したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

社会と同性愛 支配階級と同性愛もしくは小児性愛

18<古代>:2010/02/19(金) 22:59:56
以下http://hatopia.hp.infoseek.co.jp/books/yamato.htmより
「」は『図説日本の歴史2神話の世界』(集英社、昭和49年発行)よりの
サイト管理者による引用。“”内はサイト管理者の文

「ヤマトタケルはクマソを討ちとる時に女装するが、それはクマソたちをあざむくための
単なる変装ではない。
その女装というのは普通の女性の衣服ではなくて、
巫女(ふじょ)ヤマトヒメの御衣(みそ)・御裳(みも)である。
この巫女の衣服を身にまとった小碓命(ヤマトタケル)は、
ちょうどシベリアの男子シャーマンが巫儀を行なう際に女装するように、
女装による司霊者的な呪力を身につけてクマソの酒宴の場に臨んだのである。
巫衣と司霊者(シャーマン)の機能は、実は不可分なものである。」
「今ひとつ、少年戦士が女装する例をあげておこう。六世紀頃の新羅(朝鮮南部)では
「花郎(かろう)の徒」と呼ばれる青年戦士団があった。
彼らは貴族の十四、五歳の少年を美しく化粧し、女装をさせて「花郎」と呼び、
戦士団の中心として奉戴していた。青年たちはこうした集団生活のうちに戦友的友情を深め、
平時には社会奉仕にはげみ、また聖地を巡拝し、祭礼の時には歌舞を行なった。
そして戦争になると「花郎」を先頭に立てて先陣を争って勇敢に戦ったのである。
(略)
その性能からいうと、彼は司霊者あるいは神霊のよりまし(神の使者、あるいは憑依者)である。」

“また、この集会の中では男色も行なわれました。
男色の起源は、僧侶などの特殊な男子だけの組織にあるのというではなく、
社会組織は本来男子組織しかなかったことにあるようなのです。”

「このような新羅の花郎の習俗は、隣国の、しかも古い時代の話であるが、
これとよく似た習俗が近代まで、わが国にも残存していた。
それは旧薩摩藩の「兵児二才(へこにせ)」という青年団組織である。
兵児二才とは士族の若者の集会で、薄化粧した少年を「稚児様」と呼び、
それを中心に青年たちが毎夕集会して学習や武技を練り、またいろいろの年中行事を行なった。
この兵児二才は西南戦争頃まで存続していたが、その後は新しい青年団に改められた。
(略)またイギリスでポーイ・スカウトが創設されたときにも、兵児二才制度が参考にされたともいわれている。」
「稚児様は…… 郷中の名門の嫡男で12〜13歳の特に美貌の少年2名を選んで美服を着せ薄化粧させ、
この稚児様を集会の中心として尊敬し、それに奉仕することをもって各種行事の中心とした。」

ーーーーーーーーーーー以上、引用終わり

つまり、古代の稚児(的なもの)は、
巫女と同じように神がかった存在であり、これと性的に結びつくことは
神の力を得ることと同義であったのではないか、ということだろうか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板