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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

1extright:2004/06/28(月) 00:40
★★★ 必 読 「この掲示板利用にあたって/管理人」 ★★★
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2470&KEY=1040148566

ここは雑談スレでは敬遠されがちな 長文、連投 OKスレになりました。
何処かのスレで気になった一文について詳しく聞いてみたい時、ひとこと申し述べたい時、
更に議論に発展しそうな話題にと、幅広くご活用ください。

[ご注意]
 ・古参者にとっては、新ネタ旧ネタ繰り返しが延々となされる様に感じるでしょうが、
  そこにこそ新たな発見もあるかもしれないという、柔軟な考え方で進みましょう。
  うっかりさんが現れても叩きはやめましょう。
  何故そういう考え方に至ったのかを聞き、理解しあう事が大切です。
  言葉とは何のためにあるのか、今一度ロイのスタンスを学びましょう。

※ご利用前に
 ・一度は全てのスレに目を通し、これまでの雰囲気を掴んでおきましょう。
※コテハン推奨
 ・これは議論へと発展した場合にどれが誰のレスなのかを判別し、混乱を防ぐ為です。
 ・また、板の「検索機能」によって過去の意見を参照する際にも便利です。

937N:2013/07/20(土) 13:02:00
鬱から回復して(奇妙なことだが、きっかけは東日本大震災の洪水映像を見続けていたことだ
しばらくたってから、
kusamuraあたりに鬱に関してなにか書こうと、ずっと思っているのだが
いつもやろうとすると、途中で気が重くなってしまう。

レジェメ風に書くと、
○無気力ではなく、「急激な変化」への対応ができないのだ、ということ
○抗うつ薬の是非 (俺は医者にいってないのであくまで書物上の情報しかもってないが)
○吉本の「表現的自己」の低下、と、木村の「自己に遅れをとること」の共通性の日常語的な翻訳 
などなんだが、、、

938N:2013/07/20(土) 13:14:07
今朝、また、
ひさしぶりに、脳のDL感があった
ただ、以前ほど明確に「なにかをダウンロードしている」感は明確ではないが
なにか、ドーパミン的なものが脳内に満ちていく感じは一緒だ

よく、癲癇発作の前に多幸感があるというが
それほど強烈ではなく、もっと、脳の前部分
というか、頭蓋骨の内側、がほんわかとぬくもり続ける感じ
頭を取り巻く環状の筋から上だけがそうなる

事故以前はなかったので脳挫傷(脳内出血)と何らかの因果関係がありそうな気はするのだが
よくわからない
とにかく、異常なほど、記憶力は急激に低下している
医者に聞いてみたが因果関係は「わかりませんねえ」ということだ

(エンターキーを押してみたが投下はされないな、、
 途中投下の時はなんのキーを叩いてしまうのだろうか、,,)
ま、いいが、、

939N:2013/08/03(土) 08:13:13
お盆(というか、京都では「大文字焼き」の日)に3度目の手術が決定。
今回は全身麻酔のため、前日から入院する。
予定では入院は一週間ほどになる。

T字帯(術度しばらく道尿管をつけていなければならないため)
曲がったストローを取り付けられるコップ(寝たままで水分をとれるように)
バスタオル、
靴 (整形病棟ではいちおう転倒よけでサンダル不可。だが俺の運動靴は5、6年目でかなり汚いw
   ので、いま流行の穴あき靴_クロックスとかいうヤツ_をネットで検索したがわずか数日用のためには高い、
   という話を接骨院でしてたら、
   隣で施術を受けてたおばさんが、クロックスのまがいものを売ってる店を教えてくれた。
   行ってみた。 398円 !  迷うことなく求めていたのはこれだ! 即、買った。)
高額療養(減額)のカードも更新した。

なんかしらんが、 小さな旅行でもするような、 気分転換、 
(肉体的な苦痛は精神的鬱屈を、一時的にだが、駆逐する_なにも解決はしないが)

940N:2013/09/09(月) 11:07:28
別のことを書くつもりで来たが、どうやら事後報告をしてなかったようなんで
一応書いておく。

398円の贋クロックスはけっきょく必要なかった。愛用の100円サンダルで十分だった。
それより術前入浴の石けんがなく、鎖骨付近だけ備品のシャンプーで洗った。

6人部屋は2回目だったが、4人部屋に比べると
みなカーテン閉めっぱなしで、かんじゃ同士の会話というのがいっさいなかった。

見舞客が頻繁な人間ほど独り言率が高いというのも
改めて実感した。


今回は手術時間も短く(30分-これは前回の親指のプレート抜釘(45分より短い)
小便用カテーテルがなかったので楽だった。
前2回とは比較にならないくらい術後の痛みも軽く、
夜に痛み止めを一度服用しただけですんだ。

それより、なんぎだったのは、隣の親父の「いびき」だ。
6人部屋なので、カーテンで一応仕切られているとはいえ隣のベッドはとても近い。
カーテン一枚あるだけで俺の耳と親父の顔との距離は70〜80cmだ。

親父の向かいの親父が、消灯前に眠剤を頼んでいたので「神経質なヤツだな」と思ったが
消灯して30分も経たないうちに、俺もブザーを押して眠剤を頼むはめになった。

親父も(見舞客からは『先生』などと呼ばれていたがなんの先生なのかはわからずじまい)
当人にもいびきの自覚はあるらしく、
次の日は、就眠時間が近づくにつれ鼻うがいをしてる音なども聞こえたが,
そしてたしかにしばらくはすこしましだったが、消灯一時間で、ふたたび眠剤を頼む状態になった。

4泊5日の退院の時、持ってきたリュックを背負って
隣に挨拶しに行き「短い間でしたがご迷惑をおかけしました」と俺が言うと
「いや、こちらこそ」 と恐縮していた。 いい人なんだろう。
いい人でもいびきはうるさいのだ。

941N:2013/09/09(月) 11:28:41
ま、結果、肩の状態も指の状態も改善はせず
自賠責保険用に症状固定の診断と、
患部の痛み止めだけもらいに行くつもりの近所の病院への紹介状をもらうことで
(もらうというか、費用が発生するので、買うわけだが)
一年超に渡る事故後の通院は終了した。

今後は接骨院と薬局通いが事故のなごりをとどめることになる。

ついでに書くと、
バイクが潰れて京都市内ラーメン屋探訪ができなくなった俺は
最近、接骨院と薬局で流れているBGMを、頼まれていもないのに作って持って行くのが趣味だ。 
ネタはネットに転がってる。そんなことを接骨院や薬局で話してると、
PCでネットをやってるヤツなんて、ほんとに少数派なんだな、とつくづく実感する。

942N:2013/09/18(水) 08:49:51
他人の間違いはすぐわかることが多いが
自分の間違いに気づくには時間がかかる。
時として数十年、あるいは一生気づかないままに。

943N:2013/09/18(水) 08:51:41
この世界に、ゆがんでない人間など一人もいない。
例外はない。 原理的に。

944N:2013/09/18(水) 09:11:39
我々が記憶するのは、「事実(できごとそのもの)」ではなく
「事実から受けた印象」。

945ポールスミス 時計:2013/10/13(日) 12:21:16
父と息子に同じ忍耐として蛇の最初のイスラム教徒は。彼の目は急騰殺すように意図されている。
ポールスミス 時計 http://www.jppaulsmithbrand.com/

946N:2013/10/19(土) 10:00:32
「マス社会」思考と「ミニ社会」思考というのがある、と考えついた。
今の日本社会は入り組んで、
その二つの異なる思考形態をいったりきたりすることになるが
俺は、じょじょに「マス社会」思考から「ミニ社会」思考へ重点が移動しつつあるのだな
と、そう考えれば、ひとつの整理的観点は得られる。

というか、もうとっくの昔に「マス社会」的な流れからは放逐されているとw


---------------------
上のことを思いついたのは
バリバラ(バリアフリーバラエティ__障害者バラエティ)の録画の最後に
今日、11時からEテレでやる加島という詩人のドキュメンタリの予告を見たからだ。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/
どんな内容なのかは知らないが、予告編で「60歳で社会から逃走した」というテロップがあって
そこからインスパイアされた感じ。
-------------------------

947モカシンミネトンカ:2013/10/21(月) 05:51:27
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モカシンミネトンカ http://boots-minnetonka.sbeu.net/

948A ◆CPjaa6Nup6:2013/10/24(木) 18:11:47
>946 N
ぼちぼち見ている。興味深いな。

949N:2013/10/27(日) 23:51:46
>>948
番組はあまり面白くなかったな。
ディレクターと対象との奇妙な距離感が表に現れてて、見ててすっきりしないところが多かった。

社会からの逃走なんて謳ってても、単に、家族から逃走しただけにしか見えなかった。
それだって、知識人社会からすれば、十分に「隠棲」なんだろうが、
さびれかけた商店街の清掃を生業としながら絶対に売れない絵を描き続けているガタロさんの言葉のほうが
俺には深く感じた。
ホームレスのSから言われた「(あんたは)バカだと思う」に対して
「あの人の“バカ”は深いねえ」とニコニコしながら嬉しそうに語るガタロさんの方が
「ロンリーからアローン」へ括る元東大教授より心に響いた。

それはそれとして、
たまたま別のことを思いだそうとして手に取った吉本の「良寛論」が
日本の伝統的隠棲をアジア的な視点から見直していて、
そこから荘子の話になり、荘子は南中国的な思想で、アジア的には初期の思想に属し
にも関わらず、荘子は中国の古代思想の総括になっているという評価を読んだ。

単純な俺は、数日後には荘子を買っていたw 
現代語訳が解説の中に混ざった形になっていて面倒なので
岩波のを買い直そうかと思ってる。

まだ、最初のへんしか読んでないが、
孔孟がマス思考なのに対し、敗戦国として侮蔑的な扱いをされていた宋出身の荘子は
ミニ社会的な思考の老子をさらにつきつめているような気配を感じている。
同時に、インドとも近い南中国的な雰囲気から、儒教よりも禅仏教に近いようなところもある感触だ。
ぼちぼち読みすすめていこうと思ってる。

孔孟が壮年向きだとすれば、老荘は初老以降向きなのかもしれない。
(ま、これは、まだ数十頁しか読んでない初学者の浅はかで暫定的な感触ですだ)

950N:2013/10/28(月) 00:17:28
バリバラの方は面白かった。 
この回は、福祉機器はすごいことになってきてる、という話だった。
想念だけで、足の代理機器を動かすことが実用寸前までいってるらしい。
全盲者が額に付けた機器で環境を「見る」というのも紹介されていた。
ブレイン・マシン・インターフェイスというらしいが
この略語BMIは(肥満度チェックBody Mass Index)とダブっているので
検索としては、脳波 制御 機器 でしたほうが早い。

先週は、自称「ダウン症のイケメン」君が、
毎日「今日一日楽しかった」という日記を十年続けてる、というのをやっていた。
母親が死んだ日も、腰が抜けるほどの衝撃を受けながら
日記には「残念です。」の後に「今日も一日楽しかった」と書いていた。
もちろん、強度に無理して書いたのだ。


俺はこの番組と探偵ナイトスクープが、単純に、好きだ。


誰か(たとえば家族)が代弁するのではなく、時間がかかっても、当事者が自由に話すからだ。
代理糾弾者と当事者には、超えることのできない大きな違いがひとつある。

当事者は「赦す」権利をもっているが
代理告発者は「赦す」権利を与えられていない。

この違いは決定的に大きい。

951N:2013/10/28(月) 00:27:01
あ、そうだ。 「ダウン症のイケメン」くんは巨乳好きである。
絵画教室に通っているが、
そこの先生に最初「なにが描きたい?」 と聞かれて迷わず 「 巨乳 」 と答えたそうだ。

952N:2013/10/28(月) 00:38:50
「イケメン」くんは、さらにグラビアアイドルの水着を透視する特殊能力も持っている。
部屋の奥から「イケメン」が、グラビアアイドルの乳首を「透視」して描いた絵を
兄貴がカメラ前に持ってきた。

イケメン君はその後スタジオで
「ウヒー、恥ずかしいぃ」と言って顔を覆っていたが
その日の日記には、「今日も一日楽しかった」、と書くのだろう。

953N (言葉):2013/11/10(日) 18:14:58
言葉に関して、たぶんこれはまちがいないだろう、と思える事は
今のところひとつしかない。それについて書いてみようと思う。

「言葉はイメージのピン留め」 だ。
これを思いついた経緯を書いてみる。 

------------------------------------------------------------------------
ある日、俺は寺町に最近できたラーメン屋に自転車で出かけた。
その帰り、普段通らない細道を通った。
するともう突然、別のラーメン屋にでくわした。
ここを覚えておこうと思ったが、考え事をしながら走っていたので
いまどこらへんなのかよく判らない。

京都市の中心部は道路が碁盤の目のになっているから
寺町のラーメン屋からここまで、どこを何回曲がったか思い起こせば現在地がだいたいわかる。

ラーメン屋から出てその後どう走ったかを、頭の中で思いだそうとした。
つまり、イメージだ。  
ところがいきあたりばったりにあちこち曲がってたので、一気に全体のイメージが浮かばない。
ある道を走ってるイメージはあって、ある角で曲がったイメージはある。
次に曲がった道を走っていて、しょっちゅう走っている道を通り越したイメージもある。
そうやってただ順番にイメージを追いかけていっても、途中でよくわからなくなる。

そこで、
あの見覚えのある道は「四条通り」だ、とイメージに言葉を付けてみる。 
「四条」という言葉によって、碁盤の目の東西の直線が一本、全体のイメージの中に「ピン留め」された。
南北の直線は、ラーメン屋を出たあと何本の南北の道を通り過ぎたかを思いだして決定する。
「寺ごこふやとみ」という南北の道を覚える「言葉」は寺町から西の道の覚え方なので役に立たない。

角のイメージははっきりしてるのだが、その角を言葉で「四条○○」という風に「ピン留め」できないので
その後の道のイメージは思いおこせるのだが、うまく、現在地をことばで「ピン留め」することはできなかった。

その後走って、よく知ってる「川端-丸太町」にでくわしたから、そこから遡れば
突然でくわしたラーメン屋の場所を「ピン留め」できただろうが、
「イメージのピン留めとしての言葉」 というインスピレーションに耽っていて
「名称」によるピン留め作業を怠った。あのラーメン屋がどこにあったかいまだにわからない。
---------------------------------------------------------------------------------------

どこをどう走ったか、イメージの量はたっぷりあったのだが
言葉による「ピン留め」ができなかったため、その地点を記憶に留めることができなかった。

「ピン留め」としての言葉、という想念を反芻してみると

1, 何かを特定するための「ピン留めとしての言葉  ということと同時に
2, 言葉より先にイメージがあり、その量の方が内面的には圧倒的に多い。

というふたつのことが、今のところ俺の中でピン留めされている。

さらに言うなら、
3,ピン留めするための「言葉」は学習されてなければ使えない。

(イメージはあるのに南北の道をピン留めできなかったのは、
 単純に、寺町より東の南北道の名称のそらんじ方を知ってなかったからだ)

さて、俺はものすごく記憶力がないので
3つになると、うまく自分の中にピン留めできない。
そこでもっと短くすると、「イメージと言葉」 になる。
このピン留めさえあれば、そこを起点として、いろんなことを引っかけることができる(かもしれない)。

954N (言葉):2013/11/10(日) 18:18:25
もっと短くするなら 「ピン留め」 。  これならいくら俺でも覚えておける     (、たぶん)w

955N (言葉):2013/11/10(日) 18:45:43
「ピン留め」 とまで縮めてしまえば
つまり、「言葉」すら省略てしまうと、
イメージをピン留めするための手段として、「言葉」が唯一の方法ではないことに思い至る。

絵もそうだろう。 人間は虫と違って臭いより視覚イメージのほうに親和性が強い。
そういえば、障害補助器具の中に、
盲目者が額につけると外部をイメージできる器具というのをバリバラで見た。
カメラに再現されていたのは大きなドットでできた絵のような映像だった。
すくなくとも前に障害物があるということは最低限その器具でわかるというものだ
(対象の弁別には多少の訓練と慣れがいるようだったが)。

時には「トラウマ」さえ何かによってピン留めされたイメージだという考えも浮かぶ。
(というか、今浮かんだ)  

果たしてトラウマというのは何によってピン留めされてしまうのか。その記憶(イメージ)を誘発するのはなにか。
「似たもの」「似たできごと」だろうか。いったいそれはどこに刻印されているのか。  「無意識」ってやつの中にだろうか。
そういえばフロイトの「前意識」という概念もあったな。
なんにせよ、今んとこ俺にはわからない。。

このように、いつも俺は考えが拡散していく。 今日はここらへんが「潮時」だろう。

956N  (ピン留めAA):2013/11/11(月) 17:52:33

            [ピン留め]のイメージ



              /      /      / ___     /
          ---------------------------- | |------------- (イメージの碁盤)
            /      /      /  Σ Z  /
          /      /      /     Y /      /
         -------------------------------- | ---------------------
         /       /      /      /      /      /   
       / ____    /      /      /      /      /       
     ------| |-----------------------------------------------------
    /   Σ Z /      /      /      /      /       
   /     Y/      /      /      /      /      / 
------------ | ---------------------------------------------------
/      /      /      /      /      /      /     
      /      /      /      /      /      /
------                -----------------------------------
         ↑               /      /      /  
        (ピン留め)         /      /      /

957N:2013/12/04(水) 03:04:23
他スレで図書館から借りてる本について少し触れたので悪口を言ってみようと思う。

そもそも悪口というのは、たぶん、比較によって生まれる。

直接被害を被むる場合、悪口なんて言ってても解決しない。
味方を増やして応援・援助してもらいたい場合は悪口というより訴えに近い。
 
俺が日常であまり人の悪口を言わないのは
要するに比較できるほど多くの人とつきあってないからに過ぎない。

おしゃべり好きの間では、悪口が一番楽しい、らしいが(マツコ・デラックスの言)
それにはふたつの要素があると思う。
つまり、人付き合いが広い、ということと、無責任であること。

たとえば、上司の立場になったとすれば
部下に関しては悪口を人に言いまわる前に、まず、自身の管理責任が問われる。
悪口を言う前にすることがあるだろう、ということになる。
悪口より批評・評価・教育が先になる。
親は、自分の子の悪口なんて悠長な事、してられないだろう。
無意味な悪口なんぞより、どうやって改善、または受け入れるかが圧倒的な優先事項と推測する。

というわけで、おしゃべりの華(らしい)悪口は、
直接なんの被害も責任も負わない芸能人とかが一番楽しい、ということになりそう。


----------------

さて悪口だが、今借りている大森荘蔵がつまらない、
ということを書こうと思ったのだが面倒くさくなってきたw

「時は流れず」って本だが、かなり大上段に
「数千年間、えらい哲学者もみな間違って時は流れる」と思ってる、というような前フリが
あって、なぜ「時は流れず」というのかついて、書いてるのだが、
その内容より、その書き方になにかイヤミなところがあり、
それは弟子筋の中島ナンタラ(思い出せないし、わざわざ本を探す気にもならない)
もそのまま受け継いでる。 こいつの本は数頁読んでるうちになんとなく不快になってどこかへ放り投げた。

俺は「時間」についていろいろ考えてるので、
以前から大森荘蔵ってのは、どういうヤツなんだろうと思ってたが
どうやら戦後の東大哲学の大ボスという位置づけになるようだ。
それだけの事だ。 


以上が悪口。 
日常ではあまり人の悪口を言わないが(つまりいろいろな人間と比較できるほどの人付き合いがない)
哲学本は多少あれこれ喰い散らかしてるのでいちおう比較くらいならできる。
だから悪口を言える。
 
ちゃんとした批判は別になるが今、けっこう疲れてるのでめんどくさい。
もし書く気になればそのうち書く(かもしれない)。 誰も興味ないだろうなw

958N:2013/12/15(日) 22:02:28
誰も興味ないだろうけど。  http://bb2.atbb.jp/xronos/topic/65964

959Shounnyviobby:2013/12/20(金) 19:43:18
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960N:2014/01/18(土) 17:32:19
「定位」と「社会的既定」

「社会的既定」 おおざっぱにイメージするなら「肩書き」みたいなもの
「定位」  イメージをどこに定めていくか、ということで、辞書的な定義とはすこし異なる。
      
(子供を例に)
「こども」という社会的既定は、本人が自分をどう定位するかとは別に
勝手に「向こう側」から既定される。
本人が「だって、ボク(orアタシ)、こどもだも〜ん」 というなら
それは本人が自分を「こども」と定位したことになる。 
赤ちゃんは自身を定位できない。 
しかし「赤ん坊」とか「幼児」とかの社会的既定は勝手に向こう側から与えられる。

ひとりの人間であっても複数の社会的既定の位相がある。
家族の中では「親・子供」 
これに男女が(これは「生物的既定(セクシャリティ)と社会的既定(ジェンダー)というふたつの位相があるが)
加わると 「父親・母親」「長男長女次男次女・・・」「姉・兄・妹・弟」「末っ子」などなどが被さる。
こどもも齢を重ねると社会的既定が増える。
「園児」とか「小学生」さらに細分化されて「何年何組」とか「班長」とか「委員」とか。


定位は、自分の主体性に基づく、個人的な「思索行為」。
つまり、社会的既定がどうであれ、どう自分を「定位」するかは、当人の自由だ。
一個人の行為だから、気分や環境変化などで、定位が変化していくのも自由だ。
「定位しない」という選択もおおいにあり得る。

社会的既定だけがはびこっている世の中で、
自身が自身をどう「定位」するかという自由はもっとあっていい。

961N:2014/01/18(土) 18:19:28
「うんこ」(俺のお気に入りのテーマだ)

バリバラは先週と今週、震災訓練をやっていた。
とりあえず、避難所への避難がたいへんだ。という段間を経て
避難所に落ち着くと、まず最初にやってくるのが「排泄」の問題だった。

物理的にはその場で垂れ流す、がもっとも早いに決まってるが
赤ん坊以外は皆、そういう選択は避けたい。 
(なぜそうなのかは歴史・文化まで遡及しなければならないから棚に上げておくとして) 
簡易トイレはなにかと(特に車いすにとって)問題があった。
最終的な解決策は、
1,避難所が学校で椅子がたくさんある事を利用し
  椅子を組み合わせてもっともおさまりのいい形のところで脚をガムテで固定。
2、段ボール箱の内側にビニール袋(ゴミ袋など)の口を広げて装着し
  用を済ませたら、ビニール袋の口を閉じて外してどこかへもっていって処理する。
というのだった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−----------------------
それに啓発されていろいろ思いを巡らしているうちすこし別の角度にいきついた。

うんこしょんべんという排泄への誘い兆候は
自分の意思や状況とは関係なく、とにかく訪れる。

垂れ流しを卒業した幼児が排泄をしぶったりする場合、
そこまで継続していた時間の流れを切断されることがいやなのだろう。
特に楽しい遊びをしていたならよけいに中断は不服な事態だ。
まして他人から行くように強制されるとますます自分の「意思」が疎外される気分になって意固地になる。

昨年見た子育てに関する「すくすくアイデア大賞」では
トイレに行くことを新たな遊びにして、
(インタビューごっことか、親がトイレ屋さんになってお店ごっこにしてトイレで排泄すると
 トイレ屋さんがポイントをくれるとか)
あたかも子供が能動的な意思によって排泄する、というふうにうまく導いていた。

意思と、意思を無視するうんこ、との相反関係。

観念論者は外部の物質を認識と関係ない物自体として退けることはできても
自分の内なるうんこは、どう処理するのだろうか。
ガマンして便秘にでもなるのか。 ま、確かに思索自体は、うんこしてても可能ではある。
カントは便秘だったのだろうか。 フランスは19世紀ごろまで貴婦人でもそこらで垂れ流す文化だったはずだが
ドイツもそうだったのだろうか。

あぁ、うんこの世界は深い。

962zebla:2014/02/13(木) 02:10:44
大便が自分の意志に反して出てくるのがコワかった。

963N  (個人的なこと):2014/05/07(水) 20:32:17
3月の終わり頃から、体に変調が起き始めた。
目覚めたときから、寝るまでの間、ずっと四肢が痺れている。
今もずっとそうだ。 
4月の第一週に神経内科へ行き診察を受けた。
首のレントゲンを撮り、整形外科へ廻された。 
その状態が続くようであれば、一度MRIを撮るよう勧められた。
今週、予約を取りに行くつもりでいる。

実は、弟が4月の最終週に手術を受けた。
「頸椎症性脊髄症」だ。 
どうも、俺のもそれな気がする。ただ、弟のは下肢が勝手に貧乏揺すりしていたり、
書字が読めないくらい乱れたり、はしを持つ手が震えたり、症状がひどかったので
手術適応となったが、
俺の場合、それほどひどくないので(というか、別の原因があるのかもしれない)
もし診断が弟と同じであれば、基本、悪化するまで放置ということになるのかもしれない。

もしそうであるなら 原因は   老化  だ www

>962
幼児期の記憶?

いまの俺は、意思に反して出てこない方がコワい。。w

964N  (Eテレ):2015/01/19(月) 13:16:46
Eテレ 「日本人は何をめざしてきたのか」で
吉本隆明と石牟藎道子を連続でやってた。次は三島由紀夫らしい。
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2014/12/006.pdf

吉本の再放送はもう終わってしまったようだが
石牟藎道子は 1月24日(土)午前0時00分〜午前1時30分(金曜深夜)
http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/

石牟藎道子はパーキンソン病だそうで首がゆらゆらしていた。
渡辺京二も出ていて 「芸術家ってのは”幻”を見る人のことだ」 
と言っていたのが強く印象に残った。

吉本の回では、長女(漫画家ハルノ宵子)を初めて見た。
ただ、俺は吉本フォロワーにあまり共感したことがない。今回もそうだった。

さあ、今日も病院だ。白内障と眼筋強化の目薬を貰い、検査をする。

965N:2015/01/19(月) 13:28:23
ひょっとしたらPCを修理に出すことになるかもしれないので、まとめて書いておく。

昨年あたりから、
言葉には 「解釈のことば」 と 「描写のことば」がある
ということを基本にしてことばを捉えていくのがいいんじゃないか、と考えだした。
俺はここ数年どんどん「解釈」寄りになっていく。
ロイは、回想では描写のことば性が強く、
掲示板でのリアルタイムのやりとりでは 解釈+描写 つまり「表現」 の文体が確立していて
しかもそれはたいへん優れたことば性を獲得していた。 

自分に根ざしたオリジナルな文体の確立は 誰にでもできるlことじゃない。 
それはけっこう「希有なこと」だということは 
本人はどう考えているかわからないが、ぜひ自覚してもらいたい。

966zebla:2015/03/05(木) 03:30:29
先週のバリバラ「マンガナイト」で紹介されてた’ギャングース’
第一話が出版社のサイトで公開されてる 
ttp://www.moae.jp/comic/gangoose/1

’聲の形’ 出だし21ページのみ
ttp://sokuyomi.jp/product/koenokatat_001/CO/1
’志乃ちゃんは自分の名前が言えない’一部
ttp://www.ikedahayato.com/20140720/9704750.html

967:2015/03/20(金) 12:00:06
ざらざらした現実にあてがわれるクリームが幸福(という感情)だとすれば、
幸福が一様に見える理由を説明できる。不幸が、それぞれに異なっていることも。

※トルストイ「アンナ・カレーニナ」冒頭部
「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、
不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっている。」

968:2015/03/20(金) 12:04:56
言葉(表現としてのことば)もまた、
かたくざらざらした現実に塗るクリームになりえる。

969:2015/03/20(金) 12:13:15
>968
それは裏返せるが,裏返してなんになる。鬱の種を蒔くことに。
偽りの希望は別のことがらだ。意図し偽装された言葉はおうおうにして現実の皮膚を荒らす。

970:2015/03/20(金) 12:17:44
そうか。現実もまた、実在の解釈のひとつにすぎないわけか。
実在はものの内にあり、現実は言葉の内にしかない。

971:2015/03/20(金) 12:31:14
現実は実在の解釈のひとつにすぎず、したがって現実はいくらでもある。
だから常識というのは常に間違っている。
常識をたてにした判断は常に覆われた錯誤に伴う強迫観念への服従となる。
常識と経験と、まったくは別の次元にあることを肝に銘じておかないと。

972N:2015/06/08(月) 21:55:07
ヴェイユの”実在”はアランからきている。

-----------------------------------------------

「存在する世界の、あのざらざらした城壁 に面した時」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「我々は、この壁に直接触れることがない。」
ここで我々と言うのは
”思考している人”、あるいは”思想者”と解することができる。

”存在する世界”は「あらゆる 瞬間 と 状態 での弁証法があって、
 これが、我々(思考する人)をそこから(存在する世界)から引き離すのである。」

------------------------------------------------
                 「ラニョーの思い出」アラン 中村弘訳 p.18

(以上、jane styale 383 テスト投稿を兼ねて)
今回、旧バージョンでの投稿ができなかったので
ブラウザから雑談スレに投稿したが
あの投稿欄では長文のばあい全体が見渡せない。

そろそろ、ここでの独白のむなしさ、あるいは気楽さに、
-まるで空気を叩いているような-虚しさがよぎりはじめた。
同じ虚無なら、最初からそれを覚悟した場所に移動したほうがいいのかもしれない。
あるいは並行して、とか。 

要するにだいぶ弱ってきているということかw

973N:2015/06/08(月) 22:00:16
お、投稿できたな。 別に広告もでてないし。
2ちゃんはずいぶん前から見てないし、これなら従前とかわらんな。

974N:2015/06/27(土) 09:15:55
≪解釈≫には、色も形も味も匂いもない。
  だから人は解釈を嫌う。
  ただ6番目の感覚、内臓感覚と位置感覚は残っている。それが辛うじて人を引き留める。

≪表現≫は光や音や香りや肌触り、味、内臓感覚、位置感覚、
 あらゆる感覚の中から自在に選ぶ。そのようにして存在と言葉の交差点を彩る。

≪思想≫は、解釈の言葉に表現の言葉が入り交じる。表現の言葉が入り交じれば
 そこには必ず『私』が現れる。

975N:2015/06/27(土) 09:28:17
幸福は、生命と生命との直接的な接触のなかで生成される感覚。
だから愛と結びついている。
だからそれは限定されている。
したがって、幸福は排除のなかでしか成り立たない。
ほんのすこしの気がかりや心配に、幸福は傷つけられる。
それを排除しようと勤める。 


孤独な人間に幸福は訪れない。 (ペットの存在意義)
          (食は生命との接触といえるだろうか)
だからといって孤独な人間が必ず不幸であるともいえない。
幸福と不幸は異なるカテゴリーに属するのであってコインの裏表のような対語ではない。

976N:2015/08/17(月) 18:42:34
孤人に訪れるのは、「充足」「満足」とか「平穏」とか、だ。

うまいもの食って「幸せだ〜」
だけどそれは俺にいわせれた「充足」とか「満足」だ。
なにが「幸福」と違うかといえば、持続時間。

一瞬で、あるいはせいぜい数十分、長くても数時間で消えていくのが充足とか満足。
そこが持続性をもつ幸福との違い。
別に個人を訪れる満足を低く見るわけではない。そもそも俺は"弧人"の側だ。

ただ、幸福という概念が他の生命との関係に基づく感情だ、と定立しておくと
いろんなことがすっきりする、というだけ。

977N:2015/08/17(月) 19:14:44
wikiでフランス哲学に深入りしているうちに
とうとうフランス革命の頃まで遡ってしまった。
「観念学」という項目を作ったのは俺(まだ未完成だが)。 
で、この学派はもろにフランス革命と関係している。

「幸福」という概念が、国家と関係づけられたのはまさにこの時で
観念学派はイギリスの経験主義者ジョン・ロックの影響を
仏蘭西で広めたたコンディヤックの弟子たちみたいなもん。 

この時期にまさに「人間」という概念が生まれ、観念学派はそれをフランス革命のさなかに
追求した(wikiではまだそこまで踏み込んでないが)。
こういうことは知っておいて損はない。

観念学派は今のリベラル(ブルジョワ(プチブルジョワ)民主主義)の原基となる啓蒙思想を
議員や行政者としてフランス共和政府のなかに注ぎ込む実践者となった。
だから恐怖政治の時代には多くの関係者が獄中の捕らわれた(コンドルセは自殺した)。
「市民」という概念もこの時に生まれ、国家(共和国政府)として行政における中心的理念となった。
そこで「市民」の中に入らない下層階級、という観念から、ブルジョワ民主主義を批判する社会主義が
この時代に生まれた。
そういったことに関する非常に良い論文がネットで読める。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/handle/10291/16685 
(130ページあるが、上に書いたことは前半だけで十分認識できる)

ま、これは俺の近況報告だ。  

ではまた来月。なにか書く、書かないは別にしてとにかく見には来るぞ、ということで。

978N:2015/08/18(火) 09:14:28
リンク間違い。。
「理性の使用-啓蒙と社交の社会学のために 富永茂樹(2002)」
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/78292

979N:2015/09/23(水) 00:01:58
論文などというものを書く機会を持たなかった俺にとってwikiの執筆は良い経験になっている。
もちろんwikiのレベルは一本の論文を書き上げるしんどさに匹敵はしないだろうが、
少なくとも「博士論文」レベル、というものがいかに大変かという実感くらいはもてるようになった。
正確な過去研究の解釈・理解を最低条件として上で
なんらかの独自解釈-新しい切り込み角度(プラスα)、視点のオリジナリティが必要な博士論文と
wikiごときでは比較するのも失礼なレベル差があるが。

たしかに、独自解釈アウトのwikiでの記事執筆は、ある種のストレスが溜まるが
その独自解釈を本当に自力で展開「しきれるか」ということを想像してみると
文系だろうが理数系だろうが専門分野の博士論文がいかに高いハードルかという
いわばその距離感くらいはもてるようになった。

特に、語学力(外国文献読みとか、和でも過去文書の読解力)の基礎学力が「最低限」必要となるレベル
との距離の遠さはつくづくわかったぞ、と。

ま、wikiでは書けそうなとこだけ書いて
不安な部分は「節スタブ」(加筆・訂正依頼)でも貼って逃げられるからw かなり楽だし
そうでもなければなんのステイタスにも金にもならないwiki執筆なんてやってられないぞ、と。

というわけで、最近書いた記事 「先天盲」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%A4%A9%E7%9B%B2 
さすがに、医学的な部分は「節スタブ」貼ったが、我慢できずに、
ど素人検索で、いくつかの病気については書いた。 
検索過程でわかったことの一部は、大胆にも眼科専門記事にも加筆なんぞしたし、
加筆協力者がでてこなければ続けてど素人の俺が医学的な部分も書くかもしれん。 
それがwikiだ。 
まちがってれば専門家が訂正すればいい。
(もっとも今の日本語wikiのいくつかの分野(特に哲学)には、もう
 それほどのエネルギーがないのかもしれんのだが)

さて、こんなことをここに書いてなんになるんだろうか。

知らん。   

とにかく今月のおつとめを果たしてみただけだ、と。

980N:2015/09/23(水) 00:19:31
現在立頁予定の記事で、初めて、フリーでDLできるイラレCS2を使ってSVGファイルを作った。
というかイラレを使うこと自体初体験だった。 単なる赤い長方形とかだけどなww

で、wikiに画像貼るために仕方なくコモンズにアップロードしてるが
いままで2回くらい削除され、いまも1枚、削除依頼をだされてる。
反論するだけの英語力があれば、削除されなかったかもしれない。
今回の削除依頼はむかついたので、横断翻訳を使って反論してみたw
来月ここになんか書くかもしれないときには結果がでてるだろう。
コモンズではいまんとこ2戦2敗だが。(どっちもアレンジしてオリジナル作品登録で復活させてるけどな)

ところで、「日本の同性愛」という記事を作ることはできるかもしれない。
もちろん完璧な記事にはできないが、それなりの資料はある。いまんとこ作る余裕はないが。
それを思いついたのは、かのベンサムが実は「同性愛擁護」の論文を書きながら
ついにそれを発刊しなかった、という話を図書館で借りた『哲学の歴史6』で読んだからだが。

981N:2015/09/25(金) 00:30:33
訂正、『哲学の歴史 8』(http://www.amazon.co.jp/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E7%AC%AC8%E5%B7%BB-18%E3%83%BC20%E4%B8%96%E7%B4%80-%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E4%BC%8A%E8%97%A4/dp/412403525X
言葉足らずかもしれないので補足しておくと、
ベンサムがなぜこの同性愛擁護の論文を発表できず、かつ死後の著作集にも載せられなかったかというと、
当時のイギリスで「男色」は死刑だったからだ。
19世紀はじめには死刑を言い渡される罪状を減らす運動が起き、実際かなり減らされたが
男色の死刑は残された。19世紀の半ばになって、死刑から終身刑になったが、
イギリスで男色が「犯罪」でなくなったのはやっと1967年になってからだ。(p.349)。

男色に寛容だった日本的感覚を倒立させたのは、
欧州のものまねで近代ナショナリズムを輸入した明治政府以後にすぎない。

982N  無意識は-:2015/10/11(日) 20:58:53
夢について書きに来た。
今朝見た夢だが、夢の通例に漏れず鮮明なのは最後の部分で
その前は茫洋としている。

しかし本当は、夢で重要なのは最後ではなくその前、
そしてその前、さらにその前、遡れば遡るほど夢の本質が露わになる、
夢はそういうものだ。
目覚めて5分くらいまでに遡る意図的な努力をしないと夢の本質は逃げてしまう。
今朝は捕らえ損なってしまったのだが、それでも、
想い出せる範囲のことを考えているうち、ある発見をした。自分にとっては重大な発見を。

だからこの夢について書く。

983N  -意識より-:2015/10/11(日) 21:25:49
とにかくなぜそうなったのか、もう、想い出せない。
ほぼ最後の部分だけしか想い出せない。だからこの夢についての本質はわからない。

その夢では、俺は主役ではなく、透明な傍観者として存在していた。
主役は、透明な俺の横を走っている顔のはっきりしない男だ。
ヤツは走っている。
なぜか(そこが想い出せないのだが)、
観光に来た外国人のグループのひとりひとりと競うことになってしまっている。

町でランニングをしていたヤツは、外国人男性グループを追い抜き
その中のひとりと100m競争のようなことになり勝った。すると
次の外国人男性は200m競争を挑んできて、ヤツはまた勝つ。

そして次の外国人男性とは長距離競争のようになっているのだが
今度は何メートル競争なのかわからないまま、とにかく
ヤツは外国人男性にどんどん差をつけていき、
川沿いの堤防に飛び乗ってから、後からまだ外国人男性が追いかけてくることを感じ取り
いったいどのくらいの距離を走ればお前(外国人男性)は納得するのか、負けを認めるのか
を問いかけるために堤防の上で立ち止まる。
堤防に上がってきた外国人男性は42.195kmを主張して譲らない。
絶対ヤツに勝てないのは明らかだから1500mで十分じゃないかと、透明な俺は思うだが、
その外国人男性は頑固に42キロを主張し続ける。


さて、実はここで夢が覚めて、考え始めたのか夢の中で考え始めたのかどうもはっきりしない。
ただその外国人男性の頑固さにいらだち、なんとかできないのかと考えていた。

そしてあることに気づいた。

984N  -賢い。:2015/10/11(日) 21:38:40
町中で42キロ走ろうとしたって、信号があるから
どれほど走る男が差をつけたって立ち止まらざるを得なくなる。
整備されたマラソン大会じゃあるまし、日常の町中で42キロ競争したって
決着つかないじゃないか。

そこで俺しばらく考えているうち
走る男がなぜ堤防に飛び乗ったのか? その意図に気づいた。
堤防沿いに走り続けるのなら、信号はない。
走る男はだから、堤防に飛び乗ったのだ。

さあ、ここで問題だ。
その走る男とは誰だ。俺の夢だから、当然、その走る男の思考は俺の思考でもあるはずだ。
しかし俺自身の意識には、堤防を走れば信号に当たらない、という情報は、事前にはない。
そのことについて考えているうちに走る男の意図に思い当たった。

さて、発見の話だ。
透明な傍観者である俺は、俺の意識に違いない。
とすれば、俺の意識ではすぐには気づけなかった意図を秘めて
スムースな夢の流れで堤防に飛び乗った男は、俺の無意識だ。

つまり無意識は、意識よりよく考えているのだ。
無意識は意識より賢いのだ。 
これがこの夢について考えた俺の発見だ。

「無意識は意識よりはるかに賢い」

985N  wiki:2015/10/11(日) 22:09:21
この一ヵ月、ほとんど一本の記事(>>980)にかかり切りでまだ立頁できてない。
もう8万バイトを越えた。初めての大作だ。文章のほうは昨日であらかた終わった。
推敲するのがめんどくさい。。 

それよりはじめて動画GIFに挑戦してる(きわめて単純に手を伸ばすというだけのGIFだ)が
けっこうむずかしい。 うごきがやけにぎくしゃくするw 
なかなかupするまでにいたらない。 

あと、ウィキコモンズにあげた画像でもめてる>>980の件はまだ決着がつかず
宙ぶらりんだ。 語学の壁は厚い。
外国留学したインテリが突然愛国者になって帰国する、ってのもすこしだけ分かった気になった。
日本にも外国にもクソはいるんだが、外国のクソに言葉で反論が十分できないぶん
外国文化への反発と反動が形成されてしまうというメカニズムじゃないか、と勘ぐってみる。 

あ、誰か推敲してくれねえか。(ま、まったく期待してないがw)
下書き本日分
「先天盲からの回復」(下書き)
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Kusamura_N/sandbox&amp;oldid=57140213

986N  wiki:2015/10/19(月) 10:22:25
先天盲からの回復 は正式に記事にした。
レイアウトなどを変更する編集を受けてるがまぁそれは仕方ない。

コモンズでは俺の主張が通って、削除依頼は無効となった。

wikiにも色んなヤツがいる。 
いまのところ長期にわたってまともな記事を書き続けてるヤツは見かけてない。
自分の書ける記事を書き終われば去るか、テンプレなどの見張り番・添削屋になって残るか
そのどちらかのようだ。 俺もいずれ去る。 未完記事が多いのでまだもうしばらく続けるが。


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