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創価学会の功罪を考える

1管理者:2002/03/08(金) 17:18

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/kouzai.htm


板東様、アネモネ様、いちりん様から、スレッドテーマの提案が有りました。突っ込んだ議論をよろしくお願い致します。

提案文は以下の通りです。

名前: 板東 投稿日: 2002/02/10(日) 21:25

要するに公明党が政権与党になっている点,マスコミを抑えてしまった点,有り余る財産で銀行を掌握してしまった点,また,金にモノを言わせて,嫌がらせ裁判をたくさん起こして反対勢力を弾圧している点,完全に日本を支配している,これは問題ではないんですか.

名前: アネモネ 投稿日: 2002/02/10(日) 21:34

思い切って、「創価学会の功罪を考える」(仮題)といったようなスレッドを立ち上げてみてはどうでしょうか。私も、宗門サイドの半ば偏重的なアナウンスではない正しい認識として、過去も含めた事実を知っておきたいです。

名前: いちりん 投稿日: 2002/02/10(日) 22:02

「創価学会の功罪を考える」っておもしろそうですね。きっと活発な論議になるとは思いますが、たぶん荒れる可能性もありましょうね。でも、やってみないとわからないか。

2問答迷人:2002/04/03(水) 10:07

みなさん こんにちは

この4月1日に創価学会会則が改定され、聖教新聞に4月1日から4月3日の三日に分割して掲載されました。この創価学会会則について御質問致します。御存知の方、教えてください。

Ⅰ 創価学会会則は、何時、どんな経過で、どんな目的で決められたのでしょうか。
Ⅱ 創価学会会則と、宗教法人創価学会規則とは、どういう関係になっているのでしょうか。
Ⅲ 今回、改正した狙いは何でしょうか。
Ⅳ 今後、宗教法人創価学会規則の変更が行われる見通しは如何でしょうか。

3独歩:2002/04/03(水) 12:00

問答名人さん:

この改正について、もう少しご説明いただけませんでしょうか。
聖教新聞が入手できずにいます。

4問答迷人:2002/04/03(水) 20:36

独歩さん

『創価学会会則』UPしました。合わせて、『宗教法人 創価学会規則』のアドレスも併記しておきました。

創価学会会則  http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/new_page_29.htm
 
創価学会規則  http://checkd.tripod.co.jp/kisoku.htm

5独歩:2002/04/03(水) 20:48

問答名人さん:

> 4

お手数をお掛けしました。有り難うございました。
この改定で、特の大きく変わった点は、どのようなところなのでしょうか。
また、何のために、この時期に改定したのでしょうか。

6いちりん:2002/04/03(水) 23:00
赤旗のサイトをみたら、ちゃんと記事にありました。

---------------------------------------

池田氏は「永遠の指導者」
創価学会が「会則」を改定

 創価学会は二十八日、「会則」を改定し、「『三代会長』は『永遠の指導者』」とすることを決定。二十九日付「聖教新聞」一面で伝えました(改定会則全文は後日発表としている)。

 それによると改定の第一は会則冒頭に「前文」を新設したこと。ここで「『三代会長』に貫かれる師弟不二の精神と広宣流布実現への死身弘法の実戦こそ『学会精神』であり、永遠の規範である」と規定しました。

 「三代会長」のうち牧口初代、戸田二代会長はすでに死去しており、実際上は池田大作三代会長(現名誉会長)が「永遠の指導者」(同紙)となり、かねてから伝えられてきた“池田本仏”論の具体化とも見られています。

 さらに本文の「教義」の項では従来の「日蓮正宗の教義に基づき」や「日蓮正宗大石寺に安置せられている本門戒壇の大御本尊を…」という表現を削除して、本尊規定を「…三大秘法の大御本尊」などとし、会員の活動についても「日蓮正宗の教義を遵守し」から「この会(創価学会のこと)の教義を遵守し」に改めるなど、日蓮正宗との決別を公然化させています。

 創価学会は九一年に日蓮正宗から破門されて以後、宗門攻撃を強める一方、総務会で改変可能な「会則」の部分改定をしてきましたが、教義そのものにかかわる改定は初めて。同時に、宗教法人「創価学会」規則では依然として「本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき…」と規定されており、宗教法人上の名目と実態の格差がより鮮明になっています。
---------------------------------------

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-03-30/11_0403.html

7いちりん:2002/04/04(木) 00:36

池田さんも、いつなんどき、あの世にいくかわかりませんですから、
自らを「永遠の指導者」とうたっておきたい気持は、わかりますね。
とにかく、自らは「永遠に正しい」という位置に置きたいのじゃないでしょうか。

私には、間違いもあるかも知れない。また、間違ったかも知れない。
もしも、間違いがあったら、後生の弟子たちを、わが誤りを遠慮なく直しておくれ。
わたしは、自分が正しいとか、偉大であるとか、永遠の師匠とかいわれることよりも、会員のみなさまが、正しい道を歩んで幸せになることを願っているのだから。。

──そのように池田さんが言ったとしたら、尊敬するのですが。

教団の指導者というのは、なかなか、しんどいですね。
いつも、そして、ずっと正しいというところにいないといけないのだから。
それは、もしかしたら、かなり不幸なこと、じゃないでしょうか。

8いちりん:2002/04/04(木) 00:37
入力ミスでした。

後生の弟子たちを ×
後生の弟子たちよ ○

9独歩:2002/04/04(木) 09:55

いちりんさん:

有り難うございました。
しかし、「永遠の指導者」(笑)
会則というのは、もっと実質的な運営方法なんかを定めるものなのでしょうが、要するに池田さんのさらなる絶対崇拝と戒壇之本尊から離脱を意図したものというわけですね。

あと「日蓮正宗」の文字を削り、ここに独立を徹底した、となると、今後、曼荼羅は、どうするのでしょうか。日蓮正宗歴代寛師ではまずいでしょうね。戒壇之本尊の崇拝は、いまや顕師の攻撃材料以上の意味をもち合わせていないわけですから、今後、やはり、他山の歴代曼荼羅ではなく、独自曼荼羅、つまり、永遠の指導者(?)が書いた曼荼羅を置かないと人法一箇にはならないでしょうね(笑)

そういえば、戸田さんは生前、曼荼羅を書いていたという話をまことしやかに聞いたことがありますが、この実否はいかがなものでしょうか。

また、池田さんは色紙で「妙」の字を、よく書いたものでしたが、人によっては、「妙」文字一字でも曼荼羅の意味をもつと指摘します。まあ、けれど、それを安置して、そこに向かって題目を唱えるわけでもないでしょうから、そうとは言いきれないかもしれませんが。

52年度路線のときには、塔婆に対抗して、「慧光照無量」と池田さんが書いた題字を使用したわけですが、塔婆は五大、妙法蓮華経の五字とするのが富士義ですから、こちらは曼荼羅に当たるといえば言えるかもしれません。

正本堂寄進の折には、戒壇之本尊は赤沢朝陽がお色直し、つまり、修繕をしたのですが、この時、聖教新聞社のHカメラマンが戒壇之本尊を詳細に撮影したと言います。52年度路線後、八王子牧口記念館には、実は、その写真をもとに完全な戒壇之本尊のレプリカを作り、安置する予定であったなどという噂が流れました。時価数億円の聖人真筆曼荼羅を創価学会が購入したのもこの頃でしたね。

永遠の指導者(仏)が書く曼荼羅であるから人法一箇であるというコンセプトを有する富士義から、池田さんが書くか、あるいは曼荼羅をやめるか、それとも日蓮正宗という他山の曼荼羅を頒布し続けるか、今回の改定が残した、いや睨んでいる方向は、この点にあるのかもしれませんね。

10問答迷人:2002/04/04(木) 10:02

いちりんさん

赤旗の記事では『日蓮正宗との決別を公然化させています。』と書かれていますが、

改定会則の(教義)では、

『第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。』

とされており、3月29日の全国総県長会議では、斎藤教学部長が「弘安二年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になります。」と説明しています。(聖教新聞3月30日付第4面)

このことから、逆に、創価学会が、日顕宗とは決別しているものの、大石寺戒壇板本尊を本尊とする事には今後とも変更がないことを再確認したと見るべきであると思います。

11問答迷人:2002/04/04(木) 10:09

独歩さん

書きこみが前後して、独歩さんのレスを読まずに10を書きこみました。私は10に書いた通り、斎藤教学部長の発言を読んで、今回の改定は、今後とも、創価学会の本尊は大石寺戒壇板本尊であって、今後とも変更する考えのないことを明確にしたものであると判断致しました。如何御金が絵になられますでしょうか。

12問答迷人:2002/04/04(木) 10:11

11の訂正です。

誤 如何御金が絵になられますでしょうか。

正 如何お考えになられますでしょうか。

13独歩:2002/04/04(木) 10:23

問答名人さん:

> 創価学会…大石寺戒壇板本尊を本尊とする事には今後とも変更がないことを再確認した
なるほど。しかし、このように確認しておいて、学会頒布の“御本尊”は戒壇之本尊と一緒という“おまじない”の言い訳を用意した以上の意味はないような気がします。

現在の創価学会の論調では「戒壇之本尊を偽物と言った」ということで顕師の攻撃材料にしているわけですから、まさか決別を明文化はできないことになります。

まあしかし、仰ぎ本尊とすると言っても実際的には内拝する道はないわけですから、顕正会のように、実際に肉眼で見たことのない会員が、今後、大部分を占めるようになっていくわけでしょう。神秘主義、器物崇拝には、実はかえってこちらのほうが都合がいいでしょうね。神秘的な存在として、会員の心のなかだけでイメージされるだけとなっていくわけですから。

微妙なところですね。齋藤さん、…この人は教学部長なんですか(笑)… の見解はどれほどの意義付けなんでしょうか。

14いちりん:2002/04/04(木) 10:42

>と3月29日の全国総県長会議では、斎藤教学部長が「弘安二年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になります。」と説明しています。(聖教新聞3月30日付第4面)

「弘安二年の大御本尊を書写した御本尊」ですか。。。
しかし、弘安二年の大御本尊って、大石寺にある板曼荼羅のことですよね。

代々の日蓮正宗は、弘安二年の大御本尊を書写しているのでしょうか?
だいたい、弘安二年の大御本尊って、略式っぽいですよね。

十界がなくて、八界しかない。

具体的には、────。
若悩乱者頭破七分、有供養者福過十号のことぱもないし、
大六天魔王、阿修羅王、転輪聖王、南無普賢菩薩、阿闍世王、大龍王、南無天台大師、南無龍樹菩薩、南無妙楽大師、南無伝教大師……などがありませんよね。

そして、大寺にある板曼荼羅と、各家庭にある曼陀羅とこれまた相貌が違うし、たぷん、代々の法主に依っても差異があると思いますね。

いまの日寛さんの曼陀羅と、日顕さんの曼陀羅も、随分と違います。

そもそも、代々の法主が、弘安二年の大御本尊を書写しているならば、どうしてそんなに違うのでしょうかね。

いったい何をもとにして、代々の法主は、御本尊を「書写」しているのか、わりと不思議です。

15いちりん:2002/04/04(木) 10:49

独歩さん

>正本堂寄進の折には、戒壇之本尊は赤沢朝陽がお色直し、つまり、修繕をしたのですが、この時、聖教新聞社のHカメラマンが戒壇之本尊を詳細に撮影したと言います。52年度路線後、八王子牧口記念館には、実は、その写真をもとに完全な戒壇之本尊のレプリカを作り、安置する予定であったなどという噂が流れました。

これはよく聞きましたね。
そして、いまの大石寺の板曼荼羅は、そのときに制作したレプリカであるとか、ホンモノは、しっかりしまってあるのだとか。。

当時は、創価学会は、じゃんじゃんと板曼荼羅を勝手に制作していましたよね。

>時価数億円の聖人真筆曼荼羅を創価学会が購入したのもこの頃でしたね。

そうでしたか、初めて聞きました。
それって、もしかして、れいの盗難に遭った本圀寺の曼荼羅じゃないですよね。。

16独歩:2002/04/04(木) 12:48

いちりんさん:

> いまの大石寺の板曼荼羅は、そのときに制作したレプリカであるとか、ホンモノは、しっかりしまってある…

この点には、ワラシナさんも疑義を投げかけていましたね。
宝冊などの旧い記述を見ても、板曼荼羅は、読む限りでは文字どおり「板」と思えるのに、達師の言では半丸太であるというので、起きた疑難であったろうと思います。
ただ、正本堂で、池田さんに半丸太の形状と鉋の削り跡を見せた話であったと記憶していますが、どうでしたっけ。

>> 時価数億円の聖人真筆曼荼羅を創価学会が購入したのもこの頃でしたね。
> それって、もしかして、れいの盗難に遭った本圀寺の曼荼羅じゃないですよね。

…としたら、偉いことですね。ところで本圀寺の曼荼羅は、「盗難」だったんでしょうか? 当時、市中で売りに出た値段は30億円ですから、これとは違っていると思います。あの時、真筆鑑定をしたと担ぎ出されて迷惑したのは中尾尭師でした。

創価学会の曼荼羅購入を報じたのは東京スポーツ1990年3月11日号で、見出しは「これが“池田教”の数億円の新本尊」というものでした。『福田』第二号35頁に転載され、さらい騒ぎに火をつけたものでした。

関係あるかどうかわかりませんが、実際に曼荼羅盗難の被害に遭ったのは千葉県・鷲山寺で、この被害額が想定3億円ということでしたね。外国人窃盗団による犯行で、相前後して鎌倉周辺の古美術商で「日蓮曼荼羅が高く売れる」という噂が流れた時期と、学会の購入時期が近かったような…。これらの記事を掲載したのは『月刊住職』で、そのコピーを持っているのですが、発刊日を控えるのを忘れてしまい、いつのものか、いまはわかりません。

いずれにしてもきな臭い、また、ある面、独自路線をC作戦だなんだで寝耳に水のように受けたというのとはニュアンスが、用意周到さを感じる事件でした。

17独歩:2002/04/04(木) 13:12

9に塔婆の代用、池田さん題字の「慧光照無量」について、記述したのですが、新しい人や、当時、子どもだった人には記憶がないでしょう。「嘘だ」などと要らぬ嫌疑をかけられるのは不本意なので、私のサイトに画像をアップしておきました。

慧光照無量 妙 大作(在判)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ekoshomuryo.gif

18いちりん:2002/04/04(木) 13:54
おおお、むむ。なかなか感銘深い書ですね。たしかに池田さんの独特な筆致ですね。

だから、やっぱり、なんというか……、
池田さんが曼荼羅をあらわしたら、学会員はありがたいと思いますよね。

そうなると、日寛さんの曼荼羅は、ポイですね。日顕さんのが、そうであったように。

19菊水護国:2002/04/04(木) 14:27
永遠の指導者である三代会長は、日蓮正宗でいう「三師」に対抗したものと言う見方もあります。
これから、創価学会が何年・何十年・何百年続くか分かりませんが、歴史が長くなればなるほど、三人の名前が意味を持ってくるでしょう。
さらに池田さん没後の分裂をさける意味で、池田さんから誰かへの「血脈相承」を行うという噂も流れておるそうですが。

20問答迷人:2002/04/04(木) 15:00

創価学会の新会則 創価学会の公式ホームページに解説付きで掲載されました。

http://www.sokagakkai.or.jp/sokanet/Tokusyuu/kaisoku/index.html

21いちりん:2002/04/04(木) 15:40
本圀寺の真筆本尊盗難についてです。
---------------------------------------
消えた曼荼羅、大物国士が衝撃証言
「許永中がだまし取り借金の穴埋めに」

 日蓮宗の大本山・本圀寺(ほんこくじ)=京都市山科区=から数年前に消えた曼陀羅(まんだら)。先日、夕刊フジでは「闇社会のフィクサー、許永中被告の手にわたっていた」と伝えたが、その後の取材で「国士」と形容されるある人物が「現在、どこにあるかわかっている!」と衝撃の新証言。さらに、この曼陀羅にかかわった意外な大物の名前も…。

 「あれは平成7年ごろだったか、元横綱と後援会長がここに(曼陀羅を)持ってきて、広げた」

 こう振り返るのは、世界空手道団体連合の「朝堂院大覚総裁」なる人物だ。本名は松浦良右氏。“ミニ・ロッキード事件”と言われたナミレイ事件で逮捕された過去がある一方、自民党の有力議員らと親交を結び、表社会やアングラ社会で一目置かれる存在だ。

 朝堂院氏は「そのころ、私は創価学会に貸しがあったから、学会と交渉してくれないかということだった。(池田大作名誉会長の懐刀とされた)藤井富雄氏(都議)に学会が買う意志があるか調べさせたところ、学会側の返事は『まったくない』だった」。

 大石寺とも交渉したというが、当時、交渉役を務めた弁護士によると、「5億円で契約寸前まで行ったが、ご破算になった」。結局、その後、「こんなものはさばけないと、元横綱の後援会長にお返しした」(朝堂院氏)。

 元横綱は「(朝堂院氏に)会ったことは事実だが、後援会長に連れられ、同席しただけ」と説明。後援会長は「名古屋の知人に頼まれ、総裁のところに持っていった。ただ、京都府警から『盗品ではないが、かかわらないほうがいい』と言われ、名古屋に返した。その後はわからない」。

 夕刊フジの取材では、その後、曼陀羅は許永中被告が所有。「平成8年秋か9年初めに、許被告から曼陀羅を見せられた」と証言する関係者もいる。また、「許被告と親しい大物政治家周辺が日蓮宗側に水面下で『20億円の謝礼を』と接触してきた」との情報もある。一体、どのようにして許被告の手にわたったのか。

 朝堂院氏が話す。
 「名古屋から銀座の住吉会系の暴力団が買い取った。5−7億円前後だったようが、許永中のハッタリにひっかかってしまった。永中は元首相や野党党首、自民党実力者らの名前を出し、『創価学会に40億円以上で売る話がついている』とウソをついた。暴力団は販売を依頼、曼陀羅を永中に預けたが、そのままだましとられてしまった」。

 しばらくしてから、この暴力団側から相談を受けたが、「曼陀羅の件なら、すでに手を引いている」と断ったという。

 さて、曼陀羅の行方は、いまはどこに? 「キョート・ファイナンスにある。間違いない」と朝堂院氏は断言した。石橋産業から179億円もの手形をだまし取ったとして詐欺の罪に問われている石橋産業事件の公判で、許被告が新井組などの株券を担保に使ってキョート・ファイナンスから資金を引き出し、自らの負債処理にあてていたことがわかっている。「曼陀羅も、引き出した資金の穴埋めに使った」(朝堂院氏)というのだ。

 だが、キョート・ファイナンスは「一度も預かっていない。曼陀羅なんか知らない」(総務部)と否定している。

 【曼陀羅紛失ミステリー】京都の本圀寺からなくなった曼陀羅は、日蓮が自ら書いたと伝えられる真筆の「若宮御本尊」、「切箔(きりはく)御本尊」、「夕顔御本尊」の3点。日蓮宗の信者は曼陀羅を「御本尊」と呼び、信仰の対象としている。日蓮真筆の曼陀羅は236点しかなく、美術ブローカーの間では「30億円」の闇値がついたことも。

 紛失した事実が明るみに出たのは4年半前。寺側は「盗難」と主張しているが、「京都府警は困っていた。結局、盗難か紛失か判然としない」(関係者)。「貫首と親しかった最上恒産の早坂太吉会長(当時)が持ち出した」という声もある。全国の日蓮宗寺院を統括する日蓮宗宗務院(東京都大田区)が中心になって死に物狂いで捜索してきたが、「いまも所在はつかめていない」という。

http://www.fujinews.com/today/2000-09/20000904/0904-10.htm

22独歩:2002/04/04(木) 20:39

> 永遠の指導者である三代会長は、日蓮正宗でいう「三師」に対抗

このことは昔から、よく言っていました。けれど、石山とはウエイトが逆なんですね。

日蓮>日興>日目
牧口<戸田<池田

石山では祖が一番で永遠の師ですが、学会では逆に三番目が一番で永遠の指導者(笑)
数字の語呂でなぞっても、所詮、同じにはなりませんね。

> 池田さんから誰かへの「血脈相承」を行うという噂

新しい人間革命じゃ、戸田さんからエレベーターのなかで血脈を受けたとかなっていたのでしたっけ? 今度はどこでやるんでしょうか(笑)

戸田さんは牧口さんとは巣鴨の牢獄で死に別れ、血脈も何もあったものじゃないし、第一、そんな考えもなかったでしょうね。とすると、血脈論は戸田さんからとなるので池田さんは二代目ってことになってしまいますね(笑)

たぶん、菊水護国さんも苦々しい思いでこの噂をお聞きになったことと思うのですが、こんなふうに物真似、語呂合せをする滑稽さって、やはり、本人たちは気がつかないものなのでしょうか。どのようにお考えになられますか?

しかし、4月28日を直前にして、なんでまた4月1日を選んで施行を決めたのでしょうか。池田さんは逝去の可能性でも具体化したということなのでしょうか?

23独歩:2002/04/04(木) 20:54

いちりんさん:

本圀寺、よほどお詳しい。釈迦に説法でした。失礼しました(笑)

> 池田さんが曼荼羅をあらわしたら、学会員はありがたいと思いますよね

そうでしょうね。けれど、「本尊書写は歴代上人」と思いきり“刷り込んで”しまっているから、慎重ですね。

今ごろ、三大秘法と言ってみたり、寛師の曼荼羅を引っ張って来たり、戒壇之本尊の絶対性を言ってみたり、けれど、独立しているから、御本尊頒布の権利はある、かなり苦しいジレンマに陥って喘いでいるように見えるんですが、まあ、ご本人たちは、矛盾なんか感じないんでしょう。「自分たちが正しい。だから、言うこともやることもすべて正しい」というトコロテン論理(笑)

学会が曼荼羅の独自頒布を決めたときの触れこみは「和合僧団に本尊授与の資格あり」というものでした。坊さんと喧嘩して和合僧団もないものだと思ったら、学会こそ真の僧の意義を有すと坊さんの特権をパクったうえので牽強付会。
当時、私は「和合僧団に本尊授与の資格があると言うのはおかしいだろう」と言ったら、地元の学会幹部は「そんなことはない。正しい」と、こうでした。ですから、「だったら、本尊独自授与以前は和合僧団ではなかったわけだ。戸田さんの時代も和合僧団じゃなかったから本尊の授与はしなかった。こういうことですね」とまとめたら、カンカンに怒っていました(笑)

聖人滅語、中古天台本覚思想が流入して、どんどん勝手に口伝・相伝を作り、血脈相承をはじめ、さらに、偽書をばんばん作って自己正統化する、今度は、その頃に作られ偽書と血脈義を使って自己正統化。まあ、昔もいまも同じだと感じるのは私だけでしょうか。

24いちりん:2002/04/05(金) 00:15
なんか日蓮主義って、深まれば深まるほどに「自分が正しい」という方向に行きやすいように思いますね。
自分の愚かさ、ろくでもなさに気づく方向に行きにくいですよね。

「予少量為りと雖も忝くも大乗を学す。蒼蝿驥尾に附して万里を渡り、碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ」(立正安国論)

自分は小僧だけれども、すごい信仰を持っているんだ。この信仰はすごいのだ。正しいのだ。すごい信仰をもってる自分はすごいのだ。正しいのだ。どうだ! ……と。

創価学会をみていると、基本教義は「自分たちは正しい」ということだと思えてなりませんね。
本尊が変わろうが、教義が変わろうが、とにかくかわらないのは、「自分たちは正しい」。
極端な話、日蓮信仰から親鸞にかわっても、「自分たちは正しい」というかもしれません。(笑

ブッダがよく説いていたことは、

「自分が」「自分のもの」という思い、「自分が正しい」という執着、そこがいちばんの煩悩のおおおもとだから、気をつけなさい。

──ということじゃなかったのかなあと思います。

PS
本圀寺のことは、サイトからのコピペです。わたしは、本圀寺には行ったこともないの詳しくありません。

27問答迷人:2002/04/05(金) 08:40

この掲示板立ち上げの提案者である、『創価学会独立独歩会議』を主宰されているチョンガーさんが、今回の会則改定に対して、『日蓮正宗創価学会員』の立場から発言しています。曰く「冷静な創価学会員は、脱会しろ」という意味だと。

http://www.startingweb.com/bbs.cgi?job=view&bbsid=1291&mid=26

28菊水護国:2002/04/05(金) 09:08
創価学会新会則
第10条(権限)
会長は、次に定める会務を行う。
(1)省略
(2)御本尊に関する事項を司る。
------------------------------------------------------------------------
以上の会則は、会長の本尊書写を認める記述とも読めるんですが如何でしょうか。

29問答迷人:2002/04/05(金) 10:33

菊水護国さん

今、直ちに実施するという事ではないと思いますが、将来の、歴代会長による御本尊書写に道を開いておく、という表現かと思います。特に、「権限」と表記した意味は、そんな所だと思います。日蓮正宗では、御本尊書写は、『歴代上人の権能』ですから、それになぞらえたのではないでしょうか。

30Libra:2002/04/05(金) 11:14
 私は、<「冷静な創価学会員は、脱会しろ」というのが今回の会則改正の意味である>
というチョンガーさんのご意見には賛成しかねます。会則で「三代会長」を「永遠の指導
者」として位置付けたとしても、「御書根本」であるかぎり、「絶対者」などには成り得
ないと思います。
 
  ──────────────────────────────────────
  師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間・仏法の道理によるべ
  きなり

  (「曾谷殿御返事」、全集、pp. 1055-1056)
  ──────────────────────────────────────

 また、チョンガーさんは

  ──────────────────────────────────────
  日蓮教学と言うのは、カルト色が濃厚であります。
  日蓮教学は、学び方によって、毒にも薬にもなります。
  ですから、日蓮教学は、時代とともに、次第にマイナーになって行く事は、時代の必
  然であろうと思います。
  21世紀は、心理学や生活法が、宗教に代わって台頭して来ます。

  それでも「南無妙法蓮華経」と唱える唱題行は、引き継がれて行くでしょう。
  「日蓮」うんぬんと言う事を抜きに、気分転換法として、題目を唱えて行くと言うあ
  り方が、スタンダードになって行けば、かえって、その方が、人をカルトに追いやる
  危険性がないでしょう。

  (【26】 あなたは学会と心中するか?、chonga、2002/04/05 07:37、
    http://www.startingweb.com/bbs.cgi?job=view&bbsid=1291&mid=26
  ──────────────────────────────────────

ということも言われていますが、そもそも、宇宙生命論者であられるチョンガーさんが
「日蓮教学」を正しく理解されているとは、私にはとても思えません。

31独歩:2002/04/05(金) 12:41

Libraさん:

> 会則で「三代会長」を「永遠の指導者」として位置付けたとしても、「御書根本」であるかぎり、「絶対者」などには成り得ないと思います

これは学会の歴史的な推移を無視した発言ではないでしょうか。他で記しましたが、私は確かに創価学会の中で「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり、仏さまである、本仏である」と習って育ってきました。

先にも引用しましたが、「神と聖書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、聖書と神意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである」というハッサン氏の言葉は、

仏と御書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、御書と仏意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである

と言い換えることができると思うのです。つまり、御書根本は、永遠の指導者絶対を強調するための“掛け声”になっている点が、看過されていませんか。

32Libra:2002/04/05(金) 13:37
独歩さん:

 ちょっと時間がないので短めにコメントさせて頂きます。

> 他で記しましたが、私は確かに創価学会の中で「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり、
> 仏さまである、本仏である」と習って育ってきました。

 それは「御書根本」に反している(いた)ことになると思いますので、改められるべき
だと思います。

33独歩:2002/04/05(金) 20:41

Libraさん:

ご承知のことと思いますが、Libraさんが御書根本で引文は「師匠が地獄に堕ちるならば、自分も堕ちるというのが師弟不ニだ」という池田さんの指導に対して、その過ちを示すために達師が引いた一節です。

Libraさんは真面目な研学の徒であるから、そのような姿勢の方が御書根本というのは、それには頷けるものがあります。しかし、創価学会を含めて富士門僧俗は、御書根本なのではなくて、御書“独自解釈”根本なのではないでしょうか。それ故、Libraさんも創価学会の教学姿勢について、異論を唱えることになるのでしょう。

かつて創価学会は池田さんを仏と、さらに「久遠の師」と言ったものでした。つまり、永遠の過去から現在に至るまで、池田さんは師であったという独自解釈です。この点は昭和52年度路線で「6・30教学上の誤り」で訂正しましたが、のちに「無理やり」させられたことであると言葉を翻した経緯があります。

そして、「永遠の指導者」と言い出し、久遠という過去から、今度は未来永遠の指導者であるというわけです。過去と未来、その自制は変化しても、要は言っていることは同じ。そして、学会の中でいつも言われるのは「御書根本」ということです。つまり、過去の反省はなにもなく、あるのは正統化、「常に自分(たち)は正しい」という考えです。

私はLibraさんがいう御書根本と創価学会がいう御書根本とは、上述のとおり、意味は違うと拝察はします。しかし、創価学会に事寄せて、「御書根本」と言えば、誤解を招くことになると思うわけです。

故に御書根本を、かつて達師が、創価学会・池田さんを嗜めた一節をもって説明するのは、不適当であると私は思うわけです。

師匠に誤りがあるのであれば捨てる、つまり、創価学会を脱会するという選択肢は、むしろ、御書根本の引文である「師なりとも誤ある者をば捨つべし」に叶うものでしょう。つまり、その意味において、チョンガーさんの記述は私は理解できるところはあります。しかし、そのあとに続く「捨てざる義も有るべし」から、留まり異論を告げるLibraさんのお立場も理解できないわけではありません。

ただし、「宇宙生命論者であられるチョンガーさんが「日蓮教学」を正しく理解されているとは、私にはとても思えません」と言われるけれど、それとカルト性回避の方法論の提示は、むしろ心理的方法論に係るものであるから、直ちに関連付けて批判するようなことであると、むしろ、私には思えません。

34宮本:2002/04/05(金) 20:47
 独歩さん、Libraさん、その他の皆さん今晩は。
横レスですみません。

私も
<「冷静な創価学会員は、脱会しろ」というのが今回の会則改正の意味である>
というチョンガーさんの御意見には、賛成出来ません。
(チョンガーさんは、りっぱな人だと思いますが)

 まず、学会には、欠点がたくさんありが
他の講に移るなり、退会しても何も変わらない思います。
学会に相当するか、それ以上の受け皿がないと、個人にとっては
変わらないと思います。
(本人の新たな決意も含めて)
 会則の変更は、学会の過去の歴史を振り返るにつけ
あまり、意味の無いことと思えてなりません。
 例えば、宗門との争いが、表面化する以前と今とでは、教学は、阿部日顕氏の
血脈を否定した以上、全然違ったものになっていると思います。
 過去の路線の変更、教学解釈の変更等、会則変更などは、
学会の体質乃至は基本方針です。
 実践理論として、師弟論を中心に据えている以上(私は、幾分違いますが)
今回の会則の変更は、既成事実を会則に盛り込んだだけだと思います。
また、先々、会則の変更は、幾度となくあると思います。

独歩さん御指摘の
>私は確かに創価学会の中で「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり、
>仏さまである、本仏である」と習って育ってきました。
ということですが、私は、その頃、入会していませんから
証明できませんが、それは、おおむね事実だったと思います。
(今は、そんなこと言いませんが)

35宮本:2002/04/05(金) 21:01
 以下のように、訂正致します。

 私も-->私は
 欠点がたくさんありが-->ありますが

36独歩:2002/04/05(金) 22:57

宮本さん:

脱会は、実はわたしたちのような旧い世代では“学会の指導に基づく”極限の選択だったんですよ。

なにかというと、『日興遺誡置文』の学会的な解釈です。

一、謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事。

ですから、宮本さんの言葉を借りれば「学会には、欠点がたくさんあり」と決断した点で、同座せず、与同罪を恐れれば、その場を去るしかない、つまり、今日的な言葉で言えば「脱会」するしかないことになります。

また、行くところがあるとかないとかなどという依存的な考えは富士門の考え方ではないという気持ちはあるわけです。すなわち、興師の

罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し打ち還し案じ候えばいずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ、詮にて候え

ということです。

チョンガーさんの解釈に、私は決して賛同するとかどうとかではないのですが、切羽詰った窮余の結論は理解できるところがあるということです。

なお、いまは池田さんを仏と言わなくなったことは結構なことですが、仏教の永遠の指導者はブッダですし、我が門下においては、付して蓮祖に限るのではないでしょうか。

一般的に言っても、生きている人間を捉まえて、会則改定に「永遠の指導者」を謳うなど尋常とは思えません。

なにか池田さんとその周囲を見ていると豊臣秀吉を思い出します。いったい誰が創価学会の徳川家康になるんでしょうかね。

37Libra:2002/04/05(金) 23:58
独歩さん:

> しかし、創価学会を含めて富士門僧俗は、御書根本なのではなくて、御書“独自解釈”根
> 本なのではないでしょうか。

 残念ながら、現状は、独歩さんのご指摘の通りなのだろうと私も思います。しかし、
「御書“独自解釈”根本」などというのは「御書根本」では決してありません。たとえ
<現状では忠実に守られていない>にせよ、今回の会則には「日蓮大聖人の御書を根本と
して」とはっきり書かれてあるのですから、これは<忠実に守られるべきである>と私は
思います。そして、「御書根本」を正しく実践する限りにおいて、「三代会長」を「絶対
者」とみなすことは誤りであると私は思います。そもそも、今回の会則で「永遠の指導者」
とされている牧口初代会長の精神から考えても、「三代会長」を「絶対者」とみることは
不可能だろうと私は思います。

  信仰的模倣時代から理性の時代へ(牧口常三郎)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/024.htm

  依法不依人(牧口常三郎)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/025.htm

 私は<「三代会長」を「絶対者」とみるような指導は創価学会には存在しなかった>な
どとは言っていないのです。むしろ、そのような指導は、「御書根本」に反するし、牧口
先生の精神からも外れているので、<存在していいものではない>と言っているのです。

> ただし、「宇宙生命論者であられるチョンガーさんが「日蓮教学」を正しく理解されてい
> るとは、私にはとても思えません」と言われるけれど、それとカルト性回避の方法論の提
> 示は、むしろ心理的方法論に係るものであるから、直ちに関連付けて批判するようなこと
> であると、むしろ、私には思えません。

 チョンガーさんは「唱題行を宣伝した事は、日蓮聖人の実績ですが、そこに付随して、
カルト教義を作り出してしまった。」と言われていましたが、私には全くそのようには思
えませんので、上のように述べさせて頂きました。

38独歩:2002/04/06(土) 00:11

Libraさん:

37に書かれる御書根本については、詰めれば私と同様のことを仰っていることはわかりますよ。

ただし、牧口さんについては“編集された”内容ではないでしょうか。
私は牧口さんについては、まるで評価はしていません。

39Libra:2002/04/06(土) 00:22
独歩さん:

> ただし、牧口さんについては“編集された”内容ではないでしょうか。
> 私は牧口さんについては、まるで評価はしていません。

 私も<牧口初代会長のお考えはすべて正しい>とは思っていませんが、少なくとも、上
に引用したようなお考えには賛成です。

40いちりん:2002/04/06(土) 00:47
しかし、池田さんは、「少欲知足」の模範を示されるとよいですね。
いまのままでは「渇愛」の模範を、永遠に示してしまいます。
残念なことですね。

41独歩:2002/04/06(土) 06:41

> 40

平ったい言い方をすれば、なんだか創価学会が、それも池田さんが、日蓮仏教を代表するような論調やら、風潮は、もう好い加減やめにしたいと思うわけです。

こちらからすれば、特定の集団が会則を変更しようがなにしようが勝手だとは思いますが、しかし、そこにできてもいない御書根本…実質、御所独自解釈根本…などということで、あたかも自分たちが正しく日蓮の教えを実践し、代表しているような表現を公然化したり、世間一般ではまったく認められていない、いやむしろ著しく評価が低いカリスマ・リーダーを、1995年以降にカルト・マインド・コントロールが問題視されてきたという時代性があるにも拘わらず、「永遠の指導者」などと表現されることに、不快感を感じるわけです。相変わらず、なんの反省もない“唯我独尊”体制です。

どちらにしてもジャイナ教などにも共通したシュラマナにおけるトリシュナー(渇愛)からニルバーナへの道程などまったく無縁であろうかと思います。極端な現世利益と成功者の賞賛、つまりはタントリズムの現代的展開の極を示すのが永遠の指導者という表現であるとしか思えません。

42宮本:2002/04/06(土) 10:39
独歩さんへ
>豊臣秀吉を思い出します。・・・。

 うーん。さすがですね。
私も真っ先に脳裏に浮かんだのは、朝鮮出兵以後の秀吉です。

 幾ら会則で決めてもいっしょなんです。
家康が、出てきた時点で、また、変更だと思います。
ですから、仏ならずほっとけばいいことなんです。(笑)

43宮本:2002/04/06(土) 11:19
つつぎ
>脱会は、実はわたしたちのような・・・。

 多くの去られた人達は、そのような考えかと思っております。

 私は、こういった事が、何か罰のようなものがあるとか、悪いこととか
そういった感覚なり考えは、全くありません。
したがって、先生及び大幹部の人と違うと思います。
(同じ立場の場合、私でも脱会したかもしれませんしね。)


>一、謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事。・・・。
との事ですが、

 たしかに、学会教学では、以下御指摘の通りになっております。
しかし、この解釈は、私は、入信当初と今では、幾分違います。
(学会員のくせにと御立腹されると思いますが)

 まず、時代を鎌倉時代とし、当時と同様の社会情勢、環境、宗門の状態ならば
日興上人のこの『日興遺誡置文』は、将来にわたる深深の御配慮と御考察もあり
その通りかと思います。
(僭越ですが)

 しかし、現代では、違うと思うのです。(例外もありますが)

 例えば、いちりんさんを例にあげ失礼とは、思いますが
インドに神の化身と呼ばれるサイババ師がおられます。
(いちりんさんごめんなさい) 
 ダルシャンを3回受けた経験のあるいちりんさんは、
学会流の教義解釈でいうと、もう3回は、地獄だの不幸だの
っていうことになります。

 しかし、いまだ、そのような状態が発生したとは、思えません。

 学会員ですと、「末法だから冥罰だ。因果異時だ・・・」と
とにかく、他人を不幸にしたがる一部、変な馬鹿者がいるわけです。

 聖教新聞を例にとると、宗門が、マザーテレサを批判すると
それは、違うとありました。

 しかし、御承知の通り、テレサは、異教徒のしかも修道女、
当然、祈りは、毎日行うような人でもあるわけです。

 要するに、教義解釈を特定人物に限り変更しているわけです。

44Libra:2002/04/06(土) 11:27
いちりんさん:

> いまのままでは「渇愛」の模範を、永遠に示してしまいます。

 「永遠の反面教師」ということでどうでしょうか(笑)。

45いちりん:2002/04/06(土) 11:54
Libraさん

>「永遠の反面教師」ということでどうでしょうか(笑)。

願兼於業(がんけんおごう=願って悪業を背負う)のありがたい生き方と思います。(笑

46いちりん:2002/04/06(土) 12:09

宮本さん

>ダルシャンを3回受けた経験のあるいちりんさんは

わたしの名前がでていましたので、(笑

サイババのダルシャンは、インドのアシュラムには三度出かけて、20回くらいでありますよ。
アマチのダルシャンは50回くらい。その他、ババジやらラマナマハリシやらのアシュラムには滞在して祈りの儀式に参加しているし。バラモンとともに火の儀式にも参加しているし。
マザーテレサのお隣で、祈りに参加させてもらったり。
臨済宗の国際禅センターで、三日間坐禅したり。
ビルマの坊さんの瞑想会を、日蓮宗のお寺で主催したし。
スリランカの坊さんの瞑想会は、毎月も主催していたし。
東本願寺で念仏を唱えたり、宮坂宥洪さんのお寺で護摩に参加させてもらったり。。
インドの日本山妙法寺では、お題目はずいぶん唱えたし。
今年は、団扇太鼓叩いて七面山に登りたいなあと思っているし。

いろいろと体験してみないと、わからんですもんね。
「知る」というのは頭だけど「わかる」というは、身体かなあ。。
そんなこんなで、いろいろと、右往左往して、生きているわけであります。

47宮本:2002/04/06(土) 14:06
つづき
   ほとんど、独歩さん御存知のことはがりの書き込み内容でした。

48独歩:2002/04/06(土) 15:04

宮本さん:

43にお書きになられているところ、なかなかおもしろい。
まあ、宮本さんや、Libraさんのような感覚の学会員が大勢を占めたら、よいのでしょうね(笑)

いちりんさんを引き合いに出されるまでもなく、現段階で私に「与同罪」の感覚はありません。わかっていただいていると思いますが、私の脱会の説明原理はそもそも創価教学によった、しかし、それは違っていたという点を示したまでです。

余談ですが、『日興遺誡置文』は後世成立説のほうが有力でしょうね。ただエッセンスとしては富士(重須)の教学的な展開を反映しているとは思います。まあ、学会が使う謂れはないとしか言いようがありませんが。

> 教義解釈を特定人物に限り変更しているわけです

まことにそのとおりです。けれど、なにも特定の人物に限って、言っていることがコロコロ変わるわけではありません。全般に亘ってでしょうね。

「宗教は普遍的でなければならない」というのは石山に向けた批判であったわけですが、まさに天に唾吐く類でしょうね。

ちょっと、アイロニカルな例を一つ。水に入れた金魚を火にかけてどんどん水温を上げていくと、けっこう高温まで耐えるそうです。けれど、直接、耐えられた熱さの中に入れる直ちにと死んでしまう…。慣れと言うのは恐ろしいということ。危険回避はせいぶつがくてきな本能ですが、慣れがこれを阻害しますのでしょうか。

49問答迷人:2002/04/06(土) 20:51

宮本さん

はじめまして。

>幾ら会則で決めてもいっしょなんです。

規則は、法人で有るための必要不可欠なものでしょうが、会則はなぜ必要なのでしょう。学会員さんに聞いても、極めて感心は低いですね。興味なし、って感じです。もっとも、会則で会員の箇所はほんの僅か、申し訳程度しかありませんから、大部分の学会員にとっては、会則なんか全然関係ない、という事になるのもよく判ります。会則は創価学会にとって、一体、何なのでしょうか。

50宮本:2002/04/06(土) 23:48
門答迷人さん

 今晩は。よろしくお願い致します。

 通常の団体ですと、会則は、そのまま規則的な性質をもつものとなりますが
学会の場合、今回の会則は、実質的には、何ら影響をもっておりません。
したがって、会則とは、なっておりますが、スローガン的意味あいしか
もっていないと思います。

 近代化が、遅れている部分の一つかと思います(会員としては、不穏当な意見かも
しれませんが)

 日常の活動の実務は、方面長の指揮下にありますから、
下部組織に別段の連絡及び当該会則に変更に伴う具体的指示、連絡等
も、今の所、ありません。

 こういったことからも、感心の低い一因かと思います。

51宮本:2002/04/06(土) 23:52
訂正致します

 当該会則に---->当該会則の

52菊水護国:2002/04/07(日) 08:17
まず、宗教法人規則を変えるには、宗教法人内の決議だけでは無理で、主務官庁(文部科学省)の認可が必要です。
ですから、とりあえず即座に変更可能な会則を変更したのでは無いでしょうか。
もっとも、創価学会への「現実に即した規則の変更勧告」は既に、文科省から出ていたようですから、認可は即座に出るでしょうが。

53岡田克彦</b><font color=#FF0000>(Gay75MZI)</font><b>:2002/06/02(日) 19:14
2チャンその他で私の名前にていろいろなことを書き込んでいる人たち
がいるようでございますが、私は、2チャンその他の掲示板にはレヴェルの低い、
しかしコンプレックスだけは強い連中がタムロしていることがわかりましたので、
一切興味がなくなりました。このゴールデンウィーク以降は、
何も書いておりません。これからも永久に書き込みませんので、
全て2チャンネラーの偽者の仕業とお考え下さい。(岡田克彦)

私、岡田克彦の音楽ホームページ「K.OKADAワールド」URL;
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5933/

54MILD SEVEN:2003/07/22(火) 04:06
頭と心のバランスがデタラメで、思慮浅く、詭弁に走る生意気なガキが多い、言葉の羅列型・事務屋左脳派カルト。
右脳派の可能性をも潰す。
国家にとって、マイナスだ。

何が創価だ!

世界に通用するものは創れないではないか!

悔い改めよ!
http://mildseven.55street.net/

55MILD SEVEN:2003/07/24(木) 06:27
創価学会問題
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv&amp;id=xvssv

元は下記。
http://hidebbs.net/bbs/maxms?sw=7&amp;m=10

56MILD SEVEN:2003/07/24(木) 13:42
創価が素直になれればいいのにね!

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

57MILD SEVEN:2003/07/30(水) 07:28
http://mildseven.55street.net/page013.html

悔い改めましょう!

58あまり連続投稿すると・・・:2003/07/30(水) 09:09
荒し行為と判断されますよ・・・・・。

60管理者:2003/07/30(水) 10:02

MILD SEVEN さま
あまり連続投稿すると さま

連続投稿自体は当掲示板のルールには触れませんので、構いませんよ。ルールに触れない限り、どんなにたくさん投稿されても自由です。どんどん遠慮なく書き込んで下さい。ただ、引用も悪くはないですが、その内容を簡潔に書き込んでいただくとさらに有り難いなぁ、と思います。これからも宜しくお願いいたします。

61MILD SEVEN:2003/07/31(木) 02:35
<ありがとうございます>

創価学会は私に対して、”反キリスト教むき出し”にして迫害して来ました。

しかしこれは、キリスト教社会の和・世界との和をもって成すホームページを作るキッカケとなりました。

キリスト教義による「自由共和党」です。

過去の歴史でも、我々キリスト教徒は、災いをも踏み台にして成長して来ました。
欧米先進国はそうやって先進国になって来ました。
今の日本も、過去アメリカが憲法を始め・法整備等「それだけでは無く、数々の整備」をしてくれた結果なのです。

日本の成長には、お膳立てがあったのです。

そして今、世界では・・・。

アメリカが、世界の世論の非難を受けて立場が悪くなれば、私の自由共和党を受け入れてくれる日も近い!?
大統領が聖書の上に手を置いて宣誓する国です。

アメリカの軌道修正に貢献出来るわけです。
同盟国として。

        ・・・・・・・・・・・

仏教界にとっても、創価学会の存在は一つの試練です。
聖職者達の責任?と実力が問われるのではないでしょうか?

創価は聖職者を否定し、僧侶の事を、糞坊主!と罵る者達です。
私は彼らの本音を知っています。

世界は広い。

自国の問題を自国で処理出来なければどうなるか?
少し考えれば分かることです。

下記参照
http://mildseven.55street.net/page013.html

62MILD SEVEN:2003/07/31(木) 02:39
<更に>

密議は進んでいる!?

国内でも、世界でも現在進行形だ。

連合作戦展開中。

良い事だ。

国を愛するのも、世界を愛するのも同じ事。

理屈だけでは通用しない世界もある。

創価では無理なのだ。

         ・・・・・・・・

イスラム社会「諸侯」は理解してくれているだろう!

善良なイスラム教徒の反応は去年確認済みだ。

創価では、旧約社会には相手にされない。

また、創価が思っているほど日本の財界は愚かでは無いだろう。

世界の財界は、なお更だ。

         ・・・・・・・・

僕は、キリスト教社会とイスラム教社会の両面からも働きかけて行く。

ユダヤは理解している筈だ。

普通の仏教界、そして共産圏、・・・からも。

果てしなく同時進行だな〜

あらゆる段階での普通・・・これが秘訣。

分かるかな?

創価学会。

下記参照
http://hidebbs.net/bbs/maxms?sw=7&amp;m=10

63MILD SEVEN:2003/07/31(木) 02:48
<駄目押し・・・>

創価の功罪については、下記サイトにまとめてあります。

それにしても・・・創価に謙虚な女性は少ない。
いや、いないかも知れません。
・・・レディー・ファーストは考えものです。
異端仏教の、呪われた呪文のせいか!?
少々気色悪いです。

http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv&amp;id=xvssv

64MILD SEVEN:2003/08/02(土) 08:06

{池田創価の教学の本質について 4}

池田大作・発言。「自由の砦より」

目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ!

         ・・・・・・・・・・・

官界・企業・・・。
何処にでもいる・・・。
この国はもう、ダメかもしれない・・・。

でも・・・。

<箴言3章5節〜>
心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りにたよるな。
あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を知恵のある者と思うな。
主を恐れて、悪から離れよ。

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

65MILD SEVEN:2003/08/03(日) 03:09
<参考サイト>
下記参照
http://www.geocities.jp/mksutra/nichimoku.htm

66MILD SEVEN:2003/08/04(月) 07:58
「こ これは何だ!? 」

創価は何をやってるのかな〜
http://www.geocities.jp/mksutra/ahoubouryaku.htm

第3条(三代会長)牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。

創価の会則。

        ・・・・・・・・・・・・・・

池田が永遠の指導者?

これは、偶像崇拝の証拠的会則。
愚かな事だ。
学会員は全て池田以下の人格と言う事だ。

哀れなカルト組織よ!
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

70MILD SEVEN:2003/08/05(火) 04:17
いまだに宣揚される“池田・トインビー対談”
醜悪な権力者・池田大作の名声の為に利用。

 『21世紀への対話』と題された、上・下2巻からなる本がある。イギリスの歴史学者・故アーノルド・トインビー博士と池田大作とが、昭和47年5月と48年5月の2回にわたって対談した記録――であるという。この本は昭和50年の出版当時から、トインビー博士の名声を利用した、池田のノーベル平和賞へのデモンストレーションではないか、といわれていたもので、さすがにノーベル平和賞は受賞できずじまいであるものの、この本が池田の虚像の宣伝に大きく貢献してきたことは事実である。
 ところが、この本、後に化けの皮が剥(は)がされ、実際は「トインビー・池田対談」などと呼べるものでないことが明らかとなったばかりか、故トインビー博士の孫娘・ポーリー女史からも、池田大作の実像を衝(つ)く手厳しい批判手記が発表された(1984年5月19日付・英紙『ガーディアン』紙に掲載)。
 その辺の経緯をより世の中に知らしめていくべく、当「被害者の会」では、会結成と同時に、イギリスのポーリー・トインビー女史にコンタクトをとったところ、ポーリー女史より “私の手記の全文を貴会で使うことを歓迎し、かつ貴会の活動の成功を祈る” という返事をいただいたのである。
 そこで、ポーリー女史の手記全文(和訳での全文発表は初めて)と若干の解説とを併せて掲示する。

http://www.toride.org/porry/

71MILD SEVEN:2003/08/05(火) 04:21
創価は、中途半端な者を取り込むのがうまい。
そういう集まりだから・・・。
しかし、その反面「失敗した場合」相手の信仰を高める事になる。
いい練習台になるのが関の山だ。

また、創価は自分達に信仰が無いから、信仰のある者の気持ちが分からないのだろう。
信仰無き宗教団体は考えものだ。
まあ、創価の場合、信仰と言うより・・・偶像礼拝・池田礼拝。
仏教界の異端だ。
大局的・世界的に見て、創価の時は長くない・・・。

創価には悔い改めを促しているが、謝罪すべき相手が沢山いすぎてどうにもならないだろう。
だが、悔い改めは必要だ。
笑って誤魔化すのは獣道。

悔い改め無くしては、真理は学べない。
心は空っぽだ。
悪霊の器でしかない。

創価が悔い改めなければ、何も教えられない。
無駄な事だから・・・。

残念だ。

創価には、さんざん馬鹿にされて来たし・・・。
教えるなんて・・・余計なお世話か。
馬鹿チンだもんね〜(@^0^@)

頑張れ創価よ!
世界を征服するのだ!
池田大作・大先生のいない地球など・・・破壊する?

           ・・・・・・・・

世界の悪霊は繋がっている。

72MILD SEVEN:2003/08/05(火) 04:26
<創価学会員の犯罪 一部>

【大社会問題】●カルト(邪教)としての創価学会(フランス認定)=公明党の犯罪〔新聞記事・雑誌記事等より〕●(ほんの一部だけ)【世評最悪】
田代富士夫(公明党参議院議員)=砂利船汚職事件(1988年)で逮捕
池田克也(公明党衆議院議員)=リクルート汚職(1988年)で起訴
池田大作(創価学会名誉会長・公明党の「黒幕」)
 =元信者の女性からレイプで訴えられた(信平訴訟)。
 =選挙違反容疑で逮捕(1957年)
 =渡部通子元公明党参議院議員や多田時子元公明党参議院議員との不倫疑惑(「月刊ペン」事件)
神崎武法(公明党代表)
 =女性記者へのセクハラ疑惑(女性記者に肉体関係を迫った疑惑)by「週刊ポスト」
続訓弘(公明党参議院議員、公明党中央幹事、元総務庁長官)=信用保証詐欺事件に関与の疑い by「朝日新聞」「噂の真相」
片上公人(創価学会員・元公明党参議院議員) =女性秘書へのセクハラを行う(1995年)。
佐藤茂樹(公明党衆議院議員)
 =政策秘書が「中小企業金融安定化特別保証制度」等をめぐる不正融資事件で逮捕される(2000年)。
太田昭宏(公明党衆議院議員、公明党幹事長代行、公明党国対委員長)
 =政治資金収支報告書で、贈収賄事件で警視庁に摘発された「大創建設」の関係者から計100万円の献金を受けていたことがわかった(2001年)。
T(創価学会員・岩手県の知的障害者施設職員、創価学会副圏長)
 =知的障碍者女性を強姦し妊娠させる(2000年)。
大島豊太郎(創価学会員・元公明党大阪市議会議員)
 =特養老人ホーム入居便宜供与を盾に支持者女性を強姦する(2001年)。
松本弘芳(創価学会員・元公明党江戸川区議会議員)
 =サラ金から借金しつつ児童買春を20回以上行い、ビデオ撮影して保管(2000年)。
鈴木友吉(創価学会員・元公明党文京区議会議員)
 =知人女性と不倫。子どもの前で交尾する現場を不倫相手の男性によって撮影される(2001年)。
T(創価学会本部職員)
 =痴情のもつれにより不倫相手に対する殺人未遂罪、銃刀法違反の罪で逮捕(1999年)
大谷尚雄(創価学会員・元島根県出雲市公明党市議会議員)=覚醒剤取締法違反で逮捕(1993年)
高野博師(創価学会員・公明党参議院議員)=公設秘書、二セの診断書偽造に関与(1999年)
高松和明(創価学会員・元成蹊大教授、父は創価大前学長)
 =不倫相手の女性と共謀して不特定多数への猥褻図画販売容疑で逮捕・女性の尿も販売 (2000年)
森和愛(兵庫県神戸市議会の公明の幹事長)=ゲーム機賭博で現行犯逮捕(1997年)
山田稔(群馬県藤岡市の公明市議)=収賄容疑で逮捕(1997年)
赤井良一(兵庫県川西市の公明市議)=保護責任者遺棄致死容疑で逮捕(1997年)
横田高夫(埼玉県大宮市の公明市議)=収賄容疑で逮捕(1997年)
塩沢三郎(神奈川県公明党県議)=競売入札妨害容疑で逮捕(1998年)
遠藤和良(公明党衆議院議員)=自民党の鈴木宗男議員から100万円の資金提供を受ける(2002年)

73MILD SEVEN:2003/08/07(木) 20:03
池田創価の教学はネズミ講!?
世界的に縮小している創価学会。
末端会員は哀れだ。
金だけ取られ損のネズミ講のようなものだ。

池田の教学には信仰は無い。
悪霊に支配された、まがい物だ。

池田が死んだら、その支配欲の夢と共に創価は解散。
それがいい。
それが自然だ。

頭と心のバランスがデタラメで、思慮浅く、詭弁に走る生意気なガキが多い、言葉の羅列型・事務屋左脳派カルト。
右脳派の可能性をも潰す。
国家にとって、マイナスだ。

創価は、中途半端な者を取り込むのがうまい。
そういう集まりだから・・・。
しかし、その反面「失敗した場合」相手の信仰を高める事になる。
いい練習台になるのが関の山だ。

また、創価は自分達に信仰が無いから、信仰のある者の気持ちが分からないのだろう。
信仰無き宗教団体は考えものだ。

まあ、創価の場合、信仰と言うより・・・日蓮仏法といいながら、実は偶像礼拝・池田礼拝にすり替えてしまう。
仏教界の異端だ。
大局的・世界的に見て、創価の時は長くない・・・。

創価には悔い改めを促しているが、謝罪すべき相手が沢山いすぎてどうにもならないだろう。
だが、悔い改めは必要だ。

       ・・・・・・・

池田大作発言。{自由の砦より}

「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」(扶養研修所での指導)

「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会)

「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ!」

「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」

       ・・・・・・・・

上記の帝王学とは何だろう?
低能学の間違いじゃないのかな!?

組織ぐるみで、馬鹿馬鹿と言って来た相手に負けるなよ〜!
シャキット教学を世に示してくれ!
そして、もっと楽しませてくれ!

頑張れ創価よ!
世界を征服するのだ!
負けるな創価よ!

それとも、悔い改める?

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

74MILD SEVEN:2003/08/09(土) 17:55
僕は基本的に他人の信じる道を侮辱したりはしない。
研究の為に、御書の目次を検索したりもしてる。

ただ、創価による一方的な迫害により、仏というものが嫌いになった事はある。
この問題は現在ノーコメントだ。

僕は立ち上がった。

キリスト者・信仰の霊を与えられた者は繊細な性質をも持つ。
のん気な僕でも・・・。
未熟で・特に学ばなくても、創価のカルト性は本能的に気がつく。
学びが進めば、なお更だ。

創価と我々には大きな違いがある。
違いすぎるのだ。
だから創価はわからないのだろう・・・いろいろと。

           ・・・・・・・

優秀な者は世界に沢山いる。
しかし、心の領域はどうかな?
相手の良心を誘導し・高め・成長させる事は、我々キリスト者の伝統だ。
解放・教育・導き・・・超自然体だ。

以前、大人の大人の子供と言う表現をした事があるが・・・大人の先に更なる成長もある。と言う事だ。

情報処理の技術という表現は適切ではないが「単なる技術では無い」、心の偏差値を高める事は、真理を学ぶ為の基本だ。
それでこそ、更なる成長が出来る。

真理の御霊が来て下されば、知恵は姉妹・悟りは身内の者。となる。

           ・・・・・・・・・

創価学会・池田教は、悪霊に支配された組織である事は我らの常識。
これに反論する教会があるなら教えてほしい。
僕が矯正する・・・僕の役目でもある。
過去に、警告した日本の教会もある。
残念ながら、生きたキリスト者は少数派なのだ。

だが、必ず証明する。

            ・・・・・・・

創価に善への意志があり、良心が麻痺していない者がいるなら、自分と戦い、素直になる事だ。
原点に返る事だ。

池田大作を偶像にしてはならない!
池田は、魔界の傲慢性の虜だ。
それだけでは無い。
悪霊の絶好の器なのだ。

           ・・・・・・・・

創価は、良き隣人であって欲しいものだ。
それにはまず、悔い改める事だ。

何が正しいか?
自分で判断する事だ。

創価学会員は誰の直参なのか?
池田大作か?
違うだろう!

池田大作という偶像があってはならない!

75仏を体現したい者:2003/08/09(土) 18:22
何という!!?? 「池田大センセイは日蓮の生まれ変わりで、本仏ですよ」。 だからこそ次期総選挙では、その実力証明のため日夜「題目闘争中」ですよ。 「センセイこそ命=魂」ですヨ。 「創価権力奪取にはセンセイが命」なのヨ、、。 貴殿は「頭破=悩乱=狂信もの」でしょうネ、、。

76MILD SEVEN:2003/08/09(土) 19:31
出たな!
偶像礼拝者。池田狂信者よ!

池田と日蓮を同列するのか?
大した自信だ!

君はどうやらオウムのようだ!

創価学会員はオウムなのか?

しかし・・・頭の良さならオウムのほうが上だ。
 
              ・・・・・・・・・

創価は日蓮仏法に反逆する集団なのか?
それは、以前から、わかっていたが・・・。

池田セックス教団よ!

77MILD SEVEN:2003/08/09(土) 19:37
日蓮は子供を作ったのかな〜

池田は??????????????????????????????

日蓮は前科があったのかな〜

池田は??????????????????????????????

生まれ変わりとは?
劣勢遺伝子なのかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

池田の傲慢性は・・・悪霊の器以外の何者でもない!

78MILD SEVEN:2003/08/10(日) 03:59
僕はキリスト者だから、生まれ変わりについてはノーコメント。

             ・・・・・・・・・

仏教思想による生まれ変わりについて・・・創価の場合、次は今より悪い者になる。と言う事だな!

上記76、77の補足。

池田狂信者はなんとも哀れ・・・。

79MILD SEVEN:2003/08/10(日) 04:03
僕はキリスト者だから、生まれ変わりについてはノーコメント。

             ・・・・・・・・・

仏教思想による生まれ変わりについて・・・創価の場合、次は今より悪い者になる。と言う事だな!

上記76、77の補足。

池田狂信者はなんとも哀れ・・・。

80MILD SEVEN:2003/08/10(日) 04:09
申し訳ありません。
二重投稿になってしまいました。

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

81苦悩乱者:2003/08/10(日) 15:11
はじめまして「苦悩乱者」です。本名は大熊です。新参者ですがよろしくお願いいたします。

私は創価学会には感謝!しております。わたしのネームのように,散々な目に遇いましたが
創価学会には感謝です。変則的ではありますが、「妙法」に縁させていただきました。
それ故に,創価学会を批判することは「恩返し」と心得ております。「怨」返しではありません

82MILD SEVEN:2003/08/10(日) 23:18
創価は、池田という贅沢が好きな・虚栄心の塊の様な、とてもエライ人間によって狂っている。
原点をねじ曲げられた哀れな組織。
素直さの無い危険な全体主義。

原点に返るべく、池田の呪縛から解放してあげましょう!

83苦悩乱者:2003/08/10(日) 23:41
若し創価学会が現れなかったら,現在の私はありません。大石寺の欺瞞も現れなかったでしょう

84MILD SEVEN:2003/08/11(月) 00:37
変な組織には、親衛隊・新撰組?の類はいるものだ。
なんでだろう?
独裁者は共通したものがある。
池田狂信者があってはならない。
日蓮と池田を同列視する者もいる。
生まれ変わりなどと・・・。
創価の生まれ変わりは劣勢遺伝子なのか?
次はもっと悪い者になるのか?
日蓮は池田大先生の様に、子供を作ったり・贅沢したり・虚栄心の塊だったのかな〜

マトモな宗教家なら、常に最前線で生きるべきじゃないかな〜
立派な王様なら、最前線で力強く戦い・皆を守り・聡明で・誰よりも苦労して・・・。
同じ事だ。

まあ、指導者として精神的に死んでいる指導者には・・・ご苦労様!だろう。大先生は最初から怪しいものだが・・・。
隠居が一番。
いつまでも影響力があると、組織がどんどん狂って行く。
どうにもならなくなる。
もうなってるかな〜?

            ・・・・・・・・

外部からの顧問は必要と思うが・・・。
もちろん、内部革命組織の行動も・・・。
内科と外科はコンビで・・・変な例えかな?

物事にはタイムリミットというものがある。
創価は限界を超えられない。

助言はするが、僕は創価に対して責任は無い。
自分のケツは自分で拭くものだ。
それとも、馬鹿チンなんか無用かな〜(^O^)

今後は、宗教の枠を超えて、真理を追求してみればどうかな?
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

85MILD SEVEN:2003/08/11(月) 02:21
創価に善への意志があり、良心が麻痺していない者がいるなら、自分と戦い、素直になる事だ。
原点に返る事だ。

池田大作を偶像にしてはならない!
池田は、魔界の傲慢性の虜だ。
それだけでは無い。
悪霊の絶好の器なのだ。

       ・・・・・・・・

創価は、良き隣人であって欲しいものだ。
それにはまず、悔い改める事だ。

何が正しいか?
自分で判断する事だ。

創価学会員は誰の直参なのか?
池田大作か?
違うだろう!

池田大作という偶像があってはならない!
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

86MILD SEVEN:2003/08/11(月) 09:33

 <過去の資料から・・・。>

{カルト国家日本}・・・これは、避けたい。
これ以上あの組織{創価学会}が国政に関わると・・・。
反イスラム教・反ユダヤ教・反キリスト教・反仏教{裏切り者}・反ヒンズー教・反共産主義・・・・・反無宗教。実態はこの様になる。

陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家になる。
しかし、世界はバカでは無い!

解放出来なければ・・・。

将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険・・・・・・日本経済は確実に崩壊する!?・・・それだけならいいが・・・。

事の重大性を考えるべきだ。
世界は研究している。

カルトからの解放教育は、緊急避難。
残された時間は・・・。

上記を読んで、反発するか?聞く耳を持つか?
僕は、内部革命をお勧めします!

           ・・・・・・・

上記は4月に書いたもの。

池田の教学に解決の道は無い。
もう、詭弁や策略は通用しない。

時代が心の成長へ向かえば向かうほど、創価の立場は悪くなる。
創価の矛盾は狂気。
開き直るも、また狂気。
それとも、宗教法人なんか止める?
元々、信仰とは程遠い・・・人間の教えを、教えとして教えているだけだから・・・。
どの道、創価は一流の宗教では無い。
忌まわしいものだ。

悔い改めるべきだ。

世界は創価の実態を知っている。
もう・・・いいかげんに、日本人が馬鹿にされるような組織は改善してくれ!

創価の新世代よ!
立ち上がるのだ!

改善無き創価の未来は、世界中の良識ある本当の実力者をことごとく敵にする事になる。
創価よ!
日本を滅ぼすな!

創価が兄弟・姉妹でない事は・・・残念だな〜
助言もほどほどにしか出来ない。
まあ、馬鹿チンだから・・・余計なお世話か?
そうだな〜〜

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87苦悩乱者:2003/08/11(月) 12:16
MILD SEVEN様
こんにちは!始めまして「苦悩乱者」です。五島 勉氏の「ノストラダムス」と聖書を少し読んできました。私は「イエス様」のお言葉も大好きです。ただ私の心的な立場は日蓮宗富士派に有ります
MILD様は(この様に呼ばせていただきます)クリスチャンでいらっしゃるとの事ですので,聖書のことなど,いろいろお聞きしたい事も有ります。MILD様が伝えんとしている事,私自身は解る部類に入っていると思っております。
キリスト教系の予言書等も多少読みました。

あと,ここのスレッドのテーマのことですが,ここは「創価学会の功罪を考える」ということで創価学会のマイナスの面,プラスの面という考えで語って行きたいと思います。それから「スレッド」てどういう意味でしょうか。
笑ってもけっこうです。

88MILD SEVEN:2003/08/12(火) 05:29
創価には良き隣人になってもらいたいが、危険な創価の指導者に立ち向かう決意を示してくれなければ、創価は信用出来ない。
当然だ。

行き詰まった指導者の教学を周りで支えるなど・・・愚かだ。
変だと思わないのか??

まず、呪縛からの解放が先だ。
無意識で支配されている者は危険だ。
当然だ。

池田では無く、日蓮の直参として、何が正しいか判断して欲しい。

何事も、それからだ。

まだまだ先はある・・・。
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89MILD SEVEN:2003/08/12(火) 05:36
上記は創価向けのものです。

下記から、私のサイトへ飛べます。
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv

まだ・・・ありますが・・・。

90苦悩乱者:2003/08/12(火) 17:36
MILDさん

自由騎士団の方ですね。直接にお話したいのですが,よろしいでしょうか?
教会の住所,TELを教えていただきたいのですが。お願いいたします。
わたしは,埼玉県県南部に住んでおります。

91MILD SEVEN:2003/08/13(水) 08:24
それは無駄だと思います。
日本に母教会はありません。
所属教会もありません。
僕はフリーです。

            ・・・・・・・・・・

日本の教会には失望したので、立ち上がっただけですから・・・。

92MILD SEVEN:2003/08/13(水) 08:33
僕は、いつ死んでもいいと思っています。
でも、なかなか死なないものです。
しかも・・・結果を出せる。

信仰とは、そういうものではないでしょうか!?

93MILD SEVEN:2003/08/13(水) 08:42
まあ、軍人ですよ。

創価の一方的な迫害により・・・もう、失うものは無く、でも、守るものはあります。

僕は馬鹿チンLDです。
ただ・・・全てを踏み台にします。
それだけです。

94苦悩乱者:2003/08/13(水) 15:09

MILDさん

>それは無駄だと・・・・

無駄というのは,主観的なもので,それを無駄と思わない人間も居るのです。人間と言うものは,自分中心に物事を考える性癖があるものですよね。私もそうです。創価学会の人達が言う「それは我見だ」もその様な意味を持っているのかもしれません。「自分の正当性」を守る為に,ことを仏法によせて,まあ批判をかわすために,仏様の言葉を自分のために利用するのです。
何らかの宗教を信じているような人も,それぞれの宗教の立場に立っているようにみせかけながら,実はその正体は「自分の心」であったりするのです。これは,しばしば起こります。

>日本の教会には・・・

お一人でですか。「迷った一頭」ですね。イエス様が「最も愛す」と語られたあの一頭

>僕は、いつ死んでもいい・・・
>信仰とは,そういうもの・・・・

全くそのとおりです。同じです。創価学会の言うように「お金が儲かる。病気が治る。大邸宅に住める」では絶対ありません。むしろ迫害をうけるのです。歴史は一面「古今東西,正しい人々が迫害を受けてきた物語」とも言い切れるものです。キリスト教もやりました。仏教もやりました。富士門流もやりました。私は,そのような時代を潜り抜けてきた人間を先祖にもつ者です。幸いに百姓の家系のようですが。

妙法蓮華経 如来寿量品第十六に「一心欲見仏 不自惜身命」と言う経文がありますが,これは朝に晩に読んでいる大事な経文です。法華経は過去,現在,未来に渡って,已に説かれ,現在説かれ,又未来に説かれるであろう経典(教え)の中で最大一の真実の教えであると宣言されている経典なのです。但しこの経の本当の意味を知る人は少ないとも説かれています。
法華経が何故勝れた教えと言われるか?それは「一切衆生 悉有仏性」一切衆生ですから人間だけではありませんが,ここでは人間に限定してお話しますと,全ての人には仏様(如来)と同じ心が有りますよと宣言してくれたわけです。「如来知見 広大深遠 無量 無礙 力 無所畏 禅定 解脱 三昧 ・・・」といろいろ有るのですが,無量と言うのは四無量心つまり,慈無量心,悲無量心,喜無量心,捨無量心です。
慈・悲・喜・捨の四つです(それぞれ大を省略)。世間には慈悲だけが広まっているようです。こういう意味が有るので,法華経を信じなければいけませんと言うのです。「法華経を信じない」ということは自らの「仏性」を信じない事になるからです。法華経とは南無妙法蓮華経です。私は「慈悲」には「アガペー(神の無償の愛)」に通ずるものがあると思っています。


>まあ,軍人ですよ。

「死を覚悟している」ということですね。死んだ人が羨ましいと思うほどの艱難に遇うと書かれていますね。疑う余地無くこの時代に起きそうですね,かなり鈍感な方でもその様に感じているようです。

>僕は馬鹿チンLDです。

鈴木大拙と言う人の著書(たぶん禅宗の方)に馬鹿(大馬鹿か?)になれと書かれていた気がします。悪くないですね。「LD」って何の意味ですか?実は「レス」(レスポンスか?)も「ロム」(文章書き溜めか?)も「スレッド」も意味が解らないのです。知っていたら教えてください。

>・・・全てを踏み台にします。

踏んづけてはいけません。「迫害を糧にして成長する」と言う意味ですよね。

>創価の一方的な迫害により・・・・

申し訳ありません。只,私は25年以上も「創価学会」とも「正宗」(まさむねと読まないで下さい,刀ではなく,酒を連想しますから)とも離れています。私も「迷った一匹」だったのです。

決して,一人ぽっちだとは思わないで下さい,孤独を永く味わってきて尚,「守るものがある」なんてすばらしい人だと思います。  では,このへんで失礼します。

95MILD SEVEN:2003/08/13(水) 16:35
下記サイトを見てもらえれば、もう少し説明出来ると思います。
私は、創価に・・・「マロとかチンとか言ってみろと言われたり・・・さんざんモルモットにされた、馬鹿梅と呼ばれる者です。
こんな国に・・・生まれたくなかった。と思う事もしばしば・・・。
http://mildseven.55street.net/page013.html

96MILD SEVEN:2003/08/13(水) 16:39
私は幼少の頃、カトリックのスパルタ教育を受け、その後ドイツで働き、プロテスタントで受洗した者。
私の先生・宣教師は一貫して、創価学会は危険です。と言っていました。
日本の教会に対しても嘆いていました。
私はマンツーマンで育てられました。

私の基本的性格は能天気なのですが・・・。

何でもありを会得中。
キリスト者なら分かるはずです。

ドイツ・プロテスタントは、創価を認めません。
また、現代カトリックは寛容すぎるのか?・・・それも戦略でしょう。
どちらも寛容ですが。

私は剛柔流です。

私は、日本人としての責任問題と思っています。
今に判る時が来ます。
日本に、自己修復能力が無ければどうなるか?
この国を、創価・毒麦国家にしてはならない!!

   <マタイ23章・13節〜>

上記を参考にして・・・。

「・・・忌まわしいものだ。偽善の創価学会、公明党たち。
あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないのです。」

          ・・・・・・・・・

創価からの一方的な迫害から始まって、組織対個人・・・もう、15年の戦い?です。
もちろん専守防衛です。

         ・・・・・・・・・・・・
         ・・・・・・・・・・・・

仏教の角度からも・・・。

   <立正安国論について> 


創価は僧侶を認めない・侮辱する存在。

普通の仏教界も知っています。
 
・・・「国土乱れん時は先ず鬼神(きじん)乱る。鬼神(きじん)乱るるが故に万民乱る。・・・。

歴史は繰り返す。

私は「池田創価」は「おろち」と判断します。

冗談だと思いますか?

聖職者・僧侶を否定する創価学会の常識。

獣・・・666。

更に。

・・・・・・自界叛逆の難・・・・・・・。

上記は何でしょう? 単純に考えれば、宗門・僧侶への反逆行為!?
やはり、池田創価でしょう!

しかも、他宗を裏切った者達による、元の宗門への反逆活動・策略は言わずと知れた事。

哀れ創価!
指導者を間違えてはいけません。
組織の命運がかかっています。
世代交代の今、どうするべきか?
他人を馬鹿と言う前に、自分達の頭で考えましょう!
そして、悔い改めましょう。
素直になって、麻痺した良心を回復させましょう。

創価の見せしめ=創価・ハルマゲドン{無間地獄?}は言わずと知れた、創価の策略。
一見、合法的な策略です。

その内、本物の獣になります。
獣道・・・創価学会。

策略大好きな創価は、不法は自分達が正しいと思っているから、やるのでしょう!

だからこそ言います!

創価よ!
闇の力の虜になってはなりません!
悔い改めるのです!

創価には大きな欠点があります。
それは致命的な欠点です。
創価は真理から見捨てられています。
創価バベル。

無間地獄と無限階段は正反対のものです。
塔を建てたければ天に聞きましょう。
間違った上物は完成しません。
反逆と信仰は正反対のものです。

創価学会の陰謀・策略・恐怖支配・・・。

やはり創価は、サタンの深いところを知ってしまったのでしょうか!?

カルト体質人間=ウイルス型人間が社会に蔓延っています。
マクロ防衛の為にも、個々汚染されぬ様に注意して行かなければなりません!
新興宗教池田教は、人類の長い歴史から見れば、ほんのひと時しかないのです。
ひと時の夢なのです。
真実のルネッサンスは、独裁者では無理なのです。

            ・・・・・・・・・

創価の新世代は世界に通用する建設的な有り方を考えるべきです。
ただ・・・変なものを造れば壊される事を覚悟しておく事です
聞く耳のある者は、育っています。
世界も馬鹿ではありません。

現状の創価の、心の偏差値は低いのです。

恥を知るべきです。
そして、悔い改めましょう!

< 宗教問題調停活動も兼ねているので、誤解無きよう・・・。>

創価学会は、日本のブラック・ホール化しています。
これは以前から言って来た事です。
私は一貫して変わりません。

創価よ!
悔い改めましょう!

聞く耳のある者は幸いです。

http://mildseven.55street.net/page013.html

97MILD SEVEN:2003/08/13(水) 17:00
下記BBSは辛口ですが、創価学会員も投稿してくれてます。

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

98MILD SEVEN:2003/08/14(木) 00:57
天は力の差。と聖書にある。

創価は愚かだ。
キリスト者を本気にさせるとは・・・。

たった一人の私を撃退する事も出来ないのだ!
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

99MILD SEVEN:2003/08/14(木) 07:20

<詩篇37篇>

悪を行う者に対して腹を立てるな。
不正を行う者に対してねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ、
青草のように枯れるのだ。

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

http://hidebbs.net/bbs/maxms?sw=7&amp;m=10

100ガンコ:2003/08/14(木) 09:19

>悪を行う者に対して腹を立てるな。
>不正を行う者に対してねたみを起こすな。
>彼らは草のようにたちまちしおれ、
>青草のように枯れるのだ。

とってもステキな言葉ですけども、わたくしには難しいですね。
だって、悪いヤツ見るとムカつきますもん。
やはく、萎れたり枯れたりしてくれればいいんですけど、悪いヤツってなかなかどうしてしぶといんですよね。
こういう風に思ってしまうわたくしってよくないのかしら?
でも、現実、世の中、悪いヤツがのうのうと生きている、そういう時代ですよね。

101MILD SEVEN:2003/08/14(木) 10:42

上記は1〜2節。

3節。 主に信頼して善を行え。・・・・・。
4節。 ・・・主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
9節。 ・・・腹を立てるな。それはただ悪への道だ。

ここで聖書を説明するのは変でしょうが・・・。
私の場合、反撃するチャンスを力を授かりました。
証し人として・・・。

我々キリスト者は促成栽培種ではありません。
でも、時が来れば実が生ります。
不思議な事ですが・・・息子として証明出来ます。
実力とは、そういう事でしょう。
本当に、自分でも不思議ですが・・・。
でも、まだまだ未熟者。

            ・・・・・・・・・・

宗教について語るにはまだまだ未熟ですが、原点に返ればいいのではないでしょうか。
真理を追究する。
異端はついて来れなくなります。
反撃のチャンスはやって来ます。

仏教界でもそうではないでしょうか?

102ガンコ:2003/08/14(木) 13:57

>ここで聖書を説明するのは変でしょうが・・・。

いえいえ、そんなことはありません。ただ、あなたの言葉づかいにちょっと疑問があるんです。
直近の例では「反撃するチャンス」とか「反撃のチャンス」とお書きになってますが、こうした姿勢は聖書に反するのではないかと思うのです。
腹を立てるな、ねたみを起こすな・・・というのですから、反撃しちゃいけませんでしょ?

103MILD SEVEN:2003/08/15(金) 02:34
キリスト者でないと聖書は会得出来ません。
信仰の霊を与えられ、霊とまことで礼拝するのが、神との親子の証し。

悪を憎め。と聖書にあります。

自然な気持ちで真理を解き明かせるようになれば・・・。
職人芸の如く、気楽に・・・カルトを退治出来ます。

私は感情では判断しません。

キリスト者はそれぞれ賜物が異なります。
役目も・・・。

もう少し、私の文を熟読して下さい。
聖書はもちろんそうなのですが、我々信者の表現は奥が深いのです。

真理を追究すれば、異端はついて来れなくなります=世の常識も変わる。
自然と反撃は成就します。

天罰の如く。

104MILD SEVEN:2003/08/15(金) 02:42
私は思うのですが・・・。
信仰が先で、教学は次でよろしい!・・・と。

順序を間違えると、創価のように、頭で考えるだけの三流の宗教になる危険があります。

105MILD SEVEN:2003/08/15(金) 02:47
我らの神である主の名は、聖書の中でいろいろと表現されています。
その名が「ねたむ」ともあります。
でも、愛です。

聖書は全体を霊で深く導きと共に学ばなければなりません。

http://hidebbs.net/bbs/maxms?sw=7&amp;m=10

106MILD:2003/08/15(金) 02:51

ともかく、創価学会は、悪霊が作った組織ですから。

悪の枢軸。{獣とそれに従う10人の王・・・。}

107MILD SEVEN:2003/08/15(金) 02:59

 <詩篇 27篇> 

主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。
主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。
悪を行う者が私の肉を食らおうと、
私に襲いかかったとき、
私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。
たとい、私に向かって陣営が張られても、
私の心は恐れない。
たとい、戦いが私に向かって起こっても、
それにも、私は動じない。

私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、
その宮で、思いにふける、そのために。
それは、主が、
悩みの日に私を隠れ場に隠し、
その幕屋のひそかな所に私をかくまい、
岩の上に私を上げてくださるからだ。
今、私のかしらは、
私を取り囲む敵の上に高く上げられる。
私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、
歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。

聞いてください。主よ。私の呼ぶこの声を。
私をあわれみ、私に答えてください。
あなたに代わって、私の心は申します。
「私の顔を、慕い求めよ。」と。
主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。
どうか、御顔を私に隠さないでください。
あなたのしもべを、
怒って、押しのけないでください。
あなたは私の助けです。
私を見放さないでください。見捨てないでください。
私の救いの神。
私の父、私の母が、私を見捨てる時は、
主が私を取り上げてくださる。

主よ。あなたの道を私に教えてください。
私を待ち伏せている者どもがおりますから、
私を平らな小道に導いてください。
私を、私の仇の意のままに、させないでください。
偽りの証人どもが私に立ち向かい、
暴言を吐いているのです。

ああ、私に、
生ける者の地で主のいつくしみを見ることが
信じられなかったら。ー
待ち望め。主を。
雄々しくあれ。心を強くせよ。
待ち望め。主を。

108MILD SEVEN:2003/08/15(金) 03:02
私がやっている事は、聖戦です。

下記参照。
http://mildseven.55street.net/page005.html

109MILD SEVEN:2003/08/15(金) 03:22
カルトからの解放教育は・・・私なりの愛です。
日本には滅びてほしくない・・・。

緊急避難的処置です。
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

110SEVEN STARS:2003/08/15(金) 07:32
このMILDなんとか君は、自分が誰からも相手にされてないことを理解してないのかね?

111MILD SEVEN:2003/08/15(金) 09:38
お!
悪の枢軸からの割り込みかな?

理解する能力の無い池田創価のエージェントかな!?
哀れなカルトよ!

もうすぐ解放してあげるからね!

http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv

112MILD SEVEN:2003/08/15(金) 09:57
http://mildseven.55street.net/page013.html

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

113MILD SEVEN:2003/08/16(土) 01:41
創価のサイバー工作員は、頭で考えるだけの、冷たい・心無き・慈悲無き・3流宗教だな・・・。
心が悪である為、理解する能力が無い。
なんとも哀れな、悪霊に支配されたカルトよ!

日本を解放したい!
かわいそうな創価よ!
・・・なんとも哀れ・・・。

114MILD SEVEN:2003/08/16(土) 09:49

 <幸せとは?>

幸せについての考えは、いろいろあるだろう。
僕にとっては、主と共にある事。

          ・・・・・・・・・

一方的な迫害によって、僕の人生をメチャクチャにした創価学会。
もう、取り返しがつかない。プライベートも無い。
笑って誤魔化す創価学会。
しかし、僕は証しする。世界の為に・・・。
創価が悔い改め出来なくて、そのままでも・・・周りが成長する。
僕も、証し出来る事は光栄だ。
創価は幸せの為の踏み台なのか?
これは・・・創価への天罰も兼ねているのか?
これが、時代のバランスなのか?

主と共にある事は・・・なんでも幸せ。なんでもあり。だ。
カルトには分かるまい。
この気持ち。

115MILD SEVEN:2003/08/17(日) 03:48
聖書にこんな箇所があります。

「ヨハネ15章21〜22節。」
 
・・・・・それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。
もしわたしが来て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。

「ヨハネ16章12節」

わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。

「ヨハネ16章33節」

・・・・・わたしはすでに世に勝ったのです。         
         
          ・・・・・・・・

我々キリスト者は促成栽培種ではありません。
でも、時が来れば実が生ります。
不思議な事ですが・・・息子として証明出来ます。
実力とは、そういう事でしょう。
本当に、自分でも不思議ですが・・・。
でも、まだまだ未熟者。

         ・・・・・・・・・

また、こんな箇所が聖書にあります。

「エゼキエル書33章11節」

・・・・・神である主の御告げ。− わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。・・・・・。

               ・・・・・・・・

創価よ!
悔い改めて、悪の道から立ち返れ!
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

116MILD SEVEN:2003/08/17(日) 10:00
<ごくあたりまえの事 >

無からは、何も生まれない・・・・・無。

神がいた・・・・・完全だから・・・・・いた・・・・・永遠に・・・・・いる。

永遠の神が、無限の努力をして・・・・・ある時、自らの知恵を・・・光を・・・表現した・・・真理 真実。

神には、永遠の経験がある・・・・・だからこそ、尊い。

信じるほどに・・・わかってくる・・・はっきりと。

神には、親は・・・・・いなかった。

妻、息子・娘・・・・・我らの主と共にあって・・・母・父と・・・創造された。

主は、キリストと共に、完全の上の完全。

神は父として、真理の産みの親。

聖なる存在。
                         24.9.1999

我らの主は・・・・・イエス様

イエス様は・・・・・主の本宅・・・・・本宮。

主「神」=「愛」は・・・イエス様と共に、「愛情」を完成された。

私は、信じています・・・いや、確信しています。

http://mildseven.55street.net/page005.html

117MILD SEVEN:2003/08/17(日) 10:02
創価学会問題については下記参照。

http://mildseven.55street.net/page013.html

118MILD SEVEN:2003/08/18(月) 09:56

 <聖戦>

僕は、試練や迫害の中にあって、自分の手で稼ぎつつ、証しして来た。

この世に完全な者などいない。
いたら、お会いしたいものだ。
でも、<完全>に生かされる事は可能だ。
自然体で。

また、罪についての解釈は、良識・常識、宗教・個人等で違うでだろう。
完全でなければ、罪は付きものと思うが・・・。

       ・・・・・・・

罪滅ぼし。

これは、自分でやってもいいんじゃないだろうか?
天への貯金or借金返済・・・どちらでもいい。

「我々キリスト者の場合は、過去の因果は意味が無い。 コロサイ人への手書2章13〜14節。・・・それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘ずけにされました。」

やって悪い事じゃない。
人として存在して行く意義としては・・・。

119MILD SEVEN:2003/08/19(火) 15:25

 <創価学会内部革命へ!>

聖職者・僧侶無き怪しいカルト。
思慮浅く、詭弁に走る・・・傲慢さを隠し切れないマムシの子。
また、謙虚な女性も少ない。
いや、いないかも知れぬ。
異端仏教の、呪われた呪文のせいか!?
少々気色悪い・・・はっきり言って、気持ち悪い。
光の子に化けても見抜かれる。
聞く耳のある者は、見る目も培われるのだ。
素直になって正道を歩む事だ。

僕は基本的に他人の信じる道を侮辱したりはしない。
ただ、創価のせいで仏というものが嫌いになった事はある。
この問題は現在ノーコメントだ。

研究の為に{御書の目次}を検索したりもしてる。

僕は無駄な力を使うつもりは無い。
当然だ。
助言はするが・・・。

創価に善への意志があり、良心が麻痺していない者がいるなら、自分と戦い、素直になる事だ。
原点に返る事だ。

池田大作を偶像にしてはならない!
池田は、魔界の傲慢性の虜だ。
それだけでは無い。
悪霊の絶好の器なのだ。

創価の新世代には内部革命を促している。
旧体制派は不利な立場になるだろう。

時代は進化して行く。

120MILD SEVEN:2003/08/19(火) 16:32

 <過去の資料から・・。>

創価学会は僕に対して、”反キリスト教むき出し”にして迫害して来た。
僕は生き証人だ。
しかしこれは、キリスト教社会の和・世界との和をもって成すホームページを作るキッカケとなった。
キリスト教義による「自由共和党」だ。

過去の歴史でも、我々キリスト教徒は、災いをも踏み台にして成長して来た。
欧米先進国はそうやって先進国になって来た。
今の日本も、過去アメリカが憲法を始め・法整備等「それだけでは無く、数々の整備」をしてくれた結果なのだ。
日本の成長には、お膳立てがあったのだ。

        ・・・・・・・・・・・

仏教界にとっても、創価学会の存在は一つの試練だ。
聖職者達の責任?と実力が問われるのではないか?

創価は聖職者を否定し、僧侶の事を、糞坊主!と罵る者達だ。
僕は彼らの本音を知っている。

世界は広い。
自国の問題を自国で処理出来なければどうなるか?
少し考えれば分かることだ。
創価学会には内部革命が必要だ!

http://mildseven.55street.net/index.html

121MILD SEVEN:2003/08/20(水) 09:49

 <聖戦 2>

聖職者・僧侶無き怪しいカルト・創価学会。
傲慢さは隠しきれない。
それとも、偽僧侶でも画策しているのかな?

それはさておき、創価の新世代は旧体制を覆すべきだな!
改善無き創価は、法華経の右翼・危険なカルトとして・・・創価が法華経を破壊する存在になる。
冷静に判断すればわかる。
小さく纏まっていればいいものを・・・。

悔い改めるべき事だ。
創価の新世代にも、少しだけ理解しかけて来た者もあるようだが・・・。

            ・・・・・・・

キリスト者は、一人でも組織・国家なのだ・・・僕はこれを、自由共和精神と呼ぶ。
自由共和国。

創価は戦争を仕掛けて来た。
我が方の防衛は教育から始まる・・・。

創価よ!
悔い改めよ!

122MILD SEVEN:2003/08/21(木) 09:54

 <<<独り言 3 「過去の資料から・・・。」>>> 

「おろち」とは比喩だな。 

「信仰の無い人間集団」つまり、「人間様」だな。  

やつらは傲慢だからな。  

現代の、いわゆる「律法学者、・・・・人」だな。  

創価は仏教徒と言っているが・・・。  

しかし、神様を愛していない。

創価は、創造主を侮辱する存在。  

「獣」だな。  

黙示録{17・17}を知っているな。・・・そして、その僕「10人の王」・{17・12}・・・国とは?・・・組織・団体?? 

「のろわれた人間集団」・・・「創価学会」・・・その目的は・・・世界征服。  

虜になるなよ。  

僕は、主の僕、軍人だ! やつら「獣」と一緒にするな!  

君は大丈夫だな。  

神の愛を拒む者・・・「人間」  

今は昔に逆戻りだな。  

そう。今ある事は既にあった事。

             ・・・・・・・・・

創価は悔い改めて池田体制を覆し、新しい創造を!

123MILD SEVEN:2003/08/22(金) 05:07

<カルト体質を改善しよう! 創価学会!>

創価が悔い改めて、代表者が土下座でもなんでもするなら・・・進展もあるかもしれない。保証はしないが。
まあ、変な代表者達は引退すべきだ・・・。

創価が悪の団結をして迫害行為をするならするで、それもよし!
喜んで殉教しよう!
政治亡命のチャンスの道もあるぞ! 僕は。
せいぜい、あざける事だ。
馬鹿に負ける能無しにならない事だ。創価よ!

僕は基本的に他人の信じる道を侮辱したりしない。
創価学会の一方的な迫害により、人生をメチャクチャにされただけだ。
また、キリスト者でない創価が聖書を会得するのは不可能。
創価の傲慢もほどほどにされたし!
危険な法華経右翼、創価学会は盲目的カルト。
自分達は気がつかない。
偽者集団は哀れかな。
だが・・・良識ある者は知っている。

民主主義とは、解放された良識ある者により選ばれた者による政治であるべきだ。
創価のようなカルトが先ではなく、解放が先だ。
悔い改めるべきだ。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

124MILD SEVEN:2003/08/22(金) 16:57

 <<<創価への助言>>>

マタイ13章14〜15節。

・・・「あなたがたは確かに聞きはするが、
   決して悟らない。
   確かに見てはいるが、決してわからない。
   この民の心は鈍くなり、
   その耳は遠く、
   目はつぶっているからである。
   それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、
   その心で悟って立ち返り、
   わたしにいやされることのないためである。」

            ・・・・・・・・・

悔い改め無き成長は無い。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

125MILD SEVEN:2003/08/24(日) 02:21

 <<<と〜っても分かり易い 創価への助言>>>

創価学会は何か勘違いしているようなので、念の為。

僕はキリストを信じる、ただの信者=キリスト者=クリスチャン。
底辺の者。

僕は、創価学会からの一方的な迫害により人生をメチャクチャにされた。
もう失うものは無い。
僕は、僕が受けた苦しみをこれ以上誰にも味あわせたくない!
悪の根を絶ちたい!
これが僕の正義だ。

現在、世界中のキリスト教は、ネットワークにより、協力体制構築中。
もちろん、その他宗教界も言わずと知れた事だろう。
楽しみだな。
その先も・・・。

           ・・・・・・・・・・

1988年よりの迫害・・・。
僕は専守防衛だった。
先に迫害しておいて、防衛・反撃したら・・・組織ぐるみで私刑??????????
明らかに{カルト}だろう!
創価学会って、恐怖政治支援宗教団体なの?
反省出来る?
自由を侵害する宗教法人は考えものだ!
自らの自由を放棄したと判断するが・・・。
いかがなものだろう?

創価が仏教徒と言い張るのなら・・・神様を愛し、慈悲を学び直す事だ。
仏教界でも、異端だから・・・{あの、名誉会長は以前、仏教界のマルチン・ルターだとの発言をして・・・やってきたのは、攻撃・迫害・危険な全体主義。口では平和、裏では策略の数々・・・。デタラメだ}
もちろん人間だから・・・などと言って開き直る、負け犬根性はダメだ!
単なる組織では、国を高める事は出来ない。
国から、宗教法人としての恩恵を受けている以上、創価には義務がある。
原点に返るべきだな。
それが出来なければ・・・創価学会員は=なるべき者がなった。と、新世界秩序の監視下に入る事を覚悟しなければならない!

危険な全体主義は止めよう!
創価学会。
迫害や差別。
自分達がそうなったら、どうする?
カルトは病気だ。

創価学会は、内部の悪い{あざける者}幹部を、自主的に排除・粛正する事。
また・・・主を愛す道を!

創価は兄弟・姉妹では無い。
主を愛す民でも無い。
僕は他人の土台の上に建てるつもりは無い。
助言はするが・・・。
創価は組織ぐるみでさんざん馬鹿馬鹿と人の事を言って来たんだから、少しは自分達で考えたらどうかな?

僕は自由にマイペースでやりまっす〜(@^0^@)
主の導きと共に。

126MILD SEVEN:2003/08/24(日) 06:33
公開する内容は相手による。

http://club.lycos.co.jp/club.asp?cid=p0100108

127MILD SEVEN:2003/08/24(日) 16:18

 (解放)という命題

以前、下記の内容を別BBSで公開した。

創価学会 原理主義・・・。
世界に通用しない宗教の国外布教は、日本の恥であるばかりでは無く、他国への侵略行為だ!
このままでは、日本が世界から馬鹿にされるだけでは済まされない。
各企業・団体・自治体は、独自のカルトからの防衛・解放プログラムを検討されたし!

                    相談役 JJ

         ・・・・・・・・・・・・・

創価学会員は何を優先するのだろうか?
危険な全体主義・池田狂システム・創価の意志。
企業経営者の意志よりも自分達の指導者を優先する・・・。
司法・立法・行政の分野でも・・・。

良識ある宗教なら、そんな事は無い。
個々の意志は自由なはずだ。

我々の場合は、真理とは一対一。
自由に、勝利の道を還元する。
命の君の子は証し人。
ごくごく自然なあり方だ・・・。

創価の悔い改めの必要性はお分かりだろう。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

128MILD SEVEN:2003/08/25(月) 03:59

 <<<各界への提案>>>

創価の詭弁と思慮の浅さを相手にするのは無駄な時間を費やすだけです。

僕の創作した<自由共和党>は、考え方の提案でもあります。
普通の仏教界等に応用は可能です。
具体的には・・・僕が関与するのは少々変な事になりますから・・・歯がゆい事です。

我々キリスト教徒も、ますます成長したい!
その為にも、切磋琢磨出来る理想的な環境を造りあげましょう!

日出る国は、その名の如く、世界をリードして行きたいものです。

普通に考えれば、良識の競い合いでお互いを高めあう事が、世の中の秩序に沿ったあり方と思われます。
秩序は、偶然の産物ではないですし、人知を超えていますよね。
良心が麻痺すると・・・脱線?かな?

創価の攻撃性は普通じゃないと感じますが、どうでしょう?
世の中の改革は結構な事ですが、自分達の改革も大切な事ですよね。
僕は、自分への教育も怠ってはいけないと、いつも思っていますが・・・。

攻撃的すぎると、未熟な状態が固定的になってしまうのではないでしょうか?
魔界の虜・・・。
それは、組織としては、致命的。
平和は創れない。
また、「ここが肝心」良識ある優れた人の心は動かせない。
組織としては一流になれないでしょう。
哀れかな、創価学会。
素直に悔い改められない体質は、外部からの治療も必要と判断しますが・・・。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

129MILD SEVEN:2003/08/26(火) 04:41

 <<<無限防衛システム第一段階 完成>>>

ホームページにて確認されたし

下記参照
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

130MILD SEVEN:2003/08/27(水) 04:31
 
  <<<創価の信心?=呪いについて>>>

異端仏教・創価の呪文は呪いじゃないの〜
偽本尊を拝んでいると言う連中も組織として存在する。

まあ、禁じ手・死の力は僕には無力だが・・・。
力の差だよ〜〜ん。
我々は、死の力を滅ぼす民なのだ。

日本をこれ以上呪うなよ!
創価よ!

外では雨が降っている・・・。

http://mildseven.55street.net/index.html

131MILD SEVEN:2003/08/28(木) 11:07

  <<<これはナ〜二?>>>

Ikeda elementary school(Osaka, Japan)indiscriminate murder case

The Osaka District Court demands a death penalty for the defendant Soka Gakkai member MamoruTakuma.

It is the death penalty statement of the prosecutor's opinion on the punishment to the defendant Soka Gakkai member Mamoru Takuma

http://www.geocities.jp/mksutra/takumamurder.html

132MILD SEVEN:2003/08/28(木) 12:16

 <これはナ〜二?・・・創価学会員の狂気の犯罪!?>

宅間被告に死刑判決 池田小事件

大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件の判決公判が28日午前開かれ、川合昌幸裁判長は宅間守被告に求刑通り死刑を言い渡した。宅間被告は、開廷直後、判決言い渡しの前に「言いたいことがあると」発言をして退廷を命じられた。

Ikeda elementary school(Osaka, Japan)indiscriminate murder case

The Osaka District Court demands a death penalty for the defendant Soka Gakkai member MamoruTakuma.

It is the death penalty statement of the prosecutor's opinion on the punishment to the defendant Soka Gakkai member Mamoru Takuma
http://www.geocities.jp/mksutra/takumamurder.html

133MILD SEVEN:2003/08/28(木) 15:48
 <創価学会>

創価は自分達の常識のみで判断しない事だ
キリスト者は憎しみの虜にはならない。
創価はキリスト教を見下す事から間違いが始まっている・・・。
下記から、憎しみと結びつける判断をするのか?
創価は、プラス思考で判断出来ないのか!? やはり。

僕は創価学会からの一方的な迫害により人生をメチャクチャにされた。
僕は、僕が受けた苦しみをこれ以上誰にも味あわせたくない!
悪の根を絶ちたい!
これが僕の正義だ。

既に主に慰められている。
「証し」がその証拠。

創価は悔い改めとか謝罪とか出来ない組織である事は、僕は長年の体験で知っている。
狂気は狂気しか生まない。

下記 創価学会問題 参照されたし。
http://mildseven.55street.net/page013.html

134MILD SEVEN:2003/08/28(木) 22:18
残念ながら、異端仏教創価学会は理解力無き盲目的カルト。
魔界のロボトミー集団なのです。
なんとも哀れかな・・・。
心の偏差値が低すぎる為、頭の方も・・・。

普通の日蓮宗が、反キリストの全面戦争を望みませんように・・・。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull

135MILD SEVEN:2003/08/29(金) 12:13
「エゼキエル書33章11節」

・・・・・神である主の御告げ。− わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。・・・・・。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/page013.html

136MILD SEVEN:2003/08/29(金) 19:07

 <中立的見地から・・・。>

永続的一貫性無き宗教は危険だ。
伝統的な宗教は、この世の悪に利用される事があっても、真理に守られ・軌道修正され、前進しつつ現在に至っている。
当然キリスト教は前進する。

         ・・・・・・・・・・・・・

まったくの新興宗教 創価学会・池田教。
いわゆる伝統的・日蓮宗では、創価の本尊は偽物と言われている・・・。
偽物を拝んでいる・偽者集団の呪文は呪われていると考えるのは当然だ。
カルト体質・ウイルス型人間集団・創価学会員となる。
我々キリスト教徒に戦争を仕掛けたり、むやみに他宗を批判する前に、自分達の信心を再検討するべきだ。

下記を参照されたし。
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv

137MILD SEVEN:2003/08/29(金) 19:12

 <<<自由騎士団のBBS>>>

僕は基本的に他人の信じる道を侮辱したりしない。
世界では、戦争になる場合もある。

創価は無礼な愚問を改め、思慮深くありたいと思うなら、下記に来られよ。
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

138MILD SEVEN:2003/08/29(金) 20:37
これを見ている創価へ。

いわゆる修羅は僕の餌でしかない。
今迄も成長の為の糧として来た。

主に生かされている我々は、青天井の成長をする。

              ・・・・・・・

創価が逃げるなら、一方的に創価の命運を左右する影響を社会に還元するだけ。
あざけるなら、それもよし!

139ガンコ:2003/08/29(金) 21:03
>いわゆる修羅は僕の餌でしかない。
>今迄も成長の為の糧として来た。

あなたって、けっこう詩人ですね。

140MILD SEVEN:2003/08/30(土) 05:58
では、こんなのはいかが?
もっといい物です。

僕の愛読書にこんな詩がある。

「光と影とは常によりそい、
 過ちもまた無きにはあらず。
 されど内にかがやく光は、
 外なる闇を浄む。

 切に完成をもとむるも、
 地上においてはついに得られず。
 されど完成を求めてやまぬ者は、
 その魂の平和を得む。」

141MILD SEVEN:2003/08/31(日) 01:25
信じる者は救われます。
より創造性豊かになります。
真実の繁栄。
我らの楽園・・・活動的精神をこの世にも還元する。

信じない事は迷い道。
一貫性の無い狂気。

142MILD SEVEN:2003/09/01(月) 01:22
<前進へ!>

カルトからの解放は、もはや世界的な競争!?
段階を経て行こう!
勝利した国は繁栄を約束されるだろう!

証し人の防衛戦とは?
平和のうちに、破壊と創造を同時進行・・・。
確実に変化して来ている。
実力者は沢山隠れている。

創価が開き直るなら・・・それもよし!
創価が内部革命するなら・・・それもよし!

大局的には、時代は進歩する。
真理を求めてやまぬ者は進歩する。
ただそれだけだ。

143MILD SEVEN:2003/09/03(水) 01:52
<僕は基本的に他人の信じる道を侮辱したりはしない。>
宗教?の目的は「自由・解放」であるべきだ。
お互いを高め合う事・・・。
正しい繁栄。

残念ながら池田狂信徒との会話は時間の無駄。と判断する。
病気だ。
創価には根本的な革命が必要だ。

宗教は、あらゆる面で学校法人を上回るべきである。と思うが・・・。
人間をゼロから育てるべきもの・・・。
少なくとも、他人を見下したり・差別したりしない、尊敬されるべきもの。
組織の強引な圧力等で個々の可能性を押しつぶしてまでの危険な拡大は・・・悪の枢軸と呼ばれても仕方ない。
池田教学はそのいい例だ。

良識ある普通の創価学会員っているのだろうか??
・・・その為にも頑張っているのだ!
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

144MILD SEVEN:2003/09/03(水) 16:17
<<<過去の資料から・・・駄目押しも兼ねて。>>>

{カルト国家日本}・・・これは、避けたい。
これ以上創価学会が国政に関わると・・・。
反イスラム教・反ユダヤ教・反キリスト教・反仏教{裏切り者}・反ヒンズー教・反共産主義・・・・・反無宗教。実態はこの様になる。

陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家になる。
しかし、世界はバカでは無い!

解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険。
日本経済は確実に崩壊する!?
それだけならいいが・・・。

事の重大性を考えるべきだ。
世界は研究している。

カルトからの解放教育は、緊急避難。
残された時間は・・・。

池田の教学に解決の道は無い。
もう、詭弁や策略は通用しない。

時代が心の成長へ向かえば向かうほど、創価の立場は悪くなる。
創価の矛盾は狂気。
開き直るも、また狂気。
それとも、宗教法人なんか止める?
元々、信仰とは程遠い・・・人間の教えを、教えとして教えているだけだから・・・。
どの道、創価は一流の宗教では無い。
忌まわしいものだ。

世界は創価の実態を知っている。

改善無き創価による日本の未来は、世界中の良識ある本当の実力者をことごとく敵にする事になる。
創価よ!
日本を滅ぼすな!
悔い改めよ!

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

145日蓮信者:2003/09/03(水) 16:47
近頃、車での通勤をひかえて、電車で通勤している。席に座れれば読書でもできるのであるが、大阪市内の混み具合では、それも、ほぼ絶望で満員電車の吊り革につかまって、雑誌などの吊広告を眺めることになるのだが、まれに買って読んでみると、期待はずれの記事が多いのであるが、一般の週刊誌、月刊誌とはチョット異にする広告も目にする。

I名誉会長の賛嘆記事や日蓮正宗を悪罵したり、又は週刊誌の学会批判記事を検証するといった表題の踊る〔潮〕とか〔第三文明〕などのいわゆる学会系機関紙の広告である。

毎月のように、同じような記事ながら、執筆者に有名ジャ−ナリストや大学教授などが並んでおり、学会シンパの文化人が、多いのかなとも思っている。

そんな中、「阿部日顕の破壊行動を考える 斉藤圓眞」という昨年の〔第三文明〕の広告の
顛末の記事を目にしたので、ああ〜そういう事だったのかなといささか驚いている。

斉藤氏は大正大学講師で天台宗僧侶。その斉藤氏が創価学会系機関紙に登場し、学会と対立する日蓮正宗の阿部法主を批判している。インパクトのある広告です。

実物は1ペ−ジのインタビュ−記事。主題は「北アイルランド宗教紛争の教訓」で、副題に「法主日顕の破壊活動を考える」。広告ではこの主題と副題をすりかえた。これが第1の詐術です。
その副題はなぜついたのか。斉藤氏は終始北アイルランド問題で発言。そこへ取材者が口をはさみます。「-創価学会が建立寄進した正本堂という建物を、阿部日顕という法主が破壊しました。斉藤(写真を見て)すごいな、これは」。
これが「日顕の破壊活動」にされました。第2の詐術です。

…斉藤氏は「比叡山学報」で、このてん末を公表しました。
「見も知らぬ(第三文明)副編集長の三度目の熱心な電話を受けてレクチャ−して…」
インタビュ−でなくレクチャ−(講義)として取材に応じたのに「無断で原稿化され、まったく関係のない問題に結びつけられて公刊された」。これが第3の詐術。
…「それにしても、自らの対立者を批判するためにこの問題(北アイルランド問題)を利用するのは、あまりにも非礼」と斉藤氏。

新聞、電車の中吊りと、カネに糸目をつけずに登場する派手な学会広告。その裏側には、こんな詐術が潜んでいる。政界では与党の過半数維持の立て役者でも宗教界で孤立してしまった学会の条規を逸した振る舞いなのかも知れない。

146MILD SEVEN:2003/09/03(水) 19:25
なんとも不思議な国、日本ですね。

しかし・・・これは、革命前夜的雰囲気ですね。

147根舞和士 桐五郎:2003/09/03(水) 20:00
恐ろしい事、が進行中か、? 自分を売り出すには「イカニすれば最大効果?」が得る事が「可能か、?」、に執心団体、?存在か、? 「カルトの本軍、予備軍」が「虎視眈々」と「強襲」を画策中という事も在るか、?

148MILD SEVEN:2003/09/04(木) 02:23
僕は、今は亡き・優秀なドイツ人宣教師による・マンツーマンの霊的指導によって育てられた。

今となっては、「日本人」の限界を超えるべくの教育も兼ねていた・・・と。勝手に思っている。
先生の管理能力は大変なものだった・・・と。
僕は、ひとりの新生日本だ。
今も先生が健在なら・・・いいコンビを組めると・・・少々残念だ。
だが、再会の日はある。
キリスト者なら分かる事。

3流宗教の創価には、本当の管理能力は無い。
この国をカルト国家にしてはならない!
創価は悔い改めなければならない。
なんとも歯がゆい事だ・・・。

149右往 左往子:2003/09/04(木) 21:32
今、: キリスト者かイスラム者の方のご意見が、重みが在るようです。「その歴史的要因、の破壊も?」視野でしょう? しかるに池田創価は「中心者オンリーの幻想的な狂信的なカルト持続中」でしょうか、? これは「カルト(狂信)そのもの」でしょうか、?

150MILD SEVEN:2003/09/05(金) 01:42
自己紹介遅れました。
ホームページに記入してありますが・・・。

私が洗礼を受けたのは、1991 デュッセルドルフ「ノイスの教会」にて。 ドイツ人宣教師「リーベンゼラ宣教団」より。
また、子供の頃、カトリックのスパルタ教育を7年間受けています。
何事も、主の導きあっての事。

昔、リーベンゼラの先生と、カトリックの方と、ある福音自由教会で祈り、学びました。

私は祖母、母、私と、三代目のキリスト者です。

        ・・・・・・・・・・
        ・・・・・・・・・・

イザヤ書51−9。40−1。 エゼキエル書3−9。 マルコ14−38。 ルカ12−4。 ヨハネ14−18。 テサロニケ1、2−14。 テモテ2、1−14。 詩篇9−19〜20。51−10〜13。110−2。145−1〜2。149−1。

いろいろ学べば自分の中に一つの答えが出るでしょう。
出なければ自己分裂です。
いろいろな意味で、合いの子です。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/page009.html

151MILD SEVEN:2003/09/05(金) 01:56

僕は答えが出ました。
平和を創る事。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

152MILD SEVEN:2003/09/05(金) 03:53

創価の場合は仏教を学び足りないのでしょうか?
仏教の中の法華経の中の異端・池田狂でしょうか!?

私が出した答えは「自由共和党」です。
キリスト者として、いろいろな意味での合いの子ですから・・・。
原点に返る事。
自然に。
平和を創りましょう!

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

153MILD SEVEN:2003/09/06(土) 03:39
日蓮宗のみなさんは、先輩として、新興宗教・創価学会を教育してあげてくださいね!
可哀想な連中です・・・創価は。
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv

154MILD SEVEN:2003/09/06(土) 03:43
日蓮宗のみなさんは、先輩として、新興宗教・創価学会を教育してあげてくださいね!
可哀想な連中です・・・創価は。
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv

155MILD SEVEN:2003/09/06(土) 03:52
ごめんなさい。
二重投稿してしまった・・・。
アホな料理人でして。

156MILD SEVEN:2003/09/06(土) 10:46
主の導きと聖書の学び。
僕は日々その繰り返しです。
創価には苦しめられて来ましたが。

愛読書にある下記の詩の如く。

「光と影とは常によりそい、
 過ちもまた無きにはあらず。
 されど内にかがやく光は、
 外なる闇を浄む。

 切に完成をもとむるも、
 地上においてはついに得られず。
 されど完成を求めてやまぬ者は、
 その魂の平和を得む。」

http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv

158MILD SEVEN:2003/09/07(日) 01:16
やはり昨日・6日夜?僕の住居に火を付けたのは創価なのか・・・。
仕事から返ったら、消防車などいて・・・・。
そこまでやるのか?
創価は。

159MILD SEVEN:2003/09/07(日) 02:04

良心の麻痺した連中は組織を問わず一緒だな!
宅間被告に死刑判決 池田小事件

大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件の判決公判が28日午前開かれ、川合昌幸裁判長は宅間守被告に求刑通り死刑を言い渡した。宅間被告は、開廷直後、判決言い渡しの前に「言いたいことがあると」発言をして退廷を命じられた。

Ikeda elementary school(Osaka, Japan)indiscriminate murder case

The Osaka District Court demands a death penalty for the defendant Soka Gakkai member MamoruTakuma.

It is the death penalty statement of the prosecutor's opinion on the punishment to the defendant Soka Gakkai member Mamoru Takuma
http://www.geocities.jp/mksutra/takumamurder.html

160MILD SEVEN:2003/09/07(日) 09:39
<池田大作発言>

「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」(扶養研修所での指導)

「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会)

「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ!」

「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv

162洗脳 防止委員会:2003/09/07(日) 16:30
 「ワラ人形に五寸釘」を思い出させる「悪人撲滅祈念、」がS会にて進行中。
 表は「ニコニコの平和顔」、「ウラの顔は???」とは恐ろしい事です。
詳細は、http://www.forum21.jp/ を御確認願います。

163MILD SEVEN:2003/09/08(月) 02:20

 <創価学会 改善委員会>

創価は、いい人を増やすべきだ!
宗教法人って何だろう?
悪人や嘲る者を増やすな!
それとも、創価には増税かな?
聖職者・僧侶無き怪しいカルト・創価学会。

創価には、内部を粛正する風紀委員が必要だ。
もう、やってるかな〜?
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

164MILD SEVEN 「自由騎士団」:2003/09/09(火) 01:33
「円卓の騎士」達が、各方面で育っているようです。
感謝!!

 <立正安国論にて>

創価は僧侶を認めない・侮辱する存在。
普通の仏教界も知っている。
  ・・・「国土乱れん時は先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。・・・。
歴史は繰り返す。
僕は「池田創価」は「おろち」と判断します。
冗談だと思いますか?
聖職者・僧侶を否定する創価学会の常識。
創価よ!
悔い改めよ!
・・・・・・自界叛逆の難・・・・・・・。
上記は何だろう? 単純に考えれば、宗門・僧侶への反逆行為!?
やはり、池田創価だろう!
しかも、他宗を裏切った者達による、元の宗門への反逆活動・策略は言わずと知れた事。
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv

165MILD SEVEN:2003/09/09(火) 14:06
創価学会の数々の問題。

http://saki.2ch.net/news/kako/973/973256692.html
http://the49.hp.infoseek.co.jp/49.htm
http://saki.2ch.net/news/kako/973/973303408.html
http://saki.2ch.net/news/kako/973/973592232.html
http://saki.2ch.net/news/kako/973/973063671.html
http://yasai.2ch.net/koumei/kako/1019/10198/1019879462.html
http://news2.2ch.net/newsplus/kako/1032/10321/1032143243.html
http://www3.xdsl.ne.jp/~hana/wrk0006.html
http://ton.2ch.net/news/kako/990/990158983.html
http://money.2ch.net/test/read.cgi/venture/1032717662
http://money.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1017150021/l50
http://ton.2ch.net/news/kako/992/992220051.html
http://216.239.33.100/search?q=cache:xZfLv2StwiIC:choco.2ch.net/test/read.cgi/koumei/983840825/l50+%E5%AE%85%E9%96%93%E3%80%80%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A&amp;hl=ja&amp;ie=UTF-8&amp;inlang=ja
http://www.toride.org/tap/tap2.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2434/aum-so0902.htm
http://www.asyura.com/sora/bd12/msg/694.html
http://www.asyura.com/2002/bd18/msg/406.html
http://www.jade.dti.ne.jp/~shukyo/soka/bbs.html
http://www.mypostpet.to/sokagakkaikaisan/furukawa-toshiaki.htm
http://www.jcp.or.jp/tokusyu/ronsen/1_7_21_gakkai_senkyogougai.html
http://obuchi.naikaku.com/angriff/log/misc/bj-soka01.html
http://www1.powerzoo.net/~goodluck/busters/file/19990318.html
http://www.2ch.net/tako/youth/kako/958/958076074.html
http://www.forum21.jp/contents/contents2-2.html

166MILD SEVEN:2003/09/09(火) 20:33
創価が開き直るなら・・・それもよし!
創価が内部革命するなら・・・それもよし!
創価が謝罪するなら・・・それもよし!

大局的には、時代は進歩する。
真理を求めてやまぬ者は進歩する。
ただそれだけだ。
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

167MILD SEVEN:2003/09/09(火) 20:41
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

168・・・:2003/09/10(水) 04:22
創価学会員・公明党員と創価協力者は 他人の権利を侵害するので
ナチス党や新型全体主義共産やオウム真理教同様に
「組織犯罪」の責任を負って貰います。
宗教法人法・宗教団体法・登記(構内所有権地目・法人目的・
教学儀式目的外使用・教義変更理由書)・組織犯罪法・ストーカー法・軽犯罪法・
女性差別禁止条約・政教分離憲法などに抵触し重度の違法多数。
日本ならびに全世界の治安と信仰の自由と民主主義および自由主義経済の敵です。

169MILD SEVEN:2003/09/10(水) 15:54
<シンジケートとしての創価学会=公明党 >

【「いざ鎌倉」で「池田先生をお守りするため」検事になった神崎武法】

池田への絶対的な忠誠を誓った「法の番人」の最右翼であったのが、現・公明党代表の
神崎武法である。

神崎は東大法学部三年のときに司法試験に合格。池田大作からは「(学会に)検事は必要ねえだろ」
と弁護士を勧められたのを振り切り、初志貫徹して検事となる。

検事となってからのちも、池田の主催する「天下取り」の講義にマメに顔を出し、池田から直接手
ほどきを受けるなど、現在に至るまで池田の「秘蔵っ子」として、また、「イエスマン」として、
最大級の〃寵愛〃を受けているといってもいい。

神崎は一九七〇年の創価学会による宮本顕治・共産党委員長への盗聴事件で、現職の検事であり
ながら、証拠隠滅のための会合の場に出席していたことを、のちに山崎正友に暴露されたため、
辞職に追い込まれるが、「もし、そのまま検察内部にいたら出世コースを歩み、検事総長になっ
ていたかもしれない人材だった」ことは、複数の学会関係者が一様に認めている。
_その神崎が、池田に対する絶対的な忠誠を誓った証として、司法修習生で学会の学生部副部長の
ポストにあった一九六七年、学生部がまとめた文集「グレートイーグル」に次のような一文を載せ
ている。

『私も大学を卒業し、研修所で毎日記録を渡され、判決文、訴状、準備書面等で起案講評という
スケジュールを送っていると、はたして、自分の現在の勉強が……という疑いを生じたこともあっ
た。

同時に、本部職員として、先生のもと、先輩のきびしい指導を受けている友人が羨ましくなる
こともある。

そういうときには、「本部から派遣になっている気持で戦っていきなさい。刀折れ、矢つきたら、
いつでも私の所へきなさい」との池田先生の激励を思い浮かべて戦うのである。

常に池田先生のもと、本部職員として戦っているのだと決意、自覚をもって、仕事、学業、アル
バイトにぶつかっていくことこそ大事なのである。

池田先生は「どこの世界でも同じだが、とくに仏法の世界においては、〃いざ鎌倉〃というときに、
はせ参じられる人が真の人材であり、信者のなかの大信者なのである。

〃いざ鎌倉〃というときには率先して学会を守り、学会を推進していくのだという幹部にならなけ
ればならない。

この心構えさえあれば、ふだんの行動に自然とにじみ出てくるものであるLと指摘されている。
われわれは、"いざ鎌倉〃の精神で戦うことを決意しようではないか。』

この文章を読むかぎり、神崎は市民のため、あるいは国家の正義を守るために検察官になったの
ではなくて、「いざ鎌倉」のときに「池田先生をお守りする」ために、司法権力を行使する職に
就いた、と受け取られても仕方がないだろう。

そして、学会員の検事は「自然友の会」や「天空会」といった名前のグループに加わり、任官後
も池田と一緒に会食し、直接、指導を受けるという特別待遇が保証されるのだという(このほか、
弁護士は「カーネーションクラブ」、外務官僚は「大鳳合」といった名前のグループがあり、同様の
特別待遇を受ける)。
【創価学会追及市議の怪死を「自殺」処理した検事も上司も学会員】

実際に神崎のような〃池田親衛隊〃の検事は、相当数に上っているものとみられる。

例えば、既に新聞や週刊誌等で報じられたものとして、一九九三年のゼネコン疑惑の捜査の際、
取り調べ中の参考人に暴力をふるってけがをさせたため、罷免、逮捕された金沢仁検事は創価大卒
の学会員だったが、司法試験に合格した際、聖教新聞に紹介された体験談(一九八六年十一月三日
付け一によれば、

彼は「最後の口述試験のときに、池田大作先生から、激励のため贈られた靴下をはいて試験場にの
ぞんだ。とても温かく、心強かった」と明かしている。
これだけでも、金沢元検事が神崎と同様、熱烈な〃池田教"信者であることがうかがえる
下記参照。
http://www.mypostpet.to/sokagakkaikaisan/furukawa-toshiaki.htm

170正義の味方:2003/09/11(木) 02:35
創価の危険度について

実際創価学会員には、凶悪犯罪が非常に多いんです。元創価学会弁護士の山崎正友さんの本でも、中国地方の教誨師(きょうかいし)が監獄に入っている人を調べたら三十パーセントが創価学会信者だったという報告があります。これは創価学会の対人口比率が、公称数字による対人口比率だと一五パーセントですから、一般の人の二倍の犯罪率です。実際には、創価学会の会員数は公称数字の数分の一といわれていますから、ものすごい犯罪率の高さです。
http://www.asyura.com/2002/bd18/msg/406.html

171MILD SEVEN:2003/09/11(木) 07:55
正義とは?

山崎正友氏が健在で活躍しているのは、彼が正しく、また社会がそれを認めているのではないか?
創価は司法の分野で忌み嫌われているのではないのか?
創価は悔い改めるべきだ!

172MILD SEVEN:2003/09/12(金) 01:28
一休み

(僕は、基本的に他人の信じる道を侮辱したりしない)
僕は法華経や日蓮さんを侮辱したりしないですよ〜(^0^)
むしろ積極的に参考にさせてもらってま〜す。
ご存知でしょう。

迫害よりも営業でしょう!
世の中。
分かってるのかな〜 創価学会。

創価は何か勘違いしていますよ〜
僕が創価に求めているのは、悔い改めと改善ですよ〜(^0^) 
http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

173Hard 777:2003/09/13(土) 20:41
 洗脳者は「自らは決して反省はシナイ」ようです、、。 指摘すれば「小心的な逆恨みの連続」の攻撃を指令シテ居るようです、。 どこかの「将軍様=池田センセイ」のようですヨ、、。

174Soft 321:2003/09/14(日) 19:49
 お二方の「宣伝方式のマスゲーム」から「ホンマニそっくりサン」とチャイマッカ、、?
 公明ハンは「自民党の候補推薦は”人物本位”で決めるそうだが、。 この人物本位がクセモノか、、??
 間違っても「??大センセイに頭をを下げない方は???」でしょう、、。 いろいろと思考しましても「ホンマにイヤラシー団体ハン」でしょうか、、?? ホンマに「ドコゾの首領様にヨウ似てハリマンナ、、」。 皆ハン「ダマサレ無い様に、キバッテ、オクンナハレ、ヤッシャー、、」。

175MILD SEVEN:2003/09/21(日) 10:04
世界征服を企む・池田狂信者の詭弁と浅知恵では、真実をストレートに表現すると理解出来ないでしょう。
哀れとしか言いようが無い。

気になって見ているでしょうが・・・。

皆さんは良識を培い、前進しましょう!
国を、世界を守りましょう!

176MILD SEVEN:2003/09/24(水) 22:13

<上手な仕事>

これは難しい。
成し遂げた者はいないでしょう。
素直に切り開いて行くのみでしょう。

私としては、仏教界とも、紳士的に競い合える世を!と考えています。
日本国内で理想的な高め合いの環境が出来れば・・・半永久的に世界をリード出来る・日出る国が完成すると思われますが・・・。

マトモな宗教は、素直な意見を馬鹿にしたりしません。
消化・吸収・教育してくれます。
マトモな良識ある国は成長します。
正論だと思います。

創価には、仏教界・特に本山との和解が必要とも思われますが・・・。
その為にも、悔い改めと改善は避けて通れない道。
私は外部からさんざん助言して参りました。
今でも拡大戦術展開中です。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

177愚鈍凡夫:2003/09/26(金) 23:15

創価学会教学に想う(1)

創価学会教学の原点は、第2代会長戸田城聖氏が獄中で悟達したとされる無量義経徳行品の12行の偈の解釈による「生命論」に始まる。
宇宙そのものが壮大な生命で、自身の生命と宇宙生命とが共鳴しあう(感応する、境智冥合する)ことで、絶対的幸福境涯が築けるとするのである。そして、宇宙の生命も、自身の生命も、同じ南無妙法蓮華経の当体としている。
しかし、言っていることは「梵我一如」と何ら変わらないように思う。
この生命論を、創価学会の教義を踏まえて日常的に展開してみると、
生活上の全ての行動は、宇宙生命と感応して現証として現れる。だから、「こうなったらいいな」ではなくて、「絶対こうなるんだ」と決めて勤行・唱題すれば、宿命転換され、自分の望む境涯になる。要するに「希望」するのではなく、「決意」するのである。要は、御本尊に祈りきることが大切だ。
それと同時に、広布の実践が重要である(創価学会では『勧誘活動』、『機関紙啓蒙』、『広布基金』、『投票依頼』を指す)。それによって、大宇宙の生命(南無妙法蓮華経)と境智冥合し、絶対的幸福境涯を獲得することが出来るのである。
とまあ、こんな感じだ。
そして、創価学会の発展こそが正義で、全てに優先されると教え込まれるのである。
ここまで来たら立派なカルト宗教であるが、学会員は何の疑問も持たずに受け入れる。

創価学会の教義では釈迦牟尼の法華経では末法の民衆を救済できないとする。
「釈尊の仏法の域をはるかに超えて、その"宇宙即我"なる生命が、生命の実相」
というわけである。
ここにいう"宇宙即我"とは"梵我一如"そのものではないか。"宇宙即我"と感得することは、バラモン教修行者の最終目的であり、そのために様々な苦行を行うのだ。
このことは、
「身を苦しめ行を作さすとも法華経涅槃に至らずんば一分の利益無く有因無果の外道なり」(「守護国家論」学会版 P47)
と破折されている。
勿論、創価学会が難行道を説いているわけではないし、ベーダ聖典を教典とするわけでもない。しかし、その教義を支える宇宙生命論は同じではないのか。宇宙生命(梵天)と己心の不変の実体(我)の関係を説くのは仏法ではない。それは、バラモン教である。

「生命とは宇宙とともに、存在し宇宙より先でもなければ、あとから偶発的に、あるいはなにびとかによってつくられて生じたものでもない。」
この一節は、戸田氏が「生命」について述べたものだが、明らかに大正生命主義の影響が見られる。
大正生命主義とは、
「鈴木貞美氏が提唱して定着しつつある大正生命主義という用語は、「要するに(従来言われていた)大正教養主義は、広く哲学や芸術を吸収した文化的人格を形成するという思想傾向にとどまるものではなく、その底に普遍的な生命の発現こそが文化創造の原基であるという思想をもっていた」ので、大正期の思想界では「生命」の語がスーパーコンセプトの役割を演じた、ということから名づけられています。」(「宗教と科学について ニューエイジ批判を通しての一考察」 渋沢光紀)
とのことである。更に、
「西洋神秘主義の宇宙即生命と見る生命主義的一元的世界観を受け入れる受け皿として、沙婆即寂光、生死即涅槃、久遠即今とする本覚思想の絶対一元論があったことは間違いないでしょう。こうした日本的融通無碍ともいうべき本覚思想の土壌の上に、欧米の神秘主義、実証主義科学、実験心理学、生物主義哲学などの翻訳文化が、習合・混在して大正生命主義とよべるような思想的様相を呈した、と考えられます。」(同上)

青年期を大正時代に過ごした戸田氏である。大正生命主義のような思想は、当然知っていただろう。獄中で悟達したとする「生命論」に、知らぬまに大きな影響を与えていたのかもしれない。この西洋神秘主義と、科学と、密教がごちゃ混ぜになった大正生命主義思想は、当然の如く創価学会の教義にも大きな影響を与えているのだろう。

「宗教と科学について ニューエイジ批判を通しての一考察」 渋沢光紀
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_07.htm

178愚鈍凡夫:2003/09/26(金) 23:25

創価学会教学に想う(2)

宇宙を信仰の対境とする考え方は、イスラム教、ユダヤ教・キリスト教の考え方でもある。
天地創造主とは、すなわち宇宙のことである。宇宙それ自体を神(日本でいう人間臭い「神」とは根本的に違う。「天主」と訳す方が真意に近い)とする。
視点は違うが、宇宙生命論を売り物にした宗教にオウム真理教(現:アレフ)がある。教祖の麻原彰晃は、宗教を科学だといい、釈迦牟尼を偉大な科学者だといっていた。
オウムに代表されるカルト宗教は、特徴として宗教と科学の結びつきを強調する傾向がある。神秘主義で、現世利益を売り物にするカルトにとって、信仰に現実感を与えるため、ことさら科学との結びつきを強調する必要性があるのだろう。
そもそも自然界の真理を追究する科学と、人間の幸福を追求する宗教。全く別物である。
何故なら、宗教の教理は法則や計算式で証明されるものではないからである。
人それぞれの境遇によって現証の出方も様々であって、誰人に対しても一律の結果が出るわけではない。特に在家信仰者に於いては価値観によって幸福観も異なるし、取り巻く環境もそれぞれ違う。更に、日常の信仰体験についても、捉え方に個人差がある。つまり、不特定要素だらけなのである。
戸田氏の「仏とは生命なり」といった間違った解釈が、その後の創価学会の教義を歪めていったのであろう。
仏とは生命ではなく、一切衆生を成仏に導く救世主である。そして、その仏の説く法が仏法なのだ。仏性が凡夫の己心に存在するということは、成仏の可能性があると言うことに他ならない。
「一切衆生のみならず十界の依正の二法非情の草木一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」(「小乗大乗分別抄」学会版 P522)
とあるが如くである。
所詮、時機相応の仏道修行によって成仏するのだ。仏性があるからといって最初から成仏しているのではない。まして、宇宙の生命と冥合するのでもないのだ。
仏法は己心を問題にしているのであって、宇宙を問題にしているのではない。宇宙生命論と言ったところで、現実世界から遊離した観念論でしかない。悟ったところで何の役にも立たないのだ。そんなものは仏法ではない。
仏法は釈迦牟尼一人の成仏から始まって、やがて一切衆生の成仏の問題となっていったのである。
「我本誓願を立てて一切の衆をして我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき。我が昔の所願の如き」(「妙法蓮華經方便品第二」)
これが仏の願いである。そして、誓いでもあるのだ。
エゴを超越し得ない教団が、いくら成仏を説いても無益である。

179MILD SEVEN:2003/09/27(土) 02:05

 <詭弁仏法創価の不思議>

創価は、悪い事を組織ぐるみでしておきながら、なぜ反省・謝罪出来ないのか?
それは、そういう者が集まって出来た組織だからです。
残念。
悔い改めを!

180犀角独歩:2003/09/27(土) 10:27

177・178 愚鈍凡夫さん:

よくまとまっていますね。
澁澤師は知己の人物ですが、あの周辺は日蓮系で最も優れた発信源ですね。

学会の宇宙生命論は梵我一如、その通りなのでしょうが、この屈折は、密教の勃興自体にまず起源を求めるべきなのだと思います。結局のところ、密教はバラモン思想への先祖帰りを大胆にも教義に盛り込んだからでした。

最澄師がその動向に批判的であったかどうかは別として、その点を糾弾し、純天台復興を標榜したのが蓮師であったとわたしは思っています。

田村芳郎師も指摘していますが、本覚思想とはその濫觴は弘法師に求められると言うことでした。その極端な変形が天台本仏論であり、その影響に日蓮本仏論が位置づけられるのだと思います。

つまり、愚鈍凡夫さんが仰る論点は、…これはわたしも同様なのですが…

会長本仏論−法主本尊論−日蓮本仏論−天台本仏論−中古天台本覚思想−密教−バラモン教

という密教=バラモン教系譜を、蓮師の素描から抽出し、さらに蓮師がその脱却を目指したことを明確にしようとするというコンセプトに基づくのであろうと拝読しました。

いみじくも、かつて会長本仏論を鼓舞した集団が「生命」という現代語に置換されたバラモン教に起源を認められる密教キーワードを目玉にしているのは、偶然の一致ではなく、大いに必然的な結果なのだろうとわたしは思うわけです。

181愚鈍凡夫:2003/09/27(土) 16:52

犀角独歩さん、有り難うございます。
以前、書いた雑文に手を加えたものですが、投稿したくなりましたので。 (^_^;)

インド仏教が密教化することによって、逆にヒンズー教に吸収されていった。
これは、宗教が大衆に迎合することによって、返って滅びていく原因を作ってしまう。といった、注目すべき教訓だと思います。
輪廻や因果応報を説き、梵我一如を謳うのであれば、別にヒンズー教であっても構わないのではないでしょうか。インドでは、仏教がその存在意義を失った時、滅びへの道を辿ったのだと思います。
故に小生は、個人的見解として密教を仏教(顕教)とは違う宗教として、研鑚していきたいと思っています。

182ガンコ:2003/09/27(土) 18:01

愚鈍凡夫さん

すばらしい論文を発表されましたが、わからないことがあるので教えてください。

蒙古使御書に、
「所詮、万法は己心に収まりて一塵もかけず、九山八海も我が身に備はりて、日月衆星も己心にあり。然りといへども盲目の者の鏡に影を浮かべるに見えず、嬰児の水火を怖れざるが如し。外典の外道、内典の小乗、権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり。然りといへども法華経の如く説かず。」
とあります。
けっこう、有名な御書だと思いますが、御真蹟・古写本はないようです。

さて、わたくしは梵我一如という言葉を去年まで知らなかったくらいの、まったくの初心者ですが、どういうわけか宇宙即我は知っていました。で、その文証が上の御書であると。

梵我一如は仏法ではないとの意見のようですが、そして、じっさいネット上で同様の意見がたくさん見られますが、そのばあい、上記の御文はどのように拝するべきなのでしょうか?

まさか、偽書だとおっしゃる?

183愚鈍凡夫:2003/09/27(土) 20:24

>>182:ガンコさんへ
いつもながら、鋭い突っ込み有り難うございます。
お察しの通り、『蒙古使御書(與大内氏書)』は、日蓮宗では偽書扱いですね。
せっかくですから、その問題を横に置いて考えてみたいと思います。
ガンコさん引用の一節は、先に引用した、
「一切衆生のみならず十界の依正の二法非情の草木一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」(「小乗大乗分別抄」学会版 P522)
と同じ意味だと思います。
要するに、全ての存在が十界具足であるとの意味だと思います。

「然りといへども法華経の如く説かず。」
これはどういう意味でしょうか。
法華経は、諸仏土に於る仏と衆生の関係は説いていますが、「宇宙即我」を説いているわけではありませんよね。
「一念三千」を説いていないという意味ともとれますが、同時に「梵我一如」を破折しているようにも読めますね。
ガンコさんは、この一節をどう読まれますか。

184ガンコ:2003/09/28(日) 13:59

愚鈍凡夫さん

逆に質問されると困るんです。な〜んにもわかってないんですから。いちおう、わかったふりをして、ない知恵を絞って、お答えします。

おそらく、観心本尊抄を読み解けば、おのずと答えはでるのだろうと、思っています。
「夫一心に十法界を具す。」
「故に成道の時、此の本理に称ひて一身一念法界に遍し」
まったく説明する力はありませんが、なんとなくじぶんではわかったつもりになっています。

「自受用身とは一念三千なり。伝教の云はく、一念三千即自受用身」
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
御義口伝は、まあ、愚鈍さんにとっては考慮外の御文であろうかと思いますが、曼荼羅正意の立場で申すならば、本尊抄の「観心とは我が己心を観じて十法界を見る」に相当すると考えています。わたくし達は、御本尊とは仏様(日蓮大聖人)の御生命をあらわしたもの、というように教わってきたわけでして、その御本尊の為体を拝するに、そこには大日天王・大月天王・大明星天王等が厳然とあらわされているので、まさしく蒙古使御書のごとく「所詮、万法は己心に収まりて・・・日月衆星も己心にあり」ではないかと思うのです。
そこで、「外典の外道、内典の小乗、権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり。」ということは、すなわち法華経以前の教えでは“己心を観じて十法界(全体)を見ることは不可能”との意味になろうかと思います。戻って「盲目の者の鏡に影を浮かべるに見えず」がまさにピッタリではないかと。

よって、「然りといへども法華経の如く説かず。」というのは、大綱と網目の関係(観心本尊得意抄)が了解されれば、べつに難しいことはないでしょう。極論すれば、梵我一如すら「法華の為の網目」とすれば、「説相空しかるべからず」ということになります。

問題は、大聖人御自身が、梵我一如を否定なさっている御書があるのかないのか・・・だろうと思うのですが、それに相当する御書をご存知でありましょうか?

185愚鈍凡夫:2003/09/28(日) 15:25

あっ、ガンコさんどうも。
正直言って、偽書を偽書でもって説明されても・・・・・・。 (^▽^;)

「仏三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪ひ取り給ひき」(「開目抄下」 学会版P214)

「釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論す爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来梵天頭を傾け魔王掌を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是なり、又諸仏の因位と釈尊の因位と之を糾明するに諸仏の因位は或は三祇或は五劫等なり釈尊の因位は既に三千塵点劫より已来娑婆世界の一切衆生の結縁の大士なり、此の世界の六道の一切衆生は他土の他の菩薩に有縁の者一人も之無し」(「法華取要抄」 学会版P332)

との文証があります。
蓮祖は梵天を娑婆世界(三界)の主とは考えていません。
娑婆世界の主は教主釈尊ですから、「梵我一如」は問題外ではないですか。

186愚鈍凡夫:2003/09/28(日) 15:38

> 正直言って、偽書を偽書でもって説明されても・・・・・・。 (^▽^;)

とは、『御義口伝』のことで、『観心本尊抄』の事ではありません。念のために。

187無徳:2003/09/28(日) 17:14
愚鈍凡夫さん横レス失礼します。

『御義口伝』を偽書と決め付ける確かな根拠は何処にありますでしょうか?
また、愚鈍凡夫さんは『御講聞書』は偽書・真書どちらと思われますでしょ
うか?

188愚鈍凡夫:2003/09/28(日) 18:42

無徳さん、ご無沙汰しております。レス有り難うございます。
ここの掲示板で諸先輩たちが言い尽くされているので、気が引けますが、『御義口伝』が偽書だと判断する理由を箇条書きにしてみます。

①『御義口伝』が録内御書に漏れているのは何故か(聖滅120〜130年頃)。
②日隆師の『本門弘経抄』にも漏れているのは何故か(聖滅180年頃)
③円明日澄師の『法華啓運鈔』で初めて引用されているのは何故か(聖滅210年頃)
④天文8年(1539)の日経師(日隆門下)写本が最も古いのは何故か(聖滅157年頃)。
以上、(「日蓮教学上に於ける御義口伝の地位」 執行海秀)より要旨引用
⑤蓮祖が本弟子6人を定められたのは、弘安5年(1282)10月8日であるのに、
弘安元年(1278)戊寅正月1日の『御義口伝』に
「六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ」
とあるのは何故か。

『御講聞書』の件ですが、
日法師の書で『連連御聞書』というのがあるそうですが、これは蓮祖の講義を書き取ったものらしく、内容は蓮祖の多くの遺文と矛盾しないそうです。但し、『御講聞書』や『御義口伝』とは内容が異なるそうです。
従って、『御講聞書』も偽書ではないかと疑っています。
『御講聞書』に関する資料を持ち合わせていないので、ご存知であれば御教示下さい。

189愚鈍凡夫:2003/09/28(日) 19:13
訂正

誤→④天文8年(1539)の日経師(日隆門下)写本が最も古いのは何故か(聖滅157年頃)。

正→④天文8年(1539)との奥書のある(聖滅157年頃)日経師(日隆門下)写本が最も古いのは何故か。

です。悪しからず。 m(_ _)m

190犀角独歩:2003/09/29(月) 08:14

執行海秀師の『日蓮教学上に於ける御義口伝の地位』はわたしのサイトにアップしてあります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_002.html

191ガンコ:2003/10/01(水) 09:36

梵我一如は問題外であると。

まあ、そんなにこだわっているわけではないのです。仏法というのは欲張りなものだから、あらゆる思想のエッセンスが入っているのではないか・・・という意味で、梵我一如みたいなことも説かれているような気がするのです。もちろん梵我一如そのものではないでしょうけど。

どんどん話がずれていきますが、ちょっと教えてください。

「釈尊御領観」ということも、一年前にはじめて知ったくらいの初心者でして、じつにお恥ずかしいかぎりですが、一年間、いろいろ考えてきて、いまだによくわからないでいます。
善無畏三蔵抄に、
「外道仏を難じて云はく、汝は成劫の末、住劫の始めの愚人なり。我等が本師は先代の智者、二天三仙是なり、なんど申せしかども、終に九十五種の外道とこそ捨てられしか。」
とあります。
そして、愚鈍さんお示しのごとく、開目抄には、
「仏三十成道の御時は、大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪ひ取り給ひき。」
とあり、法華取要抄には、
「釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論す。爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来・・・」
とありますが、
では、いったい、どうやって、「奪ひ取り給」うたのか? 「一指を挙げて之を降伏」とは具体的にどうやって降伏し給うたのか?

この辺の御説明を大聖人は遊ばしていないように思うのですが、たぶんじぶんはまだ御書が読みきれていないだけなのだと思います。
おそらく、愚鈍さんならご存知でしょうから、ぜひ、教えてください。

192愚鈍凡夫:2003/10/01(水) 18:58

ねえムーミン、あっち向いて♪〜 なんちゃって。 (-.-;)y-゚゚゚
あの〜ッ、お釈迦さんがぁ・・・・梵天さんにぃ・・・・因縁つけてパクッたとか・・・・・。
「んなワケねえだろう」 (▼▼メ)
ムムッ・・・・・! 偉そうに風呂敷広げるんじゃなかった。 ヾ(;´▽`A``アセアセ
気を取り直して。

> 「仏三十成道の御時は、大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪ひ取り給ひき。」(「開目抄下」)

とは、梵天勧請を指していると思います。梵天勧請とは、
「(釈迦牟尼が)無花果の樹に戻って瞑想に入った時「世間は分別だけで生きる人間であり、そんな人間に正覚説き語る事は無理だ」との絶望に落ち込んでしまいました。すると、この娑婆世界の主たる「梵天」が仏陀の前に現れ、「世間には、チリにくもらされる事の少ない人々もいます、しかし、彼らとて法を聞かなかったら、滅び衰退してしまいます。その人達の為にも・法・をお説き下さい」との梵天の勧請により説法へと踏み切る事になりました。」(※注1)
とのことで、梵天の勧請によって釈迦牟尼が仏法を説くことを決意したことを指します。
この時、梵天が釈迦牟尼に娑婆世界(三界)の主の座を譲ったということでしょう。

> 「一指を挙げて之を降伏してより已来梵天頭を傾け魔王掌を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是なり」」(法華取要抄)

とは、
「生まれたばかりのその子は、七歩あるいて右手を上に挙げ、左手を下に下げて、声を高らかに「天上天下唯我独尊」と宣言されました。」(※注1)
この故事を指しているのではないですか。『仏説無量寿経』に、
「處兜率天弘宣正法。捨彼天宮降神母胎。從右脅生現行七歩。光明顯曜。普照十方無量佛土。六種振動。舉聲自稱。吾當於世爲無上尊。(兜卒天に処して正法を弘宣し、かの天宮を捨てて、神を母胎に降す。右脇より生じて現じて七歩を行ず。光明顕曜にして普く十方無量の仏土を照らしたまう。六種に震動す。声を挙げて自ら称う。吾当に世において無上尊となるべし。)」(佛説無量壽經卷上)とあります。
梵天は、生まれたばかりの釈迦牟尼のこの態度に異議を唱えなかったわけですから、蓮祖のお言葉ごもっともと思います。

※注1 「釈迦牟尼世尊の軌跡と印度聖地」
http://asiatravel.at.infoseek.co.jp/buddha.html

193無徳:2003/10/01(水) 22:13
愚鈍凡夫さん今晩はレスが遅れてすみません。

執行海秀氏といえば主に最蓮坊に与えられた本覚思想的な要素のある遺文や、
百六箇抄や本因妙抄さらには御義口伝と言った口伝法門等を悉く偽書扱いし
た事で知られる、浅井要麟氏に立正大学において師事したとされています。
したがって、執行海秀氏は浅井要麟氏による文献批判の影響を多大に受けて
いる可能性があります。

しかし、現在の日蓮宗学においては、日像による『祈祷経之事』や日進によ
る『立正観抄』の書写等の事実から最蓮坊架空説が斥けられると共に、浅井
要麟氏の真偽判に対し田村芳郎氏が日蓮の思想を「守・破・離」の三分説に
あてはめ、日蓮における天台本覚的遺文の存在を認めています。

私的に解釈すれば天台本覚論をとりあえず受容し用いるところを「守」とし、
それを打ち「破」り止揚するところを「離」と名づけたのでありましょう。

執行海秀氏による

①『御義口伝』が録内御書に漏れているのは何故か?

については、御義口伝の分別功徳品の第廿七無作三身の事には「三摩耶とは
合掌なり秘す可し秘すかし」とか、妙音品三箇の大事の中の第二肉髺白亳の
事では、生の始の赤色は随縁真如の智死後の白骨は不変真如の理なり秘す可
し秘す可し」または普賢品六箇の大事の中で「秘す可し秘す可し唯受一人の
相承なり、口外す可からず」とあり、秘伝ゆえに口外す可らずとされていた
故に、宗祖滅後の上古においてはあまり知られる事が無かったのかも知れま
せん。

②日隆師の『本門弘経抄』にも漏れているのは何故か?

についてはよく判りませんが、弟子の日経師が「不審極り無き事之れ多し、
但本に任せて之を置くのみ、堅固に之を秘すべき処なり。努々聊爾すべから
ず。聊爾すべからず。」としながら書写したが、日隆師は秘伝ゆえに軽々しく
扱うのを避けていたのではありますまいか?

⑤蓮祖が本弟子6人を定められたのは、弘安5年(1282)10月8日であるのに、
弘安元年(1278)戊寅正月1日の『御義口伝』に
「六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ」
とあるのは何故か。

については、大石寺の古写本である元亀の写本に、「補註」の文字があると
されていますから、日興上人が後に補注されたおりに書き加えられた可能
性もあるかも知れませんがよくは判りません。

どちらにしましても、文献学という科学的方法による文献考証は大切であり
これ無くしては玉石混合を招きかねませんが、逆に文献至上主義に陥ります
と10%の疑いで90%の真実を失いかねません。最蓮坊の件がそれをよく
表しているといえましょう。

194愚鈍凡夫:2003/10/01(水) 23:49

無徳さん、レス有り難うございます。
無徳さんの御意見、なるほどと思いますが、最蓮房日浄が実在の人物であったとしても、最蓮房宛ての書が、全て真蹟であるとの証にはならないのではありませんか。実際、実在の人物を騙った偽書があるようですから。

「秘す可し」とある遺文のほとんどが真蹟がないのは何故でしょうか。
例えば、『本因妙抄』、『義浄房御書』、『三大秘法禀承事』、『四條金吾殿御返事(告戒書)』、『教行証御書』など。
もしこれらが、無徳さんの説のように秘伝書ならば、何時、何処で、真蹟(もしくは写本)が見つかったのか、そしてその経緯はどうなのか。といったことが問題になるのではありませんか。秘伝書であるなら、より慎重に検証すべきだと思います。

さて、『御義口伝』に話を戻しますが、
そして、富士五山の写本より古い写本が隆門に伝わるのは何故でしょうか。
大石寺の古写本である元亀(1570年代)の写本に、「補註」とあるのは石山が勝手に書き加えた可能性も無視できないのではないですか。
石山の写本より古い写本にない文字が、石山の写本にあるのは不自然です。

195愚鈍凡夫:2003/10/01(水) 23:57
訂正

誤→そして、富士五山の写本より古い写本が隆門に伝わるのは何故でしょうか。
大石寺の古写本である元亀(1570年代)の写本に、「補註」とあるのは石山が勝手に書き加えた可能性も無視できないのではないですか。

正→富士五山の写本より古い写本が隆門に伝わるのは何故でしょうか。
大石寺の写本である元亀(1570年代)本に、「補註」とあるのは石山が勝手に書き加えた可能性も無視できないのではないですか。

です。悪しからず。 m(_ _)m

196犀角独歩:2003/10/02(木) 13:16

ふしん 0 【不審】

(名・形動)スル [文]ナリ
(1)はっきりしない点があって、疑わしく思うこと。いぶかしく思うこと。また、そのさま。
「―の念をいだく」「挙動の―な男」「―に思う」「那様(そんな)に財(かね)を拵へて奈何(どう)するかとお前は―するじやね/金色夜叉(紅葉)」「其所に何か意味があるのではないかと、一寸―を打つて見たが/明暗(漱石)」
(2)嫌疑を受けること。不興。
「このたびは御―の身にて召し下され候ひしかば/義経記 6」
[派生] ――が・る(動ラ五[四])――げ(形動)――さ(名)

ゆめゆめ 0 2 【▽努▽努/夢夢】

(副)
〔副詞「ゆめ(努)」を重ねて強めた語〕
(1)(下に禁止の語を伴って)けっして。きっと。《努努》
「―おこたってはならぬ」
(2)(下に打ち消しの語を伴って)ゆめにも。少しも。
「―そのような考えはもたない」
(3)つとめて。精を出して。
「汝、なほ、―仏を念じ奉り、法花経を受持・読誦し奉るべし/今昔 12」

りょうじ れう― 1 【聊爾】

(名・形動)[文]ナリ
(1)失礼なこと。ぶしつけなこと。また、そのさま。
「―ながら」「―をめされて、後日に迷惑めされな/狂言・禁野(虎清本)」
(2)軽はずみなこと。考えなしにすること。また、そのさま。
「誰か―に処せん/太平記 24」

三省堂提供「大辞林 第二版」より

ですから、

「不審極り無き事之れ多し、但本に任せて之を置くのみ、堅固に之を秘すべき処なり。努々聊爾すべからず。聊爾すべからず」

―― はっきりしないことが実に多いる。けれども、ただ底本にままにこれをここに記し置くだけのことである。だから、(不審極まりないので)これを秘すのである。けっして考えなしに軽はずみに扱ってはならない ――

程の意味でしょう。秘伝だから軽々苦敷く扱うなではなく、不審極まりない信用することができないから軽はずみに扱うなという意味です。まったく逆です。

なお、文献至上主義を批正することは是としても、それが科学的な文献考証をしたもののみが言えることで、偽書も疑書も真書の如き扱うものが軽々しく口にすべきことではないでしょう。

糞の混じった味噌を食らう過ちは犯すべきではありません。

なお、浅井要麟師、執行海秀師の文献考証に非難するのであれば、その非難する科学的な証拠を示すべきでしょう。自分の信条に合わないからといって感情論で批判するなど愚の骨頂です。

197犀角独歩:2003/10/02(木) 13:35

何等考証もせず、百六箇抄や本因妙抄さらには御義口伝と言った口伝法門等を悉く真書扱いすることのほうがはるかに問題とされるべきでしょう。

198犀角独歩:2003/10/03(金) 07:35

196の以下の投稿部分は打ち間違いが著しいので、訂正のついでに差し替えさせていただきます。

「不審極り無き事之れ多し、但本に任せて之を置くのみ、堅固に之を秘すべき処なり。努々聊爾すべからず。聊爾すべからず」

―― はっきりしないことが実に多く、信じがたいこと極まりない。ただし、底本に従って書写して止めておくばかりである。そのような本であるから、しっかりとこれを秘すべきである。けっして軽はずみに扱ってはいけません。考えなしに信頼してはいけません。 ――

199MILD SEVEN:2003/10/04(土) 03:47
この判決書では、創価前会長北條浩が、刑事告訴した被告人(隈部氏)側を買収工作したことを認めたと断定。池田大作のスキャンダル断罪の判決書。

最高裁の逆転差戻し判決後の裁判所の判決書。

「ともかく、そうした批判がいずれも学会と無縁の外部の者から学会にあびせられているものではなく、学会の一般会員や、さらにはそうした中で中堅幹部等の地位に現にあり、あるいはかつてあったという、いわば学会組織からすればその内部または周辺にいる者らの口から漏れでていること、しかもそうした種々の批判は学会幹部の誰彼に対し区別なく加えられているというのではなく、むしろ最高指導者である池田個人に対する批判に収斂してゆく傾向が顕著であるように見えること等の点は、組織外の者にとって色々な意味で特徴的なこととして目を引かれやすいものがあると感じられる。たとえば、本件証拠中で度々指摘されている点であるが、会長職にあった池田の秘書的事務を担当する部局には、常に妙齢の女性がいて、出張先にも同行の上、身近に仕え、夜遅くまで身辺の世話をする等の実情にあることは、いかに宗教団体のこととは言いながら、世間一般の常識からすれば配慮不足で通常の勤務状態でないようにみえるし、加えて、最高幹部である渡部がいろいろな機会に学会関係部局の出版物中で、ことさらに池田から親しく指導を受けた様子を強調して記述していたり、池田自身が市販雑誌の対談記事中で、冗談としながらも「それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認めます」などと、聞きようによっては誤解されかねないことをあえて述べていたりしていることも、学会幹部の男女問題に疑惑を感じていた者らにとってはやはりそうであったかと思わせる素地につながっていることもを否定し難いのである。」
「 …こうして見ると、本件は何の根拠もなく事実を全面的に捏造・摘示したのとは事情を異にしており、そこには量刑上酌量の余地があると考えられる。
 さらに考慮を要すると思われるのは、本件が旧第一審係属中の時期に、被害者である学会側と加害者である被告人側との間で話し合いがもたれた結果、被告人が詫び状を差し入れ、学会側が告訴取り下げ手続きをとることとなったほかに、被告人側からの池田大作に対する証人申請をしないよう求め、そのこととの関連で被害者側(創価学会側)から加害者側(被告人側)へ2000万円、2600万円、あるいは3000万円とも言われる高額の金員が支払われるという、本件の具体的な訴訟手続きとからませた取引がなされた事実が認められる点である。
(右金員支払いの趣旨を右のようなものではなく、一般的な右翼対策費であるかのごとく言う者もあるが、右交渉の学会側責任者で金員捻出の衝にも当たった北條浩が、検察官調書謄本中で、前記認定どおり供述していること、更に右金員交付の時期と旧第一審訴訟手続進行段階との関連や、右金員が月刊ペン社側に支払われ、引き換えに同社側弁護士の領収証が差し入れられたという山崎正友証言に対し見るべき反証が提出されていないことその他関係証拠の現状に照らすと、前記のとおり認定するほかない。)
 もとより、事件が一旦起訴され係属中の時期に、加害者側と被害者側とで示談等の話し合いがされ、詫び状の差入れ、告訴取り下げ等の手続きがなされることがあるのは格別珍しくないし、おかしくもない。しかし、加害者側が金員を支払って謝るというのでなく、被害者側が右のように高額の金員を支払うという話し合いは極めて異例・不可解というほかない。 しかも被害者側から支払われた右金員は、被告人(隈部氏自身)の手には渡っていないようであり、結局、どこへ行ったか本件証拠上明らかでないのであるが、行き先はどうあれ、学会側が、このように高額の金員を通常とは異なる特殊な調達方法で用意してまで支払うこととした顛末には納得できないものが残るのである。
 …中略…しかし、ともあれ、被告人の刑事責任を問う訴訟の中で、しかも名誉毀損のごとく被害者側の真摯な処罰感情が重要な量刑要素となる犯罪において、被害当事者の証人出廷回避を求めたい余りとは言いながら、前記のとおり被害者側により、不明朗で真意をはかりかねる告訴取り下げ等の手続きがとられていることは、やはり本件量刑上考慮せざるを得ないところと考えられる。」

200MILD SEVEN:2003/10/04(土) 03:50
創価を悔い改めさせましょう!

201MILD SEVEN:2003/10/08(水) 12:15
こんな所を発見しました。
下記。

http://www.mailux.com/mm_bno_list.php?mm_id=MM3CA3323935BAC

202正義の味方:2003/10/09(木) 15:02
キリスト教の政党は日本にはありませんが、
日本共産党に、
キリスト教徒(日本基督教団のメンバー)が居ます。

公明党(創価学会)や在日朝鮮人団体も加わっているのですが。。。

カトリック44万 日本基督教団13万 正教1万5千 ほか諸派。
異端で モルモン教2万 エホバの証人20万 を併せても
総人口1億3000万のうちの1パーセント130万を目安とする
「100万人の福音」というキリスト教雑誌の題名のような
100万にも満たないのです。

創価学会は公称812万世帯1700万人。実数570万と言います。
総人口の10パーセント(1300万)以上が居るから、
選挙得票で国会議員を送り出して、
創価学会(公明党)独自の議席の10パーセントは動かせるのです。

それも公明党に創価学会員以外(坂口・厚生労働大臣のような人)も混ぜて
「 政教一致でない 」という避難よけの細工もしています。
創価学会の内部に
仏教である日蓮宗系統の宗門に出入りする自民党系メンバーや
キリスト教会に出入りする共産党系メンバーも含んで
「 政教一致でない 」としています。

しかし、
創価学会との民事契約書など事前に書かされ
裁判で負ける恐怖から
みな創価学会と他の宗派や他の政治団体との喧嘩では
絶対に創価学会側につく事が明らかなメンバーです。
見かけ上、
いろいろな所属の人で創価学会が構成しているように見せかけています。

また、
創価学会の学会員の朝鮮人・帰化人のツテから
日本国内の「 朝鮮人勢力(朝鮮総連・大韓民団・在日ヤクザなど) 」を使って
生活上の嫌がらせ(週刊誌書き立てや尾行に面当て交通妨害など)によって
他の政党の議員
(日本共産党・新社会党・社民党内のキリスト教朝鮮人に働きかけられる議員・
自由民主党内にいる統一協会や日韓議員連盟など朝鮮人に繋がる族議員など)
を動かす事ができるのです。

警察や他の役所の公務員にも
裁判官に弁護士も居るので
ナチスの総統・親衛隊から末端の党員まで
同じ動きが出来るような単一の指示系統で強力に進められて、
ごまかしが利くのです。

池田大作自身も
全体主義が効率よく、自分の思いがかない易くて、理想的な社会と
オフレコで幹部の者に言っている。と、
批判本や批判HPの記事にはあります。

203MILD SEVEN:2003/10/09(木) 15:06
・・・となると、私が以前から危惧していた・・・まさに、ナチスと同種の霊が絡んでいますね。創価には。

我々「イエスのあかしを保つ者」は、心して対処して行かねばなりません。

欧州をはじめとする、歴戦のつわもの兄弟姉妹が立ち上がる時が来たのか?
今が踏ん張りどころです。
最前線を死守しなければ・・・。

          ・・・・・・・・・・・・

余談ですが、映画のスターウォーズの発想にはかなり宗教的基盤がありますね。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

204最前線死守者:2003/10/09(木) 21:04
 横からゴメン、、。   S会ではK党支援に「全力投球=〇〇〇先生のカタキ打ち?」とかで「盛り上がって」居る様です。 カルト=狂信者の最前線の現場は「いかなるものでしょうか、?」
 今こそ「カルト防止」に皆様方の「お力」をお貸しくださいませ。

205French Watcher:2003/10/10(金) 22:13
 フランス国営テレビが「SGIフランスを危険なカルト」と断定した様です。 普通には考えられない「異質な個人崇拝指導(ヒトラーに酷似)、カネ集め体質、政治への異常な権力志向、、」などを放映しました。 そして、かつて池田の権威付けに悪用された、故ミッテラン大統領夫人の「二度とアノ口先三寸のデブッチョ〇〇先生には
決してダマサレ無い!!」との言葉を流していました、。 サスガは「言論先進国、、」のようです、。フランスは、政教一致で苦しんだ過去に、学んで居るようですネ、。 次期選挙では「No,more 公明党!!」を御期待申しあげたいと思いますが、? 皆様イカガでしょうか、、?

206●●考慮会:2003/10/12(日) 20:23
 205サンの伝は貴重です。 人が「言いたいことをも不自由な時代を実体験したフランスならではの現実」には驚きをも禁じ得ません、。 今「この前段階の如くの言論弾圧をも陰から左右する恐ろしい???会」がしのび寄ってきつつありますするが、、??
 今こそ「皆様のお声」を「発して頂きたく、、」と存じますが、、。 デモクラシーとはIT時代のようですネ、、?? Never 公明党≒創価学会には大賛成です、、。

207MILD SEVEN:2003/10/16(木) 02:38

年金問題解決?

<創価学会公明党議員の年金不正受給疑惑>

社会リポート 生活保護不正公明市議に疑惑
「生活実態なし」市は支給打ち切り 宮城・多賀城
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-09/15_01.html

多賀城市議会 日本共産党議員団
http://www.geocities.jp/koichirojcp/

多賀城民報
家族と同居しつつ、「一人暮らし」と長期にわたり生活保護を受給 同居家族に現職多賀城市議
http://www.geocities.jp/koichirojcp/tm_465_1.pdf
H14年度決算の反対討論、 公明党松村市議、藤原市議の決算反対討論削除を要求したが…
http://www.geocities.jp/koichirojcp/tm_465_2.pdf
公明党現職市議の生活保護不正受給疑惑で 「生活保護問題調査特別委員会」を設置
http://www.geocities.jp/koichirojcp/tm_466_1.pdf
藤原市議の一般質問でこの問題を質す。 市長は、「不正受給ではない。…」と…
http://www.geocities.jp/koichirojcp/tm_466_2.pdf

宮城県多賀城市議会議員 根本あさえ 公式ページ
http://www3.sppd.ne.jp/nemoto/

                    ・・・・・・・・・・・・・・・・


創価は年金の不正受給まで手助けしてくれるのか〜
そりゃ〜すごいこっちゃ!
でも、それは創価のお偉いさんだけの特権か〜
残念!

話は変わりますが、創価が水面下での策略の数々をもみ消す意味でも、世界の勲章集め等にやっきになっている事も明白です。
しかし、日本の大学からの、『名誉博士号』『名誉教授』はどうなのでしょう?
肝心の日本国内で、隠し通せないので相手にされてませんね。

創価の詐欺行為は、その内世界中を敵に回します。
悔い改めさせましょう。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

208MILD SEVEN:2003/10/18(土) 04:07
私の愛読書に次のような警告があります。

「世間で認められ、誰からもほめられる人は大抵、落ちついた、かなり義務に忠実な・・・利己主義者である。彼らの道を踏んではならない。」

分かる人は分かります。なぜか?
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

ですね。

日本社会「経済も含む」が呪われているのはなぜか?
分かる人は分かります。

        ・・・・・・・・・・・

本当の開国・維新をしましょう!
天を味方にしましょう!

209沖浦克治:2003/10/18(土) 07:47
 蓮祖は化法の広宣流布をなされ、化義の広宣流布は後世の我々にご遺命としてお残しになられた。
 『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、』
(三大秘法禀承事)
 戸田先生はこの『時を待つべきのみ』に付いて、『時が来たら化義の広宣流布をお前たちでやれ、と大聖人様がご命令をされている。今がその時だ。私はそれをやるために生まれた来たのだ。』と仰せです。
 言うまでもなく、蓮祖の法は民衆のための法です。
 国家権力で強制し、布教するような低い教えではありません。
 一対一の対話の中で折伏をし広めるべき、人間を中心にすえた人類最高の教えです。
 故に、信教の自由が保証された民主主義の世の中が日本に出現するまでは、化義の広布の時は来なかったのです。
 大法の興隆すべき時は仏法まさに穏没せんとするときであり、民衆が途端の苦しみにあえぎ大法の興隆を望む機根が民衆の中に湧き上がる時でもあります。
 戦争に敗れ、国民はどん底の不幸にあえぎ、蓮祖の法はまさに穏没せんとしたその時、日本に民主主義が生まれ、時を同じくして戸田先生が牢獄の中から『我地涌の菩薩の棟梁なり、』と宣言してご出現になられたのです。
 『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、』(諸法実相抄)
 まさにこのご文のままのお振る舞いです。
 立宗よりちょうど700年目に、創価学会は戸田先生により宗教法人として発足をし、化義の広宣流布の出発がなされました。
 これまさに、時の不思議です。 
 生命論の理解が出来ない、いわゆる理論だけの人間には、戸田先生の何たるかは永久に理解は出来ないでしょう。
 御書全体を、現代の立場から全体感に立脚して解釈をすべきことです。
 これは、日蓮原理主義者の集団には不可能事ではあります。
  戸田先生がご出現になられず、またその後を池田先生がお継ぎになられなかったならば。
 熱原のの三烈士の名前も、四条金悟も、太田入道も、南条時光も、寛師も、有師も、蓮祖がご本仏であられることも、興師が唯受一人であられた事も、戒壇様のご存在も、ご本尊様の功徳も、何もかも今の世に伝わらなっかた事は、間違いがありません。

210犀角独歩:2003/10/18(土) 14:11

『日蓮宗の諸問題』雄山閣
日蓮正宗創価学会における「本門戒壇」論の変遷
―― 政治的宗教運動と社会統制
西山茂著

は秀逸な論考です。
このなかで当時の戸田さんの言葉が引用されています。

「天皇に御本尊様を持たせ、1日も早く、御教書を出せば、広宣流布できると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに、御本尊を持たせることだ。こうすることによってはじめて国立の戒壇ができるのである。……いま、わたくしたちは、大きな本門の戒壇を建てるための、ひとつひとつの土台石をはこんでいるのであります」(戸田城聖『講演集上』51頁 / 昭和26年5月、会長就任挨拶から)

「われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。ゆえに政治に対しては、三大秘法稟承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、われわれは確信するものである」(戸田城聖『巻頭言集』104頁)

「御教書とは衆議院に於て過半数の構成を以って発せられるものである故これが獲得の為にも正法弘通の活動は今後新生面が展開されなければならない」(『聖教新聞』昭29・1・1)

「国会議員が出て、国立戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下も、また、この御本尊のありがたさを知ってこそ、初めて広宣流布できるのです」(昭30・3・27 鶴見支部第四総会での戸田城聖講演・戸田城聖『講演集下』27頁)

「広布の終点は国立戒壇である。その為には国会の議決が必要だ、すると宗教の正邪い対して確たる信念を持ち国立戒壇建立を願う人々の代表が国会議員として多数居なければならない事は論をまたないのである(『聖教新聞』昭30・4・7)

「富士山に国立戒壇を設け、日蓮正宗を国教にすることだ。そのためには20年後には国会議員の過半数を占めなければならない」(『聖教新聞』昭30・4・17)

以上の如く、戸田さんは国立戒壇論者でした。
しかし、池田さんは

「『国立戒壇』ということばなどはどこにもありません。戸田先生も、ちょっと『国立戒壇』ということばをもらしたことはありますが、私も先生がおっしゃったから申し上げたことも一、二ありますけれども、御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも『国立戒壇』ということばはないです」(池田大作『会長講演集』第11巻127頁 / 学生部第七回総会)

しかし、この池田さんの発言はいまだ国立戒壇から脱していないと西山師は分析する。その証左として、青木亨さんの文章を挙げている。

「学会の目的はただひとつであり、それは広宣流布といい、王仏冥合といい、国立戒壇建立といい、ぜんぶ同じことを指しているのである。……民主国家における国民の総意は、同時に国家の意思であると教えているのであるから、それが国立戒壇と呼ばれても何ら不思議はない。しかも、その内容を『民衆立』の意味であると教えているのであるから、問題にするほうがよほどどうかしている」(『大白蓮華』昭39・11)


以上、懐かしい資料が載っています。
さて、これら資料が未だに学会が使用されているのか、“お蔵”にされてなかったように扱われるのか、はたまた、書き直し改竄して使用されているのか、この比較検討は興味深いテーマであるといえます。

上述の論考のなかで、西山師は『折伏経典』の校訂3版と改訂36版の比較対照を試みています。これより徹底した論考に「『折伏経典』考証」(伊藤立教著/『佛教學論集』昭和49年度 No.11)があります。ここでは30にも及ぶ版を比較検討し、その変遷、書き直しを追っている。実に興味深い研究である。

さて近日、有志で集まって、戸田さんの講演を録音プレスしたレコードを聴いてみましたが、それによって、現在、発刊されている『戸田城聖全集』がかなり書き換えられていることがわかりました。
一言に「戸田先生の指導」ということは簡単ですが、実際に話した内容と思想そのものまでが変わってしまう書き換えをしたものを、果たして当人の分と呼ぶことができるのか、わたしには大きな疑問が残ります。生の声に接する時、戸田さんは見紛うことなき「国立戒壇論者」であることは疑う余地はありません。その意味において、現創価学会が戸田さんの忠実な継承者であるとは言い難く、むしろ、その思想にもっとも近似しているのは、皮肉にも、顕正会・浅井さんであると見えます。この管見に反論があれば、確実な戸田さんの発言から批正を期待するものです。

211犀角独歩:2003/10/18(土) 14:17

これももはや言い尽くされた話を一点。

創価学会は「生命」ということばを殊の外、頻繁に使いますが、これは蓮祖の考えには確認できません。

先の池田さんの国立戒壇という語彙を放棄するに使った口上を使えば「御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも」生命という言葉はどこにも見当たりません。国立戒壇という語彙を、蓮祖遺文、興師遺文、寛師遺文に見当たらないことでその使用を放棄するのであれば、生命という語彙もまた、これに準じて判断することが至当であるとわたしは考えます。

212愚鈍凡夫:2003/10/18(土) 15:02
横レス失礼します。

1950(昭和25)年08月24日 戸田城聖、理事長を辞職。後任に矢島周平。

「戸田、夏季講習会にも出席せず、一時は城聖の名を城正と変え、雲隠れ。
『戸田の破産は多くの会員を動揺させ、彼に出資していた一部会員を離反させたばかりか、中には数十世帯を集めて分派を結成するものさえ現われてきた。』」
(『堕ちた庶民の神』P91)

「戸田城聖『二一年に法華経の講義をしたんだが会長だけはいやだった。だから二六年五月まで七年間、会長はなかったんだ。私がなったのはその時どえらいバチを受けたからだ。そのバチというのは、その頃、ぼくは東京建設の専務理事をやっており、また「少年日本」「ルビー」「冒険少年」という雑誌を出しておったが、しこたま損をしてこれをぶっつぶしてしまった。雑誌の方は七、○○○万円程の借金ですんだが、東京建設の方は刑法上の問題となったんっだ。それで会長になる前に死にぶつかったわけだ。仏法の力と国法の力とどっちが勝つか? 仏法が勝てばきりぬけられる。この境涯が正しいと証明されれば会長になる。そのどちらかをためされたわけだが、うまくきりぬけられた。』」(『宗教と信仰の心理学』 P36)

「戸田城聖『信仰が現在の生活と無関係ならそんなものはやることない。トクであるから信仰するので、トクがないならそんなものはやめたらよい。』」(同P36)

所詮、これが戸田さんの宗教観ですが、創価学会員にとっては、これもデマ・捏造の類なんでしょうね。

213Jルーカス:2003/10/18(土) 15:47
> その意味において、現創価学会が戸田さんの忠実な継承者であるとは
> 言い難く、むしろ、その思想にもっとも近似しているのは、皮肉にも、
> 顕正会・浅井さんであると見えます。この管見に反論があれば、確実な
> 戸田さんの発言から批正を期待するものです。

まったくそのとおりだと思います。
と言うよりも、浅井氏自体の戸田氏への傾倒の深さには、昭和40年代
生まれの、次男の名前に、戸田城聖氏の「城」の字を頂き「浅井城衛」と
名付ける位の尊敬ぶりです。
自分の息子の名前に一字を頂くなどが、その尊敬心の現れでしょう。
思想が酷似してても当然と言えましょう。

214愚鈍凡夫:2003/10/18(土) 16:44

こんな資料もありました。

「過日、選挙違反に問われて無実の罪を着せられた人が、全員大赦されたことは、王法が仏法に負けたことを示している。石橋首相が七階級特進し、紫の衣を貰ったが、病気で、大事な一回目の施政方針演説に立てずに寝ている姿は、創価学会の力というものの証明ではないか。身延に、もし日蓮大聖人様の仏法があるならば、大事な僧侶を助けないわけがない。
 われわれが、万々が一、病魔や死魔におそいかかられても、もったいなくも護秘符という秘伝がある。法力・仏力には、なにもかなわないのである。」(会長講演集 第3巻)

病魔に蝕まれて死んでいった戸田さんはどうなるんだろう。そんなことをふと思ってしまいました。
話は変わりますが、初代会長の牧口さんは、天皇について次のように語っておられます(戦時中の発言です)。

「吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、本当に敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれがもっとも本質的な正しい国民の道だと信じる次第である。」(大善生活実証録)

215沖浦克治:2003/10/18(土) 16:55
 皆様方の発言は、戸田先生と創価学会にとってあまりにも的外れです。
 木を見て森を見ずのたぐいですね。
 特に戸田先生のレコードをお聞きになられた方々の理解力の無さにはあきれるばかりです。

216犀角独歩:2003/10/18(土) 17:08

> 戸田先生のレコードをお聞きになられた方々

では、あなたは聞いたのですか。
録音テープからの完全テープお越し本も出る予定があります。
聞きもしないで言っているとすれば、それは理解力以前の問題です。
呆れるというのは証拠なしに感情論だけでものを言う浅はかさのほうです。

217犀角独歩:2003/10/18(土) 17:11

戸田さんのこんな発言もありましたね。

『戸田城聖先生 講演集 下』(昭和36年10月12日初版・発行者 北条浩・発行所 創価学会 P205)から転載

「御生骨の不思議

今度の4月20日から、お山においても、御肉牙(おにくげ)の拝観が許され、この御肉牙というものについて、これは不思議なものだ。話だけは、なんべんも聞いたかしらんが、もういっぺん言います。日蓮大聖人様御在世の時に歯を抜いた。その抜いた歯の下のほうに肉がちょっぴりついておった。ところが、この肉が七百年のあいだに、だんだんだんだんふえて、ちょうど、まさに歯を包まんとしている。これは説明つきますか。しかも脈打っているのですよ、汗かいているのですよ、生きているのですよ。こういう不思議なものはありますか。
身延が威張ったって、仏立宗がなんと言ったって、こういうお歯は、富士大石寺以外は絶対にない。それから、仙台からも、福運あってこの御生骨を拝観する方々は、帰ったら、わが目で見てきた、その実態を、みんなに話して、わが日蓮正宗の誇りとして、語り伝えてもらいたいと思います。

昭和31年4月1日
仙台支部旗返還授与式
仙台市公会堂」

218犀角独歩:2003/10/18(土) 17:14

【216の訂正】

誤)完全テープお越し本
正)完全テープ起こし本

219沖浦克治:2003/10/18(土) 17:15
 毎日のように聞いております。
 聞けば聞くほどどん底にあえぎ世間から見放された庶民に、勇気とと希望を与える先生の気迫が伝わってまいります。
 まさにあの時点で世界一の実力をお持ちの人であられたでしょう。

220犀角独歩:2003/10/18(土) 17:27

「世界一の実力」などという大袈裟な表現は、緻密な比較に基づいて言われるべきでしょう。が、まあ、戸田さんの話が面白く人々を扇動するのが上手かったのは事実でしょうね。

戸田さんのテープを毎日聞いているのであれば、是非ともテープから一字一句間違わず、文章を起こし、いまの全集がどれほど、正確なのか示して貰いたいものですね。

だいたい、この手の個人礼賛者は証拠を上げず、ただ尊敬から来る感情だけでしますね。
尊敬しようが何しようが勝手ですが、このような議論の場で証拠を上げず、人を蔑むような表現をすればするほど、その尊敬している戸田さんの名を汚すことになりますね、戸田さんは三証を重んじていたはずですから。

221犀角独歩:2003/10/18(土) 17:39

沖浦克治さん:

ご挨拶が遅れました。はじめまして。

さて、あなたは戸田さんを尊敬して止まない一人のようですが、すると、わたしが210に引いた戸田会長指導を遵守貫徹する方であると拝します。

となれば、衆議院を通じて御教を下し、戸田さんの悲願であった国立戒壇の実現をいまも目指しているのでしょうね。尊敬しているのでしょうからね。

そして、戸田さんの指導の通り、大石寺の「戒壇之本尊」と「御肉牙」を信じ拝しているのでしょうね。まさか、戸田さんの指導に反することはありませんでしょうね。

222愚鈍凡夫:2003/10/18(土) 19:31

小生も、ご挨拶が遅れてしまいました。
沖浦克治さん、始めまして。愚鈍凡夫です。
文章で残っている戸田さんの言葉と、戸田さんの声でもって語られる戸田さんの言葉を比較してみたいので、あなたが感銘を受けた指導を紹介してくれませんか。
それと、戸田さんの言葉をそのまま紹介したのですが、どの辺が的外れなのか教えてください。
根が愚鈍なものですから、宜しくお願いします。

223愚鈍凡夫:2003/10/18(土) 20:44

戸田さんは極度の近眼で、原稿などは全て口述筆記、講演・指導はその場の雰囲気に合わせた即興だったと聞いたことがあります。
故に、文章で残っている戸田さんの言葉と、戸田さんの声でもって語られる戸田さんの言葉の違いに興味がありますので、宜しくお願いします。

224沖浦克治:2003/10/19(日) 00:51
 皆様方はじめまして沖浦克治です。
 あいさつが遅れました。
 41年の間創価学会にいます
 壮年部58歳役職はありません。
 
 犀角独歩 さん
 
 戸田先生が世界一の件
 
 少し冷静に考えればわかる事です。
 蓮祖は化法の広布の道をお開きになられました。
 その当時文字通り世界一の人です。
 戸田先生は化法の広布の道を開かれました。
 世界一でなければ不可能ですよ。
>人々を扇動するのが上手かったのは事実でしょうね。
 戸田先生の渾身の指導を、扇動としか取れないあなたの境涯の低さが哀れです。
 
 国立戒壇の件
 
 興味がありません。
 民衆立の意味なれば検討に値するでしょう。

 御肉牙の件

 一度も見たことがありませんのでお答えが出来かねます。
 宗門が科学的な鑑定依頼をするべきでしょう。

  愚鈍凡夫 さん
 
 御書を拝する時に、全体感にたち正しく読まねば誤ってしまいますね。
 『月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。』
 『「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る』
 この二つのご文は正反対の事を仰せです。
 ではどちらかが嘘なのですか?
 そうではありません。
 それぞれあたえられた人の機根によるのです。
 『私は末法の本仏だ』との表現は何処にありますか。
 自分は本仏ではない、との表現は随所に見られます。
 これと同じですよ。
 全体感にたって戸田先生の教えを拝さねば、真実は見えてきません。

 録音には『君たちは難が起これば私は創価学会ではありません、日蓮正宗です、お寺で信心しています、と言わんとも限らんぞ。』
 との発言があります。
 講演集にあるかどうかは知りませんが、これなどはカットされやすい発言でしょうね。

 本日はこれぐらいに致します。

225沖浦克治:2003/10/19(日) 00:53
 打ち間違いです。
 戸田先生は化法の〜化義の

226愚鈍凡夫:2003/10/19(日) 01:42

「月月日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。」(聖人御難事)
の文証と、
「行解既勤。三障四魔紛然競起。」(摩訶止觀卷第五上)
とは、何故正反対のことを仰せになっているのか分かりません。
おごりや油断を戒めた『聖人御難事』の文と、障魔を恐れてはならないとの『摩訶止観』の文が、何故正反対の意味になるのですか。教えてください。

>それぞれあたえられた人の機根によるのです。
>『私は末法の本仏だ』との表現は何処にありますか。
>自分は本仏ではない、との表現は随所に見られます。
>これと同じですよ。

何が同じなのですか?

> 全体感にたって戸田先生の教えを拝さねば、真実は見えてきません。

とは、たとえ戸田さんの指導でも、都合の悪い指導は無視するようにとの意味ですか。
失礼ですが、敢えて言わせてください。

> 木を見て森を見ずのたぐいですね。

とは沖浦克治さん御自身のことではありませんか。

227MILD SEVEN:2003/10/19(日) 04:30

<創価学会の危険性について>

私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。

創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。
しかし、嘘や罠、流言蜚語は創価の常套手段です。

・・・・・・・・・・・・

(参考までに。 特集/呪詛と怨念―創価学会の深層)
“ワラ人形に五寸釘”を彷彿 「悪人撲滅御祈念」のおぞましさ
学会員の仏壇に「あなたの名前」が
http://www.forum21.jp/contents/03-8-15.html

・・・・・・・・・・・・・

創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?

創価は悔い改めなければなりません。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

228MILD SEVEN:2003/10/19(日) 04:34

<創価学会の危険性について>

私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。

創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。
しかし、嘘や罠、流言蜚語は創価の常套手段です。

・・・・・・・・・・・・

(参考までに。 特集/呪詛と怨念―創価学会の深層)
“ワラ人形に五寸釘”を彷彿 「悪人撲滅御祈念」のおぞましさ
学会員の仏壇に「あなたの名前」が
http://www.forum21.jp/contents/03-8-15.html

・・・・・・・・・・・・・

創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?

創価は悔い改めなければなりません。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

229問答迷人:2003/10/19(日) 05:51

沖浦克治さん はじめまして。

横レス失礼します。

ここは、公開の掲示板です。あなたは、「戸田先生が世界一」と片方で言いながら、戸田さんの最重要指導であると思われる「国立戒壇」については、興味が無い、と言い、また、これも戸田さんが再三に亘って指導したとされる「お肉牙」についても、「宗門が科学的な鑑定依頼をするべき」とされる。これは少なくとも、あなたが戸田さんを世界一の指導者と喧伝していることと矛盾しています。この矛盾について、掲示板ご参加の方々がよく理解できるように、わかりやすく説明していただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。

少なくとも、ここは議論の場ですから、僕は、一方的な信仰告白は、書き込む意味を成さないと考えています。

230沖浦克治:2003/10/19(日) 06:33
 問答迷人 さん 
 はじめてお目にかかります。
 おはようございます。
 戸田先生は世界一のお方でしたが、ならば何でも盲従しようとは思わないのです。
 私の人生のスタンスですよ。
 信仰告知の意味が少し理解しにくいです。
 具体的に提示していただければ幸いです。

 国立戒壇
 
 民衆立であるべきです。
 
 お肉牙

 あればそれでいいですし、なければないでかまいません。
 そのようなものには興味がないのです。

231沖浦克治:2003/10/19(日) 06:39
 月月日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。」(聖人御難事)
 
 日々信心を強くしていかねば、信心に対する反作用が競う。

 「行解既勤。三障四魔紛然競起。」

 信心が進んでくると、信心に対する反作用がが競い起こる。

 どちらが正しいのですか?

>何が同じなのですか?

 文章の理解能力にかけますね。
 よく読んで判断してください。
 同じ事を何度も言わせるのは愚かですよ。
 だから、木を見て森を見ずなのです。

232愚鈍凡夫:2003/10/19(日) 10:52

沖浦克治さん、質問に答えられないのですか。それとも、答える必要がないと思っての言動ですか。
おごりや油断を戒めた『聖人御難事』の文と、障魔を恐れてはならないとの『摩訶止観』の文が、何故正反対の意味になるのですか。教えてくださいといっているのですよ。

これは、
> どちらが正しいのですか?
といった問題なのですか?

>それぞれあたえられた人の機根によるのです。
>『私は末法の本仏だ』との表現は何処にありますか。
>自分は本仏ではない、との表現は随所に見られます。
>これと同じですよ。

の意味が分からないから、「何が同じなのですか?」と質問しているのですよ。
蓮祖が『私は末法の本仏だ』と言っていないことと、何が同じなのですか?
まさか、沖浦克治さん説のように、戸田さんが『私は世界一だ』と言っていないことと同じだということですか。

233犀角独歩:2003/10/19(日) 15:18

沖浦克治さん:

> 境涯の低さが哀れです

「境涯が低い」、はて、どんな意味でしょうか(大笑)
面白いことを言いますね。
学会のなかでしか通用しないドングリの背比べの詰りなど、ただ滑稽なばかりです。
痛痒すらありません。
何ら証拠を挙げることができず、人を貶し、恰も自分は勝れていると見せる心を勝他の一念と誡められるのでしょう。すなわち、修羅の奢りです。これこそ、あなたがいう「境涯が低い」ということです。「境涯が低い」という言葉はそのままお返しいたすことといたしましょう。

なお、蓮祖は真跡から見る限り「境涯」などという語彙の使用は認められません。
蓮祖の言説を語るに似て、ここでもまた、蓮祖の義に有らざる言説を以て騙っています。

わたしは世界一というのであれば、その証拠を挙げるべきであると言ったのです。
それに対して、詰ることしかできないその程度の低さこそ嗤われるべきものでしょう。
繰り返します。証拠を挙げてください。

> 『「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る』

「行解既勤 三障四魔紛然競起」とは『摩訶止観』第五巻上に見える文であり、天台智邈師が説き、章安灌頂師が記述したものです。蓮祖が説いた御書ではありません。
これを御書というのは間違いです。
この程度の知識でものを言う蛮勇こそ哀れです。

> 三大秘法稟承事…諸法実相抄

この点も当板で大いに議論されてきたところですが、何ら考証することもなく、この二書を蓮祖の“御書”としています。これらが真筆である証拠を挙げてください。

> 化法・化儀の広宣流布

このような教義は蓮祖御立法門の、いったいどこにあるというのでしょうか。
文証を挙げてください。

> 国立戒壇…御肉牙

興味がないそうですが、先にわたしが挙げた戸田さんの言説です。本人が話し、それを創価学会が編集して出版したものです。戸田さんを尊敬すると言いながら戸田さんの言葉を軽視するとはまったく自語矛盾です。戸田さんの指導を軽視し、学会の出版を軽視しています。言葉はわたしは批判しながら、実のところ捨て去っているのは、まさに戸田さんとかつての学会の指導でしょう。

愚鈍凡夫さんが指摘する如く、あなたこそ、まさに一片の木っ端ばかりにとらわれ、森を見られない愚を犯しています。

三証を示すという蓮祖教説の基本も遵守しようとしない。その姿勢は道理に冥く、文証を示さそうとしていません。威勢ばかりが好い。まことに無慚な有様です。そもそも58歳にもなって、公開の議論で、一々に人を見下す言説を弄するばかりで証拠を挙げないなど、無礼千万の極み、一片の良識、常識も感じられません。これが信仰40年のなれの果てですか。

人を詰る前に証拠を挙げるべきであります。

234犀角独歩:2003/10/19(日) 17:57

きょうがい きやう― 【境涯】

生きていく上で、人がおかれている立場。境遇。
「不幸な―にあった」
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

創価学会では以下の一般語彙を、信者の信仰の度合いを高低をつける用語として使用する。しかし、これは先に記したとおり、蓮師、真跡遺文のなかにその使用は認められない。また、真偽未決を含む御書全集にその範囲を広げてもその使用は認められない。では、天台書記文献ではどうであろうか。純天台資料にもこの使用は見られない。実際のところ創価学会発行の『御書辞典』にもその掲載は見られない似非仏教語である。

実際は、この語は「境界」と書いて「きょうがい」と読む。
たぶん、耳から聞いて勝手に境界を境涯と勘違いして定着しいまだに学会では使われているのではないだろうか。

さて、調べる限りでは、境界は、経典で2、純天台文献47にその使用例が見られる。ただし、全漢訳経典に当たったわけではないので、この点は批正をいただければ幸甚である。

文献は以下の通り。
【経典】觀普賢經、金光明經。
【釈文】安樂行義、維摩玄疏、維摩疏記、維摩略疏、金光文句、玄義釋籤、五百問論、五方便念、華嚴骨目、戒儀慧思、戒疏明曠、四念處觀、三觀義、次第禪門、止觀義例、止觀弘決、小止觀、仁王經疏、請觀音疏、大四教義、大乘止觀、文句記、菩薩戒疏、方等三昧、法界次第法華玄義、法華三昧、法華文句、摩訶止觀、無量義經、無諍三昧、國清百録、六妙法門、涅槃玄義、涅槃經疏、涅槃經南、淨土十疑、彌陀義記、搜要記、禪門口訣、禪門章、覺意三昧、觀音義疏、觀音玄義、觀心論、觀心論疏、觀無經疏。

この台学の系譜を受けて蓮師は、真跡で見れば、八宗違目、開目抄、千日尼御前御返事でその使用が見られる。もちろん、この場合でも、境界に高低などはない。

「境涯が低い」、無批判に言葉や概念を振り回すと、まことに珍妙な言説を弄する愚を犯すことになる好見本といえるだろう(莞爾)

235犀角独歩:2003/10/19(日) 18:03

【234の訂正】

誤)天台書記文献
正)天台初期文献

誤)蓮師は、真跡で見れば、八宗違目、開目抄、千日尼御前御返事でその使用が見られる。
正)蓮師真跡で見れば、八宗違目、開目抄、千日尼御前御返事でその使用が見られる。

236沖浦克治:2003/10/19(日) 21:10
>の意味が分からないから、「何が同じなのですか?」と質問しているのですよ。
蓮祖が『私は末法の本仏だ』と言っていないことと、何が同じなのですか?
まさか、沖浦克治さん説のように、戸田さんが『私は世界一だ』と言っていないことと同じだということですか。

 意味が不明ですね。
 もう少し整理をして書き込んでください。

237沖浦克治:2003/10/19(日) 21:35
>「境涯が低い」、はて、どんな意味でしょうか(大笑)
面白いことを言いますね。

 かってに馬鹿笑いをしていなさい。
 面白いのはあなたの馬鹿た意見です。

>境涯が低い」という言葉はそのままお返しいたすことといたしましょう。

 いえ結構です。
 あなたが大事に味わって下さい。

>なお、蓮祖は真跡から見る限り「境涯」などという語彙の使用は認められません。
蓮祖の言説を語るに似て、ここでもまた、蓮祖の義に有らざる言説を以て騙っています

 レベルが低すぎます。
 一閻浮提総与も御書に無い事をご存知ですか?
 創価思想と言う言葉もありません。
 然しながら創価思想は存在致します。
 生命哲学は何処にありますか。
 嫡々一人の文証を上げてください。
 馬鹿なことをひけらかすものではありません。
 以後、気をつけるように。

 世界一の証拠をあげておきます。

 蓮祖は化義の広布を後世の弟子にご遺命のなられました。
 『時を待つべきのみ』(三大秘法抄)
 『未来もまたしかるべし』(諸法実相抄)
 この御書を身で読まれ化義の広布を開かれたのが戸田先生です。
 時の法主が文証をもってこの事実を証明しております。
 蓮祖直属ならば、世界一ではありませんか。
 
>章安灌頂師が記述したものです。蓮祖が説いた御書ではありません。
これを御書というのは間違いです。

 あなたは本当に法華講の人ですか?
 蓮祖が御書の中で引用されれば蓮祖のお言葉です。
 絶対妙とはその義です。
 書き込みはしばらくおやめになって、教学を真剣に学んだ方が言いですね。
 近所の創価学会の、末端会員に師事される事をお勧めいたします。

> 三大秘法稟承事…諸法実相抄

 この御書は蓮祖と同じご境涯で無ければ書くことは不可能です。
 宗門にとっては真に都合の悪い御書ですね。

> 化法・化儀の広宣流布

 『一閻浮提総与の大ご本尊様』御書から引用してください。

>先にわたしが挙げた戸田さんの言説です。本人が話し、それを創価学会が編集して出版したものです。戸田さんを尊敬すると言いながら戸田さんの言葉を軽視するとはまったく自語矛盾です
 
 軽視などしておりません。
 かってな事は言わないように!

>そもそも58歳にもなって、公開の議論で、一々に人を見下す言説を弄するばかりで証拠を挙げないなど、無礼千万の極み、一片の良識、常識も感じられません。これが信仰40年のなれの果てですか。

 あなたが見下されて当然の内容を書き込むからです。
 改めるのであれば、私もそれなりに対応されていただきますよ。
 人の年齢や信心経歴には、首をつっこまなくてよろしい。

238沖浦克治:2003/10/19(日) 21:38
>創価学会では以下の一般語彙を、信者の信仰の度合いを高低をつける用語として使用する。しかし、これは先に記したとおり、蓮師、真跡遺文のなかにその使用は認められない。

 あなたも同類項ですか。
 前のレスを参考にして下さい。
 
 質問です
 西暦は使っていますか?

>「境涯が低い」、無批判に言葉や概念を振り回すと、まことに珍妙な言説を弄する愚を犯すことになる好見本といえるだろう(莞爾)

 あなたのお立場が理解できました。
 日蓮原理主義者です。

239沖浦克治:2003/10/19(日) 21:39
>創価学会では以下の一般語彙を、信者の信仰の度合いを高低をつける用語として使用する。しかし、これは先に記したとおり、蓮師、真跡遺文のなかにその使用は認められない。

 あなたも同類項ですか。
 前のレスを参考にして下さい。
 
 質問です
 西暦は使っていますか?

>「境涯が低い」、無批判に言葉や概念を振り回すと、まことに珍妙な言説を弄する愚を犯すことになる好見本といえるだろう(莞爾)

 あなたのお立場が理解できました。
 日蓮原理主義者です。

240無徳:2003/10/19(日) 21:42
沖浦さんお久しぶりです。

まあ!こんな事を言っては大変失礼を承知で申し上げますが、

ここの皆さんは貴男のレベルで論争できるお相手ではありません。

またまた、創価学会の恥さらしにもなりかねませんですよ、正信掲示板にて
がんばってください。

241沖浦克治:2003/10/19(日) 21:50
 無徳さんご無沙汰ですね。
 私の問題に干渉は迷惑です。
 責任は私が取るのですあkら、捨てておいてください。
 しかし、若鷲や富士の宮のほうがレベルはうんと高いですよ。

242愚鈍凡夫:2003/10/19(日) 21:51

あなたが書き込んだ言葉の意味が分からないから、教えてくださいといっているのですよ。
不本意ですが沖浦克治さんの言葉を、そのまま贈ります。

> 文章の理解能力にかけますね。
>よく読んで判断してください。
>同じ事を何度も言わせるのは愚かですよ。
>だから、木を見て森を見ずなのです。

>意味が不明ですね。
>もう少し整理をして書き込んでください。

243沖浦克治:2003/10/19(日) 21:52
 アネモネさん。
 私はあなたと対話がしたいのです。
 おいでくださいませ。

244沖浦克治:2003/10/19(日) 21:54
 愚鈍凡夫さん。
 かみ合いにくいですね。
 無理に私と討論する必要はありませんよ。

245愚鈍凡夫:2003/10/19(日) 22:04

討論と呼べるレベルの話ではないでしょう。
沖浦克治さんが、故意に話をかみ合わさないようにしているのではありませんか。
ROMされている方々に失礼ですので、これぐらいにしておきます。

246沖浦克治:2003/10/19(日) 22:40
 愚鈍凡夫さん
 たしかにあなたのご主張は、討論の域には達していませんね。
 おやめになられた方がいいでしょう。
 賢明な選択です。

247犀角独歩:2003/10/19(日) 23:11

沖浦克治さん:

まったく面白い。まるで漫才です。何を気色張っているんでしょうか。
それにしても、わたしはここで種々の批正は受けてきましたが、ここまで的外れな批判をされて、もはやその滑稽さに腹も立ちません。
わたしは日蓮ですら、絶対ではないといっているのに、日蓮原理主義ですか(笑)
また、わたしは法華講ではありません。なにを勘違いしているのやら。

> 一閻浮提総与

そのことは何度も書いています。
人を批判するので有れば、まず過去のログぐらい読みましょう。
わたしは「一閻浮提総与」を似非日蓮義であると言ってきたのです。

> 創価思想

蓮師御立法門に? あるわけないでしょう、そんなもの。
ところでなんですか、この創価思想というのは(笑)
蓮師の素意とはまったく関係ありません。

> 然しながら創価思想は存在致します。

ええ、蓮師のあずかり知らないことでしょう。
残念にも日本国中に蔓延して、大いに迷惑しております。

> 生命哲学は何処にありますか。

蓮師の素意とはまったく関係ありません。
それは戸田さんが考案し、池田さんが踏襲したものです。
モチーフに、中古天台本覚思想の影響を受けた中期石山教学の用いるも、蓮師の素意とはかけ離れた創作でしょう。創価思想とは同様です。
蓮師とは関係ありません。

> 嫡々一人の文証

わたしは唯受一人、否定論者です。
どうぞ、過去のログをお読みください。

> 世界一の証拠をあげておきます。

これが証拠ですか。

> 蓮祖は化義の広布を後世の弟子にご遺命のなられました。
 『時を待つべきのみ』(三大秘法抄)

切り文の極みですね。ここには「勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」でしょう。戸田さんが言うように御教書はどうですか。戸田さんが取りましたか。

> 『未来もまたしかるべし』(諸法実相抄)

続きがありますね。「是あに地涌の義に非ずや。剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」戸田さんが日本一同に題目を唱えさせたですか。はて、そのような話は聞いたことがありません。

> この御書を身で読まれ化義の広布を開かれたのが戸田先生です。

ですから、化儀の広布の文証を挙げてくださいと申しているわけです。
なんですか、これは?

> 時の法主が文証をもってこの事実を証明しております。

どんな文証でしょうか。

> 蓮祖直属ならば、世界一ではありませんか。

なぜ、蓮祖直属ならば、世界一なのでしょうか。
また、戸田さんがなぜ蓮祖直属なのでしょうか。

それにしても、毎晩、戸田さんのレコードを聴いているとこうなるわけですか。
なるほど。創価学会員というものがどのようなものか。典型的な見本ですね。
我が好敵手・無徳さんも勧めていますが、吠えるだけなら、その手の板に行かれることをわたしも勧めます。

248沖浦克治:2003/10/19(日) 23:16
 犀角独歩 さん
 あなたには無理です。
 止めておきなさい。

249愚鈍凡夫:2003/10/19(日) 23:21

沖浦克治さん、もう一度、
> 文章の理解能力にかけますね。
>よく読んで判断してください。
>同じ事を何度も言わせるのは愚かですよ。
>だから、木を見て森を見ずなのです。

あなたにぴったりの言葉ですね。
御自身のことだけに良く分かってらっしゃる。

250犀角独歩:2003/10/20(月) 01:48

沖浦克治さん:

何が無理で何を止めろと言っているのですか。
意味不明ですね。

251犀角独歩:2003/10/20(月) 02:53

ちょっと、創価学会・法華講経験者の皆さんに、お尋ねしますが、蓮師が御書の中で引用すると、天台の言葉でも、日蓮の言葉になる、こんな考え方が創価学会にはありましたか。237で、沖浦克治さんがそんなことを言っているのですが、どうなんでしょうか。
わたしは、創価学会、法華講共に経験しておりますが、こんな話は聞いたことはありません。

また、これが絶待妙だというのですが、そもそもこの絶待妙は法華玄義に現れる天台の教説でした。これが蓮師が引用すると蓮師の言葉になるというのも、これまた珍妙な話であると思えます。

学会の考えだそうなので、取り敢えず、『御書辞典』を捲ってみました。が、ここでも、蓮師が御書に引用すると、みんな蓮師の言葉になることが絶待妙であるという説明はありませんでした。あるわけありませんが(笑)

絶待妙、皆さんはご存じでしょうが、原文を挙げておきます。
お断りするまでもありませんが、これは蓮師のことばではなく、智邈説・灌頂著です(笑)

*** 転載はじめ ***

釋名絶待妙

二絶待明妙者爲四。一隨情三假法起。若入眞諦待對即絶故。身子云。吾聞解脱之中無有言説。此三藏經中絶待意也。二若隨理三假。一切世間皆如幻化。即事而眞無有一事而非眞者。更待何物爲不眞耶。望彼三藏絶還不絶。即事而眞乃是絶待。此通教絶待也。三別教。若起望即眞之絶還是世諦。何者非大涅槃。猶是生死世諦絶還有待。若入別教中道待則絶矣。四圓教。若起説無分別法。即邊而中無非佛法。亡泯清淨豈更佛法待於佛法。如來法界故出法界外。無復有法可相形比。待誰爲麁形誰得妙。無所可待亦無所絶。不知何名強言爲絶。大經云。大名不可稱量不可思議故名爲大。譬如虚空不因小空。名爲大也。涅槃亦爾。不因小相名大涅槃。妙亦如是。妙名不可思議。不因於麁而名爲妙。若謂定有法界廣大獨絶者。此則大有所有何謂爲絶。今法界清淨。非見聞覺知不可説示。文云。止止不須説我法妙難思。止止不須説即是絶言。我法妙難思即是絶思。又云。是法不可示言辭相寂滅。亦是絶歎之文。不可以待示不可以絶示。滅待滅絶故言寂滅。又云。一切諸法常寂滅相終歸於空。此空亦空則無復待絶。中論云。若法爲待成。是法還成待。今則無因待亦無所成。法華首云。既得無生忍亦不生無生。無生即無生是名絶待。降此已外若更作者。絶何物顯何理。流浪無窮則墮戲論。乃是迷情分別。絶待不絶。非絶非待。待於亦待亦
絶。言語相逐永無絶矣。何者言語從覺觀生。心慮不息語何由絶。如癡犬逐塊。徒自疲勞塊終不絶。若能妙悟寰中息覺觀風。心水澄清言思皆絶。如黠師子放塊逐人。塊本既除塊則絶矣。妙悟之時洞知法界外無法而論絶者。約有門明絶也。是絶亦絶約空門明絶也。如快馬見鞭影無不得入。是名絶待妙也。用是兩妙妙上三法。衆生之法亦具二妙稱之爲妙。佛法心法亦具二妙稱之爲妙。若將上四種絶待約五味經者。乳教兩絶。酪教一絶。生蘇四絶。熟蘇三絶。此經但有一絶。若開權絶者。無不入一妙絶也。問何意以絶釋妙。答祗喚妙爲絶。絶是妙之異名。如世人稱絶能耳。又妙是能絶麁是所絶。此妙有絶麁之功。故擧絶以名妙。如迹中先施方便之教。大教不得起。今大教若起方便教絶。將所絶以名於妙耳。又迹中大教既起。本地大教不得興。今本地教興迹中大教即絶。絶於迹大功由本大。將絶迹之大名於本大。故言絶也。又本大教若興。觀心之妙下得起。今入觀縁寂言語道斷本教即絶。絶由於觀。將此絶名名於觀妙。爲顯此義故以絶爲妙。今將迹之絶妙妙上衆生法。將本地之絶妙妙上佛法。將觀心之絶妙妙上心法。前四絶横約四教。今三絶竪約圓教云云。

*** 転載おわり ***

蓮師真跡における絶待妙に関する記述は以下の通りです。

三八教「法華の円の二妙─絶待妙─麁を開し妙を顕はす」
開目抄「爾前の円は相待妙・絶待妙に対すれば猶悪なり」

ここでも、蓮師が御書に引くと自分の言葉になるとは書いておりませんね。

252ガンコ:2003/10/20(月) 04:25

>ちょっと、創価学会・法華講経験者の皆さんに、お尋ねしますが、蓮師が御書の中で引用すると、天台の言葉でも、日蓮の言葉になる、こんな考え方が創価学会にはありましたか。237で、沖浦克治さんがそんなことを言っているのですが、どうなんでしょうか。
わたしは、創価学会、法華講共に経験しておりますが、こんな話は聞いたことはありません。

これを絶待妙というのかどうか存じませんが、我が顕正会ではわりとこのような考え方であろうと思います。
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ。」
これを浅井は大聖人の御指南と言っております。また、「末法下種の寿量品には次の如く仰せであります」等と言って、寿量品を引用せられることもありましたし。
厳密にはどうか知りませんが、だいたい正宗系では、大聖人が肯定の意味で使われる文証はすなわち大聖人の御指南と拝する、というような暗黙の了解があるのではないでしょうか?

ああ、また批判されること書いちゃった。

253ガンコ:2003/10/20(月) 04:31
(補遺)
末法下種の寿量品には・・・ごめんなさい、文底下種の寿量品だったかしら?
まあ、どっちみち否定されちゃうんでしょうけど。

255問答迷人:2003/10/20(月) 08:38

沖浦克治さん 

所用で一日不在にしておりました。

>戸田先生は世界一のお方でしたが、ならば何でも盲従しようとは思わないのです。

なるほど。是々非々で取るものは取り、捨てるものは捨てる、ということですね。

>信仰告知の意味が少し理解しにくいです。具体的に提示していただければ幸いです。

二例を挙げます。

三大秘法抄は、日蓮正宗、創価学会等では真蹟は無いものの、御書として、何の疑いも無く捉えられいます。そして、ところが、この書は、古来、その真偽が議論されてきた書です。
また、大石寺の戒壇板本尊は、古来、その真偽が疑われてきました。この掲示板でも、いろいろな観点から検証しましたが、日蓮聖人自らが建立されたとは考えられない、という結論にいたらざるを得ません。

これらを何ら、再検証することなく、日蓮聖人の真意として語り、広める事が果たして本当に民衆救済の行為なのか、私は単に信仰告白、信仰勧誘に過ぎないと思えて仕方が無いわけです。

日蓮聖人は「わが義智者に破られずば用いじとなり」と仰せられましたが、その前提には、文証、理証、現証の裏づけを磐石に固めておられたからこそ、言えたお言葉で有ったと思います。聖人は、京都、奈良、高野山その他に遊学せられて、根拠のある教えしか説かれなかったと考えています。磐石な裏づけに基づいた教えは、単なる信仰告白では無く、根拠に基づく議論で有ったと思うのです。

256犀角独歩:2003/10/20(月) 09:54

管理人さま:

当板では以下のようなルールに基づいていたと存じます。
沖浦克治さんは254において、

> あなたは本当に駄目な人です。

という暴言を吐いております。
わたしは、公開の場でこのような侮辱を受ける謂われはありません。
また、当スレッドおよび、統計寺版の趣旨ともこの表現はまったく関係ありません。
当板では【禁止事項】として、

「1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。」

となっております。
該当の表記はこの禁止事項に該当する判断します。
故に254の削除を依頼します。
また、わたしのほうにも不適切な書き込みがありましたら、削除をお願いいたします。

257犀角独歩:2003/10/20(月) 09:56

【256の訂正】

誤)統計寺版の趣旨
正)当掲示板の趣旨

258犀角独歩:2003/10/20(月) 10:14

252、253 ガンコさん:

お久しぶりですね。

浅井さんが使う如き表現は絶待妙というより、体内・体外の法門と言われるものです。
また、内証・外用の法門としても使われます。「我が内証の寿量品」などと記述される如くです。

「然れば八万四千の法蔵は、我が身一人の日記文書なり」

などという場合もこの伏線から記述されたものでしょう。
しかし、当然のこととして、真跡中に以上のような教義的な姿勢は蓮師には見られません。

ただし、後代の相伝譜から形成された教学的な姿勢においては、たしかに体内・体外、内証・外用といった視点から捉えようとする思考はあり、学会を含む石山系教学では、このような捉え方は、至極、当然のこととして使われてきたことでしょう。

しかしながら、摩訶止観を御書と言ったりすることはあり得ません。
また、これを絶待妙ということもありません。

このようないい加減な記述は 教・論・釈・御書 を厳格に拝する興師の教学的な姿勢からも批判されるべきことでしょう。また、後代の体内・体外等の教学的姿勢からもかけはなれたものであると言えようかと存じます。

259犀角独歩:2003/10/20(月) 10:25

沖浦克治さん:

人を暴言、説教を垂れる前に我が身を振り返るべきでしょう。
あなたのここでの書き込みが、あなたのいう世界広布などと何らつながっている部分はありません。ただ、あるのは他者蔑視という差別思想だけです。

信仰の名によって、人を差別することはもっとも誡められるべきことです。

ここは議論の場であり、異なる考えの人が意見を交換する場です。その基本は証拠主義です。証拠を示すことができず、ただ、人を卑しめる発言を書き連ねるその侮蔑的態度こそ、現在、もっとも問題にされる学会の社会的な批判であるという視点論じられないのは寧ろ当然の結末なのでしょう。

当スレッドは『創価学会の功罪を考える』という趣旨です。
ですから、あなたが書き連ねることによって垣間見させた他者蔑視の心象風景はまさに、そのまま、学会の罪として公になる効果はあったでしょう。

しかし、それらは証拠主義に基づく、議論によって導かれるべきであり、特定個人を蔑み、蔑視し人権を侵害して行われるべきものであっては決してならないはずです。

あなたは、「戸田先生は世界一」という命題をここに掲げましたので、その点について、証拠の提示を求めましたが、結局のところ、何らその記述をできないうえに、その点に難儀を示す投稿者に次々と別紙・侮辱の暴言を吐き、学会の差別思想をあからさまにしております。結局のところ、戸田さんが世界であるという学会の“功”については、なんら証明されることはありませんでした。

戸田さんが世界一の証拠を掲げず、このような差別・侮辱を繰り返すのであれば、よろしく退出されることをお薦めします。また、投稿を続けるのであれば、他者蔑視・侮辱はただちに止めるべきでしょう。

260犀角独歩:2003/10/20(月) 10:27

【259の訂正】

誤)難儀を示す投稿者に次々と別紙・侮辱の暴言を吐き、学会の差別思想
正)難儀を示す投稿者に次々と蔑視・侮辱の暴言を吐き、学会の差別思想

261管理者:2003/10/20(月) 12:19

犀角独歩さん

254レスが、当掲示板のルールに違反している、というご指摘、もっともであると存じます。


沖浦克治さん 

あなたの254レスは、下記の、当掲示板の禁止事項に抵触すると判断いたします。申し訳ありませんが、あなたの254レスは削除させていただきます。

【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

262犀角独歩:2003/10/20(月) 12:22

管理人さま:

ご多忙のところ、有り難うございました。

263犀角独歩:2003/10/20(月) 12:23
戸田さんが世界一かどうか、個人がどのような確信を懐こうが勝手です。
しかし、その確信を認めないものを蔑視、軽蔑するという有様は非常に迷惑です。それが集団となる場合、さらに社会的な迷惑に発展します。
ここ数日間の議論は、この点をよく表したものであったと思えます。
わたしの両親は昭和28年、大田区で入会した生え抜きの戸田門下生でした。そのことから、わたし自身、かつて戸田さんに強く傾倒していた一人でしたので、同様の確信を懐いていた時期はありました。池田さんが最高であると思った時期もあります。そのことから、学会が唯一絶対の団体であると確信を懐いていた時期もありました。

しかしながら、学会において根本思想とする日蓮聖人の教学を真面目に考証することなく、戦前の石山教学を鵜呑みにして、大正生命主義の影響から、生命論として展開した基礎的な考えは、まったく日蓮その人の思想から隔絶したものであった点に大きな疑問が生じました。

また、わたしが学生として生きた昭和40年代は「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」とまことしやかに口コミで人心操作がなされた時代でした。これはまた、戸田さんの獄中の宗教体験を「悟達」といい、また同人を「地涌の菩薩の棟梁」と表現する個人崇拝に操作されたこととも大きく関係したものであったと反省しました。
もとより、悟達とは仏の境地であり、如何に日本最大の宗教団に育て上げた人物であろうと、その人物を表す語として不適切です。また、地涌の菩薩の棟梁とは上行菩薩に違いなく、上行応化論から上行日蓮本仏を標榜する石山門にあって、この表現は、ただちに会長本仏論として敢えて誤解を招く作為をわたしは看取しました。この点が反省されたのが52年度路線であったと認識しています。しかし、残念ながら、この点はまったく反故に帰してしまったことは残念なことでした。

それでもそれほどの会長崇拝を可能にしたなんらかの魅力が会員各人にはあるのでしょう。わたしも個人的に池田さんに会うことがあり、その傾倒は10年以上も続いた経験がありますので、この点はわかります。しかし、これら信念体系は、社会心理学において、「個人的リアリティ」という心理想念であるという指摘に触れ、そこから反省が生じることになりました。また、自分が強い確信と思っていたことは、蓮師その人の思想ではなかったことがわかり、ここにさらに反省が生じたわけです。

わたしは現在、年間延べ1000人ほどの脱会者、脱会希望者、そして、その家族の心理的ケアと、社会復帰の手助けに日々追われておりますが、このようなボランティア活動を続けるにつき、なぜ自分を含む石山系被害者が、斯くも後を絶たないのかと憤慨にも似た考察を余儀なくされます。昭和58年でしたか、創価学会は公称1650万人を豪語しておりました。しかし、統計その他から類推されるその実数は600万人ないし400万人程度であると予想されています。となれば、創価学会は過去50年間の間に1000万人を超える脱会者を出したことになります。また、家族まで広げて考えれば、その被害は数千万人の規模となると想像されます。このような罪悪は強い信念体系に陥る会員からすれば、単に「退転」の烙印で蔑めば、終わることでしょう。しかし、脱め、投げ出された多くの人々の苦悩はそれで解決されることはありません。その一部の方々がわたしの門を叩いているのでしょう。

このような人たちの多くは、会をやめ、指導者を捨てることが、ただちに日蓮その人の教えを捨てることであるというある種の不安を懐いています。しかし、その場合、会で刷り込まれた“教学”は日蓮その人の思想ではなく、その後に変遷したものであり、直接的な日蓮思想ではないことを知るとき、ようやくと安堵に胸をなで下ろすこととなります。

何より、会員である時点で、もっとも大きな心理操作は、ファンダメンタリズムであり、そこから生じる他者蔑視と憎悪、そして、退会に対する恐怖操作が主に施されることになります。わたしは創価学会における最大の社会問題は「憎悪操作」という一点に集約されると考えています。。しかしこれは、信仰体験からくる功利性で裏打ちされていますので、各人はその功利面からこの罪過を気付きがたい構造があります。

264犀角独歩:2003/10/20(月) 12:23

―263からつづく―

「平和はナチスでも言った」と話したのが誰であったか失念しました。しかし、平和、広宣流布を言う学会が、具体的にどのような活動をしているのかと問われるとき、「池田先生は世界の要人と会っている」などと返されたところで、失笑を買うばかりです。
批判でも何でもなく、創価学会の社会的にどんな功利面を持っているのか、わたしにはまったく思いつきません。この点について、「ある」というのであれば、是非とも提示していただきたいと思います。しかし、「学会のすばらしさ、先生のすばらしさがわからないお前がだめな人間だ」また、かつて「池田先生のすばらしさがわからないお前はバカだ」などという投稿もあったと記憶しますが、このように軽蔑される謂われはありません。そのような他者蔑視によって、恰も学会が、なにか日本社会、あるいは世界的に素晴らしい平和活動、あるいは広宣流布果たしていると錯覚させる心理操作がここにあります。この点は看過できない点です。

実際にわたしが経験した創価学会では「創価学会は世界平和に貢献している。世界広布をなす唯一の団体である」と言われていましたが、詳細にその証拠を求めようとすると“お題目ばかり”でまったく実態に行き当たりません。その点に疑問を示せば返ってくることはお定まりです。「学会と先生を疑うお前は信心がない」。この信心がないというレッテルは、いわば信仰者にとっての死刑宣告、あるいは罪人扱いに等しいものですから、このように言われるような質問は自分の心のなかでもみ消すことが信心の一貫に含まれていくことになります。

しかし、何ら証拠性もなく、単に自分たちは絶対だ、自分は勝れている、信じないのはだめだ、境涯が低い、理解力がないなどと他者侮蔑の限りを尽くす人間を作り上げるその組織集団が、果たして、真に平和に貢献するものであるといえるのか、わたしは甚だ疑問を抱くわけです。

多くの学会員に見られるこの思い込みは、もちろん組織による心理操作に違いありません。まったく日蓮その人の思想を恣意的に勝手解釈した挙げ句、会と指導者崇拝の道具として使うことによって可能になっています。故にこの問題の根の深さを再認識せざるを得ないところとなります。

わたしは過去50年の創価学会の功罪を以下の文ほど、端的に表しているものを他に知りません。何度も引用してきましたが、もう一度、再掲します。

「既成の宗教によって点火されなかった宗教心に新興宗教が火を着け、人々を巨大な信仰集団の徒にしたことは新興宗教の功績であり、それ以外に救われる術がなかった人々をして、心の安定を得させたことは高く評価されるべきであろう。
 しかしながら、私にはこの新興宗教がたちまちに金集めの組識に変化することに深い憂慮をおぼえるのである。新興宗教がある程度大きくなると、必ずその教祖を絶対者として、神あるいは仏の再来としてあがむ。そして教祖をピラミッドの頂点とする教団を拡張することが最大の善と考え、そのために猛烈な金集めが行われる。そのことが私は、大きな疑問なのである」(『宗教の自殺』−PHP研究所−梅原猛・山折哲雄 P210)

たしかに会員各人が感じる個人的なリアリティはその組織と指導者によって与えられたのは事実であり、功利面として数え上げてよいことであると思います。しかし、それが高じるとき、ついには指導者の絶対崇拝が始まり、その熱烈さは、会の資金集めと勧誘のために転用されていく構造の、学会はその典型に見えます。そして、そのような転向は、まさにこの本の題名が示すとおり、その宗教の自殺行為であり、そこで、信者たちは善意に基づくはずの体験が他者蔑視、憎悪として、恐怖心に支えられて刷り込まれることによって、いつしか、その一人ひとりの信仰心もまた自殺させられてしまう憂慮すべき構造があることを見逃してはならないとわたしは思います。人を救うべき佛教の名の元に、人を見下し、侮蔑することしかできない心理状態へ転落することは、まさに信仰者としての自殺行為であるとわたしには思えるわけです。

265愚鈍凡夫:2003/10/20(月) 12:48

>>254:沖浦克治さん、
>『、涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり外道の説に非ず」と、止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、』
> ご本仏自らが法華経を引用し、このように仰せです。

この文証の何処に『法華経』からの引用がありますか?
ひょっとして、これも沖浦克治さん流の「実践の教学」と称する、切り文・勝手解釈の産物ですか?
公の場で、あなたしか分からないことを言ってはダメですよ。それと、出典名ぐらいはちゃんと書きましょうね。『法華経』の一節が出てくるのはあなたが引用した文証の少し前です。但し、引用されているのは『法華経』だけではないですが。

「金光明経に云く「一切世間の所有る善論は皆此の経に因る」と、法華経に云く「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」と普賢経に云く「正法をもつて国を治め人民を邪枉せず是れを第三懺悔を修すと名く」と、涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり外道の説に非ず」と、止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、」(「災難対治抄」 学会版P84)

沖浦克治さん、
中途半端にも満たない知識をひけらかし、人を罵倒して何になるのですか?
いかにすれば自分の増上慢を正し、今後の世界広布に連動するかを何故考えないのですか?
所詮は民衆救済から遊離した『天の邪鬼』的行為であることに気付くべきです。

大きなお世話ですが、同御書にあなたにぴったりのこんな一節もありますよ。
「信心薄く口に誦すれども其の義を知らず一向名利の為に之を誦す」(「災難対治抄」 学会版P84)

あっ、そうそう。戦時中、戸田さんが「八紘一宇」を評価していた事実をご存知ですか。
昭和17年5月17日、第4回総会で戸田理事長(当時)が、次のような「生活改善同盟の歌(幹部会員四海民蔵作詩)」を披露しています。
「男だ 日本人だ 日蓮正宗の信者だ 栄光ある生活改善同盟の戦士だ 大君のかがやく御稜威 八紘一宇肇国の御理想 今 全く地球を包む」
あっそうか、戸田さんの指導でも都合の悪い指導は受け入れなかったんですね。

266アネモネ:2003/10/20(月) 13:05
沖浦克治さん 

はじめまして。
ここのところ仕事が立て込んでおりまして、ゆっくりと投稿する時間がとれず、ロム専が続いておりました。
私はこのスレッドの提案者でもありますので、多忙を理由にご遠慮しては無責任ということになりますので、ここは呼びかけに応じまして、投稿させて頂きます。

沖浦克治さんは、どの程度、私のレスを読まれたのかわかりませんが、とりあず、ざっと自己紹介をしておきます。

私は、法華講に8年ほど前に入信した経緯があります。ただし現在は退転状態でして、日蓮仏法への絶対的信仰そのものから距離を置いております。
創価学会には直接的な縁がありませんでしたので、学会のことも戸田さんのことも池田さんのこともよくわかりません。中途半端な聞きかじり程度の理解です。
ですから、私個人の人生においては、そんなに大きな影響を受けた存在ではありませんので、戸田さんが世界一のお方だと言われましても、ピンとこないですし、熱い思いを語られても、正直なところ何の感動も私には伝わりません。申し訳ないですが、沖浦克治さんの思いに対して、共感や共鳴はとてもできないところです。
世界一の実力といえども、同じ日本人でありながら、平成の今を生きる私のところにまで及ぶほどのものではないようですね。

そのようなことですから、創価学会の沖浦克治さんからすれば、私は法謗の人ということになるでしょうし、恐らく最も「境涯」の低い部類の駄目な人間といえることと思われます。沖浦克治さんと仮に対話を試みたところで、非常に感覚的な温度差をお互いに感じるだけだろうと思われます。まあ、ここにレスされている方々の中でも、とりわけ一番私とは話が噛み合わないのではないでしょうか。
絶対的な価値観の強要に対しては、私は安易に受け入れられるものではありませんので、恐らくお互いの温度差は埋められるものではないといえるでしょう。
そのようなことを沖浦克治さんにはまず申し上げておきたいと思います。

しかしながら、私に何がご意見があるのであれば、もちろん承ります。過去レスへのご意見ご質問は、どうぞご自由にお書きください。

267アネモネ:2003/10/20(月) 13:06
(つづき)
とりあえずこのスレッドは、創価学会の「功」と「罪」を考える場ですから、いろんな角度や視点からの考えや分析が投稿されることをねらいとして、スレッドを提案させて頂きました。
ここは創価学会員だけの掲示板ではありません。
ですから、創価学会における絶対的なお約束や価値観を、どんなに力んで力説されてもここでは何の効力も発揮しません。
それを駄目だというならば、ここでの対話は無理でしょう。

また自分のことを理解してもらいたいと思うならば、理解されるように言葉を尽くしてレスを試みる努力をするべきではないでしょうか。持論が理解されないことを、相手の理解力のなさとして責任をなすりつけるのは、宗教者としても、とても不誠実な態度に感じます。またむしろ沖浦克治さんのレスは、説明不足ということのほうが大きいのではないでしょうか。
相手に心も砕くことなく、また言葉も尽くさずして、持論の信念をただただ当然の価値観と押し付けようとするばかりの姿勢は、無理をゴリ押ししているだけのものです。無理を通せば道理が引っ込むで、その結果、暴言が突いて出る。失礼ながら、沖浦克治さんの現在の投稿内容は、そのようなところではないでしょうか。まるで喧嘩を売りにきたようなものですね。
喧嘩なら喧嘩で、なじり合いを続ければいいわけですが、それでは世間一般に対して、この仏法を信じた結果は修羅の境涯であるという皮肉な結果を示すだけではないでしょうか。

加えて私の感想ですが、「駄目な人」などと、相手にレッテルを貼ってみたところで、それはかえってご自身の人間性を落としているように、私には見えてしまいます。
境涯を高めるその先の姿とは、そのような人間性となることを目的としたものであるならば、私は「境涯」も「境界」も決して高くはなりたくないものだとつくづく思いました。できるだけ低くありたいです。
そのような私の思いからいっても、法華講を退転したことは正しい選択であったと思います。またもっと言えば、創価学会に縁がなくてよかったとさえ思います
沖浦克治さんお一人の限られた投稿内容だけでもって、創価学会員全体の人間性を決め付け断定するものではありませんが、しかし創価学会の功罪の、その社会的な観点からみた「罪」の一端を認めざるを得ないという感想を持ちました。

268犀角独歩:2003/10/20(月) 18:22

209において、沖浦克治さんは

> 蓮祖は化法の広宣流布をなされ、化義の広宣流布は後世の我々にご遺命としてお残しになられた

と、このように記しています。
しかし、蓮師真跡、真偽未決書、あるいは重須文献、富要その他を一瞥しても、ここでいう「化法の広宣流布・化義の広宣流布」という教義・成句を見出すことはできません。
けれど、思い返せば、たしかに同会ではこのようなことを言っていたと思い当たる節があります。いまネットで検索したところ、池田さんは会長就任の時、以下のような挨拶がありました。

「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらさせていただきます!」
http://www.sokagakkai.or.jp/member/n_member/05/05.html

これは創価学会の公式のサイトのようで、ここでは「化儀の広宣流布」となっています。すなわち、沖浦さんが「化義の広宣流布」とするのは、学会用語としても、間違いであることがわかります。まあ、打ち間違いはあるでしょう。

以上のことから投稿者である沖浦さんにわたしは 233にその意味を問いました。それに対して、237において、

> 『一閻浮提総与の大ご本尊様』御書から引用してください。

との回答が寄せられました。しかし如何なる日蓮遺文集に(当たり前ですが)同名の御書を見つけることはできませんでした。そこで、重ねて247に再度、その意味を問いました。しかし、結局のところ、この点についても回答はなされないばかりか悪口雑言の限りを尽くすばかりでした。

これ以上、ご当人に問うたところで、「戸田先生は世界一」と同様、回答は期待できないのですが、今一度、問います。

(1) 化法・化儀の広宣流布とは何でしょうか。
(2) 『一閻浮提総与の大ご本尊様』御書とは何でしょうか。

269MILD SEVEN:2003/10/20(月) 20:14
<創価学会の危険性について>

私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。

創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。

創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?

平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。

カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

270MILD SEVEN:2003/10/20(月) 20:19
<創価学会の危険性について>

私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。

創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。

創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?

平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。

カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

271沖浦克治:2003/10/20(月) 22:02
 アネモネさん
 始めまして、感謝いたします。
 簡単に自己紹介を致します。
 1945年生まれの58歳、創価学会の壮年部員です。
 役職はありません。
 創価学会に入会して、今年で41年になりました。
 昭和54年ぐらいから、日蓮正宗は邪宗であると思っております。
 創価学会の活動は、座談会にのみ出来る限りは参加いたします。
 選挙運動は全くいたしませんが、基本的には公明党に投票します。
 他にいい人がいれば、そちらに投票する事もあります。
 創価学会員であることが、自分の最大の誇りです。

>戸田さんが世界一のお方だと言われましても、ピンとこないですし、熱い思いを語られても、正直なところ何の感動も私には伝わりません。

 別に熱い思いではありません。
 私が事実として認識している事を、淡々と述べているにすぎません。
 伝わる伝わらないは私の問題ではなく、あなたの問題だと思います。
 私はどの掲示板でも、創価学会の蓮祖直結なる事を主張いたしますが、ご理解いただけなければそれで結構なのです。
 理解していただける人が100人に一人ならば、100箇所で述べるだけです。

>創価学会の沖浦克治さんからすれば、私は法謗の人ということになるでしょうし、恐らく最も「境涯」の低い部類の駄目な人間といえることと思われます。沖浦克治さんと仮に対話を試みたところで、非常に感覚的な温度差をお互いに感じるだけだろうと思われます。

 そんな事は思いません。
 人間の値打ちは、信じている宗教とは関係がありません。
 
>創価学会における絶対的なお約束や価値観を、どんなに力んで力説されてもここでは何の効力も発揮しません。

 そんな事はありませんよ。
 書き込む人の何倍もの人達が見ているでしょう。
 その人達のお一人でも理解していただければ、それでいいのです。

>また自分のことを理解してもらいたいと思うならば、理解されるように言葉を尽くしてレスを試みる努力をするべきではないでしょうか。持論が理解されないことを、相手の理解力のなさとして責任をなすりつけるのは、宗教者としても、とても不誠実な態度に感じます。

 相手次第です。
 『まあ、戸田さんの話が面白く人々を扇動するのが上手かったのは事実でしょうね。』( 犀角独歩 さんの書き込みより)
 この人は最初から対話をする姿勢ではありません。
 理解などしていただかなくて結構です。

>加えて私の感想ですが、「駄目な人」などと、相手にレッテルを貼ってみたところで、それはかえってご自身の人間性を落としているように、私には見えてしまいます。

 私は多くの法華講の方々のご意見を聞いてまいりました。
 不思議に思うのは、蓮祖の法の正義なることを、自らが社会に一流の結果を示す事により証明すべきだ、とのご意見が見られない事です。
 宗教は現実の社会に人間と言う媒体の具体的な行動となって顕れなければ、何の意味ももたないと思います。
 何百年も以前の誰が、どう言った、こう言ったなどに何の根値打ちがあるのでしょうか?
 失礼ながら、私の知っている法華講の論者達は、全てそう言うことしか言いません。
 最も大切な事は過去の羅列ではなく、今後蓮祖の法を如何ににして世界に広め、人類に幸福をもたらすべきかです。
 この論点に欠ける意見には、何の値打ちも無いと思います。
 私は初めてアネモネさんの書き込みを読んだときに、この人とはこのような対話が出来るのでは、と感じたのです。
 それで今回あなたが立ち上げたスレッドにやってきました。

272沖浦克治:2003/10/20(月) 22:06
  愚鈍凡夫 さん
 貴殿に対して失礼な表現があったことを、お詫びいたします。

273沖浦克治:2003/10/20(月) 22:45
 犀角独歩さん
 失礼致しました。
 最初にこの掲示板で、御書に書いていない事は一切認めない、とのご意見をお持ちの人と出会いました。
 あなたをおなじご人かと思ってしまいました。
 ご迷惑をお掛けいたしました。

 化法の広宣流布とは、お題目を広める事です。
 化義の広宣流布とは、本尊流布を指します。
 化義という言葉は蓮祖の御書にはありません。
 化法はありますが化法の広宣流布との表現もありません。
 然しながら言葉が無くても、実態をよく表現していれば使用してもよいと思います。
 唯授一人も、嫡々一人も御書にはありません。
 戒壇の大ご本尊もありません。
 一閻浮提総与もありません。
 だから使用するな、とのご意見には賛同できません。
 こんな意見を平気で唱える人は、太陰暦を使い、紀元や元号で年代を数え、鎌倉時代の言葉を喋っているのでしょうね。
 私にはそんなユニークな生活は送れそうもありませんから、お付き合いはしたくありません。
 あなたを、そのような人と間違えた失礼をお許しくださいませ。

274アネモネ:2003/10/21(火) 01:10
沖浦克治さん

ご返信、ありがとうございます。
どうかこの掲示板では、他者の意見や考えの相違というものをできるだけ認め尊重し、そして持論を展開していくスタンスを意識されてみられてください。
持論の展開の投稿はまったくの自由です。自由であるということは、同時に他者の言論の自由も認められなければならないものですから、意見が違えば、批判や反論もあるものです。
しかし、そうしたの批判や反論の自由も許容する姿勢を少しでも心掛けて下さるならば、この掲示板は沖浦克治さんにとっても、とても有意義な場所となるのではないでしょうか。
私も、お付き合いさせて頂きます。

>最も大切な事は過去の羅列ではなく、今後蓮祖の法を如何ににして世界に広め、人類に幸福をもたらすべきかです。

だいたいの意図されるところのお気持ちは、なんとなくわかるような気がいたします。わかりますが、ただ、ここの掲示板では過去の議論を通しまして、いわゆる連祖の法とは何であったのかという、その根本的な疑問の解明から取り組んできております。そのような経緯の中で、御書の真偽問題は重要であるという認識は大変重要なことであり、そうなると、戸田さんが当然のこととして主張されてきたことも、どこまで正しい日蓮仏法といえるのかといったことも当然のこととして問題になってきますね。
もしも沖浦さんにお時間が許されるならば、過去ログをご参照ください。
中でも、 「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について」「大石寺の歴史について」「続大石寺の歴史について」「大石寺問題提起」「続 大石寺問題提起」などから読まれると、この掲示板の流れがつかめるのではないでしょうか。
お読みになられるとおわかりになると思いますが、そこを問題にすることは、決して日蓮原理主義というスタンスのものではないと思います。むしろ、現代に生かす為にも、とりあえずは祖意を解明し、その上で日蓮の精神を学んで現代に生かすものではないでしょうか。

まあともかくとして私は、牧口さん、戸田さん、池田さんといった、創価学会の草創期を築いた方々に全く興味がないわけではありません。
戸田さんに関して、私の非常に中途半端な聞きかじり理解でのレスをお許し頂きたいと思います。
戸田さんは、戦時中に戦時中の挙国一致体制のもと、特高警察によって逮捕されたということですが、その逮捕理由は、治安維持法違反並びに不敬罪とのこと。確か、国から配布される神道のお札の受け取りを拒絶したというのが、その根拠ではなかったでしょうか。
一言で言い替えれば、「非国民」のレッテル貼られたわけですね。
ところで、沖浦克治さんのレスによると、

>故に、信教の自由が保証された民主主義の世の中が日本に出現するまでは、化義の広布の時は来なかったのです。

とのことですから、つまり信教の自由が保証されたことによって、自分の好きなように信仰の意思決定を自分で選ぶ権利が与えられたわけですね。その延長上に、布教の自由も認められて、戦後から今日に至る創価学会の「広布の時」を迎えることが出来たといえることなのでしょう。

275アネモネ:2003/10/21(火) 01:14
(つづき)
>戦争に敗れ、国民はどん底の不幸にあえぎ、蓮祖の法はまさに穏没せんとしたその時、日本に民主主義が生まれ、時を同じくして戸田先生が牢獄の中から『我地涌の菩薩の棟梁なり、』と宣言してご出現になられたのです。

なにげなく読み流しておりましたが、要するに、日本に民主主義がもたらされなければ、戸田さんの世界一の実力の広布というものも発揮されなかったということになるでしょうか。その因縁を不思議と解釈されておられるところなのでしょう。
けれども、しかし厳密には、現時点における世界一というのは、戸田さんの実力というよりは、民主主義の力ということになりはしないかとも、率直なところ思うところです。
つまり日本の民主主義を定めた現行憲法の、第二十条に保障された信教の自由の恩恵を、第二代会長の戸田さん以降の創価学会は多大にその受けているということになるといえますね。
では、その信教の自由という権利ですが、現在の創価学会は、自らの教団の権利の主張と同じだけ組織外の他の人々、端的にいえば不信の人々に対してもその「信じない自由」の権利を守っていると言い切れるものでしょうか。
自身の権利を主張する者は、他者の権利も侵害してはならないことは、民主主義のお約束、いわば鉄則ですね。

第二十条について、ここに転載しておきます。
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」

信教の自由とは、信じない自由も保障されるものですが、果たして戸田さん以降の現在に至る創価学会は、信心のない人や学会に無縁の他者に対して、信教の自由、つまり信じない自由を尊重してきたといえるものなのかという、素朴な疑問が私にはあります。その点はpundarikaにも投稿しておりますので、時間があればお読み頂ければ幸甚です。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/3050/1057699995/l100

信じない自由も保障した「信教の自由」のもと、布教活動が出来るようになったにも関わらず、その布教の信念体系の中には、「謗法の者」「退転者」「外道の人」、といった烙印を押して蔑む差別意識が横たわってきているのではないかと思われます。しかし考えてもみれば、そのようないわば差別意識や排他的意識とは、言葉は違えど実は、戦時中に牧口さんや戸田さんが受けた「非国民」という烙印と同じ性質の暴言なのではないかと考えられます。

>それで今回あなたが立ち上げたスレッドにやってきました。

わかりました。
もしも、差し支えなければ、沖浦克治さん自身が体感された戸田さんから学んだことなど、ご自身の人生を通しての体験を、できれば具体的にこの場で語ってみられてはいかがでしょう。いわゆる座談会における体験発表ですね。もちろん、内容によっては突っ込みや反論はあるかもしれません。しかし、その中から創価学会の功罪の功の部分も見えてくるかもしれません。
私は8年で退転いたしましたが、41年もの人生を創価学会に賭けてこられたその信念の思いの丈を、この場で語られてみてみられることは、決して悪いことではないと思います。

276アネモネ:2003/10/21(火) 01:25
>275訂正

誤)「非国民」という烙印と同じ性質の暴言なのではないかと考えられます。

正)「非国民」という烙印と同じ性質の烙印なのではないかと考えられます。

277水戸の隠居:2003/10/21(火) 03:14
創価よ!
ポストに変なビラを入れるなよ〜

年金プランはワシの方が上手じゃて。
しかし、企業秘密じゃて。
水戸は安泰じゃ。

278愚鈍凡夫:2003/10/21(火) 06:07

>>272:沖浦克治さん、
こちらこそ言い過ぎた面があったように思います。その点謝罪いたします。

アネモネさんのレスと重複しますが、小生は歴史を重要なものと認識しています。
勿論それは、脚色し、捏造されたものではなく、事実としての歴史です。
嘗て、「小説・人間革命」の戸田さんが実像の戸田さんと勘違いしていた頃、戸田さんを尊敬していました。しかし、戸田さんの事を調べだして実像が見えてきた時、脚色された創価学会史に失望しました(小生は、何かを調べる時、自前で年表を作るようにしています)。戦時中、あたかも牧口さんと戸田さんが反戦平和を訴えていたかのように捏造し、学会史を歪めていった行為に、当時は怒りさえ覚えたものです。
所詮、ウソで固めた歴史は暴かれていくものです。インターネットが一般化し、ここだけの話と称する内部口コミ情報が通用しなくなり、創価学会の実像が世間に曝されるようになりました。これは、他の富士門系教団も同じです。故に、素直に過去の過ちを認め、事実を公表すべき時が来ているように思います。そうしないと、お互いの暴露合戦ばかりが先行して、教団としての求心力を失っていく結果になってしまうでしょう。そして、やがて富士門自体が更に細分化され、収拾がつかなくなるのではないでしょうか。
何時しか教団の存続にばかり気を取られ、肝心の民衆救済が等閑にされていくように思います。現在の宗創紛争を見る時、双方の信者が組織に愛想を尽かし、個人としての信仰に目覚めていく流れが一方にあります。そしてこの流れは、これからも続いていくでしょう。法を師とし、自らを拠り所とする事は、釈迦牟尼の教えでもあります。小生は、この流れの中に身を置こうと思っています。
沖浦克治さんがこれからも投稿を続けられるのであれば、宜しくお願いします。

279ぴょん:2003/10/21(火) 12:18
>278 愚鈍凡夫さん
>戸田さんの事を調べだして実像が見えてきた時、脚色された創価学会史に失望しました(小生は、何かを調べる時、自前で年表を作るようにしています)。戦時中、あたかも牧口さんと戸田さんが反戦平和を訴えていたかのように捏造し、学会史を歪めていった行為に、当時は怒りさえ覚えたものです。

その年表を一度アップしてはもらえないでしょうか。
「所詮、ウソで固めた歴史は暴かれていくものです。」とまで確信なさる「知られざる歴史」を公表することは非常に意味があるものと思います。

280愚鈍凡夫:2003/10/21(火) 13:02

ぴょんさん、始めまして。
「一太郎8」でまとめ、更に「一太郎12」の圧縮文書に変換したもので、61KBありますが何処にアップするのですか。

> 「所詮、ウソで固めた歴史は暴かれていくものです。」とまで確信なさる「知られざる歴史」を公表することは非常に意味があるものと思います。

「知られざる歴史」なんかじゃないですよ。今じゃ、創価学会の歴史に関する資料はインターネット上で簡単に調べられるじゃありませんか。小生の年表は公表されたものをまとめたものですよ。
興味があるなら、ぴょんさんも創価学会・法華講・顕正会の主張や、その他の関連書籍などの記述を年表にまとめられたら面白いですよ。

281犀角独歩:2003/10/21(火) 13:41

沖浦克治さん:

2点、申し上げます。
まず、

> 御書に書いていない事は一切認めない

わたしは、いわゆる真跡主義を貫徹しているのは事実です。
伝聞ではなく、事実から事実を知る至極当然の科学的な文献主義だからです。
ただし、それはひとつの過程なのであって、その後を前提とするものです。
これを奇異に感じられるとすれば、それは既に近代科学の発展から乗り遅れて、科学開闢前の土俗信仰でものを騙っているのと同様でしょう。

日蓮その人の教えを後世に残すためにもっとも必要なことは何か。たぶん沖浦さんは「実証である」と答えるでしょう。しかし、学的社会において、その前提があります。それは科学的な俎上に耐える事実の羅列です。換言すれば、証拠主義と言うことでしょう。

かつて、蓮師が比叡山に学び、諸国を遊学し、『立正安国論』上奏に諸文献を提示したの同様の手続きがなければ、「日蓮」は間違いなく、ただ土俗信仰のなかに埋没して消えていきます。蓮師が生きた鎌倉時代、その後、蓮師教学が次々と改竄されていったのが中世。そして、近代はようやくと科学の曙光がさし、自由に学問ができるようになりました。近年のインターネットの発展は、学僧が生涯を賭けて調べ上げることをわずか数秒で検索することを可能にしました。
しかしその前提には、膨大の教学資料を古文書から活字に変えた碩学の努力があり、さらにその活字をデータ化して提供した仏教ネット社会の先駆者がいて可能になったことです。いまやかつてない仏教再考の好機を到来しています。蓮師が果たせなかった事実の考証を現代の有志が蓮師に変わって推進し、次代にその成果を遺すことこそ、祖に対する報恩であるとわたしは信じます。

しかし、以上のような手続きを踏まず、ただ、個人的な実証(個人的リアリティ/グループダイナミクス)、あるいは組織力などで圧して、蓮師の絶対性を訴えるのであれば、巷間の人々は納得することはなく、法を久住させることなどできようがありません。

いま必要なことは蓮師御立法門の真実相を確実な資料から割り出し、そこから、再考することです。既にこの努力は数十年ほど前から始まっています。しかし、学会を含む石山系ではこれに大きく後れを取っている事実があります。それを拒んだものが何であったのか、沖浦さんにはわかりますか。それは、創価学会が自分たちの教義を組織力で押し付けて、学問の自由を弾圧してきて結果です。しかし、反面、その創価学会の暴挙に反抗する学問的誠意が実は蓮師研究の大きな原動力になってきたのです。

学会の存在は学会とその指導者の実証を示すことはあったけれども、日蓮その人の実像から実証を示すことはなかった実態がありませんか。このような篤志を迫害してきた暴力的な姿勢は大いに反省されなければならないでしょう。しかし、実直に申し上げて、沖浦さんのここでの書き込みはまさにその組織暴力の体質そのものであり、自由思想に対する冒涜に充ち満ちていると見えます。その基本をなして映じるのが戸田崇拝というカリスマ信仰です。そのカリスマ信仰から訴えられる個人の実証に対して、近代自由人は生理的嫌悪感を懐くことは寧ろ自然でしょう。この点は、池田崇拝であっても、法主崇拝であっても同様です。

たぶん、沖浦さんは法を久住させる方法は、一人ひとりが実証を示し、社会の一流人になれば可能になると考えておられる向きと拝しますが、その前提としての科学的な考証なくしては、仰るような動向は世間一般からは破壊的カルトと白眼視されるだけで埋没していきます。学会内から見れば、おわかりになれないかも知れませんが、学会における漫荼羅信仰は器物崇拝、指導者崇拝はカリスマ信仰として、近代社会において戦渦を招き人類史に爪痕を刻んだ全体主義と同等にしか映じません。「いや、そうではない」というとき、世間一般を納得させるものは、人々の実証でも、社会的な成功でもありません。日蓮その人の実像と教えがいまの科学的考証に耐える否かにすべてがかかっています。それを個人崇拝に基づく組織力で圧しきることを、全体主義、組織暴力というのでしょう。

282犀角独歩:2003/10/21(火) 13:44

―281からつづく―

> 化法の広宣流布とは、お題目を広める事です。
> 化義の広宣流布とは、本尊流布を指します。

これは創価学会の用法とも違っていますね。
学会で言う場合、一大秘法に三大秘法を収まるとして、その法、すなわち板漫荼羅の確立を化法の広宣流布というのであり、その後の題目の流宣、そして、印刷漫荼羅の頒布を折伏とするのを化儀の広宣流布といったのでしょう。

> 化義という言葉は蓮祖の御書にはありません。

しつこいようですが「化義」ではなく、「化儀」です。
化法・化儀は天台八教の用語ですから、蓮師が使わなかったわけはありません。

> 化法はありますが化法の広宣流布との表現もありません。

その通りでしょうね。

> 然しながら言葉が無くても、実態をよく表現していれば使用してもよいと思います。

それもそうでしょう。

> 唯授一人も、嫡々一人も御書にはありません。
> 戒壇の大ご本尊もありません。
> 一閻浮提総与もありません。
> だから使用するな、とのご意見には賛同できません。

「だから、使用するな」ではなく、蓮師の言葉でないものを蓮師の言葉のように騙るのは虚偽であると言っているのです。当然のことです。批判される所以はありません。むしろ、蓮師の言葉でないものを蓮師の言葉と言うことこそ批判されるべきです。

> こんな意見を平気で唱える人は、太陰暦を使い、紀元や元号で年代を数え、鎌倉時代の> 言葉を喋っているのでしょうね。

嫌みですか(大笑)
真摯な議論をする掲示板に相応しくありません。

> 私にはそんなユニークな生活は送れそうもありませんから、お付き合いはしたくありません。

元より、わたしにも付き合う気はありません。
しかし、公開の場への書き込みです。
異論があれば、遠慮なく申し述べるばかりです。

> あなたを、そのような人と間違えた失礼をお許しくださいませ

この手の言い回し・嫌みは、ご自身の人間性がどのようなものであるか披瀝するばかりですから、お止めになるのが賢明でしょう。

283犀角独歩:2003/10/21(火) 13:47

―282からつづく―

さて、次に、

> 『まあ、戸田さんの話が面白く人々を扇動するのが上手かったのは事実でしょうね。』>( 犀角独歩 さんの書き込みより)
> この人は最初から対話をする姿勢ではありません。
> 理解などしていただかなくて結構です。

他の方の書き込みに、このような書き込みをしながら、直接、わたしに宛てたものには嫌味を弄する。みっともない所行であると存じます。

わたしが戸田さんを扇動の人と言ったのにはいくつもの理由があります。
(この点は愚鈍凡夫さんの考えとも重複するところもあると拝察しています)
まず、戸田さんは先に挙げたとおり、戦後、日本で日蓮正宗を国教化して国立戒壇を建立することを目的として指導をしていたことは紛れもない事実です。そして、その際、学会活動を一所懸命行えば、絶対幸福を得るとも豪語していました。この一切合切が事実であれば、それを扇動と呼ぶことは非礼となるでしょう。しかし、実際は日蓮正宗が国教化することはおろか、当の国立戒壇すら建立されることはありませんでした。しかし、人々はその戸田さんが打ち立てた目標のために金と時間を無駄遣いし、数十年経ってみれば、創価学会は7兆円ともいわれる膨大の金銭を会員から巻き上げ資産とし、、数百人の学会幹部は数千万円から数億円にも上る年間給与を得ています。また、数万と数十万とも言われる学会に系企業で働く人々の生活を支える道具とされています。名目では広宣流布していると言いながら、日本一つを採ってもその兆しはまったくありません。あるのは池田家を中心にする宗教成金の形成ばかりでした。

ここで奴隷のように傅き、金銭・時間・労力、善意のすべてを傾けた人々は、自分たちが「強盛な信心をしている」「境涯が高い」「実証があった」「一流になる」などという謳い文句に踊らされて、グループダイナミクスによって彩られる仮想現実に酔いしれて、自分が大したものになっている、学会が世界平和に貢献しているという幻想を見させられているのに過ぎません。故にわたしは、彼の戸田さんの号令を「扇動」であったと言って憚らないのです。

あなたは、

> 蓮祖の法の正義なることを、自らが社会に一流の結果を示す事により証明すべき

このように記しています。
しかし、蓮師の義にあらざるを蓮師の義という非科学的な仏教観で、そこで語られる「蓮祖の教え」というものはまったく学問的な俎上に堪えないものです。つまり、少しも一流ではありません。霊魂説となんら変わらない生命論、密教に迎合する祈祷信仰、おまけにいまとは敵となった顕師を呪う黒魔術のごとき有様の日蓮解釈は、一流どころか三流とも言えないものでしょう。いわば、真跡主義に基づく蓮師思想の素描がその一貫であると理解できない学究への無理解はもはや土俗信仰の奨励に等しいと映じるのも故無きもありません。

また、社会的な成功を一流というのであれば、あなたがいう一流思考は、一流以外の民衆を見下す差別思想が胚胎していることをしっかりと看取できます。社会的な成功、社会的な地位、それが蓮師が言った実証でしょうか。
真跡を遺しませんが『四菩薩造立抄』に

「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり。是(これ)時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり、感涙押さへ難く、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。恐らくは付法蔵の人々も日蓮には果報は劣らせ給ひたり。天台智者大師・伝教大師等も及び給ふべからず」

と高らかに宣言されています。
この蓮師の聖意を詰り、世間一般の一流志向に陥り、それこそ実証などと豪語するあなたの姿勢は、ここに書き置かれる聖人の「境地」を蔑ろにするものであると断じる以外にありません。

284犀角独歩:2003/10/21(火) 13:58

―284からつづく―

> 宗教は現実の社会に人間と言う媒体の具体的な行動となって顕れなければ、何の意味ももたないと思います

まったくそのとおりでしょう。
それが「戸田先生を理解できないのは境涯が低い」「だめな人間だ」「理解力がない」「付き合えない」などと見下し、打ち捨てる。それがあなたがいう「宗教を社会に人間という媒体の具体的な行動」なのでしょうか。わたしには、あなたがいう具体的な行動はカリスマ信仰に基づく差別主義としか映じません。わたしは、あなたのようなカリスマ信仰に傅くことによって全体主義的な組織力を得、他者を誹謗して憚らないことを信仰と勘違いする手合いに対しては、まだまだ言いたいことは山ほどあります。しかもそれは、当スレッドのテーマである『創価学会の功罪を考える』とも大きく関わっているものです。

わたしは、あなたの暴言に対しては一歩も退きません。恐れも懐きません。
すべてを受けて立ちます。
差別との戦いなくして、思想の自由は獲得できないと信じるからです。
まだ、わずかばかりしか述べておりませんが、いまはこのくらいとします。

285沖浦克治:2003/10/21(火) 21:05
 犀角独歩さん
 化儀は10箇所出ております。
 私の間違えでした。
 訂正いたします。
 スタジオで録音の仕事がありますので出かけます。
 明日帰宅しましてから返答を致します。

286犀角独歩:2003/10/22(水) 00:09

○化法・化儀の広宣流布とはなにか?

化法・化儀の広宣流布、そういえば昔、創価学会ではこんなことを言っていたと思い出しました。
ざっと調べ直してみましたが、いったい、これが何を根拠にするものなのか、どうも資料に当たれません。たしかに池田さんが会長就任挨拶で「化儀の広宣流布」を口走ってはいます。

通常、化儀といえば、頓・漸・秘密・不定の四教をいい、化法と言えば蔵・通・別・円の四教を言うのでしょう。これは『法華文句』に見られることは周知の事実です。しかし、実際、化儀の成句が出るのは『文句記』に拠ったと記憶します。しかし、この教義と、化法・化儀の広宣流布は直接的につながらないと思えます。

類似した教義で思い当たるのは寛師の法体の折伏・化儀の折伏でしょうか。これは『本尊鈔文段』に見られたものでした。まあ、意味としてはこちらに近いのでしょうか。しかし、これは蓮師の思想ではなく寛師説でしょう。

いずれにしても、化法・化儀は本来、仏に係るものであって、これを仏以外に契当させることは、わたしには不適切であると思えます。

ちなみに化儀とは仏の衆生化導の儀式を言うわけです。となれば、化儀の広宣流布とは、現代語に置き換えれば、広宣流布のための仏が衆生を化導する儀式ほどの意味となるのではないでしょうか。もちろん、こんな用法はありませんが。

石山・有師はしかし、住師を通じて院師に『化儀抄』を遺すわけで、この場合は、石山住職の化導の在り方を示したものであると見えます。
有師がこの場合に“化儀”語を使うことは、所謂、派祖本仏から当住(住職)本仏の伏線と見るのはかなり穿った見方でしょうか。

いずれにしても、32歳の池田さんが「広宣流布の指揮を執る」とはよく言ったものだと、わたしのそれを蛮勇と覚えるばかりです。しかしながら、その後の創価王国・創価家族・池田“先生”を広宣流布した勢いはたしかに戦後、新興宗教界切手であったことは事実でした。ただし、これは日蓮門下が言う日蓮仏教の広宣流布ではなく、まして原意である法華経の広宣流布でもないでしょう。あくまで池田創価学会の広宣流布という域です。

創価学会はいまやラミネート加工した印刷漫荼羅を頒布していますが、これが化儀の広宣流布であるというのであれば、失笑を禁じ得ません。これは単なる3000円なりの代金を支払う販売に枠を越えません。このように言えば、憤慨する学会員はいるでしょうが、しかし、伝興師の言では以下の通りです。

「日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり」

以上の如き、厳格さです。それに比し、創価学会では入会したての新入会員であっても、代金と引き替えにこのラミネートされた寛師の印刷漫荼羅を頒布しているわけです。これは興師の教えに対するひどい冒涜ではないのか、とわたしには思えます。

「いや、書写した成就本尊ではなく、形木の仮本尊であるから良い」と石山人であれば言うかもしれません。では、

「御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み、不信の輩に授与して軽賤する由(よし)諸方に其の聞こえ有り」

こう言えば、「いや、日蓮大聖人の真筆漫荼羅の御形木を禁止したものであるから、歴代の御本尊は良い」と反論されることになるのでしょうか。この点は、わたしは大いに議論したいところです。

しかし、いずれにしても、化儀の広宣流布なるものがラミネート加工された寛師印刷漫荼羅を頒布することであるとは、わたしには到底思えません。この点については、もちろん、石山の「本尊下付」についても同様の感慨を懐きます。

これは憶測の域を出ませんが、もし戸田さんが化儀の広宣流布という言葉を使っていたとしたら、国立戒壇建立にいたる儀式をそう読んでいたのだろうかと想像できなくもありません。

以上、化法・化儀の広宣流布について、ご承知の方があれば、ご教示ください。

287愚鈍凡夫:2003/10/22(水) 00:16

横レス失礼します。真偽問題を横に置いて検索してみました。

「化儀」の使用例(資料:「昭和新定」)
「戒体即身成仏義」1カ所
「蓮盛鈔」1カ所
「釈迦一代五時継図」6カ所
「右衛門太夫殿御返事」1カ所
「祈祷経送状」1カ所
「日興遺誡置文」2カ所
「三種教相事」3カ所

「化法」の使用例(資料:「昭和新定」)
「釈迦一代五時継図」6カ所
「三種教相事」2カ所

あと、「化儀」6カ所・「化法」3カ所、「註法華経」に使用例があります。

もう寝ます、お休みなさい。悪しからず。 m(__)m

288犀角独歩:2003/10/22(水) 01:14

愚鈍凡夫さん:

いつもながら、有り難うございます。参考になりました。
わたしも検索してみました。真跡では「化儀」の使用は0ですね。
『註法華経』、逐一、検索しながら読んでみましたが、一瞥ですが、化儀四教の範囲と感じました。

しかし、それにしても、蓮師の素意は多くの殻と澱に閉じ込められて、その素描は本当に困難ですね。

289犀角独歩:2003/10/22(水) 01:17

―288からつづく―
おっと、化法を載せ忘れました。
同様ですね。真跡は0。『註法華経』は八教の範囲でした。

290MILD SEVEN:2003/10/22(水) 05:16
聖戦「もう一つ同種のBBSを用意しました」

私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。
残念です。
でも・・・。

これは言っておかなければなりません。
創価学会員が不幸を造ったら、まず、創価学会員が改善すべきです。
キリスト教もそうやって前進してきました。
私はプロテスタントです。
でも、今やキリスト教界は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代です。

創価は、とんでもない間違いをしています。
伝統を踏みにじり、しかも、カルト化しています。
狂っているとしか言いようがありません。
このまま独裁体制で世界征服するつもりでしょうか?
バベルの塔の運命はいかに?

国家に警察があるように、風紀委員は必要です
宗教問題でもそうです。
もはや、タブーではありません。
時間との戦いです。

また、創価の好きな・自分勝手な私刑は、国家の尊厳を踏みにじる行為です。
創価に悔い改めの意味が分かるでしょうか?
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

291MILD SEVEN:2003/10/22(水) 05:16
聖戦「もう一つ同種のBBSを用意しました」

私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。
残念です。
でも・・・。

これは言っておかなければなりません。
創価学会員が不幸を造ったら、まず、創価学会員が改善すべきです。
キリスト教もそうやって前進してきました。
私はプロテスタントです。
でも、今やキリスト教界は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代です。

創価は、とんでもない間違いをしています。
伝統を踏みにじり、しかも、カルト化しています。
狂っているとしか言いようがありません。
このまま独裁体制で世界征服するつもりでしょうか?
バベルの塔の運命はいかに?

国家に警察があるように、風紀委員は必要です
宗教問題でもそうです。
もはや、タブーではありません。
時間との戦いです。

また、創価の好きな・自分勝手な私刑は、国家の尊厳を踏みにじる行為です。
創価に悔い改めの意味が分かるでしょうか?
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

292愚鈍凡夫:2003/10/22(水) 05:46

犀角独歩さんどうも。

訂正があります。
改めて「註法華経」だけを検索したら、「化法」が9カ所、「化儀」が15カ所ありました。
悪しからず。 m(__)m

話は変わりますが、
嘗て、「化儀の広宣流布」に関して大白蓮華に次のように書かれていました。

「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立であり、国立戒壇建立の前提として真の広宣流布のために、本尊流布(折伏)をしなければならないのである。日本国中の人たちが、大御本尊の偉大さを肝に銘じてこそ、真の広宣流布ができるのである。」(大白蓮華 1962(昭和37)年5月号)(※1)

そして、池田さんは、「化儀の広宣流布」について次のように述べていました。

「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の八百万は、明確に終わった。」 (1973(昭和48)年12月29日・第2回御義口伝受講者大会)

「あれれっ・・・・・。正本堂は御本尊やったんか? 知らなんだぁ」(独り言1)
「細井日達はんも、池田はんも、仏さんやったんかいな。知らんなんだな〜」(独り言2)

創価学会でいう「化儀の広宣流布」とは、文字通り国家による「国立戒壇」建立を指します。
その証拠に戸田さんは、

「広宣流布の姿におきまして、また広宣流布の途上におきましては、経済界に、あるいは新聞社において、あるいは雑誌において、またこれに類似する文化活動において、あるいは映画において、あるいは政治において、また会社の重役といえども会社の小使いといえども、皆、御本尊のありがたいことがわかって、これらの人々のなかから国会議員が出て、国立戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下も、またこの御本尊のありがたさを知ってこそ、はじめて広宣流布ができるのです」(※1)

と述べています。そして、聖教新聞の社説にはこんな記述もありました(統一地方選初挑戦の前年です)。

「広宣流布の完成の日はある理由により後二十五年以内と確信してよい。この期間に大御本尊に対して日本一同に帰依して、国立戒壇建立のご教書が発せられる。それは衆議院の過半数によって発せられるもので、これを獲得するため新たな活動が展開されねばならない」(「聖教新聞 社説」1954(昭和29)年1月1日)

この予想はものの見事に外れ、1970(昭和45)年5月3日の本部総会に於る池田さんのスピーチを最後に、創価学会から「国立戒壇」の言葉は葬られます。

「国立戒壇という表現は大聖人の御書にもなく、また誤解を招く恐れもあり、将来とも使わないと決定しておきたいと思いますが、いかがでありましょうか」(池田会長スピーチ)

「さんざん言うとって、今更それはないやろ」(独り言3) (`ヘ´) プンプン。

※1 「大白蓮華に見る国立戒壇の正義」
http://sanity1.at.infoseek.co.jp/vsub338.html

たまたま偶然見つけましたが、「ムムッ・・・・何だこれは?」 (?_?)

「れいな」と「沖浦克治」の仏法自由討論会
http://www3.ezbbs.net/10/mklotus/

293犀角独歩:2003/10/22(水) 10:34

愚鈍凡夫さん:

有り難うございます。でも、訂正した訳ではありません。補足ですよ。追確認と言ってもよいかも知れません。

さて、「化儀の広宣流布」に関する学会資料のご提示、これまた有り難うございます。
わたしは282に「題目の流宣、そして、印刷漫荼羅の頒布を折伏とするのを化儀の広宣流布」、さらに286に「国立戒壇建立にいたる儀式」と憶測したのです。国立戒壇へ至るので間違いとも言えませんが、愚鈍凡夫さんの正鵠を得た資料のご提示をいただき明確になりました。さすがです。敬服いたしました。

先にも記しましたが、わたしの両親は昭和28年の入信。拠点は『人間革命』にも登場する旧蒲田本部でした。戸田さん会長就任の2年後、学会が宗教法人取得から3年目のことです。戸田さんは昭和33年に没するわけです。この5年間、両親戸田さんが訴えた国立戒壇建立の大号令、つまり、化儀の広宣流布達成のために身を投じていったわけです。
あとから入った人には理解できないと思いますが、昭和30年代から40年代に向かう創価学会は国立戒壇一色で、いまの顕正会なんかみたいにゆったり少人数ではなく、破竹の勢いで驀進を続けていきました。いわゆる、「折伏大行進」「邪宗撲滅」なんて鬨の声を上げていた時期です。子供だって学会員であれば、「国立戒壇」と口ずさんでいたんです。わたしもその一人でした。ですから、戸田さんの指導はすべて国立戒壇に向かうものであり、その「戦い」に向かうなかで絶対幸福を得る、そのために下付された「幸福製造機」もあるという指導です。各人が実証を示して、社会に認められる人になるのも国立戒壇実現に必要な要件という伏線でした。それは「国会議員」に代表され、これまた政党進出の伏線となっていったわけです。戸田さんの段階では政界進出は国立戒壇実現のための必須条件であったのは本音であったように見え、けれど、池田さんは言論問題前後で、危険我が身に及ぶや、あっけなくこれを放棄。その後、民主立路線に切り替えて「国立戒壇は使わない」。いまの創価学会に至っては顕正会が「国立戒壇」ということを批判する始末。戸田さん、初期の池田さんの指導は国立戒壇を除いて説明の使用がないにも拘わらずです。

殊に昭和30年から40年代の創価学会は、折伏と供養のラッシュでした。両方とも国立戒壇のためが名目であったわけです。わたしは子供でしたが、それでも大化城・大講堂・大客殿と建立供養は一切しているわけです。親はもちろん、多額の「供養」を拠出しています。そして、国立戒壇が立てば、日本は広宣流布するからこれが「最後の供養」と言われたのが「正本堂供養」でした。嘘でした……。ただ、そのあとは「特別財務」と変わっただけでした。馬鹿にした話です。

しかし、正本堂供養を「最後の供養」といったのは、もちろん、化儀の広宣流布達成であるからという意味であったのでしょう。けど、この化儀の広宣流布をいとも簡単に放棄して、それで、最後の供養は特別財務に変貌を遂げて、さらに過酷な金集め。

この間、うちの両親は『聖教新聞』を50部購読(毎日、50部の新聞束が配布されていたんです!)そして、親戚中を折伏しまくり、稼いだ金は「闘争費」という名の学会活動費と、供養という名の寄付に消えていきました。母親は朝から晩まで題目を上げていて、家にいない時間はすべて学会活動。父親も仕事以外は学会活動一色でした。本人たちはそれが幸福だったんでしょうが、その事実は家庭崩壊。いま、顕正会なんかで問題になっているのの、それよりもっとひどい有様でした。

294犀角独歩:2003/10/22(水) 10:35

―293からつづく―

こんなそんなも、戸田さんの言葉を信じたからです。「国立戒壇」の大号令です。
しかし、国立だったはずの戒壇は、国立ではなく、事戒壇でもなく、挙げ句、四半世紀で跡形もなく姿を消しました。学会に言わせれば「日顕が悪い」、そうなるんでしょうが、会長本仏論盛んなりし頃には「池田先生はすべてを見通す」なんて言っていたわけです。未来も予言するお力の大先生が正本堂の顛末を予言できなかったわけです。普通の指導者であれば、間違いなく、引責辞任。しかし、責任はすべて石山に押し付けて、相変わらず、「創価学会は絶対に正しい」とやっているわけです。それどころか、「一家和楽」「世界平和」「社会に実証を示せ」。家庭崩壊させて、一家和楽、お題目だけの世界平和、戦後日本社会でさんざん迷惑をかけておいて、社会に実証を示せもないものだという一般的な見解。まあ、厚顔無恥な団体と批判したくなるのは当然でしょうね。

戸田さんの「国立戒壇」指導に翻弄された両親を持つわたしにとって、レコードでこの親父のだみ声を聞くと、懐かしくもあり、反面、嘘っぱちだった化儀の広宣流布・国立戒壇指導をアル中の酩酊でがなっていた無責任指導に怒りがわき上がってきます。まさにあれは「扇動だった」と思うわけです。

その当時、いい加減に、調子よくやっていた会員は失うものも少なかったでしょうから、それほど被害感覚はないかも知れません。しかし、誠心誠意、本気でのめり込んでいたものにとっては正本堂以降の方向転換は、まさに会員への裏切り行為そのものです。その意味で妙信講・浅井さんとその一派が怒り心頭に達した経緯はよくわかります。

しかし、それより、なにより、蓮師そのものの思想に事壇建立、田中智学師以降の用語で言えば「国立戒壇」という考えなどなかったことが、ようやくわかったとき、あの戸田さんの与太話を信じ込んでしまった両親の、事実確認の甘さ、騙される側の過失を思わずにいられませんでした。

我が家のような被害者を2度と出さないためにできることは、信仰者の信仰責任を挙証義務の提示という視点から責任追及することであると思うわけです。また、証拠も提示できないデタラメ話を、確信を持って、上から見下しながら語る自称・信心強盛の倒錯した勧誘者から身を守るためにに必要なこと、それは本当は蓮師は何を説いていたのかをこの際、はっきりさせることであると思うわけです。

まあ、この件でわたしが譲らなのはこんな自分史にあります。

295犀角独歩:2003/10/22(水) 10:42

おっといけない。
292で訂正されたのは愚鈍凡夫さんご本人でした。失礼しました。

296犀角独歩:2003/10/22(水) 11:26

> 実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある

これは正本堂建立願主として、池田さんからの強い要望で達師が出した「賞本門事戒壇正本堂建立本尊」のことでしょう。「賞本門事戒壇正本堂」、こう達師の文字があれば、達師自身、正本堂を事壇と言ったことになるわけです。いろいろと言い訳がましいことを言っていますが、正本堂建立前夜で、石山でも化儀の広宣流布達成、すなわち国立戒壇建立、広宣流布と考え・言っていたわけです。いまさら、見苦しい言い逃れはやめるべきです。

藤原さんが書いた本では、この本尊を「正本堂を建立して貰ったのはこれだけ」みたいなことを言って放ったみたいなことが書かれていましたね。(あの元議員に何も賛同するものはありませんが)

まあ、池田さんにすれば、国立戒壇建立・広宣流布達成者、不開門の自分が通ることを「仏教の方程式」とか言っていたわけですから、もっと顕彰されると思っていたんでしょうね。それで「唯仏与仏」、自作自演の会長本仏論、わたしもすっかり騙されていました。

297ガンコ:2003/10/22(水) 12:05
ずいぶんとお憤りのご様子ですが、独歩さんっていうのはほんとに独歩さんなんですねえ。
じぶんは戸田先生のことをよくは存じませんけど、なんかこう、みなさんが戸田先生のことを語るにおいて、一種の郷愁のようなものを感じるんです。じっさい、いまや戸田門下生と言われる人はどんどんお亡くなりになって、おそらく沖浦さんにしたってリアルタイムで戸田先生を知っていらっしゃるわけではないのでしょうに、それなのにあのような情熱をもって戸田先生を語っていらっしゃる、そういう人が多いように感じているわけです。
で、まあ、おそらくは今の法華講員にも戸田ファンは多いように感じます。つまり、いけないのは池田氏であって、戸田先生のご構想を曲げてしまった罪は大きいと。仮に今の池田氏を戸田先生がご覧になったらお叱りになられるにちがいない、みたいなことがよく言われているように思いますし。
そういうわけで、独歩さんみたいなスタンスで創価学会批判をやっている人はあんまりいないんじゃないかという気がします。
イヤミっぽく言えば、さすが大聖人の素意を重んじるだけあって、敵をつくるのがひじょうにお上手ですね。

298犀角独歩:2003/10/22(水) 12:17

ガンコさん:

戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。
戸田さんの理想を実現する顕正会員であるあなたにとって浅井さんが師とも仰ぐと見える戸田さんの悪口を言われるのは実態を暴かれるのは深いなことですか。これはけっこう顕正会の実態を語る話に思えます。

社会と隔絶した団体内での常識は世間の非常識。そこで敵対視されることこそ、『真実の証明』でしょう(笑)

299犀角独歩:2003/10/22(水) 12:27

打ち間違えました。

誤)悪口を言われるのは実態を暴かれるのは深いなことですか
正)実態を暴かれるのは不快なことですか。

ガンコさん、我が家が被った被害は、あなた方自身の身に罹っている火の粉そのものですよ。まあ、それに喜びを感じるのが信者というもので、それを鼓舞する人間を「先生」と仰ぐのが「会員」というものです。これは渦中にある当人にはなかなか気づけないところですね。かつて、わたしと家族がそうであったようにね。

300Jルーカス:2003/10/22(水) 12:52
小笠原慈聞師への暴行事件で一番強烈に暴行してるのが戸田さんですね。
「生意気言うな」と言って自ら一発(側頭部に入って、耳鳴りがしたそうです)。

今では狸祭事件に戸田さん本人が自ら関わって、暴力をふるっていた事自体を創価学会では隠蔽してますがね。
どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。
しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。
世界一の暴行魔の間違いでは。

301犀角独歩:2003/10/22(水) 13:28

> 300

そうでしたか。これはすごい。
わたしが石山の僧侶から聞いた話。
戸田さんに与えられた最大の屈辱は、例の「広宣流布の模擬試験」というやつで“車駕”に乗って山内を練り歩かれたことだと口惜しそうに語っていました。
石山内を練り歩くのは「語法主上人」のみというのが古来よりのしきたり。
その化儀法式を踏みにじったわけです。

*** 転載はじめ ***

しゃが 【車▼駕】

(1)行幸の際、天子が乗る車。
(2)天子の尊称。天子を直接さすのをはばかっていう。
「貞観の中に、―三成宮にありてこれを聞きて/今昔 9」
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

*** 転載おわり ***

あの時使ったけったいな乗り物を「車駕」と言ったのは学会でした。
つまり、戸田さんを天皇に凝らして、石山内を行幸御練りしたということでしょう。車駕の高見から石山内と僧侶を見下したわけです。
これは石山と僧侶に対する侮蔑するだけではなく、天子を気取ったとすれば、これまたなかなかの作為があったといえるでしょう。
『人間革命』その他で見ると、衰弱が激しかった戸田さんの体を案じてのことみたいなことを言っていますが、だったら、タンカーで運べばよかったんじゃないでしょうかね。まあ、そこまででなければ車椅子ですね。

302MILD SEVEN:2003/10/22(水) 15:44

創価学会に NO!

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

303MILD SEVEN:2003/10/22(水) 15:46

<聖戦>

私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。
残念です。
でも・・・。

これは言っておかなければなりません。
創価学会員が不幸を造ったら、まず、創価学会員が改善すべきです。
キリスト教もそうやって前進してきました。
私はプロテスタントです。
今や、キリスト教界は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代です。

創価は、とんでもない間違いをしています。
伝統を踏みにじり、しかも、カルト化しています。
狂っているとしか言いようがありません。
このまま独裁体制で世界征服するつもりでしょうか?
バベルの塔の運命はいかに?

国家に警察があるように、風紀委員は必要です
宗教問題でもそうです。
もはや、タブーではありません。
時間との戦いです。

また、創価の好きな・自分勝手な私刑は、国家の尊厳を踏みにじる行為です。
創価に悔い改めの意味が分かるでしょうか?
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

304沖浦克治:2003/10/22(水) 16:59
 皆様方にお聞きいたします。
 今後の世界広布の展開には、どのようなお考えをお持ちでしょうか?
 
 私と皆様方の立場は隔絶いたしております。
 溝が広く埋まることは困難でしょう。
 私は創価学会員であることに、誇りを持っております。
 私には、自分が創価学会員ということは、地球人みたいな感じですね。
 死んで生まれ、また死に、また生まれ、創価学会員であり続けることをご本尊様に祈念いたしております。
 今後の広宣流布の事についてのみ、対話をいたしたく存じます。

305ガンコ:2003/10/22(水) 17:03

わたくしは独歩さんのご性格にたいへん興味があるんです。
いつぞや、学生時代にはアシュラと呼ばれていたとおっしゃっていましたが、その話を聞くはるか以前より、独歩さんのご文章を拝見しているとなんとなくアシュラの如く思えるところがあったものですから、それは生来のものなのか、あるいはどこかで培ったものなのか、ひじょうに関心がありました。
いろいろ考えてみると、独歩さんの徹底せる創価学会批判+御宗門批判、そして、そのオマケみたいな存在の顕正会に対する批判・・・というのは案外に大聖人の諸宗破折に全同なのではないか、と思ったんです。
まあ、しかし、じっさいにはどっちなのか、判然としません。アシュラの振る舞いなのか、仏(ないし菩薩)の振る舞いなのか?
うっかりすると、独歩さんの振る舞いはアシュラのそれであると、そのように受け取られかねないし、そう思っている人が多いような気もしますし・・・
ご本人はこの辺のことをどの程度、自覚されているのかなあっていうような感想を懐いたわけでした。

306沖浦克治:2003/10/22(水) 17:29
>文章で残っている戸田さんの言葉と、戸田さんの声でもって語られる戸田さんの言葉を比較してみたいので、あなたが感銘を受けた指導を紹介してくれませんか。
それと、戸田さんの言葉をそのまま紹介したのですが、どの辺が的外れなのか教えてください。
根が愚鈍なものですから、宜しくお願いします。

  愚鈍凡夫さん。
 お答えが遅くなりました。
 感激した箇所は多くあります。
 
 『病気が治るから信心させたんだ。貧乏が直るから信心をさせた。わかりきった事を聞くなよ。』等です。
 最も驚いたのは、運がよければ、もう一回牢にほうり込まれるだろう。運が悪ければこのまま何事も無く死んでしまう。』
 また、『君たちは難が起きると、私は創価学会ではありません、日蓮正宗です。お寺で信心しています、と言わんとも限らんぞ。』
 正直、聞いたときは驚きました。
 
 宗門はある期間、創価学会に取って必要でした。
 その期間の戸田先生の公演のほとんどが宗門の教義にそったものとなり、宗門を持ち上げている事はやむを得ないでしょうね。
 現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。

 以上ですが、今後は教義の内容に付いての討論は避けたいと思います。

308愚鈍凡夫:2003/10/22(水) 19:17

皆さん今晩は、横レス失礼します。

下記のアドレス、「狸祭り事件」の原因となった「神札問題」について、宗門・学会双方の資料が載ってて面白いですよ。
http://snow.prohosting.com/foggyday/chrono-1/15.htm

「狸祭り事件」と、池田さんの新婚時代のエピソードが載っててここも面白いです。
http://snow.prohosting.com/foggyday/chrono-2/40.htm

小生が戸田さんについて不思議に思うのは、名前をコロコロ変えたことなんです。
ちなみに、親から貰った名前は「甚一」、1917(大正6)年に「桜桃(自称)」、「晴通(改名)」、1918(大正7)年に「雅皓(改名)」、1921(大正10)年に「浩方(改名)」、1922(大正11)年に「城外(改名)」
そして、1947(昭和22)年頃でしょうか「城聖」と名乗るようになったのは。
姓名判断で改名した事もあったようですが、不思議な人です。

309ガンコ:2003/10/22(水) 19:50

戸田氏が桜桃と名乗っていた・・・というので、思い出したんですが・・・
昭和のはじめころに日蓮会というのがあって、その教祖が江川桜堂と名乗っていたようです。(死なう団事件)
あんまり関係ないですかね。

310犀角独歩:2003/10/22(水) 20:02

> 306

> …宗門を邪宗と断定…戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。

よくまあ、こんなことが書けるものだと心底、呆れます。
戸田さんは日蓮正宗をやめたことはなかったし、生涯日蓮正宗の信徒であったのです。その人間を日蓮正宗を邪宗と断定して読み直すとは故人の遺志を蔑ろにする以外の何ものでもありません。

池田さんを創価学会を邪宗として断定して読まないと真実が見えないと言うものです。

なお、広宣流布の話のみするといいながら、教義の話を避けるとは自語矛盾の甚だしいところです。「広宣流布」とは薬王菩薩本地品に現れる法華経教義そのものだからです。これが法華経に説かれ、日蓮その人、また日蓮門下にとって教義であることをご存じないとは驚きました。

ところで、わたしはしっかりと書いておきたいと思いますが、創価学会を勇気を持ってやめたこと、このことについて、わたしは誇りを持っています。

また、何ら、質問に答えず、証拠も示さず、一人勝手なことを言うのであれば、議論になりません。一人で壁に向かって喋っていればよろしいのです。

311犀角独歩:2003/10/22(水) 20:07

ガンコさん:

わたしの性格のことより、わたしが提示した教学上の問題、組織上の問題を論じてください。

わたしが書いた話題を、故意にわたしの性格の話にすり替えることを、人格攻撃と取りますよ。やめていただきたいと思います。


愚鈍凡夫さん:

戸田さんがしょっちゅう、名前を変えていたのは、彼が「姓名判断」に凝っていたからだそうですよ。

それにしても、自分の名前に「聖」を入れるなど、この神経には恐れ入ります。

312愚鈍凡夫:2003/10/22(水) 20:51

犀角独歩さん、有り難うございます。やっぱり戸田さんて、不思議な人ですね。

>>306:沖浦克治さんへ。
ざっと目を通しただけで気づきませんでした、済みません。

> 『病気が治るから信心させたんだ。貧乏が直るから信心をさせた。わかりきった事を聞くなよ。』等です

戸田さんらしいといえば言えるでしょうか。そこで、ご自分の病気が治らなかった事については、何か仰っていませんでしたか。

> 運がよければ、もう一回牢にほうり込まれるだろう。運が悪ければこのまま何事も無く死んでしまう。』

仏法が王法に勝ったから、会長職に就いたと言っていたんですけど(詐欺罪で起訴されずに済んだという意味です)。

> 宗門はある期間、創価学会に取って必要でした。

このことは、逆もまた真なりです。戸田さんにとって、宗門は必要でした。特に「戒壇之本尊」は絶対に必要でした。
沖浦克治さん、同じ歴史を相手の立場から見ることも大事なことですよ。

313ゾウカビト:2003/10/22(水) 21:08
れいなさんにつづきアネモネさん.沖浦克治さんはハンドルネームからオンナと見るとすぐにちょっかいをだしますなあ.

314ガンコ:2003/10/22(水) 22:09
独歩さん

人格攻撃だなんて、ぜんぜんそんなつもりじゃなかったんです。まあ、しかし、独歩さんはよくご自身のことを語ってらっしゃいますし、また、多くの人が注目していることも事実でしょう。いずれにしても人格攻撃ととられるような書き方だったと反省しております。失礼しました。

さて、教義上の問題・組織上の問題ということですが、じゃっかん、わたくしの存念を申し上げます。
戸田氏の思想をもっともよく受け継いでいるのが顕正会との認識は、わたくしもそうだろうと思っています。ですから、単純には、戸田氏を批判されれば快くないというのも、そうだろう・・・と思います。でも、もうちょっと理由があったんです。いま、さがしても見つからないのですが、前にだいたいこんなような議論があったんです。

Q 創価学会の池田氏をはじめとする首脳陣は、今日ではほぼ御相伝書類を偽書と認識しているに違いない。では、戸田氏はどうだったのだろうか?
A 当時はまだそんなに研究も進んでなかったし、戸田氏は御相伝書類を日蓮正宗門外不出の重書と信じて疑わなかったんじゃないだろうか。

もし、このとおりなら、さすがに「諸悪の根本」とまでいうのはどうかしらって感じますけど・・・
むしろ独歩さんの文脈からすると、撰時抄の「これよりも百千万億倍信じがたき最大の悪事はんべり」というのが池田氏に相当するわけで、まあ、これはこれで今の学会員は猛反発するでしょうけど、ともかく戸田氏にはこの点において責任はないのでは? とわたくしは思うんです。
もちろん、現在の独歩さんの認識からすれば、戸田氏の説いてきたことは大聖人の素意とはかけ離れたものだった・・・ということになるんでしょうけど、ようは戸田氏が日蓮正宗の教義を間違っていると知ってて弘めていたのかどうか、この一点がカギであろうかと思うわけです。
逆に、今日、大いに研究が進んでいるにもかかわらず、間違った教義に固執しているとするならば、その当事者である池田氏、あるいは日顕上人、そして浅井などがまさしく諸悪の根本であり、その下につらなるわたくし達にもその責任の一端があるということなのでしょう。
もっとも、創価学会では御書の全面的な見直しをするとか言っているそうで、はたしてそれが独歩さんから見て評価に値するのかどうかわかりませんが、わたくしの立場で申せば、いよいよ混迷を深めるだけだろうと考えます。
いずれにしても、戸田氏はけっこう純粋な信仰者だったのでは? そして、戸田氏の存念にはウソいつわりはなかったのでは? してみると、のちの時代の責任までを問うのは、ちょっと厳しすぎるのではないか、というのがわたくしの思うところであります。

315沖浦克治:2003/10/22(水) 22:17
 犀角独歩さん
 牧口・戸田・池田の3人先生方の真実の評価は、200年先にならないとわからないでしょう。
 ここでお三方の、評価の良し悪しを論じても無意味です。
 私は戸田先生が創立し、池田先生が引き継いだ創価学会員である事が人生最大の誇りです。
 この立場は決して変わりません。
 あなたにはあなたの追お立場があり、やはり変える必要は無いでしょう。
 どちらが正しいかは、後世の歴史の判断を待つ以外にありません。
 200年後の世界で、創価学会員が20億人程度を占め、回教、キリスト教と並んで世界3大宗教になっていれば私の勝ち、そうならなければあなたの勝ちです。
 そのような無駄な対話より、今後の広宣流布について話し合いをいたしませんか?

316ダビデの星:2003/10/22(水) 22:18
私は創価に反省を迫っています。
殺されるまで聖戦です。
つらいのは、生きている間だけです。これが堅気というもの。
創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。
要は、半端な人間はダメだと言う事です。魅力が無い。創価には。
キリスト者は直接、竜と戦うわけではありません。代理戦争です。サタンも裁きの日を望んではいないでしょう。
半端な創価は哀れかな。
私はダビデの星を量産したいと思っています。
創価が阿修羅と言うなら、その発言の責任を取るがいいでしょう。
私は新生・日の丸です。
私の名は<自由>と言います。

317沖浦克治:2003/10/22(水) 22:29
 愚鈍凡夫さん

 私は『戸田さんがご出現なさらなければ、日蓮正宗は潰れていた』との法主の言葉を事実として受け止めております。
 もしあなたが日蓮正宗の信徒のお立場でしたら、この法主の言葉はお認めになられるべきでしょう。
 創価学会は日蓮正宗の信徒の団体として発足をし、宗門の名前を会則から消し去るまで50年かかりました。
 この期間は、足に鉄の錘をぶら下げながら遠泳をしているようなものでした。
 今ようやく私たちは自由を手に入れたのです。
 ようやく宗門のくびきから放たれ、世界広布の実現に向けた第一歩を踏み出したところです。
 今後20年で飛躍的に拡大する事でしょう。
 いずれにせよ勝負はこれからです。
 お互いに布教活動をし、世界に蓮祖の法を広めたほうが勝ちですね。

318沖浦克治:2003/10/22(水) 22:35
 ゾウカビトさん
 
 少しおかしなご発言ですね。
 揶揄はおやめください。
 ここでは少し真面目な対話をすべきでしょう。
 アネモネさんが、女性であるかどうかは私にはわかりません。
 然しながら、蓮祖の法では男女は平等です。
 ユネスコには『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、』とのご文を引き、世界最初の男女同権の宣言と記されています。
 あなたのご発言は、蓮祖門下として情けないと存じます。

319愚鈍凡夫:2003/10/22(水) 23:11

> 私は『戸田さんがご出現なさらなければ、日蓮正宗は潰れていた』との法主の言葉を事実として受け止めております。

沖浦克治さん、まず歴代法主のどの法主がどういう席で、何時述べられたのかを記述するべきです。それによっては、同じ言葉でも自ずと意味は違ってくるのです。その後で、あなたの主張を述べるべきです。
以前にも言いました。ここは公の場です。あなたしか分からないことはレスするべきではありません。それと、200年後の勝敗を論ずる馬鹿馬鹿しさに呆れます。サンサーラを信じたいなら、ヒンズー教に改宗しなさい。「化儀の広宣流布」さえ語れないあなたに、広宣流布の何が語れるのですか。

小生の信仰的スタンスは述べたはずです。「法を師とし、自らを拠り所とする」というものです。そして、小生の布教活動は、及ばずながら少しでも社会的弱者と呼ばれる人(あなた方、創価学会員が見捨ててきた人たちです)の力になることと、創価学会から一人でも多く脱会者を出すことです。

320沖浦克治:2003/10/22(水) 23:13
 アネモネさん
>>故に、信教の自由が保証された民主主義の世の中が日本に出現するまでは、化義の広布の時は来なかったのです。

とのことですから、つまり信教の自由が保証されたことによって、自分の好きなように信仰の意思決定を自分で選ぶ権利が与えられたわけですね。その延長上に、布教の自由も認められて、戦後から今日に至る創価学会の「広布の時」を迎えることが出来たといえることなのでしょう。

 その通りです。

>>戦争に敗れ、国民はどん底の不幸にあえぎ、蓮祖の法はまさに穏没せんとしたその時、日本に民主主義が生まれ、時を同じくして戸田先生が牢獄の中から『我地涌の菩薩の棟梁なり、』と宣言してご出現になられたのです。

なにげなく読み流しておりましたが、要するに、日本に民主主義がもたらされなければ、戸田さんの世界一の実力の広布というものも発揮されなかったということになるでしょうか。その因縁を不思議と解釈されておられるところなのでしょう。

 これもご指摘の通りです。

>けれども、しかし厳密には、現時点における世界一というのは、戸田さんの実力というよりは、民主主義の力ということになりはしないかとも、率直なところ思うところです。

 『仏法は眼前なれども機なければ顕れず時いたらざればひろまらざる事法爾の道理なり、例せば大海の潮の時に随つて増減し上天の月の上下にみちかくるがごとし。』(新尼御前御返事)
 御書には、機が熟し時が来なければ法は決して広まらないと説かれております。
 人間が本、仏が迹の立場です。
 戒壇様は迹、人間は本です。
 本である人間社会が成熟をせねば、広宣流布が不可能である事は御書に照らして当然と言えるでしょう。

>つまり日本の民主主義を定めた現行憲法の、第二十条に保障された信教の自由の恩恵を、第二代会長の戸田さん以降の創価学会は多大にその受けているということになるといえますね。

 当然そうです。
 蓮祖が法を説かれ、人類社会が広宣流布の環境を整えるまで、700年かかったのです。

>その信教の自由という権利ですが、現在の創価学会は、自らの教団の権利の主張と同じだけ組織外の他の人々、端的にいえば不信の人々に対してもその「信じない自由」の権利を守っていると言い切れるものでしょうか。
自身の権利を主張する者は、他者の権利も侵害してはならないことは、民主主義のお約束、いわば鉄則ですね。

 創価学会が、現在信教の自由を侵している実例をお挙げ下さい。

>つまり信じない自由を尊重してきたといえるものなのかという、素朴な疑問が私にはあります。その点はpundarikaにも投稿しておりますので、時間があればお読み頂ければ幸甚です。

 信じない自由は侵しておりません。
 折伏は権力や、暴力で行なうものではなく、対話を通じて行なっております。
 また、信教の自由は布教活動の自由を認めております。

>信じない自由も保障した「信教の自由」のもと、布教活動が出来るようになったにも関わらず、その布教の信念体系の中には、「謗法の者」「退転者」「外道の人」、といった烙印を押して蔑む差別意識が横たわってきているのではないかと思われます。

 蓮祖の御書にはこのような表現がよく出てまいります。
 『畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれる にはあらず正法を惜む心の強盛なるべしおごれる者は強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し、正法は一字一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず。』(佐渡御書)

 人を憎むのではなく、その人の信じる邪法を我々は憎むのです。

> もしも、差し支えなければ、沖浦克治さん自身が体感された戸田さんから学んだことなど、ご自身の人生を通しての体験を、できれば具体的にこの場で語ってみられてはいかがでしょう。いわゆる座談会における体験発表ですね。もちろん、内容によっては突っ込みや反論はあるかもしれません。しかし、その中から創価学会の功罪の功の部分も見えてくるかもしれません。

 差し支えなどはありませんが、これまで自己紹介をすと揶揄を返される事が多かったのです。
 この掲示板は運営が大変しっかりしていますので、そのようなことは無いと思います。
 本日はもう遅いので、明日にでも書き込ませていただきます。

321沖浦克治:2003/10/22(水) 23:17
 愚鈍凡夫さん
 無理に立場の違いを埋める必要はありません。
 私は私、あなたはあなたです。
 せめぎあいは止めにしたいと思います。

322愚鈍凡夫:2003/10/22(水) 23:29

沖浦克治さん、
> 無理に立場の違いを埋める必要はありません

もう一度言います。以前にも言いました。ここは公の場です。あなたしか分からないことはレスするべきではありません。せめぎ合いにすらなっていませんよ。
あなたが故意に話を噛み合わせないようにしているだけです。

323沖浦克治:2003/10/22(水) 23:35
 具体的に私に何をお望みなのですか?

324愚鈍凡夫:2003/10/22(水) 23:46

具体的に何に対してなら答えられるのですか。
まず、それをお聞かせ下さい。

325沖浦克治:2003/10/23(木) 00:03
 私自身の体験に基づいた話であれば、何時でもさせていただきます。

326アネモネ:2003/10/23(木) 02:15
沖浦克治さん

>牧口・戸田・池田の3人先生方の真実の評価は、200年先にならないとわからないでしょう。

失礼ながら言わせて頂きますが、こういう言い回しって、なんだか私には、単なる逃げ口上に感じるところです。
だいたい、どうやって200年後という数字がはじき出されるのでしょう。
ここに集っている人は誰もいないですから、真実の確かめようがないわけです。学会員であることを誇りに思うことを強く主張しながら、その評価を自分のいない200年先にもっていくなんて、とても無責任発言に感じます。

>315
>ここでお三方の、評価の良し悪しを論じても無意味です。

「創価学会の功罪を考える」というこのスレッドは、まさにこのお三方の良し悪しを論じることを目的としているところです。提案者の私としましては、無意味といわれると、重大なテーマから都合良く目を背けられているように感じるところです。200年先の評価を持ち出されるほうが無意味ではないでしょうか。

>人間が本、仏が迹の立場です。
 戒壇様は迹、人間は本です。
 
仏よりも人間のほうが高い境涯(境界)ということを意味した内容に思われるのですが、はじめて聞く言葉だか解釈で、正直なところ私はとても理解できず、戸惑っております。
日蓮聖人は本仏だというふうに法華講で教わりましたが、ということは、人間の私たちのほうが勝るということなのですか?
これって、何なのでしょう。創価学会の教義なのでしょうか。それとも沖浦さんが自ら悟られたことでなのでしょうか…?

>本である人間社会が成熟をせねば、広宣流布が不可能である事は御書に照らして当然と言えるでしょう。

とすると、人間社会を成熟させる力があるのは、沖浦さんが信じているという「広めるべき法」ではないということになりますね。沖浦さんが信じているという「広めるべき法」は、民主主義の力なくしては広まらない、いわば「他力本願の法」ということなのでしょうか。

>>つまり日本の民主主義を定めた現行憲法の、第二十条に保障された信教の自由の恩恵を、第二代会長の戸田さん以降の創価学会は多大にその受けているということになるといえますね。
>当然そうです。
蓮祖が法を説かれ、人類社会が広宣流布の環境を整えるまで、700年かかったのです。

ということは、700年も前から創価学会があったということですか?

>創価学会が、現在信教の自由を侵している実例をお挙げ下さい。

沖浦さんご自身のレスに既に見受けられます。それは、>306の
「現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。」
という言葉です。このような意識から、「駄目な人」といってしまったところが、他者の信教の自由を侵害していらっしゃるといえます。

>折伏は権力や、暴力で行なうものではなく、対話を通じて行なっております。

暴言…つまり言葉の暴力というものですね。
「お付き合いしたくありません」などと、対話を拒否することも、暴言、つまり暴力のうちに含まれるものではないでしょうか?

327アネモネ:2003/10/23(木) 02:15
(つづき)
>また、信教の自由は布教活動の自由を認めております。

もちろんです。しかし、その信教の自由は、創価学会の為だけに存在している権利ではありませんね。戸田さんの時代から振り返って、その点の教団の振る舞いは如何でしたでしたか?私よりもよくご存知なのではありませんか?
不信の人や、他の宗教教団の人々の信教の自由について尊重してきたと言い切れるものでしょうか。「地獄に落ちる」などといった言葉で脅かされて、不本意な形で入信を強要された方は限りなくたくさんいらっしゃるように思われますけれども…。
それは、私の聞き違いからくる思い過ごしなのでしょうか。

>人を憎むのではなく、その人の信じる邪法を我々は憎むのです。

他者が信じる教えを「邪法」と断定する段階で、「信教の自由」を認めてはいませんよね。
重ねて言いますが、どんなに不思議と解釈されても、創価学会の布教のためだけに、民主主義に基づく「信教の自由」があるわけではありません。
自らの努力で得た権利でもないのに、自分たちだけの為だけにあるかのように都合よく勝手な解釈をされては困ります。布教する権利を主張する以上は、他の信仰の存在も認めなければなりません。それが民主主義のお約束です。

>これまで自己紹介をすと揶揄を返される事が多かったのです。

揶揄ではなくて、反論でしょう。
ルールに反しない限り、そして個々の理性に任せた上で、限りなく言論は自由です。
それにだいたい沖浦さん自身だって、これまでのレスに、揶揄の言葉は全くなかったと言い切れますでしょうか?

しかしそれにしても、教義の内容に付いての討論は避けたいと仰りながら、この度の私に対するレスには、教義に関わる内容に言及されておられます。
こういうのを中途半端というのではないかと感じます。そしてこういう私のレスが、揶揄ということになるのでしょうか。
まあ、この程度の揶揄でひるんでいては、広宣流布の競争(?)には勝てはしないのではないでしょうか。
まあ、細かいことは読み流して頂いても構いませんが、私には創価学会の誇りというものが何であるのかは、現時点ではまるで見えてきておりません。

>現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。

どうしてですか?

>317
>いずれにせよ勝負はこれからです。
>お互いに布教活動をし、世界に蓮祖の法を広めたほうが勝ちですね。

勝ち負けの基準は何でしょうか。誰がその判定をするのでしょう。
それと、私が退転して改めてわからない素朴な疑問をここでさせて頂きますが、広めるというその「連祖の法」とは、一体、何なのでしょうか?一言で言えるものではないでしょうけれども、その点も含めて、レスを頂ければ幸いです。

328MILD SEVEN:2003/10/23(木) 03:31
「創価学会の折伏法」

創価は対話を通して洗脳しようと躍起になります。本部の指導は洗脳を研究されたものです。

また、集団でイジメ「画策」抜き、ある時ふっと優しくして、そのまま対話を通して学会員にさせてしまう手も使います。

更に、宗教などの話はせずに、人のいい人間を装い、長い時間をかけた友人関係の後、ある時期が来ると自分は学会員であると告白し、対話を通してやわらかく選択を迫ります。

私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。
残念です。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

329沖浦克治:2003/10/23(木) 16:44
 アネモネさん
 少し説明をいたします。
 教義の件は、私の立場を知っていただくために述べております。
 皆様方のご賛同を期待するものではありません。
 あなたのご質問にはお答えいたしますが、納得していただく必要はありません。
 先ず200年後につきましては、戸田先生自らが『自分の正しい評価は死後200年たたないとなされないであろう。』
 と言われた旨、池田先生のご指導より聞きました。
 手元に録音もあります。
 私は戸田先生を尊敬する一人の人間として、この言葉が真実であろうと思っております。

>ここでお三方の、評価の良し悪しを論じても無意味です。

 一人の人物を悪意から評価する立場と、善意から見ると時とでは正反対の評価がしばしば顕れます。
 にこやかで、雄弁で、行動力がある人も、悪意から見れば、にやけて、喋りで、腰が軽いとなります。
 失礼ながらこの掲示板では、池田先生すなわち悪、との決め付けが先行しているように見受けられます。
 池田先生や、創価学会に対する公平な態度の欠如するところで、創価学会や、池田先生の功罪を論じても、私には無意味に感じられるのです。

330沖浦克治:2003/10/23(木) 16:58
 アネモネさん(続きです)
>人間が本、仏が迹の立場です。
 戒壇様は迹、人間は本です。

 蓮祖の法を世界に広め、キリスト教や回教を化導するために最も重要な部分でしょう。
 仏法は、人間のための法です。
 人を幸福に導く為に仏は出現し、法を説きます。
 人間の為の仏や法であれば、人間が主、法や仏は従です。
 Aの為のBであれば、Aが目的であり主、Bが手段であり従です。
 おそらくは、このような思想は仏法だけかも知れません。
 法主は従、信徒は主、能化は手段、所化は目的。
 これがさかさまになっているのが、現在の宗門です。
 池田先生は従、会員は主、幹部は手段、末端は目的。
 人類の幸福の為にある組織であれば、当然のことです。

>創価学会の教義なのでしょうか。
 
 日蓮大聖人様の教えです。

>とすると、人間社会を成熟させる力があるのは、沖浦さんが信じているという「広めるべき法」ではないということになりますね。沖浦さんが信じているという「広めるべき法」は、民主主義の力なくしては広まらない、いわば「他力本願の法」ということなのでしょうか。

 いいえ自力でも他力でもありません。
 社会の変換をもたらしたものは人類の英知です。
 法も力があり、人間も力があるのです。

331沖浦克治:2003/10/23(木) 17:05
 アネモネさん(続きです)

>ということは、700年も前から創価学会があったということですか?

 創価学会はありません。

>沖浦さんご自身のレスに既に見受けられます。それは、>306の
「現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。」
という言葉です。このような意識から、「駄目な人」といってしまったところが、他者の信教の自由を侵害していらっしゃるといえます。

 『修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし。』( 佐渡御書)
 蓮祖も邪義を厳しく責められておられますよ。

>暴言…つまり言葉の暴力というものですね。
「お付き合いしたくありません」などと、対話を拒否することも、暴言、つまり暴力のうちに含まれるものではないでしょうか?

 そうは思いません。

332沖浦克治:2003/10/23(木) 17:19
>他者が信じる教えを「邪法」と断定する段階で、「信教の自由」を認めてはいませんよね。
重ねて言いますが、どんなに不思議と解釈されても、創価学会の布教のためだけに、民主主義に基づく「信教の自由」があるわけではありません。

 当然です。
 どの宗教にも布教の自由があります。
 蓮祖は『かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』( 如説修行抄)
 と仰せです。

>私には創価学会の誇りというものが何であるのかは、現時点ではまるで見えてきておりません。

 あなたが創価学会員でないのですから当然でしょう。

>どうしてですか?

 宗門と創価学会は無関係の団体です。
 創価学会が日蓮正宗の信徒の集まりの時とは、立場が変わって当然です。
 現在の自由な立場から宗門を見ると、過去には見えなかったものが見えてくると言っております。
 たとえば、嫡々一人などは絵空事です。
 しかしながら、宗門に所属していた時にはこんな事は話題にも出来ず、したがってほとんどの学会員が信じておりました。

>勝ち負けの基準は何でしょうか。誰がその判定をするのでしょう。
それと、私が退転して改めてわからない素朴な疑問をここでさせて頂きますが、広めるというその「連祖の法」とは、一体、何なのでしょうか?一言で言えるものではないでしょうけれども、その点も含めて、レスを頂ければ幸いです。

 これから出かけますので帰宅後に書き込ませていただきます。

333MILD SEVEN:2003/10/23(木) 17:29
「創価学会の悪・折伏」

創価は、まったく反省しない連中です。
まったく魅力無き組織です。
創価は不自然で・・・きもい。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

334MILD SEVEN:2003/10/23(木) 18:56

 <創価学会が仏教では無く、単なる新興宗教である事の確証>

創価学会は、現在本山から破門され、その教義は迷路をさまよっています。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/newpage3.htm

335沖浦克治:2003/10/23(木) 21:48
 アネモネさん
>>勝ち負けの基準は何でしょうか。誰がその判定をするのでしょう。
それと、私が退転して改めてわからない素朴な疑問をここでさせて頂きますが、広めるというその「連祖の法」とは、一体、何なのでしょうか?一言で言えるものではないでしょうけれども、その点も含めて、レスを頂ければ幸いです。

 200年たって、創価学会が20億人程度の会員を世界中に持っていれば我々の勝ち。
 日蓮正宗が20億人になっていれば宗門の勝ち。
 両方とも世界に広がらなかったら、双方ともに負け。
 判定は後世の人類がするのです。

 人間の人間による人間の為の宗教が蓮祖の法です。
 蓮祖は人間です、我々も人間です、化導されるべき衆生もまた人間です。
 今世界は不幸に満ちています。
 子供達は虚しくは死に、内戦は民衆を殺し、食料難に餓死者が溢れているのが世界です。
 ニュースをごらんください。
 宗教は力を失い始め、価値観は揺らぎ、変遷する勢力争いは民を途端の苦しみに陥れておるます。
 蓮祖在世の日本の状態が、今世界中に広まったております。
 救えるものは蓮祖の仏法以外にありません。
 『涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」と云云、日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし。』(御義口伝)
 『かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』(
如説修行抄)

 蓮祖は、一切衆生を救うために折伏を行なえ、とご遺命になられました。
 今日、このご遺命通りの行動をしているのは、創価学会だけす。
 法華経の行者は大難に遭うとも仰せです。
 今、何処の団体に難が競っておりますか?
 創価学会以外にはありません。
 我々は、初代を殺され、二代を投獄され、三代を中傷批判の真っ只中に置かれております。
 何一つ悪い事はしておりません。
 これが証拠です。
 蓮祖の仏法をご本尊様とともに創価思想として広めることが、蓮祖の法を広めるとの義です。

336MILD SEVEN:2003/10/23(木) 22:16

<創価学会が仏教では無く、単なる新興宗教である事の確証>

創価学会は、現在本山から破門され、その教義は仏教を否定し迷路をさまよっています。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/newpage3.htm

337私案119の期待者:2003/10/24(金) 00:11
 創価三代は「何一つ悪い事無し、、」とは、、、、??、、、、??。 今時「このようなお言葉自体」が逆に「新鮮に、、?」に聞こえる私めが「バカ」なのでしょうか、、? 沖浦様には「過去の投稿文」をジックリ「お読み」されてから「再度の御投稿、、」なども、、、ヨロシーか、、?、なと、、??

338今後の警戒者:2003/10/24(金) 01:21
 今後とも「沖浦様のような、方、が」「ますます増加する、?」かと存じまするが、、。 「昨今は”本尊”に迷走中」の「方々が大勢、、??」居られるようですかネーー?、。

339Leo:2003/10/24(金) 02:07
沖浦克治さん、はじめまして。横レス失礼します。
ある期間活動していたことのある、今は名ばかりの学会員Leoと申します。

>200年たって、創価学会が20億人程度の会員を世界中に持っていれば我々の勝ち。
>日蓮正宗が20億人になっていれば宗門の勝ち。
>両方とも世界に広がらなかったら、双方ともに負け。
>判定は後世の人類がするのです。

仏法では現在だけでなく、過去・未来を知るといわれますが...

20億人とは現在の世界の人口60億人の1/3(舎衛の三億)ですね。
1944年に創価学会員1人で、現在「学会員+SGIメンバー」 2000万人で
あり、増加率が単調増加「学会員+SGIメンバー 」と仮定しましょう。
(世界の人口増加もないとしてみましょう)広宣流布は、
60年 * 20,000,000,000人 / 20,000,000人 = 6万年
かかることになります。

そもそも海外メンバーが日本のメンバーの1/10、現在は過去の
75万世帯→750万世帯の伸びもなく、公明党の得票数から推定
される実質会員数もほぼ横ばいであるのに、舎衛の三億が
どのように達成されるのでしょうか。

>蓮祖は、一切衆生を救うために折伏を行なえ、とご遺命になられました。
>今日、このご遺命通りの行動をしているのは、創価学会だけす。

折伏・布教は創価学会だけでなく、日蓮正宗も日蓮宗もやっていますね。
どこが元祖・本家なのでしょうか。

>法華経の行者は大難に遭うとも仰せです。
>今、何処の団体に難が競っておりますか?
>創価学会以外にはありません。
>我々は、初代を殺され、二代を投獄され、三代を中傷批判の真っ只中に置かれております。
>何一つ悪い事はしておりません。

初代会長、二代会長は何も悪いことをしていないように思える。
三代以降では、たとえば「言論出版弾圧事件」はなかったのでしょうか。

>これが証拠です。
>蓮祖の仏法をご本尊様とともに創価思想として広めることが、蓮祖の法を広めるとの義です。

創価思想とは何ですか、創価思想を「広めること」ですか?
その広める創価思想とは何でしょう?「難にあう」ことですか?
実は、全く無内容なのではないでしょうか(誰も明確に説明できない)。

340Leo:2003/10/24(金) 02:23
補足です。

>判定は後世の人類がするのです。

学会草創期から見た「後世の人間」として判定させて頂きます。
学会流広宣流布は第一次・第二次宗門問題をもって挫折したと考えます。

今は、通仏教・通日蓮等を学ぶなどして個人個人が向上していくしかないと
考えます。自分を救えない者がまして他人様を救えましょうか。

341MILD SEVEN:2003/10/24(金) 03:13
創価の詭弁には呆れます。
創価は仏教ではありません。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

342沖浦克治:2003/10/24(金) 04:56
  Leoさん
 始めまして、沖浦克治です。

>20億人とは現在の世界の人口60億人の1/3(舎衛の三億)ですね。
1944年に創価学会員1人で、現在「学会員+SGIメンバー」 2000万人で
あり、増加率が単調増加「学会員+SGIメンバー 」と仮定しましょう。
(世界の人口増加もないとしてみましょう)広宣流布は、
60年 * 20,000,000,000人 / 20,000,000人 = 6万年
かかることになります。

 今後の世界広布の展開に関するご質問のようですね。
 先ず宗門や、日蓮宗の布教活動は折伏ではありません。
 あれらの法は日蓮大聖人様とは無関係です。
 ただのは勧誘です。
 念仏宗を真言宗に改宗させる行為と同じです。
 邪宗を、邪宗に転向させる行為を折伏とは呼びません。
 折伏は蓮祖直属の創価学会だけです。
  
 社会に仏法を開く為には、多くの人材の輩出が不可欠です。
 とりあえずは、蓮祖の法を心の芯においた社会に通用する一流の人間を多く育てる事です。
 そのためには大学、文化研究機関、経済研究所等々を作らねばなりません。
 政治も避けては通れませんね。
 信心さえしていればよい、との考えは、世界広布には無力です。
 またあなたの計算式は理解がしにくいです。
 何をおっしゃりたいのでしょうか?
 20億が15億でもいいのですが、要するに蓮祖の法が世界のあらゆる価値判断の根底に座るには、その程度の人数はいるのではないかな、と考えているだけです。
 舎衛の三億との言葉は御書には無いと思いますが、一つの目安としては有効でしょうね。
 創価学会員をこの数字まで200年以内に出来なければ、蓮祖の法は滅びるでしょう。
 方法は大白蓮華や、聖教新聞等をお読みくだされば、少しは理解できると思いますが、本気で知るための努力が必要となるでしょう。

> 学会草創期から見た「後世の人間」として判定させて頂きます。
学会流広宣流布は第一次・第二次宗門問題をもって挫折したと考えます。

 このご意見は改める必要ははありません。
 あなたにはあなたの、私には私の考えがあるのです。 
 どちらがが正しいかは、当方の今後の折伏活動にかかっております。
 
>今は、通仏教・通日蓮等を学ぶなどして個人個人が向上していくしかないと
考えます。自分を救えない者がまして他人様を救えましょうか。

 これもあなたの価値観ですから、大切になさればいいでしょう。

343Leo:2003/10/24(金) 07:52
沖浦克治さん。

>今後の世界広布の展開に関するご質問のようですね。
>先ず宗門や、日蓮宗の布教活動は折伏ではありません。
>あれらの法は日蓮大聖人様とは無関係です。
>ただのは勧誘です。
>念仏宗を真言宗に改宗させる行為と同じです。
>邪宗を、邪宗に転向させる行為を折伏とは呼びません。
>折伏は蓮祖直属の創価学会だけです。

学会が蓮祖直属であるその根拠は何でしょうか。
御書を拝する限り創価学会は蓮祖に反しているように思います。
(必要であれば説明します)
  
>社会に仏法を開く為には、多くの人材の輩出が不可欠です。
>とりあえずは、蓮祖の法を心の芯においた社会に通用する一流の人間を多く育てる事です。
>そのためには大学、文化研究機関、経済研究所等々を作らねばなりません。
>政治も避けては通れませんね。

すでに東洋哲学研究所や創価大学、アメリカ創価大学をつくっていますね。
政治は公明党ですか。それらは現在ベストな状態なのでしょうか。未来にはベストに
なるのでしょうか。考え方が同じであれば、未来も同じではないのでしょうか。

心理学(脱カルト)のカウンセラーはもっと増やした方がいいかもしれませんが...

>信心さえしていればよい、との考えは、世界広布には無力です。

あなたは実際世界広布されたことがありますか。そうでなければ観念論では
ないでしょうか。

>またあなたの計算式は理解がしにくいです。
>何をおっしゃりたいのでしょうか?

要するに200年後に20億人の会員数にはならないということです。
沖浦さんは数学や算数を否定されるお立場なのでしょうか。
私は20億広布は観念論だと思います。

>20億が15億でもいいのですが、要するに蓮祖の法が世界のあらゆる価値判断の根底に座るには、その程度の人数はいるのではないかな、と考えているだけです。
>舎衛の三億との言葉は御書には無いと思いますが、一つの目安としては有効でしょうね。
>創価学会員をこの数字まで200年以内に出来なければ、蓮祖の法は滅びるでしょう。
>方法は大白蓮華や、聖教新聞等をお読みくだされば、少しは理解できると思いますが、
>本気で知るための努力が必要となるでしょう

私は大白蓮華や、聖教新聞を読んでますが、200年後に会員数が 15億〜20億に
なるとか、そうならなければ蓮祖の法は滅びるとどこに書いてありますか。
それとも沖浦さん専用の大白蓮華や聖教新聞があるのでしょうか。

>このご意見は改める必要ははありません。
>あなたにはあなたの、私には私の考えがあるのです。 
>どちらがが正しいかは、当方の今後の折伏活動にかかっております。

ええ、個人個人の意見があると思います。6万年折伏はひとつのロマンだと思います。
頑張ってください。

344Leo:2003/10/24(金) 07:53
>心理学(脱カルト)のカウンセラーはもっと増やした方がいいかもしれませんが...

もっと増やした方がいいというより、設けた方がよいということです。

345沖浦克治:2003/10/24(金) 11:04
 Leo さんおはようございます。
>学会が蓮祖直属であるその根拠は何でしょうか。
御書を拝する限り創価学会は蓮祖に反しているように思います。

 お望みであればいくらでもお話をいたしますが、何故お知りになりたいのでしょうか?
 もし、ご自分が創価学会に真面目な興味をお持ちになられるのでしたら、対話をしたく存じます。

>すでに東洋哲学研究所や創価大学、アメリカ創価大学をつくっていますね。
政治は公明党ですか。それらは現在ベストな状態なのでしょうか。未来にはベストに
なるのでしょうか。

 ベストの状態のものなどは世の中には無いと思いますが、如何でしょうか?

>心理学(脱カルト)のカウンセラーはもっと増やした方がいいかもしれませんが.

 創価学会とカルトは無関係です。

>そうならなければ蓮祖の法は滅びるとどこに書いてありますか。
それとも沖浦さん専用の大白蓮華や聖教新聞があるのでしょうか。

 私がもっとも嫌いなものがこの様な馬鹿げた質問です。
 私専用の大白や新聞があると思うのならば、お探しください。
 この様な無礼名質問は無視いたします。
 今後もこの様なことを続けるのでしたら、あなたとの対話はお断りいたします。

>あなたは実際世界広布されたことがありますか。そうでなければ観念論では
ないでしょうか。

 これも同レベルの質問です。
 『あなたは具体的に世界広布に向けて、どのような行動をおとりですか?』
 この様な質問でなければ回答が出来ないでしょう。
 少し常識的な質問をして下さい。

>ええ、個人個人の意見があると思います。6万年折伏はひとつのロマンだと思います。
頑張ってください。

 6万年云々はあなたの説です。
 あなたがおやりなさい。
 自分の妄説を、他人に押し付ける事は愚かです。

346アネモネ:2003/10/24(金) 13:00
沖浦克治さん

今回は、大変長くなりました。ゆっくり読んでください。

>先ず200年後につきましては、戸田先生自らが『自分の正しい評価は死後200年たたないとなされないであろう。』
と言われた旨、池田先生のご指導より聞きました。

戸田さんがそれをどのようなときにどのような思いで発せられたのか、また池田さんがその言葉をどのような思いで受け止めて、どのような意図でもって信徒の方々に伝えているのか、創価学会に個人的な思い入れも共感もない私にはほとんどわかりません。
ただ、ある時代に何かを残した人の評価というのは、後世になって大きく変るということは確かにあるでしょうね。しかしそれのいずれが真実に正しい評価であるかは、時代の変遷の中で価値観も変っていくでしょうから、一概には定められないものではないでしょうか。
むしろ私は、真実の正しい評価は一つというものではないと思っています。敢えていえば、良い評価ができるところもあれば、できないところもあるということであり、そのようにみることが、公正で健全なものの見方ではないかと思っています。
だからこそ、創価学会の功と罪を検証してみたいということなのです。

>失礼ながらこの掲示板では、池田先生すなわち悪、との決め付けが先行しているように見受けられます。

そんなことはありませんでしょう。それこそ、そのように思いこんでしまう沖浦さんこそ、決め付けや偏見というものです。ご自分ではお気づきになりませんか?

>池田先生や、創価学会に対する公平な態度の欠如するところで、創価学会や、池田先生の功罪を論じても、私には無意味に感じられるのです。

私は法華講にいて、うんざりするほど、池田さんや創価学会の口汚いほどの悪口を聞かされて、ほとほとそれがいやで参詣が遠のいたようなものです。それに比べたら、ここの掲示板ではそのような誹謗中傷はなく、非常に科学的で冷静な検証と、そして公正な判断での事実の積み重ねがなされてきていると感じます。そうでなければ、私は常連と呼ばれるほどここに参加してはいません。

投稿者の方々の多くは、組織の立場や経緯は違えど、富士門の教団に対して真摯に問題意識を持っていらっしゃると見受けられます。そのうえで、功と罪を見ている、また見ようとしている方々ですから、そこが組織の枠組みやしがらみを超えて共通する認識の立場ではないでしょうか。非常に有意義なことだと思っています。

しかしまあ話しを戻しますと、学会は学会で聖教新聞などの媒体の見出しなどからして、宗門や日顕さんのことを宗門と同じように口汚く言い、場合によっては、個々の家庭では呪いのような唱題もしていると聞いています。それが本当ならば、どっちもどっちの境涯(境界)といえるでしょう。お互いに近親憎悪の修羅界ではないでしょうか。どこに違いがあるというのでしょう。
そのような泥仕合の渦中にドップリ日々つかっていれば、それこそ人間性が歪められ、感覚は次第に麻痺していき、とてもじゃないですが、自分の組織を冷静に客観視することなど出来るものではありません。
失礼ながら、沖浦さんの投稿から拝見すると、まさにそのような状態に陥っていらっしゃるのではないでしょうか。そういうことがお好きだというなら、それもひとつの生き方でしょう。しかし、そういう心の状態となる価値観を人々に勧めてはほしくないなという思いを私は持ちますね。

沖浦さんは、投稿にもあるように何よりも創価学会員であることに対する誇りが強いわけですから、戸田さんや池田さんに対する思い入れも人一倍強いわけです。となると個人的な感情移入は避けられず、どうしても公正に見ているつもりでも、ひいき目になっているということは、ご自分では全く気がつかれませんか?
良いところだけを見てきているように思われますし、もしくは、良いところだけを刷り込まれてきたということかもしれません。

これは、学会に対する悪意でもって書いていることではありません。決め付けているわけでもないです。違うということであれば、反論なさってください。

347アネモネ:2003/10/24(金) 13:00
(つづき)
>蓮祖の法を世界に広め、キリスト教や回教を化導するために最も重要な部分でしょう。

なぜキリスト教や回教を創価学会が化導しなければならない必要があるのでしょうか。
また、沖浦さんはどの程度、キリスト教や回教をご存知なのですか?

>>仏法は、人間のための法です。
>人を幸福に導く為に仏は出現し、法を説きます。
>人間の為の仏や法であれば、人間が主、法や仏は従です。

仏法の為に布教活動をしているとよく聞いたものですが、妙法や正法というものは、人間の為に存在しているということですか?これも初耳です。法律のように誰かが人間の為に作ったというものなのでしょうか。
すみませんが、ここのあたりのことを、向学のために、そのように説かれたお経文か御書を教えていただけませんか?

>Aの為のBであれば、Aが目的であり主、Bが手段であり従です。
>おそらくは、このような思想は仏法だけかも知れません。

というか、それが本当に仏の法というものなのでしょうか。私は、俄に理解できませんので、何か文証を提示してください。
正直いって、私は、日蓮正宗と創価学会は似たようなものだと思っていました。法華講はミニ版の創価学会だったのではないかとさえ思ったものですが、こうして投稿を読ませていただくと、カルチャーショックのような感覚を覚えます。

>法主は従、信徒は主、

では、不信の人は、何と呼びますか?

>能化は手段、所化は目的。

この意味がよくわかりません。所化になるということがこの信心の目的ということなのでしょうか。そのための手段が能化ということですか?ちょっとよくわかりませんので、この点についても、何か文証を示して説明して頂けないでしょうか。

>これがさかさまになっているのが、現在の宗門です。

さかさまでも、どっちでも、私はそのような役割を定められてしまうような組織信仰の歯車に組み込まれるのは、とても馴染めそうもないですね。
人間の為としきりに言われていますが、組織の枠組みを想像すると、まるで人間の尊厳を無視しているように見えますが。

>池田先生は従、会員は主、幹部は手段、末端は目的。

なんだか、目的別に役割が固定されているようで、とても息苦しそうですね。
この仏法を広めるということは、社会全体がそのような創価学会の組織に組み込まれて、画一化されてしまうというようなことを目標としているというものなのでしょうか。
なんだか心身ともに不自由な世の中になりそうで、繰り返しになりますが、私はとてもそのような組織の論理には馴染めそうもないです。
正直なところ、信じている方のお気持ちは尊重いたしますが、そのような息苦しい価値観は広まらないほうがいいのではないかと、私個人は思ってしまいます。かえって、人々が精神的に追い詰められ不幸になりはしないでしょうか。

>人類の幸福の為にある組織であれば、当然のことです。

そもそも創価学会では、人類の幸福とは何であるとしているのですか?

>>創価学会の教義なのでしょうか。
>日蓮大聖人様の教えです。

繰り返しになりますが、御書でそれを示しているところを教えてください。

348アネモネ:2003/10/24(金) 13:01
(つづき)
>蓮祖は『かかる時刻に…有る可からざる者なり。』( 如説修行抄)
 と仰せです。

かつて、法華講に所属して、それなりに信心をしていた頃には、この世を生きる使命感をそそられ、みなぎる思いもひとしおだった御書の御文なのですが…。
今こうして改めて読んでみると、そのとき味わった思いは、多少色褪せてましっているのを感じますね。
「念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに…」など、なんというか闘争的というか、好戦的というか、仏と民衆に仕えるお坊さんというよりは、非常に勇ましく血気盛んな武士の御文のようでもあります。
日蓮さんは平家物語の原形として当時読まれていた軍記ものを好んで読まれ、その影響を多分に受けておられるという分析をどこかで読んだことがあります。この掲示板でも紹介したことがありましたが、まさにそのような影響を感じる文面ですね。
だからでしょうか、沖浦さんのレスにも、勝敗を常に意識されている文面が多く、ややもすれば闘争的な面が見受けられるようにも思われます。確かに、自由社会とは競争原理に基づいたものかもしれませんが、しかし、だからこそ宗教の教えは、競争原理を超えた精神の解放を望むところに、その意義があるものなのではないでしょうか。

>>私には創価学会の誇りというものが何であるのかは、現時点ではまるで見えてきておりません。
>あなたが創価学会員でないのですから当然でしょう。

結局、私とはほとんど対話が成り立っていないかもしれませんね。
戸田さんや池田さんの言葉の影響を受けてこられたことはだいたいわかりますが、しかし沖浦さんの投稿内容は、具体性に欠けていることもあって、いまひとつ創価学会の功績ということにおいて、何を主張されたいのか、はっきりしませんです。

>>現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実>は見えてまいりません。
>どうしてですか?
>宗門と創価学会は無関係の団体です。

とーんでもない。たとえ袂を分かったとしても、決して無関係の団体とはいえないでしょう。教団の成り立ちや歴史を全く無視したご発言ですね。このように言いなさいと学会で指導されているのですか?
こんな無責任なことを言えば、他の全ての言葉も真実味が感じられなくなります。たとえ一信徒といえども、沖浦さんのこの言葉ひとつで、「創価学会は信用できない教団」という印象をもたれることにもなります。ただ単に自分たちの目先に都合のいい言葉を発することは、結局は自分とその教団の評価を自ら下げることになると思います。

私が言うまでもありませんが、牧口さんも戸田さんも、法華講に入ったことから創価学会が始まったようなものですね。宗門の日寛教義を学会の教義とし、宗門を外護することを志した団体だったのではないですか?
さらに今でも日寛さんの曼荼羅を配布しているとも聞きますから、無関係の団体などといえば、事実を無視した虚偽の発言となります。
適当なことを言ってはいけませんね。

349アネモネ:2003/10/24(金) 13:02
(つづき)
>創価学会が日蓮正宗の信徒の集まりの時とは、立場が変わって当然です。

何の立場が変ったというのですか。
こういってはなんですが、発せられる言葉のひとつひとつが曖昧模糊とした適当な言葉のように感じるんですね。一方的な思いを強く語られる割には、中味が空疎のように感じます。
学会の中ではツーカーで通じ許される適当な言葉であっても、学会を知らない私のような者もいる公の掲示板では、残念ながら通用しないのです。
できれば、レスは急ぎませんので、もう少し具体性を持たせた説明をお願いできないでしょうか。それと、ここに参加される以上は、できれば私が紹介いたしました過去ログを少しづつでもいいですから、ぜひお読みになって下さい。

>現在の自由な立場から宗門を見ると、過去には見えなかったものが見えてくると言っております。
たとえば、嫡々一人などは絵空事です。

嫡々一人というのは、唯受一人血脈相承のことでしょうか?

>しかしながら、宗門に所属していた時にはこんな事は話題にも出来ず、したがってほとんどの学会員が信じておりました。

嫡々一人が何のことなのかわかりませんが、それが正しいことではないということは、どのようなことでおわかりになったのですか?

>200年たって、創価学会が20億人程度の会員を世界中に持っていれば我々の勝ち。
 日蓮正宗が20億人になっていれば宗門の勝ち。

200年という数字は戸田さんが言ったこととのことでしたが、20億人というのはどういう試算でどなたがはじき出したものでしょうか。
恐らく、沖浦さんは、私の過去のレスについてはほとんど読んではいらっしゃらないものと思われますが、私はこうした数字を宗教の場で必達目標として掲げられることに大きな違和感を覚えます。はっきりいって、マルチ商法の場のようにさえ感じるのです。
共通する弊害は、人間性を失いかねないということで、私は敬遠したいのです。
法華講でもそうでしたが、30万登山というその30万という数字にどれだけの信者が人間性を失ってきたのかを目の当たりにしてきました。私もあわやのところで、自分を見失うところでした。
人間の為と言いながら、200年後とか、20億人とか、信者が数字を背負わされていくことで、広める信徒が人間性を失っていたのでは、どうしようもないです。

>人間の人間による人間の為の宗教が蓮祖の法です。

このことを示した文証を教えてください。

>蓮祖は人間です、我々も人間です、

それはそうでしょうね。

>化導されるべき衆生もまた人間です。

それでは、法を広める信徒と、広められる衆生との間にも、主と従があるのですか?

350アネモネ:2003/10/24(金) 13:02
(つづき)
>子供達は虚しくは死に、内戦は民衆を殺し、食料難に餓死者が溢れているのが世界です。

具体的に創価学会ではそういった世界的な問題に対して、どういう社会貢献をしているのでしょうか。具体的に教えて下さい。それと、そのような世界中の数々の不幸な現状に対して、200年後だの20億人だのといった数字は、どのような相関性があるのでしょうか。これも具体的に説明してください。

>ニュースをごらんください。

毎日、欠かさず見ております。

>宗教は力を失い始め、価値観は揺らぎ、

「価値観は揺らぎ」とはどういうことでしょう。私は、価値観は多様であるものだと考えますが。

>蓮祖在世の日本の状態が、今世界中に広まったております。

今に始まったことではないでしょう。古今東西、いつの世も人間のやってきたことは、殺戮や戦争の歴史だったといえるのではないでしょうか。
そんなどうしようもない人間の為に法があるというのがよくわかりません。
生命体はこの世にたくさんありますが、そのような他の生命体は法にとっては無意味な存在というものなのでしょうか。

>救えるものは蓮祖の仏法以外にありません。

その根拠を提示してください。

>蓮祖は、一切衆生を救うために折伏を行なえ、とご遺命になられました。

日蓮さんが使っていた「折伏」という語彙とは、真蹟の書を見る限りでは、根本的な意味が違っているとのことです。
ところで、沖浦さんは、真偽未決の書も文証として用いられているかと思われますが、この掲示板では、御書の真偽については非常に慎重です。

>今日、このご遺命通りの行動をしているのは、創価学会だけす。

折伏の語彙について、その意味を私に正しく教えてください。

>法華経の行者は大難に遭うとも仰せです。
 
日蓮さんは法華経を依経とされたわけですが、それはお釈迦さまの直説だという前提のもと、五時八教にのっとって選ばれた経文ということですが、しかし、時代とともに科学的研究が進んできた結果、法華経はお釈迦さまの直説ではなくて、同時に五時八教は理論的に崩れてしまっているとのこと。この点はどのように考えられているのですか?

>今、何処の団体に難が競っておりますか?
 創価学会以外にはありません。

創価学会にはどのような難が競っているのでしょうか。具体的に提示してください。

351アネモネ:2003/10/24(金) 13:03
(つづき)
>何一つ悪い事はしておりません。

そんなことはないんじゃないですか?
都合の良い情報だけを刷り込まれているということではありませんか?

>これが証拠です。

証拠というよりも、学会はすごいんだという自己宣伝ばかりで、何がすごいのかという参考になるような具体的内容も根拠もほとんどなかったですね。残念です。
あまりにも思いばかりが強いせいか、創価学会の正しさを立証するにはほど遠く、内容が空疎と感じました。
ただひとつわかったことは、私はかつて8年間いた宗門にも、かつて学会だったという方々が多くおられて、そのような方々を通して学会を知り、結局、似たり寄ったりだと思っていたものですが、実は、違うものだということを実感しました。
語彙も違えば、もしかして教義も違っているのでしょうか。

創価学会は具体的に何をしている教団なのでしょうか。
結局、沖浦さんの投稿の中で、具体的に書かれていたことといえば、「200年後」と「20億人」というそれぞれの数字と、その達成が勝負を決めるということだけだったように思われます。これが世界平和の目指す姿なのですか。だとしたら、とてもお粗末です。

要するに、教団の信徒数を増やすことだけに心血を注いでいる団体ということではないでしょうか。
それでは申し訳ないですが、沖浦さんの投稿と同じというか…宗教団体としてあまりにも空疎な教団と思えてしまいますね。
揶揄でもなんでもなく、それが率直なあるがままの私の感想です。

>社会に仏法を開く為には、多くの人材の輩出が不可欠です。
 とりあえずは、蓮祖の法を心の芯においた社会に通用する一流の人間を多く育てる事です。
 そのためには大学、文化研究機関、経済研究所等々を作らねばなりません。
 政治も避けては通れませんね。
 信心さえしていればよい、との考えは、世界広布には無力です。

人間の為の仏法と何度も書かれていましたが、人間の為の仏法ではなくて、創価学会の為に仏法があると言っているように聞こえます。
もっといえば、創価学会の為に仏法と人間がある。そればかりか、国を司る政治までもが、創価学会の為にあるんだという意識さえも感じられ、人間や社会は学会が大きくなるための道具のようにみなされているようで、不快感を覚えます。
人間、人間と繰り返す割には、まるで人間性が感じられないのはどうしてでしょう。そう思うのは、私だけでしょうか。

352アネモネ:2003/10/24(金) 13:03
(つづき)
>創価学会とカルトは無関係です。

カルトというのは、組織のあり方や状態を示した言葉ですから無関係という表現はおかしいですね。沖浦さんはどこかに「カルト」という名称の教団でもあるかのように思っていらっしゃるのでしょうか。

>私がもっとも嫌いなものがこの様な馬鹿げた質問です。
 私専用の大白や新聞があると思うのならば、お探しください。
 この様な無礼名質問は無視いたします。
 今後もこの様なことを続けるのでしたら、あなたとの対話はお断りいたします。

信用に値する文証が求められれることは、議論の場の原則ですね。自分の個人的な考えであるならば、そのように説明すべきでしょう。日蓮の法なのか、創価学会の解釈なのか、沖浦さんの個人的考えなのか、そういうことをひとつひとつ明確に示して頂くことを求める質問は、何も馬鹿げたことでありませんし、無礼なことでもないでしょう。重要なことです。
むしろ、そのような重要なことにに半ば感情的になって、罵倒し対話を拒絶する態度こそ、不誠実な態度ではないでしょうか。自分の発言に対して、無責任でもあります。
それが法華経の行者の姿なのですか?

それにしても、どうして同じ学会に今も席を置く縁ある人に対してまで、そのように喧嘩ごしになるのでしょう。
自分の意見が通じないからといって、また反論や批判を受けたからといって、質問されたからといって、ことを構える必要はないと思います。
余計なことかもしれませんが、もう少し心にゆとりを持たれてはいかがでしょう。何か、沖浦さん自身が、気持ちが追い詰められて心にゆとりがないのではないでしょうか。私にはそんなふうに見えます。
仏教とは、もっとおおらかな教えなのではないのでしょうか。それとも沖浦さんの信じる仏教が、たまたま違うということでしょうか。

沖浦さんの価値観には、議論の勝負ということが大きく横たわっているように思います。
「駄目な人」と侮辱発言をしたり、対話を拒否して人を選別したりと、それらは勝負を意識して言葉の暴力で相手をねじ伏せようとしていることがありありと見てとれます。また、沖浦さんの他での掲示板のご発言を拝見させて頂きましたが、そのようなことが、習慣化されていらっしゃるようですね。
しかし考えてもひて下さい。勝負ということでいえば、沖浦さんは>306で、

>後は教義の内容に付いての討論は避けたいと思います。

とあっさり教義討論の投げ出しを発言されておられます。
沖浦さんの価値観からいって、これは事実上の敗北宣言をしているようなもの。
自ら教義の討論を避けた結果、皮肉にも内容が空疎になってしまったわけです。
しかし日蓮仏法からその教義を投げ出してしまうことは、布教者として自殺行為だったといえるのではないでしょうか。
今後、教義を避けて、何をここで訴えていかれるおつもりでしょう。人の為にあるというその法も教義を避けては一切語れないのではないですか?
仏教者として致命的な発言をなさっておられませんでしょうか。

353犀角独歩:2003/10/24(金) 16:20

沖浦さん:

簡潔にいきましょう。

創価学会は昭和42年に800万、実名信徒名簿を大石寺に提出。
その後、昭和58年に1650万会員と言うも、現行勢力は統計分析から400万ないし、800万と言われています。つまり、30年を経て、半減、あるいは増加率0という実態です。つまり、200年後にはなくなっていると考えるほうが統計分析としてはよほど当たっているでしょう。

かつて戸田さんは四半世紀後には「日蓮正宗を国教化し、国立戒壇を建立」と言いましたが、これは「絵空事」となりました。またかつて池田さんは「七つの鐘」構想を打ち立てるも、これも大外れ。一度たりとも当たったことのない未来予想を言うのが創価学会。未来話、200年後・20億円など、SFよりまだ当たるはずもありませんし、なにより、未来予測が外れた“実績”がある以上、信頼するに足りないことは言うまでもありません。

大石寺と無関係といいながら、その大石寺の26代住職・寛師漫荼羅を拝むこの矛盾。
創価学会をやめたわたしは『人間革命』廃紙回収に出して、二度と「人間革命」を口にすることはありませんでした。創価教学、生命論も同様です。飾ってあった池田さんの写真、もらった数珠・ペンダント、色紙の類も、全部、ゴミに出しました。創価学会の指導集もゴミとして捨てました。牧口・戸田・池田の三人を二度と「先生」と呼ぶことはありません。関係を無くすとはこのようなことを言うのです。
相変わらず大石寺住職の漫荼羅を拝んでいて、関係ないもないものです。笑止千万とはこのことです。関係がないのであれば、大石寺漫荼羅を拝むのは即刻やめましょう。止めません。

教学的な説明は何もできない、これはかんぜんに敗北を認めたと言うことでしょう。
敗北でないのであれば、記されている“独り善がり信念”には、是非、文証を挙げてください。挙証の限りにおいてはその実否を考えてみることはできなくもありません。

嫡々一人相承にはわたしも反対の立場です。しかし、それを述べるためには多くの資料を提示しました。その結果、残念ながら、石山の唯受一人は証明できないと結論せざるを得ませんでした。しかし、もっと信頼できないものがあります。それは戸田さんが池田さんにエレベーターの中かどこかで次代会長であることを言い渡しとか言う創作物語です。

「蓮祖直結」だそうですが、であれば、創価学会も、牧口さんも、戸田さんも、池田さんもいりません。この意見には賛成です。

創価学会とカルト。関係あります。破壊的カルト・マインド・コントロールを論理的に説明したS・ハッサン師は『マインド・コントロールの恐怖』のなかで、カルトのひとつにアメリカ創価学会を挙げています。また、先にセクト(カルト)法を成立させたフランスでは、創価学会をセクト(カルト)としています。

さて、質問です。

創価学会は世界平和に貢献しているそうですが、いまは騒がす、以下の人々に、池田さん・創価学会はどのような折伏をしている・いたのでしょうか。また、戦渦相次ぐ、これらの国にどのような折伏を行っているのでしょうか。

ジョージ・ブッシュ、サダム・フセイン、ビン・ラディン
イラン、イラク、イスラエルなど

安全かつ友好に会える世界の著名人とばかり会い、その模様を撮影しては会員に見せ「ほらほら、こんな世界平和、世界広布は進んでいる」と扇動し、蓋を開ければなにもやっていないのが創価学会です。まったく、ここにおける沖浦さん・あなたの投稿内容と一緒で、実が何もありません。広宣流布も名ばかりで、あるのは「世界の池田先生」だけの絵空事です。

354犀角独歩:2003/10/24(金) 16:32

上に一人一国が抜けていました。

金正日、北朝鮮

回答を楽しみにお待ちします。

355沖浦克治:2003/10/24(金) 19:59
>200年後にはなくなっていると考えるほうが統計分析としてはよほど当たっているでしょう。
 
 この数字は的外れではないと思います。
 以前にも申しあげましたが、宗門と関係のあったころはまるで鉄の錘をぶら下げて遠泳をしているようなものでした。
 ようやく自由に布教が出来る立場になって、今創価学会は活き活きしています。
 座談会に出ると実感いたします。
 今後10年間ぐらいでかなり実所帯数が増えると思います。
 推論は、その後になされば如何でしょうか?

>、なにより、未来予測が外れた“実績”がある以上、信頼するに足りないことは言うまでもありません。

 別に信頼する必要はありません。
 そのようなことは期待しておりません。

>大石寺と無関係といいながら、その大石寺の26代住職・寛師漫荼羅を拝むこの矛盾。

 私は別に矛盾とは思いませんが、あなたがそう思われる事はご自由です。

>創価教学、生命論も同様です。飾ってあった池田さんの写真、もらった数珠・ペンダント、色紙の類も、全部、ゴミに出しました。創価学会の指導集もゴミとして捨てました。牧口・戸田・池田の三人を二度と「先生」と呼ぶことはありません。関係を無くすとはこのようなことを言うのです。

 あなたの持ち物である本等をあなたが処分し、あなたが先生を個人的にどう思われ様とあなたの問題です。
 私には、どうぞご自由に、と言う以外にありません。

>相変わらず大石寺住職の漫荼羅を拝んでいて、関係ないもないものです。笑止千万とはこのことです。関係がないのであれば、大石寺漫荼羅を拝むのは即刻やめましょう。止めません

 あなたには関係の無い事です。
 首を突っ込まなくてもいいのではないですか?
 勘違いがある様ですね、大石寺の本尊等は存在いたしません。
 ご本尊はどなたが書写し様と、全て蓮祖のご本尊様です。

>記されている“独り善がり信念”には、是非、文証を挙げてください。挙証の限りにおいてはその実否を考えてみることはできなくもありません。

 別にあなたに納得していただくために書き込んでいるわけではありません。
 実否を考えていただかなくてけっこうです。

>それは戸田さんが池田さんにエレベーターの中かどこかで次代会長であることを言い渡しとか言う創作物語です。

 こんな世迷い事を、私は一度も信じたことはありません。

>創価学会は世界平和に貢献しているそうですが、いまは騒がす、以下の人々に、池田さん・創価学会はどのような折伏をしている・いたのでしょうか。また、戦渦相次ぐ、これらの国にどのような折伏を行っているのでしょうか。

 全てようやくスタートをしたところです。
 安心してお任せください。
 日蓮正宗が達師の時代、SGIの創立に大反対した事はご存知でしょう。
 顕師押して知るべしです。
 こんな邪魔者とようやく縁が切れたのです。
 全てはこれからです。

>安全かつ友好に会える世界の著名人とばかり会い、その模様を撮影しては会員に見せ「ほらほら、こんな世界平和、世界広布は進んでいる」と扇動し、蓋を開ければなにもやっていないのが創価学会です。

 あなたがそう思われる事はご自由です。
 私は、今後の世界広布の展開には不可欠な戦いと思っております。

>広宣流布も名ばかりで、あるのは「世界の池田先生」だけの絵空事です。

 広宣流布は名ばかりなのは、日蓮正宗という集団です。
 小さな寺院の小さな法華講でさえ、権力争いに明け暮れているところが多いですよ。
 こんなところに世界広布をお任せになるのですか?

356沖浦克治:2003/10/24(金) 22:23
 アネモネさん
 出来る限りお答えいたしますが、無理な箇所もあるかもしれません。
 その際はご容赦ください。
>>失礼ながらこの掲示板では、池田先生すなわち悪、との決め付けが先行しているように見受けられます
>そんなことはありませんでしょう。それこそ、そのように思いこんでしまう沖浦さんこそ、決め付けや偏見というものです。ご自分ではお気づきになりませんか?
 『学会草創期から見た「後世の人間」として判定させて頂きます。学会流広宣流布は第一次・第二次宗門問題をもって挫折したと考えます。』
 『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
 『しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。』
 『私は創価に反省を迫っています。殺されるまで聖戦です。』
 『れいなさんにつづきアネモネさん.沖浦克治さんはハンドルネームからオンナと見るとすぐにちょっかいをだしますなあ.』
 『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』
 『戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。』
 『創価学会をやめたわたしは『人間革命』廃紙回収に出して、二度と「人間革命」を口にすることはありませんでした。創価教学、生命論も同様です。飾ってあった池田さんの写真、もらった数珠・ペンダント、色紙の類も、全部、ゴミに出しました。創価学会の指導集もゴミとして捨てました。牧口・戸田・池田の三人を二度と「先生」と呼ぶことはありません。関係を無くすとはこのようなことを言うのです。』

 アネモネさん、これ等のご意見は最近のそれぞれの方々のレスです。
 何故私の意見が決めつけや偏見ですか?
 創価イコール悪、と決めつけている意見ばかりです。
 お断りしておきますが、意見そのものに文句を言っているわけではありませんよ。
 独断と偏見はどちらですか? 
 よくお考え下さい。

357沖浦克治:2003/10/24(金) 22:35
>ここの掲示板ではそのような誹謗中傷はなく、非常に科学的で冷静な検証と、そして公正な判断での事実の積み重ねがなされてきていると感じます。

 先ほどのレスが誹謗中傷ではないとお考えならば、それで結構です。
 私には故の無い攻撃に思えます。

>しかしまあ話しを戻しますと、学会は学会で聖教新聞などの媒体の見出しなどからして、宗門や日顕さんのことを宗門と同じように口汚く言い、場合によっては、個々の家庭では呪いのような唱題もしていると聞いています。それが本当ならば、どっちもどっちの境涯(境界)といえるでしょう。お互いに近親憎悪の修羅界ではないでしょうか。どこに違いがあるというのでしょう。

 私は聖教新聞の啓蒙は一切致しません。
 また、ご本尊様に他人の不幸を願う事は、創価学会の中では厳しく禁じられております。

>自分の組織を冷静に客観視することなど出来るものではありません。

 私は冷静に創価学会を見ております。
 池田先生本仏論や、創価学会には欠点が無いとか考えた事は一度もありません。
 また、日顕宗との呼称を使用する事もございません。
 日顕法主は、間違いなく日蓮正宗の法主だとも思っております。
 ただ、冷静に日蓮正宗は邪宗である、との認識を致しております。

>ひいき目になっているということは、ご自分では全く気がつかれませんか?

 常に冷静に見るように心がけております。

>これは、学会に対する悪意でもって書いていることではありません。決め付けているわけでもないです。違うということであれば、反論なさってください。

 他の方々と違って、決め付けをなさらないと思えましたので、あなたと対話がしてみたかったのです。

358沖浦克治:2003/10/24(金) 23:01
>なぜキリスト教や回教を創価学会が化導しなければならない必要があるのでしょうか。
また、沖浦さんはどの程度、キリスト教や回教をご存知なのですか?

 世界で、現在大きな勢力を保っている宗教がこの二つだからです。
 世界広布の為には、この二つの宗教を避けては通れないでしょう。
 キリスト教は私の創価以前の宗教でした。
 回教はキリスト教と同じ神を戴いております。
 以前パキスタン人の回教徒を折伏し、入会させました。
 彼はチッタゴンに帰国いたしましたが、その後の動乱のせいか連絡は途絶えたままです。
 今後のために少しずつ回教について学び始めてめております。

>仏法の為に布教活動をしているとよく聞いたものですが、妙法や正法というものは、人間の為に存在しているということですか?

 蓮祖の御書全体を通して、この人間中心の精神に貫かれております。
 法のための布教などは、蓮祖敵対の考えです。
 
 『返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時殿はともして馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏法華経も地獄にこそをはしまさずらめ、暗に月の入るがごとく湯に水を入るるがごとく冰に火をたくがごとく日輪にやみをなぐるが如くこそ候はんずれ』(崇峻天皇御書)
 
 人間連帯の精神に満ち溢れるお言葉です。
 
 『然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、其の故は如来と云うは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏二仏三仏本仏迹仏の通号なり」と判じ給へり』(諸法実相抄)
 
 蓮祖は仏に三徳を具備させているものは人間(衆生)である。と仰せです。

>正直いって、私は、日蓮正宗と創価学会は似たようなものだと思っていました。法華講はミニ版の創価学会だったのではないかとさえ思ったものですが、

 宗門はすでに役割を終えました。
 宗門の役割は、社会環境が整い広宣流布の戦いが開始されるまでの間、蓮祖の法を伝える事でした。
 これには権威主義が適当であったのでしょう。
 実際に民衆の中に蓮祖の法を広げるためには、権威主義は邪魔なだけです。
 民衆は馬鹿ではありません。
 威張る人からは必ず離れていきます。
 権威主義で広宣流布は不可能です。
 創価学会に権威主義はありません。
 だからここまで広まったのです。
 人間中心主義が創価学会の基本です。

359Jルーカス:2003/10/24(金) 23:18
>『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』
> 先ほどのレスが誹謗中傷ではないとお考えならば、それで結構です。
> 私には故の無い攻撃に思えます。

沖浦様
故はあります。
所謂、狸祭り事件の事につき、記録に基づき書いておきます。
どのような判断されるかは御自由に。
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
小笠原師「私に法門を聞きたいとは如何なることか。」
学会員「己れは学会青年部長某である。神本佛迹、それでよいのですか。」
小笠原師「神本佛迹が善いと言う人もあり、又悪いという者もある。」
学会員「そのようなことは聞く必要はない。簡単に悪いか良いか言えば良い。」
小笠原師「君たちは私に法門を聞くのじゃ無くて、議論するのか。議論なれば議論でお相手申す。」
学会員「神本佛迹なぞ大聖人は何処に言っておるのか。」
小笠原師「御義口伝にある。君は御義口伝を見たことがあるのか。」
学会員「見て知っておる。」
小笠原師「知っているならそれで分かるハズじゃ。」
学会員「御義口伝にそのような文はない。」
小笠原師「神力品の講義にある。」
学会員「神力品にそのような文は無い」
小笠原師「それは君が空目暗なだけじゃ。」
とその時、小笠原師の面前に居丈高に座っていた会長戸田城聖氏が
「生意気言うな小笠原」と睨み、右手で小笠原師の左耳の上を強く打ちました。
するとそこにいた会員数人で依ってたかって、殴る蹴るの暴行をしました。
小笠原師が後ろに倒れると、戸田城聖氏は
「命は惜しうないか」と小笠原師に言ったので、彼は開き直って
「不惜身命」と叫ぶと
会員の一青年は
「戸田先生の前に足を出すとは不届きな奴じゃ」と小笠原師の襟首を掴んで引き起し
「衣服を脱がしてしまえ」と小笠原師の衣服(被布・襦袢・給・襟巻)を毟り取りシャツ1枚の裸にしました。その時小笠原師の懐中から財布が落ちたので、小笠原師がそれを拾おうとすると、戸田氏は「それは私が預かる」と奪い取りました。
小笠原師は声を大きく「汝等は追い剥ぎか、強盗か」と叫ぶと、
再び戸田氏は小笠原師の右横頭を殴打しました。

以上「創価学会戸田城聖以下団員 暴行事件の顛末」より要約。

360沖浦克治:2003/10/24(金) 23:20
>では、不信の人は、何と呼びますか?

 法主不信の意味ならば、その人は正しいですね。
 蓮祖不信であれば、法主が教導せねばなりません。
 しかし今の宗門には無理な話です。 
 そもそも信徒の幸福などは二の次です。

>>能化は手段、所化は目的。
 
 言葉が足りませんでした。
 所化を能化にする事が、能化の目的です。
 所化がいなければ、能化は不必要です。
 生徒がいない先生など要らないのと同じです。 
 信徒がいない法主などに、値打ちはありません。
 人間のいないところに仏が出現しても、意味がありません。
 
>私はそのような役割を定められてしまうような組織信仰の歯車に組み込まれるのは、とても馴染めそうもないですね。
 
 馴染むか馴染まないかの問題ではないと思います。
 世の中はそう言う仕組みになっております。
 宗教のみが別の形式を取る事は不可能です。
 
>なんだか、目的別に役割が固定されているようで、とても息苦しそうですね。
この仏法を広めるということは、社会全体がそのような創価学会の組織に組み込まれて、画一化されてしまうというようなことを目標としているというものなのでしょうか

 何故そう言う風にお取りになるのかが理解致しかねます。
 法主のための信者よりズット民主的だとおもいます。
 本尊の為の人間がお好きでしたら、宗門にいかれるべきです。
 私どもは、人間のためにご本尊様があると考えております。

>そもそも創価学会では、人類の幸福とは何であるとしているのですか?

 大変難しい問題ですが、生死の問題を解決する事だと思います。
 死の瞬間に、自分の人生はよかったと、思えることでしょう。
 少し見方をかえれば、年老いて自分の人生を振り返った時に無駄が無かった、と思えれば成功した人生だと思います。

361沖浦克治:2003/10/24(金) 23:33
>沖浦さんのレスにも、勝敗を常に意識されている文面が多く、ややもすれば闘争的な面が見受けられるようにも思われます。確かに、自由社会とは競争原理に基づいたものかもしれませんが、しかし、だからこそ宗教の教えは、競争原理を超えた精神の解放を望むところに、その意義があるものなのではないでしょうか。

 ならば、念仏宗のほうがあなたにはあっているでしょう。
 現実の社会の中で勝利せよ、とは蓮祖の仰せです。
 『御文あらあらうけ給わりて長き夜のあけとをき道をかへりたるがごとし、夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり、』(四条金吾殿御返事)

>しかし沖浦さんの投稿内容は、具体性に欠けていることもあって、いまひとつ創価学会の功績ということにおいて、何を主張されたいのか、はっきりしませんです。

 具体的に言っております。
 法主中心や本尊中心主義は間違いであり、人間中心主義の創価学会が正しいと言っております。

>とーんでもない。たとえ袂を分かったとしても、決して無関係の団体とはいえないでしょう。教団の成り立ちや歴史を全く無視したご発言ですね。このように言いなさいと学会で指導されているのですか?

 私は昭和54年から宗門は邪宗だと認識しておりました。
 指導など関係ありません。
 宗門は創価学会を破門致しました。
 破門とは以後無関係との意味です。
 文句は宗門にお願い致します。
 破門後10年待ってから、創価学会は会則から日蓮正宗の名を削りました。
 いいですか、夫婦でさえ離婚すれば以後は無関係です。

362沖浦克治:2003/10/24(金) 23:40
>私が言うまでもありませんが、牧口さんも戸田さんも、法華講に入ったことから創価学会が始まったようなものですね。

 蓮祖も釈迦仏法を学ぶ所からお始めになられました。

>今でも日寛さんの曼荼羅を配布しているとも聞きますから、無関係の団体などといえば、事実を無視した虚偽の発言となります。

 大きな過ちですね。
 ご本尊様はどなたが書写されようと、全て日蓮大聖人様のご本尊様です。
 日寛上人の曼荼羅などはありません。
 寛師書写の、蓮祖の曼荼羅です。
 我々は蓮祖門下ではありますが、日蓮正宗などという邪宗とは無関係です。
 このような混同は大変迷惑に存じます。

363沖浦克治:2003/10/24(金) 23:48
>学会の中ではツーカーで通じ許される適当な言葉であっても、学会を知らない私のような者もいる公の掲示板では、残念ながら通用しないのです。

 最近になって、私の意見を創価学会の中で発言がしやすくなってきましたが、20年以前は大変でした。
 それはさておき、なるべく具体論を述べているのですが、理解が得られなければ仕方が無いと思います。
 (何の立場が変ったというのですか。こういってはなんですが、発せられる言葉のひとつひとつが曖昧模糊とした適当な言葉のように感じるんですね。一)
 何故この様なことを言われるのですか?
 破門以前と破門以後で、立場が変わらないと考える方が不自然でしょう。

364沖浦克治:2003/10/24(金) 23:57
>嫡々一人というのは、唯受一人血脈相承のことでしょうか?

 唯授一人とは、大聖人様から日興上人への血脈相承のことを指すと思いますが、嫡々一人とはそれが代々の法主にそのまま受け継がれ現代の日顕法主に至っているとの考えです。
 法主から法主への相承も、唯授一人徒呼ばれる事もあります。
 こんなものは絵空事です。

>嫡々一人が何のことなのかわかりませんが、それが正しいことではないということは、どのようなことでおわかりになったのですか?

 蓮祖がそのまま法主の姿で存在するはずがありません。
 蓮祖が戦時中に神札を受けるわけがありません。
 火事で焼け死ぬ蓮祖も考えられません。
 蓮祖がおられて、宗門に度々邪儀が入るわけもありません。
 法主が蓮祖であるならば、正本堂の建立を許可し、後で取り壊すはずもありません。
 その他いくらでもありますが、これぐらいにしておきます。

365沖浦克治:2003/10/25(土) 00:06
>20億人というのはどういう試算でどなたがはじき出したものでしょうか。

 キリスト教とが10億くらいと聞きましたので、その倍ぐらいはと私が思ったのですが、別に15億でも22億でも結構です。

>恐らく、沖浦さんは、私の過去のレスについてはほとんど読んではいらっしゃらないものと思われますが

 あなたの過去レスを読んだからこそ、ここにやってきたのです。

>数字を宗教の場で必達目標として掲げられることに大きな違和感を覚えます。はっきりいって、マルチ商法の場のようにさえ感じるのです。

 それはご自由ですが、広宣流布に具体的な目標は不可欠です。

>人間の為と言いながら、200年後とか、20億人とか、信者が数字を背負わされていくことで、広める信徒が人間性を失っていたのでは、どうしようもないです。

 創価学会における永遠のテーマでしょう。
 目標を立てそれに向かう、いつしか目標が目的になる。
 目標とは民衆救済の為の手段です。
 しかし組織と言うものは、宿命的に目標達成が目的になりやすいものです。
 我々は心してかからねばなりません。

366沖浦克治:2003/10/25(土) 00:41
>>人間の人間による人間の為の宗教が蓮祖の法です。

>このことを示した文証を教えてください

 『 問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや、答えて云く釈尊は法華経の御為に今度九横の大難に値ひ給ふ、過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り竺の道生は蘇山に流され法道三蔵は面に火印をあてられ師子尊者は頭をはねられ天台大師は南三北七にあだまれ伝教大師は六宗ににくまれ給へり、此等の仏菩薩大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん、』(如説修行抄)
 始めに(仏菩薩大聖等)と言われ次に(此れ等の人人)といわれておられます。
 仏も菩薩も大聖も、全て人なのです。

>それでは、法を広める信徒と、広められる衆生との間にも、主と従があるのですか?

 師弟関係だと私は思います。

>「価値観は揺らぎ」

 言葉不足でした。
 20世紀は科学の発達が人間の幸福、物質の充足が人を幸せにするとの考え方が主流でした。
 しかし科学の発達は公害や核兵器を生み、物質の充足は癌や成人病を誘発し、価値観が転換しょうとしております。
 50年前に日本では食品には、カロリーが豊富である事が要求されておりました。
 有名なグリコの、一粒300メートル、などはご存じでしょう。
 今はカロリーカットが主流ですね。
 卑近な例ではこのような現象が身近にあります。

>今に始まったことではないでしょう。古今東西、いつの世も人間のやってきたことは、殺戮や戦争の歴史だったといえるのではないでしょうか。

 北朝鮮もシリアもイランもその他の何処もここも、核兵器を持とうとしております。
 核戦争が起これば人類は(その他の多くの生命も)絶滅をするでしょう。
 魔と仏のスピード競争です。
 我々にはあまり時間が無いのです。
 今度世界大戦が起これば、確実に人類は滅びます。
 古今東西ではありません。
 今広宣流布が出来なければ、未来はもうないのです。

>そんなどうしようもない人間の為に法があるというのがよくわかりません。
生命体はこの世にたくさんありますが、そのような他の生命体は法にとっては無意味な存在というものなのでしょうか。

 無意味ではないと思いますが、私はあまり詳しくありません。

367沖浦克治:2003/10/25(土) 00:58
>その根拠を提示してください。

 蓮祖が末法のご本仏であるからです。

>「折伏」の意味云々

 ハジャクップクです。
 『、当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。』(如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

 『其の上涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」と、余善比丘の身為らずと雖も「仏法中怨」の責を遁れんが為に唯大綱を撮つて粗一端を示す。』(立正安国論)

>日蓮さんは法華経を依経とされたわけですが、それはお釈迦さまの直説だという前提のもと、五時八教にのっとって選ばれた経文ということですが、しかし、時代とともに科学的研究が進んできた結果、法華経はお釈迦さまの直説ではなくて、同時に五時八教は理論的に崩れてしまっているとのこと。この点はどのように考えられているのですか?

 別に構わないでしょう。
 蓮祖の御書が根幹ですから引用文が間違っていても、意味が正しければそれでいいと思います。

>創価学会にはどのような難が競っているのでしょうか。具体的に提示してください。
 
 初代は殺されました。
 二代は投獄されました。
 三代は中傷批判の真っ只中です。
 この掲示板でもそ批判ばかりでしょう。
 池田先生が、この人たちにどのような迷惑をかけたのですか?
 本来蓮祖のご遺命を奉じて世界広布の戦陣を切るべき宗門は、創価学会を潰そうとしましたよ。
 私たちは必死でお金をため、正本堂のご供養をしました。
 貧しい人が大半でした。
 私はよく知っております。
 日顕法主は、我々に何の詫びの言葉も無く、正本堂を破壊しましたよ。
 なのに我々の寄進した、368の寺院はそのままです。
 こんな法主や能化の存在自体、大難です。

368沖浦克治:2003/10/25(土) 01:11
>そんなことはないんじゃないですか?
都合の良い情報だけを刷り込まれているということではありませんか?

 池田先生がどのような悪い事をされたのか、具体的にお答えください。

>証拠というよりも、学会はすごいんだという自己宣伝ばかりで、何がすごいのかという参考になるような具体的内容も根拠もほとんどなかったですね。残念です。

 戸田先生が会長に就任された昭和26年5月3日、創価学会員は約3000人です。
 6年半少しで75万所帯。
 12年で600万所帯。
 きっちりと謗法払いをして、この結果です。
 宗門が創価学会を破門して12年。
 何所帯に増えたのでしょうか。
 少なくとも宗門よりは、我々が何百倍優れています。

>私はかつて8年間いた宗門にも、かつて学会だったという方々が多くおられて

 止めた会社のいい事を言う人はいません。
 別れた女性(男性も同じです)をよく言う人と会った事がありません。
 創価学会を退転した人の創価学会評は、信用すべきではありません。

>要するに、教団の信徒数を増やすことだけに心血を注いでいる団体ということではないでしょうか。
それでは申し訳ないですが、沖浦さんの投稿と同じというか…宗教団体としてあまりにも空疎な教団と思えてしまいますね。
揶揄でもなんでもなく、それが率直なあるがままの私の感想です

 ご感想は自由です。
 然しながら間違っておられます。
 あなたが宗門法華購で求めて得られなかったものが、全て創価学会には存在いたします。
 私は、自分の人生をかけて申しあげます。
 あなたが創価学会に入会され、もし裏切られるのなら、私は地獄に落ちても結構です。

369沖浦克治:2003/10/25(土) 01:22
>人間、人間と繰り返す割には、まるで人間性が感じられないのはどうしてでしょう。そう思うのは、私だけでしょうか。

 失礼ながら、あなたが日蓮正宗という邪宗の害毒の為、正常な判断力を失われておられているからです。
 『悪鬼入其身して無明の悪酒に酔ひ沈み給うらん。』(教行証御書)

>>創価学会とカルトは無関係です。

 創価学会は、カルトの状態にはありません。

>むしろ、そのような重要なことにに半ば感情的になって、罵倒し対話を拒絶する態度こそ、不誠実な態度ではないでしょうか。自分の発言に対して、無責任でもあります。
それが法華経の行者の姿なのですか?

 問い方がおかしいと思います。
 大白や新聞に私専用のものがあるわけが無いでしょう。 
 人に物を尋ねる態度ではないと思います。
 私は法華経の行者などではありません。
 そうであればどんなにか嬉しいでしょう。

370沖浦克治:2003/10/25(土) 01:30
>それにしても、どうして同じ学会に今も席を置く縁ある人に対してまで、そのように喧嘩ごしになるのでしょう。

 私専用の新聞や書籍があるのかと訊ねる方が、喧嘩腰だと思います。

>余計なことかもしれませんが、もう少し心にゆとりを持たれてはいかがでしょう。何か、沖浦さん自身が、気持ちが追い詰められて心にゆとりがないのではないでしょうか。私にはそんなふうに見えます。
仏教とは、もっとおおらかな教えなのではないのでしょうか。それとも沖浦さんの信じる仏教が、たまたま違うということでしょうか。

 私はすでに3時間、あなたのご質問にお答えすべくキーボードを叩いていりますよ。
 創価学会を正しく知っていただきたいからです。
 心にゆとりが無ければこの様なことは致しません。

371沖浦克治:2003/10/25(土) 01:47
>沖浦さんの他での掲示板のご発言を拝見させて頂きましたが、そのようなことが、習慣化されていらっしゃるようですね。

 日蓮正宗系の他の掲示板での私に対する書き込みです 
 
 『バカ沖浦のやつが戸田城聖が本仏の代理だと言って池田大作否定の論理を延々と言い出すんだよね。
<反脳不能者>のバカ缶さんとバカ缶浦さん。(大爆笑)m(_ _)ノ彡☆バンバンm(_ _)ノ彡☆バンバンm(_ _)ノ彡☆バンバン 』

 この様な所では、私も少し柄が悪くなります。
 でもあなたには、そんなことは致しません。

>>後は教義の内容に付いての討論は避けたいと思います。

 元々納得をされる気の無いところで、討論をしても無駄だと思います。

>しかし日蓮仏法からその教義を投げ出してしまうことは、布教者として自殺行為だったといえるのではないでしょうか。

 投げ出したり致しません。
 無駄な事はしたくないだけです。
 私はれいなさんとも、真面目に対話を致しました。

>今後、教義を避けて、何をここで訴えていかれるおつもりでしょう。人の為にあるというその法も教義を避けては一切語れないのではないですか?
仏教者として致命的な発言をなさっておられませんでしょうか。

 私はあなたと対話がしたくてここにやってまいりました。
 質問をされればどなたでも一通りはお答えいたしますが、他の方と是非対話を致したいとは思いません。
 もしあなたが私との対話をお望みでないのならば、退散いたします。

372MILD SEVEN:2003/10/25(土) 05:13

<創価学会 内部改善を!>

創価に内部改善の勇士はいないものか?
現状の体質では、いるとしても?難しいのでしょうか?やはり。

でも、創価が体質改善出来なければ、霊的な大戦は避けられないと感じます。
本当の実力者は忍耐していますから。
私は感じます。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

373沖浦克治:2003/10/25(土) 08:58
 アネモネさんに
 長々と書きましたが、申しあげたい事はそんなに多くはありません。
 私は、何百年以前の法主がどう言ったこう言ったにはあまり興味が無いのです。
 同じく、どの経典に何々が載っていて、それが富士門流の正当性にどうしたこうした、にもほとんど無関心です。
 興味があるのは、いかにして蓮祖の法を世間に人間として実践し、生活の上に実証を示すか、です。
 『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」云云、(秋元殿御返事)
 『知者とは世間の法より外に仏法を追行ぜづ』(趣意)
 私の知る限り、過去に創価学会で組織のために極端な活動をした人々の大半は、退転をしています。
 信心や学会活動折伏等は、一応は他人のためにやるように見えます。
 然しながら、それは違うのです。
 それらは、自らの宿命転換のために行なう不可欠の修行です。
 日常生活に功徳として顕れ、生活を潤し、人間性を高められなければ蓮祖の門下ではありません。
 自分は信心を何十年やっている。
 自分はまだ駄目な暮らしだけれど、この教えは間違いありません。
 この人は信心をしていないのです。
 信心みたいなことをやっているのです。
 世間の人々から『あの人のようになりたい』と思われねば、蓮祖の門下ではありません。
 それが必ず可能なのが、蓮祖の仏法ですよ。

374sat:2003/10/25(土) 10:19
初めまして、ロム専のsatと申します。

>世間の人々から『あの人のようになりたい』と思われねば、蓮祖の門下ではありません。
>それが必ず可能なのが、蓮祖の仏法ですよ。

で、沖浦克治さん、あなたはそう言われているのでしょうね。
実生活でもネットでも、そう言われていなければ、自語相違になりますよね。

だけど、私はあなたのネットでの発言を見ていると沖浦克治さんのようになりたいとは
思わない。

蓮祖の仏法は必ず可能なのでしょう、おかしいではありませんか。
私は例外とは言わないでくださいね(爆

375犀角独歩:2003/10/25(土) 11:10

管理人さま:

現代社会の良識ある文書において「邪宗」は明らかに差別・侮蔑用語です。
このような語彙を使用し、特定団体を断定することは

『管理者からのお願い』
「特定の組織をターゲットにした、しかも、一方的な攻撃宣伝は慎んでください」
「【禁止事項】
1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します」

に該当すると思われます。それにも拘わらず当スレッドでは

271に「日蓮正宗は邪宗である」
306に「宗門を邪宗と断定している」
342に「念仏宗を真言宗に改宗させる行為と同じです。邪宗を、邪宗に転向させる行為」
357に「日蓮正宗は邪宗である」
361に「宗門は邪宗だと」
362に「日蓮正宗などという邪宗」
369に「日蓮正宗という邪宗の害毒」

と一方的「邪宗」と決めつけで“攻撃宣伝”を行っています。
何ら証拠を提示することもなく、「邪宗」という侮蔑表現をもって誹謗しています。
これは日蓮正宗という特定団体を一方的に攻撃宣伝するのみならず、該当団体の構成員の名誉も傷つけています。

殊に369の

> 失礼ながら、あなたが日蓮正宗という邪宗の害毒の為、
> 正常な判断力を失われておられているからです。
 『悪鬼入其身して無明の悪酒に酔ひ沈み給うらん。』

という記述は日蓮正宗を邪宗と断定攻撃するのみならず、アネモネさんを正常な判断力を失い、その身に悪い鬼が入り込んだ人間と断定して侮辱し、その人権を侵害しています。

以上の理由から上述投稿271、306、342、357、361362、369の投稿の削除を提案します。

376アネモネ:2003/10/25(土) 12:22
沖浦克治さん

長文のレス、参考にさせて頂きます。

>もしあなたが私との対話をお望みでないのならば、退散いたします。

この人とは対話をするけれども、あの人とは対話をしたくないなどと、人によって態度を露骨に変えるといった振る舞いは、宗教者のあるまじき行為であると私は考えます。

ここは富士門について、組織の立場やしがらみを超えて、真剣に議論を重ねてきた掲示板です。そのような真面目な姿勢で投稿している人々に対して、沖浦克治さんはあまりにも礼を失しておられます。

また、掲示板への参加不参加は、あくまで個人個人の主体的意思によって決めるべきことです。
人に委ねるものではありません。
ですから、私の言葉如何で参加不参加を決められるなどとするレスを向けられることは、大変迷惑なことです。
私がどうだからこうだからなどと、人に委ねたりせず、自分のことは自分の主体的な意思でお決め下さい。

くれぐれも申し上げますが、自分の参加不参加を、他人のせいにしないで下さい。
それと、人の言葉に自分の意思を委ねるという思考停止は、カルトの特徴のようですよ。ご参考までに。

377:2003/10/25(土) 13:42
沖浦克治 さま
はじめまして。 教えて欲しいことがございます。
沖浦さまは創価学会員であることを誇りに思われていらっしゃる。
けれど学会活動においては、選挙活動と聖教新聞啓蒙はなさらない
とおっしゃる。  なぜなのですか? ぶしつけな質問ですので
よろしかったら教えてください。

378沖浦克治:2003/10/25(土) 14:59
 路さん、始めまして沖浦です。
 
 世の中に日顕宗なる宗教団体はありません。
 池田教が存在しない事と同じです。
 然るに聖教新聞には、日顕宗の文字が随所に出てまいります。
 また日顕法主が、最高裁で負け様が勝とうが法の正邪とは無関係です。
 この関係の記事も、しばしば登場いたします。
 この様な新聞を、人に勧める気にはなれません。
 選挙は、いい人が身近にいれば喜んでやります。
 この人は、と思う人がいれば私財をなげうってでも応援をします。
 最近は、そんな候補に私の選挙区ではめぐり会わないので、選挙活動をいたしません。
 然しながら、基本的には公明党の候補に投票しております。

379MILD SEVEN:2003/10/25(土) 16:20

<<<創価学会が仏教では無く、単なるカルト集団である事の確証>>> 再び投稿。

創価学会は現在、本山から破門され、その教義は仏教を否定し迷路をさまよっています。

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」P63
「釈迦の法はもう過去のもので何の利益もない」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P65
「われわれは釈迦仏教に縁のない民衆であることを知
 らねばならない」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P67、P316
「日蓮聖人が末法の御本仏であらせれる」
「釈迦等のとうていおよぶ 分際ではない」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P93
「釈尊出世の本懐である法華経でさえも末法の今日に
 は まったく力はない」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P70
「(創価学会の)この大御本尊を拝む以外に末法の
 衆生は基本的に幸福になれないのである。」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P303
「釈迦仏法など立てるのは去年の暦と同様で役に立た
 ないしろものである。これを使用するから生活に破錠
 をきたすのは とうぜんである。」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P321
「俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者が
 できたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては
 発狂する者ができたりして〜」

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P330
「仏教は勝負であるから正邪は生活に事実として
 正は勝、邪は負の現象が出るのである。」

http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/newpage3.htm

既に私は全日本仏教会にも働きかけています。
この件は微妙ですが、創価の理解が遅ければ、どの様な結果が待っているか? 
分かる方は、わかります。

私の目的は一貫して変わりません。

どんな組織でも言える事ですが、少数の意見が物事を変える事があります。
しかし、現状の創価の体質は、改革の勇士がいるとしても、かなりの少数派でしょう。
私は、そんな改革の勇士を応援したいと思っています。
ただ、外部からの改善提案は厳しいものになる場合も多々あります。客観的に見ますから。
世の常です。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

380沖浦克治:2003/10/25(土) 16:45
 管理人様

 日蓮正宗が邪宗と私の表現に苦情を述べる人が、ご自身では、
 
 298『戸田さんは『諸悪の根本、当然のことでしょう。』
 
 との発言をされていますね。
 おかしいと思いますが如何でしょうか?
 他にも創価学会や池田会長に対して、
 
 『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
 
 『しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。』
 
 『私は創価に反省を迫っています。殺されるまで聖戦です。』
 
 『れいなさんにつづきアネモネさん.沖浦克治さんはハンドルネームからオンナと見るとすぐにちょっかいをだしますなあ.』
 
 『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』
 
 これらの他の人達のご発言も、同レベルだと思います。
 宜しくご判断くださいませ。

381沖浦克治:2003/10/25(土) 16:47
  Jルーカス さん

 あなたのご指摘はご自由ですが、私には興味がありません。

382沖浦克治:2003/10/25(土) 17:05
 satさん

>だけど、私はあなたのネットでの発言を見ていると沖浦克治さんのようになりたいとは
思わない。

蓮祖の仏法は必ず可能なのでしょう、おかしいではありませんか。
私は例外とは言わないでくださいね(爆

 私も、あなたに私の真似をしていただ無くても結構です。
 あなたはあなた、私は私です。
 ご自分のお立場にて、今後も頑張ってくださいませ。

383sat:2003/10/25(土) 17:17
>世間の人々から『あの人のようになりたい』と思われねば、蓮祖の門下ではありません。
>それが必ず可能なのが、蓮祖の仏法ですよ。

『あの人のようになりたい』という解釈が真似というのは、理解不能ですが、
では、ご自分はそう思われなくていいということなんですね。
だとすると、蓮祖の門下ではないとの告白ですか?

384沖浦克治:2003/10/25(土) 17:25
  sat さん
 あなたと私は面識すらありません。
 私には、私の人間性やしている事をあなたが理解しているとは思えないのです。
 私も同じくあなたの事を存じません。
 知らない者同士が、あなたの様になりたいとか、私のようになって欲しいとかいえるとは私には思えないのです。

385MILD SEVEN:2003/10/25(土) 17:39

詭弁は空しいですな〜

本質で判断すべきです。
創価は仏教を否定・愚弄する集団です。
創価は、法華経さえも否定し、本性むき出しです。
常人では理解不能な教学ですよ!
http://8022.teacup.com/momo7/bbs
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

386沖浦克治:2003/10/25(土) 17:41
 MILD SEVENさん

 ご自由にどうぞ

387MILD SEVEN:2003/10/25(土) 19:33
仏教徒に素直さは無いのですか?
そんな事はないでしょう。

どんな組織でも言える事ですが、少数の意見が物事を変える事があります。
しかし、現状の創価の体質は、改革の勇士がいるとしても、かなりの少数派でしょう。
私は、そんな改革の勇士を応援したいと思っています。
ただ、外部からの改善提案は厳しいものになる場合も多々あります。客観的に見ますから。
世の常です。
私の言いたい事の本質はこれです。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

388sat:2003/10/25(土) 20:51
ネットの世界では人格は別だと言いたいのでしょうか。

>私には、私の人間性やしている事

意味が分かりません

389沖浦克治:2003/10/25(土) 21:37
 sat さん

 あなたは私をどんな人間だと思うのですか?

390Jルーカス:2003/10/25(土) 22:10
沖浦さん

>381
> Jルーカス さん
> あなたのご指摘はご自由ですが、私には興味がありません。

左様ですか。
私もあなたが、どのような人物に傾倒しようと興味はありません。
しかし、あなたの方が先に、356において、人の発言を引き出して「私には故の無い攻撃に思えます」と言われましたので「故ある事実」である根拠を説明させて頂きました。
貴殿の方が、自ら人の発言を引き出しておいて、いざそれに根拠をもって反論されると「私には興味がありません」等と逃避するのは卑怯ではありませんか。
また、その後も、既に反論されたにも関わらず相変わらず、380に私の発言を引き出しておられます。
それはいかなる存念でしょうか。

私の言葉は讒言でも悪口でもありません。
どのような理由があろうとも、1人の老人を数度に渡り、ぶん殴り、また部下に殴る蹴るのリンチ命じ、はたまた御自ら「命は惜しく無いか」等と脅した方を「世界一の方」と仰るのは、世間に誤解を与えますので、「それを言うなら世界一の暴行魔」と言わせて頂きました。

391沖浦克治:2003/10/25(土) 23:00
 Jルーカスさん
 
 この事件のことは、昔現場に居合わせた先輩から直接お聞きいたしました。
 それによれば」事実はあなたの書き込み内容とは全く違っております。
 先輩はすでに故人にならておられますが、信用の出来る人物でした。
 小笠原師は、その後戸田先生に深く傾倒をされ、蓮華寺事件の時は創価学会がわにたって戦われたことは、有名な事実です。
 本当に戸田先生に殴打された人物が、そんな態度を取るとは私には思えません。
 あなたが、どのようなご意見を述べられようとご自由ですが、私は、あなたの発言を引き出してはおりません。
 あなたがご自分で判断されて書き込まれたのです。
 あなたが、あなたの責任に於いてご意見を自由におのべになられるように、私が、私の責任に於いて自分の意見を持つ事も、また自由ではないでしょうか?
 私は、戸田先生が仮にどのような破廉恥な罪を犯しておられたとしても(そんな事はありませんが)戸田先生を世界一の人物として心の底から尊敬する気持は、決して変わりません。
 以前、他の掲示板で、戸田先生におめかけさんが二人いたのに何故尊敬するのか?とのご質問をいただきました。
 私は、もしおめかけさんがいたらなぜ尊敬をしてはいけないのか?と不思議に思いました。
 これは、それぞれの価値観の問題です。
 その方に、私が価値観をあわせなければならない必然性がどこにあるのでしょうか?
 あなたに対しても同じ気持です。
 戸田先生が、小笠原師を殴るようなお方ではないことを、私はよく知っておりますが、たとえ殴った事が事実であったとしても、別に私にはどうでももいいことです。
 あなたがこだわるのはご自由ですが、私にはそんな事は余事にすぎません。
 殴っていようといまいと、どうでもいいのです。 
 あなたは問題意識を持ち、私は持たない。
 それだけのお話です。
 何故むきになって私を責められるのか、理解に苦しみます。

392沖浦克治:2003/10/25(土) 23:18
  Jルーカスさん
 発言は全体の流れの中で判断せなばなりません。
 ご指摘の私の発言はあなたの発言を責めたものではありません。
 参考までに、ご指摘のレスをあげておきます。
 
 『何故私の意見が決めつけや偏見ですか?
 創価イコール悪、と決めつけている意見ばかりです。
 お断りしておきますが、意見そのものに文句を言っているわけではありませんよ。』
 
 アネモネさんが、私の意見が決め付けにすぎると、のご指摘を私にに対してなさいましたので、他の皆様方のご発言も決め付けであることの証拠として、あなたのご意見を引用いたしました。
 あなたのご意見そのものに文句を言っているわけではありません。
 また、この様な掲示板にてご自分の書き込みを他人に引用される事が嫌であるのならば、ご意見などおだしにならない方がいいと思います。
 広く公開されているこの様な掲示板に於て、意見を出すと言う事は、社会全体に対して自らの立場を意見として公開をしている事になります。
 営業やビジネスに、無断で利用されるならば著作権等の権利を主張なさるべきですが、一般論として他人の意見を引用して何の問題も無い事は、すでに世論的にも民事法的にも常識となっております。

393愚鈍凡夫:2003/10/25(土) 23:39

横レス失礼。「蓮華寺事件」をご存知ない方のために

「"蓮華寺事件"と呼ばれている正宗寺院の本山離脱事件は、いま考えると宗門と創価学会の関係をかなり象徴する面を含んでいるようだ。ちなみに、蓮華寺は、宗門で能化寺と呼ばれるほど格式の高い寺院であった。
 この蓮華寺に、昭和二九年から三〇年にかけて、創価学会員多数がピケを張り、寺にくる信者を追い返すという事件があった。当時の住職崎尾正道に、創価学会に批判的言動が多い、ということからはじまった事件である。
 ピケや創価学会特有の"口コミデマ"に対して、崎尾は、同寺で御授戒を受けた会員に、御本尊を返却しろと迫った。時の会長戸田城聖の意をうけた宗門の庶務部長ほ、管長の諒解もとらずに、崎尾を檀家もほとんどない田舎の寺に左遷しようとした。その辞令に押された管長印は、庶務部長が盗用したものといわれている。この庶務部長が、後の細井日達管長であった。
 崎尾はこの左遷辞令を拒否、事態は硬直したまま御法主上人の代が替った。
 新御法主・堀米日淳上人は、この辞令の破棄を命ぜられて、崎尾は元通り蓮華寺住職の身分を保証された。
 こうして事件は一応落着したが、その後日達管長の時代になって、創価学会を非難・攻撃する者は地獄に落ちる、彼らを尊敬し手本として信心せよ、という訓諭などがきっかけとなり、創価学会に牛耳られた宗門にはついていけぬということで、本山支配から離脱してしまった。この事件で注目すべきことが二つある。
 一つは、創価学会の傲慢な要求に迎合した役憎が、細井日達管長であったという事実。もう一つは蓮華寺離脱の理由として、(イ)池田の法華講総講頭任命、(ロ)末寺総代に必ず創価学会員を入れる、(ハ)その意をうけて末寺住職を左遷する、など宗務当局は創価学会の傀儡と化していることなどを挙げていることである。蓮華寺・崎尾正道住職の創価学会と宗務当局に対する怒りは、本来全僧侶の怒りでなければならなかったはずだ。
 ところが、世間でも名刹とされる蓮華寺の創価学会専横に対する怒りは、宗門内では、四国大乗寺の例などもありながら、ほとんど孤立していた。
 この時期、創価学会の驕慢をたしなめる声が宗門僧侶たちの間に強く、また管長がそれを汲んで善処していたならば、後日両者の紛争が週刊誌等の興味本意の報道によって世間に醜を晒すこともなかったであろう。ところが実際には、管長以下宗門僧侶のほとんどは、創価学会の勢力に恐れをなし、競ってこれに阿諛迎合していた。たとえば論法同座の「日蓮聖人展」の場合も、諌暁したのは妙信講のみというのが実情であった。」(「私は創価学会のスパイだった」 下山正行著 P88〜90)

山崎正友氏によると、
「この事件の当初に、創価学会は、御法主上人及び宗務院に対し、「もし崎尾をきちっと処置しなけれは、創価学会は本山と対決する」と威嚇し、恫喝までしていた。」

とのことです。戸田さんの性格なら無碍もなしだと思います。
小笠原慈聞氏は、前のことがあって、戸田さんの脅しに屈したとの論証にはなりそうですね。

394沖浦克治:2003/10/26(日) 00:00
 ご意見は参考になりました。
 感謝いたします。
 宗門が創価学会の勢いに押されたとのご意見は、充分考えられますね。
 現在は、すでに宗門と創価学会は無関係な宗教団体ですが、これらの事件も離別の遠因の一部でしょう。
 蓮華寺の住職には、それなりの役割が有ったように思えます。
 これ等の事件の延長線上に、現在の独立した創価学会の実現があるわけです。
 その観点から見れば、蓮華寺の住職も逆縁ながら広宣流布に功績があるのでしょう。
 いすれにせよ、宗門とようやく縁が切れ、いい時代になったものですね。

395愚鈍凡夫:2003/10/26(日) 00:32

宗門にとっても創価学会と縁が切れて、いい時代になったと思っているでしょう。
金と数に物を言わせて、無理難題を押しつける厄介者がいなくなったわけですから。
創価学会が邪義とは何かを身を以て証明したことは、富士門にとって多大な貢献だと思います。まぁ、善知識といえるでしょうか。

396Leo:2003/10/26(日) 00:41
宗門とようやく縁が切れ、いい時代になったのであるならば、
『聖教新聞』の座談会や寸鉄にみられるような宗門攻撃などやる必要なく
自主独立して堂々としていればいいのではないかと思うのですが。

それから、宗門攻撃だけでなく、学会活動で直接平和・文化・教育に関する
活動がほとんどなくひたすら折伏(勧誘)と法戦(選挙支援)だけだったので疑問でした。

397沖浦克治:2003/10/26(日) 01:17
 愚鈍凡夫 さん
 ご意見をおのべになられる権利を尊重いたします。
 その上で申しあげますが、お互いに無関係になったことを認め、喜んでいるのですからあなた方が創価学会の現在の方針や、以前のいきさつに関して異を唱えられる必要はもはや無いと思います。
 私は別に宗門が真言宗になろうと、念仏宗と名乗ろうと興味はありません。
 たとえば卑近ですが、離婚した女房が誰と再婚し様が気にならないのと同じです。
 気になるのでしたら、始めから離婚などせねばいいのです。
 宗門法華講の方々が、創価学会の運営や活動方針に干渉されるお気持が理解できません。
 他所の事はほうっておいて、自分たちの布教や運動方針に専念されれば如何か、と思います。

398探訪者007:2003/10/26(日) 01:29
横からゴメン、。一応読ませてもらいましたが、どーも「??」です。 沖浦様が「問題を御提案され、他のかたが御意見を申され」ての「実り在る御議論〜御検察〜御思考〜御展望、」を期待しておりましたが、??のようですネ、。 マー今後には期待します、が、。

399愚鈍凡夫:2003/10/26(日) 01:33

沖浦克治さん、何か勘違いをされているようですね。
小生は、「蓮華寺事件」をご存知ない方の為に資料を提供したまでです。
それに対してあなたがコメントを書き込んだ。それで小生がコメントを返した。それだけのことですよ。以前にも記しましたが、小生は歴史は大事だと思います。
あなたが尊敬する戸田さんも歴史は好きだったようですよ。それに、あなたが信奉する池田さんも統一ドイツ大統領の言葉を引用して、学会員に歴史の重要性を指導しています。

> 宗門法華講の方々が、創価学会の運営や活動方針に干渉されるお気持が理解できません。
> 他所の事はほうっておいて、自分たちの布教や運動方針に専念されれば如何か、と思います。

干渉などしていませんよ。ここの掲示板で小生の思う処を投稿しているだけです。嫌なら、無視すればいいだけです。それだけのことですよ。

400沖浦克治:2003/10/26(日) 01:41
 Leoさん
 私は、宗門を攻撃する聖教新聞は啓蒙しない、とこの掲示板でも宣言をしておりますよ。
 あなたが聖教新聞の記事にご不満がおありでしたら、直接聖教新聞社とお話をして下さい。
 私は、宗門などは捨てておいて勝手に立ち腐れさせておくべきだ、と常に創価学会内部でも発言をしております。
 創価学会を退転して、法華講に行った人達を脱講させる運動等はやる気もありません。
 はっきり言いまして、どのような組織や団体にも、付いていけない人間必ず存在いたします。
 出て行きたい者は、出て行かせればいいのです。
 もちろん、いればいいのにな、とは思いますよ。
 然しながら、嫌になって出て行った人をに戻っていただく必要などありません。
 そんな暇があれば、世間におられる優秀な人材を折伏すべきです。
 もちろんの事、全ての人間は一念三千の当体であり、それぞれが優れた人材なのですから、それらの新しい人材で世界広布をすればいいのです。
 出て言った人など捨てておくべきです。
 かえって来い、などと馬鹿馬鹿しいことを言う事、はナンセンスでしかありません。
 私は創価学会を一度退転したような人間には、二度と帰ってほしくはないのです。
 ついでですが、あなたが創価学会の方針や活動にご不満がおありでしたら、創価学会員となってわが身のこととして訴えなければ、無駄な事でしょう。
 遠いところからいくら意見を大声で述べて見ても、何の効果もありませんよ。

401沖浦克治:2003/10/26(日) 01:46
 探訪者007 さん
 真にごもっともなご意見です。 
 それでは改めて問題提起をさせていただきます。

 この掲示板にいらっしゃる皆様方は、今後の世界広布についてどのようなお考えをお持ちであるのか、お聞かせくださいませ。

402沖浦克治:2003/10/26(日) 02:01
 愚鈍凡夫さん
 あなたも私も立場は違いますが、蓮華寺事件等を原因として創宗が離別した事は喜ばしい出来事である、との見解は同じなわけです。
 ならば双方ともに結果に不満がないのですから、それ以上のいらざる干渉は双方ともに止めるべきではないか、と提案を致します。
 それよりも、今後の広宣流布について語り合う方が価値的だ、と思いますが如何でしょうか。

403愚鈍凡夫:2003/10/26(日) 02:08

資料の整理が終わって、寝よう思って覗いてみたらまだこんなこと言ってんの。

>この掲示板にいらっしゃる皆様方は、今後の世界広布についてどのようなお考えをお持ちであるのか、お聞かせくださいませ。

で、あなたはどうなんですか。
自信たっぷりなようですので、ワクワクしながら読ませて頂きます。 (^_^)v
それではお休みなさい。
尚、都合が悪ければ、無視して頂いて結構ですよ。

404探訪者007:2003/10/26(日) 02:38
 最近リストラの懸念から不眠症気味で「ネット・サーフイン」をトライ中。 沖浦様からの御指名をいただきましたので「眼をショボショボしながら、なれないキーボードをたたいております」。 沖浦様も深夜にも拘わらず「御熱心に、、?」とは「それなりにいくばくかの苦悩のさなか、、?」か、かなとぞんじもうしあげます、、。 小生も「この麗しいおことば=世界公布なるお言葉」に心底シビレ感応しておりました、、。 (阪神タイガースも今は同価値です、、)
 又「仕手株式の扇動にも同様な現象在り」です。 世の中「アキラメ切れない症候群」という「新規のウツ病が蔓延中(03/09/22日経夕刊:青山精神科医)」とのことです。 「完璧主義者は要注意」とのことです。 「世界公布]という「完璧主義者」に「???」を投げかけ「その目標断念」することから「今在るものも、それほど悪くないナ、、」という「余裕」が生まれるそうです、、。

405沖浦克治:2003/10/26(日) 07:06
 探訪者007 さん
 おはようございます。
 リストラの可能性を知り大変な事、と感じております。
 貴兄がこの生活の大難を乗り越えられ事を、祈念いたします。
 私は27年前に生活苦と決別を致しました。
 自分の貧乏の宿命と真正面から取り組み、宿命転換して以来、そんなに豊ではありませんが不自由をする事はなくなりました。
 リストラが迫る今が、あなたの宿命転換のチャンスだと思います。
 大変失礼な事を申しあげている事は重々承知いたしておりますが、ネットで知り合ったご縁に免じてお許しくださいませ。
 願わくば祈りに祈って、この機会をチャンスと捉え、この後の人生に勝利されん事を心より願っています。

406沖浦克治:2003/10/26(日) 07:30
  愚鈍凡夫 さん
 私は唯の人間です。
 自信など少しもありません。
 ただ41年間の創価学会員としての人生中で、振り返れば信心をしていてよかったと思う場面が何度かありました。
 現実に今の自分は過去の存在の積み重ねです。
 同じように現在の積み重ねが臨終に続く来世を決定する事は間違いない出しょう。
 100年は生きられない短い人生です。
 過ぎ去った過去の出来事よりも、未来に目を向ける事が価値的だと思い、提案を致しました。
 罵りあいよりは、ともに未来を語り合う方がいいのではないでしょうか?
 
 私は世界広布とは遠くにあるものではない、と思っています。
 世界広布を、広宣流布に置き換えてお話を致します。
 自分の現実の生活を如何にすれば広宣流布に結び付けられるかは、それぞれの個人が悩み、行動をし、結果を出す以外には無いでしょう。
 私とあなたが同じ行動を取る必要はありませんし、自分が誰かを目指す必要も無いでしょう。
 私は現在3年計画で、世間の友人からよい評価をされるべく微力を尽くしております。
 達成できれば、自らの広宣流布の武器にし、世間と対話をするつもりです。
 所用で出かけますので、夜に帰宅してからご意見があれば読ませていただきます。

407Leo:2003/10/26(日) 08:52
沖浦克治さん。

>私は、宗門を攻撃する聖教新聞は啓蒙しない、とこの掲示板でも宣言をしておりますよ。
>あなたが聖教新聞の記事にご不満がおありでしたら、直接聖教新聞社とお話をして下さい。

私は経験から聖教新聞社が学会組織の一部(独立した会社登記のある会社でない)であり
トップダウンの新聞で、苦情を一切受け付けないということを知っています。
聖教新聞の記事の問題を衆知のものとしそれが淘汰圧となることを期待しています。
そういうことが真の新聞啓蒙であると思っております。

>ついでですが、あなたが創価学会の方針や活動にご不満がおありでしたら、創価学会員と
>なってわが身のこととして訴えなければ、無駄な事でしょう。

>遠いところからいくら意見を大声で述べて見ても、何の効果もありませんよ。

そうです。ですから、私は創価学会員ですがやめていません。内部で訴えつづけております。
(今のところ議論するより折伏して来いなどという回答にならない幹部指導を貰っていますが...(苦笑))

408ガンコ:2003/10/26(日) 10:40

愚鈍凡夫さん

話が脱線して恐縮ですが、「私は創価学会のスパイだった」には、浅井の記念すべき第一回目の諌暁書である「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」が全文(?)掲載されています。これについて、どのような感想をお持ちであられるか、ご披露ねがえませんでしょうか?

409Leo:2003/10/26(日) 10:50
>出て行きたい者は、出て行かせればいいのです。
>もちろん、いればいいのにな、とは思いますよ。
>然しながら、嫌になって出て行った人をに戻っていただく必要などありません。

私は学会が宗教権威者の権威のようなものも比較的少ないし(少ないといってもありますが)、
迷信も比較的少ないので(少ないといってもありますが)気に入っております。
やめる気はいまのところありません。

しかし、「トップのトップによるトップのための学会」でなく、
「会員の会員による会員のための学会」となって欲しいと思っております。
今の学会の状態や指導は支持しません。ではなぜ私が残っているかというと、
日本の与党の非支持者が外国へ移住したり外国へ追放されないのと同様であると
思っているからです。

>そんな暇があれば、世間におられる優秀な人材を折伏すべきです。
>もちろんの事、全ての人間は一念三千の当体であり、それぞれが優れた人材なのですから、
>それらの新しい人材で世界広布をすればいいのです。出て言った人など捨てておくべきです。

人材を確保するのですか?学会内にも結構人材はいます。学術部がありますが、ぱっと
した結果をきいたことがありません。専属弁護士もいますが会員のために動いたという
こともきいたことがありません。そういう状態なのにいくら人材を確保しても無駄では
ないのではないでしょうか(人材の飼い殺しあるいはトップにだけの貢献)。

私は個人個人のプチ人間革命までは否定しませんが、学会の提唱した偉大なる人間革命
は1960年代末ぐらいから挫折したと考えます。過去の失敗から学ぶ必要があるのでは
ないでしょうか。

(参考資料)
「第三の大学……創価大学 激動の現代を生きる若者の論理」 (池田諭氏 、1970年8月)
http://www.asahi-net.or.jp/%7Ekd6k-ymmt/daisa.html
「 一千万人の会員一人一人を本当に英才に育てあげ、その人達が団結し、協力して、人間の世紀、
生命の世紀を実現しようとするなら、それは容易に実現されよう。一千万人をすべて、英才にする
指導と教育が至難な仕事であって、それができるということは、人間の世紀、生命の世紀が実現した
ということである。そのように断言してもよいであろう。」

410Leo:2003/10/26(日) 10:58

私はこのような指導を受けて、内部(学会員への)の折伏を行う決心をしました。

411Leo:2003/10/26(日) 10:58
自己レス 引用がぬけていました >410

>(今のところ議論するより折伏して来いなどという回答にならない幹部指導を貰っていますが...(苦笑))

私はこのような指導を受けて、内部(学会員への)の折伏を行う決心をしました。

412愚鈍凡夫:2003/10/26(日) 13:17
あっ、ガンコさん、ご無沙汰しております。

小生は、「私は創価学会のスパイだった」を持っているわけではなく、学会関係の事件に関するファイルを入れたフォルダの中にあったので引用したまでです。
したがって、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」という浅井さんの論文の存在は存じていますが、拝見したことはありません。
聞くところから想像しますと、終末思想の上から現状を分析して、"未だ広宣流布せず"との論理展開をし、「正本堂」を「本門の戒壇」と呼ぶのは間違っているとの主旨の論文だと思いますが、結果的に池田さんの「本門の戒壇」建立の野望を阻止した(「本門の戒壇」と騒いでいたのは池田さんだけですから)という意味では、浅井さんの諌曉は評価すべき行為だと思います。
ただ、池田さんとすれば、見切り発車で既成事実を先に作り、後は宗門を締め付けて「正本堂」が「本門の戒壇」であることを認めさせようとしたんでしょうが、思いの外頑強な日達師の抵抗に遭い、頓挫したというのが真相かと思います。

413:2003/10/26(日) 14:28
沖浦さま お返事ありがとうございます。

私見ですが、上部からの打ち出し、指導を取捨選択できるのは
沖浦さまに「役職」がないからだと思います。
学会は、個人が意見を自由に言えて、自由に選択して活動できる
組織ではないと思っています。

414ガンコ:2003/10/26(日) 16:02

愚鈍さん

じつは、顕正会で出している書籍には、この「正本堂に就き宗務御当局を糺し訴う」がないのです。
もともとないのか、あるいは途中で引っ込めてしまったのか、わかりません。
記念すべき第一回目の諌暁書なのになぜなんだろう? っていうのが聞きたかったんですが、そんなこと愚鈍さんがご存知のわけないですよね?

どなたか、知ってる方、ご教示ください。

415愚鈍凡夫:2003/10/26(日) 18:11
一言
「パス」 はいよっ!( ̄  ̄ )ノ"⌒▽〜〜ヾ(^^;;

416ワラシナ:2003/10/26(日) 20:11
「正本堂に就き宗務御当局を糺し訴う」が掲載されてる書籍について。

0、ガンコさま、始めまして。もと顕正会だったワラシナです。

1、54年の今ころ妙信講に入った時先輩から、あれ読まなければ御遺命守護の精神はわからない、と言われて「正本堂に就き宗務御当局を糺し訴う」のテキストを渡されましたが、それは教学理論誌「冨士」の特集での再版掲載だったと記憶してます。
ただ御観察の如く、あれ以来復刻版みたいな形で一般会員に配布される機会は、本当に少ない、奇妙に感じられる程「今では」少ないですね。
ですが、当時はごくありふれていて、「正本堂に就き宗務御当局を糺し訴う」が掲載されてる復刻版の「冨士」が本部窓口で(在庫があれば)買えたのです。そう記憶してます。間違ってたら古参講員の情報提供をお願いします。
今でも、もっと誇らかに扱ってもよさそうに感じますが、「御遺命守護は完結した」とされる今ですから今後登場する機会はもっと少なくなると思います。

2、HPでは櫻川さんの処で探してもなかった。以前有った「世雄会」には全文掲載されていたと記憶しますが。

3、ですから、「私は創価学会のスパイだった」の末尾での全文掲載には、大きく目を見開かされた時に味わうような感動を憶えました。
教団外部書籍ではあの当時唯一まともな形で妙信講情報が公開されたものではなかったでしょうか。
その著者「下山」氏も「正本堂に就き宗務御当局を糺し訴う」を講員から借りた「冨士」で初めて知った筈です。

4、従って、今それを目にする機会がめっきり減った原因は「冨士」の廃刊に求められそうに思います。

417ガンコ:2003/10/26(日) 21:05

ワラシナさん、どうもです。

ご教示ありがとうございました。
わたくしは、あなたよりもずいぶんあとに入信したものです。詳しくは申せませんが、解散弾圧十周年記念特集「御遺命守護の戦い」(冨士二百五十号)を学んだクチです。あの本には、「糺し訴う」の序文と末文が抜粋して載っているだけですし、わたくしの記憶では、いちどたりとも第一回諌暁書の全文を学んだことはありません。
たまたま、学会より入会してきた方に「スパイだった」をいただきまして、最初に読んだときはよくわからなかったけど、最近、読み直してみて、けっこう感動しました。
ですから、復刊してもよさそうなものだと思いました。

418沖浦克治:2003/10/26(日) 22:44
 路さん
 私に役職はありませんが、あっても同じです。
 また創価学会の役職は、強制的に任命されるものではありません。
 役職のある人と無い人では、圧倒的に役職の無い人のほうが多いことも事実です。
 もしあなたが言われるように、役職を持つと上からの打ち出しに反対でき無いことが事実であるならば、役職に付くときは慎重にすべきです。
 最後は本人がそれらを考慮し判断したらいいでしょう。
 私は男子部では部長でした。
 壮年部では役職は要りませんとお断りいたしました。
 昭和54年ごろから、宗門は邪宗であることを確信しておりましたから、登山会に参加することが汚らわしく思えて嫌だったからです。
 役職があれば立場上お互いに困ったでしょうね。
 それでも知らないうちに、壮年部の副B長になっておりました。
 あるとき支部幹部が家庭訪問に訪れ、登山会に参加するよう言われたので、私ははっきりと『あのような謗法の場所には行きたくありません』とお答えいたしました。
 大変ご立腹でお帰りになりましたが、後で大問題になり私は要注意人物になったようです。
 その後転居し、本当に役職とは縁が切れました。
 今要請があれば役職に付いても言いと思いますが、最初に嫌な事はしない旨はっきりと言うでしょうね。

419沖浦克治:2003/10/26(日) 22:58
 路さん
>学会は、個人が意見を自由に言えて、自由に選択して活動できる
組織ではないと思っています。

 創価学会は大変自由な組織だと思います。
 友人が法華講におります。
 所帯数の少ない(200程度か?)お寺の所属です。
 元学会の圏幹部がいるそうです。
 その人は創価学会のことをぼろくそに言うそうです。
 私は思います、先ず自分が創価学会で、中心者として指導をしていた時のことを反省すべきでしょう。
 そして、その人と昔からいる壇徒の方で強烈な勢力争いがあり、僧侶は自分の生活の事のみ考え、この間で困っている信徒の立場には、無関心だそうです。
 驚いた事には、ほとんどのお寺がこの様な状態にあり、新入信者がいてもすぐに活動しなくなってしまうとの事でした。
 多くの信徒は言いたい事など言えず、住職と根檀家の役員と元圏幹部の顔色を伺い、いつも下を向いてビクビクしているようです。
 こんな組織より、創価学会は100倍はましでしょう。

420沖浦克治:2003/10/26(日) 23:07
  Leo さん
 創価学会を辞めてはいけません。
 ご自分が世間実証を示せば、回りの幹部等は何も言わなくなります。
 それを目指されるべきだと思います。

421Leo:2003/10/27(月) 00:10
沖浦克治さん。

>創価学会を辞めてはいけません。

学会が将来はっきり仏教団体であることを放棄すれば、その時は辞めると思いますし、
万が一学会が将来日蓮正宗に復帰するようなことがあれば私の今までの言動から辞めざる
を得ないと思っております。自分の思うところを主張して、辞めざるを得なくなる
あるいは辞めさせられるということがあれば、その時はその時と覚悟しております。

>ご自分が世間実証を示せば、回りの幹部等は何も言わなくなります。
>それを目指されるべきだと思います。

幹部指導を受けに行けば「文句があるなら折伏して来い」という指導しか貰えませんが、
特に幹部指導を受けに行かなければなにも言われなくなり放置されるので、今のところ
問題ない状況です。

422MILD SEVEN:2003/10/27(月) 02:20

<タイムリーな問題>

これ以上、創価が体質改善無きまま政権に食い込むと、国民の税金を何に使われるか?不安です。
カルトの布教の為に世界に資金流失等、池田氏個人の勲章取りの費用かな?
本格的に世界征服の野望を燃やすでしょう。あの名誉会長連中は。
貧乏するのは一般国民・・・なんてことは阻止しましょう
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

423みかん:2003/10/27(月) 16:47
ガンコさん

「夫一心に十法界を具す。」
「故に成道の時、此の本理に称ひて一身一念法界に遍し」

これと、「梵我一如」はまったく違います。
己心や一心は因縁生起するもので、アートマン(我 が)とはことなるからです
また法界も因縁生起するもので、ブラフマン(梵)とは異なるからです

424犀角独歩:2003/10/27(月) 19:04

何日か前にウイルスを食らい、メインのコンピュータが使えず、投稿ができずにいました。今の段階でも、サブコンピュータで訥々と入力できる程度です。
勝手気ままな放言が横行しているのに辟易とロムしていました。言いたいところは山ほどありますが、まず述べなければいけないところを先に記します。

(1) 石山を「邪宗」ということ、戸田さんを「諸悪の根元」というのは同レベルではありません。「邪宗」は一般流通文書に使えない不適切な差別語であるのに対して、「諸悪の根元」は一般に表記される成句です。また、わたしが戸田さんについて、かくのごとき結論を出すのは過去50年間の我が家の被害に基づく記述です。また、かつて創価学会・戸田さんは「日蓮正宗を国教化し国立戒壇を建てる」と言って、人心を煽動したけれど、そのような創価学会の方針はいとも簡単に反故ににされた、それ故、その創価学会・戸田さんの指導に従った人々は多大な被害を被り、その脱会者は1000万人も上るものとなった。また、戦後、日本社会において「折伏闘争」と称する常識を逸した勧誘行為を繰り返し、さらに昭和45年に池田さんが社会に謝罪をしなければならなくなった言論出版妨害という自由への迫害など、それらの創価学会の「罪」のその元々の原因は戸田さんに求められる故に「諸悪の根元」と説明の上で記したわけです。それと不適切・差別語を弄して自分の所属する団体と敵対関係にある団体に暴言を吐くことと同レベルではありません。

(2) 寛師漫荼羅という意見がありますが、寛師が書写したものを「寛師漫荼羅」ということ富士門では一般的なところです。しかしながら、寛師の漫荼羅が蓮祖の漫荼羅を写したものであるから、それは蓮祖漫荼羅であるというのはいちおうの意見として受け取れないことはありません。しかしながら、この場合、寛師が書写した導師漫荼羅は蓮祖漫荼羅とその相貌が違うがこれを蓮祖漫荼羅をできるのかという問題がまずあります。近代の導師漫荼羅を否定したのは創価学会でしたから、この線に則れば、この寛師漫荼羅は単純に蓮祖漫荼羅と呼ぶことはできないことになります。また、蓮その漫荼羅を書写したものはすべて蓮祖漫荼羅であるというのであれば、他五老方が書写したものも、現在の顕師の書写したものもすべて蓮祖漫荼羅ということになるでしょう。つまり、それを否定することは蓮祖漫荼羅を否定することになります。「そうは思わない」などという無責任な不同意はここでは論外とします。

(3) 社会の戦禍その他に目を向けよという意見はいいでしょう。では、その創価学会は何をしてきたのか、イラン、イラク、イスラエル、北朝鮮という核問題にも関わる国に対して、どのような折伏・広宣流布をしてきたのかという問いに対して、「これからする」という答えが返ってきました。これは要するに創価学会は過去半世紀、何の平和行動も実際の戦禍に対しては行ってこなかったことを意味します。また、その世界危機の重要人物であると目されるブッシュ、フセイン、ラディン、金という人々にどのような折伏をしてきたのかという問いに対しても「これからする」というわけです。

結局のところ、戦禍からの脱却のための平和のための実際行動をいままで何一つやってこなかったのが創価学会の実態であることが明らかとなりました。それにも関わらず、あたかも世界に向けて折伏・広宣流布を行っているように見せかけ、巨額の「広布基金」「特別財務」という寄付を集めるその口上に「広宣流布には金がかかる」と言ってきた実際の広宣流布なき収奪をわたしはそうか創価学会の「罪」の一つとして、明示したいと思います。これまた「そうは思わない」という無責任な不同意とは無縁の提示です。
もし、創価学会池田さんが上述の国家、人物に折伏をし、世界平和のために広宣流布をすい試飲しているというのであればその実例を挙げる以外の「思う・思わない」という個人の判断はここでは意味をなしません。

(以上でいう広宣流布は創価学会の用法を奪って論じたもので、わたしの各資料から考えるその語彙の原意とは隔たっています)

427MILD SEVEN:2003/10/27(月) 19:08
キリスト教界で異端とされる三位一体を認めない教派。エホバの証人。モルモン教。統一教会。
一方、池田創価は釈迦や法華経さえも否定しています。
やっている事は池田経でしょう。

これ以上、創価が体質改善無きまま政権に食い込むと、国民の税金を何に使われるか?不安です。
カルトの布教の為に世界に資金流失等、池田氏個人の勲章取りの費用かな?
本格的に世界征服の野望を燃やすでしょう。あの名誉会長連中は。
貧乏するのは一般国民・・・なんてことは阻止しましょう。

創価学会は変ですね。<法華経を否定する池田大作大先生>に従うなら、学会の御本尊など燃やしてしまえばいいのに。
どうせ、本山のものと違うものだから。
池田経で、ご本尊でも創作すればいいのに。
それとも詭弁経かな?
これからは、創価学会・池田経と呼びましょう。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

428沖浦克治:2003/10/27(月) 22:00
 犀角独歩さん
 PCのウイルスは日々新しいもんがでて来ます。
 ウイルスバスターの導入は効果があると思います。
 私はネットで購入いたしました。
 ワクチンの新しいものを、毎日送ってくれますよ。

>(1) 石山を「邪宗」ということ、戸田さんを「諸悪の根元」というのは同レベルではありません。

 同じレベルであろうとなかろうと、他者を攻撃してる事には変わりがありません。
 あなたは私が日蓮正宗を『邪宗』ではなく諸悪の根源』と呼べばご満足でしょうが、私がそう呼べば、必ずまたそなたかが苦情を言って来ると思いますよ。 
 
>また、わたしが戸田さんについて、かくのごとき結論を出すのは過去50年間の我が家の被害に基づく記述です。

 なたのご家庭ではそうでも、私は、一家を挙げて大変よい影響を受けたのです。
 へーそんな人もいるのだな、ぐらいの感がいたします。
 
>かつて創価学会・戸田さんは「日蓮正宗を国教化し国立戒壇を建てる」と言って、人心を煽動したけれど

 私の持っている録音の中で戸田先生は『日蓮正宗を国教には絶対にしない 』とご発言です。
 私はあなたよりも、戸田先生を信じます。

>それ故、その創価学会・戸田さんの指導に従った人々は多大な被害を被り、その脱会者は1000万人も上るものとなった。

 大変ユニークなご意見ですが、私の周りにそんな人は存在致しておりません。

>戦後、日本社会において「折伏闘争」と称する常識を逸した勧誘行為を繰り返し、

 蓮祖のご遺命ですから、文句は蓮祖にお願いいたします。

>さらに昭和45年に池田さんが社会に謝罪をしなければならなくなった言論出版妨害という自由への迫害など、

 この問題は戸田先生の折伏とは無関係です、少し論理が飛躍していますよ。

>それらの創価学会の「罪」のその元々の原因は戸田さんに求められる故に「諸悪の根元」と説明の上で記したわけです。

 あなたのご家庭で不幸な出来事があり、あなたは戸田先生のせいだと思っいる。
 あなたが何を思いどうを主張され様とご自由です。
 同じく、私が戸田先生を『地涌の菩薩の棟梁』として敬い、人生の師匠として心の底から尊敬申しあげることも自由です。

>それと不適切・差別語を弄して自分の所属する団体と敵対関係にある団体に暴言を吐くことと同レベルではありません。

 あなたの発言は私には暴言であり、私の発言はあなたには暴言なのです。
 立場が違うのですから双方が満足できる表現は存在しないでしょう。
 お互いに耐えられ無ければ、無視するか、掲示板を去るしかないと思います。

429沖浦克治:2003/10/27(月) 22:21
>(2) 寛師漫荼羅という意見がありますが、寛師が書写したものを「寛師漫荼羅」ということ富士門では一般的なところです。

 この表現自体に、宗門の思い上がりが顕れています。
 自分達の法主は蓮祖と同格だ!との恫喝を私は感じます。
 もちろん、あなたがお感じになられないことは、ご自由ですよ。

>寛師の漫荼羅が蓮祖の漫荼羅を写したものであるから、それは蓮祖漫荼羅であるというのはいちおうの意見として受け取れないことはありません。

 寛師の曼荼羅などこの世に存在いたしません。
 寛師書写の蓮祖の曼荼羅です。
 一応であろうが、再応であろうがお力のある曼荼羅は、蓮祖のものしかありません。
 それ以外は、蓮祖敵対の邪儀です。

>寛師が書写した導師漫荼羅は蓮祖漫荼羅とその相貌が違うがこれを蓮祖漫荼羅をできるのかという問題がまずあります。

 何が問題なのですか?
 蓮祖の曼荼羅と相貌が違うのならば、偽曼荼羅です。
 寛師が書いた事が事実ならば、寛師はその程度の法主です。
 さもありなんとは思いますが、事実を知りませんのでおいておきましょう。

>他五老方が書写したものも、現在の顕師の書写したものもすべて蓮祖漫荼羅ということになるでしょう。

 あたりまえです。

>それを否定することは蓮祖漫荼羅を否定することになります。

 不思議な人ですね、何故くどとあたりまえの事を声高に述べているのですか?

432沖浦克治:2003/10/27(月) 22:53
>(3) 社会の戦禍その他に目を向けよという意見はいいでしょう。

 いい意見などではありません。
 意見として捉えている事態、蓮祖門下とは呼べないと思います。
 広宣流布は蓮祖のご遺命です。

>その創価学会は何をしてきたのか、

 宗門の反対を押し切りSGIを創設いたしました。

>イラン、イラク、イスラエル、北朝鮮という核問題にも関わる国に対して、どのような折伏・広宣流布をしてきたのかという問いに対して、「これからする」という答えが返ってきました

 その通りこれから本格的にやるのです。
 あなた方は何をやるのですか?
 ご返事をお願いいたします。

>これは要するに創価学会は過去半世紀、何の平和行動も実際の戦禍に対しては行ってこなかったことを意味します。

 反戦活動を精力的に行い、世界の識者たちからは高く評価をされております。
 揚げ足をとっての決め付けは、どうかと思いますね。
 ところで、あなた方は具体的にこの50年間、この問題に対してどのような行動をされていたのかを、お教えくださいませ。

>その世界危機の重要人物であると目されるブッシュ、フセイン、ラディン、金という人々にどのような折伏をしてきたのかという問いに対しても「これからする」というわけです。

 あなたは少し蓮祖の法から外れているように感じられます。
 
 『去ぬる建長五年[太歳癸丑]四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、』(聖人御難事)
 
 権力の移動により右大将家の立てた御くりやが日本第一となった、と仰せです。
 主権在民の今、国家の元首を折伏し広宣流布を実現するとの思想は妄説にすぎません。
 また、主権在民でない国は、いまだに機根が整っていないのです。

 『、止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と』(災難対治抄)

 蓮祖もこの様に仰せです。
 ところであなた方はこの問題には如何に取り組まれるのでしょうか。
 お聞かせください。

>結局のところ、云々

 この部分はあなたの思ですから、私には関係の無い事です。
 いくらでも思っていればいいと思います。

 以上返事をさしあげました。
 私は今回あなたに3つの質問を致しました。
 先ずそれにお答えください。
 その後次に(あればですが)進みましょう。
 ご返答をお待ちいたします。

434Jルーカス:2003/10/27(月) 23:06
独歩さん

>寛師が書写した導師漫荼羅は蓮祖漫荼羅とその相貌が違うがこれを
蓮祖漫荼羅をできるのかという問題がまずあります。

横レスですが、別に無理に導師漫荼羅を出さずとも(これが一番分かり
やすいですが)日興上人も日目上人も蓮祖とは相貌の違う御本尊を書写
してますよね。

436Leo:2003/10/27(月) 23:32
他の掲示板で「荒らしの分類学」というスレをたて、荒らし対策のエチケットを解説
されているお方がおられます。その方のご意見や資料を参考にしますと、荒らし無視が一番
(しかない)とのことです。独歩さん、皆さんどうか話が通じる人とだけ議論される
ようお願いしたいと思います。一部の学会指導では「一言われたら百言い返して来い」
とされていますから、レスするだけ無駄と思います。

437愚鈍凡夫:2003/10/27(月) 23:40

>>406:沖浦克治さん、
「広宣流布論」の続きを期待しながら待っているのですが。
あれで終わりですか。別に書き込んで頂くほどの内容ではないと思いますが。

> 罵りあいよりは、ともに未来を語り合う方がいいのではないでしょうか?

同じ事を何度も言わせないでください。小生はあなたを罵った覚えはないですよ。
あなたかがレスした言葉をそのまま返したことはありますが、それはお互い様です。
答えるふりをして論点をずらすのであれば、お辞めなさい。
それにいらざる干渉などしていません。自分の思う処をレスしているだけです。
あなたこそいらぬ干渉など無用です。

438探訪者007:2003/10/27(月) 23:47
、、、「サスガは荒らしのテクニック中盤戦、、??」の「御展開、、?」のようかと存じました、が。ハイ、。 今後も「ウデを磨いた荒らし人、、?」が続々と御登場かもネ、、? 大歓迎しましょうか、?

440愚鈍凡夫:2003/10/27(月) 23:58
訂正

誤→ あなたかがレスした言葉をそのまま返したことはありますが、それはお互い様です。
正→ あなたがレスした言葉をそのまま返したことはありますが、それはお互い様です。

あなたが邪宗という言葉で宗門を呼ぶならば、小生もこれからは創価学会を邪宗と呼ぶことにします。

441沖浦克治:2003/10/28(火) 00:15
 愚鈍凡夫 さん

>「そうは思わない」などという無責任な不同意はここでは論外とします。

 これは私に対する質問です。
 すでに私がお答えしたのです。
 私の質門にお答えください。
 その後違ったご意見を述べて下さい。

442アネモネ:2003/10/28(火) 00:21
沖浦克治さん

続けてその後のレスを読ませて頂きましたけれども、まあなんといいますか、「関係ない」「興味がない」「対話したくない」などと、ことごとく返答や議論を交わしたレスが多いですね。
丹念に読み直してみますと、沖浦さんが議論や対話を交わした内容とは、まさに証拠の提示を要求されたところであったといえます。
一応以下ざっと抜粋してみると、戸田さんが世界一だということから始まって、国立戒壇にしても、蓮祖直属にしても、いずれも「関係ない」「興味がない」「対話したくない」で証拠の提示を切り抜けているわけです。
証拠を求められてその提示を無視してレスを続けるという、大変、卑怯な手段でもって持論を強引に展開されてきておられることに気がつきました。
結局、それが創価学会という教団を象徴したものなのだと思いました。

*以下抜粋*********************
>224
>>国立戒壇の件
>興味がありません。
>衆立の意味なれば検討に値するでしょう。

>247
>> 蓮祖直属ならば、世界一ではありませんか。
>なぜ、蓮祖直属ならば、世界一なのでしょうか。
>また、戸田さんがなぜ蓮祖直属なのでしょうか。
(*返信内容がルール違反に抵触し、レス削除)

>345
>>学会が蓮祖直属であるその根拠は何でしょうか。
>>御書を拝する限り創価学会は蓮祖に反しているように思います
>お望みであればいくらでもお話をいたしますが、何故お知りになりたいのでしょうか?
>もし、ご自分が創価学会に真面目な興味をお持ちになられるのでしたら、対話をしたく存じます。
>この様な無礼名質問は無視いたします。
今後もこの様なことを続けるのでしたら、あなたとの対話はお断りいたします。

>355
>>大石寺と無関係といいながら、その大石寺の26代住職・寛師漫荼羅を拝むこの矛盾。
>私は別に矛盾とは思いませんが、あなたがそう思われる事はご自由です

>>関係がないのであれば、大石寺漫荼羅を拝むのは即刻やめましょう。止めません。
>あなたには関係の無い事です。
>首を突っ込まなくてもいいのではないですか?

>359
>>故はあります。
所謂、狸祭り事件の事につき、記録に基づき書いておきます。
どのような判断されるかは御自由に。
>381
>あなたのご指摘はご自由ですが、私には興味がありません。

以上*****************************

443アネモネ:2003/10/28(火) 00:21
(つづき)
広宣流布の話や学会の将来像の前に、まずは抜粋したところについて誠実に答えて頂きたいものです。答えられないのであれば、沖浦さんのこれまでの主張は全て、根拠の示せないただの妄説ということになります。

>この掲示板にいらっしゃる皆様方は、今後の世界広布についてどのようなお考えをお持ちであるのか、お聞かせくださいませ。
>それよりも、今後の広宣流布について語り合う方が価値的だ、と思いますが如何でしょうか。

この掲示板は、世界広布を考える以前に、広めようとしている教えとは真に何だったのかを真面目に検証してきました。
ましてやこのスレッドは、創価学会の功罪を議論することを目的としているのであって、創価学会の世界広布や将来展望を語る目的で立てたものではありません。
スレッドのテーマを無視して、勝手なテーマを持ち出さないでほしいです。

>私は唯の人間です。
自信など少しもありません。

ならば、沖浦さんのご発言は全面的には信用できないということになりますね。

>ただ41年間の創価学会員としての人生中で、振り返れば信心をしていてよかったと思う場面が何度かありました。

私は、沖浦さんの投稿を読ませて頂いて、失礼ながら創価学会に縁がなくてよかったとつくづく思ってしまいました。辞めた方のお気持ちもわかる気がしました。
あなたはあなたですが、私は私で主張させて頂きます。

>397
>その上で申しあげますが、お互いに無関係になったことを認め、喜んでいるのですからあなた方が創価学会の現在の方針や、以前のいきさつに関して異を唱えられる必要はもはや無いと思います。

そんなことはないでしょう。これから広宣流布と称して、大きくなろうとしている組織なのですから、有縁無縁に関わらず、社会的見地からもからその動向について意見を持ち発言する権利は誰にでもあります。
また、沖浦さんは、宗門とは無関係だと主張されますが、関係を本当に断っていくというのであれば、まずは、邪宗だとみなす日蓮正宗大石寺から下付された本尊を全てお寺に返却すべきではないでしょうか。いまだに安置し拝んでいるならば、関係がないということは言えません。

444アネモネ:2003/10/28(火) 00:22
(つづき)
>392
>発言は全体の流れの中で判断せなばなりません。

まさに仰る通り。
しかしそう言っている沖浦さんは、この掲示板のこれまでの流れを全く無視して一方的な発言を続けられてきました。他人の家に土足で上がりこんで好き放題しているようなものです。
この掲示板では、御書の提示についてもその真偽について慎重に対処しております。少なくとも、真の日蓮仏法を真摯に追及する為に、証拠主義を重んじてきた経緯があるわけです。
ところが、沖浦さんの投稿は、その流れを全く無視した形で、一方的な個人の思いであるにも関わらず、極めて断定的に主張してこられているわけです。まるで論理的な説明になっていないばかりか、根拠を求められる質問が向けられると、「関係ない」「興味がない」「対話したくない」と回答を避ける姿勢。これでは、議論になっていません。

参加されるというのであれば、これまでのスタンスの流れのなかで、この度、抜粋した点についての根拠をまずは論理的に提示してください。
証拠や根拠が提示できないのなら、提示できないことを認めてください。
また証拠主義に異論があるならば、その理由を論理的に述べてください。
証拠主義のスタンスが理解できないならば、まずは過去ログをしっかり読んでください。
そのようなことに興味がない、関係がない、他の話がしたいというならば、沖浦さんこそ無理してこの掲示板に参加される必要はないはずです。よく考えてください。

犀角独歩ん、問答迷人さん、愚鈍凡夫さん、Jルーカスさん、Leoさん…は、投稿頻度は様々ですが、長くこの掲示板に参加されてきた論客方です。私とは違って、創価学会をよくご存知であり、教義の研鑚にも余念がありません。ですから、この方々の一連のレスは、まさにあなたの思いばかりの投稿に対して、反論の証拠を突きつけた内容だったわけです。ところが当の沖浦さんは、その突きつけられた証拠に対して、興味がない、関心がない、無駄だ、対話したくない、そうは思わないなどと交わすことで、突きつけられた証拠から目を背けてしまっているわけです。ですからその時点で、沖浦さんの持論に根拠なしの妄説ということになるでしよう。

しかし、前にも書きましたが、
>後は教義の内容に付いての討論は避けたいと思います。

と宣言されておられるのですから、実際にはこの時点で沖浦さんの論は事実上の敗北です。

>371
>投げ出したり致しません。
>無駄な事はしたくないだけです。
 
無駄なことだと強がってはいますが、要するに投げ出したことには変りないわけですね。教義を投げ出せば、それは、敗北宣言に変わりはありません。
敗北した人が、どんなに強がって断定的にものごとを言っても、それは負け犬の遠吠えです。
しかし負けを認めたくないのなら、教義討論で自らの主張をあくまで論理的に立証してみせて下さい。

>345
>自分の妄説を、他人に押し付ける事は愚かです。

教義討論を投げ出した沖浦さんこそ、何を言っても妄説となります。
妄説でないならば、無駄だと逃げずに、ここで証拠や根拠を示すことです。
創価学会の広宣流布も将来像の話もそれからにして下さい。

445愚鈍凡夫:2003/10/28(火) 00:25
>「そうは思わない」などという無責任な不同意はここでは論外とします。

>これは私に対する質問です。

これってどういう意味ですか?
他の人とのやり取りをどうこう言っているわけではないですよ。あなたは時々訳の分からぬ事を言い出しますね。それも一つの戦術ですか。誰のレスのことを言っているのかな?
それにあなたのは、如何なる質問に対しても答えにはなっていません。ただの決意発表です。
決意発表なら座談会でおやりなさい(しまった。今月は終わったんだ)。

>私の質門にお答えください。

何か質問されました。 (?_?)
遅いので強は寝ます。お休みなさい。

448沖浦克治:2003/10/28(火) 01:22
 アネモネさん
 創価学会の功罪を考えるとのスレッドに、学会批判しかなく、私のようにな創価学会員を皆様方で袋叩きにしている余蘊お見受け致しますよ。
 
>大石寺と無関係といいながら、その大石寺の26代住職・寛師漫荼羅を拝むこの矛盾。
 
 寛師曼荼羅など存在いたしません。
 あるのは寛師が書写した連尊曼荼羅です。(すでに何度も言っておりますよ)
>>関係がないのであれば、大石寺漫荼羅を拝むのは即刻やめましょう。止めません。
>あなたには関係の無い事です。
 
 大石寺曼荼羅等はありません。
 蓮祖の曼荼羅がたまたま大石寺にあるだけです。
>>>所謂、狸祭り事件の事につき、記録に基づき書いておきます。
どのような判断されるかは御自由に。
>>381
>>あなたのご指摘はご自由ですが、私には興味がありません。
 391での私のレスです。
 何も摩り替えていませんよ。
  『この事件のことは、昔現場に居合わせた先輩から直接お聞きいたしました。
 それによれば」事実はあなたの書き込み内容とは全く違っております。
 先輩はすでに故人にならておられますが、信用の出来る人物でした。
 小笠原師は、その後戸田先生に深く傾倒をされ、蓮華寺事件の時は創価学会がわにたって戦われたことは、有名な事実です。
 本当に戸田先生に殴打された人物が、そんな態度を取るとは私には思えません。
 あなたが、どのようなご意見を述べられようとご自由ですが、私は、あなたの発言を引き出してはおりません。
 あなたがご自分で判断されて書き込まれたのです。
 あなたが、あなたの責任に於いてご意見を自由におのべになられるように、私が、私の責任に於いて自分の意見を持つ事も、また自由ではないでしょうか?
 私は、戸田先生が仮にどのような破廉恥な罪を犯しておられたとしても(そんな事はありませんが)戸田先生を世界一の人物として心の底から尊敬する気持は、決して変わりません。
 以前、他の掲示板で、戸田先生におめかけさんが二人いたのに何故尊敬するのか?とのご質問をいただきました。
 私は、もしおめかけさんがいたらなぜ尊敬をしてはいけないのか?と不思議に思いました。
 これは、それぞれの価値観の問題です。
 その方に、私が価値観をあわせなければならない必然性がどこにあるのでしょうか?
 あなたに対しても同じ気持です。
 戸田先生が、小笠原師を殴るようなお方ではないことを、私はよく知っておりますが、たとえ殴った事が事実であったとしても、別に私にはどうでももいいことです。
 あなたがこだわるのはご自由ですが、私にはそんな事は余事にすぎません。
 殴っていようといまいと、どうでもいいのです。 
 あなたは問題意識を持ち、私は持たない。
 それだけのお話です。
 何故むきになって私を責められるのか、理解に苦しみます。』

449沖浦克治:2003/10/28(火) 01:35
 アネモネさん(つづき)

>>>国立戒壇の件
>興味がありません。
 国立戒壇を民主立(民主主義ですから当然そうなります)として議論を行なうのならば参加致しますが、国家権力に夜戒壇の建立は邪儀であり間違いです。

>> 蓮祖直属ならば、世界一ではありませんか。
>なぜ、蓮祖直属ならば、世界一なのでしょうか。
 ご本仏直属が世界一でナイト考えるのであれば、蓮祖の門を去るべきでしょう。
 このようなどご質問には驚きえお覚えますね。
 『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ、妙楽の云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養する 』(四信五品抄)
 『又御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事かへすがへす不思議にをぼへ候、そのゆへは僧となりぬ其の上一閻浮提にありがたき法門なるべし、設い等覚の菩薩なりともなにとかをもうべき、まして梵天帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあづかりて正法の僧をやしなうべき者につけられて候、毘沙門等は四天下の主此等が門まほり又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし、其の上日本秋津嶋は四州の輪王の所従にも及ばず但嶋の長なるべし、長なんどにつかへん者どもに召されたり上なんどかく上面目なんど申すは旁せんずるところ日蓮をいやしみてかけるか、総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるうせう房がごとし、わ御房もそれていになりて天のにくまれかほるな。のぼりていくばくもなきに実名をかうるでう物くるわし、定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん、ねずみがかわほりになりたるやうに鳥にもあらずねずみにもあらず田舎法師にもあらず京法師にもにずせう房がやうになりぬとをぼゆ、言をば但いなかことばにてあるべしなかなかあしきやうにて有るなり、尊成とかけるは隠岐の法皇の御実名かかたがた不思議なるべし。』( 法門申さるべき様の事)

450沖浦克治:2003/10/28(火) 01:51
>また、戸田さんがなぜ蓮祖直属なのでしょうか。
 
 この件につきましては、何度も具体的に申しあげております。

>今後もこの様なことを続けるのでしたら、あなたとの対話はお断りいたします。
 
 この方は、私専用の新聞や本が創価学会にあるのかとの、ご質問をされました。
 そんなものがあるはずが無い事は明らかです。
 単なる揶揄です。
 相手にする必要はありません。

>広宣流布の話や学会の将来像の前に、まずは抜粋したところについて誠実に答えて頂きたいものです。答えられないのであれば、沖浦さんのこれまでの主張は全て、根拠の示せないただの妄説ということになります。
 
 すでに示しました。

>この掲示板は、世界広布を考える以前に、広めようとしている教えとは真に何だったのかを真面目に検証してきました。
ましてやこのスレッドは、創価学会の功罪を議論することを目的としているのであって、創価学会の世界広布や将来展望を語る目的で立てたものではありません。
スレッドのテーマを無視して、勝手なテーマを持ち出さないでほしいです。

 であるならば『創価学会の過去の功罪を議論する』となさるべきであったでしょう。
 済んでしまった出来事よりも、今後の功罪の方が重要だと思います。

>ならば、沖浦さんのご発言は全面的には信用できないということになりますね。

 あなたはご自分に、そんなに自信がおありなのですか?
 私は成長途上の人間です。
 自信などありません。
 だから自信が持てるべく、必死で努力をしている最中です。

>私は、沖浦さんの投稿を読ませて頂いて、失礼ながら創価学会に縁がなくてよかったとつくづく思ってしまいました。辞めた方のお気持ちもわかる気がしました。
あなたはあなたですが、私は私で主張させて頂きます。

 創価学会の信心を体験した事の無いあなたが、そのようなことを言われる事は不思議です。

452沖浦克治:2003/10/28(火) 02:09
>そんなことはないでしょう。これから広宣流布と称して、大きくなろうとしている組織なのですから、有縁無縁に関わらず、社会的見地からもからその動向について意見を持ち発言する権利は誰にでもあります。

 発言はご自由でしょう。
 内政干渉は不必要だといっているのです。
 宗門が念仏になろうと、真言を唱えようと私は構いません。
 それは宗門の問題であり、創価学会の問題ではないからです。
 隣の家庭のおかずの内容にけちをつけつような行為は、慎むべきです。

>また、沖浦さんは、宗門とは無関係だと主張されますが、関係を本当に断っていくというのであれば、まずは、邪宗だとみなす日蓮正宗大石寺から下付された本尊を全てお寺に返却すべきではないでしょうか。いまだに安置し拝んでいるならば、関係がないということは言えません。

 何度も言いますが、日蓮正宗大石寺から下付されたご本尊は、私のの家庭にはありません。

>この掲示板では、御書の提示についてもその真偽について慎重に対処しております。少なくとも、真の日蓮仏法を真摯に追及する為に、証拠主義を重んじてきた経緯があるわけです。
  
 それはどなたがお決めになられたのでしょうか。
 また何故最初に断り書きを入れておかないのですか。
>犀角独歩ん、問答迷人さん、愚鈍凡夫さん、Jルーカスさん、Leoさん…は、投稿頻度は様々ですが、長くこの掲示板に参加されてきた論客方です。私とは違って、創価学会をよくご存知であり、教義の研鑚にも余念がありません。

 この方々が創価学会の真実を知っておられるとは、私にはとても信じられません。
 参加経歴は、真実とは無関係だと思いますよ。

>まさにあなたの思いばかりの投稿に対して、反論の証拠を突きつけた内容だったわけです。ところが当の沖浦さんは、その突きつけられた証拠に対して、興味がない、関心がない、無駄だ、対話したくない、そうは思わないなどと交わすことで、突きつけられた証拠から目を背けてしまっているわけです。ですからその時点で、沖浦さんの持論に根拠なしの妄説ということになるでしよう。

 おかしな事をおっしゃいますね。
 何故私の意見が思い付きですか。
 失礼な言葉です!
 私は昭和52年から、悩みぬいてこれらの結論に到達したのです。
 少なくとも私は、蓮祖の教えを教えてくれた創価学会を守ろうと思っています。
 都合が悪くなると逃げ出して創価学会の悪口を言っている、どこかの法華講の元学会幹部などとは違うのです。

453沖浦克治:2003/10/28(火) 02:25
 アネモネさん
 犀角独歩さんの425のレスです。
>(1) 石山を「邪宗」ということ、戸田さんを「諸悪の根元」というのは同レベルではありません、云々。
 
 明らかに私に対するものです。
 レス380での
 『 沖浦克治 投稿日: 2003/10/25(土) 16:45
 管理人様
 日蓮正宗が邪宗と私の表現に苦情を述べる人が、ご自身では、
 298『戸田さんは『諸悪の根本、当然のことでしょう。』 
 との発言をされていますね。
 おかしいと思いますが如何でしょうか?』

 私の発言にたいする返答であることは明らかです。
 (2)(3)についても明らかに私に対するご意見です。

 それに対して私は誠実にレス432で答え、最後に
 『
 以上返事をさしあげました。
 私は今回あなたに3つの質問を致しました。
 先ずそれにお答えください。
 その後次に(あればですが)進みましょう。
 ご返答をお待ちいたします。』
 と結んでおります。
 質問やご意見に誠実にお答えし、その後当方が質門を返しました。
 その後にまた新たな対話をしょう、と提案もしておりますよ。

 彼の答えです。
 『 >「そうは思わない」などという無責任な不同意はここでは論外とします。

>これは私に対する質問です。

これってどういう意味ですか?
他の人とのやり取りをどうこう言っているわけではないですよ。あなたは時々訳の分からぬ事を言い出しますね。それも一つの戦術ですか。誰のレスのことを言っているのかな?
それにあなたのは、如何なる質問に対しても答えにはなっていません。ただの決意発表です。
決意発表なら座談会でおやりなさい(しまった。今月は終わったんだ)。

>私の質門にお答えください。

何か質問されました。 (?_?)
遅いので強は寝ます。お休みなさい。 』

 大変不誠実に感じます。
 自らは質問をし回答に窮すると話を摩り替えているのは、私ではなくこの人ですよ。

455ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/10/28(火) 02:50
ここ最近、他に用があって、日蓮関係や創価学会関係の掲示板には、滅多に書き込みをする事がない私で、こちらの他のスレッドにおけるレスも、まだしていない状態なのですが、今日は久々に少しばかり。
こちらの掲示板は、最近、ある御仁によるいきなりの乱入?の為、他の人たちがずいぶんと迷惑されているようですね。
私は以前、創価学会関係の掲示板でバリバリ系の盲信的・狂信的創価学会員たちによって、まるで私が学会を潰す陰謀を企てている人間であるかの如く、事実無根のレッテルを貼られ、理不尽極まる到底許し難い攻撃を受けた事があります。
私の経験上からこれだけは断言できますのは、その手の連中は、何よりも「自分たちの方が絶対に正しくて、相手の方が絶対に間違っている」といった極端なまでの独善的で偏狭な考えを前提にして、話を進めようとしているわけなのですから、普通の感覚の人たちとの間で、到底マトモな話し合いなど成立するはずがありませんよ。
ちなみに、その事と関連した内容の書き込みを下記の掲示板にある「金満虎研究」という所に記しています。

http://www19.big.or.jp/~sunshine/soukagakkai/sonota/theme-touron.cgi

とにかく、そんな類の連中なんて本気で相手にしてもほとんど何の意味もなく、時間の無駄に他ならず、まさに百害あって一利なしで、まぁ、単なる暇潰しの相手として関るぐらいなら、いいんじゃないかと。
たとえ自分の考えとは異なったものであったとしても、他者の意見に対して謙虚に耳を傾ける、そういった人間としての基本的な姿勢に欠けている幼児レヴェルの人間の事は、436でLeoさんがおっしゃっていますように、出来るだけ無視して行く方が良いのではないかと思うんですけどね。

ところで、こちらに乱入された人の書き込み内容や思考法・反論の仕方は無論の事、文章に表れる微妙なトーン・行動パターン等を見ていると、以前、複数の創価学会系の掲示板に登場していた(実は今でも、複数のHNを使い分けて登場しているのではないか?との疑惑がある)、ある御仁のそれと本当によく似ているような気がして来るんですが、私の単なる思い違いなんでしょうか?(^ー^)

まぁ、とにかく、これにて失礼させていただきます。

458Jルーカス:2003/10/28(火) 03:39
沖浦さん

> 私は、戸田先生が仮にどのような破廉恥な罪を犯しておられたとしても
>(そんな事はありませんが)戸田先生を世界一の人物として心の底から
> 尊敬する気持は、決して変わりません。
> 以前、他の掲示板で、戸田先生におめかけさんが二人いたのに何故尊敬
> するのか?とのご質問をいただきました。
> 私は、もしおめかけさんがいたらなぜ尊敬をしてはいけないのか?
> と不思議に思いました。
> これは、それぞれの価値観の問題です。

これは私も全く同感です。
妾云々は私には逆に微笑ましいと思いました(言い過ぎかな)。
何故なら、これは単に戸田氏個人の問題だからです。
つまり私的問題だからです。
ただし、狸祭事件のように組織を使っての問題は公的問題です。
同次元にするのは公私混同ではありませんか。
ましてや、妾云々は犯罪ではありませんが、暴行傷害事件は刑事事件です。
現に、戸田氏を初め学会員は刑事告訴されております。
顕正会あたりは、広宣流布のためなら国法を犯しても良いというような傾向が強いようですが、貴殿もそのような考えをお持ちですか。

また沖浦さんは、その事件の真相をその場に居合わせた方から聞いたそうですが、私のはそのような口伝えから書いた訳ではありません。

もう「狸祭事件」の記載は止めるつもりだったのですが、皆様が未だ引用されていますし、誤解を受けると良くないので一言、申しておきます。
小生は、外ならぬ被害者小笠原師が自ら書かれました「創価学会戸田城聖以下団員暴行事件の顛末」を出典として書かせて頂きました。

「創価学会戸田城聖以下団員 暴行事件の顛末」
前書き
①暴行騒撲の事実
②告訴の理由
③神本佛迹論について
④大石寺を身延に売ったということ
⑤牧口常三郎を殺したという無法
余録
昭和二十七年五月二十三日
      岐阜県○○
        本○寺住 小笠原慈聞
となっております。

459アネモネ:2003/10/28(火) 03:41
沖浦克治

>創価学会の功罪を考えるとのスレッドに、学会批判しかなく、私のようにな創価学会員を皆様方で袋叩きにしている余蘊お見受け致しますよ。

どのレスのことですか?具体的に示して下さい。

>あるのは寛師が書写した連尊曼荼羅です。

それを寛師曼荼羅というのではないのですか?

>蓮祖の曼荼羅がたまたま大石寺にあるだけです。

たまたまあったものでも大石寺の宝物には変わりないでしょう。邪宗だという他寺の宝物を書写しておきながら、関係ないは図々しくありませんか。

>国立戒壇を民主立(民主主義ですから当然そうなります)として議論を行なうのならば参加致しますが、国家権力に夜戒壇の建立は邪儀であり間違いです。

この点は、独歩さんが詳しく解説されていますが、戸田さんが主張されたことなわけですから、戸田さんが世界一だと言った沖浦さん自身の発言との整合性をきちんととって説明して下さい。

>ご本仏直属が世界一でナイト考えるのであれば、蓮祖の門を去るべきでしょう。

二つの御書を示されましたが、それを通して何が言いたいのでしょう。
いずれにしても、私が何をどう考えるかが問題ではありません。
まず、あなたがここで断言したことに対して、あなた自身が根拠を示す責任があると言っているのです。あなたは、戸田さんが世界一だと断言したのですから、その根拠をここで示す説明責任を迫られているのです。
それが本仏直属ということであるならば、学会が本仏直属であるということの根拠を示し、さらに日蓮が本仏であることの根拠も示しさなければなりません。

>このようなどご質問には驚きえお覚えますね。

私の質問にも答えられないようでは、世界広布は夢のまた夢でしょう。

>この件につきましては、何度も具体的に申しあげております。

私にはそれがどのレスのことかわかりません。再度、その部分を貼り付けで構いませんので、示して下さい。

460アネモネ:2003/10/28(火) 03:45
お詫び

>459のレスにつきまして、敬称をつけずレスをいたしました。
沖浦さんに、大変失礼いたしました。申し訳ありません。

461アネモネ:2003/10/28(火) 03:45
(つづき)
>この方は、私専用の新聞や本が創価学会にあるのかとの、ご質問をされました。

当然の質問だと思います。
そもそも、この質問の原点である沖浦さんのレスは、

>343
> >創価学会員をこの数字まで200年以内に出来なければ、蓮祖の法は滅びるでしょう。

というものです。この根拠の提示を求められたわけです。そのときついでながら、「沖浦さん専用の大白蓮華や聖教新聞があるのでしょうか」ということも確認されたわけですね。
要するに、最低限、過去全ての大白蓮華や聖教新聞の中に、そのようなことが書かれてあったのかという根拠を求められたわけです。当然の質問だと思います。
ところがです。

>そんなものがあるはずが無い事は明らかです。

ということですから、それでは何のことはない、根拠もなく豪語しただけの言葉だったということになります。

>単なる揶揄です。
>相手にする必要はありません。

揶揄ではないでしょう。相手にしなければならない、あなたの発言の説明責任があります。

>すでに示しました。

以上、再度、コメントしましたように、示されておりません。再度、説明を求めます。

>であるならば『創価学会の過去の功罪を議論する』となさるべきであったでしょう。

功罪とは、何かしたことに伴う良かった点と悪かった点のことです。したこと、良かったこと、悪かったこと、全て過去形です。過去の検証に基づくことなのです。こんなことも説明しないとわかりませんか?

>済んでしまった出来事よりも、今後の功罪の方が重要だと思います。

いいえ、違います。その根拠は、過去に被害を受けてきた人がたくさんいるからです。
なにごとも過去の反省の上に、未来の展望があるものです。

>あなたはご自分に、そんなに自信がおありなのですか?

あなたがこの掲示板で発言したことの責任が問われているのです。私のことは問題ではないでしょう。
あなたは、自分に自信がないのに、多くのことをここで断言している。よってそれでは、断言したことは信用できませんねと確認しているのです。私の自信のことはそれこそ関係ありません。あなたが発言したことを問題にしているのです。

462アネモネ:2003/10/28(火) 03:46
(つづき)
>だから自信が持てるべく、必死で努力をしている最中です。

途上中ならば、断定的にものごとを決め付けて語らないで頂きたいものです。
それでも、確信しているというのであるならば、その根拠を示して下さい。

>創価学会の信心を体験した事の無いあなたが、そのようなことを言われる事は不思議です。

お陰様で、沖浦さんの投稿でもって実証してくださいました。

>内政干渉は不必要だといっているのです。

人間中心なんでしょう。
私たちは人間として、人間の為と布教する教団に、人間として干渉する権利があるのではないでしょうか。何か矛盾がありますか。しかも、世界に広めようというのですから、日本国民として、動向を注目させて頂くのは当然のことです。

>それは宗門の問題であり、創価学会の問題ではないからです。
 隣の家庭のおかずの内容にけちをつけつような行為は、慎むべきです。

世界平和を目指すような教えを、家庭のおかずと一緒に論じるのですか。宗教は社会公共的存在です。家庭のおかずは公共的なものではありません。公と私の区別もつかないのでしょうか。

>度も言いますが、日蓮正宗大石寺から下付されたご本尊は、私のの家庭にはありません。

あなたの家にはなくても、あなたの同胞の家にはあるでしょう。全て返却されてはじめて関係断ったといえるものです。

>それはどなたがお決めになられたのでしょうか。

誰が決めたことでもありません。長い議論の到達です。
とにかく過去ログを読んでください。

>また何故最初に断り書きを入れておかないのですか。

ルールに入れるべきではないかという意見も出ました。しかし、スレッドテーマによっては、証拠主義に必ずしも基づく必要のない、個人の主観で思い思いのことを書いていくスレッドもあります。そのために、敢えてルールに加えなかったのです。
だからこそ、ここまで沖浦さんも、個人の主観が自由に投稿が出来たのです。
しかし、その投稿がどういうものであるかは、証拠主義に基づいて議論されていかなければなりません。ですから、どうしても教義討論は避けられないのです。

463アネモネ:2003/10/28(火) 03:46
(つづき)
>この方々が創価学会の真実を知っておられるとは、私にはとても信じられません。

ネットで初対面の方々でしょうし、面識もないのですから、仕方ないでしょう。
しかしだからこそ、対話が必要なのではないですか?
この方々が創価学会の真実を知っているとは信じられないと、決め付けてはいけません。
まずは、排他的に構えないことです。ここに参加されている方々は、今ここであなたが、強く主張してこられたことを、かつて信条としていた時期もあった方が大半です。恐らく、私が代弁することではありませんが、沖浦さんの投稿を読みながら、かつての自分を見ている思いの人ばかりではないかと思います。
(違っていたらすみません)

>おかしな事をおっしゃいますね。
 何故私の意見が思い付きですか。
 失礼な言葉です!

どこが失礼なのでしょう。関心がない、無駄だ、対話したくない、と言うほうがよほど失礼です。

>私は昭和52年から、悩みぬいてこれらの結論に到達したのです。

信心の年数は関係ないでしょう。
自信がないと仰ったのですから、今も悩みの中におられるものなのでしょう。

>少なくとも私は、蓮祖の教えを教えてくれた創価学会を守ろうと思っています。

それは、信教の自由ですから、誰も何も言いません。

>都合が悪くなると逃げ出して創価学会の悪口を言っている、どこかの法華講の元学会幹部などとは違うのです。

誰のことを言っているのでしょう?意味がわかりません。
都合が悪くても逃げないというのであれば、再度、提示しました質問の証拠を論理的に説明して下さい。

464ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/10/28(火) 04:29
参考までにご紹介させていただきますが、下記の所における998<2002/09/19(木)>以降の書き込みをご覧になられれば、盲信的・狂信的なバリバリ系学会員の類が有していている、極端なまでにモラルが欠如した異常な性質、並びに彼らの愚劣極まる人間性というものが、実によくおわかりになられる事と思います。
そして、個人的な事になりますけど、かつて私が彼らのような人間たちから、いったいどのような許し難い非礼を受け、こちら側の反論・抗議に対して相手側からは、ただの一言の謝罪の言葉もなかったという紛れもない事実も。

http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&amp;KEY=1019879628

とにかく、あの手の連中なんか本気で相手にせず、極力無視して行くのが賢明なのではないでしょうかね?
その方が健全だと思いますし、それに、多分、彼らのような人間というものは、すごく淋しくて、誰かに相手にしてもらいたいだけなのでしょうから。

465管理者:2003/10/28(火) 07:17

掲示板ご参加の皆様へのお願い

各自におかれましては、相手の方の書き込みが、禁止事項に該当していなくても、掲示板の趣旨、書き込みの原則から見て、不適切だと判断される場合には、お答えにならないようにお願い申し上げます。

466ジャンノレン:2003/10/28(火) 11:20
久しぶりに覗きましたが、なんだか以前の空気とは違っていますね。
管理人さま、また諸兄の意見を拝見させて頂いておりますが、ドブチェクさんの
>とにかく、あの手の連中なんか本気で相手にせず、極力無視して行くのが賢明なのではないでしょうかね?
や管理人さまの
>各自におかれましては、相手の方の書き込みが、禁止事項に該当していなくても、掲示板の趣旨、書き込みの
>原則から見て、不適切だと判断される場合には、お答えにならないようにお願い申し上げます。

に同意を感じております、某正宗系の掲示板でも一方的な削除や削除後の罵り、煽り、罵倒があり、さながら集団
リンチの様な感があります。品位を保つ為との大義名分を持ちいながら結果的には自分たちの主張に相容れないも
のに対する削除権限の専横は、横暴の誹りを免れない所業に嘆息と呆れるばかりです。

個人としてのそう言った防衛には、単純にロムを止めればいいと思うのですが、当掲示板に於かれてはそれは少し、
残念な気が致します。現在、問題とされる方の主張の大半は彼方此方の掲示板にて散見される意見で御座いますし、
建設的ないし対話的でなければ、無視されるのが一番かと存じます。公開掲示板のモラルとしての規約抵触しない原則
は当然のこととして、なによりも、客観的にその主張する意見に異物を感じても、一人に大勢で排除的な意見を述べ
合うのは、これはこれで如何なものかと存じます。
「礼楽はせて真道後に渡る」という言葉もありますので、言論主張の権利は守り、答えず。と云う姿勢に徹せられる
のが掲示板の品位にも傷が付かないことと思います。
以上、僭越ながら諸兄の御高説を楽しむ一人として、当掲示板を愛するものとしての意見でした。

467犀角独歩:2003/10/28(火) 14:09

434 Jルーカスさん:

> 日興上人も日目上人も蓮祖とは相貌の違う御本尊を書写

そうでした。これはご指摘有り難うございます。
それにしても、

> 蓮祖の曼荼羅と相貌が違うのならば、偽曼荼羅

という驚くべき発言が飛び出しました。
まさか自分たちが拝んでいる漫荼羅を偽曼荼羅と言い切るとは思いませんでした。
さらにまさかですが、寛師漫荼羅が蓮師御筆漫荼羅と同じ相貌と思い込んでいるわけじゃないですよね(笑)

468犀角独歩:2003/10/28(火) 14:24

458 Jルーカスさん:

引き続き、失礼します。
「狸祭り事件」、小笠原師自身の自書、さらに戸田さんそのた学会員が刑事告訴されたという事実の提示ですね。
聞いたことがある・ないという口コミ、風聞、伝聞ではない事実証拠ですね。
なるほど。間違いない学会における会長自らが暴力事件を起こした組織犯罪であったわけですね。参考になりました。有り難うございました。

469Jルーカス:2003/10/28(火) 14:27
467 独歩さん。

>> 蓮祖の曼荼羅と相貌が違うのならば、偽曼荼羅
>という驚くべき発言が飛び出しました。
>まさか自分たちが拝んでいる漫荼羅を偽曼荼羅と言い切るとは思いません
>でした。
>さらにまさかですが、寛師漫荼羅が蓮師御筆漫荼羅と同じ相貌と思い込ん
>でいるわけじゃないですよね(笑)

冗談みたいな話を1つ。
初期の創価学会の会員さんは「自分が頂いた本尊=戒壇の御本尊」だと言う
指導を受けていたため、良く見て「奉書写 日寛」となっていたため「私は
日蓮大聖人の書かれた戒壇の御本尊」を頂いたハズなのに「日寛上人書写
本尊」を貰ってた。詐欺だ。と騒いだ事件があったそうです。

それに比べれば、マシでしょう。

470犀角独歩:2003/10/28(火) 14:41

469 Jルーカスさん:

その程度でした、たしかに(笑)
しかし、自分で偽だと決めつけるところが自分たちが拝んでいる漫荼羅であるというのは「マシ」というよりブラックジョークかと思いましたよ。
まあ、管理者さんその他の方々からのご注意もありましたので、これくらいにしておきます。

471顕正居士:2003/10/28(火) 19:02
日蓮正宗と創価学会とはもともと別の宗教であるともおもえる。

「創価学会の隠された真実史」
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/skbk1/sg1/sghh.htm

日蓮正宗では常住御本尊の授与が成仏決定である。飛躍的
に信徒が増えているときに非現実的ではある。しかし真面目に
近代化を提案した話も聞かない。「常住御本尊」は大石寺法主
への信仰を強化するので、日寛師の文章の一部を引きながら
「御戒壇様」の意義を曲げた教義を宣布していたんではという
疑いはおこりますね。

472沖浦克治:2003/10/28(火) 19:20
 アネモネさん

>創価学会の功罪を考えるとのスレッドに、学会批判しかなく、私のようにな創価学会員を皆様方で袋叩きにしている余蘊お見受け致しますよ。

どのレスのことですか?具体的に示して下さい。

 別Bにどのレスこのレスでは無く、全体に創価学会に対する批判で満ち溢れています。
 前回もあげましたがもう一度貼り付けておきます。

 『戸田さんは『諸悪の根本、当然のことでしょう。』
  
 『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
 
 『しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。』
 
 『私は創価に反省を迫っています。殺されるまで聖戦です。』
 
 『れいなさんにつづきアネモネさん.沖浦克治さんはハンドルネームからオンナと見るとすぐにちょっかいをだしますなあ.』
 
 『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』

 いくらでもあります。
 ここの書き込みは創価批判のみでしょう。
 アネモネさん、少し現実を認識されれば如何ですか。
 あなたがここの掲示板で創価学会の側たつ発言を、私以外の人がしている事実をあげて下さい。

473沖浦克治:2003/10/28(火) 19:26
>>あるのは寛師が書写した連尊曼荼羅です。

>それを寛師曼荼羅というのではないのですか?

 寛師が書写した蓮祖の曼荼羅との意味ならその通りです。
  以下に日顕法主の言徐引用いたします。
 彼も歴代法主の書写のご本尊様は、すべて蓮祖のいのちであるといっておりますよ。
 
 (平成七年三月二十五日・第二回講頭・副講頭指導会の砌)
 「私は前に、次のような内容の手紙をもらったことがありました。それは、『日顕上人書写の御本尊は、字が下手だから、あまり有り難く思えない。日顕上人書写の御本尊は、それなりの、その程度の境界で書いたと思う』というようものでした。これはとんでもない考え方ですけれども、そこに、『末法に生まれた凡夫が僧侶となって修行し、そして法主となった人が書写する御本尊と、根本の大聖人様の御本尊とでは、そこに天地の相異があるのではないか』というような考え方があるが故に、そういう言い方をしてきていると思うのであります。しかしながら、これは全く誤った見解であります。そこに、大聖人様が日興上人に伝えられ、日興上人が日目上人へ伝えられた、血脈相伝の上から本尊の内証を口伝せられた意義があるのであり、これは厳然として七百年の今日まで伝わっておるのであります。申すまでもなく、御歴代上人御書写の御本尊にはすべて、大聖人様のお心がそのまま、はっきりと顕れております。したがって、御歴代上人、どなたの御本尊にしても、皆様方が大聖人様の御当体と拝して真剣にお題目を唱え奉るところ、必ず真の即身成仏への道が開かれるということを、ここにはっきりと申し上げておく次第であります。」P四四

474沖浦克治:2003/10/28(火) 19:33
>>蓮祖の曼荼羅がたまたま大石寺にあるだけです。

>たまたまあったものでも大石寺の宝物には変わりないでしょう。邪宗だという他寺の宝物を書写しておきながら、関係ないは図々しくありませんか。

 蓮祖は広宣流布をご遺命になられました。
 これには武器としてご、本尊様が不可欠なのです。
 日顕法主は、蓮祖に違背してご本尊下付を停止いたしました。
 故に自らで調達したのです。
 日蓮正宗は邪宗ですが、蓮祖のご本尊様は本物です。
 蓮祖門下の我々には、ご本尊寡婦を受ける権利があるのです。
 習い損ないの法主や能化どもの許可をいただく筋合いなどございません。

475沖浦克治:2003/10/28(火) 19:44
>>国立戒壇を民主立(民主主義ですから当然そうなります)として議論を行なうのならば参加致しますが、国家権力に夜戒壇の建立は邪儀であり間違いです。

この点は、独歩さんが詳しく解説されていますが、戸田さんが主張されたことなわけですから、戸田さんが世界一だと言った沖浦さん自身の発言との整合性をきちんととって説明して下さい。

 国立戒壇の是非と、戸田先生を私が世界一だと信じている事を、何故リンクされるのかご説明ください。

>二つの御書を示されましたが、それを通して何が言いたいのでしょう。
いずれにしても、私が何をどう考えるかが問題ではありません。

 当然のことながらあなたが何と思われ様と、蓮祖が末法のご本仏でありその門下が蓮祖の仰せのように世界一の資格をもつべき人間である事とは無関係です。
 私は、日蓮大聖人様が末法のご本仏である事を事実として認識いたしております。 
 信じる信じないは人それぞれの問題で、私には関係ありません。
 私は信じる、誰かは信じない。
 それだけのことです。
 参考までに申しますが、引用した御書は蓮祖門下として仏道修行に励む人々を、蓮祖がどのようにお考えかを述べられているご文です。
 私は、真にありがたいお言葉と拝します。

476沖浦克治:2003/10/28(火) 19:53
>戸田さんが世界一だと断言したのですから、その根拠をここで示す説明責任を迫られているのです。
それが本仏直属ということであるならば、学会が本仏直属であるということの根拠を示し、さらに日蓮が本仏であることの根拠も示しさなければなりません。

 戸田先生は蓮祖の御書を身で読まれ、化儀の広宣流布を軌道にのせたおかたです。
 蓮祖がご本仏であるように、戸田先生は世界一なのです。
 極めて簡単な理由だと思います。


私の質問にも答えられないようでは、世界広布は夢のまた夢でしょう。

 私は常にお答えしております。
 また私があなたの質問に答えれな事と、創価学会の取り組む世界広布の是非は無関係です。
 私は創価学会を代表しているわけではありませんし、あなたがいずれかの団体を代表しているとは思えません。

477沖浦克治:2003/10/28(火) 19:58
>>この件につきましては、何度も具体的に申しあげております。

>私にはそれがどのレスのことかわかりません。再度、その部分を貼り付けで構いませんので、示して下さい。
 
 社会体制が整い広宣流布の実現が可能になった時、戸田先生がご出現になられ『吾地涌の菩薩の棟梁なり』と宣言され、以後連尊の方が燎原の火のごとく広まった事が何よりの証拠です。
 同時に多くの新興宗教も広まりましたが、あれらは蓮祖の法とは無関係です。
 広宣流布の火蓋が、何故在家の戸田先生によって切れらたか、は熟慮すべきでしょう。

478沖浦克治:2003/10/28(火) 20:16
>>この方は、私専用の新聞や本が創価学会にあるのかとの、ご質問をされました。

>当然の質問だと思います。
そもそも、この質問の原点である沖浦さんのレスは、

 あなた方専用の御書があるのですか?
 とお聞きします。
 『要するに、最低限、過去全ての大白蓮華や聖教新聞の中に、そのようなことが書かれてあったのかという根拠を求められたわけです。当然の質問だと思います。
ところがです。』
 と次にお聞きですが、理解能力は人により異なります。
 蓮祖が末法のご本仏である事を理解できない人は、多くいますよ。
 同じく、彼が理解できない事は彼の問題です。
 本気で知りたければ、礼を尽くして聞くべきでしょう。
 それが世間の礼儀と言うものですよ。

>ということですから、それでは何のことはない、根拠もなく豪語しただけの言葉だったということになります。

 そのようなことは一度もありません。
 根拠も無く豪語しているのは、意味の無い学会批判をしている人たちです。
 この人たちのご意見からは、広宣流布の情熱が感じられません。
 広宣流布は、蓮祖の最大のご遺命です。
 これを離れて蓮祖の仏法はありません。
 布教をせよとのご文は無数にあります。
 布教をしなくてもいいというご文は何処にもありません。
 御書は、布教をせよとのお言葉で満ち溢れんばかりです。
 何故彼等は、広宣流布に対する意気込みや、構想や、自身の取り組に付いて語り合えないのでしょうか。
 いくら法門、法儀を研究し、ご真筆にこだわっても広宣流布を目的としなければ、何の意味もありません。

479沖浦克治:2003/10/28(火) 20:32
>いいえ、違います。その根拠は、過去に被害を受けてきた人がたくさんいるからです。
なにごとも過去の反省の上に、未来の展望があるものです。

 残念ながらあの人たちには、創価学会に対する未来の展望などありません。
 私には、彼等にあるのは恨みつらみだけに感じられます。

>>あなたはご自分に、そんなに自信がおありなのですか?

>あなたがこの掲示板で発言したことの責任が問われているのです。私のことは問題ではないでしょう。
あなたは、自分に自信がないのに、多くのことをここで断言している。よってそれでは、断言したことは信用できませんねと確認しているのです。私の自信のことはそれこそ関係ありません。あなたが発言したことを問題にしているのです

 わかりました。
 そこまでおっしゃるのであれば申しあげます。
 私は、ここの掲示板に投稿されているどなたよりも、自分に自身を持っております。
 これでよろしいですか。

>途上中ならば、断定的にものごとを決め付けて語らないで頂きたいものです。
それでも、確信しているというのであるならば、その根拠を示して下さい。

 臨終正念との言葉をご存知ですか。
 蓮祖門下は、死の瞬間まで努力をし続けるのです。
 信心の確信は最後は体験になります。
 お聞きになられたければ書き込みます。

>世界平和を目指すような教えを、家庭のおかずと一緒に論じるのですか。宗教は社会公共的存在です。家庭のおかずは公共的なものではありません。公と私の区別もつかないのでしょうか。
 
 世界平和といえども各個人、各家庭の平和の確立の延長線上にあるのです。
 家庭や個人を離れて広宣流布などは無いのですよ。

>あなたの家にはなくても、あなたの同胞の家にはあるでしょう。全て返却されてはじめて関係断ったといえるものです。

 たとえ話です。
 
 『おじさんの若い時は、創価学会は日蓮正宗だったんだよ。
 ウッソー、アリエナイ〜!!』
 
 こんな時代がすぐそこまで来ています。
 しばらくすれば解決いたしますので、お待ちくださいませ。
 私もワクワクしながら待っているのです。

480沖浦克治:2003/10/28(火) 20:45
>誰が決めたことでもありません。長い議論の到達です。
とにかく過去ログを読んでください。

 過去ログは読ませていただきました。
 将来の世界広布に付いて語ることを、禁じているとは思えません。

>しかし、その投稿がどういうものであるかは、証拠主義に基づいて議論されていかなければなりません。ですから、どうしても教義討論は避けられないのです。

 わかりました。
 今後御書を題材にする討論と、創価学会の教義と方針に関する事には参加をいたします。
 代々の法主と等は、参考程度であれば結構かと存じます。

>ネットで初対面の方々でしょうし、面識もないのですから、仕方ないでしょう。
しかしだからこそ、対話が必要なのではないですか?
この方々が創価学会の真実を知っているとは信じられないと、決め付けてはいけません。
まずは、排他的に構えないことです。ここに参加されている方々は、今ここであなたが、強く主張してこられたことを、かつて信条としていた時期もあった方が大半です。恐らく、私が代弁することではありませんが、沖浦さんの投稿を読みながら、かつての自分を見ている思いの人ばかりではないかと思います。
(違っていたらすみません)

 排他的なのは彼等のほうでしょう。

>どこが失礼なのでしょう。関心がない、無駄だ、対話したくない、と言うほうがよほど失礼です。

 関心の無いものに取り合わない自由は、ここにないのですか?

>>私は昭和52年から、悩みぬいてこれらの結論に到達したのです。

>信心の年数は関係ないでしょう。
自信がないと仰ったのですから、今も悩みの中におられるものなのでしょう。

 年数に関係ないといわれるのなら、この掲示板は最初から運営が云々とは言わないでください。
 また私は、創価学会のことで現在全く悩んではおりません。
 創価学会は唯一正しい宗教です。
 それ以外は全て過てる教えでしかありません。
 これでよろしいですね。

481沖浦克治:2003/10/29(水) 06:56
 皆様方に
 おはようございます
 蓮祖のご真筆本尊を網羅するサイトがあります。
 書き込みますのでよろしければご利用くださいませ。
 すでにご存知であればご笑殺下さいませ。
  http://www.lbis.jp/gohonzon/

482犀角独歩:2003/10/29(水) 16:35

『週刊新潮』頑張っていますね。
11月6日号

新『創価学会』を斬る
ライター 山田直樹
新連載第1回「異様な中傷キャンペーン」が思い出させる
狂気の「言論弾圧事件」

「池田大作はヒットラーだ」と田中角栄は言った。
金と力による徹底した糾弾!
悪夢がまた繰り返されるのか。
巨大教団の本質を問う
(『読売新聞』(7)国際14版 2003年10月29日)

どこでもかしこでも、創価学会の言論弾圧の再燃と言うことでしょうか。
四半世紀経っても創価学会の本意質は何も変わっていないのか?
興味深いところです。
創価学会と、会員の他者蔑視、暴力発言の実体を見聞すれば実体は理解できるところとなるでしょう。

483沖浦克治:2003/10/29(水) 16:53
 皆様方に
 蓮祖が、悪僧日蓮と呼ばれていた事はご存知ですか。
 正しい教えに魔が競うことは蓮祖の仰せ通りです。
 かって、『池田大作の死んだ後日本』との問いかけをした人がいました。
 『安部日顕の死んだ後の日本』など言う人は誰もいませんよ。
 宗門や皆様方の所属する団体が、せめて300万人程度いらっしゃれば、蓮祖の仰せ通り魔が競うのでしょね。
 一日も早くそこまで成長される事を、期待いたしております。
 頑張ってくださいませ。

484犀角独歩:2003/10/29(水) 16:55

「安部日顕」ではありません。「阿部日顕」です。

485沖浦克治:2003/10/29(水) 17:06
 失礼致しました。
 阿部日顕法主ですね。

486沖浦克治:2003/10/29(水) 17:26
 しかし面白くなってきましたね。
 宗門と離別し折伏に励む創価学会に、また蓮祖の仰せのままに魔が競い始めました。
 戸田先生は『運がよければもう一度難を受け、牢獄に入れられる。運が悪ければこのまま何事も無く死んでいくだろう』とおっしゃいましたよ。
 また『君たちは難が競うと、私は創価学会ではありません、日蓮正宗です。お寺で信心しています、と言わんとも限らんぞ。』とも仰せです。
 いよいよ魔が競い始めた今、私は創価学会員である事が誇りに思えます。
 他の団体の何処に魔が競っていますか?
 
 『此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。』(兄弟抄)
 
 魔の競わないような信心は、蓮祖門下ではない明白な証拠です。
 
 『しをのひるとみつと月の出づるといると夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり、此の事はわざとも申し又びんぎにとをもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならばよもこの御使はあらじとをもひ候へばもしやと申すなり。』(兵衛志殿御返事)

 過去に多くの学会員が、この様な魔に耐えれずに退転していきました。
 この人たちは戸田先生のご指導や、蓮祖のご遺命を本気で読めなかった人達でしょう。
 然しながら、順縁・逆縁ともに救うのが蓮祖の法です。
 なんとありがたい事ではありませんか。

487妙薬:2003/10/29(水) 19:54
 独歩さま、ご無沙汰しています。
 ご指摘の通り、「本質は全く変わっていないのか?」。その通りです。
 是非、週刊新潮の連載記事を読んでください。”新”こそ付いていますが、平成版「創価学会を斬る」です。
 昭和45年当時と比べ、創価学会の言論弾圧の手法は、巧妙かつ高度化しています。「言論弾圧の再燃」と見せずに、事実上の弾圧をしているところが何とも怖いですね。

488沖浦克治:2003/10/29(水) 20:03
 『本質は決して変わりません』
 
 創価学会が蓮祖直属であり、常に民主の側に立ち、週刊誌等に見られる愚劣な批判をものともせず、広宣流布を成し遂げるという本質は変わり様が無いのです。

489探訪者007:2003/10/29(水) 20:26
 横から失礼。「週刊新潮」を購読しました。 有る方が「事実を述べられたが、あまりにも本質を突いた発言?」だったようで「創価=公明サンらは、よほどコタエタノカ?」「山崎ダ、乙骨ダ、共産党ダ、、」と言う説得力のないヒステリックで口汚くののしる〜最近は「裁判に訴える」と言う「言論弾圧的」に変身?のようです。 創価=公明方らは「事実を少しでも認めれば、今までの信心?が土台から崩れる」と言う「恐怖心から、内心はそれらをウソだ、魔ダ、」と「必死に打ち消したい」ようです。 良心の有る方々は「新潮」に大拍手でしょう。

490問答迷人:2003/10/29(水) 20:32

僕が現役学生部員の時、衆議院選挙が有りました。特別任務だと言って、やらされた事は、公明候補に競合していた自民党の選挙事務所に行って、事務所の電話番号を調べ上げて、そこに公衆電話から無言電話を掛け続ける任務でした。手分けして、市内各所に散らばって、移動しながら電話を掛け続けました。

これは明らかな選挙妨害でしたが、それなりにみんな力を合わせて一生懸命がんばりましたよ。

この手の反社会的行動でも、広宣流布のお役に立てるんだ、と思って、そうためらいもなく取り組んだことを、昨日のように思い出します。今思い返せば、このような目的のためには手段を選ばないというやり方は、仏法ではないと思います。言論弾圧も、恐らく、同じような発想で行われたのだろうと推測しています。

491犀角独歩:2003/10/29(水) 20:52

かつて創価学会で池田さんが逮捕された大阪事件を起こしました。
わたしの父親はこの事件に直接関わりました。
具体的に言うとショートピースの箱に500円札を仕込んで選挙依頼をする買収です。
言論出版帽事件は複合的な事件であった単独事件ではありませんでしたね。
たとえば印刷所に勤務している人が印刷物の中に創価学科批判を見つけると、それを本部に連絡し、それで圧力を掛ける、そんなことを複数起こした事件でした。

以上は明らかに犯罪なのであって、それによって社会的な批判が起きました。もちろん、難ではなく、犯罪批判です。それを経・釈・御書を引っ張ってきて、正当化し、蓮師に泥を塗ったわけです。人道的にも、社会的にも、何より日蓮門下にとってこれほどひどい動向はなかったわけです。

副次的に国立戒壇論を反故にし、政教分離という表向きの“公約”をすることになりましたが、妙薬さんも仰るとおり、本質は何ら変わっていません。

492犀角独歩:2003/10/29(水) 21:07

アネモネさん:
創価学会に疑問を持つ皆さん:

少しこちらでもお話をしましょうか。わたしは創価学会から脱して10年以上の歳月が流れました。生まれながらの創価学会員であったわたしにとって、脱会はフィルターを通さず社会を見る“入会”のようなもものでした。ひとつの信念体系、組織を脱してみないと見えない世界がありますね。

会ではわたしのようなスライド・アップを「退転」と言いますが、これは「進展」というべき人生の幸福な一幕でした。しかし、学会員はわたしのような幸福な選択をすると「退転者」と侮蔑の限りを尽くします。この理由をハッサン師はしっかりと書き留めてくれました。

「破壊的カルトの目には、だれかがそのグループをやめる『正当な』理由など存在しないのだ」(P192)

創価学会が破壊的カルトかどうか、そのような断定をここで行おうとしているわけではないのです。「グループをやめる『正当な』理由など存在しない」創価学会は、破壊的カルトと同様の特徴を持っている点を注視するのみです。会総体と言うより、その「指導」を墨守する各会員の意識においても同様であって、脱会者を侮蔑敵視する態度は、まさに破壊的カルトメンバーの特徴と共通しています。

学会員であったわたしは、世間の人で「創価学会は間違っている」と思うのは、「悪鬼入其身」で判断力が狂っていると教えられていたのです。しかし、脱しててみると、一般の人は、その正常な思慮・行動から、創価学会の異常性を感じ取っていたと知ったわけですこの累計の感覚をアネモネさんは指摘くださったのだと感謝しています。学会では世間が劣っていると教えられていたのですが、“進展”して見た実態は逆でした。学会員であるわたしは操作されていたのです。

かつて日本人は「鬼畜米英」と信じて死んでいきました。けれど、敗戦後、直ぐに日本人はそれらの国の人々と友好裡に過ごすようになれました。相手の国の人たちが変わったと言うより、日本人各人が「鬼畜米英」という“植え付けられた”心理操作から脱却できたからでした。(もちろん、新たな国際的な心理操作は問題になります。しかし、ここでその言及はやめます、本題を霞ませてしまいますから)

わたしが創価学会を、脱して何よりいちばん驚いたことは、会の中で言われていたことと社会の現実があまりにも違っていたという事実でした。この衝撃は、入会脱会の経験のない人にはわからないものです。

わたしが創価学会にいた頃、盛んに言われていたことは「広宣流布の上げ潮」「広宣流布の総仕上げ」ということでした。この言葉を鵜呑みにしていた自分は、もうすぐ広宣流布が実現すると信じて疑いませんでした。今から30年前の話です。

ところが社会の現実を目の当たりにする限り、創価学会が言うような「総仕上げ」段階になど、まるでなっていないばかりか、広宣流布の兆しすらまったくありませんでした。世界の指導者であると思っていた「池田先生」も世界ではまるで無名でした。世界には一部の人を除いては「創価学会」「池田大作」の存在をする人などいませんでした。

493犀角独歩:2003/10/29(水) 21:08

―493からつづく―

さらに以前もお話ししたとおり、脱会後、わたしはアメリカ、またイタリアの国営放送から取材を受けたのですが、彼らが異口同音に述べたことは「日本人は何故特定宗教団体が運営する党があることに危機感を感じないのか。その党が与党となって大臣が出ることに危機感を懐かないのか」というものでした。わたしはこの質問を受けたとき、日本社会にあるために鈍感になっていた自分の認識の甘さを痛感しました。

また、日本でカルト問題で活躍するフランス人活動家の友人は『セクト法』が成立するや、電話をしてきました。「フランスで創価学会はカルト(セクト)として扱われるようになった」と報告をくれました。先にも挙げた『マインド・コントロールの恐怖』のなかでは明確に創価学会を破壊的カルト集団の一つとして上げている事実もあります。

こうなると、創価学会にいた頃、創価学会は日本の広宣流布の総仕上げの時期にあり、世界広布に邁進していると信じていたことは一体全体何であったのか、しばし面食らって数年間を過ごしたものでした。

さらに統計資料が示すところに拠れば創価学会の活動者実数は400万人乃至800万人を超えることはないと事実を知ったときの驚愕を、アネモネさんは想像することもできないと思います。

何故ならば、アネモネさんには「創価学会が広宣流布をしている」実感は、世間一般の人と同様、まるでないでしょうから。まったくそのとおりなのであって、「今や広宣流布の総仕上げ」と煽られていたわたしが、その外に出てみれば、そんな事実はまるでなかった現実に唖然としたわけです。

これは盛んに宣伝が掛かって人気がある公演だと思って行って見たところ、会場はガランガランであった驚きに似ています。宣伝に騙された結果ですね。広宣流布ならぬ広告宣伝に偽りありと知ったとき、初めて自分が騙されてきたことを思い知らされたのです。

このように書くと学会員はこれを「悪口」であるととらえるでしょう。また「事実を知らないからだ」とか「理解できないからだ」とも言うかも知れません。そのような学会員の感情に、アネモネさんが違和感を懐かれたことは当スレッドにおける書き込みを通じてよく理解できました。当然のご意見であろうかと存じます。世間一般の方もまた同様に感じることでしょう。

これらの理由は簡単なのであって、創価学会のかけ声はまるで実質が伴っていないからです。実質を問うと彼らが行うことは、たった一つと決まっています。悪口という反撃です。ここでは「これからやる」というそば屋出前の催促の言い訳と同様の説明もありました。世界平和に貢献する創価学会は50年間平和・広宣流布に邁進してきたと豪語しながら、戦禍盛んなイラン・イラク・イスラエル・北朝鮮には何の活動を行わないばかりか、平和旅を続けるという「池田先生」はブッシュ、フセイン、ラディン、金という世界の未来を握る人々に提言一つ行っていないのです。これが彼らが言う世界平和への邁進、世界広布の実態でした。それにも関わらず、広宣流布名目で会員を煽動し、選挙活動と商業活動、寄付、勧誘の原動力としています。これこそ、このスレッドで明らかになった創価学会の「罪」の一面でした。

しかし、創価学会員はこの事実に気付けないように操作されています。自分たちの生け簀の外を見ないように操作されているからです。ここで、考証してみたいことがあります。もちろん、このスレッドのテーマとも大きく関わることです。この一般人と創価学会員の、世界認知の相違がどのようにして生じるかという問題です。

「仮想現実」「グループダイナミクス」「マインド・コントロール」、これらをキーワードとして、如何にして彼らが操作されているのかを探ってみたいと思います。稔りある議論を希望します。如何でしょうか。

494愚鈍凡夫:2003/10/29(水) 21:29
本質は決して変わりません(創価学会の邪義は、永遠に不滅です!!)

『創価学会を斬る』の出版・編集担当として創価学会の直接的な圧力を実体験した1人である遠藤留治が、当時を振り返ってこんな証言をしています。

「すでに30年以上も前に、今日の事態、危機を予測し、警鐘を鳴らした藤原弘達氏の炯眼にあらためて驚くばかりです。」

「会社にいると電話がジャンジャンかかってくる。それは「日本教育改造法案」についての問い合わせ電話ではなく、ほとんどすべてが『創価学会を斬る』についてのものでした。「いったいどういう内容なんだ」「いつ出版するんだ」という探りの電話から、「出版をやめろ」とか、「ぶっ殺すぞ」「地獄に堕ちるぞ」という脅迫電話まで、ひっきりなしでした。もちろん名前は名乗りません。一方的に怒鳴りまくった上で電話を切るというパターンが延々と続きました。
また、この抗議電話とともに、舞い込んだのが抗議の葉書や手紙でした。段ボール何箱分になったでしょうか。とにかくもの凄い数でした。」

「ですから藤原弘達氏は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として『創価学会を斬る』の執筆を続け、私たちも移動しながら編集作業を続ける有り様でした。
 なお、この抗議電話や葉書は出版後もますますエスカレートし、内容もひどいものでした。」

これが創価学会の掲げる「正義」の正体です。なんといっても、正当な抗議や反論を「魔」と決めつける教団ですからね。無理からぬ事かと・・・・・。(^▽^;)
まあ今は、創価学会政治部(公明党)が政権与党の一翼を担っていますから、さすがにこんなあからさまな手は使いませんが、巧妙になった分、悪辣ですね。
「金持ち喧嘩せず」かと思ったら、「脛に傷だらけ」の身では、そうもいかないんでしょう。

「言論出版妨害は歴史的事実 歴史改竄は許されない」
http://www.forum21.jp/contents/03-7-1.html

495愚鈍凡夫:2003/10/29(水) 21:51
>>494:訂正

敬称を忘れていました。

誤→ 『創価学会を斬る』の出版・編集担当として創価学会の直接的な圧力を実体験した1人である遠藤留治が、当時を振り返ってこんな証言をしています。

正→ 『創価学会を斬る』の出版・編集担当として創価学会の直接的な圧力を実体験した1人である遠藤留治氏が、当時を振り返ってこんな証言をしています。

です、悪しからず。 m(_ _)m

496沖浦克治:2003/10/29(水) 23:29
 愚鈍凡夫さん

>かつて創価学会で池田さんが逮捕された大阪事件を起こしました。
わたしの父親はこの事件に直接関わりました。
具体的に言うとショートピースの箱に500円札を仕込んで選挙依頼をする買収です。

 すでに無罪判決が確定してる出来事です。
 いまどきこんなことを持ち出すとは、ユニークなお方ですね。

>たとえば印刷所に勤務している人が印刷物の中に創価学科批判を見つけると、それを本部に連絡し、それで圧力を掛ける、そんなことを複数起こした事件でした。

 この件もすでに解決済みです。

>副次的に国立戒壇論を反故にし、政教分離という表向きの“公約”をすることになりましたが、妙薬さんも仰るとおり、本質は何ら変わっていません。

 あなた方の思い込みと、創価学会の実際の姿とは無関係です。

>「破壊的カルトの目には、だれかがそのグループをやめる『正当な』理由など存在しないのだ」

 不思議なご意見ですね。
 私は、創価学会を辞めようとする人を無理に引き止める必要はないと常々言っております。
 池田先生も同様のご指導をされております。
 この指導の録音も持っています。

>脱会者を侮蔑敵視する態度は、まさに破壊的カルトメンバーの特徴と共通しています。

 辞めた人を尊敬する団体は何処あるのですか。
 また創価学会を退転した人々が、創価学会や学会員に対して悪口を尽くす事はよい行いなのでしょうか。
 その行為こそ、カルトと共通していますよ。

497沖浦克治:2003/10/29(水) 23:32
 (続きです)
>学会では世間が劣っていると教えられていたのですが、“進展”して見た実態は逆でした。学会員であるわたしは操作されていたのです。

 世間も創価学会も同じです。
 もし創価学会員が優れていると思っていたのであれば、あなたの勘違いにすぎません。
 人は全て平等ですよ。
 蓮祖はよこしまな権力者や、僧侶当に対して、我が弟子は優れていると仰せですが、人間の可能性のうえの平等を認めた、おそらく最初の人でしょう。

>わたしが創価学会を、脱して何よりいちばん驚いたことは、会の中で言われていたことと社会の現実があまりにも違っていたという事実でした。この衝撃は、入会脱会の経験のない人にはわからないものです。

 私が組織を離れ、世間で活動し始めたのは30歳の時でした。
 私も驚きました。
 世間にはすごい人たちが、本当に驚くほど多くおられました。
 現在の私の原点となっている体験でした。
 自分は創価学会員として、この人たちに負けない人間になるべきだ。
 創価学会の中でしか通用しない人間などには何の値打ちもない、と悟ったのがこの体験でした。

>わたしが創価学会にいた頃、盛んに言われていたことは「広宣流布の上げ潮」「広宣流布の総仕上げ」ということでした。この言葉を鵜呑みにしていた自分は、もうすぐ広宣流布が実現すると信じて疑いませんでした。今から30年前の話です。

 私が今58歳ですからほとんど同じ時期の体験でしょう。
 このときから私は、広宣流布などこれからだ、と自覚し現在に至っております。

498沖浦克治:2003/10/29(水) 23:34
>ところが社会の現実を目の当たりにする限り、創価学会が言うような「総仕上げ」段階になど、まるでなっていないばかりか、広宣流布の兆しすらまったくありませんでした。世界の指導者であると思っていた「池田先生」も世界ではまるで無名でした。世界には一部の人を除いては「創価学会」「池田大作」の存在をする人などいませんでした。
 
 現在では環境はかなり改善されてはおりますが、まだまだこれからです。

>さらに以前もお話ししたとおり、脱会後、わたしはアメリカ、またイタリアの国営放送から取材を受けたのですが、彼らが異口同音に述べたことは「日本人は何故特定宗教団体が運営する党があることに危機感を感じないのか。その党が与党となって大臣が出ることに危機感を懐かないのか」というものでした。わたしはこの質問を受けたとき、日本社会にあるために鈍感になっていた自分の認識の甘さを痛感しました。

 先進国の中で宗教政党が存在する国は多く観られますし、外国の放送記者が何を言おうと言わしておけばいいでしょう。
 要は我々学会員が、公明党をしっかりと監視していればいいのです。

>また、日本でカルト問題で活躍するフランス人活動家の友人は『セクト法』が成立するや、電話をしてきました。「フランスで創価学会はカルト(セクト)として扱われるようになった」と報告をくれました。先にも挙げた『マインド・コントロールの恐怖』のなかでは明確に創価学会を破壊的カルト集団の一つとして上げている事実もあります。

 フランスにはフランスの事情があり、我々には我々の行き方があります。
 この話が事実であっても、いつかフランスのから歩み寄ってきますよ。

>こうなると、創価学会にいた頃、創価学会は日本の広宣流布の総仕上げの時期にあり、世界広布に邁進していると信じていたことは一体全体何であったのか、しばし面食らって数年間を過ごしたものでした。

 事実をありのままに見るべきでしたでしょうね。
 私は同じ時機に気がついておりましたし、一緒に活動していた友人達もそうでした。
 しかし誰一人創価学会を退転したものはいません。
 要は、あなた任せで信心をしていたのか、自らの判断で行なっていたのかの差です。

>さらに統計資料が示すところに拠れば創価学会の活動者実数は400万人乃至800万人を超えることはないと事実を知ったときの驚愕を、アネモネさんは想像することもできないと思います。

 私たちはこのころせいぜい500万人程度だと思っていましたよ。
 それでも、よくこれだけ残ったものだと思ったものでした。
 蓮祖の仰せにあるように、退転の可能性は非常に大きいものである事をよく知っておりました。

>このように書くと学会員はこれを「悪口」であるととらえるでしょう。また「事実を知らないからだ」とか「理解できないからだ」とも言うかも知れません

 いえいえ、事実はこんな程度しょう。

>会は50年間平和・広宣流布に邁進してきたと豪語しながら戦禍盛んなイラン・イラク・イスラエル・北朝鮮には何の活動を行わないばかりか

 池田先生はレバノンへもいかれました。
 もしこの行動に御不満があおりでしたら、自らが行動する事を持ってお示しください。

>それにも関わらず、広宣流布名目で会員を煽動し、選挙活動と商業活動、寄付、勧誘の原動力としています。これこそ、このスレッドで明らかになった創価学会の「罪」の一面でした。

 あなたは罪だと思っているのですね。
 私はは全く思いません。
 もちろんあなたが罪だと信じる事は、全くもってご自由ですよ。

>しかし、創価学会員はこの事実に気付けないように操作されています。自分たちの生け簀の外を見ないように操作されているからです

 これまでの書き込みから判断すれば、あなたは確かにそう操作をされていたのでしょう。
 私たちは全く操作などされておりません。
 この差は何処から来ているのでしょうね。

499沖浦克治:2003/10/29(水) 23:37
>「仮想現実」「グループダイナミクス」「マインド・コントロール」、これらをキーワードとして、如何にして彼らが操作されているのかを探ってみたいと思います。稔りある議論を希望します。如何でしょうか。

 このご提案は少し訂正された方がより正確になります。
 『彼等が』では無く、『私が』とすべきです。
 私たちは、全くマインドコントロールなどはされておりません。

>『創価学会を斬る』の出版・編集担当として創価学会の直接的な圧力を実体験した1人である遠藤留治が、当時を振り返ってこんな証言をしています。云々。

 このあたりは事実をきっちりと証明できる資料を添えて論じないと、説得力に欠けますね。
 無論の事、あなたがどのような他人の文章に基づき、どのようなご意見をお述べになろうと、全くのご自由です。
 私が、この人には自分の主体的なご意見というものが無いのかな、と考える事もまた自由ですよね。

>これが創価学会の掲げる「正義」の正体です。なんといっても、正当な抗議や反論を「魔」と決めつける教団ですからね。無理からぬ事かと・・・・・。(^▽^;)

 何かを証明なされてのですか。
 私には何も出来てないと感じます。
 それでは、そろそろやすむと致します。

500愚鈍凡夫:2003/10/30(木) 00:27

それでは、故藤原弘達氏の証言を。

「『角栄、もういいかげんにせんかい』第1章 藤原弘達」
http://www.fukunaga.net/fujiwara_koutatsu.htm

「『角栄、もういいかげんにせんかい』第2章 藤原弘達」
http://www.fukunaga.net/fujiwara_koutatsu2.htm


「大阪事件」に興味のある方はこちらをどうぞ。

1957(昭和32)年の年表
http://snow.prohosting.com/foggyday/chrono-2/65.htm

501犀角独歩:2003/10/30(木) 02:47

わたしの問いかけはアネモネさんと、創価学会へ疑問を持つ方々へですから、それ以外の方のご意見は無用に願います。

502犀角独歩:2003/10/30(木) 03:06

愚鈍凡夫さん:

レス、有り難うございます。
愚鈍凡夫さんは学会経験者でいらっしゃいましたっけ。
脱会の時の話を少ししたいのです。もちろん、皆さんにも参加していただきたいと思います。

わたしはひどい嫌がらせと人格攻撃を受けました。これはもう筆舌に尽くしがたいものでした。
わたしが脱したのは平成2年だったんですが、あの頃、池田さんは「脱会者は自殺に追い込め」と檄を飛ばしたと伝わります。これが真実であったかどうか確認の仕様もありませんが、その指令を受けたとしか思えない脱会者攻撃の標的にされました。
いきなり電話が掛かってきて「創価学会池田先生を裏切ったものは許さない。いま公園で待っているから出てこい。ぶっ殺してやる」なんて電話がありました。実際に行ったらいませんでしたが(笑)しかし、電話でこのような恫喝を行うだけでも十分に犯罪行為です。

わたしは法華講に移って寺報を発行の責任者をやっていたんですが、あまりの寺院攻撃のひどさにその点を特集すると、『聖教新聞』の地方版でそれを取り上げて、地域幹部が紙上座談会で、わたしを「穢らわしい」とこき下ろして書かれたりもしました。

ある時は6人一組になって20代そこそこの青年がやって来て「○○君に会いたい」と、こうです。そのとき、わたしは30代も半ば。その学生がわたしを君呼ばわりです。
あと、どこの団体の誰がやったとは言いませんが(!)自家用車の運転手側のタイヤに五寸釘を刺されたのが2回。タイヤを外してディスクパッドを外されたのが1回。知人の学会葬に参列し、たまたまその場で会った知己の法華講員と帰りにファミレスに車を停めて食事をして出てきたら、エンジンルームないのベルトというベルト全部が切断されたことが1回ありました。地域の座談会ではぼろくそに悪口を言われ、「廃人になった」「気が狂った」「生活が破綻した」「近づかないほうがいい」などとさんざんと人格攻撃も受けました。

このような脱会者への執拗な攻撃は創価学会の「罪」の一面であると思いますが、おやめになった皆さんの経験を少しご披露願えませんでしょうか。創価学会の実態をより明確にできようかと思います。

503沖浦克治:2003/10/30(木) 06:56
 おはようございます。
 犀角独歩さん
 私には、ここの皆様は公共の掲示板に意見を出すからには、反論を受ければ事実を証明する義務があるとおもいます

>わたしの問いかけはアネモネさんと、創価学会へ疑問を持つ方々へですから、それ以外の方のご意見は無用に願います。

 あなたのこのご意見は、少し自分勝手ではないでしょうか。
 この掲示板は、私やあなたのためにだけあるのではないのですよ。
 どの掲示板でもそうであるように、レス人口の何倍ものロム人口があるのです。
 あなたの一方的な思い込みをのみ発表できて、創価学会の側に立つ現在唯一人(おすらくそうでしょうね)の私に意見を封じ様とする事は、不公平ですね。
 創価学会の功罪を語る、がテーマでは無かったのですか?
 罪ばかりを語っているのではおかしいでしょう。
 あなたが感情的に、創価学会に対する恨みをおのべになられることはもちろん構いません。
 世の中には、不思議な体験の例もあるのですから。
 また、脱会者への攻撃は、あるとすれば大変興味深いですね。
 個人的に感じますが、あなたはどなたかに強い恨みを受けておられた様ですね。
 もしこれらの嫌がらせが事実であるならば、きっちりと刑事告訴等で対抗すべきでしょう。

504沖浦克治:2003/10/30(木) 07:25
  犀角独歩さんの書き込みを読んで思う事。、
 この迫害が事実であり、彼の退転が原因になっているとするならば、この人は一時期激しい学会活動をやり周りの会員が閉口するほどであったのかもしれませんね。
 私の所属組織でも、53年頃に一人の本部幹部が退転し宗門法華購に走りました。
 彼は常々池田先生本仏論を声だかに唱え、ご両親は神戸の草分けの一家でした。
 子供のころ池田先生が自宅に訪れ,色紙と万年筆を直接もらった事がが自慢のおとこでした。
 その後聖教新聞の仕事に携わり、本部幹部を兼ねておりました。
 彼の過激で一方的な行動と指導は、周りの会員たちの顰蹙の的であり、最後には組織内で全く孤立をし、居場所がなくなっってしまったのです。
 とうとう昔馴染みの住職に誘われ、法華講に走りました。
 わたしたちには創価学会兵庫本部から、彼の事は捨てておく様に、との指導がありました。
 周りを過激に引きづり、多大の迷惑をかけていた彼を憎む人達が多かったのです。
 本部はそのようなことが起きないよう、前もって支持を出しておいたのです。
 後で聞いた所によれば、彼は嫌がらせを受けノイローゼになったそうです。
 また法華講でも過激発言を繰り返し、最語には追い出されてしまったと聞いております。
 しかしこれは創価学会の組織のせいではありません。
 彼の行動が引き起こした、彼に金する個人的な出来事です。
 この当時池田先生は、脱会する人間は捨てておくようにとの指導を何度もされております。
 私は現在も、録音を持っています。 
 このような人は自らが転向をするあたり、迷惑を蒙った会員の皆様方に謝罪をすべきでしょう。

505犀角独歩:2003/10/30(木) 09:44

沖浦克治さん:


まず、503に関して、刑事告訴云々はわたしの意志に関わることですから、要らぬお節介は無用です。また、504の記述はわたしとはまったく無関係です。


> 反論を受ければ事実を証明する義務があるとおもいます

この言葉は、わたしがあなたに申し上げた言葉です。しかし、あなたはそれを実行することがなかったばかりか、「境涯が低い」「程度が低い」「駄目な人間だ」「退転した」「理解力がない」と悪口の限りを尽くして、自分と創価学会、戸田さん、池田さんに疑問を持つ人々を意見を封じようとしました。そして、ついには、あなたはここであなたに証拠の提示を求めた方々に次々と「会話をしたくない」などと相手を選ぶ発言をしてきたはずです。ですから、わたしも会話をできる相手を選んだままです。

最後に一つだけ。わたしは、この掲示板で宗門の姿勢とその教学について、あなた以上に糾弾をしてまいりました。
しかしそれは単に悪口を言うのではなく、事実証拠、並びに文献的な証拠を挙げてのことです。

あなたは何百年も前の僧侶の文献など興味がないそうですが、宗門の在り方を根底から再考するためにはそのような文献を考証する作業は不可欠です。私はそこに書かれていることを信じているわけではなく、現石山を徹底的に考証し直すために多くの資料を読んできました。他の方々も同様です。日蓮その人の教えが如何なるものか、仏法とは何かを真剣に考えるためにそれぞれで意見を交わしているのです。

このような場で、ただ創価学会の宣伝や、戸田さんその他個人の礼賛など意味を持ちません。創価学会、戸田さんにも善いところはあったでしょう。しかし悪いところはあった。その両面を問うのが「功罪を考える」ということです。また、世界平和その他は「これから」で、なにもしてこなかったことはよくわかりました。では、実行されて事実が生じたときに披露なされば如何でしょうか。「これからやる」などというそば屋が注文に催促されたときの口上のようなことを記しても意味がないでしょう。たしか、創価学会は実践と結果を重んじていたのではなかったでしょうか。

今後、わたしへの問いかけ、また、書き込みに対して要らぬ註釈は無用です、何の参考にもなりませんので。以上です。

506愚鈍凡夫:2003/10/30(木) 12:49

「最近、池田さん家のポチがよう吠えんねんけど、ストレス溜ってんやろか。今夜にでも竹輪持って行ってこぉ〜。」(独り言1)

>>502:犀角独歩さん、
1962(昭和37)年頃の入会ですけどね(あまり言うと、歳がばれる)。(^▽^;)
「ほぼバレとるちゅうねん。オッサンのギャル真似キショイ〜! なんて思われてたりして」(独り言2)
母に手を引かれ、ワケの分からぬままの入信でしたね。モミジのような手を合わせ「ナ〜ム」、正宗寺院の板漫荼羅を見つめていました(正直、なんじゃこりゃと思ってましたが)。(^▽^;)

> あの頃、池田さんは「脱会者は自殺に追い込め」と檄を飛ばしたと伝わります。

あの当時、自殺者は少なくなかったと思いますよ。
脱会しようにも脱会できず、結局悩んだ末に一家の大黒柱が自殺し、残った家族が学会員の執拗な嫌がらせに遭い、後追い自殺された方もいらっしゃいます。
数年前、小生の知り合いの幹部で、全財産を学会に貢ぎ、学会命だった人が老人性痴呆症になって、病院で亡くなりました。一家は離散していましたから、最後は可哀想でしたね。
また縦線時代の幹部で、現在、痴呆症の方を何人か知っていますが、若い頃から学会命・学会一筋で来たためか、時間に余裕ができる年齢になった時、時間の過ごし方に戸惑うようですね。
こんな弊害もあるんだとつくづく思います。どの方の家庭も、介護疲れで家族が大変なおもいをされているようです。このタイプの本質は内弁慶が多いですからね。
皮肉にも、「学会の信心は、必ず成仏できる」と太鼓判を押していた方たちですが。
小生が、学会に不信感を抱き始めたのは、教学が発端でした。どうも、御書に書いてあることと、池田さんの指導内容が違うんじゃないかと思ったのが最初ですね。

まあ、15年ほど前から学会批判はしております。論破されて半狂乱になった幹部もいました(今でも、小生の名前を聞くだけで理性を失うそうです)。但し、弱い者虐めはしていません。
矛盾点を突かれてムキになるから、どんどん傷口を広げるんですけどね。学会員の悲しい条件反射なんでしょうか。少し反省しています。
そういえば、学会から法華講に鞍替えした人が癌で入院した時、地元学会員たちが小躍りして喜んでましたよ。脱会者にアクシデントがあると、話に尾鰭がついて「口コミ・ここだけの話」作戦発令のようです。
ここ5年位は、「バトル禁止令」でも施行されたのか、小生には仕掛けてこなくなりましたけど。 ...( = =) トオイメ
ひょっとして、地元学会おばちゃん部の「呪いの藁人形」の的になってたりして・・・・・。( ̄ー ̄; ヒヤリ

507犀角独歩:2003/10/30(木) 13:54

愚鈍凡夫さん:

> あの当時、自殺者は少なくなかったと思いますよ

それはそうですよね。みな信念をもって学会から脱したんですものね。脅かされようが、すかされようが、そんなものは毅然と跳ね返していました。
当時、わたしは創価学会脱会者およそ1500人と関わりを持っていました。
みな元気いっぱいでした。しかし、そんななかで独居老人とか、いわゆる社会的弱者と目される人への攻撃はひどかったですね。
あの頃、こんなハガキを確認しました。

*** 転載はじめ ***

【表】

○○区○○○○
○○ ○○ 様

(差出人)日顕宗を撲滅する会

【裏】

○○さんよ あなたがた御一家のように池田先生を避けているような連中は絶対に許すわけにはいきません。それに○○○○○○○の地に居据わってもらっては不愉快です。今すぐにでも荷物をまとめて出て行ってもらいたいです。日顕と同じように池田先生に対して、恩を仇でかえす連中はとことん苦しめたうえで追放する。○○さんよ 弟子たちの怒りを甘く見てるとこわいですよ。

即 退 座 (○○区の土地から出ていけ)

*** 転載おわり ***

受信者の気持ちになるとき、当時は、怒り心頭に発したものでしたが、いま振り返ると、この手紙の主も“植え込まれた”心理操作に振り回された犠牲者であったのであろうと思います。学会組織の打ち出す憎悪の植え込みをそのまま自分の感情とする“代理”状態ですね。

まあ、いまとなっては、愚鈍凡夫さんと同じく教学上の問題、もっと言えば、破壊的カルト・マインド・コントロール被害という観点から、わたしは組織そのものから脱却しましたので、石山の肩を持つ気も毛頭ありません。ただしかし、やめて見た学会の“外面”は本当にひどいものでしたよね。わたしがいちばんひどいと思った組織暴力は御講妨害でしたね。大挙青年部が本堂に陣取って、住職が「創価学会」「池田大作」と一声言おうものならば「質問があります」「質問があります」と手を上げて立ち上がって、発言を妨害するわけです。

信教の自由には「宗教上の礼拝・儀式・行事などを行う自由、宗教の伝道・布教を行う自由」があるわけです。それを御講の席に上がり込んで妨害する。それで、さらにこれがひどいと思ったのは、全国の他の講中と連絡を取り合うと、全国津々浦々、同時期に、同じように青年部が押しかけて「質問があります」と妨害をしていたわけです。やり方が全国皆一斉一緒であったわけです。つまり、大本営発表一斉攻撃でそのやり方までマニュアル化されているわけです。この創価学会の有様、全体主義というか、暴力的な行動を見たとき、「ああ、やめて良かった」と心の底から思ったものでした。しかし、それでも、あの頃、御講に参詣するのは文字通り命懸けでした。警備する法華講の青年壮年はわずか10名そこそこ、そこに何十人、時に100人以上の創価学会員が来て、暴れるわけです。「今日は怪我をするだろうな。命に及ぶかも知れない」、そう思いながらお寺に向かっていたものでした。

508アネモネ:2003/10/30(木) 14:52
横レス失礼いたします。

犀角独歩さん

レスありがとうございます。
私は、社会人として、あまりにも創価学会に対して無知だったと、今とても反省しております。そのような気持ちも含めて、少しご返信をさせて頂きます。

>世界の指導者であると思っていた「池田先生」も世界ではまるで無名でした。世界には一部の人を除いては「創価学会」「池田大作」の存在をする人などいませんでした。

大変お恥ずかしいことなのですが、実は私、もともとが世間知らずでして、法華講に入るまで、創価学会のことも池田さんのことも、ほとんど知りませんでした。
もちろん、創価学会の名前はどこかで聞いていました。だけど、創価学会=新興宗教としてイッンプットしておりましたから、天理教やPL教や真光教など、他の新興宗教とまるで区別がついていなかったのです。現在宗門から離れた以上、結局、新興宗教という捉え方で正しかったのかもしれませんが。

もしかすると、私ほど創価学会を知らない世間知らずもまた珍しかったかもしれませんが、とにかく創価学会の方から直接お誘いを受けたり、下種や折伏を受けたりということは、過去に一度もありませんでしたので、法華講に入るまで、その存在を意識することなく生きてきたのだろうと思います。
まあ、そんな調子でしたから、池田さんの顔もまるで知らず、いまだに顔を見ても憎悪も好感もなく、基本的に特別な思いというのをまるで抱きません。
私にとってみると、この感覚が一般的なものなのではないか思ってしまうところなのです。

ところが、現役学会員にしろ、元学会員にしろ、恐らく私の想像では、創価学会や池田さんのことを考えることのない日は、一日たりともないのではないかと、そんな感じを受けています。
まずは、そのことが、一般的には、とても考えられないことだと思います。

組織に関わったことのない人にとってみれば、ほとんどその存在について、日常的に意識はされていないでしょう。最初の温度差とは、そこに始まっているでしょうね。

しかし破門のときは、あんなに世間を騒がせ、マスコミもそれを大きく取り上げてたわけですが、もともと日本人は飽きっぽく忘れやすいところがあり、結局いまとなっては、法華講ですといえば、「あー学会さんですか」と言われている状態ですね。
それも、存在が日常的に意識されていないひとつの証拠ともいえるでしょう。
しかし、存在を意識しないということは、言葉を変えれば、無警戒なわけですから、それも問題です。なんせ政界にも力が及んでいるわけですから、関心がなかった、知らなかったでは済まされません。意識を変えなければならないなあと、つくづく思いました。
まずは、感覚的な温度差ということについて、レスをさせて頂きました。

509犀角独歩:2003/10/30(木) 16:50

アネモネさん:

ご返信、有り難うございます。
わたしがいちばんここに記していただきたかったのは、仰るとおりの“温度差”です。
わたしが学会の家に生まれて、そこで育ち、小学校高学年で「池田先生」に個人的に会う機会があり、またそれが海外誌に紹介されるという“不幸”のために、すっかり、「創価学会・池田先生」の虜になってしまったわけです。ですから、この世の中は創価学会を中心に動いているし、日本はおろか世界の命運も「創価学会・池田先生」が握っていると信じて疑わなかったわけです。「創価学会・池田先生」を悪く言う人間は許さないという強い憎悪感も懐いていました。

そう心から信じ込んでいたわけです。また、「日蓮大聖人の仏法を寸分違わず、現代に蘇生させ広宣流布を推進する唯一絶対の組織、最高の指導者」と信じていました。この思いは小学校5年生の段階で堅固なものとなっていました。「池田先生に日蓮大聖人の生まれ変わり」とも信じていたわけです。

ところが創価学会を脱しさらに法華講も脱して見ると、世界観は一変したわけです。
学会公明党はたしかに政権与党に食い込み、政治に強い影響力を発揮し始めていました。マスコミの支配、また、金融界の支配、その他の支配体制も着々と進み、日本という国土においてたしかに学会・公明党、すなわち池田さんは強い影響力を発揮し、その権力を不動のものにしているのは事実です。が、それは蓮師のいう「広宣流布」とはかなり趣を異にしていていることに気付くわけです。その何よりの証拠は、公明党・学会・池田さんの名前を知っていても、それが広宣流布されているなどと誰も思っていなかったからです。アネモネさんが記されるとおり、創価学会は日本最大であることは事実にせよ、一新興宗教団体に過ぎず、そのカリスマ指導者として池田さん、その組織と指導者を母体とする公明党が日本で政財界支配のチャンスを着々と狙っているととらえられているばかりでした。

当然のことですが、世間一般で、学会池田さんが日蓮の正当な継承者などと思っている人などいないわけです。また、この団体と指導者が日本の平和と、世界平和をリードしていると思う人もいません。それなのに、この団体の中にいると、先述したとおり、「日蓮大聖人の教えを広宣流布する唯一絶対の団体と指導者」と思い込めてしまうわけです。

なぜ、このような、現実離れした思い込みが可能となるのか、この点を少し考えてみたいと思うわけです。

510ジャンノレン:2003/10/30(木) 16:59
独歩さん、今のスタンスと違う書込を見て、ちょっと戸惑いがあります(笑)といっても
書されているように、回顧としての文章ですから、仰せの通り、

>わたしは組織そのものから脱却しましたので、石山の肩を持つ気も毛頭ありません。
この文を見つけて安心しました。(再笑)
独歩さんのレスにありますように平成二年頃はお寺に何とも言えぬ緊張感があり、
私も当時の事を独歩さんの文章を見て、触発されて書いてみました。

独歩さんが書かれているように、私も平成二年頃にはお寺に通う因縁があって、三年1月1日の零時の元旦法要で
住職が池田批判を始めた途端、怒号とヤジが飛び交い、これが正月の法話の対応か?とするくらい
学会員の用意周到な反応でしたねえ、翌日の法要は申し計ったように誰も参詣に来ないし、
一糸乱れぬ統制に唖然としたものです、それでも連絡網から漏れた
会員が正月参詣に来るのを門塀で足止めをして帰るように促していましたね。

15日の法要に於いてもある男子部員はいきなり「八識不起の一念について教えて下さい」とか
「一念三千の初住の一念とは」とか、この問題について喋ろうとすると言論封鎖をする有り様でした。
ほとんどヤジの中を住職が一生懸命お話ししていた姿が印象的でした。
あぁ、これで学会と宗門とはホントに離れていくのだなぁ・・というのが偽らざる私の印象です。

妨害は覚悟していましたが、私もお寺に駐車していた愛車にタイヤに釘を刺された一人です、
ガソリンスタンドで指摘されるまで、まるで気づきませんでした。
毎夜の如く地元の幹部が我が家に押しかけ、文化会館には退転者として私の名前を張り出してました。
副会長や男子部長が組織を回るなと、威嚇してきて、会社にまで発信元不明の個人名中傷の
嫌がらせのファックスが流れてきたりして、夜中には無言電話、なかなか楽しかったですよ。

また、ある時は、訪問した会員宅に私一人に二十数名に取り囲まれて難儀したものです。
折々に予想されたといえど、そんな体質に触れるたびに、
こんな異常なところに長く在籍していた自分が情けなくなり、一人一人はいい人なんだけど、
団体論理に振り回されている沢山の人達が可愛そうと言うより哀れに思えて、今でもその感は消えません。
あれから十余年、宗創戦争の精神の不毛を感じつつ、晩秋の石山の塔中はあの頃押しかけた街宣車の
ペンキがもう薄くなっていました、時の経つのは早いものです。

511犀角独歩:2003/10/30(木) 18:20

ジャンノレンさん:

> 独歩さん、今のスタンスと違う書込を見て、ちょっと戸惑い…石山の肩を持つ気も毛頭ありません…この文を見つけて安心しました。(再笑)

あ、なるほど。わたしが法華講員だと勘違いされたのも故無きも非ずですか(大笑)
わたしが石山の有様を肯定するわけはありません。ただ、ここのスレッドが「創価学会の功罪を考える」ですから、石山問題は傍らに置いただけですよ。

> 平成二年頃…私も当時の事を…触発されて書いてみました。

有り難うございます。話題を共有できる方がいるとホッとします。

> 三年1月1日…学会員の用意周到な反応…翌日の法要…誰も参詣に来ない…連絡網から漏れた会員が正月参詣に来るのを門塀で足止めをして帰るように促していましたね。

そうでしたね。わたしが昭和56年頃から寺院参詣が習慣化していたのですが、たまたま、この元旦勤行は知人が尋ねてきて行かなかったのです。明けて寺院に行き、その時の騒然とした録音を危機、実に驚きました。この段階で、わたしは実質的に寺院側で動くようになります。

> 15日の法要に於いて…ほとんどヤジの中を住職が一生懸命お話ししていた姿が印象的でした。

ええ、わたしが参詣していた寺院でもそうでした。
100人近い、怒号の中、それでも一字一句、省略せず、学会・池田さんを批判原稿を読み上げた住職を、わたしは尊敬もしましたね。まあ、今は昔の話ですが。

> あぁ、これで学会と宗門とはホントに離れていくのだなぁ・・というのが偽らざる私の印象です。

実感の籠もったお話ですね。


> タイヤに釘を刺され…ガソリンスタンドで指摘されるまで、まるで気づきませんでした。

え、そうなんですか! それじゃまるで、わたしと同じですね。
「うまいタイヤへの釘の打ち方」なんて、感心している場合じゃありませんが、この点でも共通するとは思いませんでした。改めてビックリしました。

> 毎夜の如く地元の幹部が我が家に押しかけ、文化会館には退転者として私の名前を張り出し…副会長や男子部長が組織を回るなと、威嚇…会社にまで発信元不明の個人名中傷…嫌がらせのファックス…夜中には無言電話

同じですね。

512犀角独歩:2003/10/30(木) 18:21

―511からつづく―

> なかなか楽しかったですよ。

この余裕は、善意者の力ですよ。
何も悪いことをやっているわけじゃなく、悪いのは相手です。
このときの心理は、よくわかります。

> 私一人に二十数名に取り囲まれて難儀…

あの頃、6人一組・3時間交替で1日に何組も入れ替わり立ち替わり、訪問するなんて作戦も実施されていました。まったく、よく考えるものです。

> こんな異常なところに長く在籍していた自分が情けなくなり

そうです。自分が信じていた団体とは、こんなところであったのかと唖然としました。
「何が世界平和だ。ふざけるな」とそれまでの価値観を180度、ひっくり返してくれたのは、こうした異常な攻撃にありましたよね。

> 一人一人はいい人…団体論理に振り回されている沢山の人達

あ、ここです!
わたしが問題にしたいのは、「個人として善い人が、集団になると何故暴徒と化すか」、この問題を考えたいわけです。

> 可愛そう…哀れに思えて、今でもその感は消えません。

加害者でありながら、被害者でもあるという一面ですね。

> あれから十余年、宗創戦争の精神の不毛

まったくです。この喧嘩は「目くそ鼻くそを笑う」類です。

> …街宣車のペンキがもう薄くなっていました、時の経つのは早いものです

塔中に撒き散らされたペンキですね。
あの頃、坊に銃弾も撃ち込まれましたね。
弾痕が残ったガラスをわたしは見ました。

513犀角独歩:2003/10/30(木) 19:18

さて、わたしはここで創価学会の悪口を書き連ねたいわけではありません。
日本の広宣流布など少しも進んでいないのに、なぜ広宣流布が進んでいると思えたのか。創価学会は世界平和に何の貢献もしていないのに、なぜ貢献していると思えたのか。
または、一人ひとりは個人的には善い人なのに、集団になると何故性格が変わるのか。
組織、指導者に対する批判的な意見に触れると途端に態度・顔付き・言葉遣いまで変化してしまうのは何故か。

実はこの問題は独り創価学会のみの問題ではなく、顕正会でも共通しているでしょうし、過激な法華講などでも同様でしょう。さらに言えば、いわゆる日蓮本仏圏に限る特徴でもありません。

わたしはこれらの特徴を示すメンバーは、明らかに心理操作をされていると映じます。
彼らは、まったく事実とは異なる共同の妄想を共有しているからです。これを妄想であるというのは事実とは異なるからです。この点に異論があれば、事実証拠を提示すればよいのですが、このような幻想下にあるメンバーは、この事実証拠が提示できない点でも共通しています。

これはわたしが何度も引用したとおり、ヤスパースの妄想の定義「間違った考え」「強い確信」「訂正不能」という定義に基づいて、妄想であると記述したので、悪口ではありません。

「間違っていない考え」であるかどうかは、証拠を提示すればその段階で証明されます。
しかし、間違った考えは証明できませんので、このような考えに執着する場合、証拠を提示はできません。通常、証拠を提示できない考えには健全な精神状態であれば、冗長度があり、訂正の余地を必ず残します。しかし、それが妄想である場合、まったく証拠を提示できないにも拘わらず、強い確信を懐くと共に、その考えを訂正することができない心理的拘束状態になっています。

わたしが「マインド・コントロールされている」というご意見もありました(笑)
発言者には気の毒ですが、わたしは該当しません。何故ならば、マインド・コントロールとは正確には破壊的カルトマインド・コントロールとハッサン師は言い、その特徴に第三者による心理操作にあるとするのがこの説だからです。ですから、わたしのようにいずれの組織にも所属せず、確たる指導者を持たない独歩者は第三者から心理操作される環境にはないのでマインド・コントロールに該当することはあり得ません。ただし、かつてカルトグループに所属していた場合、その時に施された第三者心理操作が、終生、溶けないことはおきます。しかし、わたしは精神科医、社会心理学者、宗教カウンセラーの助けを借りてこの問題を克服した一人です。わたしの脱カルト・マインド・コントロールは複数の専門家によって証明されていることを申し添えておきます。

514犀角独歩:2003/10/30(木) 19:19

―514からつづく―

マインド・コントロールとは社会心理学の成果を応用し、勘案された概念で、基より「社会的影響力」と換言してもよいものです。ここでいう「社会」と社会一般の意味ではなく二人以上の人間関係にはじまる人間集団を意味します。つまり二人以上の人間集団になってはじめて起こる心理を扱うのが社会心理学です。個人をさして、マインド・コントロールなどというのは、この基礎知識がない無知から来る的はずれな批判です。

この集団において、組織および指導者が破壊的カルトマインド・コントロールを弄する団体を破壊的カルト集団と呼ぶというのが定義です。

わたしは創価学会をカルト集団と断定しているわけではありません。しかし、何度も繰り返すとおり、アメリカではハッサン師が、創価学会をカルトとして明記し、フランスでも国家レベルで創価学会をセクト(カルト)と断定しています。これらの指摘を批判などと感情的になるのではなく、真摯に受け止めて、是正すべき点は速やかに是正すれば、むしろカルトと見なされることはなくなります。しかし反面、自分たちの無謬性と絶対性を主張し、間違いはすべて外にあると主張すれば、そのような態度こそ、カルト思考であると認識されることになるだけです。

先に申し上げておきますが、あらぬチャチを入れて、人の発言を妨害すると、その人はカルト・メンバーと“誤解”されますので、おやめになったほうがよろしいと忠告申し上げておきます。創価学会を絶対に正しいなどと思わず疑問を懐く心的余裕があれば、この議論には参加することはできるでしょう。しかし、組織と指導者の絶対性を証拠もなく繰り返すことしかできなければ共同妄想からの他者蔑視と断定されますので、議論に加われば議論そのものの質を低下させます。故にそのような方にはレスをしません。しかし、その他の心的余裕を持つ方々からの議論は些細なご質問であっても鄭重に考えさせていただく所存です。その意味でわたしはこのスレッドも当板も何ら私物化をいたしていないことも申し添えておきます。

以上の前提に基づき、冒頭に上げた問題を考えていきたいと思います。

515MILD SEVEN:2003/10/31(金) 06:56
池田創価王国に反対!

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がります。広めます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

自由陣営 対 独裁体制陣営(北朝鮮や池田創価やオウム等)

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

516沖浦克治:2003/10/31(金) 06:58
 おはようございます。
 皆さん方の、元気いっぱいの書き込みを読ましていただきました。
 先ず、それぞれの方々が迫害を受けたとの告白をされておられますが、事実であったならば同情いたします。
 ただ当方は、この事実を確認する手段をもちません。
 私が 「日蓮正宗の僧侶数人に取り囲まれ脱会を強要された」等とまことしやかに書き込んでも、事実かどうかは確かめられないでしょう。
 この類のおはなしです。
 今後もそのようなことが起こりうる環境におられるのであれば、それぞれの方がそれぞれの責任に於いて対処していただく以外には無いでしょうね。
 「池田先生が日蓮大聖人の生まれ変わり」と信じていた方いらっしゃるとは驚きでした。
 そんな邪儀を信じていれば、ろくな事は無かったと思います。
 「個人として善い人が、集団になると何故暴徒と化すか」
 とのご指摘は、その通りでしょう。
 ここにおられる皆様方も、個人としては極真面目ないい方々なのでしょう。
 然しながら、BBSという集団となってしまいますと、口汚く我々を罵っておられますね。
 ここでの皆様方の会話を、私は子供たちに読ましたいとは思いませんよ。
 お寺の法要の席で創価学会員が大騒ぎした、とのご指摘ですが、見たわけではありませんからなんとも申しあげられません。
 可能性としては、大いにありうることっだたでしょうね。
 そもそも学会員の葬式に呼ばれ『この人は創価学会幹部であったから成仏をしていない』と遺族の前で言い放つ僧侶が続出していたころの事です。
 ご遺族の方々や、関係諸氏の皆様方は本当に悔しかったでしょうね。
 それでもう一方では、『お前たち創価学会員はお寺に来ないから駄目なんだ。だから成仏ができないんだ。これからはお寺の法要には必ず参加せよ』と言えば、集まった学会員にそれぐらいの事はやられるでしょうね。
 いずれにしても我々は今後、絶対にお寺になど行きませんから、その点ご安心頂いて結構かと存じます。

517ガンコ:2003/10/31(金) 07:21

沖浦克治さんに申し上げます。

このところ、沖浦バッシングが続いていますが、大した腹の据わりようですね。この点、尊敬申し上げます。わたくしなんか、みんなから攻められたらすぐに退散してしまいますもの。
まあ、俗な言い方をすれば、新参者に対する洗礼みたいなものかもしれません。と言っても、沖浦さんのばあい、じぶんで播いた種という気がしないでもないですけれども・・・
わたくし、沖浦さんが他のあちこちの掲示板に登場しているのを拝見していました。まあ、富士門流信徒の掲示板にはいらっしゃらないだろうと思っていたんです。
俗な言い方をすれば、肌にあわないだろうと。
しかし、いらっしゃった。そして、ずいぶんと顰蹙を買っていらっしゃるように見えます、正直言って。だあれも沖浦さんのお味方申し上げる人はあらわれません。多勢に無勢、見方によってはまるで沖浦さん、大聖人の御振る舞いのごとくにも見えます。しかし、やっぱりただ単に顰蹙を買っているだけ・・・だと思います。

俗な言い方をすれば、郷に入ったら郷に従え、でなければなりません。
だいたいこの掲示板には、単立ないし無所属の信仰者、あるいは非信仰者が多くいて、教団に所属している人は少ないのです。だからと言って、教団員がやみくもに攻撃を受けるわけではないのですよ。ちゃんとまじめに教義について論じる人であれば、現役の学会員であっても歓迎されます。
ようするに、いままでの議論の傾向をよく把握して、それを踏まえたうえでじぶんの意見を言うべきです。あなたと仲良し?の空き缶さんだって、他の掲示板ではずいぶんと乱暴なことをおっしゃってましたが、こっちではまったく別人のごとくの振る舞いです。つまり、郷に入ったら郷に従えのお手本にすべきです。
あなたのおっしゃる世界広布ですが、わたくしはけっこう魅力があります。それを論ずることはいいことだと思います。まあ、しかし、論ずるにしても、この掲示板の流儀を踏まえておやりになるべきでしょう。
小泉の純ちゃんみたいにキャッチフレーズだけで中味がないって言うんじゃ、ここの論客は納得しません。

なんて、偉そうなことを書きましたが、わたくしのほうがよほどふつつかものでありまして、沖浦さんより種々のご指導を賜われれば幸いに存じます。

しかし、創価学会っていろんな人がいるものだなあ。人材が豊富でうらやましい。

518ジャンノレン:2003/10/31(金) 09:22
独歩さん、暖かいレスいただき恐縮です。また、共通体験があることも、強面な論客イメージの独歩さんを非常に身近に感じました。
とはいえ大石寺への容赦ない論は緩められないと思いますし、お互いにタイヤに釘を刺されたもの同士とはいえど、
神話的な大石寺の話には論拠を出せ!と太い釘を刺されていることも事実ですので、喜んでばかり居られません(笑)

すこし、前から書いてみたかったこと、こういうスレッドが立っていますので投稿してみます。諸兄の御批判を頂戴するものではありません
がお読み頂ければ幸甚です。

519ジャンノレン:2003/10/31(金) 09:24
妄想、確かに不特性多数の方々が、自己実現として満たされない充足を何かに託す形で成り立っているという側面は個人的にも団
体的にもありますね。カタルシスという言葉がありますが、これは最大公約数的潜在願望の露出ということが言えると思います。
たとえば、社会的階層のなかで低位(それが存在的価値低位という誤解は為さらないで頂きたい)の方は自己実現力の面で言えば
大多数を纏める立場には殆ど機会として恵まれていない事実がある。常に不安と抑圧感情の現出を避けて汲々と暮らすことを余儀
なくされる個にとっては、適わぬ理想や実現という願望と対峙して苦悩するより、刹那的にも眼前を生きる方が楽である。

しかし、社会的位相を変えて、ある種の団体の単位にその機会があったとしたら、(たとえば任意の団体、宗教とか慈善とか、運動
体等、社会的構成を基礎とする集団)そこで何らかの潜在的な不充足感の解消化を感じる理論や行動様式に出会えば恐らく傾倒する
と思われる。潜在的不充足感を自己に託すか、自己の投影である近位の映像に託すか、はその方の個性によると思うが、二者択一で
なくとも団体構成の中でしかも、抑圧の発散という充足感を自己的か他者投影的かに満足できれば、男性にしろ女性にしろ、非日常
的な開放感を覚えるに違いない。それが社会的に大きなインパクトになれば成る程、その開放感と共在感は大きいと言える。一般の
人が享受する社会性とは違った行動様式を与えられた模倣社会は、いわば安住の理想的社会になる訳でしょう。

元々宗教は社会的なものと対抗することに一面意味がある訳だから、その団体的存立基盤はアンチである。不特定多数の民衆の抑圧
願望を一個の人間の顕在されない潜在願望とが結ばれると(国家構成の単位の大衆願望をエスと解釈)開放化を伺う潜在意識は実現
の隙間を常に伺う訳であるから、抑圧願望の開放の正当を何らかの(革命意識とか教義とか)もので肯定されれば、エスとして蓄積
されたエネルギーは抑圧の大きさと個の数量(構成員)の分だけその噴出力は凄まじいものがある。鎌倉期の新宗教や平安期に出現
した聖などは個の拾得に集団としての力を注いだと思う、エスをかき集めて特権階級(顕在化された意識群)に対するアンチとした
構図は考えられないだろうか。戦後の発展はある意味忘れられた存在の貧・病・争のエスの怨念の裏返しともいえまいか。

520ジャンノレン:2003/10/31(金) 09:25
(続きです)
特に一個の人間の自我の在処と団体に投影された自我の延長が何らかの論理的背景で抑圧解放にイエスとする記号が確認された時、
単位としての社会的拘束下にある自我はその抑圧の自己規定を解錠すると思う。特に団体的自我は抽象的であるので、人格的なシンボ
ルが操作ないし演出されればありもしない理想偶像と概念操作された不実体なものに拍車を駈けるべく後は、不特定多数の民衆の潜在
下願望を強く刺激することで自己洗脳はスタートするのではないか。シンボルはある種の倫理的規範でもあるが、矛盾的な潜在下欲望
の開放にイエスといってくれるサインを持つ人である。ある時は道徳的であるが、ある時は非社会的なサインを出す人。社会規範にが
んじがらめになっている、ないし自己実現が閉鎖された自我にとっては快感のシンボルでもある。一向一揆や法華一揆などはレジスタ
ンスとしての側面もさることながら、大衆として国家の潜在化の意識に抑圧された意識の台頭ともいえるのではないでしょうか。

平和と戦争、対立概念を同時にサインを出す。矛盾の乖離が大きければ大きい程、社会階層の共感性と解放快感は広いと言える。後は
シンボルとして継続的な解放刺激を送り続ければ単位としての個人、いうなれば団体と自分はイコールであり、自我延長の団体否定は、
自分自身の否定に繋がっている。普通には有り得ない自我拡大解釈だが、実際には団体イコール自分なのである。何故ならば団体の存
亡は自我の存亡に直結しているから。家族、会社、国家、すべてここ何年かで崩壊していった団体幻想であるが、疑似社会としての団
体維持は快感を約束された自我の安定であるから、それを支え続けなければ自我の崩壊があるという錯覚も効をそうする。

個人としてはいい人でも団体危機回避のサインが何処からかでれば、これはあたかも血液中の白血球のように自動的に外敵・味方と局
所で自己内判断され所与された団体論理の枠組みの中で運動し続ける。行動様式は一元論である。善か悪か、行動か停滞か常に二種の
選択肢しか用意されない。一般的社会と彼等の属する疑似社会は相当な隔たり乖離が当然確認される、一方は多様であり、片方は一元
である。価値の多様を認めれば団体は急速に求心力を失う。いわゆる混沌(カオス)である。団体内は一元管理であるので安定した団
体内秩序で満たされている。しかし、個人がかつて確認できた抑圧開放とは無縁の官僚的組織に為らざるをえない。それは一元論のド
グマでもある、故に団体は存続維持のために、常に外側の世界に対して敵意を持たせ、団体に所属する人の自己投影ができるように個
々の問題反映を映す社会的弱者を装わねばならない。体制的属性に団体が加担を余儀なくされたときは、団体内粛正や敵を永遠に作り
続けないと運動は停止してしまう。破綻は団体存在の矛盾やシンボル論理の破綻から招かれるのではなく、永遠の外敵を創出できるか
どうかと云うところが哀しい。まさに妄想である。

521犀角独歩:2003/10/31(金) 15:58

ジャンノレンさん:

“妄想”に関するご賢察、興味深く拝読しました。
精神医学で言う「補助自我」としての宗教の役割を「エス」も含めて心理面に広げ、個が集団へその幻想を追う様をつまびらかにされたものと拝察いたしました。

わたしは、この点をR・ミルグラムが『服従の心理』のなかでいう“代理状態”から権威組織への決定権の委譲を見てきたのですが、それとはまた違う観点として参考になりました。

わたしがここで考えたいのは、「不充足感の解消化を感じる理論や行動様式」と集団と、感じさせる“装置”の部分です。これは各人にとっては妄想を形成するものであり、妄想という言葉が悪ければ、集団幻想でも、「目標」「目的」と言っても言い方は何でも良いのですが、これらの感情を引き出すものが何であるのかを考えてみたいわけです。

集団浅慮、集団力学、あるいはグループダイナミクス、言葉は様々ですが、これら集団という場が提供するものは、事実とは別に仮設され、それをあたかも現実であると信じ込ませる“仮想現実”なのではないのかと仮定しています。

まったく実際的な行動が伴わないのに、「日本がもうすぐ広宣流布する」とか、「世界平和に貢献している」集団・指導者であると、なぜ会員はいとも簡単に信じ込んでしまうのか。この装置として、働いているのが組織が創作・演出する仮想現実ではなかろうかという仮定です。もちろん、わたしはこれを“仮定”と思っているわけではなく、これこそ、創価学会を含めた集団が会員を突き動かす第三心理操作の『台本』と舞台であると思うわけです。

この点は、どのようにお考えになりますか。

522三学無縁:2003/10/31(金) 17:50
皆様、おひさしぶりです、ご無沙汰しております。

沖浦様という方のご投稿に

> 私は、戸田先生が仮にどのような破廉恥な罪を犯しておられたとしても
>(そんな事はありませんが)戸田先生を世界一の人物として心の底から
> 尊敬する気持は、決して変わりません。

とありました。
「罪」ということが、「法律に触れる犯罪」を指すのか「社会通念上の罪悪」を
指すのかが不明ですし、戸田さんの行為が「破廉恥」かどうかも個々人の判断に
よるとは思いますが、事実関係だけを記しておきます。

K原女史、M重女史、I泉女史、これらの方たちが戸田さんの「愛人」として、
当時の学会幹部・本部職員から認知されていたことは事実です。
これらの方たち以外にも数名の名が当時喧伝されていたようですが、その中の幾人
かは、当時の「法主」や僧侶の「ハウスキーパー」(古っ!)となり、出産された
方もいましたね。
M重女史などは特に、T中K栄におけるS女史以上の存在でしょう。
それは、戸田さん死去後の遺産をめぐる問題からも覗うに十分なことです。
沖浦さんが、
>(そんな事はありませんが)
といわれることが、「愛人の存在がなかった」という意味なのか、それとも、
「愛人があっても破廉恥な罪ではない」ということなのか読み取ることができ
ませんでしたので、とりあえず、事実関係のみを記させていただきました。

523沖浦克治:2003/10/31(金) 19:07
 三学無縁さん
 貴重な情報を有難うございます。
 私は、戸田先生の私生活は存じません。
 何しろお会いした事も無いのです。
 今もっとっも残念に思う事がこのことです。
 戸田先生の質問会を注意深くきくと、私には進行係の女性は、戸田先生に対する恋愛感情をお持ちだと感じます。
 戸田先生が男性として答えられたどうか、私には知るすべもありません。
 戸田先生ほど男性としても、魅力的な人はいなかったでしょう。
 惚れる女性は多かったでしょうね。
 女性にもてないような男に、革命など不可能です。
 魅力、カリソマ性、の無い人が大衆の支持を受けられるはずがありません。
 あなたのご指摘の男女の関係につきましては、私は事実であって欲しいと願いますが、現在その話題を議論する事は女性ご本人や、ご家族、関係者が多数生存されている時点において、話題にあげるべきでは無いと存じます。
 100年もたてばどなたかが研究をされ、本の一冊も書かれると思います。
 今後も、色々とお教えくださいませ。

524沖浦克治:2003/10/31(金) 19:21
 ガンコさん
 宜しくお願いいたします。

>このところ、沖浦バッシングが続いていますが、云々。

 ご心配をお掛け致し、恐縮に存じます。
 が、こんなものは何でもありません。
 創価学会を築いて下さった、早々の大先輩の皆様方のご苦労に比べれば、万分の一にもあたりません。
 蓮祖や、戸田先生のご苦心に比べれば、億分の一以下でしょう。

>正直言って。だあれも沖浦さんのお味方申し上げる人はあらわれません、云々。

 一人立てるとき強きものは正真の勇者なり。
 この言葉を、池田先生から教わっております。

>なんて、偉そうなことを書きましたが、わたくしのほうがよほどふつつかものでありまして、沖浦さんより種々のご指導を賜われれば幸いに存じます。
 
 私のほうこそ宜しくお願いいたします。
 創価学会の功罪の『功』の部分につきまして、少し自らの体験を交えながら書き込んで見ようか、と考えております。

525愚鈍凡夫:2003/10/31(金) 19:40

池田さんが「総体革命」と称する「全体主義」に感銘を受け、隷属する学会員がいるかぎり、また、学会が池田さんの「イエス・マン」を大量生産するかぎり、脱会者や学会と同調しない組織・個人に対する陰湿な攻撃は止むことはないだろうと思います。何故なら、それこそが常に外敵を作り、執拗な攻撃を展開することで発展してきた学会の体質だからです。
譬えれば、学会自体が漕ぎ続けなければ立っていられない自転車のようなもので、漕ぎ続けるエネルギーの素が日本制覇の野望と外敵への怨念といえるでしょうか。
このことは、会員の意識を外に向けさせることで内部にくすぶる不満を抑える抑止効果も期待しているのではないでしょうか。勿論、この方法が100%成功しているとは言えません。それは、延べ1000万人が脱会したことが雄弁に物語っているでしょう。

体験上、裏表のない所謂「いい人」は、学会内に於いて少数しか出逢えませんでした。大多数は内向けの顔・外向けの顔・家庭内の顔と、自己防衛のために三種類を使い分けているとしか思えませんでした。信仰していても、一般人と外見も中身も何ら変わらないのは当たり前の話ですが。
脱会者に対する態度なんかは、その人の最も醜悪な側面を惜しげもなく披露してくれたものです。思い出しても虫唾が走るので、具体的に書きません。また書いたところでそれを証明する手だてがありませんし、また、小生も学会員たちに精神的ダメージを与えてきたわけですから、一方的な被害者ともいえませんので。
とはいっても、親交のある学会員は今でもいますが・・・・・(ちょっと矛盾かな?!)。

前レスで痴呆症のことを少し書きましたが、学会活動の第一線から離れ、時間に余裕が出てきた時、俗に言う「燃え尽き症候群」に襲われるのが原因の一つだと思っています。
歯を食いしばって上り坂を上り続け、頂上に立ったと思ったけれど、その先は楽な下り坂ではなかった、ということでしょうか。いや、むしろ目標が突然なくなったと言った方が正確ではないでしょうか。学会活動にしか充足感を見いだせなかった結果でしょう。悲しいことだと思います。
趣味を持つ心の余裕さえなかった何十年かの年月。結局、その人の存在自体が組織を動かす歯車でしかなく、リタイヤした時、替わりの歯車はすぐに見つかるのです。所詮、やり遂げたと思う満足感は一時のものでしかなく、「成仏」とはほど遠い現実が待っているということでしょう。

指導者の理念を自分の理念と錯覚し、指導者と自分は立場は違えども、同体であるとの思い込みを振り払うには、疑念を持って指導や教義を検証し、「本当に正しいのか」といった問いかけを、常に自分に向ける必要があるのではないでしょうか。
そして、一個の「部品」ではなく、一個の「人間」であるとのアイデンティティーを取り戻さなければならないのではないでしょうか。
見方を変えれば、そのことに気づかせてくれた創価学会に感謝すべきかもしれません。

526ジャンノレン:2003/10/31(金) 19:59
独歩さん、返信レス有り難うございました。

>わたしが・・・行動様式」と集団と、感じさせる“装置”の部分です。
そうですね、「装置」。言い得て妙ですね。拙文に纏めた意図は極めて客観的に書きましたので、仏教徒とは言えない理屈になっていたこと
と思います。私は思想家でもないし只のおじさんですので、通常よくある、神の視点みたいな超越的評価とかはできませんので感情的に為ら
ずにだけ注意しましたが、恐らく一部お見苦しい点があったのではと汗顔の思いです。独歩さんを始め、各論客に臆面もなく個体的自我把握
の事など書けば、釈尊はその様なものは認めておらないとお叱りを被るのではと、冷や冷やです。

元々、東洋と西洋では自我の扱いの次元が違っているのは自明のこととして、私が云いたかったことは、自我というものを独立的に考えると
すこし、分かり易くなるかな、と思っていただけです。フロイトなども自我の構成を借り物的に仮定していますが、仏教のいう無我というニ
ュアンスとは違うと思われます。借体として個体的自我を前提に話しますと、この操作というのは私も、何であろうかと考えていた事です。

私は誘導システム(概念操作といっても良いかも)と思っていたのですが、通常の仏教の思想から云えば予言とか、個人が他人の宿命を指導
するなんて事は本来、有り得ないことですが、占いにもにた行為に簡単に人生を預ける方が多いのは、一考の余地が大いに有ると思います。

>これは各人にとっては妄想を形成するものであり、・・・集団幻想でも、・・・「何でも良いのですが、これらの感情を引き出すものが何で
あるのかを考えてみたいわけです。
仰せの通り、集団幻想が妥当かと思います。そこには個体的自我の行方を前提とした教理の体系が有るように思います。こうすれば幸せにな
るこうすれば不幸を招く・・。もっと云えば、活動しなければ財をやられる、啓蒙しなければ罰を受ける。何か天上人が人を操るような感覚
が仏教の道理として罷り通り、組織そのものに身体的法理が宿っているような教育は、まったく虚仮の世界ではないでしょうか。

>これら集団という場が提供するものは、事実とは別に仮設され、それをあたかも現実であると信じ込ませる“仮想現実”なのではないのかと
仮定しています。
仰るとおりです。集団的自我感と仏教の説く自我は何の関係も無いと思います。集団的自我感は各個人の潜在的欲望の反映である可能性は否
めませんが、組織(集団的自我感)の身体性などは殆ど集団催眠の世界かと思われます。

>まったく実際的な行動が伴わないのに、「日本がもうすぐ広宣流布する」・・・・会員はいとも簡単に信じ込んでしまうのか。この装置と
して、働いているのが・・・仮想現実ではなかろうかという仮定です。
お約束としてはゴールも仮には設定せねば為りません、アイアンマンレースでもゴールはあるのですから。しかし、終点を実際的に設ける事
は有り得ないのではないでしょうか。運動そのものは永遠のレースですが、個人の欲動をそこに見せること(例えば宿業打破や願望実現)に
よって団体運動のゴールではない、個人のゴールは借定されます。実現が適わなかったときは再度レース参加。この繰り返しが延々行われる
事で実現手段が目的化として参加することに目的があるかのような錯覚に陥るのではないでしょうか。言葉足らずの所はご容赦ください。

527三学無縁:2003/10/31(金) 20:53
沖浦様
はじめまして。

私にとって戸田さんという方は、二つの意味を以って立ち現れます。
ひとつは、牧口創価思想を石山流にアレンジし、同時に、石山の坊さんたちの
信仰心を薄めさせたひと、というものです。
とくに学会の折伏による授戒の急激な増加と、「御供養」の大幅な増加は、
僧侶は布教しなくてもいいという錯覚を生じさせました。
しかも、御書は学会が作ってくれるは、他宗との問答は学会がやってくれるは、
ごく一部の僧侶を除いて、多くの僧侶は、法華経も御書も富要も勉強することを
しなくなってしまいました。
これは、たしかに僧侶の堕落ではありますが、ご授戒と法事、葬式で時間をとられ
自分の時間すらもてなくなってしまったということの結果でもあります。
しかも、朝、起きれば、寺の門前に本尊が捨てられていることなど、日常茶飯事で
あったことを、20年代から30年代に入信したひとならたいていご存知でしょう。
寺についている信徒ではないので、その本尊が誰のものかもわからないわけで、
そういう事態を目の当たりにすれば、学会の折伏がどれほどいい加減なものかは、
だれにでも理解できることです。
僧侶の側からすれば、そのような折伏をする学会が、まっとうな信者であるわけ
がありません。
内得信仰もなく、30分前に折伏されたばかりで寺につれてこられてご授戒を受ける、
そういうケースがけっして稀なのではなく、ごろごろあったのです。
それに対して、しっかりと内得信仰をしてから、ご授戒を受けるように、と考えた
僧侶もいましたが、彼らは、「学会員を差別する悪僧」として糾弾されたのです。
本尊さえあれば幸福になれる、それが当時の学会流折伏の殺し文句でした。
そんな教えは、御書にも富要にもありません。
学会の数の力の脅威が、僧侶に如実に実感されたのは、やはり狸祭り事件でしょう。
戸田さんに対する登山停止処分に対し、学会員が正宗寺院をさみだれに訪問し抗議
たために、寺院では法事や葬儀の時間もとれなくなり、身動きがとれなくなったわけです。
次に、僧侶が学会を脅威に感じたのは、広宣流布の模擬試験のときです。
戸田さんが刎頚の友であった時の総理大臣を本山に呼ぶ、これも、僧侶に錯覚をおこさせました。
現職の総理が来るほどわれわれの信心はすごいんだ、と。
しかし、本山の役僧にとっては、すごいことでもなんでもなく、脅威でした。
なぜならば、信者でもない人間の「武運長久」を祈らされることになったからです。
まさに、昭和の不受不施問題の勃発でした。
しかし、石山首脳は「総理が来れば全山で武運長久を祈る」ことを承諾しました。
ひとつには、学会をおそれ、いまひとつは戸田さんに貸しをつくると同時に政治との
パイプをもつという魅力に勝てなかったからです。

わたしは、このような戸田時代の学会のありさまこそが、今日の諸問題の根源である
と思っています。(つづく)

528三学無縁:2003/10/31(金) 20:54
(承前)
さて、わたしにとっての、戸田さんのイメージは、もうひとつあります。
それは、沖浦様も聞いておられる、肉声からのイメージです。
その内容については、感想を述べることを控えますが、金もない、
教養もない、当時の一般庶民にとって、戸田さんの話術は強烈な印象を
与えたことでしょう。
「飲んだくれのおっさんが、立派な背広を着て、えらそうに喋っている」
「もしかしたら、自分もああいう金持ちになれるかもしれない」
「でかいことばかり喋っているけど、ひとは良さそうだ」
「質問にも親身になって答えてくれているから、信じてもよさそうだ」
「威勢のいい話で、なんだか元気になってくる」
こういったあたりが、当時の学会員の偽らざる感想でしょう。
高度経済成長前の日本にあって、虚妄であったとしても、希望の片鱗を
聞かせた戸田さんを、わたしは嫌いではありません。
酔っ払いの大ぼら吹きの大風呂敷でも女好きでもいいではありませんか。
話を聞いて、それで明日を生きる力になった、それは事実として否定
できません。
わたしは、そういう、人間的に破れながらも一般会員に接する戸田さんの
魅力を感じています。
ただし、このことと、先の権力者としての話は別の問題として考えたいものです。

いずれにしても、戸田さんが、本音のところはいざ知らず、肉声や当時の聖教や
大白において、正宗を絶対的なものであるとし、国立戒壇の建立を本気で考えて
いたことは事実です。
また、戒壇建立の文証とされる「三秘抄」のどこを読んでも、その建立されるべき
戒壇が「民衆立」などというものであるとは書かれていません。
戒壇は「民衆立」であるという文証があるのならともかく、「国主」「勅宣」「御教書」
などが建立の前段階での要件として書かれている以上、そして、事壇建立をいい、
その文証として「三秘抄」を用いる以上は、「民衆立」の戒壇などありえません。
それは、日蓮というひとの考えにも教えにも存在しません。

ただし、日蓮の考えにも教えにも関係なく、独自の教理として「民衆立」の戒壇
を主張するぶんにはかまわないだろうと思います。
もちろん、それは、非日蓮系新宗教の教理ということになりますが。

話がそれてしまいました。
戸田さんについて、あと一点だけ。
戸田さんの当時でも数億円あった遺産は、結局どうなったたのか。
奥さんにも妹さんにも、遺産としてはほとんど相続されなかったのでしたね。
当時の金庫番は、誰だったでしょうか。
最愛の妹さんに遺産すら残さない戸田さんだったのでしょうか。
わたしは、この一事をもってもポスト戸田体制の学会を好きになることはできません。

以上、長々と書いてしまいましたが、事実誤認があればご指摘ください。

529MILD SEVEN:2003/10/31(金) 23:24
各界の創価学会理解・協力者著名人

<あるサイトで タカ と名乗る創価学会員が教えてくれました。>

奥田会長(トヨタ自動車グループ協会会長)
松井孝典(東京大学教授 理学博士)
河合隼雄(文化省長官、京都大学名誉教授)
橋田壽賀子(脚本家)
渡辺恒雄(読売新聞グループ本社社長)
武者小路公秀(中部大学教授)
重松 清(作家)
相馬雪香(難民を助ける会会長)
中西 進(帝塚山学院学院長)
石田衣良(作家)
小島朋之(慶応義塾大学総合政策学部長)
藤原帰一(東京大学教授)
中谷 巌(UFJ総研理事長)
山中菀子(国際連合大学客員教授)
芹沢俊介(評論家)
吉田ルイ子(フォトジャーナリスト)
藤原作弥(日立総研社長)
石川 好(ノンフィクション作家)
小林輝幸(ノンフィクション作家)
松井道夫(松井証券社長)
白眞勲「ベック・ヂンフン」(朝鮮日報日本支社長)
五十嵐武士(東京大学教授)
我部政明(琉球大学教授)
根本 孝(明治大学教授)
宮武 剛(埼玉県立大学教授)
小林良彰(慶応義塾大学教授)
米沢富美子(慶応義塾大学教授)
榊原英資(慶応大学教授)
寺島実郎(日本総合研究所理事長)
岩美隆夫(政治評論家)
村田喜代子(小説家)
山村慎一郎(ゴーシュ研究所所長)
福原義春(資生堂名誉会長)
宮崎駿(スタジオジブリ映画監督)
鈴木プロデューサー(スタジオジブリプロデューサ)
星野社長(ウォルト・ディズニー・ジャパン社長)
・・・・。
・・・・。
・・・・。

530三学無縁:2003/10/31(金) 23:29
>529
これは、たんに機関紙類に登場した人物のリストのような気がするのですが、、、。
中に数名、「じつは反創価」のひとがはいっていますね。

531MILD SEVEN:2003/10/31(金) 23:33

<聖戦>

私は、創価の脅しや脅迫には屈しません。
殺されるなら本望です。
殉教ですから。
創価には、まったく誠意が無いのです。

<<<世界中のキリスト教会と普通の仏教界は創価に絶対反対!>>>

この運動は広がります。広めます。必ず。
 
                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キリスト教界で、異端とされる三位一体を認めない教派。エホバの証人。モルモン教。統一教会。があります。

一方、仏教界では、池田創価は釈迦を否定し、法華経を見下しています。
やっている事は池田経でしょう。
これからは、創価学会・池田教と呼びましょう。

これ以上、創価が体質改善無きまま政権に食い込むと、税金を何に使われるか?不安です。
カルトの布教の為に世界に資金流失等、池田氏個人の勲章取りの費用かな?
本格的に世界征服の野望を燃やすでしょう。あの名誉会長連中は。
貧乏するのは一般国民・・・なんてことは阻止しましょう。

                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
魔界のロボトミー化した池田狂信者は哀れな連中です。

でも、これは言っておかなければなりません。
創価学会員が不幸を造ったら、まず、創価学会員が改善すべきです。
キリスト教もそうやって前進してきました。
私はプロテスタントです。
今や、キリスト教界は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代です。

創価は、とんでもない間違いをしています。
伝統を踏みにじり、しかも、カルト化しています。
狂っているとしか言いようがありません。
このまま独裁体制で世界征服するつもりでしょうか?
バベルの塔の運命はいかに?

国家に警察があるように、風紀委員は必要です
宗教問題でもそうです。
もはや、タブーではありません。
時間との戦いです。

また、創価の好きな・自分勝手な私刑は、国家の尊厳を踏みにじる行為です。
創価に悔い改めの意味が分かるでしょうか?

532MILD SEVEN:2003/10/31(金) 23:33

<聖戦>

私は、創価の脅しや脅迫には屈しません。
殺されるなら本望です。
殉教ですから。
創価には、まったく誠意が無いのです。

<<<世界中のキリスト教会と普通の仏教界は創価に絶対反対!>>>

この運動は広がります。広めます。必ず。
 
                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キリスト教界で、異端とされる三位一体を認めない教派。エホバの証人。モルモン教。統一教会。があります。

一方、仏教界では、池田創価は釈迦を否定し、法華経を見下しています。
やっている事は池田経でしょう。
これからは、創価学会・池田教と呼びましょう。

これ以上、創価が体質改善無きまま政権に食い込むと、税金を何に使われるか?不安です。
カルトの布教の為に世界に資金流失等、池田氏個人の勲章取りの費用かな?
本格的に世界征服の野望を燃やすでしょう。あの名誉会長連中は。
貧乏するのは一般国民・・・なんてことは阻止しましょう。

                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
魔界のロボトミー化した池田狂信者は哀れな連中です。

でも、これは言っておかなければなりません。
創価学会員が不幸を造ったら、まず、創価学会員が改善すべきです。
キリスト教もそうやって前進してきました。
私はプロテスタントです。
今や、キリスト教界は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代です。

創価は、とんでもない間違いをしています。
伝統を踏みにじり、しかも、カルト化しています。
狂っているとしか言いようがありません。
このまま独裁体制で世界征服するつもりでしょうか?
バベルの塔の運命はいかに?

国家に警察があるように、風紀委員は必要です
宗教問題でもそうです。
もはや、タブーではありません。
時間との戦いです。

また、創価の好きな・自分勝手な私刑は、国家の尊厳を踏みにじる行為です。
創価に悔い改めの意味が分かるでしょうか?

533MILD SEVEN:2003/10/31(金) 23:54

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
しかし、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

534ケン:2003/11/01(土) 01:29
沖浦様
はじめまして。

一つだけ質問させてください。
それは、「ポスト池田」問題です。

池田さんがお亡くなりになった後、
創価学会の指導者として、どのような形態を
沖浦様は予想されているのでしょうか。

たとえば、牧口→戸田→池田と同格の
強力なリーダーシップを持った方が
現れるとお考えでしょうか。

あるいは、池田一族(たとえば、
奥様、ご子息)が跡を継がれることも
あり得るとお考えでしょうか。

仮に、池田さんのご子息が跡を継がれた場合、
そのことを理由にして創価学会から離れるメンバー
が頻発するということは予想されますか。
沖浦様ご自身は、どうですか。

535沖浦克治:2003/11/01(土) 05:51
 ケンさん、始めまして。
 沖浦です。 
 私のことはさん付けでおよびください。
 私には、池田先生の後は正確にはわかりません。
 然しながら、牧口・戸田・池田のお三方のような方式が、あってはならないと思います。
 今後の創価学会に、そのようなリーダーは邪魔でしかありません。
 常に強力極まりないリーダーが出現し、創価学会を率いて布教拡大をするのであれば、そんなものはもはや民衆のための仏法とは呼べないでしょう。
 正宗を例にとれば、強力なリーダーは興師までです。
 後は、せいぜい平凡な管理者にすぎません。
 今後は凡庸な会長が、集団指導体制で組織運営をするでしょう。
 池田先生のご子息が会長に就任される事はありえます。
 私は賛成いたします。
 少なくとも、秋谷さんよりははるかにましです。
 これを理由に学会を去るメンバーが多少でるかと思います。
 そんなものは出させてやればいいのです。
 信教の自由は基本的人権の根幹をなすものです。
 辞める権利を尊要すべきです。
 私の退転者に対するスタンスは、いる方がいいのにな、という程度です。
 お三方(特に戸田先生)と同様の強力な指導者は、世界広布の途上で必ず外国に出現すると思います。
 今、時国立戒壇で騒いでいる人たちには、理解が不可能でしょうね。
 すでに我々は、世界立戒壇を目指しています。
 時は流れているのです。

536沖浦克治:2003/11/01(土) 06:17
 三学無縁さん

>ひとつは、牧口創価思想を石山流にアレンジし、同時に、石山の坊さんたちの
信仰心を薄めさせたひと、というものです。

 元々宗門の僧侶に信仰心などはありません。
 藤本師が戦争に反対し投獄をされた際、宗門は彼の僧籍を剥奪いたしました。
 牧口・戸田両先生が同じく投獄をされると、信徒から除名をいたしました。
 自らは謗法に落ちぶれて神札を受け、対して、蓮祖のご遺命を守った在家、出家を切り捨てるところに、元々信仰心などはありません。
 あると思うのはあなたのご自由ですが、私は勘違いであると断定いたします。

>とくに学会の折伏による授戒の急激な増加と、「御供養」の大幅な増加は、
僧侶は布教しなくてもいいという錯覚を生じさせました。

 元々僧侶が布教を出来ないから700年間広まらなかったのです。
 戦後社会体制が整ってからでも、布教活動は在家である戸田先生が起こされました。
 この事実は、すでにこの時点で宗門が役割を終えていた事を、如実に物語っております。
 
>しかも、御書は学会が作ってくれるは、他宗との問答は学会がやってくれるは、
ごく一部の僧侶を除いて、多くの僧侶は、法華経も御書も富要も勉強することを
しなくなってしまいました。
 
 この点は仕方がありません。
 すでに役割を終えていたのですから、要求すること事態が無理と言うものでしょう。
 これは、目の見えない人に絵をかけ、と言っている事と同列の要求です。

537沖浦克治:2003/11/01(土) 06:37
 続きです
>しかも、朝、起きれば、寺の門前に本尊が捨てられていることなど、日常茶飯事で
あったことを、20年代から30年代に入信したひとならたいていご存知でしょう。

 そう言う事はよくあったでしょうね。
 然しながら戦時中の大謗法の厳罰で、法主が焼死するような宗門には文句など言う資格はありません。
 文句があれば蓮祖のご遺命の如く、自らが折伏弘経に励めばいいのです。
 『君たちは間違っている。私はこのやり方で10000万所帯を折伏している』と言えば、皆言うことを聞いたでしょうね。

>そういう事態を目の当たりにすれば、学会の折伏がどれほどいい加減なものかは、
だれにでも理解できることです。

 拡大期です。
 完璧な布教などはどの組織にも不可能です。
 最もいいかげんなものは、宗門の信心の姿勢と布教態度でしょう。
 戦時中の謗法を原点にしている宗門には、元々布教などは不可能です。
 創価学会と離別し、はや12年。
 戸田先生が会長就任をされた12年後の時点で、創価学会は600万所帯、宗門は現在20万程。
 情けないにも程がありますよ。
 数々の迫害にも負けず、現在創価学会には800万人程度残っています。
 お荷物の宗門と離別し、今はドンドン増えています。
 この事実が、勝敗を顕しております。

>僧侶の側からすれば、そのような折伏をする学会が、まっとうな信者であるわけ
がありません

 我々からすれば、こんな僧侶がまっとうな蓮祖門下であるはずがありあません。

>彼らは、「学会員を差別する悪僧」として糾弾されたのです。
本尊さえあれば幸福になれる

 本来ほとんどが、蓮祖敵対の悪僧の集団なのです、事実を述べているだけです。
 また、糾弾などは現時不必要です。
 捨てておいて、立ち腐れさせておけばいいでしょう。

538沖浦克治:2003/11/01(土) 06:54
 続きです
>狸祭り事件でしょう。
 
 私の過去レスをお読みください。

>戸田さんが刎頚の友であった時の総理大臣を本山に呼ぶ、これも、僧侶に錯覚をおこさせました。

 総理大臣に御開扉を受けさせる計画などはありませんでしたよ。
 単純に招待をしただけです。
 宗門は、身延の関係者に度々御開扉を受けさせております。
 文句は筋違いでしょうね。

>「飲んだくれのおっさんが、立派な背広を着て、えらそうに喋っている」
「もしかしたら、自分もああいう金持ちになれるかもしれない」
「でかいことばかり喋っているけど、ひとは良さそうだ」
「質問にも親身になって答えてくれているから、信じてもよさそうだ」
「威勢のいい話で、なんだか元気になってくる」
こういったあたりが、当時の学会員の偽らざる感想でしょう。

 あなたにとって、戸田先生はその程度の存在なのでしょうね。
 全くのご自由です。
 私は、戸田先生は蓮祖と同じ境涯のお方であった、と信じております。
 これも全くの自由です。
 ちなみに、私は戸田先生の『青年訓・国士訓』を呼んだのは16歳の時でした。
 強烈な印象に体が震えた事を、今でもよく記憶いたしております。
 お書きになられたものを、面識の無い私が呼んでさえこれでした。
 現実に、講義や講演をお聞きになられた会員の皆様方の喜びは、想像を絶するものであったでしょう。
 本当にお会いしたかったです。
 録音を聞く度に、身の福運の無さを嘆く毎日です。

539沖浦克治:2003/11/01(土) 07:10
 続きです
>高度経済成長前の日本にあって、虚妄であったとしても、希望の片鱗を
聞かせた戸田さんを、わたしは嫌いではありません。

 あなたがどの様にお感じになろうとも、ご自由でしょう。
 私は、戸田先生がご出現になられなかったなら、人類は滅びていたと思います。
 これも私の自由です。

>いずれにしても、戸田さんが、本音のところはいざ知らず、肉声や当時の聖教や
大白において、正宗を絶対的なものであるとし、国立戒壇の建立を本気で考えて
いたことは事実です。

 少し論理が飛躍していますね。 
 あなたが事実とお考えになっているだけです。
 戸田先生のご本心では、宗門など歯牙にもかけておられなかったでしょう。

>また、戒壇建立の文証とされる「三秘抄」のどこを読んでも、その建立されるべき
戒壇が「民衆立」などというものであるとは書かれていません。云々。

 御書全体を正しく読まねば、理解は不可能でしょう。
 蓮祖の御書を拝し、双方に異なる解釈が起こる事はやむ終えないと思います。
 あなたはそう、思い私は思わない。
 理解力の差です。

>戸田さんについて、あと一点だけ。
戸田さんの当時でも数億円あった遺産は、結局どうなったたのか。

 どなたかが使ってしまったのではないですか?
 いずれにしろ、私の手元に入るお金ではないので、なんとも申しあげられません。

>最愛の妹さんに遺産すら残さない戸田さんだったのでしょうか。
わたしは、この一事をもってもポスト戸田体制の学会を好きになることはできません。

 事実であれば本物の指導者と思えますが、私には確認する手段がありません。
 詳しくご紹介いただければ幸いです。
 私は戸田先生のことは、どんな小さなことでも知っておきたいのです。

540沖浦克治:2003/11/01(土) 07:10
 続きです
>高度経済成長前の日本にあって、虚妄であったとしても、希望の片鱗を
聞かせた戸田さんを、わたしは嫌いではありません。

 あなたがどの様にお感じになろうとも、ご自由でしょう。
 私は、戸田先生がご出現になられなかったなら、人類は滅びていたと思います。
 これも私の自由です。

>いずれにしても、戸田さんが、本音のところはいざ知らず、肉声や当時の聖教や
大白において、正宗を絶対的なものであるとし、国立戒壇の建立を本気で考えて
いたことは事実です。

 少し論理が飛躍していますね。 
 あなたが事実とお考えになっているだけです。
 戸田先生のご本心では、宗門など歯牙にもかけておられなかったでしょう。

>また、戒壇建立の文証とされる「三秘抄」のどこを読んでも、その建立されるべき
戒壇が「民衆立」などというものであるとは書かれていません。云々。

 御書全体を正しく読まねば、理解は不可能でしょう。
 蓮祖の御書を拝し、双方に異なる解釈が起こる事はやむ終えないと思います。
 あなたはそう、思い私は思わない。
 理解力の差です。

>戸田さんについて、あと一点だけ。
戸田さんの当時でも数億円あった遺産は、結局どうなったたのか。

 どなたかが使ってしまったのではないですか?
 いずれにしろ、私の手元に入るお金ではないので、なんとも申しあげられません。

>最愛の妹さんに遺産すら残さない戸田さんだったのでしょうか。
わたしは、この一事をもってもポスト戸田体制の学会を好きになることはできません。

 事実であれば本物の指導者と思えますが、私には確認する手段がありません。
 詳しくご紹介いただければ幸いです。
 私は戸田先生のことは、どんな小さなことでも知っておきたいのです。

541ガンコ:2003/11/01(土) 14:48

沖浦克治さん

>国立戒壇で騒いでいる人たちには、理解が不可能でしょうね。
>すでに我々は、世界立戒壇を目指しています。
>時は流れているのです。

この掲示板では、沖浦さんの矛盾を指摘するために国立戒壇を引き合いに出して論じていらっしゃる人が幾人かいるわけですが、だからと言って、その人たちが国立戒壇を信じているわけではないのですよ。
じつは、国立戒壇で騒いでいる人たちというのは、ほかならぬ顕正会員です。
いちおう、わたくしは現役顕正会員なので、少し質問させていただきます。

国立か、世界立かは、しばらく置きたいと思います。問題はその戒壇に安置すべき本尊をどうするか、であります。
すでに空き缶さんにおいては、妙本寺所蔵の「万年救護本尊」こそ戒壇本尊である旨、表明せられていますが、さて、沖浦さんはいかがでしょうか?
日蓮正宗では、申すまでもなく「弘安二年の大御本尊」=「本門戒壇の大御本尊」を時至らば本門寺の戒壇に安置することを宗是としてきた御宗門でして、沖浦さんのおっしゃる、というか学会で言っている世界広布は立派なことだとわたくしは思いますが、しからば、世界立戒壇はいつ、どこにたてられるものなのか、そして、いずれの御本尊を御安置申し上げるのか・・・といったことどもが問題になってくるのではないでしょうか?

沖浦さんは過去のことより未来のことを重視せられていらっしゃるようなので、ぜひともご教示ねがいたく存じます。

542犀角独歩:2003/11/01(土) 15:09

ジャンノレンさん:

> 仏教徒とは言えない理屈

いやいや、そんなことはないと思いますよ。
わたしは“妄想”を宗教病理的な観点から提出しましたけれど、この漢熟語は本来、仏教語で「もうぞう」と読んだものでしたね。
間違った考え・強い確信・訂正不能はまさに「もうぞう」であって、我執でもあるわけでしょう。

> 私は誘導システム(概念操作といっても良いかも)

概念操作、これはたしか石田さん辺りも使用していましたっけ?
失念していますが、それは置きます。
概念操作が自律的なものであれば問題は生じないでしょうが、他者操作である場合、大いに問題が生じますね。後者は社会心理学が扱う問題になります。

> 通常の仏教の思想…予言…個人が他人の宿命を指導する…有り得ない…占いにもにた…簡単に人生を預ける…一考の余地が大いに有る…

賛同します。当スレッドのテーマである創価学会で言えば「個人指導」とかいうものですね。

> 集団幻想が妥当

この言葉は当板では度々使用されてきた成句でした。
わたしはこの幻想ということを考えるときD・J・ブーアスティン著『幻想(イメジ)の時代』(東京創元社・現代社会科学叢書)は必読書であると皆さんにお薦めしたいと思います。

この本は特にマスコミが濫造する幻影(イメジ)の危険性にかなり早い段階で警鐘を鳴らしたものでした。その警鐘は現代的にはマスコミに限らず、集団幻想、そして、仮想現実を現実と思い込ませるマインド・コントロールも説明できるキャパをもっています。

> 活動しなければ財をやられる、啓蒙しなければ罰を受ける。何か天上人が人を操るような感覚が仏教の道理として罷り通り、組織そのものに身体的法理が宿っているような教育は、まったく虚仮の世界ではないでしょうか。

「教育」と言えば聞こえは善いですが、まさにこれが破壊的カルト・マインド・コントロールでしょう。一般的な言葉で言えば「煽動」ということになります。
ここでは妄想が大いに利用されるわけで、事実関係が証明できないことによって成立しています。

543犀角独歩:2003/11/01(土) 15:10

―542からつづく―

>> 仮想現実
> 集団的自我感と仏教の説く自我は何の関係も無い組織(集団的自我感)の身体性などは殆ど集団催眠の世界

これは多くの科学者が指摘するところです。
このような集団内の仮想現実を確実にするには段階があります。
簡単に羅列すれば、

・善悪二極論の演出
・良いことは自分たちに、悪いことは他に
・他者蔑視と憎悪
・情報隔離と情報解釈操作

まず、第一段階で行われることは善悪二極論の分別です。正しいものと間違っているものを分けて考える思考の徹底化です。そして、正しいのは自分たちであるという徹底的な心理操作が施されます。ここでもっとも力を発揮するのは指導者崇拝、いわゆるカリスマ崇拝です。
自分たちが正しい・優れているという感情はレノンさんも指摘されている点と重複しますが、必ず劣っている他者、憎悪する対象を必要とします。
たとえばあるカルト団体があるとき、その団体が自分たちの正当性を訴えるとき、必ず敵対する団体を悪口が枕詞で付されるのはこのためですね。
しかし、本来、人間は客観的な判断力を持ち合わせているので、この点を封殺する必要があります。この点で施されるのは情報隔離です。つまり、他の情報を見させないという方法です。カルトメンバーの特徴は自分たちの集団の知識以外が極端に稚拙であることです。また、情報閉鎖隔離されない場合でも、受け取る情報を「どのような考えるのか」という個人の解釈能力を封殺し、その判断を「指導」「教義」に委譲させる人権侵害が行われます。

以上のよう手順を踏んでカリスマ崇拝を規定とする組織依存症を罹患させた上で、集団・指導者がすべて解釈と行動の命令を下していくわけです。このような状態になるとき、個人は自分の意志で行動していると錯覚しながら、実は集団・指導者の代理状態へと変貌させられています。次に集団・指導者が提示するものが「仮想現実」としての世界観です。
いま世界はたいへんな危機に陥っている。この危機を救えるのは我が集団・指導者しかいない、このような操作が行われていきます。

地震、災害といった自然災害、これらは実際に起きていることです。この事実がなぜ起きるのかこの時点で集団・指導者の“解釈”が与えられるわけです。このような災害が起きるのは「日蓮大聖人に背くからだ」、これが第一段階の解釈で、次段階は、「日蓮大聖人の教えを正しく継承しているのは自分たち(集団)で、正しくそれを教えてくれているのは先生しかない」と、このような段階的な操作が行われていきます。しかし、実際、自然災害と集団・組織などまったく関係がないわけです。このように牽強付会の説明を可能にする心理を社会心理学では「連合」と言います。コンピュータ用語で言えば「関連づけ」、芸術技法で言う「モンタージュ」です。

ここでは正しいことを信じる人は正しい。自分が正しいものであるためには正しいことを信じる連なり合うことだ。信じない者は悪い、理解力がない、悪に連なっていると、善は自分たちに連合し、悪は他者と連合するという解釈が施されます。この解釈に罹患すると、正しいことをするためには集団と指導者を信じることが正しい行いであると、自動的に心理プログラムが働くことになります。

544犀角独歩:2003/11/01(土) 15:11

―543からつづく―

このようなプロセスを経たのち、この危機を救い人類と世界の平和に邁進しているのは自分が所属する集団と指導者のみであると連鎖的な信念体系が教化され続けることになるわけです。

以上の説明を集団・指導者に操られた人々が読めば言うことは、ただ一つ「自分たちには関係ない」ということになります。これもまた刷り込まれた心理プログラムの一つです。

さらにこの個人的なプロセスを支えるものが集団が提供する仮想現実であるとわたしは指摘したいわけです。自分たちは世界平和に貢献している。今後の世界を救うのは自分たちだなどと考える場合、現実的には祈っている活動しているだけでは何も変わりません。必要なことは実際行動です。集団が提供する世界観が現実であるか、仮想現実であるのかを見極めることは一般人からすれば少しも難しいことではないわけです。浅見定雄師が指摘したとおり、「何を信じているではなく、何をしているのか」とその後者を見ればわかることです。仮想現実の場合、実際的な行動は何も伴わないわけです。

ですから、その団体がカルトかどうか判断するには「自分たちが世界平和に貢献している」という集団と会員がいれば、「ではなにしているのですか」と訊いてみればわかることになります。平和を騙るだけのカルト団体は、これに何も答えられず、質問されたことに腹を立て、質問者を悪し様になじる以外、何も言うことはできません。

> お約束としてはゴールも仮には設定せねば為りません

この点をわたしは上述した浅見師にお尋ねしたことがあります。
師は実にうまい説明をしてくれました。「馬の鼻先のニンジン」だと言いました(笑)
魅力的に見えて走らずにはいられないけれど、決して食べることができない目標であるというわけです。
また、師は旧約聖書研究の第一人者ですが、そのなかでも終末思想の研究者であるわけです。そのお立場から、終末思想を利用するカルトに警鐘を鳴らしてきた一人でした。
たとえばもうすぐ大地震が来て国が亡ぶ、こんなことを言うわけです。世界大戦の危機が迫っている。こんなことも言います。これらは集団・指導者とは“まったく関係がありません”が、あたかもそれを救うことができるのは自分たちと指導者だけであるように心理操作されるわけです。このときの“装置”が終末思想です。この終末、あるいはカタストロフィ勃発の時期の設定がカルトグループリーダーの腕の見せ所であると師は言います。メンバーは十分に危機を抱けるだけ現実的に見える近日・近年であること、しかし、今日寝て明日起きて嘘がばれてしまうほど近くない期間が確保されていることというわけです。このような危機感でメンバーを煽る団体をカルトと呼ぶわけです。このメンバーの危機感を煽る装置として、日蓮本仏論圏で利用されるのは地震と核ミサイルでした。

もう一点、補足します。フェスティンガーの名著『予言がはずれるとき―この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』も推薦の一緒です。認知不協和理論で著名な著者ならでは分析です。

簡単に言えば、予言が外れたとき、集団と指導者が言うことは決まっています。「私たちの信仰で世界的な危機を乗り越えることができた」(大笑)というものです。

545犀角独歩:2003/11/01(土) 15:12

―544からつづく―

> 運動そのものは永遠のレースですが、個人の欲動をそこに見せること(例えば宿業打破や願望実現)によって団体運動のゴールではない、個人のゴールは借定されます。実現が適わなかったときは再度レース参加。この繰り返しが延々行われる
事で実現手段が目的化として参加することに目的があるかのような錯覚に陥るのではないでしょうか。

このご指摘はすばらしいと思います。
世界を平和をするために、広宣流布するために個人が立派になって成功を収めることであると集団目標と個人目標の整合性を図るのが“在宅型カルト”の特徴でした。

ここは「創価学会の功罪を考える」スレッドです。
上述することはカルトグループリーダーに操られたメンバーの典型的な特徴となっています。この典型的な心理操作技術が創価学会が当て嵌まるかどうか。お読みになった方で判断してください。ただし、「わたしはそうは思わない」というだけの感想のレスは無用です、何の意味を持ちませんので。
意味があるのは学術的な証拠に基づく科学的証拠と証明の提示だけです。
いちばん、わかりやすいのは世界平和を目指して、これから何をする・したいではなく、「何をしてきたか」という事実証拠の提示です。

わたしは、いわゆる平和活動家という人たちともよく話しますが、彼らが語る活動は実に具体的です。どこに国で何をどのようにしたかを縷々いつまでも語り止むことはありません。そこでは立派な指導者よりも。泥まみれ、、血まみれ、汚物まみれになって無名の一人が現場で働いています。賞賛も勲章もありません。多くの人の拍手喝采を受けて演説することもありません。社会的な成功などという世俗の価値観を超越しています。ただ、命懸けで戦禍をくぐり、いまそこで死にかけている人、苦しんでいる人を救っています。わたしのそのような人々に菩薩を見、深く頭を傾けます。ここでは宗派も神仏も集団も指導者も尊敬の対象でありません。

以上、簡単に仮想現実を見る前提を簡単に記しました。
実際の仮想現実はどのようなものであるか徐々に考えていきたいと思います。

546犀角独歩:2003/11/01(土) 15:38

【542の訂正】

誤)『幻想(イメジ)の時代』(東京創元社・現代社会科学叢書)
正)『幻影(イメジ)の時代』(東京創元社・現代社会科学叢書)

547犀角独歩:2003/11/01(土) 18:05

まあ、ガンコさんの言うとおりですね。
国立戒壇論を真剣に言うのは今では顕正会ぐらい。
わたしや、その他の方が、ここでそれを提示したのはかつて戸田さんが言っていたから。
言っていたことを「言ってない」なんて言われてもねえ(大笑)

それにしても創価学会が「世界立戒壇」を目指しているとは初耳でした。
創価学会本部に電話して聞いてみようと思います。
それとも沖浦さんが言う「我々」っていうのは創価学会とも別の集まりでしょうか。
何を入れるんでしょう。寛師“書写”漫荼羅でも板に彫るんでしょうか。
こんなことを言われたら、ほかの学会そのものも、学会員も迷惑でしょうね。
それとも創価学会とその会員はこんな事を真剣に考えているんでしょうか。

いっそのこと、宇宙立戒壇でも目指したらどうでしょうかね。
いうだけなら、なんでもありでしょうから。

なんだか、SFじみてますね。いや、フィクションといいましょうか。

548探訪者007:2003/11/01(土) 18:06
 困るナー沖浦様! 毎度毎度の「同じ次元での屁理屈?には閉口ですヨ、!!」、。ソンナニ「言いたいのであれば,YAHOOの掲示板=愛される創価、嫌われる創価、けっこうガンバル公明、創価は負けを認める、SGI創価の暗部、、などの興味深いトピックなどが”政治、選挙、ニュース各欄内でチャット口論、議論」が「花盛り、」ですヨ、。キット大歓迎されるでしょう、、。

549沖浦克治:2003/11/01(土) 19:42
 ガンコさん

>すでに空き缶さんにおいては、妙本寺所蔵の「万年救護本尊」こそ戒壇本尊である旨、表明せられていますが、さて、沖浦さんはいかがでしょうか?

 弘安二年十月十二日のご本尊様でいいと思います。
 戸田先生が『このご本尊様が最も完成されている』と発言されておられます。
 私には、別に異を唱える理由がありません。
 然しながら、このご本尊様が蓮祖出世の本懐である、とは思っておりません。

>世界立戒壇はいつ、どこにたてられるものなのか、そして、いずれの御本尊を御安置申し上げるのか・・・といったことどもが問題になってくるのではないでしょうか?

 ご安置すべきご本尊様は、先程も述べましたがとりあえず戒壇様でいいでしょう。
 戒壇建立の時機は、戸田先生没後200年近くはかかると思います。
 これも戸田先生が『自分の正しい評価は、自分の死後200年はかかるだろう』と言われているからです。
 場所や建物の様式等につきましては、その時代の人々が判断をするでしょう。
 今から決めるべきものではないと思います。

550沖浦克治:2003/11/01(土) 19:44
 探訪者007さん
 
 大変ユニークなご意見です。
 これからも、一所懸命に頑張ってくださいませ。

551ジャンノレン:2003/11/01(土) 19:45
独歩さん、凄く沢山書かれていたので丁寧に読んでまた、レス致します。とりあえず思いつくままのところだけ。

> 私は誘導システム(概念操作といっても良いかも)
>概念操作、これはたしか石田さん辺りも使用していましたっけ?
私は石田さんの言ってることは存じ上げないのですが、私が使用した意図は、大多数が共有する一般概念を、少しづつずらして本来の概念を
教団ないし団体が共通認識として獲得すべき概念に恣意的にすり変えていく事を云ったものです。確信犯的行為です。

>概念操作が自律的なものであれば問題は生じないでしょうが、他者操作である場合・・・
そうです、他者操作です。卑近な言い方をすれば詐欺です。マルチ商法や違法な互助会の名目は金融や流通の仕組みそのものを借りて操作する
んですね。宗教も釈迦の悟りや教祖そのものの言辞(経典)の真偽はともかく、それを借りて操作していくことがあったならば、許されないこ
とです。これを団体的な操作とばかり当てはめるのは、どうでしょうか?インターネットは匿名な分だけその個人が持っている潜在下のものが
出やすいとも言えます。倫理的を謳いながら、モラルを前面に押し出した言論封鎖を是とすれば、またこれが集団的な正論主張となれば本来の
言論が何処か曖昧な概念にすり替わっていきます。私は団体的な言語操作や概念の操作もさることながら、そこに与する人が果たして善人ばか
りなのか、検証していきたいです。いわゆる機嫌の悪い人です。匿名性の危険差は実名性のそれに及ばないと思います。独歩さんが提示された

・善悪二極論の演出
・良いことは自分たちに、悪いことは他に
・他者蔑視と憎悪
・情報隔離と情報解釈操作

は実は個人の内面に渦巻く事でもあります。団体運営が一握りの個人もしくは数名の集団に委託されているのなら、現出している表面よりも個
人の機嫌の悪さにも目を向ける方向もあるかと思います。機嫌の悪い人は何かにいらだっています。団体構成の中に入れば力を持てば我が儘な
人達です。飽きることのない欲望発散に付き合わされる人との関係、消耗しながら立場を与えられれば、自分があれだけ苦労した同じ機嫌の悪
い人を演じます。社会構成を占める団体の力関係は認知されるまでは、いい人を演じますが、一旦、認知了承が終わればどうでしょうか。個人
間の関係と団体と社会の関係は自我の構造と共に、共に相関関係があるように思います。大きな顕在意識は団体の社会露出部分ですが、定款と
か会是とか云われるものです、個人に於いては履歴書的なパーソナリティです。でもそれが全てなどという人はいないでしょう。

隠れた部分と現れた部分、両方伴って評価が決定されるのではないかと思うのです。問題にすべきは機嫌の悪い部分ですね。何を抑圧している
から何に反応して、過剰な攻撃性や過大評価や錯誤を犯すのか?この部分が個人として、又団体として潜在的に押し込めた不快な部分ではない
かと考えるのです。不快な部分であるからこそ、対境に現れた潜在下の意識を刺激するもの、を感じたときに凶暴的に払拭もしくは逃避する行
為が認められるのではないでしょうか。これは個人、団体ともに共通な反応かと考えます。批判するものをなじるときには批判の内容でなく、
批判の行為に対して向けられている可能性があります。もし、私は悪くないという思いこみの中に「過去の何か」に抵触するものがあり、それ
が正当を裏付ける物ではなく、自分を欺いた結果、糾弾を受け、不本意ながら釈明と懺悔を表明しなくてはいけない形で記憶されたら、それは
事実よりも虚構の中の正当性を裏付ける言い換えを延々することになります。簡単な解決方法は正直に悪いことは悪いと思い謝れば、その事実
は昇華し健全な精神性を保持します。しかし、短絡的に自我の保全だけを考えて、事実を認めないとしたら、生涯にわたってこの事実を指摘す
るような対境とその予備軍に眼をとがらせます。丁度戦時下のゲシュタポや特高警察のように。これはこのスレッドで扱う会以外にも日常的に
散見される事柄でしょう。余り長くなると荒らしになりますので、他にも書いて頂いた独歩さんの意見には別の機会にレス致します。

552沖浦克治:2003/11/01(土) 19:47
 犀角独歩さん

>いっそのこと、宇宙立戒壇でも目指したらどうでしょうかね。
 
 あなたはせっかち過ぎますよ。
 いま少し、現実を見つめるべきでしょうな・・・・

553沖浦克治:2003/11/01(土) 20:00
 創価学会の功罪について
 
 功罪の『功の』部分を本日体験いたしました。
 本年11月1日から、来年10月末日までの仕事内容が決まりました。
 これまでより、仕事量が大幅減になり、年収は200万円程度増加いたします。
 ネットで創価学会の正義なることを主張してきた事に対して、ご本尊様からごご褒美を頂きました。
 ささやかな体験ではありますが、功の部分です。

554探訪者007:2003/11/01(土) 20:01
 困るなー、沖浦さん、そろそろエエカゲンにされましたら、? 時に「YAHOO」の「集まり=掲示板=ニュース内」に「公明党は日本の政党??」という「スレッドが有ったが、今日、全面削除されていました」。 当該欄にはユニークな「池田氏が在日系の”朝鮮人の帰化人”(国民新聞、平成13年6月版)」という「大暴露記事が掲載されて居りました」が「残念ながら削除」です、。 何か不吉な「言論弾圧的なイヤラシー、イヤガラセ、、」?などが「、某団体?による圧力?」などが「懸念」?される昨今のようですが、。 ヤフーでさえも「言論弾圧に屈した感」が有るようです。 ここだけは「ガンバッテ」下さい、。

555沖浦克治:2003/11/01(土) 20:07
  探訪者007 さん

 一段とユニークなご意見です。
 更に一所懸命に頑張ってくださいませ。

556愚鈍凡夫:2003/11/01(土) 20:36

>>554:探訪者007さん

「池田氏が在日系の"朝鮮人の帰化人"」は、有名な話ですよ。
ここの掲示板に集まる方々は、その人の氏素性と主義主張は関係ないと思われている人が多いので、そのことに触れないだけじゃないでしょうか。
探訪者007さんが言われているのはこの記事のことでしょう(以前とアドレスが変わっているようですが)

(「池田大作帰化人説」 冨士谷紹憲)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H13/1306/130626ikeda-naturalized.html

557探訪者007:2003/11/01(土) 21:03
 これはコレワ失礼しました、。 皆様方が「卓越された最高の多勲章受章者の大◯◯先生、」と言う風聞がありましたので「スッカリ洗脳?されていました、シラヌはお前だけ、」とは「面目御座いません、」。でも「未だに”世界の指導者??”と仰ぐ”バカの壁?”」に押しつぶされている方々の存在にも御配慮が、?」かと思いまするが、マーそれは自業自得か、??

558ガンコ:2003/11/01(土) 21:19

沖浦さん

>ご安置すべきご本尊様は、先程も述べましたがとりあえず戒壇様でいいでしょう

「とりあえず」というのが引っかかりますが・・・まあ、よしとしましょうか。

しかし、
>このご本尊様が蓮祖出世の本懐である、とは思っておりません

ということは、やはり戸田氏に違反しているのではないか、と感じますが。

それらはさておき、功徳の体験はけっこううらやましいかも。

559沖浦克治:2003/11/01(土) 21:54
 ガンコさん

 ご安置するご本尊様も、後世の人々が判断すべきです。
 とりあえず、とはそう言う意味です。
 これまで宗門の中では、まともな教学や教義の研鑚などは皆無に等しかったと思います。
 嫡々一人などは代表例です。
 『その後、大聖人の仏法は第三祖日目上人、第四世日道上人と、一器の水を一器に移すように代々の法主上人によって受けつがれ厳護されて、現在御当代上人に正しく伝えられているのです』(日蓮正宗HPより)
 こんな馬鹿げた世迷い事を信徒に押し付けるような輩の下で、これまではまともな教学研鑚などは不可能でした。
 今後は、自由な立場での教学の研鑚が急激に進むでしょう。
 現在の常識が覆され、過去のものとなる事も充分に予想されます。
 とりあえずとしか言い様がありません。

>>このご本尊様が蓮祖出世の本懐である、とは思っておりません

>ということは、やはり戸田氏に違反しているのではないか、と感じますが。

 戸田先生のご真意がどこにあるのか、との研究も今後急速に進むと思います。
 10年もたてば、色々な事実が浮かび上がってくる事でしょう。
 今しばらく待った方がいいと思います。
 何しろ我々は750年間も待ち続けていたのです。
 後僅か10年ぐらい、何でも無いと思います。

>それらはさておき、功徳の体験はけっこううらやましいかも。

 ありがとう。ございます
 油断せず頑張ってまいります。

560沖浦克治:2003/11/01(土) 21:56
 ガンコさん

 ご安置するご本尊様も、後世の人々が判断すべきです。
 とりあえず、とはそう言う意味です。
 これまで宗門の中では、まともな教学や教義の研鑚などは皆無に等しかったと思います。
 嫡々一人などは代表例です。
 『その後、大聖人の仏法は第三祖日目上人、第四世日道上人と、一器の水を一器に移すように代々の法主上人によって受けつがれ厳護されて、現在御当代上人に正しく伝えられているのです』(日蓮正宗HPより)
 こんな馬鹿げた世迷い事を信徒に押し付けるような輩の下で、これまではまともな教学研鑚などは不可能でした。
 今後は、自由な立場での教学の研鑚が急激に進むでしょう。
 現在の常識が覆され、過去のものとなる事も充分に予想されます。
 とりあえずとしか言い様がありません。

>>このご本尊様が蓮祖出世の本懐である、とは思っておりません

>ということは、やはり戸田氏に違反しているのではないか、と感じますが。

 戸田先生のご真意がどこにあるのか、との研究も今後急速に進むと思います。
 10年もたてば、色々な事実が浮かび上がってくる事でしょう。
 今しばらく待った方がいいと思います。
 何しろ我々は750年間も待ち続けていたのです。
 後僅か10年ぐらい、何でも無いと思います。

>それらはさておき、功徳の体験はけっこううらやましいかも。

 ありがとう。ございます
 油断せず頑張ってまいります。

561問答迷人:2003/11/01(土) 21:59

沖浦さん

>ご安置すべきご本尊様は、先程も述べましたがとりあえず戒壇様でいいでしょう

素朴な疑問です。戒壇様とは、大石寺の戒壇板本尊の事でしょうか。それは、大石寺、日蓮正宗の本尊ですね。どうやって、創価学会が建てる「世界立戒壇」に持ってくるのでしょうか。大石寺をどうやって説得するのですか。

562アネモネ:2003/11/01(土) 22:11
>561
そうですよね。宗門とは関係ないのですから、200年経っても立てられませんよね。

563沖浦克治:2003/11/01(土) 22:15
 問答迷人 さん

 私見です。
 二つの大きな可能性があると思います。

 最初は、ご指摘のように日蓮正宗が反対した場合です。
 蓮祖は大ご本尊様を顕されました。
 ご本仏にしか不可能事です。
 しかし、一度顕わされたご本尊様を書写する事は、困難ではありません。
 何しろ日蓮正宗の法主にすら可能なのです。
 後世のどなたかが、改めて書写しご安置をすればいいと思います。
 
 二番目はもっと大きな可能性です。
 日蓮正宗は、そんなに長持ちしないでしょう。
 空家(もののたとえです)になれば、どうにでもなります。

 以上、二つの可能性があると思いますが、他にも色々あるかもしれませんね。

564探訪者007:2003/11/01(土) 22:18
困るなー、沖浦さん、、。 話せば話すほど「ボロボロと???」出てくるようですネ、。 そろそろ「YAHOO掲示板」の方で「ご歓迎準備が完了?」のようですヨ、?

565探訪者007:2003/11/01(土) 22:21
困るなー、沖浦さん、、。 話せば話すほど「ボロボロと?ボロが」出てくるようですネ、。 そこそこ「アキラメ切れない症候群?」に類似??かもネ、、?

566沖浦克治:2003/11/01(土) 22:24
 探訪者007 さん

 更にユニークなご意見です。
 益々頑張り続けて下さい。

567アネモネ:2003/11/01(土) 22:28
沖浦さん

>553
>功罪の『功の』部分を本日体験いたしました。

せっかくご披露頂きましたが、沖浦さんは功罪の「功」の意味を、「功徳」か「利益」と勘違いされていらっしゃるようです。
ご参考までに、功罪の意味を以下転載しておきます。

こうざい 0 【功罪】

てがらとあやまち。功績と罪過。
――相償(あいつぐな)う
一つの行為や事柄の中に、功績と罪過がともにあって互いに打ち消しあう関係にある。また、功績によって、罪や失敗が大目に見られる。
――相半(あいなか)ばする
一つの行為や事柄に、功績と罪過が同じ程度にあるため、特によいとも悪いともいえない。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

568沖浦克治:2003/11/01(土) 22:51
 アネモネさん

 私個人とっての『功』なのです。

 『 一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。』
   建治三年丁丑九月十一日                 日蓮花押      (崇峻天皇御書)

 一人一人の生活の上に人間の振る舞いとして、結果が活き活きと現れなければ蓮祖の仏法ではないのです。
 個人個人の上に功徳として現れ、それが全体に広がってこその仏法です。
 トップダウンではいけません。
 ボトムアップが正しいのですよ。
 一人一人に功徳『功』として顕れてこそ、全体としての『功』となりうるのです。
 このスレッドでは罪の部分を、多くの人が自分自身の体験として語っています。
 同じく、私は創価学会の信心の功徳を『功』として語るのです。
 ご理解くださいませ。

569愚鈍凡夫:2003/11/01(土) 23:25
探訪者007さんへ。

引用している文証の意味と、言ってることの意味が違うのが学会教学の面白い処ですよ。
そして、そのことを追究すると、
「実践の教学だ。創価学会の教学は文底解釈なんだ。日蓮大聖人の仏法を現代に展開しているのは創価学会だけだ!!」
なんて、訳の分からぬボケをかますんですけどね。(^_^;)
小生は、結構ネタに使ってますが。(^◇^)

570沖浦克治:2003/11/01(土) 23:35
 愚鈍凡夫さん
 
 あなたのご意見も非常にユニークです。
 さすがは池田先生本仏論から出発しただけの事はあります。
 宇宙戒壇といい。
 先生ご本仏といい。 
 極めて興味深く読ませていただいております。
 私ごとき凡愚には、とてものこと思い付くことすら不可能な発想ですね。
 さすがである!と言わせて頂きます。
 今後のご意見の展開にワクワクしているのは、私だけではないでしょう。
 貴君の、今後の更なる頑張りを期待いたします。

571沖浦克治:2003/11/01(土) 23:40
 愚鈍凡夫さん
 失礼致しました。
 他のお方と勘違いいたしておりました。
 あのご意見は違う人でしたね。
 何しろそっくりに感じられるもので、勘違いを致しました。
 とは言え、貴君のご意見もまた一段とユニークには違いがありません。
 今以上に自信をお持ちになって、更に頑張られんことを期待いたします。
 阿部さんの犬がうるさくて、つい勘違いをしご迷惑をお掛けした事をお詫びいたします。
 
 早々

572沖浦克治:2003/11/01(土) 23:42
 愚鈍凡夫さん
 失礼致しました。
 他のお方と勘違いいたしておりました。
 あのご意見は違う人でしたね。
 何しろそっくりに感じられるもので、勘違いを致しました。
 とは言え、貴君のご意見もまた一段とユニークには違いがありません。
 今以上に自信をお持ちになって、更に頑張られんことを期待いたします。
 阿部さんの犬がうるさくて、つい勘違いをしご迷惑をお掛けした事をお詫びいたします。
 
 早々

573愚鈍凡夫:2003/11/01(土) 23:49

沖浦克治さん。あらまあ〜、久しぶりに声をかけてくれましたが、

> さすがは池田先生本仏論から出発しただけの事はあります

小生は、大方の学会員さん同様日蓮本仏論が出発点ですよ。
沖浦克治さんは、戸田本仏論でしたっけネ。

> 宇宙戒壇といい。
> 先生ご本仏といい。

小生のレスの何処に、このような発言がありますか? (?_?)
それと、一体何を頑張るんですか?
小生は、いつもマイ・ペースですよ。

そうだそうだ、先日、地元の学会幹部相手に沖浦理論でお話したら、困惑してましたよ。
結構笑えました。この場を借りてお礼を申し上げます。

574探訪者007:2003/11/02(日) 00:11
横からゴメン、:昨今「沖浦原理主義??」がひとり歩き??でしょうか?? 言論の自由には「それなりの責任と??」が伴うようですが、ネー、? 唯、言うにしましても「有る程度の整合性?!!」が必要でしょうか? それが??ですと「=オウムの言いっぱなし(アアイエバ、ジョウイウ)」と同じで「洗脳の度合い判定に加算?」はされるでしょうネ、。

575沖浦克治:2003/11/02(日) 00:47
 探訪者007さん
 更にユニークになりつつあります。
 完全体を目指し、益々頑張るように!

 後はまかせましたよ。
 私はやすみます。

576犀角独歩:2003/11/02(日) 01:25

あれ、世界立戒壇が学会の路線かどうか、答えられないうちに、わたしが宇宙戒壇論者に仕立て上げられました。
そうか、わたしは池田本仏論者にもされていたんでしたっけ。
こうやって、レッテル張りながら人を見下す。大した人間性です。
これまた、すばらしい人の振る舞いを見せていただけました。

577犀角独歩:2003/11/02(日) 01:40

池田本仏論はわたしが主張したことではありません。

わたしが受けた創価学会『講師筆記試験優秀答案』(創価学会発表)を以下に掲載します。

*** 転載はじめ ***

【問5】
主師親の三徳を現代生活の上から説明しなさい。

(当時、創価学会で言う優秀回答者)中○○子

主徳―眷属を守る力。
現在でいえば、社会それ自体、しかし民衆の犠牲のうえで成り立っている主徳を失った社会もあり、その民衆は不幸です。
真に人々を根底から幸福にするには、妙法を根底とした社会以外にない。全日本を、そして、世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。

師徳―眷属を指導する力。
師とは、知識を教えるのみではなく、智慧を開かせあげる者でなければならない。現代の教育は、知識に終始した師徳なき姿である。
以信代慧の妙法によらねば、真実の師徳はありえない。私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。

親徳―眷属を慈愛する力。
親の愛は、相対的であり、この発展をさまたげる場合がある。
身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる。

*** 転載おわり ***

以上、沖浦さんが「邪義」であるという池田本仏論は学会の当然の考えでした。
学会を邪義であるといった沖浦さんのご意見には賛同します。
そういえば、国立戒壇も学会が言った邪義であるというご意見でしたね。
いやあ、ご立派ご立派。

578探訪者007:2003/11/02(日) 01:50
夜分失礼です、、。某団体の影響者さんらは「ご都合主義と自己優越・他者蔑視的な一種の”自己催眠術”のような手段」での「レッテル張り〜差別精神の扇動」の存在が判明したようです、、。特に「沖浦原理主義的な言論」に顕著に顕在していますが、?

579探訪者007:2003/11/02(日) 01:52
夜分失礼です、、。某団体の影響者さんらは「ご都合主義と自己優越・他者蔑視的な一種の”自己催眠術”のような手段」での「レッテル張り〜差別精神の扇動」の存在が判明したようです、、。特に「沖浦原理主義的な言論」に顕著に顕在しているようですが、?

580犀角独歩:2003/11/02(日) 02:29

探訪者007さん:

はじめまして。犀角独歩です。

わたし本日、しっかりと確信しましたが、沖浦さんは創価学会指導を邪義と言い切る「世界立戒壇論」というまったく創価学会と関係のない新義を立てる人でした。

創価学会指導を「邪義」という世界立戒壇論者・沖浦さん、この認識が必要です。

581犀角独歩:2003/11/02(日) 02:35

なお、わたしが宇宙立戒壇論と言ったのは、沖浦さんが誤解したのとは違い、沖浦さんが仰るように気が早かったのですが、沖浦さんの理想を、先に述べたものでした。
皆さん、おわかりになると思いますが、わたしはそんなことは考えませんよ(爆笑)

世界立戒壇に入れる漫荼羅も、また勝手に造るレプリカだそうです。
フェイクですね。ご本人の趣味でしょうか。
創価学会は世界立戒壇を造って、「戒壇様」のフェイクを入れる。
創価学会の考えの和気がありませんから、沖浦さんが仰るとおり、創価学会指導を邪義とする沖浦教です。

今後とも沖浦さんの創価学会指導邪義論の展開に期待します。

582空き缶:2003/11/02(日) 02:57
こちらのスレッドを拝見していましたら、私の意見が少々でていましたので、特に「本門寺の戒壇」に関する、私の現時点での愚考を述べさせていただきます。

1、もともと本門寺の戒壇は、広宣流布の進捗状況とは関係なく「朝廷の帰依と発願」によって建立されるものであった。

2、本門寺の戒壇に安置される御本尊は、現在「保田妙本寺」所蔵の弘安二年十月中老日法上人彫刻の宗祖正御影である。

3、広宣流布の暁に本門寺の戒壇の、宗祖正御影の背面に懸けられる御本尊は、万年救護本尊である。

4、本門寺の戒壇建立は、当時天台宗の異流義とされていた、日蓮聖人の教えを公に認めさせる意義があった。(現在でいえば、宗教法人の認可をえるような感覚)

5、しかし、朝廷に日蓮聖人の教えを認めさせたのは、興門では無く朗門(日像上人)であった。

6、そして、五五百歳の内に「本門寺の戒壇」は建立されなかった。六の五百歳に入り、時代は大きく変わった。日蓮聖人の教えも公に認められたものとなり、本門寺の戒壇建立は、現時においてはさりとて大きな意味合いを持たなくなってきた。

7、興門は、歴史的事実を受け入れ、新しい目標を定めて進んでいかなければならない。

こんな感じでしょうか。

583アネモネ:2003/11/02(日) 03:53
沖浦克治さん

>一人一人に功徳『功』として顕れてこそ、全体としての『功』となりうるのです。…
>ご理解くださいませ。

わかりました。
私が、スレッド提案の意図した方向性とは多少違ってはおりますが、しかし、ご説明の旨、私なりに理解することといたします。
これから私の書くことも、ご理解頂ければ幸いです。

>568で、沖浦さんは、とてもいい御書を引いてくださいました。
「不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」
仏教徒の心掛けとして、最も忘れてはならないことだと思いますね。
だけど、失礼ながら、私には沖浦さんがこの場で不軽菩薩のお振舞いをなさっているとは、どうしても思えないのが私の正直なところです。
私が言うまでもありませんが、不軽菩薩とは、「我深く汝等を敬う、敢えて驕慢せず、所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」と、たとえ自分を迫害をする者に対してでも、決して軽ろんじることなく一切の人々を礼拝した菩薩ですね。なかなかそのような振舞いは出来るものではありませんが、しかしそうはいっても、沖浦さんのここでのお振舞いは、まるで逆を心掛けたものとではないかと思われるところなのです。

たとえば私が今思い出す文言だけでも、駄目な人です、あなたには無理です、理解が足りない、境涯が低い、対話をしたくない、興味がない、関係ない…などなどの文言からいって、反論を受けるということにおいての不軽菩薩の姿はあっても、迫害する者に対して礼拝して敬い軽んじないという姿はほとんどといっていいほど見受けられず、むしろ見下していらっしゃるように映ります。私の錯覚でしょうか。
私にとっては、いくらお金が入ってきたかといったことよりも、人々に対してどのような振舞いをしているかといったことのほうが、教えの正邪の判断基準になると思うんですね。つまり、どのような人格を目指し、結果どのような人間性を示すようになったかといったことの方が、本当の意味での功徳の結果ではないかと思うのです。

前のレスに遡って恐縮ですが、沖浦さんが>504に書かれている方のこと、私は少しお気の毒な気がしました。
その方にどのような問題があったのかは、わずかな文面からはとても読み取れませんが、しかし見方を変えて考えてみれば、その方がもしも創価学会に関わっていなければ、そのような人生を歩むこともなかったのかもしれません。
ところが、沖浦さんのレスを読ませて頂く限りでは、理由はどうであれ、信心を退転した人が何らかの形で嫌がらせなどの制裁を受けることは、当然のことであり、自業自得だと言わんばかりのようにも読めてしまいます。
しかし、宗教が本来的に目指す人間の精神性とは、本当にそういうものなのでしょうか。
私は、そのような感覚には大変疑問を持ちますし、それこそ不軽菩薩の姿からいっても、人を裁かないのが、平和宗教の目指す精神性ではないかと、思うところなのです。

584アネモネ:2003/11/02(日) 03:56
(つづき)
人を憎む、捨てる、嫌がらせをする、…創価学会について語るとき必ずといっていいほど耳にする言葉ですが、考えてもみれば、それだけでも尋常とは思えません。このような言葉を日常的に聞かされているとすれば、掲示板が荒れるように、人の心も嫌が上にも荒廃していくものではないかと思われます。
結局は教団の指導が、そこの信者の人格形成に与える影響は大変に大きいものであることは否めません。

私は、他の掲示板をみることはほとんどありませんので、わかりませんでしたが、この度、参考にしてみたいと思いましてロムしてみたところ、私がお寺でほとほとうんざりしてきた宗創バトルがここでも延々と繰り広げられておりまして、嘆息が出ました。

沖浦さんのレスの中では、学会では、退転者のこと捨てておきなさいということが書かれてありましたけれども、学会でいうところの退転者や不信者の多いこの掲示板に、どうして続けて投稿されておられるのでしょう。捨てておきなさいと言われているのですから、ご放念くださればいいのにとも思ったりもします。
いやこれは、だからといって、参加してほしくないというつもりで、言っているわけではありませんが、ただ私が個人的に思うことは、もう、ほとほとうんざりとしてきている宗創バトルを、またもやこの掲示板に持ち込まれてしまったなあという感じが否めなくもないのです。
ただし、ここの掲示板で長く議論してきていることというのは、そういう宗創バトルの問題ではないのです。
その点は、ご理解いただけないものなのでしょうか。

沖浦さんが書かれている宗門批判の中には、確かに私も共感できるところはあります。同じような意見合いのことも、過去に私もレスをしてきていると思われます。

ただしかし、率直に申しまして、どうしてそうも沖浦さんは、言葉づかいや表現が乱暴なのでしょう。他の掲示板で柄が悪くなったと言われておりましたが、それならばこの際せっかくここにお越しになったのですから、その点だけでも留意されてみられてはいかがでしょう。
言葉づかいというのは、その人の品位や品格といったものを思わせてしまうものです。面識を合わせることのない、掲示板では、言葉づかいが人格を推し量るものとなってしまうわけです。
下劣な言葉や表現を使えば、それはそのままその人の人格はもちろんのこと、その人が信仰する宗教までもが下劣なものであるという印象を与えてしまうものなのです。

沖浦さん自身が書かれておられたことですが、広布のために「あのような人になりたい」と思われるような人にならなければならないということであれば、尚のこと、「出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」との御金言からいって、いくらお金が入ったかなどということよりも、もっと振舞いそのものが大事なことではないかとと、私は思います。

とはいえ、はじめの頃の投稿と比べれば、かなり紳士的に振舞われておられるようにもお見受けいたしますね。むしろそのことが、沖浦にとっての「功」ではないかと思ったりもしますよ。

585アネモネ:2003/11/02(日) 04:00
(つづき)
>537
>お荷物の宗門と離別し、今はドンドン増えています。
 この事実が、勝敗を顕しております。

この点ですが、「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉もあるように、数の力は決して侮ってはいけないことは事実ですが、しかし必ずしも、数の勝負が教えの正邪を決定するというものではないと思います。
先ほどの「振舞い」ということとも関連いたしまして、教団の質ということも大変重要なことだと思いますね。

>539
>>戒壇が「民衆立」などというものであるとは書かれていません。
>御書全体を正しく読まねば、理解は不可能でしょう。
 蓮祖の御書を拝し、双方に異なる解釈が起こる事はやむ終えないと思います。
 あなたはそう、思い私は思わない。
 理解力の差です。

かつて私の質問に対して、沖浦さんは、自分はここの参加者の誰よりも自信があると豪語されておられましたので、沖浦さんが実際にここの参加者の誰よりも正しく御書を理解しているということは、何をもって証明されますでしょうか?

586沖浦克治:2003/11/02(日) 06:01
 おはようございます
 犀角独歩さん
『講師筆記試験優秀答案』
 懐かしい言葉ですね。
 主師親の三徳を備えていても、本仏ではありません。
 興師も同様です。

>「世界立戒壇論」云々

 池田先生をご本仏と仰いだにしてはユニークですね。
 かって池田先生はこの件を述べておられます。

>なお、わたしが宇宙立戒壇論と言ったのは、云々〜沖浦さんの理想を、先に述べたものでした。

 あなたに私の心がわかるわけが無いでしょう。
 かってな事を言うから反論をされるのです。
 今後は気を付けましょうね。

>世界立戒壇に入れる漫荼羅も、また勝手に造るレプリカだそうです。

 なるほど、あなたはご家庭にも戒壇様をご安置ですか!
 私の家はレプリカです。
 でも功徳無量ですよ。

 総じて、あなたは現実論に少し弱点がありますね。
 池田先生本仏論の害毒かも知れませんね。
 今後のご成長う期待いたします。

587沖浦克治:2003/11/02(日) 06:10
 アネモネさん
 おはようございます。

>駄目な人です、あなたには無理です、理解が足りない、境涯が低い、対話をしたくない、興味がない、関係ない…などなどの文言からいって、反論を受けるということにおいての不軽菩薩の姿はあっても、迫害する者に対して礼拝して敬い軽んじないという姿はほとんどといっていいほど見受けられず、むしろ見下していらっしゃるように映ります。私の錯覚でしょうか。

 いいえ、錯覚などではありません。
 心の底から見下しておりますよ。

>その方がもしも創価学会に関わっていなければ、そのような人生を歩むこともなかったのかもしれません。

 このような仮定は無意味です。
 もし私が男だったら、もし日本人でなかったら、もし大金持ちなら、もし芸能人なら等々。
 事実以外に仏法はありません。
 あなたの言われる事は念仏思想にすぎません。
 もちろんの事、あなたのご自由ですが。

>理由はどうであれ、信心を退転した人が何らかの形で嫌がらせなどの制裁を受けることは、当然のことであり、自業自得だと言わんばかりのようにも読めてしまいます。

 自業自得ですね。
 宿命とはそう言うものです。
 仕方ががありません。

588沖浦克治:2003/11/02(日) 06:26
 続きです
>それこそ不軽菩薩の姿からいっても、人を裁かないのが、平和宗教の目指す精神性ではないかと、思うところなのです。

 『これはさてをきぬ日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし、』( 佐渡御書)
 このご文に照らして、あなたのご意見は邪義です。

>人を憎む、捨てる、嫌がらせをする、…云々

 私は退転と言う行為を心の底から憎みます。
 然しながら嫌がらせは致しません。
 此れでも、蓮祖門下の末弟です。

>沖浦さんのレスの中では、学会では、退転者のこと捨てておきなさいということが書かれてありましたけれども、学会でいうところの退転者や不信者の多いこの掲示板に、どうして続けて投稿されておられるのでしょう。捨てておきなさいと言われているのですから、ご放念くださればいいのにとも思ったりもします。

 最もなご質問ですね。
 以前も書き込みましたが、この掲示板を見ている人は、きっと書き込んでいる人の何十倍も多いでしょう。
 私は、この掲示板のテーマとは異なった様相(創価の罪の羅列に過ぎない)に、創価学会員として創価の正義なることを主張するために書き込んでおります。
 多くの読者の皆様方に、創価学会の正義なることの情報を提示しているのです。
 退転した人達に戻っていただく必要など全くありません。 
 然しながら迷っている人が私の掲示により、退転を思い留まるならば、望外の幸せです。

589沖浦克治:2003/11/02(日) 06:29
 続きです
>それこそ不軽菩薩の姿からいっても、人を裁かないのが、平和宗教の目指す精神性ではないかと、思うところなのです。

 『これはさてをきぬ日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし、』( 佐渡御書)
 このご文に照らして、あなたのご意見は邪義です。

>人を憎む、捨てる、嫌がらせをする、…云々

 私は退転と言う行為を心の底から憎みます。
 然しながら嫌がらせは致しません。
 此れでも、蓮祖門下の末弟です。

>沖浦さんのレスの中では、学会では、退転者のこと捨てておきなさいということが書かれてありましたけれども、学会でいうところの退転者や不信者の多いこの掲示板に、どうして続けて投稿されておられるのでしょう。捨てておきなさいと言われているのですから、ご放念くださればいいのにとも思ったりもします。

 最もなご質問ですね。
 以前も書き込みましたが、この掲示板を見ている人は、きっと書き込んでいる人の何十倍も多いでしょう。
 私は、この掲示板のテーマとは異なった様相(創価の罪の羅列に過ぎない)に、創価学会員として創価の正義なることを主張するために書き込んでおります。
 多くの読者の皆様方に、創価学会の正義なることの情報を提示しているのです。
 退転した人達に戻っていただく必要など全くありません。 
 然しながら迷っている人が私の掲示により、退転を思い留まるならば、望外の幸せです。

590沖浦克治:2003/11/02(日) 06:43
 続きです
>>お荷物の宗門と離別し、今はドンドン増えています。
 この事実が、勝敗を顕しております。

>この点ですが、「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉もあるように、数の力は決して侮ってはいけないことは事実ですが、しかし必ずしも、数の勝負が教えの正邪を決定するというものではないと思います。

 最後は数です。
 民衆は馬鹿ではありません。
 民衆が選んだものが、もっとも優れているのです。
 数ではないと、言う事自体が教えに力の無い証拠です。
 日本では信教の自由が保証されています。
 拡大出来ないと言う事は、教えが劣っているのです。
 蓮祖の時代とは違うのですよ。
 主権在民とはそう言うことです。

>かつて私の質問に対して、沖浦さんは、自分はここの参加者の誰よりも自信があると豪語されておられましたので、

 あなたは少しずるいと思います。
 私はたいした人間ではありません、と何度も言ってきたはずです。
 創価学会には、私より優れた人材はそれこそ何十万人といらっしゃいますよ。
 私はただの末端会員です。
 あなたが私に対して『自信が無いのであれば意見を述べるべきでない』と何度もひつこく言ったことをお忘れですか?
 やむを得ず私は『そこまでおっしゃるならば申しあげます。私はここの人たちより自分に自信を持っております』とお答えいたしました。
 自分のご発言には、責任をおもちくださいませ。

591沖浦克治:2003/11/02(日) 06:47
 続きです
>>お荷物の宗門と離別し、今はドンドン増えています。
 この事実が、勝敗を顕しております。

>この点ですが、「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉もあるように、数の力は決して侮ってはいけないことは事実ですが、しかし必ずしも、数の勝負が教えの正邪を決定するというものではないと思います。

 最後は数です。
 民衆は馬鹿ではありません。
 民衆が選んだものが、もっとも優れているのです。
 数ではないと、言う事自体が教えに力の無い証拠です。
 日本では信教の自由が保証されています。
 拡大出来ないと言う事は、教えが劣っているのです。
 蓮祖の時代とは違うのですよ。
 主権在民とはそう言うことです。

>かつて私の質問に対して、沖浦さんは、自分はここの参加者の誰よりも自信があると豪語されておられましたので、

 あなたは少しずるいと思います。
 私はたいした人間ではありません、と何度も言ってきたはずです。
 創価学会には、私より優れた人材はそれこそ何十万人といらっしゃいますよ。
 私はただの末端会員です。
 あなたが私に対して『自信が無いのであれば意見を述べるべきでない』と何度もひつこく言ったことをお忘れですか?
 やむを得ず私は『そこまでおっしゃるならば申しあげます。私はここの人たちより自分に自信を持っております』とお答えいたしました。
 自分のご発言には、責任をおもちくださいませ。

592沖浦克治:2003/11/02(日) 06:49
 続きです
>沖浦さんが実際にここの参加者の誰よりも正しく御書を理解しているということは、何をもって証明されますでしょうか?

 蓮祖直読の創価学会を退転せずにいる事が証拠です。

593通りすがり:2003/11/02(日) 07:30

>蓮祖直読の創価学会を退転せずにいる事が証拠です。
>然しながら迷っている人が私の掲示により、退転を思い留まるならば、望外の幸せです。

それしか証拠を示せないんだね、もう読むのも恥ずかしいから書く込むの、辞めたら。

594沖浦克治:2003/11/02(日) 07:41
 通りすがりさん
 なかなかユニークなご意見です。
 今後の頑張りに期待いたします。

595沖浦克治:2003/11/02(日) 07:44
 通りすがりさん
 なかなかユニークなご意見です。
 今後の頑張りに期待いたします。

596犀角独歩:2003/11/02(日) 08:42

創価学会指導を邪義と言った沖浦さん:

繰り返しますが、池田さんがかつていったという
「世界立戒壇」の証拠を挙げてください。

597沖浦克治:2003/11/02(日) 08:54
 犀角独歩 さん
 他人にものを教わる時には先ず決め付けを止めるべきでしょう。

>創価学会指導を邪義と言った沖浦さん

 あなたの自分勝手なご意見を、邪義と言ったのですよ。
 創価学会には邪義などありません。
 今少しで結構ですから、本気になって理解力を向上させて下さい。
 文章の解釈に、少なからず問題があるようです。
 しかしながら、まだ可能性は僅かですが残されているでしょうね。
 貴君の、今後の頑張りに期待を致します。
 私は今から出かけます。
 夜に帰れば閲覧いたしますので、お待ちください。

598犀角独歩:2003/11/02(日) 09:06

創価学会指導を邪義と言った沖浦さん:

> 主師親の三徳を備えていても、本仏ではありません。
> 興師も同様です。

創価学会『御書辞典』「三徳具備を衆生済度の仏の条件とする…日蓮大聖人が末法の御本仏である証文」とあります。ここでもまた、創価学会と違うことを言っていますね。興師を仏とするとは知りませんでした。これまた創価学会と違う考えです。

なお、池田本仏論は三徳具備のみならず、以下のごとく池田さんを「久遠の師」という久遠元初自受用身報身如来即日蓮にしか使わない言葉で礼賛したものでした。

「久遠の師・池田先生よりメッセージが寄せられた」
「我々の師弟の道は人法一箇としての師匠(池田先生)というものを学びとっていかねばならない」

あと数が多いほうが正しいそうですが、それはある面、意味があります。
創価学会は日本ではたったの400万人、それに比し、日本人の人口は1億人を優に超えています。数で言うのであれば、創価学会を信じない1億人が正しいと言うことになります。宗門を引き合いに出す必要はありません。

しかも、世界に目を向ければ、たとえばカソリック信徒は7億人います。数の多いほうが正しいのであれば、創価学会は明らかに間違っていることになります。これから増えるなんて戯言は言う必要はありません。創価学会指導を邪義と言った沖浦さんは、現時点の数で判断したわけですから。

なお自分の家にレプリカ本尊を安置しているそうですが、それは先にご自分で「偽本尊」と認めた蓮師漫荼羅と相貌が違うものでしょう。お気の毒なことです。

このあとも創価学会指導を邪義と言い、それとは違うユニークな己義をご披露くださることでしょう。いつも楽しく笑わせていただいております。しかし、58歳にもなってやっていることは子供みたいで微笑ましいですね。

599犀角独歩:2003/11/02(日) 09:07

沖浦さん、あなたに「貴君」などと言われる筋合いはありません。
言葉遣いに気をつけましょう。

600犀角独歩:2003/11/02(日) 09:09

なお、596に「世界立戒壇」の証拠を、と書いたのです。
597でまた答えを逃げましたね。
繰り返しましょう。

世界立戒壇の証拠を挙げてください。
かつて言った池田さんの言葉という奴です。

601犀角独歩:2003/11/02(日) 09:29

ジャンノレンさん:

おはようございます。

>>> 私は誘導システム(概念操作といっても良いかも)
> …大多数が共有する一般概念を、少しづつずらして本来の概念を教団ないし団体が共通認識として獲得すべき概念に恣意的にすり変えていく事…確信犯的行為です。

これは実に重要な分析です。
ハッサン師はキリスト教系カルト指導者の特徴を「神と聖書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、聖書と神意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである」と分析しました。これは日蓮本仏圏でも同様です。

「本仏と御書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、御書と仏意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである」

と書き換えると同様であることがわかりますね。

> …釈迦の悟りや教祖そのものの言辞(経典)…を借りて操作していくことがあったならば、許されないことです。

そのとおりです。まさに第三者心理操作というカルトの特徴そのものです。

> 抑圧している…反応して、過剰な攻撃性や過大評価や錯誤を犯すのか?この部分が個人として、又団体として潜在的に押し込めた不快な部分ではないかと考えるのです。不快な部分であるからこそ、対境に現れた潜在下の意識を刺激するもの、を感じたときに凶暴的に払拭もしくは逃避する行為が認められるのではないでしょうか

なるほど。これは毎日、このスレッドで実例を見ておりますので、よくわかります。

> 簡単な解決方法は正直に悪いことは悪いと思い謝れば、その事実は昇華し健全な精神性を保持します

これが仏教で言う「懺悔(さんげ/クシャマ)」ですね。

> いわゆる機嫌の悪い人…機嫌の悪い部分

この意味は一つ判読できません。
もう少しご説明いただけませんでしょうか。

602犀角独歩:2003/11/02(日) 09:46

597 創価学会と違う新義を唱える沖浦さん:

読み落としてました。

> 人にものを教わる時には先ず決め付けを止めるべきでしょう

誰がものを教わっているんですか?
あ、沖浦さんがここに、皆から教わりに来ていると言うことでしょうね!、まさか、あなたからものを教わろうなど言う酔狂な人はいるわけはありませんから。
まさにそのとおりで、沖浦さん、せっかく教わりに来ているんですから、「決めつけはやめるべきでしょう」。あと創価学会と違う新義を唱え、創価学会指導を邪義というときは、「これは自分の教えである」(笑)としっかり書いたほうが好いですよ。混乱しますから。

では池田さんが言った「世界立戒壇」の有り難い指導をご披露してください。

603通りすがり:2003/11/02(日) 10:09

沖浦さんのご期待にお答えして、一言お聞きします

>蓮祖直読の創価学会を退転せずにいる事が証拠です。

創価学会は「大聖人直結」と言ってますが、「直読」とは言ってません。「蓮祖直読」とはどういう意味でしよう。

604犀角独歩:2003/11/02(日) 10:56

沖浦さん:

587の書き込み。創価学会をやめた人間を「心の底から見下し」、さらに制裁を加えられることは「自業自得」である。これ程あなたの人間性を端的に自己表現した書き込みはありません。

人を見下すことを差別といいます。個人で制裁を加えることを犯罪といいます。
創価学会は自分たちが差別集団であり、違法制裁を加える集団であると社会認知されることは望んではいないでしょう。沖浦さんは社会一般の現実認識が甘いために差別主義、人権侵害を抜け出すことができないのでいる。人を差別・侮蔑し、人権を侵害するのに悪用される蓮師こそ迷惑でしょう。

それでも、かつての創価学会の指導を沖浦さんは邪義と言った。この考えは承ります。
自分の考えを創価学会の考えのように言うことを己義、新義と言います。こんな勝手なことを言う会員は創価学会にとって実に迷惑な存在でしょう。あなたが役職をもらえない理由がよくわかります。学会もあなたが人を指導する資格無しと見なしているのでしょう。創価学会からも、組織・会員からも嫌われ、相手にされていないのではないでしょうか。ここでの創価学会礼賛の書き込みを会も会員も迷惑なものとしてとらえるでしょうね。独り善がりの一人芝居に老醜が漂っています。

沖浦さんは創価学会を褒め殺しにするためにここに書き込んでいるんでしょうか。
自分を認めない創価学会に制裁を加えているように映じます。実に気の毒な老後です。

605通りすがり:2003/11/02(日) 11:15

>沖浦さんは創価学会を褒め殺しにするためにここに書き込んでいるんでしょうか。

あっ、そうか、合点がユキマシタ。沖浦さんの書き込みは「褒め殺し」だったのですね!

沖浦さん、頑張って下さい。元学会員として、応援してますよ!

606ガンコ:2003/11/02(日) 12:37

ホメ殺しではないと思いますよ。

なぜなら、沖浦さんの確信ある?書き込みを読んで学会に入会したという方がいらっしゃるようですので。
なかなか大したものです。
だって、顕正会のばあい、現状ではネットを見ていて入会したいと思う人はまずいないでしょうから。逆に、脱会者続出?みたいで、もう、いやんなっちゃう。

607愚鈍凡夫:2003/11/02(日) 12:49
>>606:
ガンコさん、それって新手の「ホメ殺し」?

φ(゜0゜*)ホォホォφ(。_。*)メモメモφ(゜o゜*)フムフムφ(。_。*)カキカキ

608犀角独歩:2003/11/02(日) 13:43

ガンコさん:

褒め殺しの褒め殺し、技を使いますね(爆)

609アネモネ:2003/11/02(日) 14:03
沖浦克治さん

>いいえ、錯覚などではありません。
 心の底から見下しておりますよ。

やはりそうでしたか。それでは、最初から議論や対話にはなりませんね。
このご発言で、沖浦さんは掲示板の主旨に反する意図で、投稿をなさっていることを自ら告白されていることになるかと存じます。
「管理者からのお願い」にもありますように、ここは議論を目的とした場です。
そのような場のあり方を妨害する目的で投稿なさっているならば、掲示板運営の妨害(荒らし行為)とみなされるかと存じます。

>もし私が男だったら、もし日本人でなかったら、もし大金持ちなら、もし芸能人なら等々。

お気の毒な人をお気の毒だと思わない、可愛そうな人を可愛そうだと思わない、そのような人がそうあることを当然のことだ、捨てておけとする心根は、とても非情な人間性だと思います。創価学会は非人間的な心根を培うところだということがわかりました。

>自業自得ですね。
 宿命とはそう言うものです。
 仕方ががありません。

ここの掲示板では、全てをそのようには考えません。
なぜそうなったのかの原因を、組織のあり方にも問題があるのではないか、教義解釈にも問題があるのではないかという所から、様々な文献証拠に基づいて検証してきている所です。それがこの掲示板のスタンスであり主旨です。ご理解ください。

>( 佐渡御書)このご文に照らして、あなたのご意見は邪義です。

私は、その御書を信じておりませんので、示されても私には何の意味を持ちません。

>私は退転と言う行為を心の底から憎みます。

行為を憎むと言いながら、そのお振舞いは人を憎んでおられるようです。
この掲示板に「憎悪の心」を持ち込まないで頂きたいです。

>以前も書き込みましたが、この掲示板を見ている人は、きっと書き込んでいる人の何十倍も多いでしょう。

そうだと思います。

>私は、この掲示板のテーマとは異なった様相(創価の罪の羅列に過ぎない)に、創価学会員として創価の正義なることを主張するために書き込んでおります。
 
誰も創価学会を悪だと決め付けているのではありません。また逆も真で、創価が正義だということも断定されません。先ほども申し上げましたとおり、ここでは正義か悪かといった二極思考を脱して議論を重ね、各組織とその教義を考証し、真の日蓮仏法を再考してきているのです。

610アネモネ:2003/11/02(日) 14:05
(つづき)
創価学会には、大変な功績もあります。
>528に三学無縁さんが書かれていることからも、戸田さんがどれだけ人々の心をとらえ、生きる勇気と希望を与えたかが、創価学会を知らない私にも、わずかな文面からも読み取れます。池田さんに至っても恐らくそうでしょう。
今でこそ、憲法によって基本的人権が保証され、法的には誰人も差別はされなくなりました。福祉も整備されてきています。弱者の生きる権利が守られる時代になっています。その経緯の中に、創価学会の存在の功績は間違いなくあったことでしょう。
学会から法華講に入られた方々の中には、戸田先生と呼んで今もなお憧憬と敬慕の気持ちをお熱くお持ちの方はたくさんおられました。
そんな方々は、戦中戦後の苦労話とともに学会の信心によって勇気づけられ、希望をもって生きてこられたことをしみじみと語られていました。
戦前戦後の日本において、本人には何も落度のない人が、ただ貧しいから、病気だからとそれだけで、教育も受けられず、子供の頃から奉公に出されたり、時には売り飛ばされたり、そのような実態があったわけですね。その時代を生きていない私が書くと、舌足らずな記述になりますが、戸田先生を懐かしんでおられた方の中には、貧しさ故に、成人するまで文字も習わなかったという方もおられたくらいです。教育を受けられないことによる
不当な不利益と差別にどれほど苦労されたことか、筆舌し難いものがあったでしょう。
敗戦時にもなれば、当然そのような弱者から先に生命の危機にさらされていくわけです。それが日本の姿だったわけですね。そのような真っ先に被害を受けてしまう弱者の希望となったのが創価学会の存在だったといえるのではないでしょうか。
私はこの点については、異論はありません。文字を学ぶ機会さえなかった人までもが、苦学してお経文と御書を拝読するようにもなった、これも創価学会の功績といえるでしょう。そして学会活動をバネに、不当な差別をされてきた人々が、自らの力で逆境を切り抜け人権を勝ち取ったということも、功績といえるかと思います。
しかし、今は時代もよくなり、義務教育として誰でも平等に教育が受けられるようになり、福祉も整ってきました。基本的には極度な貧困と差別というものはなくなり、あるのは、内心の差別といえるでしょう。
その点において創価学会は、その内心の差別というものを克服していないのではないでしょうか。まさに、退転・謗法・不信を憎んで見下す。つまり、差別しているわけです。かつて貧困と病気で差別をされてきた人々が自らの権利をかけて団結した組織が、今度は不信の人を見下し差別をしている。結局は、差別の心根を脱することが出来ていないどころか憎悪を駆り立てているところが、今の創価学会の問題点のひとつといえるでしょう。

>多くの読者の皆様方に、創価学会の正義なることの情報を提示しているのです。

沖浦さん自身は、正義のつもりで投稿されたかもしれませんが、皮肉なことにその投稿姿勢そのものに、人を見下し差別しているという、罪過の部分が如実に示されてしまっているといえます。

>最後は数です。
 民衆は馬鹿ではありません。
 民衆が選んだものが、もっとも優れているのです。
 
衆愚政治という言葉もあります。
民主主義の原理で、衆愚に陥らないためには、組織という全体主義の論理に陥らず、自らひとりひとりが自主独立の精神でものを考えることが肝要かと存知ます。

611アネモネ:2003/11/02(日) 14:05
(つづき)
>数ではないと、言う事自体が教えに力の無い証拠です。
 日本では信教の自由が保証されています。
 拡大出来ないと言う事は、教えが劣っているのです。
 蓮祖の時代とは違うのですよ。
 主権在民とはそう言うことです。

それでは、はっきり申し上げます。
日本の人口は、約1億2千万人、世帯数でいえば、約4600万世帯。創価学会員が600万〜800万人としても、信教の自由から、創価学会を選ばない非創価学会の人口のほうが、圧倒的に多いです。民主主義の数の原理からいっても、創価学会を支持しない人のほうが大半です。
さらにとりわけその中でも、創価学会員の数と同じくらいの創価学会被害者もいるものと考えられます。それ以上かもしれません。
この掲示板もそうです。沖浦さんのような学会の方もご覧になっていらっしゃるでしょう。だけど、それ以外に折伏被害も含めた、創価学会被害者の方もたくさんご覧になっているのです。創価学会だけの被害ではありません。もちろん顕正会、法華講なども同じです。

ですから、「創価学会は正義だ、正しい。それ以外は邪義である」といったことから議論をしているわけではないのです。逆も真です。「創価学会は悪である」と決め付けた議論でもありません。
そうした組織のアナウンスが本当のことなのかということを、あらゆる教義と歴史をひもときながらその根底から論証と検証をしてきているのです。
どうか、そのような主旨で掲示板の議論がありますので、その言論の妨害をなさらないで下さい。

>あなたは少しずるいと思います。
 私はたいした人間ではありません、と何度も言ってきたはずです。

自信がないと言ったことを、私の一言で、節操なく前言を180度覆したのは、沖浦さんあなた自身です。ご自分のことです。人の言葉に翻弄されたのは、あなたのほうです。私のせいにしてはいけません。

>あなたが私に対して『自信が無いのであれば意見を述べるべきでない』と何度もひつこく言ったことをお忘れですか?

いいえ、忘れません。今も同じ思いです。私は人の言葉には翻弄されないようにしています。
末端信者で自信がないというのが本当のところであるのならば、あなたが書かれる創価学会については、どんなに断定的にここに書き連ねられても、その言葉は信用ならないと思っております。あなたが書かれている内容を、そのままそれが創価学会というものだと鵜呑みにしてはならないと思いました。話半分に割り引いて聞かなければなりません。

>自分のご発言には、責任をおもちくださいませ。

自信がないのなら、断定しないで下さい。自信があるのなら、断定している内容を科学的に証明してください。私は一貫したことを申し上げております。自信があるかないかで、発言が二転三転しているのはあなたのほうです。

612アネモネ:2003/11/02(日) 14:07
(つづき)
>蓮祖直読の創価学会を退転せずにいる事が証拠です。

何度も申し上げますが、そういうことは証拠にならないのです。
もっといえば、創価学会が蓮祖直属であるということの証明も求められます
創価学会に所属しているから正しい。これは、あなたが御書を誰よりも理解している証明になっていないのです。
それは戒壇之御本尊を護持している法華講に所属しているから正しい。
これが正しさの証明になっていないのと全く同じです。
そのような宗創バトルの段階はこの掲示板では終わっております。

何度もしつこく申し上げておりますが、ここの掲示板は、沖浦さんの示す尺度で議論をしている場ではないのです。沖浦さんは、そのことを全然理解されないばかりかまるで無視をし、さらには参加者をことごとく見下しながら、自分の一方的な尺度の押し付けを何の根拠もなく投稿し続けておられます。これが今後も続くようでは、掲示板運営に対する妨害ではないかと私は感じております。

結局、学会に限ったことではなく法華講組織もそうだったように、組織の批判を絶対に許さない体質そのものが一番の問題かと思います。絶対に正しいとするから、批判を許されない。恐らくそこが最大の問題といえるでしょう。
ですから過去に起きたという言論弾圧や出版妨害といった事件は、そのような批判を許さない本質的な組織体質が象徴されたものといえるわけで、事件そのものは過去に解決済みだとしても、実際には今も尚その言論封鎖の体質を個々の学会員たちが連綿と受け継いでいるということがいえるかと思います。弾圧・妨害の方法が、合法的かつ巧妙になったということであって、批判を許さない体質そのものは何も改善されてはいないといえるでしょう。

沖浦さんのレスも、創価学会批判に対する反論と抗議の姿勢が貫かれておられます。批判に対して「そう思うのは自由だ」と書いてはおられますが、自ら告白されているように人を見下す感情的な文面から滲みとれる意識とは、創価学会批判を断じて許さないというところではないでしょうか。そこを一貫して主張しようと、恐らくその使命感をもってここにおいでになった。そんな印象を受けますね。

創価学会を最も批判するのは、他ならぬ脱会した人なわけです。その目で見、聞き、したこと、されたこと、それらを公言し始めるとなると、世間的評価は更に落ちますし、また内部的には、更なる脱会者も出ては困るので、なんとしても言論を封じ込めたいものなのでしょう。
その方法としては、見せしめとして、その人に退転者の烙印を押せばいいわけです。それだけで現役学会員は強い使命感をもって、退転者の言動に揺さぶりをかけ、弾圧・妨害をしていくといった構造があるのではないでしょうか。そうしたことが多くの脱会者の方々の被害の実態を連ねたレスから見受けられますね。
また、それをやらなければ、今度は自分の信心が足りないなどと矛先が組織から向けられ、攻撃を受けかねないものなのかもしれません。

創価学会についてのみ書きましたが、しかし、独歩さんが書かれているように、この体質は何も創価学会に限ったことではないでしょう。法華講も顕正会も、いずれも自分の組織が唯一正しいということで、組織の批判を許さない体質は全くどこも共通していると思います。ただしかし、私は法華講を退転しておりますが、創価学会で聞かれるような被害は全く受けておりません。このことだけは、ここに証言として書いておきたいと思います。
ただいずれにしても、その組織が唯一正しいと主張することは、同時に組織以外は全て間違っていると考えるわけですから、正か邪かという完全二極思考であり、その時点で柔軟な思考は出来なくなります。

613アネモネ:2003/11/02(日) 14:10
(つづき)
ガンコさんが沖浦さんに書かれた中にもあった、この掲示板の流儀、言葉を変えればスタンスとは、そこが大きく違うと思うのだろうなと思います。正か邪かということだけに捉われず、批判を許さない姿勢を脱却して疑問を持ち、そのうえで議論を重ねてきたのがこの掲示板のスタンスであり、最も画期的なところだったといえるでしょう。
だからこそ、組織の違う者同士が、組織を背負ったなじり合いに陥ることなく、ここまで有意義な議論を積み上げてきてきたものだと思います。

そもそもそこが沖浦さんの有する尺度と全く大きく違うところでしょう。対話や議論が噛み合わないところはそこに起因しているといえます。
沖浦さんだけでなく、言葉の乱暴な人は、これまでにもたくさんいました。私だって過激なときもしょっちゅうでした。その点は、同じサガというものを感じなくもありません。
しかし、大きく違うのは、自分の教団の批判に目を向けられるか、そのことをタブー視しないか、そこだろうなと思います。

法華講に席を置く者が、法華講の問題点を挙げ批判を述べる。学会の人が学会の問題点に目を向ける。顕正会の人が、顕正会の反社会的傾向に目を向ける。
全て、組織からすれば、みんな謗法・退転と呼ばれる行為です。個人が特定されれば、場合によっては除名や破門となるでしょう。
それでも、問題に目を向け、情報を交換して議論を重ね、真の日蓮仏法を考えようとしてきたのが、いわばここの流儀といえますし、それが他に類をみないこの掲示板のスタンスであり、最も画期的なところだと評価できるのではないでしょうか。

614アネモネ:2003/11/02(日) 14:18
このスレッドに関しては立てた当初から荒れることが懸念されていました。その通りの結果になってしまいました。

私は、言論の自由を大切にします。掲示板参加の自由もしかりです。
しかし、だからといって、議論の主旨を無視した一方的な投稿で、掲示板の秩序を乱す権限まで認めるつもりはありません。
宗教の求める精神性からいって、私はむやみに退出を願うことは私の信条からいって、とても不本意です。
しかしこの掲示板の主旨について今後もご理解頂けない場合には、ご辞退願いたいという気持ちでもあります。
もちろん、これは最終的には管理人さんのご判断に委ねるところではあります。
もしくは、このスレッドについて議論の応酬を禁止するという方法もひとつの選択肢なのかなとも思っています。

615ガンコ:2003/11/02(日) 15:29

ホメ殺しで考えていたことは、沖浦克治氏の功罪を考える・・・沖浦氏は昨今やや低調ぎみだった掲示板を盛り上げた大功労者である云々・・・っていうパロディなんですが、いかにも性格が悪いと思われそうで控えていたんです。(と言いながら書いてしまった)

しかし、もうちょっとまじめにやらないといけませんね。

わたくしは学会のことをよく存じませんが、戸田氏は牧口氏とともに投獄され、牧口氏は獄死せられた、戸田氏は生きて獄を出でられ、戦後の焼け野原にお立ちになった・・・っていうところから創価学会の歴史がはじまると聞いています。
これって、ものすごく感動的なシチュエーションだと思います。この辺の史実について、いまは法華講のほうからいろいろ言われていますが、しかし、おおすじでは学会のいうとおりなんだろうと思います。
他にも新興宗教はいくらでもあったし、けっこう伸びていった教団もあったようですが、みんな活力をうしなってしまっています。わたくしの住む町にも、〇〇教支部とか〇〇会道場とか、ありますけども、ほとんど人の出入りしているところを見たことがありません。
結局、学会がいちばん伸びたし、いまも相当の勢力を誇っているのは事実であろうと思うんです。学会員の鼻息が荒いのもうなずけるわけです。

問題は、すでにみなさんが指摘されてきたとおり、いまの学会がはたして牧口氏・戸田氏の遺志を正しく受け継いでいるのか、といえばどうもそうではないようだ、って言うところに尽きているわけで、どうも沖浦さんはその点の釈明ができていないキライがあるにもかかわらず、ご本人はその自覚に乏しいようで、それに対して周囲のみなさんはあきれたり、カッカしたり、なんだか調子をくるわされてしまっているようなあんばいに思えます。

すでにこの掲示板ではもっと高いところを指向しているわけですから、ほんらいなら沖浦さんがその方向性を理解して書き込むことが望ましいと思いますが、どうやらその気はないようです。

もっとも、わたくしだって所属教団が違うだけで、沖浦さんと同程度ないしそれ以下でしょうから、偉そうなことは書けたものではないのですが、いちおう無駄レスはなるべく控えるようにしています。いろいろ書きたいことはあるのですが、まだまだとても発表できるレベルではないと思っていますので。

616ガンコ:2003/11/02(日) 15:41

アネモネさんのおっしゃる画期的な掲示板に同感です。最近、向学のためにあちこちの掲示板を見て回っていますが、ちょっと他にはなさそうですね。

617犀角独歩:2003/11/02(日) 15:55

ガンコさん:

森島恒雄師という実に好い学者がいました。
わたしはこの人の本、また、訳本を探し出しては読んでいました。
主にキリスト教関連の本ですが、前近代のキリスト教の科学への迫害を堂々と論じていった本ばかりです。

『科学と宗教の闘争』ホワイト著(岩波新書)
『思想の自由の歴史』ビュアリ著(岩波新書)
『魔女狩り』森島恒雄著

比較的簡単に手に入る本です。強大な宗教団体がやることはいつの時代にも同じです。
読んでおいたほうが好いですよ、自分が顕正会に所属したところから他宗、一般人を見る視線が100年以上も時代遅れのものであることがわかります。もちろん、創価学会も同様です。

しかしながら、ここで沖浦さんに係る皆の疑義は、創価学会問題であるというより、創価学会に名を借りた差別発言・人権侵害に係る問題ですよ。
この手の問題は、もちろん、顕正会の浅井さんとその一派も類型です。ですが、ここは『創価学会の功績/罪過について』ですから、まあ、顕正会には触れないだけです。しかし、問題の本質はまったく同じですね。

「見下され」差別され人権を侵害されている元創価学会員として、自分たちの思想の自由を獲得するための投稿です。異端審問官・沖浦氏に異義を申しているわけです。易々と魔女狩りはさせません。かつて創価学会が暴挙を振るった戦後50年の暗黒時代を繰り返さないためです。しかし、一方で顕正会も同じ事をやっている。嘆かわしい限りです。

618管理者:2003/11/02(日) 17:29

沖浦克治さん

あなたの587レスによれば、当掲示板において、あなたに反論する方々に対して、心の底から見下しておられるとの事です。これは、あなたの投稿そのものが、当掲示板の趣旨に反し、しかも禁止事項に抵触していることを自己申告されたものと管理者は考えます。この点につきまして、何か釈明されることが有ればお聞きしたいと存じます。なお、反していると判断しました当掲示板の趣旨、および、抵触していると判断しました当掲示板の禁止事項につきましては、「管理者からのお願いスレッド」をご覧下さい。

なお、今後、管理者の、この求釈明を無視して、投稿を続けられた場合は、ご参加をお断りすることとなりますので、ご承知置きください。

619ガンコ:2003/11/02(日) 17:49

あら、まあ、独歩さん

ご本のご紹介どうもです。

ここ、一連のご意見が、顕正会にも振り向けられていることは承知しております。
去年の今頃は「石山系グループ」を多用されていましたが、今回は「日蓮本仏圏」をよくお使いになっていらっしゃる。だいたい同じ意味でしょうし、なにより、委細に文面を見れば、学会のことよりも顕正会のことを言っていると思える部分があちこちにありますし。
とうぜん、他人事だとは思っていません。じゅうぶんにじぶんなりに考えさせていただいております。

620犀角独歩:2003/11/02(日) 18:05

ガンコさん:

> 一連のご意見が、顕正会にも振り向けられている

まあ、「振り向けられている」というより、同じ戸田さんの考えを仰ぐお仲間に、自然と共通するところとなると言うことでしょう。

> 去年の今頃は「石山系グループ」を多用されていましたが、今回は「日蓮本仏圏」をよくお使いになっていらっしゃる

そう、この定義というか、苦慮しています。「創価学会を含む大石寺系グループ」などと研究会などでは発表したりもするのですが、実はこれはカテゴライズし切れないですね。富士門流と言えば、八本山を含み、日蓮本仏を傍に置くところもあり、これも実は言いたいことは違う括りになります。「日蓮本仏圏」、苦肉の造語です。

> じゅうぶんにじぶんなりに考えさせていただいております。

このようなガンコさんのご発言には、感動すら覚えます。

推薦の書籍、参考になろうかと思います。
どこの図書館にでも、たぶんあります。

621沖浦克治:2003/11/02(日) 20:19
 お詫び
 私の発言にて、ご不快な思いを皆様方にお掛けいたしました事をお詫び致します。

622沖浦克治:2003/11/02(日) 20:41
 アネモネさん
>お気の毒な人をお気の毒だと思わない、可愛そうな人を可愛そうだと思わない、そのような人がそうあることを当然のことだ、捨てておけとする心根は、とても非情な人間性だと思います。創価学会は非人間的な心根を培うところだということがわかりました。

 このように勝手な決め付けをされるから、当方も対抗上言葉が乱れます。
 ご注意下さい。
 またあなたの思い込みと創価学会の真実とは無関係です。
 800万人の真実を、私一人の発言で判断が正しく出来る人などいないでしょうね。

>ここの掲示板では、全てをそのようには考えません。
なぜそうなったのかの原因を、組織のあり方にも問題があるのではないか、云々。
 
 信教の自由が保証されている世の中です。
 入会も大会も自由です。
 然しながら権利と自由の裏側には義務と責任が存在いたします。
 退転された方と、原因をつくった方、の双方のご意見を聞かねば是非の判断は不可能です。
 今後創価学会は、この方面にも力を入れるでしょう。
 
>私は、その御書を信じておりませんので、示されても私には何の意味を持ちません。

 では何故富士門流の掲示板にいられるのですか?

>行為を憎むと言いながら、そのお振舞いは人を憎んでおられるようです。
この掲示板に「憎悪の心」を持ち込まないで頂きたいです。

 私や創価学会を憎悪されているのは、ここの方々ではありませんか。
 あなたのご指摘は不公平にすぎます。

240 無徳氏
 『沖浦さんお久しぶりです。まあ!こんな事を言っては大変失礼を承知で申し上げますが、
ここの皆さんは貴男のレベルで論争できるお相手ではありません。またまた、創価学会の恥さらしにもなりかねませんですよ、正信掲示板にてがんばってください。』
247沖浦克治さん  犀角独歩氏
 『まったく面白い。まるで漫才です。何を気色張っているんでしょうか。』
290 MILD SEVEN 氏
『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。残念です。』
316 ダビデの星氏
 『創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。』
298 犀角独歩氏
 『戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。』

 他にも
『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』
 これを読んだ真面目な創価学会員の悲しみが、あなたには理解できませんでしょうか?

623沖浦克治:2003/11/02(日) 21:02
 続きです
>誰も創価学会を悪だと決め付けているのではありません。

290 MILD SEVEN 氏
『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。残念です。』
316 ダビデの星氏
 『創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。』
298 犀角独歩氏
 『戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。』
 
 このような書き込みもありますよ。
 『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』

 皆様方でよてたかって創価学会を悪だ、と決め付けているではありませんか。
 あなたには、これらの発言が創価学会擁護に取れるのですか。
 お答えくださいませ。

>今度は不信の人を見下し差別をしている。結局は、差別の心根を脱することが出来ていないどころか憎悪を駆り立てているところが、今の創価学会の問題点のひとつといえるでしょう。

 私は何度も言いますが、創価学会を退転する事は自由である、と思います。
 然しながら辞めていった人たちは、創価学会の会員に先ず詫びるべきです。
 『私はもはや続けられない、お世話になりました。』
 これが人の道でしょう。
 後はご自由になさればいいでしょう。
 差別につきましては、無意味な差別はすべきではありません。
 以下に戸田先生のご指導を人間革命から引用いたします。(記憶の中からの引用です本文とは差があります)
 
 『先生は折伏をやれば幸せになれると言われました。私は必死で折伏をしましたが誰も入信しません』
 『そんな事はないよ、祈ってやれば必ず出来るよ』
 思い詰めたように男は話した。
 『先生、私は部落民なのです。私の言うことなど誰も信じません』
 戸田はなんとかわいい男であろうかと思った。 
 故のない差別はこの男を苦しめていた。

 この戸田先生は御書を引用し渾身に指導をされ、男は勇気を取り戻し帰って行きます。
  
 故のない差別はすべきではありません。
 これは創価思想の原点をなすものです。

624沖浦克治:2003/11/02(日) 21:09
 続きです
>それでは、はっきり申し上げます。
日本の人口は、約1億2千万人、世帯数でいえば、約4600万世帯。創価学会員が600万〜800万人としても、信教の自由から、創価学会を選ばない非創価学会の人口のほうが、圧倒的に多いです。民主主義の数の原理からいっても、創価学会を支持しない人のほうが大半です。
 
 この800万人が奮い立ち、弘経に励む時がすぐそこまで来ています。
 私は今からワクワクしております。
 たかが10万人程度のデモや運動で大騒ぎになる世の中です。
 なんとも楽しみではありませんか!

>さらにとりわけその中でも、創価学会員の数と同じくらいの創価学会被害者もいるものと考えられます。それ以上かもしれません。

 自らの意志で入会し、自らの意思で退会された人が、何故被害者なのですか?

625沖浦克治:2003/11/02(日) 21:17
 続きです
>自信がないと言ったことを、私の一言で、節操なく前言を180度覆したのは、沖浦さんあなた自身です。ご自分のことです。人の言葉に翻弄されたのは、あなたのほうです。私のせいにしてはいけません。

 私はミュージシャンです。
 ステージでベースギターを構えれば『俺よりうまいやつなどいない』と思って演奏を致します。
 でなければプロではありません。
 然しながら連取をしている時は『自分ほど未熟なプレイヤーはいない』と心の底から思って励みます。
 両方とも私の真実の姿です。
 今後この掲示板には、前者の立場で書き込みます。

>何度も申し上げますが、そういうことは証拠にならないのです。
もっといえば、創価学会が蓮祖直属であるということの証明も求められます

 創価学会が蓮祖直属であることの説明は何度も致しました。過去レスをお読みください。
 創価学会を離れ無いと言うことは、蓮祖を離れ無いと言うことです。
 蓮祖を離れては御書の研鑚などは不可能です。

626沖浦克治:2003/11/02(日) 21:26
 続きです
>結局、学会に限ったことではなく法華講組織もそうだったように、組織の批判を絶対に許さない体質そのものが一番の問題かと思います。絶対に正しいとするから、批判を許されない。恐らくそこが最大の問題といえるでしょう。

 またまた決め付けですね。
 私がいつ創価学会の組織が完璧だ、批判は許さないと言いましたか。
 私は創価学会内部にあって、有名なほどの組織批判者です。

>沖浦さんのレスも、創価学会批判に対する反論と抗議の姿勢が貫かれておられます。

 違います。
 創価学会を築いて下さった名も無い会員の皆様方と、それを守ってこられた、戸田、池田両先生に対する故の無い攻撃に反論をしているだけです。
 
>創価学会を最も批判するのは、他ならぬ脱会した人なわけです。その目で見、聞き、したこと、されたこと、それらを公言し始めるとなると、世間的評価は更に落ちますし、また内部的には、更なる脱会者も出ては困るので、なんとしても言論を封じ込めたいものなのでしょう。

 少し冷静に判断をされるべきでしょう。
 この人たちの体験談が全て事実であったなら、創価学会などすでに存在していませんよ。
 創価学会員は賢いのです。
 自分の判断で退会せずに頑張っているのです。
 辞めた人の言うことなど当てになりません。
 辞めた会社を誉める人は見た事がないのと同じです。

627沖浦克治:2003/11/02(日) 21:36
 つづきです
>その方法としては、見せしめとして、その人に退転者の烙印を押せばいいわけです。
 
 おかしな事を言われますね。
 辞める事を退転と呼ぶのです。
 烙印などとは無関係です。
 見せしめも何も、お辞めになられれば、もはや無関係の人たちです。
 捨てておくだけですよ。
 少なくとも私は、これまでそうしてきました。

>また、それをやらなければ、今度は自分の信心が足りないなどと矛先が組織から向けられ、攻撃を受けかねないものなのかもしれません。

 またまた勝手な決め付けですね。
 私は退転者にかかわった事は一度もありません。
 またそれで創価学会から注意を受けた事もありません。
 あなたは少し間違った先入観をお持ちですね。
 創価学会ほど自由なところはありませんよ。
 池田の馬鹿、と叫んでも除名になどはなりません。
 本当に居心地のいいところです

628無徳:2003/11/02(日) 21:37
沖浦さん私のレスを取り上げられましたので申し上げます。

<貴方は創価学会を誉め殺しにしているみたいですね>と、某掲示板にて私は言い
ましたが、奇しくも(いや!当然かな)ここの掲示板でも貴方の言説を同様に思わ
れた方が居られることをどのように思われますか?

まったく貴方の論旨は酷いものですよ、ご自分でもよく読み直してみてください。
創価学会の皆さんが貴方のような方ばかりでは無い事は重々承知しています。

Libraさんのような若くして秀悦な方も居られます。沖浦さんももっともっと学ば
れてから投稿なされたら如何ですか。

629沖浦克治:2003/11/02(日) 21:47
 続きです
>組織の違う者同士が、組織を背負ったなじり合いに陥ることなく、ここまで有意義な議論を積み上げてきてきたものだと思います。

240 無徳氏
 『沖浦さんお久しぶりです。まあ!こんな事を言っては大変失礼を承知で申し上げますが、
ここの皆さんは貴男のレベルで論争できるお相手ではありません。またまた、創価学会の恥さらしにもなりかねませんですよ、正信掲示板にてがんばってください。』
247沖浦克治さん  犀角独歩氏
 『まったく面白い。まるで漫才です。何を気色張っているんでしょうか。』
290 MILD SEVEN 氏
『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。残念です。』
316 ダビデの星氏
 『創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。』
298 犀角独歩氏
 『戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。』

 これらの発言が有意義な発言とは思えませんよ。

 私には、あなたが非常に間違った創価学会感をお持ちである事が理解できました。
 改められるべきでしょう。

630沖浦克治:2003/11/02(日) 21:50
  無徳さん
 私は自分と自らの発言に自信を持っております。
 あなたはあなた、私は私です。
 後3年もたてば私の意見が創価学会の主流になるでしょう。
 しばらくお待ちください。

631沖浦克治:2003/11/02(日) 21:58
 ガンコさん
>、いまの学会がはたして牧口氏・戸田氏の遺志を正しく受け継いでいるのか、といえばどうもそうではないようだ、って言うところに尽きているわけで、どうも沖浦さんはその点の釈明ができていないキライがあるにもかかわらず、ご本人はその自覚に乏しいようで、それに対して周囲のみなさんはあきれたり、カッカしたり、なんだか調子をくるわされてしまっているようなあんばいに思えます。

 これは見解の相違です。
 埋める必要などありません。
 200年先とはそう言う意味です。
 創価学会学会が戸田先生の指導を外れている、と思えば退転すればいいのです。
 この方向で間違いない、と思うなら中で頑張るだけの話です。
 辞めた人は辞めた人、頑張る人は頑張る人。
 これだけの話です。
 本来これでいいはずのところを、お前も辞めろ、と言うからおかしくなるのです。
 私は辞めた人に戻って来いとは言いません。(いちどだけありますが)
 お互いの意志を何故尊重できないのでしょうか?
 不思議に感じます。

632管理者:2003/11/02(日) 22:55

沖浦克治さん

何を信じようと自由です。また、どのような信仰の告白、或いは、啓蒙も自由です。特にこの掲示板は、発言の自由を尊重しています。ただ、公開の掲示板ですから、他の参加者から、発言の根拠を求められた場合は、常識的に考えて、答える義務が生じると思われます。それは、逆にいえば権利とも言えます。信じる根拠を開陳する権利も、この掲示板では保障されています。

とは言っても、挙証義務を果たされなくても、掲示板のルールに則って、禁止事項に抵触しない限り、誰からも相手にされなくなるだけで、掲示板への参加を拒まれることは有りません。この掲示板はそれほど緩やかなルールで運営されてきました。

勿論、今後の展開次第では、参加者からの求めがあれば、ルールを変更することも有り得ます。そのことはご承知置きください。

633ガンコ:2003/11/02(日) 23:58

沖浦さんに一点だけ言わせてもらいますね。

>創価学会が戸田先生の指導を外れている、と思えば退転すればいいのです。

いいえ、他にも選択肢はあるでしょうに。
たとえば、内部にとどまって間違いを是正していくとか。・・・じっさいは難しいですけどね。

おっしゃるには、創価学会で有名な組織批判者であられるとのことですから、これこそ沖浦さんにもっともふさわしい振る舞いでありましょう。
見解の相違などというのは、らしくないですよ。

634沖浦克治:2003/11/03(月) 00:32
 皆様方に
 私は16歳で創価学会に入会いたしました。
 昭和37年9月10日の事です。
 前年、母が入信を致しました。
 父は貧農から見をおこし、自力で一橋大学を卒業し、その後某保険会社の重役になりましたが、昭和29年部下の使い込みが原因で職を失い、後は転落のみの人生でした。
 母は自殺を図りましたが一命を取り留め、その後縁あって創価学会に入会いたしました。
 当時、我が家は住むところを何度も追われ、土蔵を改良した家に一家5人が吹き寄せられるようにして住んでおりました。
 私は高校を中退し、非行に走る毎日でした。
 母の入会は、友人に、この信心をすれば必ず幸せになれる、と聞かされ、藁をもつかむ思いで入会をしたそうです。
 入会したその日から、母は保険の外交の仕事の合間を縫うようにして学会活動に励み、それこそ狂ったように題目を唱えはじめました。
 私は最初大反対をしておりましたが、折伏に訪れる男子部以外には相手にしてくれる人もありませんでしたので、渋々ながら座談会に参加いたしました。
 座談会には圧倒されました。
 名も無く貧しく、地位も名誉も持たない人たちが、勇気と希望に溢れ輝くような姿で集っていたのです。
 この人たちは信用できる、と私は直感しその場で入会を決めました。 
 そのとき、皆様方からら頂いた大きな拍手と祝福の言葉は決して忘れません。
 その後先輩から頂いた、戸田先生の、青年訓、国士訓は強烈な印象を私に与えました。
 世間から嫌われ、家族からも疎まれ、友人も無く、世をすねて生きている私のような人間に、これほどまで期待をかける指導者がいる、自分は一生この道を生きよう、と決意し現在にいたっております。
 母は現在91歳、弟の家に同居し、幸せに暮らしております。
 父はまもなく入会をし、保険会社の部長待遇に返り咲き、昭和48年10月12日、御書にある通りの成仏の相で永眠をいたしました。
 自分の人生は成功であった、決して創価学会を離れるな、との言葉が遺言でした。
 池田先生からお香典を頂きました。
 『正本堂建立のこの日まで、生き長らえたあなたを決して忘れません』
 香典にはこう添えられておりました。
 私たち家族はこの池田先生の言葉を決して忘れる事はないでしょう。

635沖浦克治:2003/11/03(月) 01:13
 続きです
 私自身、この信心に確信を持ったのは、二つの体験でした。
 ともに19歳のときです。
 一度は、知らない山道を、単車で雨の夜に走っていた時の事です。
 このころは、何処に学会活動に行くのも単車だった時代です。
 不意に寒気がし体か震えました。
 2〜3秒して、今度は運転が困難なほど震えがきたのです。
 単車をとめてゴーグルを外すと、2メートル程先で路は無くなっており、切り立ったがけの手前にいたのです。
 助かった!と思わずお題目が出ました。
 2度目は、同じく単車で走っていてトラックと正面衝突をした時の事です。
 当時、創価学会から、単車に乗るときはヘルメットをかぶれ、と指導がでていたので、私もいやいやかぶっておりました。
 無ければ即死であった、と後に聞き助かったと思いました。
 右膝に深刻なダメージを受け、入院先の医者からは2度と治らず、右足は90度以上曲がる事はない、との宣告を受け、よしお題目で直そう(このころは純心だったのです)と決意いたしました。
 病室で一日3万回の唱題をいたしました。
 すると幹部がぽかぽかと熱くなるのです。
 よし直る、直る、と唱題に励んだところ、4週間と2日で自分で歩いて退院が出来たのです。
 後遺症などは残りませんでした。
 この二つの出来事は、私に確信をくれました。 
 その後結婚をし、家庭を持ちましたが、貧乏で貧乏でどうしようもないほどでした。
 長男が生まれた日に、私の財布には50円ぐらいしかなかった事を覚えております。
 三男がおなかにいるころ、派遣で部長(当時は総ブロック長)の任命を受けました。
 部員は101名、ところが結成式は私も含めて3人しか参加しません。
 惨憺たる組織だったのです。
 自宅で唱題していて突然気が付きました。
 自分はこれまで、折伏何所帯とか、結集何人とか、そんな事ばかりを祈っていた。
 自分の貧乏の宿命と正面から取り組んで祈ろう、組織をよくする事で自分の生活がよくならないのであれば、自分の信心がおかしいんだ。
 初めて気が付いたのです。
 その日から、自らの宿命転換と、組織の一人一人の部員たちの成長と幸福のみ、を祈りました。
 半年ほどで組織は見る見るよくなり、60名程度出てくるようになり、不思議な縁で新しい仕事がきまリ給料は3倍になりました。
 以来お金に困る事は無くなり、現在に至っております。
 そのとき、境涯が開けるとは本当なんだ、と実感を致しました。
 その後引越しをし、壮年部に移りましたが、そのころの仲間とは今でも交流があります。

636沖浦克治:2003/11/03(月) 01:14
 遅くなりましたので、また書き込みをいたします。

637MILD SEVEN:2003/11/03(月) 01:37
あるサイトで、こんな投稿を見つけました。下記。

創価学会について一言。

確かに創価学会全てが悪いとは思いません。きっと良い人も沢山いるのでしょう。
でもそれを帳消しにして更に大きくマイナスにしまう位に反社会的な人もいるし、理解できない行動を取る人達が大勢いる。地域の為の活動を重点にやっていても、選挙の強引な勧誘や強要で普通の人々は大抵嫌になる。阪神淡路大震災にいち早く駆けつけても、それが創価学会の本心なのか、政治手段なのか理解に苦しむ。池田はその数日後ハワイへ飛びフラダンスですから・・・。
人々が創価学会を誤解しているのではなく、創価学会自体がその土壌を自分達で作っていることに何故彼らは気付かないのでしょう?
いったいどれだけの人の悲しみや、どれほどの苦しみを彼らが生み出しているのか、僕は彼らに問い質したい。題目、勤行では解決出来ないことがこの世の中に星の数ほどあることに彼らは気付いているのでしょうか。

もう一つ、あれほどまでに宗教団体として攻撃的になる必要があるのでしょうか?それも一般の人が理解できない要因の一つだと思います。一般信者以外に、妨害や攻撃、破戒活動を専門でやっている人達もいるのでしょう。僕の彼女がそんなことを疑いもなくやっていたとしたら、僕はきっと関わった学会員全員を(この先は自分でも怖くなるので書きませんが・・)仮定の話でも有りえそうだから学会は怖いんです。普通じゃない。全ての人にやさしく出来ないものですかね。創価学会。

宗教団体は究極の営利団体だと思います。特に新興宗教ほどその色が強くなる。
信者を獲得しなければ儲けが薄くなりますからね。創価学会は日本人の特性をうまく利用出来たと思います。精神世界ではなく、物質主義。成果や結果が物質となって返ってくるんですから、それはうれしいですよね。そして、大勢いれば怖くない・・・。集団だと右って言えば皆右向くので怖くないですよね。何やってても守られていると錯覚しちゃう。居心地が良いですからね。きっとその代償は喜んで支払うでしょうね、人間は弱いから。そしてなんたって抜けたら地獄ですから・・。

639沖浦克治:2003/11/03(月) 06:40
 ガンコ さん
 おはようございます。
 ご指摘の通りですね。
 私は私なりの方法でこの問題を解決いたしました。
 体験を通して書き込みますので、お読み下さい。
 また私にご質問がおありでしたら、何なりと真面目にお答えいたします。
 これからも宜しくご指導くださいませ。

640沖浦克治:2003/11/03(月) 06:58
 アナモネさん
 戸田先生が蓮祖直結であることについて、私見を述べます。
 蓮祖は750年前に立宗宣言をなさいました。
 その後、題目の流布をほぼ致され、ご本尊様の流布は後世の弟子に託されました。
 御書は、布教せよ、とのお言葉で満ち溢れております。
 しかしながら、広宣流布が可能になる社会が700年の間、訪れ無かった事も事実です。
 戸田先生は牢獄の中で自ら蓮祖の法を悟られ、『吾地涌の菩薩の棟梁なり』と宣言され、創価学会の会長に就任し、創価学会を独立した宗教団体として設立なさいました。
 不思議にも、この昭和27年は立宗700年目にあたるのです。
 もしこのとき創価学会が、日蓮正宗から独立した宗教法人と資格を修得していなかったなら、今回の破門により解散を余儀なくされたでしょう。
 戸田先生の先見の明に驚きます。
 この人が出現しなければ、日蓮正宗は潰れ、我々が仏法にめぐる合う事も無かったと思います。
 地涌の菩薩は法性の延底(誤字であればご教授ください)から出現すると説かれております。
 戸田先生の牢獄での悟りこそ、これに価すると考えております。

641沖浦克治:2003/11/03(月) 07:18
 続きです
 アネモネさん、お名前を打つ間違えた事をお詫び致します。
 蓮祖は化儀(ご指摘を頂きましたが、創価学会としてこの言葉を今後も使用いたします)の広宣流布の方程式を、自らの布教と同じ方法で行なうと予言をされました。
 『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、』(諸法実相抄)
  このようにご。予言です
 戸田先生のご出現とその後の行動は、まさにこのご文を身でお読みになったものでした。
 私は、蓮祖と戸田先生のご境涯は等しかったと思います。
 釈迦、蓮祖、戸田先生の悟りと行動に共通する所は、自ら悟り、その後激しく布教活動をし、難を乗り越え、法を世間に確立されたところにあります。
 戦後、新興宗教がはやりましたが、あれらは蓮祖の法とは無関係の存在です。
 蓮祖の御書を身で読まれ、化儀の広宣流布の礎を築かれた戸田先生は、文字通り、当時世界一のお人であったでしょう。
 何故ならば、この事業は蓮祖と同じご境涯に立たねば不可能に思えるからです。
 『未来も又しかるべし、』私にはこのお言葉は、もう一度自分と同じ境涯の人間が時が来れば顕れ、化儀の広宣流布をやるぞ、と読めるのです。
 私が戸田先生が蓮祖直結であり、世界一の人という理由は以上です。
 もちろん、そうは思われない人もおられます。
 故に、未来に民衆の判断に任せるべきなのです。

642犀角独歩:2003/11/03(月) 09:24

沖浦さんの錯誤について

あなたは、わたしを「境涯が低い」「程度が低い」「駄目な人間だ」と侮蔑しました。その点について、わたしはあなたに謝罪を求めます。また、愚鈍凡夫さんにも「理解力がない」、アネモネさんに「悪鬼入其心」と侮辱しました。このような一々の侮辱について、謝罪すべきです。

わたしはたしかに戸田さんを「諸悪の根元」と記した。創価学会における未来像を嫌悪するものにとって、その始まりが戸田さんであれば原因の究明からする一つの結論です。この点をわたしは改める記はありません。それは、たとえば、創価学会が、宗創決別について、その責任を顕師を特に取り沙汰して論じる在り方と一緒です。戸田さんはあなたのような人を侮蔑して止まない差別主義者を生み出したのか? そのように結論づけることが短絡であるかどうか議論は分かれるでしょう。しかし、あなたが戸田さんを礼賛すればするほど、あなたの差別主義、人権侵害は戸田さんと強く結びつく印象をロム者に与えるでしょう。

また、621のわずか2行の文章は、以下の文章を見る限り、相変わらず脱会者を「心の底から見下すこと」、制裁を加えられるのは「自業自得」という点を謝罪していません。

> 創価学会の会員に先ず詫びるべきです

冗談じゃありません。詫びるべきは創価学会であり、あなたのように脱会者を見下して止まない差別主義・人権侵害者です。詫びなさい。

> この人たちの体験談が全て事実であったなら、創価学会などすでに存在していませんよ。…辞めた人の言うことなど当てになりません。

これまた、冗談じゃありません。
創価学会とその会員が、どのようなひどい仕打ちに遭ってきたか、さらにそれを声高に言えば、ここにおけるあなたの書き込みのように、逆に「謝罪すべき」だとか「裏切り者」であるとか、「恩知らず」と罵られた挙げ句、集団になって、その脱会者の人間性をさんざんに踏みにじり、さらに、あなたが書くように、その存在を無視するという非人道的な扱いを少しも反省するところはありません。

上述の発言の撤回を求めます。

以上の、わずか二カ所の書き込みにおいても、明らかにあなたは、当板のルールに違反しています。

643犀角独歩:2003/11/03(月) 09:33

重ねて沖浦さん:

> 蓮祖と戸田先生のご境涯は等しかった

こういう発言を戸田本仏論というのです。
わたしを池田本仏論の邪義を信じたなどと愚弄したものが、戸田本仏論を書き連ねるなど笑止千万です。

ところで、「世界立戒壇」の証拠はどうしました。

644犀角独歩:2003/11/03(月) 10:11

創価学会の「戸田会長が地涌の菩薩の棟梁」公式見解

「戸田第2代会長のことを、『地涌の菩薩の棟梁』といったことがありますが、これは在家における折伏弘教のうえの指導者という意味で使ったのであり、戸田第2代会長みずからいわれた言葉でもあります。
 ただし、不本意ながら、文は意を尽くさずで、要旨としてまとめたとき、文脈上、上行菩薩の再誕即御内証久遠元初自受用報身如来の再誕・末法の御本仏日蓮大聖人に通じるかのような文体になってしまった場合もありました。したがって、今後はこうした言葉遣いについては十分注意していきたいと思います」

645犀角独歩:2003/11/03(月) 11:07

こうもありました。

「歴代会長を折伏仏教、広宣流布の指導者として尊敬し、またさまざまの指導をうけ、心からの信頼を寄せていることは、会員の自然の心情である。そのことを宣揚するあまり、あたかも大聖人と等しいがごとく受け止められる過大な言葉や表現を用いることは、厳重に慎しまなければならない」

以上の創価学会の公式見解を641は踏まえていません。
創価学会の考えとは違う個人的な個人礼賛なのでしょう。

646沖浦克治:2003/11/03(月) 14:51
 犀角独歩 さん
 先ずあなたに失礼な発言をした事をお詫びいたします。
 他の方々につきましても、この場をお借りしておわび致します。
 発言を取り消せとのお話ですが、取り消すと言えばご満足ならばそう致します。
 世界戒壇は、私がオフレコで入手した先生の発現の中にこの言葉があります。
 やがて正式に発表されるでしょう。
 あなたのご指摘の、創価学会が宗門に対して提出した、いわゆるお詫び状の文章に関しましては、すでに宗門と離別した現在では無意味なものとなっております。
 現在の創価学会に当てはめる事には、無理があるでしょう。
 無論のこと、あなたがそれを信じられる自由はおありですので、ご自由にされれば如何かと存じます。
 私は、このようなお詫びなどは、最初から問題にはしておりません。
 戸田先生が『地涌の菩薩の棟梁』とおっしゃられたのですから、素直にそれを信じるのみです。
 池田本仏論は、創価学会内で出世を願う一部の人間が、自らの保身と出世のために言い始めたことです。
 代表が福島氏でありました。
 蓮祖本仏論に対する、興師本仏論と同列でしょう。
 このような邪義にふんどうされた人々が多くいらっしゃいます。
 現在は創価学会内で、このような邪義を唱える人は、いないと思います。

647沖浦克治:2003/11/03(月) 14:56
 犀角独歩 さん
 
 私が、創価学会の公式見解に外れた意見を出してはならない理由を、お聞かせください。
 あなた方は自由な意見を出し、創価学会員は出してはならない根拠のご説明を、正式に要求いたします。

648犀角独歩:2003/11/03(月) 16:29

沖浦さん:

あなたの謝罪をお受けします。
脱会者を「心から見下す」表現をしないことは、当板のルールの遵守です。
しかし、それ以上に、わたしがあなたから見下されないことはわたし達脱会者の基本的な人権です。如何なる者にもこの権利を侵害させません。
もちろん、わたしはあなたを見下しません。平等な権利を有する同等の人間であるという立場で論じます。けれど、いまのいままで、わたし達を「見下してきた」あなたが、掲示板における表現上で、その考えを伏せることはできても、突然、同等の人間として議論できるようになるとは俄に信じがたいところがあります。
あなたは、わたし達脱会者を内心に置いても見下さず、個人の尊厳を有する同等の人間として扱えますか。お答えください。

> 私が、創価学会の公式見解に外れた意見を出してはならない理由

わたしはそのようなことは言っておりません。
ただし、あなたが「我々」という表現を多用して書き込みをする場合、その「我々」は創価学会を指すと想定できます。それなのにそれが創価学会の見解と違っているので、その点を指摘したまでです。

> あなた方…

はて、「あなた方」という複数形はどなた達を指すのでしょうか。
わたしはわたしです。そのわたしは「自由な意見を出し、創価学会員は出してはならない」などと一度も言っておりません。言っていないことの説明を要求されるのは筋違いであります。

なお、宗創離間後、わたしが提示した創価学会の公式見解は「無意味」だそうですが、それが創価学会の公式見解でしょうか。それとも沖浦さん個人の考えでしょうか。この点を明確にしてください。

もう一点、あなたは「戸田本仏論者」ですか。
戸田さんが「蓮師と同じ境涯」とはどのような意味になりますか。
また、このような考えが広宣流布していく創価学会公式の見解なのでしょうか。それとも、個人の考えですか。個人の考えである場合、創価学会とは違うあなた個人の考えを「これから」世界広布していくということでしょうか。この点が釈然としませんので、見解をご提示ください。

649沖浦克治:2003/11/03(月) 17:16
>あなたは、わたし達脱会者を内心に置いても見下さず、個人の尊厳を有する同等の人間として扱えますか。お答えください。

 見下しません。

>「我々」
 
 二つの意味がありますが、創価学会を示す時にはこれまで創価学会の名称を入れていたと思いますが、今後は必ずそう致します。
 また我々とは私の所属グループの事です。

>そのわたしは「自由な意見を出し、創価学会員は出してはならない」などと一度も言っておりません。
 
 それではこのような表現はお止め下さい『沖浦さんの錯誤について』
 あなたが絶対者であるように受け取れます。
 この場合は『私が沖浦克治さんの意見を錯誤と思う理由』等の表現を用いてください。
 あなたと私は対等の存在でしょう。
 決め付けは迷惑にすぎます。

>それが創価学会の公式見解でしょうか。それとも沖浦さん個人の考えでしょうか。この点を明確にしてください。

 私のグループの見解です。
 まもなく大半が、創価学会の見解になるでしょう。

>もう一点、あなたは「戸田本仏論者」ですか。
戸田さんが「蓮師と同じ境涯」とはどのような意味になりますか。

 末法のご本仏は蓮祖お一人です。
 この件は何度も言っております。
 同じ質問を度々繰り返される事には辟易しております。
 戸田先生は釈迦における、天台、伝教にあたります。
 今後は同様のご質問には、過去レスを読むようにとの回答を致します。

>このような考えが広宣流布していく創価学会公式の見解なのでしょうか。それとも、個人の考えですか。個人の考えである場合、創価学会とは違うあなた個人の考えを「これから」世界広布していくということでしょうか。この点が釈然としませんので、見解をご提示ください。

 私はあなたに納得してもらうために書き込んでいるのではありません。
 釈然としなければそれで結構です。
 私もあなたのご意見には全くながら釈然と致しません。
 お互いの立場を尊重してください。
 私の意見には、私は納得しあなたは納得しない。
 あなたの意見には、あなたは納得し、私は納得しない。
 これだけの話です。
 すでにこの意見は何度もかきこんでおります。 
 何度も蒸し返される事は迷惑でしかありません。
 以後はおやめください。

>はて、「あなた方」という複数形はどなた達を指すのでしょうか。

 この掲示板で、学会を批判する人たちです。 

>宗創離間後、わたしが提示した創価学会の公式見解は「無意味」だそうですが、それが創価学会の公式見解でしょうか。それとも沖浦さん個人の考えでしょうか。この点を明確にしてください。

 今更公式見解など不必要です。
 池田先生は『邪宗の宗門とわかれて本当に幸せである』と聖教新聞にてご発言です。
 今後、宗門などは相手にしないことになっているのです。
 かっての公式見解など、もはや意味をなしません。

650愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 17:17
横レス失礼します。
これは有名な池田さんの講演ですが、

「みなさん方は広宣流布といえば、なにかお祭りのことばか、ひとつの理想と思っているのです。『一生懸命、広宣流布とは言うけれども、話だよ』と心のなかで思っている人がいるのではないかと思うのです。ということは、会長先生が、二、三年前におおせになったことがあるのですよ。『諸君らは、それを本気に思えないのだろう。絶対そうではないよ。もしか、広宣流布ができなかったら、日本は滅亡ですよ。世界の滅亡ですよ。仏さまのおおせになったことは、ウソになるよ。』と。
 仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです。きちんと21年先を目指して、そうおおせになったのだもの。先生が4年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと25年だよ』とおおせになったのだから。それから4年目だから、ちょうど21年です。というわけで、必ず広宣流布はできるのです。」(「会長講演集 第3巻」)

とあります。
この講演は1958(昭和33)年のものですから、21年後の1979(昭和54)年は宗門の猛反撃に耐えきれず、池田さんが会長職を辞されて北条さんが第4代会長に就任された年です。
この時の池田さんの言葉を修正すれば、

「また、会長先生もウソをつきます。仏さまではありません。きちんと21年先を目指して、ウソをおおせになったのだもの。先生が4年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと25年だよ』とおおせになったのだから。それから4年目だから、ちょうど21年です。というわけで、必ず広宣流布はできないのです。」

ということになるでしょうか。戸田さんの予言は外れると、池田さんが証明したようなものです。

651沖浦克治:2003/11/03(月) 17:19
 犀角独歩 さん
 
 立場が違うのですから、無理に埋める必要はありません。
 この提案は二度目です。
 埋めたければ、埋めたがっている創価学会員をお探し下さい。
 私はそのタイプではありませんので、あしからずお願いいたします。

652沖浦克治:2003/11/03(月) 17:22
  愚鈍凡夫 さん

 あなたはあなたのご意見。
 私には私の意見。

653愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 17:33

意見ではありません。事実です。

654ガンコ:2003/11/03(月) 17:37

なんだか、ギスギスしてるなあ。みんな境涯低いんじゃないの。

655沖浦克治:2003/11/03(月) 18:08
  ガンコ さん
 
 ご指摘の通りに感じます。

656沖浦克治:2003/11/03(月) 18:10
 愚鈍凡夫 さん

意見ではありません。事実です。

 あなたには事実。 
 私にはフィクション。
 以上です

657愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 18:16

学会の出版物でフィクションなのは「小説 人間革命」と「若き日の日記」だけではないのですか。
いい勉強になりました。

都合の悪いことはフィクションですか。なるほどね。(^O^)

658Leo:2003/11/03(月) 18:22
横レス失礼いたします。
皆様、(主に学会バリバリ系にみられる)「補強済みのドグマティズム」に反論しても不毛と思います。

(参考)
創価学会をみんなで考えよう BBS
マインドコントロールについて スレ
http://www.ne.jp/asahi/my/www/bbslog2_007.html

「「《みずからに対する批判を却下する装置》をはじめから内在させている」ような知的
体系のことを、ポパーは「補強済みのドグマティズム」と呼んでいます。」

659沖浦克治:2003/11/03(月) 18:41
 愚鈍凡夫さん
 
 いい勉強になられたとの事、幸いに存じます。
 今後の益々のご研鑚を期待いたします。

 早々

660沖浦克治:2003/11/03(月) 19:02
 犀角独歩 さん
 643でのあなたのご発言です。
>こういう発言を戸田本仏論というのです。
わたしを池田本仏論の邪義を信じたなどと愚弄したものが、戸田本仏論を書き連ねるなど笑止千万です。

 『笑止千万』
 このご発言は私を侮辱しております。
 謝罪を要求するとともに、今後はこのようなご発言をお慎みになられる事をお約束ください。
 またあなたのご意見は矛盾があります。
 あなたは過去に池田本仏論『蓮祖の再誕』を沖浦克治信じておられた旨告白されておられます。
 これはあなたがご自分のご判断で述べれておリ、発言には責任を持ちになるべきです。
 なお、池田本仏論は邪義でしかありません。
 もし池田本仏論が正しいと言われるのであれば、根拠をお示しください。
 また、私は戸田本仏論などには無関係の人間です。
 勝手なレッテルを貼られる事は、非常に迷惑です。
 今後はあなたの思い込みを私に押し付ける事はお辞めください。
 あなたのこれらの書き込みはこの掲示板のあり方に明らかに違反しております。

 ②感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。 
 ③掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。

 
【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します

661沖浦克治:2003/11/03(月) 19:05
 お詫び
 の中に私の氏名が無関係に入ってしまいました。
 読みとばしてください。

662愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 19:07
沖浦克治さんへ

> 学会の出版物でフィクションなのは「小説 人間革命」と「若き日の日記」だけではないのですか。

勉強ついでに、学会の出版物でフィクションの書籍名を御教示下さいませんか。
まさか、小生の発言から都合のいい部分だけの切り文ですか?
まるで沖浦克治さんの切り文勝手解釈教学みたいですが、まさか違いますよね。

663沖浦克治:2003/11/03(月) 19:15
 愚鈍凡夫 さん

>勉強ついでに、学会の出版物でフィクションの書籍名を御教示下さいませんか。

 私は御書、聖教新聞、大白蓮華のみを読んでいます。
 他の出版物には知識がありません。
 他の学会員にお訊ねすることを勧めます。

>まるで沖浦克治さんの切り文勝手解釈教学みたいですが、まさか違いますよね。

 このご発言は私を侮辱しています。
 謝罪と同時に、今後掲示板の趣旨を尊重し、同種の発言を慎むことをお約束ください。

664愚鈍凡夫:2003/11/03(月) 19:32
> >まるで沖浦克治さんの切り文勝手解釈教学みたいですが、まさか違いますよね。
>
> このご発言は私を侮辱しています。
> 謝罪と同時に、今後掲示板の趣旨を尊重し、同種の発言を慎むことをお約束ください。

そうですか。あなたはよく「意見」という言葉を使うじゃないですか。
「意見」というのは、あなた自身の「己義」でしょう。あなただけの解釈じゃありませんか。
勿論、あなたの解釈が論証されれば「切り文勝手解釈教学」なんて言葉は使いませんよ。
あなたが、あなたの理論を論証された時、潔く謝罪いたします。

665沖浦克治:2003/11/03(月) 20:03
 愚鈍凡夫 さん

 今後お互いの書き込みに干渉しないようにしましょう。

666ガンコ:2003/11/03(月) 20:13

ダメだこりゃ(いかりや長介風)

667アネモネ:2003/11/03(月) 20:36
沖浦活治さん

沖浦さんは何か言葉の行き過ぎを一度は謝罪されたようですが…しかし、心の底から見下しているというその内心については、どうなのでしょう。内心は自由ですから、見下す気持ちというものもまた、それは自由だと思います。恐らく、創価学会の仏法に照らして、心の底から私どもを見下しているというお気持ちは、偽らざる沖浦さんの内心の思いではないのでしょうか。
そのような内心は、他人がどんなにとやかくいって謝罪を求めたところで、変るものではないですね。
それが、沖浦さんのもつ人間性の一端なのだというだけのことだと思います。
そのような人間性が、そのまま創価学会員の姿を示すものなのかどうかは、今の私には判断できません。創価学会を実体験でご存知の方々には、よくおわかりになっていらっしゃるものだと思います。

ですから、私のことに関しても、沖浦さんから見れば、侮辱しているつもりでもなんでもなく、本当に「悪鬼入其心」に見えておられ、それを、正直にそのように見えるままを書かれたのだと思います。
そのことについては、私はさして何とも思っておりませんし、傷いてもおりません。腹も立ってはおりませんから、私に対して謝罪をする必要はないです。

まあ、立場が違えば、尺度も価値判断も違い、そうすると見えている世界も全て違ってくるのだろうと思っております。そうしたことで、自ずと、目指す人間性も精神性もまた大きく違ってくるのだということを、この度、大きく学ばせて頂きました。

668アネモネ:2003/11/03(月) 20:36
(つづき)
まあ、それはともかくとして、結局、沖浦さんは、謝罪の言葉は記されてはおりますが、本質的な問題は何も解決されていないと思うんですね。

>立場が違うのですから、無理に埋める必要はありません。
 この提案は二度目です。
 埋めたければ、埋めたがっている創価学会員をお探し下さい。
 私はそのタイプではありませんので、あしからずお願いいたします。

>あなたはあなたのご意見。
 私には私の意見。

>今後お互いの書き込みに干渉しないようにしましょう。

沖浦さんは、参加当初から、独歩さんにしろ、愚鈍凡夫さんにしろ、その他の方々にしろ、ことごとく対話を拒絶されました。「あなたには無理です」「お止めなさい」などなどの言葉でもって返信レスを封じてきたわけですが、恐らくそのお気持ちは、見下す内心のお気持ちと同様、今も変りはないのでしょう。上のレスがその証拠ですね。

結局、根本的に対話を拒絶されているのですから、どうしたって議論にはならないわけです。私は、最もそこが問題だと思うんですね。
要するに沖浦さんは、最初から議論や対話を目的とした参加でないばかりか、この掲示板の趣旨そのものからして否定していらっしゃるわけです。
そういうことであるならば、私としてはこれ以上の参加を見合わせて頂きたいと思うのです。本来的な議論の妨げになるばかりです。

このスレッドにしても、功罪の意味もはきちがえられ、そのことを指摘しても、まったく理解する姿勢もないばかりか、かえって自分の勝手な主張の理解ばかりを求められる始末。相互理解の気持ちは根本的にないわけですから、これではこれまでの議論の秩序を乱されるばかりです。
何度も申し上げたように、ここは立場の違いを超えた議論を目的としており、立場の違いを埋めたくはないと主張され、さらには参加者を内心で見下し議論を拒絶するということであるならば、完全に掲示板の趣旨にそぐわないと判断されるものではないかと思います。

669背景探求123:2003/11/03(月) 20:40
失礼、、、沖浦さん、貴方グループ?、はこれからの創価学会の流れ?指標?にも成る、と断言されましたが、音楽芸能関連者にしましては、よほどの御自信です。 まるで、こんごの創価学会は、我がグループの双肩に有る?ような確信?はいったいどこから由来するのでしょう、? 今のの流れを、乗り越えるということは?  現学会を否定?なさるのでしょうか? 因みに茨城県の一学会員ですが、。

670アネモネ:2003/11/03(月) 21:27
沖浦克治さんの、お名前を間違えて投稿いたしました。
失礼いたしました。
お詫び申し上げます。

671沖浦克治:2003/11/03(月) 21:53
 背景探求123さん
 
 私の所属する私的なグループです。
 これまでそうでしたから、今後もそうだと思うだけです。
 音楽芸能関係に自信があるトン発言歯しておりません。
 別に輪がグループの双肩にあるとは思いません。 
 今の流れを乗り越えるとの発言は一度もしておりません。
 現学会を否定してはおりません。
 以上です。

672沖浦克治:2003/11/03(月) 22:14
 アネモネさん
>、心の底から私どもを見下しているというお気持ちは、偽らざる沖浦さんの内心の思いではないのでしょうか。

 私はあなたを見下してはおりません。

>そのような人間性が、そのまま創価学会員の姿を示すものなのかどうかは、今の私には判断できません。創価学会を実体験でご存知の方々には、よくおわかりになっていらっしゃるものだと思います。

 私は人間性において、皆様方に劣るとは思いません。 

>ですから、私のことに関しても、沖浦さんから見れば、侮辱しているつもりでもなんでもなく、本当に「悪鬼入其心」に見えておられ、それを、正直にそのように見えるままを書かれたのだと思います。

 仰せの通りです。
 『依法不依人の経文毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや、悪鬼入其身して無明の悪酒に酔ひ沈み給うらん。』(教行証御書)
 蓮祖門下として、御書を引用したまでです。
 あなたに対する軽蔑の心などはございません。

>まあ、それはともかくとして、結局、沖浦さんは、謝罪の言葉は記されてはおりますが、本質的な問題は何も解決されていないと思うんですね。

 無理な事をいわれてもも困ります。
 私は心の底から創価学会員です。
 お辞めになられた方と合意するには、私が創価学会を辞めるか、お辞めになられた方が創価学会に戻るかのどちらかしかありえないと思います。
 お互いにそれは無理だと思います。

>沖浦さんは、参加当初から、独歩さんにしろ、愚鈍凡夫さんにしろ、その他の方々にしろ、ことごとく対話を拒絶されました。

 対話の拒否ではありません。
 信じるものが全く対立しているのです。
 双方に責任が同じだけあるでしょう。 
 私だけの責任追及は不公平です。
 あなたにしても、私にはしばしば勝手な決め付けをされています。

673沖浦克治:2003/11/03(月) 22:28
 続きです
>要するに沖浦さんは、最初から議論や対話を目的とした参加でないばかりか、この掲示板の趣旨そのものからして否定していらっしゃるわけです。

 否定などしておりません。
 然しながら、創価学会の功罪を考える、とのスレッドをあなたは立てたのです。
 このスレッドに、創価学会の罪の側面ばかりを唱える人ばかりが集まり、創価学会サイドの意見が見られないのどうした事でしょう。
 あなたには、スレッド提案者の一人としてこの現象に責任があると思います。
 私たち創価学会員の参加を拒否されるのであれば、最初からこのようなスレッドを立てるべきではありません。
 一旦始めたからには、途中で投げ出ような行為はおやめくだいませ。
 創価学会には800万人もの会員がいるのです。
 非常に自由な団体ですので、多くの異なった意見をもったメンバーが存在します。
 この人たちに参加を促し、参加を容易にする事が発起人としてのあなたの役目ではないのですか。
 少し気に入らなければ、書き込まないで下さい、などということは言論人としての敗北ではないでしょうか。
 『私はあなたの意見には絶対に反対である、しかしあなたが意見を述べる権利は死守する』
 これが言論人の態度であるべきです。

674沖浦克治:2003/11/03(月) 22:42
 続きです
>このスレッドにしても、功罪の意味もはきちがえられ、そのことを指摘しても、まったく理解する姿勢もないばかりか、かえって自分の勝手な主張の理解ばかりを求められる始末。相互理解の気持ちは根本的にないわけですから、これではこれまでの議論の秩序を乱されるばかりです

 私は体験を通じて、創価学会の『功』を述べようとしております。
 然しながら、次から次へとご質問を頂きますので、思うに任せません。
 とりあえず体験を書き終えるまでの間、少しご質問をお控えいただきたいのです。
 その後、ガンコさんに申しあげましたように、私に対する真面目なご質問には誠意を持ってお答えをいたします。
 但し、ご質問の内容に揶揄が含まれていれば、この限りではありません。
 たとえば切り文云々等は、御書を全編引用する事は煩雑すぎますので、お相手は出来かねます。
 私に対話を勧めながら、あなたは私の質問を無視されたままです。
 先ずお答えになられるのが筋かと存じます。
 このスレッドのレス人口に対する、おそらく数十倍の読者の皆様方為にも、宜しくお願をいたします。

675背景探求123:2003/11/03(月) 23:11
失礼、沖浦さん、、貴グループの考え方のような?集団?が今後の創価学会の新しい?流れ?になる!!と確かに断言されておりましたが?? これは願望的な希望的な個人的見解なのでしょうか、? しからば、それに至ったのはナニユエでしょうか? 現創価学会の運営に御不満か御要望がお有りでしょうか、>?

676沖浦克治:2003/11/03(月) 23:37
 背景探求123さん
 私たちは昭和54年、宗門に創価学会が破れ、宗門が組織を席巻した時、これに反対して劇団公演を致しました。
 創業400年の老舗の羊羹メーカーと、近年代理店となり凄まじい売る上げをあげている会社との物語です。
 メーカーは代理店の売り上げの利益が欲しくなり、厳しい要求を代理店に突きつけます。
 代理店側は顧客や小売り店に迷惑をかけれらないため、要求をのみます。
 メーカーは調子に乗り、更に厳しい要求を次々に突きつけます。
 たまりかねた代理店側は、メーカーに抗議をします。
 するとメーカーは羊羹の供給をストップしてしまいます。
 代理店は必死で努力を重ね、自力で羊羹を作り販売し大当たりをします。
 メーカーへの上納金が無くなり、其の上メーカーの時代遅れの干渉から逃れたお蔭で、自由な販売活動が可能となったことが、大成功の原因でした。
 メーカは、やがてなきついてくるとの思惑が外れ、大慌てで販売活動に乗り出しますが、全く売れません。
 消費者の気持にに疎く、押し付けで販売を行い顰蹙を買ったのです。
 最後に力尽きたメーカーの法主(社長)がポツリとつぶやくところで幕となります。
 『あいつら、こんなもんよううっとたなー!!』
 満員のホールが拍手でゆれました。
 ご理解ください。

677Jルーカス:2003/11/03(月) 23:38
 昭和20年代の聖教新聞には「無間地獄の大罪、猊座誹謗、破法邪信の徒○田○三」と大見出しをつけて当時の御隠尊堀上人を誹謗したとキャンペーンをしている。
雪山荘に出入りしていた当時の学会員○田○三(故人)が、堀上人と法義上のことから昵懇とされていたが、それを「狂犬忠公」と蔑んでいる。文中には「雪山荘に家族と共にお世話になるという大恩を受けておりながら終いに自分の信心に思い上がって堀上人を御批判申し上げる程の大増上慢になったのである」と書かれている。別の聖教では「狂犬 茅ヶ崎に現る。○田○三にかみつかれるな!!」という見出しと共に激烈な文章が踊っている。
この時の「無間地獄の大罪、猊座誹謗」はどういう解釈でそれに当たるのであろうか?
しかも彼はその後、堀上人の元を追われ、流浪の上で正宗の某寺院に最終的にお世話になっている。それに対してもずいぶんな嫌がらせがあったが、その御僧侶は敢然と彼を守られている。

少し下って同じ学会員が、組織のあり方に疑問を呈し、結果除名となって「顕徳会」という組織を構成。独自の折伏を展開して会員を増やしていたが、やはり「顕徳会」への引き抜きや嫌がらせで正宗寺院への参詣を邪魔するという暴挙にでている。御本尊下附がかなわないため方々の寺院を尋ねるが嫌がらせがすさまじく結果引き取られたのが、中野歓喜寮の堀米御尊師(後の日淳上人)である。帰属したものの最終的には引き抜き、嫌がらせ等に屈して自然解散になってしまった。この時も「一般の信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって」という御都合文が会内を横行した。

678背景探求123:2003/11/04(火) 00:11
676の沖浦さん、、そうでしたか、、、御深心からの御発言、、、一応は真摯に受け止めたい、と存じます、、。

679MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:11
(私のBBS)

キリスト者の人生は仮免許

私が受洗したのは、成人してさらに学びの後の事。
洗礼を受けた後は確かに変わりました。
でもこれは単なるスタートにすぎません。

この世の「支配者・サタン」に負けない者になる為には、生きたキリスト者になる事が必要です。
私はそう思います。
これは主がお決めになる事です。
受洗後の、個人の努力も関係すると思います。
私たちは主の導きにより、聖書から学び、聖書と共に生きています。

それでも、やはり主がお決めになる事です。
これが第二ステップ。
証しで判断出来ると思います。
証しにもいろいろあります。

イエス様の宣教命令をどの様に受け止めるかは、個々の徳(自主性)の問題だと思います。
(・・・・・・自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。)「 マルコ8章ー34節」
・・・更なる証し・・・更なる賜物・・・更なる証し・・・。
継続は力。とはこの様な事だと思います。

その後は、証し人としてこの世に強く楔を打ち込む為の人生・バトンリレーだと思います。
また、<なんでもあり>とは何か?
それは、本人が会得して行く問題だとも思います。
私はそう感じます。

イエス様の教えの本質を知る事が許された者は幸いです。
私はそう思います。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

680MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:11
(私のBBS)

キリスト者の人生は仮免許

私が受洗したのは、成人してさらに学びの後の事。
洗礼を受けた後は確かに変わりました。
でもこれは単なるスタートにすぎません。

この世の「支配者・サタン」に負けない者になる為には、生きたキリスト者になる事が必要です。
私はそう思います。
これは主がお決めになる事です。
受洗後の、個人の努力も関係すると思います。
私たちは主の導きにより、聖書から学び、聖書と共に生きています。

それでも、やはり主がお決めになる事です。
これが第二ステップ。
証しで判断出来ると思います。
証しにもいろいろあります。

イエス様の宣教命令をどの様に受け止めるかは、個々の徳(自主性)の問題だと思います。
(・・・・・・自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。)「 マルコ8章ー34節」
・・・更なる証し・・・更なる賜物・・・更なる証し・・・。
継続は力。とはこの様な事だと思います。

その後は、証し人としてこの世に強く楔を打ち込む為の人生・バトンリレーだと思います。
また、<なんでもあり>とは何か?
それは、本人が会得して行く問題だとも思います。
私はそう感じます。

イエス様の教えの本質を知る事が許された者は幸いです。
私はそう思います。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

681MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:16
池田創価王国に反対!

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がってます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

自由陣営 対 独裁体制陣営(北朝鮮や池田創価やオウム等)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
しかし、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

682MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:16
池田創価王国に反対!

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がってます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

自由陣営 対 独裁体制陣営(北朝鮮や池田創価やオウム等)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
しかし、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

683アネモネ:2003/11/04(火) 01:47
沖浦克治さん

>このスレッドに、創価学会の罪の側面ばかりを唱える人ばかりが集まり、創価学会サイドの意見が見られないのどうした事でしょう。

それだけ創価学会被害が多く、深刻であり、社会問題であるということでしょうね。
さらにもっといえば、ここに連ねられているような罪過に、現役学会員が平然と目を背けていられるとすれば、その神経そのものが問題だと思います。

>あなたには、スレッド提案者の一人としてこの現象に責任があると思います。

仰るとおりです。掲示板がこのように荒れてしまった責任を痛感しております。

>私たち創価学会員の参加を拒否されるのであれば、最初からこのようなスレッドを立てるべきではありません。

いちいち、あなたに口出しされることではありません。それよりは、言葉の定義くらいしっかり踏まえてください。
この掲示板は、創価学会員の参加を拒否しているものではありません。この掲示板の趣旨をご理解くださっている何人かの方が参加されていらっしゃるのも事実でしょう。

>私は体験を通じて、創価学会の『功』を述べようとしております。

個人的体験というのは、功罪の「功績」の意味からいってあまり参考にならないんです。投稿するなといいませんが。
本当は、創価学会は社会的存在の宗教組織ですから、学会が社会に向けてどのような功績を残してきているのか、本当はそれを論じて頂きたいのです。
罪過について、個人的なことが書かれているだろうといったことが書かれてありましたが、これは個人的な内容のように見えますが、創価学会を辞めた人に対して現役学会員がどういう行動を起すのかという点における社会的問題からいって、その内容は決して不適切な話ではないと思います。
あくまで、社会的視野に立って、できれば主観ではなくて、客観で語ってほしいのです。

>一旦始めたからには、途中で投げ出ような行為はおやめくだいませ。

そんなことは、あなたに言われることではありません。私の意向はともかくとしても、最終的に、スレッドを閉鎖するもしないも、その判断は管理人に委ねられます。

>この人たちに参加を促し、参加を容易にする事が発起人としてのあなたの役目ではないのですか。

私は発起人ではありません。昔からの常連です。
ですから、沖浦さんの参加についての私の意向は投稿しましたが、それがそのまま通るとは限りません。

>少し気に入らなければ、書き込まないで下さい、などということは言論人としての敗北ではないでしょうか。

言論人として何が勝負であるかは、あなたの尺度と私のそれとは全く違います。
そして、沖浦さんがスレッドの意図するところをはきちがえたまま、レスを続けられる点、言論人として、とても気に入らないのは事実です。
功罪の功とは、功績の功であって、個人の受けたご利益といった主観的な話ではありません。できれば言葉の定義をしっかり把握したうえで、投稿をして頂きたいと思っております。

684アネモネ:2003/11/04(火) 01:48
(つづき)
>『私はあなたの意見には絶対に反対である、しかしあなたが意見を述べる権利は死守する』
 これが言論人の態度であるべきです。

その前提があります。掲示板のルールにのっとるということです。
そのルールの中には、趣旨を理解するということが大前提として含まれます。趣旨を理解できない方の参加は認められないはずです。
しかし、これは管理人さんのご判断に任せます。

>然しながら、次から次へとご質問を頂きますので、思うに任せません。
 とりあえず体験を書き終えるまでの間、少しご質問をお控えいただきたいのです。

断定的に書かれた以上、その根拠が求められます。根拠も示さないうちから、どんどんと話がすすめられては困りますから、それは仕方のないことだと思います。

>私に対話を勧めながら、あなたは私の質問を無視されたままです。
 先ずお答えになられるのが筋かと存じます。

以下の2点でしょうか。

>では何故富士門流の掲示板にいられるのですか?

組織信仰について考え、その中で、私が関わった日蓮仏法が何であったかを知っておきたいからです。
ただし、私も真蹟主義の立場を支持しておりますので、引用された御書につきましては、信じてはおりません。

>皆様方でよてたかって創価学会を悪だ、と決め付けているではありませんか。

悪だと決めつけているわけではありませんが、沖浦さんが自身が、創価学会とご自分を客観視できないだけだと思いますね。

>あなたには、これらの発言が創価学会擁護に取れるのですか。
 お答えくださいませ。

どういうことでしょう。沖浦さんからすれが、如何なる人も、創価学会のことを擁護しなければならないというお考えなのでしょうか。
ましてやこの方々は、創価学会被害者の方ですから、尚のこと擁護などできるはずもありません。
私についても同様です。完全擁護の立場も、完全批判の立場もとる気はありません。
ただし、被害者の方々の発言権はは大事にします。この方々は、創価学会から多大な人権侵害を受けておられてきたのですから、私は大変お気の毒に思いますし、社会問題として捉え、このような被害が起きないような対策を社会的に講じていくべきだと考えます。

沖浦さんにとっては、池田さんや戸田さんを批判されることは、本当に許せないことだろうと思います。
しかし、創価学会という組織は、沖浦さんが自身が言われるように、その規模は決して小さくはありません。社会的影響力も大きいわけです。
そのような組織の会長ともなければ、もうこれは立派な公人といえるでしょう。
公人ということになれば、社会から如何なる批判を受けても仕方のない存在なわけです。
そしてもっといえば、ここに記された方々は、実際に何らかの被害を被っておられる方々であり、そのことを訴えているわけです。被害を訴える権利はあると思いますし、それを社会的問題として考えなければならないと思いますね。その訴えを妨害されることは、私は本意ではありません。
沖浦さんの投稿がそのような妨害の意図ではないというのであれば、被害者である彼らの声にも耳を傾けて頂きたいものと思います。

685ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/04(火) 03:23
未だにレスをしていない私であり(スイマセン)、それに、あんまり余計な事を言わない方がいいのかもしれませんけど、最近こちらに侵略して来た御仁の書き込みを見ていますと、以前「創価学会をみんなで考えよう」や「創価学会応援隊」に、別々のHNで登場していた人物(今でも複数のHNを使い分けて登場しているという疑惑がある)のそれとソックリだと思えて来るんですよねぇ・・・
何せ、書き込み内容は無論の事、思考法、反論の仕方、行動パターン、文章における表現方法やトーン、等々、本当によく似ていますので。
あのようなバリバリ系の盲信・狂信タイプの創価学会員って、一つには、淋しくて、誰でもいいから相手にしてもらい、自らの欲求を満たしたいという人間が多いんじゃないんでしょうかね?
確かに不愉快な気持ちになって来る非常に迷惑な存在ですが、しかし、考えようによっては、非常に滑稽で哀れな姿として映ってしまいます。
参考までに、下記のものを。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/925/1064748547/
「荒らしの分類学」(「創価学会をみんなで考えよう」より)

686犀角独歩:2003/11/04(火) 06:55

沖浦さん:

> 立場が違うのですから、無理に埋める必要はありません。

別段、埋めようと言う気もありませんが、公開議論の場ですから、疑義があることは質問します。

> 『笑止千万』
> このご発言は私を侮辱しております。
> 謝罪を要求するとともに、今後はこのようなご発言をお慎みになられる事をお約束ください。

あなたが認めたようにあなたはわたしを侮辱見下した。さらに事実と相違して、わたしを池田本仏論者と決めつけて記述を繰り返した。それに対して抗議を籠めた記述です。いまだ、あなたからの謝罪を受けていない段階での発言です。故に、指摘の投稿に就き謝罪をする理由はありません。ただし、あなたが、わたしを池田本仏論と決めつけたことを謝罪撤回するのであれば、該当の発言は反故となります。

> またあなたのご意見は矛盾があります。
> あなたは過去に池田本仏論『蓮祖の再誕』を信じておられた旨告白されておられます。
> これはあなたがご自分のご判断で述べれておリ、発言には責任を持ちになるべきです。

過去に信じていたことを記すことが何故、矛盾になるのでしょうか。
また、ここでいう発言の責任とはなんでしょうか。

> なお、池田本仏論は邪義でしかありません。

「邪義」という言葉が該当するかどうかはわかりませんが、たしかに創価学会内で語られていた喧伝であったでしょう。捏造であり、事実ではあるわけはありません。

> もし池田本仏論が正しいと言われるのであれば、根拠をお示しください。

わたしは一言も「正しい」と言っていません。このような形で、わたしは池田本仏論者であるかのように仕立て上げることはおやめください。

> また、私は戸田本仏論などには無関係の人間です。
> 勝手なレッテルを貼られる事は、非常に迷惑です。

レッテルを貼ったのではなく、蓮祖と戸田さんが同等とあなたが書いたことに対して、それでは戸田さん=日蓮となる、故に「戸田本仏論」なのかと“問うた”だけです。
あなたがわたしは池田本仏論と決めつけて、記述するのとは違い、わたしは質問をしただけです。

> 今後はあなたの思い込みを私に押し付ける事はお辞めください。

押し付けておりません。ただし、この言葉はあなたにお返しします。ここは立場を超えた公開議論の場です。創価学会、戸田さん世界一というあなたの思いを押し付けるのはやめてください。

> あなたのこれらの書き込みはこの掲示板のあり方に明らかに違反しております。

どの書き込みがどのように違反しているのでしょうか。あなたがわたしを差別・侮辱したことに端を発する反論を除き、該当箇所を提示ください。

687沖浦克治:2003/11/04(火) 06:59
 ドプチェク さん
 私は私です。
 沖浦克治は本名です。
 どなたとも間違えられず、また自らの発言に責任を持つため、HNを会えて使用していません。
 ご要望であれば、住所、氏名、年齢、電話番号、メールアドレス等を公開いたします。
 私は蓮祖門下の末席をしめる人間として、この掲示板にても背水の陣で望みたいと思っています。
 私はバリバリ系の創価学会員ではありません。
 そのようなお方は、この掲示板には登場されないと思います。
 私は只の、末端の中の末端会員にすぎません。
 また私の書き込みをお読みになれば、主張が終始一貫していることがご理解できると思います。
 私に対する疑問がおありでしたら、掲示板に直接お書き込みくださいませ。
 揶揄を伴わない真面目なご質問には、誠意を持ってお答えいたします。

688Leo:2003/11/04(火) 07:28
ドプチェクさん、おはようございます。

>未だにレスをしていない私であり(スイマセン)、それに、あんまり余計な事を言わない方がいいのかもしれませんけど、
>最近こちらに侵略して来た御仁の書き込みを見ていますと、以前「創価学会をみんなで考えよう」や「創価学会応援隊」に、
>別々のHNで登場していた人物(今でも複数のHNを使い分けて登場しているという疑惑がある)のそれとソックリだと
>思えて来るんですよねぇ・・・
>何せ、書き込み内容は無論の事、思考法、反論の仕方、行動パターン、文章における表現方法やトーン、等々、
>本当によく似ていますので。

それは、「創価学会をみんなで考えよう」の某○会員さんかと思います。それらが同一人物だとすると、元自衛官で、
会社社長、ミュージシャンということになってしまいます(そのようなことまともに捉えても仕方がないですが...)。
私は「創価学会をみんなで考えよう」の某○会員さんの書き込みを見てそこに参加しました。
こちらの掲示板も某Oさんの書き込みを見て再参加しました。学会があれほど問題を抱えているのに、批判に対して
言い訳(と粉飾)しようとする姿勢がほうっておけないと思いました。仮に、同一人物だとすると氏は「学会内で批判的な
人物がいるのだから掲示板でなりすましが許される」「病院内で医者が携帯電話(PHS?)使っているから学会も迷惑かけてもいい」
という発言があり、そのようなモラル欠如も到底許せません。
私は最近学会バリバリ系の書き込みは無視して研鑚にはげむという考えですが、皆で情報を持ち寄り言うべきことは
言った方がいいのかもしれません。

>あのようなバリバリ系の盲信・狂信タイプの創価学会員って、一つには、淋しくて、誰でもいいから相手にしてもらい、
>自らの欲求を満たしたいという人間が多いんじゃないんでしょうかね?

それらの人が現場で浮いているのか、芸術部で特別待遇を受けているかは知りませんが、学会のことは学会内でしか通用
しないということ位はわかって欲しいと思いました。

689犀角独歩:2003/11/04(火) 07:39

アネモネさん:
皆さん:

「創価学会の功罪を考える」、皆でこの原点に還って議論をいたしませんか。
ここのところ、「創価学会員の功徳と脱会者の罪過を考える」と言った履き違えが横行しています。

創価学会の功罪と言うとき、これは二つの面…わたしの立場からすれば三つですが…がありますね。

一つめは創価学会内における、組織の会員に対する功績と罪過。
二つめは創価学会の社会に対する功績と罪過。
そして、敢えて三つめを加えればわたし達脱会者からする創価学会の功績と罪過です。

この三つで特にスレッド提案の趣意は、二つめであったと拝察しております。

創価学会の功績、わたしは思いつきませんが、『宗教の自殺』に「既成の宗教によって点火されなかった宗教心に新興宗教が火を着け、人々を巨大な信仰集団の徒にしたことは新興宗教の功績であり、それ以外に救われる術がなかった人々をして、心の安定を得させたことは高く評価されるべきであろう」と記されることは、創価学会にも当て嵌まるところはあるように思えます。しかし、これが対社会的に果たして功績であったかどうかは、一考の余地は十分にあると思います。いわば、その検証のなかに「日蓮本仏論」、あるいはそこから派生したと見られる「会長本仏論」に典型を見るカリスマ信仰を考えることは含まれようかと思います。

わたし自身、創価学会の経験者でありながら、その対社会的な功績というものが思い当たらない。学会員に言わせれば、彼らの言葉で言う広宣流布、平和への貢献というのがそれに当たるらしいのです。しかし、社会一般から見るとき、創価学会が日本の平和、まして、世界平和に貢献しているなどと誰も思っていません。ここに大きなギャップがあります。もし、創価学会が世界平和に貢献している事実があれば、わたしも認識を改めなければならない。もし、このような功績があればその事実を是非ともここに披瀝していただきたいわけです。社会貢献している功績が創価学会にあれば、事実証拠をどんどん、ここに紹介してもらえばよいわけです。

また、社会一般が感じている創価学会の罪過、また脱会者が被害者の立場として感じている創価学会の罪過、この点について、その発言を妨害される所以はありません。創価学会は日本という法治国家下で法律が認める宗教法人です。その監視を国民が行うことは当然の権利です。罪過の指摘があったとき、創価学会は、その実否を会組織として諮り、その是正に努める責任が法律として認められた団体である以上、存するわけです。

強い信念体系に陥る会員が理解できるかどうかは別として、このような罪過を論うことは必ず会員に還元されて利するところともなるでしょう。もちろん、それよりなにより、創価学会の罪過を感じ、迷惑、ひいては被害を感じる人々にとって、その是正は歓迎されるところです。

以上のような観点に立ち返り、創価学会の功績と罪過を再度考えてはどうかと提案します。

わたしは功績は思いつきませんので、功績を知る方にはその事実証拠の提示をお願いします。わたしは創価学会の経験者として忌憚なくその罪過の面を中心に考えてまいりたいと思います。しかし、これは、決して誹謗中傷でもなく、悪口でもありません。厳正な事実を取り上げていくという意味です。

690犀角独歩:2003/11/04(火) 08:22

677 Jルーカスさん:

「顕徳会」というのは、池田さんが会長になったとき、反対してできた
団体のことでしょうか。

691管理者:2003/11/04(火) 09:47

独歩さん
皆さん

「宗教法人創価学会の、社会に対する功績と罪過を考える」
というスレッドを新たに建てましょうか?

692アネモネ:2003/11/04(火) 11:16
管理人さん

私はこのままでいいと思います。
創価学会は、広宣流布と世界平和を目指して政界にまで進出している教団です。ひとこと「創価学会の功績」といったときに、わざわざ「社会的」という文言を入れなくても、その視野に立って論じることは当然のことです。
自民党の功罪といったときに、その功績について個々の自民党員の利益が語られるわけがないのと同じです。
本来、宗教とは社会公共性に貢献すべき存在でもあるからです。
それにも関わらず、社会的という文言を入れなければ、社会的視野という認識がもてないことは、これは問題外だと思います。
そのこと自体、自分の組織を社会的に客観視できない弊害が生じているという、罪過を考えさせられるところでもあります。

ですから、私は敢えて、このままのスレッドで続行して構わないと思います。
ただし、ここは荒れやすいことが予想されますので、言葉の定義をしっかり踏まえ、さらに掲示板の趣旨を再認識して頂きたいと思います。理解できない方の投稿は管理人さんの権限で見合わせて頂きたいと思います。
私からの意見を参考までに書きますと、沖浦さんに関しては、下記のルールへの理解が得られていないように思いますので、参加についてご審議いただきたいと思います。

1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。  

これまでのレスのやりとりからいって、この点についての理解が全く得られていないと思われます。さらに、

①感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。 
②掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。
この点につきましても、創価学会批判をする人に対する感情的な個人攻撃と暴言ともとれる発言が今も続いております。
これでは、沖浦さんからの個人攻撃を恐れて、学会批判や学会被害に関する投稿を控える方も出でくることが懸念されますし、それではせっかく築き上げてきた掲示板のスタンスが崩れ、有意義な議論の妨げともなるものではないかと、私は大変懸念しております。
議論や対話も全く拒否しておられる点からも、掲示板の趣旨の理解が得られているとは思われません。
他にも創価学会の方も参加されておられますが、ご自分の組織に対する批判投稿に対し感情的に暴言を吐くような行為はされず、良識ある投稿姿勢で、相互理解の場の秩序を守って参加されておられます。
如何なる組織に所属していようとも、そのことで参加が妨げられるものではありませんが、この点につきまして、今一度、ご審議頂きたいものと思っております。

693三学無縁:2003/11/04(火) 12:19
このスレッドの趣旨は「考える」であって、「宣伝」「折伏」を目的とする
発言がルールに抵触するものであることは自明の理ですね。
そのような主張を繰り返すのなら、レスを返す必要はないと思われます。
こちらのサイトの趣旨も理解しようとせず、過去ログを読んでからの参加とも
思えないようなコンビニな書き込みや、一方的な思い込みからは、なんら実り
ある議論はできないことでしょう。
一部の学会広宣部関係者に、よく見受けられる態度ですね。
私としては、こちらのサイトで「唐人の寝言」に煩わされる事は願い下げです。

追伸>アネモネ様
先日は、どうもありがとうございました。
懲りずに、また、よろしくお願いします。

694アネモネ:2003/11/04(火) 12:34
新しいスレッドが立つことになれば、そちらにレスを移して頂いても構いませんので、すみませんが、議論を進めたくこのまま投稿をさせて頂きます。

犀角独歩さん

ここのところのこのスレッドのやりとりを通して、かつて、独歩さんと意見が対立していたことを思い出したりしました。
私は、前回のレスにも書いたとおり、直接的体験としての創価学会を知りません。そのために、私のレスは参加当初から、ご承知の通り、法華講信徒の立場としての宗門批判というものが大半でした。そのことについて、独歩さんはかつて私のことを、「宗門批判はするけれども学会批判はされない。不思議な人です」そのようなことを洩らされておられました。忘れもしません。
その後、小さな見解の相違が何度かありました。しかし、最も強烈だったのは、確か、今回独歩さんがレスされた、脱会時における被害についてのレスに対して、私が「実感が持てない」と書いたことだったと思います。
そのときは、正直な気持ちだったのですが、しかし、改めて私がどれだけ冷淡なことを書いたものかと振り返ります。
もっと内面の本音を赤裸々に言えば、創価学会に関わるとそういうことが起きるんだという、沖浦さんの理屈とは別の観点からの「仕方ないのでは」みたいな思いでもあったと思います。
しかし、独歩さんはご自分の意思で創価学会に入ったわけではなかったわけですし、たとえそうではなくても、どれほど苦しい思いを抱えて脱会に至ったかということに心が至らない私自身が、相手を思いやる気持ちに欠けていたものだったと、つくづく反省しました。

しかし、かつての私の感覚とは、実は世間一般の創価学会に対する冷めた見方そのものではないかとも思われます。
ただしかしそのようなことを表立って口にすれば、組織ぐるみで抗議されて日常が煩わされかねません。結局はアンタッチャブルで口を閉じ、敬して遠ざけるしかないわけです。
非情に腫れ物を触るような感覚を覚えます。

そして曲がりなりにも、日蓮正宗に関わった今の私は、世間一般よりははるかに創価学会に近いところに位置し、既に当事者の域でこの問題を考えなければならないところにいると思っています。

その後、独歩さんと、あのときの摩擦についてはお互いに何も触れず、謝罪がどうのということもなく、何ごともなかったように、こうして掲示板で議論や対話を続けてきましたが、実はこの度、あのときのことを振り返りながら、種々考えました。

当時、私はまだ現役の法華講員でしたから、お寺に行くことも多く、行けば必ず創価学会の悪口を聞かされて帰るという日々だったわけです。
私としては仏教の法話を聞きたくて参詣しているというのに、どうしてこうも学会の話ばかり聞かされるのだろうかと、ほとほとうんざりとしていたというわけです。そのような気持ちが強いばかりに、いわば別の意味での学会アレルギーに陥り、掲示板での被害の訴えに、耳を傾けられなかったものと思われます。それだけ、いろんな意味で創価学会の存在が人に与える影響は大きいものだと思いましたし、私もその渦中に入ってしまいました。

695アネモネ:2003/11/04(火) 12:38
(つづき)
しかし、こうして月日を経て、改めてこの場でレスを流れを見ていくと、実際に犯罪行為としての嫌がらせや恫喝が、被害の事実として証言されているというのに、当の学会員の方の中には、平然と聞き流すばかりか、むしろ当然の報いなどと言い、そんなことよりも自分にいくらお金が入ってきて、どんな功徳があったかといった自分の話に夢中なわけです。
そのような問題が自分の組織に現実問題としてあるということに、そのことに対して無感覚、無神経なわけですね。
創価学会に関心のない人が、学会被害に無関心であるのとは話が違います。
自分の組織の問題なのに、なぜ問題視しないでいられるのでしょう。このような人間性を培ってしまうのが創価学会というところなのでしょうか。
犯罪行為にまでエスカレートする組織の問題を本当に改善できるのは、組織内の人でしかないわけです。社会的存在からいっても、しっかりと重要視してほしいものです。詭弁を通して、問題をうやむやにしてほしくはないものです。
私は、法華講にいて、自分の組織の問題には黙ってはいられませんでした。だからこそ、この掲示板に参加したものです。

なぜ、自分の組織の問題に目を向けられないのでしょう。犯罪行為にまでエスカレートした嫌がらせや恫喝が現実的に起きているというのに、それでも被害を受ける人が悪いという理屈を立て、自分の思いばかりを通すことに余念がない。そこまで自己中心的な人格が築かれるその根本的な原因は何なのだろうか、そのような考え方は、本当に日蓮の仏法の中から生まれたものなのだろうか、法華経の精神からくるものなのだろうか…私はこの点を知りたいと思います。

ふと思うのですが、創価学会が設立当初、牧口氏が「価値の創造」の、「美・利・善」と定めたわけですが、これは日蓮仏法や法華経の精神から生み出されたものではなくて、牧口氏個人の思想観から示されたものではないかと思うのですが、どうなのでしょう。そもそもここに創価学会の今日の問題の根本があるのではないかと推測するのですが、その点、如何お考えになりますか?

696アネモネ:2003/11/04(火) 12:42
三学無縁 さん

お声がけありがとうございます。
実りある議論、期待しております。

697管理者:2003/11/04(火) 13:16

当掲示板の禁止事項を追加いたしました。宜しくお願いいたします(2003.11.4)。

【禁止事項】

当掲示板において主張された内容に関して、挙証義務を果たされない場合は、該当する表現、発言を含むレス全体を削除し、その方の、当掲示板への投稿をお断りすることになりますので、予め、御承知置き下さい。

698Jルーカス:2003/11/04(火) 13:32
690 犀角独歩さん:

>「顕徳会」というのは、池田さんが会長になったとき、反対してできた
>団体のことでしょうか。

顕徳会は、戸田会長時代に戸田氏へ反発した方が作った団体です。
この辺は、情報通の三学無縁さんに補筆を願いたいのですが、とにかくかなりの
勢いで創価学会を脱会させ、折伏も進めていたようです。
学会側の寺院への嫌がらせがすさまじく、御本尊下付も妨害されるため、進退窮まって、中野歓喜寮の堀米御尊師(後の日淳上人)が引き取りましたが、その後帰属したものへの、引き抜き、嫌がらせ等に屈して自然解散になってしまったそうです。
このときも戸田氏は徹底的に「法主の権威を盾」にして、顕徳会を攻撃しました。

699犀角独歩:2003/11/04(火) 13:35

管理者さん:

691のご提案、有り難うございます。
個人的には「賛成」の気分だったのですが、当スレッドのご提案者アネモネさんが、「このままでいい」とご意見を述べられ、また、692に記されるところは一々にもっともと賛同しました。ですから、わたしも当スレッドで続行に一票とさせていただきます。

700管理者:2003/11/04(火) 13:43

犀角独歩さん

了解いたしました。それでは、当スレッド続行ということで宜しくお願いいたします。

ご参加の皆さん

新たに、管理者の判断により、当掲示板の禁止事項を追加しました。少し窮屈になるかと思いますが、宜しくお願いいたします。

701犀角独歩:2003/11/04(火) 14:22

管理者さん:
アネモネさん:

それでは、従来どおり、よろしくお願い申し上げます。

702犀角独歩:2003/11/04(火) 14:27

698 Jルーカスさん:

有り難うございました。
そうですか、戸田さんの時代からでしたか。
実は我が家の近くにこの会の人がおりました。
その家の前を通るたびに、母が「ここはけんとく会で先生にさからってやめたんだ」と言っていたのを覚えていました。40年も前の話です。

703ジャンノレン:2003/11/04(火) 16:03

独歩さんの幼少の頃のお話にびっくりしました・・・。

>その家の前を通るたびに、母が「ここはけんとく会で先生にさからってやめたんだ」と言って
いたのを覚えていました。40年も前の話です。

へえ〜(500へぇ)こういう話、あるんですね。法悟空の人間革命にも反逆者の記述や戸田氏の講演テープにも
「この戸田に逆らってやれるものならやってみろ(主意)」と仏意仏勅を強調する剣幕の言葉があったように思いますが、とにかく
当時はやり方に反逆したり、離合集散は常だったみたいですね。白蓮院にいた元教育学会の時代の理事、野島氏は結構、おやりにな
っていたみたいで、学会員をかなり脱会させていたみたいです。後に通牒というのが出てきますが、稲葉氏の息子さんが蔵に有った
物を出してきたそうです。

704犀角独歩:2003/11/04(火) 16:50

ジャンノレンさん:

> びっくりしました

そうですか。こんな話はもう語り出せば、二晩でも三晩でも、と言ったところです。

母の口癖、「やめた人となんか、口を聞いちゃいけないよ。先生を裏切った、恩知らずの悪人だからね」。わたしも脱会者を無視し、憎んだ一人だったんですよ。

昭和52年路線の折、脱会した人がいました。以来、町で会えば、睨み付けていました。
脱会後、その過ちに気付きました。図書館に行ったとき、10年振りにその人と会ったのです。わたしに気付いていたと思います。顔を背けて、こちらを見ようとしません。近寄っていくとぐっと歯を食いしばり、下を向きました。

「○○さん、わたしのことを覚えていますよね。その節はご無礼の数々、本当に申し訳ありませんでした。お陰様でわたしもやめられました」

そう、言いながら、笑いかけたのです。すると、それまで、強ばっていた表情は途端にほころび、わたしの手を取り、踊らんばかりの喜んでくれたのです。
「おお、そう!そうなのか。よかったねぇ」

今でも、わたしの大切な知人の一人です。

学校と途中でやめた人を憎むことはないし無視することもない。事情があって、退職した仲間を裏切り者と呼ぶこともないですね。それなのに、創価学会では脱会者を蔑み、攻撃し、無視しなければならないのか、ここに巨大組織の暗部が眠っているのはたしかであると思うわけです。

まあ、私的な話です。でも、実話です。
挙証が義務づけられました。これくらいにしておきますね。
議論の対象の話ではありません。思い出話でした。

705犀角独歩:2003/11/04(火) 17:58

694〜695 アネモネさん:

> かつて、独歩さんと意見が対立していたことを思い出したりしました。

よく、意見がぶつかり合ったものでしたね。今では、好い思い出ですが、いつまた、ぶつかり合うかわかりませんよ(笑)
ただ、どんなに意見がぶつかろうと、互いの人間性という部分で尊重しあう心があれば、一生合わない意見があろうと、こうした掲示板上でも人間関係の継続は可能ですね。

誰と言うことはできませんが、当板で激しいやり合いをしたあとで会い、「この前の掲示板の突っ込みよかったでしょう」なんて、意見の違いを超えて和気藹々と酒を酌み交わす人もいます(笑)
反面、議論を通じて人間関係にまで響く根底には必ず人格攻撃・人間性批判という別の側面が潜んでいます。この点が、実は掲示板マナーの根幹をなす部分なのではないかと思っています。

> 独歩…脱会時…被害…レスに対して、私が「実感が持てない」と…どれだけ冷淡なことを書いたものかと振り返ります。

いやいや、そんな。冷淡などということはありません。
痛みというのは経験したものでなければ実感できないのは当然ですもの。

> 創価学会に関わると…「仕方ないのでは」

そうですね。わたしは脱会後、「折伏」した相手には出来る限り、謝罪に行きました。
大概の反応は「ほれ、見たことか」と言ったところです。

> 私自身が、相手を思いやる気持ちに欠けていた…反省

このように記していただけるだけで、救われるものがあります。
脱会後、わたしは、元創価学会であったことを消し去るようには生きてきませんでした。ですから、その反撃で緊張した毎日を送ってきました。
その中で、極寒に暖を取った思いです。有り難うございます。

> 敬して遠ざける…非情に腫れ物を触るような感覚を覚えます。

そうでしょうね。このような一般的な見解を記していただくことは大変に重要なことです。この点はわたしも記したことがあります。

「布教に止まらず、、政治支援を呼びかける。周りの一般社会の友人は少なからず眉をひそめている。口を開けば、宗教・政治のことばかりとなれば、人に嫌がられるのも無理はない。しかし、本人は自分が批判的に見られているなどと思っていない。それどころか、「選ばれた人間である」とヒロイズムに酔いしれているのが実態だ。「自分は使命を担ってこの世に生まれた。その使命を果たすのだ」となる。一般の人は、その相手をするわけであるから、新興宗教特有の過激な攻撃をかわすためにお愛想で口を聞かざるを得ない。
 なかには真剣に議論に応じ、断固、その非を説く人もあるが、多くは「触らぬ神に祟りなし」と決め込むのは致し方のない防御策であると言えよう。つまり、周りは火の粉が罹らない一定の距離を置かざるを得ないわけである。すると会員は本気で口を聞いてくれるのは組織の人間だけになって、世間はますます狭くなる。すると、会員にとって、その会だけが頼りになる。会に居続ける限り安堵感を味わえる。しかし、それには極めつけの限定条件がある。「先生」や組織をしてはならないということである」(『あなたは違う方向に歩いている』)

706犀角独歩:2003/11/04(火) 17:59

―705からつづく―

> 実際に犯罪行為としての嫌がらせや恫喝が、被害の事実として証言されているというのに、当の学会員の方の中には、平然と聞き流すばかりか、むしろ当然の報いなどと言い、そんなことよりも自分にいくらお金が入ってきて、どんな功徳があったかといった自分の話に夢中なわけです。

まったくですね。脱会、あるいは批判の制裁を加えられるのは「自業自得」とは恐れ入りました。
健全な組織体であれば、いわゆる「苦情処理」に余念がありません。
我が家で使っている居宅介護会社の社員名刺には、赤字で「社長室苦情処理受付」のフリーダイヤルの番号が印刷されています。この前、大型営業車に自動車にぶつけられたのですが、営業所には自己係が常駐しており、当然、保険加入で万全を期していました。
対社会と向かい合うとはこのようなことです。ところが「批判を許さない」「自分たちは絶対に正しい」と主張する集団では、被害を訴えたり、クレームを挙げることは、「言うほうが悪い」という形で門前払いをします。さらに門前払いどころか、批判を封じ込め弾圧し、被害者である当事者をあたかも加害者のように取り扱い、自分たちのほうが加害者面を決め込んでしまいます。

> そのような問題が自分の組織に現実問題としてあるということに、そのことに対して無感覚、無神経なわけですね。

その実例をここのところ見てきたので、よく実証されましたね。

> 自分の組織の問題なのに、なぜ問題視しないでいられるのでしょう。このような人間性を培ってしまうのが創価学会というところなのでしょうか。

この部分は追々検証していきたいですね。日本社会の大問題です。

ファンダメンタリズムという側面をわたしはずっと問題にしてきました。カリスマ信仰も問題にしてきました。そして、なにより、集団という組織が信仰にカテゴライズされる危険も訴えてきたのもそのためです。

> 犯罪行為にまでエスカレートする組織の問題を本当に改善できるのは、組織内の人でしかないわけです。社会的存在からいっても、しっかりと重要視してほしいものです。詭弁を通して、問題をうやむやにしてほしくはないものです。

まったく同感です。

> 私は、法華講にいて、自分の組織の問題には黙ってはいられませんでした。だからこそ、この掲示板に参加したものです。

そう、ここでした、当板の最も重要な特徴です。
管理人さんの重視される点であろうかと思います。

自分の所属する団体であるからこそ、自分が信仰するものであるからこそ、あるいは自分が語るものであればこそ、その責任を自ら追及すると言うことですね。
管理人さんのスタンスも、そこにあるからこそ、当板は有意義なのであると思います。

707犀角独歩:2003/11/04(火) 18:00

―706からつづく―

> なぜ、自分の組織の問題に目を向けられないのでしょう。

ここまで、掘り下げると、もはや破壊的カルト・マインド・コントロール理論で考えるしかないと、わたしには思えます。
「自分たちが正しい」「理解でいない人間が悪い」こうなっています。
善悪二極思考、フロムが権威主義的パーソナリティと言ったステレオ・タイプの価値判断で「善は自分たちに」「悪を他に」と考えられるように心理プログラムが植え付けられていると見えます。ここで力を発揮するのはファンダメンタリズムということでしょう。これが単一国家である日本の中で信・不信で人を差別する“シオニズム”を形成しているとわたしは見ています。

> 犯罪行為にまでエスカレート…嫌がらせや恫喝が現実的に起きている…それでも被害を受ける人が悪いという理屈…自分の思いばかりを通すことに余念がない…自己中心的な人格が築かれるその根本的な原因…

この点は熟考する必要がありますね。

> そのような考え方は、本当に日蓮の仏法の中から生まれたものなのだろうか、法華経の精神からくるものなのだろうか…私はこの点を知りたいと思います。

ええ、是非とも検証しましょう。
敬愛する日蓮、仰ぐ法華経の、敢えてタブーの垣根を越えること、そこに見える真実があるはずです。

> …牧口氏が「価値の創造」…「美・利・善」…日蓮仏法や法華経の精神から生み出されたものではなくて、牧口氏個人の思想観から示されたもの

ええ、まったくそのとおりでしょう。
「創価」とは価値創造、創造価値で創価です。もちろんのこと、蓮祖とも、法華経とも何の関係もありません。創価教育学会は元は教育者の会でした。

> 創価学会の今日の問題の根本があるのではないかと推測するのですが、その点、如何お考えになりますか?

この点については、皆さんのご意見も伺いたいと思いますが、わたしは個人的には、概ねアネモネさんと同様に感じます。

第一仏法には、そもそも「創造」という概念それ自体がないでしょう。この点を純師が「創価」という名称に意義を述べ立てたのは夙に有名な出来事でした。つまり、創価教育学説を蓮師教学で考えようとした瞬間から躓いていたとわたしは思います。そして、戦後、さらに生命論で潤色されます。これはもはや、蓮師の素意とはまるで別のものであって、名を蓮師に籍りながら、実際は牧口価値創造論と、戸田生命論を混ぜてしまったものでした。この創価論・生命論を蓮師に懸けてその責を追及することは、よほど酷なことであるとわたしには思えます。このスレッドのテーマで言えば、純粋な蓮師教学に自分達の考えを混ぜた点を罪過と数えるべきであると思うものです。

708背景探求123:2003/11/05(水) 23:09
 サスガに深い洞察です。 これでヤット「思い起こすこと無く脱会できます」「数々の御議論はとても示唆に富み、有意義でございました」、。 新たなる「本当の日蓮仏法は???」に向けて、前向きに精進する覚悟と意欲に燃えて居ます。有り難う御座いました。

709沖浦克治:2003/11/05(水) 23:36
 私にとって、創価学会とは大恩人の集団です。
 私の家族や、私の周りの多くの人間や家族達に、勇気と希望を与えつづけ、今日のこの人たちに大成功の人生をもたらした素晴らしい集団です。
 私の知る限り創価学会の存在意義は、この人々にとって何にもかえがたいものです。
 はこの人達にとっては、暖かさ、きびしさ、包容力、指導力の全てを備えた創価学会は、人生のオアシスです。
 私や、私の周りの人たちは、創価学会員である事が心の底から幸福である、と思いながら人生を送っております。
 この行為は、充分に社会に貢献をしていると思います。
 無論のこと、そう思わない自由も存在いたします。

711MILD SEVEN:2003/11/06(木) 02:24

<バベル>

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
でも、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。

今の段階では・・・。

池田氏と、取り込まれた優秀な?側近連中のコンビネーション・パターンは、基本的にはオウムと同様のパターン。
光の子とは異質の力。
しかも、一般社会にカルト洗脳を感じさせない?新種のカルト・・・。
カルトは原点へと・・・!?
時代の限界までの時は・・・?
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

712沖浦克治:2003/11/06(木) 06:27
管理人さん
 『失礼、沖浦さん、、あなたのような思いこみには本当に恐ろしい洗脳の怖さ、と自ら現実を判断するという思考停止のような、驚くべき情けなさ、を実感します。 』
 以上のレスは、私を洗脳された思考停止の人間であり、情けない人間です、と断定しています。
 
 私はかって駄目な人、との発言を貴殿から注意を受け、謝罪とともに取り消したことがあります。
 発言者が、たとえ挙証がか可能であっても、この発言はいあかの掲示板規則にあきらか二違反しております。
 
 【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

 禁止事項に基づき、この発言の取り消しと謝罪を要求いたします。

713管理者:2003/11/06(木) 06:36

背景探求123さん

あなたの、710レス『失礼、沖浦さん、、あなたのような思いこみには本当に恐ろしい洗脳の怖さ、と自ら現実を判断するという思考停止のような、驚くべき情けなさ、を実感します。』は、当掲示板の以下の禁止事項に抵触しますので、申し訳有りませんが、削除致します。当掲示板のルールに御留意戴き、御投稿くださるようお願い致します。

 【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

714犀角独歩:2003/11/06(木) 11:57

背景探求123さん:

708のご投稿が、誰のどの部分に充てられたものであるか、正確にはわかりませんが、

> 「思い起こすこと無く脱会できます」…「本当の日蓮仏法は???」に向けて、前向きに精進する覚悟と意欲…

という点に就き、「脱会」の決意に喝采を送らせていただくとともに、今後のご精進を期待申し上げるものです。

715沖浦克治:2003/11/06(木) 20:20
 私は脱会をする方を止めません。
 同様に、脱会から創価学会に帰参する方は歓迎いたします。
 但し、脱会者にこちらから働きかけは一切致しません。
 帰ってこいとは思わないのです。 
 自らのご意志で帰参をされる方は、勇敢だと思います。
 以前、他の掲示板で私と鳴瀬剣山さんは対立をしておりました。
 しかし、鳴瀬さんは創価学会に帰参を決意され、その旨を書きこまれた所、私に先ず謝罪すべきだ、との書き込みがありました。
 私はその方に、鳴瀬さんに謝罪など要求は致しません、勇気ある帰参のご決意だけで充分満足し感謝していると申しあげ、納得をいただきました。
 私は個人の意志を尊重すべきだと思います。

716沖浦克治:2003/11/06(木) 22:01
 昭和54年頃、生活も安定し創価学会の活動に励んでいるころ、宗門との確執が大きくなったてきました。
 私も悩みましたが、宗門は邪宗であるとの結論に達し、その後は個人的に宗門と縁を切り現在にいたっております。
 宗門と創価学会のいずれに正義があるのか、は理屈ではなく、自らが一流になり社会に実証を示す事で、創価学会の正義なる事を実証しょう、と思い立ちました。
 その後三年間、何を持って一流となるのか、との試行錯誤を繰り返しましたが、昭和57年パワーリフティング競技にめぐり合い、これで必ず世界一になり創価学会の正義なる事をわが身を持って証明しょうと、決意を致しました。
 2000年10月、チェコのウスティーナと言うドイツ国境に近い町にて、世界マスターズパワーリフティング選手権大会が開催をされ、私もナショナルチームのメンバーとして選手でまいりました。
 前年2位に終わっていた私には、決して負けることの出来ない大会であり、この大会で勝たなければ自分には才能がない、と決めての参加でした。
 試合当日、ホテルで勤行を終え唱題をして15分ほどたった時、突然『青年よ世界の指導者たれ』との池田先生のご指導が脳裏にひらめきました。
 それは『ひらめいた』としか言い様のない感覚でした。
 一瞬おくれて、不良で、嫌われ者で、世をすね、家族からも見放されていた入会以前の自分と、こうして今、世界の果てとも思える異国の地で、世界一にならんとしてお題目を上げている自分の姿が、オーバーラップをしたのです。
 なんと言う功徳だろう!なんと言う境涯革命だろう!なんと言う信心のすごさか!と思い至り、後は涙か出てしばらく止まりませんでした。
 創価学会を止めずによかった!との思いと、創価学会に対する感謝の念が沸きあがり、身体は歓喜にふるえました。
 その試合で、私は全種目とトータルの全ての部門で優勝をし、念願であった世界の頂点に、創価学会の信心を保ったリフターとして立つ事が出来たのです。
 18年かかりました。
 もし私が創価学会員で無かったならば、私の今日の歓喜は決してなかったでしょう。
 次の人生も、その次の人生も、創価学会員として生きてまいります。

717無徳:2003/11/06(木) 22:49
沖浦さん

他の掲示板でも申しましたが、パワーリフティングで世界一になられた事はすばら
しい事ですよ、その事を信心の功徳とされるのは良くわかります。

ですから尚更の事、の掲示板に書き込まれるに当たっては世界チャンピオンに相応
しく様々な事を学んで立派な投稿をなさるべきではありませんか?

貴方は他の掲示板でもそうですが、他者に論戦を仕掛けておきながら最後は<烏の
勝手でしょ>といった逃げ口上に終始しているのでは、世界チャンピオンの名が廃
ると言わざるを得ませんでしょう。

718沖浦克治:2003/11/07(金) 01:33
 無徳さん
 私は真面目な問いかけをされれば、真面目にお答えすると言っていますよ。

 240 無徳氏
 『沖浦さんお久しぶりです。まあ!こんな事を言っては大変失礼を承知で申し上げますが、
ここの皆さんは貴男のレベルで論争できるお相手ではありません。またまた、創価学会の恥さらしにもなりかねませんですよ、正信掲示板にてがんばってください。』
247沖浦克治さん  犀角独歩氏
 『まったく面白い。まるで漫才です。何を気色張っているんでしょうか。』
290 MILD SEVEN 氏
『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。残念です。』
316 ダビデの星氏
 『創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。』
298 犀角独歩氏
 『戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。』

 他にも
 『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』

628
 『まったく貴方の論旨は酷いものですよ、ご自分でもよく読み直してみてください。
創価学会の皆さんが貴方のような方ばかりでは無い事は重々承知しています。
 Libraさんのような若くして秀悦な方も居られます。沖浦さんももっともっと学ば
れてから投稿なされたら如何ですか。』

663
 『まるで沖浦克治さんの切り文勝手解釈教学みたいですが、まさか違いますよね。』

664
 『そうですか。あなたはよく「意見」という言葉を使うじゃないですか。
「意見」というのは、あなた自身の「己義」でしょう。あなただけの解釈じゃありませんか。』

688
 『それらの人が現場で浮いているのか、芸術部で特別待遇を受けているかは知りませんが、学会のことは学会内でしか通用
しないということ位はわかって欲しいと思いました。 』

695
 『しかし、こうして月日を経て、改めてこの場でレスを流れを見ていくと、実際に犯罪行為としての嫌がらせや恫喝が、被害の事実として証言されているというのに、当の学会員の方の中には、平然と聞き流すばかりか、むしろ当然の報いなどと言い、そんなことよりも自分にいくらお金が入ってきて、どんな功徳があったかといった自分の話に夢中なわけです。』

719沖浦克治:2003/11/07(金) 01:48
 無徳さん(続きです)

 これらの発言のどこに真面目な議論をする態度がありますか?
 
>ですから尚更の事、の掲示板に書き込まれるに当たっては世界チャンピオンに相応
しく様々な事を学んで立派な投稿をなさるべきではありませんか?

 世界チャンピオンに相応しい評価を得る為に、絶対条件として学ぶべき事と、それを学ばなければ世界チャンピオンに相応しくないと断定される理由を具体的にあげ、このご意見の正しい事を証明してください。

>貴方は他の掲示板でもそうですが、他者に論戦を仕掛けておきながら最後は<烏の
勝手でしょ>といった逃げ口上に終始しているのでは、世界チャンピオンの名が廃
ると言わざるを得ませんでしょう。

 別に逃げたりしていませんが、それはさておき、『からすの勝手でしょ』との表現は私を侮辱しています。
 今後はこのような表現はおやめください。
 他人との論争を避けると世界チャンピオンのながすたる、と言う根拠を私の所属するパワーリフティング競技との関連を具体的に上げて、説明してください。

721沖浦克治:2003/11/07(金) 02:04
 皆様方に
 過去のいきさつはどうあれ、今後は揶揄を含まない真面目なご質問には誠意を持ってお答えいたします。
 但し(苦笑)(爆笑)等の議論とは関係の無い感情表現がある場合は揶揄とみなします。
 当方もこの種の表現は使用いたしません。
 賛同される方からのご質問をお待ちいたします。

723愚鈍凡夫:2003/11/07(金) 06:21

「ご法主猊下だけが、御本尊様をしたためることができる仏様なのです」(質問会集)
との発言や、
「御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。これが唯一の学会精神であります」(会長講演集 第4巻)

との発言が絵空事に聞こえる昨今ですなぁ〜ってかぁ。
もうじき衆院選ですが、こんなこともいってましたなぁ〜。

「創価学会は衆議院には出ません。なぜならば、あくまでも宗教団体ですから。
政治団体ではありません。参議院の方は、これはあくまでもあらゆる団体の代表が出て、衆議院のほうから回った、いろいろな法案というものを、厳正中立の立場で『これはよし、これはいかん』というふうに審議する立場ですから、これはかまわないわけです。各団体が出るところですから。」(会長講演集 第1巻)

今の創価学会とは違う別の宗教団体かと思った。やっぱ、創価学会って変だね。

724沖浦克治:2003/11/07(金) 07:11
 愚鈍凡夫さん
  723は私に対するご質問でしょうか?

725MILD SEVEN:2003/11/07(金) 07:18

(バベル)

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
でも、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

池田氏と、取り込まれた優秀な?側近連中のコンビネーション・パターンは、基本的にはオウムと同様のパターン。
光の子とは異質の力。
しかも、一般社会にカルト洗脳を感じさせない?新種のカルト・・・。
カルトは原点へ・・・!?

正統派も原点へ返りましょう。
時代の限界までの時は・・・?

726MILD SEVEN:2003/11/07(金) 07:19

(バベル)

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
でも、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

池田氏と、取り込まれた優秀な?側近連中のコンビネーション・パターンは、基本的にはオウムと同様のパターン。
光の子とは異質の力。
しかも、一般社会にカルト洗脳を感じさせない?新種のカルト・・・。
カルトは原点へ・・・!?

正統派も原点へ返りましょう。
時代の限界までの時は・・・?

727愚鈍凡夫:2003/11/07(金) 07:20
>>724:沖浦克治さん

せっかくお声をかけて頂きましたが、
小生のレスの何処があなたへの質問になってますか?

728犀角独歩:2003/11/07(金) 09:40

愚鈍凡夫さん:

723のように、公式発表が180度変わってしまうことを、ここスレッドの「創価学会の功罪を考える」重要なテーマのひとつであると思います。戸田さんの国教化(王仏冥合/政教一致)・国立戒壇構想は、池田さんの段階で政教分離、民衆立へと180度、方向転換しました。昭和45年には言論問題、昭和52年度路線、そして、宗門からの破門/学会の独立は平成3年でしたか。

集団が方針/方向を変えるのはしばし見られる現象ですが、創価学会の度重なる方向転換をどう考えるべきか、これ自体は集団の自治権に問題です。ただ国法に基づいて宗教法人の認可を受ける以上、その運営は国法の範疇を超えるものであってはならないわけですね。それを踏まえるとき、王仏冥合から政教分離、国立戒壇から民衆立、言論妨害からその反省というスライドは、むしろ一般社会の親和性を高める方向転換であったと思えるわけです。社会から見れば、これは歓迎されるところであったろうと思えます。

ただ、ここで問題になるのは、顕正会が指摘するように、この改変が「蓮師の遺志と異なるもの」ではないのかという指摘となります。「創価学会の教学は果たして日蓮教学といえるかどうか」、ここのスレッド的に言えば、創価学会の教学解釈は蓮師教学を改変した罪科はないのか?ということになります。わたしはこの点においては大いに疑問があります。ただし、従来、石山で伝えられてきた教学は寛師で完成を見た日本仏論/板漫荼羅信仰であったわけですね。これが蓮師の素意かどうか、このことを当板では実に真剣に論じ合ってきました。いまはこの是非をここで論じません。ただし、「蓮祖直結」というのであれば、寛師教学によらず蓮師本人の教学観/本尊観に拠るべきではないのかというが率直な感想です。

それは置き、少なくとも後者の板漫荼羅信仰については、創価学会は解釈を変える方向にあります。今後、創価学会がどのような漫荼羅本尊観に持っていこうとしているのか、わたしはこの点を注目しています。いずれにしても、板漫荼羅安置の正本堂(国立>民衆立戒壇)を莫大な金を集めて建立した熱意は過去のものとなったことだけは事実です。当初は板漫荼羅信仰であった。しかし学会新会則を見れば「三大秘法の大御本尊」と変わっています。

今後の方向性は、ここにおける現役創価学会員の発言、たとえばLibraさんなどを通じて見る限り、記号論的とも言うべき漫荼羅観に変遷していると思えます。つまり、書かれている相貌によって本尊たり得るというような解釈です。ただ、これまた暫定的な経過途上であると思えます。

729犀角独歩:2003/11/07(金) 09:41

―728からつづく―

前後しますが、本仏論については、先頃、いわゆる凡夫本仏論というのでしょうか、松戸さん辺りがそんなことを言い出した。たしかドブチェックさんは高く評価された点です。これを学会外では創価学会の本仏論の解釈変更の兆しと見たのですが、講説者本人は学会から疎んじられたとLeoさんが教えてくれました。松戸さんが疎んじられた理由は池田さんにとって、凡夫本仏論は会長本仏論に変わる池田崇拝の基礎理論であるべきなのに、それが凡夫(=民衆)レベルに普遍化されすぎたためではないのかとわたしは見ます。

ともかく、凡本迹仏的な発想は、蓮師真跡にはまったく見られません、けれど、偽書濃厚の各御書では見られるところでした。これらは『秘密荘厳論』に典型を見る「一念三千=自受用身=出尊形仏」でそれがさらに「示同凡夫」論へと展開を見ますね。これを蓮師に契当して「日蓮本尊」を言ったのは有師でした。しかし有師の発想は蓮師を本仏と見るのではなく、末法今時の本尊とみることでしたので本仏論とは違っていました。しかし、程なく「日蓮本仏論」の濫觴と変わっていきます。実はこの時点で既に凡夫本仏論はあったとわたしは思えます。この場合、日蓮本仏は派祖本仏という興師崇拝の強調へと転化されることになります。これは嫡々相承から持住本仏論(歴代崇敬)を言う中世カリスマ信仰と見ます。これは石山一山の問題ではなく、中世以降の日本仏教の特性を反映したと見るほうが至当ではあると思えます。いわば、日蓮本仏論というのは派祖興師を継いで持住絶対をいう基礎理論となっている点は看過できないわけです。

しかし、たぶん、ここの掲示板などで真面目に考えてきた人、たとえば無徳さん(先の暫定スレッドでは失礼しました)などは、そのような派祖本仏・持住本仏論としてではなく、釈尊脱仏に変わる日蓮本仏という純粋な仏教崇拝の観点から言われるのでしょう。しかし、学会で言う日蓮本仏論は、これに指導者・集団・信仰者崇拝としての基礎理論である点で異なっています。

やや、説明が諄くなりましたが、では、従来、創価学会は、持住本仏の変形としての会長本仏という極端な逸脱を経、未だに池田崇拝というカリスマ信仰を残しながらも、先に挙げた「凡本迹仏」的な解釈へ変遷し、民衆仏法を標榜が始まっています。さて、ここでも、蓮祖直結というのであれば、蓮祖の教学を採るべきとは思えますが、実際は真偽未決書で展開される凡夫本仏論を基礎とするわけです。この変遷を功績と見るか、罪科と見るか、わたしは、やや冷静に考え始めています。

730アネモネ:2003/11/07(金) 11:01
横レス失礼します。
>717で無徳さんが感じられているのと同じ感覚を、私も覚えます。
個人的にいえば、沖浦さんが努力をされて、名誉ある栄光を勝ち取られたことは、さぞかし誇らしかったことだろうと、心より賛嘆したいと思います。その言動力が、間違いなく創価学会の信心であったということも、まったく理解できます。

しかし、それが創価学会の正義の証明になるというものなのかなあ?という素朴な疑問は否めませんね。
ましてや、そのことが宗門が邪宗であるということの、何の証明になっているのというのでしょう。もしも沖浦さんにとって、こういうことが根拠や証明だと考えていらっしゃるとすれば、またそれが創価学会の宗教観なり価値観なりであるならば、そこが功罪として考えるべきところではないかと思います。
まあ、日蓮さんがいうところの、現証というものを意識されてのことなのでしょうけれども、となると、一流と呼ばれる人々は、この宗派以外の中にもたくさんいらっしゃるわけですね。シドニーオリンピックで金メダルをとったマラソンの高橋尚子さんは、他宗である真言宗で優勝祈願の祈祷をしてもらい、そのお守りを身につけて見事一位を勝ち取ったということでした。そうすると、あの金メダルは真言宗の正義が証明されたということなります。

私は、宗教の一流というのはそういうことではないと思います。
スポーツ振興を通して、世界各国との交流を深め平和を訴える、そういう意義がないとはいえないでしょう。しかし、そこでの勝負が、宗門が邪宗であることを証明せんがためのものであるというのであるならば、純粋なスポーツマンシップの精神からいえば、まさに邪な心とも解されるものではないでしょうか。これは、決して侮辱ではありません。価値観の問題です。私にはそのように思えるのです。
ただし、そのようなことが勝利への原動力となったということは、理解できます。

しかし沖浦さんが書かれているような価値観が、本当に創価学会の標榜する日蓮仏法の思想性や精神性であるというならば、宗教的精神性の意味合いからいって、私は疑義を感じます。

何を持って一流となるのか…これは、各分野で様々な尺度があることと思います。しかし、少なくとも、宗教観における一流というものは、地位や名誉や名声といったこと、いわゆる名聞・名利とは全く対極的にあるところの価値観ではないかと、私なんかは思いますね。
そこが、根本的に創価学会の定める価値観とは違うところなのではないだろうかと思われます。
結局、沖浦さんと議論が成り立たない根本はは、いつも価値観の相違という問題に尽きていくようです。あなたはあなた、私は私とは、個々においてはそれでいいかもしれませんが、宗教組織の価値観がいかなるものかということになると、社会的観点からいって、それではすまないでしょう。
創価学会が、どういったことに価値を創造し見い出しているのか、その根本的なところにおける問題があり、独歩さんへのレスにも書きましたが、そもそもそこが仏教精神から醸造された価値といえるものなのかどうか、そこに根本的な大きな問題があると思います。

731愚鈍凡夫:2003/11/07(金) 12:45
犀角独歩さんへ、小生の愚考を少々。

「凡夫本仏論」が新たな差別を生まないか、危惧を抱いています。
理由は、「凡夫本仏論」が果たして異教徒を含む全人類を指しているのか、それとも創価学会員のみに限ってのことなのか、本音が分からないからです。
最悪の場合、異教徒を一闡提と定義し、堕地獄の因と決め付け、魔女狩りのような迫害を加える論拠になるのではないでしょうか。
また、学会員総意の基と言う理由で、日蓮仏法を完全に駆逐することも考えられます。「凡夫」が本仏であるなら、日蓮迹仏・凡夫本仏との教義変更も可能になるわけで、

「蓮祖の時代にABC兵器はなかった、今の時代は人類滅亡の危機と常に背中合わせである。したがって、時代に適った「第4の法門」が渇望されるのである。その法門こそが、我々が宣弘する「凡夫本仏論」であり創価仏法である。」

このような論理展開になるような危惧を抱いています。
民衆仏法的なヒューマニズム理論を前面に押し出しているような感じを与えますが、その実、教義的な足枷を外そうとしているようにも思えるのです。
これが小生の単なる思い込みで終わればよいのですが。本音と建て前に差のある教団ですから、気になってます。

732犀角独歩:2003/11/07(金) 13:23

やや重い腰を上げて、創価学会の功績を少し考えてみようと思います。
まずは創価学会の公式ページを見てみました。
http://www.sokagakkai.or.jp/index01.html

『平和・文化・教育』というページがあります。「創価学会の平和・文化・教育の各分野での運動・活動のようすを紹介する」という内容を見ると、

「地球環境サミットと創価学会
 展示会
 WAI WAI 教育プラザ
 ヒューマンメッセージ展
 少年少女希望絵画展
 音楽グループ」

が載っているだけでした。

比較するべく立正佼成会のHPを開くと、
http://www.kosei-kai.or.jp/

「「世界平和祈りの週間」宗教・宗派を超えて平和の祈り
 京都で第6回日本・中国・韓国仏教友好交流会議日本大会開催
 佼成看護専門学校で「第35回戴帽式」
 庭野平和財団が平成15年度活動助成先(後期)を発表」

一番、目を引いたのは

「『イラク問題の早期終結めざして』
  イラク緊急救援募金総額発表
  JENがイラク事務所を開設
 「イラク緊急救援募金」終わる
  ワールドピースAwake実行委員会主催「イラク緊急対話集会」から
 「ワールドピースAwake実行委員会」が
  WCRP国際委員会のベンドレイ事務総長を招き緊急対話集会
  国富青年本部長がイラクから帰国
  各地で「イラク緊急救援募金」」

青年部活動では

「一食を捧げる運動
 植林ボランティア
 アジア子どもサポート(一乗ボランティア)
 アフリカ毛布ボランティア隊(一乗ボランティア)」

など社会活動の実際が紹介されていました。
わたしは、もちろん、立正佼成会とは縁もゆかりもない人間ですが、上記の二つのHPから伝わる差は歴然としたものを感じました。

733犀角独歩:2003/11/07(金) 13:24

―732からつづく―

伝統仏教におけるビハーラ活動はいまさら紹介するまでもありませんが、ここにも仏教精神は生きています。宗派、思想信条を超え、悩み・苦しみ・病み・飢える人をい如何にして救うか、その社会活動を通して、人々は宗教の必要性と、その功績を知ると思います。

『現代宗教研究』第37号に、日蓮系として上述の関連する研究が掲載されていました。『日蓮宗のビハーラ活動 ― その理念と意義』がそれです。この書は日蓮宗宗務院発行のものなので、宗派の見解と見ても差し支えないと思えます。
ここで著者・奥田正叡師は、ビハーラの視点から仏教が果たしてきた役割、その実際の記述を紹介しています。わたしは目から鱗が落ちる思いで拝読しました。

「多くの仏教経典には、仏陀を医王、法を薬、僧を看病人にたとえ、“病人を看護することは仏陀を看護するのと同じ功徳がある”と説かれている。また、病者を看病しない者は自分も看病が受けられないと説かれ、積極的に看病の必要性が説かれている」(同P140 “”の括りはわたし)

「『梵網経』には「看病は八福田の第一」と説かれ…『四分律』(巻第14)には…看病の心がけが説かれ、利益のための看病を厳しく戒めている。さらに仏の教えを誰にでも解るように説き、説法を以て病人に法悦に入らしめることなど、具体的に説かれている」(同)

そして、篤信の仏教者が果たしてきた実際の活動を紹介

「古代印度の祇園精舎:聖人病院・仏示病院
 アショカ王:当初から医療活動を実践
 中国北魏の孝文帝:洛陽に慈善病院別坊を開設
 日本初の僧侶善信尼・僧侶たち:慈悲の精神により療養活動
 聖徳太子:四箇院を設置
      施薬院(貧しい病者に薬剤を与えた所)
      療病院(身寄りのない病人を収容し法を説いた所)
      悲田院(貧しい孤独な人を収容した所)
      敬田院(人々の精神的な救済を行った所)
 奈良時代:寺院と病院が合体」

などを紹介されています。
著者・奥田師は日蓮宗僧侶でありながら、良忠師に触れ

「臨終に際した病人をどうしたら死後の世界に生まれ変わらせることができるか、そのためにはどのような条件の下に重病人と接したら良いかを浄土宗の立場から説いた。現在のベッドケアの原型である」(同P142)

と記しています。この記述から見る限り、「臨終正念」とは死期にある重病人を安らかに看取るべきかを僧侶の責務として教えた実践論であったことが窺えます。

奥田師はこの研究ノートを以下の文章を終わっています。

「法話は寺院や信徒という限定された場所や対象によってのみなされるというイメージが強かったが、本当はそうではなく、そうあってはならないと思う。日蓮聖人の教えは、娑婆即寂光土という現実生活の重視と、即身成仏ちう我が身の救いにある。日常生活や我が身の苦楽の他にどこに救いがあるのだろうか。日蓮聖人の教えを拠り所とする私たちが、今こそ広い視野に立って社会のニーズに応えていくべき時ではないないだろうか」(同P152)

以上、仏教の功績を紹介する同書を見ましたが、このような功績があればこそ、仏教は日本社会の中に長く生き続けてきたのだと思います。

アネモネさんが指摘されたように功績とは社会的に何をしているかということです。
さて、わたしは嫌みでも何でもなく、創価学会の上述の如き、功績をまったく知りません。またHPなどを見てもその実践活動の紹介がありません。
故に是非とも創価学会の功績をここに示してください。それこそ、最大の布教活動になるとも思います。(もちろん、掲示板での布教活動はルール外のことであるとは思いますが)

734犀角独歩:2003/11/07(金) 13:39

731 愚鈍凡夫さん:

早速の返信、有り難うございます。
午前中、やや時間を取って、少し長い投稿を終えたところなので、やや短めで失礼します。

わたしは何度も記したとおり、創価学会の(対社会的な)功績というのはまったく思い当たらないのです。創価学会は創価学会員のためのものであるとしか見えません。

ここのところの現役学会員の発言を通して、はっきり確認できたことは、我々脱会者は「心から見下される」差別が未だにまかり通っていることです。つまり、このような考え方である以上、この団体が(あるいは、ここで記述している個人の考え方もしれませんが)提示する未来像には、我々の生存権はないことを意味しています。創価学会の示す未来像は、まさに創価学会(員)のためのものであり、不信者、殊に脱会者は埒外に置かれたものであると映じます。創価学会信者とシンパだけの未来像です。『1984年』のような恐怖世界と映じるのが正直な感想です。

このような差別社会を創価学会がめざしているとすれば、これはまさに社会的な罪科と考えるしかありません。このわたしの考えが違っていることを願うばかりですが、では、創価学会にはどのような対社会的な(こんな枕詞を付すとアネモネさんに怒られそうですが)功績があるか、わたしたち脱会者を、彼らが言う仏教ヒューマニズムではどのように扱うのか、反対論者に、どのような態度で接するのかを見れば、愚鈍凡夫さんの危惧の実否は明白となりますね。

いまのところ、このスレッドでの応答を見る限り、わたしには愚鈍凡夫さんの危惧は当たっているように見えます。「心の底から見下された」一人としての感想です。

735犀角独歩:2003/11/07(金) 14:02

MILD SEVENさん:

70でご紹介くださっている故トインビー博士の孫娘・ポーリー女史を、改めて読み直しましたが、これは実に池田さんの“衛星放送”の裏の実態を典型的に語るものでした。
これは非常に意味のある資料ですね。

736アネモネ:2003/11/07(金) 15:45
創価学会草創期の、最も躍動していたと思われる時期、その折伏闘争というのは、すさまじかったものだったと聞いています。
創価学会の信念体系に陶酔している信者の方々にとっては、広宣流布へ向けての歓喜の闘争だったのかもしれません。しかし、その一方では、家庭や人生をかき乱されてしまった悲しい現実もあったといえます。ご存知の方々にとっては、今更ながらの周知のことかと思われますが、功罪を考える上で、決して見過ごしてはならないところだと思い、以下、古い文献ですが、そのことを示す、文章を紹介しておきたいと思います。

****抜粋***************

昭和二十六年、隣国朝鮮に起った戦争を契機として、台風のように、日本の全国を吹きまくっている創価学会の爪跡は実に大きい。ある青年は毎日のように折伏に来られて神経衰弱となり、果ては自殺して若い生命を断った。彼の母親は、そのひとり息子を失った哀しみに耐えかねて、愛児の後を追って死んだ。回復するはずの病人が、医師の忠告を退けてお題目を挙げていた結果、病状が悪化して死亡した者や、脳溢血で倒れた病人を囲んで、一週間もお題目を唱えているうちに、手遅れになって、医師にも見せないで殺してしまった者や、疫痢になった子共のそばで、お題目を唱えつつ殺してしまった母親等々、無知のかもしだす悲劇は余りに多い。
 ある創価学会の班長は、旧友を訪ねて折伏した所、相手から「入信したらどうなるか」と聞かれたので、「どんに願でもかなわないことはない」と答えた。それで友人が、「では、僕は百万円の宝くじの当たるように願をかけるから、君、責任をもってくれ」と言ったところ、「ちょっと待ってくれ、支部長に聞いてくるから……」と答えた。ある班長の母は胃癌になって、全家族のお題目をよそに、悲惨な苦しみにうめきつつ死に、彼もそれから二年後には、五十二才の若さで、同じ胃癌で母の跡を追った。そのとき、親ゆずりの財産は全くなくなっていたのだ。毎日折伏にかけまわって、幸福製造機と銘うつご本尊を勧めつつ、自分の家業を忘れた当然の報いであった。
 ある支部長は、折伏に熱狂して倒産したが、裸になっても悪夢から醒めない。その娘は婚約者があるが、父が家庭を顧みないために、いつまでたっても一家の犠牲として働かされ、結婚できないのを悲観して服毒、生命はとりとめたものの、医師にもかけないで、信者が集って一週間もお題目の連続。一週間目にみんなでよってたかって、頭を押さえてお題目を唱えているうちに絶命した。親戚の者が集まって、「これほど不幸が続いても、まだ目が醒めないか」と忠告したら、「信心がまだ足らたかったのだから、もっと熱心にやる」と答えたという。ここまで、迷いこんでは、もはや、つける薬がない。
 こんな迷信にだまされて、苦しんでいる者はもちろん、毎日折伏に押しかけられて、迷惑している者は無数である。しかも、「王仏冥合」という仏教政治を、全世界に実現しようという「第三文明論」の旗をかかげて、まず、日蓮正宗を国教化するためには、流血の革命?をも辞さないかに見える彼等の思想は警戒を要する。だから、創価学会のまちがいをただして、愛する同胞を正しい信仰に導きたい願いで本書を書いた。
(『創価学会のまちがいをただす「キリスト教折伏に答えて」』序文より 森山論著 日本イエス・キリスト教団東京出版部発行) 

***以上****************

今もこのようなことが行われているのかどうかは私にはわかりません。ただ、価値観の多様性を尊重することなく認めず、また他人の忠告や意見に耳を傾けることも出来ずに、ただ自己陶酔する価値観とその布教精神が今もなお残されているのならば、これは罪科というものに他ならないのではないかと思います。自分とその教団を客観視できないというところに、最大の欠点があるものではないでしょうか。

737犀角独歩:2003/11/07(金) 17:27

736 アネモネさん:

懐かしい資料です、これは。
森山師は、キリスト者の中では、特に異端/異教問題に真剣に取り組んだ一人でしたね。記述されているところは、当時の新聞記事、その他の報道に拠った事実に基づいていたはずです。この点をまとめた切り抜きその他の資料があったと記憶します。

たしかこの著述発表後、かなり迫害を受けたのではなかったかと思います。
また、師は統一協会問題でも活躍した一人でした。社会派牧師の走りのような方でしたね。

この方のお弟子さんが知り合いにいます。12月にお会いする予定なので、顛末をお尋ねしてみます。ご報告できようかと思います。

「客観化」という点について、ハッサン師は以下のように記述しています。

「皮肉なことに、カルトのメンバーたちはおたがいに、ほかのカルト集団に入ったものを見下げている。すぐ、『あの人たちは、カルトに入っているのだ』とか『【彼らは】洗脳されている』とか認めてしまう。自分自身の状況から抜け出して、自分を客観的に眺めることができないのである」(『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版 P150)

ここで、いみじくも「見下げる」という言葉が出てきます。
客観できないカルト・メンバーは人を見下すという記述です。
破壊的カルトの特徴に数えられる点です。集団であれ、個人であれ、罪科に数え上げるべき点ですね。

738背景探求123:2003/11/07(金) 18:55
コマルナー、、沖浦さん、。 ナカナカの意地がお有りのようですが、?  創価某グループ?からの全面的な支援などは、?? 一個人ならばこれほどのガンコさは??でしょう。 ドーモ協力なバックの存在がチラチラするようなムードでは、? 選挙前では某会などはピリピリですから、、>?? 何かが?引っかかるようですが、、? ドーモ組織をあげての「創価擁護作戦の一環が進行中??」のようですか、、? コワイ、コワイ、。

739愚鈍凡夫:2003/11/07(金) 20:33
アネモネさんのレスで思い出したのですが、ネットでゲットした資料の中にこういうのがありました。
創価学会員の体質は今も昔も変わらないようですね。

********************************************

『息子は創価学会に殺された、気が狂い鉄道自殺 長崎 悲観の母親も後を追う
〔長崎〕創価学会に入会を強要されて鉄道自殺した子どものあとを追って、今度は母親が〃息子は創価学会に殺された〃と悲観して井戸に飛込み自殺した。
 16日午前4時30分ごろ、長崎市無職○○スギさん(53)方裏でうめき声が聞えたので同家の3男洋信君(14)=××中学3年=が出てみたところ、水深2.5㍍の井戸でスギさんが死んでいた。同家は父□□さん(当時49)と長男が原爆で死に長女の幸江さん(18)は市内のパン屋に店員として住込み、自宅にはスギさん、洋信君に、さる3月30日 鉄道自殺した二男の幸芳君(19)の3人が、幸芳君の給料(同市××××××工所勤務)で細々と暮していた。ところが、さる3月7日から近所の上西山町、◎◎◎◎さんら創価学会員が数回にわたって幸芳君を訪ね、創価学会に入会するよう勧めて座り込み、同月10日、ついにいやがる幸芳君を入会させた=(洋信君の話)=それ以来、無口だった幸芳君は狂人のように変り入会20日目の3月30日「入会は誤まっていた。こんなものに入ったのは、自分がしっかりしていなかったからだ」と云う遺書を残し、国鉄長崎本線長与―道尾間で長崎行貨車に飛込自殺した。
 スギさんは望みをかけた幸芳に死なれたばかりか、たゞ一つの収入の道を断たれて前途を悲観、近所の人々に口ぐせの様に〃幸芳は創価学会に殺された。創価学会が憎い〃ともらしていたが、ついに自殺したもの。
 入会強要されて……
 長女幸江さんの話
  『創価学会に入会を強要されたぱかりに、二人ともこんなことになつて……。』
(中国新聞 1959(昭和34)年6月17日付)

後日談
 『週間新潮によると幸芳君の自殺後に毎日の様に匿名の手紙が舞込んだと云う。
その手紙には貴家の息子さんが自殺されたことを心から憎みます。見知らぬ自分がこうして憎むのも仏の使として有難く思いなさい。(中略)貴家はもはや救われません。宗教に向かい、仏の使いに向かって弓をひき、その上で幸せになろうといくらあせっても、それはアリ地獄にいるアリの様なものです」スギさん一家の信仰の薄さを責め、自殺した幸芳君にムチ打つこの匿名の手紙がスギさんに決定的なシヨツクを与えた。この手紙でスギさんが後を遣って自殺したと同誌は伝えている。なお類似の事件は全国各地にあるが略す。』
(窪田哲城『日蓮聖人の本懐 日蓮正宗・創価学会批判』増補版3刷P122)

************************************************

戸田さんの「罰論」は、今も形を変えて生き続けています。
このような痛ましい事件は、何の教訓にもなっていないようです。

740三学無縁:2003/11/07(金) 21:14
創価学会の功罪、、、ですか、、、。


1.なんのかんのいっても、後々、延べ数百万人を、日蓮さんの教えに縁させるきっかけを牧口さんは作った。

1.牧口さんは半端な「日蓮及びその教え」理解を自分の思想の補強材料に利用した。

2.石山の頑迷な宗風に風穴を開けた。

2.僧侶および旧来の信徒を軽視する傾向を容認した。

3.戦前、パージに遭った主義者たちのアジールを作った。

3.戦前、戸田の経済志向を容認したことが、後の経済統制令違反を口実とする弾圧を招いた。

4.誰かが言ってたことだけど、多くの人間に御書を読ませた。

4.独自の解釈で「日蓮及びその教え」を広く一般に誤解させた。

5.国立戒壇論・王仏冥合論によって政治に関心を持たせた。

5.宗教団体の政治部が政党を作り政権に参画することが合憲であるかのような既成事実を作った。

とりあえずは、こんなところでしょうか。

741愚鈍凡夫:2003/11/07(金) 21:38
>>739:の補足

パソコンの場合、横書きが多いため、習慣的に漢数字を英数字に直す癖がついております。
新聞記事の引用は漢数字を英数字に変えていますので宜しくお願いします。

742末法のABC:2003/11/07(金) 21:55
新潮週間の第二弾も「有意義でした」。創価ー公明が、一般の言論弾圧に「コンナニ熱心とは、?」というのは??。 ヤハリ「限りなくオウムに近い??」でしょうか、、?

743三学無縁:2003/11/07(金) 23:04
週刊新潮の連載って、そんなに有意義ですか?
新潮社は文庫を含む書籍媒体を持っているのに、どうして批判書を出版しないんですかねえ。
書籍として出版するほどの内容がないってことなのではないでしょうか。
創価学会批判はストレートにすればいいのに、それを放棄し続けてきたのはマスコミ自身でしたね。
今回の連載にしたところで、本音は「魔女狩り」なのでは?
そんなことばかりし続けてきたから創価学会も公明党も「アンタッチャブル」になってしまったとは考えられませんか?
ジャーナリズムを放棄してしまった「ポチ保守」週刊誌と「純粋まっすぐサヨク」新聞も、感情論だけのような気がします。
安易に
>ヤハリ「限りなくオウムに近い??」でしょうか、、?
と書くのは、あまり感心できません。

まあ週刊新潮や聖教新聞を読む限りにおいて、週刊新潮に創価学会を批判する資格はないと思いますし、創価学会にも人権を語る資格はないと思いますが。
目フン、鼻フンを笑う、といったところでしかないのではないでしょうか。

ちなみに、当掲示板と恋学掲示板は信濃町にとってはきわめてキツイ掲示板らしいです。

744沖浦克治:2003/11/08(土) 09:46
 背景探求123 さん

>創価某グループ?からの全面的な支援などは、?? 一個人ならばこれほどのガンコさは??でしょう。 ドーモ協力なバックの存在がチラチラするようなムードでは、?

 あなたが思っているほど、創価学会はこの掲示板に関心を持っていないでしょう。
 お好きにどうぞ、ぐらいの感じですね。
 いくら批判を激しく行なっても、創価学会に何の影響も及ぼせないのですから、相手にはしないと思います。
 どなたかの支援などは不必要です。
 創価学会員は一騎当千なのです。

745犀角独歩:2003/11/08(土) 11:03

以下のようなサイトがあります。

「イラク問題と宗教界」
http://bc003.web.infoseek.co.jp/page009.html

日本各宗教界の問題への取り組みをまとめたものです。
この中で創価学会についても触れられています。

*** 転載はじめ ***

武力対応も必要(池田名誉会長)
利敵行為発言(冬柴公明幹事長)、
特異な存在の創価学会

 「平和解決」を訴える宗教界の中で特異な存在が創価学会。公明党の政権参加後、戦争法からテロ特措法、有事立法、イラク問題に至るまで、ほとんど「沈黙」を通してきました。
 池田大作名誉会長は聖教新聞一月二十六、二十七日付にSGI(創価学会インターナショナル)会長として長文の「提言」を発表しましたが、イラク問題については「イラク攻撃は避けられないという暗い見通しが支配的」とした上で、大国が「自制心のかたち」を示さないと「道義的説得力を欠く」と述べただけ。逆にその前段で「それ(テロ)と戦うために、ある場合には武力を伴った緊急対応も必要」とまで述べています。
 この池田提言には、公明党内で「武力行使を全否定はしないというくだりに『そこまで選択の幅を認めていただけるのか』と驚いた」(『週刊朝日』三月七日号)という「中堅議員」の声も出ています。
 池田提言の直後に飛び出したのが冬柴鉄三・公明党幹事長の“戦争反対は利敵行為”発言。国連査察の結論も出ないうちに「敵」と決めてかかる。
「すべてのいのちを大切にし、相手と自分に対するとらわれを超え、違ったもの同士が手を取り合って生きる」(全日本仏教会声明)とは対照的です。

*** 転載おわり ***

驚きを禁じ得ない世界平和論であると、わたしは遺憾の意を表するものです。

746犀角独歩:2003/11/08(土) 13:20

SOKAnet(創価学会公式HP)を見ると、現在創価学会では戸田さんを「地涌の菩薩の棟梁」としていないことがわかりました。

「『我、地涌の菩薩なり』との偉大な悟達を得た」
 http://www.sokagakkai.or.jp/member/n_member/05/02.html

となっています。「悟達」とは仏法では仏に掛かる用語で、菩薩に適するかは異論があります。それはさて置いて、「棟梁」は見ないと言うことのようです。もっとも、今時「棟梁」などと言っても若い世代の人はピンとこないでしょう。

わたしは、ここのところ、創価学会の功績を検索してきたのですが…集団としての功績です。会員個人の話ではありません…どうにも何も見つかりません。

ただ、戸田さんに関して、一つだけ、功績として評価するものを見つけました。
『原水爆宣言』です。
 http://www.winbell-7.com/makitosiniti/kantyou/todagensuikin.html

「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」1957年(昭和32年)9月8日
 http://www.sokagakkai.or.jp/member/n_member/05/03.html

公式サイトが伝えるところに拠れば

「この宣言は、核兵器を生んだ「魔性の生命」という“見えざる敵”との妥協なき闘争宣言であり、創価学会の恒久平和主義の不滅の原点でもあるのです」

と言います。

以後、46年が経過しましたが、戸田さんのこの遺言を現在、どのように展開されているのでしょうか。まさか半世紀が経過して「これからやる」こととは思えません。是非、この創価学会・戸田さんの功績がどのように発展・展開されたかを投稿いただきたいと思います。

747愚鈍凡夫:2003/11/08(土) 13:30

いっき‐とうせん【一騎当千】
一騎で千人の敵を相手にすることができるほど強いこと。一人(イチニン)当千。太平記二八「これら皆―の兵にて」(広辞苑第4版)

未だ、こんな学会員に逢ったことがないのは小生だけだろうか・・・・・。(^▽^;)
数に物を言わせて少数派を攻撃する姿は何度も見てきたが・・・・・。(-。-;)
「金と数に勝る武器なし」というのが創価学会のスタンスだと思うのだが・・・・・。(-_-)

750犀角独歩:2003/11/08(土) 13:45

先に「武力行使」を肯定した池田さんでしたが、SOKAnet によれば、このたび、「アメリカ非暴力プロジェクト」名誉議長になったそうです。
http://www.sokagakkai.or.jp/SITE1PUB/sun/4/news/report414.html?t=1068193013213

この名誉議長とは何をやるものでしょうか。
具体的に、その仕事内容をどなたかご説明願えませんでしょうか。
まさか「名誉だけ」ということではないでしょうから。

「アメリカ非暴力プロジェクト」、ちなみに Yahoo その他で検索しましたが、ヒットしません。何をしている団体なのでしょうか。この団体の具体的な活動、功績も併せて投稿いただければ参考になります。

751犀角独歩:2003/11/08(土) 14:47

池田さんの「武力発言」
『赤旗』でも取り上げていました。
http://yume.plala.jp/kakehashi/akahata-news0303/20030319/%91n%89%BF%8Aw%89%EF%81E%92r%93c%91%E5%8D%EC%8E%81%82%CC%81u%95%90%97%CD%91%CE%89%9E%81v%92%F1%8C%BE%82%CC%94g%96%E4.htm

以下のサイト、うまく記事を拾っています。

公明党破折
http://members.at.infoseek.co.jp/netplane/irakumondai.html

752犀角独歩:2003/11/08(土) 15:36

750の補足です。

SOKAnet で掲載されている『アメリカ非暴力プロジェクトの「名誉議長」証書』のなかで、「Dr. Daisaku Ikeda」の文字が読みとれるのですが、池田さんは何故、「Dr.」と損傷されるのでしょうか。博士号でも採っていましたか? どんな研究や、論文があるのでしょうか?

753犀角独歩:2003/11/08(土) 15:37

【752の訂正】

誤)池田さんは何故、「Dr.」と損傷されるのでしょうか
正)池田さんは何故、「Dr.」と尊称されるのでしょうか

754沖浦克治:2003/11/08(土) 16:18
 私には千の理屈を並べるより、一つの信仰体験が重要だと思います。
 ここに参集される皆様方の信仰体験をお聞きしたいです。

755沖浦克治:2003/11/08(土) 16:23
  愚鈍凡夫さん
 私は一騎当千ですよ。
 数にものを言わせているのはあなたがたです。
 書き込みを見ればわかるでしょう。
 創価学会員は常に『どこかでかかって来い!』とのスタンスです。
 蓮祖門下ですからね。
 『日蓮一人』とおっしゃられています。
 創価学会には、数に頼るような軟弱者はいませんよ。

756沖浦克治:2003/11/08(土) 16:27
  愚鈍凡夫さん(ついでに)

  金を積んでも世界チャンピオンにはなれませんよ。

757無徳:2003/11/08(土) 16:32
昨夜テレビ朝日の「朝生・・・」を見ました。

論議がイラクへの自衛隊派遣の件に及んだとき、公明党のT議員が自衛隊派遣は憲
法違反ではないかとの質問に対し、「国権の発動・・・」ではないから憲法違反に
は当たらないと答弁しているのを聞いて我が耳を疑いました。

いくら与党の一員として責任ある立場に有るとは言え、公明党議員の発言は池田氏
の発言とリンクしている事を表明せるものであり、嘗ての公明党が絶対平和を立党
の精神とし党是ともしていた事と考え合わせると隔世の感があり、私にはとても受
け入れ難い事と言わざるを得ません。

さらに、民主党の議員がイラクに派遣された自衛隊員が、もしも、テロで死亡した
場合は戦死になるのかとの質問に対し、T公明党議員は公務員が公務中に事故で死
んだ事として扱うと発言しているのを聞いてあきれてしまいました。

もしも、死亡した自衛隊員の中に創価学会員が居たら公明党はどの様に創価学会員
の人達や公明党の支持者達に説明するのでありましょう。

ガンコさんメール拝見しました全て了解しました。
尚、「無徳の部屋」は一旦閉鎖させていただき、リニューアルして近々再開させて
いただきます。

嘗て「無徳の部屋」に投稿されました皆さんには大変申し訳ありませんが、過去ロ
グは保存してあります、必要でしたら閲覧できますので私宛にメールを下さい。

758沖浦克治:2003/11/08(土) 16:37
  愚鈍凡夫さん
 
 われ今仏の旨を受け
 妙法流布の大願を
 高く掲げて一人立つ
 見方は少なし敵多し

 これが創価学会の精神です。 
 あなたには決して理解できない事です。

759沖浦克治:2003/11/08(土) 16:41
 無徳 さん
 私の長男(沖浦克治耕治・30歳)は自衛官です。
 イラクに行きたい、と先日わたしに言いました。
 私は、立派に死んで来い、と答えました。

760犀角独歩:2003/11/08(土) 16:42

> 創価学会員は常に『どこかでかかって来い!』とのスタンス

この創価学会員というのは、沖浦さんのことも言うのでしょうね。
では、かからせていただきます。

746、750、752のわたしの質問にお答えください。
創価学会の功績についてです。
どうぞ。

761沖浦克治:2003/11/08(土) 16:51
 それでは正式に私への質問として掲示してください。
 これまで外野がうるさくて迷惑でしたので宜しくお願いいたします。

762犀角独歩:2003/11/08(土) 16:57

沖浦さん:

先にあなたは590で

> 最後は数です。
> 民衆は馬鹿ではありません。
> 民衆が選んだものが、もっとも優れているのです。

と記しました。ところが、755に

> 一騎当千
> 創価学会には、数に頼るような軟弱者はいませんよ。

先には「数」だといい、今度は「1人」と言います。
どっちなんですか。

763犀角独歩:2003/11/08(土) 17:05

760は創価学会員を自称する沖浦さんへの質問です。
事実関係のみをお答えください。
個人の信念、信条、布教はけっこうです。

764沖浦克治:2003/11/08(土) 17:06
 簡単ですよ
 一騎当千をたくさん作ればいいのです。
 お分かりかな?

765沖浦克治:2003/11/08(土) 17:08
 犀角独歩さん

 私は創価学会員ですよ。
 個人の信念を抜きの主張はありえません。
 退転者とは根本的に違うのです。

766アネモネ:2003/11/08(土) 17:09
沖浦さん

>数にものを言わせているのはあなたがたです。

数にものを言わせているのではありません。
あなたの参加者に対するこれまでの振舞いや言動が、この場で顰蹙を買ってしまっているだけのことです。
人を見下し、議論や対話をことごとく拒んできたのは、他でもない、あなた自身なのですから、仕方のないことでしょう。

767犀角独歩:2003/11/08(土) 17:10

沖浦さん:

> お分かりかな?

このような蔑む発言をおやめください。
760をお答えください。

768沖浦克治:2003/11/08(土) 17:10
  犀角独歩さん
 私個人への質問と明記してください。
 時間の無駄です。

769犀角独歩:2003/11/08(土) 17:12

沖浦さん:

退転者とは具体的に誰を指しているのでしょうか。
また、退転者とは侮蔑しての発言でしょうか。

770犀角独歩:2003/11/08(土) 17:13

> 768 

どこからでもかかってこいではなかったのですか。
答えられないのですね、了解しました。

771犀角独歩:2003/11/08(土) 17:17

沖浦さん:

ここのスレッドは、「創価学会の功罪を考える」です。
「沖浦克治さんの功罪を考える」ではありませんので、基本的に個人的にお尋ねすることなど、何もありません。

ただし、書き込んだ内容が不明点については、公開議論の場ですから、もちろん、問います。ただ、それだけです。

772アネモネ:2003/11/08(土) 17:23
うーん…それにしても…お好きにどうぞ…相手にはしないということであるならば、それこそこの場は、ご放念くださればいいのにと思いますね。(←つぶやきです)

773アネモネ:2003/11/08(土) 17:30
747>いっき‐とうせん【一騎当千】
一騎で千人の敵を相手にすることができるほど強いこと。一人(イチニン)当千。太平記二八「これら皆―の兵にて」(広辞苑第4版)

深層心理というのは、言葉に出るものだなあと思いますね。千人の敵を相手にとは、いかにも猛々しいですが、その敵とは、恐らく私たちのことを意味する心理であり、私たちは今もなお見下されていることが、この言葉からうかがえますね。

まあここは議論の場ですから、「敵」というのが、「論敵」を意味するものであるならば、ここはあくまでも「論証」による「論戦」を、正攻法でして頂きたいものです。

自分と教団を客観視できないというこの体質は、このような公の議論の場において、議論の場の空気を読めないということを生じさせ、これが行き過ぎると場の秩序をかく乱する迷惑行為にもつながるものなのだろうなと思います。
言っても言っても、理解が得られず、最後は、逆に被害者意識に陥られるというのも、創価学会の持つ傾向的体質なのでしょうか。

私には、そのような行為は、土足で人の家に上がりこんで勝手に家の中をかき乱す、そんな行為と同じものに見えます。まさに、私や愚鈍凡夫さんが挙げた文面にもある、かつて社会問題にまでなった創価学会の強引で横暴な折伏、謗法払いの数々とオーバーラップするものではないでしょうか。

本人は正しいことだと信じて行動していることが、相手にとっては大変な迷惑行為であるということ、それが全くわからないということは、これは致命的なことだと思います。
日蓮さんの推進した布教活動とは、本当にこのようなものだったのでしょうか。
私などが思うには、むしろ信徒が布教をするに際しては、その振舞いには厳格なる注意を促されていた方だったのではないかという印象を受けておりますね。

774無徳:2003/11/08(土) 17:32
沖浦さん

>私の長男(沖浦克治耕治・30歳)は自衛官です。
>イラクに行きたい、と先日わたしに言いました。
>私は、立派に死んで来い、と答えました。

耕治さんは結婚しておられますか?
もし結婚しておられるとしたら子供さんはおられますか?

775犀角独歩:2003/11/08(土) 18:03


「管理者からのお願い」88 沖浦さん:

書き込まれた場所が「管理者からのお願い」でしたので、こちらに移ります。

それにしても

> 自説を証明できないのですから。
> すでにあなたは相手ではありません

だいたい、わたしが言ったことでもないことを勝手に自説と決めつけるのも暴挙であるにもかかわらず、一方的に勝利宣言のようなことをやってみせるパフォーマンスをやったところで事実は曲がりません。

さて、あなたほど、自説を証明できなかった人はいなかったのではないでしょうか。
「世界立戒壇」一つを採っても何も証明できずに終わっています。

あなたの言葉を奪って言えば「あなたは相手ではありません」ということになりますか。
まあ、わたしはこのような人を「見下す」発言をして、自分を失笑を買うような真似をいたしませんが。

776沖浦克治:2003/11/08(土) 18:05
  無徳 さん
 まだ独身です

777沖浦克治:2003/11/08(土) 18:08
 犀角独歩さん
 
 お好きにどうぞ。

778沖浦克治:2003/11/08(土) 18:11
 アネモネさん

 なたの意見は自由に述べてください。

779沖浦克治:2003/11/08(土) 18:14
 
>あなたの参加者に対するこれまでの振舞いや言動が、この場で顰蹙を買ってしまっているだけのことです。
 
 だから何なのですか?

780無徳:2003/11/08(土) 18:39
沖浦さん

それでは、もし息子さんにお子さんがいらっしゃるとしても

>私の長男(沖浦克治耕治・30歳)は自衛官です。
>イラクに行きたい、と先日わたしに言いました。
>私は、立派に死んで来い、と答えました。

と申されますか?

781アネモネ:2003/11/08(土) 18:49
横レス失礼します。
>779
沖浦さん

>だから何なのですか?

だから、
>数にものを言わせているのはあなたがたです。

これは、あなたの錯覚もしくは曲解といえるでしょう。
前にも申し上げましたが、ご自分のなさっていることが客観視できていらっしゃらいないと思われます。しかし、沖浦さんご自身は、そうは思われない。これは結局、住む世界が違い、価値観が違うのですから、あなたはあなた、私は私と仰っているように、仕方のないことです。
ですから、数でものをいわせているのではなく、あなたの主張する価値観がここの議論の場には馴染まず、参加者を納得させることができないだけのことですね。

782沖浦克治:2003/11/08(土) 18:50
 無徳 さん

 申します。
 後は私が引き受けます。

783無徳:2003/11/08(土) 18:52
沖浦さん

780は言うも愚かでしたね!

自分の息子に立派に死んで来いと言い切られたのですからね
当然息子に子供が居ようと居まいとイラクに送り出しますよね

しかし、私の体験からすると父の戦死が母にとってあまりにも
無残な結果でしたから沖浦さんの息子に<立派に死んでこい>
との言葉は信じられません。

貴方の尊敬する戸田二代会長ならどのように申されるのでしょう?

784沖浦克治:2003/11/08(土) 18:52
>あなたの主張する価値観がここの議論の場には馴染まず、参加者を納得させることができないだけのことですね。

 あなたがそう考える事は、全くご自由でです。

785沖浦克治:2003/11/08(土) 18:54
 無徳さん
 私は私、戸田先生は戸田先生です。
 対等な関係です。

786アネモネ:2003/11/08(土) 18:59
>あなたがそう考える事は、全くご自由でです。

いいえ、自由で済まされるような問題ではありません。
掲示板の趣旨を乱される権利は許されるものではありません。
私はこの点につきまして、沖浦さんのこの掲示板への参加につきまして、引き続き審議の必要があると考え、主張しております。

787沖浦克治:2003/11/08(土) 19:03
 アネモネさん
 私はあなたのご意見を述べる権利は認めておりますよ。
 あなたは何故同じスタンスになれないのですか?

788アネモネ:2003/11/08(土) 19:19
沖浦さん

>私はあなたのご意見を述べる権利は認めておりますよ。
 あなたは何故同じスタンスになれないのですか?

言論の自由というスタンスのことを言っているのでしょうか。あなたの主張は、権利の濫用です。言論の自由は誰にでもありますが、時と場所を弁えなければならないものです。個々の場には、個々の場の秩序とルールがあります。その場を管理する人の権限とその運営によって、その秩序は保たれているのです。それを無視したところでの、権利の濫用は認められません。自分の主張が許される場所を求めて、自由に発言するべきです。

繰り返しますが、掲示板の趣旨を理解されない方の発言権は認められないものです。もちろん、その判断は管理者に委ねられるものですが、あなたの言論行為は、そこに抵触しているものと思われ、私は審議を求め主張しております。

789沖浦克治:2003/11/08(土) 19:29
 アネモネさん
 
 そうするとこの掲示板は非常に窮屈なものになりますね。

790富士桜:2003/11/08(土) 19:52
久しぶりに書き込みをさせていただきます。
また、時間が経ったとはいえ以前犀角独歩さんに対しての無礼な発言を発した前例を肝に銘じ
改めて犀角独歩さんへは重ねて反省の念をお伝えします。
また個人的にメールをいただいた方にも感謝いたします。ありがとうございました。
今後も時々ですが書き込ませていただきます。
.
管理人さんへ
.
書き込みこそしませんでしたが、ここはいつもロムさせていただきました。
ここ最近の沖浦さんの登場で相当議論が荒れていることを危惧している一人です。
.
自分も法華講の端くれ、このような創価学会員には何を言っても無駄な事はわかってはいますが
先ず犀角独歩さんからの度重なる提示の要請、またアネモネさん、無紱さんをはじめ他の方々へ
のあまりにも的外れな答えの数々に、創価学会員としてではなく、人間として対話のできない人
物と判断せざるをえません。
.
今後のこの掲示板のクオリティー保つために、このような一方的な言葉の羅列しか出来ない方は
管理者の方へ「断固出入り拒否」をお願いしたく発言させていただきます。
またここでは組織から離れ傷ついた方々の今一度仏法再考の重要な場とも思います。
ここまで作り上げてきた管理人さん、犀角独歩さんを中心としたこの場をこれ以上乱されないよう
重ねてお願いいたします。

791沖浦克治:2003/11/08(土) 19:56
 富士桜 さん
 ユニークなご意見です。

792管理者:2003/11/08(土) 19:57

富士桜さん

お久しぶりです。いつもロム戴き誠にありがとうございます。

日本は法治国家です。ですから、法に触れない限り罰せられることはありません。この掲示板もルールに則って運営されてきましたし、今も、これからもそう有るべきと考えています。管理者といえども、ルールの番人にしか過ぎません。ご理解賜りたく存じます。

794富士桜:2003/11/08(土) 20:19
管理者さん
.
丁重な御返事ありがとうございます。
.
ではルール改正は出来ないでしょうか?
日本も憲法改正に乗り出している事ですし(笑)
冗談です。
.
ですが自分は一方的な理屈の羅列は精神的なレイプと捕らえられると思います。
個人的な意見なのですが。

797管理者:2003/11/08(土) 20:26

富士桜さん

>日本も憲法改正へ動こうとしてますが。

今日の憲法改正の動きは、徴兵制に道を開くものではないかと、危惧いたしております。

掲示板のルールに付きましては、御参加の皆様のご意見をお聞きする中で、今まで何度も改廃を繰り返して、今日に至っております。改正のご提案があれば、随時、案文を「管理者からのお願い」スレッドに書き込んでいただければ、皆さんにお計り致します。

798愚鈍凡夫:2003/11/08(土) 20:43
あらっ、いつの間にかにぎやかですね。

>>755:
> 私は一騎当千ですよ。
> 数にものを言わせているのはあなたがたです。

そうですか? 死んだ祖父が「自画自賛する奴に、ろくな奴はおらん」口癖のように言ってたのを思い出しました。

> 創価学会には、数に頼るような軟弱者はいませんよ。

数に頼らない、勇者を未だに見たことがありません。

>>756:
> 金を積んでも世界チャンピオンにはなれませんよ

誰とは言いませんが、金を積んで「ブリキの勲章」や「名誉ナントカ賞」をコレクションしている御仁を知っていますが。何か?

>>758:
> われ今仏の旨を受け 妙法流布の大願を 高く掲げて一人立つ 見方は少なし敵多し

戸田さんがどこかの寮歌の旋律をパクッた替え歌ですね。

> あなたには決して理解できない事です。

小生は、常に一人で組織と闘ってきました。あなたには決して理解できないことです。

沖浦克治さんから小生宛レスの返答です。

799アネモネ:2003/11/08(土) 21:44
沖浦さん

>そうするとこの掲示板は非常に窮屈なものになりますね。

沖浦さんは、節度ということが理解できませんか?
社会人として、言われなくても、このくらいの節度が弁えられることは当然の良識です。もしもこの程度のことでさえ、窮屈だとお感じになられるとすれば、傍若無人な振舞いを言論の自由と勘違いされているものと思われます。

800末法のABC:2003/11/08(土) 22:03
 困るなー、、沖浦さん。 週刊新潮では「狂気の言論弾圧〜ツルのメデア支配で誰もモノが言えなくなった昨今、、」などの衝撃的な反撃には拍手喝采です。 創価=公明さんのヤリタイ放題?には陰では「ニガニガしく思い、とても不愉快に感じて」いた方も少なからず?、かと存じます。 明日は総選挙の日です。 三年間は「景気回復不可能」と申した「小泉氏を支援する創価・公明党」には今こそ庶民による「注意カード?」が絶対に必要のようです、。 「明日は政治をガラリと変える良き機会?」かと存じます、。

801同志の歌:2003/11/08(土) 22:28
愚鈍凡夫さん

>>758:
>> われ今仏の旨を受け 妙法流布の大願を 高く掲げて一人立つ 見方は少なし敵多し

>戸田さんがどこかの寮歌の旋律をパクッた替え歌ですね。

 凡夫さん、この歌の作曲者の決定について、その経過並びに現在についての上での、ご発言でしょうか?

>「パクッた」
 この表現は、板のルールに抵触すると思いますが、管理人さんのお考えを開示(詳しく)してください。

 凡夫さんはご存じの上での、発言でしょうか、そもそも昭和50年頃までは、作曲者不詳と記載されていたので、学会側が全ての学会歌に対し音楽著作権への対応を、真剣に取り組む作業に入り、特に替え歌は著作権権利者の、同意が不可欠の爲、現在でも制約の上で何曲かは用いているものです。

 同志の歌についても、決定は学会側で決めたのですが、その根拠となる資料は、小生の調査資料が基となった爲に、小生の推論を間違えても後々に、禍根を残らない様に音楽著作権協会に、申請したのです。
 では、現在はドウカと、凡夫さんはご存じない様で、上の書き込みは、明らかなルール違反かと、中傷するのは、かってですが、キチンと裏を取った上での投稿をすべきです。
 
近年にその学校より、学会に連絡があり、自校の歌では無い旨、申し出があったと聞いております。
 それ以来、「同志の歌」の作曲者表記は、以前の如く、「作曲者表示」が「作曲 不詳」と戻っております。
 版権が係わる重大な事なのですよ、軽々しく裏のない発言は、為さらないでください。
 素人でとかの、言い逃れは為さらないで下さい。
 ご参考までに。

802実力のチャンピオン:2003/11/08(土) 22:30
 どこかにも「我こそ真の実力チャンピオン」と言った方がおりました。 御立派です。 世の中すべてが「実力のみでの賞罰」が常識でした、。 しかし昨今「オカネで売買〜ヤリトリする」という「賞状ビジネスが大繁盛?」のようです、。
 売り手?と買い手?の中までは存じあげませんが「昨今カネさえ出せば、相当の??」が取得可能?の様ですかネ? お隣の某大統領の「ノーベル平和賞も??」「疑惑??」でしたネ、。いずれ日本でも「総てが暴露される日」が待ち遠しいです。

803犀角独歩:2003/11/08(土) 22:30

富士桜さん:

お元気ですか。
いただいた花鉢、まだ元気ですよ。

今回のお声掛け、大変に嬉しく感じました

804無徳:2003/11/08(土) 22:52
沖浦さん

>私は私、戸田先生は戸田先生です。
>対等な関係です

とは、恐れ入りました。

貴方は640でのアネモネさんへのレスにおいて

>戸田先生が蓮祖直結であることについて、私見を述べます。
>蓮祖は750年前に立宗宣言をなさいました。
>その後、題目の流布をほぼ致され、ご本尊様の流布は後世の弟子に託されました。
>御書は、布教せよ、とのお言葉で満ち溢れております。
>しかしながら、広宣流布が可能になる社会が700年の間、訪れ無かった事も事実です。
>戸田先生は牢獄の中で自ら蓮祖の法を悟られ、『吾地涌の菩薩の棟梁なり』と宣言され、創価学会の会長に就任し、創価学会を独立した宗教団体として設立なさいました。
>不思議にも、この昭和27年は立宗700年目にあたるのです。
>もしこのとき創価学会が、日蓮正宗から独立した宗教法人と資格を修得していなかったなら、今回の破門により解散を余儀なくされたでしょう。
>戸田先生の先見の明に驚きます。
>この人が出現しなければ、日蓮正宗は潰れ、我々が仏法にめぐる合う事も無かったと思います。
>地涌の菩薩は法性の延底(誤字であればご教授ください)から出現すると説かれております。
>戸田先生の牢獄での悟りこそ、これに価すると考えております。

と言われていますがこれ程の方と対等と言われるのですか、対等である以上貴方も
地涌の菩薩の棟梁であり、戸田氏の如く悟りを得られた方なのでありましょうか?

805犀角独歩:2003/11/08(土) 22:53

801 同志の歌さん

> 年にその学校より、学会に連絡があり、自校の歌では無い旨、
> 申し出があったと聞いております

この具体的な資料の提出をお願いします。

806愚鈍凡夫:2003/11/08(土) 23:06

>>801:同志の歌さん、御教示有り難うございました。

「パクッた」という表現は不適当でしたね。謝罪します。m(_ _)m

先方の学校から「自校の歌では無い旨の申し出」というのは、両曲の旋律を検討した結果、自校の寮歌と「同志の歌」は、違う曲であるという申し出があったという意味ですか?
でも、「作曲 不詳」とは「作曲者不詳」のことですよね。戸田さんが作曲したと言うことではないですよね。では、「同志の歌」の作曲者は誰ですか?
例えば、学会員有志が戸田さんの詞に曲を付けたという場合、「作曲 不詳」となることもあるのですか?この場合、「作曲 創価学会有志一同」では音楽著作権協会受け付けてくれないのですか?

807管理者:2003/11/08(土) 23:08

同志の歌さん はじめまして

>「パクッた」この表現は、板のルールに抵触すると思いますが、管理人さんのお考えを開示(詳しく)してください。

ルールについてのご意見承りました。少し考えさせてください。出来ましたら、どのルールに抵触しているとお考えか、ご提示戴けると幸いです。

ところで、同士の歌さん、出来ましたら、自己紹介スレッドにて、自己紹介をお願いできませんでしょうか。これも、当掲示板のルールですので、宜しくお願いいたします。

808愚鈍凡夫:2003/11/08(土) 23:13
>>806:訂正

誤→この場合、「作曲 創価学会有志一同」では音楽著作権協会受け付けてくれないのですか?

正→この場合、「作曲 創価学会有志一同」では音楽著作権協会は受け付けてくれないのですか?

です、悪しからず。m(_ _)m

809管理者:2003/11/08(土) 23:54

同志の歌さん

「パクッた」という表現について

パクルとは、大辞林によれば、「商品や手形などを、だまし取る。盗む。」という意味です。それが事実と違っているなら、禁止事項の『「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。』に該当します。ただ、事実であれば、該当しないと考えます。この点、管理者はその真偽を確かめる資料を持ち合わせませんので、現時点では判断が不可能であると申し上げざるを得ません。同士の歌さんが、その資料をお持ちでしたら、開示賜りたく存じます。開示戴けた段階で判断させて頂きたいと存じます。それまでは保留とさせて頂きたいと存じます。

810Leo:2003/11/08(土) 23:56
犀角独歩さん、こんばんは。

だいぶスレが進んでしまったのですが、>>728 の愚鈍凡夫さんあてのレスで、
横レスになってしまいますが、気になりました点がございますので、お話し
したいと思います。

犀角独歩さん曰く:
「今後の方向性は、ここにおける現役創価学会員の発言、たとえばLibraさんなどを通じて見る限り、
 記号論的とも言うべき漫荼羅観に変遷していると思えます。つまり、書かれている相貌によって
 本尊たり得るというような解釈です。ただ、これまた暫定的な経過途上であると思えます。 」

Libraさんは、批判仏教や凡夫本仏論等等を吸収しつつそれらの問題点を超克し、宗祖本仏論の
否定をはじめ学会教義から独立した仏教理解をされていると思います。ですので、学会教学や
指導を採用する典型的な「現役創価学会員の発言」と捉えるのは難しいのではないかと思います。

学会教学を仮に「創価仏法」と名づけると、学会教学のテキストから確認できる「創価仏法」と
古い教学や指導を残していたり会員の独自の解釈が含まれる「俗・創価仏法」があると思います。
(Libraさんの仏教理解は「創価仏法」にも「俗・創価仏法」にも分類できないと思います)

811Leo:2003/11/09(日) 00:53
犀角独歩さん、>>810の続きです。

次に、すでにご存知の部分が多いかと思いますが、参考としまして、最近の
学会教学のテキストから確認できる「創価仏法」での、漫荼羅観を紹介したいと思います。

学会の会館に安置されている本尊や個人に授与される本尊が、下記教学の曼荼羅本尊と
イコールと捉えられてますが、下記教学の範囲内だけでも、「日寛上人書写の御本尊」が
「大聖人の曼荼羅本尊」とイコールであり得るか、「日蓮大聖人の生命(心、精神)」が
印刷(本尊として渡すだけ)によって全世界の会員に授与され得るものであるか疑問で
あるところです。

「<法本尊> 法本尊とは、事の一念三千である南無妙法蓮華経を顕した大聖人の曼荼羅本尊です。
この南無妙法蓮華経は三世の諸仏の能生の根源(あらゆる仏を成仏させる根源の法)であり、
一切衆生の成仏の種子、すなわち仏種です。」
(創価学会教学部編『教学の基礎 ◇仏法理解のために◇』聖教新聞社、2002年、p.58)

「<人本尊> 日蓮聖人は南無妙法蓮華経を「日蓮がたましいひ(魂)」であるといわれて
います。これは日蓮大聖人が法本尊である南無妙法蓮華経を自らの生命の根源として開覚・
修行し、末法の衆生のために曼荼羅本尊として顕されたということです。
すなわち日蓮大聖人の生命は法本尊の南無妙法蓮華経と一体です。」
(同上、p.59)

「「末法の法宝」とは御本仏・日蓮大聖人が御図顕された三大秘宝の御本尊を指します。
大聖人が顕わさえた曼荼羅御本尊は「日蓮がたましいうぃすみにそめながして・かきて候ぞ
信じさせ給え」(「経王殿御返事」、御書一一二四㌻)と仰せのように、一念三千の法を
体現された大聖人の御生命をそのまま顕わされた御本尊であり、南無妙法蓮華経を
末法弘通の法体として顕現された当体であるので末法の法宝となるのです。」
(同上、p.136)

「平成5年(1993年)には学会として、日寛上人書写の御本尊を御形木本尊として全世界の会員
に授与することを決定。宗門とは完全に決別し、大聖人直結の広布の教団として、世界宗教
への飛翔を進めていきました」
(同上、p.146)

812沖浦克治:2003/11/09(日) 06:02
 アネモネさん
 あなたは以前私に体験を話すようにとのレスをされました。
 私は体験を語りました。
 然るに
 『個人的にいえば、沖浦さんが努力をされて、名誉ある栄光を勝ち取られたことは、さぞかし誇らしかったことだろうと、心より賛嘆したいと思います。その言動力が、間違いなく創価学会の信心であったということも、まったく理解できます。しかし、それが創価学会の正義の証明になるというものなのかなあ?という素朴な疑問は否めませんね。
 との発言は矛盾をしておられます。
 私が創価学会員で無かったなら、世界で金メダルを取る事は絶対に不意可能だったでしょう。
 たゆまざる向上心を持ちつづけることは、創価学会で学んだ事です。
 私の体験に異を唱えるのであれば、あなたと関係の無いアスリートを引用するのではなく、あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから、体験としてお話ください。
 以前N選手が拙宅にまいりました。
 彼も日本タイトルを持つトップリフターです。
 私の家の仏壇を見て『沖浦さんは創価学会ですか!』と言ったきり黙り込みました。
 数分そのままでしたが、『実は息子が創価学会に入会すると言い出し、家族で反対しているところでした。息子に入会を勧めます。』と言われました。
 私個人の体験が布教に結びついているのです。
 宗教の布教とはかくあるべきです。 
 自分は駄目であるがこの信心はすごい、等という意見はおおかしいと思います。
 信心が生活に顕れなければ何の値打ちもありません。
 あなたのご意見は、生活即信心とは言えないと思います。

813沖浦克治:2003/11/09(日) 06:19
 犀角独歩さん
>746、750、752のわたしの質問にお答えください。
創価学会の功績についてです。
どうぞ。

 この方面に付いてあまり知識がありません。
 男子部時代に原水爆反対の署名をした覚えがあります。
 1500万人(定かではありませんが)ほど集まったと聞きました。
 詳しくお知りになりたいのでしたら、創価学会の広報に問い合わせれば如何かと存じます。

814沖浦克治:2003/11/09(日) 06:27
 アネモネさん
>747>いっき‐とうせん【一騎当千】
一騎で千人の敵を相手にすることができるほど強いこと。一人(イチニン)当千。太平記二八「これら皆―の兵にて」(広辞苑第4版)深層心理というのは、言葉に出るものだなあと思いますね。千人の敵を相手にとは、いかにも猛々しいですが、その敵とは、恐らく私たちのことを意味する心理であり、私たちは今もなお見下されていることが、この言葉からうかがえますね。

 蓮祖門下ですから当然です。
 私は何処を切っても、創価学会員でありたいと願っております。
 
 『かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』( 如説修行抄)

 この御書を拝するたびに、武者ぶるいに似た感覚を覚えます。
 蓮祖門下ですので当然です。

815沖浦克治:2003/11/09(日) 06:36
 無徳 さん
 息子は真面目に信心をしております。
 めったな事では戦死しないでしょう。
 もし不幸にして戦死をすれば、宿命だと思います。
 無論のこと、父親として無事に帰っていと祈っております。
 しかし自らが決めた道です。
 息子は息子の人生です。
 変わってやる事は出来ません。
 父親として、立派に戦って死んで来いと、いう以外の言葉を思い付かないのです。
 私は蓮祖門下の末席を占める人間として、子供たちにイージーゴーイングを教えた事は一度もありません。
 戦場に行って逃げ回るような人間には、育てていないのです。
 臨終正念とは、そう言う人生の延長にあると信じております。

816沖浦克治:2003/11/09(日) 06:40
 愚鈍凡夫 さん
>小生は、常に一人で組織と闘ってきました。あなたには決して理解できないことです。
沖浦克治さんから小生宛レスの返答です。

 私もそうですよ。
 だから世界を目指したのです。
 タイトルを取って以来、組織を堂々と批判できるようになりました。
 これが自分の広宣流布への武器なのです。

817犀角独歩:2003/11/09(日) 06:54

Leoさん、おはようございます。

> Libraさん…学会教学や指導を採用する典型的な「現役創価学会員の発言」と
> 捉えるのは難しいのではないかと思います

Leoさんのご指摘は、わたしの

「現役創価学会員の発言、たとえばLibraさんなどを通じて見る限り、記号論的とも言うべき漫荼羅観に変遷している」

に対して仰る部分ですね。わたしはLibraさんを現役創価学会員の典型と見たわけではないのですが、そのような印象を与えてもおかしくない文章になっています。ご指摘のとおりで、この点は反省します。

提示いただいた学会の、現段階の漫荼羅本尊観指導、ご提示有り難うございました。参考になりました。

寛師が、「本門戒壇の本尊」を特定して説明する内容を「三大秘法の本尊」と言い換えて、自分たちが配布する寛師書写漫荼羅に当て嵌まるように書き換えてありますね。

寛師が「法本尊」というのは「本門戒壇の本尊」ですが、これを「事の一念三千の南無妙法蓮華経」と書き換えている点、また、寛師は「人本尊」を「日蓮大聖人」というのに、「日蓮大聖人の“生命”」と言い換えている点で、異なりますね。

寛師は『本尊抄文段下』で

「法即人の本尊とは一念三千即自受用身の蓮祖聖人これなり。当文及び本尊問答抄、当抄の下の文の「本門の本尊」、佐渡抄の「本門の本尊」の文は並びにこれ人即法の本尊なり。三大秘法抄、報恩抄等は法即人の本尊なり。

…“本門戒壇の本尊”は応にこれ総体の本尊なるべし。これ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応にこれ別体の本尊なるべし。これ則ち面々各々の本尊なるが故なり」

以上のように、明確に板漫荼羅(戒壇大御本尊)と他の本尊を分けています。この二つを同一に論じることを遮しています。学会の本尊観は寛師と異なっていますね。
寛師は、板漫荼羅のみを「一閻浮提の一切衆生の本尊」と断言しています。

参考になりました。有り難うございました。

818沖浦克治:2003/11/09(日) 06:58
 無徳 さん
>>私は私、戸田先生は戸田先生です。
 対等な関係です

>とは、恐れ入りました。
貴方は640でのアネモネさんへのレスにおいて、云々。

 私は心の底から戸田先生を尊敬申し上げます。
 テープを聞く度にその思いが強まります。
 私が入会間もないころ、先輩から頂いた青年訓・国士訓は衝撃でした。
 あの時読まなければ、違った人生になっていたでしょう。
 トレーニングで辛くてくじけそうな時、こんな苦労など戸田先生と比べればなんと言う事はない。と自分に言い聞かせて頑張れたのです。
 池田先生とは思った事がありません。
 無論のこと池田先生も尊敬いたしております。
 戸田先生は、私には特別なお人なのです。
 しかしやはり私は、戸田先生とは人間として対等であると信じております。
 故に一部分でも目標にして頑張ることができたのです。
 戸田先生の指導で、最も感銘を受けた部分を書いておきます。
 『私をよく世間の人が、あなたは会長だから如来様だろう、とか仏様だろうとか言われる。このときぐらい腹が立つことは無い。私は立派な凡夫だ。犬は犬の気持がわかる。人間だから人間の気持がわかるんだ。今後も決して会長を神格化してはいけない。』(趣意)
 私が戸田先生を世界一だと思うには、この指導の故です。
 法主が生身の釈迦、日蓮だとのたまうどこかの人と比較して見れば、明らかですね。

819沖浦克治:2003/11/09(日) 07:02
  犀角独歩さん
>> お分かりかな?

>このような蔑む発言をおやめください。

 私は以後慎みますが、あなたの書き込みにも同類のご発言がしばしば見られます。
 あなたも謹んで下さいませ。

820沖浦克治:2003/11/09(日) 07:11
 愚鈍凡夫さん
>> 金を積んでも世界チャンピオンにはなれませんよ。

>誰とは言いませんが、金を積んで「ブリキの勲章」や「名誉ナントカ賞」をコレクションしている御仁を知っていますが。何か?

 これは池田先生のことでしょうね。
 種種ご意見がおありでしょうが、私の考えを述べえおきます。
 
 『よし!自分も創価学会員として必ず世間のトップとなり、名誉市民の一つでも取ろう!』
 
 このような人間(特に未来部)がたくさんでてこなければ世界広布などは、夢のまた夢でしかありません。

821犀角独歩:2003/11/09(日) 07:58

世界チャンピオン、世界のトップでないと世界広布にならないのであれば「民衆」仏法とは言えないのではないでしょうか。

また、世界チャンピオン、世界のトップになる話は「信心していて良かったと感じた時は、どんな時ですか?」のスレッドがあります。そちらで書かれたらどうでしょうか。

個人的に世界チャンピオンであろうと、沖浦さんの言葉を借りれば「ホームレスでも弁護士でも」、まるでその点は問題になりません。

「何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理なれば仏の如く互に敬うべし」

相手の成功・不成功、尊貴を選んで、法を聞く姿勢は、上述の「御書」からして、仏教の視点からすれば不純であるとするのが「蓮祖の門流」です。

なお、「当如敬仏」は申すまでもなく『妙法蓮華経勧発品』の文です。
蓮祖同様、法華経の精神を尊重してください。

> 法主が生身の釈迦、日蓮だとのたまうどこかの人

などと「どこかの人」の比較しながら、自説を正しいという論法は実に見苦しいですね。他者侮蔑・軽蔑を含んでいます。自分に「揶揄」を向けられることを拒みながら他人を揶揄するわけですか。

ただし、いわれる「持住本仏論」への疑義は、当板では大いに論じられてきたことでした。問題にされたければ、該当する他のスレッドでお書きになったほうがいいいでしょう、「創価学会の功罪」とは関係ありませんので。

ここは組織集団「創価学会の功罪を考える」スレッドです。
沖浦さんの功徳を考えるスレッドではありませんので、長々と世界チャンピオンになった話ばかりを書き連ねられると、テーマ議論が妨害されます。自粛を希望します。

822アネモネ:2003/11/09(日) 08:19
沖浦さん

>私が創価学会員で無かったなら、世界で金メダルを取る事は絶対に不意可能だったでしょう。

これはわかりますよ。原動力であっただろうと想像します。

>たゆまざる向上心を持ちつづけることは、創価学会で学んだ事です。

確かに向上心もお持ちでしょう。客観的にみて、創価学会に限らず、日蓮仏法のよいところは、上昇志向にあるということがいえると思います。
しかし、沖浦さんの書かれた内容からは、宗門が邪義であることを証明せんがためとありまして、それは単なる向上心だけではなく、憎悪の心も原動力にされているなと感じました。私は、失礼ながら、そういう心根が私の思想・信条からいって好きにはなれません。それは、宗教の目指す精神性からいって、そのような憎悪の心こそ克服しなければならないものと思うからです。

>私の体験に異を唱えるのであれば、あなたと関係の無いアスリートを引用するのではなく、あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから、体験としてお話ください。

この考え方は根本的に間違っています。あなたが世界で創価学会の信心を原動力に金メダルをとったという体験に異を唱えているのではありません。名誉あることですが、だからといって、それが創価学会の正義の証明にはならないだろうということを言っているのです。正義を証明するというのならば、世界一になられたあなたが、どのような人間性を人々に示していくかにかかっているのではないでしょうか。この掲示板での言動もその一分に含まれます。宗門憎しをあらわすることが、正義だと思ったら大間違いです。
宗教の正義は、憎悪を克服したところにあるといえます。そうでなければ、平和思想には到底至らないでしょう。
それから、「あなた自身が何らかの方法で世界を取ってから…」ということですが、これは世界一という権威を盾にしたまさに権威主義的考え方といえ、宗門の権威主義と何ら変わりません。宗門の批判はできないでしょう。

>信心が生活に顕れなければ何の値打ちもありません。

信心が値打ちと捉えるところが、私とは感覚が違います。
信心は、心の問題です。生活に顕れるとすれば、心の持ちよう、心のあり方だと思いますね。少なくとも、憎悪の心を持っていては、どんなに良い生活でも心は荒廃しているといえます。

>あなたのご意見は、生活即信心とは言えないと思います。

生活即信心はわかりますが、生活の捉え方があなたとは違います。
そもそも、宗教に求める価値観が違うのです。
あなたの書き連ねる価値観は、創価学会によって培われた価値観だろうと思われます。その創価学会によって推奨されてきた価値観というものの功罪をここで批評しているといってもいいのです。
法華講のときでもそうでしたが、大半の信徒の方々のお話を聞いていると、地位や名誉や名声や財力や学歴…そういったことで人の評価を定めているわけです。そうなっていくことが、境涯(境界)を高めることだというのです。私は、宗教が目指す精神性からいって、この価値観は、正しいとはいえないと思っています。
心がどうあるかということにおける向上心が全く欠落している点を、問題視しています。そのことから起きている心の弊害が多いのではないかと思っているのです。
歪んだ価値観が、人格形成に多大な悪影響を及ぼすことがあります。
ですから、社会的影響の多大な創価学会の功罪を通して、そこで推進されている価値観を検証してみているのです。
そのためには、ご自分の教団を客観視することです。悪いところもあるはずです。それがわからない、もしくはあっても口に出来ないとすれば、そのことが既に、弊害であり罪過といえることなのです。そのようなことは間違いなく、そこに所属する人々の人格形成に影響を及ぼすことが考えられるのです。だからそこを検証しているのです。

823アネモネ:2003/11/09(日) 08:38
(つづき)
>>その敵とは、恐らく私たちのことを意味する心理であり、私たちは今もなお見下されていることが、この言葉からうかがえますね。
>蓮祖門下ですから当然です。

私たちをあなたが見下すことは、蓮祖門下であるから当然だということの明らかなる証拠を提示してください。

それからここでも私たちを見下していることを認めていらっしゃいますが、このような心持でいらっしゃるならば、他の参加者に不快感を与えるばかりで、議論の妨げとなります。掲示板の趣旨に反し、この気持ちに変わりはないのならば、何度も申し上げているように、この掲示板への参加はご遠慮願いたいです。

>この御書を拝するたびに、武者ぶるいに似た感覚を覚えます。
 蓮祖門下ですので当然です。

如説修行抄は、日蓮が書いた御書ではないかもしれません。
この掲示板における御書真偽問題の流れについては、認識されていらっしゃいますか?

824アネモネ:2003/11/09(日) 09:17
考えさせられることばかりです。
境涯(境界)が高まるということは、人を見下すようになることであり、創価学会ではそのような人間教育をしているものなのでしょうか。
そしてそれが日蓮仏教というものなのでしょうか。

825犀角独歩:2003/11/09(日) 09:51

アネモネさん:

「境涯が高まる」は日蓮仏教とは関係ありません。
「一流になる」にしてもそうです。両方とも学会の考えです。

このような考えは、入会していない人を「境涯が低い」と見下す差別生に基づくと取られますね。また、「一流・一流でない」という分別観は人間を尊卑、上下でみる差別生が既に胚胎していると、わたしには見えます。

もちろん、一流であることは否定されることではないと思います。
けれど、それは世間のことに属します。
一流への拘りから仏教を見れば、既に蓮師の教えに反します。
以下のような「御書」があります。

「名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし」

「一流などということは今生の飾りに過ぎない。自ら自惚れ偏って執着が強いのは、後生の枷(かせ)になるばかりである。ああ、恥じるべきである、恐れるべきである」ほどの意味となるでしょう。

ところで『如説修行抄』の真偽に触れられていますが、仰るとおり、真跡が残っていませんね。ただし、祖滅100年頃にまとめられたと思われる禄内に既に収録されていたようです。真跡主義からは採用はしませんが、名文ですね、たしかに。

この真偽は別として、もしこの御書を引用するのであれば、以下の部分を認めることになるでしょう。

「所詮仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」

創価学会で言えば、「人」にはもちろん、戸田さん、池田さんも入るでしょう。
この明文は、日蓮文献主義が経(論・釈)で一貫している証左です。「人の言葉を用いてはいけない、仏の言葉である」というのが蓮祖門下不動の鉄則です。蓮祖門下を名乗るのであれば、厳守しなければならないでしょう。まして、この御書を引くのであれば、なおさらです。また、この御書には

「我等が本師釈迦如来」

と明言もされています。ところが日蓮本仏圏では御書中の「釈迦」は「日蓮」と読み替えて成り立ちます。これをわたしは蓮師の素意の改変と難じてきたわけです。

さて、教学的な話はさておきます。
アネモネさんの「常識」を、わたしは指示しますよ。

827問答迷人:2003/11/09(日) 10:06

沖浦克治さん
アネモネさん

横レス失礼します。

真蹟はありませんが、録内御書の十法界明因果抄に、摩訶止観の文が引用されています。

『第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視(みおろす)が如し而も外には仁義礼智信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。』

この摩訶止観の文を基準とすれば、沖浦克治さんの仰っておられることは、僕には、修羅道の定義にぴったりと当て嵌まっているように読めてしまいます。僕の読み方が間違っているのでしようか。

828アネモネ:2003/11/09(日) 10:39
犀角独歩さん

私の素朴な疑問に、早速明快なレスありがとうございます。
大変勉強になりました。

>「境涯が高まる」は日蓮仏教とは関係ありません。
「一流になる」にしてもそうです。両方とも学会の考えです。

やはりそうですか。この考え方の根本はどこから始まっているのでしょう。
私は、この考え方の弊害、つまり人を蔑視する心ということによる罪過は大きいと思うのです。
創価学会のいう人間主義とは、このような価値観の人間教育を目指しているところなのでしょうか。

>『如説修行抄』…祖滅100年頃にまとめられたと思われる禄内に既に収録されていたようです。

ありがとうございます。勉強になりました。

>この明文は、日蓮文献主義が経(論・釈)で一貫している証左です。「人の言葉を用いてはいけない、仏の言葉である」というのが蓮祖門下不動の鉄則です。蓮祖門下を名乗るのであれば、厳守しなければならないでしょう。

これは大事なことですね。踏み外してはならないところでしょうね。
これを踏み外したところに、蓮祖直結もないものといっていいのではないでしょうか。

>「我等が本師釈迦如来」…と明言もされています。ところが日蓮本仏圏では御書中の「釈迦」は「日蓮」と読み替えて成り立ちます。これをわたしは蓮師の素意の改変と難じてきたわけです。

ここが日蓮本仏論で常に問題にしてきたところでしたね。日蓮を本仏とすることが、日蓮の考えであったか否か、そのことひとつで、御書や経文の解釈がでまるで違ってきますね。
創価学会の功罪を考える中でも、日蓮本仏論の影が落とされていることは、見過ごせないところのようですね。

>アネモネさんの「常識」を、わたしは指示しますよ。

ありがとうございます。

829アネモネ:2003/11/09(日) 10:39
827 問答迷人さん

浅学ながら、私にもそのように読めてしまいます。
誰しもそのような修羅道の心というのは持っているものですが、仏教を志すからには、そのような心を克服していくところに、その道が求められるものと思いますね。
それこそが、生活に顕れる心のありようという「結果」ではないかと思います。

830愚鈍凡夫:2003/11/09(日) 12:09

> 『よし!自分も創価学会員として必ず世間のトップとなり、名誉市民の一つでも取ろう!』

こういった考えを少年少女に刷り込むことは、「目標達成すれば、手段は正当化される」という発想を植え付ける危険性を孕んでいます。
これは、「如何なる手段を講じても、社会のトップになれ」という考えを正当化することでもあるでしょう。そして、人の犠牲(不幸)の上に自らの幸福を築くことを肯定するようなものです。
また、仏法とはほど遠い差別意識を植え付けることにもなるでしょう。
やがて、サバイバルゲームからドロップ・アウトした大多数を畜生道・修羅道まっしぐらの「危ない面々」に変えていくことになるのではないでしょうか。
まるで、現代社会の病巣を垣間見るような感じです。

「人のために、社会のために、何を成し得るか」
との発想ができる、想像力の豊かさを育成すべきではありませんか。

831犀角独歩:2003/11/09(日) 14:09

創価学会の功績を考えてみようと、やや蛮勇を起こし、本棚から少しばかり残っている古い学会書籍を引っ張り出してみました。「創価学会の功罪を考える」うえで、些少の資料を提供しようと思います。

『会長講演集』第5巻(昭和37年1月29日初版/創価学会)にこんな一章があります。

『世襲制は邪宗教の姿』
「先日、ある学者がきて「創価学会は世襲制はありませんね』という話が出ました。封建制度の残骸の一つに世襲制度という制度が現存しております。他の団体はいざ知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって、世襲制度ということは、もっとも誤った、いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正佼成会も、ぜんぶ世襲制度であります。
 代々の財産をそのまま受け継いで、金もうけをしようという、その縮図であるし、その一端だけをみても、彼らに真の仏法は、真の宗教はなく、『邪宗教である』と断言できると私は思うのです。
 日蓮正宗は、そして、創価学会は、永久に世襲制度はありません。あくまでも、師弟の相対のうえで立って、もっともすぐれた弟子が創価学会の代々を継いでいくことになっておりますから、そのつもりでおっていただきたいと思います」(P20)

「世襲制度は邪宗教」、果たして、池田さん没後、創価学会がかつての池田さんが宣言する如き「邪宗教」になるかどうか、その後を見守りたいと思います。

833沖浦克治:2003/11/09(日) 21:51
 どうも皆様方は、どうあっても私を差別主義者の悪人にしたいように感じます。
 私の謝罪以後のレスで、あなた方を馬鹿にしているところがありますか?
 体験の裏づけが無ければ、民衆は信用しないでしょう。
 私はアネモネさんに体験を話すように勧められた時、必ず揶揄をされると言いましたよ。
 皆様方、特に犀角独歩さんの書き込みからは、100%私の成功の体験は自慢話だ、と攻撃されると思っておりました。
 犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。
 私は体験主義者です。
 自らの功徳の体験と、向上の見られない信心等には、何の値打ちも無いと信じております。
 何故皆様方は、自らの功徳の体験を通して蓮祖の法を語れないのか、と疑問に思います。
 創価学会の功の部分は、私のような社会から見放された人間に生きる勇気と希望を与え、見事に蘇生をさせた所にあります。
 私の周りには、同じような体験を持つ人々が何十人といます。
 異口同音に自分が今日あるのは創価学会のおかげ、と感謝をしております。
 この事実を、皆様方はなんと見られるのでしょう。
 少なからず残念に思います。

834犀角独歩:2003/11/09(日) 22:59

沖浦さん:

> …自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。

これはご自身のことではないでしょうか。

> 何故皆様方は、自らの功徳の体験を通して蓮祖の法を語れないのか、
> と疑問に思います。

この理由は至って簡単です。
たとえば、このスレッドは組織集団創価学会の功罪を語るスレッドであるように、それぞれのテーマに沿って議論を進めているからです。組織集団を論じるところで、個人の体験を語ることは場違いだからでしょう。

> 創価学会の功の部分は、私のような社会から見放された人間に生きる勇気と
> 希望を与え、見事に蘇生をさせた所にあります。

わたしは創価学会から見放された4桁にも上る方々の立ち直りに関与してきました。

> この事実を、皆様方はなんと見られるのでしょう。

そうです。ですから、このわたしの体験を沖浦さんはなんと見られましたか。
「退転した人間には興味がない」と見放しただけでした。
ですから、

>  少なからず残念に思います。

という沖浦さんとは反対の意味で、そのように沖浦さんが“臭い部分を見ようとしない”姿勢を残念に思うわけです。

835犀角独歩:2003/11/09(日) 23:09

重ねて沖浦さん:

わたし達“退会者”のことを、ハッサン師はご自分のことを含めて以下のように記してくれています。

「自分が学んだことや、知りあって好きになった人々をすべて受け入れ、それを統合して、新しい自意識を作る必要があった。古い自意識を統合して新しい目標をつくることで、元メンバーたちはとても強くなる。彼らは勝ち残り組なのだ。彼らは苦難と虐待に耐え、情報と自己反省で敵を克服することができたのである」

836沖浦克治:2003/11/10(月) 00:01
>ハッサン師

 このお方はどのような人ですか?

837沖浦克治:2003/11/10(月) 00:02
『よし!自分も創価学会員として必ず世間のトップとなり、名誉市民の一つでも取ろう!』

 刷り込みなどではありませんよ。
 自然な意志です。

838MILD SEVEN:2003/11/10(月) 00:59

<<<創価学会 問題>>> 再び。

<池田大作大先生 発言>

「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 (扶養研修所での指導)

「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会)

「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ!」

「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」

         ・・・・・・・・・・・・

まったくの新興宗教 創価学会・池田教。
池田氏・創価の体質はこんなところです。
人権侵害・名誉毀損は当たり前でしょう。
下品な事は相手にしない事です。
永続的一貫性無き宗教は危険です。
カルト体質の集団の呪文は呪われていると考えるのは当然です。
むやみに他宗を批判する前に、自分達の信心を再検討するべきです。

自由の砦によれば。
フランスではすでに、国会が創価学会を「危険なカルト教団」と認定している。とあります。
・・・・・・・「最近、同様の事件に対し、二件の判決が下りた。その二件とも、創価学会をカルトだと認定しました。
 裁判で信者(学会員)は負けました。裁判官は、子供に学会の呪文を唱えさせることは精神錯乱を引き起こすので危険だ、と認め、子供を学会の修行から遠ざける判決を下した」 と説明を加えました。

下記参照
http://www.toride.org/

私は基本的に他人の信じる道を侮辱したりしません。
世の中迫害よりも営業でしょう!
私が創価に求めているのは、悔い改めと改善です。

・・・・・・・・・・・

<獣・666>は比喩「ヨハネの黙示録」

<おろち> も比喩。

日蓮氏の立正安国論でも・・・。
・・・「国土乱れん時は先ず<鬼神>乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。・・・。
歴史は繰り返す。
・・・・・・自界叛逆の難・・・・・・・。
上記は何でしょう? 単純に考えれば、宗門・僧侶への反逆行為!?
やはり、池田創価でしょう!
創価は僧侶を認めない・侮辱する存在。
普通の仏教界も知っています。
しかも、他宗を裏切った者達による、元の宗門への反逆活動・策略は言わずと知れた事。

平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。

しかし、現実にカルト組織は存在します。
しかも、これは霊的な問題でもあります。
世界は研究しています。

カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

839アネモネ:2003/11/10(月) 01:04
沖浦克治さん

>どうも皆様方は、どうあっても私を差別主義者の悪人にしたいように感じます。

誰も沖浦さんにレッテルを貼ろうという思いではありません。ただし、沖浦さんの言動に差別意識が感じ取られて、そのことが指摘されてしまうわけです。そして、そのことを「創価学会の罪過」として捉えて問題視してしおります。だからといって、沖浦さんのことを差別しているわけではありません。創価学会の組織の問題として考えています。

>私の謝罪以後のレスで、あなた方を馬鹿にしているところがありますか?

途中から謝罪はされて、かなり言葉は改められたようにも思われますが、しかしこれは、沖浦さんの内心のことですら、その後の投稿においても、その内心の心情が否応にも言葉の端々から感じとられたことは、どうしても否めませんでしたね。その点、沖浦さんは、正直な方ということなのかもしれません。

>私はアネモネさんに体験を話すように勧められた時、必ず揶揄をされると言いましたよ。

私もそのことはよく覚えております。一応、私のレスも以下、転載しておきます。

>>もしも、差し支えなければ、沖浦克治さん自身が体感された戸田さんから学んだことなど、ご自身の人生を通しての体験を、できれば具体的にこの場で語ってみられてはいかがでしょう。いわゆる座談会における体験発表ですね。もちろん、内容によっては突っ込みや反論はあるかもしれません。しかし、その中から創価学会の功罪の功の部分も見えてくるかもしれません。

私のほうからも、内容によっては、突っ込みや反論があるかもしれませんと書いてあります。また、創価学会の功徳の「功」の部分も見えてくるかもしれませんとも申し上げておりましたが、しかし結果的には、私の目からみると「罪」の部分が見えてしまった気がしますね。
ものの捉え方、見方は様々で、尺度や価値観が違えば、個人的には功徳と思えたことも、社会的みれば罪過と通じてしまうように捉えられる場合もあるものです。主観と客観の違いはここにあります。
そのようなことにも目を向けてきた掲示板ですから、創価学会での体験発表通り、満場の拍手喝采では終わらず、突っ込みや反論が出てくることは、この掲示板の趣旨からいって仕方のないことですね。

>皆様方、特に犀角独歩さんの書き込みからは、100%私の成功の体験は自慢話だ、と攻撃されると思っておりました。

そういうことではないのです。人生の成功のその影に、信心という原動力があったことは、誰も否定しないでしょう。だけど、だからといって、それが即その教団の正義というものの証明になるものではないということを、大局的にみて、もう一歩踏み込んで考えてみることはできませんか。そのことを議論として試みてきたのが、この掲示板の流れといえるのですが。

>犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。

今の時点ではそうでしょう。だけど、かつて犀角独歩さんも、沖浦さんのように創価学会を誇りに思って信心活動をしていた時期があったわけですから、沖浦さんがここに書き連ねたられたことは、その心情はよく理解されていることと思います。もちろんこれは、ご本人に聞かなければ本当のところはわかりませんが、独歩さんだけではなく、創価学会に命懸けで人生を捧げてきた人は、この掲示板の参加者にたくさんいらっしゃることと思います。
ただし、それぞれ何か思うところがあって、脱会の道を選ぶに至っているのです。
その思うところが何なのか、なかなか言えなかったその思いというものを問題提起としてこの場に投稿し、議論を投げかけてきたのがこの掲示板なのです。そこにこの場の大きな意義がり、そこに賛同する人たちが集っているといえると思います。

840アネモネ:2003/11/10(月) 01:05
(つづき)
>自らの功徳の体験と、向上の見られない信心等には、何の値打ちも無いと信じております。

仰りたいことはわかります。ですが、ここでは、もう一歩進んで考えてみてほしいのです。
功徳とは何か、向上とは何かです。そのような根本的なところを、このスレッドでは考えてきているのです。

>何故皆様方は、自らの功徳の体験を通して蓮祖の法を語れないのか、と疑問に思います。

誰しも語れないわけではありません。それぞれに相応の体験はあるでしょう。しかし、真の日蓮仏法に照らして、本当の功徳とは何かということからここでは考え直してきているのです。

そもそも功徳とは、「積功累徳」ということで、徳が授かることではなく、徳を積むことのはずですね。功徳ということも、自分がどのような徳を積んだのかという話でなければならないわけです。
さらにもっと根本的なことも議論してきています。それは蓮祖の仏法とは、何であったのか、もしくは蓮祖が求めた仏法とは何であったのかといった、本当に根本的なところからの検証再考の議論なのです。
ですから、たとえば「創価学会は正義だ」といった、結論ありきから始める議論ではないのです。むしろ、「創価学会は本当に正義なのか?」という疑問から始める議論といってもいいかもしれません。
しかし、創価学会を絶対的に誇りに思う沖浦さんにとっては、そのような問題提起から始まる議論が、相容れず馴染まれないのだと思います。
しかしそれは、それでいいのです。ただ同じ問題意識を持つ者同士が集って、気持ちよく議論をすればいいことですね。そのようないわば同じ土俵に立てないうちは、議論にならないということだと思います。

>創価学会の功の部分は、私のような社会から見放された人間に生きる勇気と希望を与え、見事に蘇生をさせた所にあります。

個人的に沖浦さんのことを存じ上げているわけではありませんが、客観的にみて、このような社会的功績は確かにあっただろうと私は思っております。
ただ、それだけでは最高の教えだといえるものではありません。なぜならば、社会から見放された人を救ったはずの教団が、今度は、教団に属さない人々や、教団から離れる人々のことを蔑む心を育んでいることが見えてきているからです。そこを罪過として捉え、いかにして克服していくかということが、今後の課題といえるのではないでしょうか。
このことは、謝罪までされた沖浦さん自身の実際の投稿で明らかになったことともいえますね。

>私の周りには、同じような体験を持つ人々が何十人といます。
異口同音に自分が今日あるのは創価学会のおかげ、と感謝をしております。

ここに参加されている方々だって、同じような体験を持っていらっしゃることでしょう。それを、創価学会のお陰と思っているか、日蓮仏法のお陰と思っているか、もしくはもっと別のことを考えているか、創価学会=日蓮仏法とならなくなってしまった人もいるわけですから、それは人それぞれかもしれません。
だけど、日蓮聖人への思いは変らないのです。だからこそ、このような形で、ここに参加して日蓮仏法に触れているのです。その点での日蓮聖人への思いは、富士門流という枠組みにおいて、ここでは皆、心は同じだと思いますよ。

>この事実を、皆様方はなんと見られるのでしょう。
 少なからず残念に思います。

それが、信教の自由というものですね。自由に信教の道を選んだ結果が、この掲示板の形に表れていると思います。

841アネモネ:2003/11/10(月) 01:30
沖浦克治さん

補足です。
>犀角独歩さんの過去レスを読ませていただきましたが、自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向を感じます。

自分と相容れないのではなくて、きっと、かつての自分を見ているような思いで、反論の投稿をなさっているのかもしれません。
沖浦さんは、独歩さんとの対話を最初からずっと拒絶されておられたようでしたが、一方の独歩さんは、言葉は痛切ながら、ここに至っても、沖浦さんにレスを向けています。
考えてもみて下さい、沖浦さんのことを、拒絶されてはいないという見方もできるかと思いますよ。

842犀角独歩:2003/11/10(月) 10:09

> 836 沖浦克治さん

>> ハッサン師
> このお方はどのような人ですか?

「ご存じないですか? 驚きです」と言っても揶揄ではありません。
「そうだろう」と思っただけですが。

Steve Alan Hassan
http://www.freedomofmind.com/

霊感商法、違法伝導訴訟、青春を返せ裁判の統一協会
地下鉄サリン事件のオウム真理教
詐欺の法の花三法行
ミイラ事件のライフスペース 等その他多数
一連のカルトを違法たることを証明する基礎理論を提供したカウンセラーです。

主著『マインド・コントロールの恐怖』
(恒友社発行/著者 スーティーブン・ハッサン /訳:浅見定雄)
以下のページに目次が載っています。

http://hanbai.com/lib/book/mind_cont.html

843犀角独歩:2003/11/10(月) 10:53

また、自己レスですが

> 一連のカルトを違法たることを証明

というより、
メンバーの心理状態が破壊的カルト・マインド・コントロールという第三者による心理操作された状態にあることを社会心理学を応用して証明することによって、グループの違法たることを証明
としたほうが、より正確かもしれません。

844犀角独歩:2003/11/10(月) 16:38

アネモネさん:

このような応答も「横レス」というのかわかりませんが、記述いただきましたわたしに係る部分に就き、少し書かせてください。

(>> 100%私の成功の体験は自慢話…攻撃)
> …人生の成功…信心…原動力…誰も否定しない

そうです。この部分を言っているわけではありません。
ここのところは、スレッドテーマから逸脱している。だから個人体験は「信心して良かった」のスレッドにでも投稿すればよいと促しているわけです。

> それが即その教団の正義というものの証明になるものではない…

同感です。
信仰を基盤に人生の成功を収めた人は信仰集団の数と同じだけあるでしょう。
それが自分たちの信仰における成功のみの喧伝は客観性を感じません。
社会心理学で言う「個人的リアリティ」は、あくまで主観に過ぎません。

(>>犀角独歩さんの過去レス…自分と相容れない考えの持ち主を激しく責める傾向)
> 今の時点ではそうでしょう。

この時点で言えば、相容れないわたしをいきなり「境涯が低い」「程度が低い」などと激しく責めてきたのは沖浦さんのほうです。この批判に甘んじる理由はわたしにはありません。

しかし、それ以前には他の方との激しい議論のなかで、証拠も提示せず、一方的に自己信念を押し付けるような横暴な態度に対しては断固たる態度を採ってきたのもまた事実です。ここで共通していることは相容れないわたしに対する人格攻撃と侮蔑、無礼があったことです。そもそも「脱会者」「退転者」などと侮蔑される謂われは微塵もありません。

> …かつての自分を見ている…反論の投稿

生まれながらの創価学会員であったわたしは、いわゆる体験談はいくらでも知っています。自分も個人的な体験は語りきれないほどあります。しかし、その実否を考え直してみる必要がある、それは脱会に至る極自然なプロセスです。その意味において、個人的な体験談を集団の功績としてしまうことを短絡であるとみます。

> 沖浦さんのことを、拒絶されてはいない

そうですね。誰人も拒絶しません。
ただ、わたしは特定集団の一方的な宣伝は拒絶します。
だいたい、それは掲示板のルールに違反しています。

ここでの特徴は、たとえば顕正会員が顕正会の問題点を提示して、会の是正を考えたり、富士門流の現行教義を富士門信徒の立場から考えるなど、自己の信念体系を自分の責任に基づいて考えてきたところに意義があります。

ですから、希望を述べれば、沖浦さんが国立戒壇、御肉牙、戸田本仏論、池田本仏論、戸田・池田血脈相承という学会内に胚胎した過ちを積極的に否定したように、その他、創価学会の問題点を洗い出し、より前進するための方途を考えるべく、このスレッドを応用されることです。

一つの事例として創価学会が沖浦さんが世界チャンピオンになるのに役立ったことはわかりました。しかし、それは一事例に過ぎません。何度となく繰り返すとおり、ここは創価学会の功罪を考えるスレッドですから、「沖浦さんの」体験ではなく、「創価学会の」功罪を論じようと繰り返してきたわけです。
この姿勢はスレッドテーマの尊重という当然の帰結です。

845犀角独歩:2003/11/10(月) 16:38

―844からつづく―

> 犀角独歩…脱会の道を選ぶ…なかなか言えなかった…問題提起

そのとおりです。沖浦さんが反省・謝罪した点ですが、「心の底より見下す」ことをしたのは何も沖浦さん一人ではありません。多くの創価学会員から脱会前後、実にひどい目に遭わされた経験があります。しかし、先にも提示したハッサン師の言葉のとおり、「苦難と虐待に耐え、情報と自己反省で敵を克服」し生き残ってきたわけです。

ここでいう「敵」とは何であるのか。それは脱会者を憎悪し、あるいは無視して非人道的に扱う態度と行動です。わたし達のことを沖浦さんが「退会者」と言い換えた。この点をわたしは評価します。しかし、それ以前に書いていたとおり「退転者」という汚名で侮辱されてきたわけです。それ以前でも、集団で悪者扱いをされ、「裏切り者」「恩知らず」と組織を挙げて人間性を貶められてきたわけです。それにも関わらず、現役学会員にはまったく罪の意識というものがない。反省もないわけです。それでも、10月18日以降の投稿で「心の底から見下し」「退転した制裁を受けるのは自業自得」だと下沖浦さんがわずかでもその姿勢を改めたことは評価できるところはあります。しかし、まだ我々の苦しみ・痛みの本質が理解されていないと残念に思うわけです。

我々脱会被害者は、学会の罪過を言おうものであれば、人格攻撃をされ、その口を封じられるという発言それ自体のを弾圧を受けてきたわけです。ようやくとこの掲示板に辿り着き、思いの丈を吐露し始めれば、またもや創価学会(員)による妨害です。自由に意見を述べることはさせないわけです。

ここは創価学会の掲示板ではありません。
原則的に自分たちの経験、蒐集した資料から学会問題を考えることは自由です。
むしろ、それを封殺する一方的な布教活動こそ、否定されなければなりません。

反面、わたしは沖浦さんの言論を封じているのではなく、証拠を示さず、一方的な布教を行う点に異議を唱えているわけです。ここが「相容れない相手」にあったときの対処の、沖浦さんとわたしの相違点です。

> 「創価学会は正義だ」といった、結論ありきから始める議論

この点が最も重要な点ですね。
結論に「到るため」の議論の場が、ここであるとわたしも思います。
ですから、このスレッド「創価学会の功罪を考える」の結論が、もしかしたら、「創価学会はすばらしい」という結論を導き出すことになるかも知れません。その点はまさに未知数そのものです。また、むしろ、そのような万人が認める創価学会の功績を披露できるのはわたしたち脱会被害者であるというより、沖浦さんのような現役会員でしょう。ですから、大いに集団組織創価学会の功績を披露するように促しているわけです。なぜ、なさらないのか不思議で仕方ありません。

いずれにしても、罪過を述べるのも、組織集団・指導者の功績を述べるのも、何ら妨害されることなく、冷静な議論を希望します。その場合、議論の健全さ、正当性を決めるのは、やはり、挙証責任を果たすことに尽きるとわたしは思うわけです。

マイルド・セブンさんが、種々、創価学会、または池田さんに係る問題点をネットから抽出しては紹介してくれます。なかなか参考になります。これは罪過面の提示です。

同じように沖浦さんも創価学会の功績面を提示されればよろしいのではないでしょうか。「個人的な功徳」はよくわかりました。今度は集団・組織・指導者の功績をご披露くだされば、比較対照の資糧とできます。

ただ、そこで提示される資糧の適否、実否は重要な点ですから、資糧吟味の段階で十分に質問をさせていただき、その適正を判断したいと思います。

このようにわたしは考えています。
スレッドの提案者であるアネモネさん、どうでしょうか。

846沖浦克治:2003/11/10(月) 17:54
 あらゆる宗教は個人の体験から始まっています。
 キリスト教はキリストの個人的な行動から、仏教も釈迦の個人的な悟りから、蓮祖の個人的な行動から日蓮系が発生いたしました。
 それずれの宗教を広めた原動力も、信者の個人的な体験に基ずく個人的な行動によるものです。
 創価学会の功罪を考えるにあたり、個人の体験は避けて通れません。
 創価学会は個人の集団であり、その功績は個人に行為の積み重ねなのです。
 皆様方のご主張のように、個人の体験を重要視出来ないのであれば、創価学会の真実の姿など見えるはずもありません。
 宗教とは、純粋に個人的体験から出発しているのです。
 個人をはなれて評価などは不可能でしょう。
 
 PS
 ハッサン師なる人物が、蓮祖と並ぶべき人物であるとは思えませんが、もしそうであればどなたか証拠をお示しください。
 私にはハッサン師が、沖浦克治になんら影響をおよばせないと感じます。
 現段階で個人的には、弁護士でもホームレスでもハッサン師でも、といったところです。
 サイババ師も、同類かも知れませんね。

847:2003/11/10(月) 18:24
沖浦さんはこの掲示板で、最終的にどのような結論をめざしておいでですか?
1対7程相手の討論で「私は勝った」「反創価をやり込めた」ですか?

ハッサン師が蓮祖と並ぶべき人物などと、どなたも言われておりません。

848沖浦克治:2003/11/10(月) 19:12
 路さん
 最終的な結論はそれぞれの個人が出すべきです。
 私は私の立場で資料を提供しているにすぎません。
 7対Ⅰでも1000対1でも私のスタンスは変わりません。
 勝ち負けは、どちらが人生で成功をおさめ、蓮祖の法の正義なることを証明できるか、にかかっています。
 簡単に言えば、どちらが世間で一流になるかです。
 これ以外に証明のしようはありません。
 自分は駄目だが蓮祖は正しい、などは馬鹿げています。
 この掲示板に参加されている皆様方も、自らの体験で蓮祖の正義を語らねば世間は信用をしないでしょう。
 世間から離れて仏法はありません。
 世間の人々の中で、自らの体験に基づき蓮祖の法の正しさを証明できなければ、無力な人間です。
 ハッサン師については、あなたのご意見を支持致します。

849ガンコ:2003/11/10(月) 19:39

相変わらずですねえ、沖浦さん

質問があります。
息子さんのことに触れられていましたが、けっこう迷惑しているんじゃないですか?
ちゃんと許可をもらってるんですかね。

850:2003/11/10(月) 19:44
「自分は駄目」と人が言うとき、そこに「謙遜」の意味があることも
あります。「世間で一流」に人格のすばらしさも加えてください。

蓮祖の法の正義を語るとは、折伏するということですか?
私は、犀角独歩さんが過去にいわれた
「菩薩の生き方を教えたのが法華経」という捉え方がいちばんしっくり
します。 仏法の正しさの証明方法は、ひとそれぞれだと思います。
信仰を「何のために持つか?」というのも、それぞれです。
お互いに相手を自分色に染めることは、大変難しい。

851アネモネ:2003/11/10(月) 20:25
>息子さんのことに触れられていましたが、けっこう迷惑しているんじゃないですか?
ちゃんと許可をもらってるんですかね。

そうそう、私もそう思って気にしていました。血のつながった親子といえでも、人格は別の個人なわけですから、たとえ親でも、ご子息の名前や年齢・職業といった個人情報を本人の許可なく公開することは、人権侵害にも抵触しますし、ここの以下の禁止事項にも反しますね。

2 他人の個人情報(実名、住所、年齢、電話番号、メールアドレス、家族構成、勤務先情報、等)を、掲示板で公開してはならない(ペンネーム、ハンドルネームと実名を特定させるような書き込みを含みます)。但し、以下の一から五については、この限りではないが、これらの個人情報の公開に当たっては、充分個人の人権に配慮し、節度を持って行うこと。

852アネモネ:2003/11/10(月) 20:29
路さん

はじめまして。

>850
私も同様に思います。

853アネモネ:2003/11/10(月) 21:38
845〜846
犀角独歩さん

>だから個人体験は「信心して良かった」のスレッドにでも投稿すればよいと促しているわけです。

そうですね。この点は、私にも大変な落度があったと思っています。実際に、沖浦さんに自己体験を語ることを勧めたのは、他でもない私でした。このような混乱を招いた原因は、無知な私にもあったものと、反省しているところでもあります。

このようなネットの場ではありますが、直接現役の創価学会の方と対話を試みたのははじめてでしたが、私の正直な感想としては、自分と自分の教団を客観視する意識というものが見受けられない。何度も書いたことですが、その罪過というものを感じました。
信仰というのは、自己陶酔の作用というのは大きいですね。それがプラスに働いて、何かの原動力になることは多いと思いますが、マイナスの作用、つまり弊害も大きいと思います。それは、社会性の欠如、エスカレートすれば、社会的孤立というものを招きやすものではないかと懸念されますね。

>社会心理学で言う「個人的リアリティ」は、あくまで主観に過ぎません。

本当にその通りだと思います。またそれは、そのまま信仰の落とし穴でもあるだろうと思いました。

>「境涯が低い」「程度が低い」などと激しく責めてきたのは沖浦さんのほうです。この批判に甘んじる理由はわたしにはありません。

当然のことと思います。傍で見ていても、決して快いものではありませんでした。
しかし、素朴な疑問ですが、いつも他者に対してあのような心持でいるということなのでしょうか。もしもそうだとすれば、社会適応そのものが危ぶまれるものではないかと思います。信仰が受け入れられないのではなく、そこで培われた人格が社会から受け入れられるものではないでしょう。集団的孤立とでもいえばいいでしょうか。なにかそのようなものを感じます。人間主義といい、庶民の立場といい、民衆の立場などと訴えながら、実際に社会における円滑な人間関係は困難なのではないかと思いますね。ここで起きたような摩擦は、決して珍しいことではないのではないでしょうか。

>他の方との激しい議論のなかで、証拠も提示せず、一方的に自己信念を押し付けるような横暴な態度

裏付けの示せない自己信念の断言は、単なる一方的な押し付けであり、とうてい議論にはなりません。時間とエネルギーが消耗するだけですね。

>自分も個人的な体験は語りきれないほどあります。しかし、その実否を考え直してみる必要がある、

私にはたいした体験がそもそもありませんので、だいたいの体験談は疑ってかかりますね。不思議だの奇跡だのといわれても、ほとんどピンときません。むしろ、私はかれこれ約三年前になろうとしていますが、この掲示板にたどりついた偶然のほうが、よほど奇跡に思えるくらいです。
だいたい、個人の信仰的体験談は、他の宗教団体でも同じような成功話や奇跡話が腐るほど語られています。となると、それだけでは正邪の証明には全くならないと思います。
ですから、私は、その人の思想性や人間性、そして人格や人柄、そういったところを見ようとしてしまいます。それにしても、そこを見る私に、真価をキャッチするだけの感性や感覚が備わっていないと、その判断もわかるものではありません。やはり、仏教でいうところの八正道が求められるところだなあと思いますね。

854アネモネ:2003/11/10(月) 21:39
(つづき)
>ここでの特徴は、たとえば顕正会員が顕正会の問題点を提示して、会の是正を考えたり、富士門流の現行教義を富士門信徒の立場から考えるなど、自己の信念体系を自分の責任に基づいて考えてきたところに意義があります。

仰るとおりですね。富士門信徒の掲示板という、大きな枠組みの中での集いであるということ。まずここに大きな意義があるということに、今回、改めて気がつきました。
私は幸運にも、ほぼ掲示板が立ち上がった当初から参加させて頂いておりますが、立ち上がった当初は、まだ議論そのものが混沌とした状態であり、試行錯誤だったと振り返ります。しかし長く議論を重ねてきた結果、今日のような秩序の形になってきました。それが、この度、ルールの追加でかなり整備されたのではないかと思いますね。
窮屈になったと感じるかもしれませんが、それはそれだけ責任をもった投稿が求められるという当然の帰結だろうなと思います。

>希望を述べれば、沖浦さんが国立戒壇、御肉牙、戸田本仏論、池田本仏論、戸田・池田血脈相承という学会内に胚胎した過ちを積極的に否定したように、その他、創価学会の問題点を洗い出し、より前進するための方途を考えるべく、このスレッドを応用されることです。

そうですね。創価学会の抱える問題で、この掲示板で最も議論すべき問題の場面は多々ありました。ところが、そのような大変重要な問題について、交わされたというか、結果的に掘り下げた議論には至らなかったところ、やはり創価学会という組織を個人的立場でしか捉えられていない、要するに、客観視できないという問題点を見た気がします。

>多くの創価学会員から脱会前後、実にひどい目に遭わされた経験があります。

脱会を考えている方も、そのような前例を知ると、実際のためらってしまうでしょうね。

>それ以前でも、集団で悪者扱いをされ、「裏切り者」「恩知らず」と組織を挙げて人間性を貶められてきたわけです。

創価学会は、ひとつのコミュニティの場でしょうから、そこで特殊な価値観を指導されれば、否応なしに組織内だけの偏狭な人間関係しかなくなってしまうのではないかと思うんですね。しかし、それがどうしても脱会したいということになると、外界での人間関係が希薄なだけに、飛び出せば、相当な孤独感にさいなまれることが考えられますね。そのうえ、組織のメンバーから侮辱や汚名を浴びせられては、誰しもノイローゼになってしまうと思います。また、そのような不安から逃れるために、組織をサーフィンしてしまう人も多いというのも納得しますね。
やはり、これは大変大きな社会問題だと思います。

>我々脱会被害者は、学会の罪過を言おうものであれば、人格攻撃をされ、その口を封じられるという発言それ自体のを弾圧を受けてきたわけです。ようやくとこの掲示板に辿り着き、思いの丈を吐露し始めれば、またもや創価学会(員)による妨害です。自由に意見を述べることはさせないわけです。

やはり、言論妨害、言論弾圧の体質は、今も個々の学会員に受け継がれているものだろうと思いましたね。

>原則的に自分たちの経験、蒐集した資料から学会問題を考えることは自由です。
むしろ、それを封殺する一方的な布教活動こそ、否定されなければなりません。

そうなんですね。私たちの言論の自由は、私たちで守らなければならないものだと、私も強い気持ちを持ちました。

855アネモネ:2003/11/10(月) 21:40
(つづき)
>反面、わたしは沖浦さんの言論を封じているのではなく、証拠を示さず、一方的な布教を行う点に異議を唱えているわけです。

もっともなことだと思います。

>また、むしろ、そのような万人が認める創価学会の功績を披露できるのはわたしたち脱会被害者であるというより、沖浦さんのような現役会員でしょう。ですから、大いに集団組織創価学会の功績を披露するように促しているわけです。なぜ、なさらないのか不思議で仕方ありません。

その通りですね。一般的国民感覚からいっても、創価学会という宗教組織の名前は知っていても、その組織がどのような社会貢献をしているのかということについては、ほとんどわからない人が多いと思います。何をしているのかわからない巨大組織でありながら、政界には進出し、方や教団トップは世界の要人たちと会って握手を交わしてもいる。ところが国内的には、強引で迷惑な勧誘活動をする教団というイメージが強いですから、なんだか怪しげだなと思う人も多くいるわけです。
ですから本当ならばこうした場においてレスをする以上、現役信徒はその訝しく思う疑問に対して説明責任があると思いますね。当然、個人的な信仰体験は、その説明にはなり得ません。また、それしか語れないとすれば、自分の教団が何をしているのかわからないという場合も有り得、それはある意味で別の危険性を孕んでいるとも思います。
例が不適切かもしれませんが、オウム信徒の大半は、まさか自分の教団がサリンを撒いていたなどとは、まるで思ってもみなかった、恐らく知らなかったのではないでしょうか。それと同じことが起きるとも限りません。それは学会に限ったことではなく、宗教や信仰とは、熱狂的になる要素があるわけですから、そのような社会的危険性を孕んでいるということを、認識しておくべきだと思いますね。
そのためにも、常に自分と自分の教団を社会的に客観視するということを、忘れてはならないと思いますね。

>マイルド・セブンさんが、種々、創価学会、または池田さんに係る問題点をネットから抽出しては紹介してくれます。なかなか参考になります。これは罪過面の提示です。

私も同様に思っております。

>同じように沖浦さんも創価学会の功績面を提示されればよろしいのではないでしょうか。「個人的な功徳」はよくわかりました。今度は集団・組織・指導者の功績をご披露くだされば、比較対照の資糧とできます。

まったくこれも同様に思います。

>スレッドの提案者であるアネモネさん、どうでしょうか。

2年前に立てたスレッドですが、思わぬ展開でレスが増えました。
しかし、一番の問題は、このようなスレッドにおける罪過の投稿に対して、現役信徒から投稿そりものが非常識だとするクレームが出るということ、そもそもその体質こそ大きな問題だと思います。pundarikaでも議論をしたいと思っていたことですが、批判を許さない体質、さらには批判を妨害・弾圧するという体質が、今もなお信徒に受け継がれていると思われるところ、これが創価学会の最も大きな罪過ではないだろうかと思います。

856沖浦克治:2003/11/10(月) 22:07
 ガンコさん
 あなたはご子息に一々許可を得られるのですか?
 私の家ではそのような習慣がありません。

857沖浦克治:2003/11/10(月) 22:17
 ガンコさん
 あなたはご子息に一々許可を得られるのですか?
 私の家ではそのような習慣がありません。

858沖浦克治:2003/11/10(月) 22:29
 皆様が全体の立場から、創価学会の功罪を検討される事はご自由です。
 同様に私が個人の立場から、創価学会の功罪を述べる事も全く自由です。
 立場の相違を認めるべきです。
 私は全体主義者ではありません。
 個人主義者です。
 この立場で論じます。 
 ついでですが、ハッサン師などは歯牙にもかけたくありません。
 もちろん皆様方が、ハッサン師を敬い尊敬する事はご自由です。
 私はそのような人物に影響されたくは無いのです。
 これも双方全くの自由でしょうね。
 要するにあなた方は立場の違う人間を認めず、私は認めると言う事です。

859沖浦克治:2003/11/10(月) 22:32
 創価学会を退会した人に、創価学会の正しい評価が出来るとは思えません。
 創価学会は日々進歩をしております。
 外からでは現在の姿は、理解が不可能でしょうね。
 外からの論表は、推測にすぎないと思いますよ。

860沖浦克治:2003/11/10(月) 22:40
 創価学会は、皆さんが好むと好まざるとには無関係に、大きな影響をあなた方に及ばしているのでしょうね。
 だからこそ創価学会の功罪を考えるとのスレッドに、これだけ多くの意見が寄せられるのでしょう。
 私はこの事実を、創価学会員として誇りに感じます。
 今後創価学会は急速に発展をするでしょう。
 この10年が本当に楽しみです。
 すでに今回の総選挙でこの傾向が如実に顕れています。
 創価学会が、本当に民衆に害毒を及ぼす存在であったならば、こんな傾向は出てはこないでしょう。
 皆様方には、この事実を冷静に見つめられることを期待いたします。

861Leo:2003/11/10(月) 23:25
学会では下記のような指導を行っています。下記指導は青年に希望を持たせようとするのはわからないでも
ないですが(また創価仏法の付嘱ともとれなくない)、しかし批判精神なく悪しき精神(攻撃精神だけ)で
下記指導を鵜呑みにしてしまったらどのような人間になってしまうでしょうか。そのような状態は果たして
名誉会長の望むこと(素晴らしき弟子)なのでしょうか。はて、さて。

「 君の、あなたの勝利こそ私の希望
 [名誉会長] 私は私の誓いとして、戸田先生から教えていただいた「人間革命」の道を、まっしぐらに
 生きてきた、そして、すべて誓いは果たした。私は勝ちました。勝つことです。勝つことが人間革命
 であり、広宣流布です。
  私は、今目先のことなど、眼中にない。迫害も非難も恐れない。ただ百年後、二百年後のことを
 考えている。万年先のことを考えて、手を打っている。
  古来、素晴らしき弟子を誕生させたかどうかによって師匠の偉大さがきまると、言われてきた。
  私は、さまざまな、いわれなき中傷・批判をされてきたが、そんなことは問題にしていない。
 仏法の法理に照らして、やむを得ないことだからです。そして私の訓育した弟子が、どのように地域
 で世界で社会で活躍し、貢献し、その名が輝いていくかによって、私の勝敗が決まるということを
 本然的に知っているからです。」
(『池田名誉会長の青春対話⑤完―21世紀の主役に語る―』 聖教新聞社、1997年、pp.110-111)

862沖浦克治:2003/11/10(月) 23:44
>下記指導を鵜呑みにしてしまったらどのような人間になってしまうでしょうか。そのような状態は果たして
名誉会長の望むこと(素晴らしき弟子)なのでしょうか。はて、さて。

 それぞれがそれぞれの判断をするでしょう。
 あなたの口出しは意味をなさないかと思います。
 創価学会の未来部員にとって、所詮は第三者の批評でしかありません。
 私にとってのハッサン師のご意見と同様です。
 もちろんご意見をお述べになられる事はご自由です。

863沖浦克治:2003/11/11(火) 00:19
 犀角独歩さん

>退会者を見放す、云々

 退会された方の人生に興味が無い事は事実です。
 しかし見放す事とは違います。
 私は退会も入会も、本人の権利と責任で行なうべきだと考えているのです。
 お好きになさればいいと思います。
 あなたに創価学会に対するご理解を期待いたしませんし、私に創価学会に対する否定を期待しても無理と言うものでしょう。
 私は創価学会と池田先生が大好きですし、あなたは大嫌いなのでしょう。
 それだけの事です。

864沖浦克治:2003/11/11(火) 00:25


>そうです。ですから、このわたしの体験を沖浦さんはなんと見られましたか。
退転した人間には興味がない」と見放しただけでした。
 
 あなたの体験が事実かどうか、私には判断すべきデーターがありません。
 私を納得させたければ、具体的な事実関係をお出しください。
 時・所・関連する人物の実名・等です
 お出しいただければ私なりに調査を致します。
 それまでは信じる事などは不可能です。
 あなたが言い出したことです。
 あなたに立証責任があるでしょう。
 またあなたは、1000人に及ぶ退会者の人生相談をしているとの事ですが、この件も実名と具体的な事実の証明をなされら無ければ、タダの噂話に過ぎないと思います。
 この件の具体的な立証を期待いたします。
 被害にあった人物を万人が特定できる事と、その人物が事実として被害を受けた事の具体的な証拠が必要です。
 当然、時・所・関連する人物の証明等が必要となります。
 これも不可能であれば、ただのよた話にすぎません。
 まぎれも無い事実以外には、私は興味を持たないのです。
 事実と確定でき無い事項に論表を加える事は愚かでしょうね。
 私はそう言う人間なのです。
 これも全くの自由意志と考えます。

865沖浦克治:2003/11/11(火) 00:30
 犀角独歩さん

 以上の事項に関して、具体的に証明できなければこの掲示板の趣旨に基づき、以後はこれらの件に付いての発言は慎んでください。
 挙証主義とはそう言うことを言うのです。
 くれぐれもお願いいたします。

866Leo:2003/11/11(火) 00:41
学会は300年後まで予定をたてているのである。

第2の「7つの鐘」
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2009/other6.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2009/other7.htm

「②第2の「7つの鐘」2001年から2050年 21世紀の前半の50年
「アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたい」 」

「アジアをはじめ世界の平和の基盤」をつくるためには戦争容認・支援が
必要なのだろうか、解せないところである。それとも第2の「7つの鐘」は反故に
なったのであろうか。

「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」(『人間革命』冒頭)

「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、
根本の第一歩であらねばならない」(『新・人間革命』冒頭)

この変化が気になるところである。戦争の否定から平和の肯定へ、平和のためには
戦争容認・支援が必要といったところか。

867沖浦克治:2003/11/11(火) 00:50
 アネモネさん、ガンコさん 

>そうそう、私もそう思って気にしていました。血のつながった親子といえでも、人格は別の個人なわけですから、たとえ親でも、ご子息の名前や年齢・職業といった個人情報を本人の許可なく公開することは、人権侵害にも抵触しますし、ここの以下の禁止事項にも反しますね。

 法律も原則として家族の中に立ち入らない、との法解釈が、現代の日本では定着をしております。
 私と息子との関係に立ち入られる事は迷惑でしかありません。
 そんなに気になるのでしたら、ご自分のご家族と、充分に遣り合ってください。

868犀角独歩:2003/11/11(火) 01:09

沖浦さん:

わたしに挙証義務を迫る前に

> 私の周りには、同じような体験を持つ人々が何十人といます

この実名と体験を挙げてください。
しかし、この実名と体験を挙げることがプライバシーの侵害にならないのでしょうか。
あなたはそう考えるが故にわたしに相談を寄せた方々の名を公開しろというわけでしょう。

どうぞ、では、まず、何十人の名前を挙げてください。
人に言う前に実行ですね。

869犀角独歩:2003/11/11(火) 01:14

沖浦さん:

創価学会の功績を具体的に挙げてください。

871沖浦克治:2003/11/11(火) 01:27
>沖浦さん:

>創価学会の功績を具体的に挙げてください。

 すでに体験を通じてあげております。
 これが私のスタンスです。

872沖浦克治:2003/11/11(火) 01:29
 少し集中力に欠けてきました。
 誤字脱字をお詫びいたします。
 これでやすみます。
 おやすみなさいませ。

873みかん:2003/11/11(火) 01:30
>>870 管理人さま

関係ない第三者の本名が、無断で掲載されているようですので、削除してください。ルール違反です。


> 2 他人の個人情報(実名、住所、年齢、電話番号、メールアドレス、家族構成、勤務先情報、等)を、掲示板で公開してはならない(ペンネーム、ハンドルネームと実名を特定させるような書き込みを含みます)。但し、以下の一から五については、この限りではないが、これらの個人情報の公開に当たっては、充分個人の人権に配慮し、節度を持って行うこと。

  一、紙名、年月日を明記した上で、個人情報が含まれる新聞記事を転載すること。
  二、情報源を明記した上での、公人認定されている方の個人情報を紹介すること。
  三、情報源を明記した上での、公人に準ずる人(会の代表者幹部など)の個人情報を紹介すること。
  四、故人であって、歴史上の人物として定着している人の、個人情報を紹介すること。
  五、本人の依頼による場合。

874アネモネ:2003/11/11(火) 01:31
沖浦さん

>法律も原則として家族の中に立ち入らない、との法解釈が、現代の日本では定着をしております。

人権侵害となれば、この範疇ではありません。

>私と息子との関係に立ち入られる事は迷惑でしかありません。

あなたのプライバシーには、何の興味もありません。ただし、あなたは自分の子供の人権を侵害をしている恐れがあることは、そのようなことが、この掲示板で行われては、迷惑ですから、忠告させて頂きます。以後、お気をつけ下さい。

875アネモネ:2003/11/11(火) 01:34
沖浦さん
つづきです

>私を納得させたければ、具体的な事実関係をお出しください。
 時・所・関連する人物の実名・等です
 お出しいただければ私なりに調査を致します。
 それまでは信じる事などは不可能です。

このような個人的なことを、公のネット交流の場、しかもHNという匿名の場で要求することは、非常識です。人権侵害も甚だしいです。
「私なりに調査をする」とありますが、これではまるで恫喝です。だいたい個人のことを、あなたが勝手に調査する権利はないでしょう。

>あなたが言い出したことです。
 あなたに立証責任があるでしょう。

あなたは、議論における挙証義務について、何もわかっていらっしゃらない。個人の体験について、挙証義務が求められていては、この場で体験を発表する人はみんな、その個人が特定されてしまいます。このような匿名参加の掲示板では、個人が特定されないよう人権を配慮し、個人情報の強要は認められないはずです。あまりにも人権意識に欠けていらっしゃいるのではないでしょうか。

>またあなたは、1000人に及ぶ退会者の人生相談をしているとの事ですが、この件も実名と具体的な事実の証明をなされら無ければ、タダの噂話に過ぎないと思います。
当然、時・所・関連する人物の証明等が必要となります。
これも不可能であれば、ただのよた話にすぎません。

これも、個人情報の特定を強要する、不適切な発言です。

876アネモネ:2003/11/11(火) 01:38
本当に第三者の名前を公表されたのですか。私にはとても信じられません。

管理者様

私からも870>の削除を求めます。

877無徳:2003/11/11(火) 01:47
沖浦さん

貴方に同情したい気持ちもあります。

大勢の人から集中攻撃に遭っているような被害者意識もおありかも知れません。

しかし、貴方の発言内容は殆ど滅茶苦茶と言って良い程ひどいものですよ、

もういいかげん発言を控えられる事を進言します。

878福田里敏:2003/11/11(火) 01:49
沖浦さん
これは、いけません。
管理人様
即、削除を、お願いいたします。

879沖浦克治:2003/11/11(火) 02:19
 管理人さま
 これは私と犀角独歩さんとの問題です。
 私は、挑戦されて逃げるようなことは絶対にいたしません。
 第三者の名前の削除には応じます。
 私個々人の連絡先は決して削除しないで下さい。
 私はHNの影に隠れて他者を攻撃するような人物を許せないのです。
 そもそも挙証責任とは、この人たちが言い始めた事です。
 自分の意見に責任を持つ事は当然ではありませんか。
 犀角独歩さんは、自分が創価学会により大きな被害を受け、自分の周りにも多くの被害者がおり相談を受けている、との発言をされました。
 その上で『そうです。ですから、このわたしの体験を沖浦さんはなんと見られましたか。退転した人間には興味がない」と見放しただけでした。』との発言を私にされました。
 お答えする際、事実関係の明示を求める事は当然でしょう。
 問いかけた以上は、自らの挙証責任を全うすべきです。
 この体験が、一般論としてどなたかに向けられていなければ何の問題もありません。
 然しながら、氏は自らの体験に対する私の反応を非難されておられます。
 私が事実関係を確認することは当然です。
 然るに私の当然の問いかけに、氏は私に一般論としてあげた数十人の実名の開示を求めました。
 私はこれに答えたまでです。
 無論の事この法的責任は、一切私に存在いたします。
 当掲示板のルールの基づき、人名を管理人様が削除される事に反対いは致しません。
 但し、私の連絡先等はこのままにしておいてください。
 私はこの際、犀角独歩さんとはっきり白黒をつけたいのです。
 掲示板ではご迷惑でしょうから、当事者間で解決を致します。
 双方が自らの実在と身分等を開示すべき時です。
 以上ご明察下さいませ。

880みかん:2003/11/11(火) 02:31
>>879
あなたが沖浦克治さん本人であることは証明できません。
あなたが実在する沖浦克治さんに悪意を持つ人で、
「沖浦克治」という本名風のハンドルを使って書き込んでいる
という可能性だって否定できません。

ですから、連絡先を削除するなということには無理があると思います。

沖浦克治でグーグル検索すれば、住所も電話番号も、趣味も職場もわかって
しまいます。しかしその沖浦克治さん本人が、いまここに書き込んでいる
HN「沖浦克治」と同一人物だとは誰にも証明できません。

ですので、連絡先などは、削除せざるを得ないと思いますが。


なお、したらば掲示板の仕様の問題として、ひとつの発言のなかの一部を
削除して一部を残すことは、できません。

881沖浦克治:2003/11/11(火) 02:45
 みかんさん
 わかりました。
 それならば削除をして頂いて結構です。
 私の名前でインターネットで検索してください。
 私の関係がヒットします。
 みかんさん、私が本人かどうかお疑いならば電話かメールで確かめられますよ。
 いつでも歓迎いたします。

882アネモネ:2003/11/11(火) 03:07
沖浦さん
外野から横レス申し訳ありませんが…一言

>それでは私からまいります。…さあ、あなたの番です。

正常な判断力が消耗されておられたことと思いますが。
しかし、創価学会とは、人間主義といって、平たくいえば、人間を大事にしている教団のはずが、なのにどうして、一人の人間である個人の人権を侵害してまで、その正義を証明しようとするのでしょう。
人間を大事にする為の正義といっているのに、人間の人権を差し置いてまで正義を証明しようとすることはおかしいです。
人間を粗末にしてまで、正義を証明する必要があるのでしょうか。そこまでの使命感を、創価学会員は担わされているものなのでしょうか。
人間主義といいながら、人権よりも大事な正義があるとすれば、まさに本末転倒というのではないでしょうか。

私はあなたの参加を見合わせてもらうように管理者さんに2度も提案いたしました。
これは決して、あなたを拒絶しているということではないのです。
ただ、住む世界があまりにも違い過ぎる。価値観も尺度も違い過ぎるのです。議論の土俵が違うのです。
信教の自由は、信じる自由もあれば、信じない自由もあるのですから、お互いがお互いを尊重する最大の最善方法は、それぞれが、それぞれに合った適切な議論の場を選ぶということしかないと思うのです。

沖浦さんには沖浦さんに合った議論の場があるはずです。私は、その場でどんな議論が行われていようとも、それがどんなに私の意見に反することであっても、その言論の場を、私の一方的な意見で乱したり妨害したり、かく乱したりといったことはしません。
そのようにして議論の場を尊重するものです。
ですから、私たちの議論の場も、どうか、そっとしておいて下さい。
そうすることで、お互いの言論の自由がお互いに尊重され、守られるのではありませんか。
創価学会信徒を対象に開いている掲示板はいくらでもありますね。そのように、自分に水の合う場所で発言に精進されることが、お互いの精神衛生上から考えても、最善策ではないでしょうか。

>私はこの際、犀角独歩さんとはっきり白黒をつけたいのです。
掲示板ではご迷惑でしょうから、当事者間で解決を致します。

上記の私の発言とは異なりますが、この掲示板がもとで始まったことですから、この掲示板のルールにのっとり、この掲示板で公明正大に公開でおやりになったほうがいいと思います。私としては、ルールに違反しない限り、何も迷惑なことではないと思います。

883アネモネ:2003/11/11(火) 03:11
↑発言が矛盾して恐縮ですが、やるというのであれば…と解釈してください。基本的には、沖浦さんは、ご自分に合った掲示板で発言されることが望ましいだろうと思っております。

884犀角独歩:2003/11/11(火) 04:15

沖浦さん

> 870

これが何十人ですか。18人です。十数名では何十人になっていません。
また、この18人が実在の人物である証拠が示されていません。

しかしながら、あなたは挙証義務以前に実名・住所・電話番号など個人情報をここに書き連ねることがプライバシー侵害という違法行為に抵触することが意識されていません。このような行為はそもそも当板のルールにも違反します。そのような人権侵害をわたしに請求すること自体、違法です。また、それを名前を書き連ねると言うだけでもやってみせること自体、創価学会(員)沖浦さんの罪過を証明する以外の何ものでもありません。
ここは創価学会の功罪を考えているのです。
沖浦さんの罪過をやってみせる必要はありません。

> 871

あなた=創価学会ではありません。
ですから、あなたの体験は創価学会の功罪とは関係ありません。
それとも、あなたが創価学会なのでしょうか。

もう一度繰り返します。
ここは創価学会の功罪を考えるスレッドです。
沖浦さんのためのスレッドではありません。
私物化するのはおやめください。

885犀角独歩:2003/11/11(火) 04:20

858 沖浦さん:

あなたはハッサン師を否定するわけですね。
そのような態度に出たのは、統一協会、オウム真理教などのカルトがそうでした。
あなたが破壊的カルトと、同様の立場を採ることをしっかりと確認しました。

886犀角独歩:2003/11/11(火) 04:33

親と子供は生まれた時点から独立した人権を有しています。
子供は親の所有物ではありません。

子供の人権は親であっても侵害することは違法です。
自分の子供であるという理由をもってしても、その名前を公開することは明らかにプライバシーの侵害、人権侵害です。

このような人権感覚の欠如が、わたし自身に相談を寄せた方の実名公開を迫る非常識な発言に繋がっているのでしょう。

わたしには、わたしを信頼して相談を寄せてくださった方々のプライバシーを守る厳正な義務があります。人権侵害を犯す煽動にわたしは断じて応じません。

ましてや、脱会被害者を「心から見下す」と宣言した人間に、どうして、創価学会から被害を受けたと訴える人のプライバシーを公開することができるでしょうか。

挙証責任という文献的理論的な証拠提示を、個人の人権侵害に置き換え、さらに人権侵害を強要してそれをできないならば発言を控えろと迫るというレトリックをもって、わたしに強要することは、当板のルールに違反するばかりか、法治国家日本の人道主義、基本的人権を侵害する違法・非法行為であることを申し添えます。

係る非人道主義者、人権侵害者の即時退出を管理者さんに求めるものです。

887犀角独歩:2003/11/11(火) 04:42

−追−

860 沖浦さん:

> 今回の総選挙でこの傾向が如実に顕れています。

創価学会と公明党は政教分離の関係にあるのではありませんでしたか。
となれば、公明党の得票と創価学会の功罪とどのような関係にあるというのでしょうか。
この発言は創価学会・公明党は政教一致にあることを認めた発言と読めます。

888犀角独歩:2003/11/11(火) 04:42

853〜855 アネモネさん:

当然のことですが、同様のお考えであることを嬉しく存じます。
有り難うございました。

889犀角独歩:2003/11/11(火) 04:45

888に「当然のこと」と記したのは、「常識的に考えて当然のこと」という意味です。
言葉足らずでした。補わせていただきます。

890犀角独歩:2003/11/11(火) 05:04

読み落としていましたので、以下レスします。

沖浦さんが、879に

> 私と犀角独歩さんとの問題
> 犀角独歩さんとはっきり白黒をつけたい
> …当事者間で解決…双方が自らの実在と身分等を開示

わたしに何ら相談もなく、「双方」などとコンセンサスがあるごとく記したうえで、わたしの実在・身分の開示を迫るこの在り方に抗議します。

わたしは、差別主義を露わにし、脱会者を敵視し、何をしでかすかわからない相手に対し、ましてや、公開の場で個人情報を開示するつもりは毛頭ありません。
また、その開示の拒否をもって勝敗を喫する如き煽動にも乗りません。

なにより、ここでの議論は創価学会の功罪を考えるという組織集団についての議論の場です。

沖浦さんとわたし犀角独歩の問題は存在しません。

以上のような発言は、沖浦さんが創価学会の功罪を考えるという組織集団をテーマにするこの場を借りて、脱会者であるわたしを個人攻撃する底意を鮮明にしたものであると判断します。

わたしは係る煽動、また個人攻撃に一切応じる気はありません。
また、応じないことをもって、一方的な勝利宣言をされたところで、それは意味をなさないことを先に申しておきます。

891犀角独歩:2003/11/11(火) 05:29

もう一言。沖浦さん:

> 具体的に証明できなければ…発言は慎んでください。
> 挙証主義とはそう言うことを言うのです。

865に以上のように記しています。
では、反詰しますが、あなたは537に

> 創価学会には800万人程度残っています

と明言しています。864では

> 時・所・関連する人物の証明等が必要

と記しています。
では、上述800万人の創価学会員が残っていることをご自身の言葉に従って証明して見せてください。

そして、「具体的に証明できなければ…発言は慎んでください。挙証主義とはそう言うことを言うのです」というご自身の言葉に従ってください。

892犀角独歩:2003/11/11(火) 05:33

路さん:

はじめまして。
長らくロムをいただいていたご様子。
痛み入ります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

893管理者:2003/11/11(火) 06:49

沖浦克治さん

あなたの870レスは当掲示板の、下記の禁止事項に違反していますので削除いたします。

【禁止事項】
2 他人の個人情報(実名、住所、年齢、電話番号、メールアドレス、家族構成、勤務先情報、等)を、掲示板で公開してはならない(ペンネーム、ハンドルネームと実名を特定させるような書き込みを含みます)。但し、以下の一から五については、この限りではないが、これらの個人情報の公開に当たっては、充分個人の人権に配慮し、節度を持って行うこと。

894管理者:2003/11/11(火) 07:10

沖浦克治さん

870レスが、当掲示板のルールに違反していることは、先刻ご承知の事と存じます。然るに、どのような経緯があるにせよ、お守り戴けなかったこと、大変残念です。

先般、管理者は、沖浦克治さんに対して、ルールをお守り戴きたいとお願い致しました。管理者のお願いに対して、沖浦克治さんは、その時、当掲示板のルールに従うことを約束されました。然るに、数日もたたない間に、再度、ルールに違反されました。

大変残念ですが、管理者としては、沖浦克治さんに対して、本日以降の、当掲示板への参加をお断りするしかありません。ご賢察の程、宜しくお願いいたします。

895沖浦克治:2003/11/11(火) 07:35
 管理人様、皆様方
 ご参加の皆様方の益々のご繁栄と、福運の興隆を祈念いたしております。
 お世話になりました。

896◎◇の壁::5963:2003/11/11(火) 11:02
 深夜から早朝まで、ご苦労様でした。 No.887,890,891での御返論は「実にお見事!!」で、サスガ、だと実感致しました。

897犀角独歩:2003/11/11(火) 11:40

896 ◎◇の壁::5963さん:

ご感想、有り難く頂戴いたしました。
お読みいただきましたことを感謝申し上げます。

898:2003/11/11(火) 15:50
ガンコさん
アネモネさん
犀角独歩さん

こんにちは。

これからもまたロムさせていただきます。

899ガンコ:2003/11/11(火) 16:38

どんどん投稿してください。

900犀角独歩:2003/11/11(火) 16:48

866 Leoさん:

「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」(『人間革命』冒頭)

「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない…」(『新・人間革命』冒頭)

この書き換え、意識していませんでした。
この発言、たしかにイラク問題に対する「武力対応も必要」という池田さんの発言、「利敵行為発言」をした冬柴公明幹事長の言動とぴたりと一致し、緊張感が走りました。

901犀角独歩:2003/11/11(火) 21:48

『(池田)会長講演集』第3巻(昭和36年11月5日初版発行/発行所 宗教法人創価学会)をめくっていたら、以下のような記述が、

『賢者は喜び愚者は退く』
「われわれの青年部長が青年部を代表して、戒壇建立の第一歩として、参議院議員に当選したことを一同心から喜ぼうではありませんか。そして願わくは、この三障四魔、三類の強敵を、勇ましく、会長先生の弟子らしく戦って、、獅子王の子供らしく戦って、二陣、三陣、四陣、五陣と、諸君がつづいているくださらんことを心から切望するしだいなのでございます。
(当時参謀室長)/昭和31年7月17日/男子部幹部会/豊島公会堂」(P55)

『戒壇建立の第一歩に難あり』
「ここに戒壇建立の第一歩の大法戦が終わった。
(当時参謀室長)/昭和31年7月24日/本部幹部会/豊島公会堂」(P57)

『追撃の手をゆるめるな!』
「(戸田)会長先生の死を知りまして、ただ呆然としたものでございます。…ただ、ひとつ創価学会の目的である国立戒壇の建立、不開門(あかずのもん)を開いて、このように戦ってまいりましたという、ご報告をするという以外に、なにもないと思うのでございます。
(当時参謀室長)/昭和33年4月3日/本部幹部会/豊島公会堂」(P273)

『信心は実行なり』
「仏さまは、ウソをつかないとわたしは信じます。また、会長先生もウソをつきません。仏様です。
…信心は実行です。信心とは実行だ。若いものは、あくまでも希望をもって、勇気をもっておおれ自身の宿命転換に、強く、そして雄々しく、自分にムチ打っていきなさい。
 そして、広宣流布まで、あと20年、そのときに、それはもう、ハイヤーものれるでしょうし、3万円か、5万円ぐらいの洋服も着られるだろうし、ポケットのなかには、いつも5万円か、10万円ある。それまでは、ぜんぶ人に貸してあると思いなさい。20年間の定期預金してあるんだと。
 そういう気持ちで、青年らしく、男らしく、信心していきなさい。それで、ひとりも退転してはいけない。青年部はぜんぶ、広宣流布まで、私のあとをついてきなさい。
(当時参謀室長)/昭和33年9月14日/名古屋男子18部隊会」(P317)

『民衆の総意で戒壇建立』「
「国立戒壇の建立は日蓮正宗の願望であり、また(戸田)会長先生の、創価学会の目的でございます。国立戒壇といえば、一般の人々は、国家の特権や国家の圧力をもって歓談を建立するように考えがちでございますが、会長先生は、後楽園の総会の席上において『日本国民のひとりひとりが大御本尊様の功徳を納得して、初めて広宣流布ができるのである」といわれました。すなわち、日蓮大聖人様の仏法、大御本尊様の工藤が前民衆にいきわたって、その世論として国立の戒壇ができるということを知らせていかなければならないと思うのです。
 国立戒壇建立ということを考えると、即座に一般の人々は日蓮正宗を国教にするのではないのか、創価学会の目的は、政界にたくさんの政治家を出して、、日蓮正宗を国教にするのだとみられてまいりました。そのとき会長先生は『まったく、そんな意図はない』と仰せられました。(参−注1)創価学会の戦いは、あくまで日本の国の幸せと、東洋、世界の、人類の救済しかない。国立戒壇ということに対して、あくまで、日蓮大聖人様の至上命令であるが、大聖人様も国教にするとはおおせになっていらっしゃらないと思いますし、会長先生もそんな意図はないとおっしゃっている。
 これをしみじみ考えたときに、国立戒壇ができ上がっても、その国立戒壇は日本一国のものではない。大聖人様の仏法は一閻浮提の大御本尊様である。全世界にわたっての宗教であります。日本の国立戒壇の建立ということは、全世界の国立戒壇に通じていくと、わたしは信じるものでございます。そうした場合に、日本の国で日蓮正宗を国教にしてしまったならば、はたして、朝鮮や、中国が用いるかどうか、ヨーロッパの民衆が用いるかどうか…
(当時参謀室長)/昭和33年12月7日/第7回男子部総会/両国日本大学講堂/参観人員30,000名」(P339)


注1)「富士山に国立戒壇を設け、日蓮正宗を国教にすることだ。そのためには20年後には国会議員の過半数を占めなければならない」(『聖教新聞』昭30・4・17)と発言していたことを、わずか3年後には以上のように覆された。

902犀角独歩:2003/11/12(水) 16:42

ようやくと半月振りに静寂を取り戻しましたので、また、ゆっくりと議論が進むことを期待しています。

くどい繰り返しですが、是非とも「創価学会の功績」について、どなたか投稿いただきたくお願い申し上げます。

903無徳:2003/11/12(水) 19:52
そうですね、創価学会の功績を語る為には沖浦さんでは有りませんが、個人的体験
を度外視しては語れないのも事実と思います。

例えば私事ですが、長野県の片田舎から上京して小さなクリーニング店に丁稚奉公
しました。

そのクリーニング店の店主が創価学会員でしたので、いやおうなく座談会に誘われ
そこで必然的に折伏を受けたわけですが、世間で言われているほど私に対しては強
引な折伏では有りませんでした。

その座談会に集う人々は、全く元気で会話も活気に満ちていました。
昭和39年頃でしたから日本もこれから経済の高度経長期に向かう前夜と言えまし
ょう。

しかし、決してそこに集った人々は豊かそうではなく、学歴的にも高い人とは見え
ませんでしたが、それでも明日への希望を感じさせる本当に明るい集いであった事
は事実です。

会話の内容も決して高度なものではありませんでしたが、とにかく創価学会はすば
らしい仲間たちと池田先生と言う優れた指導者を先頭に、日蓮大聖人の仏法によっ
て、大勢の人が沢山の功徳を受けて宿命転換しているとして体験談を沢山聞かされ
ました。

また、折伏教典や御書を読んでも創価学会に入会しようとの決心はなかなかつきま
せんでしたが、いわゆる庶民大衆と言える人々がこれほど元気で、時には公明党の
前身である公明政治連盟を通じての政治参加も果たし、王仏冥合によって日本を根
本的に変革しようと意気込んでいる事に正直に言って驚きました。

私と言えば小学校5・6年の時に見た確か「学習年鑑」とか言う雑誌の中で東京に
水素爆弾が落ちたらどこまでが壊滅するかと言った事を図入りで説明してあり。

ちょうど私が住んでいた長野県の立科町あたりも、水素爆弾によって殆ど壊滅状態
になる事が描かれていて衝撃を受けました。

なぜか、私は小学生ながら人間はやがて必ず戦争を繰り返すのではないかと思って
いましたので、あの学習年鑑の内容には驚いてしまって、その後は勉強する気力を
失ってしまいました。

中学・高校と出るには出ましたが悪戯と喧嘩とスポーツに明け暮れる毎日で、殆ど
教科書を自宅で開いた事が無いほど勉強嫌いになってしまいました。

そんな私がその後創価学会に自ら進んで入会し、積極的に学会活動をする中で日蓮
仏法はもちろんの事、折伏を通じて多くの人々と会話するなかで、哲学や現代思想
さらには科学や生命論といった様々な事を学ざるをえない局面に立たされ、初めて
学問の必要性に目覚めました。

このように、私事では有りますが創価学会による折伏活動が私のような無名の人間
(今もそのままですが)にも学問をする事の必要性を教えてくれたり、公明党を通
じて政治に対しての関心を高めてくれた事実は紛れもありません。

個人的体験ですが私は多くの人々が感じる創価学会のプラス面つまり、「功」の面
ではないかと思われます。

しかし、私にとって創価学会体験はどちらかと言えば苦々しい事柄に満ち満ちてい
たと言えます。だからこそこうして脱会し創価学会に対し批判的な立場にあるわけ
です。

904ワラシナ:2003/11/12(水) 21:03
「創価学会の功績」について。

1、実績なら一杯書けるが「功績」は、そこから絞り込まれた、人に対する物の見方捉え方についての或る、体感的な斬新さを提供したことに有った、と思う。
その自らの革新性及び由来を学会員自身が明示的に自覚出来得ていた点が強みで、それが布教力の増幅を支えていた、と考えられる。
どうして、功績の有り様を、今のように人間観のレベルまで下がった地点から指摘できるかといえば、彼ら自身がそれを「学会人」なるトータル的な単語で表現していた事、で言えると思うから。その魅力の内どこまでが、大石寺信仰の根っこに由来しているものなのか、見極めが難しいが、

2、少なくとも、その指導法の内無理がない部分(無理に布教成果実績に短絡させないようにした)においては、彼らは「自然な動機付け」に優れていた。だから彼らは口癖のように「(人を)育てる、育てる、手塩にかけて育てた」と言っていた。

3、例えば、その具体例として「座談会」なる布教法は、そのオリジナルは学会以外にあったのかもしれないが、その活用法をみれば、その意義付けに於いて彼らはそこに「或る斬新さ」を見出していたと思う。これがあったからこそ一時期教団外世間を一歩先取りしたような着想が可能だったのである。
彼らは、「座談会」を「社交性に富んだ布教上の新技術」として戦略化して把握していたと思う。
この「社交性に富んだ」というところに未来的価値の大きさを見つけたところが功績と思う。

905妙薬:2003/11/12(水) 21:29
 無徳さん、こんばんわ。
 私も同様の原体験を持っています。入会時期も同じなので、懐かしさすら感じてしまいます。ある意味で良き時代だったのかも知れませんね。私は10代で結核におかされ、清瀬市の国立療養所に入院しました。高校卒業直前だったこともあり、病状を告知された時のショックはそれは大きなものでした。そんな時、折伏をされてすがるような気持で入会したものです。そして、1年半にわたる闘病生活。夜9時に消燈すると、ベットに横たわって何もすることはありません。しかも、寝てばかりいる生活の為、眠むることはとても大変なのです。そこは25人の大部屋でしたので、寝ながらとりとめもない会話が始めるのが常でした。
 ある時、最少年の私が御本尊を安置して拝んでいることが話題にのぼりました。24人の大人からの攻撃の始まりです。全く教学力のなかった私は、毎日、毎日、反発しては言い負かされていました。そんなある日、別の病棟にいた助教授の女子部と出会いました。そして、少しずつ勉強しては夜の「座談会」で発表していく日々が続いたのです。
 やがて、私は退院の日を迎えました。その時、なんと24人中13人が入会していたのです。私は貴重な青春時代に病魔におかされ、世法的には挫折しましたが、入院中の体験は大きく自分を変えていたのです。変毒為薬でしょうか。
 それから40年、様々な変遷がありました。しかし、私の原点として今も(あの体験には)感謝しています。私が知るだけでも、似たような体験は数多くあります。脱会の難しさの一つには、こうしたそれぞれの原体験にあるのでしょうね。
 無徳さんに触発されて、セピア色化した「創価の功績」を書いてしまいました。

906MILD SEVEN:2003/11/13(木) 01:19

最近、感じる事 

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がります。広めます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

正統派も、裏のプロも・・・解って来た。
新しい秩序の構築は進んでいます。

         ・・・・・・・・・

カルト指導者のあり方は変です。
真理の護りあれば、最前線で苦労はすれど安心していられます。

古い言い方での<王>は、皆を守る者であって、隠れたり守られたりする者では無いと思います。常に最前線がポジションです。
それが正統派。私はそう思います。
それでこそ平等。

          ・・・・・・・・

安全な道は厳しい。
でも平安。
これが真の仕事の報酬?、そして・・・。
悔いの無い人生。

          ・・・・・・・・・

真か偽の問題は単純です。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

907犀角独歩:2003/11/14(金) 09:17

無徳さん:
ワラシナさん:
妙薬さん:

創価学会の功罪を考える、この問に対して、個人の信仰体験が筆頭に出てくるのが創価学会の特徴なのかも知れませんね。特に御三人方とも、日蓮本仏論者である点で一致しているのは偶然なのか?、やや興味がわきました。

さて、わたしが創価学会の功績を考えるという点について、組織と対社会の関係で見たいというのは、「宣伝に偽りありではないのか」という観点です。「平和楽土の建設」「日本の広宣流布」「東洋広布」「世界広布」を進めている。「広宣流布の上げ潮」「世界平和に貢献している」などなど、数々の“宣伝文句”で、この会内にいると、池田さんが世界の指導者であり、創価学会は世界平和のために驀進して、日本の広宣流布を具体的に推進している、そのような実感を覚えるようになります。

ところが、一歩、外に出てみると、池田さんも創価学会も公明党との政教一致としか見えない癒着以外には社会との接点が感じられません。池田さんは世界各国から勲章やら、名誉博士号、名誉市民、名誉議長だなんだとたくさんもらっていますが日本では何ももらっていません。広宣流布はまるで進んでいないし、世界平和の貢献もないわけです。あるのは“お題目”ばかりで内実が伴わないわけです。内実が伴わず、「世界平和に貢献している」と言うこと、それをわたしは「嘘」であると言っているわけです。

しかし、学会員は創価学会が世界平和に貢献していると信じて疑わないわけです。ですから、「証拠を挙げてください」と言ったのがわたしの質問です。ところが、そこで言われるのは個人の体験の範囲で、会組織の功績は何も語られない。会組織が会員に生きる力と勇気を与えた、それはけっこうなことですが、しかし、それは会内における話です。平和活動というのは具体的には会外へ向けてのことでしょう。

では、改めて創価学会に何ら対社会的な功績はないのか?と問えば、わたしが現役の会員であれば、

「池田先生は、公明党を創立者で、日本の政治のキャスティングボードを握るまでに育てた指導者である。また、創価学園をはじめ、創価大学を創立者で、日本のみならず、世界の教育に貢献している。東洋学術研究所(東洋哲学研究所)を創立して仏教研究に貢献している。民音を創立して、日本の芸術の啓蒙に貢献している」など、そんなことを言ったと思います。

公明党を創立し、日本の政治に多大な影響を与えているのは事実です。しかし、これは政教分離の原則から言えば、既に創価学会の手を離れているわけです。公明党が何をやろうと公明党の功罪となります。創価学園・創価大は池田翼賛が強く、一般人は敬遠されながら、それでも創価教学をひっくり返す『法華経』(岩波新書)を書いた菅野師がいたり、かつては『佛教入門』(中公新書)を書いた岩本裕師も名誉教授で籍を置いていたこともあったわけです。まだしかし、教育界に影響を与えるレベルには至っておらず、むしろ、池田翼賛者教育の範疇ではないのかと見えます。

908犀角独歩:2003/11/14(金) 09:18

―907からつづく―


東洋哲学研究所はそれでも仏教研究者には「おいしい」存在のようで、あの季刊誌への掲載は“得点”になるとのこと、また、原稿料も他と比べて高いということでした。また、ここで取り上げられるところは、創立当時から、創価教学とはかけ離れた学的水準をもっていたわけで、評価できるところはあると思います。

民音はどうか。わたしがいた頃は、8・30運動(8時半までに終了する打ち出し)で、座談会が題目三唱をもっていったん、終了すると、「書籍担当者から連絡があります」ということで、本が販売され、ついで「民音担当者から連絡があります」ということで、民音パンフレットが配布され、そこでチケットが販売されたわけです。

芸能人にとって、芸術部を擁し、民音をもつ創価学会は足を向けて寝られない存在のようで、学会員であることで芸術部員になれ、民音のバックアップで興業がなりたつ、芸術部員、いわゆる学会芸能人がいるわけです。これが「日本の芸術文化に貢献しているか」と問われれば、「どうかな」と私は言いたいですが、動く金・動く人も大きいので、芸能人、芸術家には有り難い存在という範疇なのだろうと思えます。

まあ、しかし、わたしが思いつく、創価学会の功績はここまでで、最も重要な彼らがいう「広宣流布」「平和活動」「世界平和の貢献」という部分では、どうなのか、この点を確認したかったわけです。もし、実際行動がなく、「お題目だけ」であれば、看板に偽りあり、かけ声だけの煽動であるということになるわけです。

この段階で、わたしは、以上の重要点における創価学会の功績は何ら思いつかないと言ったわけです。池田さんが世界の識者にあって、名誉名誉を集めるのはそれを勝手ですが、では、それが具体的にどのように平和に役立っているのか、また、会員レベルではどのような具体的な活動をしているのか、その点を俎上に上げたいわけです。

これはしかし、単に「創価学会は張り子の虎」と貶したいということではなくて、7兆円資産を有し、今後、日本社会から消えることはないと思われる創価学会に、平和のための具体的行動に人と金を使う時代に入って欲しいという気持ちもあるからです。

戦後、60年、日本社会で不動の地位を得るに至った創価学会は会内的には十分に潤い、何百万人か満足のいく会活動をしているようです。しかし、それがまるで日本社会には還元されていないと見えます。

この点についても、是非ご賢察を投稿いただきたいと思います。

909ジャンノレン:2003/11/14(金) 17:29
諸氏の考察、興味深く読まさせて頂いております。
それぞれにある時期を共有された価値観や情熱に、ある種の憧憬を感じております。
創価学会の存立基盤は言うまでもなく大石寺の長年に渡った法義伝統にある訳ですが、ここ十余年に
渡って彼の団体が垂れ流す情報を私感で分析すれば、蓮祖の代理として布教に勤めるというものの、大石寺の
教義範疇を一歩もでていないと思うのです。大石寺に関与する僧侶や在家の歴史的また文書的考察批判を幾度
と無くされていますが、それは大石寺の教義を前提とした批判であって、批判すればする程、大石寺が彼等に
とってトラウマのように正に対する反としての役割を演じているように思うのです。その証拠に何等それに変
わる代替的教義や理念を提案出来ていないのが現実ではないでしょうか。彼等が批判の対象として大石寺を上
げる以上、彼等のトラウマは益々増している様に思います。やっと某氏本仏論が台頭したかと思ったら、直ぐ
に引っ込めて、ようやく最近の成果と言えば凡夫本仏論ぐらいでしょうか。それもあっけなく外郭情報からの
出現でした。五座・三座の勤行も観念文を変更したとはいえど形式は全く大石寺のそれであり、本尊すら各氏
が指摘されるように第二十六代の借り物です。私はいっそのこと某氏の本尊にし、簡易勤行にした方がよっぽ
ど、現代的であり、今後の民衆仏教としての方向に整理が着くと思っているのですが、その動きも聞こえてき
ません。まるでお釈迦さんの手のひらの孫悟空のようです。

三大秘法や大聖人という尊称、はたまた本仏論これらは全て大石寺からの借り物です。五老末裔の各門流の批
判文を借りて批判するのですが、これらに依存した批判で団体の存立基盤を成しえたとは恐らく思っていない
と考えるのですが、本尊と本仏論と正当・正嫡性としての記号性のみを大石寺から横スライドさせたのが団体
の現状の有り様かと思います。これらを団体の功罪に当てはめると、田舎寺であった大石寺の教義を少なくと
も仏教の開祖釈尊の定義を印度からすれば辺国の日本、しかも鎌倉期に誕生した蓮祖を末法の仏を宣揚したこ
とは大いに仏教界の教義研鑽に貢献したと思われます。罪はオリジナル性が皆無にかかわらず団体の正当性を
掲げてまるでブランドもののフェイクを周囲からの指摘も顧みず、後生大事に持っているという哀れさです。
しかし、もっとも可愛そうだったのは、大石寺に伝わる化儀や本来の法義を彼等は何にも教えて貰っていなかったと言
うことです。Jルーカスさんが時折漏らされる古来の法則は、大石寺の懐の深さやしたたかさを垣間見せてくれます。

910犀角独歩:2003/11/15(土) 16:19

ここのスレッドで種々考えてきましたが、創価学会に限らず石山系グループでは社会福祉活動にもっとも興味を示さない特異な存在である実像が浮かびます。

これこそが、社会に認知されない最大の理由でしょう。
学会でいう大善、小善などの理屈をこねたり、蓮師自体にその原因を求めて、一般民衆は納得しません。

組織拡充と個人崇拝、自己利益の増大はあっても公共の福祉に無関心な団体が社会一般、ましては世界から認知されることは、先ずありえないでしょう。

それがそのまま、学会を含む石山系グループの未来を語っているとわたしには思えます。

911犀角独歩:2003/11/15(土) 17:18

過去に何度も引用してきたところですが、ハッサン師は

「マインドコントロールの被害は、何百万人ものカルトメンバーやその子ども、友人、愛する人々だけでなく、私たち社会全体に及ぶ。合衆国は最大の人的資源を奪われているのだ。人類にたいへんな貢献ができる聡明で理想に燃えた志のある人々を、カルトに奪われている」(『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版 P101)

と記しています。この既述は日本にもそのまま当て嵌まります。「日本は最大の人的資源を奪われて」います。

カルトに限らず、特定集団とその指導者の利益のために煽動される人的資源、あるいは献金その他が、公共の福祉に役立たされれば、日本社会は刷新するとわたしは常々訴えてきました。半世紀で創価学会は7兆円の資金を集め、400万人ないし800万人とも言われる人々が日々、活動に忙殺されています。この人的資源と資金が、公共の福祉に向けられるように方向転換されることが、今後日本社会における重要な課題となってくるとわたしは思っています。その意味において、創価学会には社会的な功績を果たしてもらいたいと念願しているわけです。

会・指導者のためではなく、悩む苦しみ人々への具体的な運動の展開です。
会内の、悩める人には答えを与え・目標と希望を与えてきたことは功利面として評価しても良いでしょう。ならば、その功利面を社会に開き、会のため、指導者のために明け暮れていた活動を、世のため、人のために展開していくこと。病に苦しむ人には薬を与え、障害に苦しむ人の手足となり、飢餓に苦しむ人には食を与え、衣を与え、住まいを与え、そして、教育を与える、そのような具体的な行動を菩薩道と定義し直し、成仏の実践とは、そのような社会活動を具体的に行う延長にあることを会員に教えていっていただきたいと思います。印刷本尊を持たせるとか、入会届にサインをさせるとか、そんなことが人々を幸福に導くのではない、ましてや国立戒壇が建つことなど何の意味もありません。この点を卒業するのに、しかし、創価学会は莫大な損失を会員に負わせたわけでした。もちろん、その責任は石山にもあります。それでも、そのような神話の呪縛を超えたことは評価されるでしょう。

実際に苦しんでいる状況々々に適切な支援をし、人間として最低限の生活を確保させて上げること、その安定の先にようやくと宗教の意義を考える心の余裕ができる道順を忘れてはならないはずです。そのように人間として尊厳の生き方を与えることこそ、わたしは真の布教であると思います。「死にかけたわたしを助けてくれたのは、創価学会の人だった。わたしの病に薬をくれたのは創価学会の人だった。この戦禍から私たちを救ってくれたのは創価学会の人だった。この教えに生きる人たちがわたしを救ってくれた故にわたしはこの人達を信じる」。この道筋こそ、広宣流布なのであろうとわたしは思います。

いま日本の宗教は間違っています。教団と指導者の利益に会員を隷属化させることを信心であると錯覚させています。菩薩は仏を崇めますが、功徳を布き施す対象は仏にではなくて、悩み苦しみ衆生に対してでした。「上求菩提 下化衆生」の意味を再考する時機が到来しているわたしは思うわけです。

世界の著名人の裕福な手と握手するのではなく、飢餓に悩み・戦禍に苦しむ血まみれ・泥まみれの手をもって引き上げることこそ、菩薩の道です。「これから」でもいい、創価学会は功績を積み上げていっていただきたいと念願するものです。

912同感者22:2003/11/15(土) 21:03
、、「功績積み上げ、、」にはご賛同致します、、。 シッカリと「見つめて行きましょう、、?」か、、?

913同感者22:2003/11/15(土) 21:08
、、、しかし、「創価=公明サンらの意見具申者への”、、敵意の丸出し、、?”には、、」皆様が閉口、、?かと、、? 「その敵意だけは、何とか?成らない」ものでしょうか、、???と存じます、。

914求道者、、99:2003/11/15(土) 21:22
、、、。 小生にも思い同じです、、。 「ご自分の言い分?が少しばかり不通だから、と言いまして、、」すぐに「、、相手様には”このヤロー、、”」という「敵意の発言、、?」では「???」なものでしょうか、、??

915ワラシナ:2003/11/16(日) 08:15
創価学会の功績 2

0、創価学会とは、先の方が定義されたように昔とは違ってきて「創価学会を信仰する団体」になったようである。従って、熱心な活動会員の心理ほど会に対して隷属的なって、頭の中がすっかり空っぽになって何を忘れることがあっても「自分が創価学会員であることを決して忘れない。」風にみえる。
 頭の中ではいつも「創価学会」の四文字単語が四六時中繰返し点滅していて創価学会を忘れさせないように仕向けられている。

さて、こうなると、自分の周囲の環境そのものまでが創価学会という元素でできていると感じてくる。自己の周囲の一切を「創価学会」で塗りこめるに抵抗を感じなくなる。「創価学会」以外の世界が確かにあるという実感が薄れてくる。こういう心理背景が、「仏具をはじめとした学会キャラクターグッズ商品」を飛び出させたのであろうと思っている。

この心理が土台になっての振る舞いであればその利他的行動に制約が見られるのも当然と思う。何をやっても「会を忘れることが出来ない」のだから。

創価学会の社会貢献の評価の仕方も色々あるが、私の場合は立正佼成会のやっている社会事業を学会を見る場合の比較の対象にして見ている


1、会行動の本質が、上の定義にふさわしく思えるようになったことは、「功績」定義にも反映されてきて、次の二通りA B がいえてくると思う。いずれも「存在的」特徴を持つ。

創価学会の功績 A「ともかく今まで全く無かった、そういうものとしての創価学会なるものをこの日本戦後社会に送り出した事、どうこうしたから功績がある、というので無しに、それ以前のその存在自体の独創性に功績を認める見方」

その独創性とは、ばらばらになりがちだった比較的低資産低学歴非エリート階層の集団的組織化に成功したこと、大衆運動としての組織化に成功したこと。その成功の鍵は人や世の中を見る時の「目線の低さ」だったと思う。 
 それは「**主義」という言葉に引きづられて得たような感じ方、見方でない、正宗マンダラのミラクルパワーから得たような最も素朴な生命(!出たね)実感から由来したものと想像する。


創価学会の功績 B「その創価学会を大きくしたこと」これが一番の功績と思う。
色々な実績的功績も「会を大きくしたから」可能になったこと、と思う。

というふうに、どこまでも自分自身に対して金太郎飴のように創価学会にこだわらせるのが「創価学会の功績」の一つの意味としてある、というのが私の一つの見方としてある。

916犀角独歩:2003/11/17(月) 12:33

913 同感者22さん:

> 「その敵意だけは、何とか?成らない」ものでしょうか

敵意、より具体的に言えば、他者蔑視を基とする“憎悪”こそ、悪意の団体が人心を弄する着火材であって、原動力たり得るものとなっていると分析できます。

ですから、全組織、全個人レベルにおける指標は「憎悪からの脱却」にあると、わたしは思うわけです。

917犀角独歩:2003/11/17(月) 12:45

916は、同感者22さんに同感という意味でした。

918同感者 22:2003/11/18(火) 23:24
、、どーもです、、。 「敵意丸出し≒≒相手を憎む憎悪を感じる???」かが少しでも「存在??」なのでしょうか、、?? 「、、憎悪の壁、、≒ 自分側の主張、、??」では、、? 「自分側の正義==他者の不正義、、?」に「凝り固まる洗脳効果、、??」でしょうか、、? 「、、憎悪への洗脳こそも大問題、、?」でしょうか、、?

919犀角独歩:2003/11/19(水) 04:54

> 「、、憎悪への洗脳こそも大問題、、?」でしょうか

そのとおりであろうかと存じます。

920MILD SEVEN:2003/11/20(木) 01:27

<週刊新潮 11月27日号 46ページ。>

新「創価学会」を斬る。

「20勝68敗」・・・。

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・

確かに裁判沙汰の多い宗教法人は変です。
宗教法人としての存在意義・能力が問われるのでは?
池田創価に魅力は感じません。
真の実力も無いでしょう。

裁判を繰り返し、水面下の策略・・・。
光の子のあり方ではありません。
何でしょう?

悔い改めを!
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

921犀角独歩:2003/11/20(木) 10:47

MILD SEVENさん:

「創価学会が」と断定するわけではありませんが、ハッサン師は以下のように記述していました。920の投稿を読ませていただき、思い出しました。

「現行法は、暴力の行使またはその危険がないかぎり、マインドコントロールなるものが存在すること自体認めない。(略)実際、法というものは、知らないあいだに破壊的カルトの犠牲となってしまった人々よりは、むしろ破壊的カルトの方を守りがちである。(略)カルト集団には途方もない資力があるため、彼らはそれで最高の弁護士を雇い、批判者や元メンバーに対するいやがらせの訴訟(勝ち目はなくても訴えられた人は迷惑)を起こすことができる」(『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版 P343)

922MILD SEVEN:2003/11/20(木) 20:20

創価は、魔界の虜。
修羅道まっしぐらですな。

923MILD SEVEN:2003/11/23(日) 00:15

修羅・・・。

鬼は成長の為の餌にすぎないのに・・・。
そんな時代がやって来る・・・?

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

924MILD SEVEN:2003/11/24(月) 01:12

そして・・・。

池田創価の海外での数々の勲章・名誉教授等に反して、国内では・・・皆無!?

不気味な事です。

策略等は黙認?しても、それ以上は許さない この国の国民性の特性か?

さて・・・。

925MILD SEVEN:2003/11/25(火) 01:13
池田創価が、日本の大学から相手にされてない理由としての・・・名誉教授・博士号等は?
海外に反して、国内では無いでしょう?
各サイトを調べれば分かります。
画策している事でしょうが・・・。

いい加減に、策略を止めて、正義の道を歩んだらどうでしょうか?
内部改善を!

聞く耳がある者は幸いです。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

926MILD SEVEN:2003/11/27(木) 02:24

池田狂信者・・・。

知恵も悟りも まがいもの。
池田教の限界は明白です。
悔い改めを希望します。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

927MILD SEVEN:2003/11/27(木) 21:13
です。

928無尽:2003/11/27(木) 23:29
他人の悪口ばかりいうのは、やめなされ。
自分のことを、みなされや。

929MILD SEVEN:2003/11/29(土) 00:52
創価学会の人権侵害によって、人生をメチャクチャにされながら、敵を愛す努力「教育」を継続している私・・・LDですが・・・。

ですか?

930無尽:2003/11/29(土) 01:05
被害者であることに固執していたら、ずっとみじめなだけだぞ。
みずらかを、みつめよ。

931MILD SEVEN:2003/11/29(土) 07:02

<ほーぼー大師!?>  

池田大先生は、本山から破門され・・・釈迦を否定し、法華経を見下している事は明白です。
私のBBSの最初から見れば分かります。

私からも称号を与えましょう。(^0^)
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

932MILD SEVEN:2003/11/29(土) 07:04

<ほーぼー大師!?>  

池田大先生は、本山から破門され・・・釈迦を否定し、法華経を見下している事は明白です。
私のBBSの最初から見れば分かります。

私からも称号を与えましょう。(^0^)
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

933MILD SEVEN:2003/11/29(土) 07:08

<聖戦>

創価の一方的な迫害により、失うものの無くなった私は、カルトからの解放戦線に立ち上がりました。
これぞ私の人生・十字架。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

934MILD SEVEN:2003/11/30(日) 03:16

<聖戦 2>

過去、池田創価からの一方的な迫害により、失うものの無くなった私は、この機をチャンスと思い、証しを開始しました。
国内・外で。
そう、カルトからの解放戦線に立ち上がりました。
それは、敵を愛すべく・・・ほーぼー大師の門下生へ悔い改めを促す事も兼ねています。

しかし、現実には狂信者の解放には精神的に痛みが伴う事があります。
相手が狂信的であればあるほど。
私の目標は、穏やかな解放です。
何事も主の導きのままに。

我々は原点からの直参です。
仏教界の二次的・三次的で、カルト化した池田創価とは違います。
一人でも戦いぬけます・・・が、世界にバトンリレーしています。
厳しくも、真理に護られたあり方です。

私は国境をあまり意識しません。
結果を出せる場所が国外なら、この国が遅れをとってしまう事も考えられます。
私は、大げさな事を言っているとは思いません。
現実問題ですから。

この国はバベルの怖さを知っているはずです。
今度は、精神的・宗教問題です。
これは、経済・平和の問題と密接に繋がっています。
素直な方なら、すぐ解ります。・・・そうでなくとも、よくよく考えれば解ります。・・・同じ事です。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

935MILD SEVEN:2003/11/30(日) 07:21
創価には、やはり、なるべき者が集められたのでしょうか?

936庶民777:2003/11/30(日) 18:37
 かつてソ連邦の外務大臣=シュワルナゼ氏が失脚した、、。 かれは、あのゴルビーさえも「独裁の張本人と言い。。」「自ら田舎に戻った、、」「しかし皮肉にも」「今度は彼自身が独裁者、、」「として亡命を余儀なくされた、、」、、。 ここから学ぶべきは、、「 、、、、????」かが存在でしょうか、、??

937庶民123:2003/11/30(日) 19:29
その通ーり「ミンナーマーアルク、、、穏やかに、、??」でしょうか、、?
 某S会の内側からの「、、、???」「、、、???」などの内部からの「告発のような、、??」「、、内部的な本音、、??」を「是非とも、、御期待、、?」したいものです、、、、?

938MILD SEVEN:2003/12/01(月) 00:30
ほーぼー大師の門下生・創価学会。

939MILD SEVEN:2003/12/03(水) 01:12
池田教について。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

940MILD SEVEN:2003/12/03(水) 04:18

<国家反逆罪>

ただいま「国家反逆」について、更なる研究中?です。
もちろん、この国だけの問題ではありません。
国際的な問題です。
カキコしてしまうのは簡単ですが、甘口・辛口と、相手にもその選択の猶予を。と考えています。
あくまでも思慮の浅い詭弁仏法で、反省が感じられなければそれなりに。
しかし、解放されてない精神の相手には、難しい問題です。
憎むべきは「カルト」。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

941MILD SEVEN:2003/12/03(水) 15:44

<創価学会問題>

創価学会という宗教団体は何処まで行くのでしょうか? 
巧みな・危険な全体主義、創価学会。 
世界は今、新種のカルトとして研究しています。
彼らに愛の手を!果てしなき迷宮から彼らを救い出しましょう!

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/page013.html

942MILD SEVEN:2003/12/03(水) 22:24

創価学会員は素直になれるのでしょうか?
間違った指導者に隷属する人生から、一日も早く解放を!

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

943MILD SEVEN:2003/12/06(土) 10:13

<仏教とキリスト教の比較?>

創価学会員が、仏教とキリスト教を比較する表現をする事がありますが、彼らの口からそれが出るのは・・・おかしな事です。

エホバの証人。モルモン教。統一教会などの異端があるように、創価学会は異端なのです。
創価学会は仏教ではありません。
これは、ハッキリした事です。
正統派ではありません。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

http://hidebbs.net/bbs/momo7?sw=7

944常識人:2003/12/06(土) 11:37

カルト宗教問題

日蓮は釈迦を越えた存在ではありません。菩薩すらなっていないでしょう。釈迦を否定する法華経信仰はホウボウ罪になりますよ。創価の教祖独自のやり方は破滅へと導いていますね。

── =  /ヾ∧
── =彡| ・ \ =←良識ある人間
── =彡| 丶._)  ≡    ガッ     ∧_∧
─ =≡○_   ⊂)_=_  \ 从/-=≡ r(; ー ;)
── =≡ >   __ ノ ))<   >  -= 〉#  つ ←池田大作
─ =≡  ( / ≡    /VV\-=≡⊂ 、  ノ   
── .=≡( ノ =≡           -=  し'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
.            .│
.            .│
.            .│〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
.            .│   ペルシア湾

945Leo:2003/12/06(土) 17:28
(一言)
マルチポストしないのは掲示板の《常識》でありますし、《良識(理性)ある人間》が暴力はいけないでしょう。
(表現ではあるわけですが)

# 学会(あるいはその指導者)や公明にイラクでも行ってこいという気持ちはわからなくもないですが...

946MILD SEVEN:2003/12/06(土) 18:40

<ほーぼー大師 率いる池田教>

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
でも、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

池田狂信者は、マトモな弁明・釈明、謝罪も出来ない愚か者ぞろいです。

狂信者と同じレベルに引き込まれて、修羅道に落ちてはなりません。
狂信者は無視して話を進めてはいかがでしょう?
池田創価の国家反逆性について論じてはいかがでしょうか?

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

947Leo:2003/12/06(土) 20:29
(他の掲示板で紹介されていた本ですが)私は下記書籍を読みましたが結構参考になりました。

 竹内靖雄 『<脱>宗教のすすめ』 PHP新書、PHP研究所、2000年

上記書籍の筆者の視点は現代の一般的な日本人を中心としているように思います。
世界的にみても宗教は残っていますし、個人個人の信仰心は無害ではないでしょうか。
「宗教」の示すものが「(特に新興)宗教団体・組織」のことであれば一理ありますね。

(特に巨大な)宗教団体はサービス産業化して自由市場で健全な競争して貰うというのは
よいかもしれません。
下手に弾圧すると(たとえば国家反逆嫌疑など)宗教団体というものは耐性を増強させるものですし...

948Leo:2003/12/06(土) 22:47
>>947 自己レス
>(特に新興)宗教団体・組織
>(特に巨大な)宗教団体

これらは、私としては特に学会を念頭においています...

949MILD SEVEN:2003/12/07(日) 04:50

<一休み>

細菌「カルト」の耐性増強ですか・・・。
考えさせられます。
抗生物質の進化とイタチごっこですか・・・?

私は、傷ついたり、怒っている訳ではありません。
真剣なだけです。
信仰を与えられ、この道を好きになり・・・苦痛は慰められ、自分で結果を確認し、天のひと時?を楽しんでいます。

また、組織を憎んで、人を憎まないようにしています。
組織とは怖いものです。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

950MILD SEVEN:2003/12/07(日) 13:04

<月光仮面の独り言>

正統派が真剣になる時、異端はついて来れません。
個々の真剣さにもよりますが、無限の成長・可能性を秘めています。
私は私で、今まで通り・・・。

            ・・・・・・・・・・・・

キリスト教には聖職者がおり、私も聖職者に育てられました。
今でも感謝しています。
過去の歴史から・・・聖職者が時代の荒波?に翻弄され、逸脱してしまう事があっても、大局的には軌道修正され、現在に至っています。
私も、軌道修正係りかもしれません?

仏教もしかりでしょう。
聖職者を否定し、独自路線を行くカルトは悔い改めさせなければなりません。

信頼関係と反逆者は違います。
当然ですね。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

951庶民123:2003/12/07(日) 22:10
 ドーモです、、。 なかなかですか、、?  今後は内部からの告発に??ご期待しましょうか、、?

952MILD SEVEN:2003/12/07(日) 22:19
そういうものは、いくらでもあると思いますが・・・。

ポイントは、悔い改めです。
ね。

953Leo:2003/12/07(日) 23:57
学会の指導は「正義」や「勝利」(「保身や利得や売名や権勢」に相当)が強調され、反省や自省というもの
はほとんど見られないように思います。やはり「悔い改め」「みずからを深く戒め」といったことは
己と世間をよりよくしていくためには必要なことではないでしょうか。

(ご参考)
「再三強調したように、大乗文化は、あくまで大乗仏教とその思想を中核とするからには、その大乗仏教とは
いかなるものであり、またかつてどのようにあったかに関して、深い自覚と反省とが、つねに随伴しなければならぬ。
(中略)
 ただし、再び念を押していえば、大乗仏教も、大乗文化も、世俗そのままの単なる肯定はあくまでも拒否し
続けるという確固たる態度が、必ず要請される。
(中略)
 そこでは、一時的な保身や利得や売名や権勢に目がくらんで、時々刻々に浮動するままの世俗に媚びつつそれに
迎合し、さらにはいわゆる世の流行に浮き身をやつし、ときにはそれに便乗したり、促進したり、悪用したりする
一種の道化役へと、無自覚・無節操・無責任に頽落することの絶無であるよう、みずからを深く戒め、また仏教に
関連するすべての人びとに念願してやまない。」
(中村元、三枝充悳 『バウッダ 佛教』 小学館ライブラリー、小学館、1996年、p.421)

954犀角独歩:2003/12/08(月) 10:21

> 953

Leoさん、すばらしい引用ですね。

955MILD SEVEN:2003/12/08(月) 11:57

やはり、羅王ですな。池田大先生は。ケンシロウは何処へ?

<池田大作大先生 発言>

「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 (扶養研修所での指導)

「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会)

「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ!」

「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」

・・・・・・・・・・・・・

<獣・666>は比喩「ヨハネの黙示録」

<おろち> も比喩。

日蓮氏の立正安国論でも・・・。
・・・「国土乱れん時は先ず<鬼神>乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。・・・。
歴史は繰り返す。

・・・・・・自界叛逆の難・・・・・・・。

上記は何でしょう? 単純に考えれば、宗門・僧侶への反逆行為!?
やはり、池田創価でしょう!
創価は僧侶を認めない・侮辱する存在。
普通の仏教界も知っています。
しかも、他宗を裏切った者達による、元の宗門への反逆活動・策略は言わずと知れた事。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

956Leo:2003/12/09(火) 00:53
>954 犀角独歩さん。

引用の書籍は仏教を総覧するものですが、そのようなことがきっちり主張されて
おられました。さらに、激しい調子で章が締めくくられております。

「ともあれ、大乗文化は、本来は大乗仏教にプラスされたものを意味し、わが国の文化史・
精神史・思想史その他に多大の貢献を果たして今日に及ぶ。それを忘却して、もしも
マイナスに機能するならば、いわんや術策を弄して悪辣な脅迫に及び暴力を振るう
ようなことが万一にでもあれば、大乗文化は大乗文化そのものを否定し去って消滅し、
さらにかえって多大の弊害のみを残すことになるであろう」
(同上、p.422)

現在の時点でも「術策を弄して悪辣な脅迫に及び」はある巨大仏教系団体の基本姿勢として
目のあたりにするところです。

957MILD SEVEN:2003/12/09(火) 04:30

すばらしい。
お借りします。
下記。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

958MILD SEVEN:2003/12/09(火) 05:26

願わくば、正統派の競い合い・高め合いで行きたいものです。
この国、日本は。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/page007.html

959Leo:2003/12/10(水) 00:21
>>957 MILD SEVEN (常識人?)さん

文献の引用の部分だけだったら出典が記述されているのでことわりは不要ですが、(「」外の)文献引用以外の
部分を含む場合は、他掲示板あるいは他の人の発言の紹介と書いて頂くと、本人の発言か、紹介かの区別が
わかりやすくなると思います。

これは、私の感想・意見で強制ということではないです。ご考慮頂けたら幸いと思います。

960MILD SEVEN:2003/12/10(水) 04:13

修正しました。
Leo さん。くれぐれも創価の策略に注意してください。
お気をつけて。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

961MILD SEVEN:2003/12/10(水) 04:32

<聖戦 まとめ 1>

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
でも、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

池田氏と、取り込まれた優秀な?側近連中のコンビネーション・パターンは、基本的にはオウムと同様のパターン。
光の子とは異質の力。
しかも、一般社会にカルト洗脳を感じさせない?新種のカルト・・・。
カルトは原点へ・・・!?

創価学会員が、仏教とキリスト教を比較する表現をする事がありますが、彼らの口からそれが出るのは・・・おかしな事です。

エホバの証人。モルモン教。統一教会などの異端があるように、創価学会は異端なのです。
創価学会は仏教ではありません。
池田大先生は、本山から破門され・・・釈迦を否定し、法華経を見下している事は明白です。
これは、ハッキリした事です。
正統派ではありません。

私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
魔界のロボトミー化した池田狂信者は哀れな連中です。

でも、これは言っておかなければなりません。
創価学会員が不幸を造ったら、まず、創価学会員が改善すべきです。
キリスト教もそうやって前進してきました。
私はプロテスタントです。
今や、キリスト教界は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代です。

創価は、とんでもない間違いをしています。
伝統を踏みにじり、しかも、カルト化しています。
狂っているとしか言いようがありません。
このまま独裁体制で世界征服するつもりでしょうか?
バベルの塔の運命はいかに?

国家に警察があるように、風紀委員は必要です
宗教問題でもそうです。
もはや、タブーではありません。
時間との戦いです。

また、創価の好きな・自分勝手な私刑は、国家の尊厳を踏みにじる行為です。
創価に悔い改めの意味が分かるでしょうか?

過去、池田創価からの一方的な迫害に起因して、失うものの無くなった私は、この機をチャンスと思い、証しを開始しました。
国内・外で。
そう、カルトからの解放戦線に立ち上がりました。
それは、敵を愛すべく・・・ほーぼー大師の門下生へ悔い改めを促す事も兼ねています。

私は、カルト組織の国家反逆性・・・その耐性強化を上回るあり方に挑戦しています。
そう、解放です。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

962MILD SEVEN:2003/12/11(木) 00:18

言っておくべき事。

創価学会は、私を納得させなければ、中東問題にチョッカイを出してはならない。
テロリストを日本に呼び込む危険性を創価学会は持っています。
創価学会のカルト性は危険です。
それほど、中東問題は根が深く、難しい。

政権与党に寄生し、そのカルト教学で、私の仕事の邪魔をしないでもらいたい。
創価学会。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

963Leo:2003/12/12(金) 22:46
>>956 (自己レス)
>現在の時点でも「術策を弄して悪辣な脅迫に及び」はある巨大仏教系団体の基本姿勢として
>目のあたりにするところです。

(念のため...) 言うまでもなく、ここでいう「巨大仏教(仏教をやっているかどうかも疑問ですが)系団体」とは
学会(本部)のことです。

964犀角独歩:2003/12/14(日) 11:28

過日、新宿を歩いてましたら、以下のビラが配られていました。

「創価学会員によるドコモ通話記録盗み出し!!
 事件究明にご賛同ください

 平成14年(2002)9月、創価学会幹部らが、NTTドコモの携帯電話通話記録を盗み出していた事件が発覚しました。
 警視庁・深川署が被害者の一人に語ったところでは、じつに多数の被害者がプライバシーを侵害されていた可能性があります。ところが、警視庁は、「故事的かつ単発的なもの」に矮小化し、なぜか捜査を打ち切ってしまいました。
 通信の秘密は、憲法が保障する国民としての基本的人権であり、これが侵されることは、許しがたい重大な犯罪です。
 事件が葬られないよう、真相究明に皆様方のご理解・ご賛同をお願いいたします。

 創価学会関係者による
 NTTドコモ通信秘密侵害事件真相究明の会
 連絡先 〒162-0822 東京都新宿区下宮比町2-28-326
     電 話 03−3260−8470
     FAX 03−5206−6544」

(このビラ内容と連絡先の掲示板への投稿は同会の許可を取りました)

965犀角独歩:2003/12/14(日) 16:37

【964の訂正】

誤)「故事的かつ単発的なもの」
正)「個人的かつ単発的なもの」

966ワラシナ:2003/12/14(日) 20:18
暫くです。

>過日、新宿を歩いてましたら、以下のビラが配られていました。

見ました。西口改札出た正面でやってました。

967犀角独歩:2003/12/15(月) 00:43

ワラシナさん:

レス、有り難うございます。
ここに投稿するのに、連絡先に電話をしましたら、乙骨さんが出てビックリしました。
わたしは共に歩むところではありませんが、この問題の徹底糾明には一応、賛同したいと思います。

968MILD SEVEN:2003/12/15(月) 06:42

ホームページ 世界に公開中。
翻訳サイトで一発です。
もちろん更新しました。

「自由共和党」で検索すれば出てきます。
ミラーサイト多数あります。
下記もその一つ。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

969MILD SEVEN:2003/12/15(月) 06:55

もちろん下記BBSも編集・更新してます。
参考になればいいのですが・・・。

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

970みかん:2003/12/15(月) 12:52
>162-0822 東京都新宿区下宮比町2-28-326

>乙骨さんが出てビックリしました。

フォーラム21の住所ですね。

971犀角独歩:2003/12/15(月) 15:41

> フォーラム21の住所

あ、そうですか。納得です。

972Leo:2003/12/16(火) 01:04
私は今では、藤原弘達氏をはじめとして、石田次男氏、福島源次郎氏など学会に批判的であった人々を
冷静に見れるようになったのですが、(学会での宣伝が抜けきっていないためか)乙骨氏には
抵抗感がある状況です。

>「創価学会員によるドコモ通話記録盗み出し!!

この事件は、「個人的かつ単発的なもの」 であったか否か気になるところです。

インターネット検索で確認してみましたが、この事件の関係者は教宣部に所属していた
らしいとのことですね。

教宣部に属したことがないので(そこそこの幹部・責任者でないと属せないですね)
実際にどのような(どこまでの??)活動をしていたのかはっきりわからないのですが、
教宣部は各会館でよく通常閉館時間以降も残ってましたね。
(閉館時間以降会館を使えてしまうのと、通常時間では出来ない活動なのか疑問でした...)

973犀角独歩:2003/12/16(火) 12:02

乙骨さんというのは、実際に会うと剽軽な印象ですね。
名前を挙げてしまって、Leoさん・その他の方からコメントをいただいた行きがかり上、少しだけ記します。

わたしは彼の経歴、仕事などに関しては客観的に見ています。
まあ、参考になるところもあればならないところもあるといったところでしょうか。

業界的有名人がその人脈・組織を頼りに行動する、そんなやり方を彼にも見ますが、わたしはこういった態度は嫌い、団体・人の権威で自分をでかく見せて主義主張することは、結局、自分が批判する者と同轍の俎上から降りていないことを物語っている印象がついて回ります。乙骨さんがそんな人かどうか、わたしは杳として知れませんが、共同することはあり得ないと思っています。その意味で、先の紹介は、あくまで情報呈示の範囲以内のもので、それ以上の意味はありませんでした。悪しからずご了解いただきたく存じます。

974MILD SEVEN:2003/12/16(火) 13:52

創価学会問題

創価学会という宗教団体は何処まで行くのでしょうか? 
巧みな・危険な全体主義、創価学会。 
世界は今、新種のカルトとして研究しています。
彼らに愛の手を!果てしなき迷宮から彼らを救い出しましょう!

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/page013.html

975Leo:2003/12/17(水) 00:57
973 犀角独歩さん

私が、
>乙骨氏には抵抗感がある状況です。
と書きましたのは、私はそのような状況であり、また決して犀角独歩さんを難ずるものでもなく、
犀角独歩さんや皆さんはどのような評価をされているのか伺ってみたかったという所があります。

(ですので、「犀角独歩さんや皆さんは乙骨氏についてどのように思われますか」と付け加える
 べきでした)

私にとっては、学会で非難されていた人物の普通の評価を伺うことは、ある種のリハビリになり
ます。負の評価を刷り込まれた人物についての見解が負も正もなくなれば、その心の部分が
解放されます。犀角独歩さんありがとうございます。

976MILD SEVEN:2003/12/17(水) 07:06

<創価学会問題>

蛇ども、マムシの末ども・・・。
悔い改めよ!
獣の数字は 666
ヨハネの黙示録13章。

私は1988年より、創価学会に苦しめられ、戦っています。
反キリストの、池田狂信者組織撲滅スケジュール起点は何時でしょうか?
獣=666・・・池田狂人間!?
3年6ヶ月・・・。

私は受洗後(1991)・・・その後、創価による策略・霊的な死と、主にある救い(1995)で、・・・クリアしていますが・・・。
ヨハネの黙示録11章・・・もちろん、霊的な機密事項ですが。
今では、1995年より〜霊的に不死の証し人として・・・。
創価学会の死の力は、今の私には無力です。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創価学会という宗教団体は何処まで行くのでしょうか? 
巧みな・危険な全体主義、創価学会。 
世界は今、新種のカルトとして研究しています。
彼らに愛の手を!果てしなき迷宮から彼らを救い出しましょう!
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/ 

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

977MILD SEVEN:2003/12/17(水) 22:22

<<<統一教会・エホバの証人・創価学会 問題>>>

平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。

しかし、現実にカルト組織は存在します。
しかも、これは霊的な問題でもあります。
世界は研究しています。

カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/page013.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/page013.html
http://mildseven.55street.net/page013.html

<<<カルト宗教に NO!>>>

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

978Leo:2003/12/17(水) 23:58
>>975 自己レス
>私にとっては、学会で非難されていた人物の普通の評価を伺うことは、ある種のリハビリになり
>ます。負の評価を刷り込まれた人物についての見解が負も正もなくなれば、その心の部分が
>解放されます。犀角独歩さんありがとうございます。

なんか変な表現でした。言葉になっていないですね。
お気になさらないでください。

979犀角独歩:2003/12/18(木) 01:22

いやいや、Leoさん、少しも変な表現ではありません。
同じ過程をわたしも辿りましたよ。

980MILD SEVEN:2003/12/18(木) 03:09
Leo さん 頑張って!

981MILD SEVEN:2003/12/18(木) 13:52

<公明党・いかん神崎、イラク入り>

池田狂信者は、やはり、神を愛する者に・・・馬鹿馬鹿と言うのか!?
テロリストが来たら・・・創価学会のせいだな!

この国の警察も学習してもらいたいものです。
その為にも、活動しています。

創価は「馬鹿」などと・・・簡単に差別用語を使う無神経なカルト集団です。
その霊的な罪は聖霊侮辱罪。
赦されないでしょう。
哀れな・・・。

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/page013.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/page013.html
http://mildseven.55street.net/page013.html

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

982MILD SEVEN:2003/12/19(金) 05:21

慈悲・・・は、尊敬に値するものと・・・。
創価には感じません。
残念!

愛の奴隷は・・・カルトに敏感です。アバウトですが・・・。
無神経な連中に魅力無し!

983MILD SEVEN:2003/12/20(土) 07:00
この国の警察も学習してもらいたいものです。
その為にも、活動しています。

984MILD SEVEN:2003/12/20(土) 14:03

<諸悪の根源は池田狂>

全部おまえが悪い!
一方的にそう言って他宗教を迫害した池田狂信者。
私も犠牲者の一人です。もはや、失うものはありません。
私はキリスト教徒です。

大まかに言って、ユダヤもイスラムもキリスト教徒も、同じ神を愛しております。
創価よ、私を納得させてもらいたい。

全部おまえが悪い・・・。
それは、創価学会ではないのか!?
池田狂信者は、やはり、神を愛する者に・・・馬鹿馬鹿と言うのか!?
テロリストが来たら・・・創価学会のせいだな!

安全第一!
池田教に反対!

この国の警察も学習してもらいたいものです。
その為にも、活動しています。

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/page013.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/page013.html
http://mildseven.55street.net/page013.html

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

985MILD SEVEN:2003/12/22(月) 05:08

私は、たった一人でも証しぬけます。
正統派だからです。
殉教しても、意思は世界にバトンリレーされます。
思い残す事はありません。

主にある神風。
こんな生き方があってもいいでしょう。
もちろん、ごくごく普通の自然体。

円卓の騎士は増やします・増えています。

986MILD SEVEN:2003/12/22(月) 05:49

<統一教会・エホバの証人・創価学会 問題>

わたしたちは、統一協会(=統一教会=世界基督教統一神霊協会=文鮮明機関)をはじめ、詐欺的な勧誘・教化で人生を奪うカルトの問題を考え、被害をなくすため活動しています。
http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/index.htm

エホバの証人統一協会対策香川ネット
http://www.kln.ne.jp/jehovah/index.htm

「統一教会」に入信している人々を、聖書の教えによって『救出』することを目的とする。
http://www.kyushutsu.net/jp/uc/main.html

私は、創価学会の詐欺的な勧誘・教化で人生を奪うカルトの問題を考え、被害をなくすため活動しています。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv&amp;id=xvssv

987MILD SEVEN:2003/12/24(水) 05:53

<創価学会に提案した事>

私は、キリスト教は今は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代だと思います。
過去の歴史・・・軌道修正の為の分裂は、(より完全に・より自由に)・・・大いなる主の導きにより、主にあって個性を活かされた協力体制の為の更なる軌道修正へと・・・悟れます。

創価学会に改善の意志があるなら、下記サイトを隅々まで参考にされたし!

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://mildseven.55street.net/

          ・・・・・・・・・・・・・・・

創価の詭弁は嫌いです。
素直さが無い。
まともな宗教とは感じません。
残念。

988MILD SEVEN:2003/12/25(木) 04:28

<Merry Christmas>

異端を矯正して、正しい秩序・競い合い社会を構築しましょう!

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://mildseven.55street.net/

989MILD SEVEN:2003/12/27(土) 05:31

<真理学・人間調理!?>

鉄槌を下すか? はたまた試練を乗り越えるか?
会得は難しい。
未熟でも、歩んで行かねばならない。
公義の小道の一環として・・・。

990MILD SEVEN:2003/12/28(日) 04:17

年末は忙しくて、ネットで遊んでいる暇も・・・。
職場の怪しさも・・・また、おかし。

創価は、ハード面で歯ごたえが無いし・・・物足りない・・・。
遊び相手にもなりゃしない。
教え甲斐のあるレベル3クラスはいない。
さて・・・。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

991MILD SEVEN:2003/12/29(月) 04:18

イスラム社会で、女性がノーベル賞を受賞。
良い傾向です。

下記 <自由共和党> 旧 資料室を参照してください。
http://mildseven.55street.net/index.html
http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

正統派仏教界も、日本国内で理想的な切磋琢磨をして行きましょう。
我々キリスト教徒と。
これはバランスが大切です。

私は、国外各国から、強力なサポートを呼び込んでいます。
既に。

水面下の根回しは10年以上・・・。

992MILD SEVEN:2003/12/29(月) 13:21

私は、牧師や神父、または僧侶を標準の相手としていました。
バトンリレーでの解釈を暗黙のうちにお願いしていました。
ポイントを抑えた後は、一般レベルの表現を自分でも検討努力します。
何分、電撃作戦的なものでして・・・。

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://mildseven.55street.net/

993沖浦克治:2003/12/30(火) 06:50
 皆様方には本年はまことにお世話になりました。
 来る年が幸いを運ばんことを願っております。

994ガンコ:2003/12/30(火) 07:59

あら、まあ、沖浦さん。お元気そうでなによりです。

995MILD SEVEN:2003/12/30(火) 13:51

今晩 忠臣蔵があります。
これを見なければ年を越せませんね〜
時代劇は好きです。

それでは、良い年が来ますように。

996MILD SEVEN:2003/12/31(水) 18:40

追伸

洗脳から解放され、何が正しいか?自分で判断出来るように。
それでは、良いお年を!
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

997MILD SEVEN:2004/01/01(木) 09:06

<<<創価学会員のサイトに投稿したもの>>>

<ピリピ人への手紙 3章 13〜14節>

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得る為に、目標を目ざして一心に走っているのです。

<詩篇 37篇>

悪を行う者に対して腹を立てるな。
不正を行う者に対してねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ、
青草のように枯れるのだ。

主に信頼して善を行え。
地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・

説明するのに、聖書からの引用をお許しください。

創価は池田氏亡き後のあり方を準備してください。
新世代は、どうあるべきか?
やがて、選択の時期は訪れます。
良識は自然の摂理を上回るもの。世の摂理は自然にそれに従うと判断されます。

素直が一番だと思いますが・・・。
それを馬鹿と言う者に、望みはありません。
私はそう思います。
いかがでしょう?

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://mildseven.55street.net/

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新年おめでとうございます。

998MILD SEVEN:2004/01/01(木) 15:21

まとめてみました。

自由共和国
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

999MILD SEVEN:2004/01/03(土) 12:17

<荒らし対策 BBS>

平和な民主主義国家・日本。 水面下では・・・。 陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。 しかし、現実にカルト組織は存在します。 しかも、これは霊的な問題でもあります。 世界は研究しています。 カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。 解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。 それだけではありません。 残された時間は・・・。

http://hidebbs.net/bbs/momo7?sw=7

自由騎士団 掲示板

http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1000MILD SEVEN:2004/01/04(日) 19:22

<創価学会の組織運営は、ヒットラーの『わが闘争』から学んだのか?>

「大衆の心理は、すべて中途半端な軟弱なものに対しては、感受性がにぶいのだ」。
「大衆の国民化は、中途半端や客観的立場の弱々しいもので怒るのではなく、目標に向かって容赦のない態度をとること、熱狂的に一方的な態度をとることによって可能となる」。
「民衆の心を獲得することは、上記と並んで、目標の敵対者を絶滅させる場合にのみ可能である」。

「ある運動の未来は、支持者がその運動をどれだけ正しいものであると主張し、同じ様な性質のある他の組織に対して最後まで貫き通す熱狂、いや不寛容さによって左右される」。
「構成員を、闘争を何か自然な成長に任せて良いものと考えるのでなく、自ら追い求めなければならぬものと見なすように教育しなければならない」。

「この運動は、人物に対する尊敬を、あらゆる手段を尽くして助長しなければならない」。
「権威を形成するための第一の基礎は人気である。人気と強制力が結合し、それらが共にある期間継続することができると権威はさらにもっと高い基礎の上で立ち上がることができる」。

「国家を維持するだけの力とは、現実になんであるか、と問うならば、それを二三の言葉に要約しうる。すなわち全体のために個人を犠牲にする能力と意思である、と」。
「民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決めるという女性的要素を持ち、女性的な態度を取る」。

「国家は断固とした決意で民衆教育の新聞という手段を確保し、それを国家と国民の役に立たせなければいけない」。
「この世界における最も偉大な変革は、決してガチョウの羽ペンでは導かれなかった。宗教的・政治的たぐいの偉大な歴史的雪崩を引き起こした力は、大昔から語られる言葉の魔力であった」。

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1001MILD SEVEN:2004/01/06(火) 06:57

<自由>

私は、誰が何を信じようが自由だと思います。
人の人生を壊すカルトでさえ無ければ!!

自分の信じるものを堂々と名乗って、皆と協調して生きて行くのが国際社会。
そのはずです。

http://www3.ezbbs.net/15/momo7/
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/page013.html

1002MILD SEVEN:2004/01/07(水) 01:57

下記は、カルト問題サイトを作った経緯。
裁判所よりも兄弟姉妹。
そして、良識ある宗教者に検討してもらうのが第一。
後の事は後に。
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・

<事件 1> 

1988。
ドイツで働いていた頃。
あの国は、日曜日になると、町全体が休日の雰囲気になる。
私の店も、店休日になるのが多かった。
私は教会に通い始めた。

  ・・・・・・・

私の職場には、創価学会員と、反創価の派閥の対立があった。
ある日、私は先輩(創価学会員)に、教会に行っている事を話したら・・・その日から態度が変わった。
その先輩は、何かあるたびに{おまえが悪い。全部おまえが悪い! と。}イジメるようになった。
反創価の先輩に聞いたら・・・あの組織の連中は、{狙いをつけた者を、イジメぬいて・・・その後、飲みに連れて行って・・・優しくして・・・組織員にさせてしまう。}との事。

卑怯な連中だ!
当時は、そうだった。
私は屈しなかった。

<事件 2> 

1991、日本に帰国して後・・・。
徹底的にモルモットにされた。
私は、未熟な異言者だった。

狂わされた?新婚だった。ショックで、記憶が断片的だ。

その後の職場でも、あの組織の女性上司から、いろいろ言われた。{あなたと私は黒い糸で結ばれている。とか、一生面倒みる、とか・・。}当時は、何を言われているのか分からなかった。
妻もいた。
記憶が断片的だ。
・・・家庭は崩壊した。

記憶を取り戻したのは、崩壊後、1995年 5月だった。
私は戦い始めた。
SGI はあらゆる手段を用いる。
くの一も。
でも、所詮・・・闇の力


<事件 2 その後> 

1995、再度、創価学会に集中的にモルモットにされていた時・・・。
創価に、寄ってたかって{マロとかチンとか言ってみろ!}と言われた。
私がウメボシと言われる者だからだ。
私は生き証人だ。
私は、キリスト教徒だからあまり気にしない。
むしろ、上手な仕事を考える。


<事件 3> 

あれは、カナダで働いていた時の事。
1997より。
どの職場にも、日本人スタッフに、創価学会員・SGI がいた。
常に流言蜚語・陰口に苦しめられた。
カナダ市民も洗脳していくカルトの策略。
虜になるべき者が虜になるのか!?

私は、証しを蓄積していった。
証しの手紙を、各方面に大量に送付して後、2001年 帰国した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
私は、誰が何を信じようが自由だと思います。

人の人生を壊すカルトでさえ無ければ!!・・・「イエス様の宣教命令を邪魔するカルトの問題を真剣に考え、解放教育に挑戦しています。
悪霊の虜は、自分を救う事が出来ない為、手を差し延べているのです。
その為にも、キリスト者の働き手は沢山必要なのです」

自分の信じるものを堂々と名乗って、皆と協調して生きて行くのが国際社会。
そのはずです。

<自由共和党> 更新 1月6日

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://mildseven.55street.net/

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1003MILD SEVEN:2004/01/08(木) 15:08

正月から〜久しぶりに長い風邪をひいたので、病院へ行って抗生物質など4種類の薬を処方してもらったら・・・発疹が出て、吐き気がするわ〜〜で今日も仕事を休ませてもらいました。
その分、個人的な仕事ははかどります・・・。

<自由共和党> 更新 1月7日

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://mildseven.55street.net/

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1004MILD SEVEN:2004/01/10(土) 03:12

私は、誰が何を信じようが自由だと思います。
人の人生を壊すカルトでさえ無ければ!
自分の信じるものを堂々と名乗って、皆と協調して生きて行くのが国際社会。
そのはずです。

憎しみは憎しみしか生まない。
自分にすら勝てない。
まして、悪に勝つは不可能。
自分を見つめて、勝利を経験した者はわかります。

相手の為に、愛を学びつつ・努力する者を真理は見捨てないと思います。
社会もそうであってもらいたいし、そうなるべく私は私で・・・。
人はいずれ死にます。
悔いを残したくないものです。
http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://mildseven.55street.net/

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1005MILD SEVEN:2004/01/11(日) 04:58

創価学会員のサイトに投稿したもの。
下記。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、中盤戦開始です。

旧東ドイツ崩壊の時、旧体制の指導者側はどうなったか?
全体主義には限界があります。
もっと自由に!
優れた人格者を尊敬。そして尊敬・・・その自由連鎖が良いと思います。
創価の指導者・・・。

世代交代の時期は迫っています。
私は私で、密かにレシピを検討中 (@^0^@)
余計なお世話?
でも・・・世は実力社会。
笑われたらガンバル。
今まで通り。
です。
日蓮を信じているのは、創価だけじゃ〜ない。
なんてね。

まあ、創価の新世代に期待しましょう。

1006Hard 77:2004/01/11(日) 16:38
、、雑感、、「、、某団体殿には、、??です、、。 少しでも同調や賛成は出来かねます、とのたまえば、即座に”敵意のむき出しで毒突いて来る””言論弾圧の丸出し、、”、、」には皆様「閉口中、、」かと存じます、、。 でも「いつまでも続くとは、、??」、、。 辛抱強く「反論」を致しましょう、、!!

1007MILD SEVEN:2004/01/13(火) 05:43
最近、創価の反応にも前進が見られます。
中盤戦は始まっています。

1008阿達正照:2004/01/14(水) 00:46
新作ホムぺ開設致しましたので、報告します。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=fuji009x

1009MILD SEVEN:2004/01/14(水) 02:54
ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1010MILD SEVEN:2004/01/21(水) 05:49

<自由共和党> 一つ増えました。 

創価が良くなってくれれば、それでいいんです。
<教育>・・・これが、私の人生を壊した創価学会への復讐です。
愛の子ですから。
http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://mildseven.55street.net/index.html
http://momoi7.hp.infoseek.co.jp/

自由共和国
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1011三吉:2004/01/24(土) 06:09
MILD SEVEN さん

功罪を考えるスレッドです。 壊されたから復讐心という動機は
単純でわかりいいですが、「罪だけ」ではなく、一度、現にある「功」も
考えてみてくだされ。今のあなたはバランスに欠けられてます。
あなたの信じられているキリスト教のイエスは「裁くな」と言い、
「赦し」と「愛」です。福音派り「聖化」から申せば、
あなたが創価学会を赦せたら、それがあなたの「聖化」であり
「開放」であり、「自由」です。
モーセの律法は「復讐」を教えたかもしれませんが
イエスは「裁くな」「赦せ」「愛せよ」です

1012MILD SEVEN:2004/01/24(土) 14:05

創価が良くなってくれれば、それでいいんです。
<教育>・・・これが、私の人生を壊した創価学会への復讐です。
愛の子ですから。

        ・・・・・・・・・・・・・

上記は、復讐心では無く、教育心です。
誤解無きよう。
憎しみでは無く、救いたいのです。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1013三吉:2004/01/25(日) 13:45
んとね、あなたの中ではどうかしりませんが、
一般的な解釈やキリスト教のスタンダード解釈からは、
「復讐」と「愛」は対立概念ですわ。

「教育」とか「救い」たいなら ごちゃごちゃ言わずに、
このスレッドで創価学会を批判したのと同じ量
褒め為され。それができないなら偽善的言辞を言わずに、
「功罪」とあるのに「罪」にしか目が行かない自分の心の
醜さを嘆き為され。創価学会よりもあなたの心が無慚です

1014MILD SEVEN:2004/01/25(日) 13:51

三吉さんは創価の間者と判断しました。

正統派で無い変な宗教=狂信者は、理解力低下していて(話のすり替え・あざけり・誇大広告)等の傾向があり、ハード面では歯ごたえが無く、素直さがありません。
人間は、信仰を与えられて新生しなければ<レベル1>にさえなれません。
心の問題です。
能書きでは無く、結果として表れます。

主にあって証しすれば、まだ囚われていない一般の方々を護る事は可能ですが、またその次、その次と、課題はあります。
第一線で労苦して活躍している正統派の指導者の方々が、より一層良き結果を出せますように。
健闘を祈ります。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/3876/1073118079/12

http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1015Leo:2004/01/25(日) 14:39
MILD SEVEN さん、横レス失礼します。

>三吉さんは創価の間者と判断しました。

ご本人から説明あるかもしれませんが...

三吉さんは浄土真宗を中心として仏教にふれられていた方だと思います。
(加えて日蓮系、キリスト教系その他にもお詳しい...)
以前《通常の学会員》の仏教の理解を幼稚園児だと批判していましたし、
《学会に批判的な学会員》とも激論していたのをお見かけしたことがあります。

ですので、「創価の間者」ではなく、「ほんとうの宗教とは何か」を問われて
いる方であり、そういうスタンスから学会に批判的な方にも思うところのもの
を問われているのではないかとお見受けしています。

(余計なカキコすみませんですm(_ _)m 三吉さん)

1016Leo:2004/01/25(日) 14:49
三吉さん wrotes:
>あなたが創価学会を赦せたら、それがあなたの「聖化」であり
>「開放」であり、「自由」です。

(私にあてはめて)このように思いましたです...
「私が創価学会を赦せたら、それが私の「成仏」であり「開放」であり、「自由」です。」

1017MILD SEVEN:2004/01/26(月) 04:16

創価のおかげで失うものが無くなり、私は思う存分活躍出来ます。
これは、「チャンス」と、私は判断しました。
私は、私が受けた苦しみをこれ以上誰にも味あわせたくありません。

解らなければ・・・創価の一方的な迫害により、全てを失ってみて下さい。
赦して、終わりですか?
私なら、主にあって教育します。
チャンスですから。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1018Leo:2004/01/26(月) 07:56
あなたの主はこのように言われています。

【ルカ6:36-38 裁くな】ミサ主日礼拝説教
 「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

1019Leo:2004/01/26(月) 07:58
ミサ主日礼拝説教 → ここはコピペでついてきました 不要です。

1020MILD SEVEN:2004/01/26(月) 13:18

教育は与える事。
宣教は裁かない事への道。

悟ってください。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1021MILD SEVEN:2004/01/26(月) 13:29

教育は与える事。
<自由騎士団の砦>
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

宣教は裁かない事への道。救いの道。
<キリスト教 掲示板>
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv

悟ってください。
<自由共和国>
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1022Leo:2004/01/26(月) 23:53
MILD SEVENさん。

>教育は与える事。
>宣教は裁かない事への道。

( '-')b OK!

1023MILD SEVEN:2004/01/27(火) 03:09

私は料理人でして、ストレートな堅気です。日本のこの業界では甘い性格の私ですが。
板前の世界では、とてもとても・・・甘い私です。

でも、まあ、能書きよりも、心の偏差値を高めるには適している環境です。
もちろん、主の導きと共にです。
ご理解ください。

調理師です。
対象が「人間」の心の領域になる事もあります。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1024Leo:2004/01/28(水) 00:12
>私は料理人でして、ストレートな堅気です。日本のこの業界では甘い性格の私ですが。
>板前の世界では、とてもとても・・・甘い私です。

なるほどです。
MILD SEVENさんは、板(掲示板)の前でモエるのですね。

(失礼しました...m(_ _)m)

1025MILD SEVEN:2004/01/28(水) 05:37

う〜ん・・・。
主にあって大人の大人の子供です。
そういう訳です。
ハイ(^@^)
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1026沖浦克治:2004/01/28(水) 05:57
静岡 下田牧口記念会館
「牧口先生法難の地に誕生! 今月28日、晴れやかに開館式」
 会館の敷地に「法難頌徳の碑」を建立

 『伊豆は不思議の天地なり。正法弘宣(ぐせん)の青史(せいし)に千古不朽
(せんこふきゅう)の光彩を放つ。慧日(えにち)よく此の海と大地に燦たる光
の矢を注げ。沖つ風また心して先哲遺徳の妙風を奏でよ。

 末法の御本仏日蓮大聖人、此の地に流難の聖蹟(せいせき)を留(とど)めら
れしより時に六百八十有余歳(ゆうよさい)、軍国の嵐猛る昭和十八年七月六日
也。創価学会初代会長牧口常三郎先生、此処下田で濁世(じょくせ)官憲の魔手
に捕らへらる。大聖哲の仏勅を畏(かしこ)み立正安国の法戦に進まれし故なり。

 鳴呼(ああ)、先に国権の弾圧の風涛(ふうとう)を怖るる邪智諂佞(じゃち
てんねい)の逆侶は広布赤誠の英雄に報ゆるに棲魔神符(せいましんぷ)の承受
(しょうじゅ)を強(し)ひたり。しかるに先生、謗法曲節の愚を峻拒(しゅん
きょ)せられ、反(かえ)りて諌暁の秋(とき)当(まさ)にかしこ来たれりと
師子吼せらる。

 しかして救国救世の雄叫(おたけ)びは、獄舎にて秋霜烈々と己(や)むこと
なく、十九年十一月十八日、七十三歳の生涯の幕を閉ぢらる。師子は、一度(ひ
とたび)立ちて再び還(かえ)らず。されど弟子から弟子へ、殉難の魂塊我らに
留(とど)まれり。法滅の闇を払ひて、創価の法域に結集(けつじゅう)せる地
涌(じゆ)の同志は一千万。先生が身命もて守られたる、幸と平和の広布の慧光
(えこう)は遍(あまね)く世界を包みたり。

 先師の芳名高徳を仰ぐ遺弟(ゆいてい)一同、その受難五十星霜を経て、後継
の志いよいよ熾(さか)んなり。先師、我らの誠を嘉(よみ)せられんことを願
ひつつ、その理想と偉業(いぎょう)に光あれと、ここに謹みて法難頒穂(しょ
うとく)の碑を建立(こんりゅう)するものなり。』

 
 『源遠ければ、流れ長し』(趣意)です。

1027沖浦克治:2004/01/28(水) 06:00
 管理人様

 1026 お気に触りましたら削除下さい。
 最近ロムをしておりますが、あまりにもスレッドのテーマとかけ離れたご意見が多く、一石を投じてみました。

1028MILD SEVEN:2004/01/28(水) 14:34

創価学会の出発点は何でしょう?
世の為・人の為ですか?
単純な事は大切だと思います。
組織が初心とかけ離れる事がありませんように。
アーメン。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1029MILD SEVEN:2004/02/06(金) 06:49

(池田創価の特徴診断)

<<<カルトの特徴>>>

・思考、感情、行動、情報のコントロール(マインドコントロール)「池田創価?」
・一般社会や信者以外の人間の敵視、蔑視、軽視など。「池田創価?」
・教祖、または教団組織への絶対服従。教義が変わったときには、自分の考えもそれに合わせる。「池田創価?」
・批判的思考の否定 「池田創価?」
・目的のための手段の正当化 「池田創価?」
・世界観の分化。教団組織は善、それ以外は悪。「池田創価?」
・救いや、心の平和は、教団組織に従うことによってのみ得られる。「池田創価?」
(伝統的なキリスト教なども、教会の存在を重視します。しかし、救いは、信者と神との個人的関係にあると教えます。神を信じる者が救われるのであって、教会や牧師に従う者が救われるのではないわけです。)
・脱会者には、制裁がくだされる 「池田創価?」
(一般の宗教であれば、その宗教団体から脱会しても、入会前の状態に戻るだけです。それに対して、脱会すると、前よりももっとひどい目に合うと教えます)
・教団組織を個人より優先する、全体主義的体制。「池田創価?」
・これまでの人間関係や人生の目標など、過去との断絶をさせる。「池田創価?」
*全ての破壊的カルトが上記の特徴全てを持っているわけではありません。また、客観的には上記の特徴があっても、信者である本人は、全く気づかない方が普通です。
<良い宗教と悪い宗教>
ここでは、宗教の教義については触れません。本人の様子と、教団組織のシステムについて考えます。

<良い宗教>
・信仰のシステムは開放的で、他の思想にも耳を傾ける
・批判能力はそのままか、強められる
・自主性はそのままか、強められる
・価値観や生活や目標が、信仰と一体化し、調和している

<悪い宗教>
・教団の操作や圧力によって改宗した 「池田創価?」
・完全主義で他の考えを認めない 「池田創価?」
・批判的な考えは否定され、批判能力が脅かされる 「池田創価?」
・自主性が失われる 「池田創価?」
・これまでの人間関係や大切な過去を否定する。全体として調和していない 「池田創価?」
・経済的、精神的に教団から搾取される 「池田創価?」

<自由騎士団の砦>
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/
<自由共和国>
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

創価内部での改善も期待しますが、私は創価内部で出来ない事を、外部から応援したいと思っているのです。
独裁者崇拝は偶像礼拝ですから。
前進しましょう。

1030MILD SEVEN:2004/02/13(金) 05:39

報告 

下記2つのホームページは、作りっぱなしにする事にしました。
パスワードも消去・忘却。
私自信も、もう分かりません。
防衛手段の一つです。
悪しからず。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/
http://mildseven.55street.net/

1031MILD SEVEN:2004/02/18(水) 18:06

<<<目標>>>

我らの主は愛。

私の段階は、信仰の霊を与えられ、愛に生かされている「希望」にすぎません。
私には永遠の平和は創れません。
それは主がお創りになられます。
後の世の事です。

私は、千年の平和に挑戦しました。
裁きの日迄の、人類の最後のチャンスを。
主に生かされている間に、その願いを!
そして、その目標達成の為の楔を打ち込むまで・・・。
主の導きと共に・・・。

      ・・・・・・・・・・・・・・

愛を学んでいる私のような未熟者でも言える事があります。
愛には限界はありません。
敵はいません。
相手「組織」を良くする事は良い。
すぐれた競争相手は、自分の成長の糧となります。
更に相手を良くする事が出来ます。
この・・・繰り返しです。
                              <14.6.2003>


聖書にこんな箇所があります。

「ヨハネ15章21〜22節。」
 
・・・・・それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。
もしわたしが来て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。

「ヨハネ16章12節」

わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。

「ヨハネ16章33節」

・・・・・わたしはすでに世に勝ったのです。

      ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

他人の意見を単に反対するのは簡単でね。
ただ、それ以上の意見を提示しなければ、相手は納得しませんね。
  (ホームページ等で)
私以上の内容の証しがあれば、私も納得します。
キリスト教はそうやって前進して来ました。

他サイト・・・池田狂信者には困ったものです。

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1032MILD SEVEN:2004/02/20(金) 04:28

私は、キリストの教え・聖書(新改訳)の基本の上、更に長年の社会での実戦経験を経て、証ししています。
異言者から始まり、解き明かしまで何とか進んだ叩き上げです。

池田創価の危険性、そして、私以上の証しがあれば教えていただきたいのです。
私も、もっと成長したいのです。

<自由共和国>
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

<自由共和党>
http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://momoi7.hp.infoseek.co.jp/

1033犀角独歩:2004/02/20(金) 22:23

戸田さんが原水爆兵器撤廃宣言をしたのは偉かった。
それなのに、いま創価公明は劣化ウラン弾という核兵器を使うアメリカ軍に追従して、その遺志を裏切っている。

戸田産の遺志はいともたやすく裏切られ、いまや改憲、軍備の急先鋒の一端を創価公明が担う時代になりました。極めて残念なことです。

1034MILD SEVEN:2004/02/21(土) 14:18

古き良き時代 とは、いつの世も言われるものです。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1035Amigo 321:2004/02/24(火) 21:35
 功罪は?? 999%はダマシのテクニックでは無かったでは無いいでしょうか? 今も政教一致そのものを体現中でしょうか、、? だから危険集団と言える様ですか?

1036MILD SEVEN:2004/02/26(木) 02:13

過去、魔女狩りや十字軍・免罪符・・・をしたのはカトリックです。
それを矯正したのはプロテスタント。
私はプロテスタントです。

自由への解放が課題だと思います。
良識の競い合いで、良心が高められれば、選択のチャンスが自然に訪れると・・・かな?
霊的な問題です。

過去、真理の御霊無き指導者の間違い・狂気を正したのは我らの先輩です。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

池田創価の狂気を矯正するのは、他宗派の仏教でしょうか?
私も挑戦しています。

この世の支配者に勝てなければ意味がありません。
ということです。

1037MILD SEVEN:2004/03/01(月) 06:04
今や、カトリックは良くなっています。
もちろん。

////////////////////////////////////////////

あなたは主を避け所とし、
いと高き者をすまいとしたので、
災いはあなたに臨まず、
悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
これは主があなたのために天使たちに命じて、
あなたの歩むすべての道で
あなたを守らせられるからである。
彼らはその手で、あなたをささえ、
石に足を打ちつけることのないようにする。
詩篇 第91篇9節から12節 (口語訳)
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1038MILD SEVEN:2004/03/02(火) 04:57

http://ahiru.zive.net/joyful/img/901.jpg
上記には驚きました。

創価には良くなってもらいたいものです。

<自由騎士団の砦>
http://www3.ezbbs.net/cgi/bbs?id=momo7&amp;dd=15&amp;p=1

<キリスト教・掲示板>
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv&amp;id=xvssv

1039MILD SEVEN:2004/03/03(水) 20:44

公明党代表の神崎氏も創価スパイ組織の一員で、過去、検察を辞職に追い込まれた汚点あり。
創価の幹部はこれほどまでに腐っているのか?
創価学会員は、これからますます社会・企業内でマークされる事になります。
会社機密等に携わる事は出来なくなります。

驚きました。下記。

http://ahiru.zive.net/joyful/img/901.jpg

また、下記は他サイトで発見したもののコピペ。

    //////////////////////////////////////////////////

ヤフーBB460万人名簿流出&ソフトバンク40億円脅迫事件あらまし
http://ahiru.zive.net/joyful/img/914.jpg (週刊ポスト)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/900.jpg(赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-03-01/15_01.html(日本共産党HP)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/914.jpg(週刊新潮)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/916.jpg(週刊朝日)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/901.jpg(日刊ゲンダイ1面)
http://ahiru.zive.net/joyful/img/902.jpg(日刊ゲンダイ2面)
http://www.sankei.co.jp/news/morning/25na1001.htm(産経新聞)

今回のヤフーBB460万人流出データによる脅迫事件は、最高裁でジャニーズのセクハラが認められながらもテレビで語られないのと同様、大マスコミでは語られない。。
34年前の共産党委員長宮本宅盗聴事件=竹岡(実行犯)神崎(検事)浜四津(弁護士)
同事件は2審まで行き、学会側敗訴。3審控訴も後棄却→宮本に賠償金を払い和解
竹岡はヤフーBB460万流出&脅迫事件前まで、学会幹部(豊島区分区副区長。事件後辞任)
竹岡は宮本宅盗聴事件以降急激に出世、全国副青年部長まで上り詰める(トップ10)。本部勤務経験後、現在聖教新聞広報部部長
竹岡の娘もその夫も学会人。結婚式には神崎、野中両氏が祝福。
竹岡の息子は学会本部勤務。
循環型社会推進議連(浜四津が会長代行)に竹岡が講師を呼んだ経歴あり。
もう一人の実行犯湯浅は北海道のゾーン長か副ゾーン長(現役。今回の事件後辞任)
学会本部に電話すると、両名が学会人であることを認めたが、すでに本人の意向で役職を辞任していることを強調した。

/////////////////////////////////////////////////

http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1040くらくら:2004/03/04(木) 05:38
>>3審控訴も後棄却→宮本に賠償金を払い和解

 控訴でなく、上告といいます。事実は学会側は上告したが、審理に入る
まえに上告を取り下げた。それにより自動的に第二審での判決が確定した。
ですから、正確にいえば損害賠償金を支払い和解したわけではなく、判決に
したがって損害賠償金を支払って訴訟事件そのものが終了したということ
です。

1041MILD SEVEN:2004/03/06(土) 03:07

和解では無いという事は、謝罪が無いという事ですか?
お金のみ。

マトモな宗教では無いですね。

1042MILD SEVEN:2004/03/09(火) 04:21

創価学会問題については、もはや研究済み。

肝心な事は、全日本仏教会が、どの様に世界との連携プレーを進めて行くか?
でしょう。
良き競争相手となる事を期待したいものです。
・・・宗教の枠を超えた問題です。
http://hidebbs.net/bbs/momo721?sw=7

http://www3.ezbbs.net/15/momo7/
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

次回からは、新しい話題で行きたいものです。

1043くらくら:2004/03/09(火) 06:27
>>和解では無いという事は、謝罪が無いという事ですか?
>>お金のみ。

 和解になれば謝罪が自動的に付随してくる。とはなりません。

和解内容というのは、双方が合意して形成するものです。
一方から和解内容に謝罪を盛り込めといっても相手がその
提案に拒否するかぎり、いわゆる和解は成立しません。

1044MILD SEVEN:2004/03/09(火) 13:48
なるほど。
説明ありがとうございます。

1045MILD SEVEN:2004/03/12(金) 05:42

<仏教関連問題>

創価学会問題については研究済み。
解き明かしのタイミングは、主の導きと共に。

宗教の枠を超えた問題としては、全日本仏教会が、どの様に世界との連携プレーを進めて行くか?
でしょう。
秩序ある社会構築の為にも。

キリスト教は、自由に世界との連携プレーが可能です。
カルト体質では無い相手と競い合う事は、ダイレクトに国益に還元されると私は判断します。
それは、世界の益になる事です。
同時進行です。

経済問題も、上記と同時進行です。
常識は良識により創られるからです。
http://hidebbs.net/bbs/momo721?sw=7

いかがでしょう?
仏教界全体の事を考え、我々と・・・良き競争相手としてこの国・世界の国益を考えてみるのは?

1046MILD SEVEN:2004/03/13(土) 06:38

<建設的意見を否定する池田教>

反省出来ない池田教信者の詭弁は醜い。

イラクでの、イスラム教国連機能・キリスト教国連機能の構築。
日本での、仏教国連機能「全日本仏教会の発展」・キリスト教国連機能の構築。
世界でも・・・。
健全な組織による前向き・永続的競い合いは、ダイレクトに国益・世界益になる可能性に満ちている。

それに比べ、単独カルト池田教には限界があり、事実、犯罪者も多く、望みは無い。
可能性も無い。

1047MILD SEVEN:2004/03/14(日) 13:58
<民主が反公明・学会戦略 参院選へ特命チーム設置>

民主党が7月の参院選に向け、公明党・創価学会対策を練る
「特命プロジェクトチーム」を党内に設置、創価学会の疑惑追
及などで「キャンペーン」を本格的に展開していくことになっ
た。連立でスクラムを組む自民、公明両党との対決軸を明確に
し、公明党と支持母体である創価学会に違和感を抱く保守層や
無党派層を取り込む戦略だ。
http://www.sankei.co.jp/news/040312/sei041.htm

1048MILD SEVEN:2004/03/17(水) 04:09

創価には良くなってもらいたいものです。
世界各国も、この状況を見守っているでしょう。
創価が悔い改めなければ、大変な事になる危険があります。
これは、日本の責任問題にも発展しかねません。
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1049MILD SEVEN:2004/03/23(火) 04:06

私が思うに・・・正統派?自民党は、本来、反公明でしょう。

また、政治面だけでなく宗教面でも、正統派仏教等は、反創価でしょう。
神道もしかり。

もちろん、正統派キリスト教は反創価です。
裏切りは赦されません。
ただ、敵を愛す努力はします。
また、ミイラ取りがミイラになる汚染は回避します。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、キリスト教国連構想・仏教国連構想・イスラム教国連構想・・・があります。
これは、良識ある全ての方と共有出来ます。
宗教・経済・平和、全て密接に関係しています。
常識は、良識により創られるからです。
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1050MILD SEVEN:2004/03/24(水) 19:10

自由への苦しみ・・・。
でも、一人、また一人、池田教を踏み台・練習台にして成長して行きます。
しかし・・・。
爆発的解放に至る時、カルト組織は哀れです。
池田創価の時は長くない。

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1051MILD SEVEN:2004/03/27(土) 16:59

創価は厳しい体制が好きなようなので、少々きつく表現しても問題無いでしょう。
中途半端がお嫌いなようですし。

宗教組織とは誰の為のものなのか?
独裁・全体主義でいいのか?
個々の個性・可能性を充分に引きだし、成長させる自由が無くていいのか?
真実の実力社会に通用しない幼稚な組織でいいのか?

円卓の騎士の座は無限にある。
真の組織とは、そういう者の集まりだ。
その加速度は計り知れない。
既存の地のあり方を超える。

創価の体質では、理解は出来ても実行は出来ない。
何人いても同じ事。
真の自由が無い。
精神的呪縛がある。

宗教組織はいろいろあるが、創価の場合、一般の会員が自分の事を「下っ端」などと表現する事が多々ある。
下からの反論を許さない差別階級組織体質。
とても、良識ある宗教法人とは思えないのである。

創価には、心の領域を管理・指導する<聖職者>がいないのにも問題がある。
つまり、例えて言うなら、(有名な映画「スターウォーズ」の)闇黒面に憑かれた側とも言える。
皇帝は?
ダースベイダーは?
突撃兵は?
もちろん単なる例えだ。
だが?

専門的に言えば、(獣)の側にならない事だ。
創価学会が。この国が。
アメリカの言う、(悪の枢軸)の一角にならない事を願うものである。

//////////////////////////////////////////////////////////////////

私は現在、既存の組織には属していない。
もちろん信条はある。
だが、自由でありたい。
いい人が増えれば自分の幸せにもなる・・・そんな単純さもいいとも思っている。
マイペースで。

1052クロロホルム:2004/03/28(日) 20:09
いとも簡単に「カルト」なんて言い切ってしまうなんてスゴイよねぇ。
カルトが膨張したのが今のキリスト教でしょ。
だいたいカルトの定義からは創価学会も顕正会も外れているでしょーが。
気分だけで「カルト」なんてことばを使ってちゃハナっから的を外してるわけよ。
だーれもレスを返さないことの意味を考えてみたら?
まあ、ハードな掲示板に一人くらい関知外がいたほーが息抜きにはなるけどさ。
反創価は立場としてケッコーだけど、気分で書きなぐるのはウザイだけだよね。
一回のカキコに突っ込みたくなるところが何箇所もあるけど一々言いたくもないし。
でも「創価」を「キリスト教」って変えてもぜーんぜん違和感がない文章だよね。

口の悪さはゴメンね。

1053MILD SEVEN:2004/03/28(日) 20:53

なるほど。
では、下記も見てね。

<創価学会を考える>
http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

<自由共和国>
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1054クロロホルム:2004/03/28(日) 21:27
いやいや、余所さんはどーでもよろし。
よーは、あんさん自身のことだす。
この掲示板の参加者は、じぶんの痛みを自覚しながらじぶんのことばで語っちゅう。
おまはんにはそれがありもはん。
だから、つまんないんよ。
創価のことなんて、おはん言われんでもみなさんご存知なのよ。
じゃっどん、あちきだって、あんさんがじぶんのことばで語ったら、こげなカキコしやせんで。

気分だけじゃーね。
キブンはおでんのタネだけでいいっちゅうの。

あんさんのカキコはプロパガンダとどー違うんでっしゃろ。
バチカンもナチもプロパガンダについちゃ、ちょー一流だったけんども、ぬしゃ何流ですかいの。

創価についての「悪印象」ばっかカキコしたって、ここじゃ意味ないっしょ。
組織論、構造論、歴史、教義、なーんでもいいから、具体的に語れば?

あ、その前にキリスト教は創価とどれくらい何が違うんだろか。
ほとんどいっしょ、というか、まだ創価のほーがカワイク思えるゼヨ。
創価は布教目的に大量虐殺は、まだしてないけど、キリスト教はそれをして今日に至ったんよね、これは歴史的事実っしょ。
あ、別にこのことの返事はここで書かないでおくんなましね。
ここは富士門テーマの掲示板なんで、書くなら<自由共和国>とやらで御願いたーてまつりますぅ。

1055MILD SEVEN:2004/03/29(月) 07:26

なるほど、大量虐殺を改善したのは我々プロテスタントですがなにか?
(過去、魔女狩りや十字軍・免罪符・・・をしたのはカトリックです。それを矯正したのはプロテスタント)
今や、カトリックは良くなってますよ。
過去、真理の御霊無き指導者の間違い・狂気を正したのは我らの先輩です。
創価学会の宗門との争い云々は、我々より、約500年も遅れています。

池田創価の狂気を矯正するのは、他宗派の仏教でしょうか?
私も挑戦していますがなにか?

あるクリスチャンからは、創価など無くなってしまえばいい。と言われています。
創価を良くする事を考えるのは止めたほうがいいのでしょうか?
良識の競い合いで、良心が高められ、正しき真理を知る選択のチャンスは誰にでも与えられるべきと思いますが。

私の母教会のあるドイツ及びヨーロッパは、今のアメリカの軌道修正に役立つ活動をしています。

<創価学会を考える>
http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

<自由騎士団の砦>
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1056南米 旅次郎:2004/03/29(月) 21:29
、、: かなりキツイ御論の展開のようです、、。 小生、欧州〜中南米方面のキリスト教文明圏を数度にわたり25〜35年ほどの現地視察と研究旅の体験者でございますが、、。 未だに語学不足で「Rosario Tijeres」のスペイン語版と「ロサリオの挟み」(田村さと子訳;河出書房新書;ホルヘ・フランコ著)の対訳本で勉強中です、、。 その結論は「、、人の生き方において原因と結果の厳しさ」にかんしては「キリスト教が一番先端を走って」いるようです。 モットモエエカゲン?なのは?「、仏教?」でしょうか、、? 但し「日蓮サンだけは例外」のようです、、。 今後の??に期待??しますが、、。

1057MILD SEVEN:2004/03/30(火) 02:10

少し、まとめてみました。

素直に成長が許されると、神の家族は霊的に親子関係ですから、イエス様の為に用意された箇所が他人事ではないと感じます。

<イザヤ書61章>
・・・・・・・・・。
捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、
すべての悲しむ者を慰め、
シオンの悲しむ者たちに、
灰の代わりに頭の飾りを、
悲しみの代わりに喜びの油を、
憂いの心の代わりに賛美の外套を
着けさせるためである。
彼らは、義の樫の木、
栄光を現す主の植木と呼ばれよう。
・・・・・・・・・・・・・。

<コリント2 5章 13節>
もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのためです。

<ピリピ人への手紙 3章 13〜14節>
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得る為に、目標を目ざして一心に走っているのです。

           ・・・・・・・・・・・・・・

主にあって罪赦された者は、罪滅ぼしも可能になると悟れます。
素直には、宣教。
また、自由選択の過程もあると思います。
解放。

創価には、真の自由を目指し、独裁者の呪縛から解放され、新体制を確立してもらいたいのです。
普通の株式会社にも劣る体質の宗教法人・お子様宗教であってはなりません。
内部の宗教改革は必要と判断されます。
現状の、プロパガンダに翻弄・搾取される体質を改善しましょう。

私は、創価内部で出来ない事を、外部から応援したいと思っているのです。
独裁者崇拝は偶像礼拝です。

正統派で無い変な宗教=狂信者は、(話のすり替え・あざけり・誇大広告)等の傾向があり、ハード面では歯ごたえが無く、素直さがありません。

第一線で労苦して活躍している正統派の指導者の方々が、より一層良き結果を出せますように、健闘を祈ります。

余談ですが、私は、キリスト教は今は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代だと思います。
(過去、魔女狩りや十字軍・免罪符・・・をしたのはカトリックです。それを矯正したのはプロテスタント)
今や、カトリックは良くなってます。
過去、真理の御霊無き指導者の間違い・狂気を正したのは我らの先輩です。

過去の歴史・・・(1517年10月31日。ルターは95か条の質問文をビィッテンベルグの教会の扉に張り付けた。)軌道修正の為の分裂は、(より完全に・より自由に)・・・大いなる主の導きにより、主にあって個性を活かされた協力体制の為の更なる軌道修正へと・・・悟れます。

大局的な、大きな流れです。
私の母教会のあるドイツ及びヨーロッパは、今のアメリカの軌道修正に役立つ活動をしています。

創価学会の宗門との争い云々は、我々より、約500年も遅れています。
しかも、カルト化しています。
デタラメです。

参考までに。
旧東ドイツ崩壊の時、旧体制の指導者側はどうなったか?
全体主義には限界があります。
もっと自由に!
優れた人格者を尊敬、そして尊敬・・・その自由連鎖が良いと思います。
創価の指導者。
世代交代の時期は迫っています。

私はまた、ある兄弟からは、「創価など無くなってしまえばいい。」と考えるのが普通と言われ、非難されています。
創価と戦うこと自体がダメとも言われています。

創価を良くする事を考えるのは止めたほうがいいのでしょうか?
良心が高められ、正しき真理を知る選択のチャンスは誰にでも与えられるべきと思いますが。

私は、戦うとかでは無く、証しをしているだけなのですが。

1058愚鈍凡夫:2004/03/30(火) 19:47

池田さんが、戸田さんちの資産を創価学会名義に書き換えるのに大蔵商事社長の森重紀美子が絡んでいたのは以外でした。
まあ、トラック3台を乗り付けて、戸田さんの遺品を洗いざらいかっさらっていった話は有名ですから、是非もなしと言うところでしょうか。

「あの頃のこと 第20回」
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/em1406a2.htm

1059愚鈍凡夫:2004/03/30(火) 20:05

> まあ、トラック3台を乗り付けて、戸田さんの遺品を洗いざらいかっさらっていった話は有名ですから、是非もなしと言うところでしょうか。

森重さんがじゃなくて、池田さんがです。m(_ _)m

1060MILD SEVEN:2004/04/02(金) 16:09

「666」については世界中で研究されていて、獣とその一角を担う事が確定したら、後には引き返せません。また、その解明については、今は恵まれた時代です。

創価学会は、今のレベルで組織拡大していっても、この世の強大な悪の力には勝てないと判断します。
つまり・・・。
私は、外部から、内部の改善派に働きかけているのですが、なんとも歯がゆいばかりです。
残された時間は・・・?

私は、池田氏や神崎氏を名指しで非難していますが、彼らが悔い改めれば、彼ら自身の為になると判断しているからです。
証しは、裁かない為のものでもあります。
http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1061犀角独歩:2004/04/02(金) 17:41

1冊書籍を紹介いたします。

○合本再版『創価学会の徹底的解剖・内部矛盾』日蓮宗現代宗教研究所編

―目次―
再版発行の言葉 日蓮宗現代宗教研究所 久住謙是
創価学会の徹底的解剖
 『日蓮本仏論』とは
 板曼荼羅とは
 『国立戒壇』とは
 創価学会の進出
 創価学会の国会進出
 池田会長の誕生
 出版妨害事件の暴露
 『鶴タブー』の崩壊
 核兵器廃絶運動の開始
 正本堂をめぐる訴訟事件
 日蓮正宗側からの池田批判
 池田会長の辞任
 フランス仏教会からの批判
 創価学会内部で反乱
 池田の唯我独尊ぶり
 秋谷現会長とのスキマ風
 福島氏が『諫暁の書』
 公明党に反映した池田体質
 公明党の中道論
 池田の政治的野望
 社会に開かれた教学
 あとがき
創価学会の内部矛盾
 元副会長の〝池田諫言〟
 多発する創価学会の不詳事件
 強まる池田批判の動き
 カネに絡んだ創価学会の動揺
 学会員を選挙活動に駆り立てる創価学会・公明党
 「池田本仏論」の強調
 池田独裁による学会内部の締めつけと内部矛盾の激化
 創価学会批判の必要性
 あとがき
あとがき 日蓮宗現代宗教研究所 伊藤立教」

発行日 平成16年1月30日
編集 日蓮宗現代宗教研究所
発行所 日蓮宗宗務院
発行責任者 久住謙是

1062地名:2004/04/02(金) 22:17

独歩さん

>合本再版『創価学会の徹底的解剖・内部矛盾』日蓮宗現代宗教研究所編

一冊いくらくらいするのですか。

1063MILD SEVEN:2004/04/03(土) 04:46

私も欲しい。

1064犀角独歩:2004/04/03(土) 10:51

地名さん:
MILD SEVENさん:

実はわたしは贈呈されたのです。
いま改めて奥付を見たのですが、値段の記載がありません。
けれど、

発行所 日蓮宗宗務院
〒146-8544 東京都大田区池上1-32-15
電話 (03)3751-7181(代)

とあります。
電話で問い合わせていただければ分けてもらえると思います。

1065MILD SEVEN:2004/04/04(日) 00:19

メモしました。
ありがとうございます。
これで2刀流かな?

ともかく、<聖職者>無き組織は、魔界の虜になりがち・・・。
危険です。
過去の世界大戦等の類はまっぴらですね・・・666。

1066MILD SEVEN:2004/04/04(日) 16:52

通常、宗教法人には、牧師や司祭、僧侶 等の<聖職者>がいます。
我々には、聖職者の指導あっての今日があります。
信仰は自分免許ではありません。
もちろん、聖職者でさえも自分免許ではありません。

<聖職者>は、裁判官の如くに、<自分を聖く、現世から前向きに隔離>し、いわゆる「在家信者」の指導にあたっているはずです。
また、在家の行き過ぎやカルト化を抑制する役もあります。

//////////////////////////////////////////

創価学会は、上記の点で恵まれていません。
悲しむべきことです。
本当に、我々の歴史より約500年遅れています。
本尊という名目で、免罪符を自分免許で乱発しています。

バランスに欠けた組織は、我々には狂気に映ります。
しかし、外部からの助言には限界があります。
創価内部に、真の働き手が必要なのです。

1067MILD SEVEN:2004/04/07(水) 03:31

合本再版『創価学会の徹底的解剖・内部矛盾』日蓮宗現代宗教研究所編。

私も頂きました。
有効活用します。

1068犀角独歩:2004/04/07(水) 23:16

1067 MILD SEVENさん:

そうですか。情報を提供した甲斐がありました。

1070犀角独歩:2004/04/08(木) 23:28

MILD SEVENさん:

たいへんに恐縮ですが、個人名を挙げられたご当人から依頼がございましたので、管理人さんにお願いし、削除させていただきました。
よろしくご理解の程、お願い申し上げます。

1071MILD SEVEN:2004/04/09(金) 01:11

これは、うかつでした。
申し訳ありません。
以後、注意します。

異端からの迫害は、正統派にとってチャンスでもありますが・・・戦い慣れしすぎた私の過ちです。
お赦しください。
・・・自分の足元を見る良い機会と考えさせられました。
ありがとうございます。
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1072犀角独歩:2004/04/09(金) 01:16

1071 MILD SEVENさん:

恐縮です。
ご理解をいただきまして、有り難うございました。

1073MILD SEVEN:2004/04/09(金) 01:26

下記にても・・・。
http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

ところで、今年の桜は長持ちしていますね。
情の薄い私でも、帰宅の道のりでは・・・楽しめます。

1074犀角独歩:2004/04/09(金) 01:43

> 今年の桜は長持ちしていますね

本当ですね。ようやくと花吹雪となりはじめ、それでも、もうそろそろ終わりかと思うと残念です。それでも八重桜、しだれ桜が楽しめます。沈丁花の善い香も漂い、そろそろ躑躅、しばらくすると薔薇が咲き、紫陽花が種々の色を見せれば、梅雨となるのですね。

1075愚鈍凡夫:2004/04/09(金) 12:48

イラクで拘束されている、学会員を含む3人の人質が無事に帰国できるといいですね。
神崎さんや池田さんは、組織の総帥として彼らに何を為し得るのでしょう。
ただただ、無事帰国をお祈りいたします。

1076愚鈍凡夫:2004/04/09(金) 13:24
ネタのソースはこちらです。

**************************************************
公明党代表 神崎武法殿
公明党代表代行 浜四津敏子殿
公明党幹事長 冬柴鉄蔵殿

 我々創価学会有志で結成した「イラク派兵に反対し平和憲法を守る会」が行った、自衛隊のイラク派遣中止の署名簿( 1847 人)とともに提出した要望書を無視し、テロリストによる日本人一般「民衆」の拘束という、絶対にあってはならない事態が起こったことは、憤慨の極みである。
 今回の事件の「人質」の一人、今井紀明さん(18歳)は、署名の参加者であり、劣化ウラン弾の脅威に真剣に取り組んでおられ、真摯な平和活動を行っていた少年である。
 神崎代表や遠山議員のいうような「比較的安全」と宣伝してきたイラクにおいて、このような、平和を真剣に希求し、公明党の支持母体である創価学会の平和理念に合致した平和活動を行っていた少年が、テロリストによって、「生命の危機」にさらされる事態に至ったのは、イラクの危険極まりない「現実」を無視したプロパガンダを行った公明党の責任であり、結党の精神である「平和理念」を放棄し、守るべき「民衆」を突き放した公明党の責任であると、われわれは、一向に糾弾する。
 自衛隊のイラク派遣で、テロリストが、一般「民衆」である「ソフト・ターゲット」を標的とするであろう、可能性は現地 NGO などから指摘されていたように、「現実主義」の立場から、当然予想されていたことである。
 まったく、公明党がプロパガンダを布いて、「非はイラクにあり」と言い、「大量破壊兵器の脅威」を喧伝した、そもそもの戦争の大義は、現在においては、消滅し、露骨な中東利権を目的としたアメリカの戦争に加担した「大罪」は、ここに至って、極めて明白になったと言わざるを得ない。われわれは、戦争支持の過ちを糾弾するとともに、これらに対する明白な公明党の謝罪を要求する。
 我々の署名要望書において「自衛隊が来ることによって、安全な街もテロの発生する危険な街となる」と主張したように、「現実」は、当然予測されるべき、危機状態へと直面している。
 「人間の命は地球よりも重い」と言われる。創価学会という仏法者に支持される政党であるならば、「生命の尊厳」という本来の「結党精神」に立ち返り、「危機」が取り返しのつかない事態になる前に、拘束された少年を含む三人の「生命」の救出を、「最優先課題」とし、自衛隊の「即時撤退」を、責任与党である公明党に要求する。
 われわれは、あくまで、この間違った政策決定である自衛隊派遣を、「生命尊厳」と「絶対平和主義」という創価学会の理念から、徹底して糾弾するとともに、池田名誉会長がいう「第三の道」「中道政治」、すなわち「平和憲法」に則った、国際貢献の道を完全に見失った公明党の政策決定責任者の執行部辞任を要求し、創価学会の真摯な理解者である少年を含めた三人の生命を、「あらゆる手段」を尽くして、即時に「救出」することを、極めて緊急に、ここに、強く要請する。

                          2004年4月9日

行動する平和憲法のネットワーク(「 イラク派兵に反対し平和憲法を守る会」)
World Citizens Renouncing War
議長 山口 大輔
**************************************************

公明党応援サイト☆がんばれ 公明党☆
http://homepage2.nifty.com/voice-komei/

1077愚鈍凡夫:2004/04/09(金) 13:45

訂正
今井紀明さんを調べてみましたが、どうやら学会員ではなく、会友ということのようです。

先の記事、ここなら一発です。

「行動する平和憲法のネットワーク」
http://voo.to/wcrw/

1078愚鈍凡夫:2004/04/09(金) 23:37

これ、戦時中に戸田さんが出されたとされる「通牒」ですよね。小生は、戸田さんの字を見たことがないのでどうこういえないのですが、本物なのか、偽物なのか、本当のところはどうなんでしょうね。
気になるな。 (゜ペ)ウーン

「NO.24■筆跡検討」
http://www5.tok2.com/home2/sudati/news.html

1079MILD SEVEN:2004/04/10(土) 03:37

宗教の問題は、国会議員が秘書を切り捨てにするのとは違うと思います。
霊的な問題であって、その最高指導者の<力>も試されていると思います。
偽者は良くないと思います。
特に、魔王は。

我々の教義では、「光の御使いに変装する」と、あります。
何者でしょう?
創価の指導者は。
今後、どう出るでしょうか?
http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1080ケン:2004/04/10(土) 10:38
>1077 愚鈍凡夫 さん

>学会員ではなく、会友ということのようです。

ささいな質問で申し訳ありませんが、
「会友」とは、どのような立場の人を言うのでしょうか。
何か定義のようなものがあるのでしょうか。たとえば、
一定期間後に創価学会員として認められるまでの準会員的な
立場でしょうか。あるいは、単にシンパという程度のこと
なのでしょうか。

ボクは、二十数年前ごろまでは、創価学会の会合にたまには参加する
こともありましたが、そのころには、「会友」という言葉(あるいは
制度)はなかったように思います。組織形態が変わったのかな、
という程度の単なる興味本位の質問ですので、そのレベルで教えて
いただければ十分です。

1081愚鈍凡夫:2004/04/10(土) 13:07

ケンさん、こんにちは。
彼が創価学会の平和運動に賛同していたと言うことで、下記「会友の基準-(2)」に該当するのではないかと思います。ただ、「会友証」は持っていたとは思いませんので、単なる「賛同者」という事なのかもしれません。正確さを欠いていたようです。
m(*T▽T*)m オ、オユルシヲ・・・

因みに、創価学会員数は542万人と推定されています。
**************************************************
●会友の基準

(1)聖教新聞を購読。
(2)座談会・会館講義・大学校などの諸会合、行事に参加したことがある人。
(3)勤行・唱題を実践してみたいという人。
以上のいずれか一つ以上、実践していること。

●会友証の授与

地区部長(地区婦人部長)以上の幹部が懇談し、本人が会友になることを希望した時、
会友として「会友証」を差し上げる。「会友証」を渡した人を「会友」とする。

「会員・会友の定義」より
**************************************************

「会員・会友の定義」
http://www.ma.mctv.ne.jp/~sgi/page095.html

「わが国における主な宗教団体名 平成12年度文化庁統計(2000年12月31日現在)より」
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r3-1.htm

1082愚鈍凡夫:2004/04/10(土) 14:45

> 因みに、創価学会員数は542万人と推定されています。

この数字は、聖教新聞の発行部数が550万部ですから、釣り合いがとれていると思います。何故なら、創価学会員の間では一家庭で聖教新聞を複数部購読するのは常識ですから。

「創価学会:聖教新聞社」
http://www.sokagakkai.or.jp/data/seikyo/

1083ケン:2004/04/10(土) 21:10
愚鈍凡夫さん

懇切丁寧な解説を頂き、有難うございます。
創価学会のホームページにもきちんと乗っている正式な
制度であることが良く分かりました。
自分で調べることも可能であったのに、根っからの
無精者で、お許しください。
(出かけていて、お礼が遅れました。申し訳ありません。)

ところで、この点に関連して、2つほど疑問が発生しました。
1.創価学会が「会友」制度を設けた背景。
  何時ごろ、導入された制度でしょうか。
  特に、教学的な意義(折伏との関連)に問題はないのでしょうか。
  単に、選挙目当てということでしょうか。

2.仮に、創価学会の会員か会友が人質になった場合、創価学会本部は
どのような行動をとるのでしょうか(あるいは、予想される行動)。
全く、無視するのでしょうか。いままでに、似たような状況の際に、
創価学会本部がとった行動で、参考になる事例はあるでしょうか。

1084愚鈍凡夫:2004/04/10(土) 22:24

ケンさん、どうも。
「アララ・・・・・。」 (^_^;

> 1.創価学会が「会友」制度を設けた背景。
> 何時ごろ、導入された制度でしょうか。
> 特に、教学的な意義(折伏との関連)に問題はないのでしょうか。
> 単に、選挙目当てということでしょうか。

昔からいわれている、選挙でいうマルFを文章化しただけだと思います。流れとしては、当然「会友」→「会員」という流れでしょうね。「集票マシーン養成ギブス」なんちゃって。

> 2.仮に、創価学会の会員か会友が人質になった場合、創価学会本部は
> どのような行動をとるのでしょうか(あるいは、予想される行動)。
> 全く、無視するのでしょうか。いままでに、似たような状況の際に、
> 創価学会本部がとった行動で、参考になる事例はあるでしょうか。

北朝鮮に拉致された市川修一さんと増元るみ子さんの例を考えて下さい(サンデープロジェクトで田原さんの質問に公明党の太田代議士が学会員であることを認めました)。知らん振りですよ。
ただ、以前日蓮正宗の僧侶(表面的上宗創蜜月時代)が誘拐されたときは、金を出しました。それに、参院補欠選挙の大阪事件では池田さん、小泉さんを救い、末端の会員を見殺しにしました。さらに、投票所殴り込みの時は、指揮を執った市川雄一氏(元公明党書記長)の身替わりを立てました(昔の東映映画の世界か?)。

要するに、創価学会にとってどれだけ役に立つかが"運命の分かれ道"ということでしょう。

1085愚鈍凡夫:2004/04/10(土) 22:29

訂正
誤→表面的上宗創蜜月時代
正→表面上、宗創蜜月時代

です。悪しからず。

1086ケン:2004/04/10(土) 23:11
愚鈍凡夫さん

愚問でした。失礼しました。

1087MILD SEVEN:2004/04/19(月) 12:58

創価の改善派が、我らの主を愛せますように。
先に愛されている事に気がついてください。

・・・・・・・・・・・・・・・

我らは前進します。
一人で無駄の無い<聖戦>は可能です。
創価の折伏を超える<証し>です。
リバイバル。

我らには聖書があります。
もちろん下記も知っています。
ますます前進します。
リバイバル。

<マタイ9章37〜38節>

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫の主に、収穫の為の働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

・・・・・・・・・・・・・・

手遅れにならないうちに、証しを受け入れてください。

http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1088MILD SEVEN:2004/04/22(木) 13:29

<日本共産党に呼びかけた、創価学会に助言した事・関連>

創価の改善派が、我らの主を愛せますように。
先に愛されている事に気がついてください。

・・・・・・・・・・・・・・・

我らは前進します。
一人で無駄の無い<聖戦>は可能です。
創価の折伏を超える<証し>です。
リバイバル。

我らには聖書があります。
もちろん下記も知っています。
ますます前進します。
リバイバル。

<マタイ9章37〜38節>

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫の主に、収穫の為の働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

////////////////////////////////////////////////////////

過去に、ヤフーBB460万人名簿流出&ソフトバンク40億円脅迫事件がありました。
と、いう事は、創価学会員の名簿流出もありえます。
創価の強引さには敵が多いですから。

反創価の<連合軍>として、池田狂信者を愛でサポート・治療する努力をしませんか?

これは余談ですが、日本共産党の良い点は、私なりに理解しています。
しかしバランスを考える時・・・。
<自由共産党>という名と共に、万民の為のあり方を再考察されてはいかがでしょうか?
名実共に、人間の限界を超えるあり方で、宗教法人(創価学会)を超える組織への発展を検討してみてください。
私なりに、アジアの友好関係等で、楽しみな展開が予測されます・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・

もちろん、私は私。
相手が誰でも、どんな組織でも、どの国とでも、対等であるべく、その為の<証し>は前進します。
私の名は<自由>ともいいます。
公義の小道を歩んでいます。

心が救われていない池田創価の哲学は、制御出来ない迷い道。
素直さも愛も感じられません。
3流宗教に、天からの権威はありません。
その限界は「獣」道。

いろいろな意味で、2極化は進んでいます。
これは、過去の歴史からも続いている事。
集中と解体。
要は、時代の進歩と個人の成長は別問題という事。

永続的安定・平和。
これは、もはや説明の必要はないでしょう。
心の問題です。
<詩篇1篇>は、とても参考になります。

分かる者は分かります。
民主党や自民党も理解し始めています。

http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1089an_idle:2004/04/24(土) 05:32
創価学会のソフト開発業界での裏工作について

立川のSジャパン10Fでソフト開発の仕事を請け負っていますが
その職場では、隠しカメラやパソコン画面の盗聴等で集めた個人の
作業内容を利用し、集団で日常的に嫌がらせを行っています。
その嫌がらせの被害者は、自宅にも盗聴・盗撮器を仕掛けられていて
私もその被害者の一人です。
その嫌がらせの目的は、創価学会の勢力拡大と個人攻撃によるライバル
企業の追い落しと考えられます。
また、ソフト開発業界以外にもマスコミや警察
飲食産業にも工作員が
潜り込んでいて被害者は泣き寝入りするしか無いのが現状です。

そしてもっとも卑劣な攻撃は、サブリミナル効果や睡眠時の催眠術によ
る暗示攻撃です。
これは、被害者に自分の思考を盗聴されていると思わせたり、被害者の
親族に暗示を掛けて家庭崩壊を引き起こすといった物です。

インターネットで『集団ストーカー』について検索すると、その被害者
の書き込みが最近急増している事が分ると思います。

また、ソフト開発業界での黒幕の一人で、長年私に対して盗聴・盗撮に
より、様々な裏工作を仕掛けてきた人物の名前は、「荒井」であるとい
う事が判明しました。
これは、集団ストーカー加害者の代表的な手口である「ほのめかし」と
私の過去の不審な出来事による記憶から導き出した結論です。

「ほのめかし」とは、盗聴・盗撮により仕入れた個人のプライベートな
情報を不特定多数(創価学会信者等)の人物を使って、街中を歩いてい
る時などに、すれ違いざまに話し掛けられるという物です。

[私が現在受けている被害内容]
http://www.geocities.jp/an_idle/index.html

[集団ストーカー関連リンク集]
1.探偵を使ったリストラ工作
(1) リストラストーカー 探偵を使った企業等の組織ストーカー犯罪
http://www.geocities.com/risutra_kousaku/index.html

2.マスコミによる集団ストーカー行為
(1) 集団ストーカーについて[0]
http://crime.dot.thebbs.jp/1045124366.html
(2) 集団ストーカーについて[1](Organized Stalkers [1])
http://crime.dot.thebbs.jp/r.exe/1069103990.823
(3) 集団ストーカーについて[2]
http://crime.ten.thebbs.jp/1082001504/
(4) 組織的ストーカー
http://www.geocities.jp/anti_stalker2000.html

3.警察、防衛庁による集団ストーカー行為
(1) ヘリ目撃情報
http://hp666.hp.infoseek.co.jp/syouryaku/file2/heri.html
(2) 人権侵害問題
http://www.jca.apc.org/~con3/jinken.htm

4.創価学会の犯罪行為
(1) 創価学会について考える掲示板
http://snsi-j.org/boards/bbs.cgi?room=ikeda
(2) 創価学会による被害者の会「自由の砦」
http://www.toride.org

5.創価・公明@2ch掲示板
(1) 集団ストーカーやるって本当ですか? その18
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1081221206/l50

1090MILD SEVEN:2004/04/25(日) 01:15

創価学会・池田教の包囲網には、更なる監視・包囲網の構築中です。
防衛・解放戦線。
ミクロとマクロで頑張りましょう。
組織を憎んで、人を憎まずでいきましょう。

一人、また一人・・・。
池田教の犠牲者が救われるやもしれません。
個々の努力は・・・圧倒的な勝利への道です。
貴方は鍛えられています。

http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1091MILD SEVEN:2004/04/26(月) 12:33

<創価学会問題>

準備は整いました。

http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1092MILD SEVEN:2004/04/26(月) 15:48

今日の学び

<イザヤ書58章6節>

わたしの好む断食は、これではないか。
悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、
しいたげられた者たちを自由の身とし、
すべてのくびきを砕くことではないか。

<歴代誌2、32章20〜21節>

そこで、ヒゼキヤ王とアモツの子預言者イザヤは、このことのゆえに、祈りをささげ、天に叫び求めた。
すると、主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの王の陣営にいたすべての勇士、隊長、首長を全滅させた。
・・・・・・・。

<ヨハネの黙示録19章20節>

すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあの偽預言者も、彼といっしょに捕えられた。
・・・・・・・。

<ヨハネの黙示録20章1節〜3節>

また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。
・・・・・・・。

<ミカ書6章8節>

主はあなたに告げられた。
人よ。何が良いことなのか。
主は何をあなたに求めておられるのか。
それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、
へりくだって
あなたの神とともにに歩むことではないか。

http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1093MILD SEVEN:2004/05/03(月) 00:41

<北朝鮮と同種の霊が関与している創価学会問題>

創価の中でも過去から内部改善派の行動はありました。
各サイトを調べれば分かります。
しかし、常に独善的独裁者による圧力により、思考停止体制が布かれます。
組織が個人の人格を低下・コントロールするというのはどうでしょうか?

過去の歴史からも、いろいろな意味で2極化は続いています。
時代の進歩と個人の成長は別問題です。
創価の場合、限界の壁は超えられません。
創価が、このまま組織拡大を強引に進めて行けば、世界の中での、この国の命運に影響します。

心が救われていない組織哲学は、制御出来ない迷い道。
素直さも愛も感じられません。
3流宗教に、天からの権威はありません。
その限界は「獣」道。

残された時間は?

   ・・・・・・・・・

過去、迫害により失うものが無くなるという事は、チャンスと私は判断しました。
私は、私が受けた苦しみをこれ以上誰にも味あわせたくありません。
悪の根を絶ちたいのです。
私は、赦して終わり?では、もったいないと思います。
主にあって教育したいと思っています。
チャンスですから。

自由への苦しみ・・・。
でも、一人、また一人、池田教を踏み台・練習台にして成長して行きます。
しかし・・・。
爆発的解放に至る時、カルト組織は哀れです。

創価には、真の自由を目指し、独裁者の呪縛から解放され、新体制を確立してもらいたいのです。
普通の株式会社にも劣る体質の宗教法人・お子様宗教であってはなりません。
内部の宗教改革は必要と判断されます。
現状の、プロパガンダに翻弄・搾取される体質を改善しましょう。

私は、創価内部で出来ない事を、外部から応援したいと思っているのです。

創価は内部革命を!

http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1094MILD SEVEN:2004/05/05(水) 01:43

<ここだけ話 2>

創価の言う、<諸天善神>とは・・・黙示録にある、天から落とされた星達の事でしょうか!?
・・・池田創価の教学では、体現的証しは不可能ですよ。
主は、弱き者を強くされる。
・・・差別は無しですから・・・。

おわかりでしょうか?

http://momoi7.hp.infoseek.co.jp/

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1095通りすがり:2004/05/06(木) 03:16
「フランスのカルト認定の経緯」
http://page.freett.com/senmon/soukagakkai/shukyou/cult_french.html
*創価学会本部が、2003年の時点で、フランスでのカルト認定を認めたとのこと。

>日達師も「だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だと云う意味をとっております。即ち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なさるとの指南であります。だから代々の法主が日蓮大聖人ではない。……だから客殿のあの座席、法主のあの座席は目師の座席なのです。真ん中に御本尊、向って左は大聖人、右は日興上人、目師がそれをお守りして行くと、その座が目師の座、今の管長の座は目師の座です。だから永代、広宣流布の時にはあの座が即ち目師の再誕と云う事になる。」
http://www3.ocn.ne.jp/~isak/sub1.html
*日顕=日目、池田=日目(血脈で駄目か?)なら、良いのか?

「ノリエガ将軍の告白」
http://page.freett.com/senmon/soukagakkai/katsudou/noriega.html
*ブッシュが握る小沢と池田(創価学会)の弱みで、それによって脅している。陰謀論を展開するなら、池田を脅すことで、公明党にイラク攻撃を支持させたと言える。

とロムオンリーなのにチャチャを入れてみる。真実と信じるも良し、嘘と否定するのも良し、自分で調べるのも良し。皆様に任せる。

1096MILD SEVEN:2004/05/07(金) 11:10

私の職場は極端にモラルが低く、犯罪の域に達しています。
私は、耐えがたきを耐えています。
悪の道に引き込もうとする狂学は、まさしくカルト教学。
創価学会・池田教学が産み出したマムシの子らに、日本を管理する能力はありません。

しかし、私には聖書があります。

<ヤコブの手紙1章14〜16>

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1097三学無縁:2004/05/07(金) 23:13
>悪の道に引き込もうとする狂学は、まさしくカルト教学。
>創価学会・池田教学が産み出したマムシの子らに、日本を管理する能力はありません。

この発言は掲示板のルールに抵触していませんか?

1098MILD SEVEN:2004/05/08(土) 02:42

<無駄な力は使いません>

悪をあぶりだす。などと詭弁を用いて敵対者を悪の道に誘惑するのは、愛の無い魔界の手法。
既に魔界の手先にすぎない陰険なロボトミー。
(死)の力に誘惑された者。
池田創価の教学=狂学。

本当の力を知らない哀れな子ら・・・。
我ら、証し人は(死)の力を滅ぼす役目があります。

悔い改めなさい。
http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1099みかん:2004/05/08(土) 03:07
>>1097
一連のMILD SEVENさんのご発言は
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015577557/l100
に抵触しているのではないかと思いますが、どうでしょうか。>管理者さま

具体的には、
> 【書き込みの基本原則】
> ③但し、特定の組織をターゲットにした、しかも、一方的な攻撃宣伝は慎んでください。

> 【禁止事項】
> 1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。
> 3 無意味な多重投稿・反復投稿を禁止します。同じ文章の連続投稿、或いは、文章は同一でなくとも内容的に同じことを繰り返し投稿された場合は削除致します。なお、根拠を示せないとか、すでに論理が破綻しているとかにもかかわらず、臆面もなく投稿し続けられた場合は、無意味な多重投稿・反復投稿とみなし、削除致します。

に該当する可能性があると思いますが、どうでしょうか。
管理者のご見解を伺えればと思います。

1100MILD SEVEN:2004/05/08(土) 09:14

<私は、創価学会による人権侵害を受けた者>

<<<創価学会が集団で画策する手段があります>>>

悪をあぶりだす。などと詭弁を弄して敵対者を悪の道に誘惑するのは、愛の無い魔界の手法。
既に魔界の手先にすぎない陰険なロボトミー。
(死)の力に誘惑された者。
池田創価の教学=狂学。

悪の道に引き込もうとする狂学は、まさしくカルト教学。
本当の力を知らない哀れな子ら・・・。

しかし、私には聖書があります。

<ヤコブの手紙1章14〜16>

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい 。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・

過去、迫害により失うものが無くなるという事は、チャンスと私は判断しました。
私は、私が受けた苦しみをこれ以上誰にも味あわせたくありません。
悪の根を絶ちたいのです。
私は、赦して終わり?では、もったいないと思います。
主にあって教育したいと思っています。
チャンスですから。

http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

1101管理者:2004/05/08(土) 09:15

三学無縁さん
みかんさん

ご指摘有難うございます。ご承知の通り、管理者は今日まで、当掲示板のルールに従った運営を致して参りました。ご指摘の点がルールに抵触しているのではないかというご指摘、もっともです。ただ、掲示板のルールを設定した目的は、交通整理であって、それ以上のものでは有りません。多少の逸脱が有っても、掲示板の混乱に発展していない場合は、管理者は黙認する方針で運用して参りました。今後とも、その方針で運営して参りたいと考えておりますので、ご理解賜りますれば幸いに存じます。
【禁止事項】についてですが、今回のMILD SEVEN さんのレスは、特定の個人に対して向けられたものとは考えられませんので、「非礼・無礼、人権侵害」には当たらないと考えております。また、「内容的に同じことを繰り返し投稿」されておられる部分も少なからず見受けられますが、「無意味な多重投稿・反復投稿」とまでは言えないと考えています。
その為、削除対象とは致しませんでした。

管理者の見解は以上の通りですが、これらの判断につきまして、ご意見を賜りたく存じます。

1102みかん:2004/05/08(土) 12:50
「書き込みの基本原則】
1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。  
2.富士門流の発展に寄与する論議をお願いいたします。
 ③但し、特定の組織をターゲットにした、しかも、一方的な攻撃宣伝は慎んでください。 」

MILD SEVENさんのご発言は「特定組織をターゲットにした」「一方的な攻撃宣伝」であり、「富士門流の発展に寄与」することはなく、「意見交換」」でも「話し合い」でもなく、相互理解を目指すものでもないと思いますが。
MILD SEVENさんのご発言は一方的な独り言の羅列で、他の掲示板にもまったく同じ発言をしているし、対話にもなにもなっていないと思いますが。
その点についてはどのようにお考えですか。その点については、対処のしようや必要がないとお考えでしょうか>管理者さん

べつに創価学会を擁護する義理もなにもないし、学会の悪口をひとりでブツブツいっているデンパさんが掲示板に一人ぐらいいたって全然かまわないですが、みんな目に入らないことにしてスルーしている現状がまともだとは思えないんですがね。

1103管理者:2004/05/08(土) 15:23

みかんさん

>MILD SEVENさんのご発言は一方的な独り言の羅列で、他の掲示板にもまったく同じ発言をしているし、対話にもなにもなっていないと思いますが。

そうですね、いろいろ突き詰めれば問題を孕んでいるかもしれませんが、掲示板が混乱する等の事態には至っていないと思います。混乱がなければ、強いて交通整理をする必要は無いと思っております。少なくとも、現段階では規制に乗り出すべきだとは考えておりません。
ただ、この判断は、管理者がルールを運用するに当たっての判断ですので、「規制すべし」という御参加の皆様のご意見でしたら、運用方法を改めることには、吝かでは有りません。他の御参加の方々のご意見は如何でしょうか、受け賜れますれば幸いに存じます。

1104個人的にですが。:2004/05/08(土) 23:00
私はこの掲示板が好きです。真摯な対話と表面的ではなく根本的な答えがあり、また、追求しているからです。
これは個人的な意見ですので各個人の方々が思う所はそれぞれだと思います。
今回の件に関しては上記の様な私にとっては「規制を望みます」
既にMILD SEVENさんはご自分の掲示板をお持ちです。
十分認知もさせていると思います。
少なくともここにおられる方々は、深い考えをお持ちの方が多いとお見受けします。
もし、MILD SEVENさんへ共感されるのであれば貴殿の掲示板で話合えばいい事ではないでしょうか。

管理人様
とても冷静なご判断だと思います。
管理人様の問い掛けに個人的な意見を述べたに過ぎません。
これからも運営楽しみにしております。

1105管理者:2004/05/09(日) 06:51

MILD SEVENさん

1102 1104 において、貴殿の書き込みに対する批判と、管理者はきちんと規制すべし、という声が上がっています。今後の書き込みにおいて、指摘の有った点を考慮されて、書き込み内容をお考え戴けると、管理者として、幸いに存じます。よろしくお願いいたします。

1106MILD SEVEN:2004/05/09(日) 08:28

了解しました。
御慈悲ある判断。感謝します。

1107通りすがり:2004/05/09(日) 14:59
MILD SEVENさんの発言は耐えがたいと感じている一人です。
いちいち文句を言いたくないので不快に感じて読まずにいるだけの人は多いはずです。

1108MILD SEVEN:2004/05/10(月) 03:28

ホームページ 更新してあります

<<<創価への助言>>> 

人を集めれば集める程儲かる?
創価学会員の特徴。

「早く幹部になりたい」
「金持ちになりたい」
「異性にもてたい」

   ・・・・・・・・・

しかし、
罪人の財宝は正しい者の為に蓄えられる。
公義が無いところで、財産は滅ぼし尽くされる。
これを、知っておきなさい。

現世ご利益にこだわるあまり、主に敵対し、魔界と契約し、光の子に変装しても、タイムリミットがあります。

3流組織であってはなりません。

<自由共和党>
http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://momoi7.hp.infoseek.co.jp/

1109問答迷人:2004/05/10(月) 09:22

MILD SEVEN さん

>人を集めれば集める程儲かる

創価学会の組織では、結集数等、数にこだわりますね。その理由は何だとお考えでしょうか。

1110MILD SEVEN:2004/05/10(月) 12:02

いろいろな意味で、2極化は進んでいます。
これは、過去の歴史からも続いている事。
集中と解体。
要は、時代の進歩と個人の成長は別問題という事。

永続的安定・平和。
これは、もはや説明の必要はないでしょう。
心の問題です。
<詩篇1篇>は、とても参考になります。

「666」については世界中で研究されていて、獣とその一角を担う事が確定したら、後には引き返せません。また、その解明については、今は恵まれた時代です。

通常の良識ならば、人々を成長させ、解放・自由にさせ、真の信頼関係を築くもの。
危険な全体主義は幼稚なもので、永続性は無く、歴史では常に敗者の側・・・しかし、当の関係者は悟らず、盲目的に組織拡大を進めます。
未熟な者を未熟なまま、思考停止型人間として確定させる・・・カルトは、当の本人が自覚しないのが怖いところです。

間違った組織拡大は、国家反逆です。
我らの常識・・・禁じ手「死の力」を行使した者・組織は、ただ「死」への道。
ブラック ホールです。

我ら、証し人は(死)の力を滅ぼす役目があります。

1111問答迷人:2004/05/10(月) 14:42

>通常の良識ならば、人々を成長させ、解放・自由にさせ、真の信頼関係を築くもの。
>危険な全体主義は・・・盲目的に組織拡大を進めます。
>未熟な者を未熟なまま、思考停止型人間として確定させる

全体主義に陥っているから、盲目的に組織拡大を進め、個々の人間としての成長忘れ、数に囚われてしまっている。大要、そういうご意見と拝しました。

それでは、MILD SEVENさんにもう一つ質問ですが、 創価学会の全体主義的傾向は、その教義に由来するのでしょうか、それとも、指導者の資質に由来するのでしょうか、如何お考えでしょう?

1112MILD SEVEN:2004/05/10(月) 18:49

根本的な問題ですね。

私は、千年の平和を目標としていますので・・・。
通常・普通・聖職者ある仏教界とは前向きに競い合いたいと・・・キリスト教界全体にも、証ししています。

ですから、答えは・・・創価の問題は、指導者にあります。
完全には・・・正確ではありませんが、それが答えです。

http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1113MILD SEVEN:2004/05/10(月) 19:01

追伸。

教義・教学については・・・日蓮氏と同時代に生きて、話をしてみたかった・・・あれ?
良いとされる指導者とは、素直で深い話をしたいものです。
とかく世は、あざける者が多すぎて・・・。

1114サムエル:2004/05/10(月) 19:16
マイルドセブンの意味がわからん。問答迷人さんも、イマイチ主旨が見えない。

1115MILD SEVEN:2004/05/10(月) 19:29
愚かな。

1116個人的にですが。:2004/05/10(月) 20:21
>>1114

MILD SEVENさんと問答迷人(名人)さんの問答です。

外野は引くべきです。

ここはMILD SEVENさんを考える掲示板ではありません。

1117問答迷人:2004/05/10(月) 21:12

サムエルさん

MILD SEVENさんとの対話は、まだ始まったばかりですから、もう少し猶予を頂戴したいと存じます。


MILD SEVENさん

僕は、創価学会の全体主義的傾向は、指導者の問題と、教義の問題と、両方の問題があると思っています。

指導者の問題は、端的に言えば、指導者の目的感の低さだと思います。人類の救済を謳いあげながら、裏で金儲けを企んでいる腐敗した幹部の存在が組織をダメにしてゆくのだと思います。仏教的に言えば、餓鬼道を突っ走っている訳で、宗教マルチとですね。

しかしながら、もっと深刻なのは、教義の問題であると思っています。法華経の特徴としての排他性は、蓮祖及び日蓮門下に受け継がれ、今日の創価学会にも大きく影を落としていると思っています。創価学会に所属する者だけが救われるとする排他性は、学会の組織を護り、その組織を拡大することこそが正義であり、その事によってのみ、世界は救われるとする組織信仰に転化されていると思います。この点、如何お考えでしようか?

1118問答迷人:2004/05/10(月) 21:15

訂正です

誤→宗教マルチとですね。

正→宗教マルチですね。

1119サムエル:2004/05/10(月) 22:47
了解しました。以後問答迷人さんの書き込みに期待します。御指摘ありがとうございますm(__)m

1120みかん:2004/05/10(月) 23:03
外野は引くべきだとは思わないけどね。
AさんとBさんだけが対話するルールならメールでやればいいじゃん。
発言したいときに発言すれば良いんじゃないの?
発言したくないなら、様子を見ればいいし。

1121MILD SEVEN:2004/05/11(火) 00:23

>1117
問答迷人さん。

日本には、全日本仏教会があるでしょう。
私は、既に、こちらにも働きかけています。

我らキリスト教界は、基本的教義は同じでして、現在、アメリカ等の行き過ぎには世界中で検討されています。
私は、キリスト教・国連構想があります。

仏教界でも、仏教・国連構想「現段階では全日本仏教会」を検討してみてください。

下記 研究室を参考にしてください。

<自由共和国 騎士団 研究室>
http://hidebbs.net/bbs/momo721?sw=7

1122みかん:2004/05/11(火) 00:28
補足。
ネット掲示板って、誰でも自由に好きなように発言したり発言しなかったり
できるからネット掲示板なんでしょ。
それをスレ主が誰だとか、AさんとBさんの議論だから遠慮しろだとか
そういうのってナンセンスだと思うんですよね。
というわけで、わたしは「横レス失礼します」という言葉は嫌いだし、
ここ数年使ったことはないです。横レスも縦レスもないだろう、
誰でも議論に参加してオッケーだから、ネットなんでしょ、
と思うし。

1123サムエル:2004/05/11(火) 02:19
みかんさんの仰せの所はごもっともです。ですが小生のレスが単なる野次に思える御指摘であったと思われお詫びを致しました。マイルドセブンの書き込みにはこの掲示板の主旨になんの関係もないオカルトまがいの「独り遊び」でしかありませんが、ひとまず問答迷人さんの流れを見守りたいと思います。みかんさんの御指摘に一言添えさせて致しましたm(__)m

1124MILD SEVEN:2004/05/11(火) 09:28

>1117
問答迷人さん。

日本には、全日本仏教会があるでしょう。
私は、既に、こちらにも働きかけています。

我らキリスト教界は、基本的教義は同じでして、現在、アメリカ等の行き過ぎには世界中で検討されています。
私は、キリスト教・国連構想があります。

仏教界でも、仏教・国連構想「現段階では全日本仏教会」を検討してみてください。

下記 研究室を参考にしてください。

<自由共和国 騎士団 研究室>
http://hidebbs.net/bbs/momo721?sw=7

1125問答迷人:2004/05/11(火) 09:43

MILD SEVEN さん

>我らキリスト教界は、基本的教義は同じでして、
>仏教界でも、仏教・国連構想「現段階では全日本仏教会」を検討してみてください。

仰る意味が良くわかりませんが、『仏教ならどれも基本的教義は同じ』とお考えなのでしょうか。重ねてお考えをお伺いいたします。

1126MILD SEVEN:2004/05/11(火) 10:06

キリスト教は、出発点が、その通り<点>
原点があります。
異端と正統との違いはハッキリしています。

仏教は、我々から観ると・・・混乱しています。
異端が膨れ上がっても、それを抑制する機構が無いように見受けられます。
ですから、仏教・国連構想にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

という訳です。

1127問答迷人:2004/05/11(火) 10:15

MILD SEVEN さん

お説の、『仏教・国連構想』というのは、どういう構想でしょうか、<自由共和国 騎士団 研究室>を少し見てみましたが、良くわからないです。どこに書かれているのでしょうか、お教えください。或いは、簡単で結構ですから、転載していただけませんでしょうか

1128富士桜:2004/05/11(火) 23:47
管理人さん
ロムしている感想としては・・・。
>1102 みかん さんの御意見に賛同します。
自分も創価学会に肩入れする気は毛頭ありませんが、ん〜やっぱりおかしいですよ。
一方的にいつまでも書きこむ様は異常だと思います。
またここは「創価学会の功罪を考える」ですし、一連のカキコは板の趣旨からかけ離れていると思いますが。

1129MILD SEVEN:2004/05/12(水) 02:47

私は、キリスト教徒ですよ。
お分かりですか!?

正統派仏教は、良き競争相手「切磋琢磨」である事を望みます。
私とて・・・手抜きはします。
立場上・・・。
御理解ください。
http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1130通りすがり:2004/05/12(水) 06:26
>1129 意味不明ですよ。それに、問答迷人さんに対するレスなのか、富士桜さんに対するレスなのかも、この文面からは読み取れない。もう少し、まともに対話された方が良いのでは?自分から「対話を軽視している」姿を曝している様なものだと思います。自分のホームページを宣伝する目的だけ、としか取れない書き込みは見苦しいと感じます。

1131MILD SEVEN:2004/05/12(水) 09:39

>1130理解力の無い荒らしですね。
思考停止人間に改造された、池田狂信者でしょう!
私は、誰と対談していたのでしょうか?
分からないのですか??

  ・・・・・・・

仏教は、悟りが得意でしょうから・・・自分たちで、仏教国連構想を考えてください。
池田創価のようなカルトが出来た時には、軌道修正を兼ねた聖戦を展開します。
当面、私は、キリスト教国連構想を完成に向けて証し続けます。

1132問答迷人:2004/05/12(水) 11:20

MILD SEVEN さん

>仏教は、悟りが得意でしょうから・・・自分たちで、仏教国連構想を考えてください。

ということは、MILD SEVEN さんの仰る「仏教国連構想」は名前の提示だけで、中身は考えておられないということですね。この件、了解しました。

もう一つ承りたいと存じます。MILD SEVENさんが、富士門流信徒の掲示板に投稿される目的は何なのでしょうか。

1133通りすがり:2004/05/12(水) 16:04
>1131 理解力の無い荒らしですね。思考停止人間に改造された、池田狂信者でしょう!

レッテルを貼り付けて、ゴミ箱にポイッ、これはかなり性質が悪いです。どこが荒らしなのか、誰が池田狂信者なのか、勝手な決め付けは止めてモライタイ!!!

>自分たちで、仏教国連構想を考えてください。

お笑いですね。自分の考えも無しに、口から出任せの提案をしてもナンセンス 掲示板に参加する資質も資格も無いという事を自分で証明してしまいましたね。こういうのを普通、世間では「お粗末」というのでは有りませんか?

1134三学無縁:2004/05/12(水) 17:53
>1115 名前: MILD SEVEN 投稿日: 2004/05/10(月) 19:29
>愚かな。

>1131 名前: MILD SEVEN 投稿日: 2004/05/12(水) 09:39
>1130理解力の無い荒らしですね。
>思考停止人間に改造された、池田狂信者でしょう!
>池田創価のようなカルト

以上の記述は掲示板のルールに抵触しているのではないですか?
だれが何をどのように思おうが勝手ですが、安易な決めつけやレッテル貼りは人格を疑われるだけです。

>MILD SEVEN さん
池田大作氏および創価学会をカルトであるということの論拠を示してください。
またカルトの定義についても示してください。
宗教学および宗教社会学におけるセクト・チャーチ論におけるカルトの定義に創価学会はどのようにあてはまるとおっしゃるのでしょうか。
かりにマスコミ・ジャーナリズムレベルでカルトといっておられるのであれば、断定するのではなく、必ず「自分はカルトだと思っている」と書いてください。
あなたの書き込みは乱暴すぎるように思われます。

1135MILD SEVEN:2004/05/13(木) 01:48

<情報>

朝木明代市議転落死事件を追う掲示板過去ログ
http://www05.u-page.so-net.ne.jp/zc4/jfk/asakifile.html
朝木明代市議転落死事件の経過
http://www05.u-page.so-net.ne.jp/zc4/jfk/19950901.html
宗教法人に関する特別委員会
http://www.mypostpet.to/kaisi/kokkai.htm
2ch東村山市議殺害事件スレ
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1010238082/
創価問題新聞
http://www.sokamondai.to/
創価学会による被害者の会
http://www.toride.org/
"身から出た、サビた金庫事件"
http://www.toride.org/17zikn1.html

Ikeda elementary school(Osaka, Japan)indiscriminate murder case

The Osaka District Court demands a death penalty for the defendant Soka Gakkai member MamoruTakuma.

It is the death penalty statement of the prosecutor's opinion on the punishment to the defendant Soka Gakkai member Mamoru Takuma

http://www.geocities.jp/mksutra/takumamurder.html

1136MILD SEVEN:2004/05/13(木) 01:51

<情報>

創価問題新聞
http://www.sokamondai.to/
創価学会による被害者の会
http://www.toride.org/
"身から出た、サビた金庫事件"
http://www.toride.org/17zikn1.html

Ikeda elementary school(Osaka, Japan)indiscriminate murder case

The Osaka District Court demands a death penalty for the defendant Soka Gakkai member MamoruTakuma.

It is the death penalty statement of the prosecutor's opinion on the punishment to the defendant Soka Gakkai member Mamoru Takuma

http://www.geocities.jp/mksutra/takumamurder.html

1137MILD SEVEN:2004/05/13(木) 01:53

<創価学会・公職者等の犯罪等リスト>

池田大作(創価学会名誉会長・公明党の「黒幕」)
 =元信者の女性からレイプで訴えられた
 =選挙違反容疑で逮捕(1957年)
 =渡部通子元公明党参議院議員や多田時子元公明党参議院議員との不倫疑惑
池田克也(公明党衆議院議員)=リクルート汚職(1988年)で起訴

神崎武法(公明党代表)
 =女性記者へのセクハラ疑惑(女性記者に肉体関係を迫った疑惑)
=共産党・盗聴事件=検察を辞職に追い込まれる=敗訴。

続訓弘(公明党参議院議員、公明党中央幹事、元総務庁長官)=信用保証詐欺事件に関与の疑い by「朝日新聞」「噂の真相」
片上公人(創価学会員・元公明党参議院議員) =女性秘書へのセクハラを行う(1995年)。
佐藤茂樹(公明党衆議院議員)
 =政策秘書が「中小企業金融安定化特別保証制度」等をめぐる不正融資事件で逮捕される(2000年)。
太田昭宏(公明党衆議院議員、公明党幹事長代行、公明党国対委員長)
 =政治資金収支報告書で、贈収賄事件で警視庁に摘発された「大創建設」の関係者から計100万円の献金を受けていたことがわかった(2001年)。

T(創価学会員・岩手県の知的障害者施設職員、創価学会副圏長)
 =知的障碍者女性を強姦し妊娠させる(2000年)。

大島豊太郎(創価学会員・元公明党大阪市議会議員)
 =特養老人ホーム入居便宜供与を盾に支持者女性を強姦する(2001年)。

松本弘芳(創価学会員・元公明党江戸川区議会議員)
 =サラ金から借金しつつ児童買春を20回以上行い、ビデオ撮影して保管(2000年)。

鈴木友吉(創価学会員・元公明党文京区議会議員)
 =知人女性と不倫。子どもの前で交尾する現場を不倫相手の男性によって撮影される(2001年)。
T(創価学会本部職員)
 =痴情のもつれにより不倫相手に対する殺人未遂罪、銃刀法違反の罪で逮捕(1999年)

大谷尚雄(創価学会員・元島根県出雲市公明党市議会議員)=覚醒剤取締法違反で逮捕(1993年)

高野博師(創価学会員・公明党参議院議員)=公設秘書、二セの診断書偽造に関与(1999年)

高松和明(創価学会員・元成蹊大教授、父は創価大前学長)
 =不倫相手の女性と共謀して不特定多数への猥褻図画販売容疑で逮捕・女性の尿も販売 (2000年)

森和愛(兵庫県神戸市議会の公明の幹事長)=ゲーム機賭博で現行犯逮捕(1997年)
山田稔(群馬県藤岡市の公明市議)=収賄容疑で逮捕(1997年)
横田高夫(埼玉県大宮市の公明市議)=収賄容疑で逮捕(1997年)
塩沢三郎(神奈川県公明党県議)=競売入札妨害容疑で逮捕(1998年)
遠藤和良(公明党衆議院議員)=自民党の鈴木宗男議員から100万円の資金提供を受ける(2002年)
まだまだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1138MILD SEVEN:2004/05/13(木) 01:55

<創価学会・公職者等の犯罪等リスト 2>

★覚醒剤取締法違反/平成5年4月★
 島根県出雲市の現職公明党市議・大石尚雄。知人宅で覚醒剤を使用し逮捕。

★セクハラ事件/平成7年★
 訴えられたのは、公明党参議院議員・片上公人。参議院議員会館内の自室で学会員の女性秘書にキスや肉体関係を迫った。
なお女性秘書は既婚者。最高裁まで争ったが、片上議員のワイセツ行為は全ての審理で認定された。

★セクハラ辞職/平成8年9月★
 鹿児島市議で公明の県本部長でもある玉利正は、議会関係者と食事した後、
その中の一人の女性に、体を触ったり後ろから抱きつく等のセクハラ行為をしたことが発覚し議員辞職。

★飲酒・窃盗・当て逃げ/平成9年4月★
 東京・多摩市議会の前議長で、公明の幹事長を務める宮内均市議は、日野市内のスナックで酒を飲んで帰宅する際、
エンジンをかけたまま停めていた車を盗み、その車を運転中、駐車していた乗用車に衝突し、そのまま逃げたが、
車内にバッグを忘れていたため、翌日逮捕。

★餓死/平成9年10月★
 餓死させたのは、兵庫県の公明市議・赤井良一。重度の神経症を患っていた妻を、数日間食事も与えず放置した。
「人間の尊厳を無視した犯行」として懲役3年の実刑判決。

★ひき逃げ/平成10年2月★
 静岡県伊豆署は、学会員で元公明党市議の山田喜八郎を、道交法(ひき逃げ)違反で逮捕。
調べによると、交差点でミニバイクを運転する主婦Aさんと衝突し、Aさんに十日間の怪我を負わせ、逃走したが、
自宅でタイヤを交換しているところを警察に問い詰められ逮捕。

★少女買春事件/平成12年11月★
 児童買春・児童ポルノ処罰法違反容疑で警察に逮捕されたのは、公明党江戸川区議・松本弘芳(江戸川区文教委員)で、
14〜17歳だった少女5人を相手に買春。また、行為をビデオ撮影した9本のビデオが押収された。懲役1年6月の実刑判決。

★不倫辞職/平成12年★
 人妻との不倫現場を盗撮され、写真誌で暴露された公明党文京区議・鈴木友吉は、文京区議会に辞職願を提出し受理された。
盗撮されたビデオは不倫の証拠として法廷でも提出されていたため、写真誌でも衝撃映像が紹介されてしまった。

★セクハラ辞職/平成13年★
 大阪地裁で、知人の女性(48歳)から「性的関係を強要された」として、賠償請求裁判の第一回口答弁論が始まったその日に、
「一身上の都合」で議員を辞職したのは、公明党大阪市議を4期務めていた大島豊太郎(63歳)。

まだまだ・・・・・。

1139MILD SEVEN:2004/05/13(木) 01:59

<<<創価学会の特徴>>>

・思考、感情、行動、情報のコントロール(マインドコントロール)

・一般社会や信者以外の人間の敵視、蔑視、軽視など。

・教祖、または教団組織への絶対服従。教義が変わったときには、自分の考えもそれに合わせる。

・批判的思考の否定

・目的のための手段の正当化

・世界観の分化。教団組織は善、それ以外は悪。

・救いや、心の平和は、教団組織に従うことによってのみ得られる。

(伝統的なキリスト教なども、教会の存在を重視します。しかし、救いは、信者と神との個人的関係にあると教えます。神を信じる者が救われるのであって、教会や牧師に従う者が救われるのではないわけです。)

・脱会者には、制裁がくだされる。

(一般の宗教であれば、その宗教団体から脱会しても、入会前の状態に戻るだけです。それに対して、脱会すると、前よりももっとひどい目に合うと教えます)

・教団組織を個人より優先する、全体主義的体制。

//////////////////////////////////

・・・カルトは、信者である本人は、全く気づかない方が普通です・・・

/////////////////////////////////

<チェックリスト>

勧誘方法は良心的か?

教祖や教団組織に盲従するようにしていないか?

教団組織の外の世界を極端に悪く言わないか?

信者の個性を尊重するか?

伝統的宗教を極端に軽蔑していないか?

教団の操作や圧力によって改宗したか?

批判的な考えは否定され、批判能力が脅かされるか?

経済的、精神的に教団から搾取されるか?

1140MILD SEVEN:2004/05/13(木) 02:07

下記にて、いろいろ用意しておりますが・・・。

生意気で傲慢な魔界の虜連中には耐える「聞く」力がありません。
彼らの為でもあり、ふせてあります。

日蓮宗の本部の方には・・・いろいろ感謝しています。
今後も、よろしくお願い致します。

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/
http://momoi7.hp.infoseek.co.jp/

1141問答迷人:2004/05/13(木) 06:41

MILD SEVEN さん

僕の質問に対して、お答えがありませんが、もう一度承りたいと存じます。

MILD SEVENさんが、富士門流信徒の掲示板に投稿される目的は何なのでしょうか。

これは、当掲示板のルールに拘わることですので、是非ともお答えいただきたいと存じます。

1142通りすがり:2004/05/13(木) 08:15

問答迷人さんの質問には、答えられないのでは?

彼の書き込み目的は、唯一、創価学会攻撃のようですね。そして、自分のHPの宣伝もでしょうか。それだけのようです。そんな事白状したら、この掲示板に居れなくなるのは判りきったことでしよう。だから、答えない、答えることができない。問答さんも痛いところ衝きますね(笑)

1143MILD SEVEN:2004/05/13(木) 09:25

あざける者の特徴が出ていますな〜・・・上記。
危ないあぶない。

私の、日本での親代わりの親戚の家には仏壇があり、仏教徒です。
その娘たちは、上が上智。下がICU。
優秀は家族です。
なんでもありの家です。
私の母も才女ですが・・・私はダメです。はい。

私が幼少のころの保育園は、お寺が経営・・・一人で、墓の地蔵のピラミッドのようなものに登って遊んでいた記憶があります・・・これは失敬。

仏教に興味がありましてね。
日蓮宗は、全日本仏教界に加入されているますしね。
日蓮氏の悟り・言いたかった事は何か?それも知りたくて。
キリスト教徒として、また、創価による、一方的な迫害を受けた人生経験をもつ者として、相手を知りたい。

いろいろ知りたい。
反応も知りたい。
研究したい。
成長したい。

下記は、ホンのお返しです。はい。

http://tokyo.cool.ne.jp/mild_seven_xx/

http://momoi7.hp.infoseek.co.jp/

1144MILD SEVEN:2004/05/13(木) 09:30
 
 (訂正)

>優秀は家族です。
 優秀な家族です。

>日蓮宗は、全日本仏教界に加入されているますしね。
 日蓮宗は、全日本仏教会に加入されているますしね。

1145犀角独歩:2004/05/13(木) 10:43

MILD SEVENさん:

問答さんは、この掲示板の主宰者であり、管理人です。
その問いかけを無視することは第一失礼ですし、同義に反します。

わたしはあなたのことをずっと静観してきました。
しかし、今回のあなたの対応は、一参加者としても黙視できないと申し上げるほかありません。問答さんへの問いかけに答えないのであれば、こちらへの投稿は即刻中止されるべきでしょう。また、投稿を継続されるのであれば、その問いかけに真摯に解答し、また、投稿規約に遵守するべきでしょう。

このまま、あなたが斯かる態度で従前の内容の如き投稿を継続することは、わたしから見れば、寧ろ「イエス・キリスト」とその教会・信者の評価を貶める以上の効果はないと思えます。もし、あなたが主を信じる方であれば、その主の名を穢すような態度は採るべきではないと進言することといたします。

1146管理者:2004/05/13(木) 11:48

MILD SEVENさん

ご承知の通り、ここ数日来、あなたの投稿に対する批判が高まっています。MILD SEVENさんが、富士門流信徒の掲示板に投稿される目的は何なのでしょうか。これは、当掲示板のルールに拘わることですので、管理者としてお伺いしたいと存じます。なお、当掲示板のルールは、「管理者からのお願いスレッド」に明示してありますので、ご一読の程、よろしくお願いいたします。

1147管理者:2004/05/13(木) 12:56

MILD SEVENさん

追伸です。

>仏教に興味がありましてね。
>キリスト教徒として、また、創価による、一方的な迫害を受けた人生経験をもつ者として、相手を知りたい。
>いろいろ知りたい。
>反応も知りたい。
>研究したい。
>成長したい。

知りたい、という調査研究目的で御参加という趣旨ですね。しかしながら、この掲示板でのあなたの投稿を見る限り、当掲示板のルールの抵触する、一方的な創価学会及びその構成員に対する攻撃が、多く見受けられます。もし、創価学会を知りたいのなら、静かに対話を重ねるべきだと思います。そして又、それがこの掲示板のルールでもあります。当掲示板のルールを無視して、MILD SEVENさんの独自のお考えで調査研究されるのでしたら、そうした調査投稿を容認する掲示板に投稿されるべきです。勿論、当掲示板のルールに従って投稿される分には、目的が調査研究で有っても、それは一向差し支えません。よくお考えの上、投稿を続けられるか、他の適当な掲示板に移られるか、お決めいただきたいと存じます。

今回、色々なあなたに対する批判がでた以上、あなたの、当掲示板ルールに抵触する投稿は、削除対象とせざるを得ませんので、予め申し上げておきたいと存じます。

1148サムエル:2004/05/13(木) 20:18
マイルドセブン。
君の揃えた提示資料ごとき、インターネットでありふれた創価スキャンダルを掻き集めた「砂城」以外何ものでもない。そんな貧相な思考で創価に対抗しようとは、駄菓子屋の銀玉鉄砲で米英軍に乗り込むような無謀でしかない。君のホームページで、さもありな防衛だのマクロだミクロだの全く無意味と気がつけない所に無能さが露呈する情けないお粗末なしろものだ。おそらくこれを見れば、愚かだの創価の霊が云々と書き込んでくるのは目に見えているが 、ここまでボロクソに書いたケジメに一つ教えよう。創価の悪はそーんな浅はかな所にはない。ここに集まっている方々は、おそらく元は創価に所属か、または関連した所に居た方が大半だ。お前の提示した資料など目新しいものでもないさ。むしろ見飽きたもんだ。しかしなぜこうまでして、ここに日蓮教団を熱く語るのか考えた事はなかろう。そこにお前が悪と感じている創価の根源がある。そこの教えを「乞う」精神がないのならば、いつまでたっても子供の「ごっこ」だ。さらには基督はこんたカルト生み出すあほな教団だと、独歩さん仰せの通り、法を下げるばかりか、相手にもされないのは目下当然だろう。

1149サムエル:2004/05/13(木) 20:21
管理人さん。下の投稿が何か抵触されたなら削除されても結構です。横レス失礼しました。

1150管理者:2004/05/13(木) 22:25

サムエルさん

1148は、少し言葉が激しいとは思いますが、MILD SEVENさんを巡る、現下の状況を言い得て妙であると思いました。少々掲示板のルールに抵触しかかっているとは思いますが、今回は、管理者は削除するつもりは有りません。

管理者も17歳から28歳まで、創価学会に所属していた経験がありますから、創価学会に対しては過敏な程、その動向を注目しています。今も聖教新聞と創価新報を購買し、毎朝、目を通しています。恐らく、サムエルさんも、同じような経歴をお持ちなんでしょうね。

1151犀角独歩:2004/05/13(木) 23:59

サムエルさん:

はじめまして。わたしの名前を記されていますので、返信させていただきます。
学会問題、仰るとおり、ネットで流通している程度の情報はまさに表面の表面。まるで本質を抉っていません。実際のところ、わたしも知る限りでとても文章にできない、ネットに流通できない点は山ほど抱えています。そのなかで、まあ、書ける範囲で記してきたわけです。

ただ、MILD SEVENさんに対して、特に憤りがあるというわけではなく、管理人さんに対する礼節、並びに投稿規則を遵守されるのであれば、引き続き、お出でになることに痛痒は感じません。しかしまた、その反面、サムエルさんをはじめ、三学無縁さん、みかんさんのご意見も尤もであると思う部分もあります。さらに言えば、わたし自身はキリスト教には大いにものを言いたいところもあるわけですが、ここは富士門流信徒の掲示板なので、その点は控えているという一面もあります。

それらの点を総合して、他の投稿者との会話を原則とする投稿をMILD SEVENさんには希望すると言ったところです。

まあ、それらはそれとして、サムエルさん、今後ともよろしくお願い申し上げます。

1152MILD SEVEN:2004/05/14(金) 01:41

>1148 君のホームページで、さもありな防衛だのマクロだミクロだの全く無意味と気がつけない所に無能さが露呈する情けないお粗末なしろものだ。おそらくこれを見れば、愚かだの創価の霊が云々と書き込んでくるのは目に見えているが 、ここまでボロクソに書いたケジメに一つ教えよう。創価の悪はそーんな浅はかな所にはない。

了解しました。

そして、管理人さん。
どうやら、原点=日蓮氏から学ぶ必要大ですね。

恥ずかしげも無く・・・再び、私の、創価との経緯を紹介しておきます。

<創価学会問題等 カルト問題サイトを作った経緯>

裁判所よりも兄弟姉妹。
そして、良識ある宗教者に検討してもらうのが第一。
後の事は後に。
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・

<事件 1> 

1988。
ドイツで働いていた頃。
あの国は、日曜日になると、町全体が休日の雰囲気になる。
私の店も、店休日になるのが多かった。
私は教会に通い始めた。

  ・・・・・・・

私の職場には、創価学会員と、反創価の派閥の対立があった。
ある日、私は先輩(創価学会員)に、教会に行っている事を話したら・・・その日から態度が変わった。
その先輩は、何かあるたびに{おまえが悪い。全部おまえが悪い! と。}イジメるようになった。
反創価の先輩に聞いたら・・・あの組織の連中は、{狙いをつけた者を、イジメぬいて・・・その後、飲みに連れて行って・・・優しくして・・・組織員にさせてしまう。}との事。

卑怯な連中だ!
当時は、そうだった。
私は屈しなかった。

<事件 2> 

1991、日本に帰国して後・・・。
徹底的にモルモットにされた。
私は、未熟な異言者だった。

狂わされた?新婚だった。ショックで、記憶が断片的だ。

その後の職場でも、あの組織の女性上司から、いろいろ言われた。{あなたと私は黒い糸で結ばれている。とか、一生面倒みる、とか・・。}当時は、何を言われているのか分からなかった。
妻もいた。
・・・家庭は崩壊した。

記憶を取り戻したのは、崩壊後、1995年 5月だった。
私は戦い始めた。
SGI はあらゆる手段を用いる。
くの一も。
でも、所詮・・・闇の力


<事件 2 その後> 

1995、再度、創価学会に集中的にモルモットにされていた時・・・。
創価に、寄ってたかって{マロとかチンとか言ってみろ!}と言われた。
私がウメボシと言われる者だからだ。
私は生き証人だ。
私は、キリスト教徒だからあまり気にしない。
むしろ、上手な仕事を考える。


<事件 3> 

あれは、カナダで働いていた時の事。
1997より。
どの職場にも、日本人スタッフに、創価学会員・SGI がいた。
常に流言蜚語・陰口に苦しめられた。
カナダ市民も洗脳していくカルトの策略。
虜になるべき者が虜になるのか!?

私は、証しを蓄積していった。
証しの手紙を、各方面に大量に送付して後、2001年 帰国した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
私は、誰が何を信じようが自由だと思います。

人の人生を壊すカルトでさえ無ければ!

自分の信じるものを堂々と名乗って、皆と協調して生きて行くのが国際社会。
そのはずです。

憎しみは憎しみしか生まない。
自分にすら勝てない。
まして、悪に勝つは不可能。
自分を見つめて、勝利を経験した者はわかります。

相手の為に、愛を学びつつ・努力する者を真理は見捨てないと思います。
社会もそうであってもらいたいし、そうなるべく私は私で・・・。
人はいずれ死にます。
悔いを残したくないものです。

////////////
///////////

自分の親と同様、日本人を辞める事が将来あっても、この問題は主にあって考えていきます。
今の父方の親は、アメリカ人ですし、その方面からも日本に働きかけます。
私は、不幸な者を無くしたい。
自分の体験を、前向きに、殺されるまでも・・・証し続けます。

1153サムエル:2004/05/14(金) 12:10
マイルドセブンさん。ひとまず了承の件で感謝する。貴方が創価、SGI連中から受けた苦痛により憎しみから発せられる言葉、感情論は察する。しかし先にも話したが、ここに集う方々は、多かれ少なかれ貴君同様、いやそれ以上の創価が繰り出す悪態を経験し、乗り越え、さらには日蓮を時間を惜しまず研磨する他では類を見ない、レベルの高い掲示板であるだろう事を理解してほしい。語るには場所を選ばなければ、雑音以外他にない。そして、そのような嫌がらせごとき、貴君は正々堂々と奢らず、真摯に社会生活を送る事を切に願う。最後に付け加えるが、このサムエルと言うHNは、創価により、生活を壊され、家庭も崩壊し、人格まで破壊され命を自ら経ち、犠牲になった私の大切だった友人の尊いニックネームだ。後に機会があれば話そう。痛みは皆持っている。忘れないでほしい。君一人ではない。

1154サムエル:2004/05/14(金) 15:10
管理人さん
投稿にきわどい判断を求めてしまいご迷惑おかけしました。以前からここは見させて頂いていたのですが、なにせ携帯電話からの投稿なので思うように行きませんが、今後ともよろしくお願いします。そしてここを紹介してくれた富士桜くん感謝します。ありがとう。

1155サムエル:2004/05/14(金) 15:33
犀角独歩さん
丁重なお返事、ありがとうございます。実は一年ほど前からここを紹介してもらい閲覧させていただいております。私は創価大を卒業後、いわゆる活動家として日々過ごしていましたが、富士桜くんの猛烈なしゃくぶくを受け、脱会し法華講へ家族共々移籍いたしました。しかし日蓮正宗が「絶対」と言う簡単には説明出来ない固定観念が強すぎる私に警笛をならしてくれたのは富士桜くんでした。もちろん最初は嫌悪がありました。しかしながら彼がなぜ犀角独歩さんの論を始め、ここに集う方々の投稿を読むように進めてくれたのか、今になってわかり始めた経緯でございます。どうぞ今後も私の方こそよろしくお願い申し上げます。

1156管理者:2004/05/14(金) 17:12

MILD SEVEN さん

思い返せば、ニガイ思い出が詰まっている創価学会時代です。MILD SEVEN さんが受けた仕打ち、それなりに理解できますよ。僕も同じ被害者であると同時に、又、加害者でも有ったからです。今後ともよろしくお願いいたします。


サムエルさん

管理者として至りませんが、今後ともよろしくお願いいたします。御参加有難うございます。

1157MILD SEVEN:2004/05/15(土) 01:23

ご丁寧に・・・ご理解・御慈悲。
ありがとうございます。

念をおして言いますが、私は、創価学会員には憎しみはありません。
憎むべきは組織。
形の無いものです。
霊的な問題です。

   ・・・

ところで。
実は・・・私が日本にいる間は、単なる改善提案にすぎないものが、アメリカ等で証しすれば・・・日本再占領計画?にすり替えられる事も考えられます。
これは考えすぎでしょうか?
ともかく、日本が良くなればいいのですが。
乱暴な感がありますが、情の薄い私の懸念です。
これは、あまり気にしないでください。
独り言です。

http://momoi7.hp.infoseek.co.jp/
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9079/

その内、近所の日蓮宗のお寺を訪問しようと思っています。
教えて頂きたい事がありますし、既に・・・無関係ではありません。

1158犀角独歩:2004/05/15(土) 09:34

MILD SEVEN さん:

> 日蓮宗のお寺を訪問

とのことですが、あまり期待されないことです。

戦後、日本社会のなかで日蓮宗は、日蓮正宗創価学会を日蓮宗の亜流、あるいは異端として扱ってきました。けれど、小樽法論痛手以降、この集団と正面切ってやり合うことを放棄してしまいました。末寺に至っては尚更のことです。真剣に石山・学会問題に取り組んでいる日蓮宗僧侶は、たぶん両手の指の数にも至らないかも知れません。寺院数、僧侶数が石山の10倍の規模を誇る日蓮宗の実像です。もっと言えば、日本社会で連立与党の地位を得た新興宗教団体の構成員が市中を跋扈する片隅でひっそりと寺院経営をする末寺住職にこの問題を突きつけることはある面、酷というものです。

以下の書籍をご承知でしょうか。

合本再版『創価学会の徹底的解剖・内部矛盾』日蓮宗現代宗教研究所編
発行日:平成16年1月30日/編集:日蓮宗現代宗教研究所/発行責任者/久住謙是

この『あとがき』に
「日蓮宗現代宗教研究所編集の『現代宗研教化資料シリーズ11―創価学会の徹底解剖―お題目弘通運動のために』(昭和62年3月1日、日蓮宗宗務院発行)で、著者中野教篤師は、
  日蓮本仏から法主本仏、池田本仏と理論的につながってきた、「謗法」の根の深さ(同書35頁)
  どんなかたちで自民党にスリ寄るかという、その仕方をめぐる矛盾の顕在化、(中略)その底流には、創価学会的な「国立戒壇」「王仏冥合」論の亡霊が横たわっている(同書38頁)
 と指摘しています。国政に与党としてからむ現在の公明党の姿や、平成14年の会則改正・規約変更で池田大作「教祖」を明文化した創価学会の姿を17年前に「予言」しています。
 同じく『現代宗研教化シリーズ―創価学会の内部矛盾』(平成2年3月1日、日蓮宗宗務院発行)で師は、
  昔流の創価学会批判ではだめです。2年、3年たつとどんどん変わっていきます。日蓮正宗教学なら何年たっても批判は通ずるが、創価学会の勝手気ままな解釈というのは自由自在に変わっていくから、10年前に創価学会がこう言ったからというのでは批判は通用しない。(同書46頁)
 と指摘してます。事項連立政権の現状を、師がご存命ならどう分析されるでしょう。
 明晰な分析と的確な指針において、師は第一人者でした」(97頁)
と記されています。

今回、再版された内容は大いに参考に、正鵠を得ていながら、石山・学会を羽毛で撫でるほどの打撃も与えませんでした。中野師の葬儀は、日蓮宗各位の石山・学会問題の意識と比例する如く、ひっそりとして寂しいものであったといいます。

また、わたしがサイトに紹介する執行海秀師明論文の数々も誣いられた信者・会員の耳に届くことなく半世紀近い歳月が流れました。

石山・創価学会員達は、MILD SEVEN さん、問答名人さん、またわたしや、同じく脱会した人々が受けた攻撃のように、議論、解析、研究を、悪口雑言という人身攻撃にすり替えて葬り去る非人道性で一貫してきました。この有様はしばらく前、当スレッドでその典型的が晒された如くです。

既にご存じだと思いますが、創価学会問題にいち早く警鐘を鳴らした牧師さんは森山諭師でした。しかし、いま日基会でこの問題に真剣に取り組み人をわたしは知りません。

その意味からも、MILD SEVEN さんの健闘をお祈り申し上げます。

1159MILD SEVEN:2004/05/15(土) 10:25

ありがとうございます。

合本再版『創価学会の徹底的解剖・内部矛盾』日蓮宗現代宗教研究所編
発行日:平成16年1月30日/編集:日蓮宗現代宗教研究所/発行責任者/久住謙是

実は・・・上記の本は既に分けていただいておりまして、その時に近所の日蓮宗の寺名を伝えてあります。
また、歩けば3分?位近くにそのお寺があります。
いつも気になっていました。

ともかく、ありがとうございます。
私は、(統一教会)等のカルト問題に真剣に取り組んでいる(脱会・救出の手助け)キリスト教会(複数)に、素直さの無い創価学会 問題相談しています。
水面下での協力体制は、国際的にも構築中です。

犀角独歩さんも頑張ってください。
ありがとうございます。

1160犀角独歩:2004/05/15(土) 11:05

MILD SEVEN さん:

> 上記の本は既に分けていただいておりまして…

あ、そうでしたね。屋上屋を重ねました。失礼しました。
朝、寝ぼけて書いた…、というより、既にボケが始まっているのかもしれません(笑)

わたしも心ある牧師さんとは協力関係を構築し、事に当たっています。
時には三位一体その他で激論に及ぶこともありますが、好い人たちです。

どうにも外国語が弱く、なかなかグローバルな展開はできませんが、ともかく世界的なカルト監視機構は、わたしがネットワークしている日本の機構と連携しています。
皆、共通した認識は「日本最大の(カルト)宗教問題は創価学会問題である」ということです。

日蓮の名の下に人を憎悪させ、自分たち以外を蔑んで止まない日本最後の差別問題とわたしはとらえています。

ともかくもご健闘をお祈り申し上げます。

1161MILD SEVEN:2004/05/16(日) 01:16

>わたしも心ある牧師さんとは協力関係を構築し、事に当たっています。
時には三位一体その他で激論に及ぶこともありますが、好い人たちです。

そうです。
前向きな競い合い・切磋琢磨こそ、私の日本での目的です。
千年の平和は夢ではありません。
アジア・世界への創造的開拓、情報発信国家の確立。

生意気ですみません。

実は・・・私は、教会に迷惑をかける事を危惧していまして・・・。
それは、日蓮宗寺院に対しても同じ事。
まずは、ネット上で、現実の試練を乗越えた方々との結束をはかり・・・次の段階へと・・・。
着々と、歩んで行きたいものです。

1162MILD SEVEN:2004/05/19(水) 01:29

<今日の愛読書より>

・・・ただ多くの人の個人的努力により、また真の正しい宗教によってでしか実現されない。
だが、実際には、おそらくまた、不幸を通じて実現されることになろう。
というのは、経験上から見ても、このような、より全般的な、最も分かりよい実地の教訓がなければ、単に説教や講演だけで、社会が改善されたためしがないからだ。
上からの模範と不幸な出来事とが、民衆にとっては一番効果のある教育手段である。
・・・。

   ・・・
   ・・・

試練や迫害、逆境。
証し人とは・・・?
タイムリーな証しは、最前線から。
私からの助言です。
 
  /////////////

キリスト教会・各教会への情報は、上記まで。
創価も、現世ご利益強調や池田氏のあり方の鵜呑みでは無く、純粋に、日蓮氏に従ってみたらどうでしょうか!?
何事も、直参が一番。
池田氏を超える事は容易いと思いますが・・・。

これ以上は・・・。
お互いの立場がありますね。
でも。
いい人は増えてほしいものです。

なんとも・・・。

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

1163MILD SEVEN:2004/05/20(木) 02:41

他サイトからの情報

自民は公明支援の創価と犬猿の仲(他宗派は邪宗と言って排他的な差別意識がある)である全日本仏教会に参院選へ支援要請との事、公明支援の創価は何時まで自公連立と呉越同舟のもとに付き合ってゆけばいいの、これからの政治活動はどうなるの?。

   ・・・

これはお笑い。
創価は、どっちつかずの蝙蝠組織と化すのか?
これはシナリオ通り。
愚かな・・・。

創価は、悔い改められるか?
見ものです。

http://hidebbs.net/bbs/momo7?sw=7&amp;m=10

http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/

1164通りすがり:2004/05/20(木) 09:04
マイルドよ。あちこちにおんなじ投稿するな!

1165サンタ:2004/05/20(木) 10:45
メリークリスマス。

1166MILD SEVEN:2004/05/24(月) 12:45

創価学会は、強引な折伏などの加害者であるにもかかわらず、抵抗する者に対しては、組織ぐるみで「見せしめ」策略を展開する。

名誉会長自身の発言で、その体質がよく分かる。

「警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。」

更に、抵抗する者に対しては、詭弁を弄し、こともあろうに、誹謗だ中傷だと騒ぎ立て、被害者を装うのである。

   ・・・

この種の問題は、現状の警察では取り締まる事が出来ない。
しかも、警察内部・司法関係も徐々に・・・。
法が脅かされつつある。
この国の中身が、いつの間にか違うものになってしまう事があってはならない。

何が正しいか?
各自、自分で判断する事は必要である。
巧みな独裁体制によりコントロールされる精神は、やはり、限界の壁を超える事は出来ない。
人間の限界とは悲しいもの。

忌まわしいものだ。偽善の創価学会・公明党。
あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせないのです。

この国を、ブラック ホール にしてはならない。

   ///

私は、創価内部の改善を希望する者です。
聖職者無き創価学会。
指導者無き組織と言ってもいいでしょう。
あまりにも哀れです。

各界 聖職者に期待します。
私も、努力します。

1167通りすがり:2004/05/25(火) 12:32
マイルドよ。あちこちにおんなじ投稿するな! といっているだろうが。

1168MILD SEVEN:2004/05/27(木) 04:03

私は、「霊的な事」地上で、誰の指図・命令を受けるいわれは無い。
権威の問題だ。
既に天からの「恵み」は受けている。
私の、別名は「自由」とも言う。

奇蹟を体験して・信じて・成長して来なければ・・・分からない事。

私に、不完全な命令をすると後悔する事になる。
警告しておきます。
霊的な事です。
聞く耳を持ちなさい。

1169みかん:2004/05/27(木) 13:13
>MILD SEVENさん

あなたの御所属の教派はどこですか?

1171通りすがり:2004/05/28(金) 06:26
管理人さん

>1170 

MILD SEVEN 氏は、対話する気も無く、みかんさんの問いかけも無視し、また、性懲りも無く、一方的に創価学会攻撃を繰り返している。もう、MILD SEVEN 氏には、この掲示板への書き込みを禁止にしてはどうですか。

1172管理者:2004/05/28(金) 07:58

通りすがりさん 

>1171

管理者も同意見です。

MILD SEVEN さん

>1170

このレスは、掲示板のルールに抵触していますので、削除致します。

今後も、同様のルール抵触発言を繰り返される場合は、掲示板への書き込みをお断りすることになりますので、ご承知置きください。なお、抵触した掲示板のルールは以下の通り。
 

【書き込みの基本原則】
2.富士門流の発展に寄与する論議をお願いいたします。
  ③但し、特定の組織をターゲットにした、しかも、一方的な攻撃宣伝は慎んでください。

1173MILD SEVEN:2004/05/28(金) 10:20

>みかん さん

私が洗礼を受けたのは、1991 デュッセルドルフ「ドイツ」にて。 
ドイツ人宣教師「リーベンゼラ宣教団」より。
現地で働いていた時、教会に通い、更に、マンツーマンの指導を受けました。
また、子供の頃、カトリックのスパルタ集団生活、教育を7年間受けています。
何事も、主の導きあっての事。
昔、リーベンゼラの先生と、カトリックの方と、ある福音自由の教会で祈り、学びました。
私は祖母、母、私と、三代目のキリスト者です。
私の母教会はドイツにあります。

イザヤ書51−9。40−1。 エゼキエル書3−9。 マルコ14−38。 ルカ12−4。 ヨハネ14−18。 テサロニケ1、2−14。 テモテ2、1−14。 詩篇9−19〜20。51−10〜13。110−2。145−1〜2。149−1。 

   ・・・

最近?までは、実家のあるカナダでは、その土地土地の各種教会に通っていました。
もちろん、現在の日本でもしかり。

1174有常 次郎:2004/05/28(金) 20:48
管理者さま、、要するに「、、日興サンが連祖崩御後の「ご供養激減による身延生活不可能」と断じてからの、、「、、ヨシミみを頼っての下野、、」、、には、、納得、、です、、。 問題は「、、その後、、における日蓮=真筆=ホンモノ本尊への=、、忠誠心は、、???」 、。 答えは「、、現今の大混乱???、、」の「無様なていたらく===999%での確信犯==エエカゲンだった事、、」にはなりませんでしょうか、? 今、Mildサンを排除する傾向ですが、、本来の排除されるべきは、、???でしょうか、、?? ゴメン、、。

1175管理者:2004/05/28(金) 21:43

有常 次郎さん

>今、Mildサンを排除する傾向ですが、、本来の排除されるべきは

管理者は個人的には、御参加の皆様を排除しようという考えは本来毛頭持っておりません。ただ、公開の掲示板ですから、どうしても最小限度のルールは必要となってきます。現在のルールは、現在までの折々の経過の中から、決められてきたものです。管理者は、決められたルールに沿って、掲示板を最小限度で、管理させて頂いております。御理解賜りたいと存じます。

なお、「本来排除されるべき」は、似非教義、似非宗教、宗教マルチ、でしょう。ただ、これは、当掲示板から排除する、という意味ではなくて、この世から排除すべきもの、という意味です。当掲示板のルールを尊重して頂ける方は、どなたで有ろうと、どの団体に所属しておられようと、又、どのようなお考えをお持ちであろうと、掲示板への参加を排除される事は決してありません。

1176ペン太郎:2004/05/28(金) 21:46
MILD SEVEN さん。はじめまして、元顕正会員でこの掲示板に出会う事によって現在は正宗の信仰自体に疑問を持つようになった者です。宜しく御願します。

当掲示板は私のような者にとっては本当に有意義なところなのです。

MILD SEVEN さんが皆さんとしっくりいかないのは、そのあたりのところを良く理解頂いてないからではないでしょうか。

私個人としましては、MILD SEVEN さんは極めて正直な人で真面目な方と感じております。

しかしMILD SEVEN さんが今までのような投稿を続けられることは、当掲示板を注目されている多数の方との溝を深めることにはなっても、MILD SEVEN さんの主張を理解させることは不可能なように思います。

キリスト教のことは良く分かりませんが、少なくともこの掲示板を注目されている方はキリスト教を勉強したいとは思っていないと思います。

創価学会批判つながりでの、当掲示板への「無差別爆弾的な、他の板への投稿と全く同じ内容の投稿」はルール違反と言われても仕方ないと思います。

信仰者以前に、社会人としての最低のルールは守られたほうが良いのではないでしょうか。ご自身の信仰に傷を付けることになることを心配致します。


創価学会に多くの問題があるのは事実です。しかしこの掲示板で論議されているのは、創価学会を含む、富士門流すべてが抱えている根本の問題です。このあたりにご配慮頂けないのならば、当掲示板への参加は無意味になるような気がします。

1177みかん:2004/05/29(土) 01:05
>>1173 MILD SEVENさん
いずれにせよ、日本でもカナダでもドイツでも福音派の教会が主ですか?
それとも、他派の教会も多いのですか?

>>1174 有常 次郎さん
「本来排除されるべき」というのなら、改めて考えてみれば、多重ハンドル常習者のあなたかもしれませんねぇ。書き込みが常に意味判らないしw。

とはいえ、ノイズの範囲に収まっていて、掲示板の機能に支障がないなら、少々の変人は放置して良いんじゃないですか。べつに。わけわからん人に「言論弾圧ー」とかいわれるよりはましかもね。

1178MILD SEVEN:2004/05/29(土) 01:39

>みかん さん
その土地土地、なんでもありです。(異端は除きます)

カトリックは、訳あって・意識して、通いません・・・良きパートナーですが。
夫と妻、妻と夫の関係?かな?

   ・・・

富士門でも共有出来る?教学を紹介します。

<愛読書より>

人間は信仰を持つのが正しい事、そして不信仰よりも信仰を持つほうが幸福である事を、自ら経験して知らねばならない。
それも、しばしば長い間にわたり、苦痛を伴いながら。
こういう経験からのみ、単にうわべだけの信仰告白でなく、確固とした信仰、本当の確信が生まれてくる。
(補足=信仰の霊は、主から与えられるもの。自分免許では無い)

   ///

・・・どんな人でも、原則的には、あらゆる事柄、最も偉大な事柄をさえ、成し遂げ得ることである、しかも、それを成すについての主な条件がその人自身に備わっているかどうかに関わり無く。
信仰と共に、人間の様々な可能性はまったく独りでに成長する。

   ///

・・・同様に、あまりにも繊細な感情、人間嫌いや実行嫌い、あるいは病弱、神経質、その他それに似たいろんな「事情」を口実にする事や、さらにまた、冷やかに尊厳を取り繕う事なども許されない。
つまり、こうした尊厳ぶりの為に、多くの人達は、世間一般の見解やその時代の流行思潮に合わない一切のものから遠ざかってしまうのである。
この時期は、完全に正しい、したがってまったく喜ばしい生活へ進む途上の「急な曲がり角」の一つであって、そこを通り越せない者が多い。
冷酷な世間とたえず接触する為に誰の心の周囲にも、ともすると凍りつき易い氷の殻が、そのまま段々厚くならないように、更にひき続いて試練や、時には誹謗や、あらゆる種類の苦渋によってその凍結を防がなければならない。
さもなければ・・・。

   ///

・・・いずれにしても、何らかの導きに対する信仰が無ければ、この世で並々ならぬ事は決して起こるものではない。
そういう信仰を持つ者だけが、しばしば同時代人全体を向こうにまわして抵抗し続け、ついにはその時代にその人自身の刻印を押すのである。
また、その人は必ずしもそれを自発的にする訳ではなく、大抵の場合、苦痛な強制にさえ従うのである。
なぜなら・・・。
・・・まさに、キリスト教的人生観が必要になってくる。

   ・・

本来、宗教とは、自己犠牲の上に成り立つもの。
日蓮氏も、そうやったでしょう。
無償の愛は、偽宗教には無いでしょう。
一つの判断基準です。

1179MILD SEVEN:2004/05/31(月) 12:37

<創価学会問題 まとめ>

創価学会は、強引な折伏などの加害者であるにもかかわらず、抵抗する者に対しては、組織ぐるみで「見せしめ」策略を展開します。

名誉会長自身の発言で、その体質がよく分かります。

「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 (扶養研修所での指導)

「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会)

「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ!」

「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」

更に、抵抗する者に対しては、詭弁を弄し、こともあろうに、誹謗だ中傷だと騒ぎ立て、被害者を装うのです。

   ・・・

この種の問題は、現状の警察では取り締まる事が出来ません。
しかも、警察内部・司法関係も徐々に・・・。
法が脅かされつつあります。
この国の中身が、いつの間にか違うものになってしまう事があってはなりません。

何が正しいか?
各自、自分で判断する事は必要です。
巧みな独裁体制によりコントロールされる精神は、やはり、限界の壁を超える事は出来ません。
人間の限界とは悲しいもです。

忌まわしいものだ。偽善の創価学会・公明党。
あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせないのです。
私は、あなたがたに話す事がまだ沢山ありますが、あなたがたには、それに耐える力がありません。
実に、天に入るのにも力がいるのです。

   ・・・

ヤフーBB452万人名簿流出&ソフトバンク40億円脅迫事件がありました。

34年前の共産党委員長宮本宅盗聴事件=竹岡(実行犯)神崎(検事)浜四津(弁護士)
同事件は2審まで行き、学会側敗訴。3審上告も後棄却→宮本に賠償金を払い終了。

公明党代表の神崎氏が過去、検察を辞職に追い込まれたのは、職務よりも池田氏・創価学会優先の結果。
創価学会の体質がわかります。
創価学会員は、これからますます社会・企業内でマークされる事になります。
会社機密等に携わる事が出来なくなる事が多分に予想されます。

ヤフー本社等、アメリカでは、創価学会に対してどの様な対策を練っているか予想出来ますか?

対 創価の財閥編成については、既に世界に証ししています。
永続性無き、現世ご利益とは?
危険です。

愚弄するつもりはありませんが、三菱等はなぜ? 過去の太平洋戦争の間違いを繰り返そうとするのでしょうか?
また、世界相手に戦うのでしょうか?
「心臓」無き組織の理想は、魔界の力にねじ伏せられ、獣道を進み・・・ついには、滅びる運命にあります。
力の差を理解していません。

聖職者無き創価学会。
指導者無き組織と言っても過言ではありません。
あまりにも哀れ。
各界 聖職者に期待します。

人間の教えを、教えとして教える池田教学には失望しています。
これは、宗教ではありません。
素直さや、心の優しさが感じられません。
この国を、ブラック ホール にしてはなりません。

1180MILD SEVEN:2004/05/31(月) 12:51

日蓮氏と話をしたい。
正直な気持ちです。
直系の弟子は何処にいるのでしょう?
本物?なら、世に隠れているのでしょうか?

本物?なら、謙遜を身につけ、その戦いの時が来るまで、無駄な力を使わないもの。
私は、そう思います。
戦えば、圧倒的な力を証明するはず。
そういう方と話をしたいものです。

   ・・・

余談ですが、思いをストレートにカキコする、特殊なネット環境。
タイムリーな消化能力は、女性の方が上か!?
男と女の感情のコントロールの違いでしょう。
男としては、編集は、ゆっくりやればいい・・・。

1181有常 次郎:2004/06/02(水) 21:50
1177様、、少々の「変人のご猶予のお言葉」には深心より多謝、大謝の感慨、、大で御座います、、。 今後とも宜しく御指導の程、、。 早々、。

1182MILD SEVEN:2004/06/05(土) 02:02

職場で、アルコールスプレーを目にかけられました。
冗談!? そんな問題ではありません。

・・・昔、教会に通いだしたころ、それを職場の先輩に報告したところ「たまたま創価学会員でした」それ以降、なにかあっても、(お前が悪い、全部お前が悪い。と、一方的に、いじめられた事を思い出します。
やはり、創価の策略と判断するのは当然の事でしょう。
私は、いつでも殉教する覚悟は出来ています。
悪の組織=創価学会。
次は何をする?

1183MILD SEVEN:2004/06/06(日) 02:38

<このままでは、日蓮氏(教学)が疑われます>

大切なのは心のあり方であって、哲学は一つの手段にすぎません。
私は、池田創価にはオウム的なものを常に感じます。
池田創価の哲学?対話?
心が救われてないと、哲学は制御出来ないと思います。
また、霊の戦いにおいての<力の差>を超える事は出来ません。
宗教は哲学だ。などという池田創価の見解は、民衆を巧みにコントロールする、オウム的手法です。
心の領域の未熟な人間を巧みにロボトミー化する池田創価の手法は、人間の尊厳?・可能性を踏みにじっています。
これは、天への反逆です。
国家の未来を考えるとき、それは、国家反逆でもあります。

優秀な者は世界に沢山います。
しかし、心の領域はどうでしょう?
相手の良心を誘導し、高め、成長させ、解放し、真の自由・信頼関係を築くのは、我々の伝統です。
超自然体です。

邪悪な組織の拡大は、いろいろな策略・画策を弄しての魔界の手法。
我らが証しする場合は、個人でも可能で、労力も、資金も大してかかりません。
単純な事です。
創価学会内改善は、必至な問題です。

日本を滅ぼさないで下さい。
池田創価が、このまま組織拡大し、のさばる事は、日本が世界に見捨てられる事になります。
もちろん天からも。
よくよく、ご検討を。

1184MILD SEVEN:2004/06/08(火) 03:35

過去に無い下品な職場・・・。
相手の人格低下を画策して楽しむ魔界的環境。
責任者の意図は何?
創価学会員多数あり。

今まで、さんざん池田創価のモルモットにされて来ましたが、今や、私の研究室に早代わり。
正直者は「馬鹿」を見る。とはこの事か??
あざける者の救いようの無さは・・・哀れ・・・。
・・・得意芸の「適当」で、対処しています。

1185MILD SEVEN:2004/06/08(火) 12:00

我らは弱き時、強くされます。
主は我らの苦しみをご存知です。
恵みの時、試練の時、いろいろあります。
主にあって、創造主の養子とされた我らの苦しみ・悲しみは、天に届いています。
時が来れば、復讐は、主がしてくださいます。
我らは安心して愛=神の導きの人生を歩んで行けます。

リラックス・リラックス。

1186有常 次郎:2004/06/08(火) 19:23
Mildさん、 小生は一応は「白人最優先?とも言えるヨーロッパキリスト文明==欧州〜中南米方面、、」を数十年に渡って検察や考察致しました、、。 その結果、、エエカゲンな「主=キリスト、、??」などから「その場しのぎの偽善フンプンの現実、、」などを、「、、ウンザリするほど見聞、、」致しました、、。 ドーモ貴殿は、、「偽善的キリスト教の原理主義者、、?、、」と疑いはじめておりますが、、?? いわゆる、、狂信、、=== 創価、、??のラインと同じレベル、、??のように見えてきましたが、、?、、。 失礼、、。

1187MILD SEVEN:2004/06/08(火) 21:25

そうですか?
それでは・・・。

<自由騎士団>

下記、2つのサイトで、携帯用アドレスを取得出来ます。

http://www3.ezbbs.net/cgi/sendurl?id=momo7&amp;dd=15

http://www1.ezbbs.net/cgi/sendurl?id=g47009765&amp;dd=03

1188MILD SEVEN:2004/06/09(水) 06:35

>1186 有常 次郎さん

私が洗礼を受けたのは、1991 デュッセルドルフ「ドイツ」にて。 
ドイツ人宣教師「リーベンゼラ宣教団」より。
現地で働いていた時、教会に通い、更に、マンツーマンの指導を受けました。
また、子供の頃、カトリックのスパルタ集団生活、教育を7年間受けています。
何事も、主の導きあっての事。
昔、リーベンゼラの先生と、カトリックの方と、ある福音自由の教会で祈り、学びました。
私は祖母、母、私と、三代目のキリスト者です。
私の母教会はドイツにあります。

   ・・・

イザヤ書51−9。40−1。 エゼキエル書3−9。 マルコ14−38。 ルカ12−4。 ヨハネ14−18。 テサロニケ1、2−14。 テモテ2、1−14。 詩篇9−19〜20。51−10〜13。110−2。145−1〜2。149−1。 

   ・・・

最近?までは、実家のあるカナダでは、その土地土地の各種教会に通っていました。
その土地土地、なんでもありです。(異端は除きます)
カトリックは、訳あって・意識して、通いません・・・良きパートナーですが。
夫と妻、妻と夫の関係?かな?

もちろん、現在の日本でもしかり・・・この国では、職業上なかなか厳しいですが。

死に場所を探している、源氏(母方)と平家(父方)の合いの子です。
やはり、怠け者でしょうか?
主の導き・守りは確かです。
なかなか死なないものです。

・・・

人間の教えを、教えとして教える池田教学には失望しています。
これは、宗教とは言えません。
素直さや、心の優しさが感じられません。

聖職者無き創価学会。
指導者無き組織と言っても過言ではありません。
あまりにも哀れ。
各界・聖職者に期待しています。

1189MILD SEVEN:2004/06/09(水) 06:51

<タイムリーな国政問題>

日本列島(だけでなく)全般で、三菱「創価隠ぺい工作体質=ブラック ホール」外しが始まっています。

創価学会には悔い改めさせましょう!

<自由騎士団の砦>
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/

<ネットで収拾した創価学会情報>

http://hidebbs.net/bbs/momo7?sw=7&amp;m=10

1190有常 次郎:2004/06/09(水) 19:33
Mild 様、 私が検証致しましたのは、、「、、いわゆる聖職者==神父の方々の堕落ブリ、、」をバッチリと検証致しからで御座います、、。 ポイントの一点==は性欲の暴走、、??です、、。  人を導く方々が「、、信者の子息をダマシ込み性的虐待の連続事件、、」が世界的に暴露されました、、。  「、、これが999%位も総てを表現されている、、」と確信せざるを得ません、、。 要するに「、、偽善の権毛、、??」と断ぜざるを得ません、、。 キツイ一言ですが、御免くださいませ、、。

1191MILD SEVEN:2004/06/10(木) 02:20

>有常 次郎 さん
その懸念についての対処法は、証ししています。
http://www.bigcosmic.com/board/f/board.cgi?id=xvssv&amp;id=xvssv

しかしながら、ここは日蓮氏関連サイト。
私としては、異教排除では無く、競い合い・営業が大切と思っています。
向こう千年の平和・競い合いの為に。
戦争や争い(同国民同士では特に醜い)では無く、平和的解決の道は・・・これしかありません。

いかがでしょうか?

1192有常 次郎:2004/06/10(木) 19:22
、、ナルホド、、。   決して貴殿の人格を無視〜抹殺、、〜等言う事では御座いません、、。 、、共存への選択枝への道は、、??何か、、??を思索出来れば、、幸甚でございますが、、?、、。 ご無礼致しました、、。

1193MILD SEVEN:2004/06/11(金) 01:34

聖職者あっての我々があります。

旧約時代の、預言者と王「預言者も兼ねた場合もあります」の関係は、新約の現代では圧倒的に出せる可能性があります。
だれでも、ダビデやソロモンになりうるという事です。
聖職者あってこそのリバイバル。

・・・

日蓮氏関連の方々への助言としては、組織のトップはやはり純粋な者であるべきです。
そして、聖職者は必要です。
池田氏の強引で危険なあり方には、我々には常に本能的に危険を感じさせます。
(情報では、過去、消費者金融の営業本部長だったとか)
宗教の観点からは、指導者と一般信者の立場がアベコベになっていると感じます。
私から見ると、可能性のある純粋な者が、馬鹿と言われ、封じ込められていると判断されます。
組織の大きさと、宗教法人の{格}は、別問題です。

真の実力者は、沢山、世に隠れていると思います。
池田創価の驕りは・・・砂上の楼閣。
気がついてほしいものです。
やがて、・・・その時は来ます。

1195管理者:2004/06/15(火) 06:13

MILD SEVEN さん

>1194 池田創価の狂学が原因で、日蓮氏が疑われています 

このレスは【書き込みの基本原則】の2、『富士門流の発展に寄与する論議をお願いいたします』の③、《但し、特定の組織をターゲットにした、しかも、一方的な攻撃宣伝は慎んでください。》に該当しますので削除いたします。なお、貴殿には、既にこの点については、ご注意申し上げて来ましたが、今回もお聞き届け頂けませんでしたので、今後の、当掲示板へのご参加をお断りする事になりますので、悪しからずご了承賜りたく存じます。

1199管理者:2004/06/16(水) 13:10

当スレッドは書込み禁止とし、当分の間、閉鎖いたします。

1200管理者:2004/11/05(金) 13:51

創価平和さん

掲示板御参加の皆さん

長らく書き込み禁止にしておりましたが、本日をもって、当スレッドの閉鎖を解除いたします。

1201平和創価:2004/11/06(土) 08:31
どうも有難うございます。
つぶやきスレッドにも書きましたが、民主主義が必ずしも良いとは言えない例を挙げます。
かつてのドイツがワイマール憲法の下で1919年に婦人参政権を認め、男女平等の普通選
挙を施行した後、1933年に危険なヒトラー政権が誕生したことや、イラクで1964年
に婦人参政権を認めた後、1979年に危険なフセイン政権が誕生したことです。ドイツで
は国家社会主義労働者党(ナチス)の巧みな選挙宣伝に乗せられた人々が、その正体を見抜
けずあのような政権を誕生させたのです。またイラクでは識字率の低い人々が選挙権を得た
ためにバース党の本質を見抜けずあのような政権を誕生させたのです。

私は他のサイトでも制限選挙を提唱してきました。選挙権はアメリカと同じように希望者の
みに与える制度にすべきであると思います。選挙に無関心な人がいつも棄権しているような
状態を回避するためにも希望者のみに選挙権を与える制度にすべきであると思います。満1
8歳になった者には選挙権獲得の意志の有無を調査し、選挙権獲得志願者に法律、政治、経
済に関する筆記試験を受験させ、一定レベルの規準に達した者だけに選挙権を与える制度に
すべきであると思います。当然「憲法15条」と「公職選挙法」も改正されることになりま
す。その方が真実の平和を維持するために有効であると思います。

創価学会は公明党を支持していますが、今度のイラク戦争やイラク自衛隊派遣には反対であ
った学会員も多かったと思います。今回の日本人人質殺害事件では、創価学会や公明党は何
もできず、見殺しにしてしまったわけです。総理が台風被災地を訪問する時、「テロに屈す
ることはできない」と言った瞬間にもう香田証生さんの死は決定したのです。ザルカウイが
率いる武装集団の人質になったならば、要求を受け入れなければ斬首されるのはほぼ確実で
あることを知りながら、総理に自衛隊1時撤退を進言しなかった公明党の責任は重いと思い
ます。公明党が党大会を延期させても人質救出に全力を挙げるべきであったと思います。
「いかなる宗教団体も政治団体も会社組織も有権者に投票依頼をしてはならない。またそ
の秘密を聞いてはならない。夫婦、親族、友人関係でも同様とする。これに違反した者は
1年以下の懲役、または300万円以下の罰金に処する」という法律をつくれば、創価学
会員も安心して自分の頭で投票する政党や人物を決めて投票することができると思います。

公明党に投票しないと仏罰が当たるのでないか、でもイラク自衛隊派遣には反対だ。そん
な苦しみを抱えてノーローゼになった者もいたのです。私がそうでした。

1202平和創価:2004/11/06(土) 08:52
創価学会は多くの人を幸福にしてきました。このことは確実です。私は純粋に御本
尊を信じ、勤行唱題することにより、力強く生きることができるようになりました。
1時間、2時間、3時間と唱題することにより、集中力と持続力がつき思考力も上
がりました。私は18歳の時にはIQ143まで引き上げることができました。全
開した時にはIQ157はありました。もう勉強が面白くて面白くてどうしようも
ない状態でした。池田先生の指導を胸に勉強することに因って、無気力な中学生は
勉強の虫に変身したのです。創価学会なくしては私はあり得なかったと思います。
いやもう自殺していたかも知れません。だから創価学会には感謝しています。これ
は「功」の方です。

1203平和創価:2004/11/06(土) 08:59
唱題は記憶力も増大させます。世界史の教科書を3回集中して読んだだけで学年1番
ぐらいの成績をとることもできました。他の生徒達はノートを作り必死に勉強してい
ましたが、私は読んだだけで殆ど頭に入ってしまったのです。また物理の難問を公式
を使わずに自分の頭で解いたこともあります。

私の高等部時代の体験発表を終わります。

1204とおりすがり:2004/11/06(土) 21:55
うっとおしい自慢バナシ
学会員が嫌われるのがよくわかる

1205平和創価:2004/11/06(土) 22:37
>>1204
謙虚さは大切ですね。体験発表が顰蹙を買うこともあるのではいけませんね。失礼
しました。でも長時間の唱題は持続力、集中力、根性をつけることは確実です。

1206BIN:2004/11/07(日) 01:19
それは、顕正会であれ、正信会であれ、法華講であれ、同じことがいえるのでは?何も創価学会だけの専売特許ではないはず。

1207平和創価:2004/11/07(日) 08:24
基本は同じですね。ただ創価学会はきめ細かい個人指導が徹底しているという点に
特徴があります。未来部員、中等部員、高等部員に対して、勉強の方法などを具体
的に教えてくれる幹部がいます。

1208平和創価:2004/11/07(日) 08:33
禅宗のように座禅を組む瞑想方法も精神統一の訓練になりますが、日常生活にそれを
取り入れている人はあまりいません。日蓮宗でも同様ですが、朝1時間、夜1時間唱
題を欠かさず実行している檀徒の人は稀であると思います。10代の少年達が朝晩勤
行唱題を実行するという光景は、一般的にはあまり見られるものではありません。

1209流石 桜子:2004/11/07(日) 18:42
、、、ドーモです、、。 封鎖解除オメデトー、、。 トタンに調子モンの平和創価学会?の回し者的なしゃべりすぎの軽薄者がシャシャり出てきました、、。 様子見は、?、でしょうが、、管理人サンもサゾ複雑かと、存知ます、、。

1210平和創価:2004/11/09(火) 17:30
宗門、法華講、妙観講、顕正会、日蓮宗その他の宗教の方々にお聞きしたいのですが、
あのイラク戦争とイラク自衛隊派遣に対してはどのような態度を採られたのですか?
私は他のサイトで、創価学会はイラク戦争に賛成した唯一の宗教団体だとか、イラク
自衛隊派遣に創価学会、公明党が賛成したからあのような日本人人質殺害事件などが
起きたのだとか非難されたのですが、自民党に賛成したのは創価学会だけではないと
思います。皆様方のご意見をお伺いします。

1211Slow Life:2004/11/09(火) 19:03
むむ、、。 貴殿のお名前は個人なのか? 団体なのか? 平和を愛する創価学会より皆様に申し伝えるので「控え居ろう、、!!」という、 無言の文底の深みを包含致すようなハンドル名は、、ギョッとする威圧感を感じますが、。 ヒョットすると貴組織をあげての「組織防衛的な攻撃???」ではないでしょうネ、、。 マーお手並みを「ご拝見、、」と行きましょうか、、。

1212大勇者:2004/11/11(木) 19:09
Slow Lifeさん。   はじめまして。
>>1211 は考え過ぎですよ。
平和創価さんは、ここの板でも受験を控えた学生であることを宣言しているのですから、
創価学会の代表者のような受け止め方をするのはプレッシャー掛けすぎだと思います。
HNに関しての思い入れもあるでしょうから・・

>>1210
平和創価さんなりの個人の意見の投稿を楽しみにしてますよ。

1213nam:2004/11/11(木) 20:59
日本仏教教団でイラク参戦に賛成したのは創価学会だけだよ。
とんだ平和団体さ。公明党もね。

1214へいわそうか:2004/11/12(金) 05:43
しかしキリスト教団の中には賛成した教団はあったのではないですか?
特に「末日聖徒・イエスキリスト教会」(モルモン教会)は、アメリカ国家の決定には
絶対に従うという主義を持っていますからイラク戦争には絶対賛成でしょう。またアメ
リカで組織された「セブンズデー・アドベンチスト教団」(SDA)も反対はしなかっ
たと思います。

1215愚鈍凡夫:2004/11/17(水) 06:53

創価学会員の方にお尋ねします。
創価学会では拠点提供者などに、特別に「金壱萬圓也」の御形木を販売しているって噂は本当の話ですか。れいの、「下野国小薬邑本如山淨圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」の授与書を削除した日寛書写漫荼羅の複製を少し大きくしたやつですか。
昔あった、「特別御形木御本尊」のニューバージョンでしょうか。 ( ̄ヘ ̄)ウーン

「創価学会に限って、ドジョウは何匹もいるんだなぁ・・・・・・。これが」(by 独り言)

1216大勇者:2004/11/18(木) 22:35
愚鈍凡夫さん
おひさしぶりです。

当方の地域では、会員宅において「特別御形木御本尊」を見たことはありません。
会館に遠距離の地域ではありうるのかも知れません。

因みに当地域の拠点宅は「日達師」です。
我家はご指摘の「日寛師」です。

1217未途:2004/11/27(土) 23:06
創価学会がこんなに伸びた理由
1.法華信仰の力強さ
2.戒壇のご本尊様
3.戒壇のご本尊様とつながる家庭のご本尊までを幸福製造機としたこと
4.幸福製造機とご本尊を呼んだり、戦前の罰論折伏を功徳論折伏に転換
 した戸田2代会長に発想と指導力
5.座談会
6.日淳上人という理解者がいた
7.戦前の創価教育学会という母体になった講があったこと
8.末寺に所属する通常の法華講と違い、総本山直属の講という意識があ
 ったこと。

1218問答迷人:2004/11/28(日) 06:18

未途さん

もう一つ忘れてならない事が有ると思います。それは

信仰心を組織化したこと。そして、「組織にたいする忠誠心の強さ=信心の強さ」と教えた事。

これが、巨大宗教団体を作り出し、支え、更なる発展に向けた原動力となっていると僕は思います。

1219大勇者:2004/11/28(日) 11:02
「組織にたいする忠誠心の強さ=信心の強さ」
というよりも、
「先生(名誉会長)にたいする忠誠心の強さ=信心の強さ」と教えた事。
ではないでしょうか?

「総本山直属の講という意識」というのは、はて?という感じですね。
学会員も末寺に所属したのではないかと思いますが。
過去には通常の法華講員に対して優越感を持っていたという事なのでしょうか?

1220問答迷人:2004/11/28(日) 11:46

大勇者さん

なるほど。そうすると、「池田先生に対する忠誠心の強さ=信心の強さと教え、その信仰心を組織化したこと」という事ですね。

1221大勇者:2004/11/28(日) 12:58
問答迷人さん

私はそのように思います。
私が不思議なのは、「先生に対する忠誠心」が老若男女に渡る事です。
池田氏(あえて先生省略)の会長就任以前の入会の方々までも、
忠誠心の強さ=信心の強さ と言いうのはなぜだでしょう。
どうやってここまで浸透させることが出来たのでしょう?

私はこれはひとつに、新聞も含めた出版物路線が大成功だったのではないかと思います。
>>1217 の(9)に書籍販売の成功が入ると思います。
印刷文字の人を納得させる力は大きいと思うのです。

1222犀角独歩:2004/11/29(月) 12:20

創価学会が発展した理由、そのいちばんは完全な自給自足の経済組織を構築できたからでしょう。

在家信者が信心活動をやって飯が食える形を出版その他の事業で確立したから、不動のものとなった。また、相互扶助の意識が強く、会員同士が助け合うことを当然のこととして行われるところに会員は功利性を感じたのでしょう。この二つが大きな要因であるとわたしは思います。

1223愚鈍凡夫:2004/12/03(金) 21:18

しっしまった。レスする場所を間違えてしまった。 〔≡_≡;〕

>>1216:
改めて大勇者さん、レス有り難うございました。

1224犀角独歩:2004/12/08(水) 10:13

朝日新聞『AERA』で連載された『自公5年 創価学会に何が起きているか』は、従来の創価学会特集と取材・執筆において一線を画する内容になっていますね。

最も評価できることは、反創価学会ジャーナリストを完全に排除し、そこからの情報を使用しない編集方針で一貫したこと。先の『週刊ダイヤモンド』は、情報収集をその提供者に頼り、結局のところ、謝罪。(まあ、謝罪広告を出して、そちらのほうは今度は学会員に売れ、一粒で二度美味しかったのかも知れませんが)

いずれにしても、ここ数十年間、反学会の情報元となった人々を援用する時代は終焉を迎えたと言うことであろうと思います。その意味において、わたしは、今回の『AERA』の編集方針には賛同します。

わたしは、創価学会脱会に当たり、富要等の資料と石山僧から得た「正統教学と化儀」を足がかりに脱会したわけです。しかし、実際、ここに来て当掲示板で、問答さんをはじめ、皆さんと論攷を重ねてきた結果、その石山の教学も中世以降のまがい物であることが明らかになったわけです。

先には、日蓮本仏論が中世以降の勝止観劣法華・勝天台劣釈迦を焼き直し、勝御書劣法華・勝日蓮劣釈迦とした中世の派祖本仏を言わんがための中世の捏造であり、その根拠となったのが数々の偽書と他山からパクった相伝類。まったく呆れ果てていたところに、ここに来て石山彫刻本尊が禅師授与漫荼羅を臨模作為したパッチワークであることがわかりました。ここまで来ると、たしかに現創価学会からも、かなり距離ができた、そんな感じはありますが、実はわたしはそう思っていません。

池田さんが彫刻本尊が紛い物であると気付いたのは、いつのことなのか…、わたしは興味があります。戸田さんの意志を継いで昭和42年に800万信徒から500億円近い金を集めて、正本堂を建てました。この段階で彫刻本尊は修繕を加え、その際に詳細な写真を撮った、また、木片の一部を関西方面の研究期間に持ち込み、年代鑑定も行ったなどというまことしやかな情報も漏れ聞こえます。その実否はともかく、この頃既に池田さんは彫刻本尊が何たるものであるのか、しっかりと掌握していたのではないか…、わたしにはそんな思いがあります。東洋学術研究所(東洋哲学研究所)なんかを通して、科学的、且つ常識的な「仏法」というものの客観的に認識するに至る経緯もあったでしょう。

ただ、しかし、それ以前、昭和20年以降から昭和40年代中期まで、日蓮本仏と彫刻本尊、国立戒壇で驀進してきた流れがあり、その熱い想いを背負った会員層があるわけです。だから、すぐには方向転換はできないわけでしょう。「仏教は普遍的でなければならない」、こんな足枷もあるはずです。けれど、たぶん、池田さんのなかで、日蓮本仏も、彫刻本尊も、その実態はよくわかっていたはずです。となれば、目指す方向はそこからの脱却であり、一般社会に通用し、且つ世界に通用する仏教と集団の構築を考える形で歩み始めた。それは旧態依然とした中世の捏造教学とお宝信仰(器物崇拝)とは真っ向から対峙するものであったのでしょう。いまでも、学会では「三大秘法の本尊」と緩衝剤のように言葉を選びながらも「本門戒壇本尊」信仰を引きずっているわけです。しかし、これは、池田さん、もしくは創価学会執行部が目指す最終的な完成形からすれば、ただの通過点に過ぎないはずです。

1225犀角独歩:2004/12/08(水) 10:13

―1224からつづく―

学会は、現行学問から突っつかれて揺らぐような教学体系から「卒業」していく方向性で具体的に進んでいると思えます。その思いは、たぶん、彫刻本尊の欺瞞性を、池田さんが知った段階から始まったのではないのか…。わたしの学会感はそのように変貌してきました。

ただ、池田さんへの熱烈な思いが会員にはあり、個人崇拝感覚のない側からすれば激しいギャップに見舞われるわけです。けれどたぶん、会員はこれをギャップとは思わないはずです。何故なのだろうか。そんな呻吟が、わたしにはありました。

たぶん、これは証拠主義と体験主義という、二局面からの違いでしょう。
ここ掲示板で、数年来行ってきたのは徹底した証拠主義としてのアプローチです。事実を見極めるうえで、もちろん、この姿勢は何等批判されるところはありません。この点は今後も一貫して変わることはないでしょう。このような当掲示板と、その運営者である管理人さんにわたしは敬意を表するわけです。

一方、事実が明確にわかった。では、どうするという選択に迫られたとき、では、実践的、かつ実感としての歓喜(かんぎ)はいずこに求めればよいのかという問題が生じるわけです。

学会では過去50年の発展と各会員の体験に自信を持っているでしょう。
証拠主義は信頼できる資料から事実を見極めようとしたわけです。ある面、わたしはここで行われてきた理論実験は、昭和60年代に1650万会員を豪語し・いま820万・差し引き800万人の脱会者の代弁的な要素が強かったのかも知れません。
けれど反面、当の学会側は実際にあった発展と各会員の実体験を、では、どのように理論付けられるのかというのが教学構築の前提なのであろうとわたしには思えます。

以上は、創価学会・池田さんを肯定しているわけでも・否定しているわけでもなく、何故彼等があのように考え・行動するのかを考える前提で記すことです。

冒頭に戻りますが、過去数十年、考える資料としたところは反学会側ジャーナリストからの情報とスタンス、もうこの時代は終焉を迎えたわたしは断言してもよいと思います。
わたしはかつて法華経に書かれてあることを知りたければ、極端な話、天台教学と、それを踏襲した日蓮教学をまず横に置いて読んでみることだと語りました。

いまの学会を考えるのに当たり、従来言われてきたことを、ひとまず置いて、わたしは、池田さんが彫刻本尊の実態を知ったときから考え・進んだ方向性として創価学会の路線と今後を考えてみたい、そんなふうに考えています。

わたしが今回行った禅師授与漫荼羅に基づく拙稿は、かつて、どこぞの坊さんが目を凝らしてやったことであったでしょう。その御仁は、その実態を知ったうえで、最高権力者として君臨し、巨万の金銭を信徒に求め、800万信徒の思いがいとも容易く壊したうえで新たな建造物を造るのにまた金銭を指せることもなんら罪悪感もなく行えたのでしょう。一方、その実態を知りながら、過去800万の思いを背負い、数十年のスパンで方向を転換していこうとしたのが学会であったのか。さて、どうでしょうか。

今後の創価学科は、どうなっていくのか。そのもっともプロトタイプとなっていくのは、やはり、東京の創価学会でしょうか。将来のことをともかくとして、いま東京の創価学会は、どのようになっているのでしょうか。
どなたかレクチャーいただけませんでしょうか。

1226犀角独歩:2004/12/08(水) 10:19

【1225の訂正】

誤)ある面、わたしはここで行われてきた理論実験は、昭和60年代に1650万会員を豪語し・いま820万・差し引き800万人の脱会者の代弁的な要素が強かったのかも知れません。
正)ある面、わたしを含めてここで行ってきた理論実験は、昭和60年代に1650万会員を豪語し・いま820万・差し引き800万人の脱会者の代弁的な要素が強かったのかも知れません。

誤)創価学科
正)創価学会

1227名無し@富士門流:2004/12/08(水) 10:32

犀角独歩さん、こんにちは。

どうも「いま」の東京の創価学会は、すでに明年予定の都議選モードのようですよ。

近隣各県とも交流が始まったとか。

1228犀角独歩:2004/12/10(金) 00:36

名無し@富士門流さん、有り難うございます。

1229世知勉不:2004/12/10(金) 01:19
今後の創価学会は池田宗という色をより強めて行くのではないでしょうか。池田氏が亡くなった後も学会内での大分裂は無いのではと想像しています。牧口氏、戸田氏、池田氏もみなそれぞれ考えが異なっています。三代会長は戦国時代の織田氏、豊臣氏、徳川氏に非常に似ている気がします。日蓮正宗は天皇家といったところでしょうか。過去の歴史から見ると未来は歴然です。

浅はかな見識ですが、宗教法人で完全無欠なところは無いのではないでしょうか。

なら、これから大切なことは立正安国論(第八段)にあるように、一切衆生が謗法に供養しなくなったならば、邪義・邪宗は滅び、かわって正法が栄える。かくして一国が皆、正法に帰依したならば、いっさいの災難は消え、平和楽土が実現するという部分です。

“日蓮正法”は供養を受けてなくても広宣流布できるものであると信じます。

何が正しい宗教か知れる方法のひとつとして全宗教法人への供養停止を全民衆の運動にして行けないものでしょうか?

世知勉不は世間知らずの勉強不足の意味です。初心者ですので不具合等ご享受お願いと、お許し下さい。

1230犀角独歩:2004/12/10(金) 11:48

世知勉不さん、はじめまして。

創価学会の今後の方向性、池田さんの絶対的神格化の推進。
この点が外にいるとあまりぴんと来ません。しかし、たしかに新『会則』その他を見ても、そんな調子なのであろうとは想像できます。

経済機構のさらなる充足、政治的安定。この二つは、必須要件なのでしょうが、個人的な体験主義の理論化と技術化という側面が、対個人的な要素となるのでしょうか。これを支える相互扶助的な要素は大きな功利性を有しているのであろうと思います。
わたしはどちらかというと創価学会はボランティアをやらない団体、こんな批判を続けてきました。しかし、今回の新潟中越地震では会館を開放し、会員も積極的に支援救済に働いたと、まったく関係のない人々から見聞し、ややその考えを改めたところがありました。

1週間ほど前に長岡に会館が建ったのに地震が起きた顕正会の口上とは大きく違っていました。地震で会館が揺らいだとか・揺らがなかった、石に潰されて亡くなった方の信心がどうのという世間の顰蹙を買う非常識さ、はたまた門戸を固く閉ざして罹災者を入れなかった寺院とは格段の精神性の相違があります。

先頃、とあるマスコミ関係者と話していたところ、「何故、創価学会は病院を造らないのでしょうか」と不思議そうに尋ねていました。

この点はたしかに創価学会の伝統的な部分とも大きく拘わることなのかも知れません。いわゆる病気は信心で治すというところでしょうか。良観への敵愾心が社会運動を妨げてきた側面もあります。たしかに個人的な信仰として、どんな現れでも勝手ですが、では対他・対社会となったとき、単に法の流宣をもって完きとすれば、冷笑を買うのみです。「菩薩道」とは時には自分の身骨を裂き、人に与えてこそ成就するというのが古来より、一貫した理解でした。
800万会員が、社会運動に動き出すとすれば、社会は大きく変わるでしょう。

> 正法に帰依したならば、いっさいの災難は消え、平和楽土が実現

わたしはこの表現は、現代的には多少“翻訳”が必要であろうと思います。
人々が正しい考え方・正しい行動を採る方途を選べば、人的災難は消え、共同して当たれば、自然災害も克服でき、平和楽土は実現すると解釈し直す必要性を痛感します。
つまり、このような思考・行動規範を古来の言葉で言えば「正法」と言うと見るのが一貫したわたしの考えです。

特定の経典を信じ、お呪いを唱え、建物(戒壇)を建立すれば、世が安穏になるなどというおとぎ話は、現在ではただ物笑いの種です。

> “日蓮正法”は供養を受けてなくても広宣流布できる

このような仏法理解は、どのようなところから導かれるのか、心情的には理解できないこともありませんが、佛教理念としては無理があるのではないでしょうか。

古来より、托鉢は出家者の食を施すという実利的な面を持ちながら、供養する側は徳を積むという精神的功利面を持ってきました。修行できないけれど、供養によって徳が積めるという功利性です。その点から供養は否定されることではありません。
ただもちろん、世俗と何ら変わらない生活、いや、それどころか宗教貴族化した連中に供養などする必要をわたしはまるで感じません。寧ろ、貰いたいぐらいです。

以下、既に皆さんと話し合ってきた点です。菩薩とは世俗の有資産家であったことが残される彫刻絵画から推されます。その行で言われる「布施」は布き施すということで、つまり、菩薩が自分が持っている財産を積極的に人々に施し、時には身を粉にしても救済に当たる修行を意味したものであったことが知られます。在俗が坊さんに「布施をする」という語彙的用法はまったくの転倒であるわけです。つまり、現代的な意義からすれば、仏法に帰依する人々が自分たちの財産を積極的に人々に施し、その救済に当たる、いわばボランティア活動は菩薩の布施行と軌を一にするということです。

神秘化されたお宝・集団・個人が、奇跡的な力を発揮し世が変わるなどという与太話は20世紀で終わりにしましょう。

上述のような次第によって、人々に手を差し伸べることが、当たり前の佛教集団と構成員の姿に変われば、21世紀に佛教は生き残るとわたしは考えています。

いまのところ、このような方向転換の可能性は、顕正会では0%、石山の坊さんにもほぼ望めず、では創価学会本体はどうか、先の震災ではややその曙光が見えたか否か、わたしはそんな観察を行っています。

1231世知勉不:2004/12/10(金) 17:36
犀角独歩さんにご挨拶頂き光栄に存じます。また多くの素晴らしいご意見をありがとうございます。大変勉強になり非常に喜んでいます。

>神秘化されたお宝・集団・個人が、奇跡的な力を発揮し世が変わるなどという与太話は20世紀で終わりにしましょう。

お題目で奇跡的な力を発揮することは偶然ってことでしょうか?

犀角独歩さんは生命が永遠であると思われますか?

創価学会のお陰で仏法に巡り合いました。池田さんのお陰で全ての宗教法人に疑問を抱くようになりました。いまの大御本尊はパッチワークのようですね。法華経自体も出所がはっきりしないもののようですね。今に残る物証だけで佛教を考えるのには無理があるのでしょうか。

永遠の生命であるならば、どんなに苦労をしても今生で成仏したいと、ただそう思うのです。

1232犀角独歩:2004/12/10(金) 22:00

世知勉不さん:

> お題目で奇跡的な力を発揮することは偶然

お題目でも奇跡は起きるでしょうし、お念仏でも起きるでしょう。
キリスト世界は神秘と奇跡で満ちあふれています。
シャーマニズムではもっとそうかも知れません。
宗教の数だけ、奇跡はあり・体験はあり・御利益もあれば・罰もある、というのが宗教を俯瞰した実感です。

しかし、わたしは「神秘化されたお宝・集団・個人が、奇跡的な力を発揮し世が変わるなどという与太話」と記したのであって、お題目に奇跡がないとは記していません。

> 生命が永遠であると思われますか?

どうでしょうか。
お釈迦様が応えなかったことです。わたしも従来どおり、無記とします。

> 今に残る物証だけで佛教を考えるのには無理があるのでしょうか

その物証で考えるのが学であり、体験で実感するのが行なのでしょう。

> 今生で成仏

成仏とは何でしょうか。
また、これが度脱・解脱・到彼岸・涅槃を意味してのことであれば、二度と娑婆世界に戻ることはなくなるわけですね。

1233平和創価:2004/12/11(土) 16:50
私の方がもう悟ってますよ。生命の連続性や死と再生は体験しなければ分かりません
からね。

1234犀角独歩:2004/12/11(土) 21:15

では、死を語らなかった平和創価さん、あなたのほうがお釈迦様より悟りが上だというわけですか。
これはお笑いです。

1235山谷:2004/12/11(土) 23:03
生命を悟り切った事を平然と書きこめる精神はどれだけ病んでるのか容易に想像できる。しかしまたこの団体の多くはこの手の世迷い事を意図もたやすく言ってのける。そんな団体に何を期待するのか、そちらの方が全く理解に苦しむが。

1236半可通:2004/12/12(日) 07:18
>1230 犀角独歩さん

>>先頃、とあるマスコミ関係者と話していたところ、「何故、創価学会は病院を造らないのでしょうか」と不思議そうに尋ねていました。

昔、むかし、ある幹部に聞いた話です。「人がいない」と、
たとえば、天理教に「よろず相談所病院」というのがあります。ここは、各診療科のの部長さんは、みな京大のエリート医師です。

だから、何事か起きても、最後は京大のネットワークで最高の治療が受けられます。
天理教の教師さんは、身上の相談だけをする。まあ、いわゆるカウンセリングですね。

ところが、創価学会が病院を作る場合、たとえば東大の医局を回って頭を下げまくって同じような病院を作れるのかどうか?

かといって、ドクター部を糾合してみてもまともな病院一つできるかどうか?
病院というのは、上に連なるネットワークがないとまともに機能する病院とはいえません。
そこそこの医師を何人か集めたところで、難病の患者一人抱えただけで立ち往生です。

創価大学に宗教学部ができない事情と似通っているのかも知れません。

1237犀角独歩:2004/12/12(日) 08:07

> そんな団体に何を期待する

これはわたしに言っているのでしょうか。
期待しているのではなく、800万人の現世勢力があり、人々がいる。
実際に創価学会がなくなることはない以上、では、何をすべきかを記したのみです。誤解なきように。

1238犀角独歩:2004/12/12(日) 08:14

半可通さん、はじめましてでよろしいのでしょうか。
お記しのところ、なるほどなと思いました。

わたしは創価学会は病院を作るべきだと思います。
病院では、実際には治らない病気も抱え、日々、亡くなっていく方と向かい合うわけです。この現実を回避して「信心をすれば、絶対に病気は治る」「不可能を可能にする」という自分たちの謳い文句と真正面から向かい合うことです。

実際には治らない病気、そして、人はやがて死にます。その現実を前にして、治る、死なないだけが実証ではなく、では、どうやって病と向かい合っていくのか、死んでいく人と向かい合っていくのかという、寧ろ本来、宗教が向かい合うべき問題に一歩、踏み込んでいくべきであると思うからです。

力ある宗教であれば、治らない病人、死んでいく人を納得させることができます。そこにこそ、実は宗教の進化があるとわたしは考えます。
半可通さんには、ご投稿の文面から察して、ご賛同いただける点ではないかと思うものです。

1239世知勉不:2004/12/12(日) 10:48
既に政党があり教育機関があり地域拠点があるのですから、問題なく運営できる状態になれば病院もつくるのではないでしょうか。創価大学にまず医学部ができてからかも知れませんが。学会は用心深いところです。念には念を入れて、さらに念を入れてみたいな。あと、仏法は勝負らしく失敗は許されないようです。

個人的には宗教団体は宗教だけに専念して欲しいです。学会は日蓮正宗信徒という立場以外のことをして今のようになったと思います。宗教をしているひとが政党で活躍する、学校で活躍する、病院で活躍するでいいのではないでしょうか。宗教団体が政党、学校等を運営するのは社会を思い通りにしたいだけだと思います。

いつでも100%正しい指導者なんていませんが、仮にいま池田さんが100%正しいとしても、将来どんな上層部になるか疑問です。日蓮正宗然りです。その時に創価学会が公明党単独政権であったりしたら大問題です。

信者の方には、将来の責任は今の自分にあると自覚して頂きたいです。もし、そんなことありえないって言われる方は無責任なのではないでしょうか。宗教団体が団体でするのは教えだけで、行動は個人で、が安全なのではないでしょうか。

1240犀角独歩:2004/12/12(日) 11:28

世知勉不さん:

> 個人的には宗教団体は宗教だけに専念して欲しい

なるほど。御説、尤もであると思いました。シャキャムニの原始教団は、生産と貯蓄を留めましたから仰るところが、元来の有様であろうと。

宗教団体、つまり宗教法人には、職員が認められているわけですが、この人々は統治下では何等特権性が認められているわけではなく、一般人と同じ国民です。つまり、納税義務もありますし、何より生きるために衣食住が必要です。消費するために収入が必要と言うことになりますから、いきおい、その職員を有する宗教法人は収入が必要となります。また、活動の拠点を求められますから、その土地家屋の保有には、当然、経費がかかります。宗教団体が宗教活動だけに専念すると言うことは、つまり、宗教活動を収入源とする以外に方途はないという構造を背負っているわけですね。

ただ、個人的な感情からすれば、金員にまつわる宗教感情は不純であると考える傾向が、これはシャキャムニの時代から営々と受け継がれているわけです。
この理想と現実のギャップで、「お金が掛からない宗教」であるという表看板を掲げることになるのでしょうが、実際は、上述の事情がある故に、これは絵空事であることはわかります。

また論点を換えれば、大乗仏教などに登場する仏・菩薩には、薬王など、「薬」の名を付された諸尊が多く登場します。これには概ね二説あり、一つは向精神薬、つまり幻覚を催す薬物の使用が仏教教団のなかで一つの秘儀を生んでいたという指摘、もう一つは、仏教集団、若しくはその一部の人々は民衆救済、若しくは生業として医道を兼ねてきたという指摘です。
もし、この後者の指摘が適宜なものであれば、現行宗教法人が医業を兼ねることは、大乗仏教の経緯からして、宗教行為からスポイルできるかどうか。ただし、現代社会の医師(会)の特権性、非倫理性と仏教教義に整合性があるか否かは議論されなければならないでしょうね。

浄土真宗、また日蓮宗などでも、ビハーラからターミナルケア、いわば臨死医療に僧侶が関わる試みが静かに始まっています。これは無償の宗教行為とするか、それなりの代価を認めるか、その延長に宗教法人と、その職員の活動として代価を認めるか、種々、勘案すべき問題は山積されていると、わたしは考えます。

宗教は個人としての功利性に支えられますが、菩薩という利他行になるとき、単に法施に留まる消極性は、社会的には反感を抱かれていることは事実です。

以上、世知勉不さんへの反論では決してなく、当板でも皆さんと考えていきたい問題の一つであるということです。

1241世知勉不:2004/12/12(日) 12:31
説明不足と箇条書きで申し訳ないです。

今の日本なら純真なる宗教ができるのではないでしょうか。在家信者の集まりであればできるのではないでしょうか。食うに困らない資産がある方は専念することもできます。意思伝達もインターネットがあればできます。密教のようなこともなく今は教義も殆ど揃います。素晴らしく純粋な宗教団体がいずれ出現すると思います。既にどこかで活動されているかも知れませんが。偉大なる指導者もいりません。教義さえきっちり整理できれば可能ではないでしょうか。

犀角独歩様は真実を探し整理されている方のお一人ではないでしょうか。なんとかならないものでしょうか。

板の意図と違いますのでこれくらいにします。すみません。

1242犀角独歩:2004/12/12(日) 12:46

世知勉不さん、有り難うございます。

わたしは宗教団体信仰からの「卒業」を訴えてきた独りです。
ですから、仰るところよくわかります。
当板の管理人さんは、斯くも意義ある場を提供してくださっています。
わたしは、ここを現代のサンガと称したのです。
ここから道は拓けていく、わたしはそう予想しています。

1243きゃからばあ:2004/12/12(日) 16:10

せめて、唱題できる病院がほしい!
仏間もあったらうれしいな。
完全防音の個室があったならもっとうれしい!
ただし1日1万円以内が希望ですが。

1244半可通:2004/12/12(日) 17:33
>1239

>> 問題なく運営できる状態になれば病院もつくるのではないでしょうか。創価大学にまず医学部ができてからかも知れませんが。

医学部ができることは、ないと思います。なぜなら、医学部を作るためには、まず教授を40人程度集める必要があります。現役の教授・助教授程度でないとちょっと無理です。
内部に人材は、いないでしょう。博士号と留学経験と、欧米の一流医学雑誌に論文が掲載されていなければなりません。
外部から教授を招聘した場合、当然助教授、講師を連れてきますから、学会内部に人材がいたとしても、せいぜい講師あたりから始めなければなりません。
内部の人材が始めて教授選に立候補できるのにまず10年かかります。

地方の国立大学の医学部が、本学出身教授で教授会の過半数を占めるのに約80年かかったといいます。
東京の私立大学でも同様です。
池田さんはこうした事情を知った上で、医学部設立をあきらめたようです。

>1238

>> 実際には治らない病気、そして、人はやがて死にます。その現実を前にして、治る、死なないだけが実証ではなく、では、どうやって病と向かい合っていくのか、死んでいく人と向かい合っていくのかという、寧ろ本来、宗教が向かい合うべき問題に一歩、踏み込んでいくべきであると思うからです。

これをすると、「創価学会」でなくなってしまうのでは????

1245「御書の声」:2004/12/12(日) 18:07
池田大作の「寿命の尽きる日」が嵐のはじまり。
「池田大作のXデー」

創価学会はその日のために体制は整いつつあるが、池田大作の存在が大き
すぎて組織の本格始動は時間が掛かるだろう。

「池田センセイのために」頑張る創価学会員の心に真空タイムが襲う!
本部から地方組織までカリスマ依存の組織は暫らく方向感覚を失うだろう。

以前「池田大作倒れる!」のニュースが駆け巡った事があった。
その時も、池田の病状の真相は池田夫人側近にしか判らなかった。
副会長クラスも公明党幹部も判らなかった。
創価学会の奥の院は一部の人間にしか判らないのだ。

今ハッキリしているのは『池田家の創価学会』を存続させようと考えて
いる勢力がソノ準備は完成していることだ。
池田夫人と秋谷の連携で実質的な世襲は完成していよう。

問題は池田亡き後の創価学会の組織活力がどうなるかだ!
組織のタガがはずれ、沈滞なら・・・
創価学会に無いといわれている派閥も化学反応が始まる。
単なる友好的な人脈が核となり、不安が安心を求めて固まってゆく。

戸田城聖亡き後も3年の暗闘期間を経て池田大作が全権を掌握したのだ。
創価学会波乱は3年以降から始まる!

日顕宗門も狙っている!
池田センセイ亡き創価学会に「戒壇の御本尊さまの元へ還ろう!」の声
が迫ってくる。
心の焦点を失った学会員に「戒壇の御本尊さま」は引力が有る。
日蓮正宗にとって千歳一遇のチャンスがやって来る。

創価学会の組織が沈滞し、不信を誘発すれば、
「戒壇の御本尊さまの元へ還ろう!」の声は大きな力を発揮する。

一旦、宗門の信心に付けば、創価学会時代の
「組織活動に明け暮れた人生」「財務、財務の貢ぎ人生」に目が醒める。
ムラムラと創価学会時代の後悔が沸き起こることになる。

「池田大作に騙された」脱会した宗門信者の多くが実感する心境なのだ。
それは創価学会に対する怨念に変わってゆく。
そして「戒壇の御本尊」絶対の確信になる。

「池田センセイ」絶対が「戒壇の御本尊」絶対に置き換わる。
オセロの目が逆転するように、このような現象が庶民レベルで広がる
悪夢は空想ではない。

「池田センセイ」絶対が無くなれば組織のタガがはずれる。
創価学会に無いと言われる派閥が内部で動き出すのはソレからだ!
池田大作が作り上げた組織体質は謀略が横行する。
自壊本逆となればソレが災いして、分解反応は止められない。

「創価学会は外部からは潰せない、潰れる時は内部からだ!」
これは池田大作の言葉だ、よくその弱点を知っているからと言える。

「創価学会撲滅!」
池田大作は余りにも多くの怨念を買いすぎた。

1246大勇者:2004/12/14(火) 14:31
犀角独歩さん。

私には、「広布基金」に対して「お布施」という感覚は全くないのですが、
日蓮正宗創価学会時代は「お布施」だったのですか?

地方会館の建設や事業維持に使用する為の基金という感覚で寄付して来ました。
(もちろん本部職員の給与も)
会長や副会長職の方々が4000万〜程度の給与(週刊誌による)と言われているみたいですけど、
それほど驚くほどの額でもないような気がします。
民間企業と比べても妥当な年収ではないかと思っています。
副会長が多数いるのは困りますがね。

給与の話は余談でしたが、
現在「お布施」という感覚の会員は少ないのではないかと思います。

1247犀角独歩:2004/12/14(火) 18:53

大勇者さん:

> 「広布基金」に対して「お布施」という感覚は全くないのですが、
日蓮正宗創価学会時代は「お布施」だったのですか?

そう言ったのは池田さん本人です。
池田さんが『仏教史観を語る』という講演で述べた内容です。

また、真心の財務は金額に比例するという内部資料がありました。
「財務こそ、広布のための真実の供養であり、もっとも大聖人が喜ばれるところ」という内容です。

かつて、戸田さんは
「宗教で金儲けするぐらい簡単なことはないのだぜ。お賽銭をあげろと言うんだよ。
 金を出して神を拝めば、倍にも3倍にもなって返ってくるから、出せ、出せと言うのだよ。やりたければやってもよいが、必ず地獄へ行くからやってみたまえ」
と言ったものでした。

> 会長や副会長職の方々が4000万〜程度の給与(週刊誌による)
> それほど驚くほどの額でもないような気がします。
> 民間企業と比べても妥当な年収ではないかと思っています。
> 副会長が多数いるのは困りますがね。

それは週刊誌などで記す一般的な感覚と違っていることを意味するのでしょう。
民間企業は営利法人であり、利益追求を目的にした法人格です。そこでは成功に比例して報酬があり、それに準じた納税があるのは当然のことでしょう。
けれど、宗教法人は営利追求を目的にするわけではありませんから、一般企業と同等の経済効果からその給与・報酬を論じることはナンセンスです。
ここで意味を持つのは宗教邦人職員が高給であれば、インチキ宗教という印象を一般の人々に与えるという配慮でしょう。この点は何も創価学会に限らず、石山で阿部さんが東京の豪邸を建てれば、糾弾されるのと同様の意味があろうかと思います。
幹部の高給は、要は会員から吸い上げられた金銭に比例するわけですから、会員の奴隷会場の印象を与えないでしょう。それをそう思わないとしたら、神経が麻痺していませんか。

高給取り、大金持ちの宗教指導者はインチキというのは、そもそもかつての戸田・創価学会の論法であり、それを踏襲したのは若き池田さんでした。
なお、名誉会長、会長、副会長の給与は週刊誌が報道するのではなく、四谷税務署その他が発表した高額納税者一覧に池田さんをはじめとする名前が載ったことを転載したまでのことでしょう。

> 現在「お布施」という感覚の会員は少ないのではないかと思います。

そのような変節は、けっこうなことでしょう。
団体に金を出して、それに功徳があるなどというキャッチフレーズ、詐欺商法の口上以上の意味は持たないからです。

1248大勇者:2004/12/14(火) 20:43
犀角独歩さん

ご返事ありがとうございます。

「お布施」という感覚と言ったのは、
「修行できないけれど、供養によって徳が積めるという功利性」ではなく、
「広宣流布の為の財務は折伏と同じ」という意味で「お布施」とは違う意味ではないかと思ったものですから......
「全国の会員さんの為に使ってください」というような気持なのですが......
大事なお金をドブに捨てることは人間なかなか出来ないものです。
自分の心の整理に理由を付けてるだけなのかも知れません。
ですから、それに功徳があるというキャッチフレーズは現存していると思います。

職員給与は宗教法人と言えども労働対価であると考えれば、
民間企業や公務員などに準じてもおかしくはないと思います。
個人所得や資産においては納税を行っていると思いますので、逆に所得を少なくして経費を多く使わせるより健全であるとも言えます。
そう考えると職員自身は財務しないでしょうね。
財務から得た給与をまた財務したら税金の無駄払いですから・・・(そのこと方が悔しい気がする)

会員の財務も所得控除の対象にはならないし、企業として寄付した場合でも学会への寄付は経費扱いにはならないです。(当たり前ですけど)


個人資産についても、海外事業展開での信用度を考えれば必要な戦略と思います。

以上は全くの私の個人的な根拠ない思い込みを投稿していますが。

1249犀角独歩:2004/12/14(火) 20:55

大勇者さん、あなたのような考え方は、宗教貴族をのさばらせるだけ、宗教法人は金儲けのためと言っているようなものでしょう。
あなたが書いた宗教と団体は何の魅力もないただの俗物とわたしには映じます。

1250大勇者:2004/12/14(火) 22:07
宗教法人といっても、法人事業としての社会的責任(返済)を果たさなければいけないのですから...
「金儲け」と一括りに出来るものではないと思います。

そのお金を預かった銀行が他へ貸付るのですから...

何の魅力もないただの俗物の話であるのは仰るとおりです。
申し訳なかったです。
しかし信仰とお金は切り離せますが、
組織とお金は切り離せないものだろうと思います。

今年も女房に「ご供養しておいたから」と一言...
「あっ うん」と答えました(。。。
有意義に使ってもらう事を祈るばかりです。

1251犀角独歩:2004/12/14(火) 22:24

大勇者さん、金儲けとひとくくりに出来ないと言う希望的な完則は手前味噌で勝手ですよ。
しかし、会長、副会長が4000万の給料取っても大企業と一緒、当たり前というあなたの考えのほうが「金儲け」と一括りにしているんじゃないでしょうか。
よく飼い慣らされているという印象を懐くばかりです。

そもそも宗教法人が、法人事業として社会に果たす責任とは何でしょうか。
また、そのように社会に対してというのであれば、どこまで会内の情報が公開されているのでしょうか。

預けていると考えているようですが、ではどうやって返して貰うのですか。
組織が功徳で返してくれるのでしょうか。功徳はあなたご自身の努力によるもので組織とは無縁でしょう。

あなたがどんなに預けようが勝手です。
しかし、そんなことが正しいと思う外部の人間は一人としていないであろうとわたしは思います。つまり一般常識の代弁としてわたしは記しました。

実際の創価学会がどうだか知りませんが、あなたがここに書いた組織と金は実に杜撰で勝ひどいものであるというのが、偽らざる印象です。こんなことに金を棄てるあなたを心底、気の毒に思いますが、ご本人は満足なのでしょう。このギャップこそが、社会一般にあなたのようが考えが理解されない大きな原因であろうと思います。

1252犀角独歩:2004/12/14(火) 22:29

大勇者さんには何ら悪感情は抱きませんが、慌てて打ったために数カ所、間違えました。
判読いただけると思いますが、完則は観測、勝は且つ、です。

大勇者さん、目を覚ましませんか。

1253大勇者:2004/12/15(水) 00:46
犀角独歩さん。

私の文章が稚拙の為、誤解なされているようです。
私の1250の投稿は功徳論ではなくて、経営的面、経済的から見たものです。
もちろんその分野に於いても私は素人ではあります。

社会的責任の最低限のものは、例えば常時ある支払い負債の事です。
宗教法人でも破綻すれば取引業者に迷惑を掛けることになります。
そういう意味でどのような団体であれ健全な「経営」を行っていかなければならない筈です。
預けているというのは法人の銀行預金のことです。
その預金を各銀行が運用しているのでしょう。

宗教法人の日本円の銀行証書など「確固たる資産評価」になりえるのでしょうか。
銀行破綻の危険性はもとより、
宗教団体の分裂、解体、没収だって有り得ます。

株式や貴金属、海外貨幣での資産運用の影響を考えれば非公開は致し方ないところでしょう。

ま〜私がそんな事を心配する必要も無い訳ですが...
それと1250は打ち誤りで、財務は勝手に女房がするので、
実は幾ら寄付しているのか知らないのです...
聞かない様にしています(苦笑

1254会員:2004/12/15(水) 01:20
男子部長の指導の中に、我々は大聖人のでしで、下種しないと成仏しないと教えがあり、折伏、新聞啓蒙しないと駄目だといわれ、折伏は無理です 、友達は入会する気ないし、話も聞かないよ。と云うたら、真剣にお題目しかないから入会しないんだ。願って叶わない物は無いんだの一点張りで…、本来の目的が分からなくなってきました

1255犀角独歩:2004/12/15(水) 08:36

大勇者さん:

別に誤解などしていませんよ。
会長・副会長は4000万円以上の給与でもよいという点に納得が行かないと言っているのです。
また、あなたの言い方では、広布基金は経営面の支払いのため、また、預けられたお金は銀行も運用しているなどといっていますが、では、お尋ねしますが、広布基金は債務支払いのために、また銀行が預貯金を運用するために行っているわけですか。この財務の名称は広布基金、つまり、広宣流布の基となる金という意味ですね。となると、債務支払い、銀行の預貯金運用が広布であるということになります。

そうではなく、広布基金とは、あくまで広宣流布の基金とするという触れ込みで集めた以上、それ以外の用途で使用すれば、それは詐欺に該当することになるでしょう。そのなかで、特定個人が法外の給与を得ることも入っています。

わたしは創価学会員ではありません。しかし、あなたはそうなのであれば、宗教法人創価学会が健全な運営をする監視の義務を各会員を負っているはずですよ。創価学会の社会的影響、それはあなたの言葉に拠れば、日本にのみならず、世界的影響を持っているようですが、となれば、その会運営の監視の義務はさらに重いものになります。

わたしはあなたの広布基金への口上を聞いて、溜息が出るのは、全国津々浦々、財務に肯定的などの学会員に聞いても返ってくる同じ考えだからです。また、それが年末の今、書かれているという事実です。つまり、それはあなたご自身が考えたこととご自身で思いながら、‘植え付けられた’ものだからです。
創価学会から打ち出される口コミ、新聞、会合でまことしやかに語られる財務・広布基金をどう考えるかという‘指導’そのものを、あたかも自分の言葉・考えのように語っているその姿です。それはあなたの考えではなく、創価学会環境のなかに、知らずに刷り込まれた言葉を恰も自分の言葉のように、それも財務の時期にその宣伝マンのように、ここに書き込んでしまっているからです。

しかし、そのもっとも恐るべきご自身に起きている事実に少しも気付いていない点を言っているわけです。あなたはご自身の考え方を操作されているわけです。これは宗教問題と言うより、心理操作、集団煽動のメカニズムの好見本として、あなたの存在が今ここにあるという事実を厳正にとらえたほうがよろしいでしょう。

1256平和そうか:2004/12/17(金) 04:35
>>1244
半可通さん。初めまして。
>医学部ができることは、ないと思います。
これは大変私にとってはきついお言葉です。私は生命論の正しさを科学的に証明する
ために勉強しています。創価大學に医学部があればそこを受験し、そこで研究をすす
めたいと思っていましたが、存在しないため国立大學を受験してそこで研究をすすめ
ながら、創価大學に医学部ができる時を待とうという考えでいましたから。

人間の死はその人の個人の終わりではあるが、意識は死を通して連続するという創価
学会の生命論を科学的に証明することに因って広宣流布は現実のものになると思って
います。生命論を科学的に証明する方法は2通りあると思います。一つは生物物理学、
生物化学から証明する方法であり、もう一つは医学の方向から証明する方法です。

創価学会が創価大學に医学部や理学部生物学科を創設しないとなると、私は今まで何
のために自分の人生を犠牲にして勉強してきたのか分からなくなってしまいます。
創価学会の生命論の正しさを、他の大學の中で証明しようなどと言ったらそれこそ気
違い扱いされてしまいますよ。

1258愚鈍凡夫:2005/01/09(日) 12:35

創価学会も今回のスマトラ沖地震の被災地に救援物資を送ってるんですね。
素直にエールを送りたいと思います。頑張って下さい。 (^∧^)合掌
 セイノッ ⊂(^・^)⊃フレー \(〜0〜)/フレー

創価学会:学会ニュース
http://www.sokagakkai.or.jp/SITE1PUB/sun/4/news/report990.html?t=1095330019189

1259犀角独歩:2005/01/09(日) 13:04

わたしも創価学会のこのような支援にエールを送ります。
有り余る、潤沢な資金を、世のため・人のために惜しみなく使ってくれることを希望します。

1260吉祥仙人:2005/01/09(日) 20:20
創価学会一会員から
当年43歳 1980年代に学生部・青年部を過ごした者として一言
どうもどの掲示板を見ても「会長本仏論」なる邪義を、全学会員が支持して
いるように扱われていることが納得いきません。
池田先生は指導者であって、教祖でも信仰の対象でもありません。

1261おおい:2005/01/09(日) 21:03
吉祥仙人さん、ちゃんと資料読んでんの。
会長本仏論があったことは創価学会自体が認めていたことじゃないか。
その後、軌道修正したんだから、いまは鳴りを潜めているのは当たり前。
過去の歴史を覆い隠していなおるのはやめなよ、みっともない。

1262おおい:2005/01/09(日) 22:16
会長本仏論、池田本仏論
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_6.html
ただし、ぼくは法華講じゃあありませぬ

1263犀角独歩:2005/01/10(月) 01:32

百禍繚乱、なかなか勝れたHPですね。
これで大石寺・法華講の批判文書が載れば完璧です(大笑)

1264吉祥仙人:2005/01/13(木) 20:42
 おおいさんへ
 私が本で読んだ限りでは、帰命論を言い出したのは、福島源次郎元副会長
との事でしたが、違いましたでしょうか
 そしてその副会長の末路はいかがだったでしょうか

1265愚鈍凡夫:2005/01/13(木) 21:17

横レス失礼します。
小生は、福島源次郎氏や原島嵩氏をことさら弁護する気はありませんが、会長本物論は当時、学会内ではまことしやかに囁かれていたことだし、半ば常識であったといえるでしょう。
ただ、明確に会長本物論を示唆する文章として福島源次郎氏の言葉が残っているということではありませんか。それをいいことに、創価学会では会長本物論の責任を福島源次郎氏一人になすりつけようとしています。ここいったやり方は、フェアーじゃないと思います。
参考のため、会長本物論が当時の学会では常識であったことを示す証拠をいくつか提示します。

**************************************************
 現在でいえば、社会それ自体。しかし民衆の犠牲のうえで成り立っている主徳を失った社会もあり、その民衆は不幸です。
 真に人々を根底から幸福にするには、妙法を根底とした社会以外にない。全日本を、そして、世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。
 師徳――眷属を指導する力
 師とは、知識を教えるのみでなく、智慧を開かせてあげる者でなければならない。現代の教育は、知識に終始した師徳なき姿である。
 以信代慧の妙法によらねば、真実の師徳はありえない。私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。
 親徳――眷属を慈愛する力
 親の愛は、相対的であり、子の発展をさまたげる場合がある。
 身命を惜まず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる。

(「講師筆記試験答案」から 大白蓮華41年2月号)
**************************************************

「池田先生こそ本門弘通の大導師であります。私達は、かかる希有の師と会うことのできた福運をかみしめると同時に、必ず師の心にかなう弟子として生涯を貫き、学会総体に久遠元初の生命活動を確立し、広宣流布達成を決意するものであります。」(八矢英世論文 文集「教学と私」第一巻)

「御書に「今日蓮等の類いは善の導師なり」(御書全集712㌻)とあるごとく、別しては日蓮大聖人こそ末法の大導師であられるが、総じて民衆を幸福へと指し導いていく指導者こそ、この「導師」「大導師」の今日的な謂でもあると明示。さまざまな世界の指導者のなかにあって、牧口初代会長こそ、真実の成仏即幸福の道を指し示し、広宣流布の大願へ民衆を導いていった指導者であり、大導師であると論じた。」
(池田会長指導 聖教新聞52年6月2日付)

それと、不幸な死に方をした大幹部は福島氏だけではありませんよ。

1266犀角独歩:2005/01/13(木) 21:35

死に方がどうのってなんて考え方自体、くだらないですね。
正しく生きれば、正しく死ねる、そんなこと自体、日蓮仏教が作った幻想の一部でしょう。
池田さんは脳軟化症だそうですが、別段、わたしは罰だと思いません。
反面、阿部さんは元気いっぱいだそうですが、その生き方には納得はいきません。

1267犀角独歩:2005/01/13(木) 21:44

関連しますが、死んで色が白くて、軽ければ成仏(大笑)
これって、白王主義という人種差別がもたらした取るに足りない迷信ですし、太っていた人が死んだ痕も重いのは当たり前、軽くなるはずはないわけです。
軽ければ天に近い、死んで天に行く非科学的な発想で、こんなものをいまだにいって、「ええ!そうなんだ」というのなら、まだしも「わたしは見た」とまるでいつも見ている様に騙る大嘘つきの数が、その集団のインチキ度と正比例すると思う昨今です。

昭和30年からリアルタイムに生きたわたしにとって、創価学会で池田本仏論を語っていたのは、愚鈍凡夫さんが言うとおりで、何も福島さんに限ったことではなく、また、仰るとおり、その責任のすべてを果敢にも一人でしょって討ち死にしたのも福島さんでした。ただし、死人に鞭を打つわけではありませんが、副会長当時も、やめたあとも、福島さんのあり方には、まったく賛同できるところはありません。池田さんの非を責める以前に、片棒担いだ自分の非を贖うことを考えるべきであったでしょう。
さらに言えば、作った講が仰いだ指導教師、つくづく師に恵まれなかった気の毒な人でもあったと思います。

1268犀角独歩:2005/01/13(木) 21:55

それから吉祥仙人さん(はじめまして)、あなたは本で読んだだけでしょうが、わたしはリアルタイムで見てきました。学生時代に受けた教授東洋教学試験では「主師親の三徳とは」という設問の模範解答は「池田先生のこと」という試験を受けた人間です。聞いた話ではなく、わたしが育った創価学会では池田本仏論なんて当たり前でした。

それとさらに言えば、現代の創価学会で「池田先生、絶対」なんて当たり前のことでしょう。あなたがそれを否定するのであれば、創価学会員としてはまだまだということでしょう。まだ観心も本流も知らない上っ面しか教えられていない程度のところでさまよっているということでしょう。文底釈も、奥義も知らない素人会員ということでしょうね(笑)

1269愚鈍凡夫:2005/01/13(木) 22:31

>>1266:
小生のカキコが犀角独歩さんに誤解を招いたとしたらあやります。済みませんでした。
m(_ _;)m ゴメン!!
言葉足らずでした(「いつものことやろ」 by外野席)。

小生は、人の人生は死に方ではなく、生き方にあると思っています。
したがって、死に方を人生の集約とばかりに喧伝する教団の姿勢に我慢できません。
また、死に方云々で人を測ることは、災害で不幸にも亡くなった方々を冒涜する行為でもあります。
奇しくも、今年は阪神淡路大震災10周年であります。神戸市内でもっとも被害の大きかった長田町は、創価学会員の方々が多く生活されていた場所と聞いています。
吉祥仙人さん、死に方で人の人生を測ることは、あなたの同志を冒涜することになりますよ。

1270愚鈍凡夫:2005/01/14(金) 05:55

>>1265の「会長本物論」は「会長本仏論」の間違いです(決してギャグではありません。悪しからず)。
m(_ _;)m ゴメン!!

おおいさん紹介の「池田大作本仏論」に出てきますが、実は、会長本仏論の先駆けは池田さんなんですよね。既に昭和33年9月14日の講演で、戸田さんのことを「仏さま」と尊称しています。

「仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです。きちんと21年先を目指して、そうおおせになったのだもの。先生が4年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと25年だよ』とおおせになったのだから。それから4年目だから、ちょうど21年です。というわけで、必ず広宣流布はできるのです。」(「会長講演集 第3巻」 初版P317)。

この21年後は、言わずと知れた昭和54年ですね。池田さんが会長を辞任した年です。
この会長本仏論に対しての、日達師の言い訳がましい発言が下記です。

**************************************************
なるほど学会では、「池田会長本仏などということを言った覚えは無い、学会ではそういうことは無い」と、こう言っております。しかしながら考えてみますと、一番初めは昭和50年前後でしたか、『火の国』という小冊子を学会のある一部の人で作った。その本に明らかに「会長が仏様である」ということを述べておりました。又、もっと古くは、最近分かったのですけれども、既に昭和38、9年ごろから「会長が仏だ」という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった。

御法主日達上人猊下御言葉 妙観会の砌
*************************************************

個人的に日達師は、早くから創価学会で言われる「会長本仏論」を知っていたと思います。ただ、当時立場上、公にできなかっただけではないでしょうか。

「御法主日達上人猊下御言葉 妙観会の砌」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/1979/D54-04-03.html#1

1271犀角独歩:2005/01/14(金) 09:43

>1269

愚鈍凡夫さんのお考えと心情には賛成です。また、誤解して、とってもいません。(ご安心を)
あくまで、逝去の姿で判断する「恐怖操作」への憤りの範囲です。

それにしても懐かしい資料ですね。昭和50年代に目を皿のようにして読んだ資料です。
しかし、愚鈍凡夫さんが仰るように、達師は知っていたでしょうね。
わたしがいちばん不自然だと思うのは、模刻された学会成就本尊が本部に入仏式をやり、それを『聖教新聞』1面トップで報道もしていたわけです。それなのに、宗門は知らなかったで通したことです。当時、どの寺院でも『聖教新聞』は読んでいたはずです。

実際に達師に池田さんが口頭で許可を得たかどうかは別として、新聞で報道された段階でも気付かなかったというのであれば、母体・本山という立場からすれば、その段階で明らかに監督が行き届いていなかった。「石山700年の化儀」への冒涜であれば、その引責は達師にも及ぶところでしょう。まあ、そんなことで、知らぬ・存ぜぬだったのでしょうか。

わたしは模刻事件で学会を辞めた口ですが、いま考えると、池田さんや学会首脳は彫刻本尊の実態をその頃知り、「なんだ、そうだったのか。だったら、自分たちが勝手に本尊を作ったって、どうってことはない。何せ池田先生は、日蓮大聖人の生まれ変わりなんだから」なんて論調だったのかと想像しています。

正本堂に彫刻本尊を遷座する折、赤沢朝陽からAに、さらに下請けに出されて修繕された…、その際、聖教新聞社・カメラマンH氏が詳細な彫刻本尊の写真を撮影した…、腐朽し崩れ取れた彫刻本尊の木片をとある科学機関に持ち込み、放射年代測定を行った…、などという噂とも真実とも取れる情報が実しやかにささやかれた時期でした。もし、これらが事実であれば、その結果を池田さんと学会首脳が認知しなかったわけはないわけですね。

ここで始めて真実を知ったのでしょうか。しかし、国立戒壇といって800万人500億円近い金を集めて実際に正本堂ができてしまったあとの話です。いまさら、あとには引けないという思いが学会にはあったのでしょうか。それから、長いながい軌道修正がはじまり、いまもその道程にあるのだろうと思います。会員の不信感を惹起させず、上述の過ちから如何に軌道修正するか、そのことこそ、最も学会大本営が腐心してきたことでしょう。その時々に各会員に刷り込まれた口上が、どんなものであったか。時折、ここに書き込まれる学会・現体制を肯定し、言われたままを鵜呑みにし、それをあたかも‘自分の考えのように’にここに投稿する人々の心象で窺い知ることができるわけです。「ああ、いまは学会はこういう形で会員を納得させているわけだ」と。

外から見れば、こんなふうに操作されているんだと簡単にわかるわけですが、当の会員は自分の姿は見えないわけです。学会擁護の代理戦争の駒、歯車のひとつとして、どのように考えるかまで刷り込まれたプログラムで感情的になっているわけです。他愛ないというか、まあ、根が正直で素直な性格を利用されていることに気付くには時間はかかるでしょう。

まあ、そうは言っても、創価学会と会員は被害者である側面を持っている、そんなことを最近、夙に思い、軌道修正に纏わる、所謂「生みの苦しみ」に関しては、同情的な気持ちになっているのは事実です。学会員であった自分を騙したのは、創価学会だったのか、いやその創価学会もまんまと騙された当事者であったのであろうという認識です。

ただしかし、そうなると、「池田本仏論」なるものだけは、これは「学会の」(あくまで「」カッコつきですが)オリジナルの過ちということになるわけですから、この点を現創価学会が否定するのであれば、それは実に結構なことであるとも思うわけです。

被害者が加害者になる無限連鎖…、しかし、これがカルト問題の本質であるわけですが、まあ、こういう論法が学会を含む彫刻本尊信仰圏に当て嵌まるか・どうか…、これは各信徒のレスポンスと襟度で一般は判断することと言い添えておきましょうか。

1272吉祥仙人:2005/01/14(金) 20:54
犀角独歩さまへ
なるほど了解いたしました。
ただ、私が学生部当時は「会長本仏論」はすでに廃れもしくは破釈されて
いたようです。
過去の過ちを認め、懺悔するべきかもしれません。

1273吉祥仙人:2005/01/14(金) 21:08
愚鈍凡夫さまへ
同じく了解いたしました。

1274大勇者:2005/01/15(土) 19:23
遅ればせながら、
本年も宜しくお願い致します。
>>1271 犀角独歩さん 昨年は色々とご迷惑お掛けいたしました。

私は入会15年程度なので、その昔に「池田本仏論」が囁かれていたのかどうか
存じませんが、今のところ会員からは聞いた事はありません。
強烈な池田崇拝者は多く居られると私自身も感じます。

近年学会で説明されているのは池田本仏論ではなくて人間本仏論的な事ではないかと思うのは私だけでしょうか?
「我々も先生も皆が仏なのだ」と言ったような趣旨の話は聞かされる時はあるものですから、
これは、近年になってからの所謂、論理のすり替えだったのでしょうか?
皆様の御考察を伺えればと思います。

1275おおい:2005/01/15(土) 19:47
>1274
愚鈍凡夫さんが上げた資料を読んで言ってんの?

1276吉祥仙人:2005/01/15(土) 21:08
おおいさんへ
私も大勇者さんも、過去「会長本仏論」が無かったとは言っておりませんし
それは誤りだったと思っております。(大勇者さんそうですよね?)
現在学会でも「会長本仏論」は明らかな邪義とされています。
池田先生を広布の指導者と仰ぐのが本来の姿ですが、大勇者さんのおっしゃ
るとおり、個人的に崇拝する会員がいることも事実です。それは個人の趣味
のようなものと私は理解しております。
師弟ということを強調した場合、それが個人崇拝につながりかねない危険性
はあります。
しかし師弟とは師に盲従することではないと、学生部時代、指導されました
法華講では池田先生を誹謗するために、過去の遺物である会長本仏論をむし
かえし、邪見を広めていると言わざるをえません。
阿部日顕は自分こそ個人崇拝してもらいたくて伏せ拝を強要しています。
学会員は池田先生に伏せ拝などしません。

1277管理者:2005/01/15(土) 21:27

吉祥仙人さん

>1276 阿部日顕、乃至、池田先生

以前も議論になりましたが、阿部日顕氏は歴史上の過去の人物では有りませんので「阿部日顕」と呼び捨てするのは、聞き苦しいです。いわんや、その後に、対比させて「池田先生」ではなおイタダケマセン。日顕氏、日顕さん、程度の敬称はつけて戴きたいと存じます。今回は削除致しませんが、同じような表記が続くようですと、削除対象に致しますので、ご注意をお願いいたします。勿論、「池田」と呼び捨てする向きも同じく削除対象です。

1278吉祥仙人:2005/01/15(土) 22:20
失礼しました。反省し、以後日顕管長と呼ばせていただきます。

1279吉祥仙人:2005/01/15(土) 22:23
追伸
期待したとおり、実に真面目な掲示板で安心いたしました。

1280名無し@富士門流:2005/01/15(土) 23:13

横レス失礼します。

ここのところの議論と関連するかどうかわかりませんが、福島源次郎氏の「蘇生への選択」をパラパラと読んでいましたら、「『帰命論』の総括」と題する頁があり、そこには「『師への帰命』論は、当時の宗門が厳しく指摘するところの『池田会長本仏論』の最大の論拠としてもっとも強く批判されました。この件についてはいずれ稿を改めて総括をしたいと考えていますが、ここでひとまず断っておきたいことは、私は『先生』を本仏だとか大聖人の再誕と考えたことなど毛頭なかったということです。」と書かれていますね。

よく学会の方が、過去の「池田本仏論」なるものは福島氏の独創のように言いますが、その福島氏本人はそれを否定しています。
むしろ、当時の学会内での風潮がそうであったと言っています。

ま〜、どうでもいいことなんですけどネ。

1281大勇者:2005/01/15(土) 23:33
>>1275 おおいさん。
勿論、読ませて戴いております。 百禍繚乱も。
池田氏の揚々な発言も、仏性や仏界などの所謂 民衆主義や人間主義と言った学会の視点から見れば、
個人崇拝(池田教)の論証と破するのはフェアではないと思い愚見している次第です。

1282犀角独歩:2005/01/16(日) 00:02

創価学会のお二方。

15年やそこいらの短い時間ではこの問題はわからないでしょう。
なにせ、昭和3、40年代からの話です。すでに50年スパンの話ですよ。
いま言われていないなどというのは議論がずれています。
「日本は戦前から軍隊はなかった。なぜならば、現代の日本は軍隊を持っていないからだ」といううようなものでしょう。

わたしは創価学会を50年間、見てきたのです。
30年前、たしかに池田本物論は言われていましたよ。
わたしが中等部長になったときも、高等部衷心グループ長になったときも、その担当幹部は、「君は人材だから、特別に教えてあげるけれど、池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わりなんだ」、そう諭されたものでした。

なお、「フェア」云々というのであれば、「池田‘先生’」に対して、会ったことも、実際に話を聞いたこともない阿部さんのことを「阿部日顕」と呼び捨てにし、管理者さんから指摘を受けるような創価学会一般の論調こそ、フェアではないわけです。

過去のことをいまの現状で推し量って云々するほど、ナンセンスなことはありません。
夏に「日本では雪は降らない。事実、いま降っていないから」というものでしょう。
実に馬鹿ばかし、反論であると思うわけです。

ただし、吉祥仙人さんの真摯な前向きな議論の参加の仕方には、わたしは誠意を感じます。今後とも大いに語り合いたいと思います。

1283犀角独歩:2005/01/16(日) 00:05

あれ、いかんですね。
愚鈍凡夫さんと同じ打ち間違いをしてしまいました。
池談本物論は池田本仏論の間違いです(笑)

1284犀角独歩:2005/01/16(日) 00:17

名無し@富士門流さん:

『蘇生への選択』という、あの上っついた本で、福島さんが何を言おうと駄目でしょう。
あの人は『人間革命は現代の御書』と言って憚らなかったんです。
わたしは高等部時代、信濃町の青年会館で個人指導を受けたとき、「『人間革命は現代の御書だ。100回読みなさい」と指導を受けましたよ。御書は石山門で言えば末法の法華経でしょうし、それを説いたのは御本仏です。つまり、本仏:御書=池田:人間革命という関係にあるわけですから、池田本仏を言ったと捉えられても致し方がないことです。

また、当時、福島さんは副会長です。池田会長に次ぐ、副会長職に会ったわけですから、「福島個人が言ったこと」という弁明は成り立ちません。創価学会副会長の指導として公式な意味を持ちます。故に責任をとって辞職もしたわけでしょう。

…とまあ、記しても、名無し@富士門流さんにはどうでもいいことでしょうが(笑)

1285大勇者:2005/01/16(日) 00:26
>>1282 犀角独歩さん
「君は人材だから、特別に教えてあげるけれど、池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わりなんだ」
これはある脱会者のHPでも読んだことがあります。
そのHPでは、ある程度の役職まで行った者だけに特別に教えてあげるという様な、
陽動に使われているとの事でした。もしそうであれば、私などの末端が知らずに現在も囁かれてるのかも知れません。

信仰歴40年〜50年の会員の方からでも池田転生論は聞く事はありませんが。
幹部だけが知っていて秘密にしてるのでしょうか?笑える話ですね。
事実だとしても公開しない理論など信仰上無意味であると言わざるを得ません。

1286犀角独歩:2005/01/16(日) 00:43

大勇者さん、何をわけのわからないことを行っているのですか。
創価学会が公式発表以上に口コミで指導を徹底するのは周知の事実です。
ここでそういう見苦しい言い訳をすればするほど、あなたと、底から見える創価学会は不誠実と映るわけです。
なぜならば、福島さんも、また、愚鈍凡夫さんが紹介するHPに載る記事も、あなたが言う「信仰歴40年〜50年の会員」の言葉そのものであるからです。
わたしもまた、末端幹部であったといえ、昭和30年、生まれながらの創価学会であり、そのわたしが、ここにその転生論を書いているのに、聞いたことがないとはどこをよんでいるのかと言いたい訳です。
そのような、あなたの不誠実な会話に私は付き合う気はないと申し上げているわけです。

1287大勇者:2005/01/16(日) 01:14
>>1286 犀角独歩さん。
その口コミ指導は50年経っても未だ私の世帯には届いておりませんが。
不誠実な会話と仰りますが事実ですけれども。

悪意のあるプロバガンダなのかマインドコントロールの手法なのかどうかを判断する為の
見極めを考えるべきと言っているだけなのですが、「わけのわからないことを言っている」とは
非常に残念です。

1288犀角独歩:2005/01/16(日) 01:17

大勇者さん、あなたのところにとどいなかろうが、それが届いた数十万の人間が、それを届いて脱会したのは事実です。
プロパガンダとは、自分の見える範囲ですべてを決めるあなたにこそ、当てはまる言葉でしょう。
実際に愚鈍凡夫さんにしろ、その他に人々にしろ、資料は提示しているのです。
その資料は一切、無視で、自分の範囲などという態度こそ、残念です。

1289名無し@富士門流:2005/01/16(日) 01:18

犀角独歩さん、今晩は。

>1284

なるほど実体験からのお話しですね。
私などは福島氏のことは、この一書からしか知りえないものですから。

他所の学会系の掲示板などでは、「会長本仏論」は福島氏の独創のように語られていたのを記憶しています。
たまたま古本屋の100均コーナーで、「蘇生への選択」を見つけたので、学会員さんとも度々議論をする機会がありますので買っておいたものです。

ま〜、100円だからいいか!

1290犀角独歩:2005/01/16(日) 01:19

それに50年経っても、届くわけもないでしょう。数十年前に根絶やしになった話が、なんで居間、届くはずがあるのですか。
何を言っているのですか。

1291大勇者:2005/01/16(日) 01:21
また口コミ指導なるものを鵜呑みにするほど会員は愚かではないことを信じていることも
我見として付け加えておきます。

1292犀角独歩:2005/01/16(日) 01:25

名無し@富士門流さん。池田本仏論は、福島さんの独創という点については、愚鈍凡夫さん(たびたび名前を挙げて恐縮です)も挙げていますが、自作自演という見方もありますね。

その顕著な例が、蓮師縁の地に行った池田さんが、杉の古木かなんかに手をかけて「なつかしいな」といい、700年ぶりに、その場所と、その気の元に訪れたポーズをとった話は有名ですね。実際のところは、その木は数百年の樹齢しかなくて、笑い話になったというおちでしたが。

まあ、池田さんを笑いものにする気はありませんが、私の青春時代はこの手の話は事欠きませんでした。そんな実体験のある人間に「そんなことはなかった。話を聞いてない」と言われても、わたしとしては、単に実体験を記述しているのに過ぎないわけです。

いや、これはもちろん、名無し@富士門流さんに申し上げているわけではありませんが。

1293犀角独歩:2005/01/16(日) 01:26

口コミ指導を信じるほど、おろかではないのであれば、各会合で発表される新聞損他に載らない一切の指導を会員はまったく信じないことを意味します。
そんなことが現実的ではないことは会合に参加している会員であれば誰しもすぐにわかることでしょう。

1294大勇者:2005/01/16(日) 01:35
自分の範囲では「池田本仏論」なるものを聞いたことが御座いません。
これは事実です。
自分の範囲や体験を投稿して何か問題でもあるのでしょうか?

1295犀角独歩:2005/01/16(日) 01:39

> 1294

あるでしょう。
池田本仏論が語られていたのは、いまから30年前の話です。
それを今、聴いたことがないと言って、何の意味がありますか。

1296愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 01:40

帰命論で思い出したのですが、「小説人間革命」に同じような記述があったと思い、探してみたら案の定ありましたので、引用してみます。

「ギャグではありませんので、池田さんと山本伸一を重ね合わせないようにお願いします」(by 独り言)

**************************************************
――『革命は死なり。われらの死は妙法への帰命なり』と、書いた時、山本伸一は妙法に帰命すべきわが宿命と、使命を、深く強く自覚していたのではなかろうか。それは『最高の栄光ある、青春の生きゆく道』の自覚であったが、また未知への恐怖をはらんだ自覚でもあったろう。すなわち、彼がみすがら強行した革命であったのだ。それはまさに『革命は死なり』であった。つまり己の一切を空しゅうして、悔いない覚悟とは、戦後のあまりにも平凡な、無名の一青年、山本伸一の死を意味する。しかし彼の死は『妙法への帰命』であったのである。この革命を強行したもの――山本伸一は、すでに妙法の革命家として、蘇生していたのである。したがって、彼は、あらゆる悩みのなかから、この時、はじめて雄渾な勇気と希望とをいだくことがてきたに違いない。
 この若い革命家の『妙法への帰命』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである。

「人間革命 第3巻P182」より
**************************************************

「むむっ、自画自賛恐るべし。さすがに自分ではこうは書けないわなぁ」(by 独り言) (-"-;A ...アセアセ

おもいっきり「帰命論」→「会長本仏論」の流れですね。

1297犀角独歩:2005/01/16(日) 01:42

あと、1293に関しては、大勇者さん、なんか言うことはないのですか。

1298犀角独歩:2005/01/16(日) 01:46

面白い。

> 戸田城聖への帰命

換言すれば「南無戸田城聖」=「南無会長先生」=「南無池田先生」=「南無日蓮大聖人」=南無妙法蓮華経という脈絡ですね。

1299愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 01:47

訂正

誤→すなわち、彼がみすがら強行した革命であったのだ。
正→すなわち、彼がみずから強行した革命であったのだ。

です。悪しからず。 m(_ _)m

1300大勇者:2005/01/16(日) 01:48
『戸田城聖の指導する仏法への帰命』と読むでしょう。普通。
会長本仏論の根拠とは全くなり得ないと考えます。

1301犀角独歩:2005/01/16(日) 01:51

> 『戸田城聖の指導する仏法への帰命』と読むでしょう

では、なぜそう書いていないでしょうか。
そうやって言いかけ、書き換え、言い逃れする態度が不誠実だというのです。
過去の過ちは過去の過ちとして認めないからプロパガンダと言われるのでしょう。

1302犀角独歩:2005/01/16(日) 01:51

だいたい、「会長先生は仏です」という言葉がある以上、動きがたいでしょう。

1303大勇者:2005/01/16(日) 01:52
>>1293
口コミ指導に対して、資料による研鑽作業を行い確認する会員さんが
一般的と思われます。

1304犀角独歩:2005/01/16(日) 01:52

前の質問に答えないで人の揚げ足ばかりを取るのはやめなさい。
みっともないですよ、大勇者さん、学会に恥をかかせるもんじゃないでしょう。

1305名無し@富士門流:2005/01/16(日) 01:53

愚鈍凡夫さん、例の「人間革命」第3巻の記述は、現在出版されているもの(聖教文庫版P183)は「希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを」の部分が「稀有の師と一体となっての『妙法への帰命』であることを」へと改竄されています。

したがって、最近学会に入った方や最近学会に興味を持ちはじめたものにとっては、わからないのでしょうね。

1306犀角独歩:2005/01/16(日) 01:55

> 資料による研鑽

大勇者さん、資料というのは創価学会発信ばかりじゃないでしょう。
愚鈍凡夫さんが、挙げている資料を、では、あなたは何で少しも研鑽しないんですか。

1307犀角独歩:2005/01/16(日) 01:56

> 1305

正鵠を射たご指摘ですね。
このように捜査された結果が1301ですか。
手に取るように操作の次第がわかりました。

1308犀角独歩:2005/01/16(日) 01:57

訂正すると駒を取るので恐縮ですが、「捜査」は「操作」です。

1309大勇者:2005/01/16(日) 02:00
>>1301
全く言い逃れでもなんでもないと思います。
犀角独歩さんが悪意を持って読むからでしょう。ご自由ですが。
>>1302
「弘教を行う人は仏です」と言う言葉でしょう。
会長先生のみが仏だとでも?

1310犀角独歩:2005/01/16(日) 02:05

書き換えについて言えば、わたしは戸田さんのスピーチレコードを多数、所持していますが、いま学会が発刊する戸田さんの言行録はまるで書き換えられています。
この点は御書全集でもそうで、富士宗学要集でもそうです。

それを、いま観光されているものが事実であると見ると、過去の事実は何も見えず、今言われていること、自分が知っていることが正しいという短絡で終わってしまいます。

つまり、構成員はいつの時代もそうやってだまされてきたわけです。
その意味で、大勇者さん、あなたも騙された被害者です。
お気の毒です。事実を知るためには過去の資料を自分の努力であたるしかありません。
いま、聞いたこと、読んだことは改善されたものである認識をまず持つことです。
あなたは、書き換えられた資料を鵜呑みにさせられることによって、操作されているのですよ。

吉祥仙人さん、ロムされていますか。ここいらの本質を、どうか凝視してください。

1311愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 02:06

>>1300:大勇者さん。

> 『戸田城聖の指導する仏法への帰命』と読むでしょう。普通。

とは、読めないでしょう。普通。

何故なら、
「具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである。」
と書いてあるのですよ。「希有の師への帰命」、すなわち、「人間・戸田城聖」への帰命でしょう。
何度読み返しても人への帰命を言っている文章ですよ。

1312犀角独歩:2005/01/16(日) 02:07

わたしは、悪意など、持っていませんよ。

>1309はまた、いまのことで昔を推し量っていますね。

1313犀角独歩:2005/01/16(日) 02:11

>>1302
> 「弘教を行う人は仏です」と言う言葉でしょう。
> 会長先生のみが仏だとでも?

なにを勝手に言い換えているんですか。

会長先生が仏といえば、会長先生が仏。なんで会長先生を「弘教を行う人」と言い換えるんですか。

では、弘教を行う人はみんな会長なんですか。
そうじゃないでしょう。
あなたが折伏をすると、あなた、大勇者さんは、会長なんですか(爆笑)

1314大勇者:2005/01/16(日) 02:15
>>1312
先ず、「池田本仏論」なるものを語る学会員など稀有であることを
確りと認識すべきではありませんか?
何度も書きますがこれは、現実であり事実です。

1315犀角独歩:2005/01/16(日) 02:18

>1314

だから、それは今の話で、30年前のことじゃないと何度も言っているでしょう。
いま、それは修正されたのは結構なことだ。しかし、その代償として、池田さんは会長職を辞任したという歴史が動かないといっているんですよ。

1316大勇者:2005/01/16(日) 02:21
>>1311
人への帰命などと解釈している会員はいないでしょう。実際に。

1317大勇者:2005/01/16(日) 02:29
>>1315
だから何故、その30年前の口コミを語る末端の会員が私の範囲に居らないのかと言っているのです。
犀角独歩さんは幹部候補生だったのではないですか?
極一部の幹部の間での口コミでの話しなど批判の対象にならないでしょうと
言っているのですが。

1318犀角独歩:2005/01/16(日) 02:31

以下の文章のように池田さん自身が「池田会長本仏論」に触れ、『聖教新聞』にも掲載されたわけですから、最近、入会した会員がいくら「会長本仏論」がないと息巻いても始まらないでしょう。


池田大作著・聖教新聞掲載『恩師の二十三回忌に思う』
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/ikeda_toda23.html
(ジャンプが飛ばない場合は、上記アドレスをアドレスバーにコピペしてご覧ください)

1319犀角独歩:2005/01/16(日) 02:34

> だから何故、その30年前の口コミを語る末端の会員が私の範囲に居らないのかと言っているのです


その理由はいたって簡単です。会長本仏論にあきれ果ててみな脱会したからです。
創価学会は昭和63年に1650万人会員を正式に発表していました。
ところかが今は1000万投票を目指しているわけです。
意味するところはわかりますか。
創価学会は東京都の人口に匹敵する脱会者を出しているのです。
だから、30年前の口コミを語る人間は残っていないのです。
30年前からの会員でそれを語らないのは、その後、学会内で言われた口コミで言いかえをしてきた人間が現役会員だからだということを意味しているわけでしょう。

1320愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 02:38

>>1316:大勇者さん

名無し@富士門流さんが、>>1305で紹介されている書き換えられた文章しか知らない会員の方々には解釈できないかも知れませんが、小生が所有する「人間革命第3巻:第4版昭和42年3月28日)では、間違いなく、「具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである。」と書いてあります。
小生は、1962(昭和37)年入信ですが、長い間、会長本仏論は常識でしたよ。母によく、会長先生は天皇陛下よりも偉いと教えられました。
また、口コミで「池田先生は何でもご存じである」といった、"池田マジック"が末端組織まで流布していたものです。

1321犀角独歩:2005/01/16(日) 02:39

池田さんが「代々の会長を神格化などしてはなりません。とくに私は若くして第3代会長の任に就きましたが私などを絶対視してはならないし、かりそめにも、主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いることは誤りであり、絶対にあってはならないことです」と、なぜ記さなければならなかったと言えば、それは

*代々の会長を神格化したことが実際、学会内にあり
*私(池田大作)を絶対視し、主師親の三徳具備といい、本門弘通の大導師

といった事実があり、それを問題視された経緯があったからこそ、このような弁明があったという歴史を創価学会員は言い逃れせず、真正面から、見なければいけないということです。

1322大勇者:2005/01/16(日) 02:45
>なんで会長先生を「弘教を行う人」と言い換えるんですか

会長先生が弘教を行う人の一人だからでしょう。

>では、弘教を行う人はみんな会長なんですか

そうです。その通りです。みんな会長です。
(個人的意見であることはお断りしておきますが)

1323犀角独歩:2005/01/16(日) 02:48

1318のジャンプだと『聖教新聞』の紙面が出ませんね。
以下だと、出ます。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ikeda_toda23.html

1324犀角独歩:2005/01/16(日) 02:49

>1322

そうですか。これからは、では、あなたのことを会長先生と呼びましょう(大笑)

それで、わたしが示した池田さん本人の池田本仏論批判についてのコメントはどうですか

1325犀角独歩:2005/01/16(日) 03:07

会長先生、どうしました。
もう、言葉に詰まりましたか。
ただし、わたしは、あなたをやっつけることを目的にしているわけではありません。
しっかりと事実を見ない際と申し上げているわけです。
夜も更けました。わたしはいったん、寝ます。

しかし、この問題に関しては、わたしは一歩も引きません。
そのことだけは明言しておきます。
続きは徹底的に受けて経ちます。
では、お休みなさない。

1326犀角独歩:2005/01/16(日) 03:09

失礼、訂正します。

誤)事実を見ない際
正)事実を見なさい

1327大勇者:2005/01/16(日) 08:43
>>1325
それでは先ず、貴方が30年前に聞かされたという
「池田本仏論」なる言論そのものをご提示願います。

1328犀角独歩:2005/01/16(日) 09:39

> 1327

会長先生、論点をずらすのはやめなさい。
また、それら資料については、何度も繰り返しているとおり、愚鈍凡夫さんが提示しています。
また、30年前に池田本仏論があったことを池田さん自身が認めた『聖教新聞』の記事を載せているにもかかわらず、30年前に池田本仏論がなかったという論拠を、あなたは示すべきでしょう。なぜ、それらをないことのように書くわけでしょうか。

1329犀角独歩:2005/01/16(日) 09:43

会長先生、あなたは1324のわたしの質問に答えずに、質問をするのはルール違反です。
まず、答えることが誠意ある態度です。そうやって、自分に不利なものは無視して、話を変えてしまう議論の仕方は姑息であり、不誠実です。
繰り返します。

わたしが示した池田さん本人の池田本仏論批判についてのコメントをまず述べてください。

1330吉祥仙人:2005/01/16(日) 10:45
私が寝ている間に白熱の論議が戦わされていたのですね。
論点を整理すると、過去にあった=現在もある を認めるかどうか
にあると思います。
1319にあるとおり、会長本仏論に騙されたと思った方が退転して
現在の学会があるとすれば、少なくとも現在は会長本仏論を信じて
この信仰の根拠としている人は少ないといえるのではないでしょうか
私が最初に問題提起したのも、「どの掲示板を見ても会長本仏論なる
邪義を(現在の)学会員が全員支持しているように書かれるのは心外
です。」ということでした。
皆さんに確認したいのですが、過去の過ちを反省し、現在は
名誉会長は、(言い方は様々ですが)指導者である。
と言う事が現在の学会員の多くの常識であると言うことは、
認めていただけるでしょうか?

1331吉祥仙人:2005/01/16(日) 10:54
犀角独歩さんの1319を読み間違えていたかもしれませんが
実際、名誉会長が「現在の仏だ」と言われて信心したカルトな方が
名誉会長自らそれを否定したので退転したということはあり得るのでは
ないでしょうか

1332犀角独歩:2005/01/16(日) 11:03

1330 吉祥仙人さん:

> 過去の過ちを反省し、現在は
> 名誉会長は、(言い方は様々ですが)指導者である。

もちろん、そうですよ。
先に挙げた池田さんの『恩師の二十三回忌に思う』にあるとおり、率直に反省したという点は評価しているわけです。

池田会長本仏論などという実に愚劣な個人崇拝という歴史的な事実を秘匿したり、改竄されない限り、その反省は外部も真摯に受け止めるでしょう。

ところが、そのように池田さん自身が反省した歴史的な事実 ― 池田会長本仏論 ― が「なかったこと」のように記述することは、反省自体が反故となり、さらに歴史を改竄するというきわめて不誠実な態度であるわけですから、その点は認められないというのが議論の流れです。

現創価学会で池田さん自身が認めた「会長本仏論なる邪義」が撤廃されたことはたいへんにけっこうなことでしょう。

1333犀角独歩:2005/01/16(日) 11:18

1331 吉祥仙人さん:

>> 1319
> 名誉会長が「現在の仏だ」と言われて信心したカルトな方が
> 名誉会長自らそれを否定したので退転したということはあり得る

それはあるのではないでしょうか。
戦前、熱烈な天皇崇拝者であったわたしの母は、『恩師の二十三回忌に思う』を読んだとき、「敗戦で天皇陛下は人間したときは悲しかった。今度は、池田先生も人間に戻ってしまった。神様も、仏様も、人間に戻ってしまって悲しい」というようなことを言い、涙を流していました。

このような個人崇拝はしかし、池田さんの言葉にもある「代々の御法主上人は、唯授一人、その遣使還告のお立場であらせられると拝し、尊崇」という執行海秀師の言説を籍りれば、派祖本仏論、持住本仏論(宗派・本山のトップが日蓮聖人より、現状的な意味においては尊い、もしくは=の関係である)という中世教学の焼き直し、また、戦前の天皇崇拝を戦後民主主義社会で焼き直したカリスマ信仰として暴走したのではないのかという議論を、ここでしてきたと記憶します。わたしは、この分析はある面、正しいと思います。
ですから、カリスマ信仰、池田会長本仏論という歪んだ…、吉祥仙人さんの言葉を使えば「カルトな方」というのが、実は戦後、戸田さんから池田さんを支えた人々の大多数であったのが、過去の創価学会であったわけでしょう。

昭和20〜40年代の学会批判書を読めば、今で言うカルト団体批判となんら変わらない論調で創価学会は批判されています。それは単に創価学会を誤解したというより、当時の破竹の勢いの創価学会は世間一般、他宗からは「カルトな」様相として受け止められたとおりの有様であったことを物語っています。であればこそ、池田会長本仏論という邪義が蔓延する精神的な土壌が創価学会内に蔓延していたが故に、池田さんの『恩師の二十三回忌に思う』への反省まで転がっていったわけでしょう。その歴史的な事実を真摯に捉え反省するのであれば、池田さんを指導者にしようが外部から咎められるいわれはないでしょう。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ikeda_toda23.html

1334大勇者:2005/01/16(日) 11:51
犀角独歩さん
論点をずらしてなどいません。

「池田本仏論」を私は聞いたことも読んだことも御座いませんので、
貴殿が30年前に聞いたと言う池田本仏論なる言論なり論文なりを記憶で結構ですので
提示下さいと言っているのですが。

信徒団体の会長職は久遠本仏であるとの言論なのですか?
それとも池田大作氏なる人物は如来であるとの論ですか?

それとも自然派生した口コミ伝説に対して謝罪しただけなのでしょうか?

先ず、池田氏が本仏であるという理論を御書き願います。

1335犀角独歩:2005/01/16(日) 12:02

> 1334

あなた、くどいですね。
先に記したとおり、そのような資料が、愚鈍凡夫さんも挙げているとおり、枚挙に暇がない。また、実際にすでに示されているでしょう。示されているわけですから、それを見ればよろしい。それを読まず、頬かむりをして「ない」と言ってもはじまらないでしょう。
また、1329に再度、問うた点を何を避けているのですか。
答えなさい。

1336犀角独歩[TRACKBACK]:2005/01/16(日) 12:08

ここ何日間でも池田本仏論に関して、以下の提示がありました。
それにもかかわらず、聞いたことも・読んだこともない?、呆れた話です。

池田本仏論
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_6.html
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r1265
「御法主日達上人猊下御言葉 妙観会の砌」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/1979/D54-04-03.html#1
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r1296
池田大作著・聖教新聞掲載『恩師の二十三回忌に思う』
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/ikeda_toda23.html

1337愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 12:25

創価学会は、その急速な発展故に多くの不幸を生み出しました。
創価学会と世間との板挟みの中で自殺された方もいらっしゃいます。気の毒なことに、こういった方々は、創価学会に迷惑を掛けたとして死後も鞭打たれました。
現在の創価学会員の方々は、脚色された創価史ではなく、現実の創価史を真摯に学んで頂き、組織力と資金力による奢りから来る慇懃無礼な態度を改めてもらいたいと思います。そして、マインドコントロールの不幸を根絶してもらいたいと思います。
これは、特定の個人を指して言っているのではありません。小生の住む大阪の地にも、こういった創価学会員が沢山います。小生は、これからも、相手を無視した強引で無礼な布教活動には、断固抗議していきます。

1338大勇者:2005/01/16(日) 12:38
>>1336
全て二次資料としか思えませんが。

口頭による伝達であった為に、一次資料が存在しないのであれば
書き記して於いたらいかがですか?

1339犀角独歩:2005/01/16(日) 12:52

提示した資料の中で、取り分け、『恩師の二十三回忌に思う』は、『聖教新聞』昭和55年4月2日1面に載った一次資料です。その他、6・30についても同様です。
これらのどこが二次資料なのですか。

こうやって、あることをないという体質に、世間一般は危機感を感じ、不快感を禁じえないわけです。また、質問したことに答えず、一次資料を二次資料というなど、言い逃れして、自らの日を改めない団体と個人は、まったく信用できないものであり、議論そのものにならないわけです。

また、現時点でもまだ、、『恩師の二十三回忌に思う』という‘一次資料’に対するコメントはどうしましたか。答え‘られない’と判断しましょう。

1340大勇者:2005/01/16(日) 13:11
>>1339
1334で答えております。

「主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いること」が会長本仏論なのですか?
それによって大勢の脱会者が出たと?
管理責任を謝罪した文面であれば、一次資料とはなり得ません。

1341愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 13:40

**************************************************
 そして、牧口と仕事の苦楽を共にした時、この「主」は、実は自分の終生の「師」であることを悟ったのである。
 厳しい「師」であった。生涯ほめられたことは一度もなかった。しかし、年齢的にいっても、また、やさしい「親」ともなった。
 詮ずるところ、戸田は、いつか牧口という一人の不世出の教育者に、「主」「師」「親」を見いだし、純真に仕(つか)えたのである。
「人間革命 第2巻P269」
**************************************************

牧口さんは主師親の三徳具備でいらっしゃるそうですから、明確に「会長本仏論」を謳っていますよ。
そして、「人間革命 第3巻」では「戸田城聖への帰命」を説き、1966(昭和41)年の「講師筆記試験答案」では池田さんこそ主師親の三徳具備であると主張しています。これらは紛れもなく「牧口」→「戸田」→「池田」と連なる「会長本仏論」の継承ですね。
ちなみに「帰命」とは、「南無」のことであり、仏に対する絶対的帰依のことである。末法の正法の立場から言えば、「人」への帰命は御本仏日蓮大聖人(久遠元初の教主釈尊)、「法」への帰命は三大秘法の南無妙法蓮華経(文底下種の法華経)を意味し、人法一箇の御本尊であると創価学会員の時代に学びましたが、今の学会教学では違うのですか?

1342犀角独歩:2005/01/16(日) 13:43

> 主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いること」が会長本仏論

そうでしょう。
この文面は
「“会長本仏論”…指導者と仏…代々の会長を神格化…絶対視…主師親の三徳点…本門弘通の大導師」

と池田さんが会長本仏論の説明語として使われているわけです。
いま、創価学会の勤行観念文は変わりましたが、当時学会も使っていた観念文では「本因妙教主…主師親三徳…日蓮大聖人」と明確に示されています。主師親三徳は末法本仏日蓮大聖人のみを指す言葉でした。

あなたのいう弘教をする会員がみな会長だなどと、会内でも失笑を買うことを言って憚らないようでは、このような意味は取れないでしょう。話になりません。

1343名無し@富士門流:2005/01/16(日) 14:14

ま〜、学会さんは人の入れ替わりが激しいのか、「現当二世」で過去のことはふりかえらないのか、とにかく過去の明確な学会出版物から引用しても、事実を事実と認めないところがありますよね。

以前私も、「国立戒壇論」で散々学会員さんともめたことがあります。

顕正会の浅井氏の「国立戒壇論」を田中智学師の戒壇論の焼き直しと批判しながらも、こちらが戸田会長の講演集などから、全く田中智学師と同じ戸田氏の話しを引用しても、トンチンカンな解釈をして返してくるというのが通例でしたね。

戸田氏は明確に「日蓮正宗を国教として、天皇も帰依し戒壇を建立するようになった場合、戒壇の御本尊さまをどこの宗派がだせるか。」(『大白蓮華』昭和35年1月号P22)と述べ、日蓮正宗の国教化を主張しています。

ただしその公演内容は、『戸田城聖先生 講演集』(上巻P308)では「この日蓮正宗に、天皇も帰依し、国立の戒壇を建立するようになった場合 、戒壇の御本尊様をどこの宗派が出せるか。」と改竄され、さらに『戸田城聖全集』(聖教新聞社版第4巻P164)では「この日蓮正宗に、天皇も帰依し、本門の戒壇を建立するようになった場合 、戒壇の御本尊様をどこの宗派が出せるか。」へとさらに改竄されました。
したがって「なかったのではなく」、現在の学会員さんには殆ど知られることがなくなっただけのことなんですけどね。

1344犀角独歩:2005/01/16(日) 14:29

そうなんですよね。明確な文章を引用しようが何しようが言い張っておしまいです。
まあ、大勇者さん辺りはそれでも口汚い人身攻撃をはじめないだけ、まだ節度はあるということでしょうか。

この不毛のやり取りはしかし、ここ創価学会スレッド、または顕正会スレッドの特徴をなします。それは要するに、そういう統計的性格を学会なり、顕正会なりをやっていると知らず受け継ぐことになるということでしょうか。宗教‘団体’信仰を卒業した側としては、「やめてよかった」と思う瞬間です。

1345愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 15:01

今の創価学会の実態は、聖教新聞と大白蓮華の発行部数から推測して、実数500万人(幽霊会員を除く)を超えることはないだろうと思いますが、創価学会と関連した掲示板などを覗くと、感情的で非論理的な主張が多く、読むに耐えないレスが多いです。これでは、後戻りのできないITの時代に醜態を晒すだけで、益々会員数が減っていくだけだと思います。
創価学会の歴史の改竄は、池田さんが7年周期説という法華経や御書にもない奇妙なことを言い出したことに始まると思いますが、ここらで一度、学会史の総括をするべきだと思います。このまま改竄のパッチワークを続けていくと、現実離れした虚構の楼閣に学会員を閉じこめてしまうことになるのではないでしょうか。

1346邪教:2005/01/16(日) 15:05
女優・杉田かおるの衝撃告白
http://www.weeklypost.com/jp/99082027jp/brief/opin_1.html
17歳の時から熱心な学会活動を続けてきた女優・杉田かおるーー。
今から4年前、彼女は自ら「退会届」を出して訣別したが、そのことすら
公表せず、過去の活動についても固く口を閉ざしてきた。だが、今や状況
は変わった。誰かが話さなければならない。重い義務感から、彼女は自分の
知りうるすべてを明かす決心をしたーー。

「私はある時期までは信者であることを恥じたことはありませんでした。
自分がこれだと信じるものを他人にわかってもらいたい。そう思って積極
的に布教活動を行ないました。でも、ある時期から創価学会は変質してい
きました。それは、自分の信心が足りないからだと思いこもうとしました
こともあります。しかし−−。私は“広告塔”という立場にいたことで、
一般信者が見られない裏側を見てしまった。そこで、目にしたのは、純粋
な信仰とはほど遠いものでした。結局私は、4年前に創価学会を脱退しま
した」

1347犀角独歩:2005/01/16(日) 16:07

以下、主師親三徳に関するかつての創価学会の公式見解(一次資料)をそのまま、掲載しているHPがありました。(この際と、ならびに管理者とわたしは無関係です、念のため)参考に紹介しておきます。


「教学上の基本問題」について(6・30)
四、帰命・主師親三徳・大導師・久遠の師
http://norimaki.faithweb.com/kimyou.htm

上記ページの上部ディレクトリーは以下のとおり

特別学習会テキスト
http://norimaki.faithweb.com/gakuindex.htm

※この内容は、『聖教新聞』に掲載され、さらに特別額集会テキストとして小冊子にまとめられ会員に配られた創価学会の公式文書です。ここにかつての創価学会の実像があります。(いまはもちろん、大きく変化しています)

1348犀角独歩:2005/01/16(日) 16:09

> 1437

急いで打ちましたので、また、間違いがありました。
お詫びし、訂正します。

誤)この際と、ならびに管理者とわたしは無関係
正)このサイト、ならびに管理者とわたしは無関係

誤)特別額集会テキスト
正)特別学習会テキスト

1349彰往考来:2005/01/16(日) 16:30
横レス失礼します。だいぶ活発な議論がなされているようですね。
自己紹介ではありませんが、私のHNは彰往考来(しょうおうこうらい)です。
過去を彰(あきら)かにして未来を考えるという意味です。その観点から今回の議論を見るならば、昭和47年から昭和53年頃までの創価学会出版物を紐解けば池田会長本仏論なんてゴロゴロしています。
少なくとも当時指摘された一番古い会長本仏論とされたものは、>1265で紹介されている『大白蓮華 昭和41年2月号』に掲載された「講師筆記試験優秀答案」でしょう。そこでは、「主師親の三徳を現代生活の上から説明しなさい」という問題に対して「池田先生のみ現在において主師親三徳でいらっしゃる(要旨)」とあります。個人がどのような考えを持とうと自由でしょうが、それを会内の機関誌に優秀答案として載せているのですよ。これは一次資料でしょう。組織としてそう考えていたということです。ある副会長ひとりの勝手な考えではありません。なおこの件では主師親三徳具備のお方は日蓮大聖人のみということを当時指摘を受けた創価学会も確認しています。念のため。
>1323にあるように昭和55年に創価学会が路線変更をしたので現在はきっとその片鱗もみられないのです。国立戒壇も同じです。確か昭和47年でしたっけ、創価学会が路線変更をしているわけです。従って若い会員の人はそんな事実があったことすら知らないという人もいるわけでしょう。けれど私を含め当時嘆き苦しんだ人は決してその怨念を忘れることはできないと思いますよ。命をかけていたし、人生を左右する決断をしてきたのですから。

>1322
大勇者さん、あなたのこの考えは間違っていますね。日達猊下のお言葉を紹介しましょう。創価学会と日蓮正宗は別れましたけれど、現役の創価学会員で日達猊下の御本尊を拝んでいる人はいっぱいいるし、現在の創価学会の論調をみても日達猊下のお言葉に対して否定してはいないのだから聞く耳はあるのでしょう? 下記の文章で“仏”を“会長”に置き換えれば成り立ちますよ。そりゃあそうです。下記の文は会長本仏論の破折なのですから。
「昭和49年6月18日 於 大講堂
誰れ誰れが仏であるという言葉もこの近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています。
成程、もし誰れ誰れが仏であるというならば、それは我々は、みな全部仏であります。
それは理の上からそうなります。
しかし、我々の宗教の、信心するところの仏ではない。
我々は、凡夫が、体の仏であるということは、御書にはっきり書いてあります。その体の仏を以て、どこまでも仏だといいふらしていくならば、大変間違ったことになります。」

今回の件で手持ちの資料を調べると、『北条報告書』が出てきました。懐かしいですね。久しぶりに『慧燈 第8号』の「極秘文書『北条報告書』の背景を探る」を読みました。花野師はこれで日顕管長の逆鱗にふれ、『慧燈』は廃刊になったのでした。歴史は繰り返す。まさに“彰往考来”です。

1350彰往考来:2005/01/16(日) 16:39

>1349 自己レスです。
参考資料を打ち忘れました。

<参考資料>
『蓮華87号の正しい読み方資料』(昭和53年、大村一生)
『創価学会言論資料集』(昭和53年、浄信寺)
『特別学集会テキスト』(昭和53年、創価学会)
『6・30 11・7を理解するために』(昭和54年、常光寺)
『慧燈 第8号』(昭和55年、大白法編集室)

1351彰往考来:2005/01/16(日) 16:41
>1350

たびたびすみません。訂正です。

誤:特別学集会テキスト
正:特別学習会テキスト

1352大勇者:2005/01/16(日) 18:39
彰往考来さん

ご指摘ありがとう御座います。
>1322はお詫びして撤回致します。感情的なレスでした。申し訳ありません。

主師親三徳には高低浅深があります。私はこの考えには概賛成と考えて居ります。
一切を衆生を救う最高の三徳を具備する本仏は久遠元初の自受用身即日蓮大聖人しかおりません。
会長が本仏であるとの論は会長が日蓮大聖人であるとの論になります。
このような転倒した論議が30年前に大真面目に語られていたなどとは俄には信じ難いのが
心境なのです。
また、この議論により多勢の脱会者が出たと・・・
そんなバカバカしい事が有り得たのでしょうか?
もし有り得たのであれば、その「池田本仏論」なるものはよほど奥深い教義なのでしょう。
全く理解出来ません。

>犀角独歩さん。
不快な思いをさせてしまったと思います。
お詫び申し上げます。

1353吉祥仙人:2005/01/16(日) 19:07
 創価学会と池田先生は無謬であると、学会員は信じたいのです。
信じるものは確かに正義であってほしいのです。
 大勇者さんには、根性無しの壮年部と怒られそうですが、過去の
過ちは認めなければならないでしょう。
 だからと言って私の信心が揺らぐものではありません。現実の体
験=現証が、確信を与えてくれています。
 ただ、私が繰り返し言いたいのは、現在「会長本仏論」は明らか
な邪義と多くの学会員に認識されていると言うことです。

1354吉祥仙人:2005/01/16(日) 19:12
 大勇者さんへ
 書き込みを考えているうちにあなたのスレが先に出ました。
 余計な文が入った事をお詫びします。

1355愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 20:40

下記のHPを読んでいたのですが、創価学会に言えることは、脱会者の受け皿と化した法華講にも言えるのではないかと素直に思ってしまいました。 ( ̄Д ̄;;
五十歩百歩でどっちもどっちと思うのは小生だけだろうか・・・・・。 (ー_ーメ)

「第四章 創価学会の体質」
http://homepage3.nifty.com/y-maki/syakbk/025.htm

1356大勇者:2005/01/16(日) 23:20
吉祥仙人さん
はじめまして。

お詫びなさる様な事ではありません。
是非、御指摘御批判頂ければと思います。

私は信仰に於いて重要なのは、それが自身、家族、社会、果ては人類にとって
価値が大か小かの評価だと考えております。

人間革命なる「小説」は一読しておりますが、新人間革命は読んでもいない名ばかりの
学会員です。
吉祥仙人さんに学ばさせて頂ければと思います。宜しくお願いします。

1357単己:2005/01/17(月) 05:55
池田本物論が話題になっているようなので、自分の思い出を一つ。

池田本仏論は自分が学生部の時にも活動家の間では暗黙の了解として存在していました。
信心が深まれば深まるほど、日蓮再誕として池田さんを崇拝するのが当然という風潮でした。恐らく今でもそうだと思いますが。
およそ20年ほど前になりますが、「日顕上人猊下を仏法の大導師として帰命しよう」と、聖教新聞や大白蓮華で指導されていた頃です。
しかし、実際の会合での幹部の指導ではあくまで「池田先生根本」でした。日顕さんや宗門なんて幹部の口から出たことは無いですね。
池田さんへの個人崇拝の深さがそのまま信仰の深さという事でした(漫荼羅本尊への信仰心ではありません)。
正直、こういう風潮というか学会の「流れ」は抵抗がありました。大小色々会合があっても、信仰の話をしている人は稀でした。ほとんどが池田さんに対する忠誠心・崇拝を煽る話でした。

また、学生部の中でまことしやかに口コミで流れていた事の一つに、「学会歴代三代会長と日蓮・日興・日目の事跡を追っていくと、日蓮・日興・日目の流れが池田・戸田・牧口とピタリと当てはまる」。
つまり、牧口=日目、戸田=日興、そして日蓮=池田さんということになるということでした。本弟子方が大聖人(=池田さん)の再出現のために露払いをするという図式です。

もっとも、どのくらいの範囲でこういう話が流れていたかは分かりません。ただ、こういう話が会合終了後の雑談の中で語られていたのは事実です。

1358彰往考来:2005/01/17(月) 07:50

>1352
大勇者さん、

わかっていただいたようでありがとうございます。
お互い前向きな議論をしましょう。過去の過ちを繰り返さないためにも。
まあ、「池田本仏論」という極めてバカバカしい議論があって、大量の脱会者
がでたというのは、おる面では真実でしょうね。もちろんこんな単純なもの
ではありませんでしたが。>1357でご指摘されているような話はいっぱいあ
りますよ。「池田先生に帰命するんだ!」とかね。

1359彰往考来:2005/01/17(月) 07:52
>1358

訂正です。

誤:おる面
正:ある面

たびたびのミスを深くお詫び申しあげます。

彰往考来   拝

1360犀角独歩:2005/01/17(月) 08:29

> …三徳を具備する本仏は久遠元初の自受用身即日蓮大聖人

そもそも、この考え自体、中世以降の捏造教学であり、日蓮その人とはまったく無縁のものであること、漢訳仏教の恣意的翻訳操作の問題、さらに法華経に留まらず、すべて大乗仏典は、釈尊とは無縁の創作仏教物語である…、という幾重にも折り重なった多くの問題を、日蓮門下は抱えていることを留意しなければならないわけです。

> …会長が本仏であるとの論は会長が日蓮大聖人
> …転倒した論議が30年前に大真面目に語られていた…
> また、この議論により多勢の脱会者が出たと・・・
> そんなバカバカしい事が有り得たのでしょうか?

ええ、事実です。
ただ、そのようなことを「バカバカしい」と思う学会員が、そのまま、会に居続けられるようになったことは、大変にけっこうなことであろうかと存じます。

しかし、実際、現在でもそう信じている人たちは確かに存在するでしょう。
宗門から離脱し学会にいった僧侶の中には「池田先生が袈裟衣を着れば日蓮大聖人」と語った話は石山ではまことしやかに語られていました。


ただし、指導者を神仏の再誕とする論は、池田さんとその周辺に限らず、いつの時代でも、集団化した人々に動かす基本原理となってきたものでした。天台を小釈迦といい、また、聖徳太子信仰もそのような影を持ち、伝教崇拝も天台再誕説を孕むわけです。保田教学では、中興の祖・要師を目師再誕と見做していたことが我師『申状見聞』から仄聞できます。

石山ではそもそも、蓮師と釈尊を同一仏であるとする考えは寛師に見られ、ひいては久遠元初自受用報身如来と看做すことも、これまた再誕論であることは、殊に日蓮本仏論者は意識しなければいけないわけです。大勇者さんの言を籍りれば、一般の日蓮門下すれば、さらに社会一般からすればまことに「バカバカしい」と映ずる教義であることを知らなければなりません。

沸騰した熱烈な個人崇拝が、それ以前の宗教、もしくは教義から派生するとき、必ずや原型となった崇拝対象との同一視が生じ、そして、再誕論がまことしやかに語られてきた…、それが古今東西、人類が紡いだ歴史の現実であり、石山は言うに及ばず、興師門下、そして、近代では創価学会もその例外ではなかったということです。

1361犀角独歩:2005/01/17(月) 08:30

―1360からつづく―

なお、吉祥仙人さんが

> 私の信心が揺らぐものではありません。
> 現実の体験=現証が、確信を与えてくれています

が記されておりますが、このような発言は得に創価学会に限らず、石山でも、顕正会でも、もっと言えばあらゆる宗教で、信者は誰しも口にすることです。ことさら、特別なことではありません。換言すれば、「体験」は宗教の真価であるけれど、真実とは無縁のものです。人間という動物は、架空の出来事を事実のように実感できる想像力を発達させています。まったくの虚構、演技に過ぎない映画、演劇、テレビ番組を見て喜怒哀楽に浸れる心理構造は、宗教が与える感動、もしくは体験と密接な関係にあるのでしょう。
社会心理学で言えば「個人的リアリティ」と言われるところです。

ただ、では功徳、祈願成就はどうであるかという問いが生じます。これまた、宗教の数だけ、功徳(御利益)と罰も同じ数あります。どの宗教でも功徳はありますし、罰もあることは宗教全体を見渡せば、すぐに気付けることです。
つまり、これは信仰心は人間の能力を最大限まで活性化させるものであることを意味し、実は、その能力は、特定の集団、教義、本尊、指導者によって与えられたものではなく、個人に帰属するものであるということでしょう。

それを集団・指導者に対する恩義であるとするような心理操作は、宗教集団の「営業」トーク以上の意味を持ち合わせていません。

宗教集団・指導者信仰から脱却し、元来の宗教信仰に回帰するべきだと指摘したのは宗教病理学の専門家でもある小田晋師でした。今の創価学会員からすれば、これまた仰天することかもしれませんが、師は三障四魔教説を元に妄想を発症した創価学会員である精神障害患者を研究し論文を発表しています。

http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/open/ol001_takahasi.html#04e
(参:http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/01/01_106.htm )

いずれにしても、創価学会がカリスマ信仰から脱却した信仰形成を移行し、池田会長本仏論が過去のこととなることは、むしろ、歓迎すべきことなのでしょう。先んじた国立戒壇論の放棄は、800万人・500億円に及ぶ散財を会員に強いた点は精算されることはありませんでしたが、ラジカリズム、ファンダメンタリズムからの卒業としては意味がありました。しかし、冒頭に陳べた日本仏教集団が共通して持つ難問のクリア、さらに特権階級化した指導者ファミリーの世襲制問題、蓄財など、社会的悪評をどうクリアするか、まだ創価学会には問題は山積していることは、会員は、もっと深刻に捉えるべきであるとわたしは考えています。

1362大勇者:2005/01/17(月) 10:59
単己さん
>>1357 の御投稿の如くは現在でも多いに行われております。
私は学会内のある人材グループに属しておりますが、この中での指導の基本は
学会内でのエリート意識を持たせ実動させるというものだと感ます。
あくまでここでは「池田本仏論」ではなく「徹底した師弟論」に終止します。
この「徹底した師弟論」の事が「池田本仏論」なのか?「池田本仏論」からの摩り替えなのか?
については疑問に感じておりました。
研鑽資料は「小説」と「新聞」が殆どであり物足りなく思っておりました。
青年部のこの「先生の勉強会」を早く卒業して壮年部へ行きたいのが素直な本音でおりましたので、
壮年の方々に実は「池田本仏論」容認者が多く残っているとすれば、残念に思います。
吉祥仙人さんのような考察のかたが主流である事を期待します。

1363大勇者:2005/01/17(月) 11:22
犀角独歩さん
>そもそも、この考え自体、中世以降の捏造教学であり

私は捏造とは考えていません。
文底秘沈と拝するかどうかだと考えています。
これを捏造と断定するならば大乗仏教そのものが捏造の塊になってしまうと思います。

日達師は

一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、
竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。

ここの「しづめたり」は真筆こそないものも、日興師以降より「ひしづめたり」と
と拝し読んで来ていると仰られております。

1364犀角独歩:2005/01/17(月) 11:38

大勇者さん:

あなたがどう考えるかは勝手ですが、この件については、当板では徹底した議論してきたことです。これはまた、どう考えるかではなく、事実はどうかという問題です。単に言い返すのではなく、もっと過去ロムを読み込んでから反論するなら反論しなさい。

また、言われるまでもなく達師の言などもとより承知です。
文底秘沈をしたのはしかし、一念三千であり、寛師はこれを法華経・寿量品・文底と三重に配したという初歩的なことは知らないわけはありません。その前提で、捏造であると言っているのです。

なお、大乗仏典は「捏造」ではなく「創作」です。
まだ、こんな幼稚な言い返しをする人がロム者にいるとはまったくもって驚きです。
程度が知られるというものですよ、もっと勉強して出直しなさい。

1365大勇者:2005/01/17(月) 22:48
>>1364
ずいぶんな御返答ありがとう御座います。

仰る通りにもっと過去ロムを読み込んで勉強致します。
確か「文底秘沈」をどこまで遡れるかについては結論付けてないと思いましたが
再度ロムって見ます。

久遠元初の自受用身即日蓮大聖人については、そのように拝するという
私の考えですので勝手にします。
「本仏」は捏造したり創作したり出来るものではありません。

1366犀角独歩:2005/01/17(月) 23:02

> 「本仏」は捏造したり創作したり出来るものではありません

本仏は捏造できなくても、本仏という教義はいくらでも捏造できます。
それが石山から学会にいたる日蓮本仏という教学の系譜です。

なお、真蹟遺文中には自受用身なる言葉自体出てきません。
真偽ごちゃごちゃになっている御書を全部本物であると鵜呑みにした最初の一歩で躓いているわけです。

要するに基礎の基礎がまるでできていないということです。
腹を立てる前に自分の教学とはどんなものであるのか、よく反省してみることです。
正直、言って、ここの掲示板でやり取りする水準にはまるで達していません。
小学生が大学の講義に出ているようなものです。
これを悪口ととるとか、忠告ととるか、現実と取れるかで、今後の進展は大きく変わることでしょう。

健闘をお祈りするばかりです。

1367吉祥仙人:2005/01/19(水) 20:46
 横から失礼します。
 過去の書き込みを勉強させていただいておりますが、現在400代です。
正直言って誠、小学生が大学の講義を受けている如くです。
 いずれ、論議に参加させていただきたいと思います。
 特に、現実に生きていくうえの功罪について

1368犀角独歩:2005/01/19(水) 20:58

吉祥仙人さんのことも、わたしは、楽しみにお待ちいたしております。
当スレッドばかりではなく、『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』ほかも、当板ので議論されてきた内容を知るうえで一読されることをお薦めします。

1369通りすがる:2005/01/20(木) 20:38
あるHPに、保田妙本寺の、鎌倉日桜師が日達上人は
毒殺されたというようなこと書いてありましたが
日達上人に死に際はどんな、様子か知ってる人いますか?

1370吉祥仙人:2005/01/20(木) 21:13
 山崎正友氏が日達上人を接待し、クルーザーで舟遊びをしている最中
体調を崩し、富士宮の病院で急死されたと理解しております。

1371邪教:2005/01/20(木) 21:29
な〜〜〜〜か、ハイソなレジャーをおたのしみだったのですねえ。

1372通りすがる:2005/01/20(木) 21:50
吉祥仙人さんその病院はどんな病院ですか?

1373吉祥仙人:2005/01/20(木) 22:11
 フジヤマ病院と言う名前しかしりません。

1374吉祥仙人:2005/01/20(木) 22:15
 詳しくは検索してみてください。

1375おおい:2005/01/20(木) 22:19
最近、日顕さん落しで学会も顕正会も連合してるみたい。
暮れの11月15日付け『顕正新聞』のまんま、吉祥仙人さん。
学会も顕正会も同じ出どこの情報によってんのかね。ふうん。

1376吉祥仙人:2005/01/20(木) 22:27
 おおいさんへ
 もし、私の書き込みが誤解、あるいは操作された情報に基ずているなら、
どうか事実を明らかにしてください。

1377吉祥仙人:2005/01/22(土) 21:25
 誤解、あるいは操作された情報に基ずいて
訂正
 誤報、あるいは操作された情報に基づいて

1378愚鈍凡夫:2005/01/22(土) 23:38

横レス失礼します。
ネットで検索掛けたら、こんなんヒットしました。 ((( ;゚д゚)))アワワワワ

**************************************************
●国賊地口太昨「創下学園」を斬る
と、言う題の本を読んでみました.
-----------------------------帯から
(コダイ悪魔教に日本を売る)
国賊地×太昨「創×学園」を斬る 太田龍 (泰流社)

地口創下学園はコダイ悪魔教から、日蓮法華経信仰を破滅すべき任務を与
えられている!!
彼らが本当に信ずるのは「ルシファ=悪魔」であり、
日本民族はこの「黒魔術の力」に気づかねばならない.(よう書くわい)

序章  人々を餓鬼界、地獄界に引きずり込む悪魔教、創下学園
第一章 法華経の敵、池口太昨の正体は?
第二章 「フランス大革命」を礼賛する地口太昨創下学園の犯罪
第三章 「東京裁判(コダイ米英多数派判決)史観」の枠組みの中に
    法華経信仰を取り込もうとした池口創下学園の罪
第六章 地口太昨の、日蓮正宗、細井日達法主「毒殺」事件を推理する.
----------------------------ここまで
第六章 六、(より抜粋) P.121
五つの問題点
(1)日蓮法主の創下学園青年部による強制連行(誘拐).
(2)その2時間後、不慮の事故(毒殺と推定).
   (創下学園には、学園員の医師による「ドクター部」と称する組織がある.
(3)一ヶ月後、問題の医師の変死.(確か、その妻も変死)
(4)事件の下手人と目される青年部員の大幹部への出世.
(5)鎌倉日桜師が「細井日蓮法主は毒殺された」と明言していると伝えられる.
以上.
**************************************************

「なっ、なんやねん。これは・・・・・」(by 独り言) ( ̄Д ̄;;;

Re: リンク付け足し〜日蓮正宗、細井日達法主「毒殺」?
http://www.asyura.com/sora/bd13/msg/561.html

1379通りすがる:2005/01/23(日) 07:55
やはり、日達上人の死には、疑問があるんでしょうか
シアトル事件の、主役、クロウ夫人の死も疑問がりますよね

1380吉祥仙人:2005/01/23(日) 09:07
 愚鈍凡夫さま
 あわわ・・・な本ですね、本当にあれば
 誰がどんな掲示板に書き込んだか知りませんが、ネットに書き込む上で
ありもしない本の目次をでっち上げたとしか思えませんね。
 2ちゃんねるあたりに氾濫する下品な書き換え(誤植)のオンパレード
 人の死という厳粛な事実を憶測で勝手にいじくりまわす。良識のかけら
でもあれば、できないことです。
 愚鈍凡夫さまともあろう方が、この掲示板に引用する価値を認めたとは
驚くしだいです。お酒でも飲まれていたのでしょうか。

1381祝8郎:2005/01/23(日) 14:20
その本は、ずいぶん前に池袋法道院前の仏具屋にも平積みで置かれていましたね。
ネタ元は犀角独歩さんが旧知の南条白山とか高橋公●の弟のはずです。
オ●ムのネタ本にもなったトンデモ本で、一部の正宗寺院の受付でも売られていたのを見ています。

1382犀角独歩:2005/01/23(日) 15:02

> 1381

いえ、わたしは南条白山さんと旧知というわけではなく、わたしが当人に出した手紙を、こちらに確認するわけでもなく、『アサヒ芸能』の自分の原稿で勝手に使われただけです。また、彼は『福田』かなんかに「福島源治郎さんと男子部時代に知り合いで家に言った」とか何とか、親密そうに書いていたので、本人に確認したら「そんな人は知りません」とのことでした。そのまま、彼に伝えたら、釈明文を送ってきたことがありました。ちなみに福源さんの勉強会に、わたしは参加したことがありましたが、全体的に僧侶蔑視、教学が浅薄と窺え、その感想を率直に述べるとなんだか不機嫌になったので、それ以上、得るものもないので、物別れになった…という過去の一幕がありました。

なお、該当書は、わたしは読んでいません。
ここいらの人が書いた本は、わたしはなにも参考にしません。
これらの学会批判は過去の遺物、これからは島田師や、『AERA』のような学会考察が主流になるでしょう。マッチポンプ、真ん中には行って騒ぎを起こしては、利ざやを得るような低俗な手練手管が通用する時代は終わりです。

愚鈍凡夫さんの紹介は、シニカル・ユーモアの範疇ということだと思いますね。

渡辺昇一師は『日本史から見た日本人・古代編』(祥伝社)のなかで、
「自分の国の悪口ばかりを言っている人を活動させておくこと自体、現在の日本が高い文明状態にあると思い、それを誇りに思っている」(P7)
と書いていました。わたしは、この件が好きで、創価学会も、石山も、これくらいの懐の深さを見せれば、成熟した団体であると世間から思われるものの、という感慨を新たにする昨今です。

1383彰往考来:2005/01/23(日) 15:53

自己レスです。

1349で国立戒壇に関する創価学会の路線変更について、

>確か昭和47年でしたっけ、創価学会が路線変更をしているわけです

と書きましたが、これは記憶によるもので、正確には昭和45年と思います。
昭和45年5月3日の第33回本部総会での池田会長(当時)指導がそれにあたると考えます。

以上、訂正いたします。

1384通りすがる:2005/01/23(日) 16:05
シアトル事件にしても、芸者遊興捏造写真にしても
創価学会の捏造がはっきりしてるのに、司法は
創価学会に対して、はっきりした断罪をくださない
曖昧模糊な、判決、日本の裁判制度は牛耳られた

1385犀角独歩:2005/01/23(日) 17:20

> 1384

写真の加工はともかくとして、椎名さんの古希かなんかの祝いを、芸者さんや、仲居さんがいるような高級料亭で行うという石山坊さんの、一般の庶民感覚から乖離した日常が問題なわけでしょう。こういう点を何で法華講はぼっと見逃すんでしょうか。

また、芸者写真にしても、シアトル事件、達師の死亡についても、それぞれ石山・学会の出版物に掲載されたネタ、そして、その論評が、そのまま、自分の考えになってしまう心理操作された側面を、よくよく自分に引き当てて考えてみる必要はあると思いますよ。

1386愚鈍凡夫:2005/01/23(日) 17:40

>>1380:吉祥仙人さん、どうも。

いやねぇ、「日達師毒殺説」というのも、所詮は、UFOに誘拐されたとか、マーカット資金(M資金)が低利子で借りられるって類と大して変わらない次元の話だろうと思いましてね。
逆に言えば、2ch風に揶揄される程度のネタでしかないと言うことではありませんか。
それを真に受けるとしたら・・・・・、どうでしょうか。( ̄ヘ ̄)ウーン

話としては、「クロウの変死」「東村山市議会議員の変死」の話の方が信憑性があると思います。

1387祝8郎:2005/01/23(日) 17:45
芸者写真の件ですが、遊興とはいえないまでも、事実として芸者をあげたわけですよね。
写真の改変にしても、改変前と改変後で「芸者をあげた」という事実が覆るものでもなかったのではありませんか。
この問題は、写真という著作物に勝手に手を加えた、という著作権法違反の問題だと思われます。
写真を掲載した「創価新報」は創価学会の内部部署が編集する機関誌なのですから、けっきょくのところは創価学会が平気で著作権侵害とい「犯罪」を犯したということになるわけです。
つまり、
一、創価学会は著作権法に違反し著作権侵害をした。
二、古稀の祝いであれ何であれ、大石寺僧は芸者をあげた。
事実はこのふたつだけですね。
創価学会が著作物を改変・改竄するというのは、堀日亨氏の「富士日興上人詳伝」、戸田城聖氏の「小説 人間革命」、同じく戸田氏の講演集など枚挙にいとまがありません。

また、シアトル事件については、裁判所の和解調停を大石寺側が受け入れ、阿部日顕氏の著作「真実の証明」を再版・増刷しないとした事実もあり、軽々に「捏造」と言い切ることもできないと考えられます。

1388吉祥仙人:2005/01/23(日) 19:04
 愚鈍凡夫さま
 一読して、真に受けてしまいました。
 後から読み返しリンクも開いてみて早まったと思ったものの後の祭りでし
た。
 瞬間湯沸かし器のサガ、お恥ずかしいしだいです。

1389愚鈍凡夫:2005/01/23(日) 19:46

日達師で思い出し、古い資料を読み返していたのですが、またまた首を傾げてしまいました。

「アヤヤほど可愛くありませんが」(by 独り言) (^▽^;)
「分かってるちゅうねん!!」 (by 外野席) (▼▼メ)

「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。」

「現時における」って言っても・・・・・。保険を掛けたな・・・・・・。

「即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」

「安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず」と言っても・・・・・。創価学会員の時代に何度も拝観しておりますが・・・・・。 (-"-;A ...アセアセ

創価学会と顕正会の間で揺れ動く法主心を垣間見た思いでした。

「正本堂の意義について日達上人猊下より訓諭」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/1972/113.html

1390通りすがる:2005/01/23(日) 22:08
祝8郎さんへ、たしかに古希祝いに芸者をあげました
しかし、創価日報に載ったのは、日顕上人以外の人物
背景をぬりつぶし、日顕上人、お一人で、芸者をはべらしたかの
ような、トリミングを行ったのです。それも下品な言葉で揶揄して
シアトル事件にしても、裁判の判決文では
「シアトル事件」の存在すらも、客観的に立証されていないと認定されている。」
となっているのです。

1391犀角独歩:2005/01/23(日) 23:07

1389 愚鈍凡夫さん:

たしかに細井さんの、この文章は今読み直すと苦笑せざるを得ません。

「…須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」

だったら、広宣流布したら(するわけはないことはさておいて)、中の須弥壇は蔵から、違う形に作り替える設計になっているとでも言うわけだったんでしょうかね。
それとも樒を飾れば、もう蔵じゃないというところでしょうか。
曖昧模糊、歯切れの悪い、矛盾に満ちた文章をたいそうな文体で誤魔化したまったくどうしようもない発言ですね。

1392愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 08:26

犀角独歩さん、レス有り難うございます。
「樒」は「悪しき実」が名の由来と「広辞苑第4版」に載っていましたが、石山にとって正本堂こそ「悪しき実」だったのかも知れませんね。

日達師の訓諭を読んだ後、下記のHPを読むと、何となく切なくなるのは何故でしょうか。 (..;)

「あの頃のこと 第10回」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/1558/page064.html

1393吉祥仙人:2005/01/24(月) 09:08
 山崎正友氏らしい「記憶の後付」ではないかと思います。
 宮本共産党議長宅盗聴事件の裁判当時でも、こんな話は出てこなかった
と思います。当時は創価学会と敵対し、盗聴事件の傍証として別な事例を
示したほうが有利だったにもかかわらず。
 そしてこちらの盗聴には北林氏が出てこないのも、同裁判で北林氏の関与
を証明できなかったゆえではないでしょうか。
 山崎氏の証言は、過去のさまざまな裁判の判決から言っても、信用するに
は大きな危険が伴うと思います。

1394愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 13:49

山崎さんの言ってることの全てが真実だとは思いませんが、創価新報などでの陰湿で執拗な個人攻撃を目にするにつけ(昨年の8月まで聖教新聞と創価新報を購読していました)、山崎さんの発言には真実が多分に含まれていると思っています。勿論、他の資料と照合しなければなりませんが。
また、山崎さんが辻褄の合わない改竄のパッチワークを続ける巨大組織に戦いを挑む姿には賛同しますが、だからといって、山崎さんの人生を賞賛する気はありません。本人も、創価学会と深く関わったことについて、慚愧に堪えないのではないでしょうか。

「あの頃のこと 第10回」については、日達師の歯切れの悪い説法の背景を物語っていると思います。

1395彰往考来:2005/01/24(月) 17:13

吉祥仙人さん

>1393

はじめまして、彰往考来です。

どうも前後関係がわからないのですが、1393で北林氏が出てきます。
どういう内容なのでしょうか?

1396とおりゃんせ:2005/01/24(月) 17:28
山崎さんは前科者であるのは事実。
だから語る資格なし。
だいたい、盗聴という犯罪行為を、会社の営業でもやっている論調で書く神経は反省ゼロ。
こんな人間を置いておく日蓮正宗、妙観講も同罪。
だからと言って書いている内容が嘘とはならない。
学会がおかしいのも事実。
ここで大事なこと。自分が所属している団体へのひいき発言はやめようぜ。
ところで、北林っていう葬儀屋の社長、どんな形で当時関与してたの?
それよりなにより、この人、学会では評価されてんだ(爆)

1397愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 20:04

報恩社社長の北林芳典さんの話というのは、次のような内容ではありませんか。

**************************************************
「"無病息災"を願う宗教と死者でかせぐ葬儀の奇妙なドッキング 池田がこよなく愛する"葬儀屋稼業"

 飲食店と書店の次は、"葬儀会社"が急成長した。
池田大作が社長会のたびに面白がった"富士白蓮社"の他に、数社が設立され、なかでも、"盗聴、謀略師団"のワザ師として悪名高い北林芳典が社長をつとめる「報恩社」は、情報謀略活動の拠点会社としての役割も果たしている。
日蓮正宗に破門されて以来、創価学会は、僧侶不用の「友人葬」を称え、葬儀をとりしきる学会系葬儀社が、その実施部隊として活躍した。
会場の設営、墓地や火葬の手配はもちろんのこと、古手の学会幹部が導師をつとめる儀典までをとり仕切り、学会員の葬儀を独占して荒かせぎを続ける、これら葬儀社は、余勢をかって他宗の人々の葬儀にまで手を伸ばしている。
創価学園卒の幹部が、棺桶のクギ打ち用の石をポケットにしのばせ、他宗の人々の葬儀にまで走りまわりながら、
「昨日は、池田先生の会食(年に一度か二度)の席で、激励されました!」
 とハッスルする姿は、異常を通りこして、こっけいですらある。

「池田大作 日本経済乗っ取りの野望 6-2」より
**************************************************

「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」
http://www.toride.org/takeov/4_6_2.htm#6

1398愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 20:30

>>1397:からのつづき

昭和43年に行われた参議院選挙の際に、他人の投票入場券を盗み、組織ぐるみで本人になりすまして公明党に投票した「替え玉投票事件」で、創価学会学生部の北林芳典、宮本孝、砂川昭夫ら8人が有罪判決を受けた。

**************************************************
日本共産党・宮本委員長は、同年8月26日、創価学会による電話盗聴事件に関し、会長の北條氏ら5人を相手取り、通信の秘密、政治活動の自由およびプライバシーの権利を侵害した不法行為等により、1千万円の損害賠償を請求する民事訴訟を提起したのである。
この裁判の過程では、それまで創価学会が行なってきた、数々の盗聴行為が浮き彫りにされていった。

<東京地裁の判決文>
被告山崎は、昭和47年以降、学会ないし北條から資金等の提供を受け、被告廣野、同竹岡、同北林らを指揮して、少なくとも次のような情報収集活動を行った。
(ア)日達上人と浅井父子との、妙縁寺における会談の盗聴
(イ)秋谷、原島、被告山崎と浅井父子らとの、常泉寺における7回にわたる対決討論の盗聴
(ウ)妙信講に対する内部情報収集活動
(エ)立正佼成会に対する内部情報収集活動
(オ)学会と対立関係にあった松本勝彌に対する内部情報収集活動
(カ)学会批判者の拠点である妙本寺における内部情報収集活動
**************************************************

「謀略活動」
http://members.at.infoseek.co.jp/netplane/boryaku.html

1399犀角独歩:2005/01/24(月) 22:02

愚鈍凡夫さん、要するに、山友さんと同じく、北山某は、盗聴、その他の前科があるというわけですか。
なんで、石山も、学会も、前科がある人間に、ここまで、発言権を与えるのでしょうか。
それぞれの資質が問われようと言うものですね、これは。

1400愚鈍凡夫:2005/01/24(月) 23:30

犀角独歩さん、どうも。

あれじゃないですか。どちらかの幹部がドジを踏んだら、鬼の首を取ったように大はしゃぎする両陣営ですから、ネタを持った人物なら誰でもOKってことじゃないですか。
両陣営とも、相手をボコボコにできるんだったら悪魔にでも魂を売りそうな勢いですから。

このバカチンが〜!!!  川`0´)/☆#T。T) アウッ!

1401吉祥仙人:2005/01/24(月) 23:41
 山崎氏が創価学会恐喝事件で実刑判決を受け、確定し、収監までされた
事実を忘れてはならないと思います。
 また、かつて週刊誌上で阿部管長を口汚く罵っていたこともご記憶にあ
る事と思います。
 そして正信会から法華講へ寝返ったことも。
 かの人の証言ほどいつ変わるかわからないものは無いと言えましょう。

1402愚鈍凡夫:2005/01/25(火) 00:23

でも、北林芳典さんのように創価学会さえ裏切らなかったら、前科があっても創価学会御用達葬儀社「報恩社」社長の椅子に座って、温々としていられるというのも何か変ですよ。
それに宮本元共産党委員長宅盗聴事件の実行犯の一人、竹岡誠治さんはヤフーBB加入代理店・SST社長ですよ。脛に傷持つ身であっても、創価学会に楯突かなければ優遇されるというのもおかしな話だと思いませんか。

「FORUM21・特集/ヤフーBB個人情報流出事件と創価学会」
http://www.forum21.jp/contents/04-3-15.html

1403犀角独歩:2005/01/25(火) 04:35

> 1400

愚鈍凡夫さん、まったくですね。

> 1401

吉祥仙人さん、当板では、自分が所属する団体のひいき発言は、相手にされないのが常ですよ。そうではなく、自分が所属する団体であればこそ、その責任に基づいて、発言する必要があるでしょう。山友さんなんて、ここではだれも相手にしてませんよ。今後、メディアも相手にすることはないでしょう。それを使う石山はどうかしています。

まあ、言い足せば、山友さんがやったことであったにせよ、宮本宅、もしくは達師盗聴は、創価学会がやった犯罪と認識されているのも事実です。間違った過去はなかったことにして誤魔化すのではなく、しっかりと反省し、謝罪もして、前に進まなければ、社会一般の不信感は払拭できるものではありません。

それはそれとして、創価学会員であるあなたは、盗聴なんて言う恥ずべき前科がありながら、「最蓮房だ、日興だ」と、さも正義感ぶって文を書く人間をどう感じるわけですか。自分たちの組織の御用達でやっている会社を使う学会員の有様を、世間一般はどう感じるかという視点から、考える必要があるでしょう。学会が批判する山友さんなら、ここに批判できるが、学会で認める北林さんならば同じ犯罪を犯した人間でも批判が書けない自分の有様を省みてはどうですか。

山友さんのことはわかりましたから、あなたは北林さんを、学会員として、どう思うわけですか。あなたが、この人を庇い立てすると言うことは、盗聴という恥ずべき行為も認めると言うことなんでしょうか。それとも、そんなことはなかったというわけなんでしょうか。

1404吉祥仙人:2005/01/25(火) 08:44
 北林芳典氏は自著「邪智顚倒」「反逆の裏にある顔」において昭和43年
のいわゆる新宿事件(替玉投票事件)について正直に経緯を記述し、反省し
謝罪しています。宮本邸盗聴事件に北林氏が関与していなかったことは、昭
和63年の控訴審高裁判決でも明らかです。(なぜか慧妙では確定判決であ
るこちらが載っていないようですが)
 ただし、高裁判決でも北条副会長(当時)の関与が認定され、創価学会の
組織的関与がうかがえるとされたことは事実です。このことについては北条
前会長は裁判中途で亡くなり反論の機会が失われたわけです。
 山崎氏が創価学会の要職にある時、盗聴事件の中心となって行ったわけで
すから、創価学会の犯罪と言われるのは止むを得ないことでしょう。
 創価学会は二度とあのような人間を幹部に登用しないよう反省し、謝罪し
前に進まなければならないでしょう。

1405愚鈍凡夫:2005/01/25(火) 09:26

北林芳典さんは、宮本議長宅電話盗聴事件の時、裏で協力していたのではなかったでしょうか。
何れにせよ、盗撮・盗聴・尾行といった他人のプライバシーに土足で踏み込むような真似は、少なくとも宗教に携わる人間のやることではないことは確かです。

尚、宮本議長宅電話盗聴事件については、ここが詳しいです。

盗聴集団創価学会
http://www.toride.org/tap/tap1.htm

創価学会の言い分として、「地涌」の記事も紹介します。

地涌704
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/20/704.html

1406犀角独歩:2005/01/25(火) 10:15

1404 吉祥仙人さん:

重ねてお尋ねします。
北林さんは「反省し謝罪」したとのことですが、それで、過去を不問に付すと言うことでしょうか。いずれにしても、縁起法門を説く仏法に執行猶予も、時効もないでしょう。
盗聴その他で、迷惑をかけ、被害を与えたものに対して、過去の反省・謝罪を無効にするような行いは、仏法規範をもってくるまでもなく、現行法とて、再犯と見なし、犯すところの裁きはさらに重いことになります。そのような意味で、学会、もしくは会員は、そのような人間に対しては、もっと厳重に扱い、監視の目を光らせるべきではないでしょうか。

ところ、愚鈍凡夫さんが挙げられている『地涌』の創刊から、その内容に至るまで、この北林さんは、関与しておりませんでしたか。これは質問です。

1407犀角独歩:2005/01/25(火) 10:20

1406の補足です。

1404の吉祥仙人さんは、わたしが1403において、事実関係は示されたものの「北林さんを、学会員として、どう思うわけですか」という質問に対しては、答えておりません。
この答えを併せていただき、議論を進めたいと思います。

1408彰往考来:2005/01/25(火) 18:28
>1404
吉祥仙人さん、

何も私は貴殿を問い詰めるつもりはないのです。
北林氏が、世間に対して、創価学会に対して、そして一般の創価学会員に対して
謝罪しているとはとても思えないのですが、『邪智顚倒』の中で謝罪していると
いうことですから、まずはその本を読んでから考えたいと思います。

ただし誤れば済む問題ではありません。裏の社会で生きてきたのなら、表に出て
くるのはルール違反でしょう。なにが『日蓮と最蓮房』ですか。エエカッコする
なといいたいですね。

誤ってすむなら、正本堂破壊という世紀の愚行(私だってご供養したのですよ!)
をした日顕さんを創価学会の人は許すのでしょうか?

1409彰往考来:2005/01/25(火) 18:33
>1408

訂正です。

誤:誤れば、誤って
正:謝れば、謝って

1410吉祥仙人:2005/01/25(火) 21:40:33
 犀角独歩様
 私の個人的な思いを述べさせていただきます。
 マスコミであることないこと述べていた山崎氏の実態(と思っておりま
す)を広く知らしめてくれた人と思っております。山崎氏を正義の内部告
発者と信じる人が少なくなったのは、北林氏のお蔭であると思っておりま
す。こんなところでしょうか
 「地涌」については単なる読者なのでわかりません。
 ちなみに誤解があるようですが、北林氏がかかわったのは替玉投票事件
であって、盗聴事件ではありません。

1411吉祥仙人:2005/01/25(火) 22:02:37
 追伸
 北林氏に限らず、犯罪を犯した人間でも更生し社会復帰する権利と義務が
あると思います。山崎氏も例外ではありません。
 では、なぜ創価学会が山崎氏の旧悪を暴き、現在も非難を続けるのか
 それは山崎氏が創価学会に対し反省も謝罪もせず(阿部管長に対しては、
懺悔し、前非を悔いたそうですが)権利を行使せず義務を果たしていないか
らだと思います。

1412愚鈍凡夫:2005/01/25(火) 23:00:09

> マスコミであることないこと述べていた山崎氏の実態(と思っております)を広く知らしめてくれた人と思っております。山崎氏を正義の内部告発者と信じる人が少なくなったのは、北林氏のお蔭であると思っております。

福島・山友・原島各氏がそうであったように、曝露話というのは、両刃の剣だと思います。小生は、北林さんの場合も、山友さんと同じ穴の狢だったことを自ら曝露したようなものだと理解しています。

1413犀角独歩:2005/01/25(火) 23:02:18

吉祥仙人さん、わたしが創価学会がどう考えているのかを聞いているのではありませんよ。
あなたが、どう思っているのかを聞いているのです。
また、なぜあなたが創価学会と全く同じ論調なのかを聞いているのです。
なお、「創価学会に対して」謝罪したかどうかは、外部であるわたしどもにはなにも関係ありません。

1414犀角独歩:2005/01/25(火) 23:10:47

1413をもう少し補足します。

要するに「創価学会に対して謝罪をしたならば、犯罪を犯して許す。謝罪しないならば許さない」、ひいては特に反社会性がなくても「創価学会に刃向かうならば許さない」と言ったたぐいのファンダメンタリズムに不快感を生じると言っているのです。そして、あなたも、その例外ではないということです。

会員にとっては、どうか知りませんが、日本も、地球も、創価学会の価値観で動いているわけではありません。ただ、その一員であることを積極的にわたしは考えようとしています。そんな矢先に、創価学会中心、創価学会に謝れば許すなどというまったく社会一般に通用しない理論を、この平等の場に持ち込まないでほしいと言いたいわけです。

1415彰往考来:2005/01/26(水) 07:43:29
>1410
吉祥仙人さん、

北林氏が盗聴事件にはかかわっていないと断定されていますね。
では、その証拠を出してください。小生も昨夜古い資料をひっくり
かえしました。唯一でてきた創価学会の見解(?)は替え玉事件の
もので秋谷副会長(当時)の発言です。盗聴事件では見当たりませ
んでした。

******************************
―最近の週刊誌等による誹謗記事について(上)
      秋谷副会長に聞く

昭和四十三年の参議院選挙について、東京新宿で「六千人もの」学会
員による〝替え玉投票〟があったとしていますね。(後略)
秋谷 たしかに、一部の青年が熱心さのあまり、他人の投票用紙を
使用して投票するという事件が過去にありました。いかに熱心さの
あまりとはいえ、法律に抵触することであり、許されるべきもので
はありません。事実、事件を起こした関係者八人は起訴され、東京
地裁で昭和四十三年十月に有罪の判決が確定しています。関係者も
深く反省しています。
(後略)
−聖教新聞 昭和55年6月26日 3面
******************************

とあります。なおここでは創価学会としての関与、加担者六千人とい
うのは否定されています。

北林氏が盗聴事件にかかわっていないという報道が聖教新聞にあった
のですか? 
北林氏が盗聴事件にかかわったかどうかは知らない、解らないという
のが貴殿の立場ではないのですか?

1416吉祥仙人:2005/01/26(水) 10:47:34
 愚鈍凡夫様
 >同じ穴の狢
 創価学会員である立場から一歩離れてみれば、その通りかもしれません。
 創価学会を擁護するか非難するかで人物を色分けすることは、不毛な論戦の
原因となるでしょう。
 そこに出てくるのは好悪の感情だけでしょう。
 山崎氏も北林氏も同一のレベルにあるのかもしれません。
 両者とも「あんなやつと一緒にするな」と怒るかもしれませんが。

 でも冷笑主義でもいけない。社会生活を送る上で一番役に立たない主義だと
思うのです。

 何かを信じる、できれば信じきることによって人間の活力が最大限に発揮される
ことは間違いないでしょう。(信じるものについて慎重に検討したうえで)

1417吉祥仙人:2005/01/26(水) 11:06:58
 犀角独歩様
 創価学会中心主義とのご指摘、誠にその通りでした。
 信じるものの正義をうったえたくなる感情に流されていたようです。
 
 対話とはお互いの主張を認め合い、共通点と対立点を見出し、折衷ではなく
より高い価値の発見を目指すものであると思います。

1418愚鈍凡夫:2005/01/26(水) 11:26:20

吉祥仙人さん、小生は「様」で呼ばれる程の人間ではありません。「さん」付けでお願いします。 m(_ _)m

北林さんを弁護することは創価学会を擁護することにはならないと思います。改竄のパッチワークを止め、現実にあったことをあったと認めることが大事なのではないでしょうか。
外敵を作り、それを攻撃することが信仰ではないでしょう。そんな修羅の緊張感の中で育てば、相手を思いやる心など育まれるはずもありません。

小生は、「信じる」ことよりも、真実を真正面から見つめ、誤りがあれば素直にそれを認め、軌道修正する姿勢こそ重要だと思います。これは創価学会員時代の過ちから学んだことです。逆に言えば、信仰対象が「信じる」にたり得るものかどうか検証する勇気こそ大切なんじゃないでしょうか。

1419吉祥仙人:2005/01/26(水) 11:31:43
 彰往考来様
 1416・1417のとおり、感情的になって北林氏の過去について断定してしまい
ました。
 根拠は先に出した「邪智顚倒」に引用されている昭和60年4月22日東京地裁
「判決文」のみです。(先に高裁判決云々と書いたのは思い込みでした。)

 「被告山崎の前記供述を採用し得ない以上、これらの事実から被告北林の
本件電話盗聴への関与を推認することはできず、他に右関与を認めるに足る
証拠はない。よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告の
被告北林に対する本訴請求は理由がなく、棄却を免れない。」

 ・・・無罪となった私を東京高等裁判所には控訴しなかった。

                        (邪智顚倒P34〜35)

1420吉祥仙人:2005/01/26(水) 12:13:34
 ご指摘に従い愚鈍凡夫さんへ

 過去の会長本仏論・国立戒壇論の誤りと修正については、ここで学ばせて
いただきました。

 それを「改竄」していると言うご指摘については、私のように後世になって過去を
学ぶ人間が出てきたとき、いらざる混乱をまねかないために改訂していると理解して
おります。
 そのまま載せて、注釈で「現在は誤りとされている」と手間をかける方が正直
なのかもしれませんが。
 そこが信仰の難しさ、初代・二代・三代会長の過ちをあえて記載することが信心を
深める強める上で役に立つかどうか。
 「過去に生きるのではなく、現在と未来に生きるのだ」というのは詭弁でしょうか
 私はそのようにありたいと思います。

 別な書き込みで拝見しましたが、過去の学会活動のせいで「人生を棒にふった」
との想いが強ければ、それもかないませんか(愚鈍凡夫さんのことではありません)
 
 「信じる」にたり得るものかどうか検証する勇気
 
 とのことであれば、文証・理証・現証ですが

 創価学会員時代の過ちから学んだこと
 
 であれば、ウーム

1421彰往考来:2005/01/26(水) 12:42:07
>1419
吉祥仙人さん、

レスありがとうございます。
つまり、裁判所の判断は“疑わしきは罰せず”という
冤罪を避けるための大原則を適用したのにすぎません
ね。『邪智顚倒』は今、発注中ですのでまだ読んでい
ませんが、これで無罪となり控訴されなかったから、
関与していないということが証明されたと北林氏は
思っているのでしょうか。控訴しなかったのは原告
側が裁判所の判断を覆すにたる証拠を持っていなか
ったためではありませんか?

以下は吉祥仙人さんに問いかけるものではありません。
北林氏はインターネットで『日蓮と最蓮房』という愚
論を公開しています。ここには本書を書く動機のよう
なものが書かれていますが、『替え玉事件』や『盗聴
事件』については一切触れられていません。持論を広
くネットで公開するのなら、自分が過去に世間に対し
て犯した過ちをネットで自己批判して初めて持論を世
に問うべきだと思うのです。『盗聴事件』に関与してい
ないのなら、その胸のうちをぶつければよい。それを
しないで、シャアシャアと持論を発表する姿勢が私に
は許せないわけです。

1422犀角独歩:2005/01/26(水) 23:53:13

吉祥仙人さん、ご理解いただき、幸甚です。

わたしは、過去の確執を越え、創価学会を今一度再考しようと思っています。
これは穿った意味ではなく、真摯に考えたいという意味です。
これはまた、石山でも、顕正会でも、話し合う用意があれば、わたしは両手を開いて応じる考えです。

ただし、ファンダメンタリズム、カリスマ、アナクロニズムはいただきません。
そんなご都合は、わたしにはまったく無縁です。わたしは、ただ真実に忠実に客観的に考え、語るのみです。

1423吉祥仙人:2005/01/27(木) 08:56:13
 犀角独歩様
 どちらのスレッドに書き込むか迷いましたが、こちらの過去の書き込みにも同様の
ご発言があったようなので。
 創価学会が具体的に何をやっているか手近にあった資料から

 1月25日付聖教新聞5版 9面
  
 「インド洋大津波と国連」
 との見出しで紙面の大半を割き、国連高等難民弁務官事務所日本・韓国地域代表に対する
インタビュー形式で、その活動と要望を紹介しています。
 このような国連機関の広報活動への紙面提供は「実際行動」に当てはまりませんでしょうか
 これほど紙面を割いた記事は一般紙では見なかったように思いますが
 (もっとも私の取っている一般紙は、東北の地方紙ですが)

1424犀角独歩:2005/01/27(木) 10:14:10

吉祥仙人さん
(どうぞ、「さん」付けでお願いいたします)

> 創価学会が具体的に何をやっているか手近にあった資料
> 国連機関の広報活動への紙面提供

紙面を提供するだけでは、評論と変わりませんでしょう。
この機会ですから、お尋ねしますが、創価学会では、先の新潟中越大地震では、会としてどれくらいの義捐金を出し、どのような救済支援活動を展開したのでしょうか。
また、今回のスマトラ沖大地震・インド洋大津波被害に対しては、どれくらいの支援、また人的派遣を行ったのでしょうか。具体的数値を上げて、ご教示いただけませんでしょうか。

先に愚鈍凡夫さんがご紹介なさっていらっしゃいましたが、なんらかのアクションはあったとお聞きしました。「広報」していただければ、有り難く存じます。

1425彰往考来:2005/01/27(木) 17:29:50
>1419
吉祥仙人さん

“管理者からのお願い”のスレッド52に

【書き込みの基本原則】があります。

ここで、相手に対する敬称は『〇〇さん』で統一して戴きたいと存じます。

とありますように、〜さんでお願いいたします。

吉祥仙人さんの冷静な投稿は非常に勉強になります。今後ともよろしく
お願いいたします。

1426お題目差し止め事件:2005/01/28(金) 10:13:20
公明党・創価学会が黙認した「お題目差し止め事件」

九九年四月一日、日本山妙法寺僧侶が衆議院面会所に於いて国会衛視
(国会に於いて警備に当たる職員)から「お題目が示威行為に当たる
から止めろ」と威圧強要された。
(略)
何度かの行動体験から、現場が大音声等いわゆる「示威行為」をとれる
場所でないことは知っていた。僧侶は私の知る人でもあり、念のため
状況確認をした。「お題目教団が無関心もしくは黙殺している現状が
より深刻」と語った。

ちなみに、創価学会が仮にお題目教団なら、反駁するなり「政治的」な
対応をするはず。自自公連立に向かう公明党の閣外協力によって件の
新法が成立したことと考え合わせると合点がいく。「お題目」を利用
するだけの団体だと確認できた。
http://senmon.fateback.com/soukagakkai/shukyou/dpj_daimoku.html

1427大勇者:2005/01/28(金) 11:36:28
管理者さんへ
1426のレスは他掲示板などにも多数のコピペを繰り返している投稿です。
禁止事項の特定宗教の宣伝であると思います。

当投稿共々削除すべきと思いますが。
いかがでしょうか?

1428犀角独歩:2005/01/28(金) 12:08:04

> 1426

わたしは参考になりました。
削除の必要はないと思います。

特にジャンプ先の文章は日蓮宗現代宗教研究所嘱託を勤める日蓮宗僧侶の方の文章であり、「本宗(日蓮宗)も沈黙」と、自分たちの問題としても考えた論の組立になっています。

藤井達師・日本山妙本寺の題目行脚が、インド独立の父・ガンジーに感銘を与え、非暴力・無抵抗主義に影響を与えた日蓮門下として誇るべき平和行動です。
上述の論の組立は常不軽菩薩の但行礼拝行の視点からも論じているわけですから、他のスレッドで議論されている平和提言と、実際の行動、もっと言えば日蓮門下としての平和運動の在り方を考える基とし、それを日本山妙法寺は、どうとらえ、それを創価公明が、どう反応し、日蓮宗一般ではどう考えたを概観するうえで、1426の投稿は価値があると思います。

1429管理者:2005/01/28(金) 12:12:16

大勇者さん

いつも投稿、誠に有り難く存じます。今後とも宜しくお願いいたします。

>特定宗教の宣伝

うーん。そうでしょうか。どの宗教の宣伝になっているのか、僕には読み取れませんが・・・

それから、他の掲示板での事は、当掲示板では不問です。当掲示板で同じ内容を繰り返し投稿した場合は削除対象になりますが・・・

まぁ、大勇者さんとしては、内容がお気にめさないのだろうと思いますが、禁止事項に当たるとまでは判断するのは無理が有るように思います。管理者としては、削除は見送りたいと存じます。引き続きご意見がありましたら、拝聴致します。

1430大勇者:2005/01/28(金) 12:51:25
管理者さんへ。

了解致しました。
日本山妙法寺の活動は素晴らしいと思います。
投稿の本文が「お題目教団」の宣伝に見えたものですから、
逆に日本山を貶める内容ではないかと思いました。

開祖藤井日達さんが日蓮門下とは思ってませんでした。
認識を改めます。

1431吉祥仙人:2005/01/29(土) 17:21:26
 犀角独歩さんへ
 >1424 具体的数値を上げて

 申し訳ありません。「聖教新聞何月何日付これこれの記事が」と言うほどの
資料もとってありません。1423はたまたま手元にあったものからの記載でした。
 思いつきで書き込んで、質問に答えられない、不勉強です。反省。
 
 いずれ、内戦終了後のカンボジア総選挙への協力とか、地雷廃絶運動への協力とか
資料を探して提出したいと思います。
 (どなたかボイスエンドやアボリション2000に参加した方
 これを読んでませんかね)

1432犀角独歩:2005/01/29(土) 21:10:13

吉祥仙人さん、ご返答、有り難うございます。

わたしの質問は、創価学会の方には耳が痛いかもしれませんが、わたしの指摘するようなハードルを創価学会が越えていけば、世間の評価は、さらに上がることは事実だと思います。
単なる批判と、どうかとらえず、創価学会(員)の課題として、考えてみてください。

わたしは創価学会を批判すること、撲滅することを考えているのではなく、改善、進歩を願っているのです。

1433真実 探求者:2005/01/29(土) 21:19:37
ご免、、。 あなた様の紳士的な応対には、賞賛に値します、、。 並みのネット参加者とは二味も違うようです、。 ドーゾ、存分に疑問を開襟され、少しでも解明されますよう、、。 早々、、。

1434真実 探求者:2005/01/29(土) 21:25:22
ご免、、。1433は 吉祥仙人さんあてへの投稿です、、。 時間的落差が発生したようです、、。 失礼しました。

1435吉祥仙人:2005/01/29(土) 21:47:58
 犀角独歩さんへ
 このスレッドの表題にかえって。
 時代と社会が変化する中、犀角先生が見てこられた創価学会も変化してきていると
思います。政界で2+1とも言われる公明党の支持母体であり、国連からもNGOと
認められ(正確にはSGI創価学会インターナショナルがですが)ていることは事実
です。
 この巨大集団が社会の重要なファクターであることは間違いないでしょう。
 いたずらに賞賛するでなく、嫌悪するでなく、冷静に批評する方の存在が学会にとっても
必要でしょう。(もちろん学会員としては賞賛してもらった方が嬉しいですが)
 学会員の使命として、地域・社会に理解と友好を拡げて行くということがあります。
 妥協でなく、対立でなく、というのは難しいですが。その可能性を信じて対話を重ねて
いきたいと思います。

1436犀角独歩:2005/01/30(日) 00:15:51

吉祥仙人さん、先生は、まあ、やめてください。

正直に申し上げて、わたしは自分の過去の偏見、脱会に至った確執、そんな一切合切を些細なことと捨て置いて、まったくまだ誰も記していない、正本堂以降の創価学会、そして、今後を素描する準備を始めています。

『必携/図解 大石寺彫刻本尊の鑑別』、この増補改訂版以降の、わたしの課題はここに絞っています。ただし、下らない感情的批判ではありません。いままでになかった新たな創価学会論です。お言葉を借りれば「妥協でなく、対立」でもない素描です。

そのために、真摯に、創価学会員と対話をする用意があります。
わたしの視点は、ひとまずは10年、次の10年、短いスケールでは50年、しかし、実際は700年、つまり、蓮師が亡くなって現在に至る700年を一つのスパンとして、700年後に取りあえずの視点を置いて、そこから逆算したスケールで創価学会・池田さんを観よう、また、今後、数十年の創価学会の「スケジュール」をシュミレーションもしてみようとも思っています。

申し上げておきますが、石山に仮託するような過去の遺物と、わたしはかけらほども強調すうつもりはありません。学会が目くじらをたてる過去の発言者は、わたしにとっては問題外です。そんな時代は終わったのです。

まったくそんな人々とは別次元で、新たな創価学会論を展開するということです。しかし、繰り返しますが、批判のための批判ではありません。未来の展望を考えるという意味です。しかし、それはもちろん、創価学会への妥協も意味しません。わたしは犀角独歩です。ただ独りわたしはわたしの考えで歩みます。しかし、それは反感とか、協調とか、そんな単純化された語彙で説明を付ける考えとは、それこそ、次元を異にして考えています。

1437吉祥仙人:2005/01/30(日) 10:17:30
 犀角独歩さんへ

 『創価学会論』は21世紀の重要な論点でしょう。
 
 創価学会員も過去からひきずった(悪口馬詈されるという)被害者意識から脱却すべき
時代にきていると思います。被害者意識が強いので、過敏に、感情的に、反論してしまう
のでしょう。身に覚えのあることです。

 日蓮大聖人よりおおよそ700年の月日を経て創価学会が出現し、かくも賛否かますびしい
勢力に発展したことを考えれば、それを論じるに過去700年・将来700年の考察が
必要かも知れません。

1438彰往考来:2005/01/30(日) 11:10:55

>1404,1419
吉祥仙人さん、

『邪知顚倒』(1994年、はまの出版)を読みました。以下は私の感想と所見です。スレッドで3駒あります。

『邪知顚倒』の138頁に「新宿替玉事件」の経緯と謝罪が若干触れられています。

****************************************
私たちが惹起した事件によって、昭和四十三年の事件当時、創価学会には並なみならぬ迷惑をかけた。そのうえ、事件から二十六年も経ったのに、私たちの不祥事をもって、創価学会全体の体質問題とされたのでは、私としては申し訳けない思いで胸がいっぱいである。(中略)
断っておくが、新宿事件における替玉投票は十三票である。(中略)
事件の概要は、新宿の一等地域の青年十三名が、熱意のあまり、転居先不明などでアパートなどに何日も放置されたままになっている投票用紙を盗み、投票日の前に他人になりかわって不在者投票をしたというものだった。
私も他人になりかわり一票の投票をした。(中略)
選挙違反者のうち、六名が略式裁判で罰金刑となり、あわせて公民権停止を言い渡された。私を含む八名は起訴され、公判廷にまわされ、被告席にすわる身となった。(中略)
判決は軽い者で禁固三カ月、重いものは同一年三カ月であった。ただし全員、四年から三年の執行猶予つきであった。
いうまでもないが、全員が二十年以上前に執行猶予期間を満了しており、法的には刑の言い渡しを受けていないのと同様の扱いである。(後略)
***************************************

『邪知顚倒』の上記箇所(138頁)で北林氏は自分たちの仕出かしたことが創価学会の体質とされたのでは申し訳ないと言っているだけです。
世間に対して、迷惑をかけた一般の創価学会員に対して謝っているわけではありません。
事件経緯も不明瞭で誰が主犯で、誰の指示で、北林氏はどういう立場だったのか、個人の判断でばらばらにやったのかそれともグループでまとまってやったのか、組織はどこまで関与したのか、幹部はどこまで事前に認知していたか、など全く説明していません。
まして『邪知顚倒』の説明では選挙違反者は14名なのか13名か不明です。(一人は女性で誰か男性幹部に頼まれて替玉投票をしたので14名13票になったと思われます。)
執行猶予期間を満了したから無罪と同じだと主張したいのでしょうか。法的にはそうかもしれませんが免罪にはなりません。たった一票の替玉投票でも有罪となった事実は消えないのです。それこそ人生を棒に振ってしまう。厳しいものです。
要するに北林氏はちゃんと経緯を説明していません。反省などしていないと思えるのです。

1439彰往考来:2005/01/30(日) 11:12:03

1438の続きです。

北林氏の弁は山崎正友氏攻撃に終始していて正直読むのが苦しかったです。現在の創価学会の論調と全く同じです。まるで創価学会の山崎批判ロジックは彼が中心に組み立てているように思えるほどです。まあそうかもしれません。もちろん私は山崎氏を支持するものではありません。念のため。
北林氏は「盗聴事件」に関して裁判官を批判し、「しょせん文科系の知識だけでこの裁判をこの事件を裁くには限界があったと思う」(87頁)と言っています。よく言うよ、とはこのことです。一往私も理科系の大学を出た人間ですが、判決内容(詳細は略します)はおかしいと思うものではありませんでした。まして『邪知顚倒』によれば北林氏は理学部中退ということです。大学中退の人が他人(裁判官)に対して理科系の知識うんぬんといえるのでしょうか。僭越だと思います。『邪知顚倒』では「盗聴事件」に関しては自分は関与していないという説明ばかりで実際のところはわかりません。ただ北林氏は昭和43年に初めて山崎氏と出合い、昭和53年頃まで山崎正友氏の部下でかなり裏の仕事をしていたようです。いつからとか仕事内容などの説明は同書にはありませんがこのような関係であれば北林氏が「盗聴事件」に間接的にでも関与していないことのほうが不思議ではあります。

『邪知顚倒』にて公開されている北林氏の経歴をみてみるととても不可解です。彼は、選挙違反で逮捕された後、「第三文明」編集部に所属しているのです。この雑誌の発行会社は創価学会の関連団体です。選挙違反で逮捕され、本人の弁では散々創価学会に迷惑をかけた者が関連団体に就職している? 信じられません。通常はありえません。まして創価学会はそんな甘い団体ではありません。北林氏自身が、「なお、「新宿事件」後、創価学会においては、選挙の支援のたびごとに、悪質な選挙違反を起こした者は創価学会より除名するという厳しい組織通達が徹底された。私はそのたびに身の細る思いだった。」(146頁)といっているように普通は除名なのです。除名にもならずに逆に面倒をみてもらっているのでは創価学会は北林氏に借りがあると考えられませんか? 彼らが創価学会の組織としての犯罪を個人の罪として被ったのではないかと。もちろん『邪知顚倒』では「第三文明」編集部に所属していたことは一切説明なしです。

『邪知顚倒』を読んで、なぜ自分自身が北林氏を本能的に嫌うのかわかったような気がします。彼の間違ったロジックは暗黒時代の創価学会幹部そのものであるからです。彼らは“創価学会天動説”なのです。なぜなら世の中は創価学会中心に回っていると信じているからです。私は、彼や山崎氏やT氏のように非常識な行動や指導をする者が創価学会幹部であったがために方向を誤り、創価学会と日蓮正宗との問題が発生したと思っています。もちろん他にも原因はあります。

1440彰往考来:2005/01/30(日) 11:12:56

1439の続きです。

『邪知顚倒』の115頁にT氏(同書では実名)が出てきます。113頁は昭和45年の夏期講習会での若かりしT氏の写真です。今更ながら、そうか、北林氏らとT氏は同じ穴のムジナだったのだとわかりました。
以下は私の体験ですが、T氏は昭和48年に創価学会全国学生部部長でした。彼は同年6月(だったと思う)の関西学生部幹部会に都議選の真っ只中の東京から来て、「関西の学生も東京へ来て選挙活動をせよ。未成年でもかまわない。なぜなら君たちは煙草を吸わないのか。」と指導したのです。当時一学生部員でその会合に出席していた私は驚きました。選挙違反を強制してよいのか、と疑問に思うとともに憤りを感じたものでした。なお、この会合のあと、とある関西学生部の幹部はTの野郎、関西学生部をなめやがって!と怒っていましたから、皆が狂っていたわけではありません。『邪知顚倒』で「新宿事件」は組織としての関与はないと北林氏は言っていますが、上記のような私の経験からとてもそんなことはなく、少なくとも上層部の間違った指導はあったはずです。今から思えば暗黒時代でしたね。今でも私は煙草を吸いませんが、それはT氏の間違った指導のおかげです。創価学会幹部の指導を鵜呑みにしたら大変なことになるという事がわかったのもT氏のおかげです。T氏のいうとおりにせず(当たり前でしょ!)指導と逆に行動したので助かったわけです。指導どおりしていたら今ごろ私は前科者になっていたかもしれません。当時未成年でしたから。

平安出版から発行されている北林芳典著の『暁闇(ぎょうあん)』と『饒舌の故に』の2冊が、2月8日より平安出版のホームページで全文公開されるようです。
ネットで公開する北林氏の意図はよくわかりませんが、ネット公開した『日蓮と最蓮房』が極めて不評だったのみならず、自分自身の過去まで議論され始めたことによるのでしょうか。でもそうとするなら、北林氏自身の不徳のいたすところではありませんか?『日蓮と最蓮房』は28章あることから、法華経28品とひっかけたつもりなのでしょうが、“28品悉く南無妙法蓮華経”ならぬ“28章悉く誤りだらけ” ですから。過去の問題も誤解があるのはきちんと説明されていないからです。北林氏は未だに「盗聴事件」の当事者だったH氏などとお付き合いがあるのですから、「新宿替玉事件」や「盗聴事件」はいかに実行されたか当事者しか知りえない事実をお書きになり、その中で身の潔白や反省を主張されたらいかがでしょうか?『日蓮と最蓮房』よりそちらのほうが北林氏には重要なことと思います。平安出版でのネット公開はその一環なのでしょうか。

北林氏がこの掲示板を読んでいるかどうか知りませんが最後に次の言葉を彼に贈りたいと思います。北林氏の大好きな師匠である池田センセイの『人間革命 第六巻』(昭和46年、聖教新聞社、87頁)からです。彼が社会に出た年に発行されているのも何かの縁でしょう。ちなみに発行者はあの福島源次郎氏です。

「もし彼が(中略)心から悔悟したとするならば、当然、一生涯、謹慎して、唱題三昧の日を送っているべきはずです。彼には、その悔悟の姿が少しも見られない。」

1441吉祥仙人:2005/01/30(日) 13:47:29
 愚鈍凡夫さんへ

 >・・・当事者だったH氏などとお付き合いがあるのですから「新宿替玉事件」や
「盗聴事件」はいかに実行されたか当事者しか知りえない事実をお書きになり、その中で
身の潔白や反省を主張されたら・・・

 北林氏本人にとっても、創価学会にとってもいまさら触れられたくない古傷でしょうが
確かに山崎氏ひとりに全責任を負わせるのは無理があるかもしれません。たとえ「山崎師団」
などと公言していても。
 ましてや当時の学会の雰囲気について、皆様の証言がこれほどあるのですから。

 しかし、これらの事件を再度検証すれば、反学会ジャーナリズムが勢いづくことは
間違いないことですし、山崎氏が飯の種ができたと喜ぶだけのような気がします。

1442吉祥仙人:2005/01/30(日) 13:51:26
 あわわ・・
 彰往考来さん、ごめんなさい
 愚鈍凡夫さん、失礼しました

1443彰往考来:2005/01/31(月) 07:25:47

>1441

別に再度検証する必要はないと思いますよ。必要なのは“反省”です。

「彼には、その悔悟の姿が少しも見られない。」

1444吉祥仙人:2005/01/31(月) 21:52:11
 >1440・1443
 人間革命6巻では
 (笠原氏は)ですが

1445彰往考来:2005/02/01(火) 07:38:47
>1444

そうですよ。『人間革命』にある笠原氏への言葉をそのまま“切り文”して贈ったのですよ。
それがどうかされましたか。
『人間革命』の指導はある特定の人だけへの指導ではありませんよね。「広く会員への先生のご指導である」
というのが創価学会の教え(?)だったと理解しています。

ご不満なようでしたら創価学会初代会長牧口先生のお言葉を紹介しましょうか?

1446犀角独歩:2005/02/08(火) 18:16:22

オフ会スレッド461 吉祥仙人さん:

> 創価…ルネサンス

そうですね。わたしはそれが提唱されたときに、青春時代を過ごしました。

> 名誉会長は指導者…学会2世3世の間では

たいへんけっこうなことであると思います。
この前提で、一つ質問してよろしいですか。
縁起の悪い話で恐縮ですが、将来、池田さんはお亡くなりになりますね。
「永遠の指導者」という場合、そうなると、生前、過去の指導集などを参照にしながら、未来の会員は信仰活動に励むことになりますか。わたしはこれはかなり厳しいだろうと思うわけです。

戸田さん逝去後、池田さんという新たな指導者を得たからこそ、創価学会は発展したわけですね。
正本堂以降、池田さんは「戸田さんの御遺命は一切果たした。今後、「広布第2章」と言いました。ここから戸田さんの遺訓以上のプラスアルファがあった故のいまの創価学会であろうとわたしは観察するわけです。

しかし、池田さんを永遠の指導者としてしまえば、生前の指導の域を出ないことになりますし、また、その時代時代に適応した生きた…、というか生の指導者はあり得ないことになりますね。
わたしは、実はここに創価学会の今後の存亡がかかっていると思うわけです。

戸田さんが亡くなったとき、新聞などは「創価学会は空中分解する」と評した。それを乗り越えてのいまの創価学会の発展があった。
池田さん逝去後、わたし周辺の人々(学者など)は、「創価学会は少なくとも三分裂する。池田ファミリー、首脳部(秋谷)、公明(神崎)の三つである」という見方が多くあるように思えます。
創価学会が分裂するか否か、それはそれでの道ですが、永遠の指導者池田さんという「故人」を懐く創価学会は、しかし、生き生きとした、時代適応の指導体制を採っていけるものでしょうか。
わたしは指導者の永遠化・固定化というのは上述の問題を孕むと分析するわけです。
これは、もちろん批判ではなく、予測です。
このような点は、 吉祥仙人さんは、どうお考えになりますか。
参考にお聞かせ願えないでしょうか。

1447吉祥仙人:2005/02/08(火) 19:30:04
 犀角独歩さんへ

 創価ルネサンスは平成2年の遥か以前から言われていたのですね、今、母から
聞きました。(青年部でルネサンス大学校に参加していたので)

 さて、池田名誉会長以後についてとのことですが、私見を述べさせていただければ、
池田青年以上の青年は必ずいるはずです。何万何十万何百万といる青年部・旧青年部の
中から次の指導者が出現すると思います。ただしそれは一人ではなく数人はいるでしょう
その人々の集団指導体制となるのではないでしょうか。
 
 誤解されかねないのですが、私たちが学生部だったころ「俺たちと池田先生の年齢差は
池田先生と戸田先生のそれと同じだ。俺たちが先生の弟子として先生のあとを継ぎ、次の
指導者とならなければならない。」との気概で活動していたものでした。

 そういうわけで、将来については楽観しております。
 あまり参考にならない私見で申し訳ありません。

1448犀角独歩:2005/02/08(火) 19:54:23

吉祥仙人さん、

レス、有り難うございます。

> …次の指導者が出現…数人…集団指導体制となる

なるほど。教義的面からは、このようなことは可能かもしれません。
ただ、巨大組織の財産掌握という視点ではどうなっていくのか。
このような具体性が宗教法人「経営」という別側面に常につきまとっているわけです。
まあ、この点を議論する必要はありませんが。

> 将来…楽観

先の島田師の分析でも、創価学会は空洞化が進んでいるというのですが、このような楽観は、どんな根拠に依るのでしょうか。

1449吉祥仙人:2005/02/09(水) 18:19:25
 犀角独歩さんへ

 「創価学会が空洞化」とは具体的にどのような傾向が見られているのか、わかりませんが。
昔の創価学会的活動(有無を言わせない折伏)が減少(衰退)しているのは事実をもって
空洞化とは、認識不足と言えるのではないでしょうか。

 いまは折伏で新来者が入会(入信)しなくとも紹介者が幹部から罵られることはありません。
それよりもし入会するまで帰さないような非常識な折伏をしたなら、それこそ指導を受けるように
言われます。

1450犀角独歩:2005/02/09(水) 19:33:41

1449 吉祥仙人さん:

> 空洞化とは、認識不足と言える

たぶん、誤解なさっているんじゃないでしょうか。

わたしは意識ある創価学会員(たとえば、吉祥仙人さんのような方)は、ご自分なりの意義を感じ、活動されていらっしゃるのでしょうから、仰るとおり、空洞化を感じていないわけでしょうね。
それはそれでけっこうなことであると思うわけです。

わたしが子供の頃、創価学会に具多的な目的がありました。
つまり、国立戒壇=正本堂の建立を通じた一国広宣流布と平和楽土の建設です。
国立会談論は当の正本堂が建つ頃には民衆立と方向転換されました。(わたしは、これは別段、当然の変更であると評価しています。ただし、それまでの打ち出しから改変されたのは事実です)
いまも、顕正会が言うところですが、これはもはやアナクロニズムというほかありません。まあ、それは、当スレッドとも、吉祥仙人さんともまるで関係はありませんが。

話を本筋に戻しますが、わたしが小学生であった頃、ともかく、創価学会には、仏法としての、国家を相手取った目的があったわけです。個人には人間革命という目的がありました。ところが、いまの創価学会は人間革命という個人的な目的はあるにせよ、国家という目的については、必ずしも明確ではなくなってきているわけです。

これは憶測の域を出ませんが、吉祥仙人さんとデルトロさんの「広宣流布」議論というのは、そんな見解の相違から端を発しているようにわたしには映じます。

たしかに創価学会は公明党を通じて、国政に参画することによって、国家を善くしていくという実際的な活動があります。(その賛否をここに問うものではありません)ところが、これは宗教法人としての目的ではなく、あくまで公明党という政党の範疇を越えるものではないわけですね。

この点で、外部から観察していると、創価学会(員)は公明党の支援を通じて以外、いったい、仏教理念をどのように実現しようと考えているのだろうか?という疑問が生じることになるわけです。
それが「政治活動で」というのであれば、それはもはや宗教活動と言うより、政治活動です。

このような点が曖昧であれば、外部から観れば、「空洞化しているのではないのか」という疑問が生じる一つの要因になるのではないでしょうか。

また、たとえば、創価学会に公式に「いまの会員数は何名ですか」と問い、さらに「そのうち、どれだけの方が実動されているのでしょうか」と問うたとき、どんな答えが返ってくるのでしょうか。

学校を例に採りましょうか。クラスに50人いました。
そのうち、5人しか学校に来ない、意義を感じない、必要性を感じない、と思っていたら、「学校は空洞化している」などいう批判が上がるのではないでしょうか。

吉祥仙人さんは、この‘統計’を掌握されていますか。このパーセンテージが低ければ低いほど、それは組織としては、「空洞化」という観察は避けられないのではないでしょうか。

以上が「空洞化」の意味です。ただし、これは批判とか、そんなことではなく、今後の創価学会の課題として、注目されている点ではないでしょうか。要は空洞化を感じさせない実際的な宗教法人としての活動、さらに、その会員数に比した動員数の増加があれば、誰も、そのような認識はしないと思います。それを単に、認識不足と切り捨てるのは、開かれた議論とは言えなでしょう。

また、わたしは1448に吉祥仙人さんの「楽観」はどこから生じるのかと問うたのであって、その点は、何も応えず、単に「認識不足」と切り捨てては、創価学会を排他的と誤解させるのではないでしょうか。

つまり、楽観の理由、実際の活動、さらに活動比率をここに挙げられれば、事は済むことであるからです。どうでしょうか。

ただし、これは詰問しようという意図ではなく、このような応答のなかで、創価学会の‘誤解’は解けるという点を、特にわたしは強調したいわけです。

1451犀角独歩:2005/02/09(水) 19:37:26

【1450の訂正】

毎度、済みません、訂正します。

誤)創価学会に具多的な目的
正)創価学会に具体的な目的

誤)国立会談論
正)国立戒壇論

1452愚鈍凡夫:2005/02/09(水) 19:57:11

正本堂は池田さんの7年周期説の総仕上げで、目論見では広宣流布の時であったはずだったんでしょうが、世の中そんなに甘くないといった現実が目の前にあったわけですよね。
それ以降も、何故か「勝利・勝利・大勝利」と、かけ声だけが空しく響いたものでした。
小生なんかは、いつも何に勝利したんだろうかと思ったものでした。選挙で自民党に勝ったことはないし、学会員数と言っても、いつまでたっても日本人の1割にも満たないのに・・・・・?
言うならば、一種の詐欺商法を宗教に応用するとこうなるのかなと思ったものです。
これからの流れとしては、「総合商社・創価学会」との看板を掲げ、宗教法人を卒業されたらどうですかと提案したいですね。新たな目標を経済改革にされたらどうでしょうか。

1453吉祥仙人:2005/02/09(水) 20:43:23
>1450

 犀角独歩さんへ

 私の認識不足でした。

 確かに私の所属している地区でも、そういう意味では空洞化が見られると思います。

 それを問題意識を持って考えたことはありませんでした。楽観的というより能天気だったかも
知れません。ご存知のとおり会員をABCのクラス分けで数える「伝統」があります。寝ている
部員さんを如何に立たせるかは、重要な日々の活動です。
 もっとも私自身、組織では半分寝ているようなものですが。

1454大勇者:2005/02/09(水) 23:17:23
吉祥仙人さん
>池田名誉会長以後について

私は組織体制についてどのように動くのか?については余り興味ないのですが、
どのような教学を前面に打ち出してくるかには興味あります。
「教祖池田」とか「本仏」とかではない以降の池田さんの位置付について、
今「五百の実」について調べようと思っているのですが、的外れだと思いますか?

1455吉祥仙人:2005/02/09(水) 23:20:21
 大勇者さんへ

 浅学で申し訳ありません。「五百の実」とは後の五百歳に関する何かでしょうか
御教授ください。

1456大勇者:2005/02/09(水) 23:53:30
論拠は
報恩抄p310 撰時抄p270
国清百禄など他にも多々あるようです。日寛師にもあるとの事だが資料を探しているところなのですが。

千年にひとり聖人が出て、五百年にひとり賢人が出るとの説です。
大数によれば、五百年にひとり聖人がでるとなります。

これならば、教祖とか本仏など使わなくても賢人、聖人でこと足りることになります。

1457大勇者:2005/02/10(木) 00:30:53
撰時抄愚記(日寛上人文段集p268)

一には五百年に聖人出ずるの説は孟子十四二十二に云く「孟子云く、舜由り湯に至るまで五百有余歳」と云云。趙氏に云く「五百歳にして聖人出ずるは天道の常なり」と。然るにまた遅速あり、正しく五百歳なること能わざるが故に「有余」というなり。

二には千年に聖人出でて五百年に賢人出ずるの説は、王子が拾遺記に云く「丹丘は千年に一たび焼け、黄河は千年一たび清む。皆至聖の君、以て大瑞と為す」文。晋書の註に云く「千年に一度、聖人の出ずるを見、五百年に一賢を見る」と云云。孔子聖人は仏滅後三百九十九年に当り、周の霊二十一年庚戌十一月四日、魯国に生る。周の敬王四十一年壬戌四月八日に卒す、年七十三歳なり云云。これ仏滅後四百七十二年に当る、故に大数は五百年なり。清浄法行経に云く「光清菩薩、彼に仲尼と称す」等云云。

天台大師は孔子の滅後一千十五年に当って、梁の武帝の大同四年の誕生なり。隋の開皇十七年丁巳の入滅、春秋六十歳なり。伝教大師は天台滅後一百六十九に当って生まれたまう。御年五十六歳にして弘仁十三年の入滅なり。具に前に弁ずるが如し。

蓮祖大聖人は伝教滅後四百一年に当たって生まれたまう。即ち天台滅後五百七十年に当るなり。若し伝教に望み、若し天台に望めば倶に五百年の前後なり故に大数は五百年に聖人出ずるの説、以て憑拠たるべきなり。

1458犀角独歩:2005/02/10(木) 01:29:49

> 1457

寛師の説や、その引用文が正しいなどということはないでしょう。
しかし、そうやって、500年、1000年で割り切っていくのであれば、蓮師から寛師は500年離れ、
池田さんは1000年離れないとつじつまが合わないことになりませんか(笑)

1459名無し@富士門流:2005/02/13(日) 21:58:32

北林氏が、既出の書籍についてもネット上に全文展開しました。

http://www.heianbooks.jp/zenbun/jyouzetu/index.html

http://www.heianbooks.jp/zenbun/gyouan/index.html

何かあるんでしょうかね?

1460彰往考来:2005/02/14(月) 12:27:49
>1459

紹介ありがとうございます。平安出版のHPではなく
報恩社のHPに出ていますね。

何を狙っているのでしょうかね。報恩社のHPなら
意見欄を投稿できるようにすれば、いいのですけ
どね。

1461犀角独歩:2005/02/14(月) 19:15:37

先日、講演していただいた島田先生が、学会についての報道の仕方に、以下のようなコメントを blog に載せています。もっともだと思った次第です。

*** 以下転載 ***

楽天と創価学会が?

おかげさまで、『創価学会』9刷が決まりました。

それと直接は関係ないのですが、今週の『週刊文春』に楽天と創価学会の間の関連性を指摘した記事が掲載されました。まあ、きっとこの程度だろうと思いつつ買って読んだのですが、楽天が抗議するのも当然といえる内容でした。

記事の中で事実として指摘されていることは(あくまで記事の中でということではっきりした証拠があるとはかぎりませんが)、楽天ゴールデンイーグルスのコーチのなかに3人学会員がいる。エースとなる予定の岩隈投手も学会員である。楽天の三木谷社長の祖父(故人)が学会員で幹部であり、その長男、三木谷社長にとっては叔父が現在も学会員である。基本的にはそれだけで、あとは憶測で両者の関連性を指摘しているにすぎません。

その憶測というのは、たとえば、学会が楽天をビジネスパートナーにしたいと考えているとか、球団の観客として学会員をあてにしているといったものです。こうした憶測が、どうかと思うのは、企業にとってどうして宗教教団がビジネスパートナーになったりするのでしょうか。イメージがまったくわきませんし、東北地方に学会員が多いわけではなく、むしろ地域的に少ないはずです。学会員を観客として当てにするなら、首都圏や関西に球団をもっていかなくては、何の意味もないはずです。

なんか、もうこういうつまらない関連性の指摘はやめたほうがいいのではないでしょうか。創価学会の報道にかんして、そういう時代はとっくに過ぎ去っているように思います。

http://blog.livedoor.jp/shhiro/

1462彰往考来:2005/02/16(水) 07:40:31
>1460

自己レスです。

間違えました。平安出版と報恩社の両方のHPに出ています。

しかしまあ、平安出版はこの本の出版元で出版元が無料で全文
を公開するとはちょっと異常ですね。
性懲りも無く“日蓮と最蓮房”も公開しています。そろそろ恥
をさらすのを止めていただきたいですね。

1463愚鈍凡夫:2005/02/16(水) 09:41:55

世の沢山の人々に読んでもらって、その批判を仰ぐなんてことはないでしょうね。 (^^ゞ
それとも、創価学会員向けの啓蒙の一つなんでしょうかね。創価学会員以外の共感は呼べそうにない本ですから。
ひょっとしたら、みんなが金を出してまで読みたいと思っていないようだから、だったらタダで読ませちゃえって太っ腹(?)な考えだったりして。

1464犀角独歩:2005/02/16(水) 11:49:51

まあ、しかし、少し仏教に関する教養と常識を持ち合わせた人であれば、呆れ果てる内容といえるでしょうね。これが創価学会の一般会員向けのスケールなのでしょうか。せっかく、大学を作ったり、優秀な学者を出版などで採用しても、これでは、致し方ありませんね。

過日の研究会で、島田先生も日蓮遺文の勉強を始めていることを披露し、小松邦彰師の遺文講義に参加していることを告げておられました。ここで使用されているのは、確実な真跡のみを収録した米田淳雄師・不軽庵版『平成新修日蓮聖人遺文集』であることを、学者の良心として語っていたのが印象的でした。このような良識からすると、いまどき、最蓮房その他に係る御書を、なんら資料考証もせずに、あたかも真筆のように扱うこと、論じることは、既に受け入れられない時代に入っていると知るべきです。

わたしも小松先生の講義は何度か、聴講しましたが、この場で、「最蓮房関係の御書は、すべて真筆です」などと言ったら、講師はもとより、参加者全員から、その良識、むしろ教養と常識を疑われることになります。なんで、こういう良識が理解できないのか、結局、閉鎖的信念大系集団にいるということは、そのような点でまったく神経が鈍感になったうえ、さらにファンダメンタリズムにも陥るという二重の禍を背負うことになることが理解されないからでしょうね。

当掲示板では、そのような点を、(クリアできない学会を含む石山系信念大系の)富士門にありながら、それをクリアした人の集まりである故に、稔りある議論、発展的な議論が可能になっているのだと思います。

まあ、北林本、取るに足りず、そう結論づけて相手にしないのがいちばんであるとわたしには思えます。こんなものを本気で読み、参考にすれば、物笑いになるのは当の創価学会(員)でしょうから。

1465パンナコッタ:2005/02/16(水) 12:31:40
まあ、新刊を出し続け会員に買わせるのが、学会の歯車なんですから売れ上げが悪そうな
最連坊のネタではダメとの判断があったのかも知れないですな。カネさんの方が売れますよ
ネタでは。

1466犀角独歩:2005/02/17(木) 01:26:28

ネタでは、ですね。
しかし、けっこう、書き込みの言葉遣い、横柄ですね(笑)
ここでは、みな丁寧なので、目立ちますよ。

1467彰往考来:2005/02/17(木) 07:41:18
パンナコッタさん

はじめまして。彰往考来です。

>1465 
誤:最連坊
正:最蓮房

ですのでよろしく。

1468名無し@富士門流:2005/02/17(木) 11:04:52

>1465
パンナコッタさん、はじめまして。

非常に意味深なことを書かれますね。

>カネさんの方が売れますよ

これは「本門戒壇之大御本尊」の鮮明な写真と、大石寺蔵「日禅授与之御本尊」の鮮明な写真とを使った、K氏の著書がいよいよ出版されるということでしょうか?

もしそうなら私は創価学会を見直します。

1469パンナコッタ:2005/02/17(木) 12:06:36
>1466 ああ、ごめんなさい。 大変申し訳ありませんでした。

>1467 指摘、ありがとうございます。

>1468 地区に書籍やビデオ、民音のチケットが割り振られている事実は、
教団収入の安定化を意味していると思ったからです。

1470名無し@富士門流:2005/02/17(木) 12:41:33

>1469
そうでしたか、私の考えすぎですか。

カネさん=金さん(「山居院と三鳥派弾圧事件」の金さん)、ではないかと勘違いしました。

「本門戒壇之大御本尊」の鮮明な写真と、大石寺蔵「日禅授与之御本尊」の鮮明な写真だけでも公開してくれませんかね〜

やっぱ無理ですかね。

1471犀角独歩:2005/02/17(木) 14:14:00

> カネさん

とは、『香峯子抄』(主婦の友社)のことではないのですか。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=4072459607

1472愚鈍凡夫:2005/02/17(木) 19:10:23

あのおばさん、ウチの近所あたりでは、
カネゴンで通ってますよ(流行らせたのは小生ですが)。 (^O^)

1473犀角独歩:2005/02/18(金) 00:03:28

『香峯抄』、わたし、実はまだ、この本を読んでいないのですが、いちばん、興味があるのは、亡くなった次男坊をどんなふうに記述しているかです。

もう一点、女性の名前で〜抄というと日本人であれば、誰でも『智恵子抄』を想起しますが、この場合、記したのは、高村光太郎でした。

ご本人の著作で、ご自分の名前に『〜抄」。自分で書いたものに抄を付けたわけですね。
わたしも物書きの端くれですが、このセンスはちょっと、理解できません。つまり、主婦の友社の編集感覚に違和感を懐きました。

1474彰往考来:2005/02/19(土) 09:38:48
>1473

そうかなあ。主婦の友社の編集感覚かなあ。
だって、この人の旦那様の著書はそんなのばかりですよ。『女性抄』とかね。

1475犀角独歩:2005/02/19(土) 10:25:23

ああ『女性抄』。となると、『〜抄』はご当人夫妻のセンスですか?

1476愚鈍凡夫:2005/02/19(土) 10:58:46

では、
次の本は「創顕問答抄?上下巻」(by 「偽書」なんちゃって)って処ですかね。 (^◇^;)

1477犀角独歩:2005/02/19(土) 13:32:20

1470 名無し@富士門流さん:

> カネさん=金さん(「山居院と三鳥派弾圧事件」の金さん

この点、少し詳しくご教示いただけませんでしょうか。

1478名無し@富士門流:2005/02/19(土) 15:06:29

>1477
犀角独歩さん、今日は。

「カネさん」に関しては、完全なる私の早とちりであったようです。

私が期待を膨らましたのは、「山居院と三鳥派弾圧事件」についての論考を明治記念館で発表された方が学会におられ、その方は古文書も通読でき且つ「本門戒壇之大御本尊」と「日禅授与之御本尊」(大石寺所蔵)の鮮明なる写真を所持され、「本門戒壇之大御本尊」の真偽に関する論考も既に完成されており、後は出版を待つばかり(組織からのGOを待つばかり)とのことだったのです。
その方の名字が「金〇」さんなので、学会の方が「カネさん」と愛称で呼んでいるのかと勘違いしました。
数年前には大石寺宗門との法論で有名な、新階央氏とペアで大石寺塔中坊の伝日禅師開基といわれる「南之坊」にて、大石寺僧侶相手に法論に挑んだこともあると言う噂です。

但しこれらはあくまでも大石寺信徒及び学会員からの聞書きです。

学会員さん、あるいは元学会員さんからのフォローを戴ければと思います。

1479犀角独歩:2005/02/20(日) 00:17:56


名無し@富士門流さん、有り難うございます。

しかし、情報通ですね。このような御仁がいらっしゃることは、こちらの常連さんからも訊いておりました。その方が、このような発表をなさっているとは存じ上げませんでした。

常連さん曰く「この公開を本部がOKするのには10年、20年かかる。けれど、今回の発表が、それを早めたかもしれない…」

今回の発表とは昨年暮れのわたしの発表のことです。
さて、どうなることか。
楽しみなところです。

1480名無し@富士門流:2005/02/20(日) 00:49:14

>1479
犀角独歩さん、

>常連さん曰く「この公開を本部がOKするのには10年、20年かかる。けれど、今回の発表が、それを早めたかもしれない…」
>今回の発表とは昨年暮れのわたしの発表のことです。

実は私もずっとそのように思っていました。
犀角独歩さんによる出版物が、これまでの「偽作論」とは大きく違い、視覚で判断できる点は重ねて述べてきました。
これを出された以上、無視をし通すか、真実を明らかにするかどちらかであろうと思います。
情報化社会ですから、本山・本部が黙っていても多くの信徒・会員の目にふれ、論議が起こるのは極めて自然なことだと思います。

正信会や学会は言葉は悪いですが、本格的に本山と決別・決着をつける最大のチャンスを迎えたとすら思うわけです。
是非このチャンスに、出すものは出していただきたいと願うものです。

1481犀角独歩:2005/02/20(日) 01:16:51

名無し@富士門流さん:

仰るような環境になるためには、いくつかのハードルがあるわけです。
なぜか、学会を含む石山系信徒は漫荼羅の写真を撮ることを罪悪視するわけです。
なおさらのこと、それを図形として扱い鑑別するなど、謗法の極みのような感覚があるでしょう。

しかし、自分の家で拝んでいる本尊は、どれもその禁止されているはずの写真製版で作製された印刷です。まず、この事実に気付けないわけです。また、初期の『富士宗学要集』、また、『聖教新聞』にしても、漫荼羅の写真ぐらい載っていました。

それがいつの間にか、御法度に仕上げられてしまったわけです。
まず、このハードルを越えない限り、前に進めません。
わたしのような「無所属」は勝手ですが、学会員で、それも本部の眼を気にしなければならないとなると、これはもはや絶望的です。しかし、既にやってしまった人間がいれば、さらに、そのような認知が広まれば、時代は動きますね。その意味で、わたしは学会を含む石山の時代を捻った実感があるわけです。

無視するのは、勝手ですが、既に日蓮宗内では、講演をまとめた『大石寺漫荼羅本尊の真偽について/所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形から見た鑑別』は、有志に配布されましたし、4月までには、わたしの原稿が載る本が1万部近く、教師に届きます。日蓮宗教師方がお読みくださるかどうかわかりませんが、ともかく、1万部が世に出ることは事実です。

「賽は投げられた」という言葉があります。もはや、彫刻本尊に関する図形鑑別という既成事実は日蓮宗史の不可逆的事実として刻印されました。

結局のところ、認めた順に誠実、事実に対して正直という認知を受けることになっていくでしょう。認めず、無視し、大層なことを言っても駄目です。彫刻が生身の本仏だ・歯に付いた肉が生きているなんていうオカルトを暗黙裡に認めている信仰圏にいる人間は、その良識を疑われる時代に入ったと言うことです。

さっさとカミングアウトして、良識・常識の通行手形を手に入れること、これが今後の、石山系に石を置く人間が学界、社会一般でしなければならないことになっていくでしょう。

明瞭な彫刻本尊と、石山蔵禅師授与漫荼羅をお持ちならば、是非とも、発表していただきたいものです。また、そのことは、今後の学会教学の到達点に取って、捨て去る器物の故、当然の歴史の推移として、未来の人は認知することです。

もう2度と、「弘安2年10月12日に楠板に直筆し、法師が彫った」などという与太話で人をだませる時代に逆行することはないわけですから。

1482愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 15:24:42

名無し@富士門流さん、なんですね。

> 正信会や学会は言葉は悪いですが、本格的に本山と決別・決着をつける最大のチャンスを迎えたとすら思うわけです。
> 是非このチャンスに、出すものは出していただきたいと願うものです。

当事者にすれば、真綿で自分の首を絞めるような気分でしょうね。嘗ての自分と自家撞着するわけですから。嘲笑と怒号がこだまする風景を思い描きながら、底知れぬ畏怖の念に苦悩するのかもしれません。
でも、その深いトンネルを抜けないと、未来は閉ざされるんですよね。

1483名無し@富士門流:2005/02/20(日) 18:11:34

犀角独歩さん、愚鈍凡夫さん、今晩は。

大石寺側としては、既に学会員の中に所謂「本門戒壇之大御本尊」が、偽物であると主張動きがあるとしています。

http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_g/emyo_g.htm
(大石寺機関紙「慧妙」最新号)

既に助走は始まっているとみてもいいのではないでしょうか?

1484名無し@富士門流:2005/02/20(日) 18:14:37

訂正です。

誤:偽物であると主張動きが
正:偽物であるとの主張が

該当の記事は、リンク先の「慧妙」平成17年2月16日号3面です。

1485犀角独歩:2005/02/20(日) 19:39:54

名無し@富士門流さん、興味深い、記事のご紹介有り難うございます。
しかし、創価学会員が、ですか(笑)

1486吉祥仙人:2005/02/20(日) 19:57:36
 お久しぶりです

 どこかのホームページに、名無し@富士門流さんの紹介されたような記述があったとすれば
その出所はこの掲示板と推察いたします。
 なぜなら、最も先鋭的な「創価新報」最新号にすらその様な気配は微塵もないからです。

1487犀角独歩:2005/02/20(日) 20:04:29

まさか、問答さんや、わたしのことを学会員といっているのではないでしょうね(大笑)


そういえば、どこかのHPで、わたしが日蓮宗、現宗研に急接近、当掲示板は身延派の謀略舞台に占拠されているなんて書かれていました(爆笑)

一人の主張する人間がいると、「どこどこの」と所属を特定しないではいられない、はじめの一歩で躓いています。

わたしはどこの所属でもありません。わたしは独歩です。他を寄せ付けず、孤立するという意味ではありません。わたしは、心ある人であれば、誰とでも話しますし、歩みもします。しかし、共にしばし歩んだからと言って、どこどこの集団の、とはなりません。わたしはわたしです。

1488犀角独歩:2005/02/20(日) 20:05:37

どうも、打ち間違いが多くていけません。
謀略舞台は、もちろん、謀略部隊です。

1489問答迷人:2005/02/20(日) 20:17:52

名無し@富士門流さん
犀角独歩さん
吉祥仙人さん

慧妙の記事、読んでみました。気になる箇所が一箇所ありました。転載します。

「しかしながら、一方、日興上人のもとで四年間を身延で共に過ごした民部日向は、日興上人の身延離山後の正安○年十二月、自ら板本尊を造立している。いかに大聖人の法義に疎い五老でも、いちおう大聖人の直弟である以上、自ら全くのの新義を作り出すことはありえないから、これは、身延山久遠寺の本堂に安置されていた本門戒壇大御本尊を拝した日向が、大御本尊を真似て板本尊造立に及んだ、考えるほかはない。」(慧妙平成十七年二月十六日第三面)

この「日向師による正安年中の板本尊造立、というのは、事実なんでしょうか。既に議論の終っている事かもしれませんが、敢えて皆さんにお伺いいたします。僕は初耳でしたから。

1490問答迷人:2005/02/20(日) 20:29:08

犀角独歩さん

>どこかのHPで、わたしが日蓮宗、現宗研に急接近、当掲示板は身延派の謀略部隊に占拠されている

これは、大笑いですね。しかも、御参加の皆さんに対して、大変無礼な言い草です。

この掲示板は公開の掲示板で、しかも、ルールがはっきりしています。乗っ取るなんて事、どうやったら出来るのか、教えて欲しいものです。

1491犀角独歩:2005/02/20(日) 20:48:01

問答名人さん:

以下のサイトです。
わたしに悪意があるように見えないものの、また、掲示板そのものに悪意を懐くようでもないのですが、

「顕正会批判を隠れ蓑に、日蓮正宗のイメージダウンを企む身延派プロパガンダの本拠」とは、いったい、なんのことやら。

なんで、直接、尋ねたりしないで、こう決め付けるのか、理解に苦しみます。
ここの管理者さんには、こちらに来て親しく議論をすることを希望します。

リンク集:真実の「日蓮大聖人の仏法」を求めて
http://kane765.at.infoseek.co.jp/link.html

1492犀角独歩:2005/02/20(日) 21:04:54

> 1491

おっと、今度は書き違いどころか転載ミスです。
わたしの勘違いもありました。訂正し、お詫びもいたします。

*** 以下転載 ***

3.富士門流信徒の掲示板

「富士門ネット」の掲示板であるが、最近は身延派のスパイに占拠された観がある

4.日蓮宗現代宗教研究所

顕正会批判を隠れ蓑に、日蓮正宗のイメージダウンを企む身延派プロパガンダの本拠

6.佛教再考

犀角独歩さん(元・日蓮正宗信徒、現在は上記の「日蓮宗現代宗教研究所」や立正大学関係者らと緊密な関係)

*** 転載終わり ***

ひとこと弁明すれば、別にわたしは日蓮宗のみならず、その他、自分が是と思う人・集団とは緊密な関係です(笑)

1493愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 21:17:42

犀角独歩さん、どうもです。
> 当掲示板は身延派の謀略舞台に占拠されているなんて書かれていました(爆笑)。

「謀略舞台」、あまりの面白さに小生メモってしまいました。
メモメモメモ_φ(._.φ(゜-゜;φ(._.φ(゜-゜;φ(._.φ(゜-゜;)カキカキカキ

名無し@富士門流さん、今晩は。久しぶりに「聖人御難事(1279(弘安2)10月)」を読んでみました。

「清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。」(「聖人御難事」学会版P1189)

この文が蓮祖自身、出世の本懐を遂げたことを宣言した文証であるなら、そのあとに、27年間の辛酸の日々を振り返り、ご自身が"法華経の行者"であるとの確信を述べられていますが、出世の本懐の中身には一言も触れていないのは何故でしょう。まさか、1275(文永12)年3月の「阿仏房御書(偽書)」に一機一縁の漫荼羅が蓮祖の出世の本懐であると記されているから「聖人御難事」には敢えて記さなかったとでもいいたそうですが。

「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。」(「阿仏房御書」学会版P1304)

やっぱ、最期の最期まで言い張るのが、石山の処世術なんですね。

1494吉祥仙人:2005/02/20(日) 21:24:12
 補足
 >中外日報
 >商売の邪魔になる日蓮正宗は目の敵・・・

 (商売の邪魔になる。)日蓮正宗は目の敵・・・と告白すべきでは

1495愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 21:37:34

訂正、
「阿仏房御書(偽書)」の執筆年は、学会版が1272(文永9)年3月、新定が1276(建治2)年3月、昭定が1272(文永9)年3月でした。 m(_ _)m

1496通りすがり:2005/02/20(日) 21:40:25
慧妙の憶測は、どこぞの掲示板での淳のつく人や呆のつく人や「れ」のつく人VS坊のつく人や語尾ののびたハンネの人あたりとのやり取りが元ではないですかね?

1497れん:2005/02/20(日) 21:50:54
問答名人さん
>1489
民部阿日向師の造立と言われる板マンダラについては、堀日亨師が「富士日興上人詳伝」に以下の如く述べられています。
『板本尊は延山に多数ある。なかにも、日向の添書に「正安二年庚子十二月日。右日蓮幽霊成仏得道乃至法界衆生平等利益の為に之を造立す」とある丈二尺七寸、幅一尺八寸の大聖人の御筆を写した板本尊が、宝蔵に厳護せられてあるが、ほとんど秘仏で、一般には公開せられていないのはなんのためかを知らぬ』
以上ご参考までに。

1498犀角独歩:2005/02/20(日) 22:02:54

れんさん、横から失礼します。讃文?の「幽霊」ですが、これは『法蓮抄』の「今法蓮上人の送り給える諷誦の状に云く 相当慈父幽霊第十三年忌辰 奉転読一乗妙法蓮華経五部」と同じ用法と見ていいのでしょうか。

幽霊とは、いまのお化けのような用法ではなく、「幽」とは、かすか、かくれ、奥深く静かということで、迷わない霊を意味する言葉でしょうか?

たしか、この「幽霊」談義は、以前もしましたが、しかし、この向師の文、「日蓮幽霊成仏得道」と来れば、蓮師を成仏させるための漫荼羅という意味になるのでしょうか?
この板本尊は、しかし、向師に係るものでしょうか。

1499犀角独歩:2005/02/20(日) 22:03:54

1496 通りすがりさん、なるほど、当を得た観察かと存じます。

1500れん:2005/02/20(日) 22:27:19
犀角独歩さん、この向師造立?の板本尊は実物も写真も見たことがありませんから、はたして向師に係る板マンダラかどうか私には判断出来ません。ただ、堀師のあの記述により、そのような板マンダラが身延山に存在するということを認知しているばかりです。この板本尊については、所蔵している身延山の僧侶に聞かれた方が詳しいことが分かることと存じます。
脇書?の幽霊の語は犀角独歩さんのご指摘のように、私も法蓮抄の用語例に準じているように思えます。「日蓮幽霊成仏得道…」なかなか難解ですが、先師である蓮師の仏果増進を願って造立した板本尊という意味になりましょうか…。

1501問答迷人:2005/02/20(日) 22:29:19

れんさん 早速のご回答、有難う御座います。

富士日興上人詳伝(合本)にあたり、321-322頁に当該記述を確認しました。

兎も角も、そのような脇書のある板曼荼羅が延山に現存することは事実なんだと思います。ただ、日向師は富士一跡門徒存知事に「御筆の本尊を以って形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由し諸方に其の聞えあり、所謂日向日頂日春なり。」と書かれ、板に刻んだ事が批判されています。勿論、この存知事では、版木に刻んで印刷したことが咎められていますが、板本尊も当時の北山からすれば、御筆曼荼羅を刻む訳ですから、批判の対象にされていたと思われます。慧妙の反論は、この存知事の無論を無視していますから、反論としては弱いように思います。

1502名無し@富士門流:2005/02/20(日) 22:31:22

管理人さん、今晩は。
幽霊曼荼羅に関しては、既にれんさんがご指摘いただいた通りだと思います。
堀日亨師の「冨士日興上人詳伝」P321〜322に、れんさんご指摘の記述があります。

この件に関し以前他の掲示板で、身延での修行経験をお持ちの川蝉さんにお聞きしたことが御座います。
残念ながら拝観の経験は無いようです。所謂「本門戒壇之大御本尊」と同様「秘仏」のようです。
ま〜「秘仏」といい、宗内僧侶にも殆ど知られていないようなものですから、恐らくは??ではないでしょうか。

通りすがりさん、犀角独歩さん、私も同感です。以下の掲示板で宗創の代表で法論が行われていますが、学会側は「慧妙」記事の如く主張されています。

http://8327.teacup.com/woman/bbs

愚鈍凡夫さん、仰る通りだと思います。

1503問答迷人:2005/02/20(日) 22:31:48

訂正です

× この存知事の無論を無視

○ この存知事の議論を無視

1504名無し@富士門流:2005/02/20(日) 22:36:26

「管理人さん」改め「問答名人さん」(失礼しました)、入れ違いの投稿になってしまいました。

重ね重ね申し訳御座いませんでした。

1505問答迷人:2005/02/20(日) 22:44:52

名無し@富士門流さん

とんでも御座いません。管理者としての発言は「管理者」として書いています。掲示板参加者として書き込む場合は、「問答迷人」のハンドルネームで書き込ませて戴いております。同じ作業をして下さったのですね、有難う御座います。

1506犀角独歩:2005/02/20(日) 23:07:44

1500 れんさん、有り難うございました。

なんだか、しかし、不思議な文章であると思いました。


1502 名無し@富士門流さん:

すみません。ご紹介のページ、拝見しましたが、双方が、両集団の「代表」ですか?
個人的に組織を背負って、それぞれで主張しているということですよね。

少なくとも、現学会、また、石山の主張とも、それぞれ異なっていると思いますが、これはわたしの読み込みが浅いための誤読でしょうか。

1507通りすがり:2005/02/20(日) 23:08:22
しかし呆氏…見苦しい。まるで「れ」…。

1508管理者:2005/02/20(日) 23:16:32

名無し@富士門流さん

ご紹介いただいた掲示板、なんだか酷く荒れていますね。こんな状態でまともな議論が出来るのでしょうかねぇ。何か、富士門各派の真実の姿を見てしまつた様な気分になりました・・・。

それにしても、当掲示板御参加の皆様は、紳士淑女ばかりですよね。当掲示板の管理者としては、何か、逆にほっとするものが有りました。

1509名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:22:54

犀角独歩さん、通りすがりさん、某掲示板は「場外乱闘有り」のようです。

ところで「身延派のスパイ」って誰のことを指していっているのでしょうね?

1510愚鈍凡夫:2005/02/20(日) 23:25:33

「むむっ、下手にボケをかますとやばいかも・・・・・」 (..;)
プンプン( ̄^ ̄メ)\(_ _ ;)ハンセイ…

1511名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:29:58

>1508
管理人さん、

私はむしろここの掲示板が特別なのだと思います。
宗教という最も感情的になりやすい議論をここまで理路整然と対話できるのは、どこまでいっても管理人さんのお人柄と優れた管理能力のおかげだと何時も感謝しています。
ありがとう御座います。

1512通りすがり:2005/02/20(日) 23:32:26
身延の人というと…葵のつく方がいましたねぇ。

1513犀角独歩:2005/02/20(日) 23:37:06

1509 名無し@富士門流さん

> 「身延派のスパイ」って誰

うーん、そんな人いますかねぇ?
延山系の人が読んでも卒倒しそうなこと多いんですけどね、こちらの各スレッドは(笑)

1514名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:37:09

>1512
通りすがりさん、

確かその方も「坊」のつく方じゃなかったでしたっけ?

1515名無し@富士門流:2005/02/20(日) 23:38:27

>1513
犀角独歩さん、

やはり想像でものをいってるに過ぎないようですね。

1516通りすがり:2005/02/20(日) 23:45:28
はい、名無し@富士門流さん。確か@もついてましたねー。

1517管理者:2005/02/20(日) 23:54:45

名無し@富士門流さん

>管理人さんのお人柄と優れた管理能力のおかげだと何時も感謝しています。

これは違うのですよ。最初、掲示板を立ち上げよ、と勧めてくれた人がいます。そして、彼は、『掲示板は荒れやすいから、書き込みのルールをしっかり作らなくてはならないよ』って、教えてくれたのです。それが、功を奏しているんです。

その彼とは、『創価学会独立独歩』のチョンガーさんなんです。最初に井戸を掘った人の事を忘れるな、という中国の諺を創価学会にいた時に良く聞かされましたが、この点は大切にしたいと思います。チョンガーさんに敬意を表して、彼のHPアドレスを何回目かですが、掲載させて頂きます。

http://shunpo.ld.infoseek.co.jp/index.htm 『創価学会独立独歩』

1518犀角独歩:2005/02/21(月) 00:10:29

管理者さん、恥ずかしながら、チョンガーさんのお名前は存じ上げていましたが、そのサイトが「独立独歩」であったと、いま気付きました。

なんと、わたしはその「独歩」を名乗って、ここに登場してしまったわけですね。
なんともはや、今頃になって気付きました。

管理者さん、チョンガーさんには改めて敬意を表するものです。

1519通りすがり:2005/02/21(月) 01:01:17
例の掲示板、坊氏を書き込み禁止にして勝手に終わってしまいましたね。あの管理人さんの判定…いくら身内とはいえ、アレで勝ったと思っているらしいが本気なのでしょうか?

1520彰往考来:2005/02/21(月) 07:18:36
>1489問答名人さん、

日向師の板本尊については昭和52年の『蓮華10月別冊号』(蓮華編集部)に細井日達師が「本門戒壇の疑難に対する弁駁」と題して、昭和51年10月発行の『月刊ペン』に宮崎英修師が書いた「大石寺の板まんだらその価値と成立」への反論を記載していますが、その中(3頁)に以下の内容があります。

****************************************
身延山久遠寺には本堂の御本尊がないわけであります。では、日向はどうしたかと申しますと、彼は大聖人の御本尊を写して、板本尊を造っております。それは『身延山文書』に
「一、板本尊 本尊は祖師の御筆を写すが、下添え書きは、第三祖向師(日向)の筆なり。下添え書きに云く、正安二年庚子十二月 日、右、日蓮幽霊成仏得道乃至法界衆生平等利盛の為に敬ってこれを造立す」(日蓮宗宗学全書二十二巻)
と書いてあります。我々正宗の者から見れば、真に不思議なことは、大聖人が成仏していないと思っているのであります。日向造立の板本尊は、即ち日蓮幽霊成仏のためだと書いてあります。
幽霊とは、中有に迷っている霊魂のことであります。中有とは成仏しない、地獄にもいかない、中間のことで、この中にある霊魂を幽霊というのであります。これが大聖人の正しき弟子の教えでありましょうか。真に笑止の至りであります。正安二年は、日興上人身延離山から十一年の後であります。更に、その後十三年も日向は身延に在住しております。そして、この板御本尊は身延の本堂の本尊としておったことは、この板本尊造立の正安二年より五十一年も後の観応二年、辛卯の年に
「身延山久遠寺同御影堂、大聖人御塔頭、塔板本尊  金箔 造営修造結縁」(日蓮宗宗学全書一巻)
と中山三代日祐の『一期修善根記録』に書き残してあります。
これをもって身延の御影堂の大聖人のお厨子の中に、日向造立の板本尊が安置してあったことはあきらかであります。
宮崎氏は、板本尊は我が日有上人がはじめて彫刻したと、臆面もなく述べているが、日有上人より百五十年以上も前に、自分の派祖日向が板本尊を造立していることを知らないとはまことに迂闊千万であります。
一尊四士の釈尊像を中心とする日向が、板本尊を造立したということは、その前に戒壇の大御本尊が存在していたという正しい証明であります。この日向造立の板本尊は、今は富士に気がねしてか本堂にまつらず倉庫の中に隠匿しているのであります。
(中略)
(創価学会第三十九回総会に於ける講演の抜萃)
****************************************
引用者注:文中、板本尊, 板御本尊との用語不一致がありますが原文のママです。

1521問答迷人:2005/02/21(月) 07:48:17

彰往考来さん

有難う御座います。達師がすでに述べていた事なんですね、この反論を良く読んでいなかったのは迂闊でした。

それにしても、「宮崎氏は、板本尊は我が日有上人がはじめて彫刻したと、臆面もなく述べているが、日有上人より百五十年以上も前に、自分の派祖日向が板本尊を造立していることを知らないとはまことに迂闊千万であります。」と達師が述べた事に対する、宮崎師、或いは日蓮宗としての再反論はあったのでしょうか。もし、御存知なら、ご披露戴けると幸いです。宜しくお願い致します。

1522彰往考来:2005/02/21(月) 07:54:19

犀角独歩さん、

1520で紹介した事例では宮崎氏が『月刊ペン』に載せたのが昭和51年10月。
それに対する石山の反論が『蓮華』に登場するのが昭和52年10月でちょうど
1年後になっています。ご参考まで。

1523彰往考来:2005/02/21(月) 07:56:43
>1521 問答迷人さん

再反論があったかどうか残念ながら存じ上げておりません。

彰往考来

1524愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 08:16:55

横レス失礼します。
でも日達師の言葉は、取りようによっては、日向師が板漫荼羅を造立したから、日有師が板漫荼羅を造立したってかまわないじゃないかと言っているようにも採れますね。

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由諸方に其の聞え有り所謂日向日頂日春等なり。日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。」(富士一跡門徒存知の事)

日向師は日興師の弟子ではないから、この文とは関係ないと言えますが、日有師は興門派の流れを汲むわけですから、この文を無視できない存在ですよね。所詮、日達師も都合の悪い文証は平気で無視するタイプでしょうか?
逆に、日有師の板漫荼羅のアイデアは、日向師のパクリであったとの解釈も成り立つのではないですか。

1525犀角独歩:2005/02/21(月) 08:54:59

彰往考来さん、有り難うございます。
石山の反論、心待ちしております。

しかし、‘伝’向師板本尊を直ちに本物と断定したり、「幽霊」語の用法に『法蓮抄』を考慮に入れていなかったり、いつも思いますが、達師というのは、どうしてこうも穴だらけなのでしょうか。

1526吉祥仙人:2005/02/21(月) 08:55:50
 話をややこしくするようですが

 例の板本尊模刻事件の学会側の主張は

 「日達上人は、『ご本尊はその人の宝であるからどのように荘厳してもよい』と
おっしゃていた。」

 とのことです。

1527愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 10:05:02

吉祥仙人さん、「本尊模刻事件」の創価学会、日蓮正宗双方の主張を紹介します(当然、双方の主張に食い違いがあります)。

御本尊謹刻問題 自由座談会 赤沢氏
http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/mokoku.htm

模刻の手記
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/shuki.htm

1528一字三礼:2005/02/21(月) 10:41:08
横レス失礼します。
愚鈍凡夫さんが挙げてくださっている「富士一跡門徒存知の事」の一文ですが。
これは、本尊を形木に刻む事を禁じているというより、本尊を不信の輩に授与することの方を禁じている、というように読めませんか。

1529愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 11:15:01

一字三礼さん、レス有り難うございます。
「一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。」
とありますから、「形木に彫み」「不信の輩に授与」の二つを禁じたものと思いますがいかがなものでしょうか。

1530名無し@富士門流:2005/02/21(月) 17:41:15

何時の間にか話題が「本尊模刻」に移っていますね。

保田の客殿安置の日興上人書写の模刻本尊は、赤沢朝陽でやってもらったようですね。

1531一字三礼:2005/02/21(月) 22:01:11
愚鈍凡夫さん、仰るとおり二つを禁じたのでしょうね。

しかし、何故本尊を形木に刻むのを禁じるのでしょう。日本では経典さえ「百万塔陀羅尼経」(770年)以来、木版印刷されているし、蓮祖使用の法華経も「春日版」。
仏像に開眼供養する法華経は印刷でもOKで、曼荼羅本尊ではダメという理由がわかりません。

1532愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 23:17:29

一字三礼さん、どうもです。
漫荼羅=本尊と言いいますか、この頃には既に漫荼羅正意が主流になっていて、滅多なことでは授与しないのが通例になっており、書写数もそんなに多くなかったから「書写し奉り之を授与する者なり。」と堂々と言えたんじゃないでしょうか。
そういう意味では、当時の信者にとって漫荼羅を授与してもらえるというのは、今以上に価値のあることで、模範的信心の証(富士門にとって)となっていたのかも知れないと思ったりしています。

1533彰往考来:2005/02/22(火) 07:48:18
>1526吉祥仙人さん

なぜあなたはいつも“パンドラの箱”を開けるのでしょうか。
もちろん徹底した議論を避けるつもりはありませんが、現時点で達師の過去
のご発言を部分的に引用するのは不適切と考えます。
達師の弁を借りるなら、「今後、模刻事件での一切の議論を禁ずる(要旨)」
とのご発言をどう考えますか?

1534愚鈍凡夫:2005/02/22(火) 10:39:09

これは、「本尊模刻事件」の個人的な感想ですが、

小生は、秋谷会長の
「明快ですね。学会本部常住の御本尊をはじめ、他の御本尊についても、日達上人は昭和四十九年の段階で明確にご存じだったわけだ。まったく光久も無責任な発言をするものだな。」

との発言を受けて、赤沢氏が
「本当にそう思います。こと御本尊のこととなると日達上人は厳格で、必ずそばにだれもいない時に話をされていました。それが役僧であろうと側近であろうと、だれかいる時にはそうした話は一切口にされませんでした。」

と、答えていることに注目しました。赤沢氏の言う、御本尊に厳格な日達師が

「御本尊は受持した人のものですから、信心の上で大切にするのであれば、板御本尊にするのは自由です。他の人がとやかく言うものではありません。紙幅(しふく)を板御本尊にするということは、以前からもあったことです。特段、問題にすることではありません」

「と言われていた」という秋谷会長の発言は矛盾していますよね。
それと気になるのは、日達師と赤沢氏のやりとりには証人がいないと言うことです。
もう一つ、赤沢氏が「池田大作授与の御守本尊昭和二十六年五月三日」の漫荼羅彫刻について触れていないのが気になります。長年日蓮正宗の漫荼羅彫刻を請け負っていた仏師なわけですから、当然、御守本尊の意義は承知していたはずです。それなのに、板に彫刻したのはどういう了見でしょうか。そういう意味で、小生は、この赤沢証言に信憑性を感じません。

1535吉祥仙人:2005/02/22(火) 11:23:31
 彰往考来さんへ

 よけいなことですみませんでした。

1536彰往考来:2005/02/22(火) 12:29:25

>1535吉祥仙人さん

どんな機密文書でも一旦コピーされるとひとり歩きします。
それと同じで一旦箱が開いて中身が出てしまうと、閉じる
だけではすみません。
私も1534の愚鈍凡夫さんとご意見と同じです。たしか赤沢
氏の話は全く創価学会側の証言と反する内容もあったと記
憶しています。今日の夜でも古い資料をひっくり返してみ
ましょう。

1537真実 探求者:2005/02/22(火) 17:41:34
1533 彰往 考来 さん、、失礼します。 小生は、当該方の問題提起によりまして、「ウロ覚えの過去の記憶」が 愚鈍 凡夫さんの明快なるお答えにより、とても参考になりました、。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 お答えのご面倒の時は、過去の〇〇スレッドをご参照下さい、だけでも勉強になります、、。 ドーカ、投稿・発言するという「機会均等の平等性だけは、今後も御維持」して戴ければ幸い、と存じます、が、、、。 御免下さい、、。 早々。

1538真実 探求者:2005/02/22(火) 17:59:54
ドーモです、、。 追加させてください、、。 悪意に満ちたような「ネット荒らしや、口汚く暴言だけの逆切れ文言以外は、、」何卒御穏便にお取り計らい下さいませ、、。 早々。

1539彰往考来:2005/02/23(水) 07:28:26

>1537,1538 真実 探求者さん

ご指摘の点は
①自由な発言を封じてはいけない
②冷静に対応しなさい

ということかと存じます。
ご指摘を肝に命じます。今後ともご指導のほど
お願い申し上げます。

彰往考来

1540彰往考来:2005/02/23(水) 07:36:10
本尊摸刻事件については『創価学会の偽造本尊義を破す』(平成9年、大日蓮編集室)の87頁に水島師が日蓮正宗の主張を書いています。色々な資料を冷静に読み比べると、私は水島師の弁が一番説得力があると考えます。水島師の要旨は、
(1)日達上人が昭和49年の秋に了解されていたとすると、わずか三、四カ月後の昭和50年1月に失念されていたはずがない。
(2)日達上人が七体の摸刻を昭和49年の段階で承知されていたというのは赤沢氏ひとりの証言で他の証言と矛盾する。
(3)摸刻された七体の紙幅御本尊の中にお守り御本尊がある。
というものです。
特に(3)については、「本宗においては古来、個々に授与される鎮護御本尊は、本人が死亡した場合はお寺に納めることが原則であります。これを、かりそめにも板本尊として彫刻し、他人に拝ませることなど絶対に許されることではありません。宗門において許されざる行為を、山法山規を厳守された日達上人が、これを承認したり黙認されることなど、ありえません。」(95頁)とあります。

なお、同書104頁に昭和49年9月2日の「藤本メモ」についての記載があります。雪山坊における学会と宗門との連絡会議の記録であり、7番目に「7.本部3階の御本尊の件−板本尊にしたい」というのに対し「7の件−OK」とあります。本部3階の御本尊とは学会本部の日昇上人の紙幅御本尊(昭和26年5月19日に御書写)です。
宗門側の見解は、新たに日達上人に板本尊の御下附を願い出ると思っていた(日昇上人の御本尊を板本尊に摸刻するのを許可したものではない)というものです。これに対して学会側の主張は、『地湧からの通信第26巻』(1993年、はまの出版)の176頁にあるように摸刻OKと解釈しています。どちらの主張が正しかったのかわかりませんが、少なくとも解釈の違いがあったのでしょう。そうすると、学会が主張しているような“日達上人が失念した、それを学会がかばった”というのではないと思います。ただ宗門側の主張もちょっと無理があると思います。この御本尊は創価学会として意義深い御本尊で創価学会重宝としたためられています。それを手放して替わりを、と創価学会側が考えたとは思えないからです。参考までにこの御本尊は柳沢宏道師の『石山本尊の研究』(平成9年、はちす文庫)の第32番目に入集しています。

赤沢氏の証言としては二次資料ですが、『継命』昭和55年9月15日号に「五十三年の一月に、赤沢朝陽さんが経営難などの問題の背景もあって、猊下にお目通りしています。そのとき学会の諦法の実態に耐えきれず、多数摸刻したことを告白なさったんじゃないかと思います。猊下は「なに!」と驚かれて、大宣寺さんに「お前行ってこい」と調査を命じられて、事実が判明したんです。」という原島氏の証言を載せています。同様の内容が『大日蓮』の平成5年11月号に菅野慈雲師(大宣寺住職)の話として載っていますので、原島氏の談話の出処は菅野慈雲師でしょう。 

http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/shuki.htm

赤沢氏本人は平成9年10月18日付けの聖教新聞の自由座談会で、この話はつくり話として否定されています。これもどちらが正しいのか分かりかねますが菅野慈雲師の話が信憑性があるような気がします。

創価学会による本尊摸刻事件。これは私が池田氏をセンセイと呼べなくなった原因です。当時死ぬほど苦しんだことでした。そして、「一切の論議を禁ずる」という日達師のお言葉とともに自分自身の心の中に封印したのでした。今この封印が解かれてしまったわけですが、改めてあの問題が自分自身にとって解決していなかったことに気がつきました。さあこれからどうしようかと思案中であります。

1541彰往考来:2005/02/23(水) 07:51:26
>1530 名無し@富士門流さん

ご存知とは思いますが、自由座談会で赤沢氏の以下の発言があります。

>赤沢 そんなことはありません。現に学会本部の御本尊以外にも、保田の

妙本寺では十体、日向(ひゅうが)の定善寺では七体ほど、それぞれお寺の

御本尊の写真を撮り、謹刻しています。何より日顕自身、広島・正教寺の客殿の

御本尊が大きすぎて御厨子(ずし)に入らず、住職に「赤沢に言って、写真を撮

ってもらって小さくしろ」と指示を出していたことがあります。

http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/mokoku.htm

1542犀角独歩:2005/02/23(水) 08:28:15

1531 一字三礼さん、横レス失礼。

> 法華経は印刷でもOKで、曼荼羅本尊ダメという理由がわかりません

わたしは、こう考えます。
法華経は万人に開かれたテキストだけれど、漫荼羅は個人宛の允可証のようなものだから。
法華経のなかで五種法師の修行で書写が奨励されていますから、複製は、むしろ是で、その修行を末法不相応と停止(ちょうじ)するはおかしいと、わたしには思えます。ということで一字三礼さんのお考えに賛成。

一方、漫荼羅複写にはわたしは反対の立場です。何故ならば、これは各個人宛、特定用途をしてしたものだからです。個人宛の処方箋、自分が取得した権利書、免許証などは、コピーして他人が使っても、何の意味もないのと同様です。

万人向けの仮本尊を大量生産するなどという発送は、考案者である日蓮その人になく、それを継いだ日興にもなかった。その精神がまた継承され重須文書になったという脈絡を見るべきと、わたしは考えますが、如何でしょうか。

1543犀角独歩:2005/02/23(水) 08:47:58

模刻に関する石山・学会双方の言い分は、どちらに軍配を揚げるかと考えた瞬間に事実は見えなくなるでしょう。それぞれ、勝手な言い分があり、嘘があり、事実もある。それぞれの主張から事実部分を如何に抽出できるか、です。

また、歴史的に、近視眼的な視点で謗法、法外云々を語るのはナンセンスでしょう。
漫荼羅を本山に許可を取らず板に刻むのは、蓮興二祖の感覚からすれば、そもそも彫刻、複製はNG。影師頃から近代に至るまで、漫荼羅を末寺、石山から離れた地方の住職が、そもそも書写をしていたのだから、板に刻むことで大騒ぎするのは、おかしな話。明治大正昭和戦前で、模刻は別段、本山の許可など取らずに行われていた模様で、それが学会勃興以降NGになった歴史を看過するのはどうか。あと、学会成就本尊の入仏式は『聖教新聞』一面トップで報じられていたのに、それをあとあとまで石山坊さんが知らなかった、そんな馬鹿なとわたしは、思います。

もう一点、石山・学会双方、模刻本尊は7体だ、8体と言っていますが、これは嘘でしょう。
わたしが20代の頃、学会本部に副会長指導を受けに行ったとき、銀舞会館で(あったと記憶する)待っているとき、仏間で唱題しようと、漫荼羅本尊を見ると、正本堂建立時に学会幹部に頒布された、所謂特別御形木本尊を彫った板本尊でした。たぶん、この手のものは、ほかにもあったのではないでしょうか。学会には一貫して紙幅しか下付しなかったのに、法華講やら、他の団体には板本尊が許可されていた、面白くないという空気が当時の石山周辺にはあったように思います。その反動で、学会施設その他で板本尊へ取り替える風潮が、池田さんの鶴の一声で始まったのではないのか(これは当時の雰囲気からの推察ですが)

さらに、もう一点、石山が本尊模刻で怒ったのは、実は語られないもっと大きな理由があったと、本山勤務の執事職から訊いたことがあります。それは、なにか。要は、板に彫るとき、その傍らに「池田大作」という本人のサイン(あの独特の字)を一書に刻み込んだ。これが本山の逆鱗に触れたということでした。

結局のところ、学会本部入仏を新聞で見ても黙認したけれど、その他よくよく聞き調べたら、池田さんのサインが模刻本尊に彫り込まれていることを知り、激怒し、「そんなみっともないもの、宝蔵にでもしまっておけ」というところまでなったというのが、真相ではないのか、とわたしは考えています。

1544一字三礼:2005/02/23(水) 11:25:42
犀角独歩さん、レスありがとうございます。
仰ることに賛同いたします。

私の意見は非常に表面的なものでして。
興師ではなく蓮師の法華経の扱いは、佐渡に書写して送る約定を反故にしている経緯から「濫りに分布せず」であったのではないか、と考えます。
しかし蓮師在世当時にも、すでに印刷された法華経があったわけです。となれば、人から書写したものを入手できなければ、印刷版を手に入れる事も可能であったかもしれません。印刷技術の発展自体が、蓮師の「濫りの分布せず」のスタイルを実質的に空しいものにしたのではないか、と考えます。
蓮師の大曼荼羅の扱いも法華経に準じたもので、相手の信行の度合いを測って授与したものと理解しております。そうなるとやはり、コピー技術が発達した現代では空しいように思います。
勿論、ご指摘のように大曼荼羅には相貌の違い、信心の認可的な意味合いから条件は法華経とは全同ではありません。
しかし、現実的には大曼荼羅のコピーは、止めようの無いことでもあり、書写に限定すれば坊さんの飯の種にしかなりません。ちなみに私は、ボロボロになった経でも捨てるまでに強い精神的な抵抗があります。

1545愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 12:32:11

見方を変えれば、「経」は何れが本尊であるかの指南書、本尊は信仰の対象。と言う違いがあるのではないでしょうか。だから、「経」は一字一句間違いなく伝わることが重要で、修行としての書写とは、また違った意味を持っているのではないでしょうか。
形木の延長線上にある発想とはいえ、本尊に関しては、現代のように印刷技術が驚異的な発展を遂げるとは誰も想像してないかったでしょうね。
また、鎌倉・室町時代の人が試し刷りの漫荼羅サンプルを見たら、皆さん、家に帰って「一身上の都合により・・・・・」なんて書状を認めたりするんでしょうね。 (^^;)
それに、寺院に多大な貢献をした御仁に賞与として書写漫荼羅を授与するといった理由付けも出来ますしね(こっちの解釈が本筋だったりして)。

ただ、今では「富士一跡門徒存知の事」のこの文は、富士門一同にとって、踏んではならない地雷のような存在になってしまいましたね。

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由諸方に其の聞え有り所謂日向日頂日春等なり 。日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩 に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。本尊人数等又追放人等、頚切られ、死を致す人等。」(「富士一跡門徒存知の事」学会版P1606)

1546愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 12:37:33

考え事をしながら、キーボードを打ってたら、変な文章になってしまいました。
m(_ _;)m ゴメン!!

1547犀角独歩:2005/02/23(水) 12:41:30

一字三礼さん、仰る御意、一々に賛同できます。

書写行からすれば、開版法華経を使うのも不謹慎なんてことになるのでしょうか。
しかし、書写行は、いわば複製流布の薦めですから、今日的には、たしかに印刷は可ということになりますでしょうね。

>
現実的には大曼荼羅のコピーは、止めようの無い

まったく仰るとおりであろうかと存じます。
わたしは蓮師の祖意から観れば、という限定で反対と言いますが、それを謗法などという気は毛頭ありません。また、漫荼羅を本尊としたければするも是と思います。
ただ、祖意の如きに振る舞おうとする人を却って謗法などという認識不足者には異を唱えるばかりです。

> ボロボロになった経でも捨てるまでに強い精神的な抵抗

お気持ちはわかります。

これは一字三礼さんのことではなく、石山圏の話ですが、他と比べて、勤行に勧請がないのは変。これには賛同します。同じようなことですが、尊体本尊その他に入魂・脱魂という法義がないために区切りがつかないという欠陥があると考えています。脱魂という所作がないために、仏のままで、火にくべる、仏教的にはげにも恐ろしいことをやってのけてしまうのでしょうね。それは「謗法払」に留まらず、自宗の本尊の回収処分でも同様のことになっています。

1548犀角独歩:2005/02/23(水) 12:48:17

愚鈍凡夫さん:

> 本尊を以て形木に彫み

というのは、結局のところ、「形木に刻んで刷った紙幅」、「模刻した板本尊」の、どちらなんでしょうかね。

変な文章は、愚鈍凡夫さんのではなく、そもそもこの文面です。

1549名無し@富士門流:2005/02/23(水) 13:02:50

皆さん今日は。

大石寺のように、当代貫首書写の漫荼羅を御形木(コピー)にして配布するのは、門下内では異例ですよね。

普通は御形木・模刻は宗祖漫荼羅を行うのが普通で、稀に歴代が尊敬する先代などの書写漫荼羅を模刻(保田では伝師が郷師書写漫荼羅を模刻した)するケースがあるくらいだと思います。

自分の書いた漫荼羅を御形木あるいは模刻して配布するのは、「楽して金儲けしたい」だけじゃないんでしょうか?
それとも「当代貫首」=宗祖と同等ということでしょうか?石山では日寛師の代から、自分で書いた漫荼羅を御形木にして配布しているようですね。

1550愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 13:08:04

犀角独歩さん、どうもです。
言われてみれば、漫荼羅を板に刻む事を禁じているのか、それとも、その形木を使って印刷する事を禁じているのか分かりかねる文章ですね。
しかし、どちらにも採れて、言い逃れができるように意図的に書かれた文章なのでしょうかね。

「知的犯罪の指南書として使われたらどうしよう」(by 独り言)

1551一字三礼:2005/02/23(水) 13:42:14
犀角独歩さん

> 尊体本尊その他に入魂・脱魂という法義がないために区切りがつかないという欠陥があると考えています。
まったく仰るとおりで、如何に便宜的・形式的なインチキくさい儀式であっても、所詮、崇拝物自体は紙や木の信仰的付加価値部分ですから、入魂・脱魂は必要不可欠なのでしょうね。

やはり、蓮師の大曼荼羅授与という行為は、蓮師の法儀からしても特別なものだったのではないでしょうか。
現代のように一家に一本尊などではなく、蓮師の考える弟子達にとっての本尊とは、寺院本堂に奉られる一尊四士を想定されていたのではないでしょうか。
信者達は本堂に参詣し、一尊四士に拝復し、その後に僧侶の説法を聞いて帰る、自宅での勤行儀は東方に向かっての唱題・読経、そんな形式想像します。

蓮師の時代には、まだ仏壇という概念がありませんし、有力信者が持仏堂を所有していても仏壇というよりは、寺院のように使われています。
やはり、「一家に一本尊」の考え方が間違いなのではないでしょうか。

1552彰往考来:2005/02/23(水) 22:48:52

形木本尊について、最古の資料は中山三世日祐師の「本尊聖教録」(康永3(1344)年)にある「形木本尊 二鋪 三枚」(『日蓮宗宗学全書第一巻上聖部』昭和43年第二版、山喜房佛書林、407頁)でしょう。この形木本尊は「本尊聖教録」の記載内容から明らかに紙に刷ったものです。中山初祖日常師の「常修院本尊聖教録」(永仁7(1299)年)に形木本尊は記載されていませんが、日常師の収集以後にもたらされたか、この形木本尊が法華寺分ではなく本妙寺分であることからもともと日常師の手元になかったかのどちらかでしょう。なお、「常修院本尊聖教録」の宗学全書本は錯簡があり、寺尾英智師の『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』(平成9年、雄山閣出版、349頁)に修正記載されています。
「本尊聖教録」の記載では授与者などは不明です。正徳2(1712)年頃の「堀之内妙法寺目録」(『御本尊鑑 遠沾院日亨上人』昭和45年、身延山久遠寺、196頁)は中山法華経寺が日頂授与之漫荼羅の形木を一幅所蔵していたことを伝えていますが、天正19(1591)年の「日俒御手前ニ有之御霊宝」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』昭和62年、立正大学日蓮教学研究所、<資料紹介6頁>)や天正20(1592)年の「中山霊宝之注文」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』、<資料紹介9頁>)に記載がなく、慶長3(1598)年の「正中山御霊宝目録」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』、<資料紹介20頁>)に「従上方持下日頂授与三枚次之大曼荼羅 一幅 当山江令寄進之」とあることから「堀之内妙法寺目録」記載の日頂授与之漫荼羅の形木は天正20年から慶長3年の間に奉納されたものと考えます。中山から流出し、このとき還流した可能性もあるかと思います。

また身延山久遠寺においても形木本尊を旧蔵していた記録があります。慶長8(1604)年の「身延山久遠寺御霊宝目録(乾師目録)」(『昭和定本日蓮聖人遺文 第三巻』昭和63年改訂増補版、総本山久遠寺、2747頁)に「建治ノ御形木 弘安ノ御形木 合二幅」とあり明らかに紙幅です。『御本尊鑑 遠沾院日亨上人』は主として身延旧蔵御本尊の遠沾院日亨上人による模写で第21番(42頁)に日頂上人授与御本尊が入集しています。編者の影山師は、乾師目録にある形木とし「無年号であるが授与者の名とその位置讃文その他の形式から見て、清水市海長寺所蔵の日頂上人授与の分(立正安国会御本尊集第五三)と殆んど一致する。故に恐らくこれは海長寺所蔵の曼荼羅を原型とした形木であろう」としています。

いずれにせよ、「富士一跡門徒在知事」に「所謂日向日頂日春等」とあるうちの「日頂授与之漫荼羅の形木」が記録にあったことは興味深いことです。

日春師の形木は、『日淳上人全集下巻』(昭和57年改訂分冊、日蓮正宗仏書刊行会)の1544頁(「富士一跡門徒在知事書聞」)に「第四条中日春といふ人は岡宮光長寺の開山で日法師の先輩に当る人であつて模刻の御本尊が郡内に現存する。」とありますが詳細は不明です。淳師の文章では板本尊のようですが、そうではなく紙幅であったかもしれません。

by 彰往考来

1553犀角独歩:2005/02/24(木) 00:40:43

1549 名無し@富士門流さん、まったく、お考え賛同します。

1550 愚鈍凡夫さん、本当に変な文章ですよね。

1551 一字三礼さん、わたしは、仏像奉安と漫荼羅奉懸とは、まるで違う化儀堕と思っています。
また、一尊四士は、取りあえず、興師の考案で、また、漫荼羅を本尊とするのも、その確定は興師。しかし、その奉安と奉懸は、別義であると考えています。

1554名無し@富士門流:2005/02/24(木) 01:54:51

>1553
彰往考来さん、

日淳師が仰るものは、伝日法作の日春供養板曼荼羅のことを勘違いされての事ではないでしょうか?

http://fujigoko.tv/furusato/bunka/act08.html

かつて犀角独歩さんから指摘されましたが、日法師は「門下歴代大曼荼羅本尊集成」掲載の写真によれば、首題の下に「日法(花押)」あるいは「沙門日法(花押)」と書かれていますが、この板曼荼羅は首題の下が「日蓮大聖人」と書かれて(彫られて)おり、本当に日法師の彫刻かは疑問ですけどね。

なんとなく『日淳上人全集下巻』の記述をみますと、この板曼荼羅のことを勘違いされてのご発言かと感じられます。

なお、他門においても当代貫首の漫荼羅を御形木にする例はあるのでしょうか?
普通は御形木といえば、宗祖図顕の漫荼羅ではないかと思うのですがいかがでしょう?
この点ご教授戴けますと幸です。

1555名無し@富士門流:2005/02/24(木) 02:00:04

>1553
犀角独歩さん、

ご賛同戴きありがとう御座います。

以前このスレッドで、学会員の三鳥派に関する論考について、関心をお持ちのようでしたが、「つぶやきすれっど2」の>1362 のご投稿を拝見しなんとなく納得しました。

菅田師の講義内容を、是非お教え戴ければと願うものです。

1556犀角独歩:2005/02/24(木) 07:52:35

1555 名無し@富士門流さん:

菅田師のお話は多岐に亘り、実に「濃密」でした。
ご承知であると思いますが、『中外日報』平成元年1月25日1面に(上)、同26日1面に(下)が載った、同師の文・『日蓮異端・三島派にみる古神道的要素をめぐって』に沿った内容でした。
大見出しを拾えば、

(上)・創始者日秀はじめ玄心・玄了らは遠島に
    ・富士派大石寺の異端
    ・幕府 芽生えを徹底弾圧
     教義 未だ明確には判明せず

(下)・富士宗学の神道的部分の突出が三島派か
    ・行法にちらつく影 神道
    ・遠島で絶えた“邪宗”
     八丈島 日本宗教史の謎遺る

でした。講義はもちろん、堅樹派、完器講にも及びました。

菅田師は、現地見聞の強さ、話題にする場所場所を、実際に訪れたうえでの話であるだけに、それだけでも聞き応えのあるものでした。講義内容をここに簡便に述べることは、とてもできません。

1557犀角独歩:2005/02/24(木) 09:11:35

1551 一字三礼さん、昨晩は酒も入っていましたので、簡潔に書きました。
重ねて、記させてください。

以下は、問答さんとも議論をさせていただいた点ですが、法華経そのもののコンセプトからすれば、この塔内に置かれるべきは法華経典であると類推されます。これを妙法蓮華経の五字と見た着想は蓮師の考案であろうと思えます。しかし、七宝塔を南無妙法蓮華経七字に見立てるという真偽未決に見られる着想を蓮師が果たして懐いていたか、わたしは懐いておられなかったであろうと思えます。

これまた、過去の議論の延長になりますが、釈迦仏と題目五字、どちらが末法本尊かという議論はしばしばなされました。いまは、この議論を繰り返すのではなく、さらに違う視点から言えば、蓮師にとって、妙法蓮華経の五字は一念三千宝珠を裏むが故に尊いという考えが本尊抄に見られる点のみを挙げます。

以上雑駁な概観ですが、わたしは、蓮師の本尊観は一貫して久遠実成の釈尊である、しかし、行ずる観法は一貫して一念三千であるという二面性をそこに窺います。蓮師が仏像に「魂」を入れる所作として考えお出でであったのはその御前に法華経典を置くことで梵音声に代え、ここに三十二相具備するととらえたことは、もちろん、疑問の余地はありません。漫荼羅正意論者は、しかし、晩期、蓮師は以上のような本尊奉安から漫荼羅に移行したと言います。しかし、わたしはその点は納得できません。何故ならば、興師『宗祖御遷化記録』に至るまで、蓮師が一体仏を随身されていたことは紛れもない事実だからです。つまり、入滅のその日まで蓮師が拝んでいたのは、この一体仏であることにも、疑問の余地がありません。(しかし、墓所にそれを置くこといい遺したのは、本尊が漫荼羅となっていたからだというのは、短絡以外の何物でもありません。墓所という道場とは別の用途からでしょう。墓所の様式は三宝奉安、すなわち、仏=一体仏・法=註法華経・僧=蓮師遺骨となっており、別段の意義がそこにあったからでしょう)

「では、漫荼羅は?」という疑問が沸くわけですが、わたしは漫荼羅は、妙法蓮華経の五字で奉懸の場を道場たることを示し、一念三千を裏むことを十界勧請で表し、さらに漫荼羅奉懸の場所を戒壇たることを四大天玉の勧請で示し、祈祷・護という密教的要素を不動・愛染の勧請で補完し、授与者名・日付を記すことで允可・免許の意義も備え、さらにそれら図示によって、蓮師教義の規模もそこで尽くすという、複合的機能があったのであり、つまり、これは釈迦仏像本尊という機能とは別段のものであったのではないのかと考えています。

1558犀角独歩:2005/02/24(木) 09:11:59

―1558からつづく―

しかしながら、重須文献、殊に伝・順師文など、あるいはまた、京で考案されたという一塔二尊四士という奉安、現代で言えば、延山久遠寺の漫荼羅図に基づく仏像配置など、一貫しているのは、漫荼羅を仏像配置図と観るという点であろうかと存じます。

わたしも以上のように、実は考えてきました。
しかし、最近は、これは少し雑駁な発想ではないのか、と考え直すところがあります。

蓮師は漫荼羅を奉懸し、かつ、それに向かって読経・唱題をしたのだろうか?
そんなことをずっと皆で語らってきたのですが、わたしはこの可能性は限りなく少ないと考えます。蓮師が拝まれていたのは、釈迦一体立像であることは疑問の余地がありません。

また、一尊四士という様式の着想は、たぶん、蓮師その人に既にあったように窺え、これを自身の義としたのは興師であったと言う点は重須文書から窺えるわけです。その後の発展で、漫荼羅図を戒壇本堂奉安の仏像配置の、いわば設計図のように見なすに至ったことは、想像されます。いきおい、戒壇本堂奉安の様式をそこに見たのであろうと思えます。

このような考えは、たぶん、京方でも同じで(もしくはどちらかが影響を与えあって)一塔二尊四士を生じた時代背景はあったのであろうと推測されます。
余計なことを記せば、一塔二尊の造立は、法華経の文意、もしくは本尊抄の記述から見ても甚だ不可であると主張してきました。何故ならば「塔中」となっておらず、釈迦・多宝の二仏が塔の外に置かれてしまっているからです。つまり、蓮師の祖意をそれら造立形態は尽くしていないとわたしには思えます。宝塔内に法華経典を置き、左右に釈迦・多宝であれば、法華経の文意、それを五字に置き換えれば、蓮師の着想を忠実に再現したことになろうかと思います。

しかし、仏像奉安と、漫荼羅奉懸はしかし、元来、別段の意味を有して蓮師は確立されたのにも拘わらず、一体仏の遺失、さらに漫荼羅書写における特権性(仏像は仏師という芸術家が作るが、漫荼羅は法義を司る僧侶が書ける)という実利面から、漫荼羅は仏像と同義と見なされるにいたり、現在に至っているのはないかと思えます。

諄い文章になりましたが、以上のことから、仏像と漫荼羅は、その用途を別にすると、わたしは考えています。

1559一字三礼:2005/02/24(木) 11:46:50
犀角独歩さん、レスありがとうございます。

> 蓮師の本尊観は一貫して久遠実成の釈尊である、しかし、行ずる観法は一貫して一念三千であるという二面性をそこに窺います。

私などでは、はっきりとつかめないのですが、「久遠実成の釈尊」と「一念三千」とはどのような関係にあるとお考えですか。

「一念三千」はいわゆる「倶の十界」を機軸として十如是を三世間を加えて説明される、地獄から仏までの、言わば循環の理論ですよね。私の中では、この「一念三千」理論が法華経の内容と結びつかないのです。法華経の中心になる教説は言うまでもなく「二乗作仏」と「久遠実成」。「一念三千」が法華経の法門であれば、どこから導きだされたのでしょうか。

> 妙法蓮華経の五字は一念三千宝珠を裏むが故に尊いという考えが本尊抄に見られる点のみを挙げます。

妙法蓮華経の五字は宝塔であり、且つ妙法蓮華経の五字は一念三千を含む。という事は「一念三千」は宝塔内の釈迦・多宝ということになるのでしょうか。

> これは釈迦仏像本尊という機能とは別段のものであったのではないのかと考えています。
曼荼羅と仏像がまったくの別儀であったとの結論、賛同いたします。

> 蓮師は漫荼羅を奉懸し、かつ、それに向かって読経・唱題をしたのだろうか?

ここに関してはいつも真偽論に突き当たるのですが、例の「本尊問答抄」の最後に、

「其の旨をしらせまいらせむがために御本尊を書きをくりまいらせ候に、他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給ひ候へ。」

これをどう読むかという事で変わってくるのではないか、と思います。私見では、授与した弟子達には大曼荼羅に向っての唱題・読経を勧めていたのではないでしょうか。

> 一塔二尊の造立は、法華経の文意、もしくは本尊抄の記述から見ても甚だ不可であると主張してきました。

このご見解もまったくそのとおりであると思います。一塔両尊四士という奉安形式は、なにか大曼荼羅とも一尊四士とも付かぬ中途半端な感が拭えません。

1560彰往考来:2005/02/24(木) 12:20:50
>1554名無し@富士門流さん

日春供養板曼荼羅のご紹介ありがとうございます。
淳師の件はおっしゃるようなことと思います。

残念ながら私は他門流についてはほとんど知識が
ありませんので、存知あげていないということに
なります。

1561犀角独歩:2005/02/24(木) 14:23:53

1559 一字三礼さん:

>「久遠実成の釈尊」と「一念三千」とはどのような関係

蓮師教学の掌握としては、

本門本尊…「久遠実成の釈尊」(脇士・四菩薩)
本門題目…妙法蓮華経…「一念三千」

という関係であろうととらえています。
蓮師の認識とされては、開権権遠、もしくは顕本遠寿以前の釈尊は迹仏の域であり、これでは真の一念三千とは言えないという廃立ではないでしょうか。寿量では三妙合論で、‘本’因・果・国土が、ここに明示されるととらえるわけですね。生(因)仏(果)国土はもちろん迹門以前でも揃うには揃っていますが、この頭に付く、‘本’がポイントですね。本の因果国と、それ以前では、その意味は天地雲泥であるからこそ、台学を踏襲して開目抄に典型を見る本迹義を蓮師は孕んだのであろうと存じます。(ただし、その教義をわたしが信仰するという意味ではありません)

> 「一念三千」…地獄から仏…循環の理論

なるほど。このように整理されていらっしゃるわけですね。
妙楽の成句である一念三千は、言うまでもなく天台説・章安記の三千不可思議境で、三千而非三千、不思議一というところでしょうが、わたしは参禅、観心法の実践論、つまり、禅を組んでいるときに、己心に地獄から仏を三千に観察する行法であろうと、本文から考えています。この三千はしかし、羅什が九如是として挙げたところを敢えて十如是とし、その乗数を三千としたのは、三千大千世界という吉数への語呂合わせとも思え、わたしは承伏しかねます。


> 「一念三千」理論が法華経の内容と結びつかない

まったく、同感です。上述したとおり、台学では法華経の説くところは一念三千と言いますが、わたしはまったくそうは思えません。天台は、むしろ法華経を通じて、そのような参禅中の観察心法の行法としたわけで、それが法華経の至極であるという考えには、わたしも納得できません。

> 法華経の中心になる教説は言うまでもなく「二乗作仏」と「久遠実成」。

さらに正確を期せば、二乗までの記別(未来成仏予言)と仏になることによって得られる量り知れない長寿という功徳というのが、そのコンセプトで、だから、未来成仏を信じて、五種法師行に専念し弘教すれば、六根清浄を得、死後は極楽世界の蓮華から化生できる、四安楽行もある(安楽とは羅什以前のスカバティー(極楽)の訳語)というのでしょうね。

1562犀角独歩:2005/02/24(木) 14:24:28

―1561からつづく―

> 「一念三千」が法華経の法門であれば、どこから導きだされた

華厳・般若のモチーフを採り入れて、というところでしょうか。
法華経中では、方便の十(九)如、寿量の三妙合論でしょうか。


> 妙法蓮華経の五字は宝塔であり、且つ妙法蓮華経の五字は一念三千を含む。という事は「一念三千」は宝塔内の釈迦・多宝ということになるのでしょうか。

いや、そうではないと思います。
まず、前提として、蓮師の着想に題目=宝塔はなかったであろうと、わたしは窺います。では、宝塔をどう解釈されたのかということになりますが、日女御前に

「宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」

と書き送っておられるわけですね。この書は、しかし、浅井師「八葉蓮華説」は偽書という捌きからすれば、一体、どうなるのか、真跡鑑定の能力はなく、わたしは決し得ませんが、いずれにしても、妙楽が何故か、「一念」と解釈し直した台説・章記の「一心」にこそ、あると思えます。多宝出現は、法華原本から蓮師に至るまで、一貫して真実証明(しょうみょう)を意図するものではなかったでしょうか。しかし、その久遠釈尊は、もちろん観心の本尊であるというのが、台学を踏まえた蓮師の着想でした。

> …「本尊問答抄」

大胆な管見を陳べれば、わたしは同抄は(興師の?)偽書であると思います。

> 弟子達には大曼荼羅に向っての唱題・読経を勧めていた

こう決断するのに、それを指示する真跡・事跡は、わたしはあまりに乏しいと思います。なにより、蓮師は随身仏は、遷化録にも現れるのにも拘わらず、では、蓮師が常時勤行・唱題をしていた随身漫荼羅は?となると、そんな形跡も事跡もまったく見られません。

師匠と違う勤行作法を、果たして弟子にさせるのか、わたしはこのようなことはあり得ないであろうと思います。

そのことから類推すれば、各弟子檀那も、それぞれ釈迦木像を所持し、常の所作に勤行・唱題をしていたのであろうと思います。

1563名無し@富士門流:2005/02/24(木) 14:30:36

皆様、今日は。

犀角独歩さん、彰往考来さん、ありがとう御座います。

話を戻すようで恐縮ですが、北林氏の「饒舌の故に」に出てきます、正信会伝法寺住職の浜中和道師の回想録というのは信憑性のあるものなのでしょうか?
全文をどこかで閲覧等できるのでしょうか?

http://www.heianbooks.jp/zenbun/jyouzetu/index.html


テープの公開については、正信会HPにもコメントが出ていました。

http://www.fujimon.or.jp/siryou/cmnt0003.html

北林氏は原稿用紙1800枚に及ぶ「浜中回想録」を手にされたようですが、「饒舌の故に」では学会側にとって有利な個所だけを引用していると思いますが、妙信講問題から久保川師とともに一連の問題の渦中にあった人物と聞きますから、この回想録にはチョッと興味が湧きました。

1564一字三礼:2005/02/24(木) 21:00:07
犀角独歩さん

一念三千の丁寧なご教示ありがとうございます。

> その乗数を三千としたのは、三千大千世界という吉数への語呂合わせとも思え、わたしは承伏しかねます。

摩訶止観は緻密に深く考えられているとは思いますが、を読んでいると、十境やら十法門やら足したり掛けたりしてとんでもない数字になったりしますね。

「所破かくのごとし、能破もまたしかり、所能合すれば一十八万八千五百六十八句あり。自行かくのごとし、化他もまたしかり、合すれば三十七万七千一百三十六句の止観あり。」

って、言われたって私にはもう数が追いかけきれまへん。

> 天台は、むしろ法華経を通じて、そのような参禅中の観察心法の行法としたわけで、それが法華経の至極であるという考えには、わたしも納得できません。

仰るとおりで、天台には”始めに止観あり”ですね。様々な経典から切文しては、自身の禅法に結び付けているようにも思えます。
逆に言えば、法華経ではさほど三昧(禅・止観)を重視してはおりませんね。法華経で尊ばれるのはまず「信」であり、仏に逢い、また法門を聴聞した時の「歓喜踊躍」であり、寿量品に至れば一品の中で繰り返し3回も使われる「恋慕・渇仰」などでしょう。総じて法華経で褒められるのは皆、躍動的・情熱的な印象を受けます。

> 師匠と違う勤行作法を、果たして弟子にさせるのか、わたしはこのようなことはあり得ないであろうと思います。

なるほど、確かにそのとおりですね。私も自身の意見を取り消して、犀角独歩さんのご見解に賛同いたします。

1565愚鈍凡夫:2005/02/24(木) 21:09:46

最近疑問に思うことなのですが、一念三千は無限の静寂の中に沈み込むような禅定独特の緩やかな呼吸法をイメージさせますが、逆に唱題行はトランス状態まで精神を高揚させていく過呼吸のようなイメージがあります。
蓮祖はこの一念三千の観法と唱題行の何処に類似性を見いだし、唱題行を民衆に奨励したのだろうか。そんな疑問を感じています。

御遺文を拝すると、蓮祖は正像末といった時機に拘っていたと思います。
小生の場合、唱題行と言えば、学会員当時のストイックなイメージがついて回るのですが、ちょっと学会の場合、唱題が攻撃的過ぎるのでしょうかね。

1566大盛り:2005/02/24(木) 22:15:30
天台を読んでいなければ成り立たない会話でついていけない。すごすぎ。

1567一字三礼:2005/02/24(木) 23:11:34
愚鈍凡夫さん

> 蓮祖はこの一念三千の観法と唱題行の何処に類似性を見いだし・・

同感です。
一念三千を末代幼稚の為に妙法蓮華経に包んだという事は、

一念三千の観法(像法)=南無妙法蓮華経(末法)

となりそうですが、時機により唱題行の方が何故か優れているんですよね。
また、観心本尊ではあっても、観心題目ではありません。

正・像・末の三時の分け方も、法華経では在世・正法・像法と説かれます。
まあ、本門に入れば三時の別も権帯でしょうが。

1568犀角独歩:2005/02/24(木) 23:34:09

このような議論を出来る方がいらっしゃることを嬉しく思います。

一字三礼さん:

> 摩訶止観…とんでもない数字になったり…

たぶんなんですが、天台と言う人は、禅を組みながら、いまでいう数学の数取りみたいなことをやっていたのではないでしょうか。いまでは小学生が九九とかやりますが、数字の羅列主義みたいなことは案外、瞑想行に含まれていたのかも知れません。
正確な計算は日蝕・月蝕など、天体の運行を予測することもでき、いまでは天文学に属することを、計算から予測すれば、世の尊敬を集めることも可能であったでしょう。ですから、数学に類することが瞑想・参禅に含まれているのは、むしろ当然ではないのかという感覚をわたしは持っています。

岩本師だったか、論釈などに現れる数字の羅列主義をインド、また、中国の特徴に挙げていましたが、こういう整理整頓は、瞑想と関連して行われていたと見ると、仏教社会が違う感覚で見えてきますね。

> …天台…止観…様々な経典から切文…自身の禅法に結び付けている

さすが。曹洞宗の中野東禅師という方があって、お話をした折、「天台は総合学問みたいなもの」という表現をされ、「ああ、なるほど」と納得したことがあります。
それまで、涅槃経が優位であった風土で、華厳、般若などを統合し、理論構築をした、換言すれば、自分なりに再構成をしたのが、天台学ですから、仰るような側面は当然あって、しかるべきであろうと存じます。

> 法華経ではさほど三昧(禅・止観)を重視してはおりません

さすが。そうなのです。
けれど、漢訳でいう「一心欲見仏」は禅定体験、「不自惜身命」は実践布教という二側面を書き表したものであると、わたしは読みます。

> 法華経で尊ばれる…「信」…「歓喜踊躍」…「恋慕・渇仰」

なるほど。このご賢察は納得できます。
法華経では、その根底には「経典崇拝」という、それまでの舎利、仏塔崇拝を継承した新たな側面も持っていますね。

> 躍動的・情熱的な印象

これもまた、一字三礼さんのお人柄を染み出るような法華経観ですね。
わたしは、法華通読で、驚嘆したのは、わたしが最大の苦手の不怒という側面です。法華菩薩の特徴は、決して怒らないという点です。それを、わたしは冷静沈着という、いわば冷めたように看取していたのですが、仰るような躍動・情熱、そして怒らないとすると、法華経が創作されたアフガニスタン?周辺の風俗が、彷彿とされます。
漢訳仏典で、もっとも失われてしまっているものは踊りと音楽というダイナミズムであると常々思ってきました。まさにその点を一挙に補完してくださったようで感激すら覚えました。


愚鈍凡夫さん:

> 一念三千は無限の静寂…唱題行はトランス状態まで精神を高揚させていく過呼吸…蓮祖…一念三千の観法と唱題行の何処に類似性を見いだし、唱題行を民衆に奨励したのだろうか

これまた、達観ですね。
仰るギャップは、止観をよく読むようになって已来のわたしの感想と同じです。
蓮師の台学受容というのは、まったく瞑想参禅的なニュアンスを感じられず、むしろ、当時、流行りだしていた念仏称名という、お言葉を借りれば過呼吸(貫名師の言葉で言えば有酸素運動)に重点を置いた折衷形式であったのでしょうか。
このような視点から分析、興味が惹かれます。
名僧・称名・唱題時の脳波を取って研究した影山教俊師の分析をお聞きしたいものです。

大盛りさん:

はじめまして…、ではないような気がします。
止観その他は、なかなか面白いですよ。
もし、お読みになっておられなければ、お薦めします。

1569犀角独歩:2005/02/24(木) 23:36:45

【1658の訂正】

誤)名僧・称名・唱題時
正)瞑想・称名・唱題時

1570愚鈍凡夫:2005/02/25(金) 10:26:56

>>1567:一字三礼さん、レス有り難うございます。
>>1568:犀角独歩さん、レス有り難うございます。

法華経のエッセンスを抽出すれば一念三千となり、その一念三千は法華経の題目に集約されると蓮祖は確信されたのではないでしょうか。
また逆に、「五五百歳」に四菩薩が宣布する妙法とはなんぞやとの設問を立てたこと。ここに蓮祖のオリジナリティがあったのかも知れないと思います。
そして、唱題行に結論づけたことで龍樹・世親・天台・伝教という先人たちと肩を並べる自分を想像し、一人ご満悦だったのかも知れませんね。内心、ご自分が上行菩薩の再誕であると確信されていたのかも知れませんよね。

ただ、1565にも記しましたが、一念三千の観法と唱題行が同じ結果をもたらすとは思えないのです。精神的には逆の作用があるように思えてなりません。

1571犀角独歩:2005/02/25(金) 12:41:08

愚鈍凡夫さん:

> 一念三千の観法と唱題行…精神的には逆の作用

わたしも‘いまの’、特に‘学会の’題目の‘上げ’方だと、この対比はその通りだと思います。

ただし、唱題は蓮師時代も、本当にいまと同じようにされていたかどうか。
この点では、考証の余地はあります。中世文献などを見ていても、「題目三返」とか「五返」とかいう記述は目にしますね。わたしは、このような唱題の一返は、かなり長い時間(短くても1分以上)ゆっくりと、引き題目のように唱えていたと思います。

歌舞伎なんかの台詞回しのスピード、あれは中世の人が集まって話すスピードだそうですね。
昔はスピーカーがなかったので、大きな声で、明瞭にゆっくりと発声していた。その名残だそうです。これはたぶん、仏事の勤行・唱題でも同様ではなかったでしょうか。

わたしはこの点に気付いていてから、唱題のスピードを石山丑寅勤行の引題目並にゆっくりと唱えるように変えました。すると、それまでの、感じと打って変わって、むしろ、参禅のときのような心地に変わったので、自分でも吃驚した記憶があります。

「お試しあれ」と申し上げておきます。

1572犀角独歩:2005/02/25(金) 12:59:56

なお、創価学会の超特急唱題、あの起源は、石山の寒経のやり方という話ですが、この実否は如何に?

これまた、余談ですが、蓮師の時代、唱題するのに太鼓を叩いていたかどうか。
学会は、あっさりと、これは廃したのは何故か、けっこう、唱題一つでも考証の余地はたくさん、残っていると思います。

余談ながら、石山では、学会の「題目の上げ方」を「ナメコ題目」などと言います。「南無妙法蓮華経、…」と聞こえず、あまりの早口に「ナメッコッ、ナメッコッ…」と猛烈に繰り返して聞こえるところから、こんな悪口が生じました。このスピード、しかし、太鼓で和するという石山ほか、一般門下の唱え方であれば、絶対に不可能。あんなに早く太鼓はたたけないでしょうし、多少、スピードを落としても、サンバ・ドラムのような感じになるでしょうから。

ま、しかし、気分の高揚、唱題の功徳も語られるわけで、石山、もしくは蓮祖以降、中世と違っても、今風の「上げ方」、さらにSGI勤行なるもので、満足、功徳の体験もあるのでしょうね。一概に悪いとは言えないのかも知れません。

1573通りすがり:2005/02/25(金) 20:11:47
私は元はナンミョウなのかナムミョウだったのかも気になります。

1574とゆうか:2005/02/25(金) 22:11:50
私には、みょーりぎょー・みょーりぎょーとか、みょーりげげる・みょーりげげると聞こえる。
かなりシュールですだ。

1575犀角独歩[TRACKBACK]:2005/02/25(金) 22:21:39

通りすがりさんが疑問に思われている点は『素朴な疑問』スレッドで'02年5月頃に話題になったことがあります。


その時、さらに拡大して、わたしが投稿しました。

*** 以下転載 ***

独歩 投稿日: 2002/05/17(金) 15:27

…古来の日本語には「はひふへほ」の音はなかったと大野晋博士が書いていましたね。では、どんな音であったかというと「ぱぴぷぺぽ-pa・pi・pu・pe・po」であると言います。それが中世には「ふぁふぃふぅふぇふぉ」になり、「はひふへほ」に変化してきたと言います。「んな、馬鹿な」と思いたいところですが、たとえば「か」と「が」を発声する時、口唇咽喉の形状は同じです。他のか行の音もそうです。これはさ行・た行も同様。しかし、は行だけは清音の発声では唇を開いたまま、濁音を発声する時には閉じていた唇をはじくように開いて発声します。ところが半濁音である「ぱぴぷぺぽ」を発声する時の口唇咽喉の形状は濁音と同様。このことから、は行は本来、P音であったと言われるわけです。

そうなると南無妙法蓮華経は「なむみょうぽうれんげきょう-Nam・Myou・Porengek・you」となってしまうわけです。しかし、これは一概に否定できないのです。なぜならば、真蹟のない『御義口伝』ですが妙法蓮華経の梵語を「薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」とあります。これは現在、「さだるま“ふ”んだりかそたらん」と訓読みされるのですが、「芬陀梨伽」は梵語の pundarika の音写ですから、プンダリーカ。通じていえば、sad-dharma-pundarika-sutra 、これを日本語的に読めば「さだるま“ぷ”んだりかすーとら」となり「ふ」ではなく「ぷ-pu」であるからです。

さらに定着しませんでしたが、日本語の旧仮名遣いでは「きょう」は「けふ」となりますが、平安文学の研究などでは、この旧仮名遣いは文字どおりに読んでいたのではないのかといわれています。「なむみょうほうれんげきょう」を旧仮名遣いで記すと「なむめうほふれんげけふ」となるのでしょうか? すると Nam・Mehu・Pou・Renge・Kehu という音に近いことになるようです。

また、古代人は現代人よりはるかにゆっくりと話していたと言われ、たとえば歌舞伎のあのゆくくりとした発声のスピードが標準的なものであったのではないのかとも言われていると教えてくれた先生がおりました。

700年の時間の経過は文語的な変化ばかりではなく、それ以上に口語的変化があったことは否めません。

ここで素朴な疑問です。いったい、聖人が唱えられていたお題目は、如何様なものであったのでしょうか。

あと、よく言われることですが、座法も、正座ではなく、胡座であったことは御影像からも間違いのないことであるようですね。

ここでも、素朴な疑問です。しかし、女性はどうであったのでしょうか。ここら辺はよくわかりません。ご存知の方、いらっしゃりましたら、ご教示ください。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/r55

*** 転載おわり ***

真跡遺文で拾えば『妙法尼御前御返事』(弘安元年(1278)07・14)に

「御消息に云く めうほうれんぐゑきやう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしやう(高声)にとなへ、乃至いきて候ひし時よりもなほいろもしろく、かたちもそむせずと云云」

とあります。当時、川蝉さんが指摘されていました。それに対して、

> めうほうれんぐゑきやう

の「ぐ」は編集の段階でよみの便宜に濁音を補ったのでしょうね。「ゑ」は既に失われた母音なので、実際はどのように読まれていたのでしょうか。大野晋説を敷衍すれば

「 Meu-Pou-Rengu“e”-Kiyau 」

とでもなるのでしょうか。
編集段階の表記の改めというのは、けっこう、ありますでしょう。聖人は吃音を「ん」で表記されていたと読んだ覚えがあります。となれば、「思って」は「おもんて」などとなり、実際のところ、当時はそんな発声であったのであろうと私は想像しています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/r64

と応じたことがありました。

注目すべきことは、ここで唱題は、わずか2回となっていることです。

1576犀角独歩:2005/02/26(土) 18:15:02

―1575からつづく―
はひふへほ<ぱぴぷぺぽ につき、興味深い、ページを見つけました。

大野晋説とわたしが即断していたことは、上田万年説が先行していたようです。(もちろん、大野晋師も書いています)

ひよこがぴよぴよ
http://homepage2.nifty.com/kawahara0309/hiyoko.html

1577愚鈍凡夫:2005/02/27(日) 00:31:06

犀角独歩さん、どうもです。

「忙しいったらありゃしない」(by 独り言) ε〜( ̄、 ̄;)ゞフー

ふと、思ったのですが、
昔の唱題が引き題目よりもゆったりとしたものであったら、みんなで唱和するときは困ったでしょうね。
人によって、それぞれ長さが違ったりなんかして。 (^^ゞ

1578吉祥仙人:2005/02/27(日) 06:21:29
 実体験から

 学生部当時、「グループ長の勤行・唱題のスピードについていけない」と部長に言ったところ、

 「勢いのある題目も大事なのだから、あわせるように」と指導されました。
 
 
 ついでに、学会では今、引き題目は行いません。

1579犀角独歩:2005/02/27(日) 08:56:44

愚鈍凡夫さん
吉祥仙人さん

わたしの投稿のポイントは、要は、いまの勤行・唱題が、蓮師と同じと思ったら大きな間違いだろうということです。

1580彰往考来:2005/02/27(日) 11:53:26

>1575 女性はどうであったのでしょうか。ここら辺はよくわかりません。

玉沢妙法華寺蔵『日蓮聖人像』は左下隅に曽谷教信夫妻を描いています。
この図が初期教団の姿を表すものと仮定しますと曽谷教信は胡座であるの
に対して夫人は正座です。当時女性は正座だったのではないでしょうか?

なお、日本では女性はまず胡座をしませんが、タイでは女性も胡座をして
いる姿をみて文化の違いを感じました。

この画像は2003年に東京国立博物館で開催された『大日蓮展』に出展
されていましたのでごらんになられた方も多いと思います。そのときの目
録に掲載されています。同じ画像が宮崎英修著『日蓮とその弟子』(昭和
46年、毎日新聞社)にも掲載されているのですが、こちらは肝心の箇所
が切れていて確認できません。画像では夫妻は数珠を片手に聴講されてい
ます。

ご参考まで。

1581犀角独歩:2005/02/28(月) 08:38:50

1580 彰往考来さん、有り難うございます。

この像の、制作年代はいつ頃なのでしょうか。

正座、これが正しい座という呼称自体後代に属すると思います。
以前、聞いた説明では、この座法が定着したのは、武家の勃興に関係するということで、つまり、直ぐに立ち上がれ、抜刀できるからであるなどという説明を石山の僧侶から受けたことがあります。

となると、この座法自体、男性によって定着したことになるわけで、その意味からすると、曽谷妻(女)像が、そうであるという説明と食い違っていることになります。

その点からも、なかなか興味深い資料ですね。

1582パンナコッタ:2005/02/28(月) 17:24:41
横レス失礼します。
正座に関しては、神道の影響が大きいと以前聞いたことがあります。ここでも神本仏迹論の
影響があると思われますが、女性の服装の変遷をみると奈良朝の女官辺りから「重ね」が
主流となり、座って胡座をかくことはまず出来ません。
一般の民のおかみさんなら違ったかも知れませんが、鎌倉期の武士の夫人なら他人がいる所で
裾をひろげるようなマネは絶対しなかったでしょう。

ズレますが隣国韓国では古来より、罪人の座らせ方として一般的ではなかったようです。
キリスト教の布教時に、神に跪く姿勢をとらせるのに苦労したようです。

1583彰往考来:2005/02/28(月) 22:23:47

>1581
>この像の、制作年代はいつ頃なのでしょうか。

玉沢妙法華寺蔵日蓮聖人説法図について坂輪宣敬師は、
「玉沢手鏡草稿中の日昭の譲状に
一、生御影、絵は大蔵也、居子ニテ御説法、曽谷夫婦聴聞問之体也、御経第六巻ノ初、宗祖御筆也、授与法名法蓮、蓮華比丘尼、文保十一年十六日
とあるので、この書を信ずるかぎり、本画像の聖人在世中の成立ということも十分考えられる。」(昭和46年、大崎学報第125・126号(「日蓮聖人画像について」、126頁)としています。
また、田中豊蔵師は、「余は玉澤の説法図をも矢張り佐渡以後、身延の初期、即ち教信の剃染するすぐ以前假定すれば建治元年から三年迄のものと考えたい。」(『日本美術の研究』1960年、二玄社、197頁)としています。しかしながら田中師は同書で、十界曼荼羅を書かず一尊四士を書いているのはそのほうが絵画的であるとか、この道場は身延であるとされていますが、その見解は疑問であると私は考えます。坂輪師も「(田中)氏の論文にはやや賛同しがたい点もある」(『日蓮と法華経 講座日蓮第1巻』1972年、春秋社、222頁)と指摘しています。
樋口誠太郎師は「この妙法華寺御影は、迫力はあるがおそらくずっと後の世のものかと思われる。その理由は前に記したごとく、日蓮が禅宗様式のみなりをしていること、曽谷夫妻の姿も鎌倉時代の風俗ではない。まず、曽谷法蓮の侍鳥帽子は、室町時代の他の絵画に見られる様式と共通の方式で描かれているし、服装も(直垂姿)室町時代ぐらいまでくだるのではないかと思われる。それらに加えて、曽谷法蓮の妻の服装が腰巻姿といって、室町時代武家女性の正装で描かれていることから、これらはだいたい室町時代の作品とみて良いのではないか。これを南北朝期にまで作期をあげるのも問題であろうと考える。」(『日蓮 房総における宗派と文化』昭和55年、千秋社、239頁)と指摘しています。
また宮島新一師は、「妙法華寺本日蓮上人画像は、十四世紀初めに描かれたもので・・・鎌倉時代後期に、曽谷教信の子(傳浄、?〜一三五九没)が製作させたものと考えるべきであろう。」(『肖像画』平成6年、吉川弘文館、170頁)としています。
以上のことから、玉沢妙法華寺蔵日蓮聖人説法図は鎌倉時代から室町時代の作と考えてよさそうです。
私はこの説法図もしくはその原画は文応元年の松葉ヶ谷の法難のあと下総の富木常忍の持佛堂で実施された百日説法を描かれた画ではないかと考えています。どうみても描かれた蓮祖がお若い。40歳前後にしか見えません。身延期であれば50歳以後です。また右下の履物がいかにも来客を思わせる描き方からそう考えるものです。この絵で十界曼荼羅を書かず一尊四士を書いているのも文応元年の描写であれば納得できます。

1584犀角独歩:2005/03/01(火) 01:52:32

1583 彰往考来さん

緻密なご教示、有り難うございます。
恐縮ですが、もう一点。

> 一尊四士…文応元年…納得

とは、どのような意味でしょうか。

1585彰往考来:2005/03/01(火) 07:30:53

>1584

蓮祖在世中に文字漫荼羅が本尊であったのかどうかは過去のスレッドで議論され
ているように大きな問題です。
この問題に触れるのではなく、単純に日蓮聖人図として見た場合、後世のものは
日蓮聖人涅槃図で臨滅時の漫荼羅が掲げられているように、文字漫荼羅が描かれ
る例が多い気がします。後世のものから見ればそのほうが“もっともらしい”と
か“絵になる”ということでしょうか。
ご案内のように、山中喜八師の『御本尊集』では最初の文字漫荼羅が登場するの
は文永8年です。史実かどうかは別にして龍の口法難の後ですので第1番漫荼羅
も事実上佐後期に属すと考えます。
文永8年より前の文字漫荼羅はどれひとつとして真筆はありません。すべて偽筆
です。このことから、文応元年の状況を描写していると考えられる本図で文字漫
荼羅が描かれていないのはむしろ妥当なことであると考えている次第です。

1586犀角独歩:2005/03/01(火) 10:21:39

1585 彰往考来さん

重ねて御礼申し上げます。
有り難うございました。

> 文応元年…描写…文字漫荼羅が描かれていないのはむしろ妥当

これはたしかに、漫荼羅が描かれていないのは妥当ですね。

蓮師門下の漫荼羅・本尊の変遷は、伊東流罪以降、一体仏、仰るように文永期以降に漫荼羅の図示が始まる。ここまでが蓮師在世の出来事であろうかと存じます。
その後、興師は、一尊四士を自義とし、追って漫荼羅本尊正意がやがて定着しますね。いつの頃と査定されるのか、わたしは存じ上げませんが、その後、一塔二尊四士の奉安様式が京都方面で生じ、それが全国に広がっていた。そんな変遷があろうかと存じます。

一尊四士の仏像奉安は、その理論的原形を文永10年の『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』に求められるでしょう。となれば、文応元年からは13年も以前のこととなります。また、伊東流罪は弘長元年か3年のことですから、伝承の如く、この頃かから蓮師が一体仏像を随身されたとしても、係る史実はそれ以前のことです。ただし、脇士を持たない一体仏は、特に蓮師に係る奉安とは言えないと思えます。

つまり、文応元年の段階では、それまでの仏像奉安、たとえば、一体仏、もしくは、脇士に文殊・弥勒などを置いた形式はあっても、四菩薩(士)を置く奉安が成立していたとはとうてい思えません。

以上のことから、文応元年時点で一尊四士を充てることは、まったく不適時であると思いますが、如何でしょうか。

1587彰往考来:2005/03/01(火) 12:27:02

>1586 文応元年時点で一尊四士を充てること…不適時

そうですね。私は文字漫荼羅が描かれていないのがむしろ妥当
なことであるという観点でして、いわれてみれば一尊四士でも
ちょっと変ですね。

1588犀角独歩:2005/03/01(火) 21:02:55

1587彰往考来さん:

> 文字漫荼羅が描かれていない…妥当

御説敬服します。

> 一尊四士…ちょっと変

この点、コンセンサスが採れたことを嬉しく存じます。

1589愚鈍凡夫:2005/03/06(日) 00:16:32

済みません。話題を創価学会に戻しますが、
小生は、創価学会が社会貢献したことで最大のものは、在日問題や同和問題による不満の捌け口のクッション的役割を果たし事ではないか思います。
「信仰は役に立つか」スレで人種差別の問題が議論されようとしていますが、創価学会は表面的に差別のない互助的組織としての役割を果たしてきたように思います。
但し、これは表面的なことで、創価学会員でも酒に酔うと、関西弁特有の口汚い言葉で罵る人も少なからずいます。
まぁ、これは関西の際だった特徴かも知れませんが、これらの人々の中には必死に努力して、社会的成功を収めている人が少なくないから、一種の妬みでしょうね。
悲しいかな、本音と建て前がはっきりしているのが創価学会の特徴でもありますね。

1590愚鈍凡夫:2005/03/22(火) 14:19:30

創価学会は、
「季札といひし者は心のやくそくをたがへじと王の重宝たる剣を徐君が墓にかく王寿と云いし人は河の水を飲んで金の鵞目を水に入れ公胤といひし人は腹をさいて主君の肝を入る此等は賢人なり恩をほうずるなるべし、況や舎利弗迦葉等の大聖は二百五十戒三千の威儀一もかけず見思を断じ三界を離れたる聖人なり、梵帝諸天の導師一切衆生の眼目なり、而るに四十余年が間永不成仏と嫌いすてはてられてありしが法華経の不死の良薬をなめて・種の生い破石の合い枯木の華菓なんどならんとせるがごとく仏になるべしと許されていまだ八相をとなえずいかでか此の経の重恩をばほうぜざらん、若しほうぜずば彼彼の賢人にもをとりて不知恩の畜生なるべし、毛宝が亀はあをの恩をわすれず昆明池の大魚は命の恩をほうぜんと明珠を夜中にささげたり、畜生すら猶恩をほうず何 に況や大聖をや、」(「開目抄」学会版P203)

「夫れ老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし。いわうや人倫をや。」(「報恩抄」学会版P293)

などの文証を引用して、「報恩」、「報恩」と捲し立てていますが、
れいの「香峯子抄」には、仲人の小泉隆氏や、白木家の折伏の親である原島夫妻のことはまったく記されていないらしいですね。まして、原島精子初代婦人部長には個人的に世話になっていると思うのですが。池田さんの戸田さん亡き後の戸田家に対する態度など、「報恩」を盾にする教団とは思えないのですが、所詮、「報恩」とは創価学会が受けるものであって、他に報ずるものではないというのが学会の理念なんでしょうか。

1591吉祥仙人:2005/03/23(水) 09:02:16
 愚鈍凡夫さんへ

 おりしも、3月度座談会拝読御書は「報恩抄」の上記の部分でした。

 まあ、創価学会の功罪を考えるうえで、批判されてしかるべきところは当然あるでしょう。
 それも含めて、それを補って余りある功績があると、私は思います。

 事実を述べれば、「個人的リアリティー」と言われることを覚悟で、自身の体験をあげます。
理論がどうの、社会的にどうのと言われるより、個人にとっては、個人の体験こそが、
自身の人生経験こそが、最も重大な根拠となりえるのではないでしょうか。
 その寄り集まりが、創価学会の最大の功績であり、実力であり、存在意義でしょう。

 まして、悪口罵リ(でてこない・・・)されることが、「実証」とする学会においては、
「勇者は喜び、愚者は退く」とばかりに、ますます勇猛精進するでしょう。

 正直言って、「世間から賞賛されたら、学会の歴史的役割はおわる」とさえ指導する
学生部幹部がいたほどです。

 ま、私としては、「創価学会幹部か、りっぱですね」と言われるほうがうれしいですが

1592犀角独歩:2005/03/23(水) 09:08:19

> 世間から賞賛されたら、学会の歴史的役割

では、170の称号・勲章で学会と池田さんは終わったんですか(笑)

1593犀角独歩:2005/03/23(水) 09:14:42

> 個人の体験こそが、自身の人生経験こそが、最も重大な根拠

これはそうでしょう。しかし、それをもって、自分たちが最高で、他が間違っていると、自分たち以外の‘個人的リアリティ’を認めないうえで、「邪宗」だなんだと排撃してきたから、創価学会の社会的批判があったことを忘れてはならないでしょう。

創価学会が共生を模索し、他の「個人的リアリティ」を認めるようになれば、そんな批判はなくなります。しかし、では、何でも一緒かと言えば、そうではなく、「自分たちの会はいいですよ」と言えるものを、他者攻撃無くして、如何に構築できるかという次段階に創価学会は入るべきでしょうね。

池田さんの対談なんか読んでいると、案外、そんなストーリー展開になっているのに、当の学会員は、そうは見えないギャップに、また批判があるということです。

進むべき、方向性は見えていると思えますが。

1594犀角独歩:2005/03/23(水) 09:42:34

やや横道ですが、3月19日オウム真理教地下鉄サリン事件10周年集会に参加してきました。

この事件でご主人を亡くされた高橋シズヱさんがアメリカから9・11テロ被害者の会のメンバーを招待された、実に重要且つ有意義な会合でした。

オウム真理教の信者は、もっとも脱会をさせるのが難しいというのが、支援者の経験則です。その理由は何か。彼らが神秘体験という強固な個人体験を有しているからです。
神秘体験・個人体験、換言すれば「個人的リアリティ」ということです。
そして、彼らが脱会しないメカニズムは、1591に吉祥仙人さんが記述されたのとほとんど同様である点が注目されました。

9・11に世界貿易センタービル、またペンタゴンに突っ込んだ旅客機を操縦していた実行犯、また、日々報道される自爆テロに命を捧げる人々、また、いま、この瞬間に神の名の下に武器を手にして、殺戮を繰り返す人々を強く支えているものは何でしょうか。
それは彼らの信仰に基づく「個人的リアリティ」です。

1595パンナコッタ:2005/03/23(水) 11:13:51

〉個人のリアルですか。  
 オウム事件の時、司馬遼太郎さんが
「・・・光が見えたとかの、生解脱。そう生解脱がいちばんあぶないんだ・・」
と、盛んに指摘していたのを思い出しました。
更に体験談などを聞いてカタルシスを感じるのも個人のリアルの一つでしょうね。

1596犀角独歩:2005/03/23(水) 11:34:08

しかし、宗教団体というのはいいですね。
その団体が半世紀で、膨大な資産を構成して、幹部連が大金持ちになったわけです。一般の企業であれば、三波春夫さんじゃありませんが「お客様は神さまです」とか言って、感謝されるのはお客さんのほうです。ところが金を出し、無償労働をした会員のほうが、お金持ちにしてやったほうに「報恩」しろと言われるわけなんですね。

これはけっきょく、会員が「個人的リアリティ」で幸福感を味わったからだというのがその根拠のわけですか。創価学会員がお人好しだとおもうは、こんなところですね。

まあ、関係ないですが、神仏はお金は要らないわけです。食べるものがあるとすれば、法味でしょう。
会員と神仏の中間に組織・指導者がいます。そして、会員が出した金は、その中間の組織・指導者が手中に収めます。神仏には決して届くことはありません。それなのに、御利益を与えるのは、その上にある神仏です。

わたしはこんな構造を宗教の中間搾取と呼んできました。

1597愚鈍凡夫:2005/03/23(水) 12:29:24

吉祥仙人さん、どうもです。

> 理論がどうの、社会的にどうのと言われるより、個人にとっては、個人の体験こそが、
> 自身の人生経験こそが、最も重大な根拠となりえるのではないでしょうか。

小生は、創価学会が社会に果たした最も大きな役割は、在日問題・同和問題を吸収したことだと思っています。具体的に言えば、本来なら左翼に流れたであろう人々を吸収して、暴動が起きないように防いだことだと思っています。

個人の体験、個人の人生経験が重要であるならば、他の宗教であっても、極端な話、無宗教であっても別段問題はないのではないでしょうか。生きていれば自ずと何らかの体験・経験は付いてくるものですから。

> まして、悪口罵リ(でてこない・・・)されることが、「実証」とする学会においては、
> 「勇者は喜び、愚者は退く」とばかりに、ますます勇猛精進するでしょう。

勇猛精進と言いますが、結局は寄らば大樹の陰で、数の論理が働いているからでしょう。いざ、個人となれば、弱者の集まりですよ。「独りの時に強き人」は、経験上、創価学会ではあまり見かけませんね。
真に強き人は、静寂の中に生きていますよ。まるで大地を鷲掴みするようにしっかりと根を張ってね。そういう人は、執拗なまでに己を鼓舞する必要などないのですよ。

大きなお世話ですが、学会の公式ホームページに仏法用語(と言うよりは学会用語)のIME登録辞書がありますよ。パソコンのIMEに取り込んでみられてはどうですか。入力が楽になりますよ。

> 正直言って、「世間から賞賛されたら、学会の歴史的役割はおわる」とさえ指導する

池田さんは、世間から賞賛されたがっているでしょう。白木さんや竹入さんが国から勲章を貰ったときなど、賞賛するどころか、無視していたのではないですか。
小生は、創価学会の宗教団体としての歴史的役割は既に終わっていると思っています。今までとはまったく違う方針を打ち出さなければ、自然に衰退していくのではないでしょうか。とは言っても、昭和30年代、40年代の入信者が全員いなくなるまでは、そうもいかないとは思いますが。

以前、「全ての学会員が幸福になれば、広宣流布はあっという間に達成されますよ。」と言ったことがあります。そろそろ、学会員の善意や使命感を搾取するのを止めて、学会員に「報恩」の誠を尽くしてはどうでしょうか。

1598パンナコッタ:2005/03/23(水) 13:09:09

よく学会は「一人立て」なんて鼓舞させますが、『御義口伝は偽物である』なんて
言う人物は反逆者として罵詈雑言浴びせるでしょう。 なんだかな〜。
 事実は事実として受け止められないんでしょうね。 先日学会は、英語版の
御義口伝を出しました。聖教紙上で「大聖人の講義を日興聖人が書写したと伝え
られている・・」と、説明が載っていました。恐らくは確信犯なのでしょうね。

1599パンナコッタ:2005/03/23(水) 13:12:38
〉1598  日興上人ですな。すんません。

1600愚鈍凡夫:2005/03/23(水) 13:33:04

「日興上人が書写したと伝えられている」と言うのが渋いですね。
何か突っ込まれたら、「だから、日興上人が書写したとは言ってないだろう。ちゃんと、伝えられていると言っているじゃないか。文句があるなら、日蓮正宗に言ってくれ」ってかぁ〜。 (-"-;A ...アセアセ

今更、いままで創価学会が得意げに引用していた文証が悉く偽書からの引用だったなんて言えないでしょう。これからも、「日蓮大聖人の御聖訓」と言い張るのじゃないでしょうか。
「日蓮大聖人の御聖訓を偽物呼ばわりする魔の眷属め! 成敗してくれる」なんてヒステリックに叫びながら。 ∫(TOT)∫ムンク

1601パンナコッタ:2005/03/23(水) 16:18:24
>1600  ええ、愚鈍凡夫さん、そうなんですよ。
こういう言い回しで、お茶を濁すやり方が罷り通っていますから、止めて欲しい
ですね。 
文章の証拠付けに使われる『遺文の切り張り引用』もよく見ると、明らかに偽書
や、かなり怪しい物も平気で引用していますね。やはりあの御書全集が全てと考えて
いるからなんでしょうかねぇ。
 御義の英語訳はそれなりには評価出来るかもしれませんが、英語ネイティブの仏教
研究者はいったいどう思っているのかな。 あんまし相手にしてないような・・・。

1602愚鈍凡夫:2005/03/23(水) 20:44:52

「う〜ん、これは日本古来から伝わる言葉遊びか? 訳分からん」
なんて首を傾げたりして。

「アヤヤほど可愛くありませんが」
って言うかなぁ・・・・・。 (*^。^*)

1603吉祥仙人:2005/03/24(木) 05:48:21
 「つぶやき」になるかもしれませんが。

 日蓮正宗の教学(富士宗学全集・要集)を創価学会が継承し、阿部管長も偽物と
鑑定した「大石寺の大御本尊」を擁護する。
 戸田先生への義理立てだけではないでしょう。まして、教団維持のためだけとは
思いたくない。


 学会員は言う。「宗教を金儲けに使う邪宗教と一緒にするな。」
 皆さんは言う。「なぜ、創価学会がそういう宗教でないといえるのか。」

 どうも、このへんをドウドウ巡りしているような気がします。

1604犀角独歩:2005/03/24(木) 11:18:22

金儲け宗教だ=莫大な資産を構築して、特権幹部は法外な給与を取っているから=外部
そうではない=各人が組織・指導者を通じ、実証を示し、幸福感を得ているから=内部

という両面があるからでしょうね。会は会員が幸福感を味わっている限り、収益が成り立つから、会員にだけ満足感を与え、その見返りを得て資産を形成するという閉じた生態系が構成されているのでしょう。外部からすれば、会員が感じる幸福感など、まったく関係ないわけですから、上述の部分しか見えない。反面、会員は自分たちの実証に判断基準を置くから社会的批判には目を向けない。それがまた、外部から批判となるという堂々巡りでしょう。

1605& </b><font color=#FF0000>(fEkpAFto)</font><b>:2005/03/24(木) 12:47:56

> 学会員は言う。「宗教を金儲けに使う邪宗教と一緒にするな。」

金を集めすぎている創価学会に、「一緒にするな」と言う方が無理なんですよ。
世界規模で広がる被災民や難民に、その有り余る資金力で、惜しみない支援をしているというのであれば、誰もそう思わないんでしょうけど。
毎年数千億円も集めて、広宣流布は金で買えると思っているんだろうかと、小生なんかは見ていますけどね。 ( ̄Д ̄;;

1606愚鈍凡夫:2005/03/24(木) 12:55:57

済みません。
>>1605の投稿は小生です。ブラウザの調子がちょっと変です。 m(_ _)m

1607パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:29:29

都合良く、英訳御義の訳者、元コロンビア大教授バートン・ワトソン博士の特別寄稿が
大百蓮華4月号に載ってましたので以下抜粋。 しかし、なんか変なんですけど・・。

『インドの人々は、中国人とは違って、古代においては史実の記録にほとんど興味
を示さなかったようである。彼らはヴェーダ聖典やウパニシャッド、また、いくぶん
後代になる仏教やジャイナ教などの、歴史的・哲学的作品の伝承にには多大な関心
を払った。しかしそれらは口述形式で伝承したものであった。
 インドの人々はおそらく、この世を不確かな有為転変の領域と見て、俗世の出来事
を記録するのをむなしく感じていたのであろう。』

1608パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:30:15

続き

『1998年、私は「法華経」の英訳作業を開始した。 これは、池田会長と
私の会見の中で検討されたプロジェクトであった。鳩摩羅什の漢訳「妙法蓮華経」
にそっての英訳である。  
 漢訳の「法華経」は数種類あるが、中国・朝鮮・日本で最もよく知られている
のが羅什訳である。古代の漢文で書かれた羅什の文章は、流麗で、意味が不明で
あったり、論議の争点となるような表現は、まず見当たらないという名訳である。
 そのため、翻訳者として直面した問題は、原文の意味をどう捉えるかではなく、
それをいかに平明で滑らかな英語にするかであった。
 仏教書の翻訳者の中には、古風な聖典の響きの言葉を使って、崇高で宗教的な
トーン(格調)をもたらそうとする者もいる。
 しかし私は、自分の翻訳文に決して古風な英語を使うことはない。むしろ、
できるかぎり分かりやすく、最も心地よい響きの現代英語にするよう心がけている。
この方針こそ、私が英訳版「法華経」で目指した目標であった。釈尊自身、仏教の
教えは大衆が日常使う言葉で表現すべきだと語ったと伝えられているからである。
 この翻訳書が1993年にコロンビア大学出版局から出版されて以来、「御書」
に引用されている「法華経」の英文は、この書が用いられるようになった。』

1609パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:30:54

続きの続き

『私が取り組んだ長期的なプロジェクトの一つが「御義口伝」の英訳であった。
 池田会長の著作を頼りにして、翻訳に励んだ。1990年代、私はこの仕事に
忙殺された。この翻訳書は最終的に2004年末に、英訳《御義口伝》
〈The Record of the Orally Transmitted Teachings〉という題名で、創価学会
から発刊された。
 一般に、仏教を論じる中国や日本の著作家や講演者たちは、好んで「即今」
(今まさに)という言葉を使う。彼らがこれによって表現したいのは、「仏教の
教えは、あなた個人にとって、たんなる教義上の理論としてではなく、あなたの
人生そのものの中で、”今まさに”どんな意味をもっていますか?」ということ
である。
「御義口伝」で日蓮大聖人が言われていることは、本質的にこうした性質
のもののように私は思われてならない。
 大聖人は、釈尊の生涯や時代というコンテクスト(背景)から、法華経に
説かれた物語や思想を取り出して、それらが聴衆の人生や時代にどのように当て
はまるかを示そうとした。聴衆とは、末法と呼ばれる鎌倉時代の日本人であり、
同時に場所と時代を問わず、”今まさに”いたるところにいる、あらゆる人々
なのである。
「御義口伝」へのこのような捉え方が私の翻訳の基本である。私はそれが間違い
ではないこと、そして私の翻訳が英語圏の読者たちにこのことを正しく伝え得る
ことを、心から望んでいる。』

1610パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:31:35

続きの続きの続き

『私は、かなり前からコロンビア大学で教鞭を執らなくなったため、残念ながら、
私の翻訳への学生達の反応を聞く機会はなくなってしまった。
 しかし、私が創価学会のために翻訳した書物は、どうやら売れ続けているよう
である。これは、どこかにその真価を認める読者層がいることを示すものであろう。』
  大白蓮華4月号 池田SGI会長とともに歩んだ30年の翻訳人生 より引用

如何だったでしょうか。自分は???????の連発だったのですが・・・・。

1611犀角独歩:2005/03/24(木) 16:46:01

法華経を英訳するのであれば、梵本のテキストを使えばよいわけで、翻訳したものをまた翻訳するような愚(これじゃ、伝言ゲーム)をするのか、それをまた、コロンビア大学で教鞭を執った人が行った?というのは、驚きというより、呆れた気分になりました。

まあ、しかし、什の妙法華を使う日本と英語圏では意味がある?ということでしょうか。

さらに冗談にも程があると思ったのは、「「御義口伝」で日蓮大聖人が言われている」と、その資料の分析もなしに、よくぞ書いたという驚きで、これまた、呆れた気分に近いものがあります。

しかし、御義口伝では、日蓮本仏はまったく説かれていないわけで、久遠釈尊の顕彰になっているわけですが、ここら辺は、どうやって「解釈」を付けるのか、興味深いところがあります。

翻訳の質そのものは、わたしの云々できるところではありません。
名訳や、意訳、違訳かどうか、伝言ゲームのように、どんどん事実から離れていなければいいのに、と願うばかりです。

1612愚鈍凡夫:2005/03/26(土) 03:38:32

犀角独歩さん、どうもです。
スレを間違って投稿したので、こちらに移動します。
嘗て池田さんは、立正佼成会の庭野さんが国会の証人喚問に呼ばれた時、戸田さんがそれを羨ましがって、自分の処にもこないかなぁっと感想を述べたというエピソードを紹介して、これこそが真の言論であると学生部の会合で指導したそうですが、いざ、自分がその立場になった時、逃げ回ってなんとか証人喚問を阻止しよう画策したと聞いています。
言行不一致が池田さんの際だった特徴と言えるでしょうね。 ムカッ( ̄∩ ̄#

1613犀角独歩:2005/03/26(土) 08:49:47

愚鈍凡夫さん、それでも、池田さんて、1回は証人喚問に立ったことがありましたよね。たしか、証人台に50万円入りの財布を置き忘れたというやつです。証言に立っているとき、その財布をずっとなで続けていた。あとで理由を聞かれたら、「そうすると、気持ちが落ち着く」。そんな話ありませんでしたっけ?

1614愚鈍凡夫:2005/03/26(土) 12:11:54

それって、池田さんにとっては漫荼羅よりも日本銀行券の束のほうが御利益があるということでしょうか。
厄よけの御守りとして財布に入れていたなんて言い訳すると笑えるのにな〜。 (^O^)

1615犀角独歩:2005/03/27(日) 00:34:42

愚鈍凡夫さん、なんだか、みんな引いてしまいましたね(笑)

1616愚鈍凡夫:2005/03/27(日) 01:16:44

犀角独歩さん、そういえば・・・・。最後の追い込みで忙しいんでしょうか。 (;^_^A アセアセ…

多くの人の犠牲の上に自身の栄光を築き上げた池田さんが、人生の最終章に何を綴のか、みんなが注目している思うのですが、ただ一つ、日本国の王となる儚い夢が消え去る瞬間、どんな人生だったと総括するのでしょうね。
最期まで己以外の人を信じることが出来なかったことから生じた、深い孤独を悔やむのでしょうか。 (..;)

1617犀角独歩:2005/03/27(日) 16:56:34

愚鈍凡夫さん、どうも。

> …最後の追い込み

自分が書いた原稿が載る本2冊がそろそろ出るはずなんですが、それが遅れているのを忘れるぐらい、仕事がたまって焦っております。なのに昨日は横須賀で、明日は、午前中に浜松に行く用事がありと、どうも、出歩くことが多いのです。

> 池田さん…悔やむ

いやぁ、このお人は「悔やむ」という精神作用とは無縁と思えますね。

1618想定 予定者:2005/03/28(月) 21:18:48
1617 さん、、。  視点を思考いたすご無礼ゴメン下さい。 時に「、何を、? どう、? 悔やむ、?」、のでしょうか、、? 御本人(I氏)」、が、、「反省・吐露されても、結果的に活字になるか、、? ならないか、、?」、、「、、イワユル公人、??、」、としての、、発言、?、も、会内の反対者勢力が、?が、、封殺、するかも、?=イワユル、、ニギリつぶす勢力、?、の存在は??は、、想定、、しておくべきでしょうか、、?? または、、想定の外、、でしょうか、、??
、、?? 、、マー、、某団体さんは、、「、次期都議選、、??、、」、、を控えて、、「、、行け、、行け、ドン、!!、ドン!!、」という、??、、「、、実利、一辺倒、、??」、、でしょうか、、?? 庶民イジメのコワイ団体の真骨頂、、が現存、、??、、でしょうか、、???

1619犀角独歩:2005/03/29(火) 08:58:25

想定予定者さん、ちょっと、ご質問がはっきりとわからないのですが、池田さんに反省とか、悔悟なんてないだろうという50年ウオッチャーの印象を記しました。また、あの手の組織は、反省を活字化すれば、件の如く、非を論われるだけですから、言論問題で一回、そして、第一次紛争で一回、以降、そのようなことはしなくなったと思います。今後はしないだろうと思えます。

1620想定 予定者:2005/03/29(火) 21:08:08
、、ドーモです、、。 I氏が反省も悔悟も皆無、? という件は? でしょうか、、?? 小生としましては、、「ご本人は、ヤハリ一度は国会証人の喚問、?」に対しては、、「、、一度位は国会証人の喚問に出る、?、」という、、度量の大きさ、? を示す事が、 最良、? だったことは、?、、「、ご本人自身が、一番に、? 後悔しておられる、、??」、かと、、自己判断した、次第で御座います、、。 ゴメン下さい、、。
出来なかった、、?」、、「、、この件は、出ておくべき?

1621犀角独歩:2005/04/04(月) 13:14:13

殊勝な方がいらして、以下の画像をわたしに送ってくださいました。
参考にサイトにおいて見ました。ご参考に、ご覧いただければと思います。

まあ、こういっては何ですが、なかに登場する女子部の会合その他、わたしはひどい違和感というか…、批判と採られては困りますが嫌悪感を覚えました。かつて、この手を見聞して、感動していたのかと思うと、我ながら、複雑な気持ちになりました。

久本雅美体験談
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/hisamoto_taiken.wmv

1622犀角独歩:2005/04/04(月) 13:30:04

1621、ジャンプしない場合は、アドレスバーにコピペしてください。

1623犀角独歩:2005/04/05(火) 22:19:01

いま『折伏教典』を読んでいます。
この本が絶版になったあとは『創価学会入門』が取って代わったのでしょうか。
その後、石山と袂を分かったあと、いまは上述の二書に取って代わった本は何でしょうか。どなたか教えてください。

1624三学無縁:2005/04/06(水) 12:57:54
独歩さん
『創価学会入門』は絶版ではないようですが、その他に小冊子がでています。
『新会員の友のために』全三冊。
必要でしたら買っておきましょうか。
一冊、一〇〇円か二〇〇円だったと思います。

1625犀角独歩:2005/04/06(水) 22:19:48

> 1624

三学無縁さん、有り難うございます。
よろしくお願いいたします。

質問です。『日蓮正宗方便品寿量品精解』(P203)に載る『教学問題の解説』はお持ちでしょうか。

1626愚鈍凡夫:2005/04/07(木) 00:16:26

公明党三重県本部の意向を無視して市会議員に無所属で立候補する創価学会員もいるんですね。いやはや、時代も変わったものだ。 ぴぃす((^へ^)v

**************************************************
◆風穴

 「無所属、無党派で出馬する」。結婚した時、仲人を務めてもらった、旧青山町の公明党市議が引退すると聞いた今年1月下旬、伊賀市高尾の会社員、岡山丈洋(45)は、そう決心した。
 現在、同党の議員は4人。しかし、今回の選挙戦では、同党の公認候補は旧上野市2人と旧伊賀町1人の計3人に絞られ、「高齢」を理由に旧青山町の市議だけ外されたのだ。旧上野市など旧6市町村での合併が進められる一方で、名張市との合併問題に翻弄(ほんろう)された旧青山町。同党支持者には、伊賀地域南部の立候補予定者がいなくなる党の決定に「旧上野中心の考え方で、地元軽視だ」などと反発する人もいたという。こうした中、同党県本部に抵抗して立候補を予定する岡山の動きは、固い組織票で知られる同党関係者に波紋を投げ掛けた。
 岡山は「創価学会員だが党員ではない」と強調する。出馬の経緯から組織選挙は難しいが、学会員個人の支持には期待している。加えて選挙戦のカギとなるのは、在住する地元や、旧青山町の桐ケ丘団地に住む同世代の無党派層からどれだけ応援してもらえるかだ。
 旧同町の他の立候補予定者は現職市議ばかり。地元の将来を訴えて当選し、風穴を明けることが出来れば、「市議の仕事に純粋に取り組みたい。二足のわらじは履けない」と、会社を辞める覚悟だ。(敬称略)

〔伊賀版〕

毎日新聞 2005年3月17日
**************************************************

MSN-Mainichi INTERACTIVE 都道府県ニュース
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/mie/archive/news/2005/03/17/20050317ddlk24010657000c.html

1627吉祥仙人:2005/04/08(金) 05:47:29
 横から失礼します。

 政治参加は国民の権利ですから、他人がとやかく言うことではないかもしれませんが、

 周りから「あと1期待ったら、現職が引退するから」と言われても待てない方も
いるようです。

1628犀角独歩:2005/04/08(金) 11:11:39

> 政治参加は国民の権利ですから、他人がとやかく言うことではない

そうなんですよ。ですから、しつこく投票依頼を受けて、何となく公明党に入れてしまうというのは、どうも、よくないとわたしは思うわけなんだ。

事実、そう思うわけです。ですから、組織打ちだし、選挙依頼という学会・公明の在り方ではなく各人の自主性を重んじる吉祥仙人さんの投稿を拝読し、賛同の意を表するものです。

1629愚鈍凡夫:2005/04/08(金) 13:04:39

組織からの打ち出しを勅語の如く受け取る学会員が多い中、自分の意志を表明できる人が増えていくのは喜ばしいことだと思います。 ぴぃす((^へ^)v

学会員で多いのが、選挙の度に公明党候補者を聖人君子の如く口コミ宣伝するのですが、「この候補が国会で何をしたのですか?」と尋ねると、回答できる人は殆どいません。組織からの通達だから、知らない候補者でも無条件で応援するというのが実際のようです。

1630パンナコッタ:2005/04/08(金) 15:46:53

決め文句は、
 「我々は政治屋じゃない。仏道修行として応援なんだ!!」
 て、ところでしょうか。

 オウムの岡崎被告の最高裁判決が出ました。組織に翻弄された人の姿を見て、
同じ様な轍を踏まずにいってほしいものですが・・・。

1631愚鈍凡夫:2005/04/08(金) 17:57:34

創価学会に入会する人の多くは、一部を除いて元来生真面目な人が多いですから、そういう人が脱会すると、あらゆる手段を行使して精神的に追い込み、あわよくば、自分で自分の始末をさせようとしますからね。

批判を中傷とすり替え、
「不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり、五戒の初めにも不殺生戒八戒十戒二百五十戒五百戒梵網の十重禁戒華厳の十無尽戒瓔珞経の十戒等の初めには皆不殺生戒なり、儒家の三千の禁の中にも大辟こそ第一にて候へ、其の故は「・満三千界無有直身命」と申して三千世界に満つる珍宝なれども命に替る事はなし、蟻子を殺す者尚地獄に堕つ況や魚鳥等をや青草を切る者猶地獄に堕つ況や死骸を切る者をや、是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害するは第一の功徳と説き給うなり、」(「秋元御書(未決)」学会版P1075)

なんて文証を引用して、非道な行為を正当化しようとします。

小生の場合は、未だに執拗な攻撃が続いていますが、元々生真面目な性格ではないものですから、先方では始末に困り果てているようです。 ( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナー

1632愚鈍凡夫:2005/04/08(金) 18:30:39

下記のHPの記事を読んで、金正日と池田さんがだぶって見えたのは小生だけだろうか。 ( ̄ヘ ̄)ウーン

創価学会の伝家の宝刀、「御義口伝講義」ですか〜ッ。
「抜きますかね・・・・・、ふつう・・・・・。」 アセアセ( ̄_ ̄i)タラー

新潮「名誉会長『体調異変』で密かに始まった創価学会『世襲の儀式』」(3月24日)記事
http://wave2005.hp.infoseek.co.jp/kyouki/050328.htm

1633真実 渇仰者:2005/04/08(金) 19:25:10
、、京都の誠聖神中央教会での信じられない事件には驚愕、、です、、。(京都新聞3月8日より) その「牧師の毒牙の犠牲者=児童レイプ事件、、」、の容疑者=金氏(永田 保)は「、私に逆らえば=地獄に落ちる、!!」、、と脅迫していた由、、。
、、オウム、、にしても、同じ言動で洗脳されていましたようです、、。 どこぞも、、「==同じの」様でしょうか、、?? ああ、 恐ろしヤ、、。、一寸ほど考慮したり、冷静に思考する時間と暇を、当事者に「与えないようにする技術=ノウハウが勝った、」、、ような現象には、、腹立たしい、、限り、、です、、。

1634海千 山千:2005/04/08(金) 20:04:46
、、先手は必勝の手筋も、ご存知ない、とは、。 世の中、、人生も、、イロイロ、ですから、?、 今後も、、意外な想像外の事件、など、は多発、?でしょうか、? この程度でビビッテ、、居るようでは、?、、でしょうか、?

1635真実 渇仰者:2005/04/08(金) 21:29:57
、、スミマセン、、です、、。

1636愚鈍凡夫:2005/04/08(金) 22:27:07

「空飛ぶ法王」と呼ばれた本物の法王が惜しまれながら永久の眠りにつき、偽物の法王が警察に婦女暴行でパクられるとは・・・・・。いやはや、天国と地獄を絵に描いたようなものですね。 (-"-;A ...アセアセ

パクられた方の法王は、
「狼よ!もとい!おお紙よ。いや違った!おお髪よ。これも違うな。おお神よ!!」 〔(/-o-)/〕
こんなふうに留置所の中でほざいているんでしょうかね。

1637吉祥仙人:2005/04/10(日) 12:42:17
 ところで、これのどこが「創価学会の功罪」と関係あるのでせうか?

1638犀角独歩:2005/04/10(日) 16:41:32

1632、ご紹介のサイトを読みました。

> 御義口伝」とは、戸田城聖元会長から池田名誉会長に伝えられたといわれる

とはなんのことでしょうか。日興記と云われる以外に戸田さんの義を池田さんに口伝した何かがあるというわけでしょうか。

しかし、『御義口伝』講義ですか。まさか真偽論証も何もないお粗末なものではないでしょうね。あ、いらないわけでしょうかね。戸田さんの御義だから、「言った、聞いた」と名乗りを上げたもの勝ちということ? となると、阿部さんの相承批判とどこが違うのでしょうか。

> 創価学会は世襲を否定

まあ、いずれにしても、池田さんが…、というより、創価学会が世襲制を採るかどうかは見物です。
かつて池田さんは「世襲制は邪宗」と断言しているわけですから、自分たちが「邪宗」であるという決定を実際に行うかどうかを注目しています。
云うことがころころ変わる、普遍性がないのはいかんとは、第二次宗創紛争当初の、学会の石山批判でした。
さて、点に吐いた唾になるかどうか。顔にかかるのは必至と思えますが、どうでしょうか。

> 香峯子さんを神格化

これは、世襲制以上に滑稽ですね。

1639愚鈍凡夫:2005/04/10(日) 17:26:04

いやはや、昨日今日と、桜の名所は人だらけです。桜を見に来たのか、群衆を見に来たのか、さっぱりわからん状態です。染井吉野の寿命は100年ぐらいらしいですが、各地の桜の名所も、そろそろ世代交代しなければ人が来なくなるのじゃないでしょうか。
一斉に咲いて、一斉に散る。さすがにクローン技術の賜物だと思いますが、何故か、思考パターンが同じになっていくカルト宗教信者を思い起こさせます。

血脈相承といえば、池田さんは証書を発行してましたよね。「広宣流布血脈の新弟子を証す」って書かれたあれですが、確か第1号が原島嵩さんでしたっけ(ネタとしては笑えますね)。

池田さんは、長男の博正さんの結婚式に欠席されてますよね。博正さんが教え子と結婚するのが許せなかったんでしょうかね。
あれから数十年、池田さんも心変わりされたということでしょうか。「仏法は時によるべし」とかってやつですか。(;^_^A アセアセ…

1640吉祥仙人:2005/04/10(日) 20:07:25
 予言を一つ

 博正副会長は、東京創価学園の理事長として「平和・文化・教育」の三大事業の
「教育」の面で、池田名誉会長の後継者となるでしょう。創価大学の理事長になれるか
どうかはご本人の今後にかかっているでしょう。

 私の思うところ、島田師は池田名誉会長後の創価学会について、おおよその予測を
持っておられると見ます。

 まあ、人事について云々することは学会の最大のタブーですが。
 過去にいったい何人が人事にオンシツして退転したことか。

1641犀角独歩:2005/04/10(日) 20:12:17

> 人事にオンシツして退転

ああ、なるほど。こういうマインド・コントロールをしておくと、退転=オンシツということで脱会者の人格を否定し、組織を保持をすることが出来るんですね。便利な仕組みです。

ここで問題にしているのは、昔と今は言うことが違う。息子を後継者にして世襲制をすれば、池田さんは歴史に残る大嘘吐きだという話、ただ、それだけです。

1642吉祥仙人:2005/04/10(日) 20:41:26
 犀角独歩さんへ

 言葉が足りませんでした。

 退転=オンシツという図式を描いたつもりではありません。私自身、人事にオンシツ
して活動停止状態に至りましたが、退転はしませんでした。

 まして、退転(悪い言葉を使ってしまいました。脱会と以下改めます。)ではなく
脱会者の人格を否定するつもりは毛頭ありません。
 脱会者を責めれば、脱講者を生み出している創価学会の立つ瀬がなくなります。

1643犀角独歩:2005/04/10(日) 21:15:50

いやいや、 吉祥仙人さんを批判したつもりは毛頭ありませんよ。

たいがい、組織構築というのは勝者の論理であって、1641のようなご都合の自浄作用によって成り立っています。

博正さんはカリスマ性無し、人望もない、次男さんが亡くなるまで、親の大作さんだってそんなに重視していなかった。しかし、博正さんは池田さんの息子に生まれ落ち、後継者と目された弟の死によっていまの地位、今後の地位が約束された。こんな運を説明するのに便利なのが「過去世の行い」。しかし、一般人は、凡人でもボンボンであれば、不動の地位を手に入れられ、組織力、財力があれば、周りが中心者に祭り上げてくれるというどこの組織にもある人事だと眺めているだけです。

吉祥仙人さんが仰るとおり、信心と人事はイコールではありませんね。

1644愚鈍凡夫:2005/04/10(日) 22:01:50

池田さんって不思議な人ですね。長男の結婚式には欠席して、悪名高き北林芳典の結婚披露宴には夫婦そろって出席したそうですよ。池田さんにしては珍しいことらしいですね。
自分のために平気で泥水を飲む弟子の方が可愛いんでしょう。

**************************************************
監視・密告・権力の二重構造

古谷 もう一つ重要な共通点は、監視・密告制度。北朝鮮が監視社会であることはよく知られていますし、高級官僚の家でも盗聴器がついているといいますが、創価学会の場合には学会本部の連絡局や第一警備部(特別警備)が中心になって、金城会(池田警備グループ)や創価班(会合運営グループ)を使って同様の機能をはたします。加えて、そのときどきで特殊グループを編成してターゲットを監視する。近年では、広宣部という組織が暗躍しているといわれます。監視・尾行はもちろん、盗聴も実施しているかもしれません。
 また創価学会では密告が制度化しているわけではありませんが、それ以上に不気味なのは、婦人部・女子部を中心とした「指導を受ける」という体質が日常化していること。自分の身辺の様子を包み隠さず幹部に語り、これからどう行動したらいいか指導を受ける。たとえば家庭の団欒のなかで、夫が池田に対する批判的な言辞をもらしたり言動を示せば、妻や娘を通して即座に幹部に伝わってしまいます。
押木 山本伸一になぞらえて若手最高幹部のグループ「伸一会」をつくったときも、同時にその妻たちのグループ「伸峯会」を発足させて、カネ(香峯子)夫人に仕切らせていました。下手なこというとすぐに女房が報告してしまう、亭主の監視用のグループだ、と伸一会メンバーも嫌がっていた。
小川 池田体制の二重構造です。実際には第一庶務が創価学会をコントロールしている。共産主義国家での、国家と党の関係にそっくりです。国家より党のほうが上であり、創価学会執行部より第一庶務のほうが上なんです。
押木 池田家統制ですね。
小川 池田家と、執事の第一庶務という関係。その執事に秋谷会長以下、たばになってもかなわない。一方、外国からの被害はすべて国家が受けるように、創価学会にかかる血しぶきは全部秋谷さん以下の首脳が受ける構造です。

「永遠の指導者・池田センセイ」と「偉大なる将軍様」の共通点
http://www.forum21.jp/contents/contents12-1.html
**************************************************

会長も三代以降はただの最高責任者であって指導者(会長先生)ではない。第五代会長の椅子に座った秋谷さんの本音はどうなんでしょうね。池田さん以外は、言いたくても言えない構造が学会幹部を呪縛しているようです。

1645犀角独歩:2005/04/11(月) 07:56:24

秋谷さんですか。
『小樽問答誌』を再読したら、「秋谷城永」と戸田さんからもらった名で載っていました。師匠の鞍替え、名前の返上。「生き延びるのがお上手」ということでしょうか。

1646愚鈍凡夫:2005/04/11(月) 15:16:50

一説によると、池田さんは博正さんよりも、御年25歳の城久さんの忘れ形見に御執心という噂もあります(果たして、「孫」なのか「四男」なのか、どっちだろうなんて下世話な噂もチラホラと)。香峯子さんは、博正さん贔屓ですから、この後継者争い、池田さんと香峯子さんのどちらが先に死ぬかで軍配が変わるやもしれませんね。

1647吉祥仙人:2005/04/13(水) 04:56:31
 >1644

 余計な話を一つ

 第一庶務が話題になっていますが、そこにいる女子部員を週刊誌が「喜び組」に
例えて「美人が集められている」と書いたとき。

 新宿区女子部員「ニコニコ」
 新宿区男子部員・学生部員「冗談じゃねえ、どこに美人がいるんだ」

 という反応がありました。

1648犀角独歩:2005/04/13(水) 06:57:26

第一庶務って、池田さんの名前で書籍を書く以外にどんな仕事をして居るんですか。
あと、色紙・サインを代筆するのは、なんていう名前で呼ばれる人達でしたっけ?

1649愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 08:21:52

原島嵩さんに言わせると、第一庶務には文字通りの「雑多な事務処理」をする第一庶務と、もう一つ「喜び組」の任務を担った第一庶務が存在していたそうですよ。
人前ではこの両者が混ざって一緒に池田さんと行動するものだから、一般の目からはカムフラージュされているとか。
ただし、原島さんが嘘つきでなければの話ですが。

> 新宿区男子部員・学生部員「冗談じゃねえ、どこに美人がいるんだ」

美醜の基準は人それぞれですから。ましてや、やっかみが混じっていたら尚更です。

1650犀角独歩:2005/04/13(水) 09:22:49

愚鈍凡夫さん、ほんとに知らないので質問なんですが「喜び組」って、なんですか。

1651愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 09:49:28

喜び組といえば、将軍様と大奥の関係ですよね。 (*^。^*)ポッ!!
詳しくは、下記をどうぞ。 | 電柱 |。\) )))) ハズカシイ

週刊現代Online
http://kodansha.cplaza.ne.jp/wgendai/top_news/20030301/top_1/main.html

1652犀角独歩:2005/04/13(水) 11:13:22

1651 愚鈍凡夫さん:

この意味の「喜び組」ですか。
それが第一庶務にあると?
うーん。

1653愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 11:56:19

犀角独歩さん、どうも。

>>1644:で紹介した下記のページも「第一庶務」を「喜び組」になぞらえています。

徹底比較「創価学会と北朝鮮」
http://www.forum21.jp/contents/contents12-1.html

もう一つ、ここの掲示板の主旨にはそぐわないので迷ったのですが、有名なHPですのでUPしておきます。ご参考までに。

法廷で"潔白"示せなかった 池田大作『破廉恥行状記』
http://www.toride.org/hrenti/hrentindex.html

1654真実 渇仰者:2005/04/13(水) 18:42:20
、、横から失礼、、です、、。 その後の某誌や旁紙などによりますと、「喜び組=自らの喜び、、なのか、、他者を喜ばせる=喜び組、、??」、、はふめい、、??、、だが、、 昨今、、ドーモ、、後者のほうが、、比重が高まった、、ようです、、?、、。 ホリエモンさまでは、有りませんが、、「、金と権力、、を所有、、」、、しますと、人生が、、狂ってしまう、、?、、方も、、散見、される、ようです、? 因みに、「、神学の博士号は十万円ほどから入手、、?」、、の”博士ビジネス”も自由の国の米国では存在(産経新聞4月9日より)のようです、、。 この点はオドロキ、、??でしょう、、??  推察が許されるならば、、「、、対談ビジネス、〜〜勲章ビジネス、、??」、、も100%で否定は怪しく、、??なった、、ようでしょうか、、?? IT文明の恩恵、、?、、でしょうか、、?? ゴメン下さい、。

1655小心者:2005/04/13(水) 19:48:17
横からゴメンします。「 風聞の喜び組、?」とは、独断と偏見をお許し願えれば、?、イコール、=は、国策的、?、な、「従国的な慰安婦、、??、」、と、?存じます、?  中南米やアフリカ最貧諸国などの、「、生活上、?、止むに、、止まれず、?、」、、からの、?、物件事項、?、とは、趣、? が違う、?、ようです、。 そこかしこに、?、、某組織の、?、、暗黙の、了解、、?、の存在が、?、懸念、、されます、、でしょうか、、?
 従いまして、自由の国=アメリカではあらゆるビジネス機会が満載です、、。 公に通じるような免許、、資格、、などは、厳しい事前審査と面接試験などがありますが、その他の、、「、身内的な小規模な件は、ユルユルな抜け道が沢山存在、、」、のようです、。 これも自由のヒトツ、かと思います、。

1656犀角独歩:2005/04/13(水) 23:48:16

愚鈍凡夫さん

> 『破廉恥行状記』

わたしはこの小冊子をもっています。
たしかに当掲示板にはふさわしくない話題ですね(笑)

1657愚鈍凡夫:2005/04/14(木) 05:41:08

犀角独歩さん、どうもです。
今、ここのスレを見た人は、なんで「喜び組」の話をしてるんだろうと思うでしょうね。( ̄ヘ ̄)ウーン
吉祥仙人じゃないですが、「それで、創価学会と喜び組にどんな関係があるのですか。」って問われそうですね。 (^_^;)

1658愚鈍凡夫:2005/04/14(木) 05:43:36
訂正

誤→吉祥仙人じゃないですが、「それで、創価学会と喜び組にどんな関係があるのですか。」って問われそうですね。 (^_^;)

正→吉祥仙人さんじゃないですが、「それで、創価学会と喜び組にどんな関係があるのですか。」って問われそうですね。 (^_^;)

です、悪しからず。 m(_ _;)m ゴメン!!

1659小心者:2005/04/15(金) 19:22:01
ゴメンします、、。 吉祥仙人サンは、誠に、「、、純粋な方、、と、、」、、確信しておりました、、。 とても、、まじめに誠実に御自分との「、葛藤、、?、、」、、の御経過、、?、、のような、、??、、が件、、を、、実感、、しておりました、、。 彼の御発言、、は、、とても、、、とても、、「、、意味が深い、、??かが、、存在、、??」、、のようです、、。 小生は、かれの御発言は最大の「貴重な一見」、、かと、、信じます、、。 能書きをタレテ誠に済みませんです、、。早々。

1660吉祥仙人:2005/04/18(月) 05:01:33
 補足

 新宿区の男子部・学生部云々の話はつまり、学会本部職員の女子部員は
たいてい新宿区女子部員で、日常的に活動で接していて、和気あいあいと
罵りあったり(?)していたので「どこが美人なんだ」という発言に
なったのでした。

1661小心者:2005/04/18(月) 20:05:29
、、ドーモです、、。  御久方ぶりの、、御登場、、大、大、、歓迎、、かと、、存じます、。 ドーゾ、、存分に、、「御提言、、宜しく、お願い、」、をいたします、、。

1662愚鈍凡夫:2005/04/29(金) 06:43:43

「つぶやきすれっど2」>>1540:でパンナコッタさんが言われているのは下記の記事だと思います。

**************************************************
警視庁捜査二課は二十五日、東京都足立区の保養施設の業務委託契約をめぐり、特定の業者が受注できるよう働き掛け、見返りに現金二百万円を受け取ったとするあっせん収賄容疑で公明党足立区議の忍足(おしたり)和雄容疑者(62)を逮捕しました。贈賄容疑で温泉保養所経営「勇駒」役員の川島章男容疑者(68)=同区千住=ら二人も逮捕。調べに対し、三人とも容疑を認めているといいます。忍足容疑者は同日夕、議長に辞職願を提出、受理されました。

 調べでは、忍足容疑者は区議会副議長を務めていた二〇〇三年七月ごろ、神奈川県湯河原町にある足立区の保養施設「湯河原あだち荘」の管理運営業務の委託契約をめぐり、川島容疑者らから勇駒が受注できるよう請託を受け、当時の区幹部職員に働き掛け、その見返りに翌年八月ごろ、同容疑者らから現金二百万円を受け取った疑いです。

 業務は公募に応じた業者の中から区職員が選定して委託。忍足容疑者は、区が内々で定めていた選考基準などを幹部職員から聞き出し、川島容疑者側に伝えていたといいます。

 忍足容疑者は一九八三年五月に初当選。現在六期目。○三年五月から一年間、区議会副議長を務めました。昨年五月から監査委員を務めていましたが、今月二十一日に同委員の辞任届を提出していました。

 湯河原あだち荘は七五年に開設された区民向け宿泊施設。勇駒は昨年四月、施設の管理運営業務を年間約一億五千四百万円で受注。今年四月にも約一億五千万円で請け負っています。

**************************************************

公明区議 収賄で逮捕/東京・足立 業者から200万円
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-04-26/15_01_0.html

1663犀角独歩:2005/04/29(金) 11:19:55

突然、思いついたのですが、創価学会の言うところは「人間革命」ですが、これはむしろ生命革命という「教義」性を有しているように思う。
また、生命は、法華・天台・日蓮の系譜で語られてきた一心(一念)が現代的に置換されたもので、革命は、精進、仏道という鍛錬が置換されたものと映じる。しかし、生命と心、革命と仏道はイコールとはなっていない。徹底した現世利益論が塗り込められているのが「生命革命」だと思う。
まあ、どうでもいいようなことですが、そんなことを考えました。

1664愚鈍凡夫:2005/04/29(金) 16:56:21

ある日の「寸鉄」より

名誉会長夫人に世界から顕彰。創価の女性の代表。婦人部・女子部の大栄冠。

「う〜ん? かねさんって、役職なんだっけ?」 。。。o(゜^ ゜)ウーン

組織利用の商売や金銭貸借は厳禁。信心を食い破る悪人には厳しき仏罰が

「あの〜っ、これって戸田さんのことですか?」 ( ̄〜 ̄;) ウーン

他人の批判ばかりするのは慢心だ。福運を消すだけだ。広布の主体者たれ。

「あの〜っ、これってもしかして、池田さんのことですか?」 ( ̄Д ̄;;

1665犀角独歩:2005/04/29(金) 19:01:25

> 組織利用の商売や金銭貸借

たしかに町金融の大蔵商事を学会員から出費させてはじめて、学会員に貸し、そこで営業部長をやっていたのは、池田さんでしたね。
今の会員の知らない昔話となったのでしょうか。

1666小心者:2005/04/29(金) 19:34:25
>、、町金融の、、。
 さすが鋭い御指摘、、です。  わたしの偏見をお許し願えれば、、? ドイツのヒトラーは五輪オリンピックを、国威発揚の絶好のチャンスと捕らえていたようです、またお隣の中国も二年後の北京五輪を最大の、国威発揚のさいだい機会、?、と思えるような動き、、です、。 宗教は、一応は無関心を装いながら、その本音は、、?? 一体、、?? 何なのでしょうか、? 
S会、、K党などの政教の一致的な懸念は、心配しておりますが、? 今後は、、?? でしょうか、、??

1667犀角独歩:2005/04/30(土) 23:09:07

本日、都内を電車で歩き回り、中吊り広告を見ていたら、第三文明だかなんだかでは、共産党の事件を盛んに特集していました。
どっちもどっち、そう思ったのはわたしだけでしょうか。

1668愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 08:57:11

桜があっという間に花吹雪になって散ってしまったかと思ったら、反則まがいの暑さですね。 ε-(´o`;A アチィ
今回、案の定、衆院統一補選福岡2区で山拓さんが当選しましたが、公明党に選挙協力を頼むと、結構金がかかるそうですね。
聖教新聞数百部の定期購読なんて当たり前で、学会への寄付を暗に仄めかされたりするそうです。
「公明党の推薦と、うちの活動家が動くかどうかは別だ。」というのが脅し文句だそうです。
公明党との選挙協力は麻薬だといった自民党幹部がいたそうですが、高い代償を支払い、プライドを投げ捨てるという意味では同じなんですね。

1669犀角独歩:2005/05/01(日) 09:08:54

愚鈍凡夫さん、おはようございます。
この山拓を公明党支援というのは一体どうなっているんでしょうか。
恥・外聞よりも、主義主張よりも、どんなことしてでも政治家になればいい、この節操のなさ。推した創価・公明も世間の失笑を買うより、自民1人をロボットに出来るほうを選んだということでしょうが、山拓の悪評を共に背負い込むのはどうか、それを何とも思わず応援する学会員もどうか、こんなことが罷り通って、清き一票もあったものじゃないという実に気分の悪い選挙でした。

1670愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 10:07:31

犀角独歩さん、おはようございます。
議員バッチは水戸黄門の印籠みたいな物なんでしょうね。権力の象徴を失うと、ただのおっさんになってしまう。先生からおっさんと呼称が変わるのが怖いんでしょうか。公明党代表代行(ようわからん役職ですなぁ)の浜四津さんが私心を捨てて山拓の応援に駆け付けたのには笑えましたが、浜四津さんといえば、拉致被害者の増元るみ子さんの弟・増元照明さんに一言の謝罪もないようですね。

資料
http://nyt.trycomp.com/hokan/0023.html

1671犀角独歩:2005/05/01(日) 11:58:41

愚鈍凡夫さん、「絶対平和」を言う?創価学会員は、自衛隊派遣、ひいては憲法改正再軍備をどうとらえるのでしょうか。
また、ご指摘のらち問題への対応をどうとらえるのでしょうか親方創価・公明の言うことは何でも正しいと言ったところでしょうか。

1672パンナコッタ:2005/05/01(日) 12:40:22
横レス失礼します。

自衛隊派遣の時、反対の署名を呼びかけネットなどで話題になったB長さんがいましたね。
その後どうなったのかな? 組織的にはケムたい存在でしょうから閑職の副役職にされるのかな。

1673愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 12:47:51

犀角独歩さん、どうもです。
公明党は、創価学会を如何にして守るかというのは学会員向けで、その実、池田さんを如何にして守るか、といったいわば池田さんのための個人的な政党ですから、池田さんの匙加減一つでどうにでも主張を変える、太鼓持ちのような存在なのでしょうね。
結局、池田さんが平和を守るために軍隊は必要だと言えば、公明党も、創価学会も「涅槃経にもそう書いてある。さすがに池田先生だ。」なんて主張し、池田さんが憲法9条は普遍である。と言えば、「法華経には不屈の忍耐をもって法を広めよと書いてある。さすがに池田先生だ」なんて、秋谷さんあたりは恥ずかしげもなく言うんでしょうね。 ( ̄Д ̄;;

1674犀角独歩:2005/05/01(日) 13:30:47

愚鈍凡夫さん

わたしは創価学会の論調の中で、もっともいちばんわからないのは「池田先生を守る」という‘指導’です。教えを守るでも、規律を守るでもなく、池田さんを守る?? 将棋の王将を最後まで取られようにする戦争ゲーム的発想だと思えるわけです。指導者は一身を擲って死身弘法の見本を示すのであればわかりますが、何で、こんな発想が生じるのでしょうか。

1675犀角独歩:2005/05/01(日) 13:32:44

【1674の訂正】

誤)王将を最後まで取られようにする戦争ゲーム的発想
正)王将を最後まで取られないようにする戦争ゲーム的発想

1676犀角独歩:2005/05/01(日) 14:13:05

さらにもう少し書けば、戸田さんは「創価学会の組織は戸田の命より重い」と言ったとか。しかし「池田先生を守れ」では「池田の命は、学会員より、創価学会の組織より重い」ということになってはしまわないのか。これでは、ただの独裁者のイメージしかないだろうということです。

毎年「池田先生に使っていただく」と言って多額の寄付(=財務)が集まり、「池田先生を守る」と体を張る学会員は、まるで創価王国の奴隷という印象を拭えないではないのか。こう書くと悪口と学会員は取るかも知れませんが、しかし、‘先生’に使っていただく財務も事実なら、守っているのも事実でしょう。
民衆が喜んで財産を差し出し、心身も差し出す、こんな構造は専制君主以外の何ものでもないと思うのは、悪口なのでしょうか。

尤もこの構造は石山の阿部さん、顕正会の浅井さんでもさして変わりがあるように見えません。

1677愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 14:31:04

「池田先生が命を削って我々学会員を守ってくださっている」といった幻想の刷り込みが、「先生の恩に報いるため、先生を守り抜こう」といった思い込みを美意識へと高め、その結果、悲劇のヒーロー的ナルシズムに嵌っていくんでしょうね。 ( ̄^ ̄ゞ ケイレイ!!
これも、池田さんに尻尾を振って、出世しようとする学会貴族が、学会員を煽動した結果なんでしょうか。まぁ、池田さんが側近たちに対し、ことあるごとに忠誠心を試す事ばかりしていれば、自ずとそうなるのでしょうね。
でも、宗教指導者たる者、国会であろうが裁判所であろうが、何度でも足を運んで、信者のために楯になるのが筋だと思うのですが・・・・・。 (-"-;A ...アセアセ

1678犀角独歩:2005/05/01(日) 17:33:04

愚鈍凡夫さん、または学会員の方

> 「池田先生が命を削って我々学会員を守ってくださっている」

どんな点で、こんなふうに思うのでしょうか。
「池田先生」を守る会員がまた、「先生」に守ってもらっているという相互扶助の関係は成立しようがないと思うのですが。
たとえば、どんなときに、こんな感慨を、学会員は実感するのでしょうか。

1679愚鈍凡夫:2005/05/01(日) 19:10:53

犀角独歩さん、どうもです。

「身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる」(『大白蓮華』昭和41年2月号)

「私から幹部の任命を受けることは、記別(きべつ=仏が弟子達の未来の成仏を約束すること)を受けることです。これなくしては法華経を持つといえども無益である」(『前進』昭和42年2月号)

「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」(第40回社長会・昭和45年11月19日)

「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ」(『前進』昭和44年10月号)

「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」(『前進』昭和45年5月号)

「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない」(『前進』昭和40年6月号・池田指導)

こういった演出の度重なる刷り込みが、偉大なる池田先生といった幻想を作り上げたのではないですか。

創価学会問題6・池田大作本仏論
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_6.html

1680吉祥仙人:2005/05/01(日) 19:36:52
 かつてロシア革命当時、赤軍創設者で最高司令官のトロツキーは装甲列車で
前線を移動しながら、「私が最前線で指揮する、諸君は私を援護してくれ」と
のたまわったそうです。

1681犀角独歩:2005/05/01(日) 22:12:28

吉祥仙人さん、トロツキーと池田さんは同じだという意味ですね。

1682犀角独歩:2005/05/01(日) 22:13:35

愚鈍凡夫さん、なんだか、池田さんて、デンパな人ですね。

1683愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 00:00:40

犀角独歩さん、どうもです。
この恐るべき自画自賛の嵐こそ、池田さんの池田さんたる由縁なんでしょうね。 (;^_^A アセアセ・・・

千葉の清澄寺の千年杉(本当は樹齢約250年)の木肌をナデナデしながら、
「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」
と宣うこの神経。このギャグのセンスには誰しもが脱帽だったりして・・・・・。
やっぱ、養殖じゃない天然物はスゴイ!! (○ ̄ 〜  ̄○;)ウーン・・・

1684愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 00:09:06

トロツキーといえば、確かスターリンに追われ、メキシコで登山用ピッケルで殴り殺された御仁ですよね。
(・"・;) ウッ! おもいっきりイタソー

そういえば池田さんも、どこぞの大きなお寺の住職に対し、
「ハリガネねでゆわえて、トンカチで殴れ」とか言ってませんでしたか。 (O.O;)(o。o;)

どちらかと言えば、トロツキーと言うよりスターリンかと・・・・・・。

1685犀角独歩:2005/05/02(月) 04:38:40
1659 愚鈍凡夫さん、ご紹介の日蓮本仏論を拝見しました。
それにしても、池田さんを斬った返す刀で自分を切っていますね、この文章は。

> 「末法において主師親三徳を兼備(けんび)するのは御本仏日蓮大聖人だけであり、弟子檀那(だんな)に成仏の記別を授けることができるのも御本仏だけ。また、三世十方(さんぜじっぽう)を全て御覧になることができるのも、衆生に福徳を与えるのも、衆生の境智冥合の対境となるのも、全て御本仏の境界においてのみ、なしうるのである」

何でこんなことが言い切れる訳なんでしょうか。
成仏の記別を与えられるのが蓮師だけならば、滅後、本日に至り、未来永劫、誰も成仏の記別を受けることが出来ない、すなわち、成仏できないことになります。それとも、夢の中にでも、蓮師が現れて記別するとでも言うわけでしょうか。

池田本仏論も、言うに落ちた戯論でしょうが、それを否定するために紡がれる日蓮本仏論もまた、根拠薄弱な空想の産物というほかありません。

また、

> 本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目という三大秘法の全てを具(そな)えて、欠けるところのない大御本尊

であるそうだが、ならば、未来広宣流布に戒壇建立の砌、寺名を「本門寺」に改称することを目指してきた石山義はどこに行ってしまうのでしょうか。また、たしか、石山が真跡として扱う『三大秘法抄』の「最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者」、また、二箇相承の「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」という蓮師が唯一人興師に託したという「遺言」はどうなってしまうのでしょうか。
教義改変は石山にもあるということでしょうね。

1686吉祥仙人:2005/05/02(月) 05:26:12
 つぶやきになりますが。

 かつて「第4インター万歳」を唱えていた私は、トロツキーの名誉回復を
願って止まないものです。

 歴史上の功績を正当に評価されないのは、悲しいことです。

1687愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 06:32:53

犀角独歩さん、おはようございます。
日蓮正宗の本尊感って変ですよね。蓮祖を御本仏と仰ぎながら、歴代法主のコピー漫荼羅は本尊と仰ぎ、蓮祖漫荼羅は本尊としての信仰対象から外すのですから。
それに日蓮本仏論、その亜流である法主本物論・会長本物論、何れにしろ蓮祖の仏法とは関係ない異流儀でありながら、双方が偽書の蓮祖遺文を駆使して罵倒しあうというのも滑稽な話ですね。
「おまいら、ゆうたもん勝ちかよっ!!」といった虚しさを覚えます。

1688愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 06:35:37

誤⇒法主本物論・会長本物論

正⇒法主本仏論・会長本仏論

です。悪しからず。 m(_ _)m

1689愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 06:46:29

済みません、もう一点訂正です。 (;^_^A アセアセ・・・

誤⇒本尊感

正⇒本尊観

です。またまた悪しからず。 m( ̄ー ̄)m ゴメン

1690犀角独歩:2005/05/02(月) 06:48:39

1687 愚鈍凡夫さんも、朝がお早い。おはようございます。
まったく同感です。

1691愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 08:27:16

犀角独歩さん、ご賛同いただき有り難うございます。

「むむっ、そろそろ年寄り予備軍だろうか・・・・・」(by 独り言)

1692初信者:2005/05/16(月) 05:37:39
最近、知人が自殺をいたしました。原因は、病気の事(がん)のようですが、何がきっかけで自ら命を絶ったか今となってはわかりません。日蓮仏法上、自殺の
罪とその消滅法について、このような自殺がなくなる事を祈り御質問いたしますので、よろしくおねがいいたします。

1693初信者:2005/05/16(月) 05:55:27
申し訳ありません。スレッドの建て方が分からず、間違って書き込みいたしました。スレッドテーマ提案用 に書込みいたしましたのでよろしく御願いいたします。

1695犀角独歩:2005/05/22(日) 16:27:37

小樽問答の話題、以下、文章を紹介しておきます。

創価学会調査報告
本当に日蓮宗僧侶が創価学会員になったのか
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho35/s35_068.htm

1696管理者:2005/05/23(月) 06:15:25

『顕正会の実態を検証する』スレッドの455レスがスレ違いと思われますので、こちらに移転しました。関連する456レス〜460レスもこちらに移転しました。よろしくお願いいたします。


455 名前: 吉祥仙人 投稿日: 2005/05/22(日) 05:33:54

 最近の聖教新聞座談会では、前公明党委員長矢野ジュンヤ氏が文藝春秋に寄稿した手記について、学会青年部と首脳部に対し謝罪したことが、大々的に報道されています。矢野氏は引退したとはいえ「公人」に準ずる立場でしょうから、その言動について実名で報道することは、「公益」があるのでしょう。


456 名前: 犀角独歩 投稿日: 2005/05/22(日) 06:52:22

455は、当スレとまったく関係ありません。よって、削除の対照となると思います。


457 名前: 三学無縁 投稿日: 2005/05/22(日) 21:14:05

まあ、「創価学会の功罪を考える」スレッドならばギリギリかもしれませんが、聖教の創作座談会は、とても「報道」などというものではありません。あらゆる機関誌紙類における記事は「情報宣伝」を目的としたものです。仮に聖教で「報道」とよぶことがでるるとするならば十面、十一面の2頁だけでしょう。創作座談会では、よく、5W1Hのない記述を批判していますが、矢野氏の件にはそれがありません。全くの自語相違で、自己矛盾というか破綻しています。私としては、削除よりも、455から私の書き込みまでを「功罪」スレッドに移動していただいたほうが良いかと考えます。管理人さま、御面倒をおかけしますが、御高配お願いいたします。


458 名前: 小心者 投稿日: 2005/05/22(日) 21:51:15

455 様、、小生は、日刊ゲンダイ紙の月曜日の主張、、から、竹入氏とは別な何か、、??、、が、、在ると、、??、、存じました、。既報のごとく、和解、??、、に近い、、??、、は??です、、。 一旦は退却を迫る、、??、、強力な、、??、、かが、、??  存在、、?? でしょうか、、。 創価学会による言論弾圧のピークをも感じますが、、??


459 名前: 小心者 投稿日: 2005/05/22(日) 22:18:47

、、続、、ですが、、、、小生は、仙人さまは、、当初は気骨も、、??、、と思いましたが、、昨今のレスポンス、、からは、、いわゆる、、過去の方方と相似の、、並み、、?、、の方、、だった、、ようでしょうか、、、。 当該のHPを、、S会の、宣伝、、かく乱に、、御利用、、??とした魂胆が御判明のようでしょうか、? ご苦労様では、、御座いましたが、、発言の自由に関しては、何かを、、?? 掴めた、とは思います、? が、、。


460 名前: 大崎 投稿日: 2005/05/22(日) 22:38:07

吉祥仙人さんは反省しなさい。創価学会の宣伝に来るんじゃない。

1697パンナコッタ:2005/05/23(月) 20:27:11

彰往考来さんの指摘でこっちに移動。

組織運営、収入源、宣伝、無償で働く人手の確保と客観的に考えて、これは凄いです。
ただ善し悪しは別ですが。

対マスコミ的に楔的な意味合いを持つ聖教新聞の印刷委託や、地方プロモーター的役割
を持ち必ず収益をあげる民音、組織に割り振って売り上げを確保する書籍やビデオの類
など需要が本当には無くても、それを生み出させる力が現実に組織にはありますね。
こうした方法は、マルチ商法やネズミ講の類、はたまた他の宗教組織の格好の見本となり、
信じさせる事に力点を置くやり方はどこも似たような(対象は別として)感じになりますね。

1698彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/23(月) 21:48:21

バンナコッタさん
>1697他の宗教組織…どこも似たような

つまり、宗教団体だから、需要を生み出せる力があるということですか?
宗教団体だからいらないものでも買うということですよね。
なぜでしょうね。功徳があるからとかいって買わせるからでしょうか?

1699パンナコッタ:2005/05/23(月) 22:19:48
ええ、
功徳=現世利益とのすり込みの前提があって、なせるものでしょう。
さらに買い渋るような人には「買えるようになる。つまり福運がつく」との指導をすることで
その人を追い込み、結局買わせるようにさせるのが、正義の行動だと思いこんでいるのが末端
活動家の実体でしょう。 ある意味、立派な営業であると思います。

1700彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/24(火) 07:11:18

>1699バンナコッタさん

なるほど、よくわかりました。ということは一般社会における
ビジネスとは違う点
… 功徳=現世利益とのすり込みの前提 …
があるのでビジネスモデルにはし難いですね。

ありがとうございました。

1701彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/24(火) 07:23:40

元公明党委員長の矢野絢也氏に対する昨今の聖教新聞の報道には何か異様なものを感じます。公党(こうとう:おおやけの党の意)の元委員長であった矢野氏は公人にあたるので実名で報道されています。矢野氏に対する非難は2005年4月28日の聖教新聞の「常勝関西記念座談会」で突如始まりました。その後、5月9日の同座談会の「公明党矢野元委員長が海外!?」で矢野氏が夫婦で海外へいっている最中であることが暴露され、5月16日の聖教新聞で「矢野絢也公明党元委員長が心から謝罪」という記事を載せています。興味深いのは、聖教新聞の6面か7面にある“声”の欄(読者の投書)で、一般の読者(学会員)からの矢野氏に対する非難を載せていることです。ざっと例示します(聖教新聞では実名ですがイニシャルにしました)と
①5月5日(木)6面
大阪府東大阪市 N.N.(主婦56歳)矢野元委員長の謝罪に思う 「口先だけ」なら絶対許さない
東京都渋谷区  H.F.(会社員38歳)政治家を厳しく監視しよう
②5月12日(木)6面
大阪府東大阪市 M.S.(会社員50歳)矢野元委員長に怒り 「行動」で示せ
札幌市白石区 I.H.(主婦52歳)今海外旅行とは!? 支持者の大恩忘れるな
③5月14日(土)7面
北九州市小倉南区 T.S.(主婦51歳)矢野忘恩に憤り 行動なき謝罪は認めない
④5月16日(月)7面
大阪市住之江区 T.N.(会社員39歳)矢野元委員長の言動に思う―大物ぶったうぬぼれ
大阪府豊中市 K.T.(自営39歳)あんたホントに学会員?

といった具合です。 “声”の欄は読者の投書ですが、創価学会の見解と異なる意見は載りません(私の投書など一度も載ったことはありません)ので、学会の公式見解に準ずると考えてよいと思います。興味深いのは④で上記の「矢野絢也公明党元委員長が心から謝罪」という記事の載った同じ日に掲載されているのです。恐らくは編集上、タイムラグがあって両方の記事が同一日に載ったのでしょうが、片や謝罪をしましたよ、という記事を載せた同じ日に別の面でその謝罪した本人をボロカスに書くという自己矛盾、遠慮のなさと非常識、そして失礼さ。イヤですね、これが創価学会だ!文句あっか!と言わんばかりです。また別の問題点もあります。12日のH氏や16日のN氏は投書の中で矢野氏が海外旅行としている点です。9日の聖教新聞では「夫婦で海外へいっている最中である」とあるのみでその目的が旅行であるとは書いていないのです。そのさわりを紹介すると、(( )内は引用者注)
竹村(関西男子部書記長)ところが、だ。聞くところによると彼は夫婦で今、海外に行っているというんだ。
(中略)
熊谷(関西男子部長)だいたい、いったい何のために行くのか。目的は何なのか。
竹村 仕事なら一人でいけばいいじゃないか。
弓谷(男子部長)その通りだ。夫婦づれなら「遊び」だ。そう思われても、しかたない。
竹村 彼は、本当に学会員なのか?
熊谷 とにかく詫びたというけれど、いったいどこが謝罪なのか、と言いたい。

といったところです。

1702彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/24(火) 07:25:00

>1701の続きです。

ここからわかるとおり、聖教新聞の記載内容では目的は不明で海外旅行かどうか彼らは知らないのです。情報の出所も不明、海外とあるのみで行き先も日時も不明です。三学無縁さんが指摘されているように、いわゆる5W1Hが不明という典型的な悪例です。ところが後日の投書では明確に旅行となっていて、そこに情報操作の意図を感じます。冒頭に私は公人であるから矢野氏は実名で報道されたと書きました。野党とはいえ公党の元委員長ですから公人でしょう。公人が海外の要人と会うときは夫人同伴が原則であることを弓谷君たちは知らないようです。米国大統領が日本へ来る際に夫人同伴ですが、あれは日本旅行でしょうか?これが世間の常識なのです。従って夫婦で海外に行っているという事だけでは旅行かどうかはわからないのです。もちろん旅行かどうかは不明ということで旅行の可能性を否定しているのではありません。あくまで記事内容の範囲での議論です。
5月16日の記事は「矢野絢也公明党元委員長が14日、学会青年部の代表らと東京都内で懇談。1993年・94年に月刊誌「文藝春秋」に掲載した手記について「書いたこと自体が間違いであった」等と認め、学会に公式謝罪した。懇談は、矢野元委員長の求めに青年部代表が応じたもの。(後略)」とあり、これで手打ちがあったのか、5月16日以後は聖教新聞に矢野氏に関する批判記事はないようです。なにがあったのか解かりませんが「狸祭り事件」みたいだなと思っているのは私だけでしょうか。なにはともあれ、これで矢野氏は竹入氏のようにこれでもか、これでもか、という個人攻撃の嵐にはさらされないのでしょう。でもこんなことしていたら、公明党委員長の成り手がなくなってしまうと思うのです。身から出た錆びでどうでもよいのかもしれませんが。
聖教新聞の座談会は、品のなさ、内容のなさ、論理のでたらめさという3悪がそろっていますので論評に値しないのですが、少々目に余るので私論を述べました。

>1696吉祥仙人さん、ロムしてますか? わかりましたか?

1703三学無縁:2005/05/24(火) 16:16:32
寸鉄は、相変わらず続けていますね。

2005.5.24付
大恩の学会に背き、同志を苦しめた「傲慢」の輩は許すな。後世の誡めだ。

誤っても許さない、怨念まるだしで、慈悲の心が見えませんね。
寸鉄と創作座談会はともに「Pチェック」ですから「P原」扱い、誤解のしようもありません。
自分たちの都合で議員にしておいて、なにを恩着せがましいことを言っているんてしょう。
「議員恩給を貰えているのは誰のおかげだ」
とでもいったところでしょうか。
これでは「学会のための議員」と思われても仕方ないのでは?
いいかげんに国政から撤退すればいいのに、と思うわけであります。

1704パンナコッタ:2005/05/24(火) 19:25:51
しかし学会の主張をそのまま聞いていると、公明党の代表になった人物はろくでもない悪人
ばかりと言う事になりますね。 そんなところに投票は、したくないとみんな思いますよね、普通。

彰往考来さん、
一般ビジネスへの応用というより、利益を上げるシステム形態のモデルとしてなら、十分見習う
点があると思います。

三学無縁さん、
内部的には、議員その人物の資質といった当たり前の事などはどうでも良くて、支援する事を
「仏道修行」と捉えるようにして丸め込む体質にも大きな問題がありますよね。

1705小心者:2005/05/24(火) 20:44:26
、、サスガ、、!!
 >、、ろくでもない、、。
 には、、、サプライズ、、!!、、でした、、。
 さすがは、、御余裕の仏界、、??、、をも、、実感、、しました、、。

1706犀角独歩:2005/05/24(火) 21:27:42

寸鉄ですか。くだらないですね。創価学会というのは、こんな程度の下らない団体だと自己宣伝しているようなものでしょう。

これが池田さんが朱入れして完本になったとしたら、池田さんというのは実に器量の小さな人間だということでしょう。わたしはそんなことはないと思いますね。これら、寸鉄や、座談会は、池田さんが如何に了見が狭く、ちっちゃなことにこだわり、個人攻撃するようなガキ大将みたいな幼児性格な人間だと宣伝しているようなものでしょう。これは、聖教新聞内の反池田勢力が、池田大作イメージを貶めるためにやっているプロパガンダじゃないですか。

こんなくだらないことで矢野さんが公人かどうかを論ずる必要はないでしょう。こんなことを書く聖教新聞が一般流通する資質ある新聞かどうかを問うたほうがいいでしょう。

1707吉祥仙人:2005/05/25(水) 08:19:45
 犀角独歩さんへ

 「寸鉄」は始めは戸田第2代会長(理事長?)が書き始めたものと聞いて
おりますが、当時をご存知の方として、昔からこのようだったのでしょうか?

 「人間革命」に引用される「寸鉄」は

 指導もせずに威張っている幹部は阿羅漢ではなくダラ幹というのだ
とか
 愚痴ばかり言っているのはイザヨイ夫人ではなく世迷い夫人というのだ。
とか
 今でも通用するような、至言だと思います。

 ちなみに、私も聖教新聞の左下スミは読みません。

1708犀角独歩:2005/05/25(水) 10:44:21

吉祥仙人さん

> …寸鉄…戸田第2代…当時をご存知…昔からこのようだったのでしょうか?

わたしは昭和30年の生まれですから、戸田さんの時代のことは知りません。
寸鉄が心を打った思い出はありません。

> …ダラ幹…世迷い夫人

そもそも、こんな表現自体を‘下品’と思い、仏教に似つかわしくなく嫌悪感を抱くのが一般の見解であろうとわたしは思います。
ですから、こんなことを積極的に記して、その評価を地に落とす聖教新聞の編集というのは、内部にあって、わざと創価学会、池田さんの評価下落を画策しているのではないと思える程というのが、常識から見た判断と思えるわけです。まあ、これは聖教新聞が仏教紙であれば、という前提で、記すことです。

1709犀角独歩:2005/05/25(水) 10:54:51

それから、吉祥仙人さん

1701、2に彰往考来さんが、あなたに懇切丁寧に根拠を挙げて説明しているのに、それをまるで無視した形で、投稿を続けるのは止めなさい。

そういう非礼・無礼な態度が「創価学会員は非常識」という印象を与えるわけです。
あなたは、ここに創価学会泥を塗りに来ているんですか。
あなたを通じてみる創価学会に、わたしは、嫌悪感を抱くことを、ここにしっかりと書いておくことにします。

1710管理者:2005/05/25(水) 11:58:37

吉祥仙人さん

『顕正会の実態を検証する』スレッドの455レスをここのスレッドに移転しましたところ、1701、1702レスで、彰往考来さんが反論のレスをされています。この反論に応答されては如何でしょうか。無視するような形で1707レスをされておられますが、こういうやり方は、やはり、レスして下さった方に対して無礼となり、当掲示板のルールに抵触する恐れがあります。よろしくお願いいたします。

1711パンナコッタ:2005/05/25(水) 12:02:21
「創価学会は仏教ではない」と言われる所以ですね。機関紙で会員を引き締めるためのプロパガンダ
なんですから、それを信じ込んでいる人は周りから見ればただの、「痛い存在」にしかならないのですよ。
だから軋轢が生まれてしまうのですね。

大白蓮華6月号の観心本尊抄の現代語訳で、
『未有壽量佛來入末法始此佛像可』の部分に、ことわりを入れて、
「寿量品の仏については一度も顕されたことはなかった。それは、末法に至って初めてこの本尊が出現
 されることになっていたからであろうか」
と、訳しています。理由は、
『本門の本尊を「仏像」と表現しているが、これは「仏のすがた」という意味である。しかし現代語で
「仏像」というと、立体像や絵画として造立されるものという意味合いに限定されるので、「像」という
言葉を避け、「本尊」と訳した。(手塚欣成)』 大白蓮華 観心本尊抄現代語訳⑨ より引用

曼陀羅本尊論に帰結させんが為でしょうけど、こんな改悪は許される物ではないでしょう。

1712犀角独歩:2005/05/25(水) 16:14:05

パンナコッタさん、これはたしかにひどいですね。
北林本なんかもそうですが、要するにいまの自分たちの考えから、蓮師伝記、御書、教学、そのた何でも考え、平然と書き換える。真跡を偽書といい、事実と虚偽といい、虚偽を事実と言って憚らないということですか。困ったものですね。

1713吉祥仙人:2005/05/25(水) 17:32:52
管理人さん・彰往考来さんへ

 失礼いたしました。

 反論になるかどうか分かりませんが。

 矢野さんが公人であるから実名で記事にされてもしょうがないと言いたかった
だけで、それが公序良俗に反するかどうか論じるつもりはありませんでした。

 マスコミ等の記事が「品ナイ内容ナイ論理的でない」かどうかは読者が判断
するもので、一々論評していては収拾がつかなくなるのではないでしょうか。
 明らかな名誉既存・プライバシー侵害でない限り、報道の自由は保障されて
いるのではないでしょうか。
 彰往考来さんの私論は私論として拝見しましたが、論争しないから云々されては
困惑いたします。

 第3者である管理人さんのお考えはいかがでしょうか。

1714吉祥仙人:2005/05/25(水) 17:43:41
 追伸

 私は私の責任で自由に意見を書き込ませていただいているつもりです。
 組織がどうのこうのといわれるのは、まったくの心外です。

1715犀角独歩:2005/05/25(水) 19:06:06

個人の自由で書いているのであれば、創価学会の見解をコピペするのではなく、自分の意見を書けばよいのです。

吉祥仙人さんがやっていることは、わたしから見れば、自己見解のない創価学会宣伝行為です。ですから、ここのように自身の考えで議論するこの場には馴染みませんし、一々の書き込みは鬱陶しいと言っているわけです。

だいたい、ここは創価学会の鋼材を考えているわけで、単に創価学会の考えをコピペするのではなく、その功罪を論じてこそ、スレの趣意に添うことになります。それをしないことは趣旨違反であり、宣伝行為であって、当板そのものの趣旨に違反すると言うことです。

議論をせず、単に創価学会のコピペは、ここでは“荒らし行為”に該当するというのが、わたしの判断です。

1716犀角独歩:2005/05/25(水) 19:07:12

【1715の訂正】

誤)鋼材
正)功罪

1717彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/25(水) 19:24:41

>1713 吉祥仙人さん

当事者として申し上げます。

>「品ナイ内容ナイ論理的でない」かどうかは読者が判断

読者が判断するのだから何を書いてもよいというわけではありませんよね。もちろんあの文章がそうであるかどうかを貴殿に問うているのではありませんが、私は悲しいのです。仮にも宗教者が、人の道を説くべき人たちがこのような文章を書くことが。このような発言をすることが。
それと私は公人に準するとはいえ、矢野氏は現役引退をされているのですから、海外へ行っているウンヌンは立派な名誉毀損・プライバシー侵害だと思いますよ。

>一々論評していては収拾がつかなくなる

そのとおりです。聖教新聞のくだらない論理につきあうほどヒマではありません。しかし、矢野氏の件では裏に見え隠れする動きがあり、少々目に余ると感じましたので私論を述べたわけです。私は縁あって関東に住んでいますが生まれも育ちも大阪です。学会二世でした。その意味で矢野氏は書記長時代からよく存知あげています。彼が京都大学の学生部員だったころの話も知っています。吉祥仙人さんより詳しいですよ。だからこそ論評したのです。関西の創価学会員が矢野氏に対して不快感を持っていることも存じ上げています。私だって当事者のひとりだったのですから。

>論争しないから云々
私は論争を仕掛けていませんよ。ロムしていますか? わかりましたか? と問うただけです。わかったのなら、イエス、わからないなら疑問をぶつけるなりしてそれなりに返事をされればよかっただけです。

※これ以上は時間の無駄ですので、矢野氏に関しては新たな記事でもない限りこれにて終了したいと思います。ただ吉祥仙人さんに何かご意見があるのでしたらお答えすることはやぶさかではありません。

1718犀角独歩:2005/05/25(水) 19:27:40

吉祥仙人さんの一連の投稿は、
『管理者からのお願い』の

「4 特定教団の教えの布教を目的として当掲示板を利用することを禁止します。特定教団の教えの布教を目的とした書き込みがなされた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、特定教団の教えの布教を目的としした書き込みを続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい」

に該当すると、思います。

会合かなんかで、語られたことを聞いてその気になって、鵜呑みにした創価学会論調を、ここに書き込み、反論は無視して、ほとぼりが冷めるとまた繰り返す。これは“荒らし行為”でしょう。

1719吉祥仙人:2005/05/25(水) 20:33:05
 創価学会の考え等を述べるのは禁止で、自分が読んだ本の内容を書くことは
許されるのでしょうか。
 自分が影響を受けた考えを書くことすら許さないなら

 ここに書き込まれていることのほとんど全ては削除の対象になるのでは
ないでしょうか。

1720吉祥仙人:2005/05/25(水) 20:59:32
 犀角独歩さんへ

 創価学会は独善的だ云々はこちらの掲示板でイヤと言うほど拝見しました。

 それはそれぞれの方の見解ですからあえて異は唱えません。
ただ。
 犀角独歩さんが事あるごとに、私の書き込みを排除しようとされる行為は
私から見れば「独善的」と思えることを述べておきます。
 犀角独歩さんはご自身の同調者・賛同者のみの書き込みを求めていらっしゃる
のではないと思っておりました。
 創価学会の功罪を考えるというスレがあるなら、当然功績を称える書き込みが
あっても然るべきではないでしょうか?それすらも許さないとは、何故でしょうか

 自身の価値観に反する書き込みは許さないと言うのであれば、対話は成立
しません。自身の意に沿わない意見も排除せず接点を求めるのが対話ではないで
しょうか。
 鬱陶しいだの、荒らしだの、反論の出来ないきめ付けを一方的に行って、
意見を封じようと言うのはいただけません。

1721犀角独歩:2005/05/25(水) 21:07:24

吉祥仙人さん

わたしが言ったことを改竄するのはやめなさい。
わたしは、功罪を論じるべきだといったわけで、それをそのまま書くのはこのスレの趣意に反するといったわけです。

創価学会が功利面があれば、ちゃんと証拠を挙げて投稿すればいい。そう繰り返してきました。

わたしの趣意に合わないことを難じているのではなく、証拠も挙げず、創価学会の主張をコピペするのは、難じているわけでしょう。わざと、そうやって話を改竄して、人を非難するのはやめなさい。

また、意見など、封じているわけではなく、創価学会の宣伝を封じているのです。論理を摩り替えるのはやめなさい。

> 反論の出来ないきめ付け

とは、いったい、なにをさしているわけですか。

1722犀角独歩:2005/05/25(水) 21:12:07

もう少し書きます。、わたしは賛同者を求めているわけではなく、正当な理由、証拠を挙げた議論を求めているわけです。

何を勘違いしているのか知りませんが、問答名人さんにしても、彰往考来さんにしても、わたしとは、詳細な点では、合意が得られていないことはたくさん、あります。

なお、独善というのは、ちゃんとした理由、説明もせず、創価学会のことを押し売りするような態度をこそ言うのです。

1723管理者:2005/05/25(水) 21:37:13

吉祥仙人さん

この掲示板は有る意味で特殊な掲示板です。各派に分裂した富士門流各派の相互理解を元として、お互いの立場を超えて議論したり、意見交換したりすることを目的としています。ですから、自分の立場を超えることが困難な場合は、この掲示板での書き込みは、浮き上がってしまいます。さらに浮き上がったまま書き込みを続けると、参加者から総スカンを食らう羽目になります。そういう特殊な掲示板です。管理者からのお願いスレッドに書かれている、当掲示板の書き込みのルールを今一度ご覧になってください。この掲示板の特異性が御理解戴けるのではないでしょうか。よろしくお願いいたします。

1724吉祥仙人:2005/05/26(木) 04:47:41
 管理者さんへ

 「自分の立場を超えることが困難な場合は・・・浮き上がってしまいます。」

 確かにその様でした。反省しお詫び申し上げます。

 自分の立場・拠り所・信じるものに固執して反論する私の姿勢こそ、対話を
拒絶するものだったかもしれません。

 正直言って、先日(本人は)「ちょっとしたニュース」のつもりで、新聞に
報道されていますよと書き込んだのですが、皆様の心証を害し不快な思いを
させてしまったことをお詫び申し上げます。

 勉強不足である事実は常々さらしてきたとおりです。情報源として特定の
宗教団体の新聞等を掲載した不明を反省いたします。

 自分の考え・意見が自分にあるのかどうか、本当に自分のものなのか、
マインドコントロールを受けていないと言い切れるかどうか、考え直して
見たいと思います。
 少なくとも、人から見て「洗脳されている」と判断されないような自己を
築き上げたいと思います。

 お騒がせして申し訳ありませんでした。

1725管理者:2005/05/26(木) 07:27:03

吉祥仙人さん

この掲示板は、参加される方の為の掲示板です。管理者は交通整理役に過ぎません。この点を御理解賜り、今後ともご参加のほど、宜しくお願い申し上げます。

1726犀角独歩:2005/05/26(木) 09:04:28

創価学会の功罪、前者は会員からすれば生きる喜びを与え、人間革命、総体革命、世界平和に貢献する場を提供したということでしょうか。では、後者は、と言えば、創価学会的な考え以外を排除する、学会への敵を自分の敵のように憎悪すること、また、賞罰によってコントロールされるようになってしまうということでしょうか。

ここでも文献資料という証拠を多々扱いますが、これを扱う前提があります。何か。つまり、その資料をありのままに見られる心が確保されているかどうかということです。このために、もっとも邪魔者は他から与えられる解釈です。それは換言すれば、自分が考える自由が確保されているかどうかということです。

一連の学会擁護の投稿を見るに付け、それら人々は、その自由を壊されている人だということがよくわかります。情報をどう解釈するのか、そして、自分の解釈を排除するようにされてしまっているということです。さらに与えられた解釈以外を、無視、軽視、もしくは憎悪するようにコントロールされているということです。

会と指導者と、どこまで自分が同じになれるか、意志はそこに集中しています。このような状況に人間を仕立て上げることを、わたしは罪悪であると考えます。

聖教新聞に書いてあった、創価新報に書いてあった、では、それをどう思うか。
池田さんが、こう発言した、ああ発言した、では、それをどう思うか。
このどう思うかが自分です。この部分を会と先生の言うとおりと放棄させられ、与えられた解釈を鸚鵡のように繰り返す、猿のようにボスの物まねをする、その先の、では、自分はどう考えるという最大重要な心的能力がばっさりと欠落しています。このような“訓練”と“成果”をわたしが罪悪とみます。

創価学会のなかの思想訓練は、

「この先生の指導を読んで、君はどう思うのか」
「先生が偉大だと思います。先生の言うとおり実践します」

ここで、たとえば、
「先生の言っていることは間違っていると思います」
「それは君が信心がないからだ。もっと一生懸命にやっていけば、わかる」
という会話となるでしょう。つまり、何が道間違っているのか。自分がどう考えるのかという重要な議論は、なされないことになります。いや、なし続ければ、その組織と指導者から去るしかない構造にもなっているのでしょう。

これは顕正会でも、石山でも、あまり、変わりません。
ただし、石山のもとよりの信徒は、もう少し伝統仏教的でしょう。

いずれにしても、以上のような状態にある人との議論は、ただの時間の無駄です。
彼らにとって、考える余地はなく、与えられた情報と解釈以上に自分で考えることはできず、できない以上に、他の解釈に対しては、それを受け入れられないように操作されているからです。
いわば、蓋の閉まった水筒には水は入らないと言うことです。

実は創価学会の功罪を考える、顕正会の功罪を考える、大石寺の功罪を考える、日蓮の功罪を考える、仏教の功罪を考えるでも同様ですが、その功罪を考えると言うことは、思考の自由を自分はもっているのかどうかという試金石なのだと気付ける人のみが、議論が可能であると言うことです。
その思考の自由を確保できない人は、まず、それを確保すること、ただ、それのみが課題であるということです。それができていない人との会話は、できた側からすれば、徒労、繰り返し、ただの時間の無駄、換言すれば、鬱陶しいということです。
この「鬱陶しい」という言葉はひどい言葉です。しかし、そのように思われる状況が考える自由を放棄した人間に接する偽らざる心境であることを組織・指導者に誣いられる人々は見聞する機会をもったほうがいいので、敢えて、使用しました。

功・罪とは、実は、そんな自分自身の思考の自由の与・奪の異名であると考える昨今です。

1727大勇者:2005/05/30(月) 23:01:48
吉祥仙人さん
>ちょっとしたニュース
の御紹介有難う御座います。
聖教新聞って購買してる人の中で本当に読んでいる人は何割位なものでしょう。と、ふと疑問抱きました。因みに私は全くと言っていいほど読みません。
大百蓮華に関して、>1711のパンナコッタさんと同じように私も感じましたね。
ただ神奈川青年部編ですから・・・
私としては、大白蓮華は聖教新聞の延長上の記事程度にしか考えていないのですが、それにしても今月号はちょっと酷いなとの印象ですね。選挙モード見え見えです。
先日、昭和47年の聖教新聞があったので読んだのですが、それなりに真面目に御書などを研鑽していて、現在よりも(私から見れば)好印象でした(笑
さてそんな6月号の中でも、ファン・マルチネス教授の紹介を後半の池田氏への歯の浮く持ち上げを除けば共感出来る面が多々ありました。
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ヌール大学教授
ファン・マルチネス
「そこでは、どの教会がより多くの人々を教会に集められるかという教会の競争を生み出し、自分は善者であり真実であり、また、われわれが唯一の真実で他はすべて間違いを犯してあり、すべて地獄に向かうという考え方が生まれたのである。私自身はこの考え方は認められないと考える。」
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1728犀角独歩:2005/08/07(日) 13:15:32

詳しい方がいらっしゃいましたらレクチャーください。

○現在の創価学会の「本尊」について

(1)学会本部は、模刻板本尊を使用しているか
(2)各会館の本尊は何を使用しているか
(3)新会員に頒布されているのは、いまだに日寛本尊か
(4)日寛本尊の値段はいまでも3000円か
(5)携帯本尊はまだ頒布されているか
(6)携帯本尊の値段は、いまでも5000円か
(7)創価学会本尊は、どこで作られているのか、その原価はいくらか
(8)回収された大石寺の旧本尊はどうしているか

1729犀角独歩:2005/08/07(日) 13:43:38

○創価学会の本尊問題についての確認

過去に戻りますが、正本堂が建立されたとき、細井さんの「特別御形木本尊」というのが一定の幹部以上に頒布されました。これが大量であったために、寺院で配布するだけでは間に合わず、学会の地域会館で配布されました。この際、創価学会では、この本尊は作り水増し配布して利益を上げたということが、正信会運動の火に油を注いだと記憶します。

このことは、当時、週刊誌でも盛んに報道され、学会会館から配布された漫荼羅の調査したところ、絶対に使用されるはずのない新聞紙で裏打ちをされていたり、本尊を刷った紙が大石寺指定の用紙ではないなどの事実が発覚したと記憶しています。結局、この事件は阿部さんが不問として落着してなかったことになったのですが、わたしは、あの当時、この特別御形木本尊と平行して、お守り本尊を学会が勝手に乱造していたのを記憶しています。この点、いま、手許に資料がないのですが、なにかご存じの方がいらっしゃいましたら、ご投稿ください。この本尊は、和紙に表装されたものではなく、プラスチック、また、陶器製のものも含み、航空関係者(パイロット、スチュワーデス)などに多く頒布された記憶があります。これも石山に無許可で勝手に大量生産したものと記憶していますが、この点をご存じの方はいらっしゃいますか。

創価学会頒布用の本尊は、主に法道院がその権限を有し、この印刷業者が浅井甚平衛さんの会社であったというのは本当でしょうか。また、その後、本尊印刷は富士宮のきうち印刷に指定業者が変更になると共に、本山管理に移行したというのですが、この点はどうでしょうか。石山の印刷本尊はいまでも、このルートなのでしょうか。

一方、破門独立した創価学会では、その後、日寛本尊の独自頒布を始めましたが、これは一体どこで作っているのでしょうか。(1728の(7)の質問)

また、葬儀用の本尊も使用されているとのことですが、これもまた、同じ日寛本尊を使用しているのでしょうか。これまた、どこで製作されているものでしょうか。

あと、本尊から離れますが、やはり、52年度路線前後、石山の「御秘符」に似せ、「護符」というものが各会館から会員に配布された時期がありました。これは学会本部常住本尊の埃を払った紙という話?でしたが、その後、もちろん、廃止されました。この点、ご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。

以上、情報を整理したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

1730犀角独歩:2005/08/07(日) 13:59:18

あと、もう一点、石山事情に詳しい方にお尋ねします。

当時、創価学会で頒布されていたお守り本尊のなかに、先に記したとおり、プラスチック、陶器、また、(未確認ながら)金属板に印刷されたものがあり、これらは、表装軸物の形を取っていませんでした。

このようなお守り本尊を、石山が下付した事実はあったのでしょうか。

1731パンナコッタ:2005/08/07(日) 14:47:25
独歩さん、(4) (5) (6) は そのままです。
直接関係はないのですが、創価大にある本尊は”学会重宝水谷本尊”のレプリカか模写と思われます。

また葬儀用とのことですが地方会館で以前、表装タイプの寛師本尊を貸し出ししていたことではないでしょうか。

御秘符は実はまだあります。古くからの信者さん向けに学会本部で細々とではありますが配布しています。むろん
末端で一般の方や若い方は存在すら知らないでしょうけど。

1732パンナコッタ:2005/08/07(日) 14:54:05
失礼、(3) もそのままです。
(2)は達師筆のはそのままでしょう。各小部屋にあるのは、一枚刷りの寛師本尊です。

1733犀角独歩:2005/08/07(日) 15:30:39

パンナコッタさん、有り難うございます。

創大にある本尊は、水谷本尊のレプリカですか。
これはなかなかの情報でした。

> 御秘符

この言い方なんですが、52年度路線の前後、御秘符は石山から、護符は本部からという使い分けがあったと記憶しているんですが、いまは本部一本と言うことになるのでしょうが、これは護符ではなく、いまは御秘符でしょうか。細かい点ですが、確実な情報をまとめたいので、ご教示ください。

> 表装…一枚刷り

この違いは、前者が従来の和紙掛け軸表装で、後者が表装模様まで一緒に印刷してラミネートをかけた違いということでしょうか。

以前、日寛特別御形木本尊の話題が出たと思いますが、これも、やはりこの1枚刷りというやつですか。

やや余計な話になりますが、掛け軸型本尊では、留め紐があり、巻いた状態でも広がらないのですが、ラミネートをかけたあの印刷ものも、配布以前は巻いた状態で保存してあるんでしょうか。ラミネートをかけてあるのに巻けるのか・巻いたらプラスチックだから巻き癖が突いて戻りづらいだろうと余計なことが気になるのですが、案外、平気なものなのでしょうか。

1734パンナコッタ:2005/08/07(日) 16:55:19
周りが緑系の一般タイプ(ラミネートといってもパウチのようなものでなく、
手では裂けなく紙と見間違うようなカレンダーの素材だと思う)と、
特別御形木といわれる表装した一回り大きめの二種類です。【これは一枚刷りではありません】

あと、地方の会館本尊に「願主 池田大作」添書があるものがありますね。

創価大の本尊に関しては、天台・伝教に帰命があること、龍樹・妙楽の名があることからの
推測です。

1735犀角独歩:2005/08/07(日) 23:50:15

パンナコッタさん、

創価学会の印刷物に関しては、寺の受付にぶら下げてあったので、手にとっていじったことがあります。いまのは知りませんが、販売を始めた当初のものはラミネートという感じでした。いまのはさらに原価ダウンで厚手のコート紙と材料費をさらに削減しているのでしょうか。

確かな情報ではないのですが、この印刷物、中国か、インドでただ同然の価格で作っているというのは本当でしょうか。1枚単価10円以下、ほぼ3000円の利益というのですが、どうでしょうか。

1736パンナコッタ:2005/08/09(火) 12:21:59
独歩さん、
一枚刷りの手触りはそんなに、つるつるした感じではないですよ。ちょっとケバだった感じで
シワもよります。唐草模様のような下地に、表装仕様の曼陀羅部分を転写したという感じですね。
だから携帯本尊への応用が簡単だったのでしょう。場合によってはタタミ一畳大に引き延ばす
こともわけはないと思います。

印刷の海外下請けの実否はわかりませんが版下があれば何処でも量産可能ですし、現に仏壇
は中国やタイで生産された物が輸入されています。 通販の開運グッズのような仕入れ、加工
のような流通ルートがあるのかもしれません。
やはりこれに関しては、浄圓寺さんに問い合わせるしかないでしょう。
ちなみにこの本尊の日付は、享保五年六月十三日。 養師に相承した後の執筆ですね。

1737犀角独歩:2005/08/09(火) 18:37:17

パンナコッタさん、有り難うございます。
そうすると、当初のものよりは少し品質が改善されということでしょうか。
わたしは見たものはまるでラミネートという感じでした。

まあ、表装は中世以降のことで、当初は板張り、もしくは幡のように靡かせていたというのが中尾師の御説ですから、必ずしも、表装がただしいというわけではありませんが、しかし、布の模様まで一括印刷というのは、何か面白い作りですね。

一応、草木成仏という流れから紙幅と言うことがあると思うんですが、そこにビニールをかけてしまうといきなり無機質という印象がします。もっとも数十年前、九州のメンバーは船で登山をしており、各客室にあるテレビに漫荼羅本尊を映して、拝んでいたなんて話を覚えています。ここらへんは学会は実にあっけらかんとしていますね。

ビニール製品は化石燃料、元をただせば生物だという居直りもできるのかも知れません。それにしても養師相承との関わりというような因縁は授与書きを消せば、その因縁も消えると言うことでしょうか。ただ、この点は、もはや石山は批判できないと思います。というのは、わたしが所属していた寺院では寺院本堂の板漫荼羅の「願主・法華講総講頭/創価学会会長池田大作」を膠か何かで練ったパテで埋めて、黒く塗ってわからなくしていました。やっていることは同じだということです。方や、「猊下」の許可があるからいいというのでしょうが、似たり寄ったりというところですね。

1738パンナコッタ:2005/08/26(金) 20:12:01
嫌がらせ電話3000回超 創価学会員に懲役1年−札幌地裁  
『札幌市中央区の日蓮正宗の寺院に三千回以上の嫌がらせ電話をかけたとして、偽計業務妨害の罪に問われた鳥取県倉吉市、
創価学会員でパチンコ景品交換所従業員谷口博司被告(53)の判決公判が二十六日、札幌地裁であった。吉村正裁判官は
谷口被告に懲役一年、電話機一台没収(求刑・懲役一年六カ月、電話機一台没収)を言い渡した。
 判決理由で吉村裁判官は「社会通念を逸脱した回数の嫌がらせ電話をかけ続けたのは明らかで、執拗(しつよう)、
陰湿であり、酌量の余地はない」と指摘。「創価学会の鳥取県の副支部長だった被告は、一連の電話を日蓮正宗の誤った教義を
ただすためと正当化し、今後もこの寺に電話をかけると公言するなど、反省の情に乏しい」と述べた。
 判決によると、谷口被告は昨年六−七月と同十二月−今年四月に三千七十五回、自宅から同寺院に電話をかけ続けて宗教論争を
持ちかけ、寺院の業務を妨害。創価学会広報室によると、谷口被告は今年六月、鳥取県内の副支部長を解任された。
    2005/08/26 15:04  北海道新聞 より引用
 http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&amp;d=20050826&amp;j=0022&amp;k=200508262453

はたして当事者は、何を今思っているのでしょうかね?

1739ラキ:2005/08/27(土) 00:55:58
「法華ちゃんねる」にて、音声のみで谷口被告と法華講の電話での対論が公開されてます。
http://hokkech.ddo.jp/

谷口被告の発言が支離滅裂で・・・

1740犀角独歩:2005/09/06(火) 16:34:44

本日、衆議院選挙公報が新聞に入っていて、ざっと眺めました。
ノーネクタイ(クールビズ)で顔写真を載せていたのは、神崎さんだけだったのが印象的でした。

しかし、公明党が、ということではなく、全党、共通して記されるキャッチフレーズは、実に駄文、駄作ばかりで、センスが悪い。中学・高校の学級委員の選挙を見るように感じました。

1741宮本:2005/09/09(金) 20:03:34
パンナコッタさんへ

 確かに事実だろうけど、こんな話は、他のサイトでしくださいね。
人数が、多いから、学会がいいとか、正しいとか言いませんが。
(私もたいした学会員では、ありません)
副支部長以上の学会員は、推定20万人以上いるんですから、何人か
できの悪いのが、いるのは、しかたないと思いますが。

1742犀角独歩:2005/09/09(金) 22:37:49

宮本さん

わたしはあなたの論法はまったく納得しません。
20万人いようが1000万人いようがその任免をしたのが創価学会であれば、責任はあるでしょう。

たとえば同じ事件を起こしたのが公務員だったらどうでしょうか。警察官であったらどうでしょうか、自衛官であったらどうでしょうか。消防士であったらどうでしょうか。いっぱい人がいるのだから、一人ぐらい鉄砲をぶっ放す奴がいたって仕方がない、一人ぐらい、消防士でも放火する奴がいても仕方がないので済むのでしょうか。このような宗教法人ならば、仕方がないという無責任な態度が宗教法人が社会に害悪を流す最大の原因になっています。

わたしはパンナコッタさんに何ら咎はなく、こんな下らないことをやる創価学会幹部、それを任免する創価学会に責任があると思います。

こういう信者の言い逃れで、自分達を肯定する愚かさが、宗教が社会に害悪を流すことを助長しているのです。

1743独学徒:2005/09/09(金) 22:40:08

>1741

宮本さん、

初めまして、学会員の独学徒と申します。

>副支部長以上の学会員は、推定20万人以上いるんですから、何人か
できの悪いのが、いるのは、しかたないと思いますが。

私は犯罪に「しかたない」はありえないと思います。

同じ学会員として恥ずべき事件であり、名誉会長含め、会長以下心ある学会員は真摯に批判を受け止めるべきだと思います。

当然、迷惑をかけた宗門寺院と御住職様にも、心よりお詫びすべきだと思います。

それが当然の事だと思います。

この事件は、本人だけの責任とは言いがたいものがあります。
恐らく彼は、学会に入らなければ、このような事件は起こさなかったでしょう。
学会員であるが故に起こした事件なのです。
宗門に嫌がらせをすることが、まるで正義であるかのように喧伝する、一部組織での指導性や聖教報道にも問題があります。
事件を起こした本人も悪いし、学会も悪いのです。

1744パンナコッタ:2005/09/10(土) 00:16:16
>宮本さん、
この記事をコピペして2週間が経ち、ラキさんの追加情報意外は全くスルーされていますよ。

犯罪に対する判決の記事であり事実である以上、この板に残るように引用しました。
”功罪を考える”スレとしては適切ではないでしょうか。

1745宮本:2005/09/10(土) 17:03:34
犀角独歩さん

  反社会的な行為が、悪い事であるのは、当然の事で、謝罪、反省は当たり前です。

 学会の現場(最前線とでもいいましょうか)は、
理屈どうりなっていないケースが、多々あります。(愚痴ではありません)

 例えば、勤行するのは、常識ですね。で、やってなければ、指導すべきだ。
となります。

 まず、会うのが大変。そこから、えんえん指導となります。

 地区単位でいゆうと五十人から百人って所ですが、生活全般に
関わる事となると、人権問題もでてきます。

 冠婚葬祭もあり、サポートがいります。

 五十人から百人にそれぞれ意見があり、宿命があり、要望、要求があります。
それらが、地区幹部の元に、全部、洪水のように押しよせてきます。

 生身の人間相手ですと、何でも簡単には、いきません。

(犀角独歩さんの意見が、正しくても、それが、正論になるのは、時間が
かかるのです。人を見て法をとけと言いますでしょう。)

 私見ですが、役職と信心は、正比例関係になっていませんし、公式発表の
ピラミッド型の組織図なんて、全然違います。草創の頃と違うのです。

 直接の担当組織以外、努力のしようもありません。

役職なんて、幻想ですよ。参考にはしますが。役職権限なんてあるようで
全然ありません。

 本音の所、一般の学会員が、会った事も無く、見たことも無い人の事、
同じ学会員でも責任とれません。直接の関係幹部、会長だとそうは、
いかないでしょうが。
 
 沖縄の離島に住む学会員に、北海道の学会員の事で、あなたに責任が
あるなんて言いませんでしょう。
 幾ら指導しても会則を守らない、
信仰を実践しない会員の事で責任とれないのです。
 あくまで、私見ですが、全てを把握する事など、
凡夫の我々には、出来ないのです。信心といえども万能では、ありません。

 江戸時代ならまだしも、犯罪者がでるたびに、所属の宗教で全てを
論じるのは、無理があるでしょう。
 会員の意識は、一部の聖教報道のお粗末記者とは、違うのです。
信心となりますと、時間的ズレは、ありますが、後が大変なんです。
舞いた種は、当事者で刈り取る事となりますから。

1746ラキ:2005/09/10(土) 18:21:58
元学会員のラキと申します。
今回の事件に関しては、学会の”信心”を実践したから起こった事件だと思っています。
機関紙や幹部指導。会長の指導。正しい学会が堕落した宗門に対して、
世法の法を犯しても邪儀を粉砕するためには、何をしても良い印象を与える指導が原因だと思います。
幹部指導や機関紙で”世法を犯す行動”はしないように、指導してれば、このような事件は減るか無くなると思います。
他の地域だからと目をそむけずに、自分の所属してる地域の幹部から、上に問いただし、
組織全体で反省をする事が大切ではと思います。
下記のHPに付いて、脱会前に問いましたが、返答がもらえなかったのが残念です。
組織の長が無慈悲な行いをしてる事が良くわかると思います。

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/jinken/

1747宮本:2005/09/10(土) 19:41:03
ラキさんへ

>世法の法を犯しても邪儀を粉砕するためには、何をしても良い印象を与える指導 

 おそらく、あなたが言うのなら、そういゆう印象を与えた指導が、
どなたか知りませんが、あったんでしょうが、
 そんな指導なんて、私には、通用しません。した覚えもありません。
逆に潰した経験は、ありますが。
 今、選挙ですが、担当の会員には、毎回、法律違反行為は厳禁ですと
指導しています。私もした記憶がありません。

 紹介のホームページは、何年も前からありましたね。

>目をそむけずに
 ここの方より、もっと大変な苦労をされている方の方が、優先です。
そんな事ないと思いますが、
他人がなんとかしてくれると思っているなら、ちょっと甘いと思います。
出来るかどうかは、別として、御書には、ここの内容より不可能と
思えるようなことが、解決出来ると指導があった思います。
 酷な言い方ですが、あくまで、理屈上の話ですが、
御書の内容、信用していないとなりますが。どうなんでしょうか?
御書にありませんでしたか?
  
 当事者御自身の信心で解決するのが、筋ではないですか。

>返答がもらえなかったのが

 納得できる返答する能力を持った幹部に出会えなかったのは、残念な事です。
今となっては、そうとしか言えません。

1748パンナコッタ:2005/09/10(土) 19:51:31
>宮本さん、
ならば幻想である役職や、万能ではない信心などお止めになったらどうですか。
なぜB長を中心としたブロックを動かさないのでしょうか。人権問題に絡むようなものこそ公明の議員に対処して貰うべきでしょうし、
副役職の本部・Z幹部に、なぜ積極的に動いて貰うようにしないのですか。
個人が持つ必要以上の責任感と、感じる必要のない罪悪感を持っての活動で、きりきりまいになっている人の愚痴にしかみえません。
自分でまいた種は自分で刈るのが大人としては、あたりまえのことでしょう。

事件を起こした男は当時副支部長とのことなので圏・県幹部の面接を受け任命されているのであって、
この男に役職を認めた幹部達にも責任があるだろう とみなさん指摘しているのですよ。
都合が悪ければ蓋をして、さらにトカゲの尻尾を切るような無責任な体質にも問題がある と言っているのですよ。

1749ラキ:2005/09/10(土) 20:47:23
宮本さん。
池田名誉会長自身が過去に、「金槌で頭を」とか「クリントン見たく口を上手く」等述べていますね。
とても、信仰者の発言と思えない指導をしておりますが、私の記憶違いでしょうか?

紹介のHPの方は、会長にじかに手紙を出しても問題の解決にならなく、裁判を起こして自己の人権を守ろうとしてるのですが、
それが、平和、人権尊重と言ってる団体の対応とは、情けないと思います。

苦労に優先順位等無いと思います。
苦労はその人の個人の範囲であり、それに優先順位を付けるべきではないと思います。
まして、平等の信心をされているのですよ。

>酷な言い方ですが、あくまで、理屈上の話ですが、
御書の内容、信用していないとなりますが。どうなんでしょうか?
御書にありませんでしたか?
真筆でも御書の内容は、私には問題外です。
信心が無いからです。
まして、法華経が釈迦の説いた教えでないのを知り、その時点で連師が教える法華経信仰をが崩れたからです。
  
>当事者御自身の信心で解決するのが、筋ではないですか。
HPの当事者の信心で解決できる問題ではなく、慈悲の仏法をしてる組織が、
人権侵害をしているのに、救いの手を差し伸べないのは、おかしいと思います。

>納得できる返答する能力を持った幹部に出会えなかったのは、残念な事です。
今となっては、そうとしか言えません。

区まのでの幹部が指導できる能力が無い、人達と言うことになります。
何人にも話をしましたが、回答は頂けませんでした。
調べてから返答をすると言って、1年もです。

現役時代、選挙活動は反対していました。
信心とは関係ないからです。そして、新聞啓蒙や民音のノルマがあるのも不自然な事だと思い、
営利目的ではないのですから、ノルマがあるのは信心を利養した勧誘活動としか言えません。
もちろん、反対意見を述べても、信心がないで済ますのは、道理にかなった説明ではないと言えます。
一番怒りを覚えたのは、会員に”ランク”を付けてることです!
活動の度合いでランクを付けるのは、差別そのものだと思っております。

法華ちゃんねるで放映してる学会関係の映像を見れば”正義の団体”と思えない発言が見られます。

http://hokkech.ddo.jp/

1750犀角独歩:2005/09/10(土) 22:22:20

> 1745

ここに宮本さんが書いたことは、創価学会でしか通用しないでしょう。
だいたい、わたしは創価学会には35年いました。あなたにレクチャーいただくことは何一つありません。それ故だからこそ、記していることです。

要するに、あなたの記していることを一言で言えば、「無責任極まりない幻想の組織」ということでしょうか。

では、あなたにお尋ねしますが、責任もとれない、信心にも比例しない役職というものを、なんで創価学会は任免しているのでしょうか。幻想ならば止めればいいだけです。

信心が万能でないことは分かっています。しかし、それは役職は絶対ではない、創価学会は絶対ではない、この信仰は絶対ではない、つまり、その頂点の池田さんも絶対ではない、三大秘法の本尊は偽物である、ならば、それを中心に作られた日寛も絶対ではない、さて、では、創価学会の正当性、存在理由は、ないことになりませんか。どうでしょうか。あなたの記していることは自滅論法に過ぎないでしょう。

もっとも、わたしは創価学会はあなたが記した程度のものであると、勿論、認識しています。

何より、役職を与えて、人を動かすが、その任免に責任すら負うことも出来ほど、肥大し、末端に神経も行き届かない不完全組織であると、あなたが言うことに、わたしは同意すると言うことです。

1751宮本:2005/09/10(土) 23:47:07
犀角さん
 >何より・・・わたしは同意すると言うことです。

 学会の現状は、そのくらいが、妥当の評価と私も思います。
不満もある方もいるでしょうが。

本当は、もっと詳しく書くのが、礼儀でしょうが。おゆるしください。(夜も
遅いので眠ります)

1752宮本:2005/09/11(日) 07:28:11
パンナコッタさんとラキさんと犀角独歩さんへ

 発言に関し、細かく文意を汲み取り、丁寧に答えるのが、礼儀でしょうが、
何分、当方は、一人で、時間もありません。
 ご承知の通り、リアルはバーチャルとは違います。
研究論文発の意見交換でしたら、もっとするのですが。
 また、どういう内容にせよ、面談の上。詳細、意見を聞くのが、
適切かとも思います。
 ネットでの意見交換には、おのずと限界がありますから(自明の事ですが)
近隣在中の方でしたら、伺うのですが。残念ながら当方、それも出来ません。
 犀角独歩さんには、事前連絡の上、了解を得られれば、
いつか、お会いしたいとも思います。
では、失礼します。
 今日は、選挙で大変です。

1753犀角独歩:2005/09/11(日) 08:22:33

宮本さん、1751のことならば、了解です。

お気軽にご連絡ください。スケジュールが合えば、お会いすることは歓迎です。

1754パンナコッタ:2005/09/11(日) 10:46:50
宮本さん、
ぜひ、お会いしたいですね。
やはり会って話すことが大切だと自分も思いますので。

独歩さん経由で連絡はとれますので、その節はよろしくおねがいします。

1755ラキ:2005/09/11(日) 11:20:58
宮本さん。
私も、独歩さん。パンナコッタさんと同様にお会いしてお話がしたいです。
独歩さんの生息圏内なので、よろしければご同席させて頂ければ幸いです。

1756犀角独歩:2005/09/11(日) 12:37:25

宮本さんは、わたしに個人的にというお話のようですが、皆さんも会いたがっていらっしゃいます。もちろん、それも歓迎です。けれど、以上の皆さんのお声があります。是非、オフ会にもご参加ください。

れんさんも、そろそろご参加くださるのでしょうか。
彰往考来さん、独学徒さん、そして、他の常連の方々と、充実した内容になってまいりました。

そう、昨日、偶然、ワラシナ先生と電車で乗り合わせました。お元気そうで何よりでした。また、いつも富士門流信徒の掲示板、また、わたしのブログをご高覧下さっていただいていると有り難いお言葉を頂戴しました。

板から外れました。失礼いたしました。

1757学会の支援はもういらない:2005/09/14(水) 13:13:28
大阪2区で学会の支援した佐藤氏は落ち、川条さんが自民の力だけで当選しました。
学会の支援はもういらないモデルケース。
大阪17区で当選した岡下氏は自民で学会が支援しましたけれども、
れっきとした阿部宗門法華講員です。

1758ラキ:2005/09/14(水) 14:06:06
>大阪17区で当選した岡下氏は自民で学会が支援しましたけれども、
れっきとした阿部宗門法華講員です。
学会の矛盾した行動ですね。ある意味、与同罪に当たるのに平気で応援する学会て・・・

学会=公明は弱者の見方と言っていて、実は弱者を圧迫する法案に賛成してる現実があります。
今回の解散で一時、白紙に戻ったと思われる、『精神保健福祉法第32条』(通院医療費公費負担制度)が、
再度、厚生労働省によって、見直しが行われることになるでっしょう。
その反面、児童給付金の年齢を中学生まで適応とか、出産援助金の50万までのUP.
公明はばら撒き政治をしてるとしか言いようの無い事もしております。
学会=公明の正義は、本音と建前が違うと思います。
難病の父を持つ私には、障害者切捨てと思える法案を通してる、
公明=学会には、正義は無く、自分たちには関係ない(障害者の家族がいないから、無関心)の学会員には、
あなたたちの、人権や平和と言ってるのに、まるっきり正反対のことをしてる矛盾に目を向けてほしいものです。

1759れん:2005/09/14(水) 14:36:24
ラキさん、はじめまして。32条の件、私も大いに矛盾を感じております。
私自身、癲癇の患者でして、32条の恩恵を受けております。この病気の患者は、なかなか定職につくのは難しく、低所得・或いは生活保護を受けている方も多いと聞いております。現在、32条のおかげで脳波の検査等にかかる高額な治療費の負担が軽減されていますが、これが廃止になれば、低所得の患者の生活に経済的な圧迫をあたえることになり、低所得の患者は適切な治療を受けたくても受けられなくなる事例も生ずる可能性もあると思います。
一般向けに受けのいいことを言っていても、一方で弱者を圧迫することに加担する…こういうところで、看板に偽りありということがはからずも露呈するものです。

1760ラキ:2005/09/14(水) 19:44:05
れんさん、はじめまして。
れんさんの意見には同意いたします。
32条ですが、廃止にはならなく、国が90%を負担していたのを85%にする予定です。
県が5%と負担。市町村では、独自に5%を負担してるところもあるので、自己負担金が5%〜10%になります。
32条適応者は、ご存知のとおり医師の診断書と収入を提出して審査を受けてから、適応の是非が問われますが、
適応者は収入が少ない。長期療養を執拗がいる等、経済面の苦しい方が大半です。
対人恐怖症。パニック症候群等、普通に通院できなく、タクシー等の交通手段を利用してる方も居ます。
たかが5%UPでも経済面の圧迫は目に見えています。
現実に適切な医療を受けたくても、経済面で医療を受けられない方や、通院回数を減らしてる方も居ます。
そのような方のために、私はメンタル系HPを運営していて、32条の事を広めています。
32条のことを知り、適応されて安心して医療が受けられて社会復帰に向けてる方も沢山居ます。
本当に福祉を考えてる学会=公明ならこのような問題に取り組まなければいけないのを、
世間一般に受けがいい、児童手当バラまきには疑問の余地はありません。

1回の医療費が国保で3〜5千円掛かり、月2回から4回の通院が必要で、
3ヶ月に1回の血液検査の義務もあり、その他検査を入れると膨大な医療費負担になります。
32条を適応されれば、千数百円ぐらいで1回の診療が受けられると、経済面を考えずに安心して医療が受けれます。
32条審査は医師の診断書と納税証明書を付けて、審査を受けて適応の是非が決まります。
本当に弱者救済を福祉をと言ってる公明=学会がこのような法案改正にNO!と声を上げないのが不思議です。
「精神保健福祉法第32条」の事を知り、学会員は組織総出で声を上げて本当の正義を証明していただきたく思います。
個人的に学会員で32条の恩恵を受けている方は、要望書等を出していますが、
そのような話を聞いてる”学会員”はわれかんせずとそ知らぬ顔をしてる方が大半です。
(この話は、私の周りの学会員だけと申しときます)
これを機に、学会員は自分達のしてる”弱者を苦しめる”行動を認識して頂きたいです。
板違いでもありますが、このように苦しんでる人達が居ることをわかってください。

1761彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/17(土) 19:34:13

このスレッドとは直接関係ないと思いますが、話が出ていますので、赤川学氏の『子どのが減って何が悪いか!』(2004年、筑摩書房(筑摩新書)を紹介します。
この本は児童手当の増額が出生率の回復にはほとんどつながらず少子化対策にはならないというのを論証した本です。非常におもしろい内容でした。出生率1.34(1999年)を人口維持に必要な2.08に高めるには月30万円を越える児童手当・育児休業保障が必要との試算があるそうです。現在の水準ではほとんど効果がないのです。しかしこんなにもらったら働かなくなってしまいますね。月30万円が非現実的であるのは年金財源をいうまでもなく誰の目にも明らかです。
この本で特徴的なのは、従来言われている、“女性の就業率が高い国ほど、出生率も高い”とか“男女共同参画社会が実現すれば、少子化は防げる”といった主張を統計学的に否定していることです。氏に言わせれば統計的には“女性労働力率が高ければ高いほど出生率は低い”(同書、17頁)ということになります。また“夫の家事分担の多い家ほど、子どもの数は少ない”(78頁)のです。つまり男女共同参画社会の実現は子ども数の増減とまったく無関係で少子化少子化対策にはなり得ないのです。但し、著者は男女共同参画は少子化対策であろうとなかろうと必要なことだと主張しています。

「子どもは、少子化対策や男女共同参画の道具ではない。まして「子どもを産んだら得をする」とか「子どもに老後の世話を頼みたい」とか、親のあさましい動機で産まれてくるべきでもない。仮にどんな重度の障害をもって産まれてきたとしても、愛情をもって育てる覚悟をもてた男女だけが、子どもを産めばよいのだ。そうした選択の結果、産まれる子どもの数が少なくなったとしても、それはそれで仕方ないことだ。
子どもは、親や周囲の人から愛されるために産まれてくる。それ以外に、産まれる理由は必要ない。」(217頁 あとがき より)

児童手当の拡充や男女共同参画推進を主張している方もそうでない方もぜひ読んでいただきたい内容でした。

児童手当の拡充や男女共同参画社会に熱心に携わっておられる方のご意見をお聞きしたいものです。

1762彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/17(土) 19:37:13

>1761 誤記訂正

誤:赤川学氏の『子どのが減って何が悪いか!』
正:赤川学氏の『子どもが減って何が悪いか!』

1764彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/20(火) 07:43:10

2005年9月21日付けの『創価新報』7面には久しぶりに公明党元委員長・矢野絢也氏の批判記事が載っています。

辞任の引き金になった〝明電工疑惑〟
自宅で2億円もの大金を授受
矢野絢也公明党元委員長の〝灰色の幕引〟

と題して明電工事件の解説と、その際の矢野氏の行動批判を記載しています。
前後関係がなく突如現れた記事ですのでその裏にある事情はわかりませんが、恐らくは今回の衆議院選挙で矢野氏の取った公明党への支援活動が不十分かゼロであったために不満が重積し、そのはけ口として批判記事が再開されたものと考えます。さすがに衆議院選挙の最中は選挙結果にひびきますから控えたものと推慮します。

私の記録漏れがなければ2005年4月28日付け『聖教新聞』で突如として『聖教新聞』紙上で現れた矢野氏への批判は2005年5月16日付けの「矢野絢也公明党元委員長が心から謝罪」と題した記事で、しばらく鳴りをひそめました。その後は『聖教新聞』上ではみかけなくなり、2005年6月15日の『創価新報』に「不知恩の輩の邪義を暴(あば)く」と題した記事でこの間の経緯のようなものがまとめて記載されています。ここでは最後に「謝罪が本物なのか、口先だけのパフォーマンスなのか、今後、彼が示す「誠意」と「行動」を厳しく見極めていく必要がある」と閉めています。その後、矢野氏との今回の騒動は一部週刊誌にとりあげられています。『週間新潮』の6/16号では「「創価学会の糾弾」で活動自粛に追い込まれた「矢野絢也」」と題して夕刊紙『日刊ゲンダイ』に矢野氏が連載していた政治コラムが中止になったことなどを記載しています。『週間現代』の8/6号では「創価学会&公明党のタブー「矢野極秘メモ」100冊が持ち去られた」と題して、約40年間矢野氏が衆議院手帳に記したメモが元公明党議員の黒柳氏、大川氏、伏木氏により矢野氏の自宅から運び出されたという内容です。創価学会や公明党がこれらの週刊誌に抗議した形跡がありません。もし記載内容に事実誤認があれば必ず抗議するのが創価学会ですから週刊誌の内容はそう外れていないのでしょう。8月3日付けの『創価新報』で「矢野絢也公明党元委員長と青年部代表との面談 本年5月 の詳細」と題して5月の矢野氏と創価学会青年部代表との面談内容が紹介されています。あるいはこれは『週間現代』8/6号の記事に対する対応であったのかもしれませんが、そうであれば何の反論もなくお粗末な内容です。

今回(9月21日付け『創価新報』)の批判記事は6月15日付け『創価新報』の続きといってよいでしょう。つまり『創価新報』は「矢野氏の謝罪は本物ではなく、口先だけのパフォーマンスにすぎない、彼には「誠意」と「行動」が全くない」と指摘していると思われます。
ということは、これから矢野氏に対する批判記事が続くことが予想されます。矢野氏のとった行動がよいか悪いか別にしてこのようなバカなことをしていてよいのでしょうか?『聖教新聞』や『創価新報』は仮にも宗教団体の機関紙なのです。また、もし矢野氏のとった行動が悪いと主張したいのなら過去の出来事ではなく現在の出来事を記事にすればよいはずです。しかしながら現状はネタ不足なのか壊れたレコードのように過去の出来事の繰り返しです。情けない思いをしているのは私だけなのでしょうか?何年か先は公明党現委員長が批判の矢面なのでしょうか。それとも彼はその時「そうはイカンザキ!」と叫んでいるのでしょうか?

こんなバカバカしいことはいつまでも続けず止めるべきであると思います。

1766パンナコッタ:2005/09/26(月) 15:43:11
大白蓮華10月号に、教学任用試験のテキストが掲載されていますが、①出題御書3編
(異体同心事・四条金吾殿御返事〈法華経兵法事〉・一生成仏抄)と、何れも真偽未決文ですね。
②教学入門、③世界広布と創価学会 に引用された切り文の御書は49編。そのうち真蹟部分は
たった16編。  他に立正安国論の国の字が”国構えに民”とか二箇相承、無作三身とかが平然と
書かれており、こんなんで本当に学会教学に未来なんてあるのでしょうかねぇ。

ちなみに”御生涯”と題された部分に、
「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです」と書かれています。
なんだか”創価学会入門”(昭和45年5月3日発行・教学部編)の苦しげな記述が復活したかの如くですね。

1767彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/26(月) 18:13:15

>1766 パンナコッタさん
>立正安国論の国の字が”国構えに民”

本当ですか? ちょっと大白蓮華10月号を見て確かめてみます。

>「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです」

創価学会が初信者の多い任用試験受験者にこう教えることは、いまだ戒壇本尊を公式には“本物”としているということですね。
イヤハヤ。

1768パンナコッタ:2005/09/26(月) 19:43:10
彰往考来さん、10月号の100ページ上段です。

『別の本に騙される可能性も充分にあるのだ。それが財テクの本だったらどうなる?
あなたは金の使い方を誤り、大損するかもしれない。医学や健康の本だったら?  あなたは間違った
医学知識を植えつけられ、危険な健康法を実践して健康を害するかもしれない。歴史や宗教の本だったら?
あなたは歪んだ思想に染まり、貴重な人生を台無しにするかもしれない。
 そうなったら取り返しがつかない。著者は責任を取ってなんかくれない。間違った本を書いた著者が反省して、
被害を受けた読者に補償したなんて話は聞いたことがない。
 守ってくれる人はいない。あなたの心を侵略し、汚染しようとする「思想のウィルス」に対抗できるのは、
あなた自身しかいないのだ。』 
    こんなにヘンだぞ!「空想科学読本」 山本弘  あとがきより引用

任用試験の内容は上記の「思想のウィルス」そのものであり、まさに汚染の拡大ですね。

1769独学徒:2005/09/26(月) 23:48:55

パンナコッタさん
彰往考来さん

まったくですね。
しかも

>「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです」

覚えろといわんばかりに太字になっています。

ほんとに進歩のない組織です。

任用試験でこのように教えておきながら、その所蔵がどこにあるかをふれないなどとは理不尽極まりないと思います。

他のスレッドでも投稿しましたが、

>「弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです」

これが真実なら、創価学会を脱会し宗門に行くべきでしょう。

このような嘘・デタラメを、教学初心者に教え込むことに、断固反対し抗議します。

1770犀角独歩:2005/09/27(火) 11:21:03

> 1766

まあ、たしかにひどい内容ですね。
皆さんとぜんぜん違うところにわたしは目が行ったのですが、

> 大御本尊を建立

の「建立」。創価学会ではこういう言い回しをするんでしたね。

1771ラキ:2005/09/27(火) 19:06:58
赤川学氏の「子どもが減って何が悪いか!」読みました。
児童手当増額しても、諸外国と違い、社会全体のサポート体制が確立してないから、
無駄なばら撒きでしかないのだと。
福祉を唱えてる公明=学会にもう一言。
介護保険制度の悪法も見直しをしてもらいたいですね。
介護ペルパーさんが来ても”介護”なので、利用者のお手伝いしか出来ない。
食事の準備を本人がする時の手助けだけで、調理を行うと”看護”になるので、
ヘルパーさんがいくら手伝いたくても出来ない、と言う、利用者には有難くない法律は、
利用した事がない人にはわからない盲点です。
障害認定も、自力で動ける、動けないで、決めるぐらい極端だと思います。
手足が麻痺していても、多少自力で動かして、食事が取れると”看護”ではなく”介護”扱いで、
食事の支度を出来ないのに、食事の支度の介護はしてもらえないのです。
板違いではありますが、公明を組織を挙げて応援してる、学会は与同罪と私は思います。

そう言えば、学会では「三世福徳」なるご記念札を5,3に販売したらしいですね?

1772彰往考来(しょうおうこうらい):2005/09/29(木) 09:59:00

>1771

そうですか。お読みになりましたか。紹介した甲斐がありました。

1773れん:2005/09/29(木) 20:50:40
>1771
児童手当て増額…諸外国と違い社会全体のサポート体制が確立していないから無駄なばら撒きでしかない
全く同感です。その無駄なばら撒きも国民の血税が財源ですから、一円たりとも無駄なことに使って欲しくないという思いがあります。
介護保険制度についても、私の両親も七十・八十の高齢者ですからもう決して他人事ではありません。現行の制度について見直すべきところは見直して制度の悪い部分を一日も早く改善してほしいものです。
私も元学会員として、客観的に見てみると、かつての所属団体の支持する政党の現在の体たらくを見るにつけ、批判的にならざるを得ない現実があります。

1774ラキ:2005/09/29(木) 21:11:59
地元ネタになりますが、過去に公明がらみで迅速に行った政策があります。
信号機付きの横断歩道設置です。
それから数年もしないうちに、歩道橋を設置して、横断歩道を10m程移動して設置。
地域住民が切望したわけでもなく、学会住民の要望があり、迅速に施工された事がありました。
逆に開かずの踏切がある場所では、歩道橋設置の要望が合ったのに、設置されるまで長い期間掛かった矛盾があります。
与党連立になったら速やかに工事施工が始まったのは、言うまでもありませんが。。。

1775iひきこもり:2006/03/05(日) 19:56:53
生命論、特に死後、生前の問題を、現代人の有識者に与えたことは、大きな功だと思います。

1776名無し:2006/03/07(火) 00:42:21
>>1775
iひきこもりさん、創価学会がですか?
出来たら詳しく教えていただけませんか?

お願いします。

1777ひきこもり:2006/03/09(木) 00:50:08
>>1776
創価学会ですね。創価がなければ多くの人達に、聖書的死生観や、マルクス共産死生観、
ギリシャ哲学死生観を超える思想は広まらなかったでしょう。

1778ひきこもり:2006/03/09(木) 00:58:46
あと在来日本仏教は、神仏混合思想の為に本当の生命主義や生命論を否定する傾向に
あったと思います。

もし創価がなかったならば、生命科学への一歩さえ世界は踏み出していないでしょう。
「生命科学」は基礎理学、基礎医学の基にあらねばならぬことが、生命科学は今や原始
状態です。聖書に全世界は毒され、科学は闇です。

1779名無し:2006/03/09(木) 19:44:20
>>1777-1778

ひきこもりさん、ありがとうございます。
なるほど。

1780犀角独歩:2006/03/10(金) 01:18:39

生命科学と創価学会が何の関係があるのでしょうか。

1781パンナコッタ:2006/03/22(水) 16:17:47
耐震偽装マンション関連のニュースで、公明議員の関係が噂になっていましたが、
まんざら根拠のない話ではないようですね。
 http://www.asahi.com/national/update/0322/TKY200603210331.html

1782ひきこもり:2006/03/23(木) 16:15:53
人生に絶望を感じ目標を失った人達や、死や病気を恐れて何事にも無気力になった人達に、
創価は勇気と生きる希望を与えました。これは功ですね。実際真面目は創価は、精神的に強
いです。

もう70代の壮年部員や婦人部員が、発溂と生活しています。生きることが楽しいんですね。
また困難が起きてもへこたれないですね。

実際私の地域の真面目な創価の人達は、強いですよ。
私は個人主義者になり、部屋に籠ってする仕事を主としていますが、信心を忘れると鬱になる
ことがあります。

1783励合人:2006/06/10(土) 02:26:52
はじめましてレイアウトと申します。
ちょこちょこですが、サイトを拝見して気づいたことを書かせて頂きます。
掲示板に私は学会員ですと書いてある方が皆さん学会員だとは思っていませんが、所属組織を名乗るならそれなりの言い方や責任を持たれてはどうかと思いました。
私は創価学会と名乗ってる方で誰がみても変なことを言ってる方はニセ学会員ではないですか?

ところで、時々、創価学会のお陰とか何々のお陰とか目にしますが、何があったとしても基本は自分自身、その本人の力ではないのでしょうか。
創価学会の池田さんや本部は学会のお陰とか言っておられるのでしょうか?
勉強不足で申し訳ないのですが、お釈迦さんや日蓮さんもわしのお陰とか言っておられたりするのでしょうか。なら仕方ないかも知れませんが。
私の意見は自分自身のことは自分の責任であり、いいことも悪いことも自分の選択により決めていることだと思います。感謝することは大切であるが、感謝させることは間違いであると思います。人助けも結局は自分の為にやっているのであって、そう考えると誰しも感謝することのみです。感謝させたり感謝しろと思うことは自己中心的な考えなのではないでしょうか。

1784励合人:2006/06/10(土) 04:04:12
創価学会の方に聞きます。日蓮さんは強敵と戦われましたと言ってもおかしくないのではないでしょうか。でしたら、このサイトで正当性を立証されるのが筋ではないでしょうか。組織をあげて戦われるよう提案されるべきです。このサイトが強敵かどうかは分かりませんが自分が信じるものが言われているのにそのままにしてはなりません。少なからず日蓮さんの生き方を糧にされているのですから。常勝とは負ける戦いはしないという意味ですか?学会員ならこのサイトのことを多くの学会員に伝えるべきです。そしてこのサイトの異論に勝利できるのであれば創価学会の広宣流布も夢でなくなります。そう思われませんか反創価学会の方々?
間違いは間違いで認めて改めていくことで成長があります。人間なんて誰も間違いだらけです。日蓮さんも間違われたことがあるはずです。意固地にならないで素直になりましょう。
日蓮さんが今を生きていて、このサイトを知られたら黙ってはいないでしょう。そして間違いがあれば改めてられたはずです。当時で日蓮さん本人が知る限りの知識と経験で公に正しいと思い込めていることばかりの状態だからあれだけの情熱を注がれ活躍されたのだと思います。人間は嘘があると後ろめたさからスキや逃げが出るのです。嘘は未来で必ず証明されます。今だけ通用することに生きようとせず、今の時代を生きる責任を持って未来のひとにプラスになるように行動してあげて下さい。プラスになるひともいればマイナスになるひともいるというのは間違いです。というか100%正しいことではないのではないでしょうか。
正しいことばかり、これほど強いことはないのです。逆に正しいことばかりを言うひとは強い気持ちの持ち主です。過去の過ちを批判されても今を正しいことが言える人間になろうではないですか。そうすれば創価学会ももっと良くなるのではないでしょうか。
個人的には宗教法人をやめて日蓮仏法を土台にした池田さんの思想をもとに地域活動やボランティア活動をされる団体になられることをお薦めします。その方が大いに発展されるでしょうし社会的にも価値があると思いますし嘘もなくなります。池田さんが生きていられる時にしかこれはできないと思いますのでよく考えて頂きたいです。

1785励合人:2006/06/10(土) 04:42:53
このサイトに出会えた日蓮系の信者の方のご多幸をお祈りします。このサイトに集う縁に意味があると思います。
この板は創価学会の功罪でした。功罪…、罪があればダメですょ学会員さん。功を重視して伸ばすのは一向に構いませんが罪や間違いは改めて欲しい。学会員さん全員がこのサイトを隅々まで見て頂いたら真面目な学会員さんは間違いの部分を改めて下さるだろうけど真面目な学会員さんにそんな時間はないのでしょうか。なら不真面目な学会員さんから真面目な学会員さんにこのサイトの推薦と説明を何卒お願いします。日蓮仏法系全てに言えると思いますが。

1786パンナコッタ:2006/06/16(金) 00:25:44
秋谷会長の続投が決まったみたいですね。
 7月に任期を迎える創価学会の秋谷栄之助会長(75)の続投が14日、固まった。1981年に北条浩第4代会長の急逝を受けて就任。
 在任期間が5期25年に及ぶことから交代もとりざたされていたが、2007年春の統一地方選や夏の参院選を控え、会長交代は
 選挙への影響が出かねないと判断した。創価学会は公明党とともに選挙への取り組みを加速する。

 「大変厳しい選挙戦になる。我が党としても必要な議席を確保しなければ、与党で過半数を維持できない」。
 公明党の神崎武法代表は14日の記者会見でこう訴えた。創価学会も15日、東京本部で全国の方面長を集めた幹部会合を開き、
 選挙への結束を確認する。(07:02)   NIKKEI NET より引用

 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060615AT3S1401H14062006.html

1787ひきこもり:2006/06/24(土) 14:05:01
>>1785
私は創価で朗々とした境涯です。勤行唱題あれば動くこと無しです。

まぁコテは「ひきこもり」ですが、広宣流布への精神は猛烈ですよw

大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうあれ、信心が
根本です。私はまた毎日唱題したら、また元気一杯ですお。

1788問答迷人:2006/06/25(日) 20:35:25

ひきこもりさん 今晩は

>大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうあれ、信心が根本です。私はまた毎日唱題したら、また元気一杯ですお。

ひきこもりさんは、唱題至上主義ですか。

僕は、括弧付きの蓮祖の教義を絶対視はしませんが、真蹟遺文は大切に考えています。本尊抄の「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。」の文を根拠として、妙法蓮華経の五字が認められた蓮祖の文字曼荼羅への南無(帰命)を大切に考えています。

具体的には、この文字曼荼羅を拝する事が、妙法蓮華経の五字に対する帰命に当たり、文字曼荼羅を拝して南無妙法蓮華経と唱える事が帰命に当たり、文字曼荼羅に向って合掌することが帰命に当たると考えています。即ち、それは、身口意の三業で文字曼荼羅に帰命することになると考えています。

そして、このように三業具足で文字曼荼羅に帰命することが、蓮祖の本尊抄の「此の五字を受持」に相当するのだと考えています。

朝夕、勤行・唱題することが、蓮祖の教えに叶ったもので有る事は、僕は疑問を持っておりません。

但し、それが釈尊、並びに法華経の原意に沿うものであるかどうか、これは大いに議論の余地が有ると思っております。

1789真実探求者102:2006/06/27(火) 20:48:05
1787様、、なかなかの強がり的な御都合のご意見でしょうか、、、???
 要するに、、「、、組織内での疑義、、」を「、、全く許さないゾ、、」、、と言う、内部事情が、、一番に最優先した結果の「、、お答え、、」、、のようでしょうか、、、???
 現今は、、皆様方が、、ソコソコ学習をされました。 従って、、少々の「、ダマシのテクニック、、」、、は、感知済ではないでしょうか、?

1790ひきこもり:2006/06/27(火) 23:53:19
実際、教学はともあれ、私が中学生の時に大御本尊に祈ったことは、
全て叶いました。

子供の時に大きい体験があるかどうかかが肝腎だと思います。
私は前世を7歳ぐらいの時に思い出しました。死ぬ直前の病院の病棟
でした。

1791下学上達:2006/06/28(水) 21:54:22
初めて書き込み致します。ここでの書き込みは本当に勉強になります。
創価学会員である私にとって、目から鱗が落ちるほどの毎日ですが、
楽しみにROMしています。常連の皆様よろしくお願い致します。

>ひきこもりさん

ひきこもりさんは「大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうあれ」
と書かれていますが、単純にこの三つはどれも大変重大な事と思いますが、
これがどうでも良い事柄ならば、根本から崩れてしまいます。
同じ学会員としてかなり疑問に感じました。

1792ひきこもり:2006/06/29(木) 21:12:51
>>1791
時代によって法華経まで変わると言う指導を、私は高等部時代に聞きました。総本山に行けない日が来る
と言う言う指導も聞きました。

蓮祖には誤りがあると犀角独歩さんが仰っていますが、それは私も学生部ぐらいの時に知っていました。
蓮祖の御書の表記に年の誤りがあるのです。これは日寛上人も指摘されているようです。「示同凡夫なる
が故に」と寛師も指摘されていた記憶があります。

要は我々が唱題して幸福境涯を築くことです。時代時代によって創価学会会長の指導も変わります。牧口
会長の指導を今やって罰論を振りかざしたらだめです。戸田会長の昭和20年代30年代の講演集を今振
りかざしてもだめです。時代に即応して、いかに多くの人を幸福にするかと言うが創価学会の目的ではあ
りませんか?池田先生の昭和30年代の御指導でも現代には当てはまらないこともあるかも知れません。
創価学会は池田教ではありませんから。日顕宗でもありません。

1793犀角独歩:2006/06/29(木) 21:16:16

ひきこもりさん

あなたは真剣に考えているのですね。そのあなたの真摯な姿勢を、わたしは理解しますよ。
敬意すら懐きます。

1794犀角独歩:2006/06/30(金) 08:42:05

1792の投稿は、わたしにとっては懐かしい感情を懐かせました。。
「ああ、学生部の頃、そんなことを考えていたな」という懐古気分を味わいました。

わたしは、過去50年間、創価学会の激変を見てきました。
親たちは、戦前の日本の大変化を超えて、戦後を生きました。

> 大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうあれ

創価学会はこれからも変わっていくでしょう。
変わりに変わって、やがて、日蓮からも離れていくのだろうと思います。
そんな未来を彷彿とさせる投稿でしたね。

> 創価学会は池田教ではありませんから。日顕宗でもありません。

では、創価学会とは何なのかという問いがこの時点で涌くでしょうね。

当掲示板では、日蓮の実像を、ここ数年来、考えてきたわけですが、結局のところ、ことに日寛に代表される大石寺教学は、その日蓮の教学とは全く違っていることは明らかです。では、創価学会は、一体、何の教学に拠っているのかと言えば、やはり、それは日寛のいう教学と本尊でしょう。しかし、ひきこもりさんは、大御本尊はどうあれ、正本堂はどうあれ、蓮祖の教義がどうであれとそれを斥けるわけですね。石山が言う破門・学会が言う独立した団体が、元母体の「大御本尊」や、かつて供養した正本堂を廃棄するのは、まあ、心情的にわからないでもありません。けれど、蓮祖の教義もどうであれと言って、唱題根本というのは、自己矛盾がありますね。何故ならば、唱題の発明は日蓮その人の教義だからです。

大御本尊、正本堂、日蓮教学でもない、さらに池田教でも、日顕宗でもない唱題というのは、門下一般が聞けば、「何だ、日蓮宗と同意なんだ」と映じるでしょうね。しかし、そういえば、「いや、違う」という答えが返ってくるのは、容易に想像できます。

では、ひきこもりさんがいう唱題とは一体なんでしょうか。
とりあえず、創価学会と、その「指導」は重視しているようですが、そうなると、創価学会教、もしくは戸田教といったところでしょうか。
むしろ、ひきこもりさん自身の心教といったようなものに感じますね。
さて、どうなんでしょうか。

興味深い点です。

1795真実知求者 38:2006/07/13(木) 17:27:18
  >>1792、、池田教ではありません、、。
 本当でしょうか、?
 貴機関誌には、連日、池田氏への礼賛記事満載、です、。
 まるで、仏様の様な扱い、?、では、?
 ここまで神格化、神聖化しますような事実には、?、多くの方々も、ヒョットとして、中身は「池田教」、?、だと懸念もわき出ます様でしょうか、?
 マー、一応、れっきとした宗教法人ですから、ご自由でしょうが、。 でも、何かが、引きかかりますです、よ、。 御免くださいませ、。

1796マリネス:2006/07/14(金) 16:42:13
池田教でもない、日顕宗でもない。では何宗なんでしょうかね。ちなみに池田教も日顕宗もこの世に存在しない名称なんだけどね

1797今川元真:2006/07/14(金) 17:06:04
創価学会の罪・ 四分五裂して悪縁をばらまく。 創価学会の功・ 仏教革新して流布した。

1798真実は知りたい者:2006/07/14(金) 18:58:06
 直近の地政学難題には心配ではございます。
産経新聞の産経抄で「歴史の重み」を披露中です。
http://www.sankei.co.jp/news/colomn.htm
示唆に富む文章でした、。 するに「暴力の力を思考する団体」には、いかに対処すべき、?、かを、歴史的な事実より後生の我々に教訓を示して居ますようです、。

1799真実は知りたい者:2006/07/14(金) 19:03:40
失礼しました。
http://www.sankei.co.jp/news/coloumn.htm
 でした。

1800真実は知りたい者:2006/07/14(金) 19:07:42
済みません。
http://www.sankei.co.jp/news/column.htm

1801真実は知りたい者:2006/07/14(金) 20:32:27
、、NHKの「巧妙が辻」もたけなわです。
 これは「世襲問題」が視点でしょうか?
 姉の子の「秀長」を後継者にしたにもかかわらず、誰の子とも知れない「秀頼」に世襲した秀吉の「傲慢さが墓穴」、を掘ったようです。
 この歴史的な教訓===、、は、、、世襲すれば、、即、、崩壊、、の、、運命、、で、、しょうか、???

1802今川元真:2006/07/14(金) 23:05:07
組織システムが公正平等に機能すれば「世襲」であろうが「くじ引き」であろうが、大差無いのでは無いかと考えます。「誰が継ぐか」では無くて「何を行うか」でしょう。

1803ひきこもり:2006/07/15(土) 02:00:22
創価は功の方が多いと思います。自分自身中学生から創価でした。私は小学生の時には
勉強嫌いで、家庭教師までも困らせた子供でした。しかし創価に入会した後、私は何故
勉強が必要なのか、池田先生の御指導から知りました。勉強は人との優劣を競うもので
はなく、自身の幸福の為にするものであるという御指導でした。

私は人が変わったように勉強するようになりました。学校の成績を鼻に掛けている者達
が哀れに見えてきました。学友は「何でそんな馬鹿なこと(唱題)をやっているんだ?」
と私に言いました。しかし成績は最後には私の方が勝ちました。

名聞名利の為の勉強よりも、人生の幸福の為の勉強が勝ったのです。創価はやはり功が
大きいですよ。いろいろ非難されていますけれども。創価が非難される原因の最大のもの
は、非常識でしょう。また外部の人を謗法呼ばわりしたり、冷淡であったりするためでし
ょう。

1804犀角独歩:2006/07/17(月) 06:34:17

> 名聞名利の為の勉強よりも、人生の幸福の為の勉強が勝った

勝った・敗けたの話になるところが、如何にも勝敗に拘る学会の影響をお見受けしますが、名誉とカネに幸福はなしという結論は、名誉会長、カネさん(今は香峯子と書くんでしたか)という名が表す体と、必ずしも一致しませんね。

いずれにしても、大乗菩薩は四弘誓願に精進するのであって、救うべき対象(衆生無辺誓願度)をつかまえて、その相手と自分の勝劣、勝敗を言ってしまえば、この誓願は瓦解します。人生の途上で幸福を言ってしまえば、仏道無情誓願成はそこで立ち止まることになるでしょうね。

菩薩に幸福があるとすれば、自未度先度他(自ら未だ成仏せずに、まず先を成仏さす)意外にはないというのが法華経の叡智だと、わたしは思います。
> 創価が非難される原因…非常識…謗法呼ばわりした…冷淡

これは、世間一般から見える学会の有様で、尤もなご意見であろうかと存じます。

1805犀角独歩:2006/07/17(月) 17:22:51

【1804の訂正】

誤)仏道無情誓願成
正)仏道無上誓願成

ひどい打ち間違えでした。

1806傍観者:2006/07/17(月) 18:31:42
 割り込み失礼。
鋭いご意見などはとても勉強になります。
今、感じますのは「人間とは誠にヨワイ,、、ひ弱な存在?」、かナー、と思います。
 
過去の自分がそうでした。 在る友に何回もウソつかれても、何度も裏切られても、愚痴は言っても、見限って絶好する勇気が在りませんでした。
世の中はウマイ、甘い誘いに充満しています。 これからはすべては自分の自己責任に目覚めたく思います。

1807:2006/07/17(月) 21:11:22
ひきこもりさんの発言に感動しました。人生の困難をどう越えて生きるべきかだと思います。

1808下学上達:2006/07/18(火) 19:30:38
ひきこもりさんと同じく学会員です。
ひきこもりさんは「人生の幸福の為の勉強が勝ったのです」とおっしゃられていますが
勝ったか負けたかは、最後の最後、臨終の時しか判らないと思います。
今現在、勝ったとお思いかもしれませんが、今後は誰にも判りません。

1809傍観者:2006/07/19(水) 19:02:56
 下学上達さん。
 仰るとおりかと、思います。
一時は「スッゲー、こりゃ、功徳ダ、?」と確信しても、後々から見てみますと「トンデモナイ様なダマシのサイン?」で在った?、などの現象は存在するかも知れません? 
 ヤハリ「臨終こそ一番」かも、?

1810統合失調不安者:2006/07/20(木) 20:17:40
 傍観者さん、>臨終こそ。
 お言葉ですが、ソンナ悠長な構えで宜しいんですか、?
 今時、IT、そして、インターネット時代の時代の早い流れ中です。
 コンナ時勢に「臨終まで不明、?」、とは、いかがなものでしょうか、、?

 IT時代では、一秒でも早く「正確な情報をキャッチした方」、が、損害の回避に受けて方向の転換が出来るのではないでしょうか?
 確かに「臨終=総決算」は理解できますが、庶民の感情としましては「その前に各自が判断」を「努力」をして頂きたいですが、?

1811傍観者:2006/07/20(木) 20:19:07
 傍観者さん、>臨終こそ。
 お言葉ですが、ソンナ悠長な構えで宜しいんですか、?
 今時、IT、そして、インターネット時代の時代の早い流れ中です。
 コンナ時勢に「臨終まで不明、?」、とは、いかがなものでしょうか、、?

 IT時代では、一秒でも早く「正確な情報をキャッチした方」、が、損害の回避に受けて方向の転換が出来るのではないでしょうか?
 確かに「臨終=総決算」は理解できますが、庶民の感情としましては「その前に各自が判断」を「努力」をして頂きたいですが、?

1812サイサイ:2006/07/21(金) 15:56:21
皆さん始めまして、ひきこもりさんの言ってる事は、犀角独歩さんの指摘しているとおり、ひきこもりさんの信じるところの心教なのだと思います。

創価学会の中は様々な価値観で溢れかえっています。

いろんな”私の学会観”が存在しているのです。

なので、貴方は貴方、私は私という事で、創価学会の問題から 逃れようとする事には疑問を感じます。

功績が”多”であるという背景に、多くの犠牲を払った(今日に於ける創価学会問題)という事実を考えるならば、評価は、あくまで反省を抜きにしては語ることは出来ないと思います。

1813独学徒:2006/07/21(金) 21:43:42

「慧妙」の1面に、学会本部職員が彫刻を否定したとの記事が出ています。

学会側が主張した彫刻の真偽論は、なんと犀角独歩さんの御所論そのままのようです。

一点、資料として出したものに、カラーの彫刻写真があったとの事です。

犀角独歩さんの御所論は、大石寺僧、富士学林教授等もその場でお聞きでしたから、学会が今更何を言おうが、犀角独歩さんの御所論の盗用でしかないと思います。

「法盗人」の謗りは免れませんね。

1814犀角独歩:2006/07/21(金) 22:09:43

独学徒さん

情報、有り難うございます。
わたしはこの件について、何も知りません。
『慧妙』記事について、もう少しご投稿願えませんか。
彫刻のカラー写真の資料は手に入るものなのでしょうか。
該当記事、お手数でなければ、PDF、もしくはGIFでご送付願えませんでしょうか。

saikakudoppo@rio.odn.ne.jp

1815独学徒:2006/07/21(金) 22:44:47

犀角独歩さん、

>彫刻のカラー写真の資料は手に入るものなのでしょうか。

おそらく偽装入信によって御開扉を受け、隠し撮りかなにかしたのではないでしょうか。
普通は入手できないと思います。

1816傍観者:2006/07/22(土) 22:16:49
,,
 この度は、ご迷惑をお掛けしました、、。 管理人様の采配にて、不適当部分を「削除」をお願いします。
以後反省と陳謝に没頭します次第です。

1817傍観者:2006/07/28(金) 20:46:40
、、、再度、、頭を伏して、、お詫びを申し上げます、、。

1818ひきこもり:2006/07/29(土) 21:08:20
功の方が多いと思います。創価は希有の団体ですよ。

1819独学徒:2006/08/19(土) 19:19:43

24時間テレビのCMでゴルバチョフ氏が映っていました。
今年のテーマは「絆」ですが、ゴルバチョフ氏は創価大学、特に創立者の池田大作氏とはそれなりの仲で「絆」もあろうかと思います。
もしかしたら創価学会の「功」の部分を何か宣伝してくれるかも知れませんね。

1820パンナコッタ:2006/11/09(木) 21:41:05
秋谷会長が退任で、原田副理事長が後任のようですね。
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061110k0000m040078000c.html

1821独学徒:2006/11/09(木) 23:05:32

>1820
理事長も正木氏に交代ですか。
新任の会長・理事長は、それぞれ第1次・第2次宗創紛争で、青年部の重鎮として活躍した人たちですね。
さて、どうなることでしょう。

1822犀角独歩:2006/11/10(金) 08:52:55

パンナコッタさん、ご紹介の記事を読んで「おや?」と思ったのです。原田氏は「53年に入会」となっていたんですが、全国学生部長を、わたしが学生部時代に務めていたと記憶しています。わたしの入学は49年。4年より学生部籍は、ずっと長いには長かったのですが、どうも、勘定が合いません。この新聞の記事は間違っているんじゃないでしょうか。

1823臨時:2006/11/10(金) 12:58:39
原田氏は1953年入会(12歳)という事でしょう。

1824パンナコッタ:2006/11/10(金) 13:52:38
臨時さんの言うとおり、1953年の入会との事ですね。
 http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/soka-info/information/official.html

1825犀角独歩:2006/11/10(金) 20:41:47

なるほど。臨時さん、パンナコッタさん、有り難うございます。

1826みかん:2006/11/11(土) 15:43:25
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061111i106.htm?from=rss
>宗教法人「冨士大石寺顕正会(たいせきじけんしょうかい)」

とありますが、登記上の名称は「宗教法人顕正会」ではなかったでしょうか。

1827パンナコッタ:2006/11/11(土) 16:23:17
元参議の柏原ヤスさんが、お亡くなりになったようですね。何はともあれご冥福をお祈りします。
 http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20061110000472


みかんさん引用の記事は、”顕正会の実体を検証する”に移動した方がよいと思いますが

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A8%E5%A3%AB%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E5%AF%BA%E9%A1%95%E6%AD%A3%E4%BC%9A
宗教法人法に基づく届け出名で、いいようですね。

1828藤川一郎:2006/11/13(月) 11:44:09
>>1826

>>宗教法人「冨士大石寺顕正会(たいせきじけんしょうかい)」とありますが、登記上の名称は「宗教法人顕正会」ではなかったでしょうか。

その通りです。浅井氏曰く
「法律上の名、宗教法人顕正会」
「仏法上の名・冨士大石寺顕正会」
だそうです(笑)。

1829みかん:2006/11/16(木) 11:51:29
まちがえて、顕正会の記事を、ここのトピックに書き込んでしまいました。失礼しました。

さて、今朝の聖教新聞には、どこにも、教育基本法を特別委員会で、自民・公明の与党だけで強行採決したことについての記事が掲載されていません。教育基本法の教の字も、衆議院の衆の字も載っていません。

今朝の公明新聞は未確認です。

また会長交代が発表された10日以降の聖教新聞をチェックしましたが、秋谷栄之助氏についての記事は、10日の2面に、秋谷氏が最高指導会議議長に就任したことが小さく掲載されているだけで、会長退任についても、秋谷氏が前会長であったことも、一切記載がありません。

1830名無しさん:2006/11/17(金) 18:57:24
聖教新聞は本当に、情報制限をしていますよね。
宗門との裁判では8割が敗訴なのに、たまたま勝った裁判を
創価新報で、大げさに取り上げたり・・・。
学会員はこの事、知っているのかな?(汗)

1831再挑戦者:2006/11/17(金) 22:34:56
 横から失礼します、、。
 心理学的にも、ダマサレて居る現実を是認したくないようですか、ネ、(「あなたも、こうしてダマサレる」R,レヴイーン、忠平訳、草思社)
 「、、勝ちたい、、勝ちたい、、は負ける、、もと、、」、、のようです、、。 某S会関連、、は「、、アセリとイラ立ち、」が散見されます、。
 先般も某外務省高官さえもが「、、S会は金 正日 体制とソックリダ、!!」、、とオフレコ報道が暴露済です、、。 陰では「正確に観察の方方が存在、、」、のようです、、。 (大拍手、、!!)

1834再挑戦者:2006/11/18(土) 20:38:14
 、、しつこいですが、もう一言です。
 新会長のH某いわく「、、靖国参拝意は慎重、を希望、」、、とか。 なるほど、「、政教一致の選挙活動も慎重に、、?」、とご期待したいですネ、。 言い過ぎて済みませんでした、、。

1836管理者:2006/11/18(土) 21:45:47

再挑戦者さん

1831-1833のレスは、余り意味のない反復投稿であり、当掲示板のルールに抵触します。
1831のみ残して、削除します。

1837パンナコッタ:2006/11/24(金) 19:51:44
公明党目黒区議団6人全員が、辞職したようですね。
 http://news.tbs.co.jp/index-j.htm

『調査費疑惑、公明党目黒区議団が辞職
 東京・目黒区議会議員の政務調査費無駄使い疑惑で、公明党は区議団全員の次回選挙での公認取り消しを決定、
これを受けて区議団6人は全員、ただちに議員辞職することを決めました。
 目黒区議には1人年間204万円、公明党区議団6人でおよそ1200万円の政務調査費を請求していました。
しかし、この中に領収書の書き換えなど不審な内容があることを「イブニングファイブ」が報道。放送後、
公明党本部だけで100件以上の苦情が寄せられました。
 公明党東京都本部では、監査請求を受けるなどした772万円について、全額返還するよう区議団に指示していました。
 公務党本部では全員の議員辞職について、「政務調査費が区民の税金であることを鑑み、不適切に支出していた事実は
区民の信頼を著しく裏切り、かつ党の信頼を傷つける行為」であるとして、さらに厳重な処分を決めたもので、
「区民のみなさまに心からおわびします」としています。 (24日18:38)』
   (リンクが切れて更新されることがあります)

1838再挑戦者:2006/11/25(土) 19:22:43
 横から失礼します。
 、、この件は醜聞のようにも聞こえまするが、小生には深い、疑問と懸念が???かと、思います。
  都の公明党区・目黒議員方らは、事前に関係先に相談したでしょう、?  昨今、地方自治体の談合やウラ金汚職に庶民はウンザリしていますで!!   当該者らは隠し通せ無い、と判断したのでしょう、。 隠せ通せる、と判断したならば、
この逆の行動でしたでしょう、。 やはり陰の世論と世俗の応援が有れば、、状況が激変する一側面を暴露した事件でしたでしょうか、、。

1839パンナコッタ:2006/11/26(日) 13:54:41
かなり充実した合宿だったようですね。自分も行きたかったな。

地方では、又公明議員のお粗末な行動が記事になりましたね。
 http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20061126/mng_____sya_____007.shtml

『「会議抜け出し」で統一選出馬せず  愛知・半田と常滑の公明3市議
 愛知県半田、常滑両市の市議らが7月に札幌市で開かれた全国都市問題会議中に、
日程にないラベンダー見物などをした問題で、会議を抜け出した両市の市議のうち、
公明党会派の3人が、市民や支援者の信用を失ったとして、来春の統一選に出馬しないことが分かった。
 全国都市問題会議で、半田市議は保守系最大会派・市民クラブの9人と公明の3人が
富良野のラベンダーなどを見物。常滑市議は保守系最大会派・新和会の5人がゴルフ観戦をしたほか、
公明の1人が半田市議らとともにラベンダー見物などをした。
 会議を抜け出した両市の公明市議4人のうち、今期限りで引退が決まっていた1人を除く3議員が
党県本部に出馬辞退を申し入れ、了承されたという。3市議は4−3期目で、1人は議長、もう1人は副議長経験者。
 半田市議会公明党の南雲忠光代表は「自らを律しようと、辞退を党に申し入れた」と説明。別の議員は
「責任を感じており、(不祥事の発覚後)すぐに辞める考えだった」とした。公明支持者の1人は
「誠実に議員活動をやってほしかった。もし来春出馬しても、推せなかっただろう」と話す。
 一方、保守系議員計14人は、いずれも統一選に立候補する見通し。
「次の4年間でさらに頑張り、汚名返上をしたい」と意欲をみせる議員がいる一方、
「議会の要職を辞任したことで責任は果たした」「辞めようと思ったが、支持者が(不出馬を)許してくれない」
との理由で出馬の意向を示す議員もいる。
 今回の問題をめぐっては、両市議とも参加費用に充てた政務調査費を返還。半田市議会は、
政務調査費制度そのものの廃止案を可決し、来年度から政調費が支給されなくなった。』
  (リンクが切れて更新されることがあります)

1840再挑戦者:2006/11/28(火) 20:54:27
 失礼します。
 いろいろと有りましょうが、ドーモ、現場サイドと高級参謀クラスのかた方との「現状の認識のギャップ、、?」、、が存在のようでしょうか。(末寺と本山の例?)
 例せば、当時の日蓮時代にも当てはまる、かと、、。 本人がバンバン進めた信・行・学の勢いに対して現場サイドの各老僧方は、イミジク感じ、結果的に「、、ワシは天台の弟子なり(沙門)、」と言わしめたのは、、一体、、??? 、、でしょうか、、?
 日蓮様にも多少の「論理の飛躍のような形が、、??」、と懸念しますが、、。 たとえば「久遠、、自、、報、、如来、、」などは、、人類有歴史の200万年以前の「DNA」までさかのぼる事柄でしょうか、?  「地・水・風・火・空、、」とは、?? 究極は「DNA」、でしょうか、? 疑問点ばかり、、です、、ゴメン下さいませ。

1841パンナコッタ:2006/12/17(日) 15:39:44
浦安のベテラン公明市議がセクハラをしたとの、トホホな記事が出ていました。
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/31811/

『浦安市議会の議長経験もある公明党のベテラン市議(64)が、今年5月の市議会研修旅行中に
同行した40代の市の女性臨時職員にみだらな発言を繰り返したり、体を触るなどのセクハラ行為を
していたことが16日、分かった。産経新聞の取材に対し、市議はセクハラを行った事実を認めた。
 研修旅行は群馬県高崎市内にできた「浦安市民水源の森」の視察を目的に1泊2日の日程で5月22〜23日に行われ、
市議の大半と担当する市職員が参加した。
 22日は水源の森に隣接した高崎市の保養施設に宿泊した。市議は夕食時に酒を自費で注文して飲み、
ガイドとして視察に同行した同市臨時職員の女性に飲酒を強要したうえ、交際を迫る内容のみだらな発言を繰り返した。
その後の2次会でも女性を平手で殴り、ダンスを強要して体を触るなどしたという。その際、市議には「おれは議長までやった。
言うことを聞け」などと自らの立場を利用する言動もあったという。
 研修旅行後、女性が上司に相談してセクハラが問題化した。その後、弁護士を介した示談交渉が元議長と女性の間で行われ、
6月半ばに和解が成立したという。
 市議はセクハラ行為を認めたが「交渉で『(セクハラは)なかった』ことにすることになった。
相手の女性の立場を考えて公表は差し控えた」と話している。
 市側は「当事者同士が合意している以上、言う立場にない」としている』
   (更新して、リンクが切れることがあります)

1842再挑戦者:2007/01/10(水) 19:10:06
 、、失礼します、。
 先般の沖縄県知事選挙応援で党の重鎮、、浜四津女史が訴えられた、、。
 容疑は「出まかせのガセネタ・ちょうちん発話、」、のようです、。
 イケダ・シエンシエイこそ我が命、、と、洗脳された方ならではの言々のようです、、。
 創価・公明こそ、、思い込みの大きい方方のご発言は、深い・意味・そうせざるを得ない立場など、、が懸念されます。
 カルト、洗脳の恐ろしさを示唆しています、。 国会で数百回もの公開質問を実施しながら、「全くゼロ」と断定した方の責任は、?
 どうなるのでしょうか、? ( 週刊新潮、最新刊、日刊ゲンダイ、最新号、) 
konnnaeekaden

1843天蓋真鏡:2007/01/14(日) 10:15:27
悪を叩いてるだけで悪を止められないのは謗法に為らないか。 愚痴レベルで悪を叩き謗法に堕し、煽って囃すストレス再生産は退転と言わないか。

1844パンナコッタ:2007/02/16(金) 22:54:54
広島の公明市議団が、政務調査費で自動車を購入していたとのこと。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070216-00000142-jij-pol

『広島市議会の公明党市議団が、2005年度交付分の政務調査費を自動車購入費などに充てていたことが分かり、
市監査委員は16日、使途不明分を含め違法支出と認定した358万円を返還させるよう、秋葉忠利市長に勧告した。
また、他の2会派でも違法支出が判明した。
事務所がないのに政調費の事務所費を支出していたとして、住民監査請求が出されていた』
  (更新されてリンクが切れることがあります)

1845パンナコッタ:2007/02/22(木) 23:30:38
>>1844 の続報が出ていました。
 http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000000702170001

「広島市議の政務調査費をめぐる問題で、公明党広島市議団が不正支出を市監査委員から指摘されたことを受け、
同党幹部が17日、記者会見を開いた。自動車購入費など約358万円を政務調査費の事務所費(05年度)から
支払っていたことについて、あらためて謝罪した。全額を近く市に返還するという。一方で、不正の背景を
「制度の使途基準が明確でなかった」とし、かかわった市議の処分はしないことを明らかにした。(宮崎勇作)
 同党県本部代表の斉藤鉄夫衆院議員、中国方面副議長の桝屋敬悟衆院議員と、05年度の会計責任者で同党市議団の
平木典道幹事長の3人が出席。冒頭で謝罪した。
 今回の監査で明らかになった3会派総額約386万円の不正支出のうち、約358万円を公明党が占めた。自動車をはじめ、
スーツや靴など私的な商品の代金まで事務所費から支払ったことがわかっている。
 不正の背景について幹部らは、「我々の認識も甘かったが、使途基準そのものがあいまいだ」と制度の問題を指摘した。
また金額の大小はあるものの、所属議員8人全員が不正にかかわっていた可能性が高いことを明らかにした。
「全員が深く反省している」として、公認の取り消しや辞職を求めるなどの処分はしない方針という。
 取材陣からは「なぜ公明党だけ突出しているのか」「公金意識が欠けているのではないか」などと質問が相次いだ。
 政務調査費に関する領収書は会派で5年間の保管が義務づけられている。同党は今後、05年度以前の支出についても
独自に調査を進める方針。また共産党などが、開会中の2月定例会の最終日(21日)に各会派の収支報告書にすべての領収書を
添付する条例改正案を議員提案する予定で、公明党も加わるという。
 住民監査請求をした市民団体「政務調査費を透明にさせる会」の秦明美代表は
「これだけの不正支出があって処分もないなど、市民の常識からかけ離れている。独自調査をするなら外部の専門家を入れて徹底的にすべきだ」と
話している」
    (更新されてリンクが切れることがあります)

1846小作:2007/02/23(金) 06:44:04
区議なら斬ったってたいした影響はない。
市議ではそうはいかない。

1847独学徒:2007/03/05(月) 23:12:22

本日の聖教新聞掲載の「新・人間革命」には、池田会長が『御本尊七箇相承』を引用しながら指導しているところが出ています。
創価学会は、大石寺の彫刻を未だ否定できないばかりか、『御本尊七箇相承』を日蓮⇒日興の相伝書として肯定している事が判ります。
しかし『御本尊七箇相承』の後半部分は、学会にとって都合が悪いので、あくまでも都合がいいところだけ引文するところは、なんとも学会らしいと思いました。

1848南京豆:2007/03/06(火) 04:37:26
質問です。

最近の「人間革命」を読みたいのですが、お金を払って買う気はしないし、どっか公立図書館に置いてあるとこはありませんか?
東京在住です。国会図書館は、めんどくさいなあ。
どなたか、おしえてください。m(__)m

1849パンナコッタ:2007/03/06(火) 16:03:13
>>1847
独学徒さん、小説にも引用される学会の宇宙生命観とは、なんだか
秀句十勝抄の即身成仏化道勝八に引用されている真言密教の阿字観っぽい
感じがしますね。

>>1848
八王子市立図書館。
 http://www.library.city.hachioji.tokyo.jp/hachioji03.htm

1850南京豆:2007/03/06(火) 21:20:36
パンナコッタさん。

どうも、ありがとうございました。m(__)m

今度、行ってきます。

1851パンナコッタ:2007/03/15(木) 13:37:14
また公明の市議団が政務調査費の不正使用をしたとの、記事が出ていましたね。
 http://www.asahi.com/national/update/0314/TKY200703140476.html

「埼玉県越谷市議会の公明党市議団が05年度に支出した政務調査費で、白紙の領収書に架空の飲食費を
書き込んで不正に処理したケースのあることが分かった。長崎県への視察中に越谷市内で食事をしたことに
なっていた。同市議団は朝日新聞の取材に、「認識が甘かった。不適切な領収書を出して申し訳ない」と不正
行為を認めた。
 問題の領収書は、越谷市内の飲食店で「05年5月10日」に、市議団6人の昼食代として「1万8000円」を
支出した内容。同市議団は、5月9日から11日まで長崎県へ行政視察のため旅行中で、越谷市にはいなかった。
 同市議団の杉本千恵子代表によると、2泊3日の視察旅行中の飲料費や地元駅までの電車代などの雑費を
1日1人1000円として計算。6人で3日間に計1万8000円かかったことにして、杉本代表が越谷市内の飲食店の
白紙の領収書に自ら金額と日付を記入したという。
 この店で最も高いメニューは、みそチャーシューめんと塩チャーシューめんの850円。店長は「6人で1万8000円を
飲食するのはまず無理。『公明党市議団』あてに領収書を出した覚えもない」と話した。
 越谷市内の住民7人が今月6日、政務調査費について、市監査委員に住民監査を請求した際、この領収書の
日付の矛盾を指摘していた。同市議団は、7日付で1万8000円を市に全額返納した。
 当初、杉本代表は「他の領収書が紛れてしまったと思う」と説明していたが、朝日新聞の取材に、領収書を
不正に作ったことを認めた」
   (更新されて、リンクが切れることがあります)

1852マハー:2007/04/19(木) 20:14:46
こんにちは、突然の投稿を失礼致します。
小生はハンドルネームをマハーと申しまして、「反苑の会」というグループに参加している者でございます。
今回、やや畑違いとお感じになりやも知れませんが、貴辺掲示板に参加させていただき、賢学の皆様のご意見を賜りたいと思っております。よろしくお付き合い下さいませ。
「反苑の会」のメンバーがなぜ「創価学会の功罪を考えるスレッド」にと疑問に思われるやも知れませんが一口には説明が難しいので投稿を進めながらにしたいと思います。すみませんが御了承下さい。
小生のテーマは、簡単に言いますと「創価学会の路線は日本の伝統仏教を破壊するか?またその功罪は?」という事であります。
創価学会の宗門離別後の路線として、順修戒名の廃止、学会葬(友人葬)、墓石改革、塔婆不要論などの方向に進んでいることが挙げられると思いますが…
そこで、御書「十王讃歎鈔」 「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」 「閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経」の3点についての平成3年以前の、学会教学部と大石寺側のそれぞれの見解を御存知でしたら御教え下さい。

1853パンナコッタ:2007/04/19(木) 22:39:32
マハーさん、初めまして。 とりあえず学会側の参考文。
 http://www.houonsha.co.jp/jiyu/11/383.html

また、学会版御書全集の巻頭凡例に、
「現代教養に裨益なき十王讃歎抄・八大地獄抄等、純天台なる三八教・秀句十勝抄等の如き縦い
御真書でも聖祖の御抄録分と見做して且らく文を除いた」
 とあり、掲載されていないので一般の学会信者は十王讃歎抄の存在自体知らないですし
教学部の方でも、あまり触れていなかったように思えます。

1854マハー:2007/04/20(金) 18:45:21
パンナコッタさん
ありがとう御座います。
御紹介の参考文から考えるに、十王讃歎抄に関して学会では宗門離別前には「偽書とは疑いながらも明確に斥ける」ことはしなかったが、離別して後は「偽書と断定し用いない」と読みました。また、十王讃歎抄は偽書ではあるが、「日蓮に十王信仰があった」こと自体は否定してないので、今後の学会の路線としても「十王信仰」を許容して行くとの方向と見ましたが、どう御考えになりますか?
日寛も妙法漫荼羅供養抄の中で十王讃歎抄を引用していますし、遺文の各所に八大地獄などの「世界観」を有していると言わざるを得ないことから、小生は「学会は十王信仰を捨てきれない」のではないかと思うわけです。
小生が何故こんなことを言うかというと、学会は友人葬を一応は定着させることに成功したにも関らず、何故七日や年忌法要を続けるのかが非常に疑問であったものですから…

1855パンナコッタ:2007/04/20(金) 22:54:46
>「十王信仰」を許容して行くとの方向
と言うより、"その要所要所を切り取り、自然に信仰体系に組み入れる"ような
ニュアンスだと思います。
通常、地獄観などは信徒を律するのに有効な要素の一つになり得ますが、
ある意味、進化させた形で会員を教団に縛り付ける要因の一つになっていますね。
(カルト的と揶揄される部分ですね)これがマハーさんがおっしゃる
"十王信仰"の意味合いの部分であるなら、これを活用して教団を巨大化させた訳ですから
これからの組織維持にも、無くなる事はないでしょうね。

年忌法要などを続けるのは、日蓮正宗の信仰形態から完全に脱していない、脱せない
ひとつの証でもありますね。
"意味合いは本当のところ判らないが、なぜやらない"と、古くからの信徒の声を
無視できないと言ったところも、あるでしょう。

1856マハー:2007/04/25(水) 00:28:23
パンナコッタさん
ありがとうございます。大変参考になりました。
>"その要所要所を切り取り、自然に信仰体系に組み入れる"ようなニュアンス

私は寧ろ伝統仏教側の方が「地獄観」などを内在してしまっており、
新宗教である創価学会がそれに対抗出来る勢力に成り得るのか?との構図で捉えております。

1857マハー:2007/04/25(水) 00:51:00
犀角独歩様 
飛び入り失礼致します。

>日蓮の墓を捨て去ったのではないでしょうか。

そもそも日蓮の時代に墓石はそれほど重要なものではなかったのではないでしょうか?
輪番制は墓を守るのではなくて寺にその重点が置かれていたとは考えられませんか?
私は鎌倉時代の日蓮門下に「依り代信仰」の端があったとは思えません。
もし墓石のようなものがあったとしても非常に小さい五輪塔だったのではないでしょうか。

1858犀角独歩:2007/04/25(水) 07:28:33

マハーさん、はじめまして。
こちらでは、「さん」付けが決まりです。
お気軽にお声掛けください。

> 墓石はそれほど重要なものではなかった

どうでしょう。五輪塔のようなものが既にあったのでしょうか。

なお、わたしが「墓」と記したのは、‘日蓮の遺骨のある場所’ほどの意味です。
ですから、わたしが捨て去ったと記したのは、日蓮の遺骨と、その埋葬場所です。

わたしは冨士門の伝説は、実に矛盾していると考えます。
というのは、当初、日興が他の本弟子5人を批判するのは、墓番を守らず、日蓮の墓(遺骨と保管場所)を蔑ろにしたというのです。ところが、そう批判した当の本人、日興が、その墓を捨ててしまった。つまり、日興はかつての自分の言で自らを批判される矛盾を犯していないのかというのが、わたしが記したことです。

1859犀角独歩:2007/04/25(水) 19:30:34

マハーさん

「反苑の会」で検索したら、自分のページが出てきてビックリしました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50461834.html

先のご質問に係りますが、石山の真偽疑に対する考えは以下のようです。
石山全集の文章です。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/sekizan_gosho_singi_kenkai.pdf
(ジャンプしないときは、アドレスバーにコピペしてください)

> 「創価学会の路線は日本の伝統仏教を破壊するか?またその功罪は?」

三色旗をピラピラ振り回した段階で、もはや、伝統教団からかけ離れた印象があります。もっとも3分類好きは創価学園が創られた段階で既にあり、たしか英知・栄光・情熱といったと記憶しています。

ただ、伝統仏教を破壊と言うときの主語、何をもって‘伝統仏教’と呼ぶのかという定義がまず必要だと思います。

わたしは、父の葬儀を創価学会を通じて行ったのですが、寺院から坊さんを連れてきてくれ、ご丁寧に院号戒名まで、学会幹部が取ってくれました。それがいまさらになって、僧侶不要、戒名不要が仏教の本義だと言い出すのであれば、破壊されたのは、伝統仏教ではなく、創価学会そのものの歴史でしょう。「創価学会は過去に間違ったことをやっていました」ということになるからです。

繰り返せば、創価学会が破壊しているのは自分たちの過去である以上の意味をもたず、伝統教団側、当初より創価学会の在り方を「創価学会自体の破壊」ととらえているのではないでしょうか。

1860犀角独歩:2007/04/25(水) 19:38:34

上記投稿、ちょっと、補完すれば、創価学会…石山に言わせれば破門、学会に言わせれば独立…後の路線は、マハーさんが仰るような伝統教団に対する影響など、ほとんど、与えていないのが現実だろうと考えます。
「すごい影響があった」と思う学会員がいれば、「伝統教団は創価学会なんか、ぜんぜん相手にしていない」という現実が見えていないからでしょう。

1861マハー:2007/04/25(水) 23:05:01
独歩さん
ご返事感謝致しします。
>> 墓石はそれほど重要なものではなかった
>どうでしょう。五輪塔のようなものが既にあったのでしょうか。

ええ私も墓石はなかったのではないかと思います。若し考えられるとすれば小さな木造か石かの五輪塔だろうと思います。これは、頼朝の墓が五輪塔であった(伝説的)とすれば日蓮も知っていただろうと考えたからです。

>日興はかつての自分の言で自らを批判される矛盾

独歩さんの仰る理論展開はすっきりしてますね。矛盾だと思います。
しかし例えばですが「日蓮の遺骨のある場所には日蓮の魂(霊)が眠っている」
このような思想が日興にあったのだろうか?と…
私はこの部分を知りたいのです。
鎌倉時代の日興にこのような思想がなかったのであれば、矛盾ではありますが墓の場所に拘る必要はないと試想してみました。また五老僧が墓番を守らない理由も納得が行きます。
そもそも「墓を参る」思想などなかったのですから。当然ですが順修戒名もこの時代ありえません。しかし入道を認めているのであれば「死後の安泰」に対してのなんらかの世界観を有していた筈です。八大地獄抄は確かに偽書かも知れません。酷い内容と思います。しかし日蓮は実は似たような「地獄世界」を持っていたのではないでしょうか?(本当はこの私の主張を否定して欲しかったりするのですが)

1862マハー:2007/04/25(水) 23:46:24
>ただ、伝統仏教を破壊と言うときの主語、何をもって‘伝統仏教’と呼ぶのかという定義が
>まず必要だと思います。

固有名を出して喃ですが、一応ここでは全日本仏教会と定義したいと思います。

>当初より創価学会の在り方を「創価学会自体の破壊」ととらえているのではないでしょうか。

直接的に関っている人からみれば教団の在り方を問題にするのは当然なのでしょうが、我々日本人がニーズとする仏教形式は何だろうか?という事を問題にしたいのです。
御時世や大衆に合わせてコロコロ変わるのは学会に限ったことではありませんし。

>仰るような伝統教団に対する影響など、ほとんど、与えていないのが現実だろうと考えます。
伝統教団に対する影響はほとんどないでしょう。その存続の意味では、私もそのように思います。しかし大衆側への思想潮流という意味では影響がないとも言えないだろうとも思っています。僧侶のいない葬式というのはインパクトあります。
何よりも学会は「先祖の霊」を否定するのか?というような事です。もしこのような路線に学会が進むのであれば、「先祖霊」を否定する仏教団体をいままで私は知りません。

1863しゅんかん:2007/04/27(金) 01:40:50
マハーさん、初めまして。
しゅんかんと申します、私は教学面はさっぱりですが、お付き合い下さいませ。

>何よりも学会は「先祖の霊」を否定するのか?というような事です。もしこのような路線に
学会が進むのであれば、「先祖霊」を否定する仏教団体をいままで私は知りません。

〇私は学会二世でして、活動は行った事がございません。
学会の会合と云うものに参加したのは、もうかれこれ30年以上前を最後とします。
つまり宗門より破門される前で近年の事は把握していません。
小学生の頃は、やはり親の言いなりですから会合にもそれなりに参加しました、
叉、両親はそこそこの地位に席を置いていたようですし(毎夜家に居たと云う記憶がございません)
家でも会合をよくしていました。
その頃からの私の記憶ですが「先祖の霊」と云う言を聞き入った記憶はございません。
正確に申しますと「霊」と云う言を余り発しない様に思いますが。

学会でも地域差は在るのかもしれませ、一例ですが以前のレスで独歩さんがお寺に参られる
手順として、蓮祖と興尊の墓に先ず手を合わせると記されてましたが、私がおります大阪の寺院では
まあそれらの所有を見掛けたのは一箇所(堺、本傳寺)のみです。
こちらの掲示板を拝見させて頂いて、東日本と西日本では少し温度差があるなあと感じております。

以前こちらでも投稿したと思いますが、私の実家では私のみが信仰をしていないのですが
在る事情で実家が無人となり、両親(父は故人)の仏壇と曼荼羅が置いたままに成っていたのです。
其処には父の遺影も置いたままでした、正宗、学会は過去帳のみです(位牌は置かない)
過去帳も仏壇内に在りました。私の家族は人並み外れた理不尽な理由ではありません。
随分たって姉に聞いた処「どうして置いたままだったんだ」すると「余り意識に無かった」
でした。
「私達は毎朝晩先祖供養をしている、だから過去帳だとか親のご本尊・仏壇の事は全く
頭を過ぎらなかった」との事でした。

1864しゅんかん:2007/04/27(金) 01:57:25
1863続き

この言葉は予想出来ました、彼らともう46年付き合って来ています。
私の細君が彼らの行為を疑問に思い、私に尋ねたのですが私はこの言を以って細君に説明していました。
(幼い頃からそれから親に植え付けられているのでしょうね)
それから後、姉より聞いた言です「私達は毎朝晩先祖供養をしている」と
ある種、彼らの免罪符の様なものとも云えるのではと愚考しております。
学会の信仰感と云う物の少しでも説明に成りましたでしょうか。
※当然全ての学会の方を指している物ではございません。

1865しゅんかん:2007/04/27(金) 02:07:28
訂正
誤=(幼い頃からそれから親に植え付けられているのでしょうね)
正=(幼い頃から親にこの言を植え付けられているのでしょうね)

補記、姉兄達は全て自身のご本尊を所持しているので、私が父の遺影、ご本尊その他を
引き取ったのでした。

1866犀角独歩:2007/04/27(金) 20:17:23

マハーさん

> 「日蓮の遺骨のある場所には日蓮の魂(霊)が眠っている」
このような思想が日興にあったのだろうか?と…

どうでしょうか。ただ、この論の立て方は舎利を大切にすることと一概につながらないのではないでしょうか。自分の師匠の舎利であれば、そこに魂とか霊が眠っているとみなくても大切にするのではないでしょうか。
たとえば、現代人が無宗教で肉親の遺骨に霊をみなくてもゴミと一緒に捨てたり、放りだしたりはしませんでしょう。
ですから、

> 日興にこのような思想がなかった…墓の場所に拘る必要はない

という想定は意味をなさないのではないでしょうか。
また、日興は当初、そのような人ではなかったと思えます、何となれば、墓番のために身延に登山したのですから。

> 五老僧が墓番を守らない理由も納得が行きます。

これまた、遺骨に霊魂が眠っていないと五老が見たかとは別の話ではないでしょうか。
第一、日向は最期まで貫徹したかどうかは判然としませんが、日興が出て行ったあと、遺骨を守っていたのではないですか。

> 「墓を参る」思想などなかった

これは違いませんか。なぜならば宗祖御遷化記録に墓番を定めています。つまり、墓を参る考えが日蓮以来弟子に継承されたことを物語っているからです。

> 順修戒名もこの時代ありえません

ええ、戒名は中世に曹洞宗系列で発生したものでしょう。
ただし、法号はありましたし、死後の安泰という点では、漫荼羅にその託した部分もあったでしょう。また、日蓮が晩年に「霊山浄土」に死後に託したこともこの関連から窺われます。ただ、それが墓につながるかどうかといえば、それはもちろん、イコールではなかったでしょう。しかし、自分の遺骨の安置場所と護持の仏(釈迦立像)・経(注法華経)を一カ所にまとめて保管することを遺言したことは、自身の遺骨を含めた遺品をもって弟子の信仰と修行の資とすることは意図したことを意味しますから、けっして、遺骨を軽視したということではなかったでしょう。また、しばしば消息文に見られる親の遺骨を頸に懸け、日蓮の許に訪れた話は、当時の遺骨に対する思いを物語るものであると思えます。

> 日蓮は実は似たような「地獄世界」を持っていた

それは当然持っていたでしょう。如何となれば、日蓮は「念仏無間」というのであって、この無間とは無間地獄の略であることはもはや疑いの余地はありません。まして『法華経』には「其人命終 入阿鼻獄」等の明文があるわけです。

>> 何をもって‘伝統仏教’と呼ぶのか
> 一応ここでは全日本仏教会と定義したいと思います。

そうですか。しかし、これでは難しいでしょう。

1867犀角独歩:2007/04/27(金) 20:17:50

―1866からつづく―

> 我々日本人がニーズとする仏教形式は何だろうか?という事を問題にしたい

けっこうな問いだと思います。この立案には何ら反対ではありませんが、わたしが記したことは、先のマハーさんの「学会が破壊したもの」という筋です。ですから、これとは別件の記述です。

> 大衆側への思想潮流という意味では影響がないとも言えないだろう

どうでしょうか。創価学会の実際勢力は300万人以内といわれています。
1億人を超える日本の人口からすれば、影響力を持つ人数ではないと思えますね。結局、その影響は学会員と、それに拘る反対勢力に限られるでしょう。
わたし自身、この会を離れて生活をしていて、殊仏教ということに限っていえば、何ら伝統教団の僧俗に与えている影響を感じませんし、そんな器具の声を聞いたこともありません。ストレートな言い方をすれば、創価学会のやり方など、「変なことをやっている」という程度で、相手にしている僧俗はいないのではないでしょうか。

> 僧侶のいない葬式というのはインパクトあります。

キリスト教や、神道であれば、当然のことになりますね。
そのなかで、さらに聖職者によらない葬儀も出てきたということですね。
しかし、僧侶は、本来、葬儀に関わらなかったのであって、一般民衆の葬儀に僧侶が関わるようになったのは行脚する念仏聖からではないでしょうか。鎌倉時代にも遡れない、つい数百年の動向です。それが檀家制度によって定着し、廃仏毀釈を経、また、仏教僧侶と一般民衆の間における葬儀形式で昔に戻る様相が少し見られるというところではないでしょうか。

> 学会は「先祖の霊」を否定するのか?というような事です。もしこのような路線に学会が進むのであれば、「先祖霊」を否定する仏教団体をいままで私は知りません。

これは、日本の「伝統教団」の話ですか。
仏教の発祥地、インドに行って「先祖霊」などといったら、びっくりされるでしょう。輪廻転生を取り入れた仏教教団において、先祖の霊は依然として残ると考えるとすれば、それこそ、矛盾します。
仏教のグローバルスタンダードとはいいませんが、先祖霊と輪廻転生というまったく矛盾する考えが同居するほうが、実は不思議です。

別段、学会を弁明する気はありませんが、「生命」という外来思想で、日蓮と仏教をアレンジしたここにおけるアイディアは、この矛盾が底意にあるために、先祖供養に消極的な側面を有しているのではないのかと思える節があります。

よくわかりませんが、マハーさんは、学会の先祖霊軽視に危惧を抱いているということですか。では、なぜ、日興が墓を捨て去ったことには肯定的なのでしょうか。

日蓮の墓(遺骨)も守り、先祖霊崇拝も守るということでなければ、論理は一貫しないと思えますが、どうも、この点をお考えがよく理解できません。補完いただけませんでしょうか。

1868マハー:2007/04/28(土) 18:45:55
しゅんかんさん
長文の御返事ありがとうございます。大変参考になりました。

>その頃からの私の記憶ですが「先祖の霊」と云う言を聞き入った記憶はございません。
>正確に申しますと「霊」と云う言を余り発しない様に思いますが。

どうもそのようですね。私もそう思います。

>彼らの免罪符の様なものとも

確かに日本人にとって「先祖霊」はある意味重要な問題だと思います。
宗教は生きている人の為と声高々に提唱しても現実には簡単に捨て去られるものではないと思います。

1869マハー:2007/04/28(土) 19:00:32
独歩さん
お手を煩わせて申し訳ありません。感謝致します。
「墓所をおろそかにした五人に対して、遺言も教えも厳格に守り通した方は日興上人だけ」
と言う通りすがりさんのレスに対しての独歩さんの
>日興は、日蓮の墓を捨て去った
と言う御返答は、全くその通りであり、何ら反対の意図はございません。

>よくわかりませんが、マハーさんは、学会の先祖霊軽視に危惧を抱いているということで
>すか。では、なぜ、日興が墓を捨て去ったことには肯定的なのでしょうか。

尤もな疑問だと思います。先に少し説明をさせていただき後に意見を述べたいと思います。
創価学会問題に限ることではありませんが、教団とその反対勢力の関りというものは複雑怪奇なものです。(私は犀角独歩さんと言う個人が多大な影響を日蓮系の宗教団体に与えたと思っております。)
シンニョ苑という団体は学会に対して相当に敵対視しております。対して実は当の学会は全く気に留めてないと言う印象です。まさに「なんの影響も与えていない」というところでしょう。
学会員さんでも地域差はありますが苑に対して殆ど知る人がいないのが現状だと思います。学会バッシングを利用する団体は「自分達が学会から攻撃されている」という手法を用います。確かに学会にも批判されるだけの問題もあるとは思います。

それともうひとつ私にとっては、学会側の大石寺へのやりすぎるともとれるバッシングは日蓮正宗の内部抗争のみに限定して捉えていいのだろうかとの疑問もあります。 大石寺は歴史ある伝統仏教側として捉えるのが一般的であると思われるからです。シンニョ苑は自称伝統仏教です。この辺も昔の学会によく似ています。ですが、いくら学会に「学会は日蓮正宗ではない」と言っても聞き入れなかったのと同じです。
私はこの掲示板においてシンニョ苑批判を展開することは望みませんので、すみませんがこれ以上詳しく論じる事は控えたいと思いますが、そのような理由から、「先祖の霊の悪因縁」「霊界」「霊言」という思想の呪縛を解く為に、私的信条としましては仏教からの「先祖霊」の徹底的な否定が必要と考えております。(因みに私は無宗教です。)

1870マハー:2007/04/28(土) 19:06:28

>自分の師匠の舎利であれば、そこに魂とか霊が眠っているとみなくても大切にするのでは
>ないでしょうか。

仰る意味は解りますが、シックリしません。
肉舎利を大事にすることは確かに仏教的と思います。しかし日興が「釈迦=日蓮」と見なしているとなれば別ですが、日蓮は法舎利として「経典」を寺院に安置信仰するチャイティァ的な印象でおりました。若しくは、ストーパ信仰的だったとしても重点はやはり遺骨よりもその堂であるべきだと思うのです。

>日興は当初、そのような人ではなかったと思えます。

そうでしたか。私は日興の書をしっかり勉強したのではないので日興がどのような人であったかは想像できませんでしたが「弟子としての誇りと気概ある」人との印象です。
御教授ありがとうございます。

1871マハー:2007/04/28(土) 19:11:22
>墓を参る考えが日蓮以来弟子に継承されたこと

墓石がなかったとすれば、遺骨は御堂安置であった可能性はどうでしょう。
「墓番」と「墓参り」はイコールではないのではないでしょうか?

>ただし、法号はありましたし
日蓮在世に、死した後に檀那に法号を授ける例があったのでしょうか?
若しあれば御教え下さい。

>日蓮が晩年に「霊山浄土」に死後に託した

これが日蓮の「別世界」の想定なのかどうか非常に気になるところなのですが、霊山は法華経、または釈、論に見られる部分からの解釈かと思います。

>しばしば消息文に見られる親の遺骨を頸に懸け、日蓮の許に訪れた話は、当時の遺骨に対
>する思いを物語る

逆に在家に墓がなかったことを物語っているとも言えます。「道場におさめる」のでしょう。
遺体に対して「穢れを祓う」という一般的な感覚に対して仏教的な行動をとったことを褒めているのではないでしょうか?遺骨に対する思い入れとは必ずしも繋がらないと思います。

>それは当然持っていたでしょう。

やはりそう思いますか。

>まして『法華経』>には「其人命終 入阿鼻獄」等の明文があるわけです

日蓮の言う「阿鼻獄」は、往生要集の影響を受けた地獄の発想であって、ナラカをそのまま受け入れているののとは違うとも思います。

1872マハー:2007/04/28(土) 19:16:52
>全日本仏教会
「全日本仏教会は日本の伝統仏教界における唯一の連合体」と自らが宣伝しているのですから
いいでしょう。

>葬儀形式で昔に戻る様相が少し見られるというところではないでしょうか。

なるほど。そういう見方も出来ますね。
尚更、伝統仏教界は好ましく思わないでしょう。


>これは、日本の「伝統教団」の話ですか

ええ。日本に限った話です。説明不足でした。

>先祖霊と輪廻転生というまったく矛盾する考えが同居するほうが、実は不思議です。

全くその通りです。仏教はその国時々の土着的信仰と融合していくのであって、別段「先祖霊」の思惟自体が有害であるとは思っていないのですが、この「日本人の精神」を教団利用し騙す事には憤りを感じるのです。

>先祖供養に消極的な側面を有しているのではないのかと思える節があります。

これは私の感想とは全く逆の考え方でした。
「先祖が地獄で苦しんでいるから供養しなさい」という供養の捉え方から寧ろ学会は脱却していると考えていました。
しかし、日蓮自体も回向について功徳を配分する発想が見受けられますから、致し方ないのかも知れません。

1873犀角独歩:2007/04/29(日) 11:27:43

マハーさん

> 学会バッシングを利用する団体は「自分達が学会から攻撃されている」という手法を用います。確かに学会にも批判されるだけの問題もあるとは思います。

この点については、やや複雑な思いがありますが、取り敢えずスルーします。

> 学会側の大石寺へのやりすぎるともとれるバッシングは日蓮正宗の内部抗争のみに限定して捉えていいのだろうかとの疑問

この疑義から出発していることはご投稿に通じていますね。

> …この掲示板においてシンニョ苑批判を展開することは望みません

ここは富士門流信徒から仏教を観る視点ですから、仰る矜持はもっともだと思います。

> 「先祖の霊の悪因縁」「霊界」「霊言」という思想の呪縛を解く為に、私的信条としましては仏教からの「先祖霊」の徹底的な否定が必要と考えております

この視点ですか。なるほど。
仰るところは先祖の霊障というものですね。
では、日蓮に霊障の考えがあったかどうかが問題になりますね。
日蓮の真蹟遺文で調べてみると「霊」語の使用は以下のとおりとなります。(数取りに多少の出入りがあるかも知れません。学術的に転用される方があれば、数え直してください)

霊応2、祟霊1、霊山38、霊鷲山12、霊山浄土13、幽霊1、聖霊17、悪霊3、含霊3、尊霊1、霊験2、霊地2、霊2

(現宗研資料 http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/ibun_shi.htm

霊山、霊鷲山、霊山浄土は場所。その他は死者に対しての用法と言うことになります。

‘霊’語の用法は『文句』の「識陰如霊」といった引用から考えれば生者・死者の両意に跨っているようですが、主に死者に偏っているのが現実でしょう。
マハーさんが問題にする先祖霊の悪因縁」といった向きは、以上の使用語彙から類型を拾えば「悪霊」「幽霊」がこれに当たるでしょう。ただし、日蓮の用法、先祖の霊「慈父幽霊」は障りをなすような意味では使用されていません。しかし、悪霊は「一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや。結句は法然流罪をあだみて悪霊となつて、我竝びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入て、或は謀反ををこし、或は悪事をなして、皆関東にほろぼされぬ」などと記すわけですから、いまでいう霊障感を日蓮がもっていたことが窺われます。

マハーさんが仰るような「先祖霊」という視点は、もちろん、日蓮は有していたことは複数の文献から明らかです。「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」とは、あまりにも有名な文です。

1874犀角独歩:2007/04/29(日) 11:28:23

―1873からつづく―

> 日蓮は法舎利として「経典」を寺院に安置信仰するチャイティァ的な印象…ストーパ信仰的…重点はやはり遺骨よりもその堂である

マハーさんの用法は塔=堂ということで、では身延にあった墓は五輪塔ではないからという脈絡なのでしょうか。

法華経で「仏般涅槃の後、仏舎利を以て七宝塔を起つるを見る」「仏の滅度の後 舎利を供養するあり 又仏子の 諸の塔廟を造る」「舎利を供せんが為に 塔廟を厳飾」「諸の舎利を分布して 無量の塔を起つ」「諸仏滅度し已って 舎利を供養する者万億種の塔を起て」「舎利広く流布して 天人普く供養」「人の至心に 仏舎利を求むる」「諸仏の滅後に 七宝の塔を起て 亦華香を以て 舎利を供養」という舎利(塔)崇拝、一方、「皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います」と経(塔)崇拝が前者を打ち消す如くですが、しかし、「全身の舎利に七宝の塔を起てて、高さ六十由旬、縦広四十由旬ならん。諸天人民悉く雑華・抹香・焼香・塗香・衣服・瓔珞・幢幡・宝蓋・妓楽・歌頌を以て、七宝の妙塔を礼拝し供養」と舎利塔崇拝の記述はその後にみられます。まして日蓮がもっとも重視した寿量品には「衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し 咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず」とあります。さらに、そのあとにも「仏舎利を以て七宝の塔を起て」「舎利を以て塔を起て 七宝をもって荘厳」「我が滅度の後、所有の舎利亦汝に付嘱」「火滅えて已後舎利を収取し、八万四千の宝瓶を作って、以て八万四千の塔を起ること三世界より高く、表刹荘厳して、諸の幡蓋を垂れ衆の宝鈴を懸けたり」「我今当に更舎利を供養すべし」「我今日月浄明徳仏の舎利を供養せん」

以上のことから、わたしは日蓮に舎利と経典、いずれを採るかという二者択一論は希薄であったと考えます。

「仏記して云く 我が滅度の後一百余年を経て、阿育大王出生し、我が舎利を弘めん」「八十御入滅して舎利を留めて正像末を利益したもう」

しかし、「仏は法華経に戒めて云く_不須復安舎利〔復舎利を安ずることを須いず〕。涅槃経に云く_諸仏所師所謂法也。是故如来供養恭敬〔諸仏の師とする所は所謂法也。是の故に如来は供養恭敬す〕等云云。法華経には我が舎利を法華経に並ぶべからず。涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説かせ給えり」とあります。ここで、富士門下では舎利を捨て、経典を採るごとく論法の展開が見られるわけです。ここでこの門下では、舎利を採るか・教えを採るかという二者択一論をもって、日蓮墓を捨てることを正当化していますが、そもそも、日蓮はその択一を述べていません。述べているのは、舎利と経を比べれば、経は仏の師であれば舎利に優れるという順位付けであり、その優劣を論じたうえで両方を採っています。つまり、全身舎利(日蓮の教え)を採れば、砕身舎利(身延宗廟=墓)を棄てて善いなどと言うのは、詭弁以外の何ものでもありません。もし、斯様な考えが日興に基づくとは考えません。

> 墓石がなかったとすれば、遺骨は御堂安置であった可能性はどうでしょう。

マハーさんは、身延や、石山で、遺骨が、どのような安置されているのかをご存じないのでしょうか。身延の真骨堂は、宝瓶に容れ、かつては参観できた形式でした。それ以前は、宗廟に埋納されていたようです。また、石山では、あの彫刻本尊を奉安する厨子傍らの宝塔に奉納されているのではないですか。
「墓」という点に拘りを示しておられますが、この点については、日興の真筆で明らかです。

1875犀角独歩:2007/04/29(日) 11:29:05

―1874からつづく―

「一御所持仏教の事 御遺言に云く。
仏は釈迦の立像、墓所の傍に立て置く可し云云。
経は(私集最要文註法華経と名く)。
同く墓所の傍に篭め置き六人香華当番の時之を見らる可し」(日蓮聖人御遷化記録)

ここにはっきりと「墓所」とあります。遺骨が埋納されたのか、真骨堂に容器に容れて堂宇に安置されていたのか、それは明瞭ではありませんが、ともかく、遺骨を置き、その傍らに仏(釈迦立像)教(注法華経)を置く様式を、日興は「墓所」と明記しています。また、その前段に

「定
墓所守る可き番帳の事(次第不同)
正月      弁阿闍梨
二月      大国阿闍梨
三月      越前公 淡路公
四月      伊予公
05145
五月      蓮華阿闍梨
六月      越後公 下野公
七月      伊賀公 筑前公
八月      和泉公 治部公
九月      白蓮阿闍梨
十月      但馬公 郷公
十一月     佐渡公
十二月     丹波公 寂日房」

マハーさんの前提は、墓というより、墓石への重視がありますが、それはマハーさんの思惟でしょう。日蓮とその門下の思惟は、重点は遺骨・仏像・注法華経にあります。真骨堂に参る門下も御堂や墓碑を崇めているのではなく、遺骨そのものを崇敬しています。

> 「墓番」と「墓参り」はイコールではないのではないでしょうか?

イコールでしょう。香華を捧げ、経を上げることがその勤めであり、その‘墓’参する場所を守る順‘番’を「墓番」というのでしょう。

>日蓮在世に、死した後に檀那に法号を授ける例があったのでしょうか?

ないと思います。法号にせよ、その後の戒名にせよ、それは受戒の段階で弟子・檀那と認められたことをもって授けられるの本来の在り方でしょう。それを死後も使うわけですから、いまの在り方は違っています。
ただし、日本では諡号という慣例があり、これが転じて死後戒名という様式に発展したのではないでしょうか。しかし、この点は日蓮とは無関係でしょう。

1876犀角独歩:2007/04/29(日) 11:29:37

―1875からつづく―

>>日蓮が晩年に「霊山浄土」に死後に託した
> 日蓮の「別世界」の想定なのかどうか非常に気になる

これは真蹟遺文は挙げれば事足りるでしょう。

「後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん」
‘後生’とは生きていた後、すなわち死後のことです。

「死出の山三途の河を越し給はん時、煩悩の山賊・罪業の海賊を静めて、事故なく霊山浄土へ参らせ給ふべき」

日蓮は、死後、共に霊山浄土で逢うことを促しています。
ただし、日蓮の霊山観は、もちろん、実在のインドの霊鷲山を指したのでしょう。ただ、いまの時代とは違い、飛行機もない時代、実際のところ、船と馬・徒歩でインド霊山に行くことは不可能であるけれど、死後、そこに詣でよう(善所=霊山に生じる)という考えがあったのでしょう。

> 逆に在家に墓がなかったことを物語っている

これは在家・出家ということではないでしょうね。
「身分」によったのでしょう。
それが陵・塚・廟・塔、そして、遺体投棄の野であれ、古来よりの風習と大陸文化の集合、宗教で言えば神仏習合という幾重にも折り重なったシンクレティズムがやがて風習、伝統普遍化し史となり、それらが崩壊し、再歴史をするという複雑な変遷があるわけですね。

> 遺体に対して「穢れを祓う」という一般的な感覚に対して仏教的な行動をとったことを褒めているのではないでしょうか?

このような考え方は、日蓮にはないでしょう。
日蓮の観じ用法で言えば「祓」はただの一度も使われていません。
遺骨を日蓮の許にもっていったのは、追善菩提の法要を行ってもらうためでしょう。

「母…舎利を頚に懸け…深洞に尋ね入て一庵室を見る。五体を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り身心の苦忽ち息む。我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり…仏事を為し事故無く還り給ふ」
「父の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日に身延山に登りて慈父のはかを拝見す」

道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれていますね。

> 遺骨に対する思い入れとは必ずしも繋がらないと思います。

マハーさんは、霊、墓、遺骨に特別の思い入れがあるようですが、この思い入れから日蓮の考えを測ってしまっていませんか。上記遺文から再考してみては如何でしょうか。

1877犀角独歩:2007/04/29(日) 11:30:05

―1876からつづく―

> 日蓮の言う「阿鼻獄」は、往生要集の影響を受けた地獄の発想であって、ナラカをそのまま受け入れているののとは違う

もう少し具体的に説明いただけませんでしょうか。
地獄のサンスクリット表記は Naraka/naraca(nirayaなど) で、これは地獄を指します。インドでバラモン教から摂取され、それが経典に現れ漢訳され、集成したのが『往生要集』という時系列になりますね。

ここでマハーさんがいう、「ナラカ」と『往生要集』の地獄の記述と、何がどのように違うというわけですか。

>>>全日本仏教会
> 全日本仏教会は日本の伝統仏教界における唯一の連合体

わたしが言っているのはそのようなことではなく、一口に全日本仏教会といっても、その考えは区々であり、今回のご投稿におけるマハーさんの二分立:全日本仏教会=伝統仏教vs新興宗教=創価学会の差と、たとえば、日蓮法華と法然浄土経の差は、同じように違うわけだから、全日本仏教会を伝統教団と括って、新興宗教と比較しても意味をなさないということです。

また、マハーさんの定義は新興宗教創価学会が伝統教団の教義・法要を破壊したという点ですが、実際に、本来、法華経にも日蓮にもよらない伝統教団に影響の与えようもないわけで、この二分立判断はナンセンスであると申し上げたことです。

しかしながら、創価学会は、一見して石山批判という形を採りながら、実は自分たちの過去を否定する在り方を、では、わたしが肯定的に見ているかと言えば、そんなことはありません。ここで語られるオモチャのような‘教義’が仏教とも真実とも思いません。ただ、あまりに簡単、単純で、いわば幼稚すぎて、こんなものに一々目くじらを立てること自体、時間の無駄という気分があります。

翻って、ここの300万ほどの会員と、それを含む800万ほどの公明党に投票する人々が日蓮法華ブランドで、一番人気のタレント「池田先生」にお熱を上げている様は、心理学的サンプルとして興味はありますし、また、このような組織に呆れていながらも、しがらみから会員であることをやめない人々の心理はまた、興味の対象です。しかし通じて、これらが日本社会に与える影響は伝統仏教の破壊であるとは、実状から感じません。ただし、その政治・経済に及ぼす影響と、会と「先生」を守るために、国家そのものの方向性を誤らせる在り方のほうに、むしろ、注意を払うことが先決であると考えています。

> 尚更、伝統仏教界は好ましく思わないでしょう。

マハーさんは創価学会の在家葬儀が、伝統教団の在り方を破壊するという視点ですが、わたしの記したことは、いまで言う伝統教団が、それより古い伝統から見るとき、新興であるという視点を挙げている点を留意されなければならないと言うことです。

> …「日本人の精神」を教団利用し騙す事には憤りを感じるのです。

この騙している当事者が創価学会、または真如苑であるという意味ですか?

1878犀角独歩:2007/04/29(日) 12:38:27

【1876の訂正】

誤)伝統普遍化し史となり、それらが崩壊し、再歴史をする
正)伝統が普遍化し歴史となり、それらが崩壊し、再歴史化をする

誤)日蓮の観じ用法
正)日蓮の漢字用法

1879マハー:2007/05/02(水) 19:29:04
>>1873
独歩さん
霊の霊語の使用の統計、非常に参考になりました。有難う御座います。

>「一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや。結句は法然流罪をあだみて悪霊となつ
>て、我竝びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入て、或は謀反ををこし、或
>は悪事をなして、皆関東にほろぼされぬ」

こういった霊障感ですが、智ギ説天台の他にもう一つ、神道の反本地垂迹へ対抗しての「霊」を考えなければならないと思うのです。「悪鬼身に入る」などと用法が近いと思っているのですが、
必ずしも日蓮は「今で言う霊障感」と一緒ではないと期待しています。

「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」とは、あまりにも有名な文です。

閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響ですね。日蓮は偽経であることをしりませんでしたから、このような記述は当然だと思います。私が>>1852で記した意図は、十王経が偽経だと定説になりつつある昨今何故、従来仏教形式からこれを引き剥がそうとする仏教団はないのか?というものからでした。「十王経」を偽経だと批判する学会も日蓮遺文に記されている部分だけは都合よく使い続けるのか?との思いがあります。

1880マハー:2007/05/02(水) 19:34:38
>マハーさんの用法は塔=堂ということで、では身延にあった墓は五輪塔ではないか
>らという脈絡なのでしょうか。

いいえ。私は五輪塔は墓石の一種に含めてしまっています。墓石らしきものが、本当にあったとすれば確かに五輪塔だっただろうというのが前述した意図でした。
御堂とは、建築物との意味あいで使用しました。 祖廟、御堂等々、用途と目的によって建築物名を使分ける専門の皆様には分かりにくかったと思います。失礼しました。
堂=入室出来る建築物、塔は、塔婆、廟塔、堂なども含む意味でした。

>以上のことから、わたしは日蓮に舎利と経典、いずれを採るかという二者択一論は
>希薄であったと考えます。

先ず、法華経に記されたところの「舎利」は全て、「釈迦の舎利」についてなのではないだろうかと思います。
独歩さんは、(日蓮に二者択一論は希薄であったとしても弟子日興はこの択一論に迫られた状況において)、「墓所を捨てて舎利を取った」という主張だったんでしょうか?
私は早とちりしていたかも知れません。私は日興が舎利を捨てて場所を取ったのではないかと汲んだものですから…。

>宗廟に埋納されていたようです。また、石山では、あの彫刻本尊を奉安する厨子傍
>らの宝塔に奉納されているのではないですか。

見物したことはないですが、話は存じておりました。
大石寺の舎利塔は遺骨の有無によらず形式的な塔と思っておりましたが、先程ホームページなどを検索したら遺骨があるとの主張のようですね。これは知りませんでした。奉安堂そのものが廟堂との見方なのでしょうか。

廟所=墓所で良いかと思いますが、
遺骨を安置せずとも祭祀場を墓と指す使用法もあるのではないかと思います。
その三点セットに重きを置いている点、賛同致します。


>マハーさんの前提は、墓というより、墓石への重視がありますが、それはマハーさん>の思惟でしょう。
墓石にのみ重視しているのではありませんが、墓石というのは、霊や魂の固定機能を代役する部分があると思っています。日蓮に置いては曼荼羅本尊にもこの「依り代」機能を持たせる節かと思いますので、霊魂やみたまを考察して行くにはこの固定機能を担うものが何であるか探るのは大変重要だと思っています。

>日蓮とその門下の思惟は、重点は遺骨・仏像・注法華経にあります。真骨堂に参る
>門下も御堂や墓碑を崇めているのではなく、遺骨そのものを崇敬しています。

そうなのですか…。
日蓮がタントリズム的であったとおもいますが、「遺骨崇拝」とまで行きますか?
しかし、これは参考にさせていただきました。

>ただし、日本では諡号という慣例があり、これが転じて死後戒名という様式に発展し>たのではないでしょうか

諡号と戒名はその成り立ち用法、目的と全く異なっています。転じて死後戒名に発展したというのは誤解と思います。ただ、法名の上に付く院号、道号などは諡号の転用と考えられます。日蓮も伝教や順徳などの諡号を使用するでしょうから諡号を肯定していたと思います。
>イコールでしょう。香華を捧げ、経を上げることがその勤めであり、その‘墓’参する
>場所を守る順‘番’を「墓番」というのでしょう。

遺骨に魂の定着機能を見ていたとなればたしかにそうなりますね。
遺骨ではなく曼荼羅に向かい経を上げることが「墓番」を守るという筋なのかと思っていましたが、ニュアンスが違ったようです。

>死後、そこに詣でよう(善所=霊山に生じる)という考えがあったのでしょう。

輪廻生死が前提なのかも知れませんが、善所に生じるその前、中間に冥界や霊界を想定していたか疑問です。

>それらが崩壊し、再歴史をするという複雑な変遷があるわけですね。
まったく同意です。

>道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれて
>いますね。

これは本当に造立されたのでしょうか、造立されたすれば何でしょう?
笠塔、五輪塔、廟塔…

>マハーさんは、霊、墓、遺骨に特別の思い入れがあるようですが、この思い入れから
>日蓮の考えを測ってしまっていませんか

個人的に日蓮は好きです。その曼荼羅にしても魅力があります。
ですがどうも日蓮思想の議論には、神教側からの視点がごっそり抜けているような気がしています。ですので、この霊魂から測って考察していきたいと思っています。
二分化に拘るわけではないのですが、空海と最澄、顕と密、如苑と学会など…
こういった思想の関連性を探るのに「霊」をひとつのキーワードに試みたいと思っています。

1881マハー:2007/05/02(水) 19:43:00
>もう少し具体的に説明いただけませんでしょうか。
>地獄のサンスクリット表記は Naraka/naraca(nirayaなど) で、これは地獄を指しま
>す。インドでバラモン教から摂取され、それが経典に現れ漢訳され、集成したのが
>『往生要集』という時系列になりますね。

地獄の表記は、先にパンナコッタさんからも御指摘があったとおり、信者利用の有効な手法として使われて来たと思います。独歩さんのバラモン教からの摂取の他、道教からの融合や、往生要集の逆輸入など中国思想での変化、肉付けの影響も大きいと思います。また往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。
妙法華経ではアビーチ地獄が音写され、正法華経では、無可大地獄と訳されるわけですが、下方への方向性を持つ点は地獄観の共通性とも思えます。「落ちる」語を頻繁に使用する教団は危険度が高いと思います。私の今後、研究課題です。


>全日本仏教会を伝統教団と括って、新興宗教と比較しても意味をなさないということ
>です。
島田氏の著書だったか失念してしまいましたが、創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」という点が挙げられていました。「なるほど」と思ったものでした。これは信者にとって実際にその形式によって行われなかったとしても、持っているという点だけでも重要なファクターと思います。またこれは、大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。

それともうひとつ、全日本仏教会には、真言宗醍醐派が名を連ねております。
例えば、日蓮正宗創価学会時代に学会のみを批判して、正宗を批判することは難しかったのではなかったでしょうか?スキャンダルな批判に止まってしまいがちと思うのです。

>また、マハーさんの定義は新興宗教創価学会が伝統教団の教義・法要を破壊したと
>いう点ですが、実際に、本来、法華経にも日蓮にもよらない伝統教団に影響の与え
>ようもない
財政的な面で伝統仏教側が危機感を感じていないのでしょうか?
学会の友人葬や戒名不要論は仏教界に一石を投じたと思いますし、長い目で見たら現状サービスでは衰退するのではないでしょうか?

>この二分立判断はナンセンスであると申し上げたことです。

実は「伝統仏教であると標榜する団体」に対して、どうしても二分立にならざるを得ないジレンマを抱えてしまっているのが悩みなのです。

>ここで語られるオモチャのような‘教義’が仏教とも真実とも思いません。ただ、あまり
>に簡単、単純で、いわば幼稚すぎて、こんなものに一々目くじらを立てること自体、
>時間の無駄という気分があります。

オモチャのような教義ほどより恐いというのが実感です。
単純なほどMCは解けないです。
戒壇本尊と言うオモチャの板に何百年も騙され続けているのが現実でしょう。

>いまで言う伝統教団が、それより古い伝統から見るとき、新興であるという視点を挙
>げている点を留意されなければならないと言うことです。

其の通りですね。鎌倉仏教も空海から見れば新興です。
では日蓮正宗が、鎌倉仏教かと言えば全然違うわけです。
伝統的であることは本来、正当である根拠に無関係である筈です。
伝統色を利用して正統であるが如く吹聴しているに過ぎないわけです。

1882彰往考来:2007/05/02(水) 20:51:38

『別冊宝島Real 072 池田大作なき後の創価学会』2007年、宝島社

面白い表題なので買って読んでみました。定価1260円(本体1200円)です。
聖教新聞の印刷委託先の最新リスト検証など興味深い内容もありました。池田大作氏なき後の創価学会は乱世が現出するという人や分裂はないという人、池田本仏論、池田家による世襲など、まあ、色んな人が色んな事を仰っていますが実際どうなるかは誰もわからないということでしょう。
本書から興味のあった箇所を若干引用します。

今年三十五歳になる二世学会員の女性は、創価中学、高校に通い、熱心に学会活動に励んだという。「子どものころから学会以外の世界はなかった。親も先生もみんな池田先生はすばらしいと讃える。私にも池田先生しか見えなかったですね。池田先生の期待に応えるのが私の人生の目標でした。それをなくしたら、私が今までやってきたことがすべて無駄になる。一番怖かったのはそのことだった。あまりに長い時間を学会に捧げましたから、学会以外の世界に人間関係もない。どうしたらいいのかわからない。脱会できない理由はそこにあるんです。これは二世会員に共通する思い」(109頁、この箇所は与那原恵氏の執筆)

もっとも、この板曼荼羅(引用者注:富士大石寺蔵の本門戒壇の大御本尊)には昔からニセモノ説がささやかれていました。大石寺のなかにあって部外者には見られないので、真偽が確認できないのです。ただ、写真で照合してみると、別の紙に書かれた曼荼羅を下絵にして、後世になってから彫刻したものだと判断できます。最近、犀角独歩さんという方が、その実証的な研究を発表しました。実は、日蓮正宗の側は、板曼荼羅が本物ではないことを知っています。創価学会が日蓮正宗を攻撃するために暴露した「川辺メモ」によると、日顕法主(その当持は教学部長)が「本尊は偽物である」と言ったとのことです。(167頁、この箇所は島田裕巳氏の執筆)

池田の死後、創価学会の会員は、そして創価学会の組織は、池田の存在がいかに大きなものであったのかを改めて認識することだろう。だが、そのときには風船のようにふくらんだ池田の偉大さは、すでに消えかかっている。池田という存在は、実はバブルだったのではないか。創価学会の組織が虚像化によって懸命にふくらまし、池田自身がそれを演じることで保たれてきたバブルは、一瞬にして消滅してしまうかもしれないのである。(206頁、この箇所は島田裕巳氏の執筆)

1883犀角独歩:2007/05/03(木) 12:39:19

マハーさん、なかなか筆力があって、頼もしいですね。

少しお考えになっているだろう危惧感が見えてきました。
「霊」に係る問題点は、細木、江原といったメディアコマーシャリズムに乗った占いやらなんやらと一脈があり、これが大衆的にはスピコンという流行とも連なっているのでしょうね。

日蓮の「霊」の用法としかし、これらはあまり関連しませんでしょうね。
むしろ、日蓮門下でいえば、ご指摘の「本地垂迹説」を戦前に天皇本尊論として古来よりの天皇本地/釈迦垂迹とした高佐氏が戦後始めて、一大勢力をなしている九識霊断のほうが「霊」を相手取っているでしょう。

創価学会は霊ではなく、大正生命主義を、十界で説明し、かつまたその上昇志向を価値論でアレンジした戸田さんの生命論です。宇宙生命とのつながりから人間革命とやったのが池田さんでした。この教学の基礎理論は、石山信徒団体としての教学を踏襲しながら、生命論は反対に石山に影響を与えました。
霊という考え方は、石山の坊さんにもみられますし、たとえば、わたしが末寺の役員であったとき、塔婆の推進は主要な「営業活動」で促されていましたが、「先祖供養をしないと、障りをなす」なんてことを、坊さんが口にしたのでぎょっとしたことがありました。

> 「悪鬼身に入る」などと用法が近い

なるほど、この視点は納得がいきます。

> 必ずしも日蓮は「今で言う霊障感」と一緒ではない

ええ、違いますね。たぶん、もっとも違うのは「浄霊」がないということでしょう。

>>慈父幽霊
> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響

具体的に、どこを指して仰っていますか。

> 偽経

偽経ですか? 仰る意味は、インド原典がなく、中国で作られたということでしょうか?

> 十王経が偽経だと定説…昨今何故、従来仏教形式からこれを引き剥がそうとする仏教団はないのか?

親鸞の原理主義となれば、そういった方向性はありでしょうね。

> 「十王経」を偽経だと批判する学会も日蓮遺文に記されている部分だけは都合よく使い続けるのか?

「都合よく」はいずこも同じで、純粋に日蓮で考えれば、成り立つ日蓮を掲げる集団は、伝統・信仰の如何を問わずひとつとしてなくなるでしょうね。

> 五輪塔は墓石の一種に含め…墓石らしきものが、本当にあったとすれば確かに五輪塔

わたしは10年以上前、「お墓博士」と称された藤井正雄師の監修で、何冊か墓地・埋葬に係る本を書きました。しかし、どうも五輪の形成年代については確かな見識を有するに至っていません。

> 法華経に記されたところの「舎利」は全て、「釈迦の舎利」についてなのではないだろうか

先に引用したとおり、釈迦に限りません。だいたい、多宝如来もミイラであるとされたりしますが、全文の整合性からすれば、舎利と見るほうが至当であるとわたしは思います。また先に引用したとおり「日月浄明徳仏の舎利を供養せん」といった件がありますから、釈迦に限ったことではありませんでしょう。

むしろ、舎利崇拝は、釈迦より歴史が古い故に、荼毘に付された釈迦の遺骨=舎利の分骨騒動が起きたのでしょう。

> 独歩…「墓所を捨てて舎利を取った」という主張だったんでしょうか?

いや、違います。富士門下は、砕身(舎利)を捨てて全身(教え)を取ったということです。

> 私は日興が舎利を捨てて場所を取った

え? これはわたしが、そう考えているということでしょうか。
日興は、舎利(遺骨)も場所(身延)も捨てたという指摘です。

1884犀角独歩:2007/05/03(木) 12:40:15

―1883からつづく―

> …奉安堂そのものが廟堂との見方

いや、奉安堂、正本堂、奉安殿は、彫刻を祀る厨子一式を蔵として、宝蔵と同義です。しかし、実質的には、参拝料をごそっと集めるための5000席の集金システムです。あんな偽物を、偽物と知ったうえでこんな荒稼ぎをやり続ける様は、まったくの悪徳商法というほかありません。

> 廟所=墓所で良い

もちろん、そう考えます。

> 遺骨を安置せずとも祭祀場を墓と指す使用法もある

石山とその末寺に置かれる三師塔とう三連五輪塔は、まさにその典型です。

> 墓石というのは、霊や魂の固定機能を代役する部分がある

そのお考えを採っていらっしゃるわけですね。
土葬の頃は、亡者がはい出してこない重しとしたとか、なにより、動物が掘り返したりしないための蓋のような役割であったりといった実用的な側面から、墓石をあの世とこの世をつなぐゲートのように考えたり、センチメンタリズムとも、宗教的ともいえる解釈であったりと様々ですね。

きゃからばあさんというHNのお使いもありますが、五大、もしくは妙法蓮華経の五字に配当するという発展もあったわけですね。塔婆はストゥーパで五輪塔と同等の意義に対して、家名を刻む墓標は家制度先祖代々の象徴ということになるでしょうか。わたしは個人的に霊魂の「依り代」という発想よりは、今日的には遺骨の実質的な保管とメモリアルという側面からの認識が一般的なのではないかと思えます。

> 日蓮に置いては曼荼羅本尊にもこの「依り代」機能を持たせる節

いや、これはないでしょうね。日蓮は霊は、信心があれば霊山に、なければ地獄、もしくは六道輪廻という発想でしょうね。

> 霊魂やみたまを考察して行くにはこの固定機能を担うものが何であるか探るのは大変重要



墓がでしょうか。とすれば、この点は日本人の霊魂を探るうえでは、たしかに重要ですが、日蓮には当て嵌まらないでしょう。
「みたま」は御霊ですか。日蓮の用法は「御魂」です

先にも引用しましたが、日蓮は『文句』の「識陰如霊」(識陰は霊の如し)と引用しています。ここでいう識陰を五陰世間の識をいうのだろうと思います。では、霊については、同じく『文句』に「靈即神智是般若」(霊は即ち神智、是れ般若)というわけです。ここでいう神は、「たましい」、もしくは心を意味し、それが般若=智であるというわけですね。いま言われるような‘スピリチュアル’な意味とは全然違います。つまり日蓮が霊と言うときは、この線でしょう。先祖の霊を日蓮的に訳せば、先祖の遺志ほどの意味となろうかと思えます。

> 日蓮…「遺骨崇拝」とまで行きますか?

この点は、骨と魂ということで後述します。

> 諡号と戒名はその成り立ち用法、目的と全く異なっています。転じて死後戒名に発展したというのは誤解と思います。

これは、わたしの文章が拙(まず)いので、マハーさんは判読を取り違えていらっしゃります。わたしは、死後、名を贈るという風習が、本来、大陸からの影響で日本にはあったので、それが戒名にも適用されたと言いたかったのです。

戒名とは戒を受けるときに授かるのが本来の在り方でしょう。ですから、その成り立ちは、よほど、法号に近いわけです。しかし、近代では、無信仰で、ただ、葬儀といえば、寺に頼むといった有り体ですから、生前の受戒名が廃れたのでしょう。そこで死後の段階で遅ればせながら、引導の段階で戒名授与となったというのが歴史ではないですか。それがいつのまにか葬儀の段階で戒名をつけるのが当たり前となり、さらに高じて「生前戒名」を売るような宗教ビジネスまで興りました。嘆かわしい話です。

1885犀角独歩:2007/05/03(木) 12:41:22

―1884からつづく―

> 法名の上に付く院号、道号などは諡号の転用と考えられます。

これは、違います。院号とは、院を建立寄進した者に与えられる名です。院号には二段階あり、院、そして院殿(いんでん)です。
道号は先の法号のなかでも出家者に与えられるところで区別があります。日蓮門下では日号・房号のひっくるめた言い方でしょう。

この点については戸田浩暁師の不朽の名著『日蓮宗の戒名の理論と実際』によく整理されています。

○○院(殿)=院号・○○=法号・日○=日号・(大)居士/大姉/信士/信女=位号で、この合称を戒名というのが一般です。

> 日蓮…諡号を肯定

当然でしょうね。

> 遺骨に魂の定着機能を見ていた

この魂と骨を、日蓮は密接な関係で論じています。
もっとも端的に表現されるのは『木絵二像開眼之事』のことでしょうか。

「人死すれば魂去、其身に鬼神入替て亡子孫。餓鬼といふは我をくらふといふ是也。智者あって法華経を讃歎して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といへる法門是也。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に身雖人身心同仏心いへる是也。生身得忍の現証は純陀也。法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身。是を即身といふ。さりぬる魂を取返て死骨に入れて彼魂を変て仏意と成す。成仏是也。即身の二字は色法、成仏の二字は心法。死人の色心を変て無始の妙境妙智と成す。是則即身成仏也。故法華経云 所謂諸法如是相[死人ノ身]如是性[同ク心]如是体[同ク色心等][云云]。又云、深達罪福相閣照於十方微妙浄法身具相三十二等[云云]。上二句は生身得忍。下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は龍女是。生身得忍の手本は純陀是也。」

ここに日蓮の遺骨と魂の関係は明瞭です。如何ですか。

> 中間に冥界や霊界を想定していたか疑問です。

ここで中間・冥界・霊界を同一に論じられては混乱が生じます。
中間ということでは、先にも挙げたとおり、日蓮は「中有」をはっきりと想定しています。説明する必要はないでしょうが、生前は肉身が‘有’り、再生(いまでいう生まれ変わり)すればまた肉身が‘有’ります。この有と有の‘中’間を中有というわけです。しかし、これと冥界は別です。この日蓮の用法では「冥土」でしょう。霊界という考えはありませんでした。

>> 道場に納めたあと、身延に「はか(墓)」が造立されていることが後文では書かれていますね。
> これは本当に造立されたのでしょうか、造立されたすれば何でしょう?

真蹟遺文に書かれてあるわけですから、造立されたのではないでしょう。疑う余地はありません。ただし、その様式は、どうであったのかは、想像の域を出ませんが、わたしは墳墓のようものであったと考えています。

> 日蓮思想の議論には、神教側からの視点がごっそり抜けているような気がしています。

神教とは何を指しますか。
具体的になにが抜けているとお考えですか。

> この霊魂から測って考察していきたい

この筋からの検討はけっこうなことであると思いますが、原典で使用法をしっかりと認識したうえでが原則でしょうね。
わたしは空海・最澄のことをしっかり述べる力量はありませんが、日蓮、天台がいう霊・魂と、真如苑や、スピコンなどでいわれる霊魂とは、意味が全く違います。創価学会の生命は霊魂+十界+宇宙で、また、違います。まず、この点をしっかり整理したうえから検討しないと徒労に終わりますでしょうね。

> 往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。

具体的には、どう違いますか、というのが、わたしの質問です。

1886犀角独歩:2007/05/03(木) 12:42:12

―1884からつづく―

> …創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」…ファクター…大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。

これは何か勘違いなさっていらっしゃいませんか。
先にも記しましたが、わたしは父の葬儀を創価学会を通して「日蓮正宗」で行ったのですよ。院号戒名を寺から取ってくれたのも学会の幹部でした。わずか20年ほど前のことです。大正どころか昭和50年代終わりの話です。創価学会が自前の葬儀を始め、戒名不要を言い出して20年も経っていませんよ。また、2代会長戸田さんの奥さんの葬儀は寺院を通じて行われたという実例もあります。

> 例えば、日蓮正宗創価学会時代に学会のみを批判して、正宗を批判することは難しかったのではなかったでしょうか?

斟酌しかねますが、一例を引きます。過日、復刊された『創価学会批判』という本があります。この本は3部構成で歴史・教理・思想を分けて批判しています。創価学会が拝借している石山教義と歴史、本尊をがっちりと批判していますよ。

> スキャンダルな批判

安永弁哲氏『板本尊偽作論』はこの愚を犯していました。しかし、全体の半分です。

> 財政的な面で伝統仏教側が危機感を感じていないのでしょうか?

感じていないでしょう。

> 学会の友人葬や戒名不要論は仏教界に一石を投じたと思います

何を根拠にこのようなことを仰るのかわかりませんが、何一つ影響を与えていないでしょう。また、一般人にしても「創価学会で友人葬をやっているし、戒名も要らないというから、うちもそうしよう」なんて話があるのですか。創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか。もし、いたらお目にかかりたいですね。
学会をヨイショする嘆かわしい学者が、ここの出版物にそれらしいことを書いていますが、こんなものはどれも幇間以上の意味はないでしょう。鵜呑みにできるような代物ではありません。オモチャと一緒です。オモチャが悪ければ、喧伝、プロパガンダ、自画自賛へ拍手して、稿料をもらっているだけでしょう。学会から称賛されても、それ以外からは白眼視されているところでしょう。嘘は百編ついても本当になりません。

> 実は「伝統仏教であると標榜する団体」に対して、どうしても二分立にならざるを得ないジレンマを抱えてしまっているのが悩みなのです。

具体的にお聞きしたいものです。

> オモチャのような教義ほどより恐い

まあ、これは言える側面は確かにあります。

> 鎌倉仏教も空海から見れば新興です。

その空海も、その当時からすれば、中国の新興の真言宗を、持ち帰った新興であったわけですね。

> 日蓮正宗が、鎌倉仏教かと言えば全然違う、…伝統的…正当である根拠に無関係

これはそのとおりだと思います。

> 伝統色を利用して正統であるが如く吹聴

こんなまやかしは現代人の仏教離れの原因ということでしょうね。

1887犀角独歩:2007/05/03(木) 12:44:51

彰往考来さん

宝島は、わたしのほうへも取材協力を呼びかけてきました。
今回のがそれかどうかわかりません。
島田先生、『寺門興隆』につづき、また、わたしのことを紹介くださっていましたか。

1888マハー:2007/05/07(月) 19:27:11
>>1883
犀角独歩さん
>これが大衆的にはスピコンという流行・・・・
>日蓮の「霊」の用法としかし、これらはあまり関連しませんでしょうね
>たぶん、もっとも違うのは「浄霊」がないということでしょう。

ええ。 私もそう思います。しかし「浄霊」と似た発想となる部分はあります。
レスの後で「逆修」について部分で述べたいと思います。

>> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響

>具体的に、どこを指して仰っていますか。

第一七日過秦廣王 讃曰。 一七亡人中陰身〜
(省略)
〜第十至三年過五道転輪王 讚曰。
 後三所歴是開津  好悪唯憑福業因
 不善尚憂千日內  胎生産死夭亡身

所謂 十仏事 のことを言っています。

御提示の
「慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る」

では、日蓮はここで、十三仏事を肯定してますよね。
因みに「偽書」と疑われる弘法大師逆修日記事では、
十三年 大日如来
三十三年 虚空蔵
になります。

>偽経ですか? 仰る意味は、インド原典がなく、中国で作られたということでしょうか?

そういうことです。
たしかに偽経と言ってもニセモノではなく簡単に斥けるべきでないと言う議論もわかります だがしかしこれは大乗非仏説などの議論とは違い、私には法要がないと収入に困る側の詭弁に思えます。

1889マハー:2007/05/07(月) 19:33:05
>「お墓博士」と称された藤井正雄師の監修・・・
すばらしいですね。仏教と民俗学は密接に接近すべきと思います。
特に民衆救済を目標とする宗派においては。

>「日月浄明徳仏の舎利を供養せん」といった件がありますから、釈迦に限ったことで
>はありませんでしょう。

確かに釈迦に限ったことではありませんが、そこは、「日月浄明徳仏」と言っても、「釈迦が説く、いにしえ、無量恒河沙劫の如来の舎利」 の供養でしょう。菩薩の舎利ではありません。身軽法重、「法華経を説く仏への賛嘆」としての供養を釈迦が語るのですから…
完成者と修行者の関係を見れば、やはりあくまでも如来の舎利です。
しかも、焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

日蓮門下に舎利供養の意識があることは理解しましたが、しかしそれは即身成仏義からの 「仏の舎利」だからではないかと思います。 考えようによっては法華経によって誰もが成仏するのであれば地獄もそこへ彷徨う霊も想定する必要もないわけで・・・ 確かに霊障とは一線を画するように思えますね。

>多宝如来が舎利・・・
なるほど。確かに死者を表す面であると思いますし、舎利かも知れないですね。
これは法華経を作った人々が何を言い表したかったかと言う事になると思うのですが、もし多宝如来が舎利であるならば、直接「舎利」であること書けずに比喩を持ちいなければならなかった理由が問題ではと思います。

>むしろ、舎利崇拝は、釈迦より歴史が古い故に、荼毘に付された釈迦の遺骨=舎利>の分骨騒動が起きたのでしょう。

中村元氏よると
釈迦の葬方は古来の葬方に反抗していた 部分もある との見解もありますね。
火葬 茶昆 jhapeum は、釈迦より古く(身分や地域差はあるでしょうが)あったのではないかと思います。遺骨 sariraniの扱い方となるとよくわかりませんが、廟樹(木の下に埋葬)の下で平気で休んだり、好んで瞑想したり、また、遺体遺骨をガンジス川に流したりする風習からすると必ずしも舎利崇拝の歴史が古いとは思わないのですが・・・
ガンジス川に流す形式が舎利軽視であるとも言い切れないですね、それなりの宗教的意義を見出して行われるのでしょうから。

1890マハー:2007/05/07(月) 19:39:52
>> 私は日興が舎利を捨てて場所を取った
>え? これはわたしが、そう考えているということでしょうか。
>日興は、舎利(遺骨)も場所(身延)も捨てたという指摘です。

私(マハー)が前レスおいてに「日興が舎利を捨てて場所を取った」との意見でした。
舎利がなくても、「別場所でも墓所としての供養が出来るのでは?」との意見でした。しかしこれは、日興に「遺骨崇拝」の意識が低いことが前提であり、私は日興門下が先祖供養に積極的でない門流のイメージであったためです。

>今日的には遺骨の実質的な保管とメモリアルという側面からの認識が一般的

現代の墓石に関して、遺骨の保管という面から長い目で見ると、本当はあまり好ましい環境とは言えないと思うのですが、記念碑的な認識が一般に広がってきた感はします。

>ここに日蓮の遺骨と魂の関係は明瞭です。如何ですか。

ええ、確かに浄霊や祓いでない。仏教的な舎利供養ですね。
少し日蓮に対して安心しました。
亦、戒名と諡号の件、独歩さんの仰る意図了解致しました。
順修戒名の普及にはその前の逆修戒名の成り立ちがあるわけです。
戒名に限定せず、「逆じめ修める」という考え方と死後とを考える事は無駄ではないと思いますし興味もあります。日蓮の専門家の方々は、「逆修」についてはどうのように御考えになりますか?
私は、日蓮はこの逆修思想を強く打ち出してるイメージ、(例えば、「地獄の責め苦を今に受ける」など)であると思うのですが、どうですか?
例え「除霊」や「悪魔祓い」のような発想が直接的にはなくても、この「逆修」の発想はそれにより近い部分があると思います。


>ここで中間・冥界・霊界を同一に論じられては混乱が生じます。

そうですね。特に「中間」語句の使用をやめて中陰または中有としましょう。
現代一般用語で「冥土」を解釈すると、「裁判と実刑の期間」のようなイメージになりましょうか。
中有と冥土が別とはどういったことでしょうか?
期間と場所を指す違いこそありすれ、同じように思えますが。

1891マハー:2007/05/07(月) 19:58:28
>神教とは何を指しますか。
>具体的になにが抜けているとお考えですか。

もしかしたら、私が知らないだけの生意気な発言だったかも知れません。
先述の民俗信仰と仏教の関りに重点をおく視点として、例えば古神道として南北朝からの「伊勢神道」やそれ以降の吉田神道の興隆、また八幡大菩薩(八幡系)、稲荷系の勢力の影響などです。
資料不足でしっかりとした提示が出来ませんが、鎌倉時代の「伊勢神道」「吉田神道」とも、反本地(神)垂迹(仏)説を唱えただろう事は容易に想像出来ます。これに対して日蓮は本義であるところの本地(仏)垂迹(神)説を採用してる筈です…八幡神(三神?)はこの時代既に大菩薩号を贈られていて、日蓮もその曼荼羅に菩薩号で勧請していますね。迹=諸天(神)=菩薩とする関係性だと思うのですが、どうもしっくり来ないと勘案していたところです。

>この筋からの検討はけっこうなことであると思いますが、原典で使用法をしっかりと
>認識したうえでが原則でしょうね。

スピコンの源流と考えられるタントリズムや、神仏習合や山岳信仰、氏神説、やモガリなどは、鎌倉以前からありました。日蓮に使用法が見当たらないのではなく、日蓮が採用しなかった・・・不必要であったのでしょう。そしてこれにはきっと論理的な理由があった筈と思います。

1892マハー:2007/05/07(月) 20:03:07
>> 往生要集が玄奘訳の影響を受けているのであれば、法華経のそれとはやはり違うでしょう。
>具体的には、どう違いますか、というのが、わたしの質問です。

私は言語学的な専門知識は持ち合わせていないことを先にお断りしておきます。
ナラカが本来どのようなサンスクリット言語からの発生かわかりませんが、場所を表す言語とはやや違って、「人の状態」や「ありさま」を指す言語に近いと思います。
法華経で使われる「アビーチ」は程度を表す、「最下層」「一番」「最も」などでしょう。
これは法華経で説かれる地獄が「有頂天」→「阿鼻獄」の対比などからも想像がつきます。つまり法華経の成立時点では、多種多様な地獄のビジョンは見えておらず、「法華経最高」に対して、逆は「最も悪い」という関係性です。

涅槃経で説かれるところのnirayaは、
「行いの悪い人は、身体のやぶれて死んだ後に、悪いところ、苦しいところ、墜ちるところ、地獄(niraya)に生まれる。」(中村元訳)
ここでも具体的な先入観は見られません。
また閻魔yamaの方角は南方向とされており、釈尊の遺体運ぶとされた方向などでも
上下ではない水平の方向の意思が散見されます。このようなことからも法華経で説かれるところの「阿鼻獄」はヤマ天(最初の死者)のいる場所との発想と一致しないことが伺えます。是に対して「往生要集」では、「八に阿鼻地獄とは、大焦熱の下、欲界の最低の処にあり」云々という具体的な地獄図になっていますね。たしかに、この八大地獄にも其々サンスクリット語で、サムガータ、ラウラバなどが割り当てられていますが、これは玄奘が密教化した教典を持ち帰った為であると思います。
上記が私の、「日蓮が法華経のナラカをそのまま受け入れているのとは違う」と記した意図でした。

しかし、私は現代に言われているように、所謂「地獄絵図」を具体的に信者にプッシュする手法が即「破壊的カルト」の常套手段のような言われ方には少々疑問を持っています。脱会などの際の精神的ダメージからの回復の為には、各教団所有の地獄観からの超克が有効であり、必要条件でもあると思いますが、具体的イメージだと逆に抜けやすい気がします。
真如苑の話に戻して恐縮なのですが、苑ではあまり具体的な地獄世界を教えないようです。そこでは「一闡提に堕ちる」と言うような使い方をします。ではそれが実際にどういう状態を指すのかはあまり明確に語られません。しかし「一闡提」語句そのものへのわからない恐怖感が強く残ってしまうようです。

1893マハー:2007/05/07(月) 20:16:43
>> …創価学会の成功のひとつのカギに、新興宗教でありながら、「自前の葬儀システムを持つ」…ファクター…大正デモクラシー以降の新宗教と伝統仏教団との大きな差とも取れます。
>これは何か勘違いなさっていらっしゃいませんか。

それこそ私の文章が酷いので伝わらなかったようです。(笑
日蓮正宗創価学会が、日蓮正宗の末寺で葬儀することは、自前の葬儀システムを持つことになります。私はここで、各自の檀那寺、菩提寺と、新興宗教団体の教義との一致性を取り上げてるのです。 例えば、「親鸞会という宗教団体に所属しているけれども、葬儀の時は菩提寺の日蓮宗で行う」と言った場合は内在的な矛盾を抱えている事になり、2代目、3代目は尚更 連綿が難しいのではないかと言うことを言いたかったのです。
これは、必ずしも信仰と葬儀の形式が一致しなければマズイと言うことではなく、寧ろその教団において「信仰と葬儀形式を一致させることも出来る手段」を持っていることの方がより重要です。つまり、「他宗菩提寺での葬儀は致し方ない」けれども、信仰心が強ければ、「一番良いところでの葬儀を行ってもらえるのよ」と言った具合ですね。つまり新興宗教団体側は葬儀形式を持った伝統仏教側と少なからず水密関係を築くメリットは大きいと私は見ています。

>こんなまやかしは現代人の仏教離れの原因ということでしょうね

伝統仏教がその布教活動を積極的に行わないのが一番の原因であるのですけれども、檀那寺での戒名でなければその寺に埋葬出来ないシステムに胡坐を続けるのも問題です。

>創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか

あるでしょうね。例えば、「大山ねずが神教の葬祭を行い、公営墓地で埋葬する」なんてのに違和感がないでしょう。

>> オモチャのような教義ほどより恐い
>創価学会が拝借している石山教義と歴史、本尊をがっちりと批判していますよ

話は脱線しますが、真如苑では「六時教判」なる教学が存在します。法華涅槃部を更に分けて涅槃最勝とするのですが・・・笑ってしまうような話ですが大真面目です。
現代においてどのような教義を説こうがそれは自由です。ただし、それが恰も何百年以来の伝統的教義であるかの如くの教説は嘘になります。そうなれば、例えばそう言った教義を許容した水密関係側にある仏教団も当然批判の的とされて然るべきと思います。私が創価学会のみを批判して大石寺を許認するのは難しいと言ったのはそのような意味です。真如苑を批判するならば、同時に真言宗醍醐派をも批判することになってしまうのですが、脱苑者の心理的ストレスを増幅させる可能性も孕むと思い躊躇せざるを得ないところです。

1894犀角独歩:2007/05/09(水) 07:22:05

マハーさん

>>> 閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経の影響
> 所謂 十仏事 のことを言っています。

この点については、この経典自体から影響といえるかどうかは、具体的な日蓮の引用がない限り言えないと言うのが、文献的な視点ですね。

> 「偽書」と疑われる弘法大師逆修日記事

上述の経と、ここで共通するのは「逆修」という点ですね。
マハーさんの論点は、ここにあるのだろうと思えます。
しかしながら、日蓮には、この考えはなかったでしょう。まず第一に「逆修」語の使用はまったく見られません。
逆修戒名という脈絡にもなると思いますが、逆修も、戒名も、ともに日蓮には見られません。

> 偽経と言ってもニセモノではなく簡単に斥けるべきでないと言う議論もわかります だがしかしこれは大乗非仏説などの議論とは違い、私には法要がないと収入に困る側の詭弁に思えます。

いや、わたしがいわんとしていることは、そのようなことではありません。
経典というのは、そもそも後世の創作なのであって、そのなかで中国で創られたものだけを偽経というのはナンセンスではないかということです。
輪廻転生と回忌法要の矛盾は、しかし、法要を収入源とする側の問題と言うほど単純なものではないとわたしは思えます。

> 完成者と修行者の関係を見れば、やはりあくまでも如来の舎利

法華経における舎利崇拝はあり、また、日蓮においては『木絵二像開眼之事』に舎利崇拝が見られることを見たということです。
また、日蓮の門下には親を荼毘に付し、遺骨を日蓮の許に追善供養のために持っていった有様が窺えました。しかしながら、日本は古来より、捨て墓(遺体を投げ捨てる)、もしくは土葬が風習で、荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なことに属したのだと思えます。

> 焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

判読しかねます。もう少し補足いただけませんか。

> 確かに霊障とは一線を画するように思えますね。

そうですね。

> 火葬 茶昆 jhapeum は、釈迦より古く…舎利崇拝の歴史が古いとは思わない

わたしが記したことは、釈迦を荼毘に付し、その遺骨争奪が起きたのは、その前提として、遺骨崇拝があったから、つまり、遺骨崇拝は釈迦集団以前にあったという点のみです。

> ガンジス川に流す形式が舎利軽視であるとも言い切れない

ええ、もちろん、そんなことは記していません。

> 舎利がなくても、「別場所でも墓所としての供養が出来るのでは?」

なるほど、そういったご見解ですか。
日興にとって、日蓮御影像が舎利に取って代わったのだろうと、わたしは考えています。

> 日興に「遺骨崇拝」の意識が低いことが前提

なるほど。

> 私は日興門下が先祖供養に積極的でない門流のイメージであったためです。

先祖供養に積極的ではないのは、創価学会の特徴であっても、日興門下の特徴ではありません、と言いたいところなのですが、砕身舎利を軽視したのは事実ですから、そのイメージはなきにしもあらずということになりますか。

1895犀角独歩:2007/05/09(水) 07:22:59

―1894からつづく―

やや、話が拡散しているのは、舎利、遺骨、墓、先祖供養は一本の線でつながりますが、それぞれ個別の崇拝でもあるという点でしょうね。

舎利というとき、これは仏舎利を指すわけで、遺骨とは区別されます。
舎利崇拝は釈迦崇拝のひとつの形ですが、その舎利を祀る塔崇拝へ転換もし、さらに経塔崇拝から、話題になってきたような五輪塔崇拝という変遷も見せました。

遺骨崇拝は、日蓮で見る限り、魂の去った遺骨を法華経で供養することによって即身成仏させるという法門を伴う形で尊重されていくわけです。これは舎利崇拝とは一線を画します。

また、墓はマハーさんが仰るように、遺骨を埋納された特定の場所を指すわけですが、このうえに置かれる墓碑の崇拝にはつながりません。しかし、これが五輪塔といった塔を形成するとなれば、先の塔崇拝の習合します。この点は、その後の卒塔婆とも連なっていき、卒塔婆崇拝は、写本遺文で見られることになります。塔は崇拝になっていくわけでした。

また、(霊)位牌、石山では「神座」とも記しますが、故人の戒名を記した位牌崇拝という風習は古くからあり、また、日蓮門下では御影像崇拝ということも興ります。これらは祖霊崇拝のあらわれなのでしょう。道教の影響でしょうか。

ここで、ポイントになるのは、それらすべてを崇拝する在り方もあれば、そのなかの一つを採って、一切に替えるという考え方もあるということではないですか。(この典型が創価学会で、全部、本尊(日寛の印刷本尊)ですませています)

日興は、日蓮の遺骨を捨て去りましたが、御影像を造って、それを生前の日蓮のように崇めたわけです。やがて、この日蓮の像は漫荼羅と一体視もされるようになるという変遷もまた見られ、こうなると、漫荼羅は日蓮その人の替わりともなります。この典型が人即法本尊という見地で、これを即断すればもはや日蓮の墓も遺骨もかえりみなくなったのが石山の有様です。

「創価学会は墓園事業には熱心だが墓参りには無関心」というのは、よくいわれることです。創価学会には遺骨に霊魂が宿るという発想は「ない」と言いきってもよいかもしれません。「生命は宇宙に冥伏する」というのが、戸田さん已来の考えでしょう。

やや、話題に上がりつつありますが、すぴこんという奇妙な展開を見せる「スピリチュアル」ですが、では、これと生命論はなにが違うのかというのは、マハーさんとの議論のなかでは、実は一つの論点なのだとわたしは見ています。

その視点を睨んで記せば、スピリチュアルといわれる亡者の「霊」は、生者を守護したり、災いをなしたりといった働きかけをするととらえられますが、創価学会でいう「死後の生命」は、宇宙に冥伏しているばかりで、生者に影響を与えるとは見なされません。また、この「生命は業を感じる」とし、生前の行いに従ってその生命が苦楽を感じながら、次の生まれ変わりをしていくというのが、創価学会の考え方です。しかし、この死後の生命は、生者に影響を与えるものではありませんから、霊障、徐霊のニーズは、創価学会にはないわけです。ここが、伝統教団がいう先祖供養、またスピリチュアルブームでいう霊の扱いと決定的に違うところでしょう。

1896犀角独歩:2007/05/09(水) 07:23:41

―1895からつづく―

> 日蓮はこの逆修思想を強く打ち出してるイメージ

近代の日蓮門下一般を見ると、逆修という考えは根付いています。
『日蓮宗事典』では、以下のように記述されています。

「預修とも称す。現在では「生前に法号を受けること」の意味に使われているが、本来は死後の往生菩提に資するために、供養を生前に自らの手で行うことをいう。つまり死後の追福はその利益少なく、正前に修する逆修は功徳が大なるものであると考えられた。これらの典拠は『地蔵菩薩本願経』に「若し男子女人ありて、在生に善因を修せず、多く衆罪を造らんに、命終の後、眷属小大為に福利を造るとも、一切の聖事は七分の中にして而も乃ち一を獲るのみ。六分の功徳は生者自ら利す。是を以て未来現在の善男女等、健やかなるとき自ら修するを聞き、分ち分ち巳に獲る」と説くところである。つまり、死後の追福で死者はその功徳の七分の一を受け、七分の六は生者が受けるという。また勝範(九九六−一〇七七)撰の『智無智通用集』などにも見出せる。これによると、逆修忌日を一年間に限定し、三十三回忌まで一三回の仏事を行うものとし、そして「右此日逆修作善七分全得日也」といって、生前みずから逆修すれば、七分の功徳を全得するというのである。このあたりを、その源泉とするものであろう。このことは、日本において平安時代すでに逆修の仏事が行われていたことを物語る。日蓮宗において逆修の仏事が盛んに行われた顕著な例は、中山法華経寺教団にみられる。すなわち一四世紀終末から一五世紀の初頭になると曼荼羅、特に交名部に逆修と刻み込まれた大型の板曼荼羅を始めとして、逆修のために建立した板碑が数多く現出する。このことは中山法華経寺教団の発展過程の中で、逆修の仏事を提唱することで、人々の進行を獲得していったといえる。またこの逆修が人々の中心仏事として定着したともいえると共に、人々の来世への限りない不安感から逆修という仏事が重要視されるに至ったものであろうと思われる。また、檀信徒に逆修法号を授ける場合には単に法号の書付けを渡すのではなく、「授戒式」を行うようにすべきである。式のつとめ方は『宗定法要式』「帰正式」に準ずる。逆修の書式は一例を挙げれば左の如くである。
(表書)=糊入又は奉書を用いて、横二つ折とし、更に、それを縦三つ折にすること。
 法号の内、二文字(日号ある場合には、日号)を朱書する。位号(居士、大師、信士、信女等)は、預修の時に必ず書き入れると限ったものではない。」

日蓮没後100年以降(14世紀)、主に中山法華経寺からとんことです。つまりは、日蓮にその考えはなかったということでしょう。
まあ、ついでに記せば、ここ富士門下では、この逆修は摂取されませんでした。

> 日蓮は本義であるところの本地(仏)垂迹(神)説を採用してる

ええ、これはそのとおりであろうと思います。

> …タントリズムや、神仏習合や山岳信仰、氏神説、やモガリなどは、鎌倉以前からありました。日蓮に使用法が見当たらないのではなく、日蓮が採用しなかった・・・不必要であったのでしょう。そしてこれにはきっと論理的な理由があった筈と思います。

これは、非常に簡単明瞭なことです。日蓮にとっては、供養は法華経、それ以外は不要と見なしたからでしょうね。

> ナラカが本来どのようなサンスクリット言語からの発生かわかりませんが、場所を表す言語とはやや違って、「人の状態」や「ありさま」を指す言語に近いと思います。

地獄が場所か・状態かというのは、いわば教相と観心のようなものでしょう。
どちらかではなく、両方だと思いますね。。

> 法華経で使われる「アビーチ」は程度を表す、「最下層」「一番」「最も」などでしょう。

これは状態ではなく、場所ですね。「地の下一百由旬」などというわけですから。説明するまでもないでしょうが、由旬は帝王は一定の時間に行軍できる距離を指す実数語ですから、つまり、その距離に地底であるという具体的な場所を指していますね。

1897犀角独歩:2007/05/09(水) 07:24:40

―1896からつづく―

> 閻魔yamaの方角は南方向…水平の方向の意思が散見されます

これはすこし混乱がありませんか。
yamaは人で一番最初に死に、一番最初に死の世界に行った人というのがモチーフですが、これが閻魔になって地獄の審判になるのはあとの話です。

yamaの段階では、単に冥府の王で、そこは地獄ではありません。
古代インドでは、冥府も楽園も、仰る水平方向、つまり、歩いていける地続きの場所として想定されていました。しかし、地獄は地の下でした。yamaが閻魔となって地獄と習合した段階で閻魔まで地の下に移動させられたというのが時系列でしょう。また、点は二火道説でも見られるように荼毘に付して煙になった遺体が上る方向ですから、天です。つまり、地から見た上と見なされていました。神が天と同じ梵語の訳であることも頷けます。
冥府・楽園は水平でも、天と地獄は上下でした。
岩本裕師は『極楽と地獄』のなかで

「地獄の信仰なり思想なりがインドの原住民の宗教信仰の影響で成立したという証拠はまったく知られていない。
ところが、インダス文明の時代以来交流の行われていたチグリス=ユーフラテス河流域には、古くから地獄の思想があったことが知られている。すなわち、この地域には世紀三千年のころから栄えたシュメール族の間には「戻ることのない国」クルの信仰があった。冥府クルは地下の陰鬱な国で、バビロニアおよびアッシリアのアラルルー、ヘブライ族のシェーオールとともに、セム民俗が古くからもっていた地獄思想の表象である…地獄についての信仰は世紀前十世紀ごろよりのちにインドに達したと考えられる」(P163)

といいます。つまり起源の段階で既に「地下の陰鬱な国」とされているわけです。

> 法華経で説かれるところの「阿鼻獄」はヤマ天(最初の死者)のいる場所との発想と一致しない

法華経では「下至阿鼻地獄」ですね。
日蓮門下で、ヤマ天という発想は希薄でしょうね。

> 「往生要集」では、「八に阿鼻地獄とは、大焦熱の下、欲界の最低の処にあり」云々という具体的な地獄図になっていますね。

この具体的位置を、日蓮は『往生要集』によったのか、『法華経』に基づいたのかという投げかけですか。なるほど。

>…各教団所有の地獄観からの超克が有効であり、必要条件でもあると思いますが、具体的イメージだと逆に抜けやすい気がします。

これはなかなかのご賢察であると思います。

1898犀角独歩:2007/05/09(水) 07:25:19

―1897からつづく―

> 真如苑…「一闡提に堕ちる」…「一闡提」語句そのものへのわからない恐怖感が強く残ってしまう

「一闡提」語の用法は独特ですが、特定語の恐怖操作は、ありがちな操作ですね。

> 私はここで、各自の檀那寺、菩提寺と、新興宗教団体の教義との一致性を取り上げてる

これは了解しました。

> 檀那寺での戒名でなければその寺に埋葬出来ないシステムに胡坐を続けるのも問題です。

まあ、ここはどうでしょうか。自治権に関わる問題ですね。
取り敢えず、長くなるのでスルーします。

>> 創価学会に眉をひそめることはあれ、見習おう何て人がいるのですか
> あるでしょうね。

そのご見解ですか。
こう記せば、少しコンセンスが取れるかも知れません。
わたしが創価学会の影響を評価しないのは、特定グループののプロパガンダには引っかからないという前提です。この点はマハーさんも同様ではないでしょうか。要は、創価学会の友人葬は日本社会の葬儀に大きな影響を与えている=創価学会はすごい、という学者を担ぎ出してのお祭り騒ぎには慎重に傍観するという立場だからです。

> 真如苑では「六時教判」なる教学…法華涅槃部を更に分けて涅槃最勝とする

六時教判という言葉は、笑止千万ですが、涅槃最勝は天台が出現した前夜の中国仏教の在り方そのものですね。
故に華厳ばりであった天台が法華最為第一を打ち出すに当たって、華厳経を籍り、涅槃と法華の同時としなければならなかったのであろうと考えています。

> 私が創価学会のみを批判して大石寺を許認するのは難しい

これは当然のことでしょう。

> 真如苑を批判するならば、同時に真言宗醍醐派をも批判することになってしまう…脱苑者の心理的ストレスを増幅させる可能性も孕むと思い躊躇せざるを得ないところです。

慎重を期すことはけっこうなことだと思います。
ただ、真言宗醍醐派を批正するという側面は、それなりの興味を誘いますね。

1899マハー:2007/05/21(月) 19:57:46
独歩さん
御返事が遅れて申し訳ありません。

>この点については、この経典自体から影響といえるかどうかは、具体的な日蓮の引
>用がない限り言えないと言うのが、文献的な視点ですね

文献的視点となればそういうことになります。
>>1894
>まず第一に「逆修」語の使用はまったく見られません。

確かに文献的視点となれば「逆修」語句そのものの使用はなかったでしょうが、「十三回忌」、そして、日蓮門下への「入道制」を取入れ、これは逆修からのものと思います。日蓮にとって「入道」も「十三回忌」も単なる通過儀礼ということではないだろうと思います。
何かしらの宗教的意味があったはずです。
十三回忌に法華経通読するのは、
「本地大日如来に法華経の威光によって地獄の罪障消滅」を予め追善するもの、入道は「死後に備えて在家のままでの出家」ですよね。(在家の出家は矛盾しますが、そもそも矛盾してるのが逆修ですから)

>経典というのは、そもそも後世の創作なのであって、そのなかで中国で創られたもの>だけを偽経というのはナンセンスではないかということです。

文献的視点で言えば偽経となりますが、仏教の発展と見れば、中国で創作されたからとの理由だけで斥けるのは確かにナンセンスと思います。
ただ…この辺の判断は難しいですよね。
日本で作られた同じ偽経の「地蔵十王経」は?
偽経ではないが、偽作の「逆修日記事」、まして日蓮遺文の偽作も多いでしょう。
文化として根付いてしまったのは致し方ないけれども…しっかりとした認識の上でその文化の在り方を見直すことも必要と思います。

>輪廻転生と回忌法要の矛盾は、しかし、法要を収入源とする側の問題と言うほど単
>純なものではないとわたしは思えます。

はい。私もそのように思います。そこで「日本人の先祖観」を取り上げなければならないと考えています。日蓮は民に根付いた民俗信仰を否定せず包容しながら法華経を宣揚したのだと思います。

>荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なことに属したのだと思えます

私も同意です。
しかも、もうひとつかなり特殊だと思えることは、佐渡の住人が身延に墓所を持つと言うことです。

1900マハー:2007/05/21(月) 20:01:24
1899から続き

>> 焼身供養した側の舎利については何も言われていません。

>判読しかねます。もう少し補足いただけませんか。

薬王菩薩本事品第二十三での
一切衆生憙見菩薩の焼身供養の件のことです。
「於日月浄明徳仏前。以天宝衣。而自纏身已。潅諸香油。以神通力願。而自燃身。光明遍照。」
「日月浄明徳仏の前に於て、天の宝衣を以て自ら身に纏い已って、諸の香油を潅ぎ、神通力の願を以て自ら身を燃して、光明遍く八十億恒河沙の世界を照す」

布で巻いて油を注いでの点火の仕方は釈尊の葬法と似ていますが、この菩薩の舎利についてはその後出てきません。舎利供養の対象から菩薩としての修行者は外れているのではないかと思います。法華経や涅槃経で提議している舎利供養とは結局、「偉大な仏の舎利」について我々は如何すれば良いかという着地点です。これは、シャーキャムニのサンガが始めてその死に直面して、火葬という方法をとったことを示し、逆に古来からの順当な葬法ではなく、むしろ様々な方法の中から火葬を選択したことが覗えます。

>日蓮御影像が舎利に取って代わったのだろうと、わたしは考えています。

大石寺の舎利塔が何時頃からなのか分かりませんが、独歩さんはそれこそ偽遺骨と御考えになっていると言うことでしょうか?
もしそうであれば、それこそ客寄せ威厳付けの目的だったのでしょうか?

1901マハー:2007/05/21(月) 20:03:16
>>1895

>ここで、ポイントになるのは、それらすべてを崇拝する在り方もあれば、そのなかの
>一つを採って、一切に替えるという考え方もあるということではないですか。(この典
>型が創価学会で、全部、本尊(日寛の印刷本尊)ですませています)

なるほど。これは現在では日蓮宗と日蓮正宗の違いとも取れますね。

>「スピリチュアル」ですが、では、これと生命論はなにが違うのかというのは、マハー
>さんとの議論のなかでは、実は一つの論点なのだとわたしは見ています。

これは確かに悩ましいところです。(笑)
しかし、学会の生命論は、「仏性」や「本仏」語を「生命」に置き換えているのだと思います。これは、現代の「生命観」が先にあってそれに依って教学を遡ることになりますが・・・・独歩さんの言うように、大正生命主義との新たな習合を見せたと言えるかも知れません。
戦後の成長期に受け入れられやすかったのでしょう。
こういった生命(宇宙)論よりスピコンの方がもっと伝統的で鎌倉以前からのものであり、実はスピチュアルを取り入れた仏教の方が、より正統的であるとも言えるかもしれません。現代人の感覚が懐古的なものを求める傾向になりつつあるといか、一時的にそのような様相を見せているように感じられます。密教的な「不思議」に魅かれているのでしょうか。
そういう意味では、スピチュアルと生命主義や日蓮宗学とは、本来相性が悪いと思うのですが、日蓮系がまったく「スピチュアル」を取り入れてないかと言えばそうではなくて、佼成会や霊友会などには間々見られます。
ですが富士派と「スピチュアル」に限っていえば、「相容れない」と言えるかも知れません。これは何故かと考えるに、日蓮が真言師を批判していることに忠実であるからだけではないですね。また、曼荼羅正意だからでもない・・・
私は「守護神」や「善神」の捉え方ではないかと思っているのですが。
一期一会の曼荼羅に若し「花曼荼羅」のような守護神を決めるような意味を持たせていたら、もっと「スピチュアル」的になっていたのではないかと思います。
守護神ではないが、似たような発想があるとしたら同生天・同名天の倶生神ぐらいですかね。

1902マハー:2007/05/21(月) 20:04:51
>>1896

>墓苑事業 〜
>霊障、徐霊のニーズは、創価学会にはないわけです

葬儀法要は宗教色が薄れていき、人生の通過儀礼のひとつとして扱っていくことになるでしょう。

>『日蓮宗事典』では、以下のように記述されています

非常に参考になりました。
戒名法号についてはまた折を見て投稿します。

>日蓮にその考えはなかったということでしょう。

「今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、」
種種御振舞御書は偽書と御考えですか?

>冥府・楽園は水平でも、天と地獄は上下でした

少し話が逸れますが、古来日本人も「黄泉の国」を水平方向に考えていたらしいです。

1903犀角独歩:2007/05/23(水) 07:37:38

マハーさん

> 「十三回忌」、そして、日蓮門下への「入道制」を取入れ、これは逆修からのものと思います

なるほど、“逆修の文化圏”から御覧になると、そう映じるかも知れませんね。
日蓮宗一般では行われていることですから、同じように考えられているかも知れません。ただ、ここ富士門下、殊に創価学会を含む大石寺圏からすると、回忌法要は回忌法要、入道は入道で、そこに逆修との脈絡を見ないということになります。

> 「本地大日如来に法華経の威光によって地獄の罪障消滅」を予め追善
> 入道は「死後に備えて在家のままでの出家」

これも創価学会を含む大石寺圏では、このようには考えられてはいません。

> 文献的視点で言えば偽経…偽経の「地蔵十王経」…偽作の「逆修日記事」…日蓮遺文の偽作も多い

まあ、伝承の編纂ですから、それをまとめた方も偽作という認識がないのが経典創作ですね。この点は『日本国現報善悪霊異記』などでも同様でしょうね。
ただ、日蓮遺文、漫荼羅の偽作は、故意であると考えざるを得ない節があります。

> しっかりとした認識の上でその文化の在り方を見直すことも必要

そうですね。ですから、ここでは徹底した挙証義務を課して議論をしてきたわけです。

> 日蓮は民に根付いた民俗信仰を否定せず包容しながら法華経を宣揚したのだと思います。

法華開会ということですね。


> 荼毘にし遺骨とすることはかなり特殊なこと

そうだと思います。

> かなり特殊だと思える…佐渡の住人が身延に墓所を持つ

浄土門でも、本山に分骨奉納という慣習が見られますが、わたしは寧ろ、このような風習は案外、あったことなのではないかと考えています。

> 薬王菩薩…舎利供養の対象から菩薩としての修行者は外れている

なるほど。この点は確認していません。少し調べてみようかと思います。
もし、この線から考えると、門下では日蓮を菩薩と考えていたわけですから、その遺骨と墓所の解釈は、では、どうなのかという視点が生じますね。

> 大石寺の舎利塔…偽遺骨と御考え…客寄せ威厳付けの目的だったのでしょうか?

ええ、もちろん、そう考えています。
そもそも、重須文献では遺骨が富士にないことは明らかです。それがいつの間にかあることになった。それも、その遺骨は半分しかないわけですね。
もう、かなり古い議論ですが、わたしはこの遺骨半分の記載を通じて、石山にある日蓮のものという遺骨は日目のものであると仮説を立てました。

垂井で荼毘に付された日目の遺骨は、半分ずつ、日尊は鳥辺野に埋葬し、一方、日郷は富士に持ち帰りました。ところが、日郷の持ち帰った日目の遺骨はなくなってしまいます。わたしが石山について嘆息を禁じ得ないのは正式な日目の墓所がここにはないことです。つまり日郷が持ち帰った半身の日目遺骨がない、ところが、石山が日蓮遺骨と主張するものもまた、“半身”のわけです。
故にいつの時代からか、日目の遺骨が日蓮の遺骨といわれるようになった経緯があったのではないのかと、わたしは考えています。
そして、身延の遺骨を「馬の骨」と悪し様に言うようになる頃には、日興が日蓮の遺骨を持って出たと主張する、得意の嘘つき体質が露わになったと言うことでしょう。

1904犀角独歩:2007/05/23(水) 07:38:06

―1903からつづく―

> 学会の生命論

先だって、松本修明師と話す機会がありました。そのとき、この「生命」語について、話題になりました。この語を日蓮門下ではじめて使ったのは里見岸雄であると、伊藤瑞叡師が語っていたということでした。「国立戒壇」語をはじめて使った田中智学の三男です。つまり、戸田さんは、国立戒壇も、生命も、みなこの系統からパクッたことになります。ちなみに「人間革命」という四字熟語は、堀日亨氏ご愛読の民間療法・健康法を記した本の題名でした。それを見て、戸田さんが「これだ!」と思ったかどうかわかりませんが、この人物、パクリに関しては天才的素養を発揮したことになります。

> 「仏性」や「本仏」語を「生命」に置き換えている

まあ、そうとも言えますが、日蓮門下の系譜から考えるとき、「生命」語に該当するのは、むしろ、「霊」です。福重照平の『日蓮本仏論』などを読んでも、「霊」語の使用は頻繁であり、富要でも、この点は同様です。もっと言えば、日蓮その人、天台文献もしかりです。

> スピチュアルと生命主義や日蓮宗学とは、本来相性が悪いと思う

これは、そうでしょうね。スピリチュアリズムというのは、外来思考ですから。
現在、スピリチュアルは「霊性」と訳されるわけです。しかし、意味的には、精神的な意味でのたましいの用法が先行していました。霊歌などもそうです。
日蓮が言う「たましい」は神という字を充てるわけですが、この用法と、いまでいうスピリチュアルは天台学の捌きを差し引けば、よく似ています。

> 日蓮系がまったく「スピチュアル」を取り入れてないかと言えばそうではなくて、佼成会や霊友会などには間々見られます。

この理由は、前項に記したことと無関係ではないと思います。

> 「スピチュアル」…「守護神」…「善神」…同生天・同名天の倶生神ぐらい

まあ、スピリチュアリズムというのは、神を意識したものと、まるで意識しない流れもありますね。守護神という考え方は、しかし、実に日本的ですね。唯一絶対の神を立てるような文化圏では、こんな考え方は成り立たないわけです。

> 「今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、」

これは逆修についての引用だと思いますが、わたしは、文字通り、回向 ― 自分の積功累徳を衆生に回り向かわせるということだと考えます。

> 種種御振舞御書は偽書と御考えですか?

この書の研究は、種々なされていますが、真筆と偽書の継ぎ接ぎを巻子にしたものであったわけですね。全文が偽書とは思いませんが、かなり混入があり、全体を信頼するわけにはいかない本であると思っています。

> …古来日本人も「黄泉の国」を水平方向に考えていた

これは、わたしも、この手の文献を読んだ記憶があります。

1905マハー:2007/05/24(木) 20:57:59
>>1903-1904
犀角独歩さん
大変勉強なりました。御礼申し上げます。

>故にいつの時代からか、日目の遺骨が日蓮の遺骨といわれるようになった経緯が
>あったのではないのか

直感的な物言いで申し訳ありませんが、仰られるようなことが充分有得たのではないかと思います。時期的検証や文献的な検証を挙げる能力は私にはありませんが、天文法華の乱や本末制度幕策の影響とか動機がなんとなくですが、ありそうです。

>浄土門でも、本山に分骨奉納という慣習が見られますが、わたしは寧ろ、このような
>風習は案外、あったことなのではないかと考えています。

ええ、私も有得ると思います。

>「人間革命」という四字熟語は、堀日亨氏ご愛読の民間療法・健康法を記した本の題名でした。

なるほど。健康法の本だったのですか。驚きました。
新宗教の大概のものはなんらかのパクリです。
例えば霊感商法などが近年騒がれましたが、伊勢講の御師による御初穂や旦那廻りにその走りを見る事が出来ます。

>意味的には、精神的な意味でのたましいの用法が先行していました。

精神 Spirit の意味あいですね。
私は、これからのBuddhismはそのような「Spirit」を選択していくべきと思います。

>まあ、スピリチュアリズムというのは、神を意識したものと、まるで意識しない流れもあ
>りますね

シャーマニズムや陰陽道などを色濃く反映したものは、神を意識しないように見えますが、根拠立てを求めると最終的にはアミニズムに行き着くと思います。
不思議な体験とか超能力のようなものを喧伝する宗教は、挙証主義からは程遠い世界です。最後には体験がものを言いますからね。
仏教は膨大な資料と論理的な深みがあるので、単純なアミニズム思想の理屈付けに利用して、信者を煙に巻くのには最適ですね。

>> 種種御振舞御書は偽書と御考えですか?
>この書の研究は、種々なされていますが、真筆と偽書の継ぎ接ぎを巻子にしたもの

なるほど。
割合はともかく、功徳が分配できるような思想は日蓮本人のものとは違うかも知れませんね。後世の加筆かも・・・


今回、掲示板に参加させていただいて得るものが大きかったです。
管理人様はじめ、賢学の諸氏さまに感謝致します。

1906東条英機:2007/08/24(金) 19:53:11
戦後、戸田城聖氏が創価学会を再興し隆盛を極め、政界にも進出そして後継の池田大作氏の時代なり衆議院にも進出
第四極の階層に希望を与え続けたのは事実だと思います、『第四極の階層(どの階層にも属さない所謂政治から取り残された人たち)』
しかし現在の創価学会・公明党は国家が衰退するときに必ず生じる少子高齢化現象、それは国民の精神的退行から始まるアブセンチズムが原因
だが、この事象を先取りして根本制度改革を推進する政治力が欠落している、

1907再挑戦者:2007/08/24(金) 23:13:42
、、失礼します。
 お名前が「、、」とは、実在の実名でも御座います。
 お心の御発信には御敬意を感じます。 しかし、ソコハカと無く、、怖い、??、、右翼的な、?? 、、かを感じます、? が、?

1908東条英機:2007/08/25(土) 19:00:23
再挑戦者殿
はじめまして 小生は創価学会・公明党関係者でも日蓮正宗関係者でも児玉・小佐野・笹川ライン関係者でも
ありません。
ごく普通の一般人ですよ。
全てに功罪はある事を伝えたいだけです、

1909再挑戦者:2007/08/25(土) 20:31:28
 ドーモです。
 当該HPの一応のルールでは、初めて御投稿されます場合は、それに先立って「自己紹介のスレッド」、にて、概略の信仰歴、現在までの変遷歴、今後の希望的展望などをご説明されて欲しいものですが、、?
 御気に障られましたならば、御免下さいませ。

1910偶ロム偶ログ:2007/08/29(水) 15:16:42
些細なことですが、

>1904
>「人間革命」という四字熟語は、堀日亨氏ご愛読の民間療法・健康法を記した本の題名でした。

桜沢如一著「カレル「人間」解説 : 人間革命なくして社会革命なし」東京P.U.C 1947年
のことかと思われますが、戸田氏が流用したのは
南原繁著「人間革命」東京大学新聞社出版部1948年
の方ではなかったかと記憶しています。

1911犀角独歩:2007/08/29(水) 18:10:22

1904はわたしの投稿です。

“人間革命”という用語について大橋慈譲氏の『佛教思想と富士教学』の“日亨上人を偲び奉る(16)”に「亨師は亦大変健康に十分気を付けられた。大浦孝秋の『人間革命』を購読され、青汁療法を永年に亘って実行されていた」(P345)とあったからです。

このことから、わたしは、戸田さんは、この日亨氏の有様を傍らで見ていて、この書名を‘いただいた’のだと類推していました。

ところが、いまネットで検索すると大浦孝秋著『人間革命』は見つかりません。しかし、‘青汁療法’‘大浦孝秋’‘人間’といった条件で探すと『人間医学』という一項がヒットします。

http://www.mishimaiin.jp/sonota8.htm

『佛教思想と富士教学』の誤植か、はたまた大橋氏の記憶違いか、それとも、本当に同名の書籍があったのか、答え保留となりました。
どなたか、この点をご教示いただければ幸甚です。

戸田さんの盗用については1910:偶ロム偶ログのほうがたぶん合っているのだろうと思います。

1912顕正居士:2007/08/29(水) 18:25:23
この「人間革命」という言葉は終戦後一時流行したものです。終戦後初代の東大総長に就任した
南原繁が昭和21年紀元節に行った「新日本文化の創造」と題する総長演説に起源があります。

「日本に欠けているものは『人間意識』であり、『人間性理想』であったと表明。よってその実現を
目指す主体的な人間革命による新たな国民精神の創造こそが世界的な普遍性に立つ、新日本
文化の創造、道義国家日本の建設の道であること、それが日本が世界と自らとに犯した過去へ
のつぐないを果たし、「民族の復活と新生」につながる方向である」
http://www.t-shinpo.com/tokusyu/ijin2.html
書籍  南原繁著『人間革命』東京大学新聞社1948年3月刊

時期内容ともに合致しますので戸田城聖の小説の題は南原繁由来だと考えます。

1913犀角独歩:2007/08/29(水) 19:06:56

1912:顕正居士さん

いつもながら、鋭敏なご教示、まことに有り難うございます。
参考になりました。

1914偶ロム偶ログ:2007/09/05(水) 15:03:00
オフ会および同スレッドでの、「創価学会ひとり勝ち」云々について。

「学会のひとり勝ち」
私は、発表者とは全く違う立場ですが、このタームには似たような感想をもっています。
何に勝ったとのか、発表ではよくわかりませんでしたが、要するに「学会VS反学会」という図式でのことでしょう。
反学会の動きは1974年に表面化した言論出版妨害事件までは、ミニコミでは多少ありましたが、マスコミではほとんどなされていませんでした。
批判のほとんどは、他宗教によるもので、各教団は機関紙誌で批判したり独自に冊子を出版したり、宗教関係や仏教関係の新聞で批判を続けていました。
それが言論出版妨害事件を契機に週刊誌や月刊誌が批判の中心になります。
池田氏は1970年の本部総会で公式謝罪をすることになり、公明党議員の学会内役職兼任をやめざるをえませんでした。
さらに第一次宗創紛争では学会からも批判者・造反者が出て宗門の学会批判僧侶とともに学会批判をはじめました。
このときには山友・原島といった除名幹部が、内藤国夫氏や元学会で檀徒になっていた週刊誌データマンの段勲氏などの協力で週刊誌・月刊誌で批判キャンペーンをくりひろげました。
第一次紛争にいたるマスコミの学会批判は、じつは創共協定が発端となっています。
また池田氏の宗門離れというか距離を置く言動は正本堂建立後に顕著になっていきます。
結果、池田氏は会長辞任と法華講総講頭辞任に追い込まれました。
後任の第四代会長に北条浩氏が就任しましたが、これは池田氏の指名でした。
北条氏の死去にともなって第五代会長に秋谷栄之助氏が就任、これも池田氏の指名です。
その後、池田氏の法華講総講頭再任で宗創蜜月が復活しましたが、これも第二次宗創紛争で完全決裂しました。
第二次紛争とほぼ同時に連立政権をめぐっての反創価公明キャンペーンが週刊誌などで復活します。
この時期は自民党・他教団・一部マスコミ・四月会が連携しました。
これほど長期間にわたり断続的に批判キャンペーンを受けたにもかかわらず、学会員はそれほど減少しているように見えません。
それどころか、各地の座談会では、大石寺に行ったことが無い会員が確実に増えてもいます。
また、公明党も国政では議席を減らしているものの政権与党になり、地方議会選挙では落選者をほとんど出していません。
他の教団はほとんどが政治と直接関与することを回避するようになってしまいました。
マスコミも単発的には批判はしますが、キャンペーンをはるようなことはなくなってしまいました。

こういった流れを、学会では「師弟勝利の歴史」と名づけているようです。
個々には四月会参加教団の分裂や実質的解散、参加国会議員の失脚、一部週刊誌とライターの名誉棄損での断罪、などなど。
これらは創価新報や聖教新聞の座談会で繰り返し続けられています。

つまり、学会は批判にびくともしていない、池田氏の数々の名誉称号受賞、政権与党、地方議会でのキャスティングボートなどが証明している、という論理です。
オフ会の発表者はそのような学会の実状・体質を報告してくれましたが、彼がそのように思っているということではありません。
彼が「ひとり勝ち」といったのは、これまでの学会批判が全く有効性をもたなかった、という事実を、学会ではそのように思っているのだ、という指摘であり、皮肉を込めた表現でした。

私は、不愉快になるどころか、あらためて学会に対する警戒と批判の必要性を感じましたし、反省するところがありました。

1915犀角独歩:2007/09/05(水) 18:50:11

> 彼が「ひとり勝ち」といったのは、これまでの学会批判が全く有効性をもたなかった、という事実を、学会ではそのように思っているのだ、という指摘であり、皮肉を込めた表現でした。

ここなんですよ、わたしも凝視したのは。
ただ、それが皮肉なのか・本気なのか、わたしはこの方とあまり付き合いがないので、よくわかりませんでした。けれど、偶ロム偶ログさんが、そう仰ったので、「やはり、そうか」という気分で受け止めました。

反学会側のタームは、大きく二つあります。一つは「創価学会には功徳がない」、もう一つは「事実を糾明して、創価学会に打撃を与える」

実はこの二つを総括したのが今回のご発表であったろうとわたしは傾聴していました。

顕正会あたりは、盛んに創価学会は正本堂以降、功徳がなくなった(この功徳という用法は学会を含む石山圏独特ですが、いまはそのまま使用します)というわけですが、モーニングさんが示す学会像は180度逆なわけです。「本尊も、教義も、みな二次的副次的なことだ。事実、創価学会には功徳と福運と実証が溢れている」という反学会の意見を真っ向から覆す意見を以前から述べていたわけです。つまり「創価学会にはほかなど問題にならない功徳がある」ということを「勝ち」と表現しているわけです。

今回は「仇討ち」という点にスポットが当たってしまったために、モーニングさんが述べたもう一つの結論が忘れられてしまいました。こう仰った。「われわれ学会員が伝えるものは、本尊でもなければ、教義でもない。学会精神なのだ。勝つまでやり続ける生命力を一人になって貫くということ。この学会精神がどんなものかは、学会員でなければわからない。教義などという小難しい話で説明するのではなく、会員の魂と情熱に訴える大合唱、『学会歌』という老いも若きも、学も無学も、共に手拍子をし、肩組み合って歌うなかに、端的にみることができる」

これはわたしはそのとおりだと思います、もちろん、賛同するか、否かは各人の見解ですが。

島田先生の学会分析は、外から見た創価学会の分析であり、長時間の熱弁であり、実に精緻なものでした。新たな視点が満載でした。この点は、あとから記そうと思います。
この島田先生の発表に対して、内から見た創価学会分析は、短時間の穏やかにして、しかもまた、違う意味で精緻であったと、わたしは聴きました。

島田先生は講演の終わりに「独歩さんが、いくら本尊の真偽をやっても、創価学会はびくともしないでしょう」と括りました。そのことをモーニングさんは「創価学会は本尊論は一貫している。今後、変更することはない。過去を振り返ることもしない」

そうでしょう。学会員にとっては、まさにそうでしょう。
さて、では、ここから、どうやって、「一本」を取るか、わたしは挑戦をやめたわけではありません。

1916再挑戦者:2007/09/05(水) 22:50:09
 横レス失礼。
 <、、いくら、、真偽、、やっても、、びくとも、、しないでしょう>。
 
 なかなか、含蓄のある考察ではございます。 
 ただ、あくまでも、一度か日蓮曼荼羅さまを拝んだ方では無いようです・・。
 当該のお方は、最高学府の東大の一分野の学徒・研究者に過ぎませんか。
 生きるか・死ぬか・・の修羅場を何十回も体験・実感した我らは、こんなアマチャン・ヤワな考察には、No、、と言わざるを得ません・・。 
 今後とも、諸賢の御提言には、関心・維持だけは、と存知ますが。

1917犀角独歩:2007/09/05(水) 23:01:46

再挑戦者さん

いや、島田先生の分析は、たしかでしょう。
要は、漫荼羅鑑別などでは、創価学会は微動谷もしないという分析については、です。

ただし、今後は、これまでのように、究竟の閻浮第一の本尊などいう調子ではいかない、では、今後、どうするのか、という次段階で、創価学会は動き出していますから、漫荼羅真偽といった単純な攻め口から、こちら側も、さらに新たな視点、新たな視点を睨んで、事に当たろうと思っています。

戸田さんの言葉を奪って言えば「追撃の手は緩めない」といったところです。

1918再挑戦者:2007/09/05(水) 23:54:24
、、、。
 
 ドーモ、、。
 今後には・・・・・???
 タダ、 弱者が、ボコボコ、、と痛められるのは、許容外かも〜〜?

1919偶ロム偶ログ:2007/09/06(木) 00:12:22
真偽スレの1837でこちらへの移動を提案したので、ひとこと。

私は高校時代にはじめてひとり折伏し、彼は学会に入りました。
大学時代には学内組織の春の新勧で一年生、二年生と二回やり、それぞれ数人が入ったと思いますが、これは代わる代わる何人かでの折伏でした。
私は学生時代に学会をやめましたが、卒業までの約二年半は、ある意味ではたいへんでした。
最初は学内メンバーとやりあっていたのですが、二週間たつかたたないうちに私とは一切口をきくなということになり、しかたなく、別サークルで学会批判を続けたものです。
真偽スレにも書きましたが、私は学会からすれば退転者であり謗法となったわけです。
私は幸いなことに熱心な学生部員でもなく、力説して折伏したこともうりません。
高校時代の折伏は、自暴自棄に陥っていた友人に対して、気分転換を勧めるようなもので、彼が入ったのには私が驚いてしまったくらいです。
私は学会、檀徒会、法華講を体験はしていますが元来組織が嫌いでしたから、みなさんのようなバリ活だったことはほとんどありません。
せいぜい、檀徒会のころに親類一家七人を脱会させて法華講に入れたていどです。
その後、私が正宗じたいから離れてから親類一家には本尊論や血脈問題、その他で正宗批判を続けましたが、彼らは反論せず、私の意見を受け入れたうえで、法華講にとどまっています。
「学会をやめて法華講に移ったのに、いまさらどこに行けばいいんだ」
学会では地方組織の大幹部、法華講では総代になった一家です。
受け皿のないままやめさせることはできませんし、いまでは信徒というより檀家というかんじでいるようです。

ほとんど参考にならないですね。すみません。

1920犀角独歩:2007/09/08(土) 09:22:17

『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』からの移動を、偶ロム偶ログさんから促されましたが、彫刻本尊に係る内容を少し書いておきたいので、敢えてそちらに記しました。

さて、こちらでは、『創価学会の功罪を考える』という筋から、少々記したいと思います。

このスレッド名で重要な点は功罪ということでしょう。罪過のみではなく、功績も考えるということです。

この二つはしかし、実は肯定的な立場にある人と、否定的な立場にある人では、そのバランスがまことに悪いわけです。

肯定派は、功績を肥大した形で論じますし、否定は罪過を肥大して論じるからです。まずはバランスよく考えること、つまり、実像をしっかり見据えることが第一歩となるわけです。

この点で偶ロム偶ログさんの視点は明晰なのだと思います。
わたしは脱会者としての被害者意識と、脱会後の活動家自体の自画像については加害者意識が、どうやら強いようで、厳正な中立的な分析に欠く嫌いがあったのだと、現時点で自己分析をしています。

しかし、時間というのは最大の治療師のようで、今回の合宿でモーニングさんのご発表を拝聴した際、わたし自身の関心事は、このような創価学会肯定型の内容を自分の感情がどう受け止めるのかということでした。

モーニングさんご自身にも告げましたが、わたしの第一の感想は「懐かしい」というところでした。もはや、二度と謳うこともない「学会歌」の歌詞と、クールではあるけれど、如何に創価学会幹部然とした発表した有様が、脱けて17年にして見聞するとき、どこか青春時代に命がけになっていた自分とシンクロするところがあったようでした。

問答さんとのやりとりとも関連しますが、わたしが半生をかけて何もかもを犠牲にしながらやってきた信仰、本尊と教義は“偽物”であったわけです。しかし、そこから振り返ると、その偽物の本尊と教義を信じ込んだ集団と人々のあの熱烈な信仰と行動力の源泉、創価学会の用語を使えば“生命力”は、では、どこから発生していたのだろうという新たな疑念が生じたわけです。

創価学会には功徳がないという批判はあるものの、今回のモーニングさんのご発表のように、「勝った」という実感を有する会員がいるからこそ、創価学会の現行勢力は保たれているのでしょう。ここには生命力と功徳を実感する人々がいるわけです。

たしかにカルトという言葉は熱狂的な信仰というのが、原意であって、では、その教義は真かといえば偽である、偽であるけれど、熱狂的な感動がそこにあるという反比例があるわけです。

たぶん、このような構造のなかで、感動し、“功徳”を実感する人々の心象は、偽の本尊・教義とは裏腹に、真として存在しているのだろうと思えます。
となると、ある意味、本尊・教義の真偽を問うことはナンセンスということになります。

では、この生命力の源泉、モーニングさんの言い方を借りれば、「勝ち」の源泉とはいったい何なのか、それを発表では「学会精神」だと結論していたわけです。全てを勝ちに変えていくプラス思考、それが学会精神なのだとモーニングさんはいうわけです。

1921犀角独歩:2007/09/08(土) 09:22:56

―1920からつづく―

楠山師は『立正安国論』を現代に読むという視点から日蓮の発想はプラス思考であり、念仏法然のマイナス思考と対峙すると分析していました。島田師は、わたしに対して本尊鑑別を行ったところで創価学会はびくともしないとも語ったわけです。両師によって出そろった結論は、ある面、なぜ、創価学会が日本最大の新興団体になったのか、また、会長が交代しようが何しようが、その勢力を保ち続けているのか、その要員について、モーニングさんの「学会精神」という結論と、実はまったく齟齬を来していないという一連の脈絡が、実が今回の合宿を通じた総体的な結論の一つになっていたことに、開催者であり、かつ、脱会者であるわたし自身がいちばん驚きました。

しかし、このような脈絡については、偶ロム偶ログさんは先刻ご承知なのであって、だからこそ、創価学会の功罪を見る実に長けたバランス感覚がそこにあったのだと改めて思いました。

では、一字三礼さんが仰ったような反対意見が的はずれなのかといえば、わたしは、そんなことを言いたいわけではない。つまり、このような創価学会の有様に「No!」という選択をした側は、罪過面がそこに何ら反映されていないという点を見ているからだと思います。その意味において、一字三礼さんの反応もまた、もっともだと思えます。

この点で、モーニングさんは、「創価学会は過去を振り返らない」、こう仰った。つまり、過去の発言、行動を詳細に挙げれば、現代の創価学会は、その過去の発言によって自ら自己否定を強いられることになる、その最善策が、過去を振り返られないということなのでしょう。これは創価学会にとっては、まことに都合がいいわけですが、実際に創価学会を“加害者”とみなす陣営からすれば、やはり、「冗談じゃない」ということになります。

先の学会精神ということに関連しますが、創価学会が言う師弟共戦で、かつて負けを喫した師匠を、逆転必勝に導いてきたのは何か、それが「仇討ち」なのだというのがモーニングさんがいうところでした。

法然は父親の夜襲で失い、その絶命の間際に「決して仇討ちをしてはならない。仇討ちはまた次の仇討ちを生む」と諭して出家して菩提を弔ってくれるよう遺言し、その亡父の逝去の年齢に法然念仏宗をはじめたと物語されてきたわけです。

法然の逸話と比し、いまの創価学会が仇討ちで「勝ち」を取ったという認識をするとき、しかし、メンタリティからいえば、わたしの個人的な見解として法然に劣るように感じます。

わたしは学会・顕正会を含む石山圏から距離を置き、通仏教をみるようになったとき、その寂照とした有様に魅了されました。前者の動的様は、本来、仏教がもっていた静的な部分から見ると、実に生臭く感じたという自分史があります。

この点は、一字三礼さんにご意見をお伺いしたいと思うのですが、漢訳のみならず、サンスクリット語原典も視野に入れて渉猟されてきた該博な知識からすると、この点で、モーニングさんの、というより、学会精神・仇討ちといわれるところに不快感が生じたのではないかと、わたしは観察しました。


雑駁な文章となりましたが、偶ロム偶ログさん、一字三礼さんほか、皆さんから、ご批正を賜れれば有り難く存じます。

1922犀角独歩:2007/09/08(土) 09:29:45

相変わらず訂正、すみません。

【1920】

誤)脱会後の活動家自体の自画像…中立的な分析に欠く嫌い
正)脱会後の活動家時代の自画像…中立的な分析に欠くきらい

誤)如何に創価学会幹部然とした
正)いかにも創価学会幹部然とした

【1921】

誤)その勢力を保ち続けているのか、その要員について
正)その勢力を保ち続けているのか、その要因について

誤)法然は父親の夜襲で失い
正)法然は父親を夜襲で失い

1923パンナコッタ:2007/09/08(土) 14:36:55
"その後も、深い爪痕を残す宗教"の一つであると言う事は、疑う余地はありませんね。
ただ、必要以上に罪悪感を感じてしまい、その重圧で身動きが取れないような事になっては
良くありませんね。 問答さんの示されたスタンスは、規範にも成りうる物かと思います。

学会歌の仇討ちの件につきましては、当の発表時に
「末端会員の間では歌われておらず、知らない人も多いじゃないか」と、
自分はツッコミを入れましたが、ちと温度差のある対応でしたね。

自分なりに振り返ってみれば仇討ちの復讐心は、牧口初代の獄死に対して
日本国及び日本に向けられていた感情をある意味、教団拡大の推進力に
していたんじゃないかと思えます。
また、第二次創宗紛争以降は、会長勇退→横浜で一人立つ を強調しはじめて、
"その復讐心"と増悪を、事情を良く知らない末端会員にも煽っていたのを憶えています。

勇ましい歌詞をつけた軍歌調の歌で集団の結束を図る というやり方は時代にそぐわなくなってきたのは
おそらく事実でしょう。 しかしながら主観ではありますが、この先公明党が与党から野党の一派に成り下がった時、
広布に走れ・紅の歌・威風堂々の歌 等を、末端に歌わせ結束を図る という打ち出しをしそうな気がしますね。

1925パンナコッタ:2007/09/08(土) 14:44:03
すみません。
 >日本国及び日本 → 日本国政府及び日本
    です。

管理人さん、すみません >1924は、削除してください。
お手数かけます。

1926一字三礼:2007/09/08(土) 23:25:21

犀角独歩さん

私は創価学会の歴史や事情はよく知りません。ただ、日蓮正宗の在家団体から破門・独立の経緯があり、現在にいたるのであろうと思う程度です。

だから、「創価学会は、興門系日蓮法華を奉ずる仏教団体」であるとの認識がありました。

私が最も違和感をもったのは、彼の発表する創価学会からは日蓮法華どころか、仏教の要素がまったく聞き取れないことでした。
いったい、何を布教して勝ったつもりになっているのか。
だいたい誰かに‘勝つ’だの‘負ける’だの仏教では否定されるべき価値観でしょう。

私以外の合宿参加のみなさんは、たいへんに博識で、創価学会の特殊な用語や事情を熟知した上で発表をお聞きになったのだと思います。

>メンタリティからいえば、わたしの個人的な見解として法然に劣るように感じます。

私もまったく同様に思います。創価学会は、もはや仏教団体ですらないのでしょうか。

1927偶ロム偶ログ:2007/09/09(日) 03:10:18
一字三礼さん

>創価学会は、もはや仏教団体ですらないのでしょうか。

難しいところですね。現在の創価学会は「池田思想」という非常に曖昧なものを信奉し、それを広めることをもって広宣流布と呼んでいるように見受けられます。
それだけであれば確かに「仏教団体」ではないと考えることができ、ある意味すっきりするのですが、、、。
彼らはいま現在も、漫荼羅本尊に向かい略式とはいえ勤行をし、多少は御書を読んでもいますから、「仏教系の団体」ではある、というところではないでしょうか。

>私が最も違和感をもったのは、彼の発表する創価学会からは日蓮法華どころか、
>仏教の要素がまったく聞き取れないことでした。

まったくおっしゃるとおりで、三十年前、四十年前の創価学会を知っている私や独歩さんからすれば、まったく知らない違う団体になったとしか思えない、そう感じるわけです。
しかし、モーニングさんが「仇討ちの精神」と発表されたとき、その言葉は、忘れていたけれどたしかに聞き覚えのあるものでした。
その「仇討ちの精神」は戦後、戸田城聖氏が牧口常三郎初代会長の三回忌の席上で発言したことに原点がある、というモーニングさんの指摘は正しいでしょう。
それから現在に至るまでことあるごとに学会員はそれを刷り込まれ続けてきたのです。
当然のことながら、仇討ちは勝たなければなりません、返り討ちにあって負けては「恥」になるわけです。
つまり学会員の公私は「勝利する」という強迫観念に支配されていると私は思っています。
それは池田さんの仇討ちであり学会批判に対する仇討ちであるわけですが、勝利ということについていえば、家庭で、地域で、職場で、学会員でない者には負けてはならない、そういう論理なのです。
独歩さんが指摘された、

>過去の発言、行動を詳細に挙げれば、現代の創価学会は、その過去の発言に
>よって自ら自己否定を強いられることになる、その最善策が、過去を振り返
>られないということなのでしょう。これは創価学会にとっては、まことに都
>合がいいわけですが、実際に創価学会を“加害者”とみなす陣営からすれば、
>やはり、「冗談じゃない」ということになります。

という点について言えば、学会員たちは創価学会に入ることで「謝罪から解放」された、ということなのかもしれません。
たとえ謝るようなはめに陥っても、それは池田さんであれば「学会員を守るための屈辱」であり、学会員であれば「池田先生と学会を守るため」にしたこと、そう自分に言い聞かせているのでしょう。
ですから彼らは心の底から反省するとか謝罪するということはない、私はそう思っています。
もし有るとするならばそれは、「池田先生に申し訳ない」という反省であり謝罪でしょう。
反省や自省のない仏教など普通では有り得ません。
ですから私は彼らをせいぜい「仏教系の団体」であるというていどにしか思っていないのです。

パンナコッタさん

>この先公明党が与党から野党の一派に成り下がった時、広布に走れ・紅の歌・
>威風堂々の歌 等を、末端に歌わせ結束を図るという打ち出しをしそうな気
>がしますね。

たしかにそうかもしれません。私もそのような気がします。

1928再挑戦者:2007/09/11(火) 20:48:10
偶ロム偶ログさん、
 横からご免下さいませ。
 確か、以前、小生の入信頃では「折伏教典」は規範=教科書も同然でした。 それが、なぜか、生命の重視に反する、人命の人命軽視をする方向に転換したのか、? 疑義があります。
 選挙の”一票欲しさに、!!!”「、邪宗方との和睦=与同法謗、」に通じる判断力・分析などの欠落こそが、現今の、似ても、似つかぬ、日蓮サンの否定につながった、ようでしょうか、、。
 諸賢様からの貴重な情報提供、いつも謝をいたします所存で御座います。失礼しました。

1929偶ロム偶ログ:2007/09/12(水) 04:22:22
再挑戦者さん

>「折伏教典」は規範=教科書も同然でした。

おっしゃるとおりでしたね。かつてわが家にはそれぞれ版の違う「折伏教典」が20冊以上もありました。
「折伏教典」は折伏する相手に「勝つためのマニュアル」でしたから、一種の想定問答集でもありました。
創価学会は時代や社会情勢の変化に敏感に対応して、「折伏教典」を頻繁に改訂し続けました。
しかし、それは折伏の現場からの声をくみ取ったものではなく、高学歴の教学陣たちが頭のなかだけで書いたものになっていったように思います。
創価学会の折伏は、いつのまにか民衆救済を目的としたものではなく、創価学会を広めることそれ自体が目的になってしまたように感じます。
かつて「邪宗」と呼んでいたものも、いつのまにか「他宗」になってしまいましたが、その理由は説明していません。
創価学会は、「謝罪」どころか「説明」すらもしない教団になっていますね。

1930犀角独歩:2007/09/12(水) 07:28:50

偶ロム偶ログさん

『折伏教典』は、何を原形にしたんでしたっけ。
最近、大石寺で出している、これまた、『折伏教典』を見本にしたような本は何といいましたっけ?

1931偶ロム偶ログ:2007/09/12(水) 13:28:21
独歩さん

>『折伏教典』は、何を原形にしたんでしたっけ。

戦前の皇道仏教行道会が出していた『聖衆読本』ともう一冊(ど忘れしてしまいました)を参考にしたと思います。
探し出せば出てくると思いますので、今度コピーをさしあげます。

>最近、大石寺で出している、これまた、『折伏教典』を見本にしたような本は何といいましたっけ?

大石寺が出したのは数年前の『折伏教本』ですが、最近出たのは
大草一男・編『折伏必携 完成版』(「暁鐘」390号別冊号)平19/04/28発行、713頁、頒価1700円
ですね。まあ、近来まれにみるトンデモ本です。
ちなみに216頁から始まる「第四部疑難破折編第一章本門の大御本尊について」では、
後世の偽作説
日禅授与本尊模写偽造説
脇書接合説
七箇相承違背説
願主不審説
身延無楠説
熱原法難無縁説
その他、全13項目36頁にわたって相変わらずの主張を垂れ流しています。
また241頁からの第二章宗祖本仏義、250頁からの第三章血脈相伝について、でも同様の内輪向け強弁を書いています。
第五部折伏50問50答、270〜379頁
第六部主な邪宗教の破折編、382頁〜688頁
とにかく一冊丸ごと石山体質の塊といったタノシイ本です。

1932犀角独歩:2007/09/13(木) 00:06:52

偶ロム偶ログさん

ご教示、有り難うございます。
『聖衆読本』でしたか。
で、妙観講の本というのは、大石寺すら、その発刊に責任を負っていないという不可思議な本のことですね。
こちらの山では、株式会社大日蓮出版というのを公式に創ったわけで、それはつまり、それ以外の本は、大石寺とは関係ないという表明=妙観発刊物、関係ないという意味ですね。

わたしが大石寺内事部で仕事をしているとき、教学部で許可をしない出版物は大石寺の正式の出版とは認めないと明言していました。
つまり、妙観講の発行物は大石寺の埒外ということ、つまり、内外共に“とんでも本”ということなのですね。
この辺の事情をしっかりと掌握しないと妙観講の出版事業の彼らの販売利益に貢献するだけのことになるわけですね(笑)

1933波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/13(木) 06:25:08
私の経験から言うと、妙観となんらかのトラブルがあっても石山宗務院は
全く”われ関せず”の態度をとる。

悪名高い慧妙は完全にどこが実質的出版編集かも隠していて理境坊内にあるのに、
明言を避ける。

彼らには彼らの僧侶ネットワークがあり、このネットワークの僧侶たちは
裏では慧妙、表では道心を用いてその妄言を喧伝する。

1934とおりすがり:2007/09/13(木) 16:45:29
>>悪名高い慧妙は完全にどこが実質的出版編集かも隠していて理境坊内にあるのに、明言を避ける。

一言申し上げるが、慧妙は理境坊内にはありません。
一応、富士宮市の住所地を編集地としておりますが、全ては郵便局から転送をし、出版も発送も妙観講本部(西荻窪)で行っております。
しかも、本部の行事の後に、講員を使い発送作業をさせております。
また印刷は共産党の赤旗と同じ印刷所を使用しております。
そもそも慧妙のどこにも「理境坊内」とは書いていない。
根拠不明の論はやめた方が良い。

1935とおりすがり:2007/09/13(木) 16:47:57
>>裏では慧妙、表では道心を用いてその妄言を喧伝する。

道心は宗門の通達により廃刊になった。
H師が道心上で慧妙を批判した事も影響している。
つまり上記は似非情報である。

1936波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/13(木) 18:57:33
>>1934
それは信じがたい。私の調査内容とは不一致。

慧妙には理境坊とは書いていないが編集はこの坊でなされているのは公然の秘密のはず。

>>1935
またねつ造ですか。道心が廃刊になった理由は慧妙とは全く関係のないこと。
あまりにもコジツケ過ぎて君の書き込みは抱腹絶倒ですらある。

だいたいその僧侶は、さかんに道心上でも本覚思想賛美・肯定をやり正宗宗門内でも否定的に
見られていたではないか。

その僧侶もある僧侶グループの片割れであり、道心や慧妙を使い、時には
北海道の法太郎などをその手足として使い謀略的言動や行動すら繰り広げていた
人物の一人ではないか?

旧時局グループのひとつであろうが。

1937阿佛棒:2010/02/22(月) 08:21:35
本日は創価学会禮賛をここにしるし大功徳を得てやろうと
スケベ根性で書き込む次第。

信心というのも要は結果であります。
病気は治らない貧乏である災難に見舞われる念仏者ブキャー

効果なければ信じなくて良し!であります。

現代にいたって創価学会が出現し大ブレイクしたのは
創価学会の教えによって人々が救われた何かがあった。それが思い込みやカンチガイを
含むものとしてもちょっと多過ぎませんか?

今の日本でもっとも悪口雑言を受けているのは池田先生であります。
ヒトラー麻原ビンラディン金正日と並べて世界の大悪人の筆頭であります
全くの善人とは思いませんが
先生がこんなに難を受けるのはもしかしたらオレって本佛って思っても無理からぬ。

一代で本願寺勢力に比肩する一大宗教勢力を作り上げたこの手腕はまさに世界宗教の教祖級であることは
信仰のある無しかかわらず

もっと評価されるべき

1938ちょっと立ち寄りました:2010/04/17(土) 15:45:20
創価公明をすべて悪であるという立場は取らない。何事も功罪があり、その「功」
の部分も冷静に評価すべきである。だが、創価公明の場合はいかにもプロパガンダ的に
「功」のみを過大過剰宣伝し過ぎるからそれが逆効果を生んでいる。
もっと自信をもってどっしり構えるべきではないか?

いずれにせよ池田大作後の創価は大きく方向転換の舵を切らざるを得ないだろう。
もう創価利権ネットワーク体制は縮小していくものと思われる。公明の発展的縮小と撤退、
職業幹部の減少、関連企業の縮小整理等々。

1939悟道掴悟空:2010/05/13(木) 22:47:18
悟道掴悟空と申します。皆さんこん○○は。

別に宗教一派を侮辱するつもりではありませんが、学会は未だに良いとも悪いともいえません。
ただ、天尊を求めているような感じは見受けられます。戸田氏しかり、池田氏しかり。
家系は創価学会なのですが、7〜8年前に、相当幹部のやり方に納得いかず、3度破折、2度手紙でいさめましたが、
未だに念仏僧?のような女々しい題目を送っておられるようで、少し嫌気が差します。
その幹部がとった行動も面白かったですね。当時はあまり問題化していなかった児童虐待動画を私に配布するとか、
増上慢も甚だしい行動を取ってはストーカーみたいにいる。

こういうタイプの人は、たとえば、階段を登っている時に、上段から睨んでいるようなもので、
一言でいうと 「うざい」 。
ハエか何かに集られているのかと思いましたよ、全く…。

池田「先生」にそうメールを送れば忘れ去られるように怒られる。
32歳の男がいうのもなんですが、氏の親の顔が見てみたいです。

しかも幹部を“通さずに”、直接メールを送っても返答なし。
それも一回、二回ではありません。まして十回、二十回でもありません。
百回近くの問答にも、池田大作という男は、一切返答しません。
それにつけて、改竄の寛尊についてどうかと構えれば、師匠の戸田城聖とかいう男は、
何の教育をしてきたのかと思えるほどです。

1940悟道掴悟空:2010/05/14(金) 00:53:29
もう一つ。
日蓮聖人のご教示通りに仏意仏勅(=本門のお釈迦様の本意に準ずる)をこなすと、
世にある全ての不可思議、若しくはその本果を全て開眼できます。
UFOとか霊などの素性も、事象を通して私は説明できます。

また私の仏眼は、その人の過去世を見抜くというものですが、池田大作名誉先生は
○○○良○の後世ではないかと思っていたところ、注法華経にはその三証を垣間見れて面白いです。
総じて、無敵であるかのようにうたい、確かにその通りのかな?という創価学会ですが、
注法華経を仏意仏勅で読むと、何の因行果徳でそうなっていったか垣間見れますので興味ある方はお試しください。
最近になっては確信にいたりました。

口伝である就註法華経口伝には南無妙法蓮華経と火大だけが説かれており、
他にも水大・地大・風大、総じて空大と五つあるのが分かりました。
ちなみに水大は全部書き記しています。空大も一緒のようでしたので書き記しています。

1941悟道掴悟空:2010/05/14(金) 10:37:47
この世の不思議は、全て変易生死(へんにゃくしょうじ)というもので考える事ができます。
分段生死は六道輪廻の狭間で悟れない出世を繰り返すという凡夫にはつき物の生死観ですが、
変易生死は四聖(ししょう)の活発な悟りで、三世自在の時を撰べる生死をする事ができます。
ただ、制限があって、
過去に行く場合はその現在においての定まった条理しか路にする事はできない。
未来に行く場合は、その過去現在を否定できない。
となります。
故に日蓮聖人様の「過去・現在・未来といっても、全く同じである」という理論が確実な結びとなりますね。

オカルトではありませんが、「ノストラダムスは未来から過去に生死を繰り返した」なんてありますけど、そこから考えると変易生死と理論がぴったり一致します。
ただ、弱点があって、時流にそってそうではない場合、簡単に空論になってしまいます。

霊というのは実在します。
「仏の三十二相」といいますけど、三十二相は誰しもが兼ねて備えています。それが不足している場合、人世間に往生できない。そのため霊となってしまう。
善霊は驚かせて精としないために神と同じ働きを生みます。南無妙法蓮華経では、追善供養で作仏するのはこの理論だと思われます。

現在宇宙科学を科学学会では活発に研究されていますが、宇宙の真理は釈尊の悟りであられる「宇宙即我・我即宇宙」を超えていません。過去・現在までの研究はほぼ完了済みで、未来も含まれている事実を完璧に理解すれば、それは悉く自分に過ぎないという生命の働きを鑑みる事ができると思います。

1942悟道掴悟空:2010/05/14(金) 10:59:35
経緯から考えて、像法漢土では南三北七の諸宗がありましたが、内に釈尊を敵とする悟りの法の人が見受けられました。これを諸大師は彼仏(かのほとけ)と皮肉っておられます。

特徴は
・六道の凡夫を超えない
・お釈迦様がだいっ嫌い

というところでしょう。


悟りの法というのは人間の鑑みる随一の方程式であるわけですが、すでに釈尊が体系されておられるので仏を侮って、結局は悟りの法を説こうとしても、円教である法華涅槃には負けてしまう。

うちに極楽寺良観という先生は、その中の代表的な無名の未来成道を誓う人だったと考えられます。
ただ、彼仏に過ぎないので、瞬く間に破られる。

こうして逐一在世につながる時には先立って空気を読み、何かを説いて自分が長者になろうと量る。

悟りの法の肝心は開近顕遠(かいごんけんのん)にすぎません。因んで、これをもって瞬く衆生を広開近顕遠にする人がいる時代を「如来の在世」と言います。
悟りの法が正しくないと、依報も粒子が働いて遠近が乱れてしまい、たまに水彩画のような風景を垣間見るのは、本尊が釈尊ではない題目を唱えていらっしゃる宗教があるからだと喝破します。

正宗で必要な知識はこれぐらいでしょうか?
足りないようなら、知見して書き込みますのでよろしくお願いします。

1943ひきこもり:2010/12/03(金) 21:41:30
>>1938
創価学会には多くの悩める人を救った大きな功労がありますよ。実際に創価の人は強いですよ。
問題は公明党と言う政党を作り、信者に特定の政党に投票を強制した点や特定の政党を非難させ
た点にあると思います。政党の選択を信者から奪い、民主主義とはおよそかけ離れた存在になっ
たために、宗門との離脱になったのでしょう。

1944古沢石日:2011/06/29(水) 22:27:20
お題目の力に功徳があったので布教できたのです。
昔の折伏は相手の幸福を第一に祈念したものです。
無欲の祈りに功徳をいただけた。

今は誰々を折伏して自分に功徳をもらおう!とか
組織上でのノルマでの折伏。

創価学会は勘違いしてますよ。
自分達が布教してきたってね。

人を思いやるお題目が同志を増やしてきたんですよ。
早く思い出さないと地球が無くなってしまいます。

1945古沢石日:2011/08/04(木) 01:02:04
>>1944の訂正をさせて頂きます。
>今は誰々を折伏して自分に功徳をもらおう!
これは草創期からの定番でした。
折伏の成果は自信の功徳になる。

今一番創価学会が犯している過ちは、日蓮聖人のお名前だけを
看板として使い、御文を学ばず、会長の指導を指針として活動している事です。
私もこの板で学ばせて頂き、少しながら偽書の怖さが解ってきつつあります。
ところが、地域の幹部が指導で使う御書は全て後世に作られた偽書ばかり。
それを指摘すると驚くべき答えが返って来ました。
「大聖人の御書であるか、後々誰かが作ったものか、そんな事は問題じゃない。
 我々はその御文を池田先生がご指導に引用して頂いたその時点で、その
 お言葉は先生のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。」
これは私の身辺の幹部の個人的な意見ではないと思います。
これは大変な事になってしまっています。

1946古沢石日:2011/08/04(木) 01:05:50
仏敵民主党 法戦Fどりによる功徳
こんな言葉が平然と語られています。

仏的民主党と連立を組んだら、血眼で民主党候補の応援をすると思います。
創価学会は何に「南無」しているのですか!!

1947問答迷人:2011/08/04(木) 12:57:41

古沢石日さん

>後々誰かが作ったものか、そんな事は問題じゃない。我々はその御文を池田先生がご指導に引用して頂いたその時点で、そのお言葉は先生のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。

これを日蓮聖人と入れ替えてみます。

「法華経が釈尊滅後に教団によって創作されたものであろうと、そんな事は問題じゃない。我々は、日蓮聖人が法華経の題目・妙法蓮華経の五字が究極の教えであると説かれた時点で、南無妙法蓮華経は日蓮聖人のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。』

如何でしょうか。池田崇拝と日蓮法華信仰とは、構造としてはそっくりなのではなかろうか、と思います。

1948問答迷人:2011/08/04(木) 19:27:28

追加です

日蓮法華の信仰者である僕は、次のように考えています。

「法華経が釈尊滅後数百年以上経過してからの創作であるとしても、法華経には、釈尊の悟りが正しく受け継がれており、その釈尊の悟りのエッセンスを日蓮聖人は南無妙法蓮華経として説かれたのである。」

これに対して、法華経を単なる創作物語に過ぎない、とする立場の方は、恐らく次のように考えられるでしょう。

「そもそも、大乗経典は釈尊が説いたものではない。後世の弟子の創作であり、いくら法華経が大乗経典の中の最高峰であると言っても、所詮、架空の創作物語の範囲での優劣に過ぎず、それらは釈尊とは直接何の関係もない。」

当然のことながら、考古学の立場からは、後者の大乗非仏説の方に軍配が上がりそうです。しかし、僕は次のように考えています。

「悟りは、悟った人にしか判らず、その悟りを正しく表現することは甚だ困難である。それゆえ、釈尊の弟子の中に、釈尊の悟りを追体験した方が次々と出ておられれば、大乗仏典は創作物語でありながら、物語の形で釈尊の悟った世界を表現しているという事が可能になるのではないか。つまり、非仏説でありながら、その中身は、仏の悟りを解き明かしている、という可能性を十分考えることが出来る。」

これはもう、信仰の世界です。あとは、僕自身が信仰によって、日蓮聖人の体験した世界を追体験することが出来るかどうか、この一点に尽きると思っています。

それから、池田教は当然信仰として成り立つと思います。『このようなマンモス組織を作り上げたリーダーの池田氏が、既に釈尊の悟りを追体験して仏教の精髄に到達しており、民衆を正しく導く事の出来る世界唯一の指導者である」という信仰。この信仰の是非は歴史が明らかにしてくれると思います。

1949古沢石日:2011/08/04(木) 23:14:03
問答迷人さん

ご意見を読ませていただいて本当にびっくりしました!
ご指摘のとおり、まったく同じでございます。
問答迷人さんのご意見を創価学会員は、
「釈尊 日蓮 そして 池田へと 正法は 受け継がれる。」などと
言い出しかねませんね。

しかし私は「お題目」が信仰で、日蓮聖人のご指導が信仰です。
私は釈尊をよく存じません。法華経二十八品もよく存じません。
でも、日蓮聖人が妙法蓮華経に帰命しなさいと仰せですので
それのみを信じ信仰しております。
創価学会の長は、組織の長であるだけで、会社のお偉いさんと同じです。
日蓮聖人はお命をかけて日本の柱としてまったくブレのない御一生を
過ごされました。過去現在未来、いかなる人間が現れてもどうにも
意見批判もする余地のない、最高の師であります。

1950古沢石日:2011/08/04(木) 23:21:15
池田先生には、欠片も感じれません。意見ブレ過ぎです。
先月久々に同中に行って、放送されていた過去映像みたんですが、高等部相手に右手を胸に当てる
しぐさ(アメリカの兵隊の敬礼みたいな動作です)を何回もしてました。
意味不明なのに、あんまり何度も繰り返すから、頭にきましたけど。
ピアノ演奏も見ましたが「この技術で作曲できるかな?」が感想です。
周りが持ち上げて持ち上げて持ち上げて、ヒーローになった感じですね。
私は、どうしてあんなに崇拝されているのか、まったくわかりません。
わたしが以前おまんだら書写の質問を繰り返しさせていただいたのは、
将来「池田まんだら」が出ると思いますので、そのときのためです。

1951古沢石日:2011/08/04(木) 23:22:49
×  問答迷人さんのご意見を創価学会員は
○  問答迷人さんのご意見をもし創価学会員が目にしたら

1952問答迷人:2011/08/05(金) 10:53:55

>日蓮聖人はお命をかけて日本の柱としてまったくブレのない御一生を
過ごされました。

その御一生を支えたのは何だったのか、やはり、一大秘法・妙法蓮華経の五字、という事になると思います。日蓮聖人の生き様は、驚嘆に値しますね。

1954独学徒:2011/08/06(土) 19:35:00

ご無沙汰しています。

私はお二人の意見とは正反対ですが、日蓮聖人はブレまくった人生だったと思います。

御主張もコロコロ代わっており、もって滅後の教団で異見が多数生じていると思います。

凡夫僧ですのでブレて当然、そんな生身の日蓮聖人を自分は慕っています。

最近は台家寺院に出向いて研修していますが、書名失念しましたが金沢文庫所蔵の古記録にあるとおり、日蓮聖人は何度も法論で負け行き詰まり、ご自身の主張を変化されたのだろうと想像します。

日蓮聖人の最大の間違え・謗法行為は、天台真言宗の開祖が伝教大師であったのに、弘安期に至るまでそのことに気付けず、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし、慈覚大師を誹謗してしまったことだと思います。

今はそのような生身の日蓮聖人像を確認するたびに、宗教間のイザコザほどおろかなものは無いと思います。

1955問答迷人:2011/08/06(土) 20:26:15

独学徒さん

御無沙汰いたしております。ご参加誠にありがとうございます。

>弘安期に至るまでそのことに気付けず、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし

その後、勘違いだと気付かれて訂正されたという事でしょうか。その辺りをもう少しご教授賜りたく存じます。宜しくお願いいたします。

1956独学徒:2011/08/06(土) 21:28:49

問答迷人さん、以下ご参考になれば幸甚です。

一昨年、京都国立博物館にて開催された、「日蓮と法華の名宝」展に出展された、日蓮宗大本山京都本國寺蔵・日蓮聖人御真蹟「一代五時鶏図」の記述が、それまでの吊り物と変わって台密の系譜に伝教大師の名があります。詳しくは以下の興風談所のコラムが参考になると思います。

興風談所コラム平成22年5月
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_h22.html#h22_5


現在、東京国立博物館にて開催中の「空海と密教美術展」に出展されている、空海真蹟『灌頂歴名』に「最澄」の名があるようです。
http://kukai2011.jp/

伝教大師最澄が、自ら学んだ密教が傍系であることに気付き、弘法大師空海に弟子入りして、奔流の密教を天台宗に取り入れようとしたことは、歴史上の事実としてもはや受け入れざる得ないと思います。

また日蓮聖人が法論に負けていた様子を記す古文書は、以前私がブログで記していました。
以下、該当のブログを復帰させておきます。
http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-date-200701.html

また日蓮聖人の御主張が変化している点も、興風談所の「興風」掲載の所論が参考になると思いますが、一例としては興風18号所収の大黒喜道師「日蓮聖人の成仏義諸型とその受容」などがあります。

1957問答迷人:2011/08/07(日) 12:22:29

独学徒さん

ご提示誠にありがとうございます。

>台密の系譜に伝教大師の名

何らかの経緯によって、お考えを修正された訳ですね。とても興味深いご指摘です。また、現宗研の真蹟遺文において「随自意御書」と名付けられている書の記述「後延暦二十三年に御入唐、同じき二十四年御帰朝、天台・真言の宗を日本国にひろめたり。但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか。」(弘安元年)も、恐らくは、ここにも御考えを修正された事が窺がえる、と思いました。

>慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし、慈覚大師を誹謗

ご指摘の通り、伝教大師が弘めたのが「天台・真言の宗」であったとの認識を「随自意御書」を書かれた弘安元年頃には持って居られた訳ですから、それ以前のいずれかの時点で、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化してのではなく、伝教大師にも日本天台宗の教義を密教化してしまった責任はある、と言う風に、日蓮聖人が認識を変えられたという事だと思いました。

>日蓮聖人はブレまくった人生

「随自意御書」の、「但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか」という個所は、慈覚大師に対する批判が、伝教大師を含む日本天台宗に対する批判に変化した事を表明した事になりますから、比叡山に学んだ日蓮聖人に取っては、大きな心境の変化だったと思います。確かにブレたとも言えると思いました。

1958古沢石日:2011/08/07(日) 17:10:02
独学徒さん

ブレまくったとはどういう事でしょうか。
私がブレないという言葉を使ったことにたいしての対義語で
言葉を選ばず「ブレまくる」と使ったのでしょうか。
ブレまくるの意味ごぞんじですか。
あーだこーだ、こういったと思ったらこう言う、
さっきの言葉と今と全然違うよ。
あーーまただよ。あら、昨日と今日と明日全然別だよ。
こんな感じですかね。

日蓮聖人はブレまくっておられたのでしょうか。
是非ブレまくりのまくり部分を現存する文証を持って
事細かくご教示いただけますようお願い申し上げます。

1959独学徒:2011/08/07(日) 20:47:53

古沢石日さん、はじめまして。

「現存」ですか、厳しいご注文で。
「事細か」はご遠慮申し上げます。忙しいので。


かの浅経の読誦等の句に花厳・方等・般若等をいるゝたにも不思議なるに、後八年の大法法花・涅槃・大日経等をはしし入て上品上生の往生の業とするたにも不思議なるに、あまさえ称名念仏に対して法花経等の読誦はしちには往生せすなんと申て
(文永三年 真蹟断簡 池上本門寺蔵 御書全集未入集)

この時点では「後八年の大法法花・涅槃・大日経等」とあるように、大日経を爾前経としては扱わず所謂「法華涅槃時」の経典として扱っています。


法華経には正直捨方便但説無上道云云。涅槃経には邪見之人等云云。邪見方便と申は、華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経経也。
(建治三年 下山御消息 真蹟断簡分蔵)

この時点では大日経を「四十余年の経経也」と爾前経に位置づけています。
少なくとも「大日経」の取り扱いについて日蓮聖人は一期の内にブレました。
また先の投稿の如く、日本天台宗の密教化について、

日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となつく。又天台宗の慈覚・安然・恵心等は法花経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。
(建治元年 撰時抄 真蹟玉沢妙法華寺蔵)

と慈覚大師を伝教大師の師子身中の虫と誹謗されていますが、その理由は先に引用の下山抄に「叡山の円頓戒者又慈覚の謗法に曲られぬ。」と、慈覚大師から日本天台宗が密教化に傾倒したと誤解していたからでしょう。その後弘安期の「一代五時鶏図」で渋々日本天台宗の密教化が伝教大師に始まることを認識せざる得なくなっています。

遅ればせながら、本日東博の「空海と密教美術展」展観してきました。
金剛・胎蔵両界の灌頂記の第一番目に「最澄」の名が有り、伝教大師が空海に弟子入りしてまで、天台宗の教義に本場の密教を取り入れようとしていた事跡はもはや否定のしようがありません。両界灌頂の冒頭に記すなど、当初空海も最澄に対して畏敬の念をもって接していたのを感じます。

成仏義のブレに関しては、先に提示した興風談所の論考をご参考になさって下さい。
学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。

日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、時には致し方なく考えを改めたのでしょう。

1960古沢石日:2011/08/07(日) 21:12:44
独学徒さん、ごあいさつもせず不躾なお願いをしまして
まことにもうしわけございません。
早々にご丁寧にご回答いただきまして
まことにありがとうございました。

1961古沢石日:2011/08/07(日) 23:03:51
>日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
>今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、
>時には致し方なく考えを改めたのでしょう。

御書も先に書かれた内容と後年とではご指導が変わっていくのでしょうか。
もしそうであれば、真蹟、写本の有無だけでなくご執筆年月日の整理も必要に
なるという事でしょうか。

>学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、
>議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。

仰せのとおりだと思いますが、ネットからリンクリンク検索検索で得る情報量と
書籍一冊読破する情報量とでは、太平洋と牛蒡ほど差があると思います。
別にお金が無いわけではありませんが、移動もほとんど車でして、電車等で
読書の時間があれば是非読書はしたいのですが、自宅ではテレビも見ず
ネット三昧ですので、結局積読になってしまいます。

1962独学徒:2011/08/07(日) 23:33:42

古沢石日さん、

ネットの情報量は膨大ですが、信憑性を含め問題も多くあります。

本当の事が知りたいのであれば、できるかぎりの文献を収集することと、実際に寺院等に足を運んで自分の眼で実物を見る事が必須だと思います。

安房妙本寺のお虫払い法要などは、事前連絡等無くても誰でも参拝し、万年救護大本尊の御真蹟を拝する事ができます。

不動・愛染感見記も真蹟を拝する事ができます。

今年は土曜日の開催ですから、多くの方で賑わうと思います。

1963古沢石日:2011/08/08(月) 00:47:13
独学徒さん

>信憑性を含め問題も多くあります。

仰せのとおりです。これが一番の問題です。

>自分の眼で実物を見る事が必須だと思います。

これはとても大切だと思います。
以前京都博物館での国宝自筆立正安国論には
言葉に出来ないくらい感動いたしました。
数々の真筆御曼荼羅の感動、今でも昨日の事のように覚えております。

1964古沢石日:2011/08/09(火) 21:05:47
管理者さま

お手数をおかけしますが
>>1953 の書き込みを削除していただけませんでしょうか。
お時間おありの時で結構です。
読み返すとあまりにも失礼な書き込みでした。

1965古沢石日:2011/08/10(水) 23:10:07
管理者さま

お手数をおかけいたして申し訳ございませんでした。
削除ありがとうございました。


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