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顕正会の実態を検証する

1管理者:2002/12/30(月) 09:25

新しいスレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。活発な議論を期待いたします。

789のぶし:2008/03/18(火) 10:42:43
初めまして。一応現役顕正会員(ほぼ退転)の者です。

アネモネさん、犀角独歩さん、一刀両断さん、他皆様に質問させて頂きます。


1年ほど前から様々な顕正会批判のHPを見るようになりまして、組織に対する
多くの疑問、不信感がつのり、現在はほとんど活動しておりません。(立場上
形だけ連なっている状態)

半年ほど前までは、法華講の方のHPを中心に閲覧し、正本堂問題などを中心に
いったい顕正会と宗門のどちらが正しいのか、ということを考えておりました。

そのうちに、日蓮大聖人の仏法で説かれる(あくまで顕正会で学んだ)、
現世利益と一生成仏とは、本当にあるのか、ということも考えるようになりました。

まだ、この掲示板の170番くらいまでしか読んでいないのですが、
アネモネさんや犀角独歩さん、一刀両断さんがおっしゃるように、
顕正会にも創価学会にも、また日蓮正宗にも宗教心がない、という議論は、
もう少し読み込まなければ自分にはちゃんと理解できないとは思いますが、
そのとおりだなあと思いました。

そして一つ疑問が出てきたのですが、アネモネさん、犀角独歩さん、一刀両断さんは、
日蓮正宗で説くところの、現世利益・死後の成仏(臨終の相)等はまやかしであると
考えているのでしょうか?そんなものは実際にないと。

自分は、近い将来顕正会を離れ、法華講の方とも話をしたいと思っていますが、
ほかの宗教も学んで、自分の人生に本当に必要な宗教を見つけたいと思っています。
また、死後の成仏というものが実際あるのなら、そうなりたいと思っています。

アネモネさん、犀角独歩さん、一刀両断さんは、成仏などはない、今生きている人生を
穏やかに生きることが一番大切である、だからこそ特定の宗教団体に縛られるのではなく
宗教心を育むことこそが大切である、とお考えであると理解してよろしいでしょうか。

うまく質問できていませんが、お答え頂けると有難いです。よろしくお願いします。

790のぶし:2008/03/18(火) 10:54:23
上記の書き込みの趣旨がわかりにくいと思いますので、書き加えます。

この掲示板ご覧になっている皆さんにお聞きしたいのですが、
死後の成仏というのを信じていますか?

この点について多くの方の意見を聞かせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

791S:2008/03/18(火) 13:07:28
独歩さん

>はやくお名前を削除するよう、届けをお出しになることをおすすめいたします。

息子ともども、昨日付けの内容証明郵便で脱会届を出しました。
アドバイス、ありがとうございました。
とてもスッキリいたしました。

792顕正居士:2008/03/18(火) 14:40:29
「成仏」というのは本来は「仏になる」ことで「仏」とは「ブッダ(知った人)」の音を漢字にしたもの。
釈尊の時代には当時の有名な思想家がこの称号で呼ばれた。したがって有名な思想家なみに
宇宙と人生の根本的な仕組みを理解した状態の意味になります。
けれども日本人が日常にいう「成仏」は祖霊が現世の人に悪さをしない状態のことです。
日本人の信仰では祖霊は「草葉の陰」などこの同じ現世におります。「幽霊を成仏させる」とか
「不成仏霊を祓う」とかいいますね。
この二つがなぜ結びついたのかといいますと、インド人の考えでは悟ったお方は二度とこの世
に生まれて来ません。したがって死後に戒名を授け仏教の葬礼を行なうことは亡くなった方が
現世の人に悪さをしない効果があるとイメージされます。
「成仏の相」というのはそういう現世の人にとって安全な状態に故人があるしるしとされます。
しかし死相の種類は亡くなった原因で決まるのであり、平穏な臨終であれば死後の硬直が
おさまった後、通常は「成仏の相」に近いものとなります。また死者には一定の化粧をします。
現世の利益に関してはそういう信仰をしている方々が一般の人より幸福な状態にあるようには
見えません。

794犀角独歩:2008/03/19(水) 19:38:15

のぶしさん

はじめましてでしたか。

> 日蓮正宗で説くところの、現世利益・死後の成仏(臨終の相)等はまやかし…実際にないと。

わたしは「日蓮正宗」の本尊と教義がまやかしであり、偽造品であると検証しました。本尊が偽物であるわけですから、本物に功徳があるというコンセプトで成り立つこの周辺の信念体系は自滅することになるだろうということです。

ただし、なにを現世利益と感じるかというのは個人的リアリティに属しますから、ガソリンスタンドでティッシュペーパーをもらって「功徳」だという元顕正会員の感動を、個人が現世利益と思うのは勝手だということになりましょうか。

視野を広げて言えば、なにごとにも「有り難い」と感謝の一念でとらえることのできる人にとっては何事も功徳であり、利益と映じるでしょう。

けれど、自分(達)だけが絶対に正しいと信じ込んでいる人からすれば、他人に対しては憎悪と憤怒を懐くでしょう。そして、正しいという前提から相手をどんなに貶してもよいとも考えます。しかし、それが正義ではないことは、常識と冷静をもってすれば、すぐにわかることです。そうした意味で、顕正会のみならず、法華講の人との会話もまた、不毛に終わることは100%間違いがありません。世間一般からみれば、顕正会も、法華講も、「日蓮正宗」も、創価学会も、十把一絡げ、同じ穴の狢、なにも違って見えません。実際、わたしからみても、みな同じに見えます。違うのはそれらの群れのボスの違いだけです。わたしになす攻撃も、わたしの検証に、反証をもって応じるのではなく、「大謗法」「魑魅魍魎」「狂」などという侮辱をもって人格を貶め、会員信徒がわたしを蔑むように操作することで、わたしの言への信頼を封じ込める悪辣な手段しか執りません。こんなことしかできない人の集まりに正義も、真実もあるはずはありません。

さて、御利益といわれることは、どの集団でもいわれることで、とりたて、「日蓮正宗」や、顕正会で限ることではないのです。ところが「自分たちの功徳こそ、本物であり、他を嘘だ」と、他を見たこともないものが主張するところに、これら集団の情報操作の実態があることを見抜く必要があります。(余談ですが、現世「利益」であるのに、それが「功徳」といわれる語法は、そもそも間違っています。初歩的なミスです)

「死後の成仏」ということですが、法華経をもっていえば、「記別」は死後の成仏など説かれていません。記別とは未来に仏になることを仏が預言することです。成仏については、顕正居士さんがご賢察を述べられていますので、わたしが記すまでもありません。

ただ、ひとつだけ記せば、死んで白くて軽いのは成仏の相だというのは、御書にも、本来の記述とも違っています。原文を挙げます。

「人は臨終の時、地獄に堕る者は黒色となる上、其身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鷲毛の如し、軟なる事兜羅綿の如し。」(千日尼御前御返事)

一読すれば、わかりとおり、臨終で色白く・軽く・柔らかいのは成仏の相ではなく、「善人」であるというのみです。善人とは人です。成仏とは仏です。この決定的な差を、枉げて成仏の相ということおかしなことではないですか。また、この御文の、そのあとに「いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん」といいます。つまり、死後の成仏を述べるのではなく、死後霊鷲山往詣をいうのが、先の文章の続きです。

そして、さらにいえば、この御文は真筆が残っていません。

> 法華講の方とも話をしたいと思っています

おやめになったほうがよろしいでしょう。そこには事実も、道もありません。

> ほかの宗教も学んで、自分の人生に本当に必要な宗教を見つけたいと思っています。

これはけっこうなことであると存じます。「日蓮正宗」、顕正会、創価学会、もっといえば、富士門という小さなコップの外の広漠たる景観をはやく御覧になることです。

> 死後の成仏というものが実際あるのなら、そうなりたいと思っています。
こうした考えは、ほかの宗教を学んでから、おいおい目標とされるほうがよろしいでしょうね。

> 成仏などはない、今生きている人生を穏やかに生きることが一番大切…特定の宗教団体に縛られるのではなく…宗教心を育むことこそが大切

わたし個人のことで申し上げれば、概ねそうですが、成仏は、先に顕正居士がさんがお示しの元意からすれば、とうぜん、あると考えています。関連しますが、「人生を穏やかに生きる」ことが目的ではなく、苦の克服が目標です。

795犀角独歩:2008/03/19(水) 19:39:49

Sさん

すでに心の脱会をお済みでしたでしょうが、ここに事務的な脱会もおえらえたとのこと。
心から祝福申し上げます。おめでとうございます。

796のぶし:2008/03/20(木) 09:22:59
顕正居士さん、犀角独歩さん、お返事ありがとうございます。
大変参考になりました。

さらに質問させていただいてよろしいでしょうか。


顕正居士さんへ
>「成仏」というのは本来は「仏になる」ことで「仏」とは「ブッダ(知った人)」の音を漢字にしたもの。
>釈尊の時代には当時の有名な思想家がこの称号で呼ばれた。したがって有名な思想家なみに
>宇宙と人生の根本的な仕組みを理解した状態の意味になります。
>けれども日本人が日常にいう「成仏」は祖霊が現世の人に悪さをしない状態のことです。

 ・顕正居士さんが今まで接してきた方の中で、「有名な思想家なみに宇宙と人生の根本的な仕組みを理解した状態」
  にあるかたはいますか? いないとすると、現代においてはどのような人がそれに近いとお考えですか?
 
 ・「祖霊が現世の人に悪さを」する、ということはあるのでしょうか?

犀角独歩さんへ
>「死後の成仏」ということですが、法華経をもっていえば、「記別」は死後の成仏など説かれていません。
>記別とは未来に仏になることを仏が預言することです。成仏については、顕正居士さんがご賢察を述べられていますので、わたしが記すまでもありません。

 ・日蓮大聖人は「死後の成仏」を説いていないのでしょうか?

>「人生を穏やかに生きる」ことが目的ではなく、苦の克服が目標です。

 ・「苦の克服」と顕正居士さんの仰る「成仏」というものを得ることは同義でしょうか?
 
 ・犀角独歩さんが今まで接してきた方の中で、苦を克服した方はいますか?

よろしくお願いします。

797犀角独歩:2008/03/20(木) 12:13:17

のぶしさん

> 日蓮大聖人は「死後の成仏」を説いていないのでしょうか?

この点は、日蓮門下の葬儀に関わる重大事でしょう。わたしが、それを信仰しているかどうかは今はおきますが、生身得忍・即身成仏を説いているでしょう。曽存ながら『木絵二像開眼之事』に、

「人死すれば魂去、其身に鬼神入替て亡子孫。餓鬼といふは我をくらふといふ是也。智者あって法華経を讃歎して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といへる法門是也。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に身雖人身心同仏心いへる是也。生身得忍の現証は純陀也。法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身。是を即身といふ。さりぬる魂を取返て死骨に入れて彼魂を変て仏意と成す。成仏是也。即身の二字は色法、成仏の二字は心法。死人の色心を変て無始の妙境妙智と成す。是則即身成仏也。故法華経云 所謂諸法如是相[死人ノ身]如是性[同ク心]如是体[同ク色心等]云云。又云、深達罪福相閣照於十方微妙浄法身具相三十二等云云。上二句は生身得忍。下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は龍女是。生身得忍の手本は純陀是也」

とあります。つまり、臨終の相で成仏が決まるのではなく、法華を悟れる智者死骨を供養すれば、生身得忍・即身成仏するといいます。
この文面の紙背に徹すれば、どのように遺骨を供養するかという秘法を、弟子に相伝していたと思われます。わたしは、その弟子につらない在俗ですから、その内容は存じません。以上の如き、秘儀があれば、在俗の執行する葬儀では即身成仏はないことになります。

> 「苦の克服」と顕正居士さんの仰る「成仏」というものを得ることは同義でしょうか?

顕正居士さんが仰るとおり、仏陀とは、知る人、もしくは目覚めた人ということとして、わたしも述べました。これは日蓮義とはもちろん、別意です。この原意の成仏(知る人・目覚めた人)が得た智によって克服されるのが苦であるという脈絡と考えます。

> 接してきた方の中で、苦を克服した方はいますか?

元より、苦の克服とは各個人における気分でしょうから、他者であるわたしが、「誰々が」と申し上げる筋合いのものではないと考えます。

ただ、生前、死期を悟った母が、わたしの手を握り、「お世話になりました。これから、お前は一人になってしまう。けれど、ずっと私がお前を守っているから」といい、「南無妙法蓮華経」と伏したまま、唱えた相は、八十有余の制の苦しみを終え、死後の不安も残さない穏やかな姿でした。
数知れず、多くの人々の死に接してきましたが、宗派の相違など関係なく、死を悟り、死に臨む人々の表情は穏やかであり、生身得忍を待つまでも、こうごうしいものでした。

798犀角独歩:2008/03/20(木) 12:15:50

【797の訂正】

誤)八十有余の制の苦しみを終え
正)八十有余の生の苦しみを終え

誤)生身得忍を待つまでも、こうごうしいものでした
生)生身得忍を待つまでもなく、こうごうしいものでした

799問答迷人:2008/03/20(木) 21:05:11

犀角独歩さん

>ただ、生前、死期を悟った母が、わたしの手を握り、「お世話になりました。これから、お前は一人になってしまう。けれど、ずっと私がお前を守っているから」といい、「南無妙法蓮華経」と伏したまま、唱えた相は、八十有余の生の苦しみを終え、死後の不安も残さない穏やかな姿でした。

そうでしたか。すばらしい事です。僕も臨終に、そのような姿でありたいと願うばかりです。

800しゅんかん:2008/03/20(木) 22:51:10
私がこちらの掲示板を知る事となって2年半程になります。
当初、スクロールする毎に目から鱗でした。

それは組織の人(第三者)に操られないさまを文面から感じ取ったからでしょう。
自らの感性を他者が共有してくれないと不安であるが、自らの感性の共有化を他者へ働きかけない
所に、私は「目から鱗」だったのだろうと他ネット上での石山系の方の論を拝見し感じる今日この頃です。

801顕正居士:2008/03/21(金) 02:36:16
のぶしさん。

およそ凡人がブッダと称されるような方と同様の知性に至る可能性はありません。なのになぜ
あらゆる生類がブッダになれるというのか。インド人は生まれ変わりを信じますので今世で努力
しますと来世はその分高い素質で生まれるとするからです。凡人も無限の生まれ変わりの後に
はブッダになれると。しかし素質は両親の遺伝のみで決定されます。以外の原因はありません。
輪廻転生は遺伝のみで素質が決まることを知らなかった時代の発想だと思います。たしかに
遺伝形質がいわば転生していくのですがそれは親子の線でです。努力の結果も遺伝しません。
けれどもあらゆる先人の努力は文明として蓄積されます。われわれは学びさえすれば釈尊の
時代の人とは比較を絶する認識に到達できます。輪廻転生の思想は今日では文明の発達と
理解すべきかと思います。将来には遺伝形質自体の改善や知性自体の向上も可能になること
でしょう。そういう意味で現代人とその子孫ははみなブッダに至る急速な過程にあるといえます。

日本人の先祖儀礼は顕著な人物を神として祀ることはしますが、現世の人を守護してもらうと
いう期待は少なく、生前に思い残した事柄を慰めるという意向が強いと思います。思い残した
ことがある方が幽霊や鬼になるとはわたしは考えませんが、志を果たせず亡くなった無数の
祖先におもいをいたすことはその恩恵で生活しているわたしたちにとって必要な事柄でしょう。

802犀角独歩:2008/03/21(金) 16:36:44

799 名前:問答名人さん

レス、恐縮至極に存じます。有り難うございました。

803犀角独歩:2008/03/21(金) 17:53:04

『木絵二像開眼之事』の「智者死骨を供養せば生身即法身。是を即身といふ。さりぬる魂を取返て死骨に入れて彼魂を変て仏意と成す。成仏是也。」は即身成仏は智者によるというコンセプトに基づきます。

ところが『化儀抄』では「仏事引導の時、理の廻向有るべからず智者の解行は観行即の宗旨なるが故なり、何かにも信者なるが故に事の廻向然るべきなり、迷人愚人の上の宗旨の建立なるが故なり、夫れとは経を読み題目を唱へて此の経の功用に依つて成仏す等云云。」といい、智者でなく、愚人によるという。『化儀抄』は『木絵二像開眼之事』の意図とは違う説を立てている。

ところがの『当家引導雑々記』には「引導師は智者に非らずんば叶ふべからず、其の故は死人は無心にして草木の如し、而も無心の者に心を入るゝ事は且らく導師の心地に有るべきなり」といい、石山では、この文にも拠っている。

もとより、真蹟遺文にみられる「引導」は、『化儀抄』『当家引導雑々記』にいうような引導とは意味が異なっています。

「十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ」(兄弟鈔)
「悉達太子は閻浮第一の孝子也。父の王の命を背てこそ、父母をば引導し給しか。」(下山御消息)

智者の供養というところが、迷人愚人の引導となったり、智者の引導となったりという経年の相違がみられます。供養を引導と言うようになるのはまだしも、智者でなければ叶わないはずが、それを迷人愚人としたり、はたまた智者による言を用いたり、この一貫性のなさが、いかにも石山で言われる相伝のあやふやさを露呈した証拠であると感じます。

804一刀両断:2008/04/04(金) 16:30:19
久しくこの掲示板より離れておりました。
犀角独歩さんや皆様のご活躍ぶりを拝見して、本当に尊敬の念に堪えません。
敢えて私が記すまでもなく多くの方々がご回答下さっていらっしゃいますので、書き込む必要もないかと思いましたが、
のぶしさんに名指しされましたので、少々所見をと思いました。

教学的な面はすでにみなさんがご回答下さっていらっしゃいますので、私自身がのぶしさんに申し上げられることは何もないのですが、
敢えて言わせて頂くならば、「組織による信仰は必ず矛盾が生じ、限界がくる」とうことです。
顕正会で活動されていた事がある方ならば当然のようにご理解できる事とは存じますが、実に改めて過去の自身の活動内容を振り返りますと、
全てが組織防衛の為の理論でしかなかったと痛感されることと思います。
真実を見極め、実践すべき宗教が、組織による信仰になった途端に自組織を自然と防衛する偏った理論展開をせざるを得なくなってしまうのです。
ゆえに「この組織こそ唯一正しき正統である」などという組織ほど、信仰理論を身勝手に都合良く解釈し、それを組織に徹底する羽目になり、結局矛盾に満ちた結論しか導き出せなくなってしまうように思います。
そしてこれをあたかも宗派の根本教義のように組織に徹底してしまう事で、組織内では都合のよい、組織外には全く馬鹿げた風に思える理論が成り立っていくように感じます。
私はこの考えが固まった上で、学会の方、法華講の方とも話しましたが、とどのつまり組織のトップの方に対する疑問を投げかけた所、「絶対にそんなことは有り得ない、TOPを信じられないならもういいです」と体よくお引き取り頂いたものです。w

私は現在、組織信仰の人達のさす、信仰を実践している事にはならないのでしょう。
組織の都合で教義が左右される信仰は、すでに信仰ではないと思っております。

本当の組織の指導者とは本当の信仰者であり、組織防衛などの概念があってはいけない、と考えています。
勝手な言葉ばかり並べて何も回答になっておりませんが、私自身が今、宗教、宗教団体に対する考えを披露させて頂きたいと思いました。
失礼いたしました。

805犀角独歩:2008/04/05(土) 14:16:46

一刀両断さん、お久しぶりです。
仰るところ、わたしも深く同感いたします。

806顕正居士:2008/04/05(土) 15:17:41
>>804
一刀両断さん。正確に言いますと団体を防衛しているのではなくその現執行部を防衛しているのですね。
団体が発展を続けるためにはある段階では現執行部の退陣が必要になります。団体の発展を犠牲にして
現執行部を防衛するのです。これは今の日本社会の一特色です。主要な会社は「株式持合」をしており
独立株主の発言を封じています。したがって儲からないことばかりしている現経営陣を退陣させること
ができません。

807:2008/05/08(木) 23:16:41
他のスレッドより独歩さんより質問を頂き
答えを求められましたので、以下簡潔に書きたいと思います。

(1)誓願当時のことは詳しく存じませんが
一億折伏は「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」の書、及び新聞広告で成されたのではないのでしょうか。

(2)おそらくコピーし奉られたからではないのでしょうか。
御影を寸分も狂わずに写していますから、信徒としては信を取らせて頂きます。

808偶ロム偶ログ:2008/05/09(金) 02:37:04
横レス失礼。

(1)
本とか新聞広告が折伏というなら、創価学会は昭和20年代から天文学的数字の折伏を
やってきたという論理も成り立つ。
また、事実としては延べ一千数百万人を結縁させたということにもなる。
一対一で相対して行なうのが折伏であって、出版だの広告だのはたんなるコマーシャル
にしかすぎないでしょう。
また一人に対して複数で行なう説得も折伏ではなく強要行為にしかすぎない。

(2)
顕正会の信徒としては問題ないのかもしれませんね。
ただそれでは、伝統的大石寺信仰や日蓮正宗信仰とは相容れない「信」ですね。
かつて創価学会が本尊模刻を行ない問題となったとき、顕正会は批判したように
記憶しているのですが、事象としては全く同類の行為ですね。
それを正当化する論拠は、日蓮の信徒であるならば、「御書」から導かねば
ならないわけです。
ところが顕正会には「御書」がありませんね。
学会版は論外なのでしょうが、正宗の「平成新編」も、顕正会とは無関係な
教団の「御書」ですから、使用できるテキストがないですよね。
そうなると、真蹟の写真集を解読して使用するしかありませんが、顕正会では
どうしているのでしょうか。
また、真蹟以外の写本しかない「御書」も講義したり引用したりしていますが、
それらは基本的に顕正会からすれば「謗法」の教団が出所です。
それを使用することは「謗法与同」にはならないのでしょうか。

いづれにしても、顕正会も創価学会にしても、日蓮正宗の教義教学のつまみ食い
をしているだけではないですか。
もっとも、日蓮正宗にしたところで、他山他門のパクリで成り立っている宗教で
あることは、こちらの掲示板で縷々論証されたことです。
本尊コピーの正統性を主張されるのであれば、正宗教学をきれいさっぱりと捨て
顕正会独自の教学を立てられるべきでしょうね。

809:2008/05/09(金) 05:40:00
(1)なるほど、成り立ちますね。
(2)コピーの御本尊はコピーだからこそ慎重にしなければならないと考えます。
コピーだから偽というのは、どういう御書がより所なのでしょうか。
写本を引用してはならないとすると、羅什訳の法華経も真跡以外は全て謗法となりますが
御書を見る限り、宗祖はそういう事は仰せられていないように拝します。

810犀角独歩:2008/05/09(金) 06:08:37

(1) 新聞広告で1億人折伏ですか。昭和48年7月15日付『顕正新聞』では、1億人折伏の前段として、100万達成は1996年、1000万は2003年としています。'96年、'03年の、広告折伏を具体的に挙げてください。

(2) 「御影を寸分も狂わずに写していま」ということですが、どうやって写したのでしょうか。

811偶ロム偶ログ:2008/05/09(金) 16:22:10
>>809

>コピーだから偽というのは、どういう御書がより所なのでしょうか。

私の立場は簡単です、真蹟は本物、真蹟を書いた本人の知らないところで作られた
ものは「似せもの」「まがいもの」である、と考えます。
コピーを「偽」とは思いませんよ。
ただ、素直にコピーであるというだけのしろものです。
したがって、御書云々以前のことと考えます。

>写本を引用してはならないとすると、羅什訳の法華経も真跡以外は全て謗法となりますが

大昔は今日いわれるような経典の成立年代とか成立過程はほとんど考慮されて
いませんでした。
他宗伝来の経典であっても、当時の仏教僧は経典じたいを仏語と信じていました。
他宗を毀謗するようなこともあまりなく、日蓮の他宗批判は釈・疏・言説・行為
に対してであり、浄土三部經それじたいを難ずることはされていません。
いっぽう「御書」についていえば、真蹟および直弟の写本以外の「御書」は、
たいていの場合、直弟死亡後に出現しています。
もちろん中には直弟が書状などで引用していたものもごく少数あり、それらは
真蹟に準ずるものとして考えることも可能です。
しかし、ほとんどの場合は、その当時の門流なり寺院なり僧侶なりが、各自の
置かれた状況によって何らかの必要に駆られて創作したものと考えられます。
写本については、ほとんどの場合、初出がわかります。
そしてそのほとんどは大石寺系以外つまり大石寺からは謗法とされるところから
「写本」として世に出てきているのです。
他山他門のものでも、自分に都合がよければ利用する、というのはご都合主義と
いわれても仕方のないことであると考えます。

A、真蹟
B、直弟の写本
C、直弟死亡後に出現した写本

「御書」と言えるのは厳密には、Aだけです。
Bは、複数の直弟が写本を殘していればとりあえず「御書」と考えても良いでしょう。
Cは、たとえ内容が信仰に資するものであっても「御書」ではありません。
あくまでも「門流文書」として読まれるべきなのです。

蛇足になりますが、よく「文証」という言葉が使われます。
これも厳密には、經・釈・疏に限られます。
日蓮は、法華最勝・法華最大一、を論証するために經・釈・疏を引用しました。
「御書」を「文証」としてあげる場合、使用できるものは「御妙判」だけです。
正宗系を含む日蓮系の他宗教・他教団・他門流を批判とか「破折」するときに
「御書」を出してもそれは「文証」とは言いません。
たんに「引用」にすぎないのです。
正宗系を含む日蓮系の他宗教・他教団・他門流が法華経に違背しているという
のであれば、そのときには經・釈・疏ならびに「御妙判」を「文証」として
批判すれば良いのです。

尚、日蓮在世当時の仏教において、末法無仏、は常識でした。
これは日蓮とても例外ではありません。
無仏世界だからこそ菩薩が出現する、これが日蓮の解釈であり立場でした。
当時の仏教において、釈尊滅後に出現し衆生を救済する仏は弥勒仏である、と
考えられていました。
この考えを否定する日蓮の「御書」は存在しません。
釈尊滅後から弥勒仏出現までの無仏期間、代わりに衆生を済度するのは菩薩なのです。
かりに「日蓮本仏論」を主張する場合は、これもまた、「文証」として使用できるのは
經・釈・疏だけに限られることは言うまでもないことです。。

812犀角独歩:2008/05/09(金) 21:56:10

旦さんは、遁走したようですね。
それにしても現役の顕正会員が、顕正会の本尊模造を認めたうえで、偽造品でも信を取るといった発言は、顕正会も、創価学会の本尊独自頒布と同じ第3ラウンドに入った観があります。
寸分違わなければよいのだそうですが、顕正会の模造本尊は授与書きの削除、縮小拡大率を変えたりしていますから、寸分違わない模造品ではないですね。
また、写真技術を使っているので、これを写本とは言いません。お気の毒です。

813偶ロム偶ログ:2008/05/10(土) 22:35:08
>>写真技術を使っているので、これを写本とは言いません。

写(真技術)本、ということでっしゃろ(苦笑)。

814:2008/05/11(日) 00:15:18
>>812
顕正会は同じ尺度と思いますが
縮小拡大云々は創価学会の
日寛上人の御本尊の話ではないのでしょうか。

しかし、そもそも倍率や尺度が少し変った時点で、
全く御本尊に成り得ないという暴論が成り立つなら
法華経においても、真蹟かどうか
独歩氏のような重箱の隅を執拗につつくような論は
不可欠だったものと考えますが
日蓮大聖人は全くそういうことは言及なされていない。
天台大師も伝教大師もそのようなことは論じていない。
下種仏法は大網と拝するのが富士門流と考えます。

815:2008/05/11(日) 00:17:29
日蓮大聖人、伝教大師、天台大師から
全く外れた視点から仏教を再考するというのは
もはや外道ではないでしょうか。
本人は全く気づいてないとすればお気の毒です。

816偶ロム偶ログ:2008/05/11(日) 01:39:02
>>814・815

信仰者と研究者・探究者は立場も姿勢も異なります。
互いが互いの相違点をどのように理解するか、それによってその人の器が見え
るものです。

さて、問題は縮尺云々ということではないのでは?
どこの誰がなにを本尊にしようが、基本的にはその人の勝手ではあります。
しかし、仏教には儀軌というものがあり、特に本尊に関する儀軌は細かく定め
られています。
天台伝教と続く日本天台の流れにおいても同様です。
日蓮は日本天台の流れを汲む僧侶でしたから、とうぜん天台法華の儀軌を破る
ようなことはなかったはづであります。
顕正会の本尊の問題は、どのような儀軌をもとに当該本尊を作り祀ったのか、
という点が明らかではありません。
少なくとも「冨士大石寺」とか「日蓮正宗」などの流れを汲みかつその正統を
主張するのであれば、当該本尊の件について説明するべきでしょう。
もちろん、その説明の論拠は、日蓮を下限とし歴代の文書など用いるべきでは
ないことはいうまでもありません。
また、その際に用いられる日蓮の文書にいわゆる「相伝書」などを含むことも
論外であります。
どうしても用いなければ説明できない、となればそれだけで信用性に疑問符が
つけられることになります。
なぜならば、いわゆる「相伝書」は他門・他山にも存在するものであり、その
内容がそれぞれ同一ではないからです。
さらに、顕正会は「大石寺」「日蓮正宗」系というのですから、北山・西山・
保田・要法寺など他山伝来の「相伝書」を用いず、「大石寺の相伝書」だけを
用いるべきです。
さて、このような方法論で、
1、在家が本尊を作ることの正当性
2、その本尊は書写されたものでなくても良い理由
3、その本尊は写真技術を使ったものでもよい理由
4、そのようにして作った本尊を祀ってもよい理由
5、そうして祀った本尊を拝んでもよい理由
6、そうして祀った本尊を会員信徒に拝ませてもよい理由
少なくとも、以上についての説明がなされてしかるべきでしょう。
そしてなによりも、そうして作られた本尊がなぜ本尊であるといえるのかを、
上記の方法論で説明できなければならないでしょう。

法華経その他の経典の真偽についての日蓮当時の一般的な考え方については、
すでに述べていますので繰り返しません。
冨士門流といえど日蓮門下です。
門流教学の視点での論は門流内では通用するかもしれませんが、門流外では、
とても通用するものではありえません。

独歩さんは、学会版御書全集、正宗の昭和新定、正宗の学林版天台三大部、
富士宗学要集などを繰り返し精読しています。
その上で批判を展開しているのです。

>>日蓮大聖人、伝教大師、天台大師から

これは、逆次に読むという意味でしょうか。
たしかに逆次の読みというものはありますが、一連の議論の流れは順次でなけ
ればならないことは「論議講説」の絶対的方法論ではありませんか。

>>全く外れた視点から仏教を再考する

前述のように、独歩さんの視点は、学会版御書全集、正宗の昭和新定、正宗の
学林版天台三大部、富士宗学要集などを精読した上でのものであって、全く外
れた視点というわけではないと思います。

>>もはや外道

本来、外典外道とは内典内道に対する言い方ではありますが、そこに非難する
ような意味合いは含まれていません。
日蓮も日興も外典外道を知悉しており、外典外道を謗法視するような言動は、
全くありません。
また基本的に日蓮日興段階での外典外道とはおおまかに言えば「道教、神道、
陰陽道」などですが、大石寺じたいが外典外道を典拠として「四神相応の地」
に建立されたことは、堀日亨『富士日興上人詳伝』でも指摘されています。
もっといえば、外典外道なしに日本仏教も日蓮の教えも成り立たないのです。
顕正会流の日蓮正宗教学解釈は、本家である日蓮正宗教学よりもいびつなもの
になっているのではありませんか?

817犀角独歩:2008/05/11(日) 10:59:13

一晩、閲覧しないうちに畢ってしまいましたか。

まあ、今回の件では、顕正会の折伏は新聞広告による。本尊は模造している。という2点を現職顕正会員を名乗る人物が投稿したことには意味がありました。しかし、顕正会本部に、この人物、実名が割れたら、除名になるのではないでしょうかね。それくらい、顕正会にとっては、困る発言ではないですか。

まあ、もっとも、創価学会が、本尊頒布に踏み切ったのと同様、近々顕正会もはじめる前哨戦とみなすこともできます。創価学会も会館の本尊模刻、そして、会員頒布という順番でした。顕正会もよろしく先輩の見習っているということになります。

まあしかし、新聞広告が折伏というのは、なんともはや、でしたら、もう世間の迷惑になっている、嘘を言って連れ出し囲んで勧誘といった「折伏」(こんなものは折伏ではなく一種の詐欺でしょうが)は、やめて、毎日、新聞広告を出していればよいのでしょうね。

この2点については、顕正会の公式見解を聞きたいものです。

818偶ロム偶ログ:2008/05/12(月) 01:47:16
件の顕正会員さんのサイトでの書き込み、あまりにも低劣ですが、参考のために
以下にふたつに分けてコピペします。
みなさんはどのような感想を抱かれるでしょうか。
私は、マザー・テレサを悪魔と言った日蓮正宗の僧侶と同類であり、彼らに仏法
とか日蓮を語る資格はないと考えます。

【太平洋戦争で誹謗正法の日本人を大量に虐殺したからアメリカは名実共に、世
界一の国となった】という暴論
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第二次世界大戦以降、アメリカは名実共に、世界一の国となった。なぜそうな
れたのか、というと、太平洋戦争で誹謗正法の日本人を大量に虐殺したから、
と言えるかもしれない。いきなりこう切り出すと、突拍子もない論のように見
えるかもしれないが、以下に詳しく書きたい。
 大聖人は、法華経の敵を殺せば、大功徳を積むことが出来る、と確かに仰せ
られている。当時の日本は、廃仏毀釈という思想が浸透し、仏を排斥し、神道
を崇めるという明治政府の国教制度が行き届いた。しかし、仏と神の勝劣は、
仏が勝ち神は劣る、と大聖人は指南する。仏は主で神は所従と仰せられる。も
し、主君の仏を蔑ろにし、所従の神を崇めれば、かえって神は仏に従い、廃仏
した者は、仏は勿論、神からも見離されてしまうと説かれる。なぜ、仏が勝り
神が劣るのか、と言うと、聖徳太子の時代に仏法が日本に伝来した時、物部と
蘇我が、日本の神を崇めるか、外国の仏を崇めるか、という宗教戦争をおこし
、仏派の蘇我一派が勝利し、仏を崇めるということで一度決着がついているか
らといわれている。この通りなら、明治政府のしたことは、仏と神の秩序を乱
す大謗法の行為に当たるといえる。太平洋戦争には、天皇中心の一神教のよう
な宗教が浸透した。これは、大聖人が日本に留め置かれた、一大秘法の本門戒
壇の大御本尊を押し倒す邪義といえる。よって、仏法の法味をなめ、日本を守
護する諸天は去り、かえって法華経の大怨敵と化した日本を、激しく攻撃する
反ファシズムのアメリカに、仏法を守護する諸天善神は味方をした。大謗法と
化した日本人を空爆で大量に殺したことで、アメリカは大功徳を積むことがで
きたということになる。以上は己義ではなく経文にまかせた論である。

819偶ロム偶ログ:2008/05/12(月) 01:57:36
件の顕正会員のもうひとつの主張です。
【ダライ・ラマは悪魔】という考え方を肯定することはできません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ダライラマという名の悪魔。

 日一は顕正会なりや?日蓮正宗なりや?という質問をいただいた。率直に言
うと、日一は本門戒壇の大御本尊に御味方申し上げる宗の者ということになる
。もし、どちらか選ばなければならないとなると、大石寺になるのでは、と考
える。ちなみに、顕正会の会則には、広宣流布し国立戒壇が建立する暁には、
日蓮正宗に会の財産をすべて供養し解散するとある。両者の教義によると、ど
ちらも最終的には日蓮正宗が広まるということで一致していることになる。日
一の自宅にまします御本尊は、日寛上人御書写の小幅の御形木御本尊である。

 チベット問題について、日蓮正宗、顕正会の公式見解は出ているのか、とい
う問をいただいた。顕正会では中国を絶対悪としている。日蓮正宗はよくわか
らないが、おそらく世間の風潮と同じように、チベットをかばうのでは…と考
える。しかし、日蓮大聖人の御書に依ると、阿羅漢に似た一闡提のダライラマ
こそ悪人ということになるのでは…と日一は思う。立正安国論の通りなら、チ
ベット密教が根付いている限り、チベット独立の日は遠のき、他国から兵乱を
招くということになる。ダライラマの他力本願な主張をかばうと、念仏無間、
真言亡国、禅天魔、律国賊と喝破あそばされた、上行所伝の南無妙法蓮華経で
はなくなってしまう。チベットを腐らせているのはチベット密教なのである。
このことを知らせないといけない。
 イスラム社会では一般市民がアメリカ軍に殺され、キリスト社会ではイスラ
ムによるテロが絶えない。一閻浮堤広宣流布の暁には、チベット密教もイスラ
ム教もキリスト教もすべて根絶されて、一同に本門戒壇の南無妙法蓮華経とい
うことになる。そのためには、まずは出来るところから、すなわち日本の広宣
流布のはずである。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。

820富士川一郎:2008/05/12(月) 09:31:46
>>顕正会の会則には、広宣流布し国立戒壇が建立する暁には、日蓮正宗に会の財産をすべて供養し解散するとある。

実はこれは大きな誤解です。
宗教法人顕正会の解散条項は
「第三条の目的が達せられたときには」
とあります。
では第三条は何か?長いですが、そのまま転載します。
「この法人は、日蓮大聖人を末法下種の本仏と崇敬し、大聖人出世の本懐たる弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」を帰命依止の本尊とし、血脈付法の二祖日興上人を末法下種の僧宝と仰ぎ、日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立を成就して真の日本国安泰および世界平和を顕現することを目的とする。」
つまり
「広宣流布し国立戒壇が建立」だけでは解散条項としては不十分でありまして
「真の日本国安泰および世界平和を顕現」
までが必要なのです。
しかし、そもそも「真の日本国安泰および世界平和を顕現」が抽象的ですので、「顕正会が真の日本国安泰および世界平和が顕現したと認めた時」解散となると考えることが出来ます。

もっともこの法人には前身があります。現在の顕正会員には知らない方が多いですが、宗教法人顕正寺です。
その法人を名称、主たる事務所、目的、役員を全面的に変更したのが、該法人です。

なお、旧法人規則にはこうあります。
第三条 この法人は、日蓮大聖人が弘安二年十月十二日に御建立あそばされた本門戒壇の大御本尊を信仰の主体者とし、二祖日興上人以来日蓮正宗大石寺の歴代法主上人に伝わる血脈付属を護持し、国立戒壇建立の大理想を放棄せざる以前の日蓮正宗の教義にもとづいて折伏弘通および儀式行事を行い、日蓮正宗に日蓮大聖人の御遺命たる国立戒壇の正義を蘇らせることを目
的とし、そのために必要な業務および事業を行うものとする。

第三十二条 この法人の目的が達せられたときは、この法人の境内地および境内建物を日蓮正宗大石寺法主上人に供養し、法人の存続等については、法主上人の指示に従うものとする。

つまり解散とはうたっておりませんが、「御遺命守護完結の時に境内地および境内建物を日蓮正宗に供養する」となっておりますので、事実上解散条項だったのです。

参照
顕正会本部(当時、東京都板橋区常盤台)にて御遺命守護完結奉告法要行われる「平成10年4月」

821犀角独歩:2008/05/12(月) 18:59:37

富士川さん

>「広宣流布し国立戒壇が建立」だけでは解散条項としては不十分でありまして
>「真の日本国安泰および世界平和を顕現」

会員たちは、国立戒壇が建てば、日本は安泰、世界は平和、1日3時間働くだけでよいとか何とか信じ込まされているんじゃないですか。つまり、国立戒壇建立=日本安泰・世界平和という単純明快なトコロテン的に考えているということでしょう。

しかしまあ、平成10年には御遺命達成したことになっているわけですか?

822犀角独歩:2008/05/12(月) 19:01:58

まあ、どうでもいいことですが、日蓮を敬わないと他国から攻められて国が滅びるそうですが、中国も、アメリカも他国から攻められることもなく、国が栄えているのはどうしてなんでしょうかね(笑)

823富士川一郎:2008/07/24(木) 12:07:00
顕正会が入信の時に職員等が読む「入信勤行の栞(昭和版)」と「同(平成版)」を見比べておりました。
面白い違いがあります。

平成版の初頭には「入信勤行に当たり、会長浅井先生の指導を、一言、ここに代理として伝えさせて頂きます。」が加わり、浅井先生が強調されているが昭和版には無い。

また昭和版には
『いま入信勤行に当たって眼前に拝する御本尊は、「本門戒壇の御本尊」を大石寺法主上人が書写あそばされたものであれば、』
と言う文字があり、
曲がりなりにも“法主上人”の語があるが平成版には無い。

つまり平成版では目の前の本尊がいかなるものかの説明すら無いので、本気で「戒壇の御本尊」を「富士大石寺に相伝され、現在は顕正会本部にある」と言い切った会員すらいる。

本尊の曖昧化と言う意味では創価学会に似ているように感じた。

824犀角独歩:2008/07/25(金) 22:54:30

富士川さん、

昭和と平成の比較、これはなかなか面白いですね。
しかし、こうしてみると、顕正会の改変は、ほんとうに創価学会と同じですね。

825伏せ名:2008/07/27(日) 21:57:59
会長独自の論述展開がなされる「六巻抄講義録」をお聞きになった方はいられますでしょうか?
かつて顕正会公式頒布品だったので、反論を目論んで「これはテープに細工がなされている」などと言う会員がいたら笑いものになってしまいますが、
この講義の内容がかなり面白みがあります。

六巻抄講義、とは言うものの前置きにて、敢えて会長が一部端折ることを断言している編もあるのですが。

過去と現在の会の方向性の違いが浮き彫りになってきます。

何と言っても生々しく会長自ら生き生きと語っているところが味噌です。

826富士川一郎:2008/07/28(月) 10:48:16
私は成増の区民センター(場所は記憶不鮮明)で聞いたことがあります。
また、一番最後まで横浜会館でテープ販売されてましたが、買わずに脱会しました。
今はどうなのかな?
確か、最終的講義では、当家三衣抄をやらずに終了したように思います。

827犀角独歩:2008/07/28(月) 14:01:37

> 当家三衣抄をやらずに終了

さもや、ありなんといったところですね。

たしかに『六巻抄』は、よく書けていますね。
要は一大秘法から三大秘法、六秘という開合が太い幹にあって、そこになっている果(み)は下種三宝を念じて唱える題目(因)によって即身成仏できる。その一大秘法をもっているのが、大石寺の歴代の住職だという結論(当家三衣抄)なわけです。

だから、この物語を、本気で説明すると、結局のところ、僧の、それも、大石寺「御法主上人猊下」は素晴らしいという当住論になるわけですから、坊さんの称賛であるわけです。

しかし、創価学会にしても、顕正会にしても、この本当の結論を言うと「先生」より偉いものを説明してしまうことになりますね。戸田さんあたりは自分に絶対の自信があったから、いくら石山当住を褒め称えても、それがかえって自分の威厳を高め、登山会にみんな駆け出し、ひいては自分のポケットにお金が入るという“経済機構”と民衆扇動が繋がっていたわけです。まあ、天才的といえるでしょう。

浅井さんの『六巻抄』講義は、この結論を省いての放言でしょう。要は画竜点睛を欠くといった趣。もっとも晴(ひとみ)を点じたところで、それが後世の捏造物では話にならないわけです。

不思議に思うのは、浅井さんの話というのは聞いても「何を言ってんだか」と一笑に付すようなものばかりなのに、何故、会員や、中には脱会者まで、「浅井先生の話はうまい」なんていうのでしょうか。たとえば、天動説で科学を如何にうまく喋ったところで嘘は嘘。「講釈師見てきたような嘘をつき」「講釈師扇で嘘を叩き出し」 の類から一歩も出ないわけです。

こんなことを書くと、また、「魑魅魍魎」「創価学会崩れ」と、やられますかね(笑)

828富士川一郎:2008/07/28(月) 14:48:35
魑魅魍魎さんへ(笑)と言うのは嘘で独歩さんへ。
別スレッドからの続きです。

>>顕正会の5分唱題というのは面白いですね。

これについて、お前(富士川)の私見だと言われるのを避けるために文献をあげておきましょう。
顕正会には石山とは別の勤行要典があるのですが、観念文が違うのは有名ですが、もうひとつ違う点がありました。
唱題の部分に(百偏、五分位)の記載があるのです。
つまりまさに唱題は五分だと決まっているのですね。
さらには浅井さんの指導の中にメトロノームで1分に20〜23回位が適当だと指導しましたが、これも余り根拠が希薄ですね。
ちなみに昔の(今もかも知れませんが)顕正会本部にはリズムボックスがあり、そのメトロノームが常にカチカチと鳴ってましたね。

829犀角独歩:2008/07/28(月) 15:08:51

富士川さん

この手の物証、ぜひ蓄積しておいてください。いい資料になりますね。

しかし、メトロノームですか。面白いですね。
そういえば、わたしが小学校の頃、創価学会の組織でカウンター(数取り器)が販売されたことがありました。本部からのものであったのか、大田区だけであったのか、はたまた、地域の個人販売であったのかわかりませんが、唱題の時にこれを使っていた時期があります。

どちらもしかし、信仰の具としては似つかわしくないですよね。

830富士川一郎:2008/07/29(火) 13:49:19
亀レスで恐縮ですが独歩さんという一人の人物に対して「魑魅魍魎」は可笑しいと気付きました。
と申しますのは、
魑魅魍魎のうち、「魑魅」は山の怪、「魍魎」は川の怪であります。
独歩さんんは体は一つなのに山の妖怪と川の妖怪の両方になってしまうのです。
ちょっと思いましたので、書いてみました(笑)。

831犀角独歩:2008/07/29(火) 16:05:35

富士川さん

一体で二体分の妖怪だといいたいのでしょう(笑)

832富士川一郎:2008/10/01(水) 13:35:38
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080930/crm0809302249046-n1.htm

顕正会員またまた逮捕。

833宗教はアヘン:2009/01/12(月) 01:06:31
金がないのでマクドナルドで安いハンバーガーを食べていたら、顕正会という教団に勧誘されたことがあるが、
とにかく教祖の浅井という男を絶賛する話ばかりしていた。まさに北朝鮮の首領様だ。
どうして日本人は一人の人間を奉るのが好きなのか?戦時中は天皇陛下を神様扱いにしたしたし、
戦後は各宗教団体が教祖を昔の天皇のように敬う対象にしている。教祖に金を収奪され
搾取される奴隷になるだけである。私は質問した。浅井教祖はどうして唯一正しいなんて言えるの?
人間だろ?完璧な人間なんて世の中には存在しないよ。それと要するに会費取るんだろ。
無料なら入ってやるよ。くだらない勧誘活動してないで派遣村へ行って
もっと本当に他人の役に立つことをしなさいと。こういうとすごすごと逃亡したよ。
くだらないねえ。日蓮大聖人や親鸞聖人や弘法大師や、それぞれは苦労して
修行もされたのだろうし、立派なことも言われたのだろうけれど、
結局、弟子が馬鹿ばかりだったのか、何も伝わっていないんだよね。
今ではどこの神社も仏閣も堕落でしょう。定額給付金の財源は宗教団体に課税
するのが一番です。楽してもうけてばかりじゃ労働者はばからしいですから。

834一刀両断:2010/02/25(木) 08:59:13
先日、かつて活動を共にした者が、顕正会から法華講へ移ったということで連絡を頂きました。

会う機会をまだ得ていませんが、簡単に信仰をスライドさせながらも正宗信仰に人生を見出す姿に驚かされました。

それに平行するように今度はやはり共に活動していた者に街でばったり会ってしまいました。

その際、こちらの主張は一切出さず今の会の現状を淡々と聞かせて頂きましたが、あまりにも無残な会の活動内容を聞いて落胆してしまいました。

そして最後に小冊子を分けて頂き少し読ませて頂いたが、一部愕然とする内容が掲載されていて、悲しくなりました。

平成33年までに300万を達成することを誓願する、とまたも会長の妄言の記載。

過去の不適切かつ会員を路頭に迷わす結果となった数々の無責任な発言には一つの言及もせずに、また勝手な願望をでっち上げて会員を翻弄しようと企てていたのです。

これには心底悲しくなり、また憤りすら湧いてきました。

私自信は、この破綻した宗教から縁遠くなり、普通に生活を送っていましたが、かつて縁あって知り合った大勢の者、私が手引きして入会させてしまった多数の者達が、私の知らぬ所で今尚葛藤を繰り返しながらも、人生を翻弄されている事実を見たとき、

過去の私の清算が何も終わっていない事を痛感いたしました。



昨年末、大掃除をした際に出てきた顕正会の膨大な資料、貪るように聞き入っていた会長の六巻抄講義録など、

今会員が会長の声のままのこの指導を聞いたら、目の玉が飛び出るような内容が多く詰まっておりました。

よって改めてHPの活動再開と、こちらで活発に論議されている大変貴重なコメントを改めて見直させて頂き、勉強させて頂きたいと存じます。

なにとぞ宜しくお願いいたします。

835櫻川 忠:2010/02/25(木) 13:20:39
 一刀両断さん、はじめまして。
 
 「過去の不適切かつ会員を路頭に迷わす結果となった数々の無責任な発言には一つの言及もせずに、また勝手な願望をでっち上げて会員を翻弄」、もう浅井昭衛会長が変わる見込みはありませんね。
 
 HPの活動再開、期待しています。過去の膨大な資料を駆使して、顕正会の実態を分析・解明し一刀両断してください。

836一歩二歩散歩:2010/02/25(木) 21:36:32
悪党がのさばり、若い者、弱者が先に逝くこの現実。そんなこの世の不条理に、今、蟹工船のブームが物語るように、
かりそめの世なのかとの諦観的発想が湧いてきます。
真実を知りたいと思いながら、彷徨える我々。
創価や顕正やその他のカルト教団の出現は、永遠に人々が安泰な世を求める証。
そのマインドコントロールにより、権力を握った悪魔の罠に引っかかる。
そして、今も人々は、救世主を待っている。

837年中夢中:2010/02/25(木) 22:30:30
一歩二歩散歩さん

はじめまして

>今も人々は、救世主を待っている。

そうなんでしょうね。空しいです。複雑怪奇なこの世の仕組み。そして、この不況は弱い僕達を打ちのめします。

僕はだけど、救世主を待つのは止めにしました。世を救えなくても良いから、せめて自分だけでも自分が救いたいと思います。もし、自分が踏み潰されずに生き延びることが出来たら、どうやって生き延びたる事が出来たのかを伝えたい、そして、余力がもし少しでも有れば、手助けを出来る様になれないものか、と願っています。ホンのささやかな願いです。

838一刀両断:2010/03/30(火) 17:20:51
前HPはアクセスできなくなってしまい、新たにHPを移行しました。

疑問や問題点などを徐々にまとめていきたいと考えています。

大した内容ではないのですが、少しでも何かの役に立てば幸いだと考えています。

http://www.geocities.jp/sinen_kaiyo/index.html


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