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創価学会の功罪を考える

1管理者:2002/03/08(金) 17:18

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/kouzai.htm


板東様、アネモネ様、いちりん様から、スレッドテーマの提案が有りました。突っ込んだ議論をよろしくお願い致します。

提案文は以下の通りです。

名前: 板東 投稿日: 2002/02/10(日) 21:25

要するに公明党が政権与党になっている点,マスコミを抑えてしまった点,有り余る財産で銀行を掌握してしまった点,また,金にモノを言わせて,嫌がらせ裁判をたくさん起こして反対勢力を弾圧している点,完全に日本を支配している,これは問題ではないんですか.

名前: アネモネ 投稿日: 2002/02/10(日) 21:34

思い切って、「創価学会の功罪を考える」(仮題)といったようなスレッドを立ち上げてみてはどうでしょうか。私も、宗門サイドの半ば偏重的なアナウンスではない正しい認識として、過去も含めた事実を知っておきたいです。

名前: いちりん 投稿日: 2002/02/10(日) 22:02

「創価学会の功罪を考える」っておもしろそうですね。きっと活発な論議になるとは思いますが、たぶん荒れる可能性もありましょうね。でも、やってみないとわからないか。

1916再挑戦者:2007/09/05(水) 22:50:09
 横レス失礼。
 <、、いくら、、真偽、、やっても、、びくとも、、しないでしょう>。
 
 なかなか、含蓄のある考察ではございます。 
 ただ、あくまでも、一度か日蓮曼荼羅さまを拝んだ方では無いようです・・。
 当該のお方は、最高学府の東大の一分野の学徒・研究者に過ぎませんか。
 生きるか・死ぬか・・の修羅場を何十回も体験・実感した我らは、こんなアマチャン・ヤワな考察には、No、、と言わざるを得ません・・。 
 今後とも、諸賢の御提言には、関心・維持だけは、と存知ますが。

1917犀角独歩:2007/09/05(水) 23:01:46

再挑戦者さん

いや、島田先生の分析は、たしかでしょう。
要は、漫荼羅鑑別などでは、創価学会は微動谷もしないという分析については、です。

ただし、今後は、これまでのように、究竟の閻浮第一の本尊などいう調子ではいかない、では、今後、どうするのか、という次段階で、創価学会は動き出していますから、漫荼羅真偽といった単純な攻め口から、こちら側も、さらに新たな視点、新たな視点を睨んで、事に当たろうと思っています。

戸田さんの言葉を奪って言えば「追撃の手は緩めない」といったところです。

1918再挑戦者:2007/09/05(水) 23:54:24
、、、。
 
 ドーモ、、。
 今後には・・・・・???
 タダ、 弱者が、ボコボコ、、と痛められるのは、許容外かも〜〜?

1919偶ロム偶ログ:2007/09/06(木) 00:12:22
真偽スレの1837でこちらへの移動を提案したので、ひとこと。

私は高校時代にはじめてひとり折伏し、彼は学会に入りました。
大学時代には学内組織の春の新勧で一年生、二年生と二回やり、それぞれ数人が入ったと思いますが、これは代わる代わる何人かでの折伏でした。
私は学生時代に学会をやめましたが、卒業までの約二年半は、ある意味ではたいへんでした。
最初は学内メンバーとやりあっていたのですが、二週間たつかたたないうちに私とは一切口をきくなということになり、しかたなく、別サークルで学会批判を続けたものです。
真偽スレにも書きましたが、私は学会からすれば退転者であり謗法となったわけです。
私は幸いなことに熱心な学生部員でもなく、力説して折伏したこともうりません。
高校時代の折伏は、自暴自棄に陥っていた友人に対して、気分転換を勧めるようなもので、彼が入ったのには私が驚いてしまったくらいです。
私は学会、檀徒会、法華講を体験はしていますが元来組織が嫌いでしたから、みなさんのようなバリ活だったことはほとんどありません。
せいぜい、檀徒会のころに親類一家七人を脱会させて法華講に入れたていどです。
その後、私が正宗じたいから離れてから親類一家には本尊論や血脈問題、その他で正宗批判を続けましたが、彼らは反論せず、私の意見を受け入れたうえで、法華講にとどまっています。
「学会をやめて法華講に移ったのに、いまさらどこに行けばいいんだ」
学会では地方組織の大幹部、法華講では総代になった一家です。
受け皿のないままやめさせることはできませんし、いまでは信徒というより檀家というかんじでいるようです。

ほとんど参考にならないですね。すみません。

1920犀角独歩:2007/09/08(土) 09:22:17

『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』からの移動を、偶ロム偶ログさんから促されましたが、彫刻本尊に係る内容を少し書いておきたいので、敢えてそちらに記しました。

さて、こちらでは、『創価学会の功罪を考える』という筋から、少々記したいと思います。

このスレッド名で重要な点は功罪ということでしょう。罪過のみではなく、功績も考えるということです。

この二つはしかし、実は肯定的な立場にある人と、否定的な立場にある人では、そのバランスがまことに悪いわけです。

肯定派は、功績を肥大した形で論じますし、否定は罪過を肥大して論じるからです。まずはバランスよく考えること、つまり、実像をしっかり見据えることが第一歩となるわけです。

この点で偶ロム偶ログさんの視点は明晰なのだと思います。
わたしは脱会者としての被害者意識と、脱会後の活動家自体の自画像については加害者意識が、どうやら強いようで、厳正な中立的な分析に欠く嫌いがあったのだと、現時点で自己分析をしています。

しかし、時間というのは最大の治療師のようで、今回の合宿でモーニングさんのご発表を拝聴した際、わたし自身の関心事は、このような創価学会肯定型の内容を自分の感情がどう受け止めるのかということでした。

モーニングさんご自身にも告げましたが、わたしの第一の感想は「懐かしい」というところでした。もはや、二度と謳うこともない「学会歌」の歌詞と、クールではあるけれど、如何に創価学会幹部然とした発表した有様が、脱けて17年にして見聞するとき、どこか青春時代に命がけになっていた自分とシンクロするところがあったようでした。

問答さんとのやりとりとも関連しますが、わたしが半生をかけて何もかもを犠牲にしながらやってきた信仰、本尊と教義は“偽物”であったわけです。しかし、そこから振り返ると、その偽物の本尊と教義を信じ込んだ集団と人々のあの熱烈な信仰と行動力の源泉、創価学会の用語を使えば“生命力”は、では、どこから発生していたのだろうという新たな疑念が生じたわけです。

創価学会には功徳がないという批判はあるものの、今回のモーニングさんのご発表のように、「勝った」という実感を有する会員がいるからこそ、創価学会の現行勢力は保たれているのでしょう。ここには生命力と功徳を実感する人々がいるわけです。

たしかにカルトという言葉は熱狂的な信仰というのが、原意であって、では、その教義は真かといえば偽である、偽であるけれど、熱狂的な感動がそこにあるという反比例があるわけです。

たぶん、このような構造のなかで、感動し、“功徳”を実感する人々の心象は、偽の本尊・教義とは裏腹に、真として存在しているのだろうと思えます。
となると、ある意味、本尊・教義の真偽を問うことはナンセンスということになります。

では、この生命力の源泉、モーニングさんの言い方を借りれば、「勝ち」の源泉とはいったい何なのか、それを発表では「学会精神」だと結論していたわけです。全てを勝ちに変えていくプラス思考、それが学会精神なのだとモーニングさんはいうわけです。

1921犀角独歩:2007/09/08(土) 09:22:56

―1920からつづく―

楠山師は『立正安国論』を現代に読むという視点から日蓮の発想はプラス思考であり、念仏法然のマイナス思考と対峙すると分析していました。島田師は、わたしに対して本尊鑑別を行ったところで創価学会はびくともしないとも語ったわけです。両師によって出そろった結論は、ある面、なぜ、創価学会が日本最大の新興団体になったのか、また、会長が交代しようが何しようが、その勢力を保ち続けているのか、その要員について、モーニングさんの「学会精神」という結論と、実はまったく齟齬を来していないという一連の脈絡が、実が今回の合宿を通じた総体的な結論の一つになっていたことに、開催者であり、かつ、脱会者であるわたし自身がいちばん驚きました。

しかし、このような脈絡については、偶ロム偶ログさんは先刻ご承知なのであって、だからこそ、創価学会の功罪を見る実に長けたバランス感覚がそこにあったのだと改めて思いました。

では、一字三礼さんが仰ったような反対意見が的はずれなのかといえば、わたしは、そんなことを言いたいわけではない。つまり、このような創価学会の有様に「No!」という選択をした側は、罪過面がそこに何ら反映されていないという点を見ているからだと思います。その意味において、一字三礼さんの反応もまた、もっともだと思えます。

この点で、モーニングさんは、「創価学会は過去を振り返らない」、こう仰った。つまり、過去の発言、行動を詳細に挙げれば、現代の創価学会は、その過去の発言によって自ら自己否定を強いられることになる、その最善策が、過去を振り返られないということなのでしょう。これは創価学会にとっては、まことに都合がいいわけですが、実際に創価学会を“加害者”とみなす陣営からすれば、やはり、「冗談じゃない」ということになります。

先の学会精神ということに関連しますが、創価学会が言う師弟共戦で、かつて負けを喫した師匠を、逆転必勝に導いてきたのは何か、それが「仇討ち」なのだというのがモーニングさんがいうところでした。

法然は父親の夜襲で失い、その絶命の間際に「決して仇討ちをしてはならない。仇討ちはまた次の仇討ちを生む」と諭して出家して菩提を弔ってくれるよう遺言し、その亡父の逝去の年齢に法然念仏宗をはじめたと物語されてきたわけです。

法然の逸話と比し、いまの創価学会が仇討ちで「勝ち」を取ったという認識をするとき、しかし、メンタリティからいえば、わたしの個人的な見解として法然に劣るように感じます。

わたしは学会・顕正会を含む石山圏から距離を置き、通仏教をみるようになったとき、その寂照とした有様に魅了されました。前者の動的様は、本来、仏教がもっていた静的な部分から見ると、実に生臭く感じたという自分史があります。

この点は、一字三礼さんにご意見をお伺いしたいと思うのですが、漢訳のみならず、サンスクリット語原典も視野に入れて渉猟されてきた該博な知識からすると、この点で、モーニングさんの、というより、学会精神・仇討ちといわれるところに不快感が生じたのではないかと、わたしは観察しました。


雑駁な文章となりましたが、偶ロム偶ログさん、一字三礼さんほか、皆さんから、ご批正を賜れれば有り難く存じます。

1922犀角独歩:2007/09/08(土) 09:29:45

相変わらず訂正、すみません。

【1920】

誤)脱会後の活動家自体の自画像…中立的な分析に欠く嫌い
正)脱会後の活動家時代の自画像…中立的な分析に欠くきらい

誤)如何に創価学会幹部然とした
正)いかにも創価学会幹部然とした

【1921】

誤)その勢力を保ち続けているのか、その要員について
正)その勢力を保ち続けているのか、その要因について

誤)法然は父親の夜襲で失い
正)法然は父親を夜襲で失い

1923パンナコッタ:2007/09/08(土) 14:36:55
"その後も、深い爪痕を残す宗教"の一つであると言う事は、疑う余地はありませんね。
ただ、必要以上に罪悪感を感じてしまい、その重圧で身動きが取れないような事になっては
良くありませんね。 問答さんの示されたスタンスは、規範にも成りうる物かと思います。

学会歌の仇討ちの件につきましては、当の発表時に
「末端会員の間では歌われておらず、知らない人も多いじゃないか」と、
自分はツッコミを入れましたが、ちと温度差のある対応でしたね。

自分なりに振り返ってみれば仇討ちの復讐心は、牧口初代の獄死に対して
日本国及び日本に向けられていた感情をある意味、教団拡大の推進力に
していたんじゃないかと思えます。
また、第二次創宗紛争以降は、会長勇退→横浜で一人立つ を強調しはじめて、
"その復讐心"と増悪を、事情を良く知らない末端会員にも煽っていたのを憶えています。

勇ましい歌詞をつけた軍歌調の歌で集団の結束を図る というやり方は時代にそぐわなくなってきたのは
おそらく事実でしょう。 しかしながら主観ではありますが、この先公明党が与党から野党の一派に成り下がった時、
広布に走れ・紅の歌・威風堂々の歌 等を、末端に歌わせ結束を図る という打ち出しをしそうな気がしますね。

1925パンナコッタ:2007/09/08(土) 14:44:03
すみません。
 >日本国及び日本 → 日本国政府及び日本
    です。

管理人さん、すみません >1924は、削除してください。
お手数かけます。

1926一字三礼:2007/09/08(土) 23:25:21

犀角独歩さん

私は創価学会の歴史や事情はよく知りません。ただ、日蓮正宗の在家団体から破門・独立の経緯があり、現在にいたるのであろうと思う程度です。

だから、「創価学会は、興門系日蓮法華を奉ずる仏教団体」であるとの認識がありました。

私が最も違和感をもったのは、彼の発表する創価学会からは日蓮法華どころか、仏教の要素がまったく聞き取れないことでした。
いったい、何を布教して勝ったつもりになっているのか。
だいたい誰かに‘勝つ’だの‘負ける’だの仏教では否定されるべき価値観でしょう。

私以外の合宿参加のみなさんは、たいへんに博識で、創価学会の特殊な用語や事情を熟知した上で発表をお聞きになったのだと思います。

>メンタリティからいえば、わたしの個人的な見解として法然に劣るように感じます。

私もまったく同様に思います。創価学会は、もはや仏教団体ですらないのでしょうか。

1927偶ロム偶ログ:2007/09/09(日) 03:10:18
一字三礼さん

>創価学会は、もはや仏教団体ですらないのでしょうか。

難しいところですね。現在の創価学会は「池田思想」という非常に曖昧なものを信奉し、それを広めることをもって広宣流布と呼んでいるように見受けられます。
それだけであれば確かに「仏教団体」ではないと考えることができ、ある意味すっきりするのですが、、、。
彼らはいま現在も、漫荼羅本尊に向かい略式とはいえ勤行をし、多少は御書を読んでもいますから、「仏教系の団体」ではある、というところではないでしょうか。

>私が最も違和感をもったのは、彼の発表する創価学会からは日蓮法華どころか、
>仏教の要素がまったく聞き取れないことでした。

まったくおっしゃるとおりで、三十年前、四十年前の創価学会を知っている私や独歩さんからすれば、まったく知らない違う団体になったとしか思えない、そう感じるわけです。
しかし、モーニングさんが「仇討ちの精神」と発表されたとき、その言葉は、忘れていたけれどたしかに聞き覚えのあるものでした。
その「仇討ちの精神」は戦後、戸田城聖氏が牧口常三郎初代会長の三回忌の席上で発言したことに原点がある、というモーニングさんの指摘は正しいでしょう。
それから現在に至るまでことあるごとに学会員はそれを刷り込まれ続けてきたのです。
当然のことながら、仇討ちは勝たなければなりません、返り討ちにあって負けては「恥」になるわけです。
つまり学会員の公私は「勝利する」という強迫観念に支配されていると私は思っています。
それは池田さんの仇討ちであり学会批判に対する仇討ちであるわけですが、勝利ということについていえば、家庭で、地域で、職場で、学会員でない者には負けてはならない、そういう論理なのです。
独歩さんが指摘された、

>過去の発言、行動を詳細に挙げれば、現代の創価学会は、その過去の発言に
>よって自ら自己否定を強いられることになる、その最善策が、過去を振り返
>られないということなのでしょう。これは創価学会にとっては、まことに都
>合がいいわけですが、実際に創価学会を“加害者”とみなす陣営からすれば、
>やはり、「冗談じゃない」ということになります。

という点について言えば、学会員たちは創価学会に入ることで「謝罪から解放」された、ということなのかもしれません。
たとえ謝るようなはめに陥っても、それは池田さんであれば「学会員を守るための屈辱」であり、学会員であれば「池田先生と学会を守るため」にしたこと、そう自分に言い聞かせているのでしょう。
ですから彼らは心の底から反省するとか謝罪するということはない、私はそう思っています。
もし有るとするならばそれは、「池田先生に申し訳ない」という反省であり謝罪でしょう。
反省や自省のない仏教など普通では有り得ません。
ですから私は彼らをせいぜい「仏教系の団体」であるというていどにしか思っていないのです。

パンナコッタさん

>この先公明党が与党から野党の一派に成り下がった時、広布に走れ・紅の歌・
>威風堂々の歌 等を、末端に歌わせ結束を図るという打ち出しをしそうな気
>がしますね。

たしかにそうかもしれません。私もそのような気がします。

1928再挑戦者:2007/09/11(火) 20:48:10
偶ロム偶ログさん、
 横からご免下さいませ。
 確か、以前、小生の入信頃では「折伏教典」は規範=教科書も同然でした。 それが、なぜか、生命の重視に反する、人命の人命軽視をする方向に転換したのか、? 疑義があります。
 選挙の”一票欲しさに、!!!”「、邪宗方との和睦=与同法謗、」に通じる判断力・分析などの欠落こそが、現今の、似ても、似つかぬ、日蓮サンの否定につながった、ようでしょうか、、。
 諸賢様からの貴重な情報提供、いつも謝をいたします所存で御座います。失礼しました。

1929偶ロム偶ログ:2007/09/12(水) 04:22:22
再挑戦者さん

>「折伏教典」は規範=教科書も同然でした。

おっしゃるとおりでしたね。かつてわが家にはそれぞれ版の違う「折伏教典」が20冊以上もありました。
「折伏教典」は折伏する相手に「勝つためのマニュアル」でしたから、一種の想定問答集でもありました。
創価学会は時代や社会情勢の変化に敏感に対応して、「折伏教典」を頻繁に改訂し続けました。
しかし、それは折伏の現場からの声をくみ取ったものではなく、高学歴の教学陣たちが頭のなかだけで書いたものになっていったように思います。
創価学会の折伏は、いつのまにか民衆救済を目的としたものではなく、創価学会を広めることそれ自体が目的になってしまたように感じます。
かつて「邪宗」と呼んでいたものも、いつのまにか「他宗」になってしまいましたが、その理由は説明していません。
創価学会は、「謝罪」どころか「説明」すらもしない教団になっていますね。

1930犀角独歩:2007/09/12(水) 07:28:50

偶ロム偶ログさん

『折伏教典』は、何を原形にしたんでしたっけ。
最近、大石寺で出している、これまた、『折伏教典』を見本にしたような本は何といいましたっけ?

1931偶ロム偶ログ:2007/09/12(水) 13:28:21
独歩さん

>『折伏教典』は、何を原形にしたんでしたっけ。

戦前の皇道仏教行道会が出していた『聖衆読本』ともう一冊(ど忘れしてしまいました)を参考にしたと思います。
探し出せば出てくると思いますので、今度コピーをさしあげます。

>最近、大石寺で出している、これまた、『折伏教典』を見本にしたような本は何といいましたっけ?

大石寺が出したのは数年前の『折伏教本』ですが、最近出たのは
大草一男・編『折伏必携 完成版』(「暁鐘」390号別冊号)平19/04/28発行、713頁、頒価1700円
ですね。まあ、近来まれにみるトンデモ本です。
ちなみに216頁から始まる「第四部疑難破折編第一章本門の大御本尊について」では、
後世の偽作説
日禅授与本尊模写偽造説
脇書接合説
七箇相承違背説
願主不審説
身延無楠説
熱原法難無縁説
その他、全13項目36頁にわたって相変わらずの主張を垂れ流しています。
また241頁からの第二章宗祖本仏義、250頁からの第三章血脈相伝について、でも同様の内輪向け強弁を書いています。
第五部折伏50問50答、270〜379頁
第六部主な邪宗教の破折編、382頁〜688頁
とにかく一冊丸ごと石山体質の塊といったタノシイ本です。

1932犀角独歩:2007/09/13(木) 00:06:52

偶ロム偶ログさん

ご教示、有り難うございます。
『聖衆読本』でしたか。
で、妙観講の本というのは、大石寺すら、その発刊に責任を負っていないという不可思議な本のことですね。
こちらの山では、株式会社大日蓮出版というのを公式に創ったわけで、それはつまり、それ以外の本は、大石寺とは関係ないという表明=妙観発刊物、関係ないという意味ですね。

わたしが大石寺内事部で仕事をしているとき、教学部で許可をしない出版物は大石寺の正式の出版とは認めないと明言していました。
つまり、妙観講の発行物は大石寺の埒外ということ、つまり、内外共に“とんでも本”ということなのですね。
この辺の事情をしっかりと掌握しないと妙観講の出版事業の彼らの販売利益に貢献するだけのことになるわけですね(笑)

1933波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/13(木) 06:25:08
私の経験から言うと、妙観となんらかのトラブルがあっても石山宗務院は
全く”われ関せず”の態度をとる。

悪名高い慧妙は完全にどこが実質的出版編集かも隠していて理境坊内にあるのに、
明言を避ける。

彼らには彼らの僧侶ネットワークがあり、このネットワークの僧侶たちは
裏では慧妙、表では道心を用いてその妄言を喧伝する。

1934とおりすがり:2007/09/13(木) 16:45:29
>>悪名高い慧妙は完全にどこが実質的出版編集かも隠していて理境坊内にあるのに、明言を避ける。

一言申し上げるが、慧妙は理境坊内にはありません。
一応、富士宮市の住所地を編集地としておりますが、全ては郵便局から転送をし、出版も発送も妙観講本部(西荻窪)で行っております。
しかも、本部の行事の後に、講員を使い発送作業をさせております。
また印刷は共産党の赤旗と同じ印刷所を使用しております。
そもそも慧妙のどこにも「理境坊内」とは書いていない。
根拠不明の論はやめた方が良い。

1935とおりすがり:2007/09/13(木) 16:47:57
>>裏では慧妙、表では道心を用いてその妄言を喧伝する。

道心は宗門の通達により廃刊になった。
H師が道心上で慧妙を批判した事も影響している。
つまり上記は似非情報である。

1936波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/13(木) 18:57:33
>>1934
それは信じがたい。私の調査内容とは不一致。

慧妙には理境坊とは書いていないが編集はこの坊でなされているのは公然の秘密のはず。

>>1935
またねつ造ですか。道心が廃刊になった理由は慧妙とは全く関係のないこと。
あまりにもコジツケ過ぎて君の書き込みは抱腹絶倒ですらある。

だいたいその僧侶は、さかんに道心上でも本覚思想賛美・肯定をやり正宗宗門内でも否定的に
見られていたではないか。

その僧侶もある僧侶グループの片割れであり、道心や慧妙を使い、時には
北海道の法太郎などをその手足として使い謀略的言動や行動すら繰り広げていた
人物の一人ではないか?

旧時局グループのひとつであろうが。

1937阿佛棒:2010/02/22(月) 08:21:35
本日は創価学会禮賛をここにしるし大功徳を得てやろうと
スケベ根性で書き込む次第。

信心というのも要は結果であります。
病気は治らない貧乏である災難に見舞われる念仏者ブキャー

効果なければ信じなくて良し!であります。

現代にいたって創価学会が出現し大ブレイクしたのは
創価学会の教えによって人々が救われた何かがあった。それが思い込みやカンチガイを
含むものとしてもちょっと多過ぎませんか?

今の日本でもっとも悪口雑言を受けているのは池田先生であります。
ヒトラー麻原ビンラディン金正日と並べて世界の大悪人の筆頭であります
全くの善人とは思いませんが
先生がこんなに難を受けるのはもしかしたらオレって本佛って思っても無理からぬ。

一代で本願寺勢力に比肩する一大宗教勢力を作り上げたこの手腕はまさに世界宗教の教祖級であることは
信仰のある無しかかわらず

もっと評価されるべき

1938ちょっと立ち寄りました:2010/04/17(土) 15:45:20
創価公明をすべて悪であるという立場は取らない。何事も功罪があり、その「功」
の部分も冷静に評価すべきである。だが、創価公明の場合はいかにもプロパガンダ的に
「功」のみを過大過剰宣伝し過ぎるからそれが逆効果を生んでいる。
もっと自信をもってどっしり構えるべきではないか?

いずれにせよ池田大作後の創価は大きく方向転換の舵を切らざるを得ないだろう。
もう創価利権ネットワーク体制は縮小していくものと思われる。公明の発展的縮小と撤退、
職業幹部の減少、関連企業の縮小整理等々。

1939悟道掴悟空:2010/05/13(木) 22:47:18
悟道掴悟空と申します。皆さんこん○○は。

別に宗教一派を侮辱するつもりではありませんが、学会は未だに良いとも悪いともいえません。
ただ、天尊を求めているような感じは見受けられます。戸田氏しかり、池田氏しかり。
家系は創価学会なのですが、7〜8年前に、相当幹部のやり方に納得いかず、3度破折、2度手紙でいさめましたが、
未だに念仏僧?のような女々しい題目を送っておられるようで、少し嫌気が差します。
その幹部がとった行動も面白かったですね。当時はあまり問題化していなかった児童虐待動画を私に配布するとか、
増上慢も甚だしい行動を取ってはストーカーみたいにいる。

こういうタイプの人は、たとえば、階段を登っている時に、上段から睨んでいるようなもので、
一言でいうと 「うざい」 。
ハエか何かに集られているのかと思いましたよ、全く…。

池田「先生」にそうメールを送れば忘れ去られるように怒られる。
32歳の男がいうのもなんですが、氏の親の顔が見てみたいです。

しかも幹部を“通さずに”、直接メールを送っても返答なし。
それも一回、二回ではありません。まして十回、二十回でもありません。
百回近くの問答にも、池田大作という男は、一切返答しません。
それにつけて、改竄の寛尊についてどうかと構えれば、師匠の戸田城聖とかいう男は、
何の教育をしてきたのかと思えるほどです。

1940悟道掴悟空:2010/05/14(金) 00:53:29
もう一つ。
日蓮聖人のご教示通りに仏意仏勅(=本門のお釈迦様の本意に準ずる)をこなすと、
世にある全ての不可思議、若しくはその本果を全て開眼できます。
UFOとか霊などの素性も、事象を通して私は説明できます。

また私の仏眼は、その人の過去世を見抜くというものですが、池田大作名誉先生は
○○○良○の後世ではないかと思っていたところ、注法華経にはその三証を垣間見れて面白いです。
総じて、無敵であるかのようにうたい、確かにその通りのかな?という創価学会ですが、
注法華経を仏意仏勅で読むと、何の因行果徳でそうなっていったか垣間見れますので興味ある方はお試しください。
最近になっては確信にいたりました。

口伝である就註法華経口伝には南無妙法蓮華経と火大だけが説かれており、
他にも水大・地大・風大、総じて空大と五つあるのが分かりました。
ちなみに水大は全部書き記しています。空大も一緒のようでしたので書き記しています。

1941悟道掴悟空:2010/05/14(金) 10:37:47
この世の不思議は、全て変易生死(へんにゃくしょうじ)というもので考える事ができます。
分段生死は六道輪廻の狭間で悟れない出世を繰り返すという凡夫にはつき物の生死観ですが、
変易生死は四聖(ししょう)の活発な悟りで、三世自在の時を撰べる生死をする事ができます。
ただ、制限があって、
過去に行く場合はその現在においての定まった条理しか路にする事はできない。
未来に行く場合は、その過去現在を否定できない。
となります。
故に日蓮聖人様の「過去・現在・未来といっても、全く同じである」という理論が確実な結びとなりますね。

オカルトではありませんが、「ノストラダムスは未来から過去に生死を繰り返した」なんてありますけど、そこから考えると変易生死と理論がぴったり一致します。
ただ、弱点があって、時流にそってそうではない場合、簡単に空論になってしまいます。

霊というのは実在します。
「仏の三十二相」といいますけど、三十二相は誰しもが兼ねて備えています。それが不足している場合、人世間に往生できない。そのため霊となってしまう。
善霊は驚かせて精としないために神と同じ働きを生みます。南無妙法蓮華経では、追善供養で作仏するのはこの理論だと思われます。

現在宇宙科学を科学学会では活発に研究されていますが、宇宙の真理は釈尊の悟りであられる「宇宙即我・我即宇宙」を超えていません。過去・現在までの研究はほぼ完了済みで、未来も含まれている事実を完璧に理解すれば、それは悉く自分に過ぎないという生命の働きを鑑みる事ができると思います。

1942悟道掴悟空:2010/05/14(金) 10:59:35
経緯から考えて、像法漢土では南三北七の諸宗がありましたが、内に釈尊を敵とする悟りの法の人が見受けられました。これを諸大師は彼仏(かのほとけ)と皮肉っておられます。

特徴は
・六道の凡夫を超えない
・お釈迦様がだいっ嫌い

というところでしょう。


悟りの法というのは人間の鑑みる随一の方程式であるわけですが、すでに釈尊が体系されておられるので仏を侮って、結局は悟りの法を説こうとしても、円教である法華涅槃には負けてしまう。

うちに極楽寺良観という先生は、その中の代表的な無名の未来成道を誓う人だったと考えられます。
ただ、彼仏に過ぎないので、瞬く間に破られる。

こうして逐一在世につながる時には先立って空気を読み、何かを説いて自分が長者になろうと量る。

悟りの法の肝心は開近顕遠(かいごんけんのん)にすぎません。因んで、これをもって瞬く衆生を広開近顕遠にする人がいる時代を「如来の在世」と言います。
悟りの法が正しくないと、依報も粒子が働いて遠近が乱れてしまい、たまに水彩画のような風景を垣間見るのは、本尊が釈尊ではない題目を唱えていらっしゃる宗教があるからだと喝破します。

正宗で必要な知識はこれぐらいでしょうか?
足りないようなら、知見して書き込みますのでよろしくお願いします。

1943ひきこもり:2010/12/03(金) 21:41:30
>>1938
創価学会には多くの悩める人を救った大きな功労がありますよ。実際に創価の人は強いですよ。
問題は公明党と言う政党を作り、信者に特定の政党に投票を強制した点や特定の政党を非難させ
た点にあると思います。政党の選択を信者から奪い、民主主義とはおよそかけ離れた存在になっ
たために、宗門との離脱になったのでしょう。

1944古沢石日:2011/06/29(水) 22:27:20
お題目の力に功徳があったので布教できたのです。
昔の折伏は相手の幸福を第一に祈念したものです。
無欲の祈りに功徳をいただけた。

今は誰々を折伏して自分に功徳をもらおう!とか
組織上でのノルマでの折伏。

創価学会は勘違いしてますよ。
自分達が布教してきたってね。

人を思いやるお題目が同志を増やしてきたんですよ。
早く思い出さないと地球が無くなってしまいます。

1945古沢石日:2011/08/04(木) 01:02:04
>>1944の訂正をさせて頂きます。
>今は誰々を折伏して自分に功徳をもらおう!
これは草創期からの定番でした。
折伏の成果は自信の功徳になる。

今一番創価学会が犯している過ちは、日蓮聖人のお名前だけを
看板として使い、御文を学ばず、会長の指導を指針として活動している事です。
私もこの板で学ばせて頂き、少しながら偽書の怖さが解ってきつつあります。
ところが、地域の幹部が指導で使う御書は全て後世に作られた偽書ばかり。
それを指摘すると驚くべき答えが返って来ました。
「大聖人の御書であるか、後々誰かが作ったものか、そんな事は問題じゃない。
 我々はその御文を池田先生がご指導に引用して頂いたその時点で、その
 お言葉は先生のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。」
これは私の身辺の幹部の個人的な意見ではないと思います。
これは大変な事になってしまっています。

1946古沢石日:2011/08/04(木) 01:05:50
仏敵民主党 法戦Fどりによる功徳
こんな言葉が平然と語られています。

仏的民主党と連立を組んだら、血眼で民主党候補の応援をすると思います。
創価学会は何に「南無」しているのですか!!

1947問答迷人:2011/08/04(木) 12:57:41

古沢石日さん

>後々誰かが作ったものか、そんな事は問題じゃない。我々はその御文を池田先生がご指導に引用して頂いたその時点で、そのお言葉は先生のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。

これを日蓮聖人と入れ替えてみます。

「法華経が釈尊滅後に教団によって創作されたものであろうと、そんな事は問題じゃない。我々は、日蓮聖人が法華経の題目・妙法蓮華経の五字が究極の教えであると説かれた時点で、南無妙法蓮華経は日蓮聖人のご指導なのだから、何ら疑うことなどあり得ないのだ。』

如何でしょうか。池田崇拝と日蓮法華信仰とは、構造としてはそっくりなのではなかろうか、と思います。

1948問答迷人:2011/08/04(木) 19:27:28

追加です

日蓮法華の信仰者である僕は、次のように考えています。

「法華経が釈尊滅後数百年以上経過してからの創作であるとしても、法華経には、釈尊の悟りが正しく受け継がれており、その釈尊の悟りのエッセンスを日蓮聖人は南無妙法蓮華経として説かれたのである。」

これに対して、法華経を単なる創作物語に過ぎない、とする立場の方は、恐らく次のように考えられるでしょう。

「そもそも、大乗経典は釈尊が説いたものではない。後世の弟子の創作であり、いくら法華経が大乗経典の中の最高峰であると言っても、所詮、架空の創作物語の範囲での優劣に過ぎず、それらは釈尊とは直接何の関係もない。」

当然のことながら、考古学の立場からは、後者の大乗非仏説の方に軍配が上がりそうです。しかし、僕は次のように考えています。

「悟りは、悟った人にしか判らず、その悟りを正しく表現することは甚だ困難である。それゆえ、釈尊の弟子の中に、釈尊の悟りを追体験した方が次々と出ておられれば、大乗仏典は創作物語でありながら、物語の形で釈尊の悟った世界を表現しているという事が可能になるのではないか。つまり、非仏説でありながら、その中身は、仏の悟りを解き明かしている、という可能性を十分考えることが出来る。」

これはもう、信仰の世界です。あとは、僕自身が信仰によって、日蓮聖人の体験した世界を追体験することが出来るかどうか、この一点に尽きると思っています。

それから、池田教は当然信仰として成り立つと思います。『このようなマンモス組織を作り上げたリーダーの池田氏が、既に釈尊の悟りを追体験して仏教の精髄に到達しており、民衆を正しく導く事の出来る世界唯一の指導者である」という信仰。この信仰の是非は歴史が明らかにしてくれると思います。

1949古沢石日:2011/08/04(木) 23:14:03
問答迷人さん

ご意見を読ませていただいて本当にびっくりしました!
ご指摘のとおり、まったく同じでございます。
問答迷人さんのご意見を創価学会員は、
「釈尊 日蓮 そして 池田へと 正法は 受け継がれる。」などと
言い出しかねませんね。

しかし私は「お題目」が信仰で、日蓮聖人のご指導が信仰です。
私は釈尊をよく存じません。法華経二十八品もよく存じません。
でも、日蓮聖人が妙法蓮華経に帰命しなさいと仰せですので
それのみを信じ信仰しております。
創価学会の長は、組織の長であるだけで、会社のお偉いさんと同じです。
日蓮聖人はお命をかけて日本の柱としてまったくブレのない御一生を
過ごされました。過去現在未来、いかなる人間が現れてもどうにも
意見批判もする余地のない、最高の師であります。

1950古沢石日:2011/08/04(木) 23:21:15
池田先生には、欠片も感じれません。意見ブレ過ぎです。
先月久々に同中に行って、放送されていた過去映像みたんですが、高等部相手に右手を胸に当てる
しぐさ(アメリカの兵隊の敬礼みたいな動作です)を何回もしてました。
意味不明なのに、あんまり何度も繰り返すから、頭にきましたけど。
ピアノ演奏も見ましたが「この技術で作曲できるかな?」が感想です。
周りが持ち上げて持ち上げて持ち上げて、ヒーローになった感じですね。
私は、どうしてあんなに崇拝されているのか、まったくわかりません。
わたしが以前おまんだら書写の質問を繰り返しさせていただいたのは、
将来「池田まんだら」が出ると思いますので、そのときのためです。

1951古沢石日:2011/08/04(木) 23:22:49
×  問答迷人さんのご意見を創価学会員は
○  問答迷人さんのご意見をもし創価学会員が目にしたら

1952問答迷人:2011/08/05(金) 10:53:55

>日蓮聖人はお命をかけて日本の柱としてまったくブレのない御一生を
過ごされました。

その御一生を支えたのは何だったのか、やはり、一大秘法・妙法蓮華経の五字、という事になると思います。日蓮聖人の生き様は、驚嘆に値しますね。

1954独学徒:2011/08/06(土) 19:35:00

ご無沙汰しています。

私はお二人の意見とは正反対ですが、日蓮聖人はブレまくった人生だったと思います。

御主張もコロコロ代わっており、もって滅後の教団で異見が多数生じていると思います。

凡夫僧ですのでブレて当然、そんな生身の日蓮聖人を自分は慕っています。

最近は台家寺院に出向いて研修していますが、書名失念しましたが金沢文庫所蔵の古記録にあるとおり、日蓮聖人は何度も法論で負け行き詰まり、ご自身の主張を変化されたのだろうと想像します。

日蓮聖人の最大の間違え・謗法行為は、天台真言宗の開祖が伝教大師であったのに、弘安期に至るまでそのことに気付けず、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし、慈覚大師を誹謗してしまったことだと思います。

今はそのような生身の日蓮聖人像を確認するたびに、宗教間のイザコザほどおろかなものは無いと思います。

1955問答迷人:2011/08/06(土) 20:26:15

独学徒さん

御無沙汰いたしております。ご参加誠にありがとうございます。

>弘安期に至るまでそのことに気付けず、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし

その後、勘違いだと気付かれて訂正されたという事でしょうか。その辺りをもう少しご教授賜りたく存じます。宜しくお願いいたします。

1956独学徒:2011/08/06(土) 21:28:49

問答迷人さん、以下ご参考になれば幸甚です。

一昨年、京都国立博物館にて開催された、「日蓮と法華の名宝」展に出展された、日蓮宗大本山京都本國寺蔵・日蓮聖人御真蹟「一代五時鶏図」の記述が、それまでの吊り物と変わって台密の系譜に伝教大師の名があります。詳しくは以下の興風談所のコラムが参考になると思います。

興風談所コラム平成22年5月
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_h22.html#h22_5


現在、東京国立博物館にて開催中の「空海と密教美術展」に出展されている、空海真蹟『灌頂歴名』に「最澄」の名があるようです。
http://kukai2011.jp/

伝教大師最澄が、自ら学んだ密教が傍系であることに気付き、弘法大師空海に弟子入りして、奔流の密教を天台宗に取り入れようとしたことは、歴史上の事実としてもはや受け入れざる得ないと思います。

また日蓮聖人が法論に負けていた様子を記す古文書は、以前私がブログで記していました。
以下、該当のブログを復帰させておきます。
http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-date-200701.html

また日蓮聖人の御主張が変化している点も、興風談所の「興風」掲載の所論が参考になると思いますが、一例としては興風18号所収の大黒喜道師「日蓮聖人の成仏義諸型とその受容」などがあります。

1957問答迷人:2011/08/07(日) 12:22:29

独学徒さん

ご提示誠にありがとうございます。

>台密の系譜に伝教大師の名

何らかの経緯によって、お考えを修正された訳ですね。とても興味深いご指摘です。また、現宗研の真蹟遺文において「随自意御書」と名付けられている書の記述「後延暦二十三年に御入唐、同じき二十四年御帰朝、天台・真言の宗を日本国にひろめたり。但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか。」(弘安元年)も、恐らくは、ここにも御考えを修正された事が窺がえる、と思いました。

>慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし、慈覚大師を誹謗

ご指摘の通り、伝教大師が弘めたのが「天台・真言の宗」であったとの認識を「随自意御書」を書かれた弘安元年頃には持って居られた訳ですから、それ以前のいずれかの時点で、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化してのではなく、伝教大師にも日本天台宗の教義を密教化してしまった責任はある、と言う風に、日蓮聖人が認識を変えられたという事だと思いました。

>日蓮聖人はブレまくった人生

「随自意御書」の、「但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか」という個所は、慈覚大師に対する批判が、伝教大師を含む日本天台宗に対する批判に変化した事を表明した事になりますから、比叡山に学んだ日蓮聖人に取っては、大きな心境の変化だったと思います。確かにブレたとも言えると思いました。

1958古沢石日:2011/08/07(日) 17:10:02
独学徒さん

ブレまくったとはどういう事でしょうか。
私がブレないという言葉を使ったことにたいしての対義語で
言葉を選ばず「ブレまくる」と使ったのでしょうか。
ブレまくるの意味ごぞんじですか。
あーだこーだ、こういったと思ったらこう言う、
さっきの言葉と今と全然違うよ。
あーーまただよ。あら、昨日と今日と明日全然別だよ。
こんな感じですかね。

日蓮聖人はブレまくっておられたのでしょうか。
是非ブレまくりのまくり部分を現存する文証を持って
事細かくご教示いただけますようお願い申し上げます。

1959独学徒:2011/08/07(日) 20:47:53

古沢石日さん、はじめまして。

「現存」ですか、厳しいご注文で。
「事細か」はご遠慮申し上げます。忙しいので。


かの浅経の読誦等の句に花厳・方等・般若等をいるゝたにも不思議なるに、後八年の大法法花・涅槃・大日経等をはしし入て上品上生の往生の業とするたにも不思議なるに、あまさえ称名念仏に対して法花経等の読誦はしちには往生せすなんと申て
(文永三年 真蹟断簡 池上本門寺蔵 御書全集未入集)

この時点では「後八年の大法法花・涅槃・大日経等」とあるように、大日経を爾前経としては扱わず所謂「法華涅槃時」の経典として扱っています。


法華経には正直捨方便但説無上道云云。涅槃経には邪見之人等云云。邪見方便と申は、華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経経也。
(建治三年 下山御消息 真蹟断簡分蔵)

この時点では大日経を「四十余年の経経也」と爾前経に位置づけています。
少なくとも「大日経」の取り扱いについて日蓮聖人は一期の内にブレました。
また先の投稿の如く、日本天台宗の密教化について、

日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となつく。又天台宗の慈覚・安然・恵心等は法花経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。
(建治元年 撰時抄 真蹟玉沢妙法華寺蔵)

と慈覚大師を伝教大師の師子身中の虫と誹謗されていますが、その理由は先に引用の下山抄に「叡山の円頓戒者又慈覚の謗法に曲られぬ。」と、慈覚大師から日本天台宗が密教化に傾倒したと誤解していたからでしょう。その後弘安期の「一代五時鶏図」で渋々日本天台宗の密教化が伝教大師に始まることを認識せざる得なくなっています。

遅ればせながら、本日東博の「空海と密教美術展」展観してきました。
金剛・胎蔵両界の灌頂記の第一番目に「最澄」の名が有り、伝教大師が空海に弟子入りしてまで、天台宗の教義に本場の密教を取り入れようとしていた事跡はもはや否定のしようがありません。両界灌頂の冒頭に記すなど、当初空海も最澄に対して畏敬の念をもって接していたのを感じます。

成仏義のブレに関しては、先に提示した興風談所の論考をご参考になさって下さい。
学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。

日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、時には致し方なく考えを改めたのでしょう。

1960古沢石日:2011/08/07(日) 21:12:44
独学徒さん、ごあいさつもせず不躾なお願いをしまして
まことにもうしわけございません。
早々にご丁寧にご回答いただきまして
まことにありがとうございました。

1961古沢石日:2011/08/07(日) 23:03:51
>日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
>今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、
>時には致し方なく考えを改めたのでしょう。

御書も先に書かれた内容と後年とではご指導が変わっていくのでしょうか。
もしそうであれば、真蹟、写本の有無だけでなくご執筆年月日の整理も必要に
なるという事でしょうか。

>学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、
>議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。

仰せのとおりだと思いますが、ネットからリンクリンク検索検索で得る情報量と
書籍一冊読破する情報量とでは、太平洋と牛蒡ほど差があると思います。
別にお金が無いわけではありませんが、移動もほとんど車でして、電車等で
読書の時間があれば是非読書はしたいのですが、自宅ではテレビも見ず
ネット三昧ですので、結局積読になってしまいます。

1962独学徒:2011/08/07(日) 23:33:42

古沢石日さん、

ネットの情報量は膨大ですが、信憑性を含め問題も多くあります。

本当の事が知りたいのであれば、できるかぎりの文献を収集することと、実際に寺院等に足を運んで自分の眼で実物を見る事が必須だと思います。

安房妙本寺のお虫払い法要などは、事前連絡等無くても誰でも参拝し、万年救護大本尊の御真蹟を拝する事ができます。

不動・愛染感見記も真蹟を拝する事ができます。

今年は土曜日の開催ですから、多くの方で賑わうと思います。

1963古沢石日:2011/08/08(月) 00:47:13
独学徒さん

>信憑性を含め問題も多くあります。

仰せのとおりです。これが一番の問題です。

>自分の眼で実物を見る事が必須だと思います。

これはとても大切だと思います。
以前京都博物館での国宝自筆立正安国論には
言葉に出来ないくらい感動いたしました。
数々の真筆御曼荼羅の感動、今でも昨日の事のように覚えております。

1964古沢石日:2011/08/09(火) 21:05:47
管理者さま

お手数をおかけしますが
>>1953 の書き込みを削除していただけませんでしょうか。
お時間おありの時で結構です。
読み返すとあまりにも失礼な書き込みでした。

1965古沢石日:2011/08/10(水) 23:10:07
管理者さま

お手数をおかけいたして申し訳ございませんでした。
削除ありがとうございました。


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