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買売春の合法化に反対する、私の意見マトメ。

10ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/03(水) 13:12
談話室からの卒業を考えているそうで、卒業おめでとうございます。
少し総括します。

まだ手が空かないのですが、まず徹底的にあなた個人の妄執と信仰について反論、または破砕する意見を開陳する用意があります。
あなたがまとめと称して発表された文章に対して、ほぼすべてについて異論があります。
もちろん、そうした「異論」を読まずに、ご自身の信仰を大切にして次のステージに去って行かれるのも武蔵氏の選択です。

私の考えは、常に「自分と他人の意見は同じではないだろう」という前提に立っています。
これは反戦から売買春に至るまで、あらゆる議題に通じることです。
なぜなら、私とあなたとそれ以外の人々は、それぞれ独立した精神と意志を持つ別人であり、ある程度の合意があったとしても、完全な一致はあり得ない、という前提に立っているためです。

そうしたとき、多くの人は「相違を埋めるため」に、相手の意志を下して自分の側に付けるための行動を取ります。
戦前の日本や最近のアメリカや、この談話室でのあなたがそうしたように、武力や直接的ではない言葉の暴力の応酬で、相手の意志を挫こうとするわけです。
武蔵氏が談話室でしてきたことは、肉体を殺傷しないけれども、精神に傷を負わせることができる武器を用いた【戦争】であったと自覚をしていただきたいと思います。
あなたは、「自分と相違のある他者を、自分の【趣味】や【主義】の元に下らせようとする」ことを今後もおやめにならないでしょうし、それによって今後の人生でより多くの人の精神を無神経に傷つけていくでしょう。
何よりあなたはそれを正義の行動と信じて、疑わずに続けるでしょう。アメリカがそうしているようにね。

私の考えは、常に「自分と他人の意見は同じではないだろう」という前提に立っています。
双方の意見が完全にひとつになることはない。一方が一方の意見を下す必要もない。
その代わりに、「自分の意見を下さなくていいなら、相手の意見を下すこともしない」という前提での共存は可能なのではないか?と常々考えています。
自分の趣旨を曲げず、相手の趣旨も曲げずに共存をするために、どこまで踏み込むか。どこまで踏み込むことを許すか。
その「線」は、人によって大きな開きはあるでしょうけれども、あなたが「詭弁だ!」と最後まで足を踏み入れなかった「サイド6」では、それなりに見えたように思います。
あなたが頑なに心を閉ざしたことを、残念に思います。

私の求めるものは、「異質なままでの共存」です。
そのためには、「踏み込まない、触れない、相手の意志を挫かない、鮮明に線引きをしない」というものの存在を、解明させずに受け入れるということも求められることでしょう。
今回の例で言えば、「性は売買できるか?」などですね。
売っていいと考える人と、売ってはいけないと考える人がいた場合に、どちらかに旗を揚げる必要はないと思います。
その双方がいていい。ただし、その行為に基づいたことで起きるあらゆる責任は、その人自身、その人個人が負えばいい。
第三者が、その責任を連帯して負わない。責任を共有しない。
弱者に対して厳しいように思われるかもしれませんが、他人の行動を制限しないことによって初めて自分の意志も制限を受けません。
私は、そういう「個人が自分の行動に責任を取る」ということを、すべての思考の根元に置いています。
「可哀想な人を、本人の意思と関係無しに助けようとする」というあなたの善意ある思考との相違は恐らくそこにあると思われます。

ともあれ。
長い間ご苦労様でした。
あなたが今年に入ってから、火だるまになっていくのを見て心を痛めてきましたが、もうじきそれからも解放されて、自分を否定する人がいない世界に旅立たれていくのですね。
それもまたあなたの選択ですから止めはしません。
またいつか、別の名前になったあなたとお話ができ、願わくばそのときには意見が対立したままでも友人になれるような関係を築ければいい、と切に願っています。


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