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高座説教について教えてください

1高座からの眺め:2005/09/04(日) 10:25:43
日蓮宗の高座説教について興味があります。
みなさま、いろいろ教えてください。
よろしくお願い申し上げます。

2川蝉:2005/09/05(月) 09:38:34
今日は。
Yahoo!で「高座説教」を検索すると、
「高座説教」
「講話9月」
「ドキュメント」
「池上本門寺(池上のいぶき1067)
があります。
それらを閲覧・視聴されるとよいでしょう。

3高座からの眺め:2005/09/05(月) 11:20:20
川蝉さま、早速にありがとうございます。
ヤフー、グーグルなどについては、検索済みで、
その他の情報について探しているところです。
川蝉さまは、日蓮宗関係の方ですか?
さらに詳しく知りたいのですが、情報の探し方など、
アドバイスなどをいただければ幸いです。

4川蝉:2005/09/05(月) 13:50:11
日蓮宗の者です。
随分と昔の学生の頃に、高座説教の所作の授業を受けましたが、話し下手なので、その後やったことも無く、すっかり忘れてしまいました。

どのような点に興味をもたれて居られるのか分かりませんが、大阪布教師会の掲示板 ↓
http://www.lemon.ne.jp/bbs/bbs.cgi?room=sunlotus
で質問された方がよいと思います。

日蓮宗事典に次のように解説してあります。

高座説教。
信者大衆より一段高く設けた席で行う説教のこと。本宗においては高さ四尺五寸、幅四尺四寸、奥行三尺五寸の台を用い、主に繰り弁を入れた説教式を言う。説教を行う場合何らかの台を使用するのは仏陀以来の伝統であるが、本宗のような高い台の上からしかも儀式にしたがって行う形式は他に例をみない。同じ鎌倉仏教の禅系、浄土系それぞれ高座を使っての説教を行ってはいるが、本宗ほど高くはなく、儀式もない。本宗に於てこの形式が確立したのは徳川中期といわれている。諸本山の出開張が盛んに行われ、各説教師といわれる人々が多数輩出したのと時を同じくしている。高座は木製で、回りを金襴などで作られた高座掛でおおい、上部を板で押さえる。経箱、金丸、科註箱などの用具はこの板の上におく。説教師は香炉を持ち侍者二名(一名が科註箱を持つ)を従えて入場、御本尊に一礼(または焼香)して登高座する。一応の順序を示すと。
 (一)一拝―身業説法の気持での一拝。(二)開経―経箱のふたを開き、経巻を目八分の高さで拝する。(三)中啓―中啓、笏を定位置におく。(四)書物―祖書中の拝読個所を確認。(五)焼香―(1)天魔波旬の遠離、(2)仏祖の影現、(3)諸天善神の影現を念ずる。(六)散華―仏を請じ供養する。(七)願文―香炉を持ち、一拝、願文を唱える。(八)経文―講題にそった経文を訓読する。寿量品の文は後座のみ引用するとの口伝之あり。(九)讃文―(以下各項参照)。(一〇)唱題。(一一)説前回向。(一二)祖書。(一三)讃歎文。(一四)呑茶―談義前に一口しめし、同時に心を落つける。(一五)談義。(一六)中回向、諷誦文。(一七)祖伝―竜口は後座のみの口伝之あり。(一八)説後回向。(一九)宝塔偈―高座を下りる。明治初期まで盛んであった高座説教も、明治末期から、大正と下火になり、戦後は高座の無い寺の方が多くなってしまった。しかし伊藤海聞はじめ多くの先師の努力によって布教院が再会、ここで伝承され、今日に至っている。

高座前
高座説教の時、高座の正面に座り、説者の話の呼吸に合わせてお題目で受けたり、合掌で受けたりする人々のこと。釈尊教説の場には、発起・影向・当機・結縁の四衆が居られたが、この四衆に学んでできたのが高座前の語だといわれる。それだけに高座前に座る人は説教の聞きなれた人、よく理解している人が座り、説者の強く言わんとしたところでは、これをお題目で受けとめ、一般信者に感覚の面からわからせる役を果した。その反面、説者が未熟である場合には高座前が逆に邪魔になった。また高座前の人にも未熟者の場合には「それ頑張れ」と無言の気合を送り、若手養成の一役にもなっていた。説者の姑という人もいた。ちなみに、高座前に座る人は主に高齢の女姓が多かった。

高座用具
高座説教の時に使用する道具。(1)高座、木製で高さ四尺五寸、幅四尺四寸、奥行き三尺五寸の箱型又は骨組みの上部に板をのせる。(2)高座掛、高座の周囲をおおう布で金襴製、合せ布製、刺繍製のものなどがある。(3)科註箱、高さ五寸、幅一尺二寸、奥行き九寸六分の箱で、主に漆塗り、蒔絵などがほどこしてある。説者の草稿、御書、諷誦文、中啓、笏、散華、香合、ハンカチ、懐紙、時計などを入れるのに使用する。(4)御経箱、総丈三寸六分、幅二寸一分、奥行き六寸四分の御経を入れる箱で、横に赤又は紫のかざりひもでゆわえてある。漆塗りで井桁に橘の紋入りか金蒔絵などがしてある。(5)尻敷、説教中説者の姿勢がくずれないように用いる尻に敷く台でT字型、箱型、枕型などがある。(6)笏、高座説教中、特に祖伝等に於て特に注意をうながしたいような時に打って音を出して知らせるのに使用した。(7)笏台、笏を打つ時に使用する台。(8)科註掛、科註箱の表面をおおう飾り布で、表は紅地本金錦織、裏白地緞子裏付、房白綿打房がその一例である。

5高座からの眺め:2005/09/05(月) 14:50:13
川蝉様、とても詳しい情報をありがとうございます。
お教えいただきました「大阪布教師会の掲示板」に、後ほど、質問をさせていただこうと思います。

なお、「明治初期まで盛んであった高座説教も、明治末期から、大正と下火になり、戦後は高座の無い
寺の方が多くなってしまった。しかし伊藤海聞はじめ多くの先師の努力によって布教院が再会、ここで
伝承され、今日に至っている。」とありますが、
明治末期から、高座説教が下火になっていった理由とはどのようなものなのでしょうか。
また、「伊藤海聞はじめ多くの先師の方とは、どのような方々なのでしょうか。
どのような系譜で今日につながっているのでしょうか。

川蝉様にはご専門外のこととは存じますが、ご存知の範疇で結構ですので、お教えいただければ、とても
嬉しく存じます。

6川蝉:2005/09/06(火) 09:51:02
今日は。
充分な答えになりませんが。

説教の結論前に祖伝を繰り弁(講談調)で語るのです。
板書(黒板)も無しで、弁舌だけで語るので、教理的な深い説明を行うに向いていない、と云う欠点も有るかも知れません。
大きなお寺でないと高座がないし、所作も面倒なので、習熟の人も徐々に少なくなったと想われます。
そのため、儀式所作を離れた法話・講演方式が徐々に多く採られるようになったのでしょうね。

すでに故人ですが身延山布教部長の清水上人や、池上の貫主さんであった伊藤海聞上人の高座説教を、身延の学生時代に、聞いたことがありますが、名人でしたね。
その他にも多くの上手な人たちが居たことでしょう。
身延山の朝勤後の説教では布教部の上人や身延の学校の先生などが交代で高座説教をやっていました。現在も続けられていると思います。

現在では布教院が毎年開催されていて、高座説教の方式を習学した人が沢山輩出しています。

また伊藤海聞上人の高座説教の録音テープが大分以前ですが発売された記憶が有ります。どこの出版であったか現在も発売しているのか、ちょと分かりません。

7高座からの眺め:2005/09/06(火) 12:41:38
川蝉様、いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
ご親切をとてもうれしく存じます。

ところで誠に恐縮でございますが、私は、はずかしながら、身延山布教部長
の清水上人という方を存じ上げません。清水(何?)上人という方なので
しょうか。清水上人様と伊藤海聞上人様のお二方につきまして、辞典その他
から、経歴など、お分かりになりましたら、お教えいただければと存じます。
また、お二方について、さらに詳しく調べたい場合にはどのような方法がある
のでしょうか。弟子のような方がいらっしゃるのでしょうか。
お教えいただければ、うれしく存じます。

ところで、川蝉様は「身延の学生時代に」ということは身延山大学のご出身
の方なのでしょうか。その時代に、直接、お二人のお上人様から高座説教を
生でお聞きになられたのでしょうか?ご一緒にお聞きになられた学生の皆様
の反応はどのようなものだったのでしょうか。

興味は尽きなく、立て続けのご質問となってしまい、ご無礼をお許しください。
お答えは急いではおりませんので、お手すきの時などがあるときで結構でござ
います。どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

8川蝉:2005/09/07(水) 10:47:44
今日は。

なにせ身延山短大在学は40年以上前にもなりますので、記憶はかすかになってしまいました。

当時の布教部長の清水上人の住職寺やお名前も失念しました。

清水上人や伊藤海聞上人の事は全く分かりません。明治大正に活躍した人の幾人かは日蓮宗大事典に載っていますが、御両人は時代が新しいせいか載っていません。
お弟子さんやその関係者にでも知り合いがあれば少しは分かるのでしょうが、あいにく宗門内の情報に疎いので、私にはわかりません。

説教が非常に上手であったと云う記憶だけで、その時の説教の内容、一緒に聴聞した仲間の感想なども記憶にありません。

お役に立たないで申し訳ありません。

9高座からの眺め:2005/09/07(水) 18:20:36
伊藤海聞上人は、池上本門寺の第79世の方で、名を改めたようで、伊藤日定上人という方だそうです。
川蝉様には、高座説教が専門外であったにも関わらず、大変、ご親切にお教えいただき、またお調べいただき、
ありがとうございました。また何かお分かりになられましたら、ご投稿いただければ、とてもうれしく思います。
どうもありがとうございました。

10高座からの眺め:2005/09/08(木) 05:18:37
池上本門寺の第79世の伊藤日定(海聞)上人という方について、
また「日蓮宗布教院」の発足の経緯について、詳しい経緯を
知りたいと思います。
どんな情報でも結構です。
手がかりになるような情報をご存知の方がいらっしゃいましたら、
どうぞ、投稿をお願い申し上げます。

11川蝉:2005/09/25(日) 10:27:14
高座からの眺めさん御覧になって居られますか?。

来る10月13日(木)に東京五反田の立正大学の石橋湛山記念講堂において仏教文化公開講座があります。
第二部(午後3時30分〜)は古典芸能のしらべでして、
深沢友遠上人のくり弁(講座説教)の実演と、喜多流の能が演ぜられます。
もし、お近くであったらご参加をお勧めいたします。
なお第一部は午後2時からで、お会式法要に続いて小松邦彰教授の「法華経と立正安国論」の講演です。

入場は無料です。


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