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質問

259彰往考来:2011/12/31(土) 13:11:34

昭和五十三年の御形木御本尊の相貌は、日達師が昭和四十一年一月一日御書写された御本尊(二師勧請)と相貌はほとんど同じで違いは日顕師の御本尊は南無迦葉尊者が南無大迦葉尊者となっていること、天台と伝教に南無字を付せられたこと、南無彌勒菩薩の勧請があること(日達師の御本尊にはお出ましにならない)という点です。日顕師の御本尊の相貌がほぼ日達師の御本尊と同じで二師勧請であることから、日顕師は日達師の法灯を引き継いでいるということを表しているのではないかと考えますが真意は測り難く私見の域を出ません。なおこの変更点は帝釈天王を除き、弘安二年の戒壇御本尊がそのような諸尊勧請となっているためではないかと愚考しています。なお、戒壇御本尊では帝釈天王は釈提桓因大王としてお出ましになっており、四師勧請です。
昭和五十五年六月二十一日書写の御本尊ではその帝釈天王が釈提桓因大王となっており、やはり戒壇御本尊の勧請名に合わされたと考えますが二師勧請のままであり真意は不明です。
昭和六十年三月吉日書写の御本尊では二師勧請を四師勧請とし、釈提桓因大王を帝釈天王に戻されています。これも真意は不明ですが、日顕師の三種類の御形木御本尊で戒壇御本尊と全く諸尊勧請が一致するものはないということになります。もっともこれら書写御本尊は全て「二千二百三十余年」となっており、戒壇御本尊のみ「二千二百二十余年」となっているところに元々の相違点がありますし、歴代の御本尊で戒壇御本尊と相貌が全同の御本尊は管見の限りでは拝見したことはありません。
参考までに、昭和六十年三月吉日書写の御本尊は日顕師のご尊父である日開師の御本尊(『日蓮大聖人御書新集』の口絵掲載のもの)や日昇師による創価学会本部安置の御本尊などと相貌が一致しており、何か意味のあることなのでしょう。その時の気分というようなものではないと思います。御本尊の御書写はお習字のお手本のように手元に原本があるという状態ではないでしょうから、細かい諸尊に違いがあるのは当然ともいえます。

なお、柳沢宏道師の『石山本尊の研究』(平成9年、はちす文庫)はインターネットで公開されています。ご興味がおありでしたらご自分で勉強されることをお勧めします。

http://hachisubunko.jimdo.com/はちす文庫の出版物/

by 彰往考来


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