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本尊と曼荼羅

1管理者:2002/04/04(木) 07:30

いちりんさんより、スレッドテーマの御提案がありました。立ち上げます。幅広い議論が展開される事を期待致します。提案文は以下の通り。


30 名前: いちりん 投稿日: 2002/04/04(木) 02:20

本尊と曼荼羅って、とてもおもしろいテーマですよね。

こちらのスレッドは、「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」ということですが、
できれば、「本尊と曼荼羅」というテーマで、論じていったらいいなあと思います。
管理人さん、いかがでしょうか。

真宗の本尊とか、密教の本尊とか、天台の本尊観とか、あるいは釈迦在世のときの本尊とか、いろいろとおもしろいと思います。たとえば、天台の四種三昧の修行などみますと、修行によって本尊が変わりますよね。

そういうところから、本門の本尊をとらえかえしていくと、本質的なものがみえてくるかなあと思ってもみたり。

2問答迷人:2002/04/04(木) 08:50

すでに、他スレッドで書きこんだ事ですが、参考のため、もう一度書きこみます。

日蓮聖人は、観心本尊抄では、『曼荼羅』という言葉を1箇所も使われていません。

また、真蹟御書(身延曾存)で、曼荼羅と本尊の関係、日蓮聖人と上行菩薩の関係等を記されていますので、以下に抜粋してみました。

新尼御前御返事 文永一二年二月一六日 五四歳 (平成版御書764頁)

今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累(ぞくるい)品に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利(もんじゅしり)、兜史多(とした)天宮の弥勒(みろく)菩薩、補陀落(ふだらく)山の観世音、日月浄明徳仏(にちがつじょうみょうとくぶつ)の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是等は智慧いみじく、才学ある人々とはひヾ(響)けども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。我(われ)五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ(譲)るべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星(すいせい)は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃(かんばつ)・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉(ききん)・大兵乱(ひょうらん)等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑(かっちゅう)をきて弓杖(きゅうじょう)を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅(まんだら)を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱(のが)るべしと仏記しをかせ給ひぬ。而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほヾ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存じて此の二十余年が間此を申す。

3独歩:2002/04/04(木) 10:12

あと、真蹟中で「本尊」語を曼荼羅の意味で使用された数少ない一節は以下のとおりです。

御本尊一ぷくかきてまいらせ候(是日尼御書・弘安元年4月12日)

これが釈尊の図像であったと読めないこともありませんが、やはり、無理があるように思われます。

万年救護曼荼羅の端書「大本尊」の認め、上行菩薩との対句とも考えられますが、しかし、曼荼羅一幅を指すと考えるほうが自然な気もします。

以上は例外的な記述なのか、あるいは聖人が曼荼羅=本尊と考えていたのか、あるいはLibraさんが仰るように「厳密に言えば曼荼羅は本尊を表現したものであって、本尊そのものではありえない…本尊はあくまでも教主釈尊…そのことを十分に意識した上でならば、曼荼羅を本尊と呼んでも問題ない」というのが至当かもしれません。

もちろん、あくまで原則は顕正居士さんが提示くださった Ryuei 師の如き、見解が一般的に通用のあるものでなのでしょうね。

富士門流が曼荼羅を直ちに本尊と言うのは、仏・本尊=釈尊=日蓮=曼荼羅という日蓮本仏義に基づくわけなのでしょう。もちろん正しいと言うわけではありませんが、曼荼羅を本尊と呼称する整合性はあるとは思います。

ところで他五門流でも曼荼羅を本尊と呼び習わすことはあるわけで、これはどのような見解に基づくのでしょうか。

4Libra:2002/04/05(金) 11:24

 本尊論に関連して、以下を、参考資料として引用させて頂きます。

  ──────────────────────────────────────
  大崎学報一○二号に山中喜八氏が報告するところによれば、聖人自から図顕した大曼
  荼羅として百二十余幅が今日に伝えられ、殊に保田妙本寺所蔵の文永十一年十二月図
  顕の大曼荼羅には「大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年 雖爾月漢日三ヶ国之間
  未有之大本尊 或知不弘之或不知之 我慈父以仏智隠留之為末代残之 後五百歳之時
  上行菩薩出現於世始弘宣之」という讃文があるという。ここに明かに「大本尊」と明
  記してあるのであるから、曼荼羅は本尊ではないという立言は決して許されないので
  ある。

  (浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、
    1974年、p. 252)
  ──────────────────────────────────────

  本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/107.html

5独歩:2002/04/05(金) 12:29

Libraさん:

私は4に引かれる山中師の「曼荼羅は本尊ではないという立言は決して許されない」というの、やや言い過ぎではないのかと感じます。

通常、讃文は「仏滅後…未曾有之大曼荼羅」とされるのに、万年救護は「大覚世尊…大本尊」となっています。ここから、仏=大覚世尊、曼荼羅=本尊という等式は、容易に想像されるわけですから、山中師の言はわからないでもありません。しかしでは、なぜ、このような言い換えを、この曼荼羅に限ってされたのか?という点が明確にされない限り、結局、この等式は証明されないでしょう。


Libraさんは、この言い換えの理由をどのようにお考えになられますか。

文永11年というのは、曼荼羅図示としては、いわば初期、第二段階(身延入山の年)の始まりであって、その後、10年近く図されていく曼荼羅には「未曾有曼荼羅」と認められていく、考えようによっては初期の試作段階の記述と見ることもできないこともないと思うわけです。

また「後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」を聖人が自ら上行菩薩を宣言したと読むことは、もちろん可能ですが、しかし本尊抄一巻の記述からすれば、この段は、「後五百歳のときに、始めて上行菩薩が出現して本尊を立てるであろう」という意味とも取れるわけです。

此時地涌千界出現本門教主釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国

しかし、ここでいう本尊は本門教主釈尊なのですから、つまり曼荼羅中に、本尊教主釈尊の出現について書き留めておいたものであると考えることは可能ではないでしょうか。


それと勝呂師の「本尊の形式と思想を区別せよ」というのは、つまり、本尊“奉安”の形式と思想を区別せよという文の運びですね。

大曼荼羅・一尊四士・一塔両尊四士、また石山義を付加すれば、三宝一体、三宝別体、御影堂式(曼荼羅・蓮祖御影)、客殿式(曼荼羅・蓮祖御影・興師御影)、さらには曼荼羅・興師御影・目師御影という形式もあるでしょう。しかし、これは“奉安”の形式を言うのであって、これを本尊のというところに、そもそもの混乱があるのではないでしょうか。

厳密に言えば、本尊というのは根本とする尊崇の対象、つまり、仏・菩薩をいうのであって伽藍に奉安される曼荼羅・仏像・尊像を言うのではないはずです。仏像・曼荼羅を直ちに本尊と言ってしまうところに器物崇拝は発生するわけですね。

聖人において、本尊は久遠実成・教主釈尊、ここに混乱はありません(もっとも富士門では日蓮本仏を言い出し混乱させていますが)。

混乱があるのは、滅後以降の弟子たちが種々考案した仏像・曼荼羅の奉安についてであると思うわけです。

6Libra:2002/04/05(金) 13:47
独歩さん:

 混乱を避けるために、「本尊」という語を<狭義(厳密な意味)>でのみ使用すべきで
あるというお立場もありうるとは思いますが、私はもう少し広い意味で使ってもよいと思
います(「厳密な意味」をきちんと理解した上でならば)。

7独歩:2002/04/05(金) 20:17

Libraさん:

> …「厳密な意味」をきちんと理解した上でならば

たとえば創価学会、あるいは法華講員で、どれほどの率で「きちんと理解した」人がいるとお考えですか。その率が低いとき、それでも「広い意味で使ってもよい」とお考えになれますか。

8顕正居士:2002/04/05(金) 22:01
万年救護曼荼羅の讃文

大覚世尊御入滅ノ後、二千二百二十余年ヲ経歴ス、 爾リト雖モ月漢日三ヶ国ノ間ニ
未ダ之ノ大本尊有(ましま)サズ、或ハ之ヲ知ツテ弘メズ、或ハ之ヲ知ラズ、我ガ慈父
仏智ヲ以テ之ヲ隠留シ、末代ノ為ニ之ヲ残ス、後五百歳ノ時、上行菩薩世ニ出現シ、
始メテ之ヲ弘宣シタマフ。

「一閻浮提第一ノ本尊此ノ國ニ立ツ可シ」。讃文全体、本尊抄の要略といえ、本尊抄と
異なる所がないから、日蓮聖人の真蹟と考えてよいんでないでしょうか。

「爾リト:雖モ木畫ノ二像ハ。外典内典共ニ之ヲ許シテ本尊ト爲ス」。
しかし、
「草木ノ上ニ色心ノ因果ヲ置カズンバ。木畫ノ像ヲ本尊ト恃(たの)ミ奉ツルトモ無益也」

「我ガ慈父仏智ヲ以テ之ヲ隠留シ、末代ノ為ニ之ヲ残シタマフ」とは、
「一念三千ヲ識ラザル者ニハ佛大慈悲ヲ起シテ。五字ノ内ニ此ノ珠ヲ裏ミ。末代幼稚
ノ頚ニ懸ケサシメタマフ」であります。

9独歩:2002/04/05(金) 22:40

○いわゆる万年救護本尊・文について

Ryuei 師のサイトに5mb の BMP があったので、その相貌を明瞭に見ることができました。
http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/Mandala016.bmp

讃文は中尊・日蓮・花押の余白に以下のように記されていました。

大覚世尊御入滅後
経歴二千二百
二十余年
雖爾月漢
日三ヶ国之
間未有之
大本尊
或知不弘之
或不知之
我慈父
以仏智
隠留之
為末代残之
後五百歳之時
上行菩薩出現於

始弘宣之

私が意外に思ったのは「三ヶ国」の記述で“ヶ”と実際に記されていたことでした。この略字は750年前に既にあったものかと驚きました。

この文は曼荼羅を書き終え、日蓮・花押を左右に認めた後に、その余白を埋めるように記されている点に注意が引かれます。讃文というより、思いを書き留めたように感じられます。

> …本尊抄の要略といえ、本尊抄と異なる所がないから、日蓮聖人の真蹟

と顕正居士さんが仰る点は、もちろん、私も同じように考えるのですが、考えるのは「大本尊」が、実際にこの曼荼羅一幅を指すものかどうかという点です。本尊抄の略述であれば、本尊は「大覚世尊」を指すように思えます。もちろん「本尊為体」となると、ほぼ同様ですが、相貌(そうみょう)で言えば、善徳仏と十方分身諸仏の位置は違っているように感じます。

それにしても、特異な相貌であると改めて驚きました。

10Libra:2002/04/05(金) 23:08
独歩さん:

> たとえば創価学会、あるいは法華講員で、どれほどの率で「きちんと理解した」人がいる
> とお考えですか。

 もしかしたら、かなり低い率なのかもしれません。

> その率が低いとき、それでも「広い意味で使ってもよい」とお考えになれますか。

 「本尊」という語は、すでに「広い意味」で一般に使われてしまっていますし、宗祖に
もそういう用法がみられる以上、他人に向って「広い意味で使ってはいけない」とは言え
ないだろうと私は思います。ただし、「混乱を避けるために自分は使わない」というお立
場はありうるとは思います。

 いずれにせよ、より多くの方に「厳密な意味」がきちんと理解されるように努力してい
く必要はあると思います。

11独歩:2002/04/05(金) 23:12

Libraさん:

> 他人に向って「広い意味で使ってはいけない」とは言え
ないだろうと私は思います。ただし、「混乱を避けるために自分は使わない」というお立
場はありうる

まさに、このようにありたいと思います。

12いちりん:2002/04/06(土) 14:35

「本尊」って、「根本として尊敬する」という意味らしいのですが、
根本として尊敬する「方」ととらえることもできるし、根本として尊敬する「もの」ととらえることができましょうか。

日蓮思想にあっては、根本として尊敬する「方」は、「本仏」ですね。根本にして究極な最高仏。

それは、一般的には『法華経』の如来寿量品にあらわされた「久遠の本仏」ですよね。
富士門流にあっては、これは「日蓮大聖人」ということになりましょう。

「肝心の日蓮さんは、どうとらえていたか」となると、自らが本仏であって、自らが自らを拝んでいたということになりましょうか。
やはり、日蓮さんは、如来寿量品にあらわされた「久遠の本仏」を最高に信奉されていたと、わたしは思いますが。

もひとつ、根本として尊敬する「もの」となりますと、これが仏像であったり、仏画であったり、曼陀羅図であったり、御神体であったりしますよね。

富士門流にあっては、日蓮さんのあらわした曼荼羅が本尊ですね。いわゆる「御本尊」「御本尊様」と。

この「御本尊」じたいに、力がある。
この教えが、ものすごくわかりやすく、実践的であるといえましょうか。

「正しい御本尊」に祈れば、「すばらしい結果=功徳」があらわれる。
祈るとは、お題目を唱えること。
それは、たとい信仰心がなくても、実践すれば、きちんとあらわれるのであると。信仰心、強い祈り、真剣な祈りがあれば、さらにすばらしい結果があらわれる。
戸田さんのことばでいえば、御本尊は、なにしろ「幸福製造機」なのである。

逆に、この「正しい御本尊」を誹謗したり、不敬すれぱ、とんて゜もないよくないこと=罰がてきめんにあらわれる。どうだ、すごいだろ。こわいだろ。ありがたいだろ。……という感じで、布教がされてきましたよね。

なんといいましょうか。
その、具体的な「もの」としてあらわれていること。
具体的な「行」として、お題目などが定まっていること。
そのあたりが、すごいなあと思ったりしますよね。

他の宗派というのは、その本尊というのは、そんなに厳密じゃない。こだわってないんですね。

13いちりん:2002/04/06(土) 14:57

浄土真宗あたりでは、本尊は、「南無阿弥陀仏」の六字名号なんですね。
それをあらわしたものが、本尊となって掲げられていますが、阿弥陀如来の像であったりもします。

ここいらが、親鸞会という、まあ真宗の顕正会のような過激な原理主義教団から、本願寺が攻撃される材料になっております。阿弥陀如来の像を本尊にするとは、親鸞聖人の教えに反していると。

まあ、本願寺の言い分としては、本尊には「有相の本尊」と「無相の本尊」がある。
阿弥陀如来の像だとか、六字名号をあらわした掛け軸は、「有相の本尊」である。

本尊とは、本来は「無相の本尊」である。
姿・形にあらわれていないけれども、信ずる人の心の中に思い浮かべられる仏さまである。
いつも、いつも、瞬間瞬間、わたしたちを目覚めさせてくれる阿弥陀如来=南無阿弥陀仏、それが究極のよりどころである。

……とまあ、そういう言い方をしていますね。

そして、真宗の教えのすごいなあと思うのは、南無阿弥陀仏とたくさん称えたから救われるというんじゃないのですね。
「弥陀の誓願不思議にたすけられて、往生すると信じて念仏しようと、思い立つ心ののおこるとき」(歎異抄)そのときに、救われるのだというのです。

だから、真宗の寺に行きましても、信徒が本尊にむかって念仏を称えるというのは、あんまりありませんですね。数回、なまんだぶ、なまんだぶと、称えるくらい。

14問答迷人:2002/04/06(土) 21:12

いちりんさん

>根本として尊敬する「方」ととらえることもできるし、根本として尊敬する「もの」ととらえることができましょうか。

そうすると、前に引用しました、新尼御前御返事で、いちりんさんのお考えを当てはめてみますと、

『此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて、……我(われ)五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづ(譲)るべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて』

とあります。そうすると、尊敬する「方」は「教主釈尊」、尊敬する「もの」は「法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字」という関係になりそうですね。そして、その尊敬する「もの」は尊敬する「方」の内心の悟り、という関係になります。そうすると、その尊敬する「方」をそのまま表わせば、教主釈尊の木像であり、その尊敬する「もの」としての内心の悟りをそのまま表わせば、それが曼荼羅である、という関係になりましょうか。

尊敬する「方」、尊敬する「もの」、木像、曼荼羅、この辺りの対応関係が、なにか不鮮明で、捉え難い感じがしていますが、いちりんさんはどのようにお考えになられますでしょうか。

15菊水護国:2002/04/07(日) 08:24
浄土真宗での「名号掛軸(南無阿弥陀仏)」は本来無かったものです。
しかし、本願寺が廃れていた頃、出でた蓮如が親鸞の血脈(この場合文字通り血を引くという意味)を正当化するため、下付しだしたようです(日蓮宗を真似しだしたというのが多数説です)。
すなわち戦国時代以降ですね。ちなみに今や「浄土真宗」=「本願寺」ですが、蓮如以前は他派の方が多かったようです。そういう意味では蓮如はまさに中興の祖ですな。

16独歩:2002/04/07(日) 09:29

問答名人さん:

横レス失礼します。

ここのところ、本尊と曼荼羅の聖人の語法について、やや議論になっています。これはこれで実に有効な議論だとは思うのですが、まず私が明確にする必要があると思うのは、富士門における「本尊」語の使用という点であると思うわけです。

本尊=曼荼羅という場合、ともかく曼荼羅も本尊を表わそうとしているものであるから、同等に見なしてよいという基本的な了解事項があると思うわけです。そこで言われる本尊とは当然、仏教ですから、本尊は仏、これも決まりごとです。この段階で本尊と曼荼羅、まあ言い方に多少の出入があっても大きな問題ではないと思うわけです。

けれど、この仏をどう見るのかという点、これこそが最も重要な点ですね。
私が本尊と曼荼羅を敢えて厳格に分けて考えるべきであると言うのは、つまり、石山で言う本尊が日蓮とされ、さらに人法一箇とまで、言われるからです。つまり、ここでは本尊が久遠実成釈尊から日蓮に代わってしまっている。そのうえで「御本尊様」と言われれば、「それは違う」。ここが、いちばん言いたいところであるわけです。

富士義の大好きな言い換えゲームで「御書に書かれている釈迦(釈尊)は全部、日蓮と読み返す」というのがありますでしょう。この考えが、まず間違いである点を明らかにするために、聖人の本尊抄を拠り所として、「本尊とは久遠五百塵点成道・教主釈尊」であるという大前提を、まずしっかりと押さえることが始めようということなのです。

「では、曼荼羅は」と言えば、聖人が法華経の身業読誦を畢えることになる佐渡前後において、たぶんご心中にまざまざと浮かび上がった壮大な心象を筆にとって表わさずにはおられなかった体感に基づいた図示なのであろうと思うのです。それはもちろん本尊・釈尊、そして、一念三千、なにより妙法蓮華経の五字をもって勘んがえられるところですから、本尊と言っても差し支えないのかもしれません。ただ、厳格に言えば、それまでの仏像・画像曼荼羅表現と違った、聖人にはじまるところであることは事実なのでしょう。ここで私は聖人の曼荼羅図示という新たな展開のその時と、現代の感覚を混同してはいけないのだと思うわけです。

17独歩:2002/04/07(日) 09:30

―16からつづく―

問答名人さんが引用される『新尼御前御返事』は本尊と曼荼羅が交互に記され、実に難読であると思うわけです。つまりこれは、当時、本尊といい礼拝の対象と言えば、仏像・画像であるという当時の常識下で、聖人が文字曼荼羅図示・授与を始められた、それを始めて知った人々が、この「文字の曼荼羅とはいったい何であろうか」という、まったく新たな義に触れた心の揺れ動きを計算して読まないとわからないのではないのか、と私は思うわけです。この書は、その点を一所懸命にご説明になられているように感じるわけです。曼荼羅をご自身が記されたからといって、では仏像は要らないかと言えば、そんなことではない、けれど、この曼荼羅は、本尊を表わすものであって重要なのだと諄々と説かれている文面ではないのかと拝察するわけです。

現代の我々は妙法曼荼羅が定着して700年も経ているわけですから、それを本尊であると言われても何ら抵抗はないことになります。しかし、当時は、まさに「未曾有之大曼荼羅」が文字どおりであったわけであろうと思うのです。つまり、いまだかつてそんな曼荼羅、本尊もましまさなかったわけですね。

聖人は初期において、専ら唱題行を流宣された、そして、最も重要なお経は法華経であると強調された、さらに最も重要な仏様は寿量品で説かれるところの本門教主釈尊である、そして、この妙法蓮華経を末法に弘めるのは上行菩薩であると説かれてきた…、まあ、順繰りにそのようにお説きになられながら教えを広め、弟子檀那も増えてきた、そこまでで十余年が経過してきたわけです。

ところがそこで聖人は佐渡に流罪になってしまうわけです。弟子檀那からすれば、もうほとんど死んでしまわれる、二度とお会いできない、そんな思いもあったのでしょう。そこで突然、まったく見たことも聞いたこともない、文字曼荼羅の図示を始められるわけです。「これはいったいなんであろうか?」、そういう思いが弟子檀那に起きたのは当然で、それをまた聖人は一所懸命にご説明になられたわけですよね。図示の意味合いから言えば、もちろん曼荼羅である。しかし、それだけではなく、法華経の意味を表わし、一念三千を表わし、末法の正法を表わし、引いては本尊・釈尊をも表わしている…、そのことを弟子檀那に伝えたかったのではないでしょうか。

当時、聖人は釈迦立像を所持されている、弟子も釈迦仏像を崇めていたわけです。朗師が釈迦立像に執着されたのはその端的な例であったのでしょう。また、その他のお弟子方も天台寺院に寄宿し寺務を執りながら聖人の義を守っている状態であったわけですね。興師も弘安元年ごろまで四十九院の供奉僧であったといいます。そんな状況下、聖人と弟子檀那の心の交流のなかで曼荼羅・本尊が語られていったという経過があったのではないのだろうかと思うわけです。

やがて富士では仏像義は撤廃され、曼荼羅正異が確立していくわけです。ここでは仏像・画像はないわけですから、文字曼荼羅が本尊となっていったのは当然のことであったろうと思うわけです。

18問答迷人:2002/04/08(月) 08:17

独歩さん 確認させてください。

何回か読み返していますが、本尊は五百塵点劫顕本の教主釈尊がその心中に懐き持って居られる妙法蓮華経の五字であり、その五字を曼荼羅に表わしたのである、そういう文脈であるかと思います。ここでの論点では、本尊とは妙法蓮華経の五字ということになります。そういう理解でよろしいでしょうか。

19独歩:2002/04/08(月) 12:04

問答名人さん:

> 本尊とは妙法蓮華経の五字ということになります

実は、厳格な意味で私は以上のようには考えておりません。
妙法蓮華経は仏・聖人のお覚りの内容であって、本尊はあくまで菩薩道の因行・久遠実成の果徳を得た本門教主釈尊であるという考えです。
けれど、

釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足

が聖人の教えの至極であって、故に

我等受持五字自然譲歟彼因(行)果(徳)功徳

ということになるのではないでしょうか。また妙法蓮華経の五字は

不識一念三千者仏起大慈悲 五字内裏此珠令懸末代幼稚頸

というところに曼荼羅の意義が存すると思うのです。もちろん、仏のお覚りは一念三千を包み込んだ妙法蓮華経であれば、その覚りを仏・本尊の含ませて礼拝することは是ではあろうかと存じます。

また、聖人にも妙法蓮華経を仏の如く見なされるお考えは見られるかも知れず、殊にこの点をデファオルメし、終には曼荼羅を法そのものを見なし、曼荼羅正意論へと突き進んでいったのが富士門下の時代的な流れであろうと考えるものです。

20独歩:2002/04/08(月) 12:14

【19の訂正】

誤)というところに曼荼羅の意義が存する
正)というところに曼荼羅と唱題の意義が存すると

21問答迷人:2002/04/08(月) 12:19

独歩さん

仰るところは、判らないのではないのです。ただ、この

『今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて』という記される場合の、この御書における意味合いは、「此の御本尊」とは、「曼荼羅」でしょうか、「五百塵点劫の教主釈尊」でしょうか、或いは、「妙法蓮華経の五字」でしょうか。文脈からは,私には「妙法蓮華経の五字」を指しておられるように読めるのです。如何でしょう。

22Libra:2002/04/08(月) 16:05
 今問題になっている『新尼御前御返事』の「御本尊」という語は、「曼荼羅」を意味し
ているのではないでしょうか。「わたす」という表現から考えても、そのように見るのが
自然であるような気がします。

  ──────────────────────────────────────
  日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために此の御本尊をわたし奉るならば十羅刹
  定めて偏頗の法師と・をぼしめされなん

  (「新尼御前御返事」、全集、pp. 906-907)
  ──────────────────────────────────────

  ──────────────────────────────────────
  さどの国と申し此の国と申し度度の御志ありてたゆむ・けしきは・みへさせ給はねば
  御本尊は・わたしまいらせて候なり

  (同上、p. 907)
  ──────────────────────────────────────

23Libra:2002/04/08(月) 16:14
 「法」と「仏」の関係について考えるとき、「経は師なり仏は弟子なり」というような
宗祖のお考えはどのように理解され、位置付けられるべきなのでしょうか。

  ──────────────────────────────────────
  昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき其の夫の金師は今の
  迦葉未来の光明如来是なり、今の乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供
  養す彼は仏なり此れは経なり経は師なり仏は弟子なり、涅槃経に云く「諸仏の師とす
  る所は所謂法なり乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と、法華経の第七に云く「若し復人
  有つて七宝を以て三千大千世界に満てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、
  是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如
  かず」夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施
  主・一生に仏位に入らざらんや

  (「乗明聖人御返事」、全集、p. 1012)
  ──────────────────────────────────────

24川蝉:2002/04/08(月) 20:55
管理人さん、独歩さん、問答迷人さん、初めまして。Libra さんお久さしぶりです。
三日前くらいに「佛教再考」から、初めてこの掲示板を知りました。ちょっとお邪魔させて頂きます。

新尼御前御返事にもある「此の五字の大曼荼羅」とは、中央の南無妙法蓮華経のみを指すのでなく、大曼荼羅全体をさす言葉ですね。
釈尊の証悟の世界、すなわち本仏釈尊の身土を大曼荼羅全体をもって表している。あるいは釈尊の本因・本果・本国土が表されているとも説明されています。
この曼陀羅観によれば、大曼荼羅全体をもって本仏釈尊と拝するわけです。

また、虚空会上の説法の場が、そのまま釈尊の証悟の世界を顕しているので、虚空会に基づいて大曼荼羅全体が書かれているとされていますね。

二仏並座をもって、境智一如の釈尊の妙智を表し、上行等を釈尊の脇士として本仏釈尊であることを表し、塔中の本仏釈尊の口より妙法五字の説法が一会の上に響き渡り、諸菩薩諸天等が合掌信受している様相ですね。

この曼荼羅観から云えば、仏宝の本仏釈尊、法宝は教法の肝心である妙法蓮華経の五字、僧宝は本化の諸菩薩とした本門の三宝が中心となっているといえますね。
中央の南無妙法蓮華経は法宝、教法、本仏釈尊の妙智を表していることになりますね。
また、本仏釈尊の化導の大活動を象徴しているとも受け取れますね。

法宝たる妙法五字は、釈尊の因行果徳の功徳を授与してくれるところの、釈尊の大慈悲の働く言霊でもありますね。単なる理法的な法では有りませんね。

また、本門法華宗の方では、中央の南無妙法蓮華経は、事の一念三千の理法をして聞信口唱し得るような教法にしたもので、本尊の正体であるとしています。人(本仏釈尊)と法(事の三千)一体の人法を総在する総名(人法を総在する意)要法の南無妙法蓮華経であると解釈しています。

独歩さんの
「実は、厳格な意味で私は以上のようには考えておりません。
妙法蓮華経は仏・聖人のお覚りの内容であって、本尊はあくまで菩薩道の因行・久遠実成の果徳を得た本門教主釈尊であるという考えです。
けれど、釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足が聖人の教えの至極であって、故に我等受持五字自然譲歟彼因(行)果(徳)功徳ということになるのではないでしょうか。また妙法蓮華経の五字は不識一念三千者仏起大慈悲 五字内裏此珠令懸末代幼稚頸というところに曼荼羅の意義が存すると思うのです。」
の御領解は成る程、なるほどと思います。

25独歩:2002/04/08(月) 23:45

川蝉さん:

はじめまして。お名前は、たしかLibraさんのサイトで拝見しておりました(笑)
今後ともよろしくお願い申し上げます。

26独歩:2002/04/09(火) 00:02

問答名人さん:

> 『今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫(じんでんごう)より心中にをさめさせ給ひて』という記される場合の、この御書における意味合いは、「此の御本尊」とは、「曼荼羅」でしょうか、「五百塵点劫の教主釈尊」でしょうか、或いは、「妙法蓮華経の五字」でしょうか。

雑駁な言い方ですが、これはどれでも正解ということではないでしょうか。
該当の書は特に論書というわけではありませんから、信者の「信」に重点を置いた記述であろうかと思うわけです。方や、問答名人さんが求めている答えは論述的なものではないでしょうか。16にも記しましたが、私は情緒的な意味合いを加味せず、考証するとズレが出るように思うのですよ。

これと、しつこい記述になりますが、「厳格な意味」とは、また、分けて考えるべきではないのかというのが私の意見です。

27管理者:2002/04/09(火) 07:43

川蝉さん

はじめまして。私も、お名前は、Libraさんのサイトで拝見致しております。どうぞ、ごゆっくりなされてください。今後ともよろしくお願い申し上げます。

28問答迷人:2002/04/09(火) 08:04

川蝉さん

一点、お伺い致します。よろしくお願い致します。

>法宝たる妙法五字は、釈尊の因行果徳の功徳を授与してくれるところの、釈尊の大慈悲の働く言霊でもありますね。単なる理法的な法では有りませんね。

つまり、本門の教主釈尊の唱題の音声、という事でしょうか。そうすると、曼荼羅における、「日蓮」とのお認めは如何なる意味合いと捉えれば良いのでしょうか。私は、曼荼羅の中尊は、日蓮聖人がお題目を唱えて居られるお姿、と捉えてきましたが、間違いでしょうか。

29問答迷人:2002/04/09(火) 08:06

独歩さん

あぁ、そうでしたね。厳密な意味は、本尊抄等の論文によって捉えるべきである、という御意見、了解です。

30川蝉:2002/04/09(火) 13:35
問答迷人 さん今日は。

「一閻浮提第一の本尊を此の国に立つべし。月支、震旦にも未だ此の本尊ましまさず。・・所詮地涌千界の為に此れを譲り与へ給ふ故なり。」(本尊抄・学会版254頁)
とありますように、八品において説かれ付属された本門の御本尊を末法の始めに於いて、地涌千界(特に上行菩薩)が顕すことになっていると云う意ですね。
その遣使還告の上行である日蓮が、確かに図顕したという意を御署名花押にて表していると解釈されています。
すなわち、署名花押は、宗祖が本尊図顕主・宗主導師であることを示すものと見るわけです。

「中央題目と署名花押は一連のもので、題目は法、宗祖は人であり、中尊は人法一体の日蓮大聖人である」と云うようには解釈しません。
第一義的に、中尊を日蓮大聖人とすることは、本尊抄の教示から云って無理であると考えています。

立正安国会刊の御本尊集を見ると、題目と署名花押との間に、天照大神や八幡大菩薩が書かれていますし、題目と署名花押とが大きく離れている曼陀羅が多くあります。

>私は、曼荼羅の中尊は、日蓮聖人がお題目を唱えて居られるお
>姿、と捉えてきましたが、間違いでしょうか。

お言葉の趣旨が、はっきり掴めないので、なんとも云えませんが、宗祖ご在世には、御本尊の前に宗祖が坐り、弟子信徒はその背後にすわって、読経唱題していたのでしょう。
ですから、わざわざ、曼陀羅本尊に、お題目を唱えている宗祖の姿を記す必要はなかったと思います。

御本尊の前に宗祖が坐られて、導師となって、ともにお題目を唱えて居てくれると、宗祖滅後の私どもが、観想する事は別に問題はないと思います。

31Libra:2002/04/09(火) 14:51
川蝉さん:

 本当にお久しぶりです。相変わらず不勉強で、しかも頑固な私ですが、よろしくお願い
いたします。

 川蝉さんは、>>24 の中で「本門法華宗」の本尊観を述べられ、「人(本仏釈尊)と法
(事の三千)一体」という表現も使われていますが、浅井円道氏の以下のご説明について
はどのようなご印象をお持ちでしょうか。

  ──────────────────────────────────────
   日蓮聖人遺文を繙くと、本尊の表現形式に関しては法華経・首題・大曼荼羅、釈迦
  仏・一尊四士・二尊四士などの区別があることについては既に最近では大崎学報一○
  四号に望月歓厚・鈴木一成・執行海秀の三先生の綿密な報告がある。しかもそれらは
  表現形式上の一応の差別にすぎないのであって、形式の根幹たる理念においては人法
  一体であることは、江戸末期の優陀那和尚も妙宗本尊略弁に「我宗ノ本尊、二種ノ別
  アリト謂ハ祖意ニ達セザルナリ。豈ニ二種ノ所尊ヲ立テ初心ヲ迷惑セシムルノ理アラ
  ンヤ」(充洽園全集三・三八九)と言った通りである。

  (浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、
    1974年、p. 251)
  ──────────────────────────────────────

 私自身は、曼荼羅の中尊の五字は「教主釈尊」であり、「釈迦の報身(智慧)」である
と考えてきました。

  本尊論メモ
  http://www.be.wakwak.com/~libra/z013.htm

  犀角独歩さんとの対話
  http://www.be.wakwak.com/~libra/z021.html

 浅井円道氏の「日蓮聖人の仏身論の特徴」(『印仏研』28-Ⅱ)という御論文によれば、
「江戸末期の優陀那日輝は『綱要正議』の中で、首題は極理ではなく、仏の智慧である」
と主張されているそうですが、このような立場について、川蝉さんはどのように思われま
すでしょうか。

  日蓮聖人は報身仏を中心に据えている(浅井円道)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/106.html

32問答迷人:2002/04/09(火) 15:35

川蝉さん 懇切な御教示、ありがとう御座います。了解致しました。

>「中央題目と署名花押は一連のもので、題目は法、宗祖は人であり、中尊は人法一体の日蓮大聖人である」

これは、富士門流において、その様に言われていますが、私も無理であると考えております。

ところで、

>その遣使還告の上行である日蓮が、確かに図顕したという意を御署名花押にて表していると解釈されています。

日蓮聖人御自身が、上行菩薩であるという御自覚を以って、お認めになられている、という事は、確かに、そうなのかもしれないと思います。ただ、聖人の真蹟御書には、不軽菩薩の跡を継承する、という表現や、法華経の行者との自覚は、随所にお示しになっておられますが、上行菩薩である、と明確にお示しになっておられる御書に私は行き当たりません。御存知でしたら、御教示賜りますれば幸いに存じます。

33川蝉:2002/04/09(火) 16:54
Libraさん今日は。
Libraさん提示の
浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、1974年、p. 251)の一節の趣旨は、宗学者の共通認識と思います。まったくその通りと思います。

ただし、本化妙宗の山川智応博士や高橋智遍居士は、正式本尊は大曼荼羅、一尊四士像は妙略であると区別しています。

文字形式も一尊四士像等の仏像形式も形式が異なるだけだと云うことですね。法本尊とか人本尊とかの論議は形式の違いに、とらわれたものと云う事ですね。

残念ながら、優陀那日輝師の『充洽園全集』は、手に入らなかったので『綱要正議』も読んでいません。
法本尊だと云う主張に対し、題目は単なる真如実相でなく、実相と一如した釈尊の証悟・智慧(境智冥合の妙智)であるとしいるのですね。

題目は釈尊の妙智、則ち三身即一の釈尊とし、故に法的表現の題目と釈尊とは即していると云う見解ですね。

優陀那日輝の「本尊略弁・付録」に
「当に知るべし。法に即するの仏を以て本尊と為し、仏に即するの法を以て題目と為すなり。・・無作三身の教主釈尊と十界具足の大曼荼羅と二なく別なし、ただ名体相異なるのみ」
と、あるそうです。

> 私自身は、曼荼羅の中尊の五字は「教主釈尊」であり、「釈迦
>の報身(智慧)」であると考えてきました。

報身と云っても三身具足の仏です。報身だけではありません。報身は智慧身でして、釈尊という人格的な仏と離れて別にある智慧だけをさして報身とは云わないのが、法華教学上の約束です。

>日蓮聖人は報身仏を中心に据えている(浅井円道)

まだ読んでいませんが、天台は寿量品の釈尊は報身仏としていますね。日蓮宗でも報身仏中心と捉えている人が多いようです。
「開目抄」(学会版198頁)に、寿量品の顕本は「応身・報身の顕本」であるとしていますね。

「日蓮流罪に当たれば教主釈尊衣を以て之を覆いたまわんか」(真言諸宗異目・141頁)

「霊山浄土の教主釈尊、宝浄世界の多宝仏、十方分身の諸仏、地涌千界の菩薩等、梵釈、日月、四天等冥に加し、顕に助け給はずば、一時一日も安穏なるべしや。」(撰時抄・292頁)

等の文を拝すると、宗祖はむしろ、常に見守り教導してくれている応身中心の三身如来として、信仰的には仰いでいたと云った方が良いとも思われます。
顕本法華宗が応身顕本論をいうゆえんですね。

34川蝉:2002/04/09(火) 16:55
問答迷人さん今日は。

この問題について、他の掲示板に投稿したのがありますので、それを発信させて貰います。

「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」(立正安国会「御本尊集」第十六番・文永十一年十二月・通称「万年救護御本尊」の讃文)

「日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成如来の御使、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御座候聖人を、」(頼基陳状・建治三年六月)
とあるのが、明確に上行自覚を述べている文ですね。

「宗学全書第一巻上聖部」をさっと一瞥したところ、
日朗上人「本迹見聞」に
「今家法主聖人は上行菩薩の化身なる故に」(16頁)

日興上人の弟子日弁上人の「円極実義抄下」に
「此の聖人は本化地涌の弘経なり。・・親り地涌上行菩薩の化導に預かり、妙法蓮華経の五字を相承し仏種を心田に植ゆ、誠に宿福深厚なり」(87頁)

同上人「訴状」に
「地涌の菩薩出現して法華本門三大秘法を弘めたもう。所謂日蓮聖人なり」(90頁)
とありました。

「宗学全書第二巻興尊全集」にある日興上人の「三時弘経次第」には
「付属の弟子は 上行菩薩 日蓮聖人」(53頁)

「与波木井実長書」には
「上行菩薩日蓮上人の御霊窟なり」(169頁)

日道上人「御伝土代」には、
「日蓮聖人は本地は是れ地涌千界上行菩薩の後身なり」(236頁)
同じく日道上人「日興上人御伝草案」には
「日蓮聖人云はく、本地は寂光地涌大士上行菩薩六万恒河沙上首なり、久遠実成釈尊の最初結縁令初発道心の第一の御弟子なり」(253頁)
等と有ります。
それぞれ親筆あるいは偽書の疑いないものならば、宗門上代において、弟子信徒は、宗祖を上行菩薩であると認識していたことになります。
特に「日興上人御伝草案」によれば、宗祖が生前中に自らを地涌大士上行菩薩であると語られていたことになりますね。

開目抄、本尊抄等に「日蓮は上行菩薩である」と、明言をしていない理由について、本化妙宗の高橋智遍師が
「勧持品二十行の偈はすでに色読し、また自界叛逆難も的中し他国侵逼難も文永五年正月に蒙古の牒状が来て、一部的中したが、実際に蒙古来襲が無いうちは、全部的中していない。本尊抄に『今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり。此の時、地涌千界出現して・・』とあるが、その西海侵逼が『全部』実現していない。
また、『聖人知三世事』にあるごとく、聖者は未萌知る者でなければならないので、開目抄、本尊抄述作時には、『聖人の全分』ではない。そこで、『我が弟子これを惟へ』と文上を抑止して義意を示されたものでないか(趣旨)」(妙宗第四十五巻第十号)
と推測しています。

「日大兼実問答」(宗全第二巻430頁)において、
「聖人は上行菩薩の再誕であることは、涌出品の上行等の文、神力品の爾時仏告上行等の文、それから天台妙楽の疏釈によって分明である」と云っても、「それは本地上行の沙汰のことで、日蓮の本地が上行とは云えまい」と兼実が返答すると、それに対し日大上人が「其れ子細あるが故に云うべからず。此の如く数通の疏釈の中に観心本尊抄は明鏡なり。国主崇敬の時、其の隠れ有るべからず」と、答えています。(日大上人は日尊上人の弟子)

これは、諫暁によって国主が帰依した時に、宗祖が上行菩薩の再誕であると云うことは隠れないことが分かるであろうと云う文意が有りますね。高橋智遍師の推測を助証するものと云えますね。

蒙古来襲は蒙古の王に諸天が入り謗法の日本国に侵略を企てたものと見られています。宗祖は国家諌暁が受け入られ、一国同帰の可能性が有ると考えられて居たようですね。

弘安元年三月の「諸人御返事」に、
「三月十九日の和風並に飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。日蓮一生の間の祈請並に諸願、忽ちに成就せしむるか。将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し。所詮真言、禅宗等の謗法の諸人等を召合せ、是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり。我が弟子等の出家は主上、上皇の師とならん。在家は左右の臣下に烈(列)らん。将又一閻浮提皆此の法門を仰がん。幸甚幸甚。」
と有ることからも窺われます。

弟子信徒の間では宗祖は上行菩薩であることは、疑う余地もないことでしたが、宗祖が公然と明言しなかったのは、国主の帰依までなし得た時、上行菩薩である事が、高橋智遍居士の言葉を借りれば「全分的」証明されると考えられていたからではないでしょうか。

35Libra:2002/04/09(火) 17:53
川蝉さん:

 ご丁寧なコメント、ありがとうございました。

> 浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、1974年、
> p. 251)の一節の趣旨は、宗学者の共通認識と思います。まったくその通りと思います。
(中略)
> 文字形式も一尊四士像等の仏像形式も形式が異なるだけだと云うことですね。法本尊とか
> 人本尊とかの論議は形式の違いに、とらわれたものと云う事ですね。

 勝呂信静氏が「本尊の形式と思想を区別せよ」と言われるのも同じ意味ですよね。

  本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/107.html

> 報身は智慧身でして、釈尊という人格的な仏と離れて別にある智慧だけをさして報身と
> は云わないのが、法華教学上の約束です。

 私にとっては、「報身」というのは、まさに「生き続ける釈尊」なのです。

  仏身論メモ
  http://www.be.wakwak.com/~libra/z014.htm
  
> 宗祖はむしろ、常に見守り教導してくれている応身中心の三身如来として、信仰的には
> 仰いでいたと云った方が良いとも思われます。

 私は報身中心と捉えますので、やはりこの点では、川蝉さんとは捉え方が異なるようで
す。

 またいろいろとご教示頂ければ幸いです。

36独歩:2002/04/09(火) 18:07

私は、いちばん首をかしげるのは、そもそも「法本尊」とは、いったい何であるのか、ということです。法本尊なる成句は真蹟は、おろか真偽未決書を含めてその使用は確認できません。

寿量の仏が、天台の釈義でも「正在報身」だから、報身であると言うのも短絡であると思うのですが、法本尊というのであれば、これでは法身偏重となってしまうでしょう。そもそも三身とは一仏の三側面を言うのであって、それぞれバラバラにあれば隔歴であって、三身を成じたことになりません。また、元来、“三”身で捌いていていたものが、いつまに人・法という“二”になる説明が曖昧であると思うわけです。

また、初期天台資料、また本覚資料などで検索しても「法本尊」なる成句はあるはずもありません。それどころか、そもそも「本尊」という語の使用がないわけです。もちろん、聖人にとって「本尊」は重要な位置を占めますが、しかし、法本尊はありません。

取りあえず、富要で検索すれば、その使用は寛師に始まるように思えますが、これは他五門との通用があってのことなのでしょうか。疑問が残ります。

なお、石山亨師は

本尊(法本尊)並に御聖人の御影(人本尊)の苦まれを清長が身に厚く深く被るべく候(正応元年波木井清長状)

()をもって説明し、人法本尊を御影・曼荼羅に分かって論じていますが、ここら辺を始源と見れば、聖人滅後、御影信仰が隆起したあとの教学の流れと見なせるのであろうかと思えます。

法本尊というのは、本来、法門、観法、観念であった一念三千が=妙法蓮華経と見なされた結果、さらに秘密荘厳論などの一念三千即自受用身という“人(自受用身)法(一念三千)一箇”が生じ、ついで富士では寛師が援用して自受用身を日蓮に差し替えた結果、発達した極めて後天的な教学運動といえるのではないでしょうか。

いずれにしても、台学、及び聖人の真蹟に確認できない「法本尊」を既得事項のように述べる学者諸師の姿勢に、私はまず疑問を呈すると共に、聖人滅後の教学展開を、恰も聖人の教義の如くに論じることにも、疑問を呈したいのです。

37独歩:2002/04/09(火) 18:10

川蝉さん:

> 34

非常に説得性のある論の展開であると思いました。

38独歩:2002/04/09(火) 18:14

> 33

> 優陀那日輝の「本尊略弁・付録」に「当に知るべし。法に即するの仏を以て本尊と為し、仏に即するの法を以て題目と為すなり。・・無作三身の教主釈尊と十界具足の大曼荼羅と二なく別なし、ただ名体相異なるのみ」と、あるそうです。

輝師ほどの人物が初期天台資料に見られない「無作三身」をもって論じているとは意外でした。無作三身は、先ごろ、私のサイトにアップした初期本覚資料『本理大綱集』でも、その使用は見られませんね。

39Libra:2002/04/09(火) 19:14
独歩さん:

> 法本尊というのであれば、これでは法身偏重となってしまうでしょう。

 「法本尊」という場合の「法」というのは「教法」を指すのではないでしょうか。「教
法」ならば、「法身」というよりはむしろ「報身」になるのではないかと私は思います。
 また、>>23 にも述べた通り、宗祖には「経は師なり仏は弟子なり」という表現もあり
ます。独歩さんは、この点はどのように理解されますでしょうか。

40独歩:2002/04/09(火) 19:42

Libraさん:

> 「法本尊」という場合の「法」というのは「教法」を指すのではないでしょうか。「教法」ならば、「法身」というよりはむしろ「報身」になるのではないかと私は思います

この点については、しつこく論じ合ってきましたが、共通の認識には立てないので、ここで蒸し返しても実はないように思いますが(笑)

つまり、人法はどちらからみても報身論であると?
どうでしょうか、それは。如来蔵批判の立場からすれば、そうなりますか?
私はそもそも三身論のなかから報身だ、法身だと取り出して論ずるのは嫌いですからね(笑)
どの道、人法本尊の立て分けなど、聖人の預かり知らないところではないでしょうか。

文句の正在報身の文を挙げれば

此品詮量通明三身。若從別意正在報身。
何以故義便文會。義便者。報身智慧上冥下契。三身宛足故言義便。文會者。我成佛已來甚大久遠。故能三世利益衆生。所成即法身。能成即報身。法報合故能益物故言文會。以此推之正意是論報身佛功徳也。

といい、寿量品を詮じ詰めて推し量れば、通じて三身を明かしている。けれど、別意に従えば正しくは報身にある。では別意とは成仏の成を能所からいえば、能は報身である、成仏は報身の功徳であるという点では正在報身であるという運びです。
このあとには


本迹雖殊不思議一也。…故云不思議一也。復次此三非三亦復非一。非三非一爲本。而三而一爲迹。

不思議一であると。そして、その一を


祕密者。一身即三身名爲祕。三身即一身名爲密。又昔所不説名爲祕。唯佛自知名爲密。神通之力者。三身之用也。

と展開して行っているわけです。つまり、正在報身は能成功徳面から見た一面であり、それを分けて論ずるのではなく、不思議一として結論付けていくのが文句の文脈であろうと存じます。


> 宗祖には「経は師なり仏は弟子なり」…この点はどのように理解

この御文は、つまり、結論部の「勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや」という功徳を賞賛する前段となる部分でしょう。それで、経・師、仏・弟子のあとに経を説明するのに涅槃経を引かれて「諸仏の師とする所は所謂法」と言われて、仰せの経・師を法が師であると展開されおられるわけでしょう。ただ、優れたる経への供養を讃嘆せんがために、法を経といい、仏の師とも論じられたのではないでしょうか。

41独歩:2002/04/09(火) 20:06

ちょっと、文の引用が不親切でしたので補います。

今經所明取寂場及中間所成三身。皆名爲迹。取本昔道場所得三身。名之爲本。故與諸經爲異也。非本無以垂迹。非迹無以顯本。本迹雖殊不思議一也。…復次此三非三亦復非一。非三非一爲本。而三而一爲迹。皆言語道斷心行處滅。不思議一也。未知諸師指何處本迹不思議一也。

42独歩:2002/04/09(火) 20:12

重ねてLibraさん:

> 宗祖には「経は師なり仏は弟子なり」という表現もあります。

ということですが、これを字句どおり受け取り、人法に置換えると「法勝人劣」となり、円道師の言うような「人法一体」とはならないのではないでしょうか。師資一体の如き関係で拝するということでしょうか?

43Libra:2002/04/09(火) 21:05
独歩さん:

 またつまらないことを言ってしまったようです(苦笑)。どうぞ捨て置いて下さい。

44独歩:2002/04/09(火) 21:09

Libraさん:

いやいや、そんな。付き合ってくださいよ(笑)

45独歩:2002/04/09(火) 21:33

―44からのつづき―

> 「法本尊」という場合の「法」というのは「教法」を指すのではないでしょうか。「教法」ならば、「法身」というよりはむしろ「報身」…

まあ、たしかに法を教法と捉えることは健全であろうと思います。
これを宇宙生命だ、仏は生命だ、宇宙の真理だ、法だ、法身そのものだ、神秘の本尊だ、特別なお力が具わっているぞ。貶すと地獄に堕ちるぞ、…いちりんさんの書き方を真似たのですが、とても、名文の境地に達しませんが…とやりだすと、器物崇拝、神秘主義、まっしぐらとなるわけです。

寛師の言う、…川蝉さんが仰る意味ではなく…人法本尊なんていうのは、まさにこの典型ではないのか、ここにそして、御肉牙、御灰骨、血脈相承と、神秘と脅しは度合いを増し、信じる者だけは幸せになるとか、飴と鞭の使い分けで、人々は深みにはまっていくわけでしょう。

ですから、私は、通途、富士門で言われる人法本尊というのは後者のほうであると言いたかったのです。この意味ではLibraさんと同意見ですよ。

46一字三礼:2002/04/09(火) 22:05
初めまして。一字三礼と申します。
突然ですが、少々教えていただきたいのです。蓮祖聖人が「大曼荼羅」と仰った場合その
大」とは曼荼羅の偉大さ表現なのでしょうか、それとも密教で言うところの「四種曼荼羅」
の内の「大曼荼羅」が念頭にあったと考えるべきなのでしょうか。

47Libra:2002/04/09(火) 23:50
独歩さん:

> これを宇宙生命だ、仏は生命だ、宇宙の真理だ、法だ、法身そのものだ、神秘の本尊だ、
> 特別なお力が具わっているぞ。貶すと地獄に堕ちるぞ、(中略)とやりだすと、器物崇拝、
> 神秘主義、まっしぐらとなるわけです。

 この点は、全く独歩さんの仰る通りだと私も思います。以前、私も、別のところで以下
のように述べたことがあります。

  ──────────────────────────────────────
  曼荼羅を「付嘱の儀式の表現」としてとらえた上で、板曼荼羅を「富士門流に伝わる
  一番大切な御本尊である」と認識する事までを否定するものではありません。あくま
  でも、“板曼荼羅を「マジカルなモノ信仰の対象」として見ること”を否定するとい
  うことです。宗門の権威主義の根本的な原因はそのような「神秘主義的・非仏教的思
  考」だと私は思っています(「宗祖の神格化」についても同じ)ので、この最も“本
  質的な問題点”をウヤムヤにしたまま、表面だけ宗門を批判し続けても全く意味がな
  いと思うのです。
   同じく、私が現創価学会の「宇宙生命論」を批判するのは、現創価学会の場合には
  “宇宙生命”が「マジカルなモノ信仰の対象」になってしまっていると思うからです。

  (「創価学会関連リンク集」掲示板での発言、2001/04/04(Wed) 21:44、
    http://www.be.wakwak.com/~libra/link_log_10.html
  ──────────────────────────────────────

 ただ、私にとっては、『法華経』は「生き続ける釈尊」(このような用語を使うこと自
体、独歩さんからすれば不適切なのだろうとは思いますが、どうかご容赦下さい)そのも
のなので、先程のようなつまらないことを、つい言ってしまったのです。お許し下さい。

48独歩:2002/04/10(水) 01:47

Libraさん:

いや、謝罪には及びません。こちらこそ、失礼があったとしたら、お詫びいたします。

「マジカルな…」というご説明、まったく賛同します。
ですから、その意味から法を教法ととらえる点には賛成なのです。
ただ、人法論という展開は必ずしも、そうなっていないではないかという、気持ちが私のほうにあるわけです。ですから、そのように解釈しなおすことはけっこうなことであると思います。

ところで六巻抄のスレッドで、少し記した『破日蓮義』、実は少なからず眩暈を覚えました。なかなか痛い指摘の連続であると思ったのです。

また、近日、天台資料をひっくり返していて、「こころのところが三身論のハードルだ」と思う点があります。阿弥陀、毘盧遮那(大日)に関する部分です。
法華六大部に限れば、阿弥陀は6箇所、毘盧遮那が10箇所、初期天台資料61では、阿弥陀が57、毘盧遮那(大日)が115の用例が確認できます。また、本覚資料としてデータベースとなっている『本理大綱集』『天台法華宗牛頭法門要纂』『漢光類聚』『本覺讚』『一帖抄』『八帖抄』では、阿弥陀が11、毘盧遮那(大日)が19の用例を見ます。

つまり、ここで論じられていく、三身というのは応身・釈迦、報身・阿弥陀、法身・毘盧遮那という三身論です。ところが聖人は、たとえば、六巻抄スレッドで挙げた『本理大綱集要文』では巧みに割愛されていますが、この書では阿弥陀仏ならず、「南無阿弥陀仏」が数回、登場しています。さらにこの書では自受用と阿弥陀であり、さらに阿弥陀の名を無量寿であることから、寿量(品)仏と同等を論じるにいたるわけです。つまり、自受用報身とは阿弥陀如来>本門教主釈尊という流れが看取できるわけです。

以前、記しことがありましたが、私は法華経の、取り分け寿量品で展開される久遠仏を、三身論で捌くことに躊躇があるのは以上のような事情を加味してのことでした。

しかし、それでも法華経寿量品は本門三身をもって捌くのは天台の常道です。しかし、ここにおいて、報身を表に立てれば、三身は報身に収斂されてしまい不思議一義を喪失してしまう、この点も気になる点でした。

また、「本尊」という語は、聖人においては、教学的な語法とは別に、土俗信仰的なありがたいものの尊称の如き語法も、実はされているわけで、この混乱を引きずっていると、「本来の日蓮本仏義の構造を分解し、正体を見ようとする試み」が霞んでしまうと私には思えるわけです。

何を厳格な意味で「本尊」と見なければいけないのかという基礎理論を提供することが、今日的には重要な課題ではないのかと私には思えるわけです。

以上のことから、種々、うるさいことを書いてしまったのですが、Libraさんをはじめ、皆さんにご理解をいただければ有り難く存ずるものです。

49独歩:2002/04/10(水) 02:04

一字三礼さん:

はじめまして。

大曼荼羅、三昧耶曼荼羅、法曼荼羅、羯磨曼荼羅の四種曼荼羅という意味でのことでしょうか。

この観点から考えたことはありませんでした。一字三礼さんは、どのようにお考えになられますか。

50独歩:2002/04/10(水) 02:10

Libraさん:

いま一字三礼さんの書き込みを拝見していて、突然、気がついたのですが、「『法華経』は「生き続ける釈尊」」という考えを「仏滅後(つまり死後)…未曾有之大曼荼羅」という本尊・曼荼羅スレッドで記されるのは、なかなか味わいがあるなと(笑)

51顕正居士:2002/04/10(水) 05:22
日大直兼問答

「直兼云。抑日蓮ハ本地如何カ沙汰アル哉。
日大云。上行菩薩再誕ト云云。涌出品云。上行等云云。神力品云爾時佛告上行等云
云。經文并ニ天台妙樂疏釋分明也云云。
直兼云。是ハ靈山付囑ノ本地上行ノ沙汰也。本師ノ本地如此アルベカラズ如何。
日大云。其子細アルカ故不可云。如此數通疏釋ノ中ニ觀心本尊抄明鏡也。國主崇敬
ノ時不可有其隱云云。
直兼云。日蓮既ニ妙悟之時。直ニ多寶塔中ニシテ大牟尼尊末法相應ノ法門ヲ相承
シ給ヘリ。靈山ニテ一度。是ハ本地ノ沙汰也。我朝ニテ相承シ玉ヘリ。清澄山開悟ノ
時。塔中大在尼尊ニ直ニ値玉ヘリ。其故ハ經文明鏡也。又復如來滅後。若聞是經。而不毀呰。起隨喜心。當知已爲。深信解相。何況讀誦。受持之者。斯人則爲。
頂戴如來等云云。則爲頂戴ノ徳ヲ開キ玉ヘル聖人也。塔中牟尼直授無疑云云。
爾者如此可被成立歟云云。
日大云。既ニ神力品付囑ノ上ハ。偈ノ下ニ其相分明也。然而モ靈山付囑ヲ先ツ表トシ
テ直授ノ義ヲバ廣宣流布ノ時披露スベシ云云。」

直兼が「靈山付囑は教相(他受用)の所談、本師ノ本地(自受用身)は如何?」(趣意)
と問い、日大は子細あって云えぬと答える。直兼は「我朝ニテ」、「清澄山開悟ノ時」、
宗の師の大蘇開悟と同じく、「塔中大在尼尊」に直ちに値いたもう、すなわち自解仏乗
ならずやと問う。日大は塔中直授の深義は広宣流布の時に披露す、今は靈山付囑の
浅義を表にたつ、と答える。-であります。

52Libra:2002/04/10(水) 06:02
独歩さん:

> 何を厳格な意味で「本尊」と見なければいけないのかという基礎理論を提供することが、
> 今日的には重要な課題ではないのかと私には思えるわけです。

 この点は、全く独歩さんの仰る通りだと私も思います。

 「三身論」の問題についてはまた今度ということで(笑)。私ももう少しじっくりと考
えてみます。

53顕正居士:2002/04/10(水) 07:17
独歩さん。

>「大本尊」が、実際にこの曼荼羅一幅を指すものかどうか

本尊は物体でありませんから、曼荼羅が本尊なわけではない、いわんやある一幅が
本尊ということはない。本尊というのは、求聞持法を修するには虚空蔵菩薩を御本尊
とする。画像、木像を新たに造って勧請しなくとも、清澄寺のように虚空蔵の尊像が
すでにおわせばそれでよい。本尊とするのは虚空蔵菩薩そのもので、尊像ではない。
「本堂の御本尊は薬師如来だ」は尊像のコンテンツである薬師如来そのものをいう。
「御神体は倭姫尊だ」は倭姫そのものを云い、石とかをいってるわけでない。一般には
「本尊」という言葉はなんら混乱していない。日蓮宗以外の人にはみなわかっている。

或る木画の像に御本尊を勧請すれば、その人やその人たち(家族、寺院)にとって
尊像である。他の人には尊像なわけでもない。古物商が所持している仏像、曼荼羅
は尊像ではない。購入し、尊そのものを勧請すれば、その人やその寺院の尊像に
なる。

54独歩:2002/04/10(水) 08:13

顕正居士さん:

> 本尊は物体でありませんから、曼荼羅が本尊なわけではない…

まさにかくの如しと拝します。

55川蝉:2002/04/10(水) 11:54
46 一字三礼さんへ。

「本化聖典大辞林」には
「真言宗の四種曼荼の一に、大曼荼羅あれども、今は然らず。大の義は大・多・勝の三義を以てする褒美を意味する」
と解説してあります。

他の辞書には、
密教では、普門の曼荼羅と一門の曼荼羅を説く。それらに
四種曼荼羅の大・三・法・羯の四種の表現がある。

大曼荼羅は、彩色図画された仏菩薩の尊容を描いたものをいう。
三昧耶曼荼羅は、仏菩薩の持ち物、印相をいう。
法曼荼羅は、仏や菩薩の種子をいう。
羯磨曼荼羅は、仏菩薩の活動や、その働きの姿をいう。
と解説してありました。と解説してありました。

宗祖の大曼荼羅は、普門の曼荼羅の概念と、表現形式として大曼荼羅・法曼荼羅・羯磨曼荼羅が念頭にあったかも知れませんね。

56川蝉:2002/04/10(水) 16:34
55の私の書き込みを見直したところ、どうも末尾の
「宗祖の大曼荼羅は、普門の曼荼羅の概念と、表現形式として大曼荼羅・法曼荼羅・羯磨曼荼羅が念頭にあったかも知れませんね。」は誤解を受けるようなので追伸説明させていただきます。
「念頭にあったかも知れませんね。」
の意は、参考にしたとか、それに基づいたとか云う強い意味はありません。久遠本仏を本尊として表現する形式を考えられた際、頭に浮かんだかもしれないと云う程度の意味です。

38 独歩 さんへ。

>輝師ほどの人物が初期天台資料に見られない「無作三身」をもっ
>て論じているとは意外でした。

日輝師は偽書の疑い有るとされている御書を根拠に使っています。現在の宗学者がその点を指摘し観心主義傾向の強い教学であると評しています。

57一字三礼:2002/04/10(水) 19:49
管理人さん:
本来このスレッドに乗せるつもりだったものを、「六巻抄」のスレッドに書いてしまいました。とぼけた事をして、御迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした。
川蝉さん:
密教の曼荼羅に関する詳しい御教示ありがとうございます。そうですね。頭に浮かんだ程度だったかもしれませんね。
また私自身も、蓮祖聖人には、天台ばりの大綱と綱目と言う考え方を持っておられたので、綱目の真言宗の化儀を借りて
大綱の法華本門の観心本尊を顕わすか、という点では無理があるかとは思っています。

58独歩:2002/04/10(水) 21:01


一字三礼さん:

> 東台両密教の「大日如来」と「曼荼羅」

この連想は実に面白いと思います。
自分が考えてきたことを反芻すると、無意識に仰るような連想を支持していたと思えます。

59独歩:2002/04/10(水) 21:04

川蝉さん:

> 日輝師…観心主義傾向の強い教学

そうですか。私は輝師については、ほとんど手付けずできてしまったのですが、小野文【王+光】師などの文章で、輝師に高い評価を示す文章を読んでいたので、ややがっかりしました。

60問答迷人:2002/04/11(木) 08:06
川蝉さん

34について

結局、聖人御自身が上行菩薩であるとの御自覚を述べられた現存する御真筆は、万年救護本尊の讃文と言う事ですね。了解致しました。ありがとう御座いました。

63大壁:2004/01/04(日) 02:54
学会のメンバーが曼荼羅談義 とは、笑止。 会長の面汚しになるだけ

64妙法:2004/02/09(月) 13:32
曼荼羅もお題目も、全て私達の中にある「仏性」、言い換えると
「久遠実成釈迦牟尼世尊」が形となり、声として現れたものだったんですね・・・。

65問答迷人:2005/05/02(月) 07:49:32

『曼陀羅』『御本尊』『妙法五字』『教主釈尊』

この四つの主要な言葉が揃って述べられている真蹟御書は、新尼御前御返事(文永一二年二月一六日 

五四歳)しかありません。この御書からA〜Dの四箇所の文を取り出して、まんだらの目的を考えてみました。

A 『今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十

余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱

累品に事極まりて候ひし』

B 『我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり、此にゆづるべしとて、上行菩薩等を

涌出品に召し出ださせ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひて』

C 『此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶け万民は難をのがれん。乃至後生の大

火災を脱るべしと仏記しをかせ給ひぬ。』

D 『御事にをいては御一味なるやうなれども御信心は色あらわれて候。さどの国と申し、此の国と申

し、度々の御志ありてたゆむけしきはみへさせ給はねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。』

Ⅰ Aにおいて、この『御本尊』が『教主釈尊』の心中に収められて来て、法華経本門で初めて説法された『御本尊』であることが述べられています。つまり、『御本尊』は『教主釈尊』の所持されている『法」という関係。

Ⅱ 『法華経本門で初めて説法』というAの意味と、Bの「法華経の本門の肝心」という文を同義と捉えると、『教主釈尊』の所持の法たる『御本尊』とは『妙法蓮華経の五字』、という文脈であろうと思います。

Ⅲ Cの「五字の大曼荼羅」とは、蓮師曼陀羅をさすと思われますから、『妙法蓮華経の五字』=『御本尊』を中尊として表わされた字像曼陀羅を指すと思われます。

鄽 Dの「御本尊をわたしまいらせ」との表現における『御本尊』とは、Cの「五字の大曼荼羅」が『御本尊』たる『妙法蓮華経の五字』を表わしていることから、字像曼陀羅を直ちに『御本尊』と呼ばれているものと思われます。

66問答迷人:2005/05/02(月) 07:53:39

これらの諸点を総合的に考えると、『蓮師は字像曼陀羅を御本尊として表した』と考えるのが妥当では無いかと思います。即ち、礼拝の対象として、曼陀羅を授与されていたと。

67愚鈍凡夫:2005/05/02(月) 09:01:07

小生は、「新尼御前御返事」について、「御本尊」を「大曼陀羅」と置き換えても意味が通じるのに、敢えて「御本尊」、「大曼陀羅」と使い分けているのは何故だろうか。この結論が出ていません。

1275(文永12)年の蓮祖漫荼羅を見てみますと、3紙の漫荼羅が5舗ありますが、讃文は「仏滅後二千二百卅余年之間一閻浮提之内未有大曼陀羅也」と「仏滅後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未有大曼陀羅也」で、「仏滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未有大曼陀羅也」と記された漫荼羅は存在しません。
このことと、何か関係があるのか、まだ思案中です。

68犀角独歩:2005/05/02(月) 09:07:43

問答さんが引用される証文からわたしは、蓮師が言う漫荼羅とは「護本尊」ではないのか考えてきました。その典型が「身に帯し心に存ぜば」という一節です。これは守り札の扱いと同じです。

たとえば、この「本尊」に勤行唱題をしたことを窺わせる証文というのはあるのでしょうか。また、漫荼羅を本尊としたとき、では、蓮師は、どの漫荼羅を拝んでいたのかという旧来の疑問は解消されません。流浪にあっては随身仏であったでしょうし、身延にあっても、釈迦像であったことは『忘持経事』の「教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む」という一節からも明白です。まるで蓮師の行体から漫荼羅の存在が浮かんできません。

この点は、どのようにお考えになられますか。

69犀角独歩:2005/05/02(月) 09:25:53

愚鈍凡夫さんも参加下さったのですね。

同じような疑問をわたしも懐いています。漫荼羅というのはいわば仏国土を描いたものであると思うわけです。仏と国土と衆生の図と言うことです。ここで中心に描かれるのが「本尊」です。ですから、厳格に言えば、漫荼羅と本尊はイコールではないだろうという思いがあります。

となると、ここで問題になるのは、では、本尊は妙法蓮華経か・久遠実成釈尊かということで、仏勝法劣か・法勝仏劣か、もしくは仏法一体かという問題とも関連します。そして、このことは三つの法門、すなわち、本門の本尊と本門の題目と本門の戒壇という三本立てとも関連します。妙法蓮華経(本門題目)が本尊であれば、では、本門本尊とはなんぞやということになります。ですから、三つの法門から考えれば、本門本尊はどうしても釈尊でなければ、本尊の二重定義になってしまうわけです。これが一体であれば、何も分けて立てる必要はないわけです。

富士門ではどうしても釈尊像を除外して考えるわけですが、蓮師が終生所持されたのは随身一体仏である点は決して動きません。

やや試論を言えば、随身仏は未来出現の仏像の雛形であり、本門本尊。五字漫荼羅は本門題目。その両方を相揃うところは本門戒壇と考えれば、しっくりします。つまり、石山の御影式奉安、すなわち、御影の背に漫荼羅を懸ける奉安の、御影が釈尊像である奉安が三つの法門が充足されるところと思えます。ただし、ここに四菩薩を副えるというのが興師の案であったろうと思えるわけです。

やや諄くなりましたが、以上のことから、わたしは、本尊は釈尊、題目は妙法蓮華経の五字ということであろうと思うわけです。

70犀角独歩:2005/05/02(月) 09:34:05

―69からつづく―

ただし、以上、記すような奉安は、蓮師の遺跡からまったく窺えないのはなぜなのかという疑問がそこで生じます。そうなると、本門題目とは文字に表すところではなく久遠釈尊から受け継がれる口唱の題目であり、それをまた衆生が唱える題目である、とすれば、本門釈尊一体像を安置するところで唱題をすれば、自ずと三つの法門は充足することになります。となれば、漫荼羅は一体なんぞやという疑問が惹起すると言うことなのです。

71問答迷人:2005/05/02(月) 09:52:20

>本門題目とは文字に表すところではなく久遠釈尊から受け継がれる口唱の題目

そうなのだと思います。『今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて』の表現において、この『御本尊』を「久遠実成釈尊」と読むのは無理ではないでしょうか。久遠釈尊が心中に久遠の釈尊をおさめている、ということになってしまいますから。

>蓮師の行体から漫荼羅の存在が浮かんできません

これは、その通りだと思います。御書からは曼陀羅に向かって唱題する蓮師の姿は窺えないようです。

72問答迷人:2005/05/02(月) 09:55:02

舌足らずになってしまいましたが、ABの文からは、妙法蓮華経の五字を御本尊と述べておられるとしか、読めないのではないでしょうか。

73犀角独歩:2005/05/03(火) 00:46:48

問答さん

> …ABの文からは、妙法蓮華経の五字を御本尊と述べておられる…

わたしは、そう読まないのです。Aは本迹相待から判じた顕本の釈尊。Bはその釈尊の弟子と附属の法です。妙法蓮華経は決要附属された法であるわけです。それがそれが本尊というのは、どうも論理的に辻褄が合わないと思えます。もし、妙法蓮華経が本尊であれば、では、釈尊は何でしょうか。

74問答迷人:2005/05/03(火) 06:50:35

>Aは本迹相待から判じた顕本の釈尊。

それでは、次のようになりますでしょうか。

『今、此の御本尊たる顕本の釈尊は、教主釈尊が五百塵点劫より心中に収めておられて、世に出現されても四十余年、そして、其の後の法華経の中にも迹門には説かれず、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累品に事極まりなされたのである。』

という意味でしょうか。そうすると、御本尊たる顕本の釈尊と、教主釈尊の関係はどうなるのでしょうか。別の存在でなければ、この文が意味をなさないと思うのですが、いかがでしょうか。

>妙法蓮華経が本尊であれば、では、釈尊は何でしょうか。

蓮師の字像曼陀羅の姿からすれば、妙法蓮華経の脇士だと思います。

75犀角独歩:2005/05/03(火) 07:04:21

問答さん、重要な点なので、該当の箇所を全文挙げながら、記します。

「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品嘱累に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利、兜史多天宮の弥勒菩薩、補陀落山の観世音、日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是れ等は智慧いみじく、才学ある人人とはひびけども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし」

この文章を問答さんは、釈尊が五百塵点劫より心中に収めた妙法蓮華経=本尊と読まれたのであろうと拝察いたします。また、富士門下では、そう読むのであろうと思います。しかし、そうでしょうか。
ここでしるされることは、まったく発迹顕本そのものです。
つまり、「心中にをさめさせ…世に出現…四十余年…迹門…宝塔品…寿量品に説き顕し、神力品嘱累に事極ま」るのは釈尊久遠成道、すなわち、寿量本仏ということです。

「我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり。此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難竝びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること、雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱るべしと仏記しおかせ給ひぬ」

そして、その久遠成道、滅後弘法のために、地涌菩薩を召し、妙法蓮華経の五字を譲ったというわけです。問答さんは、この五字が本尊であると主張なさってお出でなのだと拝察しますが、五字は本仏が地涌菩薩に譲った法の正体ではあるけれど、本尊であるというのは、どうでしょうか。そうではなく、本仏本尊久遠釈尊が地涌菩薩に譲った法であるという意味であり、ここでは、本尊と譲った法(題目)はイコールではないのでないでしょうか。以下は冗長になるので、やや略しますが、

「而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほぼ兼ねてこれをしれる…日蓮は一閻浮提の内、日本国安房の国東條の郡に始めて此の正法を弘通…此の御本尊をわたし奉る」

この本尊を妙法蓮華経と問答さんはお読みになったのであろうと思います。しかしながら、日蓮は地涌菩薩ではないけれど、ほぼこれを知る。故に付属の法(妙法蓮華経=本門題目)を弘める。それは久遠本仏(=本尊=本門本尊)渡し奉るからである。すなわち、久遠本仏本尊釈尊から付属された法を弘めるという意味ではないでしょうか。付属の法(妙法蓮華経をを弘めることによって、久遠本仏釈尊が本尊であることを闡明にするという謂いではないでしょうか。

76犀角独歩:2005/05/03(火) 07:06:23

> 釈尊…妙法蓮華経の脇士

これは本尊抄と相違します。脇士は並座の二仏ではなく、四菩薩です。

77問答迷人:2005/05/03(火) 07:55:08

>76 本尊抄と相違

『其の本尊の為体〈ていたらく〉、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、』との文は、並座の二仏が妙法蓮華経の脇士と読めますから、相違するとは言えないと思います。また、蓮師の初期字像曼陀羅は、この本尊抄の文のままに、『脇士は並座の二仏』を表していると思います。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/002.html

78問答迷人:2005/05/03(火) 08:07:04

>釈尊久遠成道、すなわち、寿量本仏ということです。

その寿量本仏と教主釈尊の関係はどうなるのでしょうか。

79犀角独歩:2005/05/03(火) 08:25:46

問答さん:

> 寿量本仏と教主釈尊

本門と迹門の関係ではないでしょうか。

> 75

考えながら、書いたものですから、断定的な物言いになってしまいました。この点、お詫び申し上げます。もちろん、以上の如く、考えると言うことです。

最近、わたしは釈尊仏像と蓮師の関係に特に注意を払っています。
蓮師の傍らには常に釈迦一体仏があり、それが既成の事実として成り立っている点を富士門は見落としていないのかという疑問です。

たとえば、仏像と漫荼羅、どちらなのかという議論がなされ、富士方では仏像を斥け、漫荼羅が本尊であるといいます。しかし、これは本当なのでしょうか。何故ならば、上述したとおり、終生、蓮師は釈迦一体仏を随身されていたからです。

こう記すと富士方では『宗祖御遷化記録』の「御遺言に云はく仏は(釈迦立像)墓所の傍らに立て置くべし云々」を引用し、蓮師は斯様に言われた、故に漫荼羅が正意であると論を進めます。また、富士方で学んだ人は、恰も自分で考えたように上述の如く語ります。

しかし、これは恣意的な解釈であるとわたしには思えます。
そもそも蓮師は唯物論者ではありませんでした。いまで言う「永遠の生命」を信じた人でした。つまり、自分が死んだから無くなってしまうとは考えいなかったわけです。自分のたましいは身延の墓にあると考えたのでしょう。その自分の死後の居場所に、終生、随身した仏像を置けというのが、この遺言でした。この仏像は、蓮師ご自身の持仏であるからです。他の弟子檀那はそれぞれまた、仏像造立し、それを所持・安置していた、それはそれぞれの仏像です。随身仏は蓮師自身の仏像であるから、死後も自分の許に置けということは、何も仏像を斥けて漫荼羅を本尊としたことを意味しないと言うことです。

蓮師がまた、漫荼羅を弟子檀那に授与した。しかし、それは仏像をやめて、この漫荼羅を拝めということではまるでなかったのではないでしょうか。仏像は仏像、漫荼羅は漫荼羅です。それは恰も仏像は仏像、法華経は法華経と同じです。片方を採り、片方を捨てると言った取捨選択で考えるところではないということです。むしろ、仏像釈尊の随身と日々、読経供養を前提に、法華経があり、漫荼羅もあり、唱題もあるというのが、蓮師の在りし日のお姿であったと思います。

わたしたちは漫荼羅本尊正意という富士の操作に騙されていないか、その影響で無意識に考えていないのかという反省がわたしにはあります。そんな意味での議論でもあります。

80愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 08:29:11

横レス失礼します。

> その寿量本仏と教主釈尊の関係はどうなるのでしょうか。

久遠実成の教主釈尊と始成正覚の釈尊という関係ではないでしょうか。

「新尼御前御返事」を拝する限り、蓮祖は「御本尊」と「漫荼羅」は別物として認識していたように小生には思えるのです。

具体的には、「新尼御前御返事」の下記の文が引っかかっているのです。

「其の故は此の御本尊は天竺より漢土へ渡り候いしあまたの三蔵漢土より月氏へ入り候いし人人の中にもしるしをかせ給はず、西域慈恩伝伝燈録等の書どもを開き見候へば五天竺の諸国の寺寺の本尊皆しるし尽して渡す、又漢土より日本に渡る聖人日域より漢土へ入る賢者等のしるされて候、寺寺の御本尊皆かんがへ尽し日本国最初の寺元興寺四天王寺等の無量の寺寺の日記、日本紀と申すふみより始めて多くの日記にのこりなく註して候へば其の寺寺の御本尊又かくれなし、其の中に此の本尊はあへてましまさず。」

この文における「此の御本尊」とは、「久遠実成の教主釈尊」を顕す人は未だ一人もなし。と述べられているように思えるのです。

81愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 08:30:59

ああっ済みません。投稿をタイプしている間に、犀角独歩さんの投稿がありました。 m(_ _)m

82犀角独歩:2005/05/03(火) 08:35:13

> 77

この点は先に議論しましたが、本尊抄と報恩抄の脈絡で考えてきたところですね。

本尊抄「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也…地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」

報恩抄「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・竝びに上行等の四菩薩脇士となるべし」


本尊抄にある如く、「脇士は上行等の四菩薩」ではないでしょうか。
しかし、本門が説き已れば、迹門以下(いげ)の仏菩薩の久遠釈尊の脇士であるというのが報恩抄の趣旨と見えます。しかし、ここでも妙法蓮華経のわきしとは言っておりません。

83犀角独歩:2005/05/03(火) 08:38:58

愚鈍凡夫さん、どうも。

問答さん、続きはまた、明日にさせていただきます。
これから、オフ会の用意をし、出掛けることにいたします。
拝命の「東京オフ会責任者」の任を果たしてまいります。

84問答迷人:2005/05/03(火) 08:50:37

>しかし、ここでも妙法蓮華経のわきしとは言っておりません

確かにそうなのですが、蓮師の字像曼陀羅では、南無妙法蓮華経が一番大きく、しかも太くしたためられ、その両側に釈迦多宝以下が小さな細字でしたためられる訳です。なぜ本門の教主釈尊が中尊として大きく太くしたためられていないのか、甚だしく疑問があるわけです。また、なぜ、『南無釈迦牟尼仏』の・唱名念仏では無くて、『南無妙法蓮華経』の唱題なのか、本尊が本門の教主釈尊なら、なぜ「南無本門教主釈尊」では無いのか、というのが、僕の根本的な疑問であるわけです。唱題が蓮師の独創なら、対象たる本尊もやはり、『題目』なのではないのか、という疑問です。

85問答迷人:2005/05/03(火) 08:54:28

犀角独歩さん

東京オフ会責任者、宜しくお願い申し上げます。

86愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 11:47:23

「二仏並座」とは法華経宝塔品の次の文のことですよね。

「爾時多寶佛。於寶塔中。分半座与。釋迦牟尼佛。而作是言。釋迦牟尼佛。可就此座。即時釋迦牟尼佛。入其塔中。坐其半座。結跏趺坐。(爾の時に多宝仏、宝塔に中に於て、半座を分ち釈迦牟尼仏に与えて、是の言をなしたまわく、釈迦牟尼仏此の座に就きたもうべし。即時に釈迦牟尼仏其の塔中に入り、其の半座に坐して結跏趺坐したもう。)」(妙法蓮華經見寶塔品第十一)

この時点で釈尊は、まだ久遠実成を明かしていないわけですから、始成正覚の次元に留まっているわけですよね。従って、「報恩抄」の次の文には何の矛盾もないと思います。

「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・竝びに上行等の四菩薩脇士となるべし」(報恩抄)

87問答迷人:2005/05/03(火) 11:55:10

愚鈍凡夫さん

>次の文には何の矛盾もないと思います。

そうですね。ただ、こと曼陀羅に関して考えれば、「本門の教主釈尊」を中尊としてしたためられた曼陀羅は一幅も存在しない訳です。これはなぜだと思われますか。

88愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 12:20:03

あっ問答迷人さん、どうもです。

小生は、蓮祖は法華経の主題こそが久成釈尊の悟りの内容を要約したものだと考えられたのだと思います。そして、この釈尊の究極の悟達に帰命することが成仏の直道であると考えられたのではないでしょうか。
蓮祖漫荼羅を立体像の投影と考えれば、諸尊の立体的座配の中心に「南無妙法蓮華経」があります。これは、蓮祖漫荼羅が蓮祖がイメージする悟達の境地を顕したものだということではないでしょうか。言い換えれば、諸尊の功徳の集約が「南無妙法蓮華経」であって、唱題行によって諸尊の功徳を我が身に集めることができる。といったことを図示したものではないでしょうか。以上の理由で、中尊が「本門の教主釈尊」ではなく、「南無妙法蓮華経」であるのではないですか。

89問答迷人:2005/05/03(火) 13:05:03

愚鈍凡夫さん

>諸尊の功徳の集約が「南無妙法蓮華経」であって、唱題行によって諸尊の功徳を我が身に集めることができる。といったことを図示

了解です。仰る意味は分かります。ただ、蓮師が、字像曼陀羅をさして、『本尊』と呼ばれる事例があるから、話がややこしいのだと思います。所謂保田の万年救護の曼陀羅は、賛嘆文に大本尊と在るわけで、この曼陀羅には少なくとも本尊義が存するのだと思います。ところが、本門教主釈尊が曼陀羅の中央に書かれてはいませんね。なぜだと思われますか。この曼陀羅が本尊ならば、その中央に本門教主釈尊が書かれ、左右に釈迦多宝が書かれていなければおかしなことになると思います。

そのような観点から、やはり、中央に書かれた『南無妙法蓮華経』が中尊で、『本門の本尊』で、『本門の教主釈尊』なのではないでしょうか。少なくとも蓮師の字像曼陀羅が、本尊を表したものなら、そういう帰結にしかならないと思うのです。

90通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 14:38:19
皆様

興師書写が残されている本尊問答抄は参考にはならないのでしょうか。
本尊問答抄には以下のように書かれているかと思います。
「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目
を以て本尊とすべし」
また
「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、
答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と
定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は
法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へ
り故に今能生を以て本尊とするなり」

これらを蓮師の考えとするならば、明らかに法は能生、人(仏)は所生ということで
あり、能生たる妙法蓮華経を本尊とし、所生の仏が脇士となってもなんら不自然では
ないと考えますがいかがでしょうか。
妙法五字をもって本尊とする考えを持っていたとした方が、諸御抄をすんなり読める
と思うのです。曼陀羅と本尊を別に考えたいという意見は、裏に釈迦仏像崇拝を正当
化したいという別な意図があるように感じてしまうのは、私だけでしょうか。,

91愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 14:47:16

問答迷人さん、どうもです。
小生にとっては、保田妙本寺の万年救護本尊の

「大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年雖尓月漢日三ヶ国之間未有此大本尊或知不弘之或不知之我慈父以仏智隠留之為末代残之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」

これが悩みの種なんですよ。 ( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナー
何故、この1舗にのみ「大本尊」とあるのか。
それと、1274(文永11)年の漫荼羅に「二千二百二十余年」とあるのに、1275(文永12)年の漫荼羅には「二千二百三十余年」とあるのか、合理的な説明がつかないのです。
益々( ̄(エ) ̄;)ゞ クマッタナー

だから、小生はあの万年救護本尊の讃文は、蓮祖滅後の書き込みではないかといった推論をたてています。

92愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 14:57:43

通りすがりの凡夫さん、始めまして。

> 曼陀羅と本尊を別に考えたいという意見は、裏に釈迦仏像崇拝を正当化したいという別な意図があるように感じてしまうのは、私だけでしょうか。

別に、「曼陀羅」と「御本尊」が同意であっても別段不都合はありませんし、それが蓮祖の真意であるなら否定する理由は何もありません。
ただ小生は、日寛師のように執筆年度違う御書を都合良くパッチワークして理論を組み立てようとは思いません。理由は、そうすることによって蓮祖の思いからどんどん離れていくように思うからです。
だから、小生は、執筆年度の近い御書やそれに準ずる蓮祖の書き込みを判断基準にしています。それと、「本尊問答抄」は未決書ですよね。ならば、他の真蹟御書で仰る事を裏付けられるでしょうか。

93問答迷人:2005/05/03(火) 18:43:33

通りすがりの凡夫さん

仰るご意見は良く分かりますが、曼陀羅正意を立てる日興門流の祖、日興上人の写本しか残されていない遺文を使って、「本門の本尊とは、南無妙法蓮華経だ」と論じても、日興門流以外の人たちの納得は得られないと思います。ですから、僕は、本尊問答抄は真蹟が無いので考察の基礎資料とはしない、という姿勢で考えています。

>釈迦仏像崇拝を正当化したいという別な意図

これは、蓮師が釈迦仏像を生涯随身されたという事実に基づいていますから、説得力があり、蓮師の考えを考えるに当たって、無視できないと思っています。他方、中央に南無妙法蓮華経と大書きした曼陀羅を多数残されたのも事実です。この二つの事実を事実としてそのまま捉え、真蹟遺文を基にして、蓮師の考えを探ってゆきたいと考えています。

94通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 20:15:05
愚鈍凡夫さん、はじめまして

すでに引用されている観心本尊抄はいかがでしょうか。
観心本尊抄は、そもそもタイトルの通り、蓮師の考える本尊像を明かした書だと思い
ます。すなわち、三大秘法義における本門の本尊について一貫して論じたものであろ
うと思います。それを前提に本尊抄を拝してみますと、一念三千の展開から始まり、
本尊の義も一念三千の法理の上に成り立つこと、すなわち草木に色心十界の因果を明
かすことでその義が現れることを示しています。さらに、
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然
に彼の因果の功徳を譲り与え給う」
とされ、妙法蓮華経の五字に釈尊の因果の功徳が収まるとされ、更にその上で
「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」
し、衆生の色心に妙覚の釈尊の因果が具わることを示しています。
この時点で、妙法蓮華経の五字=妙覚の釈尊=一念三千の本尊=衆生の色心という関
係が明確に提示されています。
そうしておいてから既に引用がありますように、本尊の相を明かしています。
「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わ
ず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊
の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈
尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小
の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給
う迹仏迹土を表する故なり」
この記述を曼陀羅の相と異なるとするのはかなり無理があると思います。したがって、
「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」を中心とした本尊を、蓮師は想定されていたと
考えますが、いかがでしょうか。

95通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 20:36:26
問答迷人さん、はじめまして。

本尊問答抄はそういう位置づけですか。了解いたしました。
蓮師随身仏の件、蓮師は生涯随身されながらその仏像を本尊と主張されていないこと
から、本尊としての意義付けはなかったのではないでしょうか。また御抄中に記され
る本尊像ともかけ離れたものであると思われます。蓮師は造仏義を持っていたとして
も、本化四菩薩は欠くことのできない要素であり、それを欠いて本門の本尊義はなり
立たないと考えるからです。

96問答迷人:2005/05/03(火) 20:41:55

通りすがりの凡夫さん

>「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」を中心とした本尊を、蓮師は想定されていた

僕もそのように考えています。ただ、報恩抄の「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・竝びに上行等の四菩薩脇士となるべし」との遺文との整合性はどうなるのか、という点で、何かまだ、蓮師の教えの元意を理解していないのではなかろうか、と危惧するところです。この点については、通りすがりの凡夫さんはどのようにお考えでしょうか。

97通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 20:53:34
ところで、蓮師御在世中、授与された曼陀羅をどのように安置したのでしょうね。
当時の一般家庭に現在の仏壇に相当するものがあったのでしょうか。
紙幅の曼陀羅はむしろ携帯性にすぐれており、文字どおり身に帯し、あるいは本尊
抄にあるがごとく首にかけ常に所持したのではないでしょうか。
法華経の説くところによれば、経巻を所住のところ、山谷広野すべて道場であり、
経巻受持の一行を中心とした、読・誦・解説・書写がその修行の形態とされていま
す。就中、蓮師は受持の一行にその意義を見いだしていたと思います。

98問答迷人:2005/05/03(火) 20:57:05

>その仏像を本尊と主張されていないこと

この点は確かにそうですね、しかしながら、釈迦仏の仏像造立に対しては、制止するどころか、褒め称えています。

『今日眼女は今年の祈りのやうなれども、教主釈尊をつくりまいらせ給ひ候へば、後生も疑ひなし。二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一也とをぼしめすべし。委しくは又々申すべく候。恐々謹言。』(弘安二年二月二日 日眼女御返事)

また、ご自身は、随身の釈迦仏に対して法華経を読み、題目を唱えられていたのではないか、という可能性を否定する根拠がありません。

99通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 21:20:27
>>96 問答迷人さん

本尊抄の論理からの帰結になってしまいますが、妙法蓮華経の五字=妙覚の釈尊であ
りますから、本門の教主釈尊は妙法五字であっても不思議ではないと考えます。また、
そう考えれば、次下の
「所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」
を自然に拝せると考えます。
また、法華経方便品を読みますと、釈尊の悟れる法を指して一切種智としています。
法華経は、諸仏が共通に悟った根源の智慧を説こうとしたものと考えられますから、
その諸仏の智慧がそのまま仏を表してもおかしくはないと考えます。
また、題号であるサッダルマプンダリーカスートラは、正しき教えの白蓮とされてい
ます。白蓮とは釈尊を表すとされる学者の方もおりますね。では、正しき教えとはと
考える時、法としての釈尊、すなわち法本尊を表すのではないかと思うのは、ちょっ
と飛躍し過ぎと思うので、軽く読み捨てて下さい。

100一字三礼:2005/05/03(火) 21:45:45

本尊を論ずる上で、問題となっている点

蓮祖随身釈迦仏像を根拠として釈迦仏本尊を主張しますと以下の問題に突き当たります。

① 身口意が合わなくなる。口では題目で「経」に帰依しながら「仏」を拝する行為となる。

② 大曼荼羅の用途がわからなくなる。

③ 大曼荼羅上では中心が題目であって久遠釈尊ではない。

④ 観心本尊抄で述べられている、本化四菩薩が無い。

⑤ 蓮祖の随身仏の所持は、観心本尊抄による本尊義の成立よりかなり以前からである。

⑥ 新尼御前御返事、保田の大本尊の記述と相違する。

一方、大曼荼羅本尊の問題点は、

① 観心本尊抄、報恩抄等の諸御書の記述に反する。

② 随身仏の役割がわからなくなる。
 
③ それぞれの大曼荼羅の相貌・座配に違いがあるのは何故か。

101通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 21:47:53
>>98 問答迷人さん

前段と考えあわせますと、むしろ信心を褒められたものと拝されます。すなわち、
「設い釈迦仏をつくりかけども阿弥陀仏の浄土へゆかんと思いて本意の様には思い候
はぬぞ」
とあることを考えあわせますと、釈迦仏造立そのものというより、「本意」が大事で
あるとの意と考えます。本意とは、妙法への信心であると考えておりますが、いかが
でしょうか。蓮師の仏法は、一念三千の法理なくしては、成り立たないと思います。
すなわち、信心の一念がもっとも大切であり、心の法門と思います。同抄に引かれる
方便品の一節はまさにそのことを表すのではないでしょうか。
「若し人仏の為の故に諸の形像を建立す是くの如き諸人等皆已に仏道を成じき」
信心の心から出た善行によって仏道を成じるということであり、その心を賞賛された
ものと思いますが、いかがでしょうか。
この釈迦仏に蓮師の本尊義はないと思います。

102問答迷人:2005/05/03(火) 22:01:30

一字三礼さん

問題点をまとめて頂き、有難うございます。仰る通りであると思います。僕が一番着目するのは、『① 身口意が合わなくなる。口では題目で「経」に帰依しながら「仏」を拝する行為となる。』という点です。

また、本尊抄、報恩抄における『本門教主釈尊がを本門の本尊』との記述の意味するところが今ひとつ分からないという歯がゆさがあります。

103問答迷人:2005/05/03(火) 22:12:07

通りすがりの凡夫さん

曼陀羅の安置方法、やはり、日興上人が「掛け奉るべし」と書かれたごとく、随所に於いて掛け奉ったのではないでしようか。曼陀羅を仏壇に安置するという奉安式は少し時代を経て確立されたのではないでしようか。あくまでも、唱題に主眼が有ったわけで、何時所を追われるか、何時命を狙われるか、何時所払いをされるか、という迫害の嵐の中の蓮師の存命中には、仏壇に安置する、という奉安式は珍しかったのではないでしょうか。随時随所で壁にかけて唱題したのではないかと、僕は思っています。

>本門の教主釈尊は妙法五字であっても不思議ではない

にも拘わらず、本尊抄、報恩抄において、「妙法五字」が本尊である、と述べなかったのは、如何なる理由によるものなのか、この点については、いかがお考えでしょうか。

104問答迷人:2005/05/03(火) 22:17:56

>この釈迦仏に蓮師の本尊義はない

本尊に惑う、ということは、開目抄の主要なテーマで有ったわけです。信心を褒められて、何に対する信心か、という事を蓮師が等閑に付したというのは、いかにも蓮師に対して失礼ではないでしょうか。僕は、釈迦仏の造立には、それなりの賞賛すべき事であったからこそ、賞賛されたのだと思います。その「賞賛すべき点」が私たちには良く分かっていないだけではないのでしょうか。

105通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 22:37:41
>>103 問答迷人さん

曼陀羅安置の方法、納得できました。ありがとうございます。

> 本尊抄、報恩抄において、「妙法五字」が本尊である、と述べなかったのは、如何なる理由によるものなのか

これについては、私は本尊抄の論理展開から次のように考えております。すなわち、
草木に十界の因果を表さなければ、本尊の義が成り立たないこと。そして妙法蓮華経
の五字=妙覚の釈尊であること。これらのことから、曼陀羅は釈尊一身の十界の因果
を草木(紙幅)の上に表したものと考えられます。また、これらは同時に我等が色心
でもあるわけです。すなわち、曼陀羅に記される諸尊は、妙覚の釈尊の地獄界から仏
界までを表していることは本尊抄に明らかでしょう。これらの諸尊の代表格が、南無
釈迦牟尼仏であり、釈尊己心の仏界であると考えられます。その仏界への帰命を指し
て本門の教主釈尊とされたと考えています。
また、法華経の説くところには、見仏思想がありますね。法華経の行者の前には釈尊
が姿を現すと各所に説かれます。このことからも、法華経=釈尊の対応付けは普通に
なされたのではないかと考えます。

106通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 23:07:19
>>104 問答迷人さん

この御抄を戴いた日眼女は四条金吾の奥方ですから、当然ずっと以前に曼陀羅を受け
その意義についてもある程度理解されていた方と思われます。その方が何らかの願を
立て、そのために釈迦仏を造立されたのだと拝されます。
一方、蓮師は、仏像の開眼は法華経によって行うべきを示されており、蓮師の指導の
もとに開眼供養が行われたものと考えています。真蹟はないですが、四条家では、建
治年間にも釈迦仏造立を行っていると思われ、何らかの体験を積んでいるのでしょう。
それらの前例を覆すことで、信心から遠ざかることを懸念されたとも考えられますね。
蓮師一代の化導に古くから従ってきた信徒ならではの事例ではないでしょうか。

107問答迷人:2005/05/03(火) 23:20:06

>蓮師一代の化導に古くから従ってきた信徒ならではの事例ではないでしょうか

そうかも知れません。只、そうだとしても、蓮師の化導において、釈迦仏造立が初期の段階においては推奨されるべき事柄であったということなりますが、この点、いかがでしょうか

108愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 23:27:59

うわっ、レスがかなり進んでる。 (;^_^A アセアセ・・・
通りすがりの凡夫さん、どうもです。>>94:レス有り難うございます。

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(観心本尊抄)

なるほど、「我等此の五字を受持すれば」の文から曼陀羅=御本尊との展開ですね。でも、この文は、釈尊が累積してきた功徳が法華経の題目に集約されていて、この題目を受持する事によってその功徳を体現することができるという意味ではないでしょうか。

観心本尊抄に、
「草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり、」
「然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏木画二像の本尊は有名無実なり。」
とあります。この文は、逆に「色心の因果」「一念三千の仏種」を置くことによって木絵二像も本尊たり得ることを示唆しているのだと思います。
ただ、確かに、次の文は蓮祖漫荼羅をイメージさせます。

「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」

しかし、「観心本尊抄」を拝する限りにおいて、「漫荼羅」が「御本尊」であるとは一言も出てきません。もし、「漫荼羅」こそが「御本尊」であるなら、明確に仰ると思うのですがいかがでしょうか。

109通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 23:37:18
>>107 問答迷人さん

> 蓮師の化導において、釈迦仏造立が初期の段階においては推奨されるべき事柄であった

推奨されるとまでいいきってよいかどうかはわかりませんが、実際にそうだったので
はないでしょうか。今話題にしている日眼女造立釈迦仏供養事にも、
「此の男女は皆念仏者にて候ぞ皆念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす現世の祈りも又
是くの如し、設い釈迦仏をつくりかけども阿弥陀仏の浄土へゆかんと思いて本意の様
には思い候はぬぞ、中中つくりかかぬにはをとり候なり」
とありますが、化導の初期段階では阿弥陀仏信仰から釈尊への信心へ移させることが
非常に重要だったと考えられます。

110通りすがりの凡夫:2005/05/03(火) 23:49:54
>>108 愚鈍凡夫さん

> 釈尊が累積してきた功徳が法華経の題目に集約されていて、この題目を受持する事によってその功徳を体現することができる

観心本尊抄は、一貫して本尊論を展開していると私は考えております。揺らぐところ
はないように思います。

> 「漫荼羅」こそが「御本尊」であるなら、明確に仰る

それは観心本尊抄という書の性質によるものと考えます。すなわち、本尊論を展開し
た論文であり、曼陀羅本尊の理論的背景を示すという目的によるのではないでしょう
か。

111犀角独歩:2005/05/03(火) 23:57:53

問答さん、オフ会、2次会、3次会を終え、いま帰宅しました。
ややつかれていますので、簡略に申し上げます。

わたしが申し上げていることは、蓮師の在世、仏像本尊は既成の事実であったこと。漫荼羅が本尊であるなどということはまったく、人々は思いも寄らなかったこと。

もう一つ、もし久遠釈尊=妙法蓮華経であるのであれば、釈尊は自分自身を附属してしまったことになること。

例をひけば、問答さんに弟子がいらっしゃって、「この仕事をしておけ」と命じたとします。すると、その仕事は師匠そのものであるから、自分は師匠そのものを相続したと言うような話が釈尊=妙法蓮華経という考えであるとわたしは申し上げているわけです。

仕事とは妙法蓮華経の弘通です。しかし釈尊=妙法蓮華経であれば、釈尊は自分自身を附属したことになってしまうというのがわたしの記したことです。こんなことは有り得ないと申し上げているわけです。ですから、本尊釈尊が、附属したのが妙法蓮華経であり、本尊と題目は別であるというのが、わたしの記したことです。即ち、本門本尊と本門題目の別を言っているわけです。

本日は疲れていますので、以上の如く、簡略に申し上げてご意見をお待ちします。

いずれにしても、蓮師門下で漫荼羅が本尊であることが既成であったのではなく、釈尊像が本尊であったことが既成である点で、問答さんとわたしの意見は異ならないと判断しておりますが、この理解は間違っているでしょうか。

なお、本尊問答抄は、真跡を残さないので、ここではいちおう資料から除外して議論をしたいと思います。

112愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 23:58:05

通りすがりの凡夫さん、どうもです。
「観心本尊抄」が蓮祖の本尊観を顕した書であることは間違いないですし、そのことに意義を挟むつもりは毛頭ありません。
小生は、逆に本尊観を顕した書であるからこそ、「漫荼羅」=「御本尊」であるなら、明確にそう仰しゃると思うのです。

113愚鈍凡夫:2005/05/04(水) 00:03:10

済みません。訂正です。

誤⇒そのことに意義を挟むつもりは毛頭ありません。
正⇒そのことに異議を挟むつもりは毛頭ありません。

です。悪しからず。 m(_ _)m

114犀角独歩:2005/05/04(水) 00:10:09

愚鈍凡夫さん、本尊抄は観心本尊の「仏像出現」を示した書ですね。

115愚鈍凡夫:2005/05/04(水) 00:26:26

あっ、犀角独歩さん、お疲れ様です。

> 本尊抄は観心本尊の「仏像出現」を示した書ですね。

ただ、蓮祖は日蓮の名を冠する宗派が「御本尊」のことで今もなお揉めているなんて夢にも思わないでしょうね。
今、いらしたら「何をわけのわからんことゆうとんねん」って言うでしょうか(何で、大阪弁やねん)。

116通りすがりの凡夫:2005/05/04(水) 00:35:33
>>111 犀角独歩さん、はじめまして

> 漫荼羅が本尊であるなどということはまったく、人々は思いも寄らなかったこと

ゆえに未會有の曼陀羅とも考えられるわけですね。
観心本尊抄送状にはまさに次のようにかかれております。
「此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか」
したがって、このことから本門の本尊ではないとはいえないと考えられます。むしろ
本尊抄を素直に拝せば、本尊の相が曼陀羅と一致することに意義を感じるのではない
でしょうか。

> 久遠釈尊=妙法蓮華経であるのであれば、釈尊は自分自身を附属してしまったことになる

これについては、先ほども少し書きましたが、私は少し違う考えを持っています。法
華経は、釈尊の悟った智慧、因果の功徳を附属した経典であると考えています。方便
品より始まる説法は、まさにそのことを説いております。智慧なるが故に、三世常住
の仏であるととらえることができます。蓮師は、成仏の根源の種子を妙法五字として
明確にされたわけです。この妙法五字は、単に釈尊の因果の功徳であるばかりでなく、
三世十方の諸仏の釈尊の因果の功徳でもあります。これも方便品に明らかだと考えま
す。ゆえに、「自分自身を附属」という論は無理があるように感じます。

本尊と題目を境智の二法と考えた場合でも、境智各別なのか、それとも境智不二なの
かと考える時、境智不二であろうと思うわけです。

117問答迷人:2005/05/04(水) 06:50:06

>本尊釈尊が、附属したのが妙法蓮華経であり、本尊と題目は別

オフ会、お疲れ様でした。有意義な内容であったようですね、独歩さんはじめ、ご参加の皆様のご努力に敬意を表します。

問題点が、かなり鮮明になったと思います。整理、有難うございます。

今、問題にしている「本門の本尊」は、蓮師の説くところの本尊ですから、ゆはり、「観心の本尊」であると思います。すなわち、観心本尊抄において蓮師が説いた法門であると考えてよいと思います。そうしますと、その本尊の有り様は、蓮師の業績の上で考えれば、蓮師の字像曼陀羅に示された内容が、観心本尊抄の本尊の有り様とほぼ一致すると思われます。しかも、その結論部分には、『一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。』と有りますから、これらの観心本尊抄の記述にほぼ添った形の「字像曼陀羅」をもって、観心本尊と捉えても、間違いではなかろうと思うのです。勿論、観心本尊抄に「曼陀羅」語が一言も書かれていない以上、蓮師のお考えになる「観心本尊」の範疇に字像曼陀羅が含まれる、という意味で、仏像本尊を排除する意味ではありません。

そして、字像曼陀羅が観心本尊を表したものであれば、その表現形式をつぶさに検討する必要があると考えます。

曼陀羅の中央に大書きされた南無妙法蓮華経の文字、これは何を意味するのでしょうか。また、初期の曼陀羅に見られる釈迦多宝の二仏を脇士とし、南無妙法蓮華経を中尊とした表現、さらに、観心本尊抄の執筆以降の曼陀羅は、本尊抄の記述にほぼ等しい形の表現となっていること、これらは、『観心本尊』が曼陀羅で有るかどうかは別として、少なくとも、曼陀羅の形として「観心本尊」を表したものが、蓮師の字像曼陀羅で有る事は、否定できないであろうと思います。

曼陀羅の表現形式としては、中央に大きく描かれた南無妙法蓮華経を中尊と考えるほか無く、小さく、細い字で表現された釈迦多宝が本尊である、というのは、いかにも違和感を禁じ得ません。字像曼陀羅の中尊はやはり、「南無妙法蓮華経」であると捉えるしかなく、字像曼陀羅が観心本尊を表したものであれば、観心本尊も「南無妙法蓮華経」であると考えるしかないと思います。

『久遠本仏=妙法蓮華経なら、久遠本仏は自分自身を付属してしまったことになる、それはありえない、』との独歩さんの論難については、確かにおかしなことになってしまいそうなのですが、字像曼陀羅を観心本尊の表現形式と考えると、そのおかしなことを蓮師は平気で行っておられるとしか思えません。果たして、字像曼陀羅は観心本尊の表現形式ではないのでしょうか。この点、如何お考えでしょうか。

118犀角独歩:2005/05/04(水) 06:58:08

116 通りすがりの凡夫さん、はじめまして。

> 本尊抄を素直に拝せば、本尊の相が曼陀羅と一致

それは部分的な話でしょう。
不動愛染に関する記述はありませんし、天照八幡についても記述がありません。素直に読めば、宝塔品虚空説法の様を描写している範囲にとどまっています。本尊抄の述作は文永10年なのであって、当時の漫荼羅には天照八幡はまだ勧請されていないようですが、その後の変遷におけるこの固定とも一致しません。

> 法華経は、釈尊の悟った智慧、因果の功徳を附属した経典であると考えています

「因果の功徳を附属」するとは、どういう意味でしょうか。
結要付属されるのは、法ではなく、功徳ですか。

> …智慧なるが故に、三世常住の仏である

法華経の説相は寿量品における五百塵点成道を言うものです。また、蓮師の考えは「三世常住の仏」を論じるのではなく、「三世常住の仏性」を言うものでしょう。この点から「三身所顕無始古仏」を結論しますが、これは「三世常住の仏」とは違い、三妙合論から結論するところではないでしょうか。

> 三世十方の諸仏の釈尊の因果の功徳…方便品

方便品のどの文でしょうか。

> ゆえに、「自分自身を附属」という論は無理

これはわたしが書いたことを誤解していませんか。
わたしは、釈尊=妙法蓮華経(人法体一)としてしまえば、結要付属において、釈尊自身まで付属してしまうことになる。故に本尊、付属の法は別に考えなければならないと記したのです。ですから、法=仏といった具合の考え方では自分自身を付属したことになるので成り立たない。つまり、法=仏という考えは「無理」があると、むしろ、わたしのほうが言っているわけです。

> 本尊と題目を境智の二法…境智不二であろうと思うわけです

ここでいう本尊とは釈尊ですか、題目ですか、どちらでしょうか。

ここで議論していることは、自分がどう思うということではなく、「蓮師はどう考えたのか」です。蓮師の真跡中で本尊と題目を境智の二法に配立する法門があるのでしょうか。

本尊と題目は、三つの法門における二つであって、ここに戒壇義を欠くことは御立法門の有様と一致しません。

また、蓮師の真跡中に境智による法門の仕立ては垣間見られません。ただし、当然のこととして、注法華経に六大部からそれを写すところは見られます。しかし、これを本尊と題目に充てる解釈は見られません。

本尊:題目=境:智=不二であると言うのはいかなる根拠によるのでしょうか。このような考えは蓮師が懐いていたとする証拠はなんでしょうか。

119愚鈍凡夫:2005/05/04(水) 07:42:56

皆さん、おはようございます。
小生は、蓮祖が本尊として崇めているのは寿量品に説かれる処の「久成の釈尊」であって、始成正覚の釈尊ではないと思います。したがって、釈迦多宝、十方の諸仏、上行等の四菩薩を脇士とすると宣言された下記の文に矛盾を感じません。むしろ、「本門の本尊」の説明としては筋が通っていると思っています。

「答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、」(報恩抄)

120問答迷人:2005/05/04(水) 08:45:18

愚鈍凡夫さん

>釈迦多宝、十方の諸仏、上行等の四菩薩を脇士とすると宣言

この報恩抄の文について、御確認させていただきたいのですが、『本門の教主釈尊』が中尊で、『釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩』は、その『本門の教主釈尊』の脇士となる、と言う意味に捉えていらっしゃるのでしょうか。

121犀角独歩:2005/05/04(水) 09:41:11

117 問答名人さん

> オフ会、お疲れ様

有り難うございます。

> 問題点…鮮明…整理、有難うございます。

こちらこそ、有り難うございます。

> 「本門の本尊」…「観心の本尊」…観心本尊抄において蓮師が説いた法門

ええ、そのような絞り込みとなろうかと存じます。

> 観心本尊抄の本尊の有り様とほぼ一致…『一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。』と有りますから、これらの観心本尊抄の記述にほぼ添った形の「字像曼陀羅」…観心本尊と捉えても、間違いではなかろう

いえ、わたしは、そうではないと思うのです。
本尊抄は当初から止観から一念三千を探り、六道から二乗、さらに己心の菩薩、仏まで思索されて行くわけです。つまり、蓮師が本尊抄でいう本尊とは文字どおり心で観た本尊でした。その仏本尊が地涌菩薩に付属した法ということに論が進むのが本尊抄一巻の趣旨ではないでしょうか。
観心本尊とは「字像曼陀羅」ではなく、文字どおり心で観た本尊、久遠実成釈尊ではないでしょうか。これは漫荼羅とは違います。

> 曼陀羅の中央に大書きされた南無妙法蓮華経の文字、これは何を意味するのでしょうか。

釈尊が上行菩薩等に付属した一念三千という珠を裏んだ法ではないでしょうか。

> 初期の曼陀羅…本尊抄の記述にほぼ等しい形の表現

これは118にも記しましたが、不動愛染という重要な勧請について、本尊抄には何ら記述がありません。つまり、「ほぼ等しい形」とは言えません。一致するのは、むしろ、法華経宝塔品です。

> 曼陀羅の形として「観心本尊」…蓮師の字像曼陀羅で有る事は、否定できない

いえ、そうではないと思います。
観心本尊は久遠実成の釈尊であり、その仏像を出現させるべきであるというのが一つの本尊抄の主張になっています。そして、それとは別に一念三千の珠を裏む妙法蓮華経の五字は上行が付属された法の正体であるので、それを特筆したのが漫荼羅というもう一つの側面があるのではないでしょうか。本尊から見れば本尊釈尊・脇士四菩薩となり、付属の法を書き表せば漫荼羅となるという関係で、意義が違っています。


> 曼陀羅の表現形式としては、中央に大きく描かれた南無妙法蓮華経を中尊と考えるほか無く、小さく、細い字で表現された釈迦多宝が本尊である、というのは、いかにも違和感を禁じ得ません。字像曼陀羅の中尊はやはり、「南無妙法蓮華経」であると捉えるしかなく、字像曼陀羅が観心本尊を表したものであれば、観心本尊も「南無妙法蓮華経」であると考えるしかないと思います。

この点は、漫荼羅が本尊であるという前提から考えられるので「違和感」となるのではないでしょうか。本尊釈尊から付属された法を大書したものが漫荼羅であると考えれば、二仏並座して証明を加え、四菩薩が、その並座の一方の主・釈尊の脇士として座を構えるという図示は何の不思議もありません。

> 字像曼陀羅を観心本尊の表現形式と考えると、そのおかしなことを蓮師は平気で行っておられるとしか思えません。果たして、字像曼陀羅は観心本尊の表現形式ではないのでしょうか。この点、如何お考えでしょうか。
上述したとおりですが、字像漫荼羅を本尊と考えるために蓮師は「おかしなことを言っている」ように思えるわけで、己心仏界=久遠実成釈尊=仏像出現として一つ、上行結要付属の一念三千の珠を裏む妙法蓮華経を図示したのが漫荼羅であるとして一つと整理すれば、まったくおかしなことを言っていることにはなりません

付属した仏=己心仏界=久遠実成釈尊=出現させるべき仏像
付属された法=妙法蓮華経裏一念三千珠=図示された漫荼羅
付属された菩薩=弘通の資格者・上行等四菩薩

は実に明快に本尊抄中に整理されて記述されています。
これを本尊=漫荼羅という固定観念から見ると、本尊=釈尊=妙法蓮華経と一つのものに見ようとするために、蓮師が「おかしなことを言っている」と映ずることになるのではないでしょうか。しかし、ここを上述のとおり付属した仏・法・菩薩と整理してみれば、実に整然と理論化されていることがわかります。本尊を仏像と表現するところと付属の法を漫荼羅と図示することは、本尊抄一巻を読めば、別のこととして書き表されているのではないでしょうか。

122問答迷人:2005/05/04(水) 10:08:14

犀角独歩さん

実によく問題点を整理していただき、誠に有難うございます。

本尊は仏、曼陀羅は法。そうしますと、ひとつの巨大な難問が現れてくると思います。『南無妙法蓮華経』という唱題のあり方についてです。本尊に向かって、本尊に帰命を誓うのが『南無妙法蓮華経』という唱題なのだと思います。本尊が『妙法蓮華経』で無いのなら、なぜ『南無妙法蓮華経』と唱える事を蓮師は教えたのか、という疑問です。法に帰命することだけで、その教えた仏はどうでも良いのでしょうか。妙法蓮華経の現文には「南無釈迦牟尼仏仏」とありますが、蓮師はそこを撰時抄において敢えて『南無妙法蓮華経』と読み替えています。この意図は何なのか、という疑問です。

123通りすがりの凡夫:2005/05/04(水) 10:10:20
>>118 犀角独歩さん

今日は時間がありませんので、多分次に書くのは明日になってしまいます。

>宝塔品虚空説法の様を描写している範囲

それは多少無理があるのではないでしょうか。「其の本尊の為体」とありますから、
本尊の相を示されたものでしょう。
「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏」
この箇所はいかがでしょうか。宝塔品から塔中の妙法蓮華経の存在は読めないと思い
ます。また、これをそのまま読むならば、中央に妙法蓮華経があり、その左右に釈迦
牟尼仏・多宝仏という配置であることは明らかです。蓮師の第一義に妙法蓮華経があ
るがゆえに中尊となるのだと考えます。
また、仏像として配置した場合を想像しますと、中央に妙法蓮華経、その左右に釈迦
牟尼仏・多宝仏が配置されるわけで、釈迦仏のみを拝させる配置としては、いささか
奇妙な配置といわざるを得ません。中央に配されたものが第一義であることは、動か
ないと思われます。
不動愛染、天照八幡のこと、万民(九界の衆生)のうちに入ると思います。

>「因果の功徳を附属」するとは、どういう意味でしょうか。

まず、妙法蓮華経の五字が法華経附属の法体であることは了解していただけると考え
ます。その上で法であり、釈尊および三世十方の諸仏の因果の功徳です。蓮師はすで
に以下の考えを示しておられます。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」
つぎに法華経ですが、すでに釈尊の因行果徳を諸仏の智慧としております。
「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の
知ること能わざる所なり。所以は何ん、仏曾て百千万億無数の諸仏に親近し、尽くし
て諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞えたまえり。甚深未曾有の法
を成就して、宜しきに随って説きたもう所意趣解り難し。」
「無量億劫に於て 此の諸道を行じ已って 道場にして果を成ずることを得て 我已
に悉く知見す 是の如き大果報 種々の性相の義 我及び十方の仏 乃し能く是の事
を知しめせり」
このことをさらに説くために、過去仏、未来仏、現在仏の諸仏の義が同じであること
を示しているのが方便品であろうと思います。
過去仏「究竟して皆一切種智を得たり」
未来仏「究竟して皆一切種智を得べし」
現在仏「究竟して皆一切種智を得」
この諸仏所生の種子である一切種智とは、妙法五字であることは蓮師門下ならば動か
ないでしょう。

法華経成立は諸説ありとしても、釈尊滅後数百年さらに現在の形になるまでに数百年
程度かかっていますが、法華経迹門にその原始のプロットがあると思います。大通化
導然り、如来使然り、一切種智然りであります。その一つ一つのプロットをより具体
化させ、実事として表現したのが本門であり、現在の法華経経典だと考えます。

> これはわたしが書いたことを誤解していませんか。
いえ、犀角独歩さんの論が、仏自身を附属は不可という事に対して、法華経の意にそ
って無理ではないことを示したものです。

> 蓮師の真跡中で本尊と題目を境智の二法に配立する法門があるのでしょうか。

たしかに明示する真蹟はありません。
しかしながら、すでに、本尊抄は、以下の文を根拠に論を展開したものです。本尊抄
冒頭に曰く、
「摩訶止観第五に云く『夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界
なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千一念の
心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議
境と為す意此に在り』等云云」
観心本尊、すなわち事の不可思議境だろうと考えます。

124愚鈍凡夫:2005/05/04(水) 10:21:20

問答迷人さん、おはようございます。
小生は、「漫荼羅」=「御本尊」とは考えていません。
敢えて、蓮祖漫荼羅の中尊は何を意味するのかと問われれば、>>88:にも記しましたが、諸尊の功徳の集約が中尊の「南無妙法蓮華経」であって、唱題行によって諸尊の功徳を我が身に集めることができる。ということだと思います。
また、蓮祖漫荼羅は蓮祖の悟達の世界のイメージそのものであって、法華経の主題こそが久成釈尊の悟りを要約したものであり、法華経の主題に帰命することが成道への直道であるというのが蓮祖のお考えだと思います。

125愚鈍凡夫:2005/05/04(水) 10:33:48

>>124:からの続き。
「報恩抄」の文に戻りますと、「本門の本尊」は釈迦多宝、十方の諸仏並びに地涌四菩薩を脇士とするという意味だと思います。
要するに、本尊の差別化を表現しているのではないでしょうか。蓮祖は脇士の立て方で、本尊の意味合いが変わってくると思われていたのだと思います。

126問答迷人:2005/05/04(水) 10:35:15

愚鈍凡夫さん

重ねてお伺いします。

蓮師の字像曼陀羅において、南無妙法蓮華経の左右に釈迦多宝がしたためられていますが、この釈迦は本門の教主釈尊であるとお考えでしょうか。

127犀角独歩:2005/05/04(水) 10:39:46

123 通りすがりの凡夫さん

>宝塔品虚空説法の様を描写している範囲

> それは多少無理があるのではないでしょうか。

いえ、蓮師は出現宝塔の中に妙法蓮華経ありと達観したと言うことを申し上げているわけで、法華経それ自体の説相を言っているわけではありません。

> 「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏」
> この箇所はいかがでしょうか。宝塔品から塔中の妙法蓮華経の存在は読めないと思います。

ええ、原文からは、もちろん、読めません。ですから、上述したとおり、宝塔中に妙法蓮華経ありとするのが蓮師の本尊抄でしょう。

> 蓮師の第一義に妙法蓮華経があるがゆえに中尊となるのだと考えます。

中尊ということを蓮師が言っておりますか。

> また、仏像として配置した場合を想像しますと、中央に妙法蓮華経、その左右に釈迦牟尼仏・多宝仏が配置されるわけで、釈迦仏のみを拝させる配置としては、いささか奇妙な配置といわざるを得ません。中央に配されたものが第一義であることは、動かないと思われます。

この点については、121に記しました。


> 不動愛染、天照八幡のこと、万民(九界の衆生)のうち

本尊抄の該当の文で万民とは「迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し」とあります。ところが漫荼羅図では中央題目に比する大きさで左右に梵字をもって特筆されるのが不動・愛染です。それを万民で括ることは「無理」があります。

>>「因果の功徳を附属」するとは、どういう意味でしょうか。
> …妙法蓮華経の五字が法華経附属の法体

そうですね。
功徳ではなく法です。
法であるところを功徳と記されたことに対する質問です。
法の説明を以て功徳の説明とされては問と答が一致しません。

> 法華経成立…現在の法華経経典だと考えます。

この点は異論はありますが、既に言い尽くしたことであり、本論とは直接関係ありませんので、応答は控えます。


> 仏自身を附属は不可という事に対して、法華経の意にそって無理ではない

どのように無理ではないのでしょうか。無理だと思います。
これではたとえば、「このお金をあなたにあげる」と差し出されたとき、その差し出した本人までもらっていいと言っているようなものです。そんな事は成り立ちません。

>> 蓮師の真跡中で本尊と題目を境智の二法に配立する法門があるのでしょうか。
> …本尊抄冒頭…

これは本尊・題目を境智に蓮師が配した説明になっていません。

> 観心本尊、すなわち事の不可思議境だろうと考えます。

これは、通りすがりの凡夫さんご自身のお考えであって、蓮師の考えではありません。また不可思議境を言った天台とも違っています。三千不可思議境は止観禅で観念観法される心中に観る法であって本尊ではありません。また、蓮師はそのようなことを本尊抄において書いておりません。さらにこれが本尊(境)題目(智)であると蓮師が言った証拠とはなりません。

128犀角独歩:2005/05/04(水) 10:42:54

問答名人さん、先に横レス、失礼します。
愚鈍凡夫さんへのご質問の点は「互為主伴」を不可とされるご質問ですか。

129問答迷人:2005/05/04(水) 10:53:04

>「互為主伴」を不可

『互いに主伴を為す』と読めばよいのでしょうか。そういう意味では有りません。この釈迦が、本門の教主釈尊で無いなら、本門の教主釈尊が曼陀羅には書かれていないことになりますが、どうなんでしょうね、という質問です。

130愚鈍凡夫:2005/05/04(水) 11:04:25

従地涌出品と寿量品を読んでいたのですが、

> 蓮師の字像曼陀羅において、南無妙法蓮華経の左右に釈迦多宝がしたためられていますが、この釈迦は本門の教主釈尊であるとお考えでしょうか。

どうでしょうか。
もし蓮祖漫荼羅が宝塔品からの儀式を顕しているとすれば、宝塔=南無妙法蓮華経ということになるかと思います。もしそうなら法華経の会座にいるはずのない諸尊をどうとらえるかという問題が出てきます。
仮に、釈迦仏が五百塵点劫成道を明かしている処を描写しているとの解釈が成り立てば、「本門の教主釈尊」ということになるかと思います。

133犀角独歩:2005/05/04(水) 11:20:06
122  問答名人さん

> 本尊に帰命を誓うのが『南無妙法蓮華経』という唱題

どうもわたしにはこのような言葉の言い回しが理解できないのです。
南無妙法蓮華経とは妙法蓮華経に帰命するという意味で、ここの「本尊」語は介在していないのではないでしょうか。

> 法に帰命することだけで、その教えた仏はどうでも良いのでしょうか。
蓮師の漫荼羅には「南無釈迦牟尼仏」と書かれてあります。
真跡ではありませんが、『真言見聞』に「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり三宝一体なる故なり是れ涅槃経の文」とあります。単に「南無釈迦牟尼仏」といえば、五時のどの釈迦をも意味してしまいますね。しかし、蓮師は法華経寿量仏の釈尊を本尊とするわけですから、単に「南無釈迦牟尼仏」というだけでは特定されないことになる、故に妙法蓮華経(法)と法華経寿量品(仏)と付属される菩薩(僧)の三宝一体をもって捌くのが南無妙法蓮華経ではないでしょうか。ただし、ここでいう一体とは一つにカテゴライズするという意味で、イコールを意味するものではないということです。

> 妙法蓮華経の現文には「南無釈迦牟尼仏仏」…蓮師はそこを撰時抄において敢えて『南無妙法蓮華経』と読み替え…

具体的にはどの文でしょうか。

134問答迷人:2005/05/04(水) 11:42:31

>具体的にはどの文でしょうか。

『今諸の菩薩摩訶薩の為に、大乗経の妙法蓮華、教菩薩法、仏所護念と名づくるを説きたもう。汝等当に、深心に随喜すべし、亦当に、釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべし。彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って、合掌して娑婆世界に向かって、是の如き言を作さく、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と。』(如来神力品)

『文の心は第五の五百歳の時、悪鬼の身に入る大僧等国中に充満せん。其の時に智人一人出現せん。彼の悪鬼の入る大僧等、時の王臣・万民等を語て、悪口罵詈、杖木瓦礫、流罪死罪に行なはん時、釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌の大菩薩らに仰せつけば、梵帝・日月・四天等に申し下され、其の時天変地夭盛んなるべし。国主等其のいさめを用ひずば・国にをほせつけて、彼々の国々の悪王悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし。其の時日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ、或は身ををしむゆへに、一切の仏菩薩にいのり(祈)をかくともしるし(験)なくば、彼のにくみ(憎)つる一の小僧を信じて、無量の大僧等・八万の大王等・一切の万民、皆頭を地につけ掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし。例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生一人もなく、娑婆世界に向て大音声をはなちて、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、と一同にさけびしがごとし。』(撰時抄)

135犀角独歩:2005/05/04(水) 11:49:42

> 134

やはり、この文ですか。
ここでは「南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経」となっています。
蓮師は、当然、南無釈迦牟尼仏が前提で、それを唱題の行と立てるときには、「南無妙法蓮華経」ということではないでしょうか。

136問答迷人:2005/05/04(水) 12:07:28

>南無釈迦牟尼仏が前提で、それを唱題の行と立てるときには、「南無妙法蓮華経」

もし、そうだとすると、議論が堂々巡りに陥る嫌いがありますが、なぜ、南無釈迦牟尼仏の称名念仏が法華経現文にあるのに、それを取らずに、敢えて『南無妙法蓮華経』という唱題行を蓮師が選び取ったのか、という問題です。修行としては唱題でなければならなかったのはなぜなのでしょう。法然の南無阿弥陀仏の称名念仏に対抗するために、敢えて称名念仏を避けたのでしょうか。如何お考えでしょうか。

137問答迷人:2005/05/04(水) 12:18:03

犀角独歩さん
愚鈍凡夫さん
みなさん

これから、所用で出かけます。書き込みは明日になります。宜しくお願いいたします。

138顕正居士:2005/05/04(水) 13:28:47
本尊抄と報恩抄の文から本門の本尊とは本門教主釈尊である、またこの教主釈尊を像に造ると
(具体的の本尊)曼荼羅の姿になる、といえるのではないでしょうか?

報恩抄の文「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏竝上行等の
四菩薩脇士となるべし」

ですが、「本門の教主釈尊」が「宝塔の内の釈迦多宝」でそこで切れ、分身仏と四菩薩が脇士
になると読むことができます。以前、そう読むべきでないかと書いたのですが、考えが変わり
ました。分身の諸仏が脇士になるのは変である。本門教主釈尊の脇士は上行等の四菩薩である
はずだから。天台大師は法華文句見宝塔品の冒頭に多宝法身、釈迦報身、分身応身と注釈して
いる。「外の諸仏」までが本門教主釈尊の説明ではないだろうか。「竝」は「付け加える」の
意味に取ります。そう読めば本門の教主釈尊=宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏であり、三身常住
の仏の脇士が上行等の四菩薩であるとなります。

優陀那日輝師の『妙宗本尊弁』という著述にはいわゆる妙宗の二種本尊(釈迦仏と曼荼羅)の
関係が詳細に論じられています。

妙宗本尊弁
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049311&VOL_NUM=00000&KOMA=2&ITYPE=0

140犀角独歩:2005/05/04(水) 16:44:18

顕正居士さん、いつもご教示有り難うございます。
輝師本、いま読もうとしましたが、120葉余もあるので、あとでゆっくりと拝読させていただくこととします。


問答さん、今回の議論は、そもそも、蓮師は、漫荼羅を本尊として図示したのかという問いかけではじまり、その根拠・証拠を求めたのですが、どうも旧来の如く、本尊であるという前提で論が進むという具合です。また、蓮師はその漫荼羅を拝んだのかどうかという問いかけでもありました。結局のところ、この二問の挙証はなされず、ただ単に本尊=題目を繰り返したところで、なんの説得性もないというのが、わたしの偽らざる感想です。先にもこのような議論を試みたのですが、どうも根強い固定観念の前に議論は、漫荼羅が本尊である前提で進んでしまいます。議論は難しいと思う次第です。

報恩抄、法華取要抄といった三つの法門へ発展する前段階である本尊抄は、観心本尊と題目という二本柱で論が立っています。止観における一念三千の論拠を探ることから始まり、さらに天台の難信難解を挙げて非情成仏から木画成仏という根拠を示したのちに仏像出現を主張する論の運びは実に周到で論理的であると思います。観心本尊を明確にしたのち、三身所顕無始古仏・常住浄土という三妙合論を基にする久遠本仏を示し、その初発心の弟子が滅後末法に弘通する法が妙法蓮華経であり、この五字には一念三千の珠が裏まれていると結論づけられ、これを弘めることを示します。また、一閻浮提第一の本尊が立つとも言います。

本尊抄の構成は周到で、三宝義にしっかりと添っています。仏宝−久遠実成釈尊、法宝−妙法蓮華経、僧宝−四菩薩です。しかしながら、わたしのように半世紀も富士にいた人間は、釈尊・上行=日蓮=本仏であり、本仏は妙法蓮華経なのだと、こう刷り込まれしまっています。そして、漫荼羅こそ、本尊であるとも既成の事実のように刷り込まれています。しかし、実際のところ、蓮師が漫荼羅を拝んだという形跡はまったく見当たらないわけです。また、妙法蓮華経が釈尊であるというのであれば、こんな大事なことを何故、誰にも教えないのかという疑問も生じます。

そもそも釈尊=題目=一念三千というのは、例の蓮師のあずかり知らない『秘密荘厳論』で展開されるところであって、蓮師の説とは言い難いものです。すなわち、「一念三千即自受用身、自受用身とは尊形(そんぎょう)を出でたる仏と。出尊形仏とは無作の三身」という、これです。

しかし、本尊抄は、本尊と題目を分かつのであってこれをイコールとしてとらえれば、まず久遠三宝は潰えます。ついでいえば妙法蓮華経=釈尊であれば、釈尊は報身ではなく、、むしろ、法身ということになります。しかしながら、顕正居士さんがご指摘下さったとおり、天台の報身/釈尊・法身/多宝・分身/応身の三身と釈することを蓮師は前提とされるはずですから、この脈絡とも反することになります。

141犀角独歩:2005/05/04(水) 16:44:47

―140からつづく―

何故、このような混乱が生じるのか。富士方は常に動かぬ大前提を思考から除去するところから始めるからだという反省が常にわたしにはあります。何かと言えば、蓮師は釈迦一体像を随身し、それを本尊としていたという事実です。この動かぬ基礎の派生から、唱題があり、漫荼羅図示もあります。南無妙法蓮華経は、この本仏釈尊(像)に向かう、誓いの言葉とも言えるわけで、釈迦仏像に向かい南無妙法蓮華経と唱えれば、「お釈迦様、わたしはお釈迦様の最高の教えである法華経に帰命します」という意味となります。ところがこの釈尊(仏像)に向かうという当然の大前提が取り払われて、漫荼羅に南無妙法蓮華経と唱えるだけでは、問答さんの問いのように、何で「南無釈迦牟尼仏」ではないのかという問いも起きるでしょう。けれど、「南無妙法蓮華経」が本仏釈尊へ向かってのの誓いの言葉であれば、なにも「南無釈迦牟尼仏」を言うまでもないことであると、わたしには思えます。

なお、わたしは妙法蓮華経は、上行付属の正体ではないというのが結論です。その理由は至って簡単です。すなわち、涌出品に

「他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる、大衆の中に於て起立し合掌し礼を作して、仏に白して言さく、 世尊、若し我等仏の滅後に於て此の娑婆世界に在って、勤加精進して是の経典を護持し読誦し書写し供養せんことを聴したまわば、当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし。
 爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、 止みね、善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ。所以は何ん、我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属あり。是の諸人等能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く此の経を説かん」

というからです。また、神力品には

「汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし…如来の滅後に於て 仏の所説の経の因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん」

というのであって、法を付属したのではなく、その修行と弘教を託したからでした。

妙法蓮華経が付属の正体であるのであれば、以下の文はどうなるでしょうか。

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」

すなわち、五字受持・功徳の自然譲与が蓮師の主張です。
となれば、ここに五字付属など介在の余地はありません。妙法蓮華経の名を知り、受持すれば自然と功徳が譲り与えられるわけですから。
つまり、五字は付属の正体というより、上行の所伝であり、そのように伝えられるところ、すなわち、弘教された妙法蓮華経を受持すれば自然と本因(菩薩道)・本果(成仏)という功徳を譲り与えられるというのが蓮師の主張であるわけです。つまり、南無妙法蓮華経の南無とは「受持」の異名と言えることになるのでしょう。受持即観心ならぬ、受持即功徳が蓮師の主張であったわけです。ここにも南無妙法蓮華経の意義があると思えます。

縷々記しましたが、いずれにしても、今回の議論で、わたしが求めたのは、漫荼羅が本尊であるというのであれば、その名証を。久遠釈尊が妙法蓮華経であるというのであれば、その名証を、蓮師が漫荼羅を拝んだというのであれば、その名証を、という議論に立ち戻りたいのですが、如何でしょうか。

142通りすがりの凡夫:2005/05/04(水) 22:25:24
>>127 犀角独歩さん

まず、本尊抄の「其の本尊の為体」という表現は、本尊の相を表すことを了解いただ
けますか。

次に、随身仏を本尊としたという文証はありますでしょうか。

随身仏が、本尊抄の本尊の相と異なるのはなぜだとお考えでしょうか。

以下の真蹟については、紙幅曼陀羅ととるのが自然だとおもいますが、どうお考えに
なられますか。
「又御本尊一ふくかきてまいらせ候」(是日尼御書)

私には、犀角独歩さんが曼陀羅≠本尊という前提から無理に論を起こしているように
感じられるのです。

> 中尊ということを蓮師が言っておりますか

「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」
因果の功徳は妙法蓮華経であり、骨髄であるといわれています。
「『其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至
亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり』等云云、
釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す」
この法華経の文によれば、経法を護る事=仏供養であるとしております。

> 漫荼羅図では中央題目に比する大きさで左右に梵字をもって特筆される

文字の大きさで重要度が決まるとお考えであれば、不動、愛染が釈尊より文字が大き
くかつ梵字なので釈尊よりも重要であるということでしょうか。私はそうではなく、
虚空会の儀式を格護する善神の表現であると考えます。

> 法であるところを功徳と記されたことに対する質問です。

法であり、因果の功徳なのです。釈尊および三世十方の諸仏が因行のうえに証得した
諸仏所生の種子である妙法を功徳としています。

143犀角独歩:2005/05/04(水) 23:29:37

142 通りすがりの凡夫さん、あなたが立てるような退屈な議論は数年前に既にしたところで、あまり興味がありません。
何度も繰り返しますが、わたしは蓮師の考えを求めているので、あなたの御説には興味はありません。

> 本尊抄の「其の本尊の為体」という表現は、本尊の相を表すことを了解
では、本尊が漫荼羅であるという証拠はどこにあるのでしょうか。

> 随身仏を本尊としたという文証はありますでしょうか。

わたしは随身仏は蓮師の持仏であると言ったのであって、本尊であるとは書いておりません。蓮師が己心に観た久遠実成釈尊が本尊であり、仏像と出現すると本尊抄に書かれたと繰り返し書いています。
このような誤解に基づく疑問をたびたび出されますが、もう少し真面目にちゃんと読んで正確に問いかけていただきたいものです。

> 随身仏が、本尊抄の本尊の相と異なるのはなぜだとお考えでしょうか。
この質問は一つ前の思いこみ、思い違いに基づくので意味をなしません。

> 「又御本尊一ふくかきてまいらせ候」(是日尼御書)

この点もたびたび繰り返し記していますが、蓮師は護として記した漫荼羅を本尊と記す例はあっても、それがただちに本門本尊に当たっていないと言うことを永らく議論しているのです。過去のロムぐらい読んでから、問うたらどうでしょうか。

> 私には、犀角独歩さんが曼陀羅≠本尊という前提から無理に論を起こしているように感じられるのです。

それは、どのように感じられようが勝手ですが、そもそもこの観察自体まるで的はずれです。わたしが記しているのは、漫荼羅が本尊である明証が何かあるのであろうかということです。ありますか。
わたしは漫荼羅が本尊であることが証明されれば、それはたいへんにけっこうなことであるという個人的な思いがあります。しかし、それを証明するに足りる蓮師真跡を自分自身が思い当たらないので、問答さんとその点を論じ合っているところです。そこに横レスのうえ、的はずれなことをしばしば書かれるのは実に迷惑なことです。

>> 中尊ということを蓮師が言っておりますか

>「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」
因果の功徳は妙法蓮華経であり、骨髄であるといわれています。
「『其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり』等云云、
釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す」この法華経の文によれば、経法を護る事=仏供養であるとしております。
これのどこが中尊の説明なのでしょうか。

> 文字の大きさで重要度が決まるとお考え

わたしはそんなことは少しも書いておりません。あなたが、不動・愛染は、万民のうちだというので、そんな考えには無理があると記したのみです。

> 不動、愛染…虚空会の儀式を格護する善神の表現であると考えます。

これまた、繰り返しますが、わたしはあなたの考えには興味はありませんし、また、ここで個人の解釈を出し合っているわけではありません。蓮師真跡n挙証を求めています。すなわち、蓮師の考えを明証として挙げよと言っているのです。

不動・愛染が虚空会を格護する明王ならぬ神であるという前代未聞の‘説’はどのような証拠に基づいているのでしょうか。こんな個人の思いつきには、繰り返しますが、わたしは興味がありません。それとも文証がありますか。

> 法であり、因果の功徳なのです。釈尊および三世十方の諸仏が因行のうえに証得した諸仏所生の種子である妙法を功徳としています。

その証拠はなんでしょうか。

繰り返しますが、わたしはあなたの意見を聞いているのではありません。蓮師の真跡中に顕れる文証を求めているのです。誤解無きようお願いいたします。

ともかくも、いまは問答さんと蓮師の確実な証拠を探求しているところなので、的はずれな横レスはご遠慮いただけませんでしょうか。

144通りすがりの凡夫:2005/05/04(水) 23:55:13
>>143 犀角独歩さん

> 蓮師は釈迦一体像を随身し、それを本尊としていたという事実です。

動かぬ大前提なのは、釈迦一体像を随身まであり、本尊としたかどうかはまた別な
話ですね。それにしても、護りの本尊、本門の本尊、釈迦一体像本尊といくつも本
尊を仮定されることは、開目抄の主張を考える時、どうなのでしょうか。また、蓮
師は事実の上で本門の本尊を建立されたのかされなかったのか、どうなのでしょう。
いずれにしてもお邪魔なようですので、通りすがりは去らせていただきます。
愚鈍凡夫さん、問答迷人さん、犀角独歩さん、皆様、
おつきあい下さり、ありがとうございました。

145犀角独歩:2005/05/05(木) 00:38:53

144 通りすがりの凡夫さん、どうもあなたは、わたしの言っていることを率直にご覧にならないようですね。

要は主張するのであれば、蓮師の確実な資料を付すということです。
どうも、そのことは苦手に属しますか。
そのような資糧を付していただければ、愚鈍凡夫さんのように、議論にすんなりと加われるというものです。

146愚鈍凡夫:2005/05/05(木) 03:12:58

いやぁ、早く寝過ぎて中途半端な時間に目が覚めてしまった。 (^^ゞ
皆さん、おはようございます。なんていっても誰もいないか。 (^◇^;)

蓮祖は、「観心本尊抄」に蓮祖漫荼羅をイメージする記述があるのにもかかわらず、「漫荼羅」が「御本尊」であると明示されていないことは注目に値すると思います。
では、蓮祖漫荼羅は何ぞや、と問われれば、「兩界曼陀羅」と同じ役割を担っていると言えないでしょうか。すなわち、蓮祖のイメージする悟達の世界を図示されたのだと。
よって、蓮祖の本尊は「久成釈尊」という結論は動かし難い事実だと思います。
ただ蓮祖は、ご自身の漫荼羅に弟子や信者たちが日々の信仰の対境として信仰心を向けることに反対されたとは思いません(そのような御書はありませんから)。

147犀角独歩:2005/05/05(木) 09:59:49

○ここまでの整理

通りすがりの凡夫さんが指摘した141「蓮師は釈迦一体像を随身し、それを本尊としていた」また、そのあと、143に「わたしは随身仏は蓮師の持仏であると言ったのであって、本尊であるとは書いておりません。蓮師が己心に観た久遠実成釈尊が本尊であり、仏像と出現すると本尊抄に書かれた」と、相矛盾することを書きました。

この点について、一言、弁明を記します。

蓮師が随身された一体仏は持仏として、ご自身所持されていたわけです。その経過のなかで、『観心本尊抄』で論証して「事行の南無妙法蓮華経の五字、竝びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず」という二つの名目を出す至ります。

> 釈迦一体像を随身まであり、本尊としたかどうかはまた別な話

という考えは、仏道の基礎に悖る浅はかな論難でしょう。
随身というのは、懐中に入れて鼻紙や、いまの子どもたちが携帯電話のストラップにつけたアクセサリーとは違います。
蓮師における持仏・随身がどのような意味であったのか、それはたしかに明確なところははっきりしませんが、はっきりしていることは仏像、尊像、漫荼羅といわれる類のなかで蓮師が終生、所持されたものが釈迦一体仏像であるという事実です。それを本尊としたみるのはむしろ自然な考えでしょう。もし、それが本尊でないとすれば、では、何を本尊として所持され、もしくは安置され、拝まれたのか、その具体的な尊体は? というのが、当初の疑義です。法華天台の流れの僧侶が釈迦仏を持仏として所持すれば、それを自身の本尊としていると見るのは自然なことでしょう。
故にた141「蓮師は釈迦一体像を随身し、それを本尊としていた」と記しました。ただし、それは随身、護本尊という範疇であって、蓮師に留まらず、一般的に行われていたことなのだろうと思います。つまり、蓮師がその後、展開される本尊義に基づく仏像という事ではない故に、143に「わたしは随身仏は蓮師の持仏であると言ったのであって、本尊であるとは書いておりません。蓮師が己心に観た久遠実成釈尊が本尊であり、仏像と出現すると本尊抄に書かれた」と記しました。前者は天台一般の本尊義、後者は蓮師の本尊義として、別の意味で使用したために齟齬が生じました。

なお『是日尼御書』の「御本尊一ふくかきてまいらせ候」という一文を引き、これが漫荼羅を書き、御本尊としたという明証の如く扱いますが、では、これが(字像)漫荼羅である証拠があるのでしょうか。明証としては、やや弱い印象があります。

『開目抄』と言われますが、つまり、これは

「天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。倶舎・成実・律宗は三十四心断結成道の釈尊を本尊とせり。天尊の太子、迷惑して我が身は民の子とおもうがごとし。華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり。法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす。大王の太子、我が父は侍とおもうがごとし。華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那・大日等を本尊と定む。天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるにつけり。浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とおも(思)て、教主をすてたり。禅宗は、下賎の者、一分の徳あて父母をさぐるがごとし。仏をさげ経を下す。此れ皆本尊に迷えり。例せば三皇已前に父をしらず、人皆禽獣に同ぜしがごとし。寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。不知恩の者」

この表現は今日的には差別に抵触し、好ましいと思えませんが、いまは、その問題はいったん置きます。この文意は、「天台宗、寿量品、本尊」であることは明らかです。また、ここに天台宗とある以上、この時点で蓮師ご自身天台宗の自覚であったことも窺われます。

それはともかく、この本尊を、より具体的に記したのが本尊抄ということになるでしょう。しかし、ここにいたり、先には天台宗の本尊が最高位にあると記していたのにも関わらず、未だ「そのような本尊」は顕れていないと、天台宗より、一歩、踏み出した本尊観を展開するわけです。

148犀角独歩:2005/05/05(木) 10:00:26

―147からつづく―

ここで、では、問題になるのは、蓮師が随身された釈迦一体像は寿量本尊仏像かということですが、これは違うでしょう。伊東配流から随身していた仏像を所持されながら、「未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」と言う以上、随身一体仏像がそれに契当しないことは明らかだからです。

ここで、問題になったのは、本尊抄で「本尊の為体」以下の文言が、漫荼羅図示を示したものかどうかという点です。
ここで記されるところは、たしかに漫荼羅図示と多くは一致します。しかし、それ以前に宝塔品二仏並座から従地涌出品の説相を敷衍していることも、もちろん明らかです。しかし、ここで特筆する点は「塔中妙法蓮華経」という一文であって、蓮師は涌現宝塔の中に「妙法蓮華経あり」という達観を、ここに示すわけです。

法華原典から読むとき、宝塔の中にあるのは多宝如来の舎利、もしくはミイラであり、神秘的経典世界は、その舎利(ミイラ)はしかし生きています。その生きた舎利(ミイラ)が釈尊に話しかけ、並座を勧めるというのが元来の物語です。つまり、多宝塔は多宝如来墓塔なのですが、天台は、顕正居士さんがご説明下さったところを踏まえれば、この宝塔のなかには法身・多宝、報身・釈迦、応身・分身ありとしたということになるのでしょうか。しかし、蓮師はこの宝塔の中に妙法蓮華経があるというわけです。顕正居士さんのご教示を受けてわたしが蓮師もその考えを踏襲していると思ったのは、本尊抄の「釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界也」と合致するからでした。

では、この記述が漫荼羅本尊を指すのかということになりますが、しかし、蓮師漫荼羅における決定的な要素を欠いています。その点を指摘したわけです。つまり、不動・愛染がその筆頭に上がるでしょう。この明王が万民であるとか、虚空会を格護する「善神」であるなどという突飛な発想は問題外です。

蓮師漫荼羅を見れば、即座に理解できますが、最低限の要素は「南無妙法蓮華経」「釈迦牟尼仏」「多宝如来」「不動明王」「愛染明王」です。先の三つについては本尊抄の文で当たっても、不動・愛染が当たらないわけです。故に本尊抄の記述を直ちに漫荼羅図示を示したというのは短絡と言うほかありません。何より、法華経に不動・愛染が元来、介入の余地はありません。それを涌出宝塔・地涌菩薩を記述する法華経の説相を書き記したことで漫荼羅図示の説明であるというのは、実に乱暴な話と言うほかありません。この文が漫荼羅図示を表したというのであれば、しかるべき説明が付されたはずです。

また、本尊抄述作当時は、どうであったかはっきりしませんが、天照八幡の勧請がありますが、その点の説明にもなっていません。さらに進めば。その四隅、東西南北に凝し、ここに四大天王が勧請されますが、この点については、もちろん、この時点で戒壇義すら至っていないわけですから、当然、記されていないわけです。

このように見ていけば、該当の記述は、法華経説相の涌出宝塔・地涌菩薩の範疇に留まるというほかないわけです。しかし、この記述は「本尊」、すなわち寿量本仏を示したものであることは動かないと思います。本尊とということにつき、漫荼羅の如く書される図を言うのではなく、その説明対象である釈迦がどんな仏であるかという説明として蓮師は記していると思うわけです。

以上のことも踏まえ、、「其の本尊の為体」を「その本尊のていたらく」と読むのが門下一般とされていますが、わたしはこの点については大いに疑義を懐きます。この「為体」は「体と為(な)り」と読むべきではないのかと考えます。「其の本尊が体と為り」です。つまり、この文の直前に記される「仏」、すなわち寿量本仏を「本尊体」と為して、涌出宝塔・地涌菩薩の出現を見る虚空会の説相があるという意味を記したのではないのかとわたしは考えます。

このように考えていくと、漫荼羅を直ちに蓮師が本尊としたという論拠は、実に薄弱であるという思いを懐かざるを得なくなったというのが、偽らざる心境であるということです。しかし、これは「曼陀羅≠本尊という前提から無理に論を起こしている」などということではなく、むしろ、逆で、漫荼羅本尊論者は、蓮師の遺文を牽強付会して無理に漫荼羅を本尊に仕立て上げていないかという疑問に基づくものです。

149犀角独歩[TRACKBACK]:2005/05/05(木) 10:00:56

―148からつづく―
なお、漫荼羅が本尊かという点について、このスレッドの当初で、かつてLibraさんが以下のような紹介をしました。

*** 以下転載 ***

4 名前: Libra 投稿日: 2002/04/05(金) 11:24

「本尊論に関連して、以下を、参考資料として引用させて頂きます。

──────────────────────────────────────
  大崎学報一○二号に山中喜八氏が報告するところによれば、聖人自から図顕した大曼
  荼羅として百二十余幅が今日に伝えられ、殊に保田妙本寺所蔵の文永十一年十二月図
  顕の大曼荼羅には「大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年 雖爾月漢日三ヶ国之間
  未有之大本尊 或知不弘之或不知之 我慈父以仏智隠留之為末代残之 後五百歳之時
  上行菩薩出現於世始弘宣之」という讃文があるという。ここに明かに「大本尊」と明
  記してあるのであるから、曼荼羅は本尊ではないという立言は決して許されないので
  ある。

  (浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、
    1974年、p. 252)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/r4

*** 転載おわり ***

しかし、わたしは、この浅井師の見解には異論があります。
何故ならば、現存御筆漫荼羅のなかで「本尊」と明記された本尊は、この第16「本尊」1舗に限るからです。ですから、この御筆を「本尊」と記されたからといって、、他に「大漫荼羅」を記された御筆までも、本尊とするのは拡大解釈に過ぎず、何ら証拠にはなりません。
むしろ、この第16のみが「本尊」であるという立論すら可能であると思えます。

以上、漫荼羅・本尊の問題は実に悩ましい問題なのであって、それを何ら名証を得ず、即断して、思い込むことは、わたしは蓮師の遺志に悖ると思う故に、この問題を繰り返し、取り上げてきたわけです。

あと、一点、記せば、先にわたしは「受持即功徳」ということを記し、自然譲与の問題に触れました。実はこの点は本尊抄では

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」

「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。何に況んや其の已下をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付属したもう」

という付属を軸にすれば、まるで正反対のことを蓮師は書いているわけです。しかし、違いがあります。前者は「妙法蓮華経」であるのに対して「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」です。

つまり、妙法蓮華経は自然譲与であるけれど、南無妙法蓮華経の五字は付属であるということを蓮師は言っています。この点はいまの話題から離れますので、ここでは言及しませんが、一つ言えることは、妙法蓮華経が付属の正体ではなく、南無妙法蓮華経五字が付属の正体であるというのが蓮師の主張であると思えます。

150問答迷人:2005/05/05(木) 13:39:35

犀角独歩さん

>漫荼羅が本尊であるというのであれば、その名証を。久遠釈尊が妙法蓮華経であるというのであれば、その名証を、蓮師が漫荼羅を拝んだというのであれば、その名証を、

賛成です。僕は、曼陀羅が本尊なのではなかろうか、と思うだけで、そうだと決め付けて議論しようとしているのでは有りません。あくまでも蓮師の祖意がどうであったのか、それが知りたいだけです。
万年救護本尊については、愚鈍凡夫さんのご意見も参考にさせていただき、慎重に考えたいと思っています。顕正居士さんから、提示していただいた『妙宗本尊弁』を熟読した上で、再度、ご質問させていただきたいと思います。宜しくお願いいたします。


顕正居士さん

妙宗本尊弁のご提示、有難うございます。読ませていただきます。

151犀角独歩:2005/05/05(木) 14:17:41

問答さん、よろしくお願い申し上げます。

永年、考え、あちらこちらで議論を投げかけてきたある程度の素描をここでできればと思います。
わたしもともかく、顕正居士さんがご提示下さった『妙宗本尊弁』を読んでみようと思います。


愚鈍凡夫さん、146、特に反論はありません。でもまあ、拝む対象と言うより「身に帯し心に存する」という扱いでなかったのかと思うんですね。だいたい、当初から掛け軸にしていたのでしょうか。それとも折り畳んで、袋に入れていたかどうなんでしょうか。

この前のオフ会の折、三学無縁さんと話したのです。
(以下、資料手放し証拠無しです)
掛け軸式の漫荼羅は、当然、奉懸はしただろう、けれど、用が終わればしまっただろう。これはつまり、御膳と蒲団と同じではないかと言ったんです。
身延の草庵にしても狭いところだった。弟子達は天台宗寺院に寄宿していた。そんなところで、特定の仏間と言えるような部屋は持てなかったのではないか。部屋に蒲団を敷けば寝室、御膳を出せば食堂、漫荼羅を懸ければ仏間。朝起きて蒲団を挙げて、御膳を出せば食堂で、片付けて、そこに漫荼羅を懸ければれっきとした道場、仏間となります。こんな用途が掛け軸式の漫荼羅の扱い方ではなかったのか…。

ついで、もう一話。漫荼羅は本尊と言うより、允可証、つまり弟子であることを証する免許のようなものではなかったのか。また、その允可証は祈祷の具でもあったので、不動・愛染と言った密教の要素を含む。また、身に帯すれば護本尊の意を兼ねる、そんなものではなかったのかとも。

三学無縁さんの見解としては、自分の名前を書いてあるものを本尊といって拝むことは有り得ない、本尊であるなら「南無」が冠されているのは変、南無は仰ぐ側の気持ちであるから、ということでした。

いわゆる、妙法曼陀羅供養の起源を探れば、漫荼羅の本尊化の成立時期がある程度、予測できるのではないかという思いがあります。

152愚鈍凡夫:2005/05/05(木) 15:30:49

犀角独歩さん、どうもです。
掛け軸ですか。まぁ経済的に余裕のある人は表装していたのでしょうが、1紙〜28紙までのバリエーションが何を意味するか、未だに謎なので何とも言えないのですが、比較的面積の大きな物は授与者の希望によったのではないかと推察しています。
この場合、授与者は信仰対象として捉えていたのではないでしょうか。
まぁ・・・・・、裏付は取れませんけどね。 (;^_^A アセアセ…

153犀角独歩:2005/05/05(木) 16:05:58

152 愚鈍凡夫さん、引き続き、資料手放しですが。

漫荼羅の大きさって、普通で考えれば、やはり懸ける場所に比例すると思えますね。
漫荼羅というのは、結局、「壇」ということですが、儀式法要を行う場所に懸ける用途があったことは予想されますね。
あとは懐中用。折り畳んだ跡が残っている漫荼羅があるわけですから、懐中(御護)は用途としてあったんでしょうね。これはしかし、大きい必要はないでしょうね。

かつて顕正居士さんがご指摘下さった宝珠曼荼羅(中央宝珠/脇士・不動愛染)に蓮師は着想を得ていると思います。虚空蔵菩薩とも関係が見いだせますね。これは法華経世界から離れるわけですが、真言との折衷はもはや疑いの余地はないと思えます。となれば、これは祈祷、壇、呪符ということになるんでしょうか。

だいたい、法華経からは、漫荼羅はおろか、本尊すら、教義として見いだせないわけですね。さらに天照八幡という神道の側面。法華、真言、神道、この三つの要素が織り混ざって漫荼羅は図案化されているわけですね。十界漫荼羅、妙法曼荼羅といえば、実に舌っ足らずな呼称と言うことになるのでしょう。

故に本尊抄の該当文は寿量本仏を説明になっても、漫荼羅図案の説明としては3分の1しか述べていないことになります。

154犀角独歩:2005/05/05(木) 16:23:50

―153からつづく―

宝珠という側面から少し書き足せば、蓮師は虚空蔵求聞持法で生身の虚空蔵菩薩を感見し、智慧の宝珠を受け取った、「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん。明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候」ということですが、この宝珠を、わたしは単なる智慧と考えていたのです。ところが三学無縁さんは、「この珠こそ、本尊抄に言う珠だ」と言ってのけた。すなわち「仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう」という珠です。

ここからはわたしの類推ですが、すなわち、この珠が表す智慧と一念三千であり、それを妙法蓮華経の五字で裏んだ。仏は大慈悲を起こして智慧の宝珠として、虚空蔵菩薩に託して日蓮に与えた。この珠を守護するのは、その後、感見する不動・愛染でした。すなわち、頚に懸けてもらった「末代幼稚」とは蓮師その人を指すのではないのか。その一連の脈絡を自身の信仰系譜の継承として漫荼羅に書き表し、弟子と允可した者に与えたのが蓮師の漫荼羅であったのではないのか。ここには弘通すべき付属の法がなんであるのか、しっかりと大書されています。すなわち「南無妙法蓮華経」です。

以上はわたしが想像する漫荼羅図示に至る道程ですが、さて、どうでしょうか。

155犀角独歩:2005/05/05(木) 21:44:11

問答さん、ちょっと、お考えをお聞かせください。

漫荼羅が本尊だとします。この場合、どこまでが本尊となるのでしょうか。
鬼子母神、竜王なども含めて図されているすべてでしょうか。讃文、日付、授与者はどうでしょうか。それとも南無妙法蓮華経でしょうか。妙法蓮華経でしょうか。釈迦・多宝はどうでしょうか。四菩薩はどうでしょうか。また、この諸尊は経典に登場する仏菩薩でしょうか。それとも、釈迦己心の九界ということでしょうか。
通常、漫荼羅を本尊とする場合、この本尊とはどこまでを指すのでしょうか。

例を『是日尼御書』とします。ここで「又御本尊一ふくかきてまいらせ候」とあります。もしこの「本尊」が四大天王、不動・愛染、十界諸尊の一切を書かれていたとすると、その全部が本尊となりますか。それともあくまで五字に限るのでしょうか。

というか、漫荼羅本尊信仰をされてきた段階で、問答さんは、以上の点、どのように納得されて考えてお出ででしたか。

156愚鈍凡夫:2005/05/06(金) 04:55:25

皆さんおはようございます。
犀角独歩さん、どうもです。

> 仏は大慈悲を起こして智慧の宝珠として、虚空蔵菩薩に託して日蓮に与えた。

この場合の仏とは大日如来ですか。
虚空蔵菩薩にしたら、「うちの大将を裏切って、釈迦に寝返りやがって。この恩知らず」ってとこでしょうか。 (^▽^;)

157問答迷人:2005/05/06(金) 06:33:08

>漫荼羅が本尊だとします。この場合、どこまでが本尊となるのでしょうか。

本尊は「本門教主釈尊」。これは動かない。その大前提に立って、「漫荼羅が本尊だとします」と、漫荼羅が「本門教主釈尊」を表している、という意味になりますね。

蓮師は字像曼陀羅を「大曼陀羅」と呼びますから、字像曼陀羅は「諸尊の形像を文字で描いた」ということなのだと思います。

以上を総合して、中央の「南無妙法蓮華経」が「本門教主釈尊」を文字で表したものではないかと考えてきました。さらに、字像曼陀羅は、南無妙法蓮華経を中心として、諸尊、十界の衆生が描かれていますから、その全体が「本門教主釈尊の仏像」という意味を持っていると考えます。その意味からは曼陀羅全体が「本尊」とも言えると思います。これが「御本尊一ふくかきてまいらせ」の意味だと思います。そして、その曼陀羅が「本尊」たる所以を限定的に捉えれば、「南無妙法蓮華経」が「本尊」なのだと思います。

158問答迷人:2005/05/06(金) 06:40:35

>また、この諸尊は経典に登場する仏菩薩でしょうか。それとも、釈迦己心の九界ということでしょうか。
 
この区別は良く分かりません。そのようにたて分けて考えたことがありません。

>通常、漫荼羅を本尊とする場合、この本尊とはどこまでを指すのでしょうか。

漫荼羅全体を指すと思います。

159犀角独歩:2005/05/06(金) 08:49:53

> 156

さすが、愚鈍凡夫さん、好いところに目を付けてくださいました。
大日如来は、実は日蓮漫荼羅を読む解く一つの鍵ですね。ところが「真言亡国だから、大日如来はダメ」という固定観念が富士方にはあります。これはしかし、本当でしょうか。

『法華取要抄』に「華厳経の十方臺上の・盧遮那、大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の左右の脇士也」と記します。つまり、法華経ではその名前が出てきていないが宝塔涌出、多宝如来がお出ましになると、その脇士は大日如来なんだというわけです。

また、『報恩抄』には「月氏には教主釈尊、宝塔品にして、一切の仏をあつめさせ給ひて大地の上に居せしめ、大日如来計り宝塔の中の南の下座にす(居)へ奉りて、教主釈尊は北の上座につかせ給ふ。此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給ふ。此れ即ち法華経の行者なり」とも言うわけですね。

日蓮花押は大日如来の種子を図案化したものであるというのは、山川師の説でしたね。
ここで漫荼羅を奉懸の作法を考えます。南面に懸けますね。つまり、北が奥で手前が南です。奥(北)に釈迦・多宝=教主釈尊は北の上座…多宝仏の上座に教主釈尊居、そして、手前(南)=大日如来…宝塔の中の南の下座に居、です。その南の下座を漫荼羅で見ると「日蓮花押」の位置と合致します。そこで山川説の花押=大日如来。さらに言えば、『不動愛染感見記』の「大日如来より日蓮に至る二十三代嫡々相承」という文を併せ考えると、どうなるか。どうなるでしょうか。

160犀角独歩:2005/05/06(金) 09:10:10

問答さん、もう少しお付き合いください。

> 釈迦己心の九界

これは『本尊抄』の「…我等が己心の声聞界…我等が己心の釈尊…我等が己心の菩薩等也。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属」といいます。

最後、地涌千界の菩薩は我等(日蓮)の己心の釈尊の、その釈尊のさらに己心の菩薩であると言います。いわば、人界所具の仏界の、その仏界所具の菩薩であるというのが、蓮師の示すところですから、以上のように記しました。

しかし、もし、これが仏界所具の九界でなければ、漫荼羅を拝む人は、妙法蓮華経のみならず、他の諸尊も拝むことになります。実際のところ、他派一般の日蓮門下にはそんな感覚があるようで、だからこそ、所謂、別勧請があるのだと思います。

問答さんは、この「たて分け」はないと仰いましたが、そうなると「南無妙法蓮華経」以外の所尊も拝んでいる心地でしょうか。

162問答迷人:2005/05/06(金) 09:38:12

>これが仏界所具の九界でなければ、漫荼羅を拝む人は、妙法蓮華経のみならず、他の諸尊も拝むことになります

あっ、そうですね。それは違います。157に於いて『諸尊、十界の衆生が描かれていますから、その全体が「本門教主釈尊の仏像」』と記した通りです。本尊抄の文に沿えば、『釈迦己心の九界』ということになります。

163犀角独歩:2005/05/06(金) 09:45:12

> 161

やはり、この心地でいらっしゃいますよね。

もう1点。少し視点を変えます。
寛師説では蓮師漫荼羅本尊(取り分け彫刻本尊なのですが、これは取り敢えず置いて)は「三大秘法惣在」であると、こうなります。
問答さんが仰ってこられたことは、要は漫荼羅(五字題目)=釈尊ということなのですが、こうなると、漫荼羅本尊を拝むことは、久遠釈尊(石山でいえば、本地・自受用/垂迹・上行/再誕・日蓮)を拝むことに異ならないのでしょうか。

164問答迷人:2005/05/06(金) 09:59:14

>久遠釈尊を拝むことに異ならないのでしょうか。

そうなりますね。そう考えています。

165犀角独歩:2005/05/06(金) 10:14:43

> 164

漫荼羅は三大秘法惣在で、題目のみならず、本尊(釈尊=日蓮)の意義がある。
では、逆はどうでしょうか。「漫荼羅の図の如く」の仏像は、では、三大秘法惣在足り得るとお考えになりますか。

167問答迷人:2005/05/06(金) 10:44:56

>「漫荼羅の図の如く」の仏像

文字通り、それは大曼荼羅そのものなのだと思います。木像、金像等を問わず、その仏像群が大曼荼羅を構成する訳ですから、同じく三大秘法惣在足り得ると思います。

168犀角独歩:2005/05/06(金) 11:03:52

> 167

この仏像による漫荼羅図を実現した場合、その中央には宝塔、その中には妙法蓮華経の五字、そして、並座の二仏が入り、(下座に『報恩抄』の如くであれば大日如来もあり)四菩薩が脇士として置かれることになります。(現行の荘厳では二仏は塔の外となっています。これは間違いであるというのが、わたしの一つの主張ですが、これは置きます)

このような奉安ではしかし、付属の法であれば「南無妙法蓮華経の五字」でなけれならないはずですが、宝塔の中は妙法蓮華経の五字となります。ここに南無妙法蓮華経(漫荼羅)、妙法蓮華経(仏像)の差異が生じますが、これを同じものであるとする整合性は、どのように取れるとお考えになりますか。

もう一点。この仏像奉安では、中央は妙法蓮華経ですが、問答さんは、この妙法蓮華経を拝むことと、漫荼羅の南無妙法蓮華経を拝むことは同じ異義に当たるとお考えになりますか。また、あまた並ぶ仏像を妙法蓮華経に具わる十界と拝しながらも、やはり、拝むのは中央題目ばかりとなりますか。この点は、どのようにお考えになりますか。

169犀角独歩:2005/05/06(金) 11:05:13

【168の訂正】

誤)同じ異義に当たる
正)同じ意義に当たる

170問答迷人:2005/05/06(金) 12:04:50

>南無妙法蓮華経(漫荼羅)、妙法蓮華経(仏像)の差異が生じますが、これを同じものであるとする整合性

観心本尊抄に説かれるのは妙法蓮華経五字ですが、曼荼羅としての仏像群の場合は、字像曼荼羅の如く南無を冠して、南無妙法蓮華経となると思います。

>あまた並ぶ仏像を妙法蓮華経に具わる十界と拝しながらも、やはり、拝むのは中央題目ばかりとなりますか。

そう思います。例えば、釈迦三尊を拝する場合、やはり、脇士の二尊には目が行かず、中尊の釈尊を拝んでいると思います。仏像群の場合も同様で有ろうかと思います。

171犀角独歩:2005/05/06(金) 12:19:50

> 観心本尊抄に説かれるのは妙法蓮華経五字ですが、曼荼羅としての仏像群の場合は、字像曼荼羅の如く南無を冠して、南無妙法蓮華経となる


しかし、こうなると本尊抄の文と相違してしまいませんか。

172犀角独歩:2005/05/06(金) 12:21:46

これから、でかけますので、戻りましたら、また続けさせていただきますが、もう一点。

漫荼羅の図の如く、仏像に置き換えることを蓮師は、考えていらっしゃったと思われますか。

173問答迷人:2005/05/06(金) 12:27:16

170の補足です。

曼荼羅は、字像曼荼羅であろうと、仏像群曼荼羅であろうと、いずれも、本門の題目「南無妙法蓮華経」の意義と、本門の本尊「本門教主釈尊」の意義と、本門の戒壇「曼荼羅(壇)」の意義と、この三つの意義を合わせ持つと思っています。

174問答迷人:2005/05/06(金) 12:32:58

そうですね。しかし、蓮師の字像曼荼羅は、中央南無妙法蓮華経であり、諸尊も南無が冠されており、この点、本尊抄と相違しています。観心本尊と、その表現形式としての曼荼羅では、蓮師のお考えでは、表現において相違があるのだと思います。

175問答迷人:2005/05/06(金) 12:41:57

>172

国教化された暁には、壮大な伽藍形式の寺院が必須であろうと思います。その時に、安置すべき本尊が字像曼荼羅に限る、というお考えは無かったと思います。もし、字像曼荼羅に限るのであれば、それこそ、その為に、蓮師自らが、巨大な板曼荼羅を作って、未来に備えられたことでしょう。

また、本門の本尊の表現形式が字像曼荼羅に限るのであれば、何処かに、それらしき表現が見られてしかるべきだと思います。そのような遺文が見当たらない以上、字像曼荼羅に限る、というお考えは無かったと思います。また、大曼荼羅とは仰っても、種子曼荼羅とは仰って無いので、仏像曼荼羅は視野に入れておられたと思います。

176藤川一郎:2005/05/06(金) 12:59:58
>>175
私は仏像曼陀羅派では無いのですが、もし仏像曼陀羅(立体曼陀羅とでも呼びましょうか?)
だったとして、
問題は仏像等の配置方法ですね。
十羅刹女、八大竜王などは文字で書くと簡単ですが「十体の羅刹女」「八体の竜王」等をバランス良く置けるのかどうかですね?

178問答迷人:2005/05/06(金) 13:18:08

>バランス良く置けるのかどうかですね

そうですね。だけど、仏像群に合わせて伽藍を作れば良いので、さほどの困難は無いのでは?

別の、少し狭い場所だと、十羅刹女は皐諦女で代表させるとか、色々と手法は考えられますね、字像曼荼羅に於いても、省略或いは拡張、と見られる表現の多寡が見られますから。

179顕正居士:2005/05/06(金) 13:54:03
ところで本尊問答鈔以外に法華経の題目が本尊であると述べる確実な遺文があるか?

これがあります。文永10年の顕仏未来記で真蹟曽存の書です。

此人守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめん歟。
(此人得守護之力以本門本尊妙法蓮華経五字令広宣流布閻浮提歟)

この文だけをとれば「本門の本尊と妙法蓮華経の五字」とも読めますが、続く文が

例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し
一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も
其の意是れ同じ。

であります。また下の文には「彼二十四字與此五字」と與の字があります。

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049185&VOL_NUM=00000&KOMA=503&ITYPE=0

180問答迷人:2005/05/06(金) 14:44:23

顕正居士さん

了解です。威音王仏との対比の仕方からは、確かに『本門の本尊』である『妙法蓮華経の五字』としか読めませんね。ご教示有難うございました。

181愚鈍凡夫:2005/05/06(金) 16:43:14

横レス失礼します。
しらぬまにレスがドンドン進んでる。 (;^_^A アセアセ…

「顕仏未来記」のこの文は、「彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ。」というのですから、法の流布を述べられているのではないでしょうか。

182問答迷人:2005/05/06(金) 17:20:00

>法の流布を述べられているのではないでしょうか。

この文は文字通り、『妙法蓮華経の五字』の流布について述べていると思います。法の流布に限る、というのは、どういう根拠でしょうか。

183愚鈍凡夫:2005/05/06(金) 17:58:46

あっ、問答迷人さんどうもです。
でも「彼の二十四字」は本尊とは関係ないですよね。その「二十四字」と「此の五字」と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ。というのですから、やはり法ではありませんか。

184問答迷人:2005/05/06(金) 18:43:53

愚鈍凡夫さん

妙法五字が法だ、と言うことになれば、そこから逆算して、『「本門の本尊」と「妙法蓮華経の五字」と読むべきである』というご意見ですね。

うーん。難しいですね。僕は、逆に、例えの文に、五字と別に本尊の広宣流布を述べていないから、『五字=本門の本尊』と思ったのですが・・・。

185犀角独歩:2005/05/06(金) 21:29:25

いま戻りました。で、まだ全体に目を通していないのですが、24文字の法華経についてだけ、先に述べますが、このようなことは、逆説的に問うてみることが、解を得る方法だと思います。

どういうことかというと、では「二十四文字の法華経は本尊か」という問いです。これは違うと思います。もし常不軽菩薩に本尊があるとすれば、それは威音王仏ではないでしょうか。

186犀角独歩:2005/05/06(金) 21:36:05

185はちょっと言葉足らずでした。少し書き足します。
いちおう、漢字ということが前提なのが、漢訳仏典の世界ですが、言いたいことは、妙法蓮華経の五字であれば、南無を冠して七文字ですが、二十四文字ですと、二十六文字になります。こんな「中尊」(この言葉には異論がありますが)が形状から、無理があると思えます。

187犀角独歩:2005/05/06(金) 21:57:59

問答名人さん、いちおう、ここまでをまとめて、重ねて質問させてください。

まず、その前に管見を記します。
妙法蓮華経と南無妙法蓮華経は、本尊抄で探れば、自然譲与と付属の相違がありました。わたしは、この相違を仏側と菩薩側で使い分けているように思います。つまり、仏側からすれば、妙法蓮華経ですが、拝受する菩薩側からすれば‘南無’妙法蓮華経となるという意味です。
仏はたしかに妙法蓮華経を付属したのですが、それを受けた菩薩は南無妙法蓮華経と拝受した違いです。自行の南無妙法蓮華経は菩薩側、しかし本門の本尊は仏側です。故に常に蓮師はこれを分けて論じていると思います。菩薩は遺された妙法蓮華経を、南無妙法蓮華経と弘通するのではないでしょうか。ここに本尊と題目の‘たて分け’がありませんか。
ここで質問ですが、問答さんは、妙法蓮華経と南無妙法蓮華経の相違を同お考えになっておられるのでしょうか。

次に漫荼羅勧請の諸損ですが、これを問答さんは、本門釈尊所具の九界であるとされました。では、ここでお尋ねしますが、たとえば、我が家の達師書写漫荼羅を見ると、妙法蓮華経のみならず、釈迦・多宝・四菩薩に留まらず、普賢、文殊、舎利弗、迦葉には南無が冠せられます。しかし、他の諸尊には南無は冠せられません。もし、一切が仏界所具の九界であれば、総帰命(すべてに南無が冠せられる)、もしくは中央題目以外は南無は不用となってしかるべきであると、わたしには思えるのです。このことから、漫荼羅に勧請される諸尊は仏界所具の九界ではなく、法華説法を凝した経典中の衆生であると考えるほうが至当であると思いますが、この点は如何でしょうか。

もう一点。漫荼羅を仏像に置き換えるという問題ですが、わたしもかつては、本日、議論されたように考えていました。しかし、いまは考えを改めています。仏像として造られるときは、一尊四師となる。わたしはこのように考えます。それをもっとも端的に継承したのが興師であったとも思います。この点は如何でしょうか。

以上、三点、お考えをお聞かせください。

188犀角独歩:2005/05/06(金) 22:00:07

【187の訂正】

誤)同お考え
正)どう、お考え

誤)漫荼羅勧請の諸損
正)漫荼羅勧請の諸尊

189問答迷人:2005/05/06(金) 22:35:30

>妙法蓮華経と南無妙法蓮華経の相違

これは明らかに別だと捉えています。まず「南無妙法蓮華経」ですが、これはあくまでも「お題目」であり、唱題の音声が基本だと思っています。南無妙法蓮華経は、蓮師の口唱が基本にあるからです。「妙法蓮華経」は神力品の久遠釈尊よりの結要付属が基本だと思っています。この付属の法、妙法蓮華経への帰命を口唱という形で行うのが「本門の題目」だと思います。

>漫荼羅に勧請される諸尊は仏界所具の九界ではなく、法華説法を凝した経典中の衆生であると考えるほうが至当

四聖に南無が冠せられるのは、仏教における普通のあり方であり、不自然は無いでしょう。それに対して仏界所具の六道は、いくら仏界所具と言えども六道である以上、南無を冠すべき理由が無いからだと思います。南無を冠していなくても、釈尊の己心の六道なのだと思います。

>一尊四士

曼荼羅を仏像に置き換える、ということですが、同じことの繰り返しになりますが、「大曼荼羅」という表現を蓮師がされている以上、字像曼荼羅は直ちに仏像群曼荼羅に置き換えられると思っています。一尊四師は、あくまでも、釈迦一体仏に拘る信徒に対する、経過的措置なのだろうと思います。

192犀角独歩:2005/05/07(土) 00:04:36

重要な点に入ってきました。

> 「南無妙法蓮華経」…音声…「本門の題目」

妙法蓮華経は久遠釈尊で、南無妙法蓮華経は音声題目という別という意味と言うことでしょうか。では漫荼羅中央に大書される南無妙法蓮華経はどちらでしょうか。

> 「妙法蓮華経」…結要付属

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」
「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。何に況んや其の已下をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付属したもう」

妙法蓮華経は自然譲与ですが、付属は南無妙法蓮華経というのが蓮師の主張であると思えますが、これは違いますでしょうか。

> …仏界所具の六道……南無を冠すべき理由が無い

ここは仰る意味がよくわかりません。たとえば、第16大本尊は総帰命の形になっていますが、では、これは南無を冠するべき理由がないのに蓮師は冠したと言うことでしょうか。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/016.html

> …一尊四師は…釈迦一体仏に拘る信徒に対する、経過的措置

これはどのような証拠から仰ることでしょうか。

本尊抄では、まず「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。八年之間、但、八品に限る」と言います。つまり、漫荼羅図の如き本尊は八年八品に限るということになりませんでしょうか。そして、「正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を‘脇士’と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て‘脇士’と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」と言いますが、ここで問題にしているのは‘’で括ったように脇士です。そして、「地涌千界出現…本門の釈尊の脇士…一閻浮提第一の本尊…月支・震旦、未だ此の本尊有さず…伝教大師…本門の四菩薩を顕さず」といい、本門釈尊と四菩薩像の関係を述べます。以上の脈絡からするとき、本尊抄で蓮師が言う寿量の仏=本門釈尊像は四菩薩像によって定まると思えますが、如何でしょうか。

以上のことから、漫荼羅(図されるところ)、末法出現の寿量仏像(一尊四士)と相違していると思うのですが、如何でしょうか。

なお、釈尊一体像に拘る人の筆頭を挙げれば、それは蓮師その人であったでしょう。何せ、死んだのちまで、自らの傍らに置けと命じた程ですから。ただ、この‘本尊’が本門本尊仏像たり得なかったのは、あえて蓮師が四菩薩像を副えなかったからである。つまり、将来、造立される本門本尊・寿量仏像と持仏を明確に分けていらっしゃったのであろうと考えるものです。

193通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 00:34:55
論議進展を興味深く拝見しております。
参考になればと思い、要文をいくつか示します。
「此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり分布して妄りに人に授与す可からず」(妙法蓮華経法師品)
「在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には、皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います」(妙法蓮華経法師品)
「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」(妙法蓮華経如来神力品)
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(観心本尊抄)
「日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」(法華取要抄)
「彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ」(顕仏未来記)
「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり、此の法門は漢土に始るのみならず月氏の論師までも明し給はぬ事なり」(兄弟抄)

194愚鈍凡夫:2005/05/07(土) 01:09:40

むむっ、進展が早い。 (;^_^A アセアセ…
通りすがりの凡夫さんが提示されている法華経の法師品・神力品の文は法華経が仏の悟達を説いた教典であると主張しているところですね。
それに対し、観心本尊抄・法華取要抄・顕仏未来記・兄弟抄は法華経の主題に法華経の悟達が集約されているとの、蓮祖独自の持論を展開されているところですよね。
何れの文も、「妙法蓮華經」が本尊であるとは言っていません。

195愚鈍凡夫:2005/05/07(土) 01:12:11

訂正
誤⇒法華経の悟達
正⇒法華経に説かれる仏の悟達

です、悪しからず。 m(_ _)m

196通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 01:13:18
>>194
本尊であるとはいっておりません。思考の参考のためにということです。
特に法華経に仏像崇拝ありやという点ですね。

197愚鈍凡夫:2005/05/07(土) 01:19:31

もし、蓮祖漫荼羅が本尊であるなら、観心本尊抄の論旨から言って、明確にそう述べられたのではないでしょうか。述べられていないのは、漫荼羅が本尊ではないとの逆説的な論証になるのではないでしょうか。

198通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 01:29:51
>>194
曼陀羅が蔵だとしたらどうですか。
蓮師は、彼の二十四字と此の五字とは同じである。
また法華経についても広略を捨てて肝要を好むといわれ暗に同じであるといわれていると思います。
悟りの体は三世の諸仏証得の一切種智であり、それを衆生に授けるのに、様々な形態をとったのでしょう。蓮師の場合は、曼陀羅であるだけで、曼陀羅そのものにはこだわりがなかったとも考えられますね。
だとすれば、曼陀羅への言及がなくても不思議ではありません。

199犀角独歩:2005/05/07(土) 01:51:32

「若し人仏の為の故に 諸の形像を建立し
 刻彫して衆相を成せる 皆已に仏道を成じき
 或は七宝を以て成し 鍮鉐赤白銅
 白鑞及び鉛錫 鉄木及与泥
 或は膠漆布を以て 厳飾して仏像を作れる
 是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき
 綵画して仏像の 百福荘厳の相を作すこと
 自らも作し若しは人をしてもせる 皆已に仏道を成じき
 乃至童子の戯に 若しは艸木及び筆
 或は指の爪甲を以て 画いて仏像を作せる
 是の如き諸人等 漸漸に功徳を積み
 大悲心を具足して 皆已に仏道を成じて
 但諸の菩薩を化し 無量の衆を度脱しき」(方便品)

200犀角独歩:2005/05/07(土) 01:54:34

むしろ、法華経にないのは、本尊、曼陀羅に冠する記述です。

201通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 01:56:48
>>199 犀角独歩さん

過去仏のところですね。それを拝されてどう思われましたか。
結局、蓮師の法門は観心の法門であると私は思いました。

202愚鈍凡夫:2005/05/07(土) 02:00:11

> また法華経についても広略を捨てて肝要を好むといわれ暗に同じであるといわれていると思います。

広略要は功徳を積む上に置いてはその効果が同じであっても、広=略=要ということではないでしょう。

> 曼陀羅そのものにはこだわりがなかったとも考えられますね。

仰ってる意味が計りかねますが、蓮祖は漫荼羅を重要視していなかったという意味ですか。
だから、敢えて漫荼羅に言及しなかったと。

203通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 02:00:12
>>200

基本的に法華経は、宝塔に経巻を配置して崇拝するという信仰形態だと思います。
あとは、見仏思想ですね。

204通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 02:07:22
>>202 愚鈍凡夫さん

もちろん同じではないです。授かる側の機根が違います。
蔵の中身は同じでも、蔵の形態が違うということです。
曼陀羅の相貌が異なるのは、そのためだと思います。

205犀角独歩:2005/05/07(土) 02:07:27

> 203

では、199に引用した仏像に冠する記述はどうでしょうか。
自分の主張に都合の悪いところはとばし読みですか(笑)

206愚鈍凡夫:2005/05/07(土) 02:12:44

通りすがりの凡夫さん、

> 蔵の中身は同じでも、蔵の形態が違うということです。

これは逆ではありませんか。漫荼羅の相貌が異なると言うことは、曼陀羅という蔵の形は同じでも、中の宝物の形が違うと言うことではないですか。

207犀角独歩:2005/05/07(土) 02:17:24

愚鈍凡夫さん、蔵だなんだという議論はナンセンスですよ。

第一、そんなこと、蓮師の確実な資料からは言えないことです。
それに漫荼羅に定型なしは、漫荼羅を研究した人であれば、誰しも至る結論じゃないですか。蓮師の考えでもないことで、議論をしてもどんどん見当はずれになるだけです。
おやめになったほうがよろしい。

208通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 02:18:06
>>205 犀角独歩さん

いえいえ、よみとばしではないですよ。
時に応じた修行法があるということだと思います。
「いわゆる雪山童子と申せし人は身を鬼にまかせて八字をならへり、薬王菩薩と申せし人は臂をやいて法華経に奉る、我が朝にも聖徳太子と申せし人は手のかわをはいで法華経をかき奉り、天智天皇と申せし国王は無名指と申すゆびをたいて釈迦仏に奉る、比れ等は賢人聖人の事なれば我等は叶いがたき事にて候
ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すはなに事ぞと委細にかんがへて候へば観心の法門なり、観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へばただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が身のかわをわぐにて候ぞ」

209犀角独歩:2005/05/07(土) 02:20:26

自分で言った言葉は、何でしたか。
「法華経に仏像崇拝ありや」

そこで、方便品にあると示したら、今度は時に応じた修行法と来ましたか。
では、末法今時、法華経典、時に応じた修行でしたか(笑)

210通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 02:27:51
>>209 犀角独歩さん

方便品の文は、すでに過去仏の因果をあかしたものです。

>末法今時、法華経典、時に応じた修行
だれもそのようなことをいってはいないと思いますが、いかがですか。

211愚鈍凡夫:2005/05/07(土) 02:29:19

犀角独歩さん、どうも。
お付き合いしないと、失礼かと思いまして。
通りすがりの凡夫さん、「本尊」について議論していたのであって、「修行」について議論していたのではなかったですか。

212犀角独歩:2005/05/07(土) 02:30:40

> 208

『事理供養御書』の

「たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと、委細にかんがへて候へば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、たゞ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。うへ(飢)たるよ(世)に、これはなしては、けう(今日)の命をつぐべき物もなきに、たゞひとつ候ごれう(御料)を仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。これは薬王のひぢをやき、雪山童子の身を鬼にたびて候にもあいをとらぬ功徳にて候へば、聖人の御ためには事供やう(養)、凡夫の為には理くやう。止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり」

というのであって、蓮師の法門が観心法門であることを述べるところではなく檀波羅蜜法門を陳べる段です。切り文して原意を変えるのはやめましょう。

213愚鈍凡夫:2005/05/07(土) 02:30:58

訂正
誤⇒修行」について議論していたのではなかったですか。

正⇒修行」について議論していたのではなかったのではないですか。

悪しからず。 m(_ _)m

214犀角独歩:2005/05/07(土) 02:33:45

> 210

ほお、では、その過去仏の因果とは?

215犀角独歩:2005/05/07(土) 02:40:17

さて、これ以上、愚にもつかないやり取りをしても時間の無駄ですからやめにします。
ところで、通りすがりの凡夫さん、あなたは、もう去ったのではなかったのですか。
それに、ここは「本尊と曼荼羅」スレです。違うことを書いて荒らすのはやめてください。

216通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 02:41:16
>>212,214 犀角独歩さん

結局心ざしですね。
過去仏が時に応じたさまざまな善根により、仏道を成じたわけです。
ですが、その悟りの体は同じであるということでしょう、

217犀角独歩:2005/05/07(土) 02:44:14

懲りない人ですね。
ですから、「過去仏」とは何ですか。

218通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 02:45:03
>>215 犀角独歩さん

まあ、そうですね。その点は謝ります。
荒らしとされるのは心外ですが、結果としてはスレ違いになってしまいました。

219通りすがりの凡夫:2005/05/07(土) 02:50:17
>>217 犀角独歩さん

方便品に説かれる過去の諸仏です。

220犀角独歩:2005/05/07(土) 03:08:39

> 219

そうすると、該当の部分は過去仏が種々の修行のうち、仏像を作ったことで仏道を乗じたことを記したところである、けれど、修行は時に従ってしなければいけないから、蓮師は観心法門で、志で、だから、仏像は要らないと、そう言うわけですか。

面倒なので、該当の偈が何を説いたのかは説明しませんが、上述があなたの考えであるわけですか。まあ、以上の‘答合わせ’は敢えてしませんが、ただ、一点、蓮師は随身仏を所持していたわけですから、あなたの言う時に外れた修行をしていたことになるわけですね。驚きました。

221問答迷人:2005/05/07(土) 06:35:07

>192
漫荼羅中央に大書される南無妙法蓮華経はどちらでしょうか。

両意を具えるのだと思います。ヒゲ文字でしたためられる事は音声題目を表現したものであろうと考えています。また、南無妙法蓮華経とは、「妙法蓮華経に帰命」ですから、久遠本仏の意義を具えると思います。


>妙法蓮華経は自然譲与ですが、付属は南無妙法蓮華経というのが蓮師の主張であると思えますが、これは違いますでしょうか。

自然譲与とは、どういう意味でしょうか。付属があって、付属の人が取り次がなくては、譲与は成立しないと思います。二つを分けて論じる意味がよく分かりません。

>第16大本尊は総帰命の形

南無を冠するべき列集のみを書かれているのではないのでしょうか。

続きは後ほど書き込みます。

222問答迷人:2005/05/07(土) 07:46:25

>192
本門釈尊像は四菩薩像によって定まる

なるほど。確かにそのように読めますね。脇士の四菩薩によって本門の教主釈尊像が定まると。

>漫荼羅(図されるところ)、末法出現の寿量仏像(一尊四士)と相違していると

字像曼荼羅には、初期の曼荼羅の幾つかの例外を除けば、四菩薩が描かれていますから、曼荼羅が本門教主釈尊を表している事は動かないと思います。問題は、蓮師が仏像群曼荼羅を考えておられたかどうか、ということですね。これについては、どこまでも推測の域を出ませんが、字像曼荼羅が仏像群曼荼羅の設計図としての役割を担っていないとは言い切れないと思います。仏像群曼荼羅のエッセンスが一尊四師ではないかと思いますが。

223犀角独歩:2005/05/07(土) 09:06:26

問答名人さん:

> 南無妙法蓮華経とは、「妙法蓮華経に帰命」ですから、久遠本仏の意義を具える

どのような証拠から、そのように仰せになるのでしょうか。
南無は帰命する側のことです。

> 自然譲与とは、どういう意味でしょうか。付属があって、付属の人が取り次がなくては、譲与は成立しないと思います。二つを分けて論じる意味がよく分かりません。

これは先に挙げたとおり、蓮師が書き分けていますので、それに従ったことです。


>> 第16大本尊は総帰命の形
> 南無を冠するべき列集のみを書かれている

これは、わたしの質問を誤解なさっていると思います。
四聖にのみ、南無を冠するのに対して、一切に南無を冠する違いです。
たとえば、第16大本尊では天照八幡には南無が感せられますが、第93大漫荼羅では冠せられません。この相違は、どうして起きるのかという質問です。

> 曼荼羅が本門教主釈尊を表している事は動かない

そうでしょうか。では、漫荼羅が本門教主釈尊を表す証拠は何でしょうか。

> 字像曼荼羅が仏像群曼荼羅の設計図としての役割を担っていないとは言い切れない

咲きに引用したとおり「其本尊為体」以下の文言は八年八品を表していますが、一尊四士は久遠本仏と、滅後末法弘通の菩薩を表しています。前者は、インド応誕時の釈尊の様ですが、一尊四士は末法、地涌菩薩の弘通を示すと考えられますから、その意義は違うのではないでしょうか。そのことをこんこんと記しているのが本尊抄であるという意味で、先に脇士に就いて記したわけです。

其本尊為体は在世(正法)の様であるのに対して、一尊四士は久末を表す奉安の相違がありませんか。

> 仏像群曼荼羅のエッセンスが一尊四師

以上のことから、わたしはこのお考えは違っていると思います。

久遠釈尊=妙法蓮華経、漫荼羅図=仏像奉安ということは、実際上、不可能であると思います。理由は至って簡単で、中央と並座、両方に釈尊を置くことになってしまうからです。つまり、漫荼羅が示すところと、仏像奉安では、その意義が違っているのであろうと思うわけです。漫荼羅は付属の南無妙法蓮華経(事行の南○経)を表すのに対して、仏像奉安は久遠釈尊(本門の本尊)と弘通の菩薩を表す違いです。これを本尊抄に

「事行の南無妙法蓮華経の五字、竝びに本門の本尊」

と分けて言うのではないでしょうか。この二つがイコールであるという証拠は何も見当たりません。しかし、それはわたしの見落としでしょうか。何か証文がありますでしょうか。

224問答迷人:2005/05/07(土) 11:25:02

>これは先に挙げたとおり、蓮師が書き分けていますので、それに従ったことです。

それでは以下の遺文はどうお考えでしょうか。これらを見る限り、『妙法蓮華経の五字』が自然譲与とは、いえないと思いますが、如何でしょう。

観心本尊抄『地涌千界の大菩薩を召して、寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめたもう也。』『此の十神力は妙法蓮華経の五字を以て上行・安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に授与したもうなり。』

法華取要抄『日蓮は広略を捨てて肝要を好む。所謂、上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字也。』

新尼御前御返事『上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ、』

高橋入道殿御返事『大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして、多宝仏・十方の諸仏の御前にして、釈迦如来七宝の塔中にして、妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給ふ』

225問答迷人:2005/05/07(土) 12:04:28

>192
妙法蓮華経は久遠釈尊で、南無妙法蓮華経は音声題目という別という意味と言うことでしょうか。では漫荼羅中央に大書される南無妙法蓮華経はどちらでしょうか。

この点、舌足らずだったようなので、補足します。

字像曼荼羅に於いては、南無妙法蓮華経と唱える本門の題目の意義と、帰命すべき対象としての本門の本尊の意義との両意を具える表現として、漫荼羅中央に南無妙法蓮華経と大書されるのだと思います。

226問答迷人:2005/05/07(土) 12:13:10

>この相違は、どうして起きるのかという質問です。

あっ、了解です。この点については、よく分かりません。前言撤回します。

ご質問ですが、十界の列衆の内、四悪道に対して南無を冠した例はざっと見ましたが、無い様に思いますが、如何でしょうか。ご存知でしたらご教示ください。

227問答迷人:2005/05/07(土) 12:19:21

>漫荼羅が本門教主釈尊を表す証拠は何

曼荼羅には、本尊抄に述べられる「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。」が表現されているからです。

228問答迷人:2005/05/07(土) 12:23:48

>其本尊為体は在世(正法)の様であるのに対して、一尊四士は久末を表す奉安の相違がありませんか。

もしそうだとすれば、弟子檀那に対して、字像曼荼羅を多数授与し、方や、一尊四師像は一体も残されなかった理由が分かりません。在世の為の本尊の姿を、末法の衆生に授与する目的が何かあるのでしょうか。

229犀角独歩:2005/05/07(土) 12:25:58

問答さん、妙法蓮華経自然譲与は、本尊抄の

「一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏・木画二像之本尊は有名無実也。
 問て曰く 上の大難、未だ其の会通を聞かず、如何。
 答て曰く 無量義経に云く_雖未得修行。六波羅蜜。六波羅蜜。自然在前〔未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前す〕等云云。法華経に云く_欲聞具足道〔具足の道を聞かんと欲す〕等云云。涅槃経に云く_薩者名具足〔薩とは具足のに名く〕等云云。龍樹菩薩の云く ̄薩者六也〔薩とは六なり〕等云云。無依無得大乗四論玄義記に云く ̄沙者訳云六。胡法以六為具足義也〔沙とは訳して六と云う。胡の法には六を以て具足の義と為す也〕。吉蔵の疏に云く ̄〔沙飜為具足〔沙とは飜して具足と為す〕。天台大師の云く ̄薩者梵語。此妙飜〔薩とは梵語。此れには妙と飜す〕等云云。
 私に会通を加えば本文を黷すが如し。爾りと雖も、文の心は、釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば‘自然’に彼の因果の功徳を‘譲’り‘与’えたもう」

という蓮師の言葉です。
一念三千の仏種…有情の成仏…木画二像之本尊…六波羅密自然在前、薩…妙…具足に就き、蓮師が加えた会通です。
ここでは、蓮師は自身上行の立場を採っているわけではなく、しかし、寿量仏像出現を天台の難信難解から一念三千仏種を論じているのではないでしょうか。
正法から像法における一念三千は以上によって充てる。実際のところ、四菩薩の出現無くして、妙法蓮華経の五字は日本まで伝わってきました。
それはつまり、『南条兵衛七郎殿御書』に

「弥勒菩薩の云く ̄東方有小国 唯有大機〔東方に小国有り。唯大機のみ有り〕等云云。此の論の文の如きは、閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機ある歟。肇公の記に云く ̄茲典有縁東北小国〔茲の典は東北の小国に有縁なり〕等云云。法華経は東北の国に縁ありとかかれたり。安然和尚の云く ̄我日本国皆信大乗〔我が日本国皆大乗を信ず〕等云云。慧心の一乗要決に云く ̄日本一州円機純一等云云。釈迦如来・弥勒菩薩・須利耶蘇摩三蔵・羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心先徳等の心ならば、日本国は純に法華経の機也」

という如くです。

しかし、十神力付属は結要付属ですから、これは地涌菩薩に限ります。この前者の妙法蓮華経と、後者の妙法蓮華経は明らかに違います。つまり、その後、記される妙法蓮華経は南無妙法蓮華経の五字であって、そればかりは付属の法であるということでしょう。
ここに自然譲与と付属の相違があると思いますが、如何でしょうか。

では、引き続き、漫荼羅諸尊の南無の有無、久遠釈尊=妙法蓮華経の名証をお待ちいたします。

230問答迷人:2005/05/07(土) 12:29:08

>中央と並座、両方に釈尊を置くことになってしまうからです。

本尊抄の『塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩』の配置だと、そうはならないとおもいますが。

231犀角独歩:2005/05/07(土) 12:34:20

> 230

ええ、ですから、漫荼羅として表せば、もちろん、そうはなりません。妙法蓮華経は釈尊となっていませんから。

しかし、妙法蓮華経=釈尊であれば、中央の妙法蓮華経は釈尊でなければならなくなります。そうなれば、釈尊は二体顕れることになるという意味です。

232問答迷人:2005/05/07(土) 12:40:56

>その後、記される妙法蓮華経は南無妙法蓮華経の五字であって

蓮師は、『妙法蓮華経の五字』と『南無妙法蓮華経の五字」との二通りの表現をされますが、その表現の違いだけでは、その意味内容は判別出来ないように思います。南無が有るか無いか、という事ではなく、付属かそうでないかは、文脈で捉えるべきではないかと思いますが、如何でしょうか。

233犀角独歩:2005/05/07(土) 12:44:13

> 232

これはもちろん、そのとおりでしょう。しかし、厳密な表現として、蓮師はその2つを使い分けた例を遺文から挙げたと言うことです。

234問答迷人:2005/05/07(土) 12:44:55
>231
そうなれば、釈尊は二体顕れることになるという意味です。

だからこそ、本尊抄の文は「妙法蓮華経」と表現されていると思います。仏像群曼荼羅では、それを踏襲して、五輪塔を中央に立てる、という推論は独歩さんが、かつて述べられたことでした。

235問答迷人:2005/05/07(土) 12:50:19

>233
蓮師はその2つを使い分けた例

なぜ、この二つを使い分ける必要があるのでしょうか。妙法蓮華経が久遠本仏を表し、南無妙法蓮華経が久遠本仏への信仰実践を表す、そういうことた゜と僕は考えています。

236犀角独歩:2005/05/07(土) 13:02:09

> 234

そのとおりです。ですから、その点をわたしは考えを改めたと記したのです。
その理由は、先に縷々記したとおりですが、「其本尊為体」では、末法の本尊足り得ないからです。なぜならば、これは妙法蓮華経を地涌菩薩に付属した様の描写ですから、ここで示される釈尊は、久成を表明したところで、印度応誕の釈尊です。

五百塵点成道、そして、地涌菩薩を初めて発心させた時点の釈尊には‘弟子は、地涌以外にない’わけです。つまり、仏・久遠釈尊と弟子・地涌菩薩のみです。これを像に表せば、どうなるでしょうか。つまり、一尊四士以外に有り得ません。

つまり、その後、近成の弟子・衆生を安置する奉安では、久遠釈尊、初発心・地涌菩薩、また、末法の仏菩薩を表現できません。違いますでしょうか。わたしが考えを改めた理由はここにあります。

ですから、漫荼羅図のように仏像を作ることが出来ても、それは末法の用とはなり得ないということです。仏菩薩の様は唯、久遠釈尊と四菩薩に限ります。つまり一尊四士です。

ではしかし、漫荼羅は、その用となり得ないことが書いてあることになるのか、という疑問が生じますが、ここから、では、漫荼羅とは何かという問いがはじまるわけです。

237問答迷人:2005/05/07(土) 13:27:37

>236
仏菩薩の様は唯、久遠釈尊と四菩薩に限ります。つまり一尊四士です。

観心本尊抄は末法に於いて始める、或いは始まる観心本尊について述べられたものです。もし、一尊四士がその本尊抄で説かれる『如来滅後五五百歳始観心本尊』だとして、その旨を結論として明記した明文が有りますでしょうか。

238犀角独歩:2005/05/07(土) 13:38:15

192に記したところです。しかし、もちろん「一尊四士」という後代の呼称がここで使われているわけではありません。

本尊抄では、まず「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。八年之間、但、八品に限る」と言います。つまり、漫荼羅図の如き本尊は八年八品に限る…
「正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を‘脇士’と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て‘脇士’と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」と言いますが、ここで問題にしているのは‘’で括ったように脇士…
…「地涌千界出現…本門の釈尊の脇士…一閻浮提第一の本尊…月支・震旦、未だ此の本尊有さず…伝教大師…本門の四菩薩を顕さず」といい、本門釈尊と四菩薩像の関係を述べます。以上の脈絡からするとき、本尊抄で蓮師が言う寿量の仏=本門釈尊像は四菩薩像によって定まる…

239問答迷人:2005/05/07(土) 14:13:37

如来滅後五五百歳始観心本尊について、蓮師は本文の中で次のように述べています。

先ず、観心について『観心とは我が己心を観じて十法界を見る。是れを観心と云う也。』

さらに、引き続いて『譬ば他人の六根を見ると雖も 未だ自面の六根を見ず自具の六根を知らず。明鏡に向う之時 始て自具の六根を見るが如し。設い諸経之中に所々に六道竝びに四聖を載すと雖も 法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば 自具の十界百界千如一念三千を知らざる也。』と述べられる訳です。ここで、『法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡』によって一念三千の観心を成就することを述べられるわけで、一念三千の観心を成就するための『本尊』を述べられる前段とされています。

そして、本尊抄の結論の所では、『天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。』と述べられ、一念三千の観心が妙法蓮華経の五字を受持することによって成就されることを述べられる訳です。

この文脈からすれば、妙法五字を受持することを以って、一念三千の観心を成就することを本尊抄において説かれており、一尊四士の仏像では、妙法蓮華経の五字は何処に行ってしまったのか、と訝るばかりです。もし、妙法蓮華経の五字が、本尊の事ではなくて、唱題の五字の事だとすれば、この抄は「如来滅後五五百歳始唱法華題目抄」とすべき、という事になると思いますが。

240問答迷人:2005/05/07(土) 14:18:08

訂正です。

× もし、妙法蓮華経の五字が、本尊の事ではなくて、唱題の五字の事だとすれば、

○ もし、妙法蓮華経の五字が、本尊ではなく、一尊四士に向かって唱える唱題の五字の事だとすれば

241犀角独歩:2005/05/07(土) 14:30:23

> 239

唱題の五字というのは問答さんの主張であって、蓮師の主張ではありませんでしょう。蓮師は本尊抄では事行の南無妙法蓮華経といい、のちには本門の題目と言います。
本門の本尊が本門の題目であれば、これを別に陳べる必要はありません。
反詰すれば、では、本門の本尊が本物題目であると蓮師はどこに記しているのでしょうか。

たいへん、僭越ながら、申し上げますが、これは一念三千の基本的な思想構造を理解されていないことから来る誤解ではないでしょうか。

要は寿量品で三妙合論が説かれることは仏界(本果)、菩薩界(本因)を表記であり、娑婆世界説法教化は三世間における(本国土)は仏界所具の菩薩界、仏界の本国土を表す訳ですから、寿量本仏本尊と、地涌菩薩が顕れない限り、一念三千は成就しません。つまり、それを

「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏也。経に云く_我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数〔我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶お未だ尽きず。復上の数に倍せり〕等云云。我等が己心の菩薩等也。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属也。例せば太公・周公旦等は周武の臣下、成王幼稚の眷属、武内の大臣は神功皇后の棟梁、仁徳王子の臣下なるが如し也。上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩也。妙楽大師云く 当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念遍於法界〔当に知るべし、身土は一念三千なり。故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍ねし〕等云云。[p0711-0712]
 夫れ始め寂滅道場華蔵世界より沙羅林に終るまで五十余年之間、華厳・密厳・三変・四見等之三土四土は、皆、成劫之上の無常上の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等也。能変の教主涅槃に入れば、所変の諸仏随って滅尽す。土も又以て是の如し。今、本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり。仏、既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化、以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足三種の世間也」

と記されるわけです。つまり、三妙合論して、久遠本仏(仏界)が顕れなければ一念三千は成就しないことと、本門の題目は混同できません。この釈尊の因行果徳の二法による一念三千の珠を裏み、上行所伝されるところが、妙法蓮華経ですから、この二義は分けて立つのでしょう。本門釈尊は本尊であり、題目は付属の法の違いです。

242犀角独歩:2005/05/07(土) 14:31:42

> 241

誤)本門の本尊が本物題目
正)本門の本尊が本門の題目

243問答迷人:2005/05/07(土) 14:49:52

重ねてご質問します。

本尊抄には『法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば 自具の十界百界千如一念三千を知らざる也』とあります。

それでは蓮師はここに述べられる「摩訶止観等の明鏡」として何を立てられたのでしょうか。それが観心本尊ではないのでしょうか。

244犀角独歩:2005/05/07(土) 14:52:02

> 一尊四士の仏像では、妙法蓮華経の五字は何処に行ってしまったのか、と訝るばかりです

ですから、ここに仏像造立と漫荼羅図示は、別に存することになるのではないでしょうか。

> 妙法蓮華経の五字…本尊の事ではなくて、唱題の五字の事…「如来滅後五五百歳始唱法華題目抄」

ええ、そのとおりでしょう。ところが、そうはなっていません。一連の問答さんの主張に従えば、以上のような抄名となってしかるべきです。しかし、実際は蓮師自ら「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とされました。つまり、題目本尊を論じたのではなく、釈尊本尊を論じた抄であるということでしょう。

245犀角独歩:2005/05/07(土) 15:05:53

やや錯綜しました。243に戻り、お応えします。

> 本尊抄には『法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば 自具の十界百界千如一念三千を知らざる也』とあります。


ここで読み止めては、文字どおり自具(人界所具)で留まり肝心の仏界所具の九界が顕れません。すなわち、

> 法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば 自具の十界百界千如一念三千を知らざる也。
 問て曰く 法華経は何れの文ぞ。天台の釈は如何。
 答て曰く 法華経第一方便品に云く_欲令衆生。開仏知見〔衆生をして仏知見を開かしめんと欲す〕等云云。是れは九界所具の仏界也。
寿量品に云く_如是我成仏已来。甚大久遠。寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅。諸善男子。我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数。〔是の如く我成仏してより已来甚だ大に久遠なり。寿命無量阿僧祇劫常住にして滅せず。諸の善男子、我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶お未だ尽きず。復上の数に倍せり〕等云云。此経文は仏界所具の九界也。

> …「摩訶止観等の明鏡」として何を立てられた…観心本尊

いや、そうではなく、蓮師は摩訶止観等を明鏡として、本尊を観心したのでしょう。先の文に「観心とは我が己心を観じて十法界」とあります。この十法界の最極は仏界です。ところが

「仏界計り現じ難し。九界を具するを以て強いて之を信じ、疑惑せしむること勿れ。法華経の文に人界を説いて云く_欲令衆生。開仏知見〔衆生をして仏知見を開かしめんと欲す〕。涅槃経に云く_学大乗者雖有肉眼名為仏眼〔大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す〕等云云。末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。
 問て曰く 十界互具の仏語分明なり。然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること、信を取り難き者也。今時、之を信ぜずば必ず一闡提と成らん。願わくは大慈悲を起こして之を信ぜしめ、阿鼻の苦を救護したまえ」

という大問題と蓮師は止観を通じて立ち向かうわけです。そこで、蓮師があの極寒の佐渡、流人という境涯で、衣食乏しきなかで感得したのが、久遠釈尊という仏界であったわけでしょう。仏界を見ぬ限り一念三千は成就せず、それは阿鼻の苦であるという切羽詰まった肉迫であったのでしょう。

246問答迷人:2005/05/07(土) 15:58:25

本尊抄の本文には次のような文があります。

『草木の上に色心の因果を置かずんば、木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり。』

ここで言う『本尊』とは、信仰の対象であり、木像、或いは画像の仏像を言うと思われます。注目すべきは、「本尊に恃み奉ること」という表現です。ここに於いて、本尊とは、『木像或いは画像で、恃み奉るべき対象』という事でしょう。別な言い方をすれば、偶像と取れるような物理的存在をさしていると思います。

『蓮師は摩訶止観等を明鏡として、本尊を観心したのでしょう』という表現からは、このような物理的存在としての『本尊』の姿は覗われません。『如来滅後五五百歳始観心本尊』とは、何らかの物理的存在で、しかも、一念三千の観心を成就する為の明鏡としての役割を果たす存在を指すのだと思います。

それが、字像曼荼羅なのか、一尊四士の仏像なのか、という事では有りませんか。

247犀角独歩:2005/05/07(土) 16:54:30

論攷の順番が逆になりましたが、仰るところは「百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亙る」という、いよいよ三世間に踏み込んでいく段ですね。
また、ここでは仏像開眼は真言師ではなく、法華天台でなければならないという主張が籠められているわけですね。

> ここで言う『本尊』とは、信仰の対象であり、木像、或いは画像の仏像を言う…

「未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか…地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」

という本門の本尊ですね。

> 『蓮師は摩訶止観等を明鏡として、本尊を観心したのでしょう』という表現からは、このような物理的存在としての『本尊』の姿は覗われません。『如来滅後五五百歳始観心本尊』とは、何らかの物理的存在で、しかも、一念三千の観心を成就する為の明鏡としての役割を果たす存在を指すのだと思います。

これは一部はあって居ますが一部は違っていると思うのです。
観心本尊とは、文字どおりなのであって、心で観る本尊でしょう。
しかし、それが仏像の形で出現するとも言うわけです。
けれど、「一念三千の観心を成就する為の明鏡」は、もはや、必要ではなく、「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう」と結論されるからです。つまり、こちらは事行の南無妙法蓮華経であろうと存じます。

> 字像曼荼羅なのか、一尊四士の仏像なのか

という択一ではなく、字像漫荼羅としての事行の南無妙法蓮華経、一尊四士として本門の本尊ということであると思います。

248問答迷人:2005/05/07(土) 17:22:43

>字像漫荼羅としての事行の南無妙法蓮華経

字像曼荼羅は本門の題目であると。これは、驚嘆に値する、革命的な、大いなる説だと思います。了解です。永年の謎が解けそうな気がしてきました。

249犀角独歩:2005/05/07(土) 18:15:51

> 248

問答名人さん、たいへん嬉しく存じます。

本尊抄に

「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめたもう」

この五字はしかし、問答さんがお示しのとおり、上行所伝付属です。
では、この「授与」の二文字ですが、具体的には、どのように授与されるのでしょうか。すなわち、これがまさに漫荼羅の形で授与されるということではないでしょうか。
実際のところ、漫荼羅には「授与」の文字を以て弟子・檀那に下されていったわけです。さらにこの漫荼羅図は実に懇切丁寧です。この妙法蓮華経が、どのような形で所伝されたかを図案を以て説明されています。「南無妙法蓮華経」と大書され、それが多宝塔内の妙法蓮華経であり、釈迦・多宝は並座し、これを示し、付属弘通の四菩薩は釈尊の脇士として、その法が付属されたことを示します。その儀式が行われたのは在世八年八品に限ることは図示を見れば即座に理解できます。こうして八年八品において、四菩薩に付属された妙法蓮華経は、今度は、具体的に、その弟子檀那に、日蓮花押の認めを以て授与されるところが漫荼羅ではないのかと、わたしは考えるわけです。これはまた、末法法華経の行者の所持の法、事行の法が何であるかを明示された証文でもあるでしょう。
ですから、漫荼羅は事行の南無妙法蓮華経の授与書ではないのか、となれば、これは、本門本尊の性質とは役割を異にしていると、わたしは考えるわけです。
蓮師の漫荼羅図示、授与には以上のような思いが隠っていると思うのです。

また、「此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」といい、四菩薩は在俗の王と僧の二者として顕れることを陳べます。

もし、蓮師が上行最誕の自覚があったとすれば、僧として「正法弘持」の姿を示し、より具体的には、その法を漫荼羅と図示して授与することを意図したと思えます。
一方、在俗の王と出現する四菩薩は愚王を誡責して、そこで寿量本仏の仏像と、それを安置する堂宇を建て一国広宣流布の姿を示すという、違う役割を担うという二面性を蓮師は、考え、述作されていったのが本尊抄ではないのかと、蓮師の意図を、わたしは読みました。

251問答迷人:2005/05/07(土) 19:32:56

蓮師は三つの秘法について

『本門の題目』の流布を果たした。
『本門の本尊』については、広宣流布の時を待って、骨格のみ示した。
『本門の戒壇』については、名目を挙げるのみに留めた。

こういう理解で宜しいでしょうか。あと問題は、この理解が真蹟遺文と矛盾しないか、ですね。

252犀角独歩:2005/05/07(土) 20:42:18

問答さん、251の整理、わたしもそのように考えております。
また、真跡から窺えるところも、このようであると思います。

253小心者:2005/05/07(土) 20:49:07
失礼です、。
 浅学ながら、、疑問です、、??
 ”、、因行、果徳(修行を原因〜〜結果は徳=成仏)、の二法、、??とは一体、、??
 本門〜本因妙〜事行〜因行〜結果〜功徳===、、?? 南無妙法連華経、、?? 難解です、。

254犀角独歩:2005/05/07(土) 21:05:00

小心者さん、もう少し具体的にご質問いただければ、答えようもあります。
再度、問うてください。

255真部:2005/05/08(日) 01:17:43
独歩さんの論考に感銘深く拝見させて頂いておりました。
「漫荼羅」とは何かについて、「南無妙法蓮華経の授与書ではないのか」というご指摘がございました。
議論に触発されて茂田井教亨師の「「観心本尊抄」を語る」平成14年刊を読んでいましたところ、以下のような文が書かれていましたので、もしよろしければ、どのように考えればいいのか
教えて頂ければありがたいです。
同書P156「大聖人のご本尊は、大曼荼羅をご本尊とされておりますが、大曼荼羅全体がご本尊ではございません。聖人のご本尊とおっしゃるところは、一尊四士のところなのです。一番上の段なのです。釈迦牟尼仏と四菩薩がお並びになりますところが、あそこがご本尊なので、文殊・普賢以下はご本尊ではございません…」
と書かれていました。
「授与書」というお考えと、このお考えをどのように理解すればよいのかと思いまして御指導頂ければ幸いです。

256愚鈍凡夫:2005/05/08(日) 07:44:37

蓮祖の本尊は、形として表現した場合、3通りの可能性があると、今でも考えています。
仏像・画像、そして漫荼羅自体も、信者の側から見れば本尊足り得る可能性があるのでないかと思っています。結局はいずれを通して「本門の教主釈尊」を観じるかということではないでしょうか。
そして、この教主釈尊の功徳の累積を我が身に体現する手法が「南無妙法蓮華経」だというのが、蓮祖の一貫した主張なのだと思います。

257犀角独歩:2005/05/08(日) 08:37:17

真部さん:

わたしは、所謂、聖職者でも、仏教学者ではなく、在野で独歩しておりますので、指導などということはできませんが、共に考えていくことはできます。

自分に対する不勉強の言い訳に聞こえるかも知れませんが、基本的に、先人の言ったことを参考にしない、ただ、自分の目と頭で、蓮師に直接向かってみよう、そんな思いでやってきました。そのことから、まるでと言うことではありませんが、系統立て、学究的に学者先生の書物をくまなく読んでいるわけではありません。ただ、そんななかで時折、目から鱗が落ちる思いがする秀でた論攷に出会ってきたこともしばしばですが。

茂田井師についても、さて、これからじっくりと読まなければと言う思いでおりますが、しかし、一切を渉猟しておりません。ですから、お応えできることは、真跡遺文から読み解くわたしの管見であることをどうかご了解のうえ、お読みいただければと存じます。わたしは漫荼羅を、蓮師は本尊と考えてお出でであったのかという、ここ700年間の門下の常識そのものを疑ってかかるところに立脚しています。そのわたしからして、茂田井師の仰せは、実に鋭利な説であると思えました。

わたしが「漫荼羅が授与書」、いわば允可、もしくは免許の意味があると申し上げたのは、しかし、それはまず漫荼羅図示の理由の一つとして、申し上げたことでした。さらに、」その大きさの大小、四大天王が四隅に配されるか否か、経文を記される、何より不動愛染の勧請などから類推するに、たぶん、その他にもその意味するところはあると思います。そのようなことから、「漫荼羅に本尊が図されている」という考えには痛痒を覚えません。ただ、漫荼羅に図される本尊は付属の妙法を四菩薩に付属することを示すために図さたということで、一尊四士と仏像を結ぶのとは、意味を異にすると思うわけです。以上がご質問に対する答です。

以下、ついでに少し記させていただきます。

「漫荼羅を拝む」ということを、いくつか考えることができると思います。まず、合掌する、唱題する、読経するということです。また、漫荼羅は身に帯する、奉懸する、また単に護持する、さて、どう扱っていたのかというのが、いま、問答さんと考えようと思っているところです。

また、結界、道場としての荘厳も意味できたと思います。四大天王が勧請されるのであれば、戒壇の意味を孕むと考えられます。しかし、殊、蓮師に限って考えれば、その日々において、漫荼羅を奉懸されていたと思えるものはなにもないわけです。

不動愛染、また、鬼子母神、十羅刹女などの諸尊は石山方ではあまりピンときませんが、やはり、密教、祈祷の意義が濃い勧請であろうと思います。種々の願行成就という側面です。

これは三学無縁さんのお考えですが、「漫荼羅は敵国調伏のための密教的な法具であったのではないか」と仰っていた。当時の時代相を考えると、こんな一面はあってもおかしくないと思えます。

151に、わたしは資料手放しで記しました。

「身延の草庵にしても狭いところだった。弟子達は天台宗寺院に寄宿していた。そんなところで、特定の仏間と言えるような部屋は持てなかったのではないか。部屋に蒲団を敷けば寝室、御膳を出せば食堂、漫荼羅を懸ければ仏間。朝起きて蒲団を挙げて、御膳を出せば食堂で、片付けて、そこに漫荼羅を懸ければれっきとした道場、仏間となります。こんな用途が掛け軸式の漫荼羅の扱い方ではなかったのか…」

今でこそ、漫荼羅は日蓮門下にとって当然の存在ですが、考え直すと蓮師が漫荼羅を図されていた期間は僅か10年ほどのことです。桐谷師は、その意義を弟子に伝えるのに、実に苦労されたのではないかと記していました。もっと言えば、10年という歳月は、よく伝える間もないどころか、実際にその完成を見るのに充分な時間でないという思いをわたしは懐いています。漫荼羅が未完成であるという意味ではないのですが、それほど、10年という時間は短い。また、実際のところ、当時の蓮師とお弟子は日々、どのような修行生活を送っておられたのか、このこともあまりはっきりしていないと思います。

ただ、想像できることは、修行をするにせよ、また、いまで言う法座のようなものを開くにせよ、そこに南無妙法蓮華経、釈迦・多宝・四菩薩、そして、日蓮花押と図された書が奉懸されれば、その集まりの意義の大半は無言で説明されたことになります。上行所伝の南無妙法蓮華経を奉持する日蓮が弟子檀那の証明を漫荼羅一幅で、すべて担えるわけです。

しかし、この漫荼羅の中に敢えて本尊を見いだし、読経したのかどうか、いわば妙法曼荼羅供養の起源が蓮師まで遡れるのかどうか、ここにいまのわたしの興味があります。

258犀角独歩:2005/05/08(日) 09:37:09

257の補足

筆が滑り、一つ、肝心なことを書き落としました。

茂田井師は一尊四士が本尊と言うことですが、これは厳格に言えば、一尊が本尊であり・四士は脇士である、けれど、脇士無くしては本尊の意義は立たないので、脇士を含めて本尊という意味であろうと思います。

259犀角独歩[TRACKBACK]:2005/05/08(日) 09:41:13

つぶやきに応じる必要があるかどうか、しかし、先の顕正居士さんのご指摘のあったので、こちらに移り、一応、記します。

「つぶやき」スレ1583の「本門の本尊には、二仏の表現が不可欠」というのはそうでしょうが、さらに蓮師は、報恩抄では、天台を踏まえて教理的に説明されているのでしょう。

138における顕正居士さんのご指摘は、実に報恩抄を読み解く鍵であると思います。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/r138

蓮師は、本尊抄の段階では、まだ宝塔品の範疇で論じられていますが、報恩抄になると、本尊観を三身まで拡充されていることがわかります。
顕正居士さんが文句を引いてご指摘くださったとおり、報恩抄の「宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏」は、報身・釈迦/法身・多宝/応身・諸仏とより一段踏み込んだ解釈を示されたものでしょう。

また、四菩薩は釈迦の脇士、また、多宝には大日が脇士となると記されている点は看過できません。この点は159に投稿しました。
再掲すれば、報恩抄の

「月氏には教主釈尊、宝塔品にして、一切の仏をあつめさせ給ひて大地の上に居せしめ、大日如来計り宝塔の中の南の下座にす(居)へ奉りて、教主釈尊は北の上座につかせ給ふ。此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給ふ。此れ即ち法華経の行者なり」

本尊抄の「其本尊為体」以下は、八品の儀式を借り、付属の妙法を示すところに趣意があり、報恩抄では本門本尊・教主釈尊を示すことに趣意がある相違があるのでしょう。

報恩抄の本門本尊観

本尊・本門教主釈尊 ― 報身・釈迦/法身・多宝/応身・諸仏
脇士・四菩薩……… ― (釈迦の)四菩薩/(多宝の)大日

260ふむ、とすると、、、:2005/05/08(日) 09:53:44
教主釈尊=法華経の行者ということですか。
それにしても、それは真言宗の胎蔵界曼陀羅の配置に従って説明されたものですよね。
北の上座という説では真言宗の人でなくとも納得いかないでしょう。
天子南面から派生した考えでもあり、インドでは又違うと聞いたこともありますね。

261犀角独歩:2005/05/08(日) 09:58:35

256 愚鈍凡夫さん:

第16に限り「大本尊」で、他は「大漫荼羅」なのでしょうかね。

> 蓮祖の本尊は、形として表現した場合、3通り…仏像・画像、そして漫荼羅自体も、信者の側から見れば本尊足り得る可能性がある

これは、そうだと思います。ただ、そのように蓮師が考えたか・どうかを論攷してみようと言うことです。

本尊抄に限って言えば、この本尊(仏像)と題目(漫荼羅=南無妙法蓮華経の五字)を、造る‘資格者’を四菩薩であると論及していくことに趣意があるのでしょう。その結論として「八品の間に来還せり。是の如き高貴の大菩薩、三仏に約足して之を受持す。末法の初めに出ざるべきか。当に知るべし、此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」というのではないでしょうか。

> 「本門の教主釈尊」を観じるか

まあ、そうとも言えるのですが、ここで重とされるのは「一念三千」であろうと思います。

> 教主釈尊の功徳の累積を我が身に体現する手法が「南無妙法蓮華経」…蓮祖の一貫した主張

ええ、これが妙法蓮華経自然譲与ですね。

262犀角独歩:2005/05/08(日) 10:10:32

> 260 教主釈尊=法華経の行者

いや、蓮師が報恩抄に記しているのは、大日如来は法華経の行者ということではないですか。
真言宗が納得するかというレベルで言えば、蓮師法華真言を極めていますから、ここには、台密的な教義的バックボーンがあると思います。ただし、わたしはわかりません。

なお、印度では天子東面、そんなことは漫荼羅座配でも意識されているでしょう。
寛師も書いています。

「所謂漢土・日本は天子南面す、故に左は東にして陽、右は西にして陰なり、故に左尊右卑なり。若し月氏の如くんば君父東面す、故に右は南にして陽なり、左は北にして陰なり、故に右尊左卑なり。国風同じからざれば尊卑既に定まる、故に其の処に随って何れの方に向かう時も日本は左を上座と為し、月氏は右を上座と為すなり。本尊の左右亦復爾なり。謂わく、宝塔西に向く、故に釈尊は右の上座に居し、多宝は左の下座に居するなり。大衆は東に向く、故に上行・無辺行は右の上座に居し、浄行・安立行は左の下座に居す、是れ霊山の儀式を移す故なり」

263なるほど、、、:2005/05/08(日) 10:35:53
法華経の行者=大日如来ですか。
文からそれを読み取るのはむずかしいですね。
配置の件、納得しました。ありがとうございます。

ところで、もう一つ疑問ですが、先ほどの報恩抄の文を図に表すと

第一文:釈尊(北)−大日(南)
第二文:大日(主)(−胎蔵界の大日・金剛界の大日(従))
第三文:釈尊(北)−多宝(主・南)−((大日(主・南)−)胎蔵界の大日・金剛界の大日(従))

ということであり、あるいは多宝=大日との説かもしれません。
それにしても、この関係はなにを拠所としているのでしょうね。
また、大日如来を配置の曼陀羅などは存在するのでしょうか。

264犀角独歩:2005/05/08(日) 11:04:03

> …多宝=大日との説かもしれません。

なるほど。深い見識ですね。

『法華取要抄』の「大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ、是れ也。華厳経の十方臺上の・盧遮那、大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の左右の脇士也」という文も併せ考えると、どうでしょうか。
多宝=大日に関するご賢察をお聞かせください。

> 関係はなにを拠所としているのでしょうね。

この点はわたしは真言、また台密に関して不勉強でわかりません。

> 大日如来を配置の曼陀羅などは存在するのでしょうか。

少なくとも、わたしは知りません。ただし、これらの教学的展開こそ、実は蓮師が目指した点であったろうとは思えます。

265愚鈍凡夫:2005/05/08(日) 11:17:06

犀角独歩さん、どうもです。

「我滅度後。後五百歳中。廣宣流布。於閻浮提。無令斷絶。惡魔魔民。諸天龍夜叉。鳩槃荼等。得其便也。(我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ。)」(妙法蓮華經藥王菩薩本事品第二十三)

蓮祖は、この「我滅度後。後五百歳中」に「廣宣流布。於閻浮提。」のが地涌四菩薩と考えられていたでしょうから、「本門の本尊」を造立する有資格者は地涌四菩薩となるのでしょうね。

漫荼羅についてですが、

「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、」(新尼御前御返事)

蓮祖は、「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば」と述べられていますが、「此の五字の大曼荼羅」に唱題しなさいとは仰ってません。このことから推察すれば、「此の五字の大曼荼羅」とは御守りを指すように思います。ただ、授与された信者は本尊として扱ったのではないでしょうか。そして、蓮祖はそのことを咎めなかったのではなかったでしょうか(推察の域を出ませんが)。

266真部:2005/05/08(日) 11:27:32
独歩さん

丁寧なお答えを頂き、ありがとうございます。

>真跡遺文から読み解くわたしの管見であることをどうかご了解のうえ、お読みいただ>ければと存じます。

はい、そのように理解しております。

>わたしは漫荼羅を、蓮師は本尊と考えてお出でであったのかという、ここ700年間の>門下の常識そのものを疑ってかかるところに立脚しています。

この立脚点について、了解致しました。

>わたしが「漫荼羅が授与書」、いわば允可、もしくは免許の意味があると申し上げた
>のは、しかし、それはまず漫荼羅図示の理由の一つとして、申し上げたことでした。
>さらに、…不動愛染の勧請などから類推するに、たぶん、その他にもその意味すると>ころはあると思います。…
>ただ、漫荼羅に図される本尊は付属の妙法を四菩薩に付属することを示すために図>さ(れ)たということで、一尊四士と仏像を結ぶのとは、意味を異にすると思うわけです。

>「漫荼羅を拝む」ということを、いくつか考えることができると思います。まず、合掌す>る、唱題する、読経するということです。また、漫荼羅は身に帯する、奉懸する、また>単に護持する、さて、どう扱っていたのかというのが、いま、問答さんと考えようと思
>っているところです。
>しかし、殊、蓮師に限って考えれば、その日々において、漫荼羅を奉懸されていたと>思えるものはなにもないわけです。

>今でこそ、漫荼羅は日蓮門下にとって当然の存在ですが、考え直すと蓮師が漫荼羅>を図されていた期間は僅か10年ほどのことです。桐谷師は、その意義を弟子に伝え>るのに、実に苦労されたのではないかと記してい>ました。…それほど、10年という
>時間は短い。

>しかし、この漫荼羅の中に敢えて本尊を見いだし、読経したのかどうか、いわば妙法>曼荼羅供養の起源が蓮師まで遡れるのかどうか、ここにいまのわたしの興味があり>ます。

「漫荼羅」の中に敢えて「本尊」を見いだし、読経したのかどうか、「妙法曼荼羅供養」の起源が「蓮祖」まで遡れるのか、それを探ろうとされておられるお考えのほどが未熟ゆえ十分ではありませんが、わかりました。

「神国王御書」 弘安元年 57歳御作
「…そのほか小庵には ”釈尊” を ”本尊” とし一切経を安置したりしその室を刎ねこぼちて、仏像・経巻を諸人にふまするのみならず…」文永八年50歳の松葉谷草庵での逮捕の状況を述べた箇所。

「忘持経事」 建治二年 55歳御作 与富木入道
「…しかる後深洞に尋ね入りて一庵室を見るに、法華読誦の音青天に響き、一乗談義の言山中に聞こゆ。案内を触れて室に入り、 “教主釈尊の御宝前” に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみたちまちにやむ。…」 身延の御宝前の様子を述べた箇所。

「光日房御書」 建治二年 55歳御作
「…されば故弥四郎殿はたとひ悪人なりとも、生める母 “釈迦仏の御宝前” にして昼夜なげき弔わば、いかでかかの人うかばざるべき。いかにいわんや、かの人は法華経を信じたりしかば、親をみちびく身とぞなられて候らん。…」

「四条金吾釈迦仏供養事」 建治二年 55歳御作 与四条金吾
「御日記の中に “釈迦仏の木像一体” 等云々。…されば画像・木像の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。そのうえ一念三千の法門と申すは三種の世間よりおこれり。…」

267はずかしながら、、、:2005/05/08(日) 11:29:50
単なる思いつきに過ぎません。

お示しの法華取要抄の文は、その前後を考えれば全体としては多経の諸仏はすべて五百塵点劫成道の教主釈尊の所従であることを示したものだと思います。
「華厳経の十方臺上の・盧遮那、大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士也」
今は特にこの点について愚見を求められているものと思います。特に法身を所従としていることに特徴があるように思います。これは多宝如来が法身如来であることを暗に示しているのはないかと思いますが、いかがでしょうか。

269すみません:2005/05/08(日) 11:32:46
誤:多経の諸仏
正:他経の諸仏

でした。訂正いたします。

270調べてみますと:2005/05/08(日) 11:44:26
台密では、法身大日、応身釈迦と立て、釈迦大日を同一仏とするようです。このことも関係があるかもしれません。

271真部:2005/05/08(日) 11:45:26
258 独歩さん

はい、私もそのように愚考しました。

272犀角独歩:2005/05/08(日) 11:57:57

265 愚鈍凡夫さん、そうであろうと思います。

266 真部さん、関連遺文のご呈示、有り難うございます。

267さん、できたら、何かHNをお決めになってください。なかなか、興味深いご指摘を受け、議論を続けたいと思うものですから。

> 諸仏はすべて五百塵点劫成道の教主釈尊の所従

ええ、このような統一を論じていますね。

> 多宝如来が法身如来

これはまったくそのとおりであろうと思います。顕正居士さんがご提示くださった文句とも、もちろん、一致します。ここで天台・文句該当の三身にない大日につき、脇士・郎従としながら法身・多宝の配下する点が、実に周到であるとわたしには思えます。

259の図をもう少し正確に記すと

<上座・北>本尊・本門教主釈尊 ― 報身・釈迦/法身・多宝/応身・諸仏
……………脇士・四菩薩……… ― (釈迦の)四菩薩/(多宝の)両部・大日
<下座・南>(主)大日

ということであろうと思います。
多宝=大日という御説ですが、わたしは159に記しましたが、この下座の位置は「日蓮」と一致しています。そこで、山川説、不動・愛染感見記を考え併せると、むしろ、大日=(日蓮)花押ということを暗示しているのではないのか、と思えるのですが、これはもちろん、断定ではありません。
ただし、「日蓮花押」の脇士が、では、不動・愛染かというと、そうではなく、宝塔に凝す記述は一尊四士の教義的な説明であり、こちらでは不動・愛染の勧請はしないというのが蓮師の考えで、しかし、漫荼羅の場合、南無妙法蓮華経裏一念三千=宝珠の左右の不動・愛染という宝珠曼陀羅に着想を得るのが字像漫荼羅のほうではないのか、意義の相違を考えるわけです。

273犀角独歩:2005/05/08(日) 11:59:51

271 真部さん、この点、同意が取れたと言うことで。では、それを基にさらに議論の継続をお願いいたします。

274考えを進めますと、:2005/05/08(日) 12:01:38
私は曼陀羅の相貌は以下のような関係になるような気がいたします。
多宝:法身如来
五字:報身如来
釈尊:応身如来
もちろん、私見でありますが、、、。

275犀角独歩:2005/05/08(日) 12:06:33

> 274

うーん、これはどうでしょうか。

276顕正居士:2005/05/08(日) 13:11:04
>>263

御本尊集の18番には両部の大日如来が勧請されています。この曼荼羅は総帰命式です。
南無鬼子母神の列には十羅刹女が個別に勧請されているようです。

http://www.lbis.jp/gohonzon/018.htm

277ひたち:2005/05/08(日) 13:38:39
犀角独歩さん、申し訳ありません。ハンドルをひたちと名乗ることにしました。
浅学故あまり実のあることは書けませんが、よろしく御願いたします。

顕正居士さん、ありがとうございます。
拝見しましたところ、胎蔵・金剛の大日如来を個別に勧請されているようですね。法華取要抄の文を裏づけるような相貌ですね。やはり多宝=大日なのかもしれません。確証はありませんが、、、。

278真部:2005/05/08(日) 15:42:23
報恩抄の大日如来は胎蔵界・金剛界の大日の主君なりについて

小林一郎師の日蓮上人遺文大講座では「大日如来と書かれたので、つまり法身仏たる多宝如来という意味です。…いまここで大日如来といってあるのは、実は多宝如来のことなのである。この仏は大日経の中に書いてあるところの胎像界の大日如来、あるいは金剛界の大日如来というものよりも勝れている。主君なりというのは勝れているという意味である。法華経を説いたお釈迦様であるから、どんな仏様でもこのお釈迦様の上に立つことはできない」とあります。

千葉県青年部編の「法華取要抄に学ぶ」では「本抄において宝塔品の三仏のうち、特に多宝如来を取り上げておられるのは、多宝如来が…法身に位置づけられるからであると拝される。…本抄ではこの点を迹門の多宝如来と爾前経のビル遮那仏、大日如来という、法身仏同士の比較によって示されたと拝される。しかし、この迹門の三身も、本門寿量品において開顕される三世常住・三見円満の教主釈尊から見れば劣るゆえに、大聖人は多宝如来を教主釈尊の所従と位置づけられた」とあります。

法華取要抄の大日如来は多宝如来の脇士なりについて

小林一郎師の同遺文講座では「法華経寿量品に説き顕された久遠の本仏が釈尊なのであるから、…大日如来…などの十方世界の仏は教主釈尊の所従である
…金剛界・胎蔵界の大日如来…のような仏は宝塔品の中に現れているところの多宝如来の左右に附き従うくらいのものである。…この多宝如来もまた寿量品の教主釈尊の所従である」とあります。

うまくまとめられなくて意味が十分に取れませんことお詫びいたします。

279愚鈍凡夫:2005/05/08(日) 16:03:38

横レス失礼します。

№018
図顕  1274(文永11)年?
寸法  丈189.4㎝ 幅112.1㎝ 20紙
諸尊
上段右 多宝仏・善徳仏・胎蔵大日・上行・無辺行
上段左 釈迦仏・分身仏・金剛大日・浄行・安立行

280犀角独歩:2005/05/08(日) 17:18:55

顕正居士さん、いつもながら適正なご呈示、有り難うございます。

ひたちさん、真部さん、この件、以前、たしかLibraさんと話し合ったことがありました。
ちょっと、ご教示いただきたいのですが、小林師は、何を根拠として、多宝=大日を主張しているのでしょうか。また、ひたちさんは、どのような根拠からでしょうか。

わたしは、この説はちょっと、今のところ承伏しかねます。蓮師の確実な資料に当たれないからです。初期天台文献では、大日如来は出てこないわけで、もちろん、六大部にもありません。
顕正居士さんがご呈示くださった文句における三身が、やがて、報身・釈迦/法身・大日/応身・阿弥陀となっていきますね。要は、大日経はのちの成立ですから、以降、多宝・法身は、大日・法身に解釈し直された。そのために、多宝=大日という説が生まれたのだろうかと想像しています。けれど、蓮師は純天台釈によっていますから、この可能性はないように思えます。つまり、文字どおり、意味で大日は別立てではないのか、というのがわたしの考えです。

愚鈍凡夫さん、有り難うございます。分身に対して、善徳が対象となっている如くですね。

281ひたち:2005/05/08(日) 17:26:55
真部さん、引用ありがとうございます。大変参考になりました。

小林一郎師も多宝=大日説を述べられているということですね。また、多宝如来が法身であることは、すでにある程度コンセンサスがとれているということでしょうか。たしかに多宝如来は已に滅度しており応身をもたず、諸方に遊んで法華の会座に証明を加えるという特徴は法身如来といえると思います。十方に遍じながら自ら自分の身を示すことはない仏ですね。宝塔の開塔は釈尊の手によって行われましたね。

愚鈍凡夫さん

顕正居士さんが示して下さった曼陀羅の情報でしょうか。すこし、諸尊の順番が違っていますね。それと、あれは善徳仏と読めない気がするのですが、善徳仏なのでしょうか。南無○○諸仏と書かれています。画像拡大してみましたが、古文書はわかりません。左側は南無分身諸仏でした。

282真部:2005/05/08(日) 17:29:57
独歩さん

お手数をおかけします。
師の解説が短く、理由が必ずしも明確でなく、この大日は多宝のことだと記されていました。
もう一度よく見てみます。

283真部:2005/05/08(日) 17:33:30
独歩さん

天台文献にあたれないのではないかと読んでいて思いました。
宗祖のご見解なのかなと思って読んでいました。

284ひたち:2005/05/08(日) 17:59:48
犀角独歩さん

多宝=大日の件、犀角独歩さんがお示し下さった法華取要抄の文から推理したものです。多宝と両部大日、大日と両部の大日の関係は明らかですが、多宝と大日の関係は明らかではないのではないでしょうか。今のところそれ以外の根拠を持ち合わせておりません。ただ、顕正居士さんが教えて下さった曼陀羅の存在は、この説を裏づける傍証となるかもしれません。所従であるはずの両部の大日如来が、主君とされた大日なしで登場することは不自然かと思います。多宝が大日とするならば、そのような相貌にも合点がいきます。もちろん、私見の域を出ていないことは承知いたしております。

蓮師は本当に純天台釈であったのでしょうか。不動、愛染は、真言の諸尊ですし、あるいは台密の教法を影響下に置かれていたとも考えられます。

285ひたち:2005/05/08(日) 18:18:00
誤:法華取要抄
正:報恩抄

すみません。御抄を間違えてしまいました。慎んで訂正いたします。

それと、ここまで書いてみて、両部の大日の主君である大日とは法身如来の異名として使われているのではないかとも思えてきました。それであれば、文意はすんなり通る気がいたします。

286愚鈍凡夫:2005/05/08(日) 18:18:32

ひたちさん、始めまして。
小生の漫荼羅データベースは下記の要伝寺日蓮真跡曼陀羅目録をデータベース化して、検索機能を強化したものです。勿論、仰るとおり分身仏とは分身諸仏です。
下記の平賀本土寺を覗いてみて下さい。もう少し見やすいと思います。

要伝寺_研究便覧
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/contents14.html

平賀本土寺
http://www.lbis.jp/gohonzon/018.htm

287問答迷人:2005/05/08(日) 18:36:25

ひたちさん

向かって左が「分身諸仏」 対応する右は「十方等諸仏」と読めますが、如何でしょうか。

288ひたち:2005/05/08(日) 18:47:05
愚鈍凡夫さん、ありがとうございます。

要伝寺研究便覧、さっそくブックマークに追加いたしました。活用させていただきます。
平賀本土寺のもの、おっしゃるとおりこちらのほうが画像が鮮明ですね。ただ、あいかわらずなんと書かれているかわかりません(汗)。善徳ではないと思います。

289ひたち:2005/05/08(日) 18:51:25
問答迷人さん、ありがとうございます。

そのようにうかがってみますと、しっかりそのように読めます(汗)。また、配立としても納得がいきますね。ありがとうございます。

290犀角独歩:2005/05/08(日) 19:54:54

真部さん、有り難うございます。何かわかりましたら、ご教示ください。


ひたちさん、

> 蓮師は本当に純天台釈…不動、愛染…真言の諸尊…台密の教法を影響

あ、そうですね。言葉足らずでした。蓮師の、天台釈の引用は、という意味です。
本尊抄などの釈の引用を見て、言ったことでした。
また、注法華経の引用などを見ても、ということです。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/tyu_syu.htm

また、もちろん、虚空蔵求聞持法にしても真言の修法ですが、これらの点では違います。
先にも書きましたが、法華天台、真言、神道、さらに儒道に亘りますね。

ただ、蓮師の発想は純天台釈の大地にしっかりと足をつけて、そこを最高位とするところから、見る発想が原点になっているという意味でした。

しかも、本尊集というのは隈無く見ていたつもりだったのですが、第18の勧請はすっかりと見落としていました。お恥ずかしい限りです。

291犀角独歩:2005/05/08(日) 20:06:22

ひたちさん、スレ違いなんですが、一つ質問させてください。
「自己紹介」スレで「学会の青年部…板本尊が偽作…各地で論を展開」と記されていますが、このような動向はあるのでしょうか。

292犀角独歩:2005/05/08(日) 20:46:07

第18・本土寺蔵大漫荼羅の座配図、『日蓮聖人の真跡の世界 上』(山中喜八著作選集Ⅰ/雄山閣出版 P64)に載っていました。

南無釈迦牟尼仏……○…………南無多宝仏
南無金剛大日如来…○…南無胎蔵大日如来
南無分身諸仏………○………南無善等諸仏
南無浄行菩薩………○………南無上行菩薩
南無安立行菩薩……○……南無無辺行菩薩

293問答迷人:2005/05/08(日) 20:55:31

犀角独歩さん

>292

善等諸仏? これ、どういう意味なんでしょうか。「善」で「善徳仏」の意味で、「善徳仏等の諸仏」という意味なんでしょうか。http://www.lbis.jp/gohonzon/018.htm を拝すると、僕には、「十方等諸仏」と読めます。そうすると、左の『分身諸仏』と合わせて、『十方等の分身諸仏』の意味になるんですが・・・

294問答迷人:2005/05/08(日) 21:00:03

それと、18曼荼羅の問題の箇所はスペースとして二字分あると思います。『善』と読めないこともなさそうですが、ずいぶんと縦に間延びした文字であると思います。『善』というのは、何かこじつけのような気がしますが・・・

295犀角独歩:2005/05/08(日) 21:00:07

問答さん、今晩は。
わたしも「南無善等諸仏」、変だと思ったのです。わたしの打ち間違いではありません、念のため。誤植の可能性もありかと思うのです。

296真部:2005/05/08(日) 21:00:33

独歩さん

高田恵忍師「日蓮聖人遺文全集講義」の「法華取要抄」より引用致します。
註解「多宝如来の左右の脇士:華厳の廬遮那仏を束ねて一方とし、両界の大日を束ねて一方とする義と、報恩抄の如く両界の大日を左右とし、華厳をこれに相従せしむる義との両意がある。」とあります。

297ひたち:2005/05/08(日) 21:03:38
犀角独歩さん

まだ公式にはなにも変わっておりません。この点は誤解を招いてしまい、申し訳ありません。
ただし、対正宗法華講との論争においては、すでにこの点を攻めることを行いはじめております。法主絶対主義を破ることが主眼ではありますが、このことについては事実です。学会のこれからの動きは次第に速くなると考えております。

298犀角独歩:2005/05/08(日) 21:12:05

問答さん、『妙宗先哲本尊鑑』にも、金胎両界大日如来が勧請された漫荼羅が載っています。

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049307&amp;VOL_NUM=00002&amp;KOMA=17&amp;ITYPE=0

299犀角独歩:2005/05/08(日) 21:18:36

真部さん、有り難うございます。
根拠がしかし、示されていないのですね。資料を追えなくて残念です。

ひたちさん、有り難うございます。
当然の動向ですね。阿部さんは問題外にしろ、ともかく、彫刻本尊からの卒業が、今後の創価学会のために必須条件ですから。

わたしの以下のページのPageRankが上がったのとも無縁とは思えません。

所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html

300吉祥仙人:2005/05/08(日) 21:26:08
 ひたちさんへ

 法主絶対主義を破ることが、なぜ本門戒壇の大御本尊否定になるのでしょうか

 阿部管長が鑑定したことが不敬だと、論じていたのではないでしょか

 私の周囲では、おっしゃるような動きは無いようです。

301真部:2005/05/08(日) 21:46:58

日寛上人「報恩抄文段」より引用致します。
「月氏には教主釈尊等文。
中略
初めに・儀式に約して第一を示すとは、若し分身の諸仏は・既に大地の上に居する故に下劣なり、
多宝如来は塔中に居する故に分身に勝るなり。
而して・南の下座に居する故に、釈尊に劣るなり。
若し教主釈尊は・塔中の北の上座に居す、あに第一に非ずや。

次に・所説に約して第一を示すとは、權経の三身は未だ無常を免れざる故に、大日経、金剛頂経の両部の大日は所従なり。
実経の三身は倶体倶用の故に、法華経の多宝如来は主君なり。
この多宝如来は・すなわちこれ釈門(迹門のことか)宝塔品の仏なり、故に所従なり。
本門寿量の教主釈尊は・即ち・これ久遠の本仏なり、故に主君なり。
若ししからば・両部の大日の主君は多宝なり、多宝の主君は・釈尊なり。あに第一に非ずや。

法華取要抄に曰く「大日経・金剛頂経・両界の大日如来は・宝塔品むの多宝如来の左右の脇士なり。
例せば・世の王の両臣の如し。
この多法仏も寿量品の教主釈尊の所従なり」と云々。權実・本迹、これを思いあわすべし。

文にいう「大日如来ばかり」等とは、
答う、ここに二意あり。一にはしばらく他師に順ずる故なり。
啓蒙18に賢記を引いて曰く、「多宝を大日と云う事は、 "不空の法華儀軌" に両部の大日を脇士となす。
法華の多宝を "不二の大日" と名づけて中央となす」等云々。
若ししからば主従分明なり。

二には・所表に従う故なり。
朝抄に曰く「 "多宝" を "大日" と云う事は、他方が "法仏" を表する釈の意なり。
ゆえにただ "法身" と云う事なり」と云々。

若しこの義に拠らば、まさに汝が家の權経の "法身" は、我が法華経の "法身" の所従なりというべきなり。」とあります。

302問答迷人:2005/05/08(日) 21:49:04

>298
向かって 左に『十方分身諸仏』、右に『善徳如来」ですね。18曼荼羅は左に『分身諸仏』です。右に「○○等諸仏」と読めますから、○○はやはり、『十方』で決まりではないかと思います。

303真部:2005/05/08(日) 22:15:15

文永11年 平賀本土寺の漫荼羅座配  ●が座配あり
●釈迦仏
●多宝仏"
●分身仏"
●善徳仏""
●胎蔵大日"
●金剛大日"
●上行""
●無辺行""
●浄行""
●安立行""
●文殊""
普賢""
弥勒""
智積""
●薬王""
●舎利弗""
目連""
迦葉""
旃延""
須菩提""
●不動明王"
●愛染明王"
●梵天""
●帝釈天""
●持国天""
●増長天""
●広目天""
●毘沙門天"
四天王""
●日天""
●月天""
衆星天""
明星天""
第六天""
●天照太神
●八幡菩薩
●転輪聖王
龍樹
世親
●天台大師
章安大師
妙楽大師
●伝教大師
●阿修羅王
十二神将
●八大龍王
龍女
●鬼子母神
3十羅刹女
提婆達多
阿闍世王

304真部:2005/05/08(日) 22:43:35

独歩さん

小林師の報恩抄の解説です。
遺文 「月氏には教主釈尊・宝塔品にして、一切の仏をあつめさせ給いて・大地の上に居せしめ、
大日如来・計・宝塔の中の南の下座にすへ奉りて、
教主釈尊は・北の上座につかせ給う。
この "大日如来" は・大日経・胎蔵界の大日、金剛頂経・金剛界の大日の主君なり。
両部の大日如来を郎従等定めたる多宝仏の上座に、教主釈尊居せさせ給う。
これ即ち・法華経の行者なり」

講義 「お釈迦様が宝塔品の所で・十方世界の一切の仏をお集めになった。その時に・それらの一切の仏を皆下座に置かれ、大日如来ばかりを宝塔の中の南の座に据えて、教主釈尊は、北の上座にお座りになった。
これは宝塔品の中に釈迦、多宝の二仏が並んで塔の中にお座りになつたということがあるのですが、その多宝仏が非常に徳の勝れた仏でありますので、これを 「大日如来」 と書かれたので、つまり法身仏たる多宝如来という意味なのであります。

それで二仏が並ぶときに、多宝如来の方が南の方にお座りになったるすなわち、それが下座であるというのは、宝塔が西を向いているのですから、南というのは左手の方になって、北というのが右手になる。印度では左よりも右を尊しとする習わしであります。中略

いまここで "大日如来" といってあるのは、実は "多宝如来" のことなのである。この仏は大日経の中に書いてあるところの胎蔵界の大日如来、あるいは金剛頂経の中に書いてあるところの金剛界の大日如来というものよりも勝れている。

「主君なり」というのは、勝れているという意味であります。この多宝如来は無論・真言宗で謂う大日如来よりも上なのであるが、この多宝仏をも下座に坐らせて、お釈迦様がその上座にお座りになつたというのである。中略」とあります。

305愚鈍凡夫:2005/05/08(日) 23:39:35

う〜ん、
「月氏には教主釈尊宝塔品にして一切の仏をあつめさせ給て大地の上に居せしめ大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて教主釈尊は北の上座につかせ給う、此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日金剛頂経の金剛界の大日の主君なり、」(「報恩抄」学会版 P310)

多宝如来が大日如来よりも格が上というのは、いかなる根拠によるものなのでしょうね。多宝如来が大日如来よりも格上と明記されている経があるのでしょうか。

306ひたち:2005/05/09(月) 00:54:20
愚鈍凡夫さん

中国真言宗の不空三蔵が表した「成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌」に金胎両部不二の大日如来として、多宝如来を配置しているそうです。したがって、両部の大日如来は多宝如来の家来のような位置づけになるようです。

真蹟はありませんが、日興写本がある善無畏抄には以下のように書かれています。おそらく、報恩抄も観智儀軌を依所としているのだと思われます。
「其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には大日経金剛頂経の両部の大日をば左右に立て法華経多宝仏をば不二の大日と定めて両部の大日をば左右の巨下の如くせり。」

307顕正居士:2005/05/09(月) 02:04:24
「不空三蔵の法華経の儀軌には、大日経・金剛頂経の両部の大日経をば左右に立て、
法華経・多宝仏をば不二の大日と定めて、両部の大日をば左右の臣下のことくせり」(善無畏鈔)

とあるが、成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌にそういう記述はない。
http://ccbs.ntu.edu.tw/cbeta/result/app/T19/1000_001.htm
また
「不空三蔵は誤る事かずをほし。所謂法華経の観智の儀軌に、寿量品を阿弥陀仏とかける、
眼の前の大僻見。陀羅尼品を神力品の次にをける、属累品を経末に下せる、此れ等はいう
かひなし」(撰時抄)
とは巻頭の偈をいうのであろうが、あたっていない。

インド学仏教学論文データベース
http://www.inbuds.net/jpn/
で検索するとこの問題と関連ありそうな論文は2つヒット。いづれも70年ほど以前の発表である。

塩田義遜「法華曼陀羅と多宝塔」、同「両密の法華曼陀羅に就いて」

308犀角独歩:2005/05/09(月) 10:02:47

真部さん、有り難うございます。
小林師の解説、うーんとばかり唸りました。どちらを面にするのかという問題でです。
多宝塔は西面のわけですが、天子は東面。ところが日本では天子南面です。
釈尊は説法をするのに、西に座っていた。だから、その正面、つまり東に多宝塔は涌現したことになります。

蓮師は、東に向かって、北が上座=釈迦・南が下座=大日。こう仰っています。
そこで漫荼羅を見ると左(北)に釈迦・右(南)に多宝、そのとおりになっています。
ところが寛師は陰陽道からこれを捌くので暖かい方が上座とするわけです。つまり、南が上座で北が下座。陰陽道で捌くと東面か・西面かで上下座が逆さになりますね。しかし、報恩抄文段では、先の六巻抄当流行事抄の記述とは違うことを書いています。

小林師の解説は、忠実に蓮師の記述を追っていますね。

蓮師が北を上座と言われる理由がわたしにはどうもわかりません。しかし、それは蓮師はそうとらえていたことはたしかなので、それはそれです。

以下は、かつてワラシナさんと話したことですが、蓮師の漫荼羅は四大天王(東西北南)に実に心憎い配慮がありますね。

真部さんは当然、おわかりのことだと思いますが、ロムの皆さんの理解を助けるために若干、説明すれば、当時の世界観では大地は四角であると考えられていたわけですね。人文字で書けば「方」です。その四隅の角が東西北南なので、方角、つまり四角い角々ということです。ですから、四角い(方)の四隅(角)に四大天王を配すると、東西北南を斜めに構えた形になるわけです。これはたとえば、仏像奉安で四大天王を結界の四隅に配しても同じことになります。元来、仏は東面、宝塔は西面ですが、図示、奉安では、斜め向きになっているわけです。デザイン上、もしくは礼拝する関係でこれは致し方のない‘妥協’ですが、仏像を見て歩いて、四大天王を四隅に配した奉安を出くわすと、わたしは内心、このことを考えてほくそ笑んでしまいます。

まあ、以上が前提ですが、ところが蓮師の漫荼羅は、さらに‘ひねり’があるわけです。
四大天王から東西北南を見ると、右上が大持国天王で東、右下が大広目天王で西。左上が大毘沙門天王で北、左下が大増長天王で南。つまり、東西北南が実際の方角と異なっているわけです。一見してすぐわかるとおり、右・東西は宝塔の向きで、東に宝塔が立っていますから、手前が下座となるわけです。左・北南は、手前が下座となります。

実はこのことを意識していたために、小林師の解説がすんなり納得できなかったのです。
たしかに小林師の言うとおり、連句して、蓮師は多宝如来、大日如来と座を以て、この二仏が同一であることを示しているように読めます。もし、このように蓮師が考えていたとすれば、元来、天台教学に登場しない大日如来が法身仏で取り扱われるようになった教学から、多宝如来と同等視する流れが生じ、それを受容されていたということなのだろうと思います。

ひたちさんがお示しになった根拠は、真跡ならずとも説得力がありました。
しかしながら、顕正居士さんがお示しのようにそれは実際の原文に載らないわけなのですね。まったく鋭利なご教示には敬服いたします。となれば、後代の‘解釈’に多宝=大日という後代の解釈に泥むところと考えなければなりません。しかし、どうも、わたしには、単純に多宝=大日と蓮師が考えていたとは納得できないところがあります。引き続き、ご教示をいただきたく存じます。

309犀角独歩:2005/05/09(月) 10:03:19

―308からつづく―

以下、問答さんに特に申し上げることです。報恩抄は建治年間で、第18大漫荼羅は、いちおう文永11年に山中師は「?」を付します。
先に紹介した『妙宗先哲本尊鑑』二巻十六丁の図を紹介する同師の『目録』解説によれば、建治元年図示の身延曽存の大漫荼羅にも金胎両界大日如来の勧請があったといいます。これは報恩抄の記述と合致します。

第18大漫荼羅が本当に文永11年であったとすると、第16大本尊と同年の図示ということになります。当然、門下では万年救護に対する思い入れは大きく、この第18漫荼羅は、あまり取り沙汰されませんが、わたしは、この大漫荼羅の大きさを読み、吃驚しました。「丈六尺二寸五分(189.4センチ)幅三尺七寸〇分(112.1センチ)もあるのです。

第16大本尊も大幅の本尊といわれますが、「丈三尺五寸〇分(106.0センチ)幅一尺八寸七分(56.7センチ)です。つまり、大本尊の2倍近くも大きいのです。
大きさで、その漫荼羅本尊の優劣があるわけではないでしょうが、この大きさ、そして、大日如来の勧請は、やはり、蓮師の思い入れを感ぜざるを得ません。
問答さんが注視される十方分身諸仏の勧請も、三身との関係からも看過できないということになります。先に、わたしはひたちさんからのご質問に、事も無げに「大日如来が勧請された漫荼羅の存在を知らない」と記し、すぐさま、顕正居士さんのご教示を受けました。改めて、第18大漫荼羅を考えたのですが、いやはや、今さらながら、考えるべきことはたくさんあると思った次第です。まるで無知を晒した二日間となりました。

310犀角独歩:2005/05/09(月) 10:07:00

【308の訂正】

「人文字は創価学会と、それを真似た?北朝鮮でした(苦)

誤)人文字で書けば「方」です
正)一文字で書けば「方」です

311大盛:2005/05/09(月) 12:35:37
独歩さんが無知ですか。じゃ、ぼくはいったいなんでしょか(汗)

312犀角独歩:2005/05/09(月) 14:06:56

大盛さん、ご謙遜を。で、あなたは、あのあなたでしょうね?

313愚鈍凡夫:2005/05/09(月) 19:27:37

ひたちさん、顕正居士さん、有り難うございます。
小生も調べてみたのですが、経には多宝如来が大日如来よりも格上と書いた経はありませんでした。

314ひたち:2005/05/09(月) 21:41:43
顕正居士さん

「成就妙法蓮華經王瑜伽觀智儀軌」の原文、教えていただきありがとうございます。

寛師の撰時抄愚記に「観智儀軌十一に云く『如来寿量品を誦し、如来の霊鷲山に処して常に妙法を説くを信じ、次に当に即ち無量寿命決定如来の真言を誦すべし』略抄文」とありますが、この文、先ほどの原文に「処霊鷲山常説妙法深信不疑次当即誦無量寿命決定如来真言」とありますから、観智儀軌は「成就妙法蓮華經王瑜伽觀智儀軌」で間違いないと思います。

そこで善無畏抄の「臣下の如くせり」に注目してみました。これは臣下なりではなく、臣下のように扱ったということではないかと思います。その観点から「成就妙法蓮華經王瑜伽觀智儀軌」を見てみますと、宝塔に配せる諸尊のうちに、胎蔵界の四菩薩(弥勒、文殊、普賢、観音)と金剛界の四摂の菩薩(金剛鎖、金剛鈴、金剛鉤、金剛索)が含まれています。真言宗の教義はわかりませんが、あるいはここから不二の大日という展開が行われたのではないでしょうか。

315顕正居士:2005/05/10(火) 15:47:00
ひたちさん。

日蓮聖人がそこまで牽強付会の説を述べるとは思えないし、撰時抄の文が全然あたっていない
から別の観智儀軌を見たとしか考えられないです。

316真部:2005/05/10(火) 21:47:04

独歩さん

報恩・取要の大日について引用させて頂きます。

茂田井師の「観心本尊抄研究序説」P62−63
「…塔中の釈迦牟尼仏によって久遠の一大円仏と象徴化された本門の教主釈尊は、その決定的瞬間には多宝仏をも所従とするものであることは遺文に明瞭である。すなわち、

大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等・尽十方諸仏・我等本師・教主釈尊・所従等也。
天月・万水浮・是也。
華厳経・十方台上・毘廬遮那、大日経・金剛頂経・両界大日如来・
宝塔品多宝如来・左右・脇士也。
例・如・世王・両臣。
此・多宝仏・寿量品教主釈尊・所従也。 「法華取要抄」

月氏には教主釈尊、宝塔品にして、一切の仏をあつめさせたまいて・大地の上に居せしめ、
大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて、教主釈尊は北の上座につかせたまう。
この大日如来は・大日経の胎蔵界の大日、金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。
両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に・教主釈尊居せさせたまう。「報恩抄」

等の文である。
「報恩抄」は・まだ発迹顕本されない宝塔品の立場で・その座配の差異を述べたものであるが、その当分の立場でさえ、多宝仏は釈尊の下位についている。

それが・ひとたび開迹顕本された瞬間は、諸仏みな・釈尊の所従であって、「法華取要抄」にいうごとく「この多宝仏も・寿量品の教主釈尊の所従」なのである。

これはすでに「開目抄」で一念三千の原理的立場から本尊の主体性を論じた前出の文例にも明らかで、彼の書が本尊抄の依義判文に当たることまことに明瞭である。

寿量の一品の大切なる・これなり。 中略 
この過去常・顕る時、諸仏皆・釈尊の分身なり。
爾前・迹門の時は・諸仏・釈尊に肩を並べて各修各行の仏。
かるがゆへに・諸仏を本尊とする者・釈尊等を下す。 中略

一切経の中に・この寿量品ましまさずば、天無日月・国無大王・山河無珠・人に神のなからんがごとくしてあるべきを、
華厳・真言等の權宗の智者と・をぼしき・澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往・權宗の人々、且つは自らの依経を讃歎せんために、
或云、華厳経の教主は報身、法華経は応身。
或云、法華寿量品の仏は・無明の辺域、大日経の仏は・明の分位等云々。 中略

この…「開目抄」の文は、やがて前出の「これみな本尊に迷へり、…寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。…」の文に連なって、本尊抄の本尊叙述の前提となるのである。中略

これらの文を「本尊抄」「取要抄」「報恩抄」等の文と比較対照すれば、聖人の本尊観の奈辺にあるかは・思い半ばにすぐるものがあろう。」と。

317真部:2005/05/10(火) 22:04:34

茂田井師の「本尊抄講讃」P862−863
「…多宝仏も又、眷属となるのだという事は、「法華取要抄」に明らかでございます。…
(該当遺文略)…

つまり、大日経、金剛頂経の金胎両部の大日如来。金剛界の大日如来、胎蔵界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右になるのだ。宝塔品の多宝如来の左右の脇士なのですよ、大日如来が。「例せば世の王の両臣の如し。この多宝仏も寿量品教主釈尊の所従也」と、こうありますね。脇士とはおっしゃらない。所従也。そうすると、この多宝仏は釈尊の所従也。寿量品の釈尊の所従也。これは分身仏としてここに出していますから分身仏としてもよろしい。…
この「法華取要抄」ははっきりしているのですよ、仏さまの位置付けというものは。」と。

318真部:2005/05/10(火) 22:17:05

茂田井師の「本尊抄講讃」P866−867
「…「外の諸仏」という時に、諸仏は南無善徳如来というのと南無十方分身仏というのが入る場合もある。だから宗祖は、むしろこの中に、南無阿弥陀仏、南無薬師如来とお入れになったならば、それこそ全部揃ったかもしれない。まあ、そんなことをしないのは、法華経の中で主役ではないからです。

要するに霊山会上の所参の中にいらっしゃった主役がここへお出になるのであって、阿弥陀如来は、薬王菩薩本事品や化城喩品に出てきますけれども、主役ではない。ですから省いておられる。

しまいにだんだんとセレクトされて、最後は釈迦多宝二仏に限定されて、弘安式はほとんどこうなる。

あとは四菩薩。四菩薩はどの場合でも省かれない。
つまり四菩薩がなければ・本因本果が顕われない。
そして四菩薩が出たればこそ、これが宝塔品ではなく寿量品、要するに八品の世界、ということになる。…」

319真部:2005/05/10(火) 22:51:55

独歩さん

塩田義遜師の「両蜜の法華曼荼羅に就て」(「大崎学報第87号。昭和10年発行。P60−62)から引用致します。

「…しかるにここに問題となるのは、宗祖の遺文中に見ゆる法華曼荼羅である。すなわち法華取要抄には、

大日経、金剛頂経の両経の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり。例せば世の王の両臣の如し、この多宝如来も寿量品の教主釈尊の所従なり。

と述べておられるが、ここにいう多宝は多宝如来の法身を指すもので、要するに多宝大日同法身の意である。
これ別尊雑記ならびに覚禅抄等における、決定如来を多宝如来と釈する意である。
すなわち寿命無量を多宝とすることは、若し宗祖に依れば、「命と申す物は・一切の財の中・第一の財なり」と遊ばされたる如く、無量寿即多宝の意である。

しかるに同抄には又、「この多宝如来は寿量品の教主釈尊の所従なり」とあるは、阿沙縛抄等の如く決定如来を寿量本仏と解した當家至極の所談で、これ報恩抄に、

両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に、教主釈尊居せさせたまう

と遊ばされたのと同義である。
若し我が大曼荼羅の中において、右の取要抄等の意に一致するものは、すなわち両部の大日を加えたる建治元年十一月身延図顕の大曼荼羅である(遠沾亨師模写、御本尊写真帳)、且つこれは三昧経中別釈の寿量品所顕の曼荼羅にも類似したる観がある。

建治本尊

無辺行菩薩
  上行菩薩
  胎蔵界大日如来
  善徳佛等
  多宝如来
首題
  釈迦牟尼佛
  十方分身諸佛
  金剛界大日如来
  浄行菩薩
  安立行菩薩  」

320真部:2005/05/10(火) 23:24:01

茂田井師の「観心本尊抄研究序説」P47、58−59から引用致します。
「本尊とは何を意味するものであろうか。また、それは何物であろうか。日蓮宗には由来本尊に関する論議が盛んである。その問題の中心は、本尊の実体は「人格的」のものであるか、「法格的」のものであるかという本質論と、その形式は「大曼荼羅」式か或いは「一尊四士」式かという形態論である。これはもちろん、両者何れも関連し合っていて、切離した別個の問題とすることはできない。が、こういうものが問題となる已前のもの、いうならば、信仰として「本尊なるもの」が要請される基底にあるもの、また、要請そのものの本質、そういうものが問題とされていないのは不思議である。 中略

すなわち、原理性から一転して形相性へ移行する聖人の信仰的Visionが描かれたものといえるであろう。本尊抄擱筆後、約百日を過ぎた(文永十年には閏五月があった)七月八日に図顕されたといういわゆる「佐渡始顕の大曼荼羅」はこのVisionが書かれたものである。この文段には「曼荼羅」の語がないが、八品に亘る相貌を現実の信仰的ヴィジョンとして有つた聖人にしてみれば、そのヴィジョンがそのまま大マンダラであることは言及するまでもないことであろう。それは「本尊」として仰がれる尊形であり、娑婆即寂光浄土として描かれた世界平和の理想的ヴィジョンでもあったのである。 

かくのごとく、一念三千が真実に成就される決定的瞬間(原理性)が時間的にも空間的にも絶対超出の相貌(形相性)を取るとき、その純粋性は抽出されて「寿量仏」といわれ、「本門寿量品本尊並四大菩薩」と称せられるのである。 中略

「一尊四士論」の論理的根底はここにあるであろう。…」

茂田井師、塩田師の御説のかつてな引用をお詫び申し上げます。

321犀角独歩:2005/05/10(火) 23:35:58

真部さん、なかなか興味深い講釈のご紹介、有り難うございます。
なるほど、こうやって摂取されていったのか、という思いで拝読しました。

真部さんも当然、お読みなっておられると思いますが、天台の初期文献を読むと大日は出てきませんね。これは天台の時代にはまだ創作流布されていなかったことを物語るのでしょう。
当時の仏身論で三身は先に顕正居士さんがご紹介くださった形であったのでしょう。

しかし、その後の真言の隆盛は看過できないものになる。そこで多宝法身は大日法身と同等視されるようになったのでしょうか。ここら辺のところを証明できる資料を揃えていこうと思っています。なお、

> 無量寿即多宝

この点については、大いに了承できません。無量寿とは阿弥陀の漢訳であって、多宝ではないと思います。五百塵点成道で菩薩道の結果得た寿量本仏の寿命を語るものです。まあ、そんな意味から言えば、多宝も無量寿を得ていても当然、おかしくはないのですが、無量寿=阿弥陀、寿量=釈迦、そして、多宝も無量寿で三身で整合性が採れるのでしょうか。

法華経の最大の主張は、結局、この点で、菩薩道の結果得た仏は無量の寿命を得られる、このことを端的に記すのは、もちろん、寿量品ですが、常不敬の物語も同じコンセプトに基づいていますね。

しかし、だからといって、当の主役の釈尊、また、無量寿の名を持ち、さらに法華経にも登場する阿弥陀を差し置いて、多宝に配当する根拠がわかりません。

まして、「命と申す物は・一切の財の中・第一の財なり」との分との脈絡は証し得ないのであって、この点は頷けるものではありませんでした。

なお、亨師模写は、身延曽存、山中師が先にわたしが紹介した先哲二巻十六丁でいう漫荼羅と同じでしょうか。

322真部:2005/05/10(火) 23:39:52

茂田井師の「報恩抄仰讃」P237から引用致します。
「…本抄のこの文節では、多宝如来を大日如来と表示し、それも金胎両部の大日如来の主君と位置づけた上、その上座に「教主釈尊居せさせ給」と明示されています。

すなわち、宝塔品の多宝如来は、「大日経」「金剛頂経」における金胎両部の大日を所従とする大日如来であって、その仏すら教主釈尊の下座に居されるという表示ですから、聖人の文章語彙中の「教主釈尊」は、三世十方の諸仏を所摂とする能摂の「寿量品の仏」なのであります。この見方が誤ちでないとすると、(特に佐渡以後の)遺文に現れる「教主釈尊」の語は、軽々に看過してならないものであろうと存じます。」

323犀角独歩:2005/05/10(火) 23:48:40

真部さん、一つ、お考えをお聞かせください。

蓮師はどうして、ストレートに「不二の大日は多宝如来」と書かなかったのでしょうか。
仮に、そう思いながら、書かなかったとすれば、わたしは講述・解釈する立場としては、実に不謹慎であると考えます。茂田井師の如く、しっかりと書き、何より、その根拠を示すべきでしょう。

しかし、蓮師の論攷は問答形式を以て、このような点を徹底するのが常です。それにも関わらず、多宝=大日がもし、蓮師の考えであれば、訳の分からぬ連句形式で言葉を濁し、何ら根拠を示さない、わたしは蓮師という人物はこんな中途半端なことをする人物だと考えていないわけです。これが多宝=大日という説をわたしが師事しない第一の理由です。

この点、どのようにお考えになられますか。

324真部:2005/05/10(火) 23:53:47

独歩さん

引用の仕方が拙劣なことをお詫びします。

>この点については、大いに了承できません。無量寿とは阿弥陀の漢訳であって、多宝ではない…

この点については、塩田師の論の一部分を記した結果でありまして、その前段において種々論じられておりました。
これらの内容をここに記載することは容易ではありませんことから、ご要請があれば師の論文をお送り申し上げます。

>なお、亨師模写は、身延曽存、山中師が先にわたしが紹介した先哲二巻十六丁でいう漫荼羅と同じでしょうか。

すみません。「先哲」については難しく、それと同なのかお答えする力がありません。
私がここに引用したのは、上述された宗祖第18番漫荼羅と似ていると思いましたので、諸仏を統合する「寿量品の仏」の理解
の一助と思いまして引用させて頂きました次第です。

大変僭越なこととお詫びいたします。

325真部:2005/05/11(水) 00:00:30

独歩さん

>蓮師はどうして、ストレートに「不二の大日は多宝如来」と書かなかったのでしょうか。

塩田師もこの点について、同論文で会通に苦心しておられました。
私もどう考えたらいいのだろうかと、根拠となる資料がないかと見てみましたが
愚昧のためこれ以上わかりませんでした。

上記した内容等はなはだ僭越だったことお詫び致します。

326犀角独歩:2005/05/11(水) 00:12:21

いえいえ、真部さん、僭越云々などということは、まったくございません。
そのようにどうか採らないでください。

今後ともどうか資料のご呈示をお願い申し上げます。
わたしは不勉強ですので、実に有り難いことですので。

ただ、わたしはまったく無礼千万な人間ですから、尊崇される学者僧侶であっても、思ったとおり、直裁に意見を述べるばかりです。しかし、それはご提示くださる真部さんほか、皆さんのご恩義を汚そうとする意図ではないことを、どうかご承知ください。

たまさか、昨日、身延第2祖を白蓮興師といい、延山門下一般を騒然とさせたBO師と話す機会がありました。師の発言で印象的であったのは「茂田井、また輝師に超えられない日蓮宗教学をどうする」ということでした。未来を見た発言であると思った次第です。

わたしは執行師で開眼した一人ですが、師は、その「興門教学の研究」の原稿整理をされ、また、先にオフ会で取り上げた小樽問答の講師・室住師と深い関係にある方です。先に伊藤師にわたしが投げかけた質問は「執行師以降、その教学史けんきゅうを継いだ人はいますか」、それに対する答は「非」でした。わたしは、日蓮教学研究は、斯様に停滞していると思うのです。

他スレで話題になった戸頃師と高木師との論争の如く、議論、学説は大いに沸騰し、ぶつかり合う、何より、そのように旬で熱く熟れた論客・研究者が陸続と輩出されなければ進歩しません。ですから、わたしが、このような掲示板でもっとも望むのは、顕正居士さんのような資料に基づく先鋭なご指摘、また、れんさんのように熟考されたご賢察、また、自由発想で次々と難問を投げかける問答さんのような闊達さです。

そのような意味で、真部さんにも先行業績はさらにお願いし、さらに真部さんご自身のお考えをここに披瀝していただくことを念願します。

強烈な反論その他もあります。しかし、批判を逃れて、進歩はありません。わたしの彫刻本尊疑義は、三学無縁さんが巣箱なら、彰往考来さんはスパルタの師といった環境で、少しもわたしは気が抜けず、故に日々新たに考える緊張感を与えてくださっています。

真部さんも、どうか臆病にならず、お考えを披瀝され、主張すべきは主張し、しかし、直すべきときには、執着無く、漸減を翻し、前に進む、そんな場がここであることを了解され、お考えを開陳寝返れば、みなの進歩の助にもなるというものです。

また、どうか、わたしなどに遠慮なさらず、どんどん、疑義・矛盾をご指摘賜れれば、わたしの精進を助けていただけます。そのような次第です。どうか、ご遠慮なく、ご存分に願うものです。

327犀角独歩:2005/05/11(水) 00:15:34

326、ひどい打ち間違いをやらかしました。

誤)漸減を翻し、前に進む、そんな場がここであることを了解され、お考えを開陳寝返れば、
正)前言を翻し、前に進む、そんな場がここであることを了解され、お考えを開陳願えれば、

328真部:2005/05/11(水) 00:50:00

独歩さん

身に余るお言葉に感謝します。
ありがとうございます。

宗祖の大日と多宝に関するご見解(この言葉宗祖に対してはなはだ僭越ですが)は
本当にどう解釈すればいいのかと思い悩みました。自分の頭で考えてもまつたくわからず
先学はどのようにこの点を把握されているのかと探してみました。
しかし、遺文の解説(それも根拠を明確にしたものが少ないと思います)が本当に少ない
(江戸以前の諸師まで遡及していけばあるいはあるのかもしれませんが言語理解で私では
難渋します)。私も自分の言葉で語りたいですが、しかしそれには宗祖の本尊観乃至印度から
発するであろう曼荼羅理解自体が私自身まったく理解しえていないという致命的な問題が
あります。また、御指導頂ければ幸いです。

329犀角独歩:2005/05/11(水) 00:57:43

真部さん、どうぞ、そんなに畏まらないでください。
ご呈示いただきました資料は、参考になりました。
感謝申し上げます。

さて、では、一緒に考えを進めさせてください。

330ひたち:2005/05/11(水) 01:07:53
顕正居士さん

たしかにそう思います。別なバージョンの観智儀軌を見たとする方が納得できます。それにしても、蓮師ならば、文献引用があってもおかしくないと思うのですが、手元に置かれていた観智儀軌が引用するに足らないものだったのかもしれません。寛師の撰時抄愚記では、「観智儀軌十一に云く『如来寿量品を誦し、如来の霊鷲山に処して常に妙法を説くを信じ、次に当に即ち無量寿命決定如来の真言を誦すべし』略抄文」をもって、「寿量品を阿弥陀仏とかける」としていますけど、、。この部分の「十一」とは何をさすのかも気になります。

331真部:2005/05/11(水) 02:05:40

ひたちさん

参考になるかどうか自信がありませんが、
不空訳の「成就妙法蓮華経瑜伽観智儀軌」(正19−594)について、塩田儀遜師の「両蜜の法華曼荼羅に就いて」では、該当箇所は次のような部分ではないでしょうか。

同論文P39−40
「即・跏趺坐・結・定印、 誦・如来寿量品、 或但思惟・品中・妙義、 
深・信・如来・常住・在世、 與・無量・菩薩・縁覚・声聞・以・為・眷属、
處・霊鷲山・常・説・妙法・深信不疑。
次・當即・誦・無量寿命決定如来・真言七遍・作・是念・言願・一切有情皆・獲・如来無量寿命、 発・此願・巳・即・誦・真言、 ……
若・修行者・毎日・六時、 誦・此真言七遍・能・延・寿命、 能・滅・夭寿決悪等、
獲得・身心軽安、 離・諸昏沈及以懈怠、 受持・此・妙法蓮華経・速・得・成就。(19−596)

と述べているに見ても明らかなる如く、この儀軌の法華曼荼羅は全く息災延命、滅罪生善を得る所以の法華法の曼荼羅である。 以下省略」

332真部:2005/05/11(水) 02:21:52

ひたちさん

塩田師の同論文P42では「…不空の儀軌の文によれば、決定如来は必ずしも阿弥陀の異名と解していないのである。
しかし、法天の決定光明王経は前述のごとく、正しく西方無量功徳蔵世界の教主で、その真言を唱ふれば、短命の衆生の
寿命を増すと説いているのである。かくのごとく法天訳によれば弥陀の異名であるが、なぜに宗祖は儀軌の寿量品の
決定如来を弥陀と解されたのであろう。…」と記され以降会通を試みておられます。
日寛師の「十一」というのは当時の書物でそうなっているのかも知れませんがわかりません。(大蔵経を見た訳では有りませんので…)

なお、法天訳は、宋の法天訳の「仏説大乗無量寿決定光明王如来阿弥陀経」と同P41に該当文を記されています。

333小心者:2005/05/11(水) 19:58:47
、、ゴメンです、、。
 諸氏方の言々は、、とても格調、、と高レベルの、、応接、、のようです、、。
 とても、、、私のような、ボケ老人には、、、????、、で、、御座います、、。
 諸氏の御勉強、、ご研究、、には、、絶大なる、、御敬意、、を、、申しあげます、。 早々。

334ひたち:2005/05/11(水) 22:22:17
真部さん

塩田儀遜師の論文の紹介ありがとうございます。読ませていただきましたが、塩田師も寛師の説と同様、蓮師が決定如来=阿弥陀とされたという見解の上で、疑義を挟んでいるわけですね。「仏説大乗無量寿決定光明王如来阿弥陀経」は「「仏説大乗無量寿決定光明王如来陀羅尼経」のことだとおもいます。確かに、西方無量功徳蔵世界の仏として無量寿決定光明王如来が説かれていますね。しかし、蓮師が文献を間違えるとは思えないのです。可能性があるとすれば、観智儀軌がその時手許になく、記憶に基づいて書いたとも考えられます。それであれば文献引用がない理由にもなりますが、やはり、顕正居士さんの考えられるように別な観智儀軌があり、蓮師はそれを元に撰時抄の文を書かれたという気がいたします。
「十一」の件ですが、数字から長い章立てを連想してしまったのですが、観智儀軌はそれほど長いと思えなかったので気にとめました。単なる思い込みに過ぎません。失礼しました。

335顕正居士:2005/05/12(木) 00:20:50
観智儀軌「十一」というのは十一丁でしょう。「三七十七」とかは三巻目の七十七丁。
丁は洋本の2頁分です。日寛師の時代にはもう黄檗版大蔵経も出版されています。

336真部:2005/05/12(木) 00:46:29

ひたちさん

>「仏説大乗無量寿決定光明王如来阿弥陀経」は「「仏説大乗無量寿決定光明王如来陀羅尼経」のことだとおもいます。

その通りです。昨晩眠い眼で入力していたので、「陀羅尼経」と打つべきところ、「阿弥陀経」と誤打してしまいました。
謹んで訂正致します。

宋の法天訳の「仏説大乗無量寿決定光明王如来陀羅尼経」には

「従是・南閻浮提、 西方・過・無量仏土、 有・世界・名・無量徳蔵、 国土・厳麗・衆寶間飾、
清浄・殊勝・安穏・快楽、 超過・十方・微妙第一、 於・彼・無量功徳蔵世界之中、

有・仏・名・「無量寿決定光明王如来」無上正等菩提、
今現住・彼世界中、 乃至・若有・衆生、 得・見・此・無量寿決定光明王如来陀羅尼経、

功徳殊勝・及・聞・名号・者、 如・此短命之人、 復・憎・寿命・満・於百歳。
若・能・志心称念・一百八遍、 如・此短命衆生・復・増・寿命。 (19−85)
    
と述べている。且つ右の所謂陀羅尼というは、儀軌における決定如来のそれと同一である。
但し今の経は87字、儀軌は51字であって、中間36字を脱しているのである。(19−85、596)

又諸真言要集(上22)に見ゆる陀羅尼は儀軌と全同であるゆえに、不空(705−774)と法天(後清賢1001)
といずれが正しいか不明である。

又法天は光明王の三字を加えているが、法天によれば正しく西方安楽国なる弥陀如来の異名なることは明らかである。

若し・宗祖は撰時抄に
不空三蔵は誤る事かずをほし、所謂法華経の観智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかける、眼の前の大僻見。

と述べ、且つ「これらは東を西という、日を月とあやまてり」と述べられているが、これ今の決定光明王経
の如く無量寿決定如来を以て、不空の儀軌が阿弥陀仏の異名と解したとするものである。

しかしながら、儀軌の文によれば、決定如来は必ずしも阿弥陀の異名と解していないのである。
しかし、法天の決定光明王経は前述の如く、正しく西方無量徳蔵世界の教主で、その真言を唱ふれば、

短命の衆生の寿命を増すと説いているのである。
かくのごとく法天訳によれば弥陀の異名であるが、なぜに宗祖は儀軌の寿量品の決定如来を弥陀と解された
のであろう。」塩田師論文P41−42

337真部:2005/05/12(木) 01:19:53

続き

「今・真言曼荼羅に就いて・これを見るに
「大日経」の「入曼荼羅具縁品第二」に、胎蔵曼荼羅を説いて、中胎は大日、八葉の四方四仏の中

西方仁勝者、 是・名・無量寿 (18−5)

とあるより、一行は、「大日経疏第四」に

次・於・西方・観・無量寿仏、 此・是・如来・方便智、 以・衆生界無尽・故、
諸仏大悲方便・亦・無・終尽、 故・名・無量寿、 梵音・爾々・名・仁者、

又・以・降・四魔・故・名・勝者、 故・偈具・翻・此義、 謂・之・仁勝者 (39−622)

と述べ、又、「大日経疏第七」には

今此本地之身、 又是妙法蓮華最深秘所、 故寿量品云・常在霊鷲山、 及余諸住所、
乃至我浄土不毀、 而衆見焼尽、 此宗瑜伽意耳。 (39−658)

と述べた如く、中胎の大日本地法身は・これ寿量本仏と同体であるゆえに、法華経の最深秘所
たる本地法身は中胎の大日であるが、弥陀は西葉の仏であり、且つ大日の眷属で大日法身の

妙観察智の徳を表すと説いているのである。故に「大日経」並びに一行の疏、不空の儀軌の文
からは、決定如来を以て直ちに弥陀仏なりと解すべきではない。」同論文P42−43

338真部:2005/05/12(木) 01:58:57

続き

「しかし、若し・法天の決定光明王経からは弥陀と称し得るのである、しかるに・此の経は
宋の開寶六年(973)の訳出で、不空の寂後二百年後に属するのである。

しかしながら、不空訳に・「無量寿如来観行供養儀軌」一巻があり、その巻末には
「常応読誦無量寿経」(19−72)とある如く、これ弥陀三部中「観経」による儀軌で、巻首に

我・為・當来・末法雑染世界悪業衆生、 説・無量寿仏陀羅尼。
修・三蜜門・證・念仏三昧、 得・生・浄土・入・菩薩正位。 (19−67)

とあって、これ正しく無量寿如来で阿弥陀のことであるが、儀軌の寿量品の決定如来
には弥陀の意味はなんら・ないのである。

しからば・法華法においては古来、決定如来を果たしていかように解釈せしやといえば、
心覚の「別尊雑記」(AD1117-1180)第十には

或人口傳云、 儀軌・云・無量寿命決定如来者、 多宝仏也。 云々、
私云、 此説不審、 其故者・新訳・無量寿決定光明王如来陀羅尼経・云、

西方・有・仏・名・号・無量寿決定如来、 
其仏陀羅尼・與・法華儀軌無量寿如来陀羅尼・一同也。

多宝仏・東方・寶浄世界・仏也。
無量寿決定如来者・西方・仏也。

然・則・以・西方仏・号・東方多宝仏・如何。
法華曼荼羅・諸尊・形色持物・未・見・説処、 

但世間流布・有・二本不同。 (正図、3−84)

と東方多宝の義を出して、決定光明王経の弥陀の義を疑っているのである
(恵什の「円像抄」第三同意)が、これ・決定如来を多宝仏と解する一義である。」

同論文P43−44

謹んで塩田義遜先生に深甚の敬意を表します。
また、顕正居士さんには、このような立派な論文のご紹介を頂き
心より御礼申し上げます。

339ひたち:2005/05/12(木) 18:43:19
真部さん
顕正居士さん

塩田師の論文、すばらしいです。少なくとも、蓮師が「所謂法華経の観智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかける、眼の前の大僻見」と書いた理由がわかったような気がします。蓮師は、法天訳の決定光明王経を正とされ、不空の説を捨てられたのですね。塩田師は、心覚の「別尊雑記」を示すことで、法華法では決定如来=多宝とする口伝が存在すること、また心覚がそのことに疑義を唱えていることなどよく分かります。蓮師は、法天訳の決定光明王経を正とされ、不空の説を捨てられたと考えられます。決定光明王経は後訳といえど、観智儀軌にはない世界名、そして一致する陀羅尼が明示されている以上、この経が訳出されたあとは決定如来を阿弥陀とするのが自然ななりゆきですね。蓮師もそれを支持されたのではないでしょうか。

340真部:2005/05/12(木) 20:40:44

ひたちさん

身に余るお言葉、かつてに引用させて頂く者として、誠にうれしい限りです。

塩田先生にお断りもなく恐れ多いことではありますけれども、可能な範囲で
引用させて頂きますことお許し願います。

「若し・東蜜の「覚禅抄」(AD1143-1217)第二十三には、やはり二経を引いて
「右記軌意同也」と一往両軌を同意なりと解し、さらに

傳集四云、 多宝無量寿決定如来。云々。 (引用者注:以下細字で)兼意云伝教、慈覚口決全同也、亦開題・有・之。
敦双紙云、 (注:醍醐のみ細字で)醍醐・決定如来寶生尊多宝也。

安養口云、 決定如来釈迦報身。云々
実勝云、  釈迦法身、 (注:以下細字で)又阿弥陀云々

愚案云、  決定如来言、 釈迦真言歟。 可・思、
久遠義、  諸仏皆多宝。文

是又釈迦法身也、 或報身・文。 可・見・軌也・乃至・弥陀義・密意歟。
(正図、4−242)

とある如く、
或は・多宝法身といい、
或は・釈迦の報法二身といい、
或は・密意に依て弥陀といっているのである。

此処に始めて・決定如来を弥陀と解する義を見るのである。」同論文P44−45

341真部:2005/05/12(木) 21:05:25

続く

「さらに・台密・承澄(AD1205-1282)の「阿沙縛抄」(AD1242-1281)第七十一には

大原決云、 無量寿決定如来○是釈迦顕本遠寿身也。 法華法・中・決定如来・真言、
      又・是・寿量品之肝心・真言也、 以・寿量品・為・真言也。云々

私云、 教時義云、 久遠・是・約・本行因円果満之因分・而・為・実成、 実成報身・證・会・法身、
    法身一体・無・久遠、 前入後・誰久・誰遠、 法華軌・為・令・衆生・得・此常寿・故、
    説・一切如来無量寿決定如来真言、文 (正図、9−114)

と述べて・釈迦の寿量顕本因円果満の報身即法身なりと述べているのである。」同論文P45

342真部:2005/05/12(木) 21:25:36

続く

「かくのごとく・両密に亘って・種々の解をなしているが、右の中・
心覚の「別尊雑記」は・決定如来を多宝となすに就いて、

東方の多宝に西方の弥陀の名を以てせるを疑っているのであるが、
これ宗祖か(注:「が」か)此等は東を西といふと述べられたのと別義同意である。

若し・東密の「覚禅抄」は・多宝の説を出し、
さらに・釈迦の報法二身説をなし、
最後・密意弥陀の説に及んでいる。

又・台密の「阿沙縛抄」は・
釈迦の能成報身、所成法身の中古天台の寿量顕本説に依っているのである。

右の如く・儀軌の無量寿決定如来を・
東密は・多宝法身
台密は・釈迦報身と解し、

又・儀軌と決定光明経と・同一真言の辺よりして、
弥陀と解するを以て密意としているのである。」同論文P46

343犀角独歩:2005/05/12(木) 21:26:09
真部さん、横レス失礼します。結局のところ、いま、進んでいる話は報身・釈迦、法身、密義において、応身・阿弥陀を言うところですか。その前段として、此土・釈迦、東・他方、西・阿弥陀が一体であるということになると思いますが、それを蓮師は「所従」と記す説明は載るのでしょうか。

34401:2005/05/12(木) 21:42:35
なんだか、すごくむずかしいですね。

345真部:2005/05/12(木) 21:44:09

続く

「上述の如く・決定如来は、顕意よりしては弥陀と解し得ぬのであるが、
若し・弥陀と解する如きは・全く密意という外ないのである。

故に・宗祖が 「寿量品を阿弥陀仏とかかれたり」 とは、儀軌の寿量品の
決定如来を・ 光明王経の意を以て解したものであつて、

寿量品の無量寿と・儀軌の無量寿と、決定光明王経の無量寿とを・同義と解し
た点を指摘したものと解する外ないのである。

故に・若し・儀軌當面の意を以てすれば、台密の寿量顕本の意を解すべきである。

若し・日朝(注:身延日朝師)が「本門の教主」(「本尊論資料」一、九六)と解せる如きは、
全く能顕の一辺を指したものであって、所顕にあらざれば・無量寿と称し得ぬのである。」

346真部:2005/05/12(木) 21:56:38

独歩さん 01さん

>「所従」と記す説明は

はい、それは前述しました319になります。

>むずかしい

はい、とてもむずかしくて、記していてもこんがらがっています。

師の論文は「大崎学報」に掲載されていますので、もう止めよということでしたら
止めますので…。

34701:2005/05/12(木) 22:06:00
いや、むずかしい言ったのは僕ですから、独歩さんのことはしりません。一緒にされると困ります。

348真部:2005/05/12(木) 22:39:49

続く

「しからば・果たして・誰人に依って、「観智儀軌」の決定如来が弥陀仏と解せられたかというに、
文献としては・これ智証の著と称する「講演法華義」並びに「法華諸品配釈」を指すべきであろう。

もちろん・これらの両書は・古より真偽の論はあるが、前者は・ほぼ智証としているようであるが、
しかしながら・その思想系統より見る時は、智証に属すべきものであろう。若し・「法華諸品配釈」に依れば

弥陀・葉・配・寿量品・意者、 下方・従・地・涌出・虚空・衆会。
為・仏・決・此疑・説・此品也。

如来者・乗・如実道・来成・正覚、 故・名・如来。
十方三世・本仏・迹仏之通号也、故・名・寿量品。云々

入真言門意者、 西方葉寿量品也、 是・示・伽耶之遠成・義也。
顕密共也。 (仏全27、491)

と即ち・顕教の寿量の顕本は塵点の遠寿に寄せて、無量寿法身の本を顕すのである。
故に・若し・単に名に約すれば、無量寿如来とは弥陀の異名である。

しかるに・真言において・阿弥陀仏を西方に配し、寿量品の仏としたのは、伽耶近成の
応身の義であって、顕教にいう如き法身の意ではない。

即ち・顕教は法身の体と指し、密教は応身の名を指して、顕密共に無量寿というも
名同義異である。」同論文P46−47

349真部:2005/05/12(木) 22:41:32

01さん

失礼致しました。

350顕正居士:2005/05/12(木) 22:53:35
行学日朝師の説とは

「無量寿命決定如来ヲ首題ニスル意ト覚タリ」

「無量寿命決定王如来ハ本門教主也」

ここでいう八葉九尊図とは蓮華三昧経(妙法蓮華三昧秘密三摩耶經)の法華曼荼羅のことであり、
本迹二門の八菩薩が配され、日蓮聖人図顕の妙法曼荼羅の直接の原型であるといえます。

法華曼荼羅八葉九尊図
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049288&amp;VOL_NUM=00000&amp;KOMA=60&amp;ITYPE=0

351真部:2005/05/12(木) 23:37:35

続く

「しかるに・「講演法華儀上」には

次・西方・阿弥陀仏葉、 寿量品・明・之。
梵・云・阿弥陀痩灑、 此・云・無量寿、 即・彼品・所説・久遠実成也。
(56−193、仏全27 923)

と述べているが、元来・弥陀の梵名に阿弥陀痩Amitayusと阿弥陀婆Amitabhaの両様があって、
痩斯ayusは寿の義、婆abhaは光明の義である。 (注:「痩」は「冫」を除いた字です)

したがって・前者を無量寿、後者を無量光となし、光寿の二無量を以て弥陀の仏徳を表した
のである。されば・「阿弥陀経」には

舎利弗於汝意云何、 彼仏・何故・号・阿弥陀。舎利弗・彼仏・光明無量、 
照・十方国・無・所・障碍、 是故・号・為・阿弥陀。

又舎利弗・彼仏、 寿命及其人民無量無辺、 阿僧祇故名・阿弥陀。

と説いているのである。故に・無量寿とは仏徳の一面を顕したもので、
寿量品の「寿命無量、阿僧祇劫、常住不滅」というも・これに外ならぬのである。

故に・この点より見て・弥陀の異名たる無量寿仏に寿量品を配したのである。
かくのごとく・光寿の二無量は独り弥陀の仏徳のみならず、諸仏共通の仏徳である。

故に・寿量品の偈に「慧光照無量、寿命無数劫」と説いてあるのである。

いずれにもせよ・宗祖の所謂寿量品を弥陀と書いたというのは、恐らく智証と謂わなければ
ならぬ。加之・不空の法華曼荼羅は密教の意を以て、法華を曼荼羅化したのに過ぎないので

あるが、曼荼羅内の諸尊の意義を明かにし、所謂法華曼荼羅に法華曼荼羅たる所以を明にした
のは、宜し右の両書が智証でないにしても、智証を起点とする台密学派といはなければならぬ。

由来密家に於いては杲実の「玉印抄」が「観智儀軌」を指して「両部合行儀軌也」(5、17)
と称するのであるが、かく称せらる所以は勿論・一行の「大日経疏」に発するのであるが、

全くかくのごとく称せらるべき内容を整えたのは・やはり・智証等であろう。」

352真部:2005/05/12(木) 23:47:02

顕正居士さん

適格な助け舟に本当に感謝致します。
ありがとうございます。

優陀那日輝師の「妙宗本尊弁」、ようやくと入手しました。
「妙宗に二種の本尊あり、一はいわく釈迦仏、二はいわく曼荼羅なり…」で始まる
御本を読みたいです。

心より御礼申し上げます。

353ひたち:2005/05/12(木) 23:52:48
真部さん

智証の段、興味深いのですが、少し考えさせて下さい。いずれにしても、不空の観智儀軌がその発端であることは間違いなさそうですが、各人の違いが興味深いですね。

顕正居士さん

法華曼荼羅が蓮師曼陀羅の原型であるという点は私もそう思います。釈迦多宝の二仏並座を中心として、八尊が描かれる図ですね。ただ、行学日朝師の説はちょっと強引すぎると思います。この説の拠所は、やはり不空の観智儀軌なのでしょうが、そこから展開できるものなのでしょうか。

354真部:2005/05/13(金) 00:14:24

ひたちさん

>智証の段、興味深いのですが、少し考えさせて下さい。…各人の違いが興味深い

はい、師の論文はあくまでも師のご見解ですから。
宗祖の「漫荼羅」及び「本尊」義は至極であり、古来よりさまざまに論及されていると思われます。

大日・多宝についての宗祖の遺文の根拠等もわからない点ばかりです。(私自身がという意味でです)
是非とも宗祖のお考えをどう拝したらよいか、お教え願います。
本当に難しいです。

355犀角独歩:2005/05/13(金) 01:19:02

真部さん

経典の成立順番から言うと浄土(観経と浄土教とどちらが先か悩みますが)、次いで法華経、さらに真言(大日)ということでしょうか。

そうなりますと、法華における寿量は、当然、阿弥陀の無量寿にアイディアを得ていることになります。そのように考えると、阿弥陀と寿量仏の同一視から、個別化という階梯があったろうと想像されます。さて、そこで、多宝は?となりますが、その起源は、わたしにはまったくわかりませんが、しかし、多宝、大日では、やはり多宝が先行するのでしょうね。

異常のような発生と習合をなんだかんだと説明づけようとしたのが、種々の解釈でしょうが、わたしが興味を持つのは「所従」ということです。これは複数の存在の上下関係を意味する言葉ですから、決定王如来がなにを指すかは、置くとしても、三種の仏(阿弥陀・釈迦・大日)のそれぞれの別の存在として、その上下を決めようとした概念であるということになります。つまり、此土・釈迦(報身)、西・阿弥陀(応身)、東・多宝(法身)です。この多宝が仮に大日とのちに解釈されるようになったとして、ここでは、三身のなか、法身を優として、他二身を所従(劣)という蓮師のコンセプトがあることが窺えることになります。

では、そうなると、それに先んじる本尊抄の「三身所顕無始古仏」という一体観を思わせる記述との整合性は、どうなるのでしょうか。

また、阿弥陀(西・無量)は重要なコンセプトとなっていながら、漫荼羅図示にはまったく顕れません。この点はどうでしょうか。

以上の点、どのようにお考えになられますか。

356顕正居士:2005/05/13(金) 01:44:49
>>353

法華曼荼羅は不空三蔵に起源するのでしょうが、蓮華三昧経の法華曼荼羅は日本天台において
成立したもので、大なる特色があります。二仏並坐の左右に両界の大日如来が配されています
(まさに御本尊集18番と同じ)。そして本門の四菩薩が存在しています!

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049288&amp;VOL_NUM=00000&amp;KOMA=61&amp;ITYPE=0

Libraさんのサイトに次の記事があります。

蓮華三昧経の法華経曼荼羅の構成
http://page.freett.com/Libra0000/076.htm

357犀角独歩:2005/05/13(金) 10:57:37

今回の皆さんの投稿は、実に参考になりました。
報恩抄の文に就き、ひたちさんが挙げられた『善無畏鈔』の一節、それに対する顕正居士さんの疑義。次いで真部さん塩田論文から抜粋。霧が晴れていく思いがする流れでした。

それにしても、356に顕正居士さんがご提示くださった図は、これはたしかに第18大漫荼羅と驚くほど一致しています。

細かい所までは読めませんが、以下のようです。

………弥勒菩薩………(東)上行菩薩……………………普賢菩薩
(北)安立行菩薩…<胎・釈・無量寿・多・金>…(南)無辺行菩薩
………観世音菩薩……(西)浄行菩薩……………………文殊菩薩

<胎・釈・無量寿・多・金>
胎蔵界毘廬舎那・釈迦如来・□□無量寿決定如来・多宝如来・金剛界毘廬舎那

この座配は宝塔西面、北に釈迦・南に多宝、さらに弥勒・普賢・観音・文殊が四菩薩の相互に両脇に配されているわけですね。
蓮師漫荼羅は二次元で、中央右に上行・無辺行、左に浄行・安立行となりますが、これを三次元で表せば、図のようになるということでしょうか。たしかにこの図の如く、着想されたことは確実と思えます。

蓮師はしかし、第18大漫荼羅では、弥・普・観は漫荼羅に載せず、「南無文殊薬王等大菩薩」と勧請します。

以上の図と蓮師漫荼羅を対照すると、中央が無量寿決定如来と南無妙法蓮華経が対比することになります。では、如来=妙法なのか、という問いが生じます。また、この図でいう無量寿決定如来は、釈迦・多宝(不二大日)・阿弥陀のなかでは、阿弥陀となるはずですが、真部さんが整理してくださったように台密の無量寿決定如来…釈迦報身となるのでしょうが、そうすると、中央無量寿:釈迦:多宝=報身:報身:法身となってしまい、三身を美くせません。結局のところ、台家における阿弥陀崇重の延長に図はあるけれど、蓮師は、これを付属の南無妙法蓮華経という側面から構成し直し、漫荼羅にまとめていったということでしょうか。
もう一点、この第18大漫荼羅では分身諸仏の勧請がありますが、この点との整合性はどうなるのか、以上の点でも皆さんのご賢察を窺いたいと思います。

358犀角独歩:2005/05/13(金) 11:03:19

話題とは関係ありませんが、357の図説、ツール(T)インターネットオプション(O)・フォント(N)の設定が「MSPゴシック」などですと崩れます。「MSゴシック」などPのつかないフォントを設定すれば、崩れずにご覧になります。

359ひたち:2005/05/14(土) 00:28:01
顕正居士さん

蓮華三昧経は、日本で成立した偽経な訳ですよね。蓮師がこのようなものを支持されるのでしょうか。中央に決定如来を拝するのは、観智儀軌によるのでしょう。この法華曼陀羅をよく見ますと、浄行菩薩の所に「無量寿仏」と書かれていますから、決定如来と阿弥陀は別なものという前提に構成されていますね。

仏と菩薩の対応は
宝積仏…………上行菩薩
不空成就仏……安立行菩薩
宝生仏…………無辺行菩薩
無量寿仏………浄行菩薩
だろうと思います。となれば、これは金剛界曼陀羅の変形であり、決定如来の位置は本来は金剛大日如来であろうと思われます。ただ、すでに中央に五仏を配し、金剛界毘廬舎那を多宝の更に下にしていますから、金剛界曼陀羅ではないわけです。
そして余方の菩薩は弥勒、普賢、観世音、文殊であり、これだけ見ると、胎蔵界曼陀羅ですね。当然中央は胎蔵界大日となるべきですが、これまた釈迦の下に胎蔵界毘廬舎那を配しています。両界及び法華の特徴を織りまぜた不思議な曼陀羅ですね。いずれにしても、この曼陀羅を創案した人には決定如来=阿弥陀の義はないようです。不二の大日の義を引くような印象です。
真部さんが引用して下さった塩田師の論文によれば、智証の流れには決定如来=阿弥陀の義が見られることから、この曼陀羅は山門派の系統なのでしょうか。

360ひたち:2005/05/14(土) 00:39:02
まだ書き忘れたことがありました。塩田師の論文から、蓮師の「所謂法華経の観智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかける、眼の前の大僻見」を、寿量品を決定如来としたことを指したと考えたのですが、そうだとすれば蓮師は決定如来=阿弥陀の義をもっていたことになり、この法華曼陀羅をよしとされるはずがないと考えます。
さらに思いを馳せれば、蓮師は寿量品=附属の妙法と考えていたのでしょう。曼陀羅中央の題目がそれを表していると思います。この件はもっと思索が必要だと感じております。

361犀角独歩:2005/05/14(土) 00:47:21

ひたちさん、では、阿弥陀は台家では、どう扱われ、蓮師は、どう扱ったと思われますか。

362ひたち:2005/05/14(土) 01:16:31
犀角独歩さん

正直いって私は何もわかりません。塩田師の論文からは、台家には阿弥陀を法華の主尊とする考えはなかったような印象を受けます。また、蓮師も阿弥陀を重要視していなかったのではないでしょうか。

363真部:2005/05/14(土) 03:11:19
独歩さん

>経典の成立順番から言うと浄土(観経と浄土教とどちらが先か悩みますが)、次いで法華経、さらに真言(大日)ということでしょうか。

私自身は、宗祖の遺文をいかに考えるか(そのためには宗祖と同じ地点で考えたい)を前提にしますので、経典の成立云々は、宗祖が立脚された天台大師の五時八教説を・ここでは・採ります。
注:歴史的な経典の成立時期は、種々の研究があると思います。
tp://www2.valdes.titech.ac.jp/~hashizm/text/titech/shukyo/resume/resume06.html

>法華における寿量は…阿弥陀の無量寿にアイディアを得て…阿弥陀と寿量仏の同一視…

宗祖は「撰時抄」(54歳御作)で「…其の上・不空三蔵は・誤る事かず多し。所謂・法華経の観智の儀軌に、寿量品を阿弥陀仏とかける眼の前の大僻見。…」と否定されているように思われます。塩田師の論文中の「光寿」は・あくまでも一つの考察であると私は理解しています。

>多宝、大日…

多宝・大日について宗祖の遺文を時系列で見ますと、
1.「善無畏抄」(50歳)
「其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には、大日経・金剛頂経の両部の大日をば左右に立て、法華経《多宝仏》をば《不二の大日》と定めて、両部の大日をば左右の【臣下】のごとくせり。」 

2.「法華取要抄」(53歳御作)
「諸仏如来或十劫百劫千劫已来過去仏也。教主釈尊既五百塵点劫已来妙覚果満仏。」
「大日・阿弥陀・薬師等尽十方諸仏…教主釈尊【所従】等也。天月万水浮是也。」
「華厳経昆廬遮那・大日経金剛頂経両界大日・宝塔品多宝・左右【脇士】也。」

3.「報恩抄」(55歳御作)
「教主釈尊、宝塔品にして一切の仏をあつめさせ給ひて大地の上に居せしめ、大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて、教主釈尊は北の上座につかせ給ふ。此の《大日如来》 は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日を【郎従】等と定めたる《多宝仏》の上座に教主釈尊居せさせ給ふ。」

私見にすぎませんが
1.は不空「儀軌」に「法華経多宝仏を不二の大日」と定めて、両部大日は「臣下」。
2.は「十方諸仏」(大日・阿弥陀・薬師等)は「教主釈尊」の「所従」であり、華厳の昆廬遮那と両部大日は「宝塔品の多宝如来」の左右の「脇士」とされ。
3.は「一切の仏」は「大地」に居せしめ、宝塔の中の北上座「教主釈尊」・南下座「多宝仏」(多宝仏である大日如来の「郎従」として両部大日)
とされているように思われます。

>つまり、此土・釈迦(報身)、西・阿弥陀(応身)、東・多宝(法身)…

宗祖は「天台大師は法華文句見宝塔品の冒頭に多宝法身、釈迦報身、分身応身と注釈」
をお取りになられているのではないでしょうか(私見にすぎませんが)。同論文中で覚禅抄の「密意か」等は・あくまでも一つの考察であると私は理解しています。

>阿弥陀(西・無量)…漫荼羅図示にはまったく顕れません。この点はどうか。

宗祖は「法華取要抄」で「…大日・阿弥陀・薬師等尽十方諸仏…」と記されておりますので、建治年間までの漫荼羅に認められている「十方分身諸仏」に含まれると思われますが。

ご質問の趣旨を取り違えた見当違いな点等お許し願います。

364顕正居士:2005/05/14(土) 03:55:29
>>359

ひたちさん。

蓮華三昧経が中国では全く知らていないことなどから日本成立の偽経であると今日のわれわれにはわかります
が、鎌倉時代や室町時代にはわかりません。蓮華三昧経は巻頭の偈頌(本覚讃)がまず出来、和讃で注釈した
「注本覚讃」(伝良源)、更に散文で注釈した「本覚讃釈」(伝源信)が作られました。日蓮聖人ももちろん引用され
ています。

八宗違目抄 (真翰完存)
http://nakanihon.net/nb/gosyo/hassyuuimokusyou.htm

「心王大日遍照尊 心数恒沙諸如来」の句があるところが通常の本覚讃とは異なっています。蓮華三昧経の
法華曼荼羅図を日蓮聖人が知っていたかどうかはわかかりません。鎌倉時代には蓮華三昧経の本文はまだ
成立していないようです。日蓮聖人が記している神力品の次に陀羅尼品をおく、嘱累を経末におくというのは
どうみても現行の観智儀軌には合致しません。寿量品の仏を阿弥陀仏としたというのも現行の観智儀軌の文
のことでははないようにおもえます。ただし両部の大日如来を二仏の並坐に配当するというのは蓮華三昧経
の曼荼羅図は合致している。日蓮聖人が見た観智儀軌がどういうものであったのか、蓮華三昧経ももちろん
不空三蔵の訳と伝えるので、これが何かヒントにならないだろうかとも考えます。「注本覚讃」、「本覚讃釈」を
伝良源、伝源信とすることからは蓮華三昧経あるいは本覚讃の思想は山門で発達したようにおもえます。

365犀角独歩:2005/05/14(土) 08:15:09

真部さん、簡潔な整理、有り難うございました。

> 宗祖の遺文…宗祖と同じ…経典の成立…宗祖が立脚…天台…五時八教説

当板でいう、蓮師の素描とは、もちろん、そのような意味です。ですから、この考えには、もちろん、賛同します。

ただし、蓮師を無謬と考えるのではなく、その実像を、さらに真実・事実と対照し、日蓮信仰の‘パンドラの箱’を開けて、中を見ることも目的とします。この点を見なければ、蓮師の限界に留まってしまうことになるからです。もちろん、このことを強要しようとは思いません。ただ、わたしは素描された‘日蓮’を現状認識で晒し見、どの程度、使用可能かを考える作業は怠りません。その点に関して、考えがあれば書き、疑問があれば、問います。もちろん、それへのレスは各人の自由です。

> 私見…「十方諸仏」(大日・阿弥陀・薬師等)は「教主釈尊」の「所従」…郎従

わたしの最大の興味は、『注法華経』でしか確認できない「三身即一身」を、蓮師がどのようにとらえていたのかという点です。この成句は、ご承知のとおり、真跡遺文中では見られません。
しかしながら、『観心本尊抄』では「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏也」というわけで、三身円満を意識されていることはもちろん知られます。(「所顕の三身にして無始の古仏」と富士門では言いますが、現宗研・所蔵データ真跡では「所願」)

真部さんが引用される限り、蓮師がいう三身観は報身・釈迦に多宝(大日?)、分身諸仏(含・阿弥陀)が所従という、いわば上下関係を以て包摂されることは、三身観として、かなり特異とわたしには映じます。三即一からは、もちろん、かけ離れています。その意味で、この点についてはさらに慎重に考えたいと思っているわけです。

故に、ここでご意見を窺ったわけです。これが先のわたしの質問の意図です。
重ねて問わせてください。蓮師の三身観は、報身(主)報応(所従)という上下関係、また、別仏発想として成り立っていますか。

> …多宝法身、釈迦報身、分身応身…お取りになられている

ええ、この点を明らかにするために問いを起こしたわけです。
いままで取り上げてきた各真跡遺文、また第18大漫荼羅の如きは、この説明で成り立ちます。
ところが、後期の大漫荼羅では金胎大日はもちろんのこと、分身諸仏を勧請から消えます。
となると、ここで応身が勧請されていないことになる、これでは三身が成り立たないではないか、というのが、わたしの疑問です。

そこでご意見を窺いたいわけです。
この勧請は応身の意図的削除とお考えになりますか。また、どのような理由であるとお考えですか。
少し言葉を換えれば、真跡遺文から窺える蓮師の、この意図はどのようなところにあるとお考えになりますか。

以下は質問ではありません。いわば弁明です。なお、わたしが「此土・釈迦(報身)、西・阿弥陀(応身)、東・多宝(法身)」と記したのは、漫荼羅図示はあくまで宝塔説法の図式化、つまり、南無妙法蓮華経の五字付属を示すことを意図したものであるという前提で記したことです。つまり多宝は証明、阿弥陀は娑婆衆生無縁の仏で、実際のところ、此土有縁深厚の仏は釈迦一仏に限るという蓮師の発想が窺えるからです。この場合、久遠一仏に統一という三身論的発想からは離れていないか、つまり、三身云々より、久遠一仏・付属弟子という師弟関係が主ではないのか、この点の実際はどうなのかを考えるために記したことです。

366犀角独歩:2005/05/14(土) 10:15:57

【365の訂正】

誤)パンドラの箱
正)パンドラの函

367真部:2005/05/14(土) 12:53:41

独歩さん

>蓮師を無謬と考えるのではなく、その実像を、…真実・事実と対照し、…中を見ることも目的…

はい、この点は当掲示板に記されてきた当初以降現在までの内容を拝見しておりますゆえ了承しております。

>真部が引用…三身観として…特異と…映じ…蓮師の三身観は、報身(主)報応(所従)という上下関係、また、別仏発想として成り立つか

私は、多宝・大日に係る宗祖の「取要抄」「報恩抄」の該文は、諸仏を「教主釈尊」に統一する趣旨と理解しており、該文で三身に捌くというふうには見ていませんでした。
私の引用の仕方が拙であるため・論文中での・東・台密諸師の法報応等の該部分が混乱を招いた諸因となってしまったと反省しています。

>(弘安以降の)大漫荼羅では金胎大日・(善徳仏)・分身諸仏が勧請から消え…応身の意図的削除か…蓮師の意図は…

私自身、三身論を十分理解しえておらず、その観点から上記の問いにお答えできるものは持ち合わせておりません。なお、弘安以降二仏に摂せられた事については、独歩さんの方が私よりもはるかに知悉されておられますので省略させてください。

「多宝大日」で、『漫荼羅は本尊か』という本論の中心テーマの考究を中断させてしまい、議論の中心者であられる独歩さん、問答名人さん、愚鈍凡夫さんをはじめとするみなさま方に対し謹んでお詫び申し上げます。引き続きお教え願います。

368ひたち:2005/05/14(土) 14:16:12
顕正居士さん

顕正居士さんの考えられること、そのように思います。記述が合致しない以上、現行の観智儀軌を見てもそれ以上どうしようもないと思います。観智儀軌には別なバージョンがあったのだと思われます。そのうえで顕正居士さんは、蓮師が見た観智儀軌には蓮華さん三昧境の原型となる思想なり、曼陀羅図案が掲載されていたのではと仮説を立てられておられるわけですね。しかも、それは日本台家山門の秘伝であった可能性もあるわけですね。今回真部さんのおかげで塩田師の論文引用を読ませていただいて、さまざまな人師が観智儀軌をもとに、決定如来=多宝、決定如来=釈尊等の義を立てていると感じました。それも、現行の観智儀軌からの展開は難しいのではないでしょうか。

369川蝉:2005/05/14(土) 15:24:47
冨士門流信徒でないですが、横から失礼します。
撰時抄の法華儀軌批判について。

すでに、江戸時代に真迢が、「日蓮は、観智儀軌が寿量品を阿弥陀仏としていると誤った評をしている」と、批判を寄せています。
真迢の批判に対して、日題の「中正論」では

「時に婆伽梵得自性清浄法性如来とは、是れ観自在王如来の異名なり。則ち此の仏を無量寿と名づく。若し浄妙の仏国土に於いて現に仏身を成ず。雑染五濁世界に住しては則ち観自在菩薩と為る。」
との不空三蔵の「理趣釈」の文を引き、

「文の中の、時婆伽梵得自性清浄法性如来とは理趣経の文なり。是れは釈迦如来を推功帰本して法性如来と云うなり。然るに不空は是れを釈して則ち或いは観自在菩薩とも又は無量寿仏とも云へり。
豈に 釈迦如来を無量寿仏とするに非らずや。・・・(観智)儀軌の文を見るに寿量品を誦する次に無量寿決定如来の真言を誦せよと云うは豈に寿量の如来を無量寿如来と意得て咒願するに非らずや」
と指摘し、不空に「寿量の仏と弥陀と同じ」と云う思想があったとしています。
(参考)「理趣釋」も文は下の様に成っています。
「1003_,19,0612a10(08):時婆伽梵者如前所釋。
1003_,19,0612a11(06):得自性清淨法性如來者。是觀自在王如來異名。
1003_,19,0612a12(02):則此佛名無量壽。如來若於淨妙佛國土。現成佛身。
1003_,19,0612a13(01):住雜染五濁世界。則爲觀自在菩薩。」
(大樂金剛不空眞實三昧經般若波羅蜜多卷下)

ちなみに日存の「金山抄」には
「不空の無量寿経の儀軌に云く。昔は霊山に在っては 妙法と名づけ、今、西方に在っては阿弥陀と名づく等、已上・・・既に霊山説妙の釈迦を以て弥陀と名づけたり。故に不空、寿量の釈迦を以て弥陀とせること決定なり」
と指摘していますが、日題の「中正論」によれば、無量寿経の儀軌にこの文は無いとのことです。私も見てみましたが無いようです。
弘法大師や智証大師の「弥陀と釈迦と同じ」と云う思想に基づいて「金山抄」引用の文が挿入された別本があった可能性も考えられます。
また「録内啓蒙 」においては、
「澄豪記(澄豪は1049〜1133年の人)に云く・・有る伝に云く無量寿決定如来とは阿弥陀如来と云々・・古来、決定如来を阿弥陀仏と云える一説あるに付順して今も(撰時抄も)此の如く遊ばせるか。元来、密家の所伝理趣釋(二十六丁)に、得自性清淨法性如來とは観自在王如来の異名なり、則ち此の仏を無量寿と名づくと云い。空海諸開題の第四法華開題にも、妙法蓮華とは斯れ乃ち観自在王の密号也、則ち此の仏を無量寿と名づくと云える亦其の流例なり」(録内啓蒙巻の十一・38丁左)
と会通しています。

(参考)「法華開題 」には次のように有ります。
「妙法蓮華とは、これすなはち観自在王の密号なり。すなはち、この仏を無量寿と名づく。もし浄妙国土に於いては、仏の身を現成し、雑染五濁の世界に住せば、すなわち観自在菩薩たり。」
(法華開題(開示茲大乗経)筑摩書房刊空海全集3ー304頁

370川蝉:2005/05/14(土) 15:26:05

法華儀軌の品の前後について。

「録内啓蒙巻の十一・三十九丁」に
従義の「補注八二十丁」の
「唐の時、不空所訳の法華儀軌、その間亦提婆を将て合して宝塔品の内に在り。又陀羅尼品を以て神力品の後に在り。復嘱累品を移して普賢品の後に安ず。此れ則全く添品法華と改易是れ同じ。甚だ羅什の飜ずる品の次第と違うなり」
との文や、
また証真の「文句私記十」の
「問うて云く。不空三蔵法華儀軌二十七品帰命偈頌の諸品の前後は、全く添品に同じ。彼れ末後に帰命最後嘱累品と云う。彼の帰命偈、是れ天竺の諸阿闍梨は梵本に依って作る故に、添品を以て正本と為すべきなり。故に知んぬ、嘱累定んで経末に在りと。
答う。梵文同じからず。彼の不空の偈は添品の本に依りて偈頌を作るのみ」
との文を挙げています。
日蓮聖人は従義や証真の見た法華儀軌と同じ本を見て「陀羅尼を神力品の次に置ける。とか嘱累品を経末に下せる。」等と指摘されたのでしょう。

371顕正居士:2005/05/14(土) 16:59:22
日蓮の「所従」思想-1

「所従」は家来、従者、下人などをいう。比叡山の荒法師とは学生(がくしょう)の「所従」(学僕)が長じて衣を着た
のであるなどと使う。わが国では得宗家の家司が大きな権勢を有することがある。しかし家来である以上は主君
の専権に服する身分である。「臣下」や「大名」ではない。家内使用人である。ただし提婆品に「多宝世尊。所従
菩薩。名曰智積」とあり、日蓮は「所従」を「随従、侍従」の意味で用いている可能性はある。臣下とも脇士とも
いうからである。

法華取要抄(真翰完存)

「教主釈尊は既に五百塵点劫より已来、妙覚果満の仏なり。大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の
諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ、是れ也。華厳経の十方臺上の毘盧遮那、
大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士也。例せば世の王の両臣の如し。
此の多宝仏も、寿量品の教主釈尊の所従也。此土の我等衆生は五百塵点劫より已来、教主釈尊の愛子也。
不孝の失に依て今に覚知せずと雖も、他方の衆生には似るべからず」

仏身については幾種類も説がある。大日如来を法身というけれども、それは密教のほうでいうことで、天台宗の
三身説にあてれば胎蔵界大日・理法身が法身、金剛界大日・智法身は報身である。多宝仏が不二の大日なら
釈迦仏と報法・境智の関係が成り立たない。更に多宝仏が釈迦仏の所従であるとは何をいうのか。多宝仏は
霊山の客であるが、釈迦仏はまた多宝塔の客であるから上座なのである。所従といったら二仏の並坐は成立
しない。大日智法身即釈迦仏、大日理法身即多宝仏でなければわからない。その上で東密では釈迦多宝不二
を大日如来とするのに対して、台密では両部大日不二を無量寿命決定如来(寿量品の仏)とするのであろう。

上の文ではゆえに娑婆世界は宇宙の中心であると述べる。われらも「他方の衆生には似るべからず」。ただし
「有縁の仏と結縁の衆生とは、譬へば天月の清水に浮かぶが如し。無縁の仏と衆生とは、譬へば聾者の雷の
声を聞き、盲者の日月に向ふが如し」
と文が続くから、諸仏同道、互為主伴の上で述べている可能性も否定できない。

372顕正居士:2005/05/14(土) 17:02:25
日蓮の「所従」思想-2

神国王御書(真翰断存)

「仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の、師なり主なり親なり。
三界の諸王の皆は此の釈迦仏より分ち給て、諸国の総領・別領等の主となし給へり」

「王権仏授説」がいわれる。

「しかるに我が日本国は一閻浮提の内、月氏漢土にもすぐれ、八万の国にも超えたる国ぞかし」

宇宙の中心である娑婆世界の中心が更に日本である。

真言七重勝劣事

「今経位配人事
(鎌倉殿)
征夷将軍    無量義経
摂政       涅槃経
院         迹門十四品
天子       本門十四品」

征夷将軍を無量義経に配する。しかし爾前の経は征伐する対象なのか。二乗作仏(絶待一乗)と久遠実成
(十界皆成)のみが法華経の教義ではなかったか。正像末三時も鎮護国家も征伐し、方等部に摂属させた
真言三部経も征伐し曼荼羅も陀羅尼も滅ぼしたら日蓮宗がどうして成立しようか。与えて論ずれば征夷将軍
とは蝦夷を滅ぼす職にあらず服属させるのである、いわんや鎌倉殿の場合は得宗家の権威を認めればよい
とも解せる。しかし証真のいう「諸部の円文を泯じ、部教混乱する咎」を免れるのか?

日蓮の教義をその特異な「所従」思想から考えると、彼の長所も欠陥も鮮明になるようにおもう。与釈を以て
考察すれば直ちに彼をその亜流と同一視はできないが、奪釈を以て批判すれば後世の日蓮主義の邪教化
の源流、実に宗祖自体である。娑婆宇宙中心、日本国娑婆中心、釈尊宇宙大王、祭政一致、他経敵経他宗
敵人等。現世利益を主眼とする純正カルト(マルチ商法の一種)までは無関係であるから含めない。

373真部:2005/05/14(土) 17:28:49

川蝉さん

誠にありがとうございます。よく拝読させて頂きます。


顕正居士さん

誠にありがとうございます。熟読三思します。

374問答迷人:2005/05/15(日) 06:31:49

一大秘法

『三大秘法』の成句は、真蹟遺文には見当たらず、後世の成立かも知れません。ただ、曾谷入道殿許御書(文永十二)に、『一大秘法』の文言があります。

『大覚世尊、仏眼を以て末法を鑒知し、此の逆謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。所謂、法華経本門久成之釈尊・宝浄世界の多宝仏、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔之中に於て二仏座を竝べしこと宛も日月の如く、十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬之師子の座を竝べ敷き、衆星の如く列坐したまひ、四百万億那由他之大地に三仏二会に充満したまふ之儀式は、華厳寂場の華蔵世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり。』

この文意は、三仏を以って、『一大秘法』と述べているかのごとくです。もう一箇所、同じく、曾谷入道殿許御書に次のように有ります。

『爾時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属し給ふ。其の所属之法は何物ぞ。法華経之中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る。所謂、妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄也。例せば九苞淵之相馬之法には玄黄を略して駿逸取る。史陶林之講経之法には細科を捨てて元意を取る等云云。加之、霊山八年之間に、進んでは迹門序正之儀式に文殊・弥勒等の発起影向之聖衆にも列ならず、退ひては本門流通之座席に観音・妙音等の発誓弘経之大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居する之後、仏の滅後正像二千年之間に於て未だ一度も出現せず。所詮、仏専ら末世之時に限りて此れ等の大士に付属せし故也。』

この文意では、『妙法蓮華経之五字』を以って、『一大秘法』と述べているように取れます。

この二文を総合的に考えると、一大秘法とは、

本門の本尊→久成之釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏。

本門の題目→上行所伝の妙法蓮華経の五字

この二つの内容を含み、この様に二つに分かたない未分の状態を『一大秘法』と表現されたかに取れます。なお、字像曼荼羅は、この二つを含み、しかも、二つに分かたずに表現されていますから、この曾谷入道殿許御書に述べられた『一大秘法』を表していると思います。

375ひたち:2005/05/15(日) 08:14:00
川蝉さん

貴重な資料ありがとうございます。
観智儀軌に別バージョンが存在したことを思わせる文献ですね。しかも、江戸時代にはすでに失われていた可能性が高そうです。日蓮系諸派による妙法蓮華経の普及がそれを行わしめたのかもしれません。

蓮師が蓮華三昧経、もしくはその思想的背景となった観智儀軌によって曼陀羅を創案したとすれば、決定如来の位置は寿量品の仏座を表すわけで、南無妙法蓮華経=寿量品の仏となるのではないでしょうか。しかしながら、妙法蓮華経は唯仏与仏の智慧そのものですから、仏と拝するならば三身のうち報身如来にあたると思われます。台密では、大日=釈迦の義を建てる場合、大日=法身、釈迦=応身と配するようです。このことを考えあわせますと、弘安期の曼陀羅においても三身整うかと考えます。いわゆる釈迦=応身、五字=報身、多宝=法身ということになります。

顕正居士さんの「所従」思想を読みまして連想しましたのは、先に示されました八宗違目抄の記述ですね。いわゆる主師親三徳を三身に当てはめる時、
主・国王・報身如来
師・・・・応身如来
親・・・・法身如来
とされている点ですね。報身如来を主徳に配した時、その義に「所従」思想があったとも考えられます。また、この書の冒頭に以下の引用があることから、
「記の九に云く『若し其れ未だ開せざれば法報は迹に非ず。若し顕本し已れば本迹各三なり』。文句の九に云く『仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝へず』。」
三身を一仏に備えるという三身即一の義を蓮師は支持されていたように思われます。

376顕正居士:2005/05/15(日) 08:33:55
>>374

問答迷人さん。

「一大秘法を留め置きたまふ」からは四菩薩が「法華之会に出現し、三仏を荘厳す」ることを述べたのであり、
そして「爾時に大覚世尊寿量品を演説し」、「妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄」を「四大菩薩に付属」
された意味でしょう。
「如來一切所有之法。如來一切自在神力。如來一切祕要之藏。如來一切甚深之事」を「皆於此經宣示顯説」
されたのですから、付属の法である一大秘法の名は「妙法蓮華経」(此経)であり、これを三大秘法(戒定慧)に
展開し戒壇、本尊、題目となってもやはりおのおのの「名」は「妙法蓮華経」の五字であり、だから顕仏未来記に
は本尊で三秘を代表させ「本門の本尊妙法蓮華経の五字を以って閻浮提に広宣流布せしめんか」と述べられた
と考えます。

「本尊問答抄」については「思想の変化」であると考えるのが単純です。例えば
『釈尊像から法華経へ』
http://www.fujimon.or.jp/tenran/izanai/izanai_6.htm
「不空三蔵(ここにも出現する)などは宝塔品により法華経の教主を本尊としているが、それは法華経の正意
ではない」と他人事のように3年前に報恩抄を送った浄顕房に述べます。
しかし顕仏未来記にも「本門の本尊妙法蓮華経の五字」とあり、本尊に二種類あると理解するにせよ、実は
同じと理解するにせよ、本尊を妙法五字ともいうこと自体は思想の変化ではない。法華経の教主を本尊とする
のは正意ではないと否定したのは思想の変化でしょう。なお本尊問答抄についての優陀那師の会通は納得
はできません。報恩抄を送った相手自体ですから。

377犀角独歩:2005/05/15(日) 08:48:33

ひたちさん、

> 釈迦=応身、五字=報身、多宝=法身

この整理は土台、無理でしょう。
三身とは仏身であって、首題の五字には当てはまるはずはありません。
まして、釈迦を応身に充てることは、甚だ不可です。

378犀角独歩:2005/05/15(日) 08:50:06

顕正居士さん、「所従」に関するご教示、御礼申し上げます。
「ああ、やはり」という気分で拝読いたしました。

「日蓮の教義をその特異な「所従」思想」とは、まことに以て、わたしが注視した一点でした。わたしなりに問題が整理されました。有り難うございました。
なお、以下の点、

> 大日智法身即釈迦仏、大日理法身即多宝仏…東密・釈迦多宝不二・大日如来…台密・両部大日不二・無量寿命決定如来(寿量品の仏)

という点ですが、無量寿仏は阿弥陀であり、それが法華寿量仏と再解釈され、また、多宝・大日と解釈される宗教事情に、わたしは着目しました。ただ、蓮師に、既にその起源を見る阿弥陀アレルギーは、日蓮門下にあっては、思考から阿弥陀をスポイルするように論が組み建つところに面白さを感じます。結局のところ、日本阿弥陀信仰は比叡山なくして成立しなかったわけで、この山で語られた阿弥陀は重崇の対象で、やがて法然へと結実し、一方、阿弥陀アレルギーとも見える日蓮とその門下では、その存在を躍起に消すことで論を組み立てようとする、過剰反応があるように見受けました。この点に就きましても、もしご教示を賜れれば有り難く存じます。

379犀角独歩:2005/05/15(日) 08:50:44

川蝉さん、お久しぶりです。
非常に参考になるご教示、感謝申し上げます。

わたしは信仰者ではないので、歴史的な推移の中で、どのような思想の流れがあり、習合、摂取があったのかという視点で考えています。

今回、ご提示くださった文献を拝見すると、法華に登場する阿弥陀、さらに大日ばかりではなく、法華信仰からかなり距離があると思える理趣経、また、婆伽梵まで、無量寿、自在というタームから摂取があったことが窺え、新鮮でした。このような動向が印度で起きたのか、中国で起きたのか、その点は、今後、自分なりに調べてみようと思いますが、ヒィンドー、バカバットギータとの習合…、というかシンクレティズムが、たぶん、‘観’無量寿という西方地域の影響が渦巻くように起きていたことが窺えるような資料で、たいへんに興味が惹かれました。

有り難うございました。

380犀角独歩:2005/05/15(日) 09:55:43

問答さん、一大秘法への視点、興味深く拝読しました。
また、顕正居士さん、ご投稿、併せて、資とさせていただきました。

文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華主要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)

寛師説で言えば、一大秘法−三大秘法−六大秘法となるのでしょうが、はたしてどうでしょうか。むしろ、単純に題目を一大秘法と言っているように、わたしには思えます。

要は本門本尊釈尊(仏)が一大秘法(法)を上行菩薩(僧)に付属したという関係ではないのかという意味です。これを本尊、あるいは戒壇と束ねて一つに見る必要があるのだろうかという意味でもあります。

なお、顕正居士さんが挙げられる『本尊問答抄』(、この真偽は、いちおう、置きますが、わたしはこれを曼陀羅正意へのスライドであるとする正信会の考えにはまったく反対です。単なる牽強付会と映じるからです。

たとえば、『本尊問答抄』では、たしかに「法華経の題目を以て本尊とすべし」とありますが、ここだけを挙げるのは、切り文ではないでしょうか。何故ならば、そのあとに「仏は身なり、法華経は神なり。然れば則ち木像、画像の開眼供養は唯だ法華経にかぎるべし」という文があるのであって、何ら木画像の釈迦仏像は撤廃されていないからです。また、真跡曽存(やや真偽に難はあるものの本尊問答抄が真跡であるするのであれば、敢えて挙げれば)、問答抄の翌年・弘安2年の『日眼女造立釈迦仏供養事』には、

「御守書てまいらせ候三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立…釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人…釈尊を造立し奉れば下女が太子をうめるが如し…一切の女人釈迦仏を造り奉れば現在には日日月月の大小の難を払ひ後生には必ず仏になるべし」

と記すわけです。これを漫荼羅正意の色眼鏡では、釈迦像に執着するものへの方便の如き解釈しますが、それはあくまで漫荼羅正意論者の解釈であって、しかし、蓮師の文はかくの如きです。

しかし、もし『本尊問答抄』の冒頭文のみを墨守して読むのであれば、この時点で、蓮師は「三大秘法」を捨てたと言うことでしょう。つまり、本門本尊:題目=本文題目:題目+戒壇という二本立てになるからです。つまり、本尊問答抄と三大秘法は併存不可の関係にあると、わたしは思います。

381真部:2005/05/15(日) 11:11:50

顕正居士さん

1.「諸仏同道」、「互為主伴」の上で述べている可能性も否定できない、
と記されておりますが、
(1)「諸仏同道」(方便品の「五仏同道」か)とは、「取要抄」の当該文の上でどのように考えればいいでしょうか。
(2)「互為主伴」(「交互に主君となり臣下となる」老子の釈文か)とは、教主釈尊と多宝仏との関係において、どのように考えればいいでしょうか。

2.「方等部に摂属させた真言三部経も征伐し曼荼羅も陀羅尼も滅ぼしたら日蓮宗がどうして成立しようか」と記されておりますが、日蓮宗において「曼荼羅」は欠かしてはならない尊体であるという意味でしょうか。

3.「しかし証真のいう「諸部の円文を泯じ、部教混乱する咎」を免れるのか?」と記されておりますが、記されました前後の文脈との関係でどのような意味を述べられているのでしょうか。

4.「本尊問答抄」(弘安元年 57歳御作 写本・日興・北山本門寺)は思想の変化と記されておりますが、「唱法華題目抄」の「…本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並びに神力品に見えたり…」(文応元年 39歳御作 於鎌倉名越 写本・日興・東京由井一乗)との関係はどのように見ればよいでしょうか。

無学のため、稚拙なご質問をさせて頂きます事お許しください。

382犀角独歩:2005/05/15(日) 12:56:38

横レス失礼します。

真部さんは、『唱法華題目抄』を真筆であるという立場でしょうか。是一
真跡無し・日興写本に限り題目本尊論が出てくることをどのようにお考えになりますか。是二

以上、2点に就き、お考えをお示しいただけませんでしょうか。

383顕正居士:2005/05/15(日) 12:59:32
>>380 独歩さん。

妙法本尊説が巻頭にだけ述べられているのではなく、この書の問答の前半全体で示されています。そして
「釈迦と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり。
其故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦、大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。
故に今能生を以て本尊とするなり」
と結論し、「仏三種身従方等生」等の経文を引き、木画の二像の話になります。これも「仏は所生、法華経は
能生」であるから、「大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり」というのです。
*「仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印・真言なり」(撰時抄 )

さてわたしのおもうにはこの書は「法華経本尊」、「首題本尊」を述べているのであって、曼荼羅が本尊だと
は述べていない。本尊抄、報恩抄のように曼荼羅の姿らしき記述はない。具体の本尊として、首題だけでも
本尊たり得る意義は示されるが、一尊四士と曼荼羅といずれが正意の本尊という後世の議論とは次元は
異なる。日蓮聖人は本尊という語を多義的に用いている。図顕の曼荼羅を御本尊といわれるからもちろん
曼荼羅は本尊である。教主釈尊は本尊であるから、釈尊の像を造ったら本尊であろう、一体ではいけないと
いう遺文もない。しかしながらあえて本尊という語を一義に限定するなら、それは法華経あるいは法華経の
題目であり、法華経の教主ではないことを浄顕房に断定されたのではないか。本尊抄や報恩抄の説のみで
は、結局は何が本尊という疑問が生じ、七百年議論が尽きない。剋実すれば法華経の題目であると。
仏や菩薩の中で誰は誰の家来であるというような説はわたしには仏教の経典を探してもない考えに思える。
日蓮聖人は強引に釈迦仏を大乗仏教万神殿のゼウスになされようとしたこともあるが、晩年にはその無理を
悟られ、諸仏能生の法華経が大乗仏教の中心であるという、納得がいくお考えに至ったのではなかろうか?

なお本尊問答抄は白蓮日興と実相寺日源の写本があり、富木日常の常修院聖教目録にもあげられており、
これが後世の偽作である可能性はほぼ皆無であると考えます。

384犀角独歩:2005/05/15(日) 13:34:46

> 383

顕正居士さん、懇切丁寧なご教示、まことに有り難うございます。
ご教釈いただいた点、よく納得できるものです。

本尊問答抄を真筆と見なす場合、仰るとおりであると存じます。
ただ、わたしのなかで、以上の点を頷くと絡む糸は380に記したとおりで、こうなると、三つの法門(三大秘法)の構成は崩れてしまうが、この点はどうなのであろうかという疑問です。

ですから、個人的には、蓮師は文永から建治に掛け三つの法門をあれこれ熟考され、結局のところ、弘安にいたり、これを捨て、題目本尊を以て至極とされ、戒壇義の理論構築を取りやめたと言うことなのか、こう、考えてよいのかという即断できない思いが生じます。

なお、今回の顕正居士さんのご教示で、最もわたしが重要と思ったのは「晩年にはその無理を悟られ、諸仏能生の法華経が大乗仏教の中心であるという、納得がいくお考えに至った」という点です。

これを「三大秘法」の取捨と絡めて論じては、ご教示の意図から外れてしまうかもしれませんが、以上のような結論は、晩年に至った蓮師が「三大秘法」を思わせる真跡を遺さないことと無縁であると思えません。

そうなると蓮師は、此土弘通から霊山浄土へ、三つの法門から題目本尊へという以降は、身延入山という遁世、さらには、日蓮を用いずとも・法華調伏をなさなくとも、国は亡びることはなかったという予言の不的中とも相俟って、変遷無常の哀感を孕む結論になっていくように思えます。

385顕正居士:2005/05/15(日) 14:19:57
>>381 真部さん

1 「一切十方の諸仏の法亦是の如し」。例えば、西方阿弥陀仏の世界からいえば安養が宇宙の中心であり、
阿弥陀仏が本仏であるというような理解です。
2 曼荼羅を除いても日蓮宗は成り立つ(仏本尊過激派)と考えても南無妙法蓮華経を除いては成り立たない。
「経題を唱える者を守護するすらその福は量ることができない」という十羅刹女への世尊の説示が唱題の直接
の根拠であり、五字七字は陀羅尼だからです。
3 華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時の中にそれぞれに蔵・通・別・円の化教四教がある。天台教判で
五時(五部)はそれほど重要でない、化教四教が根本である。しかるに妙楽大師湛然は「超八醍醐」、法華経
は天台教判の外に超越するという説を唱えた。これは部(五時)と(四)教を混乱させるものという鎌倉時代の
宝地房証真による湛然への批判です。日蓮聖人は「超八醍醐」の説を採って、四教よりも五部を重視された。
*阿含時には円教はないなどの例外はある。
4 本尊問答抄で妙法本尊の説をはじめていわれたのではなく、あえて本尊を一義に限定すれば法華経教主
ではないと否定されたとわたしは理解します。

386真部:2005/05/15(日) 19:21:07

顕正居士さん

誠に有難う存じます。
本当に勉強になりました。
私もまた悪しき日蓮主義からの脱却を目指していきたいと思います。

また折に触れ、教えて頂ければ幸いです。
感謝の言葉もありません。
ありがとうございました。

387真部:2005/05/15(日) 19:27:00

独歩さん

1.『唱法華題目抄』を真筆であるという立場か。

写本とありますので宗祖の真筆ではないと理解しています。

2.真跡無し・日興写本に限り題目本尊論が出てくることをどのように考るか。

この点につきましては、上記に顕正居士さんのお言葉がございますので、
私にそれ以上の意見はございません。

388問答迷人:2005/05/15(日) 21:09:30

顕正居士さん

>法華経の教主を本尊とするのは正意ではないと否定したのは思想の変化でしょう。

いつもながら、的確なご指摘、有難うございます。

蓮師が『法華経の教主を本尊とする』と報恩抄に述べたことを、本尊問答抄に到って、自ら覆した、という事ですね。そうすると、仏に対する帰命は仏を生み出した法に対する帰命の中に自ずから含まれる、という意味になりましょうか。

その場合、『三秘』という捉え方も、蓮師は覆したのでしょうか。如何お考えになられますでしょうか。

389犀角独歩:2005/05/15(日) 22:18:23

真部さん、

顕正居士さんがどうおっしゃったかは、顕正居士さんのお考え。わたしは、真部さんのお考えを問うているのです。それ以上の考えないというのは答えになっておりません。

では、なんでもかんでも顕正居士さんが言ったとおり、塩田なにがしという学者が言ったとおり、自分の考えというものはないのでしょうか。

わたしはこのような回答の仕方に“個人”を感じません。

390ひたち:2005/05/15(日) 22:55:58
四信五品抄
「問う末法に入って初心の行者必ず円の三学を具するや不や、答えて日く此の義大事たる故に経文を勘え出して貴辺に送付す、所謂五品の初二三品には仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る慧又勘ざれば信を以て慧に代え信の一字を詮と為す」
初心の行者の話とはいえ、たしかに本門の三大事からは後退している気がします。。。

391顕正居士:2005/05/16(月) 07:10:28
>>388

問答名人さん。

>仏に対する帰命は仏を生み出した法に対する帰命の中に自ずから含まれる、という意味になりましょうか。

南無釈迦牟尼仏と唱えるなら、その宗ごとに中心とする教法が異なっても、釈迦仏の教法に帰依する意義を
含むでしょう。同様に南無妙法蓮華経と唱えも、寿量品の教主を中心とする、諸仏、菩薩への帰命の意義を
含むはずです。

>その場合、『三秘』という捉え方も、蓮師は覆したのでしょうか。

一大秘法を戒定慧三学に展開してもおのおのの名は妙法蓮華経であるから、三大秘法について思想が変化
したことはないと考えます。神力品の「於我滅度後 應受持斯經 是人於佛道 決定無有疑」が三大秘法を表現
していると理解します。すなわち妙法を本尊とし、妙名を唱える、その処が戒壇です。
ただし三大秘法とは法華本門の宗の戒定慧三学であるから、妙名を唱える、それははじまりであって、
法華迹門の宗になんら劣らない慧学の体系が具体に完整して三秘中の題目の法門が立ったといえる。
本尊、戒壇も同じである。首題本尊ははじまりである、諸宗に劣らない仏教芸術が創造されて本尊の法門が
立ったといえる。法華本門の戒法が制定され、戒壇建立が勅許され、公認の宗教となって戒壇の法門が
立ったといえる。したがって上の神力品の偈は一秘が受持されて三秘に展開するはじめをいう。はじめに
過ぎないけれどもすでに授記されている。授記されているということはしかし具体の三学をかならず建立せよ
という教勅である。
日蓮聖人は三秘中の本尊と題目を建立し戒壇は門弟に遺されたということがある。これは誤りであるとおもう。
戒法なくして戒壇は立たない、宗学なくして戒法は立たない、法華迹門の宗に劣らない宗旨として公認される
ためには芸術的の荘厳も必要である。三学全部具体的のことは門弟に遺されたというべきであるとおもう。

392犀角独歩:2005/05/16(月) 08:13:57

380への自己レスです。
先の箇条書きを更新します。

文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字(法華行者値難事)
        本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華取要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)

真跡遺文から、「戒壇」で検索すると以下のとおりです。
わたしは三つの法門でいう「本門戒壇」は、所謂「理壇」、つまり、本尊安置の場所、道場、法華経を置くところが戒壇というところと考えてきました。しかし、実際に戒壇で検索してみると、蓮師の「戒壇」の用法は、実質的な建物を指しています。となれば、「本門戒壇」も同じと考えざるを得ないと思えます。この考えを蓮師が懐いていたとしたら、顕正居士さんがおっしゃるように、後続に託したと考えるか、身延隠居後、その考えを捨てたか、どちらかということになります。しかし、蓮師寂後、弟子達は、それぞれに「申状」を提出していくことから考えると、真跡遺文には見られないものの、その意志は終生、あったのかも知れません。しかし、あるいは、「申状」「奏状」の類は、先に記したように、今で言う宗教法人許可の範囲であるとすれば、戒壇建立とは無縁となります。この点は、上古の弟子の確実な資料を当たることで、ある程度、割り出せると思えます。

文永3年(1266)「象頭山戒壇を築き」法華題目抄
文永8年(1271)「小乗の戒壇を三所に建立せり」行敏訴状御会通
文永11年(1274)「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」法華行者値難事
文永11年(1274)「東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なき」
…………………「天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべき」聖密房御書
…………………「本門の本尊と戒壇と題目の五字」法華取要抄
文永12年(1275)「天台の戒壇を建立」
…………………「南岳・天台も未だ弘めたまはざる円頓の戒壇を叡山に建立す」
…………………「吾が師伝教大師…円頓の大戒壇を叡山に建立」曽谷入道殿許御書
建治元年(1275)「法華経の広宣流布にはにたれども、いまだ円頓の戒壇を立てられず」
…………………「日本小乗の三処の戒壇」撰時抄
建治元年(1275)「大乗の戒壇はゆる(許)されしなり」三三蔵祈雨事
建治2年(1275)「大事の円頓の大乗別受戒の大戒壇」
…………………「西国の観音寺の戒壇・東国下野の小野寺の戒壇・
………………… 中国大和国東大寺の戒壇・中国大和国東大寺の戒壇」
…………………「我が師天台大師の立て給はざる円頓の戒壇」
…………………「叡山の大乗戒壇すでに立てさせ給ひぬ」
…………………「宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに
………………… 上行等の四菩薩脇士となるべし。
………………… 二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に
………………… 人ごとに有智無知をきらはず一同一同に他事をすてて
………………… 南無妙法蓮華経と唱ふべし。此事いまだひろまらず」報恩抄
建治3年(1277)「円頓の戒壇を叡山に建立」
…………………「法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立」
…………………「或は東大寺の戒壇小乗の者なり」下山御消息
弘安元年(1278)「戒壇は以て前に同じ」三論宗御書
弘安3年(1280)「山門の得分たる大乗戒壇を奪ひ取り」諌暁八幡抄

393顕正居士:2005/05/17(火) 06:00:03
三大秘法を三学に配当することと、四信五品鈔の趣旨との関係について。

四信五品とは。
在世四信 一念信解 略解言趣 広為他説 深信観成
滅後五品 初随喜 読誦 説法 兼行六度 正行六度

日蓮聖人は法華本門の立行は六即中の名字即、在世四信中の一念信解、滅後五品中の初随喜と判定する。
ただし一念信解、初随喜はいまだ行や解を伴わない段階であるから、具体的には滅後五品中の二品と三品、
すなわち読誦と説法をあげ、
「五品之初二三品 仏正制止 戒定二法 一向限慧一分 慧又不堪 以信代慧 信一字為詮」と述べる。
本門の立行が慧学に限るのであれば、三大秘法ではなく題目の一大秘法のみになる、三学具備の三大秘法
から慧学限定の一大秘法へと説が変化されたのであろうか?

日蓮聖人は大元帝国の侵寇を契機に自身の説が用いられるだろうと期待していた。その期待が実現し、八宗
十宗の学者たちが彼の顕教根本説をある程度評価するに至った場合には本門の三学についての詳細な論述
を求められたであろう。この書述作の建治3年、文永の役と弘安の役の間にはその期待はまだ持続している。
本門立行慧学限定説と三大秘法説とは必ずしも矛盾しないと考えます。戒学の制止とは具足戒の制止、定学の
制止とは一念三千の観解の制止であると理解できる。三秘中の本尊とは散心で行う単信唱題の対象であり、
三秘中の戒壇の前提である本門の円戒は迹門の円戒と同じく受持即持戒の理戒であり、事戒は用いても補助
であろうと推測される。だから、本尊と戒壇とは通常の意味の戒定二学には摂せられない。そういう意味では
三大秘法というけれども、もともと一大秘法の題目であるともいい得る。

「制止戒定」について、進んでは一念三千の観解もあるべき等とするのか、は後世の解釈は二途にわかれる。
ただこの鈔の一種の解釈から出た不受不施などの教義は仏教思想に反し、かつ反社会的なものであると思う。

394犀角独歩:2005/05/17(火) 12:55:02

ひたちさん、顕正居士さんのご投稿を拝読して、改めて、『四信五品抄』を拝読しました。

たしかに「仏正しく戒定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧又堪えざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す」であり、さらには「檀戒等の五度をを制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜之気分と為す」といい、さらに「教大師未来を誡めて云く ̄『末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり。市に虎有るが如し。此れ誰か信ずべき』云云というわけです。まったく、戒定は斥けています。もはや本門戒壇の介在する余地などないように窺えます。

さらに妙法蓮華経について、これは、文字と題目の両面から見られますが、ここでは明らかに唱える題目に重があります。「唯南無妙法蓮華経と唱へて解義の功徳を具する…小兒乳を含むに其の味を知らざれども、自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。水心無けれども火を消し、火物を焼くに豈に覚り有らんや」といい、さらに「但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位…此の人は但四味三経の極意竝びに爾前の円人に超過するのみに非ず、将た又真言等の諸宗の元祖、畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍也。請ふ、国中の諸人、我が末弟等を軽んずること勿れ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩也。豈に煕連一恒の者に非ずや。退いて未来を論ずれば八十年の布施を超過して五十の功徳を備ふべし。天子の襁褓に纏はれて、大龍の始めて生れんがごとし。蔑如すること勿れ、蔑如すること勿れ」と言い切るわけです。

『四信五品抄』は建治3年(1277)の書で、先に愚鈍凡夫さんが挙げられた『建治弘安交』を踏まえれば、『本尊問答抄』の弘安元年の前年と言うことになります。この時点で、三つの法門は、一大秘法へと落着した観があります。

富士門下でもしかし、たとえば「私に云く戒定慧とは妙法蓮華経なり、難じて云く戒定慧は三なり五字は一なり如何、答ふ三にして而も一、一にして而も三なり、戒壇本尊妙法の五字は面は三にして其の躰一なるか、山家大師云く虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧・三学倶伝名て妙法と曰う」と本尊相伝等にも見られ、どうも妙法五字に収斂し三学倶伝を遵守しようとする様ですが、しかし、こうなると「戒定の二法を制止」には当たらないことになってしまいます。

三学と三つの法門は別義ということはできるかもしれません。しかし、「末法の中に持戒の者有らば是れ怪異」と引く蓮師が、戒壇建立を目指すことは、これまた、文字どおり、「怪異」ではないのか、どうも、この辺りが見えてきません。

395犀角独歩:2005/05/17(火) 22:25:12

【394の訂正】

誤)…と本尊相伝等にも見られ
正)…ほか、本尊相伝等にも見られ

396犀角独歩:2005/05/17(火) 22:34:18

問答さん、一つ質問させてください。
「唱題成仏」は、やはり、いま議論になっているような筋から結論でありましょうか。

397問答迷人:2005/05/18(水) 06:30:54

犀角独歩さん

>唱題成仏・・・いま議論になっているような筋から結論

というか、元の住職が「日蓮大聖人の教えは、突き詰めれば、唱題成仏」と何回か言っていたこと、聞いた時は、『学者はそんな風に捉えるのか』程度に流していましたが、その後、体験的にも南無妙法蓮華経と唱える事自体を蓮師は教えたのではないか、と感じる事がしばしばあり、元住職の説に大いに賛同するところが有りました。そのような流れからの僕なりの結論なのです。まぁ、その元住職の考えは、日蓮正宗の僧侶の発言としては、異質でしたから、いま議論になっているような筋が有ったのではないかと思いますが・・・

398犀角独歩:2005/05/18(水) 08:30:58

問答さん。

わたしは議論を通じて、ずっと仏と法と言ったとき、仏が先で、その覚った法、もしくは教法があとと思ってきたわけです。ところが涅槃経を引用して蓮師は、法は諸仏の師と言うわけです。

さらに妙法蓮華経の五字が先か、音声が先か、どちらだろうと考えてきたわけです。

また、妙法蓮華経は、元来、法華経典の題名で、蓮師自体、南無妙法蓮華経は文字どおり、妙法蓮華経への南無を意味していた。ところが晩年に至るに連れ、非常に神秘性を帯び、所謂、マントラ的な意味合いを持つに至ると映じます。

さらに中世で因果倶時不思議一法、近代では宇宙の妙法とか言われると、なんだか完全に神秘じみます。

以上のようなことについて、我々は、仏教の右も左も分からない段階で、その組織の“解釈”を刷り込まれるわけです。わたしは創価学会でしたから、一切合切“生命”で解釈するといった具合です。

しかし、そのように刷り込まれてきた“解釈”はよく突き詰めると、蓮師と関係ないばかりか、仏教としてもかなり異常なものであることに気付くことになりました。

そこから、さらに突き詰めてきたわけですが、漢字五文字の妙法蓮華経を蓮師は一体、どうとらえていたのだろうか、というのが目下、わたしの決せない疑問としてあります。

上行付嘱の南無妙法蓮華経の五字。これは要するに、蓮師の教学からすれば日本の鎌倉時代から2200余年前、インドに於いて、滅後末法の弘通を上行等に釈尊が託したという前提です。インドの話です。何で漢字五文字なのか?という疑問がまずあります。さらにそれが五百塵点已来隠し持ってきたとなると、その段階で漢字があった前提なのか?という疑問が生じます。妙法蓮華経という教えを付属したとか、過去遠々劫から秘し持っていたというならばまだしも、妙法蓮華経漢字五文字となれば、これはもはやお話にならないわけです。実際のところ、神力の付嘱などは、その点はクリアしていますが、それを五字とやってしまうと、とたんにこけないかという疑問がわたしにはあるわけです。

その意味で、問答さんが、それを唱える音声(おんじょう)であるとするのは、指示したい欲求に駆られるのですが、さて、そう決してしまって良いかどうかと足踏みをしています。

この文字と音声、少しお考えをお聞かせいただければ、有り難く存じます。

399問答迷人:2005/05/18(水) 09:39:52

真蹟を残しませんが、唱題成仏について、法華初心成仏抄には次のように書かれています。参考になると思いますので、引用してみます。

『問うて云はく、仏の名号を持つ様に、法華経の名号を取り分けて持つべき証拠ありや、如何。答へて云はく、経に云はく「仏諸の羅刹女に告げたまはく、善きかな善きかな、汝等但能く法華の名を受持する者を擁護(おうご)せん福量(はか)るべからず」云云。此の文の意は、十羅刹(じゅうらせつ)の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給へるを、大覚世尊讃めて言(のたま)はく、善きかな善きかな、汝等(なんだち)南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳、いくら程とも計りがたくめでたき功徳なり、神妙なり、と仰せられたる文なり。是我等衆生の行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に南無妙法蓮華経と唱ふべしと云ふ文なり。凡そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舍利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と、三世諸仏の解りの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯(ただ)一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり。我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり。譬へば篭(かご)の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。されば「若(も)し暫(しばら)くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給ふは此の心なり。されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏になり給ひしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云ふは是なり。是等の趣(おもむき)を能く能く心得て、仏になる道には我慢偏執(がまんへんしゅう)の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。』

400問答迷人:2005/05/18(水) 09:58:49

僕は、この中で、特に『口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。』とあるところに注目しています。

意味としての、或いは思想としての「南無妙法蓮華経」ではなく、口に唱えるという行為が、自分に対しても、他者に対しても影響を与える、という事がここには書かれていると思います。『事行の南無妙法蓮華経』とは、行為として口に唱えられ、『呪』の働きを持つものとして、蓮師は考えていたのでは無かろうか、と思います。

また、曼荼羅にしたためられた『南無妙法蓮華経」の文字が、所謂「ヒゲ文字」で書かれているのは、「意味としての南無妙法蓮華経」ではなく『音声としての南無妙法蓮華経」なんだという事を知らしめるためにそうされたのだろうと思います。引き題目では一字一字長く声を引いて唱える訳ですが、それを文字で表現するとすれば、やはり、ヒゲ文字として表現することになるのがごく自然の成り行きかな、と思うわけです。であれば、曼荼羅の「南無妙法蓮華経」は「事行の南無妙法蓮華経」を表現されたいるのだと思います。

401問答迷人:2005/05/18(水) 10:13:14

>インドの話です。何で漢字五文字なのか?という疑問がまずあります。

これは、当然のことながら、漢字五文字に限定されるべきものではないと思います。ただ、蓮師が漢訳仏典の「妙法蓮華経」に拠ったために、そうなったに過ぎませんでしょう。サンスクリット文字だと何字になるのか、僕には分かりませんが、「サツダルマ プンタ゚リーカ スートラ」の何文字か、それが、付属の実体なのだと思います。蓮師は、それを漢訳仏典を用いる立場から「妙法蓮華経」の五文字として付属を受けた、としたに過ぎないのではないかと思います。

402問答迷人:2005/05/18(水) 10:49:24

>妙法蓮華経の五字が先か、音声が先か

漢訳仏典がなければ、南無妙法蓮華経の音声は有り得ないですから、当然、五字が先にあって、そののち、その文字を唱える音声でなければ、道理が合わないと思います。

403顕正居士:2005/05/18(水) 13:03:14
日蓮聖人の教説はこれを精密に解釈しようとすると煩瑣な議論に陥るのでありますが、これを単純に受容するなら
実に簡単な内容であります。すなわち法華経を唯一至高の聖典であると信仰することによって、それのみによって
釈尊の因行の功徳も果徳の功徳も自然にわれわれに譲与されるという以上の内容はありません。遺文はすべて
以上の事柄を述べるに過ぎず、かつその大部分は法華経が唯一至高の聖典であることを論証しようとするのです。

日蓮の教説をルターの教説と比較すれば、

法華経のみ--聖書のみ(Sola Scriptura)
信仰のみ----信仰のみ(Sola Fide)
只自然譲与--恩寵のみ(Sola Gratia)

であります。親鸞とカルヴァンの教説も概ね同致であって欧州と日本にはこの四宗が成立普及したことが、世界に
先んじて資本主義を発達させた歴史はマックス・ウェーバーの著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、
及びこれを日本に応用した研究によって叙述されます。モンゴル世界帝国の成立が周辺の欧州と日本において
中世的ナショナリズムの形成を共通に刺激した契機があったと考えます。なぜこの四宗の教義が近代社会の成立
を促すかといえば、人は「信仰のみ」によって救済に与るのであって、「行い」や「修行」によるのではない。宗教は
信仰の一点に集中し集約され、かつて宗教に摂せられた善行も修行も学問も世俗の活動になる、あるいは逆に
個人生活も社会生活もすべてが宗教に接せられ、世間の法の全体が仏法となる。これを「宗教の世俗化」という。
しかしこれらの新宗旨が近代社会の将来を意図して成立したのではなく、純粋な狂信によって生成したのだから、
欧州も日本も極限的の宗教戦争の世界になった。しかしその荒廃の中から宗教勢力を統制し得る権力が生じ来り、
やがて近代国民国家が誕生した。今日、欧米の諸カルトのほとんどが広義の福音派に由来し、日本の強力なカルト
の多くは日蓮宗か浄土真宗と関連がある。この四つの宗旨は意図せずして近代社会の将来に積極的にあるいは
敵対勢力として反面的に貢献した。その元来の反面の要素がマルチ商法と連結し、多数のカルトを生成し、欧米や
日本の文明を脅かしつつある。イスラームの場合には逆に「信仰のみ」の宗旨がいまだ成立していないゆえに近代
社会への発達が順調ではない。

404犀角独歩:2005/05/18(水) 13:48:21

問答名人さん
顕正居士さん

ご教示、有り難うございます。
参考にさせていただき、少し考えてみます。

405一乗談義庵01:2005/05/18(水) 22:55:51
五重玄て漢字5文字に対する説明でしょ。名体宗用教て。

406犀角独歩:2005/05/19(木) 09:58:30

蓮師の御立法門というのは、実際のところ、法華経典=聖典信仰なのでしょうか。
一字三礼さんのご批正を期待しますが、いわゆる経典というものが、それまでの暗誦伝承に取って代わっていった経過というのは、インド独自のものではなく、たぶん、西の影響を受けていたのではないのかと思えます。聖書、コーラン、経典というのは、世界史的に見れば、ほぼ同時期に勃興した「聖典」信仰という潮流であったように思えます。

では、蓮師はどうか。聖典(法華経典)信仰なのか。むしろ、そこからさらに前に進んだ(後退した?)題名信仰であるように思えるのです。
そして、その題名(=首題=題目=妙法蓮華経という経典の名称))を、ついに陀羅尼(問答さんのお言葉を借りれば、‘呪’にまで高めていった信仰のように思えますが、このような判断は違っていますでしょうか。

407問答迷人:2005/05/19(木) 10:11:43

>ついに陀羅尼、呪にまで高めていった信仰

僕は、体験的には、そのように捉えています。『南無妙法蓮華経』=『即身成仏の呪文』という捉え方です。

408犀角独歩:2005/05/19(木) 10:46:54

> 407

そうですね。そう考えたほうが当を得ていると思えます。

その呪を書き付けたのが漫荼羅ですから呪(護)符ということでしょうか。

そんなふうに、たしかかつて投稿されていた菊水護国さんが記された覚えがあります。

しかし、呪文を唱えて成仏するというのは、もはや、シャキャムニとは何の関係もないどちらかというとバラモン、ヒンドゥー的、それを摂取した密教ということなのでしょうね。タントリズムは仏教とは言えないというのが厳格な学者の意見でした。

晩期の蓮師というのは、題目の呪文化、呪(護)符の授与という真言密教的な発想、、霊山浄土(他土)願望という念仏的発想に転じていったわけでしょうか。三つの法門の放擲されたのでしょうか。青年期の虚空蔵求聞持法、不動愛染感見、壮年期の論理性、晩期の退行と蓮師の一代を見るべきでしょうか。

「教学なんか考えなくて、先生(猊下)が」完璧に教えてくれるから、あとは勤行、唱題して、実践するのみ」、こんなものが仏教でも何でもありませんが、絶対的な信を立て、ただ呪文を唱え続けるという蓮師タントリズムを会運営、絶対権力者の座の保持にしようとすれば、そんな打ち出しになることは火を見るよりも明らかということでしょうか

もちろん、以上は、問答さんの体験を批判する意図ではもちろんありません。個人的な体験は個人にしかわからないことですから、各人の固有の宝として大切にされてしかるべきです。

けれど、科学で言う因果とは違い、万人に通用し、再現可能というものでないところに、仏教2500年の歴史のなかで成仏を目的にしながら、誰一人、成仏した人がいない理由も隠されているのでしょうか。

かつて、投稿されていた五月雨さんが、たしか、「成仏したあとはどうするの?」といった疑問を呈されていたことがありましたが、初歩的な疑問として当然すぎることであったのでしょう。

409一字三礼:2005/05/19(木) 17:49:33

犀角独歩さん

> いわゆる経典というものが、それまでの暗誦伝承に取って代わっていった経過というのは、インド独自のものではなく、たぶん、西の影響を受けていたのではないのかと思えます。

ご指摘に賛同します。
西の影響、もっと言えば世界的な潮流であったのではないでしょうか。
大乗仏典が文字化・典籍化された理由には、宗教文化圏の拡大が考えられます。世界規模で交易が盛んになり、異国・異文化圏にまで仏教が拡大していく過程で、暗誦伝承から成文化への変化は必然だったのでしょう。


蓮祖の題目行について

「南無妙法蓮華経」だけで成仏できるという発想の根拠は、法華経の一偈一句の受持にもとめられるのではないかと考えます。

「仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者は我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」(法師品第十)

「是の清浄の意根を以て乃至一偈一句を聞くに、無量無辺の義を通達せん。」(法師功徳品第十九)

教えのほんの一部分を聞いただけで、成仏が約束されたり、全てを理解することが出来るとするくだりです。この教説は、法華経のみならず他の大乗経典にも散見されます。

「もし、善男子善女人有りて、七宝を以て、そこばくの恒河の沙の数ほどの三千大千世界を満たし、もつて布施せんに、福を得ること多きやいなや。須菩堤言う、甚だ多し、世尊よ。仏、須菩堤に告げたもう。もし、善男子善女人ありて、この経の中において、乃至四句の偈等を受持して、他人のために説かんに、しかもこの福徳は前の福徳に勝れたり。」(金剛般若波羅蜜経)

実際にこれらの経典からランダムに一偈一句を抜き出しても、それだけでは意味の通じない箇所も当然あります。結局は、この一偈一句の受持を重んずる教説の意味は、いわゆる須利槃特の故事の拡大解釈ではないでしょうか。


「善哉善哉、汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず。」(陀羅尼品第二十六)

直接の題目受持の根拠は、この陀羅尼品にもとめられるのでしょう。
しかし、その意義としては法華経の一偈一句受持と不軽菩薩の但行礼拝の精神ではないかと愚考します。

410犀角独歩:2005/05/19(木) 18:19:46

問答さん、408の補足です。
どうも、先のような書き方ですと、問答さんが仏教ならざるものを信仰しているかのように論の運びになってしまいます。下手な文で恐縮です。わたしが言いたかったのは、以上のような脈絡でわたしは考え込んできたと言うことで、問答さんが非仏教の信仰をしているという意味では決してありません。法華経から導き出される蓮師が示した久遠本仏とい仏への信仰であれば、仏教に違いありません。


一字三礼さん、ご教示、有難うございます。
ご指摘の点こそ、たしかに「大乗」仏教の醍醐味なのかも知れません。批判考証しすぎると、こんなダイナミズムを否定しているような文の運びになってしまうと反省しました。

411問答迷人:2005/05/19(木) 19:23:02

>問答さんが非仏教の信仰をしているという意味

ここが、僕の悩むところなんです。

『南無妙法蓮華経』=『即身成仏の呪文』という捉え方は、僕の中では確固とした信念のようなものになっていますが、果たして、これが蓮師の教えの全てか、と問われると、そう言い切ってしまってよいのか、という躊躇いはあります。

まるっきり、それでは密教ですよね。まぁ、この辺りは、不動・愛染が曼荼羅に常に書かれていることから、そういう理解で、蓮師のお考えと基本的には違わないだろうとは思っています。

412吉祥仙人:2005/05/20(金) 05:11:42
 お邪魔虫が失礼します。
 
 >『即身成仏の呪文』

 新人間革命のなかでアメリカ合衆国での折伏の場面
 「あのマジックワードを教えてください」
 とアメリカ人が言うシーンがありました。

413犀角独歩:2005/05/20(金) 11:20:22

> 411

問答さん、結局のところ、このようなことは言えるのでしょうね。
たしかに悩ましい問題ではあります。

414顕正居士:2005/05/21(土) 12:32:03
大聖人門下掲示板に中尊は法であって仏ではないという私見について投稿しました。
http://jbbs.livedoor.jp/study/3171/gudo.html
わたしの本尊観はおよそ次のような考えです。

日蓮宗諸派にある具体的様々な本尊から別勧請や宗祖御影を報恩謝徳等の意義による造立とし外し、
一体釈尊は四菩薩を加えるのが宗祖滅後にはより適切として外し、一塔両尊四士およびこれに若干の
諸尊を加えたものを大曼荼羅の立体表現(羯磨曼荼羅)として大曼荼羅に含めれば、日蓮宗の正格の
本尊は三種ある。一遍首題、大曼荼羅、一尊四士である。三種本尊を法仏に配すれば順に法本尊、
法仏倶備本尊、仏本尊である。大曼荼羅は法仏倶備の本尊であり、本尊抄、報恩抄の説示するところ、
此の宗の基本的正格の本尊である。大曼荼羅の全体が本門教主釈尊の本身を示し、中尊は本法、
具体に宝塔であり、塔中の釈迦仏は迹身に即した本身を示す。一遍首題は中尊を毘盧遮那仏と誤解
しないよう本尊問答抄に説示するところ、元意の本尊であるが、究竟の本尊ではない。一尊四士は
四菩薩造立抄*に説示するところ、教主に即した本尊であり、宗祖在世には立教の本主を示さんため、
滅後には法仏混乱の弊を防がんために推奨される。しかし在末相対して一尊四士が滅後には基本的
正格の本尊であるという学説は遺文に根拠がない。本尊問答抄は元意の本尊を示し、報仏本体説を
遮すと同時に応仏絶対説を遮す。

*四菩薩造立抄 真偽未決とするが、宗祖在世に一尊四士が推奨された伝説は史実であると考える。

415犀角独歩:2005/05/22(日) 08:23:20

一昨日、開催された御遺文講義に質疑応答の際の小松師・渋澤師の質疑応答は、漫荼羅と本尊に関することでした。小松師は立正の先生から、漫荼羅本尊感を陳べ、しかし、渋澤師は、突っ込んだ質問を繰り返すと言った具合でした。終了後、渋澤師は「漫荼羅が何であったか、よくわかりませんよね」と、あのにこやかな調子で語っておられました。

漫荼羅本尊正意で凝り固まったつまらぬ議論と違い、有意義なものでした。

四菩薩に関しては、法華行者値難事に「本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字」ともあり、また、本尊抄一巻の大意からしても、当然のことであると思います。

やや、ずれますが、

文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字(法華行者値難事)
        本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華取要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)

と挙げてみますと、蓮師は「本門の題目」と句を成していません。法華主要抄では「三つの法門」というものの三大秘法とはもちろん言っておりません。本門の題目はありか、わたしはやや疑ってかかっています。

416問答迷人:2005/05/24(火) 17:54:38

犀角独歩さん

>415
本門の題目はありか

『本門の題目』という成句は見当たりませんが、意味としては、有りだと思います。以下に該当する真蹟遺文を引用します。

観心本尊抄
『此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。』

新尼御前御返事
『上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ』

下山御消息
『世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、法華経の半分迹門十四品を譲り給ふ。これは又地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序のため也。』

417犀角独歩:2005/05/24(火) 21:20:05

問答名人さん、

うーん、どうでしょうか。蓮師の程、到な人が、「本門の題目」、「本門の戒壇」といい、しかし、本門の題目とは言わなかったという点は重視されるべきとわたしには思えます。

たとえば、四菩薩には本門は付されません。

本門の本尊とは、迹門の本尊に対する語として意味をなします。つまり久成已前・已後の対比です。
戒壇も本迹の相対から論ずることはできます。また、このような考えは蓮師は遺文から看取できるように思えます。

しかし、四菩薩は迹門の終わりで涌きい出たとにせよ、迹門の四菩薩は成り立ちません。
同じく、本門の題目に対して、迹門の題目ということは蓮師が言ったかどうか。
題目は本迹で捌く枠を出ていると見ることはできませんでしょうか。

本門の肝心が題目であるということと、本門の題目というのは、論理的には相違があると思います。
ただし、これはそう断言することではなく、蓮師が言う三つの法門とは、本門の本尊(釈尊・四菩薩)・本門戒壇と題目の五字(裏一念三千)ということが、後代、勝手に三大秘法と言われ、本門題目と成句された可能性を探ってみようと言うことです。

418犀角独歩:2005/05/24(火) 21:20:55

【417の訂正】

誤)蓮師の程、到な人
正)蓮師の程、周到な人

419問答迷人:2005/05/24(火) 22:18:13

>本門の肝心が題目であるということと、本門の題目というのは、論理的には相違がある

なるほど。そうですね、迹門の題目という表現は確かに見当たりません。

僅かに、関連するものとして、下山御消息に次のように有ります。

『故に教大師像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内、其の中円頓の戒壇を叡山に建立し給ひし時、二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ。随って又鑒真が末の南都七大寺の一十四人三百余人も加判して大乗の人となり、一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ。』

この場合、『迹門の戒定慧』という表現から、対比関係として『本門の戒定慧』が想定されていたと考える事は出来ます。そうであれば、理屈的には、その『本門の慧』を『本門の題目』と言っても不思議はないのではないかと思います。

そして、勿論、そうであるにも拘らず、蓮師が『本門の題目』と表現されなかった理由が何か、という事がやはり重要だと思います。

420問答迷人:2005/05/24(火) 22:24:54

自己レスです。

>蓮師が『本門の題目』と表現されなかった理由

『本門の慧』=『事行の南無妙法蓮華経』=『題目』なので、『本門の「題目」』では、『本門の「本門の慧」』と『本門』が重複してしまうので、「本門の題目」とは表現されなかったのではないか、と思います。

421犀角独歩:2005/05/24(火) 23:00:30

問答さん、レス、有難うございます。

いずれにしても、蓮師が「本門の題目」を成句化していない以上、この語彙の使用は慎重を期そうと思います。

語彙の使用として関連しますが、昨日、福神講義で今成師の摂折論を聴講してきました。おってブログにアップしますが、「折伏」語の使用も、慎重を期そうと思いました。それにしても、このような真面目な考証に、自分たちの教義と違うというだけで、学的考証をするわけでもなく、批判する相変わらずの石山の在り方は、噴飯者というか、世間の物笑い、読んでいて恥ずかしくなります。

妙光寺の尾林さん
http://www.myokoji.jp/page/kowa/97-2.htm

この記述のことを今成師ご本人にお伝えしたら、苦笑いをしていました。真剣に、学問的に、追究する人に対して、真偽考証もしない好い加減さで、簡単に批判を加えるというのは如何にも石山流だと思った次第です。

さらに余談ですが、最近、わたしは石山方では「学会員」と断定されているそうです。それでわたしが書いていることが間違っているというのです。わたしが書いていることが間違っていると言うとき、自分たちが書いていることが正しいという大前提があるのでしょうが、わたしは学会員ではないわけですから、既にその段階で間違っています(笑)
さきほど、とある方からご連絡を受けて、腹を抱えて大笑いをしました。

本尊と漫荼羅という当スレから脱線しましたが、真摯にその実否を考えるのに、なんでかどうしてか、事実とはまったく違うレッテルを貼り批判をする、蓮師が言ってもいないことを恰も言ったかのように語る、こんなことを随分と騙されてきたとさらに感慨を深くする昨今です。蓮師は漫荼羅を本尊と考えていたか・扱っていたか、そんな考証で足に絡むゴミを、やや話題とさせていただいた次第です。

422ひたち:2005/05/24(火) 23:03:27
横レス失礼します。
題目とは、字の如くtitleではありませんか。素直に考えれば、妙法蓮華経の経題だと思います。ですので、あえて成句にするとすれば、「本門の題目」ではなく、「法華経の題目」となると思います。ただ、南無妙法蓮華経が三つの法門の一つであることは、どちらにしても揺るがないと思いますがいかがでしょうか。

423犀角独歩:2005/05/24(火) 23:10:37

ひたちさん、記されるところ、同意見です。

424犀角独歩:2005/07/06(水) 19:50:48

問答名人さん

本日、小野文著師の講演録を読んでいたのですが、そのなかで日講『禄内啓蒙』から優那陀日輝に至る教学を解説されて

「久遠実成の釈迦牟尼仏が南無妙法蓮華経である…南無妙法蓮華経は、お題目じゃない。法じゃない。南無妙法蓮華経は寿量品の久遠本仏の大牟尼世尊のお名前…南無釈迦牟尼仏、この久遠の本仏が仏界として顕れた時のお名前、九界として顕れると、この天照大神、八幡大菩薩や諸仏世尊尼なると、これが仏界縁起である」

と記されていました。「あ、そういえば」という感じで拝読していたのです。

この考えは、日寛教学では、久遠本仏釈尊=日蓮大聖人を置換されたうえで、奪取されているわけですが、違うのは人即法の本尊という点かと思えました。

この一連の教学潮流は、人即法という一点を除くと問答さんのお考えと親和性があると思ったのですが、如何でしょうか。

425問答迷人:2005/07/07(木) 10:48:11

犀角独歩さん

>親和性があると思った

うーん。僕は違和感を感じます。

>南無妙法蓮華経は、お題目じゃない

これは、全く納得できません。僕は、字像曼荼羅の中尊、南無妙法蓮華経は、唱題の音声以外には無かろう、と考えています。ですから題目そのもの。

>久遠実成の釈迦牟尼仏が南無妙法蓮華経

これは、本尊抄と矛盾すると思います。

どうも、全てを『久遠実成の釈迦牟尼仏』として、統一しようという意図は分かりますが、蓮師の祖意の果たして叶うものかどうか、甚だ疑問です。

本尊問答抄の如く、逆に、南無妙法蓮華経が先ず有って、そこから『久遠実成の釈迦牟尼仏』も、三世十方の諸仏も出ているというのが、蓮師のお考えで有ろうと思います。

426犀角独歩:2005/07/07(木) 11:23:02

問答名人さん

そうでしたか、失礼いたしました。

> 南無妙法蓮華経が先ず有って…

たぶん、「三身所顕無始古仏」という点から展開であろうと思います。
わたしは、蓮師文献のなかで、この点がもっとも謎です。要は法華の説相と一致しないではないかという思いがあります。門下一般では五百塵点を無始永劫ととらえるのも、この件からでしょうが、納得できない日蓮教説の一つです。

427犀角独歩:2005/10/23(日) 22:42:23

彰往考来さんと話題にしている『大崎学報』第104号の、掲載の小林是恭師『本尊抄の本尊の主要形態』に、かつてどなたかと議論になった本尊為体、並びにその造立資材についての論及があり、大いに頷きました。

「本尊為体での主要形態なるものが、それならいかなる資材によって造立されるのか。本尊抄には本尊造立の資糧と考えられるものであろうと思うものに「木画」の文字が出ている。又第九の文に記されている聖人前の仏像が木又は金銅でのものだことから想うと、聖人が包懐されていた仏像造立の資材は、大体は木像で絵像も認知の中にあったであろうということだ。「木画」の木はいう迄もなく木材だ。「画」は「絵画」と見るのが普通だろう。而して其は多くの彩色を有つだろうし、其資源は草木であった。本尊抄・の第二の文に「草木之上不置色心因果」とは、此等が自ら仏像造立の不可欠材であるに通ずる意もあってのことと見てよいだろう。
 …第一は本尊抄での本尊は第四の「本尊為体」の処で語られたものが聖人の本尊相で、以下の文に見る本尊の文字は、何れもこの本尊相のものを指示しているということ。第二は聖人の本尊相の主体仏は寿量品の釈尊で、従って「本尊為体」での主体仏は釈尊だ。これはまた聖人の本尊は尤も端的に言えば本師釈尊だということ。第三はこの本尊造立の資材たるものを本尊抄から考えると草木で、それは木像或は絵像で大体は木像であろうと想われるということだ」(『大崎学報』第104号 P66)

また、その前掲論文『御本尊造像史』で影山尭雄師は、日蓮最晩年から滅後間もない本尊状況に就き、

「宗祖御自身は伊東感得の立像釈尊の一体仏を御本尊とせられ御直門の僧俗へは文字マンダラを御授与になり御入滅程ない頃には関東の主な諸寺で御本尊として一尊四士の仏像が造立せられ、他方では文字マンダラの絵画化は既に御在世の頃から試みられたらしく、それが祖滅七十余年頃には完成せられ、これと並んでマンダラの木像化も祖滅五六十年頃から試みられ、さらに日興門流の間では本門戒壇造立に至らぬ已前は文字マンダラ本尊説が、滅後五六十年頃から盛んであったように見られる。
 三宝さまと通称せられる中尊二仏式が普及してをる現状をひるがえって考えて見るに、宗祖はそのご終生まで尊崇給仕遊ばされたのは、たとえ宗祖自らの御心持ちでは四士を添えた久遠の本仏であったのは勿論でも、表現された形は一体仏であったし、御在世中に一尊四士を造立した者があったがそれは四五人已上を出ていない極めて少数の、しかも在家信者であった。これに対して、直弟直檀に崇拝の対象として授与せられた文字マンダラは現在蔵伝せられてをるだけでも百二十余幅に達してをり、滅後五六百年間に焼失破損紛失盗難などで失われた数も少なからぬことを思えば、御在世当時授与せられたのはこれ已下の数であったろう筈はない。随って祖滅三四十年ごろは御門下僧俗の殆んど大部分の者がすでに文字マンダラを御本尊と崇拝していたと思われる。ここに祖滅四五十年の間に身延三世日進中山三世日祐の両師が前後してこの文字マンダラを木像化した中尊二仏式を造立せらたのは、この当時の現状の基づかれた企てではなかろうか」(同 P61)

という記述は、興味が惹かれました。
ただ、わたしがどうも合点がいかないのは、日蓮自身が本尊とするところ(一体仏)、信者(文字マンダラ)、身延中山(中尊二仏式)と、それぞればらばらという点です。

日蓮を宗祖と仰ぐのであれば、日蓮と同じ本尊を崇敬するのが自然だと思うからです。

以上の点は、彰往考来さんに資料を送付したのち、ご意見を窺いたいと思っています。また、最近、お忙しそうなれんさん、また、一字三礼さん、独学徒さんなどは、どのようにお考えなのかお聞きしたいと思っています。最近は問答さんはお忙しいようで、ご投稿がないことは残念です。

428犀角独歩:2005/11/03(木) 13:37:11

彰往考来さん

『御本尊写真鑑』コピーのご送付、まことに有り難うございました。

わたしが先に立正大学情報センターでコピーしてきたものと付き合わせたところ、同一の本でした。

ただ3箇所、相違があります。
1箇所は立正大学所蔵本は、書名が「御本尊写真鑑 巻之一」となっていましたが、頂戴したほうは「御本尊写真帖 全」となっていました。(旧字)

もう1箇所は奥付で、立正大学所蔵本では「大正元年十二月二十日印刷/大正元年十二月廿三日」となっていますが、頂戴したほうでは「大正元年十二月廿四日/大正元年十二月廿六日」となっております。こちらは日付のところは張り紙で訂正してあるのでしょうか?

もう一箇所は、立正大学所蔵本では、1ページ目に、「日蓮宗管長」の揮毫があります。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/gohonzonshasinkan.html

429彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/05(土) 22:13:35

>428犀角独歩さん・・・3箇所、相違
>(1)は立正大学所蔵本は、書名が「御本尊写真鑑 巻之一」、頂戴したほうは「御本尊写真帖 全」(旧字)
そうなんです。(2)と関連しますが奥付の日も数日の違いがあります。今回の犀角独歩さんの投稿で逆に私は「御本尊寫眞鑑 巻之一」の存在を確認できました。
>(2)奥付で、立正大学所蔵本では「大正元年十二月二十日印刷/大正元年十二月廿三日」、頂戴したほうは「大正元年十二月廿四日/大正元年十二月廿六日」
>こちらは日付のところは張り紙で訂正してあるのでしょうか?
私が所蔵のコピーでみる限り、張り紙で訂正してあります。
私が『御本尊寫眞帖 全』を国会図書館でコピーしたのは、10年ほど前と思います。その時は原本だったと思うのですが記憶は定かでありません。最近、独学徒さんの「お薦めスレッド」 >305 の投稿で、資料としては成り立たないほどの写りの悪さということでしたので、再度、国会図書館へ出むき確認したところ、マイクロフィッシュ(マイクロフィルム)になっていて、確かに写りが悪いものでした。そのため現在、私が所有しているコピーはかなり貴重なものになってしまいました。そのおかげで立正大学所蔵本でちぎられていた箇所の内容を明らかにすることができて、よかったと思います。
>(3)もう一箇所は、立正大学所蔵本では、1ページ目に、「日蓮宗管長」の揮毫があります。
私の所蔵コピー(国会図書館所蔵本)では、このような揮毫は見当たりませんね。
この本は同一内容で、異本があるようですね。どちらが本流なのでしょうね。「御本尊寫眞鑑 巻之二」の作成予定がないので『御本尊寫眞帖 全』のほうがよいと後で思ったのでしょうか。また名前が『妙宗先哲本尊鑑』と紛らわしいので“帖”としたのでしょうか。どうもその程度のことであったのではと考えています。

430犀角独歩:2005/11/05(土) 22:41:27

> 429 彰往考来さん

有り難うございます。
お陰で破り取られたものを確認できました。

それにしても、「巻之一」が「全」になり、‘鑑’が‘帖’になって同じもの、なんとも大らかというか、これが今だと、ちょっと騒ぎにもなりそうですが、和綴じ本の妙味というか、「なんだ、そうか」と納得して終わってしまう自分がおかしくなりました。

431ラスカル:2005/11/14(月) 11:36:33
414・顕正居士さんの意見が気になります。一遍首題は始成正覚、一尊四士は久遠実成、大曼陀羅は久遠元初と考えるなら本尊として解り易いのですが、教主とか本仏とか絡むとヴァリエーションの問題なのでしょうか。時空軸・次元軸で内実を一つひとつ判別できるのでしょうか。ブッダ・ガヤの覚りと大乗経典の悟りと。

432犀角独歩:2005/11/14(月) 14:09:45

> 一遍首題は始成正覚、一尊四士は久遠実成、大曼陀羅は久遠元初

わたしは、この分類は納得がいきません。

大漫荼羅の二仏並座・四菩薩他脇士は霊山虚空の儀式ですから、久遠元初ではなく、教学的な意味における法華説法の在世、一尊四士は末法における上行弘法を顕わすでしょうし、むしろ、久遠已来一貫しているのは「南無妙法蓮華經」ということなると思います。

433ラスカル:2005/11/14(月) 14:51:02
返答ありがとうございます。携帯のページ検索などで犀角独歩さんと問答迷人さんの検証論議を覗き読みさせてもらいました。創価学会の幽霊会員で久遠云々などは我見ですので御容赦願います。「始成正覚は蓮が言葉の意味合いが似てるかなと思い、久遠実成は四士以外は出て来ないから、久遠元初は南無妙法蓮華経如来=日蓮と考えて」つい書き込んでしまいました。ドがつくぐらいの素人で雑学ぐらいの知識・情報しか持ち合わせてませんが宜しくお願い致します。

434ラスカル:2005/11/14(月) 14:58:13
連続書き込みで失礼します。何が一番聞きたいか考えました。やっぱり、真偽いろいろある遺文・御書で四箇格言、三大秘法、独一本門、天生原戒壇等どこからどこまでが鎌倉時代の僧・日蓮が思考展開した教義なのでしょうか。

43501:2005/11/14(月) 17:36:50
横レス、ごめん。
ラスカルさん、あんたいいやつだなぁ。おれ、ファンになっちゃったよ。
独歩ジジは気難しがり親父だけどど、うまくつき合ってヨロシクぅ。

436犀角独歩:2005/11/15(火) 09:45:19

> 真偽いろいろある遺文・御書

取り敢えず、パンナコッタさんが示された「現宗研 文献資料」で、真跡遺文とされるものを基に、残る写本遺文に関しては、その内容から類している現在進行形が日蓮研究でしょう。わたしは個人的には最蓮房関連、御義口伝、日向記は外します。

> 四箇格言

これは日蓮の考えです。ただし、伝説で言われるように建長5年4月28日の初登高座で述べたのではなく、佐後にかけて整理されていったのだろうと考えられます。

> 三大秘法

「三大秘法」という成句は『三大秘法稟承事』に見られる成句ですが、この書が真筆であるとする点には疑問があります。つまり、日蓮は「三つの法門」というのに留まっています。

> 独一本門

石山で言えば、日寛の用語で、江戸時代以降と考えられます。

> 天生原戒壇等

これまた、要法寺出の石山歴代が持ち込んだ考え、本来、石山にはなく、また、重須の日興にもこの考えはありませんでした。もちろん、日蓮にこの考えはありません。

437ラスカル:2005/11/15(火) 15:07:12
返答ありがとうございます。気になる所から。■三大秘法について、遺文・御書を読めば其の儘書いてあるようです。本門寿量の一品→(涌出品に秘し)寿量品の本尊戒壇題目〈口決・三大秘法〉〈義(行為)〉→寿量品事の三大事⇒事戒法→戒壇堂云々■此の遺文・御書で考えたいのは、五百塵点とは大乗経典の内容から比べた相対的時間の長さなのか。それと、曼陀羅は戒壇(受戒の儀式を行なう)足り得るか。如何でしょう。

438パンナコッタ:2005/11/15(火) 16:33:44
三大秘法稟承事の補足としまして、
『日親本』、京都府本法寺蔵。従来『日時本』とされてきた大石寺蔵本は、日時筆とは認められず『大石寺本』とする。
同本は「御書目録日記事」及び「三大秘法抄」を含む数通の御書写本・要文、更に『天台四教義集解』の要文、
日目伝等が収録されており、中に大石寺第十四世日主(1555〜1617)の「本持日主 花押」との記載がある。
『日朝本録外目録』『本満寺録外』『三宝寺録外目録』『刊本録外』等所収。

本書は特に近来真偽についての論争が盛んになされてきたが、今日ではおおむね山川智応・清水竜山の
真撰説が支持されている。しかし、本書には「一身即三身」などの、信頼される御書には見られず、
且つ疑義濃厚な御書にしばしば見られる用語が使用されており、今後更に慎重に検討されるべきであろう。
         御書システム 解題より引用

真筆は現存しない、真偽未決文のようですね。

439犀角独歩:2005/11/15(火) 17:40:50

> 三大秘法について、遺文・御書を読めば其の儘書いてある

いえ、書いてありません。書いてあるのは、真偽未決という果たして本当に日蓮の文章かどうかわからない疑わしいもののなかだけです。

> 寿量品の本尊戒壇題目〈口決・三大秘法〉〈義(行為)〉→寿量品事の三大事⇒事戒法→戒壇堂云々

このフローチャートは日蓮とは関係のない後世のものです。
要は『三大秘法稟承事』(真偽未決)、『日蓮一期弘法付嘱書』(偽書)の出てくる言葉から組まれたもので、日蓮の教えではありません。

> …五百塵点とは大乗経典の内容から比べた相対的時間

相対とする二つの主語は何を指しているのかわからないので、答えられません。

> 曼陀羅は戒壇(受戒の儀式を行なう)足り得るか

これも仰る意味がよくわかりません。曼陀羅とは本来、壇も、意味するでしょうが、日蓮の漫荼羅を指すのであれば、しかし、その趣旨は、わたしは違うと考えています。

440ラスカル:2005/11/15(火) 18:37:49
情報ありがとうございます。それならば、真蹟はどれくらい残っているのでしょう。■相対的とは広くは大乗経典の他宗派の物。狭くは久遠実成、久遠元初と比べて。■日蓮聖人の曼陀羅の位置付けと出典を教えて下さい。

441犀角独歩:2005/11/15(火) 19:14:49

> 真蹟はどれくらい残っているのでしょう

遺文集はなにかお持ちですか。
お持ちでしたら、冒頭の目次に真蹟所在は明記されています。断片まで入れるといくつと数えることになるのか、意見の相違はあるでしょうが、御書と言われるものの半数程度。200編程度ということになりますか。既にパンナコッタさんが紹介してくださった現宗研サイトに真蹟と写本は分けて載っているので参考になります。

> 久遠実成、久遠元初

久遠実成と五百塵点は同じ時を指しています。
久遠元初は日蓮とは関係ありません。のちの教学解釈です。

> 日蓮聖人の曼陀羅の位置付け

図示の部分的説明とすれば『本尊抄』でしょうが、‘位置付け’ということであれば、「ない」というのがもっとも正確な答えになると考えます。

442パンナコッタ:2005/11/15(火) 19:24:37
ちなみに御書システムのC分類では、

◆[C]: (部類 = class の頭文字) 御書を真蹟・写本の存否、内容の種別、システムの必要性等の理由から10に分類したものです。
「御書本文」「御書通読」の各行にも付してあります。

C=0 真蹟が完全若しくはほぼ完全な形で現存し、活字御書と対応するもの。 17.6 %
C=1 真蹟が断簡で現存し、活字御書の断簡と対応するもの。 5.2 %
C=2 真蹟の断片が現存し、活字御書の一部分と対応するもの。 11.6 %
C=3 真蹟が明治8年の火災まで身延山久遠寺に存在していたもの。 10.0 %
C=4 真蹟は現存しないが日興書写本の現存するもの。 4.5 % 以上 48.9 %

C=5 日興上人以外の上代諸師の古写本の現存するもの。 3.2 %
C=6 上記の0〜5と下記の7〜9以外の全てのもの。 31.3 %
C=7 御義口伝と御講聞書。 6.2 %
C=8 富士門流の相伝書類。 1.5 %
C=9 偽書と云われるもの。(昭和定本第三巻の第二輯続篇分) 8.9 % 以上 51.1 %

と、なっています。(注法華経や写本の円多羅義集は含まず)

443パンナコッタ:2005/11/15(火) 19:33:17
>442
失礼、注法華経はシステムに本文が掲載されていないだけで、C=0。
円多羅は、蓮祖の写本ということで掲載していないと云う意味です。

444犀角独歩:2005/11/15(火) 19:39:55

パンナコッタさん、御書システムでは、真蹟は何編と数えているんでしょうか。

445パンナコッタ:2005/11/15(火) 20:18:13
御書システムで、現在掲載されているのは、
 C=0 145編
 C=1 499編
 C=2 114編
断簡・断片を含めて、このようになっています。

446パンナコッタ:2005/11/15(火) 20:38:39
断簡・断片をとりあえず省いてみると、
 C=0 145編
 C=1  51編   (含めると499編)
 C=2  58編   (含めると114編)

と、云うことになっています。

447犀角独歩:2005/11/15(火) 21:32:54

パンナコッタさん、有り難うございました。

448パンナコッタ:2005/11/15(火) 21:47:52
またまた、すみません。
>443
 円多羅は、蓮祖の写本ということで、システムに本文を掲載していないと云う意味です。

数と%が違っているのは、一つの遺文に断簡が多数ある物もあり、数字か違ってくるということです。

449ラスカル:2005/11/15(火) 23:26:34
犀角独歩さん、パンナコッタさん、ありがとうございます。御書全集と呼ばれるものしかありませんのでHPサイトを見てみます。

450ラスカル:2005/11/15(火) 23:51:31
■のちの教学というと日有上人・日寛上人の頃なのでしょうか。(独一本門もでしょうか)■では、曼陀羅は何故図顕され、どのような扱いだったのでしょう。■四箇格言は鎌倉時代の様相が背景にあり、それぞれ教義比較など踏まえた含蓄のある格言だと思います。でも、平成時代は三証・四悉檀で対応した方が良いと考えますが如何でしょう。■国立戒壇とかも話題になりましたが、其の先々の為、地域ごとに法華堂を建てれば伽藍は要らないと思います。文化財など否定するつもりは無いですけど。

451犀角独歩:2005/11/16(水) 10:34:09

> のちの教学というと日有上人・日寛上人の頃なのでしょうか

そうですね。整理集成落着するのは、日寛でしょう。

> 独一本門もでしょうか

「独一本門」という成句は、(大石寺ではなく)要法寺『本因妙抄』のなかで見られますが、これが「文底独一本門事本門戒壇本尊」というような教学的な整理は日寛です。

> 曼陀羅は何故図顕され、どのような扱いだった

真跡遺文から知られる限りでは、守札の用途ははっきりしています。その他は、実は不明です。実際のところ、日蓮自身が漫荼羅は拝んだことはないと考えざるを得ず、(拝んでいたのは所持の釈迦一体立像)では、なんのための図顕かというのは当然の質問です。この点はここでも議論されましたが、わたしは弟子への允可証ではないのかと考えています。

> 平成時代は三証・四悉檀で対応した方が良い

まあ、この考えは四箇格言よりは実際的でしょうね。四箇格言中、「念仏無間」は念仏法華の法論で法華が負け詰め腹を斬らされて以来の禁句でした。これが復活するのは明治以降のことでしょう。
現在、四箇格言が鎌倉時代同様の意味を持ち得るか。やはり、持ち得ないでしょう。
では三証はとなりますが、第一段階の「文証」で、日蓮がどのような経釈に基づいて論を構成したのかという分析は可能です。しかし、その文証とした経典、つまり、大乗経典が釈尊の直説ではなく、滅後500年以上経って創作されたものである以上、これを金科玉条の如く文証とするのは今の科学的見地は認めません。となれば、つづく理証も同様の扱いと成らざるを得ない。では実証もか、となりますが、さて、ここはどうでしょうか。実証とは学会を含む石山門下が言うような功徳、御利益の類を言うのであれば、これは別段、信仰者は誰しも、‘体験’はあるでしょうから、その体験は否定されないでしょう。しかし、文理との因果関係にあるのかは、それらが釈迦真説出ないことがわかった以上、関係しないことになります。さらに言えば、実証とは「実証証得」などという成句でもわかるとおり、元来、成仏の証を意味するわけです。こうなると、もはや、三証は、今日的な意味を持ち得るかどうか。わたしは否定的に考えざるを得ません。ただし、各人の感じる法悦は否定しませんが。

> 国立戒壇

田中智学以前の意義からすれば、国主の立てる戒壇ということになりますが、それは、ともかく、民主主義のご時世ではこの意味を取り違えているのだろうと思います。これらは、要するに国主受戒の場を自らが作ることを意味していたのでしょう。過去の戒壇建立の理由を見る限り、その様子が窺えます。もちろん、併せて僧侶受戒の意義があることは言うまでもありません。そんな、その後の扱いはともかくかくとして、本来の意味はそこにあるのでしょう。一般在家に受戒など、元来はなかったわけです。この点は藤川さん辺りと話し合いましたが、こんなことがある程度、定着したのは昭和になってから、先の戦前の話でしょう。

> 地域ごとに法華堂を建てれば伽藍は要らない

日興は日蓮御筆漫荼羅に「奉懸本門寺」と複数の漫荼羅に添書をしています。
当時の日本各地方ごとが「国」であったわけです。日本全土を指して一国という考えは、やはり、明治以降に一般化したものでしょう。当時、京と鎌倉、どちらが真性日本の首都であったか、両方かは議論の分かれるところでしょうが、それでも、それらは統一拠点以上の意味を持たなかったのが当時でしょう。つまり、複数の本門寺に懸ける漫荼羅が策定されたこと自体、ある面、「地域ごと」という考えは当たっていることになります。

452犀角独歩:2005/11/16(水) 11:06:27

一つ落としました。

> 四悉檀

これはたしか渡辺照宏師の指摘したことであったと思いますが、四悉檀は、梵本から訳される際、誤訳(意訳?)された誤った翻訳文に基づいて構成された教義で、成り立たないということでした。この点を記した論文を、読んだのですが、題名とも、失念しました。わたしの失念とは別に、この指摘は重要で、梵本直訳が容易に手に入る現在、この指摘が正鵠を得ていれば、四悉檀を用いる以上は、この反対文理を証明する義務があるとわたしは考えます。わたしは、この指摘を読み、もっともだと思った記憶があり、故に反対の論陣を張る蛮勇も起きませんので、四悉檀は用いません。

453犀角独歩:2005/11/16(水) 12:31:57

【451の訂正】

誤)「実証証得」
正)「実相証得」

454ラスカル:2005/11/16(水) 17:41:46
素直(?)になって聞いてみるものですね。って。パソコン持ってないし大きな書店へ行かないと探すのも難しいので。もう少し質問させて下さい。■久遠元初の出典■南無妙法蓮華経如来の出典■法華経説話と一念三千の間は繋がるか■経典・サッダルマ法プンダリカ蓮の付属の表現もしくは出典範囲等。焦点絞って簡潔に書いたつもりなんですけれど解り辛いかもしれませんが、いろいろ単語・成句などを出してもらえれば、調べたり考えたりできるので宜しくお願いします。

455犀角独歩:2005/11/16(水) 22:03:16
■久遠元初の出典

要法寺相伝(正確には上行院と言ったがよいかもしれませんが)『百六箇抄』「久遠元初の自受用報身無作本有の妙法」『本因妙抄』「久遠元初の結要付嘱」、その後、要法寺出の日教『150箇条』「御書曰久遠元初」と見られ、しかし、日蓮遺文にはもちろんこの語句はないので、上記2抄を指すのでしょう。日教は日有の時代に大石寺に来ているので、二箇相承などと共にこの要法寺教学を伝播した役割を果たしたのであろうと思えます。その後、これら相伝は大石寺にもとよりあったような論法で日寛が教学を創り、この基礎に据えたのが「久遠元初」でしょう。ただし、これには日時以来、大石寺の歴代が学んだ仙波檀林(天台宗)には、この原型となる教学、恵心流口伝法門があるので、教学的枠組みとしては、こちらの影響も受けてのものでしょう。

■南無妙法蓮華経如来の出典

この成句は、日寛文献で読んだ記憶がありますが、今は思い出せません。文段中であったと記憶します。しかし、近代では横浜問答で蓮華会が使用しました。

■法華経説話と一念三千の間は繋がるか

羅什訳『妙法蓮華経』から天台が経て、妙楽が造語したところです。
法華経説話、もちろん、サンスクリット語原点ではつながるはずもありません。

■経典・サッダルマ法プンダリカ蓮の付属の表現もしくは出典範囲等

日蓮の教学では末法付属の正体は妙法蓮華経の5字であることを『本尊抄』に尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」と記されるとおりです。
しかしながら、上行菩薩が神力品で付属を受けたのは、漢訳妙法華でみて、「嘱累の為の故に此の経の功徳を説かんに、猶お尽くすこと能わじ。要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す。是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし」を付属と見るかどうか、見たとしても、この該当文が妙法蓮華経の五字になるかどうかは、一考を要するでしょう。わたしは、そうはならないという立場です。

456犀角独歩:2005/11/16(水) 22:08:21

【255の訂正】

誤)『本尊抄』に尊の因行果徳の二法
正)『本尊抄』に釈尊の因行果徳の二法

457ラスカル:2005/11/16(水) 23:14:27
龍樹の空識・一心三観から天台一門の一念三千まで認識判断の複雑化構造改革も、教義・方法論も[正法→像法→末法]や[戒→破戒→無戒]など、どういう時にどういう形で受け取るかの質量で語句の表現も変わる。というのではキツイでしょうか。表題は妙法蓮華経の事ですよね。それとも、皆成仏道だけで無く諸行無常とかも兼ね合わせての呼び掛けになるのか。宗教は学問でヴァリエーションをどれだけ具現化できるかなら曖昧な繋ぎでも良いのでしょうが。未顕真実→真実開顕ですから、実相証得が鍵でしょうか。

458犀角独歩:2005/11/16(水) 23:22:25

> 457

なかなかいいところを掴んでいますね。

459ラスカル:2005/11/17(木) 12:41:37
■始成正覚・空間・本仏→久遠実成・時間・本尊にはなりませんか。■曼陀羅図顕は法華経に沿った本仏と本尊の立て分け?一遍首題と十界曼陀羅は像法と末法への対応に考えられなくもないのだけれど。

460犀角独歩:2005/11/17(木) 22:24:36
■始成正覚・空間・本仏→久遠実成・時間・本尊

時空概念からということでしょうか。
こういう現代発想オチはおやめになったほうがよいでしょう。

■曼陀羅図顕は法華経に沿った本仏と本尊の立て分け?

法華経に添った部分と密教に添った部分の二重立てです。
本仏は釈迦牟尼仏(本尊抄)本尊は法華経の題目(本尊問答抄)というわけで、では、本仏=本尊となるか?という点では、いまだに落着していないのが日蓮教学研究の実像でしょう。

> 一遍首題と十界曼陀羅は像法と末法への対応に考えられなくもない

これは、どういう意味かわたしには介せません。

461ラスカル:2005/11/17(木) 23:41:27
早とちりのような書き込みで申し訳ないです。 ■曼陀羅が守札である事は想像に難くない事かもしれませんが、弟子への允可証というのは合点がいきません。弟子の名前を書いたとして本尊でない?守札を下賜するのは縄張り意識からでしょうか。日蓮聖人は「通力に頼るべからず」とかありませんでしたでしょうか。修行方法・受持即観心の戒壇と考えるなら納得がいくと思うのです。■一遍首題というのは天台・伝教の頃「宝幡」と呼び、日女御前御返事に「法華弘通のはたじるし」と書いてあります。首題と不動・愛染の名、十界曼陀羅には冥府判官其他書いてある掛け軸があるらしいですが日興上人に下賜された十界曼陀羅の事を指します。行方不明らしいですが。化導にあって像法と末法の区別とした方が宗派別に気配りしたというよりは良いと思います。憶測とテンション上がったような書き方ですみません。

462犀角独歩:2005/11/18(金) 08:02:55

■曼陀羅が守札である事は想像に難くない

これは日蓮の遺文のなかに、たしかにそのように書いてあります。

> 弟子への允可証というのは合点がいきません

そうですか。しかし、漫荼羅は1人1幅が原則で、日蓮の名、授与者の名、日付が入ります。この弟子が、法座その他を開くときには、そこに掲げられたでしょう。となれば、それだけで日蓮の弟子であるとわかります。このような用途があれば、允可証という側面はあったろうと想像できます。

> 守札を下賜するのは縄張り意識からでしょうか

違うでしょうね。密教の呪符の側面からでしょうね。二明王、「頭破七分」「福過十号」などという書き込みは、まさにそのような点を物語っています。

> 日蓮聖人は「通力に頼るべからず」

写本遺文の範囲です。真蹟には載りません。

> 受持即観心

これまた真蹟に載らない用語です。

■一遍首題というのは天台・伝教の頃「宝幡」

この点は少し調べてみましょう。

> 日女御前御返事に「法華弘通のはたじるし」

これも写本遺文です。真蹟を遺さない一節です。

> 十界曼陀羅には冥府判官其他…日興上人に下賜

これは伝説、不確かな話ではないでしょうか。記されるところが考えると、それは「臨終漫荼羅」などと言われる葬式要に考案された後世の漫荼羅の様式。創価学会が盛んに謗法だと喧伝した様式です。大石寺では日寛まで遡れたと記憶します。しかし、日蓮漫荼羅の諸尊勧請にこれが記されたものは遺りません。行方不明と言うより、伝説に過ぎないのではないでしょうか。

> 化導にあって像法と末法の区別

この区別は、日蓮的に言えば、釈迦在世は法華経典、天台に摩訶止観、日蓮に題目五字ということになるでしょう。

> 宗派別

宗派というのは、空海が日本に初めてもたらしたもので、天台の時点では南三北七の別はありますが、これは宗派に当たりません。日本では南都六宗がありますが、これも今の大学で言う学部程度の相違しかありません。日蓮の時代に念仏、禅の興起があり、日蓮自身天台法華から次第に離れ、独自性を確立していきました。しかし、三国四師という自尊に明らかなように釈迦・天台・伝教を継承する法華宗としての自覚ですから、これはその後の宗派意識とは異なっていると思います。

463犀角独歩:2005/11/18(金) 12:08:38

【462の訂正】

誤)臨終漫荼羅
正)導師漫荼羅

464ラスカル:2005/11/18(金) 17:55:38
認識判断の前提で印度応誕のゴウタマ・シッダルタは似ている箇所はあっても大乗経典以後は別人でしょうか。■日蓮聖人は密教の捉え方で何か直接的に教えた文言はあるでしょうか。■天台、伝教、日蓮の説法教化でそれぞれオリジナルな語句・成句はどれくらいあるでしょうか。金剛宝器戒はどうでしょう。

466乾闥婆:2005/11/18(金) 19:23:06
犀角独歩さん、ラスカルさん。

>受持即観心
これまた真蹟に載らない用語です。

ちょっと驚いたのですが写本遺文にもないようですね。いつごろから使われるようになった成句なのでしょうか。受持即観心の根拠は結局のところ観心本尊抄の「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」になるようです。

「此の五字を受持すれば」ということも、具体的にどういうことを言っているのか、よく分かりません。観心といっても、蓮祖と天台では違うのでしょうか。犀角独歩さんから勧められました小止観を読んでみましたが、そこで語られる「観を修す」ることとは、心を観ることにより、「諸法の実相」を観、そのことによって現実世界への執着を解体するようなもの、と読めました。どうも蓮祖のイメージと違うようなのですが、天台においても小止観と摩訶止観では違ってくるのでしょうか。それとも蓮祖の受け止め方が異質なものなのでしょうか。蓮祖においては己心に仏を見るといったように感じられるのですが。

467犀角独歩:2005/11/18(金) 20:30:47

乾闥婆さん

仰るとおりで、実は天台関連の初期文献にもこの語はでてきません。
伝教は、手許にすべて資料がないためにわかりません。
注法華経にもないようです。
富士宗学要集でみると、以下のとおりです。

観心本尊抄文段上観心本尊抄文段上
「正しく本尊の妙能に由って受持即観心を成ずるの義を明かす。これ則ち文底深秘の奥旨、久遠名字の直達の正観なり」
「受持即観心の義なり。これ則ち「於我滅度後、応受持斯経」の文「凡そ当家の意は唯信心口唱を以て、即ち観心と名づけ、而して受持とは正しく信心口唱に当る。故に受持即観心というなり」

観心本尊抄首日相聞書
「是の故に堅固にこれを秘すと云云。是れ則ち受持即観心の義を明かす故」
「初め難信難解を示し、次に世尊の徳用を明かし、三に正しく受持即観心を明かす」
「先づ無量義経の文を借り以つて受持即観心の意を示す」
「今元意を示す正に是れ受持即観心なり。何んとなれば信心修行を以つて名づけて受持となす故なり」

まあ、日寛は観心とは信心口唱、すなわち、観心の本尊とは信心の本尊とするのは、なかなか卓見であるとは思います。しかし、日蓮遺文に受持即観心がない以上、日蓮のあずかり知らないことではあるのでしょう。

乾闥婆さんの止観禅のとらえ方は、わたしもほぼ同様に考えます。
これはたしか小松師が仰っていたことですが、日蓮の時代、比叡山では参禅はすっかり廃れていたということでした(小松師の言は、記憶違いの可能性もあります)もし、これが事実であろうと思うのは、日蓮の行学から、まるで参禅が見えないからです。ですから、その意味からすれば、たしかに天台・伝教と止観そのもののとらえ方が違っているというのは、当を得た観察であろうと思います。

468犀角独歩:2005/11/18(金) 20:43:37

> 認識判断の前提で印度応誕のゴウタマ・シッダルタ…大乗経典以後は別人

うーん、難しいですね。いちおう、仏伝は踏襲しているのが、大乗経典です。しかし、あんなスーパーマンやマジシャンみたいなブッダは初期経典とは著しく違っているのは事実です。

> 日蓮聖人は密教の捉え方で何か直接的に教えた文言

これまた、難しい質問ですが、しかし、たとえば、曼陀羅、本尊、不動・愛染ほか、これらは、みな密教に属します。

> 天、伝教、日蓮の説法教化でそれぞれオリジナルな語句・成句はどれくらい

この算出には該博な知識が必要でしょうね。
天台は華厳経ほか、当時の中国思想の影響も多々あるわけですから、これをより分けるには、わたしは力不足です。
伝教は当然、天台、妙楽等を踏襲するわけですから、その文意をさっ引いて、さらに偽撰を抜いてというのもなかなかの作業です。
天台宗その他で以上の作業をされているか多鹿いらっしゃるかも知れません。

> 金剛宝器戒

真蹟・写本通じて『教行証御書』に一度、引用されるのみであったと思います。富要にも載らないようです。
これを日蓮の教学とするのは、同書が確実な真跡であることを証明する必要があります。

469とんび:2005/11/19(土) 01:10:49
 紙幅の曼荼羅(御本尊)について。
正宗では、紙幅の御本尊については、当時の信仰の厚い人に、一機一縁という
かたちで、授与していたということだったと思います。
 ですから、戒壇の板本尊は、全人類の人の為に顕した..というのは、当時
納得いくものでした。しかし今は、戒壇の本尊については、日蓮さんが遺され
たものではないのでは..と感じています。

 では、一体日蓮さんは、何を持って一切衆生を救おうとしたのでしょうか。
報恩抄でしたか、「日本国一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の
道をふさぎぬ」と。
 
 あえて御本尊と書かずに、紙幅の曼荼羅と書きますが、紙幅の曼荼羅が、
信仰において、必要なものであれば、日蓮さんは生きている内に、もっと大
量に紙幅の曼荼羅を書き顕さなければ、ならなかったのではないでしょうか。
それとも、一幅の曼荼羅を多数の人で拝ませることが目的だったのでしょう
か。

 正宗では、法主の書写したものを印刷して拝ませていますが、その他の門下
では、檀家の人たちはどうしているのでしょう。日蓮宗の信者の人は、曼荼羅
を拝んでいるのでしょうか。

 また、日蓮さんの御書のどこに、私の遺した紙幅の曼荼羅を書写して多数の
人に拝ませなさい..という記述があるのでしょうか。

 日蓮さんの、本意は..ということを論ずれば、それが一つの宗派になり、
合意点などあるはずもないのですが..。

 允可証という言葉の意味がよくわかりません。なにぶん私は知識がないので
ここでの発言は、なじまないと思いますが。

470とんび:2005/11/19(土) 01:12:09
 紙幅の曼荼羅(御本尊)について。
正宗では、紙幅の御本尊については、当時の信仰の厚い人に、一機一縁という
かたちで、授与していたということだったと思います。
 ですから、戒壇の板本尊は、全人類の人の為に顕した..というのは、当時
納得いくものでした。しかし今は、戒壇の本尊については、日蓮さんが遺され
たものではないのでは..と感じています。

 では、一体日蓮さんは、何を持って一切衆生を救おうとしたのでしょうか。
報恩抄でしたか、「日本国一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の
道をふさぎぬ」と。
 
 あえて御本尊と書かずに、紙幅の曼荼羅と書きますが、紙幅の曼荼羅が、
信仰において、必要なものであれば、日蓮さんは生きている内に、もっと大
量に紙幅の曼荼羅を書き顕さなければ、ならなかったのではないでしょうか。
それとも、一幅の曼荼羅を多数の人で拝ませることが目的だったのでしょう
か。

 正宗では、法主の書写したものを印刷して拝ませていますが、その他の門下
では、檀家の人たちはどうしているのでしょう。日蓮宗の信者の人は、曼荼羅
を拝んでいるのでしょうか。

 また、日蓮さんの御書のどこに、私の遺した紙幅の曼荼羅を書写して多数の
人に拝ませなさい..という記述があるのでしょうか。

 日蓮さんの、本意は..ということを論ずれば、それが一つの宗派になり、
合意点などあるはずもないのですが..。

 允可証という言葉の意味がよくわかりません。なにぶん私は知識がないので
ここでの発言は、なじまないと思いますが。

471犀角独歩:2005/11/19(土) 05:53:15

とんびさん

> 一機一縁

この成句は真跡遺文には見られず、写本のなかでは

「真言は已今当(いこんとう)
の中には何れぞや。若し外と云はゞ、一機一縁の一往にして秘密とは云ふべからざるなり」当世念仏者無間地獄事文永元年

「真言は已今当の中には何れぞや。若し外と云はゞ、一機一縁の一往にして秘密とは云ふべからざるなり」早勝問答 文永8年

「四十二年の経の内には、一機一縁の為にしつらう処の方便」法華初心成仏鈔(
建治3年)

というような用法です。

富要でみれば、その日教、殊に日寛、また、日我の使用が見られ、主に日蓮所持の一体仏像を漫荼羅に比していう如くです。

ただし、日寛では「一閻浮提総与」との対句的な意味合いをここに持たせるために、ここから、現在の石山が初心入信者に頒布する印刷本尊を一機一縁と呼ぶ風習が生じたものと思われます。


> 一体日蓮さんは、何を持って一切衆生を救おうとした

唱題行だと思います。

> 報恩抄でしたか、「日本国一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の
道をふさぎぬ」と。

いえ、開目抄です。「盲目」「生盲」という語彙は困った用法ですが、いまはこの点は敢えて触れず、疑問の点に答えれば、この文の前文は

「他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。此事いまだひろまらず。一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と声もをしまず唱ふるなり」です。

> 紙幅の曼荼羅が、信仰において、必要なものであれば、日蓮さんは生きている内に、もっと大量に紙幅の曼荼羅を書き顕さなければ、ならなかった

これはまったくそのとおりです。
先の受持即観心とのちに成句される起因となったとのではないかと乾闥婆さんが仰ったとおり、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」(本尊抄)と日蓮は言うわけで、この受持とはまさに「南無」の異に他ならないとわたしは思えます。となれば、妙法蓮華經への信の強調、帰命ということで、それは日寛が言うように南無妙法蓮華經の信心口唱と実践されるという帰結は尤もな指摘です。(ただし、日寛の言うこと、すべてが遭っているという意味ではもちろんありません。彫刻本尊崇拝その他大半はおかしなことを言ってはいますが)

472犀角独歩:2005/11/19(土) 05:54:19

―471からつづく―

> 一幅の曼荼羅を多数の人で拝ませることが目的だったのでしょうか。

違うでしょうね。一つの漫荼羅は一人のためであったでしょう。

> その他の門下では、檀家の人たちはどうしているのでしょう。日蓮宗の信者の人は、曼荼羅を拝んでいるのでしょうか。

日蓮真筆漫荼羅を縮小印刷したものを本尊とすることが多いようです。
これを仏具店などで買い求め、所属寺院の住職に自分の名前を裏書きしてもらい、開眼とするようです。また、願え出れば、書写する人であれば、書写もして下付するでしょう。もちろん、漫荼羅を仏壇に奉安しています。その前に御影も置きます。信者に対して、こちらが一般的でしょう。ただし、寺院は本堂(釈迦堂)仏像奉安、祖師堂(御影堂)御影・漫荼羅奉安の二堂様式が一般的です。この二堂様式はしかし、本願寺などでも同様です。ただし、向こうは釈迦仏像ではなく、阿弥陀仏像という違いです。

> 日蓮さんの御書のどこに、私の遺した紙幅の曼荼羅を書写して多数の
人に拝ませなさい..という記述があるのでしょうか。

こんな記述があるわけはありません。
日蓮は、自分の漫荼羅が複製されることすら、まったく考えていなかったでしょう。その様子をもっとも端的に示すのは石山も重要視する

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由(よし)諸方に其の聞こえ有り、所謂日向・日頂・日春等なり。
  日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり」(富士一跡門徒存知事)

というのであって、形木本尊(いまでは印刷)の禁止をしっかりといい、さらに一分信心の有る輩という個人に対して、書写授与であると定めています。これは日蓮図示以来の伝統を書写と一段遜って伝える日興の厳格な姿勢を伝えたものでしょう。

> 日蓮さんの、本意は..ということを論ずれば、それが一つの宗派になり、
合意点などあるはずもないのですが..。

これはどのような意味で仰っているのかわかりませんが、「定 一、弟子六人事不次第」という日興筆御遷化記録の一節を「定めて本弟子六人は一つの殊、不次第なり」と読み、六人一丸の意と解する仁がありました。わたしは、この読み方に賛同します。

> 允可証

この言葉がわかりづらければ、今風に言えば、免許証、免状と言ってもよいでしょう。また、認可証、許可証といっても近いかも知れません。ともかく、日蓮の弟子として認めという意味です。

473ラスカル:2005/11/19(土) 06:52:40
では、本仏=本尊は法華経に出現する仏陀と言う事になるのでしょうか?本仏の胸中の心を開けば本尊の蓮花が咲く。仏像でも漫陀羅でも軽々に下賜するものでは無かったというもので、具体的な行為としては不軽菩薩の行と唱題と言う事ですか。

474犀角独歩:2005/11/19(土) 13:15:35

まず、472の訂正

誤)本弟子六人は一つの殊
正)本弟子六人は一つの事

> 本仏=本尊は法華経に出現する仏陀

出現というのは、何を意味するのかわかりませんが、寿量品に久遠成道を明かすというのが正確な表現になると思います。
また、本尊という言葉は、天台は使っていませんので、日本仏教で出来上がった本尊観に久遠本仏を当て嵌めたと言うことでしょう。
日蓮は、このような本尊、仏像がそれまで、造られておらず、これから“出現”すると本尊抄に記しました。

> 本仏の胸中の心を開けば本尊の蓮花が咲く

このような詩的表現が何を意味するのか、わかりませんが、胸中の蓮華とは心臓を指します。当時、解剖学、大脳生理学は解明されていなかったので、人々は心(精神)は心臓に宿っている働きだと考えていました。

> 仏像でも漫陀羅でも軽々に下賜するものでは無かったというもので、具体的な行為としては不軽菩薩の行と唱題と言う事ですか。

唱題は日蓮の発明で、不軽の礼拝は、その通りです。これが上行菩薩等になると滅後弘教が加わります。

475ラスカル:2005/11/19(土) 17:47:37
ウィキペディアと呼ばれる電子事典で「本尊」と出てくるのは大日経らしいです。ゴーグルでイメージ検索したら、四天王も梵字のような書き方の漫陀羅が見られました。それから、専門家の研究で漫陀羅100点以上でほとんど別書き(首題の他は配置転換等)で漫陀羅が図顕されている事がわかったそうです。■覚者→印度応誕、仏陀→大乗経典、本仏→実在の人物、本尊→教義内容のように分けないとまどろっこしくて。判り辛くてすみません。■白法・大白法は、教義などの根幹・宗旨で良いのでしょうか。

476とんび:2005/11/19(土) 20:28:05
犀角独歩さん、こんばんは。

レスありがとうございます。
先にあげた、「日蓮が慈悲曠大ならば・・・日本国一切衆生の盲目をひらける
功徳あり、云々」は、やはり報恩抄のなかにありました。

 本尊と曼荼羅の違いについては、個人としては、紙幅の曼荼羅が顕している
もの・指し示しているものが、帰依すべき本尊であると思っています。
 厳密にいうと曼荼羅≠本尊なのだと思います。しかし正宗では、曼荼羅=本尊
と教えていたように思います。正宗の信仰をしていた時に御本尊を拝していまし
たが、紙幅の御本尊その物体を信じていたのではなく、その御本尊(曼荼羅)の
指し示しているものを信仰していたと思います(帰依すべき妙法という感じ)。
 ですから、戒壇の本尊に対して疑念を持ったときにも、あまりショックは
なかったのです。

 ある、日蓮富士門流の方で本を出している人に、電話で聞いたところ、その方
は、日蓮さんは、御書の中で、本尊と曼荼羅とをハッキリ区別していると言って
いました。

 前の、投稿のつづきになりますが、日蓮さんが題目行・唱題行を進められたと
いうことは、わかるのですが、だとしたら、正宗を含め日蓮門家は、全て日蓮さ
んの本意を受け継いでいるわけだし、新興宗教の、題目講とかそういうのも良い
わけですよね。
 でこれは、行の部分ですが、信ずる対境としては、何を勧められたのでしょう
か。人は、信ずるものによって変わってきます。
 当然、法華経・南無妙法蓮華経ということになるのでしょうが、これを理解し
ようとしたら、わけがわからなくなります。

 日蓮さんの本意は・・・という意味は、それぞれどの日蓮各宗派も、我が宗派
こそが、正しく日蓮さんの意志を継いだ団体である・・と思っているのでしょう
から、合意など無理だということです。
 また、個々人に於いても、それぞれ違った認識を持つのがあたりまえで、合意
・同じ考えを持つことはないだろう・・・ということです。

 科学や数学ではないので、日蓮さんの本意は・・・という問いに、正解はない
のだろうと感じます。

477犀角独歩:2005/11/19(土) 21:36:11

とんびさん

失礼しました。ご指摘の通りでした。
何を勘違いしていたのか、お恥ずかしい限りです。

では、何を指し示しているとお思いになりますか。

> 日蓮さんは、御書の中で、本尊と曼荼羅とをハッキリ区別している

まあ、これは微妙で、先にも触れた護本尊とは漫荼羅を指すことがありますので、はっきりと言ってよいかどうか。ただ、わたしはもちろん、本尊、漫荼羅は別意であると考えます。

> 正宗を含め日蓮門家は、全て日蓮さんの本意を受け継いでいる

まあ、そうとも言えませんでしょうね。

> 信ずる対境としては、何を勧められたのでしょうか。

この信じるものには対境があるという考え事態が刷り込まれたものではないでしょうか。あるとすれば、法華経でしょうし、久遠本仏釈尊というのが日蓮の考えであると思います。

> 合意など無理…合意・同じ考えを持つことはない

別段、そうは思いません。というより、そのような決めつけをするのであれば、ここで議論する必要もないでしょう。

> 日蓮さんの本意…正解はないのだろうと感じます。

そうですね。ただし、日蓮にどんな本意があったのかは、真跡遺文から大旨の予想が立つでしょう。正解がないのは、各人の情念に基づく解釈のほうでしょうね。

478犀角独歩:2005/11/19(土) 21:52:31

> 専門家の研究で漫陀羅100点以上でほとんど別書き

これは多分、山中喜八師、桐谷征一師の研究だと思います。

> 覚者→印度応誕、仏陀→大乗経典、本仏→実在の人物、本尊→教義内容

buddha(ブッダ=仏陀)は目覚めた人、つまり、覚者でここに区別はないでしょう。

> 白法・大白法は、教義などの根幹・宗旨

これは多分、釈迦仏法は白法で穏没、大白法は日蓮仏法という教義の語法を言われているのだと思いますが、わたしは、この点において、寿量品では常住此(娑婆霊鷲山)説法というので、このような区別は成り立たないと考えます。

479ラスカル:2005/11/19(土) 22:46:25
■文章でしか見られませんでしたが、桐谷さんの名前は書いてありました。■其れは正・像・末の例えは大袈裟だから差し引いて、法華経だけでの判断で充分と言う事ですか。

480とんび:2005/11/19(土) 22:59:09
こんばんは。

私には、日蓮さんの本意は、わかりません。正宗の影響があると思いますが、
いわば、国立戒壇、全人類帰依の理想が、幻と悟った時点で、??ということ
です。

 日蓮さんは、すごいことをおっしゃっていますよね。 
 先の、日本国一切衆生の盲目をひらける云々。一閻浮だい第一の聖人。日蓮
がいなけれは釈尊は嘘つき人間だ(趣意)
 ですから、今は御本仏と信仰はしていませんが、好意は持っています。
 顕正会での信仰で、人生が狂いましたが、日蓮さんを恨んだりはしていませ
ん。ですからいまだに関心があるのですね。

 今、御書を開いて、思いましたが、やはり日蓮さんが遺されたものは、三大
秘法でしょうか。
 本門の本尊と題目と戒壇と。正宗系の解釈では理解できますが、曼荼羅=
本尊でないと、うまく説明できないでしょうか。

 日蓮さんの、本意に近づこうと思えば、最低法華経と御書はよく読まなけ
ればならないと思います。
 私には、仕事を辞めて時間の余裕が出来ないと難しいと思います。

481犀角独歩:2005/11/19(土) 23:10:29

> 其れは正・像・末の例えは大袈裟だから差し引いて、法華経だけでの判断

いえ、そうではなく、大集経(正像末が記される)と法華経は別々の成立であり、そこに書かれていることは整合性はないだろうということです。

482犀角独歩:2005/11/19(土) 23:14:21

> 国立戒壇…幻と悟った時点…??

わたしも30年前に、そして、10年前に確実にそのように思いました。

> 日蓮さんの、本意に近づこう…最低法華経と御書はよく読まなければ

そうですね。

> 仕事を辞めて時間の余裕が出来ないと難しいと思います

必要と思わなければやらなければいいでしょうし、必要があると思えばやればよい。個人の問題でしょう。

483乾闥婆:2005/11/19(土) 23:32:21
>>467
犀角独歩さん。

「富士宗学要集」からの引用、ありがとうございます。少なくとも寛師のころには使われていたということですね。

>日寛は観心とは信心口唱、すなわち、観心の本尊とは信心の本尊とするのは、なかなか卓見であるとは思います。しかし、日蓮遺文に受持即観心がない以上、日蓮のあずかり知らないことではあるのでしょう。

では「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」は寛師の解釈とは無縁となるのでしょうか。「此の五字を受持すれば」とは蓮祖において法華経の身読を意味すると私は考えているのですが、そのような行法が、そのまま「観心」となるとは、蓮祖の真意からは、離れるものとなるのでしょうか。蓮祖においては心を観るとは、己心に仏を観るということであると思うのですが。

>日蓮の時代、比叡山では参禅はすっかり廃れていたということでした
>これが事実であろうと思うのは、日蓮の行学から、まるで参禅が見えないからです。

私も不思議に思っていました。止観は参禅の方法であるのでしょうけれど、天台・伝教からの流れを尊ぶ蓮祖が、なぜ行法としてそれを採用されなかったのか、なぜ唱題行をもって、その代わりとされたのか、よく分からないのです。末法であるとか、易行化であるとか、そういったことが要求された時代であったからなのでしょうか。

484犀角独歩:2005/11/20(日) 08:23:28

乾闥婆さん

> 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足…受持…功徳を譲り与えたもう」は寛師の解釈とは無縁となるのでしょうか。

日寛の解釈は受持即観心、観心の本尊、信心の本尊、受持即信心というような一連の流れがあると観察できます。ここで基をなしているのは‘即’だと思えます。しかし、本尊抄の原文での、日蓮の解釈は、門下一般でも言われることですが、‘自然譲与’にあると思います。これを即、即と解釈しないのは以下の類推によります。

本尊抄の述作は、いうまでもなく、漫荼羅図示のはじめと密接に関わっていると考えられます。この日蓮漫荼羅のテーマは、大書された南無「妙法蓮華經」の五字であることはいうまでもありません。この題目を書いて、日蓮は授与するわけです。では、授与された側はそれをどうするのか。受け持(たも)つのではないでしょうか。

わたしは日蓮がいう妙法蓮華經の五字とは、たとえば、PCに表示される活字の文字や、版木刷られた法華経典や、印刷された遺文集に見られる五字ではないと考えています。つまり、日蓮自ら漫荼羅と認めた五字です。その五字に釈尊因行果徳の二法が具わっている、だから、この漫荼羅を受け持つ人は、その功徳を自然(じねん)に譲与されるというのが、本尊抄を通じて日蓮が言おうとしていることであると、わたしは読みます。ここに主眼があるのではないのかと、わたしには思えるわけです。

ですから、その漫荼羅を受持し、そこから心で観ていく本尊が妙法蓮華經であれ、本仏釈尊であれ、受持の結果と言うことになりますし、それは信心口唱によるわけですから、受持即観心と後世、成句されることはいわば趨勢なのですが、しかし、わたしがあずかり知らないと記したのは「受持即観心」という成句のことで、これを上述の日寛のような論法で整理されることを指していったのです。

> 止観は参禅…採用されなかったのか、なぜ唱題行をもって、その代わり…末法であるとか、易行化…要求された時代

仰る点にはいくつか重要な点が含まれています。いい視点であろうと思います。
まず、参禅ではなく唱題という点は、この発明が称名念仏をモデルにしているからだと思います。

次の易行道についても当然、それは法然に求められるわけで、いったん、日蓮は、この易行道を簡ぶわけですが、却って、その意を介すことを重視しないという展開となっていきます。また、青年期には娑婆修行を訴えた日蓮は、刎頭に絶命の体験を経たのち、霊山浄土観へと傾倒していきます。一般から観れば、極楽浄土と霊山浄土、目指すところは違っても、同じ浄土観ではないかという批判になります。念仏:法華≒称:唱、念仏:法華≒極楽:霊山という対比が看取できるように思えます。この意味において、仰るように時代性と、学問背景の影響が色濃く見られると観察すべきなのだと思います。

485犀角独歩:2005/11/20(日) 08:31:47

もう少し書き足せば、日蓮は龍口の刎頭、極寒の佐渡流罪という臨死体験を通じて、徹底した観心修行を唱題と読書三昧に費やしたのではないでしょうか。そこで己心の仏を観、もっと言えば一念三千を体感した。ここに日蓮は自身の妙法蓮華經を感得した。この‘日蓮の’妙法蓮華經を漫荼羅に図して、授与、受持するという宗教的というか、秘技的な要素が漫荼羅授与にあるのではないのかとわたしには思えます。ですから、その妙法蓮華經の五字は、同じ文字でも日蓮の文字でなければ、日蓮の己心も、信仰も、功徳も収まっていない、日蓮の記した妙法蓮華經(漫荼羅)であるからこそ、自然譲与となるという点が、見落とされていないのかと、わたしは考えています。

486ラスカル:2005/11/20(日) 12:04:16
横割り済みません。って事は宗祖日蓮真筆以外のヴァリエーションは書いては成らない。書かない方が良いと言う事?

487犀角独歩:2005/11/20(日) 15:25:19

> 486

いや、そうではなく、それ以降は、日蓮となり変わって書く、あるいは書写する、しかし、所詮、日蓮には及ぶべくもないことは書・写の当人も自覚してのことでしょう。

488ラスカル:2005/11/20(日) 15:41:03
其れはそうですが、一機一縁、一期一会であからさまに言われると子細につけても大雑把につけても身分差別の位階に通じてしまうので「ヴァリエーョンはつくらない方が良い」のではと書きました。どこかの蔵から梳き返されない真蹟が発見されませんでしょうか。

489彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/20(日) 16:18:14

>462,463 横レス失礼します。

導師御本尊と臨終漫荼羅について
(注:下記文章で“曼荼羅”と“漫荼羅”とが用語不統一です。 “曼荼羅”とあるのは引用資料原文のママであるためです。私は通常“漫荼羅”を使っていますのであえて用語統一をしませんでした。“八大龍王”と“八大龍玉”も同じです。)

臨終漫荼羅とは、「曼荼羅の中に特に「閻魔法皇」「五道冥官」が書き加えられ勧請された曼荼羅」(松村壽巌『日蓮宗儀礼史の研究』(平成13年、平楽寺書店、69頁)です。日蓮宗では「臨終曼荼羅」といい、日蓮正宗(石山)では「導師御本尊」と称しています。臨終葬送の際に使用される漫荼羅です。「八幡大菩薩」と「天照太神」を省き替わりに「閻魔法皇」「五道冥官」が書き加えられ、「臨終曼荼羅」では貫首の名と花押が、「導師御本尊」では日蓮在御判とあります。
松村氏によれば、「最初に「臨終曼荼羅」の世上に現われた時期についてみると、その上限は今のところ天正二十年(一五九二)京都本国寺(引用者注:“本圀寺”ですが原文のママ)第十六世究竟院日蘅を初見」(『日蓮宗儀礼史の研究』(86頁)とされています。『地涌からの通信 別巻②歴史編』(1993年、はまの出版、177頁)はこの見解を引用しています。
しかしながら、『大田区史 資料編 寺社2』(昭和58年、東京都大田区、1303頁)に山梨県甲府市の法華寺蔵天文廿一(1552)年十月十五日の日現師図顕による漫荼羅を紹介していまして、この漫荼羅には「閻魔法皇」「五道冥官」が勧請され、“逆修”(死後の往生菩提に資するために、生前にみずからの手で供養をおこなうということ(『日蓮宗儀礼史の研究』87頁))とありますので松村氏のいう「臨終曼荼羅」の定義に合致しますから「臨終曼荼羅」の出現は松村氏の見解よりもう少し時代が上がることになります。松村氏は「閻魔法皇」「五道冥官」が勧請されているだけでは「臨終曼荼羅」と断定できず、「逆修のため曼荼羅を授けていること」(87頁)としています。
『地涌からの通信 別巻②歴史編』(178頁)では、「それでは、いつ日蓮正宗に「閻魔法皇」「五道冥官」を配したニセ本尊が入り込んできたのだろうか。あくまでこれは推測にすぎないが、桃山期、第十五世日昌上人の登座(一五九六年)から江戸中初期、第二十三世日啓上人退座(一六九二年)までの要法寺系九代の法主の間において、用いられるようになった可能性が大である。 (中略) 総本山大石寺第十五世日昌上人(一五九六年登座〜一六二二年寂)の時代は、京都本満寺の日重が盛んに、臨終曼荼羅を顕していた頃である。(現存する臨終曼荼羅で日重のものは最多で六体が確認されており、その六体は一六〇〇年から一六二二年の間に書かれている)。日重から直接ではないにしても、京都ではびこったであろう臨終曼荼羅の影響が、京都要法寺出身の〝法主〟により大石寺にもたらされたとするのは、格別無理な推論ではないだろう。」と主張しています。

490彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/20(日) 16:18:59

489の続きです。

この『地涌からの通信 別巻②歴史編』の推論はあたっているかもしれません。なぜなら、『妙光寺百年史』に第二十三世日啓師の導師御本尊の記載があるからです。
『妙光寺百年史』(平成8年、妙光寺、88頁)の「一 御本尊脇書等 (一)妙光寺所蔵 1御歴代御筆御本尊脇書」に、
「(11)二十三世 日啓上人 即身成仏之印文也 元禄四辛未年三月廿八日 授与之
(導師御本尊)(寄付主 常在寺古川廣禎師)」
とあって、元禄四(1691)年の導師御本尊を妙光寺が所蔵していることを開示しています。
また日寛上人も導師御本尊を書写しています。『創価学会員への折伏教本』(平成16年、日蓮正宗宗務院、315頁)によれば、「創価学会では「第二十六世日寛上人こそ正統な法主である」と讃えていますが、その日寛上人も導師御本尊を書写されているのですから、こうした創価学会の主張は、日寛上人にも背く邪義なのです」とあり、詳細は解かりませんが日寛上人が導師御本尊を書写されたことは確認できます。
『地涌からの通信 別巻②歴史編』(181頁:原文は平成4(1992)年2月2日の『地涌』第374号)では、「ニセ曼荼羅である導師本尊に認められている「五道冥官」は、日蓮大聖人の御書には一ヵ所も出てこない。 導師本尊に「五道冥官」が書き込まれていることを理由に、ニセ曼荼羅と断定する本紙『地涌』の史的に反論するために、日顕宗の教学関係者は「五道冥官」あるいは「冥官」の言葉を、日蓮大聖人の御聖訓の中に探そうとしている。 だが、その試みは徒労に終わるだけである。「五道冥官」「冥官」という言葉は、日蓮大聖人の御書の中にはない。あるのは「五道」という言葉だが、それも「六道」と併記されている事例のみである。「閻魔法皇」も「五道冥官」も一切、日蓮大聖人の御書中に見いだすことはできない。(中略)なお、日蓮大聖人の御書には「閻魔」「閻魔法王」あるいは「地獄」などの名称が登場するが、御本仏日蓮大聖人が「閻魔」「閻魔法王」あるいは「地獄」を記されるときは、信徒に対し、生きているときに信仰に励むことを諭されてのことである。」と主張しています。

http://www.houonsha.co.jp/jiyu/11/374.html

これに対して『大白法 平成14年3月1日号』の「御法主日顕上人猊下御説法『聖愚問答抄』(専唱寺復興新築落慶法要の砌)で日蓮正宗の日顕管長は、「次の「閻魔法王」については深い意味があるのです。御先師の御本尊のなかにも御相承の上から閻魔法王をお書きになっており形もあるのであります。これをよく弁(わきま)えないで、創価学会が最近になって「閻魔法王と書いてあるのは諦法だ」などと莫迦なことを言い出しているようです。そんなことを言う輩には「ではおまえさん方の戴(たい)するところの初代会長の牧口常三郎さんも、第2代の戸田城聖さんも、みんな日蓮正宗の僧侶の導師によって、その御本尊にお経を唱えて成仏したのではないか。それを今になって諦法の曼荼羅とは、何を言っているのだ」と言ってやればよいのです。要するに、何もわけが判らないで、悪口だけ言っておればよいと思っている。しかし大聖人様はこの御書で「閻魔法王」ときちんとお書きになっているではありませんか」と説法しています。

491彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/20(日) 16:19:52

490の続きです。

『地涌からの通信 別巻②歴史編』(181頁)では、「「閻魔法皇」も「五道冥官」も一切、日蓮大聖人の御書中に見いだすことはできない」と大見得をきったのですが、日顕管長のおっしゃるとおり「閻魔法王」(=「閻魔法皇」とします)は創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集』(昭和47年67刷(初版昭和27年、創価学会)の498頁にも出ているのです。
しかし、この『聖愚問答抄』は御真蹟の存在しない録外御書ですから真偽未決御書と考えます。よってこの御書にあるからといって御真蹟完存御書少なくとも上代諸師写本現存の御書の中にはないので“大聖人様はこの御書で「閻魔法王」ときちんとお書きになっている”とは言いきれないでしょう。もし『聖愚問答抄』が後世のものなら「閻魔法王」とあっても蓮祖が御書にお書きになっているとは言えないからです。
また少なくとも「五道冥官」は日蓮大聖人の御書中に見いだすことはできないと思います。

山中講一郎氏によれば、日寛上人の導師御本尊は大石寺の石之坊に現存するそうです。(「日寛上人書写の導師本尊について」(2000年3月18日インターネット資料:http://www.ginpa.com/column/20000328.html

『富士年表』(昭和56年、富士学林、279頁)によれば日寛師は亨保9(1724)年に大石寺塔中石之坊を創していますのでそのころの書写でしょうか。
山中講一郎氏は「日寛上人書写の導師本尊について」で、「導師本尊の書写は日寛上人の本意ではなかった」としていますが、これはちょっといただけないと思います。導師御本尊をニセ本尊とするなら、それを書写した法主は寛師であれ、達師であれ、顕師であれ、少なくともその件は誤りであるという立場にたつべきです。そうでないなら、石山の主張である「宗門草創のときには顕れなかった教義や、化儀が時代とともに体系化され、時の御法主上人によって宗祖大聖人の教えを正しく敷衍する形で、顕発・化導されることは、宗門の歴史のうえで、在って当然のことです。したがって、「大聖人・日興上人の時代にはなかった」「御書にも載っていない」との理由で、宗門伝統の教義や化儀を否定することは大きな誤りです」(『創価学会員への折伏教本』314頁)との立場であるといわれてもしかたがないでしょう。
何でもありの石山ですから、「大聖人・日興上人の時代にはなかった」「御書にも載っていない」導師御本尊が時代とともに体系化されたと主張するのでしょう。宗門草創のときには顕れなかった教義をどうすると宗祖大聖人の教えを正しく敷衍する形になるのか理解に苦しむところですが、なぜ現在においても導師御本尊が必要であるとするのか全く説明がないからです。伝統という名のもとに何等精査せずただ漫然と惰性の如く昔ながらのやり方を履修しているだけなのでしょうか?上述のとおり導師御本尊を精査したなら疑問をもつのはむしろ自然でしょう。“ (株)日蓮正宗”としては利益率の高いビジネスツールである導師御本尊を営業上捨てるわけにはいかない、という程度のいなおった説明のほうがむしろすっきりすると思っているのは私だけでしょうか。

492彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/20(日) 16:20:34

491の続きです。

『地涌からの通信 別巻②歴史編』(179頁:原文は平成4(1992)年2月1日の『地涌』第373号)で公開されている本満寺日重が元和7(1621)年に顕した「臨終曼荼羅」などの座配図をみますと、その相貌には疑問点があります。それは「八大龍玉」が配座していることです。

http://www.houonsha.co.jp/jiyu/zuhan/373_1.html

そもそも「八大龍玉」について柳澤宏道師は「石山本尊の研究」(平成9年、はちす文庫、150頁)で、
「日目師書写本尊 本書二一番は勧請なし
日寛師書写本尊 本書二二・二三・二四番は「八大龍王」
日元師書写本尊 本書二五番は「八大龍王」
日量師書写本尊 本書二六番は「大龍王」
日英師書写本尊 本書二七番は「八大龍王」
日霑師書写本尊 本書二六番は「大龍王」
 (中略)
日寛・日元・日英の各師は「八大龍王」と書写しているが、原本である板マンダラには「大龍王」とあるのに何ゆえ「八大龍王」と書写したのであろうか。
殊に二二番日寛師と、二五番日元師のものには、書写年月日の後に「龍集」と書かれているが、これもまた奇異である。ちなみに聖祖の本尊に「八大龍王」とあるのは建治元年十一月の身延曾存のものと、弘安五年五月十五日の現在所蔵不明の二幅のみであり、座配も極めて特殊である」
と指摘しています。ここでいう二二番は亨保3(1718)年の御形木御本尊で「創価学会草創期に日蓮正宗入信者に授与されたもの」(80頁)で、二三番は亨保5(1720)年の栃木 浄圓寺蔵御本尊の御形木御本尊で「創価学会が独自に会員に授与している御本尊」(82頁)です。これらはもちろん導師御本尊ではありません。また“弘安五年五月十五日の現在所蔵不明”の御本尊がどれを指すのか不明ですが、弘安四年五月十五日の「大日本國衛護の本尊」(山川智應『本門本尊論』昭和48年、浄妙全集刊行会、235頁)に「八大龍王」の座配がありますので、多分これのことでしょう。「大日本國衛護の本尊」は『御本尊集目録』に入集した御本尊ではなく、見るからに偽筆の疑いがある御本尊です。つまり確実な蓮祖御真筆御本尊には「八大龍玉」の座配のあるものはないのです。
「石山本尊の研究」では第四世日道師から第二十五世日宥師までの御本尊が入集していないので正確なことは解かりませんが、「八大龍王」とあるのは第二十六世日寛師から第五十一世の間ということになります。途中、第四十八世日量師のように「大龍王」とされている先師もいますが、そもそも興師の御本尊では「八大龍王」とある御本尊はありませんから、「大龍王」とあるほうが自然で、第五十二世日霑師以後は「大龍王」となっています。『地涌からの通信 別巻②歴史編』(180頁:原文は平成4(1992)年2月2日の『地涌』第374号)にて公開されている日顕師の導師御本尊でも「大龍王」となっています。

http://www.houonsha.co.jp/jiyu/zuhan/374.html

493彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/20(日) 16:21:13

492の続きです。

これは何を意味するのでしょうか?
すでに記しましたが通常の御本尊と導師御本尊の違いは「八幡大菩薩」・「天照太神」とあるか、「閻魔法皇」・「五道冥官」とあるかの違いです。つまり同じ原本でも「八幡大菩薩」・「天照太神」と書写すれば通常の御本尊であり、「閻魔法皇」・「五道冥官」と書写すれば導師御本尊なのです。そして「八大龍王」とある御本尊は、「臨終曼荼羅」に特徴的なのです。恐らくは日寛師が書写した先師の御本尊に「八大龍王」が座配していたのでしょう。その先師は京都要法寺からきた法主で当時京都にて流行していた「臨終曼荼羅」の影響を受けた「八大龍王」とある御本尊を書写していたという考えが成り立ちます。第二十三世日啓師の導師御本尊があることから、その先師は京都要法寺からきた法主というのは確実でしょう。

日霑師以後は「大龍王」となるのも興味深いです。以前、元治2(1865)年の大火で大石寺が焼亡し、戒壇本尊も焼失してしまったという考えを披露しました。「露上御自伝」によれば、「二月廿八日ノ夜半大坊ノ下男部屋ヨリ出火シ構内一宇モ残ラズ焼亡スト 是ヲ聴キ大愕非動シ遽ニ東行ヲ止メ直チニ帰山ヲ計ル」(『地湧からの通信 別巻②歴史編』27頁)とあり大惨事であったようです。“構内一宇も残らず焼亡す”とのことですから、戒壇本尊も焼失してしまった可能性が高く日霑師の時代に戒壇本尊が再建され、以後は通常の御本尊も導師御本尊も再建された戒壇本尊が書写の元になっていると考えると「大龍王」となっている件のツジツマは合います。

by 彰往考来

494彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/20(日) 16:32:01

>491 誤記訂正

誤:2000年3月18日インターネット資料
正:2000年3月28日インターネット資料

495犀角独歩:2005/11/20(日) 19:17:53

> 488…> 一機一縁、一期一会…身分差別の位階

これはまるで違うでしょう。
わたしは漫荼羅は免許のようなものではないかと言ったのは、つまり、いまの運転免許証に、それぞれ個人の名前が書いてあったからと言って、それが差別にならないようなものです。

日蓮が本弟子6人を定めて、他ので師と区別したところで身分差別にもならないでしょう。それと同じことです。

496犀角独歩:2005/11/20(日) 19:19:23

【495の訂正】

誤)他ので師
正)他の弟子

497犀角独歩:2005/11/20(日) 19:24:08

彰往考来さん、詳細のご教示有り難うございました。

たしかパンナコッタさんでしたか、骨壺に入れる漫荼羅があるというご投稿がありましたね。ちょっと、混乱しているのですが、この漫荼羅は、なんと呼ばれているのでしたっけ?

ところで、彫刻本尊は「八大龍王」で確定でしょうか?

498パンナコッタ:2005/11/20(日) 23:24:07
独歩さん、
それは自分ではないですよ。 
ただ、未来本尊のことでしょうか。

499ラスカル:2005/11/20(日) 23:35:22
■舌足らずな書き込みでごめんなさい。「で〔〕あからさまに」⇒「で〔下賜されたのに〕あからさまに」と、在世なら派閥抗争にならないかもしれませんが、後の世を見ると差別社会に浸かりますよね。士農工商も年貢の取り立て以外はそんなのでも無かったとか聞きましたけど。■私の家の御本尊を見てみました。亨保五年、八大龍王、八幡大神、天照太神等になってます。それで字が崩し字過ぎて一文字だけ判らない字があるんです。2段目向かって右・大□天王、第六天魔王、大日天王と書いてあるのですが竃or竜みたいで解らないのですけど、何方かわかる方いるでしょうか。

500犀角独歩:2005/11/20(日) 23:35:45

パンナコッタさん、有り難うございます。
仰るとおりるそれでです。しかし、記憶違いでしたか、失礼しました。

501犀角独歩:2005/11/20(日) 23:42:49

> 後の世を見ると差別社会に浸かります

これは、言えますね。

> 大□天王

誰の本尊かがわかれば、もう少し特定しやすいでしょうが、位置からすると「大梵天玉」ではないでしょうか。

502パンナコッタ:2005/11/21(月) 00:23:04
ラスカルさん、
享保五年なら寛師の物だと思うのですが、”大梵天王”の崩し字だと思いますが。

503乾闥婆:2005/11/21(月) 02:55:40
>>484-485
犀角独歩さん。

>本尊抄の述作は、いうまでもなく、漫荼羅図示のはじめと密接に関わっていると考えられます。この日蓮漫荼羅のテーマは、大書された南無「妙法蓮華經」の五字であることはいうまでもありません。この題目を書いて、日蓮は授与するわけです。では、授与された側はそれをどうするのか。受け持(たも)つのではないでしょうか。

>つまり、日蓮自ら漫荼羅と認めた五字です。その五字に釈尊因行果徳の二法が具わっている、だから、この漫荼羅を受け持つ人は、その功徳を自然(じねん)に譲与されるというのが、本尊抄を通じて日蓮が言おうとしていることであると、わたしは読みます。

>その妙法蓮華經の五字は、同じ文字でも日蓮の文字でなければ、日蓮の己心も、信仰も、功徳も収まっていない、日蓮の記した妙法蓮華經(漫荼羅)であるからこそ、自然譲与となるという点が、見落とされていないのかと、わたしは考えています。

受持とは蓮祖図顕の曼荼羅受持ですか。もう一度よく勧心本尊抄を読んでみます。しかしそうなるとやはり自身の死後のことを蓮祖はどう考えていたのでしょうか。曼荼羅を自身が図顕できなくなった後、後世の人たちは「此の五字を受持す」ることはできなくなってしまうとは考えなかったのでしょうか。

504乾闥婆:2005/11/21(月) 02:56:15
>>499
ラスカルさん。

それは現在の創価学会の曼荼羅ですか。それなら私のものと同じです。皆さんの指摘どおり左側が帝釈天王で右側が大梵天王だと思います。

505犀角独歩:2005/11/21(月) 03:34:41

乾闥婆さん

> 死後のことを蓮祖はどう考えていたのでしょうか

そのために本弟子6人を定めていったのではないでしょうか。
もっとも、漫荼羅図示の在り方を伝えたか?という点では、疑問が残りますが。

506ラスカル:2005/11/21(月) 06:44:45
犀角独歩さん、パンナコッタさん、乾闥婆さんありがとうございます。考えてみれば「大梵天王」しかありませんよね。崩し字過ぎて判りませんでした。聞いて気が楽になりました。後はいろいろな曼陀羅を見に行きたいと思いました。

507彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/21(月) 07:18:59

犀角独歩さん
>497 彫刻本尊は「八大龍王」で確定でしょうか?

過去のものは解りませんが、熊田氏の『日蓮上人』で公開された戒壇本尊写真のものは、「大龍玉」です。

508れん:2005/11/21(月) 08:07:13
横レス失礼します。
完則図の「富士大石寺戒壇之本尊」では「大龍王」で、當家諸門流繼図之事における日憲師の「大石寺板本尊之事」の記述では大龍玉は在座していないようです。
日憲師の記述で気になるのは、日憲師が石山参詣の時観た「大石寺板本尊」に章安が在座していることで、蓮祖図顕曼陀羅で章安が在座しているのは、現存分では弘安元年八月日の二幅、曽存では千葉県法華経寺の建治元年十二月日のもの(日等師模本)の以上三幅で、いずれも龍樹・天親・天台・章安・妙楽・伝教の六師勧請で特徴的です。
これは私の憶測ですが日憲師が拝観した「大石寺板本尊」に章安が勧請されていることから、その日憲師拝観の「大石寺板本尊」の原本に関しては六師勧請の曼陀羅だった可能性があると思いました。

509犀角独歩:2005/11/21(月) 18:16:37

彰往考来さん
れんさん

有り難うございます。

一つお考えをお聞かせ願いたいのですが、日憲『當家諸門流繼図之事』で「天八」と天照大神と八幡大菩薩を一括りにしておりますが、これは実際のところどうなのでしょうか。万年救護本尊のように一つになっているのか、別勧請になっているのか、どちらであるとお考えになりますか。また、その根拠も併せてご教示いただければ有り難く存じます。

510犀角独歩:2005/11/21(月) 18:22:19

ラスカルさん

> 後はいろいろな曼陀羅を見に行きたい

現物を拝観するのであれば、御虫払、御風通といった御開帳のある法要。現物までといかないまでも取り敢えず写真でというのであれば、パンナコッタさんがご紹介してくださった海外サイト。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html

写真集でも、ということであれば、立正大学(五反田)情報センターは身分証を提示すれば、入館できます。
『御本尊集』、『御本尊集目録』(立正安国会)、『日蓮聖人真蹟の世界』(雄山閣)を閲覧すれば見られます。

511れん:2005/11/21(月) 20:50:13
犀角独歩さん
>509
日憲師記述の中の“天八”ですが、當家諸門流繼圖之事の原本を見ないと正確な読み・文意は掴めませんが、「十羅、天八、佛…」の天八は「天、八、」とすべきところ、活字におこして編集の時に「天八」と括られた可能性もあると思うので、日憲師拝観の板本尊の天照・八幡が万年救護本尊の如き表記になっていた可能性はやや少ないと思います。少なくとも、日憲師の記述によるかぎり、板本尊の最上段の勧請が「釈迦多宝本化ノ四菩薩」と弘安式ですので、日憲師の拝観した板本尊の原本が蓮師御真蹟だったならば、天照・八幡は万年救護本尊の如く一行書きではなく通途の如き表記であったろうと考えております。

512彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/22(火) 06:17:58

>508,509 れんさん、犀角独歩さん

れんさんのご指摘である日憲師の記述による戒壇本尊の配座で章安が在座しているという特徴ですが、ご存知とは思いますが章安の在座は興師書写御本尊では一般的です。
『日興上人御本尊集』中の相貌が明らかな154幅中で六師勧請(天台、伝教、妙楽、龍樹、章安、天親が在座する)であるかどうかを分析すると
四師以下(章安を欠く)・・・・ 28幅
六師勧請       ・・・・ 124幅
五師勧請(章安を欠く)・・・・ 1幅
五師勧請(妙楽を欠く)・・・・ 1幅
    合計 154幅
となっていて、実に80%(5幅に1幅)は六師勧請なのです。
つまり日興上人の御本尊では六師勧請が一般的なのです。しかしながら、れんさんが御指摘のとおり『御本尊集』の蓮祖御本尊で章安が現れるのは弘安元年八月の第53番本尊と第54番本尊だけなのです。六師勧請の御本尊は章安とともに天親菩薩の在座が特徴です。
六師勧請の観点から日憲師の記述をみてみましょう。
蓮祖の第53番本尊と第54番本尊では向って左に天台、章安、妙楽、伝教の四師が、向って右に龍樹、天親の二師が在座しています。
それに対して興師の御本尊では、六師勧請の場合はすべて、向って左に天台、章安、伝教の三師が在座していて、向って右に妙楽、龍樹、天親の三師が在座している場合と妙楽が左(四師)に龍樹、天親の二師が右に在座する場合の2種類に分類されます。
日憲師の記述では天、章、伝とあり、向って左の在座のようです。そうすると右に妙楽、龍樹、天親が在座しているはずなのですが日憲師の記述では見あたりません。日憲師の書き落としの可能性があると考えます。向って左に天台、章安、伝教の三師だけが在座していて妙楽、龍樹、天親の三師を欠く御本尊は蓮祖、興師ともありません。
日憲師の記述では、第六天魔王と阿修羅王を欠きますがこれも書き落としではないかと推測します。六師勧請の場合は蓮祖、興師とも第六天魔王を欠く御本尊が存在しないからです。但し、日憲師の記述で “阿闍”とあるのがあるいは阿修羅王と阿闍世王を現しているとも考えられます。日憲師の記述では対になった諸尊の場合、大日月、天八というふうに続けて書かれているからです。天照太神と八幡大菩薩の場合は、蓮祖も第16番本尊(万年救護御本尊)のように続けて書かれる場合がありますが、このような書き方は建治元年12月の第30番本尊をもって最後となり、以後は別々に書かれています。興師の御本尊も別々です。日憲師の記述から弘安期の御本尊の特徴を有していることは確実ですから、天照太神と八幡大菩薩は日憲師の記述された御本尊でも別々に在座していたと考えます。
日憲師の記述で、もうひとつの特徴は提婆達多の存在です。蓮祖御本尊の第53番本尊と第54番本尊は、提婆達多を欠きます。蓮祖御本尊のうち弘安期の御本尊では提婆達多は弘安二年二月以後に現れるからです。従って六師勧請の御本尊で提婆達多の在座は興師御本尊の特徴なのです。六師勧請の興師御本尊では提婆達多は在座している場合としていない場合があります。
また日憲師の記述では、日蓮御判とあります。これも興師御本尊にある書き方ですが、これは日憲師が“御判”と書くことにより“花押”を表現したと考えるべきでしょう。
以上のことから、私は日憲師が拝した大石寺の弘安二年十月十二日とある板御本尊の原本は興師御本尊(紙幅)であったと考えています。但し疑問もあります。日憲師の記述では大龍王を欠きますが、六師勧請の興師御本尊の場合、大龍王を欠くときは必ず提婆達多も欠いています。日憲師の記述では大龍王を欠くのですが、提婆達多が在座していることです。六師勧請ではない興師御本尊の場合に大龍王を欠き提婆達多が在座する例はあるので、あるいはこのような相貌の六師勧請の興師御本尊があったのかもしれません。

by 彰往考来

513犀角独歩:2005/11/22(火) 11:41:47

れんさん、有り難うございます。

彰往考来さん、一つ質問させてください。
日憲が見た「戒壇本尊」の原本が日興書写本尊を基にしたとすると、当時、石山は、該当する原本を所持していたということでしょうか。また、該当する日興本尊は、ある程度、特定できるものでしょうか。

514彰往考来(しょうおうこうらい):2005/11/23(水) 12:26:06

>512

とんでもない誤記をしていました。お詫び申し上げるとともに謹んで訂正いたします。

誤:実に80%(5幅に1幅)は六師勧請
正:実に80%(5幅に4幅)は六師勧請

彰往考来   拝

PS:513の犀角独歩さんのご質問には、追って回答したします。

515ラスカル:2005/11/23(水) 18:54:48
犀角独歩さん、ありがとうございます。改めて皆さんの寄せて下さった知識・情報を合わせて日蓮仏法とは何なのか考えてみたいと思います。

516犀角独歩:2005/11/23(水) 19:39:04

ラスカルさん

何かご参考になったところがあれば幸いです。
先は長いです。また、日蓮の外には、仏法の天地が広がっています。
いつか、その扉を開けてみてください。

517れん:2005/12/13(火) 19:58:53
彰徃考来さん
>512
彰徃考来さんの512のご投稿を拝して、日憲師が見た大石寺の“戒壇本尊”の原本は興師筆曼陀羅であった可能性はあると私も思いました。この場合の原本は、仙台佛眼寺の飛び曼陀羅の如く、興師筆曼陀羅(の模写?)に手を加えて蓮師の花押を書き入れ、それに憲師の記述の如き脇書を加えた…ものとなりましょうか。
要法寺の碩学であった富谷日震師は、たしか、その著「日興上人」において、興師代筆の蓮師曼陀羅といわれるものが静岡県感応寺に所蔵されていると記されていましたが、それが身延曽存の伝四条金吾代筆の曼陀羅の如きものか、仙台佛眼寺の飛び曼陀羅の程度のものか、現存するかどうかも存じませんが、一応、日憲師が見た石山彫刻本尊の成立を考える上で、石山ではありませんが、他山にもこのような伝来品の記録もあることも考え合わせて、彰徃考来さんの512においてのご見解に、その可能性ありと私も思いました。
>513 石山蔵の興師曼陀羅は、日興上人御本尊集や堀日亨師が雪山書房版富士宗学要集史料類聚別巻において公開された数幅の写真以外は現在でも未公開ですから、残念ながら現時点において特定は不可能ではないかと思います。しかしながら彰徃考来さんは何らかの史料をお持ちかもしれませんので、後々のご教示をお待ち申し上げるものです。

518れん:2006/01/08(日) 23:00:02
初期興門の文献『本門心底抄』に大聖云く…又云くとして、以下の文があります。
「妙とは言語道断・心行所滅の妙空・妙心・妙智なり、法とは十界十如・因果不二の法仮・法色・法境なり、蓮華とは当体・辟+言喩の二義なり、経とは聖教の都名なり、当に知るべし・妙は空・法は仮なる当体を中道実相の蓮華経と証し、十界三諦の顕本を広宣流布の曼陀羅と号するなり」
この文章の原型がどの位遡れるか、文献学的には不明ですか、文中の「十界三諦の顕本」については、同じく初期興門文献の『尊師実録』の異本にあるという御示聞書に
「本門の三法妙とは、仏法妙を以て能開とす、衆生心法を所開とす、故に迹門の三法妙を即顕本すれば成レ本、顕本とは三身無始の顕本是也、三身とは我等が己身の仏性顕本なり、惣じて我等己身の十界久遠の顕本是也、一観心の三法妙は己心の妙を能開とす、無始久遠の釈尊と無始の衆生を所開と為る間、十界倶に久遠と云ふ也、此に知ぬ寿量品の教主釈尊の顕本、即十界久遠の顕本也」とあるのが、一応同時代成立の文献の中で些か参考になりましょうか。
上記の文献からみますと、本仏寿量品教主釈尊の「妙は空・法は仮なる当体を中道実相の蓮華経と証し、十界三諦の顕本」=広宣流布の曼陀羅(この“広宣流布の曼陀羅”との表現は後の七箇相承の流通分の大曼陀羅という表現に一脈通じるものがあり興味深いです)とも読め、初期興門における、本尊である本門(寿量品)教主釈尊と蓮師が図顕した曼陀羅との関係の一端の法義を表しているかとも言えますでしょうか。
まぁ、正月惚けがてら、少々つぶやいてみました。(;^_^A

519犀角独歩:2006/03/18(土) 21:31:52

顕正居士さん

『日蓮聖人と真言密教』に、密教考証に関し、75に整理されたご教示有り難うございました。

同74に関して、こちらのほうで、ややご賢察を賜りたく存じます。

日蓮が言う本尊を考えるとき、これは当然、本門本尊・本門戒壇・本門題目(妙法蓮華経の五字)という三大法門となろうかと存じます。
本尊・題目に関しては『本尊抄』に論じられるわけですが、題目に関しては、ここにおいて妙法蓮華経は一念三千珠を裏んだ上行所伝という点が言われます。一方、本尊は、爾前二種の科を破り法華本門から本尊を立て、四菩薩との関連から仏像を論じています。

この道筋から言うと、この題目と本尊は、元来、別立てのものであり、故に本門の本尊と題目をそれぞれに陳べたと考えることはできないのでしょうか。具体的には本尊として一尊四士、題目として漫荼羅という違いです。

わたしは個人的には、漫荼羅と仏像を平面と立体の差異と見る日順説は疑問が残ります。また、もし平面と見るのであれば、一尊四示をもって宛てるより、一塔両尊四士でなければ、相応しないと思えるからです。しかし、一尊四士という仏像様式は『本尊抄』から類推できますが、一塔両尊四士という仏像奉安の発想は日蓮の遺文からは窺えず、一尊四士に留まるかと思えます。この様から考えるとき、日蓮自身には本門本尊を一尊四士、本門題目を漫荼羅とし、別のものと考えていたと類推するのです。これは、もちろん、あくまで、派祖の展開ではなく、開祖日蓮の段階での考えと言うことです。

一方、五百塵点成道釈尊を本尊とすると考えたいところなのですが、所謂四十五字法体段と称される記述の問題が残ります。また、関連するのでしょうか、三身所顕無始古仏のこと、この二点から考えても、図示の漫荼羅、もしくは一尊四士本尊というのは、その論理的構築を崩さないと考えられますか。

以上、二点、ご教示賜れば有り難く存じます。

520顕正居士:2006/03/19(日) 00:23:14
其本尊爲體本師娑婆上寶塔居空。塔中妙法蓮華經左右。釋迦牟尼佛。多寶佛。釋尊脇士
上行等四菩薩。文殊彌勒等四菩薩眷屬居末座。迹化他方大小諸菩薩。萬民處大地如見
雲閣月卿。十方諸佛處大地上。表迹佛迹土故也。如是本尊在世五十餘年無之。八年之間
但限八品。正像二千年之間。小乘釋尊迦葉阿難爲脇士。權大乘竝涅槃法華經迹門等釋尊
以文殊普賢等爲脇士。此等佛造畫正像。未有壽量佛。來入末法始此佛像可令出現歟。

「此佛像」は明らかに十界曼荼羅を述べています。「小乘釋尊」以下は、法華曼荼羅を画き、
一部を仏像として造っても、本化の四菩薩は画かれず造られなかったことをいうのであって、
一尊四士が「此佛像」ではない。では文字の十界曼荼羅が直ちに「此佛像」かというと、そう
ではなく、画像、木像として画き、造るという意味で、つまり文字の曼荼羅は設計図である。
そのような大造像が幾回もできるはずがないから、本門戒壇堂のことと日順は解釈したので、
これは原殿御返事の趣意に一致すると考えます。

本尊は「境」であり、題目は「智」であります。法華経の題目を本尊とせよというのは、もっとも
簡略するなら塔中の妙法蓮華經になります。ただし法華曼荼羅は前代からあるのですから、
本化の四菩薩を造るべきではある。けれども一尊四士には塔中の妙法蓮華經がないから、
一塔両尊四士のほうが本尊抄の文、又それを具体に表現した妙法曼荼羅の趣旨にかなうと
おもいます。

521顕正居士:2006/03/19(日) 02:53:05
「本尊」という語は密教に由来し、或る修法を行ずる際、或る尊を本尊とする。例えば求聞持法
には虚空蔵を本尊とする。修法は真言(マントラ、梵語の呪文)を主に唱える。「三大秘法」とは
日蓮密教の修法である。本尊は十界皆成の曼荼羅であり、真言は妙法五字である。
本尊とは境智冥合、入我我入の対境であるが、流用し根本尊崇の対象、すなわち教主の意味
に用いることがある。仏教の宗であれば、教の本尊は釈尊である。ただし、天台宗においては
久成の釈尊である、始成の釈尊ではない。久成の釈尊とは毘盧遮那仏あるいは無量寿仏の
ことである。宗の本尊は天台大師の本地である。最澄の表現では、
「毘盧遮那如来ニ帰命シタテマツル、亦釈迦ト名ク、像法転ズル時ニハ衆生ヲ利益シ、
薬師瑠璃光仏ト称号ス、亦西方ニ住シ有情ヲ饒益シタマフ」(根本中堂本尊事)
「法界ニ周遍シタフ大日如来・妙法教主、亦釈迦ト名ク、大悲余リ有リ、亦西方安楽世界ニ住シ、
阿弥陀ト名ク、像法転ズル時ニハ大方便ヲ以テ薬師瑠璃光仏ト称号ス、三世利益同体ノ慈悲ナリ」
(三仏礼誦文)
参考
「天台大師も本地薬王菩薩なり、能説に約する時は釈迦なり衆生の重病を消除する方は薬王
薬師如来なり又利物の方にて薬王と云う自悟の方にては薬師と云う、此の薬王薬師出世の時
は天台大師なり薬王も滅後に弘通し薬師如来も像法暫時の利益有情なり、時を以て身体を顕し
名を以て義を顕す事を仏顕し給うなり」(御義口伝)

522犀角独歩:2006/03/19(日) 12:13:03

顕正居士さん

520、521にご教示、有り難うございました。

「漫荼羅設計図説」と仮に名付けさせていただくこととしますが、こうなりますと、現存130幅に及ぶ、それぞれの弟子に授与した漫荼羅は、みな設計図であったということでしょうか。

また、仮にこのような壮大な立体像群を造ったとき、仏菩薩諸尊の形貌は仏師が巧みを凝らせばよいと思いますが、塔中の妙法蓮華經ばかりは、日蓮筆でなければ画竜点睛を欠く思いがあります。この文字は漫荼羅となりましょうか。

以前、この文「塔中妙法蓮華經」に就き、宝塔内の妙法蓮華經は法華経典ではないかと、わたしが提案したところ、問答名人さんは妙法五字であると意見が分かれた経緯があります。法華経典元来の全体の趣旨には経典崇拝(聖典崇拝)という文化背景をわたしは感じる故にこのような提案をなしたのですが、しかし、『本尊抄』の趣旨からすれば、日蓮においては上行初伝の妙法蓮華經五字が趣意があるわけで、そのように見なさないと末法の始め500年に始まる先代に異なる本尊義とならないことになります。

その意味で問答さんのお考えは至当であることになります。また、今回は、日順説を宜しくご説明くださったご教示に接し、説得力は感じるところですが、もし本門戒壇堂仏像群の設計図であれば、一幅あれば事足りること、また、首題は乎やり、日蓮筆であるべきことと、わたしには思えながら、複数の漫荼羅が現存し、かつ、妙法五字のみの染筆がのこらないという点は、どのようなご説明となるのか、重ねてご教示を頂戴できれば有り難く存じます。

523顕正居士:2006/03/19(日) 19:44:24
「本尊」は一般的にはむしろ修法者の当身の本尊のことだから、携帯可能な規模であって、
日蓮授与の曼荼羅はふつうの意味の本尊です。ただし日蓮のいう「事」とは「事造」などの
意味ではなく、具象の意味であろう。また三大秘法は個人の即身成仏だけでなく鎮護国家を
目指すのだから、東大寺大仏とか東寺講堂の造営に匹敵するようなビジョンがあるべきで、
「來入末法始此佛像可令出現歟」はそういう趣意におもえる。いわゆる「事檀」です。

日蓮の宗教はいわゆる「対抗宗教改革」で目標は王朝仏教への復古であるが、手段として
改革派と同様の形態を採ったのだとおもう。だから伽藍仏教、祈祷仏教への志向は相当に
強かったのではないだろうか。維新により「王朝」のほうは復古したので、「事檀」思想が
蘇った。しかしもう王朝仏教への復古というようなビジョンは全然なくなっていました。
なお首題は宝塔を文字で表現したのだから、具体に二仏並座の宝塔を画く、あるいは造る
のが自然で、題目塔はどうも変に感じます。

524犀角独歩:2006/03/19(日) 23:45:55

顕正居士さん

重ねてご教示有り難うございます。

> 首題は宝塔を文字で表現

録外ではありますが『阿仏房御書』に「宝塔又南無妙法蓮華経也。今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此五大は題目の五字也。然者阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房。此より外の才覚無益なり。聞信戒定進捨慙の七宝を以てかざりたる宝塔」とありますので、ここに照らせば、仰るところは了諾はできます。
たしかに妙法蓮華経が宝塔であれば、一念三千の珠を裏むという点は頷けます。

真跡遺文を中心に思考する習慣がついているために、この点は考慮しませんでした。
再考してみることといたします。

もう一点。これは質問というわけではないのですが、日興は「奉懸本門寺」と複数の御筆漫荼羅に添え書きをしました。この日興の意図は仏本尊というより、既に曼陀羅を以て本尊としていると映じます。ところが、ご指摘のとおり、伝・日順文献では仏像造立の図であるとするわけです。重須談所という同一の場で、この相違は師弟において齟齬を来している如くで不思議に観じます。

525顕正居士:2006/03/20(月) 01:15:04
本門寺には本堂、祖師堂、垂迹堂、講堂、戒壇堂、その他多数の堂宇があるでしょうから、
なんら矛盾はないとおもいます。羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)は東寺講堂が最大規模らしい。
安易に建立できるものではない、一尊四士だけでは「壽量佛」の十分な姿ではないという
理由から、時期が来るまでは紙幅の曼荼羅を本尊とする、これは日興、日順、日尊共通の
思想に見えます。ただし時期を待つうちに、富士の方では色相荘厳の像は無作三身の仏
に相応しくないという思想が生じた。しかし紙幅の曼荼羅は個人に授与されたもので寺院
の本尊として考案されてはいない。それで寺院には板曼荼羅を造立するようになった。
尊門では時期が来たら造像する思想が失われなかった。だからこれを調整する必要が
生じて、日寛は色相荘厳像は大石寺の教義に合わないと決着した。一尊四士のかわりに
板曼荼羅を造立する根拠、および失われた目標の代替として提出したのが戒壇板本尊で
ある。おおよそそういう経緯でしょう。

526れん:2006/03/20(月) 07:31:21
横レス失礼いたします。
顕正居士さん
525の御見解に賛同いたします。
日尊は京都要法寺蔵の元亨四年正月八日付けの日興漫荼羅に「奥州新田蓮蔵阿闍梨弟子日尊」とあり、日尊は日目の弟子であり、日目も、日道等の他の日目の弟子も、当時の見解は本門寺の戒壇には日蓮大漫荼羅図に則った仏像安置であったろうと愚考します。
日代も葦名阿闍梨御房御返事(正本・西山本門寺蔵)に日尊の弟子日尹に「但御弘通之趣、如今者所存同申也」と述べ、次下に「中仏像造立事本門寺建立時也、未無勅裁、国主御帰依之時三ケ大事一度可令成就給之由御本意也、御本尊図為其也」とありますので、日尊・日代・日順の文献に見える広布時仏像造立・戒壇安置説は当時の初期興門(富士門)共通の見解であり、門祖日興自身の見解でもあったろうと愚考します。
しかして、顕正居士さんが525にて御指摘の通りの後世にこの思想が石山等において失われ、石山においては特に彫刻本尊の造立・登場と相成ったと、私も思います。

527犀角独歩:2006/03/20(月) 07:50:11

顕正居士さん

重ねてご教示、まことに有り難うございます。
元来、漫荼羅が仏本尊群の設計図であったけれど、その原意が損なわれたのちに板漫荼羅に移行したというご賢察は説得性を感じました。

528れん:2006/03/20(月) 09:36:37
またまた横レス失礼します。
日蓮図顕の大漫荼羅の用途について、顕正居士さんが525にて示された御賢察ご指摘の点とともに、特に個人授与の大漫荼羅については、日女御前御返事に
「宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏、一切の菩薩あつまらせ給ぬ。此宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」(平成新修745ページ)
とあり、この記述により、釈尊の因行果徳の二法が具足した妙法五字の受持により、“宝塔品”が「八葉の心蓮華の内におはします」を見仏する(観心?)ための用途もあったのではないかとも愚考しています。
日蓮真蹟不現存ゆえの参考資料ながら日興・日源の写本が現存する本尊問答抄に「仏は所生法華経は能生なり」と法勝仏劣を述べているようですが、次下に「仏は身なり法華経は神(なましい)なり」と後世の門下教学で云々されるところの人法一箇の如き思想、原意的には生仏一如・法仏一箇の如き思想が見えますが、日女御前御返事の方が教学的に論述されていない分素朴で、案外大漫荼羅の用途の一側面を表しているのではないかと考えました。
話が変わりますが、今月17日に小松先生の日蓮聖人御遺文講義に初めて参加させて戴きました。参加を御許可いただいた福神研究所様、ご高配いただいた犀角独歩さん、そして、宗学の範囲ばかりでなく、仏典に対する幅広く深いご素養をもとに御賢察をご教示下さる一字三礼さんに重ねて深く感謝申し上げますものです。

529れん:2006/03/20(月) 09:44:19
528の訂正
誤)原意的には生仏一如・法仏一箇の如き思想
正)原意的には法仏一如・一箇の如き思想

530犀角独歩:2006/03/20(月) 11:03:38

日蓮の漫荼羅図示というのは、当初、わたしは今で言う揮毫のような手軽さで考えていたのですが、『教化情報』に載った桐谷征一師の説明、また、中尾堯師の話を伺って、この点を改めました。

図示を希望する弟子檀那はまず紙を供養する。紙は楮を選び、その紙の表面を木槌で叩いて平滑にし図示した。継いでもあるわけですから、このようなことを職があったのか、また、弟子にやらせたのか、それはわかりませんが、図示するまでにかなり工程があったことになります。

また、授与された漫荼羅は折り畳んで懐中に入れて肌身離さず持っていた、板に張られていた、風に靡いて劣化したあとが確認されるので幟のように工夫されていたといいます。折り畳めば御守のようですし、板に張れば本尊のようですし、道場の所表ともなります。幟とすれば標識的な役割を持たせたことになります。ただ、このような活用は、日蓮が意図したことなのかという点では多少ならずとも疑問が残ります。

日蓮自身が、では、曼荼羅を弟子に授与したのか、また、その曼荼羅をどのようなものであると考えていたのか、なかなか、その点は、授与されたほうもわからなかったのだというのが中尾師の解説でした。

日蓮は伊東流罪の折、自ら刻んだのであろう一体仏を終生持仏として、それを本尊として寓居に安置していたことが窺われ、一方、自分用の漫荼羅を所持していた事績は窺えないわけです。それにもかかわらず、弟子檀那は漫荼羅を本尊として拝んだか。わたしには、どうもあり得ないことと思えます。

四菩薩を副えることは重須方では、元来、日興の義としており、これを盗んだのが、日澄でしかし、のちに帰伏したという筋でした。また、冨木常忍を対告衆とする『四菩薩造立抄』は忘れがたい文献ですが、ここからは漫荼羅=仏本尊設計図と読めるかどうか。何よりこの書が真筆であるかどうか未決な訳ですが、四菩薩は『本尊抄』同様、重要な意義を持っていることは窺えます。

弘安期に至るまで、その消息分には仏本尊(釈迦像)の造立を伝える記事が見られるわけですが、では、戒壇の仏本尊と、それを分けるところは、これは、やはり、四菩薩を副えるかどうかという点にあったように思えます。

佐渡の地の漁農に従事する人々は、紙すら見たことがなかったのではないのかというのは、中尾師の指摘でした。渡辺照宏師の記述ですが、未開地に行って、薬を飲んで、添付してあった効能書きを捨てたところ、その人々がそれを拾い、張って一所懸命に拝んだ…、作り話のようにも思えますが、しかし、日蓮漫荼羅にも同様な側面はあったのではないかと思えます。

三大法門ということを改めて考えてみると、本門題目(妙法蓮華経)の五字は上行所伝として、日蓮はこの宣布を指名としたことが窺われます。
一方、本門本尊と戒壇は、前者はその義を日蓮は述べ、後者は密事とし、その造立と建造は王法に事寄せたのではないのかと思えます。

523に顕正居士さんが「伽藍仏教、祈祷仏教への志向は相当に強かったのではないだろうか」というご指摘は、わたしはこの度、草案『取要抄』を読み、その思いを強くしました。

漫荼羅の授与は日蓮が正当な弟子檀那として認める允可の意義を含むと、わたしは考えます。もし、仮にそれが設計図であるとすれば、未来、国は造立すべき戒壇の本堂の本尊を、そこに内秘したとみるのは、なかなか、胸がすく、日蓮の情熱も感じるところでした。

531今川元真:2006/03/20(月) 12:22:45
借金大国・仏教世界・リクルート等どれも一大事なハンドルネーム変えの今川元真です。●《天台密教→本門》 漫陀羅≒教義     日蓮聖人在世の鎌倉時代なので、摂受折伏する本尊漫陀羅(依法不依人ならば漫陀羅で説教化導すべきでは?)     皆成仏道で依法不依人だから一人ひとりの修行道具として下賜したのでは無いでしょうか。   日興伝持の漫陀羅の盗難は噂の説?      ●法華経の伝法のあらましを書き表わした漫陀羅は、御書・遺文の代替であり教法本尊≒教主シャクソンを証す。其して、修行道具。御書・遺文の後先は前後が融通が効いても漫陀羅の十界勧請は動かない世界観。 教法本尊である題目  経の本尊、本門のシャクソンを脇士と為す一閻浮提第一の本尊(本尊問答、観心本尊)       色心不二、依正不二などから見ても国家の組織システムのような戒壇堂はあった方が良いかもしれませんが、説教化導の中心に漫陀羅を安置する事で良しとしたのだと思います。戒壇堂は広宣流布の暁。道場で戒壇が漫陀羅で、本門の本尊・戒壇・題目が日蓮仏法の柱だと考えたいです。

532文殊:2006/03/22(水) 23:13:39
宗祖の真言宗批判は湛然─知礼─柔義の対破思想の批判的側面が考えられます。
「真言諸宗異目」(中山法華経寺真筆)では伝教大師の『法華秀句』を引用し
つつ法華経の優位性を強調する。「四信五品抄」(中山法華経寺真筆)に見る
台密対破。日郷門流に相伝される「不動愛染感見記」の宗教体験の記号言語化は
区別する必要があります。

533文殊:2006/03/22(水) 23:39:53
「四条金吾殿御返事」(日興写本北山本門寺)には「此等の梵音声一切経と成つて
一切衆生を利益す、其の中に法華経は釈迦如来の書き顕して此の御声を文字と成し
給う仏の御心はこの文字に備われり」「釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は
一つなり、然れば法華経の文字を拝見させ給うは生身の釈迦如来にあひ進らせたり
と・おぼしめすべし」と東密の絵曼荼羅思想に対抗して文字曼荼羅思想が窺えます。

534顕正居士:2006/03/23(木) 00:19:22
ところで本尊抄を大きなフォントで縦書きにして見た。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/ 
のファイルをもとにUNICODEで字を補った。現漢文の書は時にこうして眺めるのもよいとおもう。
http://www.geocities.jp/xianzhengjp/honzonsho
検索は普通にできます。「本尊」、「己心」などの語句で検索するととそれなりに発見があります。

535文殊:2006/03/23(木) 22:52:41
天台は、六道・三界といった仏教的世界観に忠実に従い、そこに居住する衆生
の実在を踏まえて『法華経』の説示内容を解釈していることに留意する必要が
あります。天台三大部の議論の背景に経典の記述世界を認める立場といえます。
経典の記述世界を認めない近代仏教学とは径庭がある。そもそも論議の前提が
異なり噛み合わない。近代仏教学・原始仏教回帰・真蹟遺文絶対思想は分別心
に覆われているといえます。「思議を超えたことがらは、分別心を超えた最深
最奥より湧き上がる真に法を求める心に依って理解されなければならない」と
柏倉明裕氏は説示する。「印仏研」51・1。宗祖の法華経観・本尊観は仏眼・
仏智の対象であり、仏の認識・観察対象といえる。ご自身の随身一体仏
と弟子檀那に対する曼荼羅本尊授与は仏と三十七道品・三十二相・十八不共法
を完備しない凡夫とは界位が根本的に異なるゆえに相反するものはない。
「故自他行業自在無碍譬如魚練水鳥翔虚空」と寛師が「末法相応抄」に。
末法は正像前代と大きく異なり、散心ゆえに禅定・観仏・見仏修行が困難にな
り得道できなくなっている時節である。対境としての曼荼羅本尊が喫緊の要と
なったのでしょう。

536犀角独歩:2006/03/24(金) 07:08:34

> 論議の前提が異なり噛み合わない

議論の前提が違うと違わないの問題ではなく、重要な点は、天台も、日蓮も、日寛も、事実ではないこと事実であると思いこんでいた、簡単に言えば、誤認に基づいて理論を組み立て、行動した。つまり、間違えたということです。

そもそも、間違いから発したようなものが仏智だなんだと言えるのかということです。

信じたければ、信じるのは勝手ですが、そんなものは、事実から見れば、中世キリスト教の天動説と一緒であり、妄信という謗りを免れないことです。

信じてきたものの前提が間違っていた、さて、そのとき、どうするのか、言い訳に終始して、しがみつくのか、事実に基づいて、再構築するのか、どちらが、真実、事実に基づく仏智なのか、客観的に考えてみることが必要だということです。

537犀角独歩:2006/03/24(金) 09:12:15

少し書き足せば、もし、天台、日蓮、日寛が現在に生き、我々が知り得た事実、法華経は後世の創作であるということを知っていても、結論が同じであったかどうか。わたしは同じ結論にはならないであろうと思います。

ならないけれど、現在、知り得る事実に基づいて、しかし、なにがしかの教理と行動を打ち立てたであろう思います。それによって、打ち立てられるものは、果たして、その当時の常識・仏教で組み立てられたものと、どちらが勝れたものであるのか、また、もし、現在に生きていれば、どのようなことを打ち立てのか、そのように考えることには、意義があると思います。

このような類推は、かつて確か顕正居士さんがどちらかで行っていたと記憶します。

われわれの人生はお芝居ではありません。「法華経はお釈迦様が説いたものであると、信じることにしよう」などという台本で生きることはできません。それは、まさに仮想現実、夢想世界の住人に成り下がる以上の意味はないからです。

しかし、われわれは、そのご認識に基づく経典、教理、漫荼羅本尊でも、一つの信仰体験を利得した。いわば、これは「仏の爾前教」「方便の説」であったようなものでしょう。では、事実証拠に基づいて、実教・真実を再構築できるのかという模索がなければ、日蓮門下人は、内部だけにしか通用しない妄想世界の住人になってしまう、いや、既になっている、だから、再構築する道はないのかというのが、ここ数年の当掲示板の議論であったとわたしは考えます。また、そのような模索に賛同されるれんさんの思索、また、ロムの空即是進化さん等のまなざしがあったのであろうとも思います。

538顕正居士:2006/03/24(金) 13:48:19
近代人の普遍的思惟は古代人、中世人、近世人の努力の結果に到達したものです。古人の
思惟は今人の思惟とは異なります。古代、中世の仏教徒の歴史観は当時の思惟方法に即し
理解される必要があります。
インドには歴史というものがないといわれる。これには事情がある。「通常のインド的気候の
環境においては、貝葉はほぼ二〇〇年程度で白蟻等に食われて用をなさなくなる。つまり、
インドにおいては、通常の記録は二〇〇年ごとに筆写し直さなければ失われてしまうのである」
『インドにおける「とき」---劫・輪廻・業---』
http://www.aa.tufs.ac.jp/~tjun/articles/jikan_frame.html
後漢においてすでに紙が発明された中国とは決定的な相違がある。魏晋南北朝時代までに
インド、西域で約千年間に作製された経論が伝来翻訳された。ここに経部はすべて開祖釈尊の
説として内容を分類する「教相判釈」が起こった。インドには各自に経論を伝持する二十一部が
存在し、さらに大乗があった。それらの内容が何らか開祖釈尊に由来するであろうという仮定を
した。しかし経論中にはある程度の史伝が含まれているから、大雑把な歴史は把握された。
「前の五百年が間は小乗経ひろまらせ給ふ。ひろめし人々は迦葉・阿難等なり。後の五百年は
馬鳴・龍樹・無著・天親等、権大乗経を弘通せさせ給ふ」(随自意御書)
大乗経についてはインド以来、これを報身仏(毘盧遮那仏)の説とする。それらが現実の経典
として存在する理由は、応身仏(釈迦仏)の説法中にも高位の菩薩(法身の大士)は大乗経の
内容を感見し、別に結集し竜宮などに埋蔵し、後に竜樹などがこれを見出したとするのである。
歴史的仏陀(応身)と神格的仏陀(報身)は区別されており、大乗経は神格的仏陀の説とする。
そして歴史的仏陀の説は当時の仏弟子(声聞)の機根に応じた厭世教であるとして中国人や
日本人はこれを重んじなかった。すなわち古代、中世の仏教徒は近世以後の仏教徒のように
経典成立史を解明するには至らなかったが、今、仏教の知識が少ない人々が大乗経も釈迦仏
の説とおもっているのとは全くちがうのであります。

539文殊:2006/03/25(土) 00:39:58
西嶋和夫氏は「中論の新しい解釈について」(「印仏研」48・1)の論文で
竜樹『中論』に見る羅什訳とサンスクリット原典との対比・考証を通じて
竜樹思想を空を説き無を説く非実在論的な思想と説示する羅什訳を「重大
な誤訳から導き出された重大な錯誤」(245)、「羅什訳が竜樹の眞意を抹殺
する結果を招いている点は、大いに関心を払うべきであると思われる」(2
46)「そして痛感されることは、仏教経典の中国語訳を基礎とする仏教思想
研究が、意外に危険な陥穽を含んでいるのではないかという一点である」
(247)天台、日蓮、日寛はまさに誤訳の羅什訳を教理の基礎にしていた。
また、湯山明氏、辛島静志氏によるチベット語・漢語翻訳文との比較研究は
富士門流石山系教学の今後の帰趨に少なからずのインパクトを与えることに
なるでしょう。それに「東洋学術研究」連載の西夏語写本翻訳研究も見逃し
得ない。21世紀になって日寛教学はターニングポイントに直面している。
犀角独歩さん、顕正居士さん、れんさんによる「21世紀の日蓮教学」再
構築の方向性には賛同しますが、戒壇本尊脱構築を前提とする厳しい急進的
アプローチには留保させていただきます。できるだけ日興門流の歴史と伝統
を現代に生かしていきたいと考えています。

540今川元真:2006/03/25(土) 06:29:48
諸法無我・諸行無常・ネ槃寂静の三法印まで帰るしか無いのか。段階的摂受折伏を繰り返したオリジナル的な思想なら学問できるか。意思と意志の相違で是正できるか。

541犀角独歩:2006/03/25(土) 09:45:01

539 文殊さん

いつも含蓄のあるご投稿、有り難うございます。

> 「21世紀の日蓮教学」再構築の方向性には賛同

恐れ入ります。

> 戒壇本尊脱構築を前提とする厳しい急進的アプローチ

わたしの方向性は、このような表現とはやや違います。
戒壇本尊、つまり、大石寺所蔵の彫刻に係る動向を、戦後の日本における最大の宗教詐欺であると考えています。(断定するわけではありません、考えるということですが)
創価学会は宗教年間によれば、最高で1800万人信徒と発表しています。正本堂供養者名簿800万人実名によったともいいます。そのときの集金額は350億円ともいわれますが、これらの人々の集合と散財は、すべて「戒壇本尊」が日蓮出生の本懐であるという大前提に基づいたものでした。この「被害金額」は、しかし、ここに留まるのではなく、○兆円レベルのものでしょう。(それは創価学会にせよ、大石寺にせよ、その潤沢な資金力は半世紀で構築したその顧客はほかならぬ信者会員であったという因果関係から言えることです)このように人々が扇動され、騙された根本に、この看板の彫刻がある以上、事実を究明することは、むしろ、義務に近いとわたしは考えています。

いくら、高尚な教義理論、境地を語ったところで、詐欺行為を知って語らなければ、その境地がメッキに等しいでしょう。
『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版・訳:浅見定雄師)のなかでスティーヴン・ハッサン師は
「エドマンド・バークの言葉を使えば、『悪が勝利するのに必要なのは、良い人が何もしないことだけ』」(P354)
という言葉を引用しています。わたし自身は「良い人」ぶるつもりはありませんが、事実を知った以上、この点を語らないわけにはいきません。

また、そのような悪行に与同している自覚のない人々には、その自覚を持たせる必要性を感じます。それを「急進的」といわれるのであれば、敢えて、その批判を受けても、わたしは糾弾を停めようとは思いません。

なぜならば、「戒壇本尊」は日禅授与漫荼羅を原本として臨模・作為された模造品であり、日蓮の出世の本懐などということは虚偽以外のなにものでもないからです。そして、その模造品が戦後最大の宗教被害をもたらした以上、その点を糾弾しないわけにはいかず、奉安堂建立の如く、また、この彫刻を悪用して、宗教ビジネスが繰り返されている事実がある以上、次の被害を食い止める資料を提供することは、この彫刻を一度でも薦めた人間は、その責務を負うと考えるからです。

542犀角独歩:2006/03/25(土) 09:45:32

―541からつづく―

> 21世紀になって日寛教学はターニングポイントに直面

これはまったくそのとおりですが、しかし、ターニングポイントを迎えているのは、日寛教学ばかりではなく、それを金科玉条と仰ぐ、創価学会も、ひいては大石寺も同様です。創価学会ではいまだに日寛書写漫荼羅を会員頒布の本尊としているわけです。そもそも『東洋学術研究』とは、池田大作さんが創設した東洋哲学研究所(旧:東洋学術研究所)発刊の季刊学術誌です。つまり、創価学会は、既に実態を掌握したうえで、会員からの反発が起きない牛歩戦術で緩やかな路線変更を進めているわけです。昭和20年代・30年代入信の人々が死に絶える頃、この路線変更は、一つの山場を迎えるというスケジュールなのだろうと観察しています。虚偽発声の当事者・大石寺にとって日寛は揺るがぬ中興の祖です。すなわち、日寛を仰ぐ、一切にとっての、ターニングポイントであるわけでしょう。


しかしながら、このターニングポイントは、単に日寛に留まらず、近代科学の夜明けとともに、日本仏教全般にわたるターニングポイントでもあったわけです。

信者達は別に気づくわけでもなく、それぞれの集団のなかで、満足しているのだから、述べる必要はないという考えもあるでしょう。
しかし、このような考え方は、ならば、阿弥陀如来を仰ぎ、南無阿弥陀仏と称える人もそれで満足しているのだから、それでよいではないかということになります。ひいては、自爆テロをするものも、キリストの名をもって世界戦略をするものも、それはそれということなります。

宗教が個人レベルで他に被害を与えない限りにおいては、そのような考えはよいでしょうが、一たび、宗教被害という悪弊に至るとき、それを見て見ぬふりをすることは、宗教以前の問題として、社会正義に反することなりますので、それなりの行動を採らざるを得ないということです。

> 日興門流の歴史と伝統を現代に生かしていきたい

以上の点から、このような個人のお考えはけっこうなことながら、模造品を日蓮出世の本懐といって犯した罪の意識も反省もない創価学会を含む大石寺門下の無責任かつ無反省、もっといえば、無自覚は、現代に受け入れられるものではありません。それはあたかもテロで人々に被害を与えたあとで、その加害者の神を信じろというようなものでしょう。

反省と訂正なきところに未来はありません。
宗教は空理空論ではなく、この現実社会に存するものです。
ご一考ください。

543文殊:2006/03/26(日) 08:58:39
宋代天台の二哲二連枝、知礼と遵式は天台実相論をベースにしながらも、
略観修行・陀羅尼品・天台浄土に見る天台教学の簡素化を図り、王族か
ら漁民にいたるまで積極的に大衆受容を進めようとしました。遵式の念仏
結社は現在の在家教団の濫觴ともいえる。時代は下って、真筆本尊格護の
北山本門寺、保田妙本寺が少数派に止まっているのかは、強固な在家教団
が不在であったからだと思惟します。正本堂前夜に戒壇本尊は偽作と保田
妙本寺の万年救護本尊を求めていった人たちもいた。しかし、あくまでも
少数です。同じ富士門でも石山は日寛から花野充道氏まで理論的学匠を輩
出して文書布教による大衆受容に積極的であるのに対し、北山・要山・保
田は、本尊鑑定に耐えられる真筆本尊・真蹟遺文を多数存しているのに、
日寛系教団に勝つことができないのか不思議です。正本堂については長考
させてください。

544犀角独歩:2006/03/26(日) 09:52:17

文殊さんが書かれた富士門下の御筆大漫荼羅と偽作の関係が信者数を少数と大衆受容の相関比較は面白いですね。読んですぐわかるところは、大衆受容に熱心なところは偽作で、御筆格護は少数派ということです。

要は、大衆は、贋作で動くという分析になっています。

> 正本堂前夜に戒壇本尊は偽作と保田妙本寺の万年救護本尊

これは動いた人々が少数であるというより、受け入れ側(坊さん・寺)のキャパ、受け容れる‘装置’の相違で見るべきではないでしょうか。

> 花野充道氏まで理論的学匠を輩出して文書布教による大衆受容に積極的

この「文書」というのは、何を指すのでしょうか。形木で摺った本尊(江戸時代の日寛)、大衆受容側の現在の印刷本尊のことでしょうか。
それとも要法寺と開版した『御義口伝』の如きもの、また、創価学会の宗教法人に認められた出版業商法を指してのことでしょうか。

なお、花野氏は優秀な学者で、松本・袴谷両師との論争は、駒沢大学でも実見し、なかなか関心がありますが、彫刻の真偽を言わず、寺院経営で食をつないでいては、画竜点睛を欠くというか、石山門下の好きな言葉「正直な信心」というものに汚点と映じ、その点を差し引かれてみられてお気の毒です。食品分析研究に熱心な会社が、使用禁止の添加剤の入った食品を販売している会社の研究員のような印象を受けます。この人を日寛から系譜と見るより、堀日亨以来の仏教界と通用のある人物と見るほうが至当であると思えます。日亨は創価学会の圧力から石山内に隠居、外部との接触が断たれた。花野氏は、阿部氏の逆麟に触れながらも処分を免れ、外部との通用もある相違がある。なのに、彫刻の真偽を言わないのか。これは上述の比較からすると、偽作側の営業態度と言うことになりますか。

> 日寛系教団に勝つことができないのか不思議

金と人を集める技術を弄した偽作側と、学術研究をした少数派の相違ですね。
前者は、人のはいる器(組織)を用意したけれど、後者は葬式と墓以上のものは用意しなかった結果。不思議がるほどの内容とは思えません。

> 正本堂については長考させてください

上述した偽作側・大衆受容の装置としての組織構築、真筆側・寺請制度以来の風習を引きずった寺院檀家のための寺という相関図を考慮した分析を期待します。

545顕正居士:2006/03/26(日) 11:37:35
興門5派、北山、上野、西山、保田、要山の中で最終的に大石寺が優勢になったのは何といっても
堅樹日寛があらわれたからでしょう。他派には対抗できる近世興門宗学の集大成者は出なかった。
決定的要素は学問です。しかし日寛の後継者はその学問を継承発達させるのではなく、他派との
争論に使用し、一時の方便である板本尊に執着し、興門を統一するどころか、ますます孤立させた。
けれども近代にはまた堀日亨が出て各派我田引水の自山正嫡論を修正するように資料を用意した。
日寛宗学と日亨史学がなければ、創価学会といえどもこれほどの大勢力にはならなかったでしょう。
だが今回も同様にその学問を継承発達させず、他派との争論に使用し、依然、板本尊に執着した。
そして今は創価学会、正信会、顕正会との誹謗合戦のさなかにあり、いまさら二箇相承や板本尊を
引っ込めれば、こぞって宗門の責任が追及されるでしょう。まあ、もう取り戻しは不可能と考えます。

546文殊:2006/03/27(月) 18:44:24
花野氏は公式的には今も戒壇絶対論者のはずです。興風談所に行かず、山家に
とどまっている理由の一つに戒壇絶対帰依があったと思われます。体制内改革
の立場でかつ外部との通用があるという法教院閉鎖修道体系の中では異例の
学僧ですが、果たして戒壇絶対論と氏の長年にわたり唱導する本覚思想との
整合性が取れるのかと思います。文書の流通では日寛系諸教団が旧本門宗系
を圧倒している。旧本門宗は学僧・仏教研究者の人材育成を怠っていたと
の非難は免れないでしょう。

547犀角独歩:2006/03/27(月) 22:03:02

545、546 両ご賢察には賛同します。

548文殊:2006/03/28(火) 01:21:58
「久遠寺の板本尊今大石寺にあり大聖御存日の時の造立也」(保田日我
『観心本尊抄抜書』)東我西辰の面影なく、日目直伝相伝法門存しつつ
も結句は、互いに反目しながらも日寛書写曼荼羅本尊を尊崇・対境とし
ている日寛系諸教団(最大公約数として)の独走・寡占を許している。
旧本門宗系は、三師塔があっても学林なし。寺域は葬儀用施設と有料
駐車場では興尊の厳風はどこに行ったのか。上野大石は古文書学・鑑定
の目利きから見ると何もないところですが、花野充道氏・高橋粛道氏・
長倉信祐氏の学僧がいる。人は石垣、人は城か。堂宇ではなく弟子・
門下の優劣で勝負は決します。中国天台山家山外論争の帰趨は、広智
尚賢をはじめとする知礼が育成した弟子たちが次々と勢力を拡大した
ことによります。「山外」の智円も、従義も後に続く弟子がいなかった。
ただ法教院純粋培養教育からでは龍象は出ることはないでしょう。
一般大学に行かせない鎖国教団には明るい未来はありません。

549文殊:2006/03/30(木) 00:50:00
三論教学が仏の教えの言葉に対する観念の固定化や実体的把握を排除し、
教えに執われない如来の真意を求め、幾重にも執着を破し続け、無所
得空を徹底化させ、仏法を深く探求することを目指しているのに対し、
天台教学では、治生産業等の一切諸法の全てがそのまま即実相である
世間即仏法論、知病識薬授薬の積極的衆生教化、大乗菩薩行の重視が
あります。天台の師南岳慧思の法華経第一・禅定重視・折伏主義の
思想的影響が看取されます。日蓮門下最大手の日寛系諸教団は仏教
史上の南岳─天台─妙楽の系譜に連なるといえる。ここでは、本尊義
は問いません。

550犀角独歩:2006/03/30(木) 07:39:43

> …日寛系諸教団は仏教史上の南岳─天台─妙楽の系譜に連なる…本尊義は問いません

これは、仰っている意味は介しかねます。
日寛はたしかに天台学に秀で、その独自教学の構築は、以上の系譜を籍りています。しかし、そこで究竟としたのは「弘安二年十月十二日・一閻浮提総与・本門戒壇之大御本尊」であり、日蓮已来自身に至るとする唯授一人の血脈相承でした。日蓮は三国四師を言うわけですから、その脈絡とすると見ることはできますが、日寛の結論は、まさに、この唯一絶対の本尊思想以外の何ものでもありません。

551一字三礼:2006/03/30(木) 08:55:06

> 549

> 天台の師南岳慧思の法華経第一・禅定重視・折伏主義の思想的影響が看取されます。

南岳慧思は「折伏」もしくは「折伏主義」という用語を用いたのでしょうか。

また、その「折伏主義」の思想は南岳慧思のどの著作に示されているのでしょうか。

552文殊:2006/03/30(木) 23:06:51
犀角独歩さんの本尊研究の批判ではありません。旧本門宗系に対する
批判です。「不動愛染感見記」真偽論争に関しても護持する保田妙本
寺が挙証・反論すべきでしょう。文書・電子の両面にわたり当事者が
沈黙していることは、世間に門を閉ざしていることになるでしょう。
「印仏研」掲載論文も花野氏・菅野氏に二分されている。広義の
日寛系諸師は言論活動は活発だと思う。最近では松岡幹夫氏の近代
日蓮主義研究も出てきた。日寛系諸教団の青年・女性層に対する
布教(折伏)は勢いがある。広義の日朗系諸教団は社会福祉活動を
広範に展開している。日本山妙本寺のように強義の反戦・非暴力
運動も見逃し得ない。イラク反戦も街頭に立った。パレスティナ
にも積極的にコミットメントしている。では中間線に位置する
旧本門宗系はどうか。教化の面でも現代の大乗菩薩道といえる
社会福祉活動でもするわけではなく有料駐車場貸し出しと墓地
経営のみではないか。

553文殊:2006/03/30(木) 23:28:25
日寛は重須生御影信仰に対抗するため、富士門内での教学的な
主導権を確保するため『六巻抄』でクー・デタに成功した。
流れは京都・重須から大石寺に変わった。「板法華」在家団体
の登山参詣で寺門は栄えることになった。日寛は知略に長けた
政僧の側面も併せ持っていたといえます。生御影から板本尊に。
日寛教学は八品教学を参照しつつも「板本尊」絶対帰依信仰と
大石寺歴代万世一系思想の唱導という明快な結論で大衆受容を
積極的に行ったことは決して侮れないものがあります。

554文殊:2006/03/30(木) 23:43:05
南岳慧思の折伏主義についてですが、慧思の仏法護持のために
悪比丘に対して破折した事跡を類推解釈して当て嵌めました。
直接、大正蔵の明文にあたっていません。今後発言は慎重に行い
ます。

555犀角独歩:2006/03/30(木) 23:51:20

文殊さん

わたしは、拙稿を批判されたとは取っていません。
日寛に本尊義なしという記述であると早計したからでした。
552、553の解説については、賛同します。

556顕正居士:2006/03/31(金) 02:08:19
南岳慧思が論争家であったことは

「淮南郢州刺史劉懷寶共遊郢州山中。喚出講摩訶衍義。是時為義相答。故有諸法師起大瞋怒。
有五人惡論師以生金藥置飲食中令慧思食。所有餘殘三人噉之一日即死。慧思于時身懷極困。
得停七日氣命垂盡。臨死之際一心合掌向十方佛懺悔。念般若波羅蜜作如是言。不得他心智
不應説法。如是念時生金毒藥。即得消除還更得差。從是已後數遭非一」

南嶽思大禪師立誓願文
http://www.suttaworld.org/big5-txt/sutra/lon/other46/1933.htm

ただし、論争を折伏というのは「法華折伏・涅槃摂受」の文脈でいうことで、日蓮がいう折伏は
反対の「法華摂受・涅槃折伏」のほうの意義である。このことは次のスレッドで議論されました。

摂受と折伏について
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/l50

557顕正居士:2006/04/01(土) 02:28:47
>>552
それらの寺院は葬儀、法要を通常に執行しているでしょう。檀徒はカルト経営などは需めていません。
>>553
板本尊のために日蓮正宗は終わりかかっていますが。文殊さんがおっしゃるように現状のままだと
20年後にはこの宗派には学卒の坊さんはいなくなります。

30年ほど以前には日蓮正宗の公称檀信徒数は日本の諸宗派の中で最大でした。であったのに今も
専門の日蓮学者は一人もいません。単称日蓮宗にはどれだけいますか。カルトが宗教に進化する
ことはない。大石寺は既成宗派ではあったはず。それがほぼカルトに転落して来ている。融通念仏宗
とか時宗とか檀徒数万しかいないところもちゃんと持続している。堅樹日寛は素晴らしい宗学者ですが
板本尊は彼の学問の致命的な欠陥です。執行海秀はそれが日寛の説であるか疑っていたが、そう
考えざるを得ない文章はある。それを教義の中心に据えたのは大石日応だとおもうが。

558犀角独歩:2006/04/01(土) 08:41:17

顕正居士さん

板本尊…執行海秀…日寛の説であるか疑っていた

この執行師の文章とは何でしょうか。
ご教示いただければ有り難く存じます。

559顕正居士:2006/04/01(土) 12:52:16
独歩さん。

日寛のいう三秘総在の本尊なるものがただちにかの板曼荼羅を指すのか否かは判然としない、
という趣意の文です。『日蓮宗教学史』だったとおもいますが、もしかしたら違うかも知れません。

560文殊:2006/04/01(土) 16:28:19
北山の玉野日志貫首は富士教学の近代化・日興門家融会を模索していたが、
病に倒れ彼の試みは受け継がれることはなかった。欧州留学する学僧が
富士門では皆無であった。真宗が教学の近代化に成功したのに対して、
富士門では大学もつくれずに、教学論争に明け暮れたといえる。驥尾
日守の「末法観心論」と大石日応の「弁惑観心抄」。後書は現在法教院
教学で「六巻抄」より重視している。結局越洋会からは一般教養を欠く
が故に学者は輩出はされないでしょう。顕正居士さんのご教示の通り
です。慧思・摂折論議の学恩に深謝します。

561犀角独歩:2006/04/01(土) 17:41:11

顕正居士さん

ご教示有り難うございます。
教学史を再読してみようと思います。

『六巻抄当家三衣抄第六』に「蓮師御伝記八に云わく、弘安二年富士の戒壇の板本尊を造立し奉る」という一節がありますから、この点は動かないと思います。

しかし、ご指摘の通り、日寛ほどの天台の学者が板本尊に帰着したことは、たしかに不思議と思えます。

562顕正居士:2006/04/01(土) 21:04:08
22世の日俊がすでに三秘が一秘の本門本尊に集約し、かつその本門本尊とは大石寺の板本尊のこと
であると述べているそうです。
http://www.nichiren.com/jp/thesis/thesis_1.pdf
三大秘法とは日蓮宗の戒定慧三学であるが、「秘法」というから「事相」の意義がある。したがって大石寺
の板本尊が宗祖在世に造立され、事戒壇の本尊として予め奠定されたというのなら、そういう教義も理由
がないとはいえません。しかし板本尊がそうであるという根拠は脇書に「戒壇願主」とあるからに過ぎない。
宗祖が予め事壇の本尊を奠定したという史料は皆無である。
こういう無理な教義が出て来た背景には大石寺などで発達した教主論、仏身論があり、久遠本果の釈尊
ではなく久遠本因の釈尊を末法教主とする、久遠本因の釈尊とは宗祖と行位全同の名字即の菩薩である。
名字即の菩薩であるから色相荘厳の像ではあらわせないという教学です。しかし一尊四士にかわる寺院
の本尊は何か必要である、それは板曼荼羅を造立する。ここにおいて宗祖在世に板曼荼羅が造立された
根拠になる板本尊が重要な意義を帯びたのでしょう。
もとは大石寺のほうから説が出て、犀角独歩さんが検証されたように、板本尊は北山の万年救護曼荼羅
を板にしたのでしょう。ですから脇書はそのことが忘却された後に、宗祖の在世に板曼荼羅が造立された
根拠として誰人かが付加したのであろうと想像します。

563れん:2006/04/01(土) 23:00:49
横レス失礼します。
顕正居士さんが示された石山22世日俊師の彫刻本尊に関するコメントですが、私の携帯では見れないので、以下に備忘ならびに参考のためを含めて、列記しておきます。
「興師目師遺状被遊戒壇之本尊御座大石寺之貫主成致報恩謝徳導師事餘身喜何事過之耶」(歴全第三巻所収 初度説法)
「此三大秘法者何者、本門本尊者当寺戒壇板本尊非、其戒壇本尊座地広布不至迄此地戒壇非、日興正傳之題目非本門題目耶」(同上)「此三大秘法者云其體云事一念三千南無妙法蓮華経云者也。各題目修行本因妙南無妙法蓮華経本門題目也。本因對向本果妙佛界所具戒壇本尊也。本果所住本國土即是戒壇地也。三大秘法云向本尊勵信心唱題目即是本因本果本國土三妙合論事一念三千申法門大旨思召」(同上)
この日俊師の「初度説法」を読みますと、俊師は条々事の“弘安二年大御本尊”なるものを、彫刻本尊に規定しており、顕正居士さんのご指摘の通り、その彫刻本尊中心の三秘論を展開されているところ、俊師の影響を寛師は受けていると見て間違いなさそうです。
石山が彫刻本尊を作成したのは、重須の生御影に対抗するための手段としてという側面が強いでしょうね。その時期は、私の勝手な想像としては、一つの可能性としては、安土桃山期に大石・重須が甲駿地方の戦火に罹災し堂宇が焼失した後の、両山の堂宇の復興の時期と見た方が良いかと愚考しております。

564文殊:2006/04/01(土) 23:08:28
22世日俊は北山に色衣・鬼子母神で教義論争をしかけていたはずです。
北山が寺社奉行に訴えて一悶着となった。日俊は要法寺系でありながら、
日精造仏を一掃してしまった。日寛は実見しているはずで影響を受けて
いると考えます。石山・八品共同経営の細草壇林夏安居における天台学
修学では、同時に慶林日隆教学をも学んでいるはずです。尼崎流を一歩
先に進めたといえるのではないかと。日寛自身、大石寺再興にあたって、
山内に何も相伝法門もなかったことはわかっていた。それで慶林日隆の
著述を参照したと推定されます。通常、飯高壇林をはじめとする壇林
教学では天台三大部・妙楽釈・従義補注を領解するのに大変で、肝心の
宗学研鑚が充分とはいえなかったのですが、日寛は石山再建の危機意識
が常に本尊論・教判論・仏身論の理論再構築に向かっていたと考えます。

565犀角独歩:2006/04/02(日) 14:01:11

れんさん

> 此三大秘法者何者、本門本尊者当寺戒壇板本尊非、其戒壇本尊座地広布不至迄此地戒壇非、日興正傳之題目非本門題目耶

これは、どのように読むのでしょうか。

「この三大秘方途は何物ぞ、本門の本尊とは当寺の戒壇板本尊に非ず、その戒壇本尊の座する地は広付に至らざるまではこの地は戒壇に非ず、日興正伝の題目に非ず本門題目か」

でしょうか。「本門本尊者当寺戒壇板本尊非」が、わたしの読み下しのごときであれば、これはどのような解することになりますか。

566れん:2006/04/02(日) 18:58:17
犀角独歩さん
>565
歴全の当該文に付されている句読点を参照して読み下しますと以下のとおりです。
「此の三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊に非ずや、其の戒壇の本尊の座す地は広布の至らざる迄は戒壇に非ずや、日興正傳の題目は本門題目に非ずや」
俊師の解釈につきましては、読んで字の如くだと思います。

文殊さん、ご教示有難うございます。
>日寛自身、大石寺再興にあたって何も相伝法門もなかったことはわかっていた…
初期石山において、相伝法門なるものがあったとすれば、それは六世日時師がれれまで伝えられてきた法門化儀を纏めたものと思います。日有の聞書拾遺に「此の大石寺は高祖より以来今に仏法の付属切れず次第して候間得給へる人様は仏法世間の御沙汰、高祖の御時に少しも違はず候。若しも世の末にならば高祖の御時の事、仏法世間ともに相違する事もやあらんとて日時上人の御時四帖見聞と申す抄を書き置き給ふ間我が申す事私にあらず、上代の事を違せ申さず候。他門徒の趣は代々の意楽意楽に各々に建立候間上代の事御存知なく候間一向細工事に成り行き候と云々」と述べている四帖等がそれです。日寛師の文段にせよ、六巻抄にせよ、それ迄にすでに巷間に流布されていた自山の条々事を含む興門の文献をもって自山の正当性を主張していますが、なぜか四帖をはじめとする自山分の“相伝”については引用しません。それは恐らく、六巻抄や文段は当時の檀林教学に則って組み立てたもので、自山分の四帖などはそれこそ貫主一人の秘伝として、公開しなかったものとみるのが至当と愚考します。

567れん:2006/04/02(日) 19:53:35
566の誤字訂正。
誤)れれまで
正)それまで

568文殊:2006/04/02(日) 21:04:29
「日時上人は御勤の座ごとに御せつかんを召され候ひしなり」(「有師物語
聴聞抄佳跡上」『富要集』第1巻240頁)に数少ない六世時師の事跡に
日興門家化儀の厳格な伝統遵守と大石寺家統率の覇気を窺えます。重須・
西山が分立、そして下条妙蓮寺までが石山離れ独立本山の動きを公然化。
時師とすれば、鉄の規律で大石寺家の求心力を高めようと画したと思われ
ます。但し何故寛師が時師秘儀を引用せず、天台・妙楽・伝教、要法寺系
相伝書引用の所謂「顕教的解釈」に終始しているのかは判然としません。
現代法教院教学では天台三大部四明釈義一色に染まっていて、時師上代法
門、南宋従義流は完全に排除されていますが、漢字文化圏から急速に離脱
している21世紀日本では、古文書の解読が急務でしょう。そして、解読
された古文書から何を次代の世代に最良のものを伝えていくかは課題です。
れんさんの富士教学再構築の試みは貴重です。新資料のご提示お願いしま
す。また富士五山は重須談所を復活させて全文書を公開すべきです。

569犀角独歩:2006/04/02(日) 23:51:55

れんさん、有り難うございます。

文末に「非」をつけて、「非ずや」ですか。うーん、なるほど。
そう、読ませようと言うことでしょうね。


文殊さん、

> 日興門家化儀の厳格な伝統遵守

だいたい、そんなものがあるのでしょうか。
お尋ねしますが、日興が残した厳格な化儀とはいったい、どのようなものでしょうか。また、それは日蓮とどのように違うのでしょうか。

570文殊:2006/04/03(月) 07:56:06
伝統的な通説に依ったものです。改めて日興門家の化義の他門に比較
してその厳格性を考証となると難しいものがあります。朗門・像門
そして日向『金網集』研究の進捗を参照しなければ厳格性が挙証で
きません。日蓮と日興の教学的体質が異なるかについても精密な分析
が必要を痛感した次第です。護教論でなく学問的ルールに則っての
です。

571犀角独歩:2006/04/03(月) 08:26:07

日時はたしか仙波檀林に学んだといった資料があったと記憶します。
文殊さんが仰る「伝統的な通説」というのは、何を指すのかわかりませんが、上代の石山住職を手繰ると、出生は南条家との縁、学問は仙波檀林に行き着くようで、重須の檀所はともかくとして、石山が日興の厳格な化儀を伝えたとはとても思えません。

また、日興にしても、一尊四士義はともかくとして、日蓮の教義からはあずかり知れない‘御影’信仰にウエイトが掛かっていたわけで、それが絵像か・木像かいまひとつはっきりしませんが、ともかく、日蓮像を拝んでいた。日興は造仏は廃し、日蓮の厳格な教えに従って、漫荼羅正意だなどという現在のアナウンスはまるでウソで、実際は一尊四士という厳とした造仏論を有し、さらに御影崇拝という非日蓮義も有していました。そのうえで、漫荼羅を本尊と規定していったわけです。重須の盗難事件の実否を問う声は聞こえますが、これが事実であれば、盗難品のなかには日興像もありました。つまり、生存中から、日興本人の像が拝まれていたということでしょう。このような日興が、日蓮の化儀を厳格に伝えたというのは、事実に反します。もちろん、遺文蒐集、学問という面では重須檀所を中心に業績はもちろんあったでしょう。

日興の極端な賛美は、近年、日亨氏の功績により、さらに最近では興風談所の業績から内外ともに、さらに高まっていますが、わたしは、文殊さんが挙げる石山の学僧?の評価も含めて、もっと冷静かつ客観的にみたほうが事実究明には役立つと考えます。

まして、日時に関しては、この人物と時代は、問題が山積で、実質、日目と南条家の寺であった大石寺の独自形成の鍵を握るものであると考えられ、日興の厳格な継承者とはとても思えません。

なお、「護教論でなく学問的ルール」については、まったく賛同いたします。
それ故の以上の管見です。

572れん:2006/04/03(月) 09:42:00
文殊さん、私如き、無知の者に過分のお言葉をおかけ戴き、誠に恐縮です。
さて、日時の事績につき、手持ちの文献資料で確認できるのは以下の通りです。
石山蔵・肝心要義集中巻抜書冒頭に「肝心要義集 日時相伝之。日行之」とあり。
同寺蔵・日目弟子民部日盛書写の日満抄奥に「日時相伝之」とあり。
同寺蔵・民部日盛筆の「御筆集」の現存表紙裏に「謹奉相伝之。日時(花押)」とあり。
同寺蔵・上野下御房日舜書写「報恩抄」奥に「民部阿闍梨日影授与之。応永九年卯月十一日、日時(花押)」とあり。
日精「家中抄」日順伝によれば、石山には日時所持の「五人所破抄」が曽存し「応永四年丁丑十一月日 釈日時之」の奥書があったという。
石山僧完則による「大石寺宝蔵目録」によれば“日時筆”の「色心実相境智根源決」があるという。妙観文庫目録によれば具名を「妙法蓮華経色心実相境智根源口決」といい、日時筆のほか日精の写本もある模様であるが、一般には非公開で内容不明。
日有の聞書拾遺によれば、日時は四帖見聞を著述し、雑雑聞書によれば、その中には「本尊ノ大事」「三箇ノ秘法」について述べた“日目ノ耳引法門”なるものが記されていたという。これも内容不明。
日時師につきましては、独歩さんが「この人物と時代は問題が山積で、実質、日目と南条家の寺であった大石寺の独自形成の鍵を握るものである」と述べておられる通りと存じます。以上ご参考まで。

573れん:2006/04/03(月) 12:03:07
若干、日時の事績に補足を加えれば、嘉慶二年(1388)十月十三日、石山から小泉に移された日蓮影像に替わって、新たな御影建立、自筆書写漫荼羅28幅現存、大石記(おおいしき)の口述が挙げられますね。
あと、日時の御影建立につきましては、日什師の門弟日運師の門徒古事に、
「雖然或御影堂造立候間、無隙云々。使者云、御影堂ヲウラレ候テモ先ツ奏聞ヲ可被本云々。主人云、サニテハ候エトモト計云々。サテハメツラシキ沙汰ナレ、是大石寺云々」
とあり、これは嘉慶元年の京都妙顕寺の山門衆徒による破却を伝聞した什師が蓮師諸門徒に使者を派遣して日蓮門下は同心して天奏すべきであると伝えたときの、使者と大石寺主人とのやりとりを記録したものですが、この門徒古事に出てくる“大石寺主人”とは、翌年の御影建立成就、そして御影堂造立といっていることから石山六世日時を指しているのは間違いないようです。

574文殊:2006/04/04(火) 01:16:29
「本門寺」建立運動が日興教学の核心でしょう。非寛容・非妥協の戦闘
集団を形成したことが他門から畏怖されることになったといえるのでは
ないでしょうか。日興はモーゼに資質が似ているかもしれない。本門寺
建立の理想郷のために門下に対しては絶対服従を強いた。師弟の契約が
重須に多数格護されている日興直筆の本尊授与であったといえます。
京都布教を果たした像門は民間信仰を包含した寛容的な教学を形成して
いったでしょう。三十番神信仰。時代に合わせた柔軟な教学解釈は京都
町衆の広汎な支持を集めた。現在の社会福祉活動につながっています。
これに対し、日興教団は少数精鋭の「選民思想」を有していたがゆえに
他門との間に蹉跌が恒常的に生じたと思われます。一尊四士本尊観は
来るべき本門寺奉安本尊、日興書写曼荼羅本尊は教団の縦のライン師弟
関係強化のためと日興は構想していた。西山・尊門は忠実に継承したが、
大石寺は重須への明らかな対決意識から曼荼羅本尊正意にと急激に傾斜
していったのでしょう。起源は日時と思われます。犀角独歩さんご摘示
の日興本人の像は日興の教団におけるカリスマ的権威・日興崇拝を現し
ているのでしょう。れんさんの資料収集の熱意に心を打たれました。
妙観文庫はなぜ法教院に遠慮しているのでしょうか。旧共産圏が次々と
新資料を公開しいる時節なのに、未だに石山圏は21世紀になっても
冷戦思考にとらわれているのでしょうか。

575犀角独歩:2006/04/04(火) 07:56:58

文殊さん

> 一尊四士本尊観は来るべき本門寺奉安本尊

日興は、複数の御筆大漫荼羅に添え書きをし、「奉懸本門寺」と記しています。また、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』という題名が示すとおり、漫荼羅を本尊と規定しています。この一連の流れから見ると、日興が本門寺に懸けるとした本尊とは一尊四士ではなく、日蓮御筆本尊の、しかも自ら「奉懸本門寺」としたものと考えられますが、この点は如何でしょうか。

日道の頃から、漫荼羅正意を喧しく言うようになったというのは執行海秀師の分析でした。日道は南条家で、日目の甥でしたか。しかし、その修学は北山に坊を置き、日順に師事したのでしたね。さて、当時の大石寺に日蓮御筆漫荼羅があったのかどうか。

漫荼羅正意というのは大きく二つの考えがあると思えます。一つは日興の如く日蓮御筆漫荼羅を本尊として、本門寺奉懸を考えること、もう一つは寺院経営者が自ら認めた漫荼羅を本尊として、仏本尊を斥けて、書写漫荼羅を本尊とさせること。

当然、この二つは日興その人から始まっているわけですが、北山には御筆漫荼羅はあったでしょうが、石山はどうであったか、なければ、石山には当初、御筆漫荼羅を奉懸といった漫荼羅正意は実質的に不可能であったことになります。つまり、このことが、のちに「本門戒壇之大御本尊」を捏造する動機になっていったのではないかと、わたしには思えます。

その件は、のちに譲ることとして、日興は身延にあっては一体仏本尊への崇敬を示し、重須でも、一尊四士仏本尊を掲げて自説とし、のちに御筆漫荼羅本尊へと移行していったと見るのが至当ではないでしょうか。そして、その影響下に石山日道も、また、のちに西山に移動を余儀なくされる日代もあった。当然、妙蓮寺日華もあったのではないでしょうか。石山から漫荼羅正意が起こったというのではなく、石山日道もまた、重須の日興・日澄・日順という師資の影響から、漫荼羅正意であったというのが事実ではないかと思えます。

576犀角独歩:2006/04/04(火) 15:18:38

読み直して、ちょっと、文が美(うま)くないので、訂します。

> 重須の日興・日澄・日順という師資の影響から、漫荼羅正意であった

と、記したのは、日興が仏本尊を斥けて曼荼羅正意を提唱したという意味ではありません。顕正居士さんが引用された伝日順文書に見られるとおり、当時、仏本尊が禁戒に属していたと見ることはできません。

わたしは個人的に、仏像を出家が造営するのはもっぱら持仏であり(日蓮伊東自作の例)、他は曼荼羅をもって弟子檀那に授与。在家の信徒は、その財力を持って、それぞれに仏像を像立、これには一尊四士を日興は勧めた。日興等が公武共に奏じ、その功なれば、ここに漫荼羅の授与はあるでしょうが、ここで仏像が像立されれば一尊四士というのが、元来、日興であったと思います。

しかしながら、御筆漫荼羅に「奉懸本門寺」と添え書きし、漫荼羅を本尊と規定するに至った日興が、御影信仰を醸造しながら、では、仏本尊をどう捌いたのかは、実に興味深いテーマであろうと思えます。この時点で、日興は漫荼羅正意と即断すれば、物語としては完結しますが、しかし、尊門にせよ、日順にせよ、仏像禁忌は窺えず、むしろ、広布戒壇に事寄せて、これを認める以上、ここに仏本尊は生きています。

日興在世より100年も経った頃、「隋身所持の俗難は只是継子一旦の寵愛、月を待つ片時の蛍光か。執する者は尚強ひて帰依を致さんと欲せば、須く四菩薩を加ふべし、敢へて一仏を用ゆること勿れ」と言うも、その後、ヒステリックなまでの仏像忌避に比べれば、また、その造立を制止しておらず、緩やかです。つまり、これは日興在世であればなおさらのことであろうと類推できます。

いずれにしても、御影信仰は、造像崇拝の一種であることは紛れもない事実であり、久種に遡って師資を論じ、ついには「三身所顕無始古仏」という峻厳なまでの法華道を歩んだ日蓮の教学的な姿勢からすれば、祖師信仰、ひいては御影信仰というのは、なんともはや、仏道という点から見れば、後退である映じなくもありません。キリスト者の「偶像崇拝」などをここに引用する気は毛頭ありませんが、造仏は日蓮義であれば、これを斥けてはならず、一方、祖師信仰は本門寿量本仏久種覚知からの信仰を確立した日蓮の教えに悖るものと、わたしには映じます。

577文殊:2006/04/04(火) 21:47:14
「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身、無始古仏也」「地涌千界菩薩己心釈尊
眷属也」「上行無辺行浄行安立行等我等己心菩薩也」「我弟子惟之、地涌千界
教主釈尊初発心弟子也」「此時地涌千界出現、本門釈尊為脇士、一閻浮提第一
本尊可立此国」の文からは「我等己心釈尊・無始古仏・教主釈尊・本門釈尊」
が仏との解釈になります。日興の御影信仰は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」
と径庭があることになります。「奉懸本門寺」は犀角独歩さんのご指摘の通り
です。

578文殊:2006/04/06(木) 12:58:40
「報恩抄」では「教主釈尊」、「本尊問答抄」では「題目の五字」と
日蓮の本尊観は変遷しているが故に、後世の日蓮教団は教義論争が
現在にいたるまで絶えなかったのでしょう。日蓮自身が明示しなかった
ことと、中間の宗学者の諸解釈が厚い雲のように覆われている結果、
真意の究明は難しくなっています。

579犀角独歩:2006/04/16(日) 09:27:23

日興御影崇拝について自己レス

『富士一跡存知事』に

「一、聖人御影像の事。
  或は五人と云ひ、或は在家と云ひ、絵像木像に図し奉る事在々所々其の数を知らず、而して面々各々不同なり。
  爰に日興が云はく、先づ影像を図する所詮は後代に知らせしめんが為なり、是に付け非に付け有りのまゝに移すべきなり。之に依って日興門徒の在家出家の輩、聖人を見奉る仁等一同に評議して其の年月図し奉る所なり、全体に異ならずと雖も大概麁相に之を図せり、仍って裏に書き付けを成す云云。但し彼の面々に図する像一つも相似せざるの中に、去ぬる正和二年日順図絵の本あり、相似の分なけれども自余の像よりもすこし面影有り。而る間後輩に彼此の是非を弁ぜんが為に裏に不似の書き付け之を置く」

とあります。「影像を図する所詮は後代に知らせしめんが為」とは、実に合理的というか、俗信的な要素は微塵も感じられません。これが実際の日興の思想を受け継いだものであれば日興における御影崇拝は、そこに日蓮の面影を求めたものであり、像に神秘的な力が存するといった器物信仰とは違っていたのであろうと想像されます。よって、先の投稿を補填し、改めることといたします。

580犀角独歩:2006/04/28(金) 12:43:46

> http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/563-567

過去の議論を蒸し返す形になりますが、563にれんさんが引用された石山歴全の「此三大秘法者何者本門本尊者当寺戒壇板本尊非其戒壇本尊座地広布不至迄此地戒壇非日興正傳之題目非本門題目耶」に付された訓点には異議があります。
「非」は通常、文頭に付き否定する語で、文末に耶が付けば疑問形でしょうか。すると、その本則に従ってこの文を分割すると、

本門本尊者当寺戒壇板本尊
非其戒壇本尊座地広布不至迄此地戒壇
非日興正傳之題目
非本門題目耶

となり、この場合、本門の本尊とは当寺戒壇板本尊(なり)
其の戒壇本尊の座地、広布に至るまで此の地戒壇に非ず・
日興正伝の題目に非ず・
本門の題目に非ずや

ここで非〜耶の最後の文章だけであって、まあ、それをその前の二区に兼ね、それぞれを「非ずや」と読めないことはありませんが、いずれにしても、非は冒頭に付くべきで、その意味で歴全の訓点で、非を文末に付けて「非ずや」と読ませるのは、どうも納得がいきません。

581犀角独歩:2006/05/06(土) 12:05:54

かつて、ワラシナ師と、話しあった四大天玉の配置に関するところを、やや、まとめ、ブログにアップしました。

ご批正を賜れれば、有り難く存じます。

四大天玉の配置、日蓮が間違ったということはないと、わたしは考えます。意味があったのだと。その信頼からの管見です。

四大天玉の配置について
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50543409.html

582パンナコッタ:2006/05/14(日) 23:39:13
NO,13の本尊を見ると四天玉に東西南北が冠されて、下段の増長と広目が通常とは逆になっていますね。

その後、通常配置(時計回りに右上から東西南北)になりますが、
NO,34以降、毘楼博又(広目)・毘楼勒又(増長)と又逆になります。
弘安期に入りNO,65迄続く、この東南西北形式(途中59・60は通常配置)が在る事を踏まえれば、
蓮祖が単純に間違ったと言う事は、やはりあり得ないと思えますね。
意図した事(蓮祖の世界観)が途中で変わり、又、考えが変わりというのを繰り返して、
あの四天玉の配置が成ったように見受けられますね。

583犀角独歩:2006/05/15(月) 09:36:29

582 パンナコッタさん

そうなんです。そのような点をワラシナ師と、まだこの掲示板ができる以前か・その以前か、お話をしたことがあったのです。

石山の堂塔配置は南面ですが、五重塔ばかり西面になっているわけですね。この整列は他派に抜きんでたものであると、わたしは思います。(五重塔が仏法西漸というのは、この点を鈍らせる話ですが、まあ、それは置いて)

わたしの過程が合っているかどうか、いずれにしても、南面、西面、どちらにしても日蓮の最終的に落着した四大天玉の配置は、どちらでも合致することになります。たぶん、護本尊であったろう御筆では、四大天玉が勧請されていないわけです。懐中に折り畳んで所持する訳ですから、この方角がないこともまた、一致するとも思えるわけです。

585犀角独歩:2006/05/16(火) 06:13:47

松岡幹夫氏の『大石寺門流の本尊書写権に関する史的考察』という文を読んだのですが、これは石山門の僧侶にだけ「上人」をつけるという実におかしな文章でした。論文としては、異常な文体であるというのが第一印象です。

それはともかく、このなかで

「日興上人…特徴は、大聖人の本尊を忠実に『書写』された…中尊…日蓮在御判…大聖人を御本仏と仰ぎ…戒壇本尊を書写した証として「奉書写之」と認められている」(P28)
http://www.totetu.org/h/pdf/k013_024.pdf

という一節があり、吃驚しました。

松岡氏は、彫刻を書写したと断言しているわけです。日蓮を本仏と断言するのも学術畑では異様です。それにしても、よくまあ、こんな嘘が書けるものかと呆れました。

日興の本尊をざっと見ただけでも、「日蓮聖人御判」(正応5年10月13日上行寺蔵ほか)とあるものもあり、また、「奉書写之」の4文字となっていないわけです。

彫刻本尊の座配が“公開”されていないのにもかかわらず、これを忠実に書写したとはよく言ったものだと驚くわけです。
殊に日興書写のはじめを弘安10年10月13日と記すのはよいとしても、この本尊などは天台・伝教が日蓮とほぼ横並びで、その上に天照大神・八幡大菩薩があるという、極めて特異な座配となっているわけです。これは、その後、定型化する石山本尊とも異なっています。

1997年の文章をいまさら取り上げて云々するのも何ですが、この手の文章を臆面もなく、いまだにアップしている東洋哲学研究所と、このサイトには疑問を懐かざるを得ないと慨歎するところです。

586犀角独歩:2006/10/22(日) 10:44:19

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/1694
から移動しました。

独学徒さん

レス、有り難うございます。本尊と漫荼羅については、2002年の段階で、いちりんさんからのご提案があり、スレッドが立って、議論されてきたことでした。
問答さん、Libraさんとも盛んに語り合いました。それでも、いまに至るまで、統一した見解は生まれていません。

よって議論の継続という意味も籠めて、せっかく、スレッドが立っていますので、こちらに移動しました。

門下一般での議論で感じることですが、真蹟遺文に限り、日蓮の素意を探ろうとしても、「自分がいままで信じてきた有様」「自分の所属する門派の解釈」という“まず答えありき”となって、その肯定論として、為にする屁理屈を押しつけることは、著名な学者、権威者のほうも顕著で、その真実を覆うことは、溜息が出るところです。つまり、それらは参考になるどころか、障害となるばかりです。

わたしは思想を考えるうえで、語彙の使用をしっかりと整理しておかないと、解釈者と日蓮の素意がごちゃ混ぜに議論される徒労に引き込まれることになる過悪に何度となく遭遇してきました。これは、学問的な素人ばかりではなく、尊敬を集める学者や、古文書読みの人々にも共通するところで、これを権威と感じる人々は、日蓮の真蹟遺文の言葉ではなく、この権威に泥んでしまうわけでした。

わたしは、そのような弊害を廃し、日蓮その人に真意に迫りたい、ただ思いのみがあります。

既に何度の記したことですが、天台、妙楽といったまだ真言勃興以前の時代を生きた人々に、そもそも「本尊」という語彙の用法はありません。日本天台宗においてはしかし、当然、本尊語の使用が頻繁に行われることになりますが、つまりこれは、真言密教との密接な関係から生じていった習合であるというのが、かつての顕正居士さんのご指摘であったと思います。わたしはその時点で、本尊観は需家からもたらされたものではないかと類推していました。もちろん、この側面もありますが、やはり、顕正居士さんの仰るところが正鵠を得ていたといまは考えています。

少し前の議論で、独学徒さんが三宝に充て、本尊をお考えになっておられましたが、これはなかなかわかりやすいところであろうと思います。さらに広げれば、孝という側面からいえば、親は本尊でしょうし、忠と言えば主君は本尊、また、師匠もまた本尊と見なされ、像に刻まれてきたのが日本という風土でした。また、門下一般でみれば、鬼子母神、七面大明神などは本尊として崇敬され、富士門でも日蓮は御影として本尊とされます。そのような観点からすれば、「漫荼羅も本尊のうち」という見解は成り立つのだろうと思えます。ただ、日蓮の場合、その語彙の用法においては、それほど、ラフな使用の仕方はしていないと観察するわけです。いま、ここで論じることは、門下解釈ではなく、日蓮の祖意です。

さて、学会を含む石山では「本尊と者勝たるを用べし」という一節を切り文解釈し、唯一絶対最勝の本尊を選ぶという思惟に基づき、挙げ句、模造品である彫刻を信じ込ませるという作為を行ってきました。この操作に一度、ひっかっかり、脱却しながら、しかも、それでも、唯一の本尊を選ぶという操作が既定概念として残ってしまっているという様を、わたしは観察するわけです。これは超えるべきハードルの第一となります。

587犀角独歩:2006/10/22(日) 10:44:48

―586からつづく―

「最高の本尊」へのこだわりは、では、どこから生じるのか、それは日寛義に違いありませんが、その基底をなすのは『本尊問答抄』でしょう。その趣旨に従えば、「法華経の題目を以て本尊とすべし」ということになります。弘安元年の書とされる当抄は日興写本を遺すことから、準真蹟と扱われるわけですが、わたしは、この書にはどうも違和感を禁じ得ません。

わたしが『本尊問答抄』が、本当に日蓮の文なのかと疑うのは、あまりに雑駁な論理展開に不審を懐くからです。

先のも挙げた「本尊と者勝たるを用べし」とする根拠として「法師品…薬王在々処々若説若読若誦若書若経巻所住之処皆応起七宝塔極令高広厳飾」としますが、日蓮は他書で一部(法華経全文)を斥けて題目を採っているのに、この文証は経巻一巻の読・書を言い、さらに経典塔の建立を促すものです。この文では、まったく題目をもって本尊とする根拠になっていません。さらに「天台大師法華三味云於道場中敷好高座安置法華経一部」といいます。言うところの「一部」とは一部分ということではなく、法華経典の全巻を意味するのは古語の用法であるわけです。

この第一問答は、題目本尊と言いながら、その根拠として、法華経典安置をもって充てるという実に杜撰なものとなっています。このような稚拙な問答を日蓮が構えるとは、とうてい信じがたいと言うのが正直な感想です。この有様は、その後の問答でも同様であり、法華経典を根拠に挙げて、題目本尊を証しようとする論の運びは、なんら説得性を有しません。なぜならば、日蓮は法華経典を簡び、題目の五字を採ったからです。

さらに指摘すべき点は、法華経の題目は題目であって、法ではないということです。日蓮の思惟からすれば法華一経の意(こころ)ということなのでしょうが、こころはしかし、法ではありません。さらに言えば、法華経の題目は五字の首題であって、漫荼羅の全体ではありません。つまり、この抄は、法本尊の根拠にも、漫荼羅本尊の根拠にもなっていないわけです。

また、題目本尊と観心本尊は、大きな隔壁があります。この点を顕正居士さんは『本尊問答抄』を真蹟と判断されたうえで、日蓮の心境の変化ととらえていたと記憶します。しかし、わたしは、むしろ、当抄への疑義とする心境を持つ者です。

また、題目を本尊とするとき、三つの法門(疑偽書で三大秘法と称される)における「本門の本尊と戒壇と題目」は、問答抄の題目=本尊の趣旨で読み替えれば「本門の本尊と戒壇と本尊」ということになってしまい、鼎立する三法門は意味をなさないことになります。このような齟齬を来すことが日蓮の教学変化であるとすれば、‘三大秘法’をもって日蓮の極意とすれば、論理矛盾を来すことになるでしょう。

以上が法本尊前夜における、まず第一の疑義です。

588独学徒:2006/10/22(日) 17:21:48

犀角独歩さん、引き続きの御教授ありがとう御座います。

誠に怠惰ながら、興風談所の「御書システム」の力を借りて、日蓮真蹟遺文(曾存・直弟子写本も除外)に限って、なおかつ「観心本尊抄」執筆後という条件で検索しますと、法本尊をうかがわせる文言は「上野殿母尼御前御返事」に記される内容として以下のものがありました。

『後七日を仏弟子に渡して祈らせしに、馬鳴と申す小僧一人あり。諸仏の御本尊とし給ふ法華経を以て七日祈りしかば、白鳥壇上に飛び来たる。』

ここでは法華経をもって、「諸仏の御本尊」と述べられています。
但しこれは、「経」をもって「法」と考えた場合のことです。

また「漫荼羅」をもって「本尊」とすることをにおわせる記述として、「是日尼御書」の以下の文言が確認されます。

『又御本尊一ふくかきてまいらせ候。霊山浄土にてはかならすゆきあひたてまつるへし。恐恐謹言。』

これら「法本尊」「漫荼羅本尊」をうかがわせる文書が希少なのに比べ、「釈迦仏本尊」については、「善無畏抄」や「報恩抄」のほか、「法華行者値難事」においても、次の如く述べられています。

『追って申す。竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず〈此れに口伝有り〉。天台・伝教は之れを宣べて、本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之れを残したまふ。所詮 一には仏授与したまはざるが故に、二には時機未熟の故なり。』

この『本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字』から観取される「本門の本尊」は、まさしく釈迦仏以外に考えられません。

しかして、蓮師の教示に「法本尊」「漫荼羅本尊」という本尊観が皆無であるとは言い切れないものあるように感じられます。

加えまして、「新尼御前御返事」に多用される「此の御本尊」という表現は、文意からは「漫荼羅」を指しているように感じられます。
この点につき、御見解、御教授の程お願い申し上げます。

589犀角独歩:2006/10/22(日) 19:01:54

588 独学徒さん

今回のご投稿の由は、2002年春頃、問答さんと議論した内容と重複していますが、その後、考えの変化も当然ありましたので、再度、記すことといたします。

> 法本尊をうかがわせる文言は「上野殿母尼御前御返事」に…馬鳴と申す小僧一人…諸仏の御本尊とし給ふ法華経…「経」をもって「法」と考えた場合

この文は、まず、日蓮漫荼羅について論じていると言うより、諸仏と馬鳴のことを記したものですね。また、諸仏が本尊とするところを、凡夫が直ちに本尊とするのは可なのかという問題提議ができます。なぜならば、文字が同じでも、上行所伝されていない妙法五字を持っても日蓮の教義からすれば、意味をなさないからです。

また、仰せの通り、これは法ではなく、経典です。法華経本尊とは経典本尊であり、法本尊とは別であると思いますが如何でしょうか。ちなみに石山・学会教学では、法=法華経=題目=本尊と同一視することに成り立っていますが、日蓮の教学は、そうはなっていません。

> …「是日尼御書」…御本尊一ふくかきてまいらせ候

この文は、2002年4月の段階で、わたしも当スレッドの冒頭で引用し、独学徒さんと同様の提議を行っています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/3

ただ、これは断片で、資料としてはやや不足があるように思えます。この点はあとで述べます。

> …「法華行者値難事」…本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字…「本門の本尊」は、まさしく釈迦仏以外に考えられません

これはまさにそのとおりであろうと存じます。『開目抄』には

「諸仏を本尊とする者釈尊等を下す…天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり…倶舎・成実・律宗は三十四心断結成道の釈尊を本尊とせり…法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす…華厳宗・真言宗は釈尊を下て盧舎那・大日等を本尊と定…仏をさげ経を下。此皆本尊に迷…人皆禽獸に同ぜし…寿量品をしらざる諸宗の者畜同…寿量品の仏をしらざる者父統の邦に迷る才能ある畜生」

と言います。尤も同抄は焼失していますから、真蹟資料とすべきかは議論がわかるかもしれません。

592犀角独歩:2006/10/22(日) 19:09:13
―589からつづく―

> 「新尼御前御返事」に多用される「此の御本尊」

この書を、問答さんは2002年4月に取り上げられました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/2

執筆は文永12年2月ですから、『法華取要抄』と『撰時抄』の間ということになります。つまり、三法門(本尊・戒壇・題目)という自説を敷衍したと考えるのが自然ということになりますね。となれば、言うところの本尊は、先に挙げた『開目抄』の脈絡で、「五百塵…本尊」は『本尊抄』にいう「寿量仏」、『法華取要抄』にいう「本門の本尊」に契当すると見るべきではないでしょうか。

詰めていないのですが、漫荼羅を本尊という用法は、特に「守」「護」「まほり」といった御守本尊で使用が見られるという点で、一字三礼さんとわたしは意見を同じくしております。

やや雑駁な分類の仕方になりますが、日蓮漫荼羅の場合、四大天玉が四角に置かない図は、御守と見なしてよいのではないと、わたしは考えます。ですから、『是日尼御書』にいう本尊は、こちらではないのかとわたしは類推します。

ちなみに、創価学会の携帯本尊なるものは、この形式ではない漫荼羅を縮小して御守のごとく扱っていますが、如何にも素人騙しという観を否めません。尤も、これは携帯本尊ということで、御守とは区別されるのでしょうか。しかし、そうなると、携帯本尊とは何ぞや?という疑問は彷彿とします。脱線しました。

日蓮は観心本尊(寿量仏/三身所顕無始古仏)といったのちに、本門本尊を言います。ここに飛躍があるわけはありません。本門本尊が観心の寿量仏であり、その脇士が四菩薩、そして、戒壇と題目の三つを立てる法門にぶれがあると思えません。

本尊とは己心に観じるところ、口に唱えるのは、上行から伝わる一念三千の珠を裏(つつ)む妙法蓮華経の五字、戒壇とは、彰往考来さん、れんさんも頷かれた尊敬する都守基一師が『大崎学報』第154号所蔵論文で明確化された『取要抄』の「雖然 伝教大師 天台所存所残一事得此之上 天台未談之迹門円頓戒壇始日本建立之 仏滅後千八百余年 月支漢土日本無之 第一大事秘事也 問云 天台伝教所残之秘法何物乎」から師が結論される「「本門の戒壇については、従来聖人自身による説明がないために、あるいは理の戒壇、即是道場の戒壇という理解も行われてきた。しかし以上の文脈による限り、本門戒壇とは伝教大師が叡山に建立した迹門円頓戒壇に続いて、末法の時代にどこかに建立されるべき事相の戒壇の意であると理解するのが自然である」(P121)でしょう。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50434021.html

日蓮における本尊観は、本尊・戒壇・題目と鼎立する以上、寿量釈尊以外であるはずはないと思います。ただし、先にも種々挙げましたが、鎌倉時代、本尊とは、広い意味で使われていたわけですから、その用法から在家教化の消息文で、漫荼羅、もしくは御守符を本尊と記すことがあっても、齟齬を来したと見る必要を、わたしは感じません。

593独学徒:2006/10/22(日) 21:32:26

犀角独歩さん、今更ながら私の議論がいかに過去の議論の蒸し返しかと、恥ずかしくさえ思います。
これまでに既に出尽くした議論で、お時間をとらせてしまい恐縮です。

これも既に解決済みのことかもしれませんが、敢て恥を覚悟で質問させていただきます。

尊敬する先生の御所論では御座いますが、「戒壇」について「末法の時代にどこかに建立されるべき事相の戒壇の意」との事ですが、これでは一大秘法の「南無妙法蓮華経」、所謂「本門の題目」に集約されるようには思えません。
富士門所伝の如く、広宣流布の時は仏像建立、それに至るまでは大漫荼羅をもって本尊とするという考えは、既に大漫荼羅それ自体が「仮本尊」としての役割しかないということになります。
しかし日興は、「本門寺に懸け万年の重宝」と添書するわけで、これは広宣流布しようとしまいと、大漫荼羅は本門の寺の「末法万年の重宝」というわけです。
私は日順・日代の思想に反しますが、日興のとった振舞から考えれば、大漫荼羅を奉掲したる場所こそが「戒壇」なのではないかと考えます。
「本門の本尊」たる教主釈尊、「本門の戒壇」の証たる大漫荼羅奉掲の道場、口唱するところの「本門の題目」、このように考えれば宝前の様相は、犀角独歩さんも仰せになられていましたが、大漫荼羅と釈尊は同所に置かれてこそ初めて三大秘法の整った修行の場となるのではないでしょうか。

つまり大漫荼羅の役割は、守りとしての役割のほか、奉掲の場所を直ちに「本門の戒壇」とする役割があったのではないでしょうか。

そうであれば時代が下るにつれ「戒壇の証」が「戒壇の本尊」、そして大漫荼羅そのものが、「本尊」と誤解されるようになっていくことも十分に考えられます。
そして「本門戒壇の大御本尊」として、特化した大漫荼羅が、富士門から出現して行くことも十分におこりうるものだと思います。

以上、根拠薄弱な個人的思いの強い投稿となりましたが、御教授いただければ幸です。

594犀角独歩:2006/10/23(月) 11:19:38

593 独学徒さん

> 一大秘法の「南無妙法蓮華経」、所謂「本門の題目」

「南無妙法蓮華経」と「妙法蓮華経」は、なかなか微妙なところです。

「其所属之法何物乎。法華経之中 捨広取略 捨略取要。所謂妙法蓮華経之五字名体宗用教五重玄」(曽谷入道殿許御書)

ただし、これを是好良薬として受ける側からするとき「南無妙法蓮華経」となるのでしょう。

「是好良薬寿量品肝要名体宗用教南無妙法蓮華経是也」(本尊抄)

この薬はしかし、衆生が直ちに取ることはできません。遣いによってもたらされるわけですね。「遣使還告」がそれです。では、この薬(妙法蓮華経)を仏に所属され、遣いとされたのが上行を代表とする四菩薩である。故に末法にいたるに、ただ、この秘法の肝要のみが残されていた、というのが日蓮の主張です。

この所属の妙法蓮華経の受持、南無妙法蓮華経の口唱を、では、何に向かってするのかという問いは、実は漫荼羅・本尊を考えるうえで大きな問題なのだとわたしは考えます。妙法蓮華経に対してでしょうか。わたしは違うと思います。その本来の所持者、仏に向かってではないでしょうか。そして、その遣いをとして、自分にこの良薬(妙法蓮華経)をもたらしてくれた菩薩に向かってということになりませんか。なぜ、寿量久遠仏に向かうのか。それはすなわち久遠下種覚知から仏恩にいたるからでしょう。しかし、この妙法蓮華経は既に上行等四菩薩に所属されたものですから、その仏との取り次ぎに四菩薩が介在します。となれば、仰ぐ寿量本仏の様式はすなわち一尊四士となるということでしょう。しかし、これは仏像の話ではなく、己の心に観じる本尊であることが第一義です。所属の正体を‘伝える’具体的な方途が漫荼羅図示授与であったと、わたしは拝察します。

そしていつしか、その日蓮の教えを仰ぐ為政者が出現し、堂塔伽藍を建立すれば、そこにその久遠寿量本仏と四菩薩を建立し、ついには、迹門戒壇に代わる、本門戒壇もなることを日蓮は標榜していたのだと考えます。(詳しくは、機会を得ればそのときに記しますが、寺院仏像の建立は在家為政者の所行という考えを日蓮は有していたと考えます)

本尊は仏か・法か、いわゆる法勝人劣、もしくは法華経勝仏劣という勝劣論は、わたしは勝劣派ならではなの悲しき性がいたす選択(せんちゃく)なのだと思えます。仏も法も、共に尊いのでしょう。

たとえば、ある人が「この薬をあの人にあげなさい」と、遣わしてくれたとします。その薬を飲んで病が癒えたとき、「薬のおかげで治った。薬をくれた人のおかげでも、遣いのおかげでもない」と考えるのでしょうか。薬をくださった方、それを持ってきてくれた方に感謝の念が生じるのではないでしょうか。わたしは薬をくださった方に手を合わせます。そして、遣いに感謝し、薬を正しく服用するでしょう。

この薬とは教法であり、それはもちろん妙法蓮華経でしょう。その効能はつまり本仏釈尊と菩薩を己心に観じるところに三千を成就することですね。
この服用方法は信心口唱で、南無妙法蓮華経となるのでしょう。

では、南無妙法蓮華経に向かって、南無妙法蓮華経と唱えるのでしょうか。そうではなく、南無妙法蓮華経と本仏釈尊に向かい、誓い唱えるということでしょう。本門寿量本仏に向かって唱えるところが本門の題目であるということではないでしょうか。南無妙法蓮華経が漫荼羅なら、本仏は仏像です。以上が日蓮の思惟であろうかと存じます。

> 富士門所伝の如く、広宣流布の時は仏像建立、それに至るまでは大漫荼羅をもって本尊とするという考えは、既に大漫荼羅それ自体が「仮本尊」としての役割しかないということになります。

595犀角独歩:2006/10/23(月) 11:20:15

―594からつづく―

ここからは派祖日興以降の論議となりますね。

> …日興…広宣流布しようとしまいと、大漫荼羅は本門の寺の「末法万年の重宝」…奉掲したる場所こそが「戒壇」…道場

日興がこのように考えていたかどうか、その資料は実に乏しいわけですが、少々考えてみたいところです。

> 大漫荼羅の役割は、守りとしての役割のほか、奉掲の場所を直ちに「本門の戒壇」とする役割があったのではないでしょうか。

ならば、なぜ日興が「本門寺奉懸」と添え書きした大漫荼羅はいずれの寺にもかかっておらず、その寺が本門寺と呼ばれていないのでしょうか。わたしは寡聞にして存じ上げませんが、当の重須本堂、本門寺を名乗る各寺院では、では、日興が「本門寺奉懸」と記した漫荼羅がかかっているのでしょうか。
また、日興、そして、日目、日郷が天奏にかくも執念を示したのでしょうか。
つまり、このことこそが、戒壇未成就を示すことなのだとわたしは考えます。

この意味において、日興は、日蓮の戒壇義をある程度、そのままに継承していたのだろうと思えます。(戒壇は遺された密事であるということです)

ただし、その本尊義、もっと言えば漫荼羅に関する考え方は、日蓮、日興では大きく違っていると思えます。日蓮における漫荼羅図示は伝法証符の意味合いを持ち、しかし、日興にとっては、漫荼羅は本尊となっていった相違です。さらにその重須において、やがて漫荼羅は未来建立の戒壇堂の仏像奉安を示す図と解釈されるにいたり、さらに漫荼羅正意の偏執と、日蓮御影信仰の勃興は、仏本尊廃棄へと傾いていったと整理できようかと存じます。

なお、戒壇と道場は、その意義を大きく異にするのではないでしょうか。

日蓮は比叡山において菩薩戒を受けた人なのです。日昭にしてもしかりでしょう。他の阿闍梨号を有す弟子方は、どうであったのか、この点は実に悩ましい問題であるわけです。『取要抄』から看取できる日蓮の戒壇建立構想はしかし、比叡山戒壇を否定したところにあったようには思えません。その点は日興門下でも同様で、その証左が日順の比叡山遊学です。

現代となっては戒壇・受戒など等閑にされたところですが、この現代感覚で、戒壇を考えれば、上古の意味は取れないでしょう。

一方、道場とは、法華修行の場であって、受戒の場・戒壇とはその意義が違います。これは憶測の域を出ませんが、漫荼羅奉懸をもって、道場荘厳とした可能性は大いにあり得るとわたしは考えています。殊に日蓮の弟子僧の多くは、天台宗寺院寓居の修行者であり、いわば法華宗(天台宗)日蓮派といった立場であったわけでしょう。寓居する各寺院には、それぞれの本尊(仏像)が安置されてあるのは当然です。そこにおいて、日蓮が一門の道場として、かりそめの道場と荘厳する具として、漫荼羅奉懸はあったのではないかと想像します。

> 「戒壇の証」が「戒壇の本尊」、そして大漫荼羅そのものが、「本尊」と誤解されるようになっていく

これは、日興からも乖離する何ら重宝を有していなかった日目・南条の私寺が祖師・派祖の意図も汲めず画策していったところなのでしょうね。

> 「本門戒壇の大御本尊」として、特化した大漫荼羅が、富士門から出現

ここに至る経緯はかなり複雑であり、この一連の歴史推移を認識することは骨が折れます。何より、現代の各集団のアナウンスがまったくのご都合と捏造にまみれているために事実を覆い隠しもしています。また、日興から重須、京、西山、保田という広がりから、石山での特化はそれぞれ別事として整理する必要もあります。

> 口唱するところの「本門の題目」…宝前の様相…犀角独歩…大漫荼羅と釈尊は同所に置かれてこそ初めて三大秘法の整った修行の場

釈迦仏像を置き、漫荼羅も奉懸すれば、道場でもあるという気分を有します。また、私事として、菩薩道誓戒の場として道場を考えれば、個における戒壇と安ずることはできようかと存じます。

596独学徒:2006/10/23(月) 21:34:54

犀角独歩さん、

594での御教示、誠にその通りと思いました。

>では、日興が「本門寺奉懸」と記した漫荼羅がかかっているのでしょうか。

これにつきましては、それを証明する資料は全く存じ上げません。
憶測の域を出ませんが、当初は安置され、やがて宝蔵へしまいこまれたのかと想像はしています。
それでも日興添書のある大漫荼羅が他門あるということは、奉掲していたどころか売ってしまったという、全く犀角独歩さんの御指摘を裏付ける事実のみ明確なところは、なんとも言い訳もできないところであります。

私は、本門本尊が為政者によって造立され、本門戒壇も為政者によって建立されるとなりますと、蓮師の残したものは本門題目のみということになります。
しかし大漫荼羅は未曾有のものでありますし、それ相応の用途があったのではないかと思えてならないのです。
そのため真言における曼荼羅の用途を、執拗にお聞きしたりしていました。
「摩訶止観」、凡夫が心(摩訶)を止まって(止めて?)観る為の道具か。もしくは「観心本尊」、凡夫が心に本尊を観るためのイメージトレーニングの道具か、などを愚考し、意見させていただきました所存です。

「戒壇」と「道場」の意義の違い、御指摘ありがとう御座います。
大漫荼羅奉掲の場所を持って「戒壇」とする愚考は、国主帰依無きゆえに、本門本尊はないけれども、大漫荼羅奉掲の場所を「戒壇」と考えれば、後代の門下が叡山に行かなくとも受戒を受け出家得度する場所は確保できる。
そんな発想も成り立つのではないかとの愚考でもあります。

>また、日興、そして、日目、日郷が天奏にかくも執念を示したのでしょうか。

私もこれらの天奏は、「本門戒壇」建立の懇願とずっと思っていたのですが、ここ数日は「本門本尊」造立の懇願ではないかと考え始めているところです。
つまり「本門本尊」未成就のため、天奏を繰り返したのではないかと。
それがいつの間にか、大漫荼羅をもって「本門本尊」との誤解がはじまり、それによって「本門戒壇」未成就の思想に代わっていったのではないかと愚考し始めたところです。

>かりそめの道場と荘厳する具として、漫荼羅奉懸はあったのではないかと想像します。

これも非常に頷けるご投稿です。
本門本尊が国主造立とすれば、各地の門下・信徒のところでは、特に一尊四士の造立のできない場所では、大漫荼羅奉掲をもって道場を荘厳することは、もっとも自然な感じがします。

ここ数日の議論は、私は何一つ資料を使いこなせることなく、愚考を書き連ねる状況が続いております。
これも私が、何もわかっていない何よりの証左かと存じます。
お付き合いいただいております、犀角独歩さんの学恩に心より感謝申し上げる次第です。

597犀角独歩:2006/10/25(水) 09:45:35

596 独学徒さん

> …本門本尊…本門戒壇も為政者によって建立…蓮師の残したものは本門題目のみ

なるほど、そのようなニュアンスで受け止めていらっしゃいましたか。
より正確に素描してみますか。

日蓮が、敢えて「本門」とことわるのは、迹面本裏と成句される天台は方便品(迹門)諸法実相をもって表とするわけですから、ここに両師の相違は明らかです。では、「本門の」とするところは三つの法門であるというわけです。つまり、日蓮は本尊、戒壇、題目の‘法門’を遺したわけです。それに受持する未来の為政者はしかし、その法門に基づいて、本門の本尊像、つまり、一尊四士という奉安様式の仏像を建立するわけです。こちらは仏像です。つまり、日蓮は法を伝持、為政者は仏像を造立するという役割の差です。この点は戒壇も同様です。
ですから、日蓮が本尊、戒壇を遺さないというのは、やや不正確な表現ではないかと思います。

> 大漫荼羅は未曾有…それ相応の用途があった

これは、わたしももちろん、そう思います。
執行師の言を籍りれば、己心の釈尊の、その己心を表現したわけですから、しかし、たしかに未曾有に相違なきところと存じます。

> 「摩訶止観」

わたしは何度となく記してきましたが、『摩訶止観』について、たとえば、同書を岩波文庫で発刊した関口真大師は

「摩訶止観10巻は、仏教史上にあらわれた最大かつ最も懇切な座禅の指導書であり、すなわちまた禅の指南書である」(岩波文庫9頁)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014117694/33

というわけです。

598犀角独歩:2006/10/25(水) 09:46:38

―597からつづく―

では、「摩訶」とmahāの音写で、「偉大な」といった意味合い、止観については、たとえば、『日蓮宗事典』では以下のように記されます。簡潔なので説明に換えます。

「止は梵語 s'amatha, 観は Vipas'y-ana ̄の訳語。本来止と観とは別個のものであるが、二つを併称することによって、一つの用語を形成している。また「止観」と言った場合、天台大師智邈によって講説された『摩訶止観』を指す場合もある(聖人の用例)。更にまた智邈が主張した、漸次・不定・円頓の三種止観を略称するものと解される場合もある。
 止観は天台大師智邈によって、最も重んじられたので、それは智邈によって提唱されたものの如く思考されるが、既にこの止観については阿含経典に諸説がある。しかもこれらの叙述は端的に止観の意味を伝えているものとして注目される。即ち『長阿含経』巻九に、「云何が二の修法なる、謂わく止と観となり」といい、また『増一阿含経』巻一一には、「阿練比丘は常に二法を修行すべし。云何が二法なるや、所謂止と観となり」と説かれている。『成実論』巻一五には止観品があり、次の如く叙述される。「問うて云く。仏は処々の経中に諸比丘に告ぐ。若しくは阿練若処に在るも、若しくは樹下にあるも、若しくは空舎にあるも、応に二法を念ずべし。所謂止と観となり。若し一切の禅定等の法皆悉く応に念ずべきに、何が故に但だ止観のみを説くや。答えて曰く。止は定に名づけ、観は慧に名づく。一切善法の修より生ずるものは、此の二を皆摂す。及び散心に在る聞思等の慧も亦此の中に摂す。此の二事を以って能く道法を弁ず。所以は何如ん。止は能く結を遮し、観は能く断滅す。止は草を捉うるが如く、観は鎌にて刈るが如し。止は地を掃うが如く、観は糞を除くが如し。止は垢を掃うが如く、観は水にて洗うが如し。止は水に浸すが如く、観は火に熟するが如し。止は癰に附するが如く、観は刀にて決するが如し。止は脈を起すが如く、観は血を刺すが如し。止は制して心を調え、観は没する心を起す。止は釜に灑ぐが如く、観は火に炙るが如し。止は繩を牽ぐが如く、観は[戔*(利-禾)]を用うるが如く。止は鑷にて鑷刺するが如く、観は剪刀にて髪を剪るが如し。止は器諟の如く、観は兵[木*(祓-示)]の如く。止は平立の如く、観は箭を発するが如し。止は膩を服するが如く、観は薬を投ずるが如し。止は泥を調するが如く、観は印を印するが如く。止は金を調するが如く、観は器を造るが如く。又世間の衆生は皆二辺に堕す。若しくは苦、若しくは楽なり。止は能く楽を捨し、観は能く苦を離る。又七浄の中の戒浄心浄を止と名づけ、余の五を観と名づく。(略)七覚分の中の三覚分を止と名づけ、三覚分を観と名づけ、念は則ち倶に随う。八道分の中、三分を戒と名づけ、二分を止と名づけ三分を観と名づく。戒は亦止に属す。又止は能く貪を断じ、観は無明を除く」とある。これによって、止と観とのそれぞれがおよそ判明するが、止とは境であり、観とは智であることが一般的な止と観の意味である」
([]はJIS外 参)http://www.geocities.jp/saikakudoppo/gaijihyoki.html

599犀角独歩:2006/10/25(水) 09:47:36

―598からつづく―

> 「観心本尊」、凡夫が心に本尊を観るため

凡夫が、ですか。所謂「一心三観」における空化中を三身所顕無始古仏と観ていくことですから、凡夫のよくなせるところではないのでしょう。ですから、形貌によって、それを示す必要があります。すなわち、仏像です。

参)「若一法一切法 即是因縁所生法。是爲假名假觀也 若一切法即一法 我説即是空空觀也 若非一非一切者即是中道觀。一空一切空無假中而不空 總空觀也 一假一切假無空中而不假 總假觀也 一中一切中無空假而不中 總中觀也。即中論所説不可思議一心三觀」(摩訶止観5)「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也」(本尊抄)

これを万人にわかるように書き表したのが漫荼羅などといいますが、日蓮在世時代、一般民衆の識字率はいうに及ばず、武士階級でも四人に一人ほど、読めなかったというわけですから、文字漫荼羅は、知的特権階級の具であったことが知られます。仏像画以上に民衆には難解であったことでしょう。であるからこそ、唱題という行が有効であり、かつ、視覚に直接、訴える仏像が望まれたのではないでしょうか。

> 「戒壇」とする愚考は、国主帰依無きゆえに、本門本尊はないけれども、大漫荼羅奉掲の場所を「戒壇」と考えれば、後代の門下が叡山に行かなくとも受戒を受け出家得度する場所は確保できる。

これは戒壇の根本的な意義を欠いていませんか。
たとえば、東大寺戒壇院について、以下のような説明があります。

「大仏開眼より2年後、聖武天皇は唐から鑑真和上を迎えて大仏殿の前に戒壇を設けました。そこで天皇、皇后をはじめ500人が受戒」
http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/mmdb/marc4/nara/toudaiji/21.html

天皇の受戒、これは大きなキーワードです。
伝教が比叡山に戒壇院を勅許されたことにより、国家公認の僧の受戒をこの場で行うことができるようになったわけですが、日蓮においては、意義はそこに留まらないと、わたしは考えます。
簡潔に記しますが、大乗戒壇、ここで授けられるところは「菩薩」戒です。以下の『本尊抄』を想い出してください。

「此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王」

賢王は菩薩であるというのです。天台・伝教已来の佳例を踏む日蓮が「菩薩」であるというとき、それは法華受戒を受けた王であることを意味します。つまり、王が菩薩であるためには、受戒を絶対の要件とするのであり、そのためには戒壇は不可欠であるということです。本門本尊仏像を造立する王が受戒を受けるに相応しい場、それは迹門戒壇でしょうか。本門戒壇ではありませんか。

この戒壇は修行のための道場とは、根本的に意味を異にします。

『以一察万抄』『取要抄』に、日蓮が未来事相戒壇建立を密事としながらも標榜したのは、本門本尊寿量仏像を奉安する寺院建立において、折伏を現ずる折伏菩薩の賢王は、まず、本門戒壇において戒を日蓮の許に受け、菩薩の菩薩たる所以を具体的に対してのち、本門本尊堂を建立していくという図式を意味していませんか。

以上のことは、中世における檀家制度、さらに民主国家の現在とは遙か隔世の感に霞んだ、鎌倉往時の、日蓮の思惟であったと、わたしは拝します。現代の感覚で推し量っては想像だにもできないところでしょう。

600今川元真:2006/10/25(水) 16:25:48
横レス失礼致します。 日蓮聖人は四箇格言を鎌倉時代の僧の有様から言う。そして、天台密教から法華一乗を思考する。法華経(心)漫荼羅、仏像(色)行者、衣装(事実?)茶・糞雑衣(ゴウタマ・シッダルタ応誕を意識→経典から出る尾鰭の広がり方も考え方の一つひとつ)、灰・位階出自隔て無い(権威権力を持つ人々を意識して当然)

601今川元真:2006/10/25(水) 16:43:31
21世紀の学問【仏教経典・法華経・諸経の王、シャクソン・教主、日蓮・導師、漫荼羅・養育親】【法華経受持、如意宝珠・一念三千、如来神通力・陀羅尼真言、自然治癒力】【漫荼羅を信じさせ給え、信・仏、学・法華経、行・唱題】 先師先達と奉る訳では無いのですが、犀角独歩さん関係者各位の皆さんの知識情報意見を開示して頂ければと思います。 其れから管理人さん関係者各位方々、挙証出典に真、偽、未決、等書いて頂ければと思いますが、如何でしょうか。宜しくお願いします。

602犀角独歩:2006/10/25(水) 19:09:11

今川元真さん

> 知識情報意見を開示

この意味を斟酌しかねるのですが、もう少し記していただけませんか。

603独学徒:2006/10/25(水) 19:28:02

犀角独歩さん、今回は何度目から鱗が落ちたかわかりません。

大漫荼羅の用法についての愚論を、散々述べさせていただきましたが、犀角独歩さん御指摘の通り、漢字の読めない人が大半であった時代に、文字漫荼羅では何のイメージもできようはずがありませんね。
また蓮師は盲目乗蓮にも大漫荼羅を授与していることから、肉眼で文字漫荼羅をみて何かの修法とすることは、あらためて考えずらいと思いました。

また本門戒壇が賢王の菩薩戒受戒の場所との御教授、私は想像もしていなかった事でした。
やはり私には、正本堂=本門戒壇という概念が残っていたのでしょう、本門戒壇は信徒が本門本尊の開帳を受ける場、僧侶が受戒を受ける場という考えしかありませんでした。
自分では創価学会をはじめとする、彫刻信仰圏の思想からは脱却していると思っていましたが、思わぬところで自信に内在する彫刻信仰の痕跡を発見させられました。
あらためて感謝する次第です。
ありがとうございました。

最後にもう一つ御教授をお願いいたします。
大漫荼羅の用途、これを犀角独歩さんはなんであるとお考えでしょうか。

604犀角独歩:2006/10/26(木) 09:47:31

独学徒さん

> 大漫荼羅の用途

いくつかあるとは思います。また、派生的、発展的に、その‘用途’の変遷、もしくは応用はあるとも思います。
しかし、その根本は‘受持’ということではないでしょうか。より正確に記せば、授与であり、受持です。

『本尊抄』に「召地涌千界大菩薩寿量品肝心以妙法蓮華経五字令授与閻浮衆生也」とあります。

菩薩は授与し、衆生は受持する関係です。この五字の具体的な授与と受持とは、たとえば、石山門・日寛の言を挙げれば受持即信心などといいます。要は妙法五字を信じ、唱えるところにその受持があるというわけです。これは間違いとは言えないでしょうが、しかし、肝心の部分を欠いています。この日寛は解釈の五字と受持の関係は、観念に堕しています。

もっと具体的ではないでしょうか。つまり、妙法五字の授与・受持とは漫荼羅の授与・受持なのだと、わたしは近来、気が付きました。

日蓮は「上行菩薩所伝妙法蓮華経五字」(定P815)を、具体的に漫荼羅に記し、衆生に授与したのでしょう。つまり、我らが日蓮が唱え始めた妙法蓮華経を受持するとは、この漫荼羅を受持することをもって実際の事相として実現するのでしょう。単に法華経を読み、遺文を読み、口伝えに妙法蓮華経と唱えただけでは名ばかりのものでしょう。これでは久遠釈尊 ― 上行菩薩 ― 日蓮と受け継がれた妙法蓮華経とは違います。日蓮は自分が受持した五字を、漫荼羅に記し、衆生に授与したのだと考えます。これが日蓮の漫荼羅の‘用途’の第一であろうと、わたしは考えます。

さらに次段階としては、この漫荼羅を受持した法師は、この漫荼羅にある妙法蓮華経を読み諳んじ、そして、上行・日蓮の意を通じて解し説き、そして、また次に‘書写’して、その妙法蓮華経を授与していく無限連鎖が門下一般に広がっていったのでしょう。日蓮義において、妙法五字の受持とは漫荼羅奉戴ということではないでしょうか。

やや話の間口は広がりますが、『新尼御前御返事』では、漫荼羅を、如何様に扱うかを垣間見る思いが、わたしはします。「此五字の大曼荼羅を身に帯し心に存」(定P867)すというのです。別例を挙げれば、まさに『本尊抄』にあります。
「五字内裹此珠令懸末代幼稚頚」(定P720)

このような点を考慮するとき、漫荼羅は奉安というより、折り畳み、袋に入れ、頚から紐につないで懐中に持していた様が窺えようかと存じます。受持の延長に漫荼羅の‘用途’として、守本尊といった側面が見られることになります。

しかし、これに収まらない大幅の漫荼羅は現存しているわけです。
中尾師の談ですが、現存する漫荼羅を観察すると、「板張り」にされていた形跡があるもの、また、幟のように扱われた形跡があるものが残っていると言います。前者は、道場結界の具という‘用途’であり、後者は布教の旗印として‘用途’であったのかもしれません。しかし、宮殿・厨子に奉安するような仏像と同じような扱いは見られません。

ところで、漫荼羅は五字のみならず、そこに霊山・虚空の有様が図示されています。つまり、これは妙法五字がどのように所伝されていったのかを図式化し、それを示したのではないでしょうか。では、四大天玉は、と言えば、既に戒壇の有様がここに記され、さらに愛染・不動の勧請、さらに経文等の書き込みは、符(祈祷祈願)としての‘用途’も籠められていたことを意味するのだと思えます。これらの様を見るに、実に多岐にわたる要素を日蓮漫荼羅は有していることになります。

いずれにしても、漫荼羅は、上行所伝の妙法蓮華経を、具体的に授与し、受持するという儀式に、その意義があったと観察します。

授与と受持は、血の温もりのある関係であると思えます。
その意味において、図には違いありませんが、その授受に係る意がなければ、それは写真と同じです。妙法五字もまた、ただ形ばかりのものに過ぎません。『御本尊集』の‘本尊写真’が本尊ではないことと同様です。

やや敷衍すれば、この授受の漫荼羅を帯さないものが、造立する一尊仏像四菩薩脇士像も、同じく形ばかりのものということになるのであろうと観察します。

以上が、日蓮の意図した漫荼羅の意義であったと、わたしは考えます。

605問答迷人:2006/10/26(木) 16:57:50

独学徒さん
犀角独歩さん

>いずれにしても、漫荼羅は、上行所伝の妙法蓮華経を、具体的に授与し、受持するという儀式に、その意義があったと観察します。

犀角独歩さんの、このご見解、全く賛同します。本尊抄と一致し、極めて解かり易く、しかも的を射抜いた見解だと思います。流石ですね。感服しました。

606今川元真:2006/10/26(木) 21:05:36
犀角独歩さん、間が空いてしまってすいません。私は調べるデータが乏しかったり何を最優先で見易くメモるかで辻褄が合わない事を書いてしまう事が多いです。皆様方の与り知らぬ事とは存じますが、何かしら知識情報を御存じなら教えて頂きたいと厚かましくも書いてしまいました。

607独学徒:2006/10/26(木) 22:56:54

犀角独歩さん、
問答名人さん、

私も問答名人さんと全くの同意見です。
本尊・戒壇に続き、大漫荼羅の用途につきましても、懇切丁寧に御教授意戴きましたこと、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

608犀角独歩:2006/10/27(金) 11:30:05

問答名人さん

ご賛同、恐縮です。


独学徒さん

適切なご質問をいただき、答弁することで、管見を整理することができました。有り難うございました。


今川元真さん

お知りになりたい具体的な知識情報をお尋ねいただければ、わかる範囲でお応え申し上げる所存です。

609名無しさん:2006/10/27(金) 20:24:35
以前書き込みしました名無しと申します。
謹んで犀角独歩さんに率直にお聞き致します。

現在、日蓮系の宗派はたくさんありますが、その中で、一番日蓮の教えに忠実な
(もしくは忠実に近い)宗派はどことお考えでしょうか?

各宗派が自己の優位性ばかり主張してきた過程には、うんざりしています。
嘘やだましもかなり多いようで、本当の事が知りたいですね。

610犀角独歩:2006/10/27(金) 22:13:38

名無しさん、こんばんは。

> 一番日蓮の教えに忠実な(もしくは忠実に近い)宗派はどこ

ここ数年来、当掲示板で皆さんと考えてきたところから申し上げれば、「ない」というのが率直な答えです。ないから、宗派、学者、権威者の言に惑わされず、日蓮その人を考えようということでした。

ただし、各宗派が悪意を持って日蓮の教えを枉げたというより、700年という時間の経過とは、斯くなるものなのだというのも正直な感想です。

611名無しさん:2006/10/28(土) 03:41:01
>犀角独歩さん

貴重なご意見、本当にありがとうございました。
これからも、独歩さんの書き込みを拝見するのを楽しみにしています。
頑張って下さいね。

612犀角独歩:2006/10/28(土) 10:27:25

名無しさん、お励まし、感謝いたします。

少し補足します。わたしは「どの宗派が」といった取捨は選択法として賢明とは思いません。それぞれ、善いところもあれば、悪いところもあるからです。ですから、善いところは採り、悪いところは採らず、人や、権威によらず、真実に基づくという在り方がよいのではないでしょうか。

いまの各宗派、おかしなところも多々ありますし、日蓮に遡源できないことも大半を占めます。しかし、700年来の発展と工夫に叡智を費やしたと思えるところも多くあります。反面、日蓮の素意であるといっても現代にはまったく用いることができない点もあります。これは『法華経』にしてもそうでしょう。

「伝持の人なければ、なお木石の衣鉢を帯持せるがごとし」とは『顕仏未来記』の一節ですが、日蓮の素意・原形教義とは違っても、しかし、いまに菩薩の実践をする人々は多くいます。その菩薩道が、仮に日蓮と違った形であったとしても、わたしは敬意を表します。

名無しさんが、「自己の優位性ばかり主張してきた」という点は、この菩薩の心とは反して映じる部分なのであろうと存じます。

613今川元真:2006/10/28(土) 18:53:55
犀角独歩さん、ありがとうございます。

614犀角独歩:2006/10/29(日) 18:20:22

本尊と漫荼羅について、やや管見を記してきましたが、ここで過去の議論も振り返りながら、少し整理しておきたいと思います。

中世以降の石山教学においては

釈迦如来=日蓮=本尊=仏=漫荼羅
法華経典=題目=本尊=法=漫荼羅

という連想によって成り立っているわけです。やや穿った言い方をすれば、御義口伝などにみられる本覚論的な短絡発想がここにあります。このような杜撰な考え方は、では、日蓮にあったのかという問いは立ちます。わたしは「ない」と考えるわけですが、しかしたとえば『本尊問答抄』における 題目=法華経 という挙証の有様は、これに当たると思えます。このことから、この書が真蹟であるか・否か、わたしは大いに疑ってかかるわけです。題目=本尊であるならば、「本尊と戒壇と題目の五字」という鼎立は、本尊と戒壇と本尊ということになってしまうわけで、三法門は成り立たないことになります。

題目本尊への疑問は、以上のような脈絡から思うところです。しかし、仮にこの書を真蹟として自問自答をすれば、『本尊問答抄』にいう題目本尊と、本門本尊は、では、同じなのかという問いは立ちます。

「法華経の題目を以て本尊」(定P1573)というときの法華経とは本迹両門に亘る法華経典の題目を意味すると採れます。一方、『本尊抄』の「事行南無妙法蓮華経五字 並本門本尊未広行之」(同P719)、『法華取要抄』の「此人得守護之力以本門本尊・妙法蓮華経五字令広宣流布於閻浮提歟」(同P739)、『法華行者値難事』の「本門本尊与四菩薩戒壇南無妙法蓮華経五字残之」(同P797)、『顕仏未来記』の「本門本尊与戒壇与題目五字」(同P815)でいう‘本門本尊’とは、迹門を簡んで本門とことわるわけです。

わたしが‘法本尊’という成句を奇異と感じるのは、迹門・諸法実相に事起こり本尊を陳べれば、それは一念三千法界からのことであるから、法本尊といえないこともないながら、本門寿量は、五百塵点成道という釈迦‘仏’を説く段であれば仏本尊に相違ないからです。つまり、本門とことわって本尊を陳べるのであれば、それは久成の釈迦‘仏’と最初一番成道・初発心の弟子‘四菩薩’との物語ということです。迹門・諸‘法’実相を簡んで本門本尊を取るという脈絡が看取できます。

では、この本門本尊と、法華経(本迹両門)題目の本尊と、それが同意なのでしょうか。

かつて問答さんと「法華経が先か、釈迦仏が先か」という議論をさせていただいたことがありました。これはまた、敢えて勝劣論的に記述すれば、法華勝釈迦劣という思弁を日蓮が有していたかどうかという問いでもあったわけです。妙法華・提婆品第12には「吾於過去 無量劫中 求法華経」と明記されるわけです。これを受けて日蓮は『日妙聖人御書』に「かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり。昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に、千歳が間阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせ給て、今の釈尊となり給」(同P643)というわけです。つまり、不軽=檀王=釈迦仏とことわったうえで、因位において妙法蓮華経五字によったというわけです。この点は、たとえば『祈祷鈔』において引用される「諸仏所師所謂法」という『涅槃経』の文を、「涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説せ給へり。仏此法華経をさとりて仏に成」という法華・涅槃の見地から即断していくわけです。ここでいう法華経とは、『十章鈔』「阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時必ず止観なりき。口ずさみは必南無妙法蓮華経なり」(同P489)から類すれば妙法五字であるといえることになります。この文から、題目が本尊という結論が導き出されるわけではありませんが、生仏(衆生=凡夫・仏)ともに「口ずさみ」は妙法五字というのが日蓮の思弁であることが知られます。

敢えて、真蹟未遺を採って勘がえます。『立正観抄』には「此妙法諸仏師也。如今経文久遠実成妙覚極果仏之境界非爾前迹門之教主・諸仏・菩薩境界。経唯仏与仏乃能究尽者迹門界如三千法門迹門仏当分究竟辺説也。本地難思境智妙法迹仏等思慮不及。」(同P848)といいます。この迹仏の辺から一重立ち入るところに本門本尊を立てるのが日蓮の三法門における「本門本尊」ではないのか。とすれば、本門本尊は題目本尊を簡んだところの日蓮御立法門であり、『本尊問答抄』は、その先序の本尊を通じて語ったものに過ぎなかったのではないのかというのが、わたしの管見です。

諸賢の叱正を仰ぐものです。

615犀角独歩:2006/10/30(月) 08:11:37

一晩経って、読み直すと、自分の文章ながら、気に入らぬところが目に付くものです。

> 先序の本尊を通じて語ったものに過ぎなかった

この表現は意を尽くしていません。少し補足します。

┌法華経の題目=法華全編の題名
└─本門の題目=従地涌出品第15〜普賢菩薩勧発品第28の題名

文字通り読めば、上記のごとくなります。先の独学徒さんとの議論でも引用しましたが、「本迹雖殊不思議一」(文句)と至極されるのにもかかわらず、敢えて本門立てに日蓮は論じるわけです。

「師に握拳なし」ということは、日蓮には言えないわけです。
顕説と密事ということが適宜な表現かどうか一考の余地はありますが、いまは、これを採ります。仮に『本尊問答抄』が真蹟であったとすると、日蓮は顕説として法華経題目本尊を表にし、四菩薩にかかる密事として三法門を立て、ここに一重立ち入り迹門を簡んで本門立てに本尊と題目を論じたのではないのか、という仮説をわたしは考えたということです。

616天蓋真鏡:2006/11/01(水) 08:17:17
おはようございます。 手紙形式での挙証で確認するしかない訳ですから、具体的に詳しくは判らないかもしれないと言う事でしょうか。  本仏の像と本尊顕説の漫荼羅は一対として戒壇堂に掲げるべきだと論じる事ができますか。 私は極端でも信心学問修行を進められるのは漫荼羅しかないと論じたいのですけど。

617犀角独歩:2006/11/01(水) 09:14:27

天蓋真鏡さん

おはようございます。

『本尊抄』から整理すると、以下のように、わたしは考えています。

四菩薩┬摂受 ― 僧侶 ― 妙法五字授与 ― 漫荼羅
   └折伏 ― 賢王 ― 寿量本仏像と、その奉安堂塔伽藍の建造

さらに『本尊問答抄』を真蹟として扱えば、

   ┌題目 ― 今番下種 ― 法華経題目の本尊 ― 拡大解釈として漫荼羅本尊
三法門┼戒壇 ― 賢王の本門戒壇の建立
   └本尊 ― 久遠下種 ― 久遠本仏・四菩薩像本尊

以上、有徳王・覚徳比丘の故事から王仏冥合の見地から御立てたのが日蓮の法門であると観察します。

ですから、信仰面から、己を今番下種(いま釈迦の末法に生まれてはじめて下種されたという見地)漫荼羅本尊(派祖以降は祖師像も)、久種(久遠五百塵点、初発心の弟子四菩薩結縁による下種と見れば)一尊四士と、奉安本尊に格差が出るのではないでしょうか。

もちろん、‘くに’としての寿量本仏像・堂は、四菩薩賢王のなすことなので、各家庭での奉安は、各個人の感得の話ということです。

※上記図が、崩れて表示される方は、以下を参考してください
 http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html

618犀角独歩:2006/11/01(水) 09:59:37

また、補足します。

『本尊問答抄』を真蹟として扱わない場合は以下のとおりです。わたしは、どちらかというと、この立場です。漫荼羅は、妙法五字授与・受持の允可の証といった感覚でとらえます。

   ┌題目 ― 今番下種 ― 法華経題目の授与 ― 受持の漫荼羅
三法門┼戒壇 ― 賢王の本門戒壇の建立
   └本尊 ― 久遠下種 ― 久遠本仏・四菩薩像本尊

619天蓋真鏡:2006/11/01(水) 15:44:11
出かけていたのですみません。 【摂受&折伏の立て分けはなるほどですが、奉安本尊は仮の本尊ですか。允可証は末法無戒の戒壇の役割を果たさないのか。+戒壇は授与の場でしょうか、と質問がでます。】【「諸経の王・法華経→天台密教→法華一乗、本尊表現変化(幟、板貼、守札)、本仏(主師親)シャクソン色像・三法門(本尊・戒壇・題目)漫荼羅心図・法華経行者」上行→不軽→沙弥】

620犀角独歩:2006/11/01(水) 19:58:21

天蓋真鏡さん

ちょっと、ご質問の趣旨が斟酌しきれないのですが、思う範囲でお応えします。

> 奉安本尊は仮の本尊

これは漫荼羅本尊のことを指してのことでしょうか。
「仮」というより、仏像は久種により、漫荼羅は今番下種の差かと。
僧侶はあくまで漫荼羅授与が至極とするわけですから、自ら漫荼羅を下した国主が、やがて、本仏像・堂を建造するのを待つひねもすよもすがらということと考えます。

> 允可証は末法無戒の戒壇

これは、意味を採れません。ただ、一点。無戒の戒壇ということは論理矛盾です。戒壇を謳う日蓮が戒を当然、重視したでしょう。いわゆる菩薩戒です。
重須の地から日順が比叡山に遊学したことは、当然、この受戒を意味したでしょう。また、日興、日目、日郷、日尊などの天奏は、本門戒壇建立から、寿量本仏像・堂の造立・建立を目指したものであったと読みます。

> 戒壇は授与の場でしょうか

いえ。戒壇は受戒の場です。

> 諸経の王…

これ以下は意味を採れませんでした。

621天蓋真鏡:2006/11/01(水) 21:30:31
レスありがとうございます。          ●漫荼羅本尊授与が僧の最も大事な課題になるのでしょうか。一尊四士像&戒壇堂は気長に待つというのは解せません。御書遺文にも弟子にもはっきり伝わらないのは日蓮聖人が時世を判断して密事にした? ●無戒は「無戒の僧」とか表現した事があったと記憶にたったので、すみません。 ●授戒は僧だけと言う事でしょうか。

622犀角独歩:2006/11/03(金) 08:13:34

天蓋真鏡さん

> 漫荼羅本尊授与が僧の最も大事な課題

「最も」という比較勝劣の問題ではないと存じます。重大な役割の一つであろうということです。
先に独学徒さんが、日蓮が目の不自由な方にも漫荼羅を授与されたことが記されていました。一念三千の珠を裏む妙法蓮華経五字の受持は、その文字が見えるとか、声を出して唱えられるかとか、もっと詰めれば、受け取ったことを理解できない知的障害ではだめであるとかということではないのでしょう。見えなくとも、唱えられなくても、意味がわからなくても、上行所伝の妙法五字の認められた漫荼羅を受けることで仏種を植えるところに、その意義があるのではないでしょうか。

さらに進めれば、法華菩薩道とは、単に弘教に留まるのではなく、その五字を受持した自分が何をなすのかという具体的、且つ自主的行動を、おのが内心から涌く信念に基づき正道へ薫発することを訓えたのが『立正安国』ではないですか。

> 一尊四士像&戒壇堂は気長に待つというのは解せません

これは解せないと言われても致し方がないところです。

> 密事

この点は、『取要抄』『以一万察抄』、ならびに『「法華取要抄」の草案について」(『大崎学報』第154号所蔵、都守基一師の論文)を参考になさってください。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50434021.html

> 無戒は「無戒の僧」とか表現

『御衣並単衣御書』に「日蓮は無戒の比丘」(定P111)
『法衣抄』に「日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり」(定P1854)

たしかに上述のごとくあります。
ただ、ここで注意すべきは両書とも‘衣’について、論じている点です。
前書の前文を読めば「法華経説人は、柔和忍辱衣」、後書の前文にも「柔和忍辱衣と申て衣をこそ本」といいます。

では、言うところの「戒」とは何でしょうか。『盂蘭盆御書』に「此僧は無戒也無智なり。二百五十戒一戒も持ことなし」(定P1775)といい、続けて「威儀は猿猴ににて候へども、あをぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり」ともいいます。すなわち、日蓮が自身を「無戒」というとき、それは二百五十戒といった戒を示す衣と威儀を斥け、法華経衣座室三軌中「柔和忍辱衣」によることを示すところに主眼があるのではないでしょうか。これは菩薩戒を採ってのことと考えます。

なお、日蓮が阿闍梨であったことは『行敏御返事』の「日蓮阿闍梨御房」(定P496)では記されています。また、弟子も阿闍梨号を有すことは周知の通りです。

阿闍梨については『日蓮宗事典』には、以下のようにあります。
簡潔な整理なので、参考に供せます。

「梵語で聖者、尊者、応供養等と訳す。『四分律行事抄』には五種(出家・受戒・教授・受經・依止)の阿闍梨が説かれている。『大日經』には、灌頂の阿闍梨となる人は一三種の徳を具足すべきことが述べてある。後世には師から許される場合と、官より賜る場合とある。聖人は門下の人格、法臈、学解等を認定して許された。本宗では、一〇〇〇日の加行を成満した修法師は伝師部の許可を得て称することができるとされているが成文はない。」
「a ̄ca ̄riya の音写で、阿遮梨、阿遮梨耶などとも音訳し、軌範師、親教師、正行の意である。もとはバラモン僧が弟子を養成する際に、ベーダの儀礼規則などを伝授する役の名称であったが、これが仏教教団でも取り入れられて、諸の規範を身をもって示し弟子を指導することのできる勝れた師範(教授)であるということを意味するようになった。そして『四分律行事鈔』上之三によると、五種の阿闍梨をあげている。即ち、出家・受戒・教授・受経・依止である。つまり教団に於ける学問的、徳行的な意味での最高の位にある僧に対する敬称として使われている。従って自ら阿闍梨号を称するなどは論外と言うべきものである。なお『宗定法要式』(二四四頁)では、「大衆の中で諸役をつとめる者である」とごく簡単に解説している。」

ここに「受戒」の文字が見られます。

> 授戒は僧だけ

さて、日蓮は、どのように考えていたか、わたしは決せません。
あるいは漫荼羅授与に「受持即持戒」の意味があったかどうか、さて、どうでしょうか。

623犀角独歩:2006/11/03(金) 08:27:45

補足します。

戒については『下山御消息』をご覧になるとよろしいかと存じます。

624犀角独歩:2006/11/03(金) 08:32:42

【622の訂正】

誤)『御衣並単衣御書』に「日蓮は無戒の比丘」(定P111)
正)『御衣並単衣御書』に「日蓮は無戒の比丘」(定P1111)

625天蓋真鏡:2006/11/05(日) 11:23:52
■法華経の如来神通力、心(精神)から湧いてくる力を鎌倉時代の僧・日蓮は意識していたのでしょうか。■皆成仏道の個人と在家出家の社会システム・公の道場を見据えて鑑みる必要があるので、三法門は漫荼羅中心三位一体、戒壇堂諸設備は時(聖人君子もしくは少欲知足の聖僧)至るまでの予定予測予言で質問納め得ます。■日蓮・法華一乗・漫荼羅中心、以後・祖師信仰・戒壇堂諸設備建立へ移行で宗教の歴史も全く同じで無くても繰り返すのでしょうか。

626犀角独歩:2006/11/05(日) 14:01:31

625 天蓋真鏡さん


> 法華経の如来神通力、心(精神)から湧いてくる力を鎌倉時代の僧・日蓮は意識していた

寿量品にいう神通力は如来に係ることなので、日蓮自身が心から涌くこととして、認識していたとは、わたしは思いません。真蹟遺文中に、我が身に充てた引用は、通読する限りなかったと記憶します。ただ、「心(精神)から湧いてくる力」は、もちろんのことを意識されていたと思います。

> 三法門は漫荼羅中心三位一体

言われるところの「三位一体」とは「父と子と精霊」という意味ではなく、一体とつかねるところに趣旨があるのでしょうか。日蓮の真蹟遺文からすれば、「一大秘法…所謂妙法蓮華経之五字名体宗用教五重玄也」(定P900)が三法門に展開されるのかということなのでしょうか。

『本尊問答抄』を真筆とし、また、草稿『取要抄』を採って、開合を示せば、以下のようかと。

                ┌本門本尊─寿量仏─三身所顕無始古仏
一大秘法─妙法蓮華経(題目)本尊┼本門題目─本門の妙法蓮華経
                └本門戒壇─密事

なお、同抄の真偽、ならびに、三法門との不整合を心境の変化からご説明くださった顕正居士さんのご賢察を紹介しないことは気が引けます。以下のとおりです。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/383

> 日蓮・法華一乗・漫荼羅中心

この記述の意味をわたしは採りかねますが、「漫荼羅中心」という点は引っかかります。『一谷入道御書』に「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず」(定P996)とありますが、これはまさに漫荼羅における「日蓮花押」を意味するのではないかと、考えています。

> 、以後・祖師信仰・戒壇堂諸設備建立へ移行で宗教の歴史も全く同じで無くても繰り返すのでしょうか。

何が繰り返すと仰っているのか、主語が判然としません。ご説明いただければと存知ます。

627犀角独歩:2006/11/05(日) 15:15:09

独学徒さんの掲示板を拝見したところ、『報恩抄』についてのれんさんとの議論がありました。わたしも考えるところがあるので、投稿させていただこうと思いましたが、すでにできなくなっていましたので、こちらに記すことにいたしました。
http://bbs6.fc2.com/php/e.php/fujikyougaku/

「は日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(定P1428)

れんさんが「本尊としての“本門の教主釈尊”とその脇士となる“宝塔の内の釈迦…”とはいかなる関係にあるのでしょうか?この二重の釈迦の記述、そこのところがしっくりこない」と疑問を呈してお出ででした。

この点は、わたしも、問答さん方と過去に議論をしました。
管見では、二重の釈迦というより、釈迦と釈尊の相違が、ここにあるのだと考えます。便宜に従って慣習的に用いられている成句をもって記述します。霊山虚空宝塔の釈迦とは近成の仏であり、いわば迹門・宝塔品の辺、比して釈尊とは久成五百塵点久成の本門寿量品の辺。同仏には違いありませんが、天地雲泥の相違を日蓮は書き分けたのではないでしょうか。
(記すまでもありませんが、釈尊とは釈迦牟尼世尊の略ですから、釈迦には違いありません。つまり、牟尼世尊という尊称の有無で書き分けているわけです)

たとえば、『一代五時鶏図』では、倶舎・成実・律、法相・三論と天台と各宗を挙げ、通じて釈迦如来を本尊と記します。けれど、最初の三宗は劣応身、次の二宗は勝応身、天台宗では「久遠実成実修実証の仏」と付記します。名前が同じでも、ここに厳然たる差があります。(同P2341)

つまり、本門教主釈尊は、迹門宝塔品から事起こる近成の段階の釈尊(迹門)を基として証される故に、この記述となっているのではないでしょうか。対して釈尊は久成(本門)の証です。

そもそも二重に名前が出ることがおかしいとなると、上行と日蓮、同一体であれば、両方の名が載ること自体おかしいことになります。日教の教学などでは、互為主伴をもって捌かれるところですが、この点も、問答さん、愚鈍凡夫さん、また顕正居士さんなどと一年半ほど前に議論した点でした。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/119-

なお、「本尊図」について、独学徒さんの漫荼羅とは別に興門に伝わるのではないかという推論は興味深く拝読しました。

わたし自身は興門所伝の、仏像奉安を「漫荼羅の図の如し」という点にはまったく懐疑的です。かつては、この所伝を受け、大本門寺の仏像奉安、ならびに堂塔伽藍配置を想像したこともありましたが、現段階では寿量仏像奉安と漫荼羅図は別立てと考えます。要は示そうとするものが違うということです。

れんさんが仰るとおり、妙法蓮華経は像で形貌を造ることはできません。となれば、揮毫ということになりますが、そもそも、仏像造立に文字を置かなければならないとするのは、仏像奉安=漫荼羅図という固定観念による短絡であるとわたしは考えます。その意味での、興門所伝への懐疑です。

考えるに、漫荼羅相貌中で重要な「日蓮」は御影像で表すことはできても、しかし花押(判形)は表せません。殊に花押とは本人の証なのであって、日蓮以外が記した花押は模写であって何の証にもなりません。妙法蓮華経・日蓮花押とは漫荼羅の証であるのに対して、寿量仏像には四菩薩が証であるという差異が、ここにあるのではないですか。つまり、仏像奉安と、漫荼羅では、素よりその役割が違うので、漫荼羅を立体化したのが仏像であるという考え自体はなはだ短絡と言うしかないと、わたしは考えるわけです。

628れん:2006/11/05(日) 17:19:23
犀角独歩さん
>627
私の愚論に対する御批正かたじけなく存じます。仰るところ全くその通りと存じますが、あの報恩抄の文章に対応する様な蓮師御筆はいまのところ御筆漫荼羅しか発見されてないところから、独歩さんに“短絡”と言われるであろうことは百も承知の上で、“その場合”を想定した場合の試論を述べてみました。
実際のところ、蓮師以後の室町中期の石山文献でさえ、本門三法門を「仏と土と教法」と言い、表現するのであって、後の門下教学解釈は置いて、原意から見て、仏…即ち“本門の教主釈尊”(久成釈尊)が本尊であることは動かないわけですね。
独歩さんに御批正の労をおかけ致しましたこと、お詫び申し上げる次第です。

629犀角独歩:2006/11/05(日) 18:00:12

れんさん

決して、わたしはれんさんのご投稿を指して、「短絡」と記したわけではなく、富士門下の、たとえば日順の記などについて言ったことです。

ついでに愚考を記せば、「日蓮花押」というのは、今で言えば、自著・押印(もしくは書き判)ですね。これはいわば‘認め’ですから、造形化などできるはずはないわけです。サイン押印する代わりに、自分の写真とか像を置くなどあり得ないことです。ところが漫荼羅を設計図と想定して各尊像を造り、並べるとなると、日蓮御影を置くことになります。なぜ、これが是なのか?というのが、わたしの疑問です。

また、漫荼羅には、讃文、また、経釈文の書き込みがあります。いったい、これがどのように立体像化できるのか、漫荼羅では書いてあるが、仏像奉安では要らないなどとできるのかという疑問も生じます。

以上の疑問はしかし、漫荼羅図=仏像奉安と考えた場合のことです。仏像は仏像、漫荼羅は漫荼羅と、別に考えれば、こんな会通は不要となります。
仏像は本門寿量仏の造形化。漫荼羅は妙法蓮華経の授与/受持で「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず」という弟子允可の証、経釈の書き込み等は祈祷、守の意と、その用途を別と考えたほうが、すっきりと理解できるというのが、わたしの管見です。

630天蓋真鏡:2006/11/05(日) 18:26:47
■三つの法門一つ欠けても信学行の成就にならないと云う意味で、三つの法門は一体。 ■成仏得道で『唱題修行』が基本基軸になるなら漫荼羅中心に為らざるを得ないのではと個人的に断じます。      ■聖人君子を奉り諸設備を整えても形骸化する(してしまうかもしれない)危うさを歴史を調べれば調べるほど目につくでしょう。「未だ且つて成仏した者など存在しない」と言われたら尚更、歴史の運命、ヒトの非力を想像します。恐竜のように長く人類は続くのかとも夢見ます。

631犀角独歩:2006/11/05(日) 18:52:55

630 天蓋真鏡さん

> 三つの法門一つ欠けても信学行の成就にならないと云う意味で、三つの法門は一体

信行学と三法門と、どのような関係があるとお考えですか。
わたしはここに、直接の教学会通は希薄であると思うのですが。

> 『唱題修行』が基本基軸になるなら漫荼羅中心に為らざるを得ない

そうでしょうか。唱題行は漫荼羅図示以前から行われていましたし、漫荼羅授与はごく限られた人にしかなされていません。唱題と漫荼羅受持は不二の関係と思えないのですが、どうでしょうか。

632天蓋真鏡:2006/11/05(日) 22:26:48
■教学的繋がりは無いでしょうが、前提(信学行)と本義(三法門)が揃い成仏得道への道が開かれると考えられませんか。■漫荼羅は允可証と言っても「信じさせ給え」と呼ばれたもの。其れに天台密教から法華一乗に軌道修正する方向は示されている。漫荼羅は道場を示す看板であると同時に戒壇の代わりになる導師(個人的には戒壇と同じと思います)なのでは無いですか?成仏は日蓮の力では無くて信心学問修行に特に信に依ると書いた事があったと存じます。題目と戒壇と本尊は法華経と漫荼羅と仏彫像を意味すると断じたいのです。三つ揃い合わせないなら日蓮の教えの法門では無いでしょう。漫荼羅が突出したのは歴史の妙。

633犀角独歩:2006/11/06(月) 05:35:23

632 天蓋真鏡さん

わたしが今回のご投稿を完全に判読できたかと問われれば、あまり自身がありませんが、感覚的ながら、ほぼ賛同します。

一信二行三学と順位を言われますが、殊ここ当掲示板においては、むしろ逆で、学に始まり、では、行ずる価値ありや、信ずる価値ありやと問うているのかもしれません。

634犀角独歩:2006/11/06(月) 09:31:13

633「自身がない」は「自信がない」でした。

戒壇という一点のみ。実に悩ましい問題で、漫荼羅奉安の場所がそれに当たるというのは、門下にある程度、通じた解釈かもしれません。わたしは漫荼羅奉懸は道場結界の意義、さらに図示された諸尊勧請、さらに法華会座、霊山より虚空会を仰ぎ見る観といったところで、これが戒壇かと言えば、さて、どうかと考えます。戒壇とは授戒、潅頂といった儀式の場ですから、道場とは別立てでしょうが、その代用を兼ねるものとは言えるかもしれません。しかし、やはり、代用の域を超えないと思います。

実際のところ、日蓮は、ほとんど戒壇については言及していないわけで、このことから、当初、わたしは日蓮は本尊と題目を述べ、戒壇を語る以前に没したのではないかと考えていました。しかし、その考えを改める機会となったのが都守師の秀逸な論攷の拝読であったわけです。「密事」です。この戒壇に係る説明をしっかりと聞いた弟子がいたかどうか、「それは日興上人だ!」と富士の僧俗は言いたいところでしょうが、さて、どうでしょうか。

635れん:2006/11/06(月) 10:23:27
犀角独歩さん、御多忙のところ、ご返事有難うございます。
>629
仏像は仏像、漫荼羅は漫荼羅…仏像は本門寿量佛の造形化…漫荼羅は妙法蓮華経の授与/受持…弟子允可証…経釈の書き込み等は祈祷守りの意とその用途を別と考えたほうが、すっきりと理解できる…

仰る通りですね。蓮師のパトロンであった富木日常師は自らの寺院の宝物目録に妙法蓮華経漫荼羅と一尊四士を第一に掲げているので、富木日常師の寺院の本堂には寿量佛の造形化=一尊四士と漫荼羅が安置されていたと考えられるところですね。四菩薩造立抄は蓮師御筆はおろか南北朝末期まで門下の記述が見えないので、偽書である観心本尊得意抄とその内容が共通する部分があることから同一作者による作文と愚考しますが、一尊四士の造立は富木氏の宝物目録に見えることから早ければ蓮師在世の造立も考えられると思われます。
日興は、他の本弟子老僧には批判の資料が残りますが、不思議に富木日常師に対する批判の筆は残ってないので、「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来」と記す日興にとって、富木日常師の一尊四士と漫荼羅の本堂奉安はむしろ蓮師の意に沿い、また我が意を得たりとの思いで好意的に見ていたのかも知れませんね。

636天蓋真鏡:2006/11/06(月) 22:01:32
■賛同ありがとうございます。 ■授戒=成仏にならないなら、教学(体系)的意味で「戒壇」の要素を含んでも良いのでは、と思い考えます。完全完璧では無いので、個人の成長次第で其れぞれの三法門が完成するのではと断言したいです。個人の成仏と仏国土の現出を想うなら、漫荼羅だけで無くて、社会の環境を鑑み戒壇堂等諸設備を建立するのは当然と言えば当然でしょう。

637天蓋真鏡:2006/12/06(水) 14:42:12
補足・戒壇は個人一人ひとりに対して、戒壇堂は出家僧に対して、の広なり狭なりの意味があるのでは無いですか。とシンプルに支持してます。

638天蓋真鏡:2008/05/04(日) 11:25:00
管理者さん、ありがとうございます。 本尊も曼荼羅も内証を示してるのでは無いでしょうか。

639たけぞう:2008/12/31(水) 17:11:26
犀角独歩さんへ
今年1年間ありがとうこざいました。
以前から読む専門でした。今年こそは発言をと思っていましたがやはり教学レベルが高く、低度の低い発言となってしまわないかと、結局何ら投稿せず読む専門で1年が経過しました。
 創価学会に入り50年がたちました。
実質活動していたのは高校生と大学生の時だけで、それからは組織活動もせず聖教新聞も読まない幽霊会員です。
しかし、御本尊と唱題と御書は好きで、50年間1度も勤行をかかしたことが無いのだけは自慢です。
組織活動から離れた理由、やはり池田名誉会長への生理的嫌悪感でしょうか。
それに学会最高幹部の体質でしょうか。
余りに学生部で活動しすぎたため、かなり高い役職になり、最高幹部と接する機会が多くなり、組織の裏を見たというか、幹部の人間性を疑ったというか。
そして最近にみる、池田名誉会長の勲章集め、へきへきとしています。
ですが、妻は副本部長、私の兄弟も妻の兄弟も全員学会人、姪や甥も学会人、孫まで家にきて「ナンミョーーー」ですから、事あらたげたくないということだけで、学会に所属しています。
 日蓮非本仏論、これは私なりに御書を読み、本因妙抄、百六箇抄に唐突に出てくる久遠元初という概念、法華経、御書には出てこないのに、なんで六巻抄を擁護するような考え方が出てくるのだろうと思い、自分なりに偽書と決めつけていましたので、掲示板を読み意を強くしました。
そして、創価教学がおかしいのは六巻抄のせいだというのが私なりの持論でしたので、六巻抄ログも抵抗なく読めました。
驚いたのは、本尊と曼荼羅です。
50年間なんの疑いもなく、本尊 = 曼荼羅 でしたが、最初は何を問題にしているのだろうでした。
途中から意図するところが分かり、また最初から読み始めました。
学会の解説本がいかにいい加減なものか、実に思い知らされました。
犀角独歩さんも、学会と法華講、組織活動していたわけですから、本尊 = 曼荼羅 が当たり前のように思われていたと思います。
そこに疑問を持つという着眼点に驚いてしましいます。
 日蓮非本仏論、これはかなり以前から私の持説でしたが、こうして掲示板で第三者から理詰めで来ますと、やはりカルチャーショックはあり、それでは本仏はと問われて、、口ごもってしまいます。
まだ教学の範囲内ですと頭の中で整理出来ますか、一度御本尊の前に座ると、釈迦、久遠実成の釈迦というのがピンとこず、やはり日蓮聖人を感じてしまいます。
日蓮が墨に染めながして云々、そうだよな、「信」だよな。
それがいつわらざる心境です。
 5年程前、私事で大きな問題にぶつかり、一生分の題目を唱えました。
声をからし、泣きながら、もう乞食信心と言われてもいい、何しろ助けてくれという気持ちで唱題をしていました。
そして、日蓮聖人の足下にひれふして泣きながら助けを求めている自分がいました。
その問題も唱題で乗り越え、今日に至っております。
そうした体験をふまえ、南無妙法蓮華経に南無するという言葉が私としてはピッタリときます。
教学でなく、実際の信仰からいくと、そうとらえるしかないと私も思います。
確かに、日蓮非本仏論です。しかし、本仏の前に日蓮聖人の存在は偉大すぎます。
 本尊≠曼荼羅 かもしれません。
教学的には私も自分なりに研鑽したいと思います。
しかし、50年間 「 本尊 = 曼荼羅 」 で唱題してきたし、現在も唱題しているので、信仰上はやはり曼荼羅を御本尊様とみて唱題していくと思います。
 現役を引退し隠居生活に入り、ここ数年晩年の過ごし方を試行錯誤してきました。
仕事だけの人生でした。自分の人生でやり残したのは何か、真剣に考えた結論が信仰でした。
新しい気持ちでと座談会にも出席しました。
しかし、心を満たしてくれはしません。そして結論として出た答えは御書の研鑽でした。
自分が学んだことを学会人に話しても通じません。
やはり私も、独歩のようです。
私も努力いたします。どうか、私が皆さんと一緒に対話出来るまで、この掲示板存続させてください。
 この1年間有り難うこざいました。
来年は良いお年でありますように。
駄文で失礼いたしました。

640犀角独歩:2008/12/31(水) 20:40:57

たけぞうさん

ご丁寧なご挨拶、畏れ入ります。
大晦日で、ばたばたしております。
改めてご挨拶申し上げる所存です。
有り難うございます。

641幻論乙坊:2009/01/01(木) 19:39:13
諸賢
破顔一笑
明けましておめでとう御座います。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

本年よりHMをしゅんかん→幻論乙坊に変更致しました。

643問答迷人:2009/01/01(木) 21:37:46

たけぞうさん

>南無妙法蓮華経に南無するという言葉が私としてはピッタリときます。

蓮祖がそう教えている箇所が有るのでしようか。「南無妙法蓮華経に南無」とは仰っておられないと思いますが・・・

蓮祖が教えられたのは、「法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱えよ」では無かったですか。
或いは、「曼陀羅を信じて南無妙法蓮華経と唱えよ」

本来は、妙法蓮華経の五字が上行菩薩が久遠釈尊から付属を受けた正体ですから、その『妙法蓮華経の五字に南無する』というのが教えの筋道でしょうが、
南無する、というのは『命を捧げ尽くす』という意義ですから、良く凡夫の為し得ることでは有りませんので、蓮祖は末代幼稚の為に曼陀羅を表し、授与して、『この曼陀羅を深く信じて南無妙法蓮華経と唱えよ。そうすれば、妙法蓮華経の五字に南無したのと同じ功徳が得られるのだ。」と教えられたと僕は拝しています。

末代凡夫の我々が妙法蓮華経の五字に南無することが容易に出来るのなら、曼陀羅を授与する必要性は無かったのではないかと思います。

如何お考えになられますか。

644たけぞう:2009/01/02(金) 14:03:09
問答迷人さんへ
>>南無妙法蓮華経に南無するという言葉が私としてはピッタリときます。
>如何お考えになられますか。
私が投稿したのは、犀角独歩さんへ感謝の念を示したいだけでことで、議論する気持ちはありませんので、返信はお控えください。
私は50年信じてきた創価教学をいま洗濯し始めたばかりで、私の考えは現在構築中で発言する段階にはありません。
南無妙法蓮華経への南無は、私の考えでなく、書き投稿に共鳴を受けて書いただけで、深い意味はありません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
152 名前: 独歩 投稿日: 2001/10/19(金) 15:38
妙法蓮華経に南無するというより、聖人御立の南無妙法蓮華経の南無しているのです。
ですから、経典における瑕疵については、その可能性を視野に入れたところで、私の信仰は揺らぎません。

645たけぞう:2009/01/02(金) 14:05:22
× 書き投稿
○ 下記投稿

646問答迷人:2009/01/02(金) 14:15:30

たけぞうさん

>私が投稿したのは、犀角独歩さんへ感謝の念を示したいだけでことで、議論する気持ちはありませんので、返信はお控えください。

了解いたしました。

647ドラ:2009/02/13(金) 09:11:10
すみません。ちょっと教えて下さい。
日寛上人筆 享保九年六月日の曼荼羅ですが、
これは現在、どこに所蔵されているのでしょうか。
http://lovestube.com/up/src/up5644.jpg
どなたか、ご存じの方はよろしくお願いします。

648ドラ:2009/02/14(土) 08:55:54
すみません。消えてしまいましたね。
こちらが新たなアップロード先です。
http://sakuratan.ddo.jp/uploader/source/date104608.jpg
よろしくお願いします。

649スポットファイア:2009/02/15(日) 22:34:54
あの曼荼羅は日正寺所蔵だと思います。

日寛師の曼荼羅は全国に多数あると考えられますが、何故首題が白く塗りつぶされて
いるのでしょうか?

650ドラ:2009/02/17(火) 06:28:50
スポットファイアさん、日正寺ですか。
ありがとうございます。

実は写真は下のページから拝借したものです。
http://sudati.studio-web.net/nisehonzon1.html
最初から主題がマスクされていました。

651大縫 薫:2009/02/19(木) 21:04:12
学会携帯曼陀羅は会員の必須アイテムみたいに扱われていますが、それに
付随する収納ケースが多種多様あるのには驚かされました。

因みに入院先の病院の看護師が首から同様の物を掛けていたのが印象的です。
http://www.sokei-net.com/omamori.html

652ドラ:2009/03/01(日) 08:24:56
またよろしくお願いします。

開眼供養に関してなのですが、最近の学会などは開眼供養は必要ない、
正宗は開眼供養は必要であると言っていますが、
そういう問題とは別に、この本尊は開眼されている、されてない、というのは
見て分かるものなのですか? 前々から素朴な疑問でありまして。

654管理者:2009/03/01(日) 09:15:26

ドラさん

この件は既に議論がされています。以下のスレッドをご覧下さい。

「本尊の開眼は誰が行うのか」スレッドです。



http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/kaigen.htm

655問答迷人:2009/03/01(日) 11:26:16

ドラさん

結局、ダルマに目を入れて開眼、という具合に外見に変化があれば誰が見ても判りますが、曼陀羅の開眼供養では、外見上、何の変化も無いわけですから、誰が見ても判らない、という事だと。

656顕正居士:2009/03/01(日) 13:42:38
>>652
>この本尊は開眼されている、されてない、というのは見て分かるものなのですか?

開眼されていない本尊というものはありません。それは単なる仏像、仏画、曼荼羅です。
寺院、家庭、個人が自分の礼拝対象として安置してはじめて本尊になります。
本尊は必ず誰かの本尊です。この際、通常は入仏式を行います。開眼供養ともいいます。
ですが必ずしも坊さんにやって貰わなくても、自分の本尊として安置し何らかの礼拝を
行えばそれが入仏になります。
仏像、仏画、お札などの礼拝物を作製した後、「魂入れ」を行うことはあります。しかし、
これはまだ誰の礼拝対象にもなっていないので、入仏(開眼)とはまた違うものです。

657ドラ:2009/03/02(月) 08:50:04
管理者様

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/kaigen.htm
たいへん、勉強になりました。

問答迷人さん

> 結局、ダルマに目を入れて開眼、という具合に外見に変化があれば誰が見ても判りますが、

そうなんですよ。第三者の目には分かりませんからね。だから、裏書きに、開眼済みは
小さくチェックマークを入れるとかフォーマットでもあるのかなと思って質問した次第です。

顕正居士さん

>開眼されていない本尊というものはありません。それは単なる仏像、仏画、曼荼羅です。
>寺院、家庭、個人が自分の礼拝対象として安置してはじめて本尊になります。

いや、おっしゃる通りです。本尊というのは礼拝対象として作成されるわけですからね。
ただ、質問するさいには詳しく書きませんでしたが、どの時点で本尊になるの
かも知りたいわけなんですよ。 石山の言葉では明確に本尊になる時点を言い
切ってますよね。つまり、丑寅勤行の際に猊下が開眼供養をした時点で本尊に
なると。ということは、逆に言えば、それまでは本尊ではないということにな
ります。

じゃあ、開眼済みか開眼済みでないかは、どこで見分けるのか。
学会あたりは、昭和の草創期に大量に配布された御本尊は、法道院で印刷され
て、猊下の開眼をうけることなく、日本中の末寺に配布されていった。と言っ
てるわけです。もちろん、大石寺は否定してますが。

結局、第三者の目にわかる形になってない以上、、開眼してある、してないと
いう議論は水掛け論ですな。
「してある」ということも証明できなければ、「してない」という事も証明できない。

658顕正居士:2009/03/03(火) 16:51:30
>どの時点で本尊になるのか
入仏式を行った時点、すなわちなんらかの礼拝を行った時点です。

>開眼済みか開眼済みでないかは、どこで見分けるのか。
礼拝対象として安置されているかどうかです。

見れば判ります。安置してあるのは本尊、幾つも曼荼羅を持っていても
しまってあるのは本尊ではなく、単なる曼荼羅です。

659ヨシヨシ:2009/07/22(水) 19:31:58
曼荼羅を板へ彫刻して漆で塗りその上から金箔を押す、初めて見た方々は荘厳に見えることでしょうね。
仮に奈良の大仏も綺麗に見えると思います。
それを、金集めにする日蓮正宗、また人の可能性を否定して都合悪くなると
(信心で受け止めるんだよ)と言い、寛曼荼羅に祈れば福が来るというのは暴言ですね。

660問答迷人:2009/07/22(水) 20:12:41

>それを、金集めにする日蓮正宗、

日顕師は明確に本門戒壇板曼陀羅が偽物である事を知っていたにも拘らず、内拝と称する御開扉を止めず、御供養と称して御開扉料を取り続け、あまつさえ、河辺メモが世間に出てしまって、戒壇板本尊が偽物だという事がばれてしまったのにも拘らず、河辺メモの中身を煙に巻くような稚拙な弁解で否定し、逃げ切ろうとしています。このような不誠実な行為は信徒を根底から欺くものであり、許し難い卑劣な蛮行と言わざるを得ません。この事だけは声を大にして明確にしておきたいと思います。

>人の可能性を否定して都合悪くなると(信心で受け止めるんだよ)と言い、

これは具体的には何が有ったのでしょうか、差し支えなければお教え下さい。

>寛曼荼羅に祈れば福が来るというのは暴言ですね。

寛曼荼羅というのは、日寛師書写の紙幅曼陀羅のことでしょうか。

661ヨシヨシ:2009/07/22(水) 21:01:53
問答迷人 こんばんは。

>人の可能性を否定して都合悪くなると(信心で受け止めるんだよ)と言い、

これは具体的には何が有ったのでしょうか、差し支えなければお教え下さい。

私の身体の痺れが非常に強いために精神疾患はないんですが、一時精神安定剤
を飲んでいた時期があり飲むことによって痺れを軽減できたのです。
その時に私の所属する幹部に事の真相(病いの事)を話した所、’(君は少し落ち着け)
などと言われ(そうじゃない)と私が反論すると(信心で受け止めなさい)
と言われ、何かこれは違うと感じ色々調べた結果二箇相承が偽書ということに
ぶつかり、脱会する事になりました。


>寛曼荼羅というのは、日寛師書写の紙幅曼陀羅のことでしょうか。

仰る通りです
享保5年脇書きの無い紙幅曼荼羅です。

662問答迷人:2009/07/22(水) 21:25:21

その幹部の方は、恐らく医学に暗く、自分のしている信仰にも暗い人なんだと思います。

安定剤は、余程強いものでない限り、副作用は少なく、習慣性も無く、無難な薬剤だと思います。
病は信心で受け止めるべきものではなく、医者に掛かって治療すべきものだと思います。勿論、医者を選ぶ必要が有りますね、特に手術は職人仕事ですから、腕の良医者を選ぶべきです。信心の眼で良い医者を選ぶべきだ、と指導するなら分かりますが、信心で受け止めよ、とは意味不明ですね。

戸田さんも、「幾ら祈っても、炊飯器にスイッチが入っていなければご飯は炊けない」と指導していましたね。何でもかんでも信心、では現実に直面している人を納得させる事は不可能ですね。

なお、寛師曼陀羅が悪いとは僕は思いません。現に僕は今も日顕師を激しく非難しながらも、日顕師書写の紙幅曼陀羅を仏壇に掛けて、日々勤行・唱題しています。どの曼陀羅にせよ、日蓮聖人の曼陀羅を基本にしたものであれば、何も問題はない、と考えています。

>二箇相承が偽書

よく気が付かれましたね。僕も同意です。日蓮正宗が他の日蓮宗各派に対して優位に立てための、虚仮脅しの道具だと考えています。

663ヨシヨシ:2009/07/22(水) 21:34:29
問答迷人さん

>なお、寛師曼陀羅が悪いとは僕は思いません。現に僕は今も日顕師を激しく非難しながらも、日顕師書写の紙幅曼陀羅を仏壇に掛けて、日々勤行・唱題しています。どの曼陀羅にせよ、日蓮聖人の曼陀羅を基本にしたものであれば、何も問題はない、と考えています。


そうでしたか。
私は、寛師の本尊は学会へ返還しましたが幸いにコピーしたものがあり一体掛け軸に貼り
所有しています。現在では聖人が亡くなられるときに掛けられていた曼荼羅(鎌倉 妙本寺所蔵)
を掛けています。
私もまだまだ、題目を卒業できていません。
しかし、以前よりは減りました。
昔ならば毎日やらないと罪悪感は出てしまいやっていましたが現在は調子がいい
時にしかやらなくなりました。

664問答迷人:2009/07/22(水) 23:06:00

ヨシヨシさん

>私もまだまだ、題目を卒業できていません。

僕は、富士門流に日蓮聖人の教えが伝わっていると堅く信じていました。しかし、二箇相承もウソ、百六箇抄も本因妙抄も他門の後世の作り物、戒壇板本尊も偽物、唯授一人の血脈相承もウソ、お肉牙もマガイモノ・・・調べれば調べるほど大石寺門流の嘘八百にほとほと嫌気が差しました。

それでも日蓮聖人が僕は人間として好きです。これはどうしようもない。好きなものは好きとしか言いようが無いわけです。それで、残された人生、日蓮聖人が見た世界を追体験しようと心に決めたわけです。

日蓮聖人の教えは、突き詰めるところ、曼陀羅信仰に尽きる、と思っています。日蓮曼陀羅を信仰して、どんな世界が見えるか、とことん極めてみようと思っています。

唱題は多くは無いですが、一日一時間と決めて、毎朝唱えています。これは、僕の道楽の様な物かも知れません。誰にも勧めていません。勿論、寺院参詣をやめた段階で、家族は誰一人、勤行・唱題をしなくなりました。これは当たり前だと思います。一日一時間唱題する僕を、どんな眼で見てるのかな、と時々思いますが、まぁ、親父の道楽、ぐらいに正当に評価してるんだと思っています。

665ヨシヨシ:2009/07/23(木) 08:49:47
問答迷人
おはようございます。

私も日蓮聖人の生き様と言いますか悪については一歩も引かないという強い意志
持たれていた方のように思えます。
私も子供が二人おり、長男は高校1年、次男は中学2年です。
いつも一緒に勤行・唱題しておりましたが最近は私はやりませんが子供たちは
一生懸命によくやっています。
たまに、題目をしている姿を見て涙することがあります。
お子様も信じていらっしゃるんではないでしょうか。
私も一時は一生懸命やりましたが身体の状態が酷くなるので控えるようにしています。
ですが一説で聖祖は曼荼羅本尊に題目をしていなかったというお話を聞いた事が
あります。ご存知ですか?

666ヨシヨシ:2009/07/23(木) 09:02:45
訂正


問答迷人さん
おはようございます

が正解です。
さん が抜けており大変に失礼しました。
申し訳ありません。

667問答迷人:2009/07/23(木) 09:15:06

ヨシヨシさん

>一説で聖祖は曼荼羅本尊に題目をしていなかったというお話を聞いた事があります。ご存知ですか?

日蓮聖人はお題目を唱える事は、ご臨終の時までずっと続けられたものと考えています。曼陀羅は、日蓮聖人が体得されたところの「一大秘法」の具体化表現ですから、一大秘法を体得されている日蓮聖人には曼陀羅は必要ではなかったと思っています。ただ、弟子檀那と一緒にお題目を唱える場合は、曼陀羅に向かわれたのではないかと考えています。

668問答迷人:2009/07/23(木) 11:52:09

「本門の本尊」と「紙幅曼陀羅」について

日蓮聖人は「本門の本尊」という法門を説きました。「本門の本尊」が一番詳しく説かれているのが、「観心本尊抄」という事になろうかと思います。

『其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり。是くの如き本尊は在世五十余年に之無し、八年の間但八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。』(大石寺版御書全集)

669問答迷人:2009/07/23(木) 12:20:56

ここで、『末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。』とあるのは、未来において「本門の戒壇」を建立して、その時に、この「本門の本尊」たる『妙法蓮華経の五字と釈迦多宝等の諸仏菩薩等の仏像群』を出現させるべきと考えておられたと思います。

それでは曼陀羅は何か、紙幅曼陀羅は、戒壇が建立されて本門の本尊が出現するまでの間は、紙幅曼陀羅を以って「本門の本尊」とする、とのお考えであったろうと思います。つまりは紙幅曼陀羅を仏壇に掛けて信仰の対象とすれば、その曼陀羅は意味としては「本門の本尊」に相当すると考えて良いと思います。

670ヨシヨシ:2009/07/23(木) 12:56:25
問答迷人さん

本門の本尊とは、我々が拝している曼荼羅を指しますね。
つまり化儀においての本尊という解釈でよろしいのでしょうか?
または、釈尊の分身仏として捉えていけばいいのでしょうか?
先ほどは、大変失礼致しました。

671問答迷人:2009/07/23(木) 14:11:27

ヨシヨシさん

>本門の本尊とは、我々が拝している曼荼羅を指しますね。

いえ、そうではなくて、本門の戒壇が建立された時に出現させるべき「妙法蓮華経の五字と仏像群」を「本門の本尊」と日蓮聖人は述べています。
本門の戒壇が建立されるまでは、仏壇に曼陀羅を掛けて「本門の本尊」の意義を表す、と言った意味合いであろうと思います。曼陀羅が直ちに「本門の本尊」であると考えるのは、少し拡大解釈になってしまうのではと思います。

>化儀においての本尊という解釈でよろしいのでしょうか?

「本門の本尊」については、「三つの法門」と述べられていますので、「化儀」と捉える事は違うのではないかと思います。

>釈尊の分身仏

釈尊の分身は十方分身諸仏であり、曼陀羅の意味は、そうではないと思います。

「本門の本尊」は「本門の釈尊」であり、「久遠の釈尊像」と捉えるのが自然だと思っていますが、この点は、諸賢のご意見を僕も承りたい所です。

672ヨシヨシ:2009/07/23(木) 16:14:11
問答迷人さん

>「妙法蓮華経の五字と仏像群」を「本門の本尊」と日蓮聖人は述べています。
聖祖は既に文永8年に曼荼羅を顕していますがここで上文の意味なるかと思っています。

、>「三つの法門」
とは三大秘法のことでしょうか?

674問答迷人:2009/07/23(木) 16:43:27

ヨシヨシさん

>聖祖は既に文永8年に曼荼羅を顕していますがここで上文の意味なるかと思っています。

所謂「楊枝御本尊」ですね。この曼陀羅を出発点として、次々と諸尊が書き加えられ、所謂日蓮曼陀羅の形が出来上がっていったものと思われます。この曼陀羅には仏像群は無く、観心本尊抄の形に日蓮聖人の表現が固まってゆくには、まだ少し時間が必要だったのだと思います。

>「三つの法門」とは三大秘法のことでしょうか?

日蓮聖人の真跡遺文には、一大秘法という表現は有るものの、三大秘法という表現は有りません。「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」これらを、「三つの法門」と述べられています。

675ヨシヨシ:2009/07/23(木) 17:40:09
問答迷人さん

先程は失礼致しました。
やはり、真筆を使わなければ駄目ですね。

676問答迷人:2009/07/23(木) 18:07:34

ヨシヨシさん

先ほどは有難うございました。

>やはり、真筆を使わなければ駄目ですね。

七百年の歳月の中で、各宗派とも、独自の教学を組み立ててきたのだと思います。日蓮聖人その人に迫ろうとするなら、幸いにして真跡遺文が、大切に保管されてきていますので、それを基準にして、日蓮聖人の考えを直接探るのが確実な方法論だと思っています。

三大秘法という使い方を日蓮聖人がされていないのには、やはりそれなりの理由が有っての事だと思われます。有りの儘に、主観や宗派の教学を交えることなく真跡遺文を拝読する時、そこから見えてくる世界が有ると思います。そして、それは、各宗派で定説となっている事を覆すような内容の場合もありますが、ただひたすらに遺文のままに考える事が大切なんだと思っています。この真跡主義は犀角独歩さんが教えてくださった方法論です。

677ヨシヨシ:2009/07/23(木) 19:10:38
問答迷人さん

なるほどですね。
さすがは独歩さんですね。
先覚者と言わなければなりません。
一大秘法、三大秘法、六大秘法と何故二つも余計に定義を作ったのか?
謎ですね。
一大秘法=南無妙法蓮華経 三大秘法=本門の戒壇、本門の題目、本門の本尊
六大秘法=事と義の戒壇 信と行の題目 人と法の本尊
謎ですね。

678ヨシヨシ:2009/07/23(木) 19:13:29
問答迷人さん

では、六大秘法は更に謎ですね。
一大秘法だけで充分と言う事ですね。
どうでしょうか?
平成新修日蓮遺文集は今現在どこで出版していますか?

679問答迷人:2009/07/23(木) 19:55:08

ヨシヨシさん

>一大秘法だけで充分と言う事ですね。

そういう事ではないと思います。一大秘法は日蓮聖人が体得された秘法であり、それが法華経神力品で釈尊が上行菩薩に付属された秘法「妙法蓮華経の五字」なんだと日蓮聖人は言うわけです。

しかし、一大秘法は日蓮聖人だけが体得した秘法ですから、他の誰にもその中身は分からないわけです。そこで、日蓮聖人はその一大秘法を観心本尊抄において、「本門の本尊」として表現され、又、曼陀羅として書き現された訳です。日蓮聖人にしか分からない一大秘法が本門の本尊として表現された事により、一大秘法が万人に開かれた法門となったわけです。

>平成新修日蓮遺文集は今現在どこで出版していますか?

既に絶版の様で、入荷不可とされていますね。たまにネットオークションで見かけますが・・・。

680ヨシヨシ:2009/07/24(金) 10:34:58
問答迷人さん

一大秘法を聖祖は説かれて後の三大秘法の表現は三つの法門を指しているのですね。

681問答迷人:2009/07/24(金) 11:41:40

ヨシヨシさん

日蓮聖人が佐渡流罪を赦免され、身延に入山直後の文永十一年五月二十四日に執筆された法華取要抄(真跡在中山法華経寺)に次のようにお示しです。

『問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。』

同じく法華取要抄の末文には次のように述べられています。

『是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か。』

「三大秘法」と言う表現は無く、あくまでも「三つの法門」ですね。

682ヨシヨシ:2009/07/24(金) 15:54:41
問答迷人さん

仰る通りです。
三大秘法という言葉はいつ頃から言われるようになったのでしょうか?

683問答迷人:2009/07/24(金) 16:17:53

ヨシヨシさん

>三大秘法という言葉はいつ頃から

調べてみます。少し時間をください。恐らくは日有上人以降かと。

684ヨシヨシ:2009/07/24(金) 17:59:05
問答迷人さん

了解しました。

685hage:2009/07/24(金) 20:28:52
富士派以外でも、例えば私のところでも、

本門の本尊、本門の戒壇、
本門事行、八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経(本門の題目)

とお唱えしますよ。

686問答迷人:2009/07/24(金) 20:59:16

hageさん

おうかがいします。八品派では『三大秘法』と言う言い回しは有るのでしょうか、それとも『三つの法門』ですか?

687hage:2009/07/24(金) 23:16:09
問答迷人さん

八品派でも『三大秘法』と言う言い回しはあるようです。
私は詳しくないのですが、八品派の中でも「三大秘法」の解釈が分かれています。
佛立宗系の御本尊には『三箇秘法之中一大秘法』とありまして
三大秘法は本門の題目の一大秘法の中にあるもの、即ち本門の題目を離れて
本門の本尊も本門の戒壇もないので、本門の題目の中にこそ、その本尊も戒壇も
具わっているというのが『三箇秘法之中一大秘法』ということであるそうです。

しかし、八品派の佛立宗系以外では「三秘総在」といいまして、
本門の本尊の中にも三秘が具わり、本門の戒壇の中にも三秘が具わり、
本門の題目の中にも三秘が具わるところの一箇の大法即ち
上行所伝の南無妙法蓮華経であり、
門祖日隆聖人は
「本門三大秘法惣在の本門の本尊の南無妙法蓮華経」と仰せで、
本門の題目とは仰せでなかったようです。

688問答迷人:2009/07/26(日) 18:46:22

ヨシヨシさん

三大秘法の言い回しの件、とりあえずの検討結果をご報告します。


【富士宗学要集にみる「三大秘法」という成句の年代検討】

01 要法寺日辰師1560年の写本「上行所伝三大秘法口訣」(富要1-045)

02 大石寺31世日因師1757年の著作「有師物語聴聞抄佳跡」(富要1-185)

03 妙本寺日我師1545年の著作「化儀秘決(私記)」(富要1-273)

04 妙本寺日我師1545年の述作「年中行事」(富要1-327) 

05 日順師の記録とされる「本因妙口決」(富要2-069)

三大秘法抄の引用有り。内容は本因妙抄と重なる。三大秘法抄には日時師1397年写本、本因妙抄には日時師1391年写本がある。恐らくは、日時師辺りの時代に、日順師に仮託して作成されたものであろうと思われる。

06 西山8世日眼師(生年不生-1486年)述「日眼御談」(富要2-131) 1560年の写本

07 左京日教(日叶)師1428年の著作。「百五十箇条」(富要2-169)

08 左京日教(日叶)師1488年の著作。「類聚翰集私」(富要2-303)

09 大石寺26世日寛師(1665-1726年)「六巻抄」(富要3-069)

10 大石寺26世日寛師(1665-1726年)「寛記雑々 蓮祖義立の八相」(富要3-240)

以上の検討で、恐らくは三大秘法の名は1400年頃、三大秘法抄の出現により、門下全般に定着したものと思われます。

富士宗学要集第一巻から三巻までの検討結果。四巻以降の検討によって新たに知見が得られた場合は、追加報告いたします。

689ヨシヨシ:2009/07/26(日) 19:35:14
問答迷人さん

先程は失礼致しました。
これだけの文があるということは三大秘法は定着するはずですね。
しかし真蹟から見た場合で論じていかなければなりませんね。

>「三大秘法」と言う表現は無く、あくまでも「三つの法門」ですね。
こちらがやはり大切ですね。

690問答迷人:2009/07/26(日) 19:50:01

hage さん

>門祖日隆聖人は「本門三大秘法惣在の本門の本尊の南無妙法蓮華経」と仰せで、

日隆上人の門流独立は、1429年との事ですので、その日隆上人が「三大秘法」の成句を使われている事は、上記の「1400年頃」という検討結果と矛盾しない事が確認できました。有難うございます。

691れん:2009/07/26(日) 20:52:53
横レス失礼します。

三大秘法抄に就きましては、管見の史料によりますと、応永十八年(西暦1411年)成立の日陣師“授戒之作法”に「蓮祖大聖人作文、三大秘法抄並十重禁抄…」(十重禁抄とは本門戒体抄のこと)とあり、三大秘法抄は西暦1411年以前の成立であることは間違いないですね。話題に挙がった日隆師所持本(応永頃の書写とされる)の三大秘法抄には、「此御抄大不審也」(典拠、日本思想大系 日蓮)とあり、日隆師は本抄に不審感を感じていたものと見えます。

いずれにせよ、三大秘法の成句は三大秘法抄をその初めとし、三大秘法抄は西暦1400年代初頭に宗祖門下各門流に伝播していたことは上記の史料で明らかですね。日興門流の文献では本門三法門の呼称の初見は大夫日尊師の弟子日印師の“遣日代師状”(西暦1344年)に「大聖人三ケ大事」、日代師の“葦名阿闍梨御房御返事”(西暦1344年)に同じく「三ケ大事」とあるのが最も早いでしょう。日時師のものとされる石山の三大秘法抄と本因妙抄は、近年の研究で、筆跡から日時師筆は否定されているので、石山での三大秘法の語彙の初見は左京日教師の各著述といえるものと愚考します。

693問答迷人:2009/07/26(日) 21:12:59

れんさん

有難うございます。

>日時師のものとされる石山の三大秘法抄と本因妙抄は、近年の研究で、筆跡から日時師筆は否定されている

そうなんですか。そうすると、大石寺への「三大秘法」語句の初見は、又しても、左京日教師なんですね。ご賢察を御教授いただき、誠に有難うございました。

逆に言うと、この「三大秘法」語が含まれる「義浄坊御書」は偽作の疑いが極めて高いと言うことになりますね。

694れん:2009/07/26(日) 21:53:30
問答名人さん

宗祖ご自身は、問答名人さんがすでに御指摘されました通り「本門三法門」と書かれており、日興門流では、上代日興師直弟子門下の世代では「三ケ大事」の呼称が用いられ、西暦1400年代初頭に三大秘法抄が宗祖門下各門流に伝播して以降、日興門下各門流においても左京日教師の活躍年代である西暦1400年代後半辺りを初見として「三箇秘法」「三大秘法」の呼称が定着していく時系列であるという感触ですね。


となると、仰るところの義浄房御書は、ご指摘のように「三大秘法」の語彙を使用していますから、“三大秘法抄”の影響下で、応永以降に作成された可能性も出てくるので、無批判には宗祖著述の御書としては受容出来ない、少なくとも、学術的には御真蹟の現存する御書、興師・法師等の宗祖直弟子の写本の残る御書よりも、信用度はかなり落ちる部類の御書であることは確かですね。

695独学徒:2009/07/26(日) 21:54:24
れんさんに続き、横レスにて失礼します。

「三大秘法」の成句自体は、岡宮光長寺に古写本を蔵する日弁上人の申状に「法華本門三大秘法を弘め」(日蓮宗宗学全書第1巻89頁)と出てきますね。

同じく日宗全第1巻には、日弁記と伝わる「円極實義抄下」が掲載されここにも「三大秘法」(73頁)の成句が登場します。

もしかしたら「三大秘法」の成句は、天目・日弁の系統から出たのではと思えます。

696問答迷人:2009/07/26(日) 22:21:44

れんさん

>義浄房御書・・・信用度はかなり落ちる部類の御書

やはりそういう結論になりますね。有難うございました。


独学徒さん

日弁上人の申状、並びに円極實義抄下の、それぞれの推定年代はどのようでしょうか。

697独学徒:2009/07/26(日) 22:53:06

問答迷人さん、

日弁上人の申状は、1,293年(永仁元年五月十六日)となっています。
円極實義抄下は年代不定ですが、概ね1300年代との推論もあれば、執行師のように写本奥書の文明8年(1476年)に日弁に仮託して偽作されたものとの見解もあるようです。
興風談所は資料システムの記述からは、一応「円極實義抄下」の内容から、1300年代成立を支持しているように思われます。

698れん:2009/07/27(月) 08:52:43
独学徒さん

「三大秘法」の成句の使用例に日弁師の申状がありましたね。ただ、日蓮宗宗学全書第二巻に、参考文献として“直授日弁”として、上行所伝三大秘法口訣と同内容の八品派の相伝書が載ります。ですので、八品派の相伝に絡んで、この日弁師の申状に“三大秘法”の成句が、後代に加筆された可能性も否定出来ないので、私としては“三大秘法”の成句の初見として日弁師の申状を挙げるのには、やや躊躇するものがあります。

699天蓋真鏡:2009/08/09(日) 10:51:40
問答迷人さん諸賢の方々の意見は 三つの法門は 本仏釈尊の内証足る本門の本尊、国師の戒律を承る本門の戒壇、法華経行者日蓮が会得した本門の題目で良いのですか

700問答迷人:2009/08/09(日) 13:55:53

天蓋真鏡 さん

三つの法門については、日蓮聖人が諸御書にお示しです。

文永十一年の法華取要抄には次のようにお示しです。
「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。・・・中略・・・ 是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に疑ひ無き者か。」

又、翌年、文永十二年の曽谷入道殿許御書には次のようにお示しです。
「大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付嘱したまふ。其の所属の法は何物ぞや。法華経の中にも広を捨てヽ略を取り、略を捨てヽ要を取る。所謂妙法蓮華経の五字、名体宗用教の五重玄なり。」
「此の四大菩薩は・・・中略・・・但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後、仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず。所詮仏専ら末世の時に限って此等の大士に付嘱せし故なり。」


これらの御書を要約すれば次のようだと思います。

◎ 釈尊が四菩薩に付属した法は「妙法蓮華経の五字・一大秘法」である。
◎ 末法に四菩薩が出現して「本門の本尊と戒壇と題目の五字」の「本門の三つの法門」を建立して、それによって妙法蓮華経の広宣流布は間違いないのである。

つまりは、『釈尊から一大秘法の付属を受けた四菩薩が「本門の三つの法門」たる「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」を建立して妙法蓮華経を広宣流布する。』という大枠は定まっています。その大枠の中で、三つの法門のそれぞれの意味・意義を捉える必要があると思います。僕は、「一大秘法を具体化した『本門の本尊』」「本門の本尊を安置した戒壇堂たる『本門の戒壇』」「本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える『本門の題目』」と捉えています。

701天蓋真鏡:2009/08/12(水) 12:36:07
レスありがとうございます。 問答迷人さんは 本尊戒壇題目の並べ方等で貴方の解釈が日蓮の意思と同じと考えますか? 漫荼羅は三つの法門の具現化への前提だと解釈しますか? 自分は釈尊像漫荼羅経典蔵と殿堂を建立するよりは個人の修行と三国四師を勉強するのに個人一人ひとりが漫荼羅を所持する事と勉強会を催す事が21世紀には良いと思います。 問答迷人さんや他の方々はどれだけお考えでしょうか。

702問答迷人:2009/08/14(金) 11:33:07

天蓋真鏡さん

>本尊戒壇題目の並べ方

文永十一年の「法華行者値難事」『本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」
文永十一年の「法華取要抄」『本門の本尊と戒壇と題目の五字』
建治二年の「報恩抄」『一つには・・中略・・本門の教主釈尊を本尊とすべし。二つには本門の戒壇。三つには・・中略・・南無妙法蓮華経と唱ふべし。』

並べ方は、以上の真跡遺文が何れも「本尊→戒壇→題目」となっていますから、この順序で日蓮聖人のお考えと合っていると思います。

>貴方の解釈が日蓮の意思と同じと

はい、そのように考えています。

>漫荼羅は三つの法門の具現化への前提だと解釈しますか?

はい。三つの法門を説きながら、実際に後世に残したのは、曼陀羅と題目です。曼陀羅は三つの法門の具体化の第一歩で有ったと思います。

>自分は釈尊像漫荼羅経典蔵と殿堂を建立するよりは個人の修行と三国四師を勉強するのに個人一人ひとりが漫荼羅を所持する事と勉強会を催す事が21世紀には良いと思います。

「本門の本尊」の造立と「本門の戒壇堂」の建設は、日蓮聖人の目指したところだと考えています。但し、それが、今日に通用するかどうかは難しい所ですね。真跡遺文を見る限りにおいては、日蓮聖人は「本門の戒壇」について、詳しく述べられていない事から、聖人のお考えは不明と言うしか有りません。僕はこの点については敢えて考えは今のところ持っていません。白紙です。

703天蓋真鏡:2009/08/16(日) 06:51:44
問答迷人さん、解り易い挙証ありがとうございます。鎌倉時代の法華経行者・日蓮は東大寺延暦寺に続く本門の基軸を建立しようと民を諭し公を導こうと尽力したのは調べれば調べるほど確実な事は此の掲示板で折りに触れ明かされてきた事でしょう。 21世紀は仏像か掛軸か経典どれかに拘らず、 妙法蓮華の心を一人ひとりが理解し得るのか、 表現出来るのかが、 宗教の存否を決めるのでは無いかと想像しました。

704天蓋真鏡:2009/12/06(日) 12:06:03
問答迷人さん、自分は 一大秘法は要で本仏釈尊から伝わる南無妙法蓮華経で、三つの法門は三つの解釈だと思います。 本尊は南無を付けて尊敬。戒壇は行者自ら戒める意。題目は法華経出典で流布して我も彼も唱えるキーワード。 漫荼羅は法華経の伝播と継承の説明に使用する図式。

705問答迷人:2009/12/06(日) 19:38:37

天蓋真鏡さん

>一大秘法は要で本仏釈尊から伝わる南無妙法蓮華経

そのように日蓮聖人は捉えておられたと存じます。

>三つの法門は三つの解釈だと思います。

一大秘法の解釈であり、具体化であると存じます。

どのように具体化されたか、三つの法門のそれぞれについて検討すると、

本尊については、観心本尊抄に「本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。」と述べられています。妙法蓮華経の五字を中心として諸尊が立ち並ぶ本尊を日蓮聖人はお考えになっておられたと存じます。

戒壇については、日蓮聖人は具体的にはお示しでは有りませんが、妙法蓮華経の五字の曼陀羅を中心にして諸尊の仏像を配した本尊を安置する戒壇堂の建立を目指して居られたのではないかと考えています。

題目については、諸御書に於いて、一大秘法・妙法蓮華経の五字への帰命を誓い、南無妙法蓮華経と口に唱える事を具体的にご教示なされています。

706天蓋真鏡:2009/12/07(月) 15:23:27
レスありがとうございます。 いくつか追加質問させて頂きます。 本尊に掲げる漫荼羅の諸仏に廬遮那仏阿弥陀仏大日如来薬師如来は図示もしくは彫像されるのか。戒壇堂はやはり富士山の麓なのか。 自分としては彫像は難儀かなと。 釈尊立像と文字漫荼羅と経典巻を戒壇堂や各地寺院に奉戴する事が良いかなと思います。 戒壇は五重塔中心か戒壇堂中心か大伽藍形式か。もっと細かに言うなら 聖人国師と天皇主上、 戒壇と御所を並べて建てた方が良いのか。

707問答迷人:2009/12/07(月) 17:29:31

天蓋真鏡さん

>本尊に掲げる漫荼羅の諸仏に廬遮那仏阿弥陀仏大日如来薬師如来は図示もしくは彫像されるのか。

御本尊集を見ると色々な諸尊勧請の形式が見られます。例外的に書かれる事は有っても、本尊抄に「十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。」と有りますので、虚空にいらっしゃらずに大地に処されている訳ですから、基本的には図示或いは造立される対象とはならないのではないのか、と思います。

>戒壇

戒壇について日蓮聖人が論及された真跡遺文が存在しませんので、お答えする事は僕の力の及ぶところでは有りません。折角ご質問いただきましたが御免なさい。

708天蓋真鏡:2009/12/09(水) 14:09:09
問答迷人さん、レスありがとうございます。 自分も勉強不足で質問が雑でごめんなさい。

709問答迷人:2009/12/10(木) 09:49:40

天蓋真鏡さん

>勉強不足で質問が雑

いえいえ、そうは思いません。諸説が入り乱れていますので、どれが日蓮聖人の御本意なのか計りかねる所です。

一つ、僕が今考えている仮説を書き込ませていただきます。ご叱正戴ければ幸いです。

『一大秘法三法門について』

一大秘法が「妙法蓮華経の五字」で有ることは真跡に述べられていることですから明らかであると思います。(曽谷入道許御書)

この一大秘法・妙法蓮華経の五字を図顕されたのが本門の本尊。
この一大秘法・妙法蓮華経の五字を奉安し奉るのが本門の戒壇。
この一大秘法・妙法蓮華経の五字を口唱し奉るのが本門の本尊。

こう考えると、一大秘法・妙法蓮華経の五字』の具体化が三法門であり、三法門と言っても一大秘法がその正体であり、一大秘法の他に三法門が有るわけではない、そういう関係として整理出来るのではないかと考えています。

710天蓋真鏡:2009/12/10(木) 15:16:50
問答迷人さん、ありがとうございます。 では、とどのつまりは「鎌倉時代の僧・日蓮がどこまで考えて書いたのか」に尽きます。 自分は法門は解釈で、 問答迷人さんが考える一大秘法の具体的な用い方には踏み込んでません。自分は信の表現から 問答迷人さんは義の表現から申し述べたのかもしれません。 自分は結果論で言うなら問答迷人さんの考え方に賛成です。法華経の行者を自認する日蓮は其の様に組み立て説明するとシンプルに思います。

711質問者:2011/11/30(水) 01:44:47
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが
何故、竜樹菩薩と妙楽大師が抜けてるんでしょうか
(普通は天台大師と伝教大師の横にそれぞれ書かれているのに)

誰に聞いても教えてくれません
詳しい方レスお願いします

ちなみにこの御本尊は当時の学会員に下付されたものです

あと、この御形木本尊持ってる方いますか?


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