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真言宗系は此方で

23川蝉:2013/02/01(金) 15:54:14
明星さんへ。
先に、お知らせした「観心本尊得意抄」の文は、「爾前の経を未顕真実と捨てながら安国論には爾前の経を引き文証とする事は自語相違では?」との他宗の僧侶の質問に対して「一代聖教を大に分つて二と為す一には大綱二には網目なり、初の大綱とは成仏得道の教なり、成仏の教とは法華経なり、次に網目とは法華已前の諸経なり、彼の諸経等は不成仏の教なり、・・・但し権教に於ても成仏得道の外は説相空しかる可からず」と答えた部分です。
この他宗の僧の質問は明星さんの「正直捨方便不受余経一偈との整合性は?」との疑問と同じですね。「但し権教に於ても成仏得道の外は説相空しかる可からず」の部分を注視して下さい。

「譬喩品」の「ただ楽って大乗経典を受持して乃至余経の一偈をも受けざる」との句について日蓮聖人が
「秋元御書」に「法華経を行ずる人の一口は南無妙法蓮華経一口は南無阿弥陀仏なんど申すは飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し、法華経の文に『但大乗経典を受持することを楽うて乃至余経の一偈をも受けざれ』等と説くは是なり、世間の学匠は法華経に余行を雑えても苦しからずと思へり、日蓮もさこそ思い候へども経文は爾らず」と、「行(成仏の行)としては、他宗の行と法華経の行を同等に思ったり、雑えて行じてはならない 」との教示だとしています。
方便品の「正直捨方便」の句は、
「如来出でたる所以は仏慧を説かんが為の故なり 今正しく是れ其の時なり 舎利弗当に知るべし 鈍根小智の人 著相・慢の者は 是の法を信ずること能わず 今我喜んで畏なし 諸の菩薩の中に於て 正直に方便を捨てて 但無上道を説く」の文の中に有る句ですね、「弟子達の機根が調ったので、今までの方便の教経を捨てて(方便の教えを説くことを止めて)、いよいよ出世の目的である真実の教え法華経を説くのである」との意味ですね。


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