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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

1管理者:2002/03/08(金) 16:52

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/gohonbutu.htm


スレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。

古来、日蓮大聖人様が御本仏である、というのは、大石寺、富士門流の根幹教義です。この教義について、幅広く、根源的な議論が展開される事を期待して、このスレッドを立ち上げます。

2いちりん:2002/04/15(月) 18:13

日蓮さんのとらえ方を、ちと整理してみました。

1/●日蓮本仏論

a)日蓮さん自身が、自分を本仏であると思っていた。そして、わたしたちは、日蓮さんを本仏ととらえて信仰している。

b)日蓮さん自身は、自分を本仏などとは思っていなかった。しかし、わたしたちは、日蓮さんを本仏ととらえて信仰している。


2/●日蓮非本仏論

a)日蓮さん自身が、自分を本仏であると思っていた。しかし、わたしたちは、日蓮さんを本仏とはとらえていない。

b)日蓮さん自身は、自分を本仏などとは思っていなかった。そして、わたしたちは、日蓮さんを本仏とはとらえていない。


3/●日蓮菩薩論(あるいは日蓮フツーの仏論)

a)日蓮さん自身が、自分を菩薩(上行菩薩の再誕)であると思っていた。そして、わたしたちは、日蓮さんを菩薩(上行菩薩の再誕)ととらえている。

b)日蓮さん自身は、自分を菩薩(上行菩薩の再誕)などとは思っていなかった。しかし、わたしたちは、日蓮さんを菩薩(上行菩薩の再誕)ととらえている。


4/●日蓮凡夫論

a)日蓮さん自身が、自分を本仏とか、菩薩(上行菩薩の再誕)とも思っていたかもしれない。しかし、わたしたちは、日蓮さんを凡夫ととらえている。

b)日蓮さん自身は、自分を本仏とも菩薩(上行菩薩の再誕)とも思っていなかった。そして、わたしたちは、日蓮さんを凡夫ととらえている。


しかし、どうも、ごっちゃになっていますね。
その原因は、凡夫=菩薩=本仏というような、とらえかたもあるからですね。
たとえば、「諸法実相抄」の「本仏というは凡夫なり」という一節ですね。
それで、結局、どうも菩薩と仏と本仏の定義が、どうもはっきりしないわけです。

3独歩:2002/04/16(火) 00:25

いちりんさん:

なんだかお久しぶりという感じです(笑)

整理いただき、有り難うございました。とても参考になりました。

私は、亀太郎さんとのやりあいの中での日蓮の捉え方で「あ、ここだな」と思ったことがあるんです。それは、つまり、二極思考という点です。

つまり、日蓮は仏か・凡夫か、聖人か・凡夫か、もっと言えば、拙い凡夫なのか・閻浮第一の聖人なのか、「どっちなんだ」という二極思考。しかし法華経というのは、十界互具のわけなんですよね。凡夫に仏を観、仏に凡夫を観る。何々だと決めつけるのではなく、全部、ひっくるめて真実であると考えるのが法華の開会ということなんでしょうね。

ですから、拙い凡夫であるけれど、法華経のお力、本尊抄で言えば釈尊の因行果徳を妙法蓮華経によって受け継ぐ、それによって聖人のような力を発揮できる。つまり、拙い凡夫であり、閻浮第一の聖人であると、すべて包含して全部、真であるというのだと思うわけです。

ところがそれを聖人か凡夫かどっちだと白黒、善悪、優劣をつけてどっちかに考えないではいられない。実は、これは仏教ではなくて二極思考、社会心理学で言うステレオ・タイプ、フロムの言い方を借りれば権威主義的パーソナリティというわけですね。

フロイトがナチズムの研究で、全体主義、殊にカリスマ崇拝をする人々の心理を分析したときに見出した特徴が、この権威主義的パーソナリティでした。すべての善は自分たち、すべての悪を他の人々に。自分たちは優秀だ、劣った民族は滅ぼしてもよいとまで、やってしまった心理構造と、この二極思考は共通している点は看過できないと思うわけです。

法華経信仰は、個人でやっていると開会ですべて一仏乗から見て寛大な慈悲の精神に至るのですけれど、カリスマ崇拝が入り込んだ瞬間に二極思考が噴出し、差別の原因となって愚かなヒロイズムに転落してしまう。そこでは器物崇拝と神秘主義が威力を発揮するわけですね。

私は、この視点を見失った日蓮信仰は極めて危険であり、社会的害悪となるものであると考えています。

ともすれば国家主義に取り入れ易く、全体主義、カリスマ信仰、器物崇拝、神秘主義に危険性をもっている日蓮仏教を、どのように活用するかは個人の節度と常識に基づく信仰によって修正されるものであると私は思うんです。

4一字三礼:2002/04/16(火) 00:54
いちりんさん
はじめまして。

私は、3のbに近いイメージです。

蓮祖聖人の御遺文を読むと、御自身の名前に代名詞を使う事が、稀ですね。
当時の身分社会にあって、執権に対しても、武士にたいしても、師匠、御両親、兄弟子、在家信者、全てにただ”日蓮”と仰ってます。これは御自身のアイデンティティが、”日蓮”のみで完結している、ということではないでしょうか。
この”日蓮”と名乗られた方に、本仏、上行菩薩、不軽菩薩、大菩薩等を冠することは、一面敬うようにみえて、その実、大事な事(受難の意味等)を見落とすことになるのでは、ないでしょうか。

5独歩:2002/04/16(火) 01:40

一字三礼さん:

横レス、失礼。
賛同します。

6独歩:2002/04/19(金) 11:37

―宿命について 205からつづく―

○ちょっと、私見 002

富士門流をおいては常に議論される日蓮本仏論については、頭から信頼し、疑うことが不信謗法であるという懼れによって斥けられる流れと、考証してみようという二つの流れが、当掲示板にできていると観察します。もちろん、私は後者のほうですが、ここのところ、日蓮本仏論の根拠とされる文書を俯瞰し直し、205に記したように、日蓮本仏論は、元来、日蓮“迹”であったのではないかという点に興味が引かれています。

宗祖日蓮は鎌倉時代に生きた実在の人物であることは紛れもない事実です。この日蓮を、そもそも“報身”であるというのが日蓮本仏論です。
しかし、六巻抄のスレッドでも取り上げました(95)が、岩本師の説明を踏襲すれば、応身とは「応身仏に象徴化されている歴史上のブッダの肉身」というのです。もちろん、三身論から言えば、応身は「釈迦文」であって、それ以外に適用すべき語彙ではありません。けれど、転用、改変によって成り立つ中古天台本覚思想とその転化である日蓮本仏論は容易く三身を天台、あるいは日蓮へと置換してしまうわけです。それによって、まず自受用報身=天台という口伝が生じ、これを転用して自受用報身=日蓮という日蓮本仏論が寛師によって成立したわけです。

日蓮本仏論は天台本仏論の日蓮版であって、天台僧俗からすれば、それを盗用と呼ぶことになるでしょう。しかし、それでも寛師によって再構成されるこの新義は、石山僧俗にとっては独自の意味を持ち得たわけです。それはともかくとして、先に挙げた岩本師の言からわかるとおり、日蓮は肉身を歴史上の人物であるわけで(だからこそ御肉牙なる伝説も生じたのでしょうが)、これを報身と呼ぶのは如何がなものでしょうか。

もちろん、直接的に、そう呼ぶのではなくて、寛師は、これを「当体」なるまったく意味不明の説明語によって肯定しているわけです。

さて前置きが長くなりましたが、寛師が本来の日蓮迹仏論を日蓮本仏論に書き換えたという点について記します。

自受用報身との関係において、日蓮を装飾する書は『百六箇抄』『本因妙抄』『産湯相承事』『御義口伝』などなのであって、実際、これらの成立順番は、詳しくわからないところですが、取りあえず得に着目すべき該当部分を挙げれば

『百六箇抄』
本因本果の主本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕本門の大師日蓮
自受用身は本上行日蓮は迹なり

『産湯相承事』
本地自受用報身如来の垂迹上行菩薩の御身を凡夫地に謙下

があります。
ここでは文字どおり、本:自受用・迹:日蓮が明確に論じられています。
より正確に記せば、本地:自受用報身・垂迹:上行菩薩・再誕(垂迹):日蓮となっています。

ところが寛師は以上の文を踏まえながら、日蓮本仏を“切り文”と「当体」語によって作り変えたわけです。人(日蓮)法(戒壇曼荼羅)一体・本門本尊説を構成する寛師は『六巻抄』の本音とも言うべき部分で

自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。

人法本尊を定義づけています。この文を一瞥してわかるのは「垂迹」の二文字が消し去られていることです。この点は現石山の勤行観念文でも同様で「自受用報身如来の御“当体”」と、『本因妙抄』『産湯相承抄』で“垂迹上行菩薩再誕日蓮”に当たるの部分が“当体”語に置換えられています。つまり、これは寛師教学に基づくものであろうと思われます。

もちろん、「当体」は文句・玄義をはじめ初期天台文献でも多く散見できるのであって、たとえば文句記には「法身當體明不滅。報身説不滅必約法身」などと見られます。しかし、その用法は三身に限るものではない様に思われます。

この台釈とは別に寛師が垂迹を簡んで「当体」を使うのは、私には日蓮垂迹を、日蓮本仏にステップアップするための作為的なものであったと思うわけです。

7独歩:2002/04/19(金) 11:40

【6の補足】

元)宗祖日蓮は鎌倉時代に生きた実在の人物であることは紛れもない事実です。この日蓮を、そもそも“報身”であるというのが日蓮本仏論です。
補)宗祖日蓮は鎌倉時代に生きた実在の人物であることは紛れもない事実です。この日蓮を、応身であるというのであればまだしも、そもそも“報身”であるというのが日蓮本仏論です。

8独歩:2002/04/19(金) 12:12

―7からつづく―

垂迹の当体への置換は6で記しましたが、もう少し補足すれば
三重秘伝抄では以下のように置換されます。

本地自受用報身の垂迹、上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮等云云。
本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり。

つまり、本来、日蓮に係る垂迹を、ここでは「顕本」に置換して本仏義を肯定するわけです。しかしながら、これは
当流行事抄の

子丑の時は末法蓮祖垂迹の凡身の死の終りなり、故に頚を刎ねらると云うなり。寅の刻みは即ち是れ久遠元初の名字本仏の生の始め

といい、つまり、竜口逢難が垂迹・日蓮の死であり、久遠元初の名字本仏の生の始めであると意義付けられていきます。しかし、三重秘伝抄で日蓮は顕“本”であると言い換えておきながら、そのあとで、やはり日蓮は垂迹で逢難で“本”仏というのは論が踊っていると感じます。

これらの点は改めて六巻抄のスレッドで考えたいと思いますが、富士門では元来、日蓮迹仏論が先行し、それを寛師が日蓮本仏論に作り変えた概要は理解されるところであろうかと存じます。

ただし、この“書き換え”をすべて寛師一人の独創的なアイディアとするべきかは一考を要する点はあろうかと思います。

9独歩:2002/04/23(火) 05:01

―8からつづく―

それにしても日蓮本仏思想はどのような階梯をもって創造されていったののでしょうか。そのキーワードは一つは自受用(報身)如来で、もう一つが無作三身です。
また、上古の資料とされる本因妙抄、百六箇抄に始源を見、御義口伝、また、その他偽書と考えられる書の中で思想展開が後が窺われます。
厳格に見ていくと、血脉両抄と御義口伝には思想的な相違が見えます。

まず自受用身について見ると、『百六箇抄』では

久遠名字より已来た本因本果の主本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕本門の大師日蓮
久遠自受用報身の本迹 男は本女は迹知り難き勝劣
下種の法華経教主の本迹 自受用身は本 上行日蓮は迹
久遠実成の自受用身は本 上行菩薩は迹

といい、即ち 本地・自受用報身と垂迹・上行菩薩・日蓮対比です。すなわち、日蓮は迹として取り扱われています。

ただし、下種の法華経教主の本迹では

我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某

また、下種成仏の本迹

本因妙は本 自受用身は迹

といいます。
つまり、この構造は二重性をもっているのであって、まず、自受用と上行・日蓮の本迹を述べ、次に下種論が立てられて自受用と本因妙の教主の対比が述べられています。後者では本因妙教主と自受用を本迹として自受用を簡んでいます。
つまり 本因妙教主>自受用>上行・日蓮=本因妙教主ということになっています。

ですから、日蓮迹仏論であるというより日蓮本因妙教主論になっています。つまり、自受用は簡ばれるのであって本因妙教主が本であるとなっています。つまり、教主は、直ちに本仏であるという根拠はありません。

方や、『本因妙抄』では

寿量品の文の底の法門自受用報身如来の真実の本門久遠一念の南無妙法蓮華経雖脱在現具騰本種の勝劣
彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千一心三観此れは久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直に唱う

といい、こちらでは自受用身の応仏昇進と久遠元初の対比となっています。

(余談ながら興味深いのは、ここでは「文の底」であって文底秘沈とはなっていません。寛師の文底秘沈が後代の創案である証左であるといえるものであると考えられます)

以上のことから考えると、厳格な意味からすれば、『百六箇抄』と『本因妙抄』にも思想的な相違があることがわかります。

さらに『御義口伝』では

自受用智、本覚自受用の智火、自受用智の説法、

御義口伝に云く自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり中の文字は受用なり、仍つて自我偈は自受用身なり法界を自身と開き法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし、自受用身とは一念三千なり、伝教云く「一念三千即自受用身自受用身とは尊形を出でたる仏と出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

となり、自受用は報身の「智」が中心となって、その至極を一念三千、その根拠として『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身、々々々々者出尊形」がその根拠となります。

これはまた、『御講聞書』でも、ほぼ同様で

智慧とは万法己己の自受用報身の振舞、自受用智、自受用報身の智力

となっています。また『四条金吾殿御返事』の

我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや

『日女御前御返事』

経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事

も同様の思想を背景にしていることが窺えます。

これらは一念三千を自受用報身の智とし、さらに出尊形仏、すなわち凡夫仏思想に裏付けられるものです。はたして本因妙教主思想が出尊形仏思想であるか、議論は分かれるところでしょうが、私は中途からの合流であろうと考えています。



さて上述の『御義口伝』で筆録される自受用と連絡する無作三身が次のキーワードとなります。この語は『三世諸仏総勘文教相廃立』に

守護国界章に云く「…無作の三身は覚前の実仏」

あるごとく、伝教に語源を発するとされます。(いま、手許に同章がないため、この実否をどなたかご教示ください)

私は、この語は実に矛盾をはらんだ表現であると思うのです。覚前、つまり覚(さと)る前の実仏というわけです。覚る前であれば菩薩なのであって、それをもって仏という表現は始覚の台釈からは強い違和感があります。果たしてこれが本当に伝教の言であるとは俄かに信じ難いものがあります。

10川蝉:2002/04/23(火) 14:33
9独歩さんへ。

「…無作の三身は覚前の実仏」の句は
「守護国界章巻下」(伝教大師全集第二巻567頁)にあります。
この句について、浅井円道師が「日蓮聖人と天台宗」(山喜房刊)に於いて、「無作三身考」の項目で論じています。
↓以下は浅井円道師の見解の要略です。

「報仏智常章第三」にあり、この章には文句寿量品の通明三身正在報身の法華仏の常無常に関する問答が述べられてあり、凡夫が実仏であるか否かという類の凡夫論とは無関係である。この句に凡夫実仏の意味を付与すれば、一章の趣旨に反する結果になる。

この句は六祖の止観輔行巻第一の「権教三身未免無常、実教三身倶体倶用」の句の換言であると思われる。
伝教の「有為報仏」とは六祖の「権教三身」、「無作三身」とは「実教三身」の句に相当することになる。

法華玄義では、円教の四諦を無作の四諦と称するが、伝教は円教三身を「無作三身」と呼んだのである。
故に無作三身とは寿量品で開顕された倶体倶用の実教三身の換え言葉にすぎないのであって、これを無作本覚の凡夫の意味に解することは、考えすぎである。

「無作の三身は覚前の実仏」の「覚前」とは、「覚る前(まえ)」の凡夫と読むべきではなく、「覚ってから前(さき)」の仏と読まねばならぬ。
もし「覚る前」の在迷の凡夫の意味であるとすれば、これと対句であるべき筈の「有為の報仏は夢裏の権果」の「夢裏」と同意になり、その反対語ではなくなる。
(「覚る前」の在迷の凡夫でも、覚れば報仏と成るのであるから、夢裏の権果と成ってしまう、故に反対語ではなくなる。と云う意味か。ー川蝉注)

徳一との論争書を見ると、伝教の仏性論は真如随縁論によって行仏性の悉有を論証するのに汲々たる段階であった。故に凡夫実仏などの極限的円教教理を説く教風は伝教には全く無かったと考えた方が伝教の意を得た見解である。

等と趣旨を論じています。
以上、ご参考までです。

11独歩:2002/04/23(火) 16:23

10 川蝉さん:

参考になる資料のご提示、有り難うございます。
実は守護章全体を読んでいないので、どんなものやらと思っていましたが、気分的にはいちおう会通は着きました。

いずれにしても「覚前の実仏」は聖人自体も使用されておらず、『諸宗問答抄』『三世諸仏総勘文教相廃立』『御義口伝』に現れるばかりで、しかも円道師の批判される形での使用となっています。それにしても、「覚るさきの」という読みと説明は難解ですが、前後の脈絡を示されれば妥当性を感じるものです。

ところで弘決の文とされる「権教三身未免無常、実教三身倶体倶用」は、私のもっている本には当たれないのです?

それはそれとして、「凡夫実仏などの極限的円教教理を説く教風は伝教には全く無かったと考えた方が伝教の意を得た見解である」というのは、実に納得のいくところでした。

有り難うございました。

12川蝉:2002/04/23(火) 20:27
11独歩さんへ。

>ところで弘決の文とされる「権教三身未免無常、実教三身倶体倶
>用」は、私のもっている本には当たれないのです?

早速、私も二回ほど止観輔行巻一を探しましたが、見つかりませんでした。
「守護国界章巻下の中」では、「無作の三身は覚前の実仏」のすぐ後に(全集では五行後)に
「権教三身未免無常、実教三身倶体倶用」
の文が有りまして、浅井師は「上古日本天台本門思想史」にも、「止観輔行伝弘決巻一の権教三身未免無常、実教三身倶体倶用の文を直後に引いているから、最澄句はこの湛然句の換言であると思われ」(113頁)
と、やはり「止観輔行伝弘決巻一」にある文句だと記しているのですが、私の探し方が悪いのか、ちょっと分かりません。

13独歩:2002/04/23(火) 21:51

12 川蝉さん:

早速、ご確認いただき、有り難うございました。
台釈でも、やはり、異本、出入はあるのですね。

いずれにしても円道師の「権教三身→有為報仏、実教三身→無作三身」という点は重要で、のちに中古天台における無作三身とは同名異義である点が確認でき、得るところは大でした。改めて御礼申し上げます。

14顕正居士:2002/04/24(水) 20:35
宗祖本仏論

は富士派にのみ有るわけではありません(参考-望月歓厚「日蓮宗学説史」)。
宗祖本仏論の意義は、日本仏教はいづれも祖師崇拝であるから、実際の信仰に合致
した教学を構築したことが評価できます。
宗祖本仏論の秘鍵は「『我本行菩薩道』の本因初住の文底」であるという堅樹日寛の
説は尤もであります。

1-久遠実成の仏は『本行菩薩道』の報因酬果によって最初成道された。
2-一仏の化導の始まり(下種)は久遠成道の時でなく、久遠発心の時である。
*何故なら、『本行菩薩道』と云い、六派羅蜜の報因酬果であるから。

在世の八年に一仏の化導は終焉し、末法は新たな久遠発心の時である。ゆえに
菩提心を初めて発した元初の菩薩の二度の出世である。

等覚の菩薩である上行菩薩の再誕は教相の浅義、久遠発心の釈尊二度の出世は
観心の域、実義は再度久遠下種の時、久遠発心したもう日蓮は名字即のくらいの
ままに本仏である。『日大直兼問答』で直兼が云うのはこの意味であると思う。

15独歩:2002/04/24(水) 22:23

顕正居士さん:

> 1-久遠実成の仏は『本行菩薩道』の報因酬果によって最初成道された。
> 2-一仏の化導の始まり(下種)は久遠成道の時でなく、久遠発心の時である。
> *何故なら、『本行菩薩道』と云い、六派羅蜜の報因酬果であるから。

という説明は言葉としてはわかりますが、聖人はこれを「初発心」の弟子、すなわち、第一番の弟子とされるのですが、因行の菩薩道の段階であるとすると、いつをもって「初」とすることになるのでしょうか。

> 在世の八年に一仏の化導は終焉し、末法は新たな久遠発心の時である。ゆえに
> 菩提心を初めて発した元初の菩薩の二度の出世である。

となると、「常住此説法 我常住於此」という寿量説相と食い違うことになると思いますが、この点はどうなるのでしょうか。

16川蝉:2002/04/25(木) 09:11
このスレッドとは関係ないのですが、臨時問い合わせさせて下さい。
富士学林でだしている書籍で、購入したい本があるのですが、どなたか御存知の方、富士学林の書籍部の住所・℡・FAX番号を教えてください。

17顕正居士:2002/04/25(木) 15:08
独歩さん。

>聖人はこれを「初発心」の弟子、すなわち、第一番の弟子とされるのですが、因行
>の菩薩道の段階であるとすると、いつをもって「初」とすることになるのでしょうか。

最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された、久遠の元初であります。上行菩薩は
この時の第一番の弟子であると云えます。

>「常住此説法 我常住於此」という寿量説相と食い違うことになると思いますが、
>の点はどうなるのでしょうか。

他仏も得脱の縁にはなるが、まさしくは必ず一仏にしたがって得脱するのは天台、
日蓮両宗に基本の教義でありますから、「寿量説相と食い違う」ことにはならない
でしょう。はじめて発心した菩薩が宇宙の何処かに今も有り、彼はやがて無上菩提
を証得するであろろうという神話を全く放擲すると、純粋の有神論と同じになるから。
「一心欲見佛 不自惜身命 時我及衆僧 倶出靈鷲山」はインドの或る山のことに
限られないでしょう。

18川蝉:2002/04/25(木) 17:22
「日大直兼問答」について。

「日大直兼問答」を再度読んでみましたが、日大も直兼にも、日蓮本仏論的思想は無いように思えます。

日大の「日尊上人仰云」の、「久成釈迦造立有無の事」に、
「日興上人が<末法は濁乱であるから、木像では、崇敬供養に差し障りあるので、広宣流布の時分まで大曼荼羅を安置しておくべきだ>と云われていた。大聖人の御代に二カ所に木像を造立された。予が門弟は上行等の四菩薩を相添えた久成の釈迦の略本尊を、資縁に随って造立すべきである(取意)」(宗全第二巻・419頁)
と日尊上人が語っていたとあります。

「日大直兼問答」にも、
日大が直兼に「宝塔の内の釈迦多宝、上行等の四菩薩の脇士、薬王等の四菩薩、分身諸仏の造立 之有るべきや」と尋ねると、
直兼が「之有るべし云々」と賛意を述べたと有ります。(423頁)

また日大の「去去年本門釈迦造立云々、印契は教主脇士等合掌を皆造立す云々如何」
と尋ねると、直兼が十指堅実合掌尤も道理に叶うなり」と答えています。(431頁)

この問答によると、日大は脇士を添えた釈尊像をすでに造立していてようですね。

日大や直兼に日蓮本仏思想があったら釈尊像を造立したり、またそれに賛意を示すことは無かったと思われます。

直兼が「天台大師の法華相承には二つあって、一は、霊山にて薬王菩薩として相伝を受けた、これは本地の時の相伝の事である。二には、中国にて多宝塔中大牟尼尊より直授の相承である。そもそも日蓮の本地における相承は如何沙汰しているのか?」
と問うと、

日大が「上行菩薩の再誕としている。涌出品にも上行等云々とあり、神力品に付属を承けているし天台や妙楽の釈にも分明である」と答え、
直兼が「それは霊山付属の本地上行菩薩としてのことであろう。本師の本地此の如くあるべからず。(日蓮の相承はそれだけではないであろう)」とさらに質問し、

日大が「子細があって云うことは出来ない。観心本尊抄等に明鏡があるが、国主が帰依した時には、はっきり示すことができよう」
と答え、

直兼が「日蓮は妙悟の時、直に多宝塔中の大牟尼尊より末法相応の法門を相承している。この霊山に於ける相承は本地のことである。もう一度、清澄山開悟の時に、多宝塔中大牟尼尊に直に値玉へり」と云うと、
日大が「我が宗では霊山付属を先ず表として述べ、直授の義をば広宣流布の時に披露することになっている」
と答えています。
以上の問答は、宗全430頁三行〜431頁七行の問答の要旨です。

この両者の相承観から見ても、両者には日寛のような日蓮本仏論は伺えないように思えます。

19独歩:2002/04/25(木) 22:10

顕正居士さん:

レス、有り難うございます。

> 最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された、久遠の元初であります。上行菩薩は
> この時の第一番の弟子であると云えます。

いったい、如何なることから、このようなことが言えるのでしょうか。
法華経にこの根拠を求められるのでしょうか。
顕正居士さんに言えば、まさに釈迦に説法のようなものですが、言うまでもなく玄義には「修多羅合者。録而用之。無文無義不可信受」とあります。そもそも法華経に記されない久遠元初をもっての解釈は、私には納得できるところではないのです。

> 他仏も得脱の縁にはなるが、まさしくは必ず一仏にしたがって得脱するのは天台、
> 日蓮両宗に基本の教義

しかし、先に「最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された」という以上は、この時点では釈尊は因行の菩薩となりませんか。菩薩に縁して初発心とする修多羅も明証をお聞きしたいのです。

また、私が、「常住此説法 我常住於此」と食い違うと言ったのは、この寿量品に未来永劫の仏・説法を記すのに、何故、「末法は新たな久遠発心の時」としなければならないかと思ったからです。

> 「一心欲見佛 不自惜身命 時我及衆僧 倶出靈鷲山」はインドの或る山のことに
> 限られないでしょう。

もちろん、このようには考えてはおりません。

20川蝉:2002/04/26(金) 16:55
19 独歩さんへ。
横から失礼します。

>しかし、先に「最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された」と
>いう以上は、この時点では釈尊は因行の菩薩となりませんか。菩
>薩に縁して初発心とする修多羅も明証をお聞きしたいのです。

本尊抄に二カ所ある「釈尊の初発心の弟子」と云う句について、浅井円道師が「観心本尊抄・仏典講座38)に於いて、

<釈尊が初めて発心されたとき以来の弟子の意味とともに、初発心以来ただ釈尊だけを師と仰いできた弟子の意である>(214頁)と注記しています。

「観心本尊抄」第十八問に有る「或いは初発心時」の注記には、

<華厳経の「初発心の時、便ち正覚を成ず」の文を天台は円教菩薩の成仏の例として、諸所に引用する。ただしいまは爾前円教の例とす。初発心とは十住の初めの初発心住(別教の初地)を指す。>

と注記しています。

初住の菩薩に関しては「玄義釈籖第十・九右」に、法華玄義本文を説明し、
<本地の真因初住より已の来た遠く今日乃至未来大小の衆機を鑑がむ>
と有ります。

この釈籖の文を「私記」が
<初住すでに三世了達を得る。あに衆生の根機を知らざるべけんや。衆生は即ち是れ下位なるが故なり。謂く此の人まさに来世に於いて我が化に預かるべしと知るなり>

と注記しています。

「釈籖講義」には、是に関連して
<本地の真因 住に入れば深く性徳の底に徹し 広く修徳の辺を窮めて 世世番番の種熟脱を一念の中に了するが故なり>
と注記しています。

天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具わるとしています。

21顕正居士:2002/04/26(金) 17:32
宗祖本仏論は

1-まず日蓮聖人の釈尊本仏観とは異なるものであります。
2-しかしその発生は比較的上古に遡源することが出来る。
3-インド以来の仏教の基本にはずれた思想ともいえない。

が小生の考えです。

宗祖本仏論はまず中古日本天台教学との交渉によって発生する。
「日大直兼問答」
http://www.biwa.ne.jp/~kanden/data/nichidai.html
で、宗の師(天台大師)が薬王の再誕というは教相の浅義、実には大蘇道場に於て
自解仏乗し、己心中所行法門を説きたもうが如く、日蓮又同じく上行の再誕というは
教相の浅義、清澄山にて大悟したまい、己心中所行法門を説きたもうに非ずやと
直兼は問うのであります。これを要するに毘盧遮那一本異ならない自受用の内証に
還元する思想といえます。

しかし日蓮聖人の釈尊実在観との調和は必要であって、八品日隆は「繰り返し顕本」
の説において、久遠釈尊を因位と果位に分け、因位の釈尊による下種、果位の釈尊
による得脱が永劫に繰り返されるとした。大石寺日有は日隆の説を摂取し、「本因妙」
の教義が富士派において発達する。但し、日隆説の仏菩薩対等(因果対等)ではない
「上行旅宿」、「上行本仏」(菩薩本、仏迹)の説が妙蓮寺日眼など富士派にあった。

堅樹日寛の教学は、四明学と中古日本天台教学との調和を図りつつ、幾種類かの
宗祖本仏観を上手に会通し、富士派、勝劣派の中で大石派が突出する原因になった
とおもう。

22顕正居士:2002/04/26(金) 18:32
>> 最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された、久遠の元初であります。
>>上行菩薩は この時の第一番の弟子であると云えます。
>いったい、如何なることから、このようなことが言えるのでしょうか。
>法華経にこの根拠を求められるのでしょうか。

「法華経」は般若経典の空と六波羅蜜の関係を表裏にし、般若空の上で菩薩行を
煥発し、バクティ思想の摂取において高揚し、及び(後に)呪文の功徳をもって補強
した経典であると考えます。天台、日蓮の煩瑣の議論は「法華経」の預かり知らぬ
ことではありますが、「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數」とあるから、
永劫の六波羅蜜の報因酬果により、五百塵点劫のそのかみに第一番の成道を唱え
たことは明らかであり、

1-久遠実成の仏が菩薩行無くして成道したとは云われていない。
2-ゆえに久遠実成の仏が菩提心を発された時を、「久遠元初」(因行のはじめ)と
いい、久遠実成(五百塵点当初)よりおおいに以前であります。
3-但し、久遠の菩薩が自受用身を証得するのは第一番の成道の時であります。
この際に「開迹顕本」があったか否かが疑問ですが、「台宗二百題」は「新成の如来に
顕本無し」と判じています。

23独歩:2002/04/26(金) 19:22

20 川蝉さん

> 天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具わる

この点はわかるのですが、私が「菩薩に縁して初発心とする修多羅も明証」と顕正居士さんに問うたのは「一仏にしたがって得脱するのは天台、日蓮両宗に基本の教義」と言われたので、それでは“仏”による発心ではなく、菩薩による発心になっているという点を申し上げたのです。つまり、ここでは仏菩薩の区別が曖昧ではないのかという問いです。つまり、菩薩の教化能力の是非を問うたものではありません。

ところで、引用の釈義の菩薩と本尊抄における「無始古“仏”」は、どのような会通となるとお考えになられますか。

24独歩:2002/04/26(金) 19:46

顕正居士さん:

日蓮本仏論のご説明は当を得たものであり、特に否定するものではありません。また、祖師信仰も一つの信仰の形態である点も了解できます。

しかしながら、そのような祖師信仰、あるいは日蓮本仏論が、では日蓮聖人の御立の法門であるとお考えになられるのでしょうか。私が闡明にしたいのはこの点です。

法華経の、「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數」が「そのかみ」「久遠元初」の義を存しているというのは、一つの“解釈”であって、説相と一致するとするのは、短絡ではないでしょうか。要は、この点を説明するのに釈義をもってするのではなく、あくまで経によっての説明が必要であろうかと存じます。

なお、久遠元初当初已来の菩薩と仏を等価とするのであれば、寿量品に殊更五百塵点成道を論ずる必要もなく、その序として多宝の証明も要らず、地涌の出現も不要ということになりませんか。そもそも寿量品は菩薩道について、説いているのではなく成仏について説いているのではないでしょうか。それなのに、成仏已前から結縁について、論じているとする根拠は、法華経のいずこに求められるのでしょうか。釈義によって展開される久遠元初・自受用身は法華の説相と一致していないと思えますが、この点は、どのようにお考えになられるのでしょうか。

25一字三礼:2002/04/26(金) 20:29
横レス、失礼します。

久遠実成仏の初発心の菩薩行を「我本行菩薩道」の文から求めようとすると、具体的な因行に言及出来ないので、“不説の妙法”を想定することになり、本来の法華経の内容からは、離れることになります。
「我本行菩薩道 所成壽命 今猶未盡 復倍上數」と「我實成佛已來 無量無邊 百千万億 那由他劫」とは、同軸上で論ぜられるものであって、両方の状態を含めた存在を“本門教主釈尊”と称するのではありませんか。
観心本尊抄には、「是くの如く我成仏してより・・復上の数に倍せり」の経文を仏界所具の九界なり、として十界互具の依文としています。

横レス、失礼します。

久遠実成仏の初発心の菩薩行を「我本行菩薩道」の文から求めようとすると、具体的な因行に言及出来ないので、“不説の妙法”を想定することになり、本来の法華経の内容からは、離れることになります。
「我本行菩薩道 所成壽命 今猶未盡 復倍上數」と「我實成佛已來 無量無邊 百千万億 那由他劫」とは、同軸上で論ぜられるものであって、両方の状態を含めた存在を“本門教主釈尊”と称するのではありませんか。
観心本尊抄には、「是くの如く我成仏してより・・復上の数に倍せり」の経文を仏界所具の九界なり、として十界互具の依文としています。

26顕正居士:2002/04/26(金) 21:26
宗祖本仏論

の思想は宗門の上古に胚胎し、仏教本来の菩薩を本とする思想を高揚する特色から
いえば、正統の仏教思想に分類するべきであるが。

>しかしながら、そのような祖師信仰、あるいは日蓮本仏論が、では日蓮聖人の御立
>の法門であるとお考えになられるのでしょうか。私が闡明にしたいのはこの点です。

「長寿はただこれ証体の用」。毘盧遮那一本異ならぬ自受用の内証に還元する思想
からは、法華経の上行神話を拾い出せないから、日蓮が時間の上に「仏教救済史」
を想定したことは疑えず、そのことを(日蓮宗の)「本門立ち」というのでなかろうか。
しかし日蓮は釈尊の因位について特に考察せず、法華教主(劣応身)の自受用内証
を「無始古佛」と表現した。

ゆえに種熟脱の「仏教救済史」を実話と考える傾向(「繰り返し顕本」)と仮説と考える
傾向(自受用内証還元)が日蓮宗学の両箇の基調であり、いづれを日蓮の本意とも
いい難い。

日蓮自身に矛盾した傾向、あるいは適度に折衷して顧みない傾向があったとも
考えられる。

*なお上掲幾箇かの文章でいう「宗祖本仏論」は、創価学会の活動以後、供養を得る
為に教学の学修が必要でなくなり、伝統的の教義とは無関係のことしか書けないよう
になった僧侶が運営する今日の日蓮正宗の教義とは直接に関係がありません。

27独歩:2002/04/27(土) 06:34

26 顕正居士さん:

本門正意顯壽長遠。長遠永異故用比之。實相雖在迹門辨竟。今須辨同故今但取實相同邊。長壽祗是證體之用未是親證實相體也。

というのは、実相は迹門に現れるけれど、それは本門の長寿と同じことである。この長寿とは釈尊が成仏を得ることによって得た寿命が甚だ長遠であると言った意味に解してよろしいのでしょうか。

しかし、これは久遠実成以降の寿命の長遠を宣べるのであって、菩薩道、さらには久遠已前の元初、あるいは当初(そのかみ)について、論ずるところではないと思うのです。

以下の点は顕正居士さんの書き込みから、やや離れるのですが、「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數。」という今猶未盡復倍上數を、恰も菩薩に懸けて解釈する傾向があるように思えます。故に菩薩道を釈尊が成仏以降も行っているという解釈が敷衍されます。

あまり、論じられませんが、法華経には実は大きなコンセプトがあって、それは何かというと成仏によってもたらされる寿命ということであり、取り分け、久遠実成という成仏は最高の成仏であって計り知れない寿命をもたらしたという点です。成仏の功徳が寿命であることは、たとえば常不軽菩薩に「其罪畢已。臨命終時。得聞此經。六根清淨。神通力故。増益壽命。」と記される如くです。

つまり上記の今猶未盡復倍上數は菩薩道に懸かるのではなくて、菩薩道(因行)によって得た成仏(果徳)、それによって成じた寿命の長遠なることは、久遠已来五百塵点劫の寿命を経てきたけれど、いまだまったく尽きることはなく、今後の寿命は、さらにその長さに倍するものであるというだと思うわけです。つまり、菩薩道が問題にされているのではなくて、成仏とその結果もたらされた寿命の長遠が問題にされています。故に寿量品と題されるのであろうと拝するわけです。

釈尊の教化は菩薩の一環であるという点は依然として残るものの、むしろ重点は成仏以降の寿命の長遠にあると思えます。その成仏の功徳と寿命の長遠を宣べることに主眼がある寿量品の説法を支える地涌菩薩は、当然、それを裏付けるためであって、なのに初発心を菩薩道に遡る所以は法華経に説相と一致しません。

伝統的な三身解釈、また、発展的に派生する久遠元初当初、自受用報身如来という考えと聖人の無始古仏からすると、どうしても、顕正居士さんが仰る如き点を現代の日蓮教学は認めざるを得なくなるのかもしれませんが、私は納得がいきません。所以は、つまり、法華経の説相と一致しないからです。止観勝法華劣の如き、いわば釈勝経劣は愚なりと思うのです。

28独歩:2002/04/27(土) 07:40

20 再び川蝉さん:

「初発心」というのは釈尊の因位に懸かるものでしょうか。
仰るところは初菩提心の意の如くに使われているようにお見受けしますが、どうもこの点は合点が行きません。本尊抄の初発心の用例のほか、『法華取要抄』では

舎利弗・目蓮等 自鹿苑已来初発心弟子也

と言います。どうも私は初発心を能化に懸けて解釈するのは納得がいかないのです。

また、注記に言う点は、すなわち『維摩經玄疏』の

五分證眞實即者。從初發心得無生忍至金剛頂四十一地皆名分證。所以者何。如華嚴經云。初發心時便成正覺。了達諸法眞實之性。所有慧身不由他悟。此是分證眞實即也。乃至十地等覺皆是分證。但有深淺之殊故有諸地階級也。

を言うのでしょうが、「正覺」の覚とは覚(さと)りであって、菩薩によせてはいまだ覚とはいえないと思うわけです。本覚臭いというか、仏・菩薩を同等の如くに扱い、菩薩に覚ありとするはは正しいこととは思えません。

また『法華玄義釋籤』の

自本地眞因初住已來。遠鑒今日乃至未來大小衆機。故云本行菩薩道時所成壽命今猶未盡。豈今日迹中草座木樹方鑒今日大小機耶。

は、取要抄の文と同じく、始成正覚の比較と論じられるところであって、成仏とそれ已前の菩薩道の関係を論ずるものではないと思いますが、いかがでしょうか。

以上から、引用されるところから

> 天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具わる

という結論が導かれる理由がわかりません。私の理解不足に由来すると思えますが、やや説明を加えていただけませんでしょうか。

29独歩:2002/04/27(土) 08:16

25 一字三礼さん:

文が簡潔なので、精しく仰ることを理解できたわけではありませんが、私はお記しの点、概ね同意です。

寿量説法は、仰るとおり、菩薩道に因ったことを示されてはいますが、その内容については論じられていません。故に久遠元初当初、いや無始已来久遠の妙法があって即座開悟したなどという解釈が生じる余地を与えることになったわけですが、しかし、これは解釈であって説相には載らないところですね。

なお、本尊抄の

寿量品云 如是我成仏已来甚大久遠 寿命無量阿僧祇劫 常住不滅 諸善男子 我本行菩薩道所成寿命今猶未尽 復倍上数云云 此経文仏界所具仏界

はその直前に

法華経第一方便品云 欲令衆生開仏知見等云云 是九界所具仏界也

とあります。この段の問は

問曰 百界千如与一念三千差別如何

ですから、十界互具というより、方便品に拠って百界千如を示し、寿量品に拠って一念三千を示しているのではないでしょうか。

30川蝉:2002/04/27(土) 10:28
独歩さんへ。

相変わらず焦点ずれのコメント横入りで失礼しました。
独歩さんが
「初発心時とは修行の初めの時期だから未だ未悟の状態であった仏が上行等の菩薩を教化出来ないのでないか?」
と云われているのかと受け取り、前のコメントとなったのです。私の受け取り様が悪かったようですね。

>ところで、引用の釈義の菩薩と本尊抄における「無始古“仏”」
>は、どのような会通となるとお考えになられますか。

やはり、この質問の意趣が掴めませんが、「無始古仏に初発心時という成仏する前を想定する事は矛盾があるのではないか?」と云う意味の質問でしょうか?。

私が提示した天台諸師の文が
因より果に向かう(凡夫が菩薩行を積んで仏果を目指す)菩薩行を経て、寿量品の釈尊は五百塵点劫の昔に成仏したと、成仏の初めを想定しているようですね。

もし、初めがあっても、その初めが遙か過去である事を「無始」と表現しているものならば、無始の古仏は初住位の時から、未全開ではあるが仏の活動を行っていたのだから、後から振り返れば、初住位の時も含めて無始の古仏と表現し得るという考え方もあります。
また、一番目の仏は無始と表現出来るほどの昔に始覚したとしても、元々仏であったと覚ったので、無始の本覚を始覚したのであるから、始覚の時点で無始の仏となる。と云う考え方もありますね。
しかし、学者の指摘によれば、
「内薫自悟仏」説といって、仏は無窮に存在し続けるものでなく、最初の仏がいて、その仏が無師独悟し、後にその仏の説いた教えによって次の仏が生まれる事になると云う文句記にある妙楽の説明に対して、
「文句記講義」の痴空(1780〜1862)は記」に於いて、
「法(実相・法性)は本来迷悟が相依って(円融して)成立しており、衆生も仏も倶に始終が無く永遠に存在するものとされる」(文句第一巻の注)と批判しているとの事です。

指摘した学者(田村完爾立正大教授)が、さらに、
「痴空の迷悟二界論を十界において論じれば、本有十界となる。仮に本有十界が成立しなければ、十界互具が普遍性を持たなくなり、十界互具等に基づく一念三千の実相観が不完全なものになってしまうだろう(取意)」(大崎学報156号・17頁)

と、痴空の考え方に賛意を述べています。

痴空のこの考え方は、「始めに九界だけが存在していて、その中より発心修行して、悟りを開いた仏が初めて出たと、云うのでは、本有九界説であって、本有十界説ではないことになる」と云う考えが含まれているようですね。

宗祖も本有十界説ですから、宗祖が云う所の「無始古仏」は、初め迷っていた状態の者が菩薩行を志し、積功累徳の結果、成仏したという従因向果の成仏の仏とは異なると見なければなりませんね。

「無始古仏」とは、喩えると王位にある者が王としての実務を行うにつれて、いよいよ王としての資格が具わり、真に王の資格が有ることが証明されていく様に、従果向因の教導(菩薩行)を行い続ける仏であると思います。寿量品にある「本菩薩道を行じて」とは、こうした従果向因の教導(菩薩行)を指しているのだろうと思います。

田村完爾立正大教授は
「日隆・日辰両師の説は、宗祖日蓮の如く三世十方の諸仏を久遠本仏釈尊に統一せしめようとするものであるが、両師は、日蓮の採用しなかった智邈の諸仏展転説と湛然の内薫自悟仏を自己の教学に採り入れたため、二人とも日蓮の説と異なる釈尊観を立ててしまったといえる」
と論じています。

「初発心の弟子」の意味は、二つの解釈を並記する学者と、「釈尊によって発心させられた弟子」とのみ解釈する人が居ます。

「目連等は鹿苑より已来初発心の弟子なり。」(法華取要抄)

「令初発道心とて幼稚のものどもなりしを、教化して弟子となせりなんどをほせ(仰)あれば大いなる疑なるべし」(開目抄)

等の文より見れば、釈尊によって発心させられた弟子と云う意味の方が強いように思われます。

しかし、「初発心」で検索してみると、釈尊の初発心時の弟子と解釈出来るのかなと?と思われる文もあるようですね。

もし「釈尊の初発心時の弟子」と解釈するとしても、その「釈尊の初発心時」とは、本有仏界としての無始古仏が従果向因の教導をし始めた時と解釈すべきではないのかなと思われます。

31川蝉:2002/04/27(土) 11:06

独歩さんへ。続きです。

> 「天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具>わる」
>という結論が導かれる理由がわかりません。私の理解不足に由来
>すると思えますが、やや説明を加えていただけませんでしょう
>か。

本化聖典大辞林の解説を紹介します。
<初発心時便成正覚の初発心をば天台大師は、十住の初めの初発心住と見て、便成正覚とは一分の無明を破し一分の法性を証するが故に、一分の正覚を成ず。この位より八相成道を示すを得とし、また進んでは初住即妙覚の釈もあるに至る。詮ずる所は此の文をば円教の初住成仏の証文の一とせられたり(妙玄の五の上、位妙の下)>
「玄義巻第五」の「十住の位を明かば」の項に経証が挙げられています。

32顕正居士:2002/04/27(土) 17:36
菩薩と仏

菩薩の階位は天台宗の五十二位が諸経論の説を合揉して有名です。仏とは菩薩の
完成態以外の何かではありません。菩薩の第五十二位を妙覚と称するに過ぎない。
仏教RPGの最高ステイタスが52レベルであるということ。また妙覚位のみを仏という
のでなく、五十二位各々が仏である。菩薩と仏とは同じ意味で、区別がないと考える
べきです。但し、仏教パンテオンの秩序の上から、妙覚位の仏と称するのは釈尊と
過去仏、他方仏に限ります(一世界一仏の約束)。あとは大乗仏教史の賢者が出世
の順に上の階位を占める。ゆえに龍樹、世親は地上の菩薩ですが、天台大師の
場合は慧文、慧思に次くので観行五品になってしまう。日蓮の時代にはもう名字即
しか空いていない。このように大乗仏教の歴史では先師に孝を尽くしますが、教説は
後代のが優れていますから、「教いよいよ高ければ位いよいよ低し」と称します。

「相伝(寿量品文底大事)に云わく、寿量品の意は三世諸仏悉く名字妙覚の成道なり
と云云。尼崎流之れに同じ云云」(堅樹日寛・当流行事鈔)
http://kanazawa.cool.ne.jp/bn/rokkann5.html

33顕正居士:2002/04/27(土) 22:24
自我偈にも

長行の趣旨は繰り返されています。

我智力如是。慧光照無量。
壽命無數劫。久修業所得。

エータードリシャン(如是) ジニャーナバラン(智力) マメーダン(我)
プラバーシヴァラン(照) ヤスヤ(所) ナ(無) カシチッド(何) アンタハ(限)|
アーユシ(寿) チャ(亦) メー(我) ディールガム(量) アナンタカルパン(無量劫)
サムパールジタン(成就) プールヴェー(已前) チャリトヴァー(修)
チャルヤーム(行)||

是くの如く、我が智力の光照する所、辺際無く、
我が寿また、無量劫を成就す、久遠に菩薩の行を修せしがゆえなり。

擬似ローマナイズ
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/jigage.html

34独歩:2002/04/28(日) 00:31

30 川蝉さん:

無始古仏のご説明有り難うございます。

> 「初発心の弟子」の意味は、二つの解釈を並記する学者と、「釈尊によって発心させられた弟子」とのみ解釈する人が居ます。

「釈尊によって発心させられた弟子」という意味はわかります。どうも学者と言っても、それぞれの門流を背負った僧侶の方々でしょうから、宗門教学史を背負って書かれるものもありますね。法華経を根本とすることが大切であろうかと思います。

ただし、田村完爾立正大教授の隆・辰師解釈の説明は興味が惹かれました。
しかし、ここらは本有で捌かないと駄目なのでしょうか。天台止観の

無明癡惑本是法性。以癡迷故法性變作無明。

がまず浮かぶので痴空の議論は少しずれているような感じがします。まあ、大した意味で申し上げているわけではありませんが。

本化聖典大辞林の説明の、「初發心時便成正覺」は華厳経を拠り所とする天台以前から一つのテーマでしょうか。いずれにしても、ここでいう便成正覺は、無上正等覚とは違う、「一分の正覚」という点はわかります。

しかし、「圓教初住成佛能百佛世界化衆生也。」という玄義に基づいた仁王経の疏文が、どうして初住即妙覚の釈とつながるのか、わかりません。そもそも「初住即妙覚の釈」とはいずれの出所を言うのでしょうか。

また、ここの説明は能化の教導の始まりを論ずるものであるのか、やや不明と感じました。

あと、川蝉さんがいう「「釈尊の初発心時」とは、本有仏界としての無始古仏が従果向因の教導」の“従果向因の教導”とは、どのような意味なのでしょうか。「従果向因」が『玄義私類聚巻』が出典であることはわかるので、私としては、この説明は本覚的と感じるのです。川蝉さんは本覚を脱却した方かと思っていたので、「あれ?」という感じでした。

もっとも、本尊抄の「無始古仏」なにより「教主釈尊五百塵点已前仏也」は本覚論抜きには解せませんが、晩年の聖人はこの点を脱却していったのだから、本覚論より始覚論見地で見るべきではないのかと個人的には考えています。

まあ、ちょっと、雑談のようになってしまいました。申し訳ありません。

35独歩:2002/04/28(日) 00:42

顕正居士さん:

> 菩薩の第五十二位を妙覚と称するに過ぎない

なかなか大胆なご発言ですね。台迹勝教典劣というわけとは思えませんが、こうなると仏教ならぬ、菩薩教ということになりましょうか。

> 菩薩と仏とは同じ意味で、区別がないと考えるべきです。

この点は承服いたしかねます。ただ、これはたぶん、弥勒等の菩薩と釈尊というのではなく、一仏の因(菩薩)果(仏)が、という意味なのでしょうか。

> 我が寿また、無量劫を成就す、久遠に菩薩の行を修せしがゆえなり。

これは27に記したところと一致しようかと思います。

ここのところの書き込みは顕正居士さんらしからぬ、戯言の小利口に、からかっておいでなのかと感じられました。

36顕正居士:2002/04/28(日) 09:50
舎利弗阿毘曇論の

   「云何が菩薩人。若し人三十二相を成就し、他聞に從はず、他教を受けず、
他説を請はず、他法を聽かず、自思、自覺、自觀し、一切法に於て知見無礙なり、
當に自力自在、豪尊勝貴自在を得、當に知見無上正覺を得、當に如來の十力、
四無所畏を成就し、大慈を成就し、法輪を轉ず、是を菩薩人と名く」(大正蔵二八巻)

では「自思、自覺、自觀」を菩薩の要件とする。釈尊の弟子は釈尊の教説に従い、
多くが阿羅漢果を得たと伝えるが、釈尊自身は何の原因により現等覚されたのか。
これが菩薩思想の起源であって、「菩薩」の語は西暦前2世紀以前に成立していた。

「仏は声聞中に能王として生じ、仏はまた菩薩より生ず」(入中論)

大乗仏教は声聞でなく、菩薩を目標とするから、釈尊のみの称号であった「菩薩」は
広範には菩提心を発した衆生すべての意義にも用いられ、既に多数の高位の菩薩
が活動中であるとの神話を形成し、中には現等覚された菩薩もあるに違いないゆえ
他方仏信仰も構成されます。さらに後代には「菩薩」は利生のために敢て現等覚を
とらない永劫の活動者であるとの思想も生まれます。

37顕正居士:2002/04/28(日) 10:30
独歩さん。

>からかっておいでなのかと感じられました。

わたしは中古天台や富士派の教学を高く評価しています。但し、日蓮聖人の思想とは
異なるものであるという立て分けが必要です。川蝉さんの投稿はいつもオーソドックス
でありますし、独歩さんの富士派教学批判にもおおく頷いております。偽書、偽相承が
表になってしまった今日の日蓮正宗系教義のあり方は不健全です。口伝法門は密教
に類し、顕教を先に理解していない場合、有害にはたらき得ますから。

38独歩:2002/04/28(日) 12:21

顕正居士さん:

日蓮本仏論の見直しという視点において、日蓮・天台・法華経という3軸から、さらに大乗教典成立史、さらにバックボーンとなった菩薩思想の発生と定着、異教の影響、たとえばバクティ、太陽信仰と救世主思想(ミトラ)などまで、話を広げると、もはや「仏と菩薩が同等に解される」などという論点、もっと言えば、寛師説の日蓮本仏論などの価値を論ずると裾野が広がりすぎてしまう気がします。

けれど、仰るとおり、菩薩思想はまったく後天的な思想運動なのであって、初期仏教にこの考えは見られないでしょう。時期の特定は種々議論はあろうかと思われますが、西暦前550年ごろに入滅したシャキャムニ、その教えを継承しようとした教団は、当初、文字・形像で仏法を表現することに卑下していました。しかし、仏滅100年ごろ、文字によって教典を作成する動向が現れ、平行するかのようにギリシャ彫刻の影響を受けて、ガンダーラ、マトゥーラなどで同じ信仰的に仏像の彫刻が始まります。また、ミトラ教の太陽信仰と救世主思想の影響を受けて、はじめに救世主思想が仏教に生まれ、ミトラは仏教でマイトレーヤ(弥勒)信仰として、菩薩思想の萌芽を見るのでしょうか。ミトラは西洋にも伝播し、ミシュラン(救世主)信仰として、キリスト教などの基体をなしたのであろうと言われ、さらにキリスト教から阿弥陀信仰が生じたとも言います。ここに久遠仏信仰の基礎が出来上がり、太陽信仰に基づく故に光によって形容され、さらに太陽が宇宙の中心と見なされたごとく、すべて元初であるという毘盧遮那信仰(法身)を形成するに到るのでしょう。また、バカバットギータに見られるバクティ(誠信)がインドを席捲し、これらが多分、大乗起信論などの形成する基礎を構成していったのでしょうか。(かなり乱暴なガイダンスですが)

菩薩は仰るとおり、当初は釈尊のジャータカとして語られ、釈尊そのものを指すものであり、また、仏像の造立というそれまでのタブーを犯す段階で、仏像でありながら、菩薩像として像立されるなど、その分別が難しい時期もあります。その後、菩薩は釈尊を指すばかりではなくて、救世主思想を体する救道者のテーゼとなっていったのでしょう。

法華経の成立は西暦前100年から西暦100年ごろの時期とされ、久遠仏思想と菩薩思想、さらに教典塔崇拝信仰という新たな展開をもって構成されていったものであり、当然、そこにはバクティの影響を看取されるのでしょう。しかし、法華経における菩薩思想は、いわゆる仏菩薩を等価として配置されたものであるというより、後期の菩薩思想の展開と見るほうが至当でしょう。法華経信仰者に菩薩の道を歩ませることを目的にしたものなのでしょうが、久遠に菩薩の道を歩み、ついに成仏を得て、無量長遠の寿命を得た仏に従う求道者の理想的なモデルとして描かれる本因を菩薩とする本果の仏と、その理想を追求する求道者モデルの菩薩は同一視してしまっては、混乱を来すと、私は思うわけです。

ですから、仏・菩薩の厳格な分別(差別)は必要であろうかと思います。しかし、それを教理的に整理し、かつて菩薩道によって成仏した釈尊、これから菩薩道をして仏に作る衆生、あるいは記【サ/別】を受けて未来成仏を約束される求道者を一括して総合的に理論整理しようとすれば、それはたしかに十界互具などという論理的な構成は意味をもちます。

ただ、ここのところ、問題にされていたのは、寛師の日蓮本仏思想が至当であるという顕正居士さんの発題から、さらに地涌菩薩の初発心を釈尊の成仏已前菩薩道の段階とするのか、成仏後、最初の弟子とするのかという議論なのであって、上述する如く仏教思想の展開をここに持ち込むと、なおさら煩雑になってしまわないかと思うわけです。

39独歩:2002/04/28(日) 12:21

―38からつづく―

非常に雑駁な言い方をすれば、因位に地涌菩薩の結縁を見る動きは本覚文献とその肯定論者に見られるの点で臭みを感じます。この考えは即座開悟の如き、菩薩道による成仏という法華経の説相を結局否定するもので、その意味で釈勝経劣の過ちを犯していると私は感じるのです。

そもそも地涌菩薩の出現は久遠成仏とその寿命の長遠を示す寿量品の前品に置かれるのであって、ここでは釈尊の成仏が伽耶始成ではなく、久遠成道を示すことに目的があります。地涌の結縁を釈尊自身の発心の時とするのは、父子一体、師資一体などという本覚義にとっては便利でしょう。しかし、釈尊と地涌菩薩が、「仏菩薩は同等であるけれど、五十二位から見た覚り程度の差を示すもの」であるという点は教理展開上でもちろん確認できましょうが、法華の説相と異なるのではないのかと個人的には思うわけです。これはしかし、日蓮本仏論の如く、上行菩薩とも自受用報身如来(仏)とも仏菩薩等価的に宗祖を見なす宗祖信仰にとっても誠に都合のよいものであり、使われ方に但し書きを付したくなります。

実際のところ、法華経の説相では釈尊自らの久遠成道を示す時に弟子地涌菩薩の結縁を言うのであって、彼等が滅後の教導者であるとするのを自らの久遠成道によせて論じています。ここでは、自らが菩薩であったときに六万【(江−エ)+亘】河沙の弟子がいたなどとは書かれていないわけです。

釈尊が久遠成道ののちに第一番に弟子にしたのが地涌菩薩であり、その後、下方の空中にあって住していたので伽耶始成後の弟子は知らず、久遠成道は久遠の出来事であり、その久遠の出来事を知っている地涌菩薩にその広宣流布を命じたというのが法華経のコンセプトでしょう。ここでは、菩薩時に菩薩を弟子にしたなどということは、何も記されていません。

結局、菩薩が菩薩を弟子にしたというのは後天的な解釈であって、法華経の説相と一致しないので、どのような碩徳の語ることであっても叙用せずというのが私の考えです。しかし、ここで冒頭で掲げたような教理展開の歴史的な変異を考慮に入れるとき、日蓮・天台・法華から、現日蓮信仰の是非を論ずるという段階的な考証の意義がぼやけてしまうという憾みを感じるわけです。

しかし、上述の整理は、ともかく苔泥塗れになって本体のみ得なくなっている日蓮聖人の本意、また、天台思想の原形、さらに解釈に振り回されない法華経そのものが説くところをまず闡明にしなければならないと私は考えてきました。

ただ、たしかに顕正居士さんが仰るとおり、「中古天台や富士派の教学は高く評価」されるだけの内容をはらみ人々を魅了してやまないものなのだと思います。それをそれとして、受容する信仰する在り方を、信教の自由からも否定してはいけないのかもしれません。ただ、「日蓮聖人の思想とは異なるものであるという立て分けが必要」であり、この後者の強調が現代の私の主要な書き込みの基礎となっています。

なお、博学篤信の志・顕正居士さんから「富士派教学批判にもおおく頷いております」などというお言葉を頂戴できることを汗顔の至りです。しかしながら、37にまとめられる中古天台、日蓮本仏論、日蓮思想、そして、顕教・密教のことなど、そのお考えの一端を拝され、浅薄な理解ながら、了納すべきところであると思いました。ご無礼の段、ご容赦いただければ有り難く存じます。

40川蝉:2002/04/28(日) 12:43
34 独歩さんへ。

>宗門教学史を背負って書かれるものもありますね。法華経を根本
>とすることが大切であろうかと思います。

仰る通りですね。
「涌出品」に
「まさに仏道を得たまいしとき、初めて発心せしめ教化示導して、阿耨多羅三藐三菩提に向わしめたりと云う」
とあるのですから、「初発心の弟子なり」の意は「上行等は釈尊によって発心させられた弟子」と解釈すべきでしょうね。

「文句」の「従涌出品を釈す」の項にも、また嘉祥大師の「法華統略」「義疏」を見ても、「久遠釈尊が初住位の時に教導した菩薩であるか、妙覚位を得てから教導した菩薩であるか」についての問題には触れていません。

上行等は、一番最初に本仏釈尊の弟子に成った菩薩であると受け取ることが、最重点で、釈尊の菩薩時期に弟子に成ったのか否かの検討は戯論なのかも知れませんね。

本化聖典大辞林の解説に有ったように、天台大師も
<初発心時便成正覚の初発心をば、十住の初めの初発心住と見て、便成正覚とは一分の無明を破し一分の法性を証するが故に、一分の正覚を成ず。>
と見ているので、初住位から教導出来るとすれば、久遠釈尊も初住位時に上行等を教導したのであろうと云う推論は可能ではありますね。

>ここらは本有で捌かないと駄目なのでしょうか。天台止観の
>無明癡惑本是法性。以癡迷故法性變作無明。

実のところ、この点について、まだ私も考えが纏まっているとは云えないので、深入りしたくない所なのです。

「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具、百界千如、一念三千なるべし。」(開目抄・学会版197頁)
「十界久遠の上に国土世間既に顕れ一念三千殆ど竹膜を隔つ」
(本尊抄・249頁)
と有りますね。
久遠釈尊に凡夫の時があって発心修行して初めて成仏したと立てると、いかに遠い過去であても無始の仏とは云えいので、本有仏界が無かったことになりますね。

もし釈尊が成仏した時点で、真の十界互具が成立するものならば、今世、ガヤの成道の時点でも真の十界互具が成立した云えることになりますね。しかし宗祖は「ガヤの始成正覚では真の十界互具が成立しない」と云う考えですね。

とすると、「無始と云われるほどの過去であっても始成正覚であれば、真の十界互具は成立しない」と云うお考えなのではないかと思われます。

本有仏界が無いと「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて」が成立しないので「真の十界互具、百界千如、一念三千」も成立しないことになりますね。
ですから本有十界の概念は極めて重要なものであることは確かですね。

もし釈尊が成仏した時点で、真の十界互具が成立するものならば、今世、ガヤの成道の時点でも真の十界互具が成立した云えることになりますね。しかし宗祖は「ガヤの始成正覚では真の十界互具が成立しない」と云う考のようですね。

とすると、「無始と云われるほどの過去であっても、迷いの衆生が始成正覚したものであれば、真の十界互具は成立しない」と云うお考えなのではないかと思われます。

>天台止観の無明癡惑本是法性。以癡迷故法性變作無明。

良い着眼だと思います。

41川蝉:2002/04/28(日) 12:44
独歩さんへ。続きです。
私は今のところ、この論点に関しては本化妙宗の山川智応居士と高橋智遍居士の所論を特に参考にしています。

山川智応居士の「開目抄研究」にある見解の意趣を紹介します。

<宇宙は一体のものであるが、その固有の活動には両面がある。すなわち法性縁起と無明縁起である。
法性縁起の活動を以て、宇宙の真実相を得たるものとし、無明縁起の活動は宇宙の実相を晦ますものとする。
両縁起が無始より法界即ち宇宙に固有し、各因果によりて活動する。
どうしても無始から絶えざる無明縁起の活動に対して、無始からの絶えざる法性縁起の活動というものがなければならぬことになろう。
その無始以来絶えざる法性縁起の活動を「三身常住三世益物」といい、その主体を仮に「本仏」と名付け、その無辺無尽の化導の跡を「六或示現」と名づけ、
本尊抄に、寿量品の仏をば「五百塵点乃至所顕三身 無始古仏也」とある。五百塵点と数が限られていれば、決して無始でなく、天台も「玄義」に「これより久しいのは東方五百塵点の国を過ぎるとあるを、四方を以て喩えとする」などと説いていらるる。しかし日蓮聖人はさように見ずに、無始を譬説せられたものとせられたが、その無始のはじめに「我本行菩薩道」したとなれば、やはりはじめから仏界があったのでなく、はじめは菩薩であったのではないかとの疑問があるが、それは無始の仏界無始の法性縁起の因行面をいったので、無明縁起から法性縁起に入らんとしたものではない>
(開目抄研究・304〜308頁)
と本仏の無始について論じています。

高橋智遍居士は
<無明と法性とが両方ともこの宇宙の始まりから活動しているんだ。という事を寿量品で説き明かされた。
仏様が本来この大宇宙に地獄界が動き出すと同時に仏界が動いている。
「至理に名無し、聖人理を観じて万物に名を付ける時」(当体義抄)とあります。「聖人理を観じて万物に名を付ける時」凡夫じゃない、聖人なんです。これが本仏なんです。
宇宙には法界を一貫した真理がある。その法界を一貫した真理が動き始まると、仏様という人格が出てくる。
我本行菩薩道というのは、久遠の仏がご自分のお心の中に持っていらっしゃる九界の心を浄化する、九界の心をば仏界化する事が、我本行菩薩道なんです。

この仏界所具の仏界はこれは本覚なんです。仏界所具の九界は覚用なんです。本覚はこれは本果です。覚用はこれは本因です。この本因が働いて本化の菩薩を教化したことなどが「我本行菩薩道」、こういう事になってくるのです。>
(昭和四十年五月大阪市成正寺にての講義速記録)

>どうして初住即妙覚の釈とつながるのか、わかりません。そもそ
>も「初住即妙覚の釈」とはいずれの出所を言うのでしょうか。

玄義の第五上で十住位を説明する部分に「華厳に云はく、初発心の時便ち正覚を成じ、諸法真実の性に了達す」と挙げられているからではないですか。

>“従果向因の教導”とは、どのような意味なのでしょうか。

すでに仏である本仏釈尊の修行は、喩えれば、すでに王位に在る王が国民の為の政務を行い、その善政を行えば行うほど、ますます王としての徳が具わっていくと云うようなものと云う事です。
「我本行菩薩道」の菩薩道とは、喩えると、一国民が王位を得るために努力するに喩えられるものでなく、既に王位に在る王が全国民の為に徳政を行う事に喩えられると云うことです。それを「従果向因の教導」と表現したのです。

『玄義私類聚巻』は読んだことがないので、『玄義私類聚巻』で云う「従果向因」の概念と同じか否かはわかりません。

お願い。引文はなるべく訓読でお願いします。それから巻数も添えて頂きたいです。漢文苦手なので。

42独歩:2002/04/28(日) 14:04

川蝉さん:

やはり、「本有」の問題となるのでしょうね。

少し、教学論から離れますが、私は法華経というのは初期大乗経典で、成立した頃、また、毘盧遮那(法身)、いわば無始の元初仏という思想背景はなかったのではないのかと考えています。法華経の製作者は無始ということは考えても、実際に仏に成る修行(菩薩道)と実際に常道した時(久遠五百塵点)ということをそれを非数であれなんで、規程せずにはおれなかったのであろうと思います。その際に寿量も非数であれ、表現上は有限ですね。ですから、久遠実成の釈尊は法華経で読む限り、有始有終である点は否めないと思います。

けれど、その後、元初仏思想が勃興してきます。時に法華論者は有始久遠仏を無始久遠仏、さらに無始無終と再構成せざるを得なくなった、そんな展開を私は初期天台文献に読み取るのです。まあ、ここで、この点を論じても始まりませんが、結局のところ、本有について言い出すと、天台前に遡らざるを得なくなります。裾野が広がりすぎて、日蓮教義からの当掲示板の主旨からはみ出すので、この辺にしたいと思います。しかし、天台教理と華厳・真言の関係などはたぶん面白いテーマなのであろうと思います。残念ながら、勉強不足ですが。

引用いただいた山川師の説明はわかりますが、高橋師の言うところは、私の嫌いな(笑)『当体義抄』の説明は、ちょっと頷けません。まあ、解釈として読むのは微笑ましいですが。

> お願い。引文はなるべく訓読でお願いします。それから巻数も添えて頂きたいです。漢文苦手なので。

済みません。私は天台の釈など訓読本をもっていません。ですから、すべて漢文でしか読んでいないのです。第一、延べ書きはそれ自体に思想反映があるので、あまり信用していません。しかし、判読が困難なものなどにはなるべく(勝手な)訓解を付すようにします、定型文化された訓読文は知りませんので。もっとも川蝉さんが「漢文が苦手」と仰るのは、他のスレッドでテーマになっている謙遜以外の何物でもないと拝察申し上げます。とともに、他のロムの方々へのご配慮であろうと。

あと、Libraさんにもよく言っていたのですが、そもそも宗派を背負う学者の研究は参考にすることはあるにせよ、基本的には読むのは退屈であると思っています。ですから、私は原典最優先で、原典に文献的・思想的に遡源できないものは、宗派や学説の都合と決めつける嫌な性格の持ち主です(笑)

まあ、そんな我侭者ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。

43顕正居士:2002/04/28(日) 18:02
>お願い。引文はなるべく訓読でお願いします。

注記でない、投稿の本文中の経論の引用は訓読を挙げましょう。「国訳一切経」に
主要経論が訓読されています。但し、原漢文はないので、訓読から文意をとれない
ことがある。「国訳大蔵経」は所収の経論は少ないが、原漢文が付記されています。
天台大師の三大部、妙楽大師の疏は宝地房証真の註と合して、訓点を施した本が
「天台大師全集」として刊行されていますが、今日、入手が困難です。

先考の訓点、訓読がない漢文を引用する際は自分で訓読しましょう。原文の意味が
分かって引用するのなら、訓読できるはずですから。

またWEBはハイパーテキストなのですから、本文中の引用を節約し、中華電子仏典
協会や、自分のサイトの資量にリンクを致しましょう。

日蓮遺文の問題箇所を引いたり、有名な経文(成句)を引く場合は漢文のままがよい
でしょう。

44独歩:2002/04/28(日) 19:08

ここの所、引用した文献の勝手な訓読です。違っている点はご指摘ください。(ただし、言い回し・成句を読み下すかどうかのような些細な指摘はその限りではありません)それぞれ既存の定型訓読に当たっていません。皆さん、このような資料を訓読でお読みになるんですか?

27

『法華玄義釋籤』1七番1標章
本門正意顯壽長遠。長遠永異故用比之。實相雖在迹門辨竟。今須辨同故今但取實相同邊。長壽祗是證體之用未是親證實相體也。

>本門の正意は壽の長遠を顯す 長遠永異の故に之を用比 實相は迹門に在り雖も竟を辨ず 今須く同じく辨ず故に今但實相の同邊を取る 長壽祗は是體之用を證し未だ是實相の體を證し親とせず也

28

『維摩玄疏』1五重玄通
五分證眞實即者。從初發心得無生忍至金剛頂四十一地皆名分證。所以者何。如華嚴經云。初發心時便成正覺。了達諸法眞實之性。所有慧身不由他悟。此是分證眞實即也。乃至十地等覺皆是分證。但有深淺之殊故有諸地階級也。

>五に分證眞實即とは初發心從より 無生忍を得るに至り 金剛頂四十一地を皆分證するを名づく 所以者何(ゆえんはいかん) 華嚴經に云く 初發心の時に便成正覺す 諸法眞實之性を了達し 慧身を有る所は他の悟に由らず 此は是 分證眞實即也が如し 乃至十地等覺皆是分證す 但 深淺之殊故 諸地階級有る也。

『法華玄義釋籤』
自本地眞因初住已來。遠鑒今日乃至未來大小衆機。故云本行菩薩道時所成壽命今猶未盡。豈今日迹中草座木樹方鑒今日大小機耶。

>本地眞因初住已來より 遠く今日乃至未來大小衆の機を鑒みる故に本行菩薩道の時 所成壽命今猶未盡と云う 豈 今日 迹中の草座木樹は方に 今日 大小の機を鑒みるや。

34

『摩訶止観』5善巧安心3
無明癡惑本是法性。以癡迷故法性變作無明

>無明癡惑本(もと)是法性 癡迷を以ての故に法性變じて無明と作る

『仁王護國般若經疏序』(仁王経の疏文と記したもの)
圓教初住成佛能百佛世界化衆生也

圓教初住成佛は能く百佛世界の衆生を化す也

45独歩:2002/04/28(日) 19:23

【44の訂正】

誤)證眞實即とは初發心從より 無生忍を得るに…
正)證眞實即とは初發心より 無生忍を得るに…

46顕正居士:2002/04/28(日) 21:30
>皆さん、このような資料を訓読でお読みになるんですか?

わたしの場合、この掲示板で経論を引用する際は、中華電子仏典協会のHTML版
を訓読して挙げており、訓読の本は見ていません。が、訓読の本に親しむことで、
訓読の力は付きます。独歩さんのは大意をはずしてはおりませんので、基礎的な
勉強をされれば、半年から二、三年で普通になる可能性があるかと存じます。

『釋籤』の文は

本門ノ正意ハ壽ノ長遠ヲ顯ス。長遠永ク異ルガ故ニ用ヒテ之ニ比ブ。實相ハ迹門ニ
在ツテ辨ジ竟ルト雖モ。今ハ須ク同ヲ辨ズルガ故ニ今ハ但實相同ノ邊ヲ取ル。長壽ハ
祗ダ是レ證體ノ用、未ダ是レ親シク實相ノ體ヲ證セザル也。

でしょう。

47独歩:2002/04/29(月) 00:01

顕正居士さん:

長壽祗是證體之用未是親證實相體也

長壽ハ祗ダ是レ證體ノ用、未ダ是レ親シク實相ノ體ヲ證セザル也。

とされますが、前半はよいとして、この文の成り立ちは

(1)“證”體之用
(2)“證”實相體

であって“證”が述語として使われているのではないでしょうか。それなのに、(1)では「證體」と成句と扱い、(2)では述語として扱われるのは、どのような理由になるでしょうか。

また、ここの説明は「體」を論じるのであって、先には(体の)用は証すが、実相の体は証していないという意味となっていると思うのですが、顕正居士さんの訓読で「證體ノ用」とされてしまうと意味が取れなくなる気がします。

「長壽はただこれ體の用(はたら)きは證しているが、いまだこれは實相の體は證していない」という意味ではないのでしょうか。(“親”は「したしく」か「まのあたり」か、どちらと訓ずべきか悩んだので「証するを親しくせず」という意味で最後に残しました。たしかに上手くありませんでした)

まあ、私は独学ですので、では3年ばかり普通になりたいと思います(笑)

48顕正居士:2002/04/29(月) 10:47
漢文に品詞はなく、字が並んでいるだけなので、訓点は日本語になるよう付ければ
よいのであります。「證體」のように二字はそのまま日本語になるが、「證實相體」
はならないだけです。「親」はルビあり環境なら、「まのあたり」がよいとおもいます。

この文の意味は。諸経と今経に異有り、同有り、異は兼帯、同は実相である。然し
「本門ト諸經ト一向二異ル」と云われているではないか?長遠は諸経と永く異るが、
それは體が殊なるのではない、體である実相は同じである、長寿は実相を証得した
上に備わるはたらきである、諸経は實相の體を辨じ竟っていないだけである。

長壽ハ祇ダ是レ證體ノ用、(諸部ノ円文ハ)未ダ是レ實相ノ體ヲ親リ二證セザルノミ。

>独学
漢文の訓読は今は誰も独学であります。古典はみな訓点を施した全集が出ている
ので。小生の経験では漢文の読解は原文、訓読文対照の本でなく、本文に訓点を
施した本がよい。幾らか学力が進むと現代中文も分ります。訓読の功徳莫大です。

49顕正居士:2002/04/29(月) 12:14
ところで。
>地涌菩薩の出現は(略)釈尊の成仏が伽耶始成ではなく、久遠成道を示すことに
>目的があります。
そうおもいます。釈尊は久遠の過去に菩提心を発し菩薩道を行じて仏になられたの
ではあるが、法華経は久遠の仏の実在を云わんとするのであって、釈尊の因行を
説かんとするのではないから、地涌菩薩は成仏已來久遠であることの表現である。
久遠発心から現等覚される迄の菩薩道は自行であり、菩薩道はみな利他の行では
あるが、仏としての計画的教化(化他)には含まれない、それは現等覚以降である
と解するべきでしょう。名字初心より教化が開始されるのはあくまで日本中古に独特
の説です。但し現等覚を妙覚に限れば、聖観自在も聖龍樹も自行の菩薩道の範囲
になってしまう。ゆえに現等覚を「初住」と判じるのであろうとおもいます。

「本地ノ眞因初住自リ已ニ來タ。遠ク今日乃至未來大小ノ衆機ヲ鑒ム。故ニ云ク、
『本行菩薩道時所成壽命今猶未盡』ト。豈ニ今日迹中ノ草座木樹方ニ今日大小ノ機
ヲ鑒ミン耶」

50顕正居士:2002/04/29(月) 20:43
仏と菩薩続き

「一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも末代の浅智なる法華経の行者の上下万人に
あだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり」
-松野殿御消息-
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso1378.html
の如き表現は日蓮遺文に少くない。初発心の菩薩も、広範の菩薩の用法から云って、
菩薩であることに疑いがない。しかし、初発心とは菩提心、即ち上求菩提・下化衆生
の誓願を発した意義であって、小善成仏の因というものとは異なる。誓願もちろん、
身口意に唱えて誓願となるので、口業のみで唱えたことにはならない。凡ゆる善行が
皆発菩提心の縁に成り得るけれど、発菩提心とは或る時に発すのである。いったんの
利益を信じて三宝を供養するのは発菩提心ではない。発菩提心は稀に起る、日蓮は
菩提心を発した稀有の聖者の一人というべきで、彼が自ら凡夫の菩薩と称するから、
そう理解するのは素直である。凡夫の菩薩と単の凡夫とに深淵があると解すべきだ。

「佛迦葉ニ告ゲタマハク。譬ヘバ人有ツテ初月ニ歸依スルガ如シ。
是クノ如ク圓月ニ而モ歸依セズ。迦葉。是クノ如ク我ガ子ニシテ其レ信力有ランモノ。
菩薩ニ歸命シテ如來ニ歸命セザレ。所以ハイカン。為レ彼ノ如來ハ菩薩從リ生ズ。
聲聞辟支佛ノ若キハ如來從リ生ジ。菩薩ノ如キニ非ザルガ故ナリ。
我今此ニ於テ頌ヲ説イテ曰ハン。
譬ヘバ此クノ如キ有情アッテ 初月ニ歸命ス。
是クノ如ク圓滿ノ月ニ 而モ彼ハ歸依セズ。
我子亦是クノ如ク 菩薩ニ歸依シテ。
世尊ニ歸向セザレ 為レ大智力ヲ具シテ。
如來ノ身ヲ出生スルコト 彼ノ聲聞ノ類ニ非ズ。
智慧微劣ナルガ故ニ 彼ハ如來依リ生ズ、ト」(宝積経)

51独歩:2002/04/30(火) 17:17

顕正居士さんが仰っていることが違っているというわけではありませんが、難しい説明ですね。

本門正意顯壽長遠。長遠永異故用比之。實相雖在迹門辨竟。今須辨同故今但取實相同邊。長壽祗是證體之用未是親證實相體也。

もう少し簡潔でよろしいではないでしょうか。

法華経本門寿量品の正意は如来の壽の長遠を顕わすことである。(五百塵点已来、そして、未来にはその今までの寿命にさらに倍するほどのものであることを顕わす。要するに、本門の正意というのは過去・久遠五百塵点、未来・復倍上数という如来の壽(いのち)の長遠である)

長遠という正意は(諸教と)永異なのでこれを用比(比すのに用いた)。
(十如)実相は迹門にあるといえども弁じおわっている。
いますべからく同じく弁ずべき故に今はただ、迹門実相と同辺と取る。
(けれども)長寿(=壽長遠)はただこれは体の“用”を証するばかりで、いまだにこれは実相の“体”ではまのあたりに証してはいないである。

本門・迹門、体・用を比較して証しているところなので、「証体」と残すと、“私には”わからなくなります。

なお、私は訓読は否定しているわけではありません。訓読が好きな方は、それを使われればよろしいでしょう。

> 「本地ノ眞因初住自リ已ニ來タ。遠ク今日乃至未來大小ノ衆機ヲ鑒ム。故ニ云ク、
『本行菩薩道時所成壽命今猶未盡』ト。豈ニ今日迹中ノ草座木樹方ニ今日大小ノ機
ヲ鑒ミン耶」

これは私の訓読よりずっとわかりやすいですね。

ただ、私はこの文中で、もっとも解説が必要なのは『本行菩薩道“時”所成壽命今猶未盡』の“時”の一字であろうかと思います。漢原文で残すのは不親切な気がします。
法華経原文では「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數」で言うまでもなく、「時」の一字はありません。それをあえて妙楽は補っているのです。つまり、この“時”によって大小の機を鑑みた時を寿量品の「菩薩道」の時と、妙楽特有の解釈となっている点を明らかにするために、こここそ訓読が必要でしょう。

> 名字初心より教化が開始されるのはあくまで日本中古に独特の説です

この点を明確にしたかったのです。すなわち、法華経の原意とは違うという点です。

仏菩薩を説明する為に「宝積経」を引用されると法華経の範囲で論じてきているので、多少混乱するように、私には思えます。

私は

(1)法華経原文ではなにが説かれているのか
(2)天台はそれをどう解釈したのか
(3)中古天台本覚思想ではどう変化したのか
(4)聖人はどう受用されたのか
(5)滅後の弟子はどう解釈したのか

を、分けながら論じませんと、混乱を来すと思うのです。

この点を明確に分別、指し示しながら、ご説明いただければさらにわかりやすくなろうかと思い、お願い申し上げるものです。

52独歩:2002/05/03(金) 22:57

○「本仏」の意味の変遷

(1)本仏とは寿量品の釈尊

法華経のなかに「本仏」という語彙は見出せません。
「本仏」という成句は、初期天台資料に既に見られます。

天台『法華文句』(9壽量品16)
如來者。十方三世諸佛二佛三佛本佛迹佛之通號也。
如來とは 十方三世の諸佛二佛三佛本佛迹佛の通號なり。

などと言い、その名を挙げますが、実際のところ、詳しい説明がなされているわけではありません。その解説はむしろ妙楽に拠ります。

妙楽『玄義釋籤』(15釋名蓮華)
開迹顯本即識本佛之所從生。
開迹顯本は 即ち 本佛之所從の生を識す。

つまり、本仏は迹仏に対する語であって、五百塵点成道の“釈尊”を意味するものでした。すなわち、伽耶・始成正覚の仏(迹仏)・寿量品三合論で顕わされる久遠成道釈尊(本仏)を言うわけです。つまり、迹を開いて本を顕わしたわけです。
本仏の意味は以上でした。ですから、純粋な用法に従えば、釈尊以外に当てはめるべき語でないことは、あまりにも明らかです。

実は日蓮聖人に、この語の使用はほとんど見られません。真蹟のみで追えば、

『大学殿事』弘安元年(1278)五七歳
日蓮が云はく、迹仏は長者の位、本仏は法王の位か

のみです。

(2)本仏と一念三千・自受用

「本仏」語に潤沢な意味を冠せられるようになるのは、やはり、中古天台本覚思想の、それも伝教に仮託された『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身」と、展開される凡夫本仏論によってです。

ここでネックになってくるのは一念三千と自受用身でしょう。日蓮本仏論に馴染んでいる人にとって、本仏・一念三千・自受用身は一つにまとめられる当然の原理のように考えられがちですが、実はこの“常識”が“操作”されたものであることに気付く必要があります。

実は天台・法華三大部には「一念三千」語の使用は見出せません。これを使うのは妙楽です。

妙楽『玄義釋籤』(4釋名三法妙)
止觀中不思議境一念三千非思量分別之所能解。是故立此不思議名。
止觀の中の不思議境一念三千は思量分別之所 能く解するに非ず。是の故に此の不思議の名を立てる。

また、「自受用」の使用も法華三大部には見られません。これまた、妙楽によります。

妙楽『玄義釋籤』(12釋名三法妙)
應身即水月者。諸水非一故。報身爲天月者。自受用報非多故也。
應身即水月とは 諸水は一に非ざる故。報身を天月と爲すとは 自受用報(身)は多に非ざる故なり。

以上のことから、つまり、天台には本仏観はあったけれど、少なくとも、語彙の用法としては一念三千も、自受用身もなかったわけです。そして、一念三千・自受用身は妙楽が展開したものであったということです。

53独歩:2002/05/03(金) 22:58

―52からつづく―

(3)次々に主語を奪う

さて、先に挙げた一念三千即自受用身から、さらに「出尊形仏」という一語をもって人法一箇というまったく新説を展開します。これは言わば連想ゲームであって、一念三千は自受用身で一つ、自受用身は尊い形を出た仏、すなわち人間、だから、人法一箇というわけです。まったく勝手な論理展開と言うしかありませんが、早坂鳳城師の指摘するところに拠れば恵心流口伝法門には天台本仏論があるといいます。すなわち、上述の連想ゲームで言いたいことは、天台と説かれた一念三千は一箇であるということです。すなわち、これが天台本仏論です。

日蓮本仏論者であれば、真上の記載を読み、「?」と思われることでしょう。つまり、上の説明は天台本仏を論ずるものではなくて、日蓮本仏を論じる基本理論であるからです。まったくそのとおりなのであって、つまり、寛師は上述の中古天台の解釈をすっかり“いただいて”天台を日蓮に置き換えて日蓮本仏論としたのに過ぎなかったのです。ただ、寛師の場合は、さらに一念三千を南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と言えば曼荼羅、曼荼羅と言えば、ただ弘安二年大曼荼羅(戒壇之本尊)とおまけをつけて、人法一箇とするわけです。

整理すれば、「本仏」は天台に見られます。この場合の用法は本門仏の意であって、久遠釈尊を意味します。日蓮聖人自体の用法はこの意味に限られています。
中古天台本覚思想において、まず天台本仏論が台頭し、それを真似て日蓮本仏論が形成されて行ったわけです。

重要な点は本仏は元々久遠釈尊を指し、そう言っていた天台を今度は本仏と言い、その釈尊・天台に従っていた日蓮を本仏というに至るという点です。
このようなことが正しい考え方であるとは、私には思えません。

54独歩:2002/05/04(土) 09:02

―53からつづく―

私は51に考証の5つの段階 (1)法華経原文ではなにが説かれているのか(2)天台はそれをどう解釈したのか(3)中古天台本覚思想ではどう変化したのか(4)聖人はどう受用されたのか(5)滅後の弟子はどう解釈したのか としたのですが、並びは以下のほうがよかったと思いました。それを用いて本仏義を整理すれば

(1)法華経原文ではなにが説かれているのか

法華経には「本仏」という語彙は見出せない。しかし、久遠寿量が仏の本当の姿であることが示されている(久遠五百塵点劫成道釈尊)

(2)天台はそれをどう解釈したのか

迹門で、十界、互具(百界)十如(千如)実相、本門で三妙合論(本因・菩薩道、本果・成仏、本国土・娑婆世界)によって三千成就、久遠寿量仏を闡明にし、本仏を説明した(ただし、一念三千は妙楽の説)

(3)聖人はどう受用されたのか

本覚思想との接点はあったろうが晩年に向かうほど、純天台志向を高めていかれた。恵心流口伝法門との接点は見出せない。本仏の真蹟上の出典は一ヵ所のみ、本仏は天台に同ずるのであり、本尊として本門教主釈尊を立てられた。

唱題立行を創案し、修行の肝要とした点で天台とは異なる。

(4)中古天台本覚思想ではどう変化したのか

妙楽によって固定化された一念三千を、自受用身と一体であるとし、さらに出尊形仏であるとし、無作三身は名字凡夫という凡夫本仏論を展開。口伝において天台本仏論を至極とした。

(5)滅後の弟子はどう解釈したのか

天台本仏を、今度は日蓮本仏とした。

55独歩:2002/05/04(土) 11:28

【54の補足と訂正】

元)(5)滅後の弟子はどう解釈したのか
補)(5)石山の滅後の弟子はどう解釈したのか

56独歩:2002/05/04(土) 14:02

○長遠永異故用比之

という一節は実に気になります。先に一般的な読み方を記したのですが、ちょっと、考えているところを、ここを備忘録として記させてください。

まず「長遠永異」の長・永は通常であれば対句に読めます。“長”は丈などの長短がながい様、それに対して、“永”は時間がながく遠いこと。いずれも“ながい”ことを意味して使われていますが、同じ字の重複を避けるために長・永が使い分けられているように見えます。(同じ意味をいくつ感じで表現できるかでその人の素養が計られる習いがあったわけです)

長遠は前文から如来の寿命が長遠であることが本門の正意であると知れます。永異(ようい)は永く異なる意で天台文献では多く散見できる熟語です。(初期天台61文献中78)
ここの文意は、さらに前段から諸経(権経)とその正意である如来寿長遠が永く異なっているという意味であろうと存じます。

以上を前提とするとき、

「故用比之」の“用”が気になります。そのために私は訓読で、あえて用比と残してきました。もちいる、はたらくと読むことが一般化されていますが、果たしてこれでよいのか? そのような疑問が私にはあるわけです。

ここの文脈は明らかに、権経:実経=迹門(用)・本門(体)となっているわけです。
つまり、長遠(実経)永異(権経)となっているわけです。
となると、故のあとの「用比之」の“用”は体用の用と読むほうが自然ではないのかと思えるわけです。つまり、「用を之に比す」。すなわち、権経と永く異なるので、(本門実相体の)用と之(権経)を比べるという意味ではないのかと思うわけです。

そして、続く段では、諸経(権)に対すれば実は本迹束ねて比べられるから、同辺に論ずる。けれど、さらに精しく言えば、長寿は、ただ体の用を証じるばかりで、実相の体を未だにまのあたりに証じてはないということとつながると思えるわけです。

ややこしいことを書いていますが、要するに「用比之」は「用を之に比す」ではないのかというのが言いたいところです。

57川蝉:2002/05/06(月) 09:42
独歩さんさんが53番に、

>重要な点は本仏は元々久遠釈尊を指し、そう言っていた天台を今
>度は本仏と言い、その釈尊・天台に従っていた日蓮を本仏という
>に至るという点です。
>このようなことが正しい考え方であるとは、私には思えません。

と云われていましたが、その通りのようですね。
「摩訶止観見聞添註」を見ると、
「粟田口心賀の義に云はく、玄義文句は在世の教味を假りて、一代の教相を判ず。故に法華の能釈なり。
止観は是れ大師の己心所行の法門にして、更に在世の教味を借らず。何ぞ法華の能釈と云うべきや。

況や身・土・説・機に就いて之を別つなり。則ち法華能説の教主は釈尊応身仏果、所居の土は同居霊山、所被の機縁は一代声聞植迂回道の類、色心二重移転を正機と為す、所説の法門は本迹二段の妙法なり。
止観能説の教主は自受用報身如来、所居の土は皆常寂光妙土、所説の法門は天真独朗の法体、本迹未分の内証、所被の機は直入円頓にして、本迹未分の頓機なり。
身・土・説・機、既に格別なり。いずくんぞ能釈ならんや。

止に云はく(一の一の二十五左)此の止観は天台智者、己心中所行の法門を説きたまう。と、己心中所行とは依経立行法に非らざるなり、法華の能釈に非ること験かなり。
此の旨を著さば、玄義文句には法華の言を安く。止観は摩訶と題して法華と書かず。
また玄義文句は法華の文を引く。或いは云はく此の経に云はく、或いは経に云はくと云う。止観は法華と云はくと、此の経を引かざるなり。此の如き等は、寧ろ己心所行止観は能釈にあらざる事を顕すに非らずや。」(佛教全書・摩訶止観見聞添註18頁)

「止観序(一の一の五右)に智者、大随等と云う。弘決(一の一の五右)に之を受けて云はく、智者の二字は即ち是れ教主、と。智者の二字、仏徳と全同なり、即ち此を以て三身中自受用身と為し、止観教主と云うなり。」
(佛教全書・摩訶止観見聞添註22頁)
等と論じています。

上掲の文のおおよその意味は、

「玄義・文句は法華経の解釈書であるが、止観は大師の己心所行の法門であって、法華経等の教説に基づいたものではない。故に法華経の解釈書ではない。
法華経と止観とは、
説き主(法華は応身釈尊・止観は自受用報身如来)、
説かれた場所(法華は同居の霊山・止観は常寂光妙土)、
説かれた法門(法華は本迹二段の法華経・止観は天真独朗の法体、       本迹未分の内証)、
聴衆の機根(法華は色心二重移転を正機・止観は本迹未分の頓機)  <色心二重移転を正機とは、種・熟と調熟された機根の意か。   川蝉注>
が異なっている。ゆえに止観は法華の解説書ではない。

(天台)智者の二字は教主という意味である。故に己心所行の法門を説いた天台大師の事を自受用身と為し、止観教主と云うのである。」

との趣旨の文です。
止観は法華経に依って立てた行法(法門)ではなく天台大師己心所行の法門であるから、大師は止観の教主であり、自受用身なのであると云う主張のようですね。

創価学会・佛教哲学大辞典を見ると、
「釈尊は色相荘厳の仏身であり、・・所説の本迹二門は迹中に説く理上の法相」(343頁中段)

「インド応誕の釈尊は久遠元初の自受用身に対すれば応仏昇進の自受用身」(同343頁上段)

「日蓮大聖人は・・久遠元初の自受用身の再誕であられ、・・(対象は)末法の独一本門の直機」(同280頁下段)
等と有って、
釈尊は応仏昇進、日蓮大聖人は久遠元初の自受用身の再誕。
釈尊の所説は本迹二門の法華経、日蓮大聖人所説は独一本門。
釈尊の教化対象は種熟を経て調熟された脱益の機、日蓮大聖人教化の対象は末法の独一本門の直機。
と云う違いが有るとしていることが分かります。

日蓮大聖人は、釈迦が説かなかった妙法五字を説いた故に本仏であると云う論理と、「摩訶止観見聞」に見える、止観は法華経に依っていないと云う立場や、法華経には依らずに己心所行の法門を説いた天台を自受用身と見る論理と極めて酷似していますね。

「止観は法華より勝れている」と云う思想や「観心の釈の時には本迹を捨てる」と云う思想は、宗祖が「立正観抄」において厳しく否定されています。(立正観抄は身延三世日進の写本があるので、確実な御書といえるでしょう)

58独歩:2002/05/06(月) 12:48

川蝉さん:

『摩訶止観見聞添註』、止観勝法華劣、天台勝釈迦劣、さらに天台を自受用という典型的な資料を挙げてくださりまして、有り難うございました。

しかし、実に魅惑的です(笑)

現代も昔も、解釈だけで学んでしまうと原文も解釈どおりの意味が書いてあると思ったり、また実際に読んでも、そのような解釈どおりの意味で読んでしまう習慣が身についてしまうものですね。怖いことだと思います。

法華経を信じていると言いながら、実は信じているのは“解釈”のほうであるという主客逆転が起こるのでしょうね。

このトリックに気がつける飛躍的に理解力は開かれるのですが、それぞれ自派の解釈にしがみついてしまう悲しさがあります。

それにしても整理された川蝉さんの学識には改めて敬服いたすものです。

60犀角独歩:2003/01/29(水) 13:41

最近また、日蓮本仏論が議論のなかで見え隠れしておりますので、この点に一言だけ、申し上げます。

私は現行いわれる本仏論は本仏論と言うより、原初仏論であろうかと思います。

岩本師は以下のような非常に興味深い分析をしています。

「『法華経の立場』 大乗仏教に至って原始仏教の無神論的性格は破棄され、ブッダが神格化され、、歴史上のブッダの個性は消滅していったのであり、その完成された形に於いて、世界は「独立して存在する」(スヴァヤム=ブー)本源的な仏であるアーディ=ブッダ(原初仏)から現出するとされた。われわれの『法華経』は嚮に述べたように、大乗仏教の新しい倫理を説き、また仏をスヴァヤム=ブー Svayambhu (自然に生じた者)として讃歎しながらも、未だシャーキャ=ムニ(釈迦牟尼仏)が第一の地位を占めており、しかも幾千万億の仏や求法者(菩薩)たちに取囲まれているのであって、ここでは歴史的なブッダの姿は未だ完全に消滅していないことが知られる。また、その哲学説に於いても、ブッダが説いた縁起説を超克して、「空」の思想によって包摂しようとしているが、なお未だ一元的な観念論に到達していないのである」(『法華経・上』岩波文庫 P371)

以上の岩本師の言で法華経が到達しえなかった一元的観念論(観念論という表現の適不をいまは論及しませんが)における大乗仏教が構築した仏はまさに「原初仏」であったのであろうと思われます。

石山に添って記せば、有師における日蓮本尊論は凡夫、未断惑を、師・本尊とする類の日蓮崇拝であったのが、寛師に至っては釈尊再誕日蓮となります。この二つの日蓮崇拝の在り方は明らかに異なります。また、これらと伝眼師の言とされる「日蓮本仏」とはまた趣を異にしています。しかしそれでも劣を簡んで勝を立てる勝劣相対に基づく、仏の選定であるのでしょう。つまり、これは真偽未決の『本尊問答抄』「本尊とは勝れたるを用ふべし」という勝劣論の延長にあるのでしょう。

つまり、、通じて富士周辺で論じられた本仏観はいわゆる相対論なのであって、迹仏を簡び本仏、迹門仏を簡び本(門)仏、垂迹仏を簡び本(地)仏、権仏を簡び本仏という相対観で本仏を選んでいます。

ところが学会が生命論を言い出し、その影響を受けた石山教学はその相対観として本仏論から一歩進み、むしろ、原初仏思想になっている点を看過すべきではないと私は考えます。このような仏観はしかし、法華経というより、それ以降の大乗仏教の要素が加味されているのであろうと思います。

妙法蓮華経を宇宙真理と見做し、それを無始已来体現するという類の仏観は、本仏というより、原初仏というほうが相応しいと思えます。

なお、原初は当初(そのかみ)より、さらに原初的であると私は思います。
『三世諸仏総勘文教相廃立』に

釈迦如来五百塵点劫の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき

という「当初」より、真跡遺文にただの一度も表れない「元初」に「原初」は近いのでしょう。総勘文抄では即座開悟の有限をいうのに対して、日蓮を「無始無終の仏」とする学会・影響下の石山教学は超越的であり、ここでは相対観は既になく、一元的な原初仏となっています。

原初仏は、元初仏と換言が可能なのかも知れません。いずれにしても、現在の日蓮本仏はすでに寛師の本仏論とは違うものになっている点は一考を要することを指摘しておきたいと思います。

61今里祐二:2003/01/30(木) 04:02

富士門流の教義とは日蓮大聖人の「言」に拠って成り立っているのか?

『聖人御難事』にはこのようにあります。
『仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其中の大難申す計りなし。先先に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各各かつしろしめせり。』

『出世の本懐』がどのような事柄を指すのかという議論はさておいて、弘安二年十月頃、大聖人様は、釈尊が法華経を説いたことに匹敵するような、大聖人様御自身が心の底から満足できるような何事かをされた、という事は疑い様の無い事実だと思います。

僕は、富士門流の教義とは、この大聖人様の『出世の本懐』を拠り所にして成り立っている教義だと考えますが、いかがなものでしょうか?

御書を文底読みしたり、例え真筆であっても信仰に対して益が無いと判断されるものは削除するという態度に、そのことが如実に表れていると思います。

有師・寛師・そして現代と、大聖人様の仏としての格付けはドンドン上がっていき、解釈という意味での変遷(進歩?)はありますが、『出世の本懐』を拠り所としている点については変節は無い様に思います。

浅学ゆえ、上記のような考え方で良いのかどうか解りません。どなたか御教示下さい。

62アネモネ:2003/01/30(木) 13:04
今里さん

こんにちは。お久しぶりです。
私はご教示は出来ませんが、少し疑問に思うところがありましたので、レスいたします。

>『出世の本懐』がどのような事柄を指すのかという議論はさておいて、

とのことですが、

>富士門流の教義とは、この大聖人様の『出世の本懐』を拠り所にして成り立っている教義だと考えますが

という以上、大聖人様がご自身の『出世の本懐』を何と考えておられたかは、非常に大事な問題だと思います。そこを厳密に捉えなければ、拠り所にして立つことはできないと思われます。

そこで、私からまず今里さんに質問させて頂きたいのですが、
『聖人御難事』は、弘安二年十月一日に御執筆されているわけですが、ここでは「余は二十七年なり」と記されて、日蓮聖人はこの時点で既に出世の本懐を遂げられているものとして書かれているように私には読めるのですが、今里さんはそのへんはどのように読んでいらっしゃるのでしょうか。
さらに、戒壇の板曼荼羅の日付は十月十二日ということで、この書を書かれた日付よりも後のことになり、辻褄が合わなくなると思うのです。私の読みが間違っていないとするならば、今里さんは、日蓮聖人の出世の本懐は何になると考えていらっしゃるのでしょうか。

この御書には出世の本懐を示す「大難」ということが説かれているかと思うのですが、私は、日蓮聖人にとっての大難は、やはり龍の口の法難から佐渡流罪にかけてのことだと思われるところです。とすると日蓮聖人は、ご自分の出世の本懐を龍の口の法難から佐渡流罪にかけての大難と考えられていたのではないかと、それこそ浅学ながらそう思うのですが…。どうでしょう。
もちろん日蓮聖人は熱原の法難に際しては、自分の難として、つまり同苦の心で向き合われたこと拝察されます。しかしこの熱原の大難を受けている中心的存在は、やはり熱原の信徒たちと捉えるのが自然なのではないかと感じます。
それこそ間違っているならば、ご指摘頂きたいと思います。

63アネモネ:2003/01/30(木) 14:40
>62
私の書き込み、少し不十分ですね。
「余は二十七年なり」という年数を立宗の年から計算すると、龍の口の法難から佐渡流罪の年は合わないですね。
やはり、熱原の法難のこの年になるのでしょうか。
失礼いたしました。私もご教示を、お待ちします。

64今里祐二:2003/01/31(金) 03:00
アネモネさん

>大聖人様がご自身の『出世の本懐』を何と考えておられたかは、非常に大事な問題だと思います。

アネモネさんの仰るとおり、非常に大事な問題だと思います。
しかし、現存する史料では確認できないため、いろいろな議論が際限なく続けられていくのでしょうね。

>辻褄が合わなくなると思うのです。

僕も少し辻褄が合わないかな…、という気もしますが、在家信徒の身分では調査のしようも無いので、この点については、御法主上人の御指南に従えば良いと考えています。

※この点とは、『出世の本懐』=『戒壇の大御本尊』という事です。

65犀角独歩:2003/01/31(金) 08:58

「本懐」については、過去2年間で200回にも及ぶ議論がありました。
にもかかわらず、相変わらず、板漫荼羅が本懐である等ということが取り沙汰されるとは思いませんでした。
皆さん、過去ログをご参考ください。

69今里祐二:2003/01/31(金) 14:07
日淳上人の御指南です。

『大聖人の三大秘法は本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目とでありますが、此れをつづめますと本門の本尊の一大秘法になります。戒壇も題目も御本尊によって起ってくるからでありまして乃ち御本尊に具つてをるところであります。しかしてまた三大秘法を開きますと六大秘法になりまして本門の御本尊は法と人とになり、戒壇は事と義となり題目は信と行とになるのであります。三大秘法を開合致しますとかようになるのでありますが、三秘のところを至極とするのであります。此の三秘の関係はまことに重要なことで、此れを誤ると大聖人の御法門を正しく拝することはできないのであります。世間では大聖人の教は題目にあらせられると思つて題目を主として御本尊を忽かせにする者が多いのであります。多いどころではなく皆左様に考えてをりますが、此れがために大聖人の教をはき違えるのであります。元来かような考へは南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして宇宙に遍満する妙法の理が題目であるとするからであります。此れは大変な誤りで南無妙法蓮華経は仏身であります。即ち法報応三身具足の当体であらせられ報身中に具し玉ふのであります。妙法の理は天地の間にありましてもそれは理性であります。実際には仏の御智慧にのみ厳然として具はり玉ふのであります。その仏は十方法界に唯御一人在ますだけであります。そうしてその仏が衆生を正しく御導き下さるのであります。世間で日蓮大聖人の宗旨であると自称してをる一般の宗門では御本尊の首題の下に自分の名を記して授与してをりますが、飛んでもない大非法であります。恐らく此れは南無妙法蓮華経と唱ふるものは法華経の行者であると考へて大聖人と同じ思ひをするからでありませう。凡そ法門に於ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄ヘ堕ちることになります。日蓮大聖人は「総別の二義を違えば成仏思ひもよらず」と仰せられてありますが、此れは行人の最も心ををくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯御一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば妙法を信受するほどのものは行者といえますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであって畢竟唯御一人の仏に対しては凡夫であります。かえすがえすも此のところが肝要であります。かようでありますから仏の所有なされる妙法即仏身たるところが根本でありまして、その御本尊を信受し奉る上の修行が題目になるのであります。すでに仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。』(日淳上人全集『日蓮大聖人の教義』)

70犀角独歩:2003/01/31(金) 14:12

↑こんなの石山人を通過していれば、誰しも知っている話。
 その批正を考えてるわけですね。

71犀角独歩:2003/01/31(金) 14:26

> …南無妙法蓮華経と唱ふるものは法華経の行者であると考へて…

淳師は、こんなこと言い切っていいのかね。
私は真跡だと思わないけれど、『諸法実相抄』に

 いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとを(通)り、日
蓮が一門とな(成)りとをし給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩
薩たらんか。地涌の菩薩にさだ(定)まりなば釈尊久遠の弟子たる
事あに疑はんや。経に云はく「我久遠より来(このかた)是等の衆
を教化す」とは是なり。末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は
男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき
題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人
百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是あ
に地涌の義に非ずや。

と、あります。

72仲村 英彰:2003/03/22(土) 18:18
略 貴HPはスッゲーです、、。 その辺の「ナマクサ坊主ども」がみたならば、ビックリ・ヒョウタン島に到着でしょうか、、??
 ワシは、30年間「池田独裁の洗脳」にだまされ「正信会に数年在籍」したが、双方の「ニセ本尊」に見事に「一杯喰わされ」たくやしさから「宗教はもうコリゴリ」と分かった。
 先年のNHKドラマ”時宗”で「日蓮」の「ド根性」に感銘した。 店頭で立ち読みした「日蓮入門」(筑摩新書)の119ページの「真筆本尊=三島妙法華寺」の写真にはドッキリ、。
 始めて「ホンマモノの本尊」を見た。そして「観心の本尊抄=いかなる本尊を心に思い浮かべて”心で観る”か??」について、の解釈には驚愕した、。
 「ホンマモン」を求めて「三島の妙法華寺」を訪問した。 が「窃盗団被害で”新規募集停止中”」と相手にもされなかった、、。 寂しい、。 大阪市:仲村 拝。

73問答迷人:2003/03/23(日) 20:03

仲村英彰さん

はじめまして。書き込み有り難うございます。すこし、ご質問させていただいて宜しいでしょうか?

>双方の「ニセ本尊」

とは、具体的にはどの本尊とどの本尊を指しておられるのでしょうか。

>「観心の本尊抄=いかなる本尊を心に思い浮かべて”心で観る”か??」について、の解釈には驚愕した、。

「日蓮入門」(筑摩新書)に書かれていることなんでしょうか。仲村さんが驚愕された内容をご披露戴けませんでしょうか?「観心本尊」についてどのように述べられているのでしょう。

74仲村 英彰:2003/03/26(水) 22:52
前略 どうも。 ニセ本尊=日蓮真筆以外のもの、でしょうか、、。真筆本尊を始めて「御拝見したときは、コレがホンマモノ」かとビックリしたものです、。それまでが「似せたニセモノ」だと「一目瞭然」に判明したからです、。 すくなくても予字や他字を含まないモノでしょう、、。
 観心=心に思い浮かべて「心で観る」事の可能な限りとは=ワシにも良くわかりません、、が、、。
 日蓮サンは「後生の民への本尊とは??」には「少なからず不親切」かとぞんじます、、。 早々、。

75みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/03/27(木) 00:33
観心は、「心で観る」ではなくて、「心を観る」だと思いますが。

76仲村 英彰:2003/03/28(金) 19:45
みかんさん: ご指摘ドウモ、、。 漢文の素養不足でした、、。 「英文のガワノオニ」の範疇でしょうか、、。?
 日蓮サンが主張したかったのは「本尊の核心をのべるので、その核心をとらえよ、、」と言うことかと存じます、。
 因みに「開目抄=諸人よホンマモンの仏法に”目をバッチリ開けて見よ”」ということを言いたかった、と存じまするが、、??
 しかしながら、諸人は「サッパリほとんど理解も不可のよう」でした、、。 誰が「理解不足」をたすけたのでしょうか、、??
 日蓮はバッチリ「断言」しておるのに「不伝」とは、これは誰かが荷担か?? ホンマに「難儀」デンナー、。 早々。

77その辺の寅五郎:2003/03/31(月) 21:49
はじめまして、 いろいろとご参考になります。時に、ネットの http://www.lbis.jp/gohonzon/を偶然に知り検索したところ「日蓮真筆本尊=120数体」の御写真付きで公開中です(仰天)。  文永〜弘安のあいだの「筆跡の御変化」はございますが、必ず「日付か宛名か、その双方かが存在」しておるのは仰天でした、。やはり「ホンモノ」は「ソンジョそこらのニセモノ」とは「天地雲泥の差」を実感しました次第です、。 ただ「ホンモノ所持の寺院に”日蓮の御精神”が今でも、いかほど存在中」かは「全く不明」ですが、。今まで、ニセモノばかり「拝まされてきた方々」には、御関心大かと存じまするが、。 そこで、短絡的に申せば「日付けや宛名」もない「その辺のニセモノ」よりも「これらHPより真筆を印刷し拡大コピーして額縁に入れての内得信仰の方が、よほど現実的」かと、、??」ぞんずるが、、。 自分だけなら「著作権侵害」には不該当かと、。 ただ「真筆所持の寺院は不収入なので御不満が残るでしょうか、。

78アンタッチャブル:2003/04/15(火) 23:30
日蓮正宗が、法論で顕本法華宗に負けおったくせに、また事実をねじ曲げて喧嘩を売ろうとしてまんがな。
詳細は http//www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/
あんさん方も、少し客観的な物事を考え方を持ちんしゃったら、どうやろか。

79アンタッチャブル:2003/04/15(火) 23:33
あかん。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/ やった。

80求道者5963:2003/04/23(水) 22:02
ご参考になります、、。 本当に「日蓮サマ」の教えは「難儀」でございますナー、、。
 「速やかに、成就する”仏の境涯”の為に、、」という=法華経如来寿量品16」の「肝心のカナメ」はいずこへ行きしなさったのでございましょうか、、??
 「未だに”どういう本尊サマ”に合いたいして、どういう”修行”を貫徹すれば”真の成仏”なるものを体感、体得=体現を可能、、??」なものでしょうか、、、???
 どなたか、お教え下さいませ、、、??

81求道者5963:2003/04/23(水) 22:03
ご参考になります、、。 本当に「日蓮サマ」の教えは「難儀」でございますナー、、。
 「速やかに、成就する”仏の境涯”の為に、、」という=法華経如来寿量品16」の「肝心のカナメ」はいずこへ行きしなさったのでございましょうか、、??
 「未だに”どういう本尊サマ”に合いたいして、どういう”修行”を貫徹すれば”真の成仏”なるものを体感、体得=体現を可能、、??」なものでしょうか、、、???
 どなたか、お教え下さいませ、、、??

82みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/04/24(木) 00:46
>>[buenos1939@ybb.ne.jp]さん。

ハンドルを統一していただけませんか。多重ハンドルは好ましくありません。

83愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 13:02
皆様初めまして。時々この掲示板で勉強させて頂いています。
創価学会不活動家をやっていた愚鈍凡夫です。
本仏とは衆生に仏種を下種する仏のことだと思いますが、この仏種とは、
「若人不信。毀謗此経。則断一切。世間仏種。(若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん)」(「妙法蓮華經譬喩品第三」)
とあることから、法華経のことと理解してます。
この法華経を日蓮聖人は、
「法華経は即ち釈迦牟尼仏なり法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり」(「守護国家論」)
と記されています。そして、
「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(「報恩抄」)
とあります。
従って、本尊を「本門の教主釈尊」、行法を「法華経の題目」としたことで、出世の本懐は満たされていると考えていいのではないでしょうか。
もしよければ、どなたか御教示下されば幸いです。

84無明者:2003/04/29(火) 18:04
、、、::、、御同感いたします、、、。。サスガ、、、深い「かなりの教学力と深い洞察の御方かと存じまする、、」 。 御免。

85ガンコ:2003/04/29(火) 18:17

愚鈍凡夫さん、はじめまして。わたくしガンコ(=あほう凡夫)と申します。

あなたは名前に反してなかなかの使い手ですね。わたくし、論旨明解なる文章にあこがれてまして、あなたの文章を好ましく感じました。

さて、内容ですが・・・

>本仏とは衆生に仏種を下種する仏のことだと思います

これは大変わかりやすい。当然、学会員でしたら大聖人を下種の本仏と教わることと思いますが、いまは学会を卒業されたのみならず「日蓮本仏論」をも卒業されちゃったようですね。

>この仏種とは・・・法華経のこと
>法華経は即ち釈迦牟尼仏なり

わたくしなんかは短絡的に人法体一を思い浮かべてしまうんですけど、いまのあなたはどうなんですか?

>出世の本懐は満たされていると考えていいのではないでしょうか。

ヘンな話ですが、わたくしはまたも短絡的に出世の本懐というと仏様の御振舞いを想像してしまうんです。

あなたは謙遜で愚鈍凡夫と仰せなのでしょう。わたくしは正真正銘のあほう凡夫ですから、どうかこちらこそご教示ねがいたく存じます。

86愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 20:21
無明者さん、恥ずかしいです。
ガンコさん、新参者が生意気言って済みません。
先の「守護国家論」の文証は、
「自我得仏来。所経諸劫数。無量百千万。億載阿僧祇。常説法教化。無数億衆生。令入於仏道。爾来無量劫。為度衆生故。方便現涅槃。而実不滅度。常住此説法。(我仏を得てより来、経たる所の諸の劫数、無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて、無数億の衆生を教化して、仏道に入らしむ。爾しより来無量劫なり。衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず。常に此に住して法を説く)」(「法華経如来壽量品第十六」)
此の文証を依文としていると思うのです。
法華経の法味は未だ尽きずという意味と捉えています。
小生、『人法一箇』という仏法用語が最後まで馴染めませんでした(よく、それじゃアインシュタインと相対性理論は而二不二の関係にあるのかと、屁理屈をこねて学会幹部を困らせていました)。
仏法は、釈迦牟尼の悟達した内容を説いたものであるでしょうが、釈迦牟尼自身と一体不二の関係にあるとは思えなかったのです。
正直言って今は、「本門の教主釈尊」が仏像なのか、仏画なのか、それとも十界勧請の曼陀羅を指すのか、分かりません。
出世の本懐の件は、
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
とあるものですから、仏陀のみに許される用語とは思っていません。人師論師に使用しても差し支えないと思っています。
現時点ではこのように思っています。

87ガンコ:2003/04/29(火) 21:17
ご教示ありがとうございます。

わたくしが出世の本懐で想像したことは、ご指摘の御書ともうひとつ、崇峻天皇御書でした。あまりにも有名ですが、「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ」と。

聖人御難事で大聖人御自身が出世の本懐をおおせらる段において、釈尊の例に止まらず天台伝教を加えたまうは仏にあらずといえども仏にじゅんずる者とお考えなのであろう、顕仏未来記の「三国四師」との御表現からもそんな風に考えるわけです。
また、「余は二十七年なり」を強調するためには例示を多く遊ばしたほうが効果的とも思えます。

わたくしが言ってるんじゃ説得力ありませんけどね。

88愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 22:52
ガンコさん。言葉が足りなかったようで済みません。
小生は、「出世の本懐」を、この世で果たさんと決意した使命と捉えています(我見ですが)。
そこで、釈迦牟尼を想う時、
「我本誓願立。欲令一切衆。如我等無異。如我昔所願。今者已満足。(我本誓願を立てて、一切の衆をして、我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき。我が昔の所願の如き、今者已に満足しぬ)」(「妙法蓮華經方便品第二」)
この文証の「如我等無異」がいつも思い浮かぶのです。
日蓮聖人も同じ想いであったと思います(天台大師・伝教大師も同じ想いであったと推察します)。
日蓮聖人が「仏の振る舞ひ」ではなく、「人の振る舞ひ」と表現されているのは、このような理由からだと思います。
時機相応の成道の法を説いた人師論師ですから、「聖人御難事」の文証と「崇峻天皇御書」の文証とは、角度を変えて論じたものと思っています。
言葉が足りなくて申し訳ないです。

89ガンコ:2003/04/30(水) 00:24
>言葉が足りなかったようで済みません
>言葉が足りなくて申し訳ないです

いえいえ、とんでもございません。わたくしのほうがよっぽど舌足らずですもの。

90ガンコ:2003/05/02(金) 18:32

愚鈍凡夫さん。

しつこいようですが、今一度ご教示ねがいます。

あなたは報恩抄の御文を引用せられて、出世の本懐は満たされているとおっしゃいました。
・・・すると、年代的には建治二年を本懐成就の年とお考えなのでしょうか?

聖人御難事の仰せからすれば、弘安二年は動かし難いと思うのですが・・・

もし「本門の教主釈尊を本尊とすべし」を依文とするならば、すでに開目抄・本尊抄等にその意味内容は説示せられています。しかるに「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」と仰せられるのは、大聖人は御本尊の説明を遊ばしたけれども、いまだ(本尊抄御述作の時点では)一閻浮提第一の本尊は顕して居られないということでありましょう。
ゆえに報恩抄においても、御本尊の説明だけ遊ばして、実際には一閻浮提第一に相当する本尊はいまだ顕されて居られない、と思うのです。
よって出世の本懐は、この時点ではいまだ満たされていないのではなでしょうか?

出世の本懐にこだわって申すならば、やはり弘安二年以外にはありえない、という意見です。

91愚鈍凡夫:2003/05/02(金) 21:02
「聖人御難事」の文証を再度引用しますと、
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
これは文面から言って、それぞれ「九横の大難」、「南三北七」、「南都六宗」を指していますね。大難に遭ってこそ「出世の本懐」は遂げられるとの御教示と拝します。そして、御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います。
そこで、
>出世の本懐の件は、
>仏陀のみに許される用語とは思っていません。人師論師に使用しても差し支えないと思っています。
との意味で引用しました(愚鈍ですので説明が下手です。悪しからず)。

「此の時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(「観心本尊抄」『昭和定本』平成三年増補改訂版)
学会版は故意に読替えをしているので、日蓮宗版から引用します。ガンコさんが引用されているのはこの文証ですね。
ガンコさんは、蓮祖は1279(弘安2)年10月12日に「出世の本懐」を遂げられた。といいたいわけですね。例の疑惑の「戒壇之本尊」をもって「出世の本懐」としたいわけですね・・・・・。
「本門の教主釈尊」を本尊としたのですから、「一閻浮提第一の本尊」であることは間違いないのじゃありませんか。
ただ、曼陀羅にこだわりますと、本尊抄述作以降の曼陀羅といいますと、1273(文永10)年7月8日の「佐渡始顕本尊」となりますが、「報恩抄」が1276(建治2)年ですから3年前ですね。
しかし、前にも記しましたが小生には、それが仏像(仏像群?)なのか、仏画なのか、十界勧請の曼陀羅なのかわかりません。よければ御教示下さい。
>小生は、「出世の本懐」を、この世で果たさんと決意した使命と捉えています(我見ですが)。
という考えなので、蓮祖の場合も何れかの時点ではなく、人生という線の中で考えています。

これで答えになっているでしょうか。

92愚鈍凡夫:2003/05/02(金) 21:13
>しかし、前にも記しましたが小生には、それが仏像(仏像群?)なのか、仏画なのか、十界勧請の曼陀羅なのかわかりません。よければ御教示下さい。

とは、「本門の本尊」がという意味です。
悪しからず。

93ガンコ:2003/05/03(土) 19:08

どうもどうも、大変お返事が遅くなりました。

あなたは早打ちでいらっしゃるし、おまけに昭和定本をお使いになられるなんて、もはや、わたくしがお相手じゃ不足かと思いますが、よろしくお付き合い願います。

わかりやすい言い方をすれば、弘安二年は到達点なのか、それとも通過点なのか、ということだと思うのです。
すでに先読みなさっていらっしゃいますが、仰せのとおり、わたくしは大曼荼羅信仰者であり、ことに弘安二年十月十二日の御本尊を本懐中の本懐と教育されてきたのでした。
ですから、当然そこに帰結するような論の運びをするにちがいない、と皆さん見ていらっしゃるだろうことは承知しています。
しかし、そんなに欲張るつもりはないのです。

今わたくしが興味を持っていることは、聖人御難事の「二十七年」が到達点を意味するのか、たんなる通過点なのかということです。
これはそれぞれの言語感覚によってちがって読めてしまうものなのかもしれませんが、わたくしには到達点を仰せられたものと読めます。
もちろん、“たとえおまえが素直にそう読めたとしても、それは洗脳されているからだ”と言いたい方もいらっしゃるにちがいありません。
ただ、逆のことも言えるのではないかと思うのです。
「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、・・・」
つまり、素直に読んでしまうと条々事に符合してしまうから、これでは他門流は面白くないでしょうから・・・なんて書いていると喧嘩売ってるように思われそうですが、これがわたくしの正直な考えです。

>蓮祖の場合も何れかの時点ではなく、人生という線の中で考えています。

おそらくこれが世間一般の妥当な評価方法なのだと思います。たとえばここにベストセラー作家がいるとして、よく聞くセリフですが「私はこれを書くために生まれてきた」なんて言ったりします。しかし作家の正当な評価というのは、おおむね没後に定まるわけです。つまり、研究者が作家の全作品を詳細に検討していってから定まるのです。
つまり、作家本人がいくら作品を自画自賛しても本当の評価は時間が経ってみないとわからないという面があると思います。
であれば、日蓮大聖人の御一代を俯瞰して、出世の本懐は満たされている、と拝する方法もあることでしょう。

>「本門の教主釈尊」を本尊としたのですから、「一閻浮提第一の本尊」であることは間違いないのじゃありませんか。

ええ、そうですね。いわばここが本宗にとってはネックになっているところかと思います。
わたくしにいい考えがあるわけではありませんが、おっしゃるとおりに本門の教主釈尊が一閻浮提第一の本尊だとして、それは建立されたのかどうかです。
大聖人の時代には建立されなかったとすると、おそらく永遠に顕れないでしょう。
つまり、仏像も仏画も不可能であろうと思うのです。
消去法でいけば御文字の御本尊しかありえないのではないか、と考えています。

94愚鈍凡夫:2003/05/03(土) 20:29
ガンコさんどうも。こちらこそ宜しくお願いします。

小生、喧嘩を売るつもりでこのスレッドに書込をしたわけではありません。
「本門の教主釈尊」とは目に見える形にした時、どのようなものなのか、それがわからないから、皆様のお知恵を拝借したくて書込をしたのです。
そして、問われたから小生なりの意見を述べただけで、ガンコさんと問答をしているつもりもありません。

小生は、1279(弘安2)年という年を特別視していません(『熱原の法難』という、信徒に直接大難が降りかかったという意味では特別なのでしょうが)。

「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相傳す。本門寺に懸け奉るべし」(「日興跡條條事」)
まず、この「日興跡條條事」の真偽問題があります。そして、「弘安二年の大御本尊」とは本当に「戒壇之本尊」を指すのかという問題があります。
小生は、「戒壇之本尊」を後世の偽作と信じていますので、上記の疑問点は何れもNOです。
それと、小生が問題にしているのは、物理的に可能不可能の問題ではなく、蓮祖のお考えはどうだったのかと言うことです。

気分を害されたのであれば、お許し下さい。

95ガンコ:2003/05/03(土) 22:29

>気分を害されたのであれば、お許し下さい。

いえいえ、ぜんぜん大丈夫です。どんどん言っちゃってください。

>「日興跡條條事」の真偽問題

これについてはわたくし、まったく存じ上げません。なんでも結構ですから、教えてください。
まだまだ未熟者ですから、知らないことがいっぱいあるのです。

96愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 01:00
「日興跡條條事」偽作問題の本質は、「二箇相承」偽作説と深く関わっています。「二箇相承」が偽作の疑い濃厚である故に、「日興跡條條事」も偽作であるということです。

「日興跡條條事」
http://nakanihon.net/nb/gorekidai.html
上のアドレスからダウンロードできます。

よく考えたら偽作説については、ここの
「(続) 大石寺の歴史」を参照なされてはどうでしょうか。

あと、日蓮宗新聞から
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/paper/1996/9602pr.htm
これも参考になると思います。
いかがでしょうか。

97愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 10:15
ガンコさんへ。
96の続きです。
スレッドタイトルから話のテーマが随分ずれてますよ(小生も人のことは言えませんが)。

日興の著作と真偽論
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_004.html

二箇相承偽書説に就いて
http://www.win.ne.jp/~sid10831/nika.htm

この2つも参考になると思います。

98ガンコ:2003/05/04(日) 11:13

どうもです。

戒壇本尊・二箇相承の問題は大雑把には承知していますが、ご紹介いただいた資料を参考にあらためて学ばせていただきます。

日興跡條條事が確実なものであれば、逆にたどっていけば上の証明になるのではないか? 単純な発想ですけど。
ところが日興跡條條事すら偽書であったならば、もうどうなっちゃうんでしょうね、大石寺なんて、いいところひとつもないじゃないの、まったく。

といったところです。

99川蝉:2003/05/04(日) 12:12
ガンコさん・愚鈍凡夫 さん横から失礼します。

竜口法難から佐渡流罪の前後の時期は、文永九年四月の「富木殿御返事」に
「日蓮臨終一分も疑ひなく、刎頭の時は殊に喜悦あるべく候。大賊に値ふて大毒を宝珠に易ふと思ふべき歟。」(学会版962頁・昭定619頁)
とあるように、いつ命を取られてもおかしくない状態でした。
そこで「三沢抄」に
「而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」(学会版1489頁)
とあるように、存生の中に弟子達に真実の法門を披瀝しておかなければと考えられたのですね。
「此疑は此書の肝心、一期の大事なれば、所所にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし。」(開目抄203頁)

「観心の法門少少を注して太田殿、教信御房等に奉る。此の事は日蓮当身の大事也。之を秘せよ、」(観心本尊抄送状255頁)
とある開目抄と本尊抄を著し、大曼荼羅本尊図顕されて、真の法門を披露されたのです。
「三沢抄」に云うところの真の法門とは、
「此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」
にあることより、「報恩抄」に
「末法のために仏留め置き給ふ。迦葉、阿難等、馬鳴、龍樹等、天台、伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求めて云く、其形貌如何。答へて云く、一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土、月支、一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。」
とある本門の本尊、戒壇、題目であることが分かります。
本尊図顕を出世の本懐とすれば、佐渡流罪中に於いて、本懐を遂げられたことになりますね。
いつ命を取られるか分からない状況に置かれていた宗祖が弘安二年まで本門の本尊(真の本尊)を図顕をしなかった筈などありませんでしょうね。
「聖人御難事」の文は、「如説修行抄」にある
「我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今日蓮は二十余年の間権理を破す。其間の大難数を知らず。」(504頁)
との文と同じ意趣を書かれたもので、
愚鈍凡夫 さんが91で、「御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います」
と解釈されているとおりと思います。
あるいは、もし本懐の成就について語っている文意とすれば、
弘安元年三月「諸人御返事」に
「 三月十九日の和風並に飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。日蓮一生の間の祈請並に諸願、忽ちに成就せしむるか。将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し。所詮真言、禅宗等の謗法の諸人等を召合せ、是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり。」
(昭定1479頁)
とあるように、宗祖は公場対決を「一生の間の祈請並に諸願」としていたと云えます。
天台大師は出家の31年後の585年に、陳の後主に招かれ法門を講じ、宮中太極殿で諸僧の難問に応え、また、伝教大師は得度出家より22年後の802年(延暦21年)に、和気弘世に招ぜられ高雄山において諸宗の高僧に天台三大部を講じ、桓武天皇の信を得ました。
「天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出家の本懐を遂げたまう」とは、両大師の公場対決を指していると解釈できます。
すると「余は二十七年なり」とは、「開宗の日よりすでに27年を過ぎ、数々の法難を受けているが、まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」と云う意味の文と解釈すべきと思います。
「弘安二年に出世の本懐である板本尊を造った」と云う解釈は恣意的解釈と云う事になりますね。

100愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 13:39
川蝉さん始めまして。
御教示有り難うございます。

お手数ですが、2つほど、確認させてください。
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
との文証の、「仏は四十余年」は『九横の大難』を指すが、「天台大師は三十余年伝教大師は二十余年」は、
>両大師の公場対決を指していると解釈できます。
そして、「余は二十七年なり」は、
>「開宗の日よりすでに27年を過ぎ、数々の法難を受けているが、まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」と云う意味の文と解釈すべきと思います。
ということで、意味が違うと言うことですか。

それから、
曼陀羅が「本門の本尊」だとすると、それは何れかの曼陀羅を指して、「本門の本尊」とすると言うことですか(例えば戒壇之本尊とか)、それとも御筆の曼陀羅全てを「本門の本尊」とするということですか。
だとすると、
「今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし」(「日眼女造立釈迦仏供養事」)
「されば画像木像の仏の開眼供養は法華経天台宗にかぎるべし、其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間二には五陰世間三には国土世間なり、前の二は且らく之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」(「四条金吾釈迦仏供養事」)
これらの文証との整合性はどうなるのでしょうか。
2つのはずが、3つになってしまいました。
御教示下されば幸いです。

101川蝉:2003/05/04(日) 15:08
愚鈍凡夫 さん、早速読んで頂き有り難うございます。

>ということで、意味が違うと言うことですか。

《 愚鈍凡夫 さんが91で、「御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います」と解釈されているとおりと思います。》
とコメントしているように、意味が違っているとコメントしたわけではありません。
正宗のように本懐は何時かについての文証に「聖人値難事」を用いるので、それにそって、「聖人値難事」の文を解釈すればと云う観点から書いたのです。
「仏は四十余年」の意味は、、「釈尊が四十余年の間諸経を説いた後に、出世の本懐である法華経を説いたが、それまでの間、九横の大難にあわれた」との意味であろうと、私は解釈しています。

>それとも御筆の曼陀羅全てを「本門の本尊」とするということです
>か。

そうです。

>これらの文証との整合性はどうなるのでしょうか。

木像形式で、本門の教主釈尊を表したのが一尊四士像と理解していますので、曼荼羅本尊と一尊四士像と矛盾するものでないと理解しています。

102愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 19:05
ガンコさん。
仏法素浪人の小生には、コメントしかねます。
創価や正宗に帰ることはまずないと思いますので。
悪しからず。

川蝉さん有り難うございます。
お話を整理しますと、
釈迦牟尼仏の場合は、「九横の大難」に遭われた年月の意味。天台大師・伝教大師の場合は、「公場対決」を果たしてきた年月の意味。日蓮聖人の場合は、大難に遭ってきた年数を指すが、「まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」
という意味と解釈できると言うことですか。

日蓮聖人御筆の曼陀羅は全て「本門の本尊」であり、
曼陀羅と一尊四士像は表現の仕方の違いであり、共に「本門の本尊」と解釈してもよい。ということでしょうか。
「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」、「四条金吾釈迦仏供養事・1276(建治2)年」を拝しますと、釈迦仏の一体仏だと思うのですが、それでも一尊四士像と解釈すると言うことですか。
再三済みません。愚鈍凡夫です宜しくお願いします。

103ガンコ:2003/05/04(日) 20:07

(し、しまった、眠れる獅子に手を付けてしもうた)

川蝉さんの理路整然たるご所論に敬意を表するものです。

>「弘安二年に出世の本懐である板本尊を造った」と云う解釈は恣意的解釈

ええ、ですから上のほうで申し上げたんですよ、そこまで欲張るつもりはないと。常識的な思考力があれば、聖人御難事が戒壇本尊の証明にはならないことはだれだってわかるものです。
「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。」
ここではっきりしていることは、釈尊・天台・伝教は出世の本懐を遂げた、と大聖人は御考えでいらっしゃることです。では、御自身はどうなのか? このことをわたくしは申し上げているのです。
わかりやすく言えば、「出世の本懐を遂げ給ふ」が「余は二十七年なり」に係るかどうかという読み方の問題です。わたくしには“余は二十七年にして出世の本懐を成就せり”との仰せに読めるのです。
たしかにご引用の如説修行抄の御文は同じおもむきかと思います。ただし、決定的に相違するのは出世の本懐を仰せられるか否かです。むしろ次文の「仏の九横の大難に及ぶか及ばざるかは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし・・・」に注目し、さらに御難事抄の後文「仏の大難には及ぶか勝れたるか其れは知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし・・・」を拝するならば、天台・伝教をも退ける大聖人の御確信からして、本懐成就の御宣言を遊ばしたとして、なんら不自然はないと思うのです。まさか、“天台・伝教は出世の本懐を遂げたけど、余はまだである” なんて仰せられるとは思えないです。

諸人御返事の後半は「・・・我が弟子等、出家は主上・上皇の師と為り、在家は左右の臣下に列ならん。将又一閻浮提皆此の法門を仰がん。幸甚幸甚。」とありました。正直に申し上げますと、わたくしはこの御書をよく存じ上げませんでした。いま拝しますと、まるで広宣流布は未来のことであると密示せられているように思えます。川蝉さんは本懐成就の文意としてお挙げになられたわけですが、すると大聖人は御一代の間に出世の本懐を遂げ給わなかったということでしょうか?

わたくしは戒壇の大御本尊が偽作だったらどうしよう、などとこの先の身の振り方を考え考え御法門を学んでいるものです。
いまだ法門に暗いものですから、川蝉さんがいずれの門流に属してらっしゃるか見当がつきませんが、前々よりご活躍のほどを拝見しておりました。

104五月雨:2003/05/04(日) 20:46

横レス失礼します。

>わたくしは戒壇の大御本尊が偽作だったらどうしよう、などとこの先の身の振り方を考え考え御法門を学んでいるものです。

ガンコさんに質問させて頂きますけれど、ガンコさんはこの掲示板の過去ログを読まれたことはないのでしょうか。これから先、いろんなご質問をされることもいいと思いますけれど、問答さんと独歩さんその他大勢の方が時間をかけて議論されたことを読まれずにご質問されることは少し残念な思いも致します。
読まれた上でご質問されるともっと奥深いことが判るように思うのですが。
私自身聞きまくった人間ですので、偉そうなことは言えないのはよく自覚しております。でも過去ログをプリントアウトしてかなりの時間をかけて読みました。

ガンコさんが過去ログを読みきった上でのご質問でしたら私の誤解です、すみません。

105川蝉:2003/05/05(月) 10:08
102 : 愚鈍凡夫 さんへ。
「聖人御難事」の文は
「所で本師釈尊は四十余年を経て後八箇年に本懐の法華経を説きたまひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年で各々出世の本懐を宣説していられるが、それまでの間には釈尊は九横の大難あり、天台には南三北七の敵対あり、伝教には南都六宗の反対あり、其の法の為の大難は申し尽くせないほどであったことは、しばしば繰り返せし通りである。今日蓮の法華弘通は二十七年であるが、其の間の大難は各々方が承知していらるる通りである」(ピタカ刊・日蓮聖人遺文全集講義第二十三巻・89頁。日本仏書刊行会の御遺文講義第十一巻・41頁も同じ解釈です)
と云う解釈が、日蓮宗における解釈です。私もその通り受け取っています。

>日蓮聖人の場合は、大難に遭ってきた年数を指すが、「まだ諸宗の高>僧達と公場対決を果たしていない」
>という意味と解釈できると言うことですか。

宗祖が公場対決を望んでいたことは確かなので、宗祖の内意を穿って云えば、「まだ諸宗の高>僧達と公場対決を果たしていない」と云う想いが含まれていると考えても良いでしょうと云うことです。

>日蓮聖人御筆の曼陀羅は全て「本門の本尊」であり、
>曼陀羅と一尊四士像は表現の仕方の違いであり、共に「本門の本尊」>と解釈してもよい。ということでしょうか。

そうです。

>「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」、「四条金吾釈迦仏供養
>事・1276(建治2)年」を拝しますと、釈迦仏の一体仏だと思うのです
>が、それでも一尊四士像と解釈すると言うことですか。

ご指摘のように、両書とも釈迦仏の一体仏でしょうね。
宗祖は一体像の随身仏を本門の教主釈尊と拝しておられた筈です。当然、四条金吾殿も日眼女も宗祖と同じく一体像であっても本門の教主釈尊として拝していたはずですね。
形式上から云えば四士像を脇士として添える必要がありますが、実質上は一尊四士像と同じと云うことになると思います。ですから形式上は不備であっても、両書にある釈迦仏の一体仏は一尊四士像に例して考えて良いと思うのです。
そこで「これらの文証との整合性如何?」に対して「木像形式で、本門の教主釈尊を表したのが一尊四士像と理解していますので、曼荼羅本尊と一尊四士像と矛盾するものでないと理解しています。」とコメントしたのでした。

106愚鈍凡夫:2003/05/05(月) 11:54
川蝉さん、どうもです。
丁寧なお答え、有り難うございます。

随身仏とは、
「御本尊一躰釈迦立像」(「御遺物配分事」)
のことですね(小生、「御遺物配分事」全文を拝したことはありませんが)。

3つの質問に丁寧にお答え頂き、有り難うございました。
教学研鑽の糧にさせて頂きます。
また、質問させて頂くこともあると思いますが、これにこりずに宜しくお願いします。

107川蝉:2003/05/05(月) 12:07
103 :ガンコさんへ。
>わたくしには“余は二十七年にして出世の本懐を成就せり”との
>仰せに読めるのです。

宗祖は佐渡に於いて開目抄・本尊抄を著し、大曼荼羅を図顕し法門を開示したので、佐渡流罪中に、出世の本懐を遂げられたとすべきである。そこで、弘通開始より二十七年後に至って、初めて本懐を遂げたと云うことは言い得ない。
ゆえに、「余は二十七年なり」を「弘通開始より二十七年後の弘安二年に本懐を遂げた」と云うように解釈出来ないこと。
宗祖は本門の法門を開示することが大目的であるとともに、もう一つ公場対決が大きな願いであった。そこで、公場対決をもう一つの本懐と考えた場合、弘通開始より二十七年後の弘安二年の現在でも、公場対決が実現していない。ゆえに、やはり、「余は二十七年なり」を「弘通開始より二十七年後の弘安二年に本懐を遂げた」と云うように解釈出来ないこと。
の二点を述べたのでした。
ゆえに、「出世の本懐を遂げ給ふ」が「余は二十七年なり」に係ると見ないのです。私は愚鈍凡夫 さんへのコメントに紹介した日蓮聖人遺文全集講義第二十三巻のように解釈するのです。

>すると大聖人は御一代の間に出世の本懐を遂げ給わなかったとい
>うことでしょうか?

本門の法門の開示宣説という第一義的本懐は佐渡在島中に遂げられましたが、もう一つの大目的の公場対決は成就しなかったことは事実ですね。

>わたくしは戒壇の大御本尊が偽作だったらどうしよう、などとこ
>の先の身の振り方を考え考え御法門を学んでいるものです。

別に偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。板本尊が唯一絶対の御本尊だから板本尊を信仰の対象としなければ駄目だと云う主張が駄目だと思うわけです。
自分の所属している教団の教義の誤りを指摘されることは、まじめな人ほどつらく苦しい事ですね。徐々に正確に、宗祖の教えを学んで、正しいと思う事を受け入れて行くより仕方ないでしょうね。その結果、所属の教団の教えと異なる思想を持つようになって、教団としっくりいかないように強く感じてきたら、無理なく身の振り方を決めることも出来ると思います。

108ガンコ:2003/05/05(月) 13:45

川蝉さん、どうもです。

わたくし頑迷なものですから、まだまだ得心がいかないのですけど、いろいろ考え方があるんだなあ、ということはわかりました。

しかし、
>別に偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。

というのは一般的な意見なのでしょうか?
極端な話、どこかの新興宗教団体が模写、あるいはもっといえば教祖が勝手に書いちゃうってのはどうなんでしょうか?
大聖人の曼荼羅のおすがたに似ていればいい?

変な質問でごめんなさいです。

109ガンコ:2003/05/05(月) 14:02

五月雨さん、ご忠告ありがとうございます。

あてずっぽうな数字を言えば、75パーセントくらいは読んでると思うんですが、なにしろ膨大ですから・・・本にしたら何冊ぶんになるでしょうか、ともかくものすごい量ですよね。
だから、読んだとは言えないかもしれません。ただ目を通したという程度のことになると思います。
諸先輩の議論を無駄にしないよう、今一度よく読ませていただきます。

それにしても五月雨さんの仰せを拝見していると、言外に「戒壇の本尊なんて偽作に決まってじゃないの」とおっしゃっているように聞こえます。
気のせいなんでしょうけど。

110川蝉:2003/05/05(月) 15:42
108:ガンコさんへ。

「>別に偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。というのは一般的な意見なのでしょうか?」
との質問ですが、

宗祖の曼荼羅御本尊に則った形式のものなら、浅くとも正しく宗祖の教えを把握し信行している人が開眼すれば、信行の対象となるでしょうね。

そこで、日蓮宗では、宗祖の曼荼羅御本尊に則って、先師が書いた曼荼羅でも本尊とし、印刷が発達した近代からは宗祖の曼荼羅を印刷したものを信徒はお祀りしています。現在では宗祖の曼荼羅のレプリカをお祀りしている信徒もます。

板本尊も浅くとも正しく宗祖の教えを把握し信行している人が開眼すれば、信行の対象となり得ると云うことです。
また、ガンコさんは現在、顕正会の本尊をお祀りしている事と推測します。で、無理に御本尊をかたづけると気に病む事になるでしょうから、ガンコさんが徐々に学習して正しい本尊観を持つようになれば、本仏釈尊は影現してくれると思うので、急いで無理に本尊を変える必要もないだろうと云う考えで「偽作でも曼荼羅御本尊ですから御本尊になり得ると思います。」とコメントしたわけです。

>極端な話、どこかの新興宗教団体が模写、あるいはもっといえば
>教祖が勝手に書いちゃうってのはどうなんでしょうか?
>大聖人の曼荼羅のおすがたに似ていればいい?

宗祖の曼荼羅のレプリカや印刷したものが得られるのですから何も、変な人が書写したものを開眼して祀る必要などないでしょう。ですからこの質問は戯論ですね。
原則的に云えば、浅くとも正しく宗祖の教えを把握し信行している人に開眼してもらい、拝む人も浅くとも正しく宗祖の教えを信行していることが望ましいと思います。

111ガンコ:2003/05/05(月) 16:38

あ、どうもです。

>ガンコさんは現在、顕正会の本尊をお祀りしている事と推測します

正確な数字はわからないですけど、顕正会員の大半は御本尊をいただいておりません。
“遥拝勤行”と申しまして、冨士大石寺に向かって朝晩勤行しています。

日蓮宗でこのような形態のところはございますか?

それと、愚鈍凡夫さんが木像形式との整合性について質問されていましたけど、わたくしのほうから関連質問をさせていただきます。
木像形式と曼荼羅御本尊の合祀(?)はどのように考えますか? わたくしには屋上屋を架すに思えるんですが、日蓮宗ではこのような奉安形式があるのでしょうか?

113愚鈍凡夫:2003/05/05(月) 20:02
横から割り込み失礼します。

四条金吾宅では御守以外に、大曼荼羅の授与もあったようですから、人本尊(釈迦仏木像)と法本尊(大曼陀羅)の合祀であったんじゃないでしょうか。

114川蝉:2003/05/06(火) 08:58
111:ガンコさんへ。

>日蓮宗でこのような形態のところはございますか?

御宝前にての信行の外に、信徒さんの中には、題目三唱などして身延山の祖廟を遙拝する人も居かもしれません。

愚鈍凡夫さんの「整合性があるのか?」との質問は、「釈尊像を本尊としている文があるが、大曼荼羅を本尊とすることとはと両立するのか?」と云う意味の質問であったと思います。ガンコさんは「整合性がある」を「合祀してよい」と云う意味に受け取っての質問ですか?。

合祀の必要性はないですね。
一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことがありません。ガンコさんは見たことが有るのですか。

115ガンコ:2003/05/06(火) 11:34

川蝉さん、愚鈍凡夫さん。

>一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことがありません。ガンコさんは見たことが有るのですか

わたくしは生まれて以来、お寺にはほとんど行ったことがないんです。ましてや顕正会員になってからはなおさらです。
ですから、よく存じませんが、テレビだとかでたまに見ると、どこの宗派かわかりませんが、やたらとゴチャゴチャいろんなもの祀ってあったりして、叱られるかもしれませんが、キモチワル〜という印象をもっていたものですから、いままでの議論を踏まえるならば、法義的にも合祀はおかしかろうと思って確認させていただいた次第です。

すると四条ファミリーのぼあいはどうなんでしょうか?
お守り御本尊を何幅かいただいているようですし、釈迦像を二体でしょうか、造立してますし、なんだか変な気がします。
まさか全部一緒くたにしていたとは思えないので、わたくしの考えですが、四条殿はいくつも領地を持っていただろうから、別宅なり離れなりにそれぞれ安置していた、としたほうがすっきりするのですが(わたくしとしては)。
だって、釈迦像と釈迦像の二仏並座じゃおかしいですよね。

116ジャージルーカス:2003/05/06(火) 13:21
ちなみに、僕の近所の日蓮宗(旧池上系)のお寺は、十界曼陀羅の両脇に釈迦多宝、四菩薩を祀ってます。
また、その系統のお寺では一尊四士像の背後に曼陀羅を安置してます。

117愚鈍凡夫:2003/05/06(火) 18:58
道を歩いていて、いきなり地雷を踏んだような気持ちですが。

「本門の本尊」に関する川蝉さんへの質問は、画像・木像造立について書かれた真蹟遺文が存在するので、画像・木像・曼荼羅の整合性はどうなるのかと思って質問させていただきました。小生が例に出した遺文の共通点は木像造立なので、概ね、川蝉さんが指摘されている通りです。

四条家に関する資料を持っていないので、どのように安置していたのか分かりません。
ガンコさんの説のように、1276(建治2)年の釈迦像と1279(弘安2)年の釈迦像とは当然、安置場所が違うと思います。年数からいって作り替えたとは思えませんので。
大曼陀羅を授与されたのは、確か日眼女が厄よけの御守本尊を授与された1279(弘安2)年ではなかったでしょうか。
よく考えてみれば人本尊と法本尊の合祀は軽率な発言でした済みません。
ただ、Gohonzon Galleriesで富士山久遠常在院本門寺の万年救護本尊レプリカの前に日蓮聖人像(写真の解説では日蓮大聖人像)を安置している写真を見ました(万年救護本尊のページにあります)。

話を戻すと、大曼荼羅を安置したからといって、今まで拝んでいた木像を粗末に扱うわけはないでしょうし・・・・・、
四条家に別荘があったかどうか知りませんが、もし別荘に安置していたとしたら給仕の問題が気になります(使用人も信徒だったとすれば別ですが)。
この辺の問題になると、何処まで行っても仮定の問題になってしまいますね・・・・・。
要は、四条家の方々が御本尊をどう捉えていたかですが。
ただ一つ四条家の方々は、釈尊像も、大曼荼羅も、共に「本門の本尊」と拝していたことは確かなようですね。
やはり、画像・木像・曼荼羅の間に矛盾はないのかも知れません。

ガンコさんが見たものとは違うかも知れませんが、身延山久遠寺の大本堂内陣須弥壇の写真を見たことがあります(端までは写っていませんが)。全体の座配が宝塔曼荼羅と同じですね。
曼荼羅と一塔両尊四士像が共に「本門の本尊」とすれば、確かに矛盾はないですね。

これが文京区駒込長元寺所蔵、日眼女授与の御守本尊です。
http://www.lbis.jp/gohonzon/072.htm

逆に、ガンコさんに問います。
「木絵二像開眼之事・1264(文永元)年」、「観心本尊抄・1273(文永10)年」、「四条金吾釈迦仏供養事・1276(建治2)」、「日眼女造立釈迦仏供養事・1279(弘安2)年」
と、画像・木像に言及している真蹟遺文がありますが、ガンコさんの信奉する「戒壇之本尊」との整合性をどう考えますか。

118愚鈍凡夫:2003/05/06(火) 19:03
ジャージルーカスさん有り難うございます。

119豊穣:2003/05/06(火) 21:51
一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。
それを無視して考えるから上述のような議論になるのでしょう。
日蓮と日興は違う。日光の考えを日蓮の考えのようにして、議論を展開するのは無理がありますね。
人本尊、法本尊も日蓮が言っているはずないですよ(爆笑)

120豊穣:2003/05/06(火) 21:55
>一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことがありません
嘘でしょう。そんなのざらにありますよ。なんでこんな嘘っぱち書くんですか。

121愚鈍凡夫:2003/05/06(火) 22:19
豊穣さん心の赴くまま笑ってください。
豊穣さんにとっては初歩的な教学なのかも知れませんが、以下の文証を御教示願えませんでしょうか。

「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり」(「観心本尊抄」)

「末法のために仏留め置き給う迦葉阿難等馬鳴竜樹等天台伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり(「報恩抄」)

豊穣さんは「本門の本尊」とは、やはり曼陀羅本尊のこととお考えでしょうか。
小生、こういう書込を望んでいました。小生の疑問にお答え下さい。
ここの過去レスについては、紹介された文証などは資料として、時々ですが保存させて頂いています。

123問答迷人:2003/05/07(水) 08:19

横レス失礼します。

>「本門の本尊」とは、やはり曼陀羅本尊のこととお考えでしょうか。

観心本尊抄には、「曼陀羅」という語は一カ所も使われていません。本門の本尊の表現の仕方として、木像と絵像があり、ここで木像とは、一般的な仏像としての釈尊像を指し、絵像とは、曼陀羅を指していると思います。
日蓮聖人は、観心本尊抄を拝する限りでは、どちらも視野に入れて居られたと思います。

125川蝉:2003/05/07(水) 11:54
120 : 豊穣 さんへ。

>嘘でしょう。そんなのざらにありますよ。なんでこんな嘘っぱち
>書くんですか。

別に嘘をつく必要のないし、嘘をついているのではありませんよ。私の見てきたお寺さんの数はたかが知れていますが、一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことが無いのです。

私のコメントに書いおいたように「一尊四士像や一塔両尊四士像の背後に大曼荼羅を掛ける必要性は無い」と言うのが私の立場です。ちなみに、本山池上の一尊四士像や身延山本堂の一塔両尊四士像の背後には曼荼羅が掛かっていません。

若し背後に掛けていても、前中央に一尊四士像や一塔両尊四士像があれば、参拝者は前中央に在る一尊四士像ないし一塔両尊四士像を本尊として拝するだろうから、背後に大曼荼羅を掛けてあっても、特別に差し障りがあると思わないので、かまわないと考えています。で、「背後に大曼荼羅を掛けているお寺は見たことが無い」と言う嘘をつく理由など無いのです。
それでも私を「嘘つき」と言いますか?

>一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。

「一尊四士」と言う熟語は御遺文に無いですが、一尊四士の義は教示されていますね。
問答迷人さんが
「日蓮聖人は、観心本尊抄を拝する限りでは、どちらも視野に入れて居られたと思います。」
と言われている通りですね。
「啓蒙19巻73〜74紙」に有るように、本尊抄の「地涌千界出現本門釈尊為脇士」(学会版では254頁)を
「地涌千界(垂迹)が出現して、地涌を本門釈尊の脇士と為す」
と言う意味と理解していますので、ここに一尊四士の義があると認識しています。
また真蹟は無いですが「四菩薩造立抄」に
「本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕候き」(学会版987頁)
と、一尊四士の義があります。
「四菩薩造立抄」は真蹟が無いので真偽について議論があるものの、「日祐目録」の「本尊造立事」がそれに当たると言う見方もあり、中山法華経寺には、鎌倉時代作の一尊四士が在ることなど考慮すれば真蹟扱いしてよいだろうと思います。

126問答迷人:2003/05/07(水) 11:54

123の補足です。

観心本尊抄に「爾りと雖も木画の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す、其の義に於ては天台一家より出でたれども、草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり。」とあり、草木の上に色心の因果を置くが故に、木画の像を本尊に恃み奉ることに益がある、との御指南と拝せます。本尊抄では、木像と画(絵)像の本尊の優劣は論じて居られないと拝せます。

127問答迷人:2003/05/07(水) 12:11

豊穣さん 初めまして

119
>一尊四士は日蓮ではなく、日興の考えでしょう。

法華行者値難事(文永一一年一月一四日 五三歳)「追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申(の)べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず此に口伝有り。天台・伝教は之を宣(の)べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。」

ここに、「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」として、一尊四士の義が明確であると思います。如何お考えになられますでしょうか。

128豊穣:2003/05/07(水) 14:35
あんまり書くと独歩さんに、ぼくが誰か特定されちゃうんで、手短に。
愚鈍凡夫さんが引いた報恩抄は、本門本尊釈尊で、あとは脇士でしょうね。
法華経題目が本当であれば、あとから日蓮は考えを変更したことになりますね。
ご質問はいつの時点をさしているかで違いがあるんじゃないでしょうか。
川蝉さん。ぼくはこんなお寺は何件か見ていますよ。
もう少し歩いてみたらどうでしょうか(笑)
実際に見たから、何でそんな嘘を書くんだろうか?と思うのは当たり前でしょう。
おまけで書かれている解説はlぜんぜん興味ありません(笑)
問答迷人さん。日蓮は終生、随身一体仏でしたよね。
しかし、日興は一尊四士を主張して、それを自分の考えであるといった。それを盗んで、あとから帰伏したの日澄だと言っていますよ。
一尊四士が日興の考えと言ったのは、この日興の言葉に準じて記しました。
これって、日興が嘘を言っているんですか。富士門の常識じゃないでしょうかね。
なお、127で引かれる文で、なんで一尊四士なんですか。そのほかに戒壇と題目五字がついているじゃないですか。
引かれる文章をそのまま像にすれば、背後に文字としての五字(一塔か、首題)、場所としての戒壇も併せ作らなければないのであって、一尊四士とは違うものになりませんか。
川蝉さんが言うような後ろには題目五字がないんだよが、一尊四士ならば、なおさらのことですよね。
だから、ちっとも明確じゃないと思いますよ。
それとも日蓮は四菩薩作って、祀ってたんですか???
ああ、もう書きませんよ。独歩さんにつかまりたくないですから(汗)
ぼくが誰かを追っかけないでくださいね、独歩さん。
見てますよね、見るぐらいはここをネ(爆)
バイバイ!!

129ガンコ:2003/05/07(水) 15:21

大変な質問を受けてしまいました。

しかも「内容が低下している」との感想もよせられていることですし、とてもわたくしの手に負える問題ではございません。といって逃げるわけにもまいりませんし、はなはだ困ったものでございます。
さて、ご質問の主旨は、妙法五字の大曼荼羅と仏像造立の整合性、もっとぶっちゃけて申せば、大曼荼羅信仰の立場の者として仏像造立を認めるのかどうか、ということかと存じます。
本宗においては造像を禁止しておりますが、ではなぜに大聖人は諸御書において造像を仰せられ給ふのか? この積極的説明ということがなされていないから、いつまでも同じ問題を繰り返しているわけでして、ひとえに御宗門の、あるいは各組織の、上層部の責任であろうと思うわけでございます。
人法体一の上から申しましても造像を認めることは、まさしく日蓮本仏論をも瓦解せしめる重大事でありながら、なぜに積極的に取り組まないのか? すでに教義の修正は困難とみて諦めてしまっているのか? あるいはいざという時のために秘策を温存しているのか? わたくしには皆目見当のつかないところでございます。

「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。」(報恩抄)

下種仏法の広大深遠なるスケールを仰せられたもの、とわたくし達は拝するわけですが、であればその下種の御本仏が「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と仰せられるわけだからそうしなければならない、また、諸御書において造像を御認め遊ばすことも御本仏の金言であれば造像を否定することもできない、つまり“御本仏”を逆手にとって反論されても、はなはだ困ったことになるのでございます。

「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。」(三大秘法稟承事)

これも戒壇建立という大事の御指南を門家の遺弟等のために留め置かれたと拝するわけですが、かくも用意周到・懇切丁寧の御本仏様であれば、不必要な御書を遊ばすわけなどなく、造像の御書もまた門家の遺弟等のために留め置かれたと拝さなくてはならない、ということになるのでございます。

ことは本門の本尊にかかわる問題ですから、積極的な意味づけ・理由づけがなされねばならないとするのが当然でありますが、にわか勉強のわたくしには荷が重うございます。よって諸先輩のお出ましを願うものでございます。(なーかなか居ないんだな、これが)

蛇足ですが、大聖人は永久機関のような仕掛けを遊ばしたのではと思うことがあります。いわば“教門の難信難解”のようなあんばいで、なかなか結論が出ないようになっているんじゃないかと。それが「万年の外未来までもながるべし」の仕掛けなのかなあと。

答えになっていなくてごめんなさいです。反論覚悟でもうちょっとマシなのを書いてますので、今しばらく時間をくださいませ。

130問答迷人:2003/05/07(水) 15:50

豊穣さん

>しかし、日興は一尊四士を主張して、それを自分の考えであるといった。

日興が義、と仰った訳ですが、日蓮聖人の義ではない、とまでは仰っておられない。ところが、119では、「一尊四士は日蓮ではなく、日興の考え」と言われたので、日蓮聖人が一尊四士を述べておられる文を引用した訳です。


>なお、127で引かれる文で、なんで一尊四士なんですか。そのほかに戒壇と題目五字がついているじゃないですか。

この文は、いわゆる『三つの秘法』を述べられている文です。今問題にされているのは、本門の本尊ですから、その部分を抜き出せば「本尊と四菩薩」が『三つの秘法』に於ける『本門の本尊』に該当するのは、明らかです。つまり、この文での「本尊」とは、『一尊』。「四菩薩」が『四士』であり、『本門の本尊』は「一尊四士」と仰せになっておられる訳です。

>ああ、もう書きませんよ。独歩さんにつかまりたくないですから(汗)

独歩さんに誰か特定されるとお困りになるご事情がお有りのようで、ご同情申し上げます。独歩さんに喧嘩でも売ったことがお有りなんでしょうか?

131川蝉:2003/05/07(水) 16:20
127 問答迷人 さんへ。

>ここに、「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」
>として、一尊四士の義が明確であると思います。如何お考えにな
>られますでしょうか。

「本門の本尊と四菩薩」については、
本尊抄の
「釈尊の脇士上行等の四菩薩」
「本門寿量品の本尊竝びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せず」との文。
報恩抄の
「本門の教主釈尊を本尊乃至竝びに上行等の四菩薩脇士となるべし」
との文に例して、四菩薩は上の本尊に付して読むべきで、啓蒙にも「本尊の中に四菩薩あれども惣別竝挙したもう意なるべきか」(啓蒙27の22左)とあるように、「四菩薩を脇士とする本尊」と解釈すべきである。
と一般的に解釈されています。

問答迷人さんの云われるとおり「一尊四士の義が明確である」ですね。

128 : 豊穣 さんが
>引かれる文章をそのまま像にすれば、背後に文字としての五字
>(一塔か、首題)、場所としての戒壇も併せ作らなければないの
>であって、一尊四士とは違うものになりませんか。

とコメントしていますが、
法華行者値難事の、この文では、本尊が一尊四士で、それを奉安する所が戒壇で(もちろん理・事の戒壇の別は有ります)、妙行が南無妙法蓮華経の五字と云う配当になっている文意が理解できないようですね。

132問答迷人:2003/05/07(水) 16:46

ガンコさん 初めまして(でしたでしょうか)

いつも、掲示板に御参加戴き、誠に有り難うございます。

>三大秘法稟承事

この書は、古来偽書の疑いがあり、真偽未決書です。文献にこの書が引用されるのは比較的新しく、鎌倉、室町期の文献には見られないものです。内容的にも色々問題点が多く、この掲示板でも、過去、議論されてきています。御書全集に載せられていると、日蓮聖人の真書だと思いがちですが、真跡の存在しない御書は、批判の眼を以て読まれるべきであろうと思います。一言申し上げました。

133ガンコ:2003/05/07(水) 17:22
これは、どうもです。
三大秘法抄の問題は承知しているつもりですが、文意は読んでのとおりです。つまり、大聖人を本仏と仰ぐのであれば、都合が悪いからといってその御書から目をそむけるわけにはいかない道理を申し上げたかったのでした。とくにわたくしの所属しているところでは、そういう傾向があるものですから、いつまでも通用しないだろうと、自戒をこめたのです。

ちょっと、愚鈍凡夫さん宛てに書いていたのですが、問答名人さんにもご意見をうかがいたいと思います。

「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」(本尊抄)

最近、記号に凝っているんですが、

 一念三千の仏種>有情の成仏>木画二像の本尊
 能生>所生(能説)>仏像仏画(所説)

つまり、大聖人の御文字御本尊は一念三千の仏種であり、いわゆる諸仏能生の根源ということでよろしいのではありませんか。

「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」(本尊抄)
「今は既に末法に入って、在世の結縁の者は漸々に衰微して、権実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。而るに今時の学者、時・機に迷惑して或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、題目の五字を以って下種と為すべきの由来を知らざるか。」(曾谷入道殿許御書)
「種・熟・脱の法門、法華経の肝心なり。三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり。」(秋元御書)

問答名人さんのご意見を前々より拝見してまして思うことは、必ず絵像ないし画像を曼荼羅に配当するけどなんでやろ? ということでした。わたくしは上に挙げるところの御書よりして、とても木画二像のいずれかにあてはまるものではない、むしろ一念三千の仏種に相当するのではないか? と考えるのです。してみると、

「問うて云はく、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。」(本尊問答抄)

ここで仰せの法華経の題目とは、たんなる法華経の題名ではなく、妙法五字の大曼荼羅を示すものと考えてよろしいのではありませんか。

134愚鈍凡夫:2003/05/07(水) 19:26
問答迷人さん、始めまして。
知らぬ間に、すごい論戦になってますね(種蒔いたんはお前じゃって言われそうですが)。

絹本着色法華経絵曼陀羅図
http://www.hokkeshu.com/kakujiin/toukai/600.htm

ここのページに絵曼陀羅の写真があります。
他に、「蒙古退治旗曼陀羅図」というのがあるのではないでしょうか(本の写真で見ました。イラストかも知れません)。
こういった形は日蓮聖人のお考えにはなかったと思われますか。

川蝉さんに御教示頂く際に引用しました、「四条金吾釈迦仏供養事」の文証が気にかかるのです。話が前後しますが、今は本尊の優劣を問題にしているのではありません。

もし、日蓮聖人に絵曼陀羅(画像)のお考えがなかったとしたら、この文証はどのように理解すべきでしょうか。

「草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり」

可能性として「本門の本尊」の表現法に画像、仏像、曼陀羅の3通りあるように思えるのです。解釈が間違っているでしょうか。

曼陀羅の件、
「このまんだら(曼陀羅)を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく子ををやのあいするがごとくいをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうごとくとりの木をたのむがごとく一切の仏神等のあつまりまほり昼夜にかげのごとくまほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし」(「妙心尼御前御返事」御書全集 P1477)

昭和定本では2巻に同じ名前で、内容が違う遺文がありますが、御書全集では大石寺に写本があるようです。偽書の可能性はかなり高いのでしょうか。
話を戻すようで済みません。

135問答迷人:2003/05/07(水) 19:51
ガンコさん

三大秘法抄の件、了解です。

>「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」(本尊抄)

「一念三千の仏種に非ざれば」とは、この文の少し手前に「新訳の訳者等漢土に来入するの日、天台の一念三千の法門を見聞して、或は自らの所持の経々に添加し、或は天竺より受持するの由之を称す。」とある通り、後世の訳者が天台の一念三千の法門を盗み入れて訳した様な経典の一念三千ではなく、本来の、法華経の一念三千でなければ、という意味ですね。

日蓮聖人の文字曼陀羅には、法華経の題目たる妙法蓮華経の五字が認められていますから、一念三千の仏種だと言えますね。ですから、それが諸仏能生の根源ということでよろしいと思います。ただ、それがどうかしましたか。記号の意味は全然理解できませんが。

>木画二像のいずれかにあてはまるものではない、むしろ一念三千の仏種に相当するのではないか?

本来、曼陀羅が絵像で有ることは、真言の曼陀羅を見れば判ることですね。尊形を梵字で表す曼陀羅は、顕正居士さんがご紹介下さったとおりで、実際に真言に有るわけです。日蓮聖人は梵字を漢字に置き換えられた点が独創的で有るわけですが、曼陀羅で
有ることにはなにも変わらないと思いますが、如何でしょうか。

136愚鈍凡夫:2003/05/07(水) 20:43
ガンコさん。質問に答えてくれて有り難うございます。

ガンコさんが挙げられている文証は、末法における本尊について言及されている文証ですね。同時にこの本尊の信受によって成道するとの仰せだと思います。
確かに、諸仏成道の根源の法という意味では「一念三千の仏種」ですね。
ただ、「諸仏成道の根源の法」を書写したのが日蓮聖人御筆の本尊だと思うのです。
信受という意味では、木絵二像の本尊も同じように功徳を積むことになるのではないですか。川蝉さんのおかげで少しずつですが、そう思えるようになってきました。
だから、同一理による本尊に格差はなく、結局信受の問題になるということではないですか。

137問答迷人:2003/05/07(水) 21:08

ガンコさん

追加です。今度は僕から質問させていただきます。

>ここで仰せの法華経の題目とは、たんなる法華経の題名ではなく、妙法五字の大曼荼羅を示すものと考えてよろしいのではありませんか。

何を根拠にして、そう考えられるのでしょうか。法華経の題目とは、文字通り、妙法蓮華経の五字以外に考える余地はないと思います。まぁ、百歩譲って、妙法五字の大曼荼羅と解釈したとしても、その大曼陀羅の所詮は、妙法蓮華経の五字に他ならない訳ですから、結局、一緒のことだと思います。

138問答迷人:2003/05/07(水) 21:11

川蝉さん

>法華行者値難事の、この文では、本尊が一尊四士で、それを奉安する所が戒壇で(もちろん理・事の戒壇の別は有ります)、妙行が南無妙法蓮華経の五字と云う配当になっている文意が理解できないようですね。

仰るとおりだと存じます。分かり易くご解説戴き、有り難うございます。今後とも宜しくお願い申しあげます。

139問答迷人:2003/05/07(水) 21:26

愚鈍凡夫さん

初めまして。いつも、書き込み有り難うございます。

>可能性として「本門の本尊」の表現法に画像、仏像、曼陀羅の3通りあるように思えるのです。解釈が間違っているでしょうか。

聖人は、観心本尊抄において、木画の二像、とは仰っていますが、曼陀羅とは一言も仰っていらっしゃいません。あくまでも、聖人のお考えは、木画の二像であり、その二通りの分類からすれば、木を用いて彫刻するのが木像であり、紙を使って描くのが画像という分類になると思います。やはり、聖人のお考えは、二通りであろうと思います。

なお、妙心尼御前御返事については、日興上人の写本が大石寺に有り内容的にも、問題となるような点が見当たらないと思われますので、ほとんど偽書の可能性はないと考えて差し支えない物と思います。

140川蝉:2003/05/08(木) 12:03
134 愚鈍凡夫 さんへ。

「妙心尼御前御返事」(御書全集 P1477)は
昭和定本では2巻1105頁に掲載されています。
注記に大石寺に興師の写本があるとありますので真蹟同様に扱われています。

>可能性として「本門の本尊」の表現法に画像、仏像、曼陀羅の3通り
>あるように思えるのです。解釈が間違っているでしょうか。

画像は宗祖在世中に在ったか否かは別として、本尊にしえると考えます。絵で表すか彫刻像で表すか文字で表すかの形式の違いだけですから。

今回の大日蓮展にも鎌倉時代作の静岡妙法華寺の「十界勧請大曼荼羅」や京都本法寺の「宝塔絵曼荼羅」それから南北朝時代の神奈川本興寺の「宝塔絵曼荼羅」、京都法華寺の「絵曼荼羅」が出品されていました。

特に京都法華寺の「絵曼荼羅」には、大覚上人(日像上人の弟子)の署名花押があります。

また京都本法寺の「宝塔絵曼荼羅」は、中山法華経寺の日祐目録(昭定第三巻・2734頁)にある「多宝塔本尊」のことと云われ、宗祖在世の作と伝えられているそうです。

1317年(祖滅35年)の日昭譲状に、「生御影」と記されている「日蓮聖人像」は、曽谷夫妻が説法を聴聞している図ですが、一尊四士の画像が描かれています。

画像表現は古くから在ったことが分かります。

141ガンコ:2003/05/08(木) 17:36

問答名人さん、愚鈍凡夫さん、どうもです。

だいぶ議論が込み入ってきたので、簡略に申し上げます。
まず、大聖人の御文字御本尊が画像に含まれるかどうかですが、ようするにわたくし個人の印象として画像とは思えない、ということです。わたくしの認識が間違っているのであれば改めなければなりませんが、こうした感覚的なものはなかなか変わらないものです。
小学生レベルの思考力で、木画二像といえば、ほとけさまのおすがたを彫ったものを木、ほとけさまのおすがたを描いたものを画、と考えるのです。まして幼稚園レベルになれば、これは絵ですよといっても理解できないわけです。(つまり、じぶんは幼稚園レベルだということです)
いずれにしても、御文字御本尊を拝していて画像であるなどと思ったことは一度もないです。

>木絵二像の本尊も同じように功徳を積むことになる
>同一理による本尊に格差はない

これはべらぼうに難しい問題で、うかつなことを書けばえらいことになると思ってはいますが、記号の意味は御文字御本尊が上位にくる、つまり勝劣があると申し上げたかったわけです。
しかし、問答名人さんに説明の不備をつかれてしまった格好ですね。
本尊問答抄の「法華経の題目を本尊とすべし」が御文字御本尊のことならば、同抄に能生・所生の関係を明示し給うごとく、まさしく大聖人の顕し給う御本尊こそ最上位にくるだろうと考えたのですが、辛口に申せばぜんぜん説明になっていない、まあ手心を加えてもまだまだ説明が足りないといったところでしょうか。

なんと申しますか、希望的観測というか曼荼羅正意願望が、短絡的結論を出してしまったのだと、自省しております。

まあ、正宗信徒にとってはこれでじゅうぶんなんですけど・・・曼荼羅正意を述べるのならばもっと緻密でなければならない、とのご助言と拝しました。

142愚鈍凡夫:2003/05/08(木) 18:50
川蝉さん。いつもながら丁寧な御教示有り難うございます。
日蓮聖人の御本尊の奥行きの深さを感じました。
有り難うございます。

143愚鈍凡夫:2003/05/08(木) 19:37
ガンコさんへ。

お礼なら問答迷人さんに言ってください。小生は意見を述べただけです。


スレッドテーマとは関係ないですが、こういうのがありますよ(ガンコさんには面白くないかもしれませんが)。

第一章 顕正会とは何か
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/1558/page013.html

144落ちこぼれ大作:2003/05/08(木) 20:13
ゴメン:: とても御参考になりまする、、。どなたかお教え頂きたく、、。日蓮さん当時「木の像とは=彫刻でしょうか??」、また「画の像とは”筆”にて紙面に”文字または絵”などを」書することでしょうか、、?? 難儀でしょうが、論戦イヨイヨの肝心カナメかと、存じまするが、、??

145愚鈍の田子作:2003/05/08(木) 21:23
木の彫刻は「少なからずの”ウデと技”が要か、、出来映え次第が”スグ現れる”からです、、。偶像多造時代の先代の後遺症的な、その木像から”一般の方は五字・七字の題目”を体感可能でょうか、、?? その可能な方はカナリの強信者かと、、??」「字ズラの書式なら”初心の者でもアル程度は、五字・七字のお題目を”体感・理解可能でしょうか、、??」。 ガンコさんの「木より書画が大という趣旨」には、一応賛同いたしまする、が、??。

146ガンコ:2003/05/08(木) 23:07

>スレッドテーマとは関係ないですが、こういうのがありますよ(ガンコさんには面白くないかもしれませんが)。

いつも資料の提示ありがとうございます。ここは結構有名だから知ってました。もちろん全文読んでます。古参幹部はみんな注目しているんじゃないですかね。わたくしは直接面識ありませんけど、彼が男子部幹部だったのは覚えています。

147ガンコ:2003/05/08(木) 23:25

落ちこぼれ大作&愚鈍の田子作さん

あなたの文章は個性的ですから、なんだかそれだけで存在感がありますね。

148川蝉:2003/05/09(金) 14:35
問答迷人さん、愚鈍凡夫さん、ガンコさん今日は。
曼荼羅と一尊四士

建治二年七月の「報恩鈔送文」に、
「御本尊図して進せ候。」
とあって、曼荼羅を本尊と呼んでいます。
ちなみに、漢和辞典には「図」は「絵 えがいたもの」と説明しています。
宗祖は曼荼羅について、文字を書いたものと云う意識だけでなかったように思えますね。

文永十二年「新尼御前御返事」(身延曾存)
「但大尼御前の御本尊の御事、おほせつかはされておもひわづらひて候。」とあって、その御本尊を「此五字の大曼荼羅」と呼んでいます。曼荼羅を本尊と呼んでいるわけです。
そして、その曼荼羅を
「寺寺の本尊皆かんがへ尽し、日本国最初の寺元興寺、四天王寺等の無量の寺寺の日記、日本記と申ふみより始て多の日記にのこりなく註して候へば、其寺寺の御本尊又かくれなし。其中に此本尊はあへてましまさず。」(866)
と説明していますが、
この部分は、
本尊抄の
「正像二千年の間は小乗の釈尊は、迦葉、阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊、普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむ可きか」
に同じ意ですね。

「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給て、世に出現せさせ給ても四十余年、其後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品、属累に事極て候しが、」(867)の部分は、
本尊抄の
「是の如き本尊は、在世五十余年にこれ無し、八年の間にも但だ八品に限る。」(学248・昭定713))
と同様の説明です。
「報恩鈔送文」や「新尼御前御返事」によれば、曼荼羅を本尊と呼んでいたことは確かでしょうね。

本尊抄に
「其の本尊の為体」を「本師・・」と、曼荼羅の構想を述べて「是の如き本尊は在世五十余年に之無し」とある本尊は、本尊抄述作当時にはまだ未顕ですが、宗祖の頭にすでにあった、間もなく図顕する大曼荼羅を指していることが分かります。
この文に続いて
「正像二千年の間は小乗の釈尊は、迦葉、阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊、普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむ可きか」
と続きますが、この部分の文意は、
「脇士を以て仏格を表す古来の造像上の決まりがあるから、大曼荼羅で表した寿量の仏を仏像で表すとすれば、本化四菩薩を脇士とした仏像として表すべきである」
と解釈出来ると思います。
続いての部分は
「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば、三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由これを申ぶ」(713)
とありますが、
「本門寿量品の本尊即ち大曼荼羅本尊ならびに、四菩薩を脇士として表した本門寿量品の本尊は未だ崇重されていない」と云うようにも解釈して良いだろうと思います。

ただし、この文の「始めて此の仏像出現せしむ可きか」の「仏像とは大曼荼羅本尊の事である」とか「すなわち末法に入って始めて、未曾有の大曼荼羅本尊の形式をもって、今日蓮が、この寿量品の本仏釈尊の仏像を光顕するのである」と解釈する宗学者もいます。

本尊抄の終わり部分に、
「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊を此の国に立つべし。月支、震旦にも未だ此の本尊ましまさず。」
は、「このような時こそ、地涌千界の大菩薩が出現して
四菩薩を脇士として本門寿量品の釈尊である事を表す所の一閻浮提第一の本尊を建立するであろう」
との意味ですね。此処に、一尊四士像本尊を述べている理由は、
続いての文に、
「日本国の上宮、四天王寺を建立せしに、未だ時来らざれば、阿弥陀佗方を以て本尊と為す。聖武天王、東大寺を建立せしも、華厳経の教主なり。未だ法華経の実義を顕はさず。伝教大師は粗ぼ法華経の実義を顕示す。然りと雖も、時未だ来らざるの故に、東方の鵝王を建立して、本門の四菩薩を顕はさず」
と有るように、四天王寺、東大寺等の官寺を挙げているので、公的な法華経弘通の拠点としての寺塔が建立される時には、一尊四士像を本尊とすべきだと云うお考えが有ったからだと思うのです。

149問答迷人:2003/05/09(金) 18:06

川蝉さん 愚鈍凡夫さん、ガンコさん

>宗祖は曼荼羅について、文字を書いたものと云う意識だけでなかったように思えますね。

川蝉さんのご意見に全面的に賛同します。本来、曼陀羅が、絵であることは、論議の余地が無いと思います。例えば、大辞林によれば、曼陀羅とは、「〔仏〕〔梵 maala〕画面に諸仏を描いた図形や象徴的に表した記号を特定の形式で配置し、悟りの世界や仏の教えを示した図絵。四種曼荼羅・金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅など。」とあるとおりです。

日蓮聖人が、「本門の本尊」を文字を用いて紙の上に表され、それを「曼陀羅」と呼ばれたことも確定事項です。この二つのことから、日蓮聖人が文字を用いて表された「妙法曼陀羅」が画像であることは、やはり、議論の余地がないと考えます。ただ、従来の木像や絵像と、文字曼陀羅との勝劣については、議論の余地は有ろうかと思いますが、別の次元の事であろうと思います。

150ガンコ:2003/05/09(金) 19:03

川蝉さん、恐れ入りまする。

わたくしもひとつ書いていたんですが、発表するまえに破折されちゃったみたいです。恥をかかずに済んだとも言えますが、大体こうして書き込んでいること自体、恥を晒しているんでしょうね。
恥かきついでに申し上げますと、わたくしは漢文が読めませんものですから、御書は大石寺版に依っているのが実情です。そうしますとご存知のごとく本尊抄などの重要な部分で読み方に相違がありまして、「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。」 ここがその典型なのでしょうね。
この部分は大事でありますから、じっくり考えてまいりたいと思いますが、少し関わりがあると思われるので以下質問させてください。

「問ふ、正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す。」
「月支・震旦に未だ此の本尊有さず。日本国の上宮、四天王寺を建立すれども未だ時来たらざれば、阿弥陀・他方を以て本尊と為す。聖武天皇、東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕はさず。伝教大師粗法華経の実義を顕示す。然りと雖も時未だ来たらざるの故に、東方の鵞王を建立して本門の四菩薩を顕はさず。」

この両文は御表現ならびに内容に相違がなくはないですが、結論は同じことを仰せられているように思えます。もしそうであるならば、後文の最後の部分「本門の四菩薩を顕はさず」は “本門寿量品の本尊並びに四大菩薩を顕はさず” との意味になろうかと拝します。してみると、なぜに本門寿量品の本尊を省略あそばすのかが疑問に思われるのですが、いかがでしょうか? 

まるで大聖人にケチを付けているような書きようで申し訳ありません。

151愚鈍凡夫:2003/05/09(金) 19:13
川蝉さん、問答迷人さん、ガンコさん。お世話になってます。
有り難うございます。

「公的な法華経弘通の拠点としての寺塔が建立される時」というのは、「戒壇堂建立の時」との解釈でしょうか。

川蝉さん、問答迷人さんの御教示をまとめますと、
「本門の本尊」を画像で表現するとは、文字通り「絵曼陀羅」の場合と、文字で描かれた「曼陀羅」の場合とがあるとの解釈でいいでしょうか。

152ガンコ:2003/05/09(金) 19:22

問答名人さん、重ね重ねのご教示ありがとうございます。

おっしゃる意味はおおむね理解いたします。
そもそも漢字というものの起こりからして、山とか川とか、対象を記号化したものであるわけですから、絵や画や図といったものと無関係とはいえないわけですね。

ただ、反論というわけではありませんが、大聖人が未曾有の大曼荼羅と仰せられる意味は、知らない人ならなにか巨大なものを想像するかもしれませんが、じっさいはたんなる大小を意味するわけではないのでしょうから、従来の曼荼羅の概念だけでは捉えきれないものがある、そういう可能性もいくぶんかは考慮すべきだろうと思います。

「そんなことは言われなくてもわかっているよ」
「あ、これは、失礼しました」(一人芝居)

153問答迷人:2003/05/09(金) 19:56

ガンコさん

>従来の曼荼羅の概念だけでは捉えきれないものがある、そういう可能性もいくぶんかは考慮すべきだろうと思います。

仰るとおり、日蓮聖人の妙法曼陀羅は、曼陀羅でありながら、その所詮が、「妙法蓮華経の五字」であり、曼陀羅が経巻の意義を持っているところに、その独創性が有ると思っています。ですから、従来の曼陀羅を踏襲しながら、しかも、従来の曼陀羅の概念を超えていると考えています。

154問答迷人:2003/05/09(金) 20:01

愚鈍凡夫さん

>「本門の本尊」を画像で表現するとは、文字通り「絵曼陀羅」の場合と、文字で描かれた「曼陀羅」の場合とがあるとの解釈でいいでしょうか。

僕も、そのように考えています。ただ、日蓮聖人が、果たして絵曼陀羅を視野に入れて考えておられたかというと、そのような絵曼陀羅を聖人が描かれたという記録が見当たりませんので、絵曼陀羅を描くことは、日蓮聖人は考えておられなかったのではなかろうかと思います。

155愚鈍凡夫:2003/05/09(金) 21:16
問答迷人さん了解です。

ガンコさんへ。
小生も、漢文は見ずに済むものなら見たくもないと言うのが本音です。
経典を無理矢理読んでいる時など、「なんじゃこりゃ」という迷読・珍読はしょっちゅうで、
笑い転げています。

156顕正居士:2003/05/10(土) 01:14
仏像、仏画、曼荼羅

曼荼羅とは仏、菩薩、神々の集会(しゅうえ group)の表現を云います。だから。
単の仏像、菩薩像、神像に対するのです。普賢、文殊、観音、彌勒の四菩薩を
伴う釈尊の像を一尊四士と云い、これらは曼荼羅を構成します。上行菩薩等を
伴う釈尊の像も一尊四士であり、曼荼羅を構成します。曼荼羅とは仏画の種類
ではなくて、仏、菩薩、神々の集会のあらゆる表現であると考えるべきです。

要するに単の歌手を表現するのに対して、グループを表現するので、その表現
にはレコード、CDのジャケット写真のほかにフィギュアもあるのと同じことです。

157愚鈍凡夫:2003/05/10(土) 06:03
顕正居士さん始めまして。
小生たちが仏画と称していたのは、例えば涅槃図のようなものを指していっているのではないのですが、
密教などの曼陀羅を見ますと、やはり絵です。
文字で描かれた曼陀羅を、絵曼陀羅に表現することは可能と思われますが・・・・・。

それと顕正居士さんの例え、少しずれてませんか、
実際、コンサートやライブで目の当たりにできる歌手の場合と違って、「本門の本尊」とは本来目に見える存在ではないと思うのですが(ある種の追っかけにとっては、歌手は教祖的存在ですから、そういう意味では宗教的ではありますが)。
「本門の本尊」はサインしてくれません。
何となく、雰囲気は似ているように思えなくもないですが、「ジャケット写真とフィギア」と「曼陀羅と仏像」とは違います。

158問答迷人:2003/05/10(土) 08:32

顕正居士さん

いつもながら、明晰なレス、誠に有り難うございます。

>上行菩薩等を伴う釈尊の像も一尊四士であり、曼荼羅を構成します

なるほど。日蓮聖人が、観心本尊抄でお示しの本尊は、仏、菩薩、神々の集会に他ならず、それ自体、曼陀羅なのだと言う事ですね。日蓮聖人が表された紙幅曼陀羅は、「仏、菩薩、神々の集会」=「曼陀羅」としての本尊を、画像として文字を用いて表されたもの、という事ですね。

159通りすがり:2003/05/10(土) 18:47
>観心本尊抄…仏、菩薩、神々の集会=「曼陀羅」
ではなくて、一念三千を示すために十界の衆生諸尊を集めて記したのが日蓮の曼荼羅ではないでしょうか。
曼荼羅=輪円具足で、この場合、何が具足しているかといえば十界の衆生すべての具足をもって大聖人は曼荼羅の意義を整えているわけでしょう。
ですから、
>上行菩薩等を伴う釈尊の像も一尊四士であり、曼荼羅を構成
というのは違うでしょう。
一尊四士は菩薩を脇士にする仏本尊に違いないでしょうが、これを曼荼羅といえば誤解が生じます。

160通りすがり:2003/05/10(土) 18:57
つまり、大聖人は本門の本尊=久遠釈尊(仏界)を中心に十界を構成して見せたのが日蓮曼荼羅であったのではないでしょうか。
ここでの最近の議論は本尊=曼荼羅に偏り、それぞれの別段の意味を軽率に扱っているように感じます。
御曼荼羅(+御影)でよしとする人々には、本尊と曼荼羅が同じように扱うのはいいでしょうが、仏像を重んじる側からすれば、そんな議論は乱暴に感じます。

161ガンコ:2003/05/10(土) 19:50

いよいよ役者がそろってきた感があります。

顕正居士さんに申し上げます。
通常、曼荼羅正意論の対立軸は御文字御本尊vs仏像にあると思います。あなたは仏像といえども一尊四士(あるいは一塔両尊四士も含むでしょうか)は“集会”なるがゆえに曼荼羅を構成するとの斬新な、いや、より原意的と申しますか、ともかくわたくしの考え及ばぬ見解を示されました。
しかしながら、そうしますると押しなべてどれもこれもが曼荼羅となってしまって、議論がボケてしまうようにも思えます。
すでに今の争点は、大聖人は御文字御本尊のみを本意とするのか、仏像も御本意に含まれるのか、ここが議論の分かれ目になっているように思うのです。(そうですよね、通りすがりさん?)
とうぜん、あなたのことですから、何か斬新なご見解をお持ちのことであろうかと存じます。
よろしくご教示ねがいます。

愚鈍凡夫さんに恐れながら申し上げまする。

比喩というのはなかなかピタリとはいかないものです。
ですから、わたくしはその巧拙とか適不適を考える以前に、その方が何をおっしゃりたいのかを考えます。

「そんなことは言われなくてもわかってるよ」
「あ、これは、失礼しました」(一人漫才)

162問答迷人:2003/05/10(土) 19:54

通りすがりさん

「曼陀羅」の原意が、 「仏、菩薩、神々の集会」であると、顕正居士さんは仰っているわけです。転じて、紙に諸仏、諸尊を集めて記した絵が曼陀羅と呼ばれているわけです。ですから、諸仏、諸尊の木像を集めて、集会として配置すれば、それも又、曼陀羅だという事です。つまり、一尊四士も曼陀羅であるという事になるわけです。曼陀羅=紙に諸仏、諸尊の集会を描いた物、と限定的に捉えると、顕正居士さんの仰っておられることが理解できなくなると思います。如何でしょうか。

163問答迷人:2003/05/10(土) 20:11

ガンコさん

結局、文字曼陀羅、絵曼陀羅、木像曼陀羅。この三種の本尊では、利益に勝劣があるかどうか、と言うことですね。うーん。難しいですね。日蓮聖人の本意が何処にあったかと言うことも含めて、じっくりと考えてみるべきテーマだと思います。

164愚鈍凡夫:2003/05/10(土) 20:40
ガンコさんへ。
小生、顕正居士さんの歌手の譬喩はジョークと受け止めました。だから、ジョークで返さないと失礼に当たると思い、ああいうトンチンカンなコメントになりました。悪しからず。

広辞苑には、次のように記述されています。

まんだら【曼荼羅・曼陀羅】
〔仏〕(梵語 mandala  輪円具足・道場・壇・本質などと訳す) 諸尊の悟りの世界を象徴するものとして、一定の方式に基づいて、諸仏・菩薩および神々を網羅して描いた図。
四種曼荼羅・両界曼荼羅など多くの種類がある。もともと密教のものであるが、浄土曼荼羅や垂迹曼荼羅、日蓮宗の十界曼荼羅のように、他にも転用される。おまんだら。
広辞苑第4版

小生もこのように理解しております。

165問答迷人:2003/05/10(土) 21:53

愚鈍凡夫さん こんにちは

mandalaについては、【つぶやきすれっど2】の556〜580レスで、顕正居士さんがすでに詳しく書き込まれています。もう一度ご覧になってみられては如何でしょうか。

166難儀 寅吉:2003/05/10(土) 22:09
ガンコ様もご指摘の如く「いよいよ主役の方々」がお揃いになったようで、、何よりでございます、、。一庶民と致しましては「コンナ、クソ忙しいのに、暇と金をかけてまで、、何故に”信仰の”歩みに一歩進む」と言う難儀を選択するんでしょうか、、?? 「これは”腐りきり、汚れ、醜いドス黒い欲望に蹂躙される”情けない自分を、何とかしたい、、??」という「前向きな本心がホンノ少しだけ?」でも残存している方々が、居られたからかとぞんじます、、。「成就仏身こそ寿量品のカナメかと、、?」。この「成仏」のための「是非とも必要な事は??」「誹謗正法とは??」「摂受〜折伏=法華折伏破権門理=破邪顕正??」等々は、どのように「成仏と関連」されておるのでしょうか、、??

167顕正居士:2003/05/10(土) 23:17
四種曼荼羅

と云い、諸尊の姿を画にあらわしたのは「大曼荼羅」と呼びます。他に三種あります。
立体曼荼羅、フィギュア曼荼羅は「羯磨曼荼羅」と呼びます。東寺講堂には二十一体
の尊像が構成するカツマ曼荼羅があります。

参考

http://www6.plala.or.jp/housyou/mandara.html

168愚鈍凡夫:2003/05/10(土) 23:18
梵語としての「mandala」とは本来、

「輪円具足」・・・・・十界の衆生の集会
「道場」・・・・・・・・・各衆生が成道を目指す場所
「壇」・・・・・・・・・・・戒壇を指し、勧請された菩薩たちや神々たちが各段に集会する。そういう意味では三次元的広がりも表現している。

との意味を含むものであり、
「mandala」を単に仏、菩薩、神々の座配図と解釈するのは誤り。
ということでしょうか。

169顕正居士:2003/05/11(日) 01:27
愚鈍凡夫さん。

マンダラとは具体には「壇」(段)を云い、立体であり、平面でありません。だから画像
のマンダラはある視点から立体を平面に投射したものです。

しかし立体マンダラは戒壇とか講堂の施設には向く、マンダラの中に入ったような気分
にさせるが、本堂の施設には向かないから両界曼荼羅が普通になったのでしょう。
小さい立体マンダラ、仏塔みたいのもありますが、本堂には向かない印象がします。
立体マンダラは巨大寺院の構造物全体を曼荼羅化するような壮大な計画に最も向く
のかしれない。ボロブドゥールの巨大寺院のように。

参考
http://www.hcn.zaq.ne.jp/cabhg103/borobudur0.htm

三位日順が妙法曼荼羅は戒壇の図面と云ったのは、妙法曼荼羅が略式の本尊で
ある意味ではなく、壮大な計画の意味であった可能性もあります。礼拝芸術は用途
によって優劣があるので、大寺院、本堂、講堂、家庭の仏間、それぞれに違います。

170愚鈍凡夫:2003/05/11(日) 01:40
顕正居士さん。丁寧な御教示有り難うございます。
とても勉強になりました。

紹介された資料の数々、仏法研鑽の資料にさせて頂きます。
有り難うございました。

171川蝉:2003/05/11(日) 09:59
160 : 通りすがり さん今日は。

>大聖人は本門の本尊=久遠釈尊(仏界)を中心に十界を構成して
>見せたのが日蓮曼荼羅であったのではないでしょうか。・・
>御曼荼羅(+御影)でよしとする人々には、本尊と曼荼羅が同じ
>ように扱うのはいいでしょうが、仏像を重んじる側からすれば、
>そんな議論は乱暴に感じます。

観心本尊抄の「今本時の娑婆世界・・」いわゆる四十五字法体段は久遠釈尊の証悟の世界、すなわち釈尊の身土、釈尊の一念三千を述べている箇所と解釈されています。
そして霊山虚空会の世界が、久遠釈尊の証悟の世界、釈尊の身土の具体相であるので、法華経八品説法の虚空会の世界をもって久遠釈尊を表さんと意思表示しているのが「其の本尊の為体・・」と大曼荼羅の構図を語っている所以だと思います。

「其の本尊の為体・・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し」
とあるように、虚空会の諸菩薩、諸天等は、久遠釈尊の弟子として釈尊のの手足となって仏行を行う者に成っていますので、四菩薩に接せられます。
そこで、一尊四士の、中央釈尊に妙法五字や多宝仏、諸仏を接し、諸菩薩等の他の諸尊を四菩薩に接して表したのが一尊四士像本尊と思います。
大曼荼羅も一尊四士像も本尊であると云うことになります。

172問答迷人:2003/05/11(日) 11:54

本門の本尊と一尊四士

「本門の三つの法門」として「本門の本尊と戒壇と題目の五字」が法華取要抄に述べられたのが、聖人身延入山直後の文永11年(西暦1274年)5月。そのあと二年二ヶ月後の、建治2年(西暦1276年)7月、報恩抄において「一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし。」と述べられています。今、問題の、法華行者値難事の「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」との記述は、文永11年1月、鎌倉幕府が赦免状を発する一ヶ月前、佐渡流罪の終わりのころのものです。

これらを比較すると、「本門の本尊」についての報恩抄の記述「所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。」と、法華行者値難事の「本門の本尊と四菩薩」との記述は内容的には軌を一にしていることに気付きます。さらに、該当個所の、観心本尊抄の記述も、「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、」とあり、同じ内容を述べられている事が判ります。

ただ、法華行者値難事の「本門の本尊と四菩薩」との表現においては、この文だけでは「本門の本尊」と「四菩薩」なのか、本門の「本尊と四菩薩」なのか、判然とはしていませんが、本尊抄と報恩抄の内容と対比してみると、これは、本門の「本尊と四菩薩」との意味で、ここに於ける「本尊」は、「本門の本尊」の中の仏格に相当している事が判ります。以上、本尊抄、値難事、取要抄、報恩抄の対比から、「本門の本尊」に「一尊四士」の意義が含まれていることが判ります。

さらに、本尊抄において、「正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す。」と述べられ、正像に於ける寺塔を建立と対比させる形で述べられた、奉安形式としての一尊四士を彷彿とさせる記述があります。これらの事から、日興が義として有名な、奉安形式としての一尊四士像は、すでに、日蓮聖人のお考えであった可能性が高いものと思います。

173愚鈍凡夫:2003/05/11(日) 13:54
「さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」(「三沢抄」)

三沢抄にこのように述べられているものの正体は、

「像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し、出現して、迹門を以て面と為し、本門を以て裏と為して、百界千如・一念三千其の義を尽くせり。但、理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字、竝びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず。所詮、円機有って円時無き故也」(「観心本尊抄」)
と仰せのように、像法の世に未だ誰も説いていない、「本門の題目」と「本門の本尊」、
そして、「本門の戒壇」を加えた、三つの秘法だと言うことは、異論がないと思います。

この「本門の本尊」に「一尊四士」の意義が含まれていることは、川蝉さん、問答迷人さんが仰っています。

故に、「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」との「本門の本尊」とは、
「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し」(「観心本尊抄」)

この意義と構図を持つ本尊の総称と言うことではないでしょうか。

確かに、自分が信じていた本尊こそがナンバーワンだと思うのは、無理のないことです。でも、御本尊の意義からもう一度、捉え直す必要があるように思います。
日蓮聖人の置かれていた事情の中から生まれたものが最高のものなのか。それとも、事情が許せば、他の表現方法も考えられていたのか。
こういう見方も必要じゃないでしょうか。

174ガンコ:2003/05/11(日) 18:41
川蝉さん、問答名人さん

質問ばかりで恐縮ですが、まず
>一尊四士の、中央釈尊に妙法五字や多宝仏、諸仏を接し

とは、大曼荼羅信仰者のわたくしには、はなはだ奇怪に見えます。法華取要抄に「・・・この多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。」とありますから、仰せのごとく中央釈尊に多宝仏をはじめとして三世十方のあらゆる仏が摂せられるということになりましょう。しかしながら、ここに妙法五字が含まれるのはなにゆえでありましょうか?

>以上、本尊抄、値難事、取要抄、報恩抄の対比から、「本門の本尊」に「一尊四士」の意義が含まれていることが判ります

もはや難しすぎてよくわからないのですが、本尊抄と報恩抄の該当部分を対比しますと、塔中の妙法蓮華経=本門の教主釈尊と読めますがいかがでしょうか?

そうしますと、一尊四士の中央釈尊に妙法五字を接するのではなく、釈尊と妙法は一体である、いわゆる人法体一ということになりはしないでしょうか?

175ガンコ:2003/05/11(日) 18:49

愚鈍凡夫さん

>確かに、自分が信じていた本尊こそがナンバーワンだと思うのは、無理のないことです。

確かにおっしゃるとおりです。
ですから、考えるにあたって、常に自戒しているつもりですが、どうしても自己都合的というか恣意的というか、手前味噌の考えに陥ってしまいがちのところがあります。
どうぞ、遠慮なくどんどん指摘してください。

176川蝉:2003/05/12(月) 11:47
ガンコさんへ。

>中央釈尊に多宝仏をはじめとして三世十方のあらゆる仏が摂せら
>れるということになりましょう。しかしながら、ここに妙法五字
>が含まれるのはなにゆえでありましょうか?

妙法は釈尊の証悟の実質ですし、釈尊の所説です。能証・能説の釈尊に接することが出来ましょう。

>一尊四士の中央釈尊に妙法五字を接するのではなく、釈尊と妙法
>は一体である、いわゆる人法体一ということになりはしないでし
>ょうか?

妙法五字は釈尊の証悟の内容であり教法です。釈尊をその内証・教法で表せば妙法五字といえますね。

>塔中の妙法蓮華経=本門の教主釈尊と読めますがいかがでしょう
>か?

「一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」
観心本尊に「その本尊の為体・・」と霊山虚空会の光景をもって釈尊(の身土・証悟の世界)を表してるのと同じに、「所謂宝塔の内の・・」は、大曼荼羅の構成を略して書き上げていると解釈し、「本門の教主釈尊を本尊とすべし。それは大曼荼羅で表すのである」との意味に受け取る事が妥当だと思います。
真蹟は有りませんが「報恩抄送状」に
「御本尊図してまいらせ候」(学会版・330頁)
とあるように、報恩抄と大曼荼羅本尊を一緒に送り届けてもいる事からも、「本門の教主釈尊を本尊とすべし。それは大曼荼羅で表すのである」と解釈するのが妥当だと思うのです。

「宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」
とあるので、釈迦、多宝、(塔)外の諸仏と四菩薩がともに脇士となると解釈する人もおりますが、その場合には、釈迦、多宝は能説仏と能証仏で、釈迦、多宝・諸仏の三仏は、共に妙法の脇士であり、上行等の四菩薩は、三仏の中の能説の教主釈尊の脇士であることになりますね。、

ちなみに、録内啓蒙には、この文の解釈に古来、四種あると、四種の解釈を紹介していますが長くなるので紹介は省きます。

177日蓮大聖人絶対主義:2003/05/12(月) 16:43
あらためてて言う、

私は「日蓮大聖人絶対主義」です。
呼称としては「日蓮大聖人」とお呼びするのが、気持ちの上でシック
リしますが、大事なことは「呼称」ではない。
ご本仏を『日蓮大聖人唯一』とシッカリ認識し、「依法不依人」を徹
底する事です。


1)「日蓮大聖人唯一」
2)「依法不依人」

学会も、宗門も1)2)を希薄にして、日顕法主。池田名誉会長に重
きを置きすぎている。仏法混乱の病根です!

日顕法主、池田名誉会長も日蓮大聖人から見れば、マチガイ多き「人師」です。

各教団は「依法不依人」を忘れていないか、戒めなくてはなりません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」を徹底しなければ謗法教団になる。


日顕法主。池田名誉会長に重きを置くは『謗法』です。

すべてのマチガイはここにあります。
日蓮大聖人の前に立ちはだかる「人師」に導かれ、信者はその口より
翻訳された仏法を聞くことになる。
裁判沙汰の「法主」や「教祖」である。大聖人の仏法が正しく伝わる
のかどうか、疑わしい。
信徒も教学を身につけ「依法不依人」を徹底し、『日蓮大聖人唯一』
を再確認しなくてはなりません。

人師にも依存せず、教学を身につけることは困難ではあるが、猊下、
僧侶とてアノ程度である。ここは孤独を覚悟して、題目を羅針盤と頼
り、大聖人のお心を求めていくしかありません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」と心して、仏意をめてゆくならば
道を間違えることはありません。

すべての教団が余念を捨て『日蓮大聖人唯一』に同意ならば、対立の
中に「接点」ができる。
日蓮を『仏』と仰ぐ教団は帰一の可能性が見いだせる。

『立宗七百五十年』各教団バラバラに行われた慶事は、大聖人の発願
の理想の姿ではない。歴史的事情や、先達の経緯によって分裂、分派
し不本意ながら今日の教団の姿になった。
過去を越えて大聖人の『原点』に戻すのも「日蓮が弟子」の使命では
ないでしょうか。「我が弟子、同心すべし!」仏意と思う。

「狭い心」に囚われるべきではない。

178問答迷人:2003/05/12(月) 16:53

日蓮大聖人絶対主義 さん

初めまして

>学会も、宗門も1)2)を希薄にして、日顕法主。池田名誉会長に重きを置きすぎている。仏法混乱の病根です!

この点は、全く同感です。

>ご本仏を『日蓮大聖人唯一』とシッカリ認識

日蓮聖人が御本仏であるとは、その根拠は何でしょうか。日蓮大聖人絶対主義さんは、何を根拠にそう考えられているのでしょうか ?

179日蓮大聖人絶対主義:2003/05/12(月) 17:16
法華経を身をもって身読された行動でしょうね。

『日蓮は法華経の行者なり』と宣言され、その通り
の生涯に魂魄迫るものを感じます。
すごい法悦の世界を感ます。

180問答迷人:2003/05/12(月) 17:26

日蓮大聖人絶対主義 さん

日蓮聖人が法華経の行者であることには、異論はありません。それでは、法華経の行者がなぜ本仏と言えるのでしょうか、お伺いいたします。

181福田里敏:2003/05/12(月) 17:29
日蓮大聖人絶対主義様
>法華経を身をもって身読された行動でしょうね。
確かに、その通りです。では、「上行の再誕」とまで、おっしゃられた大聖人が、なぜ御消息等で、御自身が「末法の御本仏」であると、一言もおっしゃられてないのでしょうか?
まさか、開目抄の主師親具備を、おっしゃるのではないでしょうね?

182ガンコ:2003/05/12(月) 18:47

川蝉さん、むむむ、難し過ぎますってば。

もっともわたくしの頭が悪いだけなのかもしれませんが・・・
このところ、能生・所生、能説・所説の関係を考えているのですが、まったく整理がついていません。いろいろご質問いたしたいところですがあんまり初歩的な質問をすると叱られそうなので、しばらく勉強いたします。
本門の教主釈尊のところも、ややこしくて頭が機能しません。大聖人の仏法は奥が深いってことですね。

183川蝉:2003/05/12(月) 19:56
182 : ガンコさんへ。
ガンコさんご免なさい。

易しく言い換えると、妙法の悟りは釈尊の心(頭)の中に元々あるものなので、釈尊に摂する(収めらる)と云う事です。

184難儀 寅吉:2003/05/12(月) 20:31
素朴な疑問をお聞きください、。日蓮サンの「直筆本尊を直接拝まなければ成仏不可」だったのでしょうか、? 鎌倉時代の当時の信者の殆どは「お題目」しか知らなかったのでは、、?
 初信〜強信につれて「直筆本尊への渇仰」〜「強信者への本尊下付」〜「何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、、ウルシ千杯に蟹の足一本、、(曾屋殿、全1056〜)」のように「成仏の要諦は、正しい本尊に、正しい修行」の必要性が考察されまするが、、?

 問題は「どれが正しい本尊で、何が正しい修行?」については、どうもイマイチわかりましえん、。宜しく、。

185成仏 絶対主義者:2003/05/12(月) 21:54
参考になります、。 「釈尊の本懐=衆生の速成就仏身(正、像時代中心)」〜「末法=別途展開(釈尊予言」)〜「久遠〜多宝への継続=インド生誕の釈尊=寿量品16〜その文底=末法の予言」〜「上行再誕生=日蓮が第一発見者か、??」〜 「はたまた第一修行者か?? 本仏か、、釈仏か? 」、。

 いかにホンモノを拝んでも「謗法ならば堕地獄とは、、?」とはキビシイ、、。 その逆「ニセ物でも”正修行”なら、どうか、、?? そして、問題の「謗法とは一体何か、、??」。 そして「日蓮サンを”本仏”と確信せねば=不成仏なのでしょうか、、??」。 「成仏の可否」に「何が??」でしょうか、、? ワシにも不可解なり、。「各人の成仏の為にも」教えて下され、、。

186日蓮大聖人絶対主義:2003/05/13(火) 00:18
>>180 問答迷人さんへ  

なーるほど、大聖人は自らを「仏」とは申されていませんね。
仏になる方途は説かれています。

そこで、富士門には日興上人の重要性がある。
常随給仕された師弟不二の法華行者の日興上人は
日蓮大聖人の捨身ぐ法の振る舞いに、仏を覚知された。

リアルタイム、ライブ体験の迫力ですね。失礼

浅薄ながらそう感じております。

187問答迷人:2003/05/13(火) 05:45

日蓮大聖人絶対主義さん

>常随給仕された師弟不二の法華行者の日興上人は日蓮大聖人の捨身ぐ法の振る舞いに、仏を覚知された。

そうですか? 日興上人が、日蓮聖人が本仏だと仰ったのでしょうか? それは、いつ、どのような形で仰ったのでしょうか。文証がありますでしょうか。

188愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 06:42
横から割り込みゴメン。

大聖人絶対主義さん、始めまして。

「日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候を捨てて、阿弥陀を憑み奉るによつて五逆罪の人と成りて、無間地獄に堕すべきなりと申す法門にて候わずや、何を以つて聖人を信仰し進らせたりとは知るべく候。」(「原殿御返事」)
こういう文証が残っていますよ。

「日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候」云々。
とあることから、御本仏との認識はなかったようです。

189ガンコ:2003/05/13(火) 12:48
川蝉さん、どうもご丁寧にありがとうございました。今後ともよろしくおねがいします。


さて、またまた新しい人がお見えのようですが、日蓮本仏論者受難の掲示板においでになるとは、なかなか勇気のある方のようです。しかし、わたくしもそうですが、大聖人を本仏と仰ぐことは、ある意味、究極の結論みたいなもので、なんとなくそれに安心してしまって研鑽を怠っているフシがあります。自戒しなければなりません。

原殿御返事は宗門上代の第一級史料とされ、身延離山における日興上人の正当性を裏付ける文献とも言われているかと思うのですが、なんと皮肉にも教義上は大石寺にとって不利な文証になっている、という風にこの掲示板では議論されてきたような印象があります。
しかし、ずいぶん意地悪な読み方をするものだなあ、というのがわたくしの感想です。
あ、だめだめ、質問しちゃ。

190リアルタイム、ライブ体験をされた方の確信:2003/05/13(火) 16:39
大聖人は自らを「仏」とは申されていませんね。
仏になる方途は説かれています。確かに。

日興上人には日蓮大聖人『絶対』の確信はお有りだったと思います。
リアルタイム、ライブ体験をされた方の確信は余人には計り知れぬもの
があろうと思います。その師弟愛、信頼関係は書面で知るしかありませんが、
その『尊敬の念』それが仏の概念であったかどうか不明ですが、その法華経
を行ずる大聖人の魂魄に究極の法悦の共感を感じられた。

まさか、末法が釈迦滅後三千年のその限度末に迫り、大聖人も日興上人も共
通の認識を持っておられたアノ時代に釈迦如来を継続して仏とするのには無
理がある。

当時の差し迫った末法世情を勘案して考えるに大聖人に対する師弟観は
日蓮大聖人『絶対』の確信を覚知しておられた。
それがご本仏と言葉で形容したかどうかは別として。

191「我は仏」と名乗るよりも、:2003/05/13(火) 16:53
法華経を身読した供行の信頼は『仏』と言葉で言わなくても至極の
モノがあった。
釈迦滅後三千年のその限度末に、自ら仏と名乗らなくとも
その危機感、使命感は出家者として「我は仏」と名乗るよりも、まず、
行動だったのでしょう。法華経の「仏行」によって示された。

192ガンコ:2003/05/13(火) 18:01

釈迦滅後三千年というのは?

193問答迷人:2003/05/13(火) 19:45

190 

>大聖人も日興上人も共通の認識を持っておられたアノ時代に釈迦如来を継続して仏とするのには無理がある。

日蓮聖人も日興上人も法華経の行者だと言いながら、その法華経の説法を無視して、反対のことを宣伝されるのは、どういう理由によるのでしょうか。お伺いいたします。

法華経には、「諸の善男子、我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり。然るに今、実の滅度に非ざれども、而も便ち、唱えて当に滅度を取るべしと言う。」と述べられ、本門の教主釈尊の娑婆世界に於ける常住の説法を説かれています。なぜ、日蓮聖人、日興上人がそれらの釈尊の説法を無視したり、覆したりする事があり得るでしょうか。そんなの、変じゃないですかね。

194日蓮大聖人絶対主義:2003/05/13(火) 21:55
>釈尊の説法を無視したり、覆したりする事があり得るでしょうか。

まあ、『釈尊は仏』の時代の消滅期であったでしょうから、無視し
たり、覆したりはなかったでしょう。アノ時代、旧時代の仏法が効
力失うと知っていても、「仏教の経主」である釈尊は急に捨て切れ
るモノでない。

『末法』は相当深刻な混乱であったのではないでしょうか。

その末法の時代に。大聖人も『佐後』の境地に大きな変貌を遂げられた。
あのころに、「仏の自覚」に変わられたのではないか、と
私は勝手に感じています。文証も何もありませんが、

私の能力ではうまく説明できません。『密』の世界です。

195愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 23:05
194 日蓮大聖人絶対主義へ

「文証無き者は悉く是れ邪の謂い、彼の外道に同じ」(「法華玄義卷第二下」)

「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ。誠文を仰信して、偽会を信ずること莫れ」(「法華秀句 無問自説果分勝三」)

この二つは日蓮聖人がよく引用される文証です。日蓮大聖人絶対主義さんも幾度も見かけたと思います。
自説の正当性を証明したいなら、真蹟遺文から自説を証明する文証を探すべきです。

「設い自義為りと雖も有文有義ならば何の科あらん」(「大夫志殿御返事」 学会版P1103)

この文証を忘れてはならないのではありませんか。

196愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 23:09
>194 日蓮大聖人絶対主義へ

>194 日蓮大聖人絶対祝儀さんへ
でした。失礼。

197愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 23:14
>194 日蓮大聖人絶対主義さんへでした。

二度も間違えると、説得力なくなりますね。

198愚鈍凡夫:2003/05/13(火) 23:15
>194 日蓮大聖人絶対主義さんへでした。

二度も間違えると、説得力なくなりますね。

199「人師」に惑わされるな!:2003/05/14(水) 16:23
私には解りません。
大聖人のおおせの通りただ余念なく南無妙法蓮華経しか、私には解りません。
それだけです。自然と仏を感じます。


「人師」にも依存せず、親近するべき良き師にも恵まれずに、教学を
身につけることは苦労ではあるが、出家者の猊下、僧侶とてアノ程度
である。ここは孤独を覚悟して、題目を羅針盤と頼り、大聖人のお心
を求めていくしかありません。
もしかしたら、信者の成仏を障害していたのは、教団に巣くい、大聖
人の仏法を「飲食の糧」とする「人師」たちだったのかもしれません。

「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」と心して、余念無くお題目を唱え
てゆくならば、「自然に仏界に至る」と申されています。道を間違え
ることはありません。

すべての教団が「余念」を捨て『日蓮大聖人唯一』に同意ならば、対
立の中にも、理解し合える「接点」が出来る。
日蓮大聖人を『仏』と仰ぐ教団は「帰一」の可能性が見いだせる。

もっとも、教団自体が「余念」の惑の中にある。
現実は「教団経営」が優先され「帰一」は遠い。
「『飲食』の中に『道心』なし、『道心』の中に『飲食』備わる」
大聖人の仏法で身を養う「人師」達の存在は、毒にも薬にもなる。
信徒に号令する「折伏」は、客の奪い合いが本当の姿だろう。狙うは
信者の「財布」だ。

『立宗七百五十年』各教団バラバラに行われた慶事は、大聖人の発願
の理想の姿ではない。歴史的事情や、先達の経緯によって分裂、分派
し不本意ながら今日の教団の姿になった。
過去を越えて、立宗の『原点』に戻すのも「日蓮が弟子」の使命では
ないでしょうか。「我が弟子、同心すべし!」仏意と思うのだが。

「人師」に惑わされるな!

200福田里敏:2003/05/14(水) 16:33
「人師」に惑わされるな!様
>>日蓮大聖人を『仏』と仰ぐ教団
の、仏とは、自受用法身如来=御本仏という意味でしょうか?
>>自然と仏を感じます。
どのように、感じられましたか?

201 福田里敏 さんへ:2003/05/14(水) 16:42
文字で表せと・・・・

202福田里敏:2003/05/14(水) 16:45
無理ですか!ところで、繰り返しますが、仏とは、自受用法身如来=御本仏という意味でしょうか?

203福田里敏 さんへ:2003/05/14(水) 17:30
自受用法身如来=ご本尊「南無妙法蓮華経」=日蓮大聖人の魂魄
うまく表現出来ません。

ただ、ただ、大聖人を恋慕して唱えています。

204通りすがり:2003/05/14(水) 22:06
「依法不依“人”」ということは「日蓮大聖“人”にも依らず」でなければいみはないわけでしょう。大聖人は“人”であるわけですから。
けれど、大聖人に依らないとなると日蓮信者とはならないじゃないかということになるでしょうか。このときに小生は以下の書を思い出すわけです。

「依法不依人御書」
 依法不依人の仏の誓戒をそむいて人によりぬる失のいたすところなり。
 問うて云はく 人に依る失ならばなんぞなんぢは天台・妙楽・伝教大師に依るや。答へて云はく あえて天台・妙楽・伝教大師を用ひず。但天台・妙楽・伝教大師の引き給へる証文によるなり

つまり、大聖人自ら「但天台・妙楽・伝教大師の引き給へる証文による」というわけですから、これを大聖人に換言すれば「日蓮大聖人の引き給へる証文による」ということになるわけでしょう。

日蓮大聖人に依るのではなく、日蓮大聖人の引き給へる証文によるのが依法不依人ということでしょうね。

あと、自受用法身如来、本仏などの書き込みが見られますが、こちらの過去の優秀な書き込みがぜんぜん反映されていなくて残念ですね。

205日蓮大聖人唯一主義:2003/05/14(水) 22:12
まあ、日興上人から見られた大聖人観は仏だったのでは。私はソノ想いに
同感でス。日蓮大聖人唯一主義に同意です。

206質問:2003/05/14(水) 22:16
末法の仏はいるの、いないの?

207福田里敏:2003/05/14(水) 22:20
末法に仏。成仏という意味なら、仏は居るとなるでしょう。ただ、自受用法身如来のような、絶対的な存在の仏は、居ません。大石寺を絶対化するために体系づけられたものです。

208ガンコ:2003/05/15(木) 00:17

自受用報身じゃなかったかしら? もっともわたくし、報中論三ってよく存じませんので、偉そうなこと書けませんけど・・・

209問答迷人:2003/05/15(木) 08:01

日蓮大聖人唯一主義さん

>まあ、日興上人から見られた大聖人観は仏だったのでは。私はソノ想いに同感でス。日蓮大聖人唯一主義に同意です。

信仰は自由ですから、何をどう信じようとも、それは自由ですね。ただ、日興上人が日蓮聖人を仏、或いは本仏と捉えていたと主張されるなら、その根拠を示すべきであろうと思います。大石寺は、それを主張していますね、そして、文献的証拠を示しています。それが正当な文証であるか否かは別として。

勿論、僕は、大石寺の示す文証、いわゆる相伝書の類が、悉く、時代写しもなく、しかも、他山から大石寺に持ってきた物であり、上代に引用例もなく、内容的にも、室町期以降の天台本覚思想の焼き直しに過ぎないものと考えていますので、とても、文証とは言えない代物だと考えています。例えば、二箇相承書、百六箇抄、本因妙抄、産湯相承書、御義口伝、それに、総勧文抄や、当体義抄等の最蓮坊に与えられたとされる御書群。いずれも、真跡も時代写本も、上代の引用例もありませんね。

210福田里敏:2003/05/15(木) 08:03
ガンコさん ありがとうございました。
間違えていました。自受用報身でした。

211ジャージルーカス:2003/05/15(木) 13:32
そもそも、大聖人の法門自体が、中古天台の影響をたくさん受けていると考えます。
大聖人の叡山の系譜チャートを見ると、中古天台恵心流の系統です。
中古天台には、天台本仏など大聖人以前から存在しておりまして、その影響をたくさん
受けている可能性は伺えます。

中古天台には「修善寺口決」等、口伝相伝がたくさんあります。
大聖人は、自身は中古天台の影響を受けながら、あえて伝教の文証を
切り文的に飲用している傾向があります。
大聖人本仏思想は、中古天台の流れから、自然に到達する法門だったとも
言えるんでは無いでしょうか。

212ジャージルーカス:2003/05/15(木) 13:33
>211
飲用は引用の誤りです。

213ガンコ:2003/05/15(木) 18:29

>大聖人本仏思想は、・・・自然に到達する法門

す、すばらしい。(尊敬)

214愚鈍凡夫:2003/05/15(木) 19:59
中古天台教学の影響下にあった日有師、日寛師が「日蓮本仏論」に走ったのは無理ないと思いますよ。
これによって富士派の存在意義を獲得できたわけですから。
戦後、日蓮正宗が「戒壇之本尊」をウリにして大博打を打てたのも、「日蓮本仏論」のおかげですから。
偽書であろうが、何であろうが、自宗に有利なものは何でも利用する。
ある面、企業の生き残り戦略を彷彿とさせますね。

215福田里敏:2003/05/15(木) 20:58
ところで、真筆の無い御書の写本は、写本の際に「言葉を付け足した」という事は考えられませんか?皆様の考えを、よろしければ、お聞かせ下さい。

216ジャージルーカス:2003/05/15(木) 21:10
ガンコさん

鎌倉時代には既に、天台本覚思想が成立してましたから、これらの影響が
大聖人のみ無かったと考える方が無理があるように感じます。
そして、天台本覚思想の行き着くところは、本仏論だったと思います。

さて元々本覚思想では「理に合う文証は、全て使用する」原則があります。
大聖人も聖徳太子の未来記等、当時既に「偽書」扱いのものも多々、
使用してますしね。
大聖人は理に合わないものは、偽書として排斥するが、理に合っている
偽書は排斥しない用い方をしておられたようです。
もし、大聖人が仏様でないなら、自分勝手な引用者と言う事にもなろうかと
思いますが、石山では仏様ですから、このような引用にも違和感を感じない
わけでして(笑)。

217成仏 絶対獲得願望者:2003/05/15(木) 22:46
ゴメン:( 鎌倉時代には「天台本覚」の影響大で「本仏論」が既成立である)というのは、初耳です、、。 なにゆえに「御主張」されまするのでしょうか、、?? 何か文献は御座いますか、、?? 所詮=本仏論も「気=密=真言的」か、、?? ゴメン、。

218川蝉:2003/05/16(金) 12:18
211 : ジャージルーカス さん今日は。

>中古天台には、天台本仏など大聖人以前から存在しておりまし
>て、その影響をたくさん受けている可能性は伺えます。

尊舜(1451−1514)の「止観見聞」に
「(天台)智者の二字即ち是れ教主なり。智者の二字は仏徳に全同なり。即ち此を以て、三身中の自受用(報)身と為す。而して止観の教主と云うなり」(大日本仏教全書・摩訶止観見聞添註・22頁)
と、天台大師を自受用身と見ています。
天台大師を仏と見ていますが本仏(根本仏)とまでは見ていないようです。
また、尊舜は祖滅169年後生まれです。
「天台本仏」を説いている宗祖以前の文献が有るのでしょうか?。教えてください。

219ガンコ:2003/05/16(金) 14:11

川蝉さん、どうもです。

またまた初歩的な質問で恐縮ですが、正宗では大聖人を久遠元初の自受用報身如来としています。そして、それがすなわち末法の御本仏であると。

上のお話ですと、自受用身はイコール本仏ではない、ということなのでしょうか?

220通りすがり:2003/05/16(金) 14:11
本覚思想は空海に始まるというのであって、それはすでに平安朝からあったのでしょう。
けれど、それが直ちに天台本仏なんか意味しませんよ。
ここで、既に論考されてきたわけじゃないですか。
本覚思想の中で、中古天台本覚思想恵心流口伝法門で天台本仏が言われ、それを単に日蓮本仏にスライドしたのが日寛教学なわけでしょう。日寛上人は天台の学者でもあったから「こりゃ、使える」とパクッたって言ったって言い過ぎじゃない。
(少し大雑把かもしれませんが)
もともと、天台本仏といっていたものを日蓮本仏と言い換えて強がったことは、ぼくはガンコさんが言うような尊敬に値することとは思いませんね。
だって、ただの猿真似でしょう。

221川蝉:2003/05/16(金) 15:12
219 : ガンコ さんへ。
>自受用身はイコール本仏ではない、ということなのでしょうか?

「仏教語大辞典」にも、「内心の智恵が明らかで、常に真理を照らし、自らその楽を楽しむ仏身をいう。」と説明しています。
仏はいずれも自受用身と云う面を持っているわけですから、自受用身はイコール本仏と云えないのです。

同じ解説ですが「模範仏教辞典」には、
「因位(修業時代)に於ける無量の願行(願望と之を達成しんがための努力精進の行業)に報いて顕れた万徳円満の仏身を云う。
普通には報身を分って、自己のみの証悟の法悦を味わって他とともにせざるを自受用報身と云い、其の身を示現して衆生済度の作用をなす他受用報身と云う」
と説明しています。

「日蓮正宗教学小辞典」に
「自受用身とは仏自身の働きによって、一切の衆生を救うために、みずから出現された仏をいう」
と説明していますが、これでは他受用報身か応身の説明になってしまうのではないですかね。自受用報身の本来の語意と違った説明ですね。

222通りすがり:2003/05/16(金) 16:13
大石寺は他受用身との関係で、自受用身を見ないんですよね。
「自らほしいままに受け用いる身」という口伝を重視する立場。
だから、川蝉さんが引いた日蓮正宗教学小辞典みたいな説明になっちゃう。
正しいわけもありませんよね。

223ガンコ:2003/05/16(金) 16:40

川蝉さん、早速のご教示ありがとうございました。

御義口伝などの御相伝書と、御書全体でもほとんど拝見できない「自受用身」ですが、川蝉さんのお立場ではやはりこれらを偽書と見られるのでしょうか?

224ジャージルーカス:2003/05/17(土) 02:10
> 本覚思想の中で、中古天台本覚思想恵心流口伝法門で天台本仏が言われ、

仰るとおりだと思いますよ。
では中古天台恵心流は何時からあったかと言えば、大聖人以前です。
大聖人の叡山でのチャート表を見ると、恵心流の末です。
そして、その恵心流に「天台本仏」の口伝法門がある。
明らかに影響を受けなかったと考える方が不自然でしょう。

もっとも口伝法門である以上、その始まりを断定するのは難しいですが、
恵心流では伝として、最初からあると主張しているのですから、それを
否定する根拠が無ければ、少なくとも恵心流発祥からあったと考えるのが
通常だと考えますが・・・。

225問答迷人:2003/05/17(土) 06:02

ジャージルーカス さん

うーん。それは違うのでは。仰ることは、その通りかも知れませんが、問題は、日蓮聖人の真跡に、中古天台本覚思想が見られない事とです。その理由は、聖人は意図的に本覚思想を排除しておられたと考えるしかないと思いますよ。天台に戻れ、そして、法華経に戻れ、それが聖人の御主張であったと考えています。

226川蝉:2003/05/17(土) 10:12
224 : ジャージルーカス さんへ。
研究者によると、
《 恵心流の祖の源信の作と伝える本覚思想文献は多数あるものの、それらは後世の成立であり、源信の確実なる文献である「往生要集」や「一乗要決」の中、「往生要集」に一箇所本覚の語が見えるが、理の一元論をそのまま事相に当てはめ、事の一元論(事常住)と云う中古天台の思想までには成っていない》
そうです。(岩波書店・日本思想体系・天台本覚論・517頁参照)
その後、本覚思想は進展していったわけですが、岩波書店・日本思想体系「天台本覚論」に収録されている第一次的形態本覚思想文献より第五次的本覚思想文献(鎌倉末期1300〜南北朝1350)までの、代表的な文献を九種収録していますが、さつと見たところ天台仏思想は見られないようですよ。
天台本仏思想が「少なくとも恵心流発祥からあったと考えるのが
通常だと考えますが・・・。」とは言い得ないのでは。

ジャージルーカス さんが、「天台本仏など大聖人以前から存在しておりまして、」と書かれていたので、どういう文献が有るのか知りたいと思ってお尋ねしたのですが。

227川蝉:2003/05/17(土) 10:38
223 : ガンコ さんへ。
>川蝉さんのお立場ではやはりこれらを偽書と見られるのでしょう
>か?

一例を挙げると、「御義口伝」の「寿量品の第二十三久遠の事」には、祖滅169年に生まれたの尊舜の「文句略大綱私見聞」にある「久遠の文点を久遠(もとのまま)とも久遠(つくろはず)とも読むなり」(文句略大綱私見聞・日本仏教全書159頁)と同じ文があります。
中古天台の本覚思想や文献が強く混入しているので、「御義口伝」は、正確な相伝書とは率爾に云えないわけです。

本因妙抄・百六箇相承も宗祖の相伝書とは認識していません。

228ガンコ:2003/05/17(土) 11:05
川蝉さん、どうも。

さて、そうしますと、真言天台勝劣事に自受用身ないし自受用報身との仰せを拝しますが、にわか勉強なので他にあったかどうかわかりませんが、この御書もあやしいのでしょうか?

229愚鈍凡夫:2003/05/17(土) 12:51
「願わくば日本国の道俗選択集の久習を捨てて法華涅槃の現文に依り肇公慧心の日本記を恃みて法華修行の安心を企てよ」(「守護国家論」 学会版P71)

このように一時期、中古天台を好意的に見ていた時機があったように思いますが、「撰時抄」では慧心を徹底的に破折しています。
「守護国家論」を述作した1258(正嘉2)年から「撰時抄」を述作した1275(建治1)年の間に、御自身の教学に大きな変化があったのではないでしょうか。

それは、三災七難の有様を目の当たりにしたことと、
「而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後。(而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや)」(「妙法蓮華經法師品第十」)
この文証を身で読まれたことが大きな要因だと思います。

「慧心先徳にすぎさせ給へる天台真言の智者は末代にをはすべきか彼の往生要集には顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず、又三論の永観が十因等をみよされば法華真言等をすてて一向に念仏せば十即十生百即百生とすすめければ、叡山東寺園城七寺等始めは諍論するやうなれども、往生要集の序の詞道理かとみへければ顕真座主落ちさせ給いて法然が弟子となる」(「撰時抄」 学会版P274)

このように顕密の教法を否定し、東密の軍門に下った台密を破折しています。
密教の影響を受けつつも、本覚思想を中心に展開される中古天台を否定的に捉えていたのではありませんか。

230愚鈍凡夫:2003/05/17(土) 13:38
訂正 229

>「守護国家論」を述作した1258(正嘉2)年から「撰時抄」を述作した1275(建治1)年の間に、御自身の教学に大きな変化があったのではないでしょうか。

「守護国家論」の述作は1259(正元1)年でした。
悪しからず。

231川蝉:2003/05/17(土) 14:55
228 : ガンコ さんへ。

自受用身ないし自受用報身と云う語句があるから偽書だというのではありません。
自受用身は荘厳経論四巻にあるそうですし、成唯識論巻第十に有ります。用語として宗祖以前より、遙か昔より、ある言葉です。
ゆえに、自受用身ないし自受用報身と云う言葉が文中に有る故に偽書の疑い有るとは云えません。

「真言天台勝劣事」(系年・文永七年)は真蹟がありませんが、「日祐目録」にも名があって、古来真偽論は有りません。
浅井要麟師が「成立については尚考うべきである」としていますが、現在では「(浅井教授の見解は)単なる主観的な無根拠の主張である」というのが、身延山大・立正大の研究者の見解です。

232ガンコ:2003/05/17(土) 16:34

川蝉さん、ありがとうございました。

大石寺版御書の目次を見ておりまして、この真言天台勝劣事は真蹟所在・古写本ともに空欄になっているので、やっぱり偽書なのかなあと、勝手に思い込んでしまいました。
どうもわたくしのようなシロウトは、真蹟の有無を安易な指標にしてしまう傾向があって、これは気を付けなければならないと思いました。

233事実イノチ:2003/05/18(日) 13:51
過去のログから検索すると、の独歩さんの以下のような調査結果が載っていました。

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(2002/03/31(日) 20:25投稿)

○「自受用」で検索すると

【天台】
摩訶止観 0
法華文句 0
法華玄義 0

【釈三大】
止観弘決 1
文句記_ 3
玄義釋籤 1

【その他】
五百問論 9
戒疏明曠 9

【日蓮】
真蹟__ 0
註法華経 0
真偽未決 43

という結果になります。妙楽釈上で、当然、見られる語彙ですが、聖人は真蹟中で、その使用が見られません。

興味深いのは伝統的な台学81資料中、「自受用報身如来」は一箇所も使用がなく、真蹟にもなく、真偽未決でも百六箇抄に1、本因妙抄に1、産湯相承に1の使用を見るばかりです。

↑以上引用
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身延・立正がどういっているかよりこの検索結果のほうが説得力があります。
真言天台勝劣事にも自受用の使用があります。

同じく独歩さんは「久遠元初自受用報身如来、無作三身、一身即三身」という語彙が真跡中にまったく見られないと指摘(2002/06/04(火) 11:13投稿)
また、いまここで再度、話題となっている「本覚」についても、検索調査を実施していました。さらに「無作」「無作三身」「三身即一身・一身即三身」「本因妙」についても調査されています。

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(2002/02/23(土) 14:20投稿)

聖人の御妙判(御書)と言われて来たものは平成新編の掲載では501。内訳は真蹟(含曽存)257、真偽未決244となっています。ほぼ5割が未決書ということになります。

【無作】 真蹟:未決=0:96
【本覚】 真蹟:未決=1:75

となっています。この対比を見て、どのようにお感じになられるかはロムの方の判断に任せますが、私は、もはや、これだけでも一目瞭然ではないのかと思うところがあります。ただし、聖人が本覚思想に触れていないのかと言っているわけではありません。聖人はご自身の確信によって言葉と教えを選ばれたという考えを支持しているわけです。

なお、無作三身、三身即一身・一身即三身は、ともに真蹟0:未決3で、本因妙は真蹟0:未決27となっています。

↑以上、引用
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一点、補足を行えば、上述のなか「本覚」の使用は『八宗違目抄』(文永9年(1272)2月18日51歳)における
「『蓮華三昧経』に云く「本覚心 法身常に妙法の心蓮台に住して 本より来三身の徳を具足し 三十七尊 金剛界の三十七尊なり 心城に住したまへるを帰命したてまつる 心王大日遍照尊 心数恒沙 諸の如来も普門塵数 諸の三昧 因果を遠離して法然として具す 無辺の徳海本より円満 還って我心の諸仏を頂礼す」

という引用を指すと思われます。

234川蝉:2003/05/18(日) 17:45
233 : 事実イノチ さんへ。
自受用の検索の再掲載参考になりました。

云うまでもなく、宗祖の寿量仏身観は三身具足の無始の古仏ですから、正宗のように、「久遠元初の自受用報身如来」と云って、一身に限って、三身具足の無始の古仏を表すことは無いだろうと思っています。

ガンコさんが私に質問された意趣は「自受用身ないし自受用報身の語句がある法華真言勝劣事は偽書か?」と云うことですので、
自受用身と云う語句は古くから通用している一般的言葉なので、その言葉があるからといって、すぐと偽書の疑い有るとは云えない旨を答え、「真言天台勝劣事」は真蹟は存在しないが「日祐目録」にもその名が有るので、真蹟扱いされていると述べたのです。

「大乗法苑義林章巻第七之本」の三身を説明する部分に「自受用身」に言及しているように、古からある語句ですし、
日向上人の「金綱集第六(真言見聞集)」の「四身事についての説明する項に
「受用身とは二種有り。一は自受用身。二は他受用身」
といって説明をしていますので、師の宗祖も必要があれば、自受用身の説明を弟子達に説明していたろうと思います。

「報身」の語句を使えば充分なので、宗祖はあえて自受用身・他受用身と云う語句を使う必要がなかったので真蹟存御書には使用例が見えないのだろう思います。
「真言天台勝劣事」では必要上、あえて自受用身と云う語句を使用されたのであろうと推測します。

235愚鈍凡夫:2003/05/18(日) 23:19
天台大師は法華経寿量品について、こう述べています。
「此品詮量通明三身。若從別意正在報身。(此の品の詮量は通じて三身を明かす、若し別意に従わば、正しく報身に在り)」(「法華文句卷九下」)

報身を重視していたようですね。

更に法華玄義では、
「境妙究竟顯名毘盧遮那。智妙究竟滿名盧舎那。行妙究竟滿名釋迦牟尼。三佛不一異不縱横。故名妙果。(境妙究竟を顕すを名づけて毘盧遮那。智妙究竟満つるを名づけて盧舎那。行妙究竟満つるを名づけて釈迦牟尼。三仏一にして異ならず、縦横ならず。故に妙果と名づく)」(「法華玄義卷第六上」)

とあり、三身(順に法身、報身、応身)即一身が述べられています。
三身論は、天台本仏論、日蓮本仏論を支える理論じゃなくて、
いわば、釈迦牟尼仏本仏論(本門の釈尊)を支える理論と言えませんか。

236ガンコ:2003/05/19(月) 12:17

いよいよハイレベルの議論に突入してまいりました。もう、わたくしの出る幕ではありませんが、世の中にはわたくし程度の人間もたくさんいるでしょうから、その代弁者のつもりで参加させていただきたいと思います。

愚鈍凡夫さんがひとつ前にお書きになっていらした、守護国家論と撰時抄の対比における大聖人の思想変化について、わたくしは非常に悩みました。
大聖人ほどの御方がどうしたことか、まるで、これでは自語相違ではないか? という疑問です。

「此の序の意は慧心先徳も法華・真言等を破するに非ず。但偏に我等頑魯の者の機に当たりて法華・真言は聞き難く行じ難きが故に、我が身鈍根なるが故なり。
敢へて法体を嫌ふには非ず。」(守護国家論)

ところが撰時抄において、

「法然が念仏宗のはやりて一国を失はんとする因縁は慧心の往生要集の序よりはじまれり。師子の身の中の虫の師子を食らふと、仏の記し給ふはまことなるかなや。」
「日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となづく。又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。」

これをどのように拝するか? 経年変化のごとく考えるのは御本仏様に失礼というのがわたくしの立場ですし、また、守護国家論の全体的な印象からして後年慧心に対してここまで仰せられるとは考えにくいのです。

「当に知るべし、慧心の意は往生要集を造りて末代の愚機を調へて法華経に入れんが為なり。例せば仏の四十余年の経を以て権機を調へ法華経に入れたまふが如し。故に最後に一乗要決を造る。」
「故に慧心の一乗要決に云はく『日本一州円機純一にして、朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賎悉く成仏を期す』已上。」

これらの御文は、次の開目抄と何ら矛盾しないことに注目すべきです。

「慧心の云はく『日本一州円機純一なり』等云々。道綽と伝教と法然と慧心と、いづれ此を信ずべしや。」

つまり撰時抄の御意は、慧心の本懐は一乗要決にある、それを往生要集にあるというのは間違いであるがどうしてもそう言い張るのであればもはや慧心を間違っていると言わざる得ない。さらに撰時抄の題号から元意を拝するならば、今はもう末法なのだから南無妙法蓮華経以外はぜーんぶダメ、ってことなのではないでしょうか? (また乱暴な結論になってしもうた)

237福田里敏:2003/05/19(月) 12:35
ガンコさんへ
佐前・佐後で考えられては、いかがでしょうか?法門の捉え方は、大聖人、御自身、変わられています。御本尊自体が、釈迦像から、紙幅本尊へと、変わっていますから。

238豊穣:2003/05/19(月) 12:47
>御本尊自体が、釈迦像から、紙幅本尊
変わってないでしょう。
忘持経事を見たって、身延に入ってからでも釈迦一体像を安置しているんだから。
ただ、曼荼羅加わったに過ぎないんでしょう。

239豊穣:2003/05/19(月) 12:51
愚鈍凡夫さんの、文句の三身が三身即一身と即断するのは納得できない。
玄義の三仏を三身のように取り扱うのも納得できない。
しかし、釈迦本仏の説明というのはわかる気がする。

240福田里敏:2003/05/19(月) 13:49
豊穣さんへ
釈迦像を安置していてる=本尊として拝しているとはなりません。本尊に限っていえば、本尊抄が、一番ではないでしょうか?また、この抄の真筆自体、怪しいですね。

241川蝉:2003/05/19(月) 14:43
235 : 愚鈍凡夫 さんへ。

>三身論は、天台本仏論、日蓮本仏論を支える理論じゃなくて、
>いわば、釈迦牟尼仏本仏論(本門の釈尊)を支える理論と言えません>か。

その通りだと思います。

>報身を重視していたようですね。
云われる通り、「三身即一正在報身」と云うことになっていますね。
ただし、什門では「報身・応身の顕本」(開目抄・学会版198頁)とあり、また常説法教化の仏であることから「応身顕本(応身中心の三身仏)」としています。

「宗全第一巻」にある直弟の中山日常上人の「観心本尊抄私見聞」にも、
「法華経の心は三身即一の応身也。その故は滅不滅を論ずる故なり」(156頁)とあり、応身中心の三身仏と見る考えも古来からあります。(中山三代日祐より更に後人の作とも云われていますが、望月歓厚師が日蓮宗学説史で、もし後人の作としても常師の教学を推断できるものだと云っているので、応身中心の三身仏と見る見解が宗門上古に有ったことが伺われます)

「報身・応身の顕本」(開目抄)とあるので、視点の置き方で、報身中心とも応身中心とも言い得るのだろうと思います。

宗祖は、寿量品の釈尊を
「寿量品の仏」(開目抄・215頁)
「久成の三身(応身・報身・法身ー無始無終)」(一代五時鶏図・632頁)
「法華経本門久成の釈尊」(曽谷入道殿許御書・1030頁) 
「本地久成の円仏」(守護国家論・72頁)
「五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏」(本尊抄・247頁)
等と表現しています。

寿量品の仏を表現する場合、「久成」「三身具足」」「無始の古仏」とうの概念を明示するだろうと思うのです。
(文句寿量品釈に、仏は三世に於いて等しく三身あり、諸経の中に於いて之を秘めて伝えたまわずとあり、また愚鈍凡夫 さん提示の玄義の不縦不横の三身の概念は、無始の概念と共に、寿量品の仏の重要概念だと云えます)

上のような想いが有って
「久遠元初の自受用報身如来」と云って、一身に限って、三身具足の無始の古仏を表すことは無いだろうと思っています。」
と書いたわけです。

242ガンコ:2003/05/19(月) 17:59

福田里敏さん、ご丁寧にどうもです。

佐前・佐後ということは当然あると思うんですが、そして守護国家論と撰時抄では相当に年月の隔たりがあるからそうとも言えるでしょうが、しかし開目抄と撰時抄では数年しか離れていませんから、前判・後判というにしてもまさか開目抄を落とすわけにもいきませんでしょうから、そういうわけであのような考えになったのです。
われわれみたいな凡夫はコロコロ変わるものですが、大聖人はそうではないと思います。立宗の時に、すでに相当のところまで御法門を詰めて居られたと思います。それを段階的に御化導あそばした、その段階の顕著な部分を佐前・佐後と分けるのでしょうけど、これはまた立場によってかなり違いがあるということなのでしょうね。

243愚鈍凡夫:2003/05/19(月) 20:25
241 川蝉さん、丁寧な御教示有り難うございます。

242 ガンコさんへ
小生は、日蓮本仏論支持者ではないので、加齢と共に法門も成熟していったと考えています。
本門の本尊・題目・戒壇の3つの秘法の概念が最初からあったのでしょうか・・・・・。
やはり、竜の口から佐渡流罪期間が大きなターニングポイントになったと思います。

「日本一州円機純一」の文証は6ヶ所存在します。「守護国家論」、「開目抄下」、「一代聖教大意」、「法華初心成仏抄(真偽未決)」、「曾谷入道殿許御書」、「南条兵衛七郎殿御書」(資料:学会版御書全集)。
法華経流布の時機を証明する依文として慧心の「一乗要決」を引用したのであって、慧心の論を信奉せよと言っているのではありません。
論旨は飽くまでも法華経流布です。

244愚鈍凡夫:2003/05/19(月) 21:27
川蝉さんへ
質問です。宜しくお願いします

先の法華玄義の文証は、

「境妙究竟顯名毘盧遮那。智妙究竟滿名盧舎那。行妙究竟滿名釋迦牟尼。三佛不一異不縱横。故名妙果。(境妙究竟を顕すを毘盧遮那と名づく。智妙究竟満つるを盧舎那と名づく。行妙究竟満つるを釈迦牟尼名づく。三仏一にして異ならず、縦横ならず。故に妙果と名づく)」(「法華玄義卷第六上」)

この読みの方が正しいでしょうか?
素人ですので、宜しくお願いします。

245みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/19(月) 21:50
> 三仏一にして異ならず

ここの訓読が間違っています。不は下にあるものを否定します。「三仏一にして異ならず」と読むなら、原文は「三仏一不異」です。
「三仏不一異」ですので、一と異の両方を否定しているのだと思われます。(つまり「三仏不一不異」(一ならず異ならず)と同じ意味。「一ならずして異なり」とも読めるが論旨上おかしいし、「不縱横」との関係上無理がある)「一・異ならず。」とでも訓ずるのでしょうかね。

246無徳:2003/05/20(火) 00:08
「境妙究竟顯名毘盧遮那。智妙究竟滿名盧舎那。行妙究竟滿名釋迦牟尼。三佛不一異不
縱横。故名妙果。」

この文を「国訳一切経」では、境妙究竟じて顕はるるを毘盧遮那と名け、智妙究竟
じて満ずるを盧舎那と名け、行妙究竟じて満ずるを釋迦牟尼と名く。と訳されてお
ります。

また、「国訳一切経」では法華玄義巻三下で「此の妙行と前の境智と一にして而も
三を論じ、三にして而も一を論ず。」としていますから、ここは「三仏は一でもあ
り、また三仏は一でもない」と訳すのが妥当かもしれません。

247顕正居士:2003/05/20(火) 01:14
妙玄六の上の文

境妙究竟顯名毘盧遮那。智妙究竟滿名盧舍那。行妙究竟滿名釋迦牟尼。
三佛不一異不縱膻。故名妙果。

「不一異」は「一にも異にもあらず」、「不一不異」と同じ。「不縱膻」は「縦にも横にも
あらず」、「不縱不膻」と同じです。

境妙究竟ジテ顯ルルヲ毘盧遮那ト名ケ。智妙究竟ジテ滿ズルヲ盧舍那ト名ケ。
行妙究竟ジテ滿ズルヲ釋迦牟尼ト名ク。三佛一異ニアラズ、縱膻ニアラズ。
故ニ妙果ト名ク。

法身、報身、応身の三の仏は一仏の三の姿ではないが、関連がないわけでない。
縦でないは三のいづれが本体ではない、横でないはおのおのばらばらでもない。

*法報応三身説と法応化三身説の対応

法身----------法身(理法身)
報身-自受用身-法身(智法身)
  -他受用身-応身(勝応身)
応身----------化身(劣応身)

妙玄六上
http://w3.cbeta.org/result/app/T33/1716_011.htm

248川蝉:2003/05/20(火) 11:17
屋上屋を重ねるようですが。

提示の「妙玄六の上の文」の訓は、
天台大師全集の訓点によると、顕正居士さんの
「境妙究竟ジテ顯ルルヲ毘盧遮那ト名ケ。智妙究竟ジテ滿ズルヲ盧舍那ト名ケ。行妙究竟ジテ滿ズルヲ釋迦牟尼ト名ク。三佛一異ニアラズ、縱膻ニアラズ。故ニ妙果ト名ク。」
と同じです。
「三佛一異ニアラズ、縱膻ニアラズ。」
の意味も顕正居士の御指摘の通りですね。

「玄義巻第七上」の「本果妙を明さば」の中に、
「三仏具足して缺減あること無く、三仏相即して一異あること無し・・円仏果成の相なり」(国訳一切経・261頁)
と云う説明もあります。
「三佛一異ニアラズ、縱膻ニアラズ。」とは、簡単に云えば、久成釈尊は、法身、報身、応身の仏格を有していると云う意味ですね。

249ガンコ:2003/05/20(火) 19:18

愚鈍凡夫さん、どうもです。

三大秘法の概念が最初からあったかどうか、これは証明のしようのないことでして、つまり本仏論者の発想ということなのかもしれませんが、まあ実際そうなんですけど、ただ御本仏かどうかは別にして、頭のいい人というのはあとさき考えて行動するものでしょうから、そんな意味で立宗の時に大聖人の御考えは相当固まってらしたと思うのです。

たまたま数日前に守護国家論を拝読しておりましたもので、しかも「日本一州円機純一」というのは結構インパクトありますから、あれ?これって他の御書でも見たような・・・といった勘が働いたのでした。

もともと、本覚も中古天台もよくわかっていませんので、愚鈍凡夫さんを批判するつもりは毛頭ございませんでした。純粋に大聖人の御意をじぶんなりに考えてみたのです。失礼しました。

250愚鈍凡夫:2003/05/20(火) 19:23
245 みかんさん、有り難うございました。

246 無徳さん、有り難うございました。

247 顕正居士さん、有り難うございました。

248 川蝉さん、有り難うございました。

小生が、訓読に一番悩んでいた箇所の指摘有り難うございます。

不縦不横とは、
「若但性徳三如來者是横。但修徳三如來者是縱。先法次報後應亦是縱。今經圓説不縱不横三如來也。(若し但だ性徳の三如来ならば是れ横、但だ修徳の三如来ならば是れ縦なり。先に法、次に報、後に応なるは、亦是れ縦なり。今経は円に不縦不横の三如来を説く也)」(「法華文句卷第九下」)

この文証に示されていることですね。

251愚鈍凡夫:2003/05/20(火) 19:35
ガンコさん、どうもです。

ただ「守護国家論」に絞って言いますと、
「当に知るべし慧心の意は往生要集を造つて末代の愚機を調えて法華経に入れんが為なり、例せば仏の四十余年の経を以て権機を調え法華経に入れ給うが如し」(「守護国家論」 学会版P54)

の文証の後に、以前引用した、

「法華経は即ち釈迦牟尼仏なり法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり」(「守護国家論」 学会版P66)

この文証があることを無視されているように感じたのでああいう発言になりました。
悪しからず。

252川蝉:2003/05/20(火) 20:52
249 : ガンコ さんへ。

>そんな意味で立宗の時に大聖人の御考えは相当固まってらしたと
>思うのです。
私もそう思っています。

守護国家論に真言経を法華と共に正法としていることや、不動愛染感見記があるので、開宗当初には、まだ真言批判が確立していなかったと云う学者もいます。
しかし、真言批判も出来ていないうちに開宗をするようないい加減な宗祖でないと思います。

守護国家論について先学が次のように解説しています。
「本書は佐渡以前の作である上、意識的に化法上(布教の手順)過時の天台を破さず、また真言経も法華涅槃と共に正法・直道・了義経・護国の法とし、鸞・綽・導の三師に大して緩やかなのは、独り法然の邪義を責めたまうことの急なる所以である。
大文第五章以下の文旨をさぐれば、涅槃経をクン拾の位(法華経の下)としており、況や真言三部経や諸経おやと意が明らかである。(大旨)」
と解説しています。
「三沢抄」に
「真言師等にも召し合わせ給はんずらむ、その時まことの大事をば申すべし、弟子等にもないない申すならば、披露して彼ら知りなんず、さらば・よもあわじと・おもいて各各にも申さざりしなり」(学会版・1489頁)
とあるように、真言宗批判や天台宗批判を、始めから詳しく披露してしまうと、真言宗や天台宗等が公場対決に乗ってこないだろうから、日蓮の真実義を教えなかったのであると云う意味ですね。
上に紹介した先学の見解は、この三沢抄に照らして妥当な見解と思います。

253みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/20(火) 22:45
いわゆる「立宗宣言」の時に、天台宗から独立した
一宗一派を立てたという意識があったと私は
思わないのですが、そのときに一宗を立てたと
思う根拠は何ですか?

254川蝉:2003/05/21(水) 09:17
253 : みかん(z8VoUpnM)さんへ。

昔から「立宗宣言」とか「開宗会」「立教開宗」等の言葉が使われていますね。
慣例に拠ってコメントの中で「開宗当初」と云う言葉を使いました。
宗祖に「天台宗から独立した一宗一派を立てたという意識があった」との意は書いていません。で、「そのときに一宗を立てたと
思う根拠は何ですか?」と問われても困るわけです。

真蹟無ですが、建治二年三月の「妙密上人女房御消息」に、
「然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず。持戒、破戒にも闕て無戒の僧、有智、無暫にもはづれたる牛羊の如くなる者也。何にしてか申し初めけん。上行菩薩の出現して弘めさせ給ふべき妙法蓮華経の五字を、先立てねごとの様に心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱る也。」(学会版・1239頁)
とありますので、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字を弘通するという意識であったのでしょう。やがて、今で云う所の宗団が形成されて云ったわけですね。

255川蝉:2003/05/21(水) 09:56

追加です。

真蹟無ですが弘安三年十月の「妙一女御返事」に
「日蓮は今時を得たり、豈此所属の本門を弘めざらんや。」

文永十年五月の「顕仏未来記」に
「安州の日蓮は恐らくは三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加へて三国四師と号す」
とあります。
真実の法華宗・所属の本門(特に、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字の弘通)を広めようとの意識のもとに弘通を始めたのでしょうね。

256ガンコ:2003/05/22(木) 17:12
川蝉さん、みかんさん。
「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば日蓮が不思議とゞめんと思ひて勘へたり。此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。只今世乱れて、それともなくゆめの如くに妄語出来して、此の御一門どしうちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し。」(種々御振舞御書)
「謗法の世をば守護神すてて去り、諸天まぼるべからず。かるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし。還って大難に値ふべし。金光明経に云はく「善業を修する者は、日々に衰減す」等云々。悪国悪時これなり。具には、立正安国論にかんがへたるがごとし。」(開目抄)
立正安国論に始まり立正安国論に終わると申しますが、大聖人の仰せというものは決して後思案ではありません。
「蒙古のせめも又かくのごとくなるべし。設ひ五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値ふべし。」
「いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてゝ、各々声をつるべて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ、掌を合はせてたすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房とさけび候はんずるにや。」
「若し日蓮法華経の行者ならば忽ちに国にしるしを見せ給へ。若ししからずば今の日月等は釈迦・多宝・十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり。提婆が虚誑罪、倶伽利が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと声をあげて申せしかば、忽ちに出来せる自界叛逆難なり。」
これら撰時抄の仰せは事が起こってからの仰せでありますが、決して後知恵の如きものでないことは、次の御文に明らかです。
「外典に云はく、未萌をしるを聖人という。内典に云はく、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみゃうあり。一つには去にし文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏し・・・」
その立正安国論に云はく、
「薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。・・・先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何がせんや。」
まさしく立正安国論の御精神こそ大聖人の御一代を貫く大綱であります。ゆえに聖人御難事においても終始一貫、次の仰せを拝します。
「始めはしるしなきやうなれども、今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば、仏前の御誓ひむなしくて、無間大城に堕つべしとをそろしく想ふ間、今は各々はげむらむ。・・・日本国の大疫病と大けかちとどしうちと他国よりせめらるゝは総ばちなり。」
かかる大聖人御自ら、
「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、・・・この法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。」
と仰せあそばす。
よって、宗旨御建立の御自覚にあらせられたものと拝してよろしかろうと思いますが、いかがでしょうか?

257川蝉:2003/05/23(金) 13:19

ガンコさんへ。

>よって、宗旨御建立の御自覚にあらせられたものと拝してよろし
>かろうと思いますが、いかがでしょうか?」

ミカンさんは「既存の宗派に対抗して新しく一宗団を作ると云う狭い考えで開宗したと思われない」旨の意見だと推します。
ミカンさんの見解通りと思うので、
結果的には宗団を形成されたが、宗祖は一宗団を作ると云う狭い考えで開宗したのではなく、
「真実の法華宗・所属の本門(特に、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字の弘通)を広めようとの意識のもとに弘通を始めたのでしょうね。」
とコメントしたのです。
しかし、宗祖の開宗意識が気宇広大であっても、一般的と云うか仏教史的に見れば、一宗を創始したと見られるでしょうね。
「真実の法華宗・所属の本門」でなければならないとの確信のもとに弘通を始められたと云うことは、所属の本門をしっかり把握し、さらに法華経・釈尊を軽く見る真言宗、機に合わずとけなす浄土宗とうに対する批判はすでに固まっていたと推すべきですね。
この事を、ガンコさんが「宗旨御建立の御自覚にあらせられたもの」と表現されたのであればその通りと思います。

ただし、引用されている御書の文は「宗旨御建立の御自覚にあらせられたもの」と証するには、すこし不適かなと思いました。

258ガンコ:2003/05/23(金) 18:21

いや〜、まったく、失礼しました。

ちょっと的外れかなあとは思っていたんですけど、やっぱりそうでした。まるで相手の求めていることを理解していない、あほうな自分をさらけ出してしまいました。皆さん、あきれていらっしゃるでしょうね。

259成仏 絶対獲得願望者:2003/05/23(金) 23:14
ガンコ様  HONDA(株)での「重役会議」では「ニワトリを殺すな!」だそうです、。 その心は「ドンナ・ヘボな意見でも」「何かの起爆点(=問題提起=ヒント)になるような事柄」を含蓄する事を示唆して居るようです、。一般には「面前では、年上の方には申し上げにくい点が御座いますが」このホームページでは比較的、御自由に発言可能なこのHPは「近年まれに見る貴重なHP]かと存じます、。早々

260ガンコ:2003/05/24(土) 14:36

いや〜、どうも、ありがとうございますです。

なんとなく勇気付けられました。
さすがは世界のホンダとでも申しましょうか。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

261愚鈍凡夫:2003/05/24(土) 18:35
コケコッコーってかぁ(ケンタッキーの爺さんに言って欲しかった)。

「今久遠実成あらはれぬれば東方の薬師如来の日光月光西方阿弥陀如来の観音勢至乃至十方世界の諸仏の御弟子大日金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩猶教主釈尊の御弟子なり」(「開目抄下」 学会版P214)

「仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり」(「開目抄下」 学会版P215)

以上の開目抄の文証が示すように、既成仏教が教主釈尊を忘れ、蔑ろにし、本尊に迷う姿に憤慨され、仏法の正邪を質す意図を持って立宗宣言されたものと考えています。経典に照らして、三災七難の原因もそこにあると確信されていたことは、「立正安国論」を始めとする幾多の御遺文が示しています。
それでも小生は、加齢と共に法門も成熟していったとの想いに変わりはありません。

1271(文永8)年10月9日の曼陀羅
http://www.lbis.jp/gohonzon/001.htm

1282(弘安5)年6月の曼陀羅
http://www.lbis.jp/gohonzon/123.htm

この2つの曼陀羅を比較してみると、完成度の違いが一目瞭然だと思います。
これは、立宗宣言以降も試行錯誤されていたことを示す一級品の証拠だと思います。

262ガンコ:2003/05/24(土) 20:38
愚鈍凡夫さん

>コケコッコーってかぁ

そ、そんなにからかわないでくださいよう。

初期の御本尊と後期の御本尊を比較されて“試行錯誤”とか“成熟”とおっしゃるわけですが、これについて特に異論を申し上げるつもりはありません。おそらく大半の人が同じように感じることでしょうし、それに対してとってつけたような反論を試みてもますます笑われるだけでしょうから。

わたくしは大聖人を尊崇する立場ゆえに、上のような表現を極力使わないように心掛けているのです。
ですから、釈尊ははじめに華厳経を説いたとされますがこれを試行錯誤と言うか言わないか、これに係ってくると思うのです。つまり衆生の機に応じて法を説くわけですから、段階を踏んでいくのは理の当然であろうと。

また、立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。
そんなことは愚鈍凡夫さんなら百も承知でしょう。つまり、われわれの言葉で言えば、人生経験を積んでいくことが成熟でしょうから、すでにご指摘のごとく況滅度後を身で読まれていったことがまさしく成熟に相当するというのはそのとおりでありましょう。
ようするに着眼点が違うだけで、そんなには意見に違いはないのではないか、と思うのです。もっともわたくしは本仏論の信者ですから、もうその時点でかみ合わないのかもしれませんが。

263みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:32
>>262 ガンコさん
釈迦は華厳経なんか説いてないですよ。

それと「立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。」
日蓮の伝記を読んだことがあるのかと小一時間(ry
ていうか、日蓮の真跡のある御書だけを年代順に読んでみてください。そしたらこんなこと言えないから。
それとも顕正会だから御書なんて持ってないんですか?

264みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:42
>>261 愚鈍凡夫さん
同じ開目鈔の少し前の箇所に「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。」
とありますが、それをどう解釈なさるのでしょうか。天台宗は本尊にまどっていないと日蓮自身が言っているわけですが。

265みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:46
>>256 ガンコさん
「かかる大聖人御自ら、「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、・・・この法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。」と仰せあそばす。」

『聖人御難事』は弘安2年に書かれたものです。数十年後から過去を振り返って書いているわけで、その時点での日蓮自身の自覚を正しく反映しているかどうかわかりません。

たとえば、あなたは30年前に自分がやったことを思い出して、そのときの自分の気持ちや動機を正確に論述することができますか? 現在の観点・立場から粉飾していないと言えるでしょうか?

266みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/24(土) 23:53
>>257 川蝉さん
「ミカンさんは「既存の宗派に対抗して新しく一宗団を作ると云う狭い考えで開宗したと思われない」旨の意見だと推します。」

ちがいます。わたしの意見は、建長五年四月二十八日の段階では、日蓮自身には、天台宗とは違う立場に立ったという意識はなかったかも知れないということです。つまりその段階では日蓮は自分が天台宗の正統派であるという意識しかなかった可能性がある、と考えているのです。

>>254
「慣例に拠って」
同じ宗門の僧侶同士の会話ではありませんので、この掲示板では慣例によって、言語を使用されない方が良いと思いますよ。立場も、教学知識も、通仏教に対する知識もまったく違う人が集まっている場所ですから、銘々が勝手に自分の都合のように誤解するということが頻発しかねません。
厳密に言葉を使用しなければ、誤解しか生まれないと思います。

267愚鈍凡夫:2003/05/25(日) 06:55
264: みかん(z8VoUpnM)さんへ
おはようございます。

「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」(「開目抄下」 学会版P215)
との理由は、後に出てくる次の文証に明かです。

「華厳経乃至諸大乗経大日経等の諸尊の種子皆一念三千なり天台智者大師一人此の法門を得給えり、華厳宗の澄観此の義を盗んで華厳経の心如工画師の文の神とす、真言大日経等には二乗作仏久遠実成一念三千の法門これなし」(同抄 P215)

小生が既成仏教と表現したのは、当然、台密も含めてのことです。
日蓮聖人は、上古天台と中古天台をはっきりと区別していたのではありませんか。

268川蝉:2003/05/25(日) 11:12
266 名前: みかん(z8VoUpnM)さんへ。

「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」(開目抄下・ 学会版215頁)
は、諸宗は寿量品の釈尊が根本の教主であることをわきまえていない。諸宗にくらべ天台では、寿量品の釈尊が根本教主で有ることを把握しているから、本尊に惑えていない、と云う意味ですね。
215頁10行目に、妙楽大師の「寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷へる才能ある畜生」との主張を提示してあることよりわかります。
ここに云う天台宗とは、天台大師・妙楽大師の正系思想を受け継ぐところの天台宗(思想)と云う概念だと思います。

「顕仏未来記」に三国四師と云うことが説かれているように、真実の法華宗を弘通すると云う意識があった事はたしかでしょう。
故に「日蓮は自分が天台宗の正統派であるという意識」はあったと思います。
また
「華厳経、乃至諸大乗経、大日経等の諸尊の種子皆一念三千なり。天台智者大師一人此法門を得給えり。」(開目抄215頁)
とあるように、内鑑的には天台大師も日蓮と同じく一念三千の法門を把握していたと云うお考えもあります。

しかし、「建長五年四月二十八日の段階では天台宗とは違う立場に立ったという意識はなかったかも知れない」かと云うと、

「日蓮が法門は第三の法門也。世間粗夢の如し。一二をば申ども第三をば申さず候。第三の法門は天台、妙楽、伝教も粗之を示せども未だ事了へず。所詮末法の今に譲り与へし也。」(常忍抄・981頁)とも、また、
「但漢土の天台、日本の伝教、此二人計こそ粗分給て候へども本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず。詮する処は天台と伝教とは内には鑒み給といへども、一には時来らず二には機なし三には譲られ給はざる故也。今末法に入ぬ、地踊(涌)出現して弘通有べき事なり。」(治病大小権実違目・996頁)
とあるように、天台大師(天台宗)や伝教大師とが、闡明には説かなかった本門立脚の法門を弘通するのだという明確な自覚があったことでしょう。
255番に
「真実の法華宗・所属の本門(特に、上行菩薩が弘通するとされている妙法蓮華経の五字の弘通)を広めようとの意識のもとに弘通を始めたのでしょうね。 」
とコメントしたゆえんです

269ガンコ:2003/05/25(日) 12:51
みかんさん

ようやく本腰をお入れになられたようでございます。

釈尊が華厳経を説いたかどうかは知りません。わたくしは大聖人の御認識を申し上げたのです。いわゆる一代五時を採用されていると思うのです。ゆえに歴史上の釈尊がどうであったかは関係ない・・・なんて書くとまた物議をかもすかもしれませんが、ともかくも大聖人を中心に考えているわけです。

よって、次の問題はきわめて重要かと存じます。
>日蓮の伝記を読んだことがあるのかと小一時間(ry
ていうか、日蓮の真跡のある御書だけを年代順に読んでみてください。そしたらこんなこと言えないから。

ようするにわたくしの不勉強をご指摘くだすったのかと存じまする。これはもう、ただひたすら拝読を重ねる以外ありませんが、せっかくですからみかんさんのお考えを一分なりともご披露いただきとうございます。
顕正会は御書をもっていない・・・これは頭の痛い話です。おそらく浅井もそろそろ手を打つことでしょう。わたくしはひそかに入手して勉強させていただいておりますが、まだまだ不勉強のそしりは免かれないところでありましょう。

二十七年前の記憶がどれほど正確か、そして二十七年後において潤色・脚色をまじえずに語ることは可能か、といった問題は大変面白いテーマかと存じます。「大聖人は仏様だから可能なのだ」と言ってしまえば簡単で、それでわたくし達は納得してしまうんですけど、みかんさんは承知しないでしょうね。すでに川蝉さんから、文証として不適とのご指摘をちょうだいしておりますし、当然みかんさんのご指摘も大事な視点かと存じまするゆえ、これらを踏まえて再考させていただきます。

いわゆる立宗時において大聖人は天台宗の正当派を自覚せられていた・・・としますると、では大聖人は生涯天台宗のつもりでおられたか、あるいはどこかで独立を自覚せられたか、ということになるかと思いますが後者のばあい、その時期はいつと拝されるのでしょうか?

270みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/26(月) 07:00
>>269 ガンコさん
「後者のばあい、その時期はいつと拝されるのでしょうか?」

日蓮が生涯、自身を天台宗徒だと思っていたとは思いませんが、とりあえず、私の言っていることはしょせん仮説です。いつ自覚が変わったかについては、厳密に遺文を調べないと何とも言えませんが、なにしろ日蓮の遺文はある時期から膨大になりますが、それ以前はほとんど見られませんので、調べるのは困難でしょう。

「仏」という言葉は多義的なので、どういう意味で、ガンコさんが日蓮を仏だと思っているのか、ご自身で明確にされた方が良いですよ。覚った人という意味の「仏」と、久遠実成の報身仏という意味の「仏」ではまったく意味が違います。同じ言葉を使っていますが、指し示しているのは別のできごとです。

「また、立正安国論を引用させていただいたのは、おそらく大聖人にとっての最後の研鑽がこの直前にあったと拝するからです。安国論以降は大難の連続でありましたから、もうまとまった研鑽の機会はあられなかったわけです。」

これはまったく違うと思いますよ。安国論と、佐渡での著作(開目鈔、本尊抄)を読み比べてみられればいいと思いますが、思想的深みはまったく違います。安国論はきわめて浅いです。わたしは安国論を読んで面白いと思ったことはありません。

日蓮の遺文がいつの時点でたくさん書かれているか見てみられると良いですが、佐渡以降、特に身延です。日蓮は佐渡・身延で大きな思想的結実を見せています。また佐渡・身延では時間はありましたから、勉学は続けたでしょう。

安国論が最後の研鑽の機会だというのは、ちがうと思いますが。

271みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/26(月) 07:29
>>267 愚鈍凡夫さん

「小生が既成仏教と表現したのは、当然、台密も含めてのことです。」

その場合、既成仏教には天台顕教(天台法華宗)は入れないわけですか? そこをどう理解なさっているのでしょうか。
これは私の個人的な関心の対象ですが、日蓮は所詮天台宗の学僧出身であり、日蓮自身も天台顕教に肯定的であったにも関わらず、そこを突き抜けてしまったのは何故か、またどこが天台顕教と日蓮思想・行動を区別するところなのかということには私は興味があります。

「日蓮聖人は、上古天台と中古天台をはっきりと区別していたのではありませんか。 」

していないと思いますよ。上古天台と中古天台をハッキリと区別して、べつの体系として扱うのは現在の仏教学、文献学の立場です。日蓮は最初、当時の天台宗の学僧の一人だったわけです。彼にとって、どの文献が真跡でどの文献が仮託書であるかという区別が付いていたかどうか疑問です。多くの中古天台文献は、最澄、良源、源信に仮託されています。
また、日蓮の遺文(御書)と、中古天台の文献を読み比べてみられるとわかりますが、同じ思想体系、同じ教養の範囲内にいた者が書いていることは明白です。はっきりいってよく似ています。たとえば観心重視など。
違いは、日蓮は毘盧舎那仏・阿弥陀仏を立てないこと。日蓮は一心三観を言わずに一念三千を強調すること、などでしょう。

中古天台=台密ではありません。中古天台は、天台顕教・密教・浄土信仰が一体の者となった体系であり、華厳の影響も強く見えます。

日蓮はそれから、密教・浄土信仰の影響をぬぐい去ろうとし、表面上は成功しますが、実際は影響を免れていません。

272愚鈍凡夫:2003/05/26(月) 17:34
271: みかん(z8VoUpnM)さんへ

天台大師の法門を継承するという意味での天台法華宗(天台顕教)は、一念三千を説くことから、法華経の理念に適うと日蓮聖人は判断していたのではないでしょうか。
そして、釈迦牟尼仏・毘廬舎那仏(盧舎那仏)・阿弥陀仏も法華経の題目によって威光勢力を増すとの考えであったのではなかったでしょうか。

「仏法は時機を本とす法華経大日経天台真言等の八宗九宗一代の大小顕密権実等の諸宗等は上根上智の正像二千年の機のためなり、末法に入りてはいかに功をなして行ずるとも其の益あるべからず」(「撰時抄」 学会版P274)

しかし、ここでは天台法華宗といえども他宗同様、末法では無益であると述べていますね。
日蓮聖人が天台法華宗から離脱していった理由として、天台教学があまりにも難解なのと、当時の日本人の識字率の低さが原因の1つと考えています(板東武士にして、識字率はかなり低かったと本で読んだ記憶があります)。
いつの時代も最も苦しい目に遭うのは最下層の民衆です。その民衆を苦しみから解放してやりたいという想いは、法然と通ずるものがあったと思います。
そのためには、本尊に対する絶対信(盲信)と唱題行を宣弘するしかなかったのだと思います。そして、教義上は天台教学を踏襲しながら、本尊と行法に於いて独自性を打ち出したのが日蓮仏法ではなかったかと思います。
誰にでも可能な成道の法の探求が、結果的に天台法華宗からの離脱を促したのではないでしょうか。

「日蓮は真言禅宗浄土等の元祖を三虫となづく、又天台宗の慈覚安然慧心等は法華経伝教大師の師子の身の中の三虫なり」(「撰時抄」 学会版P286)
慈覚(円仁)・安然、共に日本天台宗の密教化に功績のある人物ですね。慧心(源信)は慧心流口伝法門の基礎を築いた人物ですね。
この3人を同列に並べて日本天台宗の獅子身中の虫としていることから、
中古天台は、台密を土台として成立していったように思うのです。
慧心流の口伝法門では、
一念三千とは自受用身のことで、その自受用身とは出尊形仏であると定義づけますね。要するに凡夫の姿をした仏と言う意味ですね。
如来蔵思想を背景とした即身成仏の影響をまともに受けているように思います。
日蓮聖人は、台密が大日経を法華経と相対して理同事勝とすることと、凡夫本仏論の源流とも言える中古天台の本覚論に、反発を感じていたのではないでしょうか。

「止観の二に云く弥陀を唱うるは即ち是れ十方の仏を唱うる功徳と等し但専ら弥陀を以て法門の主と為す、要を挙げて之を言わば歩歩声声念念唯阿弥陀仏に在り文」(「一代五時継図」 学会版P673)
とあるように、浄土信仰と言われているのは常行三昧のことですか。
それから華厳の影響とは、唯心法界論(心如工画師)の影響を受けているとのことですか。

確かに密教の影響は強いと思います(御遺文集を検索すると、圧倒的に真言系の語彙の方が念仏系よりも多いです)。
ただ、確かに晩年にいくほど御消息文に「後生善処」的(霊山浄土)な記述が多いように思いますが、阿弥陀仏の極楽浄土とは違うように思います。
阿弥陀如来の威光でなく、本門の釈尊の威光によってというのが日蓮聖人の浄土論ではないでしょうか。

273成仏 獲得希望者:2003/05/26(月) 21:21
みかん様 真跡のみの「御書」が存在とは、? 不勉強でゴメン、、。 真書から我田引水の偽書まで多々存在する、のは「日蓮入門=ちくま新書」で知りましたが、、 それを「真跡を購入するには??」「一体どこで発売」しておるのでしょうか、、?? 近隣の書店では「絶版でしょう??」という「ツレナイ返事」でした、、。 是非読みたく存じます、、。 早々。

274ガンコ:2003/05/26(月) 21:33
みかんさん、どうもです。

立正安国論の冒頭に「或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め」、「三宝世に在」すのにどうして災難ばかりが続くのでしょうか? との客の問いがあります。これをもって、余経も法華経も詮なし、三宝も下種の三宝尊でなければならぬ、ともっていくのははなはだ強引でありましょう。しかし、立正安国論を最後まで読んでいっても、具体的には本尊を何にするか、受戒はどうする、常の修行は何をやればいいのか、まったく明らかにされていないのはどうしたことでありましょうか。
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」 ここに「早く」「速やかに」と仰せでありますが鎌倉幕府が早速に帰依してしまったらどうなりましょうか。
すでにこの時点ですべての準備が整っていた・・・と考えることはそれほど不自然ではないと思います。
「具には、立正安国論にかんがえたるがごとし」「例せば立正安国論に委しきが如し」等、安国論に言及された御書はたくさんあります。
また、いわゆる建治の広本をはじめとして大聖人御自身が安国論を御書写になられていますし、御入滅にあたっての最後の御講義がこれまた安国論と言われております。
“あとじあん” “あとぢえ” という言葉を使いましたが、まさしくわたくしのようなあほうはずっと後になってから気が付くことが多いのです。しかも厄介なことには、あたかも初めからわかっていたような気になってしまうのです。もちろん見栄を張ってわかったようなポーズをつくることもありますが、そうではなくて本当にもともと知っていたように錯覚してしまうのです。
しかし、大聖人はそうではないと思います。川蝉さんが再三お引きになっている三沢抄の御文にもそれを拝するところですが、立正安国論そのものに拝することが出来るとわたくしは考えています。先には自他の二難に触れましたが、今回は上に示した如くです。つまり、大聖人は故意に具体的な法門を明かさなかった・・・と思われるのです。

>安国論と、佐渡での著作(開目鈔、本尊抄)を読み比べてみられればいいと思いますが、思想的深みはまったく違います。安国論はきわめて浅いです。

むしろ同時期に著されたとされる守護国家論や唱法華題目抄等を比較されてはいかがでしょう。わたくしには思想的深みなどということは論じられませんが、明らかに立正安国論は他とおもむきを異にするように感じます。原理のみを御示しになり、あえて御法門を御隠しになった・・・。いわば安国論は骨格であり、他の御抄は血肉と拝するべきと思います。まずは骨格を示し、そこに御法門の肉付けをあそばした。なんら順序次第に不都合はありません。

なお、大聖人はいかなる仏であられるか? これはいろいろな意味で危険をともなうので今しばらく猶予をいただきとうございます。(やっぱり避けては通れない?)

275成仏 獲得希望者888:2003/05/26(月) 21:50
略 かなり「核心に近づきつつあるようです」、「こでは少し冷却期間」も在る程度在ってもよろしい、のでは、、????
 「ジックリと地道に大勢様の御拝聴・ご発言の御参加次第でさらに盛り上がりが御左右されましょうか、?、」。失礼しました、。

276みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/27(火) 01:12
>>273 成仏 獲得希望者さん
 手持ちの御書(遺文集)から、真跡現存、曾存のものを拾い読みしてくださいという意味で、真跡だけあつめた遺文集を買って読んでくださいという意味ではありません。

 できるだけ真跡だけ集めるという方針の遺文集は一応ありますけれども(例外あり)。『平成新修日蓮聖人遺文集』(星雲社)、『日蓮聖人全集』(春秋社)。

277みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/27(火) 14:15
>>272 愚鈍凡夫さん

>天台大師の法門を継承するという意味での天台法華宗(天台顕教)は、一念三千を説くこ
とから、法華経の理念に適うと日蓮聖人は判断していたのではないでしょうか。

この文はちょっと違うと思います。日蓮は天台宗の世界観を受け入れていたので、法華最勝を主張したのだと思います。順序が逆だと思います。また、一念三千と法華経はあまり関係がないと思いますが。


> そのためには、本尊に対する絶対信(盲信)と唱題行を宣弘するしかなかったのだと思います。そして、教義上は天台教学を踏襲しながら、本尊と行法に於いて独自性を打ち出したのが日蓮仏法ではなかったかと思います。
> 誰にでも可能な成道の法の探求が、結果的に天台法華宗からの離脱を促したのではないでしょうか。

絶対信を盲信と言い換えることは不適切だと思いますし、日蓮が盲信を主張したかどうかはわかりませんが、とりあえず保留します。あと日蓮は本尊を信じることではなくて、むしろ法華経を信じることを強く主張しているように思うのですが。それ以外はおおむね同意します。

ひとつ付言するならば、誰にでも可能な成道の法は天台宗、天台本覚思想文献の中ででもいろいろ主張されているんですよね。それが実用的なものかはともかく。


> この3人を同列に並べて日本天台宗の獅子身中の虫としていることから、
> 中古天台は、台密を土台として成立していったように思うのです。

中古天台・天台本覚思想の文献を読まれるとわかると思いますが、天台顕教の世界観を基本としているように思いますが(それと阿弥陀信仰、密教が区別されず連続して描かれている点が日蓮との違い)。日蓮の遺文にとてもよく似ています。似ているのに違うので、興味深いわけですが。

恵心僧都源信が出てくるのは密教との関連ではなくて、浄土教との関係からではないでしょうか。

278みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/27(火) 14:15
> 日蓮聖人は、台密が大日経を法華経と相対して理同事勝とすることと、凡夫本仏論の源流とも言える中古天台の本覚論に、反発を感じていたのではないでしょうか。

松戸氏の本は持っていますが読んでないので凡夫本仏論なるものについては何とも言えません。

日蓮に天台本覚思想の影響は強いと思います。わたしには日蓮も道元も、「ある意味で」天台本覚思想家の一人にしか見えません。(二人ともそれから距離を取っていたことは確かだと思いますが、距離を取っていたり批判したからと言って、影響を免れているわけではない、と思うわけです)

浅井要麟先生以来、日蓮は本覚思想とは違うと考えるのが普通みたいですが、浅井円道先生や田村芳朗先生の仕事の後に生きている我々は、そう簡単に図式的に見てはいられないと思いますが。もっと事情は複雑です。

今日の仏教学者や思想史学者で、天台本覚思想を解説したり批判している人は、天台本覚思想をきわめて単純に図式化している方がいくらかいるように思います。たとえば最近では、佐藤弘夫先生の『偽書の精神史』(講談社)の163頁あたりの、本覚思想の説明は、ずいぶんと乱暴であるように感じます。「本覚思想の特色は、超越者と自己の一体的把握にあった。」(P163)そう単純なものではないだろうと思いますが。超越者という言葉はきわめて不適切だと思います。

そういった本覚思想への学者の説だけ読んで、本覚思想・如来蔵思想についてあれこれ言う一般の仏教に関心がある方がここ10年ほど多いわけですが(松本、袴谷両先生の影響でしょう)、研究書じゃなくて原典を読まないと、それについて何か言うのは危険であろうと思います。


> 慧心流の口伝法門では、
> 一念三千とは自受用身のことで、その自受用身とは出尊形仏であると定義づけますね。要するに凡夫の姿をした仏と言う意味ですね。
> 如来蔵思想を背景とした即身成仏の影響をまともに受けているように思います。

すいません、「慧心流の口伝法門」について何を読めば良いのかお教え頂ければ幸いです。続天台宗全書でしょうか。それとも研究書でしょうか。浅井要麟先生の『日蓮聖人教学の研究』でしょうか。

「一念三千即自受用身、自受用身者出尊形仏」という伝・最澄の文が御義口伝、末法相応抄に引かれているようですが、それが恵心流一般に流布した考えだったかどうか私は存じません。

さて、たとえば、本尊抄の「文の心は、釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」、「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起して、五字の内にこの珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう」といった記述には、天台本覚思想とたいした距離を感じません。

こういった記述は日蓮文献で多く見られますが、それらを見る限り日蓮思想も、如来蔵思想、仏性思想を背景とした即身成仏思想の一種だと思いますが。

日蓮思想と天台本覚思想を分けることがあるとしたら、凡夫即仏を言うか言わないか、行不要を言うか言わないか、だと思われるかも知れませんが、天台本覚文献でも行の必要は一応言いますし、日蓮も己心中の仏は言います。日蓮思想と天台本覚思想の差は、程度の問題かと思います。方向性が180度違うわけではないと思います。むしろ同じ方向を向いているように私には思えます。

279愚鈍凡夫:2003/05/28(水) 00:48
277: みかん(z8VoUpnM)さんへ

確かに法華経には一念三千を連想させる記述は見あたりません。その意味では、天台大師の個人的な悟達と言えるかも知れません。
しかし日蓮聖人は、一念三千が法華経の延長線上にある理念と考えていたのではないでしょうか。

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(「開目抄上」 学会版P189)
「像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し、出現して、迹門を以て面と為し、本門を以て裏と為して、百界千如・一念三千其の義を尽くせり」(「観心本尊抄」 昭定P719)
「法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり」(「撰時抄」 学会版P288)

以上の文証からは、法華経から導き出されると言っているように思いますが。

次に「絶対信」ですが、「絶対信」は「本尊に己の人生を依存する」ことが前提になると思うのです。言い換えれば、「絶対帰依」とでも言うのでしょうか。
要するに、身の回りに起こる全てのことが、本尊の仏力・法力によると信じることではないでしょうか。これはもう「盲信」と言っても差し支えないように思いますが。

慧心流口伝法門について、
「自受用報身如來。以顯本爲正意也」(「一帖抄」)
「一念三千即自受用身。自受用身者出尊形佛文以此道理以報身爲正意習也」(「一帖抄」)
「以テ報身ノ自受用ヲ爲スト顯本ノ正意ト相傳スル也」(「二帖抄」)
「一念三千即自受用身行體云。」(「八帖抄」)
これらの文証がまず頭に浮かぶのです(これらが慧心流口伝法門ではないというのならば、勉強しなおします)。

ただ本覚論について、小生のような素人がとやかく言うのは危険かも知れませんが、避けては通れない道だと思います。
個人的に、日蓮聖人が本覚論をそのまま受け入れていたとは思いませんが、結論を出には尚早だと思うので、これからも研鑽を続けていきたいと思っています。

とりあえず、この辺でお休みなさい。

280みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/28(水) 01:57
日蓮自身は一念三千と法華経の関係についてそう考えていたでしょうね。

日蓮の信の対象は、再度申し上げますが本尊ではなくて法華経だと思うのですが。

わたしは口伝法門については知識がないですし、「一帖抄」、「二帖抄」という文献自体知らないので、すいませんが、参考になる本、あるいは論文があれば教えて頂きたいと言っているわけです。
今調べたら、天台宗全書九巻に収められているようですね。あと、富士宗学要集二巻の有師談書聞書で言及されているようですが、いずれも所持していないので、参照できません。

日蓮および大石寺門流と天台本覚法門については次の本が参考になるようです。
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0824820266/
Original Enlightenment and the Transformation of Medieval Japanese Buddhism (Studies in East Asian Buddhism, No. 12.)
by Jacqueline Ilyse Stone
Publisher: University of Hawaii Press; (October 1999)
ISBN: 0824820266

281みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/28(水) 02:11
↑上の本の概略
http://homepage1.nifty.com/seijun/pre-page/11-06/11-06.html
http://homepage1.nifty.com/seijun/pre-page/11-15/11-15.htm

昨日手元に届いたばかりですが、ざっと見たところ、第3部で、大石寺門流にかなり言及しているようです。

282顕正居士:2003/05/28(水) 04:42
みかんさん。

Jacqueline Ilyse Stone さんは "Major Writings of Nichiren Daishonin"の翻訳者です。
アメリカ日蓮正宗(創価学会)のメンバーであったのかはわかりませんが。したがって
歴史上の大石寺のみでなく、今日の大石寺や創価学会について知っている方でしょう。
http://campross.crosswinds.net/bodhisattva/JStone.html

富士宗学要集はNBさんが相伝や教義の巻をほぼ入力しておられます。返点、送仮名
付きの和文の入力が独特なのと、大部ゆえの誤入力がありますが。
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/mokuji.htm

中古天台の文献は
『天台本覚論』(日本思想大系)に基礎的なものの一部がある。あとはこの本の「概説」
に出る書と、『日本天台史』(上杉文秀)に引かれる書で、天台宗全書、続天台宗全書、
大日本仏教全書に在るものをいずれかの研究室の図書室で複写すれば、それが基礎
の文献といえるでしょう。KANDEN師のサイトにも短いものが在ります。
http://www.biwa.ne.jp/~kanden/lib.html

283顕正居士:2003/05/28(水) 06:46
中古天台と鎌倉仏教-修行

修行がないといえば中古天台にも鎌倉仏教にもないし、あるといえばどちらにもある。
みかんさんの着眼に賛成します。唱題や只管打坐を真面目に修行であるといったら
電波であります。即身に仏であることをあらわす象徴的の行に過ぎません。祖師たち
もそう述べます。また若い日に修・証の問題に悩んだというのは道元で、日蓮には
そういうことはありません。日蓮は信仰の対象が一個であるべきだと考えたのであり、
親鸞と同じく一神教と信仰のみ(sola fide)を唱えたのです。また両祖師の信仰のみに
対し阿弥陀仏の絶対的の救済力の前には信仰すら不要としたのが一遍であります。

また中古天台というのはこれらの祖師の以後に本格的に発達し、鎌倉諸宗をながく
支配下においた強力な思想であって、江戸時代に比叡山が四明教学になってから
はじめて日蓮諸派も口伝法門から脱する。道元や日蓮の頃にはすでに中古天台の
初期文献があったが、それは唱題修行をすすめる最澄仮託の修禅寺決や称名念仏
をすすめる慧心仮託の註本覚讃釈で、法然や日蓮の出現の準備をしたものである。

中古天台における行の不要というのは此法住法位世間相常住をモットーとし、修行
とは特殊の宗教的の事柄でない、世間の活動がそのまま悟後の修行であるという
考えである。親鸞宗や日蓮宗も救済に宗教的の修行を不必要とし、信仰のみとする
ことで、社会活動すなわち悟後の修行であるとすることにかわりはない。信仰のみの
考えも社会活動を妨げて人々を宗団の奴隷にするのでなく、宗団から解放する思想
であった。

また日本は王朝時代の末期から戦乱の時代が幾世紀も続くけれども、三国志の時代
のように人口の増加も経済の発達も停止したのではない。反対であって、生産の拡大
によって識字人口が増加し、その上層が武士として台頭し、貴族の権力が崩壊したの
である。ゆえに日蓮はこれらの人々に漢文をふくめた手紙を書いたのである。だから
行の簡易化という説明は誤りである。貴族ほどひまでなかったとはいえるが、かれら
は新興識字階層である、しかし経済活動の基本に殺生がある人々には新しい思想が
必要であったのである。

284みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/28(水) 13:26
顕正居士さん、>>282
情報ありがとうございます。ジャクリーン・ストーン先生はMajor Writings of Nichiren Daishoninの翻訳者の一人でしたか。
いま、Major Writings of Nichiren Daishoninの1巻を見てみましたが、翻訳者についてはなにも書いていないようですね。
ストーン先生がNS(SGI)の信仰者だったかどうかは、御著書の内容からはちょっと計りかねますね。

天台本覚法門の原典および概説書で、入手しやすいのは未だに、岩波書店の『天台本覚論』(日本思想大系9、または再刊は、続・日本仏教の思想2)しかないですね。絶版ですが、古書値が安いですし、入手しやすいと思います。
この本に収められている田村芳朗先生の「天台本覚思想概説」が未だに唯一の一般向けの概説なのですが、田村先生のいつものでんで、図式的に割り切っているきらいがあるように思いますね。
上杉先生の日本天台史は未見なので見てみます。

285愚鈍凡夫:2003/05/28(水) 18:28
台密・中古天台関係の資料として、顕正居士さんが紹介された「怪しいライブラリー一覧」を利用しています。

独歩さんところの
「中古天台教學より日蓮聖人の教學、ヘの思想的展開(1) 執行海秀」
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_005.html

日蓮宗現代宗教研究所の
「仏教思想史の中の日蓮教学」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho29/s29_111.htm

同じく、日蓮宗現代宗教研究所の
「日蓮本佛論の構造と問題点(一) ―恵心流口伝法門との関係を視点として―」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_133.htm

いずれも参考にしています。

中古天台とは直接関係ないですが、天台宗関係書籍の紹介。
天 台 宗 典 編 纂 所
http://www.biwa.ne.jp/~namu007/

286川蝉:2003/05/29(木) 11:35
日蓮聖人と中古天台

武 覚超氏が「叡山・三井と日蓮門下との交流」において

「伝教大師に本迹二門を高調し、爾前諸経より法華経が勝れているとの所論が見られ、円珍も久遠実成を説く本門と開権顕実をたてる迹門の二門が兼備していることに爾前諸経に比して法華経の独妙独勝たる所以があるとし、また本迹二門に勝劣をたてる考え方も円珍の『法華論記』や安然の『教時諍論』等ころよりみられること。
また題目に万徳万善を具すると云う考えは『観心略要集』に見られ法然の『選択集』も『観心略要集』の名号功徳の所説を受けたものであって、日蓮の五字口唱を正行と主張したのは『観心略要集』や『選択集』の思想的構造をそのまま継承したものである(取意)」と、論証し、

《 日蓮の本門思想については、従来から日蓮の創説であり、独説である点が強調されているようであるが、日蓮の本門思想を迹門と本門、本門と観心、題目五字等の観点から詳しく分析してみると、その思想的要素は、日本天台、ことには中古天台の教学の中に出そろっていたと考えられるであろう。
この点について、上杉文秀博士が『日本天台史』において、「彼(日蓮)は決然此等(日本天台)の長所を悉く網羅採択し、以て法華中心の下に聚積し」たと述べられていることは、誠に当を得た論述であると思われる。》(平楽寺書店刊・本覚思想の源流と展開・400〜414頁)
と論述しています。

勝呂信静師が「教育新潮社刊・日蓮思想の根本問題」において、
「聖人は叡山天台の思想展開のゆきつくべき目的を予見され、その論理的必然性にしたがって自らの行動を律し、時代の風潮を矯正されようとしたのである」(86頁)
と書いています。
これは上杉文秀博士の
「(日本天台)の長所を悉く網羅採択し、以て法華中心の下に聚積し」
と云う見解より、より当を得た視点だと云えましょう。

勝呂信静師の見解は、
《 台密の叡山天台の信仰や儀礼はほとんど密教によるものになっていたが、教義・教判においては天台宗の権威を保つような理論が必要であり、その結果あらわれた思想がいわゆる「理同事勝」である。これは事実上は法華経を大日経より下に見るものである。
そこで、無始無終で万物を包摂する絶対的な仏である大日如来を説く大日経に対する為に、大日経に対応するような超越的優勝性が法華経にあることをあらわすために、本門の仏を説く本門が重視する考えが起こり、本門思想が発達していった。
しかし叡山天台の本門思想は、形式的には法華経本門の体裁を取りながらその内容は真言密教であった。
(「中古天台本覚思想は、台密の大日法身中心の曼荼羅思想に負うところが大であり、これをさらに一元的な世界観・人間観として徹底させていったもの」と浅井円道師が指摘している点でしょうー川蝉注)

本門思想の興起は本来の意義からすれば、伝教大師の遺志を正統に発展させたものとして、真言密教に対する開会としての機能を果たすべきものであったが、果たさなかった。

また恵心以後の中古天台では念仏が盛んになってきたが、それに対応するために、一方に於いて止観・観法を重視しされた。この観心主義は形式的には正統天台の教学を厳守しようと云う態度から出たものである。しかし、実際の行は念仏信仰を採用し容認するようになって行き、一方に於いて教相の法華経(宗教)と観心(宗旨)との分離することにもなっていった。

事の一念三千と云う本門思想や唱題行確立を果たした聖人は、中古天台の教学を批評的に克服されたものと見るべきである(取意)》
等と論述し、
「中古天台と無関係と云う見解や中古天台より脱化したものであると云う見解は皮相的である」(87頁)
と批判しています。

勝呂師が「中古天台の教学を批評的に克服されたものと見るべきである」
と結論していますが、批評的に克服した結果の具体相は、浅井円道師が『平楽寺書店刊・本覚思想の源流と展開的』の305〜306頁において、「日蓮の真正な遺文によって、日蓮思想と中古天台本覚思想との相違点を検討した結果」として、提示している五点と云えましょう。

287豊穣:2003/05/29(木) 21:04
大聖人は仏の経典をもちいて、人師のことばを用いるなっていったわけだね。
だれがどういったっていえば、そんな大聖人のルール違反!
「だれだれは、こういった。あの人はこういった」
なんだか池田センセイのスピーチみたいだねえ。

288成仏境涯 体感希望者77:2003/05/29(木) 22:10
   ワシは知りたい成仏の根本の修行は、?かを、。末法用の経典?=久遠?=本門の教主釈尊?様の流れを継続?・含蓄?の「末法今時の為?と言われる本門?且つ文底?の事?」という「教典?=法華経?」の事?を「体感・感得した??諸々の人師?」の言?は「ルール違反??」と言うことでしょうか、??

289みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/30(金) 02:47
>>287 豊穣さん。
豊穣さんは、大田区の宝浄寺の御所属なんじゃないのという説を聞きましたが、そういうものなんでしょか。

さて、>>286の川蝉さんのレスへのイヤミなんだと思いますが、めんどくさいし言うのもイヤなので説明しませんが、一言だけ。「鎌倉時代の学問の方法と、明治以降の近代仏教学の方法の区別すら付いていないなら発言するな」

なぜそう言われるのかはあまりにもばかばかしいので説明したくもありません。他の人説明してください。んじゃ。

290五月雨:2003/05/30(金) 08:34

日蓮正宗は最高の仏法だと信じ込まされるところから始まって、それが自分自身の選民意識に結びつき自分はエライと思い込む。これが石山系の“大きな勘違い” そこから社会一般常識からの逸脱が始まるように思います。

真面目な議論を積み重ねている掲示板に来て、人を見下すような物言いしか出来ない御仁に何かを説明することなど必要でしょうか。
みかんさんが仰るようにばかばかしいのひと言です。

天台の言を用いた日蓮だいせうにんにまず文句を言えばと言いたい気分です。

291成仏境涯 体感希望者:2003/05/30(金) 19:15
ミカン様、「区別が在った事もしらぬモノども」は「下がれ居れー、」でしょうか、? 五月雨様「石山系の感違い、」には御同感です、。 ただ「、、見下す、?」には??です、、。 豊穣様は「、、池田センセイの偽善・欺瞞性を心底から御理解したからこそ、、文言上での”イマイチ・ムナシイ? 核心への御懸念?を体得・体感”からのご発言?」かと、存じまするが、? ガンコの無疑問者(=
狂信者なら)「決してこのHPをの検索したり、投稿」はしないでしょう、、?? もう少し「包容力?」があってもよろしーかと、、、??

292五月雨:2003/05/30(金) 21:50

>五月雨様「石山系の感違い、」には御同感です、。 ただ「、、見下す、?」には??です、、。 豊穣様は「、、池田センセイの偽善・欺瞞性を心底から御理解したからこそ、、文言上での”イマイチ・ムナシイ? 核心への御懸念?を体得・体感”からのご発言?」かと、存じまするが、? ガンコの無疑問者(=狂信者なら)「決してこのHPをの検索したり、投稿」はしないでしょう、、?? もう少し「包容力?」があってもよろしーかと、、、??

成仏境涯 体感希望者さまの深い読解力の素晴らしさには呆れてものが言えません。
>287 のレスにそんなにふっかぁい意味があるとは凄いですね、そうですか。
まるで石山の文上、文底の法門のごとくですね。
無疑問者の方々はいくらでもこの掲示板に来られて真摯に議論をされていたと思います。(私は無疑問者の方々を狂信者とは思っていません、そこに区別はあると思っています。)
包容力?相手によりけりでしょう。

何事にもものには言いようがあると私は思っています、それが礼儀ではないでしょうか。

buenos1939さんでしたよね、成仏境涯 体感希望者さま、HNをひとつになさいませんか。

293ガンコ:2003/05/31(土) 00:00

あれ? どなたか、わたくしを呼びましたでしょうか?

294成仏境涯 体感希望者:2003/05/31(土) 00:57
ご無礼しました、、。  頑強な(ガンコではなく)方は、「一心=成仏とは?」何かと、??、存じます、?? 皆様の御知恵は、、??その方法は??  未だ不明のようです、、??

295ガンコ:2003/06/01(日) 21:12

御文字御本尊と仏像との整合性について(1)

四条金吾釈迦仏供養事に云はく「草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり。画像これよりおこる」と。

とくに「五色の絵の具」に注目するならば、まるで画像を奨励あそばすようにも拝せるところですが、これは一般仏教の通例をお挙げになられたものと考えます。

「爾りと雖も木画の二像に於ては、外典内典共に之を許して本尊と為す」(本尊抄)
「有情の第一の財は命にはすぎず」(主君耳入此法門免与同罪事)

そもそも、なぜ非情(物質)に過ぎない木画を本尊とすることが可能なのか? 時には木画のために命を張ることだってある。有情の第一の財を非情のために捨てるとはいかなることか? なんとも難しい問題であります。
観心本尊抄における重要なテーマでありましょう。つまるところ、仏教一般の通例として木画を本尊とするけれども「一念三千の仏種」でなければ本尊にはならない、との仰せと拝します。
本宗においてはいわゆる色相荘厳の仏をきらいますが、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」(経王殿御返事)の墨(=単色)と五色とではまるでちがいます。「仏は所生、法華経は能生、仏は身なり、法華経は神なり」(本尊問答抄)との仰せは、仏は「釈迦・大日総じて十方の諸仏」であるから五色、法華経は文字であるから単色と考えられます。よって、「五色の絵の具」はあくまで例示にすぎない、と思います。

なお、にわか勉強で恐縮ですが、五という数は仏法の基本概念をあらわすために比較的多用される数字のように思われます。「五色の絵の具」の直前には「五陰世間」、冒頭には「五眼」とありますし、戒法門には「五行・五大・五色・五根・五輪」が図になっています。また、一念三千理事には「五陰とは、新訳には五蘊と云ふなり。陰とは聚集の義なり。一には色陰、五色是なり」等とあります。

木絵二像開眼の事に拝する、三十一相+法華経=三十二相具足純円の仏、ということも同様に考えます。「生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり」と。つまり、木画はほんらい非情なるがゆえであります。ゆえに、 一念三千の仏種>有情(生身の仏)>非情(木画二像) と考えるものであります。

296ガンコ:2003/06/01(日) 21:25

御文字御本尊と仏像との整合性について(2)

最近あまりお見かけしませんが、菊水護国さんは以前こんなようなことをおっしゃっています。
云はく「われわれが信仰している対象は“物体”などではなく、その奥にある“法”である」と。

これは現代受けをねらった解釈ではないかと思っていましたが、よくよく考えると大聖人御自身にこのような御考えがあられたのではないか、と思うようになってまいりました。
日蓮大聖人は宗旨御建立において本門の題目を御唱えあそばされた。当然、大聖人ほどの御方であれば、この時すでに本門の本尊・本門の戒壇の御構想を抱いておられたでありましょう。ではなぜに直ちに説示あそばさなかったのか。もちろん実現は遠い将来(特に戒壇建立は)であったとしても、御説明あそばしても良かったのではないかと考えます時、必ず三沢抄の佐前・佐後が引き合いに出されます。しかし、佐前であるところの唱法華題目抄に御本尊の説明があるのはなぜでしょうか。
「本尊は法華経八巻・一巻・一品、或は題目を書きて本尊と定むべしと、法師品並びに神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書きても造りても法華経の左右に之を立て奉るべし。又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。」

興味深いのは法華経ないし法華経の題目を本尊とする辺において本尊問答抄と同じでありながら、「釈迦多宝を書いても造っても」との仰せはまるで一塔両尊の造像を示すがごとくに思えます。顕正居士さんのおっしゃるように、なるほどいろいろな表現方法があるんだなあと思います。しかるになぜに大聖人はもっぱら御文字でもって御本尊をあそばしたのであろうか。そして同時に造像を容認あそばす御書が存在する意味は何か。

大聖人のおさとりは“物体”などというものではない、けれどもそれを表現するに当たっては紙と墨を用いられた、つまり妙法を御文字に顕された瞬間に一般仏教の木画とまったく同じ問題が生ずることを、大聖人は御考えになられていたのではないか、と思うのです。
そうであるならば、木画二像開眼の事や観心本尊抄(の前半)で“なぜに木画が本尊となりうるか”を証明することは、そのまま御自身の御文字御本尊の証明になるということだと思います。
そして、いちど証明されおわれば木画は生身の仏と崇められる、いわんや大聖人の顕し給う御本尊は生身の仏の御たましい、ゆえに諸仏能生の根源と申し上げるわけであります。

297ガンコ:2003/06/02(月) 05:41

御文字御本尊と仏像との整合性について(3)

しかしながら、正直に申し上げるところですが、日眼女釈迦仏供養事だけは説明がつかないのです。

内容といい、また年代といい、上記の説明ではまったく納得できないので困りました。
まず、年代はいわずと知れた弘安二年。出世の本懐を遂げんとされる年にこのような御指南があるということは、やはりわたくし達が考えている出世の本懐というのは間違っているのではないか、と思わざるを得ないところです。じぶん達で勝手な理由をこさえて勝手に納得するのは簡単ですが、それでは広宣流布などできっこないでしょう。まじめに信心しているのならば、まじめに考えなければならない問題と思うのであります。

そして内容ですが、冒頭に御守り御本尊について一言だけ触れられ、後は延々と釈迦仏造立についての御指南がつづくのです。御文字御本尊と造像がいっしょの御書に論じられているのがいやらしい、なんて言ったら叱られそうですが、これは、先に少し話題になりましたところの合祀を思わせるところがあって悩ましいかぎりです。合祀が間違いであるとしても、この御書のばあいでは、御守り御本尊は文字どおり身に着けるもの、仏像は仏間に安置するという関係を思わせるところがあって、まったくわたくし達にとっては都合の悪い御書であります。

なにより文面より感じることは、大聖人が日眼女を“ベタホメ”に褒めているという印象をぬぐえないわけです。これはおそらく誰が読んでも同じでありましょう。
こうなると、造像はダメ、とは言い難いなあと思います。

というわけで、御文字御本尊と仏像との整合性についてのわたくしの考えは頓挫してしまいました。

どなたか、助けてください。(いないんだな、これが)

298通りすがり:2003/06/02(月) 17:04
日蓮大聖人が釈迦一体仏を拝んでいたのは歴史的な事実でしょうね。
その意味から、ガンコさんの頓挫は起こるべくして起こったということでしょう。

299豊穣:2003/06/02(月) 19:54
>ガンコさん
助け、ないね(笑)

300愚鈍凡夫:2003/06/02(月) 22:24
ガンコさんへ。

だから、本尊の表現方法の問題ではなくて、「観心本尊抄」、に記される理念と構図を備えた本尊であるかどうかの問題ではないでしょうか。

301愚鈍凡夫:2003/06/03(火) 20:39
ガンコさん、ふと思ったんですけど(思うなボケって言われそうですが)、

「問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」(「唱法華題目抄」 学会版P12)1260(文応1)年

との文証を引用されていましたね。
しかし、
「又本門に於て序正流通有り過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり一品二半よりの外は小乗教邪教未得道教覆相教と名く」(「観心本尊抄」 学会版P249)1273(文永10)年

「華厳経の十方台上の毘盧遮那大日経金剛頂経両界の大日如来は宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり、例せば世の王の両臣の如し此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり」(「法華取要抄」 学会版P333)1274(文永11)年

とあります。
一品二半、特に寿量品が重要であるとの仰せですが、「唱法華題目抄」では何故「本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり」なのでしょうか。
この点、どう思われますか。

302みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/06/04(水) 03:41
>ガンコさん。

ガンコさんの御文章を拝読しましたが、詳しく読んでいないのと、引用されている日蓮遺文にあたっていないので、きちんと理解していません。ですので内容についてはよくわからないので、すいません。
 ただ一つ思ったのは、タイトルと問題設定の意図がずれているのかも知れないなと言うことです。「御文字御本尊と仏像との整合性について」ではなくて、「大石寺の漫荼羅本尊正意・板曼陀羅正意と、日蓮遺文の釈迦仏像肯定との整合性について」というタイトルなら、ガンコさんの問題設定をより正確に言い表しているのではないかと想像しますけれども、そうだとすると、文章の内容がよくわからなくなりますね。どうもきちんと読めていないようです。すいません。
 さて、文字漫荼羅と仏像がなぜ日蓮の中で同居するかについては私なりの考えがありますが、長くなるので省略します。要するに日蓮は時代の子だということと、日蓮は人間だということと、本尊に向かって唱題するのは観法(観心行)であり、本尊は観法の道具だということです。釈迦仏像は観法の対象ではありません。できあがった体系として日蓮を見るのではなくて、人生史に於いて変化していった日蓮を見るのでなければ、誤解するのではないかと思いますが、どうでしょうか。

303ガンコ:2003/06/04(水) 17:40

まず、みかんさんに申し上げます。

> さて、文字漫荼羅と仏像がなぜ日蓮の中で同居するかについては私なりの考えがありますが、長くなるので省略します

そんなことをおっしゃらずに教えてください。
このところの一連の御文章を拝見していて、みかんさんのお考えはおおよそ理解できたような気がしていますが、しかし、大事なことは何も語っていらっしゃらない・・・そんな気もします。
長くなるので省略する、ということは時間をかけて説明するほどの価値はない、と思っていらっしゃるのか、それとも大事な問題だから簡単には説明できないとの意であるのか、そこなんですけど、わたくし達にとってはものすごく重要な問題なのです。
ですから、教えてほしいのです。一朝一夕に書けるものではないでしょうけど、少なくともわたくしの目の黒いうちに発表されることをお願い申し上げます。

>できあがった体系として日蓮を見るのではなくて、人生史に於いて変化していった日蓮を見るのでなければ、誤解するのではないかと思いますが、どうでしょうか

ええ、おっしゃることはわかります。
おそらく冗談でよく言われることかと思うのですが、人間にリセットボタンがあったらいいのになあ、みたいなことを。
わたくしも一度リセットして、白紙の状態から大聖人の御書を拝読して見たい、と思うことはあるのです。そうすれば、まったく違った読み方が出来るかもしれないと。
おっしゃるとおり、できあがった体系で見ているのだろうことは既に承知しているつもりなのです。なにしろ、わたくしは顕正会で十有余年、教育されてきたのですから。
リセットは不可能というのが結論です。
ですから、開き直って今までの延長線で学んでいこうと考えています。
もし、わたくしの書いていることに間違いがあればどんどん指摘してください。そして正義を示してください。リセットは出来なくても上書きされていくだろう、と思いますので。

このことはみかんさんだけでなく、すべての人にお願い申し上げるものであります。

304ガンコ:2003/06/04(水) 17:46

愚鈍凡夫さん

本尊抄の理念と構図を備えた本尊とかなんとか、すぐ難しいことおっしゃるんだから。
理念=末代幼稚の為の本尊ということでしょうか? するとわたくしはどうしても御文字御本尊を思い浮かべてしまうんです。
構図=為体ということでしょうか? そうするとやっぱり大曼荼羅のおすがたを思い浮かべてしまうんです。

堂々巡りのようですが、もし本尊抄の理念と構図に仏像も適うとして、では日眼女抄の一体仏も当てはまるのかというあなた自身の疑問は完全に氷解したのでしょうか?

さて、つぎに法師品と神力品について申し上げます。
じつはわたくし、法華経を読んだことがありません。よって、法師品と神力品に何が説かれているか、つぶさには知りません。
ですが、本尊問答抄の冒頭には、法華経の題目を本尊とする根拠を法師品に求めております。
「薬王、在々処々に若しは説き若しは読み、若しは誦し若しは書き、若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てゝ極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安んずることを須ひず。所以は何。此の中には已に如来の全身有す」
神力品のほうはちょっとわかりづらいですが、
「要を以て之を言はゞ、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」
つまり、如来の全身=如来の一切、と考えて差し支えないならば、唱法華題目抄の次の段には、
「其の上、法華経の肝心たる方便・寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり。・・・・・今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて、十方世界の三身円満の諸仏をあつめて、釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に、一仏一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり。故に妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大なり。」
とありますように、すべては南無妙法蓮華経の中に含まれているという意味になりましょう。
詮ずる所、寿量品に建立する所の本尊はいかなるおすがたであられるか、末代幼稚のわれわれには思慮のおよばぬことでありましょうから、御文字で拝する以外に方法はないのだと思います。
法師品神力品を、寿量品の本尊を説明あそばすための傍証と拝するならば、大聖人の御本意はほぼ御文字御本尊で間違いないのではないでしょうか?

305愚鈍凡夫:2003/06/04(水) 19:58
「法師品」は「見宝塔品」の1つ前だから、宝塔はまだ現れていないんですよね。
法師品で連想するのは、五種法師・十種供養、有名な「況滅度後」の一節ですか。
弘法を含めた仏道修行の在り方と、仏への供養。そして、その結果としての成道が説かれていると言えるでしょうか。
「神力品」は地涌千界に滅後の法華経流布の付嘱を与える処ですよね。まだ虚空会の儀式の最中ということですね。
これらのことから、仏道修行と結要付嘱を踏まえた上で、末法に於ける本尊を顕す意義を示唆しているのではないかと思ったからです。要するに、本尊の具体的な姿として述べているようには思えなかったからです(あの文証では四菩薩が説かれていませんから)。
「唱法華題目抄」では、南無妙法蓮華経を本尊としてではなく、唱題行として捉えているのではありませんか。「唱法華題目抄」は1260(文応1)年、「本尊問答抄」は1278(弘安1)年です。この間の18年の歳月を考慮すべきだと思いますが。
釈迦仏の一体仏であろうと、「本門の釈尊」と拝し、法華経をその釈尊の内証として添え、「常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱なうべし」(唱法華題目抄)とすることによって、一尊四士の意義は満たされていると思えるようになりました。以前、「楊子本尊(1285(弘安8)年10月9日)」の写真を紹介しましたが、この曼荼羅は中尊と梵字で構成されていましたね。中尊は法華経の肝心ですから、これも一尊四士の意義は満たしているのではないですか(愛染・不動をどう解釈するかという問題はありますが)。

小生も数十年創価に身を置いてきました。故に、ガンコさんの気持ちは理解できます。
しかし、現在は創価教学を振り払うために、基礎から教学を組み立て直しているところです。

306愚鈍凡夫:2003/06/04(水) 20:36
訂正です。

楊子本尊は1271(文永8)年10月9日図顕です。
悪しからず。

307sunya:2003/06/05(木) 01:31

 > 303 ガンコさん、sunya です。(^^;

> なにしろ、わたくしは顕正会で十有余年、教育されてきたのですから。

 どこの団体・教団に居ても、だいたい同じコトじゃないでしょうか、要は自分自身の問
題だと、わたしは思いますよ。
 もっともそういう意味も含めての、ガンコさんのご発言なのでしょうが。

> リセットは不可能というのが結論です。ですから、開き直って今までの延長線で学ん
でいこうと考えています。

 おっしゃる通りだと、わたしも思います。リセットは不可能だし、他者が無理にそれと
近いことをしようと思えば、それは“逆洗脳”や“脱プログラム”という危険なテクニッ
クの乱用、にもつながりかねません。
 団体や教団の押しつけを押しつけと知って、押しつけではない知見を自ら選び取って
“上書きされていく”ということ、それを自ら受け入れていくこと、そういうしなやかな
自身の態度が大切な事ではないか、わたしはそう思います。

> そして正義を示してください。

 ガンコさんにとって、その“正義”とはどういうコトでしょうか。「正義とはこれこれ
だ」と、他者が示してくれるような“正義”が、果たして<正義>なのでしょうか。それ
では、顕正会の押しつけにその“正義”が取って替わるだけのことになる、そういう可能
性が残りましょう。
 なんて、言わずもがなのコトを申し上げるのは、老いぼれの繰り言でございます。

 すでに、ガンコさんはご自身でしっかりと考えて、「発言」をなさっていらっしゃる。
それゆえ、必ず多くの方々から様々な意見・異見が、提示されることでしょう。
 ただし、「正義とはこれこれだ」という意見には、注意したほうがよろしいかもしれま
せんですね。どうも余計なことばかりで、失礼をいたしました。

308ガンコ:2003/06/05(木) 06:34

sunyaさん、どうもです。

なんだか、よっぽど危なっかしく見えるんでしょうね、わたくしって。
ですけど、元来が頑迷なものですから、なかなか上書きされそうでされないんです。
本年初頭に独歩さんは、諸宗問答抄をお引きになって「非学匠は理につまらず・・・都て理におれざるなり」、これがわたくしなんですって。
そういえば夜中にお見えになってらしたようですね。

309その辺の 求道者:2003/06/16(月) 21:13
ガンコ様は問題提起される御方、、=No1の方でしょうか、、??

310:2003/06/19(木) 17:12
日蓮本仏論て
大石寺の日寛上人の頃から言われ始めたことなんじゃないかな。
大聖人も日興上人もそんなことは一言もいってないし・・・。

311ガンコ:2003/06/20(金) 13:10

>大聖人も日興上人もそんなことは一言もいってないし・・・。

そうしますと、日蓮大聖人はいかなる御立場でありましょうか?
大聖人御自身はどのように仰せであられるか、日興上人は大聖人をどのように拝しておられたか、もっとも適切と思われる御書・御筆記を教えてください。
また、あなたご自身のお考えも併せてご教示願いとうございます。

312:2003/06/21(土) 18:51
大聖人は宗祖でもなければ末葉でもない
大聖人は釈尊の仏像を拝んでいたんですよ。
日興上人は大聖人に師事していたんです。
他の5老僧もね、、。
私は、
仏−釈尊
宝−五字七字の題目
僧−日蓮
と思っております。

313ガンコ:2003/06/26(木) 12:01

kさんどうも遅くなりました。

あなたのお考えは簡潔でよくわかりました。できれば御書を教えてほしかったです。「一言もいっていない」とおっしゃるからには大聖人・日興上人の御指南を一言漏らさずご存知なのでしょうから。

314藤波太郎:2003/07/12(土) 22:17
重須本門寺の一信者です
大変活発な議論がなされていて、感動しております
かつてどうだったかは知りませんが
現在、重須では釈尊を本仏として拝んでおります
なんといっても、本門戒壇可建霊場
みなさんも、重須へお詣りしてはいかがでしょう
心が洗われますよ

315ガンコ:2003/07/13(日) 13:59
どうもはじめまして、ガンコと申します。わたくし大して教学もないのですけど、このところ恥も外聞もなく出まくっています。

よろしければ、日興跡条々事についてどのようにお考えなのか教えてください。

「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。」

この掲示板では大石寺の奉安堂にまします御本尊がはたして「弘安二年の大御本尊」なのかどうかという、正宗信徒にとっては恐ろしい議論がなされてきたわけですが、少なくとも「弘安二年の大御本尊」とは曼荼羅本尊のことだとされているように思います。

であるならば、
>なんといっても、本門戒壇可建霊場

ここには「弘安二年の大御本尊」が安置さるべき道理かと思うのですが、今の重須本門寺ではどのような奉安形式をとっていらっしゃるのでしょうか?

316藤波太郎:2003/07/13(日) 20:35
ガンコ様は、日蓮正宗の教えを信仰されているのですね
私は重須の信者ですから、日蓮宗の教えを信仰しております

「日興跡条々事」についてですが
周知のとおり、日蓮宗の学者による研究では日興上人の作ではないと
断定されています
もちろん、日蓮正宗の学者による反駁もなされていますが
これって、まだ決着ついてないのではないでしょうか

どのようにお考えなのか
と聞かれましたので、一応お答えしますが
やはり文献批判の発言になってしまいますよ 
いわゆる「日目正統」を主張する為の偽作ではないですか、と

重須の本尊は曼荼羅本尊です
何年に図顕された御本尊か、私は覚えておりません
(本門寺の執事長さんに何度も聞いたのに、はずかしい)
「日興跡条々事」が日興上人の真意ならば、重須の本堂に
「弘安二年の大御本尊」を奉安すべきであろうとは思います
でも、文献的考察が決着ついてないのでしたら
とくに「何年」とこだわる必要もないのでは………

また、これは私見ですが
「弘安二年の大御本尊」を奉安しなければ本門戒壇(本門寺)たりえない
のであれば、もし戦争か災害で焼けちゃったらどうするのですか?
これは有り得る話です
本門戒壇って、火に焼けちゃう程度のモロい存在なのですか?
現に、重須は明治末期、火災でほとんどの堂々を失いました
大石寺だって、建築物である以上「不滅」ではないはずです

日興上人にとって、大石寺も重須も、どちらも大切な道場であったはず
そして、長きにわたりともに精進してきた歴史があるのでしょう
いま、必要なのは教団の利害を優先するのではなく、
また、互いの欠点を非難しあうことでもなく、
ともに論議を重ね、正しい道を模索することであろうと思います

317ジャージルーカス:2003/07/14(月) 00:50
藤波太郎さん
私は大石寺檀家のジャージと申します。
なお、法華講には加盟してません。

重須本門寺は正式には「本門寺根源」と名乗るべきであり、現時点で
「本門寺信徒」を名乗るのは、控えるべきであると、本門寺の御住職
から電話で直接確認いたしております。

と言うわけですので、ガンコさん
現在の重須は「本門寺根源」であり「本門寺」では無いのですから、
奉安形式に拘る必要は無いと思います。

>また、これは私見ですが
>「弘安二年の大御本尊」を奉安しなければ本門戒壇(本門寺)
>たりえないのであれば、もし戦争か災害で焼けちゃったらどう
>するのですか?
>これは有り得る話です
>本門戒壇って、火に焼けちゃう程度のモロい存在なのですか?
>現に、重須は明治末期、火災でほとんどの堂々を失いました
>大石寺だって、建築物である以上「不滅」ではないはずです

そんなこと当然です。本宗は物質信仰はいたしておりません。
御戒壇様に流れる法こそ尊いのです。
物質信仰は、創価学会や新参法華講の方たちで、それとて一代法華の
解釈する大石寺信仰に過ぎません。
本来の大石寺信仰で言えば以下のようになります。

問「御戒壇様が火で燃える事はあるのでしょうか。」
答「そんなこと当然である。全ての存在は成住壊空である。御戒壇様だけ
それを免れる道理が無い」
問「もし、御戒壇様が焼けたらどうすれば良いのでしょうか。」
答「時の法主(総貫首)が、再生すれば良い。そのために法主は存在するのだ。」

318ガンコ:2003/07/14(月) 15:00
藤波太郎さん、どうもです。

>「日興跡条々事」についてですが
>周知のとおり、日蓮宗の学者による研究では日興上人の作ではないと
>断定されています
>もちろん、日蓮正宗の学者による反駁もなされていますが
>これって、まだ決着ついてないのではないでしょうか

ああ、どうもすみませんです。こうした基本的なことすらよく知らないものですから、まったくひどいものです。どんどん教えてください。

で、またまた初歩的な質問で恐縮ですが、二箇相承はどうなんでしょうか?
御書の分類でいえば、重須曾存というべき道理かと思うのですが、この掲示板の議論では偽書説が有力とされています。
ま、まさか、あなたはそんなことはおっしゃらないでしょう?


ジャージルーカスさん、

なにげに(総貫首)っていれてますけど、これは日興上人御一人を申し上げるのではなかったですか?

319藤波太郎:2003/07/14(月) 18:16
ジャージルーカス様、ありがとうございます

ジャージルーカス様は、大石寺檀家で、法華講には加盟していらっしゃらない
そうですか
ジャージルーカスさんのご意見は、随分、日蓮宗に近いように感じます
私がモノを知らないだけかもしれませんが、日蓮正宗の信仰にも
いろいろなカタチがあるのですね
もっとも、それは日蓮宗とて同じことですが
日蓮正宗においては、統一見解が確立されているイメージがありました
意外ですが、そこが正宗の懐の深いところでしょう

本門寺の住職とは、貫首猊下のことでしょうか
よく、直接電話で話すことが出来ましたね
私など、とうてい叶うことではありません

320ジャージルーカス:2003/07/14(月) 20:46
>ジャージルーカスさん、
>なにげに(総貫首)っていれてますけど、これは日興上人御一人を申し上げるのではなかったですか?

それは違います。
法主はどのように呼ぶのが正しいかを文献を挙げて示すと、以下のようになります。
「白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」《具騰本種正法実義本迹勝劣正伝(百六箇抄) 弘安三年一月一一日 聖寿 五九歳》

以上に明らかなようにまず日興上人を「総貫首」と拝しますが、さらに「日興が嫡々付法の上人」も「総貫首」と拝するのが正しいのです。

321ガンコ:2003/07/14(月) 21:11

>以上に明らかなようにまず日興上人を「総貫首」と拝しますが、さらに「日興が嫡々付法の上人」も「総貫首」と拝するのが正しいのです。

あっ、こここれは、失礼しました。

322藤波太郎:2003/07/14(月) 21:30
ガンコ様、ありがとうございます

「二箇相承」についてですが、日蓮宗の学者はほぼこれを否定しております
ほぼ、というか全く、といってよいのではないでしょうか
その他「百六箇抄」「本因妙抄」等、富士門流の相伝書はことごとく
疑問視されております

では、重須にとって、日興上人はどのような存在なの?
とよくきかれます

私は重須を代表して発言する立場ではないので、あくまで私見ですが
文献批判に耐えながらも、六老僧中やはり日興上人が付法の上人と
信じているのが現状ではないでしょうか

ある日蓮宗の学者がこのように発言したそうです
「文献批判をともなわない研究は、もはや宗学ではない」
私はこの言葉を謙虚にうけとめ、一応、真偽未決の文献については
第一級の文証としてあげることは、控えるべきだと思います

323ガンコ:2003/07/16(水) 17:35

藤波太郎さん、どうもです。

いや〜、がっかりです。しかし、それがまじめな態度なのでしょうね。

>私はこの言葉を謙虚にうけとめ、一応、真偽未決の文献については
第一級の文証としてあげることは、控えるべきだと思います

こうした風潮というか傾向というか、ともかくそのなかでもっとも遅れをとっているいるのが我が御宗門ということになりそうです。
そしてまた、そのなかでもとりわけ遅れているのが我が顕正会である、ということなのだそうです。

324藤波太郎:2003/07/17(木) 08:52
宗学に限らず、あらゆる学問において「根拠」が重要であることはいうまでもありません
近代とか現代とか、時代の問題ではなく、大聖人も「文証」を大事にされていたでしょう

ただ、大聖人の御書について文献学的考察がなされたのはつい最近のことです
(750年の歴史の中で)
いまのように御書を編年体にならべて拝読することなど不可能であったわけですから
断片的にしか学べなかった先師をいたずらに責めることは出来ません
日蓮大聖人がアメリカ大陸を知らなかったからと言って
世界を知らない狭い人間だと笑うのと同じことです

この時代にいたって、科学の進歩、文明の利器に恵まれた私たちは
かえって情報がありすぎて、戸惑ってしまうのですよね
宗学(もしくは仏教学・日蓮教学)においても日進月歩
ことにコンピューターの出現で飛躍的に研究が進みました
そして、先師の持ち得なかった情報を、手にしてしまった現実があります

真摯に道を求めれば求めるほど、学問を追究すればするほど
苦しまずにはいられない
私はそのように考えています

325藤波太郎:2003/07/17(木) 17:02
もう少し言葉を足します

「文証」「証拠」「根拠」ほぼ同じ意味であると私は思いますが
我々、富士の教えを信ずる者にとって、決定的打撃は
御書と相伝書とが必ずしも一致しないことです
つまり、「文証」「証拠」「根拠」が弱いということです

相伝書にあることが三大部もしくは五大部の教義に一致すれば
なんの問題もありません
しかし、実際には大きなズレがあるように思います
相伝書を中心に据えて教学を構築する時
どうしても御書を否定しなければならなくなるでしょう
日蓮本仏論はその最たる例だと思います
大聖人の御書には、「教主釈尊」よりも「行者日蓮」を上位におく思想は
よみとれますが、本仏であると断定するには富士の相伝書を
「文証」としなければならないのではないでしょうか

あるいは、日蓮正宗と日蓮宗とでは御書の読み下し方が違って
私が勘違いしているだけでしょうか

私は日蓮本仏論という素晴らしい教義を立てた先師に敬意を表します
しかし、もし文献的批判に耐えられぬ日蓮本仏論であるならば
やはり謙虚に反省しなければならないのではないかと思います

326ジャージルーカス:2003/07/17(木) 19:59
藤波太郎さん
「伝に曰わく」で作られているのが日蓮正宗です。
「伝に曰わく」で作られていないのが他の日蓮宗です。
そもそも土俵が違うのですから、文献的批判は意味を持たないのでは無いでしょうか。
柔道で空手を批判するようなものです。
そもそも、大聖人御自身が、自ら御立の法門の教義体型にそれまでの文証を切り文的に引用されております。
また、当時既に偽書と確定されていた文書を無造作に使用されております(聖徳太子の未来記など数え上げたらきりないです)。
大聖人は「自らの法門に有効な文書は偽書・真書問わず使用する」姿勢だった事が伺えます。

神道研究の大家S氏は大聖人を「仏法の仮面をかぶった神道家」と評しましたが、実は大聖人は既に仏教の枠を越えてました事は、御本尊の相妙や各種御妙判を見ても明らかです。大聖人は総合宗教の教祖ですから、自由自在に法門を立て、それまでにあった文章を御自身の法門を立てるために、使用できる部分のみ使用したと考えた方が良いと思います。
もっと言うと「陰陽道・道教・神道・仏法」等の全てを使用した総合宗教を立て、一応それまでの「仏法の流れ」のように装ったとも考えられます。
そして仏法の顔を装った以上、それ以外の部分は相伝に含ませるしか無かったのではないでしょうか。

327??:2003/07/17(木) 20:11
オイ! オイ! 本気かよ、、マジかよ、、。 でも「かなりの核心、、?」かも、、?

328藤波太郎:2003/07/18(金) 11:26
ジャージルーカス様

なるほど、と思わず納得してしまいました
そちらの土俵が少しみえたような気がします
柔道と空手、たしかに名勝負はあまり聞いたことがありません
k1とプロレスも、しかりですね
ルールが違うのですから、仕方ありません

「仏教日蓮宗」か「日蓮教仏教派」か
そんな議論が日蓮宗でもなされます
ジャージルーカスさんのおっしゃることから察するに
日蓮正宗は「日蓮教」とみてとれます

我々のルールは、大聖人の御書にほかなりません
それも、三大部・五大部といわれる真蹟とみて間違いない御書

日蓮正宗のルールは御書よりも相伝書を主とする立場
法華文上よりも文底を取るように、大聖人の御書においても
文上よりも文底を取るということでしょうか
そして、その文底を伝える相伝書について真偽さえ問わないのでしょうか

日蓮宗の歴史を見る時、身延も池上も、京都の諸山においても、そして重須でも
さまざまな教義を掲げた時代がありました
現代とて、未来から見れば大きな誤解を掲げているのかもしれません
しかし、つねに客観的批判に耐えながら、道を模索していくよりほかないと
私は思います

石山とて「教学史」が存在するでしょう
相伝書は「教学史」の中で編まれた文献であると私は解釈しております
最近、相伝の真偽についてそちらで熱心に議論されていますね

私は、議論している人の気持ちが、痛いほどわかります

329無徳:2003/07/18(金) 12:33
藤波太郎さん始めまして:

藤波さんからみてインド応誕の御釈迦さんの直説とは何でしょう?
いわゆる原始仏教と言われる経典群が釈迦の直説に近いとされていま
すが、何しろ御釈迦さん自身は文蹟を残していないとされていますか
ら、真偽の程は確かとは言えない様に思われますが如何なものでしょ
うか?

イギリスがインドを植民地化するに当たって、仏教を徹底的に研究す
べしとしてヨーロッパ的な文献学的手法を用いたとされています。
現在の日本における仏教学がロンドン仏教といわれる由縁でありまし
ょう。

>私は日蓮本仏論という素晴らしい教義を立てた先師に敬意を表します
>しかし、もし文献的批判に耐えられぬ日蓮本仏論であるならば
>やはり謙虚に反省しなければならないのではないかと思います。

とのことですが、藤波さんは日蓮御坊ご自身が本仏であると明言し、
それが文蹟として明確でなければ日蓮本仏論は成立しないということ
でしょうか?

330ガンコ:2003/07/18(金) 12:45

>大聖人の御書には、「教主釈尊」よりも「行者日蓮」を上位におく思想は
>よみとれますが、本仏であると断定するには富士の相伝書を
>「文証」としなければならないのではないでしょうか

本仏であることを強調しなければ、あんがいに日蓮宗も正宗もさしたる違いはないということでしょうか?
わたくしの乏しい知識で恐縮ですが、
「教主釈尊より大事なる行者」(下山御消息)
「月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。」(諌暁八幡抄)
ぱっと思い浮かぶのはこんなところですが、他にどのような御書をご存知か教えてください。

もし「教主釈尊」よりも「行者日蓮」を上と見るならば、もう大して違いはないように思えます。
そうすると、唯授一人の血脈相承が問題となりましょうか?
これは困った。

331藤波太郎:2003/07/18(金) 13:09
無徳様

あえてインド応誕のお釈迦様とされていますが、私は釈尊を本仏として
仰いでおりますので、釈尊の直説は法華経と断言します
これは、正宗の論理では通用しないかもしれませんが
私の正直な見解を申し上げれば、このようにしかお答えできません
原始仏教は方便の権教とみております

また、日蓮大聖人御自身が本仏であると明言しない限り
そして、それが文蹟として明確でなければ、日蓮本仏論は成立しないと
考えております

332藤波太郎:2003/07/18(金) 13:19
ガンコ様

私もじつは同じようなことを考えていました
日蓮本仏論、そして唯受一人の血脈相承をのぞけば、案外
正宗と日蓮宗との教義上のへだたりはないのかも知れませんね
「教主釈尊」より「行者日蓮」を上位におくのは
私も『下山御消息』と『諌暁八幡抄』を指して、そう申しました
ただ、他にもあったと思います、いや、ありましたよね

「教主」より「行者」を上位におくのは、どちらがすぐれているという
問題ではなく、末法という時代においては「行者」が化導を担うという
意味ですね
経法においては、釈尊は「法華経」、大聖人は「題目」
これも、末法なるが故に、「題目」でなければならないわけです

これは、日蓮宗においても常識です
そしてこれは、相伝書を用いずとも御書から充分まなべることです

333無徳:2003/07/18(金) 19:57
藤波さん今晩は:

>私は釈尊を本仏として仰いでおりますので、釈尊の直説は法華経と断言
>します。

とのことですが、この釈尊とはいかなる存在でしょうか?

>原始仏教は方便の権教とみております。

このご意見との兼ね合いからすると、インド応誕のお釈迦さんの事の様に
思われますがそれで宜しいのでしょうか?

334愚鈍凡夫:2003/07/18(金) 20:56
横から割り込み失礼します。
ガンコさん引用の
「たとひ鉄囲山を日本国に引回し須弥山を蓋として十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも法華経の敵となり教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に・たりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ」(「下山御消息」 学会版P363)

「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(「諫暁八幡抄」 学会版P586)
以外で有名な文証は、

「日蓮無くば釈迦多宝十方の諸仏の未来記は当に大妄語なるべきなり」(「真言諸宗違目」 学会版P140)
「当世法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(「開目抄上」 学会版P203)
「智人南無妙法蓮華経と唱えば愚人の此れに随はんこと影と身と声と響とのごとくならん、日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし、これをもつてすいせよ漢土月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず」(「撰時抄」 学会版P284)
「時を論ずれば末法の初め一定なり、然る間若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん」(「顕仏未来記」 学会版P507)
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり」(「聖人御難事」 学会版P1190)
といったところでしょうか。

「又日蓮が弟子となのるとも日蓮が判を持ざらん者をば御用いあるべからず」(「一谷入道御書」 P1330)
とありますから、

>また、日蓮大聖人御自身が本仏であると明言しない限り
>そして、それが文蹟として明確でなければ、日蓮本仏論は成立しないと
>考えております
との、藤波太郎さんの仰せの通りだと思います。

335無徳:2003/07/19(土) 00:28
愚鈍凡夫さん今晩は:

>>また、日蓮大聖人御自身が本仏であると明言しない限り
>>そして、それが文蹟として明確でなければ、日蓮本仏論は成立しないと
>>考えております
>との、藤波太郎さんの仰せの通りだと思います。

との事ですが、私は人本尊開顕の書とも言われる『開目抄』と『種種御振舞御書』
を、何度も何度も読むたびに日蓮御坊を末法(現在)における御本仏であると確信
せざるを得ないのです。

今もこのレスを書く前に3度『開目抄』を拝読させていただきました。

<今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈
せられ、刀杖等を加へらるる者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。
「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲」と。又云く「白衣の与に法を説て世に恭敬
せらるること六通の羅漢の如し」。
此等の経文は、今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば、世尊は又大妄語の人。
「常在大衆中 乃至向国王大臣 婆羅門居士等」、今の世の僧等、日蓮を讒奏して流
罪せずば此の経文むなし。
又云く「数数見擯出」等云云、日蓮法華経のゆへに度度ながされずば、数数の二字
いかんがせん。
此の二字は天台・伝教もいまだよみ給はず。況や余人をや。末法の始のしるし、恐怖
悪世中の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。>

さらにあまりにも有名な

<詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。
身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼の婆羅門の責を堪へざるゆへ。久遠大通の
者の三五の塵をふる、悪知識に値ふゆへなり。善に付け悪につけ、法華経をすつる
は地獄の業なるべし。

大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせ
よ。父母の頚を刎ん、念仏申さずば。なんどの種種の大難出来すとも、智者に我義
やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。

我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかい
し願、やぶるべからず>

そして解釈に異説ありますが、

<日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり>

これらの御文は只事ではないと感じます。

336愚鈍凡夫:2003/07/19(土) 01:39
無徳さんどうも。レス有り難うございます。

蓮祖が世間から悪口罵詈され、諸難に遭った原因は、
「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をば焼きはらいて彼等が頚を由比ヶ浜にて切らずば、日本国必ず滅ぶべしと申し候了ぬ」(「撰時抄」 学会版P287)
と、ことあるごとに宣布したことが直接の原因だと思います。
当時、人格者と謳われた人物たちを由比ヶ浜にて斬首せよと言うのですから、当然と言えば当然でしょう。
蓮祖も十分そのことは予想していたことだと思います。
幕府の注目を引き、その理由を糾させ、公場にてこれらの高僧たちと相見えることを望んでのことだったと思います。
「立正安国論」の冒頭に記述されているような、地獄絵さながらの様相に接するにつけ、仏法の正邪を糾すことが一切衆生の眼目を開く近道であると確信されたのでしょう。
福祉活動より優先すると判断されたのだと思います。
人の命の重さや、人権に対する認識が現代とは随分違いますね。

釈迦牟尼の本意は「法華経」にある。従って、「法華経」を信じなければならない。
そして、「寿量品の教主釈尊」こそ末法相応の本尊であるというのが蓮祖の主張ではなかったですか。

「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」(「開目抄下」 P232)
との文証は、釈迦牟尼と同じ想い、同じ決意で法華経流布を誓われた決意の現れと拝します。

とりあえず、おやすみなさい。

337藤波太郎:2003/07/19(土) 08:36
無徳様

私が申しますところの「本仏釈尊」とは、もちろんインド応現のお釈迦様の
ことです
大聖人の御書を拝する時「釈尊」と「釈迦」と分けられていますね
無徳様は、このことから
「いかなる存在」
とお尋ねであると思います

大聖人は、一応「釈尊」「釈迦」等、表現を分けられていますが
これは三世益物の図式を考える上で、あえてそう表現されたのだと
思われます
インド応現のお釈迦様は「迹仏」です
しかし、その「迹仏」たるお釈迦様はじつは「本仏」であるというのが真意であります
ここは娑婆世界です
娑婆に応現され法華経を説かれるのは「釈迦仏」のみでしょう
これが西方世界であるのなら「阿弥陀仏」が法華経を説くのです
ですから、西方世界においては本仏が「阿弥陀」であると解釈されるのでしょう

もちろんこれはこちらの解釈です
正宗からみれば何を言うかとお怒りをかうかもしれません
しかし、これが、こちらの解釈です
信仰の対象、教学の論理がずいぶん違うのですね
「おもしろい」
と言っては不謹慎かもしれませんが、いろいろな解釈があるものです

338無徳:2003/07/19(土) 16:05
愚鈍凡夫さんそして藤波太郎さん今日は:

皆さんは日蓮御坊が

<日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ。信じさせ給へ。 仏の
御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。>

とされた御本尊を“信”じてお題目を唱えられておられるのではないのでしょうか?
インド応誕のお釈迦さんや法華経の寿量品に説かれる久遠の本仏、つまり“釈尊”
とはどの様なお方をイメージなされますでしょう。

私にはインド応誕のお釈迦さんや法華経に説かれる釈尊では、具体的にも具象的に
もイメージが湧かないのです。南無妙法蓮華経たる御本尊に“信”を置き題目を唱
えるには、日蓮御坊の残された文言区々を思い出し、自分が描いた御坊のイメージ
を思い抱きながら題目を唱えています。

私が日蓮御坊を“本仏”と仰ぐ由縁も一重にそこにあるといって過言ではありません。

339愚鈍凡夫:2003/07/19(土) 16:54
>>338: 無徳さんへ

小生が「寿量品の教主釈尊」を末法相応の本尊といっているのは、蓮祖の真蹟遺文にそうあるからです。日蓮門下を名乗るのであれば、まず蓮祖がどういわれているかが重要なのではありませんか。

「正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」(「観心本尊抄」 昭定P712)
「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(「報恩抄」 学会版P328)
「仏滅後二千二百二十余年今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず、当時果報を論ずれば恐らくは伝教天台にも超え竜樹天親にも勝れたるか、文理無くんば大慢豈之に過んや」(「土木殿御返事」 学会版P963)

蓮祖が「寿量品の教主釈尊(本門の教主釈尊)」を本尊とすべしと言っている以上、日蓮門下としてそれに従うは道理だと思いますが・・・・・。
それに、曼荼羅本尊を「寿量品の教主釈尊」の内証と捉え、唱題するのに別に不都合はありませんよ。

引用されている文証の「経王殿御返事」は、古写本さえ存在しないのではないですか。

340日蓮:2003/07/19(土) 22:31
余は仏ではない!

341ガンコ:2003/07/20(日) 03:03
あ、だめだめ、そんなふざけちゃ。いろいろ質問されちゃいますよ、観心本尊抄の読み下し方とか。だいじょうぶですか?

342藤波太郎:2003/07/20(日) 11:57
無徳様 愚鈍凡夫様

無徳様と愚鈍凡夫様とでは随分見解が違うようですね
もちろん私とも違いますが

質問したいのですが
石山では
「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(報恩抄)
の「釈尊」を「日蓮大聖人」であると解釈すると聞いたことがあります

愚鈍凡夫様のご意見を拝するに、これに該当しないようですが
いまの石山ではどのように解釈しているのでしょう

できれば教えて下さい

343愚鈍凡夫:2003/07/20(日) 13:53
>>342: 藤波太郎さんへ

小生は元創価学会員で、現在何処の教団にも所属していません。
昔、創価学会で習ったのは、
久遠元初に教主釈尊(本因妙の教主釈尊)に下種を受けたのにもかかわらず、不信謗法の故に成道できなかった衆生(本已有善)を化導するために出現したのが久遠実成の教主釈尊(本果妙の教主釈尊)です。
この本已有善の衆生は、正像二千年で全て成道し、久遠実成の教主釈尊の役目は終わります。末法に入ると衆生の機根が久遠元初と同じ本未有善になります。
この本未有善の衆生は釈迦仏とは無縁の衆生で、釈迦仏法では成道できないとします。
そこで、これらの衆生に下種するために久遠元初の教主釈尊が出現します。
この末法に出現する下種仏こそ日蓮大聖人であるとするのです。
こういうふうに習いました。

344インド放浪体験者:2003/07/20(日) 18:09
300番代以降は、皆様方の御論戦とても御参考になります。 さて視点を一寸かえましょうか、? 皆様方「仏教の古里であるかの地、一度くらいはインド訪問をお薦め」します。小生は20代〜50代に都合五度ほど現地インドを訪ねましたが、どうも「仏教でこそ済度されるべきカースト最下層の方々」が、未だに「バラモン教の流れを引くヒンズー教の厚く強靱?な壁?になす術も無く」苦悩のドンゾコに低迷する在り様を可視可能です。そこには「後五百歳未法の民を思った釈尊の魂は?」。「そこには、本未有善の方の済度など、片鱗すらも感知不可?」の絶望的な大衆があふれ「仏教無力?」=「衆生救済?」、などを体感して来た一人です、、。 しかし「今後、展望の開花の希望だけは持続」したいものです。

345藤波太郎:2003/07/21(月) 08:50
愚鈍凡夫様

ご教示ありがとうございます
もう少し、お聞きしたいのですが
ええと、とりあえず2点にします

1点目
「久遠元初」とは、いわゆる法華経説法よりさかのぼる五百億塵点劫のポイント
すなわち一時点を指すのでしょうか?それとも、五百億塵点劫より過去の時間を指すのでしょうか?

2点目
「久遠元初」の教主は、下種をもっぱらとするのですね。
いわゆる「種」「熟」「脱」の「種」を担う仏であるということ。
そこで、わからないのは、末法において「種」を担うのは「上行菩薩」
ではないのですか?
仏が再度この世に応現してしまうのですか?

以上2点、日蓮宗の一信者として疑問に感じてしまいました
私の無知に加え
宗旨もちがえば、解釈も違います
愚問かも知れませんが、是非教えて下さい

346ガンコ:2003/07/21(月) 10:48
愚鈍凡夫さん
>引用されている文証の「経王殿御返事」は、古写本さえ存在しないのではないですか。

わたくし、この御書が偽書だったら、イヤだなあ、と思っています。この御書が偽書だったら、もう、それだけで信仰の値打ちがなくなってしまうくらいに感じてしまいます。とりわけ大曼荼羅信仰者にとっては重要な御書であろうと思うのです。
愚鈍さんは偽書と断定されているわけではありませんが、どうなんでしょう、お考えをご披露ください。

重要な教義上の争点において、はなはだアヤシゲな御文を引用して、それでこと足れりとするものがいれば、それはまったくお話にならないことでありましょう。しかし、御真蹟ないし古写本がなくとも特に疑義のない御書においては、さしたる問題はないのではなかろうかと思うのです。わたくしは愚鈍凡夫さんほどには御書に精通していないので、可能であれば御書全編にわたって講義を賜わりたい、そして一々の御書の真偽を解説いただきたい、と贅沢な、わがままな、むちゃな、甘ったれた・・・考えを懐いております。
それは無理なおねがいでありましょうから、日々の議論のなかで、折にふれてご解説いただけたら、とってもうれしく思います。

好きな御書っていうのがたくさんあるのですが、
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱へ奉れば凡身即仏身なり。」(本因妙抄)
こ、これが偽書だなんて、そんなバカな・・・。もう、これだけで信心やる気なくなっちゃうくらい、だ〜い好きな御書なんですけども、はなはだ弱ったものです。


あと、藤波太郎さんにご質問があります。
「三世益物」とはどういった意味なのでしょうか? 簡単にご説明ねがえませんか。(簡単にしか理解できない頭なので)

347ガンコ:2003/07/21(月) 14:49
「先日のまぼり暫時も身をはなさずたもち給へ。其の御本尊は正法・像法二時には習へる人だにもなし。ましてかき顕はし奉る事たえたり。」
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。」

経王殿御返事は能説・所説の関係において、じつに明瞭な御指南と拝するものであります。
すなわち、釈尊=法華経  日蓮=南無妙法蓮華経 ですが、もちろんイコールで結ぶかどうかに異論があるかもしれません。とりあえず、記号の問題はおきます。

「正法・像法には此の法門をひろめず、余経を失はじがためなり。今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし。」

いわゆる末法適時の御法門とは何か、この上野殿御返事においても明瞭であります。すなわち、
能説の教主=南無妙法蓮華経の法華経の行者たる日蓮大聖人
所説の法門=妙法五字の大曼荼羅

なんで所説の法門が曼荼羅なのかという問題はとりあえずおきます。ここで確認していただきたいのは、これらの御文は観心本尊抄のつぎの仰せに相当することであります。
「本門は序正流通倶に末法の始めを以て詮と為す。在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」

在世の本門と末法の初めは一同に純円と仰せであるから勝劣を言うのは間違いなのかもしれません。ただし、彼は脱、此は種、彼は一品二半、此は但題目の五字との仰せは、所説の法門の異なることをもって能説の教主のちがいを仰せあそばしたものと考えられます。

しかし、寿量品の「常住此説法」を考え合わす時、能説の教主はあくまで釈尊一人であって、大聖人を能説の教主と言うのはどうか、大聖人はあくまで「仏の御使い」である、との説も有力であって悩ましいかぎりであります。

348旅の者:2003/07/21(月) 15:47
藤波太郎様、ガンコ様
インド放浪体験者様のレスはとても大切なレスですよ!
中近東、アジア、の悲惨さを知らずして仏教を語るとは、非常に残念な方々ですな!
以前から皆さんの意見を率直に拝見させていただいておりましたが、
所詮、日本人は井の中の蛙ですな!
100ドル位を持って働きながら中近東、アジアを旅してみたらいかがですかな?

349愚鈍凡夫:2003/07/21(月) 16:23
>>345: 藤波太郎さんへ

現在、小生は「日蓮本仏論者」ではないので考えが違うのですが、思考パターンを創価学会員当時に戻して考えてみたいと思います。
「日蓮本仏論者」の方々に間違いを指摘し、補足して頂ければと思います。

>「久遠元初」とは、いわゆる法華経説法よりさかのぼる五百億塵点劫のポイントすなわち一時点を指すのでしょうか?それとも、五百億塵点劫より過去の時間を指すのでしょうか?

「久遠元初」とは、「久遠実成」の当初(そのかみ)、即ち久遠実成以前を指しています。
一応、時間に約して論ずれば、生命の始まり(宇宙の始まり)の時を言うようです。違う言い方をすれば、久遠実成の教主釈尊の本因の時と言えるでしょうか。
而して、創価学会での解釈は、
「御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり」(「御義口伝下」 学会版P759)
との文証を引用して、無始無終の生命本来の姿を「久遠元初」というと結論づけています。

>「久遠元初」の教主は、下種をもっぱらとするのですね。
>いわゆる「種」「熟」「脱」の「種」を担う仏であるということ。
>そこで、わからないのは、末法において「種」を担うのは「上行菩薩」
>ではないのですか?
>仏が再度この世に応現してしまうのですか?

ええとこ突きはりまんなぁ(ワシが言いたいわ)。
気持ちを取り直して、

此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(「三大秘法禀承事」 学会版P1023)
「法華経の会座に登場する上行菩薩は、「久遠元初の教主釈尊」の垂迹であると解釈します。
法華経の会座では、上行菩薩として登場し、末法では日蓮という凡夫の姿で現れる。
而して、その本地は「久遠元初の教主釈尊」であるというのが創価学会の解釈です。

350愚鈍凡夫:2003/07/21(月) 16:56
>>346: ガンコさんへ。

小生は、御書に精通などしていませんよ。
昔は、御書全集(学会版)を通読する度にボールペンの赤い線の数が増えていったものですが、最近はインターネットの発達で、御書全集もダウンロードできる時代になりましたので、学会版、正宗版、日蓮宗版と三種類をパソコンに入れて、双方読み比べなどをしながら研鑚しています。

「経王殿御返事(報四條氏書)」に関する資料はまったく持っていません。しかし、パソコンの御書のデータベースを検索すると、古写本すら存在しないようです。経王のみならず、月満に宛てられた手紙も偽書と扱われていますね。
創価学会時代感銘を受けた一節を含む遺文が、調べていくうちに悉く偽書であると分かった時のショックは大きかったです。
見方を変えれば、確かにガンコさんが仰る通り法門上不都合がなければ偽書扱いの遺文でも引用しても良いのかも知れませんが、個人的にやはり抵抗があります。
それは、果たしてこの遺文は蓮祖の考えを本当に反映しているのだろうかという疑問が湧いてくるからです。

351ガンコ:2003/07/21(月) 17:17

>経王のみならず、月満に宛てられた手紙も偽書と扱われていますね。

扱われているというのは、日蓮宗において、ですか?

352藤波太郎:2003/07/21(月) 17:30
旅の者様

ご指摘ありがとうございます
おっしゃる通りかもしれません

私は、インド放浪体験者様の言葉から
日本山妙法寺僧伽のことを想いました
団扇大請一本で、世界各国を歩く人々

本門の本尊
本門の戒壇
本門の題目

あの人たち(日本山妙法寺僧伽)は、すべて団扇太鼓一本で、お題目を唱え
すべての答えを出していると思えてなりません
そして、多くの人が救われていることです

私はたしかに「井の中の蛙」です
なんびとをも救いえぬ自己をただ恥じるばかりです

ただ、いたずらに戯論を重ねているのではないことはご理解下さい
旅に出る勇気もない無力な者が、それでも信仰の道を探して
自己内の矛盾を言語化しているのです

イラク戦争の時、「人間の盾」として戦地にとどまった日本人がいました
私は、あの人たちのことを想うと、何も言葉を発することが出来なくなります

353愚鈍凡夫:2003/07/21(月) 18:08
>>351: ガンコさんへ

仰る通り小生の御書のデータベースは、日蓮宗の資料を基にしています。
日蓮正宗側の資料で、「経王御前御書」、「経王殿御返事(報四條氏書)」、「月満御前御書」が真蹟であるとの資料に心当たりは御座いませんでしょうか。
特に「経王殿御返事(報四條氏書)」は昔、個人的に感銘を受けました。
故に、ガンコさんの気持ちは良く分かります。

354ガンコ:2003/07/21(月) 18:52
御書の真偽についてはまったく疎いものですから、何も存じ上げません。

すでにご承知かもしれませんが、わたくしの手元にあります平成新編日蓮大聖人御書の発刊の辞と例言を一部書き写します。

「その二は、御書の真偽に関する判定基準を、宗門伝統の教義信条並びに宗祖大聖人御遺文の教義綱格の基本的標準的見地その他種々の要素より検討し、全体的に適正と信ずべき成果を得たことである。」(発刊の辞)

「本御書の編纂会に真偽検討委員会を設け、過去に疑義ありとされた御書一四七篇について、五十五回に亘る審議によって厳正な検討を加え、真書・偽書・真偽未決に判別し、たとえ行学増進に役立つと思われる書でも偽書は不収録とした。」(例言)

そのうちの三十二書を偽書と判定し、十七書を真偽未決として、不収録としたとのことです。
おそらく日蓮宗側から見れば、真偽に甘い、ということなのかもしれません。
なお弱ったことには、わが顕正会では大石寺ですら掲載しない十七書のうちのいくつかを「折伏理論書」等に載せているのです。
顕正会はなんにも考えていない?のかもしれません。

そういうわけで、わたくしはなんにも知らないのです。

355孤独な迷子:2003/07/21(月) 22:01
藤波太郎さん

はじめまして。孤独な迷子と申します。よろしくお願いします。

>あの人たち(日本山妙法寺僧伽)は、すべて団扇太鼓一本で、お題目を唱え
すべての答えを出していると思えてなりません
そして、多くの人が救われていることです

「多くの人が救われている」について、もう少し説明していただければ幸いです。

356藤波太郎:2003/07/22(火) 13:35
孤独な迷子様

日本山妙法寺のお坊さん、あの有名な藤井日達上人を中心として
「西天開教」すべく海を渡りました
私は戦争を体験したことがありません
だから、これは聞いた話ですが
日本山のお坊さんは、わざわざ戦地におもむいて、お題目を唱え
「平和」を訴えているということです

日本における、いわゆる戦前・戦中・戦後の時代を通して

戦場には兵士ばかりではなく、非武装の民間人が多く巻き込まれています
日本山のお坊さんたちは、銃口の前に立ち、多くの民間人を救っているそうです
見ず知らずの人を助ける為に
銃口の前に立ち、お題目を唱える

いったいどんな気持ちでしょう
私は、このことを想うと、自己の日常がとても恥ずかしくなるのです

357ジャージルーカス:2003/07/22(火) 15:09
> 日本山のお坊さんは、わざわざ戦地におもむいて、お題目を唱え
>「平和」を訴えているということです

法の正邪は別にして、これはすばらしい行いだと思います。
これは浄土宗の中にも、日蓮宗の中にも、キリスト教の中にも個人的にそのような行いはあったとは聞いております。
顕正会の会長あたりだと「世間の浅き事に命をかけた」等と言いすてそうですが、私は賛美します。

私は個人的には「大東亜戦争肯定論者」ですから、戦争の正邪にすいては、ここでは控えておきます。
しかし最近でも、例の同時多発テロの時に、アフガンへ乗り込み、民間人へ供給をした「右翼結社日本青年社」のような例もあります(及ばずながら私も物資は供給しましたが)。
またその中には、右翼結社の中の日蓮正宗信徒もたくさん参加しており、その所属寺院から金銭的援助も受けたそうです。

358孤独な迷子:2003/07/22(火) 22:16
藤波太郎様

>日本山のお坊さんたちは、銃口の前に立ち、多くの民間人を救っているそうです
見ず知らずの人を助ける為に
銃口の前に立ち、お題目を唱える

お題目を唱えるお坊さん方の中にも、そのようなお坊さん方もいるのですね。初めて知りました。

有難うございました。

359愚鈍凡夫:2003/07/22(火) 23:27
>>356:藤波太郎さんへ

>見ず知らずの人を助ける為に
>銃口の前に立ち、お題目を唱える

その昔、日蓮門下の僧侶たちが命を張って弘教した話はよく聞きましたが(日親師・日典師・日経師など)、現代でもこのような方々がいらっしゃるのですね。
強い信念があれば、相手の"人差し指"に自分の命を委ねることができるものなのですね。

360アネモネ:2003/07/23(水) 10:59
聞きかじりの内容で恐縮ですが…
近年の実践的思想家として尊敬されるひとりに、インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーがあげられますが、日本山妙法寺の人々の行動はガンジーに深く愛され、非暴力・不服従という思想行動は、互いに深く影響を与えあっていたといわれていますね。
学ぶべき姿勢がたくさんあるように思われます。

組織拡大という目先の目的達成などではなく、排他精神や独善性を克服した真に平和目的のための実践的救済活動は、宗教の違いや国の違いを超えて非常に尊い姿として広く感銘を受けるものですね。それこそ生きる勇気を与えるものでしょう。
日蓮の過激に強い信念体系とは、このような形で現代に生かされてくことが最も望ましいといえるのかもしれません。

日蓮正宗では、自分とは関係のない人のために祈るということは全くといっていいほどなかったと思います。人のために祈るどころか、敵対する人たちの不幸を祈るような唱題が行われてもいたところなど、信仰者として非常に恥ずべき姿であったと思われます。
また組織に関する裁判勝訴のために四六時中唱題会が行われることはあっても、世界のどこかで理不尽な戦争に巻き込まれ被害を受け悲しんでいる人々のために、心を合わせた唱題をするようなことは、組織内でただの一度も経験したことはありませんでした
そのような姿からして、この信心が正しいなどといえるものではないと、いつも感じてきました。

しかし、日本山妙法寺の行動には人の為に祈るという非常に尊い姿がみてとれますね。しかも祈るだけに留まらず、実践的に救済につながる行動をしている姿は、本当に敬服するものです。

私は、今となっては日蓮が本仏であるか否かということよりも、むしろ日蓮を師として現代に連なる者が、現実社会の中でどのような思想をもって振舞い、そしてどのような社会的実践行動をとっていくのか、そちらのほうに関心がいきますね。
またその姿に宗教としての真価や、信仰者としての評価が問われるような気がするものです。

361展望 期待人:2003/07/23(水) 19:46
アネモネ様:>日蓮を師として、現代に連なる者が、現代社会の中でどのような、、振る舞い、、社会的実践行動をとっていくのか、、。御同感いたします。 時に(株)花王では先日「全社員に”指針反して利益を求めず”との誓約書」の提出を決定しました。冊子には「会社の利益の為という動機でも、また上司の指示があっても”法律や倫理に反する行為”は許容しない(コンプライアンス=法令順守)」と明記されましたようです。 世の中も動き出しました。http://www.kao.co.jp/comp/bcg/index.html

362アネモネ:2003/07/24(木) 08:55
展望 期待人 さん

レスありがとうございます。

>冊子には「会社の利益の為という動機でも、また上司の指示があっても”法律や倫理に反する行為”は許容しない(コンプライアンス=法令順守)」と明記されましたようです。 

ここ数年、三菱自動車のリコール問題や、雪印の事件など、企業の不祥事が数多く表沙汰になりましたね。企業における組織の論理で利益追求のみを考えてきた皺寄せが、平成大不況のこの時期にダブルパンチとなって襲ってきたといえますね。それら企業に共通していえることは、企業ブランドに胡座をかいてお客様本位の立場を忘れていたということ、組織ぐるみで不祥事を隠蔽しようとしていたところ、そして不祥事に対する責任の所在が不明であるということではないでしょうか。
しかし、このようなことが発覚すれば、企業の社会的信頼は地に落ちますね。胡座をかいていたブランドイメージも幻と消えます。
再び消費者から真の信頼を取り戻すためには、組織の論理を乗り越えて、個々の社員ひとりひとりが責任をもって仕事に取り組むことから始まるわけですね。
たとえ上からの命令であっても、それが良識的な命令といえるのかどうかは、個々の「自分」が理性的に判断していくことが求められてきているわけですね。とても発展的な決断といえます。

宗教組織も同じだと思います。いや本来、宗教こそそのような自己確立が求められるべきはずです。世間法の上に仏法があるというなら、社会に先んじて宗教組織は変わっていかなければならないはずです。

確信をもって社会に向けて信仰を語りながら、その広めている信仰に対する責任は組織丸ごといたって希薄であることは否めません。それは組織全体の「責任感の喪失」という社会的問題でもあるとの視点から、別の掲示板で「信仰者の信仰責任」というテーマで議論を試みております。よろしかったらご閲覧ください。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html

363藤波太郎:2003/07/24(木) 10:04
愚鈍凡夫様

349
丁重なるレスありがとうございます
返信遅くなり申し訳ございません

おっしゃる内容は、私なりに理解できたと思います
日蓮本仏論は、「教」「機」「時」「国」「序(教法流布の前後)師」
いわゆる五義に照らして、よくよく考えられて構築された教義ですね
とても納得させられてしまいます

日蓮宗では五百億塵点劫は「たとえ」であり当然「久遠元初」という「時」は
存在しません
しかし、もし「たとえ」でなかったとすれば…
もしかしたら日蓮本仏論が正しいのではないかと考えさせられました

おちついて耳を傾ければ、正宗と日蓮宗は教義の上で決して水と油ではないと
思います
御書それも真筆として間違いないところを基とすれば、それは当然の結果かと思います

364孤独な迷子:2003/07/24(木) 12:56
アネモネさん

他のスレッドでレスを頂いていたのに返レスが間に合わなくなってすみませんでした。

気分を害されているのではと気になっておりますが、その点お詫びします。


>しかし、日本山妙法寺の行動には人の為に祈るという非常に尊い姿がみてとれますね。しか
も祈るだけに留まらず、実践的に救済につながる行動をしている姿は、本当に敬服するものです。

このような姿は、たとえ信仰を持っていない人たちが見ても感銘を受けるのではないかと思います。
同じ日蓮を信奉する宗派でありながら、このような違いが生ずるのは何故なのでしょうか?

365藤波太郎:2003/07/24(木) 17:38
ガンコ様

346にて「三世益物」についてお尋ねであったと思います
すみません、遅くなって

「三世」(さんぜ)とは「過去」「現在」「未来」の三世
「益物」(やくもつ)とは「物」=衆生を「利益」することを意味します
「三世にわたる本仏の衆生済度」ということですね

たしか、天台の法華経解釈の特色だったと思います
(自信がなくてごめんなさい)

「過去益物」
久遠下種→インド応現までの説法
「現在益物」
インド応現→インド入滅までの説法
「未来益物」
インド入滅→永遠の未来にいたる説法

この三世益物を総括しているのは、もちろん本仏(あえて釈尊とも大聖人とも記しません)
しかし、ご存知の通り本仏が直接化導するのは久遠下種のみで
あとは迹仏、末法に入れば本化菩薩が化導を担うことがプログラムされているわけです
おっと、正宗では「久遠下種」とは言わないのでしょうか?
「久遠元初」があるわけですからね

日蓮大聖人は、この「三世益物」の図式をかんがみられ、自らを
末法応現の本化上行と自覚されたわけです

勝手に申しましたが、違っていたら、誰かご指摘&ご教示下さい

366MILD SEVEN:2003/07/25(金) 04:47
僕の別サイトのホームページに、ある方が投稿してくれたもの。

<日本仏教の危機>

日本仏教は多くの祖師方によって 中国伝来の仏教を日本人の思考 行動に適合するよう変容し きわめて個性的仏教を開拓されてきました。
祖師方のどなたをみても その仏法にたいする造詣の深さ 仏法受容の創造性には驚嘆するばかりです。
今日にいたるも その精神は脈々と息づいていることは尊いことです。
しかし日本仏教にとって残念なことは 仏教をおこされた仏陀釈尊にたいする尊敬の念が祖師方の強烈なイメージによって打ち消されてしまっているということです。
これは世界宗教の上でも驚くべきことであり奇異なことです。
それに加えて 今日の仏教は時代とともに俗化され その力はしだいにおとろえ 社会への影響力も弱くなってきております。
したがってもはや既成宗派宗団のなかでは 仏教の回復はほとんど不可能です。
今日ほど日本仏教が力を失い その形骸をむさぼっている時代はありません。
日本仏教がいきづまったということは 宗派仏教のアカが全体に通ずる血管をふさいでしまっているからです。
それと同時に日本人自身の価値観が大きく変化して 従来の日本仏教の布教の在り方 教えの内容にさえ そのままでは適応できなくなってしまったのです。
したがって仏教の起死回生をはかるためには はるかなる仏教の根源にもどり もう一度そこを出発点として再スタートしなければならないとおもいます。
つまり仏陀釈尊の教えに回帰することです。
宗派があって仏法があるのではありません。
仏陀がおられて宗派があるのです。
それに加えて 現代は人類の歴史にとって 今まで経験したことのない大きな転換期にさしかかっていることは論をまつまでもありません。今までの価値観ではとうてい適応できず まったく役にたたなくなつています。
たとえば「進歩することはいいことだ」「拡大することは強くなることだ」という従来の価値観に人間は疑問をもちはじめています。
大量生産、大量消費という豊かさの拡大によって 人間は物質的にも精神的にも 処理できないほどの巨大ゴミを作ってしまいました。
この巨大なゴミ(マイナスエネルギー)をどうすべきか もう一度立ちどまって 内面を重視する東洋の叡智に学ぶべきではないかと思います。その意味でも仏陀釈尊の教えとその実践には これから人類のすすむべき在り方を暗示する貴重な教えが内在しているといえます。
仏教という宗教は たんに信仰や宗教文化という面ばかりではなく きわめて哲学的造力をもっているということです。
このような意味でも また世界思想の上でも仏陀の教えはおおきく貢献できる時代が到来したといえます。
そのためには世界に通用する仏教でなければなりません。
それは純粋に仏陀釈尊ご自身の教えそのものにほかなりません。
仏陀の行なった瞑想を だれでも実践可能な仕方で実行していかねばなりません。
仏陀の教えは瞑想によって 本物の自分を発見する道を開かれたのです。
自分が発見できれば、生命の本質も、生きることのいみも、すべて悟ることができま
す。

            ・・・・・・

<僕の返信>

ご丁寧な投稿ありがとうございます。

私はキリスト教徒ですが、仏教の慈悲は尊敬に値するものと感じています。・・・失礼な言い方なら、お赦し下さい。

良い競争相手は必要です。
お互いに。

全日本仏教会との連携は考えています。
行動は開始しています。

          ・・・・・・・・・・・

>法華経の虚空会の儀式における「従地涌出品」。釈尊の呼びかけに応えて、大地から無数の地涌の菩薩が出現する。その出現に驚いた弥勒菩薩が、釈尊に意義を問う。<

本当の実力者は謙遜を心得ているはずです。
世界でも、もちろん。
これからが楽しみですね!
出て来るかな!?

創価の策略で無き事を!

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

367ガンコ:2003/07/25(金) 07:27
藤波さん、どうもです。

三世益物について、わかりやすいご教示を賜わりました。
久遠下種というのは正宗でも使うと思います。ただ、意味の取り方に違いがあるんだと思います。
大聖人は上行菩薩であられる。これも正宗で言うと思います。
末法においては上行菩薩が下種をするということが御書に説かれています。
ようは経文の説相に準じて上行菩薩、内証を久遠元初の御本仏と拝するわけです。
非情に難しいところなので、わたくしは簡単に、ほんらい下種というのは仏さまがなされることであろうから上行菩薩というのは本当は仏さまにちがいない、と考えています。
自受用身とか無作の三身とか正宗では言いますが、言葉は知っているけど意味はよくわかってないです。

時に藤波さん、
>日蓮宗では五百億塵点劫は「たとえ」であり当然「久遠元初」という「時」は存在しません

これはどういうことですか? 久遠元初はおくとして、久遠下種は「たとえ」なのですか?
それとも寿量品の示すごとく、釈尊は久遠の昔に成道を遂げたがそれを表現することの困難を意味しているのでしょうか?
「然善男子。我実成仏已来。無量無辺百千万億那由他劫。譬如・・・」
この「譬如」以下を「たとえ」というならそうでしょうけど、久遠実成そのものを「たとえ」というならまったく意味が違ってくると思うのです。
もっとも日蓮宗は広いですから、学者によっても意見がまちまちなのでしょうけど。

368藤波太郎:2003/07/25(金) 12:10
ガンコ様

「五百億塵点劫」が「たとえ」というのは、その数値が測定不能であるという日蓮宗の解釈です
「五百億塵点劫」は実数値ですが「久遠」は「たとえ」であり実数値ではないでしょう
その違いを私は言いたかったのです

たとえば「久遠実成」すなわち本仏がおさとりになった瞬間を見ようとして、タイムマシンでさかのぼったとしても
永遠にその瞬間にはたどりつきません
「五百億塵点劫」ですと、遠い昔ではあるけれども、具体的数値ですから
そのポイントには必ずたどりつくでしょう

「本仏」とは本来仏であるが故に「本仏」というのですよね
ならばさとった瞬間があっては太古の「始覚仏」です
正宗では、「五百億塵点劫」より過去に「久遠元初」をおきます
私の理解では、この「久遠元初」が永遠=「久遠」なのかな、と
思っていますが

369アネモネ:2003/07/25(金) 13:28
議論が進んでいる中、横レスを失礼いたします。

孤独な迷子さん

>364
>気分を害されているのではと気になっておりますが、その点お詫びします。

とんでもない。そんなことを気になさっていらしたのですか。全然です。
いつも、孤独な迷子さんの発する質問の着眼点に感心していたくらいです。

>同じ日蓮を信奉する宗派でありながら、このような違いが生ずるのは何故なのでしょうか?

私もずっと考えてきたことですね。pundarikaの掲示板における議論の試みも、このような疑問から起きているといえます。
私が見てきた法華講のみをもって、それが日蓮正宗の姿だと言い切ることはできませんので、一概にこうだとは比べられないかもしれませんが、ただひとついえることは、信仰者の目線の違いではないかと私なりには思っています。
正宗は往々にしてその目線が社会や衆生に向いていない、むしろ背を向け、ただただ御本尊にだけ視線が向けられている、そんな形に思えますね。時に社会に目線を向けたとしても、謗法、邪教、邪義…とただ蔑視して片付けてしまう思考が身についてしまっていますね。
私には、そのような不信者への蔑視こそ、その心根の姿として映るところでもあり、とても真の仏教徒の姿とは思えないところです。

まあ、こうして書きながら思うことは、仏教で説かれているはずの慈悲が忘れられているからかもしれませんね。
社会や衆生に背を向けてしまうことそのものが、慈悲を忘れた姿といえるかもしれません。

考えてもみれば、信徒は慈悲についての指導はされていないといえますね。折伏活動が慈悲の行為と摩り替えられているわけですから当然のことかもしれません。しかし折伏が慈悲の行為だとは、今の私にはとても思えなくなってしまいました。
まだまだこれだという考えはまとまらず、尽きないのですが、これからも思慮を続けていきたいと思うテーマですね。

370ガンコ:2003/07/25(金) 18:11
>たとえば「久遠実成」すなわち本仏がおさとりになった瞬間を見ようとして、タイムマシンでさかのぼったとしても永遠にその瞬間にはたどりつきません
>さとった瞬間があっては太古の「始覚仏」です

これは、ものすごくわかりやすいですね。
どうもありがとうございました。

う〜ん、しかし、なんだろう? じぶん達はいったいそこから何をつかむことができるのだろうか?
気の遠くなる話であって、もうこうなると大聖人が本仏だろうが釈尊が本仏だろうがどっちでもいいや、って気分になってきました。

371無常の者、、。:2003/07/25(金) 23:39
No.348::旅の者様: <中近東、アジアの悲惨さ、、、>。 全く同感いたします、。 小生、昨今欧州からインド経由で帰国した一某社員です。 乗り継ぎ合間にVaranasi市を訪問しました。 ガンジス川がユッタリ流れ、その中「下流では半焼きの死体が漂流」してました、。 そのまた下流では、野犬が「半腐乱死体をツイバン」でいました、。 死後も「仏陀にも見放されたカースト最下層者」方らは「ろくに火葬もされなく、流される様です、」。この有様には仰天です。 皆様「一見のほどを、、!!!」 。。

372無徳:2003/07/26(土) 00:30
藤波太郎さん今晩は:

>「本仏」とは本来仏であるが故に「本仏」というのですよね
>ならばさとった瞬間があっては太古の「始覚仏」です
>正宗では、「五百億塵点劫」より過去に「久遠元初」をおきます
>私の理解では、この「久遠元初」が永遠=「久遠」なのかな、と
>思っていますが

との事ですが、「観心本尊抄」や「法華真言勝劣事」には“無始
の古仏”とありますがどの様に理解されますでしょうか?

確かに正宗では“久遠元初”を無始無終の永遠と解釈しています。
しかし、“久遠即末法”として久遠を今に移すといった解釈もあ
ります。

「南条兵衛七郎殿御書」には<久遠下種の者の五百塵点を経し事>
とあり、真蹟は有りませんが「船守弥三郎許御書」には<過去久遠
五百塵点のそのかみ(当初)唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事な
り>とあります。

更に、「曽谷入道等許御書」には<久遠大通の時に於て純円の種を
下せしかども>ともあり久遠を“下種”の時としています。

これらからの事から、久遠即末法として久遠は今にありと解釈さ
れていると思われますが、藤波さんはどのようにお考えになりま
すでしょう。

373愚鈍凡夫:2003/07/26(土) 11:22
>>363: 藤波太郎さんへ

あっ、どうも。
私見を交えずに「日蓮本仏論」の概略を述べたつもりです。
少しでもお役に立てれば幸いです。
同じ日蓮門下で、それぞれ解釈が違うのは何故なのか、
その違いについての相互理解が進むといいですね。

374旅の者:2003/07/27(日) 00:16
無常の者さま
はじめまして、あなたも体験されましたか、
海外生活が多いとびっくりさせられ事が多いですね
このページの方々は『ある意味りっぱな方ですから』が多いですから、
無常の者さまも退散をお勧めします、
では退散させていただきます。

375ガンコ:2003/07/27(日) 05:57

本尊問答抄は曼荼羅正意か?

先般、法華経の題目を本尊とするわけだから、それは大聖人の御文字御本尊であろうと短絡的意見を述べた際、その根拠は何かと問われて返答に窮してしまいました。
なんのことだかわからない人もいるでしょうから簡単に説明すると、われわれ正宗信徒は御文字の御本尊全体が大聖人の御生命であると教わるものですから、本尊問答抄を拝すると直ちに妙法五字の大曼荼羅を想像するけれども、あくまで想像であって直接の脈絡は見出せない、もし百歩譲っても御曼荼羅の中央・南無妙法蓮華経(ないし釈迦多宝、あるいは四菩薩も含まれるか)が相当するのであって曼荼羅全体ではない、とする考え方があるのでした。
もっと融通のきかない言い方をすれば“法華経の題目とあるのだから法華経の題目なんだよ、まあ曼荼羅にも題目が書かれているから一応本尊になり得るけど”みたいな感じです。いや、これは誰が言ったということではなくて、過去の議論をずっと見ていくと大体こんな印象を受けるのです。
ここは単に本尊論ではなくて本仏論が裏に隠れている、種脱勝劣の問題が隠れていると思えます。
「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし。」
もちろん、読み方しだいで見解が違ってくるのでありましょう。末法においては法華経すら必要ないのであるから当然法華経の教主も要らない、つまり末法には下種の法華経が弘まる、それが日蓮大聖人の仏法であり大聖人こそ下種の法主・・・云々と。こうなると大聖人がたましひを墨に染めながして顕はし給うた御文字御本尊と仏像では明らかに勝劣があることになる。まさしく本尊論と本仏論は表裏一体の関係にあると言えるのではないでしょうか。
ゆえに、何を本尊とするかで本仏論の答えも自ずと決まってくると、わたくしは考えています。

まず、法華経の題目を本尊とすることは非常にいやらしい、と申し上げなければなりません。すでに多くの人がご指摘になっているかと思うのですが、まさに本門の題目との重複であります。
「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。」
この法華取要抄の理路整然たる御表現を、大聖人御自らわざわざ美観を損ねるような、そんなことをあそばすであろうか? こうした理由もあってか、本尊問答抄を疑うむきもあるようです。
しかし、生意気なようですが、わたくしの拝したかぎりではあやしいところは見出せません。いやらしいけど、あやしくはない、と思います。
「第一に本尊は法華経八巻・一巻・一品、或は題目を書きて本尊と定むべし」(唱法華題目抄)
「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・・・」(観心本尊抄)
「法華経の題目を以て本尊とすべし」(本尊問答抄)
これらの御文は年代が異なるから当然こまかい点において違いがありましょう。しかし、共通して題目を本尊としているように拝せます。ゆえにあやしいところはないのですが、法華取要抄を三大秘法の名目開示の御書とするならば、それ以後の御書において“題目を本尊とする”という表現はなんともいやらしいと言わざるを得ません。
つまり、大聖人はこれらのことを御承知のうえ、あえて本尊問答抄を著されたと思われるのです。
わざわざ取要抄の整然たる御表現を冒してまでも伝えたかったことがあられた! それはいったいなんであろうか? こうした観点で拝読していくと、「法華経の行者の正意」すなわち日蓮大聖人の御本意をしかと拝せるように思うのです。

376ガンコ:2003/07/27(日) 06:03

日蓮大聖人は釈迦宗の中興の祖か?

本宗における中興の祖といえば、日有上人、日寛上人等であることは、おそらく誰もが知っていることでありましょう。
もちろん宗祖=元祖は日蓮大聖人ですが、皆さんご存知のように「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず。」(妙密上人御消息)との仰せがあります。
この御文を字句どおりに受け取るならば、「宗祖日蓮大聖人」と呼び奉ることは適切ではないことになると思います。ちなみにわたくしは顕正会で、“宗祖”という表現をまず聞いたためしがありません。理由は定かではありませんが、おそらく「久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり」(百六箇抄)ですから、一宗一派の元祖などという小さな存在ではない、ということかと思われます。そして、何れの(釈尊の)末葉にもあらず、というのが文底読みの極致といえましょうか。
もちろん反論がありましょう。一般的にはどのように解釈されているのか知りませんのでご教示願いたいところですが、おそらく大聖人は当時の既存の宗教をひとつとして認めなかった、つまり正統派を自覚する大聖人にとって諸宗の元祖と同一に論じられることは屈辱であり、いわんや既存の八宗十宗の末流に列なるわけなどあろうはずもない、といったところでしょうか。そこに顕仏未来記の末文、「安州の日蓮は恐らくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通せん。三に一を加へて三国四師と号づく。」の意味が生きてくるように思われます。
日蓮本仏論者はとかく御書の文々句々をひねくり回して、なんとかして大聖人を釈尊より偉くしようとするわけですが、上の妙密上人御消息からその義を読み取るのはかなり困難でありましょう。ただし、わたくしの個人的な感想ですが、大聖人は上行菩薩の御自覚にあらせられる・・・いわゆる行間にそれがにじみ出ている・・・と拝するものであります。
さて、三国四師というと四人が肩を並べているようにも思われますが、「天台大師は釈迦に信順し・・・」とあることから、あくまで本師は釈迦如来となりましょうか。ちなみにこの顕仏未来記においても、大聖人は相当の御自覚を吐露せられている、とわたくしは思うものであります。
いよいよ本題に入ります。
釈尊、天台、伝教、日蓮、という正統仏法の系譜を見るに、天台、伝教、日蓮はいわゆる釈迦宗の中興の祖という位置付けになるのでしょうか? もちろん、こうした概念が一般的に流通しているかどうかではなく、大聖人の御自覚としてどうかという意味であります。もし日蓮大聖人が釈迦宗の中興の祖であられるのであれば、大聖人を信仰の対象にすることは間違いとなりましょう。なぜならば、説明の必要もないことですが、わたくし達は一度たりとも日有上人、日寛上人等を・・・恐れながら日顕上人も含めまして、たった一度たりとも歴代上人を信仰の対象にすることはなかったはずであります。
つまり、大聖人は天台、伝教とともに釈尊に信順して法華宗を助ける立場にあるのだから信仰の対象ではない、そして厳密には宗祖と呼ぶのも不適切であるし日蓮宗・日蓮正宗のように“日蓮”を冠するのも不適切・・・ということになりましょう。日蓮宗→法華宗、日蓮正宗→法華正宗。法華宗はいいけど、法華正宗ってなんだかとってもヘンです。釈迦宗、釈尊宗はもっとヘンですけどね。
このさい名前はどうでもいいのです。釈迦宗の本尊は何か? これが問題なのであります。釈迦宗だからといって、釈迦を本尊にしてはならない、法華経を本尊としなさい、これは私の義ではなく先師方(釈尊、天台)の義である、というのが本尊問答抄の御指南であります。
前項で、わたくしは本尊論と本仏論は表裏一体と申しましたが、本項は本仏論を度外視してどこまで論じられるか、という発想で書いているわけです。かなりいい線までいける・・・との手ごたえは十分あると思います。つまり、大聖人が御本仏でなく釈迦宗の人師のひとりに過ぎないと仮定しても、では本尊は何かといえば、釈迦の画像木像ではない、ここまでは間違いなかろうと思うわけです。

377ガンコ:2003/07/27(日) 06:07

南無妙法蓮華経は大聖人の専売特許か?

「当世も法華経をば皆信じたるやうなれども、法華経にてはなきなり。其の故は法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経と一なるやうをとく人をば悦んで帰依し、別々なるなんど申す人をば用ひず。たとい用ゆれども本意なき事とをもへり。」(開目抄)
「法華経をよむ人の此の経をば信ずるやうなれども、諸経にても得道なるとをもうは、此の経をよまぬ人なり。」(報恩抄)

大聖人の当時は、すっかり法華経が忘れ去られてしまっていた・・・と思っていたら、それは違うようです。だいたい源頼朝が法華経を重んじたことから、鎌倉武士は伝統的に法華経を読んでいたものと思われます。問題は法華経と諸経を並列的に読んではいけないということ。「天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ昌」(如説修行抄)との仰せに続いて、「法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじき」とまで仰せられるわけですから、今日の日蓮系教団が他宗と妥協的に共存共栄をはかろうものならば、それは大聖人に背いていることになりましょう。では逆に、次のようなケースはどうなりましょうか?
「私は日蓮を嫌いであるが、法華経は好きである。よって日蓮には弟子入りしないで、ひとりで(もしくは別のグループを作って)法華経を信仰していこうと思う」
つまり前項の釈迦宗の発想をもってすれば、大聖人を信仰しているわけではないのだから、法華経を正しく読むことさえ出来れば大聖人に依る必要はない、法華経は大聖人の専売特許ではないのだから・・・と考える人がいてもおかしくないと思います。
では、南無妙法蓮華経はどうなのでしょうか? これが今回のテーマであります。
困ったことに、南無妙法蓮華経は日蓮大聖人がはじめて唱えたものではない、ということなのだそうです。ジョンノレンという人が別の掲示板でこのことについて論じておられたのですが、どういうわけかその掲示板は閉鎖になってしまいました。あ〜、コピーしとくんだった。ぜひともジョンノレンさんにはこちらで再投稿されることをお願い申し上げます。
要するに、大聖人以前の文献で南無妙法蓮華経と書かれているものを紹介してくださっているのですが、あらまあ〜こんなにたくさんあるの? というのがわたくしの感想でした。もうこうなると、お題目も大聖人の専売特許とは言えなくなりそうです。妙密上人御消息には、「日本国の人々は、法華経は尊とけれども、日蓮房が悪ければ南無妙法蓮華経とは唱へまじ」とあります。しかし、また逆に現代人のチャッカリ感覚をもってすれば、次のようなケースもありましょう。
「私は日蓮を嫌いであるが、題目は好きである。よって日蓮には帰依しないで、ひとりで(もしくは別のグループを作って)題目を唱えていこうと思う」
つまり前項の釈迦宗の発想をもってすれば、大聖人を信仰しているわけではないのだから、お題目を正しく唱えることさえ出来れば大聖人に依る必要はない、お題目は大聖人の専売特許ではないのだから・・・と考える人がいてもおかしくないと思います。
いやはや困ったものであります。では、いったいに大聖人の専売特許とはなんであろうか? あっ、そうだ、あれがあるじゃないか!
「日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり。」(富士一跡門徒存知事)
まさしく御自筆の御本尊こそ日蓮大聖人の専売特許であります。そして、御自筆の御本尊こそ正像未弘にして一閻浮提未曾有の大曼荼羅であります。日蓮大聖人がいわゆる“本法所持の人”にてあらせられるのであれば、この御本尊こそ教主釈尊より譲られしところの本法にほかならない、と言うことが出来るのではないでしょうか? 詮ずる所、末法においては日蓮大聖人に帰依せずんば法華経を持つとも無益なり、ということになるだろうと思います。

378藤波太郎:2003/07/27(日) 10:27
無徳様

遅くなり失礼しました

372のお返事です

「無始の古仏」「久遠下種」ともに、五百億塵点劫がたとえであると
実際には実数値ではないという解釈で説明できると思います
実数値であれば「有始」です
さとった瞬間があるわけですから
「無始」の古仏であれば、はじめからさとっていた仏様という解釈ですよね

下種益が先か、脱益が先か
これはニワトリが先か、タマゴが先か、という議論になりますが
正宗では「永遠の過去にさかのぼる下種」があったとみるわけで
日蓮宗では「はじめから下種されていた」とみるわけです
ですから、「久遠即末法」とは解釈できないと思いますが

たいへんビミョーな表現で、どっちでも良いような気さえしてきます
しかし、それによって本仏=本尊が違ってしまうのであれば
決して戯論ではなく、大いに悩むべき問題でしょう

それにしても、こちらの掲示板に書き込まれている皆様
ほとんど正宗もしくは創価学会の方とおみうけしますが
御書の引用が的確ですね

さすが、としか言いようがありません

379アネモネ:2003/07/27(日) 12:28
ガンコさん
質問方々、少しばかりレスをお許し下さい。

>日蓮大聖人は釈迦宗の中興の祖か?

「宗」で捉えるよりは、「教」と捉えたほうが適切ではないでしょうか。宗教の中のひとつに数えられる教、つまり「仏教」もしくは「釈迦仏教」ですね。
仏教、キリスト教、イスラム教、道教、儒教、密教…宗教の教えにはいろいろあって、その中でも日蓮は仏教を依教とする立場をとられ、なおかつ天台の義に立ったわけですね。その流れでいえば、天台も日蓮も仏教(釈迦仏教)の中興の祖と捉えることはできるかもしれません。ただしこれは、天台の義が正しい仏教といえるならばの話ですが…。
しかし、日蓮を本仏と立てるならば、もはや日蓮は中興の祖などではなく、釈迦仏教に対する日蓮仏教となりますでしょうか。これも、日蓮を本仏と立てることが、日蓮自身のお考えであったことが立証できたとしての話となりますでしょうけど…。

>このさい名前はどうでもいいのです。釈迦宗の本尊は何か? これが問題なのであります。釈迦宗だからといって、釈迦を本尊にしてはならない、法華経を本尊としなさい、これは私の義ではなく先師方(釈尊、天台)の義である、というのが本尊問答抄の御指南であります。

天台も日蓮も、法華経が釈尊の直説だと信じて法門を立てているわけですが、しかし残念ながら考古学的に釈尊の直説ではなかったことが証明されてしまっているわけですね。
この時点で、天台の義は釈尊の義ではなかったことが、立証されてしまったといえるかと思われます。

たとえば、「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。竜樹天親は知って、しかもいまだひろ(拾)いい(出)ださず、但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり。」における、その文の底に沈めたといわれる「一念三千の法門」からして全く成り立たないことになるのではないでしょうか。
そのことに対して納得のいく理論を示すことは出来ますでしょうか。それが示せない限り、私としては日蓮の法門が真に正しい仏教であるということは、とても信じ難いものなのではないかと思っています。
これらは、幾度となく折に触れこの掲示板で議論されてきたことですが、ガンコさんは、そのような法華経、天台、日蓮…これらの限界を、どのようにご自分の中に捉えて納得されていらっしゃいますでしょうか?

>まさしく御自筆の御本尊こそ日蓮大聖人の専売特許であります。

日蓮直筆の曼荼羅ということでしょうか。

>そして、御自筆の御本尊こそ正像未弘にして一閻浮提未曾有の大曼荼羅であります。

これは、大石寺のあの板曼荼羅のことですか?
板に彫られたものですから、日蓮直筆の曼荼羅とは言い難いものと思われますし、その板曼荼羅を日蓮が本当に立てたものかどうかさえ、限りなく怪しいわけですね。
ですから、「御自筆の御本尊こそ正像未弘にして一閻浮提未曾有の大曼荼羅」と言い切れるものではないと思われます。
恐らく、そう伝えられてきたという、その「言い伝え」を信じているといったところかと思われますが、しかしこれは日蓮を信じているつもりが、「言い伝え」を信じているという点、厳密には日蓮を信じているのではなく、言い伝えてきた人々のことを信じているわけで、その微妙な摩り替わりを、ガンコさんはどのようにお考えになりますか?

380アネモネ:2003/07/27(日) 12:28
(つづき)
>日蓮大聖人がいわゆる“本法所持の人”にてあらせられるのであれば、この御本尊こそ教主釈尊より譲られしところの本法にほかならない、と言うことが出来るのではないでしょうか?

ここに至った結論とは、真理としての結論というよりは、ガンコさんの「そう信じたい」という願望的結論かと思われるところですが…。
つまり、「この御本尊こそ教主釈尊より譲られしところの本法にほかならない…と信じたい…」ということではないでしょうか。

>詮ずる所、末法においては日蓮大聖人に帰依せずんば法華経を持つとも無益なり、ということになるだろうと思います。

先ほども記述したことですが、日蓮の限界、天台の限界、法華経の限界…といったことの検証もぜひ視野に入れて論じて頂きたいなと思いました。限界があるはずはないとするところでの論法は、とても無理があるものと思われ、立証には至っていないと思います。

例えば法華経が、仮に釈尊の義であるとしても、日蓮が依経とした法華経は羅什が訳したもので、法華経原典と比較しても、忠実に訳されたものとは言い難いといわれていますね。そこからして既に一念三千の法理は崩れてしまっているともいわれていますが、そのことひとつをとっても、ガンコさんはどのように説明されますでしょうか。

また、末法の計算にしても、釈迦ご在世の正確な年代がはっきりしないのですから、いつから末法が始まるのかは非常に曖昧模糊としています。
日蓮の時代は、釈尊入滅が紀元前949と考えられていたわけですが、近年の科学的調査に基づく説では釈迦入滅は元前544〜383年頃というのが有力です。
それで計算するとなると、2000-544=1456 2000-383=1617で1457年〜1618年頃が末法となるでしょうか。
となると、日蓮の生きた時代はまだ末法には入っていないことになってしまいますから、「末法においては日蓮大聖人に帰依せずんば法華経を持つとも無益」などと言い切れるものではないでしょう。
日蓮に確固たる上行の御自覚があったにしても、それは日蓮の単なる思い込みもしくは勘違いだったということも言えるかと思われます。
その点はどのように説明されますでしょうか。

381ガンコ:2003/07/27(日) 19:01
アネモネさん、どうもです。

何ひとつまともにお答えできませんので、概括的なことを書きます。

よくご存知のことでしょうけど、本年初頭に日蓮本仏論者の今里祐二さんがお出でになって議論をされてました。
けっこう刺激を受けまして、わたくしもマネをしてみたいなんて思ったりしたのですが、とても無理そうなのでつまらぬ駄文を書いてお茶を濁しているわけです。

つぶやきのほうでも書きましたが、板本尊と本仏論は証明できないということらしいですし、また、大聖人の御認識も今の時代から見るとあちこちで事実誤認がある、あるいは大聖人の御考えじたいも現代的には批判されるべき・・・といったことはおおむね承知しているつもりです。
わたくしがいま何をやっているかというと、まず、大聖人の御法門を学ぶこと、大聖人の御本意をじぶんの目で確認するということです。つまり、いままでは所属教団の恣意的な解釈を学んでこと足れりとしていたわけです。いまは生意気なようですがなるべく解説書の類を見ないで、じかに御書を拝読してじぶんなりに頭で考えている最中です。
おそらく次の段階にあるのは、じぶんなりに大聖人の御本意を十二分にわかった上で、今日における科学的考察とのすり合わせ・・・つまり仏滅年代などの諸問題にどのようにアプローチをするか、だと思います。
この順番は信仰者としてはごく自然と思いますが、たぶん信じていない人には時間の浪費に映ることでしょう。

そういうことで、今回は大聖人が正意とされたのは曼荼羅なのか、それとも仏像なのかという、アネモネさんから見ればはなはだ狭い範囲の考察でして、いろいろと細かい質問をいただきましたがお答えする段階ではないし、また、その能力もありませんのでご勘弁ください。

382アネモネ:2003/07/27(日) 19:39
ガンコさん
レスありがとうございます。

>本年初頭に日蓮本仏論者の今里祐二さんがお出でになって議論をされてました。

懐かしいですね。ガンコさんは、ロムなさっていらしたのですね。

>板本尊と本仏論は証明できないということらしいですし、また、大聖人の御認識も今の時代から見るとあちこちで事実誤認がある、あるいは大聖人の御考えじたいも現代的には批判されるべき・・・といったことはおおむね承知しているつもりです。

そのような認識を視野に入れていらっしゃるわけですね。私などは、この富士門の掲示板に参加した2年前まで全く知らなかったことです。そのような検証事実を自分の中に受け止めるのに、約2年近くかかったことを振り返ります。ガンコさんの信仰歴に比べれば、私などはほんの序の口、葛藤の苦しさは比較にならないかもしれませんが、しかし、ガンコさんのご自分の所属する組織に対する記述などを拝見しながら、私は2年前の自分の姿を思い起こしています。そんな気持ちです。

>いまは生意気なようですがなるべく解説書の類を見ないで、じかに御書を拝読してじぶんなりに頭で考えている最中です。

その姿勢はとても御立派だと思います。

>おそらく次の段階にあるのは、じぶんなりに大聖人の御本意を十二分にわかった上で、今日における科学的考察とのすり合わせ・・・つまり仏滅年代などの諸問題にどのようにアプローチをするか、だと思います。

了解いたしました。

>今回は大聖人が正意とされたのは曼荼羅なのか、それとも仏像なのかという、アネモネさんから見ればはなはだ狭い範囲の考察でして、

いえいえ、そんなことはありません。
論考の真意を理解いたしましたので、思う存分レスをお続けになってください。私も学ばせて頂きます。

>アネモネさんから見ればはなはだ狭い範囲の考察でして、

とんでもありません。どのような結論に至ろうとも、真剣に自分の信仰と向き合うことは、非常に重要なことだと思われます。何をテーマとして論考わするかは、人それぞれですね。そこに狭いも広いもないものと思われます。

>いろいろと細かい質問をいただきましたがお答えする段階ではないし、また、その能力もありませんのでご勘弁ください。

了解いたしました。場合によっては私も、考えが変わることだってあるかもしれませんので、引き続き今後とも、ガンコさんの論考を楽しみに拝見させて頂きます。
本当に、レスありがとうございました。

383ガンコ:2003/07/30(水) 19:14

曼荼羅正意の問題点

「仏は文字に依って衆生を度し給ふなり。」(蓮盛抄)
「仁王経に云はく・・・人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」(立正安国論)

上記の御書をもって直ちに曼荼羅正意に結び付けようとすれば“切り文”との批判を受けることになりましょう。わかりきったことですが、蓮盛抄の御指南は禅宗の教外別伝不立文字に対応するものであって本尊についての仰せではないし、立正安国論の引用部分は全然関係ありません。だいいち仁王経が本尊の説明であるわけがない。
しかし、ここにおいて申し上げたいことは、大聖人は文字に対してこだわりをもっていらっしゃる、ということが推察できるのではないか? と思うのであります。

「法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり。・・・応化は真仏に非ずと申して、三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給ひ候へ。」(御衣並単衣御書)

この御文を拝するとまさに御文字御本尊の優位を感ぜずにはいられないところであります。大聖人の御曼荼羅は仏菩薩をはじめとする十界の聖衆を文字で顕したものであり、法華経の六万九千三百八十四文字には提婆や阿闍世も含まれることを勘案すれば、その一字一句に至るまで「仏なり」との仰せは意味合いにおいてまさに御文字御本尊と法華経は全同ということになろうかと思います。法華取要抄の「日蓮は広略を捨てゝ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。」とは、御本尊をもっとも略したすがたが妙法蓮華経の五字であり広くはいわゆる十界曼荼羅・・・いずれにしても羅什の六万九千三百八十四文字から見れば肝心肝要を顕したものが大聖人の御文字御本尊と考えられます。

さて、曼荼羅正意の問題点は申すまでもなく、大聖人はまったく仏像を御認めあそばさなかったのかといえば決してそうではないというところにあります。
日眼女釈迦仏供養事などの一体仏造立の問題・・・とか、
あるいは忘持経事の「教主釈尊の御宝前」とは何か・・・といった問題をクリアしなければなりません。

384常徳庵:2003/07/31(木) 10:53
藤波太郎さん (1)

初めて掲示板に書き込みをします。ご覧の皆様初めまして、”常徳庵” と申します。宜しく願いします。
歴史が研究対象で、教学上のことは分かりませんが、今回初めて書き込む動機に“北山(重須)本門寺”の関係の方の発言を観ましたので、小生の手元に北山本門寺本末の資料が少ないため、質問形式的になって悪いとは存じますが、教えてください。

>314 現在、重須では釈尊を本仏として拝んでおりますなんといっても、本門戒壇可建霊>場

「重須では釈尊を本仏」とありますが、これは三派合同以降のことと(片山氏の晋山以降)考えられますが、如何なものでしょうか? これ以前に、釈尊を本仏としたと記載された物が有るのでしょうか、。
因みに、文政六年『富士山重須本門寺由緒並霊宝』(未刊)の中には、釈迦の文字は(古文書ですので小生は苦手のため全文解読が出来ませんが) 観た感じでは見つかりませんでした。 書き出しは、寺の由緒が頭より始まり、つぎに「一 宗祖日蓮大聖人 御影壱体」と続き、以下霊宝の記述まで本尊(曼荼羅及び釈尊)についての表記が、見あたりませんでしたし、霊宝の中身にも、釈尊については観られませんでした。

参考に古来より“富士門流”においては、日蓮本仏論が正式論であり、これを否定することは富士門流信徒とは言えないのでは無いのでしょうか。(この段に付いては反論があっても回答しません。この掲示板内での各人各様の大聖人観の書き込みをみて、出典が御書と、又は上代の数少ない文献で、推定又は自己推量の世界が感じていますので、但し新たな新出典で論議の展開が在れば、別ですが)

上記・文献より切り文みを1つだします。
『万年不滅乃日蓮末世開導乃日蓮と、のたま□候』

種々是からも、色々お聞きしたきことがあります。宜しくお付き合いが続きますよう念願いたします。
(悔いのない余生に又、分かりにくい富士門流の歴史を、少しでも多く解明して残したく存じております)

あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのは、幾ら掲示板だと軽く思われての書き込みなのですか。其れとも両方ともが“本尊”とでも。富士門流(中世以降)の中でも一番軟派と称せられた北山ですから、この様なことが罷り通るのですか???
石山を除く富士七本山の惣領とも称された時もありながら、今でも身延(一致派)の支配下で「本門寺根源」「本門戒壇可建霊場」と称して笑い物扱いされて、これが日興上人の御精神が一文でも残っているのかと言いたい。

つい、書いている内に感情が高鳴りきつい文になってしまい、以後注意するように努力します。314を読み、書いている最中に316の冒頭が、目に入って追記のような形となりました。317以降は、まだ目を通していませんので、矛盾が在りませんように……

385常徳庵:2003/07/31(木) 10:57
藤波太郎さんへ (2)つづき

あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのはどうゆう理由からでしょうか。
幾ら掲示板だからと思われての書き込みなのですか。其れとも両方共が“本尊”とでも。富士門流(中世以降)の中でも一番軟派と称せられた北山ですから、この様なことが罷り通るのでしょうか??? (一番軟派と思われている要山は、京都本山会よりの圧力が影響し、換えって要山末寺の方が、富士の流儀を渇仰する本末転倒があり、二番目の軟派と考えています)
石山を除く富士七本山の惣領とも称された時もありながら、今でも身延(一致派)の支配下(北山は勝劣派に分類され、勝劣・一致さえも、亡脚の彼方へ言ってしまったのか)で「本門寺根源」「本門戒壇可建霊場」と称して笑い物扱い(失礼)されても、未だに身延の下にぶら下がって、口先で“富士門流寺院”と詭弁する、これでも日興上人の御精神が一文でも残っているものでしょうか。回答が欲しいのです。

この事は「日蓮本仏論」に、関係して論議されなくてはと、(不受不施派は、別の一件で、ここでは除外して下さい)過去レスを流し読みしましたが、該当すべき文字がヒットできなかったのです。経釈の自己流指摘(解釈)で、それ以上の展開・裏付け・系年と言った論議が(歴史観も含め)このスレッドの中では、記述は難しく、内容が分りにくく、そして「日蓮本仏論」の否定論者が、徐々に増加している観(かん)が看られ、富士門徒(その他は除外して)と称して居るのなら、他宗・他派の人々と同じでは無いのでしょうか!!! 更に非常識な者は、富士門徒と称して(富士系全体でなく『石山系列』の事)「何処にも所属していず、一人信心です」と、石山系の中で出現している、この様な現状を醸し出している。その中でも金儲けに利用する。当然その本人の信心状態は、石山・学会風表現で言えば、“退転者”と呼ぶべき範疇の人間に当たるのでは……
一人信心で、信心が本当に理解できる者が、稀にでも存在するのでしょうか?

難波さんへの、問い合わせの積もりで書き出したのですが、このスレッドのテーマへ戻る様な形かなーと……… 難波さんには失礼いたしますが、この中で回答できる範囲でお願い致します。

つい、書いている内に感情が高鳴り、きつい記述になってしまい、以後注意するように努力します。314を読み、書いている最中に316の冒頭が、目に入って追記のような形となりました。317以降は、まだ目を通してません、矛盾が在りませんように……

タイピングが遅いので、速攻での質問等、 間が空く事も有ると思いますが、宜しくお付き合いを願います。

この掲示板の常連の方々の書き込みまで、引き合いに要旨にて引用し、批判めいた内容と思わないで下さい。時代考証が今までかなり気になってまして、化儀化法にて書き込みがされ、歴史よりの検証が甘い感がしてましたので……  藤波さんが宜しければお付き合い下されば、また他の方々とも私の歴史観よりの検証に、お付き合い下さい。

386常徳庵:2003/07/31(木) 11:09
長文と思い、2つに分けた積もりが、重複した部分がでました。
失礼しました。(1)の最初「藤波さん」『へ』がぬけました。

387藤波太郎:2003/08/01(金) 09:13
常徳庵様

はじめまして、よろしくお願いします
鋭いご質問をいただき、ありがとうございます
私は重須を代表して発言する者ではありません
しかも、富士門といっても、日蓮宗の一信者であることをまずは明言いたします
そのことを前提としまして、あえて発言させていただきます

>あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのはどうゆう理由からでしょうか。

たしかに、私は矛盾することを申し上げておりました
失礼しました
しかし、これは読み返してあえてそう思えるのあり、私の中では
なんら矛盾しているという自覚はなかったこともまた申し上げたく存じます

314で申し上げました「釈尊」とは、現在日蓮宗の本尊として規定されている
「久遠実成の本師釈尊」
のことであります
316で「曼荼羅本尊」と申し上げましたのは、勧請形式として「曼荼羅」を
掲げているということで、やはり本尊は「久遠実成の本師釈尊」です
信仰の対象はあくまで「久遠実成の本師釈尊」であり
その勧請形式が種々ことなっているだけです
「曼荼羅本尊」をみて、「久遠実成の本師釈尊」を仰ぐのです

「久遠実成の本師釈尊」=「曼荼羅本尊」

これは、日蓮宗では何ら疑問視される発言ではありません
この認識のもとに私は発言したわけです

また重須以外の日蓮宗諸山では
歴史的に一尊四菩薩像、一塔両尊四菩薩、等
さまざまな勧請形式がとられてきた経緯があります
いずれも本尊は「久遠実成の本師釈尊」です

ところで、問題はこれが「重須」なるが故に、でありましょう
重須では、私の知る限り釈尊像をおまつりした歴史はありません
「曼荼羅本尊」を掲げてきました(勧請形式として)
これは、700年来、一貫していたと聞いております
ただ、日蓮本仏論の時代もたしかにありました
「曼荼羅本尊」をみて、本仏日蓮大聖人と仰いだ時代があったということです
また、釈尊本仏論の時代もありました
大きくは、石山教学と要山教学、この二つに揺れ動いてきた歴史があります
明治・大正・昭和(初期)においては、重須は要山教学(日辰教学)一色で
故に釈尊本仏論時代であったと聞いております

ただ、石山・要山においても、教学史があり、大きく変貌を遂げてきた
歴史がありますね
ご存知のとおり、日蓮本仏論を掲げるまで、そして掲げたあとも
教学は決して盤石ではなく、揺れ動いている部分はあるのではないでしょうか

それにしても、
常徳庵様のおっしゃるとおり、重須は「一番軟化」であったのかもしれませんね
第一、重須教学というのを、聞いたことがないですよね
常徳庵様のご指摘は、辛辣です

私も長くなってしまいました
とりあえず、このへんで

388常徳庵:2003/08/03(日) 05:01
難波太郎さんへ  つづき(3)

レスありがとうございます。

>387 私は重須を代表して発言する者ではありません。
>387 富士門といっても、日蓮宗の一信者で。

その積りで書き込みをしておりました。了解です。小生も個人として書いております。今後とも、よろしくお付き合い願います。

>387 その勧請形式が種々ことなっているだけです

当然、延山の勧請形式については、種々異なる事は承知しておりますし、他宗他派を吸収しながら今日に至り、又布教による展開で五千ヶ寺に及ぶ単称日蓮宗となり、特に転入寺院に関しては、転入前の化儀・化法の一部を認める事があるのは、何処の宗派でもある事で、勧請形式についてもその範疇と心得ておりますが、この事で「本尊造濫」を助長する事となったと、理解しています。
これが難波さんの常識と考えておりますが?  但し北山は、一本寺であったプライドが今、無いとゆうか、見あたらない所が遺憾に思うとこなのです。今の貫首さんは、佐渡・世尊寺より晋山と聞いています。先代の方と思うのですが、戦後、世尊寺が延山末を、心よしとせずか、離脱し単立となるが又、元の鞘に収まって今日を迎えている。
この事と、片山氏の晋山の経緯について、教えて下さい。

>314で申し上げました「釈尊」とは、現在日蓮宗の本尊として規定されている「久遠実成の本師釈尊」のことであります
>316で「曼荼羅本尊」と申し上げましたのは、勧請形式として「曼荼羅」を掲げているということで、やはり本尊は「久遠実成の本師釈尊」です信仰の対象はあくまで「久遠実成の本師釈尊」でありその勧請形式が種々ことなっているだけです「曼荼羅本尊」をみて、「久遠実成の本師釈尊」を仰ぐのです
>387 これは、日蓮宗では何ら疑問視される発言ではありません。この認識のもとに私は発言したわけです

是は、「宗定本尊」の話ですね、延山については今のところ研究してないのでよく分りませんが、「宗定本尊」であれば、戦後のことですよね、この辺の事を教えて下さい。

389藤波太郎:2003/08/03(日) 08:56
常徳庵様

北山は一本寺であったプライドがない

たしかに、そうかもしれません
しかし、プライドを捨てて重須を護ってきた先師がいたこともまた
事実であると想います
ことに明治の廃仏毀釈以降、寺の存続すらあやぶまれる時代があったと聞きます
現に塔中の坊は、いくつも廃寺となりました
さらに本門寺は明治四十二年、境内をことごとく焼失しました
そして、ご存知の通り三派合同となります

片山猊下の晋山は、三派合同にともない身延山から派遣された「特撰住職」です
当寺、本門寺末の世尊寺、本間俊明上人は貫首候補として有力視されていたそうです
その他、数名の候補がいたとも聞いております
ただ、本門寺は片山猊下を迎えました
かりに、片山猊下晋山に対して、他の候補が複雑な思いを抱いたにせよ
片山猊下が五十年にわたり貫首職を全うされたことに私は敬意を表します

「宗定本尊」と呼ばれる本尊は、曼荼羅ですが正確には「宗定」ではありません
便宜上、そう呼ばれているのであり、宗制で定められた本尊という意味ではありません
そして、これは勿論戦後の話です

私はここで確認しておきたいのですが
常徳庵様は日蓮宗の本尊「久遠実成の本師釈尊」に疑問を感じていらっしゃるのでしょうか
あるいは、重須が歴史的に弱腰であったこと、そして現在も富士本山を名乗りながら
身延の傘下にいることを叱咤されているのでしょうか

私は、日蓮宗の本尊が間違っていないと思っています
ご指摘のとおり日蓮宗寺院には「本尊造濫」といわれても仕方がないような
現実もありますが
これは常徳庵様が歴史的経緯を説明して下さった通りの結果であります
しかし、「久遠実成の本師釈尊」に異論をとなえる人はいないはずです
むしろ、いまだに(と言っては失礼でしょうか)日蓮本仏論を掲げて
文献批判に門を閉ざしつづけている石山こそ信仰の危機を迎えていると
私は懸念しております

富士門は、本当に本来日蓮本仏論なのですか?
それは、相伝書をもととしているのではないですか?

信仰の姿勢をいま問われているのは、重須だけではありません
重須は何もしてこなかったわけですから
しかし石山は相伝書をもととする教学を形成してしまったわけでしょう
お互いに反省すべきところは多々あると思いますが
いかがでしょう

390ガンコ:2003/08/07(木) 16:18

教主釈尊の御宝前とは? その1

大聖人の思い描かれる教主釈尊像とは申すまでもなく霊山八年の釈尊、なかんずく八品所顕、さらには一品二半、そして究極は「但題目の五字なり」との仰せに尽きているわけで、いわゆる仏像を安置せられていたとは考えられません。
本宗においては“八品所顕の本尊”という言い方はしないそうですが、曼荼羅の相貌じたいはいわゆる虚空会の儀式をかたどったものであることは否めないと思います。つまり大聖人が教主釈尊を思い描く時にはつねに、二仏並座・本化上行等の四菩薩・以下迹化他方ら諸の聖衆がうち列なる、あの大儀式のイメージにおいて以外にはありえない、と考えるものであります。
さて、教行証御書には「爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。」とあります。これは考えようによってはじつに変な御言葉であろうと思うのですが・・・なぜならば、釈尊は爾前の時も迹門の時も本門の時も同一人物のはずです。ようは発迹顕本するかしないかの違いであって、釈尊であることに変わりはないはずなのですから。もし三沢抄の御指南をも併せて忠実に守るならば、佐渡以前の日蓮大聖人は物の数ならず、と申し上げなければなりません。ところが本宗においては絶対にそういうことは言わないのであります。
これによって何がわかるかといえば、大聖人はあくまで経文の勝劣を本とせられていることで、釈尊のすがた・かたちではないということであります。ちなみに教行証御書をもう少し丁寧に引用すると「・・・日蓮が弟子等は臆病似ては叶ふべからず。彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況んや其の以下の等覚の菩薩をや。・・・」となります。
だいたい、われわれシロウトが仏像を見たって名札が付いてないと誰だかわからない。おそらく、ちょっと精しいくらいの人だって、手指のカッコウで判断しているわけであり、仏像をお顔でわかる人はいないでしょう。だって、みんな同じに見えるんですもの。しかも、あんまり写実的ではないんだから。
それでは大聖人御自身は釈尊のお顔をご存知であられたか? 「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。・・・」(三大秘法稟承事) いわゆる面授口決が本当のことなら大聖人は釈尊のお顔を知っていらっしゃることになりましょう。
しかし、そうであっても大聖人は釈尊像を仏師に彫らせることも自ら刻むこともせられなかった。それはもちろん「法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。」(本尊問答抄)であるから当然ですが、つぎの観心本尊抄の御文を拝するとより理解が深まるかと思います。
「我が弟子之を惟へ、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林最後にも訪はず、不孝の失之有り。迹門十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還せり。」

391ガンコ:2003/08/07(木) 16:23

教主釈尊の御宝前とは? その2

地涌の菩薩は・・・釈尊五十年の説法を最初から最後まで聞いていたわけでもなければ、法華経の説法を全部聞いていたわけでもない・・・とんでもない連中であります。
いまの各教団では、集会に遅れて来るものや途中で退席するものはやる気のないものと見るでありましょう。
しかし法華経においては彼らが主役なのです。おそらく釈尊のすがた・かたちを克明におぼえるということなら、もっと他に適任者がいたことでしょうけど、もっとも重要な儀式においてそれを克明に記憶するのはその当事者以外にはいない。つまり、大聖人の御曼荼羅の相貌が顕しているものは釈尊のもっとも重要な説法であり、儀式なのであります。
そうは言っても、大聖人が上行菩薩の再誕であって二千余年の昔を記憶せられていたなどとは、おそらく誰だって信じがたいと思うことでしょう。ですから、あくまで経文の説相よりイメージを喚起せられたと拝して一応は構わないと思うのです。
すなわち、「日蓮は凡夫なり。天眼なければ一紙をもみとをすことなし。宿命なければ三世を知ることなし。而れども此の経文のごとく・・・」(閻浮提中御書)との仰せのごとくであります。
そうしますと、「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累品に事極まりて候ひしが・・・」(新尼御前御返事)と仰せあそばす寿量品に建立する所の本尊の相貌は教主釈尊のお顔なんかではなく、まさしく妙法五字の大曼荼羅となるわけであります。
このことを上行菩薩の立場で考えると、釈尊がいよいよ重大説法をあそばすギリギリ直前に大地の底より涌出せられた・・・まさしく教主釈尊の御宝前に馳せ参じたわけでありまして、つまり、この光景が御本尊の相貌そのものなのであります。
よって、教主釈尊の御宝前とは、即物的には大曼荼羅安置の御宝前でありましょう。そして、イメージは法華経の説相に示されるごとくでありましょう。
だいたいにおいて、御書には「法華経の御宝前」という御表現が多くあって、「教主釈尊の御宝前」は異例中の異例であります。その必然的な理由は次項で考えることにしますが、その前に法華経の御宝前とは何かについて触れておきます。
すでに申し上げたように、曼荼羅の相貌は虚空会の儀式をかたどったものであります。また、以前の投稿で「御衣並単衣御書」を引用し、法華経は一字一句すべてが仏であるとの仰せから、そこには提婆等の悪人をも包含せられている意味があるので、まさしく法華経と大曼荼羅はまったく同じである、と申し上げました。
つまり、大聖人が仰せられる法華経の御宝前とは大曼荼羅安置の場所と考えてまったく問題ないと思うものであります。

392ガンコ:2003/08/07(木) 16:28

教主釈尊の御宝前とは? その3

「然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見るに、法華読誦の音青天に響き、一乗談義の言山中に聞こゆ。案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む。」

忘持経事は短い御書でありますから、全文拝読してその文意を確認していただきたく思いますが、わたくしはエッセイのようなおもむきを感じるし、また、詩情あふれる御文であると思っております。つまり、ひねりの効いた文章であるから、教主釈尊を字句どおり受け取ってはならないと考えるのです。
しかし、おそらくは異論があるでしょう。たとえば、「尊容を拝する」との意は曼荼羅にはふさわしくない、というような意見が想定されます。
それは・・・まったく、そのとおりであります。
わたくしは、もっとひねりが効いていると思っているのです。ここに仰せの「教主釈尊の御宝前」は“日蓮大聖人の御宝前”の意であられると。
理由をいくつか挙げますが、まず最初に申し上げたいことは身延参詣の主目的は大聖人に御目通りを賜わることであります。三沢抄には「又うつぶさの御事は御としよらせ給ひて御わたりありし、いたわしくをもひまいらせ候ひしかども、・・・」とあって、はるばる遠くから来たものであっても御目通りの叶わなかったものが少なくないようであります。むろん、富木殿は在家分の筆頭格ともいうべき存在でありますから、御会いできないことはなかろうと思いますが、しかし、よくよく本文を拝読しますとどうしたことでしょうか、大聖人のおすがたはまったく捨象されてしまっているのです。エッセイないし詩と申し上げたのはこのような意味からでもあります。まるで大聖人はどこかに御隠れになって富木殿の行動を観察していらしたような御文であります。しかし、そうではありません。

「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬へば種子と菓子と身と影との如し。教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道、吉占師子・青提女・目犍尊者は同時の成仏なり。是くの如く観ずる時無始の業障忽ちに消え、心性の妙蓮忽ちに開き給ふか。」

これは大聖人の御説法・御指導であります。つまり、富木殿は大聖人に御会いするためにはるばる下総より参上したわけであり、このような趣旨の御説法をじっさいにはもっとたっぷりと拝聴したものと思われます。そうであれば、前段の「案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に・・・」とは、大聖人に御目通りする様を形容したものであり、「歓喜身に余り」とは、久々に大聖人の御尊容を拝見しての喜びの様をあらわしたもの・・・と考えることができようかと思います。

393ガンコ:2003/08/07(木) 16:32

教主釈尊の御宝前とは? その4

富木殿のケースに近い事例として、弘安三年の千日尼御返事を拝してみたいと思います。
「故阿仏聖霊は・・・流人日蓮に値ひて法華経を持ち、去年の春仏になりぬ。・・・其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此をおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。」
また、弘安元年七月の御返事には、「人は見る眼の前には心ざし有れども、さしはなれぬれば、心はわすれずともさてこそ候に、去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間此の山中に候に、佐渡国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。」とあります。
さらに同年、閏十月には、「佐渡の国より此の国までは山海を隔てゝ千里に及び候に、女人の御身として法華経を志しましますによりて、年々に夫を御使ひとして御訪ひあり。・・・譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打てば須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来たれり。・・・御面を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。」とあります。
身延参詣を三度まで果たした阿仏房は超人的でありますが、夫を送り出した妻の信心も大変なものであります。むしろ大聖人はこうした千日尼の信心こそ大絶賛せられているように思えます。また、富木殿の奥さんに対しても、ちょうど忘持経事の前の御書で「いまときどののこれへ御わたりある事、尼ごぜんの御力なり。・・・今ときどのにげざんつかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとをぼう。」と仰せになっており、富木殿をかげで支える信心を賞賛せられているように思えます。
このような大聖人のきめ細やかな御配慮を拝するならば、誰しも純粋熱烈なる信心をおこさずにはいられない、という気がいたします。一般に、大聖人は女性に人気があった・・・との論評が多いように思うのですが、さもありなん、といったところでありましょう。では、富木殿の母君はどうであったか? いまだ御書の本文より探しあぐねていますが、いちぶ千日尼の信心と重なる部分があるように思います。
おそらく母君はご晩年、大聖人様に御会いしたい、身延に参詣したいとの希望を懐いていたことと思います。しかし富木殿はお許しにならなかった。「齢既に九旬に及ぶ。」とありますから、常識的に当然の判断かと思われます。おそらくは臨終が近づくにつれ、くりかえし“いまいちど大聖人様に御会いしたかった”等と漏らされたのではないかと考えます。そうなると(もうちょっと元気なうちに参詣させるべきだったか)との後悔の念が富木殿に生まれます。それが「舎利を頸に懸け」ての身延参詣につながっているのではないでしょうか。そのように拝する時、「尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む。」は、ようやく母君の願いを叶えることができた、母君を大聖人のもとにお連れすることができた、といった感慨をあらわしているように感じる次第であります。

394ガンコ:2003/08/07(木) 16:37

教主釈尊の御宝前とは? その5

「我が頭は父母の頭、」以下の御指南は、親子一体の義を御述べでありまして、まさに富木殿と母君(の遺骨)を前にしての大慈大悲に満ちた御説法であります。と同時に、大事の御法門を密示せられているようにも拝するものであります。
このほぼ一年前に著された撰時抄において、はじめに「釈子日蓮」と御名乗りあそばしてのち本文にて、「此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。只偏に釈迦如来の御神我が身に入りかわせ給ひけるにや。」と仰せでありますが、まさしく父子一体のおもむきを感ずるものであります。
ゆえに、「是くの如く観ずる時」とは、大聖人こそ教主釈尊なり、と観ずるべきであることを暗示せられているように拝します。
さらにわたくしは、大聖人は富木殿を地涌千界になぞらえているのではないか、という気がしてなりません。「然る後、随分に仏事を為し、事故無く還り給ふ云云。恐々謹言。」との締めくくりはなんとなく他の御書とちがう印象を受けるのです。御手紙の体裁ではないし、もちろん法門書でもありません。ようは追伸なのでしょうが、しかし、それにしては手の込んだ文章であります。つまり、すでに申しましたように詩ないしエッセイのおもむきを感ずるものであります。
富木殿が身延にやってきて、そして還ってゆく・・・これを地涌千界の八品来還に見立てていらっしゃるのではないか? 「我が弟子之を惟へ、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林最後にも訪はず、不孝の失之有り。迹門十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還せり。」であります。
もし大聖人が八品来還を意識せられて御書きあそばしたのであれば、教主釈尊の御宝前はすなわち日蓮大聖人の御宝前となりましょう。
ちなみに南条殿御返事には「彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。」とあり、松野殿女房御返事には「天竺の霊山此処に来たれり、」とあります。
これらを図示すると、

霊山八年=身延九年  地涌千界=富木殿(その他門下全般)  教主釈尊=日蓮大聖人

となりましょうか。もっとも松野殿女房御返事の次下には「我が身は釈迦仏にあらず、」とありますので、“釈迦仏”ではないのでしょう。この辺がいちばんむずかしいところでありますが、さしずめ日蓮大聖人は“和製教主釈尊”と申し上げておきたいと思います。
いまだ文底の意を尽くしきれていない愚論でありますが、今回はこれでまとめとさせていただきます。(以上)

395苦悩乱者:2003/08/12(火) 18:10

御書にも方便があります。

それを知らずに読んでいると,迷路にはまります。

396藤波太郎:2003/08/13(水) 07:42
ガンコ様

熱い思いが伝わります
ただ、日蓮宗の私としては大変不思議な解釈と感じます

大聖人が本仏である、という前提のもとに御書を拝すると
ガンコ様のように解釈することになるのでしょう
しかし、釈尊が本仏であるという前提のもとに同じ御書を拝すれば
釈尊本仏で納得することもできるのです

ともあれ、日蓮宗しか知らない「井の中の蛙」である私にとって
ガンコ様の解釈は、大変興味深く、刺激的です

「和製教主釈尊」

ですか
良い言葉ですね

397Jルーカス:2003/08/13(水) 08:30
藤波太郎さん
大聖人の仏法は、所謂「月氏、漢土の仏法」とは全く異なる「和国の教主大聖人」が創始した仏法であるのが真実だと思います。
日蓮宗は釈尊の創始した仏教の流れの正当性として解釈しました。
日蓮正宗は、和国発祥の新義仏法として解釈したのだと思います。

さて、話は変わりますが・・・
中山法華経寺には「血染めの白五条袈裟」が残っています(小松原の剣難の時のものとされております)。
つまり、大聖人も当宗と同じく「白五条袈裟」を着ていた訳ですが、
何故に日蓮宗では、七条・九条の色袈裟を使うのでしょうか?
後裔の僧侶を宗祖より偉い事にしてしまってますね。

398藤波太郎:2003/08/13(水) 09:34
Jルーカス様

おっしゃる通り、日蓮宗は「仏教日蓮宗」
釈尊仏教の正統ということになっています
「なっています」というのは、必ずしも日蓮宗徒がそう認識しているか否かは
別であるという意味です
私自身、「日蓮仏法」「上行仏法」という言葉が妥当であると思いますし
「日蓮教」という言葉を用いる人もいますね

さて、色衣をナゼ着るか…

これは私も大いに疑問をいだいております
色衣は着るべきではない、これが私の持論であることをまず明言します

京都妙顕寺第二世・大覚妙実上人が延文三年(1358)後光厳天皇より
「四海唱導」の称をうけ、日蓮聖人は「大菩薩」、日朗・日像両師は
「菩薩」号をうけました
いわゆる、公武との関係を強めたわけです
同じく京都、本圀寺はさらに公武に近づき、洛中における地位を増大させます
皇室との関係から、色衣を着ざるをえない状況に
さらに色衣が正装であるという認識にかわっていったものと思われます
七条・九条についても同じですね

このような歴史的経緯があるのですが
当時、墨染めを脱ぎ、どんな思いで色衣を着ていたか
現代人の私には想像できない部分もあります

大聖人の弟子、せめてその流類を名乗るのであれば
王家を折伏するのが本化の精神であり、
「世間並みの衣装を」と迎合することは恥ずべきであると思います

富士門は立派です
日蓮宗のお坊さんで、色衣を着る人をみるたびに、私は「あ〜あ」と
思います
ただ、法服に関しては『日蓮宗宗制』の中に法服規定があって
正式な場では色衣を着用することになっています

これは、大聖人に恥ずべき現実だと思います

余談ですが
私の記憶では鴨川の鏡忍寺にも血染めの五条袈裟が
ありました
どっちがホンモノでしょう??????????

399ジャンノレン:2003/08/13(水) 10:26
ガンコさん、濃密な論文読ませて頂きました。
真跡、御妙判から聖祖の意をくみ取るとの努力はとりわけ日蓮宗各派の論点ですが、私はここに
御本尊の真跡も入れないことにはどうも宗祖の本意全体を知ることにはならないのではないか、
と思います。山中喜八氏の丹誠によって鑑定されたおおよそ百何福の真筆が残っていますが、本
尊相貌に於いてみる限りは、釈尊を中心とした佛教展開は感じられないのです。
印度にて説法された虚空会霊山を模した座配に、なんで日本の神がいるのですかね。集合といえ
ば集合させる意味があるのでしょうか?天照・八幡を勧請せねばならない理由はなんでしょうか。
しかも、花押も初期はバン字・後期はボロン字と変わって往く辺りはもろに、真言の影響も確認
されます。御存知の通り、真言では釈迦は立てません。台密としても、不動・愛染感見記の両明
王も本地は真言宗、大日の垂迹です。これも本尊中に四大天王の両脇左右にお認めであります。
こうなると、御書就中、本尊抄、開目抄ほか五大・十大部は法門の断片を説いた物で、本尊の讃
文も含めて詮議することでより、聖祖の本意が伺いできるのではないかと思うのですが・・・。

400ガンコ:2003/08/13(水) 11:56
藤波太郎さん

>大変不思議な解釈

ええ、おっしゃるとおりです。だいたい正宗のほうでも身延には仏像が安置せられていたと認識しているようですから、わたくしの考えはまったく荒唐無稽だかもしれません。

もし身延に仏像が安置されていて、大聖人が仰せの本門の教主釈尊がそれであったなら、なぜに富士系においては仏像を安置しないのか?という素朴な疑問があります。
日興上人は申すに及ばず、日目上人は身延において七年間、大聖人のおそばに御仕えになった・・・後に富士系に属するであろう方々も多くいらしたことでしょうから、大聖人の御法門を取り違うことは考えにくいのではないか?と思うのです。

ちなみに和製教主釈尊というのではとうてい文底の意を尽くしたことにはならないので、そういう言い方は誰もしないです。だって、意味合いとしては本家本元は外国にあって大聖人はそれをまねただけ、ということになってしまうからです。
そういうわけで、まだまだ本仏論といえるレベルには達していないと自覚しております。

401Jルーカス:2003/08/13(水) 13:15
ガンコさん
身延山久遠寺に行きますと、大変不思議な事実に気づくと思います。
本佛とされているハズの釈迦堂より、僧宝に過ぎないハズの祖師堂の方が大きいのです。
明らかに過去において、本佛日蓮大聖人として崇めていた証拠が現出されております。
身延の中でも、日蓮大聖人を「妙覚の位(佛様)」と表現した方もおりますのは御存知かと思います。

402ガンコ:2003/08/13(水) 13:33
ジャンノレンさん

いちばん難しい問題をぶつけられてしまいました。
御本尊の相貌は弘安二年の日女御前御返事に詳しいですが、どうもこの御書を引用するとある方面から“真偽未決”とか言われそうでこわいですね。

同じく弘安二年の日眼女釈迦仏供養事には、「天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり。例せば釈尊は天の一月、諸仏菩薩等は万水に浮かぶる影なり。」とありまして、また、法華取要抄には「大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ是なり。」とあります。で、このすぐあとに「この多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。」とあって、釈尊がすべての中心のごとくであります。

ところが、もっとも単純な疑問を申し上げれば、念仏宗では南無阿弥陀仏なのに何故にこっちは南無妙法蓮華経なのか? つまり、大聖人の御曼荼羅の中心は釈尊ではない、ということがあるわけです。

わたくしの現時点での理解は、大聖人の御法門はいわゆる法勝人劣であられる、というものです。これは御書全編を拝してのばくぜんとした印象なので間違っているかもしれませんが、阿弥陀などの諸仏と対比する時には釈尊の勝を仰せになるものの、法華経と釈尊を対比する時にはいわゆる能生所生の関係を強調せられているわけです。乗明聖人御返事には「経は師なり仏は弟子なり。・・・夫劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや。」ときわめて露骨な御表現をあそばしておられます。

しかし、文底の意をもって拝するならば、上記はいまだ階梯にすぎないのでしょうね。最終的には人法体一のわけですから。

いずれにしましても御本尊の相貌については大聖人御自身あまり御説明あそばさなかったわけであり、おっしゃるとおり御書を拝しているだけではわからないことが多いですね。

403ガンコ:2003/08/13(水) 13:46
Jルーカスさん

身延には行ったことがないんですよ、わたくしは。ですから、へぇーって感じです。

本宗は相伝仏法である、ということをしばしばおっしゃっていますが、どうなんでしょうか、御書を拝しているだけでは“本仏論”にはぜったいに到達できないんでしょうか?
身延のどなただか存じませんが、大聖人を妙覚の位とおっしゃったと?
これは大石寺のマネをしたのでしょうか?

404ジャンノレン:2003/08/13(水) 16:14
>明らかに過去において、本佛日蓮大聖人として崇めていた証拠が現出されております。
>身延の中でも、日蓮大聖人を「妙覚の位(佛様)」と表現した方もおりますのは御存知かと思います。

Jルーカスさまがお引きの該当文書は以下のことでしょうか。
広蔵院日辰師と並ぶ中世の学僧、その著作物は身の丈程もあったといわれる身延十一世行学院日朝
師が観心本尊抄私記第四、宇治物語に「地湧の菩薩とは元品の無明を断ぜぬ因位の菩薩ではなく妙
覚の仏の萬行萬善の色に顕れたものだ」というのをひかれて「故に地湧の菩薩実妙覚位也」(学十
六223頁)と仰せになったとか、、。また本尊相貌についても四代前の七世日叡師は聖人を列衆に
入れることに躊躇され真間の日蓮宗各僧・茂原妙光寺諸師と詮議され首題直下に日蓮大聖人と書き
この下にそれぞれ自分の名前を書くことにした(本尊相伝事本一7頁)この方式は日朝、日意、日
伝の三師まで守られたが二十代一如院日重師の時に逆戻りしてしまった。なお、天竺は右尊左卑と
いう座配の説を曼陀羅に導入したのは朝師の考えということである。

さて、本尊のことも出ましたので板に刻むという方法は聖祖の昔、比叡山にも見られ宝塔式の板本
尊は長谷寺などにも見られる。身延山においても大聖人の御筆を写した板本尊が延山中蔵に民部日
向の添書が「正安二年庚子十二月 日、右日蓮幽霊成仏得道乃至法界平等利益の為に之を造立す」
とある。この他にも中世の数枚の諸師の板本尊が東蔵に秘蔵されている、ということです。何のた
めに秘蔵されて開放されないのかは知りません。

405Jルーカス:2003/08/13(水) 18:42
ジャンノレンさん
付随説明、感謝申しあげます。
また、さらに別の資料も参考になりました。検討してみます。

406苦悩乱者:2003/08/13(水) 20:45

404>身延の中でも日蓮大聖人を「妙覚の位」云々・・・

その様な御僧侶が居られるから,おかしくなるのです。いやちがう,いやそうだ。他人の懐の財布の中身を想像しているだけでしょう。解らないでしょう。「覚者」となられたのは確かなことでしょう。それ以上は直接お聞きしなければ
妙字即だって,本当は無限段階あるわけです。大体にして,誰がその段階を決めるのでしょうか。誰が「妙覚」であることを誰がわかるのでしょう。自分で言っても,もう一人の妙覚の仏様に証言してもらわなければ,外の人が承知しないことです。するとその証言したもう一人の妙覚の仏様は,亦復三人目の仏様に証言してもらわなければ証明されない,それでも疑わしいと言っている間に歳取って
死んでしまう。ああ私は,修行を忘れてしまっていた。結局,大聖人様はどんな位の仏様であったのかは解らなかった。ああ。

407愚鈍凡夫:2003/08/13(水) 22:11
>>406:苦悩乱者さんへ
始めまして、愚鈍凡夫です。

結局、自分ところの宗祖こそが真の仏であると申告した者たち同士が法論でもして決めるしかないのじゃないですか。
「生身の仏」とは何ぞやと言われても、100人いれば100通りの回答があるわけですから。

408苦悩乱者:2003/08/13(水) 22:57

「末法本仏」なのか,末法が付かない「御本仏」なのか?「末法本仏」=「御本仏」なのか?「末法本仏」≠「御本仏」なのか,だれか教えてください。

409苦悩乱者:2003/08/13(水) 23:21

愚鈍凡夫さん

始めまして,よろしくお願いいたします。

兎に角,皆さん,勉強されていますね。そのうちに,それぞれの門流に法論にで出かけられそうですね。実は私,今年4月頃にある住職に今年の目標は,こちらのご住職と一緒に真宗を折伏するのが目標です。と言ったら,「それはダメだ」と言われました。後になって折伏の話になった時,法論する時はふるえてしまうと語ってくれました。真宗なんて大元は,目つぶって経典つかんで,それで一宗旗揚げでしょう,そんな出鱈目相手に震えること無いのに
増して,手ごわい近親の門流同士,心臓が飛び出てしまうのではないでしょうか。

410藤波太郎:2003/08/17(日) 18:15
日蓮宗のお寺をお詣りしておりますと、日蓮宗は釈尊本仏と仰ぎつつ
いわゆる「祖師信仰」であることに気づきます
お祖師様に救っていただく
そう信じている信者が多いのです

曼荼羅本尊、一塔両尊四菩薩、一尊四菩薩等、さまざまな勧請形式が
あるにしても、
たいていのお寺には、御本尊が見えない位、大きな祖師像が奉安されています
はじめてそれを拝む人には、祖師像が本尊であるかのようにとられても
仕方がないくらい

ただ、これ(「祖師信仰」)と「日蓮本仏論」とは違うと思います
事実、「妙覚の位」と大聖人を位置づける表現があったとしても
私の記憶する範囲では、本仏論については
五百億塵点劫を実数としてとらえず、したがって久遠元初という時間を設定していません

「サテハ如来成仏ノ初ハ無リケリ、所詮無始無終ノ仏ニテ御座ス也、
爾ハ仏計リ不可無始無終、我等モ無始無終也」(『法華草案抄』第八巻17丁)

すなわち五百億塵点劫は久遠実成の譬喩であるということです
さらに、日朝師は我等衆生もまた本来、常住にして無始無終であるというのです

どちらかというと、天台教学と日蓮教学との違いを明確化した人というよりも
中古天台よりの学僧かな、とみてとれますが

411苦悩乱者:2003/08/19(火) 09:53

日蓮本仏論は日蓮本物(本物の仏)論に摩り替っているように思うのですが?

末法にお生まれになった「本因妙の教主(釈尊)」と私は理解しております。

412苦悩乱者:2003/08/19(火) 15:58

仏陀=覚者の「お悟り」には二も無く三も無い,ということだと思います。

それに迷うのが学者さん。

迷わないのが,信仰者でしょうか?

413ガンコ:2003/08/19(火) 17:06

>(本物の仏)

本物の対義語はなんでしょうか? 偽物ですか?

また、「本因妙の教主(釈尊)」もよく使われる言葉ですが、その対義語はなんでしたっけ?

>それに迷うのが学者さん。
>迷わないのが、信仰者でしょうか?

まさに、迷いがないということが信仰者の強みでしょうけど、“迷うだけの材料を与えられていない”というのが組織・教団に身を置いている人間の実態であると、この掲示板の先輩方が論じてこられました。じっさい、この掲示板は現役バリバリの組織信仰者はいないようですね。
ようするに、あなたのおっしゃる「永遠の迷路」にさまよう信仰者の掲示板かもしれません。

414ガンコ:2003/08/19(火) 17:42

藤波太郎さん

つまらない質問ですが、御相伝書を抜きにして、つまり日蓮宗で使われる御書だけで、日蓮本仏に到達することはありえないのでしょうか?

現代感覚で言えば、「我は仏である」などと自称することははなはだこっけいであり、第三者による客観的評価がなければ信用できるものではありません。そういう意味では法華経における多宝仏の証明はけっこう重要であり、また、現代的ともいえるのではないか? と思います。(法華経じたいが現代的かどうかわかりませんが)
つまり、大聖人御自身が「我は本仏なり」と言ったか言わないかではなく、まったく異なる評価法があるのではないか? と思うのです。
もしかしたら、この方法で本仏論は成立するのではないか? なんてことを考えています。

日蓮宗も正宗も大差ない、という意見では藤波さんと一致しているわけですから、わたくしの言わんとしていることはご理解いただけると思うのです。
祖師信仰と本仏論は大差ないのではないかと考えます。わたくしの立場で言わしていただけば、日蓮宗は正宗に本仏を先取りされちゃったから、言いたくても言えない、で、なんだか意地をはって釈尊に固執している・・・とか書くととうぜん反論があるでしょうけど、学会員のれんさんあたりのご説明を聞いていると、日蓮宗と正宗がまったく同じに思えます。ちょっと、よろしかったら、偽作論の過去レスをご覧になって見てください。

415藤波太郎:2003/08/19(火) 18:17
ガンコ様

偽作論の過去レスはのちほど拝見いたします
「日蓮宗で使われる御書」の基準を立正大学・身延山大学におくとしますと
①真蹟現存②真蹟曽存(身延大火で焼失した開目抄等)③日興上人写本現存
この三種です
もちろん、このほかにも重要視される写本はありますが、
一応、この三種をもって日蓮教学の根幹はなされているわけです

私の管見では、この三種から「日蓮本仏論」は証明できません
焦点は、五百億塵点劫の点があるかないか。そして久遠元初があるかないか。
とりあえず、この二点に私は着目しているわけですが、
いまのところ、読み取れません。

真摯に御書をひもとき、日蓮本仏論を証明しようとされているガンコ様の
姿勢は、私はいたいほどわかります。
私も、そんな気持ちになることがしばしばあるからです。

しかし、みつけることができずにいます。

もちろん、観心本尊抄の「脇士となして」「所化以って同体なり」等は
私も大いに注目しておりますが。

416ガンコ:2003/08/20(水) 23:48

藤波太郎さん、どうも遅くなりました。

ちょっと上のほうを読み返してみたのですが、どうも同じところにとどまっているような感があります。申し訳ありません。偏にこちらの責任であります。
つまり、御書の使用基準を藤波さんのお示しどおりとした上で、こちらがもっと斬新な理論なり仮説なりを提示しなければならない、それができていないわけです。
どだい、わたくしなんかにできっこないんですけど・・・

れんさんの書き込みは本仏論というよりは上行論の補強に過ぎないのかもしれません。もちろんご本人にお聞きしないとわかりませんが。

417常徳庵:2003/08/21(木) 04:02
藤波さん

回答が遅く成りまして、近日中に続きを行いましょう。

別のサイトで、気になり浮気心で、書き込みしていた者で、気にはしていたのですが、北山について、更にお聞きしたく、存じております。

418苦悩乱者:2003/08/23(土) 20:42

413 ガンコさん

>本物の対義語はなんでしょうか? 偽物ですか

本物に対すれば偽物になります。本来は、本仏、迹仏の意でしょうけれど、別に本地垂迹という時の本地と垂迹が本仏と迹仏にあたるのではないかと思います。・・・常徳庵さんいかがでしょうか。

>「本因妙の教主(釈尊)」もよく使われる言葉ですが、その対義語はなんでしたっけ?

本果妙ですよね。本因と本果が一対に。

419苦悩乱者:2003/08/23(土) 20:49

尚、「御本尊」のこと、
御義口伝、第四是人持此経安住稀有地の事 (学御 p.763)
に興味深いことが書かれています。

420ガンコ:2003/08/24(日) 17:23

苦悩乱者さん

本宗では本因妙・本果妙を当たり前に使っていますが、おそらく御相伝書以外には見られない語彙であり、はたしてこれが聖人の祖意なのか? ということがこの掲示板でしつこく議論されてきたものですから、それを踏まえて何か斬新な意見が聞けるものと期待したのです。

ところで御義口伝の御文を拝見しましたが、何が興味深いのかわかりません。
教えてください。

421苦悩乱者:2003/08/24(日) 18:10

ガンコさん

法師功得品四箇の大事

御義口伝、第四是人持此経安住稀有地の事 (学御 p.763)

明鏡たる本尊という御文が有るのです。

明鏡つまり「かがみ」です。
御本尊は鏡ですよ!と

普通の鏡は姿を写しますが、御本尊である鏡は「こころ」を写します。
自分の姿は鏡でしか見えませんが、それにたとえて、「こころ」を写す鏡ですよと。
御本尊というのは「かがみ」です。
すると、本体は自分の方の「こころ」になることになりますよね。

全部で七行くらいの短い御文ですから、読めば「明鏡たる本尊」は中頃に出てきます。
全体を通しての通解はプロの方(常徳庵様)にお願いしたいのですが・・・

最後の方に「不軽とは一切衆生の内証所具の三因仏性を指すなり仏性とは法性なり法性とは妙法蓮華経なり云々。
と仰せですが、
この、一切衆生の内証所具の三因仏性(つづめると仏性)というのは我等が凡夫の「こころ」に仏性が存在していますよ!その仏性は又、法性とも言いますと、又、妙法蓮華経とも言いますよと、その我等が「こころ」に存在するところの「仏性」を写すのが「御本尊」という明鏡なのですよとのご教示だと思うのです。

常徳庵様、如何でしょうか?





明鏡たる本尊なり

422苦悩乱者:2003/08/24(日) 18:15

なにか、本尊論になってますね。

423苦悩乱者:2003/08/24(日) 19:05

ついでなので本尊論で行きます。

この我等が「己心の仏性」は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」(学御p241の終2行め)から、然りといえども、我等が劣心に仏法界を具する事、信を取り難き者なり・・・中略・・・答えて曰く、汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば・・云々。と、「唯一大事因縁」の経文とは、方便品第二の本末究境等以下につづく世雄げに有ります。月水御書に「されば、常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給え。」とのご教示が有ります。

424苦悩乱者:2003/08/24(日) 19:16

ガンコさん

>420 本宗では本因妙・本果妙を当たり前に使っていますが、おそらく御相伝書以外には見られない語彙であり、はたしてこれが聖人の祖意なのか? ということがこの掲示板でしつこく議論されてきたものですから、それを踏まえて何か斬新な意見が聞けるものと期待したのです。

本因妙、本果妙もつづめれば、因と果ではないかと思います。ほんとに解らないですね。

私が、一番好きな御書は「白米一俵御書」です。もうあとは何も要らないくらいに。

425苦悩乱者:2003/08/24(日) 19:34

常徳庵様

それにしても、何処へ行かれたのでしょうか?

心細くて仕方有りません。

たまには、お叱りのお言葉でも下さい。

426ガンコ:2003/08/24(日) 20:22

>本因妙、本果妙もつづめれば、因と果ではないかと思います。ほんとに解らないですね。

いやあ、どうもすみません。わからずやなものですから。
ついでに、ご質問・・・我が己心に仏性があるというのは迹門の所談であっていまだ本門ではないと思うのです。いや、もちろん、わたくしも仏性の話を最初に聞いたときは感動しました。けれども、今になって見るとよくわかっていません。
三大秘法抄には、
「問ふ、一念三千の正しき証文如何。答ふ、次に申し出だすべし。此に於て二種有り。方便品に云はく「諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見」等云云。低下の凡夫理性所具の一念三千か。寿量品に云はく「然我実成仏已来無量無辺」等云云。大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり。」
とあります。
つまり、単に仏性があるというだけではいけないわけです。では本門に何が説かれているかといえば、正直に申し上げればよくわからないのです。久遠実成の当初証得ということがよくわからない、実感が持てない、といったところです。
やっぱり、わからずや・・・なのでしょうか?

ちなみに、白米一俵御書はわたくしも、だ〜いすきです。

427苦悩乱者:2003/08/25(月) 06:38

ガンコさん

>426 いやあ、どうもすみません。わからずやなものですから。

いやいや、そう意味じゃ無くて、私も含めて、富士の「教え」は難しい、「よく解らない」という意味です。

>久遠実成の当初証得ということがよくわからない、実感が持てない、といったところです。

これは、今、文証を示せないのですが、久遠実成の当初(そのかみ)は時間という概念ではない、「久遠即末法」と聞いたことがあります。御書にも、「久遠は今にあり、在世は今なり」という御文があったように思います。

常徳庵様、この件の文証を、よろしくお願い致します。

428苦悩乱者:2003/08/25(月) 07:04

ガンコさん

百六箇抄(学御p.864)第70 本化事行一致の本迹(本化自行の意味は解りません)に

「本迹殊(こと)なりと謂ども不思議一云々、本因妙の外に並に迹とて別して之無し、故に一と釈するものなり、真実の勝劣の手本の義なり云々」とのご教示が有ります。
このご教示は、開目抄(富士門の開目抄 学御P215)に、「宗宗、互いに種を争う、予此れをあらそはず、担経に任すべし、法華経の種に依って天親菩薩は種子無上を立てたり、天台の一念三千これなり、華厳経、乃至諸大乗経、大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり天台智者大師、一人この法門を得給えり、華厳宗の澄観、この義を盗んで・・・云々」
とのご教示と同義のものと思います。

429苦悩乱者:2003/08/25(月) 07:16

ガンコさん

>428 百六箇抄(学御p.864)第70 本化事行一致の本迹(本化自行の意味は解りません)に

本化=本家かも知れませんね。
(正)=「本化事行」を(誤)=本化自行としてしまいました。訂正します。

430ガンコ:2003/08/25(月) 19:04

なあんだか、とっても難しい議論でして、さっぱりわかりません。

「本迹殊なりと雖も不思議一なり」

これは大聖人の御書に、ほとんど見られない引用だそうです。
山中講一郎氏の「からぐらねっと」に、総在一念抄の真偽論が載っていて、ぶっちゃけた言い方をするならば、この御書はいわゆる一致派の手による偽書、逆に血脈抄は勝劣派の創作・・・みたいなことが書かれています。もちろん、そこまであからさまではありませんが。

苦悩乱者さんは開目抄に類似性を見いだしていらっしゃいますが、わたくしにはよくわかりません。もうちょっとかみ砕いて教えてくださらないと。

http://www.ginpa.com/column/20000205.html
http://www.ginpa.com/column/20000206.html

暑くって、頭がボ〜っとしちゃって、このところぜんぜんダメです。

431苦悩乱者:2003/08/25(月) 20:11

ガンコさん

私の基本は、なんでもあーりなんです。偽書、偽経、何でもです。それから自分で判断するのです。まあ、傍から見れば我見じゃないか。といわれてしまいますが、それ以外に迷わない道が無いことに気がついたのです。「うえー」でしょう。

>「本迹殊なりと雖も不思議一なり」

この先が大事です。
「本因妙の外に並に迹とて別して之無し、故に一と・・」

百六箇抄の第100番  下種十妙実体の本迹に曰く

「日蓮は本因妙を本となし、余を迹と為すなり、是れ真実の本因本果の法門なり」

相伝がないと解らないかも知れません。

432苦悩乱者:2003/08/25(月) 20:30

観己(カンコ)さん(己心を観る)

我が法華経も本迹和合して利益を無量にあらわす。・・・中略・・・内より論出きたればいっぽうの相扼も漁夫の恐れ有るべし、南無妙法蓮華経と御となえ、つつしむべし、つつしむべし、恐恐」 兵衛志殿御返事(学御p.1108)真蹟 京都本隆寺

433苦悩乱者:2003/08/25(月) 21:08

カンコさん

仮に、自分が悟りをひらいたと思ってみてください。
そして法華経を説いていると思ってみてください。
その法華経を説いている自分は、傍から見ると、先ほど悟ったと自分で言っているだけの唯の人です。誰にもわかりません。それでもまあ悟ったと思ってください。そこで、実は私はさっき悟ったのではなく、久遠のむかしに既に悟りを開いていたのです。唯、人に言わなかっただけなのです。と思ってください。さあ、どうですか。迹門といわれる法華経も実は、本門の仏様の教えではないですか。

434苦悩乱者:2003/08/25(月) 21:21

カンコさん

浅井さんがどんな指導をされているのか知りませんが、四無量について聞いたこと有りませんか。

正信会の御僧侶は、きちっと教えてくれますよ。

435犀角独歩:2003/08/26(火) 08:35

苦悩乱者さん:

pundarika のわたしとの議論は一問答にも及ばず、先送りにした割には元気に書き込んでおりますね。「風邪を引いたPCは直った」とお見受けします。向こうでお待ちしておりますが、いらっしゃらないので、こちらでひと言申し上げます。

> 私の基本…偽書、偽経……我見…迷わない道が無い

自分の都合の好いものであれば、偽書・偽経も問わず、それは迷わないでしょう。
しかし、それで他人と接して議論が成り立つはずはありません。所謂、「独り善がり」ということでしょう。我見というより、独善という批判を免れません。四依で言えば「依智不依識」が廃れます。

本因妙抄と御義口伝について、少し申します。

本因妙抄は蓮興尊に継承したとされる書、石山系になんの謂われがありますか。尊門の血脈譜を肯定するわけでしょうか。御義口伝は京都の古書から見出され、尊門の系譜がこれを奇貨とし、のちに石山にもたらされたものと聞きます。前書は時師写本を遺すと石山は主張するもののその信憑性を外に信じるものはおらず、後者に至っては元亀年間に石要合同で開版をなし、あたかも両山の相伝書の如き扱いですが、そんな手前味噌を信じるわけにはいきません。まして、元亀の開版は、石山が要山の影響下にあったことを語るばかりでしょう。

そもそも、熟読玩味すれば、すぐにわかることですが、本因妙抄と御義口伝はその教学的姿勢は異なっています。特に後者は就註法華經口傳と言われるのであって、蓮師が終生、持たれたいた『註法華経』に就いて解読する口伝である故にこの名があるのでしょう。しかし、学会版の御書全集はこの名を隠しています。さらに以下の文を削り取ってもいます。

「六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ。是併ら私に最要文を集めて読誦せしむる所なり。然る間法華諸要の文書き付け畢んぬ。此の意は或は文を陰して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕はし、或は文義共に隠して講談するなり。
 委しくは註法華経を拝見すべし。然りと雖も文義甚深の間、愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや}

ここにはっきりと「六老僧」の名が見えるのであって、故に興師唯受一人の口伝とする如き本因妙抄とはその姿勢を異にします。また、重要な点はここに「六老僧」の名が見えながら、この書の日付が「弘安元年戊寅正月一日」となっていることです。言うまでもなく、六老僧(本弟子六人)の選定は興師真筆を残す遷化録に明確です。すなわち、

「蓮華阿闍梨日持、伊予公日頂、佐渡公日向、白蓮阿日興、大国阿日朗、弁阿日昭。右六人者本弟子なり仍つて向後のために定る所件の如し。
 弘安五年十月八日」

 この4年も前に「六老僧」などと記せるはずもありません。

「さらに末文には「委しくは註法華経を拝見…此の註法華経に過ぎん」と言うのであって、御義口伝の如きは、註法華経に過ぎるものではないと明言されているわけです。

この部分のみ、後人の添加などと嘯けるものではありません。

この日付に関する疑義は本因妙抄にもあるのであって、この署名が「弘安五年太歳壬午十月十一日 日蓮花押」などというは、到底、不可能なことでしょう。

以上の事情を隠蔽し、あるいは知らず、引文する姿勢を、既にこの掲示板では何度となく、弾訶してきたわけです。まして、真跡に「久遠元初」なる語はただの一度も現れないばかりか、真偽未決書にすら現れない語であることは周知の事実です。これを恰も蓮師の言の如く扱う神経はわたしに理解できません。そして、この語が使われる書こそ、本因妙抄、語義口伝あることをわたしは注視しています。

もっとも偽書・偽経なんでもござれであれば、上述の如きは意味をなしません。
しかし、それは、ここ富士門流信徒の掲示板で真摯な議論を続ける人々と、ロム者に対する冒涜であるとわたしには思えます。

真面目なロムの方には以下の文書をお薦めします。

日蓮教学上に於ける御義口伝の地位
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_002.html
日興の著作と真偽論
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_004.html

> 正信会の御僧侶は、きちっと教えてくれます

所詮、依法不依人ではなかったのではないでしょうか。

436犀角独歩:2003/08/26(火) 08:40

−435の補−

本因妙抄に云う血脈譜は蓮興目尊とするもあり、また、また蓮目尊とするが上古に先行したと記憶しています。
いずれにせよ、蓮興目道時という石山の主張する血脈譜とは無縁のものです。

437犀角独歩:2003/08/26(火) 08:59

重ねて 苦悩乱者さん:

昨晩、pundarika にスレッドを立てていらっしゃいましたか。
これは失礼いたしました。この点を謹んで訂正し、お詫びいたします。
では、種脱相待(相対)、向こうでしっかりと議論いたしましょう。

pundarika
http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html

438苦悩乱者:2003/08/26(火) 10:48

犀角独歩さん

おひさしぶりです。

>pundarika のわたしとの議論は一問答にも及ばず、先送りにした割には元気に書き込んでおりますね。「風邪を引いたPCは直った」とお見受けします。向こうでお待ちしておりますが、いらっしゃらないので、こちらでひと言申し上げます。

私は、pundarikaの密室より、こちらが好きです。こちらでお話いたしましょう。又、種脱の事は、昨日pundarikaのスレッドに書き込みました。行き違いでしょう。

>独善という批判を免れません。四依で言えば「依智不依識」が廃れます。

独善とみられれば、甘受いたしましょう。
「依智不依識」については、ご教示ねがいます。

>「さらに末文には「委しくは註法華経を拝見…此の註法華経に過ぎん」と言うのであって、御義口伝の如きは、註法華経に過ぎるものではないと明言されているわけです。

この件に関しては聞き及んでおります。
私は、何れの「派」にも執して居りません。

>偽書・偽経なんでもござれであれば、上述の如きは意味をなしません。

偽書だ・偽経だと言い争っていても「らち」があかないのではないですか。
偽書であれ、偽経であれ、そこに人を「安らげる心」を観ればそれで良いと私は思っております。争いは避けるべきと言うのが私のスタンスです。時には矛盾も生じるかもしれませんが。

「法」に依るとはどういうことなのか、良く解るようにご教示ください。
「教主釈尊の出世の本懐は、仏の御振舞いにて候らいけるぞ、日蓮が出世の本懐は「南無妙法蓮華経」には過ぎず」という御文が有りますが(出典は忘れました)どのような意味なのか、ご教示ください。

独歩様は学識豊かな方とお見受けいたします。どうぞよろしくお願いいたします。

>所詮、依法不依人ではなかったのではないでしょうか。
「法」は自ら口を利きません。人を介してのみ口をききます。

これから17:00頃まで失礼します。

439犀角独歩:2003/08/26(火) 13:35

こちらで長く話をする気はありません。
1回だけ、残りは pundarika で、といたします。

> 私は、pundarikaの密室…

pundarika は別に密室ではありません。
茲より更に、厳粛に議論を進めているだけです。

> 「依智不依識」については、ご教示ねがいます。

金光玄義、法界次第、涅槃經疏、涅槃經南、隨自三昧などに出ております。

>> …御義口伝の如き…
> 私は、何れの「派」にも執して居りません。

派を問うているのではありません。相伝書は相伝に預かるもののみにその内容を有効とするものです。ですから、それ以外の者が引用したところで意味はなさない(是一)
また、不預の立場からすれば、その信憑性を問うのは当然のこと(是二)
以上、二重の意味で、相伝書を以て、論じるのであれば、その相伝に預かるか否か、その証憑性は是非を論じて、拠出するのが真面目な姿勢であるといっているのです。

> 偽書だ・偽経だと言い争っていても「らち」があかないのではないですか。

なぜでしょうか。もっとも大事なことです。
蓮師が言っていないことを蓮師が言ったように語るのでは嘘になります。
そのようにならない責任ある投稿をすべきであると言っているわけです。

> 偽書であれ、偽経であれ、そこに人を「安らげる心」を観ればそれで良いと私は思っております。争いは避けるべきと言うのが私のスタンスです。時には矛盾も生じるかもしれませんが。

安らぎがあるのは別段否定しませんが、それを真書として扱えば、虚偽を申し述べることになる、そのような無責任なことをいまだに平然としてのは富士門流ぐらいのものだ、恥ずかしいからやめようと、通年、申し述べてきたのです。

嘘でもなんでもいいのであれば、何もこのような議論の場で論じることもありません。
これは安らぎ云々とは同列に論じることではありません。

> 「法」に依るとはどういうことなのか、良く解るようにご教示ください。

依法不依人については、法界次第、涅槃經疏、涅槃經南にあります。ご自分でお調べください。

> 「教主釈尊の出世の本懐は、仏の御振舞いにて候らいけるぞ、日蓮が出世の本懐は「南無妙法蓮華経」には過ぎず」という御文が有りますが(出典は忘れました)どのような意味なのか、ご教示ください。

なんですか、このデタラメな記述は。

「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」

です。まったくお話になりません。
人にものを尋ねるのであれば、もっと真面目に致すべきでしょう。

>> 所詮、依法不依人ではなかったのではないでしょうか。
> 「法」は自ら口を利きません。人を介してのみ口をききます。

何を根拠にこのような戯れ言を。
法が口を聞くはずはありません。人の口から出たものが法であるわけもありません。
智邈師の「言語道斷心行處滅」を思い合わすべきでしょう。
なお、申すまでもありませんが、法の四依を以て捌くのは、苦悩乱者さんがこれを以て挙げたからです。それを説明するわけでもなく、逆に問うというのは問答の常道に反します。

では、続きは pundarika にて。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html

440苦悩乱者:2003/08/26(火) 17:28

犀角独歩さん

メールの記録です。
(私)
> 2、種脱相対について私が知っているのは,真蹟遺文では「観心本尊抄」ですね。

(犀角独歩さん)
この書のどこに種脱相待がございますか。
五重相待はむしろ『開目抄』に説くところであり、内外は省きながらもその名目を覗か
せ、大小、権実、権迹、本迹の相違を考えられたものではありませんか。
『本尊抄』に「彼脱此種」というのは別抄に述べるところであって、五重相待義に含むべ
きものではないと拝します。
種脱相待とは“解釈”さればかりで、蓮師、興師ともにその考えは窺えないと存じます。

次に私が送らせて頂いた開目抄の抜粋(御書システム 興風談所発行)です。
菩薩心を発せる者の父なり」等云云。真言・華厳等の経々には種熟脱の三義名字す
ら猶なし。何に況や其の義をや。華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は、経は権
経にして過去をかくせり。種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり、道鏡が王位に居
せんとせしがごとし。
 宗々互ひに権を諍ふ。予此れをあらそわず。但経に任すべし。法華経の種に依り
て、天親菩薩は種子無上を立てたり。天台の一念三千これなり。華厳経乃至諸大乗経
・大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり。天台智者大師一人此の法門を得給えり。
・・・中略・・・・
(これは開目抄 下 学御上巻p.215 終から6行目あたりからです。)

手塚師による意訳開目抄(上、下)によれば,同p.204に,「天親菩薩はその著,法
華論の中で十無上という事を言っています。
・・中略・・即ち,1、種子無上,2、修行無上,3、増上力無上,4、了解無上,5、
清浄国土無上,6、脱無上7、教化衆生無上,8、成大菩提無上,9、涅槃無上,10、勝
妙力無上の十がそれであります。」とあります。

(そして犀角独歩さんの御返事です。)
> 手塚師…

この人の考えにわたしはまるで賛同いたしません。問題外です。

なお、『御書辞典』と記されていますが、これは何でしょうか?
創価学会教学部編とかいうパクリ回しあの稚拙な語彙と珍解説を載せる書を使用されての
ことですか。
わたしは、これほど醜悪な辞典はないと考えます。
この手をお調べになるのであれば、『織田佛教辞典』をお薦めします。

更に私の返事です。(>が私です)

> 残念ながら,私は漢文を読めません。

それでは、漢訳の経論は何もわかりませんね。

> 所謂,一文不通の荒凡夫という事です。
> 己心の仏性を信じるのみです。

これはただの言い訳にしか聞こえません。
わたしも最初から白文が読めたわけではありません。
読めるようにならざるを得なかったのです。

> 末法に入りぬれば,余経も法華経も詮なし,只,南無妙法蓮華経なり
> どの御書は忘れましたが,確か真蹟では無いと思います。
> 不正確ですみません。確認はしておきます。

蓮師の御書を自分の不勉強の言い訳に使ってはいけませんね。

> 寛道師を全く評価しないのであれば,お話になりません。

はて、依法不依人ではありませんでしたか。

真跡ではありませんが「強敵を伏して始めて力士をしる」です。
真跡ならば「智者に我が義やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべ
し」を挙げておきましょう。

1日も早く“風邪”が治ることをお祈り申し上げます。

こんな風に険悪な雰囲気なので、密室ではお断りします。

尚、開目抄の種脱相対の記述について、お答え願えれば幸いです。

もともと、種脱相対についてお話ししたかったのです。

最後に、諸経が教主釈尊の真説(真蹟ではありません)であるという証明は、三身即一身、一身即三身、この思想以外にそれを証明できる方法は無いのではないでしょうか。

再度、申し上げますが、私は公開された場所でしか、お話し合いは致しません。

441苦悩乱者:2003/08/26(火) 20:35

犀角独歩さん

更に以前のメール記録です。

>は私
>学会御書には,開目抄の真蹟は無いことになっているのですが
> 私の無智のいたすところでしょう。

(犀角独歩さん)
開目抄は、かつて身延にありましたが、大火で焼けてしまったために、いまはないとされ
ますね。
ご承知のように、ここに焼けた書の数は多く、しかし、それらを真跡無しと捨てること
は、通常はいたしませんでしょうね。
ただし、精査な写真技術が発達以前に、これを失したために、その流伝の段階でいくつの
瑕疵を残すところが、議論を分かつことになっておるのでしょう。
開目抄自体はまだ身延にあった頃にすでに断片に分かれていたと言うことでした。
数年前のことですが、開目抄の真跡を手に取り目の当たりに拝見したことがあります。
紙の質、墨痕ともに優美でした。宮崎師の鑑定も付されていましたが、では、「真跡か」
と問われれば、確証はありません。

> 日興要文となっていて,録内御書です。

(犀角独歩さん)
日興要文とは如何なる根拠によるものでしょうか。
古写本として伝わるのは、保田妙本寺蔵・我師本、本満寺・乾師本ですね。
興師本があるのでしょうか。未聞で驚き入っています。

442愚鈍凡夫:2003/08/26(火) 22:50
横レス失礼します。
学会版の御書全集には北山本門寺に日興師写本の「開目抄」があるとありますが・・・・。
何故未聞なのでしょうか?

443愚鈍凡夫:2003/08/26(火) 22:52
苦悩乱者さんへ

>>432:に引用の
> 我が法華経も本迹和合して利益を無量にあらわす。・・・中略・・・内より論出きたればいっぽうの相扼も漁夫の恐れ有るべし、南無妙法蓮華経と御となえ、つつしむべし、つつしむべし、恐恐」 兵衛志殿御返事(学御p.1108)真蹟 京都本隆寺

ですが、確かに学会版によると「京都本隆寺」に真蹟があるようですが、日蓮宗ではこの遺文は偽書扱いになっていると思います。それに、録内・録外の何れにもない遺文です(それだけで偽書と判断するのは早計だと思いますが)。にもかかわらず真蹟としているのは、何か根拠があってのことでしょうか?
例えば、筆跡鑑定の結果真蹟であるとの結果が出たとか。
御書全集に詳しいようなので、ご存知ならば宜しくお願いします。

444苦悩乱者:2003/08/27(水) 10:03

愚鈍凡夫さん

お久しぶりです。
資料を送るせていただきます。

● 兵衛志殿御返事
    1-248・24184・C0
 《書名備考》 『本満寺録外』は「兵衛志御書」、『日諦目録』『高祖遺文録』は「与兵衛志書」、『縮刷遺文』『定本』『新定』『対照録』『真蹟集成』は「兵衛志殿御返事」である。
 《系年》 「建治三年六月十八日」 『境妙庵目録』『日諦目録』『高祖遺文録』『縮刷遺文』『新定』は弘安四年六月十八日に系け、『定本』『対照録』は建治三年六月十八日に系ける。いま、花押を見るにバン字型であり弘安四年ではないことが明らかであり、『対照録』の文字鑑定を尊重して建治三年とする。
 《対告》 「 兵衛志」 真蹟本状奥に、「兵衛志殿御返事」とある。
 《真蹟蔵所》 真蹟一紙完、京都府本圀寺蔵
 《解題》 真蹟一紙完、京都府本圀寺蔵。『本満寺録外』『高祖遺文録』等所収。
 兵衛志が銭五貫文を供養した返状である。南無妙法蓮華経と一返唱えたことを伝える誠に短い書状である。「新池殿御消息」に「今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉りて、南無妙法蓮華経と只一遍唱えまいらせ候畢」とあるのと同意であろう。

御書システム (興風談所)からのコピーです。

445苦悩乱者:2003/08/27(水) 10:29

愚鈍凡夫さん

すみません。資料を間違えたようです。
同名の御書が他にあるので、
もう少しお待ちください。

446苦悩乱者:2003/08/27(水) 11:03

愚鈍凡夫さん

有りました。同名御書が七つ見つかりました。今度は間違い有りません。

兵衛志殿御返事
    2-041・32264・C9
 《書名備考》 本書宛所に「ひやうえの志殿御返事」とある。
 《系年》 「弘安三年」 『日蓮聖人遺文講義』『定本』など弘安三年に系ける。内容に問題はあるが、従来の説を掲げておく。
 《対告》 「 兵衛志(池上宗長)」 本書宛所に「ひやうえの志殿」とある。
 《真蹟蔵所》
 《解題》 『縮刷遺文』(続集)に収録。『縮刷遺文』ならびに『日蓮聖人遺文講義』では、真蹟の所在を京都本隆寺と記しているが、『定本』以降に刊行された諸本には存在を記していない。『真蹟集成』にも未収録である。
 本書は兵衛志に対し、『法華経』の本迹・車の両輪・鳥の羽などを例にとって、二人の兄弟が力を合わせてこそ物事は為し得るのであると説いている。ただ文中に「二人同心して大御所・守殿・法華堂・八幡等つくりまいらせ給ならば法華経の御利生とをもわせ給ざるべき」との記述があって、これについては一考を要する。 番号405「八幡宮造営事」では、池上宗仲は八幡宮の「大ばんしやうをはづされた」と記されているし、何よりも宗祖は弘安三年の「諫暁八幡抄」において、八幡の捨国を記しているから、その再建を宗祖が肯定されているとも考えられず、少なくとも本書を弘安三年以降に系けることは難しいのではないだろうか。また鶴岡八幡宮の炎上は弘安三年十一月十四日だから、本書を同年に系けると、炎上前に再建について記していることになり、この点も矛盾しよう。また『遺文講義』は「今迄の御消息に於ては、親父と兄弟との不和が問題であったが、本書に於ては、兄弟の女房達の不和が問題となつて居る」と注意を促している。文献的には慎重に扱わなければならないが、本書には「八幡宮造営事」や、永仁3年(1295)7月29日の「鎌倉幕府政所裁許状」に見られる池上氏の職種(大工)に関連する記述があり、これらをトータルにとらえて検討すべき文書と言える。→『鎌倉遺文』25-125P:18878号、高木豊『日蓮とその門弟』、福島金治「信濃国太田荘と金沢北条氏」(『信濃』561号)。

御書システム 興風談所発行より

真蹟は無いもようです。

447苦悩乱者:2003/08/27(水) 11:47

犀角独歩さん

犀角独歩さんとのメールのやり取りの中で、犀角独歩さんの真蹟主義は破綻したと存じます。厳密にいえば、真蹟主義は全ての資料に対して「真蹟」を求めるもので有って、諸経典、止観、法華玄義、文句、等々、全てがその俎上に登るのではないでしょうか。当然、真蹟主義者はそれら全てを真蹟であることを証明してから、論を進めるべきだと考えます。

相手は私達のように法華を信じる人ばかりでは有りません。論に窮する事になりませんか。私の知る限りでは、久遠寺で二回、大石寺で二回の大火に見舞われております。多くの真蹟遺文が失われた事は犀角独歩さんも認めておられたではないですか。犀角独歩さんは漢籍をお読みになられるとの事、ご尊敬申し上げます。私はあるいは「祈り」の道を歩んできたのかも知れません。独歩様とのやり取りの中で、失礼がございました事などお詫び申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

448アネモネ:2003/08/27(水) 14:28
苦悩乱者さん

横レスを失礼いたします。
非常に重要なテーマの議論を提示されていることと拝察いたします。
ただ一点、教義内容とは別に気になることがございまして、レスをさせて頂きます。

ここに掲載された独歩さんとの個人メールのやりとりというのは、独歩さんの承諾を得て転載されていらっしゃるものなのでしょうか?
もしも承諾を得ていないのならば、このような公の場に個人メールのやりとりを一方的に公開することは、あまり好ましい行為ではないように思われます。
内容は大変興味深いものですが、もしも無断転載であるならば、マナー違反ではないでしょうか。
お節介がましく、ぶしつけにお尋ねする失礼の点、お許し下さい。

尚、pundarikaに参加されており、スレッドも立てられていらっしゃいますが、管理者さんからの指示も出ましたので、スレッド提案の手続きをふまえて頂けないでしょうか。
あちらの掲示板は、手続き上、参加規制はありますが、ロム閲覧には規制はありませんので、苦悩乱者さんが懸念されるほどの密室議論ではありません。ぜひ、続けてご参加されますことをお待ちしております。
また、私からは「富士門信徒の掲示板の過去ログについては、どの程度お読みになられているのでしょうか」といった質問も投稿させて頂いております。
こちらの掲示板でのご返答でもけっこうです。今後の議論のうえでの参考までに、お答えを頂ければ幸いです。

細かいことを申し上げるようで恐縮です。横レス失礼いたしました。
どうぞ、議論をお続けください。

449苦悩乱者:2003/08/27(水) 15:59

アネモネさん

始めまして、苦悩乱者です。よろしくお願いいたします。

>個人メールのやりとりというのは、独歩さんの承諾を得て転載されていらっしゃるものなのでしょうか?

ルール違反でした。すみませんでした。
>447 独歩様とのやり取りの中で、失礼がございました事などお詫び申し上げます。
は、そのことも含めてのお詫びの言葉です。

唯、全体を通してお読みいただければ、お解りかと思いますが、「手塚師は問題外」と言う発言を始めとして、全体に私に対する言葉が乱暴に感じられ、独歩さんの直近のレスにも現れていますように、私に対する敵対心を感じるようになりました。まあ、売り言葉に買い言葉と言う処でしょうか。独歩さん自身の言葉ではありますが。

プンダリカのことですが、開目抄の出典については、論議しても、私には埒をあけられないので、出典に関しては論議できません。学会版御書と御書システムを前提にするしか、私には方法がありません。「種子無上」の文字を指し示しただけです。なお、私は独歩さんとのやりとりで非常に不愉快な思いを致しました。

>私からは「富士門信徒の掲示板の過去ログについては、どの程度お読みになられているのでしょうか」といった質問も投稿させて頂いております。

荒々というところです。私が申し上げたかった事は、大聖人様の法門には種脱相対がある。ということです。

最後に参考になる御書を紹介したいと思います。

減劫御書(学御p01465)と上野殿御返事(学御p.1545)です。

それでは。

450ガンコ:2003/08/27(水) 16:25

議論が錯綜しているようなので、発言を控えさせていただいておりましたが、もっとも基本的なところに戻って申し上げますと、わたくしなどは御相伝書を認める立場ではありますけれども、相手が認めないというのであれば使えないものだと観念しております。
今は底辺において、法華講対学会、あるいは法華講対顕正会、あるいは学会対顕正会の法論もどきが行なわれていますが、御書の使用範囲ということでは特に問題はないように思われます。ところが他山と法論をするとなると問題が起きてまいるわけです。まず、法論に先立っていろいろの取り決めが行なわれますが、その時に御書の使用範囲も決められます。そしてほぼ間違いなく、大石寺で当たり前に使っている御相伝書は使っちゃダメということになるようです。結局、その御書の正当性を証明できないのだから、どうしようもないわけです。

ただ、苦悩乱者さんのおっしゃりたいことはわかるような気がします。例えば、ちょっと前に紹介しましたが、わたくしの好きな御書に「信心強盛にして但余念無く南無妙法蓮華経と唱へ奉れば凡身即ち仏身なり」というのがありまして、残念なことにこれは本因妙抄の御文なのです。では、もう使えないのかといえばそうではないような気がします。
わたくしのつたない言葉で申しますれば、たとえ本因妙抄が偽書であってもそこに説かれていることが「絶対的真理」であれば捨てるべきにあらず、という考えです。

本門と迹門の相違についてしばらく考えをめぐらせていたのは、だいたいにおいて、皆さん「一切衆生悉有仏性」ということをおっしゃるわけですが、確かにこれば現代的にわりと受容されやすい意味内容をもっているわけですが、あくまでこれはいまだ迹門の範疇に過ぎないと思うのです。そして大聖人の真理観はまさしく本門こそ絶対的真理であるとされているように思うのです(あるいはさらに文底があるとするか)。ところが、これが案外にわかりにくい、現代的には受容しづらい、気がするわけです。

おそらく単純には「悉有仏性」を迹門の理とするならば、「悉皆成仏」を本門の理(あるいは事というべきか)とするのでしょう。
ここで問題となるのは、本当にそれが絶対の真理なのか? ということであり、すでに日蓮信仰を卒業してしまった人が必ず突いてくる点であろうと思います。
そうなると「凡身即仏身」もまったく同じ俎上にのってくるわけであり、大聖人は本仏なのか上行なのか凡夫なのか、そんなことを論じている場合ではなくなってくるような気がします。問題は本当に成仏できるのか否か、このことが虚妄であったならば議論の意味はない、最終的にはこの点まで視野に入れて論ずるべきだと考えます。

なんだか、じぶんで書いていて、うわあ〜これは無理だあ〜、って思っちゃってます。

451犀角独歩:2003/08/27(水) 16:54

アネモネさん:

有り難うございます。

愚鈍凡夫さん:

> 学会版の御書全集には北山本門寺に日興師写本の「開目抄」があるとありますが・・・・。
何故未聞なのでしょうか?

仰るとおり、亨師編による学会版御書全集ではたしかに「日興要文・北山本門寺」となっていますが、その後、川澄師編・昭和新訂でも、顕師編・平成新編でもこの点を先述したように改めており、いわば、「日興要文」を引っ込めた形になっているからです。
つまり、この北山蔵の信憑性が確認されたことを「未聞」とわたしは言ったのです。
逆に質問申し上げますが、「日興要文」が興師の筆であることは確証されたのでしょうか。

452犀角独歩:2003/08/27(水) 16:59

苦悩乱者さん:

さて、個人でやり取りしたメールを公開するばかりではなく、自分の都合の良いように切り文して公開することはまさにネチケット違反の極みであると断固、抗議いたします。本来であれば、この投稿の削除を求めるべきところですが、いったん出てしまったものを引っ込めて今さら遅いと言わざるを得ません。故に、切り文ではなく、全文を公開し、切り文との比較を皆さんにしていただくことにいたしましょう。

『苦悩乱者さんとの往復メール』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kunoransha.html

いずれにしても、今回の議論は、そちらから申し出、さらにpundarikaに会員登録をし、なおさらにスレッドまで提案したものでした。それを「密室」云々と批判したうえでその議論を打ち切ること事態、常軌を逸しています。その言い訳のために当人の許可もなく、個人のやり取りを発表することもまた常軌を逸した行為です。

なお、わたしの「真跡主義が破綻した」云々などと言っています。こういう決めつけこそ、敵対心、険悪というのです。また、仮にそれが事実であっても「偽書・偽経なんでもござれ」という考えが破綻していないとは言えません。


言われる如く真跡の調査は、逐一、研究が進められるべきでしょう。
わたしは蓮師の考えを知るうえでは真跡主義によらざるを得ないという学問的な姿勢を遵守してるのに過ぎません。偽書・偽経なんでもござれでは議論の仕様がないからです。

なお、灌頂記が果たして、本当に智邈師の言に拠るのか、この点については、もちろん、わたしは慎重です。故に法華三大部なども「天台」とせず灌頂記としています。さらに湛然師の思想は、およそ灌頂が言うところの智邈説から論理の飛躍が見られ、わたしはこの点に大いに疑義を懐きますので、智邈・灌頂・湛然を一色単に語ることはしません。

あと、法華経を含む教典の真筆云々などという的外れな言いがかりをわたしにつけていますが、この掲示板をお読みいただければ、それらを後世の創作であるという立場をわたしが取っていることは一目瞭然のはずです。さらに漢訳者・鳩摩羅什にも疑義を向けてもいます。

> 全体に私に対する言葉が乱暴に感じられ

文章を切り文して、このような記述するのはやめていただきたいと思います。
乱暴、不愉快というのは当人の許可を取らずメールを平然と公開する如き態度にこそ言われるべきことです。

また、種脱相対の議論をしようというものが、その議論の結末を待たず、「種脱相対がある」と決めつけるような態度こそ、乱暴というものでしょう。

だいたい、手塚師をどう思うと、それはわたしの見解であって、この点について、とやかく言われる謂れも、また、手塚師への個人的な見解を公にされる謂われもありません。

453愚鈍凡夫:2003/08/27(水) 18:46
犀角独歩さん勘違いしていました。済みません。
苦悩乱者さんのレスが犀角独歩さん同意のもとであると勝手に判断してしまいました。
横レスする前に苦悩乱者さんに確認すべきだったと思います。

> その後、川澄師編・昭和新訂でも、顕師編・平成新編でもこの点を先述したように改めており、いわば、「日興要文」を引っ込めた形になっているからです。

このことを知りませんでした。申し訳御座いません。 m(__)m

454犀角独歩:2003/08/27(水) 19:36

愚鈍凡夫さん:

いえいえ、お詫びには及びません。
ご丁寧に有り難うございます。

455苦悩乱者:2003/08/28(木) 10:20

犀角独歩さん

私との往復メールの件確かに間違い有りません。
皆様にも読んでいただきたいと思います。
又、私からの、一方的なメール公開は改めてお詫び申し上げます。

今回の件については、私は議論というより、お話し合いを望んでいたのですが、いつしか法論(勝敗を決する)に思われていたのですね。私はすこしでも「何か」がわかるようになると良いなと思っているだけです。

開目抄に関しても、どうも独歩さんの持っておられる「開目抄」と私の持っている「開目抄」では内容が違う印象を持っています。そこで、プンダリカにスレッドを立てさせていただいたのです。開目抄の真偽を糾す目的では有りません。あくまでも、両開目抄の相違を確認する事が主眼でした。言葉が足らない為に誤解を生じたのかもしれません。其の点についてもお詫びいたします。

更に、再度申し上げます。プンダリカは会員制との事、私は誰でも参加できる方を選びます。横レス(この言葉もようやく意味が解るようになりました)大歓迎です。

456犀角独歩:2003/08/28(木) 10:42

苦悩乱者さん:

謝罪、承りました。

> 法論(勝敗を決する)に思われていた

まったく、そのようなことは考えていません。

> 開目抄の真偽を糾す目的では有りません

わたしも斯様な考えはありません。

> 私は誰でも参加できる方を選びます

どうぞ。何度も申し上げたとおり、原則的にわたしは当掲示板で記すべきことは記しましたので、こちらで議論をする気はありません。

上述の如きですので、以下、述べて、この投稿を終了します。

伝教大師は日本顕密の元祖、秀句に云く ̄他宗所依経雖有一分仏母義然但有愛闕厳義。天台法華宗具厳愛義。一切賢聖学無学及発菩提心者之父等云云。
 真言・華厳等の経経には種熟脱の三義名字すら猶おなし。何に況んや其の義をや。華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は経は権経にして過去をかくせり。種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし。宗々互いに権を諍う。予、此れをあらそわず。但経に任すべし。法華経の種に依て天親菩薩は種子無上を立てたり。天台の一念三千これなり。華厳経乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり。天台智者大師一人、此の法門を得給えり(『昭和定本日蓮聖人遺文』)

この文をどうやら種脱相対の依文とする如くです。が、果たしてそうでしょうか。種脱相対とは、釈尊末法の蓮師(下種仏)・在世の釈尊(脱益仏)の相対を言う寛師説と見えます。また、石山における日蓮本仏論は二つの系譜があり、一つは蓮師が釈尊の久遠の師であるとするもの、そして、もう一つは蓮師こそ、久遠の釈尊であるとするものです。寛師の記述はどちらかというと後者に偏っていますが、現石山系教学圏にある集団では蓮師が釈尊の師である説に拠っていると映じます。この点で前者を支持する日蓮本仏論者は実は寛師説を否定した日蓮本仏論者なのですが、このことを当人達も気付いていない構造があります。

さて、上述の開目鈔に言うところは「天台智者大師一人、此の法門を得給えり」なのであって、そもそも蓮師と釈尊の相対にもなっていません。また、ここの教学的な姿勢は法華経と華厳・真言を比するもののであり、法華経・一念三千のみが種であるというのであって、いわゆる種脱相対の種と、字こそ同じであれ、意味するところはまったく違っています。

史実的には、引用される天台智邈師は華厳との相克はあれ、では「真言は」となるとこちらは最澄師に係ることになります。引用文では現れませんが、最澄師については「日蓮云く 日本に仏法わたりてすでに七百余年、但、伝教大師一人計り法華経をよめりと申すをば諸人これを用いず」とその師の意義を示しています。また、「新来真言家則泯筆受之相承 旧到華厳家則隠影響之軌模〔新来の真言家は則ち筆受之相承を泯し 旧到の華厳家は則ち影響之軌模を隠す〕」との一節から最澄師の弘法師批判の実際を引いて、加えて華厳に触れ、伝教(天台) 対 真言・華厳の優劣と論は進みます。ここで法華・一念三千=種の盗人と華厳・真言と言うのであり、ここでも天台と華厳・真言の対峙を述べるに留まっています。

さて、法華・一念三千=種とするこの既述が、どうして種(日蓮)脱(釈尊)相対の文章となり得るわけがあるでしょうか。また、引文の箇所は像法・天台/伝教の所談なのであって、末法・蓮師の身上に触れる段でもありません。

実際に末法・蓮師自身について、触れるのは、あとの「此に日蓮案じて云く 世すでに末代…権経に堕ちぬ。権経より小乗経に堕ちぬ。外道外典に堕ちぬ。結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり。日本国に此れをしれる者、但日蓮一人なり」と言う前後からでしょう。しかし、ここでも所謂種脱相対?なることをいうのではなく、当世の日本の状態が、権経に堕ちぬ(権実相対廃る)権経より小乗経に堕ちぬ(大小相対廃る)外道外典に堕ちぬ(内外相対廃る)という浅ましい状態にあることをただ蓮師一人が知ったというのです。ここから、ご自身の半生を述べ、法華・一念三千=種(実教)の顕彰を身業読誦から宣揚しようとするので、しかし、法華経の行者の名が示すとおり、五重相対で言えば権実相対の範疇から論及を越えません。ちなみにこれが種脱相対ともなれば、「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」などと尊門相承に現れるような明確な記述が求められましょうが、そのようなものは真跡遺文に窺うことはできません。

やや、後文まで触れましたが、苦悩乱者さんが示すところの開目鈔の引文中の「種」は種脱相対の種とは何等関係のないものであることは明確です。

以上、畢ります。

457苦悩乱者:2003/08/28(木) 10:56

450 カンコさん

なんかもう、すごく核心に迫って居られる様な気が致します。

458ガンコ:2003/08/28(木) 11:54
日蓮大聖人の御法門に種脱相対が説かれているかどうかといえば、説かれていると申し上げてよいかと思います。
申すまでもなく、観心本尊抄に「但し彼は脱、此は種なり。」とあるごとくです。
問題は、大石寺でたてるがごとくの勝劣・・・つまり、種勝脱劣を意味するか、もっとあからさまにいえば、下種の本仏と熟脱の迹仏といった明確なたてわけを仰せなのかどうか、これが議論の分かれ目であろうかと思います。
本因妙抄に「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり。」とありますが、これが確実な文証たりえれば話は早いんですけど・・・

もうひとつの問題は、開目抄における五重の相対ですが、肝心の種脱相対はどのように説かれているかといえば、苦悩乱者さんの云はく、「・・・真言・華厳等の経々には、種熟脱の三義、名字すら猶なし。・・・種をしらざる脱なれば・・・」 あれ? そ、そうでしたっけ?
これはちがうと思います。文意は明らかに権実相対をさしていると読めますから。つまり、真言・華厳等を法華経と対比しているわけですから、これを種脱相対としてしまうと、「彼は脱、此は種」の意味がちがってきちゃいます。本尊抄では在世の本門を脱、末法の初めを種としているのに、開目抄では真言・華厳等を脱、法華経を種としているように読めます。
大胆に読むならば、後年の「余経も法華経も詮無し」との仰せを含意せしめて、在世の本門すら「種をしらざる脱」に置換してしまう・・・まあ、大胆というよりアホウと言われそうですが、だいたいに文底読みというのはそういう芸が好きなのです。

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。」というのがいわゆる種脱相対の依文であろうかと思いますが、これもいろいろと問題の多い箇所です。もっとも御文に忠実な読み方は、前後の「華厳宗と真言宗との二宗は偸かに盗んで自宗の骨目とせり。」「善無畏三蔵・金剛智三蔵、天台の一念三千の義を盗みとって・・・華厳宗は澄観が時・・・天台の一念三千の法門を偸み入れたり」を拝せば明白で、やはり権実相対を仰せのように読めます。ところが寿量品文底大事には「文の底とは他門徒に於ては、平文面には様々の料簡を為すと雖も、聖人の御本懐に於ては全く知らざる者なり。」とあって、かくかくしかじか書かれているわけです。それはそれとして、なぜに平文面に相違があるのか? すなわち文底大事では「一念三千の法門は寿量品の文の底に秘して沈めたまへり」となっているのです。ちなみに顕正会版御書では「一念三千の法門は、但法華経の、本門寿量品の、文の底に秘してしづめたまへり。」となっています。
種脱相対を考える以前に、なんなんだ〜この不整合は? ってな気分になってしまいます。

459ガンコ:2003/08/28(木) 12:04
なんだか独歩さんのご所論とダブってしまって、まるでまねして書いたみたいで、そのわりには稚拙な文章で、まったくお恥ずかしいかぎりであります。

開目抄の要文というのは、開目抄のどの御文なのか、わかっているんでしょうか?
つまり、日興上人が御写しになられたというのであれば、あの長文の開目抄のどの部分をピックアップせられていらっしゃるか、その傾向から日興上人の法門理解ということがわかるのでは? また、いろいろと読み方で問題になっているところも、日興上人の写本を基準にするならば、説得力を増すのでは? それとも都合が悪いことが書かれている?

ご存知の方、よろしくお願い申し上げます。

460ガンコ:2003/08/28(木) 12:09
苦悩乱者さん

密室? あえて密室にこだわるならば彼の掲示板は全面ガラス張りの密室でしょうか。だって、わたくし、くまなく拝見してますもの。

461ガンコ:2003/08/28(木) 12:25
そ、それと、四無量でしたっけ?

そんなに大事の法門ではないのでは。だって大聖人もほとんどあげていらっしゃらないようですし。

ちなみに浅井からはいちども教わったことありません。だいたい戒定慧の三学を“難しくなるからやめておきましょう”といって説明しないんですから、知らないことだらけなんです、わたくし達は。

462苦悩乱者:2003/08/28(木) 13:10

犀角独歩さん

>456 拝読いたしました。
本当に有難うございました。

今後の研鑚の為の貴重なご教示とさせていただきます。私論ですが、確かにはっきりとは種脱相対を云われておらないのかも知れません。「いや相対だ」、「いや相対ではない」、どちらにしようかな、と言うところでしょうか?

開目抄(上)学御p203 11行目からの
「但し世間の疑ひといゐ、自心の疑ひと申し、いかでか天扶け給はざるらん。諸天等の守護神は仏前の御誓言あり。法華経の行者にはさる(猿)になりとも法華経の行者とがうして、早々に仏前の御誓言をとげんとこそをぼすべきに、其の義なきは我が身法華経の行者にあらざるか。此の疑は此の書の肝心、一期の大事なれば、処々にこれをかく上、疑を強くして答へをかまうべし。」(御書システム 興風談所より)と仰せの如くに、開目抄の真の目的は、五重の相対を論説するに有るのではないのでは無いか。と思っております。五重の相対を論説するのであれば、「五重相対抄」と題しておられたのではないか?と思って居ります。五重の相対は御書全般に渡って読み取るものと考えます。

これは、私論ですから、反論は読ませていただきますが、議論は極力避けさせていただきます。ご容赦をお願い致します。

重要な事は全体として、大聖人様の法門には「種脱相対」が存在するか否かと言うことであって、わたしは「存在する」という立場にあるということです。ここから先はいわゆる「相伝」の範疇に入る事なのだと思っているので、信じる者は、求めるもよし、信じないものは求めざるも良し、と言うところでしょうか。

なにか独善的と云われてしまいそうですが、もうこれ以上は仕方が無いことだと思っております。

独歩様、本当に有難うございました。

463苦悩乱者:2003/08/28(木) 13:26

458 カンコさん

>苦悩乱者さんの云はく、「・・・真言・華厳等の経々には、種熟脱の三義、名字すら猶なし。・・・種をしらざる脱なれば・・・」 あれ? そ、そうでしたっけ?

いや、これは開目抄の種脱を論じられた箇所と思う所を抜粋したものです。手塚師の「意訳開目抄」に、「種脱相対の教え」の章が「ここに最も重大な事は真言宗、華厳宗等の諸経には、種・塾・脱の・・・」で始まるので、其のへんであろうと(これは間違っていないと思います)思いまして。

464苦悩乱者:2003/08/28(木) 13:55

461 カンコさん

四無量のことですが、

いつも読誦する処の、「方便品第二」中頃に「如来知見、広大深遠、無量無碍、・・・」とあるところの、無量無碍の内の無量、省略されていますが、これが、四無量心、つまり 1、慈無量心、2、悲無量心、3、喜無量心、4、捨無量心、これを略すと、大慈大悲大喜大捨、更に略すと、慈悲喜捨となると教えていただきました。

人を慈しみ、人の悲(かなしみ)を自分の悲とし、ひとの喜(よろこび)を自分の喜とし、自分の手柄を自慢せず捨ててしまう。小乗と大乗では解釈が違っているようですが(大乗はより積極的)だいたいこんな事です。

465ガンコ:2003/08/28(木) 16:39
苦悩乱者さん

四無量心というのは方便品に説かれているのですか。毎日勤行しているけど、まったく気がつきませんでした。
法蓮抄に載っているようですが、文意をよくつかんでいません。

しかし、ネットで検索をかけると、なんだかオウム真理教あたりがよく使っているみたいですね。

466苦悩乱者:2003/08/28(木) 17:22

465 カンコさん

>なんだかオウム真理教あたりがよく使っているみたいですね。

そうですか、オウムはものすごい慈悲ですね。

>460 密室? あえて密室にこだわるならば彼の掲示板は全面ガラス張りの密室でしょうか。だって、わたくし、くまなく拝見してますもの。

私は、BBS初めてなので(これがBBSだってことも子供に聞いて初めて知ったのです。それからメールのことも無断で公開してはいけないなんて!)いやはや、子供にも怒られました。

それから、方便品のことですが、私は方便品の長行を読んでいます。無量無碍の経文は、如是本末究竟等までの短かい経の中間頃にあります。長行は世雄偈とも呼ばれ、そのあとに続く比丘偈はいちおう除外されているようです。

467ガンコ:2003/08/28(木) 17:46
>長行は世雄偈とも呼ばれ、そのあとに続く比丘偈はいちおう除外されているようです。

世雄偈があるということは聞いたことがありますが、比丘偈というのもあるんですか? まったく知りませんでした。知らないことばっかり。

そうすると、勤行はどのような形式なのですか? ものすご〜く時間がかかりそう。

468苦悩乱者:2003/08/28(木) 17:49

管理人様

いろいろ錯綜したこを書き込みましてすみませんでした。

私のハンドル・ネームに免じてお許し願いたいと思います。

何故富士門が(宗教全般か)分裂するのかを垣間見たような気がいたします。

やはり、下種だけで済ますべきなのでしょうか。

荒らし屋みたいなことをしてしまったのか?と、少し反省もしています。

川澄勲師の書き物に「大石寺の法門は大石寺自身も本当は解っていないのでは?との記述がありますが、その川澄師は最後には「川澄の教学」から「川澄の狂学」とまで、ののしられたと述懐しておられました。その川澄師の法門は「己心の法門」と呼ぶべきものだと、私は解しております。そして、大石寺は「心でも己心でも良い、それを捨てよ!」と言い切ったそうです。

以上、大変ご迷惑をおかけいたしました事、お詫び申し上げます。
又、苦情を呈する事も無く、書き込みをお許しいただいたこと、感謝いたします。

草々

今後は誰かの呼びかけに出来るだけ応じることに専念いたします。

469苦悩乱者:2003/08/28(木) 18:22

467 カンコさん

月水御書に、方便品の長行と寿量品の長行とご教示のように、


天拝には
両長行共省略読誦後、引き題目、御観念文
その後
方便品の長行と寿量品の長行のあと唱題最低数珠玉一巡、親玉を超えないように送って(112返くらい)
その後、2、3、4、5座のご観念文です。
これでも省略型です。
夕は
天拝を省きます。(日有上人の時代には御宗門では朝夕の天拝があったようです)

しかし、これは私が会社勤めを止めたので、できるようになっただけです。
四信五品抄にご教示あるように、私はそれほどこだわらなくても良いと思います。

唯、方便品の長行は是非、時間があるときに読んで見てください。新しい発見があるかもしれません。

カンコさんが、なにか一番分かり合えるようなそんな気がします。
なにもかも一致しているなんて、考えるだけで恐ろしい事です。
あるご住職がその様に語ってくれました。

それから、夜はきちんと寝た方が良いのでは、と思います。
私も、結構眠れない日が続いたりしますが、そんな時は適当に遊びます。

それでは、お体をお大切に。

470愚鈍凡夫:2003/08/28(木) 18:30
横レス失礼します。

「在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」(「観心本尊抄」 昭定P715)
の文証が種脱相対の依文なのでしょうか。
これは、末法の衆生の初発心の機根と釈迦牟尼在世の衆生の仏道修行に於ける最終段階の機根が共に円機であるとの意味ではないでしょうか。
要するに、本已有善の衆生は一品二半(従地涌出品後半部、如来寿量品長行、分別功徳品前半部)の信解によって成道するが、本未有善の衆生は法華経の題目の信受によって成道するということではないですか。
従って、この文証は種熟脱の三益の上から衆生の機根を述べ、それぞれに応じた成道の法を示したものであるとの意味ではないですか。
決して種脱相対の意味ではないように思います。
むしろ、時機相応の修行ならば、行法は違っても共に成道するとの意味と解釈します。

471ガンコ:2003/08/28(木) 18:41
>それでは、お体をお大切に。

まるでお別れみたいじゃないですか。もっと教えてください。

>方便品の長行と寿量品の長行のあと唱題最低数珠玉一巡、親玉を超えないように送って(112返くらい)

親玉を超えないとはどういう意味でしょうか? あんまり長く唱えてはいけないってこと?

472ガンコ:2003/08/28(木) 19:02
あっ、愚鈍凡夫さん、どうもです。

ええ、ええ、おっしゃるとおりです。だいたい、そういうことを想定して書いたつもりだったんです。
もう、種脱相対といえば、大聖人の勝・釈尊の劣ってことを意味してしまうと思われちゃうけど、そこまではわたくし申してませんです。(ほんとは言いたい)

ちょっと前の過去レスにも書きましたが、一同に純円である以上、勝劣はないとの意味を申しました。また、所説の法門の相違をもって、能説の教主の相違を示されたものと拝すると書きましたが、常住此説法の意味から教主はあくまで一人であろうから、そうすると大聖人を教主とは呼べないかもしれない、というようなことも書きました。

つまり、現状では御書の字面どおり、大聖人御みずから種と脱を対比せられていることを申し上げたまでのことです。

473愚鈍凡夫:2003/08/28(木) 21:01
訂正

> 従って、この文証は種熟脱の三益の上から衆生の機根を述べ、それぞれに応じた成道の法を示したものであるとの意味ではないですか

変な日本語ですね。

従って、この文証は種熟脱の三益の上から衆生の機根を述べ、それぞれに応じた成道の法を示したものではないでしょうか。

こっちに変えます。

ガンコさんレス有り難うございます。
何やら、苦悩乱者と2人で種脱相対肯定論に持ち込もうとしているように感じたものですから。
種脱相対が蓮祖の法門であると仰るのは構わないと思います。しかし、それならそれである程度の説明責任が生ずるように思うのです。
悪しからず。 m(__)m

474愚鈍凡夫:2003/08/28(木) 21:05
再び訂正です。

>何やら、苦悩乱者と2人で
ではなく、
何やら、苦悩乱者さんと2人で
です。
再び、悪しからず。 m(__)m

475アネモネ:2003/08/29(金) 01:09
苦悩乱者さん

またもや横レス失礼いたします。

>449
レスありがとうございます。

私も含めて誰しも感情的になってしまうと、冷静な振る舞いが出来なくなってしまうものですね。しかしそうなってしまっては、せっかく記述されている仏の教えも、語るに落ちてしまいかねません。私などが、生意気を申し上げましたが、どうぞこれからは留意なされますように。

>唯、全体を通してお読みいただければ、お解りかと思いますが、「手塚師は問題外」と言う発言を始めとして、全体に私に対する言葉が乱暴に感じられ、独歩さんの直近のレスにも現れていますように、私に対する敵対心を感じるようになりました。

具体的な記述内容につきましては、私には深い見識もなく、見解はまるで述べられませんが、ただ拝見させて頂いた全体の感じとしましては、別段、独歩さんが苦悩乱者さんに敵対心をあらわにしているという印象は受けず、むしろ公の場のレスも個人宛のレスも、変わりない論調と姿勢なのだという印象を受けたくらいです。
しかしまあ、感じ方は人それぞれで、苦悩乱者さんにとっては、違った受け止められ方をされたものなのでしょう。またそう思わざるを得ない、大きなこだわりのようなものもあおりだったと拝察いたします。

>まあ、売り言葉に買い言葉と言う処でしょうか。独歩さん自身の言葉ではありますが。

いささか個人的なことになるかもしれませんが、私も、過去2〜3回、独歩さんとは意見が衝突したことがありました。
私はもとより自己主張が強く、またおいそれとは自説を曲げませんし、一方の独歩さんは、歯に衣着せぬ単刀直入なレスをされますから、そのまま見解の相違がぶつかってしまったことが幾度かありました。
しかし、そのようなぶつかり合いをしながらも、この掲示板で長く議論に参加させて頂きながら、独歩さんが単刀直入に示す言葉のひとつひとつは、昨日今日の教義研鑚で導き出されたものではないということが、次第にわかってきたものです。
そのことが理解できるようになってからは、独歩さんの痛烈なレスも、私なりに真摯に耳を傾けられるようにもなりました。少し冷静に考え直してみると、非常に納得のいくことが多く、今となっては、学ばせてもらったことはたくさんあります。

まあ、そんなことで、せっかくのご参加なのですから、どうぞ苦悩乱者さんも気を取り直して、できれば過去ログを少しずつでも、じっくり読みながら結論を急がす、多くの対話を重ねて、これからも議論に取り組んでみられてください。

476アネモネ:2003/08/29(金) 01:10
(つづき)
それから、偽書か真蹟かという議論について、少し。
長く、日蓮聖人の書として読み親しみ、また深く感涙してきた御文が、偽書の可能性ありと言われたところで、俄に自分の中に受け入れ難い気持ちは私なりにもよくわかります。
しかし、この問題、非常に重要なことだと思います。
私はここに参加されている方々ほど、御書を精読してきたわけではないので、たいして説得力を持たないかもしれませんが、以前、この偽書問題における独歩さんのレスのなかで、私が意識改革に至るうえで、非常に納得させられた文章があり、検索でみつけましたので、ここに紹介させて頂きます。

「富士大石寺の歴史について」の以下過去ログにおける、>128のレスです。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/rekisi.htm

該当する独歩さんのレスを、以下転載しておきます。

「平和呆けした我々からすれば『仏教は平和主義』などと何の躊躇いもなく答えるのですが、日本はオウム真理教の出現を待つまでもなく、仏教テロリズムの国家であり、各寺院は武装し、僧侶は僧兵となって軍勢をかね、自分たちの都合に遭わない寺院・本尊は焼き落し、不利な資料は簒奪して破り捨て、さらには偽書を捏造しては己が正統性を主張して憚らない謀略が罷り通った国であった、このような視点を失うと、すべてを見間違う点を私はつくづく最近、感じるのです。」

私は、この一文で、偽書問題の歴史的な根深さを理解するようになったんですね。
現在、私は富士門の信仰からは距離を置いて、そして広く日本の仏教に関する書物などにも時折目を通してきましたが、独歩さんが記された文面通りの史実が横たわっていたことを、改めて認識してきたものです。また大石寺といえども、その例外ではなさそうです。

>争いは避けるべきと言うのが私のスタンスです。時には矛盾も生じるかもしれませんが。

争いを避ける…一見平和的な言葉に思われますが、実際に避けているのは「争い」ではなくて、「真実」かもしれません。矛盾に目を背ければ、当然、真実を遠避けてしまうことになるでしょう。結局は、現状にただ妥協しているだけということも有り得ますね。

重ねて、生意気なことを申し上げ失礼いたしました。
こちらの掲示板で議論をお続けになりながら、またいつでもpundarikaにご参加ください。お待ちしております。

477犀角独歩:2003/08/29(金) 13:14

昨日で投稿は終わらせようと思ったのですが、いくつかのレスをいただき、それぞれに気になるところもありますので、少しだけ失礼します。

まずはアネモネさん:

かつて「意見が衝突した」ことがありましたお相手に、自分のことをご説明いただき、こそばゆい思いです。
有り難うございました。

愚鈍凡夫さん:
ガンコさん:
苦悩乱者さん:

470のご投稿、仰るようだと思います。
以下、たぶん、愚鈍凡夫さんには特にご賛同いただける点ではないのかと思います。

どうも、所謂、下種教学が固定観念化してしまうと真跡本文が素直に読めなくなる障害が起きるものだと愚鈍凡夫さんも観察されておられるでしょうね。
いつも思うのですが、本当に皆、ちゃんと本文を読んでいるのだろうかと。
種脱観は、もっともその典型であると思うわけです。

蓮師が言う種というのは、一念三千です。権大乗では久遠実成が記されていないので、真の下種の意味が現れていない、それが蓮師の言う下種の意味ですね。それで、下種の正体は一念三千、下ろされたのは(地涌の菩薩)後に他の結縁衆であるとし、自分は法華経の行者か、日本国衆生の親であり得るかと自身を論じていくのが開目鈔の規模でしょう。

そこから、この下種は久遠実成の仏様が菩薩にされたものであるという点を重視されているわけです。ですから、

つまり、久遠に脱益した仏が一念三千を衆生に下種した。
脱とは仏、種一念三千、下した先は結縁衆。
故に本尊鈔に「彼(仏)脱・此(菩薩)種」という関係を述べているわけでしょう。

これはしかし、もちろん、相対論ではありません。脱(仏):種(一念三千)係です。この二つを相対したら(わたしは人法一箇論にはもちろん否定の立場ですが)人法一箇が崩れます。

そもそも開目鈔における展開が、本尊鈔の語句を待って完結するなどと言うのはなんともはや、よくぞ考えたこじつけであると思うわけです。この点はしかし、批判して言うのではなく、富士門で当然のように言われてきたこの常識を「当然のこととして刷り込まれている」のだと指摘したいわけです。しかし、実際の本文はそうはなっていません。

開目鈔では、一貫して法華経の一念三千という種と下ろされる菩薩衆生を説明するのであって、その意味でその種が、なんでひっくり返って仏などと言われるのか、本文をしっかり読めば読むほど、よくもまあ、こんなことが思いつくものだと呆れもします。

もちろん、その理由ははっきりとわかります。『秘密荘厳論』に

「一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり」

からの連想でしょう。種は一念三千、その一念三千は自受用身で仏であるという連想ゲームです。ちなみに、出尊形仏を「示同凡夫」であるとする記述は、富要で見る限りでは、教師、我師、寛師の順番になっています。これまた、日蓮本仏論創作のあの時代の出来事でした。この頃に種は人法にわたる仏と相成って、今に至るのでしょう。蓮師の真跡にまったく現れない、中世教学と限りなく偽書と考えられる真偽未決書、相伝書で塗り固められ、わたしが捏造教学と呼ぶものです。

なお、相対などといいますが、この点もどうも短絡であると見えます。それは、蓮師は湛然師の言を挙げて儒について
「妙楽大師云く ̄仏教流化実頼於茲。礼楽前駆真道後啓〔仏教の流化、実に茲に頼る。礼楽前きに駆せて真道後に啓く〕
といい儒道を仏教宣布の道を整えるためのものであったととらえ、また外道についても、
「外道の所詮は内道に入る、即ち最要なり」
というも、およそ相(あい)対する概念とはなっていません。相対というより、むしろ灌頂記の如く相待というべきであると見えます。また、儒から数えれば、六重となるでしょうし、もし本当に種脱を入れるのであれば、七重とすべきでしょう。台学の装いから五重と整理したかったのが日蓮門下であったのかと想像しています。

さて、この記述をご理解いただくためには、富士門教学の常識を、いったん捨てて、読み物を読むように頭から虚心坦懐に開目鈔を読んでみることです。この書が書かれたときにはもちろんのこと、相伝書はありませんでした。なかった時点の読者に徹してみると、文意はストレートに心に飛び込んでくることでしょう。かつてわたしが心がけた仏教再考、蓮師教学再考のアプローチの有様です。

478苦悩乱者:2003/08/29(金) 14:54

471 カンコさん

当家三依抄 の最後に書かれています。
「・・・前略・・・此くの如き三宝を一心に之を念じて、『唯』まさに南無妙法蓮華経と称(とな)え、乃(すなわ)ち一子(いちご)を過すべし云々。行者謹んで次第を超過するなかれ、勢至経の如くんば妄語の罪に因(よ)って当(まさ)に地獄に堕つべし、亦復(またまた)母殊を超ゆることなかれ・・・」
「勢至経」を探して読んでみます。日にちがかかるかも知れません。

それと、なにか、「唯まさに南無妙法蓮華経と称(とな)え、乃(すなわ)ち一子(いちご)を過すべし」この「ご教示」は「生死一大事血脈抄」や「上野殿御返事 学御p1545」のご教示にそっくりですね。「『担』南無妙法蓮華経なるべし。上野殿御返事」、「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の『所詮』是なり・・生死一大事血脈抄」

解らないのに色々と議論するより「担南無妙法蓮華経」と信心無二に唱えなさい、と言われているような、そんな気が・・・。四無量心を磨きなさいと。

479苦悩乱者:2003/08/29(金) 15:05

477 犀角独歩さん

>(わたしは人法一箇論にはもちろん否定の立場ですが)

実は私もそうなんです。否定ではなく、まだ懐疑的の段階ですが、独歩さんのおっしゃるとおりだと思うんです。この事は私の先生と論議すると、たぶんおかしなことになってしまうでしょうけれど。富士の教義はやはり理解不能になりやすいです。

480苦悩乱者:2003/08/29(金) 15:13

475 476 アネモネさん

ご忠告有難うございます。

自分で言うのもなんですが、わたしは、非常に敏感なのです。過剰なくらいに。

481苦悩乱者:2003/08/29(金) 15:32

477 犀角独歩さん

相対、勝劣、相待、この三つを同義に扱っているようなところがあるような気がするのですが、本来は「相待」が正しいのですか。そうするとすんなり理解が進むように思います。私の感なのですが。

482苦悩乱者:2003/08/29(金) 15:35

481 訂正

>相対、勝劣、相待、この三つを同義に扱っている=誤

富士門では相対、勝劣、相待、この三つを同義に扱っているような・・・です。

483愚鈍凡夫:2003/08/29(金) 21:16

>>477:犀角独歩さんへ

> 470のご投稿、仰るようだと思います。
有り難うございます。

> というも、およそ相(あい)対する概念とはなっていません。相対というより、むしろ灌頂記の如く相待というべきであると見えます。また、儒から数えれば、六重となるでしょうし、もし本当に種脱を入れるのであれば、七重とすべきでしょう。台学の装いから五重と整理したかったのが日蓮門下であったのかと想像しています。

大乗仏教自体が、いろんな宗教の影響を受けながら理論構築(理論武装?)してきたわけですよね。にもかかわらず、相対関係で優劣を論じ、この教義以外は全て邪義とする考え方は、大変な害毒をもたらすと思います。
特に○○学会に見られるような唯我独尊の姿勢にその害毒の恐ろしさを感じます。

484ガンコ:2003/08/29(金) 21:18

犀角独歩さんには、よき先輩ぶりを発揮されまして、たびたびのご教示、まことにありがたく思うものであります。

何よりも、多くの独歩ファンがよろこんでいることでありましょう。わたくしはファンじゃありませんけどね。

しかし、まあ、いままで、相手にもしてもらえなかったけど、ようやく相手にしていただけるようになって、うれしく思っております。

さて、御法門について、わたくしのほうからも、申し上げたいことがあるのですが、今日あたりはとても暑くって、もう、頭が湯だってしまって使い物になりません。(うちは貧乏でクーラーがありませんの)

一両日中くらいに書き込みたいと思っておりますが、まあ、わたくしの意見を読まれて、相手にする値打ちなし、と思われましたら、そのままほっといてください。(相手にする値打ちなし、なんて書かれたら、ショックで死んでしまいそう)

485ガンコ:2003/08/29(金) 21:23

苦悩乱者さん

当家三依抄ですか。いや、まいりました。いくら勉強してもぜんぜんおっつかない。まったく恐ろしい世界だわ。

486ガンコ:2003/08/29(金) 21:27

しかし、なんだろう、みんな人法一箇に否定的じゃあないですか。独歩さんといい、愚鈍さんといい、おまけに苦悩さんまで。

ひょっとして、アネモネさんも?

487愚鈍凡夫:2003/08/29(金) 22:33
>>485:ガンコさんへ

苦悩乱者さんはこの文証のことを仰っているんです。
「行者謹んで次第を超越する勿れ、勢至経の如きんば妄語の罪に因って当に地獄に堕つべし、亦復母珠を超ゆること勿れ、数珠経の如き過諸罪に越ゆ、数珠は仏の如くせよ云々。
母珠を超ゆるの罪何んぞ諸罪に越ゆるや、今謂わく、蓋し是れ名を忌むか、孔子勝母に至り暮る、而も宿らずして過ぐ、里を勝母と名づくれば曾子入らず等云々、外典尚お然り、況んや仏氏をや。」(当家三依抄)

ちなみに、下のアドレスから「六巻抄」をダウンロードできます。

御歴代上人文書
http://nakanihon.net/nb/gorekidai.html

488犀角独歩:2003/08/30(土) 02:28

度々書き込んでしまい恐縮ですが…

愚鈍凡夫さん:

> 487

ちょっと、引用の頭が切れています。これではまるで寛師の言葉みたいですよ(笑)
「宗祖録外御書の四、戒法門御書中に数珠経」からの引用でしょうね。

戒法門「数珠経に云はく「応に母珠を越ゆべからず、過(とが)諸罪に越ゆ。数珠は仏の如くせよ」と。」

たしかに三衣抄にもありますが、『対俗三依談』にもあります。いまさらわたしが引くのもなんですが、こちらのほうが詳しいでしょう。

ただ、父珠・母珠、四菩薩、心一境法性珠なんて言っても、ガンコさん当たりはピンとこないかもしれません。(ご存じでしたら失礼)以前に数珠の各部位の名称を記した図を挙げたことがあります。再掲します。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/juzu.gif

房の着いた部分の珠は数取り用ですね。父珠から四菩薩は飛ばして題目一遍に一珠を送り、母珠に至って、母珠を越えずに折り返して父珠へ戻ってと百遍とします。これが「母珠を越ゆべからず」の意ですね。念仏の平念珠での数取りではグルグル一方向に数珠を回していきますが、これを批判した記述であるということでした。

苦悩乱者さん:

相待と書いている例は、石山文書でも、実際にあったと記憶します。

>> わたしは人法一箇論にはもちろん否定の立場
> 実は私もそうなんです。否定ではなく、まだ懐疑的の段階

おお、これは共通の見解が見出せました。嬉しいことです。

ガンコさん:

では、投稿されましたら、読ませていただきます。

489犀角独歩:2003/08/30(土) 02:55

【488の訂正】

誤)対俗三依談
正)対俗三衣談

490ガンコ:2003/08/30(土) 10:23
アネモネさん、苦悩乱者さん、愚鈍凡夫さん、犀角独歩さん・・・(不次第)

早坂鳳城先生の論文を読んでいて、ひじょうに興味深い記述を発見しました。
「法と佛の関係において、人勝法劣の立場を取るのは、爾前権教=応身正意論の立場。法勝人劣の立場を取るのは、「法華経」迹門=法身正意論。人法一箇の立場を取るのが、「法華経」本門=三身即一=報身正意論と言えるのである。」
わたくしには応身・法身・報身ないし三身即一などさっぱりわからないのですが、ここに人法一箇とあることにびっくりしているのです。早坂先生はいったいこの言葉をどこから引っ張ってきたのか? 正宗系の人なら同じような疑問を持たれることかと思います。
誤解のないように同じ論文からもうひとつ引用しますと、
「根本的には、根本の久遠佛も釈尊も同じであり、久遠佛が本体である故に本佛とするのである。この本体の一つの現われが裟婆の化佛=印度の釈尊である。だから、裟婆の化佛を普遍化、原理化したのが、久遠実成、久遠の本佛である。そして佛本尊とは、この原理的な面で表現し、原理面を本尊としている。つまり三身即一の報身正意論である。」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_170.htm
早坂先生が日蓮本仏論者であるわけなどありません。つまり、釈迦本仏論の立場において人法一箇を言っておられるのですが、まあ、この用語をどこから仕入れたかは別の問題として、ともかく人法一箇思想が日蓮宗にも存在することに驚いたものです。
さて、ここでわたくしが大いに悩んだのは、爾前経=人勝法劣、法華経迹門=法勝人劣、法華経本門=人法一箇 ということがどうして言えるのか、よくわからないことです。論文の末には、法本尊の文証・人本尊(佛本尊)の文証と思われるものを列記しているけど、直接的には人勝法劣・法勝人劣・人法一箇の文証を提示していないように思えます。文中、法佛一如を原始仏典より証明していますが、もちろん、この論文は他宗の人に対するものですから単に日蓮教説より文をとり出だしても意味がないでしょうけど、わたくしにとっては大聖人がどのように御教示であられるかが大事なのです。
いま現在、大聖人の御書を拝するに、爾前→迹門→本門を、人勝法劣→法勝人劣→人法一箇とは読み取れない、というのがわたくしの理解です。
もっとも、みなさんが必ずしも早坂先生の論に同意であるわけではないでしょうから、あんまり興味をひかないかもしれませんけど・・・
とりわけ独歩さんあたりは、再三にわたって、日蓮教説における三身論には慎重の意味を述べておられますし、してみると当該論文については早坂先生のご所論といえども「用いず」でありましょうか?
とりあえず、こんなところです。

491愚鈍凡夫:2003/08/30(土) 10:26
うっ・・・。 ヾ(;´▽`A``アセアセ
中途半端に書き込むんじゃなかった(かな?)

ほんじゃ、これらなどうだ!!なんちゃって。 (^▽^;)

「問ふ宗祖録外御書の四、戒法門御書中に数珠経に引いて云はく母珠を越ゆべからず過か越法罪なり、数珠は仏の如くせよ云云、他受用御書二冊之れに同し、数珠経に云はく母珠を越え莫過すべからず珠を越ゆる罪千万と云云、答ふ御書には台家の相伝を挙げたり故に本文に合せざるか、然るに御書引文の意は即ち母珠を捨てゝ数を取らざるの失を明す、故に一返の念仏、十の数珠を越ゆる等是れ妄語の罪重き証文を引く、既に母珠仏の如し何ぞ数を取らずして母珠を超越せんや、若し強いて之を執せば則ち菩薩の勝果珠を数えて何ぞ忽に仏母の正珠を捨てんや、故に勢至経を引いて云はく次第を超ゆる者は妄語の罪に因つて当に地獄に堕つべしと云云。

問ふ若し爾らば母珠は是れ百八珠の外なり何ぞ母珠を数ふと為んや、答ふ若し爾らば百八の外、四珠の小珠何ぞ唱る数と為るや、会合して曰はく凡そ数珠は是れ三宝を表する故に百八珠は法性の百八珠を以つて百八煩悩及び報障を対治することを表し、四小珠は是れ上行等四大菩薩、常楽我浄の四徳波羅蜜を唱へ顕すことを表するなり、釈迦多宝の二母珠は是れ境智の二法を唱へ顕はすことを表す、若し小の四珠大の母珠を除く人は只是れ法宝のみにして仏宝僧宝なし、何ぞ仏法僧の三宝を表はす数珠と云ふべけんや、然れば先師方の伝法は仏母の宝珠を捨つるに似たる者か、更に詳にせよ。

応に知るべし、此れ皆要法寺日大の邪伝を信ずる故に此の過失有る者なり、又上行等の四徳波羅蜜は界外の四顛倒を破して九界の生死を出づることを表する故に、一百八の小珠は界内の見使を破して六道三界の生死を出づる事を表するのみ、当に知るべし二母は本有の妙覚及び修徳本果の妙覚本末究竟等の故に、根本無明結業の惑を破して九界六道の生死を出づるものなり、故に御書十四(卅)但専ら本門寿量の一品に限り出離生死の要法なり云云、又録内卅一(十三)爾前迹門にして猶生死離れ難し本門寿量品に至りて必す生死を離るべし云云。」(袈裟数珠の事)

下記アドレスからダウンロードできます。
『袈裟数珠の事』
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu1_14.htm

492ガンコ:2003/08/30(土) 10:34

数珠のことですが、戒法門にあったとは・・・うああ、御書が読めていないのがばれちゃった。

493アネモネ:2003/08/30(土) 10:51
ガンコさん

>ひょっとして、アネモネさんも?

はい。いつのまに、そうなっていました。といっても、元々の理解度が低いですから。私の教学レベルを参考までに言いますと、法華講での教学試験の初級どまりです。

参考になるかどうかわかりませんが。私は、元々がキリスト教ですから、恐らく振り返ってみて、キリスト教の教義に日蓮正宗の教義を当て嵌めて(いや逆かな?)、そうやって教義を理解しようとしていたと思うんですね。
pundarikaにも少し書きましたけど、キリスト教の三位一体という教義解釈と、本仏論とか三身即一身は、とても似ているんです。
三位一体は、神と聖霊とイエスは一体であるという考え方なんです。ですから、神を久遠の釈尊もしくは本仏、法が聖霊、イエスを日蓮と置き換えて捉えてみとる、しっくり理解できたというわけなんです。
私は折伏を受けるとき、日蓮はインド応誕の釈尊の生まれ変わりと教えられたので、イエスのところをお釈迦様=日蓮と置き換えて捉えていたと思います。

しかしキリスト教のこの三位一体という教義ですが、イエスはそんなこと言っていないんです。そもそもイエスはお釈迦様と同じで、自分で書いた書物は残していませんしね。結局、後世の弟子たちのなかから発生した解釈というわけですが、しかし世界中に広まったキリスト教勢力の大半は、この三位一体の解釈を受け継いできており、絶大な主流となっています。やはり数の力、権威の力はすごいです。でもだかといって、それが教祖の教えを正しく汲んだものや真実だとは限らないわけです。
後世の人の解釈なのですから、三位一体を証明することはできないです。ただその解釈の源流をたどれば、誰だったか、イエスの直弟子にたどりつくはずです。
でもまあ、私はいずれにしても教義については明るくないので、感覚的なことしか書けませんけれども、結局はどこまでいっても観念的なことなのではないかなと思ってしまうんです。
平たく言い換えれば、計り知れない昔に私たちと同じ生身の人間としてこの世に生まれた方が、この世の一切の森羅万象すべてを司る法そのものだったってことでしょうか。このような表現が大きく外れたものでないとしたら、確かにロマンに満ちた話ではありますが、かといって今の自分がそのことを実感として感じられるかというと、とてもとてもそこまでのものではないのが正直なところです。その正直な実感をそのまま受け止めています。

494アネモネ:2003/08/30(土) 10:54
ところで、ガンコさんも、愚鈍凡夫さんも、富士門の掲示板の過去ログはもちろんのこと、独歩さんのサイトなども、とても熟読されていらっしゃるのですね。
あのー、もしもよろしかったら、こちらの掲示板と並行してpundarikaにも参加されてはいかがかと。独歩さんとも落ち着いて対話が出来ますし、それこそ何か新しいテーマをご提案なされば、また違った趣からの議論ができるのではではないかと思います。

495ガンコ:2003/08/30(土) 11:04
アネモネさん、どうも。

>平たく言い換えれば、計り知れない昔に私たちと同じ生身の人間としてこの世に生まれた方が、この世の一切の森羅万象すべてを司る法そのものだったってことでしょうか。このような表現が大きく外れたものでないとしたら、確かにロマンに満ちた話ではありますが、かといって今の自分がそのことを実感として感じられるかというと、とてもとてもそこまでのものではないのが正直なところです。その正直な実感をそのまま受け止めています。

ええ、わたくしもロマンに酔いしれているだけなのかも、って思うことがあります。けっこう、近いかもしれませんね。

496ガンコ:2003/08/30(土) 11:08

>あのー、もしもよろしかったら、こちらの掲示板と並行して

あっ、ダメダメ、そんな器用なことできませんですよ。

497愚鈍凡夫:2003/08/30(土) 11:10
「問ふ宗祖録外御書の四、戒法門御書中に数珠経に引いて云はく」
とは、下記の文証のことです。

「数珠経に云く「応に母珠を越ゆべからず過諸罪に越ゆ。数珠は仏の如くせよ」よ。勢至菩薩経に云く「平形の念珠を以ふる者は此れは是れ外道の弟子なり、我が弟子に非ず。我が遺弟は必ず円形の念珠を用ゆべし。次第を超越する者は因果妄語の罪に依て当に地獄に堕すべし」云云。此れ等の文意を能く能く信ずべし。平たき念珠を持ちて虚事をすれば、三千大千世界の人の食を奪う罪なり。」(戒法門)

498犀角独歩:2003/08/30(土) 11:32

愚鈍凡夫さん:

お、さすがですね。頼もしいです。

ガンコさん:

> とりわけ独歩さんあたりは、再三にわたって、日蓮教説における三身論には慎重

より、正確に言えば、それが灌頂記であれなんであれ、三身説に慎重と言うことです。
アネモネさんも挙げていらっしゃいますが、わたしは三位一体と三即一・一即三は同一ルーツではないのかと考えています。
つまり、外来説という予想です。

> 早坂先生のご所論といえども「用いず」でありましょうか

どなたの諸説であるかは問題にしていません。問題にしているのは、説の証憑性のみです。
たとえば、わたしが尊敬する執行海秀師でも『五人所破抄見聞』を妙蓮寺眼師であるとしています。
しかし、この点は用いません。
学説は日々書き換えられる、我が考えも日々書き換える、人にも学説にも固執は一切しません。
ですから、日蓮聖人と雖も、仰る内容が事実と違えば、「用いず」です。

なお、ついでに記せば、もし蓮師が、真跡中でご自身を「仏である」と言っていたとしても、それは記述として確認するのみです。
その他の事実を照らし合わせて、違うと思えば「蓮師は自分を仏と言っているけれど、これは違う」と何の躊躇いもなく斥けます。

499ガンコ:2003/08/30(土) 12:01
独歩さん

次に申し上げたいことは・・・じつはまだぜんぜん書いていないので、気長に待っててください。

さて、
>外来説という予想

これは日本におけるキリスト教伝来をお考えですか、それとも、古代の東西交流によって仏教・キリスト教に相似性がある、との意でしょうか?

>わたしが尊敬する執行海秀師でも『五人所破抄見聞』を妙蓮寺眼師であるとしています。

ええ、最近読みましたけど、師の書きようはまったく疑いを置いておられない、と読めました。

>ですから、日蓮聖人と雖も
>躊躇いもなく斥けます

まあ、これが独歩さんのご主張でしょうけど、最近はとくにその傾向が顕著ですね。

500アネモネ:2003/08/30(土) 13:53
ガンコさん

>ええ、わたくしもロマンに酔いしれているだけなのかも、って思うことがあります。けっこう、近いかもしれませんね。

自分の置かれた立場とか、蓄積とか、人間的つながりとか、それら諸々に対する愛着(執着)とか、そういうことが、ある種のしがらみとか、足かせになってしまうんですよね。
でも、時間をかけてでも納得がいくまで探求されることは、決して無駄ではないと思います。最近のガンコさんのレスを拝見していて、そういう姿勢が伺えるなあと思って拝見させて頂いています。

>あっ、ダメダメ、そんな器用なことできませんですよ。

気が向いたら、いつでも来てください。

独歩さんに対するレスですが、興味深いので少し…
>これは日本におけるキリスト教伝来をお考えですか、それとも、古代の東西交流によって仏教・キリスト教に相似性がある、との意でしょうか?

ガンコさん、着眼的がいいですね。
私は、「キリスト教伝来」の影響ということもあるかもしれませんが、やはり「古代の東西交流によって仏教・キリスト教に相似性がある」のではないかと思います。
恐らく仏教が伝来する聖徳太子の時代から既に、そのような概念の原型があるのではないでしょうか。
日本の神道にしても、完全に日本の古代人のオリジナルではなく、海を越えてもたらされたものという説はよく聞かれ、物語の類似性もみられますし、またその変遷を示すように言語の類似性までもが日本語の中にも数多く残っているらしいです。

ちなみに、ユダヤ教(キリスト教)の救世主信仰は、ペルシャのゾロアスター教のミトラ神の影響が強く、またそれは東に向かっては弥勒菩薩の源流となったといわれいるそうです。この点は、独歩さんがより詳しいと思います。

また、キリスト教が東に伝えられて中国では景教となり、一説では西暦200年頃には早くも日本に伝わっているとのことですから、ゾロアスター教、ユダヤ教(キリスト教)、さらには密教や神道や仏教などから見出される神話の類似性は、間違いなく東西文明の交流と融合を如実に証明しているものでしょうね。
古代オリエントにおける文明の交流は、それこそロマンがあって面白いです。けこう、私は興味を持っていますよ。

ここからは私の勝手な想像ですが、文字を持たな古代人が、真理に結びつくような概念を人に伝えようとするとき、それを擬人化もしくは化身化して捉えて表現することが最もわかりやすかったのではないでしょうか。
日本の八百万の神にしても、またギリシャ神話にしても、そうですしね。それもまたひとつの人間の智恵かもしれません。
だけど、人間の人知を超えた存在の化身を観念的に想定して象徴とし、その象徴に教えを説かせるということが、たとえ一種の方便だとしても、そのことによって学び伝えられた崇高な精神というものは確かにあったと思います。
なにより、人間がその存在を奢り高ぶることを抑制する力となっていたのではないかと考えたりもします。

501愚鈍凡夫:2003/08/30(土) 15:34

横レス失礼します。
参考になるかどうか分かりませんが、本からの引用です。

ギリシアと仏教の融合―ガンダーラ美術

 アレキサンダー大王のギリシア軍は、北インドで仏教に遭遇した。一行はその地にバラモンの反攻のために足留めを余儀なくされていたのである。アレキサンダー軍の子孫であるインド=ギリシアの往事たちは仏教徒になった。そしてギリシアの様式と特色を仏教的姿勢と主題に組み合わせ、ガンダーラ芸術として知られる驚くべき芸術様式を始めたのは彼らの治世においてであった。ガンダーラというのはペシャワール地方の別名で、現代の研究者たちはこの様式の多くの例をここで発見している。19世紀のヨーロッパ人が北部インド(その頃にはそこから仏教は完全に消え失せていた)で、インド人の一般的なずんぐりと歪んだしかめつらの顔形とは異なる、豊かな曲線と額の線から続いている真直ぐな鼻をした、丸形の古典的なギリシアの顔に突然遭遇した時の驚きは、充分想像することができよう。ガンダーラ芸術は正確に言うならカニシュカ王時代のものである。ギリシアからきてラテン芸術家たちに影響を与えた様式は、それまでパミールで止まっていたのである。仏教の東漸はじめ中国に、後には日本にその様式を伝え、1世紀以上も大西洋から太平洋に及ぶ地域で支配的であったと言ってよいだろう。この様式はギリシアの神々の保護のもとに地中海を取り巻き、アレキサンダーとともにインドへ行き、ブッダの肖像の中に定着したのである。そして初期の中央アジアや中国への使節団の後に続くのが、まさにこの仏教的要素(象徴と型にはまった構え)とギリシアの形式との混合であった。
(『シルクロード』リュセット・ブルノア著 長澤和俊・伊藤健司訳 河出書房新社 P118)

502愚鈍凡夫:2003/08/30(土) 15:46

>>501:訂正

> アレキサンダー軍の子孫であるインド=ギリシアの往事たちは仏教徒になった。
 アレキサンダー軍の子孫であるインド=ギリシアの王子たちは仏教徒になった。

> 仏教の東漸はじめ中国に、
  仏教の東漸ははじめ中国に、

です。悪しからず。 m(_ _)m

503苦悩乱者:2003/08/30(土) 15:57

犀角独歩さん、アネモネさん、愚鈍凡夫さん、カンコさん

ほんとうに有難うございます。

皆さんの御投稿は、御僧侶方の説法より、有り難いですね。あっ、これ大変な事言ってしまったかな。まあ、私は苦悩乱者ですから、もう地獄ですからいいんですけど。

あんまり多くには、答えられないんですけど
>500 アネモネさんの >ここからは私の勝手な想像ですが、文字を持たな古代人が、真理に結びつくような概念を人に伝えようとするとき、それを擬人化もしくは化身化して捉えて表現することが最もわかりやすかったのではないでしょうか。

これが私の一番大好きな方法なのです。勝手とは云いながら、きちんと書を読んでいらっしゃる。其の上で、それを踏まえて、想像を巡らせて勝手に想像される、いちいちあの書籍の誰が書いた何処何処発行の、なんてやらない、そんな事しても、その書が正しいことを書いてあるのか否か、なんて証明も出来ないわけでして、だいたい同レベルの人であれば解ってしまう。そういう事って、私みたいな不勉強な者には都合がよい、最近になって、私の先生が教えてくれた法門が有ります。御義口伝の総題釈です。これを広めてほしいと言われました。私の御書は学会版で不完全なので誰か、ここに載せて、解釈してくださませんか?

504愚鈍凡夫:2003/08/30(土) 18:22

>>501:に関連して、めげずに再度投稿です。

仏教興隆の中心地――クシャン王朝

 古代が終わり、中世が始まる頃、テュルク=モンゴル族が古代ロシア、シベリアおよびヨーロッパの半分を席巻した時、事実上彼らは何ら存続するようなものは残さなかった。蛮族の波が寄せるたびに、蛮族は先住者を圧倒し絶滅させた。しかし、600年か700年ほど経っても彼らは決して文化をうち建てようとはしなかった。彼らはむしろ自分たちが征服した人びとの文化に同化することを好んだ。(中略)
 中央アジアは2つの交通路の中心であった――それはペルシア経由の陸路とインド経由の回路である。――そして少なくとも100年の間、それは絶え間ない往来の場であった。この時代のクシャン帝国の領内、とくにタリム盆地の西部では、仏教が大いに広まった。商人たちに広められた路は仏教思想の広汎な布教・伝播にこのうえなく好都合であった。(中略)
 班超が緋の皮を着た騎兵を率いて、西域を平定し、パミール高原に行った時には、クシャン王国の首都は世界的に主導的な仏教の中心地になっていた。当時の貨幣からわかるように、この国には多種多彩な宗派が併存していた。ある貨幣は牡牛を伴った完全なヒンドウー教のシバ神を表しており、またあるものはブッダ、ヘリオス(太陽神)あるいはセレネ(月の女神)、太陽神ミトラス、月なるマー、水神アートースプ、あるいはセム族の豊饒の女神ナナイアを表していた。しかし、ある王の個人的な好みの結果なのか、それともめざましい宗教的指導者の影響下にあってのことなのか、それともめざましい宗教的指導者の影響下にあってのことなのか、この時代にもっとも著しい進展をなしたのは仏教であった。この宗教的な混合主義(これはクシャンの統治上の諸条件に好都合であったし、またこの期の非常に幅広く異なった貨幣があることからも証明される)、この4つの異なった宗教的思想の融合を反映する思想の自由さは、大乗仏教(マハーヤーナ)の混合的性格と比較されうるということは、一再ならず言われてきたことである。仏教思想はバクトリアナを席巻し、ソグディアナに瀰漫し、それまでゾロアスター教徒の国であったホラズミアのすぐ近くまで広がった。そしてそれに伴い、仏教がアラル海沿岸まで進展するとガンダーラのグレコ=ブッディスト(ギリシア仏教)芸術を引き起こした。ホラズミアでは、たとえば考古学者たちはギリシア様式の織物や塔のミニチュアを発掘している。これらの遠隔の地のグレコ=ブッディスト芸術には、実際にはそこでは決して見られない猿さえ表されている。さらに北方、カスピ草原を横切り、ボルガ川とカマ川を遡る陸路と水路に沿って、クシャン貨幣が発見されたが、われわれの知るかぎり仏像やその他の典型的仏教遺品は見られない。
(『シルクロード』リュセット・ブルノア著 長澤和俊・伊藤健司訳 河出書房新社 P114)

クシャン朝の時代には、想像以上にいろんな宗教が混在していたようですね。

505ガンコ:2003/08/30(土) 18:54

アネモネさんの博識ぶりにはあらためて感嘆しております。また、愚鈍凡夫さんにしても、ただちに適切な資料を提示できるところなど、日頃の研鑽振りがうかがえます。

苦悩乱者さん、学会版の御書は不完全だから? それで、何をどのように解釈しろとおっしゃっる?

506苦悩乱者:2003/08/30(土) 19:40

503
誤=解釈してくださませんか?
正=解釈してくださいませんか?

それから、最後?に一言
私達いつまで観念世界に漂っていれば良いのでしょうか?
「母殊を超えない」ということも、念珠のことではなく、もっと違う事のご教示のように思うのですが。

507苦悩乱者:2003/08/30(土) 19:49

505 カンコさん

御義口伝の総題釈です。南無妙法蓮華経です。

508愚鈍凡夫:2003/08/30(土) 20:23
苦悩乱者さんへ

> 私達いつまで観念世界に漂っていれば良いのでしょうか?

このBBSに集う人たちは、観念世界に漂っている人などいないと思いますよ。
逆に、我見の教学の世界に漂うことの恐ろしさを知っている人たちばかりだと思います。
小生は、我見の教学の恐ろしさを創価学会で嫌というほど思い知らされました(創価学会では実践の教学と呼んでいますが・・・・・)。
我見を避けるには、まず、自分の信じていることが本当に正しいのか、それについて疑念を持つことが出発点だと思います。逆の言い方をすれば、疑念を持って教義を検証し、その結果、かえってその疑念を晴らすことになれば、より一層信心が深まるのではありませんか。
小生は、少なくともその姿勢でこれからも教学研鑽に励みたいと思います。
また小生は、基本的に信じる者は救われるといった、信者を思考停止に追い込むような教団は信じません。それこそカルト宗教の証だと思っているからです。
それ故、今は個人として信仰が成り立つか、そのシミュレーションの最中です。そして、我見に陥らないために、このBBSを訪れています。
ここに書込をされる方々は、言葉遊びをしているのではありません。そのことは忘れないで下さい。

509ガンコ:2003/08/31(日) 14:49
観念世界・・・とは何を意味するかわかりませんが、わたくしのばあいはよく所属組織の中で「頭でっかちの信心はダメだ」と言われてました。

個人の資質にある程度は任せて好いと思います。考えるのが好きな人は大いに思索をめぐらせればよいし、実践あるのみと思えばそれもよし、あんまり型にはまらないほうが好いでしょう。といっても組織というのはそうもいかないですよね。ですから、この掲示板の価値があるんでしょう。わたくしなんかは建前上は御法門を学ばせていただくなんてかっこつけてますけど、いつの間にか掲示板を朝昼晩開くのが楽しみみたいになっちゃってます。多い時は一日十回くらいはのぞいていると思います。ですから、これが観念世界というのなら、もうそれが楽しみになっちゃってるんだからしょうがない、って思います。
ともかく個人の自由ですから、べつに義務感で書き込むこともないし、ほんとに書きたい、何かをうったえたい、という衝動のみで好いんだと思います。
ですから、苦悩さんの「私達いつまで観念世界に漂っていれば良いのでしょうか?」というのも切実な叫びに聞こえます。なるほど名前が苦悩さんだけのことはあるなあ、と。

だいたい御義口伝なんか持ちだすからいけないんですよう。難しくってわかるわけないじゃあない。いちおう、貫首直伝の秘書ってんですから。

もし、差し支えなければ、手塚先生の御講義を紹介してください。もちろん、この掲示板に投稿すれば、手厳しい批判にさらされることになりますけど。

510観山 念子:2003/08/31(日) 18:40
友人に勧められ時々覗かせて頂いて居ります。 No.508〜509様の御説に御同感です。 ただ506の悩乱者様が御提起された「、、観念、、??」なるもを御感じになるのは=「今までの権威(大本尊)が疑義にまみれて、その代替策をも不透明な現況、」からは一応は理解できます。
 私女としましては、愚鈍様ご指摘「、、我見の創価教学に漂う恐ろしさ、、」という件には「ハッと、グサリ、」と「共感」しました。

 「信のみを強要するのは===思考停止を誘導するカルト!!」との言には「ウーム、ナルホド、、」と膝を打ちました、。 貴重なる御議論「有り難う御座いました」、、。 勉強になりました。

511苦悩乱者:2003/09/01(月) 12:24

508 愚鈍凡夫さん
509 カンコさん
510 観山 念子さん (始めまして、どうぞよろしくお願い致します。)

まとめてしまってすみません。

私は皆様(アネモネさんも、独歩さんも、常徳庵さんも、kaneさんも、そのほかの人々も)が好きです。兎に角皆様は真面目に真理を追究されていると感じます。私の教学は皆様に比べれば、微々たるものです。担一つ申し上げたい事が有ります。「法華の心」というものが一番大切だと思います。数ある御書篇の中から、「所詮」、「種」、「妙」、「担」「これ体のこと」という文字を探しだされることをお勧めします。

509 カンコさんの >もし、差し支えなければ、手塚先生の御講義を紹介してください。もちろん、この掲示板に投稿すれば、手厳しい批判にさらされることになりますけど。

相談してみます。

512犀角独歩:2003/09/01(月) 21:24

苦悩乱者さん:

> …「法華の心」というものが一番大切」

こういう書き方をすると、茲の投稿者がそのようなものがないような意味に取れることになりますね。

みな法華の心に従った投稿でしょう。

513アネモネ:2003/09/02(火) 03:02
所要で、投稿ができないでいました。

愚鈍凡夫さんの501>504>の内容、とても興味深いですね。

>ギリシアと仏教の融合―ガンダーラ美術

レスを拝見させていただきながら、昨年東京で開催された、インド・ガンダーラ彫刻展で観てきた数々の仏像を思い出しました。
文献のみでは、まさに平面的な二次元的思考に狭められてしまうとすれば、仏像などにもよる考古学的研鑚というのは、まさに立体的な三次元的思考といえるものであり、目から鱗で大きく意識の変った体験だったことが思い出されます。

>仏教興隆の中心地――クシャン王朝

これは特に大乗仏教にとって、とても興味深いところですね。私は、NHKスペシャルの「文明の潮流」ではじめて知って、とても興奮した点でした。

これだけが正しいのだと教え込まれて、他の世界を見ることを閉ざされてしまうのが、日蓮正宗系といえるかと思いますが、しかし、それは実にもったいないことです。
法華経成立に至るまでの、こういった考古学的史実などに目を向けることもなく、それどころか頭ごなしに否定し、ほとんど今日的な仏教の常識や水準を知らないまま、「この信心が絶対に正しい」とだけ確信をもって言い切ってしまう、その虚勢の強さというのは、結果的には自分をどんどん限りなく追い詰めてしまうものではないかと、つくづく思い返すところです。
しかし、このようなことを平然と書くようになった私でさえ、約二年前に参加しはじめた当初の頃は、もしかして謗法になるんじゃないかと、半分は怯えていたものです。
実に図太くなったものですが、しかし考えてもみれば、これこそが絶対に正しい教えと確信をもって世間に広宣流布しようとすることのほうが、図太い神経かもしれません。

514苦悩乱者:2003/09/02(火) 11:46

512 犀角独歩さん

誤解を生むような表現を致しました。すみません。

515犀角独歩:2003/09/02(火) 18:11

苦悩乱者さん:

真摯に応じくださり、有り難うございます。

516愚鈍凡夫:2003/09/02(火) 20:25

>>513:アネモネさんへ

あっ。どうも、今日は暑いですね。
今日の関西地方は、9月になって油断してたらいきなり反則攻撃喰らったような感じでした。

> 私は、NHKスペシャルの「文明の潮流」ではじめて知って、とても興奮した点でした。

実は、小生もあの番組を見ました。その時に思い出したんです。
「あれっ。確か、昔読んだ本に同じこと書いたぁったんちゃうかな?!」
と思って探したら「シルクロード」が見つかったんです。
それで、懐かしく読み返しました。
小生も、シルクロード関係の展覧会があるときは、時間の許す限り観にいくことにしています。

シルクロード関係の逸話は面白いものが多いですよね。
例えば、敦煌の莫高窟は1900年頃、偶然に1人の道教僧によって発見されたことや、431年にエフェソスの宗教会議で異端と宣告されたネストリウス派キリスト教がシルクロードを渡って中国に辿り着き、景教と言われるようになって、中国思想に福音の概念、三位一体の概念、洗礼の儀式、そして十字架の象徴をもたらし、中国思想新しい風を吹き込んだことは意義のあることだと思います。

517ガンコ:2003/09/04(木) 17:51
人法一箇論のつづきです。
早坂先生はあっさりと、本門=人法一箇 を言っておられるけど、はたしてそれが大聖人の御考えなのか? というと、ちょっと前に触れましたが、わたくしは大聖人の御書全体から受けた印象として、あくまで印象ですが、「法勝人劣」が大聖人の御考えであろうと思っております。ですから、大聖人所弘の御法門をいわゆる法華本門とするならば、本門=法勝人劣 であろうと考えます。
「昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し、九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉、未来の光明如来是なり。今乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏なり此は経なり。経は師なり仏は弟子なり。・・・夫劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや。」(乗明聖人御返事)
ここで劣れる仏とは何か明らかではありませんが、木像とだけはわかります。わたくしが曼荼羅正意を唱えるのは仏像を劣れる仏とするこの仰せに拠りますが、それはさておき、この御文の逆の仰せが存在するのかどうか・・・つまり、法華経を劣れる経とする御文があるのかどうか・・・といえばどうもなさそうです。
「夫法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品のたましひなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。・・・されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給ふ。」(法蓮抄)
「夫法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄なり。三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ。・・・さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。」(兄弟抄)
まさしく法勝人劣の仰せであります。大聖人は、大日・阿弥陀などの諸仏と対比する時には釈尊の勝を仰せでありますが、法華経の前では釈尊すら弟子に過ぎないと仰せであります。では、人法一箇はどうなるのか?
人法一箇は御書の表面には容易にあらわれていない、すなわち文の底にある、と拝します。
早坂先生は原始仏典に「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る。」とあることを法佛一如の文証としていますが、そうしますとなおさら本門=人法一箇は成り立たないと思われます。(もちろんこの所論は河口氏に対する反論ですから不要の説明を省かれたとは思いますが、)ともかく、すでにして原始仏典にあるということは、そのエッセンスは爾前経にも反映されるでしょうし、法華経迹門にもあることになると思います。つまり、法華本門だけが人法一箇なのではなく、仏教思想全体の底流として、人法一箇(法佛一如)が説かれていることになりましょう。
何のことはない、人法一箇はあったりまえのことだから、大聖人はことさら強調されなかった。
ええ、もちろん、“文の底”というのは仏教思想全体の“底流”という意味になりますから、開目抄の「文の底」とも違いますし、種脱相対の説明でもなんでもありません。
短絡的には 本門=法勝人劣 だから 文底=人法一箇 と言いたいわけですが、そんなごまかしが通るわけないことは百も承知しております。
・・・次回は、なぜ大聖人は法勝人劣を強調されたのか? について考える予定です。(予定は未定にして確定にあらず云々)

518愚鈍凡夫:2003/09/04(木) 20:12

>>517:ガンコさんへ。

ガンコ説に気になるところがあったので、私見を少々。
「昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し、九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉未来の光明如来是なり。今の乗明法師・妙日並に妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏なり、此れは経なり。経は師なり、仏は弟子なり。涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり。乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と。法華経の第七に云く「若し復人有て七宝を以て三千大千世界に満てて、仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」。夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや。」(『乗明聖人御返事』昭和新定御書より)
を依文として、

> わたくしが曼荼羅正意を唱えるのは仏像を劣れる仏とするこの仰せに拠りますが

と仰いますが、
「夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや。」
の文は、ガンコさん引用の文の後に続く、
「但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし。譬へば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ。」
を強調するための仰せではないでしょうか。

それに、この御遺文は法華経帰依の重要性を述べているのであって、曼荼羅正意を述べているのではないように思うのですが。

早坂氏は
「『六巻抄』の構造と問題点(二) 「文底秘沈抄」本門の本尊編を通して」
の論文の中で、

> 法の本尊、人の本尊、人法体一の本尊の、3つあるとする日寛のこの三分類本尊論ですが、天台も妙楽も伝教も日蓮聖人もいずれも本尊に三分類は行なっておりません。人法本尊の分類というのは、爾前権教の三宝論の亜流的思考です。小乗経では仏が優れております。権大乗では法が優れておる説を取ります。法華経の迹門では法が優れ人が劣る。法華本門は人法一箇です。従って、三宝論は法華経本門によって三宝一体となり、三大秘法の中の本門の本尊は三宝一体が前提ということでありますので、この日寛の分類もおかしいといえます。

と述べ、そしてさらに、

> また、本尊に人法論を展開し、人法一箇の本尊を立てますがその本尊の特徴は、文底独一の本門の事の一念三千と称します。人法一箇の人とは日蓮、法とは文底事の一念三千と規定します。この説は伝教大師の『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身」を拠所といたします。人即法の理論は成立いたしますが、人即法の本尊の文証たりえません。堅樹日寛の人法一箇本尊は独善的己義であり、曲会私情の釈だということでとりあえず結論として終らせていただきます。

と述べています。「人法一箇」という言っていますが、「人法一箇の本尊」とは言っていません。
従って、ガンコさん記述の、

> 早坂先生は原始仏典に「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る。」とあることを法佛一如の文証としていますが

とは何ら矛盾しないと思いますが。

519愚鈍凡夫:2003/09/04(木) 20:22
訂正

誤 「人法一箇」という言っていますが、「人法一箇の本尊」とは言っていません。
正 「人法一箇」と言っていますが、「人法一箇の本尊」とは言っていません。

です。悪しからず。 m(__)m

520ガンコ:2003/09/04(木) 21:01
愚鈍さん、ありがとうございます。

>それに、この御遺文は法華経帰依の重要性を述べているのであって、曼荼羅正意を述べているのではないように思うのですが。

人本尊・法本尊というのは富士の言い方なんでしょうね。それで、法本尊といえば曼荼羅本尊のことだと、そういうことになってますから、確かにその辺の整理があまいと自覚しております。おそらく正宗系だけで議論していれば指摘されることはまずない部分なのだろうと思います。ゆえに愚鈍さんのご指摘はありがたいと思っています。
曼荼羅正意についてはこれからも考えを深めていきたいと思っていますので、とりあえず保留します。

>「人法一箇」と言っていますが、「人法一箇の本尊」とは言っていません。

ここですが、よくわからないです。それ以前に、早坂先生の本門=人法一箇がわかりません。教えてください。

521愚鈍凡夫:2003/09/04(木) 22:31

んモ〜!(牛かお前は) (;^_^A アセアセ…
そうくるだろうと思ったんだよな〜。
まず、『素朴な質問』スレの>>628に紹介した論文を読んで下さい。
人法一箇の依文は法華経にありますので、その文証を法華経から引用します。

「我為仏道。於無量土。従始至今。広説諸経。而於其中。此経第一。若有能持。則持仏身。(我仏道を為て、無量の土に於て、始より今に至るまで広く諸経を説く。而も其の中に於て此の経第一なり。若し能く持つことあるは則ち仏身を持つなり)」(妙法蓮華経見宝塔品第十一)

「若し能く持つことあるは則ち仏身を持つなり」の一節が依文になると思います。
この一節は法華経迹門ですが、法華経を持つことが仏身を持つことになるのであれば、人法一箇ですよね。
これを本尊論に持ち込んだのが日寛師だと思うのです。おかげで、早坂氏御指摘のような様々な論理矛盾をきたすわけです。

「我成佛已來。復過於此。百千万億。那由他。阿僧祇劫。自從是來。我常在此。娑婆世界。説法教化。(我成仏してより已来、復此れに過ぎたること百千万億那由他阿僧祇劫なり。是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す)」(妙法蓮華經壽量品第十六)
と、久遠実成が明かされます。そして、
「若有受持讀誦。正憶念。修習書寫。是法華經者。當知是人。則見釋迦牟尼佛。如從佛口。聞此經典。當知是人。供養釋迦牟尼佛。(若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり、仏口より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり)」(「妙法蓮華經普賢菩薩勧發品第二十八」)
とあります。ここにも
「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり」
と説示されているように、人法一箇が説かれていますね。
本来、人法一箇とは本尊のことを示唆しているのではないと思います。法華経を信受する者は、そのまま「教主釈尊」を拝謁し、その言葉を聴聞することになるとの意味ではないでしょうか。
これで、ガンコさんへの回答になっていますか?

522ガンコ:2003/09/05(金) 01:26
>まず、『素朴な質問』スレの>>628に紹介した論文を読んで下さい。

もちろん、紹介していただいた時点で、読ませていただいておりましたが、難しくて半分も理解できていません。基礎的な教学がまったくないのですよ、わたくしは。

しかし、愚鈍さんに法華経の文を提示していただき、法華経に人法一箇が説かれていること、よくわかりました。
いや、まあ、それはそうなんでしょうけど、わたくしが疑問とするのは、法華経のみが、なかんづく本門のみが人法一箇であるとする論拠です。すでに申しましたように、原始仏典にその意味を見出せるということですから、必ずしも本門だけが人法一箇とはならないのでは? それとも法佛一如と人法一箇はぜんぜんちがうと?

さらに、やや意地悪な質問かもしれませんけど、愚鈍さんのおっしゃりようですと、法華経信仰は本尊を必要としない? 経典そのものが本尊? ってなことでしょうか?

わたくしの曼荼羅正意は、つまり法華経においては文字に価値を見いだす意味があるから、大聖人の御文字御本尊が末法における“それ”に当たるのだろうと拝するわけですが・・・

523愚鈍凡夫:2003/09/05(金) 12:42

ガンコさん。
仏といっても、法といっても、多種多様なわけでしょう。
その中で最高の組み合わせが「法華本門の教主釈尊」と「法華経」ということでしょう。
更に絞れば、「教主釈尊」と「一品二半」ということですね。
だから、早坂氏は仏と仏の説く法との関係を言ってるんだと思いますよ。
ただ、「人法一箇」の一点に絞って言えば、原始仏教の経典にも説かれているということじゃないですか。
天台・伝教・日蓮の流れから言うと、「法華経」は随自意で、諸経は随他意です。
このことを視野に入れて考察する必要があると思います。
それから、「人法一箇」と「本尊論」は別問題です。日寛師が言っているから、それが蓮祖の法門であるとの解釈は間違っています。

法華経を本尊とする件に関しては、ガンコさんがよく引用する「本尊問答抄(未決書)」に、次のように記述されていますよ。

「末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり」(「本尊問答抄」 学会版P366)

大曼陀羅の中尊は法華経の肝心です。ガンコさんはこのことを忘れているのじゃありませんか。曼荼羅は諸尊が勧請されて、それぞれの座に着くことによって本尊に成りうると言うことでしょう。

「教主釈尊」と「大曼荼羅」の関係は、犀角独歩さん推薦の論文に詳しいので、そこから引用します。
「即ち日興上人の直弟間の本尊意識に於ては、本門本尊としての一尊四士と、大曼荼羅との間に何等の区別もなく、またその間に何等の軽重をも認めて居ない。いな寧ろその本尊意識を克実すれば、それは大曼荼羅所顕の久遠本仏、即ち一尊四士の形相に依て現されるところの本門の教主釈尊であったのである。然してこの本門の釈尊の因果の功徳体、即ち事三千の相を図顕したのが大曼荼羅であると解していたものゝようである。故に大曼荼羅は、本門の本尊たる本門の教主釈尊の仏心を図顕したものに外ならないのであったのである。」(初期の興門教学に於ける本尊意識の展開)
とあります。
以前、川蝉さんが小生に御教示下さったように「一尊四士」、「大曼荼羅」、ともに本尊として差し支えないのではないですか。

524ガンコ:2003/09/05(金) 18:55

ううっ、む、むずかしい〜っ。

早坂先生の論文は半分も理解できないと申しましたが、さらに執行海秀先生のそれはほとんど理解できないです。
ひとえにわたくしの頭が悪いからなのです。もやは議論は成り立たない。まったくもって申し訳ありません。

ということで、こちらの意見を申し上げるというよりはご質問ばかりになってしまいますが、まず、早坂先生は法華経迹門を法勝人劣であるというのです。しかし、すでに愚鈍さんがお示し下さったように迹門にも人法一箇の意味が説かれているわけですから、なぜに迹門を法勝人劣にするのかその根拠がわかりません。
また、ガンコさんのよく引用する本尊問答抄・・・ですが、そう言われるのがイヤだから今回は使っていなかったんですよ。しかし、逆に今回、はっきりしたのではないかと思うのですが、法蓮抄・兄弟抄など、本尊問答抄と矛盾しない御書が多いように感じるのです。それで、御書全体の印象として法勝人劣ではないのかと考えたのですが、これは間違いなのでしょうか?

それともうひとつ、一尊四士・大曼荼羅を本尊とするのではなく、法華経の経巻を本尊とするのではないのか? ということを申し上げたわけですが、これも御書全体の印象として一尊四士の仰せは皆無に等しく、大曼荼羅もそうです。つまり、大聖人のおかれましては単に「法華経」と仰せられるケースが圧倒的なのではありませんか?
すでにこんな質問は富士門の考え方ではないと自覚しておりますが、あえて申し上げました。おそらく御書のどこに注目するかで、ぜんぜんちがったとらえ方ができてしまうのだろう、というのが今の実感であります。

525犀角独歩:2003/09/05(金) 19:58

この手のことを、今さら書くのもなんですが、ちょっとだけ。

「人法」、この用法には注意が必要です。わたしは人法ではなく、「仏法」というべきであると思っています。

真跡で見る限り、蓮師の「人法」の用法は「過人法(上人法)が一般で、『秀句十勝抄』でも使用が見られますが、これとて、今の用法とは異なっています。蓮師が「人法」というとき、人は必ず「人師」です。しかし「人法一箇」などの用法では人は仏の意義を持たせますが、このような用法は真偽未決にしか見られないものです。

わたしは蓮師は『秘密荘厳論』は見ていないであろうと思います。真跡から諮ってもその思想系譜は感じられません。しかし、『就註法華經口傳』寿量品廿七箇大事第廿一自我偈事ではもちろん使用されています。

「一念三千即自受用身 自受用身者出尊形仏矣」

出尊形仏は凡夫僧で解されることになるのでしょう。これが同じ経脈で論じられているか否かは一考を要しますが、常不軽菩薩品下三十ヶ大事第十三不値佛不聞法見僧事には

「末法佛凡夫也 凡夫僧也 法ト者題目也 僧と者我等行者也 佛共云ハレ 又ハ凡夫僧共云はるゝ也」

寛師はこれを「示同凡夫」とも言うわけですが、この語彙の使用は寛師より教師、我師が先行するものと思われます。要山と保田の影響と言うことでしょう。もちろん、日蓮本仏論と板漫荼羅濫觴の文明年間以降のことでしょう。蓮師から見れば200年もあとのことです。真跡から計るに、とてもこのような考え方が蓮師にあったとは思えません。

なお、真偽未決書に現れる『金剛ぺい(金ぺい論)』の

「阿鼻依正全處極聖之自心 毘盧身土不逾下凡之一念」

を恰も凡勝仏劣の如く扱うのは『諸法実相鈔』です。

「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶ(被)らせ奉るは凡夫なり」

しかし、斯様な逆罪を犯す如き思想が蓮師にあったとは到底思えません。
これら蓮師とは異なる思想系譜のなかで仏法はやがて人法と置換されていき、ついには人法一箇という石山教学に影響を与えるに至ったのでしょう。これしかし、石山のオリジナルではなく、恵心流のパクリであるというのが、由比師、早坂師が指摘した点でした。

なお、法華経が「人法一箇」であるという点には、実はわたしは反対です。
その理由は法華一経を虚心坦懐に読む限り、いま言われる法に該当するものは何一つ説かれていないからです。そこに説かれるのは、ただ「教菩薩法」のみで、仏が成就したというのは「阿耨多羅三藐三菩提」、すなわち菩提であるというに留まります。

しかし、法華経に諸法実相が説かれていると意訳を加えたのは羅什であり、そこから不可思議境三千を提示したのは智邈説・灌頂記であり、さらに一念三千と結語したの湛然述でした。蓮師は、この一念三千を殊の外珍重し、妙法蓮華経の五字の内にこの珠(一念三千)を包む故に本門題目と呼称し、それを持(たも)つ久遠釈尊を本門本尊と愛敬しました。しかし、果たして、この一念三千>題目と釈尊を同一視していたのでしょうか。本法所持という意味合いを越えないのではないのかとわたしには思えます。

諸法実相=一念三千>題目の関係は見られるものの、法=仏を示す脈絡を看取できません。但し、蓮師は『本尊鈔』に我実成仏を釈するに「所見三身無始古仏」としながら、我本行菩薩道では、身土に約するに決の

「當知身土一念三千 故成道時稱此本理 一身一念遍於法界」

を引いて「所化以同体」を言うものの、これらを人法一箇とする蛮勇は、わたしは俄に生じません。

十界論という基礎概念を頂く脈絡では、いずれにしても人が仏であるわけはなく、仏法を言うならばいざ知らず、人法とはまことに仏を人より貶める逆罪・凡夫本仏論の穿った語彙の用法であると思えるわけです。もっともこの使用は何も富士の専売ではなく、他派でも使用されていることは失笑を禁じ得ないところではあります。

以上、反論される方は多々あるでしょう。是非とも真跡からご批正を賜れれば幸甚です。

526愚鈍凡夫:2003/09/05(金) 20:35

前にもやったテーマのような気がするのは小生だけだろうか・・・・・(独り言)。
攻めに回ると、いきなり復活しましたね(ズッコ〜!! by関西弁)。
ところで、何でガンコVS愚鈍凡夫なんだろう。

> なぜに迹門を法勝人劣にするのかその根拠がわかりません。

迹門の仏は「始成正覚」の釈迦牟尼仏だからじゃないですか。未だ「久遠実成」が明かされていませんから。

> 御書全体の印象として法勝人劣ではないのかと考えたのですが、これは間違いなのでしょうか?

個々の御書によってはそういう解釈ができると思いますが、経年による法門の熟成ということもあるので、一概にそうとはいえないと思います。

> 一尊四士・大曼荼羅を本尊とするのではなく、法華経の経巻を本尊とするのではないのか? ということを申し上げたわけですが、これも御書全体の印象として一尊四士の仰せは皆無に等しく、大曼荼羅もそうです。

「一尊四士」という言葉がお気に召さないのなら、「教主釈尊と四菩薩」という言葉に置き換えます。ちゃんと文証がありますよ。

「此の時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(「観心本尊抄」 昭定P720)

「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、」(「報恩抄」 P328)

これらの文証がそうです。そして、
蓮祖が曼荼羅もまた本尊と位置づけていた証拠はありますよ。

「このまんだら(曼陀羅)を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく子ををやのあいするがごとくいをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうごとくとりの木をたのむがごとく一切の仏神等のあつまりまほり昼夜にかげのごとくまほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし」(「妙心尼御前御返事」 学会版P1477 日興写本大石寺蔵)

「御本尊図して進候」(「報恩抄送文」 学会版P330 未決書)

これでいいですか?

527犀角独歩:2003/09/05(金) 20:49

ガンコさん:

横レス失礼。

> 迹門を法勝人劣にするのかその根拠がわかりません

この理由は至って簡単です。
わたしは上述のとおり、人法語彙反対論者なので、仏法でこれを説明します。
迹門では久遠実成を説いていません。ですから、この段階の仏は、まだ完全に権を払っていません。ですから、法華経を法とすれば、そこでもっとも言おうとしていることに至っていない段階の釈尊はまだ爾前づりの仏で「法勝/仏(権迹)劣」となります。しかし、本門では久遠実成が説かれ、法華経で説こうとするところは余すことなく説かれますので、これを説く仏と説かれる法は一致しています。仏法は一致しているわけです。これを早坂師などは「人法一箇」と言ったんじゃないでしょうか。もちろん、この人は仏、つまり久遠釈尊です。(人というのは、わたしは違うと思います。仏と言うべきでしょう。法華経を法とする考えにも反対ですが、まあ、その点は前述したとおりです)

> 一尊四士・大曼荼羅を本尊とするのではなく、法華経の経巻を本尊とするのではないのか?

これはやや混乱した疑問でしょうね。

法華経創作者は当然、経典とそれを安置する宝塔崇拝論者ですから、まったくガンコさんの言う如くです。しかし、智邈師(灌頂記)では羅什の漢訳・妙法蓮華経の五字に意義を論じるわけで、ここでは一経と五字の崇拝は兼ねる形になるのでしょう。

なお、智邈・灌頂・湛然三師の段階では、そもそも「本尊」「曼陀羅」という言葉自体、まったく使用されていないことは過去に論じたとおりです。

この言葉と思想の使用は、本尊は儒家その他の中華思想・曼陀羅は密教からと、わたしは類推しましたが、顕正居士さんは共に密教の影響であると仰ったと記憶しています。

この本尊・曼荼羅が天台宗に流入したあとに蓮師は台を学びます。
蓮師はそこで特に法華一巻というより、五字の意義に傾きます。また、智邈が意識もしなかった本尊・曼陀羅の意義を含めて仏法を考えたわけでしょう。
しかし、蓮師が現実的に生涯崇めた本尊は、随身仏、つまり釈迦一体立像であったことは紛れもない事実です。

けれども、本尊鈔その他の著述から拝すれば、蓮師は一尊四士も本尊と考えていたようであり、その仏と法を中心に据えた勧請を記した曼陀羅は、当然、本尊を含むものであるから、それらを同等に扱うことに痛痒なしとしたのが執行師の見解でしょう。

以上のような時間軸の変遷があるということではないでしょうか。

ああ、また書いてしまいました。お邪魔さま。

528愚鈍凡夫:2003/09/05(金) 20:51
あっ! 犀角独歩さん有り難うございます。投稿が行き違いになってしまいました。

訂正

誤 「妙心尼御前御返事」 学会版P1477 
正 「妙心尼御前御返事」 学会版P1479

です。

529犀角独歩:2003/09/05(金) 20:54

愚鈍凡夫さん:

同時にお書きになっていたようで。
気が合いますね(笑)

530愚鈍凡夫:2003/09/05(金) 20:56
済みません。勘違いです(少々疲れております)。

「妙心尼御前御返事」 学会版P1477が正解です。

悪しからず。 m(_ _;)m ゴメン!!

531ガンコ:2003/09/05(金) 21:31
愚鈍さん、独歩さん

迹門=法勝人劣はなるほど、じぶんでも少し考えてはいたのですが、おっしゃること、よくわかりました。
しかし、そうすると、わたくしには大聖人の御法門が法勝人劣に見えてしまうのですが、御書の読み方が偏っているのでしょうか?

それと、
>小乗経では仏が優れております。権大乗では法が優れておる説を取ります。

わたくしが引用した早坂先生の論文では、爾前権経を人勝法劣としておりまして、若干ずれがあるわけですが、まあ、わたくしにとってはどっちでもいいのですが、ご存知でしたら人勝法劣の根拠を教えてください。

独歩さん。人法の語彙はともかくとして、乗明聖人御返事では「経勝仏劣」を仰せですが、これが大聖人の法華経観ではなかろうかと思われるのですが、ちがいますでしょうか?

>ところで、何でガンコVS愚鈍凡夫なんだろう。

知りませんよ、そんなこと。

532愚鈍凡夫:2003/09/05(金) 22:50

>>531:ガンコさんへ。

> わたくしには大聖人の御法門が法勝人劣に見えてしまうのですが、御書の読み方が偏っているのでしょうか?

一言。 偏っているんですよ。

> ご存知でしたら人勝法劣の根拠を教えてください。

始成正覚の釈迦牟尼仏が、衆生の機根に応じて一機一縁の法を説いたからでしょう。故に、人勝法劣なのではないですか。

ところで、ガンコさんはいつから曼荼羅正意から法華経正意に転向されたんですか。

533ガンコ:2003/09/06(土) 00:40

>一言。 偏っているんですよ

あらららら、こうもきっぱりとおっしゃられると、なんとお返ししてよいものか、わからないですね。ともかく御書の拝読が足りないのは事実ですから、今後も拝読を重ねてまいります。

>始成正覚の釈迦牟尼仏が、衆生の機根に応じて一機一縁の法を説いたからでしょう。故に、人勝法劣なのではないですか

さ、さすがですね。ようやくわかってきたような気がします。

>ところで、ガンコさんはいつから曼荼羅正意から法華経正意に転向されたんですか

いやいや、そういうつもりはなかったんですよ。簡単に申しますと、通常は仏像本尊VS曼荼羅本尊の構図があって、どちらが大聖人の正意かという議論ですが、法華経に還って見たらどうなるか、という視点をじゃっかん取り入れてみただけの話です。
いずれにしても仏像はどうも抵抗がある・・・やっぱり、これも偏っているんでしょうかね。

534犀角独歩:2003/09/06(土) 01:23

ガンコさん:

> 乗明聖人御返事では「経勝仏劣」…大聖人の法華経観

ガンコさんはこれを経典が勝れて、釈迦仏が劣ると読んだのでしょうね。
「経は師なり仏は弟子なり」の一節から、そう思われたのでしょうか。

しかし、これは違います。ここで言う仏とは一つは箔を貼られた木像(仏像)のこと、この仏はすなわち、「金珠女は金銭一文を木像の薄(箔)」を句を受けた「仏」です。経は「妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経」とありますから、法華経です。

つまり、同じ供養でも、金珠女は木製の仏像に、乗妙(妙日)は法華経に供養した対比を述べる所です。そして、「経は師なり仏は弟子」の仏は釈迦仏ではなく、諸仏でしょう。
ただし、功徳という点から、仏・大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養より、法華の一四句偈を受持する福の最も多きには及ばないとします。その前提から

「夫(それ)劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや」

として、劣る木像、諸仏を供養すれば、九十一劫に金色の身となるが、勝れた法華経を供養すれば一生の間に仏位に入るという対比です。

ですから、ガンコさんが思ったような法華経勝釈迦仏劣の意味ではありませんよ。

535ガンコ:2003/09/06(土) 02:19

>ですから、ガンコさんが思ったような法華経勝釈迦仏劣の意味ではありませんよ。

そうすると、独歩さんは、人法一箇をお使いにはならないわけですが、上述の結論から導かれるのは「法華経勝釈迦仏劣ということはありえない、なぜなら法華経と釈迦仏は人法一箇であるから」としたくなるところですけど、おそらく独歩さんはこれにもくみしないんでしょうね。

どうもわたくしには、法蓮抄・兄弟抄の仰せは釈尊をも含めているように思えるし、その延長線上に本尊問答抄があって「能生・所生」を仰せのように拝せるのです。つまり、法華経の教主すら法華経から生み出されたとするわけです。これはもう、ただごとではない。普通の感覚ではまず教主がいて法が説かれると考えるでしょうから。しかし、そこが法華経の面目躍如であろうと。
そのように拝する時、乗明聖人御返事も同じに思えてしまうんですが、根本的に間違っているのでしょうか?

536犀角独歩:2003/09/06(土) 11:21

> 535

ガンコさんが言いたいことはわかります。
問題にしているところは、いわゆる日蓮教学の大問題です。この件は、過去にも何度もみなで話し合ってきたことですね。

この問題を話し合うときには、「法華経」がなんであるのかをまず定義しなければいつまで経っても噛み合わないでしょう。通常、法華経というのは法華経“経典”を指します。となると、これは蓮師の教学・歴史観では当時から2230余年前に、釈尊が、インド、霊鷲山で御歳72歳から80歳の8箇年の間に教えを説かれる有様を経典にしたものということになります。ですから、この場合、法華経は釈尊が生み出した前提になりますね。

ところが法華経の本文を読むと、法華経は過去の仏様も説いていたと、こんな記述が出てきます。ここで言われる法華経はインド応誕の釈尊が8箇年の間に説いたものではなく、過去の仏もみな法華経を説いているとなってくるわけです。

序品に「…日月燈明…是の法華経を説きたもう」と、こうあります。つまり、昔、日月燈明仏が世に出て法華経を説いたと序品から、いきなりこう来るわけです。すると法華経は、お釈迦様がインドに出て説いたものを言うのではない、となってきます。

これをずっと遡ると、もしかしたら法華経はお釈迦様を含む一切の仏様が成道する以前からずっとあったんじゃないのかという法華経神話がここに発生します。そして、ここでいう法華経とは経典を指すのではなくて、(南無)妙法蓮華経という正法、あるいは妙法と言われる「法」のことなんだと、論理が飛躍していきますね。こうなってくると法は永遠常住だから、仏様より先にあり、その法を師として仏も成道したんだ、こうなっていくわけでしょう。

実際、法華原文を読んでも、たとえば提婆達多品では「仏…吾過去無量劫の中に於て法華経を求めし」などとあります。釈尊と法華経、どっちが先か、法華原文に拠れば、これは間違いなく法華経が先です。つまり、ここまでではガンコさんの考えは正解です。ですから乗明書は別にしても、その考えはあっていると思います。

ただ、問題その先にあります。
提婆達多品の記述にしても、ここでいう法華経は釈尊が説いた法華経ではなく、過去仏が説いた法華経です。しかし、こうなってくると、釈尊一仏を一切の根本としようとする法華信奉者にはまことに都合が悪い。お釈迦様は一切の根源であり、お釈迦様より古いように見える仏に関する記述は、実は方便なのであって、本当は根本はお釈迦様なんだと、こうやりだします。一切の仏の成道よりお釈迦様の成道が先だと言おうとしたのが寿量品の久遠実成だとも言い出します。

それでも、飽きたらず、実は五百塵点は過去の特定の時を指すのではなく無始なのだ、だから、法もお釈迦様も無始古仏なんだとはじめるわけです。これは蓮師も足並みを揃えるわけでしょう。ここで展開されるのは人本尊・法本尊でそれが一箇であるというものです。仏を掴まえて人とはよく言うものだとわたしは恐れおののきますが、まあ、ここで言いたいことは仏/法の無始性でしょうね。富士ではこの無始無終の仏を「日蓮」と置き換えてしまうわけですが、この考えは蓮師はあるはずはありません。日蓮本仏論は天台本仏論の焼き直しであり、その天台本仏論は釈尊本仏論の焼き直しと見えます。

では、無始古仏という考えが、では法華経創作者にあったかといえば、それはなかったでしょうね。法華原文を読む限り、そんな思想は窺えません。三身にしてもそうです。法華経創作者は三身論などまるで問題にしていません。あるのは久遠仏思想、阿弥陀信仰と同じ仏の寿命の量り知れない長さです。まあ、それは置きます。

537犀角独歩:2003/09/06(土) 11:21

―536からつづく―


人法の立て分けで言われる「法」は正法、あるいは妙法であって、つまりは妙法蓮華経の五字である、その五字には一念三千が包み込まれている。では一念三千とはなにかというと、方便品に「諸法実相」という法華経にのみ説かれる真理(法=正法/妙法)なんだとやりだす展開でしょう。そんなことから、妙法蓮華経とは宇宙の真理であり、それを説いたことを記された経典が法華経典であるから尊い。でも、経典は経典なのであって、実はその経題である妙法蓮華経こそが本尊であり、無始已来仏と共に常住してきた真理なんだとかやり出すのが天台の系譜を踏む蓮師の考えだというのが「教学」なのでしょう。この有力な基礎が興師写本を遺す本尊問答抄でした。わたしはこれは「興師作なのでは?」と問答さんに疑問を投げかけたことがありました。蓮師の思想と思えないからです。

また、「諸法実相」は什の漢訳仏典の捏造だというのがわたしが主張してきたことで、この点は坂本幸男師辺りも言及していました。しかし、日蓮学者は諸法実相鈔も含めて、その疑義を認めたがらない。当たり前で、認めれば、一念三千論自体が崩壊してしまうわけですから。でも、わたしは正直にいきたいと思います。まあ、これも置きます。

そこでさらに、その宇宙真理を墨に染め流して書いたのが漫荼羅である。漫荼羅は法本尊だという所以です。だから漫荼羅正意だとこうなってくる。さらに寛師以降になると、その漫荼羅の中でも本懐の漫荼羅があって、それが石山にある「戒壇之大御本尊」である。それ以外の漫荼羅本尊は方便であって、日蓮真筆でもダメと言いだす。けれど、石山の歴代住職は唯受一人の血脈を受けているから、その人間が書写した漫荼羅は功徳があるとまで言うわけです。これは、すごい発想です。日蓮真筆漫荼羅はダメだけれど、石山歴代住職が書写したほうはいいと言い切ってしまうわけです。もはや、正気の沙汰とも思えません。まあ、これも置きますか。

ガンコさんが言いたいのは釈尊より法華経が勝れていて、その法華経は妙法蓮華経であり、これが本尊であって、だから漫荼羅正意が正しい、こんなところでしょうか。しかし、これは蓮師の「所顕三身無始古仏」とは違うでしょうね。

なおわたしは、蓮師に漫荼羅正意ではなかったと思います。三学無縁さん辺りとも話したことですが、蓮師は漫荼羅を拝んでいたんでしょうか。だいたい、釈迦一体仏を終生随身されたものの、では蓮師が終生随身された漫荼羅なんかあるのでしょうか。「戒壇之大御本尊」と言いたいでしょうか。でも、それを示す証拠は何一つない。「戒壇之大御本尊」の歴史的資料は江戸時代の精師まで現れることはありません。この時点での造立であるとわたしは断言してきたわけです。

また、興師は漫荼羅正意論者である、というより日蓮御影信仰者でしょう。石山の漫荼羅正意論は道師辺りからだとするのは執行師でした。

ただし、漫荼羅正意論を生み出す素地はやはり興師に求められるべきではあるかもしれません。漫荼羅には実に鄭重に扱っていた様子が窺えるからです。『白蓮弟子分与申御本尊目録事』は興師が御影堂を重須に創した年に書かれたものと見えます。

わたしがいちばん着目しているのは、蓮師が興師に授与したという要山蔵の漫荼羅です。
「文永九年太歳壬申正月元旦 問答第一 行戒智徳筆跡符法の沙門日興に之を授与す」

とあるといいます。これが本当ならば、「漫荼羅書写、付法共に興師へ」と胸を張れそうな脇書ですが、富士年表にその記載を載せません。真筆とは言えないものなのかも知れません。

話が横道に逸れました。のちに同じようなことを言い出す派はありますが、漫荼羅正意は富士の発祥であることは間違いないでしょうが。

しかし、その派祖への恭敬と影響から、その考えに固執すると蓮師の祖意は見えなくなるとわたしには思えるわけです。この点でも、ガンコさんの頭が柔らかくなると、もっと視野が広がるだろうと、投稿を読ませていただいているわけです。

538愚鈍凡夫:2003/09/06(土) 12:42

横レス失礼します。
犀角独歩さんが問題にされている曼荼羅はこれかと思います。

京都要法寺蔵曼荼羅
http://www.lbis.jp/gohonzon/058.htm

539愚鈍凡夫:2003/09/06(土) 13:06

>>538:に紹介の曼荼羅の資料

1278(弘安1)年 ? 図顕
絹本 丈(cm) 83.6 幅(cm) 40.3
讃文 「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曽有大漫荼羅也」
です。

540苦悩乱者:2003/09/06(土) 13:34

カンコさん
犀角独歩さん
愚鈍凡夫さん

横レス失礼します。

何かすごい展開ですね。

私は富士の教義を理解するには、最低限度「録内御書」を視野に入れないと理解不能になるのでは無いかと考えております。

録内御書については、いろいろ議論もあることと思いますが・・・・。

541犀角独歩:2003/09/06(土) 13:40

> 539

有り難うございます。
この漫荼羅は弘安元年なのですか。
富要の亨師の記述と違っていますね。
しかし「二千二百三十余年」ですか。
興味深いものがあります。
弘安元年元旦であれば、なんと『就註法華經口傳』の日付と一緒です。
これまた、意味深ということになりますでしょうか。
それにしても絹本ですか。蓮師が絹本に漫荼羅を図した。うーん。
いろいろと違和感を覚えるのですが、愚鈍凡夫さんは、どう思われますか。

542犀角独歩:2003/09/06(土) 14:27

苦悩乱者さん:

たしか正信会に対して親和性をおしめになっていたと記憶します。
同会発行の図録『日蓮聖人の世界』(日蓮聖人の世界実行委員会)P109に以下のように録内・録外に対するコメントが付されています。
わたしはもっとも意見であると拝読したものでした。
如何お感じになりますか。

*** 以下転載 ***

『録内・録外御書の編纂について』

 通説によれば、日蓮聖人の一周忌に六老僧が御書を持ち寄り、それ以外のものは御書として認めないことを合議し、148通におよぶ御書目録を作成した。この目録内にある御書を「録内御書」と称し、また目録作成に際して記録した一文を「御書目録日記」といっている。しかし、一周忌成立説は、六老僧が署名花押したとする御書目録日記の正本が伝わらず、目録自体にも種々何点があるため史実として容易に認められていない。宗門上代では日興の写本のように、御書が個別に書写されたことはあっても、セット化された録内御書が編纂されるまでに至っていない。近年の学説では、録内御書の成立年代の上限を聖人滅後100年頃としている。

 さて録内諸本一覧を通じてみれば、、室町期より戦国期、織豊期にかけて、多くの録内御書が門弟たちにより伝写されてきたことと知る。これら録内御書は書写の形態として一筆写本、他筆写本の両様があるが、そのいずれにせよ大概の写本が行数、字配り等に留意し、鄭重な楷書体をもって書かれており、御書研鑽のテキスト=教本としての役割を充分に感じさせている。

 また、録内御書はこれら写本を基として、江戸期に入るや元和の古活字版・寛永19年版・20年版・寛文9年版・宝暦修補版と続々刊行され、門下全般にわたって広汎なテキストとして活用されるようになった。大まかに言えば御書の伝承・研鑽に関し中世は写本時代、近世は刊本の時代とすることができる。

 次に録外御書について少しふれておきたい。録外とは録内に対する語で、文字どおり、御書目録に外れた御書を蒐集編纂したものである。録内御書を第一集成とすれば、録外御書は第二次集成にあたる。その編纂は、各所に置いて行われているが、いま主だったものをあげれば、身延本、他受用御書、三宝寺本、本満寺本、妙覚寺本、日健自筆本、日曜自筆本、本遠寺本などが伝えられている。後になればなるほど録外の収録御書は増えていき、寛文2年の刊行時には259篇を数えるに至り、ほぼ録外御書として集大成をみた。もっとも録内御書・録外御書ともに、聖人に仮託された偽撰が含まれており、その活用にあたっては文献学、書誌学の慎重な手続きを必要とする。

543愚鈍凡夫:2003/09/06(土) 14:33

小生の曼荼羅データベースは下記のアドレスからダウンロードした資料を基に作りました。
とても便利なので、一押しです。

「日蓮真蹟大曼荼羅目録」
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/subcontents42.html

曼陀羅の番号が下記の御本尊集と同じなので、重宝してます。

「日蓮聖人御本尊集」
http://www.lbis.jp/gohonzon/

犀角独歩さんへ
絹本の曼陀羅を調べてみたら2幅ありました。
先の京都要法寺の曼荼羅と

1274(文永11)年6月 図顕
【要文】
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護
我所説経典無量千万億已説今説当説而於其中此法華経 最為難信難解
而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後
一切世間多怨難信先所未説而今説之
已今当妙於茲固迷舌爛不止猶為華報謗法之罪苦流長劫

授与書 沙門天目 授与之
讃文 なし
京都府妙満寺所蔵
絹本 丈(cm)165.1 幅(cm)77.3

です。
この曼陀羅も真蹟と鑑定されていますから、事情はわかりませんが、絹本に書写することがあったようですね。

「京都府妙満寺所蔵曼陀羅」
http://www.lbis.jp/gohonzon/011.htm

544犀角独歩:2003/09/06(土) 17:45

愚鈍凡夫さん:

とても参考になりました。
有り難うございました。

たぶん、書き間違えであろうと存じますが、蓮師は漫荼羅の創案者ですから「書写」とは言いません(笑)「図す」が適当でしょうか。

さて、しばらく古巣に帰ったようで、羽休みができ、また、皆さんにお声をかけていただいたことを嬉しく思います。

愚鈍凡夫さんとはもう少しお話したいと思いました。
よろしければ、メールをお寄せください。
pundarika は、やや止まってしまいましたが、どこか公開でお話ができる場も欲しいものですね。

この前、三学無縁さんほかとお会いしたときにも申し上げたのですが、今後、富士の教学が変貌する大きな波がやってくるでしょう。ここでの議論は、そのほんの基礎をなす程度のものまでしかできなかったことは残念でしたが、しかし、それぞれ自分の頭で考えて進むことが大切ですね。ご健闘をお祈り申し上げます。

わたしのところでは勉強会並びに相談会も行っています。
東京のお出での節は、どうぞお声をおかけください。

皆さんに促していただきましたように、白か黒かを決めてしまうようにあまり頑なにならず、時にはまた、寄せていただこうと思っています。

それでは。

545ガンコ:2003/09/06(土) 17:53

独歩さん

日蓮本仏論にかかわる諸問題をあらまし総ざらえしてくださいました。

いまだわたくしの立ち入ったことのない問題も多く、コメントのしようがありません。

>しかし、これは蓮師の「所顕三身無始古仏」とは違うでしょうね。

さっぱりわかりません。
だいいちに、この本尊抄の読み下しじたい、独歩さんは従来とは見解を異にしておりますが、その意味も理解できていないです。
ゆえにさっぱりわからないのです。

あんがいに、わかっていない人が多いようにも思いますので、このさい、最新の成果を踏まえて解説いただけませんでしょうか?

すみません、わがままばかり言ってますが、よろしくお願いします。

546愚鈍凡夫:2003/09/06(土) 19:00

わざわざご丁寧に有り難うございます。
むむっ・・・・。些細なミスも見逃さない・・・・・・。 (;^_^A アセアセ…
お言葉に甘えてメールさせて頂きます。

少し気になることがあるのですが、
下のアドレスに「注法華経」があるのですが、これは蓮祖が随身仏とともに終生側に置かれた「註法華経」でしょうか。ダウンロードして悪戦苦闘しながら拝読していますが(漢文なものですから)、そのことが気になっています。

「ダウンロード 天台日蓮」
http://www.kosaiji.org/download/hokke/index.htm

547苦悩乱者:2003/09/07(日) 13:40

542 犀角独歩さん

>『録内・録外御書の編纂について』

確かに拝読いたしました。有難うございました。

録内御書については、正信会の池田令道師が、「興風」第14号に寄せた論文「録内御書の編纂と成立について」と同じ趣意のようです。令道師に許可を得ましたので、ここに、その論文のほんの一部抜粋を引用させていただきます。「・・・室町期には門下一般によく知られた事柄として定着していた様子を伝えている。しかし、成立一周忌説は、六老僧が署名花押したとする御書目録日記の正本も伝わらず、他に微する当時の文献史料も全く無いので、史実としては認められない。また、目録自体にも当時の状況と矛盾する記述ーー例えば目録にある『良寛状御返事』は宗祖滅後十年にあたる正応四年の日頂書状が混入したものーー等が散見するのである。これらの不審点についても、すでに弘経寺日健の『御書抄』や本満寺日重の『見聞愚案記』などに指摘がある。」との如くに、全面的に録内御書を認める立場に無いことは確かなことの様です。

>もっとも録内御書・録外御書ともに、聖人に仮託された偽撰が含まれており、その活用にあたっては文献学、書誌学の慎重な手続きを必要とする。

この問題については、その後「慎重な手続き」が進められているのでしょうか。ご存知でしたら、お知らせください。

548苦悩乱者:2003/09/07(日) 17:05

>547 全面的に録内御書を認める立場に無いことは確かなことの様です。=誤

   全面的には録内御書を認める立場に無いことは確かなことの様です。=正

549犀角独歩:2003/09/07(日) 19:07

いちおう、今回の投稿は昨日で畢りにしようと思ったのですが、ご質問その他がありましたので、その件のみ。


ガンコさん:

もし、よろしければ、それこそ、メールでもお寄せください。
既述もことも多いのですが、掲示板で投稿するには内容が込み入っていますし、また、おわかりにならない点は、それぞれ違いますでしょう。投稿になれば、概ね之ロムの方を意識しますので、微を尽くせません。


苦悩乱者さん:

> その後「慎重な手続き」が進められているのでしょうか

『日蓮聖人の世界』の発刊の時点ではまだ御書検索システムは完成していませんでした。ですから、たぶん、該当の文章は、正信会の立場からすれば、同システムにその研究成果を反映する意味合いなのであろうとわたしは読みました。

録内の集成は祖滅100年、そうなると録内といってもかなり仮託偽撰は含まれていると疑わざるを得ません。取り敢えず安全な議論としては、まず真跡に限り、録内その他を述べるのであれば相当の証憑を挙げて行うほかありません。このような方法論は通日蓮系では一般的なことと思えます。現宗研のサイトでも真跡遺文をデータとして公開しているのもそのような見地からでしょう。

日蓮宗 現代宗教研究所
「遺文一巻」+「遺文二巻」+「図録」+「断簡」 遺文一巻
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/goibun/shinseki.htm


愚鈍凡夫さん:

> 「註法華経」…「ダウンロード 天台日蓮」

ええ、わたしもこれを読んでいます。

550ガンコ:2003/09/08(月) 03:53

メールはおっかないのでパスします。

551苦悩乱者:2003/09/08(月) 17:02

549 犀角独歩さん

>該当の文章は、正信会の立場からすれば、同システムにその研究成果を反映する意味合いなのであろうとわたしは読みました。

私も同感です。
私は、その御書システムを入手しましたが、資料欄には御書の来歴が記されており、とても客観的な見地にたっている印象があります。

又、「興風」第14号に載せられた池田令道師の論文「録内御書の編纂と成立について」では、浅井要麟氏、宮崎英修氏、高木豊氏の説を紹介しながら、最後に次のような「仮説」を立てておられました。

ここに参考までに引用いたします。
「かくして周辺状況を確認しただけではあるが、私は日什門流によって録内御書の編纂が行われた可能性が高いと考える。成立時期を言えば、おそらく日什(1314〜1392)の最晩年から没後20〜30年頃までではなかろうか。」 興風第14号より

552犀角独歩:2003/09/08(月) 18:27

苦悩乱者さん:

什門成立説ですか。なるほど。それで祖滅100年と一致してくるわけですね。読んでみようと思います。
これまた室町なのですね。中山、龍華、延山、昭朗、什門、陣門、隆門があり、富士では有師、京の教師、辰師、まったく面白いほど、訳者の揃う時代に録内が成立していったのはわかる気がします。

しかし、什門ですか。什師は元天台僧で、有師の言では仙波能化と見え、富士門徒帰伏の伝説もありましたね。

録内成立後のことになりますが、先に記した『日蓮聖人の世界』では

「録内御書は元和年間にはじめて京都本国寺において発刊されたという」(P112)

と記されていました。もちろん、これは成立とは別に、発刊についてです。
わたしが驚いたのは、この本は古活字を組んで印刷されていたことです。
元和といえば、いまから400年近くも昔のことです。この時点で組版があったことには本当に驚かされました。録内御書の一覧表もあり、いちばん旧いものは『平賀日意本』嘉吉3(1443)年、祖滅162年でしたね。成立から50年ほどして刊行。無理のない時間配分と映じました。

それにしても室町時代には既に書写から刊本に移行していたとは、まったく熱心な学風であると思えます。

苦悩乱者さんが仰る種脱判にしても、少し読み直そうと思ったのですが、五老方と興師、その脈絡から重須檀所の二人、佐渡に保田に洛を見、結局は上述の室町の熟覧期の影響から有師を見る客観性は欲しいわけです。しかし貧窮の身上、手許に歴全もなければ、日宗全もなく、資料見聞に往来する時間を割くのに骨が折れます。そんな意味で、ここの掲示板は資料情報の交換の意味が深まれば、ロムの方々にとっても、更に有用な電脳“檀林”となるかもしれません。まあ、余談ですが。

553苦悩乱者:2003/09/09(火) 14:32

552 犀角独歩さん

お話は横にそれるかもしれませんが、私は昨年末に勤め先を早期退職してから、少しづつ法門を学ぶようになったのですが、独歩さんの学識のほんの一割程度の教学力かと思っております。

現在、私は独歩さんのご推察の通り、正信会シンパです。それは、池田令道師の著書「富士門流の信仰と化儀」(副題 日有上人聞書を拝して)のp.423の〈セクトを超えて〉を読んだからなのです。

以下抜粋引用
『私達は、偏った独善主義や排他主義を出来る限り無くして、自信を持って大いに社会の人々に富士の法門を語り、お互いに同意できることの喜びを感じあいたいものです。
そして、その根本精神がすでに大聖人の教えに示されていることも、私達は学んでおかなければなりません。大聖人は減劫御書に、
「智者とは世間の法より外に仏法を行ぜず、世間の法をよくよく心得て候を智者とは申す也、殷の代の濁りて民のわずらいしを太公望出世して殷の紂が頚を切りて民のなげきを止め、二世王が民の口に苦かりし、張良出でて代をおさめ民の口を甘くせし、これらは仏法已前なれども教主釈尊の御使いとして民を助けしなり、外経の人々はしらざりしかども、彼等の人々の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。」全集1466』、以上。

以下私(苦悩乱者)
減劫御書(真蹟 富士大石寺)録内、録外にも載らず
又、これと類似の御書は「白米一俵御書」に
『まことの道は世間の事法にて候、金光明経には「若し深く世法を識らば則ち是仏法なり」と説かれ、涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を、妙楽大師は法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」との経文に引き合わせて心を表されて候には、彼れ彼れの二経は深心の経々なれども、彼の経々は、いまだ心浅くして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せて知らせて候、法華経はしからず、やがて世間の法が仏法の全体と釈せらて候。』とのご教示があります。
減劫御書(真蹟 富士大石寺)録内、録外にも載らず




減劫御書

554苦悩乱者:2003/09/09(火) 14:38

553 訂正
 最後の
>減劫御書(真蹟 富士大石寺)録内、録外にも載らず=誤
 白米一俵御書(真蹟 富士大石寺)録内、録外にも載らず=正

555犀角独歩:2003/09/10(水) 07:33

苦悩乱者さん:

わたしは元々学会、のちに石山において仕事もした身上で、そんなことから、正信会各位とは距離を置いてきたのです。しかし、正信会開催の「日蓮聖人の世界展」「御書検索システム」を見て、それまでの偏見を一蹴しました。ついで正信会僧侶とお会いすることもし、現在に至っています。わたしは大乗経典、漢訳の是非から考えていますので、その意味からは、当然、論を跨ぐこともしばしばなのですが、しかし、真摯な研鑽の姿、実際の成果から頭が下がる思いを懐くことは度々です。

ご紹介の令道師のお言葉、学ぶところがあると思いました。々師のことは れんさん も記されてお出ででしたので、有徳の方と拝察もしました。

録内に載らない真跡のこと。この点はたしかにもっと意識されてよいものだと改めて思った次第です。有り難うございました。

556初心:2003/09/10(水) 15:55
ええー、はじめまして。
ロム専門できたものであり、蓮師門下各派の教学やそれぞれに(相互に)抱える
問題点なども把握できているわけですし、すべての用語をかんぺきに使いこなせるか
ということも怪しい部分があるくらいなのですが、あえて、そしてご質問申し上げる
かたちで、初カキコミさせていただきます。

>536
>しかし、こうなってくると、釈尊一仏を一切の根本としようとする法華信奉者には
まことに都合が悪い。お釈迦様は一切の根源であり、お釈迦様より古いように見える
仏に関する記述は、実は方便なのであって、本当は根本はお釈迦様なんだと、
こうやりだします。一切の仏の成道よりお釈迦様の成道が先だと言おうとしたのが
寿量品の久遠実成だとも言い出します。

との独歩さまのご指摘ですが、
ここのあたりで、我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数と説きあかして
久遠実成のおすがたをあらわされた後の釈尊@虚空会は、ただ今現在、インド・シャカ族
の王子の身をとってブッダが出現され法を伝えられて後のこの世界においてこそ
「釈尊」という名を添えてその呼称とされるものの、釈尊以前に法華経が説かれた時、さらには
ただ今以降の未来にまたブッダが出現されて法華経を説かれた後は、その時々の衆生は
われわれとはまた違う名前でお呼びするかもしれない、しかしその指し示すところはどの場合でも、
それぞれの時代にそれぞれ出現した仏さま方の本地である、同一の、久遠実成のブッダが
それまでの各時代での衆生教導での方便をすべてかなぐり捨てて真実のおすがたをあらわされたもの、
という風には受け取れないものなのでしょうか?

そうしてわれわれが今聞きならう御法の、直接のみなもとの大恩師であるお釈迦様、
その本質はじつはこうした無始の古仏であった。ただわれわれはこの無始より存する御法は
ひとりでに感得したのではなく、お釈迦様ご一代中八年間の説法が根源である、その大恩を
忘却すること無いよう、釈尊の御本懐を無始古仏の本質をあらわされての法華経本門八品の説法と諒解しつつも
そこに釈尊の御名を冠してお呼び申し上げるのだ、という風に、

つまりは根本をお釈迦様にとる、ということではなく、根本をわたしたちはお釈迦様を通して拝する、とでもいうような。

まわりくどい駄文長文にて、申し訳ありません。

557初心:2003/09/10(水) 16:07
また「人法一箇」等という場合にかりにも仏さまを「人」と呼称することはいかがな
ものかとおっしゃってることに関して。

常住の御佛は、具体的な形をとって衆生の前にあらわれる時は
衆生救済の活動ができる人身をとって御出現、人界の衆生の形で教導され、時機でないそれ以外の時には
まさに御法とでもいうべき形で衆生を教導されますよね。
凡夫の目には人身をとられた場合のお姿と、法そのものとしてのお姿とは別物のようにしかみえないが、
その本質は同一の存在であられる、という意味で前者を人、後者を法という用語で
いいあらわして、人法一箇とよぶのでは無いでしょうか?

お釈迦様が人の形をとって出現されたことは間違いのないことであり、かといって同じ
人身であるといってもその中身が余の人界の衆生と同様とは、佛教を奉ずる者なら
間違えても考えないでしょうから、そうめくじらを立てることもないのではないでしょうか?

558初心:2003/09/10(水) 16:17
また「人」の代わりに「仏」という言葉を使ってこのことを説明しますと、お姿を凡夫の前からは隠されて
御法としてのおすがたで教導に入られたお姿をも、
衆生をして入無上道、速成就佛身することを得させようとする、大慈大悲のはたらきを
クローズアップしてみる場合には「ほとけ(佛)さま」という風にお呼びする場合があったため、
より厳密性を期して「人」という語が用いられたのではないでしょうか?

つまりは人→人の形、法→法の形ということで…。

559犀角独歩:2003/09/10(水) 16:27

初心さん:

はじめまして。

> …お釈迦様、その本質はじつはこうした無始の古仏

仰ることは長らくの各派教学の争点ですね。
いわば、五百塵点仮説論 vs 実数論ということです。
で、わたしが記したことはそういう解釈についてではなく、ただ法華経の原文のみで考える話です。たとえば、初心さんが記された“始まりの無い古(いにしえ)の仏”は法華経のどこに説かれていますか。法華経の原文で挙げられますでしょうか?

無始であれば、「我実成仏已来」という記述にはなりませんでしょう。
ですから、わたしは法華経の創作姿勢はあくまで五百塵点実数論であると記しているわけです。それをどう解釈するかの話を記しているわけではありません。

> …無始より存する御法

これまた同様で、法華経原文にこのような御法はどこに記されているのでしょうか。

> つまりは根本をお釈迦様にとる、ということではなく、根本をわたしたちはお釈迦様を通して拝する、とでもいうような。

「根本は、お釈迦様ではなく、お釈迦様通じて拝するもの」というお考えですね。
では、この「根本」とは何でしょうか。

これは疑難ではなくて、わたしの判読力の不足を補っていただくために、まず、記された文意をお尋ねしてのことです。

560犀角独歩:2003/09/10(水) 16:41

続きがあったのですね(笑)

> …人法一箇とよぶのでは無いでしょうか?

ですから、誰がそう呼んだのかを問題にしているわけです。
蓮師の真跡では「人法」という場合、人は人師を指すので、意味が混乱するので本来の「仏法」がよいのではないのかと記したわけです。
また、「人法」の語彙の使用は蓮師思想から離れる後代の教学展開の中、特に天台本仏論、日蓮本仏論の中で特化していった語彙なので、蓮師の原型教学を素描する場合、それら教学的姿勢と分類する上で、使用しないほうが混乱がないとの意で記したわけです。

> お釈迦様が人の形をとって出現された

これは違いますでしょう。三十二相八十種好という「人」と異なる相を示しされるわけですから。

> …そうめくじらを立てることもないのではないでしょうか?

仏法ということにもめくじらを立てないでください(笑)

> 御法としてのおすがたで教導に入られたお姿をも、衆生をして入無上道、速成就佛身することを得させようとする、大慈大悲のはたらきをクローズアップしてみる場合には「ほとけ(佛)さま」という風にお呼びする場合があったため、より厳密性を期して「人」という語が用いられたのではないでしょうか?

初心さんは「法身仏」論者なのですか?
ここのところは何を記されてお出でなのか、わたしにはさっぱりわかりません。
無始古仏を言うのであれば正在報身の立場からの所顕三身論者なのかと思ったのですが、ここがいまいちわかりません。

また、大慈大悲の側面から見ると「仏」で、り厳密性を期すると「人」であるというのはどのような意味なのでしょうか。
また、誰が「人」の語を用いたのでしょうか。
どうも、よく仰ることがわかりません。

561犀角独歩:2003/09/10(水) 16:59

―559〜560からつづく―

一つ漏れました。

> 人→人の形、法→法の形

これまた、初見でなんのことかわかりません。
先にも記したとおり、仏は三十二相八十種好という仏の「形」で、人の形ではありません。

何よりわたしがわからないのは法の形ということです。
法に形があるのでしょうか??

562苦悩乱者:2003/09/10(水) 21:23

犀角独歩さん

私は、これで暫く「リードオンリー」になろうと思います。また私なりに研鑚を続けてゆくつもりです。独歩さんのような方々がおいでになることを知って、ああ、私は決して一人ではないのだ、ともに歩んでいるのだと確信しております。そして、特に印象に残ったカンコさん、愚鈍凡夫さん、そして御意見、諸資料を寄せてくださった諸氏の皆さん、有難うございました。

又、常徳庵さん、何度も「躊躇」をされながら、徹夜までされて、ご投稿をいただき有難うございました。私には決して悪気などない事を解っていただきたいと思っております。

563空き缶:2003/09/10(水) 22:31
最近デビューした空き缶です。横レス失礼します。

話が変わってしまうかも知れませんが、中国天台山の本堂の釈迦坐像には迦葉と阿難の立像が脇士となっています。
天台大師も人間釈迦を観ていたような気がしてなりません。
人間「日蓮」=末法の本仏も私としてはうなずけるのです。十界互具ですから、仏か菩薩かと論じることはどうかと思っています。
現在の大石寺系の本仏論は御影を造られた日法上人をはじめとする、日隆上人などの法華宗からの輸入による思想展開であることは確かなようですね。

564顕正居士:2003/09/11(木) 01:26
>十界互具ですから、仏か菩薩かと論じることはどうかと思っています。

「宗祖本仏論」からいうとそうであろうし、それでよいと小生も考えます。

しかし日蓮宗(諸派)のいう「人法」(人と法)とは「仏法」(仏と法)だ
という独歩さんは誤まっておらず、「仏法」では「仏の(教)法」と区別が
できないからいうので、「依法不依人」の人(人師=菩薩)とは違うんだ
は正しいでしょう。

菩薩は未だ修行を完成しない段階だから1%の「人法一箇」(名字の菩薩)
から99%の「人法一箇」(等覚の菩薩)まであるが、100%の「人法一箇」は
ない、などというとき、この「人」は「仏」の意味であります。けれども。

「十界」とは経典に出て来る生物(衆生)を整理し(六道)、聖者の種類
(四聖)を足して十だから、六道と四聖は別の分類で、かつそれが重なる。
声聞、縁覚、菩薩三聖は六道いづれにも出現し得るが、仏は人界南閻浮提
にのみ出現する。現実には地獄、餓鬼、修羅、天とは空想上の生物か人界
の身分のことであり、聖者に三乗の別があるわけでなく「一仏乗」のみが
ある。
教主釈尊とは円満の「人」のことで、「人」を超えた何者のことではない
とも日蓮は述べている。

比叡山根本中堂の御本尊が薬師瑠璃光如来であるのは、薬師薬王同体の上
から最澄は第3祖天台大師を救主・御本尊としたといえるでしょう。

参考・松本佐一郎『富士門徒の沿革と教義』(昭和48年・大成出版社)
の第3編・第4節「日蓮本仏論」は現代人の教養の上から宗祖本仏論を解説
しています。繰返し顕本論や智学居士の人物評も面白く、宗史書としては
悪評判(大石寺洗脳居士)でも、教義批評は価値があり、推薦します。

565犀角独歩:2003/09/11(木) 23:49

> 顕正居士さん:

有り難うございます。
ご教示、感謝申し上げます。

566犀角独歩:2003/09/12(金) 07:08

苦悩乱者さん:

562を読み落としていました。失礼いたしました。
「リードオンリー」になられるとのこと、各人の考えをわたしは尊重します。
ただ、わたしも引退宣言をしながら、こうしてふらりと舞い戻り、何日か書き続けたりしたところ、複数の方々から、メールその他で心温まるお言葉をかけていただきました。
あまり、頑なに白黒を決めずに、お互い大らかに行きませんか。

わたしは、今回、舞い戻ったことによって苦悩乱者さんと、メール、またこの板上で議論ができたことをうれしく思っています。この点について、御礼申し上げておきます。
有り難うございました。そして、また、今後ともよろしくお願い申し上げます。

以下は、わたしのHNの由来であるスッタニパータ−第1 蛇の章 3、犀の角 (岩波文庫『ブッダのことば』) の一節です。

「もしも汝が、賢明で、協同し律儀正しい明敏な同伴者を得たならば、一切の危難にうち勝ち、こころ喜び、念いをおちつけて、かれとともに歩め。しかしもしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得ないならぱ、あたかも王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め」

「われらは実に朋友を得る幸を讃称(ほめたた)える。自分よりも勝れ或いは等しい朋友には親しく近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め」

そして、こうもあります。

「相争う哲学的見解を超え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧を生じた。もはや他のものに指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め」

シャキャムニ「独り歩め」という教えは、孤独になれ、孤立しろというものではないことがわかります。自身の精神の自立・自律を教えるものであるとわたしは読んでいます。
ですから、時には人と語らい、談笑することもその教えを破ることにはならないとも考えるのです。また、お話いたしたいと思います。

567アネモネ:2003/09/12(金) 10:34
犀角独歩さん

>あまり、頑なに白黒を決めずに、お互い大らかに行きませんか。

そうそう。そうですよ。

568アネモネ:2003/09/12(金) 10:35
苦悩乱者さん

ひとつ、苦悩乱者さんにお伝えしたいことがあったので、ここで書きます。
たまたま今読んでいる本のなかで、以前、苦悩乱者さんがこのスレッドの>464でレスされていた「四無量心」についての記述が出てきました。抜粋します。

「この仏陀の理想に準じて、他者の幸福を増進し〔慈〕、不幸を除去し〔悲〕、しかもそれに執着しない〔捨〕といういわゆる“四無量心”を鼓吹する。」(『仏教』渡辺照宏著より抜粋)

苦悩乱者さんのレスがとても印象に残っていたので、すぐに思い出しました。
これが仏教が求める精神なのかもしれないなあと思い、どんな形であれ仏教に縁をしてよかったと思います。
学ばせて頂きました。有難うございます。
またいつでも気が向いたら(すぐにでも)、気楽に投稿してくださいね。

569アネモネ:2003/09/12(金) 18:58
↑すみません。転載に誤りがありました。
四無量心の〔喜〕が抜けていましたので訂正いたします。

誤)「この仏陀の理想に準じて、他者の幸福を増進し〔慈〕、不幸を除去し〔悲〕、しかもそれに執着しない〔捨〕といういわゆる“四無量心”を鼓吹する。」(『仏教』渡辺照宏著より抜粋)
正)「この仏陀の理想に準じて、他者の幸福を増進し〔慈〕、不幸を除去し〔悲〕、他者を助けることを喜び〔喜〕、しかもそれに執着しない〔捨〕といういわゆる“四無量心”を鼓吹する。」(『仏教』渡辺照宏著より抜粋)

570愚鈍凡夫:2003/09/12(金) 20:35

苦悩乱者さん、今晩は。
気が向いたら、何かレスして下さい。
書くことがなかったら、ボケかますとか(コラコラ、おまえだけや)。 (^_^;)

571愚鈍凡夫:2003/09/14(日) 23:08

>>566:に犀角独歩さんがご紹介下さいました、スッタニパータの現代語訳(訳者は違います)が下記のHPで読めます。興味のある方はどうぞ。

「クリシュナムルティ学友会」
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/

572ガンコ:2003/09/15(月) 11:39

種脱相対の魅力(エッセイ) 前編

何て呼んでいたものか忘れてしまったが、誰しも子供の頃に一度や二度は遊んだことがあるだろう。砂場などで砂を手でかき集めて富士山のように盛り上げ、そこに棒を差し込むのである。それが段取りであるが、あとはかわりばんこに砂をかき取っていくのである。やがて棒は支えを失って倒れる。倒したほうが負けである。
いちどこんなことがあった。砂をぜんぶ取り除いてしまったにもかかわらず、棒は倒れなかった。そんなバカなことがあるわけないのであるが、じっさいに起こったのである。べつに絶妙のバランスで棒が立っていたわけではなかった。何のことはない、棒が地面に深く突き刺さっていたのである。

顕正会に入って間もない頃はそれなりに純粋で、まじめに折伏を実践していたものだが、じぶんの先輩が頼りなかったこともあって、よく相手に逆にやり込められてしまったものだった。
「キミたちには日蓮を超えようとの発想があるのかね?」
「いいえ、とんでもない。大聖人さまを超えるなんて、そんな恐れ多いこと・・・」
「ああ、そう。じゃあ、オレはやる気しないなあ。」
「な、なんでですか? ぜひ、やりましょうよ。」
「いいかい、キミたち。キミたちが日蓮を尊敬する気持ちはわかるし、日蓮が立派な人物だったことも間違いないだろうよ。しかし、むかしの人間だ。われわれは日蓮の時代のはるか先を生きているのだよ。だから日蓮の思想なり教えを踏まえたうえで、もっと上を行かなければおかしいだろう。だいいち、オレは人の下に付くのって好かないんだよな。もし、やるにしても、オレは野心家だから、日蓮から学ぶだけ学んで、もっと上を目指そうと思う。」
「あなたって人はバカね。大聖人さまといったらいちばん偉い仏さまなんだから、超えられるわけないじゃないの。」
「ああ、そうかい。じゃあ、やらねえーよ。」
折伏のエキスパート(?)たちは、ここからが勝負だというのであるが、わたくしもわたくしの先輩もわりに気が弱くて、だいたいがこんなところで諦めていたものだった。

上記、二つの話はまったく別個の話であって、何らの脈絡もないのであるが、このところ種脱相対について考えをめぐらせていて、それぞれ記憶によみがえってきたのだった。
すでに察しのいい人には話の落ちが見えてしまっているかもしれないが、ようするに日蓮大聖人は野心を御持ちだったか? というテーマである。

573ガンコ:2003/09/15(月) 11:41

種脱相対の魅力(エッセイ) 後編

そもそも、種脱相対ほど論理矛盾のはなはだしきはない、と思う。
なぜならば、申すまでもなく日蓮大聖人の仏法は釈迦仏法を土台にして成り立っているのである。釈迦仏法を否定して大聖人の仏法を立てるのは、土台のない構築物のようなもので、倒壊を免れない。ゆえに、仮に大聖人に野心がおありだったとしても、ただちに釈迦仏法を否定するわけにはいかない。そう考えると、むしろ御書全編を通して種脱相対の義がほとんど見られないのは自然のことであって、つねには婉曲な御表現をあそばす大聖人の、その御本意を容易に拝し得ないのは当然のことだかもしれない。
まさしく種脱相対の魅力とは、御書を拝しても容易に見つけることのできない、種脱相対の義を探し当てるという楽しみなのである。
「自讃には似たれども本文に任せて申す。余は日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使ひなり。」(下山御消息)
同御書の後半には「教主釈尊より大事なる行者」との大胆な仰せがある。そして、すでに開目抄をはじめとして諸御書において「主師親」を仰せになられている。しかし、この御書では「主君の御使ひ」とやや控えめな御表現をあそばしているのである。まさに、こうしたところに大聖人の御苦心があらわれているものと拝するわけである。

先の子供の頃の遊びに振り当てるならば、大聖人の仏法ははじめ釈迦仏法におおわれていてほとんど正体をあらわしていないのだろう。すなわち、砂が釈迦仏法であり、棒が大聖人の仏法である。大聖人は御法門の展開にともなって、徐々にまわりの砂を除きはじめる。もちろん慎重に、御自身の仏法が瓦解しないように、用心深くまわりから砂を取り除いていく。どうにか大聖人の仏法は、御在世中にほぼその全容をあらわしたと思えるが、しかし、完全にはあらわれなかった。なぜなら、仏法における大事な要素たる知恩報恩のうえからも、釈尊を完全に否定することは不可能だったのである。ゆえに、大聖人はぎりぎりのところまで砂を取り除いたけれども、それには自ずと限界があった。ところが、しかし・・・
何と、大聖人の直系を主張する大石寺の歴代上人は、その後を受け取って恐れ気もなく、さらに砂を取り除きにかかったのだった。これは自殺行為である。どんなに巧みに砂を除こうと、棒はいつか必ず倒れるのである。
ところが、日寛上人の時代であろうか、砂は完全に除去されてしまい、しかも棒は倒れなかった。
土台と思えた釈迦仏法は見せかけに過ぎず、意外にも大聖人の仏法は大地に深く根を下ろしていたのだった。

「根ふかければ枝しげし」とはこのことであろうと、今さらながら御金言を深くかみしめているところである。

574犀角独歩:2003/09/15(月) 22:19

ガンコさん:

> 土台と思えた釈迦仏法は見せかけに過ぎず、意外にも大聖人の仏法は大地に深く根を下ろしていたのだった

なかなかロマンチストですね。
そうではなくて、所詮、日本の大地に根を下ろした日蓮本仏論は、釈迦仏法の本質を喪失したもので、仏(釈迦)教ではなく、日蓮教であったということでしょう。また、日蓮の教えでもなく、その後の相伝という名の捏造によって作られた蓮師の教えとも違う別物であったということでしょう。それのほうが、石山系という井戸の中では根を下ろしたと言うだけのことです。しかし、大海を見れば、ぜんぜん、そうではないということですね。

575愚鈍凡夫:2003/09/19(金) 23:12

唯授一人血脈付法に想う。

 「応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし故に二に仏宝を信じ三に法宝を信じ四に僧宝を信ずと云ふなり」(「当流行事抄」 富士宗学要集第3巻P212)
 「久遠元初の僧宝は即是開山上人なり」(「当流行事抄」 富士宗学要集第3巻P214)
 と述べ、日寛師は更に展開して、
 「南無本門弘通の大導師末法万年の総貫首開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師」(「当家三衣抄」 富士宗学要集第3巻P238)
 といい、そして、
 「此の如き三宝を一心に念じて唯当に南無妙法連華経と称へ乃ち一子を過すべし云々」(「当家三衣抄」 富士宗学要集第3巻P239)と述べている。
 「嫡々付法歴代の諸師」をも含めて、「一心に念じて唯当に南無妙法連華経と称へ乃ち一子を過すべし」なのである。
 諸師(歴代法主)に対しても題目を唱え、一生涯感謝の念を持って過ごせとのことである。
 所詮、これが「六巻抄」の本当の結論ではないのか。
 日蓮本仏論にこと寄せて、唯授一人血脈付法の歴代法主上人(石山では歴代住職をこう称する)に対しても一生涯南無せよとのことである。
 これは、石山に宗門上の権威と権力の一切を集中させようとする目論見ではないのか。
 要するに、歴代法主は日蓮大聖人の名代であって、御内証は御本仏なのであると言いたいのではないのか。
 而るに蓮祖は、
 「経に云く「諸の無智の人あつて悪口罵詈等し刀杖瓦石を加う」等云云、今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ」(「開目抄上」 学会版P202)
 「日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(「開目抄上」 学会版P203)
 と言い、更に、
 「されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり」(「南条兵衛七郎殿御書」学会版P1498)
 と、宣言している。
 法華経の行者であり、教主釈尊の意志を継ぐ者であり、その人生は法華経の未来記実現に捧げた人生なのである。
 真蹟遺文に自身を本仏と称した箇所はない。日蓮正宗独自の解釈である。
 多くの遺文に自分自身のことを「法華経の行者」と称しているのは、将来、信者が迷わないためではないのか。
 まさか慧心流口伝法門を取り込んで、日蓮本仏論を言い出すとは夢にも思っていなかったのに違いない。

 様々な証拠から、初期興門派に唯授一人血脈付法などなかったのは事実である。
 その証拠の1つとして『二箇相承』は、武田勝頼に奪われるまで、石山ではなく重須(現在の北山本門寺)にあったといわれている。
 もし、日興師→日目師へと血脈相承が行われたのであれば、偽書であっても相承書が石山にあって当然ではないのか。もし血脈相承があったのならば、日興師→日代師の流れが正統と言えまいか。
 石山ではなく、重須にあったことが血脈相承を否定しているではないか。
 残念ながら、日興師の遺文にも偽書が多数存在するという。従って、石山の主張を鵜呑みにはできないのである。『富士一跡門徒存知の事』、『日興跡條條事』は偽書の疑いが極めて高い、と言えるだろう。
 そして、日興師は重須に居を移されてからも曼荼羅書写を行っていたし、重須での日興師の弟子も書写していた。勿論、日目師も書写していたのである。
果たして、バラモン教や密教まがいの一子相伝思想が蓮祖の理想だったのだろうか。もう一度見つめ直すべき課題であると思う。

以下は、諸師の曼荼羅書写年代である。

●本尊書写年代
日郎師1287(弘安10)年
富木常忍1295(永仁3)年
日向師1296(永仁4)年
日高師1301(正安3)年
日目師1326(嘉暦1)年
日法師1331(元弘1/元徳3)年
日仙師1332(元弘2年/正慶1)年
日道師1334(建武1)年
日妙師1334(建武1)年
日郷師1344(興国5年/康永3)年
日満師1357(正平12年/延文2)年
日大師1364(正平19年/貞治3)年
日代師1388(元中5年/嘉慶2)年

576空き缶:2003/09/20(土) 02:33
愚鈍凡夫さん
あらゆるスレッドでのご活躍すばらしいです。
日興門流における日蓮本仏論の起源は、日興上人が御影をご本尊としていた点が、後代の諸氏のアイデアになったとも推察しています。
日有上人が日隆上人の教えを受けて、本仏論の原型ができたとも思います。
板曼荼羅も京都にいかれている最中に要法寺(日目上人書写の本尊)でみて真似しようと思ったんでしょうか。
それとも法華宗との交流の中で、妙本寺の板曼荼羅(日法上人彫刻)でも拝観するチャンスがあったんでしょうか。
日寛上人の本仏論はまさしく中古天台そのものですね。本因妙抄の出現も加担してると思いますので、要法寺も片棒担いでいますかね。
私の手元にある「三大章疏七面相承弘決」(大正年間のものです)は面白いです。天台宗の書簡なのに日蓮宗の寺にある写本を使って補っているのです。
この寺とは身延山久遠寺です。写本の書き主は「日辰師」と出ています。久遠寺歴代の日辰か要法寺の日辰かはわかりませんが。
要法寺の日辰師のことであれば、本因妙抄を創った人も特定できそうですが・・・

577犀角独歩:2003/09/20(土) 06:46

わたしはかつて以下のように記しました。

*** 転載はじめ ***

5 名前: 独歩 投稿日: 2002/01/15(火) 23:42


― 大石寺問題提議から転載 ―

○六巻抄は何を説こうとしたのか

六巻抄を読もう、研究しようとなると、やはり、三重秘伝抄からというのは定石となるようです。

朗門から、近年では早坂鳳城師著「『六巻抄』に関する一考察―『三重秘伝抄』を中心に―」という小冊子が出ています。この内容については、追ってダイジェストします。

しかし、私は六巻抄の主題というのは実は当流行事抄、当家三衣抄にあると考えています。つまり、三重秘伝抄は、その導入に過ぎないという考えです。

久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益し給う。若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん(当流行事抄)

が、これです。そして、

南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々。(当家三衣抄)

これこそが、六巻抄のもっとも言いたい点でしょう。

下種三宝 ― 仏・日蓮聖人、法・戒壇之、僧・興師-目師-歴代諸師

ここから、読み戻っていくと、六巻抄の真の趣旨は理解できます。

「此くの如き(下種)三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし」とは、つまり、唱題の一念を具体的に限定しているわけです。ただ、ひたすらに日蓮本仏・戒壇之・興目歴代を念じる唱題をして一生を送れというのです。

ここで注意すべき点は、寛師教学は有師已来の日蓮本仏思想を集大成したものであるという点です。もっとも疑われる点は派祖本仏思想、あるいは代官思想なのであって、要師がいう「大聖冥益・当住顕益」思想が、その奈辺にひそんでいると疑う必要があると思います。

下種三宝を一歩進めるとき、唯受一人・興目両尊から連なる歴代住職(法主上人猊下)は日蓮本仏の内証を相承し、戒壇之と不ニの尊体であるという、いわば法主本仏論が、実は本音の結論ではないのかと思えるわけです。

つまり、六巻抄とは、日蓮聖人・戒壇之・興目両尊という聖滅400年に積み重ねられた権威の一切を石山住職が一手に握ることを宣言した書であると見るべきです。この結論を見るとき、冒頭の三重秘伝などという美名は吹き飛んでしまうと私には感じるのです。

もちろん、このような思想が聖人の祖意に見られるはずはありません。

皆さんのご意見をお聞かせください。

*** 転載おわり ***


奇しくも2年を経ず、愚鈍凡夫さんが575に同様の見解を述べられたことを嬉しく思います。

578空き缶:2003/09/20(土) 10:57
全く同感です。
目師滅後の大石寺は悲惨だったと思いますよ。
日有上人にしても、同時代の久遠常院日親師や身延の行学院日朝師、法華宗の日隆上人と比べれば大した存在とはいいがたいですね。
大石寺系では少しは有名らしいですが。
やはり鎌倉・京都で弘経を展開した朗師・昭師の門流からすれば、興門は主戦場から外れた場所での動きでした。
朝廷の帰依がなく、本門寺がたたなっか時点で聖人御霊蹟の身延にも差をつけられてしまった。
寛師のような論を展開してでも、独り善がりをするしかなかったのでしょう。

579犀角独歩:2003/09/20(土) 12:41

> 578

この論評は頷けます。
石山は有師前に廃寺同然まで廃れていたのではないのか、と想像しています。
寺地が売買され、住職権(あとで相承)も浄蓮が預かったのもあったことではないのか、それを復興したのが有師であったと考えます。しかし、仰るとおり、隆門に及ぶものはなかったでしょう。

帝都弘教も朗門像師が任を果たし、朝師、辰師などに比べ、石山教学は規模は小さいと思えます。ただ、寺内整備は精師がよく果たし、富士門に限る範囲ですが、寛師の巻き返しは要山にまでその影響は及ぼしたのは事実と思えます。しかし、所詮仰るとおり、「独り善がり」の域を出るものではなかったと見えます。

その第一の理由はアネモネさんのご見解にも見えますが、世間一般という尺度に叶わなかった点にあると、わたしは思っています。挙証義務云々を殊の外、強弁するのは、そこに理由があります。

580アネモネ:2003/09/20(土) 15:05
横レス失礼します。

>573
>土台と思えた釈迦仏法は見せかけに過ぎず、意外にも大聖人の仏法は大地に深く根を下ろしていたのだった。

日蓮本仏論の方々に共通して感じることは、誰よりも日蓮さんに心を合わせた信心を自負なさっている…ものとご自分を信じておられることかと。
そしてもうひとつ本仏論の方々に共通していることは、お釈迦さんを日蓮さんの下に置いて日蓮仏法を讃えているという点かと。
…でも日蓮さんって実際、お釈迦さんをそんなに下に見ていたんでしょうか。
なんか私にはどうもそんなふうには思えなくて…。
だから日蓮本仏論って、日蓮さんと心を合わせているようでありながら、実は、日蓮さんの心に違背しているってことはないんでしょうか。
だって、もしも日蓮さんの前で、お釈迦さまを軽んじるようなことを言ったら、なんだか恐ろしく叱責されそうな気がするのです。
そんな想像をするのは、私だけなのでしょうか。

581アネモネ:2003/09/20(土) 15:06
>579
>世間一般という尺度に叶わなかった点にあると

日蓮さんがどんな宗教家だっただろうかということを思い巡らせることは、今でも私はとても好きです。
心に釈尊を抱き、そして瞳に映るものは、苦しむ民衆の姿だったのではないかと…そんな日蓮さんへの思い入れは、信仰に距離を置いた今でも私の中に消えずに残っています。
だけど、その後の御歴代法主といわれる方々となると、心に抱くものや瞳に映るものが、日蓮さんのそれとは大きく違っていたんじゃないのかと思えてならないのです。
民衆の為にいったい何をしたんでしょう。天奏といったって、誰の為の天奏だったものやら。これも私の穿った見方というものかもしれませんが、苦しむ民衆そっちのけで、ただ自寺、自宗の権威性の為に奔走していただけなんじゃないかと思えてならないところです。

582犀角独歩:2003/09/20(土) 15:45

アネモネさん:

>> 世間一般という尺度に叶わなかった
> 民衆の為にいったい何をした…

そうですね。今日的な意義としては、世間一般というより、「民衆」、人々にとってという視点は大切であろうかと思います。

583犀角独歩:2003/09/20(土) 15:47

> 580

> 日蓮本仏論…日蓮さんと心を合わせているようで…日蓮さんの心に違背している

まったく同感です。

584顕正居士:2003/09/25(木) 04:30
犀角独歩さん。

>私は六巻抄の主題というのは実は当流行事抄、当家三衣抄にあると考えています。
>つまり、三重秘伝抄は、その導入に過ぎないという考えです。
(略)
>これこそが、六巻抄のもっとも言いたい点でしょう。
>下種三宝 ― 仏・日蓮聖人、法・戒壇之、僧・興師-目師-歴代諸師

さらに発達した『三宝抄』というのもあります。

「創価学会員のみなさんへ」に引用されています。
http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/PAPER/1997/9-10-1.html
「日寛上人は、『当流行事抄』に 久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり と
示され、さらに『三宝抄』に 爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の
大衆亦爾なり云々 と」 *門流の大衆-門流の僧侶の意味

『三宝抄』
http://www.h4.dion.ne.jp/~hotaro/sanposyo.htm

585犀角独歩:2003/09/25(木) 11:03

顕正居士さん:

資料のご提示、有り難うございました。
朝から、久方に寛師文書をじっくりと読んでしまいました。
懐かしいです。同文は6年ぶりの再読です。

> 爾来日目日道代々咸く是れ僧宝也、及び門流の大衆亦爾也

この「大衆」は、他派に対すれば僧俗を問わず僧宝に当たると言った相対論をどこかで展開していたと記憶しています。

> 仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す

これが基本であるのに、本仏に限り、無始無終となり、その鉄則は通用しないと言うのが寛師の言うところなのかどうか、どうもこの点が曖昧だと何を読んでも感じます。

> 予が如く無智無戒も僧宝の一分

これが言いたいところなのでしょうね。
釈迦本仏としての蓮師教学から、天台本仏として恵心流口伝、日蓮本仏として日寛教学への改竄。一見すると、祖師信仰の暴走と見えますが、実の本音は祖師信仰から派祖信仰への転嫁の本音は、実は「法主本仏論」なのであって、寛師もその例外とは見えません。
以下の執行師の指摘、

― 宗祖本仏論はやがて貫主本尊論または己身本仏本尊論へと傾いている。即ち『類聚翰集私』には

「末法の本尊は日蓮聖人にて御座す也、然るに日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ぎ其の次ぎに仏法の相属して当代の法主の所に本尊の体有るべき也」

といい、『六人立義破立抄私記』には、師弟相対互為主伴の所へ本尊の実体を認めて

「当時の上人は日蓮聖人也」

といい、更に観心本尊とは

「吾身本尊に成る信成就すれば観心本尊也、観心は法華経、本尊は吾身なるべき也」

と論じているのである ― (初期の興門教学に於ける本尊意識の展開)

先頃の石山でも、石山住職、彼等が言う「御法主上人猊下」は「戒壇の大御本尊と不二の尊体」と再認するに至り、やはり教師已来培われた貫首本尊論は生き続けていたのだと感じました。

一方、「先生」と呼ばれる会指導者を絶対視する在家側では都合の悪い唯授一人をスポイルして、己身本仏論、あるいは凡夫本仏論、あるいは会長本仏論などと導くも、同様の祖型を使用していると再確認できました。

ひっくり返せば、みな「自分(たち)が絶対に正しい」。かくも肥大した自我意識に病的な偏向を感じるものです。

『三宝抄』もそんな病勢が散見できるよくできたフィクションと読みました。

586仏法2099:2003/09/26(金) 21:48
 皆::正なるは「ワガ方、、」との賜るノー、、。 これが「強いものを残したいと言う”歴史”の誤りの原点」であろうか、、?
 昔は「強い者の意見が通ったが、これからは”IT時代に耐えうる情報”だけ」が「庶民にも許容」されるでしょうか、、?

587顕正居士:2003/09/27(土) 02:44
大石寺には妙観講や顕正会だけでなく本門正宗、妙法蓮華宗、正理研究会、
ウィッピー文明等、分派といえないものを含め元信者、元会員のはじめた宗派が
たくさんあります。宗祖本仏−法主本仏−会長本仏−自分本仏という妄想の系列
がはぐくまれる宗旨であったとはいえるでしょう。

日寛師が蓮興目道以来嫡々の大石寺こそ富士門流の総本山なれば他山の相伝も
これ大石寺の相伝、八万四千の聖教悉く一秘総在の大本尊に帰す、大本尊とは
わが山の戒壇本尊是なり、嫡々の血脈と大本尊と眼前に在り、誰か是を疑わんや、
のような教義を集大成した。そんなことを云っても坊さんが百人もいない宗派で
気勢をあげているだけで本気にはされないから弊害も生じない。それが創価学会
が出て嘘が真に変じ、戒壇本尊は題経寺の板曼荼羅よりも有名になってしまった。
その時に都合良く日亨師が出ておられ、富士門流の趨勢大石寺に帰したのだから
今後は法螺話ではいかんと要集、全集を遺された。しかしもう真顔になっている
し、いまさら学問でもない、第一、葬式がいそがし過ぎると、信者が二百倍に
なっても少しも学問どころでない。それでは暖簾代はもう払わんと創価学会は
云い出すが、面倒なことは坊さんの仕事のはずだったから用意がない、「暗黒
の富士宗門史」をいうために少しだけ宗史の勉強係を任命する程度。肝心な所は
江戸時代のまま「当寺のお宝」信仰だから、間に変なのがいっぱい出て来る。

ということでしょう。

588犀角独歩:2003/09/27(土) 10:09

587 顕正居士さん:

このご説明、簡潔にして微を尽くしていると感嘆しました。
有り難うございます。

589IT時代ー探求人:2003/09/27(土) 21:33
 、、::今後はIT情報時代の交差に”耐えうる”宗教だけが「勝ち残るのでは、、??」ないでしょうか、、?

590空き缶:2003/09/27(土) 22:02
現在、日我上人「一流相伝大事私」(興風談所)の研鑚中です。
日蓮本仏論の形成に妙本寺中興の祖も、かなり貢献してそうです。(笑)
中古天台の「二帖抄」を引用しながら天台宗としての解釈の仕方を示し、ついで日蓮門下の法華本門思想を展開しています。
八品派の日隆上人「法華天台両宗勝劣抄」(通称:四帖抄)の影響は、日興門流にとってかなり大きなものであったと思われます。
恐らく日隆上人なくんば日蓮本仏論もなかったのではと思われるくらいです。「種脱相対」は日隆教学が発信源ですね。

591れん:2003/10/03(金) 07:19
空き缶さん。保田妙本寺の文献で気になるのがあります。郷師の弟子の薩摩日叡師の著述「日叡類集記」には「仏三次第の事。大上人御出世御本懐御法門日目上人御相承ハ弘安五年正月一日也。日目上人ヨリ日郷上人御相伝ハ元弘元年十月一日也。又日叡此御法門日郷上人ヨリ相続ハ貞和元三月七日午時京都七条坊門ニシテ相伝。御奏聞ノ時ナリ。建武二年六月中旬大石寺御仏前ニシテ相伝。先後二度」とあります。これに関して同じく日叡師著述の後信抄には「師傳ニ又本佛、本戒、本尊等ノ大事アリ秘ス可シ秘ス可シ」とありますが、此等の法義が今の妙本寺に伝承されているのか、またその

592れん:2003/10/03(金) 07:27
内容は具体的に何なのか。またその内容は石山に伝わっていた通称三口一徹ノ御相伝(日目上人直授相承)とはたして同内容なのか。機会がありましたら、保田妙本寺の貫首上人にお聞きいただいて、ご教示ください。m(__)m

593空き缶:2003/10/03(金) 11:07
れんさん

宿題をありがとうございます。
鎌倉住職は御高齢で、正直言いまして何を話されているのか私には聴き取れません。

それから薩摩日叡師のことは、日向定善寺の方が詳しいのではないでしょうか。

594れん:2003/10/03(金) 11:58
空き缶さん。早速のご返事ありがとうございます。定善寺さんは今も石山を総本山とする日蓮正宗に所属しているでしょうから、他宗派への情報公開は望めないと思います。ちなみに後信抄正本は定善寺蔵、日叡類集記正本は保田妙本寺蔵です。「大上人御出世御本懐御法門日目上人御相承」が現在も妙本寺さんに伝承されているとしたら、また、それが公開されれば、いま一つはっきりしない上代における「本佛、本戒、本尊等の大事」が解明できるのではないかと思いレスさせていただきました。現貫首の日櫻師がご高齢でお説を聞き取れない由で残念です。

595空き缶:2003/10/03(金) 21:20
れんさん

それにしても大石寺の閉鎖性にはまいりますね。

「後信抄」は日蓮宗宗学全書2巻に掲載されていますが、「類集記」は大同小異のため不掲載となっています。
定本は大石寺の堀さんの写本だったと思うのですが、正本現存とはどこからの情報か御教授ください。

「千葉県の歴史」の妙本寺文書をざっと見ましたが、該当文書は掲載されていませんでした。

「類集記」はどんな書籍に掲載されていますか?興風談所出版物ですか?
私も興味が湧きました。

596愚鈍凡夫:2003/10/03(金) 22:49

空き缶さん。
保田妙本寺の『万年救護本尊』について、ずっと気になっていたことがあるので、質問させてください。

富士年表には、
1279弘安 2己卯後宇多北条時宗御歳 58歳
12.27日興に文永11年12月の本尊〔万年救護本尊〕を賜う(聖613・保田妙本寺蔵)

となっていますが、重須に移住する時、日興師は何故持っていかなかったのでしょうか。
日目師は蓮祖から曼荼羅を授与されていますから(1279(弘安2)年3月21日)、置いていく理由はないように思うのですが、その辺の事情を記した書はないでしょうか。

597れん:2003/10/03(金) 22:58
空き缶さん。後信抄正本の所蔵が宮崎定善寺、類集記正本の所蔵が保田妙本寺であることは何れも興風談所発行の「日興門流上代事典」にあります。空き缶さんの仰る通り後信抄は日宗全書興門集に掲載されてますが、類集記の方は掲載されてませんね。事典でも内容概略が掲載されているだけで全文掲載ではありません。また、「千葉県の歴史」にも残念ながら類集記は漏れています。私は類集記についてはいずれ興風叢書のシリーズの中に収められて興風談所より活字刊行されるのではないかと思っています。もっともこれは半ば私の個人的希望ですが…。

598空き缶:2003/10/04(土) 01:07
愚鈍凡夫さん

お久しぶりです。宿題の事、ずっと気になっているのですが怠けものですみません。

『重須に移住する時、日興師は何故持っていかなかったのでしょうか。日目師は蓮祖から曼荼羅を授与されていますから(1279(弘安2)年3月21日)、置いていく理由はないように思うのですが、その辺の事情を記した書はないでしょうか。』
との事ですが、私の手元にはこれらの事由を明確に証明する文書はありません。
しかし、この謎が「北山・・・本門寺モデルルーム」「大石寺・・・本門寺建設予定地」の発想を生み出しています。
そして、園城寺申状・御下文への期待があります。
宗祖御影と万年救護本尊はセットです。本門寺建立の時に同所に安置する御本尊です。確か妙本寺上代の置文の中にこのようなことが書いてあったと思いますが、郷師か伝師かはたまたその後の人か、今は思い出せません。

しばらく脱線してましたが、もう一度調べなおしてみます。

599空き缶:2003/10/04(土) 01:12
れんさん

やはり興風談所は鋭いですね。

今は妙本寺とチョッと距離をおいていますが、郷門の寺院(匡真寺)が家の近くにあるので、そこで質問してみます。
妙本寺は行くまでに時間とお金がかかってしまうので、今度手紙でも書いて聞いてみます。

600愚鈍凡夫:2003/10/04(土) 11:43

空き缶さん、レス有り難うございます。

いや〜、う〜ん、例の『日代置状』がまだ引っかかっているんです。
あの書が事実を語っていたとして、日興師が他の重宝と共に『万年救護本尊』も重須に持っていったとしたら・・・・・。
これはどういう事なんだ。と思ったりして。
いきなり、問答迷人さんの説がリアリティーを持ったりするんですよ・・・・・。

601空き缶:2003/10/04(土) 16:24
愚鈍凡夫さん

『日代置状』そのものは偽書の疑い濃厚ですが、盗難の事実についてはほぼあったとみて疑いないと、思考を転換しました。

順師の著作類もかなり疑わしいものがありますが、「日順阿闍梨血脈」については、北山にあるものが真撰であると思われます。

いわゆる盗難に遭った御本尊は現西山本門寺の「万年救護本尊」です。こちらの本尊には授与書はありません。この本尊が盗難にあい、代替として「日禅授与」の本尊が北山の「万年救護本尊」になったと推察しています。

602愚鈍凡夫:2003/10/04(土) 22:29

空き缶さん。
以前にも言いましたが、北山の『万年救護本尊』が、どういう事情で日禅師から重須に亘ったのか?
そして、西山の『万年救護本尊』が文書上に現れるのはいつからなのか。またその曼荼羅は何時図顕されたものなのか?
この辺の検証が必要なようですね。
御遺文に「大曼荼羅」、「曼荼羅本尊」の言葉はありませんから、連祖は基本的に御自身の曼荼羅に優劣はつけていなかった、そして年代による差別化していなかった、と思っています。
従って、保田の『万年救護本尊』をも含めて、この3つの『万年救護本尊』の歴史を検証することで、富士門の違う一面が見えてくるように思うのです。
勿論、『万年救護本尊』の命名は蓮祖によるものではなく、後世のものであると思っています。

603空き缶:2003/10/04(土) 22:39
愚鈍凡夫さん

仰せの通りと思います。
西山の万年救護本尊は「健治二年二月五日」御図顕の曼荼羅です。こちらには宗祖の授与書はありません。しかし、これは日興上人御在世中の「正中二年十一月十二日」夜に盗難に遭いました。仕方なく代替として北山本門寺の「万年重宝」としたのが、「日禅授与」の曼荼羅本尊です。恐らく日禅滅後の日興上人入滅前と推察すれば、元弘元年か二年のころでしょう。
先にも書き込みましたが、西山・北山の万年救護本尊は日興上人の添書により、後世にそうよばれるようになったと思われます。
「本門寺に懸け奉るべし、万年重宝也」この全く同じ興尊の添書があるところに、私は確信しているのですが。
文献上のことについては、「れんさん」も協力してください。聖域なき求道で。私もがんばります。

604犀角独歩:2003/10/04(土) 23:28

横レス失礼。

「万年救護」という成句自体の検証から始められる必要があるのではないでしょうか。
そもそも該当の“本尊”は上行始顕の義を蓮祖は記すも、どこに万年救護の義があるのでしょうか。

「万年救護」という思想がどの時期から、どこから生じたかを考える必要があろうかと思います。ちなみに真跡では同成句はただの一度も現れず、富要で見る限りでは、遺誡置文、五人所破抄、血脉両抄、:百五十箇条、穆作抄、五人所破抄見聞、申状見聞私、五人所破抄一覽、日蓮聖人年譜、富士門家中見聞、富士大石寺明細誌などに現れる語であって、この起源を興師、あるいは蓮師の求められるのかと、わたしは訝しく思っております。

なお、禅師授与“漫荼羅”を万年救護と記す例は、たしかに『大石寺誑惑顕本書』にも見られます。

605空き缶:2003/10/05(日) 01:39
独歩さん

仰せの通りです。
恐らく当本尊所持の妙本寺が血脉両抄を元に展開したと思われます。

しかし、明確な文献を探すことは実に重要なことであると思います。
私は宗学全書2巻と千葉県の歴史から探してみます。何か良い情報があれば、御教授ください。

606犀角独歩:2003/10/05(日) 08:19

空き缶さん:

おはようございます。
いわゆる、万年救護本尊、しかしたしかに人を惹き付けて止まないところがあります。石山では大講堂にこの模刻板漫荼羅が安置されていますね。
ある時、わたしはこの意義を、ある有力僧に尋ねたことがあるのです。答えは
「おそらくは日精上人が造立されたものであると思う。その相貌は四大天王を記さないなど、礼拝対象の本尊ではない。しかし、この本尊は昔から講堂に安置されてきた」
そんな話でした。つまり、石山では興師弘安2年授与のこの文永9年本尊を拝まないと言うのです。

しかし、富士他山におけるこの本尊の崇重は記すまでもなく、著しいものがあります。
この理由は元来は、「上行始顕」、すなわち、蓮師自らが上行菩薩として初めて顕した本尊である如き、脇書き

大覚世尊御入滅後
経歴二千二百
二十余年
雖爾月漢
日三ヶ国之
間未有之

或知不弘之
或不知之
我慈父
以仏智
隠留之
為末代残之
後五百歳之時
上行菩薩出現於

始弘宣之

にありますね。わたしはしかし、過去に『井戸端すれっど「山門前」』などでも記しましたが、この記載を蓮師の自身上行の宣言であるとする見方には消極的です。
それはともかくとして、蓮師上行応化論から、万年救護思想との習合がついに富士全体に浸透していく経過にはたいへんに興味があります。

空き缶さんの更なるご研鑽を期待申し上げるものです。

607愚鈍凡夫:2003/10/05(日) 15:05

「万年救護本尊」資料

図顕 1274(文永11)年12月
寸法 3紙 丈:106㎝ 幅:56.7㎝
讃文 「大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年雖尓月漢日三ヶ国之間未有此大本尊或知不弘之或不知之我慈父以仏智隠留之為末代残之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」
所蔵 千葉県保田妙本寺
http://www.lbis.jp/gohonzon/016.htm

図顕 1276(建治2)年2月5日
寸法 3紙 丈:93㎝ 幅:47㎝
讃文 「仏滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未有大漫荼羅也」
所蔵 静岡県西山本門寺
http://www.lbis.jp/gohonzon/032.htm

※「日蓮聖人御本尊集」のHBでは「尼崎 本興寺」となっていますが、曼陀羅№32は「西山本門寺蔵」ですから、HBの記述が間違っていると思います。

608空き缶:2003/10/05(日) 16:04
愚鈍凡夫さん

下の曼荼羅は西山の物ではないです。恐らく「尼崎 本興寺」のものなのでしょう。
相貌は良く似ていますが、西山の物は主題の真下に「日蓮」とありません。若干左寄りの位置に「日蓮」と入っています。主題のすぐ下には日興上人添書にて「本門寺に懸け奉るべし、万年重宝也」と入っているのが西山の万年救護本尊です。
これはどちらかが本物でどちらかは模写版と思われます。紛失の際に模写されたのでしょうか。「日蓮」以外の相貌は、同一人物でも絶対に書くことはできないほど細部まで一致しています。間違いなくどちらかが模写でしょう。

609愚鈍凡夫:2003/10/05(日) 16:24

空き缶さん、先に訂正されてしまいました。有り難うございます。
念のために、もう1度調べてみたら、曼陀羅№32は、№32-1と№32-2の2つありました。

番号32-1
図顕1276(建治2)年2月
寸法3紙 丈:98.8㎝ 幅:51.8㎝
讃文「仏滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未有大漫荼羅也」
所蔵兵庫県尼崎本興寺

番号32-2
図顕1276(建治2)年2月5日
寸法3紙 丈:93㎝ 幅:47㎝
讃文「仏滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未有大漫荼羅也」
所蔵静岡県西山本門寺

です。したがって№32の写真は兵庫県尼崎本興寺所蔵の曼陀羅です。
小生の間違いでした。申し訳ございません。 m(_ _;)m

610空き缶:2003/10/05(日) 16:29
愚鈍凡夫さん

両方とも真筆だと思われますか。

611れん:2003/10/05(日) 17:54
空き缶さん。今携帯版の日蓮大聖人御真蹟御本尊集にて確認しましたが、尼崎本興寺所蔵NO.32の1の御本尊には右下に日興上人の御筆にて以下の添書が存します。「富士西山河合入道女子高橋六郎兵衛入道後家持妙尼仁日興申与之」つまり、相貌が似ているのは、おそらく両御本尊が同日御図顕で、しかも被授者が親子関係であるためと思います。故に両御本尊は原本・模本というものではなく、どちらも蓮祖の御真筆です。

612犀角独歩:2003/10/05(日) 18:08

【606の訂正】

愚鈍凡夫さん、有り難うございます。
わたしの投稿、2箇所間違いがありましたね。

誤)文永9年
正)文永11年

誤)大
正)大本尊

606にわたしが挙げたのは写真から文字の配りをそのまま写したものです。
脇書きとしましたが、実際は相貌の下に、右「日蓮」から「花押」にの隙間を埋めるように記されていますね。この「大本尊」の文字こそ、実に大きな意味があるのでしょうね。

613犀角独歩:2003/10/05(日) 18:51

またもや横レスですが、サイトから32-1、32-2の漫荼羅をダウンロードして、重ねてみました。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/32_1_2_mandara.jpg

赤字にしたほうが32-2です。サイト掲載の漫荼羅が原図版から取ったものであれば、間違いなく違うものでしょう。


れんさんが32-1について記されていたので、わたしは32-2について。こちらには「懸本門寺…」の文字が記されています。末尾が切れていて、全文はわかりませんが。

参)Nichiren Shonin Gohonzon shu
  http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/001.html

616愚鈍凡夫:2003/10/05(日) 19:34

話はずれますが、この曼荼羅が四条金吾授与の大曼荼羅だと思うのですが、何故、堺にあるのかご存知の方がいらっしゃったら御教示下さいませんか。

番号71
図顕1280(弘安3)年2月1日
寸法3紙 丈:87.3㎝ 幅:46.4㎝
讃文「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曽有大漫荼羅也」
授与書俗日頼授与之
所蔵大阪府堺妙国寺

http://www.lbis.jp/gohonzon/071.htm

617空き缶:2003/10/06(月) 00:02
独歩さん

さすがですね。どうやったんですか?

素人目では同じに見えましたが。

特に主題の「無」と「妙」の間の右側にある点で消されている諸尊の具合がよく似ているので、私は模写・もしくは形木を利用したものかと思ってしまいました。

618犀角独歩:2003/10/06(月) 17:49

空き缶さん:

大したことではないのです。
漫荼羅をダウンロードして、画像ソフトで重ねただけです。
まあ、ネットが発達したからこそできることですね。

619れん:2003/10/07(火) 19:47
確認の意味で。 32-1、建治二年太才丙子二月日、(興師添書)富士西山河合入道女子高橋六郎兵衛入道後家尼仁日興申与之。
32-2、建治二年太才丙子二月五日、(興師添書)日興祖父河合入道申与之、懸本門寺可為万年重宝也。入道孫由比五郎入道女 所譲得也。大宅氏女嫡子犬法師譲与也。
両御本尊に存する興師添書により、両御本尊の被授者が親子関係にあるのが明白になります。

620れん:2003/10/07(火) 20:01
愚鈍凡夫さん。御本尊集NO.71の御本尊は確かに四条金吾氏に授与された御本尊だと思います。本来は四条金吾氏が晩年隠棲された甲州の内船寺に伝来すべきものでしょうが、内船寺所蔵の開目抄御真筆も後世身延山に移蔵されたとのことで、おそらくその時に、四条金吾氏授与の御本尊も身延山に移蔵し、その後さらに堺の妙国寺に移蔵されたものと推定されます。四条金吾氏授与御本尊が妙国寺に所蔵されるにいたったその辺の事情は御本尊の裏書を調べてみればはっきりすると思います。 m(__)m

621空き缶:2003/10/07(火) 20:11
れんさん

日興上人添書とされているものの一部は「日代筆」らしき筆跡がみられるとの見解を、どこかの本で読んだような気がするんですが?
たしか「日興祖父河合入道申与之」か「入道孫由比五郎入道女 所譲得也。大宅氏女嫡子犬法師譲与也」のどちらかだと記憶しているのですが。

622れん:2003/10/07(火) 21:02
空き缶さん。堀日亨師は富士宗学要集にて「入道孫…」以下の添書を「代師か」と注記されていますが、御本尊集編者は添書の全文を興師の添書としています。一応、御本尊集編者の見解を尊重し全文興師の添書としましたが、堀日亨師の鑑定を採るならば「日興祖父河合入道申与之」「懸本門寺可為万年重宝也」が興師の添書で、「入道孫…犬法師譲与也」は異筆で日代師による添書と推定されるものです。m(__)m

623犀角独歩:2003/10/07(火) 23:11

れんさん:

32漫荼羅について、少し質問させてください。
この両漫荼羅は親子に与えられたということですが、32-2にのみ「懸本門寺」とある理由を、どのようにお考えになりますか。

添書からすると32-2の漫荼羅ばかりが重宝とされ、この二つに優劣が存していたように感じるのです。本尊集の番号では32-1から数えますが、実際は32-2が主であり、その複本の如くに32-1を扱い、こちらは子女に授与したという類推は的外れでしょうか。ご批正をいただければ有り難く存じます。

ただ、この類推の場合、蓮師がこの二舗の漫荼羅に図する段階で優劣を付けたというより、興師が申し与える段階で優劣を付けたとも感じるのですが、どうでしょうか。

624れん:2003/10/08(水) 22:56
独歩さん。32-2の添書に「重宝」とあって32-1の添書には「重宝」とないことについてですが、根拠はありませんが興師が蓮祖直筆の曼陀羅に「重宝」の添書を記されたのはおそらくは蓮祖御滅後の事と私は愚考しています。勝手な想像ですが32-1は蓮祖滅後興師の許に納められたことが無く「重宝也」と記される機会が無かったのではないでしょうか。もっとも、興師弟子に授与された蓮祖曼陀羅で、興師の添書があるべきにもかかわらず存しないのがありますから一概には言えません。ただ私としては、「重宝」の字の有無に優劣をみることには消極的です。m(__)m

625愚鈍凡夫:2003/10/09(木) 06:30

皆さん、お早うございます。横レス失礼します。
小生もれんさんとほぼ同様に受け止めています。
№32-1と№32-2の漫荼羅の相貌に、さほど違いがないので(諸尊の数も配置も同じ)、「重宝」の添書の有無は、日興師が書き込む機会があったかどうかの問題だと思います。
日興師が蓮祖漫荼羅に「重宝」と添書したのは、厳重に外護し、粗末に扱ってはいけないとの配慮だと思います。要は、蓮祖漫荼羅を1舗でも多く、後世に残したいと思われたのではないでしょうか。

626犀角独歩:2003/10/09(木) 08:48

れんさん:
愚鈍凡夫さん:

そうすると、興師が手にできた蓮師漫荼羅は等しく「重宝」としたということでしょうか。そうすると32-1、32-2の添書は両方とも興師であるのに、片方にしか「重宝」と記されていないことは説明がつかないと思いますが、この点はどうでしょうか。(32-2、「入道…」以下は「代師か」と亨師言う)

627愚鈍凡夫:2003/10/09(木) 20:26

日興師がいつ頃から蓮祖漫荼羅に「重宝」と書き込むようになったのか、資料がないので分かりませんが、№32-1の添書と№32-2の添書は書き込んだ時期が違うと考えられないでしょうか。言わんとしていることは、№32-1の添書は「重宝」と書き込む以前で、№32-2の添書が「重宝」と書き込むようになってからのものという発想ですが(勿論、証拠はないです)。
どうも、日興師が蓮祖漫荼羅に、故意に格付けするような真似をするとは思えないのですが。

628れん:2003/10/09(木) 21:58
独歩さん。私も愚鈍凡夫さんと同意見です。ただし、私見を申し上げれば、「…申与之」は弟子檀越からの曼陀羅下付の申請により興師が蓮祖に曼陀羅図顕をお願い申し上げ、蓮祖曼陀羅御図顕後、曼陀羅を弟子檀越に下付する際に師弟関係を明確にするために添書されたものと推定されるのに対し、「…重宝也」は蓮祖滅後、興師が富士に移転して後に、特に興師の所蔵に帰した曼陀羅に対して添書したものと推定できると存じます。まあ、これはあくまで添書からの類推で明確な根拠は何一つありませんが…。もしこの推定が史実ならば32-2は、蓮祖滅後興師の所蔵

629れん:2003/10/09(木) 22:13
に帰して興師は「…重宝也」の添書をなすことができましたが、32-1は蓮祖滅後、興師の所蔵に帰さなかったために、興師が「…重宝也」と添書される機会が無かったが故に「…重宝也」と添書なされなかったことを示しているのだろうと思います。ですから、興師の重宝也との添書の有無は直接的には曼陀羅の優劣を示すものでは無かろうと思っております。m(__)m

630犀角独歩:2003/10/10(金) 05:15

れんさん:
愚鈍凡夫さん:

あ、なるほど。お二人とも、わたしの漫荼羅につき「優劣」と記したところが特に気になられたようですね。興師は蓮祖漫荼羅に差異を認められるような方ではない、この興師像には基本的にわたしも賛同はします。また、蓮祖在世と滅後で添書の相違有りというご指摘はなかなかの慧眼と拝しました。

ただ、それとは別に蓮祖の図示については、蓮師ご自身は、所謂、漫荼羅、守本尊その他、用途の違いで記されている個別の差異はあったように見受けます。縦横無尽に種々の意味合いで図されていた。その点、興師は蓮師とは違う在り方のように思えます。興師も多くの漫荼羅を書写されていますが、そのご自身の書写漫荼羅と、蓮祖の御筆を明確に分ける意図が「重宝」という表現に表れているように感じます。

わたしは二箇相承が蓮師に係るものであるとは到底思いません。ですから、重宝である御筆曼荼羅を懸ける「本門寺」構想がいつのころにその濫觴があったのか、興味を持っています。「懸本門寺」と添え書きされた御筆曼荼羅の分与は、その授与の弟子に本門寺建立を促す意図なのか、あるいは本門寺建立の暁にはその漫荼羅を本門寺に返納せよという意味なのか、この点はどうなのでしょうか。いずれにしても、本門寺に懸けるのは蓮師の御筆曼荼羅である、この点は動かないようにも思えます。

631犀角独歩:2003/10/10(金) 05:26

【630の訂正】

誤)興師は蓮祖漫荼羅に差異を認められるような方ではない
正)興師は蓮祖漫荼羅に優劣を認められるような方ではない

632¥¥℃℃99:2003/10/12(日) 23:14
横からゴメンです、、。 皆様のご意見は「スッゲー」です、、。 でも当の「日蓮サン」が「遠慮したのか??」==いまだに???のようですか、、??
 しかしながら=本仏に”値”をするか、否か?=性欲克服?=が一応の観点か、、??」。 不妻帯=禁欲とは??かも??  本仏を名乗るなら=禁欲=仏、、」かもネ、、。

633れん:2003/10/30(木) 19:10
独歩さんの言われるごとくの使い分けはあったと思います。興師の本門寺構想ですが、嘉元年間以降の成立とされる本門弘通事に「迹門、比叡山、本ハ日枝山、吾山、御社。本門、富士山、蓮華山、大日山」の文があり、興師在世中の文保二年成立の順師撰の法華本門見聞に「先謗法等ヲ対治して後法門一閻浮提に流布せばやがて本門の大戒立つべきなり」とありますから、興師に一閻浮提流布の後、天皇の帰依を得て富士山に本門寺の戒壇を建立するという構想はあったと考えますm(__)m

634れん:2003/10/30(木) 19:18
誤、独歩さんのいわれるごとくの使い分けはあったと思います。
正、蓮祖における曼陀羅図顕において独歩さんの仰る通り、曼陀羅、守り本尊等の使い分けはあったのは事実と考えます。

635愚鈍凡夫:2003/10/30(木) 22:34

横レス失礼します。
小生も犀角独歩さん、れんさんのご意見。正鵠を射ているものと思います。

下記アドレスの2つの蓮祖漫荼羅を比較すれば、一目瞭然ではないでしょうか。

四条金吾授与漫荼羅(大阪府堺市妙国寺蔵)
http://www.lbis.jp/gohonzon/071.htm

日眼女授与護本尊(東京都向丘長元寺蔵)
http://www.lbis.jp/gohonzon/072.htm

636犀角独歩:2003/10/31(金) 14:28

れんさん:
愚鈍凡夫さん:

たぶん、過去にお読みいただいていると思うのですが、守本尊の相貌については『創価学会の携帯本尊について』でやや触れたことがあります。

*** 転載はじめ ***

43 名前: 犀角独歩 投稿日: 2002/10/22(火) 03:44


横レス、失礼します。

曼荼羅をもって「守」とする真跡は『日眼女釈迦仏供養事』にあります。

「御守り書きてまいらせ候」

という一節です。この書は弘安2年の述作でありながら先のが「三界の主(あるじ)教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女(にちげんにょ)」と続くために石山僧俗にはあまり拝読されないので気が付かれないのかもしれません。

また、実際の漫荼羅で「護(まもり)」と入るのは建治2年8月13日、14日の2日間に図示された3体です。

相貌は中尊題目、愛染不動の梵字、二仏、四菩薩。四隅に天王を拝せず、右下に毘沙門、持国を並べ、両肩に「病即消滅・不老不死」と記しています。

見ればわかるとおり、通常の…何を通常というかは議論が分かれるでしょうが…漫荼羅とは相貌が違っています。

http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/038.html
http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/039.html
http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/040.html

守本尊であるとわかるのは、花押の中に授与者の名と「護(まもり)也」と記されているからです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/mamori_honzon.gif

大きさは50×30センチほどで、今の守本尊と比べれば、かなり大きいと感じます。もちろん、こちらが原型でしょう。


【参】桐谷征一師『大曼荼羅の世界』


44 名前: 犀角独歩 投稿日: 2002/10/22(火) 04:04


43の守本尊の相貌を見てわかるとおり、単に四大天王が四隅に拝される通常の漫荼羅とは違うのであって、それをただ縮小すれば守本尊になるということではありません。

今度の学会のものは、新語「携帯本尊」というものらしいので、もちろん、聖人の守本尊とは、縁もゆかりもないものです。ですから、相貌その他が違うのは、むしろ、当然なのでしょう。こんなアクセサリーと日蓮聖人の守本尊の原型を比べること自体、ナンセンスかもしれません。

*** 転載おわり ***

639ガンコ:2003/12/28(日) 08:38

だいぶあいだが空きましたが、以前に「種脱相対の魅力」なる駄文を書きまして、その折にいくつか感想をいただきました。まずもって、お礼申し上げます。

じつは、あれにはわたくしなりの野心があったのです。つまり、大聖人は野心家であられる、などということは信仰者の立場ではまず言えないだろう、と思うのです。
おもに日蓮宗の方は・・・ことに顕本あたりでは、釈尊本仏・日蓮上行を言うわけで、大聖人が釈尊をこえた・こえようとしていたとは絶対に考えない・・・つまり、それは釈尊に対する冒とくであるのは無論のこと、釈尊を「我等が本師」と仰ぐ大聖人に対しても甚だしい冒とくである、ということになろうかと思います。
また、日蓮正宗であっても、大聖人を野心家とするような表現はしないだろうと思います。

なぜなら、
「提婆達多は、・・・阿闍世太子をかたらいて云はく、我は仏を殺して新仏となるべし。太子は父の王を殺して新王となり給へ。」(法華題目抄)

野心というと、なんとなく、この御文を彷彿させるものがあって、ひじょうに困ったことになるわけです。久遠元初思想からいえば、新仏ではなく古仏でなければならない、という難しい問題以前に、大聖人と提婆達多が同じになってしまうのはとても都合が悪いから、その意味で、野心という表現は使わないだろうと思ったわけです。

いわば、ここが信仰者の盲点であって、日蓮本仏論の新たな展開の可能性を感じるのです。つまり、宗学・僧学にとらわれない、まったくの非信仰者が大聖人の御書を読んで、「日蓮というのはものすごい野心家だった、釈尊をこえようとの意図がありありと見える」と、ここまで読み取ることができたならば大収穫ではないかと思うのです。
すでに、宗学・僧学にとらわれてしまっているわたくし達がどのように論じたところで、あまり説得力をもたないという面がありますので、まったくの第三者が上のような新説を発表されることを期待したいものです。
無論、これを本仏論者が、あるいは信仰者が、手放しで受け入れることはありえないですが、従来の本仏論が行き詰まり状態?である以上は、大胆な発想の転換が必要であることは言うまでもないでしょう。

なお、手元の御書には掲載されていないので永いこと気がつきませんでしたが、不動愛染感見記の「日蓮授新仏」あたりに、何か重大なヒントが隠されているのではないかと、わたくしは思っております。

640愚鈍凡夫:2003/12/28(日) 09:22
横レス失礼します。
ガンコさん、高森大乗師は「日蓮授新仏」について、次のように語っておられます。参考までに。
**************************************************
なお、『不動愛染感見記』の授与書きに「日蓮授新仏」とみえる「新仏」が何を指すのかは明らかではない。新たに仏弟子となった「新仏子」の意とも解釈できる。その人は、一説に当時の清澄寺の住僧であった肥前公日吽(一二二八~?)とも推測される(22)。しかしながら、日号は、真言僧の間でも多く用いられたことが知られるので、必ずしも日蓮の弟子とは考えにくい。あるいは、叡山修学時代の学友にあたる弁阿闍梨日昭(一二二一~一三二三)をさすものとも推測されているが、確証を得ていない。また先述の如き本書の伝来から、白蓮阿闍梨日興(一二四六~一三三三)とも推察されるが、宗門の所伝では日興は岩本実相寺入蔵を前後して日蓮聖人のもとに入門したとされており、時期的に合致しない。
**************************************************

「日蓮遺文『不動愛染感見記』小考」
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/subcontents40.html

尚、上記HPの緑色『不動愛染感見記』をクリックすると「不動・愛染」の絵が閲覧できます。

641ガンコ:2003/12/28(日) 11:09

愚鈍さん、どうもです。

ざっと読ませていただきましたが、なんだか難しいですね。
この書の伝来が、日興門流というのがすごい。
しかも日興上人の入門以前であるところの建長六年御述作の御書を日興上人に託された。
ところが今日、信仰に資するところ少なきとして、日蓮正宗系ではしりぞけている。
なんでだろう? ってなところです。

642れん:2003/12/28(日) 15:08
ガンコさん。横レス失礼します。故川澄勲師の著書によりますと不動愛染感見記を所蔵する保田妙本寺にはこの文書に関して「十(トウ)の口伝」というものがあるそうです。不動(月形)愛染(日形)の月と日の画数を合わせると十になる、これは十界本有常住事の一念三千を具足する妙法蓮華経をあらわし、また日は昼、月は夜で昼夜四六時悉く妙法蓮華経であることをあらわしているとのことです。右ご参考まで
m(__)m

643ガンコ:2003/12/28(日) 17:28

れんさん、ご教示どうもです。

「十(トウ)の口伝」とはきょうみぶかいですね。
しかし、いつから伝わるものなんでしょうか?
大石寺でいうところの御相伝類はすべて大聖人に由来するというたてまえですけど、この口伝は上代に記録があるのでしょうか?

644Jルーカス:2003/12/28(日) 18:43
> 636

独歩さん
古い投稿にレスを返して恐縮ですが、今初めて気づきましたので一言。

>大きさは50×30センチほどで、今の守本尊と比べれば、かなり大きいと
>感じます。もちろん、こちらが原型でしょう。

今でも石山の「常住御守御本尊」には、この大きさのものも存在します。
石山では、常住御守御本尊はある程度の大きさの希望が出せるそうです。

645れん:2003/12/28(日) 19:20
ガンコさん。十の口伝がいつ頃から伝わっているのかは知りません。保田の相伝書は奥書によると保田十二世日要師が収集されたものの様です。日要師は石山九世日有上人の許で法義を学ばれたので、要師の著書や聞書類には多少ながら日有上人のご指南が引用されています。有師と要師との関係から保田の相伝書の出所は石山や尊門(左京日教師など)ではないかと愚考しております。m(__)m

646ガンコ:2003/12/28(日) 20:48

れんさん、どうもでした。

さて、どこの門流だかわからないのですが、六大部という御書の選定がありまして、けっこうおどろいたものです。
その順次は、守護国家論・立正安国論・開目抄・観心本尊抄・撰時抄・報恩抄です。
富士一跡門徒存知事にもとづく十大部には、守護国家論はありません。

愚鈍さんご紹介のサイトには、
>日蓮聖人は法華経至上主義を生涯貫いたことで知られるが、立教開宗の当初は、まだ真言密教に傾注していたことが理解できるのである。それは、日蓮聖人の初期遺文である正元元年(一二五九)の『守護国家論』(21)に、法華真言斉等を容認するような教義が認められることからも明らかである。

とあって、シロウト考えを申せば、後年の撰時抄・報恩抄において大聖人は徹底的な真言批判を遊ばしておられ、その整合性から守護国家論は大部の御書ではあるけど十大部には含めなかった、と思われます。
しかし、思うに、いわゆる十大部が日興上人の御選定とすると、では、あの不動愛染感見記を日興上人はどのように拝しておられたのだろうか?
じつに、なんとも不思議な思いにかられます。

647れん:2003/12/28(日) 22:25
ガンコさん。六大部とは初めて聞きました。大聖人は鎌倉時代の仏教学の水準から考えて、密教典も仏説と捉えていたと思います。大聖人は出発点が台密僧ですから、密教の影響を受けているのは当然です。大聖人が批判したのは弘法大師の法華第三・慈覚智証両大師の理同事勝の教判に対してで密教仏典そのものに対してではないでしょう。ですから大聖人は法華第一を前提にした上で密教そのものは肯定していたと思います。それが初期の愛染不動感見記や守護国家論、後々に図顕された曼陀羅に不動愛染の梵字が記されるという形で表れていると思いますm(__)m

648三吉:2003/12/29(月) 07:02
「六大部という御書の選定がありまして、けっこうおどろいたものです。」

(。☉_☉)ん? 日蓮宗の昭和定本に「六大部」ってありますので、
私は日蓮門下では一般的と思ってましたが・・・。
正宗系では、おっしゃられないのね。 〆(. .)メモメモ

649犀角独歩:2003/12/29(月) 10:30

644 Jルーカスさん:

> 50×30センチ…
> 今でも石山…「常住御守御本尊…この大きさ…存在

ほお、そうですか。それは知りませんでした。
ところで真筆護本尊は、その保存状態から見ると、折り畳んで袋に入れ懐中に持していたと想像できるのです。
いまのものはどのように身に帯するのでしょうか。
あと、石山の守本尊の四大天王の相貌はどうなっているのか、ご教示いただけませんでしょうか。

650犀角独歩:2003/12/29(月) 10:44

639 ガンコさん:

いま、ちょっと資料を探したのですが、みつからないので記憶だけで申し上げます。

蓮師がどのような形で感見記を記されたかわかりませんが、真言灌頂を受けて、その際に弟子として、「新仏」を授かったという意味であるという説を唱えていた人がありました。ここでいう、「新仏」とは灌頂を授かった弟子の呼称であるとのことでした。わたしは説得性を感じました。

参考までに

こちらつぶやきですが、六大部ですか、五大部ではなくて?
そうですか。これは初耳です。

651三吉:2003/12/29(月) 15:53
私のは正確には昭和定本を基にテキストにされたのを
波木井坊さんのサイトから落としたものですが、
「法華経&御遺言文」というフォルダーの下に
「行道遺文」「経典」「定本遺文」とあり、
「定本遺文」の中に「六大部」とあります。
その最初のタイトル部は、以下の感じになります。ご参考まで

六大部

#0015-1K0守護国家論正元元年(1259)[p0089]
#0024-0K0立正安国論文応元年(1260)[p0209]
#0098-100開目抄文永九年(1272.02)[p0535]
#0118-0K0 如来滅後五五百歳始観心本尊抄文永10年(1273.04.26)[p0702]
#0181-000撰時抄建治元年(1275.06)[p1003]
#0223-000報恩抄建治二年(1276.07.21)[p1192]

652三吉:2003/12/29(月) 15:58
ついでに、
「行道遺文」の下に「五大部」ではありませんが目次に「主要書」という
分類があり、それは以下の五つになります。
この場合は、「守護国家論」がはずれるみたいです。

主要書

立正安国論 ・・・・・・・・・・・・・・ (   一)
開目鈔 (上)  ・・・・・・・・・・・ (  二七)
開目鈔 (下)  ・・・・・・・・・・・ (  四九)
如来滅後五五百歳始観心本尊鈔 ・・・・・ (  七三)
撰時鈔 (上)  ・・・・・・・・・・・ ( 一〇二)
撰時鈔 (下)  ・・・・・・・・・・・ ( 一二〇)
報恩鈔 (上)  ・・・・・・・・・・・ ( 一三九)
報恩鈔 (下)  ・・・・・・・・・・・ ( 一五七)

653犀角独歩:2003/12/29(月) 17:36

感見記、新仏、日月に関連して、“虚構山幻想寺”『太陽体験』のページ、参考に

*** 転載はじめ ***

不動愛染感見記
千葉・保田・妙本寺蔵。


「生身愛染明王拝見。正月一日日蝕之時。ウム・シツ・チ・シヤク・ウム・ハム・コク(以上梵字に ふりがな)。大日如来より日蓮に至る廿三代嫡々相承。建長六年六月廿五日。日蓮新仏に授く」 黒い鳥は古来日神の使いとされてきたカラス。これが日輪中の赤いカラスならば天皇(王権)の象徴ということになる。三本足ではないことに注目。

「生身不動明王拝見。十五日より十七日に至る。ナマク・サ・マム・タ・ホ・タ・ナム・カム(以上梵字 にふりがな)。大日如来より日蓮に至る廿三代嫡々相承。建長六年六月廿五日。日蓮新仏に授く」
 不動の真言の方は「ナウマク・サマンダ・ボダナン・カン(あまねき諸仏に、とりわけ不動明王に帰命し奉る)」ということだろう。カンは不動の種子である。これは釈迦真言と同じスタイルだが、通常の不動の真言は「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン(あまねき諸金剛尊に帰命し奉る)」である。
 日蓮は愛染は日蝕の黒い太陽の中に、不動は三日続けて月中に、見たという。新仏とは「しんぼとけ」ではなく「しんぶつ」と読むのだろうか。灌頂を受けた者を指すらしい。
 建長6年の正月一日はおろか日蓮が清澄寺に上ってから一度も元旦に日蝕が無かったことから、この書は感見記ではなく、秘密相承の切紙ではないかという説があるが、真相は不明である。
 「日ノ愛染」「月ノ不動」ということに関して、『四帖秘決』第四には、
「別事ニ非ス。凡夫ノ肉眼ヲ以テ生身ノ仏ヲ見奉(たてまつ)レル也。日ノ愛染、月ノ不動ト申テ日輪ノ中ニハ愛染王ノ現(うつつ)ニ御座スル也。……日ノ愛染、月ノ不動ト云事ハ大集経ニ見(みえ)タリトソ承ル云云。世俗ニハ日ノ烏、月ノ兎ト申ス。」
とあり、日蓮誕生以前に、すでにそのような説が比叡山にあったことがうかがえる。
 また当時、一仏二明王(大日如来と不動・愛染)というシンプルなトリロジーが神道側の密教摂取の柱となっており、この感見記もそうした神仏習合の場で生まれた可能性も否定できない。

 太陽と月は日蓮の名のりと深く関わっているといわれる。また日蓮自身は寿量品を日、迹門を月、爾前経を星に喩えている(薬王品得意抄)。
「日蓮をこいしくをはせば、常に出づる日、ゆうべにいづる月ををがませ給へ、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり」(国府尼御前御返事)は本気か、言葉のあやか?
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名也。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。(中略)月はひかりあきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五々百歳の長闇を照らすべき瑞相也」(諌暁八幡抄)とはやけに思わせぶりではないか。

 文章だけなら暗喩、または故あっての韜晦とも云えようが、『不動・愛染感見記』には密教画風の絵が描かれている。これが後加されたのでなければ、かなりショッキングな書といえる。愛染・不動が密教尊そのままの愛染・不動であり、密教の真言(おそらく感見時に唱えたのだろう)まで書いてあるという事実……。
 ということは、後年顕す曼陀羅本尊の中の愛染・不動も、この時の真言密教の愛染・不動なのではないか。(初期の本尊には首題と不動・愛染のみ、というものがある。)
 霊山において会座に連なっている諸尊(または凡夫内在の諸尊)が三身の上から生身(=応身)を現じて何が悪いというかもしれないが、それこそ真言密教の義そのもので、天台大師の立義ではない。それなのに、立宗後にこのような神秘体験をしてしまう日蓮が、一方で空海や円仁(えんにん)の夢想霊験を、

「世間の念仏者、現に夢に智者見えたりけるなんど申候ぞ。天狗の見せたる夢なり。只道理と経文を本にすべし」(戒法門・22歳)
「通力をして智者愚者をばしるべからざるか……但法門の正邪をただすべし。利根と通力とにはよるべからず」(唱法華題目抄・39歳)
「仏に最後の禁めに通力を本とすべからずとみえたり」(題目弥陀名号勝劣事・43歳)
「是くの如き少分のしるしを以て奇特(きどく)とす。若し是を以て勝れたりといはゞ、彼の月氏の外道等にはすぎじ」(星名五郎太郎殿御返事・46歳)

と否定するのだから、日蓮によくある矛盾、手前勝手と言ってしまえばそれまでだが、どう和会疏通(わえそつう)してよいやら悩む人もいるだろう。なかには真書と認めながらことさら檀家の目からかくし、自らも無視する住職もいるとか。それほど、これはやっかいな書なのである。
(日蓮が否定するのは神秘現象によって正邪を判定することであって、神秘現象そのものを否定してはいない、ということなのだろうか。)

*** 転載おわり ***

654ガンコ:2003/12/29(月) 19:36

みなさん、こんばんは。

六大部の件ですが、まさか三吉さんがお出ましになるとは、ますますおどろきました。
不勉強のわたくしは論外にしても、勉強家のみなさんがご存じなかったとは、なんとも不思議なはなしですね。近くて遠い存在・・・という言い方がありますけど、日蓮宗と日蓮正宗は、まさにそれなんだなあって思いました。ほかにもいろいろあるかもしれませんね。

しかし、れんさん。
>大聖人は法華第一を前提にした上で密教そのものは肯定していた

それはそうなんでしょうけど、不動愛染感見記に関しては、その説明だけではすんなり納得しかねるところがあります。まさに独歩さんご提示の「これはやっかいな書なのである」というのがいちばん的を射ていると感じます。まあ、しかし、わたくしはまだまだ御書の拝読が足りませんので、見えていない部分がたくさんあるのだろうと思っています。そういうことで、今後とも拝読を重ねてまいる所存です。

独歩さん、どうもです。
今年一年間、たいへんお世話になりました。まだまだ議論のできるレベルではないにもかかわらず、お相手くださりましたこと、感謝申し上げます。

ところで、
>日蓮によくある矛盾、手前勝手と言ってしまえばそれまでだが

この人はなんなんでしょうね。
しかし、この人の文章、全体的に小気味が良くて、なんだか憎めないものがあります。
わたくしもこういう文章が書けたらなあ。

655犀角独歩:2003/12/29(月) 21:25

ガンコさん:

> この人はなんなんでしょうね

ええ、まさに。いまだにどのような人かわかりません。
けれど「虚構山幻想寺」、この名前を聞いてご存じの方はいらっしゃると思います。
侮れないサイトでした。ちなみに紹介の文章は、以下のように続いております。

*** 転載はじめ ***

 太陽体験

 日蓮の「不動・愛染感見」は太陽体験(独Sonnenerlebnis)ではなかったか?という疑いがある。

 「分裂病者の体験野に太陽が出現し、その病像転換の契機となるような場合を、『太陽体験』と呼ぶ。(中略)分裂病者の体験は『中心化』と『脱中心化』の機制から構造化していくことが可能であるが、その際、中心の形象、つまり『中心イマーゴ』として顕著に現われるのが太陽で、一般に(1)病初期には『沈む太陽』や『黒い太陽』を体験して病者は世界の中心に押しやられ、(2)病勢の極期または慢性期には『中天の太陽』または『太陽との合体』をとおして全能者の位置に立ち、(3)回復期には「昇る太陽」を契機として世界の中心から周辺に立ちもどり、『脱中心化』をとげる。」(宮本忠雄『増補版精神医学事典』)
イマーゴとは「無意識のなかに構成され、しかもそこに残留している、ふつう本人自身ではない、だれかに同一視されていることの多い人のイメージ、あるいは類似性のこと。」(畑下一男『(同上)』)

 では日蓮は病気だったのか、と日蓮を尊敬する人たちは怒りだすかもしれない。しかし世に天才といわれる人の中にはこうした神秘的体験をする人がけっこういるのである。
 神仏との一体化をめざす密教を修していた遊学時代の日蓮にとって、イマーゴは大日法身だったかもしれない。あるいは久遠の釈迦牟尼仏だったろうか。

 立宗の初説法の前に嵩が森(かさがもり)で朝日に向って唱題したのは、日天に祈りを捧げたのでも、宇宙法界を対告衆(たいごうしゅ)とし初転宝輪(しょてんぽうりん)したのでもなく、自分の分身(または自分そのもの)と冥合しようとしたのではないだろうか。「一向に誑惑せられ数年(すねん)」(本尊問答抄)の時期を過ぎたとはいえ、このころの日蓮は念仏・禅ほどには真言宗を批判していないし、法華守護の諸天善神とともに密教特有の諸尊は肯定しているから、太陽を単独に存在する日神・日天であるとする通りいっぺんの解釈で満足していたとは思えない。

 日蓮が究極の仏・法に自身を一体化しようと考える事は、日蓮自身の出家動機からも、当時の比叡山の教学からもむしろ当然であり、その圧倒的な仏力・法力の具体的顕現として太陽を認知し、究極の仏・法の象徴として太陽を選んだ……それのみならず、すでに気持の上では一体化しているとしたら、太陽は自身の投影ですらあるはずだ。

 日向の『聖人一期行法日記』では、身延入山してから、毎日、日天(太陽)に向って、法華経の方便品・寿量品・勧持品・涌出品・神力品・嘱累品を読誦したとある。本尊確立後にあって尚も、そのようなことをしたのは、いかなる心情からだろうか。

 「我等天に向ひて之を見れば、生身妙覚(しょうじん・みょうがく)の仏、本位に居して衆生を利益し給ふ」(法華取要抄)と日蓮は書いている。

 生身妙覚の仏とは、菩薩としての最高の覚りの境地に至っている、肉体を持って現実に生きている仏(=凡夫相の仏)のことであり、本位とはありのままの位という意味。中古天台慧心流の口伝書『等海口伝』の「等覚一転理即に入る」(三諦の妙理を悟った者は凡夫のままで仏である)に代表される天台本覚思想(凡夫即極)が色濃く反映されている。日蓮もまた、法華経本門にいたって凡夫(人間)のみならず十界の衆生すべてが本来のありのままの姿で仏となる、と考えたようだ。

 また新池御書では「後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬うべし、是れ正く経文なり」として自分を生き仏として敬うのが正しい、などとしている。

656犀角独歩:2003/12/29(月) 21:26

―655からつづく―

 インドでは洞窟で修されていたという密教は、日本に伝来してもやはり暗がりの中の宗教だった。その曼陀羅や絵像は色彩的にくすんで暗く、おどろおどろしくもある。そうした世界から日蓮の世界は生れたにもかかわらず、そこには微塵の暗さも感じられない。すべてが白日の下にさらされてるかのようだ。これはまったく日蓮自身にもとづくといわねばならず、彼の宗教の一大特徴ともなっている。(最初期の仏教修行者も洞窟に居住していたというから、洞窟から出て最後はまた洞窟へ戻った、ともいえる。)


 日蓮は、太陽に縁のあるいくつかの尊格を曼陀羅本尊に勧請している。釈迦の幼名は日種太子で転法輪に際しては慧日大聖尊と号したとされているし、その垂迹は日神の天照太神である。日天は蓮華か日輪を持っていることになっている。瑜祇経では愛染明王は太陽(熾盛輪)に住すとされている。またごくわずかだが太陽信仰に由来するといわれる大日如来が勧請されている例がある。そして何よりも日本国の日蓮の名は一枚も書き落としがない(!)。


 インド密教成立当時のイメージでは、蓮(とくに白蓮)は開花が太陽の運行に影響されることと、形が輝く太陽の姿に似ていることから太陽の象徴とされた。また結果する様子から胎(子宮)〜卵〜宝珠と連想され、ストゥーパ(仏塔)をも意味するようになった。そのほか心臓を象徴することはバラモン教や密教教義にあるとおりである。


 インドでは古来、アートマンは心臓の中にいるということになっている。人間の心臓は閉じた蓮の花に似ている。一方、宇宙的原理の具象は太陽であろう。蓮の花を媒介に、太陽と心臓のイメージが重なるとき、梵我一如の観念が自然に生まれたのではないだろうか。しかして後、沼や池(その延長としての海)、また干からびてしまった大地から忽然と伸びゆく蓮の花を、菩薩(仏と感応する仏教詩人たち)は人間生命の象徴として宝塔に置き換えてイメージしたのではないか。蓮華の仏を観ずる三昧を言語化したのが法華経だったのではないか。

 多宝如来こそバラモン教のブラフマン(仏教以前の古仏)であり、仏教の開祖釈迦がそのブラフマンと同じ位置についたことは、バラモン教による仏教の再編、また、如来蔵=心王と注意深く換言された仏教的梵我一如すなわち「仏」我一如ともいうべき大乗的新思潮の、高らかなる宣言ではなかったろうか。冷徹な釈迦の仏教が豊饒で力強い土着宗教に飲み込まれたことで、より多くの人間が救われたのならば、それはそれで、より「優れた」宗教、と云えるのかもしれない。


 曼陀羅中の日蓮が首題の方を向いているのか、首題と一体となり、拝する者の方に向いているのか諸説あろうが、日蓮が太陽を自分と自分の宗旨のシンボルとしていたことは否定し得ないところであろう。


 身延入山のすこし前、幕府が申し出た一千町歩の美田と不動愛染堂の寄進を、日蓮は拒わったという伝承がある。事実だとして、不動愛染堂だから拒わったのではあるまい。波木井実長(はきりさねなが)の大伽藍建立の話もはっきり斥けたというから、やはり信条なのだろう。晩年、ひどく弱気なことを言ったりするが、それでも後悔はなかったのではないか。

*** 転載おわり ***

657愚鈍凡夫:2003/12/30(火) 00:51
横レス失礼します。こんな解釈はどうですか。

**************************************************
●脳と電磁波
 脳内にはものすごい数の神経細胞・脳内物質・電気信号・イオンが動き回っている。そして、脳内物質の多少で人間の感情さえも作用してしまうのである。
例えば、 ① 覚せい・快感 ドーパミン
    ② 覚せい・怒り ノルアドレナリン
    ③ 恐怖・驚き  アドレナリン
    ④ 感情抑制   セロトニン
などである。また、脳内の様々な電気信号も外部から強い磁場を加えることで変化してしまうのである。
 見える・聞こえるという現象を詳しく解析してみよう。「見える」というのは通常目で見ることを指しているが、実際は脳で見ている、というのが正解である。目は光を信号に変える能力はあるが、見る(能動的に光を解析する)能力は無いのだ。同様に「聞こえる」というのも、耳はあくまでも音を信号に変換することだけで、聞いているのは脳なのである。では、「感じる」はどうだろうか。これも全く同様で、皮膚は圧力を信号に変えるだけで、実際に感じているのは脳である。つまり、見える・聞こえる・感じるといった全ての感覚は「脳」で処理しているのである。このことは、脳が信号を正しく受け取れなかったら、見えていても見えない・聞こえていても聞こえない・感じていても感じない、ということを意味する。更に、脳内に誤った信号が伝わった場合、聞こえていないのに聞こえる(幻聴)、見えていないのに見えた(幻覚)、感じないのに感じた、ということになってしまうのだ。また、何らかの作用で脳内物質を作用すると、心地よい場所で怒りを覚えたり、恐怖の場を感じなかったり、突然キレたりということも起こりうる。全て脳内の微妙なバランスの中で起こることである。
 私にこんな経験がある。ある非常に疲れた夜、布団に入ると直ぐさま身体に脱力感を覚えた。そして、もの凄い睡魔に襲われ枕に沈むように眠りに入ろうとした時である。なぜか脳はすぐに睡眠にはいらなかったのである。身体はもう全く動かない「金縛り」のような状況になった。恐らく、見る感覚以外は睡眠に入ってしまったのだろう。何と、眠らずして夢の状態に入ってしまったのだ。この瞬間はハッキリとは覚えていないのだが、目で見ていた映像とあり得ない夢の映像が重なったのである。これも一種の幻覚である。このように、何らかの現象で脳内を刺激すれば脳が誤信することは十分に考えられる。そして、強磁場(電磁波)がその効果を示すことはもはや疑いの無い状態である。
 既に、脳に強い磁場を加えると幻覚が見える、といった実験も行われており、磁場は脳に影響を及ぼすのである。そこで、影響の及ぼしかたであるが、これは、人によって全く別々の現象になるはずである。その理由は、幻覚は自らの脳が作り出すのであるから、自分の過去の体験デ-タから引き出されて作られると考えられるからである。従って、4人が同時に同じ白装束の女性を見た、ということは考えられない。この場合、そのものが実在していることになり、それは実体である。つまり、誰かの悪戯ということになるのである。従って、未だ解明されていない未知の心霊現象も、1〜5の中のどれかであり、あまりに希な現象であるため実証が難しいだけなのである。

続く

658愚鈍凡夫:2003/12/30(火) 00:53
続き

圧電現象・強磁場
 圧電現象による磁場の影響によって、非常に多くの心霊現象が片づいたのではないだろうか。そこで、ここではもう一歩踏み込んでみたい。心霊現象が磁場の影響による幻覚だとしたら、昼夜構わず出現してもおかしくないのではなかろうか。何も磁場は夜になると急激に増加するわけではないからだ。しかし、圧倒的に夜の時間帯に目撃例が集中している。これは一体何故か。
 昼間の時間帯は脳は非常に冷静・安定に活動している。この時の脳は電位の低い状態となっているため、磁場や電磁波の影響が出にくいと考えられる。もし、仮に昼間に幻覚が出現してもハッキリした形状を持つものは見えずに見過ごしてしまうのである。夜になると、人間は暗いというだけでも不安を感じ、更に心霊スポットは不気味な場所であるため脳内では研ぎ澄まされた様な状態となる。電位の高い状態にセットされ、外部の磁場や電磁波の影響を受けやすい状態になるのである。また、幻覚も比較的ハッキリ見えるため見過ごす可能性が減少すると考えられる。つまり、電磁波の他に不安・恐怖といった精神構造が加わって起こる現象だったのである。

 霊感の有無が良く言われる。「霊感とは付近に例が存在したときに、その存在を他人より敏感に感じ取れる能力」ということができる。この感覚を科学的にはどのように解釈できるのだろうか。私は「心霊は存在しない」という立場をとっている。私は霊感とは以下のようなものを言うのであると考える。
① 非少ない量の磁場(電磁波)でも幻覚・幻聴が発生する人
  ・敏感であるほど霊感が強いと言える。従って、極度に敏感な人の場合家などの建築物でも感じることはあり得る。
② 見たものや見てないもの、過去の経験や無経験等の事項を混同して記憶を作れる人
③ 状況分析に長けた人
などの条件が備わっている人であると考えられる。
**************************************************

話のネタにということで、悪しからず。 m(_ _)m

「ハンドパワーズ・スーパー特集2002 心霊現象を徹底解明せよ」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~fnao/shinrei.htm

659犀角独歩:2003/12/30(火) 15:25

655・656、また愚鈍凡夫さんが記される657とも関連すると思いますが、精神科医・高橋紳吾師がいう精神病の症状は、蓮師の末法意識、あるいは終末論を述べる信者の個人的リアリティと密接に関連しているように見えます。いわゆる神秘体験といわれるものの説明原理を含むと考えられます。

「国が亡ぶ」などと危機感を訴える煽動は、宗教教義的な裏付けに拠っていると言うより、以下の如き精神障害圏にある可能性も視野に入れるべきであろうと思われます。

「青年期に初発する精神分裂病に『世界没落体験』という症状がある。急性期に現れる妄想で『世界が今や崩壊に向かっている。いやすでに崩壊した。森羅万象のことごとくが生命を失った。最後の審判が開始された。世界革命が勃発した」などの、周囲の世界の劇的変化が絶対的な妄想確信をもって迫ってくる特有の妄想である。この妄想の際には不安と同時に昂揚感や宗教的啓示が現れ、世界の崩壊と同時に新しい未知の世界の誕生が予告され、しばしば世界の中心にある自分が至上者と一体化するという宗教的恍惚感が生じ、ときに救済妄想にいたる。精神病の初期には、自己の内部が崩壊していくカタストローフの感覚があり、しばしば患者は「自分が誰かわからない、狂ってしまいそうだ」と表現するが、この内的カタストローフが外界に全面投影されて生れるのが、世界没落体験である。
一般に思春期は、自己のアイデンティティを形成していくうえで、危機的状況にある。『自分とは何者か』、『何処からきて何処へ向かうのは』、『何をすればよいのか』と真剣に悩む。
 世界没落体験は分裂病特有の症状というより、思春期を含めて、人が精神的危機状態にあるときに親和性を示す普遍的な心理的メカニズムなのである」(『超能力と霊能者』現代の宗教8 岩波書店 1997年2月5日 第1刷 P218)

661ロッド:2004/06/04(金) 21:05
皆さん始めまして
自分なりにある程度の勇気を振り絞って書き込みします。
私は顕正会現役会員です。入信して二年半くらいでしょうか。
今年のゴールデンウィーク、某先輩と二人で神奈川の身延の寺院に浅井先生のかんぎょう書を
持って訪れました。
いつもでしたら門前払いの身延寺院なはずが、そこのお寺の僧はあがって話しましょう
と書院に我々を誘導しました。
私は先輩と僧の話を聞いていただけなのですが、話が大聖人が御本仏であられる
ことへと進み、釈迦が脱であるということを私たちが常日頃習っている
本尊抄の「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」
の話をして、ここに釈迦が脱であると書いてあるではないかとなったわけなのです。
それに対する身延僧の返答があり、一言二言で先輩が返答できなくなったのを
目の当たりにしてしまいました。私はあまり教学を必死で勉強してわけではなく
先生や先輩の話をそのままに信じてきました。
しかし、そのときの身延僧の言ったことをしっかり覚えていないほど私は
浅知識なのですが、それ以来苦しくて苦しくてどうしようもないのです。
モヤモヤが晴れないのです。
どうかお聞かせください。

①・「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」と
  あるのは、釈迦が脱、大聖人が本であるということにはならないのでしょうか。

②・「法華経に詮なし」というのは、法華経が脱であることを仰せの
  ことではないのでしょうか。(すいません。御書名が出てきません)

③・このサイトなどで「中古天台教学」の真似であるようなことを見ますが、
  逆に中古天台のほうがこちらを真似たとはいえないのでしょうか。

どうか、どうか教えてください。もう議論しつくされてことであるかもしれませんが、
過去ログを見るのが怖いのです。どうか教えてください。
お願いhします。

662地名:2004/06/05(土) 09:44

661 ロッドさん

はじめまして。

>入信して二年半…あまり教学を必死で勉強しているわけではなく…以来苦しくて苦しくてどうしようもない…モヤモヤが晴れない…

お気持ちのほどは、わかります。昨晩遅く帰宅して以来、気になっており、なんとかお役に立てないかとずっと考えていました。
しかし、私自身も同じように御書の切り文(きりもん:一部分)を読んで学んで日蓮大聖人様の仏法をわかったように思っておりました。
ですから、お気持ちはよくわかります。
そうして私は数十年間やってきました。いまでも十分にわかっておりません。
「過去ログを見るのが怖い」お気持ちはわかりますが、適切にお話をしてくださるまでの間、この掲示板の内容等あせらないでお読みいただけないでしょうか。
私も、早く知りたい、わかりたいと思いもし、あせりもしましたが、過去の内容を読みました。わからない部分は飛ばしてもいいですから、少しも怖いことはありませんから、ご自分の信仰を踏まえて批判的に読まれてはいかがでしょうか。
ごめんなさいね、適切に御助言できないこと、恥ずかしく思っておりますが、仏法は早道・早分かりはないのです。
そして、自分で、自分の力でひとつひとつ学んでいくしかないのです。

>①・「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」

この「観心本尊抄」の部分は、まさに日蓮本仏論か否かなど最も難しい部分です。
私もまだ十分に理解できていません。うそを教えるいきませんので、ご一緒に勉強しませんか。

>②…③…

参考にもなりませんが、私は、自分が信仰しているのと反対のお考えを述べられている書物を読むようにしています。
比較相対ができることと、なぜ私の信仰している考えと違うのだろうと考えることができるからです。
ただ、悪口等を記した批判のための批判書はあまり読みません。
仏法会得(えとく)は少し話しを聞いたからすぐわかったなどという簡単な方法はないように思われます。一歩一歩、自分の手で、自分の頭で考えること、そして、疑問に思われたことを時間がかかりますが、ある程度納得できるまで根気強くあちこちの本などを手がかりにして読むことです。
迂遠(うえん)であり、遠回りのような気がしますが、ひとつ二つと理解ができていくと、それらが引き金になってわかる時がくるように思われます。
それから、原典にあたるようにすること、解説書を足がかりにしますが、多くの人は原典にあまりあたろうとしません。日蓮その人の真蹟御書等時間ばかりかかっていやになってしまいますが、ですが心がけとしては原典を確認してみるとよいと思います。

この掲示板を批判的に読むことから始められてはいかがでしょうか。
人の説明、人の話等は媒介にすぎません。自分で行うのが仏道修行だと思います。
僭越なことを記しましたこと御寛恕ください。 合掌

663顕正居士:2004/06/05(土) 13:11
「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」(『観心本尊抄』)。
この文は「一品二半」が「在世脱益の機」の為に説かれ、対して「題目の五字」が「末法下種の機」
の為に神力品において結要付属されたと述べているわけではありません。
「寿量品の一品二半は始めより終りに至るまで正しく滅後の衆生の為なり。滅後之中には末法今時の
日蓮等が為也」(『法華取要抄』)。
この文は「一品二半」のみでなく、本門十四品の全部と迹門十四品の正宗の八品が「末法の始め」を
正機として説かれたのであると述べた文章の最後にあります。

「迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し菩薩・凡夫を以て傍と為す。再往
之を勘うれば凡夫、正像末を以て正と為す。正像末の三時之中にも末法の始めを以て正が中の正と
為す。(略)迹門是の如し。本門を以て之を論ずれば、一向に末法之初めを以て正機と為す。
所謂、一往之を見る時は久種を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至って
等妙に登らしむ。再往之を見れば迹門には似ず。本門は序正流通倶に末法之始めを以て詮と為す。
在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目
の五字也」(『観心本尊抄』)。
http://www.sattva.jp/data/ibun/g-118.html
「但し彼は脱、此れは種也」の「彼」とは「在世の本門」であり、「此」とは「末法之初め」です。
この両者は「一同に純円」であるが、「在世の本門」は「久種」(久遠の下種)を覚知せしめる時、
「末法之初め」は新たに仏種を植える時であるから、「一品二半」と「但題目」の関係が逆になる。
つまり 在世 「一品二半」→「但題目」:末法の初め 「但題目」→「一品二半」になります。
日蓮聖人の著述の意図では、「彼は脱、此は種」とは「教機時国序」の「機」に「勝劣」を分ける
意味ではない(「一同に純円」)、まして「教」(法体)に「勝劣」を分ける意味ではない、相違
はただ『時』にあり、「在世の本門」と「末法之初め」では「一品二半」と「但題目」の関係が逆
になると述べられたのであると考えます。

「正法像法には此の法門をひろめず余経を失わじがためなり、今末法に入りぬれば余経も法華経も
せんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(『上野殿御返事』)。
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso1545.html
は「西方願生」についての上野殿の疑問、おそらく、「法華経の経文にしたがうならば臨終の際に
阿弥陀仏を頼むべきではないのか」に答えた表現でありましょう。
天台大師以来、天台宗の聖賢は臨終には「西方願生」を頼んだ。これを「天台浄土教」といいます。
「日出でぬればとほしびせんなし雨のふるに露なにのせんかあるべき」。これも『時』の相違であり、
「西方願生」については「余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」と述べられたので
ありましょう。地名さんがおっしゃるように、単にその文がある前後の文章を自分で読むことにより
疑団の多くが難なく解決することがあるだろうと思います。

664犀角独歩:2004/06/05(土) 19:56

ロッドさん、はじめまして。

自分が何でいま、このような形で信じているのか?
そんな自問をすることが大切です。

折伏をされた、入会した、勤行をするようになった、功徳があった、体験があった、教学を勉強した「日蓮大聖人」はご本仏だと知った、「本門戒壇之大御本尊」が究極の本尊だと知った、この仏法に背くと地震は地獄に堕ち、国は亡びると知った…。

みんなそんなフローを辿るわけでしょう。しかし、これが本当なのかをよく考えてみることです。

ロッドさんは何で日蓮が本仏だと知っているのですか、戒壇本尊が絶対であると知っているのですか、また、釈迦が脱・日蓮が種と知っているのですか。自分がしてきた体験、あるいは功徳はその教学と、それを最も正しく実践する顕正会とその会長によって得ることができた、こんな組み立てになっていませんか。

それらは顕正会という組織で植え込まれた確信だったのでしょう。しかし、それは本当なのでしょうか。

しかもロッドさんは、ここでまた、疑問が生じたことを、この場で人に聞いて、確認しようとしている。これはあなたが顕正会でやってきたことと、変わらない。また、ただ人の言葉で動くだけに過ぎません。

最も大事なこと、それは自分の頭で考えることです。自分で労力を使って資料を読み・調べることです。集団に依らず、人の言葉に依らず、自分でなすことです。

地名さん、顕正居士さんは、たしかに解説してくださりました。けれど、お二方とも、その結論として仰ったことは「自分で調べ、考えろ」ということです。

依存という輪廻から、自律立という解脱への道を歩み出せば、自ずと答えは付いてくるでしょう。

しかし、たしかにここ富士門掲示板の過去ログは、自律立の道を歩むためには宝の山です。まずは自分で地道に読み込んでみることです。

人に聞いて容易く得たことは、やがてまた容易く壊れてしまうものですよ。いままでの顕正会の経験がそうであったようにです。健闘をお祈り申し上げます。

665愚鈍凡夫:2004/06/05(土) 21:41

ロッドさん、初めまして。投稿はもう少し控えるつもりだったのですが、少しだけ。
犀角独歩さんのレスと重複しますが、玉光順正師の次の言葉をよく考えてみてください(以前にも紹介したものです)。

**************************************************
 釈迦がどのような理由で出家されたのかということについて、皆さんも四門出遊という話しでお聞きになってこられたと思います。三つの門で老人、病人、葬式に出くわして城に引き返し最後の門で修行僧の姿を見て出家を決意されたというものです。ここに説かれる生老病死とは仏教の基本でありますが、釈尊の時代と違い、現在には自然な形での生老病死はないのではないかという思いを強くします。さまざまな形で操作されている現在の生老病死を考えるとき、従来の聖典の読み方に固執するのではなく、新たに読み直していく必要があると感じます。
 我々の教団の現状を見てみても、なにか閉鎖的な集団の中で古くから使われてきた言葉、いわゆる専門用語でもって教学が語られ、教団の中だけで間に合っているような気がします。
 今私たちに求められているのは親鸞聖人の教えをどう思い、考えるのか一人一人が表現していくことではないかと思います。
 最近のオウムの問題や、政治における公明党の動きなどを見ていると、トップの人間がなにか発言すると上から下まですべての人間が同じ考えになってしまう。 そしてそういうものが宗教であるかのような風潮があるように感じます。
 私は宗教とは人間がそれぞれ自分で考える人間になることだと思っています。そして自分で考えるためには学ばなくてはならない、そこに真宗でいう聞法があるのです。聞法とはそういう意味で話しを憶えることではなく、それぞれの人が考えるということであろうと思います。これは釈尊の自灯明、法灯明という言葉にも顕わされています。
**************************************************

ここの掲示板に集う方々にとっては当たり前のことですが、今のロッドさんにとっては大切なことだと思います。

「死刑制度と仏教 いのちは何故尊いのか?」
http://www.modan-t.or.jp/seisoukai/inochi4.html

666一刀両断:2004/06/05(土) 22:52
ロッドさん
投稿拝見しました。
実は私は元顕正会員でした。
ですからあなたの仰りたい言葉がよく分かります。

その上で敢えて発言させて頂くのであれば、犀角独歩さんの重複でしかありませんが、私なりの言葉を使うなら、「疑問を疑問として疑う気持ちがなくなれば、その時点で操作されている自分である」ということ。また「疑問を打ち破ることこそ、真実が一歩近づく」

ということだと思います。

私はここは日蓮正宗の正体がはじめて明かされている、大事なサイトだと思っております。
一方的な見解を抜いて、独歩さんが指摘された部位を取り除いて、まだ日蓮師も知らない、日蓮正宗も知らない自分に戻ってここを全て閲覧して頂きたい気持ちです。

ほんの少しでもここで語られている発言に耳を傾けるならば、真実が見えてくると思います。

情報操作という枠組みから抜け出して、たった一人の自分として、見つめ直して頂ければ良いかと思います。

667一刀両断:2004/06/05(土) 22:55
訂正
>一方的な見解を抜いて、独歩さんが指摘された部位を取り除いて、まだ日蓮師も知らない、日蓮正宗も知らない自分に戻ってここを全て閲覧して頂きたい気持ちです。

一方的な見解を抜いて、全てを取り除いて、まだ日蓮師も知らない、日蓮正宗も知らない自分に戻ってここを全て閲覧して頂きたい気持ちです。

犀角独歩さん 失礼しました

668三吉:2004/06/06(日) 11:57
私の読みを参考に書いておきます。(混乱するかもだろうけど)

「脱」と言うのは、「解脱」のことです。
「種」とは「下種」のことです。
他に「熟」(調熟)というのもあり、これは教え成熟させることです。
この、「種」「熟」「脱」は元々、天台用語です。
「下種」とは衆生の心のうちに仏教の種を撒くことです。これが
仏法に結びつく最初の段階になります。
「調熟」の次段階で教え成熟させられ、
「解脱」の最終段階で悟るわけです。

上記を踏まえ、日蓮さんは、語られておられると思います。

「釈尊晩年最後の八年で、本門を説かれた。
その核心は本門寿量品を中心とする一品二半で、これを直接
釈尊から聞いたものはすぐに「解脱」したのであるが、
「解脱」に至るまでに前世での長い教導期間が実はあるのです。
まず久遠の過去世に仏法を釈尊から聞いておったのです。
更に、大通仏のもと釈尊が16王子時代にも教えられ、
今生においては釈尊の華厳→阿含→方等→法華迹門の教えを受け
成熟させられ、漸く本門が届く機と時が熟し、純円となり
本門が説かれ「解脱」したわけです。」
これが「但し彼は脱」という意味です。

477犀角独歩 さん「つまり、久遠に脱益した仏が一念三千を衆生に下種した。
脱とは仏、種一念三千、下した先は結縁衆。」と言われていますが、
私にはそうは読めない。
「脱」は、仏ではなく、あくまで聞いたが衆生が解脱することです。

663 名前: 顕正居士さん「「在世の本門」は「久種」(久遠の下種)を覚知せしめる時、
「末法之初め」は新たに仏種を植える時であるから、「一品二半」と「但題目」の関係
が逆になる。」とのことですが、
「在世の本門」は、「久種覚知」に終わらず、始まります。ながぁぁぁぁい時間をかけて
調熟させられる道程に正当性があるのです。(一往は天台正統派解釈。再往は日蓮解釈)
なので「在世の本門」は「久種」覚知に始まり、前世・今生の長い調熟期間を経て、
漸く本門教示の得脱に至るのだが、「末法之初め」は、「久種覚知」の「但題目」だけで
完成と日蓮さんは言われていると私は読みます。
共に純円とは、飽くまで法華本門が説かれる「機」と「時」が熟していると言う
意味に過ぎません。共に法華本門が説かれるが在世の本門は長い準備期間を慎重に経た。
末法である現代は、いきなし準備期間なく、本門が示されるという差がある、と。
つまり「種」は今初めてではなく、「永遠の昔」でしょう。

現代は、「永遠の昔に釈尊の説法を聞いたことがあった」と思い出す時代であり、
鍵は「但題目の五字」だよということではないでしょうか。

661 ロッドさん
いずれにしましても「釈迦が脱」を「釈尊の時代は終わったのだ」とは日蓮さんから
は直接読み取れず、日蓮正宗系統の解釈にすぎないのでは・・・。

皆様言われていますが大事なのは、正宗系統の解釈であれ、その批判者あるいは、
中立的な読みであれ、他人様の読みを鵜呑みにされず、自分の目でご遺文を読まれて、
ご確認されてください。自分で調べ、考え、判断し、決断する。これができていれば
たとえ何かに騙されても、間違っていても、悔いなど起こりません。
少なくともそのときの自分に可能な選択をしたのですからね。

669犀角独歩:2004/06/06(日) 12:05

> 661

(1)については顕正居士さんがお答えになり、さらに三吉がお考えをお示しなので、屋上屋を重ねないことにします。

(2)については該当文書の前文から読めば「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字」で「在世の本門=脱、末法の初め=種」であるという以上、「法華経が脱」であることになります。(経典<一品二半<五字)
しかし、これは釈迦仏法が脱益仏法で日蓮仏法が下種仏法であるということにはなりません。(五重相対はそもそも『開目抄』の教説です。『本尊抄』を持ってきて継ぐこと自体おかしなことです。また蓮師が言う五重相対は内外・大小・権実・権迹・本迹と見なされます)

本門寿量品の教学的な位置は釈尊が自らの久遠成道を示し、以後結縁衆の脱益を期するという脈絡ですから、当たり前のこととして本門は「脱」となるのでしょう。
それに比し、蓮師の末法の初めの位置づけは妙法蓮華経の五字を付属された上行菩薩を代表する地湧菩薩が滅後悪世の末法に弘法するというのですから「種」に違いありません。

しかしこれは、敢えて書けば、「脱勝種劣」というべき関係にあります。
つまり、経典より五字が勝れるというより、五百塵点已降結縁した衆生の法華経と、いま釈尊の命を受けて菩薩が衆生を済度するのに付属された五字との相違であって、倶に元来、その本法を所持するのは釈尊なのであってこの点は動きません。上行菩薩はその尊い釈尊から付属を受けて、五字を流宣するわけですから、上行菩薩が釈尊に勝るわけもなく、また、五字が経典に勝ることにもなりません。まして、上行を日蓮と見なし、その日蓮が釈尊より勝るなど、どうすれば、そんな考えが生じるのか、この倒錯ぶりには呆れるより他ありません。蓮師の嘆きを籍りれば「下克上」というほかないでしょう。

ただ、余計なことを記せば、蓮師は「末法の初め」と記すのであって、これは『大集経』を典拠とするのでしょう。つまり仏滅2000年から2500年を指します。蓮師の気分はその末法の初めに相当たるということでしょう。では、今はどうなるのか。已来700年を経てその初めから大きくはみ出しています。しかし、以降の時代が「種」に当たる教学を顕正会といわず、石山系はなんら示していないように見えます。(なお、蓮師が採用した仏滅年代は500年のずれがあり、鎌倉時代はまだ像法いうのが今の学問的通論です(参)高木豊師)

(3)「中古天台のほうがこちらを真似た」の「こちら」とは「大石寺」ということでしょうか。正確に言えば、「中古天台本覚思想恵心流口伝法門を」ということになるでしょう。では、この教学運動の基となったのはどこかといえば、言わずと知れた仙波檀林です。石山上古、歴代諸師のほとんどは、この本拠地、仙波檀林に学僧であったことを挙げれば、答えになるでしょう。

また、やや間口を広げ、所謂「本覚思想」はその濫觴を空海に見る(田村芳朗師)というのが学問的な常識です。平安期以来の教学が、なんで鎌倉時代の日蓮の真似といえるのでしょうか。「鎌倉時代の文化は、平成の科学による」というようなものでしょう。有り得ないことです。なお、日蓮自体、比叡山に学んでいるわけです。そこで日蓮は1歳年長の俊範からの相承系譜に属しています。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/honkakukeihu.html


> 愚鈍凡夫さん、お久しぶりです。
> 一刀両断さん、失礼など、何もありませんよ(笑)

670犀角独歩:2004/06/06(日) 12:06

【669の訂正】

誤)三吉が
正)三吉さんが

失礼いたしました。謹んでお詫びし、訂正申し上げます。

671犀角独歩:2004/06/06(日) 13:48

三吉さん、ご指摘有り難うございます。

> 「久遠に脱益した仏が一念三千を衆生に下種した。
  脱とは仏、種一念三千、下した先は結縁衆。」と言われていますが、
私にはそうは読めない。
「脱」は、仏ではなく、あくまで聞いたが衆生が解脱することです。

以上は、2003年8月29日の以下の投稿文に寄せてくださったものですね。
旧い自分の投稿で、今更読み直すと確かにご指摘のとおりであろうかと存じます。ご叱正を有り難く拝読いたしました。

次いで、以下、お答えいただければ有り難く存じます。

『法華経』物語で主要を示すテーマは「授記」ですが、いわばこれは衆生の未来成仏を予言する体裁になっています。このことに関連するのですが『法華経』のなかで、実際に「衆生が解脱する」ことを伝える箇所はあるのでしょうか。どうもないように思えます。その場合、「聞いた衆生が解脱」することを挙げて「彼脱」という日蓮の記述は具体的に何を指すことになるのでしょうか。多分、当時のわたしの気分としては、この点を決しきれず、脱を仏に配当したのであろうと思えるからです。

以上の点、ご教示いただければ有り難く存じます。

672顕正居士:2004/06/06(日) 17:17
三吉さん。
>「在世の本門」は、「久種覚知」に終わらず、始まります。
これはどういう意味でありましょうか?
>「末法之初め」は、「久種覚知」の「但題目」だけで完成と日蓮さんは言われていると
>私は読みます。
「しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか、久遠五百の退転して今に来るか」(『開目鈔』)
という言葉はありますが。「末法之初」の機は「本未有善」であり、新たに「聞法下種」を行う
時だというのは日蓮宗の諸派に共通の教義であって、だから「末法の衆生は釈迦仏法に結縁なし」
という表現も誤っているわけではないと考えます。

独歩さん。
>『法華経』のなかで、実際に「衆生が解脱する」ことを伝える箇所はあるのでしょうか。
「授記」は未来のことで「即身成仏」ではないという批判を真言宗から受けますから、日本天台
では竜女成仏を「現証」とします。現在に「八相成道」したわけですから。
「八歳の竜女、頓に正覚の台に坐す」(安然『即身成仏義私記』)
「第五の巻は一経第一の肝心なり竜女が即身成仏あきらかなり」(日蓮『上野殿御返事』)
しかし「八相成道」は初住から可能ですから、「竜女分極」(初住か妙覚か)の論があります。
また「即身成仏」は「一生成仏」(一生入妙覚)とはちがう概念です。
「問ふ、的(まさ)に就ち何の位を即身成仏とする耶。答ふ、初後あらば是れ止観に背く。初後は
皆是れ仏也。但だ理即は理仏にして成不を論ぜず。名字已り去(このかた)皆為(これ)即身成仏
と名づくることを得」(安然『即身成仏義私記』)
なぜ『観心本尊抄』には「本門に至って等妙に登らしむ」というのか、という疑問はおこります。
堅樹日寛師はこういう箇所を見逃しませんから
「問ふ、今日の本門に妙覚の益なし、何ぞ等妙といふや。答ふ、文上の所談は実に所問の如し、
若し文底の意は皆名字妙覚位に至るが故なり」(『観心本尊抄文段』)
と注釈しています。
*竜女分極 『天台宗二百題』にあります。この本は四明尊者の中国正統天台に基づく議論です。
*天台宗と真言宗では「即身成仏」の語の意味合いが違うことについては次の記事が役立ちます。
http://www2.tky.3web.ne.jp/~kuuki/hp/3hossin/ronbun/10jikidou.html
*五大院安然の『即身成仏義私記』は次のサイトからダウンロードできます。
http://member.nifty.ne.jp/akirakira/study/lib.htm

673犀角独歩:2004/06/06(日) 17:33

もう一点、訂正します。

> 日蓮は1歳年長の俊範

これは違いますね。俊範の生没年代は明確になっていませんでした。

ついで書けば、日蓮と俊範の関係を示す初出は『日大直兼台当問答記』でよろしいのでしょうか。

『百六箇抄』の「俊範法印答て云く、不思議一」の記述の成立はいつ頃のものなのでしょうか。

あと、『御本尊七箇相承』(明星直見相伝)「即ち彼の池を見るに不思議なり、日蓮が影今の曼陀羅なりと云々。此の事を横川の俊範法印に御物語ありしを、法印讃して言わく、善哉善哉、釈迦古僧に値い奉りて塔中に直授せるなり」
で俊範の名が挙がります。この伝説が創案されたのは一体いつ頃のことなのでしょうか。

こんな形の作り話(敢えてわたしはそう書きます)で名が挙がると、俊範(師)・日蓮(弟子)という相承譜まで疑いたくなります。まあ、蓮師叡山遊学、師・俊範との関係が先の取り沙汰され、その名に仮託して創案されたところと、いちおう、区切りをつけて考えたいと思います。

674犀角独歩:2004/06/06(日) 17:55

顕正居士さん:

有り難うございます。
やはり竜女成仏ですか。これはしかしご記述くださるとおり、即身成仏に係る物語と拝読しました。

下種・成熟・解脱という三階梯を経る教学で、この竜女物語は整合性を持てるものでしょうか。実はわたしは蓮師の教えに反し、種熟脱を法華に引き当てるのはどんなものかと怪しむところがあります。

竜女成仏はまさに即身成仏であり、三時を介しない成仏であり、下種から成熟を経、ようやくと解脱を得るという長い期間を要しない別の教えと映じます。
しかも他の弟子はみな授記に留まり、在世の法華はただ成熟の道程としか映じません。初発心の弟子という上行菩薩ですら久遠五百塵点を経ながら、その身は未だに菩薩です。

釈尊成道についても永遠に等しい菩薩道と成仏を言い、これを三時に当て嵌めれば、菩薩道は成熟、成仏は解脱と読めなくもありませんが、では下種は問えば、無始古仏の故に下種無しと蓮師教学では結論が出そうです。

以上の点から、三時(種熟脱)は竜女成仏に当て嵌まらず、他の弟子衆は授記(未来成仏)ばかり。こうなると、「彼脱」と蓮師が言うのはいったい何を指すのか、わたしには理解しかねるところがあります。まさか竜女ばかりを「脱」というとも思えません。

以上は、決して顕正居士さんに疑義を立てると言うことではなく、蓮師の「彼脱・此種」の意に就いて申し上げるところです。いま少し詳細なご教示を賜れれば幸甚です。

675三吉:2004/06/06(日) 21:42
他人様に教示できるほど確かな読みではありませんが、
私の読みは以下です。

私は方便品最後部分の「偈」に「万善成仏」が説かれていると見ます。
「皆已に仏道を成じき」ですね。
「布施持戒忍辱精進禅智などの福徳、善軟の心、舎利供養・起塔など
果ては童子が戯れに砂を集めて仏塔を作るのまで」が
すでに、仏道を成じき、です。
(ここに私は感動して法華って凄いと思っています)

私はこの方便品の万善成仏が法華の一つの中心と見ますので、
以下の章で展開される「声聞授記」と後世挿入された提婆達多品の
「提婆達多授記」「竜女成仏」(法華の提婆達多が悪人か?という問題はありますが)、
この三種の授記は、先行する初期大乗「般若経典グループ」に
「声聞不成仏」説があり、それの「万善成仏」派からの批判だと見ています。
(竜女成仏も舎利弗に先行する「五障」説を語らせ、その批判としてあります)

菩薩にまず「万善成仏」が示され、
声聞も授記で救済を再確認しているという構造ではないかと。
その方向性を提婆達多品も継承しているのではないかと。

せっかくですので土俵に乗れば、釈尊晩年の八年に法華本門を聞いて、
解脱した衆生は法華経にいたのかというご質問であろうかと思います。
序品よりの聴衆は菩薩も含めて怪しいですね。個人名を挙げての具体例は
ないかもです。日蓮さんが云何に読んだかも存じません。

でも寿量品の次の分別功徳品を見ますと、
菩薩の中には一生のうちに完全な悟りである「阿耨多羅三藐三菩提」を
得るグループがあると書かれています。
ただ衆生は「阿耨多羅三藐三菩提」の『心』とあり、この『心』が曲者で
これがあると「完全な悟り」ではなく「完全な悟りを求める心」になります。
ここでは菩薩のうちに未来成仏と現世成仏が説かれ、衆生は悟りを求める
出発点に立つんだ、ですね。
さて更に読み進みますと仏の寿命長遠の意味を理解するものは
「能く一切種智を生ぜん」と「仏智」を得るとあります。解脱に近似です。
かなり強引になりますが、次の随喜功徳品を見ますと、
「法華経の一偈を聞いて随喜せん功徳」は、「阿羅漢果」を得るより
優れているとあります。「阿羅漢果」より優れているのは「仏果」しか
想定できませんので、解脱が暗示されていると強引に解釈しうるかもですが、
そこまでする必要はないかもです。
天台や日蓮さんからすれば、「脱」(解脱)が、現世か未来の約束かは大差なく、
「脱」(解脱)すると書かれていることが重要だったかもです。

余談です。衆生に拘らなければ、常不軽菩薩品の
「若し我宿世に於て此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば疾く阿耨多羅
三藐三菩提を得ること能わじ。」
ということから、前世の「種」→前世・今生の「熟」→今生の「脱」が
根拠づけられるかもです。
長々と失礼しました。(671を読んでのレスです。672以下これから拝読します。)

676三吉:2004/06/06(日) 22:33
顕正居士さん

釈尊最晩年八年の法華説法を聴聞した人たちは、「時」と「機」が
純円であるから聴聞できたわけですけど、それに先立つ永遠の過去に
下種があったわけです(五百億塵点劫)。
しかも大通仏の元に結縁して聴聞して調熟させられて(三千塵点劫)、
現世に、前四味(法華爾前経)を修し、法華前半を聞き、やっと本門が
説かれる「時」と「機」が熟したわけです。
「在世の本門」の人たちには五百億塵点劫の下種は、スタートです。
「末法初めの現代」も下種がスタートであることには変わりませんが、
爾前経を修する必要なく、但題目でOKよんということではと思います。
同じく法華本門が説かれるという意味で「時」「機」が純円でありながら、
真ん中の修行(調熟)期間の有無に差があります。

日蓮宗共通解釈は存じ上げませぬが、日蓮さんの遺文、
開目鈔当該箇所・曽谷入道殿許御書・南条兵衛七郎殿御書・兄弟抄
忘持経事などから日蓮さんは、今生きている世間の人はみんな、
永遠の昔に釈尊から法華を下種されており(五百億塵点劫下種)、
大通智勝仏第十六王子釈尊の教化で法華と結縁がなされ(三千塵点劫結縁)、
いるのに、それを忘れているぅぅぅと嘆いていると私は思います。

677犀角独歩:2004/06/07(月) 14:14

> 675 三吉さん:

実に示唆に富んだご教示をいただきましたことを深く感謝申し上げます。
有り難うございました。頷けるところ大でした。

678顕正居士:2004/06/07(月) 16:01
>日蓮と俊範の関係を示す初出は『日大直兼台当問答記』でよろしいのでしょうか。
山川伝之助博士(智応居士)がはじめてこの文書に基いて日蓮聖人の比叡山における師を俊範と
決定し、以後は定説になったのだとおもいます。
>『百六箇抄』の「俊範法印答て云く、不思議一」の記述の成立はいつ頃のものなのでしょうか。
富要集の堀師の註に底本は日辰、日我等の本とありますから、日辰、日我よりは以前なのでしょう。
>この伝説が創案されたのは一体いつ頃のことなのでしょうか。
富要集に底本は「房州日山」の本とあります。室町時代の終わり頃の人でしょう。日大直兼の問答
があったのはは『富士年表』によると1363年です。
『明星直見』の相伝は、末代の凡夫は何を以て本尊となすべきかとの問に、釈尊が示現して汝等が
身を以て本尊とせよ答えたという。「己身本尊」、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
(『御義口伝』)で、われらが心臓(かりだ hrdaya)に住する三十七尊を本尊とせよの意義だろう
から、これは作り話でもよく出来た話であるとおもいます。
>俊範(師)・日蓮(弟子)という相承譜まで疑いたくなります。
親鸞聖人の比叡山での身分についてある時期に議論がありました。日蓮聖人が俊範法印から相伝を
受けたかについても疑う学者はいるようです。日蓮自身は遺文では何も述べていないのですから。
そういう意味では俊範−日蓮の相承を史実とする定説は、日蓮宗に口伝相承があって、秘密相承で
あったことを認めるわけです。

679顕正居士:2004/06/07(月) 17:31
日蓮宗にほぼ共通の三益論とは次のような考えであり、
http://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/ki.html
次のサイトに智学居士を引用していうように、釈尊の化導が在世の本門で一段落した意味です。
「一仏化導の種熟脱の三益が一段落をつげて、末法にあらためて下種されるのだから、後番の大化
である。即ち久遠元初の下種と、同じことになるのである。末法の初と久遠の昔と同じというのは、
そこにある」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/renge.htm

三吉さんのおっしゃるご趣旨は理解できました。三益論は天台宗の教義ですが、釈尊の化導が在世
の本門で一段落し、正像二千年はさらにその落穂ひろいに過ぎないという教義は日蓮宗固有であり、
しかしその教義が日蓮の遺文に顕然かというと、必ずしもそうではないようにわたしにも思えます。

680空き缶:2004/06/07(月) 18:22

 皆様お久しぶりです。愚鈍凡夫さんお帰りなさい。

 中古天台と聖人法門の前後関係に関しては、現在神奈川県金沢文庫にて保管されている「授決円多羅義集唐決」是聖房写本が現存し、中古天台初期の文献といわれる「授決円多羅義集唐決」を17歳当時の是聖房が筆写していることからも、やはり中古天台が先ということは動かしがたいものと思われます。
 
 尚、「授決円多羅義集唐決」是聖房写本は、ほんの一部ではありますが、その写真が「図録 日蓮聖人の世界」に掲載されています。

681顕正居士:2004/06/08(火) 13:20
「本未有善」

この語自体は遺文に存在せず、「末法無戒」のたぐいです。では末法の始めの衆生の多数は久遠の
聞法下種がない人々だと述べた主要な遺文は何かといえば、おそらく『小乗大乗分別抄』でしょう。
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso0520.html
「今は又末法に入つて二百余歳過去現在に法華経の種を殖えたりし人人やうやくつきはてぬ」

正像二千年には小乗、権大乗の教えで多くの人々が得脱した。
「過去に法華経の種を殖えたりし人現在に法華経を待たずして機すすむ故に爾前の経経を縁として
過去の法華経の種を発得して成仏往生をとぐるなり」(同抄)
*「雖脱在現具騰本種」 脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ。
だから、末法の始め、それより二百余歳を経過した日蓮の時代には、久遠の聞法下種がある人々が
例外でないならば、当時も法華を直道と称し得ても、法華以外での得脱を否定する根拠を失います。

682れん:2004/06/08(火) 19:35
顕正居士さん。「本未有善」は既にご存じと思いますが、天台大師の法華文句巻十に「本已有善者釈迦以小将護之本未有善者不軽以大強毒之」が典拠です。蓮師真筆遺文では、「本未有善」の語彙は単独では使用されませんが、「曽谷入道殿許御書」に上記の法華文句巻十の本未有善云々の釈が引用されています。蓮師要文では石山蔵の「法華経第四等要文」や玉沢妙法華寺蔵の「注法華経」第七巻第一紙裏にもまた上記の法華文句巻十の本未有善の釈が記されています。ゆえに蓮師遺文に「本未有善」の語はみられずとは些か早計と存じます。右ご参考まで。

683れん:2004/06/08(火) 19:38
訂正。
誤、法華文句巻十に
正、法華文句巻十の

684顕正居士:2004/06/08(火) 21:19
れんさん。

「本已有善釋迦以小而將護之。本未有善不輕以大而強毒之」

この文章はたしかに法華文句の巻十にあります。そして『曽谷入道殿許御書』に引用されていること
を確認しました。おっしゃるように引用でもそのとおりの語があれば、遺文中に使われているという
べきでしょう。ありがとう御座いました。実は。

この文は『唱法華題目抄』にも引用されています。よく考えたら、『本未有善』で検索しても見つか
らない、「本未だ善有らざる」でさがさないといけなかったのです。

685犀角独歩:2004/06/08(火) 23:34

678 顕正居士さん:

有り難うございました。
たいへんに参考になりました。

反芻して考えてみれば、この師子関係を伝えるのは共に尊門。
厳正な歴史考証と言うより、相伝的な要素が多分に入り込んでいると考えたほうがよろしいのであろうと思いました。

686犀角独歩:2004/06/09(水) 16:00

れんさん:
顕正居士さん:

「本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之」

この文意は本(もと)已(すで)に善有る衆生には釈迦は小でこれを將護し、本未だ善有らざる衆生には不軽は大でこれを強毒するというわけですね。

文句に依れば、釈迦在世の法華会座衆生は本已有善であるという石山教学には当て嵌まらないことになりますね。「末法の荒凡夫」というのも、本未有善は威音王仏像法の不軽軽毀衆ですから釈迦末法の衆生の説明に持ってくるのは論理の飛躍となりましょうか。ここでいう大小と大乗・小乗のことを指すと思えますが、そうなると、三五塵を経た衆生は本已有善で小乗で脱、しかし法華を至極とする大乗は本未有善の種という釈義を採れます。
この点は如何なものでしょうか。

687愚鈍凡夫:2004/06/09(水) 21:41

>>680 空き缶さん、有り難うございます。

新しい方々も増えて、掲示板自体が活発になってきましたね。
小生もボケをかましながら、皆さんの邪魔にならぬように徐々にレスしていきたいと思います。
これからも、宜しくお願いします。
最近、ガンコさんのレスがないもので、漫才コンビの相手に不自由しています。
それでは。m(_ _)m

688空き缶:2004/06/09(水) 23:23

 愚鈍凡夫さん、ガンコさんは某日蓮正宗系掲示板にて、創価学会の沖浦さんとレス交換していました。

 ここ
 ↓
 http://hpmboard3.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=VYC14456

 と

 ここ
 ↓
 http://8327.teacup.com/woman/bbs

 で、みかけました。

689ロッド:2004/06/11(金) 14:46
皆様。
質問をしておいていなくなってすいませんでした。また、心に響くような
お言葉をいただきまして本当にありがとございました。
あれから、家にいるのもいやになてしまい、顕正会の人ではない友達の家などを
てんてんとしておりました。
しかしこのままじゃいけないと思い、いくつかの事を、ここに書き込む以上の
勇気を振り絞って行動をしてみました。そのいくつかの行動と、その結果によって
、先日よりもわりとすっきりした気持ちでいます。
そのいくつかの事とは
※一緒に身延派寺院にいった先輩に、返答できなかったことに対して
 つっこみいれてみました。
先輩「そんなことないよ。別に答えるまでもなかったから。
   君はそんなこと気にしちゃ罰をうけるよ」だそうです。
それに対して私の正直な気持ち。
  「自分はこんな人についてきていたのか。」

※もう一度、先輩と行った寺院のお坊さんに会ってみようと行ってきました。
 行ったとはいえ、なかなか玄関には踏み込めず、境内をうろうろ
 していたら、墓の掃除をしていたその時のお坊さんに見つかりました。

お坊さん「おー!元気にしてるかい?またきてくれたんだね。とてもうれしいなあ。
     お?!今日は一人?」
私   「はい。」
お坊さん「それが大事なんだよ。最初の一歩を踏み出したね。」

後は普通の世間話を長々と。たぶん、そのお坊さん、私が来た理由を感じていたのかと
思っています。わざとこちらが聞くまで、顕正会のことも教義のことも触れないように
していたように思います。なんかまんまとだまされたような(いい意味で)

私の正直な気持ち「なんか、`だれか`よりもこの坊さんの方が信用できそう」
        
※入会以来、親子関係のなくなっていた親父と、一緒に酒飲んでみました。
 うれしそうに目を合わせずに飲んでいる親父を見て、なにかがふっきれたような。

※ここの過去ログ呼んでみました。ぐうの音も出ないというのはこのことかな。
 でも、そう感じられた自分がどこかうれしいような。それにしても
 私には難しくて、徐々に勉強していきたいです。

※顕正会の先輩などの呼び出し、全部無視してみました。
 留守電の内容がすごいのすごくないのって感じです。
 「おまえ、どうなるかわかってるんだろうなあ」みたいな。

こんな日記を皆様に聞かせても、どうでもいいよって言われそうですが、
私にとってはこの一週間は人生の大きな分かれ道であったように思っています
もので、どうしても皆様に言いたかったのです。
これから、日蓮大聖人様を、ゼロから、人に左右されないように
学んで行こうと思ってます。皆様に言われたように。
本当にありがとうございました。心から感謝します。
またお邪魔します。それでは。

690ロッド:2004/06/11(金) 14:48
独歩様。
ひとつ聞かせてください。
大石寺の歴代の方々が仙波で学んだことはなにかに残っているのでしょうか?

691犀角独歩:2004/06/11(金) 16:12

ロッドさん、よかったですね。
今のご決断にわたしは敬意を表します。

> 大石寺の歴代…仙波で学んだ…なにかに残っているのでしょうか?

この点について、過去に調べたことがあるのです。ところが、ここ1年の間に2度の大きなコンピュータトラブルに見舞われて、まとめた文書を失ってしまいました。取り敢えず、、だれでも手に入る『富士宗学要集』テキスト版からの検索結果を以下に示します。

『有師物語聴聞抄佳跡上』日因
「日時上人仙波学門なり」
「日影上人(下野平井園部御出生俗姓不知)日時上人に随順し出家学道す、武州仙波に台家を学び」

『富士門家中見聞(家中見聞下)』日精
『日時は仙波に於て修学の故に冨士に住せず」
「釈の日時、俗姓は南条、出家して良栄と号す、日行に随順し当家の諸書を学ぶ、後武州仙波に於て広く台家を聞く」
「日院伝…武州仙波に往いて実海の座下に於て広く修学」

あと、あまり使いたい資料ではないのですが、『新版 佛教哲学大辞典』(聖教新聞社 昭和60年11月18日発刊)このなかでも散見できます。
同書『発刊の辞』で秋谷さんは「(石山)大村寿顕教学部長を初めとして宗門教学部の方々に、大部の原稿に目を通し、種々ご指導をいただいた」(P5)とあるので、石山もその記述に責任を負う資料と言えようかと存じます。

やや曖昧な記憶ですが、上述以外、行師、阿師などたしかその関係にあり、有師はそれにさらに禅律師からの影響もありとのことでした。

雑駁な解答で恐縮です。
いま立て込んでおり、詳細に調べている暇がありません。ここ何日かは投稿は致せないところでしたが、ロッドさんの吉報に自宅に舞い戻り、取り急ぎ、解答させていただきました。

ともかくも「おめでとうございます」と申し上げるものです。

692管理者:2004/06/11(金) 17:39

ロッドさん

判断を組織や指導者の言に委ねることなく、自分で確かめてみる事、自分で判断してみる事、自分で考えてみる事。それは、管理者が、過去、独歩さんをはじめ、この掲示板に集ってくださった方とお話をさせていただく中で、やっと到達した方法論でした。今、ロッドさんが、その同じ方法論で突き進まれようとされている事、本当に嬉しく思います。この掲示板が一定の役割を担っているんだという感動を禁じえません。ご参加下さっておられる方々に心から感謝申し上げます。有難うございます。ロッドさんはじめ、御参加の皆様、これからもよろしくお願いいたします。この掲示板は、皆様方お一人お一人の為の掲示板です。思う存分活用してくださる事を望んで止みません。

693ロッド:2004/06/11(金) 17:41
独歩様
>ともかくも「おめでとうございます」と申し上げるものです
なんとありがたいお言葉かと泣けてきそうです。
でも、すっきりした気持ちもありますが、今まで何をやってきたのかと
自己嫌悪に陥りそうです。特に親に対する申し訳なさでしょうか。
でも、独歩様のお言葉、本当にありがたいです。
感謝します。

>雑駁な解答で恐縮です
とんでもありません。
私でもよくわかりました。ちゃんと資料があるんですね。
今はこういったことを聞いても頭にこなくなっている自分がいます。
素直に「ホー」「ヘー」とうなずけます。トリビアのようです(笑い)

>いま立て込んでおり、詳細に調べている暇がありません。
 ここ何日かは投稿は致せないところでしたが、
 ロッドさんの吉報に自宅に舞い戻り、取り急ぎ、解答させていただきました

本当にありがとうございます。本当にうれしいです!!
お忙しいところなのに(感動の涙)です。

またお時間があったら教えてほしいことがあるので是非お願いします。
過去ログを見て皆さんの知識に圧倒されています。おそらく顕正会の
仲間達は全くわからないかもしれません。その程度でしか教えられていませんから。
私にはこれといった資料もないですし、情けない話です。
またいろいろ教えてください。お願いします。

694ロッド:2004/06/11(金) 17:48
管理人様まで心温まるお言葉感謝致します。
>この掲示板は、皆様方お一人お一人の為の掲示板です

顕正会員全員に見せたいくらいです。

皆様にお聞きしたいのですが、先日ご質問しました、本尊抄の
「彼は脱・・・」のところですが、皆様にお答え頂いたのですが
私には難しすぎてちょっとわかりにくいのですが、無知すぎる自分が情けないですし、
こんな低レベルな話をして申し訳ないのですが、

私のような小学生レベルで言うなら、
あそこにある「脱」とは、脱け殻とかいう脱ではなくて、「解脱の脱」と
いうことでしょうか。それを顕正会等では「意味のないもの」と
教え込んでいるということでしょうか?

695空き缶:2004/06/11(金) 18:53

 犀角独歩さん、こんばんは。

 > 大石寺の歴代…仙波で学んだ…なにかに残っているのでしょうか?
 
 についてですが、以前、独歩さんとれんさんの問答の中で、日時上人「四帖見聞」について論議されたことを思い出しました。

 この「四帖見聞」については、時師真筆不伝の上、写本も残っていない為確認のしようがありませんが、時師の仙波談林での向学が史伝に明らかであるならば、「四帖見聞」は中古天台で四帖抄と呼ばれ、現在の大石寺教学とも大きな隔たりが感じられない「修禅寺決」の聞書きかもしれないと想像しています。
 
 ただし「修禅寺決」では、観念観法の修法を通常の行とし、唱題行は臨終の間際に行うものとしていたと思います。(違いましたっけ?)
 
 チョッと前に話題になった、「五戒口決伝授」以来、中古天台法門への関心を新にした次第です。
 と、いうことでこの話題にのって中古天台に関し、独歩さんの知識を伝授いただこうかと思いましたが、お忙しいようですね。出版の関係でしょうか。

696ロッド:2004/06/11(金) 23:31
管理人様
もうひとつお伺いしたいのですが、大石寺の歴代の、
日興聖人様から今の阿部氏までの歴代の法主が示されている書籍を
紹介頂けませんか?

実は、有名どころ(日有上人・日寛上人)くらいしかい、名前と、
年代とか何世だとかがわからないのです。
せっかく皆様がお教え下さっているのですが、それがわからないと
時代性がつかめないでおります。
どうか教えてくださいませ。

697問答迷人:2004/06/12(土) 06:03

>日興聖人様から今の阿部氏までの歴代の法主が示されている書籍

大石寺発行の「冨士年表」に歴代が載っています。正信会のnbさんの資料室で公開されています。ダウンロードも出来ますよ。

http://nakanihon.net/nb/hujinennpyou/hujinennpyoumokuji.htm

699犀角独歩[TRACKBACK]:2004/06/12(土) 10:48

ロッドさん:

横レス、失礼します。

> 「脱」とは、脱け殻

これは逆でしょうね。抜け殻ではなく、いわば、むしろ脱皮した本体のほうでしょう。

脱=解脱という点については先に三吉さんが668で触れられていましたね。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015573970/r668

初期天台文献で見ると『金光文句』に「下種成熟解脱」とあり、そのことが裏付けられます。

> 歴代の法主が示されている書籍

このご投稿を拝見して、顕正会の勤行では『過去帳』を用いないこと、また、歴代諸師命日報恩祈念をなさないことが知られました。
石山の坊さんであれば、小僧さんの時に「蓮興目道行時阿…淳達顕」と67代を暗記することは誰しもやることです。また、朝晩の勤行で報恩観念をするうえで歴代の名を読み違える人は法華講員でも少ないでしょう。日寛を「にっかん」なんて読んでいれば、「ああ、学会か、顕正会だな」と言われるわけです。
これは別段、勤行の在り方の是非を論じるものではなくて、石山僧俗であれば、その歴代命日は大方は頭に入っていることです。まあ、こうして歴代諸師と僧侶への尊敬が養われていくということです。

在家集団は勤行は自分のため、伝統集団は当然のこととして仏祖三宝と広宣流布のため、この初めの一歩から、心がけが違っています。

「書籍」と言えるかどうか…、ですから、石山の『過去帳』には歴代全員が乗ることは当然のことで、信者宅の仏壇にも必ず常備されます。

ここで、その全体を挙げられるわけもありませんので、問答さんがお示しくださった『富士年表』の冒頭に掲載される石山歴代の一覧表を付して置きます。http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/sekizan_rekidai.jpg

なお、記される命日の元号から直ちに西暦を想起される人は少ないと思います。その対照表は以下のとおりです。ご参考ください。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/nenkihyo.html

…上述の如く紹介するからと言って、石山歴代諸師を全面的に肯定しているわけではありません。まあ、断るまでもないですが(笑)

やや余談ですが、ロッドさんがお会いになった神奈川の延山のお坊さん、私の知り合いではないのか?と想像しています。名字「O」師という方ではありませんか。あ、具体名はアップしないでください。プライバシーに関わりますからね。

700犀角独歩:2004/06/12(土) 10:56

空き缶さん:

> 四帖抄…「修禅寺決」の聞書きか

ほお、これはなかなか。
『四帖抄』と言えば、隆師と相場が決まっている、そんな議論をれんさんとさせていただいたのでした。懐かしいですね。

> 唱題行は臨終の間際に行う

臨終正念のことでしょうか。

> 「五戒口決伝授」…中古天台に関し、独歩さんの知識を

いやいや、これは顕正居士さんをはじめ、川蝉さんん、また一字三礼さなど皆さんのほうがお詳しいでしょう。石山の濫用に関してはわたしは饒舌ですが(笑)

> お忙しいようですね

済みません、詳しくかけず。ちょっと体調が優れないところに、その他いろいろとという状態です。改めて、ちゃんとレスさせていただきます。

701地名:2004/06/12(土) 11:09

ロッドさん


「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし」

「雪深・朝には・向嵐・薪拾・深谷・氷厚・夕・凌寒・水をくみ
菜ヲ摘ては・知・飛花落葉・無常
菓拾ては・願・阿褥菩提・仏果、
年々修行・誠銘・求法之肝 日々学問・功洗・利生之眼
昼・頭戴水木・頂上・既・くぼくなり
夜・以身・為床座・常随給仕・玉、
雖然・勤行・学問・をこたり・玉はず」

上記は、昔、独歩さんに教えてもらった言葉です。
ご参考にしていただければ幸いです。

ロッドさん、顕正居士さん、三吉さん、独歩さんは仏教に関しては最高水準にある方々です。
ですから、わざわざロッドさんのために解説してくださった「観心本尊抄」の「彼脱此種」の部分は、何度も何度も読まれるとよいと思います。
「穴の開くほど読め」(眼光紙背に徹す)というのは日蓮正宗65世日淳上人の言葉でした。
私も顕正居士さん、三吉さん、独歩さんの記された部分を何回も読みますから、ロッドさんも何回も何回も読んでください。
読んで、わからない部分は仏教辞典等で確認し、また読んでください。短い文章ですからお三方の文章を書写してみてはどうでしょうか。
そうすると、お三方のお考えが少しはわかるかと思います。
その上で、わからない部分についてお三方にご質問なされるとよいと思います。

702空き缶:2004/06/12(土) 20:14

犀角独歩さん、お忙しい中の返レスありがとうございます。

>臨終正念のことでしょうか。

私は極めて単純に「修禅寺相伝私記 一心三観・心境義 四帖内一」(伝最長撰)の「平安の時には知識に値遇して、妙法蓮華経とは即ち一心の三諦なり、諸仏の内証なりと解達し、臨終の時には南無妙法蓮華経と唱ふ。」(岩波書店 日本思想体系 天台本覚論P46)を思い浮かべただけなんですけど、「一心三観」の考え方はチョッと違っていました。
あくまでも臨終一心三観の行法として唱題を勧めているのでありました。

703犀角独歩:2004/06/13(日) 00:34

空き缶さん:

いま手元に資料がなく、ちゃんと確認できないのですが、「四帖内一」というのは、何を意味するのでしょうか。

704空き缶:2004/06/13(日) 10:09
独歩さん、「四帖内一」とは、四帖の内、第一番目の抄ということです。

705犀角独歩:2004/06/13(日) 10:25

空き缶さん、質問の仕方が悪かったですね。

「帖」は1冊に和綴じした単位を言いますよね。ですから、四帖と言えば、四冊の本を意味しますでしょう。それが『四帖抄』となれば、四分冊の著述ということですね。ですから、ここでいう「四帖一」の一帖、つまり1冊にまとめられたものは何でしたっけ?、と。

『天台本覚論』はもはや絶版で、古書ではかなり高価です。わたしは近隣の図書館にあったものですから借りて、それこそ、目を皿のようにして読んだのですが、いま手元にないのです。そんなことからの質問でした。

もう少し具体的に記すと、「修禅寺相伝私記 一心三観・心境義 四帖内一」とは「『修禅寺相伝私記』の「一心三観・心境義」四帖の内の一つ」。つまり、『修禅寺相伝私記』は四帖本で、その内の第一帖が「一心三観・心境義」を記したものという意味であったかどうか。まあ、仕様もないことを聞いていますが、れんさんとの議論でも出たとおり「四帖」は石山でも言われ、隆門でももちろん言われます。四帖という体裁に何か特別な意味があるのだろうかと漠然と疑問に思っているので、ちょっと、お聞きしたわけです。

706空き缶:2004/06/13(日) 16:50

犀角独歩さん、「修禅寺決」四帖の内題は以下の通りです。

四帖内一:「修禅寺相伝私記」一心三観・心境義
四帖内二:「修禅寺相伝私記」止観大旨
四帖内三:「大教縁起口伝」法花深義上
四帖内四:「大教縁起口伝」法花深義下

隆門での四帖は、隆師の勝劣義デビュー作ですが、隆師は四帖抄から晩年の本門法華経弘教抄百十三巻の完結までに3千余帖の著作を残されたと伝えられていますね。
手ごろな価格で手に入る隆師の著作としては、仏立研究所より3千円で出ていた「法華宗本門戒体見聞」がありますが、こちらは三帖抄と呼ばれています。
日蓮宗宗学全書掲載の「私新抄」は十三巻、「十三問答抄」が上下二巻からなっていますので、隆門的には「四帖」への深い意義は感じられないと思われます。

707顕正居士:2004/06/13(日) 19:40
>>663で上野殿御返事(与南条七郎次郎)の「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」は
西方願生に関してであろうと述べました。薬王菩薩本事品に有名な経文があります。
「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、
此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の
宝座の上に生ぜん」
この経文は薬王品得意抄(与上野時光妻)に全文引用されており
「女人の往生成仏の段は経文に云く。若如来滅後。後五百歳中。若有女人。聞是経典。如説修行。
於此命終。即往安楽世界。阿弥陀仏。大菩薩衆。圍繞住処。生蓮華中。宝座之上等云云。 問て曰く、
此経此品に殊に女人の往生を説く何の故か有るや。答て曰く、仏意測り難し、此の義決し難きか
(下略)」
法華初心成仏抄(与岡宮妙法尼.)にもこの質疑が見えます。
「問て云く即往安楽世界阿弥陀仏と云云、此の文の心は法華経を受持し奉らん女人は阿弥陀仏の
浄土に生るべしと説き給へり。念仏を申しても阿弥陀の浄土に生るべしと云ふ、浄土既に同じ、
念仏も法華経も等(ひとし)と心え候べきか如何。答て云く、観経は権教なり法華経は実教なり
全く等しかるべからず(下略)」
「即往安楽世界」の経文にはなかなか困ったようで、
弥三郎殿御返事には「若しさる経文有りと申さば(下略)」とあり、三師御伝土代には伊勢法印
が徒党を率いて問答をしかけたという伝説があります。
「大聖仰に云く卿公問答せよと云云、ときに日目上人廿三才すなはち御問答十重あり、第一即往
安楽世界阿弥陀仏なり(以下略)」
それで例の上野書では日蓮聖人もいささか切れるところがあって、「日蓮が弟子等の中になかなか
法門しりたりげに候人人はあしく候げに候」、「此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしき
ひが事なり」、遂に「法華経もせんなし」(薬王品に即往安楽世界の経文があろうとも)と述べた
のだろうと推測します。

708ロッド:2004/06/13(日) 20:40
皆様
今日はじめて、ここの過去ログの大御本尊様に関するところを見ていました。
始めて聞いたことばかりで、今も少し動揺しています。
五月以来、大聖人様が御本仏ではないとの話を聞くことができたことから
何か夢から覚めたようで、すっきりした気持ちになったのは事実でした。
でも、大御本尊様(もうこういう呼び方もできなくなりそうで・・・)の
ことは、浅井先生のご指導をそのまま信じていましたので『これもかい!』と
いう呆れた気持ちと、『なんでやあ』というショックと、なにかいろんな
感情が入り交じってとても複雑な気持ちです。
しかし、ゼロから学ぼうと決めた以上、その道を自分なりにゆっくりですが
進んでいこうと思うように複雑な感情を今は一生懸命抑え込んでます。

709ロッド:2004/06/13(日) 21:02
独歩様
お忙しい中教えてくださり本当にありがとうございます。

>これは逆でしょうね。抜け殻ではなく、いわば、むしろ脱皮した本体のほうでしょう

 なるほどです。つまり、顕正会では脱け殻のごとく教えて意味のないもの
 のようにしているけれども、それはただのこじつけ的レベルなのですね。

>顕正会の勤行では『過去帳』を用いないこと、また、
 歴代諸師命日報恩祈念をなさないことが知られました

全く仰せの通りだと思います。少なくとも私の周りの人達は触れもしないことでした。
昔の御歴代の方々のことを絶対敬語で褒め称えてはいるけれども、
報恩などの大事なことはしないという矛盾を独歩様に言われてから
感じています。

富士年表のことを示してくださりありがとうございました。

>ロッドさんがお会いになった神奈川の延山のお坊さん、私の知り合いではないのか?と
 想像しています。名字「O」師という方ではありませんか

ちょっとびっくりしてます。私、市町村まで言いましたっけ?
もしかして独歩様は身延の僧侶なのですか?と思ったら、過去ログ見ましたら
違うのですね。独歩様のお知り合いの人かはわかりませんが、『O』の字が
ついていました。その後の字は、私は読めませんでした。
なんで字を見たかというと、いきなりその僧侶は名刺を出したのです。
今思えば、私の先輩がその時点でかなり動揺していたのを思い出します。
なぜかと言うと、その先輩の口癖の一つで、『身延の坊主は我々を恐れている』
というのがありました。
だからその先輩、身延寺院に行くと『名前を教えろ』とか『名刺をくれ』とか
すぐに言うんです。(こんなこと書いたら先輩達に私だってばれそうで怖いです)
そうすると、身延の人はもちろん名刺なんかだしたことなかったわけで。
その後の先輩のコメントは言わずともわかりますよね。『ほらな』と。
そしたら向こうから名刺をだされてしまって、目が泳いでいました。
その名刺をぱっと見て、『O』の字がつく漢字ははっきり見えました。
先輩が持ってかえってしまったので今はまた会いに行かないと名前はわかりません。
それにしても驚いています。なんで独歩様はそう思われるのか。
でも、なんとなく独歩様の『O』さんと違うような。

とにかく、お忙しところ教えてくださりまして本当にありがとうございました。

710ロッド:2004/06/13(日) 21:10
地名様
お忙しい中ご指導頂き本当にありがとうございます。

>その上で、わからない部分についてお三方にご質問なされるとよい

そうですね。あまりに低レベルな質問で失礼でありました。反省致します。
なんか、古文と言っていいのかわからないのですが、昔の書を見ると
最初からわからないという固定観念があるみたいで・・・・
努力精進していきたいと思います。

こう言っておいて、『それがいけないんだ』って言われそうですが

>「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし」


「雪深・朝には・向嵐・薪拾・深谷・氷厚・夕・凌寒・水をくみ
菜ヲ摘ては・知・飛花落葉・無常
菓拾ては・願・阿褥菩提・仏果、
年々修行・誠銘・求法之肝 日々学問・功洗・利生之眼
昼・頭戴水木・頂上・既・くぼくなり
夜・以身・為床座・常随給仕・玉、
雖然・勤行・学問・をこたり・玉はず」

これをわかりやすく教えて頂けないでしょうか。意味がわかるものも
あるのですが、レベルの低い私をお許し頂いて教えてくださったら幸いです。
また、これはなんという書なんでしょうか。お願い致します。

本当にすいません。お許し下さい。

711ロッド:2004/06/13(日) 21:13
問答名人様
始めましてです。ご紹介頂きまして本当にありがとうございました。
今後ともご指導のほどお願い致します。

712れん:2004/06/13(日) 21:54
独歩さん。一週間前から風邪のため返答できずにいました。>686、文句の文意は独歩さんの言われる通りと存じます。蓮師自身は寺泊書に文永八年の幕府からの弾圧という自らの宗教体験を踏まえて「日蓮即可為不軽菩薩」と記して自らを不軽に擬しました。曽谷抄には「今既入末法在世結縁者漸々衰微権実二機皆悉盡彼不軽菩薩出現於末世令撃毒鼓之時也」とあり釈尊末法の衆生を本未有善と定義している様にも見え、石山のいわゆる釈尊末法の衆生=本未有善、釈尊在世の衆生=本已有善とする教学そのものは蓮師の教学に由来するとみるのも可能かと思います。

713顕正居士:2004/06/13(日) 23:23
三益論

「今日の末代衆生はそうした釈尊の慈愛を知らない不孝・不知恩の謗法逆機であり、三五の下種
を忘失した失心者であると見なされるのが聖人の立場である。特に『観心本尊抄』(『定遺』七
一六頁)では、寿量品の良医治子喩をほぼ全文引用して法華経の弘まる時機について論じられ、
「不失心」とは在世の機根であり、久遠の本時に聞法下種され、あるいは三千塵点劫の昔に大通
結縁された本已有善の者で、今番爾前四味および法華迹門によって成熟され今番法華本門で得脱
したが、これに対して「失本心」とは滅後末法の機根であり、過去下種結縁なき、あるいは過去
下種忘失の本未有善の者であると定められたのである」(高森大乗師)
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/subcontents14.html
三吉さんがおっしゃったような方面が遺文にはあるから「過去下種結縁なき、あるいは過去下種
忘失の本未有善の者」と書かれているのでしょう。三益論(化道始終不始終の相)は迹門にある
化城喩品の説話がもとですから、日蓮宗の教学からは「文在迹門義在本門」(百六箇抄)で、
ややこしくなるでしょう。なお、天台学では下種には成仏の種を下すと調停(成熟)の種を下す
と二種があるとするようです。
「之二付キ種熟脱ノ三時ト云コトアリ、即チ下種ト成熟ト得脱トナリ。其下種ニ二アリ一ニ成仏
ノ種コレハ円教成仏ノ種子ナリ二ニ調停ノ種コレハ八教ノ中ニ於テ円教ノ一ヲ除キ余ノ七教ノ
種子ナレハ釈迦如来三千塵点劫ノ昔シ成仏ノ種ト調停ノ種トヲ所化ノ衆生ヘ下シテ置キタマヒタカ
化源トナリテ其下種以後乃至今世ノ初頓華厳ノ会座ヨリ般若ノ時マテノ化導ハ他ノコトニ非ス昔シ
大通智勝仏ノミモトニ於テ円教成仏ノ種ト余ノ七教調停ノ種トヲ下シテアル此八教ヲ説クヨリ外
ナシ此ノ八教ノ中ニ於テ根性ノ先キニ熟シタル者ニハ円教ヲ説イテ得脱令メ未熟ノ者ニハ余ノ七教
ヲ以テ成熟令メ其長ノ間ノ成熟ニヨリ所化ノ根性カ融会シテ遂ニ法華ノ会座カ開ケテ十界皆成仏ノ
利益ヲ得ル其時ニ世尊如昔我所願今者已満足ト出世本懐ヲ顕シタマフ」
吉谷覚寿著『天台四教儀集註略解』の「二 教相三意」明治31年から
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40046315&amp;VOL_NUM=00000&amp;KOMA=14&amp;ITYPE=0
*調停ノ種−「結縁已後、退大迷初、故復更於七教之中、下調停種」(『法華玄義釋籤』巻第二)
(結縁ヨリ後、大ヲ退シテ初ニ迷フ、故ニ復タ更ニ七教ノ中ニ於テ調停ノ種ヲ下ス)

714ロッド:2004/06/14(月) 21:31
顕正居士様
今ずっと顕正居士様が教えてくださったこと読んでいました。難しいですけど、
なんべんも繰り返し読んでみたいとおもいます。ありがとうございました。
それにしても自分が何も知らないことがわかり、なんとも恥ずかしい気持ちでいます。
僕は何を信じていたんだろう・・・

715地名:2004/06/14(月) 21:51

710 ロッドさんへ

お返事遅くなりまして失礼いたしました。

>昔の書を見ると最初からわからないという固定観念があるみたいで・・・・

大丈夫ですよ、みんな始めは同じですから。

>「雪深・朝には・向嵐・薪拾・深谷…
>これをわかりやすく教えて頂けないでしょうか。意味がわかるものもあるのですが、レベルの低い私をお許し頂いて教えてくださったら幸いです。
>また、これはなんという書なんでしょうか。お願い致します。

これは、「申状見聞私」保田妙本寺十四世日我上人(1508-1588)編著の中に記されています。
その中の「一 日目御縁起の事」にあります。

「…高山に雪深き朝には嵐に向かいて薪(たきぎ)を拾い(ひろい)、深谷に氷厚き夕べには寒を凌ぎ(かんをしのぎ)水を汲み(くみ)、菜を摘みて(なをつみて)は飛花落葉(ひけらくよう)の無常(むじょう)を知り、菓(このみ)を拾いて(ひろいて)は阿耨菩提(あのくぼだい)の仏果を願う。年々修行の誠は求法の肝に銘じ(きもにめいじ)、日々学問の功(こう)は利生(りしょう)の眼を洗い、昼は頭(こうべ)に水木を戴(いただ)きて頂上既に(すでに)くぼくなり、夜は身を以(も)って床座となし常随給仕(じょうずいきゅうじ)したまう。然(しか)りと雖も(いえども)勤行学問怠り(おこたり)たまわず。御こうべ(頭)の凹事(くぼむこと)、御行体の謂(い)われなり。…」「日目上人」継命新聞社、平成10年4月発行、P297

上の「日目上人」のP23では「…左京日教師(さきょう・にっきょう)の「五段荒量」(ごだんあらまし)には「上代行体をなし給うに日目上人は御頭の頂き平らかに御座す」(「富士宗学要集2-296)と簡潔ではあるが示されている。これは日目上人が水を汲み、薪を拾うに際して、頭に桶(おけ)をおいて谷に下り、峰に上る日々を送られたがために「御頭の頂き平らか」になったことを示したものである。…」

http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu4_5.htm

716地名:2004/06/14(月) 22:24

ロッドさんへ

「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし」については、以下をご参考まで…。

提婆品には釈尊の前身について次の如く説かれています。
「釈尊が嘗て大国の王であった時、阿私仙人を師として仕え、その仙人について山の中に入り、木の実を採り、水を汲み、薪を拾いなどして食事の用意をした。寒い夜などは自分の身を椅子代りにして仙人に掛けさせ、かくして仙人に仕えること一年や二年どころではない、実に千年の長きに及んだ。而も常に心に深く妙法蓮華経を信じていたから、途中であきて止めることをしなかった。そして遂にこの法華経を悟って成仏することが出来た。その時の大王は今の釈尊であり、その時の仙人は今の提婆達多であると経文に見えます。
以上の経意を行基菩薩という方が一首の歌に詠んでいます。

○法華経を我が得しことは薪こリ菜つみ水くみつかへてぞ得し

釈尊になぞらえて宗祖は身延で自ら提婆品の経文を色読して、身に実践せられ、山に入っては薪を採り、谷川におりては芹を摘み、田畑さへ耕された。宗祖が自ら範を示されたので、日昭、日朗、日興、日向、日持、日頂の六老僧もその労役に従った。身延に今なお残る「六老畑」がそれであります。

http://www.hokkeshu.com/hoto/045/045_minobu.htm

妙法蓮華経提婆達多品第十二
時有仙人。来白王言。我有大乗。名妙法蓮華経。若不違我。当為宣説
 時に仙人あり、来って王に白して言さく、
 我大乗を有てり、妙法蓮華経と名けたてまつる、若し我に違わずんば当に為に宣説すべし。
王聞仙言。歓喜踊躍。即随仙人。供給所須。採果汲水。拾薪設食。乃至以身。而作状座。身心無倦。于時奉事。経於千歳。為於法故。精勤給侍。令無所乏。
 王、仙の言を聞いて歓喜踊躍し、即ち仙人に随って所須を供給し、果を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設け、乃至身を以て状座と作せしに、身心倦きことなかりき。時に奉事すること千歳を経て、法の為の故に精勤し給侍して、乏しき所なからしめき。
爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく
 我念過去劫 為求大法故
  我過去の劫を念うに 大法を求むるをもっての故に
  雖作世国王 不貧五欲楽
 鐘椎告四方 誰有大法者 若為我解説 身当為奴僕
  世の国王と作れりと雖も 五欲の楽を貧らざりき
  鐘を椎いて四方に告ぐ 誰か大法を有てる者なる
  若し我が為に解説せば 身当に奴僕と為るべし
  時有阿私仙 来白於大王 我有微妙法 世間所希有
 若能修行者 吾当為汝説
  時に阿私仙あり 来って大王に白さく
  我微妙の法を有てり 世間に希有なる所なり
  若し能く修行せば 吾当に汝が為に説くべし
 時王聞仙言 心生大喜悦
 即便随仙人 供給於所須 採薪及果鞐 随時恭敬与
 情存妙法故 身心無懈倦 普為諸衆生 勤求於大法
  時に王仙の言を聞いて 心大喜悦を生じ
  即便仙人に随って 所須を供給し
  薪及び果・を採って 時に随って恭敬して与えき
  情に妙法を存ぜるが故に 身心懈倦なかりき
  普く諸の衆生の為に 大法を勤求して
 亦不為己身 及以五欲楽 故為大国王 勤求獲此法
 遂致得成仏 今故為汝説
  亦己が身 及び五欲の楽の為にせず
  故に大国の王と為って 勤求して此の法を獲て
  遂に成仏を得ることを致せり 今故に汝が為に説く
 仏告諸比丘。爾時王者。則我身是。時仙人者。今提婆達多是。
 仏諸の比丘に告げたまわく、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。時の仙人とは今の提婆達多是れなり。

717鎌龍:2004/06/15(火) 15:57
ロッドさん、皆さん始めまして。ロッドさん、あなたの勇気に感動してます。先輩について折伏活動していたということはまだお若いのかなと勝手に想像しております。あなたは自分の勇気で光り輝く未来を切り開いたんですね。がんばれロッドさん。陰ながら応援してます。

718鎌龍:2004/06/15(火) 16:08
ロッドさん。追伸。 教学もゼロからがんばるとのこと。ガッツポーズです、はい。教学もいいけど、お父さんとの晩酌、ご家族とのふれあいも忘れないでくださいね。それも日蓮さんの教えの一つですから。家族を悲しませること程不幸なことはありません。でも、仏教の大切なところは、日々反省をし、またそこから歩き始められるということです。ロッドさんの大いなる決断はまさに今、歩き始めたということです。生意気言いました。 フレーフレーロッドさん!

719鎌龍:2004/06/15(火) 16:15
晩酌は日蓮さんの教えではありませんね《笑》

720鎌龍:2004/06/15(火) 16:19
管理人さんへ。始めてなのに、管理人さんにご挨拶を忘れておりました。すいませんでした。礼拝。

721管理者:2004/06/15(火) 17:53

鎌龍さん

管理人への挨拶は不要です。初めての方は、自己紹介スレッドにて自己紹介をしていただけると幸いに存じます。

722鎌龍:2004/06/15(火) 18:17
管理人さん。すいませんでした。今、携帯で見てるので大変なんですが(回りにパソコンがないもので)皆さんのレス拝見してますが、すごいの一言です。それに、ふざけた中傷目的な人もいませんし、管理人さんの人徳かと敬意を表します。またお邪魔します。ありがとうございました。

723地名:2004/06/15(火) 21:16

ロッドさんへ

用語の説明は以下のとおりです。ご参考までです。

「阿耨菩提(あのくぼだい)」
梵語(サンスクリット語)「アヌッタラ・サムヤク・サムボーディ」の音訳。
漢訳は「無上正等覚」他、「無上正真道」、「無上正遍知」等々。
省略して「阿耨菩提(あのくぼだい)」とも言われる。
この上なくすぐれ、正しく平等円満である仏の悟りの智恵の意味。

あのくたらさんみゃくさんぼだい 【▼阿▼耨多羅三▼藐三▼菩▽提】
〔梵 anuttara-samyak-sa bodhi 無上正等正覚、正覚などと訳す〕仏の悟り。一切の真理をあまねく正しく知る仏の智慧。最高の悟り。


利生(りしょう)
1.仏教の言葉。ためになること。法力によって恩恵を与えること。自らを益するのを功徳(くどく)、他を益するのを利益という。
2.神仏の力によって授かる利福。利生(りしょう)。「ご利益」

724地名:2004/06/15(火) 21:23

ロッドさんへ

「法華経を我が得しことは薪(たきぎ)こり菜つみ水くみつかへてぞ得し」(拾遺1346)は、行基菩薩の作です。

行基 ぎょうき 天智七〜天平二十一(668-749) 略伝については、

飛鳥時代に生まれ、主に奈良時代に活躍した高僧であるが、歌は万葉集をはじめ上
代文献には記録されていない。初出は平安時代中期の拾遺集になる。以下、勅撰集
入集は計七首。『今昔物語』『十訓抄』『古事談』などにも、逸話と共に行基作の
歌を伝えている。

大僧正行基詠みたまひける (二首)

法華経を我が得しことは薪(たきぎ)こり菜つみ水くみつかへてぞ得し(拾遺1346)

【通釈】法華経の教えを私が得たのは何故かというに、前世において薪を樵り、菜を摘み、水を汲んで、阿私仙に仕えて得たのである。


【補記】法華経「提婆達多品」を踏まえる。釈迦は阿私仙という仙人に仕えて法華経を習得したという。この「我」は釈迦の立場に立って言う。

【主な派生歌】
薪こり峰の木のみをもとめてぞえがたき法は聞きはじめける(俊成[玉葉])

水や汲まむ薪や伐らむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に(良寛)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/gyouki2.html

「拾遺集」の中の1346に「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水くみつかへてぞ得し」にあります。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/hatidai/syuui_s.html

惜しからぬこの身ながらも限りにて薪尽きなむことの悲しさ】(4-283)
『源氏釈』は「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷
一三四六、
大僧正行基)「菓(このみ)を採り水を汲み、
薪を拾ひ食(じき)を設け」(法華経、提婆達多品)「薪尽て火の滅するが如
し」(法華経、序品)を指摘。
「この身」に「菓(このみ)」を掛け、法華経の経文を暗示する。

【薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき】(4-283)
明石の御方の返歌。
「于時奉事、経於千歳」(法華経、提婆達多品)。
「薪尽きなむ」を「薪こる」、
「この身」を「この世」と言い換え、「限り」を「はるけき」と長寿を寿ぐ歌にし
て返す。
『異本紫明抄』は「あまたたび行き逢ふ坂の関水に今はかぎりの影ぞ悲しき」(栄
華物語、
鳥辺野)「年を経て行き逢ふ坂の験ありて千年の影をせきもとめなむ」(栄華物
語、鳥辺野)を指摘。
拾遺集(しゅういしゅう)
拾遺集は、花山院の命により、1005年(寛弘 2年※推定)に完成された勅撰
和歌集です。選者は明確ではありません。
歌数は1351首にのぼり、その名の通り『古今集』『後撰集』から外れた歌を
拾う意味で『拾遺集』となった様です。

725地名:2004/06/15(火) 21:36

ロッドさんへ

鎌龍さんからの暖かい励まし、良かったですね。

独歩さんからもロッドさんへ、以下の掲示板をお知らせしてくださいとのことですので、お伝えいたします。

「法華経について」の24-27に行基菩薩の和歌のことが述べられています。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/hokekyou.htm

726ロッド:2004/06/15(火) 22:49
地名様
いつもご丁寧に教えてくださりまして本当にありがとうございます。
やっぱりそうです法華経からですよね。日蓮大聖人様も数多く仰せのことを
なぜ顕正会も他の富士門家も軽視するのか、今は不思議に思っています。
でも勤行では読ませる。今思えばなぜ不思議に思わなかったのか・・・

>提婆達多品

一生懸命読んでみます。地名様が教えてくださったことすごくわかりやすかったです。
本当に感謝しています。

今、なんで僕は顕正会に入ろうと思ったのだろうと考えています。
私はどこかで親のせいにしていました。
僕は今まで五回も引っ越しをしてます。全国各地に。その中で親父は仕事ばかりで
相手にされず、オカンは勉強・勉強。
顕正会のことも、親に反対されても、どっかで『おまえらが悪いんや!』って
ずっと思っていたのかもしれません。それが、顕正会の間違いに気づかなかった、
というより、気づこうとしなかった原因かなあって思ってます。
二回目に身延のお坊さんにあった時、私の親のこととか話したら言われました。

お坊さん「君の親御さんは顕正会に入ってること賛成なのかい?』

    『いいえ。今勘当みたいな感じです』

お坊さん『そっか。大聖人のことは好きかい?』

    『もちろんです』

お坊さん『大聖人はご両親を悲しませたことがあると思うかい?
     出家されたんだから、寂しがらせたことはあったかもしれない
     でも、悲しませてはいないよ。
     一番近くにいた家族を悲しませて、なにが日蓮大聖人様かって』

そう言われた時、『ハッ』としたような気がします。
きっと法華経って『地獄』とか『罰』とかじゃなくて生き方なんですよね?
今は心から一生懸命勉強したいです。
またいろいろ教えてください。お願いします。本当にありがとうございました。

727ロッド:2004/06/15(火) 23:13
鎌竜様
本当に泣きそうなお言葉ばかりで感動してます。

>仏教の大切なところは、日々反省をし、
 またそこから歩き始められるということです

本当にこのお言葉に泣きそうになりました。仏教ってそうなんですよね?
絶対そうなんですよね?地獄とか罰とかって関係ないんですよね?
鎌竜様のこのような言葉を、なんかずっと待っていたような気がしてます。
鎌竜様もやはり富士門流から変わられたかたなのでしょうか?なんかツボにはまりました。

>お父さんとの晩酌、ご家族とのふれあいも忘れないでくださいね。

はい!反省して変わることが大事ってことですよね?そうしようと思ってます。

>それも日蓮さんの教えの一つですから

はい!今はそう思ってます、というかそう思いたいです。
それを自分で学んで、そう思えたら最高です。

実は、親父、二年前に転勤が決まっていたんです。東北方面に。
その時すでに顕正会に入っていたので、僕だけ残るといってケンカになって
しまって、結局親父が転勤断ったんです。明日あたり、顕正会やめること
まだ親父に言ってないので、言おうと思ってます。転勤もしてくれって。
(やめ方がわからず困っているのですが・・・・)

とにかく、家族とは、反省してますからがんばって昔の子供の頃に
もどるようにがんばります。
本当に心にジーンときました。ありがとうございました。

728ロッド:2004/06/15(火) 23:24
独歩様へ
独歩様も気にかけてくださっているのですね。感謝感謝です。
なんか、昔の友達とかも会いに来てくれるようになりました。
ここに参加して本当によかったです。なんか日に日にすっきりです。
先輩達の電話だけきになりますが・・・・
お忙しいみたいなのに気にしてくださってありがとうございました。
また教えてください。

729ロッド:2004/06/15(火) 23:25
すすいません。鎌龍様の名前を書き間違えました。
すいませんでした。

730地名:2004/06/16(水) 05:50

ロッドさんへ

良かったですね。
信仰は自分の心を清らかにする(清浄にする)ために行うものですから、お気づきになられて本当に良かったと思っています。
この間、最も心配されておられたのは独歩さんなのですよ。
これからもわからないことなどありましたら、ご遠慮なされずにご質問等されるようにしてください。
父母への感謝は日蓮大聖人様の「報恩抄」の実践ですよね。
本当に良かったです。一番うれしいです。

731鎌龍:2004/06/16(水) 10:09
ロッドさんおはよ!とうとう脱会の決意に至ったんですね。地獄とか罰を気にしてるのはそこからきてるんでしょうか?法華経読めばわかると思いますが、そんなもの、今のあなたには恐るるに足りず!もし脱会することで地獄に落ちるんじゃあ、私なんか顕正会をよく思ってないんだからとっくに真っ逆さまですよ。本当にそんなことで地獄に落ちるなら喜んでお供しますよ。

732鎌龍:2004/06/16(水) 10:21
そんでもって、地獄からロッドさんと私を地獄に落とした奴と喧嘩してやりましょ。その前に、今反省をして新たな道を歩もうとしているロッドさんが地獄に落ちたら私が釈尊と日蓮さんと喧嘩しますよ。この嘘つきめ!ってね。つまり、地獄だの罰だのと恐怖を信徒に教え込んでいる顕正会のほうが、よほど反省が必要だということです。なにも恐がることはありません。先輩なんかに脅されたりしたら言ってください。私が出張りますから。

733鎌龍:2004/06/16(水) 10:31
私は元富士門流ではありませんよ。個人的には門流というものになんらこだわりがありません。むしろ、日蓮系の教団がこれほどバラバラになってしまった今の時代、そんなものないほうがいいのではと考えてます。しいて言うならば、私は 「日蓮門流」です!

734犀角独歩:2004/06/16(水) 19:36

706 空き缶さん:

御礼遅くなりました。有り難うございました。
ちょっとここのところ、資料を当たれない環境にあり、お願いをさせていただきました。

『○帖抄』というわたしは、本覚ばりの文献であろうという先入観が走ります。
『一帖抄』『二帖抄』がその知り始めのせいかもしれません。
『三帖抄』というのもありましたっけ?
…、これまた、資料手放しで調べもせず、呟いたようなものなので、聞き捨てていただいてけっこうです。備忘録みたいに打ってしまいました。失礼。


707 顕正居士さん:

このご解説、たいへんに興味深く拝読いたしました。


708 ロッドさん:

当板は、管理者さんのご意向で「さん付け」でとなっています。わたしもそうしますから、お気軽にどうぞ。抑もわたしなぞ、「様」を付けていただくほどのものではありません(笑)

弥四郎漫荼羅のこと、お読みいただいたかも知れませんが、以下サイトでやや管見を記しました。

『所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
(他のロムの皆さん、何度も繰り返し紹介して申し訳ありません)

具体的には追って発刊する『図解必携 大石寺本尊の鑑別』をご高覧いただければと存じます。と、申し上げながら、現在、ある筋の写真掲載許可の返答待ちで出版が遅れております。しばらくで出す予定です。

それから、わたしはO師ではありません(笑)
公開の掲示板では何ですから、もしお気持ちがあれば、わたしにメールを下さいませんか。少しお伝えしたいことがあります。フリーメールでも何でもけっこうです。もちろん、これは無理にと言うことではありません。

脱会の仕方について、特に先輩その他の会員から脱会後、嫌がらせ、電話、訪問を受けない方法があります。その点もご説明したいと思います。ただし、これを公開してしまうと集団組織から対策を講じられる可能性があります。ですから、私信でお伝えしたいのです。

735ロッド:2004/06/16(水) 21:00
鎌龍さんへ(独歩さんのお言葉にあまえましてさん付けで)
なぜか本当にすっきりすることを言ってくださってお陰様で落ち着いてきました。
地獄だのなんだのって気にしないようになれそうです。本当にありがとうございます。
なんか鎌龍さんてツボにはまること言うんですよね。僕をずっと心配してくれてた
同級生の『○彦』じゃないかって思ってるんですけど、まさかですよね。

富士門流系にいらっしゃったわけではないのですね。日蓮門流ってなんかすっごい好きです。
本当はみんな日蓮門流でいいんだってことですよね。なんかうなずけます。
鎌龍さんは、どこかに属していらっしゃるんですか?

鎌龍さんに言われた通り、親父とお袋と妹と、四人でずっと夕飯食べてます。
みんなうれしそうです。これが一番ですよね。

今年中に親父が転勤になりそうです。多分妹も学生終わりましたし、
就職してないんで、家族四人で引っ越しかもしれません。
その前にもう一度身延のお坊さんに会ってこようかなって思ってます。
近況報告だけしたいなって思ってます。きっかけつくってもらったんで。

本当に心温まること言ってくださってありがとうございます。
感謝感謝です。

736ロッド:2004/06/16(水) 21:06
地名さんへ
地名さんもいつもいつも気にかけてくださってありがとうございます。
もう大丈夫そうです。なんかすっきりしました。
地名さんと独歩さんはお仲間なんですか?
地名さんが、私が会ったお坊さんなんてことは・・・ないですよね(笑)
なんか、画面上だといろんな想像しちゃったりなんかして。
これが結構おもしろいんで、勝手に想像して楽しんでます。
(でもこれが長崎の事件につながっちゃったりしたんですよね。
 でもこの掲示板なら安心です。みんないい人だから)
またいろいろ教えてください。報恩抄読んでみます。
ありがとうございました。

737ロッド:2004/06/16(水) 21:26
独歩さんへ。お言葉に甘えて独歩さん。

ずっと気にかけてくださって本当にありがとうございます。
心から感謝してます。

>『所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』

じつは、こちらも見させてもらいました。もうすっかり板マンダラって感じです。(ちょっとビビっとるわあ、僕)
もうでも完全に顕正会の教えには見切りつけれました。
皆様に感謝です。

>具体的には追って発刊する『図解必携 大石寺本尊の鑑別』
すご!本までだされちゃうんですか?ただものじゃありませんね。もしかして有名人では。

>それから、わたしはO師ではありません(笑)

いやあ、それは思いつかなかったです。でも、あり得ないことではないですね。
でも、過去ログ見てたら昔創価学会にいらしゃったとか。そのあとも宗門のほうで
活躍されてたとか。すごい方ですね。ブルっちゃいます(笑)

でも、私が会った『O』さんと、独歩さんのお知り合いの『O』師は
違うような気がします、とは思っていました。
今度また行こうと思ってますんで、ちゃんと名前聞いてみます。
独歩さんて知ってますかって聞いちゃおうかな(笑)

>もしお気持ちがあれば、わたしにメールを下さいませんか

本当にありがたいお言葉です。本当に心からありがたいです。
でも・・・、このパソコン、親父の仕事用なんです。
そして、携帯は今日解約してきちゃいました。電話しつこいんで。
でも、今後どうなるかわからないんですが、アドレス持てたら連絡させて
もらいます。本当にありがとうございます。

>脱会後、嫌がらせ、電話、訪問を受けない方法があります

そうなんですか?!知りたいですが、ここでは無理ってことですよね。
でも、なんとなくですが大丈夫そうです。最後のほうの留守電とか
なんか『もう会うこともないだろうけどがんばれよ』みたいなこと
言ってました。
それに引っ越す可能性があるんで。ちょっと寂しいんですが・・・。
それになんかあったら鎌龍さんが出張ってくれるそうです。
名前からして強そうですね(笑)(もちろん自分で解決するつもりです)

あれ?あのお坊さんも自分で書いた本持ってましたね。
もしかして・・・独歩さんは『O』さんでは?
嘘です。題名が違いました(笑)
なんか私子供なんですね。ふざけたことばっかり書いてすいません。
でも、ふざける余裕ができたと思って勘弁してください。
ありがとうございました。

738犀角独歩:2004/06/17(木) 00:33

ロッドさん:

O師のところは、是非とも行かれるとよいですよ。歓迎してくださいますよ。
実は、ロッドさんの投稿を拝見してから、電話で確認しました。
ただし、「犀角独歩」と言ってもHNなので、おわかりいただけるかどうか。でも、「電話で」と話していただければ、「ああ!」と直ぐに了解されるでしょう。

しかし、大変だったそうです。4組の顕正会員が入れ替わり立ち替わり、5時間にも及んだとのことでした。


メールの件は了解しました。脱会後の対策について、何かあれば、警察の生活安全課にストーカー被害として届け出をされること、また、『脱会届』を弁護士に代理人として提出されれば万全です。ともかく、弱い者には徹底して強がる、相手が自分より強いと思えば途端に腰砕けになるのが、集団と指導者という「虎の威を借る狐」の性根です。怖じれば付け入られます。堂々としていることです。巫山戯たことをしたら、直ちに法的措置を執ればよろしいだけのことです。いくらでも力を貸しますよ。必要があれば、弁護士も紹介します。

ともかく、ここでゆっくりと真の蓮師の実像に触れて行かれてください。他に二つとない秀でた掲示板です。わたしが管理人さんに敬意を表する理由はそこにあります。

739鎌龍:2004/06/17(木) 10:21
ロッドさんおはよー。そうそう、地獄だの罰だの気にしない気にしない。一休み一休み。僕は○彦さんではありませんねー。残念ながら。どこかに属していると言えばそうですが、考えの合わない人ばっかりで孤立してます。むしろ嫌われてますね。仲間はほんの数人てところでしょうか。お坊さんに会ったら、身延山にも行ってみてください。魔山だのなんだの顕正会では教えてますが、雰囲気だけで泣けてきますよ。身延の僧侶はアカンけどね(怒られる)でも、中には危機感もって頑張っている方もいるんです。実は顕正会、身延町に会館建てようとしてるらしい

740鎌龍:2004/06/17(木) 10:46
散々身延をなんだかんだ言っておいて身延に会館を建てようとはなんなんでしょうかね。すでに近くの住民に土地の売却交渉に行ったらしいのですが、住民側は周りの批判を予想して断ったということです。もしもここを顕正会員の方が見ていたら、上の人に伝えてください。全力で阻止すると。

741鎌龍:2004/06/17(木) 13:36
740 全力で阻止すると言った発言は彼等を逆に奮い立たせることになりそうですね。逆効果かもしれませんね。 管理人さんの判断で削除くださいませ。 失礼しました

742平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/06/21(月) 15:01
独歩さん
創価学会版の御書の『開目抄下』の最後の部分の「日蓮は日本国民の諸人にしうし
父母なり」の「しうし」に「主師親」を当てたのは行きすぎだと思います。真筆影
印本を基にした『日蓮文集』岩波文庫289頁には「日蓮は日本國の諸人にしたし
父母也」とあります。原本は残念ながら明治8年の身延山久遠寺の大火で焼けてし
まいましたがここが重大問題なのです。私は学生時代に『開目抄』の写本の写真を
図書館で見ましたけれども、変体仮名の「う」と「た」は非情に区別が難しいと思
いました。「う」は「宇」「有」「雲」「憂」「羽」、「た」は「多」「太」「堂」
「當」「佗」「田」を基にしていますが御書の「しうし」か「したし」の判断規準
は「う」は「宇」と「た」は「多」の解読方法に依ると思います。原典の写本の写真
を見たところ「う」は立て流れになっていて「う」と読めますが、筆が右から入って
左に入り下に流れているところをみると「た」と読めます。原典が写真ができない前
の明治8年に放火(廃仏毀釈)のために焼失したためにこんなことになったのでしょ
う。独歩さんも『開目抄』の写本の写真か影印本を読んでみて下さい。私は日蓮大聖
人本仏論は誤りだと思います。釈迦本仏も誤りだと思います。本物は我ら一切衆生の
我即宇宙宇宙即我の我ら一切衆生だと思います。だからこそ戒壇の御本尊の願主が卑
賎な弥四郎国重だったんじゃないですか。

743皆様へ:2004/06/21(月) 20:33
平和創価と言う人は2chの層化板で華元と名乗っていました。
自演癖もあるロリコンの変態なので相手にしない方が良いですよ。
http://society2.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1084377293/138
http://society2.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1086442621/323

744犀角独歩:2004/06/21(月) 20:52

平和創価さん:

『開目抄』に関する見解には概ね賛同です。

しかし、本仏が「即宇宙宇宙即我の我ら一切衆生」だとはまったく思いません。この点は既に4年前から議論し尽くしたことなのでここに繰り返しません。
また、弥四郎国重とは、これまた何度も記してきたところですが、「本門戒壇之願主」なのであって、本門本尊の願主ではありません。ですから、「戒壇の御本尊の願主」ではないとわたしは考えます。

746管理者:2004/06/24(木) 17:05

大本山さん

あなたの745レスは、以下の掲示板のルールに抵触すると管理者は判断いたしましたので、745レスを削除いたします。掲示板のルールをお守り頂いて、ご投稿戴きたく存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。

747空き缶:2004/06/30(水) 23:31

 開目抄について

 日蓮正宗圏では、開目抄最後の「日蓮は日本国民の諸人にしうし(したし)父母なり」の文をもって、日蓮聖人が末法の主師親の三徳を具えた本仏であると唱えます。

 この思想も、もとはといえば隆門からの輸入ではないかと思います。日隆師は数々の著作を残される中で、16篇の御書の文段も残されました。
 この内「開目抄文段」では最後の部分を「惣じて本門八品、南無妙法蓮華経、三徳有縁の久遠釈尊、末法の慈父上行薩埵人界応同主師親の日蓮大士の開目を結す」と題しており、該当個所の本興寺第七祖日存師の真写本には「諸人にしたし父母也は、主師父母也」との註が入っています。

 京都要法寺は日大師以降、中古天台の巨匠といわれる直兼法印の影響を受け、中古天台流に日蓮聖人の御書を解するようになったといわれています。その影響は日像門流にも及び、ここに日隆師の「御書根本」の本門教学が生れ、台当両家の違いを明確にする体系化があったのではないかと思います。
 
 しかし、中古天台の本覚法門を破折した日隆師の教説がもととなり、日蓮本仏論が生れたのでは本末究竟しませんね。

748空き缶:2004/06/30(水) 23:47

 訂正です。

 (誤)日蓮は日本国民の諸人→(正)日蓮は日本国の諸人

749犀角独歩:2004/07/01(木) 02:14

空き缶さん:

> 中古天台の本覚法門を破折した日隆師の教説がもととなり、日蓮本仏論が生れた

ここのところ、益々冴えていますね。興味深く拝読しています。

750空き缶:2004/07/09(金) 18:46

 れんさん、犀角独歩さん。

日蓮本仏論の源泉が日隆義にあることは、興風談所の大黒喜道師が「興風14号」と「興風15号」にて「日興門流における「本因妙思想形成に関する覚書」と題する論考にて発表されていましたね。(本稿は継続中)

 しかし興風談所の諸師の論考を拝すると、興風談所では「日蓮本仏論」や「本門戒壇之大御本尊」などをどのように考えているのか不思議でなりません。
 正信会の信徒さん達は、当然に日蓮本仏論者であり、本門戒壇之大御本尊を究極本尊と信じているはずです。

 正信会からは、久保川日源師や関慈謙師のように戒壇本尊・宗祖本仏論を否定し離脱する方もいましたが、興風談所が正信会のシンクタンクであるならば、いずれ宗祖本仏論や戒壇本尊からは離れていくのが自然のような気がします。

751れん:2004/07/09(金) 20:32
空き缶さん、私もいずれは正信会も興風談所の所員の研さん・学術的研究成果に基づき日蓮本仏・弥四郎板まんだら信仰から離れていくだろうと思います。日蓮本仏・弥四郎板まんだら信仰は後世成立の教義であることは、この板でも皆さんが論証されている通りです。私も継続中の興風談所の山上師の日蓮大聖人の思想、大黒師の覚え書きの論考に注目しています。日蓮本仏の形成に隆師教学の摂取があることは史実ですが、名字即・当位即妙不改本位という蓮師真蹟遺文・興師写本蓮師遺文に見られる思想も富士での蓮師本仏形成の一要素では?と思っています。

752愚鈍凡夫:2004/07/09(金) 20:47

横レス失礼します。空き缶さん、今晩は。

> 興風談所が正信会のシンクタンクであるならば、いずれ宗祖本仏論や戒壇本尊からは離れていくのが自然のような気がします。

「宗祖本仏論」や「戒壇本尊」から離れるかどうかは、どちらの方が利益があるかにかかっているのじゃないでしょうか。別のスレで犀角独歩さんが仰っていますが、

> 常に自分が追従すれば利益を得られる権威構造を敏感に察知し、動けるんでしょうね。

このことは、どの組織にもいえることではないでしょうか。文字通り理屈は後から付いてくるということではないかと思います。利害関係を離れないと、純粋に科学的検証や理論的検証で本質を追究するのは難しいのじゃないでしょうか。

別に夢をつぶすつもりはありません。ただ、そう思っただけのことです。
悪しからず。 m(_ _)m

※参考文献

日応上人・日蓮本仏論
http://sapporo.cool.ne.jp/hotarokaka/NitiouSyoninHonbuturon.htm

日達上人・日蓮本仏論
http://sapporo.cool.ne.jp/hotarokaka/NitatuShoninHobuturon.htm

753空き缶:2004/07/09(金) 21:14

 れんさん、愚鈍凡夫さん、今晩は。

 「興風」での大黒師の論考は、本因妙抄・百六箇抄は後世のつくりものとしていますね。15世紀中ごろに京都にてつくられたと名言しています。そして日隆師の教学的影響を多分に受けて完成していることも認めており、かつての日蓮宗学を掘り下げたかたちにになっています。石山系諸集団では、ここまで相伝書類を否定できるのは興風談所だけだと思われます。
 
 また本因妙抄の定本となっている、伝最澄撰「三大章疏七面七重之弘決」が最澄の入唐年月日を間違えていることを指摘し、そもそも定本となった「三大章疏七面七重之弘決」自体が偽撰であるとしています。そして最澄の入唐年月日の誤記が、室町期に最澄に仮託して偽作されたとされる「修禅寺決」と同様の日付であることから、「三大章疏七面七重之弘決」も同時期に偽作されたと考えているようです。

 興風談所の諸師の論考は、石山や学会が、すでに答えを決めてしまっているところから出発しているのに対し、「答えを決めていない考察」を推奨していることが理解できます。論考を拝す限りでは、興風談所の諸師たちは「純粋に科学的検証や理論的検証で本質を追究」しているように思われます。

754犀角独歩:2004/07/09(金) 22:44

空き缶さん:
れんさん:
愚鈍凡夫さん:

好い論攷が進んでいますね。
前にも書きましたが、富士門流の派祖を白蓮興師に置くのであれば、御存命中、日蓮本仏論も、弥四郎漫荼羅もなかったことは確実です。
ここ富士門流信徒の掲示板も、奇しくもその興師の祖意にようやくと辿り着き、祖道の恢復に至ったと喜ばしく思います。

そして、さらに蓮師の祖意につき、既に議論が始まっていることで、ようやくと蓮興二祖の実像が闡明になりつつあると、一つの成果を感じています。

755福田里敏:2004/07/30(金) 01:03
今年の春に、日蓮正宗改革同盟の方と、お会いして、話しをしたときに、「末法で、最初に成仏できた方だから、御本仏と言っているだけ。大聖人を、拝んでいる訳ではない。成仏を目指すのには、御本仏だからいけないとか、そんな事は何の、関係もない。大聖人の、目指すものは、広宣流布なのに、法華堂は、20年ちかく経っても、何も進んでない。」(要旨)と、語っておられました。
そんな面から、法華堂も、無意味だな、と思い、関師のところを去りました。学会に、返る気は、ありませんが。今は、本仏だろうが、なかろうが、人それぞれが、蓮師を慕っていて、法華信仰してればいいんじゃないか?と、考えています。所属組織が、どこだろうが、社会的に悪とならない限り、依法不依人を貫けていれば、所属がどこだろうが、個人でやっていようが、いいんじゃないの?と。
今時、蓮師が、仏様だから、これは、ありがたい!と、入信する人なんて、皆無でしょうし。

756犀角独歩:2004/07/30(金) 08:06
> 755

この意見にはわたしは賛成ですね。ただ、

> 蓮師…仏様…ありがたい!と、入信

これは逆でしょうね。入ってからのちに、その集団の信念体系を信じ込まされるわけですから。

また、、755の如く判断で信仰をしていくことに、このスレッドの投稿者は反対しているわけではないと思います。むしろ、同じようなことを言っているのではないでしょうか。

ただし、本仏と考えないと謗法であるとか、地獄に堕ちるとかいう下らないヒステリックな反応に対して、では、証拠を示せと促しているのに過ぎません。つまり、日蓮本仏論以外の教義を認めないファンダメンリズム批判というか、排他主義批判であるということですね。

石山教義は言うまでもなく、勝劣義なのであって唯一絶対選択信仰でしょう。その結論が日蓮本仏です。その勝負をまた折伏と言ってきたわけです。それに対して、「釈迦仏でもいい」、「信仰することは尊い」などと他の信仰を認めるのであれば、この姿勢は一致義ですし、また摂受であるわけで、そうなると勝劣・折伏という石山義からは謗法と見なすというのが、そもそもの教学的、行動的姿勢であったわけでしょうから。

それまで、他を認めなかった日蓮本仏論者が挙証不能に陥ったら、「信仰は何でも自由。証明できないこともある」などと言い出すとき、「では、日蓮本仏以外の信仰の自由を認めず、科学でも何でも証明できると主張して、他を排撃してきたのはいったいどこのどいつか」と反論している延長に、当スレッドがある点を忘れられては困ると思うわけです。その点も踏まえての日蓮本仏論(者)批判であるということです。そこで示してきた方向性はまさに「依法不依人を貫けていれば、所属がどこだろうが、個人でやっていようが、いい」というのが日蓮本仏論(者)批判の基にある考えでした。

757天蓋真鏡:2006/12/19(火) 10:39:23
[法華経行者日蓮]本仏シャクソン・本尊題目(末法鎌倉時代、漫荼羅で信心学問修行の基本を造る)[日興]漫荼羅本意・祖師信仰[日目]漫荼羅正意・三法門・諫暁[日有]日蓮本意・漫荼羅正意[日寛]日蓮本意・漫荼羅本仏論【墓輪番制→唯受一人説→本仏論】

758ケン:2010/04/01(木) 15:27:46
管理人さんへ

『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
の過去レスは、
「ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。」
の下に表示されたアドレスをたたくと、303までは読むことができました。
304以降を見るにはどうすれば宜しいのでしょうか。

つまらないことで恐縮ですが、ご教示下さい。

759管理者:2010/04/01(木) 15:51:53

ケンさん

>304以降を見るにはどうすれば宜しいのでしょうか。

旧掲示板の『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

の過去レスは303まで終わっています。その後は、当掲示板の1レス以降に繋がります。このスレッドの下部左側の「全部読む」タブをクリックして下さい。1以降のレスが全て表示されます。

760ケン:2010/04/01(木) 18:12:13
管理人さん

ありがとうございました。

761ケン:2010/04/18(日) 17:50:43
「日蓮=上行菩薩の再誕」論について基礎的な質問があります。

一応、「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について」の過去レスを
見て、「日蓮=上行菩薩の再誕」論について、犀角独歩さんと日誠さんとの
論争があったことは承知しています。
ボクの質問は、前記論争を理解するうえでの前提となる基礎事項に関する
ものです。特に、独歩さんが真蹟遺文を基準とする立場から、
日蓮が自分自身を上行菩薩であると自覚していたかは、決定的ではないが、
いいところまで行くと述べておられる点に関連するものです。(例えば、
過去レス「122」。)

なお、以下の質問の答えが、「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義に
ついて」以外の箇所に登場している場合は、大変恐縮ですが、その箇所を
ご指摘頂ければ幸いです。

1.上行菩薩の再誕たるべき条件
法華経(羅什訳)の記述では、上行菩薩の再誕たるべき「条件」は明確なの
でしょうか。
昔、創価学会で習った記憶では、「数々見擯出」(勧持品)とは、
複数回の流罪に遭うことを意味し、日蓮が伊豆流罪及び佐渡流罪に
遭ったことで、その条件を満たすということでした。
「擯出」の意味や、伊豆流罪及び佐渡流罪の該当性も含めて、
この解釈で正しいでしょうか。
他の2種の漢訳法華経によった場合でも、条件は同じでしょうか。
ちなみに、サンスクリット版でも同でしょうか。

なお、この質問は、仮に、法華経の記述上、上行菩薩の再誕たるべき
条件が誰の眼にも明確なのであれば、日蓮自身が自らを上行菩薩の
再誕であると自覚するほうが自然なような気がするためです。
また、日蓮の在世中(佐渡流罪後)に、日蓮門下の僧俗も、そのような
考えにいたる方が自然なような気がします。
日蓮の在世中に、「日蓮=上行菩薩の再誕」論が発生しなかったとすると、
その理由として考えられることは何でしょうか。あまりにも大それた解釈
だということでしょうか。

2.日蓮以外の人師
日蓮以前には、上行の再誕と目された人師は皆無ということでしょうか。
日蓮以後ではどうでしょうか。日蓮門流の中には、日蓮滅後に、日蓮以上の
迫害に遭った僧も多数いたと思いますが、複数回「擯出」の条件を満たさ
ないということでしょうか。

3.自覚の有無と教義上の意義
日蓮門流では、「日蓮=上行菩薩の再誕」論の立場をとる門流があると
思います。この立場では、日蓮自身が、そのように自覚していたか否か
が重要な意味を持つのでしょうか。
日蓮自身にはその自覚は無かったが、滅後に日蓮の振る舞いを見れば、
「日蓮=上行菩薩の再誕」であったと言う立場では、教義上、問題と
なるのでしょうか。
ちなみに、日蓮本仏論は、日蓮自身が、そのように自覚していたという
立場であると理解して宜しいでしょうか。

以上宜しくお願いいたします。

762犀角独歩:2010/04/18(日) 22:13:46
ケンさん

せっかくのご指名なのですが、わたし、明日から忙しくなってしまい、ネットで議論は、やや困難になります。よって、以下、かなり雑駁な返信になりますが、ご勘弁ください。

> 1.上行菩薩の再誕たるべき条件
> 法華経(羅什訳)の記述では、上行菩薩の再誕たるべき「条件」は明確なの
でしょうか。

明確だとは思えません。

> 「数々見擯出」(勧持品)

勧持品は13で、迹門ですね。
迹化の菩薩の様に当たれば、迹化の菩薩ですね。

> 複数回の流罪に遭うことを意味…他の2種の漢訳法華経…サンスクリット

2種とは、添品法華経と正法華経のことですね。

前者は、同じ。後者では「數數犯不當」で、サンスクリットでは「数々の悪口を言われようと」(岩本訳)となっていますね。

> 日蓮自身が自らを上行菩薩の再誕であると自覚する

わたしがこの点について、消極的なのは、以下の真蹟遺文によります。

高橋入道殿御返事②-平左衛門尉見参 蒙古襲来予告 念仏者刎頭
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51696231.html

↑上記、ご高覧ください。

> 「擯出」の条件

上述しましたが、迹化の法師を説く様が本化上行に当たるという教学的な態度は、承伏しかねます。

では、不軽ということになりますが、これは過去世の罪に重点がありますね。
日蓮自身、過去謗法の自覚があるのでしょう。

ここで、考えなければならないことは、五百塵点の段階で、すでに菩薩となり、その後、地下の空中に住してきた地涌菩薩に過去世の謗法罪があるかどうかです。あるわけもありません。

そうした意味で地涌菩薩は、迹化の菩薩とも、釈尊の前世とも違っているわけで、償うべき罪もない菩薩が、どうして、諸難に遭うわけがあるのかという疑問が生じます。

『高橋入道殿御返事』にも明らかですが、地涌菩薩は行者を守護する存在であり、かつ、仏敵を調伏する存在です。そもそも、末法に生まれる役割はそこにあります。法華経を読めばわかりますが、地涌菩薩が諸難に遭うと言った予言は一言片句たりもありません。実に神々しい仏に匹敵する高位の菩薩です。
つまり、諸難に遭うことは地涌菩薩を証明する文章となり得ないということです。

> 日蓮本仏論は、日蓮自身が、そのように自覚していた

あり得ませんでしょうね。
本仏とは、五百塵点成道以降、この世を御領される釈迦仏のことであり、寿量品に「常在霊鷲山」という仏です。辺国に日本に生まれるといった経証は何もありません。

以上、充分な議論に及べないことを残念に思いますが、これまでといたします。

763ケン:2010/04/19(月) 08:10:50
独歩さん

お忙しいところをありがとうございました。

764ひきこもり:2010/09/19(日) 20:14:23
「開目抄」の「しうし」を「主師」に繋げている点からも、無理がありますね。あの
原本は明治の初めに火災で焼失しました。(恐らく廃仏運動のための放火)

最後の所は写本の写真を何度も読み返しましたが、「しうし」は「したし」と読むの
が通常であり、石山では「う」に徹底していたようです。しかし国文学科で古文を読
んでいて変体仮名を知っていた私には、「宇」と「多」の崩し字関しては、両方に読
めました。流れる字体の判断はできませんでした。まして本文が明治初年に焼失して
いるのならなおさらです。

765犀角独歩:2010/09/21(火) 09:20:46

日蓮の真蹟遺文を読んできた経験から言えば、日蓮の“た”の変体仮名は概ね2種、“う”は“う”を書きます。
では、この3字を見間違えることがあるかどうかといえば、あり得ないでしょう。形がぜんぜん違います。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/nichirenbokuhituwoyomu_table001.html

『開目抄』は既述のように、明治の大火で消失しましたが、実は草案があったようで、たとえば横須賀大明寺には、その断簡が現存します。過去に宮崎英修師が、最近では都守基一師が真蹟と鑑定しています。

こうしたことを考えると、案外、身延曽存と草案では違う部分があり、該当部分も違っていた、という可能性はあるかも知れません。まあ、類推を出ませんが。

「したし」を「親し」とし、「親し父母」というのは、しかし、日本語として、どうでしょうか。日蓮の文法からすれば、「親しい父母」ということは考えづらく、書くとすれば、「親しき父母」でしょう。では“き”が脱字かという、さて、どうでしょうか。

「しうし」は「主師」と解釈するのは大石寺ですが、「終始」とする解釈もありますね。「終始、父母」という表現は文章的にはもっとすんありしている気がします。

769さえこ:2010/12/13(月) 15:04:17
こんにちは。
正理会 教授 さえこです。
真面目な掲示板なので発言したくなりました。

日蓮大聖人様は、末法の御本仏です。
観心本尊抄では、ご自分のことを「本朝沙門」と言われております。
本朝とは、日本国であり、釈迦仏法とは全く違う日本の新しい仏法である
というご自覚です。

私は以下のブログのコメント欄で発言しております。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137
「中杉 弘のブログ」

日蓮大聖人様の御書講義を真面目に勉強しています。
今後とも宜しくお願いします。

771独学徒:2010/12/15(水) 22:33:02

>>769

「本朝沙門」は伝教大師も「末法燈明記」で使われた御名のりですね。
伝教大師最澄も釈迦仏法とは全く違う日本の新しい仏法と自覚して、中国ゆずりの「天台宗」の宗名を世襲した宗派を立ち上げたのでしょうか?
違うでしょう。
貴方の御主張は全く的外れだと思います。
中杉さんの講義聞くよりも、自ら文献を手にして調べ上げることの方がよほど価値的と思いますね。
間違ったことを刷り込まれて哀れに思います。

772神水流:2011/09/15(木) 23:49:42
結局の所富士門流に所属している寺院は全て日蓮本仏なんですか??日蓮宗の北山本門寺や小泉久遠寺なんかもそうなんですよね??

773樽之助:2011/09/17(土) 18:59:19
神水流さん

私は真宗の門徒です、北山本門寺は以前一致派の教学を重んじた47世片山日幹氏の代には大きく「釈迦本佛」に傾きましたが、48代、と当代とは「法主日蓮大聖人」ですよ。

但し、石山のように独善的・排他的でないだけです。

そう言えばYahoo!知恵袋でも、重須の講中の人になりすましたアホな学会員がいましたよ。

774樽之助:2011/09/17(土) 19:05:47
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1167200721

↑です。笑えますよ。

775神水流:2011/09/17(土) 20:58:40
樽之助さん

ありがとうございます法主日蓮大聖人とは本仏と言う意味なのですね。

謎が解けました。

776独学徒:2011/09/17(土) 23:29:20

神水流さん、
樽之助さん、

はじめまして。

「法主」を「仏陀」(世尊)と定義するのは阿含経ですので、阿含経典の段階では「仏陀」は所謂「辟支仏」で「縁覚」ということになりませんか。

富士門流は勝劣派に属する以上阿含経典の教説を世襲しているとは思えず、もちろん日蓮大聖人を二乗とも考えていないと思います。

少なくとも小泉久遠寺、京都要法寺、伊豆實成寺は久遠の本師は釈尊です。

北山本門寺も日蓮本仏義ではないと思います。西山本門寺もほとんどの僧侶が日蓮本仏義ではないです。どちらも僧侶の免許を取るために身延山の信行道場に入るわけで、基本的には日蓮宗としての教義を基礎として修業しているはずです。

ただ「本門宗宗制」に聖人と称するのは日蓮大聖人のみと定義していますので、日蓮大聖人が別格の存在であることだけは確かだと思います。

現在、明確に日蓮本仏としているのは、日蓮正宗と安房妙本寺だけだと思います。

777神水流:2011/09/18(日) 09:34:20
独学徒さん

はじめまして
ご解説ありがとうございます。
やはり日蓮宗=釈迦本仏義なのですね。

778樽之助:2011/09/18(日) 15:48:41
独学徒さん
そうですかね、このさえ阿含経云々は関係ありませんよ。
僧侶になるための免許を取るための修行と信仰は別次元ですからね。

なるほど確かに片山日幹氏の代には「釈迦本佛」に傾きはしましたが今は「日蓮本佛」なんですよ。

僕が示したYahoo!知恵袋のURLを見て下さい、
levelruiと言う重須の講中になりすました学会員も貴方と同じこと言ってますよ学会員の概念で良く思われがちなのが日蓮宗=「釈迦本佛」です。

779独学徒:2011/09/18(日) 16:25:12

樽之助さん、

私はネットで語られることよりも手にした史資料や、実際に現地に足を運んで確認した事実を最重要視します。

北山本門寺は少なくとも、日蓮正宗や安房妙本寺のような「日蓮本仏」主義ではないです。
もし北山本門寺が「日蓮本仏」主義であるというならば、その根拠を文献・文書から例をあげて示して欲しいと思います。

日蓮正宗は日寛上人、安房妙本寺は日我上人とそれぞれ日蓮本仏義を体系化した上人がいます。
しかし北山本門寺の歴代に、日蓮本仏義を主張した上人がいたのでしょうか。
私が手にする史資料では、そのような上人は見当たりません。

最も広範な富士門史料を網羅した、「富士学林教科書 研究教学書」にさえ北山本門寺関連の日蓮本仏義は見えません。

御先代貫首本間猊下は、集録『教箋閑古錐』の「序に代えて」の中で、「わが宗門寺院は、是が非でも純正な本化日蓮大聖人の信仰に徹して」と述べられている通り、日蓮大聖人を『本化』とされています。
『本化』は『本仏』ではないですね。『本仏』より化導されてきた菩薩を『本化』というわけです。
同じく本間猊下は同著にて「本化正信の根本道場、法主聖人御影の安座ましますここ重須の地に」とも述べられていることから、日蓮大聖人に関する尊称を整理すれば、北山本門寺では片山猊下以降も日蓮大聖人を『法主』=『本化』として解しており、『本仏』とは解していないことになります。

780樽之助:2011/09/19(月) 12:40:25
独学徒さん

文献と言われますが、今は歴代の貫首の事を話しているのではなく、現在の北山本門寺の「本佛」
についてですよ、神水流さんの質問もそうですよね。

実際に現地に足を運んで確認した事実を最重要視します。
と言われますが、僕は真宗の門徒ですよ、現地の事を知らないで他宗の教義を決め付けても意味がないじゃないですか、
5月に北山本門寺と小泉久遠寺 西山本門寺の見学に行ってきましたよ。

その時の「回向文」でも「大曼荼羅=法宝」「法主日蓮大聖人=仏宝」「日興上人以来血脈付属の歴代上人=僧宝」
でしたと。
貴方はここで僕が北山を知らないとおもい大きな墓穴を掘ってしまった。
僕は、知恵袋を本佛論の証拠に挙げたのでは、ありませんlevelruiさんと言う学会員は明らかに間違いを言っていますよね。
それと貴方が同じ事を言っていると言ったまでです。

あとこのまま論議しても構いませんがYahoo!IDお持ちでしたら、知恵袋でリクエスト質問して下さい。
そっちの法がよくログインしますので。

781独学徒:2011/09/19(月) 13:19:09

樽之助さん、

私も何度も北山、西山、小泉に行っていますが、「法主日蓮大聖人=仏宝」こんなことは一度も聞いた事がありません。

さらに西山や小泉では「法主日蓮大聖人」という呼称自体しません。

私は過去5年間西山のある御僧侶のお取次ぎにて、お虫払い法要に参拝してきましたが、貴方が仰るような回向文など一度も耳にしません。

小泉久遠寺も御蔵開法要に参拝した事がありますが、貴方が仰るような回向文など読んでいません。

北山では『本門要軌』の記述に基づき「法主日蓮大聖人」と云いますが、先に北山御先代の著作から引用したとおり、「法主」=「本化」が北山の解釈です。
私は何人もの北山の僧侶とお付き合いがあります。
「日蓮本仏」を云う方は一人もおりません。

あちこちに出没する気はしませんので、Yahoo!ID知恵袋には行きません。

5月は北山、西山、小泉いずれの場所でも主だった年中行事・法要は行なわれていません。
何の法要も行なわれていない場所に一度行っただけで、何故真宗門徒の貴方が北山の本仏義など云々できるのか甚だ疑問です。

真宗門徒の人は皆、貴方のように根拠無くものを決め付ける人ばかりなのでしょうか。
むしろ「大きな墓穴を掘って」などと、貴方の方が学会員ぽいですね。

782樽之助:2011/09/19(月) 18:35:18
独学徒さん

はいはい貴方の仰る通り久遠実成の釈迦牟尼佛が仏宝なら名前が読み上げられますよね?
「回向文」には「釈迦」の名前すら出て来ませんでした。
仏宝に回向しない「回向文」なんてありますか?
あり得ませんよね。

貴方は北山の僧侶とお付き合いが有るそううだけど若い人達がやってる会の名前知ってますよね?

知恵袋には無理にお誘いしている訳ではありません嫌なら結構です。
貴方は北山の講中と名乗りながら大石寺の講中を「法華講」なんて言うばればれのナリスマシと同じ事を言ってるのですよ。

783神水流:2011/09/19(月) 19:10:56
独学徒さん
樽之助さん

元はと言えば私の書き込みの性でこんな事になってしまった事をお詫び申し上げます。

書き込んで於いてなんですが…お釈迦様が本仏でも日蓮聖人が本仏でももうどうでも良いです。

あの書き込みは削除したかったのですがやり方が分からずそのままになってしまってます。

どうか止めて下さい。

784独学徒:2011/09/19(月) 20:54:59

樽之助さん、

私がお付き合いのある北山系の御僧侶は若い方ではないので、貴方の仰る意味がわかりません。

私は北山の講中でもなんでもありません。
私が信仰する本山の末寺のご住職が、北山塔中の副住職をされています。
また冨士教学研究会の会報をご購読戴いた北山系のご住職も複数いらっしゃいます。
日蓮仏教研究所で古文書学習にご一緒させていだいた、塔中副住職もいらっしゃいます。
また当方ブログに度々コメントを戴き、各種ご法要でお会いする結社の担任様もいらっしゃいます。

北山の御霊宝御風入にも5年間通っています。その他、御大事御本尊会、垂迹祭、御開山会などにも参拝していました。

片山猊下時代の御経本も、現在使用されている「本門要軌」も所持しており、一時「本門要軌」で読経していました。
本間猊下や片山猊下の御著作も拝してきました。
また片山猊下の肉筆の御本尊や本門宗時代の日光上人、江戸期北山歴代の肉筆御本尊も数幅所持しています。

貴方が私を誰とを勘違いしているのかわかりませんが、私は私なりに史資料も収集し、実際に北山の法要にも何度も参拝し、複数の御僧侶とも交流を持たせていただいた上で判断しもうしあげています。

「本門要軌」には三宝供養そのものがありませんから、回向文に釈迦が出てこなくても仕方がありません。

本仏に化導を受けた「本化」という以上、日蓮本仏義は成立しません。

785吉浜:2011/09/20(火) 15:51:45
>樽之助さん

初めまして。富士門流単立寺院の信徒、吉浜と申します。

Yahoo!知恵袋・宗教カテのlevelruiさんは創価学会員ではありません。知恵袋内でも誤解されている方々を見かけますが正真正銘の北山本門寺末の信徒さんです。何故か誤解される方々が多い…。

ちなみにlevelruiさんはmixiでの私のマイミクでもあります(もちろん、お互いmixi上でのニックネームは知恵袋のIDとは異なる)。

786樽之助:2011/09/22(木) 17:50:36
吉浜さん

富士門流単立寺院の信徒って?思い当たる人は一人しかいないけど?

まさかね、あの人がlevelruiさんなんかと繋がってる訳ないよね。
levelruiさんは間違えなく創価ですよ、だって北山の総代の名前答えられないし、大石寺の信徒を「法華講」なんて言うし日蓮宗のお坊様にむかってあんな無礼な事言うのだよ。
それにあのオカマキャラ^^宗教カテの有名なある学会員の別IDに決まってるじゃないですか。
ぷっ。。頭隠して尻隠さずだね。

腹立ち紛れにあんな創価丸出しの質問してくしね。

787首都高バトル01:2012/05/09(水) 22:53:00
南無妙法蓮華経、御本尊を国土に配すれば(この世の全体)、
自ずと日蓮大聖人が、御本仏であることが解ります。

本尊問答抄
「 上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と
天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く
法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり
釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり
故に今能生を以て本尊とするなり 」

全てのものは、この世の中心、
寂光土(南無妙法蓮華経、また本源。)より生まれる。
久遠釈尊成道後、娑婆世界(釈迦牟尼仏)は、
寂光土を対境にして生まれる。
その誕生の時に、地湧の菩薩が一旦成道してから娑婆世界に
現れるのではなく、本化、本源そのままの生命
(しかし仏の修行はしてないので凡夫のまま)で、
釈尊のもとで、繰り返し繰り返し教化される。
一往は、娑婆世界に生まれる地湧の菩薩は、釈尊が親。
しかし(再往)、もともとの本源そのものが生身したので、
本源そのもの故に源を辿れば本源そのものの生命で生身する
本法所持の本法を携えた地湧の菩薩が本仏となる。
上首故にその代表、本法を明かし本源の生命そのままに行動され、
本源の姿を示された御本仏は日蓮大聖人となります。


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