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上代の興門流について

7直人:2004/11/22(月) 22:58
史志高さん、こんばんは。

 日代師が日興上人から重須を付属されたのは史実でしょう。これは日蓮宗でも大石寺でも
異論はないはずです。しかし、方便品読不読をめぐって日代は重須から擯出され、そして、建
武元年から以後320余年にわたって重須と西山は正嫡論争をするわけです。この過程で、自
山の正統性を示そうとして重須は『二箇相承書』『與日妙書』を、これに対して西山は『日代置
状』を偽作してきたわけでしょう。日順師の『摧邪立正抄』に『二箇相承書』を指す記述がある
こと、日代師の『目安』、日時師の『大石記』に『日代置状』の記述があることから、それらの相
承書は早くは聖人滅後60年代に成立、80年代には大体出揃っていたでしょう。
 『二箇相承書』は重須が西山に対して自山の正統性を示そうとしたものであって、大石寺と
は何ら関係のない文献ですね。大石寺十四代・日主師は『日興跡条々事示書』の中で「相承
書を以ってのことは他山のことである。大石寺は本門戒壇の大御本尊・譲座本尊を以って唯
授一人の付属とする(趣意)」と云ってますね。


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