊的カルト・メンバーの特徴を示す語でした。

実はわたしはこの語が自分にどう当て嵌まるのか、はじめてこの書を読んだ当初わかりませんでした。「自分は一所懸命に考えている」と思えたからです。

ですから、思考停止とは、実は集団と指導者が与える考え方・解釈以外の思考を停止させる心理プログラムによる技術なのだとわかったのは、ずいぶんとあとのことでした。つまり、集団と指導者に信託していた自分はやめたあとも永らく、そこで教えられた形でしか一所懸命に考えていなかったわけです。ここに脱会後もマインド・コントロールが溶けない大きな鍵があります。

「思考停止」の記述について同書から抜き書きすると、

カルトのメンバーの思想をコントロールするのにいちばんよく使われる効果的な方法は、“思考停止の儀礼”である。(P120)

思考停止を用いることで、メンバーたちは、実際は自分をただ中毒患者にしているだけなのに、自分はいま成長しているのだと考える。ある人が思考停止の技術を大幅に使うカルトから離れてから、その中毒を克服できるまでには、困難な禁断症状の過程を通過しなければならない。(P121)

思考停止は、現実を吟味する人間の能力を妨げるいちばん直接の方法である。実際、もしだれかが自分のグループとの関係を積極的にしか考えることができないとすれば、彼はほぼ確実にやられているのだ。教義は完全であり、またリーダーは完全なのだから、持ちあがってくる問題は何でも、個々のメンバーの落ち度とみなされる。彼はいつも自分を責め、もっと一所懸命働くことを身につける。(同)

ものを考えないでただリーダーのいうことに従うように教えるグループは、どんなグループでも危険だ。(P289)

(カルトにいるときは)疑問や矛盾のことをゆっくり考える暇が全然なかったのだった。『良い』会員として、そういうときはほとんどいつも『思考停止』にならなければならなかった。(同)

カルトの人間はみな、リーダーや教義や組織についての『否定的な』考えはすべて停止するように、条件づけられている。また、自分のグループはほかのどんなグループとも違い、それより優れているんだと信じるように教え込まれている。(P295)

思考停止の作用は、『正面攻撃』を受けるとすぐに働きだす。(同)

などとなっています。
この心理操作技術は学会を含む石山系集団、すなわち日蓮本仏圏は常に使われるものであると分析できます。

286愚鈍凡夫:2004/02/12(木) 18:37

犀角独歩さん、有り難うございます。

入口を出口と勘違いした麻原も哀れですが、その男に引きずられていった信者たちは、カルトから離れてもマインド・コントロールの後遺症と闘わなければなりません。
哀れどころの話じゃありませんね。

カルト宗教が不幸を招き寄せるのか、不幸な人がカルト宗教に集まるのか、論理の迷走が続きそうです。 (-。-;)

287孤独な迷子:2004/02/12(木) 22:50
こんばんは。

宗教って、冷静に見ていかないと、恐ろしいものなのですね。

288犀角独歩:2004/02/13(金) 13:59

孤独な迷子さん:

> 宗教…冷静に見ていかないと、恐ろしい

そのとおりでしょうね。
でも、もっと恐ろしいものがあります。その宗教と教義を利用する集団と指導者です。

289問答迷人:2004/02/13(金) 14:58

>でも、もっと恐ろしいものがあります。その宗教と教義を利用する集団と指導者です。

カルト宗教というのは、マルチ商法の一つの形態ではないかと僕は考えています。このマルチ商法では、販売する商品が「信仰」なので、マルチ商法であることに気が付きにくい。だけど、どこを捉えても、MLM(マルチレベルマーケッティング)そのものだと、僕は感じてしまいます。こうした実態を一言で言えば「宗教マルチ」。恐ろしいです。

290犀角独歩:2004/02/13(金) 19:07

> カルト宗教というのは、マルチ商法の一つの形態

同感です。宗教を利用し、人の善意に付け入り、自己改革の欲求を企業利益に代える詐欺商法であるとわたしは考えてきました。
宗教を利用する正法ならぬ、商法ですね。

291孤独な迷子:2004/02/15(日) 18:57
独歩さん、問答迷人さん

お久しぶりです。

> その宗教と教義を利用する集団と指導者です。

その指導者や集団のトップというのは何か目的があって意図的に宗教と協議を利用しているのでしょうか?

> カルト宗教というのは、マルチ商法の一つの形態

私も最近はそのような感じ方になりつつあります。多くの宗教教団がそのような形態ではないだろうかとさえ思っています。

そうなると、宗教(信仰)というのは有害無益なものと位置付けてしまってもよいのでしょうか?

292みん:2004/02/15(日) 23:33
私見ですが宗教の全部が有害無益とは思いません。人の心の支えになって家族や友人や社会と上手く強調していければ。『神仏は頼らず尊び』です。ただ残念な事にお金や権威に執着するトップがたくさんいるために教義を2の次にして、そこには私達がかかるようなシステムが生まれてしまうのでしょう。人の心を商品にするマルチ商法ですよね。最悪です!長くなってスイマセン

293一刀両断:2004/02/16(月) 23:24
様々な議論展開の中で横槍を入れるような形で申し訳ありませんが、顕正会の機関紙に以下の文が掲載されておりました。
これについて、私は一切の基本理念がないので、どう捉えるべきか何方かご指摘願えますでしょうか。

顕正新聞 第956号 平成16年2月15日 抜粋

「彼岸・盂蘭盆法要は本部会館で」 塔婆建立はせず、仏法の本義で回向

これまで春秋の彼岸法要ならびに盂蘭盆法要は東京会館で行われておりましたが、来る三月二十日(土)の春季彼岸法要からは、本部会館において、いずれも午後二時より、儀礼室の横田高明理事の唱導により執行されることになりました。
また塔婆については、今後前記三法要においては、建立しないことに決定されました。
その理由は、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉り、広宣流布に御奉公することが功徳を生じ、この功徳を故人に回わし向けるのが回向の本義であります。
この仏法の本義に則り、故人となられた同志および会員先祖代々の追善回向するのが、彼岸および盂蘭盆の法要なのであります。
よって塔婆は不要であります。
今後、この思いをもって、追善回向の志ある方々はご参詣下さい。

以上
・仏法から見た塔婆の意義
・日蓮本仏論系統の塔婆の捉え方
・既に塔婆を建立してきた意義
・今後不要とする意義

これらの点についてご教示願えれば有り難く存じます。
御存知の通り、顕正会ではほとんどこういった故人に対する回向、追善供養といった儀礼については端的な指導を受けてきておりません。
葬儀や彼岸、盂蘭盆法要などについては会員内での不幸でもなければ、まず知りえるところではないのです。
よろしくお願いいたします。

294犀角独歩:2004/02/17(火) 09:21

291 孤独な迷子さん:

> 宗教(信仰)というのは有害無益なものと位置付けてしまってもよいのでしょうか?

わたしの個人的な意見を述べれば、宗教=信仰ということ自体、仕組まれた等式であるということ。有害なのは宗教、信仰ではなく、それらを利用する集団と指導者であるということです。

292 みんさん:

> 人の心を商品

言い得て妙な表であると思います。

295犀角独歩:2004/02/17(火) 09:45

293 一刀両断さん:

塔婆の廃止は先に創価学会が行ったことでした。

> 仏法から見た塔婆の意義

石山で塔婆の意義を問えば、間違いなく以下の御書を引用するでしょう。


我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり(草木成仏口決)

去(みまか)りぬる幼子のむすめ(娘)御前の十三年に、丈六のそとば(卒塔婆)をたてゝ、其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、其の風にあたりて大海の苦をはな(離)れ、東風(こち)きたれば西山の鳥鹿(ちょうろく)、其の風を身にふ(触)れて畜生道をまぬ(免)かれて都率(とそつ)の内院に生まれん。況んやかのそとば(卒塔婆)に随喜をなし、手をふ(触)れ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてら(照)し、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水す(澄)めば月うつ(映)り、つゞみ(鼓)をう(打)てばひゞ(響)きのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此より後々の御そとば(卒塔婆)にも法華経の題目を顕はし給へ(中興入道御消息)


> 日蓮本仏論系統の塔婆の捉え方


また石山の考えでは題目を記した墓石、塔婆、過去帳は略本尊の意義を持つとしますから、つまりはその廃止を意味することになります。また、題目の下に亡者の戒名を書き付けることは師弟相対の成仏を表すことであるとしますので塔婆の廃止は人法一箇日蓮本仏との相対義を破ることを意味するでしょう。

> 既に塔婆を建立してきた意義

前言を平気で撤廃することは、仏教云々以前の問題として人道に悖る卑劣な行為であるとわたしは思います。

> 今後不要とする意義

僧侶不用、典礼までも在家が行う創価学会方式の導入以上の意味は持たないでしょう。
要は典礼権の掌握は在家集団の最終的な目的、金と心のすべて籠絡する意図以上のものはありません。

一節には顕正会は石山に帰り咲く意図があったと聞きますが、典礼を在家が行うことで、この道は塞がれたと言うことになるでしょう。

石山義に沿えば、以上のことが言えようかと存じます。

296一刀両断:2004/02/17(火) 12:22
犀角独歩さん 丁寧な解説有難うございます。

塔婆廃止は創価学会が先に行っていた事は存じませんでした。
そういえば顕正会でも戒名については不要論を取り入れていたことを思い出しました。

ある意味、創価学会と宗門が抗争が勃発してより、次々と行ってきた学会の信仰姿勢の改革は、僧侶を不要とする基準から打たれてきた手であろうかと思います。
そして顕正会においても、かつては盛んに宗門復帰、そして広宣流布主導を叫んでいた時点では、不要としなかった点が、ここへきて不要とされているのですから、あきらかに創価学会と同様の考えがあっての事だろうと考えられます。
つまり、顕正会でも僧侶は不要であり、いやもっというなら僧侶を不要とする以上、これらを廃止せざるを得なくなったということなのかもしれませんね。

僧侶を不要とする路線へ突如変更し、それを尚、可とできてしまう富士大石寺論法というものに、富士大石寺の歴史、教義の矛盾、狡猾さを垣間見る思いがします。

297愚鈍凡夫:2004/02/17(火) 19:51

横レス失礼します。
卒塔婆について

**************************************************
【起源と伝播】梵語のストゥーパの音写。卒都婆略して塔婆・塔などと書く。古代インドでは伏鉢型に盛り土した墓のことであるが,仏教では釈迦や仏弟子の舎利,遺髪などを埋めた上に土を盛り,その周囲を石や煉瓦で包んだ塔のことである。紀元前後この塔を崇拝の中心とする運動がおこり,大乗仏教にまで発展した。前3世紀半ごろ阿育王が多数のストゥーパを建てたと伝えるが,わが国でも奈良時代の百万塔造顕がよく知られる。造塔には大功徳があることは無量寿経・ヒユキョウ※注1※などの諸経に説くところで,これによって造塔の隆昌をもたらした。前1世紀後半ごろ西北インド在住のギリシア人が父母の供養のために建塔した例もある(『中村元選集』第16巻,1968,春秋社)。仏教が各地に広まるとともに仏塔建立の風習は南方諸国や中央アジア・中国・朝鮮でも行われた。中国では247年に呉の孫権が建初寺を建てた時が舎利塔造建の初めとせられる。

【塔婆の種類】日本では585年(敏達14)蘇我馬子が大野丘の北に建てたのを最初とする。塔婆には五重塔のような大きな建造物をも含むが相輪の部分はストゥーパの形式を残したものという。塔婆はふつう石造の宝塔・宝篋印塔・五輪塔・卵塔・笠塔婆・板碑や墓地に見る石塔が知られるほか木製の角塔婆・板塔婆・経木塔婆がある。このほか塔鋺・塔鈴・籾塔など多種多様である。ここでは人々の生活と関係の深い石塔類について述べる。

**************************************************

「塔 婆」
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N022L100.HTM

「卒塔婆供養の功徳」
http://www.zenryuji.or.jp/html/tayori-2.htm

「ボロブドゥール遺跡&バリ島写真集」
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/photo-indonesia/p-0031.htm

ご参考までに。

298一刀両断:2004/02/19(木) 16:34
愚鈍凡夫さん
情報提供有難うございます。
じっくりと拝見してみます。
とにかく顕正会ではこういった儀式に関する捉え方がまったく指導なされていないので、ここのサイトの情報を拝見するにつけ、よく今までこの程度で正統を叫んでいられたものだと、改めて恥ずかしくなる思いがいたします。

299Jルーカス:2004/02/19(木) 19:00
塔婆を廃止するのは、顕正会という宗派の自由だと思いますが、ここで聞きたいのは、数年前までは、護法山顕正寺の住職となっていた村松師の動向です。
在家主導となった以上、お払い箱でしょうか。首切られたのかな。

300ガンコ:2004/02/20(金) 14:05

戒壇論雑感 その1

今や冨士大石寺における戒壇論は多種多様にして複雑をきわめる。
このところ、傍だの正だの、あるいは己心だのと、およそ戒壇論とは思えぬ言葉がとりざたされていたが、手塚寛道先生は「心に本門の戒壇を」と仰せになっているそうである。あるいはこれが己心の戒壇に相当するのであろうか。

「此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり。」(日女御前御返事)

有名な御文である。端的に申せば、御本尊は我等の己心にある・・・じっさいには「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる」を省略すると正確さに欠けるのであろうが、ともかく端折って御本尊は己心に住するとしよう。つぎの「九識心王真如の都」とはものすごい御表現であられる。ここで「都」に注目するならば、なるほど大石寺では本尊所住の処を戒壇とするのであるから、これは己心戒壇となる。

「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候。」(十字御書)
「夫浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず、ただ我等がむねの間にあり。」(上野殿後家尼御返事)
「又衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。」(一生成仏抄)

これらの御指南は必ずしも戒壇論ではないが、あえて戒壇論に準拠せしむるならば、おそらくは理壇論の範疇に属するものであろう。
では、大聖人はこれを正意の戒壇とせられたのであろうか? わたくしはちがうと思っている。少なくとも、己心の戒壇をいうばあい、その己心とは、第一義的には日蓮大聖人の己心を申し上げるのであって、これを外してしまったら本門の戒壇たりえないはずである。
よって、御義口伝に仰せの「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」に準拠しなければならない、とするのが大聖人正意の戒壇となるはずである。

301ガンコ:2004/02/20(金) 14:06

戒壇論雑感 その2

中道一筋さんご提示の傍意・正意戒壇は難解をきわめる。わたくしのような不勉強の者には一々の用語が理解できず、何を言っているのかわからない。しかも、それだけではない。ようは、三大秘法抄・一期弘法抄を真書としながら、なおも戒壇建立を正意とせず、傍意に置くのである。まさに暴威である。
しかし、どうにか、わたくしなりに理解できたので、ここに書いてみたい。
まず、正意というと、わたくしがただちに思い浮かぶのは、本尊問答抄のつぎの御文である。

「此は法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にあらず。上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。」

すなわち、末法においては法華経の題目を以て本尊とすべきであり、それが法華経の正意であり、法華経の行者の正意である、と。
ここでしばしば問題となるのが、本門の本尊と本門の題目の重複である。しかし、大石寺においてはさしたる問題とはならない。それは、一つには曼荼羅正意であるからだが、さらに申せば「三大秘法総在の本尊」なるがゆえではなかろうか。

「三大秘法は本尊と戒壇と題目の三つに分れていても、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。そのわけは、本門の本尊のおわします所が本門の戒壇であり、またこの御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である。すなわち戒壇も題目もすべて本門の本尊より発するゆえである。」(折伏理論書)

じつは、これではまだ意を尽くしていないのではないかと思う。あえて大胆に書くとつぎのごとくなる。わたくしの云はく「本門戒壇の大御本尊は、本門の本尊であると同時に本門の戒壇であり、本門の題目である」と。これならば、本門の本尊と本門の題目の重複は問題ではない。本尊問答抄では煩瑣を避けて戒壇を略されているだけであって、とうぜん戒壇も加わってしかるべきと思う。すなわち、「本門の本尊と戒壇と題目の五字」とが重複する、これこそ「一大事の秘法」にふさわしいし、「法華経の行者の正意」ではなかろうか。
手順としては、これを踏まえたうえで、本尊所住の処に約しての戒壇があり、所弘・所修に約しての題目があるわけで、この順序次第を忘れてはならないのである。
当たり前のことだが、建物にこだわりすぎると本義を見失ってしまう。ゆえに築壇を傍意とするのではなかろうか。

302ガンコ:2004/02/20(金) 14:07

戒壇論雑感 その3

では、戒壇建立の御遺命にはどういう意味があるのか? ということになる。これについてはべつの機会に申し述べることにするが、いま言えることはつぎのごとくである。
大聖人仰せの「時を待つべきのみ」のその「時」が到来して、戒壇建立がなったとしよう、しかし、建物そのものに特別な力が備わるのではなく、あくまで力があるのは御本尊・・・すなわち本門戒壇の大御本尊に仏力・法力がましますのであり、それが日本ないし一閻浮提に波及するのである。これが本義であり、傍・正戒壇論の所詮であろう。

ここで日達上人の事壇論に触れたい。上人が法体に約して事壇を仰せになったことは今や常識であるが、いまだに「細井管長は創価学会に迎合して事の戒壇の定義を変更してしまった」と言い続けている団体がある。確かに日淳上人の御指南と相違するところがなきにしもあらずであって、事壇の定義を変更したというのはその通りであろう。しかし、創価学会に迎合したとの見方は、もうそろそろ改めるべきかと思う。
御高徳の日達上人であられる。迎合などされようか。しかし、当時の学会の金力・権力は絶大だった。そこで、一見非常手段とも思える事壇定義変更をもって、学会の慢心を誡められたと拝するべきである。
すなわち、「正本堂」なるがゆえに事の戒壇なのではなく、「戒壇の大御本尊」ましますがゆえに事の戒壇と仰せられた。御宝蔵も事の戒壇、奉安殿も事の戒壇、正本堂も事の戒壇、戒壇の大御本尊まします所はいつでもどこでも事の戒壇・・・これは、いまになって拝すると、正本堂という建物にこだわる池田大作氏を誡められたこと、一目瞭然である。

さて、従来の大石寺における主流の事・義壇論と、日達上人の事壇論は相違する。主流とは申すまでもなく日寛上人であられる。そうすると、やはり日達上人がまちがっているのだろうか? わたくしはそうではないと思う。もともと次元が違うのである。どちらも正しいのであるが、どちらかというと日達上人の御指南のほうが本源的である。
整理すれば、
※日寛上人は三大秘法抄・一期弘法抄にもとづき、実質的な戒壇建立に即して事・義の立て分けをあそばした。
※日達上人は「法華経の行者の一身の当体」ないし「法華経の行者の正意」に即して事壇を釈せられた。
ということになると思う。

303ガンコ:2004/02/20(金) 14:08

戒壇論雑感 その4

先に、「一見非常手段と思える事壇定義変更」・・・けれども「日達上人の御指南のほうが本源的」と書いた。その理由について、申し述べたい。

「問ふ、一念三千の正しき証文如何。答ふ、次に申し出だすべし。此に於て二種有り。方便品に云はく『諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見』等云々。底下の凡夫理性所具の一念三千か。寿量品に云はく『然我実成仏已来無量無辺』等云々。大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり。」(三大秘法稟承事)

申すまでもなく、三大秘法抄における戒壇の御指南はこの前の段であって、ここは戒壇についての仰せではない。しかし、すでに述べたごとく大石寺では本尊所住の処を戒壇とするわけであり、「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」(草木成仏口決)を合わせ拝するならば、戒壇論に応用できるであろう。
「底下の凡夫理性所具の一念三千」とは、その1で引いた諸御書の御指南と同義であり、おそらくは理壇論の範疇であろうと書いた。ここでは迹門に相当することになる。己心の戒壇といっても衆生の己心では、迹門の域を出ないわけである。
そして、「大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千」とは、理壇に相対するならば、まさに実質的な戒壇建立の意味となる。一般に、事壇とはこの意味であるが、しかし、日達上人はさらに原意に立ち還って、大聖人己心の戒壇を仰せられたものと拝する。すなわち、立宗より発迹顕本を経て出世の本懐に至る大聖人の御振る舞いこそ、「久遠実成の当初証得の一念三千」であり、その当体が本門戒壇の大御本尊にてましますのである。

また、「因果倶時・不思議の一法之有り」(当体義抄)をも戒壇論に応用すれば、順序次第のうえからは戒壇の大御本尊が因であり、戒壇建立は果となる。ところが御文のごとくならば、因果倶時である。つまり、戒壇の大御本尊が顕わされたと同時に本門の戒壇も顕われたと拝するべきであり、日達上人はこの趣きにしたがって事の戒壇を仰せられたものと拝することができる。そして不思議の一法は、そのまま三秘総在を思わせる御文でもある。

そもそも大聖人は、「延暦寺の戒壇は迹門の理戒」と仰せあそばす。注目すべきは、比叡山延暦寺の円頓戒壇をさして迹門の理戒とするところであろう。つまり、実質的な戒壇建立の有無にかかわらず、迹門は理戒であり、本門は事戒となる。いわゆる法体の相違である。
日達上人は法体に約して事壇を仰せられた。まさに「法華経の行者の一身の当体」「法華経の行者の正意」の戒壇である。

304ガンコ:2004/02/20(金) 15:21

塔婆供養に関しては、わたくしも顕正新聞の活字でしか知りえませんので何ともわかりませんが、個人的な考えを申しますと、分派独立傾向を強めたとは思いません。(思いたくない)

かつての浅井先生の自慢話
「これほど青年の比率の高い団体は顕正会をおいて他には存在しない」
なあんてことをむかしはよく言ってたですよね。

創価学会では「顕正会は若年者ばかりで熟年層がいない。若い人間だって、十年もすればみんないなくなってしまう。これがインチキの証拠である」って言います。
それにする浅井先生の公式発言「なめたらあかんぜよ」というのがあります。

今まで東京会館でやっていた行事を本部会館に移した。それも、いわゆる法事のたぐいであるから、顕正会にも熟年層が増えてきた証拠でしょう。

おそらく塔婆は村松先生が書いていらしたのだと思います。けっこう能筆でいらっしゃいますからね。ところがどんどん塔婆の申し込みが多くなってきて、とてもひとりじゃさばききれない、といって外注に出すわけにもいかないし、儀礼部員といっても御経はそこそこ読めても塔婆は一朝一夕に書けるものじゃないでしょうから、そういうことでやめたんじゃないかしらね。

305犀角独歩:2004/02/20(金) 20:56

ガンコさん:

300〜303、こういったフィクションを以てドキュメンタリーを騙る文章はよろしくない。もっと真面目な記述に努めるべきでしょう。

塔婆を書ききれなくなったから、在家がやる、そんな態度もまた、実に不真面目、不謹慎きわまりない態度と言えるでしょう。

306愚鈍凡夫:2004/02/20(金) 22:00

横レス失礼します。
ガンコさんに質問があります。

「底下の凡夫理性所具の一念三千」とは、人に本来備わっている「一念三千」を指していると思いますが、それに対し、「大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千」とは、教主釈尊が開悟した「一念三千」を意味するのだと思います。
小生は、今では「法華経」を編纂した僧団と、「大般涅槃経」を編纂した僧団とは違う思想体系に属するのではないかと考えています。分かりやすく言えば、「法華経」に説かれる「仏種」と、「大般涅槃経」に説かれる「仏性」とは別物ではないかと言うことです。即ち、「仏種」とは仏が化導によって衆生に植えるもので、「仏性」は衆生に本来備わったものである。このような違いかと思います。
そこで、ガンコ説にある二つの「一念三千」と、「理壇」、「事壇」の整合性が今一分からないのですが、御教示下さいませんか。

307犀角独歩:2004/02/20(金) 22:19

> 塔婆を書ききれなくなったから、在家がやる

自己レスが、結局のところ、典礼には必ず経済効果がついて回ります。
寺で言えば「塔婆料」。これを横からかすめ取ろうとすると、在家が僧侶に取って代わろうとします。

顕正会はいまはひどい本門戒壇之大御本尊と国立戒壇を振り回す商業カルトと成り果て、考えているのは金儲けばかり。純粋な信者は疑うこと、金儲けと考えることは不純なことと操作されて、浅井家族だけが儲かる商売に利用されている。そんな延長に納骨堂、塔婆、4月に始まる諌暁という名の出版業を考えないといけません。

ただの銭儲け、商売です。

308愚鈍凡夫:2004/02/20(金) 23:13

塔婆供養について、これが日蓮正宗の公式見解だと思います。

**************************************************
お塔婆の意味
もともと塔婆は、丸や角の形を積み重ねて一つの体をあらわしています。下から方形(四角)・円形・三角形・半円形・如意宝珠の順序で五輪の塔に組立てるのが基本的な形で、これは地水火風空の五大、すなわち妙法蓮華経の五字をあらわすことになります。
この五大をあらわす順序の中で、方形というのは地輪、円形は水輪、三角形は火輪、半円形は風輪、如意宝珠は空輪になります。一番下の方形は地輪で地面を意味し、水は地面の上に溜るので地の上になり、火は水より高く空中に昇る性質があるので水輪の上になり、風は火よりも上に昇ることが出来るので火輪の上になり、空は最も上にあるので一番上に載せるのです。そして地輪は四角に表現し、水輪は円く、火輪は三角に、風輪は半月型に、空輪は珠型に形造るのです。このように形造られた五大は宇宙の真理である妙法蓮華経をあらわしているのです。
御義口伝に「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五なり」と説かれています。
さらに総勘文抄に「五行とは地水火風空なり、乃至是則ち妙法蓮華経の五字なり」とおおせられています。
このようなことから考えますと五輪の塔婆は妙法蓮華経という仏様の体を表現したものであるという事になります。
塔婆にお題目を書くのは、この塔婆は、もう仏様のお体であり、この仏様のお心のなかに亡くなった人が一緒におられるということを示すのです。

「塔婆供養」より引用
**************************************************

「塔婆供養」
http://www.myokoji.jp/page/tokusyu/toubakuyou.htm

309一刀両断:2004/02/21(土) 01:12
ガンコさん
私も正直に、307で犀角独歩さんが御指摘の結論しか導き出せません。

たとえば教学は不要などという指導が、十数年前に会内の指導として罷り通っていたらどうなったと思いますか?
”ただ歓喜でよい”などと馬鹿げた言葉が通用してしまい、御書発刊も宣言しながら実現せず、学会員の方とも法華講員の方とも会話する義務も負わされず、ただ”トップ同志の話で結論つけてあげる、と言い切ってやりなさい。こちらは逃げも隠れもしない”と大見得を切らせる会長の言葉。
学会と宗門の抗争について、学会を罵り、宗門を罵倒し、そしてそのいずれの悪口をも自らが今は平然と会員に実践させており、尚会長は平然と無茶な指導をし、会員は疑う事を許されない。

こんな少しの変化にすら疑問を生じる感性を失い、擁護する見解が出てしまう時点で、”あなたの傾倒している信仰は実はカルトではありませんか?”とお聞きしたくなるのです。
どうも、あなたは日蓮本仏信者にあるべき見解を示されていないような気がします。
白か黒かはっきりさせるべき姿こそ、本来の日蓮本仏圏内の内外に対する姿勢であり、本仏圏内の教学論で申せば結論を出さずにはいられないはずです。
勿論、ガンコさんのように受動できる姿勢は大事だと思いますが、どうも、ガンコさんの姿勢をみていると大石寺が歴史上批難されてきた事に対する”逃げ口上”のような、そんな感じが見受けられるのです。
自らの欲した情報には相手に平気で迎合するようなスタンスを取るが、結局自分の都合の良いように解釈して身勝手な論を上げる。
今までの経緯を拝見させて頂いて、上記のような論を展開するガンコさんの心の内を垣間見、やはりカエルの子はカエルでしか有り得ないのか、という失望と、恐れを抱いた感がありました。
中傷であれば誠に申し訳ありません。

ただ元々同じ会員であり、何ら反論する知識すら持ち合わせない会員よりも、きちんと思うことを述べるガンコさんへの期待が、何だか崩れ去ってしまった感が正直、あります。
状況判断と証拠という問題はありますが、現状を垣間見て信じたい気持ちよりも現実を直視し、逃避癖を捨てるべきなのではないでしょうか。

310愚鈍凡夫:2004/02/21(土) 15:57

細井日達師の「事の戒壇」に関するスピーチを検索してみました。

1960(昭和35)年1月1日 訓諭
「日達先キニ日淳上人ヨリ昭和三十四年十一月十六日丑寅の刻に血脈相承をウケ、十二月二日日蓮正宗管長ノ職ニツキ、総本山六十六世ノ法燈をツグ宗門ノ現状ハ洵ニ旭日昇天ノ勢ニシテ日本仏教界ヲ独走スト言ウモ過言ナラズ、然シナガラ此レニ伴ツテ、三障四魔フンゼントシテ来タルハ聖語ノムナシカラザルヲ証スルモノデアル。宜シク宗門ノ僧俗ハ一致シテ広宣流布の願行に徹シテ、克ク開山上人以来ノ伝統ヲ護持セネバナラナイト信ズル、此処二大イニ教学ノ興隆ヲ期シテ宗門ノ龍象ヲ養イ、宗風ノ刷新ト僧俗一致ノ実ヲアゲテ弘教二精励スル由縁ガアル。日達徳薄垢重ト雖モ忝ケナクモ冨士ノ法器トナッテ茲二猊座二登ル、只今ヨリハヒタスラ宗開両祖ノ遺訓ヲ奉ジテ身ヲ謹ミ、歴代諸師ノ遣風ヲ仰イデ実践二移シ、異体同心ノ緇素(しそ)ニヨッテ挙宗一致、日蓮正宗ノ宗勢拡張ヲ期スルモノデアル冀クバ日淳上人ノ憎俗一致ノ言葉ヲ帯シテ日達が赤誠ヲ諒セラレ身口意三業ヲ謹ンデ和衷協力各自ソノ分ヲ尽クシテ宗門ノ願行タル戒壇建立二勇猛精進セラレンコトヲ」

同年同月 「大日蓮」1月号
 「『万人一同に南無妙法蓮華経と唱えれば、吹く風枝をならさず雨土くれをくだかず』と大聖人は平和な仏国土建設を唱えられておりますが、広宣流布を念願とする、日蓮正宗の僧俗は、共々一致協力して、真の世界平和は国立戒壇の建設にありと確信して、本年も益々折伏行に徹底邁進せられんことを願うものであります」

1965(昭和40)年2月16日 第1回正本堂建設委員会
「いよいよ、きょうこの委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたいのであります。
 大聖人より日興上人への二箇の相承に『国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』とおおせでありますが、これはその根源において、戒壇建立が目的であることを示されたもので、広宣流布達成のためへの偉大なるご遺訓であります。
 これについて一般の見解では、本門寺のなかに戒壇堂を設けることであると思っているが、これは間違いであります。堂宇のなかのひとつに戒壇堂を設けるとか、あるいは大きな寺院のなかのひとつに戒壇堂を設けるというのは、小乗教等の戒律です。
 小乗や迹門の戒壇では、そうでありましたが、末法の戒律は題目の信仰が、すなわち戒を受持することであります。よって大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂でなく、本堂にご安置申し上げるべきであります。
 それゆえ、百六箇抄には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり』と大聖人のお言葉が、はっきりご相伝あそばされております。
 また同じ百六箇抄の付文に『日興嫡嫡相承の曼茶羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり』と、こう明らかにされておるのでございます。
 したがって、その曼茶羅を現在では大石寺の本堂にご安置することが、もっともふさわしいと思うわけであります。戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。
 また当時は大聖人のおいでになるところが本堂であり、ご入滅後は御本尊のおわしますところが本堂となってきたものであります。そして本堂で御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは、信者だけですから、だれでも直接に御本尊を拝めたのです。したがって今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。
 ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の須弥壇は、蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます」

つづく

311愚鈍凡夫:2004/02/21(土) 15:59

1966(昭和41)年5月3日 第29回創価学会本部総会
「いまの時代は御本尊を護持し、付属してあることあらしめておるのはだれでありますか。学会であります。また令法久住のために死身弘法をもって、仏法を守護し、戒壇の大御本尊様を護持し、そして折伏をしておるのは学会であります。また、あらゆる謗法の難を破折し、六難九易を身をもって行ない、末法の広宣流布を実現しておるのも学会であります。これこそ大聖人のおっしゃるところの法華講であります。法華講の真の精神は、いまの学会員にあるのであります。かかるがゆえに私は、その学会の会長である池田先生を、法華講総講頭に依頼したのであります」
「私は、世界の人の前で、この身軽法重の行者、折伏の指導者である創価学会会長池田大作先生を大事にします。また折伏の闘士として、創価学会の皆さんを大切にします」

1967(昭和42)年1月 「大白蓮華」1月号
「日蓮正宗総本山に、事の本門戒壇堂ともいうべき正本堂の建立起工式が行なわれる」

同年9月12日 正因寺
「今年その正本堂の発願式が十月十二日に行なわれる次第となっておるのでございます。そこにいたって、初めて一切衆生成仏ができる、その成仏の根本である本門の戒壇が建立せられるのでございます」

同年10月12日 正本堂建立発願式
「夫れ正本堂は、末法、事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又、仏教三千余年、史上空前の偉業なり……今茲に発願せる正本堂は、文底独一本門の戒壇にして、唯我が日本民衆の鎮護国家の道場なるのみならず、世界人類の永遠の平和と繁栄とを祈願すべき根本道場なり」
「その証、ここに現われ、今将に八百万の純信の徒の歓喜の御供養を以て、正本堂を建立せんとす。向後、慈折宣化の精進勇猛によりて、全国民の仏性覚醒し、挙って妙法を願求するに到らば、その時正に、不開の門は開かれ、茲に本門戒壇の意義、その完結を見るものか。夫れ民衆は国家の主権者たり。されば、斯くの如き大戒壇は、正しく民衆立の戒壇と呼ばれるべきなり。その時代は未だ未来に居すと雖も、而も亦、甚だ近きを信ず。我等末弟、その日の実現の一日も早からん事を希い願うて、日々、月々、年々に、更に折伏行に断固邁進せんことを堅く誓うのみ」
「詮ずる所、正本堂の完成を以て、三大秘法ここに成就し『立正』の二字、すでに顕現せんとす」

1969(昭和44)年1月25日 第1回寺族指導会
「昭和四十七年、法華講総講頭池田大作先生の大発願によって本門戒壇が将に建たんとしているわけです」

同年4月6日 御虫払大法会
「今当に時来り、法華講総講頭池田大作先生が大願主となり、事実上の本門戒壇堂である正本堂の建立が進行中であります」

つづく

312愚鈍凡夫:2004/02/21(土) 16:01

1972(昭和47)年3月26日 指導会
宗務院は、(1)この日の『ご説法』と、(2)その趣旨を要約した『御指南』と、(3)宗務院教学部による『昭和40年2月16日第1回正本堂建設委員会猊下御言葉の要旨拝考』の三つを宗内に徹底するよう通達。公式見解となる。
 (2)の『御指南』は以下の通り。
 「正本堂は一期弘法抄の意義を含む現時における事の戒壇である」
 「(解釈)正本堂は広宣流布の暁に一期弘法抄に仰せの本門寺の戒壇たるべき大殿堂である。但し現在はまだ謗法の人が多い故に安置の本門戒壇の大御本尊は公開しない。この本門戒壇の大御本尊安置のところはすなわち事の戒壇である」
 (3)の要点は以下の通り。
 a)正本堂に本門戒壇の大御本尊を御安置する。b)末法では大御本尊安置の場所が〃戒壇〃であるから、大御本尊は特別な戒壇堂ではなく本堂に安置申し上げるべきである。=現時における事の戒壇。c)その意義は一期弘法抄・三大秘法抄の事の戒壇に相通じる。d)北山にある三堂の棟札の形式は日蓮正宗ではとらない。e)猊下の「天母山に何らかの建物を造ってもよい」のお言葉を天母山戒壇建立と取るのは明らかに間違いである。

1976(昭和51)年 「大白蓮華」2月号
「事の戒壇とは本門戒壇の御本尊」

同年2月 「大日蓮」2月号
「戒壇にこだわるのは本当の信心がない」

1983(昭和58)年8月29日 全国教師講習会
「宗門も戒壇問題が起こり、ある時期には種々の考え方が出ました。たしかにそのなかには、ある意味での行き過ぎがあったと私は思っております。総じて法門において、法門を間違えたならば大変なことでありますから、そういうことに関して今後、もし問題があれば、私の職を賭してでも、やるべきことはやるつもりです。それだけにまた我々は、本当に法門を正しく命懸けで守っていかなければなりませんし、弘めていかなければなりません。」

1984(昭和59)年4月7日 総本山お虫払い法要
「三大秘法抄の戒壇全体の文意よりして、すでにそのすべてが顕現したと断ずることも早計」としながらも、「正本堂こそ本門の戒壇」との意義づけをする。


日達師の「お言葉」も、時を経るにしたがって変化してますね。
創価学会と顕正会の間で揺れ動いた時期があったのでしょうが、個人的には日蓮正宗総帥としての毅然とした態度を貫き通してほしかったです。

日達師の池田さんに対する賛辞などは、敬愛なのか、それともヨイショなのか、はたまたホメ殺しなのか・・・・・。
φ(゜0゜*)ホォホォφ(。_。*)メモメモφ(゜o゜*)フムフムφ(。_。*)カキカキ

これにも、石山教学の究極奥義である「文底解釈」があるのでしょうか?!
(・_・;)_・;)・;);)) ナントッ!!

313ガンコ:2004/02/22(日) 11:41
愚鈍さんよりご質問をいただきました。
十章抄に「一念三千と申す事は迹門にすらなを許されず、何に況んや爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る。」とありますから、三大秘法抄の「方便品に云はく・・・底下の凡夫理性所具の一念三千」と「寿量品に云はく・・・大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千」では明確な差異があると思います。平たく言えば、凡夫にも仏性がある、という理論を示したのが方便品であり、寿量品では事実において仏を証得したことを示していると思います。理論と事実・・・単純にこれを当てはめて理壇・事壇を述べさせていただいたのですが、もともと次元のちがう法門ですから違和感があるかもしれません。
四信五品抄に「・・・『廃事存理』と云ふは戒等の事を捨てゝ題目の理を専らにす」とあります。これがわたくし、長い間わからなかったんです。いかに仏法の基本がわかっていないか、ということなのですが、だいたい解説によると、小乗経等はおもに戒律を堅くたもつことを修行とするから「事」といい、天台は観念観法を主体とするから「理」というそうです。一種のすりこみだったんでしょうか、わたくしなどは事と理では事がまさると思い込んでいたものですから、なかなかわからなかったのだと思います。
十章抄に戻って「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。心に存ずべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり。日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなえさすべし。」とありますし、開目抄には「されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。」とありますから、これは当たり前のことですが、大聖人の仏法は基本的に天台の教理を踏襲していることになります。
しかし後年、大聖人は「竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし」等と仰せになられますし、すでに開目抄でも「設ひ山林にまじわって、一念三千の観をこらすとも、空閑にして三密の油をこぼさずとも、時機をしらず、摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき。」と、間接的に天台の教理を批判しているわけで、大聖人の仏法が別のものであることを示していると思います。
その顕著な御書のひとつが治病大小権実違目かと思います。
「一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。」
つまり、大聖人は天台伝教等との明確なちがいを表現するために事・理の立て分けをあそばしたのだと思います。四信五品抄では従来の教説を踏襲してそのまま「廃事存理」と仰せになっているだけで、最終的には廃理存事が大聖人の御本意であろうと思うのです。
そういうことで、御晩年に著わされたとされる三大秘法抄も同様に、廃理存事であろうと考えました。
いずれにしても、はじめに述べたように、もともと戒壇についての御教示ではないので、的外れかもしれません。
ぜんぜん質問の答えになってないかもしれませんね。失礼しました。

314ガンコ:2004/02/22(日) 11:45

一刀両断さんへのお返事

厳しくも暖かいお言葉を下さりまして、ありがとうございます。中傷などということは、まったく感じておりません。むしろ、わたくしが生活上、抱えている問題をみごとに言い当てられたような気がしていて、一刀両断さんの眼力には驚くばかりです。
おそらく、ご指摘のことどもは二つに要約できるのだろうと思っています。
まず、ひとつには、この富士門流信徒の掲示板では日蓮本仏論・戒壇本尊に対して否定の意見がまかりとおっている・・・にもかかわらず、きっちりと反論を述べるわけでもなく、のらりくらりとした態度に終始している、そういうわたくしがいるわけです。
もうひとつには、顕正会という組織の実態がここまでわかってきているにもかかわらず、あいも変らずのらりくらりとした態度に終始している、そういうわたくしもいるわけです。
はじめの問題については、みなさんよくわかっていらっしゃることですが、わたくしはまだ勉強をはじめたばかりの初心者であり、わからないことだらけなのです。それゆえに、みなさんから学ばせてもらっているつもりでいるわけです。それがまかりならんということであれば、もはや掲示板を去るしかないと思っています。
そして顕正会問題については、すでにここ1・2カ月の間にいろいろ書いてきました。じぶんとしてはかなり危険なことを書いていると思っています。直近の、事の戒壇についての所感は、もはや顕正会を即除名になってもおかしくない・・・ご存じない人のために説明しますと、これは顕正会が主張してきた法義上の重要な部分について、あえて異論を申し述べたものでして、顕正会の幹部からみればわたくしの所論は悪義以外の何ものでもないわけです。しかし、さりとて、わたくしはみずから顕正会を去ろうとの考えを持っていません。生意気を承知で申しますが、だいたいあのような論旨で御宗門と和解をすべき、というのがわたくしの考えです。
一刀両断さんはどのように評価されているか存じませんが、浅井先生のご子息たる浅井克衛主任理事はなかなかの人物と思います。しかし、問題がないわけではありません。わたくしの思うに、先生のご子息といえども主任理事はしょせん、解散処分以降の人間です。つまり、御宗門のことを知っているようで何も知らないのと同じわけです。このまま、いたずらに時間が過ぎて、顕正会も代替わりの時を迎えたとしましょう、そうなるとますます御宗門との和解は困難になるでしょう。つまり、主任理事にとって未知の世界である御宗門の傘下に入るよりも独自の路線を歩んだほうがいいという、わたくしから見れば魔心・愚心が出来するであろうと想像しています。
顕正会が独立することは原理的に不可能、独立は冨士大石寺顕正会最大の自己矛盾・・・というのがわたくしの持論です。すでに独立しているではないか、と言われればそうなんですけど。
いずれにしても、一刀両断さんをますますガッカリさせてしまったであろうと、恐れ入っております。

315愚鈍凡夫:2004/02/22(日) 14:13
ガンコさん、レス有り難うございます。

最初に、小生宛のレスではありませんが、気になったものですから。
教学研鑽のためにここの掲示板に来ているという意味では小生もガンコさんと同じです。

> それがまかりならんということであれば、もはや掲示板を去るしかないと思っています。

これには同意です(そんなことを思っている人はいないと思いますが)。

それでは本題に入りたいと思います。

> 凡夫にも仏性がある、という理論を示したのが方便品であり、寿量品では事実において仏を証得したことを示していると思います。

法華経方便品に凡夫(または衆生)に「仏性」があるとの文証があるのでしょうか。
法華経迹門に菩薩以外の衆生の成仏は説かれていますが、それは仏道修行の結果であって、もともと「仏性」が備わっているから成仏したとは説かれていないのではありませんか。
また、法華経寿量品に於いて「久遠実成」は説かれていますが、如何なる修行によって教主釈尊が成仏したかは説かれていません。単に「菩薩道」といっているだけです。意地の悪い言い方をすれば、「法華経」を編纂した僧団も、そこまでの想像力はなかったということでしょうか。
また、寿量品で「久遠実成」を証明するために地涌の菩薩が虚空会に連なりますが、教主釈尊の仏道修行の内容を明すためではありません。

蓮祖が、
「仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし。」(聖人御難事)と仰せになっているのは、法難についてであって、彼らの教理を破折するためではありません。
「されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。」(開目抄 上)
と同じ意味でしょう。
それに、
「天台・真言の学者等、今生には餓鬼道に堕ち、後生には阿鼻を招くべし。設ひ山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも、空閑にして三密の油をこぼさずとも、時機をしらず、摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき。」(開目抄 下)
とあるのは、「天台・真言の学者等」に対してであり、「間接的に天台の教理を批判しているわけで」はありません。

「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず。其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。」(唱法華題目抄)
また、ガンコさんが引用されている「十章抄」に、
「心に存ずべき事は一念三千の観法なり」
とあるように、「廃理存事が大聖人の御本意」ではありません。
重ねて言いますが、蓮祖は、日本天台宗の変遷を批判していますが、天台・伝教を批判しているのではありません。

小生は、「一念三千」と「理壇」、「事壇」の関係性を伺いたかったのですが・・・・・。
ガンコ説がまとまりましたら、御教示下さい。

316ガンコ:2004/02/22(日) 16:36

>ガンコ説がまとまりましたら、御教示下さい。

愚鈍さん、ガンコ説はすべて崩壊しました。戒壇論については不案内なもので、ゆえに雑感と題して書いたのですが、そのうちみんなが忘れたころにまた書きたいと思います。

さて、急ごしらえでお返事を書いたので、ずいぶんと間違いを指摘されてしまいましたが、一点だけ確認させてください。
愚鈍さんは治病大小権実違目の御指南をいかが思われますか?
開目抄のテーマは、法華経の行者は現世安穏であるはずなのに、なぜに大聖人はこうも大難に遭われるのか? 大聖人は法華経の行者ではないのでは? といったことがずうっと書かれています。拝しかたによっては悲愴的であり、痛ましいと感じることがあります。
ところが治病抄にはそうした悲愴感がありません。完全に突き抜けてしまっていると感じます。
「止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず。今日蓮が時具に起これり。又天台・伝教等の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊なりことなりと、御臨終の御時は御心へ有るべく候。」
大聖人が大難に遭われることは、じつはそれ自体が法義上、きわめて重要なことなのだと思います。
「天台・伝教の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさりたり」は、何故でしょうか?
「観念すでに勝る故に、大難又色まさる」との仰せが答えです。
ようするに、「竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし」というのは難の大きさを示しているようでいて、そのじつ、大聖人の仏法の何たるかを示していると思います。
申すまでもなく、法華取要抄・報恩抄などには「天台伝教の弘通し給はざる正法」をお示しですし、また、撰時抄には「・・・天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘の正法」と仰せです。
ゆえに治病抄の「観念すでに勝る故に、大難又色まさる」とは、明確に天台伝教等とのちがいを仰せになられたものと思います。まさに「最大深秘の正法」なるがゆえに、肩を並べる者がいないほどの大難に遭われたとの仰せと拝します。

317愚鈍凡夫:2004/02/22(日) 18:14

>>316:ガンコさん、御返事有り難うございます。

ガンコさんの文章を読むと、何やら不幸自慢と法門の浅深の相関関係を論じられているようにも感じます。
一つ確認しておきたいと思いますが、蓮祖は経典は全て釈迦牟尼仏が説いたものと信じていたと思います。それ故に、全ての経典には整合性があると考えていたでしょう。だから、末法で正法を広めることは、未曾有の大難が降りかかると信じておられたのだと思います。

さて、
「止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず。今日蓮が時具さに起れり。又天台・伝教等の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二つあり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此れは本門の一念三千なり。天地はるかに殊なりことなりと、御臨終の御時は御心へ有るべく候。」(治病大小権実違目)

の答えは、同じ「治病大小権実違目」にこうあります。

「詮ずる処は天台と伝教とは内には鑑み給ふといへども、一には時来らず、二には機なし、三には譲られ給はざる故なり。今末法に入りぬ。地涌出現して弘通有るべき事なり。今末法に入て本門のひろまらせ給ふべきには、小乗・権大乗・迹門の人人、設ひ科なくとも彼れ彼れの法にては験有るべからず。」(治病大小権実違目)

要するに、「法華経の題目(本門の題目)」を末法に於いて弘通するのが地涌の菩薩であり、末法ではこれ以外に成道の法はないというのが蓮祖の主張であるということではありませんか。

「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。心に存ずべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり。日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなえさすべし。」(十章抄)

との御指南、日蓮仏法に於いて重要かと思います。

318Jルーカス:2004/02/22(日) 19:43
> 顕正会が独立することは原理的に不可能、独立は冨士大石寺顕正会最大の自己矛盾
> ・・・というのがわたくしの持論です。すでに独立しているではないか、と言われ
> ればそうなんですけど。

ガンコさん
不思議に思ったので質問しますが、宗教法人顕正会は浅井昭衛氏という管長を擁する一宗一派
なのでは無いのですか。顕正会は「冨士大石寺」と冠してますけど、法人名義には「冨士大石
寺」は無く、顕正会という一宗一派だと思うのですが・・・。

319ガンコ:2004/02/22(日) 19:50
ああ、どうもどうも。

だいたいおっしゃる通りと思います。まあ、十章抄に仰せの「一念三千の観法」は理ではなくて事だということなら大賛成です。

320ガンコ:2004/02/22(日) 19:56
あら、ごめんなさい。上のは愚鈍さんあてです。

Jルーカスさん、ですから、もう、そうなると、現在の顕正会の存在自体が矛盾である、ということになります。

321犀角独歩:2004/02/23(月) 01:14

横レス失礼します。

ガンコさん、あなた、『摩訶止観』を読まずに三千を語っているでしょう。
また、蓮師の御書全体を見ず、事理本迹を語っていませんか。

 華厳乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を説きかくさせ給えり。此れ等の経々に二つの失あり。一には存行布故仍未開権〔行布を存する故に、仍お未だ権を開せず〕。迹門の一念三千をかくせり。二には言始成故曾未廃迹〔始成を言う故に、未だ曾て迹を廃せず〕。本門の久遠をかくせり。此れ等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり。
 迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つ脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮べるにいたり。
 本門にいたりて、始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぶ。爾前・迹門の十界の因果を打ちやぶて、本門十界の因果をとき顕す。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備わりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。

三妙合論から思い合わして論ずべきところでしょう。[

まあ、あと余計なことですが、大石寺僧俗で顕正会が自分たちと関係があると思っている人などいないでしょう。まるで相手にしていない。これが現状です。破門した謗法団体、「日蓮正宗冨士大石寺」詐称団体と訝しく思っているだけです。破門離間した退転者を同心と見なすほど、石山は慈悲深くありませんよ。

322犀角独歩:2004/02/23(月) 01:18

発迹顕本が蓮師が本仏の境界を開顕したことなどというでたらめな解釈を信じていると、上述の文意は永久に読みとれません。

323犀角独歩:2004/02/23(月) 01:35

再度、ガンコさん:

> 日蓮本仏論・戒壇本尊に対して否定の意見がまかりとおっている

自分に都合の悪いところだけ読み飛ばし、「まかりとおる」などという不遜な言辞を吐くのであればもっと正々堂々とやりなさい。
初学だからどうのという逃げ口上は見苦しいばかりです。

324犀角独歩:2004/02/23(月) 10:30

> 323

もっと具体的に書きましょう。
わたしは意を尽くし、資料を挙げて、日蓮本仏論の是非、戒壇本尊の真偽を問うているのです。
日蓮本仏というのであればその資料を、戒壇本尊が本物であるというのであれば、その証拠を単に挙げればよいだけです。

325一刀両断:2004/02/23(月) 15:03
ガンコさん
私は元顕正会員であり、元日蓮本仏論者です。
また、過去のログより拝見するならば、会は違うといえども割と多数の方が、同様であったように思われます。
しかし、各々が持ち寄った資料から思索を重ねるうちに、考え方を変更された方も大勢いらっしゃいます。
では、そういった方々はどうであったかと思うならば、やはり最初はガンコさんのような、否、もっと頑なな気持ちを持っていらっしゃったのではないかと思うのです。
その方々が、以前の考え方を訂正し、現段階である程度の結論を導き出せているのだとすれば、それは自分自身がしっかりとした思考を持つことができた、ということではないかと思うのです。
現在、ガンコさんがその段階にある事は望ましいことでしょうし、また私には此処への参加をどうこうする権限もなければ、資格もありません。
ガンコさん自身が望まれるのであれば、もっと議論に参加されれば良いでしょうし、私はこの点、何も意見は持っておりません。

ただ、ガンコさんのスタイルを見ていると、やはり、どこかに顕正会擁護の姿勢が窺えるわけです。
勿論会員ですから、当然なのでしょうが、だとすると、それを証明するだけのそれなりの論拠は持ち合わせるべきだと思うのです。

326愚鈍凡夫:2004/02/24(火) 12:28

ガンコさん、追い打ちをかけるようで申し訳ないですが、「一念三千の観法」に「理」と「事」があるのですか。あるのであれば解説して下さいませんか。

それと大きなお世話ですが、
御書の文証を細切れにして、都合のいい部分を繋いでいく論法は、ここの掲示板では通用しませんよ。ここの掲示板に来られる方々は蓮祖の御書全集を持っていると思いますので、痛い目に遭いますよ。

327無徳:2004/02/25(水) 00:42
愚鈍凡夫さん横レス失礼します。

ガンコさんが日蓮御坊が『治病大小権実違目』に

「一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理
なり。今は事なり。」と仰せになっておられることを

>愚鈍さんは治病大小権実違目の御指南をいかが思われますか?

と問うて居られるのですから、まずそれにお答えになられる必要があるのではない
でしょうか?

確かに上記の事・理がただちに理壇・事壇に解されるのは問題かもしれませんですが、

>痛い目に遭いますよ。

とは、あまり適切なご発言と思えませんが如何なものでしょう?

328愚鈍凡夫:2004/02/25(水) 12:44

無徳さん、ご無沙汰しております。レス有り難うございました。
小生の>>317:のレスでは答えたことになっていないと判断されたのですね。

「治病大小権実違目」の御指南では、「理の一念三千=迹門の一念三千」、「事の一念三千=本門の一念三千」との関係が成り立つかと思います。

「理の一念三千=迹門の一念三千」は、法華経方便品の十如実相の文から天台智邈が導き出した理論(勿論、華厳経の唯心法界論の強い影響もあるでしょう)。「事の一念三千=本門の一念三千」は、法華経寿量品で本因・本果・本国土の三妙が合わせて説かれることにより、仏の「因位」・「果徳」・「国土」が明らかになり、仏の姿が具体性を持って説かれました。このことを「事の一念三千」と呼ぶのでしたよね。
さらに、この仏を仏たらしめている「仏種」こそが「南無妙法蓮華経」である。というのが蓮祖の結論で、この「南無妙法蓮華経(本門の題目)」を成仏に導く唯一の行法であるとして、「本門の一念三千」と仰せられているのではないでしょうか。

「詮ずる処は天台と伝教とは内には鑑み給ふといへども、一には時来らず、二には機なし、三には譲られ給はざる故なり。」(治病大小権実違目)

とあるように、「時」に約せば天台・伝教は像法に「迹門の一念三千」を流布させ、蓮祖は末法に「本門の一念三千」を流布させる。要するに役割が違うということではありませんでしょうか。
時機相応の行法ならば、「時」は違えど、共に成道するというのが蓮祖の考えだと思います。

そして、蓮祖の心には法華経神力品の次の文証が常にあったのではないでしょうか。

「爾時千世界。微塵等菩薩摩訶薩。從地涌出者。皆於佛前。一心合掌。瞻仰尊顏。而白佛言。世尊我等。於佛滅後。世尊分身。所在國土。滅度之處。當廣説此經。所以者何。我等亦自。欲得是眞淨大法。受持讀誦。解説書寫。而供養之。(爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者、皆仏前に於て一心に合掌して尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、世尊我等仏の滅後、世尊分身所在の国土・滅度の処に於て、当に広く此の経を説くべし。所以は何ん、我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持・読誦し解説し・書写して之を供養せんと欲す)」(妙法蓮華經如來神力品第二十一)

329犀角独歩:2004/04/08(木) 11:40

4月18日から顕正会はまた一国諫暁商売を始めるんだそうですね。
会員に本を買わせて郵送させて、これで広宣流布だっていうんだから石山のご開帳商売よりもっと悪いと言えるでしょうか。

1部200円で会員に買わせるならば、100万部で20億円。
広宣流布をしているのではなく、広宣流布を騙って商売しているに過ぎません。
100万達成のお涙劇はこの購買意欲を煽るための猿芝居であったのでしょう。
まったくよくやるというしかありません。

330愚鈍凡夫:2004/04/08(木) 20:45

>>329:の本、
「むむっ。大幹部のガンコさんは何部買うんでしょうか。」 (-"-;A ...アセアセ
「大きなお世話じゃ! ボケ!!って」 (^^ゞ

331Jルーカス:2004/04/08(木) 22:36
今回の一国諫暁は、前回と何処が違うのでしょうか。
新聞全面広告が無い分、規模が小さくなったとも言えるかも・・・。

332Jルーカス:2004/04/08(木) 22:38
それより、国会請願はどうなったんだ。
国会議事堂を10万人で囲む話は・・・。

333一刀両断:2004/04/08(木) 23:25
jルーカスさん
その話は会員内では禁句だそうです(笑

334犀角独歩:2004/04/08(木) 23:36


Jルーカスさん:

> 規模が小さくなった

今度の配布は小学生から老齢者までとさらに幅を広げて徹底するそうですよ。
購買者層を広げて売り上げを伸ばそうという魂胆なのでしょう。

本を会員に売って郵送させて、広宣流布だ、諫暁だとは笑止千万です。
だいたい、非常識であると思うのは、差出人の名前すら記さない郵便を無差別に送りつけてくることです。何冊も送りつけられるほうは溜まったものじゃありません。
こういうのを折伏、正義というのではなく「非常識」というのですよね。まったく呆れます。

> 国会請願…国会議事堂を10万人で囲む話

これはやらんそうです。やっても売り上げが上がらないので、100万達成の集会の志気を高める方便というやつだったんでしょう。方便といえば聞こえはいいですね。やらなければ、ただの「嘘」であったということですね。

335一刀両断:2004/04/09(金) 00:36
自らが所属した組織が起こす行動を改めて考えると、当時活動家として行っている真理は、こういった多くの人の批難を”下衆の勘ぐり”としてかえって蔑視する傾向があるんです。
ふと思い出しました。
平成9年に行った同様の行為についても、内部では”国家が震撼するほどの諌暁”のような表現を用いながら、外部、つまり一般の人たちは実は全くの無関心でしかありませんでした。

日蓮正宗系団体というのはいつまでこういったことを繰り返せば気が済むのでしょうかね。

336犀角独歩:2004/04/09(金) 00:57

335 一刀両断さん:

お久しぶりです。仰るところ、急所を突いていますね。

> いつまでこういったことを繰り返せば気が済むのでしょうかね

これは経済活動ですから、永遠に繰り返されるのでしょうね。
‘お客さん’は会員のみですから、そのコップの中だけで合意が得られればよいだけの話。

感動を演出し、購買意欲を、日蓮ブランドを付して、信心があるものは絶対に買うという集団浅慮を現出させれば、あとは自動的に会は利益が上がります。
濡れ手に粟、二匹目の泥鰌狙いの滑稽さも、どこ吹く風でしょう。
尊敬されて、人心を操作し、自分の影響力の中毒となった上で、巨万の富が転がり込む。皆は這い蹲って涙を流して、利益を運んでくるわけです。
宗教商売、一度魂を売ったらやめられないのでしょう。

337Jルーカス:2004/04/09(金) 08:38
経済活動と言えば「顕正会が差出人の封筒」で無差別発送すると、差出人不明の郵便は当然本部に戻るわけです。
すると顕正会には真新しい書籍が戻り、これをまた販売できるわけです。
これを繰り返しますと、莫大な二重販売、三重販売が出来るという事があるのです。
平成9年の時、それに気づいた私は大笑いしてしまった。

338犀角独歩:2004/04/09(金) 16:23

> 337

なるほど。さすがにここまでは気付きませんでした。
究極の廃物利用といったところですね。

339犀角独歩:2004/04/09(金) 16:54

どなたか教えてください。

顕正会では各地に会館を造っているようですが、ここには何が安置されているのですか。会館に安置できる漫荼羅は顕正会では一つしかなかったはずです。(これも正式には顕正会本部安置のものではなかったと記憶しますが)

独自に複製を創ってしまっているわけでしょうか。

340一刀両断:2004/04/09(金) 17:25
複製作成かどうかは状況証拠からの判断となりますが、現在各会館に安置されている本尊は布師本尊となっています。
また会館の別室等には寛師本尊がそれぞれ安置されていますので、本部を除く他の会館では通常次のような本尊安置となります。
礼拝室  布師本尊 1体
談話室等 寛師本尊 2〜3体

そもそも布師本尊がこんなに存在しているわけないのですが、事実安置されているわけです。
そして何ら会として明確な声明が出されていない正体不明の本尊を会員は拝まされているわけです。

341犀角独歩:2004/04/09(金) 17:31

これまた、基礎的な質問になりますが、現在、顕正会は全国にいくつ会館を有しているのでしょうか。その会館はすべて布師漫荼羅が安置されているわけでしょうか。

342一刀両断:2004/04/09(金) 17:31
ちなみに、顕正会声明として出されている本尊についての指導に時代に応じて内容に変更がみられるので、敢えて抜粋しておきます。
御参考までに。

顕正新聞 昭和六十年三月十五日号

「妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人・五十四代日胤上人・五十五代日布上人・五十六代日応上人・六十代日開上人・六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」

顕正新聞 平成五年六月二十五日号

「この御尊能化は、妙縁寺を出られる前に、私に多くの御本尊を託して下さった。それは、私が願い出たからであります。 私は"将来全国的に広宣流布を進めるに当って、地方の拠点、拠点に、どうしても御本尊を御安置しなければならない。たとえ一人ひとりは遥拝勤行で信行に励むとも、入信勤行を行う拠点だけには、どうしても御本尊を御安置しなければならない"と思っていた。
 そこで尊能化に願い出たわけであります。尊能化は「妙信講が広宣流布の御奉公をするのに、御本尊がなければ困るでしょう」とおっしゃって、日寛上人の御形木御本尊を大量に、私に託してくださった。 
 実は昭和四十年一月以降、宗門では末寺で授与する御形木御本尊を、日達上人の御本尊に替えたが、それ以前の三十年代には、どの末寺でも日寛上人の御形木御本尊を授与していたのです。松本尊能化はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ、それを私に託して下さったのであります。そのほか、本部会館安置の御本尊を含めて、歴代上人の大幅の常住御本尊七幅も、お渡し下さった。」

顕正新聞 平成十一年四月二十五日号

「そして旧本部会館ができた昭和四十八年十二月、松本御尊能化にお願いして「妙縁寺重宝の脇書きある御本尊を、妙信講に授与して頂いた。それが現在の本部会館の御本尊様であります。このとき松本御能化は自ら御入仏式を執り行って下さった。」

「この松本尊能師が、最も心配され、心を砕いて下さったのが、御本尊様のことでありました。
「顕正会が将来広宣流布に戦うのに、御本尊様がなければ困るでしょう」と常に云っておられた。私も「そのとおりです」と、強くお願い申し上げた。
 ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して、私に託して下さったのであります。」

本尊数について要約すると次の通りです
・昭和六十年指導
妙縁寺所蔵の大幅の常住御本尊七幅と日寛上人書写の形木御本尊数百幅
・平成五年指導
妙縁寺所蔵の大幅の常住御本尊七幅と日寛上人の御形木御本尊を大量
・平成十一年指導
妙縁寺所蔵の歴代上人の御直筆御本尊七幅と日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数

343一刀両断:2004/04/09(金) 17:40
会館の正確な数字は年頭の機関紙に毎年掲載されているので、それを調べればわかりますが、毎年3つ程度は増加しているので、現状では30程度ではなかったでしょうか。
会館には340のような形式で100%布師本尊となります。
但し、事務所という形態の小規模に出来ている礼拝所には寛師本尊が安置されています。
また他に会員の自宅を拠点とする”自宅拠点”という制度があり、ここにも寛師本尊が安置されるわけです。
自宅拠点などは膨大な数が存在していますので、明確な数字は本部でなくては掴めないと思います。

344犀角独歩:2004/04/09(金) 17:57

一刀両断さん:

わたしは各地の顕正会会館を歩いたわけではないのでわからないのですが、顕正会というのは会館でも、個人向けの小さな「形木本尊」を懸けてそれで是とするのですか。
それとも会館用の大幅の「成就本尊」を複製してこれに充てているのでしょうか。

> 会館…30

ここに複製した布師「成就本尊」を複製して安置ですか。
これでは創価学会の模刻8体の4倍にも上る数ではありませんか!!

いずれにしても石山化儀では漫荼羅には授与書きされて、誰に、どこに安置するかを明記するのが常ですね。もちろん、東京品川区妙光寺のように石山六壺安置の興師書写漫荼羅を本堂に据えたりするところはあります。石山にしても大講堂には所謂「万年救護本尊」の模刻が安置されたり、信行寺の如く、所謂「紫宸殿本尊」が安置される寺院もあります。けれど、これらは石山本末関係で合意が取れたものですね。

松本師談という話はそれら化儀からすれば、ほとんど馬鹿馬鹿しい分類に属する話ですしこんな話が罷り通るわけはありません。元来の石山化儀を墨守するのが顕正会であるというのであれば、これは重大な化儀違背であって、彼らがいう謗法行為以外の何者でもありません。まして、入仏開眼式は僧侶の、それも石山住職の秘儀に属するのであって、仮に言外に浅井さんを目師再来と仰いだところで、在家が勝手にやっていいということは彼らが墨守する石山儀からして許されないことになります。

その延長からいえばすれば、いまの顕正会員は御授戒を受けてもいないわけで、金剛宝器の持戒者とも言えず、日蓮信徒としての入口も通っていないことになります。この点でも近代の石山化儀と違背しています。

まあ、わたしからすれば、それらの点はことのほか問題にするわけではありませんが、石山化儀・化法を、もっとも正しく実践するのが自分たちであるというのであれば、、これらの点は完全な自己矛盾を来していることになります。

彼らは自分たちで勝手に「本尊」まで造っていたのですか。
いまさらながらですが、驚くというより、呆れ果てました。

345犀角独歩:2004/04/09(金) 20:03

いま三学無縁さんから一報がありました。

顕正会会館は、本部会館、典礼院を含めて25、年内3、来年2カ所建設が決まっているとのこと。事務所は9で、合計は現時点で34、来年で39ということでしょうか。
また妙縁寺からの歴代「成就本尊」7体は大幅と限らないであろうとのことでした。

本尊模造、最近入った子供たちならいざ知らず、古い会員は何とも思わないわけでしょうか。どうにも解せません。

346愚鈍凡夫:2004/04/09(金) 20:14

確かに、
「日寛上人書写の形木御本尊数百幅」が「日寛上人の御形木御本尊を大量」となり、さらに「日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数」と来た日にゃ、自前で写真製版しましたといっているようなもんじゃないでしょうか。
ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

347Jルーカス:2004/04/09(金) 23:22
ちなみに、元顕正会員の談話では、各会館に安置されている「布師形木本尊」と顕正会の横浜、高知会館にそれぞれ安置されている「常住本尊」の座配は全然違うそうです。
ですから、顕正会の所有する常住本尊を勝手に複製したのでは無く、別に原本があると考えた方が良いようです。

348犀角独歩:2004/04/10(土) 01:03

興味深いですね。
「常住本尊」といっても脇書の安置場所は顕正会本部とはなっていないと言うのは本当でしょうか。
いずれにしても、それを「勝手に」模造したのではないにしても、なおさらのこと、近代石山義で言う「謗法」行為であることに代わりはありません。
顕正会、会館安置本尊模造の実態。これはなかなか興味深いテーマです。

349犀角独歩:2004/04/10(土) 01:48

もう一つ。顕正会の各会館の「本尊」は紙幅ですか、板ですか。
どなたか、ご教示いただけませんでしょうか。

350犀角独歩:2004/04/10(土) 08:02

もう一つ質問。どなたかお願いします。

顕正会では、かつて「御遺命守護完結奉告式」というのを挙行したとのことですね。
これは正本堂から奉安殿に弥四郎漫荼羅が遷されたことを「還御」といい、これによって「御遺命守護は完結した」というのですが、これは本当の話なのでしょうか?

この前も複数の入会から日が浅い顕正会員何名かと話したのですが、これを浅井さんの功績であると目を輝かせて言うわけです。わたしからすれば「?」で、「でも、そのあとに奉安堂という正本堂と何ら変わらない建物を造って、そこにまた遷しちゃったのに、それはどう言っているのか?」と問うと、驚くことにこのことを知らないわけです。

会った会員に限ることなのかどうか、彼らは奉安殿に戻ったことは知っていても、それが再度、奉安堂に遷されたことを知らないのです。おまけに落慶に当たって、地元の人々他、信者以外の人にもお披露目をしたこともなおさらに知りませんでした。

顕正会のなかでは「奉安堂安置」は報道管制が布かれているのでしょうか?

351一刀両断:2004/04/10(土) 08:38
私は高知会館安置の本尊については詳細は知りませんが、横浜会館安置本尊について少々。
横浜会館開館当時は、確かに日布師常住本尊でしたが、後日他の多数会館安置の日布師本尊と同様のものに取り替えられているはずです。
会員の誰にも声明を出さずに交換してしまったようで、私は交換した事実を知らずに横浜に行った時、以前の日布師本尊とは全く違う座配の本尊が掛けられていた事に驚いたことがありました。

犀角独歩さん
各会館本尊は本部も含め紙幅です。
但し浅井会長自宅の本尊は板本尊でした。
また御遺命守護完結奉告式については、ほぼその通りです。
現在の会員は深く奉安堂についての知識を持っていないでしょう。
徹底した指導がされていませんから。
報道管制まではいかなくとも正本堂に比して、今回の奉安堂についてのコメントは皆無に近い、とは言えるでしょうね。
これはやはり、国立戒壇の名称を公式に破棄した”悪の殿堂”が正本堂であり、現在の正宗の混乱を招いた大悪であるという会の考えが大きく出ているからだと思います。
では、奉安堂は?といえば、一応はその”悪の殿堂”は崩壊した以上、非公式ながらも当時の宗門公式決定であった”国立戒壇の名称使用を廃止”を撤回した行為である以上、「宗門に薄日程度の陽がさしてきた」と顕正会では勝手に解釈しているのだと思います。
つまり、現在でも奉安堂については否定的ながらも、顕正会の活動により正本堂は崩れ落ち、やがて現在の奉安堂すらも顕正会の活動によって日蓮師の意思が現実となってあらわれ、正しい(?)安置がなされるのだというスタンスでいるはずです。

古参の幹部や会員でこの「御遺命守護完結式」に疑問を抱かなかった者は皆無といえるでしょう。
なぜならば当時の会員の心理としては戒壇之本尊が正本堂から去る=顕正会も宗門復帰、後主導的立場という方程式が成り立っていたわけであり、会の指導も当然そのような旨の内容だったわけです。
ところが正本堂が壊されたものの、依然会の復帰のメドなど立つはずもなく、そこでこういった強引な手段を講じて会員を納得させるしかなかったのでしょうね。
そして”もう宗門に期待することは何もない”、”顕正会だけで広宣流布を実現する”などの無茶な指針が打ち出され、それに平行して達師顕師の血脈否定がなされたわけです。
ですから、現在では奉安堂云々というよりも、宗門に対する会員の意識を薄れさせている、といった方が正確なのかもしれません。

352犀角独歩:2004/04/10(土) 09:42

351 一刀両断さん:

有り難うございました。
顕正会の本尊模造はほぼ間違いないわけですね。

また、わかりづらい顕正会員心理の一側面が垣間見えた気がいたしました。
正本堂崩壊は宗門復帰とダッキングされていたわけですか。なるほど。

わたしは正本堂建立の頃から、いまに至るまで浅井さんと顕正会をウオッチしてきたわけです。まあ、当初はそれなりの情熱と正義心を感じなくもありませんでした。
しかし、最近の顕正会は、人心操作を楽しみ、権威・権力の権化となり、自分たちの指導で青少年が熱狂興奮涙を流す姿に悦に入り、できないことがわかっている国立戒壇をキャッチフレーズにして、金儲けをすることに何ら躊躇いが無くなりました。

石山在家最大のタブーの本尊模造にも行っていた。彼らは石山僧俗最後のタブーに手を付けたわけですね。これで宗門復帰の可能性は…正確に言えば、彼らが言う正当化儀の在り方は…、完全に朽ち果てたことになります。

顕正会しか知らない会員にとってはピンとこないかも知れませんが、石山における最大の切り札は本尊の占有にあります。これは国家が決して偽札を許さないように、自分たち以外が本尊を造ることを最大の悪と考える思想風土があるということです。本尊作成の占有権を侵すことは永久に宗門復帰の可能性を閉ざしたと言うことです。

それにも拘わらず、「富士大石寺顕正会」と自称し、「日蓮正宗を国教化」「国立戒壇」と石山の土俵でいまだに相撲を取っているわけです。

しかし、浅井・顕正会は宗門復帰はあり得ないことを十分に認識したうえで、金儲けに一辺倒に切り替えたのでしょう。

浅井さんの話はうまいなどという人もいますが、わたしはあの短絡的な講談調になんら心を打たれるところはありません。政治、経済、戦争、災害で人心の不安を煽ったあとに、だから顕正会が国立戒壇をするしかないと落とす話のどこがうまいのか。うまいところがあるとすれば、巧みに会員の恐怖と不安を煽り、活動に駆り立てることによって、不安を解消させるように組み立てられた催眠効果にこそ、その真骨頂があると思えます。それで経済効果を生み出す悪徳さにこそあるでしょう。

もちろん、わたしは法華経、日蓮の無謬性を墨守するものではないので、西暦前後に創作された法華経、それに基づく日蓮教学、さらに中世の捏造教学から卒業することは、けっこうなことであると思います。しかし、その絶対性の過ちに気付きながら、信徒会員には無謬であると信じ込ませ、それを利益につなげる宗教、就中、日蓮の名を騙る悪徳商法は断じて看過しません。

このような操作構造に仕組みに気付き、脱却された一刀両断さんにわたしは敬意を表します。

353Jルーカス:2004/04/13(火) 12:32
前回書籍販売時のの浅井さん曰く
「たとえ十万の大行進をしようとも顕正会の云わんとしていることが一国に伝わってなければ大行進だけでは意味がない」
「十万人の大行進をする前に全日本人に顕正会の主張を耳に入れしめなければならない。それがこの七月から始まる一国諌暁の戦いである」
と定義しました。
しかし結局「国会請願」はやらないんですか。

354犀角独歩:2004/04/14(水) 08:00

Jルーカスさん:

> 結局「国会請願」はやらないんですか

わたしの知り合いが克衛さんの直接電話をして問うたところ、はっきりと「やらない」と答えたそうです。

なお、今回の頒価は「100円」とのこと。これは現役会員から聞いたことなので実否はわかりません。

しかし、本を会員に買わせて郵送配布すれば一国諫暁とはまことに片腹が痛む思いがします。日蓮と国立戒壇が商売のネタにする顕正会の実像を語るばかりです。

355元やん:2004/04/14(水) 13:57
確かに100円です 安
顕正新聞に載ってました 送料 佐川メール便特約80円
これで顕正新聞200円は高い
材料費 電気代 その他諸経費 位かな 奉仕班なんてただ働きさせれば 人件費無し 工場原価100円は無理では無い 確かに金はあまり、かからない様だが
新聞だって会館で何年も前の売てるし 真面目な会員なら 年間十万以上楽に使う
金もらって掃除や弁当作らせたり
ただ働きさせれば それなりの 資金は 有るはず

356犀角独歩:2004/04/14(水) 14:59

会館数が40になろうとし、国民全員に本を配るというのであれば、そこに潤沢な資金を見るのは常識的な判断です。

で、浅井さん一家が宗教以外、何も仕事をしていないとすれば、その潤沢な資金は、すべて会員から集められた金によると見るのも当然の判断ですね。

357犀角独歩:2004/04/18(日) 12:57

本日から顕正会は「100円諫暁」を開始するのですね。
また賑やかになりますね。

358一刀両断:2004/04/19(月) 15:39
どうやらオフィシャルサイトを再度立ち上げたようです。
こちらで、会館、事務所等の数字の確認その他ができるようです。
http://www.kenshokai.or.jp/

359犀角独歩:2004/04/19(月) 16:19

顕正会は「日蓮を用ひぬるともあしくうやま(敬)はヾ国亡ぶべし」の一節を日蓮を本仏と仰いだうえで、よく使いますが、この前後を見ると如何に支離滅裂な切文であるかがわかります。

「教主釈尊の御使ひなれば天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給ふべき事なり。法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照らし給ふ。かヽる日蓮を用ひぬるともあしくうやま(敬)はヾ国亡ぶべし。何に況んや数百人ににく(憎)ませ二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑ひなかるべけれども、且(しばら)く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひか(控)うればこそ、今までは安穏にありつれども、はう(法)に過ぐれば罰あたりぬるなり。又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし」

日蓮は釈迦の使いであるといい、用いなければ、蒙古に亡ぼされるというわけです。
日蓮が釈迦の使いであるという自覚は勝手ですが、史実からして、日蓮を用いることも、敬うこともなかった日本は‘蒙古に亡ぼされる’ことはなかったのです。
つまり、この文章は外れた予言でこそあれ、現代に引用するのであれば、蒙古という国が今も存在し、日本を亡ぼさない限り、何ら当たったことにならないわけです。

実に切文とは便利です。
御遺命守護同様、その根拠が崩れた創作ストーリー以上の意味はありません。

360犀角独歩:2004/04/19(月) 16:21

358 一刀両断さん:

このオフィシャルサイトのデザイン、以前、功徳水とか言う通信販売をやっていたサイトとよく似ているように思えるのですが、これはわたしの先入観がなせる業でしょうか。

361一刀両断:2004/04/19(月) 16:43
犀角独歩さん
実際の事実関係は私には分かりません。
ただ当時水のサイトが出現した時点では、まだ顕正会の活動人員だった私でしたが、さすがにあのサイトは”行き過ぎ”か”取り違え”の会員が、勝手に会の情報をincludeしたに過ぎないだろうと思っていました。
裏事情がたくさんある顕正会ですが、ああいった手口はさすがにないだろうと今でも思っています。
また会情報がある程度、一般的なソースを基にしているものであるので、会員達が作成した可能性は高いと考えています。
水のサイトとよく似ているという御指摘ですが、これはHP作者が誰であるかを知っている会員や或いは元幹部等であれば、苦笑してしまうと思います。
それにしても今頃、なぜオフィシャルサイトが開かれる必要性があるのか、甚だ疑問です。
かつて一度は開設したHPをさっさと閉鎖してしまい、ネット悪源説を謳う会が改めて開設する意図がさっぱり掴めません。

362犀角独歩:2004/04/19(月) 17:01

361 一刀両断さん:

そうですか。HPの作成者は無関係ですか。勇みでした(笑)
有り難うございます。

363Jルーカス:2004/04/19(月) 17:53
ソースを見ると、ホームページビルダーで作ったようですな。

364Jルーカス:2004/04/19(月) 17:56
某寺院の駐車場に車を停めて置いたら、フロントガラスに怪しい茶封筒が・・・。
なんだ之は、と良く見たら「顕正会の書籍」でした。
贈呈だってさ。
あんな厚い書籍をフロントガラスに置く行為は、宜しくない。
ガラスが傷ついたら訴えてやる(爆)。

365一刀両断:2004/04/21(水) 08:57
顕正会の公式HPでは諌暁書が一部¥1,000で頒布されてますね。
会員頒布価格は\100なんですがね。

366犀角独歩:2004/04/21(水) 09:04

> 365

ひどい二重価格ですね(笑)

367Jルーカス:2004/04/21(水) 11:22
>顕正会の公式HPでは諌暁書が一部¥1,000で頒布されてますね。
>会員頒布価格は\100なんですがね。

誰も買わないだろうと、この掲示板の方は思われると思うが、裏を知らない方はこの値段でも買うんでしょうね。

368れん:2004/04/22(木) 13:29
一昨日、仕事から帰ったら、ポストに顕正新聞が入ってました。当然ポストに新聞を投函したのは顕正会員でしょうが、中身は聖教の池〇礼賛の記事と同レベルの浅〇氏礼賛の記事一色で、正直気持ち悪くなりましたので、迷わず捨てました。m(__)m

369みん:2004/04/25(日) 00:02
先日、知人から聞いたのですが現在会員歴約5年の支隊長にまでなっている人が中学生の時に、当時のおけいこ事の先生から折伏されたそうです。今回の顕正新聞に5月に行われる高校生大会の記事があり、この大会の為に高校生を折伏していたんだろうと非常に憤りを感じます。当然、支隊長の彼もこの高校生大会に出るのでしょう。心が痛みます。

370犀角独歩:2004/04/29(木) 13:45

昨日、はじめて100円諫暁を手に取りました。
学会批判が闡明になった点が特に目を引きました。

あと、弥四郎本尊の還御を記しながら、まったく奉安堂のことに触れていない点が気になりました。

しかし、あんな100年も前に崩壊した仏教神話をそのままに喧伝して人と金が集まる集団浅慮には改めて溜息が出ました。

371一刀両断:2004/05/04(火) 22:49
私にも元の同志からようやく届きました。
何日か留守にしていたのでいつ投函されていたのかわかりませんでしたが。
あの内容は改訂版の理論書とほぼ変わっていませんね。
私の元部下だった者から聞いた話では、私の住んでいる区域には会員の志から全部投函する事になっているそうです。
それを購入して手分けして配布する労力を見込んで、本当に何かしらレスポンスを期待している会本部と会員が哀れです。
確かに過去の投函作業においても何百万部も投函して数件でも、会の訴えに同意して入会した例もあるのでしょうけれども。
再度同じ総幹部会の登壇になるであろう二番煎じに最早何ら期待のするところもありませんでした。
会員には申し訳ありませんが、日曜勤行等をサボってまで心血注いだという割には、何ら真新しい事が私には発見できませんでした。

372Jルーカス:2004/05/04(火) 23:51
>先日、知人から聞いたのですが現在会員歴約5年の支隊長にまでなっている人が中学生の時に、当時のおけいこ事の先生から折伏されたそうです。今回の顕正新聞に5月に行われる高校生大会の記事があり、この大会の為に高校生を折伏していたんだろうと非常に憤りを感じます。当然、支隊長の彼もこの高校生大会に出るのでしょう。心が痛みます。

いえいえ。高校生の勧誘はいまに始まったことではありません。
いまや価値観が多様化した現在に、純粋な若者(高校生)が「国のため」「正義のため」と言う言葉にひかれ、青春を捨てて入信するのです。
私は統一教会では無いが「青春を返せ訴訟」を起こしても良いのでは無いのかと考えております。
なお、彼らが高校生をターゲットにするのは、大人では色々な突っ込みをされたとき対処できないからです。
また最近では「学会員は時間の無駄」「法華講員にも近づくな」等と言う指令も出て、宗教的には白紙の方だけねらい打ちにするそうです。

373Jルーカス:2004/05/04(火) 23:53
>あと、弥四郎本尊の還御を記しながら、まったく奉安堂のことに触れていない点が気になりました。

そういえば、奉安堂の事が書いてない。
まさか、今でも戒壇の御本尊が奉安殿にあると思っている会員がいるのではないだろうか。

374一刀両断:2004/05/05(水) 09:37
>まさか、今でも戒壇の御本尊が奉安殿にあると思っている会員がいるのではないだろうか。

大多数の会員は御指摘の通りだと思っているはずです。
また幹部においても更に戒壇之本尊が移されている事は知っている者達もいますが、専ら彼らにとって大事なことは次の事に尽きており、現在何処に戒壇之本尊があるかはあまり重視しておりません。
・正本堂が破壊された=国立戒壇放棄の象徴が破壊された=日蓮師は国立戒壇放棄を許さなかった
・「国主立」のような「国立」に近い戒壇論発言が宗門内でなされている=国立戒壇の正義が徐々に現れつつある。
・現在安置の場所は国立戒壇の正義が取り戻されるまでの仮の安置場=正本堂が問題であって、現在の安置場は教義的問題は特に含まれていない

正本堂崩壊=日蓮師の本意に背く行為=当時唯一正本堂に反対した団体は顕正会=顕正会しか日蓮師に頷いてもらえない であると断定している為、現在の安置場は問題ではなく、後は顕正会が行動を起こして広宣流布を達成するのみである、という結論を出していると思われます。

375犀角独歩:2004/05/05(水) 11:42

一刀両断さん:
Jルーカス:
みなさん:

ちょっと、質問させてください。

国立戒壇というのは興門、殊に目師以後は特に、天皇帰依を大鉄則とすることは余りにも自明です。

顕正会では、「天皇折伏」について、どのような見解、あるいは対処をなしているのでしょうか。

今回の100円諫暁書を瞥見しても、この書のどこが国家諫暁と言えるのか、単に創価学会批判で束を増しただけで諫暁などと言える内容は薄弱です。まして、天皇帰依に対する必須項目はばっさりと落ちています。

奉安堂安置の隠蔽に併せて、国立戒壇之根本義に係る「天皇信仰問題」、顕正会の言い訳はどうなっているのか、ご教示いただけませんでしょうか。

376一刀両断:2004/05/05(水) 14:26
犀角独歩さん
「天皇折伏」というダイレクトな表現は顕正会では記憶にありませんので、会の天皇帰依についての公式発言を抜粋します。

南無日蓮大聖人 P187抜粋
”皇室への聖意”と題して

・「紫宸殿の御本尊」

「戒壇の大御本尊」御建立の五ヵ月後、弘安三年三月、大聖人は「紫宸殿の御本尊」を書顕された。
この御本尊は、広宣流布の時天皇が受持されるべき御本尊として御用意されたもので、現在富士大石寺に秘蔵されている。
この「紫宸殿の御本尊」について総本山第四十八世・日量上人は
「広布の時至り、鎮護国家の為に、禁裏の叡覧に入れ奉るべき本尊なり」(大石寺明細誌)と指南されている。

・京都・朝廷へ奏状

弘安四年にいたり、大聖人は日本国の真の国主である天皇に、三大秘法の正法を知らしめんと、この大事を日興上人に付し、日目上人を代官として京都へ赴かしめた。これが「園城寺申状」といわれる奏状である。
そしてさらに翌五年、再び日目上人を上京させ、天意を奏伺せしめた。時の天子・第九十一代後宇多天皇は、園城寺の碩学に見解を徴した上、大聖人の国を思う至誠を嘉し、「朕、他日法華を持たば、必ず富士山麓に求めん」との下し文を賜った。これが「弘安五年五月二十九日の御下文」である。
これら皇室に対する大聖人の御意を拝し奉れば、甚深の聖意を感ずる。
それまでの三度の諌暁は、ことごとく鎌倉幕府に対してであった。これは政権掌握の実力のうえから、幕府・執権を事実上の国主とみなされたゆえである。
しかし日本国の真の国主は天皇である。三大秘法有縁の妙国日本の国主として、この大法を永遠に守護し、日本および世界を安泰ならしむる使命を有するのが日本皇室である。
ここに当時皇室は衰微して国主としての威光勢力を失っているとも、未来の広布を望み、仏法守護の大使命に目覚ましむるべく、あらかじめ下種結縁あそばしたものと拝し奉るものである。

冨士183号

大聖人の御在世は逆縁広布の時なるがゆえに、鎌倉幕府が怨敵の用を果たすとも、未来順縁広布の時には、必ず仏法守護の王法・本化国主が現れる。
園城寺申状は、まさに皇室をして、将来この使命にめざめるさせんとの御聖意と拝し奉る。
ゆえに日興上人は、広宣流布の時至らば、本化国主が大御本尊を必ず尋ね求めることありとして、富士一跡門徒存知の事に「此の御筆の御本尊は、是れ一閻浮提に未だ流布せず、正像末に未だ弘通せざる本尊なり。・・・是れ偏に広宣流布の時、本化国主御尋ね有らん期まで深く敬重し奉る可し」
と、ひたすら時至るまで大御本尊を守護すべきことを門下に教示されている。
かく見れば、先の弘安五年の下し文も、将来広宣流布・王仏冥合の先瑞として重大な意義を持っていることがわかろう。

377一刀両断:2004/05/05(水) 14:27
更に冨士312号「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」には抜粋すると次のようにあります。

このように仏法守護の大使命を有する日本の皇室であるが、もしこの使命を自覚せず、仏法の正邪に迷って邪法を行ずれば、たちまちにその威光勢力を失う、大聖人御在世の皇室がそれであった。
また正法の滅するを見て捨てて擁護しなければ、たちまち王位は傾く、敗戦以後の今日の皇室がそれに当たろう。
ただし、敗戦という未曾有の大変革を経ても、なお天皇制は廃絶されず、天皇がその権能は限定されているとはいえなお、”君主”たる地位を保有されていること、まさに将来皇室が果たすべき仏法上の使命のゆえと、その不思議を歎ぜざるを得ない。
(中略)
さて、細井浣腸と阿部教学部長は学会におもねて「国主とは、現在は主権在民の上から民衆である」と云ったが、報恩抄には「国主は但一人なり、二人となれば国土おだやかならず、家の二の主あれば其の家必ずやぶる」とある。民衆が国主たり得る道理がないではないか。日本国には憲法上からも国家を代表する一人の君主すなわち天皇が存在し、また中央政府もある。この存在を無視して、漠然たる”民衆”を国主というのは、為にする詭弁といわねばならぬ。主権在民すなわち国民主権主義とは、国家意思を構成する最高の源泉が国民に発することをいうのであるが、国家・国民を代表して国家意思を表明するのは、天皇および国家機関にあることは論を俟たない。
ここに戒壇建立の必要条件たる「勅宣並びに御教書」(国家意思の表明)が発せられるプロセスを、政体の変化の上から考察すれば、専制政においては、国主の帰依がそのまま国家意思の表明につながる。しかし民主政においては、国民の総意が国家意思を決定し、その国家意思が天皇および国家機関から表明される手順となろう。
しかし上から下、下から上という差異はあっても、国家がある以上、政体のいかんを問わず国家意思の表明はなされる。ゆえに今日において、もし国民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布が実現すれば、国民の信託に由って成る国会の議決がなされぬはずはなく、また「国民統合の象徴」たる天皇が、国家・国民を代表して正法護持の国家意思を表明しないこともあり得ない。
ゆえに広宣流布が実現さえすれば、今日の政体においても、御聖意に叶う「勅宣並びに御教書」は発せられるのである。

要するに、直接天皇折伏をすることなくとも、現在の主権在民という形態から折伏を起こすならば、一国一同帰依が為されれば天皇も自動的に帰依することになるので、直接折伏は不要である、と主張しているようです。

378犀角独歩:2004/05/05(水) 16:18

一刀両断さん:

有り難うございます。
要するに顕正会・浅井さんの天皇帰依観はかつての創価学会となにも変わらないものであるということですね。
了解できました。

379阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/05/24(月) 21:27
管理者様
ご無沙汰です。私の愚痴を一言書き込みます。
私が顕正会の時、所属する組織のM本君は本当に粘着オタの
典型です。
このM本君と私の教化親が法論したのですが、M本君は完全
敗北したのに関わらず、それでも一方的に過去の浅井会長の
指導をえんえんと読みつづけました。
私が何度も「そろそろ時間ですよ」と言っても全く聞かず気が
つくと朝の3時を回っていました。
その日は1年半前の大雪の降りしきる日で、M本君は慌てたの
か私の教化親の大きな靴を履いてタクシーに乗って帰ってゆき
ました。
しかし明けて次の日に、私の家にM本君が靴を返しにきました。
この時もたまたま私の家に教化親が遊びにきていて、すぐM本君
は帰ると思っていたのですが、そのまま家に上がりこんでえんえ
んと同じ話を始めました。
時計を何度も見て、「そろそろ時間ですよ」と催促しても一向に
帰ろうとせず、気付くと朝の6時を回っておりました。
M本君はそのまま「日曜勤行があるから帰る」とだけ言い残して
さっさと帰って行きました。
この2回にわたる法論にならない違法取り調べのような会話の時間
のトータルは都合16時間でした…。
あの時は、本当に疲れました。
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=fuji009x

380みかん:2004/05/25(火) 00:04
「教化親」?

381阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/05/25(火) 13:19
380>>「教化親」とは私の紹介者の事です。分かりずらくてすみません
でした…。m(__)m

382みかん:2004/05/25(火) 13:36
いやそうじゃなくて、「教化親」が「折伏」してくれた人の
ことであることは存じていますが、それはいわゆる「邪宗」
の言い方で、日蓮正宗ではそういう言い方はしないと聞いて
いたもので不思議に思っただけで。

383Jルーカス:2004/05/25(火) 19:07
みかんさんの仰るとおり、当宗では本来、教化親という言い方はいたしません。
立正○○会出身者が、草創期戸田創価学会時代に入信し流入してきた言葉です。
でも、まあ私は意味が通じればどうでもいいよという正確ですので、目くじらは立てなかったが、確かに当宗信徒としては不適切ですがね。

384阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/05/25(火) 19:30
381>>「教化親」と言う言葉は間違いでしたので訂正します。
単に紹介者と言うのが正しいそうです。
私の記憶の片隅にあった言葉なのだろうか?気持ち悪いです。
誤解を与えてすみませんでした。m(__)m

385アヤエ:2004/06/14(月) 10:44
以前こちらでお世話になってた者です。
最近顕正会が300万部の本を配布したのをご存知でしょうか。
私のうちにも送られてきました。そのまま読まずに捨ててしまいましたが。
今顕正会では何が起こっているのでしょうか。ご存知の方いらっしゃいませんか?

386正気に目覚めた退転者:2004/06/15(火) 00:26
>>385
入信"報告書"が100万枚集まったそうです。
推定5万人の実働信者はそれに歓喜し
100円の価値もない本を我先に買い求め
結果、浅井さんのお腹もさらに肥える事でしょう。
信者の供養を元手に作った本を
再び信者に買わせるとは旨い商売ですねぇ。

387みん:2004/06/15(火) 00:44
100万達成後の初陣で二万の大折伏を6・7月でやるそうです‥顕正新聞6/5号より

388アヤエ:2004/06/15(火) 10:19
レスありがとうございます。
そういった動きがあったのですね、、私の友人はとっくに退会してるはずなのに
何故こんなものが届いたのかと不思議に思ってました。
友人は洗脳が解けていくにしたがって大変苦しんだので、顕正会の話は
その子に出したくないので聞けなかったのです。
では 誰かがその本をわざわざ買って送ってきたわけですか・・・。
そうやって私腹を肥やしていくとは、、酷い話ですね。

389阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/06/20(日) 18:57
アヤエ様
私のところにも例の本が3部も届きました。カット&ペーストの下らない内容
の本でした。私は富士壇信徒掲示板と言うサイトを運営しておりますが顕正会
の方々の洗脳を解く為に、是非、BOOKS『冨士大石寺顕正会の真実』を読
んで見てください。以下がそのURLです。↓
http://ip.tosp.co.jp/BK/TosBK100.asp?I=fuji009x&amp;P=0

390阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/06/20(日) 18:58
顕正新聞に3つの彗星と二つの太陽が掲載されていたので以下に天文系のURL
を貼っておきます。
↓彗星など
http://www.astroarts.co.jp/special/comet2003/index-j.html
↓二つの太陽
http://member.nifty.ne.jp/kamuishiri/etc/2xsun.html

391阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/06/21(月) 09:15

以下は↓“ザ掲示板”の私のレスです。

お言葉を返すようですが、日蓮正宗と創価学会・顕正会は宗教法人も違う他の集団
であり、日蓮正宗の教義を利用しているだけであります。これらの集団の内、創価
学会は創価教育学会と言って哲学を研究するグループでありました。ある時、日蓮
正宗と法論をして負けた為に集団ごと日蓮正宗に帰依したのです。創価学会、初代
・牧口常三郎会長は元々は目白学園の出身で、紹介者は日蓮正宗常寺在寺の信徒・
三谷素啓氏でした。この中に戸田城聖氏・浅井甚兵衛氏もいたのです。顕正会はご
存知の通り元日蓮正宗法華講妙縁寺支部に所属する一講中でした。何れに致しまし
ても、学会・顕正会などは元々は日蓮正宗の一信徒団体に過ぎないのです。どんな
に彼等が頑張ったとしても、所詮は仏・法・僧の三宝も存在しない在家の教団です。彼等は親元である御宗門に逆らい続け、このような道を辿ったのであるから決して罵倒している訳では無いのです。ただ、見て見ぬふりをする事は、与同罪を招くゆえに間違いを間違いと破しているだけであります。誤解無きようにありたいものです。
以上。

392犀角独歩:2004/06/21(月) 21:00

阿部さん、はじめまして。

391前半部、創価学会・顕正会に対する考えにわたしはやや親和性を示します。

しかし、学会・顕正会が「仏・法・僧の三宝も存在しない在家の教団」であるというのは是としても、ならば、石山は「仏宝・法宝の存在せず、僧は形ばかり教団」であるとわたしには映じます。石山が学会・顕正会を嗤う。「目くそ鼻くそを笑う」以上の意味はないというのが、わたしの結論です。

既にこの点については過去4年間、充分に議論してきました。その当板の議論を蔑ろにして、石山の正当性を訴える如き、書き込みをわたしは看過しません。

この書き込みに異論があれば、受けて立ちます。

石山三宝あり、その明証をここに呈示してください。

393犀角独歩:2004/06/21(月) 21:25

阿部さん、上記、名称のご呈示、以下『続 大石寺問題提起』スレッドにお願いします、こちらは顕正会問題ですから。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015577424/l100

394犀角独歩:2004/06/21(月) 21:26

おっと、間違えました。「名称」ではなく「明証」でした。
謹んで訂正し、お詫びいたします。
では、お待ち申し上げます。

395アヤエ:2004/06/22(火) 16:20
阿部さん
レスありがとうございます。例の本は実家に届いた為 直接目にしていません。
母も中身を見ずにに捨ててしまいました。
紹介してくださったサイト、見てまいりました。
時間をかけてゆっくり拝見したいと思います。ありがとうございました。

396ロッド:2004/06/29(火) 01:32
皆様お久しぶりにしてしまいました。
いよいよ引っ越しが現時の話になってきました。早くてお盆休みあけになりそうです。

十日間ほど、友達につきあってもらっていろいろ旅行してきました。
自分自身で本当の踏ん切りをつける為だったように思います。

最初に鎌倉のお坊さんに会いに行って、身延に行くことを勧められ、
大聖人様の御墓の前に座って目を閉じてみろとも勧められ、そのまましてきました。

なんともすがすがしい気持ちと、今までの反省の気持ちと、大聖人様がここにいらっしゃた
ことへの感動、始めて行った身延山はもちろん今まで慣わされてきた印象とは
全く違いました。気持ちいいっていうのはこういうことを言うんだなあと・・・。

帰りにまた鎌倉によって、次は誕生寺清澄寺方面に。順番は逆になってしまいましたが
大聖人様のゆかりの深い場所に行けて本当に気持ちがよかったです。
友達は疲れ切っていましたが(笑)

とにかく、家族、鎌倉のお坊さん、友達、そしてここで励ましてくださった皆さん。
本当にありがとうございました。心からすっきりした気持ちのいい時間を過ごせる
ようになりました。
昨日は、今日の朝までお坊さんのお宅で一緒に飲ませてもらっちゃいました。
今までの時間への後悔を口にしたら、お坊さんが言ってくれました。『顕正会での時間も無駄じゃないんだよ』と。

そして、今までずっと気になっていた質問をどうしても聞きたくてしました。
『信仰ってなんですか?』

『全ての人、全ての物を優しく思いやれるかってことだよ』と言われました。
『それが仏教の全てであり、一番難しいことであり、そうしようと努力しなきゃ仏教の
 勉強なんてなにも意味がない』と。
『それが御題目を身に心に唱えるということなんだ』と。
『顕正会の一番の過ちは、仏教の一番大切な思いやりを教えないことだ』と。
ドキっとさせてもらっちゃいました。その言葉を忘れないでがんばって人生生きて行きたいと思います。

今僕ちょっと酔っぱらっております。文章もめちゃくちゃですいません。
本当に皆さんありがとうございました。一生忘れないっす。

397ロッド:2004/06/29(火) 01:39
独歩さんへ
聞いちゃいました。やっぱり知っていました。
『俺なんか相手にされないほどすごい人だ』って言われてはりました。
なんかわからないことがあったら独歩さんに聞いた方がいいよって。
すごい方なんですね。レスを見てれば十二分にわかりますが。
またなにか質問させてくださりはったら本当にうれしいっす。
ありがとうございました。

398犀角独歩:2004/06/29(火) 06:04

ロッドさん、よかったですね。

わたしも身延山の宗廟、草庵跡、あの場所が好きです。
今度、お出での節は西山本門寺、大石寺、北山本門寺、天母山と行くのもお勧めです。もっとも石山は境内地に踏み込むとうるさいかもしれませんが(笑)
また、このコースで行かれるときは、近くに是非会って行っていただきたいお坊さんがいます。わたしの恩人のお一人です。O師にお尋ねになれば、どなたかは直ぐにわかります。

新たな人生の第一歩、心から祝福申し上げます。

また、ご質問、その他、どうぞお気軽に。わたしのみならず、皆さん、真摯にお応えくださると思います。

399みん:2004/07/01(木) 01:06
>ロッドさん、
はじめましてですが、書き込みを拝見してこちらまで嬉しくなりました。おかえりなさい、です。気のきいた事が言えないので以上です!

400犀角独歩:2004/07/11(日) 20:46

■顕正会・全国各地会館安置漫荼羅本尊の実態調査■

皆さんからの情報をお願いします。

先に一刀両断さんともやや議論させていただいた点ですが、顕正会の全国30余の会館に置かれている漫荼羅本尊は、どのようなものなのでしょうか。

ここで確実に、顕正会の御本尊製造の実否を固めてまいりたいのです。
どこの会館にどんな、誰の(たとえば「布師の」)書写漫荼羅で、大幅か・あるいは家庭用の小さなものか、できる限り詳細の情報をお寄せいただきたくお願い申し上げます。

あと、石山の印刷漫荼羅業務は法道院が一手にそれを担っていた、また、その頃、浅井(甚)さんが、この印刷制作に関与していたという話を聞いたのですが、この実否は如何ばかりのものでしょうか。

401バンキシャ:2004/07/12(月) 00:28
顕正会の本尊は、五十五世布師の本尊で、妙光寺でかって下付されていた本尊です。
会館の本尊はそれを浅井さんが製版印刷で拡大し表装したもので、個人には寛師の
本尊で常在寺常住の脇書が原本にはあります。常在寺に今も所蔵しています。

402犀角独歩:2004/07/12(月) 09:09

バンキシャさん、ありがとうございます。
「常在寺」ですか、これは妙縁寺ではなくて、でしょうか。

「浅井さんが製版印刷で拡大し表装した」
ここのところをよく知りたいのです。これを決定づける証拠はないでしょうか。

403バンキシャ:2004/07/12(月) 12:21
そうです、常在寺ですよ、昔学会でも草創に下付された本尊の事です。
あの本尊には脇書が本紙には認めてあります、それが常在寺に今も所蔵されて
いるんですよ。妙縁寺は関係ありません。

404犀角独歩:2004/07/12(月) 13:17

バンキシャさん、重ねて有り難うございます。

寛師漫荼羅は常在寺、そして、その証拠が同寺にあると言うことですね。

もう少し教えていただけますか。
一方の布師漫荼羅のほうですが、これは妙光寺ですか。これは「昭和四十八年十二月、松本御尊能化にお願いして「妙縁寺重宝の脇書きある御本尊を、妙信講に授与」という漫荼羅とはまた別のものなのでしょうか。

405藤川一郎 </b><font color=#FF0000>(/RnWNeIY)</font><b>:2004/07/12(月) 13:54
平成5年頃、現法華講員某氏が顕正会に入会した際「顕正会では遙拝が基本だから、君の家の御本尊様は本部に預けなさい」と言われて、預けたそうです。
その方は昨今顕正会を脱会し、法華講員になったそうですが、その時顕正会から御本尊は返却されました。

この御本尊こそまさに「戦前の日布上人御形木御本尊」だったそうです。
この方のおじいさんは戦前の日蓮正宗信徒で、家の御本尊様も「日布上人御形木御本尊」だったそうです。
なお、顕正会が出処不明の日布上人御本尊を会館に安置しだしたのは、平成7年前後ですから、これこそ原紙ではと思わせる話です。

406藤川一郎 </b><font color=#FF0000>(/RnWNeIY)</font><b>:2004/07/12(月) 14:02
浅井氏の言葉を信じるなら、
「松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅
と、日寛上人の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人、五十四代日胤上人、五十五代日布上人、五十六代日応上人、六十代日開上人、六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうち日布上人の御本尊が高知会館に安置されたのである。」(顕正新聞・昭和六十年三月十五日号)
 さて、現在ではこれら常住御本尊は下記のようになっております。
二十八代日詳上人…………本部会館安置
五十四代日胤上人…………法要に使用
五十五代日布上人…………高知会館安置
   〃    …………横浜会館安置
五十六代日応上人…………不明(顕正寺解体前までは、顕正寺本堂安置)
※護法山顕正寺は、昨今廃寺され、跡地に富士大石寺顕正会典礼院が建立されています。
六十代日開上人……………東京會舘安置
六十四代日昇上人…………未公表

さてその他に、寛師・布師の御形木(大幅及び中幅)御本尊があります。
そして昨今、儀礼室執行委員会の指導にて、導師御本尊4幅の存在も明かされましたが、これこそ、出処不明です。

407犀角独歩:2004/07/12(月) 15:04

藤川さん、有り難うございました。
話が核心に迫ってきた観があります。
これは面白い。顕正会は本尊模造の「大謗法」を犯しているわけですね。

しかし、道師本尊まで模造しているわけですか。
そうなると、彼らが言う成仏の相は、彼らが言う偽本尊の御利益となるわけで、どうやら、彼らが言う成仏もまた、真っ赤な偽物という論法が成り立つことになりますね。

408犀角独歩:2004/07/12(月) 15:07

すぐに打ち間違えてしまいます。
「道師本尊」ではなく「導師本尊」でした。

409犀角独歩:2004/07/12(月) 15:10

406に藤川さんが示してくださった会館以外で、安置漫荼羅をご覧になった方は是非とも、情報をお寄せください。

410一刀両断:2004/07/12(月) 16:10
藤川さん はじめまして。
横浜会館安置の布師本尊は私の活動期に既に他の会館と同様の印刷物と同じ書式の本尊に変更されたと記憶しています。

また、現在芙蓉会館にはどの本尊が安置されているのかご存知でしょうか?
以前は現在本部安置の28代日詳師本尊だったような記憶がありますが・・・。

411犀角独歩:2004/07/12(月) 16:36

一刀両断さん:

> 他の会館と同様の印刷物と同じ書式の本尊

ということは、つまり、同じ本尊を複製した複数の印刷漫荼羅があるという意味でしょうか。

412一刀両断:2004/07/12(月) 16:48
独歩さん
現在地方にあちこち建設している会館のメインの安置本尊は日布師形木本尊で、全く同じ書式、書体だったと記憶しています。
それが果たしてそもそも大石寺に存在していた本尊なのか、顕正会で勝手に複製したものかが判断できません。

それについて色々考察した事がありますが、浅井会長の発言からはどうやら松本師から譲り受けたというニュアンスの発言がみられます。
但し、年代によって話の内容が変化している事に留意すると、どうも出処が怪しいものと考えられます。

以下に会長の発言を示しますが、一般にはこれらの発言しか会が所蔵している本尊数を知る事ができません。

413一刀両断:2004/07/12(月) 16:48
顕正新聞 昭和六十年三月十五日号

「妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人・五十四代日胤上人・五十五代日布上人・五十六代日応上人・六十代日開上人・六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」
顕正新聞 平成五年六月二十五日号

「この御尊能化は、妙縁寺を出られる前に、私に多くの御本尊を託して下さった。それは、私が願い出たからであります。 私は"将来全国的に広宣流布を進めるに当って、地方の拠点、拠点に、どうしても御本尊を御安置しなければならない。たとえ一人ひとりは遥拝勤行で信行に励むとも、入信勤行を行う拠点だけには、どうしても御本尊を御安置しなければならない"と思っていた。
 そこで尊能化に願い出たわけであります。尊能化は「妙信講が広宣流布の御奉公をするのに、御本尊がなければ困るでしょう」とおっしゃって、日寛上人の御形木御本尊を大量に、私に託してくださった。 
 実は昭和四十年一月以降、宗門では末寺で授与する御形木御本尊を、日達上人の御本尊に替えたが、それ以前の三十年代には、どの末寺でも日寛上人の御形木御本尊を授与していたのです。松本尊能化はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ、それを私に託して下さったのであります。そのほか、本部会館安置の御本尊を含めて、歴代上人の大幅の常住御本尊七幅も、お渡し下さった。」

414一刀両断:2004/07/12(月) 16:49
顕正新聞 平成十一年四月二十五日号

「そして旧本部会館ができた昭和四十八年十二月、松本御尊能化にお願いして「妙縁寺重宝の脇書きある御本尊を、妙信講に授与して頂いた。それが現在の本部会館の御本尊様であります。このとき松本御能化は自ら御入仏式を執り行って下さった。」

「この松本尊能師が、最も心配され、心を砕いて下さったのが、御本尊様のことでありました。
「顕正会が将来広宣流布に戦うのに、御本尊様がなければ困るでしょう」と常に云っておられた。私も「そのとおりです」と、強くお願い申し上げた。
 ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して、私に託して下さったのであります。」

415一刀両断:2004/07/12(月) 16:51
以上のように発言にズレが出てきます。
簡略して発言をまとめると以下のようになります。
・昭和六十年指導
妙縁寺所蔵の大幅の常住御本尊七幅と日寛上人書写の形木御本尊数百幅
・平成五年指導
妙縁寺所蔵の大幅の常住御本尊七幅と日寛上人の御形木御本尊を大量
・平成十一年指導
妙縁寺所蔵の歴代上人の御直筆御本尊七幅と日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数

これらの発言を見ると、自宅拠点の開設や会館の大量開設などに応じて辻褄が合うような指導に変更されてきています。

416犀角独歩:2004/07/12(月) 17:07

皆さん、以下にページに顕正会会館安置本尊の一覧表を設けました。
これをすべて埋めたいのですが、ご協力ください。

顕正会会館安置本尊一覧表
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kenshokai_kaikan.html

なお、明らかに顕正会模造とわかる本尊の書写人は赤字で記し、妙縁寺・故松本師から託されたものと区別します。

417匿名で失礼します:2004/07/12(月) 17:34
確か合宿の勤行で使われていた御本尊様があったと思います。
どの御本尊様なのかご存知の方はいますでしょうか?

418犀角独歩:2004/07/12(月) 17:44

一刀両断さん、有り難うございます。

> 浅井会長…松本師から譲り受けたというニュアンスの発言

まあ、ちょっと表現はキツイですが、「死人に口なし」で松本師が本当に託したかどうか。これすら、ちょっと信頼し難いところはありますね。

わたしは学会から石山法華講という遍歴ですから、まずその感覚からして、一つの講に寺院住職が、それが印刷漫荼羅(形木)であっても預けること自体、石山の感覚で言えば、すでに大きな逸脱行為と映じます。たとえば、いまそんなことを当代の許可も取らず行う住職がおれば、住職は解任、擯斥も免れないでしょう。所謂、石山僧としては重大な化儀違反、違背行為です。

わたしが所属していた寺院の総代は、畳1枚の大きさがある昇師だったかの成就本尊を授与されていた学会古参幹部でした。その人の思い出話を聞いていたら、昭和20年代から30年代に地方折伏の成果が鰻登りであった頃、鉄道貨物で段ボールに詰めた印刷漫荼羅を送ったと自慢げに話していました。たぶん、事実であろうと思います。
また、正本堂建立時、達師が「特別御形木本尊」という印刷漫荼羅を、供養した幹部に大量に授与したことがありました。この授与が寺院で間に合わず、学会会館でも行われたという事実がありました。この際、学会は密かに業者に委託して自前で大量に模造品を製造し、水増しして頒布してその売り上げを横領したという話がまことしやかに語られたものでした。しかし、この事件は池田さんが顕師によって復権したあと、事実無根、以後、語ることを禁じるとして闇に葬られたものでした。

いずれにしても、本尊の専売権を殊更強調する石山にとって、松本師の浅井さんへの「配慮」は分を超えた違法行為であったと、わたしのような信仰遍歴を持つものには映ります。顕正会における美談は、ただの「謗法話」という認識です。もちろん、今となっては「目くそ鼻くそを笑う」の類でそれぞれの当事者をとらえていることは断るまでもありません。

> 一般にはこれらの発言しか会が所蔵している本尊数を知る事ができません

それはそうでしょうね。
容易くわかるぐらいならば、とおに問題視できたことですから。
その点に早い段階から疑問を投じておられた一刀両断さんに改めて敬意を表するところです。

419藤川一郎 </b><font color=#FF0000>(/RnWNeIY)</font><b>:2004/07/12(月) 17:45
> 417
五十四代日胤上人常住御本尊です。
僕が「法要に使用」と書いたものです。

420犀角独歩:2004/07/12(月) 17:54

藤川さん、わたしは石山を離れてだいぶ時間が経過しているので、疎くなっています。
わたしが418に記した「御本尊」への化儀扱いは石山的に間違っていますか。

421藤川一郎 </b><font color=#FF0000>(/RnWNeIY)</font><b>:2004/07/12(月) 18:28
> 420
化儀違反という面では、ほぼ全て独歩さんの仰るとおりです。

ただし、常住様をお貸しする事はあるようです。
顕正会の場合でも「日開上人常住御本尊一幅」(「御大事守護」の脇書あり)のみは、妙信講にお貸し下げしたようです。
御入佛も松本師が行っております。ただし「妙信講10万世帯までの限定」付だったそうです。つまり「10万までいったら、正式に常住様を頂いてやる」という含みがあったようです。
ところが妙信講は、1万ちょっとで解散処分、この時点で返すのが筋でしょうね。
その他は、当時妙縁寺所化であった村松さん(後の顕正寺住職)が、松本師が日大病院にいることを、いいことに横流ししたのでしょう。
ですから、あんなものは美談でも何でもありません。もっとも現代の顕正会員は石山の化儀に疎いから、美談になっているようですが。

もっとも、美談どころか敬老心欠如としか思えない思い出話もあります。
妙信講問題で御山から疲労して帰ってこられた松本師と3時間以上膝詰めで話し合い、妙信講の正しさを理解して頂いたというが、80歳過ぎてるおじいさんを、3時間も詰めるような事は、敬老心があったらできませんよね。その後、浅井さんいわく「松本御能師の頬が歓喜で桜色になった」と言うが、疲れて顔が真っ赤になっただけではないかな。有る意味爺さんの寿命を縮めた行為とも思うがね。

422バンキシャ:2004/07/13(火) 00:21
布師の本尊は、寛師の本尊を下付する前に妙光寺で下付されていまして、今でも
昭和二十年前後に入信した方で、安置されていた方も多いです。
実際は本当に小さい本尊で、本紙の大きさがA5サイズぐらいで本山周辺の清さん
なんかは今でも持っているんじゃないのかな
あそこは、誰が書写した法主にこだわっていませんので、観彗院さん(松本師)を
うまく利用したんですね。
運がいいのは、古刹寺院の妙縁寺ですから歴代の本尊は、その当時は幾つか所持
していたんですね、これが戦後に建立された寺院に所属していたなら出来ませんよ

423犀角独歩:2004/07/13(火) 01:31

藤川さん:
バンキシャさん:

有り難うございました。

424藤川一郎:2004/07/16(金) 16:21
http://www.teiohfuzoku.com/index.htm

これって、顕正会とどういう関係でしょうか。
知ってる方、情報下さい。

425藤川一郎:2004/07/16(金) 16:23
「たれあろう会長浅井先生の信心を破ぶる者は福子の浅井克衛御曹子。」
この言葉が面白い。顕正会の反克衛派かな。

426インド放浪体験者:2004/07/18(日) 16:22
前略、、 これが、、貴殿の所属の正信会の御主張ですか、、? 早々。

427犀角独歩:2004/07/28(水) 11:13

長岡訪問の折、新潟災害の復旧にボランティアで参加された日蓮宗ご僧侶とお会いしました。

皆で必死で泥を掻き出しているとき、二人組の青年がやって来たとのことです。
『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』を差し出し、「今回の災害は浅井先生の仰せのままだ」と切り出したというのです。
呆れ果てたそのお坊さんは「いまは、こんな状態だから話は後日聞く。そんなことより、あんた方も手伝って行きなさい」とスコップを差し出すと、「いやいや」と後ずさりして、「ちゃんと読みなさい」と捨てぜりふを行って去っていったとのことでした。

428藤川一郎:2004/07/28(水) 19:22
それは非道い。
本当にスコップで汗を流し、いやそれ以上にボランティア団体でも組んで、率先して復旧活動にいそしんだ後なら、少しは信用がおかれたであろうが、それで逃げ帰ったんではね。
何て非道い連中だ。

429通りすがり:2004/08/09(月) 22:19
浅井先生が手を叩いて喜びそうなネタだが……
tp://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20040808it01.htm

(2chの軍事板でアメリカはF/A-22を売る気か?や、
新型哨戒機+F-15の爆撃機型買わせてボーイング救済とか色々憶測が出てます。)

430 通りすがり:2004/08/26(木) 02:21
>416
2chとウチに転載したら早速反応がありました。
ttp://6801.teacup.com/kane/bbs/

2chでかなり前から指摘されているネタですが
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1092669036/8-9n

431犀角独歩:2004/08/26(木) 12:17

430 通りすがりさん:

情報、まことに有り難うございます。
早速、更新しました。
7体しかないはずの漫荼羅が、こんなに濫造されていた実態が明らかになりました。

顕正会会館安置漫荼羅本尊一覧
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kenshokai_kaikan.html

432藤川一郎:2005/03/11(金) 12:31:17
3/11午前中、TBSのニュースで、顕正会員が神奈川県警に逮捕された事が報道されておりました。
「つきまとい」だけで逮捕したというのは何罪なんだろ?

433愚鈍凡夫:2005/03/11(金) 13:49:40

ストーカー条例違反とか言う奴ですか?
Σ(;゜0゜;)ー ̄)ストーカー

434FAMAS:2005/03/11(金) 14:37:00
入会をしつこく勧誘、男を書類送検 神奈川県警
宗教法人「顕正会」(本部・さいたま市)に入会するようしつこくつきまとったとして、神奈川県警幸署は11日、同会会員で横浜市港南区の人材派遣会社員の男(32)を、暴行と軽犯罪法違反(つきまとい)容疑で横浜地検に書類送検した。
調べでは、男は昨年10月16日午後6時半ごろ、仕事で知り合った東京都渋谷区のアルバイトの男性(25)ら2人を川崎市川崎区のレストランに呼び出し、同会に入るよう勧誘。「関心がない」と約30分後に店を出た2人を追いかけて肩をつかみ「話を聞かないとバチが当たる」「入会しないと地獄に落ちる」などとつきまとったうえ、男性が男の腕を振り払おうとしたことに腹を立て、腕を2回殴った疑い。男は「やりすぎだった」と容疑を認めているという。
毎日新聞 2005年3月11日 12時52分

435愚鈍凡夫:2005/03/11(金) 18:24:44

FAMASさん、初めまして。フォロー有り難うございます。

なるほど、この記事のことですね。

MSN-Mainichi INTERACTIVE 今日の話題
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050311k0000e040081000c.html

436犀角独歩:2005/03/11(金) 18:38:45

藤川一郎さん、この前はどうも。
FAMASさん、はじめまして。
愚鈍凡夫さん、毎度。

以下の法律が適用されたんでしょうか。
しつこい勧誘などにも使えますね。

ストーカー行為等の規制等に関する法律
(平成十二年五月二十四日法律第八十一号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO081.html

438犀角独歩:2005/03/30(水) 21:53:22

すでに435のジャンプ先が消えていますので、該当記事をアップしました。

宗教法人「顕正会」入会しつこく迫る
容疑の男書類送検(『毎日新聞』平成15年3月11日13面)
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kenshokai/050311.html
(うまくジャンプしない場合は、コピペしてください)

439藤川一郎:2005/03/31(木) 23:34:42
浅井さんが顕正会の3月度総幹部会で、日顕証人宛に口上対決を申し入れると宣言!
口上対決
約定
対決は、左の約定に基づいて行う。
1.場所 大石寺 客殿
2.日時 対決の承諾ありしだい、双方の委員協議の上決定する。
3.聴衆人数 双方各々2,500名
4.勝負の判定 回答不能に落ち言ったものを敗者とする。
5、勝負決着後の責務 浅井さんが敗れたときは、直ちに顕正会を解散する。日顕上人が敗れたときは、直ちに(不敬の)御開扉を中止し、日顕上人は、猊座を降りて謹慎する。

なお、対決は、日顕上人と浅井さんの一対一とするが、万一でも日顕上人が出られない時は、日顕上人と同等の責務を負うことを条件として、僧俗を問わず、代人を立てることを認める。
諾否の回答は、本書面到達後、7日以内とする。
以上の定めを持って対決を希望する。
概ね、上記の要旨を平成17年3月25日に郵送したそうです。

最初から無視されるのを承知の上のパフォーマンスですかね!
それとも本気で相手にされるとでも思っているのか?

440犀角独歩:2005/03/31(木) 23:41:12

> 439

これはおもしろい。
なかなか、パフォーマンスが上手ですね(笑)

では、わたしも浅井さんと彫刻本尊の図形鑑別の公開対決でもいたしましょうか。
「おいおい、儂が最初に見つけたんだぞ」と阿部さんが言うかも(大笑)

441藤川一郎:2005/04/01(金) 12:23:02
>>439
続き、3月25日に郵送したなら、26日位には到着したから、ここ1日2日位が期限ですかね。
またまた、宗内某講中が騒いでいそうですがね(笑)

442FAMAS:2005/04/02(土) 01:03:26
いつものパフォですね。
実現不可能を知っての会員への発言。
同様の事を何度も繰り返していますからね。
それでも会員には「○○氏は公開法論を拒否。恐れているから逃げざるを得ない」と会員に吹聴するわけです。
会員はそれを聞いて踊る仕組みになるんですね。
いやはや何とも・・・。

443FAMAS:2005/04/02(土) 01:08:51
追記
外部からの法論申し込みには一切応対しないのに、こちらの申し込みが通じる道理があるのでしょうかね。

444犀角独歩:2005/04/02(土) 13:30:28

いま気付きましたが、今回の浅井さんの「法論」パフォーマンスは、小樽問答50周年にヒントを得たものではないでしょうか。

445一乗談義庵01:2005/05/16(月) 21:42:41
ブログの
>「日蓮正宗」の原理主義が顕正会なのではない。半世紀前の戸田創価学会の原理主義が、実は顕正会なのではないか。
なっとくしました

446FAMAS:2005/05/17(火) 16:51:43
案の定、”日顕師は顕正会を恐れて対決逃亡”と訴えていましたね。
しかも会員に対する解説の中で、青年僧侶邪義破折班の指摘事項の会に不利な部分を全部(中略)で省いて読み上げないし。
それでももう一度、対決状を送ったそうですが。
いやはや・・・。

447犀角独歩:2005/05/17(火) 21:52:21

まるでガキの喧嘩ですね。程度が知れるというものです。

448ラキ:2005/05/18(水) 01:16:39
石山系3教団代表が公開法論すれば、話が早いかな?とも思います。
全国紙に申し込みを載せれば、逃げられないですし。
学会では同時中継設備もありますし、マスメディアの入場もありにすれば、
機関紙で叫ぶだけの、パフォーマンスは出来なくなると思います。
後は、報道を見た人が個人で考えれば、どこがまともか?と判るのでは?
ま、本気で法論する気があればの話ですが・・・

449犀角独歩:2005/05/18(水) 02:37:08

法論をやったって、意味がないでしょう。
ただのドングリの背比べです。
教義も、なにより、根本としている彫刻本尊が、自分たちが主張していることとはまったく違うわけですから。

法論より、何より、しなければならないこと。それは彫刻本尊の科学調査です。その結果、一切の屋台骨が崩れ去ります。まったく何も自分たちの教義・本尊が成り立たない一からの出直しすることです。法論をやって、どこがお山の大将と決まったところで、間違いは間違い。そんなこと、何の意味もありません。

450藤川一郎:2005/05/18(水) 10:34:03
色々読んでみると、顕正会の「折伏理論書・日蓮大聖人の仏法」と折伏教典の中身にはたくさんの類似点がありました。
幸福論などはほとんどそのままであり、国立戒壇論の文章運びもそのままと言っても過言ではない。
もちろん、大石寺の書籍とも異質です。
これはもはや教義が違う教団とも言えましょう。

451犀角独歩:2005/05/18(水) 13:53:20

藤川さん、類似点というより、『折伏教典』が先行するわけですから、『折伏理論者』は借用ということでしょうね。何せ「宗教批判の原理」という言葉一つ取っても、やはり『折伏教典』が先行しますから。もっとも、この成句、案外、ほかに発案者があるのやも知れませんが、わたしはいまのところ、確認できていません。

なお、先の伊藤師の講演で、『折伏教典』の他宗批判の編集は、『聖衆読本』を模倣したのではないのかというご指摘がありましたね。

なお、これが大石寺法門とは違う、それはわたしも感じます。

452犀角独歩:2005/05/18(水) 18:51:07

自己レスです。「これが大石寺法門とは違う」とは、『聖衆読本』ではなく、『折伏教典』、また、『折伏理論書』のことです。
もっとも、近代石山教学も国立戒壇云々でころころ変わっていて一様ではありませんが。

453ラキ:2005/05/18(水) 23:27:43
>それは彫刻本尊の科学調査です。
その結果、一切の屋台骨が崩れ去ります。
まったく何も自分たちの教義・本尊が成り立たない一からの出直しすることです。

私も同感です。

公開法論を望んでるのは、石山系の内部抗争と仮に言っときますが、
機関紙等でみっともない、罵り合いは下品だと思うので、統合されれば、
少しはましになるのではとの思いなのです。

454ラキ:2005/05/22(日) 01:17:51
顕正新聞、5月15日号に妙観講員に対しての記事の掲載がありましたが、
個人住所が特定できる掲載並び写真の掲載。
記事の内容は下品としか言えません。
また、名誉毀損に当たる記事の掲載は、一般常識を逸脱並び、
仏法実践者の取る態度とは到底思えません。
どっちもどっちかもしれませんが、明らかに世間の法を逸脱してると思います。

461犀角独歩:2005/07/28(木) 16:47:47

本日、神奈川県の顕正会の監禁事件において、テレビ各社で報道されます。
5時からの各チャンネル・ニュース、夜10時のテレビ朝日『報道ステーション』でも特集される予定になっています。

わたしとしては、紀藤正樹弁護士、楠山泰道師、貫名英舜師と歩調を合わせ、実行犯 I は組織・指導者の活動指導、教義の精神的な強迫観念で罪を犯してしまった、この問題は顕正会の問題であるという、個人ではなく、組織の問題として考えてまいる所存です。

462パンナコッタ:2005/07/28(木) 18:13:21
とりあえず監禁事件についてのニュースは、

 宗教法人「冨士大石寺顕正会」(本部・さいたま市)への入会勧誘の際に大学生を監禁したとして、
 神奈川県警公安1課と瀬谷署は28日、横浜市泉区和泉町、大学生●●●●(20)、同市鶴見区鶴見中央2、
 派遣社員▲▲▲▲(28)の両容疑者を監禁の疑いで逮捕した。

 また、同日朝から、横浜市港北区新横浜1の同会横浜会館の捜索を始めた。
 調べによると、●●容疑者らは5月5日午後10時ごろ、横浜市瀬谷区の男性会員方で、東京都多摩市の大学3年の
 男子学生(20)に対し、執ように勧誘、約30分にわたり肩をつかむなどして監禁した疑い。同会理事室では
 「(逮捕された2人について)会員かどうか確認できていない」としている。
            2005年7月28日12時14分 読売新聞  読売オンラインより引用(名前は伏せ字にしました)

463犀角独歩:2005/07/28(木) 18:42:43


先ほど、しっかりと各テレビ局で報道され、顕正会の横浜にある会館の家宅捜査の模様も報道されていました。
神奈川県警は徹底して、調査するとしていました。けっこうなことです。

しかし、「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は亡ぶ」という文字をテレビ画面を通して見ると、その異常さはさらに明確に伝わりますね。掲示板のような、同様の信念体系下で通用する言葉も、通常の場面で聞くとその異常さは闡明になると思いました。

一般社会で、信者ではない人々が聞く「折伏」という言葉がどれ程、不気味に響くか、今一度、点検してみるべきであると思った次第です。

464藤川一郎:2005/07/28(木) 19:49:15
産経新聞あたりでは、「宗教法人冨士大石寺顕正会」ってなってるけど、正式には「宗教法人顕正会」です。
また「日蓮正宗信徒団体」って言う記載があったので、ある方が苦情を言ったら修正したそうです。

465犀角独歩:2005/07/28(木) 21:10:12

> 464

これは、当然の修正ですね。石山もいい迷惑でした。

466犀角独歩:2005/07/28(木) 23:08:53

> 461

自己レスです。報道ステーション、オンエアの情報があったのですが、やりませんでしたね。残念です。

467ラキ:2005/07/28(木) 23:24:51
ネットニュースで映像が出ていましたね。
顕正会員は謀略だと言っておりますが、監禁は事実だと思います。
折伏の名の下に、無理な勧誘は身近でも起こっていますし。
過去に500件近い、トラブルがあったとは、顕正会員は知らないではないかと思います。
学会本部襲撃事件。妙観講本部襲撃事件。
とても、日蓮仏法を正しく実践してる団体の姿ではないでしょう。
その事実を隠す顕正会は、ずるいです。
現役の入信10年程度の方は、事実をしらないし、教えても嘘だ!と信じない、
そのような思想を持つようにしてるのは、許されないと思います。
この事件をきっかけに、事実の究明と脱会希望者が増えることを切に願うものです。

468さかなこ ◆dkkskTZWJk:2005/07/29(金) 00:41:28
ニュース見ました。夕方のTV各局で大きく取り上げてましたね。
びっくりしてここに来てしまいました。
独歩さん大変だとは思いますが応援してます。頑張ってください。

469犀角独歩:2005/07/29(金) 01:10:13

さかなこさん、お久しぶりです。お元気でいらっしゃいますか。
いつも、どうしていらっしゃるかなと、思い出しています。

今回の事件は、実は「あ、痛」というところがありまして。
まあ、事件を起こした青年の個人は、罪は罪として、しかしむしろ、会の強制力に逆らえなかった被害者の側面も考慮して、諸師と協力してまいりたいと考えています。

470犀角独歩:2005/07/29(金) 07:29:23

本日の朝も、顕正会員逮捕が各テレビ局で報道されていました。
逮捕された2人は監禁の事実を認め、顕正会は認めないという思ったとおりの展開となりました。

さて、このあと、この2人がどうなるのか。監禁を認めた本人が、今回の逮捕を「法難」といい、さらに「折伏」を続けるか、この2人を顕正会が保護するかどうか。これが焦点になっていくでしょう。それにしても、逮捕者2人の家族が気の毒です。

監禁で顕正会が家宅捜査を受けたことははじめてだと思いますが、今回の報道を通じて、もう一点、注目されたのは「入会しないと地獄に堕ちる」と言ったことを「脅迫」と判断されたことです。

この掲示板でも時折、現れますが、自分の信念大系を覆される投稿に対して、異常反応をし、口汚く人格攻撃をする、これに対して、「人権侵害」であると指摘しても、その意味が理解できない…。

顕正会本部前でマイクを向けられた顕正会幹部が「監禁ではないと思いますよ」という、この感覚、口汚い批判が、正統な、しかも「折伏」「護法」だと思う勘違い。

また、摂折論の議論を通じて、わたしが最も驚いたのは、「折伏」という言葉が、創価学会、顕正会によってイメージダウンされた、自分達(他の日蓮宗、その他の日蓮を信奉する団体・個人)は、それとは違うと平然と言い切っていた姿でした。ある面、このような反応は、創価学会・顕正会「折伏」より深刻な問題を孕んでいると、わたしには思えました。

471藤川一郎:2005/07/29(金) 10:08:28
>>470
監禁で顕正会が家宅捜査を受けたことははじめてだと思いますが、

マイナーなところですが「藤沢事務所」「千葉会館」に捜索が入ったことがあったように思われます。

さて、本件は本人が認めているのがネックですね。
事実否認で押し切るなら、本人は認めるべきでは無かったですね。
もっとも、口裏が合わせられない位に、突然の逮捕劇だったのかも知れませんが。
よしんば口裏を合わせておいても、司直の取調べって言うのは一種独特の世界でして、よっぽど腹が座ってないと「真実を吐いてしまう」そうです。
相手さんは、プロですからね。

472犀角独歩:2005/07/29(金) 11:05:32

藤川さん

> 「藤沢事務所」「千葉会館」に捜索

ここでも家宅捜査はありましたか。記憶に漏れています。
藤沢というのは、ゲームセンター前で、検証会員が暴行を加えて、逆に自分が被害者を装った事件ですか。千葉のほうは何でしたっけ?

わたしがはじめてと言ったのは「監禁」で警察が動いたのは、ということですが、監禁では初めてですね?

今回以降も、「地獄に堕ちる」が脅迫罪、帰るのを拒んだ場合は監禁罪、ついでに功徳があるは詐欺罪とはいかないでしょうか。

> 本件は本人が認めているのがネック

そうですね。既に顕正会の顧問弁護士が動いているようですが(当たり前ですね)、お手並み拝見と言うところです。藤沢の事件に続いて、目立った事件としては2度目です。神奈川県警のメンツをつぶした事件です。「終末思想を唱え、人を監禁、脅迫して、詐欺も辞さない集団」、一頃前であれば、間違いなく「カルト集団」として報道されたでしょうね。

あの会館の前でテレビで「監禁はしていないと思いますよ」と答えた人物、O氏ですか。監禁時、あの現場宅に検証会員が何人いたか、実際に携帯電話を取り上げたのが誰か、逃げだそうとしたのを止めたのは誰か。被害者の証言では「体の大きな人が立ちはだかった」という発言があったと思います。これが、あの2人以外であるとすれば、組織ぐるみという方向で立件できるかどうか。

会館に家宅捜査が入ったわけですから、警察は、組織犯罪の方向で動いたということでしょうか。これを法難だ、事実無根だと、会員に向けてではなく、外に対して、語れば、社会一般から「顕正会は異常団体」という認識を高めてくれるので、自ら逆宣伝をすることになりますね。もっとも、今回の報道は、けっこう、異常集団としてインパクトを与えたのは高校生大会映像の「伏せ拝」であったかもしれませんね。

476ラキ:2005/07/29(金) 14:37:39
神奈川と言えば、昔に町田で拉致・監禁事件があったと、聴いたことがあります。
私は知らなかったのですが、回りでは結構知ってる方がいました。
情報元は学会なので、学会内部だけで流れていたのか、
神奈川の地域だけで流れた居たのかは、はっきりわかりませんが、
私の地域では相当有名な話でした。

478パンナコッタ:2005/07/29(金) 19:08:07
みなさん御存知かとは思いますが一応、続報として、

 宗教法人「顕正会」の会員2人が、東京都内の大学生を勧誘するため民家に監禁していた疑いが強まり、
 神奈川県警は2人を逮捕するとともに関係先を一斉捜索しました。
 監禁の疑いで逮捕されたのは、宗教法人「顕正会」の会員で横浜市に住む大学生・●●●●容疑者(20)、
 そして同じく会員で派遣社員の・▲▲▲▲容疑者(28)の2人です。2人は今年5月、東京・多摩市に住む
 20歳の大学生を「顕正会」に入会させるため、横浜市内の民家に連れ込み、監禁した疑いが持たれています。
 ●●容疑者らが所属する「顕正会」は、さいたま市内に本部がある仏教系の宗教法人です。そのホームページでは
 「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅びる」などと終末思想を唱えていますが、各地で勧誘をめぐるトラブルが起きて
 いました。大学生が監禁されていたと言う民家で、●●容疑者らは大学生の携帯電話を取りあげ、執拗に「顕正会」
 の入会をせまったと言います。
 「人生ここで終わっちゃうんじゃないかと・・・。(Q.命の危険を感じた?)一生束縛されるんだろうなと・・・」
  (被害者の大学生)
 民家での様子を語る大学生。大学生は、当初、都内のゲームセンターで「ゲームの攻略法を教えて欲しい」と●●容疑者
 から声をかけられました。そして、後日、民家に連れて来られたのです。
 「30分ぐらい話して、途中からいきなり、日蓮がどうのって話になって『あ、これは宗教だな』と思って。
 しばらく聞いて『宗教には興味ないんで帰ります』って言ったんですけど、『まだ話が終わっていないから』ってずっと」
  (被害者の大学生)
 怖くなった大学生は、携帯電話で家族に連絡しようとしました。しかし・・・
 「家族に電話して、『今変な人に捕まっているんだけど』って言って、そしたら携帯も取り上げられて『これはホントにやばい』
 と思って、脱出しようと窓から逃げようとしたんですけど、後ろから掴まれて。玄関から逃げようとしたら、前におっきな男が
 立ってて。これは捕まったなと思ったんですけど」(被害者の大学生)

 午前7時を回り、「顕正会」の横浜会館に警察の家宅捜索が入りました。神奈川県警は、逮捕にあわせ、横浜市内にある「顕正会」
 の横浜会館などを一斉捜索。パソコンや資料などを押収しました。今後、「顕正会」の勧誘活動の実態を詳しく調べる方針です。

 今回の逮捕について「顕正会」は、「完全なる虚偽の告訴による不当な逮捕。一切監禁などはしていない」などとコメントしています。
     (28日16:18) TBS News−i より引用 (実名報道されていますが、ここでの引用は伏せ字にしました)

479S:2005/07/29(金) 22:16:05
こんばんは。春のOFFに参加させていただいたSです。TV報道見ました。
身内の会員も一緒に見ていましたが、見終わったあとはひどく落ち着かぬ様子で、
部屋の中を不安げに、あっちに座り、こっちに座りしておりました。
ときどき自分を奮い立たせるように、何事かをつぶやいているようでしたが、
さてそれがどんな内容だったのか?あまりに小さな声だったので、
私には聞き取れませんでした。どっぷり浸かった者ではありませんが、
かなりの衝撃ではあったようです。
>「地獄に堕ちる」が脅迫罪、帰るのを拒んだ場合は監禁罪、ついでに功徳があるは詐欺罪とはいかないでしょうか。
もはや宗教法人としての適格性を欠いていると思います。
こんな組織があって良いのでしょうか?

480みん:2005/07/29(金) 22:56:13
お邪魔します。ウチもSさん同様、会員であるダンナはニュースを見てオロオロするばかりで、気になるのに内容をあえて聞かないようにしてた様です。感想を聞いても何も答えてませんでした。なまくら会員(朝晩の勤行やらずビデオ放映もサボってますが10年選手)ですが報道はショックだった様です。あえてそれ以上の事は聞かず、仕事に送り出しましたが今回の騒ぎで顕正会からウチのダンナ含め、多くの会員が何かに気付き脱会のきっかけになれば‥と思います。

481ラキ:2005/07/29(金) 23:30:46
顕正会からの正式発表はいまだされてませんね。
本部では何の対応もなく、普段と変わらないままで、会員には連絡もされていないみたいです。
末端には「謀略」と言って、あまり詳しくは情報は流れてきません。
今日の班長会の内容が気になるところですが、警察の動向を見ているのではと感じております。

483犀角独歩:2005/07/30(土) 07:28:42

Sさん、みんさん、貴重な実体験のご報告、たいへんに有り難うございました。
参考になりました。

484犀角独歩:2005/07/31(日) 12:24:33

2569 ラキさん

> 御形ぎ本尊が会館の各部屋に安置

会館には形木本尊が安置されているわけですか。

> サイズが大きいのが気になったのです。

大きいというのはどれ位のことを言うのでしょうか。

> 紙の色が異様に白すぎる

それは新しいという意味ですか。

> 表面がガラスで覆われていて

表面をガラスで覆うというのは、どんな様子なのでしょうか。
そんな奉安はみたことがありませんので、想像がつきません。

> 30年以上前の本尊にしては、綺麗過ぎて不自然

まあ、それは顕正会では「本尊」を自前で作っているからでしょう。
これが不当な批判であるというのであれば、この投稿の最後尾にあるジャンプにつき、的確は返答を公式に顕正会本部がすれば、それで事足ります。

この件は一刀両断さんと「顕正会の実態を検証する」で議論しました。
該当スレッドで342以降の一刀両断さんの名前で検索し、お読みになることをお薦めします。また、406以降の藤川一郎さん、一刀両断さん、わたしの議論は参考になるところがあると思います。

かいつまんで言えば、会館安置の本尊は通常、形木(印刷)ではなく、成就(手書き)で、それは顕正会には8体しかない、それなのに、30もある会館それぞれに何故、本尊があるのかという議論です。

その後、各会館本尊に情報を求めたところ、投稿があり、まとめたのが、以下のとおりです。(これをまとめたら、今度は、パクったと難癖をつけられましたが、出所を明記しているので、盗用と批判される筋はありません)

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kenshokai_kaikan.html

485犀角独歩:2005/07/31(日) 12:26:03

> 484

記した2569とは「素朴な疑問」の通し番号です。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/2569

486ラキ:2005/07/31(日) 20:03:56
独歩さん。
学会当時みた摂受本尊より、同じか少し小さい大きさでした。
近くで見れないので、正確に対比できる物が無いのでなんともいえませんが、
そんなに大きくは無いです。

紙の色が白いとは、新しい感じで、新品の西洋史みたい白さです。

ガラスが張ってあるとは、仏壇前面にガラスの板がはめ込まれています。
ライトアップしてあるので、美術品の展示物みたいです。

私的印象ですが、ガラス板はめ込みは、安全確保とか言われそうですが、
美術品ではないのですから、不自然だと感じます。
そして、お香の供養がケースの中では出来ないと思いますし、
本尊が痛む、汚れるからとの発想でしてるなら、ケースの中の空気は淀み、
お香で清めてないから、逆に不浄ではないかと、思うわけです。
ま、勤行の時にお香を焚いてないのですから、その時点で、御本尊に供養する、
御香がないから、基本の基本も出来てないとしか言えない印象です。
妙信講時代の人は別として、顕正会に名前が変わってからの会員は、
化儀ひとつちゃんと出来てない、知らないと言った感じですね。
化儀の記載がある出版物は見たことが無いですし。(過去に発刊されていたら申し訳ございません。)

驚いたことがひとつありました。
引き題目の長さです。
石山。学会の引き題目に対し、顕正会の引き題目は2倍の長さで驚きました。
2倍という長さの基準は、私が普通一呼吸で2回唱えることが出来るのに、
顕正会のでは1回を息継ぎなしで出来るか出来ないかの長さだからです。

487犀角独歩:2005/08/01(月) 09:51:39

ラキさん、現場報告、なかなか参考になりました。
漫荼羅の前にガラスを入れて、ライトアップするというのは、わたしは見たことがありません。もう20年以上も前のことですが、顕正会の会館では題目を合わせるためにメトロノームを使っていると聞いてときも、吃驚したことがありました。

引き題目の長さは、細井さんの丑寅勤行なんかは、引いている間に何人も居眠りする人が出るくらい長かったですね(笑)

もっとも、上代は、それよりさらにずっと長かったかも知れません。

いずれにしても、興味の対象は自前で本尊を作っているかどうか、です。

余談ですが、過日の顕正会報道をした某テレビ局のディレクター諸氏にお会いしました。その前に日蓮宗のS師が、「テレビで日蓮宗顕正会と報道されたので宗務院が抗議した」、また、石山末Hさんが「日蓮正宗顕正会と報道したので抗議した」という話を聞いていたので、その点で正確な報道をお願いしました。じっくりとした特集を組むという話でした。日蓮宗務院には取材が入ったと言うことでしたが、今回はJSCPR創立理事・楠山泰道師のところへは、かなり取材攻勢があったようでした。しかし、報道にストップが係ったとのことでした。止めた本営を聞いて多少驚きましたが、ここには記さないことにします。また、I氏のお話も伺いました。種々問題が山積してきた感があります。

488さかなこ ◆dkkskTZWJk:2005/08/01(月) 11:08:07
独歩さんこんにちは。右往左往しながらやってますw
私の性格のだらしなさが一番の問題ですw

顕正会のニュースは元日蓮正宗信徒としては心を痛めてます。
顕正会問題に東奔西走されているようですがお体には気をつけて
下さいませ。独歩さんは富士門の星ですから^^

489ラキ:2005/08/01(月) 18:03:15
独歩さんへ。
>顕正会の会館では題目を合わせるためにメトロノームを使っていると聞いてときも、吃驚したことがありました。
会館、寺院参詣したりすると、唱題をあげてる方が居ますが、学会員は先客の人に題目の速度を合わせる「異体同心」みたいな感じがしております。
正宗・顕正会では、唱題限定ですが、他と合わせる事が苦手だと思うので、リズムを合わせる物が必要だから、太鼓の代わりのメトロノームが必要なのかと感じます。
地域差があるかも知れませんが、私の体験で思ったので、学会擁護のつもりはありません。

>引き題目の長さは、細井さんの丑寅勤行なんかは、引いている間に何人も居眠りする人が出るくらい長かったですね(笑)
居眠りするほどの引きの長さって想像出来ません。(^^;

>いずれにしても、興味の対象は自前で本尊を作っているかどうか、です。
確かに一番興味がある事です。
各会館の安置本尊について、公式見解がされてないのですから、
限りなく、怪しいと疑われても仕方がないと思います。
公式発表されてる本尊数が、発表のたびに数が変わっていますし、
会館の数から言っても、安置されている本尊の数が多すぎではないかと思われますし、
自前で作ってないと否定する、顕正会員の方が居れば、所属会館の本尊が誰の書写とかの情報を公開して、
顕正会の言う正しさを提示する義務があると思うのです。
理由をつけて発表できないのは、自作疑惑を晴らす事が出来ないと、自分たちでアピールしてるのと、
同じ行為だと私は感じております。

484のレスにかぶりますが(下記)顕正会員の自発的発言で、
いわれの無い、疑いだと思いの方は、疑いを晴らす事をして、
自己所属顕正会の濡れ衣を晴らしてもらいたい思いです。

>> 30年以上前の本尊にしては、綺麗過ぎて不自然

。まあ、それは顕正会では「本尊」を自前で作っているからでしょう。
これが不当な批判であるというのであれば、この投稿の最後尾にあるジャンプにつき、的確は返答を公式に顕正会本部がすれば、それで事足ります。

490一刀両断:2005/08/01(月) 20:39:13
最近ROMをしておりましたが、犀角独歩さんから御紹介を頂きましたので、現在の私の所感を少しだけ書き込ませて頂きます。
ラキさん

顕正会本尊に関して

本尊に関しては私自身、かつて所属していた時から疑問視していたところです。
宗門から破門されてからは本部は会員に遥拝勤行を徹底してきた割には、どこから降って沸いてきたのか、近年会館、事務所に本尊が急激に安置されるようになりました。
更に自宅拠点として未熟な信仰者であっても入信勤行を行える場所を提供できれば日寛師本尊を無数に安置しています。
それに尤も不審であったのが、隊長・区長といった組織幹部への本尊下付です。
このような現状を見ると、遥拝を推進されてきた古参の会員には訝しいとしか思えません。
というか本尊の安売りが近年多くはっきりと見えるようになってきました。

引き題目の件

顕正会では集団勤行で引き題目は行っていないはずだと思います。
きっと、題目三唱を指しての事だと思いますが、あれは顕正会特有のもので、日蓮正宗に関係していた人が聞くと驚くといわれた事がありました。
ただの題目三唱が引き題目のそれ以上に聞こえてしまうのではないかと思いました。

今回の事件報道に関して

案の定、今回の件に関して本部では日曜勤行の定例指導では何らコメントしなかったようです。
しかしその辺は組織幹部は会員の動揺を危惧して、日曜勤行の後などで創価学会のマスコミへの情報提供、事実相違の捏造などと触れ回っているはずです。
そしてたとえ浅井会長がこれに触れたとしても「前々から言っていた一国こぞっての悪口中傷、これこそが御遺命成就の前兆」などと言うのでしょう。

それにしてもTVを通して公開された会長入退場の際の伏せ拝は、かつて私自身行っていた身とはいえ、ゾッとするものがありました。
ビデオ放映などといって、会員同志で見ていると大した意識はしなかったのですが、第三者の眼を以てTVを通して見ると”おぞましい”程の寒気がしました。

491ラキ:2005/08/01(月) 21:52:16
一刀両断さんへ。
こんにちは。はじめまして。

>顕正会本尊に関して
>更に自宅拠点として未熟な信仰者であっても入信勤行を行える場所を提供できれば日寛師本尊を無数に安置しています。
私が聞いたのは、入信勤行の際、近くに自宅拠点や会館が無い場合、入信勤行の為のご本尊の一時貸し出しがあると聴いております。

>それに尤も不審であったのが、隊長・区長といった組織幹部への本尊下付です。
本尊下付は、うる覚えなのですがもう少し基準が下がってると聞かされております。
相班長だったか、信心強情だと本尊下付が叶うらしいと。

>引き題目の件
ご指摘された題目三唱でした。(誤解を招いてしまった方には、申し訳ございません。)
あまりにも強烈な印象なので、ご指摘されるまで題目三唱ではなく引き題目と勘違いしていました。(^^;
題目三唱→鈴(3打)→題目三唱でした。
題目三唱を鈴打ち前後2回行う行為で、違和感を覚え、引き題目と同じ長さの題目三唱。
石山系教団では、他ではない作法ですね。
そしてもう一つ独自の作法か、集会場に入場、退室、着席、立ち上がった時に本尊に向かい、お辞儀をする好意が違和感を覚えた事がありました。

今回の事件報道に関して(私見の感想です。)
こちらには一切の情報は流れてきません。
本部指示で班長クラスで情報を止めてるのか、末端には班長の独自判断かわかりませんが、
問いに対しても明確な答えが無いばかりか、問いに対して、故意に避けている感じがします。
今現在、天王山の戦いと言って指導をしていますが、「天王山の戦い」の意味すらも理解出来ていない顕正会員には、
疑問以上の、思考をする行為さて無いのかと感じております。
急いで100万人達成といい、達成したら300万人と言い出し、
300万人になったら何が変わるのか?そして、300万人が広宣流布の鍵と言っても、
名簿上の300万人が何が意味があるのか、理解に苦しむ所です。
質問に対しても、先生は何か考えがあり、今は答えていないが、答えられない事情があり、
深い考えがあっての指導と言います。
私から言えば、行き当たりばったりの妄語ではないかと思ってしまいます。
顕正会発行の書籍で顕正会の歴史を調べても、全部否定はしませんが、浅井さんの発言の矛盾点が目立つの部分は隠せていないと思っています。


一刀両断さん。ROMだったのにご丁寧な回答ありがとうございました。m(__)m

492一刀両断:2005/08/01(月) 22:13:45
ラキさん こちらこそよろしくお願いします。
>私が聞いたのは、入信勤行の際、近くに自宅拠点や会館が無い場合、入信勤行の為のご本尊の一時貸し出しがあると聴いております。

この本尊は会館に月見団子のように盛った本尊ですね。これは寛師の形木本尊で自宅拠点と同じものですね。

>本尊下付は、うる覚えなのですがもう少し基準が下がってると聞かされております。
>相班長だったか、信心強情だと本尊下付が叶うらしいと。

それは初耳です。
もしかして、その下付の対象となっているのが自宅拠点の本尊、ということではないでしょうか?
自宅拠点の本尊は総班副長、支隊副長程度でも預かることができます。
但し、「下付」という言い回しは本部はしません。
私が指摘した「下付」は、実際に隊長・区長等を本部に呼んで浅井会長の自宅から何体もの本尊を直接隊長・区長に「下付」した本尊のことです。
浅井会長自ら「戦いに勝つために祈る本尊が組織の中心者には必要だ」ということで特別「下付」する、といって渡されたものです。


>そしてもう一つ独自の作法か、集会場に入場、退室、着席、立ち上がった時に本尊に向かい、お辞儀をする好意が違和感を覚えた事がありました。
これは本尊に対する明確な指導が徹底されていないために起きた現象だと思います。
会員は本尊に対するきちんとした指導を受けていません。そのため、どう敬えばよいのか分からずに、とりあえず礼をただす意味でお辞儀しておけばいいだろうという安易な発想が会員にあり、それが広まったものだと思っています。

>300万人になったら何が変わるのか?そして、300万人が広宣流布の鍵と言っても、
>名簿上の300万人が何が意味があるのか、理解に苦しむ所です。

私は100万以前の者なのですが、実は100万達成以前では「100万」という数字はとても大事なものだったのです。
だから100万達成したと聞いて会長が何を言い出すのか、内心楽しみにしていたのですが現実には「300万」といういい加減な目標でしかありませんでした。
古参の幹部ならきっと思っていることでしょうけれど、顕正会は実は何度も飛行機に譬えて「離陸」という言葉を用いてます。
私が知っている限りでは顕正会は幾度となく「離陸」し、最終法戦に望んでいます。
会長の時々の言葉通りだとすると、完全飛行できない欠陥飛行機が何度も滑走路でバウンドを繰り返して都度「離陸しました」といっているようなものです。
300万に届いたところで次は500万、1000万と数が増えるだけで、その都度「ついに離陸」「ついに正念場」という言葉を用いるのでしょうね。

>私から言えば、行き当たりばったりの妄語ではないかと思ってしまいます。
全くその通りだと感じざるを得ません。
私なりに思う浅井会長感は「無智の盲信」といったところでしょうか。
会長の信仰に対する思いはこちらにも痛いほど伝わってきますが、それを踏まえた信仰組織の形成能力と盲信ゆえの無茶な信仰姿勢のゴリ押しという点が非常に醜く見えてしまいます。

493ラキ:2005/08/02(火) 03:46:15
一刀両断さんへ。
>この本尊は会館に月見団子のように盛った本尊ですね。これは寛師の形木本尊で自宅拠点と同じものですね。
月見団子は笑ってしまいました。
現物の盛り合わせは見たことが無いですが。(笑)

>もしかして、その下付の対象となっているのが自宅拠点の本尊、ということではないでしょうか?
自宅拠点の本尊は総班副長、支隊副長程度でも預かることができます。
話を聴いた先輩に当たる人が入信2年ぐらいの方なので、自宅拠点の本尊下付を言ったと思います。


>これは本尊に対する明確な指導が徹底されていないために起きた現象だと思います。
会員は本尊に対するきちんとした指導を受けていません。そのため、どう敬えばよいのか分からずに、
とりあえず礼をただす意味でお辞儀しておけばいいだろうという安易な発想が会員にあり、それが広まったものだと思っています。

先輩には本尊に対する顕正会の作法として、お辞儀の仕方は教わりました。
正宗本来の化儀・作法を知らない。
そして、書籍等で明確に指導、形式を教えてないので、このような不思議な現象が起きたと私も感じております。
合掌一つとっても、明確な指導が無いので、各自独特な合掌の仕方が目立ちますし、口元に手をかぶせる感じや、
指を開いたままや、包み込む手の合わせ方の方が、多く拝見できます。
少し驚いたのは、お経本持ったまま、口元を隠す感じで唱題をしていたり、
一定の間隔で、腕を上に上げ構えなおす祈祷のような方もいて、顕正会で言う、
衝撃!でした。(笑)

☆ここを閲覧してる、顕正会員に対してメッセージです☆
顕正会にの人数で100万人達成で、「10万人による行進」と言う話があったみたいですが、
何の音沙汰も無く、いまだに実現されてない、事実を現役の方には、認識してもらいたい思いです。
先輩も、行進に参加したかったと言っておりましたが、中止か延期?の説明も無いまま、
300万人と言う目標設定のおかしさを疑問視しないのは、やはり、個人で考える事を放棄した行動なのではと感じております。
顕正会の指導、会長の方針、指導に矛盾を感じる発言は、暗黙の強制禁止と受け止めています。
先生を信じられなければ、「顕正会にはいらない」この言葉の意味することは、
慈悲の心ではなく、浅井さん崇拝を出来ない人間は、「顕正会にいらない、切り捨てる」と
日蓮仏法を広めると言う名目の、会員集め、盲目な崇拝者集めと思ってしまってます。
広宣流布はまじか。達成前夜の法戦と言いながら、300万だろうが、1000万人の会員が居ても、
広宣流布にはならないと言う、現実を逃避する思想は、仏法ではないと指摘したいです。
このような、批判的・誹謗的発言をしてると、謀略だと思う方も居るかもしれませんが、
私は現役顕正会員です。←このように名のっても、謀略部隊とか思う方は、
指摘した部分に関して、明確な答えを言えるなら反論をうけたまります。
今までの指摘部分は、浅井さん自身の発言記録が、残ってる物であり、
また、発言の内容変更の理由を発言した、記録は一切私は、見聞きしていないので、
そのような発言がありましたら、詳細を教えていただきたいです。
浅井さんの指導に「逃げちゃダメだ!」とよく言われてますが、一念信解の信心ではなく、
現実を見つめ受け止める事をして頂きたく思います。
先輩の指導、幹部指導ではなく、自分のあなた自身の頭で物事を考えて下さい。
本尊に祈っても仏知はないです。
最終的に考えて、答えを出すのは、自分自身だからです。

494犀角独歩:2005/08/02(火) 08:35:58

一刀両断さん、お久しぶりです。
お元気そうで、なによりです。

495藤川一郎:2005/08/02(火) 18:03:45
>> >そしてもう一つ独自の作法か、集会場に入場、退室、着席、立ち上がった時に本尊に向かい、お辞儀をする好意が違和感を覚えた事がありました。
>> これは本尊に対する明確な指導が徹底されていないために起きた現象だと思います。
>>会員は本尊に対するきちんとした指導を受けていません。そのため、どう敬えばよいのか分からずに、とりあえず礼をただす意味でお辞儀しておけばいいだろうという安易な発想が会員にあり、それが広まったものだと思っています。

そうでもありません。
日蓮正宗の末寺の中でも、このように一礼して入室退室する寺院信徒もたくさん見ます。
聞きますと、昔からやっているから何故かは分からない。
古刹寺院の古くからの伝統の場合もあるそうです。
つまり、妙信講または浅井さんが教化された系統の流れが伝わったと考えるほうが自然かも知れませんね。
ちなみに、題目三唱を2度行う方も、古い法華講員に存在します。

496犀角独歩:2005/08/02(火) 20:41:15

顕正会の場合、漫荼羅本尊に向かうお流儀の異常さより、浅井さんに対する伏せ拝、ビデオに映った浅井さんにまで頭を下げたり、拍手をする異常さのほうが、はるかに問題です。
あんなことを、いまだに日本でさせる団体と、そんなことを平気でする若者が製造されていることの異常さに、今回のテレビ報道を見た一般の人々は鳥肌を立てたことでしょう。

497犀角独歩:2005/08/02(火) 23:32:02

> 493

顕正会ではたしか平成25年までに1000万人が達成しないと、人類は核戦争で滅亡すると浅井さんは断言していたのではなかったでしょうか。

498ラキ:2005/08/03(水) 01:59:54
藤川一郎さん。
>日蓮正宗の末寺の中でも、このように一礼して入室退室する寺院信徒もたくさん見ます。
聞きますと、昔からやっているから何故かは分からない。
古刹寺院の古くからの伝統の場合もあるそうです。
>ちなみに、題目三唱を2度行う方も、古い法華講員に存在します。

私が知ってる寺院や法華講の方では、見聞きした事がないです。
今度、浅井さんと同時代の方が居るので、聴いてみたいと思います。

独歩さん。
>顕正会ではたしか平成25年までに1000万人が達成しないと、人類は核戦争で滅亡すると浅井さんは断言していたのではなかったでしょうか。
1千万人達成の目標は平成19年の予定が変更されて、平成25年になってます。
第1回武道館大総会昭和57年10月9日の中で「もし、あと25年で広宣流布ができなければ、核戦争によって人類は絶滅するではありませんか」と述べています。
今現在は300万しか触れていないわけで、進路変更や離陸直前と言いつつも、
地球何周ぐらい走っているのかわからないです。
予定変更の理由は述べられていないと、記憶しています。
いつもの事ながら、御仏知による思いつき発言でしょうと思います。
ま、最悪でも、今は理由が話せませんが、と逃げるのが常套手段ですね。
思いつきによる発言=理由が無い=話せない。こんな感じだと私は思っております。
中国、北朝鮮による、日本に対しての核戦争の恐怖を煽っていますが、
隣国が核攻撃をした場合、放射能が自国に来る事はわかってるはずです。
そんな愚かな事をするのは、自国の危機回避が出来なく、自滅又は被害を覚悟してしか出来ないと私は考えております。
新聞、ビデオ放映等の指導で、身内幹部が大げさに煽り、浅井さんの指導のオウム返し!
自己弁舌に酔った口調!会長の指導に衝撃が走った。
台本を読んで同じ口調、弁舌と個性のない話し方。
私見ですが、心に響く語りではないです。
自己の思考を停止し、与えられた情報だけを鵜呑みにして、顕正会と言う集団組織に溶け込む事が正義!真実と勘違いしてる会員たち。
個人レベルでは、個性があるようで、個性の無い同一思想を共有する事が、正しいと思う妄信思想。
顕正会だけではなく、石山系全体に言える事だとも感じております。

一つ不に落ちないことがあります。
今回の顕正会の事件に対し、学会、正宗では何の動きも反応も示さないことです。
不都合があるから、反応を示さないのでしょうね。

499犀角独歩:2005/08/03(水) 10:38:13

ラキさん、顕正会の平成25年の目標は、現在は300万に変更されたのではありませんでしたか。

いずれにしても、日本の聞き、世界の危機の問題は、模造の彫刻を祀る国立戒壇を国民総意で建立したところで何も解決しないという、当たり前すぎる常識を顕正会員にわからせることが必要です。

> 学会、正宗では何の動きも反応も示さない

同じく国立戒壇を言い、折伏闘争に明け暮れたかつての与同に言辞もないと言ったところでしょうか。興味深い沈黙です。

500犀角独歩:2005/08/03(水) 10:38:57

【499の訂正】

誤)日本の聞き
正)日本の危機

501藤川一郎:2005/08/03(水) 13:05:42
ラキさん、付随します。
丑虎の勤行の終了後、客殿に入室、また退出するときに一礼する方も結構見ます。
また、奉安堂の御内拝の時も同様です。
また唱題を2度はもちろん、3度行う方も見たことがあります。
要するに、特に大きな化儀違反(法華経の別の品を読む等・・・)とならないレベルでは信徒の自由また、末寺の裁量に任されているんだと思います。

502藤川一郎:2005/08/03(水) 13:09:52
所謂、法華系新興宗教では、問題を大きくすると余計に会員を固めてしまう事があります。
今回の件でも「いよいよ顕正会が社会から認知されてきた。社会は愚人である。愚人に誉められるは恥である。批判されるのは正しい証拠」等と言い出すと思います。
彼らにとって、無視される方がつらいんだと思います。
しかし、問題にしなけれ社会には知れないし・・・。
つまり、ほどほどにする程度が難しいですね。

503ラキ:2005/08/04(木) 10:51:48
独歩さんへ。
顕正会が名簿上、人数が増えても、「核戦争で人類が滅びる」と言う、
発言事実は消えないわけで、核戦争回避の明確な根拠も示してない”妄語”を言う浅井さんは、
謗法を犯してる事実に顕正会員はきずくべきですね。

>同じく国立戒壇を言い、折伏闘争に明け暮れたかつての与同に言辞もないと言ったところでしょうか。興味深い沈黙です。
全世界に広宣流布をなのですから、日本国国教。国立戒壇と言うこと次代、
時代遅れの言葉の表現で、国連戒壇、全世界戒壇、いちえんぶだい戒壇、とかの方が
適した戒壇の言葉だけの表現だと思います。
不に落ちないと言えば、7月の浅井さん指導が「四信五品抄」「一念信解」ばかりで、
学会・宗門批判色が薄いのは、仕組まれた何かの存在がある気がします。
拉致・監禁と世法逸脱を何処もしないのは、石山系教団の全体が同じ事をしてるのではと、
誤解を解くためにも、糾弾するべきなのにしないのは、納得が出来ません。
そして、被告に対しての、顕正会側の発表も無い、誠意のなさ。
これが、世界平和を唱える教団のあり方だと自己矛盾をアピールしてる気がします。

>藤川一郎さんへ。
>丑虎の勤行の終了後、客殿に入室、また退出するときに一礼する方も結構見ます。
また、奉安堂の御内拝の時も同様です。
日本人どくどくの、一例道徳が、自然と定着したのかと、考えております。
唱題2度3度は、登山での記憶がないです。
きかいがありましたら、観察してみたいです。^^

>今回の件でも「いよいよ顕正会が社会から認知されてきた。社会は愚人である。愚人に誉められるは恥である。批判されるのは正しい証拠」等と言い出すと思います。
彼らにとって、無視される方がつらいんだと思います。
どちらに転んでもご都合発表しかしない気がします。
相手にすれば、藤川さんのおっしゃる事を言うでしょう。
相手にしなければ「顕正会が怖いから沈黙を守ってる」とでも言いかねません。
顕正会員が思ってるほど、他は、顕正会なんてどうでもいいから、無視か、
相手にする価値も無いとて感じですね。
実際、顕正会の事知ってる人って少ないですし。
ちなみに、顕正会をのぞいて、妙観講の知名度も低いです。

504犀角独歩[TRACKBACK]:2005/08/04(木) 11:44:43

ラキさん

> 浅井さん…謗法を犯してる

まあ、わたしからすれば、何の法をもって、「謗法」とするかという特定には興味がないわけで、むしろ、妄想から来る虚言なのか、人を騙そうとする詐術なのか、あるいは、その両方なのか、/ 単なる「自分の影響力の中毒に陥った精神状態なのか、金儲けを目論んでのことなのか、あるいは両方か、法的に追及できないのか、と言った点に観察は集中しています。

終末思想と恐怖操作、人身操作の方法はオウム真理教と同じ、テロは起こしてないが、傷害事件、監禁事件は起こしている、就業・就労より活動の重点を置くなど、既に反社会性が垣間見られますが、これが今後、エスカレートし、昭和49年の創価学会本部襲撃のような暴力行動を日常化し、テロ集団となるのか、あるいは創価学会のように方向転換して社会協調路線に切り替えられるかどうか、いずれにしても、末端活動家の違法逮捕ではなく、顕正会並びに最高幹部自体が裁かれることにならないと、いつまで、妄想は継続することになるでしょう。

勧誘、会員煽動におけるスピーチなど、これが商業団体であれば、とっくに摘発されていますが、「宗教消費」という特権によって、どんなでたらめを言っても、教義ということで、裁く法律がないことに問題があります。

顕正会問題は宗教問題ではなく、社会問題、社会心理学の問題、ひいては法学上の問題であるというのが、いちおう、日弁連が見解であり、また、早稲田大学の法学者・棚村政行師の研究課題となっている点です。

○日弁連、顕正会を公式に宗教トラブルを起こす団体と認識
 アーレフ、統一協会、法の花三法行、ライフスペースなどと同列に論じる
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1041207951/r148

○棚村政行師提言
 http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/open/ol001_tanamura.html

505ラキ:2005/08/07(日) 18:40:10
今日、先日の事件について顕正会の発表がありました。
予想していた感じの指導でした。
まず、TV報道に対して顕正会の悪口を言ってるとか、日本脱カルト協会の弁護士が身延派の人間と非難して、
謀略・陰謀説を唱えている。
顕正会の弁護士が被告に話を聞いた限りでは、折伏で2時間話、拠点にて入会勤行をして、
迎えに来た家族だったかの元まで送っていったと。
TV報道で諌暁書が映っていて、全国に流れて宣伝効果が10億はあると喜んでいる、稚拙さ!!
結局事件の事にはあまり触れないで、うやむやにして、広宣流布の前には難があると、締めくくり、
犯行は学会の謀略・陰謀と言いくるめてました。
5月5日の事件から7月の逮捕まで時間が掛かりすぎてる。
謀略て稚拙な発言。司法手続きの時間のかかる事等触れていないし、ましてや、公安1課の介入は何も言ってなく、
ただ警察がというところは、これで納得する顕正会員の思考能力停止。
物事を冷静に判断する事を拒んでるとしか思えません。

506犀角独歩:2005/08/07(日) 23:44:47

> 日本脱カルト協会の弁護士

あの報道でテレビに出たのは紀藤弁護士ですが、日蓮宗と(大笑)
8月の末に会う予定があるので、しかと伝えます。

> 宣伝効果が10億

こんな俗物発言ですか。

今回の件で、本当の被害者は、捕まった本人、その家族と言うことですね。

507ラキ:2005/08/17(水) 23:01:09
顕正新聞に事件の正式報道がやっとされましたが、8月7日の私の書き込みのまま、
新聞に掲載されただけです。
基本的に学会の謀略となっています。
さて、TV報道のビラを全国で学会が配っていたと新聞に書かれていますが、
ビラの話題、噂も聞いてません。
全国に配布してるなら、現物を見た人が居てもおかしくないと思うのですが、
現物の写真さえ掲載してないのは、明らかに嘘の発言ではと感じております。
現物の謀略ビラを見た方が居ましたら一報お願いできると幸いです。

508ラキ:2005/08/18(木) 10:47:57
今回の起訴猶予処分。
起訴猶予=無実・冤罪、と言いかねませんね。
結局は、顕正会のご都合思想には、とてもよい宣伝になって終わりと思います。

「横浜地検では、監禁時間が比較的、短時間だったことや、2人に前科前歴がなく、改悛の情が認められることなどから起訴猶予処分としたものです。2人は17日付けで、釈放されました。」
(TBS Newsi)

509犀角独歩:2005/08/18(木) 21:01:53

ラキさん、今回、浅井さんがどんなつもりでいるのかわかりませんが、かつて言論出版妨害で、高をくくっていた池田さんが震え上がり、その後の路線変更を余儀なくされたように、そのうち、大きな地雷を踏んでしまったことに、後悔することになるでしょう。

コップの中から、池に出た金魚が見る世界では、伏せ拝はしません。
ですから、

> とてもよい宣伝

どころか、実質的に顕正会の終焉、玉手箱の蓋を開けてしまったということです。
子ども相手に粋がっている時間はおしまいということです。

なお、猶予となった2人については、再犯には厳しい咎めが待っているということです。おだてられて同じことを繰り返せば、どのような忌まわしい未来が待っているのか、冷静に考えてみることです。

510ラキ:2005/08/19(金) 01:12:01
近日中の指導が楽しみです。
猶予報道をどのように指摘するのか、また、やはり謀略と言いかねませんね。
日曜勤行の指導か、今月のビデオ放映の幹部会かでコメントがあると思います。
また、9月の男子部幹部会がどんなことを発表をするかが楽しみです。
最後に申す事の内容についてかも知れませんが、宗門について最後に申すことではなく、
自己についての最後になるのではと(笑)

511犀角独歩:2005/08/19(金) 07:07:41

ラキさん、今の顕正会は、かつての創価学会・池田さんと同じ、社会への入り口に敷かれた地雷に足を乗せているわけです。

浅井さんは調子に乗って喋りまくればいいだけです。
顕正会が社会問題化しない最大の理由は「幹部逮捕」というイベントに至らないからです。しかし、浅井さんが喋ればしゃべるほど、このイベントの条件はどんどんと整います。動けばうごほど、自分の首を絞める結果となります。やがて、幹部逮捕、就中、「浅井逮捕」というクライマックスを迎え、浅井さんは不幸な最期に入っていくことになるのでしょう。いままでは、コップのなかで裸の王様をやっていただけ、しかし、今回のスピーチを通じて、浅井さんは日本社会という金魚鉢の扉に手をかけた。ここから地雷を踏んで満身創痍になって社会という遡上に引きずり出され時、浅井さんの悪夢は始まるという筋書きです。

その時になって思う壺にはまっていたのが、実は自分であることに遅ればせながら気づくでしょう。しかし、その時は後の祭りです。このコメディーを、見物する楽しみを我々に与えてくれたということです。

512犀角独歩:2005/08/19(金) 07:09:13

【511の訂正】

誤)動けばうごほど
正)動けばうごくほど

誤)遡上
正)俎上

513藤川一郎:2005/08/19(金) 09:32:34
一応皆様誤解なさっているように見えますので・・・。
起訴猶予とは
刑事訴訟法第248条「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の状況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」
にもとづいてされます。すると一見すると、犯罪事実は認定されたように感じます。
しかし、被疑者が容疑は無実だと真っ向から主張して不起訴になるケースも、ほとんどがその不起訴は起訴猶予の取り扱いです。
つまり、起訴猶予は「検察官が起訴しても公判維持が難しいが、不起訴では検察の面子が立たないため起訴猶予にする」ケースが多いのも事実です。
だからと言って、起訴猶予された側が「完全な無罪になりたいから、正式裁判にしてくれ」という制度はありません。
しかも前科はつきませんから、同一人が再び同一事件が申しだされても、再犯では無く初犯扱いとなります。
まことに残念なことながら、今回の件は「顕正会の完全勝利」と発表されても文句は言えない。またまた、顕正会を調子づかせる結果になったのです。

514犀角独歩:2005/08/19(金) 10:16:07


藤川さん、ありがとうございます。
認識を改めることにします。

ところで、今回の対象は個人2人であったわけですが、それにも拘わらず、団体が家宅捜査され、物件を押さえられましたが、この個人と団体の関係はどのように扱われることになりますか。また、団体は「立件できない不当な捜査」をされたと損害賠償その他の申し立てをすることができますか。

この団体に関する言及が亡く、個人が猶予となったからといって、団体の完全勝利とは言えないと思うのですが、この点はどうでしょうか。

515藤川一郎:2005/08/19(金) 10:45:10
>ところで、今回の対象は個人2人であったわけですが、それにも拘わらず、団体が家宅捜査され、物件を押さえられましたが、この個人と団体の関係はどのように扱われることになりますか。また、団体は「立件できない不当な捜査」をされたと損害賠償その他の申し立てをすることができますか。

十中八九、警察は今回の事件にて、顕正会を「共謀共同正犯」またはせめて「幇助犯」にしたかったんだと思いますが、どう調べても個人の行いに、顕正会の意向は証明できなかった。また、個人についても「疑わしきは被疑者の利益」の大原則に従い、釈放したのだと思います。
また、間違えちゃいけないのは「立件出来ない」=「不当な捜査」では無いということです。そもそも捜査するのは「立件のための資料集め」である以上「立件出来るか、出来ないか」をそこで押収した資料を基に判断することになるのです。本件の場合、それが出来なかったから起訴しなかった。そこで「押収品は返還」されるハズです。

余談ですが、私が提示したのはあくまで刑事事件についてでありますから、被害者が民事請求をする事までは否定されておりません。民事と刑事は判断を別にすることが多々ありますから、民事で不法行為の基づく損害賠償請求をすれば、どうなるかは分かりません。
ここで私が興味深いのは顕正会と言う団体自体への「損害賠償請求が出来る」可能性があると言うことです。
以下、参考条文です。
個人について
民法709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

団体について
民法715条 ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
2 使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
3 前2項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。

516藤川一郎:2005/08/19(金) 10:46:28
上記について。
もっとも、会員=使用者と出来るかは、甚だ疑問ですが、やってみる価値はあるような気がします。

517藤川一郎:2005/08/19(金) 10:47:20
>>516
訂正します。
使用者→被用者です。

518犀角独歩:2005/08/19(金) 13:43:15

藤川一郎さん

念のため、「弁護士」確認。

再犯の場合、考慮されます。ただし、「前科」ではなく、「前歴」と扱われます。
逮捕歴は、警察で保管。ですから、事件を起こせば、これが出てきます。

今回の場合、「嫌疑不十分」「嫌疑なし」の不起訴処分ではなく、「起訴猶予」としての不起訴処分ですから、今後、繰り返されれば、考慮されることになります。

団体への家宅捜査その他に関しては、今回の場所が神奈川県であり、先に暴行罪での逮捕に対する神奈川県相手にした訴訟もしっかり顕正会側が負けているわけですから、この点からのことであるということ。

ですから、損害賠償など、起こすはずはないと思えますが、しかし、これは弁護士生命がこわくなければ団体の要請を受ける可能性はあるのか……、まあ、ないでしょうが。

本人たちは、「反省の弁」を、たしか述べているということですが、再犯、もしくは同じようなことを繰り返せば、この言説が虚偽であったことになります。その場合、どうなるのかを本人たちは自覚しなければいけないということです。

519藤川一郎:2005/08/19(金) 15:21:54
> 再犯の場合、考慮されます。ただし、「前科」ではなく、「前歴」と扱われます。
私が言いたかったのは、刑法における「再犯(累犯)加重」の対象にはならないと言う
意味であり、捜査上前歴として記録が残るのはそのとおりだし、それが考慮されるのは事実だと思います。

その未来のことよりも、被害者が今回の件で民事訴訟を起こす可能性はあるのでしょうか?
また、その弁護士さんは「顕正会と会員(信徒)」が「使用者と被用者」に出来る可能性はあるとお考えなのでしょうか?
出来るなら、面白い訴訟になりますし、今後の判例にも出来ると考えますが・・・!

520犀角独歩:2005/08/20(土) 06:58:28

> 519

たしかに、この点は興味が集中します。
まあ、月を超えた頃、複数の意見をまとめて、報告します。

521ラキ:2005/08/22(月) 23:52:23
8月度総幹部会で、無実発表!謀略発表!
予測道理の完全勝利発表でした。
被害者の苗字だけですが、公表してます。
結局、顕正会に取ってはいい宣伝でしかないし、逆に会員に対しては、
正しいから魔が起きるような発言で、会員の結束(妄信)を促した感じです。

522犀角独歩:2005/08/23(火) 00:28:18

完全勝利なんてことはないでしょう。不起訴ではなく、起訴猶予です。
まあ、今回は見逃してやるが次はダメだぞという意味です。

523ラキ:2005/08/23(火) 04:06:48
「法華ちゃんねる」にて顕正会が妙観講本部襲撃の映像が流れています。
信仰者の言葉と思えない口汚い話し方。
ま、面白い映像ですね。(笑)
http://hokkech.ddo.jp/modules/mymovie/movieview.php?lid=31

524藤川一郎:2005/08/24(水) 14:15:08
関係ありませんが、
医療法人顕正会(けんせいかい)のHPに
「★私たち医療法人社団顕正会(けんせいかい)は、宗教法人顕正会(けんしょうかい)、 冨士大石寺顕正会(けんしょうかい)とは、一切関係がございません。当社団名は、理事長の長男名に由来しております。」
なんて書いてあります。この病院もある意味被害者かも・・・。ここまで書いてあるところを見ると、患者が減ったのかも。

http://www.1-abc.com/

525大盛:2005/08/24(水) 18:09:24
うけた・・・

526ラキ:2005/08/24(水) 20:51:05
静岡に拠点があり、前から噂で顕正会系の病院となっていましたが、
TVの報道で、かたや有名になり喜んでる、団体もあれば、
系列団体と思われて迷惑してる、”善良な”団体もあるんですね。
S会等は、入り口に目印のごとく旗を立てていたりして、身内会員が来るのを誘ってるのに、大違いですね。

さて、9月の男子部幹部大会に妙観講大草さんが乗り込んで行き、公開法論を申し込んだら面白いかなぁ〜?て・・・
浅井さん逃げたくても逃げられない状態になるし(笑)
学会は選挙で忙しそうなので、妙観講の活動に少し期待しつつ、9月4日を待ちたいですね。

527藤川一郎:2005/08/25(木) 10:11:57
>>526
顕正会が業務(十分業務のような気がする)なら、刑法第234条威力業務妨害罪になる可能性もあるので、妙観講さんは避けた方が良い。
ラキさんの扇動に乗らないように(冗談・笑)

ごめんね!こんなオチで。

529犀角独歩:2005/08/25(木) 11:52:28

ラキさん、過日はありがとうございました。

藤川さん、また、法律問答を一つ。
8月21日の総幹部会で浅井さんは、「不起訴のなかの起訴猶予」と言ったことで今回の事件を説明しはじめたのですが、この言い回しは法律的にはどんなものでしょうか。

また、報道では「起訴事実を認め、本人は反省している」となっていますが、浅井さんの話で聞く限り、まったくの事実無根であると言います。事実無根の起訴事実を認めたとすれば、当人達は虚偽の証言をしたことになります。本人達が事実を認め反省した故、起訴猶予としてもらえたわけです。浅井さんが語るとおり本人達が語ったとしたら、これは法律と警察を欺いたことになりますね。

つまり、浅井さんの発言は、本人達を庇うようで、実は庇ったことになっておらず、今後、マークされている2人にとって、次に何かあった場合は、次は猶予なしという展開になるだろうと思えます。

以上の意味で、今回の浅井さんの発言を、わたしは興味深く聞きました。

532藤川一郎:2005/08/26(金) 10:04:12
>>529
「不起訴の中の起訴猶予」決して間違っているとは言えないんではないでしょうか?
一般的な不起訴の分類を書いておきます。

① 訴訟条件を欠く場合
被疑者が死亡したとき,親告罪について告訴が取り消されたときなどは,訴訟条件(起訴するための法律上の条件)を欠くことになり,不起訴となります。
② 被疑者に責任能力が無い場合(条文上の構成要件は満たしている)
被疑者が14歳に満たないときや犯罪時に心神喪失であったときなどは,被疑事実が罪とはならず,不起訴となります。
③ 犯罪の嫌疑が無い場合(一般用語でいう白色無罪)
被疑者が人違いであることが明白になったときなど,犯罪の嫌疑がない場合は,もちろん不起訴となります。
④ 嫌疑が不十分の場合(一般用語でいう灰色無罪)
捜査を尽くした結果,犯罪の成立を認定すべき証拠が不十分なときは嫌疑不十分として不起訴となります(疑わしきは被疑者の利益)。
⑤ 起訴猶予の場合
「被疑事実が証拠上明白」であっても,被疑者の性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重及び情状,累犯の有無等、犯罪後の状況により,訴追を必要としないと判断される場合は,検察官の判断により起訴を猶予して不起訴とすることができます。

533犀角独歩:2005/08/27(土) 01:59:13

藤川さん、論点がずれていますよ。今回の件、1から5に挙げたどれにも該当しないのではないでしょうか。

繰り返しますが、不起訴ではなく、起訴猶予です。つまり、再起ありということでしょう。

534犀角独歩:2005/08/27(土) 02:01:16

今回の件は起訴しても善いが、初犯であること、まだ年齢が若いこと、本人が事実を認め、十分に認めていることから、有余になったということです。
これを覆すというのであれば、再起されると言うことです。

535犀角独歩:2005/08/27(土) 02:02:23

【534の訂正】

誤)有余
正)猶予

犯罪者側の自己正当論を持ち込むべきではありません。

536犀角独歩:2005/08/27(土) 02:09:57

藤川さんの記しているような内容は、起訴に抵触すると疑わしい行為者のを犯した再犯の肯定論を用意するばかりであって、法的正当性を遵守する側の理論構築からかけ離れています。いわば犯罪者の言い訳理論に拘泥していませんか。

まあ、犯罪弁護とはそのようなものですが、わたしはこのような態度を潔しとはしません。あるべきは法律的的正当な在り方です。

宗教正義を言うのであれば、法律的なギリギリの網の目をくぐるような姑息な手段を以て布教するのではなく、法的に何ら批判されることのない正々堂々とした態度で仏法、世法に臨むではないでしょうか。

日蓮、世間の科(とが)一分も無しという堂々とした在り方という意味です。

537匿名:2005/08/27(土) 12:17:38
失礼ながら参考まで…

検察庁のhpのQ&A
http://www.kensatsu.go.jp/qa/qa2.htm

ここに、不起訴についての説明があります。
以下、コピペです。

Q&A
検察官はどのように起訴・不起訴を決めるのですか?

 被疑者が犯罪を犯したことが証拠上明らかであり,その処罰が必要であると認められる場合に,裁判所に起訴状を提出して起訴します。
不起訴になるのは,主に次のような場合です。

1 訴訟条件を欠く場合
  被疑者が死亡したとき,親告罪について告訴が取り消されたときなどは,訴訟条件(起訴するための法律上の条件)を欠くことになり不起訴となります。
2 被疑事件が罪とならない場合
  被疑者が14歳に満たないとき,犯罪時に心神喪失であったときなどは,被疑事実が罪とはならず不起訴となります。
3 犯罪の嫌疑がない場合
  被疑者が人違いであることが明白になったときなど,犯罪の嫌疑がない場合は,もちろん不起訴となります。
4 嫌疑が不十分の場合
  捜査を尽くした結果,犯罪の成立を認定すべき証拠が不十分なときは,嫌疑不十分として不起訴となります。
5 起訴猶予の場合
  証拠上,被疑事実が明白であっても,被疑者の性格・年齢及び境遇・犯罪の軽重及び情状・犯罪後の状況により訴追を必要としないと判断される場合は,検察官の判断により起訴を猶予して不起訴とすることがあります。


今回の件は5に相当する不起訴ということで、そういう意味での「(5つの)不起訴のなかの起訴猶予」という文言ではないでしょうか。

538名無し:2005/08/27(土) 13:42:04
>>533 法律的にどうかとたずねて、検察の不起訴の分類を答えて、なぜ論点がずれているのでしょうか?
また、⑤起訴猶予の場合 にあきらかに該当すると思いますが。
>>534 浅井某の発言であって、被疑者本人の発言ではないのでは。
>>535 犯罪者の自己正当論では無く検察の見解です。
>>536 藤川さんの見解でなく検察の見解ですから、犯罪弁護とは思えませんが。また、上で法律問答と言う事になってますが、いつの間にか宗教正義云々になってますが、いかがなものでしょうか。

539藤川一郎:2005/08/27(土) 15:30:02
既に名無しさんが、答えていますので、私は整理して書きますね。

533〜536
論点は、ずれてませんよ。
531の問いは
「藤川さん、また、法律問答を一つ。
8月21日の総幹部会で浅井さんは、「不起訴のなかの起訴猶予」と言ったことで今回の事件を説明しはじめたのですが、この言い回しは法律的にはどんなものでしょうか。」

と言う問い(論点)だったハズです。決して「道義的に正しいでしょうか?」とか「現実的に彼らが犯罪事実を犯したか否か?」とか、ましてや「蓮祖(宗祖)門下としてどうあるべきか?」等では無かったハズです。

私は単純に「不起訴の中の起訴猶予」と言う言葉が法律的に正しいか否かについては「正しい」根拠を挙げたのであります。

あらためて言います。531の質問であられた「不起訴(広義)の中の起訴猶予(狭義)」と言う言い回しは、法律的には正しいです。

なお「不起訴=その事実が無かった」ではありません。日本の犯罪で起訴される者の有罪率は世界一(またはそれに近い)と言われております(一時期は90%以上が有罪でした)。
すなわち絶対に有罪に出来る確信が無いものは、ほとんど検察は不起訴にします。そこに問題が無いか否かは別の問題ですが、不起訴には先に記しました5種類があり、今回は5番目の「起訴猶予」となったと言うことです。
犯罪者の言い訳理論なんて言ってませんよ(笑)。穿ちすぎですよ。

しかも、近代法には「推定無罪」と言う原則があります。「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」と言うものです。
今回の顕正会員も「起訴されなかった」=「裁判にかけられない」=「無罪と推定される」となっています。

最後に起訴猶予の条文ですが・・・
「検察官は、犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況(示談の成立など)により訴追(ここでは、起訴と同義)を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」(刑事訴訟法248条、起訴便宜主義)
これでも推定無罪は貫かれることは言うまでもありません。

540名無し:2005/08/27(土) 22:38:44
藤川一郎さん でしゃばった真似してすみません。

また、道義的には犀角独歩さんのご意見には基本的に賛成です。

541犀角独歩:2005/08/28(日) 09:00:01

藤川さん
匿名さん

ちょっと、ここのところ、ばたばたしておりまして、ゆっくり、応答できないのですが、要するに、わたしが記していることは8月21日の顕正会総幹部会における浅井さんの発言に対してものです。法的には仰るとおり、不起訴という枠組みの中に分ければ、起訴猶予と不起訴があるわけです。しかしその関係は大雑把に記せば、不起訴を起訴猶予と不起訴に分かつという二重定義になっているわけです。この場合、最初の不起訴は起訴猶予と不起訴性分を含み意味となります。その点をお二人は仰っておられるのでしょう。
しかし、今回のように不起訴か・起訴猶予かを選別論じる際は、起訴猶予なのか・不起訴処分なのかという意味での議論となるわけです。前者は、再犯の際には再起あり、後者は嫌疑無しということです。であれば、今回の件は起訴猶予、もしくは起訴保留ということであったということです。つまり、「起訴を猶予して不起訴」ということです。

この点で不起訴の枠組みとしてとらえられる「証拠上,被疑事実が明白」である起訴を、猶予して不起訴としたことを、不起訴処分のように言えば論理のすり替えであると言っているわけです。

いずれにしても、重要なことは、今回の件は不起訴、猶予というところに核心があるのではなく、「証拠上,被疑事実が明白」であり、本人たちがそれを認めて反省したかどうかにあります。

わたしは、この2人は顕正会の被害者であると思います。被害者であるものが加害者になったケースです。ですから、この加害者である被害者が、顕正会・浅井さんの詭弁のように嫌疑なしの不起訴であるという詐弁に惑わされ再犯に至れば、次は直ちに起訴をされる、そんな過ちは犯すべきではない。故に不起訴であるという点を徒に強調するのではなく起訴猶予、起訴保留であると認識することが必要であるという点を申し上げているわけです。

ですから、法律は正義のうえから論じるべきであり、違法ギリギリの言い訳のために振り回すのは、ここ仏教の邪正を弁じるところではやめにしようと促してのことです。

542犀角独歩:2005/08/28(日) 09:01:11

【541の訂正】

誤)最初の不起訴は起訴猶予と不起訴性分を含み意味となります
正)最初の不起訴は起訴猶予と不起訴処分を含む意味となります

543匿名:2005/08/28(日) 23:12:33
起訴猶予になるには、被疑者が反省していることや前科がないということもありますが、事案や被害の小ささ、被害回復がなされていることなどが考慮される場合もあります。
監禁罪は、「一定の場所から脱出することのできないように継続して人の行動の自由を不法に拘束することによって成立する」とされます。
本件に関して横浜地検は、「監禁が比較的短かった」ということで起訴猶予としたと報道されているところをみますと、起訴事実はあるとはいえ、罰するほどの罪ではなかったという判断でもあったということでしょう。
また警察の捜査段階では、「不法監禁になるという認識はない」と供述していたということですから、浅井さんが、いまだに事実無根を発言しているとしても、それはそれで筋は通っているともいえます。
浅井さんを擁護するわけではありませんが、こういうケースは、現行犯逮捕でない限り、言いがかりの場合も考慮しなければなりません。世間の風評から「やったに違いない」と決め付けることは極めて危険なわけで、実際のところどうであったかは、当事者と居合わせた人にしかわからないことです。

人との関わり合いのなかで、帰ろうとする人を引き止めることはよくあること。
たとえば、宗教団体に入会している身内を快く思わない家族が、会合に行かせまいと強行に引き止めたり、また脱会を促そうと説得の場に連れ出し拘束するといったことも、本人が監禁されたと訴えれば起訴されかねないことにもなります。
少なくとも、そうした言いがかりの材料を逆に提供してしまうことにもなりはしないかと懸念もいたします。

544藤川一郎:2005/08/29(月) 15:29:35
>>543
私は、本件が神奈川県警という点に、少し気になることを感じております。
神奈川県警と言えばかの藤沢事件にて、顕正会に訴訟を起こされております。
その怨恨から、特に立件に熱心になったとすれば、官権の力を怨恨で動かしたことにも、なります。匿名さんの言われるように本件は微妙な事件ですから、その送検、不送検が怨恨から動かされたとすれば、これは顕正会にも一理ある訳です。
もっとも「学会の陰謀」だとか「身延派の云々」等は妄想以外のなにものでもありませんが・・・!(爆)

藤沢事件自体は顕正会の敗北に終わっておりますが、もし本件にその時の怨恨が関わっていたら、行政訴訟を起こす人への抑制になってしまうのではと危惧します。
今回のような事件が起こると、団体への「落ち武者狩り」のような叩き方が始まることがあります。特に日本民族は「隣人が右を向けば、自分も右向く」というような傾向にありますから、警戒が必要では無いではないでしょうか?

545藤川一郎:2005/08/29(月) 18:42:31
>>544
一応誤解しないように申しておきますが、私は顕正会を擁護する気など「毛ほど」もありません。
しかし、日本では昔より「罪を憎んで人を憎まず」と言う美しき伝統があります。
昨今では西欧の亜流に成り下がり、そのような美しき伝統すら失われているような気がします。

546犀角独歩:2005/08/30(火) 22:28:27

二泊三日の出向で返信が遅くなりました。

> 543〜545

お二方のご投稿、一つ、重大な点が落ちていませんか。つまり、訴え起こした方の痛みです。

今回の件は「事実無根」ではない故に起訴猶予となったわけです。今後、再犯、その他犯罪行為があれば、前歴として考慮され、次は直ちに起訴されることになります。わたしは顕正会の被害者であり加害者である2人が、以上の不幸な目に遭わないようにこの投稿をしてきました。また、もう一点、今回の事件は訴え起こした方に何ら咎められる点はありません。むしろ、その無念を果たせなかった点には、寧ろ同情の念を抱きます。しかし、この方も被害者であれば、加害者も被害者でしたか。しかし2人は、実名報道をされ社会的制裁を受けた点を考慮し、今回の慚愧の年を耐えていただくしかありません。

匿名さん:

> …浅井さん…いまだに事実無根を発言…筋は通っている

わたしは、そうは思いません。筋など通っていません。
事実無根、完全勝利とは言えば、虚偽の発言でしょう。この発言を鵜呑みにし、2人が再犯すれば起訴されるでしょうし、また、このような社会道義に反する勧誘行為が助長されることは決して好ましいことではありません。

> …言いがかりの場合も考慮しなければなりません。世間の風評から「やったに違いない」と決め付けることは極めて危険なわけで、実際のところどうであったかは、当事者と居合わせた人にしかわからないことです。

居合わせた人々しかわからないというのはは、そうでしょうが、しかし、斯かる記述では訴えを起こした方が、あたかも「言いがかり」をつけたかのような印象を与えています。この方に何ら咎められる点はありません。
また、「やったに違いない」ではなく、やったからこそ、起訴猶予(保留)ということになったのです。

> 本人が監禁されたと訴えれば起訴されかねないことにもなります。

当然でしょう。しかし、この場合、事実関係は十分に調査されるわけですから、その結果を待たず、「言いがかり」という表現をしてしまうことは適切であるとは言えないでしょう。

藤川一郎さん、今回のご投稿は、藤川さんらしからぬ、素人臭いものになっていますね(笑)

> 神奈川県警と言えばかの藤沢事件にて、顕正会に訴訟を起こされております。
> その怨恨から、特に立件に熱心になったとすれば、官権の力を怨恨で動かした

これはまったくの憶測違い、というより、あの方面の顕正会幹部その他の事情にもお詳しい藤川さんの言葉とは思えません。
神奈川県警の方面は、湘南、また横須賀地域を抱え、暴走族問題から若年犯罪率が高い、故に、その取り締まりに熱心というのは誰しも知る神奈川県の事情です。にもかかわらず、このような治安維持の働きを「官権の力を怨恨で動かした」等と見ることはまったくの見当はずれでしょう。

日本全体から見て、実際に報道でも為されたとおり、近年だけでも500件以上の事件性のある問題が起きています。しかし、これは実際に明るみに出た数に過ぎません。実数はその数倍、もしくは数十倍と予想することができます。となれば、その取り締まりが強化されることは当然のことといえます。まして、藤沢の件は顕正会側の完全敗訴で終わっているわけですから、怨念を懐くとすれば、むしろ顕正会側ではないでしょうか。この資料はお見せしませんでしたっけ?

> 顕正会にも一理ある訳です。

以上の次第ですから、一理ありとは言えないのではないでしょうか。

> 「学会の陰謀」だとか「身延派の云々」等は妄想以外のなにものでもありません

ええ、そうですね。

> 「罪を憎んで人を憎まず」と言う美しき伝統があります。

ですから、今回の件でも、わたしを含めて、この問題に関わっている人々は、2人が顕正会・浅井さんの「事実無根」という虚偽発言に欺かれ、再起、起訴され、犯罪者とならないことを心配してのことです。また、繰り返しますが、訴えを起こした方の無念、人権も、わたしは考慮されなければならないとわたしは考えるわけです。誰も人を憎んではおりません。むしろ、警察をはじめ、紀藤弁護士、日本脱カルト協会とそのメンバーに憎しみを懐いているのは、顕正会、浅井さんのほうではありませんか。

547藤川一郎:2005/08/31(水) 11:55:53
独歩さん
私もバタバタしているので!

独歩さんは肝心な所をお忘れのようですので、転載します!
531の問いは
「藤川さん、また、法律問答を一つ。
8月21日の総幹部会で浅井さんは、「不起訴のなかの起訴猶予」と言ったことで今回の事件を説明しはじめたのですが、この言い回しは法律的にはどんなものでしょうか。」

この中には浅井さんの発言の全文はありません。全面勝訴と言ったこともありません。
つまり一部分である「不起訴の中の起訴猶予」と言う言い回しが法的に適切か不適切か?と言う事のみの話をお答えすればすむ話だったのです。
それに私は「法的には適切」と言う趣旨の発言をした訳です。
つまり不起訴処分には5つの種類があり、その1つである起訴猶予だった訳ですから、「不起訴(広義)の中の起訴猶予(狭義)」とは正しい言い回しなのです。
今回の浅井さんの発言にはその他の部分に問題があるのですが、今回の独歩さんのご質問には無かったのです。

なお、顕正会を批判している下記サイト
http://cultwatching.cocolog-nifty.com/cult/2005/08/2_1cc9.html
「不起訴処分には、「起訴猶予の場合」のほかに「訴訟条件を欠く場合」「被疑事件が罪とならない場合」「犯罪の嫌疑がない場合」「嫌疑が不十分の場合」の4があります。
ですから、顕正会信者による今回の監禁事件は、犯罪行為ではなかったと認定されたわけではありません。むしろ逆で、「犯罪なんだけど、とりあえず裁判にはかけないでやるよ」と検察が判断したということです。
言うまでもなく、不起訴処分の中ではいちばん重い内容でしょう。」
これがもっとも、法的に正しい解釈だと思います。

ついでに、544の私の発言はあくまでも「仮定論法」であります。
私は「その怨恨から、特に立件に熱心になったとすれば、官権の力を怨恨で動かしたことにもなります。」
と書きました。あくまでも仮定を前提にした訳です。その仮定が違っていれば、それはそれで素晴らしいことです。
しかし、警察とはこのような考えを十分する可能性があるという事を認識して頂きたかったのです。
今回の件が絶対にそうだとは申しておりません。

548犀角独歩:2005/08/31(水) 13:08:40

藤川さん、どうも有り難うございます。
そうでしたね。了解しました。

藤川さんは8月21日の総幹部会のDVDを見ましたか。
まあ、わたしの今回の投稿は、これに基づいています。もちろん、その前提に『顕正新聞』8月15・25日合併号の掲載ももちろん、考慮しています。これらをご覧になりましたか。DVDをテープ起こしするのは、面倒くさいからやめにしますが、以上のコンテキストを前提にした、わたしの発言と了してください。

なお、わたしが言いたかったことに、少しニュアンスのずれが当初から生じていたわけですね。たしかに不起訴のなかに起訴保留があるという点で、ここまでは藤川さんが仰るとおり、浅井さんの発言は、まあ、そう言えなくもないと思います。しかし、浅井さんの8月21日発言では不起訴=事件性無しの強調ですから、これは不起訴の不起訴の論調になっていることになります。しかし、反顕正会サイトの記述の如く、不起訴の起訴猶予ですから事件性がないなど言えるわけはありません。まるで言うことに「筋が通っていない」わけです。この点からわたしは記述を始めたので、議論が食い違ったのでしょう。

いずれにしても、不起訴=事件性無し=完全勝利という論調はまったくの事実と異なるのであって、不起訴(のうちの起訴猶予(保留))=事件性あり=完全勝利のわけがない という事実から、事を起こした二人は今後を考えないと、今度、捕まったらあとがないぞという点を認識してもらいたいというのが一点です。

第2点としては訴え起こした方は実際に身の危険を感じ、不快感もあった、2時間とはいえ、自分の時間を奪われた(監禁)、帰ろうとしたらば立ちはだかれたなどの実際の被害に遭っています。これは人権と自由に対する侵害です。それなのに、その訴えは猶予となりました。この方は無念であったでしょう。それなのに追い打ちをかけるように、この方が「言いがかりをつけた」「やったと決め付けた」などという論調を以て言われれば、その無念はさらに深まります。起訴猶予になろうが、この方が被害者であるという事実はまったく動かないからです。

もちろん、この点は藤川さんに異議があろう筈もないことは、藤川さんの性格はよく存じ上げていますから、わたしは理解できます。また、匿名さんも、被害者の個人攻撃をすることを意図したのではなく、今回の資料全般を手に取る機会もなかったでしょうし、その関係者から事情聴取をされたわけでもなく、一般論として仰ったのであろうと判断します。

いずれにしても自分達の宗教が崇高であるというのであれば、世の規範となる立ち居振る舞い・実践行動を以てしなければ、一般民衆は日蓮まで異常なものと判断することになる点を考えるべきでしょう。いわば、その点で顕正会は日蓮聖人に泥を塗っているとわたしは思います。

紙っぺら一枚に署名して勤行を1回行ったぐらいで「折伏」だなどということ自体、日蓮聖人の意図される弘教に悖ることは言うまでもないことでしょう。公式発表107万人、実質活動者金銭拠出者はその10%、否、それ以下。まして、日興門下を僭称しながら、『佐渡国法華衆等御返事』に基づく、日蓮日興師弟論に当てはまらない「正系門下」の自称、「冨士大石寺顕正会」という明証と同じく、名ばかりあって内容無しという点で信心規範から逸脱するものでしょう。商業慣習として、他者のブランド名を使えば罰せられますが、事宗教になれば、日蓮を名乗ろうが、大石寺を名乗ろうが、罰せられることはありません。ありませんが、そんなものが単なる自称であって事実を伴わないという厳正なる事実が法律によって罰せられないからと言って、サイン勤行入会というインスタント「折伏」の強行において、何をやっても言いということにはならないと言うことです。

平たい言い方をすれば、人の迷惑を考えなさい、また、わたしに文句があれば、彫刻本尊が本物である証拠を以て反詰しなさいと、まあ、ついでに言っておくことにします。もちろん、これは藤川さん、匿名さんに申し上げることではなく、顕正会と、その活動家へ言っていることです。

藤川さん、近くオフ会とは別に一杯やりましょう。
そちらに出向きますよ(笑)

549匿名:2005/08/31(水) 23:22:29
拘束された側が、苦痛を感じ監禁されたと主張している以上、その被害を訴える権利は当然あります。
しかし、事件の真相解明には、被害者の訴えに対し、被疑者の弁解というのも同等に必要です。藤川さんが、「推定無罪」ということを記述されていたと思いますが、これは重要なことだと思います。

ちなみに、逮捕勾留された被疑者には弁護人依頼権が保障されます。当然のこととして被疑者は、立会人なしに弁護人と面会する権利があるわけですが、現実には、被疑者が捜査官に対して否認する供述をしていたり、共犯者がいるとされる事件では、弁護人との面会が拒絶されたり、面会時間を1回15分くらいに制限されたりといったことが当然のことのように行われています。たとえ弁護人依頼権が認められても、起訴されるまでの間は私選弁護士しかつけられません。
ですから、起訴・不起訴が決定するまでは、外部に伝えられる情報の大半が、極めて被疑者に不利なものになりがちだという傾向があります。言い換えれば、被害者側の訴えに偏りがちだということでもあるわけです。
そういうことを念頭に置けば、安直にマスコミ報道に左右され、報道の全てを鵜呑みにするわけにはいきません。だからといって 被害者の痛みを無視するというものではありません。
あくまで、事件の真相を科学的に解明するための公正な立場を求めるものです。
そのためには、どんな極悪非道な犯罪でも被疑者の弁護が絶対に必要でありますし、近い将来、日本でも陪審員制度が導入されるとのことですから、こうした認識はとても重要なことであるといえます。
 
以上これらの点をふまえてのことですが、今回の報道内容にはいくつか、不可解に思えることがあり、この場をお借りして列記してみます。

その前に断っておきますが、犀角独歩さんが書かれているように、私は被害者・被疑者のいずれの側の関係者でもない、ごく一般的な第三者です。よって、報道・風聞以上のことは知りませんし、報道・風聞とて、ごくわずかな情報量のなかでの判断と思っております。

以下、疑問に感じた点を列記します。
 
①被疑者に私選弁護士はつけられたのか。
②被害者が警察に被害を通報した時期はいつなのか。
 *監禁されたとされる日時は、報道によると5月5日です。ところが、実際に逮捕されたのは7月28日という報道で、この時間的経過がどういうことなのかが単純に不可解です。解放された直後の110番通報ではなかったということうなのか。
③最初に被疑者と被害者が知り合ったとされる3月頃からは、メール交換をしていた関係だったと報道されているが、その内容とはどのようなもので、メール交換の頻度はどの程度だったのか。また初対面から監禁されるまでの期間に、接触はなかったのか。他に共通の知人の存在はないのか。
④監禁の証拠としては、どういうものがあがっているのか。
 *取り上げたとされる携帯電話から、被疑者の指紋は検出されているのか。
 *窓から脱出しようとしたという被害者の指紋は、確認できているのか。
 *住人や近隣者の証言は得られているのか。
⑤被害者が監禁されたとする民家の住民と、被疑者はどういう関係なのか。また、監禁された当時、民家住人はどうしていたのか。住人の証言はあるのか。

550犀角独歩:2005/09/01(木) 00:53:05

匿名さん、あなたが非常に真面目な投稿者であることを、わたしは幸福に思います。
わたしは、深夜の時間帯はかなり苦手で、簡略に記させていただきます。

わたしの知る限り、逮捕されたあと、顕正会が弁護士をつけたとのことでした。親御さん方も面会できない段階で、この弁護士が接見していたと言います。ここで、特筆する点は、従来のように、顕正会の顧問弁護士ではなく、単に顕正会が依頼した弁護士であったという点です。

また、このような勧誘の場合、いちばん、焦点となるのはインフォームドコンセントということでしょう。要は「ちょっと会わない」「食事でもしない」「いい話がある」などと宗教勧誘という目的を隠して、接触し、さらに監禁場所に連れ込んだかどうかという点です。

以上のような、特異点の詳細について、公開の掲示板に投稿できない点もあります。
しかし、全体を俯瞰する限り、匿名さんが善意に解釈される内容からは、ほど遠いというのがわたしの偽らざる印象です。

> ①被疑者に私選弁護士はつけられたのか。

顕正会が弁護士を付けました。

> ②被害者が警察に被害を通報した時期はいつなのか。
> 5月5日…7月28日

直後に訴えを起こさなければおかしいという理屈は通らないでしょう。後から考えて、訴えることにしたというは否定されることではありません。
ただし、このタイムラグに関しては、ここでは記さないことにします。

> ③…メール交換

この点は公開されないでしょう。

④監禁の証拠

この点の詳細も公開の義務はないように思われます。
なぜならば、瀬尾の詳細画公開をされれば、言いつくろいの材を提供することになるからです。

⑤被害者が監禁されたとする民家の住民と、被疑者はどういう関係

この点は8月21日の総幹部会で浅井さん自身が語っています。
民家か逮捕者の先輩幹部の家(Y宅)で、そこに他の多くの顕正会員が控え滞留していたことを浅井さん自身が語っています。

故に繰り返しますが、この議論は『顕正新聞』8月15・25日合併号、ならびに8月21日総幹部会のDVDを見聞したうえで語らないと憶測だけになってしまうと申し上げているわけです。

551藤川一郎:2005/09/01(木) 12:39:03
横レス失礼します。

②被害者が警察に被害を通報した時期はいつなのか。
 *監禁されたとされる日時は、報道によると5月5日です。ところが、実際に逮捕されたのは7月28日という報道で、この時間的経過がどういうことなのかが単純に不可解です。解放された直後の110番通報ではなかったということうなのか。

上記についてのみお答えしますと、このような事例は良くあります。
逮捕状の執行は裁判所がなします。その請求にはある程度の証拠が必要となります。警察の捜査上「2ヶ月程度」のタイムラグは決して不思議な時間では無いと思います。あらゆる事件の発生から逮捕までの平均時間を調べてみますと、決して遅い方ではありません。
また被害届を出す出さないについても、警察の方から是非にと養成されて、熟慮の上出される方もおります。これも2〜3ヶ月などは遅い方では無いと考察しますが・・・。

552ラキ:2005/09/03(土) 12:16:18
明日の男子部総幹部大会。人集めに必至の模様。
下は学生から、上は壮年の40代迄参加可能。
もちろん役職無しでもOK.
1万人集めるのに必至な顕正会て・・・
当日は「男子部幹部精鋭1万人が大結集して、横浜アリーナを埋め尽くすことが出来る団体は、
顕正会しかない!」と浅井さんは言いそうな予感。

553匿名:2005/09/04(日) 00:05:48
今回の事件、全国ネットで報道された割には、犯罪そのものは小さい。犯罪が小さい割には、関係施設の家宅捜索と捜査規模が大きいというのが率直な感想です。
ところで今回の報道は、全国ネットで報道されたとのことですが、NHKでも報道されたのでしょうか。私が見過ごしたのか、報道されなかったように思います。もし民法各局が報道してNHKだけが報道しなかったとすれば、細かい点ながら、そこも不可解といえます。

素人判断ながら、やはり現行犯逮捕でなければ、今回のような微妙な監禁は、事実を証明する決定的な証拠は困難であろうと思います。
明らかに監禁であったのかどうか、むしろ軟禁(身体の自由は束縛しないが、外部との一般的な接触は禁じあるいは制限し行動の自由をある程度束縛するもの=不可罪)というものではなかったのか、そこの判断は捜査官の匙加減ひとつで左右される微妙なところと思えなくもありません。
もしこれが、顕正会会員の勧誘活動に絡んだ事件でなければ、前科もないわけですから、警察での説諭もしくは、微罪処分で済んだケースだったかもしれません。

ざっと確認してみたところ、逮捕・監禁罪は5年以下の懲役、強要罪は3年以下、脅迫罪は2年以下(暴行を用いて義務を負わせた場合は3年以下)の懲役ですが、これらが組織的犯罪となると懲役が重くなり、たとえば強要罪だと3年が5年に引き上げられるそうです。ちななみに参考までに、窃盗罪、詐欺罪、傷害罪は10年以下の懲役、監禁罪も監禁致傷罪となると10年以下です。

執拗な勧誘でトラブルの多い団体のようですから、今回の処分がある種の見せしめとなり、布教のあり方を見直すキッカケにでもなれば、一般市民にとっては望ましいところです。しかし、宗教団体の信者とは普通の社会通念とは違う信念をもって布教活動をしている人々ですから、そう簡単ではないでしょう。となると今後益々、警察の取り締まりが強化されていくことは想像できます。
今回の家宅捜索で、信者の会員名簿が県警の手に渡ってしまっているとすれば、個々の信者が個別にマークされ、軽微罪で検挙されるケースが増えることも予想されます。もともと神奈川県警の捜査の本丸が、関係施設の家宅捜索だったとすれば、起訴猶予でも警察の勝利といえるでしょう。

しかし私は、今回の事件の流れを、必ずしも望ましい方向であるとは言い切れない思いを持っています。宗教に関係した犯罪、いわば思想犯という側面を考えれば、その行為が権力によって抑え込まれていくことが最善策であるとはいえません。危険な要素もあります。権力の介入が行き過ぎると、宗教弾圧となり、信教の自由そのものが脅かされることにもなりかねませんす。善良な市民活動やNPO活動も、権力側の都合で、いつ弾圧されるかわかりません。決して大袈裟な話ではなく、権力の本質とは本来そういうものであることを忘れてはならないでしょう。、
もちろんオウムのようなテロ組織に変貌することもありますから、警戒は必要です。しかし、窮鼠猫をかむという言葉があるように、追い詰め過ぎることが更に過激化させてしまうこともあるわけです。出来ることならなるべく、権力の力に委ねない方法でトラブルを折り合っていくことが、本当は望ましいところではないかと思います。

もっとも、今回の場合が警察に持ち込むできではないという意味ではありません。人の自由意思を拘束する監禁は罪であり、短時間であっても、身体の危険に恐怖を感じたことを訴えることは当然の権利です。また警察への通報は大変勇気がいることでもありますから、戸惑いとともに時間が経過したことも想像に難くありません。
ただ、関係施設の家宅捜索までは行き過ぎだったのではないかという思いを持っています。

554犀角独歩:2005/09/04(日) 10:57:44

> 関係施設の家宅捜索までは行き過ぎだった

もし、この点を不服とするのであれば、感情論で云々するより、顕正会は、法的に正すべきでしょうね、実際、以前は家宅捜査不当で訴えを起こしたわけですから。もっとも完全敗訴になったわけですから、同じ愚は二度繰り返さないと思いますが。もし、訴えを起こせば、これは見物と言うことになります。

555ラキ:2005/09/04(日) 23:22:52
予測は的中!
男子部幹部大会ではなく、男性部大会と言うぐらい、
年齢層が下が小学生から、上は60代ぐらいまでの方が居ました。
推測ですが、男子部と言っていい年齢層は1万人切っていたのではないかと思われます。
役職持ちの幹部と言っていい人達はもっと少ない感じがしました。

駅から会場までの間、「顕正会被害者の会」がビラ配りを決行しておりました。
妙観講に期待をしていたのに、何もしていなかったのは残念。。。

それにしても、会場の中で未成年が「喫煙」をしていても注意をしない顕正会の「幹部」て変です。
浅井さんが、300万人達成したら、10万人の男子部幹部大会を開くと言っておりましたが、
実現不可能な、事言ってると思わずにはおれませんでした。
会場の毒気にあてられて、生気を吸い取られたぐらい、疲労して帰宅(><)

8月に「エホバの証人」の横浜アリーナの大会に参加したのですが、
同じ1万数千人の大会でも、こちらの方が明るく開放的で、生き生きしていたのが印象的です。
(-ェ-o)ボソッ

556犀角独歩:2005/09/04(日) 23:55:07

そうですか、未成年の喫煙も止めることのできない正義ですか。
これは正直、お笑いですね。
人数が集まれば、正義、一人だって正しいことは正しいということは思いもよらないのでしょうか。
浅井さんて、案外、臆病なんじゃないでしょうか。人に囲まれて賞賛されていないと不安なんでしょうね。

ところで顕正会でいう男子っていくつまでですか(大笑)

557ラキ:2005/09/05(月) 01:21:08
横浜アリーナの公式HPにて、客席数を確認しましたら1万1千名収容可能。
http://www.yokohama-arena.co.jp/kyakuseki/index.html(Aステージで開催。)
サブエリアには、付き添いの方が袋詰め状態。
スタッフ。付き添いも入れて1万数千名が参加が現状です。(公式発表では全員男子部で発表すると、予測)
会場案内係りや警備係りも居ましたが、未成年の喫煙を注意もしないのが、顕正会の正義です!(笑)
大きなイベント等は、駅までの路上に、係りの者を配置して、参加者の誘導や交通安全を配慮するのが一般的だと思うのですが、
顕正会の大会では、誘導係員が見当たらなかったです。
一般の方に迷惑にならないように、帰りの際の注意事項もなし!

不当逮捕!謀略発言が目立つ発言が印象でした。
「最後に申すべき事」にはあまり内容には触れていないのが、期待はずれw
空手演舞。和太鼓演奏。合唱等、学会の会合をふと思い出しました。(笑)

>浅井さんて、案外、臆病なんじゃないでしょうか。人に囲まれて賞賛されていないと不安なんでしょうね。
私の印象ですが、ビデオ放映より、生の浅井さんを見た感じでは、独歩さんの指摘は、的を得てると思います。
だらだらと、長い〜拍手ていやです。
夏期講習の時の日顕さんの講義で、拍手は途中では入れないで、最後にだけしてくださいとの注意事項は、
とてもいいと感じました。
学会の会合でもダラダラ長い〜拍手は無いですし、よほど拍手で賛嘆されてないといやなのかって、思うほど長い!
途中で、何か発表して「皆さんいかがでしょうか?」と拍手を求めるのも、
自己の発言を賛嘆してもらいたい、意思表示が伺えます。

>ところで顕正会でいう男子っていくつまでですか
浅井さんより年下ではないでしょうか?(笑)

558藤川一郎:2005/09/05(月) 09:08:21
>ところで顕正会でいう男子っていくつまでですか

昔の浅井さんの指導に(顕正寺が存在していた頃)、年齢は関係無く青年の意識を持つ者は全て青年である。
青年意識を持つ者は「青年会館に」壮年意識を持つ者は「顕正寺に行ってください」なんて言う冗談みたいな指導がありました。
しかし、このころから寺はお年寄りの場であるという認識をはかってたんでしょうが!

559ラキ:2005/09/05(月) 23:36:57
気になった事があります。
会場に特別観覧席の個別ボックスがありますが、身障者の為に解放してないのは、
慈悲が無い団体と感じております。
車椅子で参加してる方の扱いについても、座席と座席の間の狭い通路にて観覧させるのは、
納得が出来ない行為だと思っております。
通路の一角に専用スペースを作るとか、出来るのにしないのは、慈悲の団体のする事ではないと思います。
付き添いの方の同席もありませんし、まして、会場の整理、警備、とかの人が居ても、
そばで付き添って居るわけでもなく、車椅子の方の途中トイレ退場とか、具合が悪くなったときの対応も出来ないでは無いですか。
実際に、途中で移動した方が居ましたが、車椅子を押してあげる方が、出口のそばまで誰も居ないとは、
人を救う正しい団体のする事ではないです!
会館事態が小さな場所しかないので、学会見たく、会場運営がちゃんとできないと感じました。

大会が始まる前の演舞とか合唱とか、浅井さんは観戦していなかったです。
池田さんの方が観戦してる分、ましかと思いますね。
そそ、浅井さんが入場する前の、音楽止めたほうがいいです。
映画が始まる前の音楽と同じに感じました。(笑)

560藤川一郎:2005/09/06(火) 00:14:33
ラキさん
別に顕正会に味方する訳ではありませんが、顕正会は「慈悲の団体」とは自称したことは無かったと思います。
浅井氏は、いわゆる世間で言う「ボランティア」「バリアフリー」等は「世間の浅き善根」と切って捨てているハズです。
浅井氏にとっては、(顕正会で解釈する)大聖人の仏法を勧める事のみが善行であり、それ以外は「車椅子を押す」だの何だのは、一切関係ないのです。
それは公式に浅井氏が言っていたこともありました。

つまりは、ラキさんの仰るような言動は浅井氏にとっては「燕雀いずんぞ、鴻鵠の志を知らない」と言った事でしょう。
なお、顕正会ではいわゆる身体障害者の世話をすることすらも、否定していたこともあります。
昔私が顕正会幹部から聞いた言葉に曰く「身体障害者等に生まれるのは過去世からの宿命であるから、それを自身で克服することこそ肝要であり、人が手を出してはいけない。それは慈悲に似た偽善行為である。」
だそうです。

まあ、私は大嫌いですが、それはそれで彼らの論理は通ってる訳です。

561犀角独歩:2005/09/06(火) 00:59:01

藤川さん、顕正会の反社会性を如実に示すご投稿、興味深く拝読。

こんな団体に広宣流布なぞされたら、ヨーロッパ中世の、安国ならぬ、暗黒社会のようなものですね。

伏せ拝させていい気になっても、車椅子を押すことも知らない人権蹂躙と差別主義というわけですか。こんな下らない団体の一掃をまじめに考えなければいけないとつくづく思います。神奈川県警の正当な逮捕と、寛大な起訴猶予に敬意を表しておくことにいたします。

なお、彼らのやることは彼らの言うことからすれば「論理が通っている」ことになるということで、世間一般からすれば、こんなものが「論理を通っている」とは間違っても言われない点を補完させていただきます。

562藤川一郎:2005/09/06(火) 12:00:21
一応、私も自分の投稿に補完しますが
「論理が通っている」から「正しい」とはならない訳です。
世の中には「悪の論理」と言うのもあります。「殺人者の論理」もありますからね。
「論理は通っている」が世間一般の善悪に照らしてどうなるかが重要でしょう。
もっとも彼らは「愚人に誉められるは第一の恥」を拡大解釈して、以下のように考えるわけです。
一、世間は愚人である。
二、その世間に誉められるのは恥である。
三、そう言った面から言えば批判される方が好ましい。
四、もっと批判して、批判して(ほとんどマゾだね)!
五、ほら、批判してくるから、我らが正しい。
六、愚人に批判される我らこそ選民である(なんてね)。

もっとも、愚人ならまだ人間だからいいけど、もっと非道い「魑魅魍魎」になった人もいたけどね。

563犀角独歩:2005/09/06(火) 12:35:39

藤川さん、補完有り難うございます。

浅井さんというのはレトリックが上手いと感心します。

学会を破門後、既に決まっていた正本堂解体を、恰も自分たちの信仰、諫暁のせいだと言ってのけたとき、「なるほど、これは便利なやり方だ」と思ったものでした。今回も阿部さんの退座の話を聞きつけるや、退座を盛んに迫り、これでもし、阿部さんが退座すると「わたしの諫暁によって退座した」と、こうやるわけでしょうね(大笑)

これは雨が降っても(祈雨)、地震が起きても、先にさももっともらしく言っておけば、全部、自分の予言によるという詐弁、嘘を吐いているという自覚がなければ、もはや精神障害を疑ったほうがいいわけですが、時には小田原地震予言のように、当然のことながら外れるわけです。しかし、これは予言が外れたのではなく、小田原という場所と起きる年を特定してしまった失敗であるわけですね。

このような関連づけをし、もっともらしく原因がすべて自分にあるよう“見せる”心理技術を社会心理学では「連合」というわけです。詐欺の手口と同じです。

このような手口を暴くと「仏敵」「魑魅魍魎」などと言われる(笑)ことになりますが、まさにこの手の人間がこう言われれば、このインチキ、心理詐術に与同しない証明となりますから、たいへんにけっこうなことですね。「ほらきた、やっぱり、思ったとおりの手口、思ったとおりの反対者を悪人に仕立てて頬被り」だと爆笑ネタを提供してもらった痛快な気分になろうというものです。

564ラキ:2005/09/09(金) 07:12:52
小善も出来ない団体が、大善など無理だと思います。
顕正会員の同士、仲間は、菩薩の眷属になるのですから、その眷属を邪険に扱うのは、
仏の眷属を阻害する”悪”なのではないかと、矛盾を感じます。

>なお、顕正会ではいわゆる身体障害者の世話をすることすらも、否定していたこともあります。
昔私が顕正会幹部から聞いた言葉に曰く「身体障害者等に生まれるのは過去世からの宿命であるから、それを自身で克服することこそ肝要であり、人が手を出してはいけない。それは慈悲に似た偽善行為である。」
病人にも当てはまるのでしょうか?もし当てはまるなら、連師の意思を理解されていないのではと、私は思います。
四条金吾に主の病気の世話をするように言われた御書がありますし。
連師自身も病気の世話をされています。
病気になることも宿業なら、介護をする必要が無い!と言ってる矛盾があると感じております。
8月7日の浅井さんの逮捕事件の公式見解は、”愚人”に誹謗されて喜ぶどころか、逆に悪口罵詈の言いたい放題!
浅井さんの発言には一貫性がなく矛盾だらけの頭が痛い〜方と思います。
一貫性がある発言は「国立戒壇、あまも山」これしかないような気が?(笑)

顕正会の日布上人の大輻の本尊それは見事に綺麗なものです。
色白く大正5年だかの物とは思えない白さ!
摂受本尊ではなく、御形木本尊。
日布上人から日顕さんまで12名の管主が居るわけで、学会の折伏大行進で本尊下種が間に合わない時代に、
なぜか、日布上人の御形木本尊が数百輻も存在するのも不思議です。

565ラキ:2005/09/14(水) 14:12:25
8月28日「最後に申すべき事」を宗門に送付。
本書は長文のため新聞には掲載しなくて、単行本として9月中旬に刊行されるそうです。
半分以上が、転記の文書とよそうされますが、私の私見では、金儲けの単行本化ではないかと思っております。

566ラキ:2005/09/20(火) 19:20:15
平成17年9月15日顕正新聞発表の同年9月4日男子部幹部大会参加人数。
1万3250名との発表
「広布史上、期を画する大集会---富士大石寺顕正会・男子部幹部大会は九月四日、
東洋一の大会場・横浜アリーナを埋め尽くし、感涙のなか熱烈に開催された。
この日、全国から馳せ参じた男子精鋭は実に一万三千二五十名。
開場と同時に、広大な会場はまたたくまに埋め尽くされ、立錐の余地もない。場内は白ワイシャツに
ネクタイで凛々しい白一色。静寂と緊張のなか開会を待つ」顕正新聞記事から。

揚げ足取りですが、オレンジや赤のTシャツの子も写真には写ってます。
ジャケットを着てる人もいますが・・・
通達では、会場内では上着を脱ぎ、ワイシャツネクタイ着用で参加の指示が事前に合ったと申しときます。
参加人数には、会場運営関係者。付き添いの方の人数も入っています。
聖教さんと同じで((( ┏Д┓|||)” ハァ〜好き勝手書いてるなと・・・
感涙してる人なんて誰も居なかったけど・・・周りでは(-ェ-o)ボソッ

567犀角独歩:2005/09/21(水) 09:18:16

本日発売の(というか木曜日が発売日の)2005年9月29日号『週刊新潮』のP54〜58に島田裕巳師による『特別レポート「創価学会」も恐れる過激な原理集団「顕正会」研究』という一文が掲載されています。

568ラキ:2005/09/21(水) 23:10:17
300円出して購入!・・・
期待に胸膨らませて読んだが、期待はずれでがっかり。
顕正会の事が週刊誌で話題になった、注目されてると喜ばせるだけで、
学会を遠まわしに挑発してる程度のタイトルてだけで、中身自体はインパクトが薄いと感じます。
立ち読みで十分かな?・・・

正宗寺院で「折伏集会」があるのですが、誰か参加します?・・・
もちろん、正宗信徒以外ですが、居ませんよね?(^^;

570犀角独歩:2005/09/22(木) 11:23:34

ラキさん

たしかに、タイトルほど、内容は衝撃的なものではなかったですね。この点についてご本人は

「9月29日号に「創価学会も恐れる過激な原理集団顕正会研究」をかきました。本当に過激なのかどうか、そこが問題かもしれません」
http://blog.livedoor.jp/shhiro/archives/50071181.html

と記されています。

島田師がお書きになったことは、わたしは一般世間から見た実に当たり前の視点なんだと思います。

島田師とは小樽問答を聞く会に参加いただいたりしたわけですが、わたしは師の一般から見た、あるいは宗教学者としてみた、また師特有の視点というのは、生まれながら「日蓮正宗創価学会」信徒会員であった自分にはまったくない点で感嘆してきました。

結論で「社会のなかでのし上がっていこうという意欲をもたない若者が増えた現代では、人間臭さを感じさせない底の浅い宗教史か拡大していかないのである」(『週刊新潮』'09.9.29 P58)という点は、今までにない顕正会観察であるとわたしは感心しました。

このような観察は文中でも見られ、

「会員の拡大という以外、何をしようとしているのか、それがまったく見えない。別に何かを隠しているということでもないだろう。とにかく、宗教活動の中身が非常に空虚なのである」(P57)

と記します。たぶん、この文章を読むと顕正会を少しでも知る人であれば、「いや、国立戒壇の主張がある」というでしょう。しかし、敢えて島田師は記さないわけです。知らないからではないでしょう。知ったうえで、自称100万、目標300万の‘実数’から考えたうえでそんな主張は現実的に何の意味も持っていないという、実に常識的な、換言すれば、日蓮教学に泥んだ我々が見失っている当然の観察から、師はそう言っているわけです。

つまり、この点をブログに「本当に過激なのかどうか、そこが問題」と呟くのではないでしょうか。

以上の次第から、わたしは如何にも島田師らしい、レポートを呈したと読んだものでした。

571ラキ:2005/09/25(日) 23:12:16
顕正会が訪問勧誘に来ました。
「起訴猶予」のお目こぼしが仇になって、勢い付いてる感じがしますね。
対話。法論しようよと言っても、学会員ぽい言いかたて・・・
折伏に来たなら、私の邪儀を破折してくださいと申し出たのですが、
法論・対話にならず、顕正新聞を読んで聞かせるだけで、突っ込み入れても、
重箱の隅を突付く行為だと・・・・
浅井さんの言葉が正しいのなら三証を示して回答をと申しても、
現証・功徳があるからで話にならない状態。
熱原の法華衆の如き一念信解の信心て、熱原の法華宗は日興上人から説法を受けて、
教学を学んでるはずなのに、農民だから字が読めないので法門を学んでないようないいかた。
浅井さんの宗門に対して諌暁書の破折文書を見せて説明しようとしてもデタラメ扱いされるし、
顕正新聞は切り文でしか掲載しないで、何が一刀両断!の破折としたと言えるのでしょうか?
他の情報は一切、学会の謀略扱いだし、宗門文書も妙観講のデタラメ扱いだし、
まじめに話が出来ないです。
それにしても、家の近所は学会員だらけで、有名なのに、学会員も不甲斐ないですよ。
幹部が沢山居るのに、学会員の家で話したと一言も聞いてないし、がっかり(笑)

日蓮とか大聖人とか言っていたら、嫌悪感を示されて罰が当たるよて・・・
上人。聖人。大聖人。て”様”付けなくても問題ないと思うのですが、妄信の徒には通用しないのでしょうね。

572ラキ:2005/09/25(日) 23:51:49
そそ、名前を聞かれて、ほうき公。虎王丸。ぜんにちまろ。順番に言ったのですが、
最初は誰も気が付かなくて”ほうき公”も知らないの?て言ったら、一人だけ気が付いた人が居て、
後の二名は名前さえも知らなかったです。
虎王丸も目師とわからず、熊王丸ではない?とか言われるし、
ぜんにちまろ。を理解できたら、嫌悪感を示されてしまいました。(^^;
本当に何もわからなくていい。それで、連師のお心がわかるわけもないと思います。

広宣流布の定義が変わったのか?連師のお題目を流布するのが広宣流布と言ってました。
個人差があるのかわかりませんが、お題目流布て何処の教団でもしてると、また突っ込み!

殺し文句がありました。
一週間だけやってみようよ。功徳を体験すれば顕正会の正しさがわかるよって(笑)
期間限定も笑えますが、期間限定て勧誘でしょう。
顕正会いわく、勧誘ではない・・・
さて、誹謗・悪口罵詈と謗法のオンパレードの私には、漏れなく罰が出るらしいです。
一週間検証してみたいと思います。どんな罰が出るのかな?(笑)

573ラキ:2005/09/28(水) 17:42:20
顕正会の公式HPが更新されてます。

下記、顕正会HPから一部転記。
この行為は憲法にも違反し、教育基本法にも違反しているのです。
憲法第二十条には 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とある。
また教育基本法第九条には「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」とある。
まさに学校側は、憲法にも教育基本法にも違反している。
しかし学校側は煽動されれば、簡単に乗って違法行為をやってしまう。

私見ですが。休み時間や放課後、校内で勧誘行為をするから問題であり、校内での勧誘をしなければ、
学校側は問題視しないと思います。
ま、職場で仕事中勧誘するのも問題がありますが「宗教の自由」をところかまわず、
勧誘していい訳ではなく、自己の信仰の保障であり、ご都合主義の解釈は困ったものですね。

☆私は元気いっぱい!翌日には、とても良い事があり「罰ではなく、功徳を」でたではなく、福運を頂いた。
不思議な現証ですね。(笑)

574ラキ:2005/09/28(水) 23:07:54
「最後に申すべき事」1冊500円で販売開始。
顕正会は「有難い」と「一念信解」を強調してるが、”三業”をしないように戒めているにもかかわらず、
浅井さん自身は、”愚癡”のオンパレードの書籍ばかりを発刊してる気がするのですが、
今回も、使いまわしの”愚癡”のオンパレードだと感じます。
全文読んでないのですが、500円は高いですね。

575藤川一郎:2005/09/29(木) 17:54:58
最後に申すべき事
1冊500円なら読んでみたいね!
でも真新しい視点は無いのかな?

576ラキ:2005/09/29(木) 21:59:22
>1冊500円なら読んでみたいね!でも真新しい視点は無いのかな?

山崎さんの話が少し追加された程度です。
新聞やネットで流れてるので目新しい内容はないかと。
ただ、三大謗法の話が少し多めに書かれてるのと、いまだに川辺メモに拘っているのが印象的でした。

P29に「かかる一筋の忠誠を貫く顕正会を、汝ごとき(日顕さん)阿諛の売僧が仮初にそしるは、まさに「瘠犬が師子王をほへ、こ猿が帝釈を笑う」にも似てる。」
浅井さんの重大発言抜粋!(^^;
全97Pなので微妙な値段です。。。

577犀角独歩:2005/09/30(金) 01:23:55

『対決を逃避した阿部日顕管長に「最後に申すべき事」』を読みました。

何より、気になるのはこの文体ですね。今時、こんな文語を使うというのは、ちぐはぐな感じが否めません。

何点か、さらに気になった点。

「仏法守護の本有の王法が久遠より存する。これが皇室である」(P42)

これは一体、何を意味するのでしょうか。日本の皇室が久遠から存する?というのでしょうか。

「日興上人は『仏法は王法と本源躰一なり居処随つて相離るべからざるか…尤も本門寺と王城と一所なるべき由』…富士一跡門徒存知事…いまは且くこれを置く」(P43)

存知事は日興の言を記したということですが、この言い回しはちょっと気になります。それはよいとしても、この一節を引けば、本門寺=戒壇と王城は同じ場所でなければならないということになるわけですが、「『天生原』を戒壇建立の地と定めておられる」(P46)という矛盾を、一言「いまは且くこれを置く」と片付けています。都合の悪いこと、説明ができないことは、こうして言及を避けるやり方は、浅井さんの常套手段だと思いました。

河辺メモに触れているのですが、この文中の

「種々の方法の筆跡鑑定の結果解った(字画判定)
 多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の
 お題目と花押を模写し、その他は時師か有師の
 頃の筆だ
 日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている…」

という肝心の部分を「荒唐無稽の作り話を並べてその理由を説明しているが、口にするさえ恐れ多く、穢らしいので、ここには省略する…筆者注」(P61)と文章を隠してしまっています。

まあ、わたしのほうでも既にこの部分を採って、彫刻本尊が禅師授与漫荼羅を原本とする臨模・作為であることを明らかにしているわけですから、読まれたくないということなのでしょう。

それにしても「口にするさえ恐れ多く、穢らしい」と言っておきながら、そのあとで、

「種々の方法の筆跡鑑定の結果解った」(P64)
「模写の形跡」(P66)

と引用しています。そして、ここでもまた、

「ここにはこれ以上は言わぬ」(P67)

と言及を逃れています。この部分を会員の目から遠ざけたのは、わたしは手応えと受け止めました。

わたしが、いちばん、奇妙に思ったのは

「安普請な奉安堂では、大規模な天変地夭あるいは核爆発等のテロ・戦乱から、大御本尊様を守護し奉ることは難しい…堅牢の『新御宝蔵』を建設」(P89)

という点でした。それまで「奉安殿還御」を主張し、奉安堂建設に触れなかったのが、触れたら、今度は奉安殿もだめで新御宝蔵だといいます。

また、

「濫りの御開扉は、大御本尊様を冒涜」(P88)

というわけですが、では、妙信講時代、浅井甚兵衛さん・昭衛さん親子をはじめとするここの講員は御開扉を拒否してきたのか?、そんなことはないわけですから、これでは過去の自己批判になっています。

前後しますが、

「身延派謗法僧の大石寺参詣…『古来の慣例』とは何事か…嘘をついてはいけない」(P79)

と憤慨を露わにしますが、執行海秀師、また、稲田海素師なども、大石寺へ参詣し、彫刻本尊まで見ているわけです。殊に稲田師を石山に入れたのは顕正会も上人とする堀日亨氏ではないでしょうか。

まあ、ほかにも気になる点は多々ありますが、何で、こんな本を今さら出すのでしょうか。阿部氏退座の情報を嗅ぎつけ、ここで退座要求をし、実際に退座したら「浅井先生、顕正会の力により」と、こうやろうということなのか? こんなさして、従来と変わらぬ内容を大仰に出す本心がどこにあるのか興味が惹かれました。

578犀角独歩:2005/09/30(金) 03:16:45

そうそう、一点、気になった点。なかで『堀ノート』が引用されていました。
はて、浅井さんは、この資料を誰から入手したのでしょうか(笑)

579藤川一郎:2005/09/30(金) 20:23:52
堀ノートの入手方法?(爆)

まあ、それはさておき、浅井さんの河辺メモ引用は数年前から変わっておりません。
初めて言及した時から現在に至るまで一度もメモの全文を明らかにしてないのが顕正会浅井氏の論法です。
浅井氏が河辺メモを明らかにしない理由などはっきりしています。
顕正会は「戒壇の御本尊」という名は利用しますが「それを見たい」と言う欲求が会員に伝播しては困るのです。
河辺メモの全文を明らかにすると「戒壇の御本尊とはどういうお姿をしているのだろう?」と言う疑問が会員にでてしまい、「一度見てみたいな?」と思われると止まらなくなってしまいます。
ですから一度も見たことのない「戒壇の御本尊」への渇仰心を起こさせしめ、それでいて決して「見たい」と思わせない。この論理で顕正会はなりたっているのです。

580ラキ:2005/09/30(金) 22:59:09
北方四島。竹島て日本の領土ですよね。
立正安国論の三災七難にあてはまった「他国侵逼難」と思うのですが?・・・

国立戒壇を建立と言う前に、せめて日本の総人口の10%でも入会してから語るべきと感じます。
広宣流布前夜と言っても、50年先に10億人の会員が居るか?もわからないし、
1億人のめども、1000万人さえ何年掛かるかわからないのに、建物を云々なんて言ってる場合ではないような気がします。
立てる段階で、国立だろうが国主立だろうが、決めればよい事だと思うのですが?・・・
浅井さんに聞いてみたいと(^^;
顕正会員は、学会から出てる情報を浅井さんが使用してるのに、
学会の謀略とか嘘とか思わないで、信じてる矛盾が・・・

581藤川一郎:2005/10/02(日) 14:01:28
>>「日興上人は『仏法は王法と本源躰一なり居処随つて相離るべからざるか…尤も本門寺と王城と一所なるべき由』…富士一跡門徒存知事…いまは且くこれを置く」(P43)

存知事は日興の言を記したということですが、この言い回しはちょっと気になります。それはよいとしても、この一節を引けば、本門寺=戒壇と王城は同じ場所でなければならないということになるわけですが、


独歩さんの上記文章を読んで、思い出した事があります。
浅井さんは、平成5年頃、広宣流布の暁には、首都移転されるような指導をしたこともありました。
すると天生原に御所が移転するのだから彼の中では矛盾していないんだと思います。
しかし、御所の移転は天子の専権事項であります。国体への謀反的な言動でもあります。
また寛師は「王城の鬼門云々」の言もありますから、彼らが担ぐ寛師にも背いている事になります。

582犀角独歩:2005/10/03(月) 07:58:26

藤川さん、有り難うございます。仰るところ、ごもっともと嘆じました。

583ラキ:2005/10/04(火) 19:25:11
顕正会員による、諌暁書配布がいぜん行われていますが、一部地域では諌暁書の”訪問販売”が行われている事が判明しました。
諌暁書配布して折伏だぁ〜と言っていても、一部で買いませんか?と”訪問販売”行為をしている時点で、組織全体の纏まりが無い!としか言えませんね。
そして、ネット閲覧の規制!余程ネットからの情報に敏感になっていて、匿名だから、謀略記事に注意と言ってる時点で、情報規制をかけないと、日本国ならぬ”顕正会が危ういと!”との、浅井さんの危機感が伺えます。

584カミングアウトロー:2005/10/05(水) 13:51:37
初めて書き込みします。

ラキ様訪問販売について知ってる範囲で構いませんので、もう少し詳しく教えて下さい。

585ラキ:2005/10/05(水) 14:20:28
カミングアウトローさん。はじめまして。

訪問販売の件ですが。
日祭日に集合住宅をメインに諌暁書配布が行われています。
通常なら、無料贈呈の形で配布されていますが、この話題を話していたら、
顕正会員が訪問してきて「諌暁書を見せて、購入してもらえませんか?」と言われたそうです。
男性又は女性など詳しくは聞いておりませんが、”購入”と言葉を相手に言った時点で、販売行為に当たるのは間違いない事実です。

私見で申し訳ございませんが、女性会員ではなく、男性会員の可能性が高いと感じております。
私を含め、近所で話を聞いた範囲では、女性会員が”贈呈で配布”していたからです。
2度ほど配布に会っています。
また、近所の知り合いのお宅では、学生の子供に対して、男子会員が2時間に及ぶ勧誘行為をし、断ってもしつこく付き纏われたので、仕方なく、入会となりました。
後日、その学生は、知り合いの学会員に連絡をし、勧誘相手を呼び出して、脱会の話をしようとしていたのですが、顕正会員は学生と付き添いの方の姿を見たとたん、逃げ出したそうです。
顕正会員全般に言える事ですが、”正しい仏法を実践してる”団体は顕正会しかないと言っておりますが、法義論争もできなく、正しい証明さえできない人が大半ですね。
正しいと主張する根拠は、浅井さんの言葉のみ。
”自己団体が正しい仏法を実践している”と思い込み、”仏法ごっこ”をしてるのが顕正会の姿だと思います。

586犀角独歩:2005/10/05(水) 20:16:21

> ”自己団体が正しい仏法を実践している”と思い込み、”仏法ごっこ”をしてる

こんなのみんな、そうじゃないですか。

587ラキ:2005/10/05(水) 21:05:14
>こんなのみんな、そうじゃないですか。
賛同します。
特に、正宗系教団はそのように感じます。

58801:2005/10/05(水) 23:18:30
ラキさん、そうだよ。みんな、思い込み。
伝統教団はもっとそうだからね。

589藤川一郎:2005/10/08(土) 21:20:21
http://www.geocities.jp/dakushin/index.html

これって現役会員かな?

591ラキ:2005/10/09(日) 00:51:14
>589
現役の方のHPだとはあまり感じません。
その理由として。
1)HPを運営してる暇があるなら、”勧誘”にいそしむ。
2)顕正会では、匿名性のあるネットでは、事実を述べていなく、顕正会に対する”陰謀・謀略”の書き込みが多いから。
3)2の項目に当たりますが、ネットを見るな!と暗黙の通達がある。
4)顕正会会規の内容を知ってる人の存在が少ない。
5)HPの構成とリンクが意図的に感じる。
全部私見ですが、HP管理者がアンチ顕正会に対して、啓蒙?をするために作ったのであれば、リンク先のHP掲示板等で、HPのアピールをすると思います。
ネタで作ったHPではとの邪推をしております。
それに、顕正会オリジナルの主張!国立戒壇の話だけで、”三大謗法”の話が出てこないので、現役なら”三大謗法”を前面に出して、顕正会が正しいと自己主張をしたがると思うので。

592ラキ:2005/10/10(月) 21:05:53
顕正会の皆さん〜
本日も勧誘活動ご苦労様です。
前回来た女子部班長らしき人物が「最後に申すべき事」「男子部幹部大会の新聞」を持って訪問に来ました。
(学会員は招待状を出しても、訪問してくれません〜(=д=;)はぁ…)
いきなり”川辺メモ”の出所を学会機関紙と指摘したのに、話を聞いてくれません。
法論しましょうと言っても、顕正会を馬鹿にしたから相手にしませんて?・・・
前回訪問に来た後に”よい事ばかりあって”と申したら、お供の方が”魔力”だよて、根拠もなしに言い切る凄さ!( ̄□ ̄;)!!
”罰が当たる”て前回言ったのに変ですね・・・
”まじめに法論するからと”破折してと言ったら、”時限が低い”から相手にしないって、気の毒になってしまいました。
妄信もここまでくれば立派ですね。

さて、「顕正会の勧誘に迷惑してる方が居ましたら、ご相談に乗ります。」て回覧板回したら、宗教の自由の侵害とか法的に引っかかるでしょうか?・・・
引っかからなければ、回覧版を回したいと思っています。
(学会員が役に立たないし、中高校生の入会とか被害が出たら困りますし、自治会役員としましては、未然に未然に顕正会の被害を防ぎたいのです。)

593犀角独歩:2005/10/10(月) 22:25:11

ラキさん、ついでに彫刻本尊被害、日蓮本仏被害、ついでに、生きた御肉被害も防いでください。

594ラキ:2005/10/10(月) 23:32:57
>ラキさん、ついでに彫刻本尊被害、日蓮本仏被害、ついでに、生きた御肉被害も防いでください。

科学的実証=検証に耐えられないから、全部嘘(偽物)と、日本の宗教界でキャンペーンをしてくれれば、どうにかなるかも知れません。
(個人の意見)
それか、法華経を拠り所にしている宗教団体の法華経は釈迦が説いた教えでない、後作、偽物とカミングアウトをして頂き、嘘を言っていたお詫びキャンペーンなどしてくれれば?・・・
(無理ぽいですね)
やはり、学者の方が、法華経は後作の偽物と証明されているのですから、法華経が”釈迦”が解いた教えではないので、”法華経は釈迦”が説いたと言ってる教団・団体に対して”詐欺”と訴えて、公的に公にして、信者に情報をいきわたらせる。
(司法介入は無理そうかな?)
一般メディアに”記事を書いてる”方や”TV・ラジオにコメンテーター”として出演してる学者の方が、法華経は釈迦が説いた教えではない!て、言っちゃえば、波紋が広がりませんかね?
宗教者は死活問題になるかも知れませんが、詐欺行為をしてる認識が”ある・無し”どちらにしても、事実を公表する、”道徳の良心”に訴えるしか無いのかも知れません。

595犀角独歩:2005/10/11(火) 07:08:10

当スレのテーマというより、『現代人が納得できる日蓮教学』のほうのテーマですが、わたしは、まさに594の視点を、ここ100年間の日本仏教界は突きつけられているのだと、わたしは指摘してきたわけです。

永年、先祖からの所有だと思って住んできた家の権利書を見たら、偽物だった。「どうしよう」と言った焦りに似たものがあります。

この時点で、「謗法だ」「日蓮(大)聖人を信じられないのなら出ていけ」とかと、狭いコップのなかで正義心(実はただの思い込みと差別観)で排斥、批判することは簡単でしょう。しかし、そのコップ自体、「そんなもの、現代では通用しない」と、正式回答を迫れているのに、無視することでしか成り立たない「最高に正しい教えと集団と指導者」、これでは猿山集団のボス猿と変わらないわけです。

まあ、ラキさんが顕正会糾弾をする気持ちはわかりますが、しかし、他の石山集団も「五十歩百歩」、中心のお山では、相変わらず歯にくっついた肉が生きて成長しているといって憚らないわけです。さて、どっちが罪深いか、うるさくて迷惑なのはどれかということとは別に存する大きな問題であると思うわけです。

596ラキ:2005/10/11(火) 09:14:57
近代で言えば”大石寺歴代”が一番の根源だと思います!
学会は戦後から50年代までの無理な勧誘が印象的ですが、現在は教団上層部の生活元に成り果ててる感じがします。
顕正会は(1)無智に等しい”学生”を無理やり勧誘。だまし勧誘が問題。
(2)20代の自分で物事を考えない”成人として未熟”な世代をだまし勧誘。
浅井さん自身が”日蓮の宗教被害者”で、また、今現在は”加害者”になってるのが問題ですね。
1000歩譲っても、国立戒壇しか自己主張が無く、他は一切ご都合発言のうそつき!
ま、石山のTOPが頭を丸めて謝罪をすれば、富士系日蓮信仰は新しい時代を迎えられるかと思います。

597パンナコッタ:2005/10/11(火) 20:04:39
ラキさん、
石山のTOPは、これ以上頭を丸めようがないと思いますが (-_-)

回覧板は、
 >「顕正会の勧誘に迷惑してる方が居ましたら、ご相談に乗ります。」で
問題ないと思います。また出来ましたら類似的な、次々リフォーム、地域的に高齢者を
ねらったSF商法などの相談にも自治会役員さんがのってくれるようにされると
よいと思います。

598ラキ:2005/10/12(水) 15:18:06
パンナコッタさん。
>石山のTOPは、これ以上頭を丸めようがないと思いますが (-_-)
鋭いご指摘!(^^;
変わりに他の団体のTOPが入道として、頭を丸めるのがいいかも知れません。

>>回覧板は、
 >「顕正会の勧誘に迷惑してる方が居ましたら、ご相談に乗ります。」で
問題ないと思います。また出来ましたら類似的な、次々リフォーム、地域的に高齢者を
ねらったSF商法などの相談にも自治会役員さんがのってくれるようにされると
よいと思います。

私の所の自治会役員は名目だけの役員が大半で、期待できません。
高齢者住民も、被害に合って初めて認識できるような、崖っぷちにならないと問題意識が薄い〜住民が大半です。
現役の学会員の方でも”非協力的”で嘆かわしく思います。
私が学会に在籍してれば違う対応なのではと感じておりますが、私が在籍していた当時より、信仰者の”自覚”が無くなっているのは隠せません。
話が脱線しましたが、行政対応が悪いし、未然に防ぐ意識の低下。
私が在任中の期間でも注意を呼びかけて行きたいと思っております。

勧誘系宗教団体の相談は、役員の任期が切れてもできる範囲で相談に乗り、中学・高校と地域内にありますので、父母の方には特に注意を呼びかけたく思っています。

学会員からは、後ろ指を指されそうですし、顕正会員が知ったら”学会の謀略”て的外れな事言わなければいいのですが?(笑)

599ラキ:2005/10/17(月) 00:13:48
先程行われた男子部幹部大会のビデオ放映が開始されましたが、新聞紙面に「男子部幹部大会のビデオ放映参加者が!・・・」
見出しを書きたいのか、参加結集の動きが活発です。
1回見れば十分なのに、DVDでも見たと言ったのに、会館での参加を呼びかけるのて・・・
私は、めまい、頭痛がおきる症状がでたので、健康を害する恐れがあると思うので、お勧めはできません。

600ラキ:2005/10/19(水) 20:42:58
顕正会の”勧誘”に詐欺まがいの方法がとられています。
私の家のお隣さんの証言です。
親が留守な時に一度訪問したらしいのですが、本人に確認してないのでその内容は不明。
後日、本人不在の時に顕正会員女性2名が尋ねてきて、親に話した言葉が、”娘さんとお友達になりたくて”尋ねて来たとの事です。
また”近所にてお茶をしたいから、会わせてください”としつこく言い寄り、娘さんはバイトで留守だったので、その旨を伝えても、ひつこく付き纏っていたと。
お隣に来た顕正会員は、私の家にも訪ねてきた人物だと思われ、定期的に回ってきてるみたいです。
素性を隠し連れ出して、保護者の目の届かない場所で宗教の話をしようと思うこと自体”勧誘”であり、騙す行為も”正しい宗教”と言っていながら、素性を隠さなければいけない事は”怪しい””いかがわしい”宗教団体としか思えません。

601ラキ:2005/10/28(金) 01:49:45
10月度総幹部大会で浅井さん!顕正会以外の者に対して、戦線布告と取れる発言がありました。
顕正会に対して、悪口罵詈・誹謗・中傷をする組織。団体等に対して、戦っていく発言。

男子部総幹部大会(男性大会。←幹部以外の壮年・平男子部員も沢山参加してるので、私の私見です。)の特集新聞を、各メディア。国会議員に送付したそうです。
送付の意味は、諌暁とのこと。(特集号を3万部印刷し、完売してたので増刷。自称100万人の会員が居て、3万部完売は数字の上で当たり前で、完売したから”凄い”との言い方は、変?おかしいと気が付かないのか不思議です。)
諌暁書も800万部配布したと力説しておりましたが、日本の総人口から考えると、少し少ないのでは?と感じます。

これから10年間は自然災害が続き、その後、他国侵逼難があるそうです。
そして、巨大地震の脅威。国家破綻の脅威。鳥インフルエンザの脅威も力説。

そして、思わず吹いて笑いそうになった発言で、「本門戒壇の大御本尊様の真偽」に付いて、昨年10月に日蓮宗教学研究発表会で講師としてまぬかれた、2名の学会崩れの魑魅魍魎との発言!
顕正会に付いての発言された方と2名に対して魑魅魍魎と言っておりました。
名前は出していませんが、ここを見てる方なら名指し発言とすぐにわかりますね。

その他にも話題が盛りだくさんなので、10月13日の御会式の重大指導と合わせて、顕正新聞に掲載されてから、検証していきたいと思います。

602ラキ:2005/10/28(金) 01:57:06
悩む発言がもれてました。
”事の広宣流布”と浅井さんが言っておりましたが、広宣流布に”事”とか有るのでしょうか?
”事の広宣流布”があるなら”義の広宣流布”も有るのかな?と(笑)

603犀角独歩:2005/10/28(金) 08:58:16

> 「本門戒壇の大御本尊様の真偽」に付いて、昨年10月に日蓮宗教学研究発表会で講師としてまぬかれた、2名の学会崩れの魑魅魍魎との発言

わたしのことですか(大笑)

ラキさんのメモなのか、発言通りなのかわかりませんが、少なくとも、この文章にはいくつか事実と違うところがあります。

まず、「学会崩れ」が2名ということですが、当日の発表で彫刻の真偽を題材にしたのは、わたしのみです。また、わたしは日教研研究発表では講師ではなく、単なる発表者です。講師として講演をしたのは、そのあとの現代宗教研究所でのことです。

しかし、わたしが「学会崩れ」ならば、顕正会は「日蓮正宗認可団体崩れ」、浅井さんは「法華講崩れ」ということになるのでしょうか(爆笑)

わたしに喧嘩を売るというのであれば、もちろん、受けて立ちます。
顕正会、浅井さんなど、恐れるに足りません。

604通りすがり:2005/10/28(金) 13:41:50
○○崩れと言う場合、通常直前の団体を言うものです。
すると独歩さんは「法華講崩れ」では無いでしょうか?
無理に2つ前の団体を言うのが「法華講崩れ」と呼びたくないからでしょう!

605藤川一郎:2005/10/28(金) 13:45:16
>>しかし、わたしが「学会崩れ」ならば、顕正会は「日蓮正宗認可団体崩れ」、浅井さんは「法華講崩れ」ということになるのでしょうか(爆笑)

違います。浅井説では今でも自分は「真の法華講員」顕正会は「真の法華講」なのですから、「崩れ」と呼ぶと心外でしょう(笑)。
もっとも当の日蓮正宗では認めてないですが・・・。

606ラキ:2005/10/28(金) 14:51:24
浅井さんは「正系門家顕正会」と名乗っています。
顕正会以外は、日蓮仏法の正統派(顕正会)から見れば、崩れと言ってるように感じます。

独歩さんに付いての浅井さんの発言は、今一度確認しましたが、もっと凄い事を言っております。
身延派に加担してること自体、裏で暗躍してる組織?があるような事をもらしていました。
裏の暗躍組織(創価学会)が糸を引いてる風な言い方は、脳内妄想の頂点を越えたのではと感じます。

607犀角独歩:2005/10/28(金) 19:53:48

「崩れ」がどうのというのは、まあ、どうでもいい話です。わたし個人の自分への感覚はステップアップ、狭量な信念体系から、格段に広い見解に進んだわけですから、崩れるという下がるというイメージより、アップという上昇感覚です。

だから、藤川さん、「崩れ」云々をされて心外なのは、わたしのほうです(笑)

608犀角独歩:2005/10/28(金) 22:54:16

一つ返信をとばしました。

604に通りすがりさんが指摘する点はもっともだと思います。

609とんび:2005/10/28(金) 23:58:48
ラキさん、こんばんは。

はじめまして。非常に恥ずかしいのですが、元顕正会員です。
浅井さんは、よく法体の広宣流布と事の広宣流布といっていましたね。あと、
逆縁の広宣流布と順縁の広宣流布もいっていました。確か以前この論法は間違
っていると聞いたことがあります。
学会さんでは、化儀の広宣流布という言葉を使っていたと思いますが。

 法体の広布と事の広布のセットは浅井さんもしくは学会さんが造ったものな
のでしょうか。

610ラキ:2005/10/29(土) 00:35:00
とんびさん。はじめまして。
浅井さんの指導は、今年に入ってからの事しか知っておりません。
それ以前の事に付いては、顕正会の書籍や宗門の書籍、ネットでの情報しか存じておりません。
学会に付いては破門前に在籍していたので、それ以降は詳しくは知っておりません。

611犀角独歩:2005/10/29(土) 10:26:35

わたしのことについて、浅井さんが語った部分をテープ起こししました。
あとに、浅井さん、何点か勘違いしているようなので、訂正しておきます。

「…昨年の10月、身延派ではですね、毎年やっているんですが、昨年も日蓮宗教学研究発表大会というのを行った。この時に、わざわざ、学会崩れの魑魅魍魎どもをですね、講師に招いてんですね。学会崩れでもって、戒壇の御本尊を、まことに邪推をして、下らない推測して、どうのこうの悪口を言っている魑魅魍魎どもが大勢いるんですが、それらの者の一人をわざわざ招待する。同じく、招待する。そして、2人招待したわけですが、そのうちの一人が『大石寺漫荼羅本尊の真偽について』なんどという名目で、戒壇の御本尊様を誹謗しておるんですね。これは阿部日顕の河辺メモに悪乗りして、さらに輪を掛けた荒唐無稽な悪口を言っておるわけであります。そして、もう一人は今度は『顕正会について』と題して講演を行っているんですね。
 彼らにとって、いま、この日本国に於いて、もっとも戒壇の御本尊様を無二と信じ、国立戒壇を目指して驀進する顕正会が、もう目障りになってきている。それらの者が、わざわざ身延の研究大会で、わざわざ、講師として招かれている。面白いことだと、わたしは思っております。
 広宣流布が近づくにつれ、これら魑魅魍魎の動きは、ますます活発になると思われる。
 これらの魑魅魍魎に、どんな、勢力が背景となってついているか、だいたい、見当はついてまいりますね。ますます、これから、活発になるでしょう。
 また、身延をはじめ、全邪宗が戒壇の御本尊様を、広宣流布が近づくにつれ、ますます怨嫉誹謗することは間違いがない。しかし、顕正会は許さない。正系門家に、顕正会がある限り、すべての悪人どもと戦わなければいけない、ならない。顕正会は、戒壇の御本尊様の御威徳を、命に代えて守り奉る護法の大集団なのであります」
(顕正会総幹部会/平成17年10月度/川口文化会館/05.10.26)

 浅井さんは、わたしが、昨年2004年10月23日に参加研究発表をした『大石漫荼羅の真偽について ― 所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形から見た鑑別』を言っているわけです。

当日のレジュメ
1頁 http://www.geocities.jp/saikakudoppo/041023_resume_01.jpg
2頁 http://www.geocities.jp/saikakudoppo/041023_resume_02.jpg
(ジャンプしないときは、アドレスバーにコピペしてください)

浅井さんは、わたしが講師として招かれたと言っていますが、これは違います。わたしは発表者として申し込んで、ここでは研究発表をしたのです。わたしが講師として招かれたのは、その2日後の25日、日蓮宗現代宗教研究所のほうです。ここで講演を行いました。こちらはたしかに講師です。この内容については、やや加筆し、『大石寺漫荼羅本尊の真偽について』と題を改め、出版をしました。

大石寺漫荼羅本尊の真偽について(副題『所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形から見た鑑別』)
http://cart02.lolipop.jp/LA11156772/?mode=ITEM2&amp;p_id=PR00100227030

この講演内容は、同研究所所報『現代宗教研究』第39号(編集:日蓮宗現代宗教研究所/発行所:日蓮宗宗務院/平成17年3月31日 P289〜310)に掲載されました。

次に、同研究発表大会で、『顕正会について』という発表を「もう1人」が行ったと、浅井さんは言っていますが、この事実はありません。そうではなく、現宗研教化シリーズNO.35『顕正会についてⅡ』という上記所報と同一日に発行された小冊子の一部執筆に、わたしと、もう一人の元創価学会経験者が行ったというのが事実です。

さて、ところで「どんな、勢力が背景」と、わたしにバックがあるようなことを書いておりますが、何故特定名を挙げないのでしょうか。また、何のことを言っているのでしょうか。

なお、わたしは、研究発表、講演、著作で「戒壇の御本尊の悪口」を言い書きしたわけではなく、その図形的特徴から、弘安3年5月9日の日禅授与漫荼羅を原本とし臨模・作為された彫刻であることを解明しただけです。

これに不満があれば、鮮明な「本門戒壇の大御本尊」の写真と日禅授与漫荼羅の写真を以て、再分析をし、批正を加えればよいだけです。また、国立戒壇に奉安することを標榜するものであれば、科学的調査をし、その真偽を科学的に証明することは必須であると申し上げてきたわけです。

図形鑑別であることを、敢えて文面から隠し、「悪口」としてしまうのは、まるで見当はずれの批判に過ぎません。なお、わたしは魑魅魍魎ではなく、基本的人権を有する人間です。魑魅魍魎などと「悪口」を言うような真似はやめていただきたいものです。
もっとも、「悪口顰蹙」の難に遭って、清々しい気分ではあります(笑)

佛教再考 http://www.geocities.jp/saikakudoppo/

613ラキ:2005/11/01(火) 18:26:09
引き続き、平成17年10月25日顕正新聞記事から。

平成17年9月に起こった拉致・監禁の当事者「石川」氏の活動記事が記載されています。
同新聞記事によりますと、今だ”不当逮捕”と述べて、事件を認めて”起訴猶予”の温情にかかわらず反省の色が見えておりません。
(注・記事内容が本人の意思なら)
記事の内容で気になる部分を検証。
「父親の顕正会入信の反対があり、親が脱会を迫っていたが、本人は脱会しないとの意思表明があり、親に勘当されて家からでて、同会の先輩宅に居候。
そのご、両親に罰が現れての心身が苛まれ、まったく仕事が手につかなくなってしまい、私に「信心を続けて構わないから家に戻ってきて欲しい」と言ってきたのでした。
このことには大変驚きました。」

あたかも功徳があったような記載でありますが、両親の心労や仕事が手に付かない”原因”を本人が作ったとの自覚がないですね。
そもそも、家出をして両親を心配させたこと。
また、顕正会に入信して信心をしてる事が両親の負担になり、仏法の正しさを証明するのなら、家ではおかしいです。
家に居ながら、自己の行いで正しさを証明できない事自体、間違いだと気が付くべき事のように思われます。

614ラキ:2005/11/01(火) 18:43:37
今回、顕正会の新聞記事で、宗門に対し「最後に申すべき事」を送付したので、宗門が反応を示してくれなければ、宗門に対し何もアクションを起こす事ができない、自滅的排水の陣だったのではないかと感じます。
宗門の反応があれば、また、宗門に対して色々なパホーマンスを起こし、反応がなけれな、反論ができないと勝利宣言をする魂胆が見え見えです。
また、顕正会は、仮想敵を浅井さんのパホーマンスで無くしてしまい、宗門・学会と相手にしてもらえないので、仮想敵がないと困るので、日本脱カルト協会や犀角独歩さん。また、身延派に対して威嚇を行っているようにも感じられます。
顕正会に対して妙観講以外、何処の組織も相手にしてくれないので、相手にしてくれない事をいいことに、会員向けの演技だと感じております。
顕正会幹部の方が閲覧してるそうなので、国立戒壇を言う前に”広宣流布”できてから述べるべき事だと思いますよ。
広宣流布する前に入れ物云々は気が早いし、また、戒壇に入れる”ご本尊が無い”顕正会は入れ物を作っても肝心な本尊が無い!て事をどうするのか聞きたいですね。
大石寺にある大ご本尊は大石寺所有のもので、顕正会の自由になる物ではないと言えますよ。
日布上人の本尊見たく、自前で大ご本尊を作るのか?とかんぐります。

615管理者:2005/11/01(火) 20:27:00

ラキさん

いつも、御参加誠に有難う御座います。

612レスについては、都合により、削除させていただます。理由について御不審については、管理者宛にメールを頂戴したいと存じます。勝手ながら、悪しからずご了承願いたく存じます。

616ラキ:2005/11/01(火) 22:19:43
管理者さん。
612レス削除の件、了解しました。
理由は問い合わせのメールはしませんので、よろしくお願いいたします。

617犀角独歩:2005/11/02(水) 14:38:02

ラキさん、どうも。

顕正会が、わたしや日本脱カルト協会を威嚇ということですが、これはぜんぜ威嚇されているとは思っていません。
たった一人のわたしに、100万人組織が、何をムキになっているんだ、面白いなぁという感覚です。

ただ、今回の、顕正会・浅井さんの発言を通じてわかったこと。

案外、わたしの記したことを脅威に感じている、慌てふためいているという点です。この一連のわたしに向けられた批判は、わたしが記したことをまったく具体的に記述しないことによって内容を会員に知らせないようにしていること、知らせないために、わたしを魑魅魍魎だなんだと言って人格攻撃をして、信じるに足りない謗法の輩だとすることによって、わたしの記すことを読ませないようにしていること、また、わたしと関った会員には断固とした処分をするという会員に恐怖を与えたこと、以上の方法によって真実に触れさせないようにしたこと、そして、もっとも肝心なこと、それはわたしが記したことに悪口以上の、何の説明もできなかったということです。

618ラキ:2005/11/02(水) 19:49:49
独歩さん。

>案外、わたしの記したことを脅威に感じている、慌てふためいているという点です。
納得してしまいます。
顕正新聞に2回に渡り、一個人に対してこれほどの反応はないからです。
そのうち、「あの100万人顕正会が最も恐れる人物!犀角独歩氏。」とか書籍とか出るかもしれませんね。(^^;

一般顕正会員は、同会からの除名=日蓮仏法の実践ができなくなり、成仏ができなくなる。と図式が成り立ち、ある意味、会員は
興味・探求をする事は”いけない行為”だと認識させ、個人の個性を無くし、集団的同一意識の共有を計る危険な思想を植えてると感じます。
(危険と感じるのは、浅井会長の言葉のみが真実で、他は嘘、偽りを述べてる。と成るからです。)

619とんび:2005/11/02(水) 20:05:09
こちらは、紳士的な掲示板なのでなんですが、顕正会員がまた、入信強要まがい
の行為で、書類送検されたという新聞記事のアドレスを載せます。
http://www.kanalog.jp/news/jiken/index.html
他の掲示板で知ったのですが。

 しかし現役顕正会員にとっては、謀略ぐらいにしか思わないので効果はありません。

620ラキ:2005/11/02(水) 22:31:04
記事の内容で。
「パチンコ店にて知り合った相手」は興味をひかれます。
(活動の場が、パチンコ店という意味で)

また、本年9月に起こった事件の「同じ自宅拠点」も注目ですね。
第2隊の拠点であり、2ヶ月も経たないうちに同じ隊にて暴行事件を起こすとは、反省の色がないとしか感じませんね。
とんびさんがおっしゃるように、現役会員には「学会の謀略」程度か「国家権力の陰謀」とかいいかねないと感じます。
同会員による事件が全て、謀略・陰謀と思う組織のあり方に、テロ犯的思想を危惧する思いです。

621犀角独歩:2005/11/03(木) 00:16:07

618 ラキさん

例の横浜の起訴猶予になった事件以降、わたしの名前を出さないまでも触れたのは3回以上でしょう。

答えられない窮地に立つと、答えられないことに慌てふためき、それを述べた人間の人格攻撃をして答えられないことをごまかそうとするのは、当掲示板でもよく見られる光景です。

弘安2年10月12日に弘安3年5月9日の日禅授与漫荼羅と首題がそっくりの漫荼羅が一夜にして、板に掘られて、漆がかかって金箔が入った…、もっと言えば、七面山(七面大権現の信仰の霊地)の池に浮かんだ、光る木が、どうやってか、隣の身延山に届いて、いまの‘大漫荼羅’彫刻板になったなんて、有り得ない話を証明できるわけはないわけですから、これはこの点を責める人間の悪口を言ってごまかすしかないわけです。

いずれにしても、もはや、あの彫刻は、河辺メモにあるとおり、日禅授与漫荼羅を原本として、臨模・作為して後世の捏造品であることは、図形で説明したとおり、動かない事実です。もはや、言ったことを鵜呑みにするような子ども達を除いて、今後、こんな素人だましは通用しないわけです。つまり、大石寺の彫刻本尊の歴史は、昨年のわたしの発表、そして、続く出版によって完全に終焉を迎えたのです。

今後、顕正会員でも、妙観講員でも、「折伏」と称して、日蓮宗寺院その他を訪問すると、彫刻本尊の写真、日禅授与の写真、その2つを重ねた図形解析の写真の3枚を見せつけられ、「ほら、この2つは同じでしょう。あなた方は騙されてきたんですよ。よくご覧なさい」と言われることになります。もう、石山の彫刻で騙される人々はいなくなるわけです。

これはしかし、いくらわたしを批判しようと、わたしを悪人、謗法者と決めつけようと、魑魅魍魎と侮辱しようと、今後、石山彫刻本尊を本物だと信じて、折伏に歩く人々が背負う宿命となります。どこに行っても、3枚の写真を鼻先に突きつけられるということです。

それでも日蓮宗寺院に折伏に行かせるというのであれば、やればよいのです。やった分だけ、脱会者続出ということになります。

つまり、もう、「弘安2年10月12日、本門戒壇の大御本尊」の歴史は、終わったのです。断末魔の喘ぎをしようと、もはや、どうにもなりません。

しかし、このここ数十年の「弘安2年10月12日、本門戒壇の大御本尊」のお祭り騒ぎを終え、ここからはじめて、日蓮聖人に真摯に向かう歴史が始まります。終わりは、新たな始まりであるわけです。

622ラキ:2005/11/03(木) 10:34:22
>答えられない窮地に立つと、答えられないことに慌てふためき、それを述べた人間の人格攻撃をして答えられないことをごまかそうとするのは、当掲示板でもよく見られる光景です。
石山系教団の信者は特にリアルでも、さらに匿名性の高いネット世界では、多く見受けられます。

>今後、顕正会員でも、妙観講員でも、「折伏」と称して、日蓮宗寺院その他を訪問すると・・・・それでも日蓮宗寺院に折伏に行かせるというのであれば、やればよいのです。やった分だけ、脱会者続出ということになります。
私が見て体験した感じで思うのですが、利益(功徳)が有るから”本物”だと言う、根拠のない主張が”顕正会員”には多く見られますので、他教団等から証拠を示して言われても、疑問に(疑う)思う事も少ないかも知れません。
妙観講員も元顕正会員が多く、現役顕正会員程ではないですが、自教団の書籍以外の物は信用しない傾向が見られるので、脱会者が増えるかは疑問に感じます。
ただ、探究心があれば、自教団の書籍等の矛盾点を指摘する事により、大本営宗門の発表した事に”嘘があり”騙されていた事に気が付くのではと思います。
ま、戒壇の大ご本尊が”本物”と証明できない石山系教団は終わっていると思います。
証明しようにも、自教団の文書のみで、科学的証拠も示せませんしね。
仮に本物でも、”日蓮が魂を墨に染め流し”の”魂の入った墨を削り取ってる”時点で、魂の宿っていない、”物””物体”だと思います。

話が少しずれますが、妙観講機関紙”慧妙”(宗門の正式機関してはない)11月1日号で、学会批判の為に過去の発言集を出しておりますが、破門前に言った公式発言を出してきて、おかしいと指摘していますが、そのおかしい発言を諌めもしないで、放置していた宗門は、謗法予同に当たり、また黙認していたと言わざるおえません。
今回の記事は、妙観講の自爆記事と私は思っています。(笑)

623犀角独歩:2005/11/03(木) 11:12:42

ラキさん

たしかに顕正会も妙観講も、他者の情報は見ない信用しないように徹底的に心理操作されています。

しかし、こんな話があるんですよ。

とある日蓮宗寺院に顕正会員がやってきた。なんだかんだと言いたい放題、言うものだから、その住職は、「これだろう、君が言うのは」とわたしの本を開き、目の前に突きつけた。すると、その顕正会員、「何ですか、この真っ黒いものは」と言った。だから、その住職は「それが、君の言う本門戒壇の大御本尊ていうもんだよ」。するとそれまで威勢の良かった顕正会員「え、これなんですか」としばし唖然として黙り込み、そのまま、帰ってしまったというのです(笑)

見たこともない夢想化された戒壇本尊しか想像していなかったその会員には、現物の写真は虚を衝かれたものであったのでしょう。

こんな光景はこれから随所で見られることになるでしょう。
まあ、わたしは日蓮宗の信徒でも何でもありませんが、「ミイラ取りがミイラになる」ようなことをやらせていると思っています。

624ラキ:2005/11/09(水) 22:11:38
10月に入ってから、顕正会の指導は”魑魅魍魎”の話ばかりしています。
10月だけで5回は多少なりとも、日蓮宗並びにそれに結託する、魑魅魍魎発言。
明らかに恐れのあまり意識してると感じますね。

625犀角独歩:2005/11/10(木) 01:23:22

ラキさん、「魑魅魍魎」ネタというのは、わたしのことですか?

626ラキ:2005/11/10(木) 10:20:04
名前は出てませんが、独歩さんと判る内容で話していました。

627ラキ:2005/11/12(土) 02:42:29
顕正会のDVDデッキ販売ページ。
機種とか不明ですが、微妙な値段ですね。
家電機器販売は、課税対象にならないのでしょか?・・・
ついでに食品販売もしてますが・・・
自家製加工食品に使用材料の明記がないのは、食品販売法違反にならないのかな?・・・
調理師免許を持ってる調理責任者の氏名も見える所に明記しないのも、違反ですよ。
極め付けが、お米袋に書かれてる米の銘柄が”顕正米”てのも怖い〜感じがします。

http://www.kenshokai.or.jp/dvd/index.html

628犀角独歩:2005/11/12(土) 03:30:02

ラキさん、ちょっと、教えてください。

> 自家製加工食品に使用材料の明記がない

これは明らかに法律違反ですね。
どのような事実を仰っているのですか。

> 調理責任者の氏名も見える所に明記しない

これも法律違反ですね。
具体的事例を教えていただけませんか。

> 顕正米

なんですか、これは?
原産地表示はあるのでしょうか。

629ラキ:2005/11/12(土) 11:20:39
> 自家製加工食品に使用材料の明記がない
>>これは明らかに法律違反ですね。
どのような事実を仰っているのですか。

お弁当類。調理パン&菓子パン。
顕正会自慢のデザート類にも記載が無かったはずです。

> 調理責任者の氏名も見える所に明記しない

会館内の飲食物販売コーナーで、自家製お弁当類また、一般流通食品(お菓子。飲み物)の販売がされております。
食品に関しては、購入者が判りやすい場所に、調理責任者の名前記載及び販売者の名前記載をしてないといけないのを、されていないのです。
(これ見て、改善されていたりしてw)

顕正米は、30kの米袋に名前だけ書かれているお米です。
原産地の表記は、じっくり確認してないので不明です。
(長米ではないので国産種だと思われます。)

会員向けの販売でも、食品衛生法に違反しているのではと思うのです。

630犀角独歩:2005/11/12(土) 12:48:26

ラキさん、有り難うございます。

いまさら、改善したところで、過去の事実は変わりません。いままで、もし食品衛生管理者も置かず、調理責任者も置かず、まあ、そんなことは常識から考えられないのですが、会員を使って弁当を作らせて、それを無許可・無届で販売していたとすれば、それは大問題でしょうね。そんな馬鹿なことが本当に行われてきたとは俄かに信じがたい気分です。

631ラキ:2005/11/16(水) 21:56:12
私の見間違いではなく”食品衛生管理者&調理責任者”の記載は目に見える場所には記載されていませんでした。
会員限定販売だから、記載されていないと言いかねませんね。
603の独歩さんがおっしゃってる世間一般の常識は”顕正会では通用”してないと思います。
顕正会の歴史が物語ってますしね。

さて、17日に「四信五品抄」と「兄弟抄」の要文講義の冊子が販売されました。(1部200円)
内容は、新聞に掲載された物を冊子にした物で作りは、同人誌程度の製本。
講義の内容は、切文ご都合自論講義なので、大白蓮華以下の講義内容ですね。
「四信五品抄」の講義は、何でも”一念信解”に結びつけるのは、小学生以下のこじつけでしかないように思われて、恥ずかしくないかなぁ〜?・・・

632藤川一郎:2005/11/27(日) 14:41:36
http://www.kenshokai.or.jp/dvd/mo/cgi-bin/doOrder2.cgi?mode=top

来年から、顕正会はビデオを販売せず、DVD1本にしぼります。
そのため、再生専用DVDプレーヤーを会員価格で販売します。
詳しくは、上記サイトでどうぞ(笑)。

633藤川一郎:2005/11/29(火) 11:40:25
顕正会の食品管理責任者は第○女子部長だったと思います。
栄養士と調理師といくつかの資格を持っていたと記憶しております。

634ラキ:2005/11/29(火) 13:15:45
藤川さん。
633の>顕正会の食品管理責任者は第○女子部長だったと思います。

某会館の責任者なのでしょうか?それとも本部の責任者なのでしょうか?

食品の加工製造は調理師免許を持った方が1名、責任者として居なくてはなりません。
食品管理責任者は、会館管理責任者が担当してる可能性もありますが、責任者の証明許可書が掲示されていないから謎ですが、
もしかして無届なのかとも感じます。
元でも現役でも構いません。
芙蓉茶寮にて調理販売に携わった方の情報お待ちしております。

635ラキ:2005/11/30(水) 23:07:09
顕正会浅井さんは、少しでも顕正会に疑問や矛盾を覚えて質問する人の排除に乗り出したもようです。
顕正会では罪障・罰と功徳は”出る物”で福運は”積む”ものと言っております。
(一部、罪障と罰の使い分けをちゃんとしてる方も居ますが。)
罪障=功徳は”積むもの”で、罰=福運は”出るもの”(現れる現証)のはずですが、正しい使い分けは、どのようにするのでしょうか?

連師在世当時から遊学(他の宗派又は教団)に行く事を、近代までなされていたはずですが、顕正会では、自教団以外の場所に、学びに行く事自体”謗法”と言っております。
もし、他所に学びに行く事が”謗法”なら近代までの出家した僧侶や貫首でさえ、皆”謗法者”に当てはまるり、歴代の本尊を拝んでる顕正会は、謗法者の書いた漫荼羅を拝んでる矛盾が出てくると思いますが?

636ラキ:2005/12/02(金) 15:02:55
天母原戒壇建立説の話をしていて、大坊棟札が証拠だと言われて、65世日淳上人が否定したと言ったら、”「天母原に」というのは日興上人から口伝されたとあり
文にはないからです(御書ではないですが)”と、歴代又僧侶等から聞いたこともないような珍説が出てきました。
口伝なら歴代の誰かの発言が残っているわけであり、浅井さんは口伝を誰から聞いたのか疑問です。
浅井さんの指導面白すぎです。

637犀角独歩:2005/12/02(金) 15:37:42

もし、顕正会が「天母原」といっているのであれば、それだけでも、間違っています。文献に残るのは「天生原」だからです。いま、北山の隣にある山は天母山です。しかし、こちらは原ではなく、山です。

640犀角独歩:2005/12/02(金) 16:49:28

ただし、安永3年(1774)の日穏『五人所破抄一覧』には

「戒壇の地を富士の天生山に撰び置き板御本尊及戒壇堂の額御真筆在り」

とあり、山と変遷しています。また、この文書が興味深いのは、「在り」となっている点です。

この変遷はあまふ―天生原―天生山で、近代でこれが天母山戒壇論へと転訛していった様子が窺えます。

要法寺・日教がこれを語ったのは1488年で、大石寺・日精が言ったのは1657年、169年の隔たりがあります。また、日教があまふの原六万坊から天生山戒壇までには286年の時の経過があります。

以下、天生原、六万坊の記載を挙げます。
初出は要法寺出の日教『類聚翰集私』であろうと思われます。


1488(長享2)類聚翰集私(日教)
「日本国の駿河富士郡大日蓮華山より本門の戒壇院立つて、あまふの原に六万坊立て」
「天生か原に六万坊を立て法花本門の戒壇を立つべきなり」
「天生原に六万坊建立有るべし差図の様を付属の事」


1547(天文16)百五十箇条(日教)
「富士の麓に六万坊立つべき御差図有りと伝へ承るなり」
「戒壇院は広宣流布の時御崇敬有り最も六万坊を建立有るべし」

1545(天文14)申状見聞私(日我)
「冨山六万坊の時王城関東に可き建つ事」

1657(明暦3)富士門家中見聞抄目録(日精)
「今の上野、重須、妙蓮寺、東光寺、西山、久遠寺已上六箇寺之れ有り、自然に六万坊の表事に叶ふ」

1722(享保7)報恩抄文段下末(日寛)
「事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」

1774(安永3)五人所破抄一覽(日穏)
「戒壇の地を富士の天生山に撰び置き板御本尊及戒壇堂の額御真筆在り」

641犀角独歩:2005/12/02(金) 18:38:05

【640の訂正】

誤)可き建つ事
正)建つ可き事

642ラキ:2005/12/02(金) 20:13:29
独歩さん。
詳しい解説ありがとうございます。
大坊棟札が証拠といい、口伝が証拠と言っても、文献にちゃんの存在しているのですね。
浅井さんが見たら喜んで”歴代の文献に書かれているから”正しいと言いかねませんね。w
ま、独歩さんの解説の一文でも使用してれば、パクリの何者でもないでしょう。
今まで、”大坊棟札が証拠”と言っているんですからww
まさか、そ知らぬふりで使用しませんよね?・・・

643犀角独歩:2005/12/02(金) 21:14:43

ラキさん

今日日、石山でも『大坊棟札』なんか出さないでしょう。

> 口伝

口伝といわれたら、引用する言葉はただ一つ。

「伝教大師云く依憑仏説莫信口伝〔仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ〕等云云」

日蓮は伝教のいましめに従っています。口伝を信じるなです。

644ラキ:2005/12/02(金) 22:40:57
独歩さん
調べていましたが”大坊棟札”説は65世日淳上人が否定されていました。
”大坊棟札”の真偽は、私にお任せします。興味ないから。ともう、お手上げ(^^;

640の解説を述べたら、「日寛上人のは知ってる。 もちろん2つの文字が使われていることも
そして明治から昭和にかけての五十六代日応上人の御説法本に”天母ケ原”とあります。」と回答を頂きました。
都合の悪い部分は出し惜しみ?なのか、理解不能です。
そして、「富士山の麓に戒壇を建立するのだとの認識で満足」て開き直られました。(^^;

このような話し合いで、顕正会員の各自で認識してる自教団教義にばらつきがあると感じました。
もう、顕正会の正しさを自己証明できない上に、放棄してる時点でお終いですね。
そそ、幹部に面談を求めましたがスルーされました。(^^;
せっかく面談して魑魅魍魎の仲間入りしたかったのに。w

645犀角独歩:2005/12/03(土) 00:29:27

ラキさん、いずれにしても、重要な点。

天生(あまふ)原、六万坊は要山義であるということです。
その証拠は、それを伝えたのは要法寺出身の日教であることから明白です。それを日教が記したあとも、石山では百数十年、そのことをしらなかったわけです。

富士戒壇論からして、日蓮は言っていないことは『富士一跡門徒存知事』にはっきりしています。

「而るに此の本門寺に於ては、先師何れの国何れの所とも之を定め置かれず」

先師・日蓮は、その場所を指定していないと言うのです。
二箇相承が真っ赤な偽物である証拠です。

また、二箇相承には「富士山本門寺…戒壇」とあります。
では、この文書が在ったとされる場所は、どこか。富士山本門寺です。富士山本門寺にあった文書に富士山本門寺に戒壇を建立と記されているという話に過ぎません。そして、この書は明らかに先の『富士一跡存知事』と矛盾しています。そして、なにより重大な点。二箇相承は、ただの一度も大石寺にはなかったのです。日興が寂した段階で‘富士山本門寺’の跡継ぎは日代でした。石山は日目でしょう。それぞれ別の住職が立っていたわけです。そして、二箇相承が本物であるとすれば、あったのは富士山本門寺(北山)のほうです。となれば、正当な寺院は富士山本門寺、そして、戒壇が建立されるのも富士山本門寺という筋立てです。つまり、石山のあずかり知らない話だということです。

もっといえば、日蓮は晩年にいたり、本門の戒壇を述べることはありませんでした。であればこそ、建立地を特定することもなかったのでしょう。
日蓮は戒壇建築など、考えていなかったというのは、真跡遺文の指示するところでしょう。

また、重須文書に従えば、ここで、建立される戒壇に入れる本尊は仏像であることは日順文書に明確です。
こんなことは、上古文書の常識であって、ここにいまさら記すことでもありません。国立戒壇など、日蓮、日興と何の関係もない後世の夢想に過ぎません。

646犀角独歩:2005/12/03(土) 14:21:33

国立戒壇ということについて、いえば、これは天皇折伏(天皇を折り伏せるんだそうですが、それはすごい発想)によって成立することであり、ここでは国民信徒は埒外にあります。
ところが、この国民信徒についてはという点でも、これを論じます。
「日本国民全員の入信」だそうで、これが広宣流布なんだそうです。
わたしはこの話に接するとき、いつも言うのですが、「仮に本日ただいま、日本国民全員が日蓮大聖人に帰依して、南無妙法蓮華経、南無日蓮大聖人と言ったとして、100年経てば、誰一人いない、みんな死んでしまうんだから」
要は、厳正な事実を国民全員の入信・広宣流布という屁理屈は、少しも意識していない欠陥があるわけです。

この点は国立戒壇が天皇折伏によって実現されたとしても、その天皇はしばしで崩御されるでしょう。では、次の天皇も同じようにと行くかといけば、そうとは限りません。

以上のような厳正の時の流れ、人の寿命を考えず、二次元的な単純モデルで考えられる国立戒壇は、実現云々以前の問題として、ただの荒唐無稽の夢物語に過ぎないということです。

647ラキ:2005/12/03(土) 17:17:17
独歩さん
ありがとうございます。
私なりの驚きと発見がありました。「富士一跡門徒存知事」を読んでいて、連師は戒壇の建立場所は確かに言っておりません。
なら富士山と言われているのは、日興上人が「凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり」と、”通例”であるからと言ってるだけで、連祖の意見ではないとなりますね。
これが私のたどり着いた現時点の思いです。

「富士一跡門徒存知事」
一、本門寺を建つ可き在所の事。
 五人一同に云く、彼の天台・伝教は存生に之を用いらるるの間・直に寺塔を立てたもう、所謂大唐の天台山・本朝の比叡山是なり而るに彼の本門寺に於ては先師・何の国・何の所とも之を定め置かれずと。
 ここに日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国・富士山は是れ日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由・奏聞し畢んぬ、仍つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いらるるの時は必ず富士山に立てらるべきなり。

私の考えですが、連祖が国立戒壇に近い意味合いを言ったか探しましたが見つかりませんでした。
(検索漏れがあるかもしれませんが、)
検索対象は「日本国の戒壇・国の戒壇」で探しました。
もし、国立戒壇を連祖が思っていたなら、「日本国・国」の戒壇と言う言葉がどこかにあるはずだと思ったからです。
646にありますように永続されない国立戒壇は完全無欠の連祖が立てろとは言わないでしょう。
一度国立戒壇で建てば、後の国主がどの信仰を仕様が問題ないて、事はありえませんしね。
ま、私は戒壇建設はありだと思います。
ただ、連祖が言ってもいない国立戒壇や建てる場所云々は、貫首が決める特権事項であり、在家がなんだかんだ言うの者ではないのだと思いました。

648ラスカル:2005/12/03(土) 18:32:25
やっぱり、漫陀羅が戒壇なのでは無いでしょうか。●本尊三度相伝で伝教大師が引いた「一教の玄義」の「一教」は「法華独一の教え」とありました。文底独一本門に当てはめると文底の法華本門、其のものズバリか判りませんが謎解きの面白さが解ったような気がします。

649犀角独歩:2005/12/03(土) 19:05:56

ラキさん

ご自身で一つの結論に達することは実に尊いことです。

戒壇住処を蓮師が定めていないという議論は、かなり以前にわたし自身も達した結論でした。ここでも記したと思います。

> …日本国の戒壇・国の戒壇」で探しました

この検索項目は、あまりよろしくないでしょう。
問題にすべき戒壇は本門戒壇です。ですから、検索するとすれば、もしくは「本門の戒壇」となります。しかし、この検索では、三つの法門(三大秘法ではありません)の一つとして、ヒットする限りでしょう。

では、蓮師に本門戒壇構想はなかったと考えることは出来ます。
わたしはこの点で、本門戒壇に対する語義はなにかということで、迹門戒壇を探りました。これは『下山抄』でヒットします。

「教大師像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内、其の中の円頓の戒壇を叡山に建立し給ひし」

という一節です。ここで、蓮師は迹門の戒定慧の‘戒’から迹門戒壇を仰っていると読めなくもありません。となれば、本門・戒定慧の三が内から、戒壇を考えられるという解釈は成り立ちそうです。しかし、これはやや即断であるとわたしには思えます。その理由は『四信五品抄』にあります。

「末法に入って初心の行者必ず円の三学を具するや不(いな)や。答へて曰く、此の義大事たり。故に経文を勘へ出だして貴辺に送付す。所謂五品の初・二・三品には、仏正しく戒定(かいじょう)の二法を制止して一向に慧の一分に限る。慧又堪へざれば信を以て
慧に代ふ。信の一字を詮と為す」

とあり、末法は以信代慧も簡んで信の一字を詮とするというからです。ここに三学、戒の介在の余地はありません。しかし、この点は、追ってもう少し解明しようと考えております。

> 国立戒壇や建てる場所云々は、貫首が決める特権事項であり、在家がなんだかんだ言うの者ではない

いや、これは色々な意味で違います。まず、蓮師は本弟子六人を定めたのであり、蓮師の思念に貫首なる者は存在しません。次に仮に国立戒壇を建てるとすれば、その場所は、国王が決めることになるでしょう。ただし、「勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例」ですから、国王も富士の地を選んで、建てられるべきだと言うことでしょう。

650犀角独歩:2005/12/03(土) 19:07:48

文底独一本門というのは、日寛の造語で、日蓮はおろか、日興とも関係在りません。

651ラスカル:2005/12/03(土) 19:35:21
何分、造語の分解により探索するレベルの話ですので御容赦のほど。

652れん:2005/12/03(土) 20:42:30
横レス失礼します。
独歩さんとラキさん・ラスカルさんとのお話、勉強になります。
蓮師には真蹟に「本門戒壇」の用語はありますが、その建立地については、独歩さん・ラキさんのご指摘の如く、ついに日蓮は生涯真蹟に残しませんでした。
ただし、日興の「本門寺」構想の原型は真蹟現存の宝軽法重事の「一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず」の“法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔”あたりにあるのかなと思います。その堂塔の一つに戒壇も設けられるというのが、やや日蓮の意に近いかもしれません。
さて、視点を蓮・興・目の三師の滅後の石山に移しますと、九世日有にいたり、石山戒壇論を明言するにいたります。保田日要の新池抄聞書に「日有云く、又云く、大石は父の寺・重須は母の寺、父の大石は本尊堂・重須は御影堂、大石は本果妙・重須は本因妙、彼は勅願寺・此は祈願寺、彼は所開・此は能開、彼は所生・此は能生即本因本果本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり、開山置状に云く日目・日仙・日代は本門寺の大奉行中にも日代は日興が補処たり文、是は日興は母の得分にて御座すに依て日代には母の方を授け、日目には父の方を授け給へり」と記される如くです。
この石山戒壇論は、恐らく石山を名実ともに掌握した六世日時が初めて唱えたのではないかと推定します。日有自身「若し世も末にならば高祖の御時之事、仏法世間ともに相違する事もやあらんとて日時上人の御時四帖見聞と申す抄を書き置き給ふ間我が申す事私にあらず、上代の事を不2違申1候」と述べて、日有自身が述べた法義は自らの先師である日時の著作に基づいていることを明言しているからです。
こうして見ますと、重須方が、二箇相承を作成して、自山戒壇建立を主張したのは、日時・日有の石山方の主張に対する反動とも見えなくもありませんね。

653ラキ:2005/12/03(土) 21:52:14
独歩さん
> 国立戒壇や建てる場所云々は、貫首が決める特権事項であり、在家がなんだかんだ言うの者ではない
>>次に仮に国立戒壇を建てるとすれば、その場所は、国王が決めることになるでしょう。ただし、「勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例」ですから、国王も富士の地を選んで、建てられるべきだと言うことでしょう。
勘違いをしておりました。確かに、戒壇を建立するなら”国主”が決める事になります。

れんさん

>視点を蓮・興・目の三師の滅後の石山に移しますと、九世日有にいたり、石山戒壇論を明言するにいたります。
戒壇建立論が明言されたのが日有上人の時代迄遡れるのですね。
それ以前に建立の明確な文献が見当たらないと、連祖が戒壇建立の意思があったのかなかったのか興味がわきます。

654ラキ:2005/12/03(土) 22:40:53
顕正新聞(11月25日号)に不当逮捕!学会の謀略と本人が発表してる記事がありました。
これって、全然反省していないとしか思えません。
また、折伏理論書の改訂版が販売されましたが、「仏法に背くは者に大罰あり」P23
『「罰」とはいうと、人の億行に対して仏が下す懲らしめや制裁のようにとらわれがちだが、そうではない。罰とは、法に背くことにより自ら招く不幸あるいは不利益のことである。(中略)これらの罰は誰が与えたものでもなく、すべて自ら招いたものである。そして背く法が深くなるにしたがって、その反動たる罰も大きくなる。(中略)そして”法は不知を許さず”という。意識するとしないとにかかわらず、知ると知らないとにかかわらず、仏法に背けば大罰を招くのである。』
このように浅井さんが述べているのに、謀略と学会のせいにするのはおかしい事であり、自ら招いたものと認識するべきだと思われます。

すこし目に付いたのが「五網判」の「国」の項目が大部書き加えられていました。

655れん:2005/12/03(土) 22:50:00
ラキさん
>653
有師が戒壇建立論を述べた文をもう一つあげれば
「日有上人の御物語に云く、興師はよくよく高祖の仏意を得させ給ふ、江州薗城寺の天下えの申状は叡山に迹門の理の戒壇を立つ上は薗城寺にも又迹門の事の戒壇を立つ可き申状也、然る間是こそ末代本門の事の戒壇立つ可き証拠なれとて大石寺の重宝と仰せられ給ふ也」(興風叢書四・一三0)
このように、石山において戒壇建立論は日有までは遡れます。それ以前の石山歴代における建立の明確な文献は、今のところ管見に入ってません。
ただ、三位日順の興師在世の著作である法華本門見聞には「先謗法等を対治して後法門一閻浮提に流布せば軈て本門の大戒立つべきなり」とあり、又日順が興師滅後に著した心底抄に「行者既に出現し、久成の定慧広宣流布せば、本門の戒壇其れ豈に立たざらんや。仏像を安置すること本尊の図の如し」と具体的に述べ、日興の重須における後継であった日代も葦名阿闍理御房御返事に「仏像造立の事は本門寺建立の時也、未だ勅裁無し、国主御帰依の時三ケ大事一度に成就せしめ給ふべきの由御本意也、御本尊図は其れが為也」と日順と同義を述べています。石山蔵眼師写本の心底抄の奥書には南条日住の筆にて「当家随分の書と故上人常住御披見也」と記されており、この故上人とは石山九世日有とされており、この記述で日有は心底抄を「当家随分の書」と発言したことが知られるので、日有の戒壇建立論も石山戒壇義以外は日順のそれと同じと考えであったとするのが至当と存じます。
しかし、蓮師に戒壇建立の意志があったか否かは、現存の真蹟には残ってないので、現在は不明というほかはないと思います。

656犀角独歩:2005/12/04(日) 09:36:09

ラスカルさん、わたしの書き方がぶっきらぼうでしたね。特にそんな意図はなかったのですが、あとから、文章を読みなおしてみると、そんな印象でした。お詫びします。

れんさん、詳細なご教示有り難うございます。
日蓮における戒壇分類は、鑑真を小乗戒壇、伝教を大乗戒壇とするというのが基本で、それが先で引用した『下山抄』では大乗からさらに踏み入り、迹門説を立てています。しかし、本門の戒壇については、所謂、事壇、築壇論としては展開されていないわけですね。ですから、さて、そのような考えがあったかどうかで議論が分かれることになるのですね。

れんさんがご紹介くださったとおり、日興の確実な資料からはそれは窺えませんが伝日順文書、また、『富士一跡門徒存知』などの日蓮から数えて三代先で重須ではこの戒壇義が展開されており、石山では日有ということになるのでしょうか。この両者に脈絡は有りと見られますが、ここに日教がもたらす要山義が日有の時点では留意されることになります。

れんさんのお考えとしては、日有の本門戒壇説は北山、要山、どちらの影響が色濃いと判断なさっておられますか。ご教示いただければ幸甚です。

657犀角独歩:2005/12/04(日) 09:37:06

ラキさん、書き換えられた顕正会の「国」の部分、アップしてください。

658ラスカル:2005/12/04(日) 12:05:49
犀角独歩さん、丁寧になさらなくてもいつも説明不足なのは私の方なので。本当は一言一句聞きたいのですが時間が無いですから、2人とも長生きして真蹟研究に付き合うしかないのです。御気遣い無く。

659ラキ:2005/12/04(日) 18:10:49
れんさん
重ねての詳しいご教授ありがとうございます。


日顕さんが今月で退座される事が正式発表でありましたが、顕正会の「最後に申すべき事」のせいではないです。
浅井さんあたりは、不思議の退座と言いかねませんが、どちらにしても、宗門復帰は出来ないわけであり、顕正会が正しいから退座した。
なら、正しいのなら宗門に復帰できない矛盾が残ると思えます。

660ラキ:2005/12/04(日) 19:14:13
改定前の「折伏理論解説書」が手元にないので、改定後の文書をUPします。

「国を知る」
国には小乗の国、大乗の国、大小兼学の国など仏法上の因縁はさまざまであるが、この日本国はいかなる仏法上の特質を有するかを知るのが、国を知ることである。
印度に熟脱の教主・釈尊が出現し、日本に下種の本仏・日蓮大聖人が御出現されたのも、決して偶然ではない。すべては仏法上の大因果のしからむるところである。
日本国の特質について、弥勒菩薩は瑜伽論に「東方に小国あり、其の中に唯大乗の種姓のみ有り」と述べている。
この文は、日本国に上行菩薩の再誕・日蓮大聖人が出現し、下種の法華経・三大秘法を流布すべしとの予言である。
弥勒菩薩とは、法華経の会座において寿量品の説法を釈尊に願い出た大菩薩である。この菩薩、法華会座においてまのあたり上行菩薩への三大秘法見るゆえに、この大事を前以て瑜伽論に示したのである。
ゆえに曽谷入道等許御書に云く「弥勒菩薩、自身の付嘱に非ざればこれを弘めずと雖も、親り霊山会上に於て悪世末法時の金言を聴聞せし故に、瑜伽論を説くの時、末法に日本国に於て地涌の菩薩法華経の肝心を流布せしむ可きの由、兼ねて之を示すなり」と。

名は体を表すという。日本の仏法上の特質は、すでに「日本」という国名に表れている。これ霊瑞感通(れいずいかんつう)し嘉名早立(かみょうそうりゅう)するゆえである。
ゆえに四条抄には「天竺をば月氏という、我国をば日本と申す。一閻浮提八万の国の中に、大いなる国は天竺、小なる国は日本なり。名のめでたきは印度第二、扶桑第一なり」と仰せられている。
「日本」の名を仏法上の深意より見る時、つぎの三義がある。
一には、この国に弘められる大法を表して「日本」という。すなわち「日」は本門を譬えている。
ゆえに秀句十勝抄には「日蓮云く、迹門を月に譬へ、本門を日に譬ふるか」と。また「本」は文字通り本門である。まさしく「日本」の二字は文底独一本門の大法を表している。

661ラキ:2005/12/04(日) 19:14:50
ー続きー
二には、末法下種の御本仏・日蓮大聖人の本国なるゆえに日本と名づける。
ゆえに諌暁八幡抄に云く「天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出て給わざらむ」と。
また顕仏未来記に云く「五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之れ有るか如何。答えて云く、四天下の中に全く二の日無し、四海の内に豈両主有らんや」と。まさしく我が国は日蓮大聖人の本国である。

三には、本門広布の根本を表して日本と名づける。すなわち「日」とは本門の三大秘法、「本」とは広布の根本を意味する。
ゆえに諌暁八幡抄云く「月は西より東に向へり、月氏の仏法の東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」と。
また顕仏未来記に云く「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」と。
されば三大秘法はまず日本において広宣流布し、国立戒壇が建てられたのち、全世界へと広まるのである。

以上の三義により、日本国の仏法上の特質を結論すれば、日本国は本因妙の教主・日蓮大聖人の本国にして、本門三大秘法広宣流布の根本の妙国である。かくのごとく知るを国を知るという。

66201:2005/12/04(日) 19:29:51
名は体をあらわすんだ!
ということは、浅井とは、浅い井戸?

663れん:2005/12/04(日) 19:42:15
犀角独歩さん
>656
日有の本門戒壇説についてですが、日有の会下には日尊門流出身の左京日教等がおり、当然、尊門の両巻血脈も見たでしょうが、現存かつ公開されている日有文献には左京日教や保田日要のように両巻血脈の引用しての法義展開がありませんから、私の見解としては、日有には要山の影響は薄いと判断します。むしろ、戒壇論に於いて日有に影響を与えたのは、北山…と言うよりも初期重須談所の三位日順の著作(と伝えられている文献)だったと思います。ここで注意すべきは、日道・日行・日時・日有は、先に挙げた日順や日代の文献に見られる戒壇義に反対意見を述べた文献がないことで、この点から初期石山は、石山戒壇建立説以外は、戒壇の儀相その他は日順・日代説と同意だったと推定できると考えます。その点から言えば、文献上は日有の本門戒壇説は要山よりも北山(狭義には初期重須談所)の影響が色濃いと判断致します。

ラキさん
>659
顕師が今月で退座される事が正式発表されたとのこと、まぁ、あの顕正会の体質からいえば、いつもながら新聞で“不思議の…”とやりかねませんよね(笑)。顕正会はいつもの如く騒ぐでしょうが、ラキさんの仰るとおりで、顕師の退座は顕正会その他とは何の因果関係はないでしょう。顕師もご高齢ですから、退座後は持病の治療に専念されるのだろうと思います。

66401:2005/12/04(日) 21:02:14
「先生、どうやら、日顕は、やめるようですよ」
「そうか、じゃあ、ここで一発、やめる予言をしておけばはずれんかのぉ」
「御意。さようで」
「おぬしもなかなか、悪じゃのぉ」
ここで2人そろって
「ふぉふぉふぉ」と笑う…
なんてやりとりがあったようで(爆)

665ラキ:2005/12/04(日) 21:19:32
11月総幹部会にて浅井さんの発言抜粋。
TV局のやらせ報道。「警察・TV局のやらせ報道なのだ。その背後には顕正会を怨嫉する巨大な集団がある。
さらに魑魅魍魎どもがTV放映に協力をしておりました。」
「明年5月には1万人の関西大会を開催しようと思っております」
「明年9月には三千人の沖縄大会を開催しようと思っています。」
「明年春には男子部長を派遣して初の台湾の集会を開く事にしたいと思います。」
「台湾の人の読める経本を明年春までには造りたいと思います。」

群馬会館。高知会館。建設。千葉・新潟・八戸会館に別館建設
「今の学会崩れの魑魅魍魎どもを見ると・・・
彼等はあの川辺メモを見て、たちまちに戒壇の大御本尊様への信を失ったのですね。
その濁った頭で狂った教学にはまり込んでいったんです。
疑いの教学です。次から次へと疑いの教学です。・・・
信を離れた理屈がどれほどくだらない事か・・・」
「広布御供養は大聖人様の御心につうづる。だから功徳があるんです。」

「最後に申すべきこと」の反論書に対してネチネチとまた言ってますね。
不思議な事が起こりました。11月7日の御会開の中止に付いて前代未聞の事が11月7日に起こりました。
700年代このような不祥事はない。あたかも、その場にいて見てきたが如く述べています。
もうすぐ、日顕さんは猊座の座から逃げ出す。とも言っておりますが、「私が言ったとおり退座し逃げ出しましたね。」と言いかねませんね。
退座されても、某所に隠居した場所に、とち狂った顕正会員が押しかけていかないか心配ですね。

66601:2005/12/04(日) 21:28:38
でも、こうしてみると、いってること、やっていること、まるでタネ丸見えの手品みたいで、らぶりーたぬきおやじって感じジャン。
きゃわいいね。

667ラキ:2005/12/04(日) 22:24:11
日顕さんの退座情報を教えたら、うそつき呼ばわりされて、浅井さんが言ってないから信用しない。て疲れますw
さて、顕正会の正しき信心をすると、ガンなどの病気が治る。と言い切っているのが怖いです。
信だけをとり、現証があるから正しい。と仏法の証明義務も果たせない顕正会員。
御書を示してと言っても示せなく、また御書云々ではなく”信”が大事だど・・・
信は信でも妄信であり、御書を根本にしてない信心は日蓮仏法ではないでしょう。
そそ、日顕さんに3度も諌暁した浅井先生は凄いんだよって、言い分には笑えます。
浅井さんの間違いを指摘してる、魑魅魍魎の学会崩れの私など、もっと凄いのかな?(笑)
ま、「顕正会浅井さんは数年のうちに、会長職を辞任するでしょう。謗法を犯してるので会長を退く。不思議ですね。ご本尊様のお力です。」言ったもん勝ちですね。w

668犀角独歩:2005/12/05(月) 01:28:34

ラキさん、どうも有り難うございます。先ほどはお電話を頂戴し有り難うございました。
‘国’のアップも有り難うございました。いやはや。まあ、コメントはのちほど、

まあ、どうでもいいですが、わたしは河辺メモをみて「戒壇本尊」(といわれるもの)の信を失ったわけではなく、当初はむしろ弁明側でした。
わたしが、この彫刻はだめじゃないのかといったのは、日禅授与と図形を合わせてみたら、ピタリと重なったからです。
百聞は一見に如かず。まあ、こんなふうに画像写真に顕正会員の興味が行かないように誤魔化しながら、浅井さんが悪口を言う様は実に滑稽で毎日笑いネタに事欠かない楽しい日々を送っておりますが、こんなところでも事実を枉げては、発言の信憑性は名誉毀損から虚偽にまでまたがって、これまたお気の毒と、もはや同情している昨今です(笑)

669犀角独歩:2005/12/05(月) 03:08:36

なんだか一つ、やり残したことがあると夢見て、目が覚めました。

れんさんのお礼でした。ご教示有り難うございます。
ご見解に賛同します。
ということで、再び休みます。おやすみなさい…と書いても、皆さん、ご覧になる頃は「おはようございます」でしょうか。

670ラキ:2005/12/13(火) 21:44:39
顕正新聞12月5日号から気になる記事を紹介します。
-------------------------------------------------
ーご注意ー
本部会館周辺の駐車に配慮を!
本部会館に車で来る際は、周辺の路上には駐車せず、
近くの有料駐車場や大宮公園駐車場を利用するなど、
最新の注意を払うようお願いします。
なお大宮第二公園に隣接する大和田公園の駐車場は、
同公園内の市営球状等の施設利用者専用となっておりますので、
駐車しないで下さい。
また周辺路上での煙草やゴミのポイ捨て、
あるいは歩道での打ち合わせは慎む等、
近隣の方々に配慮しつつ広宣流布を進めましょう。
---------------------------------------------------------
このような注意事項を掲載するほど、近隣住民からの苦情があると伺えるのではないでしょうか?
注意事項自体、一般世間の常識だと言える事なので、いかに世法を無視してるか伺えます。

671ラキ:2005/12/13(火) 22:14:38
ー折伏理論解説書ー
日蓮大聖人の仏法 改訂版 平成16年4月28日 改訂版 第六刷
から十界論の気になる項目をあげます。

「仏界」
御本仏日蓮大聖人の御境界こそ仏界であられる。
生命の極理を証得された大知恵、竜の口で示された絶対威力、大難を忍んで一切衆生に三大秘法を授与せられた大慈悲、まさに全人類にとって主君であり、師匠であり、親であられる。
このような三徳を兼ね備えられた大境界を仏界と申し上げるのである。

以上、十界を簡単に説明したが、この十界のうち地獄、餓鬼、畜生を三悪道、(さんなくどう)それに修羅を加えて四悪道(しあくどう)という。
さらにこの四悪道に人間・天上を加えて六道(ろくどう)といい、声聞より仏界までを四聖(ししょう)という。
また四聖のなかでは声聞・縁覚を二乗といい、経文の中では、小さな悟りに固執するその独善と利己が強く破折されている。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
三悪道(さんあくどう)を「さんなくどう」言う読みは手持ちの書籍では見られませんでした。
また、一般的に四悪趣と書かれているのを、四悪道と記載しているのは驚きでした。
四悪道と書かれている他の書籍では、学会発刊の仏教哲学大辞典だけです。
仏教哲学大辞典では、「三悪道、四悪道、三悪趣、四悪趣」と4種類の記載がありました。
浅井さんの解説文は、どうも一般仏教の解説より独自の解説が採用されていると感じるのでした。

ーつぶやきー
六道の解説は、浅井さんの自身の体験を元に書かれてる解説と関心してしまうのは、私だけでしょうか?(-ェ-o)ボソッ

673とんび:2005/12/14(水) 23:02:14
ラキさん、こんにちは。

そうですね。
私もかつて活動していたときですが、地元の事務所に参詣する時にも注意があり
ました。
そもそも、そこは一般住宅を事務所にしていました。
 ですから専用の駐車場なんてないのですね。
ですから、御書講義とかのビデオ放映などには多くの人が集まります。まだ地方
だから良かったのでしょうが..苦情が来ていたようですね。

 ここには停めないで下さい..という通達があったようです。
 でも、会員からすると正式な駐車場がないのですから..なるべく近いところで
車が停められそうな所を選んで駐車するということになるのでしょう。

 今から思えば、顕正会本部の怠慢かもしれません。
 会館なり事務所なりをつくり、多くの人が集まるのなら、それに見合った駐車場を
確保しなれればならないのでしょう。

 余談ですが、今の顕正会の折伏なら、キリスト教団関係が、よくマイクで、「世の
終わりが近づいている、キリストに帰依しなさい..」とかいうような宣伝カーが
走っていることがありますが、顕正会も許可をとって、右翼みたいに、マイクで
「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ...」と。折伏したらいいんではないでしょう
か...。

 現在の多くの顕正会員の折伏の程度は、そんなものではないでしょうか。

674ラキ:2005/12/15(木) 03:31:32
とんびさん。こんばんは。

>私もかつて活動していたときですが、地元の事務所に参詣する時にも注意があり
ました。

一般のモラルですが、特に宗教者はなおさら守らないと、いけないと感じております。
ま、学会も似たようなものですがね。
私が知ってる範囲では、宗門寺院や個人宅の集まりでも、駐車スペースがない場合乗り合いで参加とか、公共交通利用をしていて下さいと言われます。
中高年の方でも歩いて参加する方とかいて、他の組織より常識はあるように感じております。

>余談ですが、今の顕正会の折伏なら、キリスト教団関係が、よくマイクで、「世の
終わりが近づいている、キリストに帰依しなさい..」とかいうような宣伝カーが
走っていることがありますが、顕正会も許可をとって、右翼みたいに、マイクで
「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ...」と。折伏したらいいんではないでしょう
か...。

面白いアイデアですね。^^
折伏と言うより勧誘活動ですが、ま、現状は似たようなものですからありかもしれません。w
顕正会の諌暁書は”国主諌暁”ではなく”国民諌暁”と無差別配布であり、”エホバの証人”と同じ勧誘書だと最近は思っています。

675藤川一郎:2005/12/15(木) 17:17:18
どなたかご存じの方お教え下さい。

顕正会では「広宣流布すると税金が3分の1になる」と言われてますが、浅井さんの指導にそのような物があったのでしょうか?
その昔「広宣流布すると1日に3時間働けば良い」と言うのは浅井さんの指導だと記憶してますが・・・。

676ラキ:2005/12/15(木) 21:22:21
>675
似たような話を聞いた記憶があります。
学会の戸田さんの指導か何かの話であったような記憶があります。

677去来:2005/12/15(木) 22:43:17
みなさんはじめまして 元顕正会員の者です

>675
>「広宣流布すると税金が3分の1になる」

ダイレクトに浅井会長からの指導はなかったような気がします。

>「広宣流布すると1日に3時間働けば良い」
この指導から発展した幹部の発言ではないでしょうか?
私の記憶には会長指導としてはなかったと思います。

678ラキ:2005/12/16(金) 04:27:58
私は聞いたことがありません
私たちはみな凡夫ですからつい舞い上がって調子の良いことを言ってしまったのかもしれませんね

679ラキ:2005/12/16(金) 04:38:16
去来さん。はじめまして。

>678
私の回答ではなく、紹介者に尋ねて頂いた答えです。

680去来:2005/12/16(金) 08:19:54
今回のみずほ問題のような、会員の認識ミスかもしれませんね。

1日3時間労働>税金が3分の1 

彼等会員幹部の指導は伝言ゲームのように、最新ではない過去の会長の指導は曲がり曲がって、都合よく解釈され伝わっていきそうです。

681元会員:2005/12/16(金) 23:02:10
>675

ありましたよ。
合宿研修会での指導です。

682去来:2005/12/16(金) 23:19:41
元会員さん 
できれば指導の詳細を教えて頂けませんか?

そもそもこういった発言は
広宣流布>顕正会のみの実績>顕正会派による政治活動>顕正会派による政治統括 という概念があっての発言だと思えますね。
とすると、国家侵略を行っているのは日蓮仏法を用いている顕正会、ということになっていくわけでしょうね。

そういえば昔聞いた会長発言で、現在も本部に存在する部屋がありましたね。
「大宮本部の一室は誰も通さない部屋がある。そこは御遺命復帰を果たした時の大石寺法主を招く部屋である」と。
そして追記して
「更に広宣流布後は時の首相が、時勢を鑑みて政策方針を顕正会会長にお伺いをたてに来る場である」とも。

そういった広宣流布観が顕正会にはずっと根付いていたわけですね。

683藤川一郎:2005/12/17(土) 15:39:28
>>682
通称、貴賓室ですね。
しかし、私の友人は、掃除するために入ったそうですが(爆)!

684去来:2005/12/21(水) 03:11:14
質問です。
日顕さんが隠尊となったということで、会員は案の定大騒ぎしていますね。
ところで新たな日如さんはどうゆうスタンスを取る方なのでしょうか。
顕正会が大騒ぎする、しないというのはこの日如さんの考え方によっても違ってくるでしょうにね。
また堂々巡りするのか、或いは小耳に挟んだところでは妙観講などには敵対心を持っていると聞きます。
そうすると顕正会に有利に働く可能性も少なからずあるのでしょうかね。

685ラキ:2005/12/21(水) 14:02:56
去来さん
>ところで新たな日如さんはどうゆうスタンスを取る方なのでしょうか。
あまり変わらないと思います。

>また堂々巡りするのか、或いは小耳に挟んだところでは妙観講などには敵対心を持っていると聞きます。
妙観講に敵対心はないですが、大草さんに私的な事があり嫌っているのは事実です。

>そうすると顕正会に有利に働く可能性も少なからずあるのでしょうかね。
顕正会に有利には働きません。復帰などもありえません。
国立戒壇の名前に固執してる限り無理です。

686とんび:2005/12/22(木) 01:16:19
ちょっとこのスレッドの主旨からはずれるかもしれませんが
顕正会の折伏理論書から、どのくらい偽書の疑いのある御書などが引用されているか
アップしたいと思います。(平成三年十月十三日五版)
その一

日蓮生まれし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり。
(上野殿御返事、弘安2年4.20)序より

成仏とは、我が身を知るを仏に成るとは申すなり。
(十二因縁御書)P10

我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。大事の法門をば昼夜に沙汰し、成仏の理をば時々刻々にあぢはう。
最蓮房御返事(文永9年4.13)P12

無作の三身の仏果を成就
義浄房御書P12

日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ。信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。
経王殿御返事P15

口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。
法華初心成仏抄P16

南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給ふ。始めはしらねども、漸く月重なれば心の仏夢に見え、悦ばしき心漸く出来し候べし
松野殿御返事(弘安3年9.1)P16

此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり
日女御前御返事P17


わずかのページでもたくさん出てきます。
それらの遺文にはやはり、聞き慣れた御書の一節がたくさんあります。

687とんび:2005/12/22(木) 01:20:06
訂正します。

偽書の疑いのある御書ではなく、真跡がない..日興上人などの信頼できる人の古写本がない御書
と訂正します。それは、厳しくいえば偽書の可能性も残っているということでしょうか。
真偽未決といわれるものでしょうか。

688とんび:2005/12/23(金) 22:06:15
真跡と書いていたのは、真蹟が正しいですね。

顕正会についての小言です。今の日本の社会に於いては、やはり創価学会が一番宗教団体としては
影響力があるのだろう..と思いますが、過去の成り行きで、顕正会についての疑問。

 顕正会では、松野殿御返事(建治2年12.9真蹟なし・古写本なし)から
此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり
の御文を引いて、勤行の御指南としているが、この書を「勤行御指南御書?だったか」
というぐらいなら、その通りに、十如是と自我偈だけを読み題目を唱えればいいのに、
そうしない。

 あえて御書を持ち出すなら、月水御書(真蹟なし、古写本なし)の
されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ
の方が、いい。しかし今度は方便品を長行にしなれればなりませんが。

 また、顕正会では、日興上人の二十六ヶ条を引用していた。しかし会員には
その全てを教えないのです。
 その日興遺誡置文には、「一箇条に於いても犯す者は日興が末流に有るべからず」
とあります。しかし顕正会の指導はこれに背いているのではないでしょうか。
 それとも、二十六ヶ条は、僧侶に対してのもので、在家に与えたものではないと、
弁明するのでしょうか。

 これらのことは、個人的な愚痴であります。

689犀角独歩:2005/12/23(金) 22:59:42

> 688

このご意見には、ほぼ賛同します。

690ラキ:2005/12/27(火) 19:48:39
顕正新聞H17年12月15,25日合併号より、大阪会館に付いて気になる記事を紹介。

「全員唱題ののなか、中央の御厨子の扉が静かに開かれる。富士大石寺五十五世・日布上人後書写の”大幅”の御本尊がお出ましになる。」
さて、顕正会会館の新設に伴い、本尊安置に使われている日布上人の大幅本尊。
会館・事務所合わせて33箇所以上施設がありますが、その内、7箇所に付いては公式発表にある、歴代の書写本尊が使われています。
残る27箇所以上の施設の本尊は?となりますが、日布上人の大幅本尊です。
この、大幅本尊は(印刷物)日布上人の頃に存在していたと仮定しても、27体の大量に存在している可能性はありえないと思われます。
一末寺に数体も保管されてる事がありえないからです。
どっから沸いてきたのか、出先不明の”大幅本尊”ちゃんと説明出来ない顕正会のお手製としか思えないですね。

691去来:2005/12/30(金) 02:15:27
日蓮正宗関係の責任者というのは、どこまでが確信的なのでしょうね?
自身では矛盾等がわかっていながら盲目的に信じ込ませる、或いは信じさせて何らかの利益を得るというのであれば、犯罪に限りなく近いものでしょう。
本人が盲信で末端までを同意させているならまだしも、そうでないならばこれは昨今世間を騒がせている一連の偽装事件と同等ではないのか、とつくづく思うものです。

692ラキ:2006/01/08(日) 19:03:00
顕正会員面白すぎです。
理論闘争の話はしませんと逃げて!破折・折伏をして下さい、と言っても逃げるふがいなさ。
法論を申し込んでも逃げるとは、顕正会の指導りぱですね。
”入会の意思がなければ話をしない”これこそ、勧誘行為そのものでしょう。

693ラキ:2006/01/15(日) 04:01:29
「顕正会会長 浅井昭衛の”最後に申すべき事”を砕破す」
日顕上人に送付した物と、会員向けに発売した物には全くない文章が付け加えられています。
顕正会会長の姑息な手立ては、言い逃れの出来ない”現証”であり、卑劣な手段だと思います。
顕正会員は”現証”を重視していますが、この文書を付け加える卑劣さをどう思われているか、興味があります。
浅井さんの言葉で「35年諌めた顕正会」との文がありましたが、昭和45年9月号の大日蓮に「天生原・天生山・六万坊の名称と本宗の関係について一考察」との文書が出ております。
記事を読んだ限りでは、ここで論議した内容と同じく、明確に間違いを指摘されております。
35年も経った現在でも、”天生原・天生山”に固執するあまり、同じ事の繰り返しで、説得性のない事ばかりいい続けている、浅井さんの無節操さが垣間見れます。
顕正会員は破折文書を目にしてないと思いますが(全文掲載すると浅井さんの反論できていないのがばれるので、切り文でしか掲載されていませんが)初回から最後にまでの3回に渡る内容は、同じ物の繰り返しであり、公平に見ても明確に反論できていないといえます。
全文を読んでいない顕正会員は、下記のHPにて自分の目で全文を読んで判断をされたく思うのであります。
日顕上人が書こうが、日蓮正宗青年僧侶邪義破折班が書こうが、間違いを指摘されているのは変わらないと言うことです。
そして、反論も出来ないまま、同じ事を繰り返して、会員には宗門が反論できないと”嘘・偽り”を述べているのが明確です。

「自称冨士大石寺顕正会会長浅井昭衛の悪書〝最後に申すべき事〟を砕破す」
http://jagihashaku.main.jp/asai3/index.html

694犀角独歩:2006/01/15(日) 16:27:02

しかし、この手の文章というのは、なぜ「汝」とか、「貴公」といった現代では使われない、それでも、日蓮遺文に見られる呼びかけとなっているのでしょうかね。
書いている本人は大まじめで上らか見下しているつもりなんでしょうが、端から見ていると時代錯誤で滑稽で、この言葉遣いだけで物笑いの種になることに、気付けないところで、文章全体の質も見られます。

695藤川一郎:2006/01/16(月) 11:47:57
一応余談ですが、
国語辞典によると
貴公は『二人称。男性が同輩程度の男性に対して用いる語。』
汝は 『二人称。相手を卑しんでいう語」

つまり貴殿、貴公なら決して蔑んだ用語ではありません。
しかし、汝は明らかに「見下す用語」ですね。

696犀角独歩:2006/01/16(月) 13:16:15

藤川さん、有り難うございます。
おっしゃるとおりですが、顕正会が石山を、石山が顕正会を、もしくは会員間での罵り合いでは、結局、どんな言葉を使ってもそうなっています。
貴殿は、現代的用法ですが、「貴公」は現代では死語というところです。

「汝」の用法は、もちろん、法華經に見られますが、こちらでは、見下す用語ではなく、むしろ、尊敬語として、使用されています。

697ラキ:2006/01/17(火) 14:29:29
顕正新聞平成18年元旦号より。
「広宣流布の戦いには、小手先の小細工や謀略は必要ないのである。・・・」
『阿部日顕ついにげい座から逃げ出す。「最後に申すべき事」からわずか112日』
新年早々から好き勝手言ってますね。(笑)
「最後に申すべき事」に小細工してるのは浅井会長ではないのでしょうか?(笑)
そして未だに、宗門、学会を諌めたから解散処分になったと、ネチネチといってる器の小さい会長さんですね。
浅井さん〜見てるかな?新横浜会館の日布上人の成就本尊の願主の名前が書いてないのですが、願主の名が無いのは偽物の証明になると思いますが?・・・

さて、言ったもん勝ちなら近いうちに、浅井会長は名誉毀損で告訴されて、顕正新聞に謝罪文掲載!顕正会員に衝撃が走る!

698藤川一郎:2006/01/17(火) 16:15:34
ラキさん
横レスです。顕正会をフォローする訳ではありませんが、御形木本尊は通常願主はありません。
横浜会館は初期は確かに常住本尊でしたが、現在は御形木本尊に変わっているそうですから、願主が無くても決して不自然ではありません。
もっとも、それとは違う次元で「日布上人大幅御形木本尊」なるものは存在しないそうですが・・・!

699名無し:2006/03/03(金) 19:29:50
顕正会の人に勧誘されたら、拒否するいいアイデアがありましたら
教えていただけますか?

みなさん、よろしくお願いします。

700通りすがり:2006/04/02(日) 22:59:44
>699さん

通りすがりのものです。私も一年ほど顕正会員でしたが、いろいろとあって退会しました。
あくまで私の考え方ですが、興味のない意思をハッキリと相手に伝えてはどうでしょうか?
その時の言い方や素振りは、できるだけ友好的な感じで接すると良いと思います。
顕正会員は、会長、浅井さんの言っている事を正しい事だと本当に信じきっています。
けれども事実は戒壇本尊も偽物。浅井さんの言動はちぐはぐ。といった感じで、会員たちは騙されているんです。
699さんと、勧誘してきた方がどのような関係かは存じませんが、相手は本当に誠意で接してきているので、
あからさまに否定するのはお勧めしません。
699さんが入信の意思がなければ、相手の意思を尊重しつつ、入信しないという意思を相手に伝えるのがベストだと思います。
それは、自分なりに考えてみてください。他の方もできればアドバイスしてあげてください。
では、失礼致します。

701飛鳥:2006/04/03(月) 16:29:41
顕正会について教えてください。

顕正会は学会制作の日寛上人の御本尊については、どのように言及しているのでしょうか。
たとえば、学会から顕正会へ入会した人が、寛尊の本尊を所持していた場合、
どのような対応をするのでしょうか。

顕正会所持の御本尊と取り替えるのでしょうか。

以上、突然ですが、よろしくお願いします。

702ラキ:2006/04/04(火) 05:34:32
飛鳥さん

私が知ってる範囲では、本尊は本尊なので何通りかの対処方があります。
(1)学会に返す (2)顕正会に預ける。 以上2種類の選択です。
顕正会の本尊と取替えはありませんので、遥拝勤行をすることになります。

703ラキ:2006/04/04(火) 05:47:51
2月の幹部会で、女系天皇問題を改正されるなら、男子精鋭1万人によるデモ行進をすると言っておりましたが、改正反対の声が高まり、改正されそうにもなくなってから好きな事を言うのが、浅井さんはお好きなようです。
さて、顕正会では宗門叩きのネタがないのか?いまだに日顕さんに対して同じ事を言っているのは、情けないですね。
3月の幹部会の活動報告では、明らかに”嘘”と解るような顕正会に都合のよい、活動報告が見られました。
少し気になる事が最近ありました。
新横浜会館の道路から見える看板が撤去されています。
取替えかと思ったのですが一月以上そのまま。
お花見見物の人達の注意を引かないように撤去したのかなって?w

704飛鳥:2006/04/04(火) 17:48:40
ラキさん、どうも。

(1)学会に返す (2)顕正会に預ける。 以上2種類の選択です。

これは、やはりニセ本尊という認識なのでしょうかね。
あと、日達上人や日顕上人書写本尊は、どのように対処されているのでしょうか。
これらは、正本尊と認識し、そのまま受持勤行させているのでしょうか。
よろしくお願いします。

705ラキ:2006/04/04(火) 18:40:31
飛鳥さん

>これは、やはりニセ本尊という認識なのでしょうかね。
浅井さんはじめ、理事クラスの幹部は偽本尊の認識はあると思われます。

>あと、日達上人や日顕上人書写本尊は、どのように対処されているのでしょうか。
(1)お寺に返す。 (2)顕正会に預ける。 (3)受持勤行させる。 の選択がありますが、
顕正会の信心が確りするまで、遥拝勤行の選択もあります。
会員によって認識が違い、本部に確認しても、対応した人によって対応が微妙に違うみたいです。
本尊に対しての対応が明確になってないのが実情だと思われます。

706燕雀安知鴻鵠之志哉:2006/04/05(水) 01:03:54
横失礼します
>あと、日達上人や日顕上人書写本尊は、どのように対処されているのでしょうか。

克衛男子部体制の時の事ですので参考まで。
御遺命守護完結(顕正会論)前では
「達師・顕師本尊はあくまで法主という立場であるから本尊は本尊である」
として、当時主流だった学会系入信者の自宅拠点で顕師本尊で入会を何人もさせた経緯があります。
御遺命守護完結後では
「御遺命を捨てた貫主の本尊で勤行というのは気持ちが良くない」
として、何人もの石山系からの移動者の所持本尊を本部で預かって顕正会版寛師本尊に取り替えた事実があります。
現在はどうだか知りませんが、そうゆう矛盾した変過があったのは事実です。
当時の克衛の方針なので、実際証拠を出してみよ、と言われれば証拠は出ないものの、取替えさせられた証人はわんさか出てきます。

707藤川一郎:2006/04/05(水) 10:20:14
横レスです。
私が聞いた話では「顕正会に返す」(御本尊返納願と言う書式有り)と云う言い方をしています。
しかし、顕正会から頂いた訳でもないのに「顕正会に返納願」っていうのも意味不明ですが(笑)。

708飛鳥:2006/04/05(水) 12:55:20
ラキさんへ

> 浅井さんはじめ、理事クラスの幹部は偽本尊の認識はあると思われます。

そうですか。まぁ学会お手製ですからね。
しかし、顕正会は機関紙上にハッキリと、学会お手製の本尊をニセ本尊だと
言明したことはあるのでしょうか?あるのなら、その箇所を読んでみたいのですが。

総本山では、元の本尊が本物でも、手続き上間違っているというのが見解でしたね。

燕雀安知鴻鵠之志哉 どうも。

なるほど、現場でも統一されてなく、かなり混乱してるようですね。
情報ありがとうございます。

709燕雀安知鴻鵠之志哉:2006/04/05(水) 18:37:26
追記

当時 達師・顕師本尊で入信した者達が未だに会員としてカウントされ続けている、という事実は会としてどう都合をつけようというのでしょうかね。
それらの本尊で入会した多くの者は退転してしまい、会員だという自覚すら持っていない現実があるわけです。

710ラキ:2006/04/06(木) 14:00:46
飛鳥さんへ

>顕正会は機関紙上にハッキリと、学会お手製の本尊をニセ本尊だと言明したことはあるのでしょうか?
私が知ってる限りでは、言明した事はないです。
仮に言明したら、顕正会の日布本尊の偽物疑惑を叩かれるから避けていると思われます。

>総本山では、元の本尊が本物でも、手続き上間違っているというのが見解でしたね。
授与書きを抹消して作られた偽本尊と宗門では言っております。
その他の理由として。(以下、創価学会員への折伏教本P22から)
(1)御法主上人の許可を受けていない。
(2)総本山から下附されたものではない。
(3)創価学会が勝手に製作したものである。

711燕雀安知鴻鵠之志哉:2006/04/12(水) 15:50:01
顕正会の機関紙に台湾版の経本が発売されることになったようです。
注目すべき点は経典内容が、十如是・自我喝・唱題になっている点です。
方便・長行削除の根拠として松野殿御返事を文示しています。
そういえば過去の顕正会内での六巻抄講義で、会長は「いずれ題目だけになっていくだろう」という旨の発言をしていたことを思い出しました。

712ラキ:2006/05/02(火) 17:06:24
新「高知会館」着工が始まりますが、収容人員600名が可能ととなっておりますが!3階の建物全体で600名は、参詣室の収容人員が最大で500名程度ではないかと思います。
さて、自称100万の会員がいるのに、600名が限度の会館とは、高知方面の実働会員数がいかに少ないか、物語っているのではと思います。

一つ気になる記事がありましたので紹介いたします。
「中国は日本を併合する」著 者 平松茂雄 発行所=講談社インターナショナル(顕正新聞には、出版元の記載はなし)
浅井さんは、この書籍を自己の都合よく利用して同書を紹介しております。
顕正新聞で概要を5回に分けて、解説、紹介する。と述べておりますが、同書籍からの内容の無断転用をして”中国が攻めてくる!浅井先生の警告がまじかに迫っている”ような、ご都合主義の記載は、許される行為ではないと申し上げたい。
出版元に確認しましたが、使用の許可を得ていないので、掲載は、著作権侵害!をしている事になります。

浅井さん〜新聞に掲載を中止しないと、著作権侵害で訴えられますよ!
出版元に通報しましたので(笑)

713犀角独歩:2006/05/02(火) 19:56:57

ラキさん

よけいなことかもしれませんが、同書を、石山法華講員として名高い櫻井よしこも引用していましたね。

もはや避けられない悪夢か 中国による日本併合を防ぐ道は真の独立国になること
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2006/01/post_411.html

714ラキ:2006/05/02(火) 22:06:53
独歩さん

櫻井よしこ氏が法華講員て初めて知りました。(^^;

邪推ではありますが、櫻井氏の記事を見て、浅井さんもみんなが忘れた頃になった今頃、紙面で反応したのかなって?感じます。
若し、もっと前から知っていたなら、喜んで発刊と同時に引用していそうなので?・・・

それにしても、本日の地震で浅井さんが喜んでいそうな気がするのは、私だけでしょうか?(-ェ-o)ボソッ

715さかなこ:2006/05/31(水) 14:36:03
ひさびさにこそーりかきこみ…どきどき。まったりしぶとく生きてます。
お絵かき教室行ったり神社仏閣めぐりしてのんびりと…。

櫻井さんって法華講員だったんですか!全然知りませんでした〜。
昔からなんでしょうか…熱心な会員さんなんでしょうか…
昨日衆議院の教育基本法特別委員会に参考人として参加されて
ましたけど櫻井さんのお考えは正宗の思想がバックボーン
なんでしょうかね…。

716犀角独歩:2006/05/31(水) 16:15:06

さかなこさん、お久しぶりです、お元気そうで、何よりです。

櫻井さんの法華講所属は、法華講ならではの情報といったところでしょうか。
野球の落合さん、タレントの杉田かおるさんなど、皆、創価学会からの移講であったと思います。

今回の櫻井さんの中国脅威論、その元ネタ、浅井さんもご愛用の平松茂雄説はしかし、防衛大や、国家公安レベルでは、そんなに重視されるものではなく、「そんな考えもある」程度のものであることを確認しました。また、櫻井さんは、大の中国嫌いなんだそうです。

しかし、この女史が軍事増強指向であるというのには、やや驚かされたものでした。

717藤川一郎:2006/06/01(木) 09:37:11
>>715,716
昨日、情報通の方から確認しました。
櫻井氏は所謂「学会からの脱会法華講員」では無く、純粋法華講員だそうです。
寺院名まで書きますとプライバシーの侵害になりますので控えますが、数代続いているそうです。

ただし、彼女の考え方は日蓮正宗とは別の視点からの独自の観点でものを申されております。
また中国嫌いの日本人は多いです。とくに「中華思想」「事大主義」等の考え方については。
昨今、中国の高官とお会いして、臣下として拝してきた日本人元大臣がおりましたが、そのような諂いは私も大嫌いです。

718犀角独歩:2006/06/01(木) 10:07:49

藤川さん、ご批正、有り難うございます。
そうですか、櫻井さんは、数代法華ですか。

櫻井さんの考えは、開目抄、本尊抄にいうところとは、矛盾していませんね。
ただ、現在の日本仏教界における非武装主張とは相違しています。

また、日本は中国の臣下ではないし、また、アメリカと談合、追従すべきでもない。しかし、そうなると、自主軍隊の問題が出る。ところが、今でさえ、世界のトップに入る軍事費を使っている。それが退役軍人・自衛隊を含む人件費で食い潰されているというのはいったいどういう構造なのか。また、相次ぐ自衛隊の不祥事など、国民の信頼を得られず、軍備増強に走れば、戦前の天皇を傀儡にした軍事政権の再来の恐怖があります。そうでなくても、天皇は象徴であって、軍需利権者のやりたい放題ではないかという危惧はあります。

櫻井さんの主張は、軍事増強に関して、人件費と不祥事による無駄遣いという自衛隊の膿と患部をしっかりと摘出手術してから、論じられなければ、今の原発のように利権に走るばかりで安全管理が杜撰な有様と同様の危機を日本と国民に与えるだけの、利権に趣旨があり、国家安全保障がその肴のツマ状態となることは必至です。

このような政治と特定利権者の糾弾は、しかし、わたしより、藤川さんと‘その周辺’のほうが問題意識はさらに高いところでしょうね。

719犀角独歩:2006/06/01(木) 10:48:20

まあ、しかし、藤川さんは、批正はよくしてくれますが、質問したことには答えずじまいが多いですね(笑)

720パンナコッタ:2006/07/03(月) 13:32:19
また顕正会の施設に、家宅捜索がはいったみたいですね。
 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20060703/20060703-00000028-jnn-soci.html
   (更新して、リンクが切れる場合があります)

721藤川一郎:2006/07/03(月) 17:12:55
今回は50代の会員が、71歳の方を、10発以上殴ったらしいですね。
映像で、被害者の方のインタビューが出てました。

まあ、どちらにしても若気の至りでは済まされない年齢ですね。

722ラキ:2006/07/03(月) 20:16:03
まだ、映像が見れます。
http://newstopics.dion.ne.jp/pubnews/videonews/story/?vid=3326529&amp;genre=society#

723犀角独歩:2006/07/04(火) 20:44:10
創価学会における7・3の意義は
一つに昭和20年7月3日、のちに2代会長になる戸田城聖氏がこの日、巣鴨刑務所を出獄、昭和32年7月3日、一つに、のちに3代会長になる池田大作氏が15日間留置で出入獄が同じ日であったので、7・3出入獄記念日といわれるようになりました。

「出獄と 入獄の日に 師弟あり」

と、池田氏が歌を詠んで、会員の熱い感情をあおる日です。
この日に、今回の報道がなされたことから「創価学会の陰謀」というようなことを、また、言い出すのだろうかと予想しています。まあ、そこまで、僧科学会史の知識が顕正会、浅井さんにあればの話ですが。

724犀角独歩:2006/07/04(火) 20:51:51

【723の訂正】

誤)僧科学会史
正)創価学会史

725犀角独歩:2006/07/05(水) 05:07:50

あっという間にリンクが切れるのですが、ニュースは。
報道は以下でした。

*** 転載はじめ ***

傷害容疑で「顕正会」施設など家宅捜索
 宗教法人の勧誘をめぐり捜査のメスが入りました。宗教法人「顕正会」の会員が入会を断った元短大教授の男性を殴ってけがをさせた疑いが強まり、群馬県警は、この会員を逮捕するとともに「顕正会」の施設などの一斉捜索に乗り出しました。

 家宅捜索を受けているのは、宗教法人「顕正会」の群馬県高崎市にある施設など2か所です。捜索の直接の容疑は傷害です。

 館林市に住む「顕正会」会員の中沢誠容疑者(58)が今年5月、市内の料理店で入会を断った元短大教授の男性(71)の顔を数回殴り、けがを負わせたというものです。調べに対して中沢容疑者は、「入会を断られて腹が立った」と容疑を認めているということです。

 「顕正会」は、さいたま市に本部がある仏教系の宗教法人で、ホームページでは「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅びる」などと終末思想を唱えています。強引な勧誘活動をめぐり、これまでにもトラブルが相次いでいました。

 群馬県警は、3日の捜索で押収した資料を分析し、「顕正会」の実態解明を進める方針です。(03日11:21)

[3日12時36分更新]

*** 転載おわり ***

726ラキ:2006/07/05(水) 12:48:09
今回の事件に関して会員は、TV報道がなされた事で学会の謀略と捉える方も居ます。
TV報道されたから、謀略とは安易な発想であります。
顕正会員はTV番組で警察密着取材等を扱った番組を見たことがないのか不思議です。
警察署本部等には、担当の報道関係者がいる訳であり、情報などはある程度公開されているのですし。
また、昨年の神奈川で起きた事件2件が記憶に新しいですが、国家権力による弾圧だと勘違いされている会員も多々おり、反省する心がないから同じような事件が起きたとも言えるのではないでしょうか?

顕正会員は学会員が起こした事件は、家宅捜査がないから”学会の謀略”と訳のわからない言い分を述べていますが、顕正会員が起こした事件と、学会員が起こした事件は内容が別物である認識に掛けている事が理解できていないのではと思われます。
学会の事件は、個人が起こした事件であり、顕正会の場合は”勧誘”と組織活動に伴う事件だから、組織の会館に家宅捜査が入るのは当たり前の常識との認識がない、と言えます。

ま、私は、2日日曜日に橋本元首相が亡くなったのは、平成9年のかんぎょう書を受け取っていながら、中国に加担した罰と言ってる脈略もない言いがかり発言に対して、顕正会に対して、諸天の”罰”が出たのではと思っています。
方や罰の現証が出るのに数年。方や1日で現証が出てきた凄さ!(笑)
功徳・罰の現証で何でも語る顕正会員には過去最短の1日の現証に衝撃!を受けたのか聞きたいです。w
功徳・罰で宗教の価値を計るのではなく、信仰者としての慈悲の心を大切にして、常識ある行動が出来るのが宗教をしてる大切さではないかと私は思います。

727ラキ:2006/07/26(水) 00:14:41
久しぶりの顕正会ネタです。
本日顕正会員が自宅訪問してきました。(時間は非常識な時間帯)
高崎事件の事をたずねたら、お決まりの”学会の謀略”とあいも変わらず言っていました。
「高崎の事件では、実名報道がされていないと」謀略説を述べていましたが、高崎事件も実名報道されている事すら知らないとは、困ったものです。
ついでに、新横浜の事件も学会の謀略だと力説していましたが、その根拠になるのが、当事者の新聞での発表が事実だからと述べていたのが印象的です。
起訴猶予だから、犯罪を犯してないと言いたかったみたいですが、起訴猶予の解説をしようとしても法律に詳しくないからと、話は中断でした。
さて、もっと面白いのがあと、”10年で広宣流布”するそうです。
根拠を聞こうとしたら、時間切れで聴けませんでした。
広宣流布の概念はと聴いたら、日本国民が全員顕正会に入信したらと述べていましたが、宗門はどうするのか?と謎が募るばかりです。
あと、10年と言うことは、年間1200万人が入信しなければ単純に無理ですね。

10年経っても500万人の会員も居ないような気がすると思うの今日この頃です。( ̄o ̄;)ボソッ

728ラキ:2006/07/30(日) 14:53:57
7月の総幹部会は、相変わらず酷い内容でした。
高崎事件は結局謀略説でスルーして、説明責任の義務の放棄!
事件2日後の北朝鮮のミサイル発射が、諸天が怒ってミサイルを発射した。と述べていましたが、
北のキムさんて諸天なのでしょうかね?・・・
顕正会を迫害したから、ミサイル発射した。とは、変な事を言ってると感じます。
見る側の主観で考えれば、正しき顕正会が間違った事をしたから、諸天が怒り、ミサイルを発射したとも言えるのですが・・・
顕正会がなんであれ、ミサイル発射の因果関係などないと言えます。
謀略とエンドレスで言っていますが、「因果具時」「因果応報」と原因を作ってるのは顕正会であり、学会のせいにするのは、仏法の道理を無視した変な発言だと感じます。
それにしても、晴天のなかくつろいでいたら、顕正会員が訪問してきて、せっかくの憩いの時間が台無し・・・
10年後に広宣流布すると前回述べたことに付いて、根拠を示してと言ったら、根拠も示さないで、逃げ帰っていきました。
勝手な事を言うのは構わないですが、根拠もないデマ・詐欺まがいの発言はやめて欲しいものです。

729藤川一郎:2006/07/30(日) 15:47:38
ミサイル発射は、私藤川一郎に対して仕事の上の関係者が誹謗をした翌日に
起きたので、私への誹謗に諸天善神が怒ったのです。

何ちゃって(笑)!
こんな冗談言うと、顕正会員の怒りを買うかな?

730アンチ城衛:2006/07/30(日) 16:55:14
大丈夫です。
顕正会員の怒りよりも浅井一族ファミリーの怒りを買うだけです。
何ちゃって!

731藤川一郎:2006/11/13(月) 11:16:11
http://www.sankei.co.jp/news/061111/sha023.htm

また、逮捕者か?

732パンナコッタ:2006/11/30(木) 14:36:05
お守りを切って、逮捕者が出たようですね。
 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20061130/20061130-00000026-nnn-soci.html

『入会迫り、お守り切る 顕正会会員2人逮捕
 埼玉・行田市のレストランで今年4月、48歳の主婦に入会を執ように迫った末、
主婦が持っていたお守りのストラップをはさみで切ったとして、宗教法人「顕正会」会員・●●●●容疑者(47)
ら2人が器物損壊の疑いで逮捕された。
 また、同じように勧誘中に相手のお守りを切り刻んだとして、別の顕正会の会員2人も警察に逮捕されている』

733顕正居士:2006/12/08(金) 15:20:02
お守り事件はさすがに幾らか良識が残存している会員にはショックを与えているよう。
ところでカルト信仰の心理は共通である。次は福音派。

偶像の処分を考える
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1135750978/l50

734みかん:2007/01/11(木) 09:56:09
顕正会本部、家宅捜索へ、だそうです。
(一般マスコミとしては、いち早くサンデー毎日で顕正会問題を取り上げた、同じ会社の毎日新聞ですね)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070111k0000m040140000c.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070111-00000013-mai-soci


<宗教法人>「顕正会」本部捜索へ 会員が入会強要容疑

宗教法人:「顕正会」本部捜索へ 会員が入会強要容疑
 仏教系宗教法人「顕正会」(本部・さいたま市大宮区)の会員が強引な入会勧誘をしたとして、神奈川県警公安1課と厚木署は11日にも、強要容疑で会員の男3人を逮捕するとともに、同本部への強制捜査に乗り出す方針を固めた。99年以降、神奈川、千葉、群馬、秋田の4県で会員計8人が暴行、監禁などの容疑で逮捕されており、県警は本部の家宅捜索で、勧誘実態とともに法人の組織的関与も調べる。
 調べでは、強要容疑が持たれているのは神奈川県内に住む少年1人を含む顕正会員の男3人。昨年9月、同県内のゲームセンターで、男子大学生に会員になるよう繰り返し誘い、入会を強要したとみられている。
 顕正会ホームページによると、同会は日蓮正宗の信徒団体として1957年に発足した。74年に日蓮正宗から解散処分を受けたが、公称約112万人(05年12月現在)の会員がいる。一方、入会勧誘のトラブルなどがあり、被害を訴える声も目立っている。
 県警は05年7月、横浜市瀬谷区内で大学生を監禁した疑いで会員2人を逮捕し、横浜地検は「監禁したとされる時間が比較的短時間」として起訴猶予とした。県警は同年11月にも、厚木市内の男子大学生に入会を迫った男性会員1人を暴行容疑で横浜地検に書類送検した。
毎日新聞 2007年1月11日 3時00分

735みかん:2007/01/11(木) 11:34:47
逮捕者がでました。家宅捜索は8箇所だそうです。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&amp;k=2007011100259
2007/01/11-11:26 顕正会本部を家宅捜索=信者3人を逮捕−大学生に入信迫る・神奈川県警
 宗教法人顕正会(本部さいたま市大宮区)への入信を迫ったとして、神奈川県警公安1課などは11日、強要容疑で、同会信者の同県大井町、会社員の少年(19)と同県南足柄市中沼、会社員●●●●容疑者(28)、同県小田原市清水新田、会社員●●●●容疑者(30)を逮捕した。
 同課などは同会が組織的に強引な勧誘をさせた疑いがあるとみて、同会本部など8カ所を家宅捜索した。
 調べによると、少年らは昨年9月24日、同県小田原市内の同会小田原会館に、同県厚木市の男子大学生(20)を連れて行き、午後9時から11時の間、住所氏名を無理やり言わせ、お祈りをさせるなどして入信を強要した疑い。

736ラキ:2007/01/13(土) 00:49:06
顕正会公式HPが更新されました。
12月の幹部会の一部抜粋です。
さすがに事件続きで外部にアピールしていると会員に思わせたいからの更新ではないかと感じますね。


http://kensho.main.jp/k_18_12/index.htm

737犀角独歩:2007/01/15(月) 07:59:19

石山では、顕正会と無関係であることをHPで公式に発表していたんですね。

「顕正会は宗門と無関係 (2006.7.4)

 最近、顕正会員が引き起こした反社会的問題が、度々マスコミで取り沙汰され、時には、同会が日蓮正宗の信徒団体であるなどと、全く事実無根の報道がなされる場合があります。
 顕正会は、元「妙信講」との名称であり、妙縁寺(東京都)に所属する一講中でありました。
 しかし、宗門の公式決定に背いたため、昭和49年に解散処分に付しました。
 その後、「妙信講」は名称を改め、「宗教法人顕正会」、あるいは「冨士大石寺顕正会」などと名乗って活動しているようですが、日蓮正宗および総本山大石寺とは、全く無関係な団体であります。
 解散処分から30年以上も経過し、その間、顕正会は独自の活動を行なっていることからも、宗門とは無関係であることは明らかですが、昨今の誤報に鑑み、念のためお知らせいたします。

日蓮正宗 宗務院」

http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/topix/200607_j.htm

738ラキ:2007/02/01(木) 04:21:01
「顕正会の2人を書類送検、入会強要未遂の容疑」
 宗教法人「冨士大石寺顕正会」(本部・さいたま市)の会員が知人男性に同会への入会を迫ったとして、
警視庁板橋署は30日、いずれも同会の会員で、
さいたま市北区の無職の男(43)と埼玉県鴻巣市の会社員の男(30)の2人を強要未遂の疑いで東京地検に書類送検した。


調べによると、2人は昨年7月2日夕、東京都板橋区常盤台1の同会東京会館で、
中野区のアルバイト男性(34)を、「住所を書かないと帰らせない。入会しないと不幸になる」などと脅迫。
男性が同会館から立ち去ろうとしたところ、腕をつかんで無理に立ち止まらせたり、
最寄りの私鉄駅で、券売機の硬貨投入口を手でふさいだりするなどして、強引に入会を迫った疑い。
同会を巡っては、神奈川県警が今月、知人大学生に入会を迫ったとして、同会の会員3人を強要容疑で逮捕するなど、
強引な入会勧誘活動に対するトラブルや苦情が相次いでいる。

(2007年1月31日12時8分 読売新聞)

一昨年の横浜での事件以降、同じような事件が起きると言っていたのが連続して起こっています。
浅井さんの予言より、私の予測の方が当たってるなぁ〜と(笑)
広宣流布前夜の最終第二段階て、第三段階もあるのかなぁ〜と思いつつ、顕正会崩壊の最終段階に突入したのではと思う今日この頃です。

739犀角独歩:2007/02/01(木) 11:32:56

大宮の青年会館がなくなるというのは本当でしょうか。

740ラキ:2007/02/01(木) 20:10:03
青年会館がなくなるのではなく、1月いっぱいで閉鎖。
2月以降使用禁止になりました。
1月の幹部会での発表で、理由は「青年会館が耐震強度不足のため」だそうです。
青年会館の建物を借りるときに、耐震強度は考慮に入れていたはずです。
また、姉歯さんの偽装問題の時も、問題があるようなコメントはしていなかったと記憶しております。
なぜ、今頃になって耐震強度に問題があると言い出したのか疑問ですが、本部家宅捜査での影響ではと考えられます。
耐震強度不足がわかった時点で直ぐに使用禁止にしないで、一週間以上使用し続けるのは、いつ地震が来てもおかしくないと日頃から言っているのに、使用してる数日間の間に巨大地震がきたら、会館を使用している会員に被害が出ないとも限らないのに、なんとも無慈悲というか、説得力に欠ける使用禁止の理由だと思われます。

741犀角独歩:2007/02/02(金) 21:06:29

ラキさん、とらえ方が真面目ですね(笑)
そんな名目通りのことでしょうか。
事件多発と、賃貸契約の途中解約。
耐震強度云々の問題かどうか、世間一般の批判の激震に絶えられなかったということはありませんか。

742ラキ:2007/02/04(日) 02:07:29
独歩さんに真面目て言われてしまい、反応に困ってしまいます。(^^;

青年会館使用禁止の本当の理由は、「右翼団体との不適切なる関係」出ていますので、本部捜査に伴いそれが、露呈するのを恐れたがために取った処置ではないかと思っています。
(青年会館は20年の賃貸契約を結んでいたらしいです。)
一昨年の横浜事件を発端に、立て続けに逮捕摘発されてきてるにも関わらず、学会の謀略。魔の妨害。と平然と言ってのける浅井会長が、世間の一般の批判など気にしてるようには感じません。
1月28日の日曜勤行の中で、憲法20条の信仰の自由の弾圧だ!て言ってるぐらいですし(笑)

743ラキ:2007/02/13(火) 00:04:49
顕正会公式HPが更新されました。
平成19年1月度 総幹部会
http://kensho.main.jp/

中に入ってタイトルを見ると・・・
「冨士大石寺顕正会 平成19年12月度 総幹部会」となってます(笑)
珍しく更新が早いと思ったのに10ヶ月先の幹部会の内容て?・・・
笑のネタを提供してるのかなって?(笑)

744ラキ:2007/02/25(日) 23:44:48
面白い映像を見つけました。
「富士大石寺顕正会 被害者救済ネット」製作の映像です。

「強制捜査された顕正会 の実態ビデオ」

http://www.youtube.com/watch?v=n5AFtzSDm2w&amp;mode=related&amp;search=

745ラキ:2007/04/04(水) 21:58:14
顕正会会館の本尊の画像が4月1日のプログに掲載
公開されています。

「バスタータイム」

http://blog.livedoor.jp/bustertimes/

746ラキ:2007/06/09(土) 20:10:10
顕正会の幹部会の会長講演が見れます。
本年1〜5月までと、東北大会の映像もあり。

http://www.mediafire.com/?9unxyqxmt2i

747ラキ:2007/06/09(土) 20:13:05
>>746のアドレスは、5月の日曜勤行のファイルアドレスでした。

幹部会映像はこちらです。

http://www.youtube.com/profile?user=sanmon99

748犀角独歩:2007/06/09(土) 21:16:52

ラキさん

顕正会の紹介もいいですが、石山のずっこけもぜひ紹介してください。
本家本元の間違いのほうがずっと重要ですからね。

749犀角独歩:2007/10/04(木) 07:20:08

新たな展開がいよいよ始まりました。
以下、紹介します。
公開お伺い書など、重要な内容が載ります。

「富士大石寺顕正会是正協議会サイト」に開示しました。
 http://www.kensho.jpn.org/p/

765管理者:2007/10/11(木) 06:26:13

とんび さん

>「無礼」・・・「非礼」

これらの語句は、既に当掲示板のルールとして定着しています。もし、それが適切でない思われるなら、改めて掲示板のルールの変更をご提案されては如何でしょうか。

当掲示板の禁止事項の2には「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。」としています。

礼節を重んじるということが、何らかの問題を生じる、と考えるのは、常識的には困難ですね。なぜなら、礼節を重んじない典型は、インターネットの掲示板では「荒らし」と呼ばれる行為だからです。もし、非礼、無礼という言葉が「傲慢」であるとしても、管理者は、「荒らし」から当掲示板を護るためなら、この掲示板が「傲慢な掲示板である」と言われようとも、何ら痛痒を感じるものではありません。甘んじてそのような非難を受けたいと思います。一番大切なことはむ、ご参加戴いておられる方々に対する人格攻撃を遮断して、自由な議論が出来る場所を確保することが、管理者の責務で有ると考えております。ご理解賜りますれば幸いです。

犀角独歩さんから、750〜757レスの削除希望が出されています。犀角独歩さんの、「非礼、無礼」と言う表現は、当掲示板のルールの上からは何ら問題性がありません。もし、ルールに問題ありとされるなら、独歩さんに対して言われるのではなくて、管理者に対して、ルールの変更を主張されるべきだと考えます。このようなカタチでの独歩さんに対する非難は、当掲示板のルールの上からは、そうした発言自体が、禁止事項の「侮蔑表現」に該当していると管理者は考えます。どうぞ、掲示板にご参加になるからには、掲示板のルールに従っていただきたく存じます。独歩さんの削除希望は、当掲示板のルールに照らせば、妥当であると考えますので、削除いたします。ただ、これは、とんびさんの、今後の掲示板へのご参加を妨げるものでは何らありません。ルールを遵守頂いて、今回の削除に懲りることなく、ご参加賜りたいと存じます。

769管理者:2007/10/12(金) 06:29:28

とんび さん

管理者は、ルールに従って掲示板を管理いたします。そして、それだけです。
管理者がとんびさんの発言を削除したということは、ルールに抵触していると判断したからです。
今回は、犀角独歩さんに対する人格攻撃があったと判断したからです。

768の「相手を見下すような意図を持っていない...という可能性があるということです。」というご発言は、残念ながら、独歩さんに対する人格攻撃を続行している、と判断せざるを得ません。

相手の「無礼」を指摘することは、当掲示板においては、何らの問題性もありません。当掲示板では相手に対する礼節の無い発言は容認されません。なぜならそれが当掲示板のルールだからです。
礼節を欠く発言は削除させていただきます。ご了承戴きたいと存じます。

770とんび:2007/10/19(金) 21:35:38
管理人さん、礼節を欠く発言があり申し訳ありませんでした。

今後注意しますが、何か感じられましたら、また削除して下さい。
実際の本人と、掲示板で感じられるイメージには、ギャプがあると思います。
言葉だけの世界ですから。

 今後とも、ご指導よろしくお願いします。

771管理者:2007/10/19(金) 21:57:59

とんびさん

管理者は、ルールに従って掲示板を管理するのが任務であり、それが全てです。どうど、現在のルールを尊重して、ご参加戴きますようお願い申し上げます。

772犀角独歩:2007/10/21(日) 18:42:20
すぐにリンクが切れると思いますが、彗星の尾の見事な写真。

ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/tenmon/0703/te_703_07030201.jpg

南米チリで撮影されたのだそうですが、ここでは他国侵逼難や、自界叛逆難は起きないのでしょうか(笑)

http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/tenmon/0703/te_703_070302.htm?from=goo

773とんび:2007/11/13(火) 00:01:07
皆様、出てこないつもりが、また顔を出してしまいました。
顕正会では、御遺命が一番大事だと言っていますね。

その理屈からすると釈尊の御遺命が一番大事だという理屈になりませんか。
とすれば、涅槃経の方が、法華経より大事だということになります。

 私の、記憶の範囲内では、釈尊の遺言は、「自明灯」、自らをよりどころにせよと。
 中村元著の「ブッダ入門」を読みましたが、御遺命が分からない。

 さて、日蓮聖人の場合は、何の御書・言葉が大事になってくるのでしょう。
 博学の、皆様の意見を戴ければ幸いです。

774犀角独歩:2008/01/28(月) 18:34:13

'08年1月度の総幹部会で、浅井さんが「犀角独歩」と口走ったそうで、なかなか愉快です。
もうお一方の引き合いに出されたのですが、ご当人から許可をいただいたわけではないので、お名前を上げるのは差し控えます。

しかし、「仏敵」って、そりゃまあ、日蓮本仏なんてまやかしの仏の敵と言われれば、愉快になるしかありません(大笑)

775問答迷人:2008/01/28(月) 18:58:04

犀角独歩さん

>浅井さんが「犀角独歩」と口走った
>「仏敵」って、

それはそれは。

独歩さんの指摘が的を得ていて論破不能であると、やっと気が付いたということですね。

戒壇本尊が真っ赤な偽物と暴かれてしまったのですから、浅井さんとしては極めて都合が悪い。

「仏敵」というレッテルを貼り付けて、会員の目を逸らすしか手が見つからない・・・

兎も角、どういう形にしろ、ご努力が高く評価されたわけですから、目出度い事には違いないと思います。

776犀角独歩:2008/01/28(月) 20:36:57

問答名人さん

レス、恐縮です。
今回の主役は、「もう一方の方」です。

また、所謂「本門戒壇の大御本尊」と日禅授与本尊の類似から、川辺メモに誰よりも早く注目されたのは、問答名人さんでした。その頃、まだ、わたしは彫刻の弁護に周っていたほどでした。むしろ、そこにも、当掲示板の2000年以降の存在意義がありました。

その先見の明に、改めて敬意を表すると共に、今回の名誉ある「仏敵」の称号(笑)のお陰を、問答さんに帰し、感謝申し上げる次第です。

777問答迷人:2008/01/28(月) 22:43:20

犀角独歩さん

>今回の名誉ある「仏敵」の称号(笑)のお陰を、問答さんに帰し、感謝申し上げる次第です。

誠に有り難いお言葉、嬉しい限りです。ただ、相手が顕正会ですから、くれぐれもご用心なされて下さい。日蓮聖人が細心のご注意を四条金吾殿にされていますが、僕には、あのご注意は、今の独歩さんの為と思えてなりません。くれぐれも用心なされて下さい。浅井氏に洗脳された顕正会員が独歩さんの命を付け狙うのは間違いないと危惧しております。

778偶ロム偶ログ:2008/01/29(火) 01:38:19
浅井会長は宗教社会学者の西山茂氏と親しいそうです。
西山氏は研究者の立場で浅井さんと会ったのでしょうが、西山氏は日蓮系他宗派
の関係者でもあります。
これは謗法との親近にはならないんでしょうかね?

あとひとつ、浅井さんは、まだお板を信じているんですかね。
信じてもいないのに信じているふりをしているのなら、やはり石山の共犯とい
うことになりますね。
だいたい、現在の顕正会員のほとんどは、お板の姿かたちすら知らないわけで。
まあ、浅井さんが、独歩さんの考察についてまともに対応するはずもありませ
んが、もう少し、日蓮さんの教えに対して真摯であってほしいものです。

ともあれ独歩さん、「名誉仏敵」でなく「仏敵」でよかったです。
仏敵の共犯者からの「仏敵」呼ばわりは名誉なことです。

779偶ロム偶ログ:2008/01/29(火) 02:12:13
補訂です。

「仏敵の共犯者からの「仏敵」呼ばわりは名誉なことです。」
を、以下のように補訂します。

仏敵(石山)の共犯者(浅井さん)からの「仏敵」呼ばわりは名誉なことです(苦笑)。

780犀角独歩:2008/01/29(火) 18:50:41

>問答さんへの御礼を他に書いてしまいました。
こちらでも深く御礼申し上げます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/1910


>偶ロム偶ログさん

> 浅井会長は宗教社会学者の西山茂氏と親しいそうです。

この話は西山さん本人から直接聞きました。「会えば、『よおっ』ていう関係だ」と言ってしましたね。まあ、宗教学やら、社会学という学問的に公平な立場にありながら、「本化」などというのは、信仰と学問の公私混同、岩本師が言う僧学の亜流のような印象ですね。

一方、浅井さんも、仰るとおりで、わたしを謗法呼ばわりしながら、西山さんは野放しはアンフェアですね(笑)
まあ、そんなところだろうと思います。

■岩本師の「僧学」(世界の宗教7『布施と救済』淡交社 P234)
「これは耳新しい言葉であろう。もちろん、辞書にも見あたらない。というのも、不思議はない。著者の新造語であるからである。
著者は昭和39年11月27日から同年12月11日までの間に6回にわたって「中外日報」紙上に『仏教学を批判する』という一文を書き、現在のわが国の仏教学が抱きかかえている種々の問題をえぐり出してみたのであるが、そのなかで「僧学」という言葉を用いたのである。と言う意味はつぎのようである。
 わが国仏教学という学問が存在する。そして、仏教学者なるものがいる。ところが、いわゆる仏教学者の99パーセントまでが僧侶である。したがって、僧侶なるがゆえに先入観があり、また護教的でないまでも護身的ならざるをえないのではないか。いいかえると、僧侶なるがゆえに身分上の制約があるのではないか。とすれば、そこに仏教の科学的研究がはたしてあるだろうか。ここに疑問を発したとき、僧侶である仏教学者の研究する仏教学なるものは、たといそこに文献的方法を援用したり歴史的考察を加えたりしても、結局それは学問研究の鬘か仮面をかぶった鵺(ぬえ)的な存在にすぎないと言わざるをえないのであろう。そこで、著者はそういう学問をしている人びとすなわち僧侶出身のいわゆる仏教学者を「僧学」と呼んだのである」

また、『佛教入門』(中公新書)に「実に佛教と学問を混同し、学術的研究と教学とを同一視し、両者の区別を付けられないのがわが国のいわゆる佛教学者、特に僧侶で佛教学者といわれる人が多いことも知っておく必要があろう。このような人々はかれらが学術的論文と称するものにおいても説教を忘れない」(はじめより)とは、まったく勇気ある指摘であると感歎したものでした。

まあ、西山さんは坊さんではないにせよ、公然と「本化」を自称する以上、その現場では、学問と信仰の公私混同、アンフェアとならざるを得ないのでしょうね。さらに、いまこれだけ世を騒がせている集団の長となあなあの関係というのは、学者としての良識と言うより、社会的に問題を感じます。

781犀角独歩:2008/02/14(木) 20:38:24

ブログで「『顕正新聞』を読む」の連載をはじめました。
第1回目は2010年に、“御本仏の守護”で会員1億人達成を宣言した第24回総会の浅井さん発言。
皆様のご高覧をお願い申し上げます。

『顕正新聞』を読む(1)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51254826.html

782問答迷人:2008/02/14(木) 22:24:11

凄いですね、浅井さんの大風呂敷。一億人ですか・・・

それにしても、余りにもかけ離れた数字に驚かされました。現在の顕正会員さんたちは、この大風呂敷、見た事あるのでしょうかねぇ

783犀角独歩:2008/02/14(木) 22:47:49

問答さん

レス、有り難うございます。
昨日今日入った会員は何も知らないのでしょうね。
浅井さんのまったく当たらなかった予言、実現できなかった決意を『顕正新聞』の現物から拾って、記していきます。

784犀角独歩:2008/02/15(金) 20:44:59

皆さんのご発言を、いまはまずゆっくりと拝読させていただいております。

本日は第2回、顕正会には日布本尊は1体と、かつて浅井さんが語った動かぬ証拠。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51255783.html

785S:2008/03/15(土) 13:05:05
Sです。
以前、息子ともどもオフに参加させていただいたことがあります。
(もうずいぶん以前です。独歩さま、ご無沙汰しております)

先般顕正会から、例のトンデモ本が届きました。
(すごくうれしかったです。わはは。)
封筒の裏を見ますと、個人名と携帯の番号が書いてあります。
もちろん個人名に覚えはありません。
不審に思ったのは、一面識もない人が、なぜ僕の住所を知っているのか?
ということでした。ですので、早速電話をかけ(相手は中年の女性でした)、
問いただしましたところ、僕と同じ町内にかつて学会員で、現在は顕正会の人がおり、
その人物から名簿を譲り受け、手当たりしだいに送っているとのこと。
僕は苗字しか名乗らなかったのですが、
電話の向こうで名簿を繰っている様子がして、
「あなたは×番地の○さんですか?それとも△番地の□さんですか?」
と誰何されたのには、プライバシーを侵害されたような気分がして
ひどく気分を害しましたデス。
ま、こういう方とは、長く話していてもラチがあきません。
いくつかの宿題を差し上げて、電話を切りました。
かならず回答をします、というご返事でしたが、
1週間ほど経った現在、もちろん連絡はありません。
こちらも贈呈したいものがあるので、住所を教えてくださいと
伝えているのですが、やはりこちらも返事がありません。
#あり?どこが正々堂々なんだろう?

会から離れさせた息子は、志望校に受かったものの、
アルバイト付けで本末転倒のありさまです。
でもまあ、会にいたこと頃と比べると、はるかに生き生きしております。
僕は僕で仕事に追いまくられておりますが、
常にROMしておりますので、また機会がありましたら、
オフに参加させていただきたいと思っております。

それでは。

786犀角独歩:2008/03/16(日) 08:02:19

Sさん

お久しぶりですね。ご子息の脱会体験談とお父さんのリレー体験は、いまも記憶に残っています。また、参加されていた顕正会被害者家族の多くの方が、勇気づけられました。有り難うございました。

さて、今件ですが、Sさんのご子息は正式に『脱会届』を出されたのでしたっけ? あの本は、まだ会員に買わせて配布する商売を、顕正会は続けていたわけですね。内容は他愛のない創作教学に基づく単純且つ稚拙なもので、仏法や、日蓮の言説に疎い、煽動されやすい人々にしか通用しない稚拙なものですが、こうした物品を衝動買いさせ、配布する商法は、いずこの問題ある団体の、特に宗教を看板にする商売では常套手段ですね。

購入し、配布する本人達は、善いことをやっているつもりですが、実は、仕組まれた商売で、浅井さん家内商店の利益に操られているだけであることに気づけません。

それにしても、その購入配布をさせるために、脱会した人々の名簿を流用するとは、相変わらず呆れた手口だと思いました。Sさんの名簿を使用した人は、いわば与えられた側で、あの本の購買をさせるために、こうした残存名簿を手渡された“被害者”といえるのではないでしょうか。

こんな本を配るだけで広宣流布だ、幸福になるなどと思う単純志向は、同情するほかありません。キリスト教カルトと同様の手口ですが、脱会者の名簿を悪用する点で、特異性がありますね。個人情報は簡単に教えないこと、『脱会届』に、顕正会内名簿から、自分の個人情報を削除する一文を加える必要があることが学べました。

また、是非ともお寄りください。
お会いできることを楽しみにしております。

787S:2008/03/16(日) 10:04:45
独歩さま

早々にレスをいただき、ありがとうございます!

>Sさんのご子息は正式に『脱会届』を出されたのでしたっけ?

いいえ。私も息子も出しておりません。
以前本部に電話をかけ、脱会したい旨申し出ましたが、
「そもそも脱会届の用紙がない」とのことで、ハナから相手にしてもらえませんでした。
ですから、私も息子もいまだに「顕正会員」ではあるわけです。
#除名してくれないかしら?

すいません。少々言葉足らずでしたので補足申し上げます。
785で申し上げた「名簿」とは、町内会名簿なのです。
それを横流しして、トンデモ本を送る際に利用するなんて、
まったくモラルというか、良識を疑いたくなるような行為で、
腹立たしいかぎりです。これって問題にならないのでしょうか?

いちおう町内会長に確認をいたしましたところ、変な本が送られてきた、
という報告や相談は入っていないそうですが、
親睦目的以外に利用されたこと、なによりもまったく無関係な第三者に
渡してしまうような人が町内にいることにがっかりされているようでした。

>また、是非ともお寄りください。
>お会いできることを楽しみにしております。

ありがとうございます。
連絡させていただきます。
楠山先生にもお会いしたいです。

788犀角独歩:2008/03/16(日) 10:13:38

Sさん、「さん」付けでお気軽に。

町内会名簿ですか。では、上記のわたしの顕正会流用発言は取り消しておくことといたします。
『脱会届』はお出しになったほうがよろしいでしょうね。
たとえば、「オウム真理教」の元メンバーは、名簿が国家にわたり、運転免許の更新、ビザの発行などの制限資料となっております。
年がら年中、家宅捜査をされている団体です。名簿に関しては、押収されないようにしているようですが、万が一ということもあります。
追って事件でも起こし、カルト団体として、オウムと同じような扱いになるとも限りません。
はやくお名前を削除するよう、届けをお出しになることをおすすめいたします。

楠山師には、よろしくお伝えします。

789のぶし:2008/03/18(火) 10:42:43
初めまして。一応現役顕正会員(ほぼ退転)の者です。

アネモネさん、犀角独歩さん、一刀両断さん、他皆様に質問させて頂きます。


1年ほど前から様々な顕正会批判のHPを見るようになりまして、組織に対する
多くの疑問、不信感がつのり、現在はほとんど活動しておりません。(立場上
形だけ連なっている状態)

半年ほど前までは、法華講の方のHPを中心に閲覧し、正本堂問題などを中心に
いったい顕正会と宗門のどちらが正しいのか、ということを考えておりました。

そのうちに、日蓮大聖人の仏法で説かれる(あくまで顕正会で学んだ)、
現世利益と一生成仏とは、本当にあるのか、ということも考えるようになりました。

まだ、この掲示板の170番くらいまでしか読んでいないのですが、
アネモネさんや犀角独歩さん、一刀両断さんがおっしゃるように、
顕正会にも創価学会にも、また日蓮正宗にも宗教心がない、という議論は、
もう少し読み込まなければ自分にはちゃんと理解できないとは思いますが、
そのとおりだなあと思いました。

そして一つ疑問が出てきたのですが、アネモネさん、犀角独歩さん、一刀両断さんは、
日蓮正宗で説くところの、現世利益・死後の成仏(臨終の相)等はまやかしであると
考えているのでしょうか?そんなものは実際にないと。

自分は、近い将来顕正会を離れ、法華講の方とも話をしたいと思っていますが、
ほかの宗教も学んで、自分の人生に本当に必要な宗教を見つけたいと思っています。
また、死後の成仏というものが実際あるのなら、そうなりたいと思っています。

アネモネさん、犀角独歩さん、一刀両断さんは、成仏などはない、今生きている人生を
穏やかに生きることが一番大切である、だからこそ特定の宗教団体に縛られるのではなく
宗教心を育むことこそが大切である、とお考えであると理解してよろしいでしょうか。

うまく質問できていませんが、お答え頂けると有難いです。よろしくお願いします。

790のぶし:2008/03/18(火) 10:54:23
上記の書き込みの趣旨がわかりにくいと思いますので、書き加えます。

この掲示板ご覧になっている皆さんにお聞きしたいのですが、
死後の成仏というのを信じていますか?

この点について多くの方の意見を聞かせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

791S:2008/03/18(火) 13:07:28
独歩さん

>はやくお名前を削除するよう、届けをお出しになることをおすすめいたします。

息子ともども、昨日付けの内容証明郵便で脱会届を出しました。
アドバイス、ありがとうございました。
とてもスッキリいたしました。

792顕正居士:2008/03/18(火) 14:40:29
「成仏」というのは本来は「仏になる」ことで「仏」とは「ブッダ(知った人)」の音を漢字にしたもの。
釈尊の時代には当時の有名な思想家がこの称号で呼ばれた。したがって有名な思想家なみに
宇宙と人生の根本的な仕組みを理解した状態の意味になります。
けれども日本人が日常にいう「成仏」は祖霊が現世の人に悪さをしない状態のことです。
日本人の信仰では祖霊は「草葉の陰」などこの同じ現世におります。「幽霊を成仏させる」とか
「不成仏霊を祓う」とかいいますね。
この二つがなぜ結びついたのかといいますと、インド人の考えでは悟ったお方は二度とこの世
に生まれて来ません。したがって死後に戒名を授け仏教の葬礼を行なうことは亡くなった方が
現世の人に悪さをしない効果があるとイメージされます。
「成仏の相」というのはそういう現世の人にとって安全な状態に故人があるしるしとされます。
しかし死相の種類は亡くなった原因で決まるのであり、平穏な臨終であれば死後の硬直が
おさまった後、通常は「成仏の相」に近いものとなります。また死者には一定の化粧をします。
現世の利益に関してはそういう信仰をしている方々が一般の人より幸福な状態にあるようには
見えません。

794犀角独歩:2008/03/19(水) 19:38:15

のぶしさん

はじめましてでしたか。

> 日蓮正宗で説くところの、現世利益・死後の成仏(臨終の相)等はまやかし…実際にないと。

わたしは「日蓮正宗」の本尊と教義がまやかしであり、偽造品であると検証しました。本尊が偽物であるわけですから、本物に功徳があるというコンセプトで成り立つこの周辺の信念体系は自滅することになるだろうということです。

ただし、なにを現世利益と感じるかというのは個人的リアリティに属しますから、ガソリンスタンドでティッシュペーパーをもらって「功徳」だという元顕正会員の感動を、個人が現世利益と思うのは勝手だということになりましょうか。

視野を広げて言えば、なにごとにも「有り難い」と感謝の一念でとらえることのできる人にとっては何事も功徳であり、利益と映じるでしょう。

けれど、自分(達)だけが絶対に正しいと信じ込んでいる人からすれば、他人に対しては憎悪と憤怒を懐くでしょう。そして、正しいという前提から相手をどんなに貶してもよいとも考えます。しかし、それが正義ではないことは、常識と冷静をもってすれば、すぐにわかることです。そうした意味で、顕正会のみならず、法華講の人との会話もまた、不毛に終わることは100%間違いがありません。世間一般からみれば、顕正会も、法華講も、「日蓮正宗」も、創価学会も、十把一絡げ、同じ穴の狢、なにも違って見えません。実際、わたしからみても、みな同じに見えます。違うのはそれらの群れのボスの違いだけです。わたしになす攻撃も、わたしの検証に、反証をもって応じるのではなく、「大謗法」「魑魅魍魎」「狂」などという侮辱をもって人格を貶め、会員信徒がわたしを蔑むように操作することで、わたしの言への信頼を封じ込める悪辣な手段しか執りません。こんなことしかできない人の集まりに正義も、真実もあるはずはありません。

さて、御利益といわれることは、どの集団でもいわれることで、とりたて、「日蓮正宗」や、顕正会で限ることではないのです。ところが「自分たちの功徳こそ、本物であり、他を嘘だ」と、他を見たこともないものが主張するところに、これら集団の情報操作の実態があることを見抜く必要があります。(余談ですが、現世「利益」であるのに、それが「功徳」といわれる語法は、そもそも間違っています。初歩的なミスです)

「死後の成仏」ということですが、法華経をもっていえば、「記別」は死後の成仏など説かれていません。記別とは未来に仏になることを仏が預言することです。成仏については、顕正居士さんがご賢察を述べられていますので、わたしが記すまでもありません。

ただ、ひとつだけ記せば、死んで白くて軽いのは成仏の相だというのは、御書にも、本来の記述とも違っています。原文を挙げます。

「人は臨終の時、地獄に堕る者は黒色となる上、其身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鷲毛の如し、軟なる事兜羅綿の如し。」(千日尼御前御返事)

一読すれば、わかりとおり、臨終で色白く・軽く・柔らかいのは成仏の相ではなく、「善人」であるというのみです。善人とは人です。成仏とは仏です。この決定的な差を、枉げて成仏の相ということおかしなことではないですか。また、この御文の、そのあとに「いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん」といいます。つまり、死後の成仏を述べるのではなく、死後霊鷲山往詣をいうのが、先の文章の続きです。

そして、さらにいえば、この御文は真筆が残っていません。

> 法華講の方とも話をしたいと思っています

おやめになったほうがよろしいでしょう。そこには事実も、道もありません。

> ほかの宗教も学んで、自分の人生に本当に必要な宗教を見つけたいと思っています。

これはけっこうなことであると存じます。「日蓮正宗」、顕正会、創価学会、もっといえば、富士門という小さなコップの外の広漠たる景観をはやく御覧になることです。

> 死後の成仏というものが実際あるのなら、そうなりたいと思っています。
こうした考えは、ほかの宗教を学んでから、おいおい目標とされるほうがよろしいでしょうね。

> 成仏などはない、今生きている人生を穏やかに生きることが一番大切…特定の宗教団体に縛られるのではなく…宗教心を育むことこそが大切

わたし個人のことで申し上げれば、概ねそうですが、成仏は、先に顕正居士がさんがお示しの元意からすれば、とうぜん、あると考えています。関連しますが、「人生を穏やかに生きる」ことが目的ではなく、苦の克服が目標です。

795犀角独歩:2008/03/19(水) 19:39:49

Sさん

すでに心の脱会をお済みでしたでしょうが、ここに事務的な脱会もおえらえたとのこと。
心から祝福申し上げます。おめでとうございます。

796のぶし:2008/03/20(木) 09:22:59
顕正居士さん、犀角独歩さん、お返事ありがとうございます。
大変参考になりました。

さらに質問させていただいてよろしいでしょうか。


顕正居士さんへ
>「成仏」というのは本来は「仏になる」ことで「仏」とは「ブッダ(知った人)」の音を漢字にしたもの。
>釈尊の時代には当時の有名な思想家がこの称号で呼ばれた。したがって有名な思想家なみに
>宇宙と人生の根本的な仕組みを理解した状態の意味になります。
>けれども日本人が日常にいう「成仏」は祖霊が現世の人に悪さをしない状態のことです。

 ・顕正居士さんが今まで接してきた方の中で、「有名な思想家なみに宇宙と人生の根本的な仕組みを理解した状態」
  にあるかたはいますか? いないとすると、現代においてはどのような人がそれに近いとお考えですか?
 
 ・「祖霊が現世の人に悪さを」する、ということはあるのでしょうか?

犀角独歩さんへ
>「死後の成仏」ということですが、法華経をもっていえば、「記別」は死後の成仏など説かれていません。
>記別とは未来に仏になることを仏が預言することです。成仏については、顕正居士さんがご賢察を述べられていますので、わたしが記すまでもありません。

 ・日蓮大聖人は「死後の成仏」を説いていないのでしょうか?

>「人生を穏やかに生きる」ことが目的ではなく、苦の克服が目標です。

 ・「苦の克服」と顕正居士さんの仰る「成仏」というものを得ることは同義でしょうか?
 
 ・犀角独歩さんが今まで接してきた方の中で、苦を克服した方はいますか?

よろしくお願いします。

797犀角独歩:2008/03/20(木) 12:13:17

のぶしさん

> 日蓮大聖人は「死後の成仏」を説いていないのでしょうか?

この点は、日蓮門下の葬儀に関わる重大事でしょう。わたしが、それを信仰しているかどうかは今はおきますが、生身得忍・即身成仏を説いているでしょう。曽存ながら『木絵二像開眼之事』に、

「人死すれば魂去、其身に鬼神入替て亡子孫。餓鬼といふは我をくらふといふ是也。智者あって法華経を讃歎して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といへる法門是也。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に身雖人身心同仏心いへる是也。生身得忍の現証は純陀也。法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身。是を即身といふ。さりぬる魂を取返て死骨に入れて彼魂を変て仏意と成す。成仏是也。即身の二字は色法、成仏の二字は心法。死人の色心を変て無始の妙境妙智と成す。是則即身成仏也。故法華経云 所謂諸法如是相[死人ノ身]如是性[同ク心]如是体[同ク色心等]云云。又云、深達罪福相閣照於十方微妙浄法身具相三十二等云云。上二句は生身得忍。下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は龍女是。生身得忍の手本は純陀是也」

とあります。つまり、臨終の相で成仏が決まるのではなく、法華を悟れる智者死骨を供養すれば、生身得忍・即身成仏するといいます。
この文面の紙背に徹すれば、どのように遺骨を供養するかという秘法を、弟子に相伝していたと思われます。わたしは、その弟子につらない在俗ですから、その内容は存じません。以上の如き、秘儀があれば、在俗の執行する葬儀では即身成仏はないことになります。

> 「苦の克服」と顕正居士さんの仰る「成仏」というものを得ることは同義でしょうか?

顕正居士さんが仰るとおり、仏陀とは、知る人、もしくは目覚めた人ということとして、わたしも述べました。これは日蓮義とはもちろん、別意です。この原意の成仏(知る人・目覚めた人)が得た智によって克服されるのが苦であるという脈絡と考えます。

> 接してきた方の中で、苦を克服した方はいますか?

元より、苦の克服とは各個人における気分でしょうから、他者であるわたしが、「誰々が」と申し上げる筋合いのものではないと考えます。

ただ、生前、死期を悟った母が、わたしの手を握り、「お世話になりました。これから、お前は一人になってしまう。けれど、ずっと私がお前を守っているから」といい、「南無妙法蓮華経」と伏したまま、唱えた相は、八十有余の制の苦しみを終え、死後の不安も残さない穏やかな姿でした。
数知れず、多くの人々の死に接してきましたが、宗派の相違など関係なく、死を悟り、死に臨む人々の表情は穏やかであり、生身得忍を待つまでも、こうごうしいものでした。

798犀角独歩:2008/03/20(木) 12:15:50

【797の訂正】

誤)八十有余の制の苦しみを終え
正)八十有余の生の苦しみを終え

誤)生身得忍を待つまでも、こうごうしいものでした
生)生身得忍を待つまでもなく、こうごうしいものでした

799問答迷人:2008/03/20(木) 21:05:11

犀角独歩さん

>ただ、生前、死期を悟った母が、わたしの手を握り、「お世話になりました。これから、お前は一人になってしまう。けれど、ずっと私がお前を守っているから」といい、「南無妙法蓮華経」と伏したまま、唱えた相は、八十有余の生の苦しみを終え、死後の不安も残さない穏やかな姿でした。

そうでしたか。すばらしい事です。僕も臨終に、そのような姿でありたいと願うばかりです。

800しゅんかん:2008/03/20(木) 22:51:10
私がこちらの掲示板を知る事となって2年半程になります。
当初、スクロールする毎に目から鱗でした。

それは組織の人(第三者)に操られないさまを文面から感じ取ったからでしょう。
自らの感性を他者が共有してくれないと不安であるが、自らの感性の共有化を他者へ働きかけない
所に、私は「目から鱗」だったのだろうと他ネット上での石山系の方の論を拝見し感じる今日この頃です。

801顕正居士:2008/03/21(金) 02:36:16
のぶしさん。

およそ凡人がブッダと称されるような方と同様の知性に至る可能性はありません。なのになぜ
あらゆる生類がブッダになれるというのか。インド人は生まれ変わりを信じますので今世で努力
しますと来世はその分高い素質で生まれるとするからです。凡人も無限の生まれ変わりの後に
はブッダになれると。しかし素質は両親の遺伝のみで決定されます。以外の原因はありません。
輪廻転生は遺伝のみで素質が決まることを知らなかった時代の発想だと思います。たしかに
遺伝形質がいわば転生していくのですがそれは親子の線でです。努力の結果も遺伝しません。
けれどもあらゆる先人の努力は文明として蓄積されます。われわれは学びさえすれば釈尊の
時代の人とは比較を絶する認識に到達できます。輪廻転生の思想は今日では文明の発達と
理解すべきかと思います。将来には遺伝形質自体の改善や知性自体の向上も可能になること
でしょう。そういう意味で現代人とその子孫ははみなブッダに至る急速な過程にあるといえます。

日本人の先祖儀礼は顕著な人物を神として祀ることはしますが、現世の人を守護してもらうと
いう期待は少なく、生前に思い残した事柄を慰めるという意向が強いと思います。思い残した
ことがある方が幽霊や鬼になるとはわたしは考えませんが、志を果たせず亡くなった無数の
祖先におもいをいたすことはその恩恵で生活しているわたしたちにとって必要な事柄でしょう。

802犀角独歩:2008/03/21(金) 16:36:44

799 名前:問答名人さん

レス、恐縮至極に存じます。有り難うございました。

803犀角独歩:2008/03/21(金) 17:53:04

『木絵二像開眼之事』の「智者死骨を供養せば生身即法身。是を即身といふ。さりぬる魂を取返て死骨に入れて彼魂を変て仏意と成す。成仏是也。」は即身成仏は智者によるというコンセプトに基づきます。

ところが『化儀抄』では「仏事引導の時、理の廻向有るべからず智者の解行は観行即の宗旨なるが故なり、何かにも信者なるが故に事の廻向然るべきなり、迷人愚人の上の宗旨の建立なるが故なり、夫れとは経を読み題目を唱へて此の経の功用に依つて成仏す等云云。」といい、智者でなく、愚人によるという。『化儀抄』は『木絵二像開眼之事』の意図とは違う説を立てている。

ところがの『当家引導雑々記』には「引導師は智者に非らずんば叶ふべからず、其の故は死人は無心にして草木の如し、而も無心の者に心を入るゝ事は且らく導師の心地に有るべきなり」といい、石山では、この文にも拠っている。

もとより、真蹟遺文にみられる「引導」は、『化儀抄』『当家引導雑々記』にいうような引導とは意味が異なっています。

「十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ」(兄弟鈔)
「悉達太子は閻浮第一の孝子也。父の王の命を背てこそ、父母をば引導し給しか。」(下山御消息)

智者の供養というところが、迷人愚人の引導となったり、智者の引導となったりという経年の相違がみられます。供養を引導と言うようになるのはまだしも、智者でなければ叶わないはずが、それを迷人愚人としたり、はたまた智者による言を用いたり、この一貫性のなさが、いかにも石山で言われる相伝のあやふやさを露呈した証拠であると感じます。

804一刀両断:2008/04/04(金) 16:30:19
久しくこの掲示板より離れておりました。
犀角独歩さんや皆様のご活躍ぶりを拝見して、本当に尊敬の念に堪えません。
敢えて私が記すまでもなく多くの方々がご回答下さっていらっしゃいますので、書き込む必要もないかと思いましたが、
のぶしさんに名指しされましたので、少々所見をと思いました。

教学的な面はすでにみなさんがご回答下さっていらっしゃいますので、私自身がのぶしさんに申し上げられることは何もないのですが、
敢えて言わせて頂くならば、「組織による信仰は必ず矛盾が生じ、限界がくる」とうことです。
顕正会で活動されていた事がある方ならば当然のようにご理解できる事とは存じますが、実に改めて過去の自身の活動内容を振り返りますと、
全てが組織防衛の為の理論でしかなかったと痛感されることと思います。
真実を見極め、実践すべき宗教が、組織による信仰になった途端に自組織を自然と防衛する偏った理論展開をせざるを得なくなってしまうのです。
ゆえに「この組織こそ唯一正しき正統である」などという組織ほど、信仰理論を身勝手に都合良く解釈し、それを組織に徹底する羽目になり、結局矛盾に満ちた結論しか導き出せなくなってしまうように思います。
そしてこれをあたかも宗派の根本教義のように組織に徹底してしまう事で、組織内では都合のよい、組織外には全く馬鹿げた風に思える理論が成り立っていくように感じます。
私はこの考えが固まった上で、学会の方、法華講の方とも話しましたが、とどのつまり組織のトップの方に対する疑問を投げかけた所、「絶対にそんなことは有り得ない、TOPを信じられないならもういいです」と体よくお引き取り頂いたものです。w

私は現在、組織信仰の人達のさす、信仰を実践している事にはならないのでしょう。
組織の都合で教義が左右される信仰は、すでに信仰ではないと思っております。

本当の組織の指導者とは本当の信仰者であり、組織防衛などの概念があってはいけない、と考えています。
勝手な言葉ばかり並べて何も回答になっておりませんが、私自身が今、宗教、宗教団体に対する考えを披露させて頂きたいと思いました。
失礼いたしました。

805犀角独歩:2008/04/05(土) 14:16:46

一刀両断さん、お久しぶりです。
仰るところ、わたしも深く同感いたします。

806顕正居士:2008/04/05(土) 15:17:41
>>804
一刀両断さん。正確に言いますと団体を防衛しているのではなくその現執行部を防衛しているのですね。
団体が発展を続けるためにはある段階では現執行部の退陣が必要になります。団体の発展を犠牲にして
現執行部を防衛するのです。これは今の日本社会の一特色です。主要な会社は「株式持合」をしており
独立株主の発言を封じています。したがって儲からないことばかりしている現経営陣を退陣させること
ができません。

807:2008/05/08(木) 23:16:41
他のスレッドより独歩さんより質問を頂き
答えを求められましたので、以下簡潔に書きたいと思います。

(1)誓願当時のことは詳しく存じませんが
一億折伏は「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」の書、及び新聞広告で成されたのではないのでしょうか。

(2)おそらくコピーし奉られたからではないのでしょうか。
御影を寸分も狂わずに写していますから、信徒としては信を取らせて頂きます。

808偶ロム偶ログ:2008/05/09(金) 02:37:04
横レス失礼。

(1)
本とか新聞広告が折伏というなら、創価学会は昭和20年代から天文学的数字の折伏を
やってきたという論理も成り立つ。
また、事実としては延べ一千数百万人を結縁させたということにもなる。
一対一で相対して行なうのが折伏であって、出版だの広告だのはたんなるコマーシャル
にしかすぎないでしょう。
また一人に対して複数で行なう説得も折伏ではなく強要行為にしかすぎない。

(2)
顕正会の信徒としては問題ないのかもしれませんね。
ただそれでは、伝統的大石寺信仰や日蓮正宗信仰とは相容れない「信」ですね。
かつて創価学会が本尊模刻を行ない問題となったとき、顕正会は批判したように
記憶しているのですが、事象としては全く同類の行為ですね。
それを正当化する論拠は、日蓮の信徒であるならば、「御書」から導かねば
ならないわけです。
ところが顕正会には「御書」がありませんね。
学会版は論外なのでしょうが、正宗の「平成新編」も、顕正会とは無関係な
教団の「御書」ですから、使用できるテキストがないですよね。
そうなると、真蹟の写真集を解読して使用するしかありませんが、顕正会では
どうしているのでしょうか。
また、真蹟以外の写本しかない「御書」も講義したり引用したりしていますが、
それらは基本的に顕正会からすれば「謗法」の教団が出所です。
それを使用することは「謗法与同」にはならないのでしょうか。

いづれにしても、顕正会も創価学会にしても、日蓮正宗の教義教学のつまみ食い
をしているだけではないですか。
もっとも、日蓮正宗にしたところで、他山他門のパクリで成り立っている宗教で
あることは、こちらの掲示板で縷々論証されたことです。
本尊コピーの正統性を主張されるのであれば、正宗教学をきれいさっぱりと捨て
顕正会独自の教学を立てられるべきでしょうね。

809:2008/05/09(金) 05:40:00
(1)なるほど、成り立ちますね。
(2)コピーの御本尊はコピーだからこそ慎重にしなければならないと考えます。
コピーだから偽というのは、どういう御書がより所なのでしょうか。
写本を引用してはならないとすると、羅什訳の法華経も真跡以外は全て謗法となりますが
御書を見る限り、宗祖はそういう事は仰せられていないように拝します。

810犀角独歩:2008/05/09(金) 06:08:37

(1) 新聞広告で1億人折伏ですか。昭和48年7月15日付『顕正新聞』では、1億人折伏の前段として、100万達成は1996年、1000万は2003年としています。'96年、'03年の、広告折伏を具体的に挙げてください。

(2) 「御影を寸分も狂わずに写していま」ということですが、どうやって写したのでしょうか。

811偶ロム偶ログ:2008/05/09(金) 16:22:10
>>809

>コピーだから偽というのは、どういう御書がより所なのでしょうか。

私の立場は簡単です、真蹟は本物、真蹟を書いた本人の知らないところで作られた
ものは「似せもの」「まがいもの」である、と考えます。
コピーを「偽」とは思いませんよ。
ただ、素直にコピーであるというだけのしろものです。
したがって、御書云々以前のことと考えます。

>写本を引用してはならないとすると、羅什訳の法華経も真跡以外は全て謗法となりますが

大昔は今日いわれるような経典の成立年代とか成立過程はほとんど考慮されて
いませんでした。
他宗伝来の経典であっても、当時の仏教僧は経典じたいを仏語と信じていました。
他宗を毀謗するようなこともあまりなく、日蓮の他宗批判は釈・疏・言説・行為
に対してであり、浄土三部經それじたいを難ずることはされていません。
いっぽう「御書」についていえば、真蹟および直弟の写本以外の「御書」は、
たいていの場合、直弟死亡後に出現しています。
もちろん中には直弟が書状などで引用していたものもごく少数あり、それらは
真蹟に準ずるものとして考えることも可能です。
しかし、ほとんどの場合は、その当時の門流なり寺院なり僧侶なりが、各自の
置かれた状況によって何らかの必要に駆られて創作したものと考えられます。
写本については、ほとんどの場合、初出がわかります。
そしてそのほとんどは大石寺系以外つまり大石寺からは謗法とされるところから
「写本」として世に出てきているのです。
他山他門のものでも、自分に都合がよければ利用する、というのはご都合主義と
いわれても仕方のないことであると考えます。

A、真蹟
B、直弟の写本
C、直弟死亡後に出現した写本

「御書」と言えるのは厳密には、Aだけです。
Bは、複数の直弟が写本を殘していればとりあえず「御書」と考えても良いでしょう。
Cは、たとえ内容が信仰に資するものであっても「御書」ではありません。
あくまでも「門流文書」として読まれるべきなのです。

蛇足になりますが、よく「文証」という言葉が使われます。
これも厳密には、經・釈・疏に限られます。
日蓮は、法華最勝・法華最大一、を論証するために經・釈・疏を引用しました。
「御書」を「文証」としてあげる場合、使用できるものは「御妙判」だけです。
正宗系を含む日蓮系の他宗教・他教団・他門流を批判とか「破折」するときに
「御書」を出してもそれは「文証」とは言いません。
たんに「引用」にすぎないのです。
正宗系を含む日蓮系の他宗教・他教団・他門流が法華経に違背しているという
のであれば、そのときには經・釈・疏ならびに「御妙判」を「文証」として
批判すれば良いのです。

尚、日蓮在世当時の仏教において、末法無仏、は常識でした。
これは日蓮とても例外ではありません。
無仏世界だからこそ菩薩が出現する、これが日蓮の解釈であり立場でした。
当時の仏教において、釈尊滅後に出現し衆生を救済する仏は弥勒仏である、と
考えられていました。
この考えを否定する日蓮の「御書」は存在しません。
釈尊滅後から弥勒仏出現までの無仏期間、代わりに衆生を済度するのは菩薩なのです。
かりに「日蓮本仏論」を主張する場合は、これもまた、「文証」として使用できるのは
經・釈・疏だけに限られることは言うまでもないことです。。

812犀角独歩:2008/05/09(金) 21:56:10

旦さんは、遁走したようですね。
それにしても現役の顕正会員が、顕正会の本尊模造を認めたうえで、偽造品でも信を取るといった発言は、顕正会も、創価学会の本尊独自頒布と同じ第3ラウンドに入った観があります。
寸分違わなければよいのだそうですが、顕正会の模造本尊は授与書きの削除、縮小拡大率を変えたりしていますから、寸分違わない模造品ではないですね。
また、写真技術を使っているので、これを写本とは言いません。お気の毒です。

813偶ロム偶ログ:2008/05/10(土) 22:35:08
>>写真技術を使っているので、これを写本とは言いません。

写(真技術)本、ということでっしゃろ(苦笑)。

814:2008/05/11(日) 00:15:18
>>812
顕正会は同じ尺度と思いますが
縮小拡大云々は創価学会の
日寛上人の御本尊の話ではないのでしょうか。

しかし、そもそも倍率や尺度が少し変った時点で、
全く御本尊に成り得ないという暴論が成り立つなら
法華経においても、真蹟かどうか
独歩氏のような重箱の隅を執拗につつくような論は
不可欠だったものと考えますが
日蓮大聖人は全くそういうことは言及なされていない。
天台大師も伝教大師もそのようなことは論じていない。
下種仏法は大網と拝するのが富士門流と考えます。

815:2008/05/11(日) 00:17:29
日蓮大聖人、伝教大師、天台大師から
全く外れた視点から仏教を再考するというのは
もはや外道ではないでしょうか。
本人は全く気づいてないとすればお気の毒です。

816偶ロム偶ログ:2008/05/11(日) 01:39:02
>>814・815

信仰者と研究者・探究者は立場も姿勢も異なります。
互いが互いの相違点をどのように理解するか、それによってその人の器が見え
るものです。

さて、問題は縮尺云々ということではないのでは?
どこの誰がなにを本尊にしようが、基本的にはその人の勝手ではあります。
しかし、仏教には儀軌というものがあり、特に本尊に関する儀軌は細かく定め
られています。
天台伝教と続く日本天台の流れにおいても同様です。
日蓮は日本天台の流れを汲む僧侶でしたから、とうぜん天台法華の儀軌を破る
ようなことはなかったはづであります。
顕正会の本尊の問題は、どのような儀軌をもとに当該本尊を作り祀ったのか、
という点が明らかではありません。
少なくとも「冨士大石寺」とか「日蓮正宗」などの流れを汲みかつその正統を
主張するのであれば、当該本尊の件について説明するべきでしょう。
もちろん、その説明の論拠は、日蓮を下限とし歴代の文書など用いるべきでは
ないことはいうまでもありません。
また、その際に用いられる日蓮の文書にいわゆる「相伝書」などを含むことも
論外であります。
どうしても用いなければ説明できない、となればそれだけで信用性に疑問符が
つけられることになります。
なぜならば、いわゆる「相伝書」は他門・他山にも存在するものであり、その
内容がそれぞれ同一ではないからです。
さらに、顕正会は「大石寺」「日蓮正宗」系というのですから、北山・西山・
保田・要法寺など他山伝来の「相伝書」を用いず、「大石寺の相伝書」だけを
用いるべきです。
さて、このような方法論で、
1、在家が本尊を作ることの正当性
2、その本尊は書写されたものでなくても良い理由
3、その本尊は写真技術を使ったものでもよい理由
4、そのようにして作った本尊を祀ってもよい理由
5、そうして祀った本尊を拝んでもよい理由
6、そうして祀った本尊を会員信徒に拝ませてもよい理由
少なくとも、以上についての説明がなされてしかるべきでしょう。
そしてなによりも、そうして作られた本尊がなぜ本尊であるといえるのかを、
上記の方法論で説明できなければならないでしょう。

法華経その他の経典の真偽についての日蓮当時の一般的な考え方については、
すでに述べていますので繰り返しません。
冨士門流といえど日蓮門下です。
門流教学の視点での論は門流内では通用するかもしれませんが、門流外では、
とても通用するものではありえません。

独歩さんは、学会版御書全集、正宗の昭和新定、正宗の学林版天台三大部、
富士宗学要集などを繰り返し精読しています。
その上で批判を展開しているのです。

>>日蓮大聖人、伝教大師、天台大師から

これは、逆次に読むという意味でしょうか。
たしかに逆次の読みというものはありますが、一連の議論の流れは順次でなけ
ればならないことは「論議講説」の絶対的方法論ではありませんか。

>>全く外れた視点から仏教を再考する

前述のように、独歩さんの視点は、学会版御書全集、正宗の昭和新定、正宗の
学林版天台三大部、富士宗学要集などを精読した上でのものであって、全く外
れた視点というわけではないと思います。

>>もはや外道

本来、外典外道とは内典内道に対する言い方ではありますが、そこに非難する
ような意味合いは含まれていません。
日蓮も日興も外典外道を知悉しており、外典外道を謗法視するような言動は、
全くありません。
また基本的に日蓮日興段階での外典外道とはおおまかに言えば「道教、神道、
陰陽道」などですが、大石寺じたいが外典外道を典拠として「四神相応の地」
に建立されたことは、堀日亨『富士日興上人詳伝』でも指摘されています。
もっといえば、外典外道なしに日本仏教も日蓮の教えも成り立たないのです。
顕正会流の日蓮正宗教学解釈は、本家である日蓮正宗教学よりもいびつなもの
になっているのではありませんか?

817犀角独歩:2008/05/11(日) 10:59:13

一晩、閲覧しないうちに畢ってしまいましたか。

まあ、今回の件では、顕正会の折伏は新聞広告による。本尊は模造している。という2点を現職顕正会員を名乗る人物が投稿したことには意味がありました。しかし、顕正会本部に、この人物、実名が割れたら、除名になるのではないでしょうかね。それくらい、顕正会にとっては、困る発言ではないですか。

まあ、もっとも、創価学会が、本尊頒布に踏み切ったのと同様、近々顕正会もはじめる前哨戦とみなすこともできます。創価学会も会館の本尊模刻、そして、会員頒布という順番でした。顕正会もよろしく先輩の見習っているということになります。

まあしかし、新聞広告が折伏というのは、なんともはや、でしたら、もう世間の迷惑になっている、嘘を言って連れ出し囲んで勧誘といった「折伏」(こんなものは折伏ではなく一種の詐欺でしょうが)は、やめて、毎日、新聞広告を出していればよいのでしょうね。

この2点については、顕正会の公式見解を聞きたいものです。

818偶ロム偶ログ:2008/05/12(月) 01:47:16
件の顕正会員さんのサイトでの書き込み、あまりにも低劣ですが、参考のために
以下にふたつに分けてコピペします。
みなさんはどのような感想を抱かれるでしょうか。
私は、マザー・テレサを悪魔と言った日蓮正宗の僧侶と同類であり、彼らに仏法
とか日蓮を語る資格はないと考えます。

【太平洋戦争で誹謗正法の日本人を大量に虐殺したからアメリカは名実共に、世
界一の国となった】という暴論
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第二次世界大戦以降、アメリカは名実共に、世界一の国となった。なぜそうな
れたのか、というと、太平洋戦争で誹謗正法の日本人を大量に虐殺したから、
と言えるかもしれない。いきなりこう切り出すと、突拍子もない論のように見
えるかもしれないが、以下に詳しく書きたい。
 大聖人は、法華経の敵を殺せば、大功徳を積むことが出来る、と確かに仰せ
られている。当時の日本は、廃仏毀釈という思想が浸透し、仏を排斥し、神道
を崇めるという明治政府の国教制度が行き届いた。しかし、仏と神の勝劣は、
仏が勝ち神は劣る、と大聖人は指南する。仏は主で神は所従と仰せられる。も
し、主君の仏を蔑ろにし、所従の神を崇めれば、かえって神は仏に従い、廃仏
した者は、仏は勿論、神からも見離されてしまうと説かれる。なぜ、仏が勝り
神が劣るのか、と言うと、聖徳太子の時代に仏法が日本に伝来した時、物部と
蘇我が、日本の神を崇めるか、外国の仏を崇めるか、という宗教戦争をおこし
、仏派の蘇我一派が勝利し、仏を崇めるということで一度決着がついているか
らといわれている。この通りなら、明治政府のしたことは、仏と神の秩序を乱
す大謗法の行為に当たるといえる。太平洋戦争には、天皇中心の一神教のよう
な宗教が浸透した。これは、大聖人が日本に留め置かれた、一大秘法の本門戒
壇の大御本尊を押し倒す邪義といえる。よって、仏法の法味をなめ、日本を守
護する諸天は去り、かえって法華経の大怨敵と化した日本を、激しく攻撃する
反ファシズムのアメリカに、仏法を守護する諸天善神は味方をした。大謗法と
化した日本人を空爆で大量に殺したことで、アメリカは大功徳を積むことがで
きたということになる。以上は己義ではなく経文にまかせた論である。

819偶ロム偶ログ:2008/05/12(月) 01:57:36
件の顕正会員のもうひとつの主張です。
【ダライ・ラマは悪魔】という考え方を肯定することはできません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ダライラマという名の悪魔。

 日一は顕正会なりや?日蓮正宗なりや?という質問をいただいた。率直に言
うと、日一は本門戒壇の大御本尊に御味方申し上げる宗の者ということになる
。もし、どちらか選ばなければならないとなると、大石寺になるのでは、と考
える。ちなみに、顕正会の会則には、広宣流布し国立戒壇が建立する暁には、
日蓮正宗に会の財産をすべて供養し解散するとある。両者の教義によると、ど
ちらも最終的には日蓮正宗が広まるということで一致していることになる。日
一の自宅にまします御本尊は、日寛上人御書写の小幅の御形木御本尊である。

 チベット問題について、日蓮正宗、顕正会の公式見解は出ているのか、とい
う問をいただいた。顕正会では中国を絶対悪としている。日蓮正宗はよくわか
らないが、おそらく世間の風潮と同じように、チベットをかばうのでは…と考
える。しかし、日蓮大聖人の御書に依ると、阿羅漢に似た一闡提のダライラマ
こそ悪人ということになるのでは…と日一は思う。立正安国論の通りなら、チ
ベット密教が根付いている限り、チベット独立の日は遠のき、他国から兵乱を
招くということになる。ダライラマの他力本願な主張をかばうと、念仏無間、
真言亡国、禅天魔、律国賊と喝破あそばされた、上行所伝の南無妙法蓮華経で
はなくなってしまう。チベットを腐らせているのはチベット密教なのである。
このことを知らせないといけない。
 イスラム社会では一般市民がアメリカ軍に殺され、キリスト社会ではイスラ
ムによるテロが絶えない。一閻浮堤広宣流布の暁には、チベット密教もイスラ
ム教もキリスト教もすべて根絶されて、一同に本門戒壇の南無妙法蓮華経とい
うことになる。そのためには、まずは出来るところから、すなわち日本の広宣
流布のはずである。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。

820富士川一郎:2008/05/12(月) 09:31:46
>>顕正会の会則には、広宣流布し国立戒壇が建立する暁には、日蓮正宗に会の財産をすべて供養し解散するとある。

実はこれは大きな誤解です。
宗教法人顕正会の解散条項は
「第三条の目的が達せられたときには」
とあります。
では第三条は何か?長いですが、そのまま転載します。
「この法人は、日蓮大聖人を末法下種の本仏と崇敬し、大聖人出世の本懐たる弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」を帰命依止の本尊とし、血脈付法の二祖日興上人を末法下種の僧宝と仰ぎ、日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立を成就して真の日本国安泰および世界平和を顕現することを目的とする。」
つまり
「広宣流布し国立戒壇が建立」だけでは解散条項としては不十分でありまして
「真の日本国安泰および世界平和を顕現」
までが必要なのです。
しかし、そもそも「真の日本国安泰および世界平和を顕現」が抽象的ですので、「顕正会が真の日本国安泰および世界平和が顕現したと認めた時」解散となると考えることが出来ます。

もっともこの法人には前身があります。現在の顕正会員には知らない方が多いですが、宗教法人顕正寺です。
その法人を名称、主たる事務所、目的、役員を全面的に変更したのが、該法人です。

なお、旧法人規則にはこうあります。
第三条 この法人は、日蓮大聖人が弘安二年十月十二日に御建立あそばされた本門戒壇の大御本尊を信仰の主体者とし、二祖日興上人以来日蓮正宗大石寺の歴代法主上人に伝わる血脈付属を護持し、国立戒壇建立の大理想を放棄せざる以前の日蓮正宗の教義にもとづいて折伏弘通および儀式行事を行い、日蓮正宗に日蓮大聖人の御遺命たる国立戒壇の正義を蘇らせることを目
的とし、そのために必要な業務および事業を行うものとする。

第三十二条 この法人の目的が達せられたときは、この法人の境内地および境内建物を日蓮正宗大石寺法主上人に供養し、法人の存続等については、法主上人の指示に従うものとする。

つまり解散とはうたっておりませんが、「御遺命守護完結の時に境内地および境内建物を日蓮正宗に供養する」となっておりますので、事実上解散条項だったのです。

参照
顕正会本部(当時、東京都板橋区常盤台)にて御遺命守護完結奉告法要行われる「平成10年4月」

821犀角独歩:2008/05/12(月) 18:59:37

富士川さん

>「広宣流布し国立戒壇が建立」だけでは解散条項としては不十分でありまして
>「真の日本国安泰および世界平和を顕現」

会員たちは、国立戒壇が建てば、日本は安泰、世界は平和、1日3時間働くだけでよいとか何とか信じ込まされているんじゃないですか。つまり、国立戒壇建立=日本安泰・世界平和という単純明快なトコロテン的に考えているということでしょう。

しかしまあ、平成10年には御遺命達成したことになっているわけですか?

822犀角独歩:2008/05/12(月) 19:01:58

まあ、どうでもいいことですが、日蓮を敬わないと他国から攻められて国が滅びるそうですが、中国も、アメリカも他国から攻められることもなく、国が栄えているのはどうしてなんでしょうかね(笑)

823富士川一郎:2008/07/24(木) 12:07:00
顕正会が入信の時に職員等が読む「入信勤行の栞(昭和版)」と「同(平成版)」を見比べておりました。
面白い違いがあります。

平成版の初頭には「入信勤行に当たり、会長浅井先生の指導を、一言、ここに代理として伝えさせて頂きます。」が加わり、浅井先生が強調されているが昭和版には無い。

また昭和版には
『いま入信勤行に当たって眼前に拝する御本尊は、「本門戒壇の御本尊」を大石寺法主上人が書写あそばされたものであれば、』
と言う文字があり、
曲がりなりにも“法主上人”の語があるが平成版には無い。

つまり平成版では目の前の本尊がいかなるものかの説明すら無いので、本気で「戒壇の御本尊」を「富士大石寺に相伝され、現在は顕正会本部にある」と言い切った会員すらいる。

本尊の曖昧化と言う意味では創価学会に似ているように感じた。

824犀角独歩:2008/07/25(金) 22:54:30

富士川さん、

昭和と平成の比較、これはなかなか面白いですね。
しかし、こうしてみると、顕正会の改変は、ほんとうに創価学会と同じですね。

825伏せ名:2008/07/27(日) 21:57:59
会長独自の論述展開がなされる「六巻抄講義録」をお聞きになった方はいられますでしょうか?
かつて顕正会公式頒布品だったので、反論を目論んで「これはテープに細工がなされている」などと言う会員がいたら笑いものになってしまいますが、
この講義の内容がかなり面白みがあります。

六巻抄講義、とは言うものの前置きにて、敢えて会長が一部端折ることを断言している編もあるのですが。

過去と現在の会の方向性の違いが浮き彫りになってきます。

何と言っても生々しく会長自ら生き生きと語っているところが味噌です。

826富士川一郎:2008/07/28(月) 10:48:16
私は成増の区民センター(場所は記憶不鮮明)で聞いたことがあります。
また、一番最後まで横浜会館でテープ販売されてましたが、買わずに脱会しました。
今はどうなのかな?
確か、最終的講義では、当家三衣抄をやらずに終了したように思います。

827犀角独歩:2008/07/28(月) 14:01:37

> 当家三衣抄をやらずに終了

さもや、ありなんといったところですね。

たしかに『六巻抄』は、よく書けていますね。
要は一大秘法から三大秘法、六秘という開合が太い幹にあって、そこになっている果(み)は下種三宝を念じて唱える題目(因)によって即身成仏できる。その一大秘法をもっているのが、大石寺の歴代の住職だという結論(当家三衣抄)なわけです。

だから、この物語を、本気で説明すると、結局のところ、僧の、それも、大石寺「御法主上人猊下」は素晴らしいという当住論になるわけですから、坊さんの称賛であるわけです。

しかし、創価学会にしても、顕正会にしても、この本当の結論を言うと「先生」より偉いものを説明してしまうことになりますね。戸田さんあたりは自分に絶対の自信があったから、いくら石山当住を褒め称えても、それがかえって自分の威厳を高め、登山会にみんな駆け出し、ひいては自分のポケットにお金が入るという“経済機構”と民衆扇動が繋がっていたわけです。まあ、天才的といえるでしょう。

浅井さんの『六巻抄』講義は、この結論を省いての放言でしょう。要は画竜点睛を欠くといった趣。もっとも晴(ひとみ)を点じたところで、それが後世の捏造物では話にならないわけです。

不思議に思うのは、浅井さんの話というのは聞いても「何を言ってんだか」と一笑に付すようなものばかりなのに、何故、会員や、中には脱会者まで、「浅井先生の話はうまい」なんていうのでしょうか。たとえば、天動説で科学を如何にうまく喋ったところで嘘は嘘。「講釈師見てきたような嘘をつき」「講釈師扇で嘘を叩き出し」 の類から一歩も出ないわけです。

こんなことを書くと、また、「魑魅魍魎」「創価学会崩れ」と、やられますかね(笑)

828富士川一郎:2008/07/28(月) 14:48:35
魑魅魍魎さんへ(笑)と言うのは嘘で独歩さんへ。
別スレッドからの続きです。

>>顕正会の5分唱題というのは面白いですね。

これについて、お前(富士川)の私見だと言われるのを避けるために文献をあげておきましょう。
顕正会には石山とは別の勤行要典があるのですが、観念文が違うのは有名ですが、もうひとつ違う点がありました。
唱題の部分に(百偏、五分位)の記載があるのです。
つまりまさに唱題は五分だと決まっているのですね。
さらには浅井さんの指導の中にメトロノームで1分に20〜23回位が適当だと指導しましたが、これも余り根拠が希薄ですね。
ちなみに昔の(今もかも知れませんが)顕正会本部にはリズムボックスがあり、そのメトロノームが常にカチカチと鳴ってましたね。

829犀角独歩:2008/07/28(月) 15:08:51

富士川さん

この手の物証、ぜひ蓄積しておいてください。いい資料になりますね。

しかし、メトロノームですか。面白いですね。
そういえば、わたしが小学校の頃、創価学会の組織でカウンター(数取り器)が販売されたことがありました。本部からのものであったのか、大田区だけであったのか、はたまた、地域の個人販売であったのかわかりませんが、唱題の時にこれを使っていた時期があります。

どちらもしかし、信仰の具としては似つかわしくないですよね。

830富士川一郎:2008/07/29(火) 13:49:19
亀レスで恐縮ですが独歩さんという一人の人物に対して「魑魅魍魎」は可笑しいと気付きました。
と申しますのは、
魑魅魍魎のうち、「魑魅」は山の怪、「魍魎」は川の怪であります。
独歩さんんは体は一つなのに山の妖怪と川の妖怪の両方になってしまうのです。
ちょっと思いましたので、書いてみました(笑)。

831犀角独歩:2008/07/29(火) 16:05:35

富士川さん

一体で二体分の妖怪だといいたいのでしょう(笑)

832富士川一郎:2008/10/01(水) 13:35:38
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080930/crm0809302249046-n1.htm

顕正会員またまた逮捕。

833宗教はアヘン:2009/01/12(月) 01:06:31
金がないのでマクドナルドで安いハンバーガーを食べていたら、顕正会という教団に勧誘されたことがあるが、
とにかく教祖の浅井という男を絶賛する話ばかりしていた。まさに北朝鮮の首領様だ。
どうして日本人は一人の人間を奉るのが好きなのか?戦時中は天皇陛下を神様扱いにしたしたし、
戦後は各宗教団体が教祖を昔の天皇のように敬う対象にしている。教祖に金を収奪され
搾取される奴隷になるだけである。私は質問した。浅井教祖はどうして唯一正しいなんて言えるの?
人間だろ?完璧な人間なんて世の中には存在しないよ。それと要するに会費取るんだろ。
無料なら入ってやるよ。くだらない勧誘活動してないで派遣村へ行って
もっと本当に他人の役に立つことをしなさいと。こういうとすごすごと逃亡したよ。
くだらないねえ。日蓮大聖人や親鸞聖人や弘法大師や、それぞれは苦労して
修行もされたのだろうし、立派なことも言われたのだろうけれど、
結局、弟子が馬鹿ばかりだったのか、何も伝わっていないんだよね。
今ではどこの神社も仏閣も堕落でしょう。定額給付金の財源は宗教団体に課税
するのが一番です。楽してもうけてばかりじゃ労働者はばからしいですから。

834一刀両断:2010/02/25(木) 08:59:13
先日、かつて活動を共にした者が、顕正会から法華講へ移ったということで連絡を頂きました。

会う機会をまだ得ていませんが、簡単に信仰をスライドさせながらも正宗信仰に人生を見出す姿に驚かされました。

それに平行するように今度はやはり共に活動していた者に街でばったり会ってしまいました。

その際、こちらの主張は一切出さず今の会の現状を淡々と聞かせて頂きましたが、あまりにも無残な会の活動内容を聞いて落胆してしまいました。

そして最後に小冊子を分けて頂き少し読ませて頂いたが、一部愕然とする内容が掲載されていて、悲しくなりました。

平成33年までに300万を達成することを誓願する、とまたも会長の妄言の記載。

過去の不適切かつ会員を路頭に迷わす結果となった数々の無責任な発言には一つの言及もせずに、また勝手な願望をでっち上げて会員を翻弄しようと企てていたのです。

これには心底悲しくなり、また憤りすら湧いてきました。

私自信は、この破綻した宗教から縁遠くなり、普通に生活を送っていましたが、かつて縁あって知り合った大勢の者、私が手引きして入会させてしまった多数の者達が、私の知らぬ所で今尚葛藤を繰り返しながらも、人生を翻弄されている事実を見たとき、

過去の私の清算が何も終わっていない事を痛感いたしました。



昨年末、大掃除をした際に出てきた顕正会の膨大な資料、貪るように聞き入っていた会長の六巻抄講義録など、

今会員が会長の声のままのこの指導を聞いたら、目の玉が飛び出るような内容が多く詰まっておりました。

よって改めてHPの活動再開と、こちらで活発に論議されている大変貴重なコメントを改めて見直させて頂き、勉強させて頂きたいと存じます。

なにとぞ宜しくお願いいたします。

835櫻川 忠:2010/02/25(木) 13:20:39
 一刀両断さん、はじめまして。
 
 「過去の不適切かつ会員を路頭に迷わす結果となった数々の無責任な発言には一つの言及もせずに、また勝手な願望をでっち上げて会員を翻弄」、もう浅井昭衛会長が変わる見込みはありませんね。
 
 HPの活動再開、期待しています。過去の膨大な資料を駆使して、顕正会の実態を分析・解明し一刀両断してください。

836一歩二歩散歩:2010/02/25(木) 21:36:32
悪党がのさばり、若い者、弱者が先に逝くこの現実。そんなこの世の不条理に、今、蟹工船のブームが物語るように、
かりそめの世なのかとの諦観的発想が湧いてきます。
真実を知りたいと思いながら、彷徨える我々。
創価や顕正やその他のカルト教団の出現は、永遠に人々が安泰な世を求める証。
そのマインドコントロールにより、権力を握った悪魔の罠に引っかかる。
そして、今も人々は、救世主を待っている。

837年中夢中:2010/02/25(木) 22:30:30
一歩二歩散歩さん

はじめまして

>今も人々は、救世主を待っている。

そうなんでしょうね。空しいです。複雑怪奇なこの世の仕組み。そして、この不況は弱い僕達を打ちのめします。

僕はだけど、救世主を待つのは止めにしました。世を救えなくても良いから、せめて自分だけでも自分が救いたいと思います。もし、自分が踏み潰されずに生き延びることが出来たら、どうやって生き延びたる事が出来たのかを伝えたい、そして、余力がもし少しでも有れば、手助けを出来る様になれないものか、と願っています。ホンのささやかな願いです。

838一刀両断:2010/03/30(火) 17:20:51
前HPはアクセスできなくなってしまい、新たにHPを移行しました。

疑問や問題点などを徐々にまとめていきたいと考えています。

大した内容ではないのですが、少しでも何かの役に立てば幸いだと考えています。

http://www.geocities.jp/sinen_kaiyo/index.html


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