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サイド6〜政治・思想については一切発言してはいけないスレ

1ヤスツ:2003/09/04(木) 21:52
談話室2には、休憩所というか「思想信条政治学術論議」以外の話をする場所がありません。
相違点をあげつらうのは簡単ですが、共通点を探していくというのは、平和主義者にも難しいことのようです。

というわけで。
思想が違っても、反目せずに話せる話題をする場所も必要なのでは?
テーマは、「食」「音楽」「笑い」。
言葉が通じなくても共有できるものを、「言葉が通じるのに思想が違うだけで対立しているもの」同士の間で共有することから始めましょう。
ここでは「思想信条政治学術論議」には一切触れずに、思想の溝を超えて、和やかな話を楽しみましょう。

sage進行で行きましょう。

766ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/02(水) 01:43
タモリというとハナモゲラ語を連想してしまい、ハナモゲラ語というと筒井康隆のバブリング創世記を連想してしまう私はもういい歳でしょうか(^^;)

最近は故あってパズルに大ハマリ中です。
ハナヤマのキャストパズルという奴。
http://www.hanayamatoys.co.jp/castpuzzle/

いわゆる知恵の輪ですが、力で捻り開けてしまうこともできんことはない(笑)針金の知恵の輪と異なり、キャストパズルは鋳鉄または真鍮などで作られています。
故に、「力ワザでこじ開ける」ということが一切不可能。
最初に買ったのはレベル5の「キャストスパイラル」
http://www.hanayamatoys.co.jp/castpuzzle/cast6.html
なわけですが、これなんざ、すぐにバラバラになりそうでいて、なかなかはずれない。
ここからズブズブとはまって、今のところレベル4以上のものはほぼ制覇した感じです(エニグマを除く)。
レベル3以下については、おもちゃ屋の店頭サンプルをすぱすぱはずせてしまうので、買ってません(笑)

で、なんでパズルなのか。
故あって、で故のほうはともかくとしまして、キャストパズルというのは先にも述べたように、「力」ではどうにもならない。
そして、見た目では「絶対に外れるはずがない」ように見えるわけです。実際、レベルの高いパズルは「すぐにばらけそうに見えて、そもそもなんで組立ができたのかすらわからん」といういやらしいものばかりです。
でも、組み込めたんだから、逆順で必ず外れるはず、なわけです。
その「解法」を探すことそのものが醍醐味なわけで、おもしろい。
単純に二次元的な動きだけでは絶対に外れず、「裏返す」「ねじる」「回す」「同時に二つ動かす」などなど、様々な立体的な動きをさせて、それで外れるわけです。
もちろん、適当に振り回してるうちに外れることもあります(笑)。
でも、それだと「元に戻せない」。
はずして、40点、元に戻して40点、ルートを完全に解明できて20点、で100点。
全ては「理論」に沿って作られているわけで、これを解くのは官能的ですらあるわけです。
私は数学は専門ではありませんが、定理や公理に美しさを感じる数学者の気持ちってのはコレなんだろうなあ、と感じ入ります。

パズルはだいたい何でも全般に好きなんですが(クロスワードからジグゾーから)、この感覚っていうのは「議論」に非常によく似てるな、と思うときがあります。

767ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/02(水) 01:57
議論というのは、二人もしくはそれ以上の人間が、それぞれ異なる定理や異なる論拠、時間軸(世代という意味もあるし、論拠の発生した時期という意味もありますね)、それらを総合した当人なりの正義と倫理に基づいて意見を述べ合っているわけです。
とすると、向き合って議論する場合、相手が「何に基づいてその意見を述べているのか?」ということが、本当は非常に重要です。
自分の言い分を相手に理解させることよりも、相手が何に基づいて理論立てをしているのかを自分が理解することのほうが重要なのでは、と思います。
そうすると、全力で相手のことを知らなければなりません。

人となり、性格。年齢、性別、職業。好きなもの、嫌いなもの。尊敬する人。日常。生活基盤。出身。礎としている理論。などなど。
これらの総合がその人であり、その人の理論であるわけで、これを理解しようというのは、もはや「恋」をしているようなものです(笑)

しかし、この「相手について」をよく理解しようと努めることによって、相手が次に何を言おうとしているのか、または相手の発言は何に基づいたものか、が、だんだんとわかるようになってきます。
もちろん、一足飛びに100%というわけにはいかないのですが、相手の「理論」が理解できてくる、と、相手が次に何を言うかがわかるようになり、さらには「相手の真似」もできるようになってきます。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言いますが、まさに「恋しくなるほど敵(相手)をよく知る」ことで、相手の手の内、相手の心理がわかるようになっていきます。

その行程は、パズルにも似ています。
というより、パズルがそっちに似てるのかもしれませんし、逆なのかもしれません。
でも、似ています。
パズルはどんなに外すのが不可能であるように見えても、理論が理解できれば外せます。
慣れてしまえば、1週間かかったパズルを2秒で解けるようにすらなります<これはこれで腹立たしい(笑)

議論が必要なのは、相手を理解するためであり、相手を理解できているなら議論はもはや不要なのかもしれません。
が、我々はそう簡単には相手を(もちろん自分をも)理解することはできないわけで、議論を続けることは今後も必要なのだろうと思います。

パズルは解くことによって自分が成長するとか自分を理解できるとかそういったことはあまりないわけですが(^^;)、議論はこれを進めることによって相手を理解するのと同時に自分の主張そのものを再点検し、最新の情報を取り入れて研磨し、まったく異なる理論に当てはめて既存の概念を壊し、また再構築する……といった作業を無限に続けることが可能です。
どちらも面白いと思います。
そして、どちらも私には欠かせないものです。

パズルは不可能は可能になる、ということを知るために。
議論は「敵を知り己を知れば百戦危うからず」を実証するために、です。

そんなわけで、パズル話でした。



PS.「次はこういう。そして、こう返すと、こう反論してくるので、こう選択肢を示して、ひとつ穴を作っておいて、そこに相手の主張をはめこませて、それを次の反論に組み込んで……」と、3手くらい先までを読みながら考えているのですが、新しい情報や目から鱗の落ちる新理論を絶えず取り入れていくと、どうしても「3手よんでも2手以降は無駄」になったりすることがほとんどです。
それでも、「それならこれはどうだ?」「これがダメならこっちはどうだ?」と、様々なオプションを常に頭の中に用意していくことができるようになりました。いわゆるひとつの、思考の硬直を防ぎ、柔軟性を高め、応用をどんどん増やす、ということでしょうか。
自分を鍛えることになってもいます。ありがたいことです。




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