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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

1extright:2004/06/28(月) 00:40
★★★ 必 読 「この掲示板利用にあたって/管理人」 ★★★
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2470&KEY=1040148566

ここは雑談スレでは敬遠されがちな 長文、連投 OKスレになりました。
何処かのスレで気になった一文について詳しく聞いてみたい時、ひとこと申し述べたい時、
更に議論に発展しそうな話題にと、幅広くご活用ください。

[ご注意]
 ・古参者にとっては、新ネタ旧ネタ繰り返しが延々となされる様に感じるでしょうが、
  そこにこそ新たな発見もあるかもしれないという、柔軟な考え方で進みましょう。
  うっかりさんが現れても叩きはやめましょう。
  何故そういう考え方に至ったのかを聞き、理解しあう事が大切です。
  言葉とは何のためにあるのか、今一度ロイのスタンスを学びましょう。

※ご利用前に
 ・一度は全てのスレに目を通し、これまでの雰囲気を掴んでおきましょう。
※コテハン推奨
 ・これは議論へと発展した場合にどれが誰のレスなのかを判別し、混乱を防ぐ為です。
 ・また、板の「検索機能」によって過去の意見を参照する際にも便利です。

2extright:2004/06/28(月) 00:41
▽ 誹謗・中傷禁止&荒らしはスルー
   場外乱闘、人格攻撃は相手ではなく己の品位を傷つける自傷行為です。
   感情・私怨はゴミの日に、各市町村のルールに従ってお出しください。
▽ マターリ推奨&良識のある内容推奨
   他人を傷つけないように&自分が傷つかないように。時には「離れる勇気」も必要です。
▽ 個人の語り、人生相談、日記代わりの利用禁止
  (自己完結噴き出しは http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2470/1086627931/
▽ 閲覧者を選ぶS★M関係は
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2470/1070444099/
▽ 専科的視点の紹介はかまいませんが、学説バトルは板違いです。
   ※専科についての留意点
   特定の専門書等の転載は、著作問題等を考慮して禁止とします。
   紹介する際は、内容をまんま垂れ流すのではなく、サイトの内容に沿って、
   あくまでも自分の言葉や意見に直して書くようにしましょう。お題にする場合も同様です。
   学会論文・出典等の詳細を求められた場合は、出典名・著者名のみにとどめて下さい。
   また、他のサイトをリンクして紹介する場合のルールは上記「この掲示板利用にあたって」を参照。

3extright:2004/06/28(月) 00:42
以下、議論に関してあちらこちらで散々既出な基本事項

++書き込む前に考えてみよう++
ここはインターネットです。相手の言葉もあなたの言葉もいろいろな人が大勢見ています。
目の前の「文字」だけではなく、その文字を書いた人そして多数の閲覧者の存在を考えましょう。
文章の内容は勿論、書く側の振る舞いも注目されています。

++反論された時、話が通じていないと感じた時++
まずは離れる勇気を発動し、お茶とお菓子でくつろいでみましょう。
そして今一度初心に立ち返ってみましょう。
誰に対して何を言いたかったのか、本来の目的は果たせたか、その上で
どういう立場の人に、どの点を、なぜ理解して貰えなかったのか
を考え反論なり補足なりしてみましょう。
無理に答える、理解する、させる必要もありません。
自分の意識の中にないものは説明のしようも答えようもないもので、理解する側も同様です。
どれが良いとか悪いとか、ではなく肌に合うか合わないか という問題でもあります。

++無意味の意義++
こういった場での議論は常に「玉石混合」であり、それが醍醐味でもあります。
どれが玉で、何を石と思うか
受け止め方を選ぶのは周囲ではなく、各人の自由意思です。

4extright:2004/06/29(火) 00:50
お疲れさん( ゚∀゚)ノシ

5工口イ@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/06/30(水) 06:42
>>4 ありがとさん ヽ(`∀´)ノ

第1回 チキチキ 長文投下大会 パフパフ&hearts;ドンド〜ン

…つまらないモノですが、まあ、最初と言う事でカンニンしてやってください。

6工口イ@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/06/30(水) 06:44
数ヶ月前、仕事中にカッターで指を切った。
出血大サービス!「ブシャァァァァァァァッ!!!」て擬音が聞こえた…
絆創膏3重貼りにしても空気穴からぼたぼた滴るんですよ。
あんまり凄いから、横にいた女の子に記念撮影を頼んだんだが真っ青な顔で逃げられました。
本人は純粋なお子様ハーツで「すげぇや!」と思っていたりするのだが。

見ている側は「自分」の傷ではないから想像するしかなく、
想像しすぎて怖くなったり、その逆の場合もあり。
例え血が止まっていようが、完治した過去であろうが、
傷跡の「今」ではなく、傷を負った瞬間感じただろう痛みへ想像を働かせてしまうもんだ。
本人は平気だと笑おうが、見ている側にはその言葉すら痛々しい。

7工口イ@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/06/30(水) 06:46
書き込みを見て無神経だと感じる時「誰に対して」無神経だと思うか?
その書き込みを見て傷つくであろう人とは、一体誰か?
腫れ物扱いで危惧される言葉の全てから隔離してしまえば済むほど単純な話ではない。

結局は、 誰かが傷つく姿を目の当たりにしてショックを受けたくない 
というのが何割か本音に含まれていたりする。

皮肉な事に、意図的に用意された言葉よりも、何気ない一言が胸を刺す事のほうが多い。
全体的な文脈を見れば、それが攻撃を目的として書かれたものか否かはわかるはずだ。
それでも文中の単語に、一節に傷ついてしまうのなら、書く側としては
「見ないでください」としか言えない。
しかしそれを免罪符に、傷つく側が弱いと切り捨て、何を書いてもいいという事にはならない。

読み手に強くなれと言うなら、書く側にも同じ事が言える。
意図せぬところに刃をたてているという自覚、
誰かが傷ついてしまったとしても、その重みを背負って進むだけの覚悟を身に着けるしかない。

強くなれと言う言葉は「傷ついた人」ではなく、対峙する側にこそ向けられている。

8きねんぱぴこんぬら </b><font color=#FF0000>(iH1f4Rg.)</font><b>:2004/06/30(水) 23:48
辛い事でも自分の事なら自分の意識で踏ん張ったり泣いたり出来て
楽になったり追い込んだりも出来るんだけど
自分じゃないとその分、神経質になってしまうよね。
傷つけるんじゃないか、負担になるんじゃないかと思える
自分基準では無神経な事や図々しい事を言っている人が逆鱗に触れてしまう。
実際に当人がそれで傷付くか、怒るかという事は置いてけ堀気味になっちゃう。

無神経かもしれない事への隔離的思想は
善悪で分けるならきっと善の方の気持ちなんだろうけど、
だからって絶対じゃないし、正しくもないかもしれない

そしてろいは読み手が心配になったりするより遥かにつよい。丈夫だ。
嫌な時には嫌だと言う丈夫さも有るし、extrightがろいでも無い癖に
無神経だ何だと判断して余計な気を回し過ぎるのはあまりいくないかな

>>1
もつ華麗、「脱いであげるから脱げ」って言われたら脱ぎそうな人よ。

9工口イ@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/07/09(金) 02:40
>>8 女の感ってやつですかい?姐さんにゃぁ敵いませんや。
管理人の目が届かない今のうちに脱ごうかと真剣に3秒ほど悩んだが、
あばらの浮いたこの体では貧乳大好きの某大将くらいしか喜んでくれんわ・・・

そういや、以前姐さんは雑談7の909で
>ロイ氏が平気だと言えば、何を書いてもOKなのか
と言うような事を書かれておいででしたが、熱烈に同意。
まぁ、ロイ氏ありきの場所であるし、管理負担をかけぬよう気遣うのは当然ではあるが。

このスレにおける気遣いとは、全てロイ氏のみへ向けられたものなのか?

ネットでは、ついつい書き手と自分しかいないような感覚になってしまいがちだ。
自分と同じようにモニタを眺める閲覧者は、世界中に何万人いるかわからないのにな。

自戒を込めて
目の前の文字よりも、そこに書かれていない思いにこそ目を向ける余裕を持ちたい。

10工口イ@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/07/09(金) 02:41
さて、みなさん。
自分が大切な人が困っておれば、手を差し伸べたいと思うのが常でしょう。
愚痴を含む話を聞いて、それで少しでも気が晴れるならいいのだが
そういう段階を突き抜けてしまっている場合はお手上げですよ。

本当に本当に本当に(以下割愛)窮地に立たされている人へ「私に何か出来ますか」と訪ねれば
「そっとしておいて欲しい」と返ってきたりする・・・

これは遠慮ではない。単純に、言葉にならない、説明できないという問題でもない。
 誰にも触れられたくない という段階にきているのだろう。
言われたこちらとしては、一生懸命そっとしておいて「あげる」しかない。


このスレで一種のNGワードと化している「祈る」「してあげる」
病気や戦争その他、あらゆる不幸がこの世から消えて欲しいと世界中の人が祈っているのになくならないのは何故だ?
祈るだけで全てが好転するならいくらでも寝食忘れて祈ってやる。
だが、それだけではどうにもならないので苛ついてしまう。
なのに祈れと言ってくる街角の怪しげな連中には殺意すら覚える事がある。
等と言いつつ、他に何も出来ることがないから、つい祈ってしまうんだな。
祈るだけ。あくまでも祈るだけ。


特に伏せる意味もないのであえて書くが、
大将に対しても、俺は同種の苛つきを覚えることがあるよ。
祈ることも、見守ることすら重荷だと言う相手に黙って距離を置いて「あげる」しかできない俺としては
はっきりと「なんとかして上げられる」という思いを持てるのが妬ましくもある。

何も行動しないと言うことは安全であるが、そこから1mmの進歩もないということだ。

たとえ、1%でも可能性があるのなら、99%のリスクを背負って行動すべきなんだろう。
俺が傷つく分には上等!それで相手が救えるならヨッシャコーイなんだが
相手にも更なる深手を負わせるリスクがあるなら、俺は現状維持を選ぶ。

11工口イ@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/07/09(金) 04:22
あれだな。貧乏人も金持ちもそれぞれまた違った悩みがあるわけだが。
いくら辛さを力説されようと、やはり貧乏人から見れば金持ち特有の贅沢な悩みにしか聞こえんわ。
金持ちにすれば貧乏人への後ろめたさと周囲の無理解で、更に辛さに拍車を掛けられているわけだが。

本スレ568
感情か。過ぎたるは及ばざるが如し でありすぎてもなさ過ぎても大変だな。
感情的過ぎる事の害は言うまでもないが、なさ過ぎるとあれなんだよ。

他人の想いが  わ か ら な い
こちらの想いを 察 し て も ら え な い

匙加減、難しいもんだな。

感情は愛と同じ、持つ=手に入れる ものではなく 生まれるもの ではないかと思う。
経験がないのにこういう例えもアレだが、妊娠出産に似ている。
体調、精神状態の変化、まるで つわり のようだ。
その時が来てご出産ともなれば、七転八倒の苦しみに襲われたり、
かと思えば拍子抜けするほど安産かもしれない。
出来がよければ嬉しくて、そうでなくても、それはそれでいいようなw

あれは嫌だ、これも嫌だがそれは欲しい
生まれてくる感情の種類や質を、選ぶ事が出来たらどんなに楽だろう。

12extright:2004/07/09(金) 06:15
何も出来ない。掛ける言葉がない。
ただ息を殺して、でもここに誰もいないわけじゃないという気配だけを知らせたい。
多分、この板に辿りついてしまった人々に共通する思いなんだろうね。
だから、その静寂を破ろうとする人を排除したくなるんだな。
なんとなく、時折出てくる妙に攻撃的な風に納得した。
もちろん工口イさんがそうだと言っているわけでなく。

13extright:2004/07/09(金) 06:54
ただ、せっかくここに人がいるのなら
それぞれ水飲み場を作ることは出来るよ。
連れてくることも、飲ませることも、出来ないし、したくないけど
意外と、それは誰も飲まないだろうという毒々しい色の水を
ごくごく飲む姿が見られたりしたら面白い。

14工口イ@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/07/17(土) 03:30
おかわいそうに 不憫だ そんな目で見ている相手は実はもうそこにはいない。
星と同じで地上から見えているのは何百年も前の姿だったりしてな。

過去を嘆く暇があったら一歩でも前に進みたいと、進もうとしている人の足を引き
いつまでも「かわいそうな人」の位置に押し留める方がお気の毒ってもんだ。
お前、ただ気の毒な人になにかしてあげる自分に酔いたいだけちゃうんかと。

気がつけばいい歳になり、先輩と呼ばれる立場になってしまった。
若い者の愚痴を聞き相談に乗る時、一番に距離を置けと説教するのだが。

クールを装うその裏で丸めた掛け布団を抱かかえ「それでも俺は何かしたいんじゃぁ!」
と、この期に及んでまだ諦めないその往生際の悪さはたまらなく格好悪くてカコイイ。
若いって眩しいな。

15工口イ@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/07/17(土) 03:35
>>12
静寂を破る人、攻撃的な人双方へ吹く風を、熱いねぇ( ´_ゝ`)プッ と眺めつつ、
実は俺の腹の底にも同じ風が吹いていたりいたします。

「誰もいなくて頼る事が出来ない」と「頼れるがあえて頼らない」では違う。
自分は前者ではなく後者だ〜と、相手が感じてくれたら嬉しいやね。

>>13
誰が誰のために用意した水飲み場かはわからんが、俺は随分とゴチになりました。
いや、本当に。

・・・もしかして横取りしてるか?

16井戸端の名無しさん:2004/07/17(土) 15:29
自分、昔、顔にかなり大きな傷があったのよ。
通りすがりに顔色変えられたり、いろいろあったのは確かなんだけど。
でも友達になってくれる人はみんな優しいから、誰もその傷どうしたの?とは聞かないでいてくれるのね。
傷があるのに、そんなことは関係ないよって、何も言わずに態度で示してくれるの。
それは凄く有り難かったんだけど、で、その傷どうしたの?とか興味本位で聞かれたら
これもまた腹が立つんだけど。
でも、そうやって黙っていてくれるたびに、
誰かが無邪気に聞いたときに、
目で制したり、そんなこと聞くなよって庇ってくれるたびに
あぁ自分の顔には傷があるんだなと思い知らされていた。
傷が目立たなくなって、その傷どうしたの?と平気で聞かれたときには嬉しかったな。

17E@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/07/20(火) 02:15
他人の傷は、なんだかとてもセクスィ〜だ。
「傷がない」事がコンプレックスだった俺は、他人の傷を見ると好奇心その他、
助平心がざわめいて、(*゚∀゚)=3ハァハァ言いながら突進していったものです。

若気の至りというにはあまりにもイタタで、腹を切っても詫びきれない。


気にするな、個性だなど声をかけてもそれは他人だから言える放言でしかない。
それでも、だけど言わずにいられない。

お前がどう思っていようと、どれほど忌み嫌っていようと、
僅かでもその傷が人格形成に関わっているのなら、
俺にとっては愛すべきお前を造った大切な要素のひとつだ。

とか、そういうような意味のことが言いたいのですが、実際言いたい相手がいるのですが。
・・・言えねぇ。

18井戸端の名無しさん:2004/07/28(水) 11:36
なんか指摘厨とか解説厨多いね。
自分か書いたのでもないレスの解説にしゃしゃりでるのもどうかだけど
間違った指摘を指摘されかえして逆キレてのももうね。
普通にあ?そうだったのか!しらなかったよとか返せば終わりなのに見てて痛いわ。

19E@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/07/30(金) 03:09
肩紐が 見えてますよと注意して 返り来るのは零度の視線

黙ってたら黙ってたで、ずっと見てたのね!酷い!と言われるわけだが。
ったく、女ってやつは

            
                          かわいいな(´Д`*)

20E@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/07/30(金) 03:32
ここに限らずネットの場合、完璧に伝えたいと思う人が多い気がする。
言葉が誤解されたまま、独り歩きを始める という事とは別に。

現実世界の親しい間柄でも、多少の誤解が生じる事はままあるのだが、
それを完璧に訂正したいかと問われれば、自分が伝えたい事の主軸さえ
理解されていれば、多少のニュアンスの違いは大目に見るしかない。
どう受け止めるかも含めて相手の人格、個性だからね。
良い・悪い ではなく、話が合わない のは、仕方がない。

しかし・・・
他所の掲示板だが、俺が剥げる思いで親切丁寧に解説したにもかかわらず
「意味わかんないですぅ☆ミ」(原文ママ 相手は30代の文筆家)
とレスがついた日にはもうね、ただモニタ前でへたり込んでしもうたわ。
そら、わからん ではなく、理解する気がないんだろうと小一時間。
周囲が理解してくれていたのがせめてもの救い。愚痴失礼。

21井戸端の名無しさん:2004/07/30(金) 09:35
雑談スレ>630

何故ここにいる?
と問われたら、おもしろいから。と答えるしかないんだけど。

この板を知ったことによって
私にも知りたいことが出て来た。
その答えは、ロイの中にあるのか、名無しさんの中にあるのか
それともそれらを見た私の中にあるのかわからない。
でも凄く知りたい。
だからあちこちの方角からつついて様子を見ている最中。
持続力がないので中断しがちだけど。
説明するの面倒なんだもん。
けれどそのことによって、ロイではなく、この板の住人を傷つけることは
私の本意ではない。
ロイの頑丈さにはある種の信頼を置いているし、私はそれを恐れてもいるから心配はしない。
むしろ心配なのは、どこまで耐性があるとも知れない無数の人々のほうだ。

詳しいことは私も今非常にアタマが忙しい時期なので保留中
誤解をされたくないから、余裕が出来るまで完璧に沈黙するというロイの自制心を
見習いたいものです。
今後私はこちらに出没ということで。
コテハンは<BR>とでも。

22E@869 </b><font color=#FF0000>(a8FZTU9E)</font><b>:2004/07/31(土) 05:26
本スレ620が気になる今日この頃ではありますが

>>21 <BR>嬢
自制しようとするあなたの美脚にタックルかまして引きずり戻したのは俺だ。
お答えありがとう。

>むしろ心配なのは、どこまで耐性があるとも知れない無数の人々のほうだ。

ここに限らず、人間生きていれば嫌でも傷つき傷つける事はある。
強い弱いの問題ではなく、多くの人は傷が開いても読みたい、読むぞ!と
 覚 悟 していると思う。
というか、注意書きを読んでいれば覚悟は出来ている筈。
それを無視して読み、耐えられないと言われても「シランガナ」としか返せない。
それこそ自己責任、己の中で解決するしかない話で周囲には何も出来ません。


上手く運営されている掲示板は、たいがい父性の管理人 母性の閲覧者 なんだな。
何があっても動じない管理者と、事が起こらぬよう気遣う閲覧者。
どちらかが行き過ぎれば簡単に墓場化してしまうわけだが。
世の中は上手く出来ている。・・・偏見だけどね。

23<BR> </b><font color=#FF0000>(rOa3OR/s)</font><b>:2004/07/31(土) 06:22
何回か繰り返し書いて気がついた。
私が本当に恐れているのは、誰かを傷つけることではなく
傷ついた(?)人が、「そんなことを言って(ロイに)悪いとは思わないの?」
とロイを口実に意見してくることだ。
それは私にはある種のレッテル貼りのように見える。
「ロイをいじめる悪い人」みたいな。
たとえばそれがその人個人の怒りなりなんなり感情が見えるものであれば
対処の方法はいくらでもあるのに
私にはわからないことを錦の御旗のように掲げられると
話があわない(>20)以前の段階で萎えるしかなくなる。
もしくは、奇妙な、それこそ「厨」だ「ビョーキ」だとわかりやすいレッテル貼られて
そこで話を一方的に終了されちゃうとかね。
そういう自分とは違う誰かを簡単にレッテルを貼って、分類することの
その基となる感情はどういうものであるのか?
怒りだというなら、その怒りは何に発するものであるのか?
私にとってはそれもまた知りたいことのひとつだ。

ま、どれだけ取り繕っても、私は攻撃されることに臆病過敏になっていて
私の腹はまだ据わってないということだ。
私の心配は母性にはほど遠い自己保身でしかないよ。
ほんとにお恥ずかしい。

24井戸端の名無しさん:2004/08/18(水) 20:02
受け容れる。把握する。認める。
どの言葉を当てはめればよいのかわからないけれど。
それがひとつ出来るようになるたび、ひとつ安寧を得るものなのね。
よかったね。
いや、なんとなく。ほっとした。

25井戸端の名無しさん:2004/09/13(月) 01:09
おいおい!軽度の精神疾患を抱える人間はオタクになりやすいのか!!
うーむ…うーむ…軽度の度合いが分からない…精神疾患の種類も分からない…
オタクの定義も分からない…つーかオタクが先進国の繁栄の礎になっているっちゅー
考え方は間違えてたのか…分からない…エロい人解説してくれ…orz

26井戸端の名無しさん:2004/09/13(月) 17:02
>>25
あの人の言う「軽度の精神疾患」を、疾患と考えない人も多いと思うよー。
個人的には、それは疾患というより
「精神疾患と正常の境界」だと思ってるけど。

個人的には、一理あるなと思った。
「軽度の精神疾患を抱える人間はオタクになりやすい」て。
私が付き合いのあるオタクさん達には
実際そういった病気を患った事のある人が多いから。
あと一歩でなりそうだなって雰囲気の人も多いね。

オタクが先進国の繁栄の礎…は、先進国ってのが出来上がってから
であれば間違いないんじゃない? まぁオタクの定義にもよるけど。
でも、先進国ほど精神疾患発生率が高いっていうのも事実だからね。
途上国は表に出ないってだけかもわかんないけど。

でも、日々を生きることに必死な人より
生きることが容易で物理的に色々考え込む余裕のある人達のほうが
心の病にかかりやすい気がするんだよね。
つーか誰しも心の病になる種は持ってるはずで、
それが「病」ってほうに傾きやすいのは後者…な気がする。

27井戸端の名無しさん:2004/09/16(木) 19:26
なんでも疾患疾患っていうなよ。なんだかむかつく。
老人じゃ有るまいし、病気の側から人間みてどうするんだよ


…と煽って見た。

28井戸端の名無しさん:2004/09/16(木) 22:27
老人だけが病気になるのかよ。なんだかむかつく。
風邪だって疾患は疾患だろ。程度問題だってしつこく書いてあったじゃんか。
脳の病気だけが特別じゃないんだよ。


…と煽り返して見た。

29井戸端の名無しさん:2004/09/16(木) 23:07
>>25
精神疾患の種類いろいろ書いてあるサイトがあった。
誤字が多いけど分かりやすく書いてあると思う。

ttp://kokoro8341.hp.infoseek.co.jp/syouzyosenntakusi.htm

30井戸端の名無しさん:2004/09/17(金) 00:48
>28
君が「老人だけ」「特別」に思ってるようでそのように書かれてはおらんな。

31井戸端の名無しさん:2004/09/17(金) 01:52
>>27
しかし、それも人間を見る方法のひとつだべ?

32井戸端の名無しさん:2004/09/17(金) 03:15
>>31
そらそうなんだけどもー、
orz になるほどなら多少、前のめりになり過ぎてるかと思うね。

>>25君よ、冷静にわが身を振り返るぐらいでないと
その手の知識情報は危険だ。
もし病気の不安があって分析がしたいならそれは専門家に任せ、
論議は趣味のひとにやらせておきなさい。

でも、君が現在の生活に支障が無く、周りの人が君の行動に迷惑と
言わないのなら何も悩む必要は無いんだよ。

…とついでにここまでいらん世話を焼いてみた。

3332:2004/09/17(金) 03:17
ああ、ごめん 専門家=医者 ね。

34井戸端の名無しさん:2004/09/18(土) 00:09
要は病気とか疾患っつーものをどう捉えるかってことだな。
人によって感じ方が違うってこった。

35井戸端の名無しさん:2004/09/21(火) 07:39
ここ最近のロイの文章は
読んでいても奥歯が痛くならないからとても楽。
それは私の受け止め方が変わったのか
ロイの文の書き方が変わったのか
それともロイ自身が変わったのかは
よくわからないけど

36井戸端の名無しさん:2004/10/08(金) 22:34
安らぎというものを探しているのかもしれない。
ゆっくりと、ただゆっくりと歩いてみる。
霧が深い。どちらに行けばいいのかとまどう。
そして立ち止まる。
足の裏で、ほんの少しづつ崩れていく砂を感じている。

37井戸端の名無しさん:2004/10/12(火) 04:00
こちらのスレッドで合っているのかどうか分かりませんが質問させて下さい
最近2ちゃんねるにありましたスレを経てここへ辿り着いたのですが、
過去ログ倉庫に収納されているスレのログをかちゅに入れる事は出来ないのでしょうか?

38井戸端の名無しさん:2004/10/12(火) 15:40
台風、大丈夫だった?

39井戸端の名無しさん:2004/10/13(水) 03:35
>37
場違い。2ちゃん逝け。

40井戸端の名無しさん:2004/10/13(水) 14:12
かちゅの仕様をここで聞くなよ。
かちゅスレいって来い。

41井戸端の名無しさん:2004/10/13(水) 20:11
飴と鞭なので私が親切をしておこう。あー、いい役だ。うほほ。

>>37
この辺が質問にいいかも。
ttp://school4.2ch.net/test/read.cgi/qa/1090631849/l100
あとはしたらばのサポートとか。

でも怒ったり叱ったりの方がエネルギーがいるんだ。
だから前二人をあんまし悪く取っちゃだめだぜ >>37

42井戸端の名無しさん:2004/10/13(水) 21:46

一気になごんだ〜
おまいいいやしだ〜、あーん・・・飴、わたしにも。

43井戸端の名無しさん:2004/10/14(木) 04:09
>39−40
37です
スレ汚ししてしまって申し訳ありません…
お二人の仰る通り相応しい場所で聞くべきでした
>41さんのレスにあるスレを見て勉強してきます
ありがとうございます

44井戸端の名無しさん:2004/10/28(木) 18:46
浮気が発覚したとき。
男性は自分の恋人を責めることが多いそうだが
女の場合は、自分の恋人ではなく、浮気相手を自分の敵として憎むことのほうが多いような気がする。
そして、その時に一度「敵」として認定してしまうと、その認定を解除するのが難しいのも
女のほうのような気がする。
女性の、自分が愛する者から「敵」を遠ざけたいと思う心が
「穢らわしい」と言わせるんだろうなぁと、考えていたことがある。

45井戸端の名無しさん:2004/11/10(水) 22:28
男を責めたら「そんな使えない道具を選んだ自分の目が曇ってた」ことを認めざるを得ないじゃん?
女を責めれば「アタシの道具を盗んだドロボウ猫が悪いのよ、キーッ!」ってことにできるじゃん。
女にとっては、恋人なんてナルシズムを満足させるための道具でしかないことが多いんだと思うよ。

46井戸端の名無しさん:2004/11/11(木) 19:28
ここはまるで浄土真宗のようですね

47井戸端の名無しさん:2004/11/14(日) 01:06
…orz

性差より個人差じゃないのかなー
オイラは何事でもとりあえず自分の中から原因を探り始めるかなー

48井戸端の名無しさん:2004/11/14(日) 11:29
>>46
たしかにロイの姿勢は修行僧のようではあるな

49井戸端の名無しさん:2004/11/18(木) 23:34
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1069112484/ へのレス
「静」の世界は哀しみもなく怒りも無い。
いつか辿り着けるように祈ってるよ。

50井戸端の名無しさん:2004/11/20(土) 08:19
「常識」とか「普通」とかいうものは
その場所、その時代、状況によっていくらでも変わるものだ。
過去の自分にとっては、それしかないと選択したものであっても
現在の目から見れば、それは非難されても仕方がないことはいくらでもある。
過去の自分がしたことを悔やんではいないけれど
全部を説明できる状況ではない中で、
ただ為したことを現在の常識の中で判断されるのは辛いことも多いね
良く取られても、悪く取られても
どちらにしてもそれは自分の実感とはかけはなれたところを判断されてるような気になってくる。
そういうもどかしさというか苛立たしさとか
感じることはない?>ロイ

51ロイ </b><font color=#FF0000>(9v3HJTJU)</font><b>:2004/11/29(月) 02:49
>>50
ある。

52井戸端の名無しさん:2004/12/01(水) 02:44
>ロイさん
ひさしぶりに書き込み。
まだこの場所で世界と対話を続けてるね。安心するな。
やっぱり世界を広げることは楽しい。
だからわたしも、また読みに来たよ。
あなたになんかいいことがありますようにって、いつも祈ってる。

53花の子ルンルン:2004/12/09(木) 15:42


   @@@@@@@@   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   (゜д゜@ < あらやだ! お祭りに遅れるわよ!
   ┳⊂ )   \____________
  [[[[|凵ノ⊃
   ◎U□◎ =3 キコキコキコ

54頭脳戦隊ヒマナンジャー:2004/12/12(日) 21:14
ロイの「切り替わり」は私には「抜けていった」感覚だな。
私には逃げられない絶望がある。カウンセリングの先生の前で泣いて感情が空っぽになるほどの激情にかられて泣いた。楽になりたかった。
話は前後したりぐるぐるしてた。ふっと抜けた感覚があって、憑き物が落ちたみたいに冷静になってた。
泣きつかれた自分を客観的に眺めてる自分がいて、状況はなにも変わらないのに、何の言葉ももらってないのに、抜けたんだな。
もうどうしようもなくツライ時用のバグなんかなぁ?と後で思ったよ。
自分の想いは家族でも完全には伝わらないね。
察してもらう、想像してもらえるけど。
人は見たいようにしか見ないもの。微妙にずれた自分像を他人の中に見つけるのは歯がゆい、訂正したくなる。でもいくら軌道修正しても焦点は合わないんだよな。
だったらそれでいいか。そんなの求めるのは無理なんだと考えてる。見たいように見ればいいさ。
私は仮面をつけるようになってったよ。
まじめな人、冗談ばかり言って楽しい人、いろいろとね。
そして空っぽな自分を感じている。それを人事のように感じながらね。
ロイの書き込み見てなんとなく頭に浮かんだこと、長文ですいません。

55師走っぽい名無しさん:2004/12/17(金) 13:47
おめでたいのでアゲ

56師走っぽい名無しさん:2004/12/17(金) 14:12
おじゃましましたアゲ

57:2004/12/25(土) 21:46
「価値観の押し付け」。一番ロイが嫌いなそれを、
「ロイを気遣うあまり」してしまう人もいる。
でも、ロイへの思いやりからしてるわけで。
それを見ると、人間関係って本当に難しいと思う。
とりわけ、わたしのように何も考えていない人間にとっては。

58日本一大騒ぎな名無しさん:2004/12/25(土) 23:59
そうそう!別に悪気はぜんぜんないと思う!
うちの町内会のおばちゃんでさぁ〜
ゴミ出しの時間チェックとか分別チェックに情熱を
注いでる熱いゴミだしGメンがいるんだけど・・・
それと似たような感覚なんじゃない?
スレの分別みたいな・・・W
ここの住人は几帳面な人が多いのさきっと!

59日本一大騒ぎな名無しさん:2004/12/26(日) 21:41
鳥ちゃんもイイ大人なんだから
『何も考えてない』とか言わないでよ
あなたは賢い人だ
でもホント人間関係って難しいな〜
私はいつも損ばかりするよ・・・
それでも自分を変えようとは思わない
百回嘘をつくよりは百回騙された方がましだと私は思う
いつまでも優しい馬鹿でいたいと思う

60:2004/12/27(月) 04:28
鳥は馬鹿だよ。
自分に悪意がないから、悪意がある人の回避方法がわからん・・・。
あと、無神経だから人を怒らせる。
気をつけてるんだけどね・・・。

61日本一大騒ぎな名無しさん:2004/12/27(月) 16:49
馬鹿とか賢いとか無神経って自分できめるもんかな?
鳥ちゃんのことそんな風に思ってない人沢山いるはず!
細かい事にはきにするなって!ほほほ〜!

悪意がある人の回避方法って難し〜!
たまに初対面なのに攻撃オーラ出してきて無視など・・・
おぅ・・・私が貴方に何かしましたか?って聞きたくなる場合がある・・・
存在自体にムカつかれてるのかとしか思えん・・・

62日本一大騒ぎな名無しさん:2004/12/28(火) 23:07
>>60
否定してもらいたいから、そう書いてるわけ?
無神経ってトコは合ってるみたいだね。

63:2004/12/29(水) 23:07
優しい方々、ありがとう。別に否定してもらわなくても
自分がおばかなのはようわかってるからだいじょぶ。

>62
そういうこというと、気持ちよい?

64日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/02(日) 01:06
気にするなって♪鳥ちゃん!
あけましておめでとうさん!
あらためてここの文頭を読んだらハイパーは
コテ推奨だったのね・・・おいらもコテ考えようかな〜
根性悪の人と分別しやすくなりそうだし♪

65日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/02(日) 14:32
でもさぁ、自分のことを馬鹿とか言わない方がいいと思うな。

66日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/02(日) 18:03
うん、それは同意。ある程度の年齢になったら、
過度に自分を卑下する態度は取らないほうがいいように思う。
なんつーかね、いろいろ気持ちの上ではそう言いたくねるだけの事情はあるんだろうが、
責任逃れに見えるときもあんのよ。あらかじめ「馬鹿です」といっておくことで、
逃げてるようにね。若いうちはよくても年をとってきたら、
みんな泣き泣き責任を引き受けるからさ。まあ、自分もつい言いたくなるけど。

67日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/02(日) 19:51
『私は天才だ完璧な人間だ』って言うヤツより可愛いじゃん・・・
馬鹿だって言っておいても免罪符にならないことは本人だって
ちゃんと判ってるはずだしね
それに馬鹿にもいろんなジャンルがあるじゃん・・・

68日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/02(日) 20:29
>>67
天才だから可愛いだの、馬鹿だの可愛いだの、そんなの比較に興味は無ぇわ。
ここでは誰かがあほだのばかだのどうでもいいことじゃん。
ここでは皆ただの名無しなんだろ?
それをわざわざ自分で言い出すことはないと言われてだけだよ。

69:2005/01/02(日) 20:31
まちがいた。

×天才だから可愛いだの、馬鹿だの可愛いだの馬鹿だの可愛いだの
○天才だから可愛いだの、馬鹿だから可愛いだの

・・・以上訂正でした。

70日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/02(日) 22:17
>>68
ちょっと頭を冷やそうよ・・・
『鳥』が初めてカキコしたときに
雰囲気嫁とか書かれたり
○ちゃんねるの某スレで明らかにココの住人に
共産党員とか書かれたので
ココには相当な根性悪がいることは確かだな

71日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/02(日) 22:29
よく考えたら頭を冷やすのは私の方かも・・・
68さんにはなんの恨みもないのにすまないっす!
ただ、『鳥』がそういった発言をするに至った原因が
ココの住人の言葉をうけてのことではないのか?って
私は思ったんで・・・一方的に攻撃されて釈明の余地も
与えないってのは少しばかりひどいのでは・・・

72あわお鳥:2005/01/04(火) 10:42
64さん、あけおめです♪
いやまあ、虫の居所が悪いときに、ボーっとした人間にぶつかったら、
「どけやゴルラァ」といいたくなる人もいるかと・・・。
確かに、「馬鹿でごめんねウフ 許ちてーー」みたいなところが
私にはあるので、20代のうちに

73あわお鳥:2005/01/04(火) 10:45
みなさま、あけおめです♪
64さん、71さん、フォローありがとうございます。

いやまあ、虫の居所が悪いときに、ボーっとした人間にぶつかったら、
「どけやゴルラァ」といいたくなる人もいるかと・・・。
そういう人は、多分どっかで損をしてるから・・・。

確かに、「馬鹿でごめんねウフ 許ちてーー」みたいなところが
私にはあるので、20代のうちに直さないとですね。

74公務員試験不合格者の末路:2005/01/04(火) 17:18
公務員試験不合格者の末路
http://hugoukaku.nobody.jp/

75RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/04(火) 21:19
テスト

76RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/04(火) 21:33
鳥ちゃんあけおめ!
ろ、ロイさんみなさんあけおめ!
64、71はコテ化してみました・・・
自分の発言に責任を持つためにかな・・・

鳥ちゃんと私は年齢近いとみたな!
現実生活ではどこかしら頼りない馬鹿オーラがでているのか
いつも下に見られるよ・・・とほほ・・・
しかも貧乏にみられていつも貰いもんが多い・・・
今年こそはそんな風に思われる自分を脱出したい!

77日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/05(水) 01:17
ココア色〜

78日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/05(水) 18:32
鳥ちゃん、まだ若いんだな。
>確かに、「馬鹿でごめんねウフ 許ちてーー」みたいなところが
>私にはあるので、20代のうちに
うむ、ぼちぼちね。三十路になるころには脱出しておくようにね。

まあここに来る人間はそもそもSM板の住人なわけで。
自己評価が極端に低くなりがちなのは育ちという背景があるのは
わかるよ。でも、がむばろうね。ロイを見習って。

ロイはどこに行ったかなー。でもいないということも無事の知らせだあね。
いいお正月を過ごしていますように。

79RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/05(水) 21:25
ここで尋ねるのはどうなのかと思うんだけど
自分の子供の頃にあった理想の大人像みたいなのに
皆は近づけたってゆうか、なれたのかな?
こんなこと言ってること自体若いのかな・・・?

80あわお鳥:2005/01/06(木) 15:25
RAGEさんこんにちは。
いつもかばってくれてありがとう。
私も童顔でお子様扱いされてしまうので、
セクスィな大人を目指してガンバります。

78さん、がんばります。
ロイはまさかアジア方面に入ってないですよねヒィィ

79職業はまあ理想だけど、貧乏なのがつらいです。
性格はロボトミーしないとだめ・・・。

81RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/06(木) 18:00
今年からは居酒屋とかで免許証か身分証明書見せてって
いわれなくなりたいな〜あとちょっとで30なのに!

ロイさんどこいったのかな?まさか病気で寝込んでいるとか?
言葉がなくても名無しの名前とか変えてくれたら
心配が少し減るんだけどね・・・あっ!いた!みたいな(W)

いいな理想の職業・・・貧乏でも心が温かかったら幸せかも・・・
ロボトミーってココでだしたら飛びついてきそうな人がいそうだ・・・
日本では昭和50年代の始めまで行われてたんだよね・・・
自分の意思ではなくて勝手にされたケースが多いんでしょ?
怖いでちゅ・・・有名な裁判もあるそうで・・・

82RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/06(木) 20:13
生ける屍って小説あったな〜ロボトミーの・・・
有名な賞とったやつで・・・

私はシャイな性格で自分を表現するのが苦手だったんだけど
なんか悶々とした時にパンクとであってバンド始めてから
爆発したな・・・今は渋めが好きになったけど・・・
性格も生活環境とか取り巻く人間が違ったらちょこっとは
変わるかも・・・朱にまじわればあかくなる・・・なんてね

83日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/07(金) 23:55
いきなり横レスごめんなさい。

私も音楽と出会って大きく変わったよ。
音楽があるから今の自分が居ると思ってる。
そんな音楽に出会えて幸せだと思ってる

84RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/08(土) 00:16
横レスって・・・なんだべ?

音楽と出会って私も良かったと思います
才能なくてヘタレなバンドしてましたが
いろんな面白い人たちに出会って
沢山影響をうけましたよ

85RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/11(火) 19:27
鳥ちゃん気分悪くなったりしてないかい?
ココの外で何をかかれようがきにするまい!
私にとって貴方は美味しいワインの名前を教えてくれた
素敵な人なのさ〜(ちびまるこの花輪君風)

86あわお鳥:2005/01/12(水) 00:18
RAGEさん㌧クス♪
あのワインはRAGEさんだったのですか。
ますます親しみがわきました。
ワイン大好き。でも、太るしお金なくなるし
こまっちゃいます。

87RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/12(水) 21:30
ちゃいます!ワインの名前が出て
正式な名称を教えてくれたのが鳥ちゃんです!
ワインってか酒大好きなんですが・・・・
美味しい酒の名前を教えてもらっても酔ってたら
忘れてるケースが多いんで(涙)
ガンマ数値が成人女性の3倍超えてて医者に酒減らせって
言われてるんだけど飲み始めたら止まらなくて困ってる
キッチンドリンカーってやつだ・・・
昔は働いてる時間以外は朝も昼も夜も飲んでた・・・
今は身体に悪いっていいきかせて日が暮れたら飲んでいいって
合図にして飲んでる・・・

88日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/13(木) 01:01
RAGEさん、こりゃお仲間ですよ、誰ってワシですよ。
γ―GTPが3倍でも止められませんかあ。
うーん、こんなことは言いたくなかったけど、
それ多分、依存症だねえ。連続飲酒はかななりレベルとしては高いよ。
ワシですらまずやらない。きもちはすごくわかるs、
酒なしでは生きていけないのもわかるけど、死に至る病だから。
命は大切に。余計なお世話かもしれないけど、依存症関係の本を
読んでみてはいかが? それでも解決がつかないようなら、
及ばずながら助言(できる立場じゃないけどね)いたしたく……。

89RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/13(木) 14:58
一年を通じてメチャ熱があるとか腹が痛いのを
除けば確実に毎日飲んでる・・・休肝日は年に3〜4日あるか・・・
少ない日でも350mℓのビール3本は飲む
多い日は家中の酒を飲みつくしさらにコンビ二へ調達・・・
しかもヘビースモーカーだ・・・赤マル2箱・・・
タバコも酒も真剣にやめた時もあったけど一年もたなかった
ウチの家系は代々病気で早死にするんだけど
酒とタバコがおもな原因だと思う・・・
昔はどうせ早死にするなら浴びるほど飲んでやると思ってたけど
今は死にたくないと思い減らす努力をしたい
依存症についてよい本やサイトがあったら紹介してください
す、すんませんね(涙)

90日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/13(木) 18:24
RAGEさん、辛いねえ、それは……。
こちらもヘビースモーカーだよ。肺に痛みを感じても
どうしても吸うときがある。
>昔はどうせ早死にするなら浴びるほど飲んでやると思ってたけど
すごく、わかるよ。自分もかつては、40ぐらいで死んでもいいと思って
生きてきた。けれどね、自分の人生の最後は、
「生きるということは素晴らしい」と思いたいというように変った。
助言なんてできる立場じゃないんだけど、いまとりあえず、
ひとつだけ解っていて欲しいのは、依存症はあくまでもひとつの「病気」であって、
RAGEさんの「自制心の無さ」であるとか「道徳観の欠如」であるとか、
そういう問題ではなく、依存症になった罪はRAGEさんにないってことだよ。
うーん、うまくいえない。とにかく依存症になったことで自分を責めないで欲しい。
好きで結核になる人がいないように、好きで依存症になる人はいない。
ただ、我々は、依存症と向き合うこと、生きようと努力すること、
それはやらなくちゃならないってことだよね。
で、問題の本についてだけど、自分の判断でお勧めしていいかどうか
ちと悩むとこだ。少し考えさせて。

91日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/13(木) 19:34
いろいろ考えてみた結論。まずはRAGEさん、ここに行ってみて。
アルコール依存症といえば久里浜というぐらい、その筋では有名。
まずは、久里浜式アルコール症スクリーニング・テストをやってみて、
自分があてはまると思ったら、
久里浜式アルコール症スクリーニング・テスト:
http://www.hosp.go.jp/~kurihama/zikosindan01a.html

久里浜のサイトをざっとサイトを読んでみて。
国立療養所久里浜病院:
http://www.hosp.go.jp/~kurihama/

RAGEさんがこのサイトをずっと読んでたら「あれ?」と
気づくかもしれないけど、アルコール依存症にも認知療法が用いられているでしょ。
これはね、鬱病とアルコール依存症は表裏一体だって理由によるんだよね。
鬱になる→気晴らししたくて酒を飲む→激しく自己嫌悪→鬱が深まる
って感じで、依存症はどんどん進行していくわけ。
自分の体験から話すと、鬱病の治療を行なうと、一時的に
アルコール依存症のほうは軽減するよ。ただ、単純な鬱病との違いというか
難しさは、次に我々がむかう先が「処方薬依存症」だってことなんだねえ……。
これがまたやっかいだ。
久里浜ではグループ療法を通じた薬物依存症からの回復のプログラムを
用いている。完全にクリーン(断酒した状態が続いていること)まで
行き着ける人は、グループ療法のプログラムを徹底して行なった人から
多く出る。なぜグループ療法が他のやり方より効くのかは、わからない。
ただ、事実として、グループ療法のおかげで酒で死なずに済んだ人は
たくさんいる。で、このグループ療法がやりたかったら、
久里浜まで行かなくてもできる。それについて詳しく知りたかったら、
またのちほど。

で、久々にこのサイトに行って驚いたんだけど、
「お酒の飲み過ぎで身体が心配なあなたへ」ってとこを
クリックすると、なんといまやこんなのがある。

アルコールをよく飲まれる方で職場で行われる健康診断の際、アルコール性肝障害等の
比較的軽いアルコールによる身体疾患を指摘されているが、なかなかお酒が減らせない、
あるいはやめられない方!
プログラムの特徴
1.短期(1週間)の入院です。(水曜日入院、翌週の火曜日退院です。)
2.内科病棟への入院です。(以下略)

昔は久里浜って重度のアルコール依存症者しか受け入れなかったし、
(久里浜に入ったら、もう死の宣告を受けたようなもんだったと聞く)
それもかなり厳格だったけど、久里浜も変ったもんだねえ。
いや驚いちゃった。水際作戦に変ったのかと思うと感慨深いものがある。
一週間かあ……。三浦半島好きだし、いっちょう自分も行ってこよっかなっ?
なんて思いました。ただ、問題は、ある程度回復路線に乗ったので、
γ―GTPが健康値に戻っちゃっていて、受け入れてくれるかが心配だってことだよw

92RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/13(木) 21:44
おわ!サイトみました!典型的な依存症だ・・・
紹介ありがとうございました
自己流で禁酒禁煙をしたのが余計に悪化させたみたいですね
久里浜は行ってみたいけど遠いっす・・・
私が治るまで逃げ出さないために近所で施設や同類を探したいです。
1人では治せないみたいだし・・・
ココに来れて良かったと思いました!
お仲間がいて安心したしオイラも頑張ろう〜!

93日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/13(木) 23:47
そうだよRAGEさん、もうひとりで悩む必要はないんだ。
あなたと同じ悩みを抱えた仲間がたくさんいる。
自分もあなたの仲間だよ〜。うまくいえないけど、
歓迎の気持ちを伝えたい。いい私設が見つかるの祈ってるよ。

94RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/14(金) 19:07
>>93
ありがとう!元気出ます。
色々と調べたらウチの近くにあった・・・
月曜日にでもそこに行ってみようかな〜!
そこがイマイチだったら次も探して
必ず治す!折角の好意をむげにするものか・・・

ロイさんもお酒好きだって言ってたけど
きっと飲む量は自分でコントロールできる人なんだろうな〜

95日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/14(金) 20:24
RAGEさん、治療につながるとだんだん解ることだと
思うけど、ちょっとだけ。
基本的に依存症で飲むお酒って、自分の意思、コントロールする力で量を減らそうとか
思っても無理らしいよ。
強迫観念的に飲んでいるんで。だからコントロールする意思が弱いと思って
自分を責める必要はないんだ。
むしろその「コントロールができない自分」を責めることにより
悪化するらしいので、そこんとこは自分を責めないであげてね。

まあ、自分もまだ依存症についてよーく理解したわけではないのだけど、
直ってる人たちがそう言ってたからたぶん正しいんだよ。
理屈はわかんないけど、結果が出ているんだからそれは正解なんだろうと思う。

96RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/14(金) 20:48
自分を責めたりする性格ではないんで
そんなに落ち込んだりはないです・・・えへ…
とりあえずお酒の変わりにお茶のみながら
バリバリお菓子を食べてます・・・
お酒に変わる糖分を身体が欲しがっているのか?!
コーヒーも大好きなんですがさらに眠れなくなるので
しばらく禁止かな・・・

97日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/17(月) 16:16
ロイの書き込みがあったね。今日はいい日だ。

>バリバリお菓子を食べてます・・・

うはは、それ、みんなそうだから!
そうそう、糖分が欲しくなるんだよね〜。
妙なもんが食べたくなるんだよ。お酒飲んでいたときには
思いもつかなかったようなもんがさあ。
ジャンボシュークリームをバクついている自分にはギョッとしたもんさ。
あと、おはぎのガッツ喰いとか。びっくりするよね。

おめでとう、最初の一歩ですね>RAGEさん
少しずつがんばりましょう、お互いに。

98RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/17(月) 18:09
今日はいい日です!元気がもらえた・・・

買い物に行くとアルコールの缶やビンの重みがない
寂しい買い物カゴの軽さを覚えてホイホイとお菓子やらアイスやらを
放り込んでいくんですよ(笑)
しかもやたらと腹が減ってご飯もガッチリ食ってます
太りそうな予感・・・運動も増やそう・・・

楽しみながら頑張りましょう!
ケーキとか(笑)

99RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/18(火) 01:06
本日の晩御飯
餃子20個、オイキムチ(胡瓜2本分)、白飯大盛り
夜のオヤツにリッツチーズ・・・
食いすぎて戻しそうになって胃腸薬。
来月にはマイうー系のキャラに変身しているかも・・・
そしたら97さんもロイさんも笑って〜

100日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/19(水) 22:40
    気にしない、気にしない!
|  | ヤマトナデシコたるものスイスロール丸かじり!
|  |
| |・∀・) クエッ!!
| |   ヾ ______________________
| |―u' 旦~(_____________________@

101日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/19(水) 22:41
あり、AAズレた。orz
ついでに100ゲトー。

102RAGE </b><font color=#FF0000>(KHzOu04Y)</font><b>:2005/01/20(木) 14:56
むしゃむしゃ( ´)Д(`)ウマー
スイスロールごちになりました!

なんとかガッツ食いも治まってきて・・・
スイスロールのおかげかしら(笑)

103日本一大騒ぎな名無しさん:2005/01/24(月) 18:20
スイスロールはモカ味がちょっとリッチな感じでいいわぁ。
バニラもいいけどね。

104RAGE:2005/01/25(火) 19:58:19
うちの近所のスーパーでスイスロールが
特売で100円で売られることがよくあります
あんなデカイ一応ケーキといえるものが100円だなんて・・・
原価はいくらなんだ・・・って考えちゃう!
ちなみにマクドのハンバーガは原価はバイトの友人が28円って
言ってた・・・安い・・・

105日本一大騒ぎな名無しさん:2005/02/16(水) 17:32:49
私も数年前マクドでバイトしてましたが社員から
ハンバーガーの原価は人件費とか諸々入れて55円って聞きました。
おや?と思って検索すると39円って説もあるようです。
計算方法で違うんでしょうね。

ところでマックじゃなくてマクドってことはRAGEさんも関西ですか?

106RAGE:2005/02/16(水) 20:11:52
関西在住です。
しかも28円じゃなくて38円だった(訂正)。
いろんな説もあるみたいで人件費?テナント代?

107RAGE:2005/03/02(水) 03:23:39
溺れる人ってドラマ見た。
アルコール依存症の主婦の話だった。
見ながらボロボロ涙がこぼれた。
泣いてる私を見て我が子がとった行動が…
冷蔵庫の前に小さな椅子を運んで踏み台にしドアを開けて
ビールを持ってトコトコ歩いて来てこう言った…
『ママもビール飲んだら元気出るよ、泣かないの!』だった。
最近買わないようにしていたのに新聞屋さんが持ってきたビールがあったのを
彼は覚えていたんだ。
ビールをテーブルに置いて急いで冷蔵庫からヤクルトを彼は持ってきて
『一緒に飲もう』って言った。
あんまり進めるので飲んでしまったビールは止まらなかった。
今、ちょっと罪悪感と明日も飲んでしまうんじゃないかって不安で
眠れない…。

108日本一大騒ぎな名無しさん:2005/03/02(水) 12:51:41
溺れる人ってドラマ見なかった。
主人公の子供が将来「AC」「共依存」などの問題を抱え
「毒になる親」などの書籍を手にする、、、と、
考えたくなくても考えてしまうからだ。

109日本一大騒ぎな名無しさん:2005/03/02(水) 22:56:30
可愛いお子さんが勧めたら、飲んじゃうよ〜、誰だってさ>RAGEさん
罪悪感は無用!
今日は今日。明日は明日。(お、もうすでに“明日”が今日か〜)
とにかくなんでも「今日一日」だよん。
今日一日だけ、わたしが世界に与えるように、
世界もわたしに与えてくれると信じます。
でよかったかな?

110日本一大騒ぎな名無しさん:2005/03/02(水) 23:52:05
RAGEさん
病気なんだから罪悪感は要らないよ、宝物の愛息に『一緒に飲もう』って
言われたら乾杯したいよね。
どんな治療中なのかはわからないけど、以前は毎日のように飲んでたのを
今はそうじゃないなら、よく頑張ってると思うよ。前進してるじゃん。
優しい息子さんのためにも治療してよくなってね。

111RAGE:2005/03/04(金) 16:05:48
みなさんありがとう〜
今日は友達と鍋パーティするんで飲まずにはいられないなぁ…
ほどほどに飲めるように頑張ろう。
まったく飲まないのは簡単だけどほどほどってのがまだ難しい…

112日本一大騒ぎな名無しさん:2005/03/05(土) 15:51:49
ははは、依存症に「ほどほど」は無理だよ。
みんなそれに挑戦しては敗れるのさ〜。
飲みすぎたとしても、気にしないよーに。
「ほどほど」ができない病気、それが依存症なり。

113日本一大騒ぎな名無しさん:2005/03/06(日) 17:18:56
本スレのロイ
わかっちゃいるけど〜後回し〜
で大変な治療をしなきゃならない患者を沢山見てきたよ。
(診る、ではないけどさぁ〜)
あなたのペースで治療してくれる歯科医にめぐり合えると良いね。
歯は大事だよ。
神経取らずに済むといいね。

114ものぐさ太郎:2005/05/30(月) 17:03:12
な、なんだこの強烈な配色は!?
新手の嫌がらせ?またロイの実験!?

115ものぐさ太郎:2005/06/24(金) 15:38:18
冗談や実験ならともかく、
嫌がらせができるようになったら、
ロイも成長したんだと思えるなー。

116extright:2005/07/27(水) 23:11:46
ふと実は虫歯が悪化したんでわとか書き込んでみるw

117うっかりR ◆Gantz.NdsM:2005/09/03(土) 18:37:51
左利きを矯正するのは現在の教育現場ではしない方向と
書いてあったけど、それは小学校くらいのことかな?
もっと小さい幼稚園?保育園?
そもそも利き腕を矯正するのは教育現場でなくて家庭だと思うんだけど


子供や老人や障害者に使いやすい道具ってのが
ユニバーサルデザインってやつでしょ?
違うっけ?
もちろん知ってるけど改良の余地ありだと思う。
子供や老人や障害者に使い勝手がいいものが全ての人に使いやすいとは
限らないから。

>マイノリティが尊重できない人間も…以下略
ほったらかしておくから、いつまでたっても変わらないのではないのかな?
現時点で苦しんでいる人はほったらかしではないか
あまりにも時間任せ他人まかせに感じるよ

118まし:2006/02/12(日) 10:43:52
もっと早く来れば良かった。
昨日の夜にこの板の存在を知って、
2chから読んできた(たぶん全部、だといいのだが)。

すごいね。
人ってものがどうやってコミュニケーションをする場を作っていくかを
目の当たりにしてる感じだ。

「群盲象を撫でる」って諺をいつも考えてたんだ。
目の見えないものが象を撫でる。
1人は柱といい、1人は蛇だという。
結局盲には象とはわからない。

私はいつでもその盲だよ。
でも、諺とは違って、きっと「象」に辿り着けるとおもうんだ。
だって、他の人は私と違うことを知ってて、
そして幸運にもそれを私に教えてくれたんだから。
私達には言葉があるから。

私の想像しなかった、世界という途方もなく大きな「象」を
誰かが触って、それを語る声を聞くこが出来た事を
私は凄く嬉しく思います。

わかりにくくてごめんなさい。
ほんと、もっと早く来たかったな。
ああ、まだ言いたい事が沢山あるのに、
なかなか言葉にするのは難しい。

あ、「群盲」「盲」って言葉は差別的で注意すべき言葉だそうですね。
でも必要があるので、そのままにします。
ああ、ほんとに言葉って難しいったらない

119まし:2006/02/12(日) 10:48:53

ところで、一番衝撃を受けた事なんだけれど、
青い色って、何か特別なんだろうか?

というのも、私は幼い頃性的虐待を受けていたが、
夜明け前の青い色が大嫌いで大好きだ。
それは嫌な記憶と確かに関連していて、
私は今までずっとそれは個人的な記憶によるものだと思っていた。

ところがここの「ある体験の・・・回想録 4」にて
ロイさんがその夜明け前の青い色について書いているのを読んで(183あたり)、
本当に、本当に、ビックリした。
私は本は割と読む方だが、
今までこんなに完璧にその色(そしてその色に対する感情も)描写した記述に出会った事が無いからだ。

そこで、ここからが本題なのですが、
同じようにその色に関してつよい思い入れのある方はいらっしゃいますか?
だとしたらそれは何か自分の過去と繋がる形で記憶されているものですか?
誰か暇なら教えて下さい。凄く気になるんです。

まあ単に偶然かも知れませんが、
(だいたい性的な虐待と夜明けという時間は繋がりやすいので
その可能性だって十分あるだろうとは思います。
ただ、人が何か凄いショックを受けた場合やそれから立ち直ろうとする過程で
特定の色が記憶に残りやすい、なんて事があったりするのかな、と疑問に思ったわけです)

あと前にロイさんが言葉の誤解について書かれていた部分にも興味を惹かれました。
同じような経験をしたことがある気がします。

120まし:2006/02/12(日) 10:51:47

・・・なんか自分の文見返したら、凄く乱れてる。
すいません、この辺で止めときます。

121extright:2006/02/12(日) 18:56:25
>>118-120
いやもう全部書いちゃえよ。最期だし(過疎だしw)気にしねーと思うわ。
どうせ共感したところで本当に同じ体験でないことは確かだが。

読まれたくない自分のノート用なら此処がある。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1086627931/

122extright:2006/02/13(月) 00:29:43
>>119
そんなに詳しくはないんだけど、青い色は鎮静効果があったり、
時間を早く感じさせる効果があるらしいです。

特別な意味があるかどうかは分からないですが、
私も精神的に非常に辛い時期、描いていた絵に青と紫の
中間のような色を多用してました。
無意識にそれを選んだので、意味とか理由は分からないけれど、
もしかしたら癒しの効果などあるのかも。

でも、いろんな条件によって感じ方も変わるだろうから一概に言えませんが。

そんなに文章、乱れてないと思うよ。
象に逢えるといいですね。
では、失礼しました。

123301(we're the nobodies, wanna be sombodies):2006/02/13(月) 20:52:09
>>122
ブルーってやっぱりブルーなのよ。
ピカソの青の時代とかね。うちにこもって内省する頃の色なんだろう。

124extright:2006/02/13(月) 21:45:31
タイトルなげぇし、
言ってる事は意味不明だし・・・

125まし:2006/02/13(月) 23:08:31
レスありがとう。
せっかくだから書かせて貰おうかな。
短く書くの苦手なもんで、じゃまだったら言って下さい。

>どうせ共感したところで本当に同じ体験でないことは確かだが。
それはいつも心しておかないとね。
同じ経験なんてできっこないし、
万一したとしても、違うものを見てる筈だし。
だからこそコミュニケーションを取る価値がある。

>時間を早く感じさせる効果
それは初耳かも。
やはりそういう精神的な効果も関係してるのかもしれませんね。

なるほど、確かに絵には精神状態が色になって現れる気はします。
ピカソの青の時代の背景色は結構近いものを感じます。
あとシャガールの描く青も。
一番近いと感じた絵はアンドレ・マルティの「青い鳥」の挿絵だった。
マイナーだったので探したがネット上には見あたらなかった。

こう考えると、絵ではこの色近いな、と感じる事はおおいんだよなぁ。
でも文章ではこれが初めてだった。
だからちょっと動揺したのかもしれない。

そういうことも含めて考えると、
1つは文脈、1つは絵と文章の性質の違いが考えられる気がする。
ようはロイさんの文章をずっと読んでいたために共感してしまった、
だから同じ色を見た、と私が強く思いこんだってのが1つ。
これには、ロイさんの文章が人を引き込む魅力を持っていたからも大きい。

絵と文章の性質の違いについては、
これはちょっと言葉に関しての部分とも関わって来ると思うので分けて書きます。

おまけとして、色覚について調べていたら、
ヒトの中には錐体というものが多く、青い色を他人より細かく見分けることの出来る人がいるらしい。
色覚異常の1つといえば1つだね。ちょっと羨ましい気がする。
あとは文字に色の見える共感覚の人の話など興味深いです。

126まし:2006/02/13(月) 23:36:12
私はよく、どこまで意味をくみ取って良いのかわからずに思考がオーバーフローする事がある。

とあるマンガでこういう場面がある。(うろ覚えだけど)
お母さんが幼い娘に服を買ってくる。
「可愛い服でしょ?」と母親が言う。微妙な顔の娘。
「本当のこと言って良いのよ」
娘は言う「この服嫌い」
「酷い子ね、せっかく買って来たのに」怒る母親。

この場合、「本当のこと言っていいのよ」ってのは建前なわけだ。
でもたぶん、本当に「本当のこと言ってもいい」場合にもこの言葉は使われる。
いつどういうところで、どこまで意味をくみ取るかってのは
これはもう経験則でしかない。

あ、一応断っておきますが、あくまで個人の意見ですので
その辺は宜しくね。予防線、予防線。

たぶんね、大抵の人は難なくそれを身につけている。
多少のズレはあっても、そのズレを自分で許せる。
あれ、ちょっとはずしたか、ぐらいのもんだよ。
辛いのは一部のズレもなく相手の意味をくみ取ろうとした時だ。

ここまでやればいいという基準のあるものに関してはいい、
だけどこればっかりは基準なんてハナからないし、正解もない。

私の見た感じだと、ロイさんが困っている一因もここにあるんじゃないだろうか。
無意識のうちに完璧に相手の欲するところのものを知ろうとする。

私は小さい頃は本当におどおどと人の顔色をうかがう子だった。
それは「はずれ」が許されないって感じてたから。
時間が経って、完璧に当てる必要はないってわかって、
更に時には「はずす」必要(まさにこれが冗談だよ)があるってこともわかった。
スキルは意外と早く身に付いた。でも違和感だけは消えない。

127まし:2006/02/13(月) 23:57:20

言葉に関してなんだけど、
そうそう、そういうスキルの中でもいっとう難しいのが「空気を読む」ってやつだと思う。
空気嫁。って簡単に書くけど、意外と高等技術だ。

というかね、逆にその「空気」が嫌いなんだよね。
明文化されないものによって大勢が決まって行くといういごごちの悪さ。
ここまで来るとトラウマが何たらとか過去の経験がなんたらとかじゃなく単に好みかも知れない。
そういうものに関して宗教を見るようにうろんな目で見てしまう。

憶測に過ぎないけど、ロイさんは戸惑ったんじゃないかな
あれだけ掲示板の最初に沢山のルールを明文化したにもかかわらず、
自治という名の空気が産まれて来た事に。

本当の事を言えば、私達の社会ってものはほとんどがその「空気」で出来てる。
明文化されてないって意味だけじゃない。
肝心の言葉だって、本当はうさんくさいよ。
あなたの言うコップと、私のいうコップが同じだなんて、ほんと?
ただ、みんながそう言うからそういう事になっている。
そういうお約束で世界はいっぱいだ。

問題なのは、幼い時にその「お約束」が簡単に覆されうるってことを
身をもって体験してしまったってところにある。
だからこそ全て自分のわかる覆されないルールの中で生きたいと望むけど、
突き詰めれば突き詰めるほどそんなもんどこにもない。
だらかオーバーフローを起こす。

128まし:2006/02/14(火) 00:29:43

でも、まあ、そういう「お約束」への反発って、
誰もが思春期に通る道らしいしね。
ただたんに私がガキんちょだってことなのかもしれん。

今はそういう事に対しての耐性っていうのかな、
そういうものが出来た気がする。
そういう「お約束」を全く疑う事もせずに生きてるような人には
ちょっとした意地悪な気持ちがわき起こったりするけど。
お前の歩いてる場所がいかに危ういものか突きつけてやろうかって思う。
逆に私の代わりに何も知らずにそのまま幸せでいて欲しいとも思うけどね。

今思い出したけど、その「お約束」に乗ってもいいかなって思ったのは、
やっぱり夜明け前だったな。不思議なもんだ。
突然、ふっと思ったんだよね。
「裏切られることもあるが、そればっかりじゃない」
「例え本当は不確かな足場でも下を見なければ恐くないし笑えるだろう」
「裏切られても、また登ってくればいいや」
不思議な感じだった。
めったに行かない飲み会の後で、みんな雑魚寝してて、私だけが起きてた。
お約束に裏切られた思い出よりも、
支えられた思い出の量が上回った瞬間だったのかもしれない。

うむ、余計なことを書いてしまった。
まあ、私に関してはこんな感じだったよ。
その後も虚無感に襲われたりするけどね。

129まし:2006/02/14(火) 00:36:19
あ、絵と言葉に関して書くの忘れてた。

私が思うに、絵より言葉の方がルールが厳密なんだよね。
ただそれなんだけど。
自由に解釈出来る部分が文の方が少ない気がする。
だからこそ絵より文の方が見たものに近いって感じる確立が低いのかな、と。

うーん。
この辺はまだちょっと良くわからないな、自分でも。
絵は少し書くけど、文を書く時よりリラックスはしてる、と思う。
その辺から何か分析出来ないかなって思ったんだけど。
良くわからない。
でもこの話題はここではちょっとスレ違いか。

130まし:2006/02/14(火) 00:45:19

いい加減、長文・連投が過ぎるよ、自分。
なんか遅れて来たぶん一気に吐きだしてる感じ。

しかしここ、なくなっちゃうんだね。
ああ、ほんとにもっと早(略

こういう話の出来るところってあんまり無さそうだものね。
トラウマ語り、みたいなところならあるんだけど、
実を言うとそういう事には興味が無くて。
出来ればそこから派生するもうちょっと抽象的な話を聞いてみたかったな。
誰か知らないかな、そういうところ?

おまけ(今回の話に関係ありそうなもの列挙)
・共通感覚(「お約束」「常識」ってやつ)
・認識論
・三原順「はみだしっこ」

131extright:2006/02/14(火) 00:45:21
この際だから、スレ違いとか気にしなくていいんじゃ。
好きに書きなよ。

132まし:2006/02/14(火) 02:22:17
もうやけだ。書いてしまえ。

最初のうち、ロイが語って、ただみんなが耳を傾けているのを見て、
私の中にイメージが浮かんだ。
風船と紙吹雪のイメージだ。
1人1人が風船で、風船の中にはその人の経験という紙吹雪が詰まっている。
空にロイという風船があがり、音を立てて割れる。
ロイの経験の一万分の1、億万分の1が文章になって他に降り積もる。
一方的に、静かに降り積もって行く紙吹雪。

そのうち誰かが質問をして、ロイが答えるようになる。
そうすると、紙吹雪はただ四方に意味もなく降るのではなくなる。
的確に誰かの上に、より多くの紙吹雪を降らす。

更に、他の誰かが自らの経験や感想も語るようになる。
次から次に風船があがる。
空の上は風船と紙吹雪でいっぱいだ。
静かに降る色とりどりの紙吹雪と、風船の割れる音。
神聖なるお祭り。

読んでいて混じりたくて仕方なかったよ。
出遅れた私の窓にも、沢山の紙吹雪は届いたけどね。
みんなが片づけをしている間、
1人で連発して風船あげさせて貰うよ。
たいした紙吹雪は入ってないかも知れないかもだけどね。

133まし:2006/02/14(火) 02:24:40
何から書こう。
そうそう、私も「幽霊離脱」って経験あるよ。
私はベットの頭の部分につかまって、
必死に別の事を考えようとして、河のイメージを頭に浮かべてた。
たぶん前に黄河の映像でも見たのかな。黄色い濁流でね。
今にも自分が流されようとしているんだって思う事にしたんだ。
手を放したら下に流されて死ぬんだなって思った。

そしたらいつの間にかその流されそうになってる自分を上から見てた。
危ない、大変な事になってる。それしか思わなかった。
手を放さないでって、応援すらしてたと思う。

でもそれ1回切りだったんだよね〜。
味を占めて、もう1回トライしたけど、駄目だった。
今思い返してみても、その時実際の自分の状況はわからん。
柱を必死に握ってたことぐらいかな。

パラレルワールドの本のくだりは、なるほどなぁ、って思った。
それから凄く息が詰まった。

134まし:2006/02/14(火) 02:27:23

私はパラレルワールドとは思わなかったけど、
「お話の中」だって思った。
テレビや本や、そういうものに入り込んでる時と同じことがおこったんだと理解したんだよ。
それから、やたらとそういう「お話」に没頭するようになって。
夜寝る時に、必ず本を布団の中に隠してた。
(いつも恐いのは夜だったからね)
自分にはお話の世界に入る能力があると思ってた。
と、いうか、みんなそうだと思ってた。
お話ってのはそういう力をもってるんだと。

他の人が私ほどお話ってものに興味がないと知って、凄く驚いた。
そして、あまりに没頭しすぎるのと、目が悪くなる事を理由に本を禁止された時。
あの時の気持ちは忘れられないよ。
もっと客観的には酷いことならいっぱいあった。
でも、その中でも屈指の痛みだった。
身体の一部をもぎ取られるようなね。
わかって貰うのは難しいかも知れないけれど。
実際どうしてそんなに泣くのかと言われたよ。
共感というなら、本をねだった時のRに一番の共感を覚えているかも知れない。

実を言うと、その能力はだいぶ長い間あったんだけど、
いつの間にか失ってしまった。
それからめっきり本を読む冊数がへった。
何を読んでも、前ほど熱中出来ないって感じるからだ。
凄くもったいないと自分でもおもうんだけど。
あの感覚をもう1回味わえたらな〜。まあ、代償が大きすぎるからほんとはいらんけど。

135extright:2006/02/14(火) 02:48:23
ココマデヨンダ  (・ω・`彡 )з )))

136まし:2006/02/14(火) 02:53:09
本のコミュニケーションと
掲示板のそれだと、ちょと違うよね。
会話となると更に違ってくる。
本と会話、中間にあるのが掲示板。
特に2chなど人の多いところではより会話型のコミュニケーションが見られる。

はじめ、ここは完全に本に近い、一方通行で始まったけれど、
それが様変わりしていくのが、非常に面白かった。
と、いうか感動的だった。
私は、世界に対する信頼度が高く無いと、
会話型のコミュニケーションって難しいと思っている。
だからこそ、ここでそれが産まれつつある事に素直に感動した。

うあ、ココマデヨンダ  (・ω・`彡 )з ))) だ。凄い嬉しい。
ある意味、「ココマデヨンダ」は凄いレスだと思う。
本型のコミュニケーションを取っていたところに、
まるでしおりを挟む様なレス。
あくまで本だけど、誰かが読んでるんだっていう意思表示。
それがはじめの一歩だったのかもしれない。

137まし:2006/02/14(火) 03:11:28
そうそう、何度かロイさんの語る過去が創作かどうかって話題出てたけど、
私にとってはどっちでもいい。薄情だと言われるかもしれないけどね。
むしろ創作だったならって思う。
「可哀相な子供が1人減った」なーんて理由で無くて(なんか腹立つんだよね、こういう理由って)、
体験していなくても、ここまで理解出来る人がいるって思うと、凄く嬉しい。

1回、ロイさんが言ってたよね、本当にわかるのかって、体験しなくても、見えるのかって。
血を吐く様な言葉だと思った。
いくら愛していても、愛されていても、見えない人がいる。
わかってもらえない人がいる。

はじめのうちは腹がたった。全て私と同じだけの苦しみを背負ってからわかったふりをしろ、
そう本気で思ったよ。
同時にね、消せない罪悪感も背負った。戦争で子供が死ぬ、手足をもぎ取られている。
彼等より私は幸せだ。生きているもの。

今日のニュース、イラクで子供が殴られている。
たぶん、この瞬間にも。

ここでも、ロイさんの言葉に、同じように罪悪感を感じた人もいたね。
何も出来ないのが苦しいって。どうしたらいいんだって。

残念ながら何も出来ないんだ。
いくら愛していても、いくら愛されていても。

138まし:2006/02/14(火) 03:20:15
パートナーに話した時、
どうしたらいいって言われた。
何をしてあげたらいいんだって。
今でも答えられない。

でも、嫌じゃなかったんだ。
前だったら、たぶん嫌だった。
どうせ何も出来ないことはわかっているのに、
私を困らせて楽しいか、とすら思ったと思うよ。

でもその時は嫌じゃなかった。
嬉しかった。

こういうのは、タイミングと運が大きいと今は思う。
あと、その人と、そう言われて嬉しいと思うような関係であるかってこと。

本当に今でも困ってしまうな。
そうだな、思いつくところでは、
「同じような悲しみを作らないように願ってくれる人なら私は嬉しい」
ぐらいかな。うーーん。気障だな。
後で考えてみよう。

139まし:2006/02/14(火) 04:01:33
祈るって言葉、ここでも何度か話題に上ってる。
ある時考えていて、私の行く先として「呪い」か「祈り」か「諦め」しかないって思った。

私の酷い経験に関して、私は呪う事が出来るだろう。
ここまで落とした奴に復讐し、
理解しないやつに片っ端から罵倒を浴びせることが出来るだろう。

私の酷い経験に関して、私は諦める事が出来るだろう。
あれはしかたのないことだった。世の中の悲惨な出来事も仕方がない。
手が届かないものだってある、今何とか上手くやれるようにやるだけだ。

私の酷い経験に関して、私は祈る事が出来るだろう。
どうにもならないものを悲しみ、解ってくれと叫び。解りたいと嘆き。
どうか悲しい出来事が起こらないようにとうろうろする。

たぶん、私は3つの中では「祈り」を選んだ。
どれが正しいって訳じゃない。一長一短だとは思う。
支援グループでばりばり働く人なんかには、「呪い」の感情はやっぱり必要だと思う。
その出し方が凄く生産的なだけで。
社会的に生きていくなら適度の「諦め」は必須だ。
(言葉的に「祈り」だけポジティブなのはその時の私の気分だと思う)

というわけで、私にとって、「祈り」は大切な言葉だ。
日常的には恥ずかしくてよう使わんけど。

余談として、村上龍の書く『コインロッカーベイビーズ』は「呪い」。
吉田秋生の『吉祥天女』は「呪い」を選んだものと
「諦め」を選んだものの対立を書いた傑作だと思う。

140まし:2006/02/14(火) 04:39:28
寝ようと思ってるんだけど、寝れない。
頭が回転してる音がする
こういう時は「諦め」を選んでおこう(笑

今書いてて、凄く不安だ。空気が読めないから。
ほんとはみんな、私がこんなにここに長文投下するのを快く思って無いんじゃないかって。
結局は自分の責任で、良いと思った事をするしか無いのだが、
そこに裏付けが無いと途端に不安になるこの弱さ。

ロイさんにはそういう弱さを全く感じ無いね。少なくとも文面からは。
なんでだろうな。わざと排除しているかのような気さえする。
みんなが時たまロイさんに「強い」って言うのは、
たぶんそういうことなんじゃないだろうか。
それが本当に強いかどうかは別にして。
なみなみならぬ理性だとはおもうけれど。

「自立することは孤立することでは無い」
「必要な時は他人に依存出来るようにならなくてはいけない」
「依存することで傷ついたりしない−まがい物でない−
 自信や自尊心の裏付けがあってこそ自立と言えるのだ」
私の好きな言葉だ。
信じきることもたやすく、信じないこともたやすい。
私があってこそ、適度に信じることが出来る、そう信じてる。

何度も念を押すけど、だからどうだって話じゃないよ。
私感だから。この念入りに念を押す当たりが弱いよな、自分。
これを繰り返すとオーバーフローがおこるわけだ。

141extright:2006/02/14(火) 05:04:54
おなじく寝れないから読んでるよ

142まし:2006/02/14(火) 05:12:42

また比喩で悪いんだけど、
ここには嫌なものは読まないってルールがあるから、いいよね。
(十中八九当てる自信があるけど、
 ロイさんはこういう無駄な念押しは嫌いだと思う
 あと、不思議な事に頭のいい人にもそういう人が多い。
 ロイさんがそこに入ってるかはわからないし、
 どうしてそうなのかも私にはわからないけどね。)

崖に落ちたとするじゃない。生きて帰れるかどうかわからない程の崖だよ。
僕ら(あえてこう書かせて貰うよ)、僕らは何とか生き延びてはい上がった。
身体には崖の底の砂や、流した血が付いてる。
見た目にだって十分悲惨で衝撃的だ。腕ぐらいもげてぶら下がってるかもしれん。

向こうの方に舗装された道を歩いている人たちがいる。
たのしそうに午後のティータイムの話をしてる。
私にはわかる、彼等の元へこのままの姿で行ってはいけないんだと。
幸福な彼等にショックを与えるようなこと、してはいけない、
それはちょっとした崖から突き落とすことでもある。
たぶん、彼等は崖なんてものがあることすら知らないだろう。
でも同時に、私は知ってる。
彼等の歩いている歩道だって、何時地割れで崖になるかわからない。
知っていたら、はい上がるのが楽かもしれない、
でも一生知らずに笑っていられるかもしれない。

私はずっと聞いてみたかったんだ。
何も知らない人達は、崖の存在を知りたいのか?って。

ロイさんの見せた崖は凄く凄く深くて怖ろしいものだったと思う。
ここに今まででいて、なおかつはじめは崖なんてものを知らなかった人たちに聞きたい。
知って良かった?
ロイさんの血まみれの姿を見て、知って良かった?
知ったためにこれからの人生、何か変わると感じる?
もし、この先崖に落ちたら、この経験は役にたつと思う?

143まし:2006/02/14(火) 05:33:10
たぶん、そんな悲惨な現実、知りたくなかったって人は
もうここにはいないんだろうね。
アレはお話しだよって、自分との関係を切る人もいる。
見なかった事にする人もいる。
それは彼等にとって1つの崖を回避したってこと。
それは、きっと正しい選択なんだろう。
考えると、何故だか悲しくなるけれどね。
背中が遠ざかっていくように思える。

全部の人とはわかりあえない。
どんなに愛していても、どんなに愛されていても。
こんなに悲しい事があるか?
私は自分のどんな過去を思い出すよりも、
この事実をかみしめる事が一番悲しい。
完璧には分かり合えない。
愛は理解ではない。

144まし:2006/02/14(火) 05:36:47

祈ってる。心の底から祈ってる。
誰ひとり崖に落ちませんようにって。
無理なのは承知だよ。
崖から落ちないと人は成長しない事も知ってる。
最悪なことに、私もまた落とされた崖の“おかげで”
何らかの成長をしたのも−呪いたくなるが−事実だ。
だからって誰かが同じ崖に落ちようとしたら、
成長するだろうからって、ほっておく事は到底出来そうにないよ。

一体どこまでの崖なら、自分が落ちてもいいと思えるし、
人が落ちても安心してられるんだろうか?
この基準だけは、いくら悩んでも定まらない。

ちなみに、人間が崖から落ちた人と、
落ちたことの無い人の二種類に分かれるとも思ってないよ。
どんな人だって何らかの崖には落ちてる筈だからね。

145まし:2006/02/14(火) 06:02:51
この話に付け加えておくならば、
まったく別の観点で崖から来た人を見たいと思う人がいることも知った。

それは崖から来た人の身体についている砂を見たがる人とでもいうべきか。
ようは自分の知らない世界に関してはとてつもない好奇心を発揮する人々だ。
私の中のイメージでは虫眼鏡を持った博士のような人たちかな。

往々にして、こういう人たちは、崖から来た人の体験談や、
崖から持ち帰った珍しい砂などには興味があるが、
相手が怪我をしているということを忘れがちだ。
調べまわすうちに平気で傷口を広げて更に中まで見ようとする。
メディア関係、心理学者、芸術を愛好する人々の中にも。
ここにもきっと、そういう興味で最後までいた人も多いと思う。
無自覚でも、何だか面白そうな話が聞けそうだってこと。

大抵、こういう人たちと崖から来た人たちは中が悪いように私には見える。
心の傷を扱うサイトにはよくメディアや研究者への注意書きがなされる。

しかし、実をいうと、私個人はこういう人たちが大好きだ。
私なんかでよければ、痛くても良いので解剖して隅々まで見て頂きたいとすら思う。
露出狂の気があるのかもしれん。

というより、私自身、そういう好奇心が非常に強い質だから、
理解出来るってことなのかもしれない。

146まし:2006/02/14(火) 06:05:14


私がここに来るのが遅かったのを惜しんだのも、実はそれが関係している。
不思議なことに、ロイさんはあまりそう言う人たちを嫌だと思っていないように私には見えた。
むしろそういう話も歓迎しているようですらある。
はっきり言って貴重だよ、そう言う話が出来る場は。
しかも、質問もほとんどがある程度、傷に配慮している。
なんと言ったらいいか、週刊誌のような下品な質問があまり見あたらないのにも驚いた。

こんな事言うのもなんだけど、
私の見てきた、心の傷系の掲示板ではそう言う好奇心を敵視するか、
好奇心の餌食になっているかのどちらかだった。

ここを作りあげた人々は、凄いな。
尊敬するよ。

ああ、空がまたあの色に染まっていく。
1つの可能性を思いついた。
ただ単に徹夜明けで、頭を回し続けた時に
何か脳内麻薬のようなものが出るのがこの時間なのかもしれない。

147まし:2006/02/14(火) 06:14:31

読んでくれた人ありがとう。
そろそろ終わりにするよ。
眠れますように。

出来たらこれからも色んな人の話が聞きたかったけれど。
残念だな。もう二度とこういう場所には出会えそうにない。
三年間、みんなで作り上げたんだってね。本当に凄いよ。
最後の最後に参加出来て、本当に嬉しかった。
ありがとう。楽しかった。

148extright:2006/02/14(火) 10:39:10
>>135
ココマデヨンダ氏?…ちゃんといてくれてたんだ、なつかしいなぁ。

>>147
帰ってからゆっくり読ませていただこうかな。おやすみ。

149extright:2006/02/14(火) 10:48:15
>まし
貴方の文章、味わい深いですね。

私はましの表現を借りると
崖を知らなかったのに落ちてそのまま命を落とした人と
(普通に生活していて、事故、事件、病気でいきなり亡くなって
しまう人)と崖から満身創痍で這い上がってそれでも生きている人。

どちらがいいのか?・・・と長年、考えてもしょうがないことを
ずっと疑問に思っているんだ。
今でも答えが見つからない。

150extright:2006/02/14(火) 22:37:12
ゼンブヨンダ オツカレ (ω・`彡 )з

151extright:2006/02/14(火) 23:25:55
>>149
どちらがいいかは個人差があるだろうけど
私は生きて帰ってきたほうが断然いいと思う。
命は尊いとかいうんじゃなくて、生きているという価値を知るのは
崖からはいあがってきた人こそわかるんじゃないかと


>まし
はみだしっ子の引用の言葉は私も好きな言葉です
きちんと読んだのは20歳を過ぎてからだったけど
若い頃読んでたら、とんでもないことになってたんじゃ・・と
恐怖したものです。

青の話は興味深く読みました。
私は一番すきな色なんですけど、何故かシャガールの青だけは
怖くて、今でも絵をみることができません。
過剰な静謐はかえって人に不安をあたえるのかもしれませんね

152extright:2006/02/15(水) 01:14:31
帰宅したのでゆっくり読もう…と思ったのにぐいぐいひっぱられて、駆けるように
読んでしまって胸がどきどきしたよ、それになぜか泣けた。
ましの文章はとても読みやすいね、勢いがある、羨ましい才能だね。

まし、私はロイを知って良かったよ。
ロイの血まみれの剥き出しの内臓でも集めて身体に戻せるよ、きっと。
私の人生の変化はわずかでも以前より人に優しくなれた気がするよ。
人にはそれぞれ事情があるものだ…ってロイが言ってたしね。

もしこの先、崖に落ちたら?根性ないから早く楽になりたい性格なんだけど
でも今は死ねないな、守らなきゃならないものがあるんだ、だから役にたたせる。
まし長文おつかれ、風船のとこ絵のようだったよ、色とりどりで。
もっと読みた(r

153extright:2006/02/15(水) 02:43:03
>>136-147
"皆"とか"誰か"とか、俺は呼掛けの顔がなくて嫌いだね。
ここまであんたや板の人間が多用するからには
必要なのだろうと考えてはいるが。

だが、
ココマデヨンダ  (・ω・`彡 )з )))  は実際すごい発明だ。
新スレッドで使えばよかった。
読んだけどそれだけだよ、って凄いアピールで存在以上でも以下でもない。
コミュニケーション不全の人間の慰めにはお似合いすぎる。

上の方でも書けよ、と勧めたが、ある程度書いたら書くのも読むのも
辞めた方がいいような気がする。
とくにロイスレを読んだあとはインフルエンザのように読後二日以内に
活性的な反応を起こすようなので(たぶん住人は経験済み)。
あんまり情報を詰め込むとフィーバーするぞ。(初期症状不眠w)

面白いと思ったので真面目にレスしたが、
取り敢えず総合的に言うとととっと寝れ(俺は仮眠から覚めたばっかなので無問題)

154153:2006/02/15(水) 02:50:02
あぁ、そうだ。
>コミュニケーション不全の人間の慰めにはお似合いすぎる。
これはとくに誰かを想定して書いている訳ではないので
単に書き手の表現不足だと先に申し上げておく。

155149:2006/02/15(水) 12:07:23
「はみだしっ子」漫画好きなんだけど
アラームが心の中で鳴って手を伸ばせないで
いた漫画なんだよね。
心が落ち着いて居る時にでも読んでみたいと思う。

>>151
誰かにそう云ってもらいたかったのかも。
ニュースで事故や事件の被害者がいかに順風満帆な
人生を歩んでいたのに、このような結果に・・・と
見る度に考えさせられる。
生きているからこそ、考えることもできるんだよね。

156extright:2006/02/15(水) 12:30:32
何か言いたいんだけど、うまく纏まらないや。
夜、落ち着いたら書いてみる。

157まし:2006/02/15(水) 13:03:37
あたま冷やして来た。
確かに一種のインフルエンザだね。
書き込んだ日は結局寝れなかったよ。

>>149
なんとなくだけど、言いたいことはわかる気がします。
私も昔、同じような事を考えてた。
どっちが幸福なのかって。

「いい」とか「幸福」ってのが相対的な基準でしかないと思った時、
どっちでもいいや、って気分になった。
答えが出ないことに飽きたというか、なんというか。

でも、冷静になって今考えると、
自分の中でその基準を設けるのは、悪い事じゃない気がする。
これから何を良しとし、何を幸福として生きていくかってことね。
151さんなんかはそれを定めて生きてるように見えるし、
そういうことで迷わずにいられるってのは強みだな、と思います。

158まし:2006/02/15(水) 13:05:17

>>151
「はみだしっ子」は、ある意味、擬似的な崖の典型例だと思う。
若い時に読んだら致命傷になりかねない崖にすらなると思う。
実際、知人の母親は「悪影響を与えるから子供には絶対読ませない」と言っていた。
149さんも十分注意はした方がいいかもしれない。

一方、本に書かれるのと同じような苦しみを味わっていた私にとっては、
同じ崖をはい上がる同志のような、不思議な感覚でいたけれどね。

いわゆる「トラウマ本」の存在は非常に興味深い。

「お話」ってものは、私が幼いころそうしていたような「逃げ場」としてだけではなく、
ある時は「同志」に、ある時は「崖」そのものにすらなるのか。
もしそうだとするなら、私は読む側だけじゃなく、
やっぱりお話を作る側にまわりたいと思うよ。この頃特にね。

シャガールの青が恐いのは同感。
色の話に乗って来る人が多くてビックリしてる。
そしてますます興味がわいて来たかもしれない。



>>152
答えてくれてありがとう。

159まし:2006/02/15(水) 13:06:24

>>153
あまり2ch等に詳しく無いのでわからないんだけど、
ココマデヨンダ  (・ω・`彡 )з )))  ってロイスレで産まれたの?
だとしたら本当に奇跡的とすら思えるな。
今度どっかで使ってみよう。
他のところで発見したら狂気乱舞しそうだよ。

>コミュニケーション不全の人間の慰めにはお似合いすぎる。
別に表現は不足してないと思うよ。口は悪いかも知れないけど。
まさにそうだと思う。


私の文章に関してなんだけど、
自分で思うには良くも悪くも感情的なんだと思う。

指示語を多様するのは責任回避の心理が働いてると思う。
曖昧にすることで、もし傷つく人がいても君のことじゃないって言える強み。
確かにこういう心理は気味が悪い。直すように心がけたい。

一方上のほうで、絵の様だ、と言って貰ったけど、
やっぱりそれも私が曖昧に書こうとしていることが原因だと思う。
本当は私はルールの多い言葉より、曖昧さを許す絵の方が好きだ。
あとは、単に厳密な言葉のルールを勉強不足だってこと。
誤字の多さ、文体の不一致を含め。

あまりに酷いと思った誤字、その他
 幽霊離脱 >幽体離脱
 絵を書く >絵を描く 
 そう言う >そういう

160(・ω・`彡 )з:2006/02/15(水) 22:17:27
「はみだしっ子」ってそんなにすごい話なの?
名前だけは知っていたけど。読んでみようかな。

ココマデヨンダ (・ω・`彡 )з )))  はココマデヨンダ氏ではないのだ。
私がパクリました。本人じゃなくてゴメン。

なんていうか、掛ける言葉がみつからないんだけど、何か言いたい時に
ビンゴ!な表現なので使用させていただいたよ。

トラウマを語る人に向かい合う時、どうしていいかすごく悩む。
放っておいて欲しいのか、何か言って欲しいのか。
だから、暫く見守ってしまう。これも責任回避の心理なのかな。

161(・ω・`彡 )з:2006/02/15(水) 22:21:17
どうやら、ましさんは会話がしたいようだから言っても大丈夫かな。
コップの話がでたから、それで例えようか。

私は、人それぞれ一個ずつコップを持って産まれて来るんだと思う。
大きいコップや小さいコップ、様々な種類があってひとつとして同じものはないの。
それは産まれついたときに大きさが決まっていて、代えられない。
ここに経験ていう水が入るとする。

崖から落ちちゃって、とんでもない傷を負っても這い上がれる人は、
元々このコップが大きくて丈夫な人なんだと思う。
死んじゃったり、メンヘルになる人はコップが小さかったり、繊細で割れやすかったり。

ロイさんの辛い体験を聞いて、離れていく人はコップが小さくて耐えられないからなんだろう。
決してロイさんが嫌いだからではないはず。寂しいけれど仕方が無いことだと思う。

どっちがいいってこともない。
コップが大きくて丈夫だからと言って崖から落ちたくはない。痛いのに変わりは無いから。

自分のコップの大きさや性質を知っていれば、自分には耐えられない
危険な崖は回避できるはずだよね。
自分を知るってこと。
自分のことは自分で分からないから、こうしてコミュニケーションを図って教えてもらうしかない。
ちゃんと教育を受けることが出来て、段階を踏んで自分を知ることが出来た人は幸運なんだと思う。

でも、そうじゃない人がいる。

私は元々崖の下にいた。そして這い上がって来た。
何度も落とされた。繰り返し、這い上がって来た。

這い上がって来た先に、絶望が広がる。また新たな崖。

どうやら、私のコップは丈夫らしい。何度も試練が下される。
私だって、崖に落ちたくはなかったけれど、もう落ちちゃって這い上がって来れたから、
この経験がせめてコップの小さい人や繊細な人が崖に落ちないための役に立てればなと思う。

162まし:2006/02/20(月) 01:12:40
>>160
>ココマデヨンダ (・ω・`彡 )з )))  はココマデヨンダ氏ではないのだ。
>私がパクリました。本人じゃなくてゴメン。
ココマデヨンダ が全て同一人物とは全く考えていなかった。
個人的には別に使っても全然問題ないと思う。

>>どうやら、ましさんは会話がしたいようだから言っても大丈夫かな。
会話したいです。何言われてもへこみませんし(笑
でもここの現在の状況を考えると、
悪い事してるようにひっそり書き込む気分。

コップの例え、感覚的に理解はしたと思うのですが、
私はそれが先天的に決まってるとは思えないな。
というか思いたくないというか。

私は今生きてるし、笑いもするけど、
別に死んでてもおかしくないし、
人を殺しててもおかしくないし、
狂っててもおかしくない。
何がそれを分けたのかなんて、私にはわからない。

例え先天的にショックへの許容度みたいなものが決まっていたとしても、
それこそ経験で変わることはあり得ないかな?

>ちゃんと教育を受けることが出来て、
>段階を踏んで自分を知ることが出来た人は幸運なんだと思う。
この辺は凄く納得しました。

163(・ω・`彡 )з:2006/02/20(月) 01:54:56
>>162
>悪い事してるようにひっそり書き込む気分。
んじゃ、こそっとw

>例え先天的にショックへの許容度みたいなものが決まっていたとしても、
>それこそ経験で変わることはあり得ないかな?
そうですね。ガチガチに決まってて変わらないってことはないかも。
例えば、コップの材質が金属だったら一回溶かして固めなおしたりね。
途中で欠けて半分の大きさになっても、全壊じゃないから何とか生きてたり。

>>159
>一方上のほうで、絵の様だ、と言って貰ったけど、
>やっぱりそれも私が曖昧に書こうとしていることが原因だと思う。
風船のところ、素敵だと思いましたよ。
こういう絵を思い浮かべられるような文章好きだな。
曖昧に書こうとしているというよりは、目に見えない空気のような曖昧なものを、
的確に描写する努力をしているように感じられたけどな。

164(・ω・`彡 )з:2006/02/20(月) 04:19:49
>>159
>あまりに酷いと思った誤字、その他
私も字の間違い多いんだ。御恥ずかしいことに。
PC使ってると、漢字書けなくならない??って言い訳?

言葉や文法も雰囲気やイメージで適当に使ってること多いし、気をつけなきゃなと思う今日この頃。

ロイさんの文章読んでて強く思ったことのひとつだな。

あれだけの壮絶な体験が書かれていても、おそろしく澄んだ印象を受けるのは、
文法きっちりしてるからなのかな。
そしてどこか夢の中みたいに思えるのは、普段使わないような単語が出てくるせいもあると思う。

165extright:2006/02/28(火) 15:21:41
>ましさん

夜明け前の青色を表現する言葉としてDAWN PURPLEというものがある。
15年以上前に松任谷由美がアルバムのタイトルとして使った言葉でもあるんだけど
そのプロモーションのインタビューの中で
DAWN PURPLEは赤ちゃんが胎内から生まれ出る時に見る色だという意味の言葉があったように思う。
うろ覚えで、ソースを探そうとしたけど見つからなかった。
ただ自分はその話を聞いてから、あの色を見たときのざわざわする心地が腑に落ちたよ。

166まし:2006/03/05(日) 11:09:25
>>164
漢字、私もよく間違います。
あ〜、なんだ、都合の悪い事はPCのせいにしときましょ、そうしましょ。

>>165
それは初耳。
確かに、殺されるような、生まれ変わるような不思議な気分の説明として
これ以上ないくらいの回答かもしれない。情報ありがとう。
なかなか見つけるのは難しそうだけど、私もソース探してみます。

ふと思ったんだけど、あの色の名前は難しいなぁ、と。
個人的にはミッドナイトブルーって名前は気に入ってたんだけど、
実際ちょっと色味としてはずれてるらしい。
群青、紫苑、はなだ、はどれも近い気がする。
名前の響きで一番ぴったりなのはforget me not blue
でもちょっと明るすぎるし、薄すぎる。
dawn purpleは持ってる本を見ても載ってなかった。
web上だと色を探すのはちょっと厳しそうなので
今度図書館にでも行ってみようと思う。
まあ、名前を付けちゃったらどんなものにしろ
違う気がしてくるのかもしれないけど。

167去り行く者:2006/10/04(水) 22:34:58
無駄レス

168去り行く者:2006/10/04(水) 22:36:50
無駄レス

169ss:2006/10/05(木) 17:53:23
レスの削除ってどうすれば良いの???
ワタクシ、ロイロイの生存を確認できた嬉しさから
回想録5にて場違いなレスをしてしまいました。

場違いで恥ずかしいので、削除したい〜〜っ!!

170ss:2006/10/07(土) 00:15:21
何度も躊躇ったけど、結局書きたいらしい。。
過去ログをいくつか読んでみて思ったこと。

・回想録では慄然とさせらるけど、雑談スレのロイロイは楽しそうで
安心する一方、そこに至るまではもの凄い努力をしたのだなと想像した。
・Tへ対するロイロイの感情は、父親へ求める感情であって、恋愛感情
ではないと思う。恋愛感情では断じてない!と言ってみたい
・ロイロイとアメリカの小説家であるJT.leroyとが重なった

こんなこと書いて、
過去ログを読むうちにまた削除してもらいたくなったりして。。ま、いいか。。

171ss:2006/10/07(土) 00:37:33
あ、もう一つあった

・ロイロイは簡単には削除依頼を受けてくれなさそう。。
書いたことには責任を持てなくちゃいかんのですね、はい。

172去り行く者:2006/10/07(土) 23:04:14
せっかくの努力を…

173去り行く者:2006/10/08(日) 21:43:02
なんでロイロイなんですか・・・。義務教育か、オタっすか?
少なくとも本人の前で勝手に愛称付けるのはなにかなーと、
ちと興味があるので聞いてみた。

174ss:2006/10/08(日) 22:16:08
義務教育かオタとは手厳しいですな。
意味を理解するのに苦しみました。

ロイロイに大した意味はなく「ロイ」と言うより
「ロイロイ」とした方が柔らかい印象があるからです。
自分に限ってですが。
「ロイさん」というのはしっくり来なく
ちょうどロイロイが、「うどんちゃん」と
そのまま書くのは抵抗がある、と言っていたのと同じ感じ

のような気がしますね。

175こん:2006/10/09(月) 18:27:46
簡単に人妻のセフレできました!!
ttp://sefurezuma.s1.freexy.net/

176去り行く者:2006/10/14(土) 21:26:49
つまり今日の本スレの言い分によると
>>173みたいなのもアウチってことなんすかね?

177去り行く者:2006/10/14(土) 21:37:01
ソノヨウデス

178去り行く者:2006/10/14(土) 22:21:11
つーか、ロイが作ったわけでもない「ロイのためのルール」があるのがヤなんじゃないの?
「ロイのために」をかさにきて忠告する発言がヤだっていうか。
不快な書き込みがあったなら、「俺が不快だ」と言えと。
「ロイのために」なにかするんじゃなくて、自己責任でものを言えと。
そんな風に自分は受け取ったが。

自分らは結局ここでのロイしか知らんのだから、読み違えはあって当たり前。
けど、それを恐れず「俺はこう思う」という発言を期待してるんじゃないのかな。
それがロイの言う「自由な発言」だと思うんだが。
正解はロイしか知らんwww

179去り行く者:2006/10/15(日) 00:51:58
>>176>>177
違うでしょ
ロイはアウチゾーンを作らないでくれって言ってるの
173とssがバトルっても全然問題ないってこと
「思う存分たたかいたまえ」くらいいいそうよあのお方

180去り行く者:2006/10/15(日) 00:58:31
本スレの81ってわざとやってるんだよね?
ノってみたというか
あれが素じゃないよな?
ていうか釣り?みたいな

181去り行く者:2006/10/15(日) 01:02:04
元々雑談スレはろいのためにっていうより
ロイ発言だけを読みたいロムラーのわがままからできたんだよ。
他のレスがうざいって言い出して雑談はここでしろになった。

182去り行く者:2006/10/15(日) 01:04:24
でもハイパーはこんなのロイが見たらカワイソウって別枠にできた気がする

183去り行く者:2006/10/15(日) 01:09:54
>>180
本スレ81は本気じゃない?
あんなふうに感じる人もいるのだからロイは面白いと思うんだろうな。
本スレ81も可愛いじゃないか。

184去り行く者:2006/10/15(日) 01:40:46
前にロイがこの手のことをまとめて書いてたのを探してみた。
本文は見つからなかったけど引用してるブログみつけたので紹介しとく。
ttp://blog.livedoor.jp/redcat1113/archives/28361472.html
July 18, 2005の続きを読む 以降の引用文
ロイはこの頃からずっとそう言ってたんだなって改めて思ったよ。

185名無しさん:2006/10/15(日) 18:07:45
>>184
読んだ。俺も読みたかったとこだから礼を言うよ。
そのブログの彼女は今でもここ見てるみたいだから
リンク禁止って知っててリンクしてたんだな
ならロイを好きっていっても意向を無視できる程度かとか
ちょっと思ったんだけどよくみたら壷の過去ログだけなのな。
この騒ぎ知ってるのか興味がある。

186名無しさん:2006/10/15(日) 19:28:25
ロイの今回の決断を後押ししたのはいったいなんなんだろうね?
そっちのほうに興味がある

187名無しさん:2006/10/15(日) 20:22:19
>>184
ロイ発言だけを雑談スレに転載させてもらった。
個人のブログをURLごと晒してしまうのはちと問題じゃないか。

188名無しさん:2006/10/16(月) 00:39:06
壷なら問題あるかもだけどここなら大丈夫じゃないか?
ま、以後気をつけたほうがいいかもしれないけど。

189こんなんみつけた:2006/10/24(火) 23:00:21
159 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/10/24(火) 20:08:56 ID:tB51ah9s
ロイって人の文章巧いね。巧すぎるくらいだよ。
自分は、人より読書量が多いほうだけどあのくらいの文章を書ける人って
本業にしている作家でも少ないと思う。

内容がホンマ物がどうかは、なんともね・・・。
部分的に海外の作品とダブル箇所がまったく無いとも言い切れないし。



160 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/10/24(火) 20:27:11 ID:agsEe7B2
うまいよね。
読んでるうちにネタかどうかなんてどうでもよくなった。
エロ話でない長文もすんなり入る。
ていうかいつのまにかそっちのほうに興味がでてきた。

でもそのダブル箇所と海外作品よかったら教えてください>159
それはそれで萌えとして興味あるので。

190日伝(宗教家ではない。ほんとは障害があとにつくw):2006/11/03(金) 17:40:08
お邪魔します。
雑談10で下記のレスに対する返レスが、
複数連投の形になるので、こちらをお借りします。

916 名前:日伝[sage] 投稿日:2006/11/01(水) 06:00:21
「"みんな”なんてどこにもいない」 と言った作家ってどなた?
太宰治の「世間て、つまりおまえじゃないか」 というのと似た発想?

918 名前:回想録5スレの204[sage] 投稿日:2006/11/02(木) 00:19:28
(抜粋)
>日伝氏
演出家の鴻上尚史氏。>作家
戯曲集もエッセイ集も山ほど出てるが、その言葉だけなら「孤独と不安のレッスン」ていう本に出てたかな。
太宰も「世間て〜」とか言ってるのかー。
鴻上氏も「世間とはつまりあなたを取り巻く人々のことなのです」と言ってた気がする。
多分発想は似たとこだと思う。
自分にとってはもう20年以上心の師匠なので、彼の著作に影響を受けてる部分は多々ある。


      *以下。上記への返レスですっw

>>918 太宰のそのことば確認するために、
中学ん時、毎月小遣い貯めて、一冊づつ買いそろえた太宰全集を
久々に取り出してきて、結局……ずーっと読みふけってしまったではないかっw
で、なんのこたあねえ。超ポピュラーな
「人間失格」 の中の一部だった…w
いまいち>>1の、著作権に関するテンプレがようわからんので、
あとで削除しやすいように単独レスにして引っ張っとく。

191日伝(宗教家ではない。ほんとは障害があとにつくw):2006/11/03(金) 17:41:12
(主人公が妻を置いて、他の女性のもとへ行き連れ戻される。
その後始末をした図々しく、押しつけがましく、恩着せがましい友人(?)の一言が最初)
(太宰治全集9 『人間失格』より抜粋。改行は引用者)

『「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。
これ以上は、世間が、ゆるさないからな。」
 世間とは、いったい、何の事でせう。人間の複数でせうか。
どこに、その世間といふものの実体があるのでせう。
けれども、何しろ、強く、きびしく、こはいもの、
とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、(略)ふと、
「世間というのは、君ぢゃないか。」  
(略)
(それは世間が、ゆるさない)
(世間ぢゃない。あなたが、ゆるさないのでせう?)
((略)世間からひどいめに逢ふぞ)
(世間ぢゃない。あなたでせう?)
(略)
(世間ぢゃない。葬るのは、あなたでせう?)
(略)その時以来、自分は、(世間とは個人ぢゃないか)といふ、思想めいたものを
持つようになったのです。
 さうして、世間と言ふものは、個人ではなからうかと思ひはじめてから、自分は
いままでよりは多少、自分の意志で動くことが出来るやうになりました。』

192日伝(宗教家ではない。ほんとは障害があとにつくw):2006/11/03(金) 17:50:20
他にも印象に残ってて、いまだに自分に影響を与えてる言葉が多いことに気づいた。
たとえば、女性と関係を結ぶことを
「罪を犯す」という言いまわし。(当時は普通の言い回しなのかもしれないがこういう言い方に
ふくまれてる倫理感が、実は自分にけっこう影響を与えてる気がする)
官僚批判から始まって、その官僚の家庭生活を空想描写したあとの、ラストの一言。

「家庭の幸福、諸悪の本(もと)」           とかねw。    

鴻上尚史って読んだことないけど、
俺が尊敬する吉本隆明の 自費出版不適期刊行直接購読雑誌(なげえw)
「試行」に舞台公演の広告のせてた記憶がある。
「第3舞台」とかいう名前じゃなかったっけか?
だから、「あぁ、この人も隠れ吉本ファンか」 とそれだけが印象に残ってた。
>(わぁトシがバレるw)
心配すんなw。俺も吉本ファン歴は軽く20年以上。150冊以上読んでるからw 

吉本隆明が尊敬 なら
ロイはまぁ、リスペクト って感じかなw

193名無しさん:2006/11/04(土) 00:52:35
というわけで移動ー。
太宰の引用部分、なるほどそうか、とw そのまんまだね。
自分は太宰は教科書に載ってるのくらいしか読んだことがないのだけど(汗)
吉本氏に至っては、吉本ばななの父親、くらいしか知らず。スマソ
とりあえずほぼ日を読んできたけど、面白そうな人だ。

鴻上さんは、そうそう、第三舞台主催。
紹介した本(孤独と不安のレッスン)もほぼ日に書評が載ってるので紹介しておくです。
ttp://www.1101.com/editor/2006-07-25.html
日伝氏が読むと、「ああ、この人吉本氏の影響下にいるな」とか思うかもしんないw

鴻上さんの言葉は、私の中で息づいて血肉になっているので、もうすでに「知識」じゃなくて「実感」の域にある。
その「実感」から自分もモノを語っている。
仮に鴻上さんが吉本氏の言葉を消化して、「実感」として伝えてくれているとして。
その吉本氏にも元ネタが……とか考えていくと、最後はどこかひとつのところにたどり着いてしまうのかなあ、
とか考える。
「そう誰彼も 何百年も 同じことで悩んだのだろう」(好きな歌の歌詞)
みたいなー(笑)

あなたがあなたである限り、私が私である限り、どうしても傷つけてしまう、という悩みは、
いつの世もある悩みかもしれないねえ。

194日伝:2006/11/04(土) 21:08:54
>>193 面白そう>「孤独と不安のレッスン」 
URLの内容紹介見たけど吉本の影響とか関係ないと思われ。ご安心あれw
逆に鴻上氏の方が、(あの書評から察するに) 読者への影響、というか浸透力強そう。w
吉本に関しては影響というよりたぶん、党派に属さない、独力でやる、
ってことに共感してた、って感じなのかも。    

つか、吉本(と、通ぶってこう呼ぶw ちなみに下も「りゅうめい」と読みたがるのがファンw)
てえ人の文章は、影響される前に「自分で考える」ことを迫られる。
たとえば 
「頭がいいというのは病気だよ」とか(原文は忘れた) 
言いっぱなしで解説無しw だからそれどゆこと?と自分で考えて
自分で答えをだすほかない。
「大衆の原像」とか「立場の絶対性」とかの重要な思想も、
自分で考えて自分で答えをだすほかない。
影響を受けるというより、自力で考えなきゃならなくて、
結局は感覚的なわかり方以外ない。 しかも本人も時代に応じて言い方も換えるしw

う〜む、吉本になると、どうしても燃えて、長くなるw (実はここまでもう三分の一に削ったw)
いやいや、聞きたかったら、いくらでも書きますよっとw 
負けじとほぼ日(実は今回はじめて知った<汗>)のまかないめし を貼ろうかなと思ったけど
糸井がしゃべりすぎっw 
ま、「吉本隆明」で検索すればけっこういっぱいあるんでけ驚いた。。。

吉本は、子供時代に教師に言われてその後ずっと引き摺っていることを
「引っかかり」 と表現してたな。
ま、たしかに何千年もの間、人々は同じよう事で悩んでたのかもしれないけど、
個々の人間は、それぞれ初めて悩むんだよねえ。。w

195名無しさん:2006/11/05(日) 01:07:27
>「頭がいいというのは病気だよ」
これすごく引っかかるな。
普通より気がまわる人という意味なら、納得なんだけど。

様々な出来事を想定して、
“こう来るなら先に、こうしておこう”という手順を踏んでいるのは
できすぎると病的ではないかと思っている。
迷惑ではないんだけど、ちょっと普通じゃ無い、みたいな。

という余談。

196日伝:2006/11/05(日) 06:58:24
>>195 引っかかるだろ?ww  
俺はこれをまったく「文字通り」そうなんだと
ある種の実感で納得するまでに、
引っかかって考えだしてから数年(ひょっとしたら十年くらい)かかったw。
俺はそれをてきとーに「感情障害」と名付けたw。
ほぼ日の糸井との対話で名前の挙がってた
「知の3バカ」(蓮見重彦・浅田 彰・宮台真司)みたいなのを
指してると思うんだけどね。>「無意識が荒れてる」

ここは余談つうか「長文用雑談スレ」だしね。横道それるのありでしょw

197日伝:2006/11/05(日) 21:09:49
ましちゃ〜ん(こっちはご要望にお応えして「ちゃん」)
(回想5スレは「氏」で統一<除く「ロイ」。仲間はずれはいやかな?w)

で回想5 の399で言ってたこと(戻らなくていいように引用)
399 名前:まし[] 投稿日:2006/11/01(水) 16:29:59
誰かの言った「みんな」って言葉が、
言われた人の思う「みんな」と違うかもしれないなんて、
そんなの当たり前のことだと私は思ってたんだけど、
そう感じない人が多いんだろうか。

客観的事実なるものが、本当にあると思っている人と
はなからそんなものは無いと思っている人間との間には、
深い溝があるのかもしれない。
       * * * 

「みんな」の話も「事実」の話もそうなんだけど、
まずそれぞれの辞書的な定義ってもんがあって、
それに則って話しをはじめないと判りにくい訳で。
(特に掲示板みたいに互いに見ず知らずの人間同士の会話の場合)
(と、人にえらそうに言える俺ではないのだが、棚にあげてw)

198日伝:2006/11/05(日) 21:12:09
で、ましちゃんが、一時閉鎖の前にカキコしたの読んでて(>>118
「青」の話とか(>>119,>>166) 
ある特定の「単語」に対するこだわりの強さってのを感じて、
そのこだわりって感覚的というか「詩人」的なこだわりで、
通常の辞書以上の意味、
(というか感覚・像)を「ひとつの単語」に込めようとするんだな、と思った。

ま、誰だって「木」と言われて思い浮かべる像は
それぞれかもしれないけど
ある人が特定の「木」だけ思い浮かべて
「木」という単語を使ったとして、
それを他の人がその像と同じ像を思い浮かべないとしても、
それを「通じない」というのは、自己回転だと思った。

まず「木」という単語が示す「像」ではなくて
「(辞書的)意味」を基本にしないと
文字しか信号がないネットでは
話がすれちがう可能性が高いかな、と。
その単語がむづかしい抽象的・思想的単語じゃなくて
ごく一般的な単語である場合は、特にすれちがいをう生みやすい。

199日伝:2006/11/05(日) 21:13:30
で、「みんな」とか「事実」という単語に関しても、
ましちゃんは普通の辞書以上の何かを、
その単語に込めているとして、
それを説明できないもどかしさはあっても、
「言葉」が通じないとか、溝がある、というのとは少し違う気がする。

単に「単語」の一般的な「辞書」的な内容と、
ましちゃんが「詩人」的に思い浮かべるその「単語」の中身とが
微妙にずれてるだけでない?

それは、ま、根気よく説明(質問)すれば、
完全にはむりとしても伝達可能ではあるかも。

200日伝:2006/11/05(日) 21:15:30

んで「客観的事実なんてものはない」
という話なんだけども。
あの言い方の印象だとよくわからないのは
結局 すべては相互主観であって、
「この世界は、それぞれの主観が寄り集まってできてるだけさ〜」
と言いたいのか、そのへんいまいち判らなかった。
「事実なんてもんはなくて、それぞれの人の「物語」があるだけさ〜」
となるのかな?と。  

それなら俺は大反対なわけで。w で、長くなりそうな気がして
こっちへの移動を提案したわけです。
ただ、この世界に客観なんてなくてすべては主観(相互主観)だから
価値観なんてばらばらが当然。ということなら、
価値観の話だから回想5に戻ってもいいけど。

それは、いっぺんこっちで話してみてからでもいいんでないか。>ましちゃん

201日伝:2006/11/05(日) 21:54:55
「大反対」は言いすぎた…… 「すこし違和感をおぼえる」に下方修正しまつ…ボメンm( _ _ )m

202まし:2006/11/06(月) 06:08:52
おう。こんな下にあったのかいw
寒くて目が覚めちゃったよ。せっかくだから書いたの投下。

>日伝様
わざわざ引用までして頂いてありがとう!
一時閉鎖前の読まれてしまいましたか。。。
ポエマーさんで恥ずかしい〜。
アレは特に感傷的になってる部分有るから、
言葉に託したものが重く見える部分があるのは見逃しちくり。
日常生活ではもうちょっと普通ですよw
(おそるおそる読み返したら、顔から火が出ましたよ。
修正したい箇所山ほどあったけど、見なかったことにしたw)

お互いの認識を言葉にして語り合う行為がかったるいってのはあるね。
ちょっとの誤解くらいいいから、先話そうぜってなる。
結果、辞書的な意味とかけ離れて言葉を使う結果になったり。
(そのへんはたぶん、日伝さんにとっては腹立たしい態度かな、
という気はしないでもないのだが。。。)
逆に、自分なりの解釈を説明するとなったら、
どこまで説明していいのか、分からない。
一つの単語にだって、その人がこれまで生きてきたのと同じだけの
重みと意味があるとも言える。

辞書的な意味で使うのが妥当だというのは、
まったくもってその通りで、ぐうの音もでない。
複雑なものを語る時に、ちゃんと分解して
適切な単語に妥当な意味を乗せるってことが苦手なんだ。
だって、面倒くさいんだもん(ゴメン)
もうちっと気を付けたほうがいいかな、と自分でも思うよ。。。

ロイや日伝さんの書き込みを見ると、
そういう手間を惜しんでいないから、頭が下がるのですよ。
でも同時に、「この人達、面倒ではないのかしらん」とも思う。
正直なところどう? やっぱり面倒になったりする?
それとも正確に言葉にする作業が身に付いていると、
それほど負担でもないのだろうか。
(どれくらいの時間かけて書いてるのって質問は、
この辺がちょっと気になったからってのもあるのかも。今考えるとね)

やっぱりね、どんなに言葉を尽くしても、
結局完璧に通じないって思うからこそ、
めんどくさくなる部分はあるね。
だったらいっそ、曖昧なまま、感覚に訴えるほうが有効な手段じゃないか、と。
(努力の放棄ととられても仕方はないと思うが、
本人は違う方法を模索しているつもりなのです)

203まし:2006/11/06(月) 06:10:41

>>119
たぶん、ちょっと誤解してるかな。
私は別に、イメージのズレがあることに悲観的になっているわけじゃない。
時にそのズレは楽しい誤解を生むことがあるし、
必ずしも悪い物だと思っていないんだけど。
最低限、話が進めば「通じてる」って思ってるよ。

それとは別に、
ズレの存在自体を認識出来ない人がいるのかなと気になったのよ。
(客観的事実があると思ってる人って書き方はまずかったかも)
そして、そのズレが生じうる可能性に思い至らない人には、
いくらその辺の感覚を理解してくれといったところで
わかってもらえないのではないかと思った。
(そしてズレが生じてる可能性に思い至らない人達は、
時に悪意なく自分の価値観を押しつけてしまうのではないか、
という憶測が先にある)

別にズレを意識出来る人に対しては、
自分なりの言葉の意味やイメージを
説明しようと思えば出来るわけで。
(実際私は、ここにいて議論に参加している人なんかには、
言葉を尽くせば通じるのではという気はしているし)
しかし、ズレの存在自体に思い至らない人に
自分の物の見方やら何やらを語るのは、
もはや嫌がらせなのではないかと思ったのよ。

まあ正直、回想5 の399 については
後で自分で読んで、意味のわからなさに頭抱えた。
上手く言い表すことが出来なかったんだ。
そしてこれだけ書いた後でも上手く説明出来た気がしないよ。。。

204まし:2006/11/06(月) 06:15:59

>「この世界は、それぞれの主観が寄り集まってできてるだけさ〜」
近い、けどちょっと違うかな。でもほぼその通り。
(もしかして口調までまねてくれたのかw)
「客観的事実があるかどうかは結局わかんないさ〜」ってこと。
だから私は「信じる」ことぐらいしかできないと思っている。
本当の事実があるかないかってのを始めると、
精神衛生上よろしくないのは経験済みなので。

誰かがが言った「木」を木だと理解し、
私の言う「木」がみんなの中で木だと理解されるだろうと思うことは、
私にとってただのお約束に過ぎない。
そして私にとっては愛すべきお約束ですよ。

>ただ、この世界に客観なんてなくてすべては主観(相互主観)だから
>価値観なんてばらばらが当然。
たぶん、私はそういうふうに世界を見てる。
共通の価値観を持っていると信じ込むことはあるだろうけど、
基本はバラバラで当たり前だと思う。

私なりの見方でありやり方だから、
もちろん万人に納得させようとは思ってない。
でも反論はちょっと楽しみ。
自分の世界観をがらりと変えてくれるかもしれない意見って、わくわくする。
お互い相手を屈服させようとしている訳でないのは分かっているのだから、
遠慮無く、「大反対」って言ってもらっても構わないよ〜。

あ、あと専門用語は正直苦手なのです。
哲学にしろ、社会学にしろ、心理学にしろ、
素人な上に勉強もしてませんので。。。
出来るだけ自分で調べるようにしますが、理解がおっつかなくても勘弁ね。

本スレの方もあのまま流れに任せて、誘導とかはしないつもり。
だいぶ話がずれているとは自分でも分かってるんだけど、まあそれも一興かな、と。
客観・主観云々の話は適当にこちらでってことでどうでしょう。

205日伝:2006/11/06(月) 21:06:18
あのさ、今の流れは、正直、まだ生煮えの状態のまま、
皆、考えて、考えを修正したり、強化したりしながら、
煮詰めようって段階だと思う。
それと、コテ同士は、相手の言うことだけ考えて、一生懸命考えるんだけど、
見てる方は、両方をわかろうとしなければ、話についていけなくて、
これって、しんどい、と思う。  だから基本あそこは「ロイスレ」なんで、
生煮えの段階は、こっちでした方が、お互い、気を遣わなくて楽、って感じ。
もう、やめたい、もありでさ。

いまんところ、俺とましちゃんの「客観的事実はあるんか」つう話と、
本スレ(回想5)でやってた「地雷」と「価値観」の話ね。

整理したいけど、ちょといま、時間的ゆとりと、精神的ゆとりがないんで、
俺的には、ポイントをもちっと明確にしたい。 
実はそのためには「もっと考える」必要があんだけどね。www

俺的には、今 (回想5でのロイの
「438 名前:ロイ ◆jo9v3HJTJU[] 投稿日:2006/11/06(月) 16:32:50
すまないが私は少し休む

を受けて、いま、そういう感じ。 ロイが休むんなら、こっちで続けたい。

206日伝:2006/11/06(月) 21:09:01
あ、もちろん、コテじゃないけど、思うことを語りたい、も当然、おああり。
つか、誰か、論点を整理してみて、って感じも多少ある。
ま、俺も、すこし時間ができたら、やってみるけどさ。

207日伝:2006/11/06(月) 21:09:56
おああり→大あり

208日伝:2006/11/07(火) 16:55:22
[ 事実 ] について。 

誰も人のいない森で木が倒れた。   

これは事実か? 誰もそれを見てない。確認はできない。
なんつうか、全然哲学用語を使わないですむようにしてみた。

で、誰が見てようが、確認できなかろうが、起きた事を「事実」と。
とりあえず、簡単な話にしてみた。 哲学用語なし。(期待はずれ?w)

209日伝:2006/11/07(火) 16:57:18
一部 日本語に難がありますが、意味は通じるでしょ?w

210日伝:2006/11/07(火) 21:41:04
で、誰かがそれを見てたとする。
それを人に話す。  そいつのいうことが「事実」かどうか。
それを他のやつが検証できるのか。
それを証明できなければそれは「事実」でなくなるのか。

これはそれぞれの人の「見方」だな。

「その段階」だけ見れば、(つまり目撃者が見たことが事実かどうか)
という場合、「藪の中」になる可能性がある。
だが、それはきちんと考え、調べれば、木が倒れたのが、
たいだいいつ頃か、何が原因か、判明する可能性がある。

要するに主観を通す前の事実 「客観」が存在しないのというのは、
「その段階」のはなしだということ。
それ以前に 事実は存在する。 

これを認めるか認めないかが
哲学のそれぞれの立場っちゅうもんではあるんだけど。
哲学の立場っちゅうもんと、事実が存在することは、別もん、と思ってる。

211日伝:2006/11/07(火) 21:43:09
ん? 結局 なんか、ややこしくなってしまったか?w

212日伝:2006/11/07(火) 23:30:28

さて「地雷」の問題関連だが、もうひとつ思いついた。
まだ、「生煮え」なんで、とりあえずこっちに書く。

思いついたのは 「余裕」 の問題。  

たとえば「世間」てえもんは、何人からだ?w
俺対君 で話してて、俺が誰それもそう言ってる、と相手のことに関して言う。
それを 俺とそいつの2人だけと受け止めず、
一気に「世間」の声化してマイナス反応してしまうとしたら、
「余裕」が失われてる ってことじゃないか。  

その「余裕」を失ってるってのは、なにか追いつめられ体験があって、
過敏になってることをあらわしている気がする。

余裕とは、冷静に「それは今のところお前とあいつの2人だけの意見だな」
と、「距離」を取ることができる(考えられる)状態 のこと。

本スレ(回想5)に持っていくのはもうちょい待つ。
ロイの質問一覧にたどりついたら回想5にもっていく。

213日伝:2006/11/07(火) 23:46:55
  俺が「だれそれもそう言ってた」という。
それは「みんな」そう言ってるとはまったく違う、と当然俺は思い込んでいる。
俺が同じようなことを言われても
「そうか「あいつ」もそういう考えかい」と
話にでてきた「そいつ」もひとりの個人として見なす「余裕」を持っていて、
それが普通だと思っているからだが、
相手にはその余裕があるのか、ないのか、どうやって見分けることができるか?

不可能に思える。

しかし、じっくり研究された心理学マニュアルみたいな研究があれば
何かしら「ヒント」ぐらいは世の中に存在するんじゃないか、

と期待してみたいわけだ。
それがまさに「知っていて損はない」ということじゃないか、と。

214回想録5スレの204:2006/11/18(土) 01:31:27
あれ?

215回想録5スレの204:2006/11/18(土) 01:34:46
書き込んだつもりが消えたー。しょうがない、もっかい書こう。

地雷について。
相手がその地雷を抱えていることでひどく苦しんでいると感じるとき、
あえて踏んでみることがある。
たとえ誤爆であっても、一度爆発させることで、すっきりしてしまうこともあるからだ。
意識せずに踏んでしまった地雷は、罪悪感を伴って自分の中でいつまでも痛むけれど、
気づいてしまった地雷は踏んでみたい衝動を抑え切れないことがある。

そして、好奇心を持った猫は殺されるのだった(笑)

216回想録5スレの204:2006/11/18(土) 02:24:22
誤爆はずかち。

>>215は、ひどくヒロイックな幻想だ。
「自分が誰かを救えるかもしれない」という、甘い誘惑。
地雷云々より、そういう驕りはバレるんだよなあ。
どうしようもない自分自身から目をそらすために、イイヒトになろうとしている。
ある意味相手を利用する行為だ。

まあでも、実際助けてしまうことも、ないことはない。
役に立ったならそれでいいかなと、思うより他なかったりするのだった。
自分が救われるために。

217日伝:2006/11/18(土) 06:00:40
>>216 ギクリとしたw

218日伝:2006/11/18(土) 11:34:39
それと、あのタイミングで誤爆は なkなか面白かった<204ちゃん

219まし:2006/11/18(土) 18:47:50
ちょっと来れない間に、びっくり。
日本語さん、204さん、返事もらったのに放置する形になってごめん。
今更話蒸し返すなよって気もするけど、一応書いてみた。
適当に流してちょ。

「事実について」
>>210
>要するに主観を通す前の事実 「客観」が存在しないのというのは、
>「その段階」のはなしだということ。
>それ以前に 事実は存在する。 
それ以前の段階があると認めるか、認めないかの話ではないかと。
「客観」=「主観を通す前の事実」≠「事実」?

森で木が倒れ、誰もそれを見ていない。
後からそれを確認することも出来ず、
だれもその可能性に思い至らない。
その時、「森で木が倒れた」という事実は
あってもなくても同じではない?

220まし:2006/11/18(土) 18:49:00
「みんなについて」
(ある体験の・・・回想録5 の 435から437へのレス)
>204さん
世代については全く考慮してなかった。
たぶん、私の世代は個を大切にしようって考え方に馴染んでる。
教育的にも、たぶんそう育てられた。
そして個性重視の寂しさから
小グループに別れて殻に閉じこもる傾向がある気はするし、
おたく世代でもある。
世間からつまはじきにあうよりは、
コミュニティーからはじかれることのほうが、
リアルに恐いと感じる世代なんだろうね。

けど、「みんなはみんなじゃん」って書いた時に
どちらかを想定して書いたわけでは無かった。
自分と違うくくりの「みんな」があると
思いもよらない人がいるのかな?
っていう疑問のための、中身のない言葉なの。
どちらの意味でとってもらってもいいです。

「みんな(=世間)」に従うことのメリットがリアルだった時代……。
そうか。メリットがあったから、そうなんだと思えば、
それほど不可思議でもないや。
(この辺、実感が伴っていないための不理解だった。いいこと教えて貰った)
そうだとしたら、「みんな」であることのデメリットを知って貰えば、
理解し合える可能性はあるね。
「みんなって誰のこと」って詰め寄るやり方も、凄く魅力的。

結局、話しても分かりあえないんじゃないかって、
そう考えてしまうことが溝を作ってるのかもね。
努力しない内から絶望しててもいいことないし、すこし元気出た。

221まし:2006/11/18(土) 18:56:01

>>215
自分はなんか相手との関係が停滞してるって思う時に、
わざと地雷踏んじゃう時はあるかも。
悪いほうに転んでもいいから、動かないよりはまし、みたいな。
相手にとってはやっぱり迷惑この上ない話なんだろうけどね。

222日伝:2006/11/18(土) 22:17:32
>>219 「脳が存在する前に世界があったこと、を認めるかどうか」
これが唯物論と観念論の違い。
もっと極論をいえば、自分以外の世界はすべて虚妄にすぎない。
自分だけが実在であり、他は、自分の観念が生み出した投影にすぎず、
自分が死ねば、同時に、世界も消える。
これが、「唯我論」 。
閉鎖的な人間関係の中で育った者が陥りやすい考え方。
俺自身、マックス・シュタイナーの「唯一者とその所有」に
中学時代はまった。

自分が認識できなければ、事実ではない、というのは
世界の可能性を否定することと同義だ。

223日伝:2006/11/18(土) 22:37:17
>>215>>221
最近ソーシャルネットである女・男・女関係に巻き込まれて、
かなり、そこに深くコミットするハメになっていた。
互いが互いの地雷を踏みまくって、爆発だらけw
だが、どれがどう地雷かなんて、もう、かまってる余裕すらない。
だが実際に生育歴のなかでついた地雷は、
言葉でなくてもたとえば「アク禁」でも爆発した。

トラブルの相手たちの一人は以前、誤解がもとで地雷をふみ、
いったんネット上から消えさせてしまた女性だった。
謝罪は受け入れられず、無視されつづけたが、
今回のトラブルで、そのこととは別に
俺(たち←ここがミソ&地雷だったがw)を
激しく避難するメルを何度も送ってきた。
ある種の恩義を感じていた女性だったが、
感謝の念が失せた。
すると、謝罪の言葉などでず、(彼女の彼は謝罪を要求していたが)
地雷がどうかなんて気にすることもなく、こちらの言い分を通した。

う、だいぶズレたか…。w   ま、一応投下。。スルーの方向でw。

224日伝:2006/11/18(土) 22:44:39
人は誰でも、
自分の皮膚の内側の
孤立した時間を生きるほかない。
皮膚が破れれば人は死ぬ。

だからといって皮膚の外側にも
時間があることを、否定、軽視するなら、
ただ、単に自分の視野を狭めるだけのこと。

もちろん、皮膚の外側の時間、
そして他者の皮膚の中の時間を
完全に理解することなど、
先験的にありえないのではあるが。

にも関わらず。 だ。
あるいは、
それでも。  だ。

225回想録5スレの204:2006/11/20(月) 00:34:56
Kの話を読みたくて、過去ログをひっくり返している。
回想録5スレで出てた劣等感云々の話だが、無印回想録の630〜のロイのレスに
関連しているようなものがあったよ。

自分はロイのような体験もないし、どちらかいうとひどく普通に育ったと思っているのだけど。
ロイの言う「どこへ行っても異邦人」という感覚が、自分にもある。
日本人の平凡なサラリーマン家庭に育って、転校したこともなく、旅行でも外国に行った事もないのに。
自分と相手の共通点より、自分と相手の差異に先に目が行ってしまうせいかもしれない。
「同じだ」「同じ思いを持っている」と思われることはわりと多い。
だけどそれは、相手の言うことを理解しようと努めた結果に過ぎない。
そうやって努めて理解してみるのだけど、自分が理解されたと感じることはあまりない。
自分が何か壁を作っているのかなと思ってもみる。
そう思うから、努めて正直であろうともする。
けれど、正直になればなるほど、理解されることから遠くなる気がする。
自分だけが特殊なのではなくて、みんなそれぞれに違うのだと思うのだけど。
他の人が言う「同じだ」という感覚は何なのだろうと不思議になる。
「近いな」と思うことはある。
でも、どうして他の人は確信を持って「同じだ」と言い切れるのだろう。
故意に合わせることはできる。
けれど、意識して合わせている以上、それは「同じ」ではない。
それをどうして「同じだ」と思い込めるのか、不思議だ。

以上独り言。

226回想録5スレの204:2006/11/20(月) 00:46:51
わはは、上の文章、間接的にロイと同じだって言ってるね(笑)
僕らは判り合えないってことを判り合うのさー。(by フリッパーズ・ギター)

>>220
自分は「みんな」という言葉を便利に使うことに対して嫌悪感がある。
嫌悪感があるから、「みんなって誰のこと?」と問うと、そこにとげとげしさが含まれてしまう。
だからわりと飲み込んでしまうことが多いんだけど。
フラットな気持ちでそう問えるなら、理解も進むかもしんないなー。
自分はこー、そこを問い詰めて追い詰めてものすごく傷つけてしまったことがあるので(汗)
(だってみんなと一緒じゃないと生きていけない、と泣かれたときはさすがに参った)
無理に答えを引き出すのも良し悪しかなあ、とも思う。

227回想録5スレの204:2006/11/20(月) 00:57:30
前後するけど
>>217
「相手を救いたい」という思いは、善意ではあるけれど「相手を変えたい」という思いでもあるんだよね。
「君の悲しみを取り除きたい」という気持ちは、「悲しむ君を自分が見たくない」というある種のワガママでもある。(ぉぃ
本当に慰めたいのなら、こんなヘリクツ考えている間に飲みにでも誘ってバカ騒ぎしたほうがなんぼか効果的なのかもしれん。
実際に相手が慰められなくても。
慰めたいという気持ちが伝わればいいのかな、とか。
相手を変える一言を延々考えるより、「いつでも電話して来い」という言葉のほうが役に立つのかもしれない。
どうもトシ食って自由に使える時間が減ると、効率を求めちゃっていかんな、とか考えたさー。

228回想録5スレの204:2006/11/20(月) 01:48:20
もいっこ、事実と意見について。
写真に写るものが事実、写真に写らないものは意見、という分類法があるらしい。
ビデオでもいいけど。
「誰もいない森の木が倒れた」は、そこにカメラがあれば映像に残せるから事実、
という分類になるだわね。

もっと前の「古い本」にしても、どのような状態になると「古い本」と判断するかの
基準がみんな違うから、これもやっぱり分類としては「意見」に入れられるかもなーと。
本は何年でも本屋に並んでいる限りは「新刊」だし、誰かに買われた時点でどれほど新しくても「古本」になる、
というのは言葉遊びか(笑)
まあどっちにしても、分類法のひとつに過ぎない。

会話で普通に使うときは、「事実」=「相手に強制的に判ってもらいたいこと」のような気がする。
その前提で話しますよという、宣言みたいなもんかなー。

229日伝:2006/11/20(月) 07:53:17
結局、善意ってなんじゃい、って話になってく気もするな。
費用対効果 じゃないけど 善意対効果 ってね。w

善意なんて、「余裕」がふきとびゃ、んなもん、たいして言動を規制しねえな、
ってのが最近の経験だけどね。w

事実 って言葉のレベルを、たとえば、
「地球は回ってる」とか、いま闇スレ2で話されてる
「南京大虐殺は事実か」ってレベルで考えるかどうか、ってのがある。と思う。

230回想録5スレの204:2006/11/21(火) 01:04:46
今日ロイ語録保管庫に貼り付けがあったロイのレスがそんな感じだね。
>善意とはなんぞや
どんな気持ちから出たものにしろ、自分がやったことの拒絶を許容できるようじゃなきゃ
善意とは呼ばない、という線引きはどうだろう。
余裕のない善意はどんなものであれ鬱陶しいな(笑)
余裕のない状態で他人にしてやれることにいいことなんてひとつもない、とまで思う。
自分を大事にするってことかな。
ギリギリの状態でそれでも身を投げ出すことを「美談」にしたがる人は多いけどねえ。

地球の自転は既に撮影されているので「事実」に間違いないと思うのだけども。
(撮影手段がない時は、天動説の方が事実として力があった、とは思うけど)
南京大虐殺やら、731部隊やらは、資料がすぐ見られるところに出てきてないからなあ。
論争になるのは、それが事実か事実じゃないかが問題ではなく、
必ずその事実に対する責任追及が付随するからじゃないかな。
認めたら責任を取らされる、となれば、うやむやにしたくなることは日常でもある。
裁判とかね。
被害者の「事実が知りたいんです!」という言葉を、はいそうですかと聞いて事実を話して、
なんのお咎めもない、なんてことはないからなー。
南京大虐殺とかは、「この写真に写っているのが事実です。さて、この場面は虐殺に見えますか?」という
論争になっていくような気がする。

231日伝:2006/11/21(火) 04:28:04
>>230 貼り付けてるの俺。w

何か人に対してできることはないか。
これって、でも、個人の思いだろうか。
小さな共同体の「違和」をとりのぞこうとしてるだけじゃないのか、
という疑問がある。 
だから余裕かませなくなると、もう押しつけ(矯正)にしかならないんじゃないか、と。、
逆に悪意ってのは、「自分」のため。
ひねくれ杉かね?w

事実があったかどうか、ってのは、「認識」の問題。
認識できなくても、実際に起きた(ている)出来事を、
事実と呼ぶ。 
以前ドキュメンタリーに関して田原総一郎が
「事実なんてものはないんだよ」と言い捨てていたが、
ドキュメンタリーで検証できない、証明、照明できないからといって
事実そのものがない、というのは、あまりにも短絡的すぎる。

232回想録5スレの204:2006/11/22(水) 01:00:24
なんだ、そっか(笑)>貼り付け

善意も悪意も自分のため、という割り切りをしている自分はどれだけひねくれてるんだか(笑)
こういう言い方をすると良く怒られるんだけど、自分にメリットを感じない親切はしないことにしている。
メリットてのはモノやカネじゃなくて、「なんとなくいい気分になる」ということも含めてだけどね。

事実=実際に起きた(ている)こと、には同意。
ただ、人である以上、どこまでそれに付随する感情を排除できるかがカギになる。
車の前に飛び出した猫を避けようとして事故り、誰かを死なせた運転手に対して、
かわいい猫を避けた美談と取るか、はびこる野良猫を悪と断じるか、
前方不注意として運転手を責めるか、歩行者の不注意と責めるか。
それによって語られ方は全然違ってくる。
事実は存在するだろう。
だけど、受け取る人間側が、事実をそのまま受け止めるには不完全なんだな。

事実には善も悪もない。
それをどこまで認められるか。
それができないと、人間は「事実」を知り得ない、とか、考える。

233日伝:2006/11/22(水) 07:23:28
結局、事実を、それぞれの人がどう認識し、解釈するか。
その「解釈」を主観といえば、
認識は、まず、事実を、知ってる(知覚)したかどうか。

だけど、いまだにましちゃんの、事実はない、ってのは
この、起きた出来事そのものも、ほんとにあったのかな、という
根の深い疑いなレベルの気がして、気になるんだけどね。。

解釈の問題は、これは…それだけで
また別の深い話になりそうでコワひw

234回想録5スレの204:2006/11/23(木) 01:15:05
ふむふむ。
まあその、なんだ、自分が語っているのは自分を苦しめる解釈からどう逃れるかの方法論みたいなもんだから(笑)
傷ついたとき、主観を排してできる限り純粋な事実だけを取り出し、
別方向からポジティブな解釈をしなおす、というのは、認知療法の基礎だし。

ましたんのお話は、なんだろな、自分の目に見える、手に触れられること以上のものを考えても、
それが手に余るなら考えなくても支障はないんじゃないか? という話のような気がする。
男女差別と言われることを考慮しつつ、とても女性的な考え方だなあと。
そんな風に「今、ここ」を大事にする感覚も、時には必要だと思うよ。

解釈の話は……>>232では4つしか挙げなかったけど、上の件だけだってきっと無限に解釈はあるだろうからね。
そこで「どれが正しいか」という議論になると、水掛け論になって疲弊するんじゃないかと思う。
ひとつの解釈に固執しない姿勢が大事だ、とは思うけれど、
自分なんかはひとつのことを無限に解釈し続けてしまって疲れることがたまにあるw

235日伝:2006/11/24(金) 10:55:23
>>234 そうか、俺は知らずに自分に対して認知療法ってのをしてたのかw
ちと、興味が湧いたんで、いっぺん軽く勉強してみるわ>認知療法
(ま、とりあえず「軽く」ねw)

ましちゃんのが、その女性的な「割り切り」「切り捨て」なら、
それは、まぁ、わかる。 ようするに「それが何?」
「そんなことぐちゃぐちゃ云って何になんの?」ってやつならw
すこし「離脱」の話が気になってたんだ。
つまり、ひとつの出来事を、「離脱したわたし」と
「離脱されて上から観察されてるわたし」が同時に見ている。
そういう感覚から、事実なんてない、
なぜなら世界は、同時にいくつも存在しているから。 っていうのだと、
根深いなぁ…と思った。

解釈の問題は、いわゆる「間主観性」ってやつを絡めると
これまた、かなりメンドイことになる。
いかにメンドイか、URLを貼っつけやるぅ!w
http://www.hss.shizuoka.ac.jp/shakai/ningen/hamauzu/tasya-gengo.html
http://www.h7.dion.ne.jp/~h_iro/books/sociology/20cent_thinkers/merleau.html
(ま、これはスル〜でw)

>自分なんかはひとつのことを無限に解釈し続けてしまって疲れることがたまにあるw

なるほど。w 俺は、せいぜい3,4種の解釈が浮かんで、ちょと休憩、ってとこか。
「無限」には勝てません。まいりました。w

236日伝:2006/11/25(土) 08:23:55
「心理的事実」とまで、「事実」の幅を広げれば、
その時、ある者がどう感じたか、どう認識したか、までを含むことになる。
どう感じたか。
しかしそれを言葉にしようとすれば、必ず言葉自体がもつ意味や装飾によって、
心理的事実もまた、変形を被る。
さらに、それを伝達しようとすれば、相手との関係や距離によって、一段と変形はすすむ。
それをもって事実の伝達に絶望するのはたやすいが、
言葉というものに絶望すれば、大きな手段を自ら失うことになる。

痛みすら、主観の変形を受ける。
したがって、痛みの研究では、筋の収縮度や収縮速度などの測定をもってする。

客観的事実と心理的事実とは違うことも認識しておくことは大事だ。

237まし:2006/11/25(土) 20:00:48

思考に関して女性らしいっていわれることは今まであんまり無かったな。
男性っぽい考え方するねって言われること多いし、ちょっと意外。
理系=男性 文系=女性 のイメージが強いからかな?

えっと。大元は、自分の触った部分だけが世界の全てだと考えている人がいるんだよね?
ってことと、そういう人とどうやって接していいのかわんないなってことが言いたかった。
「蛇、蛇、これは断固蛇ですから!」って言われて、
「いや、こっち柱だしね」って言うことが、途轍もない不安と衝撃を与えるなら、
なんか嫌がらせなんじゃないかと。
そういう人には「そうそう、蛇ですね〜」って言ってあげることもありなのかな、と。

新しい事実の手がかりみたいなものを知ることを、喜びだと思う人はいいんだけれどもさ、
そうでない人だっているんだよね?
なんか、そういう人に対してね、こちらが嘘を付くことも時には必要なのかなと考えた。
平穏無事な顔をしていることで、安心してくれる人のために、
妙な意見は言わないほうがいいのか?いやちがう。いや、でも、と。。。
「和」を尊ぶか、「知」を尊ぶかなのかね。
両方捨てがたいから、時と場合を見て、かな。

女性はわりと「和」を優先させて、男性はわりと「知」を優先させる気はするかも〜。
色眼鏡かな?単純に経験則かな?

238まし:2006/11/25(土) 20:07:00
認識出来なくても起こっていることを「事実」と呼ぶ……。
現実にあったことを「事実」と呼ぶ……。
本当に認識出来ない事柄をあると言えるの?
もしくは誰が本当の「事実」を知り得るのか?といいかえてもいい。
世の中には事実を「解釈」でしか見れない不完全な人間ばかりなのだから、
それこそ誰も知り得ない「事実」なんてものは幻想じゃないのか。
(というのが、「ない」側の見方だと思う。
なんども言うけど、私はどっちでもいい)

>>236
客観的事実と心理的事実は違う?
では何によって真に客観的な事実を得ようとしているのか。
心理的な事実の積み重ねの中から産まれているのではないか。
科学すら心理的な事実の積み重ねの中から
妥当な予測の上に成り立っているのじゃないの?
そういう面で、「事実なんてない」って言われたら、私には否定出来ない。

>>222
日伝さんは、「事実はない」って言い方の中に、
厭世的な閉じた人間を思い浮かべて危惧したのかもしれないね。
ただ、唯我論的見方の人間が、全部社会不適合な態度をとる訳ではないと思う。
自分の脳内の他者を尊重することは出来るし、
自分の中でルールを決めて守ることは出来る。
事実があるかないかと、それはまた別じゃないかな。
「事実なんてないよ」って思いながらも、
他人の主観に思いをはせることは出来る。
それが出来れば、根本的にどういう見方をしてたって
世界の可能性を閉じずにいられると思うのだけど。

>>224なんか読むと、凄い自分と近い感じ方だと思う。
私は、「それでも」の人でありたい。
わかりあえないことなんかハナから承知で、それでも。

239まし:2006/11/25(土) 20:11:46
>>234
だいたいそんな感じだよ〜。凄い読解力だね!感謝。
共感されやすい体質(?)には、そこも関係してるのかも?>204さん
最終的に、本当の事実があるかどうか考えても利益は少ないなってのが私の実感で。

私は「事実はある」って言い切ることは
所詮一つの解釈に拘泥することに過ぎないんじゃないかと思ってしまうところがある。
自分と同じ「事実」を見れない人間を排除してしまう可能性が捨てきれない。
「事実」が科学的根拠や、統計やら、多数の意見やら、
そんな強固に見えるものに支えられていると思われるからこそ、
そこからはじかれるものの苦痛ははかりしれない。

ただし、この世には「解釈」だけで、「事実なんかない」って言うと、
もう世の中どうでもよくなる。
解釈だらけのなかから、恣意的に選ぶだけなら、
際限なく自分を甘やかす世界を作ることだって可能で、
自分が人を殺したって、自分で許すことが可能になってしまう。
それもちょっとよろしくない。

で、両方嫌だったから、私はそこに「お約束」ってものを持ち込んでみた。
(間主観性って、そういう意味だと理解していた。
204さんの言う、前提としての「事実」ってこと)
本当に客観的なものがあるなんて信じることは難しいという人のために、
「多くの人が合理的で妥当だと認めていることを、とりあえず
客観的な事実なんだよってことにしておきましょう」ってこと。
そういう考え方をすれば、
「事実がある」って言い切ることで切り捨ててるものに怯えなくて済むし、
解釈をし続けてオーバーフローしそうになった時に、
「とりあえずの客観的事実」を確認することでストッパーをかけることもできる。
自分が内側だけで閉じていく狂気も感じずにすむ。私的にはわりと快適。

何よりも、事実を訂正するっていう矛盾めいたことをしなくて済む。
お約束を見直すだけだから、それは非常に納得がいくのです。
他の人がどうやってバランスとってるのかは、結構気になるかな。

240まし:2006/11/25(土) 20:14:22

確かに私が一時期「事実なんかない」って感じていたのには
世界が容易に反転しうるってことを身をもって知ってしまったからとか、
ダブルスタンダードが当たり前だったからとか、色々理由は思いつくね。
「事実」のあてにならない事態に直面したから、かな。
離脱はどうだろう……「事実」のあてにならなさを知る経験の一つだろうとは思うけど。
ちなみに下は見たり聞いたり感じたりしなかった(と思っていた)はず。
私にとってはパラレルワールドって発想はみじんもなかった。
だから、世界が平行してあるって感覚からの思考じゃないはず〜。

でもさ、特殊な例はおいといて意外にそういう発想ってする人多い気がするんだけど。
「今生きてる日常、仮想現実じゃないの?」とか
「記憶を操作されてたらどうしよう?」とか、そんなことでもきっかけになりうる。
日伝さんのいうように、閉鎖的な人間関係を過ごした人が
陥りやすい思考の一つなのかも。だからって、悪いとかではなくね。

そこまで過激に意識化していた訳ではないけど
「事実なんかない。この世は解釈だけで、それぞれの価値観でしかものをみれない。
自分の存在なんて誰にも何の意味も持たない」って考えていた時もあった。
「容易に崩れる事実とやらの上で、良くお前らは笑っていられるものだ」と
ある種の蔑みのような心情も混じっていただろうね。
蔑み……逆にいうと自分は知ってるんだっていう優越感、かな。
根底には「事実を信じて疑わない」ものに対する苛立ちがあったのかも。

この過程って、「みんな」の話に似ているね。
上の文章を「みんな」に置き換えてもさほど違和感ないかも。

241まし:2006/11/25(土) 20:16:14
>>225
異邦人であると感じることは自分もある。
でもふと、それって「特別だと思いたい」気持ちかもしれないと考えた。
同じで無いと生きていけないと泣くのも、
誰にも理解されないと感じるのも、
人は所詮一人だという寂しさから来ているのかもしれない。

「同意を求めること」や「共感を表明すること」がうっとうしかったり、
「理解を求めること」や「差異を表明すること」が相手を傷つけたりする。
コミュニケーションってめんどくさいね。
でもそのめんどくささが解消された時のこと考えてみると、
すっごいつまんないんじゃないかとも思う。

だから、別に、言葉に絶望してなんかいない。
私の事実を伝えるための言葉を必死で探してる。
でも、伝わらなかった時に、その齟齬さえ楽しめればもっといい。
誤解を与える可能性を排除出来なくて、
本当の事実とやらを探ってからものをいうために
凄い努力をしなければ何かを語れなくなるとしたら、
「正しさ」や「真実」なんて二の次でいい。
極論でも、嘘でも、時には罵倒でもいい。
語弊があろうが、くくり方が乱暴だろうが、そんなこと気にしない。
そこに何かを見いだせる可能性に賭けたっていいじゃん。

人は傷つけあうことで成長するなんて、死んでも言いたくない。
でも、何もないところには、狂気が棲んでいる。
(と熱く語ってみながら、若気の至りな発想なのかな、
と本スレを読んで思っているの今日この頃)

242回想録5スレの204:2006/11/26(日) 02:32:23
>>235-236 日伝殿
ごみん、貼り付けられたURLの中身は目が滑って読めなかった。(ぉぃ
専門用語には弱い(笑)
「心理的事実」というのは、雑スレ10で私が出した「古い本」とか?
認知療法的には、全ての形容詞を一度外してみる、という手段をとるらしいが。

>>237-241 ましたん
ちと誤解していたようだ。
「女性的」と感じたのは、「言葉」にする以前のなにかもやもやした感覚で「判っている」感じがしたからかも。
書いていることには、おおむね同意。
「共感」というのが「相手の思う事実に同意すること」にしか思えないことがある。
相手の目でそれを見たつもりになって、その立場から同意すると、相手は安堵する。
その場はそれでいいのだけれど。
さて、自分はその「事実」を信じきっているかどうか? という話になると、疑問だ。
「ああ、そういう風に見えることもあるね」とは言えるけども、
「その通りだ」というのは、自分にとって少し嘘だ。
その、「ほんのちょっと嘘」が自分の中で積み重なって、ときどきひどく疲れる。
疲れてくると、「真実」を探して無限に解釈を繰り返したりする。
知り得たデータを分析して分析して、関わった人の一生まで妄想したりする。
そして余計に疲れるw
そんな風に考え続けることはまあ、楽しくもあるのだけれど。
考えてばかりいると鬱屈するので、誰かに話したくなるのだが、そうそう聞いてくれるヒマな人はおらず(笑)
そこでなんとなく「孤独」を感じたりする。ウフフ

何かひとつの解釈をまっすぐに信じることができて、それに基づいて泣いたり怒ったりできる人のことが、
たまにむしょうにうらやましくなったりもする。
うらやましいので、虫の居所が悪いと「別の解釈」をぶつけてみたりする。
何から何まで「共感」なんかしてやらねぇよ、フン、なんてね。
ある程度仲良くなってからの、これはある種の甘えなのだけど、
そこでものすごくショックを受ける人もいるようで、困る。
「和」を取るか「知」を取るか、という辺りの話になるのかな。
そこで「知」を取ってくれた人とは、長く続く。

「私の事実を伝えるための言葉を探す」というのは、うまいなあ。
自分もそんなつもりで言葉を捜している。
んでも、自分はどっちかいうと、自分の探している言葉が見つけることの喜びの方に比重を置いているかもしれない。
会って話すときはともかく、こんな風に文章をまとめているときはね。
ピッタリの言葉が見つかれば、それは必ず伝わると信じているところはあるかもしれない。

243日伝:2006/12/01(金) 00:10:49
偽の記憶というのがある。
俺のある記憶をかって話したところ、親にそんな事実はない、と言われた。
それは、種々の聞き込みによって確認もとれた。
にも関わらず、俺の内部の記憶は、心理的事実は、
その感触もすべて明瞭に再現できるほど鮮やかで、
それが実際には「なかった」と言われ、確認できても、消えない。

それが俺のいう「事実」と「心理的事実」の違いだ。

これは俺が俺について考えるときに重要だ。
自分の心理的事実が事実と異なっていた事を知ったあと、
俺は自分について考えるためには、
なぜそんな「偽の記憶」をもっているのか、という風に
自分への問いを変更しなければ、
偽の自分認識しか永遠にもてないことになる。

244日伝:2006/12/01(金) 00:18:39
対話の中で「伝えられる事実」はない、と言ういいかたは認めてもいい。
それこそ間主観性の中では、伝達は、相手との相互作用を起こす、
ということになるかもしれない。

だが、自分の皮膚の内側の時間と 別の皮膚の内側の時間、の外にも
物理的な時間というものが存在し、事実は外側の時間の中にある、
という事を認められないのは、一種の幼児性にみえて仕方がない。
「私」の洪水だ。 
あるいは、女性性なのかもしれない。
「私」が守るべき「あなた(子供)」という存在を仮定した
心理的な機制が、動物的に備わっているのかもしれない。
そんなほ乳動物的な本能(心理的遺伝)のようなものも、
文化や文明の中で(時代の中で)変わっていくのかもしれないが。

245名無しさん:2008/06/06(金) 20:29:26
偽の記憶を魔法のiランドでみたよ

246名無しさん:2008/10/31(金) 23:31:31
本スレでみんなクイズにはのったけど
ロイの本題には誰も触れないんだね
なんて触れていいかわからないから・・・?
自分はちょっと動揺してるんだけど

247A ◆66ZxaHlYjU:2008/11/01(土) 08:00:02
>246
あえてスルーかな........あたしは。
そのうち書くだろう。

248名無しさん:2008/11/01(土) 10:51:22
Aタン理由を聞いてもいい?
無理に話さなくてもいいけど

249名無しさん:2008/11/03(月) 04:21:22
大将のも聞きたいんだ

250名無しさん:2008/11/03(月) 21:59:25
正直、どう扱っていいのか悩んでるというのが正直なところ。
発言するという行為がロイ氏にいい影響を与えるのか、
悪い影響を与えるのか、計りかねてると云う方がより正確か。
理性的な状態のロイ氏であれば何の心配もしないのだが、
今回の書き込みは飲酒時に書かれていることが問題だ。
素面の理性的なロイ氏が書かなかったものを
泥酔時の非理性的なロイ氏が何か書いたからといって、
秘密を見つけたとばかりに騒ぐのは私の本位ではない。
恐縮し過ぎるのもロイ氏の本意では無いだろうが
何の考慮もしないのも失礼に当たるだろう。
そんな感じだ。
ちなみに私は別に驚いてないし、ロイ氏の見方が変わった訳でもない。

251HRK ◆l/an/smhrk:2008/11/03(月) 22:00:41
失礼。
250は私の発言だ。

252HRK ◆l/an/smhrk:2008/11/03(月) 22:13:09
少々訂正する。
驚いてないというのは正確ではない。
だが驚いたと書くほど驚いたわけでもない。
その中間ということにして戴きたい。

253A ◆66ZxaHlYjU:2008/11/06(木) 13:28:00
>248
痛いところには触らない?? そんなかんじ?

254A ◆66ZxaHlYjU:2008/11/11(火) 18:55:38
あー。なんていうか。それで自然? 疑問に思わない?
んー。
ロイが荒れてても
「あー荒れてるなんかあったなぁ」
と思うけど
「なになに?どうしたの?」とは思わないというか。
「さめればまた冷静になるべ」と思うというか。
だからといって何かあった事実はなくならないのだろうが
あえて考えないというか

ンー。
せっかく噴出させてるんだからそのままに、というか。

255A ◆66ZxaHlYjU:2008/11/19(水) 09:56:19
あー
やっぱり何が言いたいのかわかんない文章になってる
だめだなあ

256ちゅぅ☆☆:2008/11/20(木) 00:22:56
Aさんのとは違うかもだけど、「自分で何とかするんだろうな」が半分、
「私なんかに出来ることはないんだろうな」が半分て感じ。

この板の「ロイ」とかけて、もう治ってはがれそうなかさぶたと解く、
その心は……傷は確かにあったんだけど、もう自分に出来ることはない、って感じ?(ぉぃ
治ってるんだろうな、と思うんだけど、下手に剥がしてまた傷ついちゃったらヤだし、みたいな。
結局ネット上だし、待つことしか出来ないって意味もあるかな。

257A ◆66ZxaHlYjU:2008/12/04(木) 11:59:59
いったい何年たったのだろう。ロイが板を作ってから。
最初はSM板だったか。2chの。
何を期待し、何に引き込まれて皆はロイの吐き出す文章を
読んでいるのだろう?
読んできて何かが変わった?
Save the Children の意識とかもった?
それとも子どもを飼う立場に憧れるまま?
読者のまま「エソラ」を楽しんでる?

いつかどこかで聞いたかもしれない以前に。

258A ◆66ZxaHlYjU:2008/12/05(金) 15:20:29
人に問打て置いて、自分の事は書かぬというのは、よくないかと思うので
自分はどうかと書いてみる。
少なくとも私は影響を受けた
「大人になってもいいのだ」と肯定された気がした。

259ロイ ◆yOHf648Wc.:2008/12/08(月) 21:56:15
迷ったが書いておこう。
とりとめのないものになってしまうが。

私は君に救われてきた。
君が長らく姿を消した時、実は私は君にメールを出した。
しかしそのアドレスはその時すでに使われておらず
君のホームページの掲示板は機能していなかった。
凄まじい喪失感を感じた。

260ロイ ◆yOHf648Wc.:2008/12/08(月) 21:58:04
喪失感というより焦燥感に近かったかもしれない。
そして過剰な罪悪感に苛まれた。
図々しい話だが
私は君がこなくなってしまった原因が
自分にあるのではないかと思えてしかたが無かったのだ。

261ロイ ◆yOHf648Wc.:2008/12/08(月) 21:58:54
詫びたかった。
的外れでもいいから君に詫び、言い訳をし
君に許してもらいたかった。
君にまたここを訪れて欲しかったのだ。

262ロイ ◆yOHf648Wc.:2008/12/08(月) 22:03:40
ここを訪れて欲しかった、と書くと少し違うようにも思う。

私は君との縁が繋がりが
完全に切れてしまうことを怖れたのだ。

何故?と問われても困るが。
君と未来永劫、二度と言葉をかわすことができなくなるのだ
というおもいが恐ろしかった。

君たちと縁あって繋がっているかに見えて
ここにくればいつでもその繋がりが保たれるかのように見えて
しかしその実
それは薄氷の上の微細な繋がりにすぎないのだ
という認識が、自分でも意外なほど私を動揺させていた。

263ロイ ◆yOHf648Wc.:2008/12/08(月) 22:04:44
だからAよ。
私は君がここへ再び足を踏み入れてくれたことが、嬉しかった。

264A ◆66ZxaHlYjU:2008/12/11(木) 16:34:16
ごめんね。ロイ。
自分の現実と肉体とに折り合いを
つけることに精一杯で。

265A ◆66ZxaHlYjU:2008/12/11(木) 16:40:39
自分の他にも、同じような、こどもがいた事は解っていた。
(再度書く気もないので知りたいひとは努力して下さい。ごめんなさい)
私やロイのようなサバイバーは稀なのだろうし
ロイも自分も積極的に探す事もしてこなかった。
だからこの邂逅に感謝している。
 ひとりではない
生きて行ける
大丈夫
大人になれる
大人になっていい

私が得たものも大きい。
 ロイに感謝を。

266evian:2008/12/12(金) 21:27:50
的外れかもしれないけど、
アルツハイマーの家族の自助グループを願う人たちの
ドキュメンタリを見たよ。

友人に相談してもあまり手ごたえが感じられない。
同じ悩みを持つ人同士、情報交換や共感をしたいという声。

やっぱり何にせよそうなんだと思うよ。

267A ◆66ZxaHlYjU:2008/12/19(金) 18:32:47
繋がりとか絆とはなんなのだろう。
血の繋がりのある人たちとはまったく交流がなくなり、
ゆっくり、と
傷つけながらも側にいてくれた人たちと少しの人数の人たちと
交流しつつある。

それでも
やはり
ロイがどう考えているかとか
ロイならどう言うかとか
そういうものは自分にも大事みたいだ。

3年前の心のナイフを振り回して
乱暴に人の発言を切り刻むことがなくなった。
少しは大人になっただろうか。

268evian:2008/12/20(土) 08:43:24
振り返ってるってことは、以前よりは落ち着いたってことだと思う

269N:2009/01/08(木) 09:05:28
>>257
ロイがSM板を離れて数年経ったあと(ロイが2ちゃんにいる頃ネットはやってなかった)
SM板に書き込まれたURLで過去スレを読んだのが最初だった。
そしてSM板にあった他のスレッドにまったく興味を失った。
書いてあることが本当かどうかはあまり問題ではなかった。
ネットでのたたずまいというか振る舞い方に強烈な印象を受けた。
子供ロイの部分は、何度も腹痛を起こしながらすこしづつ読んだ。
ハァハァとはまったく無縁。
はじめて人の心というものに関心をもったというべきか。
文学のように読んだ。 それをエソラを楽しんでいうのかもしれないが。
今もそんな感じでいる。 
その奥にいる本体がどうであれ「ロイ」という存在は貴重だった。
初めてフロイドを読んだりした。   

そんな感じ。

270N (続き):2009/01/09(金) 04:00:25
後追いで読んでいる時にこの板が再開された。
それをまた後追いで読んでいくとロイがすこしづつ変化していた。
一番はっきりしてたのは、ロイと住人(?)との関係が近づいていた事。
(Aさんだけは最初から例外だったと思う)

2ちゃんのスレで強く感じたのは強烈な孤独感だった。
孤独に徹していることが逆に強さを生んでいるという印象。

したらばに移りスレを重ねていくたびにロイと名無しとのやりとりが多くなり
それと逆比例するように子供ロイの回想が減っていった。

ある意味「ロイ」は疎外され孤立し孤独であることによって存在していたという気がする。
ひょっとすると住人との距離が近くなることで
「ロイ」は不自由になっていったのかもしれない。
それがロイの奥の本体にとっていいことなのか悪いことなのか
俺如きには判りかねるけど。
不自由もまた他者と関わることの必然だし。
ARKは最初から「関係」だらけで、こことは色合いが違うという印象を受けた。

まぁなんだ、なにが言いたいかというと
「ロイという孤独」に引きつけられてた人間もいたんじゃないか、って事。

それが、疎外された孤独、みたいなものへの勝手な共感なのか
孤独が強さを生み出すことに惹かれるのか
母性愛をくすぐるみたいな感じなのか、そこは色々あると思うけど。
以上、サバイバーでもなんでもない俺がここに惹かれる理由を個人的に書いてミタ

271A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/09(金) 09:13:51
>「ロイという孤独」に引きつけられてた
理解。

272 ◆yOHf648Wc.:2009/01/09(金) 12:15:20
>>265
でも、な。
こどもでいても、いーんだよ。
もちろん大人にはなれる。
当然なってもいい。
けどどれも自分の速度でね。
そしてこどもでいてもいーんだ。

まっとうな子供時代が少なすぎるからな。
つか、ほとんど経験してない。
だから今からやりなおすのってありだ。
俺なんてここ数年は
年をおうごとにガキ化してってるw

「お前はガキか!」とか「このお子様め」とかいう突っ込みを
ダチから素でされたとき
なんとも言えんものを感じながらニヤニヤしたね。
それは多分幸せに近い何かだったと思う。

「子供の常態でいることを意識して振舞う」のとは全く別だわな。

273 ◆yOHf648Wc.:2009/01/09(金) 12:17:11
>>269>>270
ひたすら興味深い。
できればそのまま考察を続けてくれないか。
例えば
“ 「ロイという孤独」に引きつけられてた人間 ”
は、いったい何を求めていたんだ?
もしくは何を、満足させていた?

274 ◆yOHf648Wc.:2009/01/09(金) 12:19:33
さて、と。
この後に誰かのレスがつく前にここにも書いておくよ。
ここに何か書きたくなったら回想録スレに書いてくれ。

俺やロイとの会話の成立が必要なさげな
ネタスレとかSMスレとかはそのままでいいから
雑談系のスレは一箇所にまとまって欲しい。

俺の実務能力は今著しく低下してるんで
あちこちに分散してると把握しにくい。
強制まではしないけど、できれば協力頼む。

275evian:2009/01/09(金) 12:21:54
あ、つまり今俺に返事を要求されてるNさんは
レスしてくれる気があったら回想スレで書いてくれってこと。
必要があったら好きなだけコピペしてくれてからでいいから。

276 ◆yOHf648Wc.:2009/01/09(金) 14:38:45
>>275
名前が消えてた。275は俺。

277A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/10(土) 07:45:48
>私の日記の一言メッセージにて南の国にいた人に問いたい
貧しさとはなんであろうや?

278N (元 日伝:2009/01/10(土) 14:01:40
>>275  たいへん申し訳ないのだけれど考察するならここでしたい。
      日本語伝達不自由者→日本語d(ry→日伝 と変えながら板をうろうろして
      ここに落ち着いた経緯もあり、このスレには愛着があるし
      ここで始まった流れを移行させるのは、逆に自分にとって分散になる。
      本スレは色んな言葉が錯綜してて普通にレスする分にはいいんだけど
      「考察」となると落ち着かない。
      
      どっちにしろ>>273の質問に答えるのは時間がかかると思う。
      ひょっとしたら直接ではなく間接的に触れるということになるかもしれない。
      いまのところ脊髄反射的にでてくる言葉がない。
 
      脊髄反射→沈殿(もやもや)→思いつき→反芻→言葉を与えてみる→反芻

      レスというのはこのどこかの時点で行わなければならないわけだけど
      できるだけ後半の方にしたい。 
      日伝(もう2年も前になるんだなぁ…)の頃に較べて精神状態も良くないし。

      「ロイ」が言った言葉の中で一番ありがたかったのは
      ネットにおいて「無視する自由」 拒否する自由だ。
      それを行使させてもらいたい。<(_ _)>

279N (元 日伝:2009/01/10(土) 14:16:23
>>277 俺はその南国の人ではないけれどそれについて考えた事はある。

貧しさというのは、人を受け入れる余裕(キャパ)を失うという事じゃないだろうか。
その原因として経済的困窮というのはかなり大きい要因だろう。
だけどもっと大きいのは「格差」のような気がする。

アメリカの黒人スラム住居はTVで見る限り
俺と老母の暮らしてる部屋よりはるかに立派だし。。

280N:2009/01/10(土) 14:26:34
あ、言葉足らずかな。。蛇足かもしれないけど補足。

「人を受け入れる余裕」というのは物理的な部屋数とかじゃなくて精神的なキャパ。

281N (まずしさ 続き):2009/01/12(月) 05:45:08
お前はどうなんだと問われれば、かなりまずしいw
しかし「冷たい」という言葉を自分に当て嵌めるよりは
「貧しい」のほうが救われる。
「貧しさ」には可変性があるから。

最初から富んだ経済環境にあって貧しい者の可変性は
経済的な貧者が豊かになる可変性よりも少ない。

臆病さは貧しさを生みやすい。
疑心で心がいっぱいになれば、それだけで心の余裕部分を圧迫するから。

貧しさから豊かになるのは努力がいる。
豊かさが貧しさに転落するのに意志的な努力などいらないが。

282N (まずしさ 続き2):2009/01/12(月) 06:04:24
ところで、必ずしもここで言う「貧しさ」を、自分は絶対悪とはみなしていない。
仕方ないじゃないか、そう育ってしまったんだから。
自然性、必然性を認めた上で
自分を肯定も否定もせず生きていくのも生き方のひとつとして自由だ。

スーパー障害者というものがいる。
超人的な努力のもとにハンデを克服した人だ。
最近これが問題になっていることを知った。
そういう超人的な努力を元に克服したものをモデルにして
「おまえも見習え」「現に克服している者がいるではないか」と
精神的な圧迫を一般障害者に与える危険性が問題になっているらしい。
そういう所まで議論が来ていることに少し安堵した。

283N (まずしさ 続き2への補足):2009/01/12(月) 06:14:06
うっかりしてた。。。
別に「ロイ」のことをスーパー障害者だとはみじんも思っていない事は付け加えておかないと。
「ロイ」は(俺にとっては)、「ロイ」だ。   それ以外の形容詞など不要じゃないか。

284・・・:2009/01/15(木) 08:30:03
貧しさも、豊かさも、すべてを決めるのは自分自身かと。

もしも神とでもいうべき絶対的な存在があるとするならば。
その存在はあまりにも人の心を理解していないと、そう思う。

それでもなお、生きていかねばならないのだから、
その生をまっとうすれば、その先に何かがあるのかも知れない。
まっとうする=死を向かえた自分には、知る由もないのだろうけれど。

苦しくて当たり前。
その中でささやかな幸せを見つけていきたいと、そう思うのねん。

285N:2009/01/16(金) 19:05:25
>>284 反応ありがとうw
     後半の文章は感動的ですらある、と思うのねん

ところで、聖書のユダヤ神はかなりヒドイよ
(ヨブ記なんて読むとヤハヴェに対して怒りすら覚える)

>すべてを決めるのは自分自身かと。

ある人の言葉で感銘を受けたことがある

自分で決められるのは半分くらいで
あとの半分は向こう側が決める

(吉本隆明が親鸞論で書いてたことの受け売り 汗
 自分にとってはけっこう指針になってる言葉)

286N  (沈黙と伝達):2009/01/16(金) 19:25:59
と、うまく吉本の名前が出せたところでw
1月5日にNHK教育TVで吉本が語ってたこと。

○言葉は2つの要素からなりたっている。
いわく 「沈黙」と「伝達」
(一般的には伝達だけが言葉だと思われているがそれを吉本は否定した)
沈黙が言葉の根と幹であり、伝達は枝とか葉・花の部分になる。

沈黙に形を与える言葉を吉本は自己表出(じこひょうしゅつ)と呼び
コミュニケーションの道具としての言葉を指示表出(しじひょうしゅつ)と呼んでいる。

言葉・文学・芸術は「沈黙」と「伝達」という縦糸と横糸が組合わさった織物だ。
片方だけではない。

(1時間半の番組のおおざっぱな私的解釈の概略だけど)

287N:2009/01/16(金) 19:33:32
つまり、ナニが言いたいかというと、ロイの言葉というのは
内語(沈黙に形を与える)という要素が大きいんじゃないか、ということ。
それが「ロイという孤独」の印象を強く与えるのではないか、と。

元々「俺様の整理用メモ」として始められたスレだったわけだし。
(もちろん沈黙に形を与えるだけではなく、そうやって出てきた言葉を誰かが読む
 ということも前提されてて、縦糸と横糸はちゃんとあるわけだけど)

288・・・:2009/01/19(月) 16:16:02
>285 

自分の、こんなにも拙い言葉にレスがついた。
なんだか嬉しい。
ありがとう、N。

>あとの半分は向こう側が決める

これに関しては実感が伴なわないんだな。
だけど覚えておく。
いつかあぁそうだったのか、って思う日が来るかもしれないし、
やっぱり自分じゃんよ、って思うかもしれないし。

「ロイの言葉スゲー」にはまったくもって同意。
こういうことをきちんと文章で表現できるNもスゲー

289N:2009/01/19(月) 19:55:55
>>288
「すべてを決めるのは自分自身」
        vs
「あとの半分は向こう側が決める」問題だけどw

どっちが真理か、という問題じゃない気がするんだな。
個人哲学というか、その人の姿勢の問題というか、
どちらでも自分にとって救いとなる方の考え方を自由に選択すればいいと思うのねん。

俺にとっては、すべてを決めるのは自分自身、というのは
一種のプレッシャー感があって、
まぁ頑張って自分も意志をもって言ったりやったりするけど
結果的にどうなるかは向こうから決めてくるという方が、
プレッシャー感が少なくて俺には楽なんだな。

沈黙に形を与える言葉というのは、
できるだけ自分を救う方向で模索した方がいいと思ってる。

自分を責める言葉を自分が産出してる時(欝病の朝w)
「こんな考えは意味がない」「この考えは無意味だ」
と実際に頭の中で声にして(変な言い方だけどw)ぐるぐるを押さえ込む。
右脳vs左脳の闘いみたいなもんだ。
だいたいは実際に脳内の声にするとぐるぐる野郎には勝てるけど
(結果としては、単に起きあがれるだけの事だけどww)
押さえ込まれたぐるぐる野郎は、消えたわけじゃなく
実は抑圧されただけで陰でこそこそしだすのかもしれない。
そのへんは向こうの半分側だから、どうなるかわからない。

まぁ「移動してくれ」と言っても言うことを聞かない俺(ARにとっての向こう側)
とかいたりして、俺をアク禁にしたりスレごと消したりすることだって
管理画面からARは“実務的には”できるわけだ。
(そんなことするヤツじゃないと勝手に思ってるけど)
つまり、それは向こう側が決めることで、俺は半分だけ自分の意志を通してる。

仏教で言うと、自力本願と他力本願の間って感じ。

>自分の、こんなにも拙い言葉にレスがついた。
まぁ、何度読み返したって拙さはまったくないわけだが。
謙遜した方が発語しやすいというポジションは
したたかなMとネット上でつきあう機会が多いんで慣れてまつ。

290N:2009/01/19(月) 20:02:17
「ロイ」の文体論をやりたいんだが頭がウニww
半年くらいかかる鴨…

291N:2009/01/19(月) 20:21:26
ここはロイやARと関係ないことを自由に書いていいスレなので
“半分は向こうが決める”について、もうちょっと解説しておくかな。

これは親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」をめぐる
吉本隆明の考察の中にあった言葉。
親鸞のは

 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねに
  いわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわ
  れあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善の
  ひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。
  しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真
  実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死
  をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、
  悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因
  なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。
  
   『歎異抄』第3章・岩波文庫45ページ   (どっかのサイトからコピペ)


で、この「悪人正機説」を受けて、一部の弟子達が
「悪いことをした方が極楽に行けるんだ」(造悪論)と言い出した。
親鸞は「では、お前、私を殺してみろ」と弟子に言った。
「できません」と弟子が言う。そこで親鸞いわく。
「人ってのはな、誰かを殺そうと思っても殺せないこともあるし
 殺すつもりがなくても殺してしまうことだってあるんだよ」

親鸞のやりとりに吉本はひどく感心して
「自分が意志して決められるのは半分だけで
 との半分は向こう側から決めてくる」
というような(正確な文章は覚えてない 汗)ことを書いてたわけだ。

俺はその考え方が気に入った(自分にとっていい指針になると思った)んで
自力信仰ってのがあまり性に合わない事もあって「採用」してる。 そんな感じ。

292N:2009/01/19(月) 20:29:29
「歎異抄」を教団は「危険文書」扱いして長い間マル秘扱いしてたらしい。

293・・・:2009/01/19(月) 20:48:18
Nの言いたいこと、理解できた。と思う。

自分の周りの事象や思考は、
自分が全て司ってそこにあるものではない。
っつーことかしらん。

自分が動いた結果に伴なってくるものは、
望もうと望むまいと受け入れる、っつーか受け入れるしかないしw
そういう意味では

>あとの半分は向こう側が決める

すごく分りやすい言葉だね。
私もそう思う。

で、そこで「貧しい」と思うか「豊かだ」と思うか、
はたまたそれ以外の形容詞を使うかは、その人が決める、と思うのだ。

雑談・議論・質問スレ11の188のレスにある、

>私が求めたものは何ひとつ得ることはできなかったが、
>私の願いはすべてかなえられた。

こういう感覚。
そうありたいなぁという希望なんだけどね。

まぁ。より豊かな人生を送るべく、少しは本を読んでみようかな。
Nの溢れるほどの言葉を読んで、
語彙が貧相というのは情けないもんだと痛感いたしましてよ。

294・・・:2009/01/19(月) 20:53:06
どひゃー、私がぼそぼそレス書き込んでいる間にw

いわんや〜をや

なんて久々に目にしちゃったじゃないの。
ゆっくり読み解きまする・・・

295A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/19(月) 21:09:27
ふーむ
『歎異抄』か
読んでみるね。

296N:2009/01/19(月) 21:37:41
188 名前:名無しさん[] 投稿日:2008/04/20(日) 05:38:57
大きなことを成し遂げるために神に強さを求めたが、

謙虚に従うことを学ぶために弱さを与えられた。

 
偉大なことができるように健康を求めたが、

より良きことができるように病弱を与えられた。


幸福になるために富を求めたが、

賢さを得るために貧しさを与えられた。


世の賞賛を得ようと成功を求めたが、

傲慢にならないように失敗を与えられた。



人生を楽しもうと全てのものを求めたが、

全てのことを感謝することができるように命を与えられた。



私が求めたものは何ひとつ得ることはできなかったが、

私の願いはすべてかなえられた。


神に背く私であるにもかかわらず、

言葉に言い表せない私の祈りはすべてきかれた。


私は、この世のだれよりも、豊かに祝福されたのだ。


(ニューヨーク・リハビリセンター研究所の
壁に書かれた無名の患者の祈り)

297N:2009/01/19(月) 21:41:51
これほどの言葉が、無名の人によって壁の落書きに書かれる。。
アメリカの文化の「層の厚み」って凄いな 

「層の厚さ」ってのは「豊かさ」と関係あるような予感。
反芻してみよう。  (ちょっと熱があるっぽいので後日また)

298N:2009/01/19(月) 21:52:05
自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたる

凄みのある認識力だな。。。

299A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/20(火) 07:40:44
うーん
ある種「祈り」は私の中でkeyのようだ。

300evian:2009/01/20(火) 11:30:42
こうなるとロイの祈りに対するのも聞いてみたいなあ
康介とはまた違うんだろうか

301N:2009/01/20(火) 18:49:00
>>293
うん。あの時点で言いたかったことは充分理解されたと思う。
ただ俺は考えを反芻するから全部じゃないね。「半分」だねw

他者を全部理解するってのはあり得ない。
赤ん坊の時から育てて毎日接していた親ですら
子供を全部理解することはできない。
「受け入れる」ほかない。だが受け入れない親もいる。
そんな親は「貧しい」。貧しい親が色んな事件で浮上している。
同様に貧しい子供も多い。だがそのふたつは少し違う。

親は望んで(選択して)受け入れてきたのだが
子供は否応なく受け入れさせられてきたのだ。
どちらもなんらかの要因で受け入れの臨界値を超えてしまったのだろう。

>「貧しい」と思うか「豊かだ」と思うか、
>はたまたそれ以外の形容詞を使うかは、その人が決める、と思うのだ。

まったくそのとおり。
ただ、今回は、すこし「貧しい」と「豊か」にこだわってみようと思うのだ。
自分の中に沈んでいたいろんな沈殿がすこし形にできそうなワードなんだ。
Aさんが使っていた意味とはもうかけ離れてきてるけど。
言葉というのはそういうもんだ。

>より豊かな人生を送るべく、少しは本を読んでみようかな。

本を読んだからより人生が豊かになるかどうかはその人次第w
本ばかり読んでた俺の「人生」は貧しい。
だが、それをできるだけ否定も肯定もせず、こうなったのもなにかの必然、
と思いなおし、受け入れないと 欝の虫が目を覚ます。

302N:2009/01/20(火) 19:17:52
>>295
『歎異抄』は吉本にいわせれば
ほとんど「信の解体」だそうな。
『教行信証』(親鸞の仏教理論書)の方が重要で
歎異抄に重点を置くのは偏りだ、と専門家は吉本を批判してる。
専門家なんてどーでもいいけどねw

>>299
そんな感じを受けまする。

もちろんAさんの皮膚の内側で流れる時間を
外部である俺が理解するなんてありえないんだけど。
顕れた言葉からその奥を「想像」するのは
本ばかり(言葉ばかり)読んでた俺の「癖」なんで
失礼がある可能性は先に謝っておきまする。

うち叔母さんは卵子に問題があって
養女を育てる選択をした訳だけど
その前後から
「幕屋」というキリスト教系の新興宗教に嵌っていった。
養女が成人して就職したあたりから、
再びその信仰熱がひどくなって
結局、夫婦は別れてしまった。
Aさんの場合は、信仰への傾斜が
うちの叔母さんがやっていたような勧誘活動ではなく
祈りの部分に限定されているのかもしれない。

以上は外からの無責任な空想で
リアルに存在するAさんの本体とは関係ない妄想です。
重ねて謝っておきます<(_ _)>

303N:2009/01/20(火) 19:30:31
子を殺す母親というものにどうしても関心がある。
で、そういう事件があるとニュー速を読みに行ったりする。
“生後4カ月の次女を床にたたきつけて死亡させた福祉施設職員の27歳女性”
のスレを読んでいたら、面白い名無しがいた。

23 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/01/14(水) 00:05:05 ID:MGGNYhOm0
泣き止まないときは、
・ハイペースで階段の上り下りをする
・耳元でシューシュー言ってあげる
・どんな歌でもいいから、すご〜くゆっく〜り歌ってあげる
・乳飲ませる
・オムツ代える
・テレビをコツコツ叩いて気をそらせる


こんなのが有効だ

34 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/01/14(水) 00:08:13 ID:MGGNYhOm0
>>26
俺がいたら絶対泣き止ませられるのに、なぜ俺を呼ばないんだ?

50 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/01/14(水) 00:11:55 ID:MGGNYhOm0
>38
俺のやり方はちがうよ。「トントコトントントン♪」とか言いながら
近づくんだ。なぜか赤ん坊がゲラゲラ笑う。
姉の赤ん坊なんて俺の超大ファンだよ。
でも女に全然もてないから一生独身だろうがなw 顔が面白いんだろうな。その不細工加減が。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こういう人に俺は「豊かさ」の資質を感じる。

304N:2009/01/20(火) 19:34:31
あ、しまったアンカーは削っておくべきだった。。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
28 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/01/14(水) 00:07:34 ID:6ubnQgcy0
泣き止まないときは、
・床に叩きつける
・熱湯をかける
・とにかくぶん殴る
・首絞める

こんなのが有効だ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この手の「うまいこと言いいたい」は貧しい

305N:2009/01/20(火) 19:54:06
>>300
「回想5」を「祈り」で検索してみて出てきたロイの言葉

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
17 名前:ロイ ◆jo9v3HJTJU[] 投稿日:2006/07/12(水) 19:55:17

冥福を祈りたくてね。
祈りつつも罵倒したくてね。
力任せに投げつけたい衝動を抑えるつもりもなく。
君の安らかなることを祈る。
安らかなることを心から。心から祈る。
しかし怒りは抑えまい。
なぜ諦める。
なぜ逃げる。
なぜ戦わない。
未来がなくてよいのなら
後先考えず
道理も倫理も常識も法も理性も何もかも投げ捨てて
怒りの限りをぶつければよいではないか。
私のエゴを言おう。
誰彼殺そうとも君には生きていて欲しかった。
君が死に、諦め、逃げ、戦いをやめたことで
私の生をも否定したことに気づいているか。
あの世界に私一人を置いてゆくか。
私たちは互いに枷になり続けた。
私たちは互いに刃でしかなかった。
それでも私たちは唯一無二の存在ではなかったか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

306N:2009/01/20(火) 21:03:54
大人ロイの言葉は心を落ち着かせる。
別の場所で固有名詞をあげず引用し
「いいぐあいに欝る」と書いたことがある。
ざわついていた気持ちが沈静する。      なぜだろう。

307evian:2009/01/20(火) 21:42:38
>>306
>「いいぐあいに欝る」と書いたことがある。
それはロイが?
ちょっと覚えがない。
どのあたりを見ればいい?

308A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/20(火) 22:04:59
>N
信仰か
何かを信仰するつもりはない。
祈りと祈る人に興味がある。
それが何か知りたい。
ただそれだけ。
 ちなみはパートナーは祈る家庭に育った祈る人だ。
しばらく忘れていたらしいが。
私という存在が祈りを思いださせたらしい。
だからこそ興味があるのだよ。

 普段の奴は肉体言語で語っている事が多い。
スポーツの人だからだと思う。


肉体言語といってもサブミッション-関節技じゃないからね♪

309 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 22:54:00
祈りか。
祈る時、私は何かを許している。

310 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 22:57:45
許すために祈るのではない。
許されたくて祈るのでもない。
何かを希うためにすがる意味で祈るのでもない。

そういう、ある種俗物的な思惑や感情とは一切無縁のところで
心のうちからわきあがる何か静謐なものによって
自然と祈りたくなる時、私は何かを許している。
そして許されていると感じるのだ。

311evian:2009/01/20(火) 22:58:41
祈りと信仰は切り離せないと思う。
信仰があって祈りがあり、祈りがあって信仰がある。
それによって救われる人が大勢いるね。

最近、住んでいる地域の神社仏閣を巡る機会があったのだけど
信仰って大切だと初めて思った。私には無い習慣だけどね。
きっと人の心を穏やかにするものなのだと思う。
そこにある空気がそう感じさせた。
忘れてる大切なものがそこにある気がした。

…全部気のせいだったりしてね。。。

312 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 22:59:09
許しに満たされている、という感覚だろうか。
それはやはりうまく説明できない。
言葉にならない感覚ではある。

313 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 23:02:10
>>311
そうか?
では、信仰とは何ぞや、というところから
つきつめていかねばならないように思う。

その定義によるのだろうが
少なくとも今、祈る自身を思い浮かべる時
私の中に信仰はない。

少なくとも特定の神に対する信仰心は皆無だ。
ということは
私は神に祈るわけではない、ということになるのだろうか。
私の祈りは何に対してのものか?
そも、祈るとは何ぞや、というところにもいきつくようだ。

314 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 23:08:51
>>277
失礼だがその日記とは今でも見ることができるのだろうか?
その一言メッセージを読んでみたいのだが。
もし見ることができないものであれば
できれば内容だけでもかいつまんで書いてみてもらえまいか。

315evian:2009/01/20(火) 23:49:01
あれ?ロイ?!(嬉
どうして今まででてきてくれなかったの(涙

316HRK ◆l/an/smhrk:2009/01/21(水) 00:33:40
>>314
Aさんとこのtoppageから「戯言」へ飛び、さらに「一言メッセージ」へ飛べばOK。

317 ◆yOHf648Wc.:2009/01/21(水) 00:46:46
どう、受け止めていいのかわからなかった。
君たちを奇特に思う。
そして自分を奇異に感じる。

だがまあ、私は一人ではなさそうだ。
孤独という感覚から離れて久しいように思う。
それは多分、幸せなことなのだろう。

318 ◆yOHf648Wc.:2009/01/21(水) 00:51:51
>>316
ありがとう。
上3行のことなのだろうか。

319A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/21(水) 07:48:53
>307
たぶん
>>306
N氏は
<<「いいぐあいに欝る」と書いたことがある。
と語っているので
主語はN氏で引用したRoy文に対して"「いいぐあいに欝る」"
じゃない?

320A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/21(水) 07:50:31

>309以降ロイ
ちっさいおっさん会議でロイ出現が決定した?ww
おかえり。

321A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/21(水) 07:53:14
>>314
H氏のでOKで。
HP自体はそのままだから
読んでる人の意見を聞こうという積極姿勢はもとからないAであるので
大変古いタイプの大変不親切なCGIを使用している。

322・・・:2009/01/21(水) 10:53:23
>320 おっさん会議ってwww可愛いいじゃないかwww

私が思う祈りとは・・・自分に向けるものかなぁと。
受け入れ、自分を奮い立たせること。
信仰は無い。むしろ嫌い。

自分の人生で感じている、その程度のことだけど。
10年前とは考えが違うし、
だから10年後は考えが違うかもしれない。

みんなの祈りに対する思いが聞けるのはいいね。

323・・・:2009/01/21(水) 11:00:53
>301 
>こうなったのもなにかの必然

こんな感じ、いいね。
私もこういう風にいけたらいいなと常々思う。

324evian:2009/01/21(水) 14:32:36
だからさ
神も仏も身の内にあるんだよ ホントは

人類が生まれて
大自然の中に住み
太陽と生活リズムを共にして
太陽を見て月を見て星をみて
雷を見てでかい山脈を見て・・・
そしたら体が勝手に祈りを始めるだろうし
神様とか信仰とか思想とか生まれるだろうな
都会っ子にゃ 分からんかもな

325HRK ◆l/an/smhrk:2009/01/21(水) 20:46:59
待ちに待ったロリロリじゃない方のロイ氏なんだから
もっといじった方がいいんじゃないかえ?
俺の方が反応が薄いと思われるのも癪だと思うのだが。

326evian:2009/01/21(水) 21:34:05
信仰ってすごく尊いものだと思う。
今はいろいろ入り混じってカルトがあったり
狂信的な言動をとる人もいるけど
本当は厳粛で俗人が簡単に触れるものではないと思う。
だからお手軽な宗派とか新興宗教が生まれるのだろうけど。

底に流れる真理が大事だよね

327N:2009/01/21(水) 22:56:01
>>307 がっかりさせて申し訳ないがw>>319の通り
日本語伝達障害は簡単には直らない。。。
拳でも語ったりするAさんがフォローしてくれた。面白いw

>>308 あぁ今回の我が妄想はハズレかw
(結構ネットでは2,3割くらい打率があるんだけどね)
傷の側からじゃなくラブラブの側からの疑問なんすね。
 ちなみに、俺も祈る家庭に育ったけど、思春期以後祈りを拒否した人です。

天にまします我らが父よ。願わくば御(み)国をきたらせたまえ。
み名をあがめさせたまえ。 み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
(ここでその日にあったことなどを語り、神に感謝する)
我らに罪をなす者を赦す如く我らの罪をも赦したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

ってな感じだったと思う。

一般的な日本人は自然信仰か地蔵信仰かその辺りで
一種の融和的な宗教観であるのに対して
反抗期の時代に
強烈な言葉(聖書)を持つ絶対的で息苦しい人格神を否定して
無神論になる過程を必要としたことが
俺の「言葉」に対するこだわりの基になってる気もする。
それ以後、俺の中から形式的な祈りは放逐されたままだね。

ところで「豊か」を考えたきっかけは
Aさん日記におけるパートナー氏を
「これは絶対まねできない。こういう人は“豊か”と呼ぶべきではないかぃ」
と思ったことねw
(返事無用w)

328N:2009/01/21(水) 23:11:45
小さなおっさん会の重鎮が。。。w

>>310
>ある種俗物的な思惑や感情とは一切無縁のところで
>心のうちからわきあがる何か静謐なものによって自然と祈りたくなる時

>306で俺がロイ言葉を読むと「ざわついていた気持ちが沈静する」と書いたことと
「何か静謐なもの」はリンクしてるのかも、という気がしてすこし考えてた。

>>313
信仰と関係のない「祈り」というのは
「立ち止まってみる」という事じゃないだろうか。
立ち止まってみて、心を鎮める。という状態に自分を導くことなのでは、と。

子供の頃、食事の前にお祈りをさせられるとき、
食事というワクワクするハズのモノの前に無理矢理ストップをかけられる
という感触があって、祈りの間、居心地が悪かったしいらだちもした。
日常の勢いのまま食事へ突入する前に
立ち止まらされて[心を鎮める]ことを強要された感覚だったのかもしれない。

「たちどまり、心を鎮める」というのはしかし
重鎮のいう「祈りとはなんぞや」の半分にしか応えられてないだろうね。
ロイの祈りにある「赦す。許す」という感覚は手がかりすらない。。
「言葉にならない感覚」ではあるのかもしれないが、
もうすこし説明を試みてはもらえないだろうか。(別に急ぎはしないけど)

329N:2009/01/21(水) 23:14:21
>>323
まぁ、自分にそう言い聞かせてる、というのが実体で
即時的にそういう感覚をモノにできてる訳じゃないデス←リョウ風w

330N:2009/01/21(水) 23:15:53
>>317
>自分を奇異に感じる。

なぜ?

331N:2009/01/21(水) 23:44:36
毎日、何かに追われるように生きている。
そんな時、立ち止まって心を鎮めるのは意外に難しい。
「心を鎮める」の部分は特にそうだ。

思索は孤独のうちにしか訪れない。

大人ロイは小さなおっさん会の思索担当。
リョウは情緒担当。ARは対社会担当。
そんな感触。(あくまで妄想ですが)

332 ◆yOHf648Wc.:2009/01/22(木) 01:45:12
眠い・・・眠いのに。
眠いのに>>278のバカヤローめ
ここに居座ってくれちゃってたのな。
寝る直前に踏んでみたのが運のつき〜
眠いまま一部冴えてもーたろーがアホめ。

333evian:2009/01/22(木) 03:59:55
>そういう、ある種俗物的な思惑や感情とは一切無縁のところで
>心のうちからわきあがる何か静謐なものによって
>自然と祈りたくなる時、私は何かを許している。
>そして許されていると感じるのだ。

これはなんか分かる気がする。

言葉にするとベタなんだけどね
だだ そこに ある
という感覚。

あってもいい ではなく
あることを許されている でもなく
ぽん、と ただ そこに ある という感覚。

キモチいいよな、これ。

334A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/22(木) 08:12:12
以降ロイたちの"頭の中の人たち"を
「ちっさなおっさん会」に決定します

335evian:2009/01/22(木) 09:09:25
>334 www

了解いたしました(・∀・)

336evian:2009/01/22(木) 14:34:47
へへ
ここ最近の大展開に付いていけてないや
そろそろ卒業かな
名残惜しいけど

337evian:2009/01/22(木) 15:41:29
むしろ入園してはどうかw

338N:2009/01/22(木) 17:52:36
>>321
>>313の下一行はAさんへの質問ではないかと愚考するのだが。
伝達障害ナカ〜〜マww

339N:2009/01/22(木) 17:55:28
まつがい。。。>>318 の下一行

>>332 だからjane do 使えと忠告したろうがwwww

340N:2009/01/22(木) 18:06:37
大宗教の歴史は血みどろ。 今もなお。。。
大東亜戦争で戦争非協力を貫いたのは一部の新興宗教だけ。
老舗宗教はぜんぶ戦争に協賛した。

341HRK ◆l/an/smhrk:2009/01/22(木) 20:00:17
>>336
私が思うに、今のここの掲示板は、
意図的な誤誘導、意図しない誤誘導、大ボケ、まじボケ、まつがいの五層で出来ている。
なにが真実かは発言した人物にも判らず神のみぞ知る。
そのような状況で、ついていく努力は不毛である。
今の我々に出来るのは、ロイ氏が出てきたら、モグラ叩きのように叩くのみ。(笑)
(あ、本当に叩いちゃ駄目だよ。優しく弄る程度で)
諦めるのは、モグラ叩きに疲れてからでいい。

342N:2009/01/22(木) 21:58:31
>>333
それはなんか座禅的なものと共通するような感覚なんだろうか?

俺の知り合いが会社の研修で禅寺に行かされて座禅をしてたときに
雑念(頭の中のざわめきみたいなもの)が静まる瞬間があって
その時、ふとなにかがフッと軽くなった、というような事を言っていた。
長続きはしなかったらしいけど。

そういうのとはまた別の感覚なんだろうか?
だとしても、それが
「許す」「許される」という感じに結びつくというのがよくワカラン…。

343333:2009/01/23(金) 02:07:04
>342
うーん。
言葉の意味も、その言葉に与える陰影も
一人一人違ってたりするからなあ……って話は置いといて。

ごく個人的な手触りで話して良ければ、
自分の場合、あんまり高尚な感覚でも難しい感覚でもないな。
頭の中がふんわり空っぽになってる感覚だ。

あっていい も あっちゃいけない も
ゆるす も ゆるされる もなくて
どっかに溶けこんだみたいになくなって
ただ阿呆みたいに口開けてぽけーっとしてるw

で、実はそれが一番「ゆるし ゆるされてる」に近いんじゃないかと。
あくまでも個人的な感覚として。

すまんね。実は一番言葉にするのが苦手なとこなんだわ。
もっと正確に言うと「言葉が生まれる前の感覚」なんだわ。

それが、もしや

>そういう、ある種俗物的な思惑や感情とは一切無縁のところで
>心のうちからわきあがる何か静謐なものによって
>自然と祈りたくなる時、私は何かを許している。
>そして許されていると感じるのだ。

に近いんじゃないかと思ったのは、あくまで俺の勝手な思いこみw

344evian:2009/01/23(金) 19:34:17
>>314
誤誘導と決め付けるのは失礼じゃないか

345N:2009/01/23(金) 20:38:23
>>343
Aさんやロイがいう「祈り」という言葉の“意味と陰影”を
知りたいと思ってるんだ。
>333の「ただ そこに ある」はヒントになりそうで。

①絵を描けるようになりたくて石膏デッサン教室というものに参加したことがある。
  あまり人気がなかったのか、会場に行っても無人なことが多かった。
  石膏像と俺だけが向き合って、
  紙に木炭を刷り込むサクサクという音だけが流れる。静かな時間。
  その時間が好きだった。頭の中から言葉が放逐され、俺はまるで眼だけの存在。
  手は紙に向かって木炭を動かしながらも
 「頭の中はふんわり空っぽ」であったような気がする。

 ※最近だと、
 日曜の午前にNHK教育でやってる将棋を見てて近い感覚を持つ時がある。
 盤面に駒を打つパチ、パチという音だけがあって、時々解説者がいろいろ説明するが
 実はあまり将棋を知らない俺にはなんのことかよく判らず他言語のようだ。
 駒の音だけが時々響くだけの静かな時間。
 駒の動きの意味もわからず頭は徐々に空っぽになっていく。結構心地よい。
  たいてい見てる最中にうとうと始めて最後まで見れた事はほとんどないw

346N:2009/01/23(金) 20:42:40
②サルトルの小説に「実存」を感覚的に描写してるのがあった。
(本はもうないし、記憶も朧ろだけど)
 楡の木(だったと思うが)をじーーーっと見ているうちに
 その木から「楡」という名前が意味をなさなくなり、
 名詞を失った「なにか」だけががある、という状態になる。
 それが「実存」だと、そういう描写だったように記憶している。
 
 『楡』という固有名詞は,意味を喪失し、ただそこに存在する。

①か②かどちらかに近いモノはある?
というか、そもそも333氏の言ってるのは
「祈り」の状態なのだろうか?

キリスト教の場合、祈りは「言葉」でもある。
神仏に向かって黙って手を合わせる、という方なんだろうか。
まぁ、キリスト教でも、祈りの言葉を唱えながら
習慣化してた言葉は、単なるバックグラウンドミュージックと化し
頭は空っぽ、という状態もあるのかな、と空想はするが。

347A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/23(金) 22:41:50
>>345
ひたすらデッサンしているのは大変ここちよい
全部からになる感じがある。

348N:2009/01/23(金) 23:08:59
>>347
クロッキーとやらは時間が制限されて、あわただしくて、訓練ぽくて、
石膏デッサンほど好きになれなかったな〜 
クロッキーの方が、あわただしいから、
頭からっぽ度は高かった気もするんだけど
時間の流れ方とか頭の中の静かさが違ってた気がする。

349333:2009/01/24(土) 01:36:00
>345、346
うお。粘るね、旦那w

1と2か……うむう。

333で書いたのは、こんな状態だ。

いわゆる信仰とも宗教とも無縁の生活だが、好きな神社がある。
高い山の、車も人もめったに来ない林道をのぼってたどり着く小さな社だ。
「頭の中をからっぽ」にしたくなると、そこに行く。

林道に入ったあたりから、すげえ気持ちがいいんだ。
いいんだが、頭は別に何も考えてない。
ただ とりのこえ や きのざわめき や むしのこえ だけをぼんやり聞いてる。
人工の音はタイヤが路面を踏むかすかな音だけだ。

で、目当ての社について、形ばかり参ってみるんだが
こんとき、べつに何にも考えてないんだな。
手を打って、目を閉じて、頭を垂れて。
でも頭の中にはなんの「祈り」も「願い」もない。

あえて言葉にすれば

ただ あるなあ と思う。

なんかわからんが すべてが ただ あるなあ と感じてる。

その状態が、もしかしたら俺の「祈り」なのかもしれん、と思ってな。
そんだけなのよ。

Nの祈りは(少なくとも子供の頃のそれは)俺らの「メシ食ったり」「風呂入ったり」と
同じくらいリアルで、コンクリートな「行為」だったんだろうな、と想像してみる。

350evian:2009/01/24(土) 14:41:30
>>341
オーケー
ピコピコハンマー準備しとくわ

351N:2009/01/25(日) 08:17:59
>>349
うむ、ありがとう。
俺のクォリアは、大林信彦の尾道3部作的な神社と
マイナスイオンたっぷりで清浄感溢れる空気に満たされた。

もうすこし書きたいが、実はその後の、俺自身の祈りについて
いろいろ反芻しているうちに自分自身のパンドラの箱の蓋が一部壊れた。
昨夜から一晩中どす黒いものが渦巻き続けて、
たぶん胃に穴をひとつくらいは開いたと思うw
俺にとって祈りはコンクリートな行為ではなく苦痛に満ちた儀式だった。
祈りの拒否から、あらゆる形式主義に対する嫌悪が神経の一部のようになり、
俺をきわめて不自由な人間にしていったんだ、と気付いた。
まぁ、これ以上はどちらかというと噴きだしスレネタだから
(実際噴き出そうと試みたが、どうしても投下できなかった。
 しかしその過程でかなりいろいろな心的経験ができた。
 ロイの回想に対してもある種の理解が進んだような気もする。)

いろんな意味でありがとう。(←皮肉的なニュアンスは一切含んでない。文字通り、ありがとう)

352333:2009/01/26(月) 01:34:09
>351
それにいい加減なゆるさを加味すると
オレのクオリアにも近い、気がする。
妙に嬉しい。

Nの「祈り」について、いつか噴き出されるのを待っている。
もちろん強制も、急かしもしない。

言葉足らず(もしくは言葉以前)の俺のレスに
これほどまともに取り合ってくれて、こちらこそ感謝する。
ありがとう。

353N:2009/01/28(水) 00:53:22
噴き出したのは祈りについてではなく、父親についてだった。
もっとはっきり書けば、とうに死んでいる父親への呪詛。
メモ帳には残してあるが、これを晒すということは、別の問題になる。
あまりにも個人情報が多すぎる。それを曝すことに何の意味があるのか。
なぜ、ロイは晒すことを選んだのか。
回想録を2ちゃんに出現させた時、もう“ロイ”は何段階かを乗り越えていたはずだ。
今回それを強く実感した。彼は「先を行く者」でもあった。
しかしそれを初めて目の当たりにした者は、
現在進行形としてそれを受け止める他無かった。

噴き出すこと。メモにはき出すこと。それを人目に曝すこと。
特に吐き出すことと人目にさらすことこの間には千里の径庭がある。
表に言葉が顕れた時、
長い時間反芻され続けた苦闘が次の段階を求めていたのだろうか。

メモに吐き出し、言葉を外に追い出したつもりでいても
言葉にならなったこと、自身の言葉が自分に反射し返したことが
言葉以前の疼き、鈍痛として沈殿し続ける。
噴き出しはもろ刃の剣だ。

ロイはそこを乗り越えた。あるいは克服しようとしてスレッドを始めたのか。
世間に訴える、という目的も含んでいたのだろうか。
2ちゃんねるのSM板にスレを立てたという選択には、
おびえと決意の屈折がなしたものだったのだろうか。

“ロイ”の奥に潜む暗箱は
決して多重人格というだけで照明しつくされるとは思えない。

354N  【豊かさ・貧しさ】:2009/01/28(水) 01:09:02
気分転換したい。

金とは何か。 交換価値だと単純に思っていた。
それから金は「可能性」だと思った時期があった。
これは今から思えば“金融”に対応する。
金が具体的にモノの交換を仲介する記号であることから、
記号そのものとして、「可能性」の部分だけが拡大した。

最近は、「相互扶助」の記号ではないか、と思っている。
現にそうであるという事ではなく、
そういう記号進化(変化)の方向が含まれだしているのではないか。

10年近く前に吉本隆明が「今後は贈与経済しかないのではないか」
と書いていたとき、まったくピンとこなかった。
だが、今はもう、金(経済)を
「相互扶助」の記号として考えないと立ちゆかないのではないか。

相互扶助が偏在して、特定の場所に偏在すれば、
相互扶助はきちんと機能しなくなる。 
相互扶助の記号としては機能不全に陥る。
倫理ではなく、社会衛生の問題だ。

「社会衛生としての善」という考え方は
小説“コレクター”の作者であるジョン・ファウルズの箴言集「アリストス」で主張した。
この「善」を、相互扶助の記号としての金、におきかえれば、
富の偏在を、社会衛生上の不健康、として考えることができる。

355N  【豊かさ・貧しさ】:2009/01/28(水) 01:11:32
本を読む事は必ずしも心の豊かさには結びつかないが
すくなくとも「視野を広げる」には有効だ。

356N  【豊かさ・貧しさ】:2009/01/28(水) 01:14:59
拡がった視野から、己を逆照射すること。
即自的な自分から、自己を対自的に眺め直すこと。
これは認知療法とやらに似ているのではないだろうか。

だがロイのやったことは単なる認知療法を越えている。

357N:2009/01/28(水) 01:20:36
…俺はなぜこれほど てにをは を頻繁にまつがうのか…ww…

358 ◆yOHf648Wc.:2009/01/28(水) 02:32:28
寝不足だからではあるまいかw

359 ◆yOHf648Wc.:2009/01/28(水) 02:33:12
いや、呪いだな呪いw
>>275を無視してくれちゃった報いだなww

360N:2009/01/28(水) 03:30:13
>>358
寝不足なのは認めるw
>>359
謹んで 人を呪わば穴ふたつ という言葉を進呈する
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%91%AA%E3%82%8F%E3%81%B0%E7%A9%B4%E4%BA%8C%E3%81%A4

361evian:2009/01/29(木) 01:51:22
>>353 突然、ごめんな。
「吐き出すこと」に関して、ふと、こんな話を思い出した。

わけのわからない現象、恐怖を感じる現象に名前を付けて「妖怪」にする。
すると、名付けられる以前にはなかった「対処法」が生まれてくる。
それに出逢った時こうすると逃れられる、という方法だ。
例えば、山中で「ヒダルガミ」に遭ったら「握り飯を一つ置いてくる」とかだな。

こうした「名付け」による対処法は、実は今でも有効だ。

例えば、現代の釣り人が出逢う「おらび(=叫び)」という怪異がある。
夜釣りをしていると、どこからか自分を呼ぶ声がする。
声はだんだん近づいてきて、終いには自分の耳元で「おい」と呼ばれる。
これはいわゆる水死者の霊の仕業なんだが、興味深いことに
「おらび」と名付けられたことで妖怪化し、それと共に対処法が生まれてるんだ。
曰く「おらびに遭ったら、帰りに神社や寺で拝んで帰れば良い」と。

で、何が言いたいかというと

何かを言葉にして吐き出せば、それは(たとえ人目に晒さなくても)
確かに自分を照射し返す両刃の剣となり、
新たな言葉以前の疼きや鈍痛を生むだろう。
だが、言葉にすることで「それと折り合う術」もまた生まれるのではないか、と。

断言はできんよ。
でもな、希望がある、気がするんだ。
だからどうだってんじゃないけどさ。

362A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/30(金) 17:15:31
折り合う.........か

363N:2009/01/30(金) 18:01:39
>>361
「なるほど」を百回コピペしたい気分だw
実は数日前にレスは読んだんだが、
そして「名付けによって対処法が生まれる希望」に
ハッとしたんだが、うまく咀嚼できないでいる。
くわえるに長文を書く気の力が今ちょっと衰え中でもある。

ちょっとここんとこ、軽いレス意外は精神的にキツい(逃避中…w)
まともな返事は、もう少し待ってくれたまえまいか

>>362
俺も「折り合う術」にひっかかってる。
(反撥してるという意味じゃなく、俺の場合、
 なにかが開けそうで、しかし、どうもうまく開かない、
 という感じのひっかかりかただけど)

364361:2009/01/31(土) 03:40:39
>>363
「わかってらあ、そんなの」を百回コピペされるんじゃねえかとビビってたw

無理な返事はいらんよ。
何かを考えたり、自分が楽になるきっかけになってくれりゃ、それでイイ。

「折り合う」って言葉を使ったのはさ、
「それ」はなくなりはしないからなんだ。

自分はどうしたって「それをそう感じてしまう」。
だからしんどいんだし、厄介なんだ。

名付けても妖怪はいなくなったりしない。
けど、共存することが出来るようになる。
それはそこにあって、俺はこっちに生きてる――ってことが
名付ける前より少し楽に出来るようになる。
それはそこにある「けど」でも、
それはそこにある「にも関わらず」でも、
それはそこにある「から」でも勿論なく、
「それはそこにあって」「俺はここにある」が並列で出来るようになる。

それ、デカイと思うんだ。楽に呼吸するためには。

そうやって折り合えれば、他の何が変わらなくても時間が変わる。
他になんの対応も出来なくても、時間が流れてくれる。
そこがデカイんだ。
時間が流れてくれると、他が何一つ変わらなくても結構「それ」が変わってくるもんだぜ。

365A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/31(土) 07:53:17
うーん......

366N:2009/02/01(日) 06:53:56
>>361
対処法をみつけるヒントみたいなものはあるだろうか?
そこはけっこう大事な気がする。
知恵が浮かぶか、浮かばずに「潰れる」か。

まず名付けてしまわないと希望も生まれないのかもだけど
俺の場合、まだ「名付け」そのもの葛藤してるわけだけど
次の対処法を見つけるヒントみたいのがあったら教えて欲しい。

367N:2009/02/01(日) 07:00:59
>>365
Aさん もう一声頼むw 
それだけじゃ、疑問とか反撥なのか、咀嚼中の呻きなのか
わからんくて気になるじゃないかっ 笑

368A ◆CPjaa6Nup6:2009/02/01(日) 07:07:24
>>367
えーと
名付けてしまう事で、よけいに怖くなってしまわないか
と思ったりした

369evian:2009/02/01(日) 07:26:44
>>368
怖くなることも大事なのかも、と反射的に思った。

ほれ、アレだ。
恐怖映画で(こんな譬えでスマン)一番怖いのは、お化けや怪物が出るとこまで、って言うじゃないか。

370N:2009/02/01(日) 07:50:28
>>369
いやいや、
お化けが出たとたん、心臓麻痺でしんぢゃう観客だっているぞ。

371evian:2009/02/01(日) 07:58:14
>>370
ナルホドw

でも、真面目な話、「得体の知れない恐怖」と「明確な恐怖」なら
正体のわかってる恐怖の方が対応はしやすくねえ? 
恐怖が少ないって意味じゃなく、明確なぶん厄介さが少ないって言うか。

372N:2009/02/01(日) 08:17:41
>>371
いや、マジメにレスしたんだけど 笑

そこはちょっと俺は想いがちがくて、
無意識に全身に散らばってたものが
名付けられて明確にひとつの固まりになってしまうと
それまで全身の代謝でなんとか無意識に散らしてたものが
癌(あまりいい例えじゃないけど)みたいに内臓を食い散らかすってかさ。

確かに、明確になれば「治療」の可能性はでてくるんだけど
「治療」できないようなデカさの妖怪だと、
やっぱり、一カ所に集めなきゃ良かったってことになるかもだし。
だから、集めずに全身に散らしたままなんとかやり過ごす、っていうのもアリな気がする。

完全退治はできなくても、お化けとつきあっていくためには、
やはりなんらかの対処法が見つかる(見つかっている)ってところが
かなり大事な気がするんだ。
カウンセラーってのはその為にいるんだし。
(これがヘボだと、妖怪パワーがUPなんてことにもなりかねないけど)

あ、そうだ。361氏、この件に関してはレスするとき仮コテつけといてね。

373N:2009/02/01(日) 08:20:19
違う人間を361氏と妄想して攻めたりしたら気の毒だからw

374361 改め タター:2009/02/01(日) 08:37:10
うえ、見抜かれてら。
ハズカシイから名無しのままでいようと思ったのにw
(コテハン推奨なんだよな。ルール無視でスマンかった)

>>372
>全身の代謝で散らしてたものが一カ所に集まる

なるほどな。
そこらへんは俺、逆に考えてるのよ。
人は往々にしてアタマより身体の方が賢かったりするから
身体の方が「準備が整ってない」もしくは「妖怪がまだデカ過ぎる」と見れば
全身に散らしたままにしてくれるんじゃないか、と。

ある程度喰われても内蔵がなくならない、と見た時のみ
一カ所に集めて顕在化させてくれるんじゃないか、と。
その準備が整う(身体がしぶとくなるか、妖怪が薄まるか)まで
全身に散らしたまんまやり過ごすってのは大いにアリだと思う。

375N:2009/02/01(日) 09:06:08
>>374
なんかね、ロムってるだけじゃわからない
自分のレスにレスが返ってきた時感じる個人的な感触ってのがあるんだよ>掲示板
だから掲示板ってのは
ロムるより参加するほうが数倍得るものが大きいってかさ。

>タター
再び「なるほど」を100(以下 略)

妖怪はちゃんと、相手の状態を頭より先にワカッってるから
(けっこう優しいんだな妖怪、見直したよ妖怪w)
名付けは潮が満ちている時なんだと。

で、まぁ、>>366はかなり難しい質問だということは充分承知してるんだけど
いますぐでなくて構わないんだけど、いずれレス頼む。(→けっこう必死だったりしてww)
とりあえず焦らない、ってのもアリかい?
つまり、頭じゃなく身体が対処法をひねりだしてくれるというか、
そういうことってあるもんかぃ?
自分からじたばたせずに、向こうから来るのを待つってのもアリかぃ?

ま、俺の場合は、心臓麻痺じゃなくて胃潰瘍くらいで済んでるわけだから
そんな必死にならなくてもいいんだが、なんせ、
長いことやり過ごしてきた妖怪が突然顕れて
そやつと対峙するのが初めてだったもんで
ちょい経験者の談を聞きたくなってるわけさ。
まるで人生談版みたくなってしまってスマンけどさww

(今日はここでオチる)

376タター:2009/02/01(日) 09:07:13
逆に言うと、
顕在化させたくないのにバケモンが姿を現しそうになってるのは
自分の思いとは裏腹に身体が「耐えきれる」と判断したからじゃないのか、と。

377evian:2009/02/01(日) 09:13:22
あ、やべ。もうレスが来てた。
オチた背中に返事しとくw

>>366 はすっげえ言いたいことあるんだが
昨夜から未だに仕事に追いまくられてるんで、ちと余裕が出来た時に返事するわ。
気合と時間を必要とする内容な上にうまく伝えられるかどうかわからん。
俺予想では9割7分くらい、わけわかめになる予定だw

378タター:2009/02/01(日) 09:16:07
スマン。>>377、俺。

379N:2009/02/01(日) 17:17:33
>タター
だから jane do使えと(ry
つか、背中が痛いのはなじぇw
わけわかめでけっこう。 
そういうのをあれこれ考えると左脳が活発になって少しウツが薄れるw
気長にお待ちしておりまする〜

380タター:2009/02/01(日) 23:43:53
>背中
肩胛骨の下部中央あたりが痛いんだったら胃のせいw
あと胸中央の熱くて鋭い痛みも、なw

381N:2009/02/02(月) 08:41:16
>>364
>それはそこにある「けど」でも、
>それはそこにある「にも関わらず」でも、
>それはそこにある「から」でも勿論なく、
>「それはそこにあって」「俺はここにある」が並列で出来るようになる。

たぶん俺は
それがそこに「あった」けど
     〃  「あった」にもかかわらず
         「あった」から 「今俺はこうなってしまった」
の段階だ。
その認識が痛い。 以前は 「だから」「俺はこうなんだろう」
とぼんやり感じていた。それが「こうなってしまった」に変わった時痛みが湧いた。

382タター:2009/02/02(月) 11:34:11
仕事の終わりが見え始めた(ばんじゃいw)ので、取り急ぎw

>>375
>とりあえず焦らない、ってのもアリかい?
>つまり、頭じゃなく身体が対処法をひねりだしてくれるというか、
>そういうことってあるもんかぃ?
>自分からじたばたせずに、向こうから来るのを待つってのもアリかぃ?

個人的な意見ではオール「アリ」だ。
自分の身体を信じて、自分の背骨を信じて
大脳を経由しない反応に事態を任せてみるってのはすごく有効な対処法だぞ。

383A ◆CPjaa6Nup6:2009/02/02(月) 22:00:17
肩胛骨のあたりが痛むのは
翼のなごり

  とかねーw

384N:2009/02/04(水) 07:43:04
>>382
ちょっと安心したww
別に意識してやってるわけじゃないが、現在
脳軟化しててこみいった事が考えられなくなっているw
これが「普通」ということだろうか…
ぼんやりして大脳を働かせることができなくなったのは初体験だ…
薄〜く、不安も感じるw しかし確実になにかが変わりつつはある。
でも、逃避中ww

>>383
「二級天使」というマンガがあったのを思い出したw
加齢臭漂う堕天使… かっこよくはないなwww

385N:2009/02/04(水) 07:48:58
「世界」と「和解」することによって
失われるかもしれない「何か」

386N:2009/02/04(水) 07:53:23
あぁ、こういう独り言は噴き出しの方がいいのかな?
でも浮かんだ言葉を気兼ねなく連投できるこのスレの存在は
ホントにありがたいよ。

387evian:2009/02/04(水) 09:47:57
>>385 はじめましてで、いきなりゴメン
その「世界」には自分は含まれていないのですか?
「和解」というからには、常に自分と対立しているのかなあ
長文は(体質的に)読めないので、過去の経緯はわからないが
なんだか気になった。

388N:2009/02/04(水) 12:57:05
>>387
長文読めないって… じゃ短めで。
自分は含まれてないです。
対立というのも含まれるかもだけど、
そこに入れないというか、
受け入れて貰えないとか、外されてるというか、
居場所を見つけられないというか、そういうのをひっくるめたのが「世界」

389N:2009/02/04(水) 13:01:40
酒鬼薔薇が「透明な存在である自分」みたいなことを
書いてたろ? アレ、俺はすごく反応した。

390タター:2009/02/04(水) 14:14:00
>>382
>しかし確実になにかが変わりつつはある

個人的な意見ではいいサインだ。ちゃんと身体が対応してる。
脳は軟化しとくにまかせとけ。逃避しろ。
オールオーケーだ!

391N:2009/02/04(水) 18:14:14
>>390 ありがとう。 精神的にはまだ何度も行ったり来たりしそうだけど。
    音楽に癒される、とか以前ロイが書いてた気がするけどホントだな。

392A ◆CPjaa6Nup6:2009/02/06(金) 22:04:01
グレゴリオ聖歌? っていうのが最近気に入った。
邪魔にならん。いい感じに身体を包む。

393タター:2009/02/06(金) 22:53:37
さて、厄介な仕事が片づいたので気合を入れて…w

>>366
>対処法をみつけるヒントみたいなものはあるだろうか?

と問われて、反射的に頭に浮かんだ物語があった。

南アフリカのブッシュマン(今はコイサンというのが政治的に正しいんだよな)を
こよなく愛したローレンス・ヴァン・デル・ポストが書いた一節だ。
(今、手元に本がないんで、スマンが、記憶を頼りに書かせてもらう)

ブッシュマンは狩猟採集民族だ。財産所有の概念がない。
そこで一人のブッシュマンが放牧されていた牛を「狩って」しまう。
彼は「窃盗」の罪で逮捕され、服役することになるんだが
大地の人であるブッシュマンは牢獄の中で次第に衰弱していく。
窓から外を眺めては「風はもう『物語』を運んでこない」と呟いて。

で、結局、さして長くはない刑期を終える前に衰弱死してしまうんだが
ヴァン・デル・ポストはこう言うんだ。

「人は『物語』によって生きる。
彼は投獄され、彼の部族と切り離され、
彼の『物語』から切り離された時に死ぬしかなかった」

この一節は当時ガキだった俺の心に強烈に残った。
ひどくロマンチックな物言いだったし
ひどく不可解な物言いだったからだ。

だってそうだろう?
『人は物語によって生きる』ってのはロマンチックな表現としてアリだと思ったが
『実際にそれで人が死ぬ』なんて、どう考えても行き過ぎにしか思えなかった。

394タター:2009/02/06(金) 22:54:40
>>393
わけわかめな話はまだ続くw

で、このフレーズはそれから長らく疑問として心の片隅に残り続けた。
で、年を経るごとに「本当かもしれん」と思うようになっていった。
別段、自分の中で劇的な変化があったがわけじゃないが、
物語ってのはかつて自分が感じていた以上にデカイかもしれんと思いはじめた。自然にね。

嬉しいこと、悲しいこと、耐え難いこと――すべてが
自分の属する文化の(「文化」に違和感があれば「自分の自分の属する時空」の)
自分に理解できる『物語』の形を持っている。

それが一番はっきりしてるのが「生死」だ。
人なんて極論すれば、勝手に生まれて、放っときゃ死んでくんだが
それだけじゃ虚しいんだな。
で、虚しいだけならまだいいんだが、往々にして
虚しさがつのると、生きること自体が難しくなったりする。
で、生きることに一つの『物語』を求める。
それは「いきがい」だったり「哲学」だったり「ポリシー」だったり「使命」だったり
様々な名前で呼ばれるけど、要は『生きるための物語』なんだ。
(これはそのまま『死ぬための物語』でもある)

『物語』って言うと「嘘くさい」とか「つくりごと」って形容――
つまり「現実じゃねえだろ、それ」って指摘がついてきちまうけど
これが意外と侮りがたいものなんだ。

なんていうかな、物語は「現実に起きていることを理解するための祖型」みたいな役割をするのよ。

で、状況がそうした祖型に基づいて理解されれば
自分の立ち位置や困難の性質も理解しやすくなる。
で、それらが了解できると、それらに対処するのも楽になる。
あるいは対処せずにやり過ごすこと(これだって実は立派な対処の一つなんだ)も
理解する前より楽に楽に出来るようになる。

395タター:2009/02/06(金) 22:55:13
>>394
ってことで、俺の腹の底、もしくは背骨のどっかで
「名付け」と「対処法」と「物語」は深い関連をもってるんだが
個人的にはそこら辺を深く考察する必要がないもんで、
このまま、まとめずに投げ出してみるw

よけい混乱させたらゴメンよ。先にあやまっとくわ>N

396タター:2009/02/06(金) 23:02:11
>>394
>で、生きることに一つの『物語』を求める。

このフレーズ自体が誤解されやすい要素をたっぷり含んでるな。
いくつか補足しとく。

まず、ここで言う『物語』には、侮蔑的な要素、否定的な要素は全くない。
そして『生きるために物語を求めること』を俺は全面的に肯定してる。
生きることは、物語の声に耳を傾け続けることだ、といっても良い。

397A ◆CPjaa6Nup6:2009/02/07(土) 07:25:24
タターの言う「物語」とは意味合いが違うが
交流分析(Transactional Analysis:TA)というカウンセリングの中に
人生のシナリオという概念が出て来る
それを少し思いだした。

ちなみに交流分析は私には相性がよかった。
まがりなりにも、社会生活ができるようになった。

398N:2009/02/07(土) 13:04:00
>>395
>よけい混乱させたらゴメン

いや、むしろ目から鱗だ。 タター、あやまり損w
>>385でつぶやいた「何か」は「物語」かもしれない。
父親を否定し続けるとで形作られた何十年にも渡る自分のストーリー。
いま、そこに赤ペンを入れることで、
物語の筋が変わってしまうかもしれない不安と動揺と希望と
そして希望を抱いたために味わうかもしれない失望への畏れ。

399N:2009/02/07(土) 13:06:03
物語の筋というより、物語の「質」かもしれないな。

400N:2009/02/07(土) 13:13:20
もうすこし考えてみる必要がある。
だが、俺にとって相当なヒントになる重要なレスにまずは、感謝。

>>397 交流分析というのは物語の「添削」なのかな?
ちなみにオイラが聞いてたのは古いR&Bとブルースだよ。
「聖」を感じるのは「バグダットカフェ」のテーマ。
「グレゴリオ聖歌?」ってのも時間ができたとき調べてみる。ありがと。

401N:2009/02/07(土) 20:31:27
>>393-395

(ブラウザでポップアップさせ読み返すための俺用アンカ)

402タター:2009/02/07(土) 23:48:38
古いR&Bとブルースか。
人の声って気持ちいいんだよな。グレゴリオ聖歌も。
キワモノかもしれんが声明なんかも好きだ。

403N:2009/02/08(日) 00:16:27
おう、タター。偶然いまポップアップを
何度も見返してたところだよw
声明ってのは珍しいな。
落語をBGMにしてるって話は時々耳にするけどな。

俺は一時ひとの声じゃまで、柄にもなく
クラシック音楽を聴いてた時期があるんだよw
なんちゅうのかあまり詳しくないんだが、
交響曲みたいな大仰なんじゃなくて、室内楽、
それもテンポが一定してて静かなヤツ、
突然狂ったように早くなったり大きくなったりすると
腹が立ってwwMDでうるさいとこは全部切り捨てて
静かなとこだけ聞いてた。ww
音楽を聴くのはいっさいやめた時期もあった。

古い黒人ブルースやR&Bは、父親に反抗してた時代
(まぁヤツが死ぬまでずっとだがw)よく聞いてた。
何十年も昔の話だ。ふしぎだが、今回、胃痛のなかでw
偶然アマゾンに注文してた古いR&BのCD(3枚組で2000円ちょいだ
安いだろw)が届いたんでそれを聞いてたら、あのころ
それを聞いて慰められてたのとおんなじ状態になったんだよ。
すごく落ち着いた気分にさ。うん。いまは逃避してて
すこし回復してるよ。 なんつーか、俺は同居してる老母とそれほど
仲良くはやってない。つうかほとんど口をきかないといってもいい。
だけどな、こないだ、俺が飯作ってたら(俺は母親の料理は食わない)
母親が台所に入ってきた。でだ、ここ数年、俺はそれを感じても
反応しないようにしてたが、昨日は振り返ったんだよ。
そんだけのことだけどな。でも、俺にとっては(そして母親にとっても)
そんなちょっとのことが大きな変化だったりするわけさ。
端の人間にはわかんねーことだけどな。うん。

404N:2009/02/08(日) 00:26:29
あんたの物語に関するレスは、頭の先っぽだけだったら
いくらでも長文で返せるんだ。でも今はそれをしたくない。
>>395
>腹の底、もしくは背骨のどっかで
ってフレーズがあるんだが、そっちだ。骨や内臓側に入れたい。

でだ。今回ロイが回想に書いたことに関して
頭の先っぽで考えたことをぼちぼちとこっちに書いてもいいかぃ?
(今日じゃない。いずれ、だ)回想録に俺のひとりごと長文が連投されると
名無しさんが書き込みにくくなるような気がする。
それに、頭の先で考えることだから、ロイをほったらかしにした一般論に
なると思うし。

つまり、一時的に流れを切ってもいいか?最終的には
人間の話だから、つながるんだが、それはもう一般論としてだ。
かなり抽象的な話になるはずだし、一応聞いてみとこうってこった。

405N:2009/02/08(日) 00:37:38
スマンな。今、ちょっと楽しみに読んでるスレッドがあって
>>404後半にはそこの主役の口調のテイストところどころ入り交じってるww
(まったく似てないがw)
自分語りにはちょい便利な文体ではあるんでね。
意識的に野郎の「呼吸法」をまねてみようかとは思った。
がしかし読み始めて日が浅いんでぜんぜんモノにできてないw
(このレスはヌルーの方向で)

406N:2009/02/08(日) 01:08:07
しかし・・・ここのレス行数設定は
いくらぐらいにしてあるんだろう。
2ちゃんじゃはじかれるような行数の長文がかけるな。
さすが書くのも読むのも「長文好き」な「ロイ」が
設定しただけのことはあるw

407タター:2009/02/08(日) 10:09:34
>>404
>一時的に流れを切ってもいいか?
おう、N。
レスは好きにしてくれて構わんよ。
元々ここは好きなことを好きなように考察できるスレなんだし
前にも書いたように、俺はあんたがあんたのリズムで進んでくれりゃそれでいい。
俺のわけわかめな話を背骨や内臓のどっかにおさめてくれるなんて、それだけで充分に光栄だ。

ところで、CDで落ち着いたり、母親の気配に振り返る話が妙に嬉しいのはなんでだ、と思ったら
あんたの身体が大脳とは無関係に正しく事態に対応してくれてるからだ、と気づいた。
身体ってのはすごいな。頼りになるわ。

408N:2009/02/08(日) 12:42:54
>>407
たとえば「ひとがひとをわかることなんてありえない。」
としたり顔で言うとする。
これはしかし沈黙に形を与えた言葉としてはものたりない。
それは沈黙に定型的なことばを与えたように響く。
つまり手あかがついた言葉だ。

・・・ おもしろいな・・・ 腹痛が起きた。
体が頭の先っぽの言葉を嫌ってるらしい・・・
これが俺が失うのを畏れる「何か」かもしれない。

もうすこしだけ腹痛に耐えて。。

大脳新皮質、つまり「考える」ということが、ひと、ということの第一歩。

だめだ。。腹痛。。すこし体のいうことを聞こう。。

409N:2009/02/08(日) 12:44:30
>>407
体は頼りになるかもしれんがやっかいでもあるなw

410N:2009/02/08(日) 12:49:22
しょせん脳は神経の固まり

411タター:2009/02/08(日) 13:17:51
うむ。あんたの身体は結構手強いなw
頼もしい限りだ。

412N:2009/02/08(日) 15:41:13
おお、タターよタター  
俺はすこし困ってるぞw 
すこし変動がきつかったんで
体が「休め」と言ってるのかもしれん。

だが語りたいのも事実だ。
頭の中に沸いてくる分には腹痛はおこらない。
むしろ沸々と言葉は湧いてくる。
だがそれを「伝達」しようとするとてきめんに腹痛だ。
困ったもんだ。。

413N:2009/02/08(日) 15:44:57
自分が呼吸しやすい物語をつくって
自分を救わなければいけない。
でないと負の物語に押しつぶされる。 
過剰に頑固であってはいけない。
捕らわれたブッシュマンのように死んでしまう。

414N:2009/02/08(日) 15:51:04
これなら多少腹がしぶる程度だなww
詩のように。そして短く。
(読む人間のことなんか考えずワケワケメで!ww)
     ↑
こういうレスだとまったく腹痛が起きない不思議w

だが、調子に乗って「頭の先」っぽいこと書こうとすると
てきめんだな。。。困ったもんだ。。

415N:2009/02/08(日) 15:52:13
どっちみち今日は無理だな。やめぼ。

416N:2009/02/08(日) 15:55:39
詩に正確さなど求めてはいけない。

417タター:2009/02/08(日) 16:13:19
沸々と身の裡に湧いてくる言葉をひたすら味わってはどうか。
時折、軽いレスで身体をゆるめつつ。

とりあえず、こういう時の身体に逆らってもあまり益はないぞw

418N:2009/02/08(日) 16:23:27
>>417
おおタターよ。
湧く言葉を味わう暇はないな。奔流だ。溺れそうなほどに。
あるいは積み重なるように。

“益”か。。
それは俺に一番欠けてる考え方だ。参考になる。
助言に従うよ。今日は専ブラ閉じてオモロイヤツのスレ読んで
TVをオンにしてバカになるw

419N:2009/02/08(日) 16:25:44
もともとバカだけどなww

420タター:2009/02/08(日) 16:39:46
>>418
奔流か。
それじゃ頭は奔流に任せて
身体の手綱を緩めるんだ。

アホなTVでも心地よい音楽でも眠りでも
身体が欲する方向に身をゆだねとけ。

421ロイ:2009/02/09(月) 00:19:40
どうでもいいけどドラクエの
「おおタターよしんでしまうとはなさけない」
が思いうかんだ。縁起悪くてごめんw

422ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/02/09(月) 12:24:26
>>360
んな言葉進呈されんでも知っとるわい。
墓穴は既に掘りまくりだからいいんだ自分のは事足りてるw

>>361
深いな。
その視点が自身の考察でたどり着いたものだとしたら尊敬する。
試しに俺の悪夢の正体や内側に巣食う鬼に
『ポチ』とか名づけてみるかw
「今日またポチの夢を見た。さし迫ってくるポチに殺意を覚えた」
「ポチが俺の中で囁く。甘言に惑わそうとするポチと抗う俺。」
うん。とたんに深刻さが激減するなwww

423ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/02/09(月) 12:25:27
>>368
名づけてしまうことで、というより
意識してしまうことで実体化させる恐怖、というのが正しくないか?
名をつけるのはある意味そこに存在を認め実体化させる行為だから。
名づけだけの問題なら上のように「ポチ」とか「ミケ」とか
かわいいのをつければ問題ないんだろうけどな。

「そこにない恐怖」「そこにあるかもしれない恐怖」
「そこにあるものがなんだかわからない恐怖」
「得たいの知れない恐怖」
感覚的に目のそらせない、無視しきれない恐怖する何か
を抱えている場合には、「ポチ」とか名づけてしまうことで
「軽く見えやすくする」効果はありそうに思う。

問題になるのは
「無視しようと思えば無視できたはずの恐怖」
「気づかないふりができる程度の恐怖」
「存在を忘れていることができる恐怖」
「目をそらすことでしか対抗できない恐怖」
に名を与えてしまった場合だな。

その場合、わざわざ恐怖を実体化させ
巨大化させてしまう可能性がありそうだ。

424ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/02/09(月) 12:25:48
>>376
それはあるな。
多分以前にロイが書いていたと思うが
「自分が落ち着いている時に限って
 悪夢によって過去にひきずりこまれる」
話はモロそれに該当する。
K先生曰く「あなたの体が今なら耐え切れると判断して
過去を清算するために夢に見せているのだ」とな。

>>374
個人的に聞いてみたいが
タターはカウンセリング経験者か?
“既に乗り越えた者”に見えている。
そのレスは俺としては経験的に同意できる。
Nとは興味の方向が違って悪いが
俺にはタターがどういう経過を得て
その思考にいきついたのか、が興味深い。

425ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/02/09(月) 12:31:12
>>384
>脳軟化しててこみいった事が考えられなくなっているw

嫌なことを言うようだが、それは鬱病の
典型的な症状にもあてはまるぞ。
進むと文字も読めなくなるから心あたりがあったら警戒しとけよ。


ちなみに神戸の少年事件には俺も反応した。
俺はあの言葉にではないが、当時
「あれは俺だった。俺でもおかしくなかった。
あれが俺だったと思ってニュースを見ろ」と
とある人の胸倉つかんで泣いたな。

426ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/02/09(月) 12:43:05
>>391
その頃確か誰かが何を聴いているのか知りたいという
レスをつけていたと思うが、ベリンダ・カーライルだ。

あの時ロイは答えようとしたが俺が止めてしまった。
元々俺が人にもらった曲で、なぜかそれをロイが異様に気に入ったのだが
俺がもらった直後にロイがconquestでそれが好きだと語る、
そういう共通性から俺=ロイだと人に思われるかもしれないことを警戒した。
あの頃の俺はロイと自分を同列に並べられ同一視されることが嫌で仕方なかった。

ちなみにほぼ同時期俺が異様にはまったのはジンギスカン。
ジンギスカンというグループの曲を探しモスカウと共に
動画つきで何日も徹夜でエンドレスで聴いていた。
あのいでたちにお笑いの種にされがちなジンギスカンだが
なぜか俺の心にクリティカルヒット。
どう考えても素っ頓狂なあの姿とバンドの成り立ちを
頭ではおかしいとは思いつつ曲としては心魅かれるものを感じ
泣きたい気持ちがわきあがるのを抑えながら聞き込んだ。

年代的に懐かしさを感じてもおかしくないと言われたが
俺たちの記憶の中にある曲ではなく聞いたのは初めてなのに
なぜあれほど魅きつけられたのか、しかもそれが
心の中のどこか悲しい部分を優しくひっかくいたのか今でも謎だ。

ロイの場合はそれがベリンダ・カーライルのある一曲で
奴もまたその時期はエンドレス再生で同じ曲ばかり聴いていた。
ただロイの場合、カーライルの曲ならどれでもよかったわけではなく
聴いてみたが他の曲には特に魅かれることもなく
ただただひたすらその一曲のみを聴き続けていた。

427ロイ:2009/02/09(月) 15:45:04
>ただただひたすらその一曲のみを聴き続けていた
曲名が知りたい

428タター:2009/02/09(月) 22:04:40
>>425
>嫌なことを言うようだが、それは鬱病の
>典型的な症状にもあてはまるぞ。

ナルホド。

今まで「アタマよりのレス」をしていたNが
パンドラの箱の蓋が一部壊れて以来
「身体よりのレス」に変化しつつあるので
俺は脳軟化を良いサインと見た。
「良い」というか「順調に悪化している」流れだな。
行き着くところまで行って、身体が脱出の方法を見出せば
自然に『名付け』、言い換えれば『物語の獲得』も成就する、と。

自分の身体サインを読み解くことに長けていれば
それが順調な悪化なのか危険な悪化なのかは
各人で判別できるのではないか、と個人的には思う。

ちなみに俺の場合は
身体サインの薄皮一枚向こうに
ぽかりと口を開けた「平坦な無感動さ」が見えたらヤバイ。
そん時は薬の力を借りてでも身体&心の体力を回復させた方がいい。

429タター:2009/02/09(月) 22:20:41
>>422
>その視点が自身の考察でたどり着いたものだとしたら尊敬する。

とっかかりは友人との会話。
その後、釣り雑誌の軽い記事で『おらび』について読んだ時に
現代でも名付けが「生きている」ことを知って一人猛烈に興奮した。
ゆえに尊敬の4分の1は謹んで友人に進呈しておくw

>試しに俺の悪夢の正体や内側に巣食う鬼に
>『ポチ』とか名づけてみるかw

良い名付けだw
自分に必要なものをわかってるなw

430タター:2009/02/09(月) 22:40:02
>>423
いや。
『名付け』というのは、ただ「あるものに名前を付ける」だけではない。
それは本質的に「生きているのに支障が出るような(あるいは世界が危うくなるような)得体の知れない何か」に
手綱を噛ませてなんとか安全な距離に飼い慣らしておこうとする(あるいは遠ざけておこうとする)行為なんだ。

だから
「無視しようと思えば無視できたはずの恐怖」
「気づかないふりができる程度の恐怖」
「存在を忘れていることができる恐怖」
「目をそらすことでしか対抗できない恐怖」
は、そのような恐怖としてあるがゆえに意識の俎上に登らない。
つまり名付けの対象とはならない。

自分が
「無視しようと思えば無視できたはずの恐怖」
「気づかないふりができる程度の恐怖」
「存在を忘れていることができる恐怖」
「目をそらすことでしか対抗できない恐怖」
を抱えていると知ってしまった時、
つまり「未だ名付けられざる恐怖」を抱えていると知った時のみ
名付けは必要とされるんだ。

431タター:2009/02/09(月) 22:56:03
>>423 補足

ああ、そうか。俺の言う「名付け」が
ロイ ◆yOHf648Wc の言う「意識してしまうことで実体化させる」行為なんだ。

あんたはちゃんと

>名をつけるのはある意味そこに存在を認め実体化させる行為だから。

と言ってるもんな。
>>430はある意味、>>423のトートロジーだ。

432タター:2009/02/09(月) 23:13:48
>>424
カウンセリングは未経験だ。
したこともされたこともない。

>俺にはタターがどういう経過を得て
>その思考にいきついたのか、が興味深い。

俺は俺の過去に興味がないw
ゆえに正直に言えば、レスを考えるのが非っ常〜に面倒だw

ざっくり考えたが、俺はガキの頃ムチャクチャ身体が弱かった。
いわゆる虚弱体質だ(今、それを言うと皆に「嘘だ」と笑われるがw)。
長じて思春期からこっちにはココロも苦しかった。

俺はカラダもココロも苦しいのは嫌だったので
苦しくなくなる方法を一生懸命探した。

で、俺は俺しか知らなかったので
(他人の感覚も身体も心の裡も知る術がなかったので)
自分の感覚を最大限に使って、自分の心と身体を探った。

結果が今だ。
自分で言うのも何だが、心も身体も至極楽に呼吸している。

433タター:2009/02/09(月) 23:21:52
あ、ちなみに身体の苦しさ(病気)については
「苦しさは己の意志とは無関係に来て、無関係に去っていくものだ。
それはそこにあるもので、俺ではどうにもならん。なるようにしとけ」と悟ったw

434タター:2009/02/09(月) 23:33:32
>>433
と、書くとふざけているようだが
病気の子供は人生の早い段階で3つの重要なことを
身体で知ると思う。

 1) くるしいことは ある
 2) それは どうにもならない
 3) けれど くるしいことは いつか おわる

個人的には3番目を身体に叩き込まれたのが良かったなw

435タター:2009/02/10(火) 01:09:03
しつこく補足。

>>423
>その場合、わざわざ恐怖を実体化させ
巨大化させてしまう可能性がありそうだ。

これな、>>376と同じなんだ。
俺、そこは逆に考えてるのよ。

「無視しようと思えば無視できたはずの恐怖」
「存在を忘れていることができる恐怖」
「目をそらすことでしか対抗できない恐怖」
(※「気づかないふりができる程度の恐怖」は除く、これなら巨大化しても高が知れてる)
は、>>376と同じ理屈で考えることも出来るだろ?

つまりさ、
それがもやもやして実体がないのは
逆に言うと、実は、実体化させちゃうとヤバいくらいのデカさで
名前を与えるのは、ギリギリその巨大さに耐えきれる、と身体が判断したからじゃないのか、と。

だから小さいものが巨大化したんじゃなくて
いろんな形で気づかないふりするほど大きかったものが、意識してもいい大きさになったから
意識の前面に出てきちゃったんだ、と。

無視したりで目をそらしたりで封じ込めておけるんなら、わざわざ名前与えることないだろ?
そう考えりゃ、あとは名付けて折り合う(飼い慣らす、遠ざける)しかないわな。




いくら連投可のスレでも自分で自分がウザくなってきたんで、も、寝るわw
興味ないヤツ、長々とゴメンな。

436N:2009/02/10(火) 18:22:27
タターよタター
毎回念押しするのはおまいさんの個性のような気がする。
その念押しレスによって俺はタターがその前に書いたことを
誤解してないことを確認できたりする。だから余分ではない。
少なくとも俺にとっては。

だがふと疑問に思った。
その言葉が伝わったかどうかの不安は
おまいさんが今までおかれてきた環境が反映してるのか?
つまり言葉が理解されない悲しみを何度も味わったことがあるのか?

俺ばっか腑分けされるのも悔しいので逆襲してみたwww

タターとロイ ◆yOHf648Wc.の対話はおもしろい。
そこの部分は俺も一ロムラとなって介入せず眺めておくよw

鬱は経験済みだ。
指標もわかっている。この頭のぼんやりは別ものだ。

アタマの言葉はとても大事だ。
俺にとってそれしか世界を理解する方法はなかったから。

437N:2009/02/10(火) 18:27:18
>>434
といいながらなんだが
病気の子供が早くおとなになる、ってのは確かだな。
俺自身はけっこう丈夫だったので幼稚なままだ・・・
早く老成したヤツ、たとえばえなりかずきなんぞ
ずいぶん人生で得してると思う。
たとえジジクサイとギャルとやらにバカにされようと
そんなギャルよりはるかに「幸せ」に近いと思う。

438A ◆CPjaa6Nup6:2009/02/10(火) 22:22:00
>>434
苦しい事がいつか終わる
 と思った事が無い......

439タター:2009/02/11(水) 00:56:37
>>436
うお、逆襲されたw
しかもすっげえイイ逆襲だったww

よろこべ、N。クリティカルヒットだ。
左胸の脇に近いあたりがきゅうう……wと来た。
はじめてだ――いや、経験がある。
ココロのどこかが知ってる痛みだ。

俺、今、痛いクセに興奮してるぞ(いや、そういう意味じゃなくてな)。
こんなところに痛みが埋まっていた、と明確に認識した歓喜だ。
しばらくこの痛みをじっくり味わってみるよ。

Nの逆襲に感謝する。マジでサンクス。

440タター:2009/02/11(水) 02:08:35
>>438
あんたの言葉があんたにとってまぎれもない真実だったのだと感じる。
その重みで俺は言葉をなくす。

441N:2009/02/11(水) 03:40:37
>>439 おおタター。
さすがだなw 
その“興奮”はたぶん一度経験し乗り越えた者だけが持てる
体感なんだろうな。
すこしは俺の“アタマ”も役に立ったわけだ・・・ w
しかし偶然急所をついて「サンクス」なんて言われるの始めてだww
それは最初のテーマでもある「豊かさ」「貧しさ」にも結びつくな。

痛みの飼い慣らし方か。。「経験」「体得」しかないんだろうなたぶん。
噴き出しで「味わえ」と書いてたのおまいさんだったんだなw
簡単に言うなよ、と思ったけど目の前で実践されたら
傾聴するしかないじゃないかw

442N:2009/02/11(水) 03:52:35
>>438
「これから」? 「わからない」 「共に」?
アタマのコトバ
「先を行く者」は触われるコトバ持ってるかも,,,

443タター:2009/02/11(水) 10:12:16
>>441
ナニ言ってやんでえw
>>351 で鮮やかに感謝してみせたのは、ドコの誰だよw
ちなみにあの時礼を言われたのは、実は俺だwww

昨夜は興奮のあまり
味わううちに痛さがどんな風に変化していくかを
リアルタイムで次々と書きそうになって
「まて、それはさすがに誰も興味ねえだろ」と自制したwが
もしかしたら、あんたが楽しんで読んでくれるかもしれんな。
あとで気が向いたら書いてみるかw

444N:2009/02/11(水) 18:09:56
>>443
おおタター。あれはやはりおまいさんだったか。
そんな気もしてた。だが俺の妄想力はスゴいんで
さらに、ここで数年前対話した人間もそうではないか
という処まですすんでたのだよw

たぶん、だがその変化のpレポートに興味があるのは
俺だけじゃないと思うぞ。気が向け。そして語ってくれw
「おおいに」語ってくれ。  マッチョル。。

445タター:2009/02/11(水) 22:58:35
>>445
今は発見による興奮を過ぎて
味わうのに忙しい時期らしい。
胃が重くなり始めたw

スマンが、詳しくは心が再び外を向いた時に。
そしてさらにスマンが、そのときに詳細を覚えていれば、で頼む>N
(なにしろ忘れるのは得意中の得意だw)

446N:2009/02/11(水) 23:28:42
>>445
おおタター。
俺も「胃が重くなる」までは経験した。
それからアタマの一部に「鈍化」がきた。
(その理由は自分でつきとめた)
そこまでが俺の経験の現在だ。

レポートするしないはすべておまいさんの自由だ。
俺たち「その他大勢」に匿名掲示板での義務などない。
たまたま「書き逃げ」せず、発言のでどころを
対話者、もしくは意外に発言者の認定に心を砕く管理人に対して
示しておくことで、無駄な「認定」の心労を取り除き、
相手が語りたい発言内容に集中してもらうため、たまたま、
名前欄に同じ文字を打ってるにすぎねえ。

このスレは、基本的には
「その他大勢」用のスレッドだ。たまたま管理人が加わっても
「平場の参加者」だ。そして、そんな俺の考えもしょせんは
俺個人の考えにすぎない。IPを抜いたり削除したり板を閉じたり
レス数を決めたり、そんな事ができるのは管理者たるロイだけの専権事項だ。
 
まあ、味わいつくして、外に向かう余裕ができて、
それを思い出せたら語って欲しいな、と思ってるヤツが
ここに最低ひとりいるってこったw
(俺の妄想ではARも意外に興味津々ではないかと思ッチョル)

ただし掲示板なんかよりあんたの人生の方が大事だ。
そんなことは当たり前だ。このまま消えても文句いう権利なんか誰にもない。
寂しいなとは思ってもね。←密かにプレッシャーww

447N:2009/02/11(水) 23:39:45
「たまたま」がやたら多かったな今回。。。

448タター:2009/02/11(水) 23:49:56
>>446
読みながら微笑みがわいた。
お気遣い、痛み入る。

プレッシャーの絶妙なさじ加減もいい具合に働いた。
俺はなにしろ本当に片っ端から忘れるんで
今回も、一通り味わい終えた頃には
最初の方を忘れてるのではないかと危惧していたw

ちょいとチャレンジしてみるか。
言うまでもないが、興味のない向きはすっ飛ばしてくれ。

449N:2009/02/11(水) 23:58:33
>>448
意外に早いな・・・ w 
あしたくらいに読むからじっくり体と相談しながらのんびりやっちくれ。

450タター:2009/02/12(木) 00:18:41
ちょいレポートを試みる。
他のレスをしたいヤツは遠慮せずに割って入ってくれ。



>>436
>言葉が理解されない悲しみを何度も味わったことがあるのか?

一行の言葉と共に、細身の鋭い刃物が、ス、とキレイに身体に入った幻痛に襲われた。
心臓だ。その鋭さと唐突さはハートマーク付きで「きゅん」と表現したい位だったな。
わずかな甘さがあるんだ。多分、とても古い記憶がもたらす懐かしい味だ。

 ――なんだこれは

思い終わらぬうちに、その痛みが現実の痛みに変化した。
左胸の脇から胸元にかけてのラインが、きゅうう……とひきつれた。

 ――こんな痛みは知らない 

の思考の終わりが

 ――いや、知っている

に変化する。
どこかで味わった。繰り返し味わった痛みだ。
この時点で幻痛と現実の身体の痛みと心の痛みは
もはや分かちがたく見分けがたいひとつのものと化している。

俺は興奮と共に痛みを味わう。

心臓へのこうした痛みの出方は初めてだったが
痛みの味は懐かしいものだった。

 ――この痛みは今の俺の「存在」を揺らがせるほど強くない

俺は、このときそう判断した。

ヤバイほどデカイ感情なら直(ちょく)に胸の中央に来る。
胸の真ん中を文字通り「わしづかみ」にされ、
それから胃を固くし、腹の底にズシリとおさまる。
これにはその重さと質量ががなかった。

痛みは懐かしさの方が濃く、ほとんど甘くさえ感じられた。
俺の意識にはまだ余裕があり、興奮の方が勝っていた。

451タター:2009/02/12(木) 00:46:25
>>450 続き
うむ。書こうとしていた言葉が止まった。
この部分を俺は書きたくないんだな。
でも書いちゃうもんね。ちょっとだけ、なw

感情は刻々と複雑さを増したが、具体的な記憶は浮かばなかった。
(忘れるのが得意な俺の記憶の再生は、いつも己の感覚に偏る)
それでも一つのイメージがしつこく頭の中に浮かんだ。

小さな、無力な人間だ。沈黙し、凝固している。
(俺はそいつを「子供」と呼びたくない。
庇護され、愛されるべき存在と呼びたくない。
小さな、無力な、術を持たぬ――違うな、もっと正確に言えば
言葉という道具を使いこなす能力を持たぬ、無能な――小さな人間だ)。


そのイメージが膨らんだ。
俺は素早くそのイメージの再生に飽きた。
(おそら自分を守るために回避したのだろう)。
曖昧なイメージと味わいと手触りの集積体を
忙しく指先だけで(べったり触りたくない)いじり回す。

このあたりで鼻の奥がツンときな臭くなる。涙を流したくなったのだ。

 ――面白いな

人ごとのように考える。
(ああ。今ならわかる。
自分から引き離しつつ触ろうと努力中なんだな、こりゃw)

452タター:2009/02/12(木) 01:11:29
>>451 続き

合間に俺にその一撃をもたらした一行に
繰り返し素早く視線を走らせる。

只の文字の並びが、生き生きと、新鮮に痛みをもたらす。
ひきつれるような胸の痛みが、ぎゅん…ぎゅん…と繰り返し現れる。

(ここらあたりでその感覚を書き込もうとして、自制して寝るw)

一晩寝た翌朝。
同じ文字列を見る。
何も感じない。
きれいさっぱり無感動で無機質な文字列に変化している。

 ――アレの一種かもしれん

と頭の隅で考える。
俺は現実が自分の容量を超えた時、ブレーカーが落ちるように
あらゆる感覚に薄膜がかかる。
すべてが現実味を失い、透明なガラスの板一枚向こうで
やけに鮮明に見えるようになる。
そして、俺はぽっかり開いた目という窓から外の世界を眺めるのだ。

その限定バージョンが発動した可能性がある。

 ――これが発動する、ということは
   俺が思ったように、古くて安全な痛みではない可能性が出てきた

と(今振り返れば)頭ではなく身体が了解した(らしい)。

そして 俺は一切合切棚上げしてふらふらとドライブに出かけた。
連れと馬鹿話をして、うまいものを喰って(あまり食えなかったがw)、
日暮れて帰る頃には、すっかり胃が重くなっていた。

俺の表層意識とは別に、身体と感覚は昨日の痛みを
味わい続け、考察し続けていた(らしい)。

心が外部ではなく、内側に向き始めたと了解して
帰宅後、とりあえず>>445のレスを書く。

今までの流れはざっとこんなもんだなw

453タター:2009/02/12(木) 01:17:22
>>449
俺もビックリしたw>意外に早い
あんたのレスでスッと心が外に向いたんだ。
これも、あんたが言ってた掲示板の効用のひとつかもしれん。

今まで片っ端から忘れてたが、
せめて感覚だけでも書き留めておくのも面白かろうと思ってなw

454N:2009/02/12(木) 18:10:19
>>450-452 黙読100回用アンカ

これいいねタター。
いいというのはヘンな言い方だけどw
書いてる人間の心理は忖度せず読んで
「言葉」としていい文だと感じる。
“文学”。
俺の中では「ゴチャゴチャいわず黙読100回」
に属するレス、つうか言葉群。
翌朝の状態ってのは鬱に似てる。
個人的にはこの後の状態が未知なんで
続きを書けるようならまた書いて欲しい、と
個人的な希望を持った。無責任だがw

455N:2009/02/12(木) 18:11:00
>>453 掲示板の効用か・・・
これはこれで大きなテーマなんだよな・・・
俺はアキバ加藤がなぜネッツで救われなかったか。
それがネッツの自己反射について真剣に考えてみる
きっかけのひとつになってる。
一般命題として考えることで自分にも跳ね返ってくる。
つうか自分に引き寄せて考えてそれを一般命題にまで
もっていきたい、というか。
これからの作業だけど。そしてできるかどうかは不明だけど。

456N:2009/02/12(木) 18:16:44
引き金になった言葉。言葉が理解されない悲しみ。
俺自身のことでもある。これについてはいま書く元気がないw
だけど単に思いつきで書いた文じゃない。
俺自身の歴史も含まれた言葉ではあるんだよ。

457N:2009/02/12(木) 18:53:01
>>455 追加
そしてネッツによって救われた、というか
大きな変転を遂げたというか、その経験に関しても
ロイというか、ARというか
彼らというか(ややこしいぞっ、こら!w)
そこでも「彼」は「先を行く者」なんだよな・・・

458ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/02/12(木) 21:30:23
解離経験者、てやつだな。
その意味と感覚を知っているやつがどれほどいるのだろう。
conquestの場ではその人口比率がやや多くなりそうだ。

しかし俺は今度はタターの年齢に興味が向いたぞ。
その客観性、あの視点、英明な自己防御術
どれだけその薄幕の中を漂ってそこにいきついたのか。
俺とタターを間違うやつがいることに合点がいった。
あんたとは近い位置にいる気がする。
もしくはいた、か。
あんたはそこを既に通過したか?
俺は未だ通過中だ。

459ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/02/12(木) 21:37:23
未だ悪夢と白昼夢に翻弄され日々七転八倒する俺は
決して「先行く者」ではないだろう。
俺にはタターこそ一歩先へリードしているように見える。
その境地と“危険”に触れたときの身の処し方に驚嘆を覚えている。
ましてや“名づけと対処”に自らの思考でいきついたとなれば
文句なく尊敬に値する。
よほど長きに渡って“自己との対話”をくり返してない限り
そうはならないのではないかと思う。
そしてそのくり返される“自己との対話”は
普通暗闇にあるうちは危険で重く
それだけに、対話したからといって必ずしも到達できるものでもない、と思う。

460N:2009/02/12(木) 22:01:58
>>459
おおロイ ◆yOHf648Wcよ。
俺が言う「先行く者」は
別に「先に解決した者」という意味ではないよ。
「先に叢に踏み込んだ者」と言い換えてもいい。
俺は「叢」の感触はどんなんだ?と
訊いてみたいだけなのだよ。
決して「祭り上げられる」「居心地の悪さ」を感じる君を
もちあげてるわけじゃない。

タターはいくら褒めても
バランスよく受け止められそうな「体の知」を感じるので
安心して礼をいったり賞賛してるんだよw
あの時、心から礼を言えたことで
俺の中でも確実に何かが変わったんだよ。
同時に堅固に身につけていた鎧に
ひびが入る両刃の剣でもありえたけれど。

461タター:2009/02/13(金) 02:57:05
>>459、460
俺達はそれぞれオーダーメイドの叢に踏み込んでるんだから
リードもクソもねえわなw

ただ、俺が突っ込んでる叢の感触なら伝えられるぞ、てんで
今日の叢の様子をリポートするw

ただし、今日は痛みを味わうより
半分かた俺なりの痛みへの対処法に入ってるんで
読んでるヤツの役に立つかどうかは全くわからん。
「俺用語」も頻出するが、雰囲気と気合で解読してくれw

462タター:2009/02/13(金) 02:58:04
>>452 続き
昨夜レポートを試みた後
俺はその痛みを思考の発酵槽にぶち込むことに決めた。

俺の中には
「意識とも無意識ともつかない」
「考えるとも考えないともつかない」
思考の海がある。
有機物の濃厚なスープのように
「思考以前の思考」と「言葉以前の言葉」が溶けこんで
ゆったり揺れるこの発酵槽は、俺の場合、身体と直に繋がっている(らしい)。

俺は例の心臓の痛みをこの有機物の海に放り込んで
今日はみっちり身体を動かすことに決めた。

だが、俺が体を動かすことに専念している間も
発酵槽で溶けだすはずの「痛み」は
無言で見つめるガキの形をして居座り続けた。
(ちなみに最初、俺はこのガキを『拳のガキ』と呼んでいた。
ただ言葉を発せず凝固しているだけかと思ったら
拳を握りしめていることに気づいたからだ)

463タター:2009/02/13(金) 02:58:54
>>462 続き
ふむ。『拳のガキ』に触れようとすると途端に俺の口は重くなる。
つまりはコイツがキーワードってことだ(嘆息

俺は、「痛み」のおおむねの性質がわかり、
現時点でそれ以上できることがない、と判断した時は
素早くそいつを思考の沈殿槽に落とし込む。
それ以上かかずらっても、時間を食うばかりで、
たいして進展がないからだ(あくまでも俺の場合)。

そうして蹴りこんだ痛みは濃厚な思考の有機スープに溶けこみ
ゆっくり時間を掛けて醸され、ときおり、ぽこり…と
新しい理解や視点を湧き上がらせるのが普通だった。

ところが『拳のガキ』は一向に有機スープに溶けこまない。
ガンとして立って、こちらを睨んでやがる。

464タター:2009/02/13(金) 03:00:39
>>463 続き
くそ。やっぱりコイツに触れると口がえれえ重くなるな。


ガンとして溶けこまない『拳のガキ』は
それでも形を保ったまま醸されて、ぽこり、と俺に「怒り」を伝えてきた。

俺は長い間、こいつは途方に暮れているのだと思っていたが、
今日、初めて、実は怒りに満ちていたのだと理解した。
(たぶんNの急所への鮮やかなひと突きがなければ
これから先も気づかないままだったろう)。

面倒なんでざっくりまとめると、
思考の発酵槽にぶち込んで溶かそうと思ったガキは、
ガンとして居座り続け(有機スープにまみれて腕を組むガキの姿はなかなかに笑えたが)、
俺はこいつの名前を『アングリー・ボーイ』に変えた(以前飲んだ地ビールの名前だw)。

俺は当分、こいつを発酵槽に浸らせたままにしておく。

今日、きっちり自分の身体を動かした限りでは
俺の身体の軸はぶれておらず、重心もきちっと地面におりていた。

が、呼吸はだいぶ浅くなり
「痛み」は喉のあたりで膨らんでいる。
(ってことは言葉をせき止めている暗示かw)

明日は身体からのアプローチを続ける。
簡単に言えば、整体で他人に身体をゆるめてもらって
『アングリー・ボーイ』がどう動くかを眺めようと思ってる。

今日の動きはそんなとこだ。
悪いが他のレスはまとめて次の機会に。今夜は寝るよw

465N:2009/02/13(金) 21:47:38
神社の時もそうだったが
タターの文章はイメージを喚起する力が強い。
そして「拳を握ったガキ」のイメージは
泣きそうになる。(あくまで「泣きそう」だけどなw)

そして、俺の中にも悲しい顔してガキが
それこそ、あんたの表現をかりれば、ぽこり、と顕れた。
拳は握ってない。ただ悲しそうなだけだ。

だがタターよ。そしてロイ ◆yOHf648Wcも
それを読んで心配するかもしれないが
心配はいらない。乖離ではない。
そいつは直に今の俺の「原点」として
直に結びついている。

そいつの怒りの部分は、
俺が引き受けている(いた)んだよ。
そこははっきり昔から自覚してた部分だ。
噴き出しに書ける時がきたらかく。(たぶんw)

にしても、整体か。
そりゃ「知恵」だなあ。。
俺もしばらく接骨にいってないが近々行ってみるか。
そうだタター。ロイ ◆yOHf648Wcの質問で
表で答えにくい部分はメルで返事するって手もあんぞ。
大きなお世話、というか、おまいさんなら
とうにそれくらいの対処はもうしてるかもしれんw

しかし「おまいさん」 と書くと、「ネエおまいさん」という
明石家さんまがよくやってた大原麗子を思いだすw
レスはいつでもいいぞタター。あんたの体優先だ。
そしてこれは俺自身にもいいきかせんとな。
俺もぽこんと数日、やすむってことはあるかもしれん。
今日はそんなところだよ。

466N:2009/02/13(金) 21:54:51
調子悪いときにざっと見直すこともせず投下するとこのザマだ…
まあ、意味は通じるだろうからいちいち訂正はせんよ。。。
アタマがボーとしてる時にレスなんかスンナって話だ。自戒w

読み返し用アンカ(タターレポート)
前回>>450-452
時系列として>>445
今回>>462-464

467タター:2009/02/14(土) 00:01:04
整体のお陰でごっさ眠いw
(俺が世話になっている治療院は身体を無理なくゆるめてくれる。
お陰で治療後は異様に眠くなるw)
だが、俺の素晴らしい記憶力は今書き留めておかないと
すべてを「どうでもいいこと箱」に入れて、さっさと放り出してしまうw

よって眠気に抗って、本日の叢探求。
それ以外のレスはすべて持ち越しw スマンww

468タター:2009/02/14(土) 00:02:23
>>464 続き
治療院までおよそ1時間半。
車を走らせ続ける俺はひどく眠くて
そのくせ頭の中はNが>>418で語ったような言葉の奔流
(とまでは行かないな。「急流」が妥当かw)で満たされていた。

頭の中で『アングリー・ボーイ』について
延々と語り続けている声に、一応、耳を傾けてみたが
目新しい発見はなく、今まで俺がヤツについて知っていることを
まさに噴き出すように語り続けていた。

 ――ウザいな。

思っても、言葉は止まらない。
発酵槽にぶち込むと決めたのに言葉がやまないのは
俺としてはかなり珍しい状態だった。

469タター:2009/02/14(土) 00:03:49
>>468
そのまま治療院に到着し、治療を受ける。
俺は今回治療師とは喋らず、ただ己の身体がほぐされるにつれて
『アングリー・ボーイ』がどう変化していくかを見る心づもりだった。

ところがひょんなことから『アングリー・ボーイ』そのものの話になった。
俺は言葉を選びつつ、とある文章に触発されて驚くほど鮮やかに子供時代の痛みが蘇り
 その痛みに困りつつも興奮していること
 その痛みはどこか心地よくさえあること 
等を話してしまっていた。

と、治療師がこう返した。
「羨ましい。子供自体の感覚をそこまでジューシーに甦らせ、ひとつのものとしてあれるとは。
私も自分の手技の中に、子供時代の皮膚感覚を持ち続けたいと願っている。
私達は今まで死んだことがない、つまり連続して存在している以上、そうできるはずなのだ」
そう話した瞬間、俺は治療師の手が話していた通りの「子供の時の手」に変わるのを感じたし
先生は俺が『アングリー・ボーイ』について話すだけで身体がゆるんでいくのを感じていた。
(ここらへん、わかりにくいかもしれんが、そんなものかと読み飛ばしてくれw)

470タター:2009/02/14(土) 00:08:21
>469 続き
で、再び1時間半を掛けて帰宅。

驚いたことに、
行きにあれだけうるさかった『アングリー・ボーイ』はすっかり発酵槽に溶けこみ
帰宅中、ヤツを(の)語る言葉はひとかけらも浮かんでこなかった。

代わりにあったのが 歓喜 だ。

歓喜だけがあったんだよ。

かつて俺が『拳のガキ』として追い出した痛みは
もう発酵槽に溶けこみ、俺の一部に戻っていた。
俺の心は切り離していた欠片を再び自分のものとした喜びに満たされていた。
クサイが、本当だw

471タター:2009/02/14(土) 00:10:08
レスを返したいことも
他に語ってみたいこともまだあるんだが、今夜はこれが限界だ。

最後に一つ。

この展開の早さに俺自身が驚いている。
過去の経験では月単位。
早くても週単位でしか変化が訪れなかったであろう痛みだ。

今回の変化の早さは、二つの対話がもたらしたものだと思われる。
ひとつは このスレでの。
もうひとつは 治療院での。

今、かつての『アングリー・ボーイ』は
沈殿槽にほぼ溶けこんでいるが、まだ見分けはつく。
今のヤツは穏やかに丸まって寝ている。猫のように。

このスレを読み返したことで多少の重さはまた戻ってきたが、
あの鋭い痛みは消えている。すくなくとも今夜のところは。

472N:2009/02/14(土) 16:22:45
>>469 ずいぶん面白いことを言う先生だな。。。
俺は今まで「そういう質」の言葉を
日常の肉声で聞いた経験がない。
講演で高度な内容の肉声を聞いた事はある。
しかし日常の会話でそういうタイプの言葉を話す人間と
出会ったことは過去一度もないな。。

473N:2009/02/14(土) 16:45:04
その先生も若い時「主観的な不幸」を抱えていたのだろうか。
少なくともある時期内的対話をせざるを得なかった
なんらかの契機をもっていた気がする。
そのわずかな言葉から俺がかってに感じ取る
「匂い」みたいなものだが。

474N:2009/02/14(土) 16:53:07
ま、おまいサン(大原麗子風w)が書いてることは
俺には未知の領域なのでかなり興味深く読ませて戴いてマス。
今回分アンカ
>>468-471

475ロイ:2009/02/14(土) 19:07:44
>472
ロイは?

476タター:2009/02/14(土) 20:23:45
うむ。
昨夜は眠さで沈没しそうになりつつレスしたのが
我ながら良くわかるw それでは本日の叢レポ。

>>470 続き

あれから1日。
痛みは思考の発酵槽で穏やかにたゆたいつつ
仄かな重さを喉元に伝えている。

例のガキは今なお輪郭が見分けられるが
今はたゆたたゆと眠りについている。
(相変わらず拳を握ったままでw)

過去の経験に照らせば
俺はコイツの『名付け』に成功した(はずだ)。

この強烈な一撃をもたらした>>436の問いかけは
今は、ほとんど甘いと言っていい切なさで
俺の悲しみと怒りを「優しくひっかいて」いる。

だが、意識を集中すれば
今なお胸から喉にかけての
ひきつれるような感触がかすかに感じられる。

このまま『拳のガキ』が穏やかな眠りの中で醸されていくのか
それとも、また目を覚まして発酵槽の中で立ち上がるのか
現時点ではわからない――が、希望的観測込みで
一応、落ち着いたのではないかと思われる。

よって『拳のガキ』のレポートをとりあえず終了する。
長々とつき合ってくれた奇特なヤツが、もし
Nとロイ ◆yOHf648Wcの他にもいれば感謝する。

ありがとう。

477タター:2009/02/14(土) 20:52:10
>>444
長い間ロムってきたが、書き込んだのは「神社」が初めてだ。
あんたの侮りがたい洞察力に満ちた妄想も後半はハズレだなw

>>458
感覚解離のはじまりは幼年期。
病気がきっかけだな。
幼児期は主に身体が
中学生以降は主に心が苦しかった。
精神的&リアルに一番苦しかったのは
20代半ば〜30代半ば(おそらく)だ。

こんな記憶力なんでいつ頃、どう抜けたかは記憶していないが
いつの間にか楽に呼吸するようになった。
20代前半からはじめた古武術も
楽に呼吸するのに大きく力を貸したと思う。

>>459
自分の裡は探った。

ひたすら探り続けたよ。

言葉を奪われた『拳のガキ』だった俺に
他に有効な手段はなかったからな。

>>465
いつもお気遣い、痛み入る。
Nの「おまいさん」は俺の耳には快く響くよw

478タター:2009/02/14(土) 21:05:56
>>472
うむ。その先生は元々俺の知り合いなんだ。
というか、友人がいつの間にか治療師の先生になってたw

言葉は勿論
「う〜ん、ちょいトラウマを刺激されることがあってね。実は……」
「へえ、そうなんですか。でも羨ましいなあ、それ。僕もこんな仕事してますから……」
てな具合だが、内容は>>469で要約した通りだ。
世間話に終始することも多いが、
何かのきっかけで>>469のような話をすることは珍しくない。

>>473
ということで治療師の主観的不幸についてはわからんが
そもそも「そういうこと」に関心を持っている人間ではある。

治療師のあの掛け値なしの「羨ましがりっぷり」と肯定が
『拳のガキ』を眠らせたのではないかと、俺は思っている。

479タター:2009/02/16(月) 01:01:38
>>465
>そいつは直に今の俺の「原点」として
>直に結びついている。

>>470の後半で力つきた時に書きたかったのが、まさにこれだ。

俺にとって、『拳のガキ』と名付けた怒りと悲しみは
かつて俺の意識の外にある、無関係な、ものだった。
それが「今の俺へと直に連なるもの」に戻ったんだよ。
そのとき俺は 歓喜 としか言いようのない何かに満たされた。

あれは自分でも不思議な感覚だったな。

480N:2009/02/16(月) 17:32:09
>>475 その質問は絶妙のタイミングだな。
「大人ロイ」は掲示板で初めて目にした
「そういう質」を持った言葉だね。
そして俺は、それまで2ちゃんで出入りしていた全スレに興味を失った。
子供ロイは正直苦手だった。なぜか腹痛が起きた。
実は何カ所かは跳ばしている。だが改めて読み返す予定だ。

481N:2009/02/16(月) 17:44:24
ああ、タター。とりあえず「第一部終了」か・・・
そのスピードにおまいさん自身驚いてるようだが
俺は吃驚した。そしてすこし勇気をもらった。

 タターレポート 第一部?w
1回目>>450-452
時系列として>>445
2回目>>462-464
3回目>>468-471
4回目>>476
( +>>478-479)

482N:2009/02/16(月) 18:05:35
俺は今の自分の状態に名前をつけた。
「ネパール」だ。不思議だが
食後は「ヒマラヤ」になる。 
以前、自分の陥っている状態がわからず、
図書館で借りた鬱関連書を読んで
「俺はいま『鬱』なんだ」と解ったときは不思議にホッとした。
つまりそれは訳のわからないものではなく
医学的な物語に組み込まれる既知の世界だという安心感というか
俺の特殊性でなく、俺の状態はすでに知られた物語だと知った安心感というか。

今回、俺は自分の状態に『鬱』という名前は当てはまらないと感じている。
それは俺にとっては「ネパール」または「ヒマラヤ」だ。
胃の思い固まりから始まり、
頭の(特に抽象度の高い思考。というか言葉の)鈍化、
そして、なにより、「拳を握ったガキ」に触発されて、ぽこりと現れた
「悲しい顔をしたガキ」。
このガキは面白いことに頭の中でもなく、肩の上でもなく、
「胃の中」に上半身を浸した形で居る。

こいつは、実は以前絵を描いたことがある。
だがその時、こいつは人間の顔をしていなかった。
エレファントマンみたいな感じだ。
呼吸する鼻も、誰かに語りかける口も、ない。
眼は大きく垂れ下がった瞼で完全にふさがったままうつむいていて
大きく首を前に垂れたままの上半身しかない。

いまもそのポーズは変わらないのだが、「拳を握ったガキ」のイメージから
俺の中に再出現したそいつは、もっとリアルに少年の顔になっている。

そして俺は昨日昼あたりから、
「ネパール」と自分で名付けたこの状態を
持続させるためネッツも中断していた。
すこし薄れかけてきたがもうすこし「ネパール」を味わってみるつもりだ。
アタマもすこし回復しているような気がする。
だが以前とまったく同じではなくなるだろう。

それまですこしレスを休むつもりだ。

古武道。 身体を世界と結びつけるなにか。(思いつきメモ)

483タター:2009/02/16(月) 23:55:30
おお、N。
ついにあんたの痛みに名前が付いたか。
味わってるんだな、今、まさにこの瞬間に。

あんたの中で生き生きと機能する(不謹慎かもしれんがそう言いたいんだ、俺は)
「名付け」と「物語」は、俺に不思議な感慨をもたらすよ。
あんたはあんたで、俺は俺なんだが、
それでも あんたはそこにいて 俺はここにいる という感慨だ。

神社で感じる、ぽかんとした心地よさとどこか深くで繋がる感触。

「並列」なんだな。俺にとって心地よいのは。
たぶん、遙か遠くでかすかに繋がってもいることへの感慨も含めて。


ゆっくり、味わってくれ。
ここで、ここにいる俺が、エールを送るよ。

484タター:2009/02/17(火) 00:47:19
ああ、何故俺がエールを送ったかわかった。

俺にとってエールは(その本来の意味を離れて)「呼びかけ」なんだ。

 おれはここにいるぞ
 おまえはそこにいるな

ってな。

485タター:2009/02/17(火) 00:52:54
俺のクセだが追記するw

Nが名付けたのは正確には「痛み」ではなく「状態」だが、同じことだ。
そこからすべてが始まるんだよ。

486タター:2009/02/18(水) 02:03:34
悪いが、少し掲示板を利用させてもらう。
前回レポ時の異常な展開の早さを考えると
掲示板は「ツール」としてきわめて有効なのかも知れん。

てことで『拳のガキ』レポート・おまけ、もしくは第二部wだ。
今度はさすがに今までのような急展開はないだろうが
それでも思い出したようにレスする可能性があるので
ウザいと思う奴は早めにコテのNG登録を頼む。

487タター:2009/02/18(水) 02:04:24
今、『拳のガキ』は明確な形を失って
ふわふわした球体になっている(なぜか仄かに光っているw)。
そして「自分を忘れてくれるな」とばかりに、たゆたいながら
発酵槽に溶けこんだありとあらゆる「悲しみ」を引き連れて浮上する。

中には、形の見分けられる悲しみもある。
最近、大事な存在を失った悲しみ――
これはデカ過ぎて俺が凍結しといた感情だ。

こっちも甲羅を経てしぶとくなったから
昔みたいにその感情一色に塗りつぶされてあえぐ、なんてことはないが
楽か、と言われれば、楽ではない。
楽ではないな。感情が動くのは。

488タター:2009/02/18(水) 02:05:46
>>487 続き

で、どう対処してるかというと、俺は
「味わえなんて言ったヤツ出てこい殴ってやる」と罵りながら、ひたすら逃避しているw
この段階まで来れば、もう見出した痛みを見失うことはないからだ。
どれだけ逃げても、もう『拳のガキ』は消えてなくなったりしない。
だから俺は安心して逃避に専念する。
 ドライブに出かけたり
 温泉に入ったり
 じっくり風呂に浸かったり
 ひたすら寝たり
 ひたすら身体を動かしたり
して、「意識的に考える」ことを放棄する。
上記の動作は、俺にとってどれも「頭を空っぽにする」ために有効だ。
(と、今書いていて気づいたw)

俺の予想では、今後はあまり急激な展開はないだろう。
そして、いつか形を失った『拳のガキ』は
ありとあらゆる怒りを引き連れて浮上してくる時が来るだろう、とも覚悟している。

あとは、その怒りがあたう限り穏やかに味わえるものであることを願うばかりだ。

489タター:2009/02/18(水) 08:41:40
>>488
ひとつ訂正

夜は眠れないことも多いので、正確には、
 ひたすら横になって、できるだけ身体をゆるめる 
だ。

490N:2009/02/18(水) 18:01:14
第2部が…w
タターのエールに応えられるかどうかはまだ判らないが
とりあえずエールへの返礼として自分の状態をすこし書いておくよ。

すこし「アタマ」が戻りつつある。
きっかけはたまたま開いたアウトルックに入っていた二人のメルだ。
一人は俺を信頼してミッションを与えてくれていた。
もう一人は以前俺が頼んだミッション(「できれば」という形だが)に
自分の調子が悪いにもかかわらず懸命に応えてくれてた。
どちらも「アタマ」を必要とする内容だ。
緩めるとは逆にアタマを締めないと、どちらにも応えられない。

偶然アウトルックに並んだ2通のメルは
おまいさんの言葉を借りれば
アタマが「外に向く」きっかけを与えてくれた。
“半分は向こうからやってくる”だ。

「ネパール」は今、小さな「ため池くらいの湖」になっている。
地理にうとい俺にはうまい固有名詞がつけられないが
胃は今すこし軽くなってる。
掲示板に長文を連投できる状態にはまだ戻ってないが
とりあえず俺も途中経過を報告しておくことにしたよw

タターレポート 第2部または追加分
>>487-489

491タター:2009/02/18(水) 21:46:20
流れとは全く関係ない独り言を投下する。

>>424
>俺にはタターがどういう経過を得て
>その思考にいきついたのか、が興味深い。

正確に言えば、質問されているところに対する答えではないが、
このスレに書き込むようになって以来、俺自身
「はて。俺はいつ頃、なぜ呼吸が楽になったのか?」と考えていた。
ハイパーをぼんやり読み返していて、その契機をふいに思い出した。

 ――俺は俺以外のものになりたいか?

自分で自分に、そう問うたんだ。

当時、前後左右も天地もわからない暗闇のただ中にあって
ぐっちゃぐちゃで、苦しくて、抜け出すべき方向も、
それどころか本当に抜け出せるかどうかもわからず足掻いていた時
自分で、真剣に、自分自身に問うたんだ。

 ――俺は苦しい。だが、その苦しい俺は、俺以外のものになりたいか? 

と。
答えはNOだった。
どれだけぐちゃぐちゃで、苦しくて、情けなくとも、
どれだけ他の人間が楽に呼吸しているように見えようとも、
俺は本気で自分以外のものになりたいとは思わなかった。
そこから、現在の自分へと続く道が始まった気がするな。

てことは、自分にとってのギリギリラインで自分を肯定した時に
「変化」が始まった、ってことか。

492タター:2009/02/20(金) 02:15:45
>>489 続き

「悲しみ」は、仄かな切なさから
胸の中央をぎゅんとつかむ強さまで、
様々に色合いを変えてやってくる。

もう表層意識で『拳のガキ』を考えることはなくなった。
が、身体はいまだにぼんやりと味わい続けているらしい。
肋骨から上が、ちょうどコルセットでもはめたように固くなっている。
ほぐしてもほぐしても、眠るたびに固さが戻ってくる。

俺はすべてを身体に任せ、
目覚めている時は極力緊張をゆるめるよう務めている。

「怒り」が動くかすかな兆しもみえる。
昨夜、目覚める直前の夢で俺は怒っていた。


以上、現状の覚え書きとして。

493N:2009/02/20(金) 19:15:05
何か日によって浮き沈みのようなものがある。
今は平坦だ。高原状態というと別の意味になるし休止状態かな。
つうかそれって普通の日常じゃん、って気も…w
ただ高度の抽象作用(つまりかなり日常とかけ離れた観念作用)
が働かないのは困ったもんだ。本でも読むかw

現状の覚え書きファン用メモ w
第2部
>>487-489>>492
番外(または承前として)>>491

494タター:2009/02/21(土) 00:22:21
うむ。確かに日常だよなあw
俺も荒い波に揺られたり、たゆたゆしたり、ふつーだったりしてるw

ちなみにその状態でムズカシイ本が読めるかどうか
興味があるので、試したら教えてくれw

495N:2009/02/21(土) 14:53:37
>>494
うむ。
フランス系(ドゥルーズとかフーコー)とかは
とにかくナックルやらカーブやらシュートやら変化球だらけで
どこがストライクかボールかもわからん状態w現在でんでん文脈が辿れんw
ドイツ系なら直球ばかりなんでズバンと来るかなと思って
とりあえず一応ドイツ圏ではあるフロイトを試してみたが3〜4行の間を
眼がウロチョロするだけwww 意味がアタマに入ってこない…(;;^_^)
ヘーゲル大先生は観念の極北にいるようでいながら
実は裏に肉体感覚があるシトなんで試してみようかと思うが
なぜか手が伸びてない(w

昨晩布団脇にある「ブッダのことば」(岩波文庫)を試したら
これは一応入ってきた。ただし、
今みたいに体と脳が繋がってる状態で読んだらハッとして眼から鱗、
みたいなことを期待してみたが、実は退屈だったりしたw

「脳と心の地形図」みたいな一般向けの解説書はよく入ってくる。
吉本は数十年読んでるし対談みたいな軽いのが最近多いから一応は入る。

ちなみにさっきパラパラやってよく入ってきたのは「痔のおはなし」って本www

496N:2009/02/21(土) 15:09:04
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1172928749/374-375
Aさんの問いこちらで引き受けたい。(ハイパー向きな気がするんで)
んでわるいけど チョト長考に入るw 今日中にレスは無理かも…

497N:2009/02/21(土) 15:15:36
こちらで→こちらでも

498タター:2009/02/21(土) 20:58:56
>>498
>ちなみにさっきパラパラやってよく入ってきたのは「痔のおはなし」って本www

いいなあ、それwww なんか好きだわwwwwwww

499N:2009/02/22(日) 11:49:17
こどもに関する投稿を延期しまつ。
偶然ではないと思うが俺が昨夜書いてたメモは
やはり「泣くこと」に関することだった。
ARの今朝の投稿を見て、自分の生煮えメモは
もうちっと煮込みを進めた方がいいと思った。
(多少煮込みは進められると思う。完成にはほど遠いけどw)

>>498
実は俺が手術を受けた医院の先生が書いた本なんだけどねw
自分がどんな手術を受けたか確認しようと思ってなw

500zebla:2009/03/05(木) 08:44:04
煮込みマダー?

501N:2009/03/05(木) 22:28:15
HDDが壊れ、書きためてたメモが消失した。。
もう意見を書くというより、自分の思索の物語に入ってしまった。
下手すりゃ数年がかりになる。
ここでやるんじゃなくて考察スレみたいなものを立てて
そこでやるべきかもしれん・・・迷い中・・・

502N:2009/03/05(木) 22:30:18
タター 遠慮せず、自由に続けてくれ・・・

503タター:2009/03/06(金) 00:38:00
>502
や、遠慮はしてない。ズボラを決め込んでいただけだw

その後、『拳のガキ』はすっかり有機スープの海に溶けこんで、
オレはといえば、時折湧いてくるかすかな怒りの兆しを探ってみたり
友人と二晩語り明かして掲示板を含めた「対話」の効用に思いを致したり
そうこうするうちに、ヤバイかもしれん(と予感させる)熱い怒りにうっかり触れそうになって
あちあちあちと指先をバタつかせたりw しながら日々を過ごしている。

このスレ的にどこらへんまでが投下対象範囲か考えてから、また投下するよw

504タター:2009/03/15(日) 20:04:41
>>492 続き

怒りは思いがけない形でやってきた。

俺は、それが来る時は、己の感情が怒り一色に
塗りつぶされてあえぐのだろうと信じ込んでいた。
ところがそれは一瞬の閃光めいたひらめきとして訪れた。
(おそらく、じっくり触るには危険すぎる感情なので
俺は一瞬でそれを「理解」もしくは「了解」したのだと思われる)

それまでにも兆しはあった。
目覚める直前の浅い夢で俺は怒っていることが多くなっていたし
目覚めているときにも淡い怒りを予感することがあった。
(というよりむしろ、怒りの訪れを自発的に探していたように思う。
俺は元々怒ることがあまりない。
うすらぼけーっと日々を過ごしている方が断然多いw)

ところがある夜、シャワーを浴びている時に
(忘れもしない。髪を洗っている最中だ)閃くように「怒り」が襲ってきた。

505タター:2009/03/15(日) 20:05:37
>>504 続き

ここからは些か個人的な話になる。

俺は家族に重度の中途障害者を抱えており、
その家族の幸福と安寧はいつに俺にかかっている。
俺は今まで(少なくとも表層意識では)それを厭うたことはなかった。
大変だが、それに見合うだけの見返り(種に家族の笑顔だw)のある幸福なことだと感じていた。

ところが瞬間的に襲ってきた閃きの中で
俺は「家族がそのようになってしまったこと」に深甚な怒りを感じていたのだ。

それが、家族が中途障害者になるという事態への怒りなのか
そのようになってしまった家族への怒りなのか(これが理不尽だが、一番ありそうだ)
その結果をすべて引き受けねばならぬ現状への怒り(これは今のところ、なさそうに感じる)なのかはわからない。

そうした詳細を探るには、あまりに危険すぎる感情だったので
俺は「自分が(細かくは分からないものの)実は怒りを抱いていたのだ」という
事実のみを、まさに瞬間的に了解して、あとは素早く放棄した。

それはまるで熱く焼けた石を
瞬間的に抱かされたような感触と放り出し方だった。

506タター:2009/03/15(日) 20:06:35
>>505 続き

だが、それは劇的な変化をもたらした。

まず、メシが食えるようになった。
家族がそのようになってからこのかた、まともな食欲を感じたことがなかった俺に
「(旨い)メシを食いたい」という欲求が甦ってきた。
(今も俺はハラを減らしている。それは画期的な、楽しい感触だ)

そして、怒りが閃いたことで、まるで胸のつかえがとれたような
「ああ、なんだ。そうだったのか」とホッとするような不思議な感触が生まれた。
理解すべきことを違わず理解した安堵感、とでもいうような。

今、この怒りをじっくり考察することはしないし、出来ないが、
手助けを必要とする家族のケアをしながら
「俺は、家族を愛している」と
「俺は、このことに怒りを感じている」が並列に存在するのを感じるのは
なんというか、とても心地がよい。

あるべきものがあるべきところにおさまったような落ち着きを感じるのだ。


ということで『拳のガキ』レポート、第2部「怒り」編は
「感じるべき感情を感じるのは、実はキモチがイイ」という
自分でも意外な結果を迎えつつある状況で一応終結とさせていただきたいww

507タター:2009/03/15(日) 20:29:16
>>505 追記
>(これは今のところ、なさそうに感じる)

だがしかし、
なさそうに感じるものをこそ最も追求すべきだと
俺の経験則は伝えていることを追記しておく。

508N:2009/03/15(日) 20:48:39
おおタター! 
久しぶりにネットに復帰したら
嬉しいプレゼントが待っていた。という気分だw

その怒りはおそらく拳のガキの「怒り」とは異なる怒りじゃないかな
と愚考したりもするが
他者のクオリアを賢しらげに詮索するなど嫌みなことだという自覚はあるw
しかしまあ、泣きにも怒りにもいろんな種類があるのは確かだと思う。

タターの怒りはしかし、拳のガキもそうだが、内向した怒りではあるような気もする。
それが意識の表面でしっかり「怒り」という形をとったことで
一種の解放が起きたのだろうかね。
(あ、考察はしないんだったなw まぁ許してくれ。
 俺は「怒りと泣きは存在の主張だ」という生煮えメモから始めたのだ。
 そしてゆっくり、そこから1ミリ単位で考えを進めている。
 ま、進めるというより、よろめいている、というほうが近いがねww)

509N:2009/03/15(日) 21:05:51
怒りの発散によって
一種の真っ白な高揚とでもいうべきものを味わったことはある。
茶髪のヤンキー集団と喧嘩した時だがww
陰毛に白髪が混じる歳になって初めて「キレる」体験をしたわけだw
深夜、数人の男女のヤンキーに取り囲まれたまま、
その中のひとり、茶髪の十代のガキの胸ぐらをつかんで押し倒し
馬乗りになって、俺はなにごとかを大声で怒鳴りっていた。

不思議だが、
自分のした行動は覚えていて、周りの奴らの様子も覚えているのに
なにを怒鳴っていたのかがまったく思い出せない。そこの記憶は真っ白なのだ。

部屋に戻ってきて、数時間たってから
足の親指の爪が剥がれているのに気がついた。
(俺は裸足にサンダルで喧嘩していたw)
アドレナリン恐るべしだ。 そして
痛みというものがいかに精神的なものか、ということを知った。

相手の少年にとっては理不尽なことだが
俺がキレたのはその少年の言動ではなく、偉そうに腕組みしていた
リーダーぽいガキの一言だった(はずだ。記憶がないw)。
茶髪のガキは目の前に立っていただけだ。

齢をとると逆に短気になる、という説は
(少なくとも俺には)事実だったという訳だw

510N:2009/03/15(日) 21:13:14
まぁ、このへんの怒りの種類はおいおい
ゆっくり考えてみるつもりだ。

ところでタター
ひとつ報告しておきたいことがある。

同居している老母は鬱で精神科に通っていたのだが
俺が「振り向いた」という一件、そしてそのあと
老母が作った晩飯に時には手をつける、ということも起き
回復しだしたのだ。

弟は「薬が効いてきた」といっていた。
だが同居している俺の考えは違う。
つまりタターやAさんの問いに発した「祈り」についての考えから
腹痛を伴う草むら体験(俺用語でいう〈ヒマラヤ状態〉w)を通して
すこし俺が変わった(それは本当に「少し」だ)ことが
影響している、と勝手に思っている。
むろん学問的に実証できる話でもなんでもないがね。

ちょっとタターに報告しておきたくなった。

(まだ、PCトラブルは続いているので今日はこの辺でw)

511タター:2009/03/15(日) 21:23:47
おう、N。
俺もあんたの声が聞けて嬉しいよw
怒りの考察は「てめえじゃ危なっかしくて出来やしねえ」だけで
他者からのそれは歓迎するよw
確かに俺は怒りを深いところに埋めるクセがあるらしいww

たしかに>>504-506は『拳のガキ』が抱えている怒りとは別種だな。
そう言えば、Nのお陰で思い出したが、
そっちの怒りもちょいと新しい発見があったんだった。
どうやら奴の怒りは一種の「公正さ」つまり
「ずるをしないこと」に向けられるものらしいんだな。

そうと気づいたのは前述の友人との対話によるものだが、
細かいところは……俺の記憶力はどうしてこうも忘却方面に優れてるかね(嘆息

>>508
>「怒りと泣きは存在の主張だ」

なんか軽〜くズンと来たぞ。腹の底にw
面白いな、それ。
心ゆくまでよろめいてくれ。表に出てくるのを楽しみに待ってるよ。

512タター:2009/03/15(日) 21:26:53
おおっと>>508に反応してる間に
俺にも嬉しいプレゼンツがw 

レス、ゆっくり味あわせてもらうよ。
あわせてPCの健やかな回復を祈っとくw

513タター:2009/03/15(日) 21:57:00
うん。
>>510 は美味なレスだ。
つい、しゃぶしゃぶ味わってしまうw

表に出ている部分が「ほんの少し変わる」ためには
底の底で「大きな地殻変動」が起きてるもんさね。
ご母堂の変化はNの変化と連動してると俺も思う。

このレスが読めて嬉しいよw

514zebla:2009/04/26(日) 00:39:55
N氏は元気??
PCは復活かな?

515タター:2009/06/30(火) 05:51:04
唐突だが『掲示板の効用』について。

個人的な話だが、ちと精神的に厳しい状況に陥った。
オレの場合、反応はまず身体に出る。
心が明確に焦りや不安を感じる前に
身体が反応して過緊張に陥り、
身体が凝り、眠れなくなり、メシが食えなくなり、胃が重く固くなる。
(面白いことに大体上記の順番で起きる)

今回もそれが起き、眠ることをあきらめたオレは
真夜中に起きだして、ぼんやりしたり、身体をほぐしたり、小説を読んだりした挙げ句
久しぶりにこのスレを200番台から読み返した。

するとどうだ。

あれだけ凝り固まり、今にも吐きそうだった胃の不快感が
いつの間にかおさまってるじゃないか。

Nよ、ロイ ◆yOHf648Wcよ、名無しの皆よ
あんたの言葉にオレは救われている。
あんたの言葉にオレは今でも新たな意味を見出し
それまで気づかなかったことを気づかされている。

一方的な感謝だが、この感謝を伝えておきたかった。
ありがとう。

516タター:2009/06/30(火) 05:58:18
おっとA ◆66ZxaHlYjUさんもだ。ありがとう。

517タター:2009/06/30(火) 06:47:10
どうしてこううっかりしてるかね。
酉が違ってた、A ◆CPjaa6Nup6さんだ。

518zebla:2009/07/24(金) 12:41:37
なんかロイの本心がみえて切ない
理性の人なんだね…ロイ

519zebla:2009/07/25(土) 14:45:03
大将しか来ないね。
誰もいないの?
リョウのことが気になってるんだけどな・・・。

520zebla:2009/07/26(日) 22:50:20
過疎ってるね。
タターさんやAさんはどう思ってるのか知りたいなぁ。。。

521N:2009/08/23(日) 23:11:03
こんばんわ 浦島太郎です(w
ちと最近の様子がわからんので一方的に。

子どもとは何か。

(1)まったき受動性である。
(2)常に現在である。

数ヶ月間で考えが進んだのはわずかに(2)の追加のみ....情けない…w
( (1)は投下をやめたメモに書いていた)

その後、掲示板を離れ、孤独のうちによろめき思索と読書を続けていると
吉本隆明との対話で芹沢俊介が
「根源的受動性」というコトバを使っているのを発見した。
俺はこれを読んでいるはずなのだが、意識から消えていた。
(おそらく無意識に沈んでいた)

気になって、芹沢の「現代<子ども>暴力論」というのを
図書館で借りて読んでみた。
そこで中心概念となっている「イノセンス」という概念は
ロロ・メイなる人から借りた、と芹沢が後書きに書いていた。
図書館でロロ・メイの本を一冊かりたがそこには「イノセンス」はなかった。
今月になって、図書館にはない本もリクエストすれば他処から貸りれると判り、
一冊取り寄せてもらったら、その本にはばっちり載っていた。
絶版本なので、ある程度要約したもの(それでもかなりの量だがw)を
ネットにUPすることにしたのはここのメンバーが頭にあったからだ。
まだ、進行中だが興味があれば //bb2.atbb.jp/kusamura/index.php
怒り・暴力の根本にあるのは、無力感・無能力感だ というのは、
数多くの精神分析を行った者ならではの洞察な気がする。

522N:2009/08/23(日) 23:15:26
>>514
PCは洗濯機のような音をたてているw
つか、エアコン不調で、PCの放射熱がたまらず
あまり立ち上げないようにしてた。
(今月に入ってロロメイの筆写を始めたため、汗だくだw)

523N:2009/08/23(日) 23:41:45
>>515
俺はあんたとのやりとりによって
掲示板上で「肩の力を抜く」ということを
掲示板における態度のひとつとして会得・追加できたw
相手によっては掲示板で文学的な会話が成り立つこともありえる、
と感じられたこともまた、ささやかな救いになっている。
こちらこそ感謝しているよ。 ノ

524zebla:2009/08/24(月) 00:21:03
こんばんは! おかえり〜N氏
キリンのように待ってたのは内緒だw

525N:2009/08/24(月) 00:47:57
>>523 ほんとは「ささやか」ではなく
けっこう「大きな」救いだったのだが、ちと照れたw 訂正しとくw

>>524 えらく太い首だなw

526タター:2009/08/24(月) 19:53:05
おう、N! 
久しぶりにあんたの声が聞けてごっつい嬉しいw
俺の首もちょい伸びてたよ。

>>521
>怒り・暴力の根本にあるのは、無力感・無能力感だ

軽く(だが、たぶん今自覚している以上に深く、鋭く――だな)胸を貫かれた。
意識すればこの痛みを深く味わうことができそうだ。
ちょい息苦しくなり始めている。
息苦しさは胸の中央の凝りだ。
おそらく淡い、淡い、「怒り」の感情。
苦しいね、これに意識を集中すると。
どこか深くで『拳のガキ』の怒りと繋がっていることを直感する。

うん。どんどん苦しくなってくる。
面白いな。
これが収まるまで味わってからあんたの労作を読ませて貰うよ。
ありがとう。

>>525
あんたの訂正癖を俺は愛してるよw サンクスw

527N:2009/08/24(月) 20:50:55
これはロロ・メイも書いてないが、
怒りの表出と、静かに内面的に怒ることとは、すこし違う、と思う。

どこがどう違うのか、まだコトバにすることはできないが。
そういう宿題を自分に与えること、
これが俺の生存に僅かながらエネルギーを与えているのだと
最近思うようになってきた。

疑問をもつこと、疑問を持続することは、
「考える」ということ、そのものだ。
俺の経験では、答えは、案外、意識的に考えてないとき、
たとえば風呂に入ってぼんやりしてるときや、ほげっとしてるときに、
突然やってきたりする。閃きとか天啓とかいう感じだ。
しかも十年後とかにだw

疑問を持続していることが天啓の必要条件だ。
ただし、持続しているからといって、
天啓が訪れる保証など全くないけどなw

>>526
[労作](俺のじゃないがw)は、中身が濃い。食中毒注意だw

こういう本が、絶版状態になってて、
限られた人間しか読めないというのは惜しいと思う。
文庫本にでもなれば、あのフォーラムはもっと短くして
通常の常識的な引用量にwスリム化させるつもりでいる。
(削除はしない)
次は「暴力とエクスタシー」って章をうpする予定。

528タター:2009/08/25(火) 02:53:06
>>527
>疑問をもつこと、疑問を持続することは、
>「考える」ということ、そのものだ。

昔、古武術の師匠に言われた言葉を思い出した。

「なぜ皆、答えを欲しがるのだ。
(※この場合の「答え」は武術的疑問に対するそれだが)
大事なのは疑問を持つことであって答えを得ることではない。
疑問を持って、持って、持ち続ければ、
最初の疑問は新たな疑問の中に呑み込まれていく。
そして、疑問が次々と疑問の中に呑み込まれていく時、
最初の疑問はもはや答えを必要としない状態になる。
疑問とはそのように解決されるべきものである」

半分くらいはまだこの言葉の真偽を疑ってるんだが、
(俺が認識する限り)いままでこの師匠に言われた言葉に外れはない。
そして、師匠の言葉はあくまでも武術について語っているんだが、
怖ろしいことに、それは人生についても正しかったりする。

疑問を継続することは「考える」ということそのものだが
答えが閃くこともまた「考える」ということそのものではないか。

529タター:2009/08/25(火) 02:59:00
>>526
>[労作](俺のじゃないがw)は、中身が濃い。食中毒注意だw

確かに。
ちらと読んだが、第一章だけで消化不良を起こしそうになった。
そちこちにひっかかる固まりもある。

今は(おそらく)ロロ・メイの主張とは無縁に俺の胸を貫いた
「怒り・暴力の根本にあるのは、無力感・無能力感だ」の苦さを味わいたい。

530N:2009/08/25(火) 23:11:26
>>528
おおタター! 師匠のコトバは正しい
変な言い方だが、俺の言い方より一周り大きく正しい
だが長くなりそうなので、また今度改めて。
いまはじっくり味わってくれ。
もし、可能なようなら、いずれその味を伝えてほしい。

それと、「師匠語録」も希望w
(なんなら、あっちに新フォーラムをぶったててくれてもかまわんぞw
 ロロ・メイフォーラムと並んでても全く遜色なさそうな予感だ)

531タター:2009/08/26(水) 00:25:53
>>530
うおおおおい、N! 
オレの記憶力がどれだけ素晴らしいかしってるか?
自慢じゃないが、三歩より昔のことはおおむね忘れながら歩き続けているんだぞ。
師匠の哲学的武術語録をまとめる記憶力(と根気)がオレには決定的に欠けている。
話の流れで、ふと思い出す言葉があれば随時書いていくが、語録までは無理だ。スマン!

532N:2009/08/26(水) 21:31:42
>>531
うむ。。。俺はおまいさんがニワトリだったことを忘れてた。。。

前に文学的対話などと書いたが、以降
ここはボケ老人の会に変更するw

>>キリン。 君も己れのボケぶりに自信があるなら参加しれw

533タター:2009/08/27(木) 01:26:08
>>532
渋茶を手に縁側に座ったニワトリが、話の合間に庭におりては
三歩の過去を振り返る……美しい佇まいじゃないかw

>>530
>いまはじっくり味わってくれ。
>もし、可能なようなら、いずれその味を伝えてほしい。

いまはロロ・メイは追わずに、己の裡を辿っている。
直感的にだが、彼の論じている「怒り」と俺の感じている「何か」にはズレがある。
むしろあんたのいう「静かに内面的に怒ること」の方に引きつけられるものを感じる。
味を伝えることはできそうだが、ひどくとりとめのないものになるだろう。
そんなもんでも良ければ、言葉にしてみるよ。

534N:2009/08/28(金) 23:04:11
>>533
 >いまはロロ・メイは追わず  >ズレがある
そうだ。「ロロメイを追う」必要なんかないと思う。
ズレとか違和感ってのは、俺の経験では
“自分の感じているものの正体”をもうすこしはっきりさせるヒント
になることがわりかし多い。 
で、ロロメイにはヒントが多い、と感じたのであれを作っただけ。

だいたい、ひとりの人間のいうことがぜんぶ正しい、
なんちゅうことはありえん、と俺は思う。
それぞれの個人は、それぞれの個人的な経験や
それぞれの個人的な環境に基づいて考えてるからね。

つまり、ひとつ正しいことを言ったからといって
そいつの他の言もぜんぶ正しい、なんちゅう保証はどこにもない。 
逆にいうと、ひとつまちがってるからといって、
ほかのコトバもぜんぶ間違ってるとも限らん。
他者のコトバで自分に引っかかってくるものはぜんぶヒント(=手がかり)だな。
うむ。山下清風になった。のでより正しく言うと「ヒ、ヒ、ヒントだな」

535N (PCトラブルにより消えた未投稿メモの冒頭を思い出してみる):2009/08/29(土) 23:34:46
子どもの基本は受動性だ。
赤ん坊には選択する自由がない。
親も居場所も授乳もすべて受動するほかない。

そんな中で赤ん坊にできる唯一のことは「泣くこと」だ。

人間は、泣くことで生き始める。
泣くことは人間にとってもっとも根源的だ。
子どもにとって泣くことは、唯一の存在の主張だ。

536N:2009/08/30(日) 00:05:05
(いろいろ考えてるうちに俺に湧いた疑問)
多くのほ乳類も産声はあげる。
なぜ人間だけが、「泣き続ける」のか?

        ↓ 
(ロロメイのヒント つか ほとんど答え)
--------------------------------------------------------
『子どもは、まだ歩くことあるいは話すこともできない
―しかし、泣き叫ぶことはできる。
しかもこの叫びこそ、
後になって、
言語の複雑なコミュニケーション・システムへと発展してゆく潜在力なのである。』
--------------------------------------------------------------------  
        ↓        

人は泣き続けることでコトバを獲得する。

これはもうひとつもった疑問のヒントにもなる。
なぜ、いろんな種類の泣きがあるのか?

とりあえず、
コトバをしゃべれるようになってからの泣きは
コトバをもたない赤ん坊の
唯一の存在の主張である泣きと同じではなくなる。

人は、コトバを失った時、泣く。

537タター:2009/08/30(日) 01:22:34
>>534
ヒ、ヒ、ヒントなんだな。うん。
そのヒントのお陰で懐かしい拳のガキが出てきてるんだな。
ガキの拳が、少し震えてるんだな。怒りで。

ちょ、ちょ、ちょっと面白いんだな。
もう少し味わってみるよ。うん。

538N:2009/08/31(月) 18:19:29
>>537 だ、だいぶニワトリの会らしくなったんだな。
父親が死ぬ前、点滴のアンモニアが脳にまわってボケた時は
冷蔵庫に小便したり、点滴をひきぬいて血だらけで外に出て行ったりたいへんだった。
一番覚えてるのは「百年前の雑巾を持ってこい!」という幻想的な叫びだ。
われわれは ニワトリとしては、ま、まだ、に、二等兵くらいなんだな。
というか、
怒りで慄えてるというのは変化だ。
何かに抗議したいのか、何かを攻撃したいのか、あるいは暴力の前兆なのか。

さて、少し、メモ代わりに使わせてもらう。
>>536へ自己レス
人はコトバを失った時泣く、はまちがいだ。
確かに泣くときコトバは失ってるが、
コトバを失ったから必ず泣くとは限らない。
成長に伴って変化する(増加する)いろんな泣きは、
その時々に失われる言葉の種類と関係するのかもしれない、と思いついた。

次なる疑問は、
どういう種類のコトバが失われた時、どういう泣きになるのか? だ。

539N:2009/08/31(月) 18:41:41
黙って考えてたときには、なかなか進まなかった考えが
掲示板に書くと、進んだりする。というのも掲示板の効用のひとつだ。

他人の言葉の中に混じることで、比較ができる。
やや、客観的になれることで、脳内で自己回転してるときより
クールダウンできて、考えの周りに空隙が生まれ、
言葉が自己内のみで自分にぴったりくっついてる時より、
すこし放れて見ることがしやすくなる。
他者の言葉と並列になることで、メモ帳やブログやHPより、自分の言葉が自分離れしやすくなる。
(当然、掲示板の質にもよるんだが)

540タター:2009/08/31(月) 23:50:17
>>538
>「百年前の雑巾を持ってこい!」
ドキッとするな。臓腑をえぐられるような気がしたよ。
確かに俺達はニワトリとしちゃ、しょ、しょ、初年兵なんだな。

>人はコトバを失った時泣く
関係ないかもしれんが、昔、生で聞いたとあるシンガーソングライターの歌を思い出した。
その人は、泣こうと口を開けたら嗚咽の代わりにメロディがあふれ出した――そんな歌い方で歌っていた。
世の中には、もしかしたら、言葉を失った時に歌う(あるいは描く、踊る)人間もいるのかも知れないな。

541タター:2009/08/31(月) 23:50:56
>>538
>怒りで慄えてるというのは変化だ。
>何かに抗議したいのか、何かを攻撃したいのか、あるいは暴力の前兆なのか。

そうなんだ。
長らく思考の発酵槽に溶けこんでいたガキが不意に身を起こした。
そして奴の手は小さく震えていた。

最初から行こう。
引き金を引いたのはこれだ

>>521
>怒り・暴力の根本にあるのは、無力感・無能力感だ

今この瞬間も、この一文を見ると胸の中央が重く沈み、かすかに息苦しくなる。
前にも書いたが、それはおそらく淡い、淡い「怒り」の感情だ。
意識の焦点を当てればコンスタントに甦る、無能な自分への怒りだ。

この怒りは、おそらくだが、ARがZに感じているそれと似ている。
(※このあたりは雑談スレ11の>>544以降の流れを追ってくれ)

拳のガキの怒りは、まず「言葉という道具を扱えない」自分自身に向かっている。
そして大人になった俺も、それをあのガキに要求するのは無理だったと感じつつも
あのガキの無能さ(つまりは自分の無能さ)に怒りを感じている。

なぜなら、やり方はあった筈なんだ。
言葉を失って立ちつくしてしまう前に、もっと何かができた筈なんだ。
たとえ回り中が言葉を扱うのに長けた人間/大人だったとしても
沈黙してしまうよりはずっとマシな方法があった筈なんだ。
泣くでも、喚くでもいい、
どんなに拙くても叫び続けてみればよかったんだ。意志を伝えるために。

「他者へ向かう怒り」より前に
(傲慢かも知れないが)「己に向かう怒り」がある。
それは俺が、ガキの頃も今も信じているからだ。
全てがふさがっていても、それでもなお、己の側に方策はあるはずだと。

542タター:2009/08/31(月) 23:51:24
だが、同時に、俺の経験則は告げている。

責めすぎるな。
自責の念は容易に足を掬う。
遠近感を狂わせ、バランスを崩させる、と。

いい加減になれ、良い意味で。良い加減は大切だ。


…………と、そんなあたりの思考と感情が拮抗して
俺は適当に思考停止して「ガキの怒り」を放り出す。
放り出して、薄まって、触っても大丈夫になった時にまた拾い上げる。
それは思考の発酵槽に放り込むことにとても近い、
だが、発酵槽行きよりはもう少し意識的な作業だ。

今は繰り返し最初の一文(>>521の)を見ながら
適当にいじり回しては適当に放り出す、の繰り返しだ。
触りすぎると感情のコントロールを失いそうになるんでね。
(その意味では「自責」からは一番遠い「暴力」の前兆でもあるのかもしれんな)

なんだかひどく個人的なことばかり書いてしまったな。
こんなもんでも誰かの叢探検の一助になればいいんだがw

543タター:2009/09/01(火) 04:26:07
Nよ。今、突然閃いたんで書いておく。


>>536
>人は、コトバを失った時、泣く。

あんたの思考の流れを追わない、ほとんど直感的な言い方なんだが、

 人は 泣くことで コトバを獲得する。

もアリじゃないか?

それまでに獲得したコトバが追いつかない極みに着た時
コトバがその役割を失い無力化した時、
人は泣くことによって「泣くことでしか表せない何か」を獲得するのではないか。
(獲得というか、明確に認識する――輪郭が明らかになる――のではないか)
それは、その前にコトバが追いついていた地点を
無理にでも突破するために必要なダイナミズムではないのか。

泣くことは、単純にそこにとどまらないのならば
新たなジャンピングボードの役割を果たせないか?

544タター:2009/09/01(火) 04:30:17
うぇえ……やっちまった。
 ×極みに着た時
 ○極みに来た時

545N:2009/09/02(水) 20:45:28
未投稿のまま消えたメモを思い出してみる。(part.2)
もともとのきっかけはAさんの「子どもとは何か?」という端的な問いだ。

--------------------------------------------------------------
(1) 子ども(赤ん坊)とは全き受動性であること
(2) 子ども(赤ん坊)の全き受動性の中で、唯一の能動性が泣くことであること
(3)笑いとはなにか? (※疑問のみの項目)
(4)もし子どもが泣きも笑いも奪われたら、無表情になるしかないということ
  だが無表情であるということは、
  何も感じていないということでも、何も考えてないということでも全くない。
  断じてそうではない。
  泣きも笑いもなく無表情になるほかなくなった子どもは世界を観察している。
  感情による表現を奪われた子どもは、生き残るため必死で世界を理解しようとする。
  受動するしかない自分の周りにある世界とはどういうものなのか、
  それをじっと眺め、聞き、感じている。
  観察と理解に没頭している時、感情に浸るヒマなどない。
  それが子どもの無表情だ。
(5)怒りもまた、泣きと同様に能動性であり、自己存在の主張であるということ。
  だがそれは「泣き」よりはるかにあとの段階だ。

---------------------------------------------------------------- 
これらは、各項目ごとにそれぞれ集中して
きちっと考えてみる価値が(自分にとって)あると徐々に感じはじめた。
そこで、考えることに集中するため、掲示板のタブを閉じた。
ものを真剣に考えるには孤独が必要だから。

基本的には今も、上に書いた項目が
しばらくこのスレッドで思索を続けてみようと思っている“俺の”課題だ。

乱反射したり、迷走したり、突然沈黙したり(孤独になって集中したいため)
といったことが自由にできる雰囲気を確立したロイという管理人のありがたみを
横から勝手に享受させてもらいつつ、断続的に続けさせて貰う。

546N:2009/09/02(水) 21:19:20
※怒ることができるために必要なものは何か。※

いま自分が置かれた状況とはちがう状態が想定できるようになること。
別の状態が「可能である」ということを知ること。
これが怒りには必須だ。
この「可能性」(イデアといってもいい)は、本で知ってもよいし、
過去の自分の偶然の成功体験からくるのでもいい。
とにかく、現状が世界の可能性の全てである、という処からは
怒りはでてこない。可能性が感じられない時には人はあきらめる。

これはタターの>>541
『全てがふさがっていても、それでもなお、己の側に方策はあるはずだ』
と関係している気がする。

ところで、怒りが攻撃や暴力へ向かうのとはすこし違う別の運命を怒りが辿る場合を
キューブラーロスが発見している。(いやというほど有名な本だが『死ぬ瞬間』)
キューブラー・ロスが死を宣告された患者達へのインタビューを重ねて発見した
死の受容への道筋は
否認「そんなはずはない」→怒り「なぜ自分だけが!」→取引き「この運命を逃れられるならなんでもする」
→抑鬱「この運命を逃れることは不可能なのか・・・」→受容

この道筋・段階は、死の宣告でなくても日常、
たとえば恋人との別れやリストラなど、いろんな場面でも見られる、と考えられている。
最後の受容を「許し」とか「諦念」と言い換えれば以前ロイが書いた「許し、諦念」に近い気がする。

547N:2009/09/02(水) 21:52:52
>>543
おそらく、おまいさんが言ってる「人は泣くことでコトバを獲得する」は
俺が>>536で書いた「人は泣き続けることでコトバを獲得する」とは
すこし違うステージだな。

俺の「人は泣き続けることでコトバを獲得する」は、
コトバをまったく持っていない段階である赤ん坊が
泣き続けながら、そのままでは伝わらないもどかしさを解決するような形で
ロロメイのいう「言語の複雑なコミュニケーション・システムへと発展」させていく、
という即物的で初源のイメージだ。

あんたの「人は泣くことでコトバを獲得する」は、
すでにいったん獲得されているコトバが
さらに「追いつかない極みに来た時」新しいコトバ(描く・踊るも含めた)
を獲得する原動力(ロロメイでは「潜在力」)になる「泣き」だと読めるので、
俺がまだ考える対象としていない先の部分に関するイメージだという気がする。
(たぶん,だが。)

548N:2009/09/02(水) 22:20:25
「泣くとは何か」にどう接近できるか。
とりあえず自分で思いつくもの、ネットで集めたもの
いろいろな涙の種類。

初源の涙。(産声)
不安・要求の涙        赤ん坊が空腹を訴える時、目覚めて周りに誰もいない時など
不快の涙            おむつで泣く場合
          
--------  
悲し涙
怒りの涙
くやし涙
心配の涙
恐怖の涙
安堵の涙
うれし涙
感動の涙
同情の涙

549N:2009/09/02(水) 22:22:45
だめだ、、疲れたw 本日はここまで。

550N:2009/09/02(水) 22:45:24
>>545に追加。このスレッド〈長文・連投〉を建てた「工口イ@869」という人にも
感謝を表明しておかなければ片手落ちだな。恐ろしいほどおそまきながら、
多謝です。いいテンプレだと思う。

551タター:2009/09/04(金) 18:05:44
>>547
Nの言う通りだ。
俺が反射的に「すでにコトバを獲得し、なお、そのコトバが及ばぬ地点」を想起するのは、
自分にとって切実な何かを象徴する『拳のガキ』が心のどこかに居座ってるせいだが
Nの場合、それがコトバを最初に獲得していく子供(赤ん坊)時代だってのは興味深い。

きっと、原初の、初発の、そのステージにこだわるだけの
内面的な何かがあんたの裡に存在するからなんだろうが、
もう思い出すことすらできぬ「はじめの一歩」が現在の自分にとって
そこまで重要な意味を持つのは(あくまで俺から見ると、だが)珍しい気がする。

552N:2009/09/05(土) 17:18:12
>>551
俺の場合「俺の」物語を追ってるわけではないんだよ。
「泣くこと」一般の物語を作ろうとしている――なるべく普遍性を持つような形で。
最初の出だしがなければ物語はつくれないし、理解もできん。
映画を途中から見ても筋がわからんのおなじだ。

タターの場合「自分」の物語のなかで泣くことをイメージしているから
最初の部分はなくても自分で筋が判らなくなることはない。

その違いじゃないかな。

553N:2009/09/05(土) 17:36:32
わからんのおなじ→わからんのと

ついでに書いておくと、なぜ自分を捨象しているかというと、
俺にとって切実に理解したいと思う対象は、自分ではなく、
自分と対峙しているこの「わけのわからん世界」の方だからだ。
俺にとって謎であり、親和できない「わけのわからん世界」を
どういう風に理解するか。そちらの方が俺にとって切実だったからだ。

そして、その「わけのわからん世界」の“中”に
「わけのわからん自分」をも含めてもいい、
というのが、タターたちとのやりとりのなかで
胃痛とともに訪れた変化なのだよ。

だがあくまでも、「世界」を理解することが優先だ。
その中に自分が含まれているなら、なおさらだ。
↑この認識によって
「失われるかもしれない何か」は失われずにすむ。
何十年も重ねてきた思考スタイルを捨てる必要はないのだと、
漠然と身体が恢復してきたのが現状なんだな。
うむ。まちがえた。「げ、現状なんだな」

554N:2009/09/05(土) 17:44:24
>>553 漠然と身体が恢復してきた
           ↓
漠然と身体が了解することによって恢復してきた

555N:2009/09/07(月) 01:24:30
したがって、
コトバを失った時泣く は、
コトバを獲得して以後の泣きについては アリ だ。

ただ、コトバを分節化できるようになる以前の泣きは
それ自体がコトバである場面もあるんじゃないかと思う。
ベテランのおっかさんになると、
赤ん坊の泣き声を聞けばその泣きの意味がわかるそうだ。
つまりその場合、泣き声はコトバでもある。

556N:2009/09/07(月) 01:35:03
いかんな、、ロロ・メイの筆写ばかりしてたら
不要な「つまり」を頭につける癖がついた…
(あの翻訳は悪訳狩りしてる別宮のやり玉にあげられてたらしい。
あの訳文のわかりづらさに、思わず人ごとでない共感を覚え
同時に身につまされる俺にとっては反感を覚える批判だがw)

557タター:2009/09/07(月) 02:47:07
>>552-553
な、なるほど。
この説明は、ひ、非常にわかりやすかったんだな。

たしかに普遍的な(あるいは、世界を主体にした)物語を作る、という視点も発想も俺にはなかった。
そこを理解したら、あんたの「物語作り」は一挙に面白くなってきた。
わ、わくわくするんだな。うん。

パンドラの箱以来、あんたが獲得しかけていた
「身体」的な語り口が再び急に変化した――というか
突然、旧来の思考スタイルに戻ったような気がして
妙に腑に落ちなかったんだが、これで俺の中でも
「あんたの思考の物語」がつながったよ。エウレカ!

世界の物語を作る、というあんたの企てに俺はワクワクしてるよ。
たしかにそれには「はじめの一歩」が必要だな。絶対不可欠だ。
あんたの探索行にエールを送るよ。

558タター:2009/09/07(月) 02:48:30
>>556
フォーラムにアップされてる分は全部追いかけたが、
たしかにあの訳はきつかったなw
原文を想像して、それからもう一度
自分なりの日本語に訳し直さないと意味が辿れなかった。

ちなみにあんたの日本語はどんどん分かりやすくなってるぞ。
心配すんなw

559タター:2009/09/07(月) 03:01:30
Nよ。ふと思いついたんだが、
あんたの物語を作るのに人間の側のアプローチだけではなく
言語の側からのアプローチもできるんじゃないか? 言語学の意味論とか。
ソシュールだのチョムスキーだの読んでみると面白いかも。
『ラング』と『パロール』あたりにヒントが潜んでいそうな気がする。

言語学については↓このサイトが簡潔にまとめてるぞ。
ttp://tokyo.cool.ne.jp/syntax-and-formalsemantics/lang1.htm

560N:2009/09/07(月) 23:18:50
>>559
実はソシュールで挫折した経験があるw どうも記号論系は苦手だ。。
吉本の「言語にとって美とは何か」の方になじんでる。
(ちなみに言語美とソシュールと同時期だったらしい)

ラングが共有言語(態)でパロールがおしゃべりってことでいいのかな?
というか、なぜそれがヒントになると思ったのか、
タター自身の引っかかりを書いてくれたほうが参考になるかもw
自分ではなく、自分以外の「すべて」を対象にしている以上、
俺以外の個人的な見解も俺にとって重要な「世界」だ。
俺は、アカデミックな論説とか、そんなだいそれた野心をもってる訳じゃなくw
(アカデミー経験のないど素人の俺にそんな能力はない!)
たんに自分なりのささやかな「物語」(理解)をつくってみたいだけなんだよ。
(あんまり期待とかやめちくれ。。プレッシャーww)

チョムスキーは(まことに偶然なんだが)関係ありそうな本を図書館から借りてきてる。
中公新書「言語の脳科学」酒井邦嘉 って本だ。帯によると
「英文科でチョムスキー言語学の授業にも出ていたが、
文を分解しているだけで、何が革命的なのか分からなかった。
それがこの本によってはっきり分かったのである。云々」と書いてあるぞ。
脳学者からみた言語−記号論みたいな感じらしい。
ひょっとして集中が必要になれば、またネットからしばらく離れるかもしれん。
(ここは覗く。ただしレスはしないかも。 ま、さきのことは俺にもワカランw
 おまいさんの言葉は妙に誘い水になることが多いんでねw)

俺の個人的なコトバに関する考えは、いまのとこ一つしかない。
コトバは「分けること」。 それだけだ。

これは、先天的な全盲の人間が新しい手術で治った時のエピソードを読んで気がついた。
その先天的な全盲者は、手術を終えて数日後、
医者達が見守る中で包帯をとり、そして、恐怖の叫びを上げて目を覆い、
その後二度と、固く閉じた眼を開こうとしなかったそうだ。

包帯をとったとたんすさまじい光の固まりだけが飛び込んできて、
ものの見分けがまったくつかず、激しい恐怖に襲われたらしい。
つまり、世界を「分けて」視る訓練がなかったから、まったくものの見分けがつかなかったんだ。
人は視力だけではものが見えないのだ。世界は「分けられない」とまったく認識できない。
言葉も同じではないか、とそれを読んで思った。
言葉は基本的に世界を「分ける」道具だ。 人は概念を得て、ものを視たり認識したりする。
ただ、動物たちの分け方と人間の分け方は違うのか、違うとすればどう違うのか、
そのへんがどうもよく分からない。
とにかく「答え」を得るためにはまず「疑問」。 それが俺にとって思考のためのガイドを果たす。
疑問なしに答えだけ与えられたら
それは宗教か洗脳になっちまう。


ところで、教えて貰ったサイトだが、統語論の2つめから先に進めない。
まだ、サイト構築の途中なのか、リンク場所を俺が見つけそこなってるのか。。

561N:2009/09/07(月) 23:40:53
ところで俺の今の「サイド読書」は
“ヤクザ〜アメとムチの心理術−なぜ相手は「NO」と言えなくなってしまうのか” だw
かなりコワいwww

562タター:2009/09/08(火) 00:44:12
>>560
>あんまり期待とかやめちくれ

あー、大丈夫だ。期待してる訳じゃないw
ただ、あんたがやってることが何なのかわかった――気がした――んで
なんか嬉しくなっただけだ。

当たり前なんだが、
「なるほど、自分とは全く違う物語やアプローチがあるのだなあ」
ということ自体が腑に落ちたワクワク感なんだ。
何かすげえ物語をものしてくれとかまとめくれなんて意味じゃないから
オレのコトバは安心して てきとーに聞き流してくれ。


そーな、ラングとパロールが何故俺の中で引っかかったのか、
なんか腹のどっかでモヤモヤしてるんで、コトバになったら書いてみるわ。
ちなみに俺もややこしいのとアカデミックなのはむっちゃ苦手だw

なので、俺の「引っかかり」は本来の学説だの研究だのとは無関係な
極私的な理解とコトバになると思うよ。

563タター:2009/09/08(火) 00:50:57
>先に紹介したサイトについて
スマン。俺、トップ頁だけ見て「これくらいで十分だ」と思ったのよ。
サイト全体はまた構築途中みたいだな。

564N:2009/09/08(火) 23:14:45
>>562 >期待してる訳じゃない 

 安心したw

565N 《泣き 考》:2009/09/09(水) 20:36:40
自己レス>>548
悲しみの涙とくやし涙 は、
「喪失」と関係している気がする。

安堵の涙とうれし涙は
「回復」と。

下のふたつの涙を流したことは今までの人生で一度もない。

566N:2009/09/10(木) 22:11:11
ニワトリ族に関する一般解説書の抜き書きをこっそり第一章の掲示板にしてたりする

567タター:2009/09/11(金) 00:28:41
>>566
そしてニワトリ族ものわすれ種は興味深く(あるいはズキっとしながら)掲示板を読んだ後
ここに戻ってきた時にはすでにその大半を忘れていたりするw

568タター:2009/09/12(土) 13:57:33
【ラングとパロール(に関係するかも知れない)雑感】
雑談スレでも書いたが、俺はカテゴライズが苦手だ。
ゆえに、文章にしろ発話にしろ断言できるのは自分に関する事柄だけで
他者に関するそれは、全て語尾に「と思う」または「ではないか」をつけたくなるw

それでも(あるいは、それゆえに)俺はコトバが好きだ。

それは己を他者に伝えるための最も精妙で、ひどく不十分な道具だ。
それは一人一人が全く違う陰影で己の裡に蔵しながら、なお、共通に用いることができる奇妙な道具だ。

俺が使っているのはパロールでしかないのに、俺のどこかにラングが存在し機能している。
その有様は不思議な感慨を呼び起こす。

ちょうど、俺が触れられるのは個々の人間の日々の生活でしかないのに、
どこかでそれを超えて「社会」(という言葉で表される何か)が存在しているのを見る時のように。

俺が日々触れてきたのは個々の人間なのに、俺は「社会」を認識できる。
俺が日々触れてきたのはパロールなのに、俺のどこかにラングが存在する。

そしてラングが存在するが故に、俺は他者と
超えがたい断絶を超えて、なお、つながることが(あるいはつながろうと試みることが)できる。

ひどく苦手なのに、俺はやはりどこかで
個々の現象(あるいは運用)を超えた「理念」を意識することができる。

なんでなんだろうな――と思う。

俺はいつ、どうやってラングを獲得したんだろうな、と思う。

その気になり方が、たぶん、俺のどこかでつながってるんだな。
赤ん坊が泣きを超えてコトバへと手を伸ばす時の化学変化と。

569N:2009/09/12(土) 19:57:10
>>567
流石。ニワトリの鏡。「天晴れ」という、普段めったに使わない単語を進呈するw

しかし、その興味深さやズキッは、結局どこへ落ちていくのかだろうか、と疑問が湧いた。
ひょっとしたら、忘れるというより、脳のネットワークを含む身体のどこかに
意識された記憶ではなく、なにかを作る養分となって消化される、のではないか、と。

周辺記憶やその上のナントカ記憶(忘れたwww)あるいはエピソード記憶などの
想起される“記憶”ではなく、読んでる最中に感じた何かは“痕跡”となって
その人に影響し、ニューロンネットワークの中に残存するんではないか、と、思いついた。
その何かが「感性」なのか「ものの考え方」なのか、あるいは「性格」とか「人格」なのかは
俺にはまだ不明だが。

人格というのは記憶に依存するのではないか、という仮説を俺は立ててたが、
そんな簡単なものではない、と思えてきた。

そこまでで脳のメモリがフルになったので>>568(保留)w

ついでだが、
“笑い”はメモリの解放である。 (俺的、部分仮説。)

570N:2009/09/12(土) 20:11:08
散らばった本をぼんやり眺めてたら「メディアコントロール」という本が転がっていて
かなり骨太で切れ味のいいアメリカメディア批判だったという感触は思い出したが、内容は想起できず
それより「あれ?あの著者もチョムスキーって名前じゃなかったか?」とあれれ感に襲われて、
普段著者の肩書きは読まないので今回初めてその著者ノーム・チョムスキーについての解説を読んだところ、
このチョムスキーと噂の言語学者チョムスキーが同一人物であることをいまごろ確認したのは、俺だ。

571タター:2009/09/14(月) 00:26:58
>>569
【興味深さとズキッの落ちゆく先について――あるいはニワトリ的記憶】

俺の記憶力は素晴らしいので、過去は海のように茫漠と果てなく広がっている。
どこまで続くのか、中に何が溶けてるのかもよくわからない
(思考の発酵槽よりもっと無意識的で茫漠とした)広がりだ。
そして、大抵の記憶は片端からこの海に溶けこんでしまう。

様々な記憶が溶けこんだ薄しょっぱいこの海は大抵は凪いでいて、
波打ち際にはどうでもいい記憶の断片が貝殻みたいにうちあげられている。
(例えば食事時、笑った友人の歯に海苔がくっついていたな――とかw)
だが過去の記憶はまるっきりなくなったわけでもなくて、
時に大きなうねりを見せて まろん とデカイ何かを波打ち際に残していく時もある。
これは意識的にはまったく探せない、海が勝手に のてん と残していくものだ。
そんなとき俺は普段は意識もできない過去から、何かの固まりになった思考や
思わぬアイデアを受け取ることになる。
(ここら辺は>>527での『答え』が来る時の感覚に似ている気がする)

ということで、俺にとって過去(記憶)は思考の発酵槽よりもっと
自動的な(=ほったらかしにできる)思考の補助装置になっている気がする。

572タター:2009/09/14(月) 00:27:27
>>569
>その何かが「感性」なのか「ものの考え方」なのか、あるいは「性格」とか「人格」なのかは

「感性」「ものの考え方」「性格」「人格」――これらは全て
「人」という「わけのわからないかたまり」を様々な言い方で表したもの、
つまり、同じ何かの別の言い様ではないか、という考えがふと頭をよぎったよ。

俺達は決して触れないものの輪郭を浮き彫りにするために
様々に言葉を彫琢するのではないか、と。

573zebla:2009/09/14(月) 01:06:49
泣きの種類には「手に入ったかもしれないもの」への未練や
「欲してやまない何か」に手が届きそうで届かない悔しさや
無力にも、もしくは理不尽にも奪われる
怒りや不足分への渇望は含まれないのだろうか。



それらが産むのはむしろ怒りか?
怒りの方が感情としてはわかりやすい。
でも俺はその、怒りの彼方で泣いた覚えがあるな。
そしてそれはほとんど初めてと言える素直な
というか正直な涙だったような気がしている。

574N:2009/09/15(火) 01:50:47
>>571
たぶん、おまいさんは詩人的な素質が強いのだ。

俺が"痕跡"というスタティックなイメージで捉えた「忘れられしこと」を
タターは“発酵炉よりもっと茫漠とした広がりをもつ、海”へ溶け込む、という動的なイメージで捉えた。
タターのような、ダイナミックな動的イメージは、一種の盲点になっている。
だから新鮮で面白い。読んでいて楽しい。
特に まろん だの のてん だとかの擬態語は絶対に俺には浮かばないw

対して、俺のほうは絵画的なのかもしれない。
じっと座ってキャンバスに何ヶ月も向かい、同じキャンバスに何度も絵の具を塗り重ね、
動かない一枚の絵を仕上げていこうとするのに似た作業で世界観づくりをする。
(ちと大げさだがw)

>>569 これは吉本の出番だという気がするw それは自己表出だ。 
しかしこれは書こうとするとあんたの苦手なカテゴライズ花盛りになるな。
別の書き方を考えてみよう。 <<保留>>
>>568(以前保留) 難問。。

575N:2009/09/15(火) 02:16:12
>>573 前段
俗っぽいが、甲子園の決勝や予選で負けて泣く、
という例が浮かんだ。だがそれではあまりに特殊状況的すぎる。
ので、抽象化してみると、
「自分を価値あらしめたかもしれないもの」が逃げていった
というような状態を想像すればいいのかな。

それが穿ちすぎであれば、単純に「母乳」が与えられない時、
途中で母親が用事で授乳を切り上げた時、などを
想像すればいいのだろうか。

「手に入ったかもしれないもの」や「欲してやまない何か」というものに
「独占(所有)の可能性」が加わると、
その感情は「泣き」ではなく「嫉妬」「ねたみ」に近づく。
子どもは母親の独占をジャマする者に嫉妬し、怒りを覚え
それをバネに、母親との渾然一体感から追い出され、
世界へと放り出される、というのがフロイトのエディプス期ストーリー。

576N:2009/09/15(火) 02:25:25
>>573 後段
怒りと泣きの共通点は「不満」、と言ってた人がいた。
かなり当たってる気がする。
しかしそうすると、怒りと泣きとの分かれ目は何か。

「怒りの彼方での泣き」には興味がある。
考えたこともなかった。もうすこし語ってもらえないか?
(差し支えのある部分は作り話にしてもらって結構。
 大事なのは、その時のあんたの内部の状態だ。
 それと、その後の状態だ)

泣き止む、というのも、泣きの物語にとっては重要だな、、

577N:2009/09/16(水) 18:32:58
>>574 のふたつめのアンカ-は569ではなく>>572

>>568
赤ん坊の泣きは、言語学的な意味でのコトバにはなっていかない
と思えてきた。
言語学的なコトバとは違うから、
コトバを得たあとでも、泣くことは残るんだよ、たぶん。

578タター:2009/09/16(水) 21:46:12
>>574
ナルホド!(ぽむ!)>絵画的世界観作り

ちょっと関係ないが、昔、絵画の特長は
「一目で全体が見渡せる」ことだ、と聞いたのを思い出したよ。
文章のように、ある一部分が分かって他の部分が分からない、ということはなく
常に全体が一目で飛び込んでくるのが「絵画という言語」の最大の利点だと。

>カテゴライズが苦手
あー、大丈夫だ。
俺の「苦手」は「自分ではカテゴライズできない」という意味で、
他者のカテゴライズを理解する/しようと試みることには抵抗はないよ。
>>572に関して語ってくれることがあるなら聞いてみたい。

579タター:2009/09/16(水) 21:47:12
>>569
>“笑い”はメモリの解放である
メモリ、というとらえ方はなかったが、
感情や思考はある種の内圧で、それがいっぱいいっぱいになった時に
圧を下げる方法が「泣き」「笑い」「怒り」だと考えたことはあるな。
生きること(含思考)がいっぱいいっぱいになって緊張がピークに達した時、
悲しくも何ともないのに、ポロポロ涙が流れ出したことがある。
あるいは整体で身体がゆるみきった後、運転中にポロポロと涙がこぼれたことがある。
どちらもその後、なにかの内圧(感情か?)が確実に減じたのを感じた。
いわゆる「泣いたらスッキリした」ってヤツだ。

それから状況にそぐわない反応としては、恐怖のあまり笑う、なんてのがある。
これは、内圧を下げて、恐怖のあまり固まってしまった身体と脳をほぐし
状況に対処して動けるようにするための解放作業なんだろうな。

そう考えていくと「怒り」には、
感情と反応のズレが少ない気がするな。
傍目には不可解な怒りでも、当人にとっては内面的に充分な理由がある。
感情とズレのない内圧が急激に高まって素直に放出されたのが「怒り」、かな。
(ただ、Nが言ったとおり、こうした放出と「内面的に静かに怒ること」はちょっと違う感触がある)

そう考えていくと、>>573の「怒りの彼方で泣く」はすげえ気になるな。
>そしてそれはほとんど初めてと言える素直な
>というか正直な涙だったような気がしている。
の一節の「正直な」って言葉に大きなヒントがある気がしてる。
差し支えなければ、俺もこの時の内面を詳しく聞いてみたい。

580タター:2009/09/16(水) 21:47:38
>>576
>怒りと泣きとの分かれ目は何か

自分を取り巻く状況(世界)を受容するか否か、ってのはどうだ?

「世界がそのようなものである」と認識すれば泣くしかないが、
「世界はなぜそのようなのだ」と考えれば怒る余地が生まれる気がする。
つまり、あんたが>>546で言ってた「可変の可能性」だな。

581タター:2009/09/16(水) 22:01:15
>>577
>言語学的なコトバとは違うから、
>コトバを得たあとでも、泣くことは残るんだよ、たぶん。

これ↑を読んで急に思い出した本がある。
邦訳が出ているかどうかわからんが『The Primal Scream』という本だ。
幼年期の阻害された最初の叫び(含泣き)がその後の人格形成に深い影響を与える。
ゆえに、その原初の叫びを引き出すことができれば、
その人の抱える様々な問題の解決に役立つ……てな本だったと思う。

英語を読むことを厭わなければ下記URLを参考に。

The Primal Scream
ttp://en.wikipedia.org/wiki/The_Primal_Scream

Primal therapy
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Primal_therapy

582N:2009/09/16(水) 23:48:57
>>581
な、、、なに、、、かまわんよ、、、英語だろうが、、なんだろうが、、、、
俺には、、、エキサイトくんが、、、ついてる、、、
://mb1.net4u.org/bbs/kusa_mura/article/id25
たとえ匿名のダニー君が22年前の大学生だろうが、22才の大学生だろうが
た、、たいした、もんだい、、ぢゃない、、、
俺は、、断固、、、日本語のとこだけ、、読む、、、

583573=AR:2009/09/17(木) 15:01:06
>>576>>579
んーとね・・俺には唐突に読解力が著しく落ちる時があるんだ。
事務的作業の一切が超苦手になってしまう時でもあるんだが。
で、今ちょっとそういう時期で暫くスレを見てなくて
>>573は久方ぶりにチラ見して
Nとタターの「泣きの分析」数レスを流し読みしただけで
思いついた感想みたいなのを書いたもの
っつーことを頭のどっかに、前提として置いといてくれな。

(時期が過ぎて調子が戻ったら熟読するのが苦でなくなるし
多分一読すれば通り一遍の内容は頭に入ってくると思うので
その場合、俺の語る内容は変化する可能性がある)

584AR:2009/09/17(木) 15:05:50
>>581
聡明かつ果敢なNと違って俺は英語を読むことを非常に厭うw
つーか無理。読めん。
今の俺では辞書を引く能力すらあやしい。
しかし、その内容には非常に興味を覚える。
よって、タター&N(他、善意のボランティア精神保持者)が
英語を読むことを厭わないor厭うが既に読んだ後  であれば
翻訳、通訳、要約、かいつまんだ適当な内容
のどれでもいいから中身を俺にも教えてくれw

585AR:2009/09/17(木) 15:08:16
>>581
念のため聞くがこれとは無関係なんだよな?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0

586AR:2009/09/17(木) 15:13:32
>>573の「怒りの彼方での泣き」の状況なぁ・・・。
こう、うまいこと表す言葉を見つけられるわけじゃないんだが
タターの
>「正直な」って言葉に大きなヒントがある気がしてる。
は、鋭いとこついてるような気がしたね。
>>579を読んだ感想として。


2人から求められても、その時の「内面」の状況を
今の俺には説明できそうにない。
が、2人からの求めを読みながら頭に思い浮かんだことを
いくつか書いてみようかと思う。
漠然と思い浮かんだことだから
2人が知りたいこととは程遠いことかもしれないが。

587AR:2009/09/17(木) 15:19:17
>>583>>586の続きね。

俺は過去(割りと近年に至るまで)、感情を殺すことを常としていた。
幼き過去にはそうすることを強いられていた覚えがあるし
長じてからは自分で自分にそうすることを課していた。
その2つは結果として同じことをもたらしたのかもしれないが
俺にとっての意味合い的には大きな違いがある。

あ、この場合の“俺”っつーのは“Z”ではなく“AR”ね。
“中の人を含むZ”でもなく俺(AR)単体。

ああ、今書いてみて気づいたんだが
>>573の心情そのものが完全に俺単体のものなんだな。

588AR:2009/09/17(木) 15:27:21
そもそもの最初は
「“感情を殺すこと”を命じられていた」というよりも
「“感情を顕にすること”を禁じられていた」
の方がより正確なのかもしれない。

大人がガキに下す命令は幾つもあるが
騒ぐな、静かにしろ、わめくな、泣くな
なんてのはその筆頭、代表格じゃなかろうか。

んで、ガキが大声あげて騒ぐ時ってのは
たいていが、興奮を持って喜びを表す時か
泣くことをもって不満を訴える時なんじゃないんかな。

つまり、極論を言えば
騒ぐな、静かにしろ、わめくな、泣くな
は、「喜ぶな、楽しむな、悲しむな、嫌がるな」
ってことなんじゃねえかと思ったりする。

589AR:2009/09/17(木) 15:34:00
大体において、ガキってのは騒がしいものだ。
小さければ小さいほど、ものの道理がわかってない分
ストレートに自分の感情を声にのせて表に出すものだから。
だから多分、そもそもその存在が
「イラつかせるもの」をもった存在でもあるんだろうよ。

でも多分、我が子に愛情もって接する親なればそれだけではなく
「愛情を湧かせる存在」とか「癒される存在」とも感じているのだろう。

つまり、騒ぐガキをうるさく思うか否かは
その場にいる大人の愛情如何によったりするのだろう。
そしてそこに幾ばくかの愛情があれば
許容されるだろう子どもの感情の爆発は
親から子に注がれる種類の愛情が存在しない時
ただただ忌避されるものでしかないんじゃないかと思う。

590AR:2009/09/17(木) 15:40:48
でだ。
残念ながら俺は
「親から子に注がれる種類の愛情」
とはあまり縁のない環境にいた。

おそらく当時の保護者(と表現したくはないんだがな)にとって
俺の感情の爆発は許せるものではなかった。
ゆえに、俺は泣いてはいけなかった。
笑ってはいけなかった。怒ってはいけなかった。

「傍らにいる大人を苛立たせるな」という要求を充たすためには
そういった、表出しやすい一切の感情を抑える必要があった。
そしてその要求は最優先で充たしておかないと
我が身に害を呼び込む類のものだった。

591AR:2009/09/17(木) 15:58:12
だが恐らく、大人というものは
子どもを完全に押さえ込んでしまったことを感じさせられると
罪悪感を刺激されたりもするのだ。
それとも、面白みを感じなくなってしまうのか。
はたまた、周囲の傍観者である観客の目を気にするゆえか。

反論がある人にはあるかもしれないが
俺の見聞きし、体験してきた経験としては、
自分が押さえ込んだ結果、無表情となった子供を
そばにおくことをよしとしたやつを見たことがない。
(遠ざけるか、近くに置くなら下記の更なる命令をくだす。)

だから、次に命じられるのは
「感情を表すこと」だ。
ただし、それは「(保護者が)求めた感情を求められるまま表すこと」であって
「自分自身の内側から湧いてくる素直で正直な感情を表すこと」ではない。
むしろそれは禁忌であることが多い。

592AR:2009/09/17(木) 16:19:34
・・・ありゃ?
>>587で俺(AR)単体の話だと注釈つけておきながら
書いてみたら違ってきたな・・・なんでだろう?

>>573の心情そのものはは完全に俺のものなのに
(俺が自分の感情を初めて意識した時だからはっきり記憶にある)
>>588-591nは“Zを含む中の人のもの”だな。
色合い的にはZとロイとRとリョウのものが濃いか。

思いつくままいきあたりばったりに書いてるんで
矛盾を感じるかもしれないが、この状況があてはまる頃の
俺(AR)はここにあてはまらないんだよな。
この頃の俺には今のところ怒りしか覚えがないから。


・・・まあ、ともかくも。
その日の暑さ寒さを凌ぎ、飢えを満たすために重要なのは
“従うこと”だったんだろう。
少なくとも、力で抗いきれない子どもの頃のそれは
飢えと寒さと痛みに直結していたわけだ。

593AR:2009/09/17(木) 16:33:30
というわけで、>>590
残念ながら「俺たちは」とするべきだな。



うーん・・・主題から逸れて申し訳ないが
頭に思いついたことから書かせてくれ。
忘れてしまうからw


今書いてて思いついた自己分析みたいなものだが
多分“俺たち”はこの頃から分化していたんだろうな。
俺の意識的(かつ感覚的)には
俺とZが初期から同居していて
他のは“独立後”にボロボロ現れた、
更にロイやリョウはかなり後になって
「人格とはまた少し違う“別意識”という状態」
で現れてきたという位置付けだったんだが、どうもそうではないようだ。

あの“抑圧された環境”において “主体的に”恐怖を感じ、
従うことで身の安全を保持しようと努めたのは
どうもZだけではないらしい。

>>587を書き始めて以降、内側がひどく落ち着かない。
>>573に陥った大元となりげな過去には言及せずに
俺(AR)自身が「怒りの彼方で泣いた」時そのもののみに
限定して書こうとした方が話しが逸れなくていいのかもしれないな。

594AR:2009/09/17(木) 16:37:22
>>590の「俺」は全て「俺たちは」だ。

595N:2009/09/17(木) 23:21:24
>>AR
「ヤノフ プライマル・スクリーム」でググルといろいろでてくる。
>>585のバンド名も、タターが紹介してくれた本から取ったらしいので
まったく無関係というわけでもないようだ。
あの本はロックミュージシャンに相当影響を与えてるらしい。
翻訳も30年以上前にでてたようだが現在絶版。
(邦訳名「原書からの叫び」←これでググルと表紙にはお目にかかれる)
俺のいきつけ公立図書館にも置いてなかった。。。
というわけで、>>584 に俺も一票w

他は、もうちと頭の調子がいいときに。。

あ、「記憶」もニワトリ族の重要テーマなので、
混乱も含めて、書くのに遠慮はいらないぞw

596N:2009/09/17(木) 23:24:54
原書じゃなくて「原初からの叫び」だ。 今日は(もw)調子が悪い。寝不足だ。。

597N:2009/09/17(木) 23:48:52
もうひとつ単純に聞きたいんだが,怒りの彼方で泣いたあと
タターのいう「泣いたらすっきり」(>579)はあったか?

598タター:2009/09/18(金) 23:54:06
うぉら、>>581の翻訳だ!
他に頁を作ろうかとも思ったが、面倒くさいから全部ここに載っけるぞ。
(とりあえずThe Primal Screamの方だけな)

誤字と誤訳は指摘するな。
悪訳は仕様だ、文句は認めんw

599N:2009/09/18(金) 23:54:27
>>578
たしかに「見渡せる」ということでいえばカテゴライズも
図式化してひとめで見渡せる
スタティックな認識法ということになるかもしれない。

>>580
受容>「世界がそのようなものである」と認識すれば泣くしかない

泣きの後、あるいは過程で「断念」が「受容」へと
化学変化するのかもしれないな。
笑いを瞬間的なメモリ(脳学的にいうとワーキングメモリ)の解放とすれば
大人になってからの泣きは、デフラグとかレジストリ再構成のような
時間をかけた整理に相当するのかもしれない。
その過程で、喪失した可能性(空き領域化したり不良化した部分)は、
再構成されて、領域は詰められた連続性へ移行(空き領域は消去)され、
それによってすっきりデフラグされる、と。
だから泣きは、笑いより時間が長いんじゃないか、と。

怒りには再構成の要素はない気がする。一種のエネルギーだ。
放出されれば激怒系となり、内側にため込まれれば静かな瞋りに近くなる。

600N:2009/09/18(金) 23:55:47
>>598
お!すまん、被ったww

601『The Primal Scream』wikiより:2009/09/18(金) 23:58:09
『The Primal Scream(原初からの叫び)』(1970年)は『Primal Therapy: The Cure for Neurosis(原初療法:神経症の治癒)』の副題がついた、原初療法の創始者アーサー・ヤノフ博士の著作。『The Primal Scream』の版のいくつか、例えばABACUSから1977年に出版された版などでは、表紙にエドヴァルド・ムンクの『叫び』が使われている。この版では絵画全体は使われず、中央の両手で頭を抱えた叫ぶ人物がアップで使われている。

■内容
序章
序章ではヤノフが自らの患者の一人、22歳の大学生ダニー・ウィルソン(仮名)から聞いた画期的(remarkable)と言える悲鳴について述べられている。ヤノフの言葉によれば、その悲鳴はあたかも殺されようとする人が発する悲鳴のようであり、その悲鳴には「既知の心理療法を根底から覆す」可能性があった。ヤノフによれば、彼自身も彼の患者もそうした子供じみた行為に意味を見いだせなかったものの、ウィルソンに「ママ! パパ!」」と叫ぶように頼んだ。しばらく躊躇しためらった後、ウィルソンはヤノフの指示に従った。するとウィルソンは半狂乱になり、痙攣を起こし、ついには声を限りに混じりっけなしの悲鳴を上げた。悲鳴の直後、ウィルソンは「わかった(感じられた)」と断言した。数ヶ月後、ヤノフはゲーリー・ヒラード(仮名)という30歳の患者に同じ手法を試み、ヒラードもまた叫んだ。ヤノフもヒラードも共にこのことにショックを受けたが、その後、ヒラードは直感的洞察を得て、己自身を理解したようだと博士は書いている。ヤノフは彼の患者達において観察された変化を解明し、そこから原初療法を開発した。

602第1章 問題:2009/09/18(金) 23:59:41
第1章『問題』は、理論とは「観察された一連の現実に対して我々が与える意味である」と定義することから始まる。ヤノフは「我々に欠けているのは、それぞれの治療の各時間ごとに患者とどのように話していくかという確固たるガイドラインを与えてくれる、ある種の一元的な構造だ」と書き、精神療法の理論や方法論は増える一方だと文句を言う。ヤノフは全ての神経症には同じ原因があり、同じ治療に反応すると主張する。そしてフロイドの信念――人は神経症的に生まれ、最も強い防御システムを持つ人が社会において最も良く機能できる人である――を批判する。ヤノフはこの見解と「我々がかつて考えていたのとは全く違う状態――すなわち、人がまったき己自身であり、深い感覚と内的統一感を経験できるような、緊張もなく、防御もない人生が存在する」という自らの見解を比較する。



スマン。かぶったが、全部貼らせて貰うw>N

603第2章 神経症:2009/09/19(土) 00:00:15
第2章『神経症』では、神経症は満たされなかった欲求(ニーズ)によって引き起こされる、と主張される。ヤノフによれば「幼児は自力では空腹感を克服できないが故に(略)あるいは、愛情の代替物を見出そうとするが故に、自らの感覚を(略)意識から切り離さざるを得ない。こうして自らの欲求や感覚から自分自身を切り離すことは、過剰な苦痛を遮断するための本能的な手段である。我々はそれを『分裂』と呼ぶ」。これらの抑圧された欲求は存在し続け、象徴的に表出されざるを得ない。しかし、こうした象徴的な満足がその下に潜む欲求を満たすことは決してない。感覚の抑圧は段階的に神経症を発現することへと繋がり、やがて現実の自分と実在しない自分との分裂にまで至る。ヤノフは、最終的に神経症を誘発するこの出来事を『主要な原初の場面(The major Primal Scene)』と名付け、おおむね5歳から7歳の間に起きるとしている。主要な原初の場面の前には、数多くの小さな原初の場面がある。

604その後の数章:2009/09/19(土) 00:00:45
苦痛と記憶に関するこの後の数章では、苦痛からの逃避は神経症の発現に重要な役割を果たすと断言される。ヤノフによれば、現時点での苦痛がその原因と釣り合っていない時、その原因は、抑圧された苦痛が年齢とは無関係にそのまま残っているからであり、それらは再び体験することによってのみ解放される――そこで原初療法家(Primal Therapists)が必要とされる。彼は、神経症になるのは肉体的な痛みが人を意識不明にするようなものだとし、神経症の発現は記憶に影響を与えると断言する。記憶は苦痛と共に抑圧されるし、苦痛を感じるとそれらの記憶を甦らせる。

605第5章 緊張の性質:2009/09/19(土) 00:01:13
第5章『緊張の性質』では自然な緊張(ヤノフの意見では必要なもの)と不自然な緊張(こちらは不必要なもの)とを区別する。

606第6章 防御システム:2009/09/19(土) 00:02:00
第6章『防御システム』では、あらゆる防御は神経症的なものである、とする。この中でヤノフは薬物中毒と同性愛は似ているとする。「彼(=薬物中毒者)は他の神経症患者とは違って自らを防御することができない。彼は針と直接に関係を深めていく。苦痛…針…安堵。針がなくなれば、そこには苦痛が存在する。同性愛にとってのペニスも同じ役目を果たす。どちらも緊張からの安堵(解放)を表象するのだ」ヤノフはまた、こうも主張する。「針の使用、あるいは男性同性愛者の性行為における苦痛にもかかわらず、その象徴的な感覚は快楽、あるいはより正確には安堵である」

607第17(※7?)章 性愛、同性愛、両性愛:2009/09/19(土) 00:04:45
第17章『性愛、同性愛、両性愛』では主な論題の一つに同性愛を取りあげている。ヤノフは同性愛を神経症と認定する。同性愛行為が性愛であることを否定し、現実の性愛の拒否であると主張する。

608補遺:2009/09/19(土) 00:05:11
『The Primal Scream』には二つの補遺がある。一つは、その治療が原初療法の記録となったある患者を扱ったもの。二つめは原初療法患者のための7つの指示――すなわち、喫煙、飲酒を慎むこと、薬物使用を慎むこと、緊張を緩和する習慣をやめること、治療前は24時間完全に一人になること、療法家が言ったことを正確に行うこと、治療の初期段階では働いたり学校に行ったりしないこと、原初療法後の患者の会に参加すること、である。こうした指示を守らない場合、原初療法は奏功しない。

609タター:2009/09/19(土) 00:06:25
以上、終了。

邪魔してスマンかったw>N

610N:2009/09/19(土) 00:18:33
>>609
乙〜。 
俺は明日あたり、各種翻訳サイトの訳を並べて、
英語はいっさい読まずに、日本語(翻訳サイトのあれを日本語と呼べるならw)
の文脈だけで意味の通じるような日本語にしてみる、
そして、添削を頼むという、回りくどい手順を考えてたので
大いに時間の節約になって、助かったw

俺の残りの作業は、保留レス番号を貼るだけだったから無問題w
とりあえず、読ませて貰う。残余は、明日以降。

611N:2009/09/19(土) 16:04:56
>>601-608   >>582四行目 に無断転載したw

612タター:2009/09/19(土) 18:37:49
>>611
無断転載、乙w

613タター:2009/09/19(土) 18:55:16
さて『Primal therapy』も訳すべいか、とページを開いて
下まで読んでその量の多さに即座にめげたw

俺は訳さん。宣言するww

興味のあるヤツは奇特なボランティアの登場に期待してくれw

614ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/19(土) 22:21:56
>>613
いや、君は訳すよ。
日を置いたとしても
少なくとも君なりの要約を載せる。
そう、期待されているからだ。


ともあれ、お疲れ様。

615ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/19(土) 22:24:47
書いてから自分の書いたことの問題に気づいた。
>>614は要望ではなく強制でもない。
これまでに描かれたタターという人となりに対して
私が読み取ったことから抱いた、単純なる予想に過ぎない。

616ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/19(土) 22:25:39
・・・まだ正確ではないな。
からかいを含んだ予想、とでもしておこう。


すまない。
面白がっている。

617無謀なる挑戦:2009/09/20(日) 00:11:49
思わぬ伏兵登場w
「英語に頼らず」w日本語中心で考えた別宮激怒必須な出だし部分偽訳 >>611への返信にて
ロイ!おめえもすこしは手に汗かけw
たったあんだけの分量でも
自分なりに意味通すのに半日かかった、てんだil||l_| ̄|○
(後を続けるかどうかはわかんねえ。くたぶれ方がひどい。。
 あの量を見て降りたタターの気持はもっともすぎる。。)

618無謀なる挑戦:2009/09/20(日) 00:32:38
ところで、だ。
追加された記事no27,28の修正用キーはなぜか「tata」だ。
(おそらく気が向いたら追加される今後の返信記事も同じだろう)
他意はないw 善意のボランティアなら誰でも参加可能だw
(期待なんぞしてねえけどな)

619N:2009/09/20(日) 07:26:59
と、いうか、ロイよ、この板にそれ用の臨時スレというか、
汎用スレというか、参考資料用スレというか
そういうのをロイが建ててくれないか?

考えてみれば、元々ロイの要望だし、
原文を細かく分散して、気が向いた誰かが
気が向いた時に、レス番指定でボランティアできる形式の方が
負担が分散するんじゃないか。
それに、もし善意のボランティアがいたとしても、
あの分量をこのスレに投下されたら、本来のテーマのレスに
スクロールするのがめっちゃメンドになるw

一考願う。分けた方がメリット多いと思う。(ロイの手間以外は)

620タター:2009/09/20(日) 08:47:53
うむ、嫌がらせと意地で全部訳して
このスレを無味乾燥な文字で埋め尽くしてやろうかと思ったが
Nの提案に1票w

ちなみにNが訳した分は「あの」エキサイト翻訳等の日本語のみから
構成したとは思えない精度だったw おそるべき読解力に脱帽。

621タター:2009/09/20(日) 09:00:13
ということで本来のテーマに戻るが
>>599
>たしかに「見渡せる」ということでいえばカテゴライズも
>図式化してひとめで見渡せる
>スタティックな認識法ということになるかもしれない。

なるほど。非常に納得した。
確かに「見渡せる」ことの効果はデカいな。

>笑いと泣きのメモリ対応
これも興味深かった。
これで言うと「怒り」は瞬間的に電圧を下げて
メモリの破損を防ぐシステム……かもしれんなw

622N (俺用メモ):2009/09/21(月) 08:42:54
「言葉」 タター>>568 >>572 >>621前段
「記憶」 タター>>571 >>621後段
      AR >>592-594
「感情」 タター>>579-580 AR>>563 >>578
「子ども」AR>>588-591 

「原初への叫びwikipediaの翻訳(タター)」>>601-608

623N (俺用メモ):2009/09/21(月) 08:45:31
訂正...
「記憶」 タター>>571 >>621後段
      AR >>592-594
「感情」 タター>>579-580
      AR>>563 >>578

624N (俺用メモ):2009/09/21(月) 08:47:40
あれ? 再訂正,,,,
「記憶」 タター>>571
      AR >>592-594
「感情」 タター>>579-580 >>621後段
      AR>>563 >>578

625zebla:2009/09/21(月) 08:59:51
>>599
怒りには再構成の要素はない気がする。一種のエネルギーだ。
放出されれば激怒系となり、内側にため込まれれば静かな瞋りに近くなる。

>>621
これで言うと「怒り」は瞬間的に電圧を下げて
メモリの破損を防ぐシステム……かもしれんなw

持続的継続的怒りは?
外に発憤されることなく内に篭もり続けるような怒りは抱いたことがないのか?


俺の場合再構築のもっとも大きな原動力になり続けたのは怒りだった気がしている。
もっともそれは俺が「怒り人格」とされる位置にいたからかもしれないが。

626zebla:2009/09/21(月) 09:00:48
>>619
同意。
そして君に一任するw
「ロイ」がたてた方がいいなら3か月くらい待ってもらうことになる。

627N:2009/09/21(月) 09:12:30
>>625
タターには「拳を握りしめたガキ」がいる。
俺には俺で、その言葉に反応して浮かぶ絵がある。

そして激怒と、内側に溜め込まれた瞋りを俺たちは同一には考えていない。
その違いについてはまだ、俺たちもうまく触れていない。

「持続的継続的怒り」は、だからたしかに再構築と関係するかもしれない。
「持続的継続的怒り」は、
激怒のように放出されてしまっていないエネルギーだからだ。

628N:2009/09/21(月) 09:17:35
>>626
「ロイ」は一から自分で再消化しないと動かないからなw
時間がかかるとは思っていたが3ヶ月は長いな,,,
ARは管理画面に入れるのか?
字数制限とか個別に設定できたっけ、ちょっと自分のしたらば見てくるかな。。

629N:2009/09/21(月) 09:54:31
知らない間にしたらばの管理画面けっこう様変わりしてたな。。。
個別設定は、スレストと強制sageくらいか。
-----------------------------------------------------
スレタイ 
【参考資料スレ】感想・雑談・議論−可

テンプレ 
ここは各スレッドで語られていることに関する参考資料などを貼るスレッドです。
参考資料を読んでの感想・雑談・議論もここで行ってもらってもかまいません。
     
投稿・利用方法は各人の判断に任せますが、
著作権などの問題に関しては投稿者自身が責任をもってください。
個人サイトのURLに関しては各人で慎重に判断していただきたいと思います。 
問題があった場合、管理人が予告なく削除する場合があります。
------------------------------------------------------------
この「削除」に関する項が必要なために「ロイ」(削除権を持つ者)に
建てて欲しかったんだがな。
意見を待つ。

630N:2009/09/21(月) 09:58:19
スレタイがダサすぎると言う場合は代替案を必ず提出することw

631N(俺用メモ):2009/09/21(月) 10:52:55
再々修正 ,,, 「記憶」 タター>>571 AR >>592-594
 「感情」 タター>>579-580 >>621後段 AR>>625

632N(俺用メモ):2009/09/21(月) 11:00:58
どうなってんだ俺の頭。。。
感情 タター>>579-580 >>621後段 AR>>573 >>625

633タター:2009/09/21(月) 15:10:33
>>625

>>621で考えたのはその場で発散される種類の怒りだな。
内側で静かにため込まれていくタイプの怒りは含まれていない。

「持続的継続的怒り」に関して思い浮かぶ言葉は「圧」と「偏差」だ。
圧はNの言う「エネルギー」に同じ。
偏差は、怒りの存在によって裡なる何かが方向づけられる気がするので。


>スレタイ案
異論ナシw
一応、これもつけておいた方がいいかもしらん。
 ↓↓↓
★★★ 必 読 「この掲示板利用にあたって/管理人」 ★★★
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2470&amp;KEY=1040148566

634N:2009/09/21(月) 16:16:05
>>633最後。 そうか、それ要るな。㌧ 
あとロイ(AR)の意見を待ってゴーを決めるが、
その時、タターの翻訳は、タター自身で貼るか?
俺が貼ってもいいが。それと、現在保留中のtheoryの方は
英語部分を全部最初に貼った方がいいか? 
もう投下準備ができてるなら、無駄レスになるので貼らないが。
ヤノフに関しては、スレが建った後はタターにお任せ、でいいか?w

635N:2009/09/21(月) 16:16:38
>>633 前段
途中から読んでいるらしいARのために書いておくと、
「怒り・暴力の根には無力感・無能力感がある」
というロロ・メイの洞察も、怒りについて考える時、落とせない部分だ。

>>621でタターが触れた「破損を防ぐ」も、怒りについて考える時、
それが防御反応のひとつである、ということを押さえておく点で大事だ。
そして、
内部の奥でマグマのように活動している瞋りの持続が
たとえば言葉・思考・行動の方向づけをしている可能性は
おおいにある気がする。再構築の方向は、
内的に持続する怒りをもっているかいないかで
かなり異なってくるのかもしれない。

直感的に言うと、それはものの表面ではなく、ものの奥への指向性、
本質への指向性というものと関係しているかもしれない。
外へ行動として表れない瞋りのエネルギー(圧)が
「世界の理解」へ向かうときには、
表面的な世界を切り裂くような攻撃性 となって
思考の方向付けをする可能性をもつ、というようなことだが。 
(↑これは今思いついたので今後ブレるかもしれない。
 というより、今やっていることは全部、絵で言うと
 キャンバスのあちこちに「あたり」をつけてる、という段階だから、
 何度もなぞるうち今後、形が変わる可能性を常にもっている)

636N:2009/09/21(月) 16:24:12
無力感・無能力感は、以前やった「地雷」の問題にも応用できる。
地雷は、その人の無力感・無能力感を刺激した時に、破裂する。
というように。

637タター:2009/09/22(火) 00:38:49
>>634
ええい、ちくしょう。
くそったれロイの予想通り、ヤノフについては俺がやるよ!
時間は掛かるぞ。
とてもじゃないが、即座に全部投下するなんてできねえからな!

だから、Nよ。
せめて今までの分はおまえさんが貼ってくれ……(泣き言

638N:2009/09/22(火) 17:21:09
>>637 合点承知之助。(笑
改行は、叢_2の無断転載のでいいか? 
あと、>>605>>606はひとつのレスにまとめてもいいか?
注文するなら今の内だぞw 
コピペなんぞたいした手間じゃないから遠慮無用だ。

スレタイ 【分館】 参考資料スレ 【感想・雑談・議論-可】
てのも考えたが、ちょっと長いか。。たいしてかわんねーしw

639タター:2009/09/23(水) 11:07:56
>>638
ん。あの転載は読みやすかったんでアレで頼むw 
>>605>>606のレスをまとめるのも桶。
Nがいいと思う形で貼ってくれ。
丸投げでスマンw 俺は地道に訳してるよww

>新スレタイ案
悪くないw こっちでもいいんじゃないか?

640N:2009/09/23(水) 12:33:47
>俺は地道に
ファイトっ と言わざるを得ない・・・w 

「痛み」のところで、どんなに語順をいじりまわし、推理しても
まったく意味の通じる日本語にできず挫折した箇所があるんで
あれがどうだったのか、と個人的に興味津々

641ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/23(水) 14:45:54
>>637
勝った(笑)


対人関係に於いて、私の未来予想があたるケースは非常に珍しい。

642N:2009/09/23(水) 14:56:58
>>641
こりゃロイ! 喜んどらんと>>629のテンプレに意見言えw

643ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/23(水) 14:57:22
>>629
各人、慎重な判断を のくだりがとてもよい。
そして削除に関しての一文も入れてもらって構わない。

ただ、現実的な問題が一つある。
私(及びAR他)には、現在実質的な管理能力が大きく欠けている。
・定期的に監察することが難しい
・削除依頼に気づきにくい

そのため、問題箇所の削除の必要が生じた場合には
参加者各位に協力してもらいたい。
・メールではなく、スレッド上で削除依頼、もしくは削除の必要性を表明する
(管理人宛のメールは常にスパムメールに紛れている。
 メールアドレス変更を考えもしたが、おそらく日を待たず同じ状況となるだろう)


>>619
今更の疑問提示で申し訳ないが
私が過去何かを君たちに要望したのだろうか?
無責任ながら記憶が薄く、
君が何をさしているのかいまいちつかめないでいる。

644ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/23(水) 15:04:15
>>638
水を差すつもりはないが、疑問提示として
【感想・雑談・議論-可】 にする必要があるのかね?

長文、連投可の議論、雑談の場は既にここ在るように思うが
更に参考資料の内容に沿った話のみを語る場が必要ということか?

というのも、雑談・議論・質問スレとこことの違いは
まあわかるので2つ在ることにも意義があると思うのだが
新しく作られる、参考資料スレとここは内容が
被ってきはしないかという懸念を抱いている。

体験スレに関する感想等があちらこちらに分散したことで
後々見返そうとした場合に、その感想の一つ一つが
体験スレNo?の何番めのレスに対するものなのか?ということが
非常にわかりにくくなって困っている現状があるのだが
今回もその同じ轍を踏んでしまいはしないかね?
個人的には資料スレは資料のみにしておいて
議論等を進める時は雑談スレで、引用スレとレス番を提示した上で
とした方が、すっきりしていて見返しやすいように思うのだがどうだろうか。




ちなみにARも管理画面に入ることはできる。

645N:2009/09/23(水) 15:04:15
>>643
>ロイの要望
は、ロイ(AR)の>>584を指す
このあたり俺はあまりロイ(総体)の中を区別してないのであしからず
ということで。

646ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/23(水) 15:06:17
>>645
了解。理解した。

647N:2009/09/23(水) 15:12:03
>>644
>【感想・雑談・議論-可】 にする必要があるのかね?
これは、
今のこのスレの流れだと、非常に「入り込んでる」俺とタターの中に割り込んで
レスするのに気後れをもつ人がいるんじゃないか、という危惧をもっているので、
そういう人でも、
気軽に資料提示した内容にコメントできる場「としても」活用できるようにしたほうが
いい気がしたのだ。

いうなれば、読むロイのためではなく、
書く方の名無しに配慮してみたわけ。
余計なお世話なのかもしれないが。

それに、資料に関するやりとりなら
そのスレの中でやっても、レス番指定だけで済むから
さほど読む困難は生じないんじゃないかな。
(実際になってみないとわからないが)

648N:2009/09/23(水) 15:29:20
>>643
そうすると、
たとえばなんらかの権利者がクレームを申し立てる際も
スレッド上にするようにテンプレへつけ加えた方がいいのだろうか?

>>629のテンプレの《註》としてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

現在、管理人さんは

・定期的に監察することが難しい
・削除依頼に気づきにくい
(管理人宛のメールは常にスパムメールに紛れている。
 メールアドレス変更を考えもしたが、おそらく日を待たず同じ状況となるだろう)

という状態にあるため、

「問題箇所の削除の必要が生じた場合には
できれば、メールではなく、スレッド上で削除依頼、
もしくは削除の必要性を表明するようお願いいたします。
なお、正規の権利者であることの証明を
管理人さんとのメールが開通した時に必ずお願いいたします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    ↑
いるかな。。 通常の削除なら、今まで通り、
スレッド上での表明でもいいという気がするが、
正規のクレームはどうなんだろう。このへんはちょっと、
俺には経験がないので、判断しかねる。
これも、ぜひ、スレッドを立てる前にロイの考えを聞いておきたい。

649N:2009/09/23(水) 16:03:26
テンプレ修正試案
------------------
スレタイ 
【分館】 参考資料スレ

テンプレ 
ここは各スレッドで語られていることに関する参考資料などを貼るスレッドです。
参考資料を読んでの感想・雑談・議論もここで行ってもらってかまいません。
ただし各スレで行われている議論とクロスする場合はできるだけ
当該スレでお願いします。
(これは議論の被りや混乱を回避するために必要です)
     
投稿・利用方法は各人の判断に任せますが、
著作権などの問題に関しては投稿者自身が責任をもってください。
個人サイトのURLに関しては各人で慎重に判断していただきたいと思います。 
問題があった場合、管理人が予告なく削除する場合があります。

なお、現在(2009年9月)管理人さんは、
『・定期的に監察することが難しい ・削除依頼に気づきにくい
(管理人宛のメールは常にスパムメールに紛れている。
 メールアドレス変更してもおそらく日を待たず同じ状況となる)』
という状態にあるため、
問題箇所の削除の必要が生じた場合には
できれば、メールではなく、スレッド上で削除依頼、
もしくは削除の必要性を表明するようお願いいたします。

なお、権利者からのクレームの場合、
管理人さんとのメールが開通した時に、
必ず正規の権利者であることの証明をお願いいたします。
--------------------------------------------------------

650N:2009/09/23(水) 16:07:53
最後のへんは、ロイに負担をかけすぎかな?
いわずもがなな気がしないでもないので、不要かもしれない。

651N:2009/09/23(水) 16:41:14
しまった。これを忘れてた↓  最後の部分に追加。
----------------------------------------------------------
★★★ 必 読 「この掲示板利用にあたって/管理人」 ★★★
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2470&amp;KEY=1040148566
--------------------------------------------------------

652タター:2009/09/23(水) 19:07:00
>>649 テンプレ案
乙w これで良さそうに思う。
「なお、権利者からのクレームの場合〜」から始まる
最後の一節はたしかに言わずもがな、かもしれんw


それはさておき、昨夜、知り合いに赤ん坊が生まれた。
目下、文字通り生まれたてのほやほや状態だ。
で、そこの新米母さんによると、赤ん坊は
もう、泣くわ泣くわで、何故そんなに泣くの!?
――というくらい泣いて、泣き疲れて眠ってたりしてたそうだw

赤ん坊の泣きってのは(特に生まれたての新生児の泣きは)
空腹やおむつだけでない何か、まさに
Nの言う「存在の主張」があるのかもな。

このスレのテーマとも相まって非常に興味深かったよ。

653N:2009/09/23(水) 19:58:08
>>652
おっと、寝る前にチェックしたらw

最後の部分は一種の牽制だが、確かに不要かな・・・

>知り合いに赤ん坊
そういう話を聞くと、まだ笑いも怒りも知らない人間(赤ん坊)が
ひたすら泣くというのは本当に根源的な何かだと改めて思わされるな。
母親はたいへんだろうがw

一時流行ったスポック博士の育児法というのは、泣いても放置し続けて
泣いても無駄だと赤ん坊にわからせることで、赤ん坊は泣かなくなる
というものだったらしいが、かなり問題視されて廃ったようだ
埴谷雄高の「死霊」じゃあるまいし、他者との接触の中で泣き止むというのも
何かだと俺は思うね。最初のうちのスキンシップがないと、
母親は子どもに愛情がもちにくくなる、という説もあるし、
あやすのは赤ん坊だけじゃなく母親にとっても大事な亊らしい。
そうやってるうちに、母親のほうも精神的に頑丈になっていって、
立派な“おばはん”になっていくんじゃないかねww

さて、赤ん坊の泣き方の見分けがどうつくようになるのか、
その新米母さんの話は続きが楽しみだ。
なかなかにいいタイミングじゃないかw 
その部分のキャンバスは白地で残しておくよw

654ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/24(木) 23:41:24
おうおうNや、苦労をかけてすまないねぇ。
アタシがこんな体なばっかりにゲホゲホゲホ。

というわけでテンプレもスレ立てもお任せするんで
好きなように運営してちょーだい。
でも>>649下3行はやっぱ言わずもがなかもなw

で、全く解決してこない俺(たち)の管理上の問題についてだが
Nとタターに俺の、比較的目に止まりやすいメアドを伝えとくんで
お二方がもしスレ上で削除依頼に気づいたら一報くれるってどうよ?
ここで公開しちまうとまたスパムに埋もれるに違いないんで
そっちから先にフリメか何か捨てアド晒してもらう必要があるけど。

Nが自分のシタラバ持ってるんならそっちに
分館作ってもらうってのもありだとは思うけどな。

655ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/24(木) 23:43:22
>>654
↑おもいっきり管理責任逃れな発言で申し訳ないんだけど
実際、まともな管理ができる自信がないんだわ。

本来はここまで能力が落ちてたらここconquestも
休止なり閉鎖なりしておくのが筋な気もしてるんだが
過疎ってるせいか、居残り住人の気質のせいか
今までさしたる問題が起きたことがないんで
惰性と必要と+αのために残させてもらってるようなもんだ。

656ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/24(木) 23:45:29
ところで「赤ん坊の初期の泣き」については
ただ単に単純に住環境が 水→大気 に変わったことの
ショックによるものとか、適応までの不安によるもの
なんて説もあった気がするな。
呼吸方法獲得のためなんてのもあったかな。

どこかで聞きかじったものだと思うが
ソースはものの見事に忘れた。

657タター:2009/09/25(金) 03:40:19
>>654
了解w とりあえず目欄にフリメを入れといた。
そっちにメアドを送ってくれ>ロイ◆yOHf648Wc

>>655
ここが閉鎖されたら寂しく思うヤツは多いだろうよ、俺も含めてw
とりあえず管理の方はロイ◆yOHf648Wcにあまり負担のない方法を
探りながらでいいんじゃないか? 俺に出来る協力ならするよ。

658タター:2009/09/25(金) 03:43:30
>>656
なるほど。新生児にとっては環境が激変するんだもんな。
ところで……

>どこかで聞きかじったものだと思うが
>ソースはものの見事に忘れた。

上記一文に心の底から共感を覚えた。
あんたも立派なニワトリ族だw

659N:2009/09/25(金) 19:29:10
【分館】 参考資料スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1253872820/

660N:2009/09/25(金) 19:46:11
>>654 俺のしたらばは特定の人物と年に数レスだけのやりとりをしてる板で
個人情報が多いので公開はできない。
ハイリスクな資料掲載はもうkusamuraフォーラムでやってるぞw
あのフォーラムに
「俺の、比較的目に止まりやすいメアド」でユーザー登録してくれれば
あんたのメアドは判る。つか、以前野暮用でメルした時のアドは変えてないぞ。
ま、でも一応、捨てアド作りが趣味なんで目欄w

661N:2009/09/25(金) 20:00:54
>>653 訂正。
今日、図書館で借りた本(「人はなぜ泣き、泣き止むのか」トム・ルッツ)を
流し読みしてたら、スポック博士の育児書は、
「甘やかす」ことの重要性「も」説いてるらしい。
あるサイトの解説を鵜呑みにして>>653のスポック部分を書いたが、
鵜呑みはやはりいかんな。訂正する。

>>654
それは一種の常識だからソースはいらんよw
叢2の「泣くこと」という記事 ://mb1.net4u.org/bbs/kusa_mura/article/id8
にそういうことに触れたサイトURLの覚え書きを載せてある。
気になるなら、いっぺん見てみ。
(そこに貼ったサイトの中のいくつかの管理者にずいぶん前に
 URL掲載の許可を求めたが返事が来ないんでこういう形で)

>>タター  あとは任せたww

662N:2009/09/25(金) 20:04:10
ちなみに借りた本の翻訳者は別宮だが、確かに読みやすいw

663N:2009/09/25(金) 20:31:26
>>661の > 654 は >>656 のまちがい,,,,

664N 【子ども】:2009/09/26(土) 17:54:28
明石家さんまが子どもと仲良くなるコツとして
「それ何?」と聞くこと、と言っていた。確かにそうなんだろう。

子どもの世界は小さい。
小さな自分の世界の外はまだ充分に理解できない。

そして子どもはその小さな世界に全身で没入している。

子どもはまだ経験が少ない。過去の経験も、
子どもにとっては過去ではなく常に現在として感じられている。
過去を詰めておく袋を子どもはまだ持ってない。

数週間部屋に放置された子どもたちが
ようやく部屋に戻ってきた母親に駆け寄るという事件があった。
子どもは人を恨めない。恨むためには
体験が「過去」として袋に入っている必要があるから。

665N:2009/09/26(土) 20:52:07
恨みの対象は
過去袋に収まりきらず現在と繋がってしまう部分だな、きっと。

666タター:2009/09/26(土) 21:44:16
>>661
スレ立て乙。

ちと仕事が忙しい時期に入ってきたので
あとは気長〜〜〜〜っに待ってくれw

667N:2009/09/27(日) 16:50:59
>>666 気長は得意w マイペース厳守でタノム。
ところでもうフリメ消していいんじゃ?
さて吉本の引用をどこに貼るか
吉本は著作権放棄宣言しててノーリスクなんで
選択枝多すぎて困り中w

668タター:2009/09/27(日) 22:36:58
うむ。うっかりは忘れることの次に得意なのだw>フリメ消し忘れ
選択肢が多すぎるというのも贅沢な悩みだなw

669ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/10/05(月) 17:19:31
>>661>>666
遅くなってしまい申し訳ない。
メールチェックをよろしく。

670タター:2009/10/05(月) 21:28:46
>>669
了解。

>>667
>マイペース厳守
目下、仕事がマジモンで切羽詰まってるため
その言葉に全面的に甘えさせてもらう。スマンw

671ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/10/06(火) 08:24:08
もう1人、上記話題とは関係ないが心当たりの方、
返信したのでチェックをよろしく。
こちらも遅くなってしまい申し訳ない。反省している。

672タター:2009/10/12(月) 20:00:37
仕事がようやく一段落したぞぅ(喜
だがヤノフはあれから1行たりとも訳していない。
『意識と抑制』の項でとまったままだ。
ごっつい遅くなるぞ、と胸を張って宣言しておくw

なので、ヤノフとは無関係なレスを少々。

>>635
>直感的に言うと…(略)…形が変わる可能性を常にもっている

実を言うと、この最後の一節がごっつい気になってる。
気になってるんだが、何が気になるのかわからんw
たぶん、だが、これはNの深いところから出てきた「直感的」な言い方なんだ。
これを掘っていくとNのマグマに、かすかに、だが
生な形で触れられそうな気がするんだが、どうだろう?

673タター:2009/10/12(月) 20:01:35
>>652続き
ちょっとロマンチックな光景を考えた。

新生児が泣く。ひたすら泣く。
私はここだ。
私はここだ、と。

母親が抱き上げる。
肌が触れる。
乳をやる。
おまえはそこにいるな。
おまえはそこにいるな。
おまえはそこにいるな、と。

そうやって、言葉にならない
「ここだ」と「そこにいるな」を無数に繰り返して
人間は人間になっていくのかもしれないな。

674N:2009/10/18(日) 00:31:04
>>669
半月ほど部屋を留守にしてた。
遅くなったが今メールチェック。
こんなテンポだと役に立たんかもしれんがにww

>>タター
俺もマイペースを厳守するぞ!
吉本引用とかまだ迷ったりしたりするぞ!

675N:2009/10/18(日) 00:52:44
>>673
半月ほど末期ガン患者の家に滞在していたんだが
その夫婦に聞いたところ、
ダンナは赤ん坊の泣き声の区別がつかんかったそうだ。
奥さんはだいたい判ったらしい。
しかし他の赤ん坊になるとやはり判らなかったらしい。

赤ん坊の泣き声は、長いあいだ一緒にいる人間にだけ通じるようだ。
密に接している相手との間でだけ成り立つコミュニケーション。
多くの人間に通じる言葉ではなく、
特定の相手にだけ通じる言葉以前の言葉。
いや、それを言葉と呼ぶべきなのか、俺にはまだわからない。

ところで其の家には、老描が居た。
猫は尻尾や姿勢や鳴き声や、全身を使って、何かを伝える。
そして、一般的に云われているしっぽ表現も、
実際には、個々の猫によって微妙に違うらしい。

猫と子ども。 なんか共通点がある気がする。
もちろん分かれ目もあるはずだ。

676N:2009/10/18(日) 00:59:53
その家で
フーコーの「言葉と物」をすこし読む機会があった。
最初の一週間くらいは眼が滑りまくってwほとんど内容が入ってこなかったが
なんども繰り返し眺めているうちに、すこし判るようになった。
その範囲でいくと、これはかなり凄い本だ。
一年間、貸してもらえることになったので、ちとがんばってみようかと思う。

とういう形になるか判らんが、
頭の悪いど素人なりの読解を試みてみようかも思ってみたりする。
日本語が使える中国サイトとか誰か知らんかに?w

677N:2009/10/20(火) 18:27:02
>>672
俺の思考の“よろめき方”とか“癖”みたいなものはでてくると思うが
生のマグマ には行き当たらないと思う。
キャンバスに絵を描いた経験者なら誰でも思い当たると思うが
最初のころ、描写対象をキャンバスで再構成したりイメージを具現化したりするときには
最初の“当たり”一発でするするとできあがっていくことはまずない。
何度もくりかえし対象とキャンバスを見比べるなり、己のイメージを探るなりしながら
試行錯誤を繰り返してじょじょに形にしていくんだと思う。
慣れてくればするすると行く場合もあるが、初めての試みをする場合には
また初心者同様の右往左往をすることになるw

678N:2009/10/20(火) 18:43:53
>>673
私はここだ、
おまえはここにいるな

この発信・応答は
胎内では文字通りひとつの皮膚の中で一体だったのに
生誕によって別れ別れになることからくるのかもしれないな
という考えが
そのイメージをなんどか繰り返し読んでいるうちに浮かんだ。
こういうのを吉本は「内コミュニケーション」と呼んでいる。
言葉が介在しない原初のコミュニケーションで
「愛」の基本だ、と。
それに対し、言葉を介在するコミュケーションを
「外コミュニケーション」と呼び、こちらは母子愛ではなく
異性愛(同性愛も含めて)の基本になる、と吉本は書いていた。

---------------------------------------
ところで、いまごろ、半月他県滞在してた疲れがでてきたw
遅れて疲れがでてくるのは齢のせいだなww
溜まっている読書も含め、すこし次の書き込みまで時間を置くかもだが
マイペースでいかせてもらうよ。
(一応、中国のブログがひとつ作れた。設定とかさっぱり判らんがw)

679タター:2009/10/23(金) 01:31:33
>>675
猫は一緒に暮らしはじめて十年を過ぎた頃から
いい具合にこなれてくる……というのが俺の持論だw

猫の目線や動作、鳴き声の微妙な変化で
互いに互いの要求が自然にわかるようになる。
鳴き声なんぞは「言葉」に近いニュアンスを含む、
というか、人間側が読みとれるようになる。

はてさて。猫と子供、分かれ目はどこなんだろうなw

680タター:2009/10/23(金) 01:37:20
>>677
>俺の思考の“よろめき方”とか“癖”みたいなものはでてくると思うが
>生のマグマ には行き当たらないと思う。

そうなのか。
なんかあの一節が妙に生な感覚がしたんだが、
絵画的に「あたり」をつけてるだけだったのかな。

整理されてない、直感的な表現は、
内なる「何か」から出てくわけでもないのか?

681N:2009/11/05(木) 21:34:40
>>679
博多で半月つきあった老描が、ある時、
玄関で力仕事をしている俺の近くにきて横向きに寝そべった。
猫の顔に拳を近づけてみると、
「シャー」とそれまで聞いたことのない威嚇の声をあげた。
だが、その場を動いて逃げるわけではなかった。
拳をもっと近づけてみると、両手でその拳を掴んで咬んできた、
ただし本気ではない半端な噛みだった。(それでも跡が残ったが)

また拳を近づけてみると、やはり同じだ。威嚇の声を上げるが逃げ出しはしないし
腹ばいになって拳を両手で掴み咬んでくる。(その老描は初日ずっと隠れてた)
その時、俺はヤツと仲良くなった気がした。
家の中を歩いていても、彼が俺の足に頭をぶつけてくるいきおいが強くなっていた。

しかしその後、帰るまでの一週間近く、そういう接近二度となかった。

猫にはかなり詳しそうなタターよ。
この老描の行動を説明できるかな?
博多から帰ってきても、やたら猫のことばかり思い出すのだw

682N:2009/11/05(木) 21:40:36
それと、内的コミュニケーションに関する「母型論」の数章を写し取った。
(割と精度の高いOCRフリーソフトを見つけたので)
BMP、word文書、PDF、一太郎文書で保存した。
(ただし、word、一太郎はイメージ枠なので、そのままではワードパッドでは読めない)
どこか適当なところにUPしようかと思うんだが、どの形式がいい?

683N:2009/11/09(月) 23:13:47
>>680
>>635の「直感的・・・」以下は
確かに直感的なものいいだが、それは理路がうまくついてない
という意味であって、生ではない。
かなり、脳内を右往左往した結果の考えだ。
あたり、をつけているというのは確かに
あまり上等な比喩ではなかったかもしれない。

「内なる何か」から出てきていることには違いない。
だか、それを対象化しようとする努力の過程でもあるので
直接的な言葉化とはすこし違うように自分では思う。
そういうことは、絵や詩(?)という形でやっているのだと思う。
むきだしの「表現」というやつは。

684N:2009/11/09(月) 23:21:11
だが、最近は直接的に人に向かって怒鳴ることが増えた。
おそらく齢を取ることで無力感が増大しているのだ。
齢をとって穏やかになるのは、なんらかの権力を手にした奴だけ
という気がしないでもないが、
いずれにせよ老いるということは、肉体的に以前より無力感・無能力感が増大することは
共通じゃないかと思う。無力感が増せば怒りっぽくなる。

685N:2009/11/09(月) 23:23:13
叫びと言葉
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1253872820/12-13

686タター:2009/12/01(火) 01:45:29
議論用長文スレで誠に失礼ながら、近況報告めいたレスをお許し願いたい。

本日、家族と猫が癌だと判明した。
共に余命3ヶ月、食事がとれなくなって癌だと判明した点も同じだ。
一人と一匹の病状はシンクロする所が多く、考えさせられる点もまた多い。

家族も猫も、困ったことにとても愛しいのだ。
愛しいだけなら良いが、愛しいと失うのが惜しくなる。
だが――と思う。
家族も猫も自分自身も、いつかは失われる生命を生きている。
ならば
失われるものを惜しむのではなく
失われるものを失われゆくままに愛おしむことはできぬものか、と。

それが、これから3ヶ月、俺のチャレンジになる。


追記:
なかなかレス出来なくなると思うが気長に待ってくれ。翻訳もな。
忘れてるワケじゃないんだw>N

687N:2009/12/01(火) 03:43:57
>>686
了解した。
何か、書きたくなったら、自由にここに、
あるいは噴き出しに書けばいい。
そういう空間があることは微かではあるがなんらかの救いだ。
(たとえ、書き込みしなくても)

(そして、個人的にそういう空間を可能にしたロイには感謝しておきたい)

688N:2009/12/01(火) 03:44:19
追記も了解。

689タター:2009/12/01(火) 04:26:59
>>687
うん。「そういう空間」の存在はそれだけで心を和らげてくれるな。
あんたのレスもだ、N。


ロイよ、おまえさんのつくった空間は思わぬところで人を(俺を)救ってるぞ。
感謝する。

690ロイ ◆yOHf648Wc.:2010/01/16(土) 07:26:57
タターはどうしているだろうか。
心穏やかに・・・というのは到底無理なことだろうが
君の厳しいであろう日々の中に
多少なりと安らぎを感じられる瞬間のあることを祈っている。

個人的に呟きたいことができればいつなりと書きにくればよい。
私は私で君たちに感謝している。

691zebla:2010/01/16(土) 15:16:14
>690
ロイよ、祈られるのは心地よいものだと知った。
不思議だな。心が穏やかになる。

俺は緊張と柔らかさがない交ぜになった日々を送っているよ。
家族は病院を退院し、自宅でのターミナルケアに入った。
愛猫は昨年末に逝った。12月29日だった。
患いついた家族と後になり先になり、病を戦ってきた猫は
俺に多くの貴重なことを教えていってくれた。

見送る前に自分に出来る限りことをすること
――どうやら、それが見送った後己の心を和らげてくれる要らしい。

ロイが祈ってくれた安らぎは、今、この瞬間も心のどこかにある。
愛する家族の最後の時が近づきつつあるのを感じながらも、
あるいは、それゆえに。

ありがとう。この空間とあんたの祈りに感謝する。

692タター:2010/01/16(土) 15:18:31
しまった。久しぶりに書き込んだらsageと名前欄をめっきり忘れたw

>691 は俺だ。 だからjane doを……w(ry

693N:2010/01/20(水) 01:37:06
ぽっかりと春のように流れる時間があり、
嵐のような強風に千々に乱れる時間があり、
俺の経験した看取りはそういう風だった。

自宅ではなく病院でチューブだらけになってのそれであったし
告知なしでいったから、話しにも距離が生まれ
時にはそらぞらしさが入り交じり。数十年経った今も何か複雑な思いが残っている。
思い起こせば、あの時の俺は人の祈りを受け容れることなどできなかった。
おそらく今でもそうだ。
タターが学んだ「多くの貴重なこと」が言葉になるものなら
知りたいと思う。
あぁ、もちろん今じゃない。
それが数年経っても「言葉にならない無形の何か」であるなら あきらめるw。

ただ、時々タターの言葉に飢えることがある男もこの空間にいることだけ
一応伝えておきたい。

694N:2010/01/20(水) 02:23:23
いま急にだが、最後の部分には「w」をつけ加えて置きたくなったw 
よろしくw

695タター:2010/01/21(木) 06:58:51
2010年1月29日朝7時半。
ほぼ24時間前、愛する家族を見送った。

いま、俺は満たされて
同時に
どこかふわふわとしている。

俺がこうしたかったと望んだ、ほぼそのままの看取りができた。
静謐で、穏やかな、よい死だった。

家族が重度の中途障害者となった時から
俺が見つめ続けてきたその一点は
成就され、
果たされた。

喪失感はなく
家族は今でも近くにいると感じる。

満たされた、けれど、どこかふわふわと非現実的で
いつまでも逝った人の存在を感じながら
こうしてただ座っていたいような
不思議に軽やかな心地よさと
軽い疲労に似た虚ろさがある。

今、死は生の傍らに寄り添う、好ましい伴侶となった。
これを寿ぐべき、感嘆の言葉を俺はまだ見つけていない。
全てを肯定する――死をも苦痛をも含めて肯定し、寿ぐ言葉があればよいのに。


ああ


あいしている


が、一番近いかもしれない。
また、何かを書くよ。きっと、たぶん近いうちに>N

696タター:2010/01/21(木) 07:08:53
落ち着いているつもりで
きっと うろ が来ているのだな。

家族が亡くなったのは2010年1月20日――昨日――だ。

あと9日、一緒にいられたら、と一瞬空想してしまったよw
でも、昨日朝は死ぬにはもってこいの穏やかな日和だった。

うん、これでいい。

697N:2010/01/21(木) 18:45:48
遠くから合掌させてもらいます。 安らかならんことを。

698N:2010/01/21(木) 18:59:40
御霊の安らかならんことを。

699HRK ◆l/an/smhrk:2010/01/21(木) 21:28:52
ご冥福を祈らせていただきます。

700N:2010/01/26(火) 00:41:03
自分の場合 喪失感はずいぶんあとから来たな、
あいしてる、なんて絶対言えないし言う気もない相手だったにもかかわらず。
今も生きているという想定の夢を見てしまう。 そして目覚めて混乱し
やがて、もういない事を改めて確認する、実感する、そんな感じだった、自分の場合。

もうひとつ思い出した。通夜、葬式のとき、その宗派信者の慣用的な言い回しがあった。
「お疲れのでませぬように」 
それはこちらの心に入り込み過ぎず、離れすぎもせず、適度な距離感のある言葉で
いろんな声かけもされたが全部忘れて、その定型的な言葉だけが頭に残ってる。

>>今、死は生の傍らに寄り添う、好ましい伴侶となった。

これは、すごいことだな、きっと。 
現象的には同じような看取りでも、その関係によってこんなにも違うのか。。
呆然と仰ぎ見るしかできない言葉だ。。

また、気持が落ち着いて、ここを覗いて、なにか書く気になったら書いてくれ。
いつだっていいさ。 半年後でも、一年後でも 数年後でも

701N:2010/02/13(土) 15:14:02
意識とはなにか?

科学はまだほとんど答えをだしていない。
とすれば、現在ど素人にできることは、
たとえ思弁に過ぎなくても
たとえすこしづつでも、「考える」ことしかない

まったく見当もつかないが、
それも新しく疑問のひとつにしていきたい

702zebla:2010/02/13(土) 18:00:12
社会ど同性愛 支配階級ど同性愛もしくは小児性愛
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1265955749/

703N:2010/02/14(日) 17:34:23
泣くことは一種の呼吸障害だ。
言葉を話すというのも
呼吸を不自然にゆがめなければならない。

だから人は泣くことによって言葉を獲得する準備ができる。

泣くことが、言葉の始まりだ。

704N:2010/02/25(木) 00:56:05
感情の発生と、内臓 (食道-肺,食道−胃腸−肛門)、
いわゆる植物神経系と、密接に繋がっているにちがいない。

動物神経系 (体壁・筋肉)は、
感情の処理の側じゃなからろうか。   

(かなり、自信なし。)

705zebla:2010/02/25(木) 00:59:23
意識は「ひとつ」の時間の流れだが、
その流れに注ぐ「もと」は、外界・内界の
多数の場所から、入り込んできている。

706705もN:2010/02/25(木) 01:00:52
コテハン記憶にチェックを入れるの忘れてた。。

707N:2010/03/06(土) 13:06:45
ちょっとづつやっていく。
「母型論(5章まで)」
http://bb2.atbb.jp/kusamura/viewforum.php?f=4

708N:2010/03/14(日) 17:47:09
NHK教育テレビ
ETV特集・選
「吉本隆明 語る〜沈黙から芸術まで〜」
2010年3月14日(日)
午後10時00分〜11 時30分

709N(えぬ)(エヌ):2010/03/15(月) 00:11:29
改名検討中 ローマ字→ひらがなorカタカナ

710タター:2010/03/17(水) 08:54:55
>>697〜699
お心遣い、ありがとうございます。
言葉にされた思いも、言葉にされなかった思いも含めて
皆様のお心遣いに感謝します。

……ということで今浦島ですw
遅ればせながら感謝の言葉とレスを少し。

>>693
>タターが学んだ「多くの貴重なこと」が言葉になるものなら
知りたいと思う。

えーとな、俺のクセでもある同義反復になるんだが、一言で言うと

 命は生きようとする

だ。それと抱き合わせで(家族の死を経過して)

 命は終わりの時を迎える

もある。もうちょっと付け足して言うと

 命は終わるべき時には終わる

だな。

 命は終わりの時を知っている

でもいい。

「人間」とか「生き物」ではなくて
「命」としか言い様のない何かにしっかりと触れた感触があった。

ちなみに「命」は「熱」だった、俺にとって。

壮絶な有様になって、それでも生きていた猫の放つ熱と
死んだ家族から綺麗に引いていった熱と。
どちらも心と身体に深く刻み込まれた。

また、ゆっくりレスするよ>N
とりあえず生存報告だ。

あと、すっげーどうでもいい(かもしれない)ことに食いつくが
>>709 改名の理由はなんだ?

711N (えぬ, エヌ):2010/03/17(水) 18:57:11
>>710 名前ぽいかとw ま、併用ということで。  メモ_「命は熱」

712タター:2010/03/17(水) 20:32:09
>711 ナルホドw 
髪を切る女心のように、なんぞ深い心の動きがあったのかとちょい期待したw

>693
>ぽっかりと春のように流れる時間があり、
>嵐のような強風に千々に乱れる時間があり、
>俺の経験した看取りはそういう風だった。

この一節が心に染みた。うん。本当にそうだったのだろうな、と。

>700
>自分の場合 喪失感はずいぶんあとから来たな

喪失感は未だ来ない。
家族の存在は生前と変わらずに「ある」と感じる。
ただ、恋しい。そして、ひたひたと悲しく、寂しい。

そう言えば、ずいぶん泣く練習をしたよ。
少しは上手く泣けるようになったぞ、今w

713N (えぬ, エヌ):2010/03/17(水) 21:45:54
>>712 >本当にそうだったのだろうな、と
ずいぶん昔の話だよw
病室でベッドの下から取り出せるつきそい用マットに横になり
雲仙普賢岳のニュースが流れるテレビをぼんやり二人で眺めていた。
思い出せる春はそういう感じ。
あとは排泄物の後始末とか全身を拭くとか、そんなことを
老母と交代で病院に泊まり込んでやってた。排便の跡を拭くために
自分の発生源wをつまんで除ける作業は微妙に抵抗感をおぼえたw

急変したのは深夜3時過ぎで
宿直医はインターンのガキみたいな若僧医者だけ、
担当医に電話してくれ、と頼んでも、時間が時間だからと
なかなか電話しようとしなかった。医学で治せない患者なんてそんな扱いだ。
医者は無力な自分を実感したくないのだよ。

>喪失感は未だ来ない。
数年とか10数年とかそういう単位だ。心配いらんw
最近は、精神的に圧迫されてた時の夢とか見て
起きて「うん、もういないんだ。大丈夫」とホッとしたりする。
このへんはタターの受け止め方とかなり違うだろうね。

そんな相手でも、「その時」俺は号泣した。
あれはなんだったんだろうか、と今でも思う。

しかし今でもうまくは泣けないw 

やはり練習第一かね(笑)

714N (えぬ, エヌ):2010/03/17(水) 21:59:19
そういえば、尿が止まり、計器が完全にフラットになって
臨終宣告が行われただいぶ後、
(6〜7分後だったか数十分後だったか記憶が定かではないんだが)
急に、シーツからがばっと上半身を起こし(たように感じた)、
ガハーという音をたてて大きく息を吸い、それからまた元に戻った。
なぜか病室にいる全員がそのことを無視した。

ナントカいう現象だと聞いことがあるが、そういうのあったか?
今でも謎だ、あれは。

715タター:2010/03/21(日) 05:20:15
>>713
>数年とか10数年とかそういう単位だ
うちは親父が割と若く亡くなったので、死んで20年ほど経つんだが、
実はいまだに喪失感が欠片も湧かないw
悪い意味ではなくて、なんというか、死んでても生きてても、
こちらの気持ちのポジションは全然変わらんなぁ、と。
直接言葉を交わせないのが違うだけで
生きてても死んでても俺はあの人が好きだわ、と。

それにしても、いないことにホッとしなきゃならんってのはキツいなあ。
それだけ強烈な圧迫感だったんだろうな。

>やはり練習第一かね
そう。何事も練習第一w 俺はマジに練習した。
1)完全に一人っきりになった時に
2)カニみたいな顔(わかるかな?)をして
3)なるべくガキ臭く、情けない声で
「やだ」と泣きわめく……ってのをやった。
アホみたいだが、やってみると結構いいぞw

>>714
>そういうのあったか?
いや。こちらはものすごく綺麗に息を引き取った。
なだらかに、自然に、死に向かって右肩下がりに収束していく、そんな死に方だ。
ちょうど眠くなった人間が、なんの邪魔もされずに自然に眠りに落ちるような。

朝のきれいな光の中でな。
誰にも邪魔されずに、息が消えるのを看取ったよ。
いい死だった。

716タター:2010/07/01(木) 03:45:59
おーい と呼びかけてみたくなる。
どうしてる? 元気かい? と。

スレ違いも甚だしいんだがね。

あんたの思考のマラソンが時々恋しくなるんだw>N

717ロイ ◆yOHf648Wc.:2010/07/02(金) 22:51:19
実は僕もちょっと待ってたりします。
Nさんとタターさんのやりとり見るのが好きなので。
(会話レベルが高すぎて僕入ってけないですけど・・・)

728zebla:2010/07/16(金) 23:51:11
感知能力、欺瞞、および美的感受性というものは、
動物がこの地球上に存在して以来、
5億4100万年以上にわたって進化してきた。
・・・・・・
われわれのごう慢さと人間中心主義とは裏腹に、
多くの実験と観察の結果は、
思考と感覚という過程は
ヒトだけに限られるものではないことを、
否応なくわれわれに実感させる。

感知能力とそれに刺激された行動は
生命---細菌という生命も含め---の共有物である。

まさに、あらゆる生命の本質は、
相互に作用し、感じ合うという現象の中にこそ、ある。





チャンスや成功といったものは、非常に神秘的なプロセスです。
もし、われわれが、経済を宇宙の計画の流れにそって運営すれば、
われわれは導かれるように同じことをしている人々と出会ってゆき、
突然、豊かな社会が私たちの目の前に現れてくるのです。




ジェームス・レッドフィールド 著 “第十の予言”

731zebla:2010/08/01(日) 00:08:30

申し訳ありませんでした・・・

732ロイ ◆yOHf648Wc.:2010/08/01(日) 22:15:22
>>731
もしかしてスレ連立の立役者か?
>>730とかのコピペ主?
別に謝らんでもいいが意図を説明してくれるとおもろい。
こういう掲示板初心者なんか?
注:別に怒っとらんぞ たいしたもんだいじゃねえ。

733zebla:2010/08/01(日) 22:48:29
お、オレも聞いてみたいw>意図

734N:2010/09/13(月) 19:06:01
なんか妙なことになってるな。。

>>716-717
マイペース厳守中 と解釈してもらえればありがたい。 
すくなくとも「元気」とはほど遠い。

現在の精神状態では、
書き直しができないところにはあまり書きたくない気持ちが強い。
それよりなによりネットに接続し、掲示板を読むということ自体
やっとさいきんまた できるようになった、というていたらくだ。


>思考のマラソン
俺の感じ方で言うと 考えると言うことはマラソンのイメージではなく
むしろ、疑問の前に「立ち止まり続ける」という感じだ。
立ちすくみ続ける、のほうが近いかもしれない。

さて、どうするか…
あとで消したくなる可能性のある文は
分けてレスしたほうがいいかもしれない、、

735N:2010/09/13(月) 19:15:48
答え(らしきもの)はたいてい天啓のように−思考の結果ではなく−
ふと落ちてくるようにして「ことば」化されてやってくる。
考えた末に方程式の答えのように導き出されるという事はほとんど経験がない。

立ち止まるというのと関係あるのかもしれないが、
風呂場とか、布団に横になっている時,のほうが、落ちてくることは多い。
たまに歩いている最中に何かが判った気になることもあるが、
その時にはたいてい判った気分にはなっても「ことば」化はしてない。


考えるということで落ちてくる答え(言葉)というのは常に「過程」的で、
結局人は常に「仮説」しか提出できないように思う。科学というのが面白いのは、
思考や論理ではなく行動(実験)によって「仮説」を証明し、
更に「再現性」によってその証明を社会化させる方法を確立したことだと思う。
だから、科学は常に興味深いが「物」が対象の時に限られている、と俺は思う。

社会科学というものを俺はほとんど信用しない。
実験も再現もできないからだ。
科学と言いたいなら「例外」があってはならない、というのは最低条件だ。
たった一例でも理論からはずれていることがあればその理論は失敗、
という厳しいスクリーニングのもとで理論は深刻な再検討を求められ、
場合によっては全否定され廃棄される。
だから信用され、マネーも動くし影響力(科学的”世界観”として)も持つ。
心理学にしろ経済学にしろ歴史学や進化論にしろ
それらは「学問」ではあっても「科学」ではない。
きつくいえば「疑似科学」にすぎない。たとえば疫学など擬似科学の典型だ。
WHOなど信用してはならん。あれは科学ではなく政治だ。

736N:2010/09/13(月) 19:16:47
ふむ。。
畏れていたとおり、とりとめのない文章になってしまったな。。

737N:2010/09/13(月) 19:22:05

泣く、と、怒る、ばかりにこだわっていたが、
やはり 笑う が抜けているのは重大な欠陥だ。

笑う とはなんだ。

筋肉をゆるめる、ということは、
野生生物にとっては不必要なことなのかもしれない。
猫より犬の方が悦びを素直にあらわすのは、
人間との共生の歴史の産物なのだろうかね。

738N:2010/09/13(月) 19:28:28
やはり、とりとめのない文章になってしまう。

出直してくる。

またここにくるのがいつになるかわからんが
(明日かもしれんし数年後かもしれん。
ここはdat落ちがないからすこし油断させてもらいたい。
しかし、名無しはけっこう経済にこだわっているようだ。
経済はもっとも俺の苦手な分野だ。主張や考えがあるならきちんと展開してみてほしい)

では。 丿

739タター:2010/09/15(水) 04:44:15
や、悪かった。マイペース厳守中に無粋な真似をしたな>N

>むしろ、疑問の前に「立ち止まり続ける」という感じだ。
>立ちすくみ続ける、のほうが近いかもしれない。

立ち続けるあんたの裡にはどんな色合いの風が吹いているのだろうか。

たまにはよそ見をしたり、反対方向に歩いてみるのもいいかもしれんよ。
天啓のように閃く「なにか」が落ちてくるためには。

740N:2010/09/15(水) 18:58:30
風か    風・・・

たぶんそういうものは吹いてないんだな
考えるというのは、俺にとっておそらく
切実な脱出口に近かったんだと思う。

圧迫的な精神的監獄というものがあるとするならば、
外が見えない岩盤の牢屋の中で唯ひとつの“自由”、
与えられたのではなく自分で発見した“自由”、それが
考える、ということだったのかもしれない。
情緒を断ち切るために。助けてくれと叫ぶ代わりに。
(そのへんは、まったく異なる環境・条件だったロイも同じだったんじゃないか
 と想像している。ひょっとしたら、そこに惹かれたのかもしれない。
 もちろんこれは俺の一方的で勝手な思い込みにすぎない)

もっと前進的で向日的な解決策というものはあったかもしれない。
しかし今回想しても他の選択肢というものがまるで思い浮かばない。
たとえば助けてくれと叫ぶこと、そんなことははなから思いつきの外だったし、
そういう手があるとその時、誰かが俺にアドバイスしたとしても
まったくできなかったろう。畏れとか気後れとか勇気の欠如とかではなく
単純に“できなかった” と思う。
(今のことを問われていることは理解しているが、
 俺にとって“考える”ということは少年期に深く根ざしているので
 どうしてもその時のことに傾くのだ)

しかしこれは、タターのいう
“風”というのを俺がうまく感受できてないだけかもしれないな。

たぶんそれは資質の違い、つまり脳の生育歴の違いだ。
そういう異なる角度があるからこそタターとの対話は面白い、ともいえる。

741N:2010/09/15(水) 19:29:38
こどもや少年や少女にとって、救いは切実だ。

そして、それぞれがそれぞれの資質(つまり脳の生育環境と生育歴)に沿って
救いの方法をそれぞれにあみ出すものだ。

それは遊びだったり、読書や空想であったり、時には暴力だったりするかもしれない。
時にはそれは“病気”であったりする場合もあることもアドラーという心理学本で知った。
あるいは、クスリであったり、性行為であったり、そして思想であったりする場合もあるわけだ。

そういえば最近ずっとプルーストを読んでいて、
彼の場合、それは散歩道でサンザシを眺めることだったらしい。
http://herbstopic.com/?p=225&amp;lang=ja


(またとりとめもなくなるがプルーストは面白い。
 いままで喰わず嫌いで読まなかったがこれほど面白いとは思ってなかった。
いづれkusamuraあたりで山ほどある彼の箴言をいくらかでも紹介できればと思っている。
文庫で13冊もあるからとうてい全部は無理だw
ちなみに彼は半分ユダヤの同性愛者だ。フーコーといいプルーストといい、
あるいは本邦の折口信夫といい、もっと遡れば、ソクラテス・プラトンなど優れた思索家に
同性愛者が多いのにはなにか理由があるはずだ)

ふむ。。
何を言いたかったか、忘れてしまったw 
でも、まぁせっかく画像まで検索したことだしこれも投稿しておこう。

742N:2010/09/15(水) 19:44:54
どうやら電池切れのようだ。。

>>739を読んで、もっと色んなことが思い浮かんでは
ちりぢりに乱れ、今はそれを拾い直して、枝葉を刈り取り、
ひとつの文脈に統一する気力がないのだ。悪いが。

断片的に記録しておくと。
風景詩人としてのタターとロイの違い、というのも思い浮かんだりした。
歩く詩人としてのロイ、と、道ばたなり神社の境内だったりで休憩しながら
風や空気を味わうタターの、詩的資質の違いと
にも関わらず風景詩人であることの共通性。 
(まぁ、これも、そこまでで途切れた思考のひとつとして書いておこう)

あぁ、そうだ。
呼びかけは嬉しかったのだ。忘れ去られて放置されるよりはるかにいい。
(以前はそれでも平気だったんだがね…)
これがリアルだとうっとうしくてたまらないのに
掲示板という不思議な距離では逆にありがたかったりする。面白いものだ。
ただこちらからは、以前のように、
日にちをおかずに反応する、ということができない、
それだけ承知しておいてもらえれば助かる。無粋はおおいにけっこう。
では。

743タター:2010/09/16(木) 04:58:45
>>740
ふむ。そう言えば俺は「ものを考える」ことがあまりないかもしれん。
「考える」に一番近い俺の状態は――妙な表現に聞こえるだろうが――自分がどんどん拡散していく、希薄になっていく感覚の裡にある。
どんどんどんどん自分を薄め、表層の意識を離れていって、自分の身体が何を考えているかを探る。自分が何を感じ、何を望んでいるのかを、客体のように自分の中に発見する。
そして充分に自分を離れた時、Nの言う「なにか」がふわりと出現する。
俺の「考える」は「自分を離れる」ことと一体になっている。

>>740 で感じたのは、そんな俺のやり方とは真逆の方向性だ。
中心に「自分」がある。固く、強固に身を縮めて。
「自分ではない何か」に取り巻かれた自分が、武器のように「思考」を握りしめている。
そこに存在するのは強烈な求心力と意志だ。それらは「自我」という言葉で一つにまとめても良いのかもしれない。

とても不思議で、とても面白い。自分とは全く違う方向性だ。
だがNの思考世界でも中心に向かってぐんぐんぐんぐん収斂させて、最後はやはり「なにか」が「落ちてくる」のだという。
最終的に出現するもの(の感覚)は極めて似通っているのに、そこに至るまでのベクトルが真逆に見える。

もしかしたら、あんたの風は「裡」ではなく「外」に吹いているのかもしれんな。

744タター:2010/09/16(木) 05:11:45
>>742
速やかな反応を求めるつもりは全くないよ。安心してくれw
誰もが皆、それぞれのペースで。

口を開くも良し。
沈黙するも良し。

ただ、あんたが「タターの言葉を時に聞きたくなるのだ」と言ったように
俺もNの言葉を聞きたくなる時がある。それだけだ。

ああ。「言葉」というより「息づかい」なのかもしれんな。
思考の息づかいなんだ。聞きたくなるのは。

あんたの思考がだいぶ核心(それが何かは俺にはわからないけれど)に近づいている気がするよ。
順調に、しんどそうだ。

745N:2010/09/16(木) 18:11:57
>>744
それは助かる。 >速やかな反応を求めるつもりは全くないよ

>>743やリョウがブログで書いてたこと(支配されてる方が幸せだったかもしれない)
は、最近いろいろ漠然と考えてたこととクロスする部分があって
なにか言いたい気分になるのだが、うまく消化して話せる気がしない。
時間(と、気力)が必要だ。
今日はAさんとこで全力を尽くしたので電池が切れたw

746タター:2010/09/17(金) 03:42:25
存分に時間を取って、たっぷりの充電を。

十分な休息と体力の回復は、叢踏破のためのもっとも強力な援軍だよ。
肉体の充実なくして気力の湧出はないからね。

747AR:2010/09/19(日) 23:19:58
俺(たち)も今息切れ中なんで回想スレで力尽きた。
このスレは>>734までしか読んでない。後日よむ。

で、あえて>>734に。

どうしても消したくてたまらんレスができたら連絡してこい。
最近“ひいき”を覚えた俺様が消しといてやるからw


まあ、ここを消してくれ、と示すことじたいの難易度が高いだろうけどな。
何も聞かずに消してやると約束しとこう。
問題は連絡がいつつくか俺側の理由でさっぱり定かでないということだがw

・・・意味のない空約束かもしれん思いつつ
書いてて自分の中に意味を見出した俺がいる。

ほとんど力にならない空虚な約束かもしれんが
意識の上で、「消すことが可能」 とすることが
あんたらの(N一人に限ってない)『言葉』を引き出す道に
わずかなりと繋がればと思っている。





そしてね
俺はもしかしたら
ほんの少しくらいは人間に近づけただろうか。
不可能だと思い続けたそれに
少し近づけてる気がした。

748AR:2010/09/19(日) 23:20:45
支離滅裂だな。

749タター:2010/09/20(月) 05:18:17
>>747
あんたがそう感じたなら、そうなんだろう。
こういうもんは自分の中の感覚が一番確かだから>人間

近づきたい、近づきたい、と思い続けて
いつか、ふと、自分が「そう」であったことに気づく……
などという幸せな物語のエンディングを夢想してみたよw

生きてることは難儀で、めんどくさくて、そのくせ割と楽しい。
そんな風に思う今日この頃だ。

750N:2010/09/21(火) 20:53:36
>>747
お気遣いありがたく心に留めておく。
たしかに、自分でさらりと削除するのと、
人に頼んで削除してもらう事の間には少々壁を感じるが。


>自分の中に意味を見出した

関係あるかどうか判らんが、
最近少々胸にきた言葉で、
仏教の人生の四大目標というのがある。

「財産artha、恋愛kama、解脱moksa、」それから
「善行、もしくは正義dharma(ダルマ)」

ダルマの語訳は実際には色々ありうるそうだが、
この訳者は上の四大目標として他のものとならんだ場合の「ダルマ」は
「“正義”ないし“善行”道徳“”義務“などの意味である」としている。
俺は「善行」として捉えてみたい(他のはややこしいからw)。
つまり、財産も、恋愛も、解脱も得られなかった失敗人生でも
「善行」を行う可能性くらいは残されてるつうことになる。

それは多少、気持ちの慰めになる。

751A ◆CPjaa6Nup6:2010/10/27(水) 07:13:23
「もしもリアルパンクロッカーが仏門に入ったら」架神 恭介
おすすめしておく。
 大笑いしてしまった。
作者は完全パンクマニュアルの作者
あの大ヒットの「もしドラ」の完全パクリぱくり方がハンパ無い
が、面白い。

752N:2010/10/28(木) 18:20:40
うむ。 さっぱりワカランw つか、チト高い。図書館にリクエストしてみるか
そういや、昔、岡野玲子の漫画で
ロックかパンクやってる若坊主の話があったな

最近おもしろかったのは、ドグラマグラの夢野久作のエッセイ
近世快人伝
http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2140_23920.html
明治〜戦前のパンクな博多人、玄洋社の頭山満や奈良原到の話。
名前と履歴くらいは知っていたが、
だいたい夢野久作自身が、右翼の杉山茂丸の息子だから
ナマナマしく壮士とか国士とか大陸浪人とかの気分が内側から伝わってくる。
こういったむちゃな博多右翼、壮士を育んだのが
高場乱子なる怪女子の塾だったことも初めて知った。
しかしホントに面白いのは、政治と無縁な庶民、仁三郎の破天荒なパンクぶり
(A4紙に60%印刷で29枚くらい)

753N:2010/10/28(木) 18:45:30
「類的他者」 という言葉を思いついた。
すっ、と浮かんだので、もしかしたら意識から消えた既出概念なのかもしれないが
自分でははっきりしない。ググった限りではそんな言葉はない。

身近な他者 と違い、遠い他者・非具体的な他者だが
なにがしか「類的」な近接感(あるいは共感)を覚える他者のことだ。
たとえば、
美術館に類的他者の絵を観に行く。という風に使う。
絵に興味のない人間にとっては
それらの絵の作者も類的他者ではなく
たんなる遠い他者に過ぎないかもしれないが
それでも、表現を受けとめる姿勢があれば
類的他者の表現がそこにある、と感じたりするかもしれない。

むろん身近に類的他者がいてもいいわけだが、
一定の年齢のときは、むしろ遠い他人のほうが身近に感じることが多い。
吉本隆明はそういう時期に家族や身近な知人より遠くの人間
(芸能人でも作家でもスポーツマンでもなんでもいいわけだが)
に、より惹かれることを「遠隔作用」と呼んだ。
そこからブーメランのように、戻ってきて
身近に類的他者を見いだすかどうかはその人間の人生曲線による。

しかしまぁ類的他者がいるなら、
そう思えない他者もなにかネーミングした方が
対比がくっきりするんだがどうもうまく思いつかないのであった。

−以上、本日の電池切れ寸前メモ−

754N  -メモ-:2010/10/31(日) 15:51:49
無縁他者。

具体的他者。    

類的他者。

755N:2010/12/14(火) 06:59:42
朝倉泉事件
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/9776/izumi/i_jiken.html

756N:2010/12/14(火) 07:41:25
朝倉ノートで圧巻なのは、
その未熟なエリート論(ドストエフスキーの「罪と罰」を思い起こさないでもないが)より
祖母に関する詳細で克明な記述だと思う。

ここに見られる息苦しさは、血脈や家族の問題というより
「間合いゼロ」の息苦しさにみえる。

睡眠時間も含めて、日常のあらゆる場面において干渉してくる
間合いゼロの関係は、特に精神的自立を指向する思春期には
特に息苦しいものだということは、ある程度普遍性がある。
(ただ、そこから殺人へ至る内面的な経過は、このノートでも
それほどよくは判らなかった、という感想ももつ)

彼の場合は祖母だったが、それは同じ空間で寝起きを常に共にする相手であれば
例えば夫婦であっても、間合いゼロの息苦しさに至る可能性はあるだろうが、
夫婦の場合、間合いゼロは、たとえばセックスによって逆に間合いを作ることが可能になる。
この場合の間合いは、人間同士の間合いゼロが、
性行為の「男と女」という距離をつくることで解消されるのではないだろうか。

血脈の場合そういう距離を作ることができないことで
家族の間合いゼロの息苦しさに、距離をつくることが困難になる。

朝倉の場合、この距離を作ろうとしたのが「エリート=自分、愚劣な大衆=祖母」
という枠組みだったのかもしれない。

757N:2010/12/14(火) 07:46:49
かなり推敲の必要な文章だな、、不調な時にムリして書くとこうなる、、

758N:2010/12/14(火) 19:01:22
もともと、プラトンあたりからニーチェに至るまで
エリート優越・大衆侮蔑思想はある
だが、実際に権力の座にいるものは大衆の命運を両肩に担うわけで
大衆侮蔑なんてのんびりしたことは言っていられない。
ヒットラーでさえ、ドイツ国民ドイツ大衆(民族)の命運に対する強い使命感をもっていた
十七条憲法でも、本当のエリート(天皇関係者)は
豪族官僚たちに対して、「もっと民の都合を考えよ」と説教している。
大衆侮蔑論は無責任な知識人(大学教授)、小官僚あたりの戯れ言にすぎない。

エリートを白人、大衆を黒人、というふうに置き換えれば
そのまま、プアーホワイトの差別意識とたいして変わらん。
あるいは、エリートをゲルマン民族、大衆をトルコ移民と置き換えれば
ネオナチの下層階級の若者の考えと同一になる。
まして、エリート家庭に育った16歳の朝倉少年はまったく大衆というものを知らない。
たとえば 「受験戦争反対」を唱えていたのは大衆ではなく
進歩的知識人と呼ばれたものたちだ。
彼は、勝手に頭の中で作り上げた大衆、という幻影を相手にしているにすぎない。
リアリティがまったくない。足のない幽霊相手に力んでいるだけだ。

ドストエフスキーの罪と罰では、
ラスコリニコフがエリートは法を超越する権利がある、として
金貸しの老婆を殺害する。
ドストエフスキーの父親は末端の地主階級で
自分の土地の住民に殺されている。だから、ドストエフスキーには
大衆侮蔑思想を書く理由をもっていたが、
様々な苦労を重ねてドストエフスキーはロシア大衆主義というべき思想にたどり着き
(これは初期のドストエフスキーが関わっていた左翼運動とは異なる)
罪と罰の最後で、ラスコリニコフはロシアの大地に接吻し懺悔する。
もちろん、
16歳の小秀才坊やにそんな深みを求めることは無理な話だけどね。
どうせ偽善としか受け取れないだろう。平凡な生活者の種々の苦労が見えてないのだから。

759N:2010/12/14(火) 19:15:27
にも関わらず、これらのノートに一種の迫真性があるとすれば
それは、真剣に思い詰めて書かれているからだ。

760N:2010/12/14(火) 19:27:58
この「真剣さ」がどこに向かうか、というテーマは自分的に興味深い。
朝倉から離れ、一般論として「真剣さ」というものを考える。

「真剣さ」の対象に、年代的な指向というものがあるのではないか。
きっちり詰めて考え抜けたわけではないが

一般的には

学童期 真剣さは「遊び」に向かう

思春期 真剣さは「内面」に向かう
      あるいは真剣さは「性」に向かう

社会期 真剣さは「仕事」に向かう
      この場合、
     「家族」は仕事に対する真剣度に反比例して等閑視される場合が多い

老人期 一概にはいえないが、死を意識した時
      真剣さは「生」そのものの検討に向かう ある意味思春期に戻る

女性の場合 真剣さが「恋愛」に向かうことも多いようにみえる
      この場合時期はあまり問わない気がする
      それらは個人の発達史より、類の生命史から来るものに思える

761N:2010/12/14(火) 19:33:15
上記はあくまでおおざっぱな一般論で
個別的にはいろいろありうるだろう、と思う
「趣味」に向かったり「思想」や「運動」に向かったり
いろいろありうるだろう。

要は、真剣さがどこに注がれているか、という視点は
自分的に新発見だったという話。

762N:2010/12/19(日) 15:08:57
朝倉の祖母の場合
亭主は書斎に閉じこもりきり、娘は脚本書きで忙しい
家で自分の存在を確認できる相手は孫だけという状況
真剣度の向かう相手は、泉しかなかった

直接関係ないが、三島由紀夫も祖母によって母から切り離され育った
太宰治も母親の記憶はほとんどなく「津軽」では乳母を探し求めて出会う
ふたりとも東大に行き、ふたりとも自殺した

朝倉泉のばあい、自殺衝動が、殺人衝動と連動してるのかもしれない
自殺は 自分の命に価値を認められなくなることで
他者の命にも価値を感じられなくなる

763N:2010/12/19(日) 15:21:45
【子どもについて】

○子どもは目の前のものしか見ない。

目の前のもの(こと)だけが、その時々の世界そのものとなる
その背後にあるものはまだ見えない
アンパンマンは目の前に出現するものであるから
子どもにとっては実在だ

その背後の作者・梁瀬について想像することはまだできないし
その漫画・アニメの現前の奥を見るということもまだできない

○子どもの記憶
フロイトによると小児は、たいてい5歳以前の記憶を失う
これを「小児健忘症」と言っている

目の前にあるもの対し、それにどう反応するかが全てだとすれば
子どもがあるものを認識するのは、そのもの(人)と直接かかわったときに
どうだったか、楽しかったのか、怖かったのか、気詰まりだったのか、
記憶は、かつてのそれが目の前にいた時の感情と結びつく
それは、エサを与えるベルを聞くと涎を垂らすというパブロフの犬の記憶と似ている
条件反射というやつだ

脳がまだ未完成で発達中(いいかえればどんどん作り替えられている)の子どもは
記憶より条件反射のほうが脳の仕組みに残っていくのかもしれない

764N:2010/12/21(火) 19:22:10
【言葉と沈黙】

今年の正月にもNHK教育で再放送が行われた吉本隆明の講演を
自分なりに要約すると

「言葉において、伝達は二次的、三次的であり、
 言葉の本質に於いては、
 自分の内部の沈黙に形を与えることが第一義である」

と理解した。
このような言葉に関する理解は、アカデミックな言語論には
(俺の知ってる範囲では)ほとんど類例がないと思われ
アカデミーからは無視されているが言葉の本質に関する重要な認識だと思える。

(ここから先は、俺個人の敷衍になる)

伝達より、自分の沈黙に形を与えることのほうが、まず言葉の本義だとすれば
(自分の実感からそれは正しいと思っているが)
うまく人に伝達できない人は、
それだけ内部にある沈黙の量が多いのだ。

その多量の沈黙がどうような経緯で貯め込まれたかは置くとして
それに形を与えることに真剣度が集中し
伝達は二の次三の次になるのは、当然だ。

吉本流に言葉の本義を、まず「沈黙に形を与える」ことにおくなら
そうなる。

765N:2010/12/27(月) 18:56:59
>>751
ようやく図書館にリクエストしてたのが届いた、と先週連絡が来た。
ずいぶん時間がかかるんだな。

あの複雑な仏教の種々の党派を粘り強く整理してるなと感じた。
巻末を見ると相当量の解説本を読破してるようで
確かに仏教というのは、直接原典に当たっても、わかりにくい箇所が多く
解説本を読むという作業をサボってる俺には「あぁそういう前後の事情があったのか」
と参考になったところも多かった。

ただ悟りに関する「全体ドカーン」という表現には微妙に違和感がある。
「全体ドピュン」とか「全体じゅわん」とか程度じゃないだろうか。

言葉が「分けることだ」という認識は俺も同じ認識だが
その元になる「全体ドカーン」のイメージが少し俺は違う。
俺の知ってる「全体ドカーン」は
移植医療の本で読んだある先天的全盲者の話からきてる。

ある先天的な全盲者が、移植手術(確か骨を使うのだが記憶があやふやなので確言はできない)
を受けた。
手術後数日して、いよいよ目を覆っていた包帯を取り目を開けたとたん
その全盲者は悲鳴をあげ、目を閉じた。
一気に強大な白い光の固まりが全盲者を襲い
その恐怖からその全盲者は二度と眼を開こうとしなかったそうだ。

ものが「分けられていない」状態の「全体ドカーン」は
その全盲者を襲った光のかたまりのようなものだ。
(厳密には、悟りの「自分も他も一緒くた」とは異なるが)

他にも色々、違和感も含めて刺激はあったが、
とにかく
紹介してくれてありがとう、と書いておきたかっただけなので省略。

766N:2010/12/27(月) 19:00:12
[遠近法①] 

目の前への全力集中が時間軸に沿って
次々、印象を積み重ねていくという子どものあり方。

そこから、
それぞれバラバラに積み重ねられてきたできごとの奥に「なにかがある」
という気づきの始まるのが思春期。
「なにか」があるというところまでは気づいても、
具体的にそれが何かにということについては思い悩み考え悩みいらだつ
というのが思春期。

もっとも単純に考えれば
「敵と味方」という図式が最初にくる。
いやなものと気持ちいいものの区別は子ども時代の印象から直線的に
図式化しやすい。

(この項は、ぼちぼちと続く予定)

767N:2010/12/27(月) 19:16:37
>>765 追加   そういえば、主役の「まなぶ」というネーミングだが、
このweb漫画(オーシャンまなぶ)にインスパイアされてるんじゃないかとか勝手に思った。
http://t-taks.com/

768N:2010/12/29(水) 19:48:36
世界が沈黙しているのではない。
自分の中に沈黙がある。

769N:2010/12/29(水) 20:01:22
沈黙にどういう形を与えるかによって
世界の見え方が異なってくる。

言葉を馬鹿にしてはならない。

だが個人の言葉はいつも限定的であり不完全だ。
個人が世界を完全に理解することなどありえない。
そんな人間はいままで1人もいないかったし、これからもあらわれない。

世界の数百兆分の一でもわかればそいつは偉人だ。
だが、ひとつ正しいことを知っているからといって
そいつのいうことが全て正しいということにもならない。

言葉を馬鹿にしてはいけないが、言葉を畏れてもいけない。
形の与え直しは何度でもできる。
内省力さえあれば。

770A ◆CPjaa6Nup6:2011/01/04(火) 21:13:03
にゃあ

771HRK ◆l/an/smhrk:2011/01/08(土) 11:40:25
吉本隆明 ラジオ版 学問ノススメ
http://www.jfn.co.jp/susume/

772N:2011/01/13(木) 18:11:11
わん

773zebla:2011/01/14(金) 23:09:22
ばうばう

774N:2011/01/16(日) 15:12:49
松村邦洋かっ!w    

くっかどぅーるどぅー

775zebla:2011/01/19(水) 23:55:39
ぱおーーん

776N:2011/01/20(木) 19:31:58
ぶひー

777N:2011/01/25(火) 03:33:10
ほんの数時間寝て目をさましてしまったが
今とても気分がいい  いい夢をみたからだ
もういちど眠って覚めれば忘れてしまうかもしれない だから記しておこう

夢はこうだ      (*長くなったので分割)

778N:2011/01/25(火) 03:38:03
むかし「僕」と仲の良かった人物が ある人物の言葉に腹を立てていて
「僕」は彼と散歩をする 彼が
「もう、町の風景がつまらない」と言ったので「僕」は
さいきん自分が発見した風景論を話しをはじめる。

風景は成長期とともにある。
成長を終え、年齢が重なりだすにつれて、変わりゆく風景はもう自分と共にはなく
風景から疎外されてしまうから、齢をとるにつれ、町の風景ではなく、
自然のほうに心が慰められるようになる。

そんな話しをしながら、
ある路地を抜けると、鄙びたまちの一角に、
懐かしいのに新しいような、リニューアルした地蔵さんのような
新しい一角を発見する。

「へー」と思いながら
覗くともなく、そこに接近し、表の竹製の着物スタンドに掛けられた
麻の着物に目をくれながら角を曲がりかけると、
「うちは、名古屋大学の○○支店なんどす」
と、店の奥まった階段上にいる、
和服姿で落ち着いた感じの30代の女性が上からこちらに声をかけた。

彼女の言ってる意味はよく判らなかったが
「あぁ、そうなんですか」 と生返事し、
その麻布の着物の前にしゃがんで、すこし手を触れると
「あらあら、それは触ってもろては困ります」と
着物の女性から笑いのこもった声で釘をさされた。
そこは夢だから都合よく「僕」は表を触らず内側に手を入れて麻の手触りを味わっている。
「まぁ、内側やったらよろしおすけど」
と女性はニコニコしながら柔らかな目で
許してくれる。

そこで目が覚めた。

779N:2011/01/25(火) 03:52:39
ほんの数時間しか眠っていないのに
ゆったりした素晴らしい気分だった。

ゆったりと流れた楽しい時間の余韻がまだ残っている。

楽しいのは、消費ではない。
消費には一瞬の快楽しかない。
その麻の着物を買う気などさらさらなかった。

楽しかったのは、その店先でのゆったりとした会話とも言えない会話や
買う気もないのに麻布を触って、むこうもこの人は買わないと判っていながら
ゆったりと話しかける、目的のない時間、
最近覚えた経済用語で言えば、債務のない時間とでもいうような
ゆったりした時間の流れだった。

780N:2011/01/28(金) 23:02:35
一度寝て、目覚めたら、
ネハンは消えていた

考えてみれば、こういう状態は
以前は普通にあったかもしれない
好きな音楽を聴いているときとか

なんにせよ、記しておいてよかった。
なにも状況は変わっていなくても
心しだいでネハンは来ること を覚えておけるから

781A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/04(金) 06:53:36
>780
ネハン=涅槃?
nirvana

782N:2011/02/04(金) 18:29:06
そう。 ライトな感じで表記してみたw
四時間くらいしか続かなかったけどね。
悟りもネハンもそのくらいのライトさで考えていいんじゃないかと。

そういや曹洞宗の総長とか首つり自殺してるんだぜ
悟りもくそもねえや

783N:2011/02/04(金) 18:55:20
調べたら、臨済宗南禅寺の管長も首つりしてるし
同じく臨済宗で、名僧と言われた人の一番弟子も自殺してる。
なんだかなぁ。。

784A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/06(日) 08:32:19
祈りは自分の救いの為にある。
 と最近思った。

人の為に祈ってるが、祈る自分の救い
であるようだ

つれの家族である祈る人たちを見て思う。

785A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/06(日) 08:33:15
どの宗派でも宗教でもそれは同じかな
などと
乏しい経験だが思う。

786N:2011/02/09(水) 23:11:00
祈り不信者の俺だが(子供のとき「祈らされ」てはいたが)
その捉え方ならすこしは何か考えることができそうだ。

1)キリスト・イスラム・ユダヤ教の祈りでも、神道的な手合わせでも
祈りの心理的効用は「集中」「不安軽減」「静謐」といったところじゃないだろうか

2)それぞれに儀式めいた作法があって
それを行うことは、各個人が属している共同体(宗派)に
象徴的に参加することを意味しいているような気がする。

3)快癒祈願でも他者のための祈りでもいいが
祈りというのは、なにがしかの不安に対し、自分の力が及ばない
あるいは自分の力以上のなにかを必要としている、
と自身が感じていることを祈るのではないだろうか。
つまり形式的に参加しているだけではない場合、
その底に無力感・無能力感が、程度の差はあれ、潜んでいる気がする

4)個人の力量を越えた共同性の象徴(神でもいわしの頭でもなんでもいい)
に向かって祈ることで、共同性に象徴的に参加している、という意識が
不安感や無力感が軽減する。
祈りも呪いも、象徴的な共同性との共生意識をもたらすことで
精神の安定を求める行為なのかもしれない。

と、A’s照明をてがかりにすこし考えてみた。

787N:2011/02/09(水) 23:14:06
テニヲハのおかしい部分は、見てみないふりをするように

788A ◆CPjaa6Nup6:2011/02/13(日) 08:54:03
>786
を! それだ、そんな感じだ。

789N:2011/02/16(水) 20:21:47
どんな感じだったっけ、と読み直してみた。だめだ!我慢できない!テニヲハ推敲する。。
(単なる自己マンだ。読み飛ばしてくれ)
----( 内容は>>786とおなじ。テニヲハ改良バージョン)-------------


1)キリスト・イスラム・ユダヤ教の祈りでも、神道的な手合わせでも
祈りの心理的効用は「集中」「不安軽減」「静謐・安定」といったところじゃないだろうか

2)それぞれに儀式めいた作法があって
それを行うことは、各個人が属している共同体(宗派)に
象徴的に参加することを意味しているような気がする。

3)快癒祈願でも他者のための祈りでもいいが
祈りというのは、なにかの不安に対し、自分の力が及ばない
あるいは自分の力以上のなにかを必要としている
と、自身が感じていることを祈るのではないだろうか。
その底には無力感・無能力感が(程度の差はあれ)潜んでいる気がする

4)個人の力量を越えた解決力をもつ、と信仰される共同性の象徴
(神でも先祖でもいわしの頭でも岩でも樹でもなんでもいい)
を想定し、そこに向かって祈ることで、
共同性に象徴的に参加している、という意識が生じ
不安感や無力感が軽減する。
祈りも呪いも、象徴的な共同性との共生意識をもつことで
精神の安定を求める行為なのかもしれない。

--------------------------------------------------------

790zebla:2011/02/24(木) 09:27:31
そういえば、母親が仏壇(先祖の霊)に向かって家族の良いところを褒めたり感謝したりすると
家庭内の問題がよくなってくると唱えた学者さんもいたな。
神仏が助けてくれるというよりは、褒めたり感謝したりすることで意識改革をするという感じだったが。

791N:2011/02/24(木) 19:22:48
親が二人、その親にそれぞれ親が二人。
2の指数で増えていく。直径の先祖ってのは10代遡ると千と24人。
20代遡れば、なんと1000万人超になる。国家なみだ。
子供を50歳で産むと多少多いめに見積もっても
わずか1000年前にタイムマシンで行けば
直接のDNA先祖がそこには1000万人いることになる。
奇妙なことだが、さらに遡り続ければ簡単に
1億人を突破する。おそらく当時の世界人口を超えてる。
どうにも納得しがたい。 この計算はどこがおかしいのだろう。

さらに、さらに遡り続ければ、魚にまで戻り 魚のご先祖さまが登場なさる。
それはややほほえましい。

792N:2011/02/24(木) 19:25:43
一桁間違えた。 1000年前の先祖は100万人超だ

793N:2011/03/01(火) 18:10:55
世代数も一個ずれてるな。。 
すこし頭のましな状態の時だけ書き込んでるつもりなんだが。。
まぁねずみ算だから、100万が1000万になるのは
200万-400万-800万-1600万 とわずか4代しかかからん。

この遡りの人工爆発の謎を回避するには
近親婚のきわめて長い期間の持続、母親の出産死亡率の高さ
を想定することくらいしか思いつかん

でも直系の魚のご先祖はやはりどこかホッとする。

今日の昼は焼き魚を食った。親類かもしれん

794A ◆CPjaa6Nup6:2011/03/05(土) 20:54:07
>790
なんかいい。

795N:2011/03/23(水) 06:58:00
ツイッターを見てると、
なにか昨日あたりを潮目に、
日常性への復帰がはじまったような印象を受ける。
どこかまだちぐはぐな日常。

796N:2011/04/04(月) 19:19:09
そういや、あっちで「心は内臓だ」というのを無断転載していたのだ。
(すぐに腸がセンサー反応する男)
しかし、もうひとつ「心は記憶だ」という考えもある。
「心の起源」木下清一郎 中公新書 
中公新書には名著が多い。

無意識=内臓
意識=記憶 
としてしまえば図式的にはすっきりするが
すこし単純すぎるか。

797N:2011/04/04(月) 19:37:22
リョウへ。
「逝きし世の面影」渡辺京二 という本が面白い。
開国後に来た外国人(欧米)たちが、
日本人(おもに江戸時代の面影を残した庶民)に感嘆している文を
いろんな方面からまとめてる本だが、その7章「自由と身分」には
服従の自由というテーマに触れている箇所がある。

渡辺京二という人は、明治に「輸入」された近代欧米的感性に対し
それ以前に培われた日本人というオリジナリティという視点から
かなり深い考察を続けていた人だ。 

今回の震災をきっかけに、また図書館から借りてきて読み返していた。 
表面的には失われていた「古層」が噴き出てきた気がしたから。
今回の震災に対する日本人の反応についての
外国人の「賛美」がそのまま、開国後にやってきた外国人たちの反応と
一緒であったりする部分もあって、日本人(庶民)のDNAということについて
考えさせられたりした。 完全に変わってしまった部分もあるが。

ブログの読書録に書いてた赤松啓介が内側からのドキュメントだとすれば
こちらは、外から見た日本のドキュメント(賛美寄りw)だ。

798N:2011/04/04(月) 19:43:16
「恥じらい」は完全に「輸入思想」だw

799N:2011/04/04(月) 20:08:05
まったく変わらないのは役人(幕吏)の嘘つきぶり。
「彼らは地上における最大の嘘つき」(ハリス)

このDNAにも相当根深いものがあるようだ。
とにかくこの時期にこの本を読むと色々面白い。

800タター:2011/04/05(火) 04:24:13
>>797
>今回の震災をきっかけに、また図書館から借りてきて読み返していた。 
>表面的には失われていた「古層」が噴き出てきた気がしたから。

「古層」という言葉に「ああ、なるほど!」と手を打った。
漠然と感じていたものを的確に言葉にして貰った感覚だ。ありがとう。

ついでにずっと読みたかった『逝きし世の面影』を密林で注文したよw
これまたありがとうw

801N:2011/04/05(火) 17:52:28
この本は、どちらかというと「入り口」だな。
ここから先にいろんな方向が見える。
渡辺京二本来の仕事とはすこし趣きが違う(辛さ控えめw)。

ところで、密林、やはり震災の影響か、
支払い請求まではいつものスピードだが、
配送はかなり遅れてる模様だ。

802タター:2011/04/09(土) 04:08:30
震災の影響はすでに脱したらしい。
このレスを読んだ時にはもう到着していたよ>密林

仕事関係の資料を優先せにゃならんので
読めるのはしばらく後になりそうだ。

長文でも連投でも議論でもないレス、勘弁な。
たいした意味のないレスをこうやって書き込みたくなるのは
仙台の大きな余震が実はわりとショックだったからなのだろうな
……と自分では分析してるんだがw

803N:2011/04/11(月) 17:34:15
>>802
俺とこは、先月末に申し込んだのが、
やっと昨日ついた(支払って10日目)。コンビニ受け取りがまずかったのか。。
それとも東から西(かつて禿童が紅衛兵のように市中の民を密告して廻った町)への
通行が後回しにされているのか。

>長文でも連投でも議論でもないレス
もうな、そんなことどうでもいいんじゃないか?w
数人の住民しかいないという事も点呼ではっきりしたしw

余震というには大きすぎ、ほとんど本震と変わらんから
今度はそれに対する余震も必ずある。とあらかじめ思っておいた方がよい。
ただし、本震より大きな余震はない。エネルギーの放出は
必ず初発が一番大きい。そのエネルギー放出分だけ蓄えられた
エネルギーは減じられてるから。

804N:2011/04/11(月) 17:59:16
さてノイローゼというものは
特定の物理事象(音・光・揺れ・匂いといった五感に訴える現象)が
個体に繰り返し訪れることで、それらの五感が次第に
鋭敏・過敏に感受性が増感し、心理的に追いつめられるという状態だと
俺は理解している。

たまたま、こないだ風車発電に関するテレビ映像を見ていた。
すると現地(デンマークかどっか)の人間が、
「ほらあの音」と風車を指して言うのだが、インタビュアーには
ぜんぜん聞こえないという場面があった。
幻聴ではないのだ。彼らの知覚がそれほど鋭敏になっているのだ
いわゆる「低周波騒音」というやつだ。
これが長年続くと、幻聴すら発する。

たとえば、「揺れ」だと、それは
大きな地震から小さな地震、やがて、人には感じられない
1以下の地震すら感受しうるレベルに達する。と想定できる。
やがては、階下を人が走るわずかな揺れまで、
それに応じた小さなトラウマが発動する。
そこまでいけばノイローゼだ。
過ぎた事象は「なかったもの」、とむりやりにでも
空白化するか、大もとである物理事象から隔離されるほかない。

805N:2011/04/11(月) 18:03:10
あぁ、ちょうどテレビをつけたら、福島でまた6弱の揺れがあったようだ。

ところで地震酔いというのはかなりノイローゼの機構に似ているようだ。

----------------------------------------------------------
人間の脳幹には、後の体験に役立たせるために、
直前に体験した加速度などの情報を蓄える「速度蓄積機構」
というシステムがある。
震災時の衝撃や、相次ぐ余震の揺れは刺激が強く、
感覚が残りやすいため、「地震酔い」が起きるという。

 震災に伴う心理的なストレスにより、
感覚が敏感になっていることも要因の一つとみられる。
「感覚が敏感になると、心臓が動いているだけでも、
それを揺れと感じてしまうことがある。
生活環境が変わる季節でもあり、自律神経の働きの乱れも影響している」

 対処法として、大きく深呼吸をしたり、水を飲んだりすると落ち着くという。
------------------------------------------------------------
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20110407/491547

一種の防御反応だな。過剰防御になるとノイローゼってことかな。

806N:2011/04/11(月) 19:06:53
渡辺京二に誘(いざ)なわれ読み始めた石牟礼道子
(出世作「苦界浄土」は渡辺が編集していた熊本の同人誌に掲載されたもの)

「あやとりの記」(福音館文庫)は、ジャンルでいえば童話になるのだろうが
古層から掬い取られる宝石のような名作
(ただし最終章はなんとも不安と哀切を残し、感動的ではない。
 しかし、途中でなんども目の端によけいな水分が増量した)
3歳の女の子が主役。これに、村からも外れた位置にいながら
山・海の自然と交歓する古層の内実を見事に描き出している)

リトル・トリーを思い出した。こちらは5歳の少年が主人公。
どちらも、祖父・祖母との緊密な結びつきを仲介にして
自然との深い交歓にいたるイノセンスな魂が、そのまま
古層(根層・深層)へと結びつく世界を深く描いている。

807N:2011/04/11(月) 19:10:38
おそらくだが、宮崎駿はかなり
「あやかしの記」の影響を受けているのではないか。
実際に映像化したのは同じ書店でも「魔女の宅急便」の方だったが。

同じスタッフによる風景を使っても、
高畑勲は近代的な感性しかなく
古層的な感性が皆無なので、全然ひかり輝かない。

808タター:2011/04/12(火) 05:33:22
>>805
お言葉に甘えて、長文でも連投でも議論でも考察でもないレスをもうひとつw

「地震酔い」の説明を読んで真っ先に思い出したのが湖での釣りだ。
小さなボートに乗って夜明けから夕暮れまで釣り続けていると
納竿して2時間以上車を走らせた後でも、台所に立つと身体がゆらゆら揺れる。
釣りの場合、可笑しくはあるが不快な感覚ではない。

ちなみにその揺れが、釣りたての魚をつまみに旨いビールを飲んだせいでないことは言い添えておこうw

809N:2011/04/12(火) 22:22:19
たまたまツイッターに2ちゃんネタが紹介されてた。
地震に対する静岡県人の反応
http://blog.livedoor.jp/copipepa/archives/2749581.html

ようするに、揺れが怖いんじゃなく、家屋の倒壊が怖いのであるな。

>>808
いちおう、あくまでいちおう、その'言い添え'を信じておくw

810N:2011/04/27(水) 05:37:48
石牟礼道子の「苦界浄土」を読んでたら
水俣チッソの社長と東電の社長がところどころダブって見えた

811N:2011/04/30(土) 11:22:44
苦「海」浄土

812N:2011/07/28(木) 22:25:41
雑スレで自粛して削ったが、やはり無理してでも書いておこう。
なにかのきっかけになるかもしれない。

○個の時間は、各個の系列として流れる。
 個と、別の個たちの時間は平行してそれぞれに流れており
 このような不思議な空間で偶に交錯する。
 そしてまたそれぞれの個の系列を流れ続ける。

時間は止めることも溜めることもできない。
ただ、平行している個々の時間が、時たま直交し
個の記憶として貯蓄される。

○記憶もまた時間の一種であることには違いない。
 それは常に現在の中で「想起」され、
 想起されるたびに新たに記憶されなおす。
 木下清一郎によれば、記憶はつねに更新されるものだ。
 更新にはそれぞれに基準があり、その基準が変更されれば
 記憶の「意味」もまた変更され、記憶自体も更新される。

そのようにして、生命も物質も常に「現在」であるほかに
存在することはできない。

○子どもは、その中でも特に「現在進行形」だ。
 大人のように“記憶まみれ”ではないから。

そのことは、子どもの「単眼」性にも通じる。
複眼となった時、子どもはイノセンスを脱し、
浄土から、いや、楽園から追放される。
例の「知恵のりんご」というやつだ。

知恵とは複眼のことだ。
単眼や複眼ということばが伝わりにくいのなら
単視点、複合視点と言い換えてもいい。
知恵とは複合視点のことだ。

813N:2011/07/28(木) 22:31:06
それにしても、妙法蓮華教の涅槃も通俗西洋絵画の天国も
なんだか華美でバブリーだな。
表面的な美しかイメージできないんだろう。啓蒙主義ってやつは。

これが地獄になると、とたんに両方とも、
過剰なまでに想像力豊かに、かつ饒舌に語られるわけだが。

814N:2011/07/28(木) 22:38:46
複合視点というのもあまりいいネーミングじゃないな。
要するに、もうひとつ別の視点、ということだ。<知恵

815N:2011/07/30(土) 21:04:14
知恵→楽園追放。

816N:2011/07/30(土) 21:11:31
記憶というものは、必ず「事実」とは異なる。

事実というものは、常に複合的な時間の総体であるのに
記憶は単眼に切り取られた、その記憶者の遠近法の範囲内であるから。

さらに、想起のたびにそれは更新される。
更新される、というのは、その記憶の内容がうつろうということとは限らないが
たとえば、その記憶自体がスポットライトで照明されることによって
周辺部分がトリミングされてしまうというような事が含まれている。
そのような「純粋化」も含めての更新・変遷として記憶(エピソード記憶)はある。

817N:2011/07/30(土) 21:13:37
人格の多重性は、記憶の多重性と繋がっている。

818N:2011/09/16(金) 19:58:28
俺は自分が陥った二度目の鬱を、
自分個人の問題から来ると考えるより
この国の現在がもたらすものだと考えることにした。

そういう転換を図れるんじゃないかとある日ふと思った。
未だ強く主張できるほどの成功には至ってないが、
それもある程度は通る考えだと思えるような、そういう読書をせよと
心身が欲している。

誰かのせいではなく何かのせい、にすることは赦されるべきだ。
他に逃げ道がない人間には。

819N:2011/09/16(金) 20:34:10
そもそも、感情というのは、共同性との関係に起源がある、という見方も可能だ。
泣きも笑いも怒りも絶望も、そもそも共同体に向けられた心の発動だという見方。
つまり、心理学ではなく社会学の問題としての感情。

振り返ってみれば震災以後、
もっぱら「共同性」「共同体」(このふたつは違う)についての本を
中心的に読むようになっていることに最近気づいた。
震災の「記憶からの復旧」がマスメディアを主体に進んでいけばいくほど
どこかで、絶望が一瞬、この国の基調になった時の、
ある意味の「居心地の良さ」が減衰していく。極めて個人的な感じ方だが
絶望してるは俺ひとりじゃない、という雰囲気が、一瞬鬱を解消した。
資本主義に塗れたマスメディアに突如大量に登場した
ありふれた名も無きよるべない大衆の姿は、孤立した自分にとって
ひどく救いだったのは確かだ。彼らは、人を倫理的に指弾したり、
賢しらげにご高説をぶったり、才能をひけらかしたりしていなかった。
ただ、ひたすら自分の生活に集中してた。他人に構う余裕などもっていなかった。
再び、テレビが毎日同じような顔ぶれの「有名人」ばかりの世界に戻ってしまったことと
鬱の復活は関係があるように思えた。  

このレスにまとまりや落ちや積極的な主張と呼べるようなモノはないのだが
とにかく、噴き出しを見て、何か書かねばと書いている。
本当はもっと色んなことを整理できてから、書きたかったが、
おそらくは整理などできず、いつもの如く自分の中で完結し、
そのまま堰止め湖となってしまう予感に、破れ目を、堪った水の圧迫を穿つ小穴を、と。

820N:2011/09/16(金) 20:40:15
う〜、だめだな、どこかで俺自身が圧迫者に転化していきそうな。。

821N:2011/09/25(日) 20:59:41
人間というのは、自然性の中で誕生し、不自然に育ち、自然性として死ぬ。
自死は、自然性として死なず、不自然性のまま途切れるということなのかもしれない。
自然性としての自己生の帰結を知ることなく。

この考え方になにがしかの説得性があるとは、あまり思っちゃないが、
まあ、書いておく。

822N:2011/09/25(日) 21:24:05
3.11以後、ずっと考えているのは、「共同体」「共同性」についてだ。
被災した地域は、特に直接的な共同体性の強い地域、
つまり都市ではなかったことで、よりはっきり見えたものがある。

惣村的な直接共同体が、今も地域には深く根ざして存在し続けていること。
そういった第一次的共同体から見上げれば、
国家というのは共同体ではなく、メタ共同性であり、
つまるところ国家は直接的共同体ではありえないということ。
これを基本中の基本として共時的にも通時的にも眺め直してみるということ。

それとは別に、一次的な共同体、と、家族という最小の共同体
(子どもという「3人目」がいることで家族は共同体となる)との関係はどうなのか。
果たしてそれも「メタ」なのか。あるいはそこはメタでは解けない別の何かが働いているのか。

考えるべきことはたくさん、たくさんある。
少なくとも「自分の頭」で考えようとするならば。

823N (あるイメージ):2011/09/29(木) 20:03:53
我々の生を、例えば水中に漂っているとイメージしてみる。

不安が硬い壁のようになり、前方(未)来が塞がれると
人は壁に頭を打ち付けながら下向きに逆立する。

上下が正立していれば、入ってこない水が
どんどん鼻の穴から入り込んでくる。
実態は、上下が逆さになっただけなのに
まるで強い濁流に呑み込まれたような呼吸の困難さを覚える。

失神してしまえば、
沈んでいって水底にぶつかり、そこに横たわることになる。
身動きならなくなるが、代わりに、横向きの呼吸が現れる。

水底から見上げれば浮遊体は、必ず自分より上方にある。
自分は最下位の存在となるが、代わりに下からしか見えない視界 を得る。

上下逆さになって呼吸が苦しくなった時
わざわざ自分で自分の首を絞める必要はない。
自然に失神し、やがては水底に沈んで朽ち果てる自然の布置が訪れる。

浮遊しているものたちの知らない視座を、最後に得て。



(いろいろ考えている間に形成されていったイメージ)

あるいは底で静かに横たわっていれば(もがくのも自由だ)
知らない水流が、海底の砂をわずかに動かし、ぷかりと体は浮くかもしれない。

(敢えて、つけたすイメージ)

824N:2011/09/29(木) 20:08:12
この比喩的イメージ を書き込んでいるうちに
もうひとつの事が気になった。
水圧、だ。

海の表面近くと、海底近くでの水圧の違い。

おお、魚たちよ。深海魚たちよ。
そして地底で暮らす蟻たちよ。

もっとお前たちのことが知りたい。
俺はお前たちから学びたくなっている。

825N:2011/10/08(土) 06:29:59
「お利口ばっかりでも,たわけばっかりでもダメよね!」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jes2/NL/NL43_web.pdf
のP22〜23

常識や空気から外れた「たわけ」は
結果として母集団にとって有益だそうな。<蟻
「怠け者」も「働かないことそのものがコロニー
の存続にとって意味を持っている可能性」<カドフシアリ

わだばタワケになる

826N:2011/10/08(土) 06:45:07
怠け者にはもうなってるし

なんにせよ、アリとキリギリスのイソップ寓話は
ウソだな。ニーチェ流にいえば奴隷道徳だ。
“武士道”の異端「葉隠」も同じ。

827N:2011/10/10(月) 23:48:04
自己価値観を、共同体的なものに依って立脚させるのは
ひとつのポピュラーな在り方ではあるが、
俺は、生命論的な流れの中に、自己を位置づけるという
在り方も、もっとあっていい、と思う。

我々の身体には、数十億〜数億年の生命史が
宿っている。

828N:2011/10/24(月) 05:57:16
自殺衝動→殺人衝動は
生命に対する価値観の低下
で通底してる。

どこかが、あるいは何かが
硬直しているように思える。

どこか、あるいは何かを
具体的にさししめすほどの力量は
まだ持ち合わせていないが、
それが子どもに向かう場合は
明らかに、共同体からの疎外感が根底にあるように思える。
(宅間や宮崎。特に宅間)

829:2011/10/24(月) 05:59:05
※但し、殺人衝動→自殺衝動という連関は
必ずしも成り立たない。
生きるための殺害という動物の宿命が
もともとあるから。

830:2011/10/24(月) 06:17:58
「外部」から見ると、

子どもというのは
共同体への最も低い入り口
に見える。

子どもは親から共同体への移行を
始めたばかり、あるいはこれから始める初心者だから、
そう見える。

したがって、もっとも低い共同体へのハードルのように
外部者からは見える。
そのもっとも低い入り口(に見える)者に拒絶されると、
入り口を閉ざされたようシャッター感に駆られ、
絶望という硬直が起きる。
それが怒りに変わると、殺人衝動が発生するのではないか。

831:2011/10/24(月) 06:33:16
もちろんこれ(>830)は
特殊例(念頭にあるのは宅間)から
jじぶんなりにロジックだけを抽象化して
取りだしてみただけなので
まだまだ見落としや不足も多いだろうが、
こういう自分の頭で考えた基本線をもっていれば
様々なことを考えたり、他人の考察を聞く時にも
借り物や洗脳ではない判断レベルが
設定できるのではないだろうか。

大事なことは、他人の(むろん俺も含む)意見ではなく
直接事象なり情報(そこにある意図を見抜くことも必要だが)
を、「まず」自分で抽象化してみることだろう。

ただし情報には「誘導」を狙っているものが多い。
特に、語られていることではなく
語られなかったことに気をつける必要がある。

宅間が裁判長によって家族感情を口実に
口封じされたことは、罪深い。

832:2011/10/24(月) 06:45:04
なぜ、抽象化にこだわるのか。

情報に直接反応していると
自分で考えたり感じたりしているつもりでも
いつのまにか誘導どうりに考えさせられたり
感じさせられたりしている場合が多いからだ。

特に十代のころの自分を顧みてそう思う。

833:2011/10/24(月) 06:49:19
鬱に関しても、神経ホルモンなどの内因ばかりを
言うのは片手オチで
半分くらいは、情報群から発せられるメッセージに
原因があるのではないか、と最近考えている。

そうでなければ、ある国ではある時代に鬱が増え、
ある国では逆がある、ということの説明がつかない

834:2011/10/24(月) 06:51:55
むろんそれは「半分くらい」で
実際には、金があったり、フィジカルに健康が回復すれば
離脱する鬱も多いと思うが。

835:2011/10/24(月) 06:56:40
>>834 を抽象化すると「将来不安」
もっと抽象化すれば「不安」→「未来への切断感覚」
→「過去のみへの巡回」ということになる。

836:2011/10/24(月) 07:02:55
「笑い」の重要性は
それが「過去の切断」「リセット」を含んで事にある。

837:2011/10/24(月) 07:07:23
性欲は「未来への投企」を含んでいる。

ゆえに鬱ではこれらが低下する。
(逆方向、つまり 性欲低下・笑いの喪失→鬱 もありえる)

838:2011/10/24(月) 07:10:18
「低下」は甘いか。。 
はっきり性欲・笑いの「喪失」 というべきだろうな、経験上。

839:2011/10/25(火) 19:24:38
鬱状態は、無気力・無感動といった現象を呈したり
外観的にはぐったりしているように見えたりするかもしれないが
実際には、緊張状態にあるといっていい。

好むと好まざるに関わらず
なにか「課題」のようなものに襲われたり、取り憑かれたりしている。

ぼんやりとした状態で、もやもやと
真綿の首締めみたいな状態になる時もあれば
明確な形で強迫的に心を責め立てられる時もある。

強迫的にという部分では、ある意味
ノイローゼに似ているかもしれない。
ただノイローゼの場合体は動く。 時には攻撃的なほどに。

840:2011/10/25(火) 19:26:40
なんにせよ、
いろんな形で(精神的な意味も含めて)「硬直」している。
(自分の意志でそうしているわけではないのだから
 硬直させられていると言ってもいい)。

つまりリラックスすること自体が難しい。
リラックスできれば、それは脱している、と同義だと
いってもいいほどかもしれない。

以前、彼自身から教わった「入浴」は一時的に効いた。
(一日中風呂に入ってるわけにもいくまい)。
心だけではなく具体的にフィジカルも硬直していたのだろう。
ストレッチやマッサージ(接骨・整体)もいいのかもしれない。

とにかく強い殺意や希死念慮といった危険な状態の時に
一時的な応急処置として色んなことは試していいのではないだろうか。


精神的には、無駄なことをするのが柔軟性への手がかりになる気がする。

散歩するとか、風景や夜空を見るとか、
試したことはないが、アロマテラビーとか。
読めれば、だが、漫画とか、刺激の少ない映像(自然の映像など)も
無駄を承知で試してみてもいいのかもしれない。
(俺の場合、昭和なあだちみつるなどを読み返してみたりした。
 あれはテンポがのんびりしていて良かった)

選択はひとそれぞれ違うだろうが、
とにかく読めるもの(できれば何巻も続く長編がよい)を探してみるのも
ひとつの手としてあるのではないだろうか。


とりあえず基本は、狭く苦しい筒に閉じ込めるような課題がもたらす硬直を
なんとか解きほぐすことにあるように思える。
この方面のベテランに向かってとやかく言うのは
釈迦に説法だとは思うが、どうやら医者・薬なしに脱しつつある俺の
考えを書いてみた。

841:2011/10/25(火) 20:01:49
ようかいにんげん、か。。
ひとつショッキングな映像があるんだが、
ちょっとどうしたもんか、迷う。。

いわゆるフリークスものだが、、
こういうのは、ちゃんとした医学的所見を併せて観ないと
残像だけが残るしな、、  とりあえず保留。。

842zebla:2011/10/26(水) 11:31:51
>>841
診てみたいぞ。

843zebla:2011/10/26(水) 11:34:37
もとい、見てみたい、だ。
普段どんだけ病気関連文字打ってるんだおれw


こないだは死なないでくれと叫んでくれてありがとう。
あれは正直嬉しかった。



昔むかしは多分そういうのは重たく感じるだろうと思ったりしてた。
重たかったりうざかったり、多分そんな感じなんだろうと。


でも嬉しかったよ。
そして今は嬉しいと思えたことが嬉しい。
俺たちはおまいが好きだ。
おまいらが好きだ。
名のあるやつも名無しのやつもみんな、ね。

844:2011/10/26(水) 20:57:38
>>842-843

うむ。正直まだ迷ってる。
君らの中には子どもがいるしな。

だから自己責任で、という意味も込めて
検索のヒントだけだしておくことにする
(ちょっと卑怯だが、最初これを見てショックを受け
 作り物だろう、と思った。数年前だ。
 そして最近、同じ状態の別の少女の映像を見て
 作り物じゃなく、実際にそういうことがあるのだと知った。
 
 その状態に関する医学的な所見を述べているサイトを
 見つけて、それをじっくり読んでみると、
 よくあること、とまでは言えなくても
 割と医学的には認知されてる状態なのだな、と思えたので
 効果あるんじゃないか、と思ったんだが、
 
 ここ数日、何度も見てるうちに、
 その医学的な解説を越えて
 −―つまり彼女たちはフリークスではなく、人間には何%か割合で
 よく起きる自然現象のひとつであることを失念して――
 残像だけが強く残っている状態になってしまった。
 これはむしろ、悪影響を及ぼすかもしれない、とも考えるようになった)

845:2011/10/26(水) 22:01:54
ぐだぐだ書いているのは、ある程度、
ハードルをあげておきたいためだ。
それと、ある程度心の準備をしておいた方がいいかもしれないからだ。
どういう状態か、というと、脳がふたつ、体はひとつ、という状態だ。
こう書いて、ああ、あれか、と判ったなら
医学的所見を書いているサイトだけを紹介する。
(まあ、そこもリンクを辿れば写真はいっぱい載ってるわけだが)
しかし眼目は、その状態の白人少女
というか、少女たち(首がふたつある)が
実に堂々と一般のハイスクールに通っている映像と、
それを、受け容れてるアメリカ社会の強さなんだ。
彼女たちの状態は、結合双生児だ。 
−−−−−
いや、今試してみたが、余計なサイトが上位に来てしまうな。
医学所見を書いたサイトから辿るのが一番いいのかもしれない。。
tp://anima.x51.org/x/siamesetwins/siamse_twins_overview.php
この中に実名が上げられている姉妹の映像が、youtubeとニコ動にある。
(ニコ動には、投稿者によるおおざっぱな翻訳がついてるが
例によって、あのうんざりする書き込みどもが邪魔してよく読み取れない。。
ニコ動をみるときあれは消して見ることにしてるんだが
そうすると投稿者がつけた翻訳めいたものも一緒に消えてしまう。ったく…)

リンクの途中で気分が悪くなったら直ちに止めて欲しい。
ひょっとしたら、直接、彼女たちの明るい様子から見た方が
かえっていいのかもしれない。。
そっちが希望なら、メールで直接映像のリンクを知らせるから言ってくれ。
すまんが、とりあえずこれで。 

いいか悪いか判断がつかないのに
清水舞台で無責任に紹介してしまう事がこれほど疲れる事とは……
ぐったりだw……

846:2011/10/26(水) 22:16:50
あぁ、それと、悪い影響が出たら
恨み言を書いてくれ。今後の戒めとする。

847zebla:2011/10/26(水) 22:26:38
>>845
今見たが医学所見じたいは以前に読んだことがあるので衝撃はなかった。
主にブラックジャックでだがw
今の自分には検索能力が皆無といっていいくらいないので
直接紹介してもらえると助かる。
気味が悪ければ多分途中で誰かが消すだろう。
数ヶ月前にTVで低学年くらいの女児のシャム双子の話をやってたがあれかな?
と思いあたってみたりしてるがでもあれはアメリカじゃなかった気がする。

848zebla:2011/10/26(水) 22:27:29
>>845
下3行、その気持ちはよおーーーーくわかるよw
些細な悪影響でもぐちぐち言ってやるから安心してくれ。

849:2011/10/27(木) 17:45:56
>>847 メールした。件名「頭が二つある少女」
>>848 あぁそうだった。。
気遣いやおもんばかりのがんじからめ牢獄を突破して
なにか言ったり、したりする事は、君らにとって
「自由」を意味していたんだったな。

850:2011/12/28(水) 18:35:36
タターよ、まだいるか?

ロロメイの日本語wikiがあまりに寂しいので
著作リストなど投稿しようと思って準備してたら
Existence という著作の発行年度が1956年と1958年と両説あって
行き詰まってる。 
いろいろ調べてたら、ロロメイ自身のインタビューがあって
どうもそのへんに触れているように「感じた」んだが、
聴きとってくれないか?  
1957年と言ってる箇所があるような気がするんだが、、
http://www.thinkingallowed.com/1rmay.html

851:2011/12/28(水) 18:41:06
年内にもう一度は覗く。
正月は回避するかもしれんw

852:2011/12/28(水) 18:56:13
>>850 追加
50秒過ぎのあたり

853タター:2011/12/31(土) 03:58:06
うい。いるぞ。おひさ!>N

んで残念ながら仕事で煮詰まり中だ。
煮詰まりきったら逃避に聞くかも知れんが、たぶん年内はムリだ。
つか年内ってあと1日しかねえw

854:2011/12/31(土) 20:11:56
>>853
よう、タター。 おおみそかも仕事漬けか

どっちみち、図書館が再開して、不明の翻訳書の奥付と原著タイトルを確認できるまで
リストは仕上がらない。
(地元の図書館にない本が多いので、よその図書館からの
 また貸しをお願いすることになるので一ヶ月近くはかかるだろう)
というわけでまったく急いでいない。

インタビュー自体は4分強あるが、、その日付に関係する発言は、
(俺の耳できれぎれに聞き取れる単語をつなぎあわせた感触では)
たぶん最初の50秒目からの数十秒だけだと思う。

Existence という本は、単著ではなく、当時のヨーロッパ実存主義者たちの論文などの
紹介・翻訳をメインにした共同編書のようだ。
という予備知識があれば、より聞き取りはスムースなのではないか、と愚行する次第。
(俺が「感じた」単語は「エディット」「ヨーロピアン」の二つだけだw
 それを結びつけて、「ナインティーン・・・」と言ってる部分が、その本を出した年だと
 言ってるのではないかと「疑ぐっている」。ひょっとしたらその本の編集に取りかかった年だと
 言ってるのかもしれんし)


なんにせよ
返事ありがとよ。

855タター:2012/01/05(木) 04:31:55
問題の箇所だけさっくり聞いた。

インタビュアーが
「サルトル、キルケゴール、ハイデッガーらの実存主義がどーとかこーとか…」と尋ね
ロロ・メイが50年代、60年代に出版社からの勧めで上梓したExistenceについて
話してるっぽいところで、たしかに「57年」という単語を言ってるな。

↑ここをちゃんと聞きなおそうと思ってるんだが、
新しいPCにしたら、なぜかYouTubeを見るとフリーズするんだ。
たぶんディスプレイドライバのせいだと思ったんで、
新しいドライバをダウンロードしたんだが改善しない。

古いPCならたぶん問題なく見られると思うんだが、
こっちはHDDの容量ぱっつぱつで動作が超絶遅い(悲

すまんが、もうちょい待っててくれ。悪いな。

856:2012/01/05(木) 19:30:04
関係ないが>>855
図書館が開いたので、Existenceの翻訳と思われる本を
他の図書館から又貸ししてもらう手続きをしてきた。

その本に原著名が載っていて年度が書いてあればその年度をwikiに載せ、
「本人はインタビューで57年発行と言っている」と注を入れる形になる。
(「注」を入れるための書式がまだ1㍉も判ってないがw)

要するにまったく急いでいない。

ということを強調したうえで、該当箇所とおぼしき部分を切り取ってupしたw
http://jp.myspace.com/video/1005012121/rollo-may/108452019
関係あるのは最初の20秒だけのように感じる。

言われてみて「出版(上梓)」を和英で調べ、
もう一度聞いてみると
確かに「パブリッシュド」と言ってるように聞こえた。
そのあと「リライト」と言ってるように聞こえるのも気になるが。

とにかく、「失われし自我を求めて」の1953年から
1961年の「実存心理学」(英語版wikiには載ってない)までの間に
ロロ・メイが出した本はおそらく「Existence」一冊だけなので、
このインタビューで言っているのが、問題の本であることはほぼ間違いない、と思う。


ついでに、関係ないが、
日本人は絶望的に英語をしゃべれないのだ、
という池谷裕二の嘆きは「へえ〜、そういうもんなのか」と、蒙を啓かれた。
『カタカナ英語でいいんじゃない?』
http://gaya.jp/english/katakana.htm

857:2012/01/05(木) 19:32:26
冒頭の「関係ないが」は、最後の蛇足文の「関係ないが」
がなぜかコピーされて冒頭に貼り付いてしまったようで、
まさに、まったく関係ないので、無視してくらはい。。

858:2012/01/05(木) 19:40:00
関係ないついでに書くと、上の池谷(『進化しすぎた脳』の著者)のHPにある
西洋名画壁紙チェンジャーアプリはなかなかいい。
XP以後では動作しないようだが、、
古いパソコンに入れて流しておくと、気分転換にとてもいい。
http://gaya.jp/programs/ArtWall.htm

859タター:2012/01/21(土) 13:55:40
>856
切り出しサンクス!
ようやく仕事が一息ついたんで、この週末にでももう一度聞いてみる。
遅くなってスマン。

しかしアレだな。
何の知識もない分野を聞くのは厄介だな。
音声は拾えても、背景がわからんので、内容がち〜んぷんかんぷんだw
Nが折々に書いてたレスを思い出しながらの拾い聞きだった。

860N:2012/01/22(日) 09:21:14
>>859
他県の図書館からの取り寄せは、相手図書館で予約がつまってるようで
いつになるかわからんと言われた。
ゆえに、相変わらず急いでいない。
(もうリストはできてて、あと該当書の奥付を確認するだけなんだが)


>音声は拾えても、背景がわからんので、内容がち〜んぷんかんぷん

うむ、おっさんにとってのギャル語みたいなもんか。
母国語でも専門用語を羅列されればちんぷんかんだしな。
ともあれ
こっちは専門用語がとびかっているのかどうかすら判らんレベルだw
どっちかというと、あれは雑談っぽいのかと思って気軽に頼んだが、
悪かったかな。

いちおう再度書いておくと、知りたいのは
1957年に「出版」した、といってるのか、
出版の準備を始めた(編集・執筆を始めた)、と言ってるのか、「だけ」。

しかし、まぁ、
言葉というものは、結局
「イメージを喚起する」道具にすぎないのかもしれん。
(数学も含めて。 ただ
 日本の法律、役所・契約文書はわざとイメージを喚起させないよう書かれてる気が
 しないでもないw)

861:2012/02/01(水) 20:05:20
>>859
他県の図書館から本が届いた。
1958年できまりのようなので(ロロメイの序文に1958年2月とはっきり記されていた)
もし、あのインタビューで1957年に出版したと言っていたとしても、
本人の記憶違いだろう。

騒がせてすまなんだ。 

wikiに試し書きしてプレビューしてみたらあちこちわけのわからん事になってるんで
これから書き込み用の記号をコツコツ勉強だw

862タター:2012/02/03(金) 08:23:57
>>861
うわー、スマン!

前のレスんときの週末に聞くつもりだったんだが
次の仕事が早まったもんで急にバタバタしちまって
とりあえずNに一言残そうと思ってここに来たんだが……

ホント、スマンかったーー!!

ついでに、はるか昔にやると叫んだ『Primal Scream』も
覚えてはいるんだが、どーにもこーにも……
年単位で気長に待ってくれ。
Nにもロイ達にもまとめてあやまっとく。悪い!!

863N:2012/02/04(土) 23:17:49
いや、こちらこそ気軽に頼んで悪かった。
”パブリッシュ”が聴き取れただけでも収穫だったのだ。

『原初の叫び』は、ひょっとして実存主義っぽいのだろうか(年代的に)。
ロロ・メイ読んでるとアメリカの50〜70年代はかなり実存主義が盛んだったのがわかる。
日本だと同時期大江けんじゃぶろうのサルトル傾倒が表面的に一種の流行だったようだが。
ま、大江はまだ翻訳されてないサリンジャーとかの文体をパクったという噂もあるけどw

kusamuraを使ってくれても構わんぞ。
原文を小分けにして、それを引用タグで前後はさんで
とりあえずスレッドを立ててしまうのだ。
あとは、気が向いたときに、それを見ながら、ああでもない、こうでもないと苦心してみるのだw
(何度でも書き直しできるのがあそこの利点)

864N:2012/03/16(金) 22:40:10
吉本隆明 死す、、、、

865N:2012/03/16(金) 22:47:02
http://www.47news.jp/47topics/e/226748.php

866N:2012/03/22(木) 00:49:58
怒りについて想念が浮かんだので
木の葉に乗せて流しておこう。

怒りは、個の内部にたまっている場合、
行動のエネルギーになることもあるが、
エネルギーの出口がないと自らをむしばむ場合もある。

もともと、怒りというのは外部との関係で現れる感情だ。
外部からもたらされるものは外部に押し返すのが本来だ。

問題は、「外部」をどういうふうに捉えるかだ。
漠然とした外部のままなら、目の前を通る他者たち、ということになり
アキバ加藤のようになる。
直接・具体的な相手だと、祖母殺しの彼のようになる。
もっとも彼は、「大衆」という外部を言葉でつくり、その代表としての祖母へ
刃を向けたわけだが。

俺は、具体的な、あるいは一般的な社会問題に転嫁した「外部」を設定するのが、
一番、楽な気がする。
相手の巨きさゆえに、解決の道のりが長くなり、
怒りのスパンが長く薄く引き延ばせるような気がするからだ。

政府の、あるいは国の、悪口が言える社会は、近代的な意味で健康な社会だ。

867N:2012/03/22(木) 00:53:35
ふむ。
あたまの中でだjけ、考えていると、もっと先まで想念は進むのだが
こうして、書き流し始めると、次の言葉がうまく出てこなくなった。

木の葉流し瞑想法は、確かにききめがあるようだw

868N:2012/03/22(木) 01:08:30
と、思ったが、やめたとたんにまた想念が溜まってきたw

中国、北朝鮮、戦中の日本、これらはいずれも
言葉に対する憲兵的干渉が行われ、
言葉にタブーを設けることで、国というメタ構造を維持しようした(している)政体社会だ。

言葉にタブーを設ける社会は、現・近代的な意味では
健康とはいえない。
国という共同幻想は、法という言葉で、あるいは宗教という言葉で成り立っているからだ。
(むろん、軍隊というものの所有が、国家成立の最低条件ではあるのだが)

言葉で成り立っている共同性において
言葉にタブーを設けることは、共同性の発展の阻害となるのは自明だが
そのことは、残念なながら、一般的な共通認識となっていない。

日本が活力を失ってきたのは、放送禁止用語なるものを筆頭に
言葉に「さわり」を作り始めてきたのが大きい。

869N:2012/03/22(木) 01:22:21
途中で、enterキーに指が触れてしまった。。l

前段最後、
言葉に「さわり」が出る、という言葉遣いは吉本のものだ。
このとき、吉本が批判した相手は、
読売TVかなんかのディレクターだかプロデューサーだかで
放送禁止用語を始めた男だ。

そう、もともと、放送禁止用語というのは、TV局が寄り集まって合意されたような
経緯ではなく、
たったひとりのプロデューサーだかディレクターだかが始めたものなのだ。
そのときはたしか「女中」ということばはけしからん、というような事だった。

その男は、このあいだネット検索したらどっかの大学教授かなんかになっていた。

想念が脇にそれたが、
ともかく、
言葉にタブーを設ける社会は、必ず、むしばまれる。
直接的、目先の統治としての言論統制はきわめて協力だが
迂回路を通して、必ず、社会を萎縮させ、ひいてはメタ共同体をおかしくする。

だから修正が働く。紅衛兵が一般大衆を糾弾してまわった文革しかり、
戦中の日本しかり、現在の北朝鮮しかり、さかのぼれば
禿童子が京の街中で、人々の話をスパイしていた平家政権しかり、だ。

うむ。
想念が千々に散ってきた。これも流し効果か、
いや、単に俺のあたまが長い言葉表現に向かなくなってきているのか。

きょうはこのへんにしといてやろう。(むろんここは吉本のちび芸人口調だw)
                               ↑
                           名前がでてこない。。w。。

870N:2012/03/22(木) 01:25:02
言葉にタブーを設けるほど罪深いことはない。
たとえ、それが敬神や善意であっても。

「善意の道は地獄へ通ず」

これも吉本で知った言葉のひとつだった。

871N:2012/03/22(木) 01:33:09
思い出したが、もちろん社会主義大国だったロシアもしかり、だ。
ソルジェニーツインの収容所列島には、ことこまかに
相互監視・牽制社会のありさまが描かれている。

スターリンの写真が載った新聞紙のうえに腰掛けただけで
逮捕されシベリア送りになったとか、
お偉いさんの演説が終わったとき、誰が最初に拍手をやめるかを
監視しあい、その結果、いつまでも拍手が終わらないとか、
そんなのを覚えてる。

872N:2012/03/22(木) 22:44:58
>>869 <吉本のちび芸人

思い出した。 池乃めだか だw

873N:2012/03/22(木) 22:52:48
>869
ついでに訂正。 >きわめて協力→  きわめて強力
ついでに補足。

「だから修正が働く。中国文化大革命、
戦中日本の憲兵による見張り制度および隣組監視制度、云々」

これらはもともと、人々の自然な心理を権力によって強圧的に抑制することに
一時的には成功するが、
結果、体制自体が不自然で歪んだものになるので
長くは続かない。

日本は原爆を落とされ、敗戦した。
ソビエト連邦のような世界を二分するような勢いをもっていた強力な体制ですら、
結局70年くらいしかもたなかった。
紅衛兵運動の元締め、元・毛沢東夫人は5人組のひとりとして死刑になった。


むろん、それぞれの社会で生存せざるを得なかったものにはそれぞれ後遺症が残ったし
それよりなにより、その体制下で生存を続けられなかったものが万単位でいる。
カンボジアのクメールルージュもそうだ。
めがねをかけているだけで「知識人」と「レッテル貼り」され、
「思想改造」教育として農村へ送られたり、殺されたりした。

こういったものとベクトルとして同じなのが
「空気読め」主義だ。
俺は大嫌いだ。

874N:2012/04/07(土) 22:30:34
誤解されたくないので付け加えておくと
別に空気を読む人が嫌いなわけじゃない。
それ自体はその人の生き方だから俺なんぞが文句いう筋合いはない。

空気を読めと
まるで当然の正義のように人に「強制」する言動を見かけると
なんかしこりのようなものが煮えたぎる。

875N @チラシの裏:2012/04/28(土) 20:11:05
半分くらいは書いたwikiのロロ・メイの履歴が
イタリアwikiで採用されてた。
アメリカwikiの翻訳を無断ですると炎上するようだが
おとなしい日本人の俺はどっちかというとウレシイwwんだが
他に書くとこがないんでここでw

で、その履歴を書くときの参考に古本屋で買ったロロ・メイの講演の中に
「自分の中心」という考え方があった。
そこからいろんな敷衍が浮かんで拡がって、いずれ書きたいと思ってるんだが
ここに書くか、kusamura掲示板に書くか決めかねている。
GWの間にどっちかに書けたらなあと思ってるんだが
ま、なんか知らんが疲労しているのでそれがとれたらの話。

876N @チラシの裏 2:2012/06/01(金) 06:16:40
自分にプレッシャーを与えれば、少しは書けるかと思ったが
GWにはすこし「出来事」があって、そのあと、
頭がうまく働かなくなって(特に抽象的なことに関して)結局どこにも書けなかった。

レジェメ風に書き留めておくと
○自分の中心−対幻想においては、自分の分割
         -共同性からは、自分への侵入

○実存(我有り)は、
ロロメイら白人にとっては、「意志」の問題になるのに対し
東洋では、むしろ実存は、「無我」の境地へ向かう傾向にあるということ。

○実存は今では思想界の問題ではなくむしろビジネスマンなどの実践領域の問題になっている
我有り、世界と対峙す。 西洋的
我、世界に溶融す。  東洋的

など。
ここ最近の頭の調子からは
これらを、丁寧に、他人にもわかるように書くというのが苦痛でおっくうだ。
むしろ鬱の時のほうが頭は働いていた気さえする。
気分が沈んでいるときのほうが人はよく考えるのかもしれない。

877N @チラシの裏 3:2012/06/02(土) 22:01:51
>自分への侵入

たとえば、深夜のまったく人気のない交差点で
信号が赤だと、どこにも車の陰も形もなくても
なんとなく立ち止まってしまったりする。
(結局ばかばかしくなって渡ったりするが
 どこかひっかかりをもったまま渡ったりする)

共同性が自分へ「侵入している」というイメージは、
身近でいえばそういうことをさす。
あまりエッジの効いた例ではないが
なにも例をあげないより「感じ」がすこしはわかるのではないか。

おおげさにいえばこういった例がハイデッガー先生のいう
「世界=内=存在」ということにも通じていくし、
状況に応じて形式的な交通法規より自分の判断を尊重して信号を渡るというのは
白人が重要視する「意志」のもんだいにも通じていく、と思う。

878N (入院話):2012/08/03(金) 21:15:21
>>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1300368303/190
入院そのくらいで済むもんなん?


救急車で運び込まれた第2日赤病院で、最初は、
その晩のうちに帰宅して、骨折に関しては近所の病院で相談してくれという話だったんだよ。

それがCTで脳内に出血が見つかって、急遽、入院になったんだ。

で、救急病棟3日間−脳外科病棟2日間、脳のCT検査をメインに行われ
脳内の出血に拡大が見うけられない、ということで、
主治医が脳外科医から整形外科医に変わって整形外科病棟に移動したのが6日目。

移動した次の日に、やっと骨折の手術を受けた。
(全身麻酔、執刀医2名−3時間)

その時の説明では、全体で3週間の入院予定を提示されてたんだが、
俺が、手術2日後、挿れられてた尿道カテーテルを抜かれた次の日に
自力で立ってトイレまで歩いていけたので、
術後9日ほど経過を見る予定だったのが、4日目に「退院してくれ」といわれ
追い出されるように、退院させられたんだ。

このあたりに関しては、実は主治医とモメたんだが、ちょっと
いま、キーボードを長く打つのが、きついので、省略。
興味があるなら、サイド質問してくれれば、また改めて書くよ。
 なんつうか、
 今回の入院を通じて、なぜかしらんが、俺は個人特定されてもかまわない
 という気分になってんだ。
 
すぐにいろいろ書くのは、「身体的に」まだすこしきついが、
精神的には、この件に関して,質問があれば、
たいていの事には答えるつもりでいるから、書いといてくださいませw


なお骨折に関しては、
全治まであと2ヶ月ほどかかる、と言われてます。

879A ◆CPjaa6Nup6:2012/08/27(月) 06:42:13
わお、何ゆえ4日で???

880N (入院話):2012/08/28(火) 07:24:37
>>879
第二赤十字は救急も多いので、ベッドを開けてほしい、と言われたのだ。
それなら、ここは通うには不便だから、近所の病院に紹介状を書いてくれと頼むと
「それはできない」と言う。
近所の病院にも電話したのだが、「紹介状」がないと診るのはむずかしい、と言われた。

救急で運び込まれた時に診てもらった整形外科医は、手術の担当ではなかったが
「どうしてもというなら紹介状を書かないこともないが、」と言ってくれた。
しかし、主治医には3回ほど言っても「絶対に紹介状は書きませんから」と言われ
「これは、追い出されるという感覚だ。
 一階で対応ボランティアにここまでのバス路線を尋ねたが、ここへは直通のバスもないし通院はしんどい。
 納得して通院に変えるということではないことだけは しっかり認識しといて欲しい」 
 と言った。 

 以来その主治医は、表面的には低姿勢だw


退院した日は、乗り換えなしで行ける最寄りのバスまで2kmほど歩かねばならず、
炎天下を荷物を左肩に下げ、右肩は三角巾で歩いてて、途中で気分が悪くなり、
結局通りがかったタクシーを止めた。
目的地までの値段を聞くと「800円くらいですかね」というので乗った。

タクシーの中でも、事故の経緯やら、
主治医がどうしても紹介状を書いてくれない、という話をしてたら
タクシーの年配の運転手も、おかしな話ですね。だいたいレントゲンとかは誰のものなんでしょうね。
と妙に話がはずんだw

目的地につくと運ちゃんは
「ほんとは800円超えてますけど、退院祝いということで800円でいいです」と。
実際は1000円をすこし超えてたらしいが
ありがたく好意に甘えたw


そもそも、
緊急で運ばれたときも、最初は「数時間休んだら帰って、近所の謬院で診てもらってください」
と言われてた。
骨折くらいで入院はさせない方針の急性病院なのかもしれない。
結局、脳挫傷で頭内出血してることが判明して急遽入院することになったのだ。
だから、
最初は救急病棟でも病室の外に出ることを禁じられてた。
勝手に部屋を出られてそこで倒れられたら困るから。

4人部屋だったが、毎日朝夕おきまりの質問があった。
「名前」「今日の日付」「いま居る場所」の三つだが
同室の者は俺以外は全員、「いまいる場所」が答えられなかった。
そのレベルが入院する病院だったのかもしれない。

そのあと変わった病棟も「脳外科病棟」だったし、
骨折の手術は、あくまで脳の経過を診る課程で、ついでにした、という感覚だったのかも。

881zebla:2012/08/28(火) 15:57:53
大変だったね・・・
今もまだ通院してるの?

882N (入院話):2012/08/29(水) 08:31:08
>>881 週一回ペースで通院してる。

一回目はギプスの痛みがひどかったので予定日より早く行った。
このとき、市の交通局に電話して訊いたところ
病院から教えられた2km離れたバス停よりは近いバス停があることがわかったので
歩行に困難を感じていた初期にはかなり助かった。 
しかし11時に着いたが結局2時まで、三時間待ちだった。

2週目は脳外科と整形外科が別の日に予約を設定していたので同じ日に設定し直してもらった。
そのため、整形の主治医ではなく、2人で手術をしたもうひとりの方にかかった。
毎回、行くたびギプスをまき直しているが、
こちらの医者のギプスの巻き方はうまかったので傷みは軽減した。

先週は、親指と人差し指の間から外に出ているワイヤーを抜いた。
このワイヤーがギプスに当たると痛かったのだ。

いったいこのワイヤーがなんの役割をしていのか未だにわからない。
局所麻酔かなんかして抜くのかと思っていたが、
いきなり指でつまんで引っこ抜かれたw かなり痛かったが一瞬で終わった。
抜いた後が化膿してないかどうかみるため、2日後にもう1度来てくれと言われたので
交換条件として、今週は休みを勝ち取ったw
やはり主治医のギプスの巻き方が下手で、けが以外の場所が痛んだりする。


ギプスが取れるまでは通院させらると思う。
そして、骨がついてるかどうかは
骨を繋いでいるプレートもレントゲンだと同じように白く撮影されてしまうため
レントゲンではよくわからないらしい。
けっきょく、主治医の主観で骨折関連の通院期間が決まるということのようだ。

最終的には、
すでに来年の2月に決まっている脳のMRI撮影をもって
正式に通院が終わる(脳の画像が正常ならば、だが)ことになるのだと思う。

883A ◆CPjaa6Nup6:2012/08/30(木) 14:35:40
骨がそんなに。あちこちポキポキ?!

884zebla:2012/09/01(土) 07:35:21
大変だったねぇ。
通院も大仕事だね、こりゃ。
早くに回復していきますように。

885N (入院話):2012/09/03(月) 04:10:17
>>883
右の上半身がボキボキw 
そういや事故の状況をぜんぜん書いてなかったな。

夜の十時過ぎくらいに鴨川沿いの
わりと広い通り(川端通り)をバイクで走ってた。

四条通に近づいてきたあたりで
右折しようと思い、バックミラーを左右数秒ずつ見て(全部で10秒くらい?)、
前を向いたらいきなりそれまでなかった車が目の前にあって
(後から聞くと、細い側道から突然入って来てた)
ブレーキをかけるまもなく
時速5〜60kmのまま車の後ろにつっこんだ。 

ぶつかったの時の記憶はない。(たぶん路上に頭を強く打ち付けた)
気がついた時は、路上に放り出されていた。
救急車が来てて、周囲には人だかりがしてたから
十数分くらい気絶してたのかも。

右の肩胛骨のあたりがハゲシク痛むので
(実際には肋骨が4本折れてたあたり)ぴくりとも動けず、
体の下に担架をさしこまれ、
その体勢のまま救急車に乗って病院に担ぎこまれた。
(たぶん夜の11時ちょい前くらい)

そっから検査やら点滴やらいろいろあって、
けっきょく入院が決まったのは夜中の2時頃だった。
(前にも書いたが
 脳出血が発見されるまえは、そんなボキボキ状態wでも
 第二赤十字は、家に帰す予定で、「明日近所の病院に行って下さい」と言われてた)

先週、骨折についていろいろ検索してたが、
割と同じような状態の人のブログがあった。
その人は自転車(ロードサイクル)で自動車にはねられたか、幅寄せされて転倒したかで、
脳挫傷、鎖骨骨折、肋骨4本骨折と、かなり似た状態。
(俺の場合は、鎖骨は2カ所と親指の根本の手根骨骨折がプラスされるが)
その人は34日入院してたらしい。

前も書いたが、急性病院の感覚は、普通の病院とすこし違うようだ。

886N (入院話):2012/09/03(月) 04:35:08
>>884

前レスにも書いたが、最初にとにかく痛かったのはろっ骨。
それから手術までとにかく痛かったのは鎖骨。

入院当初は、毎日何回も「10のうちどのくらいの痛みですか。」と訊かれた。
自分で覚えてる答えは
「歯医者で麻酔なしにドリルが当てられたのを20として10くらい」

骨折の治癒期間についていろいろ調べてると
ろっこつ>鎖骨>親指の根本
ということらしい。
一番ジミで目立たなかった親指根本の粉砕骨折が
一番治りにくくて、時間もかかるらしい(8週間以上)。
たまにだが、うまく治らないこともある、とか書いてあってびびるw。
この
親指根本の骨折がなければ、事故から(手術からも)一ヶ月以上たってるのに
こんなこまめに通院する必要はないんだろうと思う。
とにかく、
自炊なので、利き手じゃない方の片手生活は日々不便だ。
しかも現役でまだ痛んだりしやがるので
副作用つき痛み止めを4種類、まだ飲まなきゃならん。

骨折したあとの骨は強くなるというのは違うらしい。
いったんは多めに形成されるが、そのあと、基の骨に合わせて
自分でトリミングして元の太さに戻すらしい。

ほんとに人体というのは、
数億年の積み重ねでできた偉大な作品だ。多少の欠陥があろうとも。

887N (リハビリ):2012/09/17(月) 23:03:06
リハビリの支えになってる話。

ギプスが半分取れることになった日、
診察前の待合で、同じように右手親指中手骨骨折のじいさんが隣に座って
話しかけてきた。 カーテンレールを切ろうとしたらグラインダーが破損して
サンダーの部分が割れて飛びちり、それが当たって骨折したと言っていた。
仮に山本さんとしておく。その山本さんから聞いた話。

山本さんの釣り仲間に、膝のギプス3ヶ月で膝が固まってしまい
そのあと5年くらい膝が曲がらずびっこ引いてた人がいたそうだ。

その人も含めて数人で渓流に釣りに行った時、
その人が滑って、岩の間に曲がらない右足が挟まれたまま後転したそうだ。
大激痛でものすごい悲鳴をあげたその人のところへ駆けつけてみると
5年間まがらなかった右足が曲がっていたそうだ。
で、以後、普通に歩けるようになった、と山本さんが言っていた。

偶然その日の診察で、その日からリハビリを始めることになったのだが、
リハビリ室で、まったく曲がらない右親指を「このままほっておいたら一生そのままですよ」
と言われたあと、かなり強引に曲げリハビリを受けた。
ま、けっこう痛かったが、
山本さんから聞いた、釣り仲間の大激痛に比べたらこんなのまし、と思えたw

その後も、その話が頭からはなれず、
けっきょくリハビリというのは、
その大激痛を、小分けにしてちょっとずつ支払ってるようなもんだ、と思うようになった。
痛みを分割払いして、大激痛一回分に匹敵するくらいまで貯めるのがリハビリなんだな、と。

888N:2012/09/17(月) 23:15:03
偶然となりあって一時間ちょっと話しただけだが
山本さんの話はいろいろ妙に印象に残ってる。
今だに謎なのは、
ギプスをつけたままの右手で、その日の昼のうどんを
病院付属の食堂で、箸を使って喰べてきたという話。

親指以外の、四本の指で箸を使って、うどんを喰べたというのだが
いったいどうやったのだろうか?
いろいろ試してみたが、
塗り箸で汁うどんをつまむというのは至難の技であると思う。

889zebla:2012/09/19(水) 20:32:17
コテつけるとあぼーんされちゃうから外してみる。
コテ外してまで読ませんじゃねーよの場合は脳内あぼーんしてくれ。

>>887
前にも書いた気がするが、
バイク事故で左小指第二関節を潰した時は、
湯船の中で温めてから痛みを堪えて曲げ続けた。
約30分銭湯の湯船でやってた。
膝をお湯に浸せない時は、ビニール袋で濡れないようにして湯船に入った。
全然曲がらなかった指が半年で曲がるようになった。
今では自分の意志で曲がる。
リハビリイコール痛みというのはその通りで、
曲がるように腱が剥離していくから痛む。
一ヶ月続けても、ほんとに曲がるんかいな?
って感じだったが、今では見た目以外は普通だ。
薬指の第一関節は腱が切れたので外には自分の意志では曲がらないけどね。
根気よく頑張ってくれ。

890N:2012/09/20(木) 19:36:19
>>889
ネットでいろいろ検索してみると
関節軟骨の挫傷・損傷は骨折と違うたいへんさがあるみたいだね。

そういえば数年前に、
背骨のまんなかへんの軟骨の変形異常を患ったことがあるが、
背骨の手術はリスクが高く、
むしろく変形の進行にまかせて骨同士がくっついてしまえば
神経性の痛みはなくなるということで、
治療もリハビリもせず放置する、という方針に決まったのを思いだした。

温めるのがいいのは共通のようだ。

今回の場合、親指にプレートも入っていてそれがちょうど関節の部分にもかかっているため
ちょっと特殊条件が付加されてはいるけれど
「半年」くらいは覚悟しなければならないかもしれないというのは心にとどめておくことにするよ。サンクス。

891N:2012/10/01(月) 05:05:08
曲がりは順調に進んでるが、(目標54度、現在40度ちょい)
それにつれて、右手を使う回数が増えたためか、
それともリハビリのやり過ぎなのか、
手首が痛んだり、なにより肩から上腕にかけて、奇妙にびりびりとした痛みが走るようになって
これは想定外だった。

接骨院のC先生によると「胸郭出口症候群」の疑い、
リハビリの理学療法士は、事故の時に鎖骨・親指以外にも損傷があったのではないかと疑い、
主治医だけはろくにさわりもせず「あ〜痛いですか」で終わり。

892zebla:2012/10/02(火) 21:24:12
再びコテを外すが、
精神衛生を優先するなら読まないことを推奨する。

リハビリは痛みそのものという意見を覆しはしないが、少々補足したい。
大きすぎる痛みはリハビリを阻害する。
リハビリの基本は、ストレッチ&ホールド。
伸ばして、痛みが生じたらその状態を保持するのが基本。
30秒から1分が保持する時間だ。
肉体が損傷すると、肉体は再生を試みる。
その過程で、諸々は癒着する。
接着剤で固めるようなもので、ガチガチに近くなる。
それを剥がすのが、リハビリで痛みを伴うものとなる。
急ぐあまり、ストレッチして、ホールドするところを更にストレッチすると
当然ながら痛みとともに更に損傷を招く。
そして損傷は癒着を産み、リハビリは停滞もしくは後退する。

>>891の状態を判断しかねるが、
危険もあることを念頭に置いて欲しい。

893N:2012/10/09(火) 13:38:20
>>892
忠告いたみいる。ま、おおむねその方向でやってる。

最近、
肩痛の解きほぐしで通ってる接骨院(整形外科医の了承を得ている)のC先生から聞いた体験談を聞いて、
指系のリハビリ痛は「まっすぐ」に近い時の方が大きい、という仮説を抱いた。

C先生がバスケット部員だった高校生のころ
薬指を脱臼をし、そのまま数ヶ月放置していたところ、曲がったままになってしまった。
それでリハビリに通ったのだが、
曲がった状態からまっすぐの状態へすすむにつれてリハビリ時の痛みが増大し、
最後、指を完全にまっすぐにす段階のリハビリでは、そのあまりの痛さに
もともと痛さには強いという自信を持っていたC先生が、
苦悶に身もだえ、こらえきれずに涙を流した。という話。

つまり、まっすぐから曲げ始めた時が一番痛かった俺の場合と
まっすぐになるにつれ痛みが増していったC先生のデータ数わずか2つから導いた頼りない仮説だw


>>891の状態は、別の原因が絡んでる可能性がある
 (事故の時に右の上半身が頭−鎖骨−ろっ骨−親指まで傷んだのに肩だけ何もなかったいうのも不自然だ)
 ので、気にしないでくれたまへ。

894N:2012/10/19(金) 07:45:06
本日、2度目の右手ペットボトルふた開けに成功した。

Ⅰ度目は4日ほど前だったが、そのあと親指周辺の腱が痛みが強くなり
本のページを摘んでめくることも痛みが伴う状態が続いていた。
接骨院で親指の根本  (母指球筋 http://www.joa.or.jp/jp/public/sick/condition/img/carpal_tunnel_syndrome_01.gif
をマッサージしてもらったり(かなり痛いw)、
すこし自主リハビリを控えめにしたりして、今朝は親指を動かしても痛みがなかったので
2リットルジャスミン茶のペットボトルに挑戦したところ、数回トライで開けるのに成功した。

ペットボトルの蓋を開けるというのは、ここ数ヶ月来の念願だったのだw

895N:2012/10/21(日) 20:12:48
考えてみれば、小学校低学年のときの扁桃腺手術以来の入院だった。
担任のおばさん教師の差し入れは、なぜかパスツールの伝記だった。

謎につきあたったとき、いくつか仮説を立て、
それらをふるいにかけながら、すこしづつ真理に近づいていくパスツールの姿に
けっこう影響をうけた気がする。
小学校高学年になったとき学級会でわりとよく意見を言うようになった。

しかしある時、高学年の担任だった女教師に「理屈が多い」と言われ、
(しかも理屈のうえに「屁」をつけられてw)その後、学級会で発言することはなくなった。
いま思いかえしても怒りが沸く。

おそらく、俺以外の同級生も傷つくようなことを、あの女教師にそれぞれ言われたのだろう。
弟の方は小学校を卒業したときのクラスの同窓会が頻繁にあったが
うちの卒業クラスの同窓会はついに一度も開かれなかった。

ともかく、小学校低学年のときの読書はけっこう、その後に影響するのかもしれない
と、いま初めて気がついた。

896N [リハビリ・(私記)]:2012/10/28(日) 21:54:54
ペットボトル蓋開けの自信は、以外と大きい。
先週土曜日、予想より早く自転車を試す気になった。
3kmほど離れた新規のラーメン屋。

レバーを握るとき少々痛みが走ったが、肩の痛みは思いのほか小さく、走りだす気になった。
これは予想外だったが、乗って歩道を走りはじめると、かすかに恐怖心が湧いた。
しばらく走ってると薄れたが、これがバイクなら、どの程度の恐怖心が湧くか予想がつかなかった。
もっとも、バイクは事故で廃車になってしまったので、
またKモータースに頼んで中古を2年分割でお願いすることになる。それはまだ先の話。

ばあさんのチャリンコが追い抜いていく。いま京都でもっとものろいチャリだ。 それでよい。

意外な障壁はチャリンコの鍵。すっかり錆ついていて固かった。傷ものの右手では無理。
左手でも苦労した。 

 (ここで思いたち、接点復活剤を持って部屋を出、吹きさらしのチャリ鍵に噴きかけたところ軽くなった。
  ついでに、不安材料のなくなったチャリでそのままラーメン屋へ出かけた。
  事故を起こした日に行こうとしていた7月開店のラーメン屋だ。 
  やや薄めで普通の背脂醤油だった。めんが妙に立っていた。 自家製麺だった)

初回チャリの後、しばらく肩が痛んだが、
3日後にはまたチャリに乗って、三条河原町にできたつけ麺屋に行った。
結果この一週間で、新規のラーメン屋4軒。あほ、だ。 かまわん。

リハビリは、進んでも一晩たつと戻ってしまう、の繰り返しで半月以上、
ただ、痛みはすこしづつましになってる。         以上。

897N [リハビリ・(私記)]:2012/10/31(水) 03:00:08
昨夜もチャリで新規のラメン屋だ。一週間ちょいで5軒目だ。
7月から10月までに20軒近くのラメン屋が開店しているのだ。
そして、半年もたずに閉じた店もけっこうある。

木屋町のごったがえした細い道をチャリ通行したわけだが、
我がトロトロ運転では、前を歩く若い兄ちゃんを追いこせなかった。
なかなかのもんだ。

−−−−−−− ところで −−−−−

親指を曲げてペットボトルの蓋を開けれるのに
まっすぐにすると
なぜティッシュを摘むのさえ痛みが走るのか?
今日、ひとつの理解の仕方が浮かんだ。

テコを思い起こせばいい。
親指を曲げて力を入れたとき、支点は、親指の根本にあるが
まっすぐにして動かすと、
支点が、手根骨の底部(母指球の手首に近い側)-つまりピンが刺さっている骨-のあたりになる。
だから、ほんのすこしの力でも荷重が直接伝わる。

これが正解ではないか?

こんな簡単なことに気づくのにずいぶんかかった。
明日は3週間ぶりの通院日だ。 担当医に尋ねてみよう。 うむ。

898N [リハビリ・(私記)]:2012/11/01(木) 18:56:01
’治療’としてのリハビリは終了になった。

指の「てこ」理論に関して、
主治医は首をひねって「う〜ん」というのみ。
改めてなぜ、指を伸ばした状態では摘む・掴むで痛みが走るのか、聞いてみたが
これに関しても「う〜ん」のみ。 

リハビリ療法士は、「おっしゃるとおり」と肯定。
なぜ痛みが走るのかについては「あくまで可能性」として
骨折箇所に入っているプレートが、その下にある腱を押さえつけているためではないか
と、それなりの推測をしてくれた。 
プレートが下を走行している腱を押さえつけていることは、理学療法的にはあきらかであるらしい。
主治医はそこも「プレートは骨にきちんと沿っている」と述べて、それすら否定的だった。
ただ、次の診察で「リハビリの先生がこう言っていた」と言えば、そこは認める可能性があるが
もう、どうでもいい。

昨日の最後のリハビリで、療法士はそれまでと違って
ソフトに母指球を揉みながら親指を、これまたソフトに、さするように伸ばすという運動を
10分ほどしてくれた。 その時はなにをしているのかわからなかったが、
今日、痛みがかなり緩和している。 

どうやら、痛いだけがリハビリではないのかもしれない。
というより、
「治療」としてのリハビリと「回復」あるいは「緩和」のためのリハビリがあるのかもしれない。
しかり、整形外科と連携したリハビリでは、親指が目標の角度まで曲がるようになれば
それで終了ということになるのだろう。
最後は、
「あとは、自分で工夫してください」と言われて終了となった。 

ところで、昨夜は12時間寝た。
指の痛みの軽減が、リハビリにあるのか12時間睡眠にあるのか判断できんが、
とりあえず、なんでもいい、楽に、小便さえできれば(あの摘む動作がこれまで痛みなしに行えなかったのだ)。

899A ◆CPjaa6Nup6:2012/11/26(月) 15:19:43
メモメモ

900N [リハビリ・(私記)]:2012/11/26(月) 23:46:21
>>899
高齢おっさんの症例は、若い(若すぎるw)坊ちゃんにはあてはまらないだろうと思う。

将来、A自身、パートナーとかそのご両親が同じようなことになった場合は
多少参考になる面があるかもしれないが。
(Aもまだ若いらしいが、骨の状態とかは高齢おっさんに近いのかもしれない、という印象に基づくw)
当然、怪我の状態によって予後も違ってくるだろうが。

ま、参考になるかどうかわからんが、
三角巾がとれたあとの固まった肩のリハビリとして教わったのは
両手を後ろで組む、という簡単なものだった。
痛くなくなったら後ろで組んだ腕の角度を深くしていく。

俺は親指のリハビリに全力を投じてて、肩のリハビリをサボっていたので
今になって報いを受けているという感じだw

治療にはならないが肩の痛みが固定を外したあと頻繁に起きるのであれば
対処療法としてロキソニンバップを処方してもらうのもいい。
痛み止めと抗炎症の作用があり
柔軟性と接着力が市販のばんそこより強力なので剥がれにくい。

901N [リハビリ・(私記)]:2012/11/27(火) 00:09:03
自損事故として申告すれば、最低限の条件しか入っていなかった任意保険でも
通院補助費がでることが最近わかり
それが接骨院でも使えると知って、最近急に熱心に通っている。
我ながら現金なもんだw

902N [リハビリ・(私記)]:2012/11/27(火) 00:18:49
京都府の国民健康保険からは
数ヶ月遅れで、保険適用前の医療費が通知されてくるのだが、
7-8月の入院費(手術費を含む)は、額面的には115万円だった。
これを生で払えと言われたら貧乏な俺は破産してた。日本国には不満な所も多いが、国保制度だけは
アメリカ人じゃなくてよかったと思わざるを得ないw。
(すべて無料のキューバにはかなわないがw)

903N [リハビリ・(私記)]:2013/01/31(木) 05:24:49
もう半年以上経つが、
親指を開くと痛みが走る状態はいっこうに改善しない。
具体的にいうと、
CDを掴もうとすると親指の根本が痛みやがるのだ。
以前Rが書いていた「日にち薬」という言葉に腹がたつ、というのがわかった気がする。
先が見えない状態で「薬」もへったくれもあるか、コノヤロ! という感じだ、コノヤロー

904A ◆CPjaa6Nup6:2013/02/06(水) 09:02:34
森美術館 で開催されている
会田誠の「天才でごめんなさい」が物議をかもしている。
正直、個人的に苦手なものが多いけれど
この人を否定はしない。

戦争画リターンズなどは大変よい。


見たくない人は足を運ばなければ良いし
さらに過激な作品は「18禁部屋」展示だそうだし
とりあえず、資料
http://paps-jp.org/action/mori-art-museum/
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-January/022250.html
この資料に書かれた扇情的な作品は18禁ゾーンでの展示なんですね。
 Webサイト(森美術館の)からは削除されたなら
どこが問題なんだろう?

真に欲望を実施するものたちは
ポルノ作品なんかみなくても実施するんじゃないかな。

作品を
描くな、展示するな
はなんか違う気がする。
美術館はあらゆる自主規制をすべきではないと思う。

905zebla:2013/02/07(木) 11:29:21
規制したがる人は実際の被害者のことなど1ミリも考えたことがないというのが定説よ。
自分が嫌だからダシにしてるだけ。
あと警察が楽なお仕事を増やしたがってるのと、宗教絡みの利権。

906zebla:2013/02/07(木) 22:39:09
美術館側から「法律に反しない限りは展示する」との回答が出ましたよ。
http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/message.html

907N:2013/02/08(金) 10:17:47
そもそも最初から18禁部屋として展示することになっていたようだ
http://moriartmuseum.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/11-3dba.html

会田誠のツイッターにはいろいろ関連するツイートや
抗議団体や賛同者の集会などが紹介されてるな
https://twitter.com/makotoaida

----------以下個人的意見・感想

今回初めて会田という人の作品を見たが、
社会的なメッセージ性(本人のいうところの皮肉=アイロニー)の強い作品は
個人的にはあまり好きではない。
それよりは犬シリーズのような、内的なゆがみを表象させているような作品のほうが
個人芸術としては好みだ。

というわけで>>904 の会田作品に対する好き嫌いはちょうど正反対になってしまうけれど
後段に関しては、全面的に、賛成します。



表現者としての個人を組織、団体が叩くというのは原則的に汚いやりくち

上の会田誠のツイッターで紹介されてる抗議者たちの言い分は
もっぱら「自分の支持者」へ向けられたいかにも「党派」的なものいいに溢れていて
むかしの解放同盟の暴力糾弾と同じ体質を感じる。
啓蒙主義者というのはなんで
こうもいやらしいまでにモラルエリートである自分に疑いをもたないのだろうか?
なぜなら、それでメシを喰ってる(公的援助や協賛金など)から、としか言いようがない。

というわけで、>>905もほぼ全面的に賛成。
「宗教絡みの利権」という部分だけ、こちらの情報不足でいまいち把握できてないけど。

908N:2013/02/08(金) 10:41:44
会田自身は、
ツイートの中でエゴン・シーレ(たぶん女性の自慰を描いたデッサンなどのこと)に言及してるけど
2月5日の
「深夜、最後のツイート。 今、すんげ??闘志がフツフツと湧いてます。
「次回作は、そこらのカタブツどもがビビってションベン漏らすほど、
 すんご????く渋くて地味なシリーズ作ってやる??」っていう。」
というのは、すこし気になる。

ボッティチェルリが、サヴォナローラの神権政治下で、
「すんご????く渋くて地味なシリーズ作」に転向したことを思い起こさせる。
もちろん、会田という一筋縄ではいかなそうな人物のアイロニー表現とはわかりつつも。

なんにせよ、糾弾される個人も、ツイッターをつかえば、
団体・組織と渡り合える、という点で、昔とすこし状況が変わってる、ってことを
この問題を教わって、いろいろ検索してるうちに実感したのはやや収穫。

909zebla:2013/02/08(金) 16:51:05
今回は美術館の姿勢がぶれてなくて本当によかった。

宗教絡みの利権というのは、今回に限らず表現の規制をしたがっているところが
宗教的倫理観に基づいてやってることが多いという話ね。
幸福の科学やキリスト教原理主義等、純潔主義を掲げてるところ。
宗教団体は票を持ってるから、政治家がなびきやすい。
政治家は興味がないから取引に使いやすい、みたいな話です。
子供や女性がヒドイ目に!って言われたら逆らいにくいしねえ。

AKBの写真集で少し話題になったけど、児童ポルノ禁止法辺りを調べると色々出てくるです。

910N:2013/02/10(日) 19:55:24
>>909  りょ!  (これを一度使う機会を与えてもらってありがたい)

なるほど、言われてみればたしかに宗教は美術・芸術を弾圧の標的にすることが多いな。
古くは、キリスト教徒によるアレクサンドリア図書館・博物館・美術館の破壊
前述の「清廉潔白」な修道士サヴォナローラによる“虚栄の焼却”
タリバンによる石窟大仏の爆破、 などすぐに思い浮かぶ。

さらに、原理主義という単語を見て、あぁそうだな、と。
原理主義は、つまるところ頑迷な教条主義だし、狭量で幅がない。

そういう意味では「イデオロギー」も思想と言うよりは宗教に近いしな。 
イデオロギー(○○主義−○○に入るのはマルクスでも国家でも民族でも何でもいい)
は、絶えざる自問自答を繰り返す思想や哲学と違って、ただの信念に近く
柔軟性のない教条主義をふりまわして他者ばかりを責め、
自らを省みることのない点で、視野狭窄の原理主義的宗教とまったく同じ。

「狭い」をシソーラスで引いてみると

「度量が狭い ・ 料簡が狭い ・ 視野が狭い ・ 狭量な ・ 偏狭な ・ 偏屈な ・ (考えが)小さい
差別的な ・ うたぐり深い ・ 猜疑心の強い ・ (心に)余裕がない ・ ギスギスした(社会) ・
 小心な ・ こせこせする ・ いじましい ・ ケチな(考え) ・ ちぢこまった(考え) ・ おおらかでない ・
 大様(おおよう)でない 」

と、まさに原理主義者そのものの姿がでてくるから面白い。

イデオロギーによる芸術・美術・言論に対する弾圧・抑圧も
ナチズム(国家社会主義)の退廃芸術焼却をはじめとして、
戦中の日本(明治時代にも黒田清輝の裸婦展示問題があったが)、
旧ソ連、文化大革命の中国など、枚挙にいとまがない。
すべて「健康」的な文化以外は認めないという点で、完全に共通してる。
健康 などということを大上段に持ち出す奴は用心したほうがいい、という教訓だなw
今回の抗議をした元・軍人擁護会やら女権運動家(マルクス主義からの転向者が多い)やらも
その資質からすればソフトファシズムやソフトスターリニズム(吉本の用語)みたいなもんだ。

というわけで、いろいろ納得した。

911N:2013/02/10(日) 20:13:28
そういや、明治時代には天皇原理主義者が廃仏毀釈をやってたな。

912N:2013/02/10(日) 22:13:49
イスラム原理主義や、5世紀にムセイオン破壊を行ったキリスト教徒などの
源泉となっているエホバの命令は、
申命記の第5章、つまり十戒の声明に依ってる。

ほかの、汝殺すなかれ、や汝、隣の妻を貪るなかれなどと比べて
偶像に対する破壊の命令は、異様なくらい熱がこもっている。

すべての民族主義の心性は、旧約の申命記やヨシュア記を読むと
そのすさまじさがよく解る。 
これに比べればマキャベリなどはとてもソフトに思えるくらいだ。
じっさいマキャベリは、支配のコツとして、善政をひくことをあげてるくらいで
ところどころ、孟子の言ってることに通じる部分がある。

旧約のエホバにはそんな部分はない。
砂漠の思想と言われるのも、さもあらん、と思わせる荒々しく乾いた恫喝と敵意に満ちていて
そもそもエジプトのような「征服」という考えすらなく、
エホバがイスラエルの子孫に約束した土地にすむエホバ以外の他神を信ずるものたちの子孫は
あたりまえのように「滅亡」させることが神の命令となっている。

この古代の心性は、いまもイスラエルやイスラム原理主義や
白人キリスト教国の底に流れているリアルなしたたかさの底流に流れている。
聖書はいまでも読まれ続けているから。
創世記以外の旧約も、一度は目を通してみる価値がある。

(というか、俺も今回はじめて流し読みじゃなく申命記とヨシュア記をじっくり読んでみて
 エホバの思想のすさまじさにたじろぎ、どこかに吐き出したくなって
 こうして書いているわけだ。歴史学的視点もふまえて冷静に読めるようになるには
 もっと勉強が必要なんだろうな)

913N:2013/02/10(日) 22:32:45
昨年、 「集団愚」 「集合悪」 という言葉を思いついたことがある。

個々の成員の内心をさぐってみれば、
集団や組織のたてまえの愚かしさをわかっていても
集団愚に流される。  

そもそも集団・組織が愚かしいことを行うことと
その成員ひとりひとりを見れば賢い奴もいるということが
矛盾せず両方存在する、それを集団愚という。

個人としての賢い意見も、集団のなかにいる場合には
ほかの成員との妥協や、他集団への集団的な結束を第一義とする
自己存在のみを目的化して、もっとも通りやすり妥協案の前に引き下がる。
これは
集団・組織が根源的にもつ宿命のようなものだ。

集団・組織は、成員の賢さとは別の力動因をもって、
かならず集団愚に陥る。 
すくなくとも日本ではそうだ。外国は観光旅行すら行ったことがないのでようわからん。
すこしは外国においてどうなのか、を考えてみる必要があるのかもしれないが。

914N:2013/03/03(日) 05:01:17
今日、スーパーで割り込まれる夢をみた。
買い物かごをレジに置いていたら、
あとから来たおばはんがレジの兄ちゃんの前に自分のビン牛乳をどんと置きやがった。
ムッとして、その牛乳瓶のまえに買い物かごを割り込ませた。
当然、レジの兄ちゃんが俺のほうを精算しはじめたら
おばはんがごちゃごちゃ言い始めたので、
「なんだあんたは。自分を中心に世界が周ってるとでも思ってるのか」
と、言い募ったところで目が覚めた。

そしてふとおもった。
引用した申命記の民族主義(選民思想)と、自己中心主義は似ている、と。

自己中心主義と個人主義と利己主義はそれぞれ違う。
自己中心主義=個人主義ではないし、自己中心主義=利己主義でもない。
これをわざと混同させる奴は非常におおいが、違う。

個体は、皮膚によって閉じられているので、当然
すべての個体は、相互に独立している。
そこから、いろいろな態度の違いがでてくるのは当然のことだが
そもそも、各個体は生命史の中で発生しているので
生命史の連続を保つため、同時に共同性も生まれる。
クラゲやイソギンチャクのような群生という発達のしかたをする類もある。

(へんな終わり方だが、思考がここでストップしてしまったので終了w)

915N:2013/03/24(日) 12:35:21
たいした理由じゃなくても
一度呑み込んでしまった言葉は
外にで出づらくなる傾向がある。 >おしゃべり、日常会話について

今朝NHKで「雑談力」というテーマで番組やってた。
人が一番よろこぶのは「失敗話」だそうだ。

俺がしたかったのはそんなコミュニケーションとかいう高級なレベルじゃなく
もっと初歩的な話だ。

そのことについて考えたのは、
もと緘黙児で、ずっと無口だった俺が(ま、今でも会話名人のおばさま連に比べれば断然無口だと思うがw)、
最近、接骨院では比較的よくしゃべる患者になったからだ。
おおもとは、入院の後半一週間、隣のベッドで寝ていた人と話すようになったことだった。

−−−−−−−今、急激にPCが重くなった。
マウスは引き摺るような感じで数秒遅れるし、
パソコンの音には、やたら雑音が入る。
ウィルス検査ではなにもひっかからないし、
メモリもCPUもとくに多く消費している訳でもない。。
とりあえずは再起動すれば治るはずだが、(一週間ほどまえからこの症状があらわれはじめた)
いまDLしてるので(P2Pなのでいつ終わるかわからない)
ダウンロードが切れるまでは再起動したくない。
------------- ということで、いったん休止----

916N : 日常会話について:2013/04/03(水) 23:21:31
けっきょくOSを再インストールするはめになった。
さて、
大部屋の話は面白いがなかなか本筋にいけないからやめる。
まだ記憶の比較的残ってるあいだに一度は書いてみたいのだが。

とにかく、退院後、
接骨院に頻繁に通うようになると
怪我のいきさつ、日々変わる状態・調子、
いろいろ伝えなければならなかった。

数ヶ月、週に数回(多いときにはほぼ毎日)通ってるうちに
昨日なに喰ったとか、近所の店がどう、とか、
話の中身がだんだん病状から離れていき、
接骨院で流れてるBGMのCDなんかまで作り始めたりする状態になって現在に至っている。

そんな背景から日常会話について考えてみたことがあった、という話。



なにを考えたかというと、
人と人がしゃべることは、いくつかに分類できそうだ、ということ。

〜ここからが本題


まず、第一分類は 『用件』 。
 

「ちょっとそれとって」 「あとで」 「今夜は遅くなるかも」
「さっさとしなさい」「ちょっと待って」
これらは『用件』。
約束、頼み事、要求、苦情、それからいわゆるほうれんそう「「報告」「連絡」「相談」」など
相手の具体的な行動(制止・精神的な提供も含む)を促すのが用件、
といちおう定義しておく。 


『用件』の量は関係に応じて変化する。
用件が多ければ、関係の密度は高い、といちおうは言えそうだ。

逆に関係が深いから用件が多いとはいえないかもしれない。

親と子の間(特に母子間)は用件が多い。
親の側から子にいろいろ行動(または制止)を求めることも多いし
子供側からもあれして、これしてと、特に母親に対しての用件は多い。

考えてみれば、赤ん坊が泣くのも
感情を伝えるというよりは、「乳呑ませろ」とか「おむつを替えてくれ」
とか、間接的な用件の場合がかなり含まれてる気がする。

空腹とか気持ち悪さとかあるいは感情的な不安とか
泣くことを促す具体的な現象があるから泣くわけだが、
とにかく、母親を呼ぶわけで、相手の具体的な行動を間接的に求めているには違いない
ので、それらは『用件泣き』。


おそらく夫婦間より親子間のほうが用件は多いのではないかと
独り身としては「推測」するほかないが、そんな気もするが
まぁ、保険やら家計やら、夫婦間でも用件は多いのかもしれん。 経験がないんでわからん。
恋人間でも、いさ「結婚」という段取りになれば、かなり会話の中身も『用件』化するんだろうな、とか。



一般的にいって、
男は『用件』をもっておしゃべりに替える。
用件以外の「はなし」は、女のほうが量的に多い気がする。

無口な男(基本的には俺ももともとはそうだ)は、
用件 と 一般論 のふたつしかおしゃべり材をもってない場合が多い。
一般論は「会話」といえるかどうかかなり怪しい。
結果、用事がなければ話さないことになる。

ついでに書くと、
2チャンネルを作ったひろゆきという人物の書いたり言ったりしてるところを見ると
8〜9割がた「用件」だけで成り立っている気がする。あれは『用件』ニンゲン。

ま、『用件』については、だいたいそんなとこ。

917N : 日常会話について 「用件」 追加:2013/04/04(木) 18:16:41
『用件』 には、目的やら目標がつきまとう。
これは『用件』から、“おしゃべり”として価値を奪う。

“おしゃべり”は、目的や目標などもたない。

無目的・無目標にただ行われる、のがおしゃべりの本分でありそこに価値がある。

918N : 日常会話について 「用件」 追加 2:2013/04/04(木) 19:04:29
おしゃべりとコミュケーションとは別ものだ、と考えざるを得なくなったのは
こないだNHKでやってたコミュニケーション学の特集を見たときの違和感による。
その番組では
大学のコミュケーション講座に特別講師として落語家を招聘していた。

落語家?  あいつら、コミュケーションの名人か? お話の名人か?

落語で演じられる会話なんて(ま、あまり知らないが)
特に江戸落語の会話なんて、多くが『用件』と『一般論』のすれ違いじゃないか。
町内のご隠居が、相談にきた熊さん八ッつあんに
さまざまな知識・知恵(これは俺の分類では『一般論』にあたる)を与え、
それを熊さん八っつあんがいかに勘違いして失敗するのか、
乱暴にいえばそれだけじゃないか。

つまり相談(用件)と回答(一般論)しかないじゃないか

もし、勘違いにコミュケーション学が意味を見いだすのなら(よく知らないが)
コミュニケーションとやらと、おれが最近その価値に気づいた日常会話(おしゃべり)とはべつものだ。

--------------------------------------
どうでもいいことだが2チャンネルの元・管理人/用件ニンゲンひろゆきについて昨日すこし触れたので、
ついでに書いてみると、
たぶん,ひろゆきは2ちゃんねるを『用件』の場所として設定したかったんじゃないだろうか。

「2ちゃんねるは失敗だった」とひろゆきが言ったのは
教えてちゃん叩きの横行を指しているのではないか。
相談というのは立派に『用件』だから、
ひろゆきの意図としては、おおいにアリだったはずではないだろうか。
だからひろゆきは「教えてちゃん」SNSを別に立ち上げた
と、ひろゆきを「用件ニンゲン」と見ている俺は推理する。

要するに「目的・目標」がないとひろゆきは話ができない。
ゲームなんてのは「目的・目標」の達成がメインで、
ゲームが先かひろゆきの資質が先かわからないが
彼がゲームおたくになるのは当然のなりゆきだったろう。
---------------------------------------

教えてチャン叩きをする奴ってのは
たいてい中途半端な知識しか持ってない奴だ。
中途半端な知識の暗黙の共有を前提とするなら
『用件』は成立しない。

『用件』とは 表沙汰にする ことだからだ。

いったん表沙汰になれば、
暗黙の共有(「空気読め」)は単なる隠蔽か抑圧にすぎなくなる。
バカな話だ。たいていのバカバカしさは、中途半端な知識(通俗的な一般論)から生じる。

−−−あ、 疲れてきた。  やめよ。  -----

919N : 日常会話について 「用件」 追加 2α:2013/04/04(木) 19:09:20
隠蔽か抑圧というより「排除」の感性だな。 >「空気読め」

920N : 日常会話について:2013/04/10(水) 01:06:07
鬼の霍乱。 珍しく風邪ひいてダウンしてた。さて、

仮に分類してみて『用件』より、
おしゃべり(日常会話」の柱だと思うのは『自分のこと(相手のこと)』 と 『共通性』。

共通性というのは、仮にそう名付けてみただけで
まだうまく整理できてない。
とりあえず「自分のこと(相手のこと)」について書いてみる。

入院中半月のうち前半一週間、
救急病棟(四人部屋)に4日→脳外科病棟(6人部屋)に3日いた。
そこに話相手はいなかった。 それどころじゃない人ばっかりw (ま、俺もそうかw) 

さて、ここで思い出話をしてしまおうか。 

どうせ誰も読んじゃねえ。好きにさせてもらおう。 

そういや、どの大部屋でも独り言を言うやつが必ずいたな。
とくに、昼間の面会(大半が家族)の多いやつは
皆が帰ってしまってからのひとりごとが多かった。

頭が会話モードになったまま、相手がいないんで
そうなるんだろう。

921N : 入院話:2013/04/10(水) 01:21:38
-----入院までの経過-----

夜の10時過ぎ、第2日赤に救急車で運ばれて、
いろいろ検査を受けてるうちに脳挫傷が判明し、
救急病棟に運ばれたのは夜中の2時をまわっていた。

最初、骨折に関しては明日の朝、
近くの病院で診てもらってくれと言われ、
鎖骨2箇所、ろっ骨4本、親指の根本のまま、
とりあえず家に帰ってくれといわれた。

脚の骨は折れてなかったので、上半身骨折の痛みをガマンすれば、
とにかく一応立つことができたからだ。
たまたま運び込まれた第2日赤では
「自力で立てるかどうか」 が、入院の基準としてかなり大きいことが後にわかった。

922N : 入院話:2013/04/10(水) 20:43:40
-------救急病棟---------

夜の2時過ぎだったから
運び込まれた救急病棟の4人部屋は消灯してて
まっくらだった。

数時間すると、ななめ向かいの奴が大声をあげ始めた。
看護婦が来て、叱りつけた。かなりきつい口調だ。
後にわかったが、その白髪交じりの70前後のおっさんは
騒ぎの常連だった。

こっちもそれどころじゃないんで
その時はなにを騒いでいるかわからなかったが
次の夜も騒ぎはじめてようやくわかった。
要するに「家に帰る」と言って、点滴をひきちぎったりして騒いでいたのだ。
このじいさん、
昼間、奥さんが来てるときは借りてきた猫のようにおとなしく、
奥さんの話を聞いているだけで、ろくに返事もできないくせに
夜中になると必ず大声をあげて騒ぎを起こした。

3日目、このじいさん向かいの隔離部屋に移されたが
そこでは昼間から騒ぎはじめて、
その声は、廊下を隔てたこちらの部屋にも聞こえてきた。

向かいの奴は何を考えてるのかよくわからない奴だった。
3〜40代にみえたが、昼間面会に来るのは母親だけだった。

緊急病棟では毎朝、看護婦から
「自分の名前、いまどこにいるのか、今日の日付」を質問されるのだが
向かいのやつはふたりとも、自分の名前以外は答えられなかった。
(ま、俺だって、日付はかなり怪しかったw)

923N : 入院話   E君:2013/04/10(水) 21:24:16

看護婦は、隣の奴には毎朝恒例の質問をしなかった。
まったくしゃべらないからだ。

年齢はよくわからなかった。顔つきは3〜40代にみえたが頭は白髪だった。

仰向けの姿勢のままぴくりともせず、眼は天井をみつめたまま瞬きもしない。
だから、看護婦が毎日かならず目薬をさしていた。
緊張型分裂病のカタレプシー(蝋屈-ろうくつ-症)ってやつだ。たぶん。

こんなもん、詐病なんかできない。
俺は一日24時間、4日間ずっと隣で寝ていたが
ずっとその姿勢は変わらなかった。(ただし、間にカーテンがあるので
夜中には眼を閉じて寝ているのかどうかはわからなかった。

ただ、夜中やたら息が荒くなるときがあった。
俺はカーテン越しに深呼吸をした。
長く息を吸い、長く息を吐く。
特に、長く息を吐くときに、その音が隣にも聞こえるようにすこし大きくしながら。
それは、俺の思い込みによる「交信」だった。

たぶん偶然だと思うが、それをすると、
カーテン越しの隣の呼吸はおだやかになった。
何度かやったが、その一方的な「交信」をすると
必ず、穏やかになった。

カーテン越しの彼にある変化が起きたのが何日目の夜だったか、今となると判然としない。

その夜も、息を荒げるのは一緒だったが、
そのあと、
「シュ・シュ・シュ・シュ」とシーツの速く擦れる音が始まった。
隣で同じ体勢で横たわっている俺は
その音のする場所がカーテン越しでもはっきりわかった。
彼の股間あたりからだ。


緊急病棟では、夜中でも数時間おきに看護婦の巡回がある。
深夜の巡回にきた看護婦が彼の行為を見つけた。
そして、やつの手を押さえつけているのであろう物音がカーテン越しに聞こえた。

しばらくすると、看護婦は3人に増えていた。
3人がかりでないと抑えられなかったのだろう。

朝、病室の中にあるトイレに小便をしに行った帰り、
(ということはたぶん3日目の朝だ。最初の2日間小便は溲瓶にして呼び鈴を押し
 看護婦に捨ててもらっていた。)

奴のベッドを覗いてみると、奴の右手は包帯でぐるぐる巻きにされて
ベッドの手すりにくくりつけられていた。

昨夜の看護婦との無言の葛藤劇があったはずだが
頭の後ろに組まれた左手は微動だにせずそのままの姿勢だった。

-------------------
ここまで書いた後、いろいろ考えてみた(昨夜はそれで中断した)、
俺が奴に向かって発信していた呼吸の「交信」は、もちろん「交信」とは受け止められなかった。
だが深夜の闇の病室の中で、わずか1mほどしか離れていない俺の吐く長い呼吸音は
カーテン越しに聞こえていたはずだ。
その音が、彼の中でどのように変換されたのかは無論わからない。
ただ、それは彼の脳に「他者」を呼び覚ましたのかもしれない。

分裂病は「性」の病だと吉本は心的現象論で書いている。
どこまで本当か判断する材料は持ち合わせていないが
知人がふたり、そのような診断を受けて長期入院(数ヶ月と数年)している。
そのうちのひとりは、毎回必ず、「失恋」が引き金になっていた。

隣の「ヤツ」の中で他者が呼び覚まされたとすれば、
それが性的な色合いを帯びる可能性はある。

もちろんこれは俺の主観に満ちた憶測にとどまる。
-------------------

転科するとき看護師に聞いたところ、彼は長期間救急病棟にいるらしかった。
俺がそこにいた四日間、面会客はひとりもいなかった。

924N : 入院話   脳外科病棟:2013/04/11(木) 22:31:09
脳外科病棟は6人部屋だった。
救急病棟はこぎれいで、部屋の中にトイレもあったが
(部屋の外に出て倒れられると発見が遅れるからかもしれない。
 俺は部屋の外に数歩出たら看護婦に叱られた。)
脳外科病棟は旧館のままで救急病棟より設備も古く
廊下も狭く、所々黒ずんでいた。

この病棟で会話に関して書くべきことはほとんどない。

救急病棟から車椅子で脳外科病棟まで運んでくれた看護婦から
入室前「ここは空気を読んでくださいね」的なことを笑いながら言われ、
「いや、俺、空気読めないから」と笑いながら返したが
たぶん脅しジョークだったんだろう。 
そこに読むような空気など存在しなかった。

6人中2人が独り言を言うヤツだったが、おとなしいヤツだった。
というか皆おとなしかった。 

入室して、ベッドの位置に不都合があったので
(右肩・右手・右ろっこつ4本が折れていて使えないのに、
 水を飲むのもベッドから降りるのも
 すべて右側でしかできない配置になっていた。)
看護婦にベッドの位置を変えてくれるよう交渉していると
反対側のまんなかの患者の母親が、「変わってもいいですよ」と声をかけてきて
場所を変わってくれた。

一見20代のその男は、頭を短く刈り込んだ坊主でひげをはやし一見ヤバそうな雰囲気の男だったが
実はこの部屋でいちばんまともな男だった。
一日中母親がつきそっていたがほとんど会話はなく、ひとりごとも言わなかった。
一日中カーテンを閉めっぱなしだったが、カーテン越しに漏れてくる看護婦とのやりとりからすると、
どうやら、サーフィンをしていて溺れたらしかった。 (入院していたのは7月)
看護婦との会話中のヤツの言葉で印象に残っているのは、
「ここではいちんち中眠ってる」 という言葉だ。

脳外科病棟にはテレビもなかったし、回診も一度もなかった。

925N : 入院話   脳外科病棟 2:2013/04/11(木) 23:37:59
最初に予定されていた左端の場所から
右側のまんなかに移って、向かい側を見ると見覚えのある男がいた。

初日に向かい側にいてすぐ次の朝いなくなった男だった。
こいつもほとんどしゃべらないヤツだったが、E君と違って、動くし、表情もあった。
「あぁ、なんか見覚えのある人がいる」と看護婦に言うと、
そいつはすこし驚いたような顔をしていたが、すぐに鉄仮面に戻った。
顔つきでいうと、ブルーハーツのヒロトに似ていた(頭髪はは真っ白だったが)。
こいつも母親がずっとつきそいで来ていた。
母親とは会話らしきもの、時々返事するだけだが、もしていた。

時々診察に行って帰ってくると、ずっとカーテンをオープンにしている俺とも顔を合わす。
一度会釈してみたが、奇妙な顔をされただけだった。 
看護婦とは比較的しゃべっていた(聞き取れないぼそぼそ声ではあったが)。 
ま、女好きではあったのだろうw


左側は年齢不詳の小柄な白髪男で、言語不明瞭、看護婦とのやりとりも
ろれつが周っていないのでほとんど何を言ってるのかわからなかったが
看護婦は理解していたようだ。 
この男は独り言を言った。 いや独り言というか、声を出して何か読んでいるようだった。
ベッドを降りてコチラ向きに座って、なにかを勉強しているようだった。

ろれつは周らないが、人の善さそうな感じで、
この病棟で、こちらの会釈に嬉しそうにニッと笑いながら会釈を返してくれたのは
この人だけだった。  
ほかの患者にはみな無視された。
(最初に場所を変わってくれたいかつい男は一日中カーテンを閉めっぱなしだったので
 会釈する機会は一度もなかった)

だから、病棟を変わるとき「お世話になりました」と転科のあいさつをしたのは
その人のようさそうな言語不明瞭のおっちゃんだけだ。
“あぁどうも”という感じで会釈を返してくれた。 
それにしても声を出しながらいったいなんの勉強をしていたのだろう。
何時間も読む声が聞こえていたが、何を読んでいるのかついにわからなかった。

右側のおっちゃんも独り言を言う男だった。
外見はまともで、どっかの会社で事務長をして退職したみたいな雰囲気だった。
独り言も内容は常識的で、「さて、トイレに行くか」とか病院食に「味が薄いなぁ」とか
そういう感じだ。 
しかし俺の前を通るときには絶対こちらを見ようとしないので
会釈のしようがなかったw 
たぶん面会には奥さんが来ていたと思うのだが、まったく思い出せない。

斜め奥のヤツもまったく思い出せない。

926N : 入院話   脳外科病棟 3:2013/04/11(木) 23:38:17
ついでに言うと、脳外科にいた時の俺の主治医の名前も、今、まった思い出せずにいるw

この脳外科医も奇妙なじいさんだった。
後に、退院してから通院で診察室に行ったときには
さすがにまともな応答だったが、入院中は、俺の病状の説明もせず
救急病棟で2,3度様子を見に来たときも、カーテンから顔だけ出して
ニコニコしながら一度だけ「どうですか?」と漠然とした質問をしただけで
「あぁ、あちこち痛いです」と言うと返事もせずニコニコしながら手を振ってすぐカーテンを閉めて帰った。
その後はカーテンからちらっと顔を覗かせてなんの説明も質問もせず
手を振って帰るだけになった。
ま、脳挫傷のあとの経過観察で入院していた(のだろう)から
昏倒や昏睡状態にでもならない限り、看護婦から様子を聞いて、それでOKだったんだろう。


骨折の手術のために整形外科病棟に移るまえ、MRI検査を受けたのだが
その結果報告がいっさいないので、
一度、整形外科病棟から歩いて脳外科病棟へ行き、出会った看護婦に
「検査の結果を聞きに来たんですが」と言うと、いまの主治医(転科したので主治医は整形外科医に変わっていた)
を通してください、と追い返された。

ま、それは病院内のルールなんだろうから別にいいが、
(俺が救急で運ばれたとき宿直担当だった整形外科医は、
 俺の主治医が脳外科になったあとも、何度か顔を見せて様子を聞いてくれたが)
脳医学関係のヤツはコミュケーション的に問題のあるヤツがけっこう多い、
というのが俺の観察だ。

927N : 整形外科 (前):2013/04/19(金) 10:37:02
整形外科に3度目の転科してすぐ入院中最初で最後の風呂に入った。
次の日に手術があるからだ。右手が使えないので、背中は看護婦さんに洗ってもらった。

この病院の手術室は10個の手術室がトビラの奥に巨大に並び
まるでSF映画のようだった。

前日に手術の説明で麻酔科医が、静脈麻酔について
「マイケル・ジャクソンが死んだのと同じヤツです」と説明した。
(今ググってみると、プロポフォールという麻酔薬だ。
 「経験者の約3分の1は記憶がなく、約3分の1は夢を見たが内容までは思い出せないという。
  残りは「鮮明で、時に性的な夢」を見ている」)http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2011/11/post-2339.php

術前、最初の覚醒から次の睡眠の間のことは記憶が残りません、
と説明を受けたが、断片的には覚えている。 
導尿のためにいれられた管の不快感に衝撃を受け、体をねじったイメージが残っている。
看護婦に聞くと、ねじったどころではなくけっこう暴れたらしいw
後でつきそいに弟が来ていたことを知ったが
「こんな目に遭っているのは自業自得だと思っているのだろう」というようなことを
誰かに言った記憶がある。 (相手の顔はなく視覚的には真っ白な空間)
弟に聞くと「躁状態だった」とにやにや笑われながら言われた。 

術後、
カーテンの動きのなかになにかのイメージが浮き上がってくる瞬間をなんども味わったが
ひょっとしたら麻酔薬の後遺症だったのかもしれない。

整形外科病棟は脳外科とちがって一人一台テレビがあったが、
有料だったんでカードは買わず、ページをめくることができないので本も読まず、なにもすることがなかった。
消灯後、幻覚を見るのはむしろ楽しみだった。

928N : 整形外科 (後):2013/04/19(金) 10:39:18
昼間は、病棟の大きな窓から見える街路樹をずっと眺めていた。
ただ、俺のベッドは部屋の一番奥だったので、
窓際のふたりがしきりのカーテンを閉めるとほとんど見えなくなる。


整形外科は4人部屋で,隣のベッドにいたのは70代のYさん
(仮名というより、実はどうしても名前を思い出せない,,,,)。
糖尿病の影響で、右足の指を2本切断する手術をし、
残った指もそのまま悪化すれば切断することになるというので経過観察しているところだった。
毎日家族が来ていたが、帰った後も独り言を言わない珍しい人だった。

Yさんの向かい側にいたのは、若白髪だが顔を見ると2〜30代の男だった。
こちらは母親が毎日、昼間きていて、案の定、夜になると時々ひとりごとを言った。

俺の向かいは60代くらいの男性で、奥さんが毎日、一度だけ友達が来ていた。
この人はずっとテレビを見ていた。 漏れ聞こえた友達との会話によると眼鏡屋さんらしかった。
たまに、短く独り言を言っていた。

ひとりごとを言わない隣のYさんが入院中、長く「おしゃべり」をした唯一の人だ。
なにがきっかけで話すようになったか思い出せないのだが
ひょっとしたら街路樹を見たいためにカーテンをすこし開けていいか頼んだのが最初だったかもしれない。
(同じことは、斜め向かいの若白髪の母親にも頼んだ。
 Yさんも母親もこころよくお願いを聞いてくれた)

Yさんは、奥さんが毎日見舞いにきていたが、聞くばかりでほとんど自分からはしゃべらなかった。
俺がいた一週間の間は、俺との会話量のほうが多かった。
けっきょく、俺はYさんが、戦後、買い出しを始めたことから
ヤクザ映画に親分役のエキストラでちょいちょい出ていること、
麻雀狂いになってろくに家にも帰らなかったことなど、Yさんの半生を知ることになった。

Yさんは、残った足指はチョコレートのようにくろずんでいたが、
それを毎日撫でさすっていた。 そのままだと残った足指も切断しなければならなくなる可能性があったからだ。
撫でさすってると、足指は黒ずんだチョコレート色から、綺麗なピンクになったいった。
「あぁ、足指、びっくりするくらい良い色になってますね」と言うと、
ヤクザ映画の親分役もしていたこわもての顔を嬉しそうに輝かせ、
巡回にきた看護婦にも、嬉しそうにそのことを話した。 看護婦はあまり信用できないような顔で応答したが
俺は毎日Yさんの足指がピンクになるたびに
「あぁ、綺麗ですねえ」「信じられないくらい前と色が違う」と、とにかく褒め称えたw

あとは病院食の批評とか、声を潜めて病院批判をしたりしたw

これが、入院中楽しかった唯一の思い出だ。

つまり、
俺がおしゃべりの2大柱を「自分のこと(相手のこと)」と「共通性」と分類する根拠は
この思い出による。

基本的には用件以外、他者とおしゃべりなどしてこなかった俺が
無謀にもおしゃべりについて何かを言う気になったのは、
この入院中の思い出と
退院後、しばらくして毎日かようようになって
(ギプスをしている間は接骨院に行っても向こうもどうしょうもなかった)
接骨の先生と、私的な話ができるようになったこと  のたったふたつの理由による。

退院してからYさんとは切れてしまったし、今月いっぱいで接骨の先生も故郷に戻って
開業するため、また来月からは、何ヶ月もおしゃべりのない無口な日常に戻るだろう。
だからいまのうちに書いておきたかった。 

理屈めいた説明は、また別の日に。

929N : 余談:2013/04/19(金) 10:42:41
ついでに書くと、来月、ボルト&プレートを抜くため再手術をすることになった。
局所麻酔で、途中で神経を切られない限り
(医者によると一度目より二度目のほうがそのリスクは高くなるらしい)
日帰りの手術なので、大部屋に入ることはない。

930N : おしゃべりについて:2013/05/04(土) 22:34:19
「自分について(相手について」 は
たとえば病院で相手が医者や看護婦(士)の場合、「用件」化する。

おしゃべりとしての「自分について」は、もっと気楽で選択の自由がある。
>>928で書いたYさん(昨日、名前を思いだした。実際はSさんだが)のように
自分の半生を語るだけが「自分について」ではない。

昨日どこそこへ行った、だの、明日はどこそこへ出かけるだの、といったことも
「自分のこと(相手のこと)」にとうぜん含まれるし、
相手に「どうでした昨日は?」と、水を向けることも含まれる。
裁判や病院のごとく話す範囲が限定されている「用件」とちがうのは
その幅と、どの部分についてどこまで話すか(聞くか)という選択に自由性があることだ。

さらに言うなら、おしゃべりというのは、芸人のように「ウケる」必要などみじんもない。
これはとても重要だ。 退屈で下手でも「まったく」かまわない。 
これは日常会話としてのおしゃべりにとって、非常に重要な原則だと思う。

931N : おしゃべりについて 「共通性」:2013/05/04(土) 22:56:17
もうひとつの柱「共通性」に関して
おしゃべり初心者の俺に書けることは非常にすくないw
(できれば、応援が欲しいところだw)

まず「お天気」。
これ共通事としては案外大きい。とくに、話の入り口としては欠かせない。
同じ地域に住んでいるもの同士だから成り立つおしゃべりの導入だ。
欠点は長続きしないことだw 
近所の接骨院の受付嬢(といってもアラファイブ)だが)は患者がきたとき、
今日は寒い、とか、しばらく雨が続くらしい、とか天気に関する話を多用する。
そのため欠かさず天気予報は見ているらしい。
それは、用件だけではない交流への姿勢でもある。

道ばたで近所とすれ違うだけの時でも、なにも言わず会釈だけするのと
「今日は寒いですね」とか「いい天気ですね」と声をかけるのではまったく違う。
俺はこの「立ち止ま」ることがまだスムースにできない初心者である。

立ち止まる。 これが始まりだ。

ほかに経験した共通項は近所の話だ。
どこそこが工事している、とか、店が出来た、とか店が閉じた、とか。
俺はこの話題をながびかせるため、近所にできた定食屋に食いに行ったw
画期的だw 自分に関心のないことでも、「おしゃべり」のネタのためだけに行くというのは。

共通性の項目にはたぶんほかにもいろいろあるんだろうが
(テレビネタとか芸能ネタは共通項になるのか「一般論」に入れたほうがいいのかはちょっといま整理できないw超初心者の俺には
このへんが限界だ。

こういうことの名人は落語家などではなく、
美容院の人や、接骨院の先生など、比較的長時間、客と対する商売の人だろうと思う。

932N : おしゃべりについて 「共通性」と「一般性」:2013/05/08(水) 00:53:13
「共通性」と「一般性」とを区別する定理を思いついた。

「共通性」は、
そこに立ち止まった一人の私ともう一人の私の双方が、
相互に参加できる可能性をもっていること、 
をもって話題の「共通性」とする。

一方「一般性」は、
その場に立ち止まったもののうち
どちらか片方だけで、相互性なしに語れる内容を指す、
とする。


------ 具体例

先日、接骨院で、地元に帰郷する先生に最後の施術を受けた。
そのときのおしゃべりは、なぜか「歴代の総理大臣のフルネーム」を言いあう
というものになったw
相手が現代史の専門家ならこれは知識量の差がありすぎて共通項にならないが
俺は現在の総理大臣の下の名前がすぐに思い出せなかったし
先生もあいまいだったので、相互性(共通性)がなりたっていた。 

そのあと俺が自由民主党に二つの大きな派閥対立、
元自由党系と元民主党系があるという話を始めると、会話はとまってしまった。

このふたつの派閥は、同党でありながら時によっては敵対的でさえあった、という話になると、
(それは俺の世代にとっては常識的な話なのだが)
相手の若い先生(30代前半)は、そのテーマには参入できず、共通性は失われ、
結果的におしゃべりは停滞した。

---------- つまり、俺は共通性を損ね、
話を「一般性」にしてしまったわけだ。

先生もなにかネタをもっていれば、「共通性」となりえたので
テーマが共通性となりえるかどうかは、実際に試してみなければわからない。
一般論は相手が誰であれ「一方的」に話ができる。 
その時、相互性(同等性)は失われる。

おしゃべりは、いきもののようでもあり、化学反応のようでもある。

おしゃべりは「いま、ここにいる」具体的なわたし と、もうひとりの「いま、ここにいる」具体的なわたし
の「間」にだけなりたつ一期一会のおこないだ。
繰り返されることで、脳の神経軸のように、互いのシナプスの数が増えたり減ったりする。

933N : おしゃべりについて 「共通性」と「一般性」:2013/06/05(水) 00:39:03
一般論は、知識・思想・批評などだが、
つまり、学校の教室で授業中に先公が話すようなことだ。
日常のおしゃべりとしては固すぎたり、そぐわなかったりすることも多い気がする。

情報ははたして一般性なのか共通性なのかよくわからないところがあるが
とりあえず知識より短期で不確定で寿命が短い、と定義してみる。
近所情報は共通性だが、政治がどうしたこうしたというのは一般性、という程度の区別。


−−−−
テレビで、
サッカーの中田たちが資金提供している地域の寄り合い所の放送を見た。
放送を見た限り、その家はなにをするわけでもない(何か発信したりもしてるらしいがよく知らない)
近所の被災者が勝手にやってきておしゃべりする拠点ハウスみたいな感じだった。
運営の女性が非常に印象に残ることを言っていた。

正確には覚えてないが
「わたしたちは一度、震災でコミュニティを失い、避難所で新しくコミュニティをつくったが
これも仮設ができていくに従って失われていき、ここでまたコミュニティをつくろうとしている」
(実際の言葉はかなり違ったはずだが、印象としてはそういうような内容だったと記憶している)

そこで言われていたコミュニティは、まさに、おしゃべりの世界のことだと解釈した。
具体的なわたし、と、別の具体的なわたしが、
つまり実存としてのわたし、が、おしゃべりをする世界が、
一次的な、直接的な共同性の具体的な姿なのではないだろうか、と。

そう考えてみると、村の世界は、町とも市とも県とも国とも違う発生的な根拠をもっている。
「進歩」的な人々は、これを消えゆく古層、非近代的、非現代的と見做していた節がある。
進歩史観からみれば、共同体の古い形にみえるかもしれない。
たまたま今回、被災地の多くが農業・漁業といった一次産業地帯であったためよけいそうみえるかもしれない。

ただ、おしゃべり、という観点から見直してみれば
そういった歴史的段階史観とは別に、
普遍的に発生の根拠をもつ直接共同性、というものが措定できる気がする。


ま、最近までおしゃべり童貞だった俺のにわか思考は、別にそんな「知識人」的な意味で
考え続けているわけではないが。

934N : おしゃべりについて:2013/06/20(木) 01:03:12
接骨院の院長が故郷に帰ってから、
その後俺の担当になった先生とは、またいちからやり直しだ。
考えてみれば、もともと口数の少ない俺が、院長と雑談ができるようになるまでには数年かかったのだ。

おしゃべりの共同性は、もろい。

935N:2013/06/28(金) 00:18:08
3度目の手術の日程が決まりそうだ。
お盆。

2度目の抜釘では痛みは去らなかった。
むしろ、増えた。

術前から可能性が低く、むしろ術中に神経を切ってしまうリスクや再骨折のリスクが高いことを理由に
医師は抜釘術に否定的だった。
抜釘は昔はルーティン手術だったのだが今はアメリカ医学界の流りで、放置する流れが多い)
しかし俺はそれを強く要望し、
結果、ほんの少し可動域は増えたが、指の痛みはなくなるどころか、動作痛が増えた。
(痛みが増える事は医師にも予想外だったようだが)


しかし後悔はない。
やれることをやった結果は、受け入れるほかにない。
むしろ、やれることをやらなかったことで
いつまでもぐじぐじと引き摺ることになるのが嫌だった。
簡単に言えば、あきらめがついた、ということだ。

同じ理由で、別の箇所の抜釘を要望した。
痛みが増えた結果を踏まえた上で3度目の手術を要望したため
こんどは医師も事務的に、日取りの調整に入った。

結果がどうなろうと、
事故を、自分の中で終わらせるため、お盆のあたりに3度目の手術をする。

936N:2013/07/20(土) 12:55:06
昨日、7月19日は、事故一周年だった。
ま、誰一人そんなことは知らない、 

と思っていたら、
保険会社の担当ねえさんから「どうですか」と電話があった

8月にもう一度手術するの、まだ症状固定の診断書を取れないことを
連絡してなかったからだが
面白いもんだ、
「用件」のみのつきあいの人だけが
事務的に、事故一周年に気がついてくれた

937N:2013/07/20(土) 13:02:00
鬱から回復して(奇妙なことだが、きっかけは東日本大震災の洪水映像を見続けていたことだ
しばらくたってから、
kusamuraあたりに鬱に関してなにか書こうと、ずっと思っているのだが
いつもやろうとすると、途中で気が重くなってしまう。

レジェメ風に書くと、
○無気力ではなく、「急激な変化」への対応ができないのだ、ということ
○抗うつ薬の是非 (俺は医者にいってないのであくまで書物上の情報しかもってないが)
○吉本の「表現的自己」の低下、と、木村の「自己に遅れをとること」の共通性の日常語的な翻訳 
などなんだが、、、

938N:2013/07/20(土) 13:14:07
今朝、また、
ひさしぶりに、脳のDL感があった
ただ、以前ほど明確に「なにかをダウンロードしている」感は明確ではないが
なにか、ドーパミン的なものが脳内に満ちていく感じは一緒だ

よく、癲癇発作の前に多幸感があるというが
それほど強烈ではなく、もっと、脳の前部分
というか、頭蓋骨の内側、がほんわかとぬくもり続ける感じ
頭を取り巻く環状の筋から上だけがそうなる

事故以前はなかったので脳挫傷(脳内出血)と何らかの因果関係がありそうな気はするのだが
よくわからない
とにかく、異常なほど、記憶力は急激に低下している
医者に聞いてみたが因果関係は「わかりませんねえ」ということだ

(エンターキーを押してみたが投下はされないな、、
 途中投下の時はなんのキーを叩いてしまうのだろうか、,,)
ま、いいが、、

939N:2013/08/03(土) 08:13:13
お盆(というか、京都では「大文字焼き」の日)に3度目の手術が決定。
今回は全身麻酔のため、前日から入院する。
予定では入院は一週間ほどになる。

T字帯(術度しばらく道尿管をつけていなければならないため)
曲がったストローを取り付けられるコップ(寝たままで水分をとれるように)
バスタオル、
靴 (整形病棟ではいちおう転倒よけでサンダル不可。だが俺の運動靴は5、6年目でかなり汚いw
   ので、いま流行の穴あき靴_クロックスとかいうヤツ_をネットで検索したがわずか数日用のためには高い、
   という話を接骨院でしてたら、
   隣で施術を受けてたおばさんが、クロックスのまがいものを売ってる店を教えてくれた。
   行ってみた。 398円 !  迷うことなく求めていたのはこれだ! 即、買った。)
高額療養(減額)のカードも更新した。

なんかしらんが、 小さな旅行でもするような、 気分転換、 
(肉体的な苦痛は精神的鬱屈を、一時的にだが、駆逐する_なにも解決はしないが)

940N:2013/09/09(月) 11:07:28
別のことを書くつもりで来たが、どうやら事後報告をしてなかったようなんで
一応書いておく。

398円の贋クロックスはけっきょく必要なかった。愛用の100円サンダルで十分だった。
それより術前入浴の石けんがなく、鎖骨付近だけ備品のシャンプーで洗った。

6人部屋は2回目だったが、4人部屋に比べると
みなカーテン閉めっぱなしで、かんじゃ同士の会話というのがいっさいなかった。

見舞客が頻繁な人間ほど独り言率が高いというのも
改めて実感した。


今回は手術時間も短く(30分-これは前回の親指のプレート抜釘(45分より短い)
小便用カテーテルがなかったので楽だった。
前2回とは比較にならないくらい術後の痛みも軽く、
夜に痛み止めを一度服用しただけですんだ。

それより、なんぎだったのは、隣の親父の「いびき」だ。
6人部屋なので、カーテンで一応仕切られているとはいえ隣のベッドはとても近い。
カーテン一枚あるだけで俺の耳と親父の顔との距離は70〜80cmだ。

親父の向かいの親父が、消灯前に眠剤を頼んでいたので「神経質なヤツだな」と思ったが
消灯して30分も経たないうちに、俺もブザーを押して眠剤を頼むはめになった。

親父も(見舞客からは『先生』などと呼ばれていたがなんの先生なのかはわからずじまい)
当人にもいびきの自覚はあるらしく、
次の日は、就眠時間が近づくにつれ鼻うがいをしてる音なども聞こえたが,
そしてたしかにしばらくはすこしましだったが、消灯一時間で、ふたたび眠剤を頼む状態になった。

4泊5日の退院の時、持ってきたリュックを背負って
隣に挨拶しに行き「短い間でしたがご迷惑をおかけしました」と俺が言うと
「いや、こちらこそ」 と恐縮していた。 いい人なんだろう。
いい人でもいびきはうるさいのだ。

941N:2013/09/09(月) 11:28:41
ま、結果、肩の状態も指の状態も改善はせず
自賠責保険用に症状固定の診断と、
患部の痛み止めだけもらいに行くつもりの近所の病院への紹介状をもらうことで
(もらうというか、費用が発生するので、買うわけだが)
一年超に渡る事故後の通院は終了した。

今後は接骨院と薬局通いが事故のなごりをとどめることになる。

ついでに書くと、
バイクが潰れて京都市内ラーメン屋探訪ができなくなった俺は
最近、接骨院と薬局で流れているBGMを、頼まれていもないのに作って持って行くのが趣味だ。 
ネタはネットに転がってる。そんなことを接骨院や薬局で話してると、
PCでネットをやってるヤツなんて、ほんとに少数派なんだな、とつくづく実感する。

942N:2013/09/18(水) 08:49:51
他人の間違いはすぐわかることが多いが
自分の間違いに気づくには時間がかかる。
時として数十年、あるいは一生気づかないままに。

943N:2013/09/18(水) 08:51:41
この世界に、ゆがんでない人間など一人もいない。
例外はない。 原理的に。

944N:2013/09/18(水) 09:11:39
我々が記憶するのは、「事実(できごとそのもの)」ではなく
「事実から受けた印象」。

945ポールスミス 時計:2013/10/13(日) 12:21:16
父と息子に同じ忍耐として蛇の最初のイスラム教徒は。彼の目は急騰殺すように意図されている。
ポールスミス 時計 http://www.jppaulsmithbrand.com/

946N:2013/10/19(土) 10:00:32
「マス社会」思考と「ミニ社会」思考というのがある、と考えついた。
今の日本社会は入り組んで、
その二つの異なる思考形態をいったりきたりすることになるが
俺は、じょじょに「マス社会」思考から「ミニ社会」思考へ重点が移動しつつあるのだな
と、そう考えれば、ひとつの整理的観点は得られる。

というか、もうとっくの昔に「マス社会」的な流れからは放逐されているとw


---------------------
上のことを思いついたのは
バリバラ(バリアフリーバラエティ__障害者バラエティ)の録画の最後に
今日、11時からEテレでやる加島という詩人のドキュメンタリの予告を見たからだ。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/
どんな内容なのかは知らないが、予告編で「60歳で社会から逃走した」というテロップがあって
そこからインスパイアされた感じ。
-------------------------

947モカシンミネトンカ:2013/10/21(月) 05:51:27
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モカシンミネトンカ http://boots-minnetonka.sbeu.net/

948A ◆CPjaa6Nup6:2013/10/24(木) 18:11:47
>946 N
ぼちぼち見ている。興味深いな。

949N:2013/10/27(日) 23:51:46
>>948
番組はあまり面白くなかったな。
ディレクターと対象との奇妙な距離感が表に現れてて、見ててすっきりしないところが多かった。

社会からの逃走なんて謳ってても、単に、家族から逃走しただけにしか見えなかった。
それだって、知識人社会からすれば、十分に「隠棲」なんだろうが、
さびれかけた商店街の清掃を生業としながら絶対に売れない絵を描き続けているガタロさんの言葉のほうが
俺には深く感じた。
ホームレスのSから言われた「(あんたは)バカだと思う」に対して
「あの人の“バカ”は深いねえ」とニコニコしながら嬉しそうに語るガタロさんの方が
「ロンリーからアローン」へ括る元東大教授より心に響いた。

それはそれとして、
たまたま別のことを思いだそうとして手に取った吉本の「良寛論」が
日本の伝統的隠棲をアジア的な視点から見直していて、
そこから荘子の話になり、荘子は南中国的な思想で、アジア的には初期の思想に属し
にも関わらず、荘子は中国の古代思想の総括になっているという評価を読んだ。

単純な俺は、数日後には荘子を買っていたw 
現代語訳が解説の中に混ざった形になっていて面倒なので
岩波のを買い直そうかと思ってる。

まだ、最初のへんしか読んでないが、
孔孟がマス思考なのに対し、敗戦国として侮蔑的な扱いをされていた宋出身の荘子は
ミニ社会的な思考の老子をさらにつきつめているような気配を感じている。
同時に、インドとも近い南中国的な雰囲気から、儒教よりも禅仏教に近いようなところもある感触だ。
ぼちぼち読みすすめていこうと思ってる。

孔孟が壮年向きだとすれば、老荘は初老以降向きなのかもしれない。
(ま、これは、まだ数十頁しか読んでない初学者の浅はかで暫定的な感触ですだ)

950N:2013/10/28(月) 00:17:28
バリバラの方は面白かった。 
この回は、福祉機器はすごいことになってきてる、という話だった。
想念だけで、足の代理機器を動かすことが実用寸前までいってるらしい。
全盲者が額に付けた機器で環境を「見る」というのも紹介されていた。
ブレイン・マシン・インターフェイスというらしいが
この略語BMIは(肥満度チェックBody Mass Index)とダブっているので
検索としては、脳波 制御 機器 でしたほうが早い。

先週は、自称「ダウン症のイケメン」君が、
毎日「今日一日楽しかった」という日記を十年続けてる、というのをやっていた。
母親が死んだ日も、腰が抜けるほどの衝撃を受けながら
日記には「残念です。」の後に「今日も一日楽しかった」と書いていた。
もちろん、強度に無理して書いたのだ。


俺はこの番組と探偵ナイトスクープが、単純に、好きだ。


誰か(たとえば家族)が代弁するのではなく、時間がかかっても、当事者が自由に話すからだ。
代理糾弾者と当事者には、超えることのできない大きな違いがひとつある。

当事者は「赦す」権利をもっているが
代理告発者は「赦す」権利を与えられていない。

この違いは決定的に大きい。

951N:2013/10/28(月) 00:27:01
あ、そうだ。 「ダウン症のイケメン」くんは巨乳好きである。
絵画教室に通っているが、
そこの先生に最初「なにが描きたい?」 と聞かれて迷わず 「 巨乳 」 と答えたそうだ。

952N:2013/10/28(月) 00:38:50
「イケメン」くんは、さらにグラビアアイドルの水着を透視する特殊能力も持っている。
部屋の奥から「イケメン」が、グラビアアイドルの乳首を「透視」して描いた絵を
兄貴がカメラ前に持ってきた。

イケメン君はその後スタジオで
「ウヒー、恥ずかしいぃ」と言って顔を覆っていたが
その日の日記には、「今日も一日楽しかった」、と書くのだろう。

953N (言葉):2013/11/10(日) 18:14:58
言葉に関して、たぶんこれはまちがいないだろう、と思える事は
今のところひとつしかない。それについて書いてみようと思う。

「言葉はイメージのピン留め」 だ。
これを思いついた経緯を書いてみる。 

------------------------------------------------------------------------
ある日、俺は寺町に最近できたラーメン屋に自転車で出かけた。
その帰り、普段通らない細道を通った。
するともう突然、別のラーメン屋にでくわした。
ここを覚えておこうと思ったが、考え事をしながら走っていたので
いまどこらへんなのかよく判らない。

京都市の中心部は道路が碁盤の目のになっているから
寺町のラーメン屋からここまで、どこを何回曲がったか思い起こせば現在地がだいたいわかる。

ラーメン屋から出てその後どう走ったかを、頭の中で思いだそうとした。
つまり、イメージだ。  
ところがいきあたりばったりにあちこち曲がってたので、一気に全体のイメージが浮かばない。
ある道を走ってるイメージはあって、ある角で曲がったイメージはある。
次に曲がった道を走っていて、しょっちゅう走っている道を通り越したイメージもある。
そうやってただ順番にイメージを追いかけていっても、途中でよくわからなくなる。

そこで、
あの見覚えのある道は「四条通り」だ、とイメージに言葉を付けてみる。 
「四条」という言葉によって、碁盤の目の東西の直線が一本、全体のイメージの中に「ピン留め」された。
南北の直線は、ラーメン屋を出たあと何本の南北の道を通り過ぎたかを思いだして決定する。
「寺ごこふやとみ」という南北の道を覚える「言葉」は寺町から西の道の覚え方なので役に立たない。

角のイメージははっきりしてるのだが、その角を言葉で「四条○○」という風に「ピン留め」できないので
その後の道のイメージは思いおこせるのだが、うまく、現在地をことばで「ピン留め」することはできなかった。

その後走って、よく知ってる「川端-丸太町」にでくわしたから、そこから遡れば
突然でくわしたラーメン屋の場所を「ピン留め」できただろうが、
「イメージのピン留めとしての言葉」 というインスピレーションに耽っていて
「名称」によるピン留め作業を怠った。あのラーメン屋がどこにあったかいまだにわからない。
---------------------------------------------------------------------------------------

どこをどう走ったか、イメージの量はたっぷりあったのだが
言葉による「ピン留め」ができなかったため、その地点を記憶に留めることができなかった。

「ピン留め」としての言葉、という想念を反芻してみると

1, 何かを特定するための「ピン留めとしての言葉  ということと同時に
2, 言葉より先にイメージがあり、その量の方が内面的には圧倒的に多い。

というふたつのことが、今のところ俺の中でピン留めされている。

さらに言うなら、
3,ピン留めするための「言葉」は学習されてなければ使えない。

(イメージはあるのに南北の道をピン留めできなかったのは、
 単純に、寺町より東の南北道の名称のそらんじ方を知ってなかったからだ)

さて、俺はものすごく記憶力がないので
3つになると、うまく自分の中にピン留めできない。
そこでもっと短くすると、「イメージと言葉」 になる。
このピン留めさえあれば、そこを起点として、いろんなことを引っかけることができる(かもしれない)。

954N (言葉):2013/11/10(日) 18:18:25
もっと短くするなら 「ピン留め」 。  これならいくら俺でも覚えておける     (、たぶん)w

955N (言葉):2013/11/10(日) 18:45:43
「ピン留め」 とまで縮めてしまえば
つまり、「言葉」すら省略てしまうと、
イメージをピン留めするための手段として、「言葉」が唯一の方法ではないことに思い至る。

絵もそうだろう。 人間は虫と違って臭いより視覚イメージのほうに親和性が強い。
そういえば、障害補助器具の中に、
盲目者が額につけると外部をイメージできる器具というのをバリバラで見た。
カメラに再現されていたのは大きなドットでできた絵のような映像だった。
すくなくとも前に障害物があるということは最低限その器具でわかるというものだ
(対象の弁別には多少の訓練と慣れがいるようだったが)。

時には「トラウマ」さえ何かによってピン留めされたイメージだという考えも浮かぶ。
(というか、今浮かんだ)  

果たしてトラウマというのは何によってピン留めされてしまうのか。その記憶(イメージ)を誘発するのはなにか。
「似たもの」「似たできごと」だろうか。いったいそれはどこに刻印されているのか。  「無意識」ってやつの中にだろうか。
そういえばフロイトの「前意識」という概念もあったな。
なんにせよ、今んとこ俺にはわからない。。

このように、いつも俺は考えが拡散していく。 今日はここらへんが「潮時」だろう。

956N  (ピン留めAA):2013/11/11(月) 17:52:33

            [ピン留め]のイメージ



              /      /      / ___     /
          ---------------------------- | |------------- (イメージの碁盤)
            /      /      /  Σ Z  /
          /      /      /     Y /      /
         -------------------------------- | ---------------------
         /       /      /      /      /      /   
       / ____    /      /      /      /      /       
     ------| |-----------------------------------------------------
    /   Σ Z /      /      /      /      /       
   /     Y/      /      /      /      /      / 
------------ | ---------------------------------------------------
/      /      /      /      /      /      /     
      /      /      /      /      /      /
------                -----------------------------------
         ↑               /      /      /  
        (ピン留め)         /      /      /

957N:2013/12/04(水) 03:04:23
他スレで図書館から借りてる本について少し触れたので悪口を言ってみようと思う。

そもそも悪口というのは、たぶん、比較によって生まれる。

直接被害を被むる場合、悪口なんて言ってても解決しない。
味方を増やして応援・援助してもらいたい場合は悪口というより訴えに近い。
 
俺が日常であまり人の悪口を言わないのは
要するに比較できるほど多くの人とつきあってないからに過ぎない。

おしゃべり好きの間では、悪口が一番楽しい、らしいが(マツコ・デラックスの言)
それにはふたつの要素があると思う。
つまり、人付き合いが広い、ということと、無責任であること。

たとえば、上司の立場になったとすれば
部下に関しては悪口を人に言いまわる前に、まず、自身の管理責任が問われる。
悪口を言う前にすることがあるだろう、ということになる。
悪口より批評・評価・教育が先になる。
親は、自分の子の悪口なんて悠長な事、してられないだろう。
無意味な悪口なんぞより、どうやって改善、または受け入れるかが圧倒的な優先事項と推測する。

というわけで、おしゃべりの華(らしい)悪口は、
直接なんの被害も責任も負わない芸能人とかが一番楽しい、ということになりそう。


----------------

さて悪口だが、今借りている大森荘蔵がつまらない、
ということを書こうと思ったのだが面倒くさくなってきたw

「時は流れず」って本だが、かなり大上段に
「数千年間、えらい哲学者もみな間違って時は流れる」と思ってる、というような前フリが
あって、なぜ「時は流れず」というのかついて、書いてるのだが、
その内容より、その書き方になにかイヤミなところがあり、
それは弟子筋の中島ナンタラ(思い出せないし、わざわざ本を探す気にもならない)
もそのまま受け継いでる。 こいつの本は数頁読んでるうちになんとなく不快になってどこかへ放り投げた。

俺は「時間」についていろいろ考えてるので、
以前から大森荘蔵ってのは、どういうヤツなんだろうと思ってたが
どうやら戦後の東大哲学の大ボスという位置づけになるようだ。
それだけの事だ。 


以上が悪口。 
日常ではあまり人の悪口を言わないが(つまりいろいろな人間と比較できるほどの人付き合いがない)
哲学本は多少あれこれ喰い散らかしてるのでいちおう比較くらいならできる。
だから悪口を言える。
 
ちゃんとした批判は別になるが今、けっこう疲れてるのでめんどくさい。
もし書く気になればそのうち書く(かもしれない)。 誰も興味ないだろうなw

958N:2013/12/15(日) 22:02:28
誰も興味ないだろうけど。  http://bb2.atbb.jp/xronos/topic/65964

959Shounnyviobby:2013/12/20(金) 19:43:18
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960N:2014/01/18(土) 17:32:19
「定位」と「社会的既定」

「社会的既定」 おおざっぱにイメージするなら「肩書き」みたいなもの
「定位」  イメージをどこに定めていくか、ということで、辞書的な定義とはすこし異なる。
      
(子供を例に)
「こども」という社会的既定は、本人が自分をどう定位するかとは別に
勝手に「向こう側」から既定される。
本人が「だって、ボク(orアタシ)、こどもだも〜ん」 というなら
それは本人が自分を「こども」と定位したことになる。 
赤ちゃんは自身を定位できない。 
しかし「赤ん坊」とか「幼児」とかの社会的既定は勝手に向こう側から与えられる。

ひとりの人間であっても複数の社会的既定の位相がある。
家族の中では「親・子供」 
これに男女が(これは「生物的既定(セクシャリティ)と社会的既定(ジェンダー)というふたつの位相があるが)
加わると 「父親・母親」「長男長女次男次女・・・」「姉・兄・妹・弟」「末っ子」などなどが被さる。
こどもも齢を重ねると社会的既定が増える。
「園児」とか「小学生」さらに細分化されて「何年何組」とか「班長」とか「委員」とか。


定位は、自分の主体性に基づく、個人的な「思索行為」。
つまり、社会的既定がどうであれ、どう自分を「定位」するかは、当人の自由だ。
一個人の行為だから、気分や環境変化などで、定位が変化していくのも自由だ。
「定位しない」という選択もおおいにあり得る。

社会的既定だけがはびこっている世の中で、
自身が自身をどう「定位」するかという自由はもっとあっていい。

961N:2014/01/18(土) 18:19:28
「うんこ」(俺のお気に入りのテーマだ)

バリバラは先週と今週、震災訓練をやっていた。
とりあえず、避難所への避難がたいへんだ。という段間を経て
避難所に落ち着くと、まず最初にやってくるのが「排泄」の問題だった。

物理的にはその場で垂れ流す、がもっとも早いに決まってるが
赤ん坊以外は皆、そういう選択は避けたい。 
(なぜそうなのかは歴史・文化まで遡及しなければならないから棚に上げておくとして) 
簡易トイレはなにかと(特に車いすにとって)問題があった。
最終的な解決策は、
1,避難所が学校で椅子がたくさんある事を利用し
  椅子を組み合わせてもっともおさまりのいい形のところで脚をガムテで固定。
2、段ボール箱の内側にビニール袋(ゴミ袋など)の口を広げて装着し
  用を済ませたら、ビニール袋の口を閉じて外してどこかへもっていって処理する。
というのだった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−----------------------
それに啓発されていろいろ思いを巡らしているうちすこし別の角度にいきついた。

うんこしょんべんという排泄への誘い兆候は
自分の意思や状況とは関係なく、とにかく訪れる。

垂れ流しを卒業した幼児が排泄をしぶったりする場合、
そこまで継続していた時間の流れを切断されることがいやなのだろう。
特に楽しい遊びをしていたならよけいに中断は不服な事態だ。
まして他人から行くように強制されるとますます自分の「意思」が疎外される気分になって意固地になる。

昨年見た子育てに関する「すくすくアイデア大賞」では
トイレに行くことを新たな遊びにして、
(インタビューごっことか、親がトイレ屋さんになってお店ごっこにしてトイレで排泄すると
 トイレ屋さんがポイントをくれるとか)
あたかも子供が能動的な意思によって排泄する、というふうにうまく導いていた。

意思と、意思を無視するうんこ、との相反関係。

観念論者は外部の物質を認識と関係ない物自体として退けることはできても
自分の内なるうんこは、どう処理するのだろうか。
ガマンして便秘にでもなるのか。 ま、確かに思索自体は、うんこしてても可能ではある。
カントは便秘だったのだろうか。 フランスは19世紀ごろまで貴婦人でもそこらで垂れ流す文化だったはずだが
ドイツもそうだったのだろうか。

あぁ、うんこの世界は深い。

962zebla:2014/02/13(木) 02:10:44
大便が自分の意志に反して出てくるのがコワかった。

963N  (個人的なこと):2014/05/07(水) 20:32:17
3月の終わり頃から、体に変調が起き始めた。
目覚めたときから、寝るまでの間、ずっと四肢が痺れている。
今もずっとそうだ。 
4月の第一週に神経内科へ行き診察を受けた。
首のレントゲンを撮り、整形外科へ廻された。 
その状態が続くようであれば、一度MRIを撮るよう勧められた。
今週、予約を取りに行くつもりでいる。

実は、弟が4月の最終週に手術を受けた。
「頸椎症性脊髄症」だ。 
どうも、俺のもそれな気がする。ただ、弟のは下肢が勝手に貧乏揺すりしていたり、
書字が読めないくらい乱れたり、はしを持つ手が震えたり、症状がひどかったので
手術適応となったが、
俺の場合、それほどひどくないので(というか、別の原因があるのかもしれない)
もし診断が弟と同じであれば、基本、悪化するまで放置ということになるのかもしれない。

もしそうであるなら 原因は   老化  だ www

>962
幼児期の記憶?

いまの俺は、意思に反して出てこない方がコワい。。w

964N  (Eテレ):2015/01/19(月) 13:16:46
Eテレ 「日本人は何をめざしてきたのか」で
吉本隆明と石牟藎道子を連続でやってた。次は三島由紀夫らしい。
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2014/12/006.pdf

吉本の再放送はもう終わってしまったようだが
石牟藎道子は 1月24日(土)午前0時00分〜午前1時30分(金曜深夜)
http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/

石牟藎道子はパーキンソン病だそうで首がゆらゆらしていた。
渡辺京二も出ていて 「芸術家ってのは”幻”を見る人のことだ」 
と言っていたのが強く印象に残った。

吉本の回では、長女(漫画家ハルノ宵子)を初めて見た。
ただ、俺は吉本フォロワーにあまり共感したことがない。今回もそうだった。

さあ、今日も病院だ。白内障と眼筋強化の目薬を貰い、検査をする。

965N:2015/01/19(月) 13:28:23
ひょっとしたらPCを修理に出すことになるかもしれないので、まとめて書いておく。

昨年あたりから、
言葉には 「解釈のことば」 と 「描写のことば」がある
ということを基本にしてことばを捉えていくのがいいんじゃないか、と考えだした。
俺はここ数年どんどん「解釈」寄りになっていく。
ロイは、回想では描写のことば性が強く、
掲示板でのリアルタイムのやりとりでは 解釈+描写 つまり「表現」 の文体が確立していて
しかもそれはたいへん優れたことば性を獲得していた。 

自分に根ざしたオリジナルな文体の確立は 誰にでもできるlことじゃない。 
それはけっこう「希有なこと」だということは 
本人はどう考えているかわからないが、ぜひ自覚してもらいたい。

966zebla:2015/03/05(木) 03:30:29
先週のバリバラ「マンガナイト」で紹介されてた’ギャングース’
第一話が出版社のサイトで公開されてる 
ttp://www.moae.jp/comic/gangoose/1

’聲の形’ 出だし21ページのみ
ttp://sokuyomi.jp/product/koenokatat_001/CO/1
’志乃ちゃんは自分の名前が言えない’一部
ttp://www.ikedahayato.com/20140720/9704750.html

967:2015/03/20(金) 12:00:06
ざらざらした現実にあてがわれるクリームが幸福(という感情)だとすれば、
幸福が一様に見える理由を説明できる。不幸が、それぞれに異なっていることも。

※トルストイ「アンナ・カレーニナ」冒頭部
「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、
不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっている。」

968:2015/03/20(金) 12:04:56
言葉(表現としてのことば)もまた、
かたくざらざらした現実に塗るクリームになりえる。

969:2015/03/20(金) 12:13:15
>968
それは裏返せるが,裏返してなんになる。鬱の種を蒔くことに。
偽りの希望は別のことがらだ。意図し偽装された言葉はおうおうにして現実の皮膚を荒らす。

970:2015/03/20(金) 12:17:44
そうか。現実もまた、実在の解釈のひとつにすぎないわけか。
実在はものの内にあり、現実は言葉の内にしかない。

971:2015/03/20(金) 12:31:14
現実は実在の解釈のひとつにすぎず、したがって現実はいくらでもある。
だから常識というのは常に間違っている。
常識をたてにした判断は常に覆われた錯誤に伴う強迫観念への服従となる。
常識と経験と、まったくは別の次元にあることを肝に銘じておかないと。

972N:2015/06/08(月) 21:55:07
ヴェイユの”実在”はアランからきている。

-----------------------------------------------

「存在する世界の、あのざらざらした城壁 に面した時」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「我々は、この壁に直接触れることがない。」
ここで我々と言うのは
”思考している人”、あるいは”思想者”と解することができる。

”存在する世界”は「あらゆる 瞬間 と 状態 での弁証法があって、
 これが、我々(思考する人)をそこから(存在する世界)から引き離すのである。」

------------------------------------------------
                 「ラニョーの思い出」アラン 中村弘訳 p.18

(以上、jane styale 383 テスト投稿を兼ねて)
今回、旧バージョンでの投稿ができなかったので
ブラウザから雑談スレに投稿したが
あの投稿欄では長文のばあい全体が見渡せない。

そろそろ、ここでの独白のむなしさ、あるいは気楽さに、
-まるで空気を叩いているような-虚しさがよぎりはじめた。
同じ虚無なら、最初からそれを覚悟した場所に移動したほうがいいのかもしれない。
あるいは並行して、とか。 

要するにだいぶ弱ってきているということかw

973N:2015/06/08(月) 22:00:16
お、投稿できたな。 別に広告もでてないし。
2ちゃんはずいぶん前から見てないし、これなら従前とかわらんな。

974N:2015/06/27(土) 09:15:55
≪解釈≫には、色も形も味も匂いもない。
  だから人は解釈を嫌う。
  ただ6番目の感覚、内臓感覚と位置感覚は残っている。それが辛うじて人を引き留める。

≪表現≫は光や音や香りや肌触り、味、内臓感覚、位置感覚、
 あらゆる感覚の中から自在に選ぶ。そのようにして存在と言葉の交差点を彩る。

≪思想≫は、解釈の言葉に表現の言葉が入り交じる。表現の言葉が入り交じれば
 そこには必ず『私』が現れる。

975N:2015/06/27(土) 09:28:17
幸福は、生命と生命との直接的な接触のなかで生成される感覚。
だから愛と結びついている。
だからそれは限定されている。
したがって、幸福は排除のなかでしか成り立たない。
ほんのすこしの気がかりや心配に、幸福は傷つけられる。
それを排除しようと勤める。 


孤独な人間に幸福は訪れない。 (ペットの存在意義)
          (食は生命との接触といえるだろうか)
だからといって孤独な人間が必ず不幸であるともいえない。
幸福と不幸は異なるカテゴリーに属するのであってコインの裏表のような対語ではない。

976N:2015/08/17(月) 18:42:34
孤人に訪れるのは、「充足」「満足」とか「平穏」とか、だ。

うまいもの食って「幸せだ〜」
だけどそれは俺にいわせれた「充足」とか「満足」だ。
なにが「幸福」と違うかといえば、持続時間。

一瞬で、あるいはせいぜい数十分、長くても数時間で消えていくのが充足とか満足。
そこが持続性をもつ幸福との違い。
別に個人を訪れる満足を低く見るわけではない。そもそも俺は"弧人"の側だ。

ただ、幸福という概念が他の生命との関係に基づく感情だ、と定立しておくと
いろんなことがすっきりする、というだけ。

977N:2015/08/17(月) 19:14:44
wikiでフランス哲学に深入りしているうちに
とうとうフランス革命の頃まで遡ってしまった。
「観念学」という項目を作ったのは俺(まだ未完成だが)。 
で、この学派はもろにフランス革命と関係している。

「幸福」という概念が、国家と関係づけられたのはまさにこの時で
観念学派はイギリスの経験主義者ジョン・ロックの影響を
仏蘭西で広めたたコンディヤックの弟子たちみたいなもん。 

この時期にまさに「人間」という概念が生まれ、観念学派はそれをフランス革命のさなかに
追求した(wikiではまだそこまで踏み込んでないが)。
こういうことは知っておいて損はない。

観念学派は今のリベラル(ブルジョワ(プチブルジョワ)民主主義)の原基となる啓蒙思想を
議員や行政者としてフランス共和政府のなかに注ぎ込む実践者となった。
だから恐怖政治の時代には多くの関係者が獄中の捕らわれた(コンドルセは自殺した)。
「市民」という概念もこの時に生まれ、国家(共和国政府)として行政における中心的理念となった。
そこで「市民」の中に入らない下層階級、という観念から、ブルジョワ民主主義を批判する社会主義が
この時代に生まれた。
そういったことに関する非常に良い論文がネットで読める。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/handle/10291/16685 
(130ページあるが、上に書いたことは前半だけで十分認識できる)

ま、これは俺の近況報告だ。  

ではまた来月。なにか書く、書かないは別にしてとにかく見には来るぞ、ということで。

978N:2015/08/18(火) 09:14:28
リンク間違い。。
「理性の使用-啓蒙と社交の社会学のために 富永茂樹(2002)」
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/78292

979N:2015/09/23(水) 00:01:58
論文などというものを書く機会を持たなかった俺にとってwikiの執筆は良い経験になっている。
もちろんwikiのレベルは一本の論文を書き上げるしんどさに匹敵はしないだろうが、
少なくとも「博士論文」レベル、というものがいかに大変かという実感くらいはもてるようになった。
正確な過去研究の解釈・理解を最低条件として上で
なんらかの独自解釈-新しい切り込み角度(プラスα)、視点のオリジナリティが必要な博士論文と
wikiごときでは比較するのも失礼なレベル差があるが。

たしかに、独自解釈アウトのwikiでの記事執筆は、ある種のストレスが溜まるが
その独自解釈を本当に自力で展開「しきれるか」ということを想像してみると
文系だろうが理数系だろうが専門分野の博士論文がいかに高いハードルかという
いわばその距離感くらいはもてるようになった。

特に、語学力(外国文献読みとか、和でも過去文書の読解力)の基礎学力が「最低限」必要となるレベル
との距離の遠さはつくづくわかったぞ、と。

ま、wikiでは書けそうなとこだけ書いて
不安な部分は「節スタブ」(加筆・訂正依頼)でも貼って逃げられるからw かなり楽だし
そうでもなければなんのステイタスにも金にもならないwiki執筆なんてやってられないぞ、と。

というわけで、最近書いた記事 「先天盲」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%A4%A9%E7%9B%B2 
さすがに、医学的な部分は「節スタブ」貼ったが、我慢できずに、
ど素人検索で、いくつかの病気については書いた。 
検索過程でわかったことの一部は、大胆にも眼科専門記事にも加筆なんぞしたし、
加筆協力者がでてこなければ続けてど素人の俺が医学的な部分も書くかもしれん。 
それがwikiだ。 
まちがってれば専門家が訂正すればいい。
(もっとも今の日本語wikiのいくつかの分野(特に哲学)には、もう
 それほどのエネルギーがないのかもしれんのだが)

さて、こんなことをここに書いてなんになるんだろうか。

知らん。   

とにかく今月のおつとめを果たしてみただけだ、と。

980N:2015/09/23(水) 00:19:31
現在立頁予定の記事で、初めて、フリーでDLできるイラレCS2を使ってSVGファイルを作った。
というかイラレを使うこと自体初体験だった。 単なる赤い長方形とかだけどなww

で、wikiに画像貼るために仕方なくコモンズにアップロードしてるが
いままで2回くらい削除され、いまも1枚、削除依頼をだされてる。
反論するだけの英語力があれば、削除されなかったかもしれない。
今回の削除依頼はむかついたので、横断翻訳を使って反論してみたw
来月ここになんか書くかもしれないときには結果がでてるだろう。
コモンズではいまんとこ2戦2敗だが。(どっちもアレンジしてオリジナル作品登録で復活させてるけどな)

ところで、「日本の同性愛」という記事を作ることはできるかもしれない。
もちろん完璧な記事にはできないが、それなりの資料はある。いまんとこ作る余裕はないが。
それを思いついたのは、かのベンサムが実は「同性愛擁護」の論文を書きながら
ついにそれを発刊しなかった、という話を図書館で借りた『哲学の歴史6』で読んだからだが。

981N:2015/09/25(金) 00:30:33
訂正、『哲学の歴史 8』(http://www.amazon.co.jp/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E7%AC%AC8%E5%B7%BB-18%E3%83%BC20%E4%B8%96%E7%B4%80-%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E4%BC%8A%E8%97%A4/dp/412403525X
言葉足らずかもしれないので補足しておくと、
ベンサムがなぜこの同性愛擁護の論文を発表できず、かつ死後の著作集にも載せられなかったかというと、
当時のイギリスで「男色」は死刑だったからだ。
19世紀はじめには死刑を言い渡される罪状を減らす運動が起き、実際かなり減らされたが
男色の死刑は残された。19世紀の半ばになって、死刑から終身刑になったが、
イギリスで男色が「犯罪」でなくなったのはやっと1967年になってからだ。(p.349)。

男色に寛容だった日本的感覚を倒立させたのは、
欧州のものまねで近代ナショナリズムを輸入した明治政府以後にすぎない。

982N  無意識は-:2015/10/11(日) 20:58:53
夢について書きに来た。
今朝見た夢だが、夢の通例に漏れず鮮明なのは最後の部分で
その前は茫洋としている。

しかし本当は、夢で重要なのは最後ではなくその前、
そしてその前、さらにその前、遡れば遡るほど夢の本質が露わになる、
夢はそういうものだ。
目覚めて5分くらいまでに遡る意図的な努力をしないと夢の本質は逃げてしまう。
今朝は捕らえ損なってしまったのだが、それでも、
想い出せる範囲のことを考えているうち、ある発見をした。自分にとっては重大な発見を。

だからこの夢について書く。

983N  -意識より-:2015/10/11(日) 21:25:49
とにかくなぜそうなったのか、もう、想い出せない。
ほぼ最後の部分だけしか想い出せない。だからこの夢についての本質はわからない。

その夢では、俺は主役ではなく、透明な傍観者として存在していた。
主役は、透明な俺の横を走っている顔のはっきりしない男だ。
ヤツは走っている。
なぜか(そこが想い出せないのだが)、
観光に来た外国人のグループのひとりひとりと競うことになってしまっている。

町でランニングをしていたヤツは、外国人男性グループを追い抜き
その中のひとりと100m競争のようなことになり勝った。すると
次の外国人男性は200m競争を挑んできて、ヤツはまた勝つ。

そして次の外国人男性とは長距離競争のようになっているのだが
今度は何メートル競争なのかわからないまま、とにかく
ヤツは外国人男性にどんどん差をつけていき、
川沿いの堤防に飛び乗ってから、後からまだ外国人男性が追いかけてくることを感じ取り
いったいどのくらいの距離を走ればお前(外国人男性)は納得するのか、負けを認めるのか
を問いかけるために堤防の上で立ち止まる。
堤防に上がってきた外国人男性は42.195kmを主張して譲らない。
絶対ヤツに勝てないのは明らかだから1500mで十分じゃないかと、透明な俺は思うだが、
その外国人男性は頑固に42キロを主張し続ける。


さて、実はここで夢が覚めて、考え始めたのか夢の中で考え始めたのかどうもはっきりしない。
ただその外国人男性の頑固さにいらだち、なんとかできないのかと考えていた。

そしてあることに気づいた。

984N  -賢い。:2015/10/11(日) 21:38:40
町中で42キロ走ろうとしたって、信号があるから
どれほど走る男が差をつけたって立ち止まらざるを得なくなる。
整備されたマラソン大会じゃあるまし、日常の町中で42キロ競争したって
決着つかないじゃないか。

そこで俺しばらく考えているうち
走る男がなぜ堤防に飛び乗ったのか? その意図に気づいた。
堤防沿いに走り続けるのなら、信号はない。
走る男はだから、堤防に飛び乗ったのだ。

さあ、ここで問題だ。
その走る男とは誰だ。俺の夢だから、当然、その走る男の思考は俺の思考でもあるはずだ。
しかし俺自身の意識には、堤防を走れば信号に当たらない、という情報は、事前にはない。
そのことについて考えているうちに走る男の意図に思い当たった。

さて、発見の話だ。
透明な傍観者である俺は、俺の意識に違いない。
とすれば、俺の意識ではすぐには気づけなかった意図を秘めて
スムースな夢の流れで堤防に飛び乗った男は、俺の無意識だ。

つまり無意識は、意識よりよく考えているのだ。
無意識は意識より賢いのだ。 
これがこの夢について考えた俺の発見だ。

「無意識は意識よりはるかに賢い」

985N  wiki:2015/10/11(日) 22:09:21
この一ヵ月、ほとんど一本の記事(>>980)にかかり切りでまだ立頁できてない。
もう8万バイトを越えた。初めての大作だ。文章のほうは昨日であらかた終わった。
推敲するのがめんどくさい。。 

それよりはじめて動画GIFに挑戦してる(きわめて単純に手を伸ばすというだけのGIFだ)が
けっこうむずかしい。 うごきがやけにぎくしゃくするw 
なかなかupするまでにいたらない。 

あと、ウィキコモンズにあげた画像でもめてる>>980の件はまだ決着がつかず
宙ぶらりんだ。 語学の壁は厚い。
外国留学したインテリが突然愛国者になって帰国する、ってのもすこしだけ分かった気になった。
日本にも外国にもクソはいるんだが、外国のクソに言葉で反論が十分できないぶん
外国文化への反発と反動が形成されてしまうというメカニズムじゃないか、と勘ぐってみる。 

あ、誰か推敲してくれねえか。(ま、まったく期待してないがw)
下書き本日分
「先天盲からの回復」(下書き)
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Kusamura_N/sandbox&amp;oldid=57140213

986N  wiki:2015/10/19(月) 10:22:25
先天盲からの回復 は正式に記事にした。
レイアウトなどを変更する編集を受けてるがまぁそれは仕方ない。

コモンズでは俺の主張が通って、削除依頼は無効となった。

wikiにも色んなヤツがいる。 
いまのところ長期にわたってまともな記事を書き続けてるヤツは見かけてない。
自分の書ける記事を書き終われば去るか、テンプレなどの見張り番・添削屋になって残るか
そのどちらかのようだ。 俺もいずれ去る。 未完記事が多いのでまだもうしばらく続けるが。


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