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【1565】大包囲戦【The Great Siege】

1まこり〜の:2005/05/18(水) 20:38:08 ID:4sJFRfpU
今日、5月18日は、440年前に、マルタ攻略を狙う、
オスマン・トルコの艦隊が、マルタ沖に現れた日。
当初トルコ軍は、マルタ北部の、メリハ周辺の海岸より、
部隊を上陸させ、イムディナを衝くことを考えたが、
このあたりの海岸が、大規模部隊の上陸に向かないことを知り、
艦隊はマルタ南部への回航された。

2まこり〜の:2005/05/20(金) 12:26:04 ID:Z2WVa5rk
5月20日、マルサシロクの主力はじめ、ビルゼブジャ、マルサスカーラに、
オスマン・トルコ軍が上陸。

ゼイツン付近で、騎士団と、トルコ軍が交戦。

3まこり〜の:2005/05/27(金) 12:21:03 ID:bzLjXc52
>>1
騎士団側が、トルコ艦隊の来寇をみとめると、
イムディナ、ビルグ、セントエルモ砦から、警報として、それぞれ三発ずつの砲声が鳴った。
また、ゴゾのシタデルもそれに応えて、三発の砲声を鳴らし、ついで、イムディナからの警報の狼煙を確認した。

警報をうけて、マルタの住人は、家財を持ち、すべての家畜を連れ、イムディナ、ビルグ、セングレアの
城壁の内へ避難を始めた。

上陸後のオスマン・トルコ軍が、水源のひとつとして期待しているであろう、マルサの井戸は、
苦味のつよい香草(一説には毒)で、埋められた。

4まこり〜の:2005/05/27(金) 12:22:38 ID:bzLjXc52
>>2
別の資料では、トルコ艦隊が、マルタ沖に現れた翌日の
5月19日には、トルコ軍と、騎士団による、この最初の戦闘が起こったとある。

ゼイツン付近の戦闘は、イェニチェリ(スルタンの親衛隊)の分遣隊を主力とする
トルコ側の先遣上陸隊と、騎士団の騎馬偵察隊との不規遭遇戦だったもよう。
この騎士団側の部隊は殺されるか、捕虜となるかしている。

トルコ軍の先遣上陸隊の任務は、周辺での家畜、作物の確保、住民を捕らえての尋問、
セングレア、ヴットリオサ南側正面への威力偵察であった。
しかしながら、家畜と作物は、各砦に避難した住民が、城壁の内側に運び込んだために確保できなかったようである

イムディナから出た、騎士団の騎兵部隊が、トルコ先遣隊に対しての、威力偵察も行ったりしている。

5まこり〜の:2005/05/27(金) 13:00:00 ID:bzLjXc52
初期の小競り合いや、威力偵察などから、
ビルグ、セングレア南正面の防備が堅いとみたトルコ側は、
最初に攻撃の主力を、セントエルモ砦にむけると、5月24日にきめた。

マルサシロクで揚陸された攻城砲が、陸路、家畜、ガレー船奴隷によって
シベラス半島(現ヴァレッタ)に運ばれ、セントエルモ砦にむけて、据えられた。
26日には、最初の砲撃が、27日には、最初の突撃が行われた。

騎士団総長のジャン・パリゾ・デ・ラヴァレッテは、
事前にスパイからの報告で、トルコの主攻が、まずセントエルモ砦に向くことをきき、
これを良いニュースとしてとらえた。
防戦側の本拠となる、ビルグとセングレアへの攻撃が薄くなれば、
シシリーから援軍が到着するまでの時間を稼ぎやすくなるからである。

6まこり〜の:2005/05/30(月) 21:56:56 ID:4sJFRfpU
5月30日、名高き海賊ドラグートが到着。

海賊とはいっても、トルコ海軍の一翼を担い、
トルコが騎士団から奪ったトリポリの代官もつとめていた。

手勢をもって、オスマン・トルコ軍に加勢するのも、
マルタにやってきた目的のひとつだが、
なによりもドラグートは、砲術の専門家でもあった。

7札幌窓辺のねこ:2005/05/30(月) 23:23:04 ID:soScPe8g
師匠、あのー、大包囲戦の話ぢゃないのですが・・・。
映画“キングダム・オブ・ヘブン”観て以来、
突然十字軍に嵌りまして(今頃かよ!)、色々調べております。
で、聖ヨハネ騎士団またの名をホスピタラーまたの名をマルタ騎士団の
トレードマークはかつて、黒地に白クロスだったみたいですが、
何時の間にか、赤地に白クロスになっちゃっていますよね。
何時、どういう流れでそうなっちゃったのか、ご存知ではないでしょうか?

8まこり〜の:2005/05/31(火) 12:21:24 ID:bzLjXc52
>>7
今でも、僧服では、黒地に白となります。

ここからは、きちんと資料をあたったわけではなく、
私見となりますが、
聖ヨハネ騎士団は、マルタに来る以前より、赤地に白の十字(ギリシア十字)の旗を用いてました。
奇しくも、これは、マルタをアラブより「解放」したノルマン伯ロッジェール(ロジャー)が、用いていたのと
同じ旗になるわけですが、これに、マルタ十字の意匠をあてはめたのが、
今日よく見る赤地に白のマルタ十字ではないかなあと。

ちなみに、赤地に白のギリシア十字の旗は、
今でも、マルタ騎士団国の国旗として使われています。

9まこり〜の:2005/05/31(火) 12:21:52 ID:bzLjXc52
>>6
ドラグートの到着後、オスマン・トルコ軍の、セントエルモ砦への砲撃は、
数と、効果ともに増したと、篭城側が記録している。
また、ドラグートは、マルタ到着後すぐに、
マルサムセット湾をはさんで、セントエルモ砦に攻撃を加える
スリマのティグネ岬の砲兵陣地の増強と改善にとりかかっている。
この岬の突端は、今日では、彼の名にちなんで、ドラグート岬と呼ばれる。

10札幌窓辺のねこ:2005/06/02(木) 03:39:32 ID:soScPe8g
>>8
師匠、レスありがとうございましゅ。

映画の中でもホスピタラーは黒地の服、
カラヴァッジオの絵にも黒地のが登場しますが。
服と旗は違うっていうことなのかしらん?
それとも、騎士団の中で階級みたいなものがあって、僧と兵士は違うとか。
うーむ、これはもうちっと調べてみる必要あり、だな。

なんか、エルサレムに行ってみたくなってきた・・・。

11札幌窓辺のねこ:2005/06/02(木) 06:04:45 ID:soScPe8g
って、早速、某サイトに記述があったのを発見しました!
“彼らは通常、白地の十字のついた黒いマントを羽織っていますが、
戦闘になると聖堂騎士団同様の白地に赤い十字のマントを見に付けていました。”
ですって。
納得。

12札幌窓辺のねこ:2005/06/02(木) 06:14:41 ID:soScPe8g
あれ?納得、と書いたものの、
これ変くない?
“聖堂騎士団同様の白地に赤い十字のマントを見に付けていました。”
“同様の”ぢゃないよね?
赤・白が反対だ。
まあ、ともあれ、戦闘の際は黒地じゃなくて、赤地だったってことね?
因みに“見に付けて”と、漢字も違うし。
ここのサイトマスターさんにお知らせしちゃおうかなぁ・・・。

13まこり〜の:2005/06/03(金) 12:51:31 ID:bzLjXc52
>>10-12
我々が今日イメージする旗って、船の所属を示すのが
はじまりだったからね。

おっしゃるとおり、戦闘時には、鎧のうえから、
赤地に白のギリシア十字ないしはラテン十字のマントをつけます。

騎士団においては騎士は、将校、下士官にあたり、
兵の部分を構成するのは、武装従者や、用兵でした。

大包囲戦では、後に送られた援軍とは別に、シシリーから派遣された
スペイン皇帝軍の部隊も、当初から防戦に参加していました。

14まこり〜の:2005/06/14(火) 13:06:42 ID:bzLjXc52
ドラグートの到着により、オスマン・トルコのセントエルモ砦に対する砲撃は、火力、精度ともに増した。
さらに、トルコ軍は、砦前方の防壁を突破。
砦は、攻勢を真正面で受け止めることになる。

ドラグートは、ティグネ岬の砲台を強化した他に、
カルカラのガロウズ岬にも、セントエルモ砦と、ヴィットリオサを砲撃する目的で砲台を構築したが、
イムディナより出撃した、騎士団の騎兵隊の襲撃で、一度破壊された。
セントエルモ砦は、これによって、多少は息をつくことができたようである。

ほどなく、ガロウズ岬の砲台をドラグートは再構築した。
今度は、手勢を船より上陸させ、襲撃に対しての防備を固めることも忘れなかった。

6月10日夜、セントエルモ砦に対する、トルコ軍の夜通しの攻撃が行われる。
今のヴァレッタの中心部にあたるシベラス山、ティグネ岬、ガロウズ岬よりの、
制圧砲撃の後、イェニチェリに督戦されたトルコ部隊の突撃が夜明けまで続いた。
砦南西の壁の損傷が著しく、トルコ軍はそこに殺到したが、
砦は、ヴィットリオサからの、グランドハーバーを越えた支援砲撃にも支えられ、
この夜の戦闘にもちこたえた。

戦闘の終了後、砦と、トルコ軍の前線のあいだには、
おおよそ1、500のトルコ兵の戦死体が転がった。防戦側の死者は60名。

15まこり〜の:2005/06/15(水) 13:32:45 ID:bzLjXc52
トルコが、6月10日の夜、セントエルモ砦に終夜の攻勢をかけた理由には、
砦の攻略が遅々としてはかどらないうえに、損害の大きいことへの焦りのみならず、
セントエルモ砦に戦力を割いている間に、
島の外より、騎士団への援軍が入るのではという恐れもあったようだ。

事実、6月10日、ゴゾの北の沖に、シシリーからの500人の援軍を乗せた、
騎士団のガレー軍船が二隻、姿を見せた。
二隻は、しばらくそこにとどまったが、援軍の揚陸は困難とみて、北へ去った。

ドラグートは、これを、さらなる大規模な援軍の先遣隊ではないかと疑い、
その進言をうけたトルコ海軍のピアリ提督は、あわてて、100隻のガレー軍船を、
ゴゾとシシリーの間のマルタ海峡の広い範囲での哨戒に出動させた。

16まこり〜の:2005/06/15(水) 13:42:01 ID:bzLjXc52
大包囲戦関連の、史資料をあたっていると、
小火器を表す言葉として『アーケブス(arquebus)』と、『マスケット(musket)』が、
それぞれ別のカテゴリのものというニュアンスで登場する。
「はて?マスケットは火縄銃のことだが、アーケブスとは....?」
と、当初戸惑っていたのだが、調べてみたところ、
16世紀当時、1人で扱える、一丁の重量が数キロ程度の、
比較的軽量で口径も小さい(当時としては)火縄銃のことを『アーゲブス』と呼び、
口径が大きく、銃そのものの重量も重く、体格の良い兵が、
二脚や台架に乗せて扱った火縄銃を『マスケット』と呼んだとのこと。

現代でいえば、前者は歩兵銃で、
後者は、遠距離狙撃、陣地車両攻撃用の対物ライフルといったところか。

口径の大きさにかかわらず、火縄銃全般をさして、『マスケット』というようになったのは、
16世紀後半から17世紀にかけてとのこと

17まこり〜の:2005/06/15(水) 13:47:16 ID:bzLjXc52
>>16
さらに余談。
マルタでもロケが行われた映画『カットスロートアイランド』にて、
終盤の宿敵との戦闘シーンで、主人公のジーナ・デービス演じる海賊の女頭目が
「ライフルを!」と叫ぶところがあった。字幕がそうあっただけでなく、英語の台詞でそう叫んでいた。

あの当時、まだ『ライフル銃』は発明されていないのだが.......(ーー;)

18まこり〜の:2005/06/20(月) 12:35:57 ID:bzLjXc52
6月18日、海賊にして、トリポリの総督でもある、ドラーグート死亡。
侵寇軍総司令官ムスタファ・パシャ、海軍提督ピアリや、他の幕僚とともにシベラス山の戦場を視察中でのこと。

グランドハーバーの対岸より、一行の姿を認めた、セントアンジェロ砦の砲手が、慎重に狙いを定めて、砲弾を放った。
砲弾は、一行の誰にも当たらなかったが、乾いた岩の地面に着弾した砲弾は、多くの石のつぶてを飛ばした。
そのうちのいくつもが、ドラグートに当たり、右の耳のあたりに当たった石が致命傷になった。

ムスタファ・パシャは、すぐにドラグートの遺体を隠すように命じた。
うろたえたわけではないが、ドラグートの死が知られることによって、士気が衰えることを恐れたのである。
しかし、ドラグートの死は、トルコ陣営にほどなく知れ渡ることになり、この夕刻には、
脱走兵(※)によって、ドラグート戦死の報は、騎士団にももたらされた。

ドラグートの死によって、実際、トルコ軍の士気は落ち、攻勢に勢いがなくっなった。
だが、ドラグートが、トルコ軍の砲兵工兵に与えた助言は、着実に効果を積み重ねていて、
数日中に、セントエルモ砦が陥落するのは明らかだった。


(※)トルコの陣営には、トルコ領内各地から徴集されたキリスト教徒の兵士人足が多くおり、
また、戦闘や海賊行為などで捕らえられたことによって、奴隷となったキリスト教徒もいた。
これらが、スキを見て、戦線を越えて、セングレアや、イムディナに逃げ込むことがよくあった

19まこり〜の:2005/06/20(月) 18:45:24 ID:bzLjXc52
>>18
ドラグートは、砲撃をうけた際、負傷はしたものの、その後数日生き続け、
死亡したのは、セントエルモ陥落の日であったというハナシもあるのだが、
そうなると「講談くさい」ので、ここでは、「ほぼ即死」のほうを採用した。

20まこり〜の:2005/06/20(月) 18:48:44 ID:bzLjXc52
>>17
ライフル、つまりは銃身の施条の発明は1742年。
「カットスロートアイランド」は、ジャマイカのポートロイヤルの街が健在であることから、1692年以前の物語。
やっぱり、ライフル銃は発明されていない。

21まこり〜の:2005/06/23(木) 12:38:25 ID:bzLjXc52
ドラグートの退場により、士気が衰えたとはいえ、トルコ軍の波状攻撃はつづく。
双方の遺体と瓦礫によってセントエルモ砦前面の壕は埋まっていた。

6月21日には、トルコ軍は、マルサムセット湾側より壕と堡塁を突破。
一度は追い返されるが、6月22日再び同じところを突破。
砦は、正面と、マルサムセット湾側より、挟撃をうけることになり、
また、ビルグ、セングレアからの連絡補給も困難を極めることとなった

夜、1人のマルタ人兵士が、セントエルモ砦の守備隊よりのメッセージをもって、ビルグに泳ぎ着く。
騎士団総長ラ・ヴァレッテは、ボート5隻を準備し、砦への増援を募った。
騎士十数名を含む志願者で、ほどなくボートは埋まった。

グランドハーバーに進み出たボートの一団に対して、
ガロウズ岬の銃砲が火が吹くとともに、トルコ側も、グランドハーバーに
ボートの一団を送り出して、この援軍行く手をばはんだ。
援軍は士気が高くとも、すべなくビルグに引き返した。

この様子を見ていた、セントエルモの守備隊は、終りが間近なことを覚悟した。
砦の中に、最後にまでとどまり、守備隊の信仰上の支えであった2人の神父は、
聖具を、チャペルの石の床の下に埋め、埋められないものはトルコの手に渡らないように燃やした。
このときまでに、守備隊は、死に臨んでの、告解(懺悔)と、聖体拝領(※)をすませていた。

明けて23日、守備隊は、トルコ軍の攻撃開始の声があがったとき、
守備隊の動ける負傷者は、全員が武器をとった。砦の中で負傷していないものなど、
ほとんどいなかったのだが。
騎士の中には、立ち上がれないほどの傷を追いながらも、椅子に座って防戦に就いたものもいた。

その日の戦闘は、それまでの精鋭部隊による波状攻撃ではなく、潮がよせるように、
トルコの軍勢が砦のまわりに集まり、各所にできた突破口から、
押し込んでいくというかたちだったという。
そして、砦から騎士団の旗が降ろされ、かわりに、スルタンの旗印がひるがえった。

「2、3日で陥落させられる」と、スパイがスルタンに報告したセントエルモ砦は、
一ヶ月もちこたえたのちに陥落した。
トルコ軍は、セントエルモの攻略に、時間だけではなく、数千人もの人員も失った。
陥落直後の砦にはいった、侵寇軍総司令官のムスタファ・パシャは、
グランドハーバーの対岸にいぜんひるがえる騎士団の旗を見て、
「神よ、我々はまだ犠牲を払わねばならないのか」と嘆いた。

※キリストが「最後の晩餐」の際に、自分の身体であるとして弟子たちにパンを取分けたことにならって、
「ホスティア」という小さく薄い種無しパンを食べる儀式。
キリストの聖霊との交わりや、原罪への救いを求めるもの。

22まこり〜の:2005/06/27(月) 13:26:11 ID:bzLjXc52
セントエルモ砦陥落の日、四隻のガレー船でシシリーよりやってきた、700余人の、騎士団への援軍が、密かに、マルタ北西の海岸に上陸した。

この部隊は、地形と、夜、シロック(シロッコ、南西から吹く季節風)のもたらす霧を巧みに利用して、トルコ軍のパトロール網と、戦線を、くぐり抜け、カルカラの入り江に到着。
入り江には、先に送られた伝令によって、援軍の到着を知っていたラ・ヴァレッテが遣わした舟が、待っていた。
カルカラの入り江の最奥部の海岸をはじめとして、周辺には、トルコの部隊がいたが、霧に守られた部隊は、悟られることなく、ビルグに入った。
騎士団に援軍がやってきたのを、トルコが知るのは、この夜が明けてからである。

この部隊は、大包囲戦の物語の中で、後に「小さな援軍(Little Releaf)」と、呼ばれることになる。

23まこり〜の:2005/07/01(金) 12:30:07 ID:bzLjXc52
「船頭、多くして、舟、山に登る」という言葉があるが、
知る限りでは、オスマン・トルコは、二度、舟を山に登らせている。
一度目は、メフメット二世による、コンスタンティノープル攻略の際の、
かの有名な「トルコ艦隊の山越え」である。

二度目は、マルタである。
セントエルモの陥落後、マルサムセット湾から、
シベラス半島の付け根越えるようにして、
舟をグランドハーバーに運び込んだ。
ちなみに、コンスタンティノープル攻略のときは、27隻が山をこえたが、
この時は、数日かけて、大小80隻が「陸を渡った」。

セングレアのトルコの陣営に面している、南西岸の沖合いには、
先端を尖らせ、鉄を被せた、クイが、何本も立てられていた。
それぞれのクイは互いに鎖で結ばれていて、満ち潮の時、
舟がセングレアをめざしてやってきたときには、舟底を破るように
仕掛けられていた。

このことを知ったムスタファ・パシャは、
セングレアの防御は、陸側に重点をおいていて、
南西岸側は、火力が薄いと判断。
海から攻めて、セングレアを落とすとして、
ビルグのセントアンジェロ砦の強い火力を避けるために、
マルサムセットより、陸をまたいで舟を、マルサまで移動させた。

24まこり〜の:2005/07/07(木) 12:54:35 ID:bzLjXc52
>>23
「船頭、多くして、舟、山に登る」の余談

第二次大戦時、
英国がジブラルタル海峡をしっかり押さえているがため、
ドイツ軍は、大西洋岸から地中海への艦艇の回航が、海上で行えず。
魚雷艇などを、陸路で移送したことがある。

25まこり〜の:2005/07/12(火) 18:23:02 ID:bzLjXc52
セングレア西岸の防柵を破壊するために、
トルコ軍は、泳ぎにすぐれた兵を集めた。
彼らは、手斧をもち、フレンチクリークの、防柵までの百数十メートルを、
泳いで渡った。

防戦側も、トルコ軍の意図をすぐさま読み取り、
トルコの工作隊撃退の志願者が募られ、
ただちに、何人ものマルタ人が応じた。

志願者たちは、セングレアの城壁と岩の河岸を駆け下りて、
海に滑り込み、匕首や短剣を口にくわえて、トルコの
工作隊に迫った。

いかにトルコが、泳ぎに優れた兵を集めたといえど、
水中での活動は、幼い頃から海に親しんだマルタ人のほうが、
数段上手だった。
志願者たちが防柵に至って数分で、工作隊は撃退された。


翌日、トルコ側は、武装兵士を乗せたボートを何隻か、
防柵まで送り込んだ。
ボートで陸からロープ送り込み、それを防柵に結び付け、
地上のろくろ(※)でロープを巻き上げて、防柵を引き抜こうという策である。

ロープを柵にかけ、巻き上げはじめるところまでは、
うまくいった。
しかし、この日も、小さな刃物だけを手に、海に入ったマルタ人たちによって
ロープが切られ、トルコ側の企ては、成功しなかった。


(※)キャプスタンをあえて「ろくろ」と訳してみますた。

26まこり〜の:2005/07/12(火) 18:26:09 ID:bzLjXc52
騎士団側は、トルコのマルタ侵寇がいつはじまるのか、
はじまるのならば、侵寇部隊の規模と、その指揮官は誰かを探るために、
トルコ側は、騎士団の防備の体制、城塞の構造と弱点を探るために
それぞれ、商人などのユダヤ人を、スパイとして用いていた。
この当時から、ユダヤ人はスパイとして優秀だった?

ちなみに、
ロードス島包囲戦の最中、騎士団側の情報を
トルコにもたらしつづけたのは、ユダヤ人の医師であった。

27まこり〜の:2005/07/19(火) 12:25:26 ID:bzLjXc52
ムスタファ・パシャは、セングレアの防柵の撤去に、
これ以上の時間を割くことはできないとして、7月15日早朝より攻勢にでた。

まずは、ドラグートの義理の息子でもあるアルジェ総督ハセムの副官、
キャンデリッサの率いるアルジェリア人部隊が、舟でセングレアに向かう。
漕ぎ手が力任せにオールを漕ぐが、やはり、防柵に阻まれて
立ち往生してしまう。
そこへ、セングレアの城壁から、火縄銃が火を噴き、
さらには、臼砲による砲撃が加わる。
キャンデリッサは、自ら真っ先に、舟から海にとびこむ。
アルジェの戦士たちも、それに続く。
盾を頭上にかかげて、銃撃を防ぎながら、
防柵での狙撃、砲撃を生き延びた一団は、セングレアの海岸に泳ぎつき、
城壁の下にはりついた。

キャンデリッサの海からの攻撃に呼応して、
ハセムも手勢のアルジェの戦士たち率いて、セングレアを
陸側より攻める。
トルコの精鋭部隊よりも、さらに交戦的なアルジェリア人部隊は
砲撃で隊列に穴をあけられても、かまうことなく、
前進し、城壁にとりつく。

やがて、海側の城壁の一部が爆破される。
防衛側が混乱し、ひるんだスキに、キャンデリッサと
その手勢は、破壊された部分より、城壁に登る。
陸側の城壁とともに、ここでも、激しい白兵戦が展開される。

セングレアの南側の城壁に、トルコの旗印があがったのを見て、
ラ・ヴァレッテは、ビルグより、セングレアに増援を送ることにした。
ビルグとセングレアの間に浮き橋を、味方が渡ってくることを察した
セングレアの守備隊は、元気を取り戻し、激しい白兵戦の中、
持ち場にとどまった。

キャンデリッサの手勢によって、トルコの旗印が、
セングレア南岸の城壁に、あがったのを見た、
ムスタファ・パシャは、予備隊投入の好機とみて、合図を送った。
1000人のイェニチェリが分乗した、10隻の舟が、
合図を受けて、マルサから、グランドハーバーに進み出た。

陸側と、南岸側の防戦のために、備えの薄くなった
北側先端よりセングレアを強襲し、防戦側の背後を衝くという作戦だった。

28まこり〜の:2005/07/19(火) 12:28:58 ID:bzLjXc52
10隻の舟に目を配っていたのは、ムスタファ・パシャだけではなかった。
ビルグの半島の突端、高きセントアンジェロ砦たもとに、巧妙に隠蔽された
五門の砲を備える砲台があった。
砲台の指揮官、騎士ラ・ギラルは、マルサから、グランドハーバーに進んできた
10隻の舟を見て、その意図を読み取った。
ラ・ギラルは、指揮下の五門の砲をセングレアの方向にむけ、
鎖弾(※1)と葡萄弾(※2)をこめるように命じた。

舟が、セングレアの先端北側への上陸を目論んでいると、
確信したラ・ギラルは、五門の大砲で、最初の斉射を加えた。
距離は200メートルほど。これで9隻が損傷。
さらに続けて二回の斉射で9隻が沈み、800人のイェニチェリが死んだ。
残った1隻と生き残ったイェニチェリは、なんとか対岸の
シベラス半島にたどり着くありさまだった。

ビルグよりの援軍にもささえられ、
セングレアは、激しい白兵戦によく持ちこたえ、攻撃を押し返した。
攻撃側は、人的損失が著しい上、昼にいたって、
マルタの夏の気候に、兵士の体力の消耗もはげしく、
攻勢を継続できなくなった。

南岸にはりついた、キャンデリッサは、体ひとつで、
命からがら逃げ戻ることになった。

※1:鎖弾(Chain Shot)
ふたつまたはみっつの砲弾を鎖で繋いだもので、
敵船の帆を破く、索を切るといった効果を期待して発射される。
帆などに当たらなくとも、人体に当たれば殺傷能力はあるし、
船体に当たった場合の破壊効果もそれなりに期待できる。

※2:葡萄弾(Grape Shot)
大砲の口径より小さな砲弾を、木ないしは金属の枠で
複数まとめたもの。枠でまとめられた様子が、葡萄の房のように
見えるためこのように呼ばれた。いわゆる大砲の散弾。

29札幌窓辺のねこ:2005/07/21(木) 07:36:45 ID:LTCgc3mM
やっぱりちょっとスレ違いかとも思うのですが、他に歴史っぽいのが無いみたいなので・・・。

今、N●Kでやっている“伊太利亜縦断1200キロ”。
初日はアマルフィだったのですが、それ見ていたら。
あら?なんだか街のシンボルが見たような十字だわ・・・。
で、調べたら、やはりアマルフィの旗にはマルタ十字が入っています。
あ。
そー言えば、聖ヨハネ騎士団の基は、アマルフィの商人達が築いたのではなかったっけ?
で、色々確認してみたら、やっぱりそうだ!
サビッハ・マルタの本でも少し触れていますね。
・・・っつう事は、マルタ十字のデザインはアマルフィからやって来たってことになるのかなあ。

ああ、面白い♪

30青葉マーク:2005/07/21(木) 10:30:43 ID:.8BKizOE
>>29
札幌窓辺のねこさぁん、私も見ました!>N●Kの世界遺産特集アマルフィ
そうそう!8つの尖端をもつ十字・・・思わず鼻息荒くなりました。
イタリアの権威・陣内センセイも、N●Kの海外ロケのおいしい仕事ご用達アナ・住吉アナウンサーもひとっことも触れてくれませんでしたけど(しかたないか・・・)。

今夜はサン・ジミニャーノですね(23:15〜)。
数年前に行った大好きな場所なので、またなにか住吉アナがスットコドッコイなことでも言おうものならツッコミ入れてやろうと今から手ぐすね引いてます(笑)。

31まこり〜の:2005/07/21(木) 12:38:07 ID:bzLjXc52
>>29
歴史スレも立てるべし?

そのとおり。
マルタ騎士団は、アマルフィの商人がはじめた
巡礼者のための施療院に由来するので、
もともとアマルフィの紋章である、八点十字を使っているのです。

32札幌窓辺のねこ:2005/07/22(金) 01:32:47 ID:LTCgc3mM
>>30
青葉マークさん!
そうです!あれ見た途端、ホント、ねこも鼻息荒くなりました。
住吉アナ・スットコドッコイ説にも、激しく同意です!!

サン・ジミニャーノ、ねこも大好きです。
トスカーナに行くと、つい訪れてしまいます。

>>31
師匠、やっぱりアマルフィがオリジナルなんですね。
へぇ〜ふぅ〜ん、凄いな。面白いな。歴史って♪

33名も無き騎士さん:2005/07/22(金) 12:40:29 ID:bzLjXc52
>>32
ちなみに、十字は、キリストのずっと以前の超古代から、
太陽(日輪)を抽象化した意匠として、世界中にありました。

34まこり〜の:2005/07/22(金) 12:41:22 ID:bzLjXc52
>>33は、オレだよ。オレオレ

35札幌窓辺のねこ:2005/07/23(土) 03:12:51 ID:SERKY50g
>>34
なんか、“なんとか詐欺”みたいですね、師匠!

蛇足ですが、十字を切る仕草、
眉間から胸の中心、両腕の付け根を触れてくワケですが。
これ等の場所は何気に“気”とか“ツボ”とかに於いて大切なポイントで、
そこにタッチすることで、緊張を和らげ、集中力をアップする効果があるそうです。

36まこり〜の:2005/07/25(月) 09:43:00 ID:bzLjXc52
>>35
それは知らなんだ。

37まこり〜の:2005/08/04(木) 19:15:10 ID:bzLjXc52
7月15日の攻勢が、多大な損失をともなって失敗したため、
ムスタファ・パシャは、砲撃によって、篭城軍を消耗させることにした。
昼夜を問わず、ビルグとセングレアには砲撃が加えられた。

8月2日朝より、オスマン軍は、砲撃の勢いを強めた。
その音は、シシリーのカターニアでも聞かれたという。

さらに砲撃が五日間続いた後の、8月7日の夜明け前。
砲撃が止み、オスマン軍の、ビルグ、セングレアの陸側正面に対する、
大規模な突撃が開始された。

ビルグでは、カスティリア騎士団の砦付近の外壁の裂け目に
オスマン軍が殺到。
たちまち、多くが外壁を乗り越えたが、
これは、防戦側が仕掛けた罠であった。
外壁の内側の、せまい突入路に多くが殺到し、身動きが
とれなくなったところを、周辺の建物の上や、
内壁の守備隊から、銃火、ギリシア火、擲弾をあびせられ
突入したオスマン軍の多くが倒れた。

ところが、セングレアの守備隊は、オスマン軍に圧倒されつつあった。
ムスタファ・パシャは、セングレアの陥落が間近であると確信し、
防衛側の多くも、奇跡でも起きないかぎり
セングレアが落ちるのはまぬかれないと思い始めていた。

38まこり〜の:2005/08/17(水) 18:37:23 ID:fYLQ2MNU
>>37
その、防戦側にとっての「奇跡」がまさに起こった。
オスマン軍の戦線に、突如、撤退の合図のラッパが鳴り響いたのである。

有利に戦闘をすすめていたセングレアでも
オスマン軍が、撤退をはじめる。

戦線のすぐ後方で、戦闘を指揮していた、ムスタファ・パシャのもとに、
マルサのキャンプから伝令が駆け込んだ。
「キャンプがキリスト教徒の大規模な部隊に攻撃されています」
『大規模な部隊』は、ムスタファ・パシャに、シシリーからの大規模な援軍を
連想させた。
このままでは、オスマン軍は背後を衝かれることになる。
奇襲をうけて、その敵の規模が明確でないときにはどうすればよいか。
その方向に前進し攻撃を加えるのが最善である。
定石どおりの判断をすばやくくだし、ビルグ、セングレア攻撃中の部隊に
転進のための撤退命令を出した。

騎士団のほうも、オスマン軍が退いたのを見て、
待ちに待った、シシリーからの援軍が上陸したのではと期待した。

しかし、オスマン軍のキャンプは、大規模部隊の攻撃をうけたのではなく、
イムディナから出撃した騎兵部隊に襲撃されたのであった。
騎士団の騎馬部隊は、寡勢なキャンプの守備隊を圧倒し、
テントを支えるロープを切り、テントと物資に火をかけ、
傷病者を剣と蹄にかけて殺戮した。
馬は、イムディナへ連れて戻れるものは奪い、そうでないものは殺した。

オスマン軍の主力が、マルサについたときには、
キャンプは蹂躙された後であった。
惨状を目の当たりにした、ムスタファは
「父祖の骨に誓って、騎士団総長ラ・ヴァレッテを生きたまま鎖につないで
スルタンの前に引きだしてやる」
と決意するのであった。

39まこり〜の:2005/08/29(月) 12:17:16 ID:fYLQ2MNU
オスマン軍が得意とする攻城戦術のひとつに、
坑道(トンネル)を城壁の下まで掘り進み、
地下に空洞をつくって、城壁を自重によって崩壊させる、
あるいは、爆薬を仕掛けて、爆破するといったものがあった。

大包囲戦でも、緒戦のセントエルモ要塞攻略から、その戦術が試みられたが、
ほとんどが石灰岩の岩盤であるシベラス山では、
坑道の掘削ははかどらず、戦闘の行方になんの影響ももたらさなかった。
ビルグ、セングレアの攻略においても、着々と坑道が掘られ、
防戦側のラ・ヴァレッテもそのことは悟っていた。

8月19日朝、ビルグ、セングレアに対する攻撃準備砲撃が開始され、
つづいて、地上部隊による、セングレアへの突撃が開始された。

このとき、ビルグの城壁の下まで、オスマン軍は坑道を堀りすすんでおり、
爆薬を仕掛けてあった。
ムスタファ・パシャは、ビルグの守備隊の虚を衝く意図で、
セングレアに攻勢をかけさせたのである。
そして、坑道内の爆薬が炸裂。

防戦側に、混乱とパニックがいまだ残るなか、煙と埃が薄らぐと、
城壁の崩れた部分に、ピアリ提督の手勢であるオスマン軍が、迫ってきた。

防戦側の誰もの頭に、もはやこれまで、あとは、ビルグの半島の突端の
セントアンジェロ要塞に篭城するしかないのかとの考えが浮かんだ。

この危機を知った、騎士団総長ラ・ヴァレッテは、従兵の持っていたパイク(※)を手に取り、
わずかばかりではあるが、自らの幕僚をはじめとした、手勢を引き連れて、
危機に陥ってる場所へ駆けつけ、陣頭指揮をとりはじめた。
これを見た、防戦側の戦士たちは、ヴァレッテを護らんとして、
彼の周りに集まりだす。

擲弾の破片を受けてヴァレッテが、脚を負傷。
幕僚はもとより、マルタ人の民兵までが、
「ここは防ぎきってみせます。どうか、安全な所で手当てを」
と進言するなか、
「トルコの旗が、わが城壁にひとつでもひるがえっている間は、
余は退きさがらん」
「70歳を過ぎて、神への奉仕の戦いの中で倒れることができるならば、
それはよろこぶべきことである」
といって踏みとどまり、防戦の指揮をとった。

騎士団は、またも攻勢を支えきり、
午後には、オスマン軍は退却、ラ・ヴァレッテは
本陣に引きあげて、脚の治療をうけた。


※パイク:歩兵が騎兵に対抗する目的で作られた長槍。
中世後期から近世にかけての、ヨーロッパの代表的な歩兵用の
兵器のひとつ。

40まこり〜の:2005/09/01(木) 12:25:22 ID:fYLQ2MNU
日が暮れてから、オスマン軍が攻撃を再開。

セングレアでは、変わった兵器が投入された。
太い筒の中に火薬と、鎖、釘、散弾を詰め込み、
導火線をつけたものである。

オスマン軍が激しい突撃をする中、
工兵の一団が、城壁にこの「爆薬筒」を引揚げ、
導火線に点火し、城内に転がしこんだ。
ムスタファ・パシャは、この兵器の効果に期待し、
守備隊を一掃できる自信ももっていた。

が、導火線のスピードが遅すぎた。
守備隊は、この「爆薬筒」を引揚げて、城壁の外に放りだした。
筒は、オスマン軍のほうへ転がり下りていき、
城内での炸裂の効果を期待しつつ、その後の突撃のために
待機していたオスマン軍正面で炸裂し、多大な損害をもたらした。

41まこり〜の:2005/09/08(木) 12:05:47 ID:fYLQ2MNU
今日9月8日は、440年前に、
オスマン軍の撤退で、大包囲戦の終了した日とされます。
マルタでは、このときの勝利と、
ナポレオン・フランス軍の降伏と撤退、
第二次大包囲戦の終了を記念する祝日
「勝利の聖母の祭日」となっています。

で、このスレッド、
オスマン艦隊がマルタ沖に現れた5月18日に立てて、
まずは、リアルの時間の流れにあわせて、
ざっと書いてみようと考えていたのですが、
見事に遅れてしまっています。

こんなありさまですが、ご愛読されている方がいたら
どうか、見捨てないでください。

42まこり〜の:2005/09/09(金) 12:36:47 ID:fYLQ2MNU
>>40
オスマン軍は、昔ながらの攻城塔(※)も、攻撃に投入した。

銃砲での戦闘を考慮して造られた騎士団の要塞の城壁には、
塔をつけて、跳ね橋をかけ、兵士をなだれこませるという、
本来の目的に使うことはできなかったが、
頂上に陣取った、イェニチェリの狙撃手が、
防戦側に損害をもたらした。

攻城塔の反対側の城壁の内側、地面に近いところでは、
ラ・ヴァレッタに命じられた、マルタ人の人夫が、
オスマン側に気づかれないように、トンネルをつくっていた。

トンネルが、城壁の外側に口をあけたとき、
素早く大砲がトンネルに運びこまれる。
突然あいた城壁の穴と、そこから出た砲口を見て、
オスマン側は、その意図を悟った。

塔を後退させるように、工兵、人夫、奴隷が命じられる。
しかし、素早く安全な場所に移動できる代物ではない。
大砲が火を噴き、鎖弾が発射される。

ラ・ヴァレッタは、攻城塔を観察したマルタ人の大工より、
その構造の弱点を聞き出していて、砲手には、そこを狙うように
命じてあった。
鎖弾が、土台の構造を断つと、攻城塔は不安定な状態に陥った。
塔の上にいた者は、半ばパニックになってあわてて塔から降りようとする。
そして、地上の者もあわてて、塔を安全な位置に後退させようとする。
これが、崩壊と倒壊を招いた。
イェニチェリの戦士、武器、弾薬、塔の構造物が降り注ぎ、
塔の下に居たものにも損害を与えた。

※台車の上に、木材などで塔のような櫓を組んだ攻城兵器。
古代、西アジアで発明され、広く世界で長くつかわれた。

43まこり〜の:2005/09/09(金) 12:37:27 ID:fYLQ2MNU
>>42
8月19日の、オスマン軍の攻勢は、
防戦側にとって、坑道爆破によるパニックからはじまったももの
新兵器「爆薬筒」を投げ返し、攻城塔を破壊するという
華々しい戦果で撃退することができた。
しかし、この攻勢によって、少なからず犠牲が出たのまちがいなく
その中には、ラ・ヴァレッテの若き甥もいた。

「わが甥にかぎらず、騎士たちは、私の子供たちのようなものである。
今日倒れたこの若者たちは、我々より数日先に行っただけかもしれぬ。
シシリーからの援軍がこないのならば、最後の一兵まで戦いつづけて
玉砕もやむなしということになろう」
という、このときラ・ヴァレッテの言葉は、
大包囲戦中、最初にして唯一の、悲観的な言葉であった。

44まこり〜の:2005/09/20(火) 12:36:18 ID:fYLQ2MNU
>>42
オスマン軍は、ふたたび、攻城塔を組み上げ、
20日の夜明けとともに、戦線に投入。
今度は、基礎部分を、石のブロックでガードしていた。

塔頂の、イェニチェリの狙撃手が、
防戦側の活動を圧迫しはじめる。

騎士団側も、塔に悟られないように、
城壁にトンネルを、ふたたび掘る。
トンネルが開通したとき、開口部からは
砲が突き出したのではなく、
騎士に率いられた、兵士たちが、なだれをうって飛び出した。

塔をうごかす工兵、人夫を蹴散らし、
イェニチェリの兵士を倒しつつ、塔を駆け上がる。
ついには、塔を奪い、自分たちの防衛線に組み入れてしまった。

45まこり〜の:2005/11/01(火) 12:15:24 ID:fYLQ2MNU
8月後半になると、オスマン陣営にも、焦りが出てきた。

地中海は、9月の半ばを過ぎると、海が荒れることが多くなり、補給に不安が生じるからだ。
侵寇軍の艦隊司令官ピアリ提督は、遠征がどうなろうとも、冬季、艦隊をイスタンブールに引揚げる意思を明らかにしていた。

オスマン軍の兵站路は長く、トリポリやジェルバからの輸送船が、キリスト教徒側に拿捕されるといったことも、しばしばおこった。
被包囲側の騎士団に比べて、オスマン軍の物資弾薬は、決して充足していたわけではなかった。

さらに、疫病の蔓延が、包囲側の焦りを大きくする。

ムスタファ・パシャは、侵攻当初、あえて黙殺した、イムディナを攻略することにした。
イムディナの食料、家畜を入手すれば、艦隊が、イスタンブールに引き揚げているあいだも、
ビルグ、セングレアに対する包囲を解くことなく、マルタに駐留しつづけることができると目論んだためである。

46 まこり〜の:2005/11/14(月) 12:19:37 ID:fYLQ2MNU
>>45
イムディナの守備隊は寡勢であった。
オスマン軍の来寇時に、守備隊の多くをビルグに送り込んだからである。

オスマン軍の、イムディナ攻略の意図を読み取った
イムディナの城代は、一計を案じる。
城内に避難しているマルタ人たちを、女性まで含めて軍装をつけさせ、
城壁や堡塁を巡回立哨させた。

イムディナへの坂道を登ってきたオスマン軍の部隊は、
当初の情報とは違う防備の様子を見て怖気ついた。
そこへ、斥候の報告が次々とはいる。
どの報告も、イムディナはどの位置も
十分な人員によって守備されているというものだった。
「またセントエルモ要塞を攻めた時のごとく凄惨な戦いを
しなければならないのか」
オスマン陣営に厭戦じみた空気がながれる。

やがて、守備側から、大砲と、火縄銃が、
寄せ手にむかって射掛けられはじめる。
実は、イムディナには、弾薬の蓄えはほとんど無く、
使える大砲も寡数であった。
しかし、この銃砲撃は、守備側の弾薬の備蓄は十分で
士気も高いと、オスマン側に思い込ませるには、
十分効果があった。

報告を聞き、状況を自らの耳で聞き、目にしたムスタファは、
イムディナ攻略を断念し、残されたわずかの時間で、
グランドハーバーの二つの砦を落とすことに
望みをつなぐのであった。

47 まこり〜の:2005/11/17(木) 12:29:41 ID:fYLQ2MNU
>>46
オスマン軍のイムディナ攻略が、失敗したことを知った、
ビルグ、セングレアの篭城軍には、
シシリーからの援軍が来ずとも、
この包囲を生き延びることができるのではないかという
希望的な空気が漂うようになってきた。

事実、8月の下旬より、
オスマン軍の攻勢はだんだん弱くなっていっており、
また、夜間に、オスマン軍が使用不能になった砲を、
後方にさげているのも、篭城側は悟っていた。

48まこり〜の:2006/01/12(木) 12:22:25 ID:fYLQ2MNU
何度となく、使者を送っても、援軍は姿を表さないため、
騎士団総長ラ・ヴァレッテも、もはや、シシリー、
あるいは他のヨーロッパよりの援軍は期待していなかった。

8月の下旬までに、シシリー副王ドン・ガルシアが
マルタへの援軍として動員できたのは、8千名であった。
なぜ、援軍を送らないかと、問い詰める騎士団の特使に
一度だけ、4万のオスマン軍に対して8千名では
あまりにも寡勢であると、漏らした。

戦闘による消耗や、過酷な環境のもとの攻囲が
長引いたことによる疫病の蔓延で、
オスマン軍の実働勢力は、とても4万には及ばなかった。
さらに、食料をはじめとする、補給の欠乏で
士気もおちていたが、シシリー副王は、
そのことは知らなかったし、考えもおよばなかったのである。

それでも、最終的には、
動員数が1万名近くなったシシリー副王の援軍は、
8月25日、25隻の船に分乗し、シラクサを出発した。

49まこり〜の:2006/02/27(月) 12:41:49 ID:fYLQ2MNU
【メモ】
この頃のガレー船は、十数人の船員、百人前後の漕ぎ手のほかに
兵を100〜140人乗せた。
マルタにやってきた、オスマン帝国の艦隊が400隻とするならば
単純計算で、マルタに侵寇したオスマン軍の軍勢は、たしかに4万程度となる

50まこり〜の:2006/02/28(火) 12:17:57 ID:fYLQ2MNU
>>49
への自己レス。
これは、オスマン艦隊のガレー船の場合。
マルタ騎士団のガレー船は、大砲を主兵器と考えていたため
オスマン帝国のものより大きく、頑丈だったため。
1隻により多くの兵を乗せることができた。

51まこり〜の:2006/02/28(火) 12:21:44 ID:fYLQ2MNU
>>48 からの続き

地中海という字面をみると、たえず穏やかな海を想わせるが
実は荒ぶる海である。
聖パウロを、マルタに漂着させた冬だけではなく、
夏でも、晴天のもとにありながら、強い風がふき、
三角波がおこることがあったりする。

シラクサを出発したシシリー副王の艦隊は、
マルタ西方のリノーサ島に集結した後、
マルタに向かう手はずになっていたが、
夏の終りの悪天候によって、シシリー西岸のマルサラに
流されてしまった。
多くの船が、修理の必要な状態だったが、
兵士と乗組員の士気は高く、9月4日には、
艦隊はふたたび出発。程なくリノーサ島に至る。
ここで騎士団総長ラ・ヴァレッテのメッセージを受け取り、
マルタに向かうものの、またしても悪天候によって
艦隊は自ら位置を見失う。
ゴゾの鼻先をかすめていながら、シシリー南端の漁村
ポッツォーロにたどりついた。

52まこり〜の:2006/02/28(火) 12:25:19 ID:fYLQ2MNU
副王ドン・ガルシアは再びシシリーに戻ったことに、
非難の声が浴びせられるが、9月6日夜半に、
みたびマルタに向けて出帆。

艦隊がリノーサから、ゴゾをかすめてポッツォーロに至ったとき、
そして、ポッツーロからマルタに向かったとき、
オスマン艦隊の艦長たちは、この何日かの悪天候を嫌って、
マルサシロク湾、マルサムセット湾に船を避難させていたため
ピアリ提督の哨戒網は機能していなかった。
シシリー副王の艦隊は、マルタの北西岸に至り、
マルタとゴゾの間の海峡を抜けるまでは、オスマン軍に
動きを知られることはなかった。

副王が、リノーサで受け取った騎士団総長のメッセージには、
南東部のマルサシロク湾、マルサムセット湾は、
オスマン艦隊に占拠されており、また、攻囲軍や、
オスマン艦隊の視線から隠れて、部隊の揚陸ができることから
メリハ湾か、イムジャーの海岸(現在のゴールデンベイから
アイン・トッフィーハにかけてのあたり)に、艦隊をいれることをすすめていた。

9月7日の朝、そのすすめの通り、メリハ湾に入った艦隊は、
援軍の揚陸を開始した。
兵が、ガレー船から、ボートにうつり、ボートが岸に近づくと、
武器と弾薬を頭上に海にはいり、浜にあがっていく。
おおよそ1万(※)の軍勢は、続々と、マルタ北東端の砂浜に上陸した。



※:少なくとも8千人、多くとも1万2千人の軍勢だったといわれる

53まこり〜の:2006/04/14(金) 12:16:44 ID:fYLQ2MNU
部隊の揚陸を完了したシシリー副王の艦隊は、
すぐに錨を揚げ、マルタ沿岸にそって南下。
グランドハーバーの入り口をかすめてからただちに
シシリーへと進路をとった。

湾口封鎖する鎖に守られた、マルサムセットとマルサシロクの
オスマン艦隊は、このキリスト教徒の艦隊が当然挑戦してくるものと
期待していた。
が、地中海域で圧倒的な数を誇るオスマン艦隊に対して
手持ちのガレー船が30隻前後しかないシシリー副王は、
1隻も失うつもりはなかった。
それに、シシリーには、マルタへの後続の援軍4000人が待機していた。

54名も無き騎士さん:2006/05/27(土) 22:20:16 ID:vtaiZfzg
早く続きが読みたいっす!

55まこり〜の:2006/05/28(日) 18:27:25 ID:qJ1LwPD2
>>54
ここんとこずっとサボッててすいません。
ボクもはやく完結させて、サイトのコンテンツに移植したいっす。

56まこり〜の:2006/05/29(月) 12:45:43 ID:fYLQ2MNU
シシリー副王の軍勢の上陸を
ムスタファと、ラ・ヴァレッテは、ほぼ同時に知ることとなった。
ここで、ラ・ヴァレッテは一計を案じる。
イスラム教徒のガレー船奴隷に
「1万6千の軍勢が来援した」
と吹き込み、解放した。
奴隷はオスマン陣営に駆け込み、
すぐに、ムスタファの前にひきだされ、
解放前に吹き込まれた話を伝えた。
ムスタファと幕僚たちは、上陸した軍勢の数が、
1万6千であると信じこまされてしまった。

メリハ湾より錨を揚げた、シシリーの艦隊は、
まずは、マルタ東岸に沿って南下。
グランドハーバーの入り口に達する。
篭城勢からも、はっきりと艦隊の姿を見ることができた。
ここで艦隊の各艦は、号砲を三発ずつ撃った。

まとまった数のキリスト教徒勢の船を
篭城勢が見たのは、包囲以来これが始めてであった。
艦隊のプレゼンスによって、篭城勢の意気と士気は、
おおいに上がった。

艦隊は戦力の温存のため、
オスマン艦隊との接触の可能性が高くなる南下は、
本来避けるべきであったが、
篭城勢を勇気づけるために、艦隊はあえてそのリスクとったのである。
グランドハーバーの湾口で、その目論見を達すると、
艦隊は北に転針した。

57まこり〜の:2006/06/14(水) 12:36:23 ID:fYLQ2MNU
オスマン軍は、挟撃をおそれて、撤退を開始。
マルサシロク湾に停泊している艦隊は、
マルサムセトの艦隊と合流すべく出帆。

夜には、ビルグ、セングレア正面のコラディノ高地から、
マルサのキャンプから、シベラス半島の付け根を越えていく
明かりの流れが続いた。

騎士団総長ラ・ヴァレッテは、この戦いの損失を補填するためにも
撤収するオスマン軍から、大砲を鹵獲したいと考えた。
そのためには、上陸した援軍と連絡を確立する必要があったが、
この夜のうちには、それはならなかった。

メリハ湾より上陸した援軍は、すぐに内陸に進出。
イムディナの守備隊との連絡も確立。
夕方には、マルタ北東部のナッシャー高地に布陣。
マルサムセット近辺を撤退する、あるいは迎撃にやってくる
オスマン軍部隊を高い位置より叩くという、
定石にのっとった布陣であった。
一部の部隊によるオスマン軍への夜襲が何度か行われた以外、
指揮官デ・ラ・コルナは、部隊に夜明けまで待機するよう命じた。

58いらるぅ!:いらるぅ!
いらるぅ!

59まこり〜の:2006/07/03(月) 12:19:02 ID:fYLQ2MNU
9月8日朝、セングレア、ビルグの正面から、コラディーノ高地いたるあたりには、
前日までのスルタンの新月の旗印はなく、無人の野となっていた。
ヴァレッテは、城門を開くように命じ、
篭城勢は、包囲がはじまって数ヶ月ぶりに、おしこめられていた要塞の外にでた。
男も、女子供も、野に出て、見事な装飾がほどこされた、
火縄銃や短剣といった、オスマン軍の遺棄物を戦利品として手にすることとなった。

時を同じくして、騎士と兵士の一団が、
オスマン軍のキャンプが遺棄破壊され、ここも無人となったマルサを経て、
シベラス半島の岩山を登り、引き裂かれたセントエルモ要塞に至った。
ちょうど、オスマン軍のガレー船の最初の1隻が、
マルサムセット湾を出ようとしているところであった。
オスマン軍への逆襲と、ふたたび湾内に戻ることを防ぐことを意図して、
セントエルモ要塞に、急ぎ軽砲を上げて据えることを、
ヴァレッテに進言するための、伝令が送られた。

オスマン艦隊の旗艦では、ムスタファ・パシャが、自らのミスに気がついたところであった。
斥候の情報や、キリスト教勢のガレー船の数が28隻だったことから、
騎士団への援軍は、多く見積もっても1万弱、
おそらくは8千名程度の戦力であることがわかってきたのである。
ムスタファは、艦隊司令官に、軍勢の再揚陸を求めた。
しかし、秋になって海が荒れる前に、艦隊をイスタンブールに還したいピアリは、
またも消極的な態度を示した。
対して、ムスタファは、
「陛下は敗者や失敗者を愛さない。この戦役において、貴官の艦隊は、なにひとつ成果らしいものはあげていない。陛下のお怒りに、どのような言い訳ができるかな」
と半ば恫喝し、兵を再上陸させ、
その後、艦隊はセントポール湾で待つということにさせた。

60いらるぅ!:いらるぅ!
いらるぅ!

61いらるぅ!:いらるぅ!
いらるぅ!

62いらるぅ!:いらるぅ!
いらるぅ!

63まこり〜の:2006/07/07(金) 13:13:46 ID:fYLQ2MNU
シベラス山と、セントエルモ要塞に急遽配された守備隊や、騎馬斥候から、
オスマン軍がマルサムセト湾で再上陸し、部隊の編成が成りつつあるとの報が、
ヴァレッテのもとにもたらされる。

ヴァレッテより、「慎重に対応するように」との伝令が、援軍に送られる。
援軍が、再上陸したオスマン軍に破られることとなれば、
ムスタファに、マルタでの越冬を決意させることになり、
まして全滅ともなれば、シシリーからの増援も期待できなくなることを
ヴァレッテは知っていた。

ヴァレッテからの伝令の到着を待つまでもなく、
援軍の指揮官デ・コルナも、オスマン軍の再上陸を察知した。
自軍の斥候や、騎士団の伝令より、オスマン艦隊が、
マルタの北東岸にそって島の北側に向かっていることを聞き、
オスマン軍の攻撃の指向が自分たちに向けられることを悟った。
はたして、編成の成ったオスマン軍は、自分たちのほう向かって前進をはじめた。
兵力はおよそ9000。
彼我の戦力差は大きくなく、高地に位置した自軍のほうが有利として、
現状のまま待機するよう下令。
しかし、シシリーから同行した、騎士たちは、到着の遅れたことから焦りがある上、
ビルグ、セングレアのある南のほうにくすぶる煙をみて
「兄弟たちが脅かされており、さらに明らかに目の前に敵がいるのに、なぜ攻撃しない」
と逸りたって、勝手に突撃をはじめた。それにつられて周囲の兵たちも続く。
これによって布陣が崩れはじめ、当初考えていた戦線の維持はできないと判断し、
デ・コルナもついに全軍突撃を命じた。

オスマン軍が前進する低地をはさんで、デ・コルナ指揮下のシシリー副王軍の
対面の高地には、イムディナから出撃した騎兵へ中心とする騎士団と、
マルタ人の民兵による、歩騎混成部隊が布陣していた。
ナッシャー高地を、シシリー副王軍がオスマン軍に向けて
下りはじめたのを見たこの部隊も、オスマン軍へ向けて、突撃を開始。

64まこり〜の:2006/08/02(水) 12:38:29 ID:fYLQ2MNU
先日のマルタ帰省で、
図や写真についての解説がいっぱい載った
「大包囲戦」の分厚い本を見つけて買ってしまいますた。

ただいまうれしい混乱中です。

65まこり〜の:2006/09/05(火) 12:15:48 ID:eQiH9mIo
再揚陸後、一応の編成は成ったものの、
当然のことながらオスマン軍の意気はあがらず、
多くの士卒は、不満をもっていた。
セントエルモ要塞を陥落させたこと以外に成果も挙げられなかったことに加え、
その後の攻城戦で多くの損失を出した「死の大地」マルタに再びあがり、
キリスト教徒軍の「新鮮な」援軍とは、戦いたくないというのが、
本当のところだろう。
そこへ、キリスト教徒軍が高地よりこちらを目指してくるのが見えた。
せっかく成った部隊の編成が崩れ、われ先にと、
艦隊との再接触地である北へと逃げをうちはじめる。

オスマン軍のすべての者の士気が、地に堕ちていたわわけではなかった。
火縄銃を装備した一団が、小さな塔を占拠。
ここから、キリスト教徒軍に、はげしい銃火を浴びせ。
友軍の撤退を援護する。

この塔をめぐる戦いが、この日の戦闘のひとつの焦点となる。
スペイン歩兵隊が出血をかえりみない突撃で塔を奪取すると、
塔からの火力による援護を受けられなくなったオスマン軍本隊は、
キリスト教徒軍の強い圧迫を受け、半ば潰走といったかたちでの
総撤退を余儀なくされた。

66まこり〜の:2006/09/07(木) 12:41:41 ID:eQiH9mIo
マルタの戦役においては、戦術や、情報の扱いのミスが目立ったが、
侵寇軍総司令官ムスタファ・パシャは、決して無能ではなかったし
臆病でも卑怯でもなかった。
戦役の当初は、常々、前線で指揮をとった。
この混乱とパニックのなかの退却においても、
しんがりにあって、撤退援護の指揮をとりつつげた。
この戦闘で、ムスタファ・パシャの馬は二度撃たれ、
一度ならず、迫撃するキリスト教徒に、
あわや捕らわれるか殺されるといった場面もあった。

ムスタファは、イェニチェリの一隊をサリナ湾の南の平地に布陣させ
合図によって、ナッシャー・モスタ間の尾根からの下斜面を
降りてくる敵を掃射するように命じておいた。
マルタ人の民兵、スペイン歩兵、騎士と武装従者が、
てんでバラバラにオスマン軍を追撃せんと坂を下ってきたところへ
ムスタファの合図が送られる。
一連の掃射はキリスト教徒の前衛部隊を、しばらく足止し、
オスマン軍は、退却と乗船のための時間を何分か稼ぐことになる。

乗船地のセントポール湾でも、海賊にしてアルジェ総督のハセムが
火縄銃で武装したアルジェの戦士を何隊か揚陸し、
入り江周辺の高台などに布陣させて、撤退援護をさせる。
アルジェの戦士たちの遅滞行動も、さらにオスマン軍の乗船の時間を
いくらか稼ぐこととなる。

67まこり〜の:2006/09/08(金) 12:20:46 ID:eQiH9mIo
キリスト教徒軍の本隊が、ムスタファとその近習を主とする
オスマン軍のしんがりを捉えるようになると、
ハセムの戦士たちの援護の効果も限られてきた。

逃れて船にあがろうとするオスマン軍と、
追いすがるキリスト教徒部隊との間で、
そのほとんどが岩場である海岸と、
浅瀬の中で、凄惨な白兵戦がおこなわれた。

オスマン軍の最後の一団が艦隊に収容されようしていたときも
ハセムのアルジェの戦士たちは残り、撤退援護の戦闘を
つづけていた。

マルサシロクから回航された最後の輸送船の一団と合流すると
オスマン艦隊は、北西に針路をとり、マルタを去った。

9月8日の夜、三ヶ月半にわたりつづいた、包囲戦は終結。

68まこり〜の:2006/09/08(金) 12:23:52 ID:eQiH9mIo
去年の、大包囲戦の始まった日にスレッドたてて、
一年と三ヶ月半かけて、ざっとオスマン軍の撤退まで書けました。
本日9月8日、マルタではその大包囲戦が終わったとされる
「勝利の聖母の祭日」です。

援軍の到着と、オスマン軍の撤退までの
最後の戦闘は、9月10日まで続いたという話もありますので
確認したいと思います。

また、後日談や、補足、メモ書きがわりに、
いましばらく、このスレは継続させるかと。

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99Argusheuromor:2012/08/27(月) 20:31:33 ID:???
Ever given that the general public became knowledgeable about the dangers of using tobacco a few decades back, a lot of people have discovered quitting the tobacco habit tough. Organizations happen to be innovating and production using tobacco cessation goods for many years now. From nicotine patches to gum, nicotine addicts are already working with them to give up their practice.

<a href=http://www.vaporultra.com/&gt;electronic cigarette flavors </a> (often known as e-cigarettes and electric cigarettes)are classified as the latest item about the sector. They can be meant to look and feel like serious cigarettes, even all the way down to emitting synthetic smoke even so they don't in fact contain any tobacco. Customers inhale nicotine vapour which looks like smoke without having any in the carcinogens discovered in tobacco smoke which are unsafe on the smoker and some others approximately him.

The Electronic cigarette is made of a nicotine cartridge that contains liquid nicotine. Every time a user inhales, a little battery driven atomizer turns a little amount of liquid nicotine into vapour. Inhaling nicotine vapour gives the user a nicotine hit in seconds relatively than minutes with patches or gum. When the user inhales, a small LED light on the suggestion of your electronic cigarette glows orange to simulate an actual cigarette.

The nicotine cartridges by themselves can be found in several strengths. The vast majority of the key brands, like the Gamucci electric cigarette have complete strength, half energy and minimum strength. This really is designed for individuals who wish to stop smoking. Since they get used to applying the electronic cigarette, they'll gradually decrease the strength they use until eventually they stop.

The most crucial strengths e cigs have about nicotine patches or gum is firstly, consumers possess the nicotine hit substantially quicker and the second thing is, due to the fact a major explanation why people who smoke fall short to stop suing patches and gum is because they still pass up the act of inhaling smoke from a cylindrical object. The electronic cigarette emulates that even down to the smoke.

The ecigarette is also useful from the money viewpoint. A established of five nicotine cartridges fees all around £8 and is equal to 500 cigarettes. Although the initial expense of an ecigarette kit of £50 may seem steep initially, consumers preserve dollars in the long term.

As with a lot of preferred products and solutions, there are a large number of inexpensive Chinese imitations flooding the industry. They are generally 50 percent the price of a branded electric cigarette and look like the true factor as well. It really is inadvisable to work with these since they haven't been subject to your exact rigorous screening the official electric cigarettes have and may possibly be really harming on the user's health and fitness.

As e cigarettes turn out to be a lot more common, they are really increasingly used to smoke in pubs and clubs which has a smoking cigarettes ban. E-cigarettes appear to be the subsequent matter and could soon replace genuine cigarettes in clubs.

100Argusheuromor:2012/09/02(日) 23:29:48 ID:???
Ever because the general public turned conscious regarding the dangers of smoking some a long time ago, lots of people have found quitting the tobacco habit hard. Companies have already been innovating and producing smoking cigarettes cessation goods for a few years now. From nicotine patches to gum, nicotine addicts happen to be using them to stop their practice.

<a href=http://vaporultra.blogspot.com/feeds/posts/default&gt;e cigarette starter kits </a> (often known as e-cigarettes and electric cigarettes)will be the most recent product or service on the marketplace. They can be built to appear and feel like true cigarettes, even right down to emitting synthetic smoke nonetheless they do not actually include any tobacco. People inhale nicotine vapour which looks like smoke without any in the carcinogens observed in tobacco smoke which are dangerous to the smoker and other individuals close to him.

The Electric cigarette is made up of a nicotine cartridge that contains liquid nicotine. Any time a person inhales, a very small battery driven atomizer turns a small number of liquid nicotine into vapour. Inhaling nicotine vapour gives the user a nicotine strike in seconds relatively than minutes with patches or gum. If the consumer inhales, a small LED light for the idea of your electronic cigarette glows orange to simulate an actual cigarette.

The nicotine cartridges themselves are available various strengths. Almost all of the key manufacturers, including the Gamucci electric cigarette have total power, half power and minimal energy. This really is designed for individuals who would like to stop smoking. Because they get accustomed to utilizing the e-cigarette, they're able to steadily reduce the power they use till they stop.

The key strengths electric cigarettes have about nicotine patches or gum is firstly, consumers hold the nicotine strike significantly faster and second of all, mainly because a big purpose why people who smoke fall short to quit suing patches and gum is because they even now skip the act of inhaling smoke from the cylindrical object. The ecigarette emulates that even all the way down to the smoke.

The e-cigarette can also be helpful from a monetary viewpoint. A established of five nicotine cartridges expenses close to £8 and is equal to 500 cigarettes. Despite the fact that the initial expenditure of an ecigarette package of £50 may well appear to be steep to start with, users help save cash in the end.

As with numerous well-known goods, there are actually a large number of low-priced Chinese imitations flooding the marketplace. They are generally 50 % the cost of a branded electric cigarette and seem like the actual detail at the same time. It's inadvisable to implement these simply because they have not been theme on the very same rigorous testing the official e cigs have and can probably be hugely harming to your user's wellness.

As e-cigarettes turn into a lot more common, they can be progressively employed to smoke in pubs and clubs using a smoking ban. E cigs appear to be the subsequent factor and could soon change actual cigarettes in clubs.


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