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ある体験の・・・回想録5
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『この掲示板利用にあたって/管理人』
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2470/1040148566
警告:以下には虐待に関する文章及び性的な描写が多く含まれる。
人によってはフラッシュバック誘発の恐れがある事を留意の上
自己責任で参加するように。時には自ら離れる勇気も必要だ。
そして、参加者は上記のスレッドの注意書きに
目を通す義務を有するものとする。(読まない者の参加を認めない)
ここは管理人である「私」こと「ロイ(EGLIC9Vs)」が
個人的理由によりある悪夢を体験談的に回想するための場である。
私の悪夢は異常なまでに生々しく残り続け時を構わず再現される。
真偽の程は想像にお任せする。どちらにしろ詮索には意味がない。
しかし、この掲示板に書かれた内容の全てに置いて
実在の人物、団体、組織を特定しうる情報は何もなく
真偽の程を特定するだけの証拠には一切なりえない。
また、実在の犯罪、事件に関する情報として提供しうるものを
管理人は有していない。仮に、管理人がなんらかの情報を
握っているように見えようとも、それは読み手側の問題であり
管理人には訴えるにたるだけの物的証拠は何もなく
他者を巻き込む意図も訴訟に関わる意思も全くない旨を明記しておく。
これはあくまでも管理人の見た『悪夢』の回想録であり
解決・未解決に関わらず実在の事件との関わりは一切ない。
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>>1227
面倒なだけなのだ。
こちらでは特に不都合を感じていなかったので予定はしていなかったが、
必要に感じるなら移行してくれて構わない。君に一任する。
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>>1235 ロイ
ボケてたっていいじゃない!って言ってやれよ
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>>1235
私の中ではかなり前からボケ役なんだがなぁ。
4周年記念漫才の中でも活躍しているぞ。
AR氏との間ではツッコミ役しか回ってこなさそうだから気がつかないだけなんじゃないか。
>>1236
了解。
私の都合で申し訳ないが、立てさせて戴く。
>>1237
ボケ役もできるロイ氏の方が魅力的だよなぁ?
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新スレ
ある体験の・・・回想録6
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1263642452/
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>>1237
・・・微妙にニュアンスが変わってくると思うのだが
それではまるで認知症のようではないか。
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>>1240
思わず爆笑ww
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>>1216から>>1222-1224へ至る間が知りたい。具体的でなく抽象的でいい。
純粋に内的な葛藤の変化なのか、外側の変化が内にそれをもたらしたのか
あるいは、内的な変化が外側にも影響したのか、
その「順番」−つまり、内的な変化が先か、外側の変化が先か- を切実に知りたく思う。
それにしてもロイの「行き届き方」にはたびたび感心させられる。
そのような行き届き方へ至る何かがあり続けたのだろう、と推測するほかないが
学んで習えるものではない。
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とってもおもしろいブログだよ♪
たまに更新もしてるから見に来てください☆ミ
ちょっとエッチなプライベートブログです(*^^*)
ttp://stay23meet.web.fc2.com/has/
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先天性嘘つき
なんかそんな病名でもつけば
俺は自分を許すことができるのだろうかね
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>>1242
答えるのが難しい質問だなぁ。
nは>>1216から>>1222-1224を『変化』と感じている、ということだよな?
でも俺もロイもその間を『変化』とは捉えていないように思う。
むしろ『変化』ではなく『積載』というか、『内包』というか
適切な表現がいまいち思いつかないが
イメージとしてはそんな感じなのだが。
もうちょっと時間できたらまた書くね。
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>>1242
いろいろ考えてみたがやはり私にとってそれは変化ではない。
>>1222-1224を書いた時の気持ちは今もって持続しているが
同時に>>1216の気持ちも変わらず持続している。
あえて言うならば「変化」ではなく「付属」とか「付随」なのかもしれない。
いやこれも言葉にしてしまうと違うニュアンスのように思える。
言ってしまえば、私にとって>>1216の感情は
怒りの発露であり、怒りの自覚だ。
そして同時に受け入れ、でもあるのだ。
私自身の中に「怒り」があると自覚し、それが実は強烈であること
また、自分が失ったものへの渇望と未練、
それらが抑えがたく強烈に深く惜しくてたまらないという気持ち。
さらに、それがあるという事実の受け入れはしたがそれがゆえに感じる苦しさ。
こういう諸々の感情が深く根付いた上で
それに負けたくはないという闘意のようなものが湧いてきて
だからこそ、これ以上の可能性を失わないために健康を取り戻したいと思う。
私から奪っていくものへ、抵抗し、戦いたい。
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そういう気持ちがあるからこそ
己が、自ら向ける刃をかわしたいし
負けたくないからこそ、はねのけたくないのではないか。
いや、これはまだ答えではない。
問われて無理やり思考している段階にすぎない応えだと思ってもらいたい。
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それでも思うのは、私はいまや人が好きなのだということだよ。
我々は、とするべきか。
これは今、割と共通認識として我々の中に定着しつつある。
やっと素直に認めることができるとこまできたというところか。
今、我々は
人とはもしかしたら優しい生き物だったのではないかと
ああ、優しい生き物だったのだとそう認識するに至った。
ゆえに己と戦うために世界を拒絶することをしたくない。
また、恐れたもの、憎んだもの、
世界から見ればほんの一部であったはずのそれらのために
その全てを拒絶し身を閉じ込めてきたことを惜しく思っている。
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大上段に構えて言えば
私は許したい。
怒りもて身を処するには老いた。
ただそれはまだ、罪を許したいという意味合いとは違う。
単に己の中に深く巣食う憎しみや憤りを消し去りたいのだ。
憎み続けるのはしんどい。
この一義に尽きる。
許そうとして許せず、憎むまいとして果たせず
そうやって足掻いた日々はあまりにも長いが
言葉でもなく、理屈でもなく
自然に受け入れられる“感覚”として
人は優しい、私は人が好きだと思えた頃
思わずとも自然に、ごく自然に闇が薄れてきたように思う。
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私が畏れたのは敵であり、その敵が与えた害であり傷であり
己の、自らに向ける由なし嫌悪と自責の刃であり
更には本来敵たりえた、そして味方にもなりえた
数え切れないほどの外野、周囲、つまるところ世間だった。
多分に感覚の話なので話を繋げることができないが
私はもう、このまま私でありたい。
自身でいようと妙に力を入れるでなく
誰かに影響されまいと肩肘はるのでもなく
未熟であろうがなかろうがそのままの私でよい。
時満つれば多少なりと成長することもあろう。
それまでは気負うまい、と思うよりずっと近いところで
いつかそうなるのだろうと予感しているとでもいうか。
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そのために、緩やかに穏やかに
身を風に流す柳のごとくたおやかでいたいのだ。
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俺は>>1216を、勝手に自分の状態にひきつけて
悪い状態というふうに無意識に思ってしまったらしい。
最初に>>1216を読んだときには、
悪い状態とは思わなかったのに、その後、
精神状態が悪化してる時に>>1222-1224を読んだので
一種の回復のように思ってしまった。
たおやかに、穏やかに、無理のない自然体で闘う、
あるいは、自由に和ごむ。
なんだろうか、心境、というか、心の幅に領域が増えたというか、
確かに一言で言うのは難しそうだ。
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ところで>>1244
俺のレス
>行き届き方へ至る何かがあり続けたのだろう、と推測するほかないが
>学んで習えるものではない。
に対する反応?
それとも、告白(隠し事)に関する
島崎藤村の「破戒」みたいな話?
なんにせよ、先天性嘘つき、なんて病気はないと思う。
平気で嘘をつく人々、という本があったが、
あれは、強迫神経症、とか自己愛性人格障害とか、
そういう当時、新しくできあがりつつある概念に関する本だった。
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自分の中にある世間、
というものは、絶対たたかわないとな。
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自分の中の世間を、洗い流す。
の方がいいか
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自分の中の世間を、検証する。
個人的にはこれが一番、具体的に実行しやすい。
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自分の中にある世間とは、結局自分自身のもう一つの目ではないのか。
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>>1257
自分の中にあるイメージとしての世間と
己を見つめる自意識的な目は、違うんじゃないかな、と思う。
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鬱っぽくなるとそれが一致してしまう、そこが問題なんだが、、
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>>1252
悪い状態ととらえたのは別に間違いではないよ。
あれを書いたときの精神状態はすこぶる悪く
失ったもの、再び手に入れられないもの、
それらのその大きさに凄まじい喪失感があり
形容しがたい怒りの塊が自分の中にあった。
怒りの種類としては長らく俺(AR)の中にあり続けたもので
最近ロイその他にも噴出し始めたもので
そろぞれが、元々俺がもてあましてきた時動揺
怒りにたける自分を抑えがたくなったことが内側としては印象的だった。
この怒りそのものは多分これからもずっと抱えていくことになるんだと思うよ。
ただ、その怒りに潰されそうになっている状態のときと
この怒りや憎しみを凌駕できるだけの“他のもの”に
目を向けることができている場合とがある。
そしてここ1年くらいの話に限定していえば、
その場合とは、意識的に頑張って怒りから目をそらしているわけではなく
たいていは自然に他に目が向いている状態。
ただし、突如理由もなく、または夢や誘引原因の何かによって
すさまじく再噴出してくる類のものだ。
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その怒りが噴き出している状態=>>1216=悪い状態 ととらえ
>>122-1224=その悪い状態がおさまってきた状=回復
ととらえたのなら、それは間違いじゃない。
ロイが答えた「回復ではない」は「>>1216が悪い状態ではない」
という意味ではなく、>>1216の状態は継続しているという意味だから。
緩急ある噴出だからはたからはわかりにくいかもしれない。
んで、「緩」 つまり凄まじく噴出する怒りが緩やかになった
という意味での回復(多分俺たちはそれを回復と思ってないんだろうけどね)
までの間に何があったのか?という問いなら
ロイの答えはずれてるけど・・・・やっぱ答えにくくはあるなぁ。
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>純粋に内的な葛藤の変化なのか、外側の変化が内にそれをもたらしたのか
あるいは、内的な変化が外側にも影響したのか、
その「順番」−つまり、内的な変化が先か、外側の変化が先か- を切実に知りたく思う。
内的な葛藤の変化、はあると思う。
さっきも言ったように緩、急、という意味で。
元からある葛藤がなくなりはしないが緩む時はあるので。
しつこいようだが、あるなし の変化ではなく、強くでるか弱くでるかの違いだ。
更に外側からの影響(ただしこれは変化じゃない)もあるにはあると思う。
具体的にどうこういう話じゃないが、
例えばある時期いつも同じところに咲く花があるとする。
そこにはいつも咲くのだ。その花が。
俺たちは「緩」状態の時も「急」状態の時も常にそれを目にしている。
特に意識することなく目の端にうつしていることもあれば
ある日突然それを美しいと思うこともある。
時にはその花をうざく忌々しいものと八つ当たり的に睨むこともあるだろう。
つまり、外側の変化ではないのだな。花は変わらないのだから。
けど内側の「緩急」の状態変化、怒りなどの噴出する勢いの違い、
そんなものの程度の差によって、同じものを目にした時の感じが違う。
>>1222-の心情というのはまさしく「緩」状態だからこそ
日ごろ目にしていた「花」によって慰められ
その「花」にありがたみを感じ、安らぎを得ている“時” というわけだ。
あくまでも比ゆ的な話でしかないが。
ちなみにこの“時”というのはやはり 一時的 でしかないよ。
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>純粋に内的な葛藤の変化なのか、外側の変化が内にそれをもたらしたのか
あるいは、内的な変化が外側にも影響したのか、
その「順番」−つまり、内的な変化が先か、外側の変化が先か- を切実に知りたく思う。
ただ、どちらからの変化が先か、
つまり何の影響により変化しえたか? と分析することにあまり意味はないように思う。
これは多分誰にでもあることだと思うが、
そんな風に定規で測ったようにぴったしといくものではなくて
卵が先か鶏が先か、判別しがたいほどの癒着した相互作用だと思うから。
こういう話をする時、いつも頭に思い浮かぶのは
俺たちの恩人であるK先生の言葉だ。
『心と体は繋がっている』
納得して以降、本当に繋がっているのだと日々あらゆる場面で実感している。
内側である心が荒れている時に目にする花は美しくはうつらない。
ところが荒れていたはずなのに、美しい花を目にしたことによって和むことがある。
この2つは矛盾しているようだが、両立している。
両立というか、同時に存在していると言ったほうがいいかな。
その時どちらの旗色が濃くなるか、どちらに勝敗が傾くか、
偶然のような神の采配(あえて配剤ではなく)でしかないのではと思うことがある。
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それから、感じ思うようになったことに
『外界と内界もまた繋がっている』ということがある。
これは説明しがたいので宗教的な概念のように思われてしまいそうだが
あくまでも俺たちの漠然とした感覚だと思って欲しい。
外界と内世界、つまり他人である世界と内側である自分自身は
全くの別物じゃないのだ。いつも必ずどこかで何かが繋がっている。
だから誰かが深く考えもせず意図もなく行った何かの行為が
まわりまわって、また時にはダイレクトに自分に影響することがある。
すさみきった気持ちで歩いてたら、たまたま和む光景を目にした。
その光景を作り出したやつらは別に、俺を和ませようとして
その行為をしたわけじゃなかろうが、現に俺は和んだ、としよう。
そういうことはままあるが、
それはつまり、外界が、内界である俺たちに影響を及ぼした、
外→内 方向で繋がっているのであり、
また逆に俺がした何かが、意図したわけでもないのに
誰かを喜ばしたり、怒らせたり、なんらかの影響を与えることがある。
それはつまり、内界である俺たちが外側である世界に
内→外 方向で繋がっているからだ と感じる。
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>>1260
訂正
×そろぞれが、元々俺がもてあましてきた時動揺
○そろぞれが、元々俺がもてあましてきた時同様
俺は鬱状態が嵩じてくると風呂に入れなくなるんだが
そこを無理やりにでも風呂に入ると
体の緊張がほぐれるのか、精神状態も楽になることがある。
でも鬱だからこそ風呂に入れず
そしてだからこそ入ると緩む。
他にも鬱状態が嵩じた時の症状に、夜更かしになるというのがある。
単に夜更かしなのではなく寝るのが嫌なのだ。眠れない。
結果夜更かしになり朝寝になり、朝日を見ることがなくなる。
既にうつ状態ひどく拘泥状態なので
そこを意識して早起きしろ、朝日を浴びろといわれても
無理だ!の一言に尽きる。心情としては。そして肉体的にも。
けどそこまでの精神状態に陥ってるときに
精神の力で浮上することこそ実は難しい。
で、何とかかんとか無理やりにでも朝日を浴びていれば
体が先に回復する。体→心 の向きで及ぼされた影響によって回復しやすくなる。
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人は不器用なもので、今これをほぐしたいと切に願っても
それが近ければ近いほど難しいんだよ。
だから、直接はコントロールできないものと
繋がってる部分をコントロールしてみる。
心が縛られて動けない時は体をほぐす。
体が縛られて動けない時は心をほぐす。
緊張しやすく人前で発表するとなったら赤面する、手に汗をかく、どもる。
そういう人に「落ち着け」「リラックスしろ」と言っても無理だが
「手に力を思い切り入れろ。そして抜け。」これはたいていできる。
普通、心が緊張した時というのは体に力が入っているものだ。
だから体の力を抜かせることに成功すれば、自然に緊張は溶ける。
俺はこうやって、K先生にリラクゼーション、筋弛緩法という
体の力の抜き方を教わり、それを実践するようになって
強すぎる怒りや悲しみのコントロールができるようになった。
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噴き上げてくる怒りに人を殺してしまいたいくらいの強い衝動を覚える。
全身怒りにガチガチだ。息も荒い。鼓動も早い。耳鳴りすらする。
これ全て、哺乳類が戦闘態勢に入ったときの状態だ。
あがり症の人が人前で緊張する時の、心拍や手に汗だって同じだ。
敵に備えている。
野生状態にあった頃なら、それは生き残るための
有益かつ優秀な能力だったはずだ。
だが幸か不幸か、現代社会ではそこまでの敵に備える必要がほとんどない。
だからその防衛は過剰だ。
過剰にすぎる自分の防衛本能が及ぼす身体への影響。
それを理解し、コントロールする。
結局は俺の対人関係の修復は
精神的なものからではなく、肉体のコントロールから始まったということ。
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話がそれたように思えるかもしれないが、俺の中では繋がっている。
(説明はとびまくってて申し訳ないが技量不足だと諦めてくれw)
肉体と精神が双方向で繋がっている。
外界と内界が双方向で繋がっている。
自分と人が、人と自分が、双方向で繋がっている。
これらの実感によって、ある時俺たちは“人”に感謝した。
形の上でなく、言葉の上でなく、心底わきあがってくる気持ちで
ああ、人間って実は優しかったんだと、思えたんだな。
だからそれが>>1222-1224に繋がる。
どう関係あるかと突っ込まれると説明に困るが
突き詰めていけばそこに繋がるんだよ。
全てがきっとどこかで繋がってるから
恐れから拒絶するのをやめよう、
自分自身をはねのけられるものと定義するのをやめよう、
溶け込むことは求めよう、流れにはのってみよう、
ただひたすら、心穏やかでありたい、と願う。
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>>1253
ところでこれは実は突っ込んで聞いてみたかった。
>それにしてもロイの「行き届き方」にはたびたび感心させられる。
>そのような行き届き方へ至る何かがあり続けたのだろう
ロイの何をもって(またはどこを見て)感心し
どんなものを推測したんだ? 具体的には。
(ちなみにそれロイ限定?それとも便宜上ロイ?)
ちなみに>1244は単なる独白でレスじゃない。
そんな病名がないことももちろん知ってる。
そうであればいいのにと思うことがあるだけだ。
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>>1261
どうやって回復したのかを訊ねた時、
>病んでしまったことが悔しくてたまらず
>病む状況に追い込まれたことが腹立たしく許しがたい。
↓
>この冬、私が得た安らぎ
を、怒りが穏やかさに変化(変質)した、という風に捉えたため
怒りも内包しつつ、穏やかさという状態も得ている、
という状態は頭の中になかった。想像もしていなかった。
だから、
ロイ(RY)の>>1246-1251は、ずれてはおらず、
問いに対し、じゅうぶん答えになってる。
そして、ロイ(AR)の>>1260-1264 &>>1268 も
さらなる丁寧・懇切な説明になっていて,
じゅうぶん答えてもらったと感じる。
更に、>>1265-1267は、たいへん参考になった。
そういえば二週間ほど風呂に入ってなかった
(読んだあと銭湯に行ったw)
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>ロイの何をもって(またはどこを見て)感心し
>どんなものを推測したんだ? 具体的には。
>(ちなみにそれロイ限定?それとも便宜上ロイ?)
>>1222-1224 の時期は、タターがたいへんな時期であり、
かつ俺の悪化も噴き出しでロイは知っていたかもしれない。
そういうときに、新年の挨拶をするのはけっこうむづかしい、と思うのだ。
だが、ロイはそういった状態にある者に対しても痛みをあたえずに
自分の「緩」を伝えている。
具体的に云うと、今年、俺は年賀状をほとんど読まなかった。
「良いお年を」という言葉が痛かったからだ。
「良いお年」などというものが自分に訪れる可能性は皆無だと
感じていたからだ。
感心したのは、そういった痛みを感じさせる言葉がまったくなかった事だ。
つまり、書かれた言葉に感心したのではなく、
痛みを与える言葉が「書かれていない」というところに勝手に感心した。
そこ(状態の悪い者に対して痛みを与えることばがなかったこと)を「行き届いてる」と感じた。
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内側と外の話だが、これは
長文に書いた「内界・外界」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1088350818/705
とも通じる話だと思う。
ただ、俺が考えてる内界は意識だけではなく
自分の内臓や細胞を含んでいる。
>>1266 の
>リラクゼーション、筋弛緩法という体の力の抜き方
も、長文に書いた、
>動物神経系 (体壁・筋肉)は、
>感情の処理の側じゃなからろうか。
と通じる部分があって参考になった。
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>>1271 はすこし誤解を招くかもしれないので追加しておく。
痛みを与える言葉を回避しながら
(それが意識されていたか偶然かはしらないが)
しかし
自分が言いたいことは きちんと書く。
むしろそちらに感心したのだな。
(1271は「行き届いてると感じた」ことの説明に引き摺られて
感心したこと、の説明に混同が生じている。)
あのような時期に、それでも、黙っているのではなく
慎重に、しかし、きちんと「書かれた」
が感心の主体だった、と修正する。
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