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ウイグルの今(2)

1解法者:2009/07/27(月) 13:31:53
 ウイグルから知人が帰ってきた。日本に帰って来るのが大幅に遅れた。
それは、例のウイグル人の抗議行動で出国がかなわなかったからである。
 抗議行動が外に漏れるのを警戒して、中共政府はウイグル人の出国に
際して3つの許可証を得ることを命じたからである。① 居住地域
(最小行政単位)の共産党責任者(書記)の出国許可、② 公安警察の
出国許可、③ 当該居住都市・農村の役場からの出国許可、である。
それに加えてウイグルでの事件について口外しないことの「誓約書」が
必要である。この書類のために出国が大幅に遅れたのである。
 さて、聞いた情報は次のとおりである。
1.2009年7月5日(日)の抗議行動はウルムチ市(人口約200万人
 −漢人 約150万人)の中心部(ウルムチ最大のモスクがある辺り)で
 −漢人 始まった。参加者は50人くらいだったが、公安警察(
 中共では一般警察、交通警察、公安警察と分かれている)がこれを阻止
 しようと排除活動を展開したため、これに抗議するウイグル人が集まり
 1000人くらいになった。
  これに驚いた公安警察が発砲したため、この噂がウルムチ市全部に
 広がり、激昂したウイグル人が漢民族(漢人と呼んでいる)の商店を
 襲い破壊し始めた。漢人(約100人くらい)が殺害されたのも
 間違いないという。漢人の殺害はこの日だけだった。
2.7月6日(月)、今度は漢人が報復に出た。刀や棍棒を持った者たち
 が街中を歩き回っている様子は日本のテレビでも放映されたから
 お知りになっている方も多いと思われる。
  これはほんの一部で、警察が制服を脱ぎ捨てて私服姿となって
 銃器を持ってウイグル人居住地域を襲い始めた(ウイグルでは漢人
 居住地域、ウイグル人居住地域、混在地域〔公務員、教育機関勤務者
 どの居住地域〕の3つに分かれている)。混在地域は何も起
 きなかった(私が電話した人は混在地域に住んでいた)。この地域
 ではウイグル人と漢人は同じ職場で働く者もいて特に対立している
 わけではなく、双方の衝突はなかったという。したがって、死亡者
 のほとんどがウイグル人居住区にいた人たちだそうだ。その他、
 モスクは閉鎖されたが、これに抗議した者も多数射殺されたという。
  その方はこの混在地域に居住していた。抗議行動が始まった5日(日)
 から13日(月)まで家族も含めて一歩も外に出なかった。そのため
 食糧の確保に苦労して大変だったそうだ。父親は公務員で職場が
 近くにあったため(混在地域は職場の居住地域である)、出勤は普段
 どおりにしていたが、街には出なかった。
  噂では殺された者は万を越えるという。また、ウイグル人はその間、
 病院などでの治療から疎外(拒絶)されていたため、死亡者が増えた
 原因だとされている。
  その方の母の弟、父の兄の長男も行方不明で、こういう者は至るところ
 におり、親戚の誰かが巻き込まれない家庭はないという。おそらく
 殺されていると言っていた。その方は直接殺害を眼にしたわけではない
 が、親族の状況から言って大量殺人を確信していた。
  なお、現地では至るところに公安警察、軍隊が展開しており、不穏な
 状態にあるという。
  独立は無理だというのがその方の見解で、これだけ多数を占める漢人
 から少数民族が独立を勝ち取るのは不可能というのがその理由だった。
  その方は、大学院を卒業後、ウイグルに帰る予定だったが、家族が
 帰ってこなくてよいと強く言われたため、日本に永住するという。
 昨日、その方の友人(事件当時は日本にいた)にもお会いしたが、
 兄が日本に逃げてくるという。その方も兄と共に永住するとのこと。
 これからもそういうウイグル人が日本にやってくる。なかなかイスラム教
 の方と付き合うのは食事などの風習の違いもあって大変だが、皆さんも
 よろしくお願いいたします。
  また、皆さんのなかでウイグル人と付き合いがあり、情報を知る方
 はお知らせください。


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