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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

3784独学徒:2009/11/08(日) 01:19:03
ケンさん、はじめまして。
「宗要集雑帳私見聞」につきましては、2年ほど前に冨士教学研究会のブログで取り上げました。
再表示を試みましたが、上手くいきませんでした。
「宗要集雑帳私見聞」は14世紀初頭の識語がありますので、日蓮滅後30年〜40年の間に書されたもののようです。
文中には「報恩集(報恩抄の事)」など日蓮の著作も出てきます。
川崎の竹円房との出来事が事実であったかどうかは検証が出来ていませんが、鎌倉末期の天台文書にそのような記述があることは事実だとおもいます。
たしか金沢文庫研究かなにかに翻刻されていたと思います。

3785ケン:2009/11/08(日) 10:52:20
独学徒さん
ありがとうございました。

ところで、極めて初歩的な関連質問で恐縮ですが、
日蓮が、直接、北条時頼又は北条時宗、ないし幕府要人と面談した史実は、
どの程度確認できているのでしょうか。
どなたかお教え下さい。

3786独学徒:2009/11/08(日) 20:39:44
「如前迄両度諫国主最明寺殿。任不借身命之経文不簡念仏・真言・禅・律・天台・花厳・三論・法相等之諸宗、散々破之、散々責之。」(前の如く両度に迄びて国主最明寺殿を諌む。不惜身命の経文に任せて念仏・真言・禅・律・天台・華厳・三論・法相等の諸宗を簡ばず、散々に之れを破し、散々に之れを責む。)

以上は、時期的には「宗要集雑帳私見聞」の披見を経てから書されたとも推測できる、偽書「法華本門宗要抄」の一文ですが、立正安国論奏上の他にも最明寺殿との接見があたっとも思える記述だと思います。

御真蹟では「故最明寺入道見参御書」(定本456頁・御書全集未入集)に、「為天魔所為之由、故最明寺入道殿見参之時申之。又立正安国論挙之。」(天魔の所為たるの由、故最明寺入道殿に見参の時之を申す。又立正安国論之を挙ぐ)とあり、立正安国論奏上の前に最明寺殿との接見があった事が記されています。

東鑑等は検索していませんので、ご存知の方はご教示をお願い致します。

3787ケン:2009/11/09(月) 13:04:12
独学徒さん

ご面倒をおかけしました。
ありがとうございました。

3788彰往考来:2009/11/10(火) 07:57:56

独学徒さん

>3786 東鑑等

東鑑には日蓮関連の事項について記載はなかったと記憶しています。

3789ケン:2009/11/14(土) 17:26:15
彰往考来さん

ありがとうございました。
ここ数日、バタバタしていてお礼が遅れてしまい、大変失礼しました。

東鑑及び真蹟遺文から判断する限り、時頼とは少なくとも1回は会ったことが
確認できるだけであり、時宗と会ったことは確認でないことが分かりました。

ボクの中の日蓮像が、またまた、若干小さくなりました。
いずれにしても、ありがとうございました。

3790北斗:2009/11/24(火) 04:46:32
実に素朴な疑問です。

石山や学会信者さんの「結婚式」って、どんな感じなんですかね?

まさか「教会」だの「神社」じゃあしないだろうし(笑)

疑問に思ってしまいました(笑)

3791顕正居士:2009/11/24(火) 23:32:54
今の日蓮正宗では寺院で仏式で行います。
仏式婚礼は田中智学居士がはじめたものです。
実は神前婚礼も大正天皇のご成婚がはじめとされます。
創価学会員は会館挙式ですが、キリスト教式でやる人も
最近はいると聞きます。

3792幻明影偲:2009/11/25(水) 00:02:44
顕正居士さん

創価学会員の結婚式は夫婦共々、会員であれば会館挙式を行う事例もあるようですが、片方が非会員の場合(特に女性が非会員の場合)海外でキリスト教の儀式に則り挙式を行う事も多々あるようです。
やはり時代の変化を感ずる昨今でございます。
また学会の会則にも形式的な事をなかったと記憶しております。

3793北斗:2009/11/25(水) 12:36:26
顕正居士さん

>今の日蓮正宗では寺院で仏式で行います。


やはり、そうですか…。

まぁ、門徒同士なら問題にならないでしょうが、違うとなると「揉める原因」となりそうですね。




>創価学会員は会館挙式ですが、キリスト教式でやる人も
最近はいると聞きます。




これまた、「ホーボー」じゃないっすかね?

確か、神父に言われるはず…

「神の前で云々…」と。

ま、学会だから仕方ないっすね(笑)

3794幻論乙坊:2009/11/25(水) 22:12:51
家人の結婚式でしたが、かれこれ30年前後となります。
私以外の親兄弟は創価学会員で在ると同時に石山信徒で在った訳です。

式は総合結婚式場で執り行いました。
そこに僧侶がお見えになると云った形式でした。

式次第は当然(自分の事でもないし年月が経過している)の如く覚えておりません。

とあるHPで以下のものが御座いました。

来賓・新郎新婦・式衆着席
②開式宣言
③初楽・道場偈・三宝礼
④勧請
⑤開経偈
⑥読経(自我偈)
⑦奉告文(ぶこくぶん)
⑧念珠授与
⑨祖訓
⑩宣誓
⑪中楽
⑫盃礼
⑬授証(婚姻の儀式を挙行したことを証す)
⑭証明
⑮四誓・奉送
⑯納楽
http://www.town1.jp/index.html

私が記憶しているのは
上記⑥読経(自我偈)
では無く、助行のち正行を全員で唱えた事。
⑫盃礼だろうが
三々九度ぐらいです。

⑧念珠授与
等は無かった様に思うのですが?
いや、助行・正行・三々九度だけであったように記憶している。
が、まさかそんな事も無いでしょうね。
しかし結構短時間であった様に記憶しています。

「結婚式は、御本尊の御前で僧侶の導師のもとに読経・唱題し、家内安全と子孫繁栄、
一家和楽をご祈願します。
その後、三々九度の盃を交わし、末永い夫婦の契りを結びます。」

法華興員の心得より

愚考ですが
三々九度は神道の流れなんでしょうか「三献の儀」?
そしてあの盃に注ぐのは御神酒と云うのか?
まあ処変われば何とやらで呼称も違うのでしょうね。

3795富士川一郎:2009/11/26(木) 16:51:36
三々九度は、本来は神道でも仏法でも無く、日本古来の杯ごとから来ております。
親族固めの杯、任侠世界の杯など色々ありますが、要約すると、1つの杯を共同で呑みまわすことにより、契りを結ぶことです。
三々九度の起源は、応神天皇の逸話にあります。
応神天皇が山城の国で出会った美女に、その名を尋ね彼女は“矢河枝比売”と答えたため、(日本古来では女性が名前を告げるのは求婚に応じる意があります)天皇が翌日その家へ行ってみると、彼女の父は娘に天皇に仕えるように諭し、彼女はご馳走を用意し天皇に御盃を捧げ、天皇は歌を歌われたという話だそうです。
現今の正式な三々九度は以下のようになります。
一の杯・・・新郎〜新婦〜新郎
二の杯・・・新婦〜新郎〜新婦
三の杯・・・新郎〜新婦〜新郎
これらの順番に、三度の杯ごとが、三回行われるので「三々九度」となります。
実はこの順序は、イザナギとイザナミ逸話から来ております。
記紀の国生み神話にて、イザナミ(妻)から先にイザナギ(夫)に声をかけて、失敗し、夫から先に声をかけるようにやり直したと記載されております。
これが元で、日本では古来この順序は重要となっております。

もっとも今では神式ですらここまで厳格に守らず、略式を行うことが多いそうです。
日蓮正宗は今でもここまでやるので(杯ごとごとに御宝前に進むので時間がかかるんだが)、あまり若者には受けず(多少イラッとするそうです)、略式にする動きもあるそうですが、ほとんどの寺院は今でもこのように行っております。

さて、本来はここに親族固めの杯が行われるんですが、最近の核家族傾向により、これは省略されることが多いようです。

3796幻明影偲:2009/11/27(金) 13:13:17
曼陀羅を何故板に刻む風習が出てきたのか最近考えています。        石山だけでなく、身延や各山にもあるわけで位牌などもそのような経緯があったから板に刻むようになったのか、考えている所存です。

3797阿仏棒:2009/11/28(土) 10:11:53
そもそも日本で結婚式を現在のようにとりおこなうのは近代になって
キリスト教の結婚式の影響を受けてからで、
それ以前は親類縁者があつまって飲み食いして御仕舞というような有様だという話を
以前どこかで読みましたぞ
つまり坊主も神主も出番なし。

個人的にはキリスト教会、だってカッコいいし、賛美歌を皆で歌ってそりゃあいいものです。

3798阿佛棒:2009/11/28(土) 10:33:49
お酒大好き日蓮
というのを子供の頃、どこかで聞いており、坊さんはお酒飲んじゃだめじゃなかったっけ?と
いうのが長年の疑問というか、私の中では日蓮酒豪伝説になっているのですが
本当の所どうなんでしょうか?

3799顕正居士:2009/11/28(土) 18:44:11
不飲酒戒は五戒の一つで、仏教はイスラームと同じに禁酒を重視しています。
しかし日蓮当時の比叡山は一大軍事勢力とすでになっており、不殺生戒を
放棄している以上、戒律は全く空文に帰していました。

3800ケン:2009/11/28(土) 21:07:40
曼荼羅(本尊)の形式についての初歩的質問があります。

かなり昔に、大石寺(常在寺)から下付して頂いた曼荼羅では、中央下部に「日蓮」とその花押が記され、実際の作者の記名は、中央からずれた位置にあります。
しかし、日朗、日像などの曼荼羅では、中央下部に、実際の作者名(日朗や日像)とその花押が記されているものが残っているようです。

そこで、質問ですが、中央下部に「日蓮」と「花押」を記す形式は、日興門流だけの特徴でしょうか。
日興自身の作になる現存曼荼羅も、全て同じ形式でしょうか。
日興門流では、その形式が代々引き継がれて現在に至っているのでしょうか。

一方、朗門などでは、日朗や日像の形式が代々引き継がれて現在に至っているのでしょうか。

日興門流の中には、現在は、日蓮宗に所属している寺院があると思いますが、それらの寺院が、現在、信徒に下付する曼荼羅(本尊)の形式は、どちらの形式でしょうか。

宜しくお願いします。

3801独学徒:2009/11/29(日) 11:39:24
ケンさん、

主題直下に「日蓮在御判」と記すのは、身延系でもままみられますが、歴代々と継承されている門派としては、富士門流の他に什門があげられると思います。

富士門流においては、現在の所属の宗派によらず主題直下は「日蓮在御判」と記すのが通例です。

但し新規の信徒に本尊を書写する例は稀です。
現在の日蓮宗内の富士門流では、末寺経由で北山本門寺に申請し興師曼荼羅の御形木(製版印刷・妙師授与)の授与を受けるようです。
単立の安房妙本寺は直接本山に相談して興師曼荼羅の御形木(こちらも写真製版・郷師授与)の下付を受けるようです。

3802犀角独歩:2009/11/29(日) 13:37:28

横レス、失礼します。
今回の独学徒さんのご投稿を拝見し、何故、創価学会が興門由緒寺院に接近するのかが分かったような気分になりました。
彼らは、頒布する本尊を日興書写に切り替えたく、その原本を提供する寺院を、巧妙な手段を使って籠絡する作戦に出ているわけですね。
学会僧、創価大の学者の出入りは、そんな危険信号なんでしょうね。

3803幻明影偲:2009/11/29(日) 14:16:01
曼荼羅についてはこだわりを持つ理由もなく、また根拠もありません。
それは一宗派の問題だからです、
ですので、疑問に感じられましたら、日蓮の曼荼羅に尽きると思います。

私は現在は仏壇の中に、ありませんが安82、92、93番の曼荼羅(板)

を所有しています。

しかし仏壇にあっても然程、影響はないと存じます。

3804ケン:2009/11/29(日) 14:33:21
独学徒さん

ご丁寧にご教示いただき、ありがとうございました。

ところで、身延系寺院で、仮に、本尊の書写が新たに必要になった場合、日朗や日像の曼荼羅の形式のとおりに、主題直下には、書写される方が記名されるのでしょうか。
身延系のことを此処で質問するのも変ですが、ご存知の方がおられれば、宜しくお願いします。

3805独学徒:2009/11/29(日) 18:08:54

ケンさん、

まず身延系と不適切な表現を用いまして失礼致しました。
朗門系でも貫首によっては主題直下に「日蓮在御判」と記す場合もあり、また直接自著花押を記す貫首もいますので一様ではないと思います。
富士門流のように、そこに強いこだわりがあるわけではないと思います。


犀角独歩さん、

創価学会が興門由緒寺院に出入りしていることは初めて知りました。
しかし安房妙本寺には数年来学会僧のUFO氏が虫干に多くの信徒をバスで連れてきており、自身も内陣に着座する高待遇を受けています。
この点は正直安房妙本寺が何を考えているのか良くわかりません。
旧来の兄弟本寺である小泉久遠寺の貫首や、古文書研究では密接な関係にある興風談所も外陣の檀家総代と同じ並びに着座していますが、学会僧が内陣にいるのはいったいどういうことなのかと将来を危惧します。

3806ケン:2009/11/29(日) 19:09:46
独学徒さん
よく分かりました。ありがとうございました。

3807幻論乙坊:2009/11/29(日) 19:20:47
先日まで開催されていた「日蓮と法華の名宝」に於いて首題直下で目に止まった出品物が御座いました。

123(出品番号)日蘅等一遍首題本尊 桃山時代 天正18年(1590)

日蘅師は本圀寺 第16代貫首です。
本、一遍首題本尊は来住法悦に授与され、氏は岡山の豪商で日蘅師と知己であったそうです。
全21の一遍首題が上下二段に書かれた様式となっており、どれも首題直下に寺院名と名が記されています。(花押も記されていたと思うのですが?)

上段中央に日蘅師があります。
上段左より「本禅寺・本隆寺・本法寺・立本寺・頂妙寺・本圀寺・本満寺・要法寺・妙蓮寺・妙顕寺」

下段左より「日元・練意・日典・佛光寺・(方+ム?)法寺・本住寺・蓮昌寺・孝?・?・妙伝寺・教蔵院」
中央の本圀寺より右の二つ隣に要法寺、日賙と認めました。
日賙師の在位期間を石山で見ると日主師となりますか。
日主の後の日昌師より石山に続けて九代登座されますが、要山では首題直下に蓮祖以外の名を入れるのに然程喧しく無かったのかもしれませんね。
造仏もこの頃には在ったようですし、又他門流との交流も頻繁に行なわれていたのかな?
と、愚考するしだいです。

京、日蓮法華に於ける最大門流寺院の妙顕寺が上段右端に追いやられているのと、下段の妙伝寺にも目を見張りました。

3808独学徒:2009/11/29(日) 19:54:44

幻論乙坊さん、

ご無沙汰しております。
私の管見では要山歴代で曼荼羅書写を行っている貫首は、みな主題直下は「日蓮在御判」となっています。
賙師についても例外ではなく、かつて大縫さんが談義所でご投稿下さった通り、主題直下は「日蓮在御判」でした。
件の一遍主題本尊は、本国寺貫首の働きかけによって行われた「寄せ書き」的な主題集であり、この一点をもって要山の曼荼羅書写を云々は出来かねるものと判断いたします。
本国寺はこの時期、一致派内でも身延山よりも影響力を持っていたといわれますね。
件の一遍主題本尊のように、豪商や権力者を味方につける手腕に長けた貫首・僧侶が多くいたのではないでしょうか。

3809ケン:2009/11/29(日) 20:09:30
幻論乙坊さん
ボクも京都国立博物館の展覧会は、11月初旬に用事の途中でのぞきました。
展示目録(解説本)を買ってこなかったのですが、ご紹介の出品物には、
かすかに記憶があり、要法寺があるかなと探したことを思い出しました。
いずれにしても、ありがとうございました。

3810ケン:2009/11/29(日) 20:39:14
独学徒さん
3809は、独学徒さんの3808のご投稿があるのを知らずに投稿しました。
3809の通りですので、幻論乙坊さんからご紹介のあった出品物の概要は覚えています。
ですから、独学徒さんが3808でご説明いただいたとおりの「寄せ書き」的な主題集であるとのご説明も理解できます。
以上、念のため、お礼と共に申し上げます。

3811犀角独歩:2009/11/29(日) 23:25:35

亀レスで恐縮ですが、3800でケンさんが疑問を呈された門下一般信徒に下付される「本尊」について。

以前、独学徒さんが、写真をアップされた「伝日蓮図示」漫荼羅の印刷を下付するのが一般ですね。

この印刷物は、身延山久遠寺の売店や、仏壇店などで購入できます。
特に寺と関わりない方は、仏壇を買ったときについてくるこの印刷物を本尊として仏壇に飾るのでしょう。

少し寺と関わりがあれば、住職に裏書きを頼みます。いわゆる「開眼」です。
また、住職の紹介があれば、日蓮宗新聞の売店で「臨滅度本尊」のレプリカの掛け軸が購入できます。日蓮宗の見解では、この印刷物は美術工芸品。しかし、教師が開眼すれば「本尊」ということになります。

百日荒行五度万行で漫荼羅の書写相伝があるということでした。
この相伝に基づけば、門下一般に通用する書写漫荼羅です。
しかし、別段、相伝が無くても、書く人は書きます。
ちなみに、わたしは手書き漫荼羅本尊を2舗、仏像は3体。それぞれ、開眼を経て、頂戴しています。

大石寺・創価学会・顕正会などでは、漫荼羅は個人1体が鉄則ですが、これは彼らの勝手な取り決めであって一個人に複数の漫荼羅を授与している例は、上古より珍しいことではありません。

雑駁ながら、五老門下では、以上のような本尊授与の様となっているようです。

3812犀角独歩:2009/11/29(日) 23:30:47

3805 独学徒さん

ご返信、ありがとうございます。

わたしは、こうした様に大いに危惧を抱いています。
重宝虫払に集まってくる人々の「謗法同座戒め」にもっと矜持を質すべきであると考えます。

集まる人間を容易に受け入れないよう寺院僧俗の注意を促したいと存じます。
お気をつけください。

3813幻論乙坊:2009/11/30(月) 00:08:46
独学徒さん
今晩は。

>この一点をもって要山の曼荼羅書写を云々は出来かねるものと判断いたします。

〇全くおっしゃる通りと認識致しておりまして、要山に於ける曼荼羅(諸尊勧請を有する)書写で
首題直下に歴代貫首の名が記されたものが散見出来るか、どうか把握は致しておりません。

先の展覧会に於いて、他門派と連名で一遍首題を揮毫し、その直下に名が記されていたものを拝見した。
一知半解の徒である私は驚いた。と、云った趣旨のものでした。

こちら関西はご存知の如く像門が多く、道路脇の題目塔で一遍首題の直下に蓮祖以外の名を見掛ける事は
容易い事です。(東日本でも同じかな)

首題直下に蓮祖以外の名に違和感を覚えるのは石山系の家系に生まれた処に起因するもの
か?と、思惟いたしております。

像門(朗門)では何ら違和感のないものなのではないか?
本尊勧請様式で十界互具を採る興門派ですが、一塔両尊、一遍首題も採る門派の方との
本尊に入れ込む感情は違ったものなのかな?
と思うものです。






と愚考致すしだいです。


何かを語る時、論証・証憑を示すに越した事はない訳ですが

3814幻論乙坊:2009/11/30(月) 00:24:54
校正し忘れました。

>と愚考致すしだいです。
〇を削除し忘れました。

>何かを語る時、論証・証憑を示すに越した事はない訳ですが
〇何かを語る時、論証・証憑を示すに越した事はない訳ですが、像門(朗門)では何ら違和感のないものなのではないか?・・・・

とするものでした。

3815犀角独歩:2009/11/30(月) 08:06:11

先に記した五度万行、身延荒行堂で受けた漫荼羅相伝の資格を持って書すという点ですが、わたしの mixi のフォトに、神奈川県「円徳寺(日良師)」漫荼羅を載せています。三体の中央大幅が、それです。

http://mixi.jp/view_album.pl?id=7504585&owner_id=14027330&mode=photo

筆法、諸尊、詳しいことは覚えていませんが、所謂本則とは何点か違ったところがありました。

個人的には、こうした相伝を受けた人が書く漫荼羅は、相伝書などでみる筆法に忠実なのだろうと予測していたのですが、むしろ、逆で、相伝を受けているからこそ、相伝の基本は基本として、相伝師という自覚立場から、独自境地を漫荼羅世界に展開するものだと感心したものでした。

3816ケン:2009/11/30(月) 21:22:09
3811 3815 犀角独歩さん
詳しくご教示を頂き、ありがとうございました。
外出していてお礼が遅れ、大変失礼しました。

3817幻明影偲:2009/12/13(日) 23:31:56
素朴な疑問なのですが、石山では金口、今師、直授、釈主、九師、各相承は天台教学史にあるものですが、石山ではこのような教学を年代で言えばいつ頃から本格的に取り入れていったのか、非常に疑問です。
恐らく日寛以降かと愚考致す所存ですが、日寛時代にも石山に伝わらない板曼陀羅や細草壇林に当初からあったとされる板曼陀羅を見ましたが、あの当時から板曼陀羅が形成されていたのであれば恵心流を取り入れていく考えが私にはどうもわかりません。

3818再挑戦者:2009/12/15(火) 18:54:13
 幻明さん、、。
  アアダラ、、、コウダら、、は不要でしょう  カ?
  、、。

 アノ、、 オカシナ、、?・ 曼陀羅が 国宝、、?? とは ???
 「ご本尊集 >  midashi、、」の中でも、、最低なる 品格でしょう、、!!?・

  他の 真筆のほうが、、 一千倍もの 「、、品格が 感じます、、」、、が、、??

 保田様には 強奪・疑義もある ? にも  ぞっこんなのでしょうか、、?? 
  視点を変えれば 、、Sの 会 ヤ、、オーム教の 有害なる 「カルト」、、と 同じでしょうか ??

 (「週刊現代」、「G2]、「主教被害者情報」、「国民新聞」、「FORUM 21」、「有害カルト情報」、、)

3819幻明影偲:2009/12/15(火) 23:40:20
再挑戦者さん

○○○(笑)さんなら、即答されるのではないでしょうか。

>アアダラ、、、コウダら、、は不要でしょう  カ?

 保田様には 強奪・疑義もある ? にも  ぞっこんなのでしょうか、、?? 


※もう少し解かりやすく、ご説明願えますか?
これでは、チンピラ暴力団の脅迫文のように思えてなりません。
因みに私の私見ですので再挑戦者さんへの言葉でないことを一言お断り申し上げます。

3820犀角独歩:2009/12/16(水) 02:16:05

○開拓の拓は衣偏

livedoorBlog で「日蓮墨筆を読む」という連載をいきおいではじめて、はや65回になりました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51667293.html

さて、先ほどアップしたのは『観心本尊抄副状』。
ここに「見無二志可被“開拓”之歟」とあります。
この開拓の拓につき、もう数十年も前に受けた講義で、「通常は拓は手偏だが、日蓮大聖人は敢えて衣偏に書かれた」と聞いた覚えがあります。

池田さん(が書いたとされる)講義録であったような、他であったような、記憶が曖昧なのです。

「胸襟を開く」という意を籠めたということでした。
いま実際、真蹟を見ると、たしかに衣偏のように見えます。

この講義は、いったい、なにを根拠にしたのか、どうも思い出せません。

この話の元、どなたか、ご教示願えませんでしょうか。

3821斧不一:2009/12/22(火) 13:10:37
 初めまして、斧と申します。創価学会員です。本当は小野なんですが、私の掲示板で斧を名乗っているものですから、そのままクッキーを使用させてもらいます。

 あまりにも基本的なことでお恥ずかしい限りなんですが、末法思想に絡めた「本未有善」「本已有善」というのは誰が言い出した言葉なんでしょうか?

 中国の文献で、末法思想を記す最古のものは、558年(永定2)成立した慧思の「南岳思禅師立誓願文」
 http://www.tabiken.com/history/doc/R/R172R100.HTM

 また、末法思想と同時に誕生したのか、後付けなのかも気になるところです。

 どなたか、ご教示いただけると幸いです。

3823問答迷人:2009/12/22(火) 14:18:18

斧不一さん 初めまして

>「本未有善」「本已有善」というのは誰が言い出した言葉なんでしょうか?

日蓮聖人は天台大師が言い出したと見ておられたようですね。曾谷入道殿許御書に次のように述べられています。

「答て云く 私に会通すべからず。霊山の聴衆たる天台大師竝びに妙楽大師等処々に多くの釈有り。先づ一両の文を出ださん。文句の十に云く ̄問曰 釈迦出世蜘・不説。今此何意。造次而説何也。答曰 本已有善 釈迦以小而将護之 本未有善 不軽以大而強毒之〔問て曰く 釈迦は出世して蜘・して説かず。今は此れ何の意ぞ。造次にして而も説くは何ぞや。答て曰く 本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本未だ善有らざるには不軽大を以て之を強毒す〕等云云。釈の心は寂滅・鹿野・大宝・白鷺等の前四味之小大権実の諸経・四教八教之所被の機縁、彼等之過去を尋ね見れば、久遠大通之時に於て純円之種を下せしも、諸衆一乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す。然りと雖も下せし所の種、純熟之故に、時至りて繋珠を顕す。但四十余年之間、過去に已に結縁之者も猶お謗の義有るべき故に、且く権小の諸経を演説して根機を練らしむ。」

3824斧不一:2009/12/22(火) 21:53:50
>>3823

 問答名人さん、どうもありがとうございます。

 ということは、鎌倉時代の仏教界にとっては共通認識と見てよさそうですね。

 助かりました。心より感謝申し上げます。

3825阿佛棒:2009/12/25(金) 12:06:16
>>3821
当て推量ですが、元は儒教由来かも

孟子かなあ?

このテーマ日蓮系ではやる人あまりいないけど
駒澤あたりでは結構やられているので調べてみると面白いかも知れません
せんだんりーんせんだんりん♪

3826くらはし:2010/01/31(日) 01:09:30
皆様、はじめまして。

場違い、かつ、スレ違いの質問かとは思いますが、一つお聞きしたいと思います。

自分は、いわゆる初期仏教、バーリ語経典では、無執着の達成をもって悟りとすると聞きました。

無執着の達成とは、なにものなも執着しない、また、「なにものにも執着しない」ということにすらも執着しないということだそうなのですが、このようなことが悟りとされていることを、日蓮をはじめ鎌倉時代の宗祖とされる人たちは知らなかったのではないか?

それはもちろん、中国には南伝経典は伝わっていないのだから、天台大師も知らなかったのではないか?

と言われたのですが、どうなのでしょうか?

ご存知でしたら、どなたか教えていただけないでしょうか?

3827マインド:2010/05/31(月) 11:37:53
御本尊について教えて下さい。
大聖人の御本尊は、写真でみるかぎり左右の辺が切れているのが多いのですが、
これは写真撮影でそのようになったのでしょうか。それとも原本の本尊からして、
表装の時に、切れて表装したのでしょうか。梵字とかは切れているのが多いですね。
よろしくお願いします。

3828みんと:2010/07/14(水) 17:06:30
◇自分の住む地域を確認してください
・ 最新の災害情報 - 避難勧告の情報など。Yahoo!災害情報
・ 警報・注意報 - Yahoo!天気情報

◇河川の様子を動画で
・ 災害情報 河川のリアルタイム画像 - 国土交通省

http://rescue.yahoo.co.jp/

3829管理者:2010/07/14(水) 17:18:29

この梅雨末期の大雨・長雨で各地に被害が出ています。皆様の安心・安全をお祈念いたします。


みんと さん

この時節、有益な情報をご提供戴きまして、誠に有難うございます。

3830知りたい:2010/11/08(月) 21:54:50
玉井禮一郎さんは、以前、妙法蓮華宗だったかを主宰していましたが、その活動は今はどうなりましたか。また給いさんは今は何をしているのでしょうか。教えてください。

3831質問者:2011/11/30(水) 01:46:21
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが
何故、竜樹菩薩と妙楽大師が抜けてるんでしょうか
(普通は天台大師と伝教大師の横にそれぞれ書かれているのに)

誰に聞いても教えてくれません
詳しい方レスお願いします

ちなみにこの御本尊は当時の学会員に下付されたものです

あと、この御形木本尊持ってる方いますか?

3832法喜:2011/12/06(火) 15:08:35
日顕上人書写の特別御形木御本尊(少しだけ大きい)には
竜樹菩薩と妙楽大師が戻っています
また一部の迹化の菩薩の「菩薩」の文字が凡字になっています
日蓮大聖人の最も後期の御本尊の形態であるように思われます

3833幻論乙坊:2012/08/07(火) 13:08:04
弟子を「資」と表しますが、何故この字を
用いるのか?
ご存知の方がいらっしゃれば、ご教示のほど
宜しくお願いします。


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