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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

1管理者:2002/03/08(金) 16:52

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/gohonbutu.htm


スレッドテーマのご提案がありましたので、立ち上げます。

古来、日蓮大聖人様が御本仏である、というのは、大石寺、富士門流の根幹教義です。この教義について、幅広く、根源的な議論が展開される事を期待して、このスレッドを立ち上げます。

2いちりん:2002/04/15(月) 18:13

日蓮さんのとらえ方を、ちと整理してみました。

1/●日蓮本仏論

a)日蓮さん自身が、自分を本仏であると思っていた。そして、わたしたちは、日蓮さんを本仏ととらえて信仰している。

b)日蓮さん自身は、自分を本仏などとは思っていなかった。しかし、わたしたちは、日蓮さんを本仏ととらえて信仰している。


2/●日蓮非本仏論

a)日蓮さん自身が、自分を本仏であると思っていた。しかし、わたしたちは、日蓮さんを本仏とはとらえていない。

b)日蓮さん自身は、自分を本仏などとは思っていなかった。そして、わたしたちは、日蓮さんを本仏とはとらえていない。


3/●日蓮菩薩論(あるいは日蓮フツーの仏論)

a)日蓮さん自身が、自分を菩薩(上行菩薩の再誕)であると思っていた。そして、わたしたちは、日蓮さんを菩薩(上行菩薩の再誕)ととらえている。

b)日蓮さん自身は、自分を菩薩(上行菩薩の再誕)などとは思っていなかった。しかし、わたしたちは、日蓮さんを菩薩(上行菩薩の再誕)ととらえている。


4/●日蓮凡夫論

a)日蓮さん自身が、自分を本仏とか、菩薩(上行菩薩の再誕)とも思っていたかもしれない。しかし、わたしたちは、日蓮さんを凡夫ととらえている。

b)日蓮さん自身は、自分を本仏とも菩薩(上行菩薩の再誕)とも思っていなかった。そして、わたしたちは、日蓮さんを凡夫ととらえている。


しかし、どうも、ごっちゃになっていますね。
その原因は、凡夫=菩薩=本仏というような、とらえかたもあるからですね。
たとえば、「諸法実相抄」の「本仏というは凡夫なり」という一節ですね。
それで、結局、どうも菩薩と仏と本仏の定義が、どうもはっきりしないわけです。

3独歩:2002/04/16(火) 00:25

いちりんさん:

なんだかお久しぶりという感じです(笑)

整理いただき、有り難うございました。とても参考になりました。

私は、亀太郎さんとのやりあいの中での日蓮の捉え方で「あ、ここだな」と思ったことがあるんです。それは、つまり、二極思考という点です。

つまり、日蓮は仏か・凡夫か、聖人か・凡夫か、もっと言えば、拙い凡夫なのか・閻浮第一の聖人なのか、「どっちなんだ」という二極思考。しかし法華経というのは、十界互具のわけなんですよね。凡夫に仏を観、仏に凡夫を観る。何々だと決めつけるのではなく、全部、ひっくるめて真実であると考えるのが法華の開会ということなんでしょうね。

ですから、拙い凡夫であるけれど、法華経のお力、本尊抄で言えば釈尊の因行果徳を妙法蓮華経によって受け継ぐ、それによって聖人のような力を発揮できる。つまり、拙い凡夫であり、閻浮第一の聖人であると、すべて包含して全部、真であるというのだと思うわけです。

ところがそれを聖人か凡夫かどっちだと白黒、善悪、優劣をつけてどっちかに考えないではいられない。実は、これは仏教ではなくて二極思考、社会心理学で言うステレオ・タイプ、フロムの言い方を借りれば権威主義的パーソナリティというわけですね。

フロイトがナチズムの研究で、全体主義、殊にカリスマ崇拝をする人々の心理を分析したときに見出した特徴が、この権威主義的パーソナリティでした。すべての善は自分たち、すべての悪を他の人々に。自分たちは優秀だ、劣った民族は滅ぼしてもよいとまで、やってしまった心理構造と、この二極思考は共通している点は看過できないと思うわけです。

法華経信仰は、個人でやっていると開会ですべて一仏乗から見て寛大な慈悲の精神に至るのですけれど、カリスマ崇拝が入り込んだ瞬間に二極思考が噴出し、差別の原因となって愚かなヒロイズムに転落してしまう。そこでは器物崇拝と神秘主義が威力を発揮するわけですね。

私は、この視点を見失った日蓮信仰は極めて危険であり、社会的害悪となるものであると考えています。

ともすれば国家主義に取り入れ易く、全体主義、カリスマ信仰、器物崇拝、神秘主義に危険性をもっている日蓮仏教を、どのように活用するかは個人の節度と常識に基づく信仰によって修正されるものであると私は思うんです。

4一字三礼:2002/04/16(火) 00:54
いちりんさん
はじめまして。

私は、3のbに近いイメージです。

蓮祖聖人の御遺文を読むと、御自身の名前に代名詞を使う事が、稀ですね。
当時の身分社会にあって、執権に対しても、武士にたいしても、師匠、御両親、兄弟子、在家信者、全てにただ”日蓮”と仰ってます。これは御自身のアイデンティティが、”日蓮”のみで完結している、ということではないでしょうか。
この”日蓮”と名乗られた方に、本仏、上行菩薩、不軽菩薩、大菩薩等を冠することは、一面敬うようにみえて、その実、大事な事(受難の意味等)を見落とすことになるのでは、ないでしょうか。

5独歩:2002/04/16(火) 01:40

一字三礼さん:

横レス、失礼。
賛同します。

6独歩:2002/04/19(金) 11:37

―宿命について 205からつづく―

○ちょっと、私見 002

富士門流をおいては常に議論される日蓮本仏論については、頭から信頼し、疑うことが不信謗法であるという懼れによって斥けられる流れと、考証してみようという二つの流れが、当掲示板にできていると観察します。もちろん、私は後者のほうですが、ここのところ、日蓮本仏論の根拠とされる文書を俯瞰し直し、205に記したように、日蓮本仏論は、元来、日蓮“迹”であったのではないかという点に興味が引かれています。

宗祖日蓮は鎌倉時代に生きた実在の人物であることは紛れもない事実です。この日蓮を、そもそも“報身”であるというのが日蓮本仏論です。
しかし、六巻抄のスレッドでも取り上げました(95)が、岩本師の説明を踏襲すれば、応身とは「応身仏に象徴化されている歴史上のブッダの肉身」というのです。もちろん、三身論から言えば、応身は「釈迦文」であって、それ以外に適用すべき語彙ではありません。けれど、転用、改変によって成り立つ中古天台本覚思想とその転化である日蓮本仏論は容易く三身を天台、あるいは日蓮へと置換してしまうわけです。それによって、まず自受用報身=天台という口伝が生じ、これを転用して自受用報身=日蓮という日蓮本仏論が寛師によって成立したわけです。

日蓮本仏論は天台本仏論の日蓮版であって、天台僧俗からすれば、それを盗用と呼ぶことになるでしょう。しかし、それでも寛師によって再構成されるこの新義は、石山僧俗にとっては独自の意味を持ち得たわけです。それはともかくとして、先に挙げた岩本師の言からわかるとおり、日蓮は肉身を歴史上の人物であるわけで(だからこそ御肉牙なる伝説も生じたのでしょうが)、これを報身と呼ぶのは如何がなものでしょうか。

もちろん、直接的に、そう呼ぶのではなくて、寛師は、これを「当体」なるまったく意味不明の説明語によって肯定しているわけです。

さて前置きが長くなりましたが、寛師が本来の日蓮迹仏論を日蓮本仏論に書き換えたという点について記します。

自受用報身との関係において、日蓮を装飾する書は『百六箇抄』『本因妙抄』『産湯相承事』『御義口伝』などなのであって、実際、これらの成立順番は、詳しくわからないところですが、取りあえず得に着目すべき該当部分を挙げれば

『百六箇抄』
本因本果の主本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕本門の大師日蓮
自受用身は本上行日蓮は迹なり

『産湯相承事』
本地自受用報身如来の垂迹上行菩薩の御身を凡夫地に謙下

があります。
ここでは文字どおり、本:自受用・迹:日蓮が明確に論じられています。
より正確に記せば、本地:自受用報身・垂迹:上行菩薩・再誕(垂迹):日蓮となっています。

ところが寛師は以上の文を踏まえながら、日蓮本仏を“切り文”と「当体」語によって作り変えたわけです。人(日蓮)法(戒壇曼荼羅)一体・本門本尊説を構成する寛師は『六巻抄』の本音とも言うべき部分で

自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。

人法本尊を定義づけています。この文を一瞥してわかるのは「垂迹」の二文字が消し去られていることです。この点は現石山の勤行観念文でも同様で「自受用報身如来の御“当体”」と、『本因妙抄』『産湯相承抄』で“垂迹上行菩薩再誕日蓮”に当たるの部分が“当体”語に置換えられています。つまり、これは寛師教学に基づくものであろうと思われます。

もちろん、「当体」は文句・玄義をはじめ初期天台文献でも多く散見できるのであって、たとえば文句記には「法身當體明不滅。報身説不滅必約法身」などと見られます。しかし、その用法は三身に限るものではない様に思われます。

この台釈とは別に寛師が垂迹を簡んで「当体」を使うのは、私には日蓮垂迹を、日蓮本仏にステップアップするための作為的なものであったと思うわけです。

7独歩:2002/04/19(金) 11:40

【6の補足】

元)宗祖日蓮は鎌倉時代に生きた実在の人物であることは紛れもない事実です。この日蓮を、そもそも“報身”であるというのが日蓮本仏論です。
補)宗祖日蓮は鎌倉時代に生きた実在の人物であることは紛れもない事実です。この日蓮を、応身であるというのであればまだしも、そもそも“報身”であるというのが日蓮本仏論です。

8独歩:2002/04/19(金) 12:12

―7からつづく―

垂迹の当体への置換は6で記しましたが、もう少し補足すれば
三重秘伝抄では以下のように置換されます。

本地自受用報身の垂迹、上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮等云云。
本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり。

つまり、本来、日蓮に係る垂迹を、ここでは「顕本」に置換して本仏義を肯定するわけです。しかしながら、これは
当流行事抄の

子丑の時は末法蓮祖垂迹の凡身の死の終りなり、故に頚を刎ねらると云うなり。寅の刻みは即ち是れ久遠元初の名字本仏の生の始め

といい、つまり、竜口逢難が垂迹・日蓮の死であり、久遠元初の名字本仏の生の始めであると意義付けられていきます。しかし、三重秘伝抄で日蓮は顕“本”であると言い換えておきながら、そのあとで、やはり日蓮は垂迹で逢難で“本”仏というのは論が踊っていると感じます。

これらの点は改めて六巻抄のスレッドで考えたいと思いますが、富士門では元来、日蓮迹仏論が先行し、それを寛師が日蓮本仏論に作り変えた概要は理解されるところであろうかと存じます。

ただし、この“書き換え”をすべて寛師一人の独創的なアイディアとするべきかは一考を要する点はあろうかと思います。

9独歩:2002/04/23(火) 05:01

―8からつづく―

それにしても日蓮本仏思想はどのような階梯をもって創造されていったののでしょうか。そのキーワードは一つは自受用(報身)如来で、もう一つが無作三身です。
また、上古の資料とされる本因妙抄、百六箇抄に始源を見、御義口伝、また、その他偽書と考えられる書の中で思想展開が後が窺われます。
厳格に見ていくと、血脉両抄と御義口伝には思想的な相違が見えます。

まず自受用身について見ると、『百六箇抄』では

久遠名字より已来た本因本果の主本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕本門の大師日蓮
久遠自受用報身の本迹 男は本女は迹知り難き勝劣
下種の法華経教主の本迹 自受用身は本 上行日蓮は迹
久遠実成の自受用身は本 上行菩薩は迹

といい、即ち 本地・自受用報身と垂迹・上行菩薩・日蓮対比です。すなわち、日蓮は迹として取り扱われています。

ただし、下種の法華経教主の本迹では

我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某

また、下種成仏の本迹

本因妙は本 自受用身は迹

といいます。
つまり、この構造は二重性をもっているのであって、まず、自受用と上行・日蓮の本迹を述べ、次に下種論が立てられて自受用と本因妙の教主の対比が述べられています。後者では本因妙教主と自受用を本迹として自受用を簡んでいます。
つまり 本因妙教主>自受用>上行・日蓮=本因妙教主ということになっています。

ですから、日蓮迹仏論であるというより日蓮本因妙教主論になっています。つまり、自受用は簡ばれるのであって本因妙教主が本であるとなっています。つまり、教主は、直ちに本仏であるという根拠はありません。

方や、『本因妙抄』では

寿量品の文の底の法門自受用報身如来の真実の本門久遠一念の南無妙法蓮華経雖脱在現具騰本種の勝劣
彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千一心三観此れは久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直に唱う

といい、こちらでは自受用身の応仏昇進と久遠元初の対比となっています。

(余談ながら興味深いのは、ここでは「文の底」であって文底秘沈とはなっていません。寛師の文底秘沈が後代の創案である証左であるといえるものであると考えられます)

以上のことから考えると、厳格な意味からすれば、『百六箇抄』と『本因妙抄』にも思想的な相違があることがわかります。

さらに『御義口伝』では

自受用智、本覚自受用の智火、自受用智の説法、

御義口伝に云く自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり中の文字は受用なり、仍つて自我偈は自受用身なり法界を自身と開き法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし、自受用身とは一念三千なり、伝教云く「一念三千即自受用身自受用身とは尊形を出でたる仏と出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。

となり、自受用は報身の「智」が中心となって、その至極を一念三千、その根拠として『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身、々々々々者出尊形」がその根拠となります。

これはまた、『御講聞書』でも、ほぼ同様で

智慧とは万法己己の自受用報身の振舞、自受用智、自受用報身の智力

となっています。また『四条金吾殿御返事』の

我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや

『日女御前御返事』

経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事

も同様の思想を背景にしていることが窺えます。

これらは一念三千を自受用報身の智とし、さらに出尊形仏、すなわち凡夫仏思想に裏付けられるものです。はたして本因妙教主思想が出尊形仏思想であるか、議論は分かれるところでしょうが、私は中途からの合流であろうと考えています。



さて上述の『御義口伝』で筆録される自受用と連絡する無作三身が次のキーワードとなります。この語は『三世諸仏総勘文教相廃立』に

守護国界章に云く「…無作の三身は覚前の実仏」

あるごとく、伝教に語源を発するとされます。(いま、手許に同章がないため、この実否をどなたかご教示ください)

私は、この語は実に矛盾をはらんだ表現であると思うのです。覚前、つまり覚(さと)る前の実仏というわけです。覚る前であれば菩薩なのであって、それをもって仏という表現は始覚の台釈からは強い違和感があります。果たしてこれが本当に伝教の言であるとは俄かに信じ難いものがあります。

10川蝉:2002/04/23(火) 14:33
9独歩さんへ。

「…無作の三身は覚前の実仏」の句は
「守護国界章巻下」(伝教大師全集第二巻567頁)にあります。
この句について、浅井円道師が「日蓮聖人と天台宗」(山喜房刊)に於いて、「無作三身考」の項目で論じています。
↓以下は浅井円道師の見解の要略です。

「報仏智常章第三」にあり、この章には文句寿量品の通明三身正在報身の法華仏の常無常に関する問答が述べられてあり、凡夫が実仏であるか否かという類の凡夫論とは無関係である。この句に凡夫実仏の意味を付与すれば、一章の趣旨に反する結果になる。

この句は六祖の止観輔行巻第一の「権教三身未免無常、実教三身倶体倶用」の句の換言であると思われる。
伝教の「有為報仏」とは六祖の「権教三身」、「無作三身」とは「実教三身」の句に相当することになる。

法華玄義では、円教の四諦を無作の四諦と称するが、伝教は円教三身を「無作三身」と呼んだのである。
故に無作三身とは寿量品で開顕された倶体倶用の実教三身の換え言葉にすぎないのであって、これを無作本覚の凡夫の意味に解することは、考えすぎである。

「無作の三身は覚前の実仏」の「覚前」とは、「覚る前(まえ)」の凡夫と読むべきではなく、「覚ってから前(さき)」の仏と読まねばならぬ。
もし「覚る前」の在迷の凡夫の意味であるとすれば、これと対句であるべき筈の「有為の報仏は夢裏の権果」の「夢裏」と同意になり、その反対語ではなくなる。
(「覚る前」の在迷の凡夫でも、覚れば報仏と成るのであるから、夢裏の権果と成ってしまう、故に反対語ではなくなる。と云う意味か。ー川蝉注)

徳一との論争書を見ると、伝教の仏性論は真如随縁論によって行仏性の悉有を論証するのに汲々たる段階であった。故に凡夫実仏などの極限的円教教理を説く教風は伝教には全く無かったと考えた方が伝教の意を得た見解である。

等と趣旨を論じています。
以上、ご参考までです。

11独歩:2002/04/23(火) 16:23

10 川蝉さん:

参考になる資料のご提示、有り難うございます。
実は守護章全体を読んでいないので、どんなものやらと思っていましたが、気分的にはいちおう会通は着きました。

いずれにしても「覚前の実仏」は聖人自体も使用されておらず、『諸宗問答抄』『三世諸仏総勘文教相廃立』『御義口伝』に現れるばかりで、しかも円道師の批判される形での使用となっています。それにしても、「覚るさきの」という読みと説明は難解ですが、前後の脈絡を示されれば妥当性を感じるものです。

ところで弘決の文とされる「権教三身未免無常、実教三身倶体倶用」は、私のもっている本には当たれないのです?

それはそれとして、「凡夫実仏などの極限的円教教理を説く教風は伝教には全く無かったと考えた方が伝教の意を得た見解である」というのは、実に納得のいくところでした。

有り難うございました。

12川蝉:2002/04/23(火) 20:27
11独歩さんへ。

>ところで弘決の文とされる「権教三身未免無常、実教三身倶体倶
>用」は、私のもっている本には当たれないのです?

早速、私も二回ほど止観輔行巻一を探しましたが、見つかりませんでした。
「守護国界章巻下の中」では、「無作の三身は覚前の実仏」のすぐ後に(全集では五行後)に
「権教三身未免無常、実教三身倶体倶用」
の文が有りまして、浅井師は「上古日本天台本門思想史」にも、「止観輔行伝弘決巻一の権教三身未免無常、実教三身倶体倶用の文を直後に引いているから、最澄句はこの湛然句の換言であると思われ」(113頁)
と、やはり「止観輔行伝弘決巻一」にある文句だと記しているのですが、私の探し方が悪いのか、ちょっと分かりません。

13独歩:2002/04/23(火) 21:51

12 川蝉さん:

早速、ご確認いただき、有り難うございました。
台釈でも、やはり、異本、出入はあるのですね。

いずれにしても円道師の「権教三身→有為報仏、実教三身→無作三身」という点は重要で、のちに中古天台における無作三身とは同名異義である点が確認でき、得るところは大でした。改めて御礼申し上げます。

14顕正居士:2002/04/24(水) 20:35
宗祖本仏論

は富士派にのみ有るわけではありません(参考-望月歓厚「日蓮宗学説史」)。
宗祖本仏論の意義は、日本仏教はいづれも祖師崇拝であるから、実際の信仰に合致
した教学を構築したことが評価できます。
宗祖本仏論の秘鍵は「『我本行菩薩道』の本因初住の文底」であるという堅樹日寛の
説は尤もであります。

1-久遠実成の仏は『本行菩薩道』の報因酬果によって最初成道された。
2-一仏の化導の始まり(下種)は久遠成道の時でなく、久遠発心の時である。
*何故なら、『本行菩薩道』と云い、六派羅蜜の報因酬果であるから。

在世の八年に一仏の化導は終焉し、末法は新たな久遠発心の時である。ゆえに
菩提心を初めて発した元初の菩薩の二度の出世である。

等覚の菩薩である上行菩薩の再誕は教相の浅義、久遠発心の釈尊二度の出世は
観心の域、実義は再度久遠下種の時、久遠発心したもう日蓮は名字即のくらいの
ままに本仏である。『日大直兼問答』で直兼が云うのはこの意味であると思う。

15独歩:2002/04/24(水) 22:23

顕正居士さん:

> 1-久遠実成の仏は『本行菩薩道』の報因酬果によって最初成道された。
> 2-一仏の化導の始まり(下種)は久遠成道の時でなく、久遠発心の時である。
> *何故なら、『本行菩薩道』と云い、六派羅蜜の報因酬果であるから。

という説明は言葉としてはわかりますが、聖人はこれを「初発心」の弟子、すなわち、第一番の弟子とされるのですが、因行の菩薩道の段階であるとすると、いつをもって「初」とすることになるのでしょうか。

> 在世の八年に一仏の化導は終焉し、末法は新たな久遠発心の時である。ゆえに
> 菩提心を初めて発した元初の菩薩の二度の出世である。

となると、「常住此説法 我常住於此」という寿量説相と食い違うことになると思いますが、この点はどうなるのでしょうか。

16川蝉:2002/04/25(木) 09:11
このスレッドとは関係ないのですが、臨時問い合わせさせて下さい。
富士学林でだしている書籍で、購入したい本があるのですが、どなたか御存知の方、富士学林の書籍部の住所・℡・FAX番号を教えてください。

17顕正居士:2002/04/25(木) 15:08
独歩さん。

>聖人はこれを「初発心」の弟子、すなわち、第一番の弟子とされるのですが、因行
>の菩薩道の段階であるとすると、いつをもって「初」とすることになるのでしょうか。

最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された、久遠の元初であります。上行菩薩は
この時の第一番の弟子であると云えます。

>「常住此説法 我常住於此」という寿量説相と食い違うことになると思いますが、
>の点はどうなるのでしょうか。

他仏も得脱の縁にはなるが、まさしくは必ず一仏にしたがって得脱するのは天台、
日蓮両宗に基本の教義でありますから、「寿量説相と食い違う」ことにはならない
でしょう。はじめて発心した菩薩が宇宙の何処かに今も有り、彼はやがて無上菩提
を証得するであろろうという神話を全く放擲すると、純粋の有神論と同じになるから。
「一心欲見佛 不自惜身命 時我及衆僧 倶出靈鷲山」はインドの或る山のことに
限られないでしょう。

18川蝉:2002/04/25(木) 17:22
「日大直兼問答」について。

「日大直兼問答」を再度読んでみましたが、日大も直兼にも、日蓮本仏論的思想は無いように思えます。

日大の「日尊上人仰云」の、「久成釈迦造立有無の事」に、
「日興上人が<末法は濁乱であるから、木像では、崇敬供養に差し障りあるので、広宣流布の時分まで大曼荼羅を安置しておくべきだ>と云われていた。大聖人の御代に二カ所に木像を造立された。予が門弟は上行等の四菩薩を相添えた久成の釈迦の略本尊を、資縁に随って造立すべきである(取意)」(宗全第二巻・419頁)
と日尊上人が語っていたとあります。

「日大直兼問答」にも、
日大が直兼に「宝塔の内の釈迦多宝、上行等の四菩薩の脇士、薬王等の四菩薩、分身諸仏の造立 之有るべきや」と尋ねると、
直兼が「之有るべし云々」と賛意を述べたと有ります。(423頁)

また日大の「去去年本門釈迦造立云々、印契は教主脇士等合掌を皆造立す云々如何」
と尋ねると、直兼が十指堅実合掌尤も道理に叶うなり」と答えています。(431頁)

この問答によると、日大は脇士を添えた釈尊像をすでに造立していてようですね。

日大や直兼に日蓮本仏思想があったら釈尊像を造立したり、またそれに賛意を示すことは無かったと思われます。

直兼が「天台大師の法華相承には二つあって、一は、霊山にて薬王菩薩として相伝を受けた、これは本地の時の相伝の事である。二には、中国にて多宝塔中大牟尼尊より直授の相承である。そもそも日蓮の本地における相承は如何沙汰しているのか?」
と問うと、

日大が「上行菩薩の再誕としている。涌出品にも上行等云々とあり、神力品に付属を承けているし天台や妙楽の釈にも分明である」と答え、
直兼が「それは霊山付属の本地上行菩薩としてのことであろう。本師の本地此の如くあるべからず。(日蓮の相承はそれだけではないであろう)」とさらに質問し、

日大が「子細があって云うことは出来ない。観心本尊抄等に明鏡があるが、国主が帰依した時には、はっきり示すことができよう」
と答え、

直兼が「日蓮は妙悟の時、直に多宝塔中の大牟尼尊より末法相応の法門を相承している。この霊山に於ける相承は本地のことである。もう一度、清澄山開悟の時に、多宝塔中大牟尼尊に直に値玉へり」と云うと、
日大が「我が宗では霊山付属を先ず表として述べ、直授の義をば広宣流布の時に披露することになっている」
と答えています。
以上の問答は、宗全430頁三行〜431頁七行の問答の要旨です。

この両者の相承観から見ても、両者には日寛のような日蓮本仏論は伺えないように思えます。

19独歩:2002/04/25(木) 22:10

顕正居士さん:

レス、有り難うございます。

> 最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された、久遠の元初であります。上行菩薩は
> この時の第一番の弟子であると云えます。

いったい、如何なることから、このようなことが言えるのでしょうか。
法華経にこの根拠を求められるのでしょうか。
顕正居士さんに言えば、まさに釈迦に説法のようなものですが、言うまでもなく玄義には「修多羅合者。録而用之。無文無義不可信受」とあります。そもそも法華経に記されない久遠元初をもっての解釈は、私には納得できるところではないのです。

> 他仏も得脱の縁にはなるが、まさしくは必ず一仏にしたがって得脱するのは天台、
> 日蓮両宗に基本の教義

しかし、先に「最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された」という以上は、この時点では釈尊は因行の菩薩となりませんか。菩薩に縁して初発心とする修多羅も明証をお聞きしたいのです。

また、私が、「常住此説法 我常住於此」と食い違うと言ったのは、この寿量品に未来永劫の仏・説法を記すのに、何故、「末法は新たな久遠発心の時」としなければならないかと思ったからです。

> 「一心欲見佛 不自惜身命 時我及衆僧 倶出靈鷲山」はインドの或る山のことに
> 限られないでしょう。

もちろん、このようには考えてはおりません。

20川蝉:2002/04/26(金) 16:55
19 独歩さんへ。
横から失礼します。

>しかし、先に「最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された」と
>いう以上は、この時点では釈尊は因行の菩薩となりませんか。菩
>薩に縁して初発心とする修多羅も明証をお聞きしたいのです。

本尊抄に二カ所ある「釈尊の初発心の弟子」と云う句について、浅井円道師が「観心本尊抄・仏典講座38)に於いて、

<釈尊が初めて発心されたとき以来の弟子の意味とともに、初発心以来ただ釈尊だけを師と仰いできた弟子の意である>(214頁)と注記しています。

「観心本尊抄」第十八問に有る「或いは初発心時」の注記には、

<華厳経の「初発心の時、便ち正覚を成ず」の文を天台は円教菩薩の成仏の例として、諸所に引用する。ただしいまは爾前円教の例とす。初発心とは十住の初めの初発心住(別教の初地)を指す。>

と注記しています。

初住の菩薩に関しては「玄義釈籖第十・九右」に、法華玄義本文を説明し、
<本地の真因初住より已の来た遠く今日乃至未来大小の衆機を鑑がむ>
と有ります。

この釈籖の文を「私記」が
<初住すでに三世了達を得る。あに衆生の根機を知らざるべけんや。衆生は即ち是れ下位なるが故なり。謂く此の人まさに来世に於いて我が化に預かるべしと知るなり>

と注記しています。

「釈籖講義」には、是に関連して
<本地の真因 住に入れば深く性徳の底に徹し 広く修徳の辺を窮めて 世世番番の種熟脱を一念の中に了するが故なり>
と注記しています。

天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具わるとしています。

21顕正居士:2002/04/26(金) 17:32
宗祖本仏論は

1-まず日蓮聖人の釈尊本仏観とは異なるものであります。
2-しかしその発生は比較的上古に遡源することが出来る。
3-インド以来の仏教の基本にはずれた思想ともいえない。

が小生の考えです。

宗祖本仏論はまず中古日本天台教学との交渉によって発生する。
「日大直兼問答」
http://www.biwa.ne.jp/~kanden/data/nichidai.html
で、宗の師(天台大師)が薬王の再誕というは教相の浅義、実には大蘇道場に於て
自解仏乗し、己心中所行法門を説きたもうが如く、日蓮又同じく上行の再誕というは
教相の浅義、清澄山にて大悟したまい、己心中所行法門を説きたもうに非ずやと
直兼は問うのであります。これを要するに毘盧遮那一本異ならない自受用の内証に
還元する思想といえます。

しかし日蓮聖人の釈尊実在観との調和は必要であって、八品日隆は「繰り返し顕本」
の説において、久遠釈尊を因位と果位に分け、因位の釈尊による下種、果位の釈尊
による得脱が永劫に繰り返されるとした。大石寺日有は日隆の説を摂取し、「本因妙」
の教義が富士派において発達する。但し、日隆説の仏菩薩対等(因果対等)ではない
「上行旅宿」、「上行本仏」(菩薩本、仏迹)の説が妙蓮寺日眼など富士派にあった。

堅樹日寛の教学は、四明学と中古日本天台教学との調和を図りつつ、幾種類かの
宗祖本仏観を上手に会通し、富士派、勝劣派の中で大石派が突出する原因になった
とおもう。

22顕正居士:2002/04/26(金) 18:32
>> 最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された、久遠の元初であります。
>>上行菩薩は この時の第一番の弟子であると云えます。
>いったい、如何なることから、このようなことが言えるのでしょうか。
>法華経にこの根拠を求められるのでしょうか。

「法華経」は般若経典の空と六波羅蜜の関係を表裏にし、般若空の上で菩薩行を
煥発し、バクティ思想の摂取において高揚し、及び(後に)呪文の功徳をもって補強
した経典であると考えます。天台、日蓮の煩瑣の議論は「法華経」の預かり知らぬ
ことではありますが、「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數」とあるから、
永劫の六波羅蜜の報因酬果により、五百塵点劫のそのかみに第一番の成道を唱え
たことは明らかであり、

1-久遠実成の仏が菩薩行無くして成道したとは云われていない。
2-ゆえに久遠実成の仏が菩提心を発された時を、「久遠元初」(因行のはじめ)と
いい、久遠実成(五百塵点当初)よりおおいに以前であります。
3-但し、久遠の菩薩が自受用身を証得するのは第一番の成道の時であります。
この際に「開迹顕本」があったか否かが疑問ですが、「台宗二百題」は「新成の如来に
顕本無し」と判じています。

23独歩:2002/04/26(金) 19:22

20 川蝉さん

> 天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具わる

この点はわかるのですが、私が「菩薩に縁して初発心とする修多羅も明証」と顕正居士さんに問うたのは「一仏にしたがって得脱するのは天台、日蓮両宗に基本の教義」と言われたので、それでは“仏”による発心ではなく、菩薩による発心になっているという点を申し上げたのです。つまり、ここでは仏菩薩の区別が曖昧ではないのかという問いです。つまり、菩薩の教化能力の是非を問うたものではありません。

ところで、引用の釈義の菩薩と本尊抄における「無始古“仏”」は、どのような会通となるとお考えになられますか。

24独歩:2002/04/26(金) 19:46

顕正居士さん:

日蓮本仏論のご説明は当を得たものであり、特に否定するものではありません。また、祖師信仰も一つの信仰の形態である点も了解できます。

しかしながら、そのような祖師信仰、あるいは日蓮本仏論が、では日蓮聖人の御立の法門であるとお考えになられるのでしょうか。私が闡明にしたいのはこの点です。

法華経の、「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數」が「そのかみ」「久遠元初」の義を存しているというのは、一つの“解釈”であって、説相と一致するとするのは、短絡ではないでしょうか。要は、この点を説明するのに釈義をもってするのではなく、あくまで経によっての説明が必要であろうかと存じます。

なお、久遠元初当初已来の菩薩と仏を等価とするのであれば、寿量品に殊更五百塵点成道を論ずる必要もなく、その序として多宝の証明も要らず、地涌の出現も不要ということになりませんか。そもそも寿量品は菩薩道について、説いているのではなく成仏について説いているのではないでしょうか。それなのに、成仏已前から結縁について、論じているとする根拠は、法華経のいずこに求められるのでしょうか。釈義によって展開される久遠元初・自受用身は法華の説相と一致していないと思えますが、この点は、どのようにお考えになられるのでしょうか。

25一字三礼:2002/04/26(金) 20:29
横レス、失礼します。

久遠実成仏の初発心の菩薩行を「我本行菩薩道」の文から求めようとすると、具体的な因行に言及出来ないので、“不説の妙法”を想定することになり、本来の法華経の内容からは、離れることになります。
「我本行菩薩道 所成壽命 今猶未盡 復倍上數」と「我實成佛已來 無量無邊 百千万億 那由他劫」とは、同軸上で論ぜられるものであって、両方の状態を含めた存在を“本門教主釈尊”と称するのではありませんか。
観心本尊抄には、「是くの如く我成仏してより・・復上の数に倍せり」の経文を仏界所具の九界なり、として十界互具の依文としています。

横レス、失礼します。

久遠実成仏の初発心の菩薩行を「我本行菩薩道」の文から求めようとすると、具体的な因行に言及出来ないので、“不説の妙法”を想定することになり、本来の法華経の内容からは、離れることになります。
「我本行菩薩道 所成壽命 今猶未盡 復倍上數」と「我實成佛已來 無量無邊 百千万億 那由他劫」とは、同軸上で論ぜられるものであって、両方の状態を含めた存在を“本門教主釈尊”と称するのではありませんか。
観心本尊抄には、「是くの如く我成仏してより・・復上の数に倍せり」の経文を仏界所具の九界なり、として十界互具の依文としています。

26顕正居士:2002/04/26(金) 21:26
宗祖本仏論

の思想は宗門の上古に胚胎し、仏教本来の菩薩を本とする思想を高揚する特色から
いえば、正統の仏教思想に分類するべきであるが。

>しかしながら、そのような祖師信仰、あるいは日蓮本仏論が、では日蓮聖人の御立
>の法門であるとお考えになられるのでしょうか。私が闡明にしたいのはこの点です。

「長寿はただこれ証体の用」。毘盧遮那一本異ならぬ自受用の内証に還元する思想
からは、法華経の上行神話を拾い出せないから、日蓮が時間の上に「仏教救済史」
を想定したことは疑えず、そのことを(日蓮宗の)「本門立ち」というのでなかろうか。
しかし日蓮は釈尊の因位について特に考察せず、法華教主(劣応身)の自受用内証
を「無始古佛」と表現した。

ゆえに種熟脱の「仏教救済史」を実話と考える傾向(「繰り返し顕本」)と仮説と考える
傾向(自受用内証還元)が日蓮宗学の両箇の基調であり、いづれを日蓮の本意とも
いい難い。

日蓮自身に矛盾した傾向、あるいは適度に折衷して顧みない傾向があったとも
考えられる。

*なお上掲幾箇かの文章でいう「宗祖本仏論」は、創価学会の活動以後、供養を得る
為に教学の学修が必要でなくなり、伝統的の教義とは無関係のことしか書けないよう
になった僧侶が運営する今日の日蓮正宗の教義とは直接に関係がありません。

27独歩:2002/04/27(土) 06:34

26 顕正居士さん:

本門正意顯壽長遠。長遠永異故用比之。實相雖在迹門辨竟。今須辨同故今但取實相同邊。長壽祗是證體之用未是親證實相體也。

というのは、実相は迹門に現れるけれど、それは本門の長寿と同じことである。この長寿とは釈尊が成仏を得ることによって得た寿命が甚だ長遠であると言った意味に解してよろしいのでしょうか。

しかし、これは久遠実成以降の寿命の長遠を宣べるのであって、菩薩道、さらには久遠已前の元初、あるいは当初(そのかみ)について、論ずるところではないと思うのです。

以下の点は顕正居士さんの書き込みから、やや離れるのですが、「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數。」という今猶未盡復倍上數を、恰も菩薩に懸けて解釈する傾向があるように思えます。故に菩薩道を釈尊が成仏以降も行っているという解釈が敷衍されます。

あまり、論じられませんが、法華経には実は大きなコンセプトがあって、それは何かというと成仏によってもたらされる寿命ということであり、取り分け、久遠実成という成仏は最高の成仏であって計り知れない寿命をもたらしたという点です。成仏の功徳が寿命であることは、たとえば常不軽菩薩に「其罪畢已。臨命終時。得聞此經。六根清淨。神通力故。増益壽命。」と記される如くです。

つまり上記の今猶未盡復倍上數は菩薩道に懸かるのではなくて、菩薩道(因行)によって得た成仏(果徳)、それによって成じた寿命の長遠なることは、久遠已来五百塵点劫の寿命を経てきたけれど、いまだまったく尽きることはなく、今後の寿命は、さらにその長さに倍するものであるというだと思うわけです。つまり、菩薩道が問題にされているのではなくて、成仏とその結果もたらされた寿命の長遠が問題にされています。故に寿量品と題されるのであろうと拝するわけです。

釈尊の教化は菩薩の一環であるという点は依然として残るものの、むしろ重点は成仏以降の寿命の長遠にあると思えます。その成仏の功徳と寿命の長遠を宣べることに主眼がある寿量品の説法を支える地涌菩薩は、当然、それを裏付けるためであって、なのに初発心を菩薩道に遡る所以は法華経に説相と一致しません。

伝統的な三身解釈、また、発展的に派生する久遠元初当初、自受用報身如来という考えと聖人の無始古仏からすると、どうしても、顕正居士さんが仰る如き点を現代の日蓮教学は認めざるを得なくなるのかもしれませんが、私は納得がいきません。所以は、つまり、法華経の説相と一致しないからです。止観勝法華劣の如き、いわば釈勝経劣は愚なりと思うのです。

28独歩:2002/04/27(土) 07:40

20 再び川蝉さん:

「初発心」というのは釈尊の因位に懸かるものでしょうか。
仰るところは初菩提心の意の如くに使われているようにお見受けしますが、どうもこの点は合点が行きません。本尊抄の初発心の用例のほか、『法華取要抄』では

舎利弗・目蓮等 自鹿苑已来初発心弟子也

と言います。どうも私は初発心を能化に懸けて解釈するのは納得がいかないのです。

また、注記に言う点は、すなわち『維摩經玄疏』の

五分證眞實即者。從初發心得無生忍至金剛頂四十一地皆名分證。所以者何。如華嚴經云。初發心時便成正覺。了達諸法眞實之性。所有慧身不由他悟。此是分證眞實即也。乃至十地等覺皆是分證。但有深淺之殊故有諸地階級也。

を言うのでしょうが、「正覺」の覚とは覚(さと)りであって、菩薩によせてはいまだ覚とはいえないと思うわけです。本覚臭いというか、仏・菩薩を同等の如くに扱い、菩薩に覚ありとするはは正しいこととは思えません。

また『法華玄義釋籤』の

自本地眞因初住已來。遠鑒今日乃至未來大小衆機。故云本行菩薩道時所成壽命今猶未盡。豈今日迹中草座木樹方鑒今日大小機耶。

は、取要抄の文と同じく、始成正覚の比較と論じられるところであって、成仏とそれ已前の菩薩道の関係を論ずるものではないと思いますが、いかがでしょうか。

以上から、引用されるところから

> 天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具わる

という結論が導かれる理由がわかりません。私の理解不足に由来すると思えますが、やや説明を加えていただけませんでしょうか。

29独歩:2002/04/27(土) 08:16

25 一字三礼さん:

文が簡潔なので、精しく仰ることを理解できたわけではありませんが、私はお記しの点、概ね同意です。

寿量説法は、仰るとおり、菩薩道に因ったことを示されてはいますが、その内容については論じられていません。故に久遠元初当初、いや無始已来久遠の妙法があって即座開悟したなどという解釈が生じる余地を与えることになったわけですが、しかし、これは解釈であって説相には載らないところですね。

なお、本尊抄の

寿量品云 如是我成仏已来甚大久遠 寿命無量阿僧祇劫 常住不滅 諸善男子 我本行菩薩道所成寿命今猶未尽 復倍上数云云 此経文仏界所具仏界

はその直前に

法華経第一方便品云 欲令衆生開仏知見等云云 是九界所具仏界也

とあります。この段の問は

問曰 百界千如与一念三千差別如何

ですから、十界互具というより、方便品に拠って百界千如を示し、寿量品に拠って一念三千を示しているのではないでしょうか。

30川蝉:2002/04/27(土) 10:28
独歩さんへ。

相変わらず焦点ずれのコメント横入りで失礼しました。
独歩さんが
「初発心時とは修行の初めの時期だから未だ未悟の状態であった仏が上行等の菩薩を教化出来ないのでないか?」
と云われているのかと受け取り、前のコメントとなったのです。私の受け取り様が悪かったようですね。

>ところで、引用の釈義の菩薩と本尊抄における「無始古“仏”」
>は、どのような会通となるとお考えになられますか。

やはり、この質問の意趣が掴めませんが、「無始古仏に初発心時という成仏する前を想定する事は矛盾があるのではないか?」と云う意味の質問でしょうか?。

私が提示した天台諸師の文が
因より果に向かう(凡夫が菩薩行を積んで仏果を目指す)菩薩行を経て、寿量品の釈尊は五百塵点劫の昔に成仏したと、成仏の初めを想定しているようですね。

もし、初めがあっても、その初めが遙か過去である事を「無始」と表現しているものならば、無始の古仏は初住位の時から、未全開ではあるが仏の活動を行っていたのだから、後から振り返れば、初住位の時も含めて無始の古仏と表現し得るという考え方もあります。
また、一番目の仏は無始と表現出来るほどの昔に始覚したとしても、元々仏であったと覚ったので、無始の本覚を始覚したのであるから、始覚の時点で無始の仏となる。と云う考え方もありますね。
しかし、学者の指摘によれば、
「内薫自悟仏」説といって、仏は無窮に存在し続けるものでなく、最初の仏がいて、その仏が無師独悟し、後にその仏の説いた教えによって次の仏が生まれる事になると云う文句記にある妙楽の説明に対して、
「文句記講義」の痴空(1780〜1862)は記」に於いて、
「法(実相・法性)は本来迷悟が相依って(円融して)成立しており、衆生も仏も倶に始終が無く永遠に存在するものとされる」(文句第一巻の注)と批判しているとの事です。

指摘した学者(田村完爾立正大教授)が、さらに、
「痴空の迷悟二界論を十界において論じれば、本有十界となる。仮に本有十界が成立しなければ、十界互具が普遍性を持たなくなり、十界互具等に基づく一念三千の実相観が不完全なものになってしまうだろう(取意)」(大崎学報156号・17頁)

と、痴空の考え方に賛意を述べています。

痴空のこの考え方は、「始めに九界だけが存在していて、その中より発心修行して、悟りを開いた仏が初めて出たと、云うのでは、本有九界説であって、本有十界説ではないことになる」と云う考えが含まれているようですね。

宗祖も本有十界説ですから、宗祖が云う所の「無始古仏」は、初め迷っていた状態の者が菩薩行を志し、積功累徳の結果、成仏したという従因向果の成仏の仏とは異なると見なければなりませんね。

「無始古仏」とは、喩えると王位にある者が王としての実務を行うにつれて、いよいよ王としての資格が具わり、真に王の資格が有ることが証明されていく様に、従果向因の教導(菩薩行)を行い続ける仏であると思います。寿量品にある「本菩薩道を行じて」とは、こうした従果向因の教導(菩薩行)を指しているのだろうと思います。

田村完爾立正大教授は
「日隆・日辰両師の説は、宗祖日蓮の如く三世十方の諸仏を久遠本仏釈尊に統一せしめようとするものであるが、両師は、日蓮の採用しなかった智邈の諸仏展転説と湛然の内薫自悟仏を自己の教学に採り入れたため、二人とも日蓮の説と異なる釈尊観を立ててしまったといえる」
と論じています。

「初発心の弟子」の意味は、二つの解釈を並記する学者と、「釈尊によって発心させられた弟子」とのみ解釈する人が居ます。

「目連等は鹿苑より已来初発心の弟子なり。」(法華取要抄)

「令初発道心とて幼稚のものどもなりしを、教化して弟子となせりなんどをほせ(仰)あれば大いなる疑なるべし」(開目抄)

等の文より見れば、釈尊によって発心させられた弟子と云う意味の方が強いように思われます。

しかし、「初発心」で検索してみると、釈尊の初発心時の弟子と解釈出来るのかなと?と思われる文もあるようですね。

もし「釈尊の初発心時の弟子」と解釈するとしても、その「釈尊の初発心時」とは、本有仏界としての無始古仏が従果向因の教導をし始めた時と解釈すべきではないのかなと思われます。

31川蝉:2002/04/27(土) 11:06

独歩さんへ。続きです。

> 「天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具>わる」
>という結論が導かれる理由がわかりません。私の理解不足に由来
>すると思えますが、やや説明を加えていただけませんでしょう
>か。

本化聖典大辞林の解説を紹介します。
<初発心時便成正覚の初発心をば天台大師は、十住の初めの初発心住と見て、便成正覚とは一分の無明を破し一分の法性を証するが故に、一分の正覚を成ず。この位より八相成道を示すを得とし、また進んでは初住即妙覚の釈もあるに至る。詮ずる所は此の文をば円教の初住成仏の証文の一とせられたり(妙玄の五の上、位妙の下)>
「玄義巻第五」の「十住の位を明かば」の項に経証が挙げられています。

32顕正居士:2002/04/27(土) 17:36
菩薩と仏

菩薩の階位は天台宗の五十二位が諸経論の説を合揉して有名です。仏とは菩薩の
完成態以外の何かではありません。菩薩の第五十二位を妙覚と称するに過ぎない。
仏教RPGの最高ステイタスが52レベルであるということ。また妙覚位のみを仏という
のでなく、五十二位各々が仏である。菩薩と仏とは同じ意味で、区別がないと考える
べきです。但し、仏教パンテオンの秩序の上から、妙覚位の仏と称するのは釈尊と
過去仏、他方仏に限ります(一世界一仏の約束)。あとは大乗仏教史の賢者が出世
の順に上の階位を占める。ゆえに龍樹、世親は地上の菩薩ですが、天台大師の
場合は慧文、慧思に次くので観行五品になってしまう。日蓮の時代にはもう名字即
しか空いていない。このように大乗仏教の歴史では先師に孝を尽くしますが、教説は
後代のが優れていますから、「教いよいよ高ければ位いよいよ低し」と称します。

「相伝(寿量品文底大事)に云わく、寿量品の意は三世諸仏悉く名字妙覚の成道なり
と云云。尼崎流之れに同じ云云」(堅樹日寛・当流行事鈔)
http://kanazawa.cool.ne.jp/bn/rokkann5.html

33顕正居士:2002/04/27(土) 22:24
自我偈にも

長行の趣旨は繰り返されています。

我智力如是。慧光照無量。
壽命無數劫。久修業所得。

エータードリシャン(如是) ジニャーナバラン(智力) マメーダン(我)
プラバーシヴァラン(照) ヤスヤ(所) ナ(無) カシチッド(何) アンタハ(限)|
アーユシ(寿) チャ(亦) メー(我) ディールガム(量) アナンタカルパン(無量劫)
サムパールジタン(成就) プールヴェー(已前) チャリトヴァー(修)
チャルヤーム(行)||

是くの如く、我が智力の光照する所、辺際無く、
我が寿また、無量劫を成就す、久遠に菩薩の行を修せしがゆえなり。

擬似ローマナイズ
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/jigage.html

34独歩:2002/04/28(日) 00:31

30 川蝉さん:

無始古仏のご説明有り難うございます。

> 「初発心の弟子」の意味は、二つの解釈を並記する学者と、「釈尊によって発心させられた弟子」とのみ解釈する人が居ます。

「釈尊によって発心させられた弟子」という意味はわかります。どうも学者と言っても、それぞれの門流を背負った僧侶の方々でしょうから、宗門教学史を背負って書かれるものもありますね。法華経を根本とすることが大切であろうかと思います。

ただし、田村完爾立正大教授の隆・辰師解釈の説明は興味が惹かれました。
しかし、ここらは本有で捌かないと駄目なのでしょうか。天台止観の

無明癡惑本是法性。以癡迷故法性變作無明。

がまず浮かぶので痴空の議論は少しずれているような感じがします。まあ、大した意味で申し上げているわけではありませんが。

本化聖典大辞林の説明の、「初發心時便成正覺」は華厳経を拠り所とする天台以前から一つのテーマでしょうか。いずれにしても、ここでいう便成正覺は、無上正等覚とは違う、「一分の正覚」という点はわかります。

しかし、「圓教初住成佛能百佛世界化衆生也。」という玄義に基づいた仁王経の疏文が、どうして初住即妙覚の釈とつながるのか、わかりません。そもそも「初住即妙覚の釈」とはいずれの出所を言うのでしょうか。

また、ここの説明は能化の教導の始まりを論ずるものであるのか、やや不明と感じました。

あと、川蝉さんがいう「「釈尊の初発心時」とは、本有仏界としての無始古仏が従果向因の教導」の“従果向因の教導”とは、どのような意味なのでしょうか。「従果向因」が『玄義私類聚巻』が出典であることはわかるので、私としては、この説明は本覚的と感じるのです。川蝉さんは本覚を脱却した方かと思っていたので、「あれ?」という感じでした。

もっとも、本尊抄の「無始古仏」なにより「教主釈尊五百塵点已前仏也」は本覚論抜きには解せませんが、晩年の聖人はこの点を脱却していったのだから、本覚論より始覚論見地で見るべきではないのかと個人的には考えています。

まあ、ちょっと、雑談のようになってしまいました。申し訳ありません。

35独歩:2002/04/28(日) 00:42

顕正居士さん:

> 菩薩の第五十二位を妙覚と称するに過ぎない

なかなか大胆なご発言ですね。台迹勝教典劣というわけとは思えませんが、こうなると仏教ならぬ、菩薩教ということになりましょうか。

> 菩薩と仏とは同じ意味で、区別がないと考えるべきです。

この点は承服いたしかねます。ただ、これはたぶん、弥勒等の菩薩と釈尊というのではなく、一仏の因(菩薩)果(仏)が、という意味なのでしょうか。

> 我が寿また、無量劫を成就す、久遠に菩薩の行を修せしがゆえなり。

これは27に記したところと一致しようかと思います。

ここのところの書き込みは顕正居士さんらしからぬ、戯言の小利口に、からかっておいでなのかと感じられました。

36顕正居士:2002/04/28(日) 09:50
舎利弗阿毘曇論の

   「云何が菩薩人。若し人三十二相を成就し、他聞に從はず、他教を受けず、
他説を請はず、他法を聽かず、自思、自覺、自觀し、一切法に於て知見無礙なり、
當に自力自在、豪尊勝貴自在を得、當に知見無上正覺を得、當に如來の十力、
四無所畏を成就し、大慈を成就し、法輪を轉ず、是を菩薩人と名く」(大正蔵二八巻)

では「自思、自覺、自觀」を菩薩の要件とする。釈尊の弟子は釈尊の教説に従い、
多くが阿羅漢果を得たと伝えるが、釈尊自身は何の原因により現等覚されたのか。
これが菩薩思想の起源であって、「菩薩」の語は西暦前2世紀以前に成立していた。

「仏は声聞中に能王として生じ、仏はまた菩薩より生ず」(入中論)

大乗仏教は声聞でなく、菩薩を目標とするから、釈尊のみの称号であった「菩薩」は
広範には菩提心を発した衆生すべての意義にも用いられ、既に多数の高位の菩薩
が活動中であるとの神話を形成し、中には現等覚された菩薩もあるに違いないゆえ
他方仏信仰も構成されます。さらに後代には「菩薩」は利生のために敢て現等覚を
とらない永劫の活動者であるとの思想も生まれます。

37顕正居士:2002/04/28(日) 10:30
独歩さん。

>からかっておいでなのかと感じられました。

わたしは中古天台や富士派の教学を高く評価しています。但し、日蓮聖人の思想とは
異なるものであるという立て分けが必要です。川蝉さんの投稿はいつもオーソドックス
でありますし、独歩さんの富士派教学批判にもおおく頷いております。偽書、偽相承が
表になってしまった今日の日蓮正宗系教義のあり方は不健全です。口伝法門は密教
に類し、顕教を先に理解していない場合、有害にはたらき得ますから。

38独歩:2002/04/28(日) 12:21

顕正居士さん:

日蓮本仏論の見直しという視点において、日蓮・天台・法華経という3軸から、さらに大乗教典成立史、さらにバックボーンとなった菩薩思想の発生と定着、異教の影響、たとえばバクティ、太陽信仰と救世主思想(ミトラ)などまで、話を広げると、もはや「仏と菩薩が同等に解される」などという論点、もっと言えば、寛師説の日蓮本仏論などの価値を論ずると裾野が広がりすぎてしまう気がします。

けれど、仰るとおり、菩薩思想はまったく後天的な思想運動なのであって、初期仏教にこの考えは見られないでしょう。時期の特定は種々議論はあろうかと思われますが、西暦前550年ごろに入滅したシャキャムニ、その教えを継承しようとした教団は、当初、文字・形像で仏法を表現することに卑下していました。しかし、仏滅100年ごろ、文字によって教典を作成する動向が現れ、平行するかのようにギリシャ彫刻の影響を受けて、ガンダーラ、マトゥーラなどで同じ信仰的に仏像の彫刻が始まります。また、ミトラ教の太陽信仰と救世主思想の影響を受けて、はじめに救世主思想が仏教に生まれ、ミトラは仏教でマイトレーヤ(弥勒)信仰として、菩薩思想の萌芽を見るのでしょうか。ミトラは西洋にも伝播し、ミシュラン(救世主)信仰として、キリスト教などの基体をなしたのであろうと言われ、さらにキリスト教から阿弥陀信仰が生じたとも言います。ここに久遠仏信仰の基礎が出来上がり、太陽信仰に基づく故に光によって形容され、さらに太陽が宇宙の中心と見なされたごとく、すべて元初であるという毘盧遮那信仰(法身)を形成するに到るのでしょう。また、バカバットギータに見られるバクティ(誠信)がインドを席捲し、これらが多分、大乗起信論などの形成する基礎を構成していったのでしょうか。(かなり乱暴なガイダンスですが)

菩薩は仰るとおり、当初は釈尊のジャータカとして語られ、釈尊そのものを指すものであり、また、仏像の造立というそれまでのタブーを犯す段階で、仏像でありながら、菩薩像として像立されるなど、その分別が難しい時期もあります。その後、菩薩は釈尊を指すばかりではなくて、救世主思想を体する救道者のテーゼとなっていったのでしょう。

法華経の成立は西暦前100年から西暦100年ごろの時期とされ、久遠仏思想と菩薩思想、さらに教典塔崇拝信仰という新たな展開をもって構成されていったものであり、当然、そこにはバクティの影響を看取されるのでしょう。しかし、法華経における菩薩思想は、いわゆる仏菩薩を等価として配置されたものであるというより、後期の菩薩思想の展開と見るほうが至当でしょう。法華経信仰者に菩薩の道を歩ませることを目的にしたものなのでしょうが、久遠に菩薩の道を歩み、ついに成仏を得て、無量長遠の寿命を得た仏に従う求道者の理想的なモデルとして描かれる本因を菩薩とする本果の仏と、その理想を追求する求道者モデルの菩薩は同一視してしまっては、混乱を来すと、私は思うわけです。

ですから、仏・菩薩の厳格な分別(差別)は必要であろうかと思います。しかし、それを教理的に整理し、かつて菩薩道によって成仏した釈尊、これから菩薩道をして仏に作る衆生、あるいは記【サ/別】を受けて未来成仏を約束される求道者を一括して総合的に理論整理しようとすれば、それはたしかに十界互具などという論理的な構成は意味をもちます。

ただ、ここのところ、問題にされていたのは、寛師の日蓮本仏思想が至当であるという顕正居士さんの発題から、さらに地涌菩薩の初発心を釈尊の成仏已前菩薩道の段階とするのか、成仏後、最初の弟子とするのかという議論なのであって、上述する如く仏教思想の展開をここに持ち込むと、なおさら煩雑になってしまわないかと思うわけです。

39独歩:2002/04/28(日) 12:21

―38からつづく―

非常に雑駁な言い方をすれば、因位に地涌菩薩の結縁を見る動きは本覚文献とその肯定論者に見られるの点で臭みを感じます。この考えは即座開悟の如き、菩薩道による成仏という法華経の説相を結局否定するもので、その意味で釈勝経劣の過ちを犯していると私は感じるのです。

そもそも地涌菩薩の出現は久遠成仏とその寿命の長遠を示す寿量品の前品に置かれるのであって、ここでは釈尊の成仏が伽耶始成ではなく、久遠成道を示すことに目的があります。地涌の結縁を釈尊自身の発心の時とするのは、父子一体、師資一体などという本覚義にとっては便利でしょう。しかし、釈尊と地涌菩薩が、「仏菩薩は同等であるけれど、五十二位から見た覚り程度の差を示すもの」であるという点は教理展開上でもちろん確認できましょうが、法華の説相と異なるのではないのかと個人的には思うわけです。これはしかし、日蓮本仏論の如く、上行菩薩とも自受用報身如来(仏)とも仏菩薩等価的に宗祖を見なす宗祖信仰にとっても誠に都合のよいものであり、使われ方に但し書きを付したくなります。

実際のところ、法華経の説相では釈尊自らの久遠成道を示す時に弟子地涌菩薩の結縁を言うのであって、彼等が滅後の教導者であるとするのを自らの久遠成道によせて論じています。ここでは、自らが菩薩であったときに六万【(江−エ)+亘】河沙の弟子がいたなどとは書かれていないわけです。

釈尊が久遠成道ののちに第一番に弟子にしたのが地涌菩薩であり、その後、下方の空中にあって住していたので伽耶始成後の弟子は知らず、久遠成道は久遠の出来事であり、その久遠の出来事を知っている地涌菩薩にその広宣流布を命じたというのが法華経のコンセプトでしょう。ここでは、菩薩時に菩薩を弟子にしたなどということは、何も記されていません。

結局、菩薩が菩薩を弟子にしたというのは後天的な解釈であって、法華経の説相と一致しないので、どのような碩徳の語ることであっても叙用せずというのが私の考えです。しかし、ここで冒頭で掲げたような教理展開の歴史的な変異を考慮に入れるとき、日蓮・天台・法華から、現日蓮信仰の是非を論ずるという段階的な考証の意義がぼやけてしまうという憾みを感じるわけです。

しかし、上述の整理は、ともかく苔泥塗れになって本体のみ得なくなっている日蓮聖人の本意、また、天台思想の原形、さらに解釈に振り回されない法華経そのものが説くところをまず闡明にしなければならないと私は考えてきました。

ただ、たしかに顕正居士さんが仰るとおり、「中古天台や富士派の教学は高く評価」されるだけの内容をはらみ人々を魅了してやまないものなのだと思います。それをそれとして、受容する信仰する在り方を、信教の自由からも否定してはいけないのかもしれません。ただ、「日蓮聖人の思想とは異なるものであるという立て分けが必要」であり、この後者の強調が現代の私の主要な書き込みの基礎となっています。

なお、博学篤信の志・顕正居士さんから「富士派教学批判にもおおく頷いております」などというお言葉を頂戴できることを汗顔の至りです。しかしながら、37にまとめられる中古天台、日蓮本仏論、日蓮思想、そして、顕教・密教のことなど、そのお考えの一端を拝され、浅薄な理解ながら、了納すべきところであると思いました。ご無礼の段、ご容赦いただければ有り難く存じます。

40川蝉:2002/04/28(日) 12:43
34 独歩さんへ。

>宗門教学史を背負って書かれるものもありますね。法華経を根本
>とすることが大切であろうかと思います。

仰る通りですね。
「涌出品」に
「まさに仏道を得たまいしとき、初めて発心せしめ教化示導して、阿耨多羅三藐三菩提に向わしめたりと云う」
とあるのですから、「初発心の弟子なり」の意は「上行等は釈尊によって発心させられた弟子」と解釈すべきでしょうね。

「文句」の「従涌出品を釈す」の項にも、また嘉祥大師の「法華統略」「義疏」を見ても、「久遠釈尊が初住位の時に教導した菩薩であるか、妙覚位を得てから教導した菩薩であるか」についての問題には触れていません。

上行等は、一番最初に本仏釈尊の弟子に成った菩薩であると受け取ることが、最重点で、釈尊の菩薩時期に弟子に成ったのか否かの検討は戯論なのかも知れませんね。

本化聖典大辞林の解説に有ったように、天台大師も
<初発心時便成正覚の初発心をば、十住の初めの初発心住と見て、便成正覚とは一分の無明を破し一分の法性を証するが故に、一分の正覚を成ず。>
と見ているので、初住位から教導出来るとすれば、久遠釈尊も初住位時に上行等を教導したのであろうと云う推論は可能ではありますね。

>ここらは本有で捌かないと駄目なのでしょうか。天台止観の
>無明癡惑本是法性。以癡迷故法性變作無明。

実のところ、この点について、まだ私も考えが纏まっているとは云えないので、深入りしたくない所なのです。

「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具、百界千如、一念三千なるべし。」(開目抄・学会版197頁)
「十界久遠の上に国土世間既に顕れ一念三千殆ど竹膜を隔つ」
(本尊抄・249頁)
と有りますね。
久遠釈尊に凡夫の時があって発心修行して初めて成仏したと立てると、いかに遠い過去であても無始の仏とは云えいので、本有仏界が無かったことになりますね。

もし釈尊が成仏した時点で、真の十界互具が成立するものならば、今世、ガヤの成道の時点でも真の十界互具が成立した云えることになりますね。しかし宗祖は「ガヤの始成正覚では真の十界互具が成立しない」と云う考えですね。

とすると、「無始と云われるほどの過去であっても始成正覚であれば、真の十界互具は成立しない」と云うお考えなのではないかと思われます。

本有仏界が無いと「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて」が成立しないので「真の十界互具、百界千如、一念三千」も成立しないことになりますね。
ですから本有十界の概念は極めて重要なものであることは確かですね。

もし釈尊が成仏した時点で、真の十界互具が成立するものならば、今世、ガヤの成道の時点でも真の十界互具が成立した云えることになりますね。しかし宗祖は「ガヤの始成正覚では真の十界互具が成立しない」と云う考のようですね。

とすると、「無始と云われるほどの過去であっても、迷いの衆生が始成正覚したものであれば、真の十界互具は成立しない」と云うお考えなのではないかと思われます。

>天台止観の無明癡惑本是法性。以癡迷故法性變作無明。

良い着眼だと思います。

41川蝉:2002/04/28(日) 12:44
独歩さんへ。続きです。
私は今のところ、この論点に関しては本化妙宗の山川智応居士と高橋智遍居士の所論を特に参考にしています。

山川智応居士の「開目抄研究」にある見解の意趣を紹介します。

<宇宙は一体のものであるが、その固有の活動には両面がある。すなわち法性縁起と無明縁起である。
法性縁起の活動を以て、宇宙の真実相を得たるものとし、無明縁起の活動は宇宙の実相を晦ますものとする。
両縁起が無始より法界即ち宇宙に固有し、各因果によりて活動する。
どうしても無始から絶えざる無明縁起の活動に対して、無始からの絶えざる法性縁起の活動というものがなければならぬことになろう。
その無始以来絶えざる法性縁起の活動を「三身常住三世益物」といい、その主体を仮に「本仏」と名付け、その無辺無尽の化導の跡を「六或示現」と名づけ、
本尊抄に、寿量品の仏をば「五百塵点乃至所顕三身 無始古仏也」とある。五百塵点と数が限られていれば、決して無始でなく、天台も「玄義」に「これより久しいのは東方五百塵点の国を過ぎるとあるを、四方を以て喩えとする」などと説いていらるる。しかし日蓮聖人はさように見ずに、無始を譬説せられたものとせられたが、その無始のはじめに「我本行菩薩道」したとなれば、やはりはじめから仏界があったのでなく、はじめは菩薩であったのではないかとの疑問があるが、それは無始の仏界無始の法性縁起の因行面をいったので、無明縁起から法性縁起に入らんとしたものではない>
(開目抄研究・304〜308頁)
と本仏の無始について論じています。

高橋智遍居士は
<無明と法性とが両方ともこの宇宙の始まりから活動しているんだ。という事を寿量品で説き明かされた。
仏様が本来この大宇宙に地獄界が動き出すと同時に仏界が動いている。
「至理に名無し、聖人理を観じて万物に名を付ける時」(当体義抄)とあります。「聖人理を観じて万物に名を付ける時」凡夫じゃない、聖人なんです。これが本仏なんです。
宇宙には法界を一貫した真理がある。その法界を一貫した真理が動き始まると、仏様という人格が出てくる。
我本行菩薩道というのは、久遠の仏がご自分のお心の中に持っていらっしゃる九界の心を浄化する、九界の心をば仏界化する事が、我本行菩薩道なんです。

この仏界所具の仏界はこれは本覚なんです。仏界所具の九界は覚用なんです。本覚はこれは本果です。覚用はこれは本因です。この本因が働いて本化の菩薩を教化したことなどが「我本行菩薩道」、こういう事になってくるのです。>
(昭和四十年五月大阪市成正寺にての講義速記録)

>どうして初住即妙覚の釈とつながるのか、わかりません。そもそ
>も「初住即妙覚の釈」とはいずれの出所を言うのでしょうか。

玄義の第五上で十住位を説明する部分に「華厳に云はく、初発心の時便ち正覚を成じ、諸法真実の性に了達す」と挙げられているからではないですか。

>“従果向因の教導”とは、どのような意味なのでしょうか。

すでに仏である本仏釈尊の修行は、喩えれば、すでに王位に在る王が国民の為の政務を行い、その善政を行えば行うほど、ますます王としての徳が具わっていくと云うようなものと云う事です。
「我本行菩薩道」の菩薩道とは、喩えると、一国民が王位を得るために努力するに喩えられるものでなく、既に王位に在る王が全国民の為に徳政を行う事に喩えられると云うことです。それを「従果向因の教導」と表現したのです。

『玄義私類聚巻』は読んだことがないので、『玄義私類聚巻』で云う「従果向因」の概念と同じか否かはわかりません。

お願い。引文はなるべく訓読でお願いします。それから巻数も添えて頂きたいです。漢文苦手なので。

42独歩:2002/04/28(日) 14:04

川蝉さん:

やはり、「本有」の問題となるのでしょうね。

少し、教学論から離れますが、私は法華経というのは初期大乗経典で、成立した頃、また、毘盧遮那(法身)、いわば無始の元初仏という思想背景はなかったのではないのかと考えています。法華経の製作者は無始ということは考えても、実際に仏に成る修行(菩薩道)と実際に常道した時(久遠五百塵点)ということをそれを非数であれなんで、規程せずにはおれなかったのであろうと思います。その際に寿量も非数であれ、表現上は有限ですね。ですから、久遠実成の釈尊は法華経で読む限り、有始有終である点は否めないと思います。

けれど、その後、元初仏思想が勃興してきます。時に法華論者は有始久遠仏を無始久遠仏、さらに無始無終と再構成せざるを得なくなった、そんな展開を私は初期天台文献に読み取るのです。まあ、ここで、この点を論じても始まりませんが、結局のところ、本有について言い出すと、天台前に遡らざるを得なくなります。裾野が広がりすぎて、日蓮教義からの当掲示板の主旨からはみ出すので、この辺にしたいと思います。しかし、天台教理と華厳・真言の関係などはたぶん面白いテーマなのであろうと思います。残念ながら、勉強不足ですが。

引用いただいた山川師の説明はわかりますが、高橋師の言うところは、私の嫌いな(笑)『当体義抄』の説明は、ちょっと頷けません。まあ、解釈として読むのは微笑ましいですが。

> お願い。引文はなるべく訓読でお願いします。それから巻数も添えて頂きたいです。漢文苦手なので。

済みません。私は天台の釈など訓読本をもっていません。ですから、すべて漢文でしか読んでいないのです。第一、延べ書きはそれ自体に思想反映があるので、あまり信用していません。しかし、判読が困難なものなどにはなるべく(勝手な)訓解を付すようにします、定型文化された訓読文は知りませんので。もっとも川蝉さんが「漢文が苦手」と仰るのは、他のスレッドでテーマになっている謙遜以外の何物でもないと拝察申し上げます。とともに、他のロムの方々へのご配慮であろうと。

あと、Libraさんにもよく言っていたのですが、そもそも宗派を背負う学者の研究は参考にすることはあるにせよ、基本的には読むのは退屈であると思っています。ですから、私は原典最優先で、原典に文献的・思想的に遡源できないものは、宗派や学説の都合と決めつける嫌な性格の持ち主です(笑)

まあ、そんな我侭者ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。

43顕正居士:2002/04/28(日) 18:02
>お願い。引文はなるべく訓読でお願いします。

注記でない、投稿の本文中の経論の引用は訓読を挙げましょう。「国訳一切経」に
主要経論が訓読されています。但し、原漢文はないので、訓読から文意をとれない
ことがある。「国訳大蔵経」は所収の経論は少ないが、原漢文が付記されています。
天台大師の三大部、妙楽大師の疏は宝地房証真の註と合して、訓点を施した本が
「天台大師全集」として刊行されていますが、今日、入手が困難です。

先考の訓点、訓読がない漢文を引用する際は自分で訓読しましょう。原文の意味が
分かって引用するのなら、訓読できるはずですから。

またWEBはハイパーテキストなのですから、本文中の引用を節約し、中華電子仏典
協会や、自分のサイトの資量にリンクを致しましょう。

日蓮遺文の問題箇所を引いたり、有名な経文(成句)を引く場合は漢文のままがよい
でしょう。

44独歩:2002/04/28(日) 19:08

ここの所、引用した文献の勝手な訓読です。違っている点はご指摘ください。(ただし、言い回し・成句を読み下すかどうかのような些細な指摘はその限りではありません)それぞれ既存の定型訓読に当たっていません。皆さん、このような資料を訓読でお読みになるんですか?

27

『法華玄義釋籤』1七番1標章
本門正意顯壽長遠。長遠永異故用比之。實相雖在迹門辨竟。今須辨同故今但取實相同邊。長壽祗是證體之用未是親證實相體也。

>本門の正意は壽の長遠を顯す 長遠永異の故に之を用比 實相は迹門に在り雖も竟を辨ず 今須く同じく辨ず故に今但實相の同邊を取る 長壽祗は是體之用を證し未だ是實相の體を證し親とせず也

28

『維摩玄疏』1五重玄通
五分證眞實即者。從初發心得無生忍至金剛頂四十一地皆名分證。所以者何。如華嚴經云。初發心時便成正覺。了達諸法眞實之性。所有慧身不由他悟。此是分證眞實即也。乃至十地等覺皆是分證。但有深淺之殊故有諸地階級也。

>五に分證眞實即とは初發心從より 無生忍を得るに至り 金剛頂四十一地を皆分證するを名づく 所以者何(ゆえんはいかん) 華嚴經に云く 初發心の時に便成正覺す 諸法眞實之性を了達し 慧身を有る所は他の悟に由らず 此は是 分證眞實即也が如し 乃至十地等覺皆是分證す 但 深淺之殊故 諸地階級有る也。

『法華玄義釋籤』
自本地眞因初住已來。遠鑒今日乃至未來大小衆機。故云本行菩薩道時所成壽命今猶未盡。豈今日迹中草座木樹方鑒今日大小機耶。

>本地眞因初住已來より 遠く今日乃至未來大小衆の機を鑒みる故に本行菩薩道の時 所成壽命今猶未盡と云う 豈 今日 迹中の草座木樹は方に 今日 大小の機を鑒みるや。

34

『摩訶止観』5善巧安心3
無明癡惑本是法性。以癡迷故法性變作無明

>無明癡惑本(もと)是法性 癡迷を以ての故に法性變じて無明と作る

『仁王護國般若經疏序』(仁王経の疏文と記したもの)
圓教初住成佛能百佛世界化衆生也

圓教初住成佛は能く百佛世界の衆生を化す也

45独歩:2002/04/28(日) 19:23

【44の訂正】

誤)證眞實即とは初發心從より 無生忍を得るに…
正)證眞實即とは初發心より 無生忍を得るに…

46顕正居士:2002/04/28(日) 21:30
>皆さん、このような資料を訓読でお読みになるんですか?

わたしの場合、この掲示板で経論を引用する際は、中華電子仏典協会のHTML版
を訓読して挙げており、訓読の本は見ていません。が、訓読の本に親しむことで、
訓読の力は付きます。独歩さんのは大意をはずしてはおりませんので、基礎的な
勉強をされれば、半年から二、三年で普通になる可能性があるかと存じます。

『釋籤』の文は

本門ノ正意ハ壽ノ長遠ヲ顯ス。長遠永ク異ルガ故ニ用ヒテ之ニ比ブ。實相ハ迹門ニ
在ツテ辨ジ竟ルト雖モ。今ハ須ク同ヲ辨ズルガ故ニ今ハ但實相同ノ邊ヲ取ル。長壽ハ
祗ダ是レ證體ノ用、未ダ是レ親シク實相ノ體ヲ證セザル也。

でしょう。

47独歩:2002/04/29(月) 00:01

顕正居士さん:

長壽祗是證體之用未是親證實相體也

長壽ハ祗ダ是レ證體ノ用、未ダ是レ親シク實相ノ體ヲ證セザル也。

とされますが、前半はよいとして、この文の成り立ちは

(1)“證”體之用
(2)“證”實相體

であって“證”が述語として使われているのではないでしょうか。それなのに、(1)では「證體」と成句と扱い、(2)では述語として扱われるのは、どのような理由になるでしょうか。

また、ここの説明は「體」を論じるのであって、先には(体の)用は証すが、実相の体は証していないという意味となっていると思うのですが、顕正居士さんの訓読で「證體ノ用」とされてしまうと意味が取れなくなる気がします。

「長壽はただこれ體の用(はたら)きは證しているが、いまだこれは實相の體は證していない」という意味ではないのでしょうか。(“親”は「したしく」か「まのあたり」か、どちらと訓ずべきか悩んだので「証するを親しくせず」という意味で最後に残しました。たしかに上手くありませんでした)

まあ、私は独学ですので、では3年ばかり普通になりたいと思います(笑)

48顕正居士:2002/04/29(月) 10:47
漢文に品詞はなく、字が並んでいるだけなので、訓点は日本語になるよう付ければ
よいのであります。「證體」のように二字はそのまま日本語になるが、「證實相體」
はならないだけです。「親」はルビあり環境なら、「まのあたり」がよいとおもいます。

この文の意味は。諸経と今経に異有り、同有り、異は兼帯、同は実相である。然し
「本門ト諸經ト一向二異ル」と云われているではないか?長遠は諸経と永く異るが、
それは體が殊なるのではない、體である実相は同じである、長寿は実相を証得した
上に備わるはたらきである、諸経は實相の體を辨じ竟っていないだけである。

長壽ハ祇ダ是レ證體ノ用、(諸部ノ円文ハ)未ダ是レ實相ノ體ヲ親リ二證セザルノミ。

>独学
漢文の訓読は今は誰も独学であります。古典はみな訓点を施した全集が出ている
ので。小生の経験では漢文の読解は原文、訓読文対照の本でなく、本文に訓点を
施した本がよい。幾らか学力が進むと現代中文も分ります。訓読の功徳莫大です。

49顕正居士:2002/04/29(月) 12:14
ところで。
>地涌菩薩の出現は(略)釈尊の成仏が伽耶始成ではなく、久遠成道を示すことに
>目的があります。
そうおもいます。釈尊は久遠の過去に菩提心を発し菩薩道を行じて仏になられたの
ではあるが、法華経は久遠の仏の実在を云わんとするのであって、釈尊の因行を
説かんとするのではないから、地涌菩薩は成仏已來久遠であることの表現である。
久遠発心から現等覚される迄の菩薩道は自行であり、菩薩道はみな利他の行では
あるが、仏としての計画的教化(化他)には含まれない、それは現等覚以降である
と解するべきでしょう。名字初心より教化が開始されるのはあくまで日本中古に独特
の説です。但し現等覚を妙覚に限れば、聖観自在も聖龍樹も自行の菩薩道の範囲
になってしまう。ゆえに現等覚を「初住」と判じるのであろうとおもいます。

「本地ノ眞因初住自リ已ニ來タ。遠ク今日乃至未來大小ノ衆機ヲ鑒ム。故ニ云ク、
『本行菩薩道時所成壽命今猶未盡』ト。豈ニ今日迹中ノ草座木樹方ニ今日大小ノ機
ヲ鑒ミン耶」

50顕正居士:2002/04/29(月) 20:43
仏と菩薩続き

「一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも末代の浅智なる法華経の行者の上下万人に
あだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり」
-松野殿御消息-
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso1378.html
の如き表現は日蓮遺文に少くない。初発心の菩薩も、広範の菩薩の用法から云って、
菩薩であることに疑いがない。しかし、初発心とは菩提心、即ち上求菩提・下化衆生
の誓願を発した意義であって、小善成仏の因というものとは異なる。誓願もちろん、
身口意に唱えて誓願となるので、口業のみで唱えたことにはならない。凡ゆる善行が
皆発菩提心の縁に成り得るけれど、発菩提心とは或る時に発すのである。いったんの
利益を信じて三宝を供養するのは発菩提心ではない。発菩提心は稀に起る、日蓮は
菩提心を発した稀有の聖者の一人というべきで、彼が自ら凡夫の菩薩と称するから、
そう理解するのは素直である。凡夫の菩薩と単の凡夫とに深淵があると解すべきだ。

「佛迦葉ニ告ゲタマハク。譬ヘバ人有ツテ初月ニ歸依スルガ如シ。
是クノ如ク圓月ニ而モ歸依セズ。迦葉。是クノ如ク我ガ子ニシテ其レ信力有ランモノ。
菩薩ニ歸命シテ如來ニ歸命セザレ。所以ハイカン。為レ彼ノ如來ハ菩薩從リ生ズ。
聲聞辟支佛ノ若キハ如來從リ生ジ。菩薩ノ如キニ非ザルガ故ナリ。
我今此ニ於テ頌ヲ説イテ曰ハン。
譬ヘバ此クノ如キ有情アッテ 初月ニ歸命ス。
是クノ如ク圓滿ノ月ニ 而モ彼ハ歸依セズ。
我子亦是クノ如ク 菩薩ニ歸依シテ。
世尊ニ歸向セザレ 為レ大智力ヲ具シテ。
如來ノ身ヲ出生スルコト 彼ノ聲聞ノ類ニ非ズ。
智慧微劣ナルガ故ニ 彼ハ如來依リ生ズ、ト」(宝積経)

51独歩:2002/04/30(火) 17:17

顕正居士さんが仰っていることが違っているというわけではありませんが、難しい説明ですね。

本門正意顯壽長遠。長遠永異故用比之。實相雖在迹門辨竟。今須辨同故今但取實相同邊。長壽祗是證體之用未是親證實相體也。

もう少し簡潔でよろしいではないでしょうか。

法華経本門寿量品の正意は如来の壽の長遠を顕わすことである。(五百塵点已来、そして、未来にはその今までの寿命にさらに倍するほどのものであることを顕わす。要するに、本門の正意というのは過去・久遠五百塵点、未来・復倍上数という如来の壽(いのち)の長遠である)

長遠という正意は(諸教と)永異なのでこれを用比(比すのに用いた)。
(十如)実相は迹門にあるといえども弁じおわっている。
いますべからく同じく弁ずべき故に今はただ、迹門実相と同辺と取る。
(けれども)長寿(=壽長遠)はただこれは体の“用”を証するばかりで、いまだにこれは実相の“体”ではまのあたりに証してはいないである。

本門・迹門、体・用を比較して証しているところなので、「証体」と残すと、“私には”わからなくなります。

なお、私は訓読は否定しているわけではありません。訓読が好きな方は、それを使われればよろしいでしょう。

> 「本地ノ眞因初住自リ已ニ來タ。遠ク今日乃至未來大小ノ衆機ヲ鑒ム。故ニ云ク、
『本行菩薩道時所成壽命今猶未盡』ト。豈ニ今日迹中ノ草座木樹方ニ今日大小ノ機
ヲ鑒ミン耶」

これは私の訓読よりずっとわかりやすいですね。

ただ、私はこの文中で、もっとも解説が必要なのは『本行菩薩道“時”所成壽命今猶未盡』の“時”の一字であろうかと思います。漢原文で残すのは不親切な気がします。
法華経原文では「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數」で言うまでもなく、「時」の一字はありません。それをあえて妙楽は補っているのです。つまり、この“時”によって大小の機を鑑みた時を寿量品の「菩薩道」の時と、妙楽特有の解釈となっている点を明らかにするために、こここそ訓読が必要でしょう。

> 名字初心より教化が開始されるのはあくまで日本中古に独特の説です

この点を明確にしたかったのです。すなわち、法華経の原意とは違うという点です。

仏菩薩を説明する為に「宝積経」を引用されると法華経の範囲で論じてきているので、多少混乱するように、私には思えます。

私は

(1)法華経原文ではなにが説かれているのか
(2)天台はそれをどう解釈したのか
(3)中古天台本覚思想ではどう変化したのか
(4)聖人はどう受用されたのか
(5)滅後の弟子はどう解釈したのか

を、分けながら論じませんと、混乱を来すと思うのです。

この点を明確に分別、指し示しながら、ご説明いただければさらにわかりやすくなろうかと思い、お願い申し上げるものです。

52独歩:2002/05/03(金) 22:57

○「本仏」の意味の変遷

(1)本仏とは寿量品の釈尊

法華経のなかに「本仏」という語彙は見出せません。
「本仏」という成句は、初期天台資料に既に見られます。

天台『法華文句』(9壽量品16)
如來者。十方三世諸佛二佛三佛本佛迹佛之通號也。
如來とは 十方三世の諸佛二佛三佛本佛迹佛の通號なり。

などと言い、その名を挙げますが、実際のところ、詳しい説明がなされているわけではありません。その解説はむしろ妙楽に拠ります。

妙楽『玄義釋籤』(15釋名蓮華)
開迹顯本即識本佛之所從生。
開迹顯本は 即ち 本佛之所從の生を識す。

つまり、本仏は迹仏に対する語であって、五百塵点成道の“釈尊”を意味するものでした。すなわち、伽耶・始成正覚の仏(迹仏)・寿量品三合論で顕わされる久遠成道釈尊(本仏)を言うわけです。つまり、迹を開いて本を顕わしたわけです。
本仏の意味は以上でした。ですから、純粋な用法に従えば、釈尊以外に当てはめるべき語でないことは、あまりにも明らかです。

実は日蓮聖人に、この語の使用はほとんど見られません。真蹟のみで追えば、

『大学殿事』弘安元年(1278)五七歳
日蓮が云はく、迹仏は長者の位、本仏は法王の位か

のみです。

(2)本仏と一念三千・自受用

「本仏」語に潤沢な意味を冠せられるようになるのは、やはり、中古天台本覚思想の、それも伝教に仮託された『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身」と、展開される凡夫本仏論によってです。

ここでネックになってくるのは一念三千と自受用身でしょう。日蓮本仏論に馴染んでいる人にとって、本仏・一念三千・自受用身は一つにまとめられる当然の原理のように考えられがちですが、実はこの“常識”が“操作”されたものであることに気付く必要があります。

実は天台・法華三大部には「一念三千」語の使用は見出せません。これを使うのは妙楽です。

妙楽『玄義釋籤』(4釋名三法妙)
止觀中不思議境一念三千非思量分別之所能解。是故立此不思議名。
止觀の中の不思議境一念三千は思量分別之所 能く解するに非ず。是の故に此の不思議の名を立てる。

また、「自受用」の使用も法華三大部には見られません。これまた、妙楽によります。

妙楽『玄義釋籤』(12釋名三法妙)
應身即水月者。諸水非一故。報身爲天月者。自受用報非多故也。
應身即水月とは 諸水は一に非ざる故。報身を天月と爲すとは 自受用報(身)は多に非ざる故なり。

以上のことから、つまり、天台には本仏観はあったけれど、少なくとも、語彙の用法としては一念三千も、自受用身もなかったわけです。そして、一念三千・自受用身は妙楽が展開したものであったということです。

53独歩:2002/05/03(金) 22:58

―52からつづく―

(3)次々に主語を奪う

さて、先に挙げた一念三千即自受用身から、さらに「出尊形仏」という一語をもって人法一箇というまったく新説を展開します。これは言わば連想ゲームであって、一念三千は自受用身で一つ、自受用身は尊い形を出た仏、すなわち人間、だから、人法一箇というわけです。まったく勝手な論理展開と言うしかありませんが、早坂鳳城師の指摘するところに拠れば恵心流口伝法門には天台本仏論があるといいます。すなわち、上述の連想ゲームで言いたいことは、天台と説かれた一念三千は一箇であるということです。すなわち、これが天台本仏論です。

日蓮本仏論者であれば、真上の記載を読み、「?」と思われることでしょう。つまり、上の説明は天台本仏を論ずるものではなくて、日蓮本仏を論じる基本理論であるからです。まったくそのとおりなのであって、つまり、寛師は上述の中古天台の解釈をすっかり“いただいて”天台を日蓮に置き換えて日蓮本仏論としたのに過ぎなかったのです。ただ、寛師の場合は、さらに一念三千を南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と言えば曼荼羅、曼荼羅と言えば、ただ弘安二年大曼荼羅(戒壇之本尊)とおまけをつけて、人法一箇とするわけです。

整理すれば、「本仏」は天台に見られます。この場合の用法は本門仏の意であって、久遠釈尊を意味します。日蓮聖人自体の用法はこの意味に限られています。
中古天台本覚思想において、まず天台本仏論が台頭し、それを真似て日蓮本仏論が形成されて行ったわけです。

重要な点は本仏は元々久遠釈尊を指し、そう言っていた天台を今度は本仏と言い、その釈尊・天台に従っていた日蓮を本仏というに至るという点です。
このようなことが正しい考え方であるとは、私には思えません。

54独歩:2002/05/04(土) 09:02

―53からつづく―

私は51に考証の5つの段階 (1)法華経原文ではなにが説かれているのか(2)天台はそれをどう解釈したのか(3)中古天台本覚思想ではどう変化したのか(4)聖人はどう受用されたのか(5)滅後の弟子はどう解釈したのか としたのですが、並びは以下のほうがよかったと思いました。それを用いて本仏義を整理すれば

(1)法華経原文ではなにが説かれているのか

法華経には「本仏」という語彙は見出せない。しかし、久遠寿量が仏の本当の姿であることが示されている(久遠五百塵点劫成道釈尊)

(2)天台はそれをどう解釈したのか

迹門で、十界、互具(百界)十如(千如)実相、本門で三妙合論(本因・菩薩道、本果・成仏、本国土・娑婆世界)によって三千成就、久遠寿量仏を闡明にし、本仏を説明した(ただし、一念三千は妙楽の説)

(3)聖人はどう受用されたのか

本覚思想との接点はあったろうが晩年に向かうほど、純天台志向を高めていかれた。恵心流口伝法門との接点は見出せない。本仏の真蹟上の出典は一ヵ所のみ、本仏は天台に同ずるのであり、本尊として本門教主釈尊を立てられた。

唱題立行を創案し、修行の肝要とした点で天台とは異なる。

(4)中古天台本覚思想ではどう変化したのか

妙楽によって固定化された一念三千を、自受用身と一体であるとし、さらに出尊形仏であるとし、無作三身は名字凡夫という凡夫本仏論を展開。口伝において天台本仏論を至極とした。

(5)滅後の弟子はどう解釈したのか

天台本仏を、今度は日蓮本仏とした。

55独歩:2002/05/04(土) 11:28

【54の補足と訂正】

元)(5)滅後の弟子はどう解釈したのか
補)(5)石山の滅後の弟子はどう解釈したのか

56独歩:2002/05/04(土) 14:02

○長遠永異故用比之

という一節は実に気になります。先に一般的な読み方を記したのですが、ちょっと、考えているところを、ここを備忘録として記させてください。

まず「長遠永異」の長・永は通常であれば対句に読めます。“長”は丈などの長短がながい様、それに対して、“永”は時間がながく遠いこと。いずれも“ながい”ことを意味して使われていますが、同じ字の重複を避けるために長・永が使い分けられているように見えます。(同じ意味をいくつ感じで表現できるかでその人の素養が計られる習いがあったわけです)

長遠は前文から如来の寿命が長遠であることが本門の正意であると知れます。永異(ようい)は永く異なる意で天台文献では多く散見できる熟語です。(初期天台61文献中78)
ここの文意は、さらに前段から諸経(権経)とその正意である如来寿長遠が永く異なっているという意味であろうと存じます。

以上を前提とするとき、

「故用比之」の“用”が気になります。そのために私は訓読で、あえて用比と残してきました。もちいる、はたらくと読むことが一般化されていますが、果たしてこれでよいのか? そのような疑問が私にはあるわけです。

ここの文脈は明らかに、権経:実経=迹門(用)・本門(体)となっているわけです。
つまり、長遠(実経)永異(権経)となっているわけです。
となると、故のあとの「用比之」の“用”は体用の用と読むほうが自然ではないのかと思えるわけです。つまり、「用を之に比す」。すなわち、権経と永く異なるので、(本門実相体の)用と之(権経)を比べるという意味ではないのかと思うわけです。

そして、続く段では、諸経(権)に対すれば実は本迹束ねて比べられるから、同辺に論ずる。けれど、さらに精しく言えば、長寿は、ただ体の用を証じるばかりで、実相の体を未だにまのあたりに証じてはないということとつながると思えるわけです。

ややこしいことを書いていますが、要するに「用比之」は「用を之に比す」ではないのかというのが言いたいところです。

57川蝉:2002/05/06(月) 09:42
独歩さんさんが53番に、

>重要な点は本仏は元々久遠釈尊を指し、そう言っていた天台を今
>度は本仏と言い、その釈尊・天台に従っていた日蓮を本仏という
>に至るという点です。
>このようなことが正しい考え方であるとは、私には思えません。

と云われていましたが、その通りのようですね。
「摩訶止観見聞添註」を見ると、
「粟田口心賀の義に云はく、玄義文句は在世の教味を假りて、一代の教相を判ず。故に法華の能釈なり。
止観は是れ大師の己心所行の法門にして、更に在世の教味を借らず。何ぞ法華の能釈と云うべきや。

況や身・土・説・機に就いて之を別つなり。則ち法華能説の教主は釈尊応身仏果、所居の土は同居霊山、所被の機縁は一代声聞植迂回道の類、色心二重移転を正機と為す、所説の法門は本迹二段の妙法なり。
止観能説の教主は自受用報身如来、所居の土は皆常寂光妙土、所説の法門は天真独朗の法体、本迹未分の内証、所被の機は直入円頓にして、本迹未分の頓機なり。
身・土・説・機、既に格別なり。いずくんぞ能釈ならんや。

止に云はく(一の一の二十五左)此の止観は天台智者、己心中所行の法門を説きたまう。と、己心中所行とは依経立行法に非らざるなり、法華の能釈に非ること験かなり。
此の旨を著さば、玄義文句には法華の言を安く。止観は摩訶と題して法華と書かず。
また玄義文句は法華の文を引く。或いは云はく此の経に云はく、或いは経に云はくと云う。止観は法華と云はくと、此の経を引かざるなり。此の如き等は、寧ろ己心所行止観は能釈にあらざる事を顕すに非らずや。」(佛教全書・摩訶止観見聞添註18頁)

「止観序(一の一の五右)に智者、大随等と云う。弘決(一の一の五右)に之を受けて云はく、智者の二字は即ち是れ教主、と。智者の二字、仏徳と全同なり、即ち此を以て三身中自受用身と為し、止観教主と云うなり。」
(佛教全書・摩訶止観見聞添註22頁)
等と論じています。

上掲の文のおおよその意味は、

「玄義・文句は法華経の解釈書であるが、止観は大師の己心所行の法門であって、法華経等の教説に基づいたものではない。故に法華経の解釈書ではない。
法華経と止観とは、
説き主(法華は応身釈尊・止観は自受用報身如来)、
説かれた場所(法華は同居の霊山・止観は常寂光妙土)、
説かれた法門(法華は本迹二段の法華経・止観は天真独朗の法体、       本迹未分の内証)、
聴衆の機根(法華は色心二重移転を正機・止観は本迹未分の頓機)  <色心二重移転を正機とは、種・熟と調熟された機根の意か。   川蝉注>
が異なっている。ゆえに止観は法華の解説書ではない。

(天台)智者の二字は教主という意味である。故に己心所行の法門を説いた天台大師の事を自受用身と為し、止観教主と云うのである。」

との趣旨の文です。
止観は法華経に依って立てた行法(法門)ではなく天台大師己心所行の法門であるから、大師は止観の教主であり、自受用身なのであると云う主張のようですね。

創価学会・佛教哲学大辞典を見ると、
「釈尊は色相荘厳の仏身であり、・・所説の本迹二門は迹中に説く理上の法相」(343頁中段)

「インド応誕の釈尊は久遠元初の自受用身に対すれば応仏昇進の自受用身」(同343頁上段)

「日蓮大聖人は・・久遠元初の自受用身の再誕であられ、・・(対象は)末法の独一本門の直機」(同280頁下段)
等と有って、
釈尊は応仏昇進、日蓮大聖人は久遠元初の自受用身の再誕。
釈尊の所説は本迹二門の法華経、日蓮大聖人所説は独一本門。
釈尊の教化対象は種熟を経て調熟された脱益の機、日蓮大聖人教化の対象は末法の独一本門の直機。
と云う違いが有るとしていることが分かります。

日蓮大聖人は、釈迦が説かなかった妙法五字を説いた故に本仏であると云う論理と、「摩訶止観見聞」に見える、止観は法華経に依っていないと云う立場や、法華経には依らずに己心所行の法門を説いた天台を自受用身と見る論理と極めて酷似していますね。

「止観は法華より勝れている」と云う思想や「観心の釈の時には本迹を捨てる」と云う思想は、宗祖が「立正観抄」において厳しく否定されています。(立正観抄は身延三世日進の写本があるので、確実な御書といえるでしょう)

58独歩:2002/05/06(月) 12:48

川蝉さん:

『摩訶止観見聞添註』、止観勝法華劣、天台勝釈迦劣、さらに天台を自受用という典型的な資料を挙げてくださりまして、有り難うございました。

しかし、実に魅惑的です(笑)

現代も昔も、解釈だけで学んでしまうと原文も解釈どおりの意味が書いてあると思ったり、また実際に読んでも、そのような解釈どおりの意味で読んでしまう習慣が身についてしまうものですね。怖いことだと思います。

法華経を信じていると言いながら、実は信じているのは“解釈”のほうであるという主客逆転が起こるのでしょうね。

このトリックに気がつける飛躍的に理解力は開かれるのですが、それぞれ自派の解釈にしがみついてしまう悲しさがあります。

それにしても整理された川蝉さんの学識には改めて敬服いたすものです。

60犀角独歩:2003/01/29(水) 13:41

最近また、日蓮本仏論が議論のなかで見え隠れしておりますので、この点に一言だけ、申し上げます。

私は現行いわれる本仏論は本仏論と言うより、原初仏論であろうかと思います。

岩本師は以下のような非常に興味深い分析をしています。

「『法華経の立場』 大乗仏教に至って原始仏教の無神論的性格は破棄され、ブッダが神格化され、、歴史上のブッダの個性は消滅していったのであり、その完成された形に於いて、世界は「独立して存在する」(スヴァヤム=ブー)本源的な仏であるアーディ=ブッダ(原初仏)から現出するとされた。われわれの『法華経』は嚮に述べたように、大乗仏教の新しい倫理を説き、また仏をスヴァヤム=ブー Svayambhu (自然に生じた者)として讃歎しながらも、未だシャーキャ=ムニ(釈迦牟尼仏)が第一の地位を占めており、しかも幾千万億の仏や求法者(菩薩)たちに取囲まれているのであって、ここでは歴史的なブッダの姿は未だ完全に消滅していないことが知られる。また、その哲学説に於いても、ブッダが説いた縁起説を超克して、「空」の思想によって包摂しようとしているが、なお未だ一元的な観念論に到達していないのである」(『法華経・上』岩波文庫 P371)

以上の岩本師の言で法華経が到達しえなかった一元的観念論(観念論という表現の適不をいまは論及しませんが)における大乗仏教が構築した仏はまさに「原初仏」であったのであろうと思われます。

石山に添って記せば、有師における日蓮本尊論は凡夫、未断惑を、師・本尊とする類の日蓮崇拝であったのが、寛師に至っては釈尊再誕日蓮となります。この二つの日蓮崇拝の在り方は明らかに異なります。また、これらと伝眼師の言とされる「日蓮本仏」とはまた趣を異にしています。しかしそれでも劣を簡んで勝を立てる勝劣相対に基づく、仏の選定であるのでしょう。つまり、これは真偽未決の『本尊問答抄』「本尊とは勝れたるを用ふべし」という勝劣論の延長にあるのでしょう。

つまり、、通じて富士周辺で論じられた本仏観はいわゆる相対論なのであって、迹仏を簡び本仏、迹門仏を簡び本(門)仏、垂迹仏を簡び本(地)仏、権仏を簡び本仏という相対観で本仏を選んでいます。

ところが学会が生命論を言い出し、その影響を受けた石山教学はその相対観として本仏論から一歩進み、むしろ、原初仏思想になっている点を看過すべきではないと私は考えます。このような仏観はしかし、法華経というより、それ以降の大乗仏教の要素が加味されているのであろうと思います。

妙法蓮華経を宇宙真理と見做し、それを無始已来体現するという類の仏観は、本仏というより、原初仏というほうが相応しいと思えます。

なお、原初は当初(そのかみ)より、さらに原初的であると私は思います。
『三世諸仏総勘文教相廃立』に

釈迦如来五百塵点劫の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき

という「当初」より、真跡遺文にただの一度も表れない「元初」に「原初」は近いのでしょう。総勘文抄では即座開悟の有限をいうのに対して、日蓮を「無始無終の仏」とする学会・影響下の石山教学は超越的であり、ここでは相対観は既になく、一元的な原初仏となっています。

原初仏は、元初仏と換言が可能なのかも知れません。いずれにしても、現在の日蓮本仏はすでに寛師の本仏論とは違うものになっている点は一考を要することを指摘しておきたいと思います。

61今里祐二:2003/01/30(木) 04:02

富士門流の教義とは日蓮大聖人の「言」に拠って成り立っているのか?

『聖人御難事』にはこのようにあります。
『仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其中の大難申す計りなし。先先に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各各かつしろしめせり。』

『出世の本懐』がどのような事柄を指すのかという議論はさておいて、弘安二年十月頃、大聖人様は、釈尊が法華経を説いたことに匹敵するような、大聖人様御自身が心の底から満足できるような何事かをされた、という事は疑い様の無い事実だと思います。

僕は、富士門流の教義とは、この大聖人様の『出世の本懐』を拠り所にして成り立っている教義だと考えますが、いかがなものでしょうか?

御書を文底読みしたり、例え真筆であっても信仰に対して益が無いと判断されるものは削除するという態度に、そのことが如実に表れていると思います。

有師・寛師・そして現代と、大聖人様の仏としての格付けはドンドン上がっていき、解釈という意味での変遷(進歩?)はありますが、『出世の本懐』を拠り所としている点については変節は無い様に思います。

浅学ゆえ、上記のような考え方で良いのかどうか解りません。どなたか御教示下さい。

62アネモネ:2003/01/30(木) 13:04
今里さん

こんにちは。お久しぶりです。
私はご教示は出来ませんが、少し疑問に思うところがありましたので、レスいたします。

>『出世の本懐』がどのような事柄を指すのかという議論はさておいて、

とのことですが、

>富士門流の教義とは、この大聖人様の『出世の本懐』を拠り所にして成り立っている教義だと考えますが

という以上、大聖人様がご自身の『出世の本懐』を何と考えておられたかは、非常に大事な問題だと思います。そこを厳密に捉えなければ、拠り所にして立つことはできないと思われます。

そこで、私からまず今里さんに質問させて頂きたいのですが、
『聖人御難事』は、弘安二年十月一日に御執筆されているわけですが、ここでは「余は二十七年なり」と記されて、日蓮聖人はこの時点で既に出世の本懐を遂げられているものとして書かれているように私には読めるのですが、今里さんはそのへんはどのように読んでいらっしゃるのでしょうか。
さらに、戒壇の板曼荼羅の日付は十月十二日ということで、この書を書かれた日付よりも後のことになり、辻褄が合わなくなると思うのです。私の読みが間違っていないとするならば、今里さんは、日蓮聖人の出世の本懐は何になると考えていらっしゃるのでしょうか。

この御書には出世の本懐を示す「大難」ということが説かれているかと思うのですが、私は、日蓮聖人にとっての大難は、やはり龍の口の法難から佐渡流罪にかけてのことだと思われるところです。とすると日蓮聖人は、ご自分の出世の本懐を龍の口の法難から佐渡流罪にかけての大難と考えられていたのではないかと、それこそ浅学ながらそう思うのですが…。どうでしょう。
もちろん日蓮聖人は熱原の法難に際しては、自分の難として、つまり同苦の心で向き合われたこと拝察されます。しかしこの熱原の大難を受けている中心的存在は、やはり熱原の信徒たちと捉えるのが自然なのではないかと感じます。
それこそ間違っているならば、ご指摘頂きたいと思います。

63アネモネ:2003/01/30(木) 14:40
>62
私の書き込み、少し不十分ですね。
「余は二十七年なり」という年数を立宗の年から計算すると、龍の口の法難から佐渡流罪の年は合わないですね。
やはり、熱原の法難のこの年になるのでしょうか。
失礼いたしました。私もご教示を、お待ちします。

64今里祐二:2003/01/31(金) 03:00
アネモネさん

>大聖人様がご自身の『出世の本懐』を何と考えておられたかは、非常に大事な問題だと思います。

アネモネさんの仰るとおり、非常に大事な問題だと思います。
しかし、現存する史料では確認できないため、いろいろな議論が際限なく続けられていくのでしょうね。

>辻褄が合わなくなると思うのです。

僕も少し辻褄が合わないかな…、という気もしますが、在家信徒の身分では調査のしようも無いので、この点については、御法主上人の御指南に従えば良いと考えています。

※この点とは、『出世の本懐』=『戒壇の大御本尊』という事です。

65犀角独歩:2003/01/31(金) 08:58

「本懐」については、過去2年間で200回にも及ぶ議論がありました。
にもかかわらず、相変わらず、板漫荼羅が本懐である等ということが取り沙汰されるとは思いませんでした。
皆さん、過去ログをご参考ください。

69今里祐二:2003/01/31(金) 14:07
日淳上人の御指南です。

『大聖人の三大秘法は本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目とでありますが、此れをつづめますと本門の本尊の一大秘法になります。戒壇も題目も御本尊によって起ってくるからでありまして乃ち御本尊に具つてをるところであります。しかしてまた三大秘法を開きますと六大秘法になりまして本門の御本尊は法と人とになり、戒壇は事と義となり題目は信と行とになるのであります。三大秘法を開合致しますとかようになるのでありますが、三秘のところを至極とするのであります。此の三秘の関係はまことに重要なことで、此れを誤ると大聖人の御法門を正しく拝することはできないのであります。世間では大聖人の教は題目にあらせられると思つて題目を主として御本尊を忽かせにする者が多いのであります。多いどころではなく皆左様に考えてをりますが、此れがために大聖人の教をはき違えるのであります。元来かような考へは南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして宇宙に遍満する妙法の理が題目であるとするからであります。此れは大変な誤りで南無妙法蓮華経は仏身であります。即ち法報応三身具足の当体であらせられ報身中に具し玉ふのであります。妙法の理は天地の間にありましてもそれは理性であります。実際には仏の御智慧にのみ厳然として具はり玉ふのであります。その仏は十方法界に唯御一人在ますだけであります。そうしてその仏が衆生を正しく御導き下さるのであります。世間で日蓮大聖人の宗旨であると自称してをる一般の宗門では御本尊の首題の下に自分の名を記して授与してをりますが、飛んでもない大非法であります。恐らく此れは南無妙法蓮華経と唱ふるものは法華経の行者であると考へて大聖人と同じ思ひをするからでありませう。凡そ法門に於ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄ヘ堕ちることになります。日蓮大聖人は「総別の二義を違えば成仏思ひもよらず」と仰せられてありますが、此れは行人の最も心ををくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯御一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば妙法を信受するほどのものは行者といえますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであって畢竟唯御一人の仏に対しては凡夫であります。かえすがえすも此のところが肝要であります。かようでありますから仏の所有なされる妙法即仏身たるところが根本でありまして、その御本尊を信受し奉る上の修行が題目になるのであります。すでに仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。』(日淳上人全集『日蓮大聖人の教義』)

70犀角独歩:2003/01/31(金) 14:12

↑こんなの石山人を通過していれば、誰しも知っている話。
 その批正を考えてるわけですね。

71犀角独歩:2003/01/31(金) 14:26

> …南無妙法蓮華経と唱ふるものは法華経の行者であると考へて…

淳師は、こんなこと言い切っていいのかね。
私は真跡だと思わないけれど、『諸法実相抄』に

 いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとを(通)り、日
蓮が一門とな(成)りとをし給ふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩
薩たらんか。地涌の菩薩にさだ(定)まりなば釈尊久遠の弟子たる
事あに疑はんや。経に云はく「我久遠より来(このかた)是等の衆
を教化す」とは是なり。末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は
男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき
題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人
百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是あ
に地涌の義に非ずや。

と、あります。

72仲村 英彰:2003/03/22(土) 18:18
略 貴HPはスッゲーです、、。 その辺の「ナマクサ坊主ども」がみたならば、ビックリ・ヒョウタン島に到着でしょうか、、??
 ワシは、30年間「池田独裁の洗脳」にだまされ「正信会に数年在籍」したが、双方の「ニセ本尊」に見事に「一杯喰わされ」たくやしさから「宗教はもうコリゴリ」と分かった。
 先年のNHKドラマ”時宗”で「日蓮」の「ド根性」に感銘した。 店頭で立ち読みした「日蓮入門」(筑摩新書)の119ページの「真筆本尊=三島妙法華寺」の写真にはドッキリ、。
 始めて「ホンマモノの本尊」を見た。そして「観心の本尊抄=いかなる本尊を心に思い浮かべて”心で観る”か??」について、の解釈には驚愕した、。
 「ホンマモン」を求めて「三島の妙法華寺」を訪問した。 が「窃盗団被害で”新規募集停止中”」と相手にもされなかった、、。 寂しい、。 大阪市:仲村 拝。

73問答迷人:2003/03/23(日) 20:03

仲村英彰さん

はじめまして。書き込み有り難うございます。すこし、ご質問させていただいて宜しいでしょうか?

>双方の「ニセ本尊」

とは、具体的にはどの本尊とどの本尊を指しておられるのでしょうか。

>「観心の本尊抄=いかなる本尊を心に思い浮かべて”心で観る”か??」について、の解釈には驚愕した、。

「日蓮入門」(筑摩新書)に書かれていることなんでしょうか。仲村さんが驚愕された内容をご披露戴けませんでしょうか?「観心本尊」についてどのように述べられているのでしょう。

74仲村 英彰:2003/03/26(水) 22:52
前略 どうも。 ニセ本尊=日蓮真筆以外のもの、でしょうか、、。真筆本尊を始めて「御拝見したときは、コレがホンマモノ」かとビックリしたものです、。それまでが「似せたニセモノ」だと「一目瞭然」に判明したからです、。 すくなくても予字や他字を含まないモノでしょう、、。
 観心=心に思い浮かべて「心で観る」事の可能な限りとは=ワシにも良くわかりません、、が、、。
 日蓮サンは「後生の民への本尊とは??」には「少なからず不親切」かとぞんじます、、。 早々、。

75みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/03/27(木) 00:33
観心は、「心で観る」ではなくて、「心を観る」だと思いますが。

76仲村 英彰:2003/03/28(金) 19:45
みかんさん: ご指摘ドウモ、、。 漢文の素養不足でした、、。 「英文のガワノオニ」の範疇でしょうか、、。?
 日蓮サンが主張したかったのは「本尊の核心をのべるので、その核心をとらえよ、、」と言うことかと存じます、。
 因みに「開目抄=諸人よホンマモンの仏法に”目をバッチリ開けて見よ”」ということを言いたかった、と存じまするが、、??
 しかしながら、諸人は「サッパリほとんど理解も不可のよう」でした、、。 誰が「理解不足」をたすけたのでしょうか、、??
 日蓮はバッチリ「断言」しておるのに「不伝」とは、これは誰かが荷担か?? ホンマに「難儀」デンナー、。 早々。

77その辺の寅五郎:2003/03/31(月) 21:49
はじめまして、 いろいろとご参考になります。時に、ネットの http://www.lbis.jp/gohonzon/を偶然に知り検索したところ「日蓮真筆本尊=120数体」の御写真付きで公開中です(仰天)。  文永〜弘安のあいだの「筆跡の御変化」はございますが、必ず「日付か宛名か、その双方かが存在」しておるのは仰天でした、。やはり「ホンモノ」は「ソンジョそこらのニセモノ」とは「天地雲泥の差」を実感しました次第です、。 ただ「ホンモノ所持の寺院に”日蓮の御精神”が今でも、いかほど存在中」かは「全く不明」ですが、。今まで、ニセモノばかり「拝まされてきた方々」には、御関心大かと存じまするが、。 そこで、短絡的に申せば「日付けや宛名」もない「その辺のニセモノ」よりも「これらHPより真筆を印刷し拡大コピーして額縁に入れての内得信仰の方が、よほど現実的」かと、、??」ぞんずるが、、。 自分だけなら「著作権侵害」には不該当かと、。 ただ「真筆所持の寺院は不収入なので御不満が残るでしょうか、。

78アンタッチャブル:2003/04/15(火) 23:30
日蓮正宗が、法論で顕本法華宗に負けおったくせに、また事実をねじ曲げて喧嘩を売ろうとしてまんがな。
詳細は http//www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/
あんさん方も、少し客観的な物事を考え方を持ちんしゃったら、どうやろか。

79アンタッチャブル:2003/04/15(火) 23:33
あかん。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/ やった。

80求道者5963:2003/04/23(水) 22:02
ご参考になります、、。 本当に「日蓮サマ」の教えは「難儀」でございますナー、、。
 「速やかに、成就する”仏の境涯”の為に、、」という=法華経如来寿量品16」の「肝心のカナメ」はいずこへ行きしなさったのでございましょうか、、??
 「未だに”どういう本尊サマ”に合いたいして、どういう”修行”を貫徹すれば”真の成仏”なるものを体感、体得=体現を可能、、??」なものでしょうか、、、???
 どなたか、お教え下さいませ、、、??

81求道者5963:2003/04/23(水) 22:03
ご参考になります、、。 本当に「日蓮サマ」の教えは「難儀」でございますナー、、。
 「速やかに、成就する”仏の境涯”の為に、、」という=法華経如来寿量品16」の「肝心のカナメ」はいずこへ行きしなさったのでございましょうか、、??
 「未だに”どういう本尊サマ”に合いたいして、どういう”修行”を貫徹すれば”真の成仏”なるものを体感、体得=体現を可能、、??」なものでしょうか、、、???
 どなたか、お教え下さいませ、、、??

82みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/04/24(木) 00:46
>>[buenos1939@ybb.ne.jp]さん。

ハンドルを統一していただけませんか。多重ハンドルは好ましくありません。

83愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 13:02
皆様初めまして。時々この掲示板で勉強させて頂いています。
創価学会不活動家をやっていた愚鈍凡夫です。
本仏とは衆生に仏種を下種する仏のことだと思いますが、この仏種とは、
「若人不信。毀謗此経。則断一切。世間仏種。(若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん)」(「妙法蓮華經譬喩品第三」)
とあることから、法華経のことと理解してます。
この法華経を日蓮聖人は、
「法華経は即ち釈迦牟尼仏なり法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世なり」(「守護国家論」)
と記されています。そして、
「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(「報恩抄」)
とあります。
従って、本尊を「本門の教主釈尊」、行法を「法華経の題目」としたことで、出世の本懐は満たされていると考えていいのではないでしょうか。
もしよければ、どなたか御教示下されば幸いです。

84無明者:2003/04/29(火) 18:04
、、、::、、御同感いたします、、、。。サスガ、、、深い「かなりの教学力と深い洞察の御方かと存じまする、、」 。 御免。

85ガンコ:2003/04/29(火) 18:17

愚鈍凡夫さん、はじめまして。わたくしガンコ(=あほう凡夫)と申します。

あなたは名前に反してなかなかの使い手ですね。わたくし、論旨明解なる文章にあこがれてまして、あなたの文章を好ましく感じました。

さて、内容ですが・・・

>本仏とは衆生に仏種を下種する仏のことだと思います

これは大変わかりやすい。当然、学会員でしたら大聖人を下種の本仏と教わることと思いますが、いまは学会を卒業されたのみならず「日蓮本仏論」をも卒業されちゃったようですね。

>この仏種とは・・・法華経のこと
>法華経は即ち釈迦牟尼仏なり

わたくしなんかは短絡的に人法体一を思い浮かべてしまうんですけど、いまのあなたはどうなんですか?

>出世の本懐は満たされていると考えていいのではないでしょうか。

ヘンな話ですが、わたくしはまたも短絡的に出世の本懐というと仏様の御振舞いを想像してしまうんです。

あなたは謙遜で愚鈍凡夫と仰せなのでしょう。わたくしは正真正銘のあほう凡夫ですから、どうかこちらこそご教示ねがいたく存じます。

86愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 20:21
無明者さん、恥ずかしいです。
ガンコさん、新参者が生意気言って済みません。
先の「守護国家論」の文証は、
「自我得仏来。所経諸劫数。無量百千万。億載阿僧祇。常説法教化。無数億衆生。令入於仏道。爾来無量劫。為度衆生故。方便現涅槃。而実不滅度。常住此説法。(我仏を得てより来、経たる所の諸の劫数、無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて、無数億の衆生を教化して、仏道に入らしむ。爾しより来無量劫なり。衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず。常に此に住して法を説く)」(「法華経如来壽量品第十六」)
此の文証を依文としていると思うのです。
法華経の法味は未だ尽きずという意味と捉えています。
小生、『人法一箇』という仏法用語が最後まで馴染めませんでした(よく、それじゃアインシュタインと相対性理論は而二不二の関係にあるのかと、屁理屈をこねて学会幹部を困らせていました)。
仏法は、釈迦牟尼の悟達した内容を説いたものであるでしょうが、釈迦牟尼自身と一体不二の関係にあるとは思えなかったのです。
正直言って今は、「本門の教主釈尊」が仏像なのか、仏画なのか、それとも十界勧請の曼陀羅を指すのか、分かりません。
出世の本懐の件は、
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
とあるものですから、仏陀のみに許される用語とは思っていません。人師論師に使用しても差し支えないと思っています。
現時点ではこのように思っています。

87ガンコ:2003/04/29(火) 21:17
ご教示ありがとうございます。

わたくしが出世の本懐で想像したことは、ご指摘の御書ともうひとつ、崇峻天皇御書でした。あまりにも有名ですが、「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ」と。

聖人御難事で大聖人御自身が出世の本懐をおおせらる段において、釈尊の例に止まらず天台伝教を加えたまうは仏にあらずといえども仏にじゅんずる者とお考えなのであろう、顕仏未来記の「三国四師」との御表現からもそんな風に考えるわけです。
また、「余は二十七年なり」を強調するためには例示を多く遊ばしたほうが効果的とも思えます。

わたくしが言ってるんじゃ説得力ありませんけどね。

88愚鈍凡夫:2003/04/29(火) 22:52
ガンコさん。言葉が足りなかったようで済みません。
小生は、「出世の本懐」を、この世で果たさんと決意した使命と捉えています(我見ですが)。
そこで、釈迦牟尼を想う時、
「我本誓願立。欲令一切衆。如我等無異。如我昔所願。今者已満足。(我本誓願を立てて、一切の衆をして、我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき。我が昔の所願の如き、今者已に満足しぬ)」(「妙法蓮華經方便品第二」)
この文証の「如我等無異」がいつも思い浮かぶのです。
日蓮聖人も同じ想いであったと思います(天台大師・伝教大師も同じ想いであったと推察します)。
日蓮聖人が「仏の振る舞ひ」ではなく、「人の振る舞ひ」と表現されているのは、このような理由からだと思います。
時機相応の成道の法を説いた人師論師ですから、「聖人御難事」の文証と「崇峻天皇御書」の文証とは、角度を変えて論じたものと思っています。
言葉が足りなくて申し訳ないです。

89ガンコ:2003/04/30(水) 00:24
>言葉が足りなかったようで済みません
>言葉が足りなくて申し訳ないです

いえいえ、とんでもございません。わたくしのほうがよっぽど舌足らずですもの。

90ガンコ:2003/05/02(金) 18:32

愚鈍凡夫さん。

しつこいようですが、今一度ご教示ねがいます。

あなたは報恩抄の御文を引用せられて、出世の本懐は満たされているとおっしゃいました。
・・・すると、年代的には建治二年を本懐成就の年とお考えなのでしょうか?

聖人御難事の仰せからすれば、弘安二年は動かし難いと思うのですが・・・

もし「本門の教主釈尊を本尊とすべし」を依文とするならば、すでに開目抄・本尊抄等にその意味内容は説示せられています。しかるに「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」と仰せられるのは、大聖人は御本尊の説明を遊ばしたけれども、いまだ(本尊抄御述作の時点では)一閻浮提第一の本尊は顕して居られないということでありましょう。
ゆえに報恩抄においても、御本尊の説明だけ遊ばして、実際には一閻浮提第一に相当する本尊はいまだ顕されて居られない、と思うのです。
よって出世の本懐は、この時点ではいまだ満たされていないのではなでしょうか?

出世の本懐にこだわって申すならば、やはり弘安二年以外にはありえない、という意見です。

91愚鈍凡夫:2003/05/02(金) 21:02
「聖人御難事」の文証を再度引用しますと、
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
これは文面から言って、それぞれ「九横の大難」、「南三北七」、「南都六宗」を指していますね。大難に遭ってこそ「出世の本懐」は遂げられるとの御教示と拝します。そして、御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います。
そこで、
>出世の本懐の件は、
>仏陀のみに許される用語とは思っていません。人師論師に使用しても差し支えないと思っています。
との意味で引用しました(愚鈍ですので説明が下手です。悪しからず)。

「此の時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(「観心本尊抄」『昭和定本』平成三年増補改訂版)
学会版は故意に読替えをしているので、日蓮宗版から引用します。ガンコさんが引用されているのはこの文証ですね。
ガンコさんは、蓮祖は1279(弘安2)年10月12日に「出世の本懐」を遂げられた。といいたいわけですね。例の疑惑の「戒壇之本尊」をもって「出世の本懐」としたいわけですね・・・・・。
「本門の教主釈尊」を本尊としたのですから、「一閻浮提第一の本尊」であることは間違いないのじゃありませんか。
ただ、曼陀羅にこだわりますと、本尊抄述作以降の曼陀羅といいますと、1273(文永10)年7月8日の「佐渡始顕本尊」となりますが、「報恩抄」が1276(建治2)年ですから3年前ですね。
しかし、前にも記しましたが小生には、それが仏像(仏像群?)なのか、仏画なのか、十界勧請の曼陀羅なのかわかりません。よければ御教示下さい。
>小生は、「出世の本懐」を、この世で果たさんと決意した使命と捉えています(我見ですが)。
という考えなので、蓮祖の場合も何れかの時点ではなく、人生という線の中で考えています。

これで答えになっているでしょうか。

92愚鈍凡夫:2003/05/02(金) 21:13
>しかし、前にも記しましたが小生には、それが仏像(仏像群?)なのか、仏画なのか、十界勧請の曼陀羅なのかわかりません。よければ御教示下さい。

とは、「本門の本尊」がという意味です。
悪しからず。

93ガンコ:2003/05/03(土) 19:08

どうもどうも、大変お返事が遅くなりました。

あなたは早打ちでいらっしゃるし、おまけに昭和定本をお使いになられるなんて、もはや、わたくしがお相手じゃ不足かと思いますが、よろしくお付き合い願います。

わかりやすい言い方をすれば、弘安二年は到達点なのか、それとも通過点なのか、ということだと思うのです。
すでに先読みなさっていらっしゃいますが、仰せのとおり、わたくしは大曼荼羅信仰者であり、ことに弘安二年十月十二日の御本尊を本懐中の本懐と教育されてきたのでした。
ですから、当然そこに帰結するような論の運びをするにちがいない、と皆さん見ていらっしゃるだろうことは承知しています。
しかし、そんなに欲張るつもりはないのです。

今わたくしが興味を持っていることは、聖人御難事の「二十七年」が到達点を意味するのか、たんなる通過点なのかということです。
これはそれぞれの言語感覚によってちがって読めてしまうものなのかもしれませんが、わたくしには到達点を仰せられたものと読めます。
もちろん、“たとえおまえが素直にそう読めたとしても、それは洗脳されているからだ”と言いたい方もいらっしゃるにちがいありません。
ただ、逆のことも言えるのではないかと思うのです。
「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、・・・」
つまり、素直に読んでしまうと条々事に符合してしまうから、これでは他門流は面白くないでしょうから・・・なんて書いていると喧嘩売ってるように思われそうですが、これがわたくしの正直な考えです。

>蓮祖の場合も何れかの時点ではなく、人生という線の中で考えています。

おそらくこれが世間一般の妥当な評価方法なのだと思います。たとえばここにベストセラー作家がいるとして、よく聞くセリフですが「私はこれを書くために生まれてきた」なんて言ったりします。しかし作家の正当な評価というのは、おおむね没後に定まるわけです。つまり、研究者が作家の全作品を詳細に検討していってから定まるのです。
つまり、作家本人がいくら作品を自画自賛しても本当の評価は時間が経ってみないとわからないという面があると思います。
であれば、日蓮大聖人の御一代を俯瞰して、出世の本懐は満たされている、と拝する方法もあることでしょう。

>「本門の教主釈尊」を本尊としたのですから、「一閻浮提第一の本尊」であることは間違いないのじゃありませんか。

ええ、そうですね。いわばここが本宗にとってはネックになっているところかと思います。
わたくしにいい考えがあるわけではありませんが、おっしゃるとおりに本門の教主釈尊が一閻浮提第一の本尊だとして、それは建立されたのかどうかです。
大聖人の時代には建立されなかったとすると、おそらく永遠に顕れないでしょう。
つまり、仏像も仏画も不可能であろうと思うのです。
消去法でいけば御文字の御本尊しかありえないのではないか、と考えています。

94愚鈍凡夫:2003/05/03(土) 20:29
ガンコさんどうも。こちらこそ宜しくお願いします。

小生、喧嘩を売るつもりでこのスレッドに書込をしたわけではありません。
「本門の教主釈尊」とは目に見える形にした時、どのようなものなのか、それがわからないから、皆様のお知恵を拝借したくて書込をしたのです。
そして、問われたから小生なりの意見を述べただけで、ガンコさんと問答をしているつもりもありません。

小生は、1279(弘安2)年という年を特別視していません(『熱原の法難』という、信徒に直接大難が降りかかったという意味では特別なのでしょうが)。

「一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相傳す。本門寺に懸け奉るべし」(「日興跡條條事」)
まず、この「日興跡條條事」の真偽問題があります。そして、「弘安二年の大御本尊」とは本当に「戒壇之本尊」を指すのかという問題があります。
小生は、「戒壇之本尊」を後世の偽作と信じていますので、上記の疑問点は何れもNOです。
それと、小生が問題にしているのは、物理的に可能不可能の問題ではなく、蓮祖のお考えはどうだったのかと言うことです。

気分を害されたのであれば、お許し下さい。

95ガンコ:2003/05/03(土) 22:29

>気分を害されたのであれば、お許し下さい。

いえいえ、ぜんぜん大丈夫です。どんどん言っちゃってください。

>「日興跡條條事」の真偽問題

これについてはわたくし、まったく存じ上げません。なんでも結構ですから、教えてください。
まだまだ未熟者ですから、知らないことがいっぱいあるのです。

96愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 01:00
「日興跡條條事」偽作問題の本質は、「二箇相承」偽作説と深く関わっています。「二箇相承」が偽作の疑い濃厚である故に、「日興跡條條事」も偽作であるということです。

「日興跡條條事」
http://nakanihon.net/nb/gorekidai.html
上のアドレスからダウンロードできます。

よく考えたら偽作説については、ここの
「(続) 大石寺の歴史」を参照なされてはどうでしょうか。

あと、日蓮宗新聞から
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/paper/1996/9602pr.htm
これも参考になると思います。
いかがでしょうか。

97愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 10:15
ガンコさんへ。
96の続きです。
スレッドタイトルから話のテーマが随分ずれてますよ(小生も人のことは言えませんが)。

日興の著作と真偽論
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_004.html

二箇相承偽書説に就いて
http://www.win.ne.jp/~sid10831/nika.htm

この2つも参考になると思います。

98ガンコ:2003/05/04(日) 11:13

どうもです。

戒壇本尊・二箇相承の問題は大雑把には承知していますが、ご紹介いただいた資料を参考にあらためて学ばせていただきます。

日興跡條條事が確実なものであれば、逆にたどっていけば上の証明になるのではないか? 単純な発想ですけど。
ところが日興跡條條事すら偽書であったならば、もうどうなっちゃうんでしょうね、大石寺なんて、いいところひとつもないじゃないの、まったく。

といったところです。

99川蝉:2003/05/04(日) 12:12
ガンコさん・愚鈍凡夫 さん横から失礼します。

竜口法難から佐渡流罪の前後の時期は、文永九年四月の「富木殿御返事」に
「日蓮臨終一分も疑ひなく、刎頭の時は殊に喜悦あるべく候。大賊に値ふて大毒を宝珠に易ふと思ふべき歟。」(学会版962頁・昭定619頁)
とあるように、いつ命を取られてもおかしくない状態でした。
そこで「三沢抄」に
「而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」(学会版1489頁)
とあるように、存生の中に弟子達に真実の法門を披瀝しておかなければと考えられたのですね。
「此疑は此書の肝心、一期の大事なれば、所所にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし。」(開目抄203頁)

「観心の法門少少を注して太田殿、教信御房等に奉る。此の事は日蓮当身の大事也。之を秘せよ、」(観心本尊抄送状255頁)
とある開目抄と本尊抄を著し、大曼荼羅本尊図顕されて、真の法門を披露されたのです。
「三沢抄」に云うところの真の法門とは、
「此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず」
にあることより、「報恩抄」に
「末法のために仏留め置き給ふ。迦葉、阿難等、馬鳴、龍樹等、天台、伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求めて云く、其形貌如何。答へて云く、一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土、月支、一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。」
とある本門の本尊、戒壇、題目であることが分かります。
本尊図顕を出世の本懐とすれば、佐渡流罪中に於いて、本懐を遂げられたことになりますね。
いつ命を取られるか分からない状況に置かれていた宗祖が弘安二年まで本門の本尊(真の本尊)を図顕をしなかった筈などありませんでしょうね。
「聖人御難事」の文は、「如説修行抄」にある
「我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今日蓮は二十余年の間権理を破す。其間の大難数を知らず。」(504頁)
との文と同じ意趣を書かれたもので、
愚鈍凡夫 さんが91で、「御自身は立宗宣言以来27年間、大難の中に身を置いてきたとの仰せだと思います」
と解釈されているとおりと思います。
あるいは、もし本懐の成就について語っている文意とすれば、
弘安元年三月「諸人御返事」に
「 三月十九日の和風並に飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。日蓮一生の間の祈請並に諸願、忽ちに成就せしむるか。将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し。所詮真言、禅宗等の謗法の諸人等を召合せ、是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり。」
(昭定1479頁)
とあるように、宗祖は公場対決を「一生の間の祈請並に諸願」としていたと云えます。
天台大師は出家の31年後の585年に、陳の後主に招かれ法門を講じ、宮中太極殿で諸僧の難問に応え、また、伝教大師は得度出家より22年後の802年(延暦21年)に、和気弘世に招ぜられ高雄山において諸宗の高僧に天台三大部を講じ、桓武天皇の信を得ました。
「天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出家の本懐を遂げたまう」とは、両大師の公場対決を指していると解釈できます。
すると「余は二十七年なり」とは、「開宗の日よりすでに27年を過ぎ、数々の法難を受けているが、まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」と云う意味の文と解釈すべきと思います。
「弘安二年に出世の本懐である板本尊を造った」と云う解釈は恣意的解釈と云う事になりますね。

100愚鈍凡夫:2003/05/04(日) 13:39
川蝉さん始めまして。
御教示有り難うございます。

お手数ですが、2つほど、確認させてください。
「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(「聖人御難事」)
との文証の、「仏は四十余年」は『九横の大難』を指すが、「天台大師は三十余年伝教大師は二十余年」は、
>両大師の公場対決を指していると解釈できます。
そして、「余は二十七年なり」は、
>「開宗の日よりすでに27年を過ぎ、数々の法難を受けているが、まだ諸宗の高僧達と公場対決を果たしていない」と云う意味の文と解釈すべきと思います。
ということで、意味が違うと言うことですか。

それから、
曼陀羅が「本門の本尊」だとすると、それは何れかの曼陀羅を指して、「本門の本尊」とすると言うことですか(例えば戒壇之本尊とか)、それとも御筆の曼陀羅全てを「本門の本尊」とするということですか。
だとすると、
「今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし」(「日眼女造立釈迦仏供養事」)
「されば画像木像の仏の開眼供養は法華経天台宗にかぎるべし、其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間二には五陰世間三には国土世間なり、前の二は且らく之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」(「四条金吾釈迦仏供養事」)
これらの文証との整合性はどうなるのでしょうか。
2つのはずが、3つになってしまいました。
御教示下されば幸いです。


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