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いろいろなもの入れ

1バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:41
猪木の詩

青い空が目に沁みる
海はキラキラと妖しく光っている
緑の島は息をのむ美しさ

静かな入り江に 虹色の魚が跳ねた
身を躍らせて魚群を追えば
海底から サンゴの林が手招きしている

俗を捨て 時を忘れ いろんな夢が花咲かす

パラオの海は竜宮城 魅惑のイノキアイランド
いろんな夢の花畑

猪木詩集「馬鹿になれ」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048718932/249-5340179-9763520
より、「パラオの海は竜宮城」

9バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:47
猪木アイランドの写真(真ん中らへんに
http://it-net.ddo.jp/Album/palau/2001/0817.html

10バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:48
パラオの海は竜宮城?

>「浦島太郎」は、潮流でパラオ島に漂着し後に帰還した漁師の体験が元になった物語だというのだ。
http://enkan.fc2web.com/minwa/urasima/column.html
ふむふむ。

>昔から外には絶対に出してはいけない、タブー視されている伝説があるという。
>その伝説の一部を、本間さんは耳にしたのだ。その内容とは、竜宮城のような秘密の場所があるという言い伝えだった。
http://www.fujitv.co.jp/jp/unb/contents/p103_1.html
結末が分からんじゃないかw

11バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:48
>この話はお分かりの通り、浦島伝説に似ている
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-77.htm
なるほど似てる。

>行き着いたところは南洋の諸島パラオだったんじゃと・・・・
http://www.sun-inet.or.jp/~yakusou/hanasi(9).htm
ここではすでに断定

12バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:50
 パラオには「日系人?」と勘違いしてしまうような日本風の名前の人が大勢います。
 これは現地の人が尊敬する日本人の名をとって自らの名字や子供の名前にした物です。
 日本人に頼んでつけてもらったというケースもあるようです。

 国会議員に「スティーブ・ウメタロウ」という人が居ますが、この人もその一例です。
 「ウメタロウ」が名字です。彼の祖先がウメタロウさんという日本人と何か縁があったのでしょう。

13バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:51
 名前のほかにもパラオには「センキョ」「デンワ」「ゴミステバ」
「キンロウホーシ」「ダイクサン」「ツカレテ(疲れた)」や、
もう日本では使われなくなった「チチバンド」など
日本統治時代の名残を感じさせる言葉がたくさん残っています。

14バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:51
>日本が敗戦し、パラオの首都コロ−ルに米軍が進駐して来て最初にやったことは
>彼のご両親が毎日お参りに行っていた南洋神社を破壊することだった。
>ご両親は悲しみにくれ、この子が大きくなったらきっと再建してくれると期待し、
>神社の入り口にあった大きな石灯籠(いしどうろう)に因んでイシドウロウと命名したのだった。
http://www.luvnet.com/~sunraworld2/jiji-chokugen/jiji_22.html

15バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:51
日本にも、パラオにちなんだ地名があります。
宮城県蔵王町の北原尾(キタハラオ)という町がそうです。
 終戦により南洋から引き上げてきた人々の受け入れ地となっていたこの土地は、
当初はまったくの荒地だったのだそうです。
引き上げ者たちは
「パラオ時代の夢を忘れず、パラオのように実り豊かな土地にしよう」との思いから
この地を北のパラオと名づけ、わずか34戸の集落ながら開拓に励みました。
そのかいあって現在の北原尾は緑豊かな酪農地です。

16バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:52
>北原尾は『北のパラオ』。あの夢と苦労をいつまでも忘れないように、という意味なんだ。
>だから、おれは今でも働いている。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe059/19990812tk.htm

北原尾の代表、KBブリッジの開通式に出席
http://www.town.zao.miyagi.jp/koho/0202/kouhouzao448_topics.html#topi448_1

北原尾の代表、KBブリッジの開通式に出席
http://www.town.zao.miyagi.jp/koho/0202/kouhouzao448_topics.html#topi448_1

17バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:52
パラオ共和国の大統領が北原尾を訪問
朝食を終えて、大統領を送り出そうとしてレストランを出たら、年配の女性が待っていた。
昭和8年から21年までパラオに住んでいたのだそうだ。「パラオ松島のすぐ上に住んでいました、
あの波止場はまだありますか、同級生のウエキさんはパラオでえらくなったそうですが、どうしているでしょうか・・・」
と話が尽きない。「パラオに行きたかったのに、身体の具合が悪くて行けなかった」
と言いながら大統領の胸に顔をうずめて、「パラオの匂いがする」と泣き出してしまった。
大統領も涙ぐみ、見ている私たちももらい泣き。
http://www.asanoshiro.org/jogdiary/01081.htm

18バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:00
「日本人誇りの日」
>すると私たちの後方にいた、もう八十を超えたリケリケさんが
「千代にーいー八千代にさざれー、、、」と歌いだした。
http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h14/jiji020115_151.htm

「山口総理特使のKBブリッジ完成記念式典演説」
これから先、多くの人々がコロール・バベルダオブ橋を渡ることになると思いますが、
この橋が「日・パラオ友好橋」という別名のとおり、両国間の友好の架け橋となってくれることを心より願っております。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/14/sei_0111.html

19バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:06
 パラオにはペリリュー島という20平方キロほどの珊瑚礁の島があります。
 太平洋戦争時、日本軍はフィリピン防衛のためペリリュー島に東洋最大規模の飛行場を作っていました。
 フィリピン攻略を目指すアメリカ軍は戦況を有利に運ぶために
 この島に進軍し、1944年9月ついに島は戦場となります。

 敵の300艘の戦艦に対して日本軍は1万2千名の兵士があるばかり。
 もとより乏しい武器・弾薬・食料を補給する術すらない文字どおりの玉砕戦でした。

 ところが日本軍はこれを持久戦に持ち込み、
 73日間この島を守ったのです。

20バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:07
11月24日、生き残る日本兵は60人足らずになっていました。
いずれも負傷していて、もはや玉砕以外ありえない状況を悟り、
中川大佐、村井少将、飯田中佐は切腹します。
これを見届けた兵士達は決死隊となって米軍へ最後の突撃をしかけました。
満身創痍ながら激しく戦う日本兵でしたが、劣勢がくつがえるはずもなく、
27日までの間にほぼ全員が戦死したそうです。
24日16時に、パラオ本部に中川大佐から1本の電文が届いています。

 「サクラ・サクラ」

軍旗・機密書類をすべて焼き払ったことを伝えるものでした

21バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:08
「中川大佐自決の碑」
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/ad28640/zeromasa/palau/nakagawa.html

零戦の翼を苗どこに木の芽がでています。
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/ad28640/zeromasa/palau/rei-B.html

ペリュリュー島のサクラと神社
>そして、軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、
>パラオ本部に届いたのは、二十四日の十六時でした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/nagoshi/palau.htm

22バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:09
>軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、パラオ本部に届いたのは、二十四日の十六時。
>このたった六文字の電文こそ、ペリリュー島守備隊全員が桜花のごとく散ったことを意味するもので、
>一万人有余名の兵の死をもって謳いあげた世界で最も短かく簡潔な詩と言われている。
http://www.asahi-net.or.jp/~UN3K-MN/gyoku-pll.htm

23バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:10
 後にアメリカの太平洋艦隊司令官ニミッツ提督はこの戦いについて
 
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、
 米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった
 最高の戦闘損害比率(約40%)を甘受しなければならなかった。
 既に制海権制空権を持っていた米軍が、
 死傷者あわせて1万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、
 今もって疑問である」

 と、その著書『太平洋海戦史』で語っています。

24バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:11
諸国から訪れる旅人達よ この島を守るために日本軍人が
いかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog128.html

>ニミッツ提督は生涯、日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥に私淑していたと伝えられる。
>戦後、横須賀にあった戦艦「三笠」保存のために私財を献じたことも知られる。ニミッツ提督もまた武人であった。
http://www.yorozubp.com/0207/020719.htm

茨城県護国神社
>石碑群のあるところから裏側に降りた、一段低いところにペリリュー島守備部隊鎮魂碑があります。
>このペリリュー島守備部隊鎮魂碑は、茨城県護国神社のメインの鎮魂碑なのか案内標識が立てられていました。
http://zenkou.hp.infoseek.co.jp/gokokuzinzya.html

25バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:13
>ところで旧日本兵・台湾(内省人)の方々同様、パラオの皆様も
>靖国神社をとても大切に崇敬されております。先年亡くなられた
>パラオ共和国政府顧問異な簿イナボ・イナボさんもその一人で、
>イナボさんは「日本人は靖国神社をあまりにも粗末に扱いすぎる」
>と嘆いておられました。「イナボさん!靖国神社で会いましょう」と
>言って亡くなった戦友との約束通り、彼は来日すると先ず一目散に
>靖国神社にお参りされていました。
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k4/140724.htm

「このペリリューは、“天皇の島”であり、“英霊の島”なのです」
 現地の人々が日本語で、口を揃えて誇らしげに語るのを聞き、自分は驚かざるにはいられなかった
http://www.jyma.net/imananiwokataran/text/169plu.html

26バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:14
米軍は、当初、ペリリュー島の制空権も制海権もない日本軍の兵力を分析し、2日または3日で占領は終了すると読んでいた。
しかし、この闘いは皇軍が米軍に一矢報いた数少ない闘いの一つとして特筆され、米軍戦史史上、稀な被害を受けるものとなったのである。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/pelileu/pelileu.html

「ペリリュー島の占領は、
4日間が予定されていた。ところが75日もかかった。なぜならこの島は、死ぬまで戦うと
覚悟を決めた日本兵で満ちていたからである。米軍は太平洋の戦いで最大の苦戦を
強いられ、両軍共に最大級の犠牲者を出した。」
http://www.sia-jp.net/palau.htm

>やっと今日、この地にまいりました。また必ずまいります、その時は祖国の誇りある姿をおみやげ話として。
http://www1.ocn.ne.jp/~knippon/parao01.htm

27バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:16
 日本軍が仕掛けた魚雷で米軍戦艦が爆破されるたび、
 青い海はアメリカ兵の血で真っ赤に染まったと言い伝えられています。
 これを見ていたアメリカ兵が、誰からともなくこの浜を
  「オレンジ・ビーチ」と呼ぶようになり、
 現在では「オレンジ・ビーチ」は正式名称になっています

28バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:17
ペリュリュー兵士の遺書
この身いま白衣にありて国思ふ
http://www.yasukuni.or.jp/siryou/1205.html

「私は山育ちだから、まあ家に帰ってオカとか申して、母上を一度だけでもお呼びしたい気持ちで胸一杯になります」
海軍兵曹長の力さんは、昭和二十年パラオ島で戦死した。
力さんは赤児のときに父と死別しており、人一倍母を慕っていたのであろうが、
この戦争で戦死した多くの若者たちもまた、みんな力さんのように父や母を、心の中で切実に声を限りに呼び続けながら死んでいったのであろう。
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2003/0305/hi-se.html

29バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:18

パラオには、回天の特攻も行われました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/3_siryou/kikusui.htm

この回天のFLASHがあるので、どうぞ。
http://members.at.infoseek.co.jp/almond_choco11/kaiten.html

30バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:19
島民たちはこの時、日本兵とともに戦う決心をしていたそうです。
しかし日本軍がこれを押しとどめ、
宵闇に紛れて住民をパラオ本島へ避難させました

ようやく戦闘が終わったペリリューへ戻った島民たちは、
恐るべき光景を目の当たりにすることになります。 
米軍の激しい絨毯爆撃により、珊瑚の島はその形を変えていました。
そしてそこに転がる夥しい数の日本兵の遺体。 

島の人々はこれを見て涙を流し、この地に日本兵の墓地を作ったのです

31バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:20
このペリュリュー戦で、日本軍が「共に戦う」と言う現地の人々をおしとどめた。とありますが
その時、こんなやりとりが交わされたそうです。

仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。
自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという、
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

日本人は仲間だと思っていたのに…見せかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…

船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

 しかし

船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・

32バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:22
この時、終戦を知らずに2年間ペリュリューの洞窟に立てこもった兵士達もいました。

>丸腰で洞窟に入ってきた小将は、もう2年も前に戦争は終わっている。日本は今、再建に向けてみんながんばっているんだ。
>これ以上おまえたちが戦争を続けていては国のためにならんのだ、とおっしゃるんです。
http://www.palaudivers.net/pdn/aph.htm

山口永小慰以下、陸海軍の生き残り兵三十四名。
それも敗戦後の昭和二十二年四月二十二まで、彼らはおよそ二年半にわたって戦闘を実行したのでした。
この生き残り兵は、最初米軍が、西海岸に、上陸した時、最も果敢に戦った勇者達でした。
http://www.palau-namekawa.com/history.html

33バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:24
 憲法が発布された1981年、国旗と共にペリリュー兵士の歌も作られました。
 「ペ島の桜を讃える歌」です。
 兵士を桜になぞらえるなど、とても日本的なセンスの歌詞ですが、
作詞者はオキヤマ・トヨミ氏、ショージ・シゲオ氏の二人で、
ともにパラオの方です。

歌詞はこちらで

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/4759/country/bcpalauaa.htm

34バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:30
パラオ戦跡紀行

パラオの珊瑚礁に眠る零戦は、子供の頃から、ぜひとも会いたい零戦でした。

「君に会いにきた・・・」
珊瑚に眠る、その零戦に語りかけることができたのは、
「パラオ ゼロファイター」という曲に出会ってから
既に十数年という月日が流れていました。
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/ad28640/zeromasa/palau/index.html

35バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:31
「パラオ・ゼロファイター」

こんなところで翼をひろげ
眠っているのか緑のゼロファイター

白い飛沫をあげて海へ落ちて沈み
珊瑚を枕に眠るゼロファイター

海の底を空だと夢見るのか
珊瑚は海なのか 緑のゼロファイター

「パラオ ゼロファイター」こちらで一部試聴できます。
http://www.tsutaya.co.jp/item/music/view_m.zhtml?pdid=20078254

36バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:32
海底に眠るニつのゼロ戦

「あれだ、間違いない」。長く探していた懐かしい人に出会ったような感動が沸き上がった。吸い寄せられるように近づくと、
自分の呼吸する音しか聞こえない静かな海底に珊珊や貝、海藻がびっしりついたゼロ戦がいた
http://web.sfc.keio.ac.jp/~s01480ks/SUDAGALLERY/gallery/human/journey/palau.html

海底のゼロ戦。沈没船の写真はこちらに
http://www.ecodive.net/page/jinrui/sensou.htm

37バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:37
一万におよぶ英霊達は私たちに
勇気と国を想う心があればアメリカよりも・・
http://www.palau-namekawa.com/history.html

「パラオ国歌」
http://www.national-anthems.net/~davidk/pw.htm

38バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:39
>しかしながら私の講義を時折受講する、日本人留学生は講義には大変興味を示しながらも、
>「こんな歴史は日本では習わなかった」と言う。全く残念なことだと思う。
>日本人は自国の歴史を知るチャンスをみすみす逃しているのだから。
http://www2.odn.ne.jp/~ccq47810/mikuro.html

39バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 15:42
中島敦
>そこで中島が選んだのは、なんと「南洋」だった。パラオの仕事を選んだ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0361.html

「南洋通信」
>雲共が海のまわりをとりまいて、オレたちの船を見て何かヒソヒソ話をしているような気がするよ。その雲共の丈の高いこと!
http://www17.0038.net/~hanauta/corner.book29.html

中島敦氏のパラオ関連の小説、こちらで一部読む事ができます。
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card619.html

40バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 15:43
パラオ丸無線電信取扱所
http://www.tufs.ac.jp/st/personal/01/itabashi/sub4.htm

パ ラ オ 丸
>南洋諸島を描いた数少ない日本文学の創造を船上に育んだパラオ丸もまた同じ年の8月5日,
>サイパン島からトラック島へ航行中に敵潜水艦が放った2本の魚雷が命中して救命艇を降ろす間もなく南の海に消えていきます.
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19420805palao/palao.htm

41バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 15:44
カゼラさんのやつ

妻への書簡

情勢次第に悪化しパラオ島防護の為 昭和十九年七月七日名誉の召集令状を受く
男子の本懐之に過ぐるものなし、又家門の誉なり
勇躍入隊 大君の醜の御楯として米英軍を撃滅せん 戦死の報ありとても決して取り乱さざること
魂は靖國の神として永久に皇國を守る 会い度くば靖國神社へ来れ
お前の身のことについては父とよく相談せよ
軍人の妻としての体面を保て 父母に孝養を頼む 身体に気をつけて朗かにくらせ
ながらくのお世話ありがたう 深謝す
昭和十九年七月八日

陸軍軍曹 仲西貞夫 命
昭和二十年七月十九日 パラオ島にて戦病死
三重県出身 三十二歳

所感(FLASH)
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/1715/syokan.html

42バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 16:03
中島敦の他に、当時パラオに渡った人物に土方久功がいます。
パラオの「ストーリーボード」を作り、広めたのが土方氏です。
http://www.palaudivers.net/palau/frame12.htm
http://www.legendaryhawaii.com/micro/mic06.htm

>パラオ共和国の代表的な土産物のひとつに「ストーリーボード」という
>土地の歴史や風俗を描いた木製ののレリーフがありますが、
>これは当時美術教師として現地に赴任していた日本のゴーギャン、土方久巧が創始者だと言われています。
>この頃パラオに移住していた日本人には、小説「山月記」の中島敦もいます。
>中島氏は南洋庁国語編纂書記として渡航していて、帰国後に発表された「南洋譚」「環礁」などの作品に
>当時のパラオの様子を見ることができます。
http://gomushi.tripod.co.jp/world/palau/001.html

43バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 16:19
>実に5年の年月をかけ、橋は完成しました。
>2002年1月11日、開通式典が開かれ、橋の新しい正式名称が発表されました。
>その名も「Japan−Palau friendship bridge」
>太平洋上を走るこの橋は、3000kmの距離を越えて
>パラオと日本に新たな時代の友情を結ぶ、「友好の橋」なのです。
http://gomushi.tripod.co.jp/world/palau/003.html

橋の完成により、パラオの物流を担う大動脈が回復され、社会・経済活動の活性化が図られるとともに、
日本・パラオ両国の友好関係の促進に期待が寄せられています。
http://www.jica.go.jp/activities/jicaaid/project_j/pal/001/

44バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 16:32
パラオ=日本の友好の象徴の一つである新KBブリッジ、
昨年度、優秀な橋梁に送られる
「土木学会田中賞」を受賞していたそうな。
http://www.jsce.or.jp/committee/tanaka-sho/top.htm

崩落前のKBブリッジ
http://www.ketchum.org/bridgecollapsepix/Palau1-526x781.jpg
崩落時のKBブリッジ
http://www.ketchum.org/bridgecollapsepix/Palau3-525x782.jpg
完成後の(今の)KBブリッジ
http://www.ketchum.org/bridgecollapsepix/Palau5-524x781.jpg

45バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 16:32
これは、パラオが独立したその日、
パラオ大統領が直々に「国起こしのアイディアはないだろうか」
と盛田と言う会社に相談を持ち掛けたのがきっかけで始まった一大プロジェクトです。
 国家の産業作りを目指すパラオと、盛田の有機農法の夢が合致し、
パラオはオーガニックの国として、
新たなセールスポイントを獲得する事が出来るかもしれません。
将来的には、パラオで収穫された有機野菜をその日のうちに
日本に空輸することも可能だそうです。

http://www.pof.co.jp/enter/f_kuniokosi.html

46バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 17:13
パラオの名所の一つに、Jellyfish Lakeがある。
周囲を島に囲まれて、湖のようになった海は、「マリンレイク」と呼ばれているが、
Jellyfish Lakeはその一角を占める、小さな「湖」だ。
日本でも写真やテレビで、おびただしいクラゲが泳ぐJellyfish Lakeがたびたび紹介されている
http://webclub.kcom.ne.jp/mb/colo/dv_jlk.html

ジェリーフィッシュレイクとくらげの写真はこちらに
http://shibuya.cool.ne.jp/momo0710/palau.html
http://www.belautour.com/op_rit_jfl.html

47バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 17:35
画像。どれがどれだかわからなく・・
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~tanikawa/starsnap/palau/palau.html
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/har-taka/page007.html
スライドショー
小物
http://www.meluis.com/image/album/slide/komono.htm
大物
http://www.meluis.com/image/album/slide/oomono.htm
マリンレイク
http://www.meluis.com/image/album/slide/marin.htm
体験ダイビング
http://www.meluis.com/image/album/slide/taiken.htm

48バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 17:36
http://www.ab.wakwak.com/~hiromi/album/palau3.htm
http://www.ab.wakwak.com/~hiromi/album/palau4.htm
http://www.ezorisu.jp/palau/palau1.html
http://homepage2.nifty.com/kyoko2001/palau20030101.htm
http://homepage2.nifty.com/kyoko2001/palau20030102.htm
http://homepage2.nifty.com/kyoko2001/palau20030103.htm

壁紙 http://www.ab.wakwak.com/~hiromi/kabegami_o.htm#palau
パラオの名所 http://www.palau-impac.com/meisyo.htm#island
パラオの日の出画像
http://myalbum.ne.jp/cgi-bin/a_album?pipot_code=66962811525812645616&amp;command=G&amp;filename=fd932401_0007.jpg&amp;file_no=22
朝焼けの空に浮かぶ月
http://www1.ttcn.ne.jp/~macky-diving/index.htm

49バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 17:38
http://www5.airnet.ne.jp/sugimasa/uwp/palau/palau.html
http://www5c.biglobe.ne.jp/~okigonbe/page213.html
http://homepage2.nifty.com/kyoko2001/palau20030101.htm
http://homepage2.nifty.com/kyoko2001/palau20030102.htm
http://homepage2.nifty.com/kyoko2001/palau20030103.htm
http://www.yasukawa.com/diving/palau2/campbeck-1222.html
http://www.yasukawa.com/diving/palau2/bigeye-trevally-1223.html
http://www.yasukawa.com/diving/palau2/pyramid-butterflyfish-1225.html
http://www.yasukawa.com/diving/palau2/peleliu-express-1228.html
http://www.yasukawa.com/diving/palau2/rock-islands-1229.html

50バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 17:40
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040035
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040037
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040038
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040060
http://www2.crl.go.jp/dk/c213/Palau/Pages/Image13.html

51バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 18:40
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99028019
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99028032
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99028033
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99028034
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99028037
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99028038
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99028055

52バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 18:40
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040035
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040037
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040038
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040060
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040061
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040137
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040160
http://www.sozaijiten.com/cdrom/detail-wd.asp?id=99040180
http://member.nifty.ne.jp/uemuray/photo.html

53バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 18:41
極東板のパラオ関係バナー

パラオ応援バナー
http://news-kyokutou.hp.infoseek.co.jp/banner/palau-toname.gif

KBブリッジバナー
http://news-kyokutou.hp.infoseek.co.jp/banner/palau-bridge.gif

54バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 19:17
パラオ・ペリュリューFLASHできたので、どぞ。
終わったように見えた後に、下から流れてくるテキストがいいので、
最後まで見て欲しいですです。
http://noigel.hp.infoseek.co.jp/palau.html

55バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 19:52
かつてご自身が住んでいたペリリュー島で亡くなった多くの日本兵を慰霊したいと考え、
日本のバブルが崩壊した頃(10年ほど前)にペリリュー島へ再渡航され、日々慰霊とガイドをされていらっしゃるとのこと
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/8209/Peleliu.htm

「ペリュリュー島の人々」
もうかれこれ8年ほどペリリュー島に住む日本人おじいさん。
http://www.palaudivers.net/colum/ppeaple.html

そんな過去の事実を風化させまいと、語り部になるべく決意し、
戦争に関わった中川さんという日本人が住んでいます
http://www.c-heart.jp/worldreport/southP/report-monmamasaaki1.htm

「中川さんとジロー君」
中川さんは日本統治下のペリリュー島で育ち、戦時中は予科練
に志願、三重航空隊で訓練中に終戦を迎えました。戦後は日本で過ごしましたが
夫人の没後、少年時代を過ごしたペリリューへ移住し、慰霊訪問団を主対象とし
た民宿と戦跡案内業を始めました。
http://www.sia-jp.net/palau.htm

56バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 21:46
たかし&恵子「パラオ愛の旅路」
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/3013/1065675294

57John Doe:2007/11/08(木) 08:03:35
c6b5cd0c9cbb9161a926fc9b72ed2319

58yu-ki♪:2008/03/01(土) 22:00:38
手のひらでふくれあがったクリを刺激しながら、中指を熱くたぎった中心に差し込み、かき混ぜるようにする。
ぬめりけを帯びた液体をかき混ぜるような激しい音。そしてからみつく中の肉。
「あっ……! んぅぅっ!」
ビクビクン! とのけぞって、ソファに背筋を押しつける。指先を吸い込むようにその部分が数回震えて、同じ回数だけ小さく達していたようだ。
「くぁぅぅっ! ああんっ!」
手の動きは止めない。再び小さく叫んだ彼女は……
つづきは現実で
ttp://deai-baby.com/me/g0QgJusZ


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