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【卒業前】立命生がキャリア・人生について考える【卒業後】
360
:
名無しの立命生
:2007/09/30(日) 02:44:28 ID:wLQfHHD6
不屈のひみつ
演歌に癒やされ、そばに真心
http://job.yomiuri.co.jp/interview/jo_in_07032801.cfm
丹道夫さん
「富士そば」を展開するダイタングループ社長
「仕事、家庭、人生の楽しみ、3つの円を持たないと自分を見失う。夢をつかむより、夢に向かって努力している時の方が幸せ。あなたの夢は何ですか」=本間光太郎撮影
1935年愛媛県西条市出身、東京栄養食糧専門学校卒。72年に立ち食いそば店「名代 富士そば」を展開するダイタングループを創設。全国随一のチェーン店に育て上げた。 若い時のことだ。東京・上野のそば屋で当時珍しいテレビを見ていると、「もう閉店だよ」と追い出された。上京してまもなく、泊まる宿もない。仕方なく公園のベンチで寝た。その時の「さみしい思い」が今でも忘れられない。
丹道夫が経営する立ち食いそばチェーン「富士そば」は24時間営業。終夜、看板の明かりが消えることはない。その明かりには、「様々な不安を抱えて生きる都会の人たちに、ホッとしてもらいたい」との思いが込められている。
丹の人生は、まさに波乱万丈だ。生後すぐ実父と死別。母が再婚して愛媛県の山村に移った。義父は弟が生まれてから自分に厳しくなった。
高校中退後、八百屋に奉公。その後、上京と帰郷を繰り返しながら建設現場、炭鉱、印刷会社などで働いた。「苦しさに耐えられたのはつらい家庭のおかげ。他人はやさしく、『渡る世間は福ばかり』だった」
4度目の上京で工場向けの弁当屋を開業させ、ようやく生活が軌道に乗った。さらに、弁当屋で稼いだ資金で友人らと別荘売買などの不動産業に乗り出すと、面白いようにもうかった。当時、列島改造ブームが起きていた。
「月収500万円、美酒美食におぼれた」。巨大バーのチェーン経営も手がけ、これも成功。売り上げは1日で1億円を超えたという。
だが、際限のない事業の拡大に疲れ、72年に独立。そば店とレストランの6店で再出発することにした。
そこから、人生の歯車が再び狂い始める。自身は病気に見舞われ入院。母親も重病に倒れた。事業では住宅販売などにも手を出し、資金繰りに四苦八苦していた。
そんなとき、東京から横浜の自宅に向かう高速道路で真っ赤な夕日を見た。「沈もうとしている夕日だってあんなに赤々と燃えている。私も足元をしっかり輝かせないと」。迷いが吹っ切れ、事業の要だった立ち食いそば店の経営に専念することにした。
生そばに切り替え
24時間営業という珍しさや、本物にこだわるそば作りが受け、事業は順調に伸びた。87年には業界に先駆け、そばを手間と費用がかかる「生そば」に切り替えた。ダシも各店で仕込む。4店でスタートしたチェーンは今では66店を数えるまでになった。
富士そばの店では、全店で演歌が流れている。「苦しかった若い時、ラジオから流れる演歌に癒やされた」からだ。丹自身、97年に作詞家としてデビュー。これまでに31曲を世に送り出している。
自らの詞の中に、お気に入りの一節がある。「咲いて儚(はかな)く散りゆく花も 季節巡ればまた逢(あ)える」。その演歌の心が、そばの味にも染み渡っているのかも知れない。
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