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御本尊のご開眼について

1慎之輔:2004/03/27(土) 10:50
教えてください。昨年、私は一之江にて佐渡始顕の御本尊を
いただきました。その時のご開眼式では自分の名前を大曼荼羅
の中に書き入れていただきましたが、日蓮宗のお寺においても
同じくご開眼式で授与される御本尊には名前をいれていただく
のでしょうか?
自分の名前が入る事は非常に重要な事で、一念三千の一員と
なっていく感じがいたします。

2管理者:2004/03/27(土) 10:59
皆さん、お早う御座います。

慎之輔さん、お早う御座います。

>のご開眼式では自分の名前を大曼荼羅の中に書き入れていただきましたが
ご開眼の時は、授与者の名前を入れます。聯盟・宗門も皆同じです。
大聖人は○○之授与と、大曼荼羅ご本尊の左下に書き込まれてます。

3慎之輔:2004/03/27(土) 11:42
管理人さんおはようございます。(^○^)

やはりそうですよね。
正宗や学会の本尊授与はどうなのでしょうか?
なんとなく違うような気がしますが−−。

4直人:2004/03/27(土) 12:11
慎之輔さん、こんにちは。

>正宗や学会の本尊授与はどうなのでしょうか?

私の手元には日寛師書写本尊と日顕師書写本尊がありますが、日寛師書写本尊には
「授与之○○」という箇所が削除されているようです。この本尊は現在、正宗を離
脱した寺院にあった本尊で原本には「下野国小薬邑本如山浄圓寺大行阿闍梨本證坊
日證授与之」とあったようですが、学会はこの箇所を削除して下付しているので正
宗からはニセ本尊だと云われています。
日顕師書写本尊は「授与之○○」という箇所がありますが私が保有しているものは
開眼前のものなので「授与之」以下は空白となっています。

次は『興門本尊の研究』なんて書いてみたいなと思っています。

5管理者:2004/03/27(土) 13:45
慎之輔さんへ。

此の写真のように
http://www.city.gamagori.aichi.jp/kyouiku/museum/bun/c_58.html
お題目の真下に、日○花押と門下の上人が書いてますが、此は弟子曼荼羅で礼拝の対象とはしません。大聖人門下・大石寺系・学会もこの手を本尊として礼拝してます。

6慎之輔:2004/03/27(土) 17:59
直人さん管理人さんありがとうございました。
NOMAの掲示板で学会から移られた方が御本尊を頂いたと書いていらっしゃった
ので興味を持った次第です。大曼荼羅を眺めるたびに、ご聖人の深さを感じ
ます。また、御本尊が変節する宗派というか教団が多いに驚くばかりです。
御本尊が変っても、信者がついていくというのは、人に付いているということ
ですかね?

7みかん:2004/03/28(日) 01:51
>>5 管理者さん

> お題目の真下に、日○花押と門下の上人が書いてますが、此は弟子曼荼羅で礼拝の対象とはしません。大聖人門下・大石寺系・学会もこの手を本尊として礼拝してます。

これは誤りだと思いますが。
「主題 日●花押」という漫荼羅は他門流ではよく書かれますが、
日興門流では(大石寺系に限らず)このような書き方はしません。
「主題 日蓮」脇に「在御判」左脇に「(●●寺)何世 書写者名」です。
ですので、大石寺系・学会に限らず、日興門流ではこのような漫荼羅を本尊としません。

たとえば、大石寺の漫荼羅は次のようなものです。
http://nichirenscoffeehouse.net/NShoshu.html

8みかん:2004/03/28(日) 03:10
なんでそういうふうになっとるかといえば、日興門流の本尊相伝がそうなってるからですね。
御本尊七箇相承(これは、『富士宗学要集』版ですが、祖山学院の『本尊論資料』にも白文が載ってます)
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu1_1.htm

大石寺だけだとアレなので、たとえば、京都の本山要法寺四十世・日貫(本門宗初代管長)の漫荼羅
http://v.isp.2ch.net/up/ce962f207573.jpg

9管理者:2004/03/28(日) 11:00
皆さん、お早う御座います。

みかんさん、初めまして。

>日興門流では(大石寺系に限らず)このような書き方はしません。
学会を退会した人が「御炊きあげ」と持参した御本尊は、お題目の真下に大石寺何世の方か「日○」と有り、会員の人は此をご本尊としているとの事。又、元会員の方々も同じ様なことを以前聞きました。

本山の貫主猊下・各上人方の御本尊も、お題目の真下にご自身の日号をお書きになっているのを少なからず拝見しました。

>たとえば、大石寺の漫荼羅は次のようなものです。
>京都の本山要法寺四十世・日貫(本門宗初代管長)の漫荼羅
詳しく座配等は拝見出来ませんが、お漫荼羅の座配の通りであれば何も問題はないです。

10sat☆:2004/03/28(日) 11:23
初めまして。

>学会を退会した人が「御炊きあげ」と持参した御本尊は、お題目の真下に大石寺何世の方か「日○」と有り、
会員の人は此をご本尊としているとの事。又、元会員の方々も同じ様なことを以前聞きました。

私は元学会員ですが、管理人さんのおっしゃるようなご本尊を見たことがありません。
大石寺ではご本尊を認める形式は決まっています。

『一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。』

大石寺に伝わる「御本尊七箇相承」という文書に書かれています。
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu1_1.htm

つまり管理人さんのおっしゃるようなお題目の真下に大石寺何世の名前が書かれたご本尊は
存在しないのです。

どこか別の宗派と勘違いなさっているのではないでしょうか。

11空き缶:2004/03/29(月) 18:02

新しいお客様もお見えのようで、私も一言。

みかんさん、sat☆さん、日興師も日目師も、この「御本尊七箇相承」の記述にそぐわない御本尊をかかれているのだから、「御本尊七箇相承」が後代の偽作であろう事は疑うべきでしょうね。(特に初期の御本尊)

ちなみに日蓮正宗本山讃岐本門寺本堂の日興師書写の御本尊は、主題の下が「日蓮聖人」となっています。日蓮宗本山小泉久遠寺所蔵の日目師書写の御本尊も、主題の下は「日蓮聖人」となっています。この点は身延山の第2祖日向上人の書写された御本尊と同じです。

また、日蓮宗本山弘法寺所蔵の日頂上人(六老僧の一人、後年に重須にて日興師とともに活動する)が弘安五年に書写された御本尊は主題の下は「日蓮 在判」となっています。

それから「御本尊七箇相承」の流出元は、保田妙本寺だと思いますよ。大石寺に伝わっている写本も、保田妙本寺のものをコピーしたものですから。

おそらく、後代の誰かが日興師の書写御本尊を例に御本尊書写マニュアルとして完成させたのが「御本尊七箇相承」じゃないでしょうかね。

12空き缶:2004/03/29(月) 18:29

でも確かに、みかんさん、sat☆さんのおっしゃる通り、日興門流では主題の下に自分の名前と花押を認めることはないですね。

勝劣派の中には主題の下に「日蓮聖人」あるいは「日蓮大菩薩」等と書き、さらにその下に図顕者の名前と花押を認める御本尊もあるようですが。興門と什門は主題の下は「日蓮 在御判」が通例だと思います。

13みかん:2004/03/29(月) 22:47
疑うべきもなにも偽書に決まってるでしょうね。相伝の類が真書であったためしを私は知りません。

単に、ある時期以降から現在の日興門流はこの相伝にしたがっている(厳密にはしたがってないが。大石寺は嫡々代々とか書いてないし)というだけの話で。

ちなみに、資料として、日興門流の本尊の写真をアップしたので参考までに。

日興筆本尊(佐渡世尊寺・蔵 『日興上人御本尊集』(興風談所)より)
http://www.geocities.com/highreturn85/nikko.jpg

現在の学会の形木本尊(大石寺二十六世日寛)
http://www.geocities.com/highreturn85/gakkai.jpg

大石寺の形木本尊
二十六世日寛(昭和三十年代に下付されたもの)
http://www.geocities.com/highreturn85/nitikan.jpg
六十七世日顕(1980〜85年ぐらいまで下付)
http://www.geocities.com/highreturn85/nikken.jpg
六十六世日達(1966〜80ごろまで下付)
http://www.geocities.com/highreturn85/nittatsu.jpg

要法寺の本尊(要法寺四十世日貫 『日貫上人』(本山要法寺)より)
http://www.geocities.com/highreturn85/youbouji.jpg

西山本門寺の形木本尊(本門寺日正  『西山本門寺本尊の考察』より)
http://www.geocities.com/highreturn85/nishiyama.jpg

14sat☆:2004/03/30(火) 10:41
>>11 >>12

「御本尊七箇相承」が偽書か真書かがいま問題なのでしょうか?
大石寺のご本尊の書き方は、偽書であろうと真書であろうと
「御本尊七箇相承」に則って書かれている。
ただ単にこれだけの話だと思うのですが。

管理者さんの間違った認識に偽書か真書など関係ないと思いますよ。

15川蝉:2004/03/30(火) 11:42
みかんさん今日は。

13番で、せっかく、興師等書写の御本尊を拝見出来るページを紹介頂いたのに、クリックした後の手順がわからず、拝見することができません。
ご面倒でも閲覧の手順を教えて頂きたいのですが。

16慎之輔:2004/03/30(火) 12:03
川蝉さんこんばんは、サイト移動の警告が出ますが、一番上のアドレスを
クリックすればそのままサイトに飛び眺める事ができると思います。

みなさん私の質問にいろいろと参考資料を教えていただきありがとう
ございます。
sat☆の仰られることもわかります。
僕は教えていただくまで大石寺関連や学会の御本尊はもっと違ったご本尊か?
(*一行のお題目だけなのかな?と思っていたしだいです。)
と思い込んでいたものですから教えていただき助かりました。
詳細は別として、図配や足りない諸天神の難しい事は別としてご聖人が描かれた
大曼荼羅をモデルとされるなら、異体同心も夢ではなく可能性があるなぁと
思ったしだいです。私は難しいことはわかりませんので失礼いたします。

17管理者:2004/03/30(火) 12:19
皆さん、今日は。

sat☆さん、
>管理者さんの間違った認識に偽書か真書など関係ないと思いますよ。
此は、心外ですね。
元学会の方が20年ほど前に御炊ききあげで持参した御本尊(20数㎝)、お題目の真下に、歴代のどの方は記憶にありませんが書かれていました。

富士門流も、大曼荼羅勧請の事は知ってますが、元学会の方が持参した御本尊を観ますと、勧請形式が違う、明らかに弟子曼荼羅の様式です。

18sat☆:2004/03/30(火) 12:45
>>17

大石寺のご本尊は必ず
「主題 日蓮」脇に「在御判」左脇に「何世 書写者名」

と書かなければなりません。これ以外の書き方の本尊は大石寺の本尊ではない
と申しておるのです。
みかんさんがご紹介されている本尊の写真をよくご覧になって見てください。

元学会の方が持参されたご本尊は学会のものではなく日蓮宗のご本尊だったのでは
ないでしょうか。もしもそれが学会のご本尊ならば大問題です。

>>15
ご本尊の写真を見るにはURLをコピーしてアドレスバーに直接貼ってください。
エンターすると表示されます。

19みかん:2004/03/30(火) 14:28
川蝉さん

直接リンクだと写真が見えないようなので、
http://www.geocities.com/highreturn85/
ここから見て下さい。

20川蝉:2004/03/30(火) 15:26
sat☆ さん、みかんさん、ご助言有り難うございました。

ご両人さまのご助言通りに操作しましたが、同じく英文のページが表示されるだけで、写真は出てきません。

せっかく教えて頂いたのに、なにぶん万年初心者なので、恥ずかしい限りです。

早速の御返事有り難うございました。

21空き缶:2004/03/30(火) 16:50
sat☆ さん

>「御本尊七箇相承」に則って書かれている。

→ところが、「御本尊七箇相承」に則って書かれていないものもあるという事がいいたかったのです。

>大石寺のご本尊は必ず「主題 日蓮」脇に「在御判」左脇に「何世 書写者名」

→こちらも、みかんさんより提供していただいたお写真を拝見する限り、日寛師の書写された御本尊には「何世」の部分がないと思います。
 日寛師の書写された本尊は二幅とも右から「日寛(花押) 奉書写之」となっていますね。

管理人さん、私の勝手な憶測ですが「日寛」や「日達」・「日亨」など大石寺の歴代に、名を連ねる諸師と同様の日号を名乗られた日蓮宗および法華宗の管長もおられるみたいですので、そうした宗派より創価学会に改宗された方の家にあった御本尊では無いでしょうか?

22みかん:2004/03/30(火) 16:51
>>20 川蝉さん
では、こちらは見られるでしょうか。

http://www.geocities.jp/izumikyouryokuseirogan/

23管理者:2004/03/30(火) 17:01
みかんさんへ。
富士門流の資料の在所、有り難う御座います。

川蝉さん、直リンに設定しましたので、クイックすればその場所へ飛びます。お試し下さい。

24管理者:2004/03/30(火) 17:18
空き缶さん、今日は。

>「日寛」や「日達」・「日亨」など大石寺の歴代に、名を連ねる諸師と同様の日号を名乗られた日蓮宗および法華宗の管長もおられるみたいですので
うーーむ、御炊きあげで持参した人は、「学会の本尊」と云ってましたので、この様な御本尊を授与してるのかとその時思いました。

でも、みかんさんのご呈示の御本尊を観まして、弟子曼荼羅形態を授与した事がないとの事ならば、其の説を受け入れます。

25川蝉:2004/04/03(土) 17:10
みかんさん今日は。

御本尊の閲覧、今度は出来ました。
お手数をおかけしました。
有り難うございました。

26木犀:2004/09/20(月) 10:51
晴海で骨董市があった時、日蓮正宗の常泉寺日某で書かれた曼荼羅が出ていました。逗子にお住まいの蒐集家が求められました。なるほど、日蓮正宗でもこうしてお書きになるのがあるのだな、とその時は思いました。
たぶん昔は緩やかだったんだろうと思います。ただ普通はみかんさんのように理解されて伝わっているようですね。というのは、大石寺の塔中に関係した方のご親戚の方で、同僚がいて、戦時中出されたお守り本尊だとか、色々なのがありましたよ、という話をお聞きしました。

>でも、みかんさんのご呈示の御本尊を観まして、弟子曼荼羅形態を授与した事がないとの事ならば、其の説を受け入れます。

話はきりがありませんが、組織が勢いを増して大きくなり、体系付けなければならなくなると、自然と細かい規定や権威付けが必要になってくるのは自然の成り行きです。色々あったのでしょう。

27川蝉:2004/09/20(月) 17:44
話しの流れとちょと、はずれますが。

昨日午後に、話しをしたいからと顕正会の信徒から電話がありました。その人の亡母は、私の所の信者さんでした。
先輩という人物と二人でやってきました。

いつの間にか、息子夫婦が熱心になっていたようで、最近、私の所をはじめ近隣に顕正会の小冊子を配布したりしています。
時間がもったいないと思いながら、二時間ぐらい相手をしてやりました。
中途でお宅の本尊は誰が書いたものかと尋ねたので、「日蓮聖人の直筆の写真だよ」と答えると「写真なんか本尊にしているの、あきれたね。謗法だ」と驚いていました。「私が自分で開眼し」というと「へー自分で開眼したの、笑っちゃうね」などと云っていました。

印刷してあった板本尊批判の文を、渡そうとしましたが、いやがって持っていきませんでした。
人には自分たちの小冊子を配りながら、他の批判的なものは、読むのをいやがるのですね。

無学者理に詰まらずで、どうしょうもないですね。あきれるばかりです。

28大華寺信徒:2004/09/21(火) 11:18
 写真版の日蓮聖人の御本尊
福島県いわき市の妙法寺には、師資伝授の御本尊の写真版があり、写真から和紙
に印刷(複写版)された容で虫干法要で公開されていますよ。

29ご本人の希望により削除しました:ご本人の希望により削除しました
ご本人の希望により削除しました

30大華寺信徒:2004/09/21(火) 11:20
管理人様
同じ物を投稿してしまいましたので、削除願います。
申し訳ございませんでした。

31川蝉:2004/10/21(木) 13:43
身延在山中の本尊様式

すでに故人となられた執行海秀教授や鈴木一成教授が、「大曼荼羅は本尊に非ず、一尊四士像が正式本尊であり、身延在山中の本尊は釈尊像の前に法華経を安置して本尊とされていた」と云う旨を主張されたことがあり、最近、身延在山中の本尊について、他の掲示板で話題になっていたので、ちょっと考えたことを投稿させていただきます。

さて、
「観心本尊抄」の
「其の本尊の為体(ていたらく)本師・・但八品に限る」の部分は間もなく図顕する予定の大曼荼羅を本尊と称している文と云えますね。
「本尊抄」述作時には、まだ曼荼羅図顕はされていませんが、日蓮聖人の胸中には、すでに本尊としての大曼荼羅の構想が、ほぼ固まっていたので、「其の本尊の為体」「是の如き本尊」と記されたと推測出来ます。
大曼荼羅の座配と照らし合わせても、上記の「本尊抄」の文は、曼荼羅本尊のイメージ、構想を語っていることは確かでしょう。
また「報恩抄」に
「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし。」(昭定1248頁。学会版328頁)
とあります。
「所謂宝塔の内の釈迦、多宝・・なるべし」とは、大曼荼羅の形貌を説明しているものと解釈されています。
よって、「報恩抄」でも、大曼荼羅をもって、本尊としていることがわかります。
(ただし、別の解釈として、中央題目が本体としての釈尊で、脇士となっている並座の釈尊は迹にあたり、中央題目と並座の釈尊は体用本迹の関係であるから、二にして不二の関係とする見解もあります)

大曼荼羅という言葉は真言宗で言う四種曼荼羅の一つで、ほんらい「彩色図画された佛菩薩の尊容を描いたものをいう」(仏教思想辞典)と云う意味だそうです。
また「密教大辞典」によると
「大曼荼羅とは仏菩薩の相好具足の身を初め、十界の有情非情の身これなり。・・但し同じく仏像なりと雖も五大の色を以て畫きたる図像は大曼に属し、木像・鋳像・捏像等は羯曼荼羅に摂す。これ畫像は五大の色顕著なるが故に大曼とし」(3−1025頁)
とあります。

文字で表現されていますが、日蓮聖人は虚空会列座の佛菩薩の色相荘厳の尊容をイメージされて図顕されたので、一般的用語例にしたがい大曼荼羅と呼称されたのだと推測出来ます。

次に「本尊抄」の
「是の如き本尊は、在世五十余年にこれ無し、八年の間にも但だ八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は、迦葉、阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊、普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむ可きか。」
の部分の末尾の「此の仏像」について、大曼荼羅を指していると云う見解と、一尊四士像を指すという見解があります。
大曼荼羅と見る理由として、
1、大曼荼羅は「是くの如き本尊」と云われるものであるから「寿量の本尊」であることは間違いない。文は「寿量の仏」を「此の仏像」と指している故に、大曼荼羅を「此の仏像」と指していることになる。
2、大曼荼羅は久遠釈尊の身土・釈尊の証悟の一念三千の世界を表しているものだから、寿量の本尊(本門の教主釈尊)そのものであり、「報恩抄」にも、「その形貌いかん」とあるので「此の仏像」と表現されていると見て良い。
3、「仏菩薩の相好具足の身を書いたもの」と云う大曼荼羅の語義からも、大曼荼羅を「此の仏像」と表現されたと見ることも出来る。
などの理由が挙げられています。(続く)

32川蝉:2004/10/21(木) 13:46
(続きです)

「此の仏像」を一尊四士像を指すと云う見解の理由として、
1、「仏像」と有る以上、平面的な文字曼荼羅でなく、立体的な仏像である。
2、「是の如き本尊は、在世五十余年にこれ無し、八年の間にも但だ八品に限る。」とは大曼荼羅を指したものだが、次文の「正像二千年の間は云々」の部分は脇士によって仏格を表す場合に相対して、本尊を語る部分であるから、「此の仏像」は一尊四士像を指していると見るべきである。

と云う理由が挙げられています。

また、別の見方として、中川日史師に見方があります。
中川日史師は「観心本尊抄提要」において、「此の仏像」の部分を「始めて日蓮が未曾有大本尊の中に、この久遠の本仏を光顕し奉るのである」
と意訳し、「大本尊が顕現し、本仏釈迦牟尼仏は上行等の本化を脇士として私たちに顕れさせたまうたのであります」と補釈しています。「此の仏像」は大曼荼羅の中に示された一尊四士と見ているようです。

いずれにしても、「本尊抄」には大曼荼羅と一尊四士の二種が示されていると見るべきでしょう。

身延在山中の勧請様式についてですが、
法華経を前に置くとは、佐渡以前の教示ですし、大曼荼羅を図顕され、弟子信徒にも本尊として曼荼羅を授与されているのですから、自らも曼荼羅を奉安していたと推測する方が自然だと思われます。大曼荼羅の正面か、あるいは少し脇に釈尊像を奉安しておられたのであろうと推測します。

中世に著された伝記本「当家宗旨名目」や「元祖化導記」に、日蓮聖人臨終近くに、大曼荼羅と釈尊像を安置したという伝承を記しています。
日興上人の六上足の第一である日代師の「宰相阿闍梨御返事」に
「御円寂の時、件の曼荼羅を尋ね出され懸け奉る事顕然なり」
(宗全2−235頁)
とありますし、御臨終近くに大曼荼羅を懸けたと云う伝承は恐らく事実を伝えていると見てよいだろうと思われます。

身延在山中の勧請様式を模して、身体を起こされ座された日蓮聖人の前に、急遽、大曼荼羅と釈尊像をしつらえたものと推測出来ます。

真蹟が無い御書なので証としては弱いですが、「阿仏房御書」に
「御文委披見いたし候畢。抑宝塔御供養物、銭一貫文・白米・しなじなをくり物、たしかにうけとり候畢。此趣御本尊法華経にもねんごろに申上候。」(昭定1144頁)
とあります。
系年を昭定とおり建治二年とする場合、この御書の他の部分から大曼荼羅を宝塔と称しているようです。
そうすると、阿仏房が宝塔供養物すなわち大曼荼羅供養物を送付してきた意味になります。身延在山中、大曼荼羅を勧請さて云うことが推測出来ます。

御書には、しばしば「法華経の御宝前」とあることについてですが、大曼荼羅と釈尊像を安置した御宝前は、法華経に基づいた御宝前であり、また大曼荼羅の中央の題目は法華経の肝心でもありますから、法華経の御宝前と呼称されても齟齬は無いと思われます。

また「忘持経事」に
「教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝し」(昭定1151頁。学会版977頁)
の文も、釈尊像を安置すると共に大曼荼羅を懸けておられたとことを否定出来る文ではありません。
理由は、
1、「報恩抄」に、大曼荼羅をもって教主釈尊の形貌とされているので、懸けている御宝前を「教主釈尊の御宝前」と言い得る。
2、大曼荼羅という用語は、ほんらい「彩色図画された佛菩薩の尊容を描いたものをいう」と意味がありますから、大曼荼羅御本尊の尊容という表現もあり得る。

という理由からです。

33直人:2004/11/02(火) 20:52
 私が日禅授与本尊を大石寺蔵板曼荼羅の原本と考えない理由を簡単に書いておきました。

「本門戒壇之大御本尊の相貌について―日禅授与本尊との対比―」
http://www.sincere.ne.jp/~naohito/kaidan_zenshi.html

34オスカー:2004/11/04(木) 14:36
ホームページ開設おめでとうございます。
HPを一新され、今後の活躍を心からお祝い申し上げます。

日禅授与の本尊が注目される今日、偶々宗門僧侶の方で宗史研鑚をされている
方から、正宗寺院の御本尊を調査研究の為に三十数年前に撮影された宗祖日蓮
聖人筆とされる写真帖を見せて頂きましたが、安国会の宗祖筆の本尊とは、あ
まりにも掛け離れた代物でした。それよりももっと驚かされたのは、他門に伝
わる宗祖筆の形木本尊として、各由緒寺院には伝承されていたのには、驚嘆し
ました。例えば池袋常在寺には弘安元年筆日頂師に与えた御本尊
http://www.lbis.jp/gohonzon/053.htm をはじめ現存格護されています。
スキャナーがあれば、お見せしたいのですが、購入の後に紹介させてもらいます。

35直人:2004/11/05(金) 01:46
オスカーさん、おひさしぶりです。

 日禅授与本尊は大会前夜(22日)、知己の大石寺門徒さんとお話しました。「大御本尊様
って実際のところどうなんでしょうかね?」と聞かれたので、河邊メモの記載を中心に、板曼
荼羅と日禅授与本尊の相違を語り合ったものです。私は板曼荼羅と日禅授与本尊を対比し
ていたので、河邊メモの説は疑問だ、妙観講が云うような宗外からの偽作論への対策のこと
を記したものと解する方がまだ妥当であると思うし、河邊メモよりは平成11年の説法の方が
正鵠を射たものであるなと。
 
  此の際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅授与の御本尊とは全く相
  違しているという事である。よく拝すれば中尊の七字の寸法と全体からの御位置におい
  ても、明らかに異なりが存し、また御署名御花押の御文字及びその大きさや御位置
  (http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/PAPER/1999/534.htm#1)

 オスカーさんの云われる御本尊、実に興味深いですね。楽しみにしています。
 余談ですが、かけ離れた御本尊で思い浮かぶのはネット上に掲載されている伝・有師祈
祷本尊ですね。『奉蔵於奥法寶』の有師書写本尊と対比しましたが、首題下の署名箇所、
左横の署名には首を傾げたくなります。

36川蝉:2004/11/07(日) 09:53
直人さん今日は。

33番に掲示していただいた日禅授与曼荼羅と板本尊は題目だけ比べても、ひどく違いがありますね。

冨士門流信徒掲示板の犀角独歩さんの投稿によると、日禅授与曼荼羅には大石寺蔵と北山本門寺蔵との二種があるようですね。
直人さん掲示は北山蔵の曼荼羅ですか?。

犀角独歩さんは大石寺蔵のものと板曼荼羅の相似点を指摘しているようです。
大石寺蔵の日禅授与曼荼羅の写真を見てみたいですね。

北山・大石寺蔵ともと日禅授与の授与書きが書かれているのでしょうか?。授与書きがあるとすれば、同一人が二幅の曼荼羅の授与を受けることが有るのだろうか?。疑問が生じますね。

37直人:2004/11/07(日) 12:01
川蝉さん、こんにちは。

 私のものは重須蔵日禅授与本尊です。
 大石寺蔵のものは、
  
  弘安三大才庚辰五月九日、比丘日禅に授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少輔公
  日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し、(また同御加筆御華押と蓮字と
  交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺に懸け奉り万年の重宝
  たるべきものなり。東京 法道院。(富要8-P187)

で、重須蔵のものは、

  弘安三大才庚辰五月九日、比丘日禅に授与す、(御判の内に他筆にて)本門寺に懸け
  万年の重宝たるべし、(伯耆曼荼羅と称す)北山本門寺。 (富要8−P215)

です。日蓮聖人が同一日時に、御本尊をニ幅授与するとは考えがたいので、何れかが模写
でしょう。堀師は「禅師へご授与の御本尊については、興師の加筆が現存すべく、それと同
形のが北山本門寺にも法道院にも現存する」(詳伝P613)と云っていますので、大石寺蔵の
ものも重須蔵のものも大きな差はないと思います。
 大石寺蔵日禅授与本尊は明治時代、日応師が買い取った(河邊メモ)ものが法道院に昭
和45年まであり、それが大石寺へ奉納されたわけです。とすれば、それ以前は、大石寺に
はなかったわけです。「河邊メモ」の日禅授与本尊の項目だけ引用しておきます。

  一、戒旦之御本尊之件 戒旦の御本尊は偽物である。種々方法の筆跡鑑定の結果
  解った。(字画判定)多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、
  その他は時師か有師の頃の筆だ。日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている
  (中略)
  ※日禅授与の本尊は、初めは北山にあったが、北山の誰かが賣に出し、それを応師が
  何処かで発見して購入したもの。(弘安三年の御本尊)
  (『日蓮正宗〝落日の真因〟』P227-228)

 日禅授与本尊を板曼荼羅の原本とするならば、上代から大石寺になければならないです
ね。しかし、もう一幅の日禅授与本尊が重須にあるということは、日禅授与本尊は重須に格
護されてき、その中で模写本が成立。その後、流出し法道院へ。という過程じゃないだろう
かと愚考したりします。
 興門の所伝では、北山と保田は組み、大石寺と西山は組み、互いに対立してきた歴史が
ありますから、そうした中、大石寺僧が重須に出向いて御本尊を書写するだろうかという疑
念が拭えないのです。
 また、「模写」とは「そっくりそのまま写し取ること」(三省堂提供「大辞林 第二版」ネット版)
ですから、日禅授与本尊と板曼荼羅は相当似ていなければならないだろうと思うのですね。
しかし、日禅授与本尊と板曼荼羅は似るところがなく、相違が目立つので、私は「河邊メモ」
で云うところの「模写の形跡」というのは本来、一幅だった日禅授与本尊を模写したからだろ
う。それによって、ニ幅の日禅授与本尊が成立したものだろうと思うのですね。

>大石寺蔵のものと板曼荼羅の相似点を指摘しているようです

 さきの発表大会の質疑応答の時は重須のものを用いていると聞いた気がしますが私の聞
き間違いでしたか。

38勉強中:2004/11/08(月) 00:27

横レスにて失礼致します。

日禅授与曼荼羅につきましては、かつて「富士門流信徒の掲示板」でもどなたかが取り上げられていましたが、日禅師は大石寺南之坊開山ですので、日禅授与曼荼羅ももともとは大石寺にあったのではないでしょうか。

その後、北山本門寺第七世日国師の代に大石寺から北山に売られたのではないかと類推されていたと存じます。

これは北山文書の「日国定書」に「予の代に上野(大石寺)より御正筆御本尊一補買いとり」との記述がみられることから、ここに出てくる「上野より」買い取った「御正筆御本尊」こそが、日禅授与の御本尊ではないかとされていたと記憶しています。

それから発表会での犀角独歩さんの講演は、本門戒壇の曼荼羅と日禅授与の曼荼羅との、そのままでのはりあわせでは一致しないが、一文字一文字切り取って重ね合わせてみると、他の宗祖曼荼羅には比べ物にならないほど一致する箇所が多いというものであったと思います。
そのことから犀角独歩さんは、おそらく板曼荼羅の作成された当時、いっぺんに日禅授与曼荼羅を書き写す薄紙が無く(かなり大幅の曼荼羅であるため)、小さな薄紙で一文字一文字写し取り、それを板に張り合わせて彫刻したのではないかという論考であったと思います。

いずれにしましても、本門戒壇の大曼荼羅と大石寺の日禅授与曼荼羅が写真公開されることを望む次第です。

39直人:2004/11/08(月) 03:21
勉強中さん、こんばんは。

 重須七代・日国師の時代と云えば『富士年表』を追う限りは大石寺では日鎮師・日院師の
時代ですね。重須六代・日浄師は明応六年に板曼荼羅を「未見未聞の本尊」であると云い、
日有師が偽作したものと批判していますね。仮令、日禅授与本尊が上代から大石寺にあっ
たとして板曼荼羅が日禅授与本尊の原本であったならば大石寺が偽作原本を容易く売るも
のでしょうか。それも対立してきた重須に。それをすれば重須に板曼荼羅偽作の正体を明か
すようなものです。
 私は『日国定書』を見ていないので何とも云えませんが、「予の代に上野(大石寺)」の大
石寺とは原文ママでしょうか。それとも編者註でしょうか。編者註であれば、対立相手に御
本尊を売ったりするとは考え難いので「上野」とは大石寺ではなく妙蓮寺であったかもしれ
ませんね。仮令、大石寺であっても大石寺が日禅授与本尊を原本としたのであれば、その
原本を容易く手放すとは考えられませんから「御正筆御本尊」とは日禅授与本尊ではなく
別な御本尊であった可能性もありますね。

>一文字一文字切り取って重ね合わせ

 日禅授与本尊の首題を「南」「無」「妙」「法」「蓮」「華」「経」と一つ一つ模写し、それを板に
模刻したというのでしょうか。しかし、『御本尊集』を見る限り、№90の「今此三界御本尊」を除
外すれば№86以降、「南」字のヒゲは「大毘沙門天王」に到達していますし、日禅授与本尊の
図顕前日ものである№92、№93も「南」字のヒゲは「大毘沙門天王」に到達していますが、板
曼荼羅の「南」字のヒゲは極端に短く、弘安三年五月の御筆法とは異なっています。「各文字
を模写・原図」(大会配布資料)としたのであれば、板曼荼羅はもっと忠実に模刻(再現)され
ていたはずであろうと思うのです。

40直人:2004/11/08(月) 03:24
訂正

〔誤〕板曼荼羅が日禅授与本尊の原本であったならば
〔正〕日禅授与本尊が板曼荼羅の原本であったならば

41勉強中:2004/11/08(月) 23:54

直人さんこんばんは。

>「予の代に上野(大石寺)」の大石寺とは原文ママでしょうか。

違います、私の勝手な思い込みからつけた( )書きです。
確か平成2年以降に大石寺から離脱してきた僧侶たちが書いた書物に、日国定書とほぼ同時期に大石寺→北山と日禅授与曼荼羅が移動したことが書かれていました。
これらのことから日国定書の「上野」を「大石寺」と思い込んでいました。
ご指摘を受ければ、確かに妙蓮寺の可能性も否定できませんね。

>板曼荼羅はもっと忠実に模刻(再現)されていたはずであろうと思うのです。

私は今夏伊豆實成寺の虫干しに行かせて戴きましたが、實成寺の客殿の板曼荼羅は万年救護本尊を模刻したものです。しかし南のひげの長さや讃文の位置などは真筆の万年救護本尊と異なります。
その意味では、必ずしもすべてが一致しなくとも他の特徴の一致をもって原図のひとつと考えることは可能ではないかと思うのです。

特に犀角独歩さんの御所論は、日禅授与曼荼羅をもとにした「パッチワーク」というものであったと思います。

いずれにしましても、今回の図画的考証も不鮮明な「本門戒壇の大御本尊」と北山蔵の「日禅授与曼荼羅」との比較ですから、やはり「本門戒壇の大御本尊」の鮮明な写真と、大石寺蔵の「日禅授与曼荼羅」の写真公開による、川辺メモの図画的考証を期待したいものです。

42オスカー:2004/11/09(火) 20:01
 ここで、一つ日禅授与本尊の件を抜いて、師資伝(紫宸殿本尊)本尊もやはり
原図を模写した容で、黒須野妙法寺・栃木信行寺・池袋常在寺(紙本)で現存し
ており、御本尊集82番の様相とは若干文字にズレがあるのは、技術的な問題で
すから原図と一致しないのは、当然な事です。

43直人:2004/11/09(火) 22:04
勉強中さん、オスカーさん、こんばんは。

 私は伊豆實成寺・黒須野妙法寺・栃木信行寺・池袋常在寺の御本尊を見ていませんので
何とも云いようがないです。もっとも、コピー機のようなものがない時代ですから原本の如く、
忠実に再現というのは技術的には難しいかもしれません。しかしそれでも著しい相違が見ら
れれば〝それはどうだろうか〟と思うわけです。
 板曼荼羅、本能寺蔵№92、妙海寺№93、重須蔵日禅授与本尊を並べて見ていました。
「蓮」字、「経」字の旁、署名の位置を対比すると板曼荼羅は重須蔵日禅授与よりも安永教
授が指摘されたように妙海寺№93に近く感じました。逆に重須蔵日禅授与本尊は本能寺蔵
№92に似るところがあるように感じました。
 板曼荼羅の不動明王が「く」の如く記され、「大廣目天王」の「大」字に密着している点は弘
安三年五月の筆体より弘安三年四月の筆体(『御本尊集』№83)に近い感がしました。

44勉強中:2004/11/10(水) 00:30

直人さんこんばんは。オスカーさんはじめまして。

種々お教え戴きありがとうございます。
日国定書は以前図書館で静岡県史からコピーしてきたものですが、たしか5巻から8巻までのどこかに収録されていたと記憶しています。
何巻であったかは忘れてしまいました。お役に立てず申し訳ございません。

ともかく直人さんの真摯な研鑽態度には敬服致します。今後ともよろしくご教示願います。

45直人:2004/11/10(水) 19:53
勉強中さん、こんばんは。

 ここ数日の論談は改めて気づかされるものがあり有益でした。こちらこそ、今後ともよろしく
お願いいたします。

46川蝉:2005/05/19(木) 14:00:52
「本尊問答抄」について。

「本尊問答抄」に
「此の御本尊は世尊説きおかせ給ひて後、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず。漢土の天台、日本の伝教ほぼしろしめして、いさゝかひろめさせ給はず。・・・此の御本尊の御前にして、一向に後世をもいのらせ給い候へ、」(学会版373〜4頁)
とあるので、「本尊問答抄」は大曼荼羅を本尊とし、その説明の一端を教示されている書であることがわかります。

「仏は身なり法華経は神なり」(同366)
とあるように法華経ないし法華経の題目は単なる理法ではなく釈尊の証悟・心とされています。

文永元年の「木絵二像之事」にある
「仏の御意あらわれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる」(469頁)や、
文永九年の「四条金吾殿御返事」にある
「其中法華経は釈迦如来の書顕して、此御音を文字と成給ふ。仏の御心はこの文字に備れり。たとへば種子と苗と、草と稲とはかはれども心はたがはず、釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一也。然ば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし。」(1122頁)
に見える法仏一体(法仏不二)思想と同じです。

「本尊問答抄」も法仏一体の立場にたっていますので、釈尊と遊離した単なる経法の題目とは捉えていないことはたしかです。

「本尊問答抄」初めの
「答へて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。」
とある「法華経の題目」とは、文面上では法華経二十八品の題目のように表現されていますが、日蓮聖人の内意では「寿量品の釈尊の証悟・御心である」と云うお考えが底にあることを忘れてはならないものでしょう。

迹門的には釈尊始め諸仏は、それぞれ先仏の法華経説法を受け修行して成仏したことになっているので、法華経は「諸仏出生の種」「法華経は能生、仏は所生」であり、そこで「本尊とは勝れたるを用うべし」と云うことから、法華経・題目を本尊とすべきであると云う論理展開です。

「不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり。此は法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。上に挙ぐる所の本尊は釈迦、多宝、十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。」
とありますが、
この文意は、「法華儀軌は釈尊多宝を本尊としているが、迹門の釈尊多宝なので法華経の所生である。ゆえに、法華経正意の本尊ではない」
と云う意味でしょう。

寿量品の釈尊は無始の仏、一切諸仏の根本仏とされるので、経法としての法華経より出生した仏の中の範疇に入らないですね。

「本尊問答抄」は対機説法の書なので、迹門的立場にたって、法華経・題目こそ諸仏修行の法であり、諸仏は法華経・題目から出生したのであるから、法華経の題目こそ諸仏が本尊とするものだと論じています。
ですから日蓮聖人の本尊観が変化して題目本尊を鮮明に打ち出した御書ではなく、浄顕・義城房の機根に合わせた御書なので、迹門的に説明した結果、法の面が表に出ている御書とみるべきでしょう。
「本尊問答抄」を述作された時期に於いても、題目は、寿量品の釈尊の証悟・御心すなわち、寿量所顕の本仏を表すと云う本門の立場に立ったお考えは変化していないと見るべきでしょう。

大曼荼羅は寿量品の釈尊の証悟・御心すなわち寿量品の釈尊の一念三千の世界(身・土)を表したものですから、寿量品の釈尊の証悟・御心としての題目をさらに詳しく現したものと云うことになりましょう。
ゆえに、「報恩抄」では
「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし。」(328頁)
と、大曼荼羅を「本門の教主釈尊」と呼んでいるのでしょう。
「報恩抄」と「本尊問答抄」との本尊観は相反するものではないことになります。

47伝六:2005/05/20(金) 10:02:56
川蝉さん、おはようございます。本尊問答抄が対機説法というのはちがうのではないでしょうか。宗義をのべられた御書に対機説法はないと考えます。次に「本尊とは勝れたるを用ふべし」ですが、文脈上仏と法では法が勝れていることを肯定されているかのようですが、佛家では釈尊を本尊とすべしとむすばれていて、結局仏と法とはどちらがすぐれているかという問いにはお答えにならなかった。解釈のしかたによっては、仏と法とどちらが勝れているかという問いには、あまり意味がないといわれているようにも考えられます。

48川蝉:2005/05/20(金) 16:35:23
伝六さん今日は。

冨士門流信徒掲示板(http://jbbs.livedoor.jp/study/364/)のスレッド「4、本尊と曼荼羅」の376〜384番の投稿を閲覧したので「本尊問答抄」について私なりの考えをまとめてみた投稿です。
「佐渡の国より弟子どもにより内々申す法門あり」(三沢抄)「(観心本尊抄は)日蓮身に当たるの大事なり」(本尊抄送状)とあるのとから、去来、本尊については「観心本尊抄」を正依御書とすべきと云われています。
と云う事は、個別の対告者に宛てた御書は対機説法が含まれている場合があるからです。
「三沢抄」に
「法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。」
とある事から、佐渡前を序分に、佐渡在島中を正宗分に、それ以降を流通分に先学が配当しています。流通分は相手に合わせて真義を説明する場合が有るわけです。ゆえに正宗分の御書を正依として、云わんとされている事を理解しないと真義をはずした解釈をしてしまうことがあるわけです。

「日蓮聖人遺文全集講義」にも、担当者の高田恵忍師が
「本抄は台密の徒たる浄顕に対して、東密と台密を破しするため、両密の中心本尊大日如来信仰を打破するため、題目本尊の義を高くかかげたもので、その法本尊を強調するは大日の人本尊を打倒せん為めである。その法本尊は唯大日打倒の為めに強説するけれども、本門の教主釈尊、あるいは寿量本仏本尊は決してその所破でなく、題目本尊は即本仏釈尊本尊であり、題目本尊を法とは大日本尊に対していうことであって、寿量本仏本尊、本門の教主釈尊本尊とはその体に於いて全然同一であって、やはり人本尊である。(取意)」(第二十二巻116頁)
と解説しています。題目本尊を強調しているのは対告者が台密になづんでいた浄顕等だからであると云う事です。
優陀那日輝師も同様な解釈で
「対告衆浄顕房、其の機未だ生しきが故に、ただ権実相対の一辺を示して、真言諸家の本尊を破し、通途の天台法華の法相を述べ給うなり。・・題目の正体は本是れ寿量所顕の本仏なるが故なり。而も本仏なることを明かし給はざる事は、当機未熟の故なり、故に文中都べて権実相対の法門のみなり。しかれども此の一段の文最も学者の迷惑に堕する所なり。余文の明鏡を以て照徹するに非ずんば、誰か無明を免れんや」(本尊略辨)
と解説しています。
「日蓮聖人御遺文講義5」の担当者の守屋貫教師も、
「対告衆浄顕房の機根未だ到らざる故に権実相対の立場から迹門竝びに天台の義に依って説かれた迄である。聖人の本尊に二義あることなし」と優陀那日輝師解説の要旨をのべ、「快刀乱麻を断つが如き会通」であるとしています。
このような先師の説明をもとに「本尊問答抄は対機説法」と前回投稿に述べたわけです。

寿量品の釈尊は法格的にも人格的にも表現できるので、人本尊だとか法本尊だとか一片に偏れないことは云うまでもありません。
そこで、前回投稿にも
「本尊問答抄を述作された時期に於いても、題目は、寿量品の釈尊の証悟・御心すなわち、寿量所顕の本仏を表すと云う本門の立場に立ったお考えは変化していないと見るべきでしょう。」
と書いております。

49顕正居士:2005/05/21(土) 02:43:31
川蝉さん。こんばんは。

一妙日導師は『祖書綱要』第23巻の本門本尊三種異目章に
「今家の本尊に又二種有り、一には久遠実成の釈尊を以て本尊と為し、本化を以て脇士と為す、是れ三大
秘法の随一にして本門の本尊と名くる者也。真間の生身仏、及び四條金吾の持仏の如き是れ也。二には
首題を以て本尊と為し釈迦多宝等の十界を以て脇士と為す、是れ未曾有の大曼荼羅也。是れ観心の本尊
也」と教観二種の本尊ありとする。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049111&VOL_NUM=00012&KOMA=6&ITYPE=0

しかし『本尊問答抄』によれば本門の本尊また妙法五字ではないかと問を立て、然り、「本門八品の本尊は
法を以て本尊と為す」、「本門八品の本尊は唯だ是れ題目の五字の体用」であると答える。ただし本尊抄に
『来入末法始此仏像可令出現歟』等の文あり、「本門八品の本尊は仏を以て本尊と為す」の意義あるべし、
結論して「大曼荼羅即寿量品の釈尊の自受用身の形貌也」と料簡する。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049111&VOL_NUM=00012&KOMA=31&ITYPE=0

一尊四師をもって教門の本尊、仏本尊とし、大曼荼羅をもって観門の本尊、法本尊とする分類観を問答抄
に適用することは妥当であろうか?行学日朝師は『法華経為本尊事』に「問答鈔には題目に限る本尊云云、
観心鈔には三部十界倶に本尊云云、其相違如何」と問を立てる。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049288&VOL_NUM=00000&KOMA=35&ITYPE=0

本尊抄、報恩抄には教主釈尊を本尊と為すとし大曼荼羅の形貌を示す。本尊問答抄には能生の法を本尊と
為すとし首題本尊(元意本尊)を示す。三抄を料簡すれば大曼荼羅の全体が本門教主釈尊であるが、中尊
は法であって仏ではない意義となる。中尊を仏とすれば、多宝仏と並坐する釈迦仏と別の仏がおられること
になる。それでは毘盧遮那仏の応化が釈迦仏であるとする通途の考えに戻ってしまうと思うのです。

50顕正居士:2005/05/21(土) 08:58:53
優陀那日輝師は『妙宗本尊弁』に「道樹の応仏と報土の報仏」の関係を論じ、

「然るに若し深く之を原ぬれば、本有の一仏流れて衆生と為り、迷従り悟に向ひ、因従り果に至る。乃至
道樹にして本有の法界に帰入す。隔異の色心始て滅するを以ての故也。已に帰入すと雖も、更に復た
智散じ身分て、果従り因に入り、悟従り迷に入り、理即の衆生と為る。進んで亦果に向ひ番番止まらず。
故に知ぬ、報土の報身常に生死に入り、番番成道す。報仏の知見に約すれば、則ち始覚も始覚に非ず、
始成も始成に非ず、久遠劫従り来た其の幾百千万番の成道なるを計る可からざる也」といい、ゆえに

「後番初番に異ならず。初番後番に異ならず。理等しく事等しく智等しく用等し。故に迹仏の三身、本仏の
三身と異ならず。迹を開するに即ち本也」と丈六の釈尊そのまま本仏であるとし、

「若し釈迦の本身は則ち報土に於て尊特の身を以て成道す、是を舎那仏と為す。迹身は則ち同居に於て
丈六の身を以て成道す、是を釈迦仏と為す」ならば三身の無始無終の義は成じないと述べている。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049311&VOL_NUM=00000&KOMA=14&ITYPE=0

伝教大師は『顕戒論』の巻頭に「稽首十方常寂光 常住内証三身仏 実報方便同居土 大悲示現大日尊 
稽首十方真如性 妙法一乗真実教」という。三身常住の本有の一仏とは三世諸仏の内証であり、報土の
報仏、直ちにこれと同一ではないと解せる。
3年前に報恩抄を送った浄顕房に対機の説を述べるとは考えられない。しかし本尊問答抄の後半は真言
批判である。わたしは行学日朝師の解釈が適切であると考えます。本尊抄も報恩抄も大曼荼羅即本門の
教主を示すのに対して、問答抄は首題本尊を述べる、中尊を仏とする義はないことを決しているとおもう。
三抄の間に矛盾はない。多宝仏と並坐する釈迦仏以外に久成の本仏は存在しない。中尊は仏ではなく法
であるが、それは宝塔自体であり、二仏この中に並坐し、二仏を全く離れない法である。中尊を仏と解する
と塔中の釈迦仏以外に久成本仏が存在することになり、毘盧遮那報身、釈迦応身の思想に戻ってしまう。
ゆえにこの抄の内容は真言宗や台密と関係があるが、対機の説ではなく、逆に重大な教説であるとおもう。

51川蝉:2005/05/21(土) 15:29:32

顕正居士さん今日は。

「祖書綱要」の該当巻は所有していませんので、「祖書綱要刪略」の「本門本尊三種異目章」を見てみました。
「大曼荼羅は只是れ寿量の教主釈尊の形容」(巻の七・二十紙右)「曼荼羅中の諸尊、咸く皆な本門の教主一仏の尊容」(巻の七・二十紙左)
「釈迦一仏自受用身の尊形」(巻の七・二十一紙右)
等とあり、顕正居士さんのご指摘通りですね。

さらに、
「本門八品の儀相に約すれば塔中の妙法は是れ体の三身本仏なり。左右の二尊は是れ用の三身迹仏なり」(巻の七・二十紙左)
と解説しているので、
「大曼荼羅の全体が本門教主釈尊であるが、中尊は法であって仏ではない意義となる。」
と云うことでなく、中尊を「体の三身本仏」と見ていますね。

「故に本尊抄に此の本門の肝心妙法五字と云って、先ず十界の総体本尊の正意を挙げ、この体を顕さん為めに、次に其の用を出し、本尊の相を明かす。其れ左右の仏菩薩、何ぞ別物なるべけんや。之に依って之れを言わば、八品の本尊は只だ是れ題目の五字の体用なり。併せて題目を以て本尊と為すものなり」(巻の七・四十紙左)
等と体用の関係としていますね。

「一尊四師をもって教門の本尊、仏本尊とし、大曼荼羅をもって観門の本尊、法本尊とする分類観を問答抄に適用することは妥当であろうか?」
とのことですが、「本尊問答抄」は、法仏不二の立場を外していない、と私は理解していますので、法格的表現とか人格的表現の違いがありますが、強いて、その様な分類観を適用して、「本尊問答抄」の題目本尊の意義を限るべきでないと思います。

「祖書綱要刪略」では「逆縁の本尊と順縁の本尊」と云う分類はしていますが、さっと見たところ「仏本尊と法本尊」と云う区別や優陀那日輝師のような「教門の本尊と観門の本尊」という分類をしてないようですね。

「順縁に約して為めに本門八品の観心本尊を示し、次に逆機に約して更に一尊四士観心本尊を立てたもう」(巻七二十二紙左)
と云って、大曼荼羅と一尊四士とも観心本尊としていますね。

むしろ「一尊四士を本門本尊と為し大曼荼羅を観心本尊と為す」説に対し
「遂に両種をして各一辺に局ぎざらしむ。且く日女書の如き、大曼荼羅の相貌を明かすに、未だ是れ観心本尊と言わず。
本尊抄に一尊四士を立て而も観心を明かす。何ぞ両種を分かって永く両重に対せんや」(巻の七・三十三紙右)
と言っています。

「綱要刪略」は、中尊の題目と列座の諸尊とは、体と用の関係(体用本迹)であるという見解のようですね。

近くは茂田井教亨師も、中央題目と釈尊とは、体と用の関係(体用本迹)であるという見解を採っています。

茂田井教亨師に執行海秀教授が「それでは釈尊が二つになる」とせせら笑ったとのことです。茂田井教亨師は「釈尊が二つあって可笑しいと云うのは全くの形式論。釈尊は尽十方に分身されているから二人どころでない。私の云うのは単なる本迹でなく、体用本迹なのです。働くのはこれが(右側に書かれているの釈尊のこと)働かなければならない」と説明したそうですが、執行海秀教授は納得しなかったとのことです。(本尊抄講話・中巻862頁取意)

「綱要刪略」や茂田井教亨師の見解は、
中央題目は霊山虚空会の釈尊の本体を表示しているが、中央題目は釈尊と別仏として在るのではないと云う事であろうと私は理解します。
「毘盧遮那仏の応化が釈迦仏であるとする通途の考え」に似ていると云えば云えるかも知れませんが、中央題目を単なる法身(真如)としていないので、そこに違いがあるのではないでしょうか。

52伝六:2005/05/21(土) 21:50:14
川蝉さん、今晩は。御妙判は、佐前、佐渡、佐後をわけて、拝読すべきものであることは存じております。これは田中智学大居士がはじめて言われたことで、桂谷教話にあります。ご存知ない方の参考のために、日蓮主義教学大観の第一巻に引用文が掲載されていることを申しそえます。宗義については佐渡以前は未顕真実ですが、佐渡以後において、本尊という重要教義についておっしゃられたことは、相手の未熟の機にあわせたものでないと愚考します。

53川蝉:2005/05/23(月) 09:32:13
伝六さん今日は。

「本尊問答抄」は文面上、「法華経は能生、仏は所生」であるから経の方が勝れているという法勝仏劣を面に出し、だから大日如来を本尊とするより勝れた法華経題目を本尊とすべきである。と教示されています。
御存知のように、能生所生・能証所証・能説所説の関係があるので勝劣を一辺に限る事は出来ないと田中智学大居士が説明しています。
「本尊問答抄」も、勝劣を一辺に限る事は出来ないと云うお考えの基に述作されていることは間違いないと思います。

「本尊問答抄」に於いては、
法仏の勝劣は本来、一片に限られないと云う立場でありながら、迹門的に法勝仏劣を面に立てて大日如来本尊を破しており、題目は、久遠釈尊能証の法、所説の法であり、久遠釈尊の証悟・お心であると云う説明が面に立っていない。ゆえに、対機説法の御書であると云える。しかし真意は観心本尊抄の本尊観と相違や変化はなく法仏一体の立場にあり、法勝仏劣に限った本尊観ではない旨を述べたのです。
もう一度読み返してください。

田中智学大居士は「日蓮主義教学大観4・2497頁)」に
「斯く法勝仏劣は諸宗統一の為めであるから、法勝仏劣対他門というのである、しかしながら対他門であるから方便であるというのではない。この対他門の当所にすぐに真実はあるのである。」
と説明されていますが、この説明を私も云わんとしているのです。「対他門」を「浄顕房等の機根に対応した御書」と表現していると理解下さい。

54顕正居士:2005/05/24(火) 00:41:48
川蝉さんご紹介の茂田井師と執行師の問答は面白いですね。Web上に執行海秀師の『日蓮宗の本尊』
(「みのぶ」誌・昭和43年)という文章があります。
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/gyoshobunnko/shigyou2.pdf

「インド出現の釈尊を除いて本仏はありません」といわれておりますから、中尊を仏と解することに賛成
しなかったのでしょう。体用本迹だから変ではないんだ、というのを考えてみますと。

「体用」というのは中国思想に固有の概念だそうです。「中体西用」(中学為体、西学為用)のように頻りに
使う。「体言」、「用言」もこれから来ているらしいから、体というのは不動の何かで、用は変化するもので
あろう。天台大師は法華玄義そのほかに六重本迹、本迹ということの六種類の意味を述べる。その中の
一つに体用本迹があります。

「四に體用に約して本迹を明かすとは。昔最初に修行し理に契ふに由り、法身を證するを本と為す。初に
得る法身本なる故に、即ち體より應身の用を起す。應身に由って法身を顯すことを得。本迹殊なりと雖も
不思議一なり」(玄義巻第七上)

天台宗では仏の内証を自受用身といい報身に摂するから、法身といえば真如実相の理である。だから
中尊を法身であるというのは、中尊が法であるというのと矛盾はしません。

55顕正居士:2005/05/24(火) 14:10:34
ところで「体用」の「体」を「実体」と理解すると、「体用論」は全く非仏教的なものにみえます。
仏教、特に大乗仏教は現象の背後にあって、永遠に不変である実体というものの存在を認めません。
「体用」が中国ではどういう意味に使われるのか、中国社会科学院の蒙培元教授はこう解説します。

「中国哲学も「本体論」をいうが、西洋哲学とは非常に大きな相違がある。西洋哲学のいう「本体」
とは「実体」である。これは哲学において最後に要請されるものである。中国哲学のいう「本体」
も要請されるものではある。しかしそれは「実体」ではなく、「本源的なもの」あるいは「潜在
的なもの」である。なんらかの創造や発展の可能性であって、それが実現して作用、効能となる。
これがつまり中国哲学の「体用観」である」(『実体と境界』)
別の文章では「心に体用有り、未発の前は是れ心の体、已発の際は是れ心の用なり」(朱子語類)
を実例であるとします。
http://www.confucius2000.com/poetry/shtyjj.htm

さて、曼荼羅の中尊と釈迦仏について「体用本迹」を述べた御抄があります。『諸法実相抄』です。

「妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」
「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」

「法身五道に流転するを名けて衆生と曰ふ」(不増不減経)ので、中尊を仏と解すると、それは
法身の意味ですから、理即の仏である衆生のことにもなります。「体」とは「潜在的なもの」を
いうから、凡夫のほうが「体」であり、仏のほうが「用」です。そして「体」が本、「用」が迹
です(体用本迹)。「五百塵点は迹仏の寿命、森羅万像は本仏の寿命」(文句略大綱私見聞)。
しかし凡夫がほんものの仏であるとか、釈迦仏よりもえらい仏だといっているのではありません。

56川蝉:2005/05/24(火) 14:42:32
顕正居士さん今日は。

「四に體用に約して本迹を明かすとは。昔最初に修行し理に契ふに由り、法身を證するを本と為す。」

「六重本迹」の中の
「理事本迹」や「理教本迹」の場合は、「本」は「無住の理」「本時の実相真諦」「実相の真本」と説明されているので、「理法」を指していますが、
體用本迹の場合の「本」とは、
「修行し理に契ふ」「法身を證する」身ということですから、慈悲救済の念熱い人格的仏身(報身的)を指して「本」としていると思います。

「初に得る法身本なる故に」とありますが、ここに云う「法身」とは、人格的仏身(報身的)を指していると思います。
法身は真如実相の理をも指しますが、涅槃経では、悟りを開き(真如を悟り)常住不滅金剛不壊の身となった仏身をも法身と表現しています。この用例に順じて、一分中道を証悟した菩薩を「法身の大士」とか「法身の菩薩」と云う用例もあるわけです。

このように體用本迹を理解して、綱要の日導上人や茂田井教亨師は、中央題目を「本」(体の三身本仏・本体仏)とし右側の釈尊を「迹」に配当したのだと思われます。


凡夫が仏の教の媒介なしに直接に実相真如を証悟して行くことはできません。故に単なる法身としての実相真如の理法は本尊と成り得ません。

山川智応居士の以下の解説をなるほどなと納得しています。
「最初に覚った仏と法とは不二一体のものである。能覚の内容を能説の根本原理として、一言に説き顕したのが南無妙法蓮華経の五字七字であるから、本尊問答抄に云うところの法本尊とは、決して本有の理乗二法を云うのではなくて、覚法の直潟たる根本教法、神力別付の結要の大法を指している。神力結要の題目は本仏の御覚り一念三千の結論、根本教法で、本仏の心であるから、名は法で体は本仏の覚りである。すなわち『名法体仏』である。
これに対して、報恩抄に『本門の教主釈尊を本尊とすべし』とある本尊形貌の中尊は本仏の一念を妙法蓮華経の智慧光明であるから、これは『名仏体法』である。(取意)」(本門本尊唯一精義50〜52頁)

「御本尊を拝見すると、ただ妙法蓮華経ではない。理法をば妙法蓮華経と仏が結論的に名づけた。それが法である。南無とは帰依帰命である。帰依帰命ということはどうしても人でなければならない。南無妙法蓮華経ということは、本有の法に帰依帰命していることだ、本有の法に帰依帰命していることは何だ、この七字の全体がそのままこれは人格を示したものである。すなわち法仏一如の人格を示したものだ。所謂無始の妙法蓮華経に南無すること、それをば絶対的に完全に実行している人格は何だ、それは無始の仏界である。(取意)」(本門本尊論168頁)


ご紹介の執行海秀教授の『日蓮宗の本尊』掲載の「みのぶ」が手元に残っていました。
執行海秀教授は
「観心本尊抄には曼荼羅の用語がなく、それに対する明瞭な解説がない。曼荼羅そのものは、本尊でなく、本尊の原理本質を図示された図表である。日蓮聖人の正意本尊は久遠の本仏で、その表現形式は一尊四士の造立にある」
等と主張されたとのことです。
一尊四士も本尊とすることには異論はありませんが、曼荼羅は本尊でないという見解はだいぶ無理があると思っています。

57顕正居士:2005/05/24(火) 17:27:14
川蝉さん。今日は。

>単なる法身としての実相真如の理法は本尊と成り得ません。

わたしは、本尊問答抄は中尊が法であることを示されたのであって、一遍首題がより正式の本尊である
と示されたとは思いません。そういう宗派がありますが。中尊が法であるからこそ、曼荼羅が人法ともの
本尊になるのだとおもいます。また中尊が法であるといっても、単なる実相真如の理というよりは法華経
という教法としてあらわれたものであるから、智応居士のおっしゃる「本仏の一念」というのも適切な方面
があります。

しかしそれでもやはり法身として理解するべきでははないかとおもう理由は、「諸法実相抄」があります。
「諸法実相抄」を依用しないのなら別ですが、宗門諸派の先師、近代の智学居士や智応居士は依用して
おられます。同抄の文脈は在纏位の法身をいっておりますから、いきなり「本仏の一念」というと矛盾が
生じます。また体用本迹の「体用」を蒙培元教授のいわれるように解すれば、この抄には論理的な飛躍
があるわけではありません。

58川蝉:2005/05/26(木) 09:46:47

顕正居士さん今日は。

『諸法実相抄』の本迹は、「六重本迹」の中の「理事本迹」に大分近いというか、また「真如は不変真如であるばかりでなく、染浄の諸法を顕現する動性である。事相差別の当相がそのまま真如の動態に外ならず、十界は悉く真如の随縁であり平等不二である」とする真如随縁思想に極めて近い思想であると思います。

「諸法は真如の随縁変作であり、諸仏も真如の変作である」と云う思想はすでに五大院安然の「教時義」にあると、浅井円道立正大教授も指摘していますので、『諸法実相抄』の前半は「日蓮己証の法門等をかきつけて」と言い得るのかな?と思ったりしています。

浅井円道教授が、
「一代聖教大意には心生十界論は別教説であるとしている。日蓮聖人は心生と心具を分別し、心生十界論を厭捨する教えがある。そして心生十界論とは真如随縁論のことに外ならない。なぜなら真如随縁論とは真如の随縁生起が万法であるという心生論だからである(取意)」(日蓮聖人教学の探求・226頁)
と指摘していますが、別教に摂属する真如随縁論に極めて近い『諸法実相抄』の前半部分の思想を日蓮聖人の本義とは言い難いと思います。
傍系思想の書と指摘されている『諸法実相抄』の前半を以て大曼荼羅の意味合いを推測す依文とするのは危険があるように思えます。
『諸法実相抄』の前半において、真如随縁思想の上から、実相としての妙法蓮華経が本仏であるとし、釈迦多宝の二仏を用の仏としているわけですが、はたして、大曼荼羅上の南無妙法蓮華経と釈尊の関係を語っているものでしょうか。

『諸法実相抄』の後半に、
「既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来にたてまつり給し時、妙法蓮華経のはた(旛)をさし顕はし、」(1360頁)
とあります。これは虚空会の様相であり、また大曼荼羅を述べているものと理解すべきでしょう。中央の題目は「さし顕はされたはた(旛)」であるとしていますが、その旗は、
「釈迦仏、多宝仏、未来日本国の一切衆生のために、とどめ(留)をき給ふ処の妙法蓮華経なりと。かくのごとく我も聞きし故ぞかし。」(1361頁)
とあるように、単なる実相真如や、単なる在纏位の三身如来(仏性)を表す妙法蓮華経でなく、釈尊の教法(衆生を本有の尊形と為さしむ妙法)・釈尊の証悟・お心・全現の三身如来を表す題目とするのが本義であろうと思われます。

ちなみに、偽書説がありますが
偽書説がありますが、「阿仏房御書」では、行者の肉身が妙法五字の宝塔であると教示しています。この場合は、中央の題目は衆生本具の三身如来(仏性)を表すと云えますね。

「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我ら衆生との三つ全く差別無し」であれば、何れにも重点を置いた説明されることがあると思うので、法だとか人だとか一方的に限定しない方が良いのかも知れませんね。

59伝六:2005/05/27(金) 11:03:57
まとまったことは書けないのですが、思ったことを書きます。「末代悪世の凡夫は何物を以って本尊と定むべきや。答云く、法華経の題目を以て本尊とすべし」ということは深い意味のあることと思いますが、本尊として礼拝修行の対象とするのは五字七字の題目であるということは、万人に明白であると思います。この御文を解釈して、一尊四士等を本尊とすべしと読む智者があるでしょうか。しかし、一尊四士も二尊四士も日蓮聖人の指導の下に造立されたのは事実のようです。これについては「本尊造立私議」に、「そもそも本門本尊を顕はすに就いて、之を法門の立場よりすると、修行の立場よりすると、因縁の立場よりするとの次第がある」と言われています。一尊四士二尊四士は法門の立場からの本尊であって、われらの修行のために模範としておつくりになったものではないと信じます。本尊造立私議には「本化妙宗の正式正意としては、局って文字曼荼羅に在ること・・・」と言われています。

60川蝉:2005/05/28(土) 14:09:57
伝六さん今日は。

「この御文を解釈して、一尊四士等を本尊とすべしと読む智者があるでしょうか。」とのことですが、
昔から、「本尊問答抄」をもって一尊四士本尊の依文としてあげる先師は居ないと思います。

本尊に関する教示は観心本尊抄等の他の御書にもあります。本尊に関する教示を総覧し勘案して、「一尊四士の形も本尊として日蓮聖人は認められていた」と先師がたは領解したのだと思います。

「一尊四士二尊四士は法門の立場からの本尊であって、われらの修行のために模範としておつくりになったものではないと信じます。」とのことですが、一尊四士二尊四士は御本尊として不適当であると云うご意見なのですか?。

修行時の本尊とならないのならば、そもそも本尊としての資格はないことになるので、日蓮聖人が造立を否定されたと推定されます。
田中智学大居士も
「(一尊四士は)本尊のことであるから修行の所対でないことはないが、この重に於いては法門が面になって修行が裏面に廻って居る。即ち『法面行裏』である。」(本尊造立私議・75頁)
と述べていますが、修行時の本尊にならないと云っていませんね。
また、
「予は今この一尊四士又は二尊四士を『(大曼荼羅の)妙略』といふた。」(同書86頁)
とも
「即ち文字式ならば御聖筆の正範である教義的整斉の原式に拠り(例せば佐渡始顕本尊の如き)、形像式ならば一尊四菩薩、又は二尊四菩薩の内にてその一方を取って、闔宗通同教内統一の式と定めたいというのである。」(同書84頁)
とも述べていますね。

(お願い)
引用典拠の書名と頁数を記して下さい。

61伝六:2005/05/29(日) 10:42:16
川蝉さん、おはようございます。本尊造立私議の単行本はもっていないので、師子王全集教義篇続々のページ数ですが、「そもそも本門本尊を顕はすについて、之を法門の立場よりすると、修行の立場よりすると、因縁の立場よりするとの次第がある」は、207頁で、二、教義上の不可能 (其二)教意不成立 の節にある文章です。「本化妙宗の正意正式としては、局って文字曼荼羅に在ること、・・・・」は冒頭の部分で、くわしく引載しますと、「本尊を勧請し造立するに就いて、木像、絵画、文字等、さまざまの形式ある中に本化妙宗の正意正式としては、局って文字曼荼羅に在ること、随って絵画や木像、就中、木像で具体勧請を全うすることは断断乎として不可能であるという理由を述べるのが、この篇の主張である。」です。大居士が「即ち文字式ならば・・・」(同書86頁)と言われるのは、本尊を正しくしたい、形像式ならば一尊四菩薩、又は二尊四菩薩が正しく、文字式なら一機一縁に授与されたものでない等のことを考えて原式と考えられるものにより、正しくしたい、そして統一の式を定めたい、二つのなかでは文字曼荼羅にすべきであるという主張だと私は理解します。三、実行上の不可能 其一勧請不能 の節に、「或る学説には「木像で本尊を造立するのは、四海同帰の暁、本門戒壇勅立の時のみであって、それまでは文字曼荼羅に限る」という古伝がある」と言われていますが、私は、この古伝がほんとうではないかと思います。それは未来のことだから、それ以前にできれば結構なことだと思いますが。

62今川元真:2006/04/09(日) 12:30:05
伝六さん、はじめまして。文字漫陀羅を上一人下万民の目にするように掲げていたので本尊を漫陀羅で教えるのは自然な流れでは、と思います。戒壇堂は僧の授戒だけしか使わないなら後回しになるのも当然では無いでしょうか。相対的に東大寺、延暦寺に替わる物なら闇雲に建てても二の舞三の舞に成り兼ないですから。

63伝六:2006/04/10(月) 09:36:54
今川元真さん、はじめまして。何が問題であるのか、よくわかりません。本門戒壇についてがテーマなら、前提から確認しないとなりませんので、戒壇論は他日を期したいと思っています。

64今川元真:2006/04/10(月) 11:04:39
個人的感想なので論議できる挙証を持っているわけでは無いのです。宜しければ「此の時地涌千界出現して本門のシャクソンを脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」の真偽解説をお願いします。

65伝六:2006/04/10(月) 21:52:09
富士宗学要集等を読んだことがないので、富士門流の本門釈尊脇士の要義はわかりませんが、昨今の日蓮本佛論は日蓮聖人のほうが釈尊よりエライと言っているのに等しく、それだったら謗法だと信じます。

66今川元真:2006/04/10(月) 23:06:04
日蓮正宗:日蓮本仏+戒壇様本尊+唯授一人法主=三位一体説、 創価学会:日蓮本仏≒掛軸本尊≒池田本仏、 各々個人の見方考え方は千差万別になっていくと思います。

67一寸法師:2006/04/14(金) 02:56:02
御曼陀羅の地涌の菩薩の位置は、釈尊を脇士としていないでしょう。大石寺派の意図的な御遺文の歪曲であることは明確ですね。

68一寸法師:2006/04/19(水) 00:00:32
shamonさんの法輪のBBSの転用です。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/

本来の「法体」とは、法華経の教えの本体、法華経の本質となる教え、所謂法華経の肝心である教えを言います。ですから、「南無妙法蓮華経」は法華経という優れた教え、特に寿量品を中心とした教えへの信心となります。その信心を以て、人生を懸命に修行して真理・真実に至らんとするのです。勿論、法華経の教えを謗る世の中或いは人達の中に交わって、法華経の教えこそ最勝であると「南無妙法蓮華経」と唱えて宣伝するならば、法華経を説かずとも、法華経の哲学を理解するに至らずとも、その功徳はとても大きいでしょう。

ところが、中古天台的な本覚思想に影響された人達、そして彼等が創りだした日蓮聖人の書にあらざるものを日蓮聖人の書と信じてきた人達は、「法体」とは即ち「真理(妙法)」であるからと、前述の「南無妙法蓮華経」を置き換えます。即ち「南無妙法蓮華経」そのものが真理の名称であって、その真理をただ口に出して唱えていれば、真理を悟る身になる、本来自分が仏であることを覚ると、仏教の常識では有り得ない極端な事を言うわけです。ですから、彼等にとっては釈尊も法華経も必要なものではなくなるのです。そして日蓮聖人の教えを、矮小なカルトとしてしまいながらも、最も優れた教えであると自負するに至ります。

日蓮門下にあっても、近代の文献的な研究を尊重せず、或いは日蓮聖人の御遺文を勉強せず、その本来の宗教的・哲学的思想を理解せずして、創価学会と同じようなことを言う僧侶が結構います。まあ、最近は本覚思想に影響されていると言うよりも、面倒な勉強も厳しい実践もしなくて楽だからのようですが。一方で堕落した教えに満足できない人、日蓮聖人の教えを誤解している人達は、心の持って行き場がないので、荒行に入って祈祷を学んだり、或いは慈善活動に傾倒したりしているようでもあります。

69今川元真:2006/04/19(水) 06:28:20
一寸法師さん、はじめまして。  「本覚」思想の進化発展が「本因妙・本果妙」なのでしょうか。日蓮聖人は三時・三身・三証を学問の軸に考えられていたと思いますか。

70一寸法師:2006/04/19(水) 11:05:53
逆ですね。本覚思想は、本因本果からの堕落ですよ。別に、学問の軸とは思いませんけど

71今川元真:2006/04/27(木) 11:25:05
学問の軸は、注法華経でしょうか?

72問法第三:2009/07/05(日) 05:58:13
私は細かいことは良く分かりませんが、末法において法華経は有効でしょうか。この件について日蓮は釈尊を指して、末法の衆生を救済しないのは慈悲が有って無きが如しと云っていましたが、どうなのでしょうか。私は各宗各派は無力だと聞いていますが?基本的なぎもんです。

73問法第三:2009/07/19(日) 02:49:26
失礼しました。スレの最終の日付けを確認しませんでした。

74常修院二番弟子:2014/09/12(金) 13:25:38
本門戒壇の大御本尊は、真実です。
下記サイトにて。
エイチティティピー://zyoushuin2.web.fc2.com


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