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万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る

1中葉:2004/06/15(火) 12:18
朝日新聞6月11日付けによれば、5月31日に神田愛知県知事他が
北京で中国側関係者にご挨拶した際、昨年12月にBIE(博覧会
国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国
外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を
盛り返したい。21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニ
ケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点
からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまな
い」と語ったとのことです。

2005愛・地球博では、このような国際的、歴史的な期待に対応
し、地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
その他、多種多様な企画・準備とともに、万博後の恒久的な
体制づくりも進めています。

しかし、まだまだ不十分です。
皆さんのご支援をよろしくお願いします。

2緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/15(火) 13:59
>1
あのぬいぐるみじゃぁねぇ・・・(笑)

てな冗談わおいておいて、物売りかえ?

3中葉:2004/06/15(火) 14:22
アハハ、

今度はボランティアですから、只で善意の押し売りです。

4中葉:2004/06/17(木) 23:46
それにしても、呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)は何を考えているんだろう?

21世紀以降の紛争解決の糸口
新しいコミュニケーションの方策
マルチラテラリズム(多国間主義)
・・・・・
の観点からも日本の努力を期待
BIEも愛知万博に協力を惜しまない

とは何を言わんとしているのだろう??

考えれば考えるほど奇々怪々!

5緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/18(金) 08:38
>4
ほれ、EIとかいう統合ソフトの売り出しのことじゃぁないの?(笑)
<エクセルとパワポとワードを一体化させたよーな、あれだよ。

まあ、万博なんぞ「物売りの場の提供」だからねぇ。

6中葉:2004/06/18(金) 18:49
私は万博大嫌い人間で、行ったことないから知りませんでしたが、

そうですか?今までは「物売りの場の提供」だったんですか。

その固定観念から見たら、万博は時代遅れで意味ない、という意見が多いのも当然ですね。

私は、BIE他の協力も得ながら、21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点からも期待される日本の努力を提供するべく、準備をしているところです。

7緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/18(金) 19:29
>6
ほれ、万博ちうたら、「万国博覧会」ちうてねぇ。
「うちわ、こんな技術もっとりまふ!んで、こんな製品作れまふよぉ」
ちうのが、ことの起こりだからねぇ。

ちなみに、明治時代にゃ「内国博覧会」ちうのもあってのぉ、国内各地の
特産品を展示しとったが、あっちうまにやらんくなったわな(笑)

8ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/18(金) 23:13
>>7
バブルの頃にも流行ってましたよね。国内万博って(笑)
毎年2〜3箇所でやってたような。

大阪万博、神戸ポートピア、宇宙博は行きましたねー。
海洋博は遠くて行けず(沖縄は離島だから)、つくば科学博はいろいろあって行けず。
万博の持っていた意味というのは、その後「見本市」という専門化したものに受け継がれていくわけですね。
パビリオンは国が出すんじゃなくて、それぞれの技術を持っている企業が出すようになった。
業種によって、モーターショー、モーターサイクルショー、おもちゃショー、食品加工機械見本市、ゲームショー他多数になった。
コミックマーケットも一種の「専門化した見本市」かもしれません(笑)。
で、初期の万博は、それらを「企業出展」よりも「国としての出展」という形でやってた、と。

ちなみに昭和・平成の所謂バブル期の万博は、すでに専門化した見本市と並存してたせいもあってか、国単位で技術をひけらかす習慣が消えていたせいか、さらには「新しい技術」がない国まで「万国博」として参加するようになったせいか、「お国自慢物産展」に堕していたのは事実。
おもしろかったのはつくば博くらいまででしょう。
イカフライ女史あたりだったら万博も記憶にしっかり残ってるんじゃないですか? 私は幼少のみぎりでしたが(笑)、けっこうおもしろかったですよ。

それ以後の時代の万博しか知らない人は、ちょっとお気の毒でした。

また、昔は万博くらいしか「国際的に集まって民間が場を持つ機会」がなかったというのもあると思いますが、現在では「NGO的国際会議」もいっぱいあるわけで。
その意味では、万博でそれをやるのはアドバルーン的な意味しかないんじゃないですか?

9緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/19(土) 09:54
>8
お年がばれる(笑)

バブル直前〜バブル崩壊までで、かなり食傷気味になってしまいましたからねぇ。
<そのての内国博覧会わ

まあ、各専門分野ごとに行われる「見本市」わ、内容が濃いんでそれなりの人が行くと
ためになるからええんですがね。

ところで、横道知事がやった「食の祭典」のジェノスカード(未使用・1000円)が
引き出しの中にあるんですが、ヤフーで売れますかねぇ(笑)

今やるなら「職の祭典」かぁ〜?

10イカフライ:2004/06/19(土) 10:11
>>8

万博、というと、大阪万博しか頭に浮かばない世代です(^^ゞ
「1970年のこんにちわ-」ですね。
 親に行きたい、連れてって、とねだったもんですが「あれは大阪の子しかいけないの」とか言われまして。
 で、夏休み明けたらいってきた子がクラスに一杯(笑)
 旅費が無いなら無いっていえば良いのに。こういうすぐバレるウソをつくから、子供は親に対する信頼感を失うんだ(笑)。

 うちの亭主は行ったそうです。今でも、当時の写真を見せびらかして自慢される。

 どうも、大阪万博の印象が強いせいか、その後の博覧会はあまり興味がありませんでした。
(ポートピアもつくば博も海洋博も)。70年代は、日本が良くも悪くも元気だった時代だ。

 今、博覧会をやるのなら、なにか新しい形と言うか、吸引力がないとダメでしょうね。
 その「新しい」がなにか、解りませんが(ネット博なら良いか?というと、あれも外した様で)

11緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/19(土) 14:15
>10
いあ、やはり「職の祭典」をば(笑)

12中葉:2004/06/20(日) 22:47
>>10 今、博覧会をやるのなら、なにか新しい形と言うか、吸引力がないとダメでしょうね。その「新しい」がなにか、解りませんが

全くおっしゃる通りです。

私が興味を持ち、支援している市民プロジェクト、
地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」では、
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23

平和の尊さに共感し、その構築に積極的に参加の意思のある市民、NGO、NPO等、及び紛争地の市民や平和維持・難民救済活動等に関っている市民、NGO、NPO等を募集し、

近代技術文明が環境汚染や資源枯渇、紛争や文明間の対立を生み出し、憎しみの連鎖を引き起こしている現状に鑑み、これらを解決するため、様々な智を結集し、
人と人が宥和し合う地球平和の智恵をみつけたいとの想いをベースに、平和の構築を目指し、平和の構築を目指し、取り組むべき課題を明らかにし、そのメッセージを世界に発信しようとしています。

13ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 00:56
中葉さんの年齢や趣向がわからないので参考意見として聞き流してください。
過去の小説、コミック、映画などでは「1960年代以前」の悪役はナチスドイツかその残党でした。
「1960〜1970年代」の悪役は「旧ソ連」でした。
「1970〜1980年代」の悪役は「過激派や中東のテロリスト」でした。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではリビアのテロリストっていうのが出てきましたよね。
「1990年代」の悪役はズバリ、「フセインまたは中東のテロリスト」。映画「ホットショット2」ではモロにフセインがラスボスでした。

で、1990年代から2000年代に入ってきてからは、急速に「環境保護団体やNGOの類が、目標達成のためにテロリストになる」という描き方をする作品が増えてきはじめました。
コミック・アニメはその傾向が特に顕著ですね。
もちろん、「真の敵は軍産複合体か大国の陰謀」というところに落としてはいますが、「純粋すぎる環境保護団体が目的のために手段を選ばなくなることで、テロリストと何ら変わらないことを躊躇わずにするようになる」という描き方は、決して珍しいものではなくなりました。
よくあるのが「月面開発反対のため、宇宙でテロを行う」とか、そういう類の設定。これは、最近だとコミック「プラネテス」の中盤の敵がこんなタイプの環境テロリストでした。

まじめ、かつ善良な正義感から平和を見つけよう、という中葉さんが危惧しておられるテーマを煮詰めていった結果、やはり「技術の放棄」「開発の放棄」「資源開発の阻止」を強硬的にするしか人類を目覚めさせる方法はないのだ、という悲痛な選択肢を選び、自らの手を血に染める原理主義的な存在として、「環境テロリスト」が俄然注目を集めているようです。
一昔前なら「宗教的な殉教者」として描かれるところだったと思いますし、実際そうした「生命の尊さを共感し、地球を救え」的環境NGOの掛け声は宗教に通じるものがあると思います。
ただ、直接的に宗教(個人の意志をスローガンで統合していく)に反抗するのではなく、形を変えた宗教的なものの暴走に対する警告という形で、環境テロリストが悪役にされてつつあるのかな、とも思いました。

平和、環境保護が「欲を制限し、我慢すること」で成立するものだとすれば、その行為も気持ちも理解はできますが、欲を追求することで拡大してきた人間の営みは、「殻の中で分け合うこと」ではなく「殻の外に飛び立っていくこと」でしか維持していけないのではないか、という考えの作家が多いことから見ても、「我慢しましょう」という禁欲的スローガンの活動にはいささか共感を感じにくく思います。

ところで、どうしてそうした「運動に参加の意思がある○○○」と続くときに、最大単位を「市民、NGO、NPO」という単位で数えるのでしょうか?
「国民、民族」や「町民、村民」じゃだめなのでしょうか? 意図的に「国」という単位を無視しているか、無効化しようとする意識があるのでしょうか?
人類が仮に「世界政府」を持つことができるとしたら、段階的な「上部行政府の統合」だと思うんですが(欧州各国がEUになったように)。
欧州各国の人々は、「市民」としてEUに参加しているわけではなく、あくまでそれぞれの国民としてEUに参加するかどうかの意思確認をした上で参加しているわけですよね。
それと同様に、「世界共通の○○○」を求めることがあるとしたら、それは「市民や個人が個別に参加」ではなく、あくまで「国民として国に意志を委ねて」その上で、になるのでは?
そう考えると、「国という現在考えられるもっとも上層に近い枠組み」とそこへの所属を意図して軽視するのはなぜなのかが、以前から不思議でならなかったわけですが、もし中葉さんがこれに何らかの明確なご意見をお持ちでしたらお聞かせ頂ければと思います。

14中葉:2004/06/21(月) 05:47
>もし中葉さんがこれに何らかの明確なご意見をお持ちでしたらお聞かせ頂ければと思います。

よい指摘と質問をありがとうございました。

私がいわゆる市民に期待を持ち始めたのは、大体1965年以来で、企業改革への刺激としてでした。
しかし、ほとんどその直後から期待は裏切られ始め、それは一貫してこれまで続いています。
これは日本の話です。かたや、日本以外では少し違うようだという印象を持ち続けています。

>>12 平和の尊さに共感し、その構築に積極的に参加の意思のある市民、NGO、NPO等、及び紛争地の市民や平和維持・難民救済活動等に関っている市民、NGO、NPO等を募集し

という文章は、最近、日本で蔓延している共通な文章として、皮肉も含めて引用しました。

私が現在、もっともバランスがとれた記述として、しばしば借用している叙述は、
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2500&amp;KEY=1046014709&amp;LAST=100
「ウェストファリア体制の次にくるもの」の
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1046014709/22-25
に引用したJessica Mathewsの文章です。 http://www.ceip.org/files/about/Staff.asp?r=18

私は、マシューズが提起した課題に答えようとしています。

私は万博の場を利用して準備しているのですが、その方向に一番近い議論をしているのは以下のグループです。
・DC開発フォーラム http://www.developmentforum.org/aboutus.htm
・DC開発フォーラム/寄稿 http://www.developmentforum.org/Articles/

まだ始まったばかりのようです。

私自身の構想は、いくつかの文章をホームページに掲載しています。
講義、論文、シラバス http://home1.catvmics.ne.jp/~shibatay/lecture.htm
論文、資料など http://home1.catvmics.ne.jp/~shibatay/articles.htm

15ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:09
>>14
すみません、概要もしくは目次、レジュメなどありましたら、まずそれをお願いします。

16ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:13
自説について、すでに一度でもまとめたコトがある人間は(自分も含めてですが)、ついつい「詳しくはこれを読め」で済ましてしまいがちですが、膨大な資料の細部をいきなり渡されても、相手が興味を示すことはマレかと思います。
レジュメなり、何らかの導入は必要かと。
もちろん、「問いに対する答えを求めたのはそちらなのだから、そちらが努力して近付くべきだ」というお考えを中葉さんがお持ちであるならば、「その考えが基礎にある限り、あなたの考えは広まっていかない」と反論することになってしまうのですが(^^;)

17ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:28
>>13について、重ねて質問しますが、中葉さんが考えておられる「市民」というものは、

1)「Citizen」ですか? 
2)それとも、「地方自治体の一階層である【市】に所属する個人」ですか?
3)それとも、何かもっと得体の知れない「個人」に対する称号でしょうか?

所謂Citizenというものは、「国の防衛に対する責任を負った階級」の意味だと思っていましたが、最近は違うのでしょうか。
地方自治体の所属員を示す「市民(町民や村民や県民と同程度の)」を殊更にクローズアップして使われているわけでもないと思うのですが違いますよね?
もっと得体の知れない個人、についてですが、NGO、NPOなどの勢力・組織が「国に変わるもの」になるのか、「国と同等の地位と権力を持つもの」になるのか、「国を凌駕する存在」になるのかで、それに対する評価はまったく変わってくるのではないかと思います。

以前、別のスレで、「武装NGO」「武装NPO」は、民兵/テロリストとどう違うか?という意見がでていましたが、暴力の暴発を抑止する力としての暴力を持たないNGO/NPOが、暴力の暴走に十分に対処しうるとは思えませんし、同等の暴力を自由意志で行使できる武装NGO/武装NPOの存在根拠を認めるのもどんなもんかとも思います。
上記質問と合わせて、お暇なときにお考え頂ければ幸いです。

18ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:58
以下は独り言ですので、返信は特に不要ですが、ヤスツの脳内質疑に参加なさりたい方はどうぞ(^^;)

2ちゃんねらーは市民か否か?(笑)

ネット内での発言に絞れば国に従属せず、特定の地域の拘束を受けず、また、「大規模OFF」と称される、市民活動にも似た行動を取ることもあり、名簿で統括されない不特定多数の参加によって成立する突発イベントや大規模イベントを幾つもこなし、それでいて明確な「頭」や「継続性のある組織」を持たず、極めて狭い目標を掲げ、費用徴収をせず、いわば参加者全員の持ち出し/持ち寄りによって目的を達成している。
不特定多数のネットワーカー(これもまた懐かしい言葉ですが)が、肩書き、実社会での立場に囚われることなく、「2ちゃんねらーである」+αだけを唯一の共通項に、同一行動を取る、というもの。
市民運動の動員で毎回苦労している人から見れば、これほど羨ましくも腹立たしいものはないらしい。
そうした行動を取る2ちゃんねらーに明確な「思想」があるかと問われれば、たぶんおそらくないんじゃないかな、という気もする。
まさに、「潜在的意志」「声を挙げずに身体が動く」というものを体現しているようにも見える。

いわゆる「市民運動」は、旗振り役の個人、組織、思想的指導者がいて、それが「白紙状態の“市民”」を牽引しようとするという構図を持つ。
思想的指導者が市民運動家の場合もあれば、研究者、学者の場合もある。日本では「欧米の最新の動き」という海の向こうのありがたいものを思想の支柱に持ってくる場合もある。
が、そうした形で、「無知の市民を引っ張り上げていこう」というスタイルで市民運動を盛りあげようということそのものが、すでに時代遅れになってきているんじゃないか、と思う。
なぜなら、思想家、思想的指導者が押っ取り刀でやってきてようやく手を付け始めたインターネットというツールは、とっくに誰もが手を付けていて、資料占有によって得られてきた思想的指導者の占有できる特権を、占有できないものにしてしまっている。
だから、思想的指導者は自分の占有性、特殊性、特権性を維持するために、「とっときのアイデア」は隠そうとし、理解しにくいものだとして希少性を高めようとする。

ところが、同じ情報を同じツールから、思想的指導者以外のものも等しく手に入れることができるようになっている。
同時に、情報の分析や解釈も不特定多数によって同時に進められている。ここでも思想的指導者の特権性は失われている。
2ちゃんねらーの「突発的大規模off」が特定の思想的指導者を持たないのは、こうした「情報と分析結果の共有」がすでになされていて、誰か一人に負わなければ成り立たないという構造を古くさい物にしてしまっているからではないか、と見ている。
だとすると、「国の代わりにNGOやNPOが出てきて」という発想そのものが、実は既に時代遅れになっているのでは、とも思われる。

NGOやNPOがインターネットというツールを活用して国境を越えていることは事実だ。
しかし、NGOやNPOが「組織」という皮を纏っている限りは、インターネットを同時に使いこなしているその他の「NGOやNPOに属さない個人の群れ(あえて市民とは言わない(笑))」とは、別個のものではないのか?
また、NGOやNPOの成立、利用しているツールが同じだからといって、2ちゃんねらーを「NGO」「NPO」とは呼ばないことを、どう説明すればいいのか?
2ちゃんねらーはNGO、NPO、「市民」と言えるのか?

19ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:58
2ちゃんねらーの大規模offは、言い出しっぺ(本来なら指導者になるはずの者達)が、いつの間にか「参加者を指導するのではなく、参加者に使役される側になっている」ということがしばしば見られる。
また、そういう好きこのんで苦労を背負い込む人が、進んでその他の参加者を尻馬に乗らせるためのお膳立てに奔走しているが、結局は「旗振り役の望んだとおり」ではなくて、「参加者の総意を得られたこと」しかできない。
(だから突発offで、思想的指導者が独裁をしようとしてうまくいった試しがない、というのも注目すべき点)

市民運動、NGO、NPOなどが本当に必要とされているのだとしたら、インターネットが絶えず利用される社会では、誰かが心配しなくても「必要な状態になる」し、「市民、NGO、NPOが必要だ!」と声をからして訴えても、同意が得られなければ善意に基づくマスターベーションで終わるのではないか、という気もしている。
なお、2ちゃんねらーを例に引いたのは、2ちゃんねらーを過度に評価してのことではなく、「年齢、性別、出身、職業などが不特定で、情報だけを同じツールの元で共有している個人の群れ」として、非常に興味深いから。

2ちゃんねらーは「ある世代だけが集中した特殊な存在」なのではなく、実は「最低下限の普遍的な存在」なのでは?と疑うようになったのは、こないだADSLに切り替えるために実家に帰ったら、70歳の親が2ちゃんねらーになってた、ということに衝撃を感じたからです(^^;)

20中葉:2004/06/21(月) 14:36
>>16 「問いに対する答えを求めたのはそちらなのだから、そちらが努力して近付くべきだ」というお考えを中葉さんがお持ちであるならば、「その考えが基礎にある限り、あなたの考えは広まっていかない」と反論することになってしまうのですが(^^;)

そんな考えはありません。

そもそも、私の考えが言論によって広まる、という考えがないのです。

これは「コミュにて・オブ・プラクティス」の考え方だと思います。
しかし私は、コミュニティ・オブ・プラクティスのベースになっていると言われる「状況に埋め込まれた学習」という本を読んでいるわけではありません。

21中葉:2004/06/21(月) 14:40
>>17 中葉さんが考えておられる「市民」というものは

私は基本的には、「市民」という言葉を使いません。むしろ、嫌悪感を持っています。
ここで使ったのは、ある人の文章を紹介しただけです。その人が作った万博のグループに参加したので止むを得ません。

22中葉:2004/06/21(月) 14:50
>>17 上記質問と合わせて、お暇なときにお考え頂ければ幸いです。

いや、暇も何も、私はそういう問題意識(考える必要性)を持っていないのです。
自分はなにに所属するか、分類されるかについて、昔は考えたことがあります。

最初はどうも日本人でなくアメリカ人ではないか?

次は、いやアメリカ人ではなく、ユダヤ人ではないか?

現在は地球人ではなく、宇宙人のようだ、と思っています。
言い換えると、多重・複合所属ですね。

これで当面の宿題は終わりました。
(マシューズやフィオリーナの周りを回っているだけのような気がします。)

さて、万博がますます楽しくなりそうです。

23ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 14:59
>>20
なるほど、これは失礼しました。

コミュニティ・オブ・プラクティス云々については非常に興味深く思います。
また、>>21 「市民という言葉に嫌悪感を持っている」についても了解しました。

もう少しこれについてお話を伺いたいと思ったのですが……実は一昨日から風邪を引いてまして、熱が全然下がらないため頭があまり回らなくなってきました(つД`)
質問が明後日の方角に行ってしまっては申し訳ないので、体調が回復するまでしばし休息させていただきます。

なお、>>16にある「問いに対する答えを求めたのはそちらなのだから、そちらが努力して近付くべきだ」という考えについては、以前に質問をした相手からきっぱりとそう言われたことがあった、という経験に基づくものです。
中葉さんがそういった意見をお持ちかどうかわからなかったため、このような質問の仕方になってしまったことについて、改めてお詫び申し上げます。

……ちょっと、酸っぱいものもこみ上げてきましたので、今日の所は伏せることにします。

24中葉:2004/06/21(月) 15:03
愛知万博メッセージ http://www.expo2005.or.jp/jp/study/img/message.pdf
の始まりと終わりは以下の通り。

「自然の叡智」を縦糸に、地球大交流を横糸に幅広い参加と交流の博覧会を開催します。

(中略)

 人間らしい交流の原点とは、何だろう。
 それは人が人と出会い、語り合い、理解し合い、尊敬し合い、愛し合うことにあるのではないか。
 そのための交流の舞台“EXPO 2005 AICHI”をつくろうと思う。

 私たちは世界の人々に呼びかける。
 AICHIに集まろう。互いに見つめ合い、微笑み交わし、抱き合い、多彩な知恵の交流する世界を、全身で体験し、全感覚で楽しもう。
 
 地球の総ての“いのちと未来”のために??

25ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 15:05
>>22
いや、>>17の質問の意図は、「中葉さんが何に属しているか」を問うているのではなく、「中葉さんは市民と言う言葉を使ったが、そこで使われている市民という言葉に、どのような意味を込めて使っているのか?」という質問です。
>>21で「人の文章を引用しただけで、市民という言葉に嫌悪感を持っている」という解を得ましたが、その場合でも「市民」について中葉さんご自身がどのような「意味」を持って使われているのかはよくわかりませんでした。
「嫌悪感」は単なる情緒的な感想であって、ニュアンスの説明とは異なりますし。

少々私の質問の意図がうまく伝わらなかったようなので、補足とさせていただきました。

>>14でご紹介いただいた資料ページの親ページから、MEGA-NETその周辺についても拝見しました。
それが万博で提起する方法論の外郭もしくは中核なのだとすると、少し質問と確認の上で自分の意見を申し上げたいと思いましたが……あ、やっぱ今はダメっぽいです。

熱が。

26ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 15:08
>>24
ううっ、あとひとつだけ(^^;)

その>>24の【愛知】万博のメッセージですが……うちの父方の親戚筋が名古屋なんですが、愛知というか名古屋の県民性を考えたときに、【名古屋人】にそれほど似つかわしくないメッセージはありませんね(笑)

27中葉:2004/06/21(月) 15:10
面白くなったから、英語バージョンを紹介します。但し、前文はありません。
だから最後の部分だけの紹介です。

But what will be the catalyst for genuine exchange? We believe the answer to be people meeting people, followed by discourse that goes beyond words to achieve mutual understanding and respect.

EXPO 2005 Aichi, Japan, is the place for this intercultural exchange.

In 2005, the world will gather together in Aichi Prefecture. There, we can weave together a fabric for a new global society; we can stand together, exchange smiles and share the wisdom of the world-felt and enjoyed with all our senses and experienced with our whole being.

Let us do this for all life and the future of our planet!

何か、気持ちが悪いですね。

28中葉:2004/06/21(月) 15:18
>>26 >>24の【愛知】万博のメッセージですが……うちの父方の親戚筋が名古屋なんですが、愛知というか名古屋の県民性を考えたときに、【名古屋人】にそれほど似つかわしくないメッセージはありませんね(笑)

私は愛知県人ではあっても、名古屋人(正確には尾張人)ではなく岡崎人(三河人)です。

安っぽい嘘っぽさに平気でいられると言うのは、正に尾張人ですよ!

三河人は全然違います。(昔は、あるいは、戦前は)

29イカフライ:2004/06/21(月) 22:14
個人的なこだわりですが、私はなるべく「市民」という言葉は使わない様にしています。
今まで全く使っていないか、というと、どこかで使ったかもしれないですが、「パンピー」とか言う様には心がけているつもりです。

これは、あくまで自分の個人的感覚に過ぎないのですが。

30中葉:2004/06/22(火) 05:18
>>29 個人的なこだわりですが、私はなるべく「市民」という言葉は使わない様にしています。

私も嫌悪感を持ちながら、あまりの氾濫に辟易することが多く、ブラックユーモアのつもりで濫用しているか、と思います。

31イカフライ:2004/06/23(水) 13:53
市民と言うと、ひとつは行政分類上の住民、例えば仙台市民とか、札幌市民とか、ですよね。
 それで言うなら、私は区民であったり市民であったりしました。
 ただ、ここで言われている市民は、そうじゃないですよね。

 NGO,NPOに代表される市民団体、市民運動における「市民」というのは、本来、政府機関なのど公的なものではなく、特に資格を持たない有志が集まって行う活動、というように私は思っていたのですが。
ここで「市民」として参加、活動する場合は、特別な資格(勿論、その活動に役立つ資格や技術、特技はあったほうがよいでしょうが)というものがなくても。
それこそ、普通のオジさん、オバさんが参加できるもんだ、と本来は思っています。

 ただ、「市民」というと、どっかそういった市井の人々とは、一線が引かれた、そんな感じを受けてしまうんですよね。
 それが、なにか? どこか? は、上手く説明できませんが。

32ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/23(水) 14:18
>>31

「プロ市民」というくくりに入れられてしまう人たちでしょうか。
もしくは「声を挙げる市民」だとか「活動や運動をする市民」だとか。
プロ市民には「プロレタリアート市民(かつて学生だった学生運動家が、もう学生って歳じゃなくなったので市民運動家に変貌し、「有志」の集団を「組織化」することで乗っ取ってしまう、というアレ)」という意味と、
「プロフェッショナル市民(市民運動を生業にしていて、行政を訴えたり寄付を集めたり機関誌を売ったりすることで口に糊している市民)」という意味とがありますが、そんな感じでしょうか。



外気温が熱いせいもあるかもしれませんが、体温が全然下がらないのはそろそろ病院行かないとまずいでしょうか(つД`)

33緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/23(水) 17:16
>32
早よう病院に行かれたほーがええんじゃぁないかと。
今年の夏かぜはひつこいらしいですからねぇ(笑)

昔、学生生協の役員にむりやりされて会合に行かされたとき(あ、ゼミの代表なんでプロじゃぁないですよ)
「細胞単位」ちう言葉で、人間くくってお話しとるの聞いて以来、「市民」やら「労働者」やら言うカテゴリー
区分でお話する人が、なんとなく人見下してるよーに感じるよーになってねぇ(笑)

細胞単位わないだろ(笑)

34イカフライ:2004/06/23(水) 19:07
>>32
ヤスツさん、病院行きました?
 風は万病のもとですから、気をつけて早めに直さないと。

「プロ市民」というくくりにいれるつもりではないんですが。
 なんというのかなあ、例えば反戦平和とか、環境保護とか、差別とか、障害者やホームレスへの支援とかって、市井の普通の人々の感覚で出来る事だと思うの、本来。
 で、実際にそういった組織を作って中心的に活動するとなれば、時間やお金を多く費やすだろうから、そういう人は、その会の運営費の中から給料とか貰う事は基本的には問題無いとは思うんだけれど。

 ただ、なんてかなあ、どっか、そういう団体って、市井のパンピーとは一線が出来てしまうような気がしてならないんだよね。

 これは、随分前に触れた「偏った反戦運動」ってことに関してもそうだし、「ボランティアをしたいけれど、プロ市民みたいな人にオルグされるのは、いやだ」という奥様の感覚も当然だと思うし。

35中葉:2004/06/24(木) 05:28
>>31-34
で議論されているような「市民と非市民」の対立と不信とが
愛・地球博 市民プロジェクト
http://www.expo-people.jp/home.html
の表層と底流とにも執拗にはびこっており、今日も3つのミーティングへ出かけます。

でも、逆に見れば、偉大な止揚への前夜かもしれません。(笑)

36緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/24(木) 12:19
>35
はぁ・・・

おれ、「村民」だから関係ないや(笑)

37中葉:2004/06/24(木) 23:20
村民と非村民の対立もありますよ!

例えば、きだみのる「きちがい部落周遊紀行」冨山房

38うろちい:2004/06/25(金) 12:16
非市民ってのは本当はいないんだけどねえ・・
「非市民」が「市民」から市民としての更なる責任を追及されちゃうから「非市民」は市民団体から距離をおくんじゃないかと思います
牧歌的なお恵み感覚でボランティア活動とかしたら痛い目に遭うわけで
「一線」てのはそういうもんだと思うけど
「乗っ取られる」のが嫌なら「市民運動家」を追い出すのもよし、分派を作って独立するもよし
「乗っ取られる」なんて言い分はお門違いの泣き言だと僕は思いますね
僕の大学でもいち左翼組織(僕は所属してない)が自治会占めてたけど、僕は他の学生がだらしない結果だと思ってましたよ
ま、その左翼組織も不器用な点もあったんですけど

39緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/25(金) 12:55
はぁ・・・

要するに、「普通の人」と「おかしな人」ちう区分のことね(笑)
<市民と非市民ちうのわ。

なら、俺わ、普通の人でええや(笑)

40ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/25(金) 14:12
>>34
ご心配ありがとうございますm(__)m
熱はやや引き気味……体調が悪くても仕事は待ってくれない、というところが業種を問わず社会人の辛いところです。

>>38
「乗っ取られるのは泣き言だ」の話。

分派を作ったり総括したり粛正したりというのをバンバンやってたのが、マルクスをかじった昔の学生さんたちで、その人達は「組織を作る、金を集める、人事を握る、障害を排除する」という、手管に長けているわけですよね。
そうして、本来の趣旨(それが反戦であれ、ドブさらいを週に1回やりましょうであれ)と無関係に、組織を「奪って」しまう。
そういうことをする「組織立ち上げ」「組織かっぱらい」人をして、「プロ市民」としているわけです。

結局は、目的に対して組織っていうのは「手段」でしかないんだけど、その手段がないと目的に近づけない、だから仕方なく組織を作る。
でも、組織というのは人間の対抗心を「制御するためのもの」ですから、組織の制御がうまい人間がいないと、組織そのものが成立しない。
ところが、組織の制御がうまい人間は、結局は「組織運営」が主目的になってしまい、目的と手段の転倒をたびたび起こす。
「市民運動」と呼ばれているもののうち、組織がうまくできているところほど、「主目的と手段の逆転」が甚だしい。

結局は、「組織の整備」を徹底しなければできないような目的は、手段を乗っ取られやすく目的も実現しにくい、ということなのかなと考えてみたりしつつ、お薬呑んできます。

41イカフライ:2004/06/25(金) 14:20
>>38

>牧歌的なお恵み感覚でボランティア活動とかしたら痛い目に遭うわけで

 痛い目に合わせるのは誰でしょうか? 要介護者ですか? 「市民」ですか? 市井の非市民の普通の人達ですか?
 確かに人を助ける、なんてのは、甘いもんじゃありませんよ。人間、自分一人を救うのだって必死ですから。
 でもさ、牧歌的じゃいけないわけ? 普通じゃいけないわけ?

42ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/25(金) 14:34
痛い目に遭ったら「ああ、もうこりごりだ。軽い気持ちで他人に手を貸すのは辞めよう」で終了ですね。
そして、「本気ではない、軽い気持ちのボランティアお断り」ということであれば、ますますそういう活動に参加しようかな、という人は減り、垣根は高まり、門戸は狭まり……

斯くして、「弱者?別に関係ないし」という社会がどんどん拡大していくんでしょうかね。

まず自分を救え。
余力があったら他人も救え。
他人を救うために自分を犠牲にしなければならないなら、それはするな。
余力の有無の判断を他人にさせるな。自分の余力は自分にしかわからない。

てことだと思うんですがねぇ。

43ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/25(金) 14:35
というわけで、びよういんにいってきます

44中葉:2004/06/25(金) 14:45
組織に関する話題提供をありがとうございます。実は私の専門なんです。

自分のことを書く前に、先生筋のMITでは今どうなっているかを書きます。
(最初の私の先生はマグレガーでした。今はいない。後輩ばかり。)

Center for Coordination Science http://ccs.mit.edu/ccsmain.html
がベースキャンプ

Inventing the Organizations of the 21st Century http://ccs.mit.edu/21c/
がその中心プロジェクト

リーダーはThomas W. Malone, Patrick J. McGovern Professor of Information Systems, Director, Center for Coordination Science
http://ccs.mit.edu/malone/
人柄は悪くない見たい。つまり、「組織かっぱらい」人ではないみたいだが、分からんね。

彼らの基本理念はWhat do we really want? A manifesto for the organizations of the 21st Centuryらしい。
http://ccs.mit.edu/papers/pdf/wp032manifesto21C.pdf

良く書けてはいる。ただそれだけの話。社会政治分析がないから駄目なのかな?

45緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/25(金) 22:14
>44
分析の前に、無料で日本語で提供してくれ(笑)

組織なんて簡単なことだよ。

1 構成員につながりを持たせる。
2 上級者の命令を、下級者が聞いて実行する。
3 実行しなかった場合には、ペナルティを与える。

それを、どんな手段を持って行うか、ちうだけのことだからな(笑)

46中葉:2004/06/25(金) 22:36
原理は簡単だが実行は困難。
理由は人間には理屈で動かない感情があるから。
問題はそこにある。

実際をご存じないようですね。
それならそれとしてお付き合いしますが。

47ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/26(土) 08:46
>>46
いや、原理が簡単なものは実行も簡単ですよ。
理屈で動かない感情があるというのも問題ではない。
というか、感情は理屈(理論に基づいた刺激方法を試すこと)で変えることができますよ。
感情を理屈で変えられないというのは、感情を変えるための方法論を持たない/知らない人の不勉強だと思っています。

例えば、言葉の選び方ひとつで相手を怒らせ、興奮させ、正常な判断力を奪うような情緒的な状態に置く、という形で「理屈に基づいて相手の感情を動かす」ということは可能です。もちろん、無意識のうちに相手を怒らせるような物言いをする人もいる一方で、意図的にそうした方法を選ぶことは「理屈」によって可能。
逆に、相手が「なぜ感情に左右される状態に置かれているか」をよく観察することで、負の感情ではなく正の感情を引き出すような環境を理屈に基づいて作るということも可能です。

組織を構成するのは人間で、人間は理屈だけでなく感情で動く、というのは、「その組織を制御する理屈が、感情を制御する理屈にまで進化していないから」というだけのことかな、と思ったりするのですが。

研究室の外の実際をご存じですか?

48ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/26(土) 09:18
>>47
補足。

原理が簡単なものは実行も簡単。
しかし、実行の結果、目的通りの結果がきちんと出ないのだとしたら、それは「原理が簡単でも実行が難しい」のではなくて、「原理がきちんと解明されていない」か「原理を理解把握していない」か「原理を実用するためのファクターを把握できていない」のいずれかなのでは、と。
なので、これに対して「現実はそんなにうまくいかないよ」という意味の批判を加えるのであれば、「原理は簡単でも、現実には様々な変動する要素も加わり、原理は常に修正され複雑化するので、単純な原理に見えても実用(実践)では思い通りにならないよ」ということを言いたいのかな、と思いました。

中葉さんのご発言は、「me too.」と言いながら、ご自身の主張については述べられず、「近いことを言っている人の名前と論文のタイトルとリンク」の紹介と感想に留まっておられるわけですが、まるで図書館司書か何かのようですね(^^;)

「原理を解明するのは学者の仕事」
「しかし、解明した原理を実践に活用することは学者にはできない」←様々なジャンルに失敗例が夥しくある
「原理を解明できた学者には、解明した原理を説明(自分なりの理解を発表)することはできても広く理解させることはできない」

そゆことかな、と思うのですが、、、、

49イカフライ:2004/06/26(土) 21:08
組織を作り、それを運営・維持するのは、難しいもんだ、とは、過去の経験から感じるんですが。

 まあ、私の「組織」というのは、NGOや市民団体ではなく、マンガや小説の同人サークルでの経験ですが。

50ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/27(日) 09:21
例えば、3人集まって会(組織)を作ったとします。
会が崩壊しないためには、3人が対立しないことが重要です。
このとき、
「仲良くしましょう」「そうすれば会は存続する」
というのは、原理ではなくて「目標」。
この場合、「(1)会の存続」が優先順位第1位の目標。それを維持するために、「仲良くしましょう」が補助的に機能する。

で、3人が3人とも「会を存続する」ということが優先順位第1位であるうちは、共通の優先順位第1位を達成するために、「AはBが気にくわない」「CはAが嫌い」といった問題は顕在化しません。
が、「嫌いな人とは組めない」が優先順位第1位になると(構成員のうち一人でも)、「仲良くしましょう」は、優先順位第1位を達成するためには機能しなくなります。

同人、趣味のサークルに限らず、NGO、市民団体、思想団体、学術団体、スポーツ団体ですらそうだと思うのですが(テコンドー団体とか(笑))、優先順位第1位を共有できなくなると、組織である必然がなくなりますので崩壊します。
組織が崩壊しないようにするのは、構成者が優先順位第1位を共有できるかどうか、ともうここだけで。

「組織を作り、運営、維持する」というのは、構成者の間で優先順位第一位を共有する必然とリンクします。
組織がいじされなくなるというのは、その組織が不要になるもしくはその組織の優先順位が構成者によって共有されなくなった、ということですよね。
優先順位が共有されていないのに、組織そのものを延命させようとするから、様々な「手段」が必要になります。人事だったり、引き締めだったり、粛正だったり、総括だったりですね(^^;)
この時点で、すでに「目標達成のために組織がある」状態から「組織を延命しないと目標は達成できない」と、手段と目的が逆転しています。
そうなってしまった組織は、まあ構成者の自由意志で捨てていい。
捨てた構成者が新しい組織を作るのも自由だし、残された構成者はまた「同じ優先順位第一位を共有できる新しい構成者」を募ればよい。

このとき、自由意志で構成者であることを辞めることを引き留めないのが民主主義ということですね。
(本人がその気になれば、日本国籍を捨てて他国の国籍を取ることも可能ですよね。地方自治体間の引っ越しの自由は言わずもがな)

「組織の維持が優先順位第1位」なのか、
「組織を利用して何かをすることが優先順位第1位」なのか。
組織の存在意義、原理はもうここだけかな、と思われます。

51中葉:2004/06/27(日) 13:49
>>48 中葉さんのご発言は、「me too.」と言いながら、ご自身の主張については述べられず、「近いことを言っている人の名前と論文のタイトルとリンク」の紹介と感想に留まっておられるわけですが、まるで図書館司書か何かのようですね(^^;)

私に言わせれば、それは当然です。

私は実践にしか興味がないから、実践に必要ならば理論にも興味を持ち、使えるものは使うし、使えるものがなくてどうしても必要なら自分で作ります。

しかし、なるべくは、すでに確立された理論を、なんとかだましだまし使う方を選びます。
私のように、一生応用をやってきた人間はそれが普通です。

それだけでも、私の能力は目いっぱい使ったなあ。それで満足。いつでも死ねる。
それから、応用についての国際的発表も口頭および本としていくつかでき、これも満足。

言うことはないね。

これから後は、万博で恩返しをする。奇矯な理論で自己主張だけはしません。

52中葉:2004/06/27(日) 14:03
繰り返し、私が万博でやろうとすることを確認しておきます。

私は、BIE(博覧会国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)の以下のありがたいお申し出に日本が対応するよう、全力で支援しています。

現在のところ、この支援業務のためには、新しい独自の理論をひねり出す必要は毛頭ありません。
しかし、頭をひねり、勇気を持って決断し、あの手この手で策を弄する必要は、ものすごくたくさんあります。
丁度、昨日終わった「北朝鮮の核開発問題をめぐる協議」と似ています。

>>4 名前: 中葉 投稿日: 2004/06/17(木) 23:46
>21世紀以降の紛争解決の糸口
>新しいコミュニケーションの方策
>マルチラテラリズム(多国間主義)
>・・・・・
>の観点からも日本の努力を期待、BIEも愛知万博に協力を惜しまない。

53中葉:2004/06/27(日) 14:12
ヤスツさん、こちらでも別スレの以下の条項を適用していただけませんか?

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1052027621/647
647 名前: ヤスツ (CnaUXqoo) 投稿日: 2004/06/13(日) 06:40
>646
>なるほど、では、まずは目の前の実務に向けてご尽力いただければと思います。

54ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/27(日) 14:37
>>53
ええ、もちろんです。
自分でこれをやると決めて、それに向かって邁進されている以上は、その手を止めてまで意見を述べよと言うつもりはありません。

ただし、誰でも自由に見られる場所に何らかの意見や見解を書き残される以上は、書き残した内容についてまったくの第三者から論評されることもあるし、また意図と異なる解釈をされることもあるし、説明を求められることもあるだろう、ということです。
説明を求められたことに対して必ずしも真摯にいちいち応えなければならない義務があるとは思いません。
その代わり、見解を述べっぱなし、言いっぱなしになるのであれば、第三者から論評されっぱなしも、同じように黙過するしかないかなとも思います。

その上で、実践を優先するというのが中葉さんの意志ですから、それはもう是非頑張って頂ければ、と。

私の興味は、「人の言い分をよく聞く」「聞いた話で理解できたものは、(可能なら)相手(=主張者)に確認した上で、第三者にもこれを【かみ砕いて】言い広める」ということ。
専門家の言い分、論説には非常に興味がありますので、こうして多くの方々の見解を伺う一方、聞いた話をそのまま右から左に流してもまるで理解されないことも身に染みて存じているため、「如何にして元の意図を失わずにかみ砕き、主唱者を知らない人にも理念や論理、理論を共有させるか?」ということに注力しています。

世界平和でも年金問題でも、それにまったく興味のない小学生に対して、小学生自身が持っている少ないボキャブラリでも彼らの同級生に彼ら自身が正しく概念が説明できるようにする。
これが、知識の一般化。
私は、中葉さんやその他の方々とは、また違ったことを実践するために、いろいろ学ばせていただいております。

55三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/06/27(日) 21:30
)ヤスツ氏
理論というものは、あくまでもモデルであって実際
そのものではありません。
自然科学と異なり、人間を対象とする社会科学にお
いての理論に普遍性や絶対性を求めること自体が誤
りなのです。
ですから人間の織りなす社会において絶対平和を達
成する理論や普遍的真理など存在しないのです。

問題は、全ての人間が共有できる価値観も普遍的真
理もない中で、それでも尚どの様にして社会秩序を
造るかと言う事ですか、この事すらも無根拠であり
なぜ社会秩序が必要かと聞かれれば根源的には根拠
などないのです。

そもそもヤスツ氏の『平和理論は、誰が聞いても納得
理解し、実践可能でなければならない』と言いう論理
の根拠からして突き詰めれば『ヤスツ氏が、その様に
思うから』に過ぎない、つまり内在に過ぎず普遍的な
絶対的なものではないのです。

56中葉:2004/06/27(日) 22:53
>>54-55

ご両所の発言内容を歓迎し、感謝します。

57ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/28(月) 06:07
>>55
『普遍性を求めることがそもそも誤り』というのも、三毛猫ナナの個人の価値観に過ぎないわけで、その個人の価値観に従って他者である私の価値観を否定される謂われはどこにもありませんが。

仮に三毛猫ナナの『人は誰も価値観の共有などできない』という主張を根拠とするならば、絶対平和、限定的平和も含めて、人間同士が分かり合うことは一切不可能であり、万人が万人同士で殺し合うことによって最後の一人になったときに、そのたった一人だけが平和を得ることができる、ということになりますね。
映画『ハイランダー』はそういう話でしたが。たった一人生き残ることが幸せかどうかというテーマは古今東西多くのSFが扱っていますが、大概は『一人は不幸』という結論に落ち着いていますね。

さて。
価値観も普遍的真理もない中で社会秩序を作るかと言うことですが、『無根拠で必要などないから作る必要がない』というのが三毛猫ナナの意見だとするなら、だったらおまえは死ね、ということになりますね。
無政府主義者である点では、三毛猫ナナはテロリストと質的に同一ですから、『テロリストと接点を探し、共存していくことができるかどうか』を求め考える上では、この上ない材料だとは思います。

別スレで述べている『平和理論は、誰が聞いても納得理解し、実践可能でなければならない』ですが、それについて意見があるならそちらのスレでお願いします。
スレッドフロー式掲示板で意見を別スレに拡散させることに積極的に助力するのは、秩序形成のためのルールを理解できないただの原始人です。
あなたのような存在が秩序形成を阻害するのであり、三毛猫ナナ=無政府主義者的テロリストを排除すると、無政府主義者以外の人間は秩序に一歩近付くことができる、という展望が開けてきます。

無政府主義者は『何らかの強制に基づいた秩序』を厭がりますが、組織なり社会なりというものはその構成者に対して何らかの強制を伴うものです。
その強制が法であったり慣習であったり利益の共有であったりするわけですが、それらの法、慣習、利益の共有をしないで秩序を作る(=私としては秩序形成が対立を暴発させない→安定させる→一定の平和状態になる、に繋がると見ていますが)ということが可能であるなら、その方法を述べてください。
その方法が共有できるなら、無政府主義者的テロリストとの間にも接点を持てるのではと期待しますが。

ともあれ、具体論については別スレ http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1088069678/ にどうぞ。

58中葉:2004/06/28(月) 12:06
>>45 >>44 分析の前に、無料で日本語で提供してくれ(笑)

>>44 良く書けてはいる。ただそれだけの話。社会政治分析がないから駄目なのかな?

マローンのマニフェストを日本語訳するのはばかばかしいからできません。

ただ、彼の言い分はNHKスペシャル「NHK変革の世紀シリーズ」より、
第1回:国家を超える市民パワー http://nvc.halsnet.com/jhattori/green-net/NHK/henkaku1NGO.ASF
第2回:情報革命が組織を変える http://nvc.halsnet.com/jhattori/green-net/NHK/henkaku2soshiki.asf
などを参照してください。

その中でマローンとドラッカーはこんな風に言っています。

トーマス・マローンは以下のように言っています。
“これからの情報化時代の組織では、一人一人に大量の情報が入り、一人一人がその情報を咀嚼し、決断を下さなければならなくなる。
上司は概略の方針は決定するが、個々の決定は部下が決定し、責任を取らなければならない。
日本の組織では、伝統的に部下は上司の顔色をうかがい、独自の意見の主張は許されない風土があった。
これから、どのようにして新しい組織や意思決定スタイルを作っていくか、非常に興味深い。”

ドラッカーは以下のように言っています。
“21世紀には、「知識」に基づく労働と「知識」に基づく組織へと移っていく。
その結果、管理層の階段の数は著しく減ってくる。
今までの中間管理層の仕事は、単に情報の伝達だけであり、事実上、物も人も管理していなかった。
今後、「組織」の構造モデルは抜本的に変革されるはずで、すでに幾つかの兆しが現れ始めている。”

59緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/28(月) 13:37
>58
なるほどね。
つまり、「知らなくてもいい人が知ってしまい、考えなくてもええ人が考えるようになるから、今までみたいにわ人を騙せなくなるよぉ」
ちうことだな(笑)

あと、「中間管理者がいらなくなる」についてだけど、コンピュータネットワークなどの「ハイテク機能が常に保障されている」
ことが条件になるね。

例えば、軍隊の例を出すと、総理大臣の目の前に、巨大なディスプレイがあって、中隊レベルくらいの戦況がすべて確認できて、しかも
直接命令が下せるならば、大隊長以上の指揮官わ必要なく、究極の「シビリアンコントロール」が可能になる(笑)
<大隊長以上の幹部わ、すべて幕僚作業ちう実務だけで良くなる。

でも、そんな軍隊わまだ存在しとらんがね。

60中葉:2004/06/28(月) 15:08
>>59 でも、そんな軍隊わまだ存在しとらんがね。

だから意欲的な国、意欲的な企業は、開発と導入・実用化にしのぎを削っている。

日本は面白い国で、どこかやったら、あるいは、どこか成功したら要領よく真似て追いつけば良いと思っている。

これからその手は使えないことを知ってか知らずしてか、わからないが。

万博でもそのような面白い光景が展開されるに違いない。
実際、21世紀の万博は、その意味で面白い。ハノーバーもそうだった。日本の次の上海もそうなるだろう。

61三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/06/28(月) 21:16
)ヤスツ氏
>>57
ヤスツ氏の意見は価値コミットメントですが、正しい
価値の共有と社会秩序の維持は別問題です。
ホッブス問題の解決は価値の合意によってなされてい
るわけではないのです。
そもそも『正しい価値』とは何かについて全員に納得
させる方法などありません、行き着く先は排除か教化
です。更に言うと正しい価値は何かを話し合う前提は
何かについても更に話し合いが必要という悪循環に陥
ります。
だいたい『絶対平和』とか『普遍的真理』って何?
これはヤスツ氏の内在以外の何物でもないでしょうが。
『天上天下唯我独尊、大道無難唯嫌選択』が示す様に
人は自らの内在を越えられないのです。如何なるもの
も自らの認識の産物なのですから。
それをさも内在を超越した真理があると言うのも内在
に過ぎないのです。

62中葉:2004/07/02(金) 16:53
今のところ、私の万博での企画書は以下のような感じです。ご批判をお願い。

シンポジウムⅠ:「環境」(2005年7月8日10時から)
<内容>
・国連ミレニアム宣言とエコ・コミュニティ(人間の安全保障を含む)
・社会システムとしての市民参加(市民・企業・政府、グローバル・ムーブメントへ)
・物づくりの知恵を和の知恵、さらに自然の叡智として再発見
・自然と人工物(IT)との調和・融合は可能か?

<発表形式>
シンポジウム

<その他イベント>
・インターネット上での討論(会期前、会期中)
・会期前プレワークショップ(国内・国際、数回)
・会期中ワークショップ(平和宣言の事前3回、事後3回)

<協力者>
学識者
関心を持つ、または活動経験のある市民、NPO、NGOなど

63ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/02(金) 17:12
>>61
さてさて。

「絶対平和」を求めているのは、本来は私ではないということは憶えていますか?
あなたには長期記憶はありますか?
念のため繰り返しておきますと、私自身のスタンスは、

・絶対平和は達成不可能
・限定的安定(時間、または限られた地域内での限定的安全保障)は達成可能
・限定的安定は、共同体(物理的に同一近接地域内で平行的に生活している)の構成員の個々の価値観の相違を「互いに共通化、平均化【することなく】」、何らかの権力(強制力)によって制限することで実現可能
・共同体(物理的に同一近接地域内で平行的に生活している)の構成員の個々の価値観の相違(を、相手に対して相互に強制しあうこと)を優先した場合(強制力による個人の制限)は限定的安定も達成不可能
・構成員の個々の価値観の相違を制限しないで限定的安定を達成するには、構成員同士の物理的な距離を遠ざければ可能

ということですが。まさか忘れているんですか?
あなたとこうして話をするようになって、もう1年以上経つというのに。

「人類は絶対平和は獲得できない。経験から得た教訓を、人類全員が等しく共有する具体的手段が現時点で存在しないからだ」←大前提
「一国内、一地方自治体内、一家族内、一夫婦内などの限定的な地域内での平和は、部分的にであれ実現できる(価値観が共有できるか、共有できなくても相手に干渉しなければ)」

その上で、「絶対平和」も「普遍的真理」も、本来は私自身が追い求める主張ではないということを、まさか忘れているんじゃないでしょうね?
むしろ、私のスタンスに歩み寄れない方のために、私の主張を一時棚上げして、「ではどんな方法が?」という思考実験をしてさしあげているんですが。

一方で、ある種の「真理」というのは存在しますよ。
例え三毛猫ナナが同意しなくても、E=MC2ですし、水=H2Oです。
つまり、こうした真理には「同意は不要である」ということ。
「EはMC2じゃない!」「水はH2Oじゃない!」と唱えるのは三毛猫ナナの自由ですが、あなたが否定してもその事実は変わらないでしょ?

で、私が述べている(もしくは、「もしかしたらあるんじゃないかな?」という前提で、試しに考えてみよう、と提唱している)ところの、「絶対平和を達成する方法」なりなんなりというのは、「第三者の同意を必要としなくても、実現できる方法はあるか?」という思考実験に過ぎません。

まあ、あなたはそういった「遊び心」や「自分の主張以外のスタンスに立った思考実験」っていうのはできないイキモノだということはよくわかっていますから、別に何の期待もしていませんよ。

64ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/02(金) 17:13
>>62
見出し内容が曖昧すぎて、内容について批判できるほどではない、としかお応えようがありませんでした。
申し訳ありません。

65ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/02(金) 17:17
>>63
三毛猫ナナのために一応補足しておきますが、

「絶対平和」=「恒久的永久的に制限なく永続し、地域の広狭なく適用可能で、その適用を受ける構成員の性別、年齢、経験に条件が付かなくても成立する平和」

ってことで。

そんなものは、生まれたての赤ん坊から死ぬ間際の老人に至る全人間が、永久の記憶を共有できない限り実現不可能です。
学者、研究者に理解できても、幼稚園児に理解させられないものは共有できません。
理解できないものにも恩恵を与えようと思うなら、同意を得なくても強制できる「上位権力」がなければ不可能。

まさかそれもわからないんじゃないでしょうね?

66イカフライ:2004/07/02(金) 17:19
>>62

 64とも重なりますが、それぞれの細かい内容が解らないので。

 人間の安全保障を含んだエコ・コミュニティなど興味はあるのですが、それが具体的にどういう形になるのかな?によって評価は変わってくると思い間S。
 まあ、特に私は、足元からなどと言うと聞こえは良いですがあなり観念的な思考が苦手なので。
(単純に頭が悪い、ってことです)もっと具体的な説明は欲しい、とは思います。

 あくまで見出し、という感想ですので。

67中葉:2004/07/02(金) 22:25
>>64 見出し内容が曖昧すぎて、内容について批判できるほどではない、としかお応えようがありませんでした。

>>66 64とも重なりますが、それぞれの細かい内容が解らないので。

内容は登壇者が誰になるかで決まりますが、その人はまだ不明です。

私を含めたこれからの学習に懸かっています。

68中葉:2004/07/05(月) 13:23
>>4 それにしても、呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)は何を考えているんだろう?
>21世紀以降の紛争解決の糸口
>新しいコミュニケーションの方策
>マルチラテラリズム(多国間主義)
>・・・・・
>の観点からも日本の努力を期待
>BIEも愛知万博に協力を惜しまない
>
>とは何を言わんとしているのだろう??
>考えれば考えるほど奇々怪々!

考えるまでもなく、情勢は激しく動き始めているようだ。

2004年5月18日に東アジア共同体評議会が設立された。
http://www.ceac.jp/
http://www.ceac.jp/whats-new/040518-3.html

2004年7月22-23日に第3回「日・ASEAN対話」
「東アジア共同体へのロードマップ 」
http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/asean.htm
が開催される。今日が一般参加の締切りだから、私は申し込みましたが、定員20名ですから厳しいです。

69三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/05(月) 21:08
>>63
)平和
平和を語るなら、まず私と貴方の間に言葉の
コンセンサスが必要となります。
これは、価値の合意を目的としたものではな
くコミュニケーションを継続させる為にお互
いの用いる言葉の意味を確認しているのです。

ヤスツ氏の書き込みから察するに、貴方の『
平和』とは『我々を守る為に我々ならざる者達
を抑圧もしくは排除する状態』を指しているの
でしょうか?
その点を明確にして下さい。

)真理
『もしかしたら?』も何もありません。
『ないものはない』のです
自然科学と社会科学を混同されない様に。

70ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/05(月) 22:08
>>69
そちらからお先にどうぞ。
あなたの後出しジャンケンには辟易してますし、あなたが私を理解するよりは、
私があなたを理解するほうが話の進みが早いですからね。

71ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/05(月) 22:10
平和の定義についてはこれまでに何度となく提示していますし、
発表した文章もまとめてありますよ。
三毛猫ナナの主張をまとめた「まとめページ」はどこかにないんですか?
「過去ログ嫁」ですか?(^^;)

できれば箇条書きでお願いします。
番号付きでね。

72三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/06(火) 20:45
)ヤスツ氏
>>69の質問は、ヤスツ氏の指す『平和』とは
『我々を守る為に、我々ならざる者を抑圧もし
くは排除する状態』か?と聞いているのです。

『全ての者に平和をもたらす事は不可能で、その
様な方法がない』から『僕は、我々を守る為に、
我々ならざる者を抑圧もしくは排除することは正
しい』とするのがヤスツ氏の指す平和ですか?
と聞いているのです。

方法の有無やカテゴリーを理由にして責任逃れを
するのではなく、ヤスツ氏自身の自己決定におい
て『自己と他者を理念としては等しい事を認める
か?』『我々を守る為に我々ならざる者達を抑圧
もしくは排除することは正しいと言えるのか?』と
聞いているのです。

73ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/06(火) 23:35
>>72
そんなことは言っていませんし、私の趣旨を誤読していますね。
貴方が私の主張を正しく理解できるまで先には進めませんね。

まず、前段は私の主張ではありません。

中段は私の主張を誤読しています。

下段は誤った理解(誤解)の上にあるので、解答する必然がありません。

以上ですね。

74ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/06(火) 23:36
あなたは「安全」と「平和」の区別が付いていないんでしょう?
あなたの考える「平和」と「安全」の違いについて伺いますが、腹案はありますか?
私は平和と安全はまったく別の状態と考えています。
その上で、「平和を希求することは不可能である」が、「安全を希求することは可能だ」という立場を執っているのです。
その違いが理解できなければ先には進めませんよ。

75三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/07(水) 00:48
>>74
『安全を希求する事は可能である』とは『誰』の安全
を指しているのか?
対象は『我々』のみで『我々ならざる者』を含まない
のか? それとも自己も他者も全て含むのか?

76三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/07(水) 01:01
>>74
)誤読
ヤスツ氏はマクロレベルにおいて平和は無理だから
ミクロレベルにおいて平和を成そうと言われている
わけです。
その結果ミクロレベルにおいて合理的な判断をした
結果、マクロレベルにおいては正反対の結果を生む
事になります。『合成の誤謬』ですね。

77ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/07(水) 01:08
以前にも、「平和とは、戦争と戦争の間隙にある一時的な状態に過ぎない」という説を述べたことがあったと思いますが、まあ覚えてないんでしょうね。

さて。「安全」というのは、最小単位で言えば個人でしょうね。最大単位で言えば、今のところは国家となります。
安全というのは常に「安全を脅かす相手」がいることが前提になっており、相手を何らかの方法で排除する、駆除する、消滅する、無効化することが、自分及び自分と同じ側にいる者の安全を保証する、ということになります。
「安全が得られた側」が個人であれば「安全は安全」、安全を得られた側が二人以上の複数であったならば、「安全を得た側の複数の人間の間に、平和を生子させる土壌が生まれる」です。

安全を脅かす相手との間に、対立を消滅させるなどの解決が図られれば、その特定の相手との間には「安全保障」が得られますが、それをすべての「自分以外」との間に成立させることは不可能です。

となれば、「全人類の平和」(=対立する相手がいないこと)という実現不可能なことは、「最終的な到達点」であるわけで、その手前、その第一歩の「安全保障」を考えることのほうが優先だし急務ということになります。


ただ、「安全保障を得るための方法」が、必ずしも「相手を消滅させる」ということだけではありません。
対立議題さえ消滅すれば、極論すれば相手が消滅しなくてもいいわけです。
しかしどちらも譲らない、相手も譲らない、こちらも譲るわけにはいかない、ということになりますと、問題は消滅させられず、対立相手を消滅させることでしか、「自分の安全」を計ることはできなくなります。
まあ、それが戦争だと思うわけですが。

で、ここで問題です。
「平和を希求する」というのは、「対立する相手Aの安全について、対立している本人Bが考慮する」ということです。
これは、AとBが双方同じ考え(この場合、対立の回避が最優先)になっているなら、「対立を回避するために問題を消滅させる」という合意も可能かもしれませんし、いわゆる「双方が平和」な状態も得られるでしょう。
しかし、A、Bどちらか一方が同意しない場合、一方だけが相手のことを考慮していても、もう一方が相手を考慮しなければ、まるで無意味になってしまいます。
そうなると、「平和(=それに拘わる全員の安全)」は得られず、どちらか一方の保身のための「安全」までしか得ることができなくなります。

考えるべきは、「自分が死んでも自国が滅んでも、自分と対立する相手が生き残ることを選ぶ」ということではありません。それは自殺でしかありません。
まず第一に「自分が生き残る。対立する相手に対して自国の安全が図られる」ことが最優先で、相手国の安全は【次善でしかない】ということです。
自国の安全が図られた上で、相手国の安全も保証されるのがベストでしょう。(所謂集団安全保障というのはそういうものでしょ?)
が、相手との間にそういった同意が得られない場合は、あくまで「自国の安全」が優先事項であって、それ以外は「どうでもいいわけではないが、優先順位は低い」となります。

と、あんまりたくさん説明すると理解できないんですよね。
少し戻りましょうね。

「安全を希求することは可能である」というのは、あくまで「自分」「自国」です。同じ考えを持つ共同体でもいいですよ。
その上で、「我々」というのも、「自分とそれが属する共同体」までが「我々」の範囲。日本語としては普通はそうなんですが。

対立する相手、相手国というのは、「彼ら」ですね。そして、「安全について考える」場合は、安全の恩恵を第一に受けるのは「我々」です。
「彼ら」の安全は、我々の「次」です。
結果的に我々と彼らの双方に安全がもたらされる場合でも、優先順位で言えば「我々」の安全の獲得が先です。
相手が先、ということであれば、それは自殺でしかない、ということです。何度も言いますが。
双方同時に、と言いたいのでしょうが、「優先順位」というものを考慮するなら、名簿の先頭にはひとつの項目しか入れることはできません。そのとき、相手と自分のどちらを優先するかと問われたら、優先するのは自分、自国である、ということです。

78ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/07(水) 01:15
>>76

マクロレベルにおいて平和は無理だし、ミクロレベルになるとそれは平和とは言わないのでは?

限定的平和というのは「安全」とどう違うので?
平和というのは、「全面的平和」以外にあるので?

ミクロレベルのそれはあくまで「安全」であって平和ではありません。
そして、安全は達成可能だけど、平和は達成不可能な目標です。
私が求めている、「ミクロで実現可能なことはマクロでも可能」ですが、マクロ=全部じゃないですよ。
マクロも、結局はマンデルブロー集合のごとく「さらに大きな全体の下部構造」でしかないと思いますが。

その意味で、「地球が平和になるためには、宇宙人(他の何かに書き換えてもけっこうですが)という脅威が人類の共通了解事項になるしかない」というのが私の持論で。
この場合も、「宇宙人」という上部構造を設定することで、地球全体というマクロが、「全体」は指し示さなくなるわけです。常に無限に「外」「上部構造」がある、ということ。
では、宇宙人との間に「平和」は成立するか?という設問に移ることになるわけですが、地球人と宇宙人を内包するさらに別の上部構造があれば或いは、ということになります。
この場合も、ミクロレベルでの「安全保障」は、上部構造にシフトして見かけ上の「マクロ」になっても、なんら変わらないわけです。

で、現状では地球を侵略する宇宙人は出てきませんから、地球人にとって共通の脅威を持たない限り、地球人が全てを棚上げして一致団結することは不可能だろう、と。
そういうことを踏まえた上で、ではどのような「脅威を共有できるか?」または「安全を共有するために、【同じ側に立つ】ためにはどのような敵を設定すればよいか?」ということを質問しているわけですが。

79中葉:2004/07/07(水) 05:21
>>1 昨年12月にBIE(博覧会国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を盛り返したい。
21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまない」と語ったとのことです。

昨日7月6日の朝日新聞に緒方さんへの朝日の記者のインタビューが載っています。
国連の組織改革を目指して提言すると共に、日本人の貢献への期待がよく判ります。

ポイントは3点です。日本について2点、国連について1点。

1.この3週間、アフリカを回ってきて、日本のこれまでの援助が人づくりや
社会づくりに役立っていると実感しました。国連加盟国の大半を占める途上
国からは、日本への期待と信頼は高い。援助大国としての実績も蓄積もある
のに、日本国内ではそれが十分に評価、認識されていない。これだけ、相互依存が進んでいるのに、非常に狭い国益論議が横行しています。

柴田コメント:私が終身会員となっているアジア保健研修所
http://www.jca.apc.org/ahi/
が長い間続けているミンダナオ・イスラム自治区での活動「フィリピンニューコレリア町持続的地域総合開発計画(SIAD)」
http://www.cadi.ph/SIAD_Poverty_Eradication.htm
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hyouka/kunibetu/gai/philippines/gd02_01_0804.html#k4
素晴らしい実績の事例です。しかし、深みに入っていくほど、難しくなり、
危険になってくるので、7月16日には会員有志が集まり、これからどうしよう
かという方針会議を開くことになっています。もう止めようか、という相談
です。

2.(日本は安保理常任理事国入りを目指しているが、)せっかく常任理事
国になっても、国連システムが改革・強化されないと、役割が十分に果たせな
いかもしれない。まず日本自身が、国連の可能性をどのようにとらえ、平和
と安全保障についてどのような国連の見取り図をつくっていくかを示さなく
てはならないでしょう。

3.援助にあたる文民がテロリストに狙われやすい目標になっている。主権
委譲後もその状況は変わらない。イラク攻撃で存在意義を問われた国連は、
復興支援でも試練が続く。今後、国連がどう対応して行くのか。こうした
問題意識から、国連改革をテーマにアナン国連事務総長が昨年、発足させた
のが6,7の両日、京都で開かれている国連改革に関する諮問委員会(アナン
委員会)だ。

柴田コメント:今日がアナン委員会の2日目です。その午後参加者の一部が
我々のシンポジウムに出席してくれるのです。また、この委員会の問題は、
本質的に、私たちが16日に考えなければならない問題と同一です。

80中葉:2004/07/08(木) 05:20
>>79 今日がアナン委員会の2日目です。その午後参加者の一部が我々のシンポジウムに出席してくれるのです。また、この委員会の問題は、本質的に、私たちが16日に考えなければならない問題と同一です。

やはり期待通りでした。私の評価は近いうちに書き込みます。

81中葉:2004/07/08(木) 15:53
要点だけご報告します。シンポジウムの進め方は
平成16年度人間の安全保障国際シンポジウム「人間の安全保障と国家安全保障」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/event/h_anzen16.html
に従って定石どおり、基調講演、パネリストによるプレゼン、パネル討論、
質疑応答と進みました。全体は3時間で、丁度よい時間だと思いました。

シンポジウムが効果を挙げたのは「パネル討論」が非常にうまく展開たから
でした。要はシンポジウムタイトルの「人間の安全保障と国家安全保
障」のポイントをどう絞り込み、それを聴衆の実行にどう結びつけるかで
す。実際、最後の質疑応答で「私に何ができますか」という質問が何人か
から出されましたから、聴衆のレディネスは十分でした。

非常にうまく展開した「きっかけ」を作ったのは司会の石川外務省国際
社会協力部長でした。彼は「パネル討論」のキーワードとして、人々、
国連憲章、連帯(平等が大切、押し付け・チャリティでなく)、参加など
を挙げ、これらが紛争などの場面での問題である、と適切に場面設定を
しました。(以下、議論の展開をてみじかにします。氏名の所属は
上記外務省の予告を参照してください。)

「クマロ」連帯の動機付けは何か?京都はいいが、ブルンジでは?「緒方」
京都の人は幸せだが、それは幻想。しかし、連帯が必要だと思っているだろ
うか?「サディック」連帯の言葉だけで行動がなければ意味ない。日本は
やっているが、謙虚過ぎる、もっと挑戦的になって欲しい。「北岡」NY
に住んでいると、聞こえるのはアフリカの話が多いが、行動しているのはヨ
ーロッパの国々。しかし、彼らはヨーロッパ流儀を押し付ける。明治以降の
日本の援助は謙虚だけでなく挑戦的なこともやった。失敗もある。これから
は、その反省に立って日本的貢献をするべき。「ソアレス」連帯は悲しみの
共有だけではない、援助だけではない、ラ米では若者の方か高齢者より連帯
できる。「クマロ」押し付けでないパートナーシップでなければ、価値の
ある連帯が必要。「サディック」アフリカの話が多いが、アジアを忘れて
はいけない。AIDSはアジアも多い。「北岡」特権的な援助が多いが日本は
ちょっと違う。連帯を進めるには他文化への尊敬が必要。「石川」アジア
が話題にならないのはGNPが上がったからかも?これからフロアの若い人の
発言を中心に思考プロセスを続けたい。(各国大使の発言が続き、その後
の若者の発言も答を求める質問に終始。)「エチオピア大使」今国際社会
の援助からの撤退傾向がある。ドナーの疲れか?これからの連帯の推進に
は両者の相互利益が必要。相互安全保障が日本の利益ではないか?「ウガ
ンダ大使」人間中心・参加型開発が必要。「クマロ」ドナーは首都までしか
行かなかった。末端の人々と話さなければ援助は間違う。アフリカ人は問
題も方法もしって居る。手段がない。一緒に考えれば自分のものになる。
人々を巻き込まないのがいけなかった。「緒方」相互依存を理解するように
なり、アジアは前進した。

中葉コメント:
緒方さんの言うように「人間の安全保障」の普及啓蒙はある程度終わった。
これから実行の段階。しかし、啓蒙と実行と組み合わせた形での推進が
必須である。これが逆に緒方さんの泣き所であり、これから市民が自主的
にリードしなければならない。しかし、至難の業!

これこそ、市民プロジェクトがブレークスルーするべき課題であり、その
可能性を示した場合にはじめて、緒方さんもNGOも一般市民も、万博の
我々のシンポジウムや、地球市民村や、愛知県のエコ・コミュニティ展示に
殺到してくれるだろう。

とりあえず私は、上記見聞をも参考にしながら
第3回「日・ASEAN対話」「東アジア共同体へのロードマップ」出席
http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/asean.htm
地球市民村出展「おかざき匠の会」の準備の手伝い
http://www.infomart.or.jp/okazakitakumi/top/top.html
地球市民村参加団体へシンポジウム「地球に生きるものの使命」参加要請
http://www.global-village.expo2005.or.jp/jp_noflash/p03.html
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
などを進めつつ、国内・海外への一般的な呼びかけも強めて行きます。

82三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/08(木) 20:38
>>77
つまり『我々を守るために我々ならざる者を抑圧
・排除する状態』を『ヤスツ』氏は『正しい』と
宣言されるわけですね?
それを達成する為に、実践する行為を指して『平
和造り』(安全造りでも構いませんが』と『ヤスツ』
氏は呼ぶわけですね?

>>78
それは『排除の論理』であると、以前説明した通り
ですし、排除を行い価値の共有を達成することによ
り社会秩序を維持・安定させようとするのは非現実
的としか言い様がありません。

私は以前から何度も指摘しましたが、ヤスツ氏の内
面には他者を排除する欲望があり、その様な考えを
抱く前提に価値コミットメントを普遍真理と捉える
知的不誠実があるのです。
ニーチェが『真理には普遍性はなく、最も深みのあ
る嘘である』と語っている様に、真理は人為的に造
られたものに過ぎず、何度も書き替えられ続ける非
普遍性なものに過ぎないのです。

83ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/08(木) 21:55
>>82

平和と安全を混ぜている時点ですでに落第です。
それ以後の部分はすべて解答する必然がありません。

が、優しいから答えてあげましょうね。

「自分(=我々)を守るために、自分以外(=我々ではない)を抑圧・排除する状態」

は、「自分(=我々)」にとっては、正しいんです。
間違いなく。何の疑問もなく。
これは、「自分を救済する、または自分の安全を守る」という問題を「問題A」とした場合、問題Aにおいて、この選択は何の疑惑もなく正しいんですよ。
「相手を救済する、または相手の安全を守る」という問題を「問題B」としますが、問題Bは、あくまで「問題Aが解決された場合に、慈善的に考えること」です。

安全というのは、「平和」とはまったく違います。
安全というのは、対立や競争、戦争が起きた(起きうる)場合に、当事者のうち一方が限定的に得られる状態です。
対して「平和」というのは、当事者の全員が安全を得られる状態でしょう。

最上の状態、ベストは「当事者の全員が等しく安全を得られる、平和という状態」なのでしょう。
しかし、一足飛びにそれを目指すことは不可能だと何度となく申し上げました。
また、「自分自身の救済、安全の確保を蔑ろにして、全体の平和を求める」というのは矛盾した行動です。
「自分自身の救済、安全の確保を放棄することで、自分以外の安全、平和を実現する」というのは、ただの自殺行為です。
そして、自殺行為に荷担する人間に、安全の確保や平和への努力は不可能だと言っているのです。

私個人の信条を申し上げれば、「まず自分が安全であること。自分に与する存在が安全であること。その上で、自分と対立の恐れがある相手も安全を得ること」と、安全の確保には優先順位があるということです。
例外として、「自分の愛する者を先に助ける。その上で自分も助かる」などのように優先順位が入れ替わることはあるかもしれません。
しかし、その場合でも、「自分と対立する敵を先に助け、その後に自分もしくは自分の愛する者を助ける」といった順位の逆転はあり得ない、ということです。
全部取りはできないのです。必ず「順番」があるのです。

優先順位の決定には、必ず「1位になれない2位以下」という存在を生み出します。
沈没しかかっている船があるとき、道義的問題を別にするなら脱出すべき第一位は自分です。
この意見は「自分が助かれば他はどうでもいい」とイコールではありません。
そういうところで「自分の思い通りではないから、すべて二者択一」というのはタダの考えなしのすること。
ですが、「自分を救済する可能性」は捨ててしまってはいけません。
特例的な要素がない場合で、自分以外の要素が「対立相手」しかない場合は、優先順位の第一は自分です。

これは排除の理論では

                   あ り ま せ ん。

84ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/08(木) 22:00
ここまでの「優先順位の問題」は、「択一」や「排他選択」ではない、ということは判って頂けたかと思いますが、これまでの経験で言えば三毛猫ナナは「排他選択」と「優先順位の確定」の区別が付かない(平和と安全の区別か付かないのと同程度に)ので、理解できていないでしょうね。

そして、他者を排除する欲望があるのは、私ではなく三毛猫ナナのほうではないですか?
自分の理論にそぐわないものは、すべて「排除」の方向でしょ?
私は自分の主張と合わないものでも、排除する意図はありませんよ。
優先順位が2位以下になる、というだけのことで。

だから何度も言っているのです。
「安全を得ることは実現可能だが、平和は実現不可能か、それに限りなく近い」
と。
それは私の現時点で到達している理屈ですが、もちろんそれが最終到達点だとは思っていないから、
「その他の方法で、安全と同時に平和を得る方法があるというのなら耳を傾ける用意がある」
と言っているわけですが。
「普遍的平和」は夢物語です。
が、夢を語る人を切り捨てるのではなく、そのテーブルに就いてみましょう、という試みをしてもいいと思っています。
自分に合わないものを何から何まで排除しようという、「排除の理論」の権化になっている、三毛猫ナナには理解不可能でしょうけれどね。

85三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/09(金) 21:04
>>83
)自分にとっては、正しいんです。間違いなく。
)何の疑問もなく。

これは、あくまでヤスツ氏が『正しい』と思って
いるだけであり、これを普遍真理の様に取り扱う
発言は誤りです。
現に三毛猫ナナは、その様な選択をしても、その
決定が正しいとは思いませんし、間違っていない
とも断言しませんし、決定の正しさに対して疑い
を常に抱いています。

)排除の論理ではない
いいえ、ヤスツ氏の論理は排除の論理そのものです。
『理由があれば排除ではない』とするならば『理由
があれば人を殺しても人殺しにならない』となりま
すが、これは論理破綻しています。

>>84
人は区別なしには生きられません。
如何なる決定も抑圧と排除を必ず生みます。
だからこそ決定に対して疑いを持つ必要性
があるのです。
暫定的に実践主義的に下す決定の暫定的な妥当
性を信じつつも、その決定に疑いを持ち自らの
手で決定により設けた境界を引き直す、、、求
められるものは、絶対的な正しさでもなく、際限
なる迷いでもなく、この二つを兼ね備えて自らの
下した決定を書き替え続ける事なのです。

86「バカの壁」のファン:2004/07/09(金) 22:24
>>85
は養老猛司の「バカの壁」のテーマと似てるなあ。
絶対的な正しさを信じることを原理主義っていうんだろ?
あの本によると。

87うろちい:2004/07/10(土) 10:24
>>86
原理主義というと特殊な感じがしますが「バカの壁」だらけですね、世の中。
自分の選択に無自覚・無反省な人の多いこと。
掲示板を利用して議論をするようになって特に意識するようになりました。
あらためてネットの外を見回すと、これまたそういう人の多いこと。
同じ選択を共有する人たちの間ではその無自覚・無反省は壁じゃないけど、
共有しない人との対話でも無自覚・無反省ままでいちゃうのは頭が固いとしか言いようがありません。
論点が存在すること自体に気づいてもらうのに苦労します。
たまに、すぐに論点を認識してもらえる人に出会うとホッとします。
せっかくこういう本が出たので「バカの壁」が広く読まれることを願っています。

88三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/10(土) 23:36
>>86
私は別に大層な事柄を述べているわけではあり
ませんよ。
私の言説は特定の価値が自明で普遍と思い込ん
でいる人達に『自明とされている事など幾らで
も批判し覆すことができるのですよ』と述べて
いるに過ぎないのです。

養老氏のお考えは存じませんが、私に関して言
えば、私の言説の要旨を曲解して抑圧の道具と
して使われるのは勘弁して欲しいですね。
(以前に何度か触れましたが理論というものは
モデルに過ぎませんが、これを普遍真理と思い
込む理解力と基礎教養を欠く者が、理論を使うと
禄な事にはならないのです)

89三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/10(土) 23:51
>>87
仰る通りです。
敢えて、差しでがましく付け加えるなら『なぜ、
彼らの頭は固いのか?』『どの様な前提があれ
ば彼らの頭を解きほぐせるのか?』を考える必
要性があると言えるでしょうね。

90緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/07/13(火) 07:17
>89
頭固い奴の頭解きほぐそうとしてないだろ(笑)

もし、そんな気が少しでもあるんなら、「戦略的本質主義」などと言うわけわからん
言葉なんぞ使わんだろうてねぇ。

あたま、だいじょぶかえ?

91中葉:2004/07/15(木) 16:39
東アジアの安定は日本の安全保障にとって最重要問題だと思います。

2010上海万博の直前の2005愛・地球博市民プロジェクトで平和問題を討議する準備を進めている私としても最大の関心事です。

2004年7月22-23日に開催される第3回「日・ASEAN対話」「東アジア共同体へのロードマップ 」 http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/asean.htm に私も出席することとしています。

先ほどその準備のために東アジア共同体評議会設立総会の記録 http://www.ceac.jp/j/whats-new/040525-2.html を見たのですが、その末尾に添付されている映像記録に中曽根康弘会長の挨拶が収録されています。

お時間があったら、是非ご覧下さい。

東アジアで我々日本がどのような立場・政策を採るにせよ、その前に慎重な政策検討が必要なことは言うまでもありません。その意味で、興味深い動きが垣間見えます。

92中葉:2004/07/20(火) 11:11
今朝(7月20日)の朝日新聞に梅原猛さんの反時代的密語「東アジア文明の
語るもの」が半ページで載っています。その一節。

“他者の信じる神を認める多神教は、人類の平和共存を図るためにも一神教
よりはるかに有効な宗教であるように思われる。一神教は、森が破壊されて
荒野となった大地に生まれた種族のエゴイズムを神の意思に仮託する甚だ
好戦的な宗教ではないか。この一神教の批判あるいは抑制なしには人類の
永久の平和は不可能であると私は思う。”

93中葉:2004/07/29(木) 22:49
重要な公式文書だと思うので、
「市民参加拡充に向けた協会メッセージ」の一部を引用しておきます。
http://www.expo2005.or.jp/jp/whatsnew/2003/030421_03.html

2. 博覧会の理念〜なぜ市民(NPO/NGO)なのか

愛・地球博は、21世紀の人類が直面する地球的課題の解決の方向性と人類の生き方を発信するために、多くの国々の参加のもと、地球時代の新たな国際貢献として開催するものです。21世紀の人類が抱える多様な問題の解決方法を、“自然の叡智”に学ぶ様々な文化を世界中から持ち寄ることにより、新しい文化・文明の創造、地球大交流を目指します。この挑戦的な試みは、世界平和の実現と維持にも寄与するものと思います。
これまでの博覧会が常にその時代の最先端を紹介するショーケースであったと考えると、現代において市民やNPO/NGOの社会を構成する重要な要素としての役割が芽生えはじめており、この博覧会の理念を実現するためには、新たな市民参加のあり方、さらには地球市民としての連帯のあり方を世界に向け発信することは大変重要です。
その意味で愛・地球博では、国家や企業と並んで市民やNPO/NGOなどの地球社会を支える多様な人々の参加による幅広い交流の場を提案しており、協会が市民参加を語り、また参加を呼びかける際には、「21世紀を動かす時代のエンジンは市民である」と強調しているのです。


博覧会の市民参加については、(1)開催の是非に関する市民参加と(2)開催を前提にどのような市民参加を実現するかを区別する必要があります。執行機関としての協会の立場からすれば、(2)の議論をさらに活性化して、市民参加の価値を最大限に高めることに軸足を置いていることはいうまでもありません。しかしながら、従来この両者が混同され議論が混迷してしまうケースもあったと思われます。我々としては、(1)の議論は後に述べる市民参加の一般ルールの集積に収斂させることがより現実的な対応であると考えます。


我々がこのような市民に期待するものは、21世紀の地球的課題や社会的要望に対して、いわゆるヒエラルキーを前提とする既存の枠組みでの発想とは異なった、柔軟な対応ができる潜在的能力です。
このことは決して市場や政府機能の隙間を埋め合わせるだけの消極的な機能のみを指すものではありません。
自らのミッションに忠実な活動は、多くの市民の共感を呼び、様々なボランティア活動を有機的に結ぶ力を秘めています。また、情報化社会を象徴するインターネット社会の到来が、市民同士の結びつきを一層強固なものとし、その活動領域は国内にとどまらず、海外へもきわめて容易な形で広がりをもつようになっております。一方、市民活動にも様々な方向性があり、広がりが出てきているので、市民間で摩擦を生む可能性も否定できません。
このような市民活動は21世紀の国際博覧会の有力なコンテンツであることは間違いありません。視点を変えることにより、問題が異なって見えたり、その本質に気づくことはよく経験することですが、その意味で我々は博覧会の場において様々な視点に立つ市民の参加を求めています。また、市民同士の対話は、視点を変えること、お互いの立場を認めること、そして、問題点を見つけ解決策を見出すことに有効です。愛・地球博における市民の様々なソリューションの展開が、共鳴を呼ぶ活動として、さらに大きな広がりをみせることに我々は期待しています。
さらに、その活動を2005年で終わらせるのではなく、継続的な問題解決にむけての自発的な活動へと結びつけ、地域に継承していきたいと願っています。時がたてば価値を失うのではなく、時とともに輝きを増す新しい価値の発見が市民参加に求められる結果なのです。
そのような市民参加の展開を博覧会の場に創出したいと思います。

94中葉:2004/08/13(金) 05:56
>>91 2004年7月22-23日に開催される第3回「日・ASEAN対話」「東アジア共同体へのロードマップ 」 http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/asean.htm に私も出席することとしています。

総括「東アジア共同体に向けた東アジア協力の深化」に関する討議時間に私が発言したテープ記録を以下にお目にかけます。コメントいただければ幸いです。

第1発言:朝から、経済、政治、文化交流と素晴らしいセッションが続いて、最後は神保さんとリムさんとが適切にまとめてくださいました。
私は、市民による国際交流についてコメントしたいと思います。愛知万博について廣野先生が言及されましたが、私も地元で万博の市民プロジェクトに参加しております。今日の第Ⅲセッションで議論された文化・交流を総合的かつ集中的にやろうとしているのです。

今、市民活動が世界的に広がる中で情報技術の活用が広がっていますが、交流をいかにして2方向にするか、そして交流の中から市民レベルでも新しい協力関係を作り実践に結び付けるにはどうすれば良いかなど、多くの問題があります。私が準備に参加している「地球市民フォーラム」では緒方貞子さんのご指導もいただくことになっており、先ほど話題となった「人間の安全保障」とどう取り組むかが重要な課題となっております。
その場合、緒方さんだけでなく、カーネギー平和財団のマシューズ理事長も以前から提唱していることですが、国家、国際機関、ビジネスに加え、NGOなどの役割分担と協力関係を再構築することが優先度の高い戦略テーマとなっております。
その意味でも、先ほどご提案のあった新しいシンクタンクが待望されるところですが、愛知万博には間に合いませんので、知恵も資金も力もないという哀れな状況の中で難題に取り組んでおります。よろしくお願いします。

第2発言:リムさんから、「なぜ日本語というのはそんなに人気がないのか、なぜ日本で訓練を受けて帰国した人が日本に対する良好なイメージを持たないのか」と問題を提起してくださいましたので、私の意見を申し上げます。

先ほどから、日本語に問題がある、日本語が悪いからだというご発言がありました。それは興味深い意見ですが、私は、ほんとうの原因は日本語でなく、日本語を使う日本人にあると考えております。
一般に日本人は、公式の場で発言する場合に、その場の雰囲気を壊さずその場の平和を維持することを優先的に考えますから、必要ならば自己の意見を抑え、たとえ自分の意見と反対であってもその場の雰囲気に同調する態度を示します。
その逆に、他人、特に実力者と異なる自己の意見を主張して彼らから嫌われたり、運良く自分の意見が通って責任を問われる立場に立つことを避けようとします。
このように、個性は意図的に曖昧にされていますから、個人として理解されるはずもないし、付き合っておもしろいわけがありません。これは10年、20年では変わらないと思います。

具体例について申し上げます。先ほど愛知万博が難しいという私の発言について、諦めずに頑張れとお励ましをいただき、ありがとうございました。
しかし、私は楽観的にはなれません。愛知万博のメインテーマは「自然の叡智」、事業コンセプトは「地球大交流」、方法論として「市民参加の重視」を唱えています。これらの内容は非の打ち所のない立派で魅力的なものですが、唯一の弱点は、責任者の個性と結びついたコミットメントがないことで、それは日本では衆知の事実です。
だから、日本での愛知万博の人気は非常に低調です。しかし、ここで奇妙なことが起こりそうです。愛知万博に中国が本音で参加する可能性が見えてきたのです。
例えば、愛知県神田知事が6月に訪中した時面会したBIEの呉建民議長は、「愛知万博の成功は2010年の上海万博の成功につながる。また、21世紀の紛争解決の糸口、新しいコミュニケーションの方策、マルチラテラリズムの観点からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまない」と語っています。
私は、愛知万博で市民が努力した結果は、たとえ日本が理解しなかったとしても、東アジアや世界のどこかで理解されたり活用されたりしていただければ満足します。

注:
アジアに売る万博(下)(6/12) 理念で結ぶ「海上と上海」
http://mytown.asahi.com/aichi/news01.asp?c=35&amp;kiji=477
を参照してください。

95中葉:2004/08/13(金) 06:28
>総括「東アジア共同体に向けた東アジア協力の深化」に関する討議時間に
>私が発言したテープ記録を以下にお目にかけます。
>コメントいただければ幸いです。

この会議のプログラム詳細が見つかったので、
後出しになりますが、参考のためお知らせしておきます。

http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/a-program.htm

96ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/08/14(土) 11:22
ご無沙汰しております。
愛知万博での事業について、門外漢がトンチンカンな意見を言ってもお邪魔と思いますので、発言は控えさせて頂きたいと思います。


……という態度が、「日本人が公式な場で意見を表明せず、場の雰囲気を優先し個を抑える」ということの実例になりますね(^^;)

敢えて「後ろ向き」な雑感を。

万博が「世界規模の文化交流」に根ざしているのだとすると、パビリオン参加者の意図は「自国文化の輸出(または見本展示)」にあり、その目指すところは「自国文化が世界に広まる」にあるのだろう、と推察します。
一方で、万博が開かれることの意義は何でしょうか。
主催者としては、「文化交流」などの意義をお感じになっておられるのだろうと思いますし、主催地提供国/地方にとっては、観光客の獲得(外資、観光客の散財など)、地方経済の活性化など、経済効果を狙ったものであろうと思います。
万博終了後に残る万博施設が、インフラを地域に残す場合もあれば(道や施設や)、「万博開催地」という新たな観光資源になるケースもありましょう。
万博参加者にとって見れば、「世界規模の縁日」という感が否めないわけですが(過去、大阪万博などの経験から)……

日本国内の万博参加者(訪問者)にとっての意義と、日本国外からの万博参加者(訪問者)にとっての意義は恐らく異なるのだろうと思います。
国外からのゲストの意識は、「自国文化の確認(これは日本国内にも言えますが)」「他国文化のつまみ食い」にあるのかもしれませんが……例えれば「わざわざニューヨークに観光に行って、アフリカの文化を見て「ああ、本物だ」と感じ入るだろうか?」というような疑問も残らないではないような……

また、万博一般参加者の多くは、そこに集まった世界各国の「一般参加者」と交流するわけではなく、世界各国の「パビリオン展示物」を見て回るだけなわけで、一般参加者同士の大規模な交流が促進されるという性格はあまり持ち合わせていないように思います。
世界から人を集めても、結局は、「それぞれの屋台に人が個別に群がる縁日」なわけで、祭りの参加者自身がそれぞれ独自に交流できるわけでもないわけで……。

冒頭に「万博は、パビリオン出展者にとっては自国文化を輸出するための見本市」「自国文化を確認して満足する場」「世界に自国文化が広まるのを確認できれば嬉しい」と書きました。
たぶん、大枠でオオハズレということはないと思います。
一方で、「他国文化に触れる訪問者=一般参加者」は、万博後はどうするんでしょう?
大部分は、「ニッポンに行って、トルコの指輪買ってきたヨー」で終わる(異文化は、日常に存在しない異物として終わる)のではないかと思うのですが。
つまりは、文化交流(もしくは、文化の交配)は、万博のとき限りの一過性で終わっているのではないですか?
もちろん、例外もありましょうから「確実に100%全てがそうだ」というつもりはありませんが。

日本人はそうした世界規模のイベントがあると、「現地の特産物、現地の料理、現地の文化/習慣」で気に入ったものを、どんどん自国文化の中に融合させてしまうという気質があります。
ラーメンもカレーも冷麺も、元々日本食ではありません。サッカーの試合で顔にペインティングするのは日本の伝統じゃありません。ステーキに紅葉下ろしとポン酢というのはアメリカの文化じゃありません。
が、そのようにどんどん融合していって、それが「常態」「日常」になってしまう、というそういう気質があることは否めません。
万博のメリットが「異文化の見本市」「世界交流」だとします。
交流は一過性ではなく、継続して「混じり合っていく」のが望ましいのだとします。
だとすると、万博という場で「様々な異文化」がずらりと展示されたときに、そのメリットを最大限吸収/活用できるのは、「異文化に対する垣根が低い」「排他性/伝統への拘りが少ない」という条件が必要なのかもしれません。

私は門外漢ですから結論は出しませんが、万博というのは出展者/主催者とそれから影響を受ける人々との間にいろいろな「乖離」があって面白いものですね。


愛知万博の成否は上海万博の成否にも遠からず影響を与えうるでしょう。
中国としては先行して行われる国際博覧会について、少しでも情報を得ておきたい時期でしょうし。
万博もいろいろ。楽しみですね。

97緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/08/14(土) 19:33
おひさだねぇ(笑)

難しいこたぁわからんが、日本人のくだりについて言えば、そら

「日本になんかええもんがあるかどーか」
だけじゃぁないのかのぉ。

日本に、絶対欲しい何かがあれば、そらどんなに難解な民族性でも言語でも
「商売」としてつきあっていく奴ぁおるだろ。
<商売とわ、広い意味でね。商売につながる研究やっとる学者さんも含めて。

んで、今の中国にとって、もはや日本わ「宝の山」じゃぁないと思うよ。
だって、ここ10年ほどのうちに「日中友好」とか「産業の海外移転」とか
やっちゃって、タダに近い形で日本の持ってる技術わ、あげちゃったからねぇ(笑)

一度、「利益」ちうフィルタかけて見てごらんよ。
<利益って、金だけじゃぁないよ。

そーしたら、相手が「欲しがってる」ものが見えてくるし、それが「相手の求めるものの方向性」
であることが見えてくるから、自然とうまく行くと思うよぉ。

98中葉:2004/08/16(月) 12:47
ヤスツ (CnaUXqoo)さん、コメントありがとうございます。

>>96 愛知万博の成否は上海万博の成否にも遠からず影響を与えうるでしょう。中国としては先行して行われる国際博覧会について、少しでも情報を得ておきたい時期でしょうし。万博もいろいろ。楽しみですね。

確かに、万博もいろいろ。楽しみです。

一つの楽しみは中国・上海との関係改善です。

>>1 にも書きましたが、朝日新聞「アジアに売る万博(下)(6/12) 」
http://mytown.asahi.com/aichi/news01.asp?c=35&amp;kiji=477
は以下のように伝えています。

神田真秋愛知県知事 
2005年のきずなは2010年につながる。まず、どうぞ愛知万博へ。
10年には愛知県から大挙して上海に来ます。

姚明宝・上海市旅遊事業管理委員会主任 
愛知の成功の後は、上海万博への支援を。

 05年愛知万博(愛・地球博)の次は、10年上海万博。5月28日、
 愛知県、万博協会などが上海市のホテルで開いた観光説明会はエールの
 交換の場となった。直後の昼食レセプションの席でも、瀬戸会場の地名
 にちなんだ「海上(かいしょ)から上海へ」や「21世紀の万博はアジ
 ア」などの言葉が交わされた。

 知事が北京市に滞在中の5月31日、中国政府は愛知万博での中国館の
テーマを「自然と都市の調和、生活の中のアート」と発表した。中国国際
貿易促進委員会の万季飛会長は「『自然の叡智(えいち)』と極めて近い」。この展示と上海万博のテーマが、持続的発展が可能な社会を目指す愛知万博の理念を受け継ぐと強調した。

 知事は訪中の間に、昨年12月に就任したBIE(博覧会国際事務局)
の呉建民議長にも初めて面会した。議長は「大阪万博以降、低調傾向にあ
る万博運動を盛り返したい。21世紀の紛争解決の糸口、新しいコミュニ
ケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点からも日本
の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまない」と語った。

 今回、万博協会と経済産業省は上海市側と、二つの万博で連携・協力す
る合意文書に調印した。上海世博事務協調局から協会が研修生を受け入れ
る一方、同市側は愛知万博の広報に取り組む。

 愛知県も4月、ジェトロ上海センター内に経済交流部を開設し職員も派
遣した。7月には現地の旅行会社などに呼びかけ、「愛知万博ツーリズム
委員会」(仮称)を立ち上げる。万博を目玉に旅行商品を企画する。

 知事は、トヨタ自動車がある愛知県と、長江デルタ地帯にある上海市を
「モノづくりが盛んな、同じ産業構造」と言う。

 「人の行き来や流通はますます増え、中部国際空港の利用も増える」。
万博を起爆剤にした交流が、閉幕後も双方の地元経済に寄与する。そんな
将来図を見据える。

99中葉:2004/08/16(月) 14:49
>>97
> 一度、「利益」ちうフィルタかけて見てごらんよ。
> <利益って、金だけじゃぁないよ。
>
> そーしたら、相手が「欲しがってる」ものが見えてくるし、それが「相手の求めるものの方向性」
> であることが見えてくるから、自然とうまく行くと思うよぉ。

同感です。

>>98 一つの楽しみは中国・上海との関係改善です。

この楽しみも利益次第ということですね。

今、村上龍メールメディア最新号「今後の、日本経済と、東アジア経済との
基本的な関係を、どう考えればいいのでしょうか。」
http://ryumurakami.jmm.co.jp/recent.html
が掲載中です。なかなか説得力があります。

100中葉:2004/08/17(火) 08:03
昔、ある掲示板のスレで以下のように発言しましたが、、、

>457 :中葉 :04/01/19 05:30
> 私の狙いは
> 2005愛知万博(自然の叡智)、
> 2010上海万博(better city, better life)、
> 2012ニューヨーク万博(経済発展と貿易センタービル悲劇のメモリアル)(プリンストンの学生が誘致中)
> 2015イスタンブール万博(united cultures of the world)(申請中)
> の万博シリーズでミーム・マネジメントの連続集会を成功させること。

現在、来年の愛・地球博に向けて追い込みをはじめています。
前にある機会に発見したとてもユニークで難解な論文、
THE LEARNING ORGANISATION MEME: EMERGENCE OF A MANAGEMENT REPLICATOR
http://members.aol.com/ifprice/ppatperf.html
をなんとか読みこなし、今晩は研究会で紹介することになっております。

新しい実用的なミーム理論、ないし方法論が生まれつつあるのだと、しみじみ思います。

101中葉:2004/08/18(水) 16:16
>>5 ほれ、EIとかいう統合ソフトの売り出しのことじゃぁないの?(笑)

EIは一時期、私の専門でしたから言っておきますが、あれの本質は道具じゃないですよ。
哲学です。Enterprise Integration (Architecture)のことを言っているんですが。

EIAは、「新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策」の骨格になるので、ちと煩くて済みません。

102ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/08/18(水) 16:23
コミュニケーションの方策ですか……

基本は
「相手を悪く言わない」
「相手を悪く思っても、口に出さない」
「慎重かつ忍耐強く続ける」
「相手の主張を自分が代弁し、相手から同意を引き出す。同様の作業を相手にもさせる」
それこそ、幼稚園や小学校の道徳で「方便」として教わる程度のことなんだけど、相手に自分の言い分を呑ませたい、相手の理解力と自分の思惑(主張)の不一致にいらだつ、という気の短さ(不寛容というか、心の狭さというか、相手に対する優越感とか)が、そうしたコミュニケーションの努力をぶちこわしてしまうんでしょうなあ。

それでも(間を置きつつも)議論を止めない、という態度を続けておられる方々については、主観の相違や立場の相違があっても尊敬に値するなとは思います。
相手を怒らせるようにし向けることで、相手をコミュニケーションのテーブルから自発的に立たせ、コミュニケーションを自ら断ち切った相手に責任を転嫁して涼しい顔をする(まるで真珠湾攻撃を「させた」アメリカみたい(^^;))ような態度を諫めない限り、持続的なコミュニケーションは難しいんでしょうね。きっと。

でも、そんな聖人君子ばっかりじゃないんですよね。世の中って奴あ。

103中葉:2004/08/19(木) 05:25
東アジア共同体は、実現にむけて動いています。

大東亜戦争以来、或いは著作で言えば「復興亜細亜の諸問題」「最終戦争論・戦争史大観」以来です。
たまたま私が参加したのは、前にも書いたと思いますが、
「東アジア共同体へのロードマップ 」“A Roadmap towards East Asian Community”
http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/asean.htm

> なにより、実現すれば世界のパワーバランスが大きく変わるでしょう。

これを何より恐れているのはネオコン一派、日本にも左右を問わずベタベタする迎合派が多いからなあ。

東アジア共同体評議会設立総会概要メモ http://www.ceac.jp/j/whats-new/040525-2.html
の下端にあるwindows media か real media をクリックして
挨 拶 「東アジア共同体評議会の発足に当たって」 中曽根 康弘/東アジア共同体評議会会長
をお聞きください。

続いて、第2回NEAT会議 日時 2004年8月16日・17日
テーマ 「東アジア共同体に向かって」(Towards an East Asian Community )
http://www.ceac.jp/j/announcement/040816.html
はバンコクで終わったばかり。

本気の人は次のイベントに参加してください。20名までゲスト招待中。
「東アジア共同体の展望と日中関係」“Future Prospect of East Asian Community and Japan-China Relationship”
http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/china.htm

104中葉:2004/08/19(木) 05:33
>>102 でも、そんな聖人君子ばっかりじゃないんですよね。世の中って奴あ。

だからこそ21世紀はミーム・マネジメントの出番です。
愛・地球博では「世界ミーム博覧会」を準備中です。
私も、恥ずかしながら、実行委員会の一人。

今のところ、唯一の参考文献はIf Shaw他による
・The Learning Organisation Meme: Emergence of a Management Replicator of Parrots, Patterns and Performance http://members.aol.com/ifprice/ppatperf.html
・If's Research Page http://members.aol.com/ifprice/ifresch.html
・Shifting the Patterns Ray Shaw , If Price http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1852522534/qid=1092451359/sr=1-3/ref=sr_1_8_3/250-8729441-8369818#product-details

105ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/08/19(木) 10:34
>>104
他のスレでも話題になっているようですが、

・当事者の自発的同意を得られないが、同意を得られなくても「同じ行動」を取るように強制しなければならない場合、「強制」は正当化されるかどうか?
・強制をせず、意志の同意を得ず、なおかつ衝突を避ける方法はあるか?
・強制以外の方法で相手の意志を、全体の都合に合わせて曲げさせる方法はあるか?

やはりドラえもんの完成を待つしかなさそうです。

106緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/08/19(木) 21:51
>101
ごめん、ちと笑った(笑)

いあ、どこぞのマルチすれすれの業者の商品説明とそっくりの口調でねぇ。

「具体的に何」ちうもんが説明でけん商品って、いったい・・・

107緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/08/19(木) 21:55
>102
>相手を怒らせるようにし向けることで、相手をコミュニケーションのテーブルから自発的に立たせ、コミュニケーションを自ら断ち切った相手に責任を転嫁して
>涼しい顔をする

ええのぉ、それ(笑)
ま、結局「怒ったほうが負け」でわあるよね。

さんざ言葉で挑発して、相手に殴らせれば「100対0」で慰謝料がっぽり、ちう
リアルな社会そのまんまでして・・・

108緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/08/19(木) 22:02
>105
>・強制をせず、意志の同意を得ず、なおかつ衝突を避ける方法はあるか?

相手の意思を通す。
ヤスツさんの言葉で言うところの
「永久的譲歩」ちうやつでつな(笑)

>・強制以外の方法で相手の意志を、全体の都合に合わせて曲げさせる方法はあるか?

1 相手の意思をはるかに上回る利益を与える。
2 洗脳する(笑)

てなとこなのぉ・・・

109ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/08/20(金) 00:15
>>108

1 相手の意志をはるかに上回る利益を与える という交渉は、身内から「この売国奴!」って言われちゃいますからね。
そうすると、「洗脳する」しかないでしょう。

「教育」は洗脳のソフトな表現。
「啓発」は洗脳の高貴な表現。

というのをどこかで伺い、「(´_ゝ`)フーン」と感心した記憶があります。

110中葉:2004/08/20(金) 05:05
洗脳の意味について、私がお目にかかった啓発的な文章は

The Anxiety of Learning: An Interview with Edgar H. Schein
Edgar H. Schein; Diane L. Coutu

Product Type: Harvard Business Review Article
Product#: R0203H Pub. Date: March 01, 2002

です。日本語版にもあると思いますがちょっと見つかりません。

111中葉:2004/08/20(金) 05:55
>>106 「具体的に何」ちうもんが説明でけん商品って、いったい・・・

「具体的に何」ちう説明はなかなか難しいですが、EI(を組織の統合と解釈して)に使える商品として私のお勧めは、

1さん、中間層のことについて一番啓発的な議論は

情報社会の組織計画論 
第1部 http://www.mega-net.org/plan1.htm
第2部 http://www.mega-net.org/plan2.htm
第3部 http://www.mega-net.org/plan3.htm
の中の、特に第3部「12.4 計画の時代における選択の自由」にありますが、

最近は>>104 にかいたように、ミーム・マネジメントに凝っております。

学習する組織のミーム:経営複製子の創発をめぐって
http://home1.catvmics.ne.jp/~shibatay/learn-org-meme.htm
http://members.aol.com/ifprice/ppatperf.html

気が向いた時にご覧下さい。結構、私にも難解です。でも、得体の知れない魅力があります。

それからCOPの議論がありますが、こちらは読みやすい単行本があります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4798103438/250-8729441-8369818
http://www.seshop.com/detail.asp?pid=3659

112ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/08/20(金) 11:31
全然無関係なのを覚悟して、ミームからの連想で。

遺伝子をジーンと言いますけれども、
ミームを覆製子でなくて「模倣子」と読んでいるものを見たことがあるんですが、何で見たか思い出せません。

概念としては、おそらく中葉氏が仰っているものとは別物なんだろうと思います。
そこでは、「血筋、または生体の特徴をDNA/RNAで伝達するもの=遺伝子(ジーン)」に対して、「思考・信条、文化・風習、技術など、【模倣】によって接触・非接触で伝達するもの=模倣子(ミーム)」と呼び習わしていました。

例えば、実の息子は遺伝子の継承者だけれども、師匠に対する弟子、教師に対する教え子、指導者に対する後継者、みたいなものは血のつながりではなく模倣によって概念を受け継ぐため「模倣子の継承者」となる、みたいな感じ。

遺伝子が通常二種類の親の遺伝子の混合によって、少しずつ揺らぎを持って行くのに対して、模倣子は一種類の親からそのまままるまるコピーすることもできてしまいます。
が、模倣する対象を複数(二種類以上)持つことで、それぞれの模倣した複製には揺らぎが発生していきます。
この揺らぎを追加する複製を繰り返していくと、結果的に「二種類ずつ掛け合わせていく遺伝子」のように、微妙に異なる亜種が大量に生まれることになります。
遺伝子が複製されるときに一方の親と完全には一致しない(双方の遺伝子を半分ずつ受け継ぐ)のは、親と完全一致することによって種として弱くなるのを防ぐため(すべて同じだと、同一の病気が蔓延したときに、一気に同一種族が消滅してしまう)と聞いたことがあるんですが(これも全然違うジャンルで)、模倣子も同様で、単一の師匠から完全に同一の概念を受け継ぐと、その概念がひっくり返されたときに、概念の継承者が全て全滅してしまいます。
模倣子にしても遺伝子と同じで「少しずつ異なる亜種を放っていく」ようにして(時には突然変異やまったく異なる概念を受け入れるなどして)、完全複製ではない模倣子を増やしていったほうが、個人はともかく種(模倣子なら類似した思考樹の一群と言うべきなんでしょうか?)全体が生き残る機会が多くなります。

おそらく、中葉氏の言うミームというのは是とは違うんだろうなあと思いますが、何しろ目の前に専門家がおられますので、迂闊な発言は避けておきましょう。

どっちにしても「どんなに難しい理論であっても、概念を抽出して要約または何かに例えることそのものは可能」だと思っています。
しかし、専門家は、専門家ではない人がどの程度まで専門用語を理解できるかはわからないものです(2次元のアリと3次元のアリみたいな越えられない壁があるので)。
また、専門を深める能力がある人と、専門を普遍化する能力がある人というのは必ずしも同一ではありませんし、そのあたりなかなか難しいのでしょう。個人の能力的限界(対応できるジャンルの幅というべきでしょうか)の問題もありますし。


ずいぶん以前の話になりますが、オフィス・オートメーション(死語)がインフォメーション・テクノロジに切り替わるくらいの前後3年くらいの時期に、アントレプラナー向けに書かれた企業経営論の本みたいなのを、入門者向けに説明しなければならない、という機会がありました。
そのとき、テキストとして預かった専門書で一章を割いて延々専門用語で書かれている「重要なくだり」があったのですが、当初、読んでも読んでも何を言いたいのかさっぱりわかりませんで、えらく苦労しました。
3回目くらいに、

「原稿の入稿に、電子メールを使うととっても便利」

ということを言いたいためだけに、一章以上割いているのだ、ということに気付きました(^^;)
そんなん、この本の著者が発見してこれからの企業はこうでないと!と力説する3〜4年前から草の根では行われてるちゅーの、と脱力したものですが、それが「深める専門家」と「その概念の一般化」の間にある壁なのかなあ、とも思いました。

今後、争いを解決する新しいコミュニケーション方法の研究などは専門家の間では劇的に進化していくのでしょうけれども、それを適応される側に概念が普及しない限りは、研究室の実験で終わってしまうのだろうなあ、と思いました。
概念の一般化について中葉氏がそうした能力をお持ちであることを期待したいな、と思います。
まずは専門のほうを頑張ってください。

113緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/08/20(金) 12:02
>109
教育って、結局のところ
「既存のルールを強制させる」ことだと思うね。

1たす1は、2
ちう「ルール」から、数学のすべては始まるでしょ?(笑)

俺が数学をキライになった理由わ、すべてこの「ルールを守る」ということを
理解できなかったことに端を発すると・・・

学校現場で
「強制わいけないこと」とか言いながら、実は「数学のルール」を強制してる(笑)

きっと、そんな矛盾に対して幼ごころなりに反発しておったんだなぁ・・・などとね。

横道すまそ。

114緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/08/20(金) 12:10
>109
そうとは限らないですがねぇ。

例えば、中国と日本が尖閣列島を巡って争っておるとする。
お互い「石油」が目当てだとする。

そこで、「じゃあ、共同してイラク占領しちゃいましょうか」となれば、お互いの
利益に反することにならず、しかもお互い譲歩することなく「尖閣列島問題」を棚上げ
する(争いを解決しない)か、譲歩を引き出せるよね。

(まあ、尖閣列島問題の本質が「石油」に限った場合だけどね)

まあ、いろいろだよねぇ(笑)

115中葉:2004/08/20(金) 14:43
>>114
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」スレに
対して適切な話題を提供してくださり、ありがとうございました。

おっしゃるように、日中関係は万博の最大の隠れた議題です。

だから私は、東アジア共同体における日中の鞘当てに関心を持たざるを得ません。

一般的な論評については下記が要を得ています。
http://www.ceac.jp/j/column/040729.html
http://www.ceac.jp/j/column/040727.html
http://www.ceac.jp/j/column/040713-1.html
http://www.ceac.jp/j/column/040713-2.html
http://www.ceac.jp/j/column/backnumber.html

具体的に生の議論に参加したい人は次のイベントに参加することを勧めます。
20名までゲスト招待中。私も止むを得ず申込だけはしました。

「東アジア共同体の展望と日中関係」“Future Prospect of East Asian Community and Japan-China Relationship”
http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/china.htm

116中葉:2004/08/30(月) 03:46
今、中国@2ch掲示板が妙に変わってきて、面白くなりそうです。

例えば、
中國人ですが、日本大好きです http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/china/1075989749/
どうすれば日中は友好になれる http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/china/1042040119/
善意のある中国人と日本人のスレ http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/china/1091785895/

およそ、2ちゃんねらーとは思えない発言が少なからず定着しつつあるようです。私以外に!

117ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/08/30(月) 13:07
>>116
それは本当に……

・2ちゃんねらーなのですか?
・日本人なのですか?

という質疑が繰り返されているんじゃないかとも思いますが(^^;)
あまり言うとただの挑発になってしまいますので、疑義に留めておきましょう。

118ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/08/30(月) 13:08
昨今、「ソース・ロンダリング(情報源洗浄)」も流行っておりますし、無意識の印象操作加担もあると聞きます。
中葉さんもお気を付けください。老婆心まで。

119中葉:2004/09/01(水) 10:48
アテネオリンピックの主役が中国であったように、愛知万博の主役も、今は
動きが地味ですが、蓋を空けたら中国ということになる可能性があります。

中国は2008北京オリンピックに続き、2010上海万博に国家的にエネルギーを
注ぎ込む構えを見せており、その一端として2005愛知万博に注目しているか
らです。

例えば、5月に訪中した愛知万博代表団への応対は以下のようであったと
朝日新聞は伝えています。
http://mytown.asahi.com/aichi/news01.asp?c=35&amp;kiji=477

 “(神田愛知県)知事が北京市に滞在中の5月31日、中国政府は愛知
万博での中国館のテーマを「自然と都市の調和、生活の中のアート」と発表
した。中国国際貿易促進委員会の万季飛会長は「『自然の叡智(えいち)』
と極めて近い」。この展示と上海万博のテーマが、持続的発展が可能な社会
を目指す愛知万博の理念を受け継ぐと強調した。”

“(また、)知事は訪中の間に、昨年12月に就任したBIE(博覧会国際
事務局)の呉建民議長にも初めて面会した。議長は「大阪万博以降、低調傾
向にある万博運動を盛り返したい。21世紀の紛争解決の糸口、新しい
コミュニケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点から
も日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまない」と語った。”

また、
私が所属する日本イベントプロデュース協会関東本部の代表団が2010年上海
世界博覧会事務協調局を訪問した報告にも、以下のような内容があります。

その中の重要な点は以下の通りです。
・開催テーマ:Better City, Better Life
・テーマの展開
①農村・都市の協同
②都市における多文化的融合(多文化の融合による協調と都市文化、
都市空間の連続性と独創性の創出)
③都市経済の繁栄(新たな経済活動や生き生きとした仕事場の創出)
④科学技術創造(新たな科学技術創発の拠点づくり)
⑤コミュニティの再構築(都市生活により多くの選択肢と可能性を創出)

・目標
 :都市をテーマとした世界範囲での交流、検討を深める
 :先進的理念の推進(グリーンシティ・生態都市・資源
  循環型都市・情報都市・知能都市…)
 :都市文化の成果の展示
 :世界各国間・各都市間交流の促進(文化、技術、貿易)
 :都市に対する人類の認識(思想、概念、知識、技術)を再確認
 :上海の都市化をより促進

また、交流懇談会の席上で、日本側から「ユニバーサルイベント」のコンセ
プトと手法を紹介したところ、中国でも生活水準の向上とともに、老若、
男女、強者と弱者などの平等化が大きな問題となっており、愛知万博の先進
的な経験からアドバイスや支援をいただきたいと依頼されました。

私は愛・地球博の市民プロジェクトに参加し、地球フォーラム・シンポジウ
ム「地球に生きるものの使命」
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
の実行委員を勤めていますが、「地球に生きるものの使命」として、お互い
に助け合うことがもっとも緊急の使命だと考えています。

たまたま私は、
第4回「日中対話」「東アジア共同体の展望と日中関係」
2004年9月16-17日 国際文化会館
http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/e_a-program.htm
に出席する予定です。機会があったら私のアドバイスを喜んで提供したいと
思っています。

ヤスツさん、
>>118 無意識の印象操作加担
こういうのは私も大好きです。

120中葉:2004/10/04(月) 11:10
現在の日本に十分に満足していない日本人は多い。

かく言う私もそうだ。日本はもっと良い国になれるし、しなければならない。

それが21世紀の我々の使命だと思う。

来年の愛・地球博市民プロジェクト
平和へのハーモニー〜地球市民フォーラム〜
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
文化・文明の遺伝子「ミーム」フォーラム
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=101

においては、そういうことを世界の人々と共に議論し、その結論を広く世界に
アピールすることにしています。

目下、その準備に追われています。興味のある人は是非ご参加下さい。

121ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/10/04(月) 20:13
現在の日本に満足していない、という話。
これは私が物心付いた頃から言われていた気がしますし、おそらく戦後直後も戦中も戦前も言われていたのでしょうし、大正・明治の頃にも言われていたのでしょうし、江戸時代もそれ以前も言われていたのでしょうね。
「近頃の若いもんはまるでなってない」
「昔はよかった」
と同じようなもので。

現状維持で満足せず、さらなる向上を目指そうという向上心(=欲)そのものは否定しません。
そうした意欲=欲が進化や発展を得るための原動力になるわけですから。

その方法が、「現状の破壊」「何はともあれ破壊」「先のことはまず破壊してから考える」になってしまうとおよそ賛成が難しくなってしまいますが。


しかし、いつも思うことなんですが(以下雑感)、地球の資源は有限で、世界は物理的に有限で、人口は増えている(=分け前は減り続けている)という状況下にあるわけですよね。我々は。
「取りすぎの先進国が、もっと遠慮すれば途上国は救われる」という正論があり、
「増えすぎの途上国が豊かになれば、需要が膨らみすぎて資源が底を突く」という正論があり、
「先進国が途上国を援助すべきだ」という正論があり、
「先進国は途上国に援助するために借金をする」という現状があり、
「先進国が途上国から利益簒奪をしなければ、途上国に支援をする余力がなくなる」という現状があり、
「先進国の省力化は、途上国の労働力提供の上になりたつ」という間接的奴隷状態に異論を唱える人ほど「先進国と途上国のバランスを取るべきだ」という正論を言う。

すべての正論の、優先順位を付けているのは国際社会の指導者たちで、それを選出するのはそれぞれの「自分の国の得」を考えている人々なわけで……。

やはり我々「人類」は、地球の外からの外圧がない限り、「地球人」としてひとつになることはないのかもしれませんね。
黒船がくるまで、日本がひとつではなかったように。

122中葉:2004/10/06(水) 05:55
>>121 やはり我々「人類」は、地球の外からの外圧がない限り、「地球人」としてひとつになることはないのかもしれませんね。黒船がくるまで、日本がひとつではなかったように。

おっしゃる通りですが、そこで面白いのは、黒船の外圧を日本人がどう受け止めたかです。

自分自身を改革しない限り日本の将来はないと自覚したのは、ごく少数派でした。
このことを思い出すだけでも、私は先覚者の運命に涙が浮かびます。

彼らが最後に取った戦術は、尊皇攘夷か佐幕開国かで国論を沸騰させ、
維新成功後は、たちどころに、尊皇開国に切り替えました。

ある意味、ミーム・マネジメントの大成功です。
前に紹介したかと思いますが、面白い文献は、拙訳ですが、

学習する組織のミーム:経営複製子の創発をめぐって
The Learning Organisation Meme: Emergence of a Management Replicator
of Parrots, Patterns and Performance
http://home1.catvmics.ne.jp/~shibatay/learn-org-meme.htm

今私が四苦八苦して読んでいるのは、同じ著者の
"Shifting the Patterns"Ray Shaw (著), If Price(著)
です。ご参考まで。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1852522534/qid=1092451359/sr=1-3/ref=sr_1_8_3/250-8729441-8369818#product-details

123ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/10/06(水) 07:06
>>122

おもしろいとは思いますが、「外圧」または「致命的な危機を認識・自覚させることで、協調せざるをえないようにさせる」ということを述べたかったわけなんですが……。
黒船の外圧を受け止めた日本人が少数だったのは、黒船を実際に見、またその「意義」と「意味」を知っている人間が少なかったからだと思いますよ。つまりは情報の極端な欠如があり、日本人全体が黒船の意味を理解していたわけではなかった、という。
これは今後も同様のことはおきると思います。
「今起きている、これから起ころうとすることの意味」を理解できているのは、いつの時代でもどんな場所でもごく少数ですし。

私が>>121で「黒船がくるまで日本はひとつではなかった」としたのは、「日本人が一丸となったのは黒船以降」という意味ではなく、「割拠していた200数十の藩が、国外に対して【日本】という一個の国になった」という意味で使いました。
以上、中葉氏に誤解を与えてしまったことについてお詫びするとともに、真意について解説させていただきました。

おそらく、次の時代、中葉氏が研究発表なさっている方法論についても、先進的なごく一部の方しか真価は理解されないでしょうし、そうした人々の「煽り」により、大部分の無理解な人々は何も知らないまま進化が進むのだろうなあ、と予見しています。

124中葉:2004/10/06(水) 07:54
>>123 おそらく、次の時代、中葉氏が研究発表なさっている方法論についても、先進的なごく一部の方しか真価は理解されないでしょうし、そうした人々の「煽り」により、大部分の無理解な人々は何も知らないまま進化が進むのだろうなあ、と予見しています。

このイメージ、そしてその背後にある社会認識のストラクチャーが全く違うのだと思います。

面白いですね。

実際、前にご紹介した"Shifting the Patterns"Ray Shaw (著), If Price(著)

を読んで理解して実践しようとすると、私自身も自己喪失の感覚に襲われます。

125中葉:2004/11/05(金) 10:16
今朝の社説から見ると、以下のような方向が常識のように思われる。

私個人は >>1 に記したような以下の方向に協力するつもりです。

> 昨年12月にBIE(博覧会国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国
> 大使、中国外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を盛り
> 返したい。21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニケーションの方策、
> マルチラテラリズム(多国間主義)の観点からも日本の努力を期待し、BIEも
> 愛知万博に協力を惜しまない」と語ったとのことです。

読売 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20041104ig90.htm
[ブッシュ再選]「同盟強化へ戦略対話を充実せよ」
 新たな安保環境に応じて、日本の安全と国際平和のために、
日本自身の新たな安保戦略の構築も急務だ。
 ブッシュ政権は、東アジアにあって、日本を最も重要な同盟国と
位置づけている。小泉首相とブッシュ大統領は、強い個人的信頼関係を
築いている。日米両首脳のリーダーシップの下で、緊密な戦略対話を
重ねることが重要だ。

毎日 http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20041104MS3M0400I04112004.html
 ブッシュ大統領は勝利宣言演説でもイラク、アフガニスタンでの戦闘に触れ、
テロとの戦いに勝利するには米国民の幅広い支持が必要だと強調した。
それは国際社会との関係でも当てはまる。テロとの戦いに勝つには国際社会の
幅広い支持が前提となる。選挙期間中に多くの国々で実施された世論調査で
ブッシュ氏はフィリピンなど少数の例外を除けば、おおむね不人気だった。
国際社会はブッシュ政権により協調的な姿勢を求めている。
ブッシュ氏にそれが伝わったとすれば、そこに今度の選挙の世界にとっての
意味がある。
 「一国行動主義」と呼ばれる行動様式がブッシュ政権のイメージとして
国際的に定着した感がある。それは必ずしも現実を正確に反映しない場合も
ある。イラクの復興をめぐってブッシュ政権は、国連での手続きを重ねる
路線をとっている。ブッシュ大統領にとって次の4年間は選挙ではなく、
歴史家の目を意識する期間となる。国内での和解を目指す一方で対外的にも
国際協調路線を改めて強調する必要を感じる時が遅かれ早かれ来るだろう。

126中葉:2004/11/14(日) 22:09
最近は読みやすい原典としてシンポジウム「安全保障の今日的課題」 http://www.asahi.com/sympo/anzen/ を読んでいます。
非常に平易にしかも深いレベルで書いてあります。

127中葉:2005/01/10(月) 06:58
今まで色々考えたり書いたりしてきましたが、その究極の
目標を具体的にご説明すると、以下の通りです。重複はご容赦ください。

愛・地球博に対するBIE(博覧会国際事務局)の期待と、
「国際博覧会条約」の目的“公衆の教育を主たる目的とする
催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が
利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以
上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門にお
ける将来の展望を示す”
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/hakurankai/jyouyaku.html
に答えることです。

このことはBIEの呉建民議長が以下のように愛・地球博
への期待を、日本人に代わって、日本人以上に明快に述べて
います。さすが、前駐仏大使、外交のベテランです。

1.神田愛知県知事が5月に訪中した際の朝日新聞記事
http://mytown.asahi.com/aichi/news01.asp?c=35&amp;kiji=477

知事は訪中の間に、昨年12月に就任したBIE(博覧会国
際事務局)の呉建民議長にも初めて面会した。議長は「大阪
万博以降、低調傾向にある万博運動を盛り返したい。21世
紀の紛争解決の糸口、新しいコミュニケーションの方策、マ
ルチラテラリズム(多国間主義)の観点からも日本の努力を
期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまない」と語った。

2.呉建民議長11月来日時の中日新聞インタビュー記事
[呉建民BIE議長に聞く対立の時代に万博重要(11/09)]
http://www.chunichi.co.jp/banpaku/topics/2004/1109-1.html

 アジア初の博覧会国際事務局(BIE)議長で、愛・地球
博(愛知万博)の政府代表会議出席のため来日している中国
の呉建民氏(65)が、本紙のインタビューに応じた。20
10年には上海万博も控える。呉氏は「対立の時代に万博は
より重要」と語った。 (編集委員・清水美和、社会部・境
田未緒)

−愛知、上海とアジアで万博が続く。

 「続くのは偶然だが、偶然の中に必然の要素がある。東ア
ジアは世界でも経済の発展が著しい。また東アジアの文化は
多様性がある一方、開放的で相手の立場を考えるという共通
性がある。協力し、学び合うことは文明の衝突が激しいこの
世界に重要。アジアは万博に大きな貢献ができる」

 −現代に万博を開く意義は。

 「万博は1851年以降、人類の進歩に貢献し社会と一緒
に変化、前進してきた。工業文明の時代にはその成果を示し
た。だが工業化は環境破壊をもたらした。ポスト工業化時
代、『自然の叡智(えいち)』という愛知万博のテーマは素
晴らしい。自然から知恵を得て尊重する。人類の認識が飛躍
を遂げた」

 −「自然の叡智」は分かりにくいという声も。

 「どう表現するか難しいが、大きな挑戦であり、日本人の
叡智にかかっている。中国には『八仙過海 各顕神通』(8
人の仙人が自分の特技を使い海を渡る=各自が自分の能力を
発揮する)という言葉があるが、万博はまさにその機会。世
界各国も『自然の叡智』を表現する。愛知万博が成功すれ
ば、世界にこのテーマが広がる」

 −BIE議長として今後、どのような役割を。

 「万博を宣伝し、推進する。万博は21世紀の世界に必要
だ。20世紀にどれほど戦争があり、多くの人が死んだか。
対立は簡単には解消しないが、相互理解で最も重要なのは接
触。万博は人々が接触する世界で一番大きな活動だ。愛知万
博の入場者目標は1500万人、上海は7千万人。信仰も言
葉も違う人々が1つの目標に向かって集まる万博は21世紀
にこそ必要であり、継続的に発展する」

 −愛知万博で日本側に求めることは。

 「各界の人々に情報を広め、交流してほしい。それとパビ
リオンは万博が終われば取り壊すと聞いたが、残せないだろ
うか。博覧会は終わってもテーマの重要性は変わらない。世
界の人々にこの素晴らしいテーマを広めてほしいからだ」

128緑装薬4 </b><font color=#800000>(to9dDpe2)</font><b>:2005/01/13(木) 12:19
>127
あんた、相変わらずだねぇ・・・

中国の御仁のインタビュー記事貼り付けて「色々考えてきた」とわ(笑)



まあ、ええけどさ。
えらく「生臭い」この万博だけにゃ絶対見に行かないな(笑)

あ、「ポスト工業文明」時代の万博の展示品わ
「我田引水の思想の展示」ですか、そうですか。

129ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2005/01/13(木) 15:45
愛知万博のテーマは「自然との共生」だったと思いますが、
愛知万博会場を設営するのに自然の山林・雑木林を伐採して会場を作った、
という割と本末転倒な話がありましたね、そういえば……。

130中葉:2005/01/13(木) 16:24
>>128 中国の御仁のインタビュー記事貼り付けて「色々考えてきた」とわ(笑)

中国人にも色々いる。呉建民は出色で、共に語るに足りるというのが現在の評価です。

> えらく「生臭い」この万博だけにゃ絶対見に行かないな(笑)

そりゃそうですよ。地球のサステナビリティが懸かっていますからね。

>「ポスト工業文明」時代の万博の展示品わ「我田引水の思想の展示」ですか、そうですか。

ポストインダストリアル、ポストモダンの時代とは、思想と文化の時代というのが常識だと思っていたのですが。(ここで絶句)

> 愛知万博のテーマは「自然との共生」だったと思いますが、

言うは易く行なうは難し。

「持続可能な開発のための教育の十年」は愛・地球博を皮切りに、
2005年から2014年まで十年間続きます。
それと同時に、ミレニアム・ゴールも十年間で達成しなければなりません。

今、国連のHigh Level Panel報告書を受けて世界中大騒ぎですが、
日本はまったく無風地帯ですね。田舎なんですねえ。

そのうちに火がついたように騒ぎ出すのかもしれません。田舎ですねえ。

131ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2005/01/13(木) 16:32
>>130

中葉さん、自分の属している社会(国)を腐すのは、
自分はその社会には属していない、という宣言に等しい
のではないかと思います。
地球市民として日本より上位の社会に属している、という
前提に立っての発言とするならば、日本人である中葉さん
をご自身で否定なさってからにすべきかと思いますが、
いかがなものでしょうか。

論の正否以前に、その物言いはあなたが批判と反省を
促したい対象からの賛同は得にくく、あなた自身の満足
を満たす以上の効果を得られないと思いますよ。

132中葉:2005/01/13(木) 16:37
事実は先ず認めるべきです。

133中葉:2005/01/13(木) 16:39
私が批判したのは日本人でなく、ヤスツ個人です。

そのことに気付きませんでしたか?

134ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2005/01/13(木) 17:17
はて。
以前の中葉さんとはずいぶん違った風当たりですが、
あなた本当に中葉さん?

135ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2005/01/13(木) 17:26
>>132
愛知万博開催のために、開催地の自然林を「拓いて」会場を作った、
という話は事実だと思いましたし、愛知万博の主題に「自然との共生」が
あることも事実ですよね。
確かに、まず事実は認めるべきです。
言うは易し行うは難し、と逃げていい問題ではありません。

まったく含蓄のある言葉です。

136緑装薬4 </b><font color=#800000>(to9dDpe2)</font><b>:2005/01/13(木) 19:45
>134
あせってるんでしょ(笑)

いつまでたっても「外患誘致」出来ないから・・・

137中葉:2005/01/13(木) 21:50
御意!

138中葉:2005/04/11(月) 10:20:26
少しずつ状況は好転してきました。

例えば、
7月9日「地球平和フォーラム」
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N2/N2.1/N2.1.114/
http://www.chikyuheiwa-f.jp/
「世界ミーム博覧会2005」
http://www.memeproject.jp/hiki.cgi?%28EXPO%29Program
等々

139ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2005/04/12(火) 01:56:30
決して揶揄するつもりはありませんが……



愛知万博、盛り上がってないですねぇ……。

これからまだGWや夏休みがありますので、日本国内の来場者のピークは
まだまだ先だとは思うのですが、台湾・韓国・中国・シンガポールなどの、
近郊国からの来訪者や、欧米、中東、南米、アフリカなどからの来訪者は
どんな具合なんでしょうか。

もっと注目を集めるといいですねぇ……。

なんか、開始以来、今のところお弁当解禁問題以外でほとんど巷の話題に
上がってこないところが心配でなりません……。

140中葉:2005/04/22(金) 10:40:03
トップでこう言いました。

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1 名前: 中葉 投稿日: 2004/06/15(火) 12:18

朝日新聞6月11日付けによれば、5月31日に神田愛知県知事他が
北京で中国側関係者にご挨拶した際、昨年12月にBIE(博覧会
国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国
外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を
盛り返したい。21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニ
ケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点
からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまな
い」と語ったとのことです。

2005愛・地球博では、このような国際的、歴史的な期待に対応
し、地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
その他、多種多様な企画・準備とともに、万博後の恒久的な
体制づくりも進めています。

しかし、まだまだ不十分です。
皆さんのご支援をよろしくお願いします。
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いつも私は、「藩はわたくし、おおやけは日本」とか、
尊皇攘夷、佐幕開国という二律背反が、蓋を開けたら尊王開国という
第三の道になった。 今回も第三の道を追求するべきだろう、と言っています。

昨日4月21日(木)の朝日新聞「不信の連鎖 きしむ日中韓 ゆがむ三角形」に
よれば、

盧武絃大統領は「韓米日の同盟など存在しない。日米があり、韓米があるだけだ」
と親しい記者に漏らしているとのことです。

さらに、韓国政府関係者は「日米と等距離を置き、中国や北朝鮮に近づく。
つまり、韓国中心の等距離外交だ」と説明したそうです。

また、日韓、日中の関係悪化がブッシュ政権のアジア外交に持つ意味について、
ハドリー大統領補佐官(国家安全保障担当)を、国家安全保障会議のアジア
担当幹部が囲んだ会議の後、以下のように語ったとのことです。

「我々は内政干渉しない。しかし、心配している。とくに日韓の摩擦は困る。
米国の同盟国である日韓両国が対立すれば、アジアでの米国の立場が弱まるからだ」
また、「米国は中国の台頭に対し、封じ込めるのではなく、内部の民主化を促し
ていく。だが、中国の近隣で民主国家同士がいがみ合えば、民主主義の魅力が
失われ、21世紀のアジアが軍事力に規定されるという後退を招くだろう。これは
米国の国益と理想に反する」

はっきり言えば、米国の希望は、日韓の信頼関係をベースに、東アジアの安定的な
平和を強化したいという姿勢です。私は、米国は東アジアにおいて、マルチ
ラテラルの平和を望まず、ユニラテラルの集合体(鵜飼いの鵜匠ですね)を
望んでいると思って今した。米国が、部分的にでも(そして将来は広い範囲で
の)マルチラテラルな国際関係がアジアに育つことを、奨励しないまでも容認
するとすれば、こんな嬉しいことはありません。

私が考えている第三の道とは、正にこんな方向です。

141中葉:2005/04/24(日) 23:38:34
>>139 愛知万博、盛り上がってないですねぇ……。

盛り上がらないのは当然だと思います。

取り上げたテーマが「持続可能な社会づくり」。
21世紀のもっとも重要で、問題自身が複雑怪奇で、現在の人類の知恵では理解さえできない。
ましてや、解決できない。

しかし、このテーマで真剣に取り組むことには意味あり。それを取り上げただけでも、愛知県は世界の歴史に残るでしょう。
愛知県に続く国・地方があると信じたい。

142中葉:2005/05/27(金) 09:59:54
ようやく万博で「持続可能な社会をつくる方法論」としてユビキタス組織論を
ぶつける準備は整いました。

面倒だから全部お見せします。

『持続可能なコミュニティづくり』シンポジウム企画書
http://home1.catvmics.ne.jp/~shibatay/sustainable-dev.htm
をご覧ください。

143中葉:2005/07/25(月) 00:43:14
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策」

おかげさまでできました。後は、粛々と実行するのみです。

144中葉:2005/08/18(木) 15:19:40
次は2010年上海へ向けて準備を始めます。

忙しいことです。

145うろちい:2005/08/19(金) 20:40:34
>>143
すみません、結局どういうものが「できた」のですか?
2010年はそれを受けてのことだと思うのですが。

146中葉:2005/08/26(金) 11:40:11
もっともなご質問をありがとうございました。

上海万博と愛・地球博との間で開催理念の共有化ができたのです。
そして、それを前提に、官・産・学・民の間でも広範な協力関係ができました。

そして、それを受けての2010年です。

147中葉:2005/08/26(金) 11:50:30
実は、中国の人達と日本の我々とは同じ問題を抱えているのです。

以下にして持続可能な国づくりを実現するか?という深刻な課題です。

我々の万博のテーマはそれでした。中国の上海万博のテーマも同じです。
すなわち、ベターシティー、ベターライフ

これを以下に実現するかの国際会議が

International Forum on Education for Sustainable Development
28 October - 1 November 2005, Beijing, China
http://www.bj-aes.org/forum2005/
10月28日から11月1日まで北京で開催されます。

私は、万博の成果をもって参加したかったのですが、準備が間に合わず、
諦めました。

2010年までには準備を完了し、誰か、代理の人に参加してもらうつもりです。
私は高齢になったので辞退する予定です。

148中葉:2005/08/26(金) 11:53:42
理念の作成はシンポジウムを中心にやりました。例えば、
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=101
http://www.chikyuheiwa-f.jp/
などをご覧ください。

149中葉:2005/10/02(日) 05:43:09
多分、万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探った中で、
もっとも成功しそうな例のNo.1に近いのはこれでしょう。

http://www.minna-chubu.jp/history400/television/guzyoudance/guzyoudancefes.htm
http://www.minna-chubu.jp/history400/television/guzyoudance/guzyoudancefes2.htm

150中葉:2005/10/29(土) 04:37:18
次のステップは胸突き八丁!

大変だがこつこつやるしかないか?! という心境です。

151大神:2005/10/29(土) 07:13:42
万博。愛知万博行きたかったなぁ・・。

152中葉:2005/10/29(土) 17:41:58
行きたかったのに行けなかったのは可哀想ですね。

私は、はじめは行きたくなかったのですが、
準備をしているうちにだんだんのめり込み、
今や、万博人間です。
出来たら、次のサラゴサにも、その次の上海にも行きたいですね。

153大神:2005/10/31(月) 17:48:25
 愛知万博はでだしはあまり良くなかったみたいですが、中盤以降からは
予想以上の大勢の人が訪れたみたいですね。

 テレビで見た、日本人の小さな子供がボランティアの外国人学生スタッ
フとが別れを惜しむ姿が印象的でした。
 多分、その子供は一生忘れないだろうな・・。

 近い上海には行ってみたいですね。

154中葉:2005/11/03(木) 11:57:35
今から準備すると相当楽しめますよ。

愛・地球博の場合は、事前に2年ほど準備しました。
上海まで、あと4年準備できる!

155中葉:2005/11/03(木) 11:59:48
4年間かけて何を準備するかって?

もちろん、市民外交による平和構築の準備です。

156大神:2005/11/04(金) 01:03:35
>中葉さん

 なるほど。4年あれば中国語も勉強できますね。

 それに日本にいる外国人の人と仲良くなればそのツテで色んな人と知り合うことも
できますね。

157中葉:2005/12/09(金) 23:06:12
着々と東アジア共同体に向けて動いているね。

祝着祝着!

「共同体」宣言明記目指す 政府、東アジアサミットで
2005年12月 6日 (火) 19:24
 政府は、クアラルンプールで14日に初開催される東アジアサミットを
「東アジア共同体」形成に向けた歴史的会議とするため、焦点の共同宣言に
将来の目標として「共同体」の文言明記を目指す方針だ。
ただ小泉純一郎首相の靖国神社参拝を発端とする中核メンバー中国、韓国との
関係悪化が影を落とし、各国への根回しに苦慮しそうだ。

東アジアサミットは、麻生太郎外相が出席する10日の外相昼食会で事実上
幕開けし、東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)の首脳、
外相会議など一連の会議が続く。

この中で政府は、将来の共同体形成に向け貿易、環境など多分野の協力を
重層的に組み合わせていく「機能的アプローチ」や、民主主義など普遍的価値の
実現を目指す方針に、各国の理解を得たい考え。

http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/seiji/20051206/20051206a1980.html

158中葉:2005/12/13(火) 19:07:34
ASEAN+3、東アジア共同体の「中心」を宣言 2005年12月12日 (月) 22:50

 東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)の首脳会議が12日開かれ、
この枠組みを東アジア共同体構築の主要な枠組みとすることなどを盛り込んだ
首脳宣言を採択した。一方、これにインドや豪州などを加えた東アジアサミットについても、
毎年開催する方向で最終調整に入った。

 首脳宣言では、東アジアの共同体の実現という「共通の長期的目標」のために、
ASEANプラス3が「引き続き主要な手段であることを確信する」と位置づけた。
首脳会議をこれからも毎年開催することを確認した。

 東アジア共同体をめぐっては、ASEANプラス3と東アジアサミットの
どちらが基本の枠組みになるかをめぐって、日本と中国の間で綱引きが続いていた。

 日本外務省によると、小泉首相は「ASEANプラス3の協力は
東アジア共同体形成に主要な役割を果たしている。さらなる協力実績の積み重ねの上に
他のパートナーとお互い胸襟を開いて、将来の共同体構想を議論したい」と述べ、
ASEANプラス3に加えて、サミットも共同体形成にかかわっていくべきだ、
との姿勢をにじませた。一方、中国の温家宝(ウェン・チア・パオ)首相は
「困難を乗り越えてきたASEANプラス3は地域協力の主要な推進力、主要な道筋であるべきだ」
と述べ、ASEANプラス3が中心になるという考えを示した。

 議長国マレーシアのアブドラ首相は会議後の記者会見で「長い経験に支えられたASEANプラス3は
今後も重要であり、東アジアサミットにとって代わられるものではない。両者は対立するものではない」と述べた。
また東アジアサミットについて「ASEANプラス3は毎年開催で大筋合意した」と述べ、
14日のサミットで正式に提案する考えを示した。

 ASEANプラス3首脳会議は例年、議長国が声明を出して総括しているが、今回は各国首脳が宣言に署名した。

以上は http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20051212/K2005121202050.html?C=S より
朝日も乗ってきたのかな?

159中葉:2005/12/17(土) 06:27:11
やはり、万博が終わった今になって、ようやく呉建民が1年半前に言った以下の意味が分かってきた。
東アジア共同体を作る布石の一つだったとは!

4 名前: 中葉 投稿日: 2004/06/17(木) 23:46

それにしても、呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)は何を考えているんだろう?

21世紀以降の紛争解決の糸口
新しいコミュニケーションの方策
マルチラテラリズム(多国間主義)
・・・・・
の観点からも日本の努力を期待
BIEも愛知万博に協力を惜しまない

とは何を言わんとしているのだろう??

考えれば考えるほど奇々怪々!

160中葉:2005/12/24(土) 16:55:00
>>1 名前: 中葉 投稿日: 2004/06/15(火) 12:18
>
> 朝日新聞6月11日付けによれば、5月31日に神田愛知県知事他が
> 北京で中国側関係者にご挨拶した際、昨年12月にBIE(博覧会
> 国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国
> 外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を
> 盛り返したい。21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニ
> ケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点
> からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまな
> い」と語ったとのことです。
>
> 2005愛・地球博では、このような国際的、歴史的な期待に対応
> し、地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
> http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
> その他、多種多様な企画・準備とともに、万博後の恒久的な
> 体制づくりも進めています。
>
> しかし、まだまだ不十分です。
> 皆さんのご支援をよろしくお願いします。

愛・地球博での
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」
偉大な実験は終わりました。

次は2005上海での実験を目指して準備を始めました。
皆さん、よろしくお願いします。

161厨葉:2005/12/26(月) 11:36:08
ま、アレですわな。

大東亜共栄圏は日本の主導だからダメだが、
東アジア共同体が中国の主導ならokだ。

建前としては、ASEANの主導だが、中国と日本が
影響力のある実質的主導権争いをせざるをえない、のが実情。

日本が東アジア共同体に参加しないという選択肢もあるが、
それではASEANを含む東アジア共同体という枠組みに
日本が影響を及ぼすことができなくなってしまう。
(東アジア共同体が中国の衛星国倶楽部になってしまう)

東アジア共同体に日本はコミットせざるを得ないが、
「共産主義政府(民主主義と法治主義以外のものに支えられた政府)」の
主導の東アジア共同体にしないようにしようとしたら、
日本が主導するか、中国を牽制できる別の大国・地域大国(インドや豪州)
のコミットが必要だ。
日本単独で東アジア共同体に影響力行使を試みたら、
「大東亜共栄圏の悪夢再びだ」と言う予定なのだろうし。

日本はアジアでなくていいと思うんだがなあ。
文化・風土・人種・風習的にも、環太平洋からの影響のほうが大きく、
また、大陸的な枠組みに囚われると、60〜70年前と同様の失敗
に至るのは目に見えてるし。

それでも(厭でも)東アジア共同体にコミットせざるを得ないなら、
やはりインド・豪州を引き入れて、50年掛けて頑張るしかないのかも。

EUだってここまでくるのに50年以上掛かってるんだしね。
その間に中国が民主化されるなら話はまた別だろうし。
でも、民主化されて歯止めが利かなくなった中国が、民主主義的決定
に基づいて拡大政策を採ったら、それはそれで怖いなw

162中葉:2005/12/26(月) 13:58:01
優柔不断は愚策のなかの愚なるもの。

163中葉:2005/12/26(月) 14:04:15
いかのような、あるか無いかわからん日本政府の方針でも、無いよりまし。

我々はもう少しましな物を考えよう。

http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/seiji/20051206/20051206a1980.html

「共同体」宣言明記目指す 政府、東アジアサミットで
2005年12月 6日 (火) 19:24


 政府は、クアラルンプールで14日に初開催される東アジアサミットを
「東アジア共同体」形成に向けた歴史的会議とするため、焦点の共同宣言に
将来の目標として「共同体」の文言明記を目指す方針だ。
ただ小泉純一郎首相の靖国神社参拝を発端とする中核メンバー中国、韓国との
関係悪化が影を落とし、各国への根回しに苦慮しそうだ。

東アジアサミットは、麻生太郎外相が出席する10日の外相昼食会で事実上幕開けし、
東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)の首脳、外相会議など一連の会議が続く。

この中で政府は、将来の共同体形成に向け貿易、環境など多分野の協力を重層的に
組み合わせていく「機能的アプローチ」や、民主主義など普遍的価値の実現を
目指す方針に、各国の理解を得たい考え。

164大神:2005/12/27(火) 23:07:17
 中葉さんに質問ですが、中葉さんは中国に行かれるんですよね。

         あちらでは徴兵制はあるんでしょうか?

165中葉:2005/12/29(木) 05:40:26
さあ? 知りません。

166大神:2005/12/29(木) 09:58:42
 おや?「大学に入って2週間の訓練を受けた」とかの話を聞いたんじゃないですか?

167中葉:2005/12/29(木) 19:30:27
いや全然!

私は技術系でしたから、何かの聞き違いだと思いますよ。

168大神:2005/12/29(木) 21:04:38
 済みませんが、技術系なのって何か関係があるのでしょうか・・?

ちなみに私も技術系ですが。

169ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2005/12/29(木) 23:13:05
やっぱり中葉さんて、複数人いるんじゃないですか。
愛・地球博でいろいろやってたのを報告してたほうの中葉さんは、
トリップ付けたほうがいいのでは?

170大神:2005/12/30(金) 09:13:27
>>133のとかを見ると別人に見えますね。

171中葉:2005/12/30(金) 10:11:03
2ちゃんねるではトリップ付けましたが、こちらではどうすれば良いのですか?

172中葉 ◆cxXEFKh5dM:2005/12/30(金) 10:12:35
これでいいのかな?

173中葉 ◆Uq4tWGbn2I:2005/12/30(金) 10:18:32
2ちゃんねるに合わせてこっちにします。よろしく。

174中葉 ◆Uq4tWGbn2I:2005/12/30(金) 10:22:52
>>170 >>133のとかを見ると別人に見えますね。

全く同じ私です。

175大神:2005/12/30(金) 20:05:35
じゃぁ、性格代わったんですか?それとも最初から

         人 を 呼 び 捨 て に す る

人だったのでしょうか?

176中葉 ◆Uq4tWGbn2I:2005/12/31(土) 14:37:49
時と所と相手によりけり。
2ちゃんねるずれするとどうしてもお行儀が悪くなりますね。

177大神:2005/12/31(土) 19:42:54
呼び捨てする必然性はあったのでしょうか?

        それとも相手がヤスツさんだから?

178中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/01(日) 15:02:24
明けましておめでとう

179大神:2006/01/02(月) 21:57:33
>中葉さん

 今年も宜しくお願い申し上げます。

          で 、

呼び捨てする必然性はあったのでしょうか?

        それとも相手がヤスツさんだから?

180中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/04(水) 13:30:41
私は必然性や偶然性でなく、可能性と主体性に賭けています。

181大神:2006/01/04(水) 22:18:29
 呼び捨てにする必然性はあったのですか? と尋ねたら、

「私は必然性や偶然性でなく、可能性と主体性に賭けています。」

と来ましたが、「万博で国際平和だ!」と言う人がそんな誤魔化しでいいの
でしょうか?

いっそ素直に

「180 名前:中葉 ◆22bKXenR5Q 投稿日: 2006/01/04(水) 13:30:41
 呼び捨てにする必要はありませんでした。ヤスツさん御免なさい」

と言った方が良いと思うのですが、いかがでしょうか?


182ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/05(木) 00:59:22
いやいや、もういいですよ。
理論を設計する人が、必ずしも自分の理論には従えないということが明らかになっただけでも収穫でしょう。

「万博で平和を」という理念に基づいて何かの理論を構築なさったのだとしても、それは到底現実に援用できる段階にはないということで、なるほど納得です。

183大神:2006/01/05(木) 12:19:14
>>182

 確かに 同じ日本人 で、 同じところ で話をしている人で 向かい合っている
人とも満足に関係を構築できないのなら、万博のようなイベントで 自分と関係無い所にいる異国の人間 
と良好な関係は構築できないですね。

 ヤスツさんの言われるように、中葉さんは身を挺して現実に援用できないということ
を証明してくれたわけですね。

184ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/05(木) 13:34:52
少し脱線を交えながら話します。


万博という催しは、その当初の目的は「各国の国力の誇示」であったり、技術力の誇示/宣伝であったりしたのだろうと思います。
その端緒はともあれ、そこに言語・文化・習慣・伝統・歴史の異なる民族が集まり、交流の機会となっていることは間違い在りません。
そこで「新しいコミュニケーション」で「紛争解決の糸口」を、というスローガンはとてもステキだと思います。

なぜ紛争が起こるのかと言えば、それは持っている言語が異なるために意志の疎通が難しいから、というのがあるかもしれません。
日米間では暗号文の誤訳で戦争が泥沼に……という話もありましたもんね。
もちろん、同じ言語を使う者同士の間でもコミュニケーションが不十分であれば紛争は起こりうるでしょう。戦国時代の日本のように、言語がほぼ同じ(方言はあるけど)であっても、意思疎通に激しく時間が掛かる時代にはそうした紛争は避けにくかったのかもしれませんし。
現代はコミュニケーションを取るための「速度」はネットや通信の発達で解決されていますし、言語に関しても翻訳手段の発展で相応な解決は進んでいると思います。
が、それでも宗教観の相違を【足がかり】にした、階級闘争/領土紛争/経済戦争は起こります。
それらがコミュニケーションの充足で完全に回避できるかと言えば、それはまだまだ難しいとしか言えません。

もし、コミュニケーションの充足で紛争を本当に回避できるとしたら、それは対立する両者の間に【共通の利益】が見出され、それが【両者がそれぞれ個別に求めている、それぞれにとっての利益(正義)】を上回る場合のみです。
「目の前の問題より大きな、避けがたい共通利益を、双方が同様に優先順位一位に位置づけられる」
ということ。

例えば、「妻の不倫を巡って、旦那と間男が殺し合いをしている。そのとき、双方の利益は「妻」という女の獲得なので、双方譲れない。が、ここで火事が起き、そこから逃げ出さなければ双方ともに死んでしまうため「一端、殺し合いをやめて火事から避難しよう」という合意が成り立てば、一時的にだが「より上位の共通目的=火事からの避難」によって、当面の殺し合い=紛争は回避できる」
例えば、「アメリカと中国が全面戦争突入。そこに宇宙人が地球を破壊対象として攻撃してくる。アメリカと中国は、より強大な敵である宇宙人と闘うために覇権争いを棚上げせざるをえない。宇宙人撃退後に覇権争いが再開する可能性は残るが、より上位の危機である宇宙人襲来が続く間は、米中間は講和される」
例えば、「明治維新後、日本がひとつの国にまとまったのは、列強諸国というより強大な敵に対抗するため」

現実にあった例としては、911事件の後、「テロとの戦いのために、各国間は協力しよう」という呼び掛けがあって、実際、ロシアとアメリカはかつてないほどの宥和関係に。また、今はまた対立していますが、イランすらアメリカを支持したり。テロリストがテロという非常手段を用いることを認めるわけにいかない多くの国の間での共闘は成立しましたね。これも国家間の対立の一時的回避の一例であったかと。



以上から、
「より上位の共通の敵を得ることで、共闘する域内は平和になる。域外との対立は、さらに外側の共通の敵を得るまで続く。【域内の平和】を拡大するためには、より大きな【域外の共通の敵】を獲得すること以外にあり得ない」
が、私の得ている「域内平和論」の当面の結論となります。

185ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/05(木) 13:35:12
以上を踏まえて、中葉さんが設計に携わった理論は、「同じ考えの人」の間には成り立つけれども、「違う考えの人」に対しては効力を発揮しないタイプの理論なのではないかな、と推察します。
同じ理想を共有する者は、イコール「同じ域内の人間」なので、その域内でならその理論も平和も成り立つ、ような錯覚に陥りますし、実際成り立つのでしょう。
しかし、待ってください。
コミュニケーションの不足から起こる多くの紛争というのは、「域外と域内の対立」から起こるものです。
域内外の定義はいろいろありましょうが、「国境の中と外(=領土紛争)」「経済的利益の中と外(=経済摩擦)」「階級的利益の中と外(=利権の取得者と利権にあぶれた者の階級闘争)」などなど、あらゆる場所に「域内と域外」は存在します。対立する双方の差異は多くの場合平面的な違いではない(対等な高度に存在しない)と思います。
どちらか一方が特権的利益を持っている(と、もう一方は思い込み)、もう一方は不利益を被っている(と、思いこむ)。そういう不対等な域内外関係が、臨界点を越えたときに「実力行使=紛争」となります。

「域内の平和」を理想とする考え方の方々は、多くの場合ここで「ならば双方を対等にすれば対立はなくなる。双方をともに対等にすることで、共通の域内に取りこめばいい」という【誤解】に陥ります。
何らかの強制的な理由(私はこれを、より上位の災厄、共通の敵と考えています)が、双方の対立をより小さな、優先順位の低いものに変えてしまわない限り、域内での不平等/不対等を双方(特に不満に感じている側)が対等になったと受け入れることは難しいと思います。

日本と北朝鮮の関係を見た場合、両国の間に「共通の敵」が設定されない限り、対立の解消(または棚上げ)は難しいものと思います。
逆に、本来北朝鮮と戦争をしていて、今も講和していない(そして、その北朝鮮を支援していた中国とも対立関係にあった)【韓国】の場合、「反日」または「日本という共通の敵」を持つことによって、北朝鮮・中国と友好関係を結んでいます。
これは、「中韓朝」という域内と、「日本」という域外の対立、という図式を作ることで、「中朝韓の域内は、対立を回避できている」ということになります。現実にはそんな簡単なものではないのでしょうけれども、昨今の韓国の対北観の変化、経済・外交戦略における中国への接近から見てもあながち間違っていないと思いますよ。

では日本が「中朝韓の域内に加わる」のが良いのか? 昨今の「近隣諸国と仲良く」という親中韓的思想ならそうなりますが、「より大きな域内に属したほうが、小さな域内に留まるよりも得られる安全は大きい」わけですから、現在の「日米同盟」という域内に留まり、これを強化拡大するほうが日本としては
スケールメリットが大きいわけで。より小さい域内に入ろうとするというのは、矛盾でしかないように思います。


さて、話を元に戻しましょう。
コミュニケーションの不足が紛争に至るという考えには、一部同意します。
が、コミュニケーションの充足だけでは紛争回避は不可能であり、コミュニケーション(これは手段でしかありませんので。口げんかの手段をチャットに変えようが電話に変えようが、罵倒の中身が変わらないのと同じ)の手段・機会の獲得だけではなく、より上位の共通利益(共通の的)を得ることを求めなければ、コミュニケーションによる紛争回避は実現できないものと思います。
また、コミュニケーションによる紛争回避のための「共通の域内」は、より大きな域内に拡大されることで、平和/安全な地域も拡大する、と考えられます。
二つの異なる「域内」があった場合、より大きな、または影響力のある「域内」に属した方が、享受できる「域内の平和」も大きく(広く)なります。
域外の敵が強大であればあるほど、域内の結束は強まり、また「域内」も拡大しやすくなるものと思います。

私はそのように考えております。
これは、すでに以前このスレか別スレで述べていることの繰り返しでしかありません。
同じ話が出てくるのは、これを上回る実現可能で効果的な方法と提示と【援用】が見られたことがないからです。

新しい方策を設計されておられる方が、その足下で自分と自分以外の間に起こる対立(小さな紛争ですね。個人間の)をも自説の援用で解決できないところを見ると、「共通の理念/目的を持たない者同士の間の対立を回避する方法」「共通の理念/目的を持たない者同士の間に共通の理念/目標を持たせる方法」は、まだまだ遠い未来の理論なのだな、と実感しました。

186中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/06(金) 10:25:35
もちろん、私の理論も、私の人格も不十分であり、完全でないことは認めます。
また、完全を求めてはいません。

それよりも、実践を通じで、失敗を通じて成長することと、もっと現実的には、
私の協力者が、私の失敗を見て、成長し、独自の実践を展開してくれることを、唯一の未来への希望にしております。

これまでもそうでしたし、これからもそうなるでしょう。

“必要なのは、次世代のために「連帯を求め孤立を恐れず」もう一度立ち上がる気構えだけだ。
下の世代は、必ずや拍手を送り、後に続くだろう。”

林信吾氏の著書「昔、革命的だった お父さんたちへ」から一部抜粋
http://n-geneki.com/subject_19.htm

187ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/06(金) 19:10:42
完全を求めているわけではありませんが、「コミュニケーション(相互理解と交流)で平和を」というのを求めている人が、いきりたって喧嘩腰になったり、またそういういきりたって喧嘩腰(かもしれないしそうではないかもしれない)を相手に、自説であるところの「コミュニケーションの促進で相互理解」を実践できないのはなぜでしょう?

「自分はうまくいかなかったから誰かがうまくやってくれることを期待する」
というのが>>186の主旨かと思いますが、「理想/理念として大々的に掲げていた方法論を、なぜミクロなコミュニケーションの場であり意見として対立している個人の解決に援用しないのか? できないのか?」という問いに対する回答にはなっていないように思いますよ。

自説が実現性に乏しく現実への援用が難しいのは、ご自身の説に欠陥があったのか、説に欠陥はないが実際には個人間の対立回避にも援用できないものだったのか、説を実践する人間を選ぶ(つまり、普遍性がない)ということだったのか、そのあたりについて、説を提唱された方ご自身がよくよく点検すべきなのでは? 「後輩/協力者に譲る」と逃げてしまうのは、説だけブチあげて逃亡しようとしているようにも見えて大変残念です。

ところで、中葉さんのトリップが昨年と今年で違っているところを見ると、やはり中葉を名乗る方は複数いると判断せざるを得ないような……。
この懸念はどうやれば払えるのでしょうね(^^;)

188中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/08(日) 05:56:33
> この懸念はどうやれば払えるのでしょうね(^^;)

今回について言えば、そして私としては、どちらも同一人物であることは
ハッキリしていますから、懸念自身が存在しません。

多分、将来もそういうことは起きないと思いますが、その時はその時に対応します。
中葉を名乗る価値を低くしておくことが最強力な方法だと思いますよ。

189ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 07:07:12
>>188
あなたにとって「主観的にハッキリしている」ことが、第三者にとって「客観的には曖昧だ」ということなんですよ。
あなたにとっては懸念は存在しないのでしょうけれども、そのことを第三者にあなたの意図したとおりに伝えられない限り、第三者があなたに感じる懸念は晴れないと思います。

「自分(A)が主観的に了解している」
「(A)の主観的な了解が、第三者(B)と共有できている」

というのは、必ずしもイコールではありません。
そのことを踏まえた上で、AとBの間で意志の疎通と意図の了解(共有)を進めるのが「コミュニケーションを図ることで、紛争のタネを回避する」ということでしょう?

190中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/08(日) 12:49:49
私の経験と理論によれば、個人間のコミュニケーション、集団間のコミュニケーション、
組織間のコミュニケーション、社会・国家などの間のコミュニケーションは、
実践においても理論においても、極度に大きな相違があります。

「紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」対象は、複雑度の極致だと考えております。
味噌とクソを一緒にしないように、私は気を付けております。

191ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 16:20:05
>>190
つまり、

・個人間でつかみ合いの大げんか、殺し合いをするに至る方法は解決できない

が、

・そのつかみ合いの大げんか、殺し合いをする個々の人間を、それぞれの勢力内に含んだ「集団」間の宥和は可能である

ということでしょうか?
もちろん、個人間の対立に高度な軍事力の行使や派閥のパワーバランスによる駆け引きは存在しないのでしょうが、「子供の喧嘩を仲裁できない者が、大人の喧嘩を仲裁できる」と言われても説得力はありません。
その意味で、ミソもクソも一緒ですよ。
マクロな解決のための手段は、ある程度の簡略化はされるものの、その基本的な公式はミクロな解決にも援用できて当然と思いますが。

子供の喧嘩を大人が仲裁できるのは、双方の話し合いを促す以前に「より強大な権力で、双方の衝突そのものを制止する」からですよね。
大人(国・地域など)の対立の仲裁も、より強力な権力(それは国連決議だったり、その決議を背景にした軍事力だったり、経済制裁だったり)で、双方の衝突そのものを制止する、というところから入るじゃないですか。
ミクロな方法は、マクロでもほぼ似たような動きをする、ということの好例と思いますが。
この場合の例えが正しいかどうかわかりませんが(中葉さんが理系なら通じると思いますが)、そうした「コミュニケーションによる対立解消」というテーマにあっても、マクロとミクロの相似性と言いますか両者のフラクタルな関係は保たれているように思われます。

もちろん、この「大きな権力で強制的に介入するという方法はうまく行っていない」という意見を中葉さんはお持ちなのでしょうから、「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」というテーマを掲げられたのだと思います。
が、「万博では成功裡に終えた」とされる理論は、結局の所現実に援用できる見通しは立っていないようですし、加えて「マクロには応用できるが、ミクロには応用できない」といういびつな(そしてそれは説得力のない)ものになっている、と仰る。

192ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 16:44:59
私の主張は実は非常にシンプルなんですよ。

・個人Aと個人Bは意見が異なり、対立している。
・個人Aは集団(A')に、個人Bは集団(B')にそれぞれ所属している
・個人A、Bの意見は、それぞれの所属する集団では一般的主張/主導的主張だ
・集団(A')と集団(B')は、それぞれの主張に基づき対立している

・命題:集団(A')と集団(B')の対立を解消したい

ここまではok?
中葉さんが仰る「万博でコミュケーションで」というのは、恐らく一般的な考えでよくあるところの、「国同士の政治的対立は棚上げし、民間交流を進め、そこから友好関係に進みましょう」ということをむずがしげに述べているということ、と了解しています。
この考え方は、「個人(有権者)の代表的意見の代弁者としての政府の主張が、相手と噛み合わないこと(=政冷)を、政府を個人と無関係の障害であるかのようにみなす」という前提に立っていることもあり、私はあまり同意できませんが。
それはそれとし、つまり、こういうことですよね。

・集団(A')と集団(B')の対立解消のためには、まずそれぞれの個人A・個人Bの対立が解消されればよい
・集団同士の対立は、それに所属する個人同士の対立を解消することで、発展的に解消される

一方、個人同士の完全な対立解消は最終的には不可能だから、一般には

・集団の代表者同士が対立解消を約束し、それぞれの集団に所属する別意見の個人には、約束をした代表の主張(命令)に従わせる

という方策が採られるわけですが。国(個人の代表的意見の代弁者としての政府)が条約を結んで、それぞれの国の国民はそれに従う、という図式ですな。

集団内での意見(命令)の徹底は、その集団がどのような「統治方法」で成り立っているかによって方法が異なりますよね。
民主主義国家であれば、「多数意見」が権力を持ち、集団の代表者は「多数意見の代弁者」であるので、集団そのものの多数派を代表することそのものが、少数派への意見の強制の根拠になります。
共産主義、王権、ある種の独裁国家であれば、集団の代表者は「集団の支配者・所有者」であり、恐怖・財力他何らかの強制力を根拠に集団を支配することになるわけですよね。

民主主義国家(A')と非民主主義国家(B')が対立した場合、相手には民主主義の常識が通じず、先方からも独裁的常識が通じない、ということになりますね。これが対立のもと。
どちらかの常識(ルール)に合わせることで、問題の解決はスムーズに進むが、ではどちらの常識に従うか? という点が解消できていない問題点。
現在の世界的潮流では「話し合いで」「より多数意見に従う」という民主的手法が良しとされているわけですが、そもそもその手法を統治に取り入れていない集団(独裁的集団)は、民主的方法を取り入れた段階で国内統治が崩壊してしまいます。(外部の多数意見に従うなら、内部の多数意見にも従え、という意見を、押さえきれなくなったらアウト)
それは受け入れられないから、多数意見を尊重する民主的解決方法は独裁的集団(B')には受け入れられない。
もちろん、「少数者の専制的権力による支配」というルールを、民主主義国は受け入れられないから、この方法もダメ。

193ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/08(日) 16:49:03

ここでは、国(集団)同士の争点を「相手に言うことを聞かせるための方法の相違」というところに仮に集約していますが、これは個人間にも言えることなのでは。
自分の正義を絶対に曲げないという人=独裁思考の人と、他人の意見を取り入れることで正義に修正を図ってもいいという人=多数決/合理主義/民主主義思考の人との間に例えることができます。
もし、「全体としてのスムーズな解決」を望んだ場合、自分の正義を絶対に曲げない人を矯正するより、ハイハイワロスワロスと従ってしまったほうが「前進」はするでしょうけれども、そうすると常に少数者(正義を曲げない人)に支配されるという構図が「正しい」ということになってしまい、従ってはいるけれども不満を抱えた人が増え、膨張したその集団は遠からず崩壊してしまいます。

いずれにしても、「プロトコルの違う相手との間に接点を見つけるにはどうしたらよいか?」がカギになっていますね。
これは、集団同士でも個人同士でも基本的な部分では変わらない。

その解決方法の提案として、「より大きな敵/共通の障害(=大集団)と対峙する」ことで、小集団同士の協力を図る、という案は現実味を持っていると思います。
これは、個人間にも援用できますよ。

例えば、私と中葉さんが異なる主張で対立しているとします。(今、模索の最中ですが協力できていないことは確かですね)
我々が協力して、別の外敵と対応する場合、初めて私と中葉さんは「協力体制」「暫定的な友好関係」を結ぶことができる、ということになります。
この場合の外敵は、例えば野卑な話ですが、エロ宣伝の荒らしが来たとして私と中葉さんが意見としては対立しているけれども、どちらもそうした投稿を削除する資格/権限を持っていた場合、対立は棚上げしてエロ宣伝の削除には当たることになるでしょう。(もし、この意見交換の場に対する重要度が高いなら。別にどうでもいい、というなら話はご破算ですが)
この場合の「エロ宣伝荒らし」が共通の外敵、それへの協力した対応が「対立を棚上げできる、より優先度の高い問題への協力」となるわけで。

こうした、「相違を解決せずに棚上げして協力し、事に当たる」という解決方法は、SF映画ではよく題材にされますよね。宇宙人が攻めてきたり巨大隕石が落下したり。
この方法は、個人というミクロな場でも集団というマクロな場でも、どちらにでも援用可能であり、そうであるが故に両者はフラクタルであるなあと思ったりするわけですが。

これはクソもミソも一緒ですか?

194中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/08(日) 22:47:20
仮想の話でなく、具体的な話にしませんか?

このスレッドで提案した「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」
の関係では、

>>130 「持続可能な開発のための教育の十年」は愛・地球博を皮切りに、2005年から2014年まで十年間続きます。

という状況があるので、この関係ならば具体的な共通課題として議論できると思います。

例えば、愛・地球会議の総合テーマ「持続可能な社会の創造」
http://www.expo2005.or.jp/jp/D0/D10/D10.4/D10.4.1/
に関連して以下のような定義がされています。

「持続可能性への学び“Learning for Sustainability”」とは:
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N1/N1.2/N1.2.26/N1.2.26.3/

持続可能な社会をつくるためには、技術革新や制度改革と並び、意識変革につながる
教育の重要性が指摘されてきた(1992年の地球サミットで採択された行動計画「アジェンダ21」など)。

ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、このアジェンダ21を受けて、持続可能な社会を達成するため、
教育全体の再構築を提言した。「テサロニキ宣言」(97年12月、ギリシャ、テサロニキ)と呼ばれ、
「持続可能性という概念は、環境だけでなく、貧困、人口、健康、食料、民主主義、人権、平和、
道徳・倫理、文化的多様性、伝統的知識などを含むこと」、「環境教育を持続可能性のための教育と
表現しても構わないこと」などの内容からなる。

他に、「持続可能性のための教育(Education for Sustainability)」「持続可能な開発のための教育
(Education for Sustainable Development)」「持続可能な未来のための教育(Education for Sustainable Future)」
などと呼ばれることもある。

もっと具体的には、以下のプロジェクトに参加し、現在、そのフォローを続けております。
世界ミーム博覧会 2005 http://www.memeproject.jp/hiki.cgi?NL_No4

もっと一般的に言えば、持続可能な開発にかかわる紛争の問題は数限りなくありますから、選択の幅は広いですよ。

195ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/09(月) 00:26:07
至極具体的な話をするなら、私とあなたがどうすれば仲良くなれるか、ですよw

そして、あなたが書いた「設計図」を、どのようにすれば「門外漢に一般化できるか」が、あなたが今後解決していかなければならない、もっとも重要(むしろ必要)な「コミュニケーション技術を行使すべき場所」かと思いますよ。
専門家が専門的なことを専門的な言葉で述べるのだけでは、その専門外にいる人間に専門家の下した結論や理論を援用することは難しい、と。

もっと平たく言うと、「今のままではあなたの理想は画餅に過ぎないのですが」ということです。

196ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/01/09(月) 00:28:08
でもその、「専門的な研究から得られた画期的な解決策」を、専門外の人間に適用し、なおかつ共感を得ていくという、これまたもっともコミュニケーション技術(特にプレゼン技術ですね)の必要な、「実用性」の部分に対しては、専門家は本当に弱いですよね。
問題はむしろ、その「プレゼン」「プロパガンダ」の部分なのではないのかなあ、と思いますが。

197中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/09(月) 06:55:54
おっしゃる考え方については同意します。

しかし、「専門的な研究から得られた画期的な解決策」というようなアプローチはとっていませんので、ご承知下さい。
ここがヤスツさんと私の基本的な分かれ道かもしれません。

私が長い間追求し実践してきたのは、非専門的なシステムズ・アプローチです。

>「実用性」の部分に対しては、専門家は本当に弱いですよね。

ここは全く同意・同感で、我が意を得たり!です。

198中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/09(月) 10:45:21
> 私が長い間追求し実践してきたのは、非専門的なシステムズ・アプローチです。

私の「非専門的なシステムズ・アプローチ」とは似て非なる「専門的なシステムズ・アプローチ」
が生まれそうな組織を発見しました。

サステナビリティ学連携研究機構 http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/
です。否定的な表現でしか説明できないのが、歯がゆく、もどかしいですが、
了承をお願いします。

199中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/16(月) 11:42:23
> 問題はむしろ、その「プレゼン」「プロパガンダ」の部分なのではないのかなあ、と思いますが。

全くその通りです。愛・地球博 国際シンポジウム『「持続可能な開発」の媒介者たち』プログラム
http://www.minpaku.ac.jp/jcas/symposia/2005/20050919_20/program.html
に登壇し、「広告と持続可能な開発」と題して発表したマイク・ロングハースト氏(マッキャン・エリクソン上席副社長、英国)
の発表内容は、正に「プレゼン」「プロパガンダ」そのものでした。
私には大きな教訓でした。

200中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/01/27(金) 23:18:14
繰り返すが、次は上海万博だ。間に合うように準備しなければ。

201ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/02/01(水) 09:15:28
近代洗脳の父と言えばコードウェイナー・スミス……は置くとしてw、

ゲッベルス、中国共産党、北朝鮮、大韓民国など、軍事政権/軍関係者によって
研磨されてきたジャンルでもありますね。
今もプレゼンとプロパガンダを商売にしている広告代理店への浸透工作などが
問題視されています。

プレゼン/プロパガンダをそうした軍事政権が活用することは今さら珍しくありま
せんが、そうしたプロパガンダを受ける側は、自分が洗脳を受けている可能性に
対して疑問を抱かない、という危険性があります。でも、洗脳を受けている真っ最中
の人は、自分の行動を「自分で決めた選択」だと思いこんでいて、決して「誰かに
そうさせられた」とは思いもしないところがまた怖いわけで。

「相手に自分の想った通りの行動を取らせる。しかもその行動を取った当人は、
自分の判断でそれをしていると信じている」
というのがプロパガンダの理想型なわけですが、このあたりは銀河帝国の興亡の
第二巻のミュールあたりに注目すると「ああそういうものか」と見えてくるのかも。

どっちにせよ、「自分の考えを相手に理解させる技術」としてのプレゼンが、もう
一歩進んで「相手が無自覚なまま、自分の考えを支持・選択させる技術」である
ところのプロパガンダ、突っ込んで言えば洗脳なわけですが、そういうところに
突き進んでいってしまうのは、それはそれで恐ろしいものです。

202中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/02/07(火) 20:13:20
洗脳は非常に微妙なところがあって、Edgar Scheinなど、組織開発も洗脳だと
言っています。

万博期間中は、ミーム・マネジメントにどっぷり漬かっていたのですが、あれなど
非常に微妙で、パネリストとして参加したスーザン・ブラックモアはミーム・マネジメントは
可能だが、ミーム・コントロールは不可能だと言ったり、佐倉統さんはミーム・マネジメントは
教育だと言ったり、てんやわんやで面白かった。

万博に関係がある「持続可能な開発のための教育の十年」では、
http://www.esd-j.org/documents/DESDIIS_Final_JapanesebyESD-J.pdf
教育の十年の最大の課題として意識改革を取り上げているのですが、これなど
洗脳と見分けがつかない。

いやあ、面白い時代がきたものです。

203中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/02/26(日) 10:21:44
いよいよ日本政府も重い腰を持ち上げて、
「持続可能な開発のための教育の十年」
http://www.esd-j.org/documents/DESDIIS_Final_JapanesebyESD-J.pdf
に着手し、意識改革と取り組む破目に陥ったようです。ご同慶のいたりです。

http://www.env.go.jp/press/press.php3?serial=6797
に以下のアナウンスがありました。
私は意見を申し上げましたが、皆さんも注目して下さい。

平成18年2月3日
わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案に対する意見の募集について

 「国連持続可能な開発のための教育の10年」関係省庁連絡会議では、わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案に対する国民の皆様のご意見を募集いたします。
 同実施計画案に対してご意見をお持ちの方は、平成18年2月23日(木)までに、電子メール、郵送、FAXのいずれかの方法によりご意見をお寄せ下さい。 1 趣旨
 わが国の「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画については、関係省庁の緊密な連携を図り、
 総合的かつ効果的な施策の推進を図るため、昨年12月、関係省庁連絡会議を内閣に設置し、政府外の関係者(教育関係者・産業界・NPO・自治体等)との円卓会議等を通じ、
 検討を行ってまいりました。
 同実施計画案に対する国民の皆様のご意見を募集いたします。

2 意見募集の対象
わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案(別添)

3 参考資料
参考1わが国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画案(概要)
参考2国連持続可能な開発のための教育の10年について
参考3国連持続可能な開発のための教育の10年に係る経緯
4 意見提出締切日
2月23日(木)(消印有効)

今回は期限切れですが、次回は遅れないように、皆さんにお知らせします。

204中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/02/28(火) 10:23:37
「持続可能な開発のための教育の十年」
http://www.esd-j.org/documents/DESDIIS_Final_JapanesebyESD-J.pdf

この大プロジェクトに成功すれば、
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」ことも
夢ではなくなるだろう。

205中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/03/03(金) 11:24:57
日本の万博ではここまで行って、そこで息が切れました。
http://expo.ecoaction.info/dmarket/blog/peaceforum/article/atc00000002

後は次世代の皆さんと中国の人達の上海万博にバトンタッチします。

206大神:2006/04/01(土) 17:23:39
>中葉さん

上海万博について言われていますが

>>159のように

中国を平和の実行者のように持ち上げたり、国連などで提唱される
「持続可能(sustainable)〜」を中国万博が日本万博の先を行くように書いていますが、

それだったら

             何で日本の外務省職員は
     
                自  殺
 
           しないといけなかったんですかね?


申し訳無いですが、少しは現実を見た方が良いと思いますよ。
本気で運動に取り組んでいるのなら尚更。

万博開催はオリンピック招致と同じで国威発揚でやっているんですから。
表向きは綺麗な言葉を使うでしょうが。
共産主義国はリアリストであり、特に中国人はリアリストですから、中国政府が
日本人にニコヤカにしている時はそれは単にその日本人が工作対象になっている
だけですから。日本人は笑顔に弱いですが。


根本の認識を変えた方がいいと思いますよ。中葉さんが個人的にいくら中国人と
仲良くったとしても。ニコヤカな思い出があったとしても。

その上で本当に運動の効果を期待するなら、

「各国の実際の目的は題目から乖離しているが、それを【どうすれば結果的に】
役立たせし得るか」 と考えるべきでしょう。そもそも題目と実際の目的が
同じで世界中の政府が平和とsustainableな発展を求めているのなら

友引さんがそもそも運動なんてする必要もなく世の中は平和になっているはずでしょう?

が、今現に友引さんがこのように運動をしているのはそうではないからでしょう。

願望で観察眼を曇らせては運動なんて出来ませんよ。厳しい言い方ですが打算で
動いている連中(各国政府)から利用されて終わりですよ。

207大神:2006/04/01(土) 17:30:33
>>206

訂正

>>206の友引さんは中葉さんの間違いです。

208中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/01(土) 23:29:40
ご親切なご助言をありがとうございます。

私は生まれてからずーっと大東亜共栄圏と八紘一宇を夢見てきましたし、
少数ながら同志もおります。今日も彼らと今後の相談をしてきたばかりです。

困難であればあるほど、意欲が起きる性質です。見逃して下さい。

209ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 00:35:42
八紘一宇の意味をわかってお使いなんでしょうかね(^^;)

210ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 00:52:44
私の昨今の興味は、「先駆的な方法は、研究者の手の内にある間はなぜ一般化(普及)しないのか」について。
これは、科学・工学技術でもいいですし、ある種の思想や理念に置き換えていただいても結構です。

画期的な方法というものは、研究者が理論を完成させるまで発表しない、という段階にある場合、およそ普及はしませんし、していません。
が、これが利益を生むなどの商業的ラインに乗ってくると、加速度的に普及し、なおかつ低コスト化/高機能化/発展が期待できるようになります。
それに関わることで「得をする=利益を得る」人間が出ることで、初めて「その恩恵として便利になる、公益を受ける」ことができ、また、公益を得られるようなものになると、爆発的に普及していきます。
携帯電話、ネットなどの技術もそうですね。

で、これが研究者や一部の先行している専門家の手の中にある間はなぜ普及しないのか。
これは、研究者や先行している専門家は「まだ発達段階にあるからだ」と言い訳をするわけなんですけれども、実は「先鋭的な研究であるが故に、その理念、理論、ノウハウを独占したい」という意識がやはり働いてしまうようです。
これは、技術・理論の研究だけにとどまりません。

例えば、仕事上で画期的または経年蓄積によってある種のノウハウを得たとします。
そのノウハウを、同僚ないしは後輩、社内に向かって普及すれば、社内の作業効率は爆発的に上昇します。
が、それをすることによって、同僚ないしは後輩に社内での業績を追い抜かれ、先鋭的手段によって得た独占的地位が脅かされる可能性があります。
そうなると、社内での優先的地位確保のために、そうしたノウハウは公開したがりませんし、なかなか公開されなくなります。
それこそ、蓋を開けてみれば「なあんだ」というコロンブスの卵のようなものであったとしても、いや、だからこそそうしたノウハウは公開されないものでもあるわけです。
そういった「公開されない状態」もしくは「もったいぶった状態」が、私が言うところの「研究者の手の内にある」という状態です。

実際に公開させてみると、多くの画期的技術の基礎理論はいずれもシンプルです。
ものによっては、理論を学ばせれば高校生中学生にすら再現できてしまうもの、小学校の理科の実験でまかなえてしまうものすらあります。

こうした技術・理論を研究者の独占から取り上げ、一般化するためにもっとも効率のいい方法は何か。
やはり、その技術・理論によって「利益を得る者」が出るようにし、技術・理論によって報酬を得る少数の人間と、その技術・理論で金ではない受益(便利さ、安全、安心など)を得て報酬の資金源となる多数の人間が出る仕組みにしていくということが重要であるように思います。

平たい言い方をするなら、あらゆる懸念事項はそれを「金儲け」に転化または昇華することができれば、速やかに解決に向かうということでしょうか。
CO2排出量規制を例に挙げれば、「排出権の売買」というシステムが機能し始めたことによって、そこからくる「旨み」、事業が、これの実現を加速していますね。

中葉さんのテーマであろうと思われる「持続可能な」についても、それによって利益(報酬)を得る少数の人間と、公益を得て報酬を得る人間の資金源であることをいとわない多数の人間が必要なのではありませんか?
また、そうした「それによって利益を得る少数の人間」の存在をどのように受容しているのか(そもそも受容しているのか)、そうした概念をなしに「良心に対する期待」だけで成立させようと言うものなのかが、いまひとつはっきりしません。

「名刺の裏に、概念と目的と手段と収益獲得方法のすべてを記述できるようにまとめる」
というのは、営業の基本中の基本と言われますし、企画書の作成でも「最大でもA4一枚ですべての概略を説明できる」というのは、これまた基本だと思うのですが。

中葉さんのお話は、いつも「参考資料」への接続があるだけで、全体の概要の解説がないところが、「専門家によるノウハウの占有」を連想させてしまいます。

211大神:2006/04/02(日) 01:32:04
>>208

ヤスツさんも言われていますが大東亜共栄圏と八紘一宇の意味分かっていますか?

八紘一宇は別としても、少なくとも大東亜共栄圏(アジア連合)はEUのような
連合ではあってもそれはあくまで外(EUに取ってみればアメリカ、日本)に対
する優越のための手段の一つとしての連合なのですが。

 で、それは国連が表向き提唱している全地球規模〜や、そして中葉さんが掲げ
ている万博のような地球としてのsustainableとは矛盾するでしょう?

背反、矛盾していることを運動しても仕方ないでしょう?

212大神:2006/04/02(日) 01:47:42
それと、

>困難であればあるほど、意欲が起きる性質です。見逃して下さい。

          言っている事が矛盾していますよ

【意欲が起きる】のであれば、問題点を直視するべきでしょうし、困難を乗り越え
るべきでしょうから、わざわざ他人が【見逃す】必要はないですよね?

意欲が起きるのなら必要なのは

             問題点の解決であって、

           見逃してもらうことではない

のですから。そもそも中葉さんは何ら回答になっていないですよ。

私が

「Aという理想のためには貴方がしているBという手法にはCという問題点が
あって達成不能です」

>>206で言っているのに対して、中葉さんが

「私にはAに対する情熱があります。同志もいます。意欲もあります。見逃して下さい」

って何の回答にもなっていないですよ?

 と、言いますか、貴方が中国など(中国政府や国連や万博開催国)に貴方自身の願望
を投影して、現実の問題点(表看板と実際の各国の思惑との乖離)から目を背けて
いるのは分かりますが(そしてそのためにいつも私やヤスツさんからの具体的な指摘や
反論から逃げているのも。まぁこんなだから説明が出来ないのは当然でしょうが )

それではそもそも貴方自身同志に対して裏切っている事になりますよ?
また、sustainableな社会の実現にも裏切っていることになりますよ?

貴方にとっては同志や、sustainableな社会の達成の情熱は

             その程度のものなのですか?

213ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 02:23:39
大東亜共栄圏よりもむしろ、「八紘一宇」を夢見るほうが中葉さんのお立場的には矛盾を生じると思うんですが(笑)

八紘一宇を旗印にしたら、中国韓国を含めた特定アジアの方々との間に平和的な共存関係を築くのは不可能だと思いますけど。
という、私の杞憂の意味はわかっていますよね?

まさか、「どうせおまえらネット右翼だろ? プゲラ 大東亜共栄圏&八紘一宇マンセーって言っておけば文句はないだろ?」というような意味で使っていらっしゃるのだとは思いませんが、「八紘一宇」の言葉の真意を知った上で本気でお使いになっているのだとしたら、前述通り特定アジアとの平和的かつ対等な共存関係は築けないと思いますが。
八紘一宇をそうした理解なく使っていらっしゃるのだとしたら、それはあまりにも迂闊であるように思われるのですが。

私、中葉さんのことがときどきわからなくなります。
本当に同一人物なのかどうか。
グループハンドルなのではないか、後輩もしくは教え子が、先生のコテ&トリップを使っていたずら書きをなさっているのではないかと、別の意味で心配です。

214大神:2006/04/02(日) 11:59:13
>>213

大東亜共栄圏:ある意味アジア連合ではあるが、あくまで米欧との対抗を基調とした
       連合にしか過ぎないので世界全体の福祉とは矛盾
八紘一宇:一応世界が一つになるが、一つの宇を考えると現在の中国や韓国を否定して
     解体して吸収しないといけないので矛盾

というところですかね。まぁ、ただ
>、「どうせおまえらネット右翼だろ? プゲラ 大東亜共栄圏&八紘一宇マンセーって
>言っておけば文句はないだろ?」

の意味の方が強そうですね。

>私、中葉さんのことがときどきわからなくなります。
>本当に同一人物なのかどうか。
>グループハンドルなのではないか、後輩もしくは教え子が、先生のコテ&トリップ
>を使っていたずら書きをなさっているのではないかと、別の意味で心配です。
 
 私もそれを思います。75歳のお方にしても思慮分別の無い行動だったり、
やっていることは単なる宣伝だったりと。しかもその宣伝されている内容も
役人文書である外務省の一ページだったり
(ですから友引さんに懺悔を勧めたりしたのもそれだったのですが)。

215ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 12:56:41
>>214
加えて、「八紘一宇」が、何を旗印に、何の後光(権威)でそれを行うという意味の言葉か、
中葉さんが75歳の退官教授ならおわかりのはずなんですが。
わかった上で転向されたのだとしたら、戦争体験は人をこうもねじ曲げてしまうものなのかな、と思いますし、現役でなくなった方に現実感を求めるのは所詮無理なのかなとも思われます。

寂しいことですね。

216通りがかり:2006/04/02(日) 14:25:48
〉中葉さんが75歳の退官教授

中葉氏が自らを「75歳の退官教授」と書かれたことは一度もないはずですが・・・
ヤスツ氏は匿名性を否定する立場を取っておられるのでしょうか?

217ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 16:59:42
>>216
ネットに当人が自発的に公開されているものをそのまま再提示するのは、匿名性の否定には当たらないと思いますが?
中葉さんは、自らの研究について自らのホームページをお持ちで、そのホームページへのリンクをご自身が公開されています。
これを辿ると、ここには直接は書きませんけれども、ご本人について詳細に知る手がかりを、ご本人が自ら明かされています。

私は、「本人が明かしていない情報を開陳することは否とする」とする一方で、「本人が自発的意志で開示している情報は、自由にそれを考慮してよいもの」と考えています。
ヤスツについてわかる限りの情報を掘り当てられるなら、それは自由に利用してよいわけです。
中葉さんはご自身のホームページへのリンクを、このスレッドの中にご本人自ら記載されており、なおかつ、その主張についての補足資料としてご自身のホームページを見るように、本人が促しておられます。
私は本人の意志と判断を尊重する者であって、それが私に害を及ぼすものでない限り、強制によって本人の主義を変えるつもりはありません。
この場合は、中葉さんご自身がご自身の意志で開陳している情報が、【あくまで真実である】という信頼に基づいて引用しているにすぎません。

そういうわけで、>>216さんには過去ログの精査を求めたいと思います。
具体的には>>14にあります。

218中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/02(日) 21:47:33
私は別に何をお書きになっても構いませんよ。

219大神:2006/04/02(日) 22:59:45
>>217

birth が 1931.1ってネットで公開していますからね。

>>216さんは

反吐が出ている友引生まれの「武蔵の守」のヤンキーな吉岡さんですから。

220ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/02(日) 23:37:01
>>216
重ねて言えば、私は匿名性を否定しているわけではありません。
むしろ、「実名の開陳は、本人及び家族の実生活に、なんらかの問題を引き起こす場合もあり、慎重であるべきだ」という考えを持っています。
これは、N.I.さんとの往来の中でも明らかにした通り。ドアに鍵を掛けないことで泥棒に入られた場合、もちろん指弾されるべきは泥棒ですが、そうされない予防行動が取れたはずなのにそれをしなかったのは、被害者の落ち度である。そうする予防行動は取るべきである、というのが私の主張です。
が、これは「私が考える、そして自分に対して任じている考え」であって、他の方がそれとは違う行動を取っている場合、「危ないですよ」とご忠告することはあっても、当人の行動を強制的に束縛することも変えさせることもできないわけです。
今回のケースで言えば、中葉さんがご自身のホームページで公開されている情報を「今すぐ削除しろ!」と命令し強制させることも当然ながらできませんし、それをするつもりもありません。
中葉さんが>>218でおっしゃっておられるように、それはご本人が覚悟の上そうしておられるのでしょうから、それを尊重したい、ということです。

ですから、中葉さんのホームページから得られる情報は、中葉さんの主張を理解する上で必要だと思えばそれに照らし合わせて引用します。公開情報ですから。
中葉さんの過去の仕事・実績、現在の仕事、これまでの職歴や肩書きなどが、中葉さんの主張の形成に深い関係があると考えれば、公開情報の中からそれを引用することもあります。
しかしながら、実名や住所、電話・FAX番号などは、中葉さんの主張を理解するためには当面は不要であるので、とりあえず公開情報ではあるけれどもここに引用してくる(情報を積極的に拡散させる)必要は今のところない、と判断しているので、それは自分の指針に照らし合わせてしない、というだけのことです。

中葉さんの主張を検討する上で、実名での引用が必要になれば、公開情報から借用することもあるでしょうけれども。


そして重ねて言うなら、どこの誰兵衛の主張であるかということよりも、ネットのこうした互いが誰かわからない場では「何を言いたいのか」「何を伝えたいのか」がまず主であり、「それを言っているのは誰か」というのは従であるということです。
中葉さんは、「誰が言っているか」へのインデックスを貼り付けることはなさいますが、「何を言いたいのか」がうまく伝わっていらっしゃいません。
ここ数年の間に、ネットを活用しきれず、伝達力不足を露呈させて消えていった言論人、化けの皮が剥がれてしまった政治家も多数おります。
晩年にきてそうした轍を踏まれないよう、切にご心配申し上げる次第です。

221中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/03(月) 11:13:40
ヤスツさんの多弁・能弁には脱帽です。

222ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/03(月) 15:09:10
>>221
私のは多弁ではなく、過弁です。
ですが、これでも足りないと思っていますよ。
そして、インデックスを自慢していくとき以外の中葉さんは「寡弁」にすぎるのではありませんか?

短い言葉、シンプルな言葉の中に鋭い本質が含まれている場合もありましょう。
しかし、短い言葉は複数の意味を含み、その中のどれを選ぶかを、受取手にゆだねてしまうという危険性も持っています。
フランス国営テレビの解説員が善意と賛意を持って「荒川の金メダルはご飯一杯に値する」と言った言葉も、受け取りようによっては「バカにしている」と考えてしまう人も出るかもしれない。(解説員は釈明と謝罪をしたそうですが、荒川側は最初から問題だと思ってはいなかったと表明しているとのこと)
そう考えたときに、事例を大量に挙げていく文章が多弁過弁であることは、確かに「行き過ぎ」であるかもしれませんけれども、短くシンプルすぎる言葉を投げ捨てて誤解を増長するよりはいいと思っています。

その一方で、その過弁の中に専門家にだけわかる専門用語がちりばめられているのは、いかがなものでしょう。
結局それは「暗号文」と変わりありません。専門家同士の会話ならそれもいいでしょう。
相手が専門家だとわかっているなら。

しかし、匿名掲示板という場はそういう場所ではないでしょう。
中高校生が課題の調査のために出入りしていることだってあるんですから(^^;)
相手の練度・精度が特定できない場において自分の意見を申し述べるのであれば、ある程度は「補足のための補足」をかみ砕く努力も必要です。
かみ砕きもしないで短ければいいというものではなく、専門用語をずらずらならべればいいというものでもありません。

これまでの学内ではどうだったかわかりませんけれども、例えば中葉さんのお考えを一営業として客先に持って行ったら、企画資料のタイトルすら見てもらえませんよ。
誰かに自分の意見を聞かせようとしたくて、こうした場に意見表明をするならば、「読まれること」「理解されること」「意見に賛同する人間を増やすこと」に少しは気を遣うべきではないかと、常々思います。
人に広く受け入れられにくいアイデアや、広めていきたいけれどもまだ普及には至っていない理論をお持ちの方は、より一層そうされるべきだと思いますが。

223中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/04/08(土) 00:18:11
何をどう使っても痛痒を感じない。しかし、その人の人となりはなんとなくわかるな。

224ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/08(土) 02:09:12
>>223
一言で言えば、中葉さんのご意見は「他の人に再伝達しにくい」と申し上げているのですが。

あなたに痛痒を感じて頂くために申し上げているわけではありません。
「主張・理念の普及」というのは、なんだかんだ言っても伝言ゲームなんですね。
Aさんの主張を、Bさんが聞く。それをCさんに伝える。CさんはDさんに伝える。
このとき、BさんがCさんに「詳しくはAさんのところを見てくれ。他の人にもそう伝えてくれ」と言っているのが中葉さん。

ところが、この「Aさんが詳しいから後はAさんに聞いてくれ」形式の伝達方法だと、Dさん、Eさんのところにまで行き着かないことのほうが多いのです。
なぜか。
自分がある程度理解できて、人に「勧めよう」と思ったことでないと、人は他人の考えを人に伝達するということはしないんですね。

簡単な例を挙げましょう。
Aさん「民主党の代表選で小沢が新代表になったってよ」
Bさん「へー、そりゃすごいな」
Cさん「へー」
Dさん「それより、今日の晩ご飯どうする?」
と、A→Dさんに向かうに従って興味が薄れていきます。そうすると、Dさんはたぶんその話題をEさんには振らないでしょうね。
なぜか。自分が理解できていない=興味がないことだから。

では、どうすれば興味を持たせる(=次のEさんへのリレーを途絶えさせないようにさせられる)か。

そのためには、B→Dさんに至る仲介者が、Aさんの発言の「全体」ではなくても、「概念の要約」を理解し、それを自分の言葉で情報下流の人に伝えられるということが重要になってきます。
論文の冒頭に抄訳を付けるようなものと言いましょうか。
でも、論文冒頭の抄訳が「短いけど専門用語ばりばり」では、やはりそれは抄訳にも「概念の要約」にもなりません。Bさん以降、Aさんから遠ざかるに連れて専門用語も前提知識も薄くなっていくわけですから。
そうなると、「よく知られた別の事例」や「Bさん以降の人間が、それぞれの間で引き合いに出せる何か」に載せ替えて説明できるような概念の要約が、やはり必要になってきます。

中葉さんはこの場合Aさんです。
私などはBさん、ということになります。
中葉Aさんの仰りたいことが理解できれば、私はCさんやDさんに中葉Aさんの考え方を説明する=情報伝達のリレーに与し、中葉Aさんの考え方を普及させることの手伝いができるでしょう。
ところが、中葉Aさんには、そうした「概念の普及」はまったく興味がないご様子であり、「詳しいことは私のHPを見るように言ってください」としか仰らない。
行ってみて、そのHPを見てみましたが、あの内容では人に説明も普及も出来ないなあ、これじゃどんなにいいアイデアでも広まらないだろうなあ。と、思った次第です。


繰り返しますが、痛痒を感じて頂く(=悪口)として言っているのではないのですよ?
このスレのタイトルを今一度ご覧ください。「コミュニケーションの方策を探る」のが中葉さんの掲げた主題でしょう?
なぜ、コミュニケーションの方策(=情報伝達の手法)の実践をなさらないのですか? ということです。

225ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/08(土) 02:22:35
他の議題、例えば「いかにして世の中を平和にするか」についてでもそうですし、中葉さんの「紛争解決の糸口としてコミュニケーションの方策を探る」でもいいんですが……
それらについて、何らかの(例えば中間的なものであっても)「こうするべきだ」「こうするといいかもしれない」という手段を提唱されていらっしゃるわけでしょう?
しかも、それらは、「国対国」の関係解決、多少ダウンサイジングするにしても地域の問題解決に援用するつもりで提唱されているわけですよね。

ところが、そうした手法を提唱される方に、「では、その手法をこのスレ内に適用して、意見対立の回避、スレの平和、スレ内での(論者同士の)紛争解決に繋がるコミュニケーション手段の実演を見せてください」とお願いすると、実現した試しがありません。
「国対国」というマクロな関係を解決するための手段は、「スレ内の人対人」というミクロな関係の解決には援用できないのですか?
それとも、「設計図は提示できても、実現は難しい(画餅)」ということでしょうか?

理想的な方法論が描けても、それを実現できなければ意味がないように思います。
よくできた方法論があるのに、それに従わない人が悪い。という言い方をされる方もおりますが、それは「現実が理想に従わないのが悪い」と言っているだけになってしまいます。
理想通りにならない現実を御する方法が「世界を平和にする方法」であり「紛争解決のためのコミュニケーション手段の確立を急ぐ」ではないのですか?

先だってのメール問題のときの国政調査権を要求した民主党(または、つい最近の衆院本会議での菅直人議員の質問)ではありませんが、遂行によって得られる利益を要求をする前に根拠を見せないと。
「これをこうすればこうなる。だからこの方法は実現性が高い」ということを示さずに、「この方法は完璧だが、実現されないときは理解しない奴が悪い。提唱者だが方法を普及する責任は自分にはない」では、誰もその案を支持することが出来ません。


世界が平和になる方法で、スレ内の意見対立を回避し、スレを平和にさせてみてください。
紛争解決のためのコミュニケーションの方策を探ったなら、その方策でスレに参加する人間同士のコミュニケーションを潤滑にさせてみてください。

私は中葉さんのお考えを理解するために、「こうですか?それともこうですか?」と積極的に自分の意見を述べ、また中葉さんが取られた態度に対する感想を述べています。
が、あなたはむしろそれに対して消極的であり、ますますもって私が思う「理想を提示する人は、行動が伴わない」という疑念を深めることに繋がっているのだ、ということを、私はあなたとあなた以外のこのスレを見ている人に訴えているのです。

スレで発言する人が例えば私とあなたしかいない場合、あなたはこのスレは寂れていて宣伝力が低い場所だとお考えになるでしょう。
しかし、時間をおいて誰かがこのスレを1年、2年後に見に来ることがあるかもしれません。今のこの瞬間、我々がわからないだけで、10倍100倍の誰かが読んでいるかもしれません。
また、私があなたの反論と私の反論を切り抜いて、自分のサイトに保管するかもしれません。
先だってのN.I.さんとのやりとりの記録などは、私は自分のサイトに4年ほど保管していますが、その間に私も知らない多くの方が繰り返し引用されていました。

ネットでの議論は、どういった態度を取ろうと、その向こうに「タイムラグをおいて見ている人」がいることを忘れてはならないと思います。
中葉さんの取られている態度は、そうした人々にどう映るか、ご自身のHPに掲げられた内容に対する信頼性を、どの程度損なわずにすむかをよくお考えになって行動なさるべきではないでしょうか。

226中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/05/18(木) 08:51:48
「万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る」次なる舞台は
上海万博です。

これから準備期間は満4年を切りました。急ぎましょう。

227中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/08/21(月) 05:36:12
幸い、準備はできました。後はこの調子を維持することのみ。

228中葉 ◆22bKXenR5Q:2006/11/08(水) 14:23:30
「中部地域の持続可能な発展教育」拠点準備フォーラム
次世代への思いやりをカタチにしよう−この地域で生き継いでいくために
日時: 2006年12月3日(日) 9:30〜17:00
場所:名古屋大学環境総合館
http://bernerland.com/cgi-bin/cocoro/contribute.cgi?mode=res&amp;no=96
もなんとか格好がついたし、うまくいきそうです。

229大神:2007/01/06(土) 20:51:42
「持続可能な社会」について

結局持続可能な社会を作るのに問題としては

エネルギー問題、環境問題、食糧問題等になりますかね。

日本の場合は前二つについて考えた場合、

・エネルギー問題:石油などのエネルギーの枯渇への対処
・環境問題:CO2の問題

があります。ここで最近はバイオエタノールが注目されていますが
(燃焼しても光合成して植物内に取り込んだCO2から作られた糖由来の
エタノールが燃焼するだけなので見た目にはCO2発生量は0になる)、
ブラジルでは既に実用化されているので何とか日本でも実用化されないものかと思います。
バイオエタノールによる燃料が実用化出来れば環境、エネルギーの両方の
問題にプラスになるので(勿論、実際にはプラントを作る際にCO2が発生
してしまうのですが)。

ただこのバイオエタノールを日本で実用化する際に、日本は土地が狭いので
耕地面積が足りないという点と商業ベースに乗せるのが難しいというのが
あります(安倍首相も意欲的ですがやはりその点が批判されています)。

糖度が高い作物からは大量に取れるので、品種改良をして糖度の高い
植物を開発し、多毛作を行って休耕田を使って何とか商業ベースに
乗せれるだけにはなって欲しいものです。

明治の時には単に食糧問題として品種改良が行われていましたが、今後は
持続可能な社会を作るためにもこのような環境問題、エネルギー問題に
関連した品種改良が重要になってくるかも知れません。

230中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/01/07(日) 20:18:36
反則かもしれませんが、世界のルールを紹介します。

愛・地球博協会企画事業「地球市民村」:「持続可能性への学び」をコンセプトに展開
http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N1/N1.2/N1.2.26/N1.2.26.3/
“持続可能な社会をつくるためには、技術革新や制度改革と並び、
意識変革につながる教育の重要性が指摘されてきた(1992年の地球サミットで
採択された行動計画「アジェンダ21」など)。 ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、
このアジェンダ21を受けて、持続可能な社会を達成するため、教育全体の再構築を提言した。
「テサロニキ宣言」(97年12月、ギリシャ、テサロニキ)と呼ばれ、
「持続可能性という概念は、環境だけでなく、貧困、人口、健康、食料、民主主義、人権、
平和、道徳・倫理、文化的多様性、伝統的知識などを含むこと」、「環境教育を持続可能性のための教育と
表現しても構わないこと」などの内容からなる。 他に、「持続可能性のための教育(Education for Sustainability)」
「持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development)」「持続可能な未来のための教育(Education
for Sustainable Future)」などと呼ばれることもある。”

231中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/01/08(月) 14:08:29
大神さんは、
“持続可能な社会をつくるためには、技術革新や制度改革と並び、意識変革につながる教育の重要性が指摘されてきた”中の
“技術革新の重要性”を指摘て下さいました。

私は、
“制度改革と並び、意識変革につながる教育”を実践しております。

お互い、一人だけでは片手落ちです。

コラボレーションしましょう!協働しましょう!

232大神:2007/01/08(月) 16:18:32
>>231

環境問題にしても一人一人の意識が重要になってきます。

例えばアメリカは京都議定書への批准を拒みましたが、ここ数年の間において
米国民のCO2問題に関する関心が高まっています(Yahoo Newsより)。

京都議定書に関しても非批准国や批准を拒否する国に対して批准と
実行を促すのに有効な手段となるのは世界の世論に世論に拠るところが大きいです。
そしてそのような意識変革や教育の裏付けになるのは技術的に可能かどうかです。

233中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/02/06(火) 09:23:55
おっしゃるとおり裏付けが必要ですね。

両面から、手分けして、進めましょう!

234中葉 ◆22bKXenR5Q:2007/08/03(金) 11:07:12
上海万博(2010)までにウェーバーの呪縛を解くことはできるでしょうか?
ウェーバーが提起した謎は、
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最後の以下の文章です。

“こうした文化発展の最後に現われる「末人たち」《letzte Menschen》
にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、
心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない
段階にまですでに上り詰めた、と自惚れるだろう」と。――
 ただし、ここまでくると、我々は価値判断や信仰判断の領域に入り込むことになる。
が、そこまでは、この純粋に歴史的な叙述に求めるべきではあるまい。
むしろ、われわれのなすべき仕事は、以上の素描でその一端にふれたにすぎない
禁欲的合理主義の意義を、さらに社会-政治的倫理の内容について、
すなわち、私的集会(Konventikel)から国家にいたるまでの
社会的諸集団の組織と機能のあり方について、明らかにしていくことだろう。
その次に、禁欲的合理主義の人文主義的合理主義とその生活理想や
文化的影響に対する関係、さらには哲学上ならびに科学上の経験論の発展や
技術の発展に対する、また精神的文化諸財に対する関係が分析されねばならないだろう。
(岩波文庫版 pp.366-368)”

私たちは、

万博で開催した7月8,10日2回の「持続可能なコミュニティづくり」シンポジウム
そのⅠ.「持続可能なコミュニティづくり」―組織とマネジメントからの問題分析
そのⅡ.「持続可能なコミュニティづくり」―文化と価値の創造をめざす問題解決

において、正にウェーバーが提起した謎と悪戦苦闘し、その後も悩み続けてきました。

でも、もうタイムアップです。

何とか、操作的な結論を出しましょう。

237中葉 ◆22bKXenR5Q:2008/07/30(水) 18:16:33
出します。あせらずに待って下さい。

238中葉 ◆22bKXenR5Q:2008/09/12(金) 15:30:51
なんとか結論を出せそうです。

「ラディカル・プランニングの媒介」という方法論をフリードマンが提供してくれたからです。

John Friedmann: Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action, 1987, Princeton UP, p.389
http://www.amazon.co.jp/Planning-Public-Domain-Knowledge-Action/dp/0691077436

239中葉 ◆22bKXenR5Q:2008/09/12(金) 15:37:32
MRP(Mediations of Radical Planning)による取組み:

オルタナティブな開発にはラディカルな実践が必要であり、
実践は適切な理論によって方向付けられなければならない。
以下に列挙するような構造改革の理論によるバックアップと
媒介とがなければ、ラディカルな実践は定着できないであろう。 *)

1.資本主義社会の構造的問題(人種差別、父権社会、資源枯渇、
  貧困、疎外など)

2.システムの暗黒面を繰返し再現する現実を批判的に解釈する。

3.対抗し、改革する運動がないとしたら社会がどうなるかの
  未来予想チャート
4.解放のための実践に基づく望ましい詳細な未来イメージを練り上げる。

5.多くの人が望む未来の実現に対する既得権側からの抵抗を克服する
  戦略を提案。

*)John Friedmann: Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action,
  1987, Princeton UP, p.389


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