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祈り・祈祷に関する事

5川蝉:2004/11/01(月) 16:06
ドプチェクさん今日は。

>「山川草木悉皆成仏」と言いますけど、それはいったいどのよう
>なものなのだろうか?と思っているのです。

駒澤大・田上太秀教授が「大般涅槃経」の
「この説明(仏性に関する釈尊の説法のこと)を聞いたバラモンてちは仏性がすなわち我(アートマン)であると知って、阿耨多羅三藐三菩提を求めるこころを起こし、すぐに出家し、修行を始めた。この成り行きをみていた鳥や水陸に所属するものも、阿耨多羅三藐三菩提を求めるこころを起こし、いまの生き方を捨てて仏道にしたがった生活を始めた。」第二十七巻師子吼菩薩品第十一の一・田上口語訳)
を引き
「先にのべた魚や貝も、蟻もゴキブリも、ハイエナもライオンも五蘊から成るので仏性があるといえるが、果たしてこれらの生類が菩提心を起こすだろうか。八正道を修めるだろうか。常識的見解では有り得ないと考えられる。しかし『大般涅槃経』がものは衆縁和合のダルマに則って生滅していて、固定した在り方はなく、不定だと説いたのは、これらの生類でもいつかは菩提心を起こし、八正道を修める可能性があると考えたのである」(大蔵出版・仏性とはなにか・261頁)
と述べ、「大般涅槃経」は、畜生でも成仏の可能性を認めていると論じています。

六道輪廻の教説から云えば、畜生でも心識を有するから、死んだ後、その心識が次の身体を受けると云うことになりますね。
もしも、罪を償い終わった場合は畜生の身体を脱する事ができるわけですから、菩提心を起こせる身体を受ける可能性があるといえますね。
追善廻向は心識に功徳を送る事ですから、功徳を送られたペットの心識は、その分だけ善功徳が増加し、より一歩、菩提心を起こせる身体を受ける可能性を高めることが出来ると考えても良いのでしょうね。

田上太秀教授は
「草木にいのちがあるとは、意識とまでいわないが、感覚があると釈尊は考えていたといえよう。(原始経典ブィナヤに植物を、一つの感覚器官のある生命と呼んでいる例がある)
じつはこれが『大般涅槃経』の中で草木に悪心を抱いてはならないと説法した論拠になっているのではないだろうか。(第十六巻梵行品第八の二)
これが仏性説と関わるとすれば、先の土壁、瓦礫、石ころとは区別して、草木にも仏性があるろ考えていたとも忖度される。しかし『大般涅槃経』にはこれを明言した文句はない。・・たとえ仏性があるとはいえ、菩提心を起こす能力がない者は成仏は不可能である。」(260頁)
と、「大般涅槃経」は、草木にも仏性があるろ考えていたとも忖度される余地があるが、成仏出来るとは考えてない立場であろうと論じています。

さらに
「(大般涅槃経は)五蘊からなるものに関してのみ仏性内在説、仏性現象説を唱えている。山川草木は五蘊からなるものではない。仏性は五蘊に内在し、五蘊がなければ仏性は無いのであるから、山川草木に仏性はなく、仏性でもないことが明白である。(取意)」(262頁)
と、「大般涅槃経」は 山川草木に仏性無しと云う立場であると論じています。(続く)


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