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放送大学テレビでアラビア語講義

111さーひぶ。:2011/06/12(日) 17:57:49
【イスラーム世界の歴史的展開('11)⑦】

第7回 オスマンの平和:14-19世紀(5月21日放映)

講師:江川ひかり(明治大学教授)

今回の表題は、パクス・オトマニカ(Pax Ottomanica)またはパクス・オトマーナ(Pax Ottomana)
というラテン語で、オスマン朝の軍事的覇権を平和として肯定する見方です。
元はエドワード・ギボン著『ローマ帝国衰亡史』において「パクス・ロマーナ(Pax Romana)」
すなわち「ローマの平和」と呼んで、ローマ帝国の軍事的覇権を平和な時代として賞賛した
ことに由来します。イギリスの平和(Pax Britannica)、アメリカの平和(Pax Americana)から
最近ではイスラームの平和(Pax Islamica)、徳川の平和(Pax Tokugawana)など多用されます。
パクス(Pax)は、多くの場合、敵対勢力を軍事力で威嚇・打倒・降伏させて得られる和平を指し、
第一次大戦後の欧州や第二次大戦後の日本で高揚した非戦主義・非武装の平和とは異なります。

オスマン朝は、ルーム(「ローマの」)・セルジューク朝がモンゴル軍に敗れた後の13世紀末頃に、
トルコ系ムスリム勢力とキリスト教徒が混在するアナトリアに興り、バルカン半島にも勢力を伸ばしました。
従来のムスリム諸国家と異なり、キリスト教徒がムスリムに改宗してもしなくても、国家や軍隊に
多数登用して力を伸ばし、やがて鉄砲や大砲などキリスト教徒の技術も積極的に採用していきました。
「稲妻帝(雷帝)」と称えられた英主・第4代君主バヤズィト1世がアンカラの戦い(1402年)で
あのティームールに敗れて捕虜になり、分裂・崩壊の危機に瀕しますが、やがて復興します。
この地域を支配してきた東ローマ帝国(ビザンティン)は、かつてはアラブの艦隊をも
可燃物「ギリシア火」により撃退していましたが、十字軍により一度は滅び、弱体化していました。

第7代君主のメフメト2世は、ギリシア語やラテン語も学び、アレクサンドロス3世やローマ帝国に憧れました。
彼は1453年にはビザンティンの帝都コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)を
巨砲や「艦隊の山越え」などの奇策によって攻略してビザンティンを滅亡させました。
当地、後のイスタンブールにエディルネから遷都して、Kayser-i Rum(ローマ皇帝)と号し、
これ以降のオスマン「帝国」は「再興されたローマ帝国」として世界帝国へ邁進します。
>>112に続く)


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