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大石寺戒壇板本尊の歴史について
1
:
管理者
:2009/01/24(土) 08:42:26
大石寺の戒壇板本尊が何時制作され、どういう経過で今日に至っているのか、「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」スレッドでの議論を踏まえながら、活発な議論が展開される事を期待して、このスレッドを立ち上げます。
51
:
ヒロサトル
:2010/03/06(土) 13:01:40
ああ、今度はきちんと掲載されていました。
>>50
は失礼。
因みに当時日蓮正宗の教学部長だった御隠尊日顕上人猊下様が、御戒壇様に対するあらゆる疑難に対して思慮を巡らされる事は、当然の義であり、故河辺師がそれをどの様に記録され様と、それは故河辺師の自由である。
以上。
52
:
犀角独歩
:2010/03/06(土) 13:15:29
まあ、管理人さんが、ちゃんと説明されるでしょうが、なにも削除されていないでしょう。なにをいっているのやら。
仏教とは衆生済度の目的で、法を説く。
済度すべき、相手は、「馬鹿」だと詰ることしかできないのは、その信じている仏教と、信じている人間に力がない証拠でしょう。
人を馬鹿呼ばわりするしかできない人間は、その信仰団体が力がないことを証明し、人を馬鹿呼ばわりするような侮辱しかできない差別団体であることを証明しているだけのこと。
わたしは罵倒されたからといって罵倒で返すような愚は、ここにはいたしません。人を馬鹿呼ばわりするような世間一般の非常識をするほど、気分はすさんでおらず、愚かでもありませんので。
さて、すでに問答さんもお応えになっていますが、わたしのほうからも少しだけ。
法華経寿量品を引いて、彫刻をいくら薬に例えたところで、板は板。ただの彫刻。
弘安2年10月と弘安3年5月とでは、本尊の相貌は違うのであって、似ているのではなく、中央題目ほか、大きさも形も“同じ”だと証明しているのです。つまり、日禅授与本尊を原本として臨模作為された作品であるということです。
どうやら、わたしのブログを見ず、訊いたことだけか居ているのでしょうか。
以下、よく見てから、もう一度、どうぞ。
PC
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51202191.html
携帯からは
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/kaidanhonzongizo001.html
53
:
問答迷人
:2010/03/06(土) 13:19:00
ヒロサトルさん
何をムキニなって居られるのでしょうか。もう少しで良いから冷静になられては如何ですか。
日蓮正宗に席を置いていたものとして、貴方のお姿は余りにも哀れです。宗門の言いなりですね。お気の毒としか言い様が有りません。貴方の書いて居られる事は、全て宗門の受け売りに過ぎません。少しで良いからご自身の頭で考えて見られては如何でしょう。思考停止のお姿はお気の毒としか言い様が有りません。
54
:
ヒロサトル
:2010/03/06(土) 17:20:23
『日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。(日興跡条々事・真蹟大石寺蔵)』
あまりムキになるな(笑)。
55
:
ヒロサトル
:2010/03/06(土) 17:33:38
「日興跡条々事(真蹟大石寺蔵)」は、元弘二年(1332年)十一月十日の御執筆であられ、日蓮正宗に於いては当時より今日に至るまで678年間、『日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊』とは、[本門戒壇の大御本尊様]の御事であり、それ以外にある可能性は、0%である。
56
:
ヒロサトル
:2010/03/06(土) 17:49:21
>>55
続き
第二祖日興上人様御在世、身延山久遠寺本堂に。また富士大石寺に、板本尊があられたと云う事実は、恐らく多くの御弟子様方が、御存知であられたでありましょう。
しかし元弘二年十一月十日の【日興跡条々事】が顕されるまで、その大御本尊様の意義を、誰も知らなかったと云うのが、日蓮大聖人様から日興上人様への『唯授一人血脈相承』所以であります。
『日興が身に宛て給は』れたる【本門戒壇の大御本尊様】は、現在も、血脈付法第68代御法主日如上人猊下様の御許、富士大石寺奉安堂にましまされます。
急ぎ急ぎ御参詣奉るべし!!
57
:
北斗
:2010/03/06(土) 18:16:40
>55
>(日興跡条々事・真蹟大石寺蔵)
ほーっ。初耳っすね。
58
:
問答迷人
:2010/03/06(土) 18:20:55
ヒロサトルさん
日興跡条々事
http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/new_page_28.htm
残念ですが、これはバリバリの偽書です。第一、日興上人は北山本門寺根源の開祖、第二祖は日代上人。日興上人が日目上人に相伝する理由が無いです。真跡だと言いますが、大石寺は今日に至るまで、公開していません。否、できないのだと思います。それにこの日興跡条々事が元弘二年の執筆というのは根拠が有りません。
59
:
問答迷人
:2010/03/06(土) 18:29:11
58の日興跡条々事のリンク先の画像は、顕正会がパンフレットに載せていた写真を転載したものです。顕正会も「真跡」とうたっていますね。もし真跡なら大変な物なんでしょうがね・・・。
60
:
犀角独歩
:2010/03/06(土) 19:18:18
まだ、こんな形で信じ込んでいる人がいるわけですね。
まあ、わたしもそうでしたから、昔の自分を見るようで、微笑ましいというか、気恥ずかしいというか。
この条々事に係る一連の話は、問答さん、れんさんほか、皆さんが充分に解析をし、大石寺の言うことは、まったく作り話であることははっきりさせた件ですね。
過去ログを読んでから投稿すればよいものを、信徒会員は、自分たちの集団の文章しか読めないために、こんな調子になるんでしょうね。
北斗さん、問答さんは、条々事偽書としてお書きになっている。
当然なのですが、偽書と言うことはとりあえず、置いて、55に
> 弘安二年の大御本尊…本門戒壇の大御本尊様…それ以外にある可能性は、0%
ということについて、過去の議論を振り返りながら、整理して書きましょうか。
この「弘安二年本尊」については、大石寺4代日道師の書とされる『御伝土代』に書いています。
「弘安二年…熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず日興の弟子日秀日弁二人、上人号し給ふ」
そして、この本尊につき
「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云」
というわけですね。
第31世因師は『有師物語聴聞抄佳跡 上』のなかに
「本門戒壇の御本尊、寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、仏滅後“二千二百廿余年”等と云云』(富要1-251)
と書いています。つまり、大石寺の歴代が、戒壇本尊には「二千二百二十余年」と書かれていると明言していますが、日道師の書とされる『御伝土代』に「二千二百三十余年」だというわけです。
つまり、条々事でいう「弘安二年」本尊が、戒壇本尊である可能性は100%ないというのが、先行議論でした。
61
:
犀角独歩
:2010/03/06(土) 19:32:40
一つ書き足せば、先の『御伝土代』には
「大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」
とあるわけです。つまり、本尊に「日興上人」と書かれたという意味です。
しかし、堀日亨師がまとめた『富士宗学要集』8巻の本尊脇書に
「(楠板彫刻戒壇大御本尊)
右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白、考安二年十月十二日 」
とあり、戒壇本尊という彫刻には「日興上人」の4文字がないことは、はっきりしています。
つまり、この彫刻が、御伝土代、条々事でいう弘安二年本尊でないことは明らかだというのも、先行議論でした。
ついでに、もう一つ。
> 富士大石寺奉安堂にましまされます。
> 急ぎ急ぎ御参詣奉るべし
なんだか、時代劇のセリフみたいですね。
いまは21世紀ですよ。
さて、種明かし。1回5000人、1人2000円の御開扉料、つまり、1回につき、1000万円、1日2回、週2回、月8回で、8000万円の収入になるのが、この参詣の正体です。
本物であると信じ込まされて、濡れ手に粟のような御開扉料稼ぎの宣伝マンにされている自画像は、まさにお気の毒と言うほかありません。
まだ、本物であれば、救われもしますが、図形鑑別で明らかなように、日禅授与本尊を原本にして臨模作為された後世の作品、要は偽物であるわけです。
投稿規約ぎりぎりで記せば、「馬鹿」はどちか? よく再考し直したほうがよろしいでしょう。
62
:
問答迷人
:2010/03/06(土) 19:34:34
犀角独歩さん
>二十余年
もう遠い昔の事の様で、議論の中身を改めてお示しいただくと、感慨深いものが有ります。有難うございます。
63
:
犀角独歩
:2010/03/06(土) 19:40:02
問答名人さん
> もう遠い昔の事の様
この議論もそうですが、彫刻が日禅授与に酷似していると、問答さんが仰ったとき、むしろ、わたしは消極的な意見を述べました。そして、それより以前、この本尊の御開扉にわたしは40年も通っていたのでした。
すべてが、遠い昔の話です。
仰るとおり、感慨深いものがあります。
64
:
ヒロサトル
:2010/03/06(土) 21:00:14
>>60
まず仏滅後云々についてですが、日蓮大聖人様が顕された御本尊様の中にも、『仏滅後二千二百三十余年』と『仏滅後二千二百二十余年』の表記が二通りあり、それは御歴代御法主上人猊下様が【御戒壇様】を御書写遊ばされる時も御同様で、日蓮正宗御本尊様に於ける慣例です。
つまり『二千二百三十余年』と『二千二百二十余年』の、どちらでも良い。
二つとも間違いでは無い。が、日蓮正宗での認識です。
そしてここで問題とされる第四世日道上人様の『御伝土代』と、第三十一世日因上人様の『有師物語聴聞抄佳蹟 上』の表記についてですが、共に【本門戒壇の大御本尊様】の御事を指しておられております。
先にも述べた通り、日蓮正宗御本尊様の仏滅後の表記は、『二千二百三十余年』と『二千二十余年』の二通りありますが、そのどちらも同じ【本門戒壇の大御本尊様】の御事であると言える理由としては、仏様には必ず『人』と『法』があり、日蓮正宗御本尊様の『仏滅後』の仏であられる釈尊が、【如来神力品第二十一】に於いて、地涌上行菩薩に結要付嘱された事を以って、『法』としての釈尊の仏滅と捉えるか=『二千二百三十余年』。
或いは紀元前949年の、『人』としての釈尊の仏滅と捉える=『二千二百三十余年』かの相違であり、これは日蓮正宗の御歴代御法主上人猊下様が過去世に、どの様な形で釈尊。または仏法に縁して居たかに依って生じる異なりであり、日蓮正宗では教義的に、そこまでは立ち入らないのです。
65
:
北斗
:2010/03/06(土) 21:13:13
まぁ、仮に
>>55
さんの言うように「日興跡条々事・真蹟大石寺蔵」なら、多少なりとも信徒さんとやり取りしたり、大石寺の「やり方」を見て来た人からすれば「真蹟なら、大石寺は鬼のクビを取ったように豪語するだろう。信徒も同じ」と、わかる話ですね(笑)
つまり信徒が「日興跡条々事・真蹟大石寺蔵」こんな発言したところで、失笑を買うしかありません。
また、独歩さんのご説明は、学者の皆様の、特に、大石寺の僧侶も以前は通っていた「立正大学」の教授でも指摘する事でして、まぁ、当然の指摘ではないでしょうか。
それを、論点ズラシやら「嘘」やら「馬鹿発言」でかわそうとしているのが
>>55
さん、と見えてしまいますね。
まぁ、日蓮正宗系団体、信者の主張は「その範囲」でしか通用せず、だ〜れも信じてないのが実情ではないでしょうか。
ちょっと、論点がズレました。申し訳ありません。
66
:
ヒロサトル
:2010/03/06(土) 21:13:40
また
>>61
は、
歴史と文法に疎い者の戯れ言です。
第四世日道上人様の『御伝土代』の「大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」の前文には、『この時』とありますが、"その時"とは、日興上人様の折伏教化に因って起きた『熱原の法難』です。
"その時に"「大聖人御感有て日興上人と御本尊に」遊ばされたのですから、この脈絡の目的語は『御本尊』にあり、『日興上人』は補助でしかありません。
つまり「熱原法難の時、大聖人様が日興上人と御本尊様を顕された」と読むのが、『御伝土代』の普通の読み方です。
67
:
ヒロサトル
:2010/03/06(土) 21:21:39
さらにまた
>>60
に
「まあ、わたしもそうでしたから、昔の自分を見るようで、微笑ましいというか、気恥ずかしいというか。」
とあるが、
それがお前の頭の悪さ=馬鹿さであり、信心である。
今のままで無間地獄はさぞ苦しかろう。
今あるしがらみから離れ、あなたが日蓮正宗に縁した初心を思い出して、一日も早く懺悔滅罪して下さい。
『命限りあり。
惜しむべからず。』
68
:
北斗
:2010/03/06(土) 21:21:59
>>64
依義判文ご苦労様です。
さて、
>>64
さんの言う通りと仮定しても、更に疑問が残ります。
板本尊の願主の素性が明らかでないってのは、どういう事ですかね?
古文書を当たっても、該当人物が存在しないのですが。
69
:
犀角独歩
:2010/03/06(土) 21:24:04
ならば、その御伝土代で記述される本尊とはなんですか。
歴史に疎くないところを見せていただきましょう。
70
:
犀角独歩
:2010/03/06(土) 21:31:12
なあ、ヒロサトルさん。
「それがお前の頭の悪さ=馬鹿さであり」、こうした下品な言葉に、人は頭破作七分を見るのでしょうね。大石寺の信仰をすると、こうした言葉を吐くほど、常識がなくなると人は思うでしょうね。
たかが、後世に制作された彫刻じゃないですか。
それを信じ込まされて、人権侵害の言辞を吐いて恥ずかしいとも思わない非常識ロボットに洗脳されているあなたの姿が世間一般には、よほど、頭破作七分と映じていますよ。
71
:
犀角独歩
:2010/03/06(土) 21:33:47
それから、これも書いておきましょう。
わたしが無間地獄とは、いったい、なんのことでしょうか。
大石寺をやめて、わたしは本当に幸せになりました。
下らない迷信を信じさせられている奴隷から解放されたからです。
本当に幸せですよ。
72
:
北斗
:2010/03/06(土) 21:40:41
>>67
久しぶりに笑ったw
>それがお前の頭の悪さ=馬鹿さであり、信心である。
信心ない人に「信心である」なんて言ったところで、通用しないですね。
ハッキリ言えば、アタマの悪さアピールしてるだけに見えますが(大爆笑)
73
:
問答迷人
:2010/03/06(土) 21:46:02
ヒロサトルさん
>66つまり「熱原法難の時、大聖人様が日興上人と御本尊様を顕された」と読むのが、『御伝土代』の普通の読み方です。
貴方が言うような、「弘安二年十月十二日に日蓮聖人が日興上人と御本尊様を顕された」という読み方をしたら、歴史事実と辻褄が合わないですよ。その時、日興上人は熱原の法難の法難の陣頭指揮を執っておられ、身延には居られなかったのです。これは日興上人の写本が現存する「伯耆殿御返事」から明らかです。ですから、この箇所は普通の読み方ではなく、「日興上人」と曼荼羅に書かれたと読むのが正しいと考えます。
74
:
北斗
:2010/03/06(土) 21:58:08
ヒロサトルさんの発言って、創価学会批判に出ている主張ばっかりですね。
下手したら、創価学会批判の方が「より詳しく説明」してくれていますよ。
日蓮宗よか板本尊を知らない信者って一体…。
えらい勢いで噛み付いていても、所詮そんなもんなのかな…。
75
:
犀角独歩
:2010/03/06(土) 22:03:53
「共同」、先刻、ご承知の話です。
日達氏が、まだ精道と名乗っていた頃書いた『悪書板本尊偽作論粉砕す』に、次のようにあります。
「日蓮門下に於ける最も古い歴史である日道上人の御伝草案によれば、大聖人は熱原法難に御感あって日興上人と共に御本尊を建立し給いしことを記している」(P17)
ところが、問答さんがご指摘のように、『伯耆殿御返事』があります。
大石寺の御書全集にも載りますね。
「大体此の趣を以て書き上ぐべきか。但し熱原の百姓等安堵せしめば、日秀等別に問注有るべからざるか。
大進房・弥藤次入道等の狼藉の事に至っては、源行智の勧めに依りて殺害刃傷する所なり。若し又起請文に及ぶべき事之を申さば全く書くべからず。其の故は、人に殺害刃傷せられたる上、重ねて起請文を書き失を守るは古今未曽有の沙汰なり。其の上、行智の所行書かしむる如くならば身を容るゝ処なく行ふべきの罪方無きか。
穴賢穴賢。此の旨を存じ、問注の時強々と之を申せ。定めて上聞に及ぶべきか。又行智証人を立て申さば、彼等の人々行智と同意して百姓等が田畠数十苅り取る由之を申せ。
若し又証文を出ださば謀書の由之を申せ。悉く証人の起請文を用ゆべからず。但現証の殺害刃傷のみ。若し其の義に背く者は日蓮の門家に非ず日蓮の門家に非ず。恐々謹言。
弘安二年十月十二日 日蓮花押
伯耆殿
日秀
日弁等へ下す」
日蓮聖人が弘安2年10月12日、すなわち「本門戒壇の大御本尊」を、日達氏の言を借りれば、日興師と共同して本尊を書いたはずの日に書かれた書ですね。
一緒に書いたはずの日に日蓮聖人は、日興師に手紙を送っている。つまり、その日、一緒にいなかったからこそ、手紙を書いているというのが、問答さんの指摘ですね。
76
:
問答迷人
:2010/03/06(土) 22:23:15
ヒロサトルさん
>64
これは問題は極めて簡単です。単に表記の問題です。御伝土代には「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊」とあります。つまりは、その曼荼羅には「仏滅後二千二百三十余年」と表記されているという訳です。ところが大石寺戒壇板本尊には「仏滅後二千二百二十余年」と書かれている訳です。
つまりは、御伝土代が述べている曼荼羅と、現在の大石寺戒壇板本尊では賛文の表記が違うわけです。つまりは別物だと言うことです。極めて簡単な事です。法だとか仏だとか言う事以前の表記の問題ですから簡単明瞭でしょ。反論は不能だと思います。
77
:
犀角独歩
:2010/03/07(日) 06:53:57
さて、昨晩は眠かったので、あまり詳細に記さなかったのですが、もう少し書いておきます。
まず、64につき
> 『仏滅後二千二百三十余年』と『仏滅後二千二百二十余年』の表記が二通りあり、それは御歴代御法主上人猊下様が【御戒壇様】を御書写遊ばされる時も御同様で、日蓮正宗御本尊様に於ける慣例です。
つまり『二千二百三十余年』と『二千二百二十余年』の、どちらでも良い。
戒壇彫刻を書写という点は、ずいぶんと議論しました。
この文章は、少なくとも3つの嘘があります。
1つ。彫刻には「二千二百二十余年」という表記しかない。よって、これを書写したのであれば「二千二百三十余年」にしかならない。
1つ。「どちらでも良い」というのは、嘘である。
大石寺歴代の“書写”本尊は、「二千二百三十余年」である。
なぜか。それは、大石寺に伝わる本尊相伝にそうあるからだ。
『御本尊七箇相承』に「仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさる」
『本尊三度相伝』に「仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曽有の
大漫荼羅」
つまり、大石寺は、この相伝に従って、本尊書写では、二千二百三十余年としか書かない。
1つ。つまり、大石寺の本尊は「奉書写之」(之(これ)を書写し奉る」と言いながら、彫刻と違うことを書いている。
以上が「日蓮正宗での認識です」。
78
:
ヒロサトル
:2010/03/07(日) 07:57:34
頭を冷やせ。
見苦しいぞ謗法者。
お前たちはもう終わってる。
目を覚ませ。
79
:
管理者
:2010/03/07(日) 08:28:07
ヒロサトルさん
一連の貴殿の投稿は当掲示板の書込みルールに著しく違背しています。
今後の投稿をお断りいたします。
なお、ルールでは貴殿のルール違反の投稿を削除する事になっていますが、管理者は削除せずにこのまま掲示する事と致します。
80
:
犀角独歩
:2010/03/07(日) 10:09:07
【77の訂正】
誤)1つ。彫刻には「二千二百二十余年」という表記しかない。よって、これを書写したのであれば「二千二百三十余年」にしかならない。
正)1つ。彫刻には「二千二百二十余年」という表記しかない。よって、これを書写したのであれば「二千二百二十余年」にしかならない。
管理人さんのご裁断です。ここまでとしますが、「見苦しい」と言っている本人が見苦しいだけでした。「天に唾をする」という例えを、何度も引きましたが、相手を批判する言葉が、すべて自分に当てはまるというのは、どんな理由なのか、改めて興味が湧きました。
一日も早く、目を覚まし、大石寺の宣伝営業マンにされていた自画像を確認し、自分の生活に戻ることを祈るばかりです。
正気に戻ったら、またお会いしましょう。
81
:
再挑戦者
:2010/03/21(日) 23:55:16
、、ゴメンします、。 マッコト、、御憧憬 の 至り で ゴザンス。 サスガ、、です、、。
それにしましても、、、 本当に 難儀な こと で ゴワス ですばい 、、ネ ?
(「FORUM 21>本部幹部会スピーチ代読のダマシ」、「 私が愛した代作>講談社」、『国民新聞」、「宗教被害者情報」、「有害カルト情報」、「、脱会委員会」、)
82
:
皆目
:2010/05/27(木) 23:39:54
あのですね。犀角独歩さんのその写真ですが、決定的真実と
後の代まで伝わる様にして頂きたいだけですよ。
ある特定の人だけ真実を知っているのは、私は、大きな罪と思います。
例えばですよ、宗門が御戒壇様は本当は前立本尊と、言い始めたらどうします。
理由づけは、いくらでも出来ますよ。ですからなるべく早く。
83
:
犀角独歩
:2010/05/28(金) 20:35:45
そうですね。そうしたいとは思っています。まあ、じっくりとやるつもりです。
御前立とはしかし、言えないとは思います。
84
:
皆目
:2010/05/29(土) 17:20:56
全く、後ろ向きの発言 真実を知らない者をいなしただけですか?
>御前立とはしかし、言えないとは思います。
宗教が、言えないことを平気でやるから、このサイトが有るんでしょうが!
85
:
管理者
:2010/05/29(土) 17:46:45
皆目さん
この掲示板は、話し合いを重んずる事を基本原則としています。喧嘩腰で食って掛かるような発言は如何なものかと思います。一言ご注意申し上げました。
86
:
皆目
:2010/06/13(日) 17:23:04
あのですね。冷静に私の書き込み見てくださいね。
87
:
管理者
:2010/06/13(日) 18:06:59
皆目さん
>あのですね。冷静に私の書き込み見てくださいね。
はい。冷静に判断させていただきます。よろしくお願いいたします。
88
:
ひきこもり
:2010/12/05(日) 02:45:27
私が中学生の時から信仰してきた宗教の、本門の戒壇の大御本尊が偽作であるとは。
『日蓮正宗教学辞典』にはこれに対して反論が書かれてありましたが、私を折伏した
青年自体がこの問題に関すると、顔色を変えていました。
戸田先生が絶対と語っていた、本門の戒壇の大御本尊を偽作であると否定してしまっ
たら、私の信仰はどうなるのでしょうか?昭和33年と昭和43年の『折伏教典』と
昭和43年の『日蓮正宗教学小辞典』を読んだら、長崎に原爆が落とされたのはキリ
スト教の町だったからだとか、広宣流布しなければ神札は魔の住処だとか、イスラム
教は生命の尊厳を無視した低い宗教などと書かれてありました。
これを英語やアラビア語の翻訳して世界に発表したら、日蓮正宗も創価学会もキリス
ト教過激派やアルカイダに攻撃されてしまいます。しかし長崎に原爆が投下されたの
はキリスト教の町だったからだなんて酷いですね。
89
:
ひきこもり
:2010/12/05(日) 02:54:28
『富士宗学要集』は値段が高かったため、買わなかったのですが、バカバカしい文学全集
など買わずに、あれを買っておけば良かったと思っています。あと昔の『大白蓮華』は昭
和43年から採ってあったのですが、破門時代から捨てるように言われて全部捨ててしま
いました。採ってあれば創価学会史を正しく残して置くことができました。残念です。
いずれにせよ、日蓮正宗も邪宗であると言うことになりますね。
90
:
ひきこもり
:2010/12/05(日) 02:59:22
結論として、私は創価に残ることにしました。紆余曲折はあっても、戦後の平和主義
に貢献したことは確実です。また御本尊は唱題する我々の生命の中にあるのですから、
他に求める必要などないのです。
91
:
問答迷人
:2010/12/05(日) 08:39:12
ひきこもりさん
>戸田先生が絶対と語っていた、本門の戒壇の大御本尊を偽作であると否定してしまっ
たら、私の信仰はどうなるのでしょうか?
日蓮信徒にとって、日蓮曼荼羅に対して絶対の信仰に立つのはごく自然の事と思います。それを『本門戒壇の大御本尊』のみに特化して、他の曼荼羅は全て駄目だ、というのが、我田引水の邪義だと申し上げています。なぜなら、『本門戒壇の大御本尊』だけが唯一の絶対的存在であるという主張を裏付ける日蓮聖人の真蹟遺文が一つも存在しないからです。しかも、歴史的に見て、『本門戒壇の大御本尊』のみが絶対の存在ならば、なぜこの『本門戒壇の大御本尊』が建立されたとされている弘安二年十月十二日以降も、日蓮聖人が曼荼羅授与をされ続けたのか、意味不明になります。
僕は、日蓮聖人が直接認めた曼荼羅も、門下の上人方が書写した曼荼羅も、六老僧門下の歴代の上人方が認めた曼荼羅も、全てを絶対の信仰で拝するのが日蓮法華の本来のあり方であり、日蓮聖人のお心であると考えています。理由は簡単です。それらは全て日蓮法華曼荼羅だからです。
>また御本尊は唱題する我々の生命の中にあるのですから、他に求める必要などないのです。
これは変ですね、これでは、日蓮聖人が多数の曼荼羅を認めて門下の弟子檀那に授与した歴史的事実を意味のないことと否定することになってしまいます。何の為に日蓮聖人が曼荼羅を認められたとお考えでしょうか。『本門戒壇の大御本尊』のみが絶対である、というのが一方の極端ならば、この曼荼羅無用論は、もう一方の極端ですね。どちらも正しくないと考えます。
92
:
ひきこもり
:2010/12/05(日) 10:49:32
>>91
おはようございます。
深夜に書き込んだことが気になってしまい、悪夢にうなされて目を覚ましました。
『日女御前御返事』日蓮大聖人御書全集1243ページの第2段落には御本尊の相貌が
書かれてあります。1244ページの9行目から10行目には「此の御本尊全く余所に
求むる事なかれ・只我等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団にお
はしますなり」と書かれています。この御書は建治三年八月二十三日、五十六歳御作と
なっていますから、現在のグレゴリオ暦に直すと1277年九月二十九日、満五十五歳
御作となります。
また現在日蓮宗は三宝尊など本尊の形態がバラバラですね。これは『本尊問答抄』の冒
頭の「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答へて云く法華経の
題目を以て本尊とすべし」とありますから、日蓮正宗と創価学会だけが本尊の形態をき
ちんと守ってきたことになります。
93
:
問答迷人
:2010/12/05(日) 15:00:10
ひきこもりさん
引用された『日女御前御返事』は、曼荼羅無用論が書かれているのでしょうか、むしろ逆に曼荼羅供養の重要性を述べられられています。
このように、文脈を無視して、自分の都合の良い箇所を引用するのを「切り文」と言います。それでは述者の本意は無視されてしまいます。
さらに引用された箇所だけを取っても、「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる」と有ります。この「法華経」が何を指しているのか、どう考えられますか。
文脈からは、「法華経の肝心たる妙法蓮華経の五字」の事かと思われます。つまりは、妙法五字曼荼羅です。この曼荼羅を信仰する信徒の胸中の肉団に本尊が立ち現れるのだ、という意味であり、曼荼羅の存在が大前提になっていると思われます。
>日蓮正宗と創価学会だけが本尊の形態をきちんと守ってきたことになります。
日蓮聖人がどのような本尊奉安形態を身延の草庵において実際に採用されていたかは、様々な議論の有る所です。早計には判断しかねます。
仮に百歩譲って、日蓮正宗の本尊奉安形態が日蓮聖人の流儀に叶っていたとしても、「本門戒壇の大御本尊」が日蓮聖人が建立された唯一絶対の本尊であるとか、日蓮聖人の仏法は唯授一人の血脈相承によって日蓮正宗にのみ伝えられている、等という我田引水の大嘘にまみれた日蓮正宗や創価学会に日蓮聖人の正系門家を語る資格は微塵も無いことだけは確かであると指摘しておきます。
94
:
正理会会員
:2010/12/10(金) 15:50:02
日蓮大聖人の仏法はここを見てから
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
95
:
通行人
:2010/12/29(水) 20:09:50
偽作といっても、基本設計者は日蓮なんだから、それで効力はあるんではないですか?
本尊の価値は物体(物質)そのものではなく、日蓮が初めて明らかにした「ソフト」
そのものにあるのではないですか?
96
:
問答迷人
:2010/12/29(水) 21:12:12
通行人さん
>本尊の価値は物体(物質)そのものではなく、日蓮が初めて明らかにした「ソフト」そのものにある
全く同感です。仰る通りであると考えています。基本設計から大きく外れることが無ければ、何ら問題が無いと考えます。
基本設計から大きく外れるとは、例えば「南無妙法蓮華経」を、「南無阿弥陀仏」とするとか、です。つまり、観心本尊抄において、日蓮聖人は信仰の対象を「妙法蓮華経の五字」と特定されたわけです。これが基本設計であると考えています。
97
:
素朴な隣人
:2011/01/16(日) 16:03:27
初めて書き込みさせていただきます。
これまでの皆様の書き込みを大変興味深く読ませていただきました。また、学会員として疑問に思っていたことも、皆様の書き込みを読むにつれ、少しずつ解決しているような気がしております。
私が疑問だったのは、学会が宗門から破門された直後(日寛上人書写の御本尊を学会独自で下付する前)、67代書写の御本尊に向かって題目をあげながら、「学会が非難している人が書いた本尊には題目をあげてもよくて、他門流所蔵の大聖人書写御本尊に題目をあげるのはよくない」という論理がおかしいと思ったのです。御本仏が書いた物はだめだけど禿人(法華講の方気を悪くしたらごめんなさい。学会ではそう呼んでます)の物でも功徳がでるということがあるはずがないと思い、実は大聖人真筆御本尊のある寺にこっそり参拝したこともありました。
また、戒壇御本尊が大聖人出世の本懐であるという文証は、聖人御難事の「余は二十七年なり」だけですが、聖人御難事の執筆は戒壇御本尊建立の前ですよね。「余は二十七年なり」だけで「これから出世の本懐を遂げます」と解釈するのは飛躍しすぎですよね。ご自分の出世の本懐を具体的に書かないのは、諸御書であれだけ緻密な論理を展開しておられる大聖人らしくないと思ったのです。「ひょっとして、この御文と戒壇御本尊は関係ないのでは?」と思いながら折伏してたこともありました。
小樽問答で「戒壇の御本尊について書かれた御書がないのは、当時の門下ではそれが常識だったので書き残す必要がなかったから」と発言がありましたけど、門下の常識である「法華経こそ最大一」を大聖人は何べんも繰り返し御書で書かれていますよね。「これは大事なこと」と思われたからこそ、繰り返し書かれたのですから、戒壇御本尊についても建立後は繰り返し消息文に書かれてもおかしくないと思っていました。
ここではすっかり偽書と断定された日興跡条々事には「本門寺に懸け奉るべし」とありますが、「板本尊であれば『安置し奉るべし』ではないのかな・・・。紙幅なら『懸け奉るべし』でもおかしくないけど・・・。昔の人はあまり細かい表現を気にしないのかな。それとも、『懸け』にはいろんな意味があるのかも」と自分に言い聞かせてました。
子供たちがウルトラマンやスーパーマンに憧れるように、人間はヒーローを求めたくなるじゃないですか。また、「ヒーローはこうあってもらいたい」という願望が、ゴーダマシッダルタを32相80種好の姿に作り替えたり、鳩摩羅什の舌だけ焼け残らせたり、大聖人のお肉牙の肉だけを成長させたりする伝説を生んだのでしょう。
98
:
素朴な隣人
:2011/01/16(日) 16:06:07
宗教は自分たちの正当性を主張するために、さまざまな神秘を作ったり主張したりしがちですが、それが他者との抗争の道具になってしまうのは本当に悲しいですね。ましてや、犀角独歩さんが書かれたように、戒壇御本尊を月8回の御開扉で8000万円も儲かる道具にしてしまったのは、宗教者に内省がないからだと思います。「宗教者に内省がない」という点は学会にもあてはまることですが・・・。
神秘的なものを次々と作りだし、それを搾取の道具にしたり、人の心を縛り付けるような宗教の体質には十分注意しなければなりませんよね。
99
:
問答迷人
:2011/01/16(日) 17:22:45
素朴な隣人 さん
書き込み有難う御座います。詳細に当掲示板の書き込みを御覧戴いたこと、有り難く存じます。
僕は、日蓮聖人は徹底した合理主義者で在られたのだと拝しています。神秘的なものを徹底して排除されていると考えています。96でも書きましたが、信仰対象についての基本設計は、簡潔にして、合理的、具体的です。何しろ「妙法蓮華経の五字」に尽きるとされる訳ですから。
後世の人々が、日蓮聖人の御本意から大きく外れて、大石寺戒壇板本尊の様に色々と飾り立て、神秘化してしまいましたが、これは日蓮聖人の何ら知らぬことだと考えています。
信仰対象を「妙法蓮華経の五字」と日蓮聖人は示されます。それが一大秘法であり、上行菩薩が神力品で久遠釈尊より授与された正体であることを諸御書において繰り返し示されています。そして、この「妙法蓮華経の五字」を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを繰り返し勧められています。
この妙法蓮華経の五字とは、言うまでも無く妙法蓮華経という経典の経題であり、そして、この妙法蓮華経という経典に何が説かれているのかと言えば、突き詰めれば、如来寿量品第十六に説かれるところの「久遠五百塵点劫に顕本した仏様」であり、それを日蓮聖人は観心の本尊抄に於いて「無始古仏」と示されています。
つまり、この「無始古仏」こそが妙法蓮華経という経典の正体であり、釈尊の悟りの正体でもあると日蓮聖人は悟られて、妙法蓮華経という経典の経題である「妙法蓮華経の五字」を信仰の対象とされたのだと考えています。
この一連の思考は極めて合理的であり、神秘主義の入り込む余地は何処にも無いのではなかろうか、と思います。
100
:
素朴な隣人
:2011/01/17(月) 01:06:56
私も問答迷人さんのお考えに全面的に賛同いたします。「法華経の題目を以て本尊とすべし」と大聖人は諸御書で繰り返し仰せになられてますし、これ以上明快な答えはありませんよね。
キリスト教でも聖骸布を科学鑑定したり古文書を研究したりして、正統派とは何か異端派とは何かを考えたり、信仰の原点を見出そうとしてるじゃないですか。板曼荼羅の科学鑑定を拒否し続けている大石寺の態度は、中世キリスト社会の姿そのままと思わざるを得ません。そう考えますと、犀角独歩さんが曼荼羅の筆跡鑑定を試みられているのはとても意義のあることだと思います。
世界ではキリスト圏とイスラム圏の争いに終止符を打とうと努力をしているというのに、「戒壇御本尊こそ大聖人の出世の本懐」という思想があるばっかりに、小さな日本の中で興門派と身延派の間で親の敵のようにいがみ合っているのですから、大聖人の立教開宗は何の為だったのだろうと思わざるを得ません。他門流を批判するエネルギーを念仏や禅宗に向ける方が、まだ大聖人の御心に適うことではないでしょうか。
また宗門と学会も、いがみ合う暇があったらもっと他にすることがあるだろうと思うんですね。今、恵まれない子供達に匿名で寄付をしている「伊達直人現象」がニュースになっているじゃないですか。これがニュースになっているのは、今の日本にも「人に喜んでもらいたい」と思っている善意の人が少なくないことに、世間が心の温もりを感じたからなんですね。
仏は時を観じ、衆生の機根に応じて法を説いて衆生を歓喜させます。本山に何十万人も結集させるのも結構ですが、聖教新聞を何部も購読させるのも結構ですが、寺を建てたり会館を建てるのも結構ですが、それが衆生の機根に応じた説法の姿であるかどうか、それで世間が心の温もりを感じるかどうか、今一度考え直す必要があると思うのです。それぞれ何十万人や何百万人も抱えている団体なのですから、協力しあう必要は無いにせよ、それぞれが社会に向かって善意の行動を起こしたら、今の日本はもっと良い国になるはずです。それこそが広宣流布の目的だったはずだと思うのです。
ここのスレッドの趣旨と関係ない書き込みをしまして、申し訳ございませんでしたm(。。)m
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