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なぜ創価学会は異流義化したのか?

1創価の反逆児:2005/01/08(土) 21:06
なぜ創価学会は「異流義化」したのか?

誰か教えてくれ。

2直人[TRACKBACK]:2005/01/09(日) 13:08
創価の反逆児さん、こんにちは。

 そもそも創価学会はもとは北山本門寺に入信を試みたという説もあり、牧口常三郎氏ははた
して大石寺教学に惹かれて大石寺に入信したかどうかは疑問です。『価値論』なんかを読めば、
大石寺の思想とは違うし、そのことは牧口氏自身が尋問調書の中で認めています。
  (http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3171/1083994937/r11
 牧口氏は昭和19年、獄死し、戸田城聖氏が創価学会として再建するのでしょう。戸田氏は大
石寺の板曼荼羅や唯授一人血脈相承を全面的に肯定し、それを以って、日蓮宗を邪教である、
不相伝家である、と悪罵してきたのでしょう。その戸田氏も昭和33年に逝去し、この時期、事実
上の指揮をとっていたのが池田大作総務でしょう。池田氏は、

  仏さまはウソをつかない、と信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです
  (昭和33年9月14日、名古屋十八部隊会『会長講演集』3−P317)

  戸田先生は仏さまであられます
  (昭和35年4月1日、戸田先生三回忌御題目講『会長講演集』4−P165)

といい、戸田氏を仏とするのでしょう。そしてこうした論調はエスカレートして、会員にとっては創
価学会の正史ともいうべき『人間革命』では、

  この若い革命家の『妙法への帰命』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師へ
  の帰命、すなわち「戸田城聖への帰命」でなければならぬことを、彼は知ったのである。
  (『人間革命』3−P182〔ハードカバー版〕)

といい、戸田氏への帰命を説くわけです(現行本では改竄されています)。また、会員が講師筆
記試験に際して、

  主徳――眷属を守る力。現在でいえば、社会それ自体。しかし民衆の犠牲のうえで成り立っ
  ている主徳を失った社会もあり、その民衆は不幸です。真に人々を根底から幸福にするには、
  妙法を根底とした社会以外にない。全日本を、そして、世界を守る池田先生のみ、現在におい
  て主徳をそなえていらっしゃる。
  師徳――眷属を指導する力。師とは、知識を教えるのみでなく、智慧を開かせてあげる者でな
  ければならない。現代の教育は、知識に終始した師徳なき姿である。以信代慧の妙法によら
  ねば、真実の師徳はありえない。私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。
  親徳――眷属を慈愛する力。
  親の愛は、相対的であり、子の発展をさまたげる場合がある。身命を惜しまず、われわれ学会
  員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる。
  (「講師筆記試験優秀答案」『大白蓮華』177[昭和41年2月号]P80〜81)

といい、これを「優秀答案」として教学理論誌『大白蓮華』に載せているわけです。池田氏が監修し
た『日蓮正宗教学解説』によれば、

  一切衆生を救済すべき本仏・本尊は、必ず主・師・親の三徳を具備している。すなわち、眷属を
  守る力のある主徳と、眷属を指導しうる師徳と、眷属を慈愛する親徳があるべきである。世間に
  は、それぞれ主徳、師徳、親徳の一分をそなえた人はあるが、三徳具備は仏に限るのである。
  (『日蓮正宗教学解説』P214)

とあって、主師親の三徳は本仏の属性となっています。また大石寺においては帰命とは久遠元初
自受用身(文底の教主釈尊=日蓮聖人)と板曼荼羅をさすので「戸田城聖への帰命」とは大石寺
教学からは逸脱したものですね。
 こうした学会指導を大石寺宗門が知ったのは昭和40年代後半でした。それで細井日達師は富士
学林研究科開講式(昭和49年6月16日)をはじめとして上掲の如き思想を批判していくわけです。
 結局、54年には創価学会が『特別学習会テキスト』を配布しこれまでの指導は行き過ぎ、逸脱
があったと認めたわけです。

3直人:2005/05/04(水) 18:42:42
 皆様、ご無沙汰しています。これからもちょくちょく書き込ませていただきますので宜しくお願い
致します。

 『慧妙』を読んで思ったこと。最近、法華講と創価学会の法論記録を見ると必ず三宝論が論じ
られている。いうまでもなく、大石寺門下の三宝論は日寛師の『当流行事抄』における、

  久遠元初の仏宝豈異人ならんや、即ち是れ蓮祖大聖人なり(中略)久遠元初の法宝とは即
  ち是れ本門の大本尊是れなり。(中略)久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり。
   (宗全4−P111)

というものを踏襲しているのである。それにしても、学会側が「仏宝は日蓮聖人」であるといえば、
法華講側は『人間革命』「講師筆記試験優秀答案」を論拠として創価学会は会長本仏論である
というのは学術的にはいかがなものであろうか。確かに昭和30年代〜40年代にかけて会長本
仏論が語られたのは事実ではあるが、この点について創価学会は昭和54年、『特別学習会テ
キスト』を作成・配布してその中で誤りを認めている。その意味では第一回SGI世界青年幹部会
における池田氏の、

  学会もこれまで「会長本仏論」など、こちらが聞いたこともない(笑い)、想像すらできないよ
  うな珍説をたてているかのごとく宣伝され、それを圧迫の口実とされてきた。
  (『池田大作全集』77−P360)

という発言は批判されるべきものではある。
 ところで、法華講側は『祈祷抄』の、

  仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而も開導の師なり(定本P677)

という御文を引いて、日蓮聖人は主師親三徳兼備の本仏であるとするのである。けれども、日
蓮聖人は『下山御消息』において、

  自讃には似たれども本文に任せて申す。余は日本国の人々には上は天子より下は万民に
  いたるまで三の故あり。一には父母也、二には師匠也、三には主君の御使也。
  (定本P1331)

と仰せられている如く「主君の御使」であれ本仏ではない。何より、先の『祈祷抄』の御文には、

  釈迦仏独主師親の三義をかね給えり(定本P677)

とあることを肝に銘じるべきでしょう。
 さて、初期興門の三宝論を明示すれば、

  日蓮聖人云く本地は常光寂光地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首也久遠実成釈尊
  の最初結縁令初発道心の第一の御弟子也。本門教主は久遠実成無作三身寿命無量阿
  僧祗却常住不滅、我本行菩薩道所成寿命今猶未尽復倍上数の本仏也。法を云えば妙法
  蓮華経の涌出寿量以下の十四品本極微妙諸仏内証八万聖教の肝心一 切諸仏の眼目
  たる南無妙法蓮華経也。弘通を申せば後五百歳中末法一万年の導師也。   
  (宗全2−P253〜254)

となるわけで、 ここに見られる三宝論は日蓮聖人門下の三宝論と大きく変わるところがない。
日蓮聖人を仏宝、板曼荼羅を法宝、日興上人を僧宝とする日寛師の学説は所詮後代の創作
であって日蓮聖人、日興上人の立義を伝えるものではありませんね。
 大石寺門下は何処も我こそは日蓮聖人の正嫡門家であると自称しますが、そういうならば
なるべく日蓮聖人の御義、日興上人の教説から外れないでほしいものです。

4今川元真:2006/04/06(木) 10:51:26
創価教育学会・牧口常三郎は、教法本尊・南無妙法蓮華経を理念・理想とし、価値論(利・善・美)を実践方法の教育の形として志向したので漫陀羅や仏像に執着しなかったのでは無いでしょうか。

5一寸法師:2006/04/07(金) 18:13:10
牧口常三郎の創価学会と、今の池田大作の創価学会は全く違いますので、牧口の正当性を掲げても今の創価学会を正当化することは出来ません。

6今川元真:2006/04/08(土) 06:31:18
創価学会・戸田城聖の時、日寛教学で突っ走る訳です。名誉会長・池田大作の時、過不足を補う改革が必要なのだけど、真蹟研究が進んでないで仏教を越えた世界宗教路線へ舵をきりました。「妙_変化する世界」で世界平和が出来るか解りませんけど。

7烏賊太郎:2006/04/08(土) 10:16:36
難しい事はわかりませんが、「依法不依人」というか観点からいって
池田氏個人を依り所としたり、ご本尊をこの曼荼羅でなければダメと
真偽未定(ほぼ偽者)の板本尊を依り所にしているのは、仏教でも
日蓮聖人の宗教でもない別物であると思いますよ。


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