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御本尊のご開眼について

58川蝉:2005/05/26(木) 09:46:47

顕正居士さん今日は。

『諸法実相抄』の本迹は、「六重本迹」の中の「理事本迹」に大分近いというか、また「真如は不変真如であるばかりでなく、染浄の諸法を顕現する動性である。事相差別の当相がそのまま真如の動態に外ならず、十界は悉く真如の随縁であり平等不二である」とする真如随縁思想に極めて近い思想であると思います。

「諸法は真如の随縁変作であり、諸仏も真如の変作である」と云う思想はすでに五大院安然の「教時義」にあると、浅井円道立正大教授も指摘していますので、『諸法実相抄』の前半は「日蓮己証の法門等をかきつけて」と言い得るのかな?と思ったりしています。

浅井円道教授が、
「一代聖教大意には心生十界論は別教説であるとしている。日蓮聖人は心生と心具を分別し、心生十界論を厭捨する教えがある。そして心生十界論とは真如随縁論のことに外ならない。なぜなら真如随縁論とは真如の随縁生起が万法であるという心生論だからである(取意)」(日蓮聖人教学の探求・226頁)
と指摘していますが、別教に摂属する真如随縁論に極めて近い『諸法実相抄』の前半部分の思想を日蓮聖人の本義とは言い難いと思います。
傍系思想の書と指摘されている『諸法実相抄』の前半を以て大曼荼羅の意味合いを推測す依文とするのは危険があるように思えます。
『諸法実相抄』の前半において、真如随縁思想の上から、実相としての妙法蓮華経が本仏であるとし、釈迦多宝の二仏を用の仏としているわけですが、はたして、大曼荼羅上の南無妙法蓮華経と釈尊の関係を語っているものでしょうか。

『諸法実相抄』の後半に、
「既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来にたてまつり給し時、妙法蓮華経のはた(旛)をさし顕はし、」(1360頁)
とあります。これは虚空会の様相であり、また大曼荼羅を述べているものと理解すべきでしょう。中央の題目は「さし顕はされたはた(旛)」であるとしていますが、その旗は、
「釈迦仏、多宝仏、未来日本国の一切衆生のために、とどめ(留)をき給ふ処の妙法蓮華経なりと。かくのごとく我も聞きし故ぞかし。」(1361頁)
とあるように、単なる実相真如や、単なる在纏位の三身如来(仏性)を表す妙法蓮華経でなく、釈尊の教法(衆生を本有の尊形と為さしむ妙法)・釈尊の証悟・お心・全現の三身如来を表す題目とするのが本義であろうと思われます。

ちなみに、偽書説がありますが
偽書説がありますが、「阿仏房御書」では、行者の肉身が妙法五字の宝塔であると教示しています。この場合は、中央の題目は衆生本具の三身如来(仏性)を表すと云えますね。

「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我ら衆生との三つ全く差別無し」であれば、何れにも重点を置いた説明されることがあると思うので、法だとか人だとか一方的に限定しない方が良いのかも知れませんね。


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