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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

1管理者:2002/03/08(金) 16:52

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/gohonbutu.htm


スレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。

古来、日蓮大聖人様が御本仏である、というのは、大石寺、富士門流の根幹教義です。この教義について、幅広く、根源的な議論が展開される事を期待して、このスレッドを立ち上げます。

738犀角独歩:2004/06/17(木) 00:33

ロッドさん:

O師のところは、是非とも行かれるとよいですよ。歓迎してくださいますよ。
実は、ロッドさんの投稿を拝見してから、電話で確認しました。
ただし、「犀角独歩」と言ってもHNなので、おわかりいただけるかどうか。でも、「電話で」と話していただければ、「ああ!」と直ぐに了解されるでしょう。

しかし、大変だったそうです。4組の顕正会員が入れ替わり立ち替わり、5時間にも及んだとのことでした。


メールの件は了解しました。脱会後の対策について、何かあれば、警察の生活安全課にストーカー被害として届け出をされること、また、『脱会届』を弁護士に代理人として提出されれば万全です。ともかく、弱い者には徹底して強がる、相手が自分より強いと思えば途端に腰砕けになるのが、集団と指導者という「虎の威を借る狐」の性根です。怖じれば付け入られます。堂々としていることです。巫山戯たことをしたら、直ちに法的措置を執ればよろしいだけのことです。いくらでも力を貸しますよ。必要があれば、弁護士も紹介します。

ともかく、ここでゆっくりと真の蓮師の実像に触れて行かれてください。他に二つとない秀でた掲示板です。わたしが管理人さんに敬意を表する理由はそこにあります。

739鎌龍:2004/06/17(木) 10:21
ロッドさんおはよー。そうそう、地獄だの罰だの気にしない気にしない。一休み一休み。僕は○彦さんではありませんねー。残念ながら。どこかに属していると言えばそうですが、考えの合わない人ばっかりで孤立してます。むしろ嫌われてますね。仲間はほんの数人てところでしょうか。お坊さんに会ったら、身延山にも行ってみてください。魔山だのなんだの顕正会では教えてますが、雰囲気だけで泣けてきますよ。身延の僧侶はアカンけどね(怒られる)でも、中には危機感もって頑張っている方もいるんです。実は顕正会、身延町に会館建てようとしてるらしい

740鎌龍:2004/06/17(木) 10:46
散々身延をなんだかんだ言っておいて身延に会館を建てようとはなんなんでしょうかね。すでに近くの住民に土地の売却交渉に行ったらしいのですが、住民側は周りの批判を予想して断ったということです。もしもここを顕正会員の方が見ていたら、上の人に伝えてください。全力で阻止すると。

741鎌龍:2004/06/17(木) 13:36
740 全力で阻止すると言った発言は彼等を逆に奮い立たせることになりそうですね。逆効果かもしれませんね。 管理人さんの判断で削除くださいませ。 失礼しました

742平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/06/21(月) 15:01
独歩さん
創価学会版の御書の『開目抄下』の最後の部分の「日蓮は日本国民の諸人にしうし
父母なり」の「しうし」に「主師親」を当てたのは行きすぎだと思います。真筆影
印本を基にした『日蓮文集』岩波文庫289頁には「日蓮は日本國の諸人にしたし
父母也」とあります。原本は残念ながら明治8年の身延山久遠寺の大火で焼けてし
まいましたがここが重大問題なのです。私は学生時代に『開目抄』の写本の写真を
図書館で見ましたけれども、変体仮名の「う」と「た」は非情に区別が難しいと思
いました。「う」は「宇」「有」「雲」「憂」「羽」、「た」は「多」「太」「堂」
「當」「佗」「田」を基にしていますが御書の「しうし」か「したし」の判断規準
は「う」は「宇」と「た」は「多」の解読方法に依ると思います。原典の写本の写真
を見たところ「う」は立て流れになっていて「う」と読めますが、筆が右から入って
左に入り下に流れているところをみると「た」と読めます。原典が写真ができない前
の明治8年に放火(廃仏毀釈)のために焼失したためにこんなことになったのでしょ
う。独歩さんも『開目抄』の写本の写真か影印本を読んでみて下さい。私は日蓮大聖
人本仏論は誤りだと思います。釈迦本仏も誤りだと思います。本物は我ら一切衆生の
我即宇宙宇宙即我の我ら一切衆生だと思います。だからこそ戒壇の御本尊の願主が卑
賎な弥四郎国重だったんじゃないですか。

743皆様へ:2004/06/21(月) 20:33
平和創価と言う人は2chの層化板で華元と名乗っていました。
自演癖もあるロリコンの変態なので相手にしない方が良いですよ。
http://society2.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1084377293/138
http://society2.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1086442621/323

744犀角独歩:2004/06/21(月) 20:52

平和創価さん:

『開目抄』に関する見解には概ね賛同です。

しかし、本仏が「即宇宙宇宙即我の我ら一切衆生」だとはまったく思いません。この点は既に4年前から議論し尽くしたことなのでここに繰り返しません。
また、弥四郎国重とは、これまた何度も記してきたところですが、「本門戒壇之願主」なのであって、本門本尊の願主ではありません。ですから、「戒壇の御本尊の願主」ではないとわたしは考えます。

746管理者:2004/06/24(木) 17:05

大本山さん

あなたの745レスは、以下の掲示板のルールに抵触すると管理者は判断いたしましたので、745レスを削除いたします。掲示板のルールをお守り頂いて、ご投稿戴きたく存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。

747空き缶:2004/06/30(水) 23:31

 開目抄について

 日蓮正宗圏では、開目抄最後の「日蓮は日本国民の諸人にしうし(したし)父母なり」の文をもって、日蓮聖人が末法の主師親の三徳を具えた本仏であると唱えます。

 この思想も、もとはといえば隆門からの輸入ではないかと思います。日隆師は数々の著作を残される中で、16篇の御書の文段も残されました。
 この内「開目抄文段」では最後の部分を「惣じて本門八品、南無妙法蓮華経、三徳有縁の久遠釈尊、末法の慈父上行薩埵人界応同主師親の日蓮大士の開目を結す」と題しており、該当個所の本興寺第七祖日存師の真写本には「諸人にしたし父母也は、主師父母也」との註が入っています。

 京都要法寺は日大師以降、中古天台の巨匠といわれる直兼法印の影響を受け、中古天台流に日蓮聖人の御書を解するようになったといわれています。その影響は日像門流にも及び、ここに日隆師の「御書根本」の本門教学が生れ、台当両家の違いを明確にする体系化があったのではないかと思います。
 
 しかし、中古天台の本覚法門を破折した日隆師の教説がもととなり、日蓮本仏論が生れたのでは本末究竟しませんね。

748空き缶:2004/06/30(水) 23:47

 訂正です。

 (誤)日蓮は日本国民の諸人→(正)日蓮は日本国の諸人

749犀角独歩:2004/07/01(木) 02:14

空き缶さん:

> 中古天台の本覚法門を破折した日隆師の教説がもととなり、日蓮本仏論が生れた

ここのところ、益々冴えていますね。興味深く拝読しています。

750空き缶:2004/07/09(金) 18:46

 れんさん、犀角独歩さん。

日蓮本仏論の源泉が日隆義にあることは、興風談所の大黒喜道師が「興風14号」と「興風15号」にて「日興門流における「本因妙思想形成に関する覚書」と題する論考にて発表されていましたね。(本稿は継続中)

 しかし興風談所の諸師の論考を拝すると、興風談所では「日蓮本仏論」や「本門戒壇之大御本尊」などをどのように考えているのか不思議でなりません。
 正信会の信徒さん達は、当然に日蓮本仏論者であり、本門戒壇之大御本尊を究極本尊と信じているはずです。

 正信会からは、久保川日源師や関慈謙師のように戒壇本尊・宗祖本仏論を否定し離脱する方もいましたが、興風談所が正信会のシンクタンクであるならば、いずれ宗祖本仏論や戒壇本尊からは離れていくのが自然のような気がします。

751れん:2004/07/09(金) 20:32
空き缶さん、私もいずれは正信会も興風談所の所員の研さん・学術的研究成果に基づき日蓮本仏・弥四郎板まんだら信仰から離れていくだろうと思います。日蓮本仏・弥四郎板まんだら信仰は後世成立の教義であることは、この板でも皆さんが論証されている通りです。私も継続中の興風談所の山上師の日蓮大聖人の思想、大黒師の覚え書きの論考に注目しています。日蓮本仏の形成に隆師教学の摂取があることは史実ですが、名字即・当位即妙不改本位という蓮師真蹟遺文・興師写本蓮師遺文に見られる思想も富士での蓮師本仏形成の一要素では?と思っています。

752愚鈍凡夫:2004/07/09(金) 20:47

横レス失礼します。空き缶さん、今晩は。

> 興風談所が正信会のシンクタンクであるならば、いずれ宗祖本仏論や戒壇本尊からは離れていくのが自然のような気がします。

「宗祖本仏論」や「戒壇本尊」から離れるかどうかは、どちらの方が利益があるかにかかっているのじゃないでしょうか。別のスレで犀角独歩さんが仰っていますが、

> 常に自分が追従すれば利益を得られる権威構造を敏感に察知し、動けるんでしょうね。

このことは、どの組織にもいえることではないでしょうか。文字通り理屈は後から付いてくるということではないかと思います。利害関係を離れないと、純粋に科学的検証や理論的検証で本質を追究するのは難しいのじゃないでしょうか。

別に夢をつぶすつもりはありません。ただ、そう思っただけのことです。
悪しからず。 m(_ _)m

※参考文献

日応上人・日蓮本仏論
http://sapporo.cool.ne.jp/hotarokaka/NitiouSyoninHonbuturon.htm

日達上人・日蓮本仏論
http://sapporo.cool.ne.jp/hotarokaka/NitatuShoninHobuturon.htm

753空き缶:2004/07/09(金) 21:14

 れんさん、愚鈍凡夫さん、今晩は。

 「興風」での大黒師の論考は、本因妙抄・百六箇抄は後世のつくりものとしていますね。15世紀中ごろに京都にてつくられたと名言しています。そして日隆師の教学的影響を多分に受けて完成していることも認めており、かつての日蓮宗学を掘り下げたかたちにになっています。石山系諸集団では、ここまで相伝書類を否定できるのは興風談所だけだと思われます。
 
 また本因妙抄の定本となっている、伝最澄撰「三大章疏七面七重之弘決」が最澄の入唐年月日を間違えていることを指摘し、そもそも定本となった「三大章疏七面七重之弘決」自体が偽撰であるとしています。そして最澄の入唐年月日の誤記が、室町期に最澄に仮託して偽作されたとされる「修禅寺決」と同様の日付であることから、「三大章疏七面七重之弘決」も同時期に偽作されたと考えているようです。

 興風談所の諸師の論考は、石山や学会が、すでに答えを決めてしまっているところから出発しているのに対し、「答えを決めていない考察」を推奨していることが理解できます。論考を拝す限りでは、興風談所の諸師たちは「純粋に科学的検証や理論的検証で本質を追究」しているように思われます。

754犀角独歩:2004/07/09(金) 22:44

空き缶さん:
れんさん:
愚鈍凡夫さん:

好い論攷が進んでいますね。
前にも書きましたが、富士門流の派祖を白蓮興師に置くのであれば、御存命中、日蓮本仏論も、弥四郎漫荼羅もなかったことは確実です。
ここ富士門流信徒の掲示板も、奇しくもその興師の祖意にようやくと辿り着き、祖道の恢復に至ったと喜ばしく思います。

そして、さらに蓮師の祖意につき、既に議論が始まっていることで、ようやくと蓮興二祖の実像が闡明になりつつあると、一つの成果を感じています。

755福田里敏:2004/07/30(金) 01:03
今年の春に、日蓮正宗改革同盟の方と、お会いして、話しをしたときに、「末法で、最初に成仏できた方だから、御本仏と言っているだけ。大聖人を、拝んでいる訳ではない。成仏を目指すのには、御本仏だからいけないとか、そんな事は何の、関係もない。大聖人の、目指すものは、広宣流布なのに、法華堂は、20年ちかく経っても、何も進んでない。」(要旨)と、語っておられました。
そんな面から、法華堂も、無意味だな、と思い、関師のところを去りました。学会に、返る気は、ありませんが。今は、本仏だろうが、なかろうが、人それぞれが、蓮師を慕っていて、法華信仰してればいいんじゃないか?と、考えています。所属組織が、どこだろうが、社会的に悪とならない限り、依法不依人を貫けていれば、所属がどこだろうが、個人でやっていようが、いいんじゃないの?と。
今時、蓮師が、仏様だから、これは、ありがたい!と、入信する人なんて、皆無でしょうし。

756犀角独歩:2004/07/30(金) 08:06
> 755

この意見にはわたしは賛成ですね。ただ、

> 蓮師…仏様…ありがたい!と、入信

これは逆でしょうね。入ってからのちに、その集団の信念体系を信じ込まされるわけですから。

また、、755の如く判断で信仰をしていくことに、このスレッドの投稿者は反対しているわけではないと思います。むしろ、同じようなことを言っているのではないでしょうか。

ただし、本仏と考えないと謗法であるとか、地獄に堕ちるとかいう下らないヒステリックな反応に対して、では、証拠を示せと促しているのに過ぎません。つまり、日蓮本仏論以外の教義を認めないファンダメンリズム批判というか、排他主義批判であるということですね。

石山教義は言うまでもなく、勝劣義なのであって唯一絶対選択信仰でしょう。その結論が日蓮本仏です。その勝負をまた折伏と言ってきたわけです。それに対して、「釈迦仏でもいい」、「信仰することは尊い」などと他の信仰を認めるのであれば、この姿勢は一致義ですし、また摂受であるわけで、そうなると勝劣・折伏という石山義からは謗法と見なすというのが、そもそもの教学的、行動的姿勢であったわけでしょうから。

それまで、他を認めなかった日蓮本仏論者が挙証不能に陥ったら、「信仰は何でも自由。証明できないこともある」などと言い出すとき、「では、日蓮本仏以外の信仰の自由を認めず、科学でも何でも証明できると主張して、他を排撃してきたのはいったいどこのどいつか」と反論している延長に、当スレッドがある点を忘れられては困ると思うわけです。その点も踏まえての日蓮本仏論(者)批判であるということです。そこで示してきた方向性はまさに「依法不依人を貫けていれば、所属がどこだろうが、個人でやっていようが、いい」というのが日蓮本仏論(者)批判の基にある考えでした。

757天蓋真鏡:2006/12/19(火) 10:39:23
[法華経行者日蓮]本仏シャクソン・本尊題目(末法鎌倉時代、漫荼羅で信心学問修行の基本を造る)[日興]漫荼羅本意・祖師信仰[日目]漫荼羅正意・三法門・諫暁[日有]日蓮本意・漫荼羅正意[日寛]日蓮本意・漫荼羅本仏論【墓輪番制→唯受一人説→本仏論】

758ケン:2010/04/01(木) 15:27:46
管理人さんへ

『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
の過去レスは、
「ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。」
の下に表示されたアドレスをたたくと、303までは読むことができました。
304以降を見るにはどうすれば宜しいのでしょうか。

つまらないことで恐縮ですが、ご教示下さい。

759管理者:2010/04/01(木) 15:51:53

ケンさん

>304以降を見るにはどうすれば宜しいのでしょうか。

旧掲示板の『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

の過去レスは303まで終わっています。その後は、当掲示板の1レス以降に繋がります。このスレッドの下部左側の「全部読む」タブをクリックして下さい。1以降のレスが全て表示されます。

760ケン:2010/04/01(木) 18:12:13
管理人さん

ありがとうございました。

761ケン:2010/04/18(日) 17:50:43
「日蓮=上行菩薩の再誕」論について基礎的な質問があります。

一応、「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について」の過去レスを
見て、「日蓮=上行菩薩の再誕」論について、犀角独歩さんと日誠さんとの
論争があったことは承知しています。
ボクの質問は、前記論争を理解するうえでの前提となる基礎事項に関する
ものです。特に、独歩さんが真蹟遺文を基準とする立場から、
日蓮が自分自身を上行菩薩であると自覚していたかは、決定的ではないが、
いいところまで行くと述べておられる点に関連するものです。(例えば、
過去レス「122」。)

なお、以下の質問の答えが、「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義に
ついて」以外の箇所に登場している場合は、大変恐縮ですが、その箇所を
ご指摘頂ければ幸いです。

1.上行菩薩の再誕たるべき条件
法華経(羅什訳)の記述では、上行菩薩の再誕たるべき「条件」は明確なの
でしょうか。
昔、創価学会で習った記憶では、「数々見擯出」(勧持品)とは、
複数回の流罪に遭うことを意味し、日蓮が伊豆流罪及び佐渡流罪に
遭ったことで、その条件を満たすということでした。
「擯出」の意味や、伊豆流罪及び佐渡流罪の該当性も含めて、
この解釈で正しいでしょうか。
他の2種の漢訳法華経によった場合でも、条件は同じでしょうか。
ちなみに、サンスクリット版でも同でしょうか。

なお、この質問は、仮に、法華経の記述上、上行菩薩の再誕たるべき
条件が誰の眼にも明確なのであれば、日蓮自身が自らを上行菩薩の
再誕であると自覚するほうが自然なような気がするためです。
また、日蓮の在世中(佐渡流罪後)に、日蓮門下の僧俗も、そのような
考えにいたる方が自然なような気がします。
日蓮の在世中に、「日蓮=上行菩薩の再誕」論が発生しなかったとすると、
その理由として考えられることは何でしょうか。あまりにも大それた解釈
だということでしょうか。

2.日蓮以外の人師
日蓮以前には、上行の再誕と目された人師は皆無ということでしょうか。
日蓮以後ではどうでしょうか。日蓮門流の中には、日蓮滅後に、日蓮以上の
迫害に遭った僧も多数いたと思いますが、複数回「擯出」の条件を満たさ
ないということでしょうか。

3.自覚の有無と教義上の意義
日蓮門流では、「日蓮=上行菩薩の再誕」論の立場をとる門流があると
思います。この立場では、日蓮自身が、そのように自覚していたか否か
が重要な意味を持つのでしょうか。
日蓮自身にはその自覚は無かったが、滅後に日蓮の振る舞いを見れば、
「日蓮=上行菩薩の再誕」であったと言う立場では、教義上、問題と
なるのでしょうか。
ちなみに、日蓮本仏論は、日蓮自身が、そのように自覚していたという
立場であると理解して宜しいでしょうか。

以上宜しくお願いいたします。

762犀角独歩:2010/04/18(日) 22:13:46
ケンさん

せっかくのご指名なのですが、わたし、明日から忙しくなってしまい、ネットで議論は、やや困難になります。よって、以下、かなり雑駁な返信になりますが、ご勘弁ください。

> 1.上行菩薩の再誕たるべき条件
> 法華経(羅什訳)の記述では、上行菩薩の再誕たるべき「条件」は明確なの
でしょうか。

明確だとは思えません。

> 「数々見擯出」(勧持品)

勧持品は13で、迹門ですね。
迹化の菩薩の様に当たれば、迹化の菩薩ですね。

> 複数回の流罪に遭うことを意味…他の2種の漢訳法華経…サンスクリット

2種とは、添品法華経と正法華経のことですね。

前者は、同じ。後者では「數數犯不當」で、サンスクリットでは「数々の悪口を言われようと」(岩本訳)となっていますね。

> 日蓮自身が自らを上行菩薩の再誕であると自覚する

わたしがこの点について、消極的なのは、以下の真蹟遺文によります。

高橋入道殿御返事②-平左衛門尉見参 蒙古襲来予告 念仏者刎頭
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51696231.html

↑上記、ご高覧ください。

> 「擯出」の条件

上述しましたが、迹化の法師を説く様が本化上行に当たるという教学的な態度は、承伏しかねます。

では、不軽ということになりますが、これは過去世の罪に重点がありますね。
日蓮自身、過去謗法の自覚があるのでしょう。

ここで、考えなければならないことは、五百塵点の段階で、すでに菩薩となり、その後、地下の空中に住してきた地涌菩薩に過去世の謗法罪があるかどうかです。あるわけもありません。

そうした意味で地涌菩薩は、迹化の菩薩とも、釈尊の前世とも違っているわけで、償うべき罪もない菩薩が、どうして、諸難に遭うわけがあるのかという疑問が生じます。

『高橋入道殿御返事』にも明らかですが、地涌菩薩は行者を守護する存在であり、かつ、仏敵を調伏する存在です。そもそも、末法に生まれる役割はそこにあります。法華経を読めばわかりますが、地涌菩薩が諸難に遭うと言った予言は一言片句たりもありません。実に神々しい仏に匹敵する高位の菩薩です。
つまり、諸難に遭うことは地涌菩薩を証明する文章となり得ないということです。

> 日蓮本仏論は、日蓮自身が、そのように自覚していた

あり得ませんでしょうね。
本仏とは、五百塵点成道以降、この世を御領される釈迦仏のことであり、寿量品に「常在霊鷲山」という仏です。辺国に日本に生まれるといった経証は何もありません。

以上、充分な議論に及べないことを残念に思いますが、これまでといたします。

763ケン:2010/04/19(月) 08:10:50
独歩さん

お忙しいところをありがとうございました。

764ひきこもり:2010/09/19(日) 20:14:23
「開目抄」の「しうし」を「主師」に繋げている点からも、無理がありますね。あの
原本は明治の初めに火災で焼失しました。(恐らく廃仏運動のための放火)

最後の所は写本の写真を何度も読み返しましたが、「しうし」は「したし」と読むの
が通常であり、石山では「う」に徹底していたようです。しかし国文学科で古文を読
んでいて変体仮名を知っていた私には、「宇」と「多」の崩し字関しては、両方に読
めました。流れる字体の判断はできませんでした。まして本文が明治初年に焼失して
いるのならなおさらです。

765犀角独歩:2010/09/21(火) 09:20:46

日蓮の真蹟遺文を読んできた経験から言えば、日蓮の“た”の変体仮名は概ね2種、“う”は“う”を書きます。
では、この3字を見間違えることがあるかどうかといえば、あり得ないでしょう。形がぜんぜん違います。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/nichirenbokuhituwoyomu_table001.html

『開目抄』は既述のように、明治の大火で消失しましたが、実は草案があったようで、たとえば横須賀大明寺には、その断簡が現存します。過去に宮崎英修師が、最近では都守基一師が真蹟と鑑定しています。

こうしたことを考えると、案外、身延曽存と草案では違う部分があり、該当部分も違っていた、という可能性はあるかも知れません。まあ、類推を出ませんが。

「したし」を「親し」とし、「親し父母」というのは、しかし、日本語として、どうでしょうか。日蓮の文法からすれば、「親しい父母」ということは考えづらく、書くとすれば、「親しき父母」でしょう。では“き”が脱字かという、さて、どうでしょうか。

「しうし」は「主師」と解釈するのは大石寺ですが、「終始」とする解釈もありますね。「終始、父母」という表現は文章的にはもっとすんありしている気がします。

769さえこ:2010/12/13(月) 15:04:17
こんにちは。
正理会 教授 さえこです。
真面目な掲示板なので発言したくなりました。

日蓮大聖人様は、末法の御本仏です。
観心本尊抄では、ご自分のことを「本朝沙門」と言われております。
本朝とは、日本国であり、釈迦仏法とは全く違う日本の新しい仏法である
というご自覚です。

私は以下のブログのコメント欄で発言しております。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137
「中杉 弘のブログ」

日蓮大聖人様の御書講義を真面目に勉強しています。
今後とも宜しくお願いします。

771独学徒:2010/12/15(水) 22:33:02

>>769

「本朝沙門」は伝教大師も「末法燈明記」で使われた御名のりですね。
伝教大師最澄も釈迦仏法とは全く違う日本の新しい仏法と自覚して、中国ゆずりの「天台宗」の宗名を世襲した宗派を立ち上げたのでしょうか?
違うでしょう。
貴方の御主張は全く的外れだと思います。
中杉さんの講義聞くよりも、自ら文献を手にして調べ上げることの方がよほど価値的と思いますね。
間違ったことを刷り込まれて哀れに思います。

772神水流:2011/09/15(木) 23:49:42
結局の所富士門流に所属している寺院は全て日蓮本仏なんですか??日蓮宗の北山本門寺や小泉久遠寺なんかもそうなんですよね??

773樽之助:2011/09/17(土) 18:59:19
神水流さん

私は真宗の門徒です、北山本門寺は以前一致派の教学を重んじた47世片山日幹氏の代には大きく「釈迦本佛」に傾きましたが、48代、と当代とは「法主日蓮大聖人」ですよ。

但し、石山のように独善的・排他的でないだけです。

そう言えばYahoo!知恵袋でも、重須の講中の人になりすましたアホな学会員がいましたよ。

774樽之助:2011/09/17(土) 19:05:47
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1167200721

↑です。笑えますよ。

775神水流:2011/09/17(土) 20:58:40
樽之助さん

ありがとうございます法主日蓮大聖人とは本仏と言う意味なのですね。

謎が解けました。

776独学徒:2011/09/17(土) 23:29:20

神水流さん、
樽之助さん、

はじめまして。

「法主」を「仏陀」(世尊)と定義するのは阿含経ですので、阿含経典の段階では「仏陀」は所謂「辟支仏」で「縁覚」ということになりませんか。

富士門流は勝劣派に属する以上阿含経典の教説を世襲しているとは思えず、もちろん日蓮大聖人を二乗とも考えていないと思います。

少なくとも小泉久遠寺、京都要法寺、伊豆實成寺は久遠の本師は釈尊です。

北山本門寺も日蓮本仏義ではないと思います。西山本門寺もほとんどの僧侶が日蓮本仏義ではないです。どちらも僧侶の免許を取るために身延山の信行道場に入るわけで、基本的には日蓮宗としての教義を基礎として修業しているはずです。

ただ「本門宗宗制」に聖人と称するのは日蓮大聖人のみと定義していますので、日蓮大聖人が別格の存在であることだけは確かだと思います。

現在、明確に日蓮本仏としているのは、日蓮正宗と安房妙本寺だけだと思います。

777神水流:2011/09/18(日) 09:34:20
独学徒さん

はじめまして
ご解説ありがとうございます。
やはり日蓮宗=釈迦本仏義なのですね。

778樽之助:2011/09/18(日) 15:48:41
独学徒さん
そうですかね、このさえ阿含経云々は関係ありませんよ。
僧侶になるための免許を取るための修行と信仰は別次元ですからね。

なるほど確かに片山日幹氏の代には「釈迦本佛」に傾きはしましたが今は「日蓮本佛」なんですよ。

僕が示したYahoo!知恵袋のURLを見て下さい、
levelruiと言う重須の講中になりすました学会員も貴方と同じこと言ってますよ学会員の概念で良く思われがちなのが日蓮宗=「釈迦本佛」です。

779独学徒:2011/09/18(日) 16:25:12

樽之助さん、

私はネットで語られることよりも手にした史資料や、実際に現地に足を運んで確認した事実を最重要視します。

北山本門寺は少なくとも、日蓮正宗や安房妙本寺のような「日蓮本仏」主義ではないです。
もし北山本門寺が「日蓮本仏」主義であるというならば、その根拠を文献・文書から例をあげて示して欲しいと思います。

日蓮正宗は日寛上人、安房妙本寺は日我上人とそれぞれ日蓮本仏義を体系化した上人がいます。
しかし北山本門寺の歴代に、日蓮本仏義を主張した上人がいたのでしょうか。
私が手にする史資料では、そのような上人は見当たりません。

最も広範な富士門史料を網羅した、「富士学林教科書 研究教学書」にさえ北山本門寺関連の日蓮本仏義は見えません。

御先代貫首本間猊下は、集録『教箋閑古錐』の「序に代えて」の中で、「わが宗門寺院は、是が非でも純正な本化日蓮大聖人の信仰に徹して」と述べられている通り、日蓮大聖人を『本化』とされています。
『本化』は『本仏』ではないですね。『本仏』より化導されてきた菩薩を『本化』というわけです。
同じく本間猊下は同著にて「本化正信の根本道場、法主聖人御影の安座ましますここ重須の地に」とも述べられていることから、日蓮大聖人に関する尊称を整理すれば、北山本門寺では片山猊下以降も日蓮大聖人を『法主』=『本化』として解しており、『本仏』とは解していないことになります。

780樽之助:2011/09/19(月) 12:40:25
独学徒さん

文献と言われますが、今は歴代の貫首の事を話しているのではなく、現在の北山本門寺の「本佛」
についてですよ、神水流さんの質問もそうですよね。

実際に現地に足を運んで確認した事実を最重要視します。
と言われますが、僕は真宗の門徒ですよ、現地の事を知らないで他宗の教義を決め付けても意味がないじゃないですか、
5月に北山本門寺と小泉久遠寺 西山本門寺の見学に行ってきましたよ。

その時の「回向文」でも「大曼荼羅=法宝」「法主日蓮大聖人=仏宝」「日興上人以来血脈付属の歴代上人=僧宝」
でしたと。
貴方はここで僕が北山を知らないとおもい大きな墓穴を掘ってしまった。
僕は、知恵袋を本佛論の証拠に挙げたのでは、ありませんlevelruiさんと言う学会員は明らかに間違いを言っていますよね。
それと貴方が同じ事を言っていると言ったまでです。

あとこのまま論議しても構いませんがYahoo!IDお持ちでしたら、知恵袋でリクエスト質問して下さい。
そっちの法がよくログインしますので。

781独学徒:2011/09/19(月) 13:19:09

樽之助さん、

私も何度も北山、西山、小泉に行っていますが、「法主日蓮大聖人=仏宝」こんなことは一度も聞いた事がありません。

さらに西山や小泉では「法主日蓮大聖人」という呼称自体しません。

私は過去5年間西山のある御僧侶のお取次ぎにて、お虫払い法要に参拝してきましたが、貴方が仰るような回向文など一度も耳にしません。

小泉久遠寺も御蔵開法要に参拝した事がありますが、貴方が仰るような回向文など読んでいません。

北山では『本門要軌』の記述に基づき「法主日蓮大聖人」と云いますが、先に北山御先代の著作から引用したとおり、「法主」=「本化」が北山の解釈です。
私は何人もの北山の僧侶とお付き合いがあります。
「日蓮本仏」を云う方は一人もおりません。

あちこちに出没する気はしませんので、Yahoo!ID知恵袋には行きません。

5月は北山、西山、小泉いずれの場所でも主だった年中行事・法要は行なわれていません。
何の法要も行なわれていない場所に一度行っただけで、何故真宗門徒の貴方が北山の本仏義など云々できるのか甚だ疑問です。

真宗門徒の人は皆、貴方のように根拠無くものを決め付ける人ばかりなのでしょうか。
むしろ「大きな墓穴を掘って」などと、貴方の方が学会員ぽいですね。

782樽之助:2011/09/19(月) 18:35:18
独学徒さん

はいはい貴方の仰る通り久遠実成の釈迦牟尼佛が仏宝なら名前が読み上げられますよね?
「回向文」には「釈迦」の名前すら出て来ませんでした。
仏宝に回向しない「回向文」なんてありますか?
あり得ませんよね。

貴方は北山の僧侶とお付き合いが有るそううだけど若い人達がやってる会の名前知ってますよね?

知恵袋には無理にお誘いしている訳ではありません嫌なら結構です。
貴方は北山の講中と名乗りながら大石寺の講中を「法華講」なんて言うばればれのナリスマシと同じ事を言ってるのですよ。

783神水流:2011/09/19(月) 19:10:56
独学徒さん
樽之助さん

元はと言えば私の書き込みの性でこんな事になってしまった事をお詫び申し上げます。

書き込んで於いてなんですが…お釈迦様が本仏でも日蓮聖人が本仏でももうどうでも良いです。

あの書き込みは削除したかったのですがやり方が分からずそのままになってしまってます。

どうか止めて下さい。

784独学徒:2011/09/19(月) 20:54:59

樽之助さん、

私がお付き合いのある北山系の御僧侶は若い方ではないので、貴方の仰る意味がわかりません。

私は北山の講中でもなんでもありません。
私が信仰する本山の末寺のご住職が、北山塔中の副住職をされています。
また冨士教学研究会の会報をご購読戴いた北山系のご住職も複数いらっしゃいます。
日蓮仏教研究所で古文書学習にご一緒させていだいた、塔中副住職もいらっしゃいます。
また当方ブログに度々コメントを戴き、各種ご法要でお会いする結社の担任様もいらっしゃいます。

北山の御霊宝御風入にも5年間通っています。その他、御大事御本尊会、垂迹祭、御開山会などにも参拝していました。

片山猊下時代の御経本も、現在使用されている「本門要軌」も所持しており、一時「本門要軌」で読経していました。
本間猊下や片山猊下の御著作も拝してきました。
また片山猊下の肉筆の御本尊や本門宗時代の日光上人、江戸期北山歴代の肉筆御本尊も数幅所持しています。

貴方が私を誰とを勘違いしているのかわかりませんが、私は私なりに史資料も収集し、実際に北山の法要にも何度も参拝し、複数の御僧侶とも交流を持たせていただいた上で判断しもうしあげています。

「本門要軌」には三宝供養そのものがありませんから、回向文に釈迦が出てこなくても仕方がありません。

本仏に化導を受けた「本化」という以上、日蓮本仏義は成立しません。

785吉浜:2011/09/20(火) 15:51:45
>樽之助さん

初めまして。富士門流単立寺院の信徒、吉浜と申します。

Yahoo!知恵袋・宗教カテのlevelruiさんは創価学会員ではありません。知恵袋内でも誤解されている方々を見かけますが正真正銘の北山本門寺末の信徒さんです。何故か誤解される方々が多い…。

ちなみにlevelruiさんはmixiでの私のマイミクでもあります(もちろん、お互いmixi上でのニックネームは知恵袋のIDとは異なる)。

786樽之助:2011/09/22(木) 17:50:36
吉浜さん

富士門流単立寺院の信徒って?思い当たる人は一人しかいないけど?

まさかね、あの人がlevelruiさんなんかと繋がってる訳ないよね。
levelruiさんは間違えなく創価ですよ、だって北山の総代の名前答えられないし、大石寺の信徒を「法華講」なんて言うし日蓮宗のお坊様にむかってあんな無礼な事言うのだよ。
それにあのオカマキャラ^^宗教カテの有名なある学会員の別IDに決まってるじゃないですか。
ぷっ。。頭隠して尻隠さずだね。

腹立ち紛れにあんな創価丸出しの質問してくしね。

787首都高バトル01:2012/05/09(水) 22:53:00
南無妙法蓮華経、御本尊を国土に配すれば(この世の全体)、
自ずと日蓮大聖人が、御本仏であることが解ります。

本尊問答抄
「 上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と
天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く
法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり
釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり
故に今能生を以て本尊とするなり 」

全てのものは、この世の中心、
寂光土(南無妙法蓮華経、また本源。)より生まれる。
久遠釈尊成道後、娑婆世界(釈迦牟尼仏)は、
寂光土を対境にして生まれる。
その誕生の時に、地湧の菩薩が一旦成道してから娑婆世界に
現れるのではなく、本化、本源そのままの生命
(しかし仏の修行はしてないので凡夫のまま)で、
釈尊のもとで、繰り返し繰り返し教化される。
一往は、娑婆世界に生まれる地湧の菩薩は、釈尊が親。
しかし(再往)、もともとの本源そのものが生身したので、
本源そのもの故に源を辿れば本源そのものの生命で生身する
本法所持の本法を携えた地湧の菩薩が本仏となる。
上首故にその代表、本法を明かし本源の生命そのままに行動され、
本源の姿を示された御本仏は日蓮大聖人となります。


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