- 1 名前:38=55@皇兄派 投稿日: 2004/02/11(水) 15:28
- takoスレ マンガ版「風の谷のナウシカ」
http://www.2ch.net/tako/comic/kako/950/950120675.html のレスを貼ってね。
- 13 名前:風の谷の名無しさん 投稿日: 2004/02/11(水) 22:51
- 359 名前: みーむ 投稿日: 2000/05/16(火) 07:06
作品外からの情報を元に解釈するってゆーのは、反則なのかもしれないけど、 この場合>63の意見が、実状に近いんではないかな。 >267〜269が載ってる「コミックボックス」のナウシカ完結特集で作者が、 「皇弟はスターリンのような人。本人は人民のことを想っているつもりで、 虐殺をやっている。救われない人だと思う」みたいなことを言っていたけど、 じゃあ、土鬼初代神聖皇帝はレーニンで、墓所を創った主はマルクスになんのかな。
で、宮崎駿がクリエイターとして凄いのは、「自分の今までの考えは間違っていた」 とゆーことに、作品を創ることで気づいてしまったことだと思う。 つまり映画版で創った、汚くなった世界を腐海がきれいにしてくれましたとゆー世界観を、 マンガ版で続きを描きつづけていく中で、そのうすっぺらさに気づき、 それをナウシカの行動を通して乗り越えたのだと思う。 だから、映画版が創られる以前に描かれた1〜2巻の時点では、7巻の結末は (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 14 名前:<虚無> 投稿日: <虚無>
- <虚無>
- 15 名前:風の谷の名無しさん 投稿日: 2007/07/06(金) 14:53:08
- あほくさいが15ゲット。
- 16 名前:風の谷の名無しさん 投稿日: 2007/12/22(土) 02:11:49
- いいスレですね
- 17 名前: ◆Moomin//36 投稿日: 2008/12/12(金) 03:52:42
- もっと貼りやがれ
- 18 名前:風の谷の名無しさん 投稿日: 2010/07/21(水) 03:35:47
- 長くなりますが。漫画版「ナウシカ」が完結して大分経ちました。そろそろこの作品の現代におけるある解釈を与えても良いと思います。
先に申しますとナウシカは人間キリストの現代版であります。宮崎は一神教を快く思っていないハズなのに何故ここまで絶対的なヒロインを必要としたか? 腐敗した経済社会に警鐘を与え希望をもたらすものとして深層心理でどうしてもキリストが必要だった。そしてそれを少女に託した。少女はそのその博愛性と公共性 つまり完全な人間、またそれは同時に処女性も持ち合わせていなければならなかった。 クシャナはナウシカの精神的な双子であり(どちらも母親が完全でない。宮崎の母親は病弱。また経済性に毒された現代の母親の象徴。)そして仏教的な存在である。クシャナに付きまとう のは酷薄なまでの人間理解であり、同時に世界への諦観である。 二人の家柄を見ても、小さな集落(風の谷)の棟梁であるナウシカと、王族であるクシャナは、キリスト:大工の息子、仏(ゴーダマシッダルダ):王族の息子の家 柄とぴったり重なる。 また腐海は現代における産業情報化社会へのオマージュである。決して、現行の細胞生物の加工によるものではない。宮崎は飛行機屋の息子であり機械文明の極地が外骨格をなす昆虫類に近づく ことを直感的に見抜いていた。つまり、現在我々が依拠している産業化、情報化はここまで洗練された複雑な生態系をなし、人間のコントロールを外れていくことを天才の直感で 想像したのである。かかるこの複雑混沌とした作品世界ではキリスト(ナウシカ)、クシャナ(仏)でも人間を救うことが出来ない。これが宮崎のぐるっと一周した一神教批判 である。またナウシカは、作品の中で少しずつその処女性を失っていく。即ち処女懐胎の物語でもある。先ず風の谷(子宮)で風(男根)を受け入れ、作品世界(子宮)大海しょう(男根)を飲み込み、墓の穴(歴史も含めた世界 としての子宮)でオーマ(歴史も含めた上での人間の勇敢、即ち男根)を受け入れる。かかる過程を経てナウシカは処女性から解放され、自分の母のトラウマを乗り越え、セルムという精神的な 父親と同時に夫、チククの母となることを決意するのである。そこには宮崎自身の劣等感(民族的、歴史的)が虫たちやオーマを通じて投影されている。 だからナウシカはよくエロねたやオタクに玩具にされているが作品そのものに元凶があり、テーマの偉大さと天才の想像力によってそれが昇華されているとも言えるだろう。男根を祭る神社 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 19 名前:風の谷の名無しさん 投稿日: 2011/07/18(月) 19:18:08
- マジキチ
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