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大石寺戒壇板本尊の歴史について

91問答迷人:2010/12/05(日) 08:39:12

ひきこもりさん

>戸田先生が絶対と語っていた、本門の戒壇の大御本尊を偽作であると否定してしまっ
たら、私の信仰はどうなるのでしょうか?

日蓮信徒にとって、日蓮曼荼羅に対して絶対の信仰に立つのはごく自然の事と思います。それを『本門戒壇の大御本尊』のみに特化して、他の曼荼羅は全て駄目だ、というのが、我田引水の邪義だと申し上げています。なぜなら、『本門戒壇の大御本尊』だけが唯一の絶対的存在であるという主張を裏付ける日蓮聖人の真蹟遺文が一つも存在しないからです。しかも、歴史的に見て、『本門戒壇の大御本尊』のみが絶対の存在ならば、なぜこの『本門戒壇の大御本尊』が建立されたとされている弘安二年十月十二日以降も、日蓮聖人が曼荼羅授与をされ続けたのか、意味不明になります。

僕は、日蓮聖人が直接認めた曼荼羅も、門下の上人方が書写した曼荼羅も、六老僧門下の歴代の上人方が認めた曼荼羅も、全てを絶対の信仰で拝するのが日蓮法華の本来のあり方であり、日蓮聖人のお心であると考えています。理由は簡単です。それらは全て日蓮法華曼荼羅だからです。

>また御本尊は唱題する我々の生命の中にあるのですから、他に求める必要などないのです。

これは変ですね、これでは、日蓮聖人が多数の曼荼羅を認めて門下の弟子檀那に授与した歴史的事実を意味のないことと否定することになってしまいます。何の為に日蓮聖人が曼荼羅を認められたとお考えでしょうか。『本門戒壇の大御本尊』のみが絶対である、というのが一方の極端ならば、この曼荼羅無用論は、もう一方の極端ですね。どちらも正しくないと考えます。


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