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老子 第2章について
1
:
ゆきちゃん
:2011/10/16(日) 02:52:01
それ悪のみ、それ不善のみ。この訳は、皆さんは〔私は美を知り〕
善を理解してると言う。〕けれど、皆さんの中の悪と不善なんで
すよ。美は悪のみが知り、善は不善のみが理解する。相い対する
1対で存在を理解してね。聖人は、〔1対の世界〕に居るから、ただ
居らず 唯 居らず 去ってはいるが、そこに居る。ご意見を。
2
:
名無し君
:2011/10/19(水) 01:25:35
2章を読んだときの感動、今も思い出します。訳を読んでいると美は醜い、
善は不善だとか。いろいろな訳があり、自由に考えて訳したら良いときずき
美とか善とかを、理解し、認識するのは対極の醜さとか不善なんだと読めた
時、自己嫌悪のまっただなかに居り、自分を肯定的に見る自分を発見した。
自分は、最低の人間だけど、最高の人間でもあると確信した。
初めて、安定したバランスを手に入れた。
同時に、手に入れたものは、思索の道具でもあった。謙虚の意味も
知ったかもしれないと感じた。老子2章を同じ意味で読んでる人が、
いることを、知ったとき孤独感も消え、少し自由になった。
3
:
名無しくん
:2011/10/20(木) 00:52:28
相対的存在とか絶対的存在とかの話では無いとおもいます。
細胞卵が分割して1が2になり存在するというお話だと思います。
長短、高下、有無、居る居ない は、卵細胞の分割で2分割した細胞で
1個の卵細胞として存在する。
そこでの結論は、居ない、唯居ない、去らず。という居ないと居ますの
1個の卵細胞あります。という結論です。ドーナツは中の丸い空間と輪の
そとの空間で存在します。2章は存在論です。
4
:
名無し訓
:2011/10/20(木) 01:04:23
老子は、全章を通して、論理的な話です。 矛盾の調和 有と無の統一を
説明したものです。
5
:
ななしくん
:2011/10/23(日) 04:49:32
英文の訳から2章を読まずに、漢文の読み下し文より、素直に読めば、
世の中の人々は、皆、美しいものは美しいと知っていますし、美の理解者
です。でも、皆の中の‘悪だけ’が、知り、理解しているのです。
‘斯れ悪のみ’は世の中の人々‘皆’の複数と対応する1個だけの‘のみ’
なのです。 ‘美’には対応していません。
英文の誤った訳を信じてはいけません。
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