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御遺文関係は此方で

102管理者:2004/05/10(月) 13:42
慎之輔さん、今日は。
>伊東の八郎左衛門
について以下、大川善男先生の未定稿論文に

 その信濃守朝高のことにしても『御書略注』では「工藤祐経─印東大和守祐時─伊東信濃守朝高」と説いているが、真実は「工藤祐経─伊東大和守祐時─工藤信濃守祐光─工藤八郎四郎朝高」である。そして、吾妻鏡の康久元年(建長八年)正月四日・九日・十三日条に、平左右衛門尉頼綱等と的始めの射手として工藤八郎四郎朝高の名が見える。
  《11》
 いわゆる、建治二年の『弁殿御消息』に「伊東の八郎左衛門、今は信濃守……」というのは、工藤祐光のことなのであるが、それを伊東八郎左衛門朝高といっているのは『注画讃』以降の所伝なのである。


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