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(続) 大石寺の歴史

128問答迷人:2002/10/31(木) 09:12

独歩さん 

やはり、日興上人の『宗祖御遷化記録』でしょうね。日頂師、日持師の分の『宗祖御遷化記録』は、本人に渡されたか、あるいは身延離山の時に、身延に残されたと思われます。なぜなら、日興上人の厳しい御性格からすれば、本来、自分の所有するべきでないものを富士に持ってきてしまうとは考えられませんから。

そして、重須の御影堂から盗まれて、大石寺の蓮蔵坊を経由して、日郷上人に渡り、保田妙本寺の所有するところとなり、さらに西山に後年に渡って、現在に至っているのだと思います。西山に渡った理由は、紛失した時の、日興文書に、出てきたら、日代に返すべきである、と有る事が拘わっているのではないかと思っています。


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