したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

続 大石寺問題提起

1管理者:2002/03/08(金) 17:50

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/mondaiteiki2.htm


【大石寺問題提起】スレッドが300レスで、一杯になりましたので、【続 大石寺問題提起】スレッドを立ち上げます。

宗旨建立750年に当り、『大石寺問題提起』として、以下の三点を問題提起いたします。皆様の活発な御意見をお待ちいたします。

一、本門戒壇板本尊Ⅰ

歴代法主書写の本尊は二千二百三十余年と賛文を認めるのに、大石寺本門戒壇板本尊の賛文が、二千二百二十余年となっているのはなぜか。


二、本門戒壇板本尊Ⅱ

歴代法主書写の本尊には、「有供養者福過十号 悩乱者頭破作七分」の賛文が認められているのに、なぜ、大石寺本門戒壇板本尊にこの賛文がないのか。


三、二箇相承

なぜ、二箇相承書は日興上人から日目上人に相伝されなかったのか。(二箇相承は武田勝頼によって奪われる以前、北山にあったとされている。)

4犀角独歩:2003/01/03(金) 21:52

※犀角独歩を粉砕の皆様方、こちらでお待ちしています。

 冷静沈着かつ、道義・礼節を重んじた議論を希望します。
 主張には、必ず学問的・文献的証拠を添付することを希望します。

5不甲斐ない一法華講員:2003/01/03(金) 22:58
富士門流信徒の掲示板で、とんでもない新しいスレッドができてます。
=================================================================
続 大石寺問題提起
1 名前: 管理者 投稿日: 2002/03/08(金) 17:50
ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。
http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/mondaiteiki2.htm
【大石寺問題提起】スレッドが300レスで、一杯になりましたので、【続 大石寺問題提起】スレッドを立ち上げます。
宗旨建立750年に当り、『大石寺問題提起』として、以下の三点を問題提起いたします。皆様の活発な御意見をお待ちいたします。
一、本門戒壇板本尊Ⅰ
歴代法主書写の本尊は二千二百三十余年と賛文を認めるのに、大石寺本門戒壇板本尊の賛文が、二千二百二十余年となっているのはなぜか。
二、本門戒壇板本尊Ⅱ
歴代法主書写の本尊には、「有供養者福過十号 悩乱者頭破作七分」の賛文が認められているのに、なぜ、大石寺本門戒壇板本尊にこの賛文がないのか。
三、二箇相承
なぜ、二箇相承書は日興上人から日目上人に相伝されなかったのか。(二箇相承は武田勝頼によって奪われる以前、北山にあったとされている。)

4 名前: 犀角独歩 投稿日: 2003/01/03(金) 21:52
※犀角独歩を粉砕の皆様方、こちらでお待ちしています。
 冷静沈着かつ、道義・礼節を重んじた議論を希望します。
 主張には、必ず学問的・文献的証拠を添付することを希望します。
===================================================================

大御本尊を偽者と決め付けたり
犀角独歩の憎たらしい暴言に我慢なりません。
真の法華講の皆さん、何とかしてください。
法華講大阪任務者さん、何とかしてください。お願いします。

6犀角独歩:2003/01/03(金) 23:19

> 犀角独歩の憎たらしい暴言

おいおい、いきなり呼び捨てかい。
本当に法華講員なのかね。
自称法華講で法華講との喧嘩に装って、都合の悪い二種を争わす謀略じゃないのかな。

10管理者:2003/01/04(土) 08:19

不甲斐ない一法華講員 さん

>富士門流信徒の掲示板で、とんでもない新しいスレッドができてます。

物事は、正確に認識していただけると幸いです。このスレッドは昨年1月から存在し、すでに、問題にされているような内容については、議論が出尽くした観があります。今回、不甲斐ない一法華講員 さんから、改めて問題提起が有りましたので、休眠スレッドを活用しているだけです。このスレッドの過去レス、及び、「大石寺問題提起」スレッドを一読戴いて、過去の議論の概要を把握した上で、議論を始められると、適切、かつ円滑な議論となると存じます。宜しくお願いいたします。

大石寺問題提起
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/mondaiteiki.htm

続 大石寺問題提起
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/mondaiteiki2.htm

11管理者:2003/01/04(土) 10:27

それから

>犀角独歩の憎たらしい暴言に我慢なりません。

などと、書き込まれていますが、当掲示板の書き込みルールに抵触しています。今後、このような個人の名誉を毀損する書き込みを続けられた場合は、削除します。

12石山居士:2003/01/04(土) 17:20

独歩さん 初めまして。私は、大石寺信徒です。聞くところによると、独歩さんは、日興上人に対する、日蓮大聖人からの、唯授一人の血脈相承を否定されておられるとか。ご質問ですが、日蓮大聖人が御入滅された後、日興上人以外の誰かが身延山久遠寺の第二代の住職になられたとお考えでしょうか。日興上人が日蓮大聖人のあとを受け継いで住職に就任された以上、日蓮大聖人は、日興上人に血脈相承されたと考えるのが自然で有ると思います。なにか、日興上人への血脈相承を否定するような根拠を御存知でしたら、お示し下さい。

13犀角独歩:2003/01/04(土) 18:47

石山居士さん:

はじめまして。
まず、10に記されているようにご質問に係る議論は既に2年ほど、続けていまいりました。できましたら、過去のログをお読みいただきたいのです。既に該当することは何度となく、記述してまいりました。

なにより、誤解のない議論を交わすために「聞くところによると」などという風聞に基づくことではなく、私が記してきたことに基づいてご質問いただきたくお願い申し上げておきます。

まずこの風聞において「否定」なる言辞が目に付きますが、私は否定しているのではなく、そのような証拠を知らない、故にそのことは確証をもって語れないという趣旨で一貫しています。

誤解がないように申し上げておきますが、私は40年来の石山信徒であったのであり、日蓮本仏、戒壇之漫荼羅、唯授一人が事実であれば、これに過ぎる喜びはありません。
これがまずご質問に係り、私が申し上げることです。

さて、石山居士さんは

> 日興上人が日蓮大聖人のあとを受け継いで住職に就任された

と、このように記されていますが、これはどのような証拠に基づくのでしょうか。
なお、文末に

> 日興上人への血脈相承

とありますが、興師へ血脈相承があったとは、いかなる根拠に基づくのでしょうか。

14石山居士:2003/01/04(土) 20:01

独歩さん 13において、「まずこの風聞において「否定」なる言辞が目に付きますが、私は否定しているのではなく、そのような証拠を知らない、故にそのことは確証をもって語れないという趣旨で一貫しています。」との件、了解いたしました。安易に風聞によって、独歩さんのお考えを取り違えていましたこと、お詫びいたします。

さて、日興上人が日蓮大聖人のあとを受け継いで住職に就任されたと考えますのは、次の、身延の地頭波木井日円より日興上人への状に依ります。少し長いですが富士宗学要集より引用します。

波木井実長入道日円より日興上人への状、祖滅三年、日円の正本西山本門寺に在り。 
はる(春)のはじめ(始)の御よろこび(悦)、かたがた(旁)申こめ(籠)候ぬ、さて(扨)はく(久)をん(遠)じ(寺)にほ(法)くえ(華)きょう(経)のひろま(弘)らせ、をはしまし(御座)候よし、うけ給はり候事めでたく(慶賀)よろこび(悦)入て候(中略三百十字)又みん(民)ぶ(部)のあ(阿)ざ(闍)り(梨)の御房の御文給はりて候事よろこび(悦)入て候、それ(其)につき(就)候てもさて(扨)御わたり(渡)候うへはせ(世)けん(間)しゆつ(出)せ(世)の事につけ(附)候ても何事もふ(不)そく(足)にもあい(相)存ぜず候、なを(猶)なを(猶)みん(民)ぶ(部)の阿闍梨の御房の御はか(墓)に御まいり (詣)候べきよし、うけ給もん(問)だう(答)ものび(延)候へども、この(此)ほど(程)ちかく(近)もん(問)だう(答)ばし候ぬとおぼえ(覚)候、御こゝろ(意)にいれ(入)て御きやう(経)あそばし(遊)て給るべく候。
さて(扨)わたら(渡)せ給ひ候ことはひとへ(偏)にしやう(聖)人のわたら (渡)せ給ひ候と思まいらせ候に候、恐々謹言。
 (弘安七年)二月十九日 沙弥日円在り判。 進上、白蓮阿闍梨御房。(富要八巻三頁)

宗学要宗の編者である堀上人は、著書の富士日興上人詳伝において、『短文の三所に「わたらせ」すなわち入山晋山を祝し、それを「故聖人」すなわち、大聖人の御入山と同様に歓喜しておる。』(165頁)と述べられており、私は、この日円状が、住職に就任された証拠と考えております。

また、日興上人への血脈相承については、特に提出出来るような根拠を知りませんが、第二代住職への就任をもって、血脈相承の結果であると判断できるのではないかと考えております。

15犀角独歩:2003/01/04(土) 20:43

石山居士さん:

「住職に就任された証拠と考えております」と言われ、また、「血脈相承の結果であると判断できるのではないかと考えております」と、私の二つの質問に就き、「考えている」という言をもって答えられました。

殊に、血脈相承につき、「提出出来るような根拠を知りません」と記されていますが、この点は私も同様です。ですから、この点に就き、私も種々考えることはできますが、決定的な証拠を見出せない、と記してきたわけです。

仮に住職になることが相承の証拠であるというのであれば、興師離山後、住職と目される向師は、では相承があったのかという疑問がわきます。また、興師に係る重須は代師が継ぐわけですが、ではこの代師に相承があったとすれば、唯授一人は成り立たなくなりますね。もちろん、これは住職になったことを証拠とするという線に沿って記しているわけです。これら些少のことを挙げても住職就任が直ちに相承の有無の証拠とすることはできないのではないでしょうか。まして、「わたらせ」が住職就任であるというのは根拠としては説得性を欠きます。単に亨師一人のお考えの範囲でしょう。

古語辞典に拠り、該当するであろう意味を拾えば、

わたる「渡る」
行く。来る。時を過ごす。
時間的にずっとし続ける

などが見られます。しかし、住職就任などの意味は取りかねます。

亨師がどのように考えられ、また、石山居士さんがどのようにお考えになろうと、それは自由です。しかし、私が尋ねたのは「考え」ではなく、証拠です。もう少し具体的に言えば、証文を求めているのです。この点は如何でしょうか。

また、引用の文書では「(中略三百十字)」とありますが、ここには何が記されているのでしょうか。証文としてあげていただけるのであれば文を欠損して挙げることは、やや証拠を上げる姿勢としては不適切に思えます。欠字をお示しください。それに従い、少し考えてみたいと思います。

16犀角独歩:2003/01/04(土) 21:20

補足します。
15に、通じて相承と記したのは「血脈相承」の謂です。

17石山居士:2003/01/05(日) 08:18

独歩さん、早速のご返答ありがとうございます。「中略三百十字」の件、原本に当たっておりません。富要よりの孫引きです。富要において、すでに『中略三百十字』とあります。

また、日興上人が住職を務めたという根拠は、向師を学頭任命したという史実を根拠とします。さらに、後に、向師の不法に直面して、向師を学頭から擯出する意思を示されていることです。その経緯が原殿書に述べられていますので、富要より引用します。

原殿書、祖滅七年、日興上人より原弥六郎への返状、中古の写本要法寺に在り。
御札委細拝見仕り候ひ畢ぬ、抑此の事の根源は去る十一月の比、南部孫三郎殿此の御経聴聞の為に入堂候の処、此の殿入道殿の仰と候て念仏無間地獄の由聴聞し給はしめ奉るべく候、此の国に守護の善神無しと云ふ事云はるべからずと承り候し間、是れこそ存の外の次第に覚え候へ入道殿の御心替らせ給ひ候かとはつと推せられ候(中略原文六百七十余字)、いかに(如何)謗法の国を捨てゝ還らずとあそば(遊)して候守護神の御弟子民部阿闍梨の参詣する毎に来会すべく候は師敵対七逆罪に候はずや、加様にだに候はゞ彼の阿闍梨を日興が帰依し奉り候はゞ其科日興遁れ難く覚え候、自今以後かゝる不法の学頭をば擯出すべく候と申す。(富要八巻十頁)

18犀角独歩:2003/01/05(日) 09:50

> 17

ええ、そのとおりですね。
この学頭の任免権は興師がお持ちになっていたように思えます。
で、これがなにか?

例えば、住職・血脈相承が関連のあるものであるとなると、では、興師が離山をした段階で相承の効力は切れたことになってしまいませんか。また、聖人が血脈相承を受けた=住職であるのに、それを放棄してしまうというのは師敵対ということになりませんか。
もちろん、これは相承=住職という石山居士さんの主張に基づいた場合です。

このように言えば、また原書を出されますでしょうか。

「身延沢を罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し打ち還し案じ候えばいずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ、詮にて候え」

ここで唯授一人という筋で考えるのであれば、血脈相承・延山住持・聖人御義の三つが糸でつながるのかどうかということですね。石山教学では、ここら辺を関連づけて考えるわけですが、この関連づけ恣意的と映じます。

まず弟子という点では興師本人が「定弟子六人事(不次第)」の選定を記しています。
これは信頼できる資料です。
しかし、唯授一人という相伝譜は見えません。

第二に、石山でいう久遠寺は美化され続けていませんか。
要するに蓮祖は久遠寺を円師から寄進され、その初代住職?となり、そのあとを興師に継承したというシナリオが、です。しかし、実際、このストーリーは合っているのでしょうか。

久遠寺といえば、大した寺院に聞こえますが、晩年に建てられた小さな草庵一つ。大切なものはそれより、宗廟(墓)随身佛と註法華経のほうであったろうというのは、残る文献でその記述の多寡から測れますね。(随身佛に関する議論は繁くなりますの、後に譲ります)

いまで言う前科者であった日蓮を、領内に招き入れ、庵も拵え住まわせた、しかし、その場所はあくまで地頭の所有であったろうというのが問答名人さんと交わしてきたところです。

当の聖人が寂したあと、訪れる人もなく、さらに墓輪番すら守られなかった。そこに円師、初発心の興師が登ってきたのでm円師は喜んだというのが、先に引用された弘安7年の状のように見えます。しかし、これが血脈相承と係ることを示す証拠はありません。

さらに原書に見られる離山後、立てるという「聖人御義」が血脈相承に係ることを示す証拠もないでしょう。

この三つをつなぐ、証拠がない限り、唯授一人血脈を論じることには慎重でなければならないと私は思うわけです。

なにより、日蓮真跡中「血脈相承」なる成句は一編たりも見えず、また「唯授一人」という成句も同様です。この事実からすれば、日蓮その人に血脈相承、あるいは唯授一人という考え方があったとする証拠すらないわけです。

しかし、石山居士さんは久遠寺住職=血脈相承=唯授一人と主張されるわけですが、これはいかなる明証によるのか、というのがいまの議論です。明証は如何ばかりでしょうか。

19犀角独歩:2003/01/05(日) 10:01

あと、今回、引用された資料にも「(中略原文六百七十余字)」とありますね。
富要にはこの点の削除が目立ちます。
さらに、無い文章を補うところなども指摘できますでしょう。

第一に亨師は富要は正・傍・反のなかには反を略し、正傍資料を編した旨を記されています。この前提に立つとき、割愛された文章を確認することは必須の作業となるでしょう。現段階で私はそこまで、手が回りませんが、石山信徒にとって殊の外、重大な唯授一人血脈相承を証せんとする引用ならば、これらの点を看過すべきではないという慎重さを私は持っています。まあ、自分も点検していないので、敢えて、ここでは置きますが。

20菱村正敏:2003/01/05(日) 11:52
中略310字の件 興風第11号 175頁より

「さて、御わたり候こと、故聖人の御わたり候とこそ思いまいらせ候へ。
御文給はりて候しに、やがて御返事申べく候しところに、やがてまかり
下候べきにて候しあいだ、けさんに申候はんとあい存候て申て候し事、
はまり房に申し候し申して候けるやらん。なをなを御返事すなはち申て
候し事なげき入て候。まかりくだり候てけさんにまかりいるべきよし
あい存候ところに沙汰のあいだの事、のび候はんずらんと存候ほどに
まかり下候てけさんに入らす候事なげき入候。又御きやうあそばさせ
をはしまし候よし、うけ給はり候事、よろこびいりまいらせて候」

中略670余字の件は創価学会発行、編年体版の日蓮大聖人御書に
掲載されています。

21犀角独歩:2003/01/05(日) 22:55

菱村正敏さん:

有り難うございます。
参考になりました。

「御わたり候こと、故聖人の御わたり候とこそ思いまいらせ候へ」
日興上人がお出でになったこと、故日蓮聖人がお出でになられたように思います、ほどの意味となりましょうか。2代住職になったという意味には読めませんね、残念ながら。

22三学無縁:2003/01/10(金) 19:50
粗末というより廃屋のような草庵ですよね。
しかも日円さんはまともな外護もしていません。
寺を構えればそれなりのもてなしというか外護をしなければなりませんが、ほったて小屋というかバラックに日蓮さんを住まわせただけで、あとは基本的に野垂れ死にしてもいたしかたない、そんなかんじですよね。
日興さんは純粋に日蓮さんの墓所をまもらなければならないという考え方で身延にもどった、ということなのではないでしょうか。
つまり久遠寺の「2代目」のような意識はなかったのではないでしょうか。

それから、日蓮さん、身延には一種の所払いのようなかたちで蟄居させられたのでは。
身延下山にしても、それほど体が弱っていたのであれば、生まれ故郷にこそいきたくなるように思います。
それが、わざわざ常陸の湯です。
身延よりは寒くはないでしようが、温泉であれば伊豆でも箱根でもよかった。
常陸の湯は、日円さんの勧めということがポイントではないでしょうか。
つまり日蓮さんは日円さんの監視下にあり、日円さんの目の届くところにしか行けなかった、そう考えれば納得できます。
しょせん日円さんは鎌倉幕府の官吏だったわけですから、そのような立場にあるものが幕府に立てつくものに寺院を寄進することなどあるはずがないでしょう。

日興さんとしては、たしかに日蓮さんの後継者としてがんばらなければいけない、という責任感とか義務感はあったでしょうが、それは朗師や昭師にもあったことでしょう。
事実として、日興さんが「日蓮教団」の2代目に指名されたことはなかったですし、身延の2代目に指名されたことも確認はできないことですね。

まあ、身延は墓所ではあってもそれ以上の意味はないでしょう。
ましてや「日蓮教団」の本山だとか総本山などというのは笑止千万で、身池対論までは身延が謗法の棲・魔窟であるというのは日蓮門下の共通認識でしよう。
あ、石山はすでに身延に尻尾を振っていたのでしたね。

23三学無縁:2003/01/10(金) 20:02
あ、忘れていました。
今年、初のおめもじでした。
みなさま、今年もよろしくお願いいたします。
もっとも、たまにしか来ることができませんのですが・・・。

24犀角独歩:2003/01/10(金) 20:11

言えてますよね。弘安7年の状にしても「興師、いらしてくれてたのですか」的な乗りの文章と読めます。
「あれ、円師の所領でしょう、来てたのも知らなかったのかい」と言いたくなります。

それにしても、身池対論、さすが。ご賢察。
まあ、身池対論は『地涌』でも取り上げるところですが、学会はそろそろ、寛師教学と漫荼羅を捨てないと自分の首を絞めることになっていくでしょうね。
この点が今後の最も見物な点です。

25波木井坊竜尊@日蓮宗葵講(元富士山東光寺預かり信徒):2003/01/12(日) 23:06
>>22
随分いい加減ですねえ。不勉強ですよ。

26波木井坊竜尊@日蓮宗葵講(元富士山東光寺預かり信徒):2003/01/12(日) 23:11
三学無縁さん、あなたこれだけデタラメ書いたんだから、根拠を示しなさいよ。
いい加減なことネットに垂れ流すのはやめなさい。

おとそ気分が抜けていないようで。渡井sが酔いを覚ましてあげますから、
その論の根拠となるものを提示するべきです。

27落ちこぼれ次郎:2003/03/28(金) 21:15
略 洗脳された方々の「怒りの発言」には、ビックリ・ヒョウタン島です、、。
 同じことが「池田独裁、フセイン独裁、某将軍様等々」で同時進行中です、。
 何故に「冷静」を失うのでしょうか、、?? 「おろかなる人間とは、、??」
 日蓮は「愚かでは無く、本心の仏の境涯」を取り戻せ、、、と言いたかったのでは、、??

28阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/06/22(火) 17:48
犀角独歩様

私には学は無く、このような考え方しか出来ません。私は信の一字こそ大事だと思
っております。では、下記に私の考えの一端を書き込みます。

宗祖日蓮大聖人は仏宝です。則ち、内証深秘に臨めばの久遠元初自受用法身如来の
当体、名字凡夫の大聖人御自身です。また、言うと法宝でもあります。則ち、法華
本門文底・事行の一念三千・妙法五字七字の大曼荼羅本尊乃至己心に流れし自我偈
に言うところの「常住此説法」の法でも有ります。更に言うと、大聖人は本化地涌
・上行菩薩の垂迹であられ、僧形のゆえに僧宝でもあります。此れを一体三宝とも
言います。では、御本尊を顕わされる以前においてはどうだったかと言いますと今
身より仏身に至るまでとの御授戒の文の如く、大聖人の御身そのものが久遠元初の
三宝なのであります。続きましては弘安五年十月十三日に日蓮大聖人が非滅現滅の
御入滅を遊ばされてより以後はどうなのかと申しますと、則ち、別体三宝に代わる
のです。右に不老不死生の老を顕わす、開山日興上人御影・中央に御本尊・左に同
じく不老不死生の生を顕わす宗祖日蓮大聖人の御影を御安置申し上げるのが正しく
それであります。これ以降は、伝持の三宝の存在が不可欠です。三師塔の配置がそ
れを物語ます。則ち伝法・日目上人がましまさねば、宗旨建立七五〇年はありえな
かったのです。ここに血脈相承の大事が存する訳であります。末法下種の三宝には
二義があります。一には外用の辺であり住持の三宝、二には内証の辺で言うと仏・
法・僧の三宝は一体と拝する事ができます。法水写瓶の血脈相承の血脈相承とは、
日蓮大聖人・日興上人・日目上人・日道上人・日行上人・日時上人・日阿上人・日
影上人・日有上人等乃至、御当代に至る付嘱の次第です。これは、皆様が御存知の
ところです。しかもこの御相承には、やはり二義は存するのであります。
一には日蓮・日興・日目(付嘱)の唯授一人の血脈相承、二には補処の存在。例で
言えば、日蓮大聖人の付嘱の弟子は日興上人、補処は日目上人の関係。または、
重須に総貫首・日興上人(隠尊猊下)が居り、大石寺には住職(日興上人入滅後は
総貫首)・日目上人(付嘱の弟子)と主職(補処の弟子)・日代師(現代も此れ
有り)等々です。さらに当家には、三箇の秘法と言うのが存します。一に生の付嘱
…蓮興目(唯授一人之血脈)、ニに死の付嘱…蓮目興(富石秘伝之法門)との相承
の大事です。法門においても同じく日常の師弟相対・常随給仕の中で次第が伝授さ
れたり、時に甚深の法門が口伝で相承され、法門を認められた金紙によって筆授さ
れたりします。いずれに致しましても、宗旨の根幹はこの血脈相承であり、これを
信じられない出家・在家の方々は不法の弟子・檀那であります。

29阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/06/22(火) 18:11
>>28
犀角独歩さん。”さん”と書くところ“様”と書いてしまい
ましたので訂正致します。あ、それと私の名前は“阿部”で
はなく“阿達”(あだち)です。細かくて本当にすみません。

30犀角独歩:2004/06/22(火) 19:00

名前を間違えましたか。これは大変に失礼いたしました。
謹んでお詫び申し上げます。

では、阿達さん、大変重要な点なので、過去4年の重複を覚悟で、あなたのレスに応じましょう。

あなたがここに記述する程度のことはもちろん百も承知のことです。
わたしは生まれながらの日蓮正宗創価学会員を35年やり、5年間、石山宗務院教学部・内事部『大日蓮』編集室で仕事をしていたからです。
ここで記されるようなことは今更聞くまでもなく充分に認知しているところです。わたしがお尋ねしているのが、その根拠と、それが正しいという証拠です。また、それらの考えが蓮師に由来するか否かという点です。

> 宗祖日蓮大聖人は仏宝

その明証を示してください。

> 内証深秘

とは、何でしょうか。また、蓮師にこの考えがあった証拠はどこにありますか。

> 久遠元初自受用法身如来の当体

どうしてこのようなことが言えますか。

> 名字凡夫の大聖人御自身…法宝

この証拠は何でしょうか。

> …法華本門文底・事行の一念三千・妙法五字七字の大曼荼羅本尊乃至己心に流れし自我偈に言うところの「常住此説法」の法でも有ります。

これが蓮師の思想である証拠は何でしょうか。

> 大聖人は本化地涌・上行菩薩の垂迹

その証拠は何でしょうか。

> 僧形のゆえに僧宝

その根拠は何でしょうか

> 一体三宝とも言います

ここでいう一体三宝の根拠は何でしょうか。

> 大聖人の御身そのものが久遠元初の三宝

その証拠は何でしょうか。

> 末法下種の三宝

この考えが蓮師の教義であるという証拠は何でしょうか。

> 一には外用の辺であり住持の三宝、二には内証の辺で言うと仏・法・僧の三宝は一体

外用と内証とは何でしょうか。
また、それを三宝に拝する証拠は何でしょうか。

> 法水写瓶の血脈相承

これが蓮師に由来する証拠は何でしょうか。

> 三箇の秘法

この証文を示してください。
どこに保管されていますか

> 宗旨の根幹はこの血脈相承

これが宗旨の根幹である証拠は何でしょうか。

> 信じられない出家・在家の方々は不法の弟子・檀那

証拠は何でしょうか。

石山教義をここに羅列する必要はありません。
こんな初歩的なことを知らない人はここにいません。
そうではなくて、それに一々に証拠があるのか事実なのかが大切です。
覚えた専門用語を羅列するのであれば、オウムでもできます。
上記、一々の説明を求めるものです。

31阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/06/25(金) 21:22
犀角独歩さん。過去のレス等も含めて色々文献上の証拠を調べようと試みましたが
私の学ではどうやら無理のようですので、この問題に関しましては終了したいと思
います。付け焼刃で本当にすみませんでした。

32ペン太郎:2004/06/25(金) 22:09
横レス失礼します。元顕正会で現在法華講員(一応)のペン太郎と言います。

非常にアッサリお答えのようですが、日蓮正宗の法華講員としての見解として、「回答不能」なのでしょうか。日蓮正宗全体として「回答不能」なのでしょうか。もしくはご自身の立場として、「回答不能」ということでしょうか。

いずれの場合としても、「この問題に関しましては終了したい」ということはいかなることでしょうか。

通常、このようなことをおっしゃる場合、「私の主張には根拠が全くございません。今後けして他に対しこのような主張は致しません。」との宣言にも等しいと思いますが、如何でしょうか。

33ペン太郎:2004/06/25(金) 22:24
犀角独歩 さんが

「では、阿達さん、大変重要な点なので、過去4年の重複を覚悟で、あなたのレスに応じましょう。」

と仰っていることに対し、貴方が上長の方の意見を聞かれたかは分かりませんが、日蓮正宗の正義を簡単に否定されて良いとお思いでしょうか。

非常に不誠実な印象を持たざるを得ません。

34阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/06/26(土) 00:56
>>32
ペン太郎さん。私自身の立場として、「回答不能」と言うことです。誤解を与える
返答ですみません。

35阿達正照 </b><font color=#FF0000>(6LtDT30.)</font><b>:2004/06/26(土) 01:03
犀角独歩さん。「この問題に関しましては終了したい」などと言う不誠実な返答を
申し上げた事、謹んでお詫び致します。

36犀角独歩:2004/06/26(土) 07:55

阿達正照さん:

ここでのご回答に関しては保留ということで、わたしは承ることにします。
どうか考え続けてみてください。答えはまた過去ログにほぼ埋もれています。
ゆっくりと読み解いてみてください。新たな視点が生ずることでしょう。
他スレッドでも記しましたが、わたしは勝敗を決しようなどという気持ちは毛頭ありません。ただ、今まで信じてきた信念体系について、再考してみる機会を促すばかりです。

ここ問答名人さんがご用意くださった富士門流信徒の掲示板を、わたしは現在のサンガ(僧伽)であると考えています。集う人々はみな朋友です。

わたしは集団・指導者の代弁を見逃しませんが、それはしかし、その発言者を憎んでのことではありません。真実、事実の曙光がこのサンガに指しているからです。ですから、その光に浴するために、ここでは集団の喧噪から離れて、一人の求道者(ぐどうしゃ)に立ち還って心を澄ましてみることを薦めたいからです。

今後の安達さんの歩みを見守ろうと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

37犀角独歩:2004/06/26(土) 07:57

ペン太郎さん、はじめましてでよろしいのでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。

38ペン太郎:2004/06/26(土) 08:48
犀角独歩さん

投稿させていただいた回数は数えるほどですが、この掲示板が立ち上がった当初より、ほぼ毎日ロムさせて頂いております。

本当に勉強になります。教学的なことは勿論ですが、それ以上に犀角独歩さんの「真剣さ」に心が動かされます。

人生の半分以上をこの「宗教」に関わってきましたが、その時々にやはり「真剣さ」をもっている人に影響されてまいりました。

自分も良い年になってきたからかもしれませんが、「真剣さ」をもっている方が少ないと嘆かざるを得ません。富士門流の根本にこれだけの疑義がだされているのに、自分には関係ないとでも思っているのでしょうかね。

多くの方を折伏?してきた責任をどう思っているのかと思わずにいれません。

これからも宜しく御願します。

39地名:2004/06/26(土) 10:02
独歩さんの
「ここ問答名人さんがご用意くださった富士門流信徒の掲示板を、わたしは現在のサンガ(僧伽)であると考えています。集う人々はみな朋友です。
わたしは集団・指導者の代弁を見逃しませんが、それはしかし、その発言者を憎んでのことではありません。真実、事実の曙光がこのサンガに指しているからです。ですから、その光に浴するために、ここでは集団の喧噪から離れて、一人の求道者(ぐどうしゃ)に立ち還って心を澄ましてみることを薦めたいからです。」

とのお言葉に私も賛成です。お釈迦様時代の「サンガ」のように在ればいいと思います。

ペン太郎さんの
「この掲示板が立ち上がった当初より、ほぼ毎日ロムさせて頂いております。本当に勉強になります。教学的なことは勿論ですが、それ以上に犀角独歩さんの「真剣さ」に心が動かされます。人生の半分以上をこの「宗教」に関わってきましたが、その時々にやはり「真剣さ」をもっている人に影響されてまいりました。…「真剣さ」をもっている方が少ないと嘆かざるを得ません。富士門流の根本にこれだけの疑義がだされているのに、自分には関係ないとでも思っているのでしょうかね。」
とのお言葉に同感です。独歩さんの「真剣さ」がこの掲示板を維持させているのだと思います。心より感謝の意を表します。どうぞおからだに気をつけてこれからも引き続き御指導頂ければ幸いです。

40問答迷人:2004/06/26(土) 10:28

阿達正照さん
ぺん太郎さん
犀角独歩さん
地名さん
御参加の皆さん

「サンガ」ですか。それはすばらしいですね。

独歩さんを初め、御参加の皆さんのお陰で、この掲示板が機能してきたこと、これからも機能して行くであろうこと、管理者として、大変嬉しいです。

「真実、事実の曙光が注しているこのサンガ」を、皆さんの足を引っ張らないよう、心がけて参ります。よろしくお願い申し上げます。

41愚鈍凡夫:2004/06/26(土) 10:54

「サンガすることに意義あり」

なんて、白けた親父ギャグを飛ばして顰蹙を買っている小生でした。 σ(^◇^;)

足を引っ張りまくっているのは小生だったりして。 (O.O;)(o。o;)

42鎌龍:2004/06/26(土) 12:47
ペン太郎さん はじめましてですね。聞かせて頂きたいのですが、 >日蓮正宗の正義 とは、何を言われているのか教えて頂きたく存じます。 これは討論を申し込んでいるとかではなく、法華講の方が言われる日蓮正宗の正義とはなにを指されて言われているのかお伺いしたいだけですので教えて頂けたら幸いです。

43犀角独歩:2004/06/26(土) 15:26

皆さんから、過分のお言葉を頂戴しました。
けれど、このすばらしいサンガが維持、存続し続けるのは偏に管理者・問答名人さんのお人柄とご研鑽に拠るところです。また、参加の皆さんの礼節と立場信条の違いを超えて人を敬う人道精神の賜物であると拝察申し上げます。

改めて問答名人さんに深く御礼申し上げ、また、皆さんを含めて、敬礼(きょうらい)申し上げるものです。

44ペン太郎:2004/06/26(土) 18:22
> 42

鎌龍 さん

はじめましてペン太郎です。宜しくお願いします。

鎌龍さんは全く誤解されているようです。一応法華講に属しておりますが、わたくしは「日蓮正宗の正義」は疑わしいと思っております。

信仰の根本にかかわる疑義を問われた以上、回答を出さなければその姿勢は「不誠実」ではないかとの気持ちを、逆説的に表現したものです。

そもそもその様な状態で信仰が出来る事自体が「信じられない」との思いからです。

「私の主張には根拠が全くございません。今後けして他に対しこのような主張は致しません。」と決意するくらいの「真剣さ」を持って欲しいと思ったからです。

私のスタンスを理解頂こうと思い、今回の投稿と同時に「自己紹介用スレッド」にて自己紹介させて頂きました。

45鎌龍:2004/06/27(日) 10:04
ぺん太郎さん これは大変失礼を致しました。お詫び致します。お許しを。

46八橋左近 </b><font color=#FF0000>(nRmEArys)</font><b>:2004/06/27(日) 18:08
ペン太郎さん
>信仰の根本にかかわる疑義を問われた以上、回答を出さなければその姿勢は「不誠実」ではないかとの気持ちを、逆説的に表現したものです。

横レスですが、私はそうは考えません。
そもそも大石寺の法門展開が、秘密教義(密教)で有る以上公開掲示板での論争には限界があるのでは無いかと考察致しております。ましてや、当宗では入信間もない一代信徒には真実は教えないと伺っております。何代にも渡り結縁を結んだ者に初めて真実の一端を教示するそうです。対して、どのような者にも平等に全てを教示する宗派もあります。これが顕教の宗派では無いでしょうか。
他スレでも書きましたが、見すると、文証至上主義のように言われる宗祖ですら、まず初めに自身の法門展開があり、そこに天台等の文章を切り文的に使われたのが本当でありましょう。
すると、宗祖が文証以前に覚られたものは何だったのか。これは宗祖御自身にしか分からないのでありましょう。そして宗祖から開山上人、開山上人から伝法上人そして歴代上人と言う相承があったという伝承を信じれられる者(縁があるもの)が当宗を信じ、信じられない者(縁がないもの)は信じなければ良いと言うのが当宗のスタンスです。別に創価学会みたいに無理に信じさせる事を宗是とはしておりません。私の知るところ、その昔は身分無きどこの馬の骨とも分からない者は入信させませんでした。ですから厳選して入信させた信徒には密意に伝わった法門があります。しかし、やたらと拡張主義が横行するに従って、逆に厳選した法門を教示することにしたのでしょう。ですから、現代の公式法門と代々信徒に伝わっている法門ではまるで、雲泥の相違があります。どこかの一代講中が言っていた「六巻抄は対他のために書かれた」と言うのも、眉唾でありましょう。そもそも当宗の法門は体内向けです。そして対外のものは厳選して教示するのが伝統です。

なお、宗教の自由は憲法で保証された国民の権利です。信仰なんてそんな無理して行うものではありません。疑念があったら一応、ある程度質問して、それでも納得いかなくば、さっさと離檀(講)することですね。そのほうがさっぱりしますよ。

47犀角独歩:2004/06/27(日) 19:03


46 八橋左近さん:

はじめまして。現石山の差別主義と秘密主義をいかんなく表現されており、なかなか名文であると思います。ですから、こんな形ばかりの坊さんとさっさとわたしは縁を切ったわけです。お陰様で、のちは実に有意義な人生を送ることが出来ています。

48犀角独歩:2004/06/27(日) 19:29

もう少し付言すれば、信じない者を相手にしないというのであれば、逆もまた真なのであって、そんな集団、差別主義者として批判の俎上に載せるだけです。
まあ、勝手に自分たちだけでお山の大将をやっていればよろしいわけです。
信じない者を相手にしない相手とは所詮議論になりませんから、議論になる方々と議論するのが公開での在り方でしょう。
つまり、現石山僧俗は、当板のような場所にはまるでそぐわない独善的な閉鎖集団であると判断すればよろしいわけでしょうね。
そうなると、八橋左近さんはなんのために、ここに投稿されているのでしょうか(笑)

49ペン太郎:2004/06/27(日) 19:41
>46

八橋左近さん

はじめましてペン太郎です。

仰られる内容ですが、基本的なところは理解しているつもりです。今までも根檀家といわれるような代々の信徒の方の投稿に同じような記載がございました。

創価学会の草創期の時、多くの学会員は従来の日蓮正宗信徒の方を「旧信徒」や「墓檀家」などと言っておったと聞いております。

随分前の話になりますが、日淳上人が妙信講(現顕正会)を認証された際のお言葉に、「法華講とは墓檀家のことをいうのではございません。熱原の法華講こそその鑑である。妙信講は戦う法華講になり、宗門にご奉公せよ。まず3千名を作ってみよ(趣旨)」がございます。

八橋左近さんの仰ることが「日蓮正宗の真実」だと致しますと、上記の日淳上人の言葉も「初心の者に対する真実を伏せた説法」になるのでしょうか。

当時のことは存じませんが、当時の妙信講員は日淳上人にお誓いした3000名弘通に寝食を忘れましたと思いますよ。

>別に創価学会みたいに無理に信じさせる事を宗是とはしておりません。

推測ですが、創価学会員も同じだと思いますよ。「日連大聖人」、「日蓮大聖人の仏法を受け継がれた宗門に対するご奉公」だと思えばこその折伏だったと思います。八橋左近さんは創価学会が現在、破門されている状態なのでそのように仰るのかもしれませんが、創価学会が破門されていない状態の時に創価学会に対し、果たして抗議されたのでしょうか?それとも「初心の者」と、全く意に介されなかったのでしょうか。

>疑念があったら一応、ある程度質問して、それでも納得いかなくば、さっさと離檀(講)することですね。そのほうがさっぱりしますよ。

まさにこのように仰るようなことを「不誠実」と思ったのですよ。①分からない者は縁がないからしょうがない。②自分には難しすぎるから回答出来ない⇒指導教師に聞く事もはばかれる。⇒この議論はやめたい。等と判断される思考回路が「不誠実」と思ったのですよ。分かりますか?

50Jルーカス:2004/06/27(日) 20:51
>「法華講とは墓檀家のことをいうのではございません。熱原の法華講こそその鑑である。妙信講は戦う法華講になり、宗門にご奉公せよ。まず3千名を作ってみよ(趣旨)」

横レス失礼します。
確かにこのお言葉について顕正会の書籍で見たことがあります。
しかしそこに同席した今は法華講にいる元妙信講幹部の方の言葉ではこんな御言葉は無かったとも聞き及んでおります。
どちらが本当なのかは闇の中でしょうか。

後は八橋さんとお話し下さい。

51ペン太郎:2004/06/27(日) 21:35
Jルーカスさん

ペン太郎です。

>しかしそこに同席した今は法華講にいる元妙信講幹部の方の言葉ではこんな御言葉は無かったとも聞き及んでおります。

顕正会の書籍には20年以上前から載っておりますので、参考として出しただけです。当方として間違いとは思っておりませんが、「間違い」というのならば、是非その元妙信講員の方の証言を聞きたいものです。

20年以上前から彼ら(顕正会)は正々堂々主張しておりますので、もし「捏造」ならば「顕正会」を叩くチャンスになるでしょう(笑)

52Jルーカス:2004/06/27(日) 21:39
一応、この法華講員さんってM講さんの方なのよね(笑)。
彼らの中にいるのに未だに発表されていないと言うことは、時期を見計らっているのかな(笑)。

53Jルーカス:2004/06/27(日) 21:42
余り、真面目なスレッドを混ぜっ返すと叱られそうなので、これにて失礼します。
ごめんなさい。余り堅い話が続くとこういう書き込みがしたくなる、性格悪いね私って・・・。

54ペン太郎:2004/06/27(日) 21:56
>一応、この法華講員さんってM講さんの方なのよね(笑)。

本当に悪い冗談だと思わずにはいられない昨今です。

55ペン太郎:2004/06/27(日) 22:05
所属も現在は忘れてしまいました。

いずれにせよ、有名な元顕正会員本部職員の方の班に所属しております。

56問答迷人:2004/06/27(日) 22:08

八橋左近さん

>私の知るところ、その昔は身分無きどこの馬の骨とも分からない者は入信させませんでした。

このような事は、以前にも代々法華の方から聞いたことがあります。しかしまぁ、あきれ果てたお話ですね。カースト制と敢然と戦い、「人は生まれによって尊いのではなく、その行いによって尊いのだ」との釈尊の教えにも、「日蓮はせんだらが子なり」と仰せられた蓮祖のご精神にも外れ、逆らう有様は、まさしく邪宗教そのものではないかと耳を疑います。このような事を平然と教える宗門に、蓮祖のご精神が流れているとは到底思えない。何たる傲慢不遜な、化石宗教かと、嘆息するばかりです。

それに、もし、この話が蓮祖のお考えなら、蓮祖と共に歩んだ当時の檀那方には、代々法華はほとんどいませんよね、その人たちに、蓮祖は真実を説かれなかったことになります。これは、蓮祖のお顔に泥を塗るような話ではないかなぁ、と常々思ってきました。八橋左近さんはこの点を如何お考えでしょうか、ご教示賜りますれば幸いに存じます。

57顕正居士:2004/06/28(月) 20:17
『宗教を捨てよ』−内村鑑三語録
http://uchimurakorea.hp.infoseek.co.jp/uchimura/goroku/190911_abandon_religion.htm

「余輩は人に宗教を変えよと言わず。宗教を捨てよと勧む。
儀式と規則と信仰箇条とをもって普通道徳に代えんとする、
かの憎むべき宗教てふ制度を捨てよと勧む。
仏教を去ってキリスト教に入るは、一つの悪事を去って他の悪事に入るにすぎず。
米国の思想家エリシャ・ムルフォード、かつて言えるあり、
「キリストの宗教のみ、ひとり宗教にあらず」と。
まことにイエスの貴きは、彼が宗教を建てしがゆえにあらず、
宗教を壊(こぼ)ちしがゆえなり。
ゆえに、よくイエスの心を知る者は、よくすべての宗教に反対す。
人はまず、すべての宗教(キリスト教を含む)を捨つるにあらざれば、
イエスの善き弟子たるあたわざるなり」

「日蓮はいずれの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず」(妙密上人御消息)

後人が聖賢と崇める人の多くは、宗教を建てようとしたどころか、宗教を破壊しようとした
方々でありましょう。

58犀角独歩:2004/06/28(月) 21:32

> 57

すばらしいご賢察と拝しました。

59問答迷人:2004/06/28(月) 22:57

顕正居士さん

>57 後人が聖賢と崇める人の多くは、宗教を建てようとしたどころか、宗教を破壊しようとした
方々でありましょう。

「目から鱗」。迷いから解き放たれて、我に返った思いです。有難うございます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板