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「因縁切り」「除霊」等に関して

1慎之輔:2004/05/23(日) 15:26
「因縁切り」「除霊」等は正統な日蓮宗の宗義に則った宗教行事なのでしょうか。
また、それらの根拠はあるのでしょうか?
(私も興味がありましたので勝手ながら、少々替えましたが新スレッドを立てさせていただきました)
*お布施に関しては教義とは無縁になりそうなのではずしました。
*個々の勝手に日蓮系を名乗られる寺院もどきの話は別に願います

2金星改め、仔猫の尻尾:2004/05/24(月) 10:44
個人的な思いですが、
切る・除くというのが仏教的じゃないですよね。
これはあるお上人様の言ですが、
仏教における祈祷とは統合である、とのことです。
気に食わないから祓う除くでは、どこに救いや慈悲があるのかと。

経力を用いて祈祷するなら、それは僕は構わないと思います。
問題は、やり方ですよね。
経力ではなくて、例えば密教の一尊法を流用した祈祷などは危険かな、と感じますが。
そのあたりの専門的な判断は、僕レベルではまだ差し控えるべきかとは思います。

3川蝉:2004/05/24(月) 15:23

「因縁切り」「除霊」と言っても、種々な考え方による色々な方法が有るようですね。テレビで時おり、紹介される怪しげなものなど様々ですね。

「因縁切り」と云う言葉は聞いたことはないです。
悪霊的障りや霊的恨みを取り除くと云う意味でしょうか?。
「除霊」とは、悪霊的障りを取り除くと云う意味ですね。
とすると、「因縁切り」「除霊」も霊障を取り除く・払うという意味と云うことになりますね。

法華経陀羅尼品に
「若し此の法師、是の陀羅尼を得ば、若しは夜叉、若しは羅刹、若しは富単那、若しは吉蔗、若しは鳩槃荼、若しは餓鬼等、其の短を伺い求むとも能く便を得ることなけん。」
とあります。

ここに挙げている羅刹・富単那・吉蔗・鳩槃荼,餓鬼とは悪鬼化したものですね。
餓鬼とは仏教辞典によると「鬼とは死者のたましいのこと。餓はつけたりの言葉。仏教では飢えて食物を待つ死者と考えられた」と説明されています。
法華経信行者は、この陀羅尼呪によって、これらの霊的障碍を防止することが出来る。と云う経文ですね。
霊的障碍を防ぐと云う思想が法華経にはあるわけです。

天台大師の「摩訶止観」の「巻第八の上」に、「病患境を観ずるとは」の項のなかに
「鬼魔の二病は、此れ深観行の力、及び大神呪を須いて乃ち差ゆることを得んのみ」
とか、また「巻第八の下」に「魔事境を観ずるとは」の項の中に
「是の如く呵しおはらば即ち応に去るべし。もし其れ去らずんば、当に密に戒の序、及び戒を誦すべし。戒神還って守り、破戒の鬼去る」
とあります。
神呪等をもって、魔・鬼等を払うと云う思想があるわけですね。

弘安五年二月の「法華証明抄」(真蹟)の終わり部分に
「又鬼神めらめ(奴等奴)此の人をなやますは、剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこ、あなかしこ。此の人のやまひ(病)を忽になをし(治)てかへりてまほり(守)となりて、鬼道の大苦をぬくべきか。其義なくして現在には、頭破七分の科に行はれ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとどめよ、とどめよ。日蓮が言をいやしみて、後悔あるべし、後悔あるべし。」
とあります。
これは上野七郎次郎さんに障っている鬼神霊的なものがあるなら、その鬼神よ、障碍を止めよと誡告している文です。
霊的障碍を払うと云う思想が見えます。

文永元年七月の「法華真言勝劣事」には
「慧亮脳を破するの時次弟位に付き、相応加持するの時真済の悪霊伏せらる。一向真言の行者は法華経の行者に劣れる証拠是なり。」とあります。
これは、法大師の弟子の真済が皇位継承に際しての祈祷で、天台宗の慧亮に敗れ、悪霊となり、その霊障で藤皇后染殿が狂疾になり、比叡山無動寺の相応和尚が祈願を命ぜられた。不動明王の「汝ひそかに、彼の霊に語れ、汝は真済の霊に非ずやと、彼れ之れを聞かば、必ず頭を低れて恥渋せん。その時大威徳明を以て之れに加せ、定めて降伏することを得ん」との教諭を得た相応和尚が、その通りにすると、彼の霊は降遣され、皇后の疾は癒えた(元亨釈書巻十)と云う故実を語るものです。
除霊は日本仏教内では古くから行われていたようですね。(続く)

4川蝉:2004/05/24(月) 15:24

(続きです)
いかような観念をもって如何なる方法で払ったり防止するかという問題になれば、いうまでもなく法華経の信行にて行うべきですね。
優陀那日輝上人の「祈祷肝文抄」に
「鬼病は正しく誦呪を能冶とすれども、我業これを冶すること軽率にすべからず。何んとなれば今時の鬼病、多くは野狐精の所為妖妄甚だ巧みなるものにして、好んで修験者を欺き誑らかすこと、往々に之れ多し。動もすれば修験を引いて悩乱障害を受けしむるものなり。高徳の明師上達秀逸の験者にあらざれば、欺誑を免るる事難し。尋常の修験者も、十に四五の功験は有る様なれども、無学汚行の人は、終に彼が障碍を受く。乃至、護法に障りを生ず。
慎み戒しむべき事なり。且つ好んで修験をなせば、鬼魅もいよいよ繁茂するものにて、多分取り合わず、相手にならず。捨て置けば、鬼魅多くは消散するなり。
鬼病に五類あり。死霊・生霊・野狐・厄禅・呪詛なり。云々。
我が党の学者は鬼病の加持は辞し遮して、止むことを得ずんば、応対をなさず、折伏を急がず、但だ経力・神力を請い求めて、日数を重ねて祈祷すべし。応対すとも十に八九は欺誑なりと知るべし。
故に鬼病は通じて遮して可なり。・・・
感応縁由とは、一には仏力。これ中道法身第一義天常住の本仏を、一切利益の根本とするなり。
二には法力。これ持誦の経文に、能く神仏の冥加を招き、衆生利益の能招たる功用を含持せるなり。顕文・密呪(陀羅尼)倶に神呪の妙用ありと信ずべし。・・
三には念力。これ最も神仏の冥加を招く大縁なる者なり。
 一には病障に相応する肝要の文義を相続して唱誦し専念すべし。 二には六番の神呪を持誦して、対治の妙用を信仰すべし。
四には信力。これ病者及び同請願求の諸人の信力念力増進すれば、勝応必ず致すべし。
五には加持の行者平生修行の福徳力。
この五種の因縁具足しぬれば、能く法性の不思議を顕し、利益を招起すること空しからざる也(略出)」(祈祷肝文抄上)
との注意が大事ですね。

5南天:2004/11/26(金) 18:33
 先般、日蓮宗霊断師会の僧侶に方位や厄について霊断を施してもらいましたが
 結果は因縁や罪障などは受けていないと、守護霊からのメッセージがあったそ
 うです。その他霊断以外にも倶生霊神(同名天・同生天)符の妙力を体験して
 見ないかと言われ、授与して貰いました。
 師走を向かえ、体調不良・職場での不和・物事が裏目に出るといった場合には
 一度お近くの霊断師を尋ねて見ては如何でしょうか。
 日興門流の宮崎県の寺院では、大半の方が霊力を付ける為に、中山の荒行堂で
 修法師の修行を積まれた方が多いのでお勧めします。
 http://www.reidanshikai.jp/

6あたかも:2004/12/11(土) 00:09
霊断師会などは、日蓮聖人の教義にもない「語り屋」商売ですね。
修法師になって霊力などが付いたと勘違いするような者が、真言
祈祷師の真似事をしているに過ぎません。日蓮聖人の崇高な思想
を誤解させるものです。御注意を・・・

7南天:2004/12/11(土) 19:41
 日蓮宗僧侶の中には、霊断師会の布教に疑問を持つ声があるのは事実みたい
 ですね、霊断師の中にも活動をしていない上人も多数いました。
 世間一般の暦の中の方位、地相、運勢、六三除けなどは、宗祖とはあまり無縁
 などでしょうか?
 今や細木数子さんが、メディアなどに多数出演して多くの悩みを持った人達に
 占術から見えるアドバイスをしているのが、世相を映し出しているように感じ
 ます。宗祖の教えを鑽仰する方達も多くの悩みを抱えて信仰の中にも悩みを他
 に求めるのは、やはり外道といえるものでしょうか ?


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