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大石寺戒壇板本尊の歴史について
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:
素朴な隣人
:2011/01/16(日) 16:03:27
初めて書き込みさせていただきます。
これまでの皆様の書き込みを大変興味深く読ませていただきました。また、学会員として疑問に思っていたことも、皆様の書き込みを読むにつれ、少しずつ解決しているような気がしております。
私が疑問だったのは、学会が宗門から破門された直後(日寛上人書写の御本尊を学会独自で下付する前)、67代書写の御本尊に向かって題目をあげながら、「学会が非難している人が書いた本尊には題目をあげてもよくて、他門流所蔵の大聖人書写御本尊に題目をあげるのはよくない」という論理がおかしいと思ったのです。御本仏が書いた物はだめだけど禿人(法華講の方気を悪くしたらごめんなさい。学会ではそう呼んでます)の物でも功徳がでるということがあるはずがないと思い、実は大聖人真筆御本尊のある寺にこっそり参拝したこともありました。
また、戒壇御本尊が大聖人出世の本懐であるという文証は、聖人御難事の「余は二十七年なり」だけですが、聖人御難事の執筆は戒壇御本尊建立の前ですよね。「余は二十七年なり」だけで「これから出世の本懐を遂げます」と解釈するのは飛躍しすぎですよね。ご自分の出世の本懐を具体的に書かないのは、諸御書であれだけ緻密な論理を展開しておられる大聖人らしくないと思ったのです。「ひょっとして、この御文と戒壇御本尊は関係ないのでは?」と思いながら折伏してたこともありました。
小樽問答で「戒壇の御本尊について書かれた御書がないのは、当時の門下ではそれが常識だったので書き残す必要がなかったから」と発言がありましたけど、門下の常識である「法華経こそ最大一」を大聖人は何べんも繰り返し御書で書かれていますよね。「これは大事なこと」と思われたからこそ、繰り返し書かれたのですから、戒壇御本尊についても建立後は繰り返し消息文に書かれてもおかしくないと思っていました。
ここではすっかり偽書と断定された日興跡条々事には「本門寺に懸け奉るべし」とありますが、「板本尊であれば『安置し奉るべし』ではないのかな・・・。紙幅なら『懸け奉るべし』でもおかしくないけど・・・。昔の人はあまり細かい表現を気にしないのかな。それとも、『懸け』にはいろんな意味があるのかも」と自分に言い聞かせてました。
子供たちがウルトラマンやスーパーマンに憧れるように、人間はヒーローを求めたくなるじゃないですか。また、「ヒーローはこうあってもらいたい」という願望が、ゴーダマシッダルタを32相80種好の姿に作り替えたり、鳩摩羅什の舌だけ焼け残らせたり、大聖人のお肉牙の肉だけを成長させたりする伝説を生んだのでしょう。
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