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祈り・祈祷に関する事

7ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2004/11/02(火) 07:23
川蝉さん、こんにちわ。

>>4

>「薬草喩品」に 
>「皆苦を離れて 安穏の楽  世間の楽 及び涅槃の楽を得せしむ」
>とありますが、「安穏の楽  世間の楽」は、心(精神)、健康、財が護られて得られる楽だとおもいます。
>信行者の心(精神)、健康、財の為めに支えになる人が入ると思います。

その人自身は信仰していなくても、間接的に信仰している人へ、特に信仰へプラス作用をもたらす存在という事になるのですね。
お話されたご婦人のケースは、ご主人の事で苦労されていた時にはわからなくても、後に振り返ってみたら、結果的に諸天の力が働いていたというわけなのでしょうか。

>一般的には、お参りの動機のほとんどは病気や何かの悩みですから、修法師とか霊能力のある教師の所に先ず足を運びたくなるのでしょう。

そういった気持ちになるのは、誰しも皆、基本的には同じではないのかと思いますし、私自身もそうです。
平穏無事な時には信仰に対して無関心な姿勢であったり、あるいは、信仰者としての勤めを怠ったりしていても、いざ自分自身や周囲の者に悩みや不幸な出来事が生じた場合、苦しい時の神頼みで、神仏にすがりたくなる人が多いのでしょうね。
そういうのは良くない事であり、常日頃信仰心を忘れずに精進を心がけて行くべきだと思いますけど、しかし、喉元過ぎれば、元の木阿弥になってしまうケースが多いのかもしれません。
でも、何かがきっかけとなって、信仰というものが少しずつでもわかるようになり、本物の信仰者への道が開けて行けたらと思っています。
言うは易し行なうは難しなのかもしれませんけど。
私はここ2年位の間で信仰というものが次第にわからなくなって来て、迷いの状態に陥り、そして、かなり冷めてしまって、この1年間はほとんど勤行・唱題をしておらず、ずいぶん長く仏壇の扉を閉じたままでいたのですが、最近になり、ちょっとした事がきっかけで、再び実践し始めたところなのです。

>植物(作物)は病虫害の対処などの生育上の工夫努力と気象が極めて強く作用するので、個人の祈願の作用が関与する余地がないのだろうと思われます。

そのような場合、信仰者が自らの信仰によって智慧を働かせ、何らかの方策を考え出して行くべきという事になるのでしょうかね(私の所属していた教団では、こういうのをよく仏智を働かせるとか、御本尊から仏智をいただくとか言っていたように思います)。

>>「山川草木悉皆成仏」
>この熟語は聞き慣れた言葉のようにも思えますが、御書に無い熟語のようですね。(有りましたかね?)
>御書には「草木成仏」の語はありますが、草木が修行開覚すると云う意味ではないようですね。

私自身は不勉強の為、詳しくないのですけど、御書に「山川草木悉皆成仏」という語句が出て来たのを目にした記憶はありません(私のそれは、まったくと言っていいほどの当てにならないものなのですが^^;)。
私の場合、一般の仏教関係・日蓮関係の書籍で「山川草木悉皆成仏」という語句に接したのですが、もしかすると、後世の人たちによる表現ではないのか?とも思ってみます。
草木成仏というのは、正直、私には今一つピンと来ず、よくわかりません・・・

・・・と、実はここまで書いてからROMしてみると、川蝉さんが新たに5と6を書き込まれていたのでした(^^;)。

>>5
>>6

貴重なご教示・文献からのご紹介、ありがとうございます。
動物の成仏や草木の成仏に関する事ですね。
私にはなかなか難しい内容ですけど、参考にしてこれから自分なりに考えさせていただきます。
ありがとうございました。


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