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板本尊

1本尊は本物?:2005/10/06(木) 12:56:28
『石山本尊の研究』この本を読んで大石寺の板本尊は本物でないことが理解出来ました。東京神田の古書店「東陽堂」で買いました。写真がたくさん掲載されていて、わかりやすかったですね。

2ニセ本尊:2006/04/04(火) 22:42:59
昭和の板本尊伝説
1945年(昭和20年)6月17日未明、大石寺の大書院から出火、またたくまに大坊と客殿を焼き尽くし時の法主(62世日恭)は焼死した。御隠尊猊下(61世日隆)は、戦争から板本尊を守るため、以前住職を務めていた東京の某寺院の法華講員を呼び寄せた。当時は、アメリカ軍が富士山を目指して上陸してくるという噂も飛び交っていたこともあり、一方、東京の下町は3月の大空襲以降は、もう目立った目標物もなく、かえって安全と思われた。終戦間際という大変な時期に、車で来いというのだ。なぜ車か?それは重さ200kgはあろうかという板本尊を密かに運び出し、某寺院の境内に埋めて守るという計画だった。

日蓮正宗では、9世日有の時代に、板本尊を大石寺から別の場所に移して守ったという伝統があり、計画そのものは何の障害も無く実行された。当時、創価教育学会は壊滅し、何の役にも立たず、戸田城聖にも知らされない話だった。宗務院の重役の中でも、極一部の者しか知らないこの計画は、秘密裏に実行されおよそ1年間、秘密は保たれた。

それから約半年後、次期法主(63世日満)が決定すると、ふたたび秘密裏に板本尊を本山に戻すことになった。しかし、ここで思わぬ事態が勃発する。某寺院の境内に埋めて置いた板本尊(楠の半丸太)の下部が、なんと腐ってしまって3分の1以上が脱落してしまったのだ。1946年(昭和21年)のことである。戦争のため物資が乏しい中、なんとか油紙で包んで大事に土に埋めて置いたのだが、埋めた場所が隅田川の近くであり、水分を多く含んだ土壌だったために、わずか半年という短い期間で腐ってしまったのだ。上野の赤沢朝陽の社長は大変な苦労して、およそ半年の歳月を掛けて板本尊の復元を行った。彼は一級の技術を持つ本物の佛師だった。復元に当たっては、当時法道院にあった日禅授与本尊、および1911年(明治44年)に出版された日蓮聖人という本に掲載された戒壇の大御本尊の写真が使用された。この写真は第二次大戦中にお守りとして、多くの法華講員が所持していた。こうして1946年(昭和21年)に復元された戒壇の大御本尊は、もちろん1279年(弘安2年)の板本尊と呼ぶことは出来ない。

3今川元真:2006/04/06(木) 09:22:20
皆、漫陀羅は修行道具と思っているのでしょうか。

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7ニセ本尊:2006/04/08(土) 10:27:38
犀角独歩氏の

大石寺漫荼羅本尊の真偽について
所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形からみら見た鑑別

は、おすすめですよ。

8ニセ本尊:2006/05/01(月) 22:13:47
昭和の板本尊伝説 追加
早朝、東京を出発した法華講員が富士大石寺についたのは深夜だった。
御宝蔵の前では、御隠尊猊下がずっと唱題を続け、彼らが来るのを待っていた。
彼らは休む暇も無く密かに板本尊を運び出すと、布団に包んで大事に車に積み込んだ。
翌朝、彼らは焼けた客殿の後片付けを手伝った。
東京から人が来れば、すわ何事かと地元の人々に騒がれる可能性があったが、
焼けた客殿の後片付けであると説明すれば、地元の人々も不審には思わなかった。
焼けた木材は車に積まれ板本尊の上を覆い隠し、さらには東京へ帰るための燃料にもなったのだった。

実話です!

9今川元真:2006/05/02(火) 07:43:48
読まさせて頂きました。 21世紀にもなったので改革解放すれば良いのにと思います。本仏シャクソン、本尊漫陀羅、祖師日蓮

10輝一:2009/12/04(金) 02:01:20
2のような事実があれば、当時、大石寺に居た河辺慈篤が何かメモなど残してい
るのではないでしょうか。大火で死んだ鈴木日恭についても、かまどに落ちて上
半身は黒こげ、下半身は生焼け、「ありゃー、2度焼いたんじゃ(火葬)」とい
う河辺の話は有名。

11輝一:2009/12/12(土) 23:41:09
2昭和の板本尊伝説
巧妙にのべられているが、筆者に楠の植生についての知識が欠落していること
があきらか。楠は丸太を半分に割ってくりぬき丸太舟にしたほど水に強い木材
である。大阪近辺で湿地帯から腐敗していない丸太船の遺跡が出土しているこ
とは考古学に興味のある人なら周知の事実。何の塗装もしていない楠がこのよ
うに丸木船に使われた事実をもってしても、かりに東京の湿地帯に埋めた漆で
表面を処理したご本尊が腐敗して原型を留めないということは、歴史上の常識
現代の植物学をよく勉強してから発表すればよかったのに・・・
たまたま戸田氏らが、権力と闘争中ということを利用した根拠薄弱な論である。
運搬した人物の立場と氏名、埋蔵した住所を明らかにされたし。実地調査や地
勢学から実験証明すればすむこと。


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