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与那国島の海底遺跡の世界遺産化

1古都:2003/11/24(月) 22:33
与那国島の海底遺跡を世界遺産にするために運動したら、できると思いませんか?

2浦に〜と:2003/11/26(水) 20:44
与那国島の海底構造物については、世界遺産にしようという話もかつてあったと思いますが、遺跡として運動するにはまず国指定史跡にしないとダメなので、それからですね。本当に人工物なのか、そして人工物だったとして、歴史的・学術的に価値があるのか、その辺の分析がまずは必要です。

3古都:2003/11/27(木) 15:57
ありがとうございました

4遺跡の捏造は犯罪行為:2003/12/02(火) 00:26
与那国海底遺跡は科学的にすでに否定されているものを、木村、ハンコック両氏が利権のために、
日本青年社という日本人の文化的優位性を主張している右翼組織が政治的に利用するために
遺跡説を非科学的に主張しているだけなので、世界遺産に指定してもらうのは無理です。
まともな地質学者や考古学者を騙す事はできません。
カルト科学雑誌や木村さんの著書の資料は縮尺や傾き、方向性が意図的に偽造されています。
つまり写真資料は画像加工されていて、それを根拠に描かれている見取図も
実物とはまったく違うものとなっているのです。
あの石質の平面も実際にはかなり傾いていて、階段と言われている段差も実物はただの斜め凹凸面で
階段のような段差ではありません。
ゴッドハンド顔負けの捏造です。
その偽造について指摘された木村さんは、反論せずにそのまま学会から抜け出して逃げました。
与那国海底遺跡が如何に眉唾物なのかお分かりになられたでしょうか?
くれぐれも学者もどきによるインチキ科学には騙されぬようご注意を。

5perdido:2003/12/02(火) 21:44
遺跡の捏造は犯罪行為さん>
詳しい情報ありがとうございます。インチキだとわかってすっきりしました。
テレビでも大々的にとりあげられて古代文字まであると「文字の刻まれた証拠の石」まで放映されていてもどうしてもなっとくできなくて...
ハンコックですか...
「と学会」なんかで趣味で騒ぐだけにしてほしい。
それから法的には遺跡の捏造を犯罪として扱うことはできません。
「犯罪的」ではあるのですが、美術品の贋物をつくっても犯罪にならないように
くやしいですけど

6遺跡の捏造は犯罪行為:2003/12/03(水) 18:44
>>5
木村先生に限っては、故意に不適格と知っていながら己の名声の維持のためだけに
遺跡説を主張し、捏造した研究報告書で多額の文部科学省の科研費を横領したという
ことを立証できれば、詐欺罪ならびに公務員法違反に当たります。
犯罪として立件可能です。

7収斂:2003/12/04(木) 20:21
琉球大学の木村政昭教授の研究室のHPです。
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~kimura/kimura.html

木村政昭(KIMURA Masaaki)教授の略歴
http://www.u-ryukyu.ac.jp/souran/rigaku/bushitu/kimuram.html
この略歴を見ると、木村教授は地質学者であって、考古学者ではないことが分かります。

Web of SCIENCEで木村氏関係の論文を検索してみました。TopicをMARINE GEOLOGYとして検索をかけると、たくさん出てくるのですが、TopicをMARINE GEOLOGYにして、AuthorをKIMURAにすると全然該当しませんでした。GEOLOGYとKIMURAでやると2件ヒットしましたがそれは別人でした。上の業績欄の中に1976にNatureに載ったものがありますが、Web of SCIENCEは古いのはヒットしないので、つまりは、木村教授は最近の海外の雑誌にあまり論文投稿していないのではないでしょうか?

http://www.gsj.go.jp/~imiyagi/Works/Review/coop/0000/477.html
次に、上記のHPはyahooで検索した結果得た彼の論文一覧です。遺跡関係の話は主に2000年ごろから始まり、それ以前は、当然ながら、まともな地質関係の論文で占められております。私の経験だと、木村教授は1997〜1998年頃にこの海底遺跡の話に迷い込んだのではないでしょうか? それから、これを見ると、講演論文が結構含まれておりますが、理工学部の場合、講演論文なんてものは業績の内に入りません。そう考えると、やはり木村教授はまだ遺跡関係の本格的な論文を書いていないようです。さらに2000年の論文では「与那国島海底の遺跡様地形の調査研究」とあり、「遺跡」ではなく、「遺跡様地形」として、一応、逃げ道は確保しているようです。

8収斂:2003/12/04(木) 20:28
<収斂の意見>
私も与那国島の海底構造物は、昔から、なんとなく怪しい話だと感じておりました。でもそれなりに関心があったので、1998年頃から注視してきました。むしろ右翼政治結社が関係しているという話こそ初めて知り、驚いております。また画像処理に捏造があるという話ですが、そういうことはすぐばれるはずなので、それが5年以上経ってもまだそういう話が出てこないことをみると、画像の捏造の話もなんとなく眉唾に思えます。私は、テレビなどで見る限り、あれが遺跡だと感じる人がいても不思議ではない地形と思います。また木村教授の略歴を見ると分かるように、彼は地質学者であって考古学者ではありません。旧石器時代の捏造事件は確信犯ですが、この与那国島の海底遺跡の話では、木村教授はそこまで悪質ではないと思います。むしろ、引くに引けなくなった感じがします。
私がこの海底遺跡を胡散臭いと感じるようになったのは、テレビ・マスコミにいつもこの木村教授しか登場しないからです。もし私がこの遺跡らしい地形を発見したら、自分で勝手に遺跡だなんて判断しないで、まず、考古学者と共同グループを募り、あらゆる専門家の力を結集して研究します。研究とは総合力だと考えております。それをしないで、成果を全て自分のものにしようとしたからまずかったのではないでしょうか。さらにもう一つ、彼の良くないの点は、琉球列島周辺の海底からナウマンゾウの化石や沈没船が発見されることは珍しくないのですが、その事実だけで海底構造物を人工物だと決め付けるのは、あまりに大きな隔たりがあるということです。もし遺跡なら出土しなくてはいけないものが全然見つかっていないのですから、人工物のような穴があるとか、壁面が垂直とか、いくら状況証拠を並べても、はっきり言って無意味です。

私は、与那国島の海底遺跡のような眉唾な考古学が、世界には結構あって、それが横行している気がしています。例えばアメリカ大陸に最初に渡った石器人の遺跡発掘研究だって、信じられないくらい、いいかげんです。無氷回廊説だって胡散臭い説に聞こえますが、極めつけは、氷河時代に海沿いに渡って来たなら遺跡は海底にあるはずだという考えを根拠に、海底を掘り返して石器を拾う調査なんてやっていますが、とても学術研究とは思えません。執念というか、趣味というか、あきれます。また中国の考古遺物も捏造品が多くあるのは昔から有名で、唐三彩なんてほとんどが偽物っていいますし、ひどい状況です。
考古遺物の正確な年代測定を行う計測装置が普及すればいいのでしょうが、そもそもそういうものを欲しがる人間がいるから偽物が作られるわけで、私は、考古学的遺物や美術品は博物館にあるのが本当で、そういうものを欲しがらないように人間性の向上に努める、つまり教養のある人間の育成の必要性もしみじみ感じています。

9遺跡の捏造は犯罪行為:2003/12/05(金) 00:38
画像の捏造問題ですが、これがなぜか一般紙では問題にされないのですよ。
というのも、与那国遺跡を取り扱ってくれる一般紙は殆どが遺跡肯定説を唱える内容と
なっているためだと思うのですが。
専門誌では与那国遺跡は与太話でしかないので、画像云々以前に与那国遺跡問題自体を
取り扱ってすらいません。
なので、学会などでの直接的な部分でしか、この問題は今のところ語られていません。
が、確か1年ほど前に出た雑誌で、見取り図の縮尺に関して下の方にかなり小さく注意事項として
縦横の縮尺比を1:2.5の比率にしたと書いてあったものがありました。
今のところ、一般紙で縮尺比問題が明確に見受けられるのはそれだけだったと思います。
雑誌名を挙げたいのですが、今手元に無いため、ちょっと分かりません。すいません。
木村先生の与那国遺跡に関する論文は、琉球大学理学部紀要に掲載されております。

10perdido:2003/12/05(金) 01:33
>もし遺跡なら出土しなくてはいけないものが全然見つかっていないのですから、人工物の>ような穴があるとか、壁面が垂直とか、いくら状況証拠を並べても、はっきり言って無意>味です。
そのとおりです。古代文字だといってもなにかの引っかき傷のついた石といってもいいようなものをもちだしたり、本当にヤンガートリアス期(1万5000年前ですか…)の年代を立証できる資料を見せてほしいものだと思いました。熱残留磁気が閉じこめられた比熱した建築素材や熱ルミネッセンス法で年代の測定できる土製遺物、C14年代や年輪年代が同定できるような(この時期の年輪までわかっていたらの話ですが)木造の工作物や建築物の部品がなければ論外です。年代測定資料があっても縄文中期や弥生時代の始まりについても慎重な態度をとらざるをえないのに、そういった論議の対象にできる資料が全くみられないので眉につばするしかありませんでした。

11perdido:2003/12/05(金) 01:46
>私は、与那国島の海底遺跡のような眉唾な考古学が、世界には結構あって、それが横行し>ている気がしています。例えばアメリカ大陸に最初に渡った石器人の遺跡発掘研究だって、>信じられないくらい、いいかげんです。無氷回廊説だって胡散臭い説に聞こえますが、極>めつけは、氷河時代に海沿いに渡って来たなら遺跡は海底にあるはずだという考えを根拠>に、海底を掘り返して石器を拾う調査なんてやっていますが、
そんなことがあったんですか。困ったものですね。アンデス考古学で、きちんとした報告書を作っているのは東大のアンデス調査団のはじめとしてわずかな研究者と研究機関ときいています。整理されていない遺物の山があるし、テイワナコ専攻の友人が信頼できる資料が少なすぎて論文の書きようがないとなげいていました。

自分は、ベーリンジアを2〜4万年前にわたったという確固たる考古学的成果をみたことがないということでパレオインディアン期の考古学に非常に疑問を感じてきました。それは、C14法が改良されて加速器質量分析法でカルフォルニア州出土の人骨の年代を測定すると3500〜7000年前という値が得られ、パレオインディアン期といわれたイリノイ州出土のカボチャの皮の年代は4000〜7000年前、とうもろこしは1500〜500年前という値となり(中井信之「放射性炭素原子を数えるー加速器質料分析と年代測定」馬渕、富永編『続考古学のための化学10章』所収、1986)、とうもろこしにいたっては、北米でいう古期段階、中米でいえば先古典期〜古典期段階、南米でも形成期〜前期中間期にあたり、とてもパレオインディアン期のものとはいえないしろものなのでいっそうその疑惑はふかまりました。どうやら、パレオインディアン期の人骨に古い年代があたえられてきたのは1980年代にアスパラギン酸の光学的性質から年代を決めるラセミ化法によって3〜7万年前という年代が得られたことから2〜4万年前が裏付けられていると扱われてきたように思われます(中井1986,p.243)。
 そこで、あらためて中南米関係の考古学の概説書を注意深く読んでみると、
 「陸橋の出現時期は、7万5000年前から1万4000年前頃とされ、・・・(中略)・・・わたった先の北米では、、意外なことにアラスカよりむしろ南部で氷河が発達を遂げ、人類の南下を阻んでいたのである。この氷河が交代するのは最終氷期の末、つまり1万4000年前以降とされている。つまりこの頃にならないと人類は北米南部にも南米にもたどり着けないことになる。・・・(中略)・・・北米で確認されている最古の文化は、クローヴィス文化どまりということになる。1万1200何前から1万800年前頃に北米大陸南西部を中心にひろがっていた狩猟採集民文化である。」(関雄二『アンデスの考古学』同成社、1997,p.18)「南米では、魚尾型尖頭器出現以前の文化の痕跡が最近かなり報告されている」が、「古いといわれるベネズエラのタイマ・タイマ(Taima-Taima)遺跡(Bryan1973)、ブラジル東部高原ピアウイ(Piaui)州南に位置するペドラ・フラーダ(Pedra Furada)遺跡(Guidon&Delibrias1986)、チリ中央部に位置するモンテ・ベルデ(Monte Verde)遺跡(Dillehay1989)のデータをよく見るといずれも14000年前をさかのぼる年代測定値が出ているわりには年代資料の汚染、層位や石器同定などの問題点を多数かかえていることがわかる。いまだに学会の同意を得られていないのである。」(関、前掲書、p.20)
 「現在のところ、最初のメソアメリカ人に関する明確な証拠は、クロービス文化以降である。クロービス型尖頭器と類似する有溝尖頭器片は、グアテマラ高地のロス・タピアーレス(Los Tapiales)遺跡で出土している(Gruhn&Bryan1977)。同遺跡は、狩猟採集民の小集団キャンプであったと考えられ、4つの炉」跡「が見つかっている。有溝尖頭器と共伴して、片面加工尖頭器、木葉型両面加工先頭器、彫刻刀形石器、スクレイパー、剥片などが出土したが、動物依存体は見つかっていない。放射性炭素法により前8760年という年代がでている。」(青山和夫・猪俣健『メソアメリカの考古学』同成社、1997,p.12)
「紀元前8000年頃には海面が上昇しはじめ、使用された可能性の高い入路は水没したと考えられるから、移住が行われたのは、これより前のことに違いない。」(マイケル=コウ『メキシコ』学生社,p.32)
いずれも2万年以上前の遺跡の話を載せつつも立証できていないと否定しています。ドーバー海峡だって泳いで渡る人がいるし、ヨットで太平洋を横断したり、南米からいかだで遠い島までたどりつけるのだから、なんで、ベーリング海峡くらいの距離を船やいかだで渡ってはいけないのか思います。

12筑紫島:2005/03/28(月) 14:16:48
与那国島の海底構造物は世界的にも珍しいものですし、
自然遺産としても十分通用するものだと思います。
文化遺産としてではなく自然遺産という形が最も妥当だと思います。


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