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神を祀るということ

1金星:2004/05/16(日) 18:22
日蓮聖人は、天照や八幡神などにたいして、
「これは法華経を守護するという誓いを立てたのに、
日蓮を守護しないとは」と仰せになっています。
つまり、天部はもとより日本の神々についても、
彼らは法華行者を守護しなくてはならない、とのことです。

ここまではわかるのですが・・・

どうして日蓮門下の者が、例えば稲荷や鬼子母神等に対して給仕し、
また彼らに対して唱題するということになるのでしょうか。
原理的には、逆ではないんでしょうか?
そのあたりの「根拠」というものがよくわからないのです。

・・・と言うと、創価学会からの論難のように受け取られても困るのですが、
僕は創価ではなくて、単称日蓮宗の流れにある者です。
馬鹿馬鹿しい疑問かも知れませんが、よろしく御願いします。


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