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民主党スレッド

1とはずがたり:2003/11/13(木) 11:03
民主党関係全般
http://www.dpj.or.jp/

429とはずがたり(1/3):2004/02/28(土) 11:50
一寸期待。渡部康人が佐々木氏の後継になれば30年ぐらいは議席安泰では?
ちょっと煽りだか提灯記事だかわからないけどそんな臭いも感じるんだけどね。

http://www.eolas.co.jp/hokkaido/keizai/article-2004/2004-01-09-watanabe.html

 上川管内から3人の代議士が誕生した激戦の衆院選が終わった途端に、次期選挙へ向けて大型新人の出馬が取り沙汰されるようになってきた。関心の的は旭川出身で現在財務省から和歌山県庁へ出向中の渡部康人(やすと)氏(35)。花月会館・渡部武一社長の長男で、義父は大蔵財務官時代にミスター円と呼ばれ、今回の衆院選を前に菅直人内閣を想定した際の財務大臣に起用された榊原英資氏。本人も出馬への意欲は否定していないと伝えられ、民主党の佐々木秀典代議士の後を継ぐ人物として有力視されている。
 

市長候補への期待もあった

 「花月の息子の話は聞いている。しかし佐々木が当選したばかりのこの時期に突然出てくるような話ではないだろう。民主党には定年制もないし、佐々木自身も次は出ないとは一言も言っていない。今はまだ議論をする段階でもない」(民主党関係者)

 この関係者によると、次の衆院選で渡部康人氏の立起が取り沙汰されるようになったのは11月9日投開票の衆院選の後、佐々木氏の当選報告会が花月会館で開かれてからのことで、その後いろいろな人から「次は花月の息子が出るのですか」と聞かれるようになったという。

 報告会の会場が花月会館になったのは、単に他の会場が埋まっていたという理由にすぎなかったが、この種の集まりに花月会館が使われることは珍しいことでもあったため、憶測好きの人たちから「次は花月の息子にバトンタッチするという意味ではないか」という話が流れ始めたということのようだ。

 しかし渡部氏については、それ以前の、例えば平成14年の旭川市長選の時にも「郷里に帰って市長をやってくれないだろうか」という思いが市民の間に生まれた経過があったほどで、ここへ来て次期衆院選の有力候補として渡部氏の名前が挙がってきたことも、決して唐突なことではない。

 渡部氏のことをよく知る友人の一人も「彼は旭川に帰ってくるたびに、経済が疲弊していく郷里の現状を憂いていた。職場の仲間である財務省の人材が、どんどん政治家への道を目指していく状況を目の当たりにして、自分も官僚としてではなく政治の世界で働いてみたいという思いを持っていることは間違いない」と話しており、周囲の憶測にとどまらず、渡部氏自身にも政界への思いが芽生えていることは確かなようだ。


義父・榊原氏は元大蔵財務官

 渡部氏は高校時代、旭川東高の教師たちから「20年に一人の逸材」と言われるほどの学力を発揮して東京大学(文化Ⅱ類・経済学部)にも一発合格した。

 東大経済学部に入学したのは、当時東大教授だった西部邁氏の著書に感銘を受けたためで、学生時代は桝添要一助教授(当時・現自民党参議院議員)のゼミで政治を学んだり、ワールドビジネスサテライト等のテレビでも有名な伊藤元重教授のゼミでみっちりと経済学をたたき込まれたという。

 平成4年に大蔵省(現財務省)に入省、国際金融局に配属された。入省直後、その当時旭川市内に竹村健一氏とともに別荘を持っていた盛田昭夫ソニー会長から、現在義父である榊原英資国際金融局審議官(当時)を紹介されたようだ。

 その後、主計局係長、官房政策金融課課長補佐などを歴任したほか、ブッシュ大統領も卒業した米国エール大学で国際経済学修士号を取得。当時の同級生には現在自民党若手で国際派、経済通として頭角を現している田村耕太郎参議院議員がいる。

 米国ワシントンの国際機関に3年間派遣され、米国国防省やシンクタンクなどに知己を増やしたという。現在は和歌山県庁の農林水産総務課長として出向中。

 また、かつて金融危機の中で大蔵省批判の世論が沸き起こった時、省内の若手から「大蔵省には正すべきものが多い」といった要望書を上層部へ出そうという動きがあったが、入省後間もない渡部氏も若手のリーダー的な役割を果たしたというエピソードも伝えられる。

430とはずがたり(2/3):2004/02/28(土) 11:50
 学生時代は常にリーダー役、役人になっても親分肌で太っ腹なところは変わらず、こんな渡部氏を高く評価したのが大蔵省のナンバー2で金融問題に見識の高さを発揮し「ミスター円」と言われた榊原財務官(当時)だった。

 榊原氏は、官僚とは思えないほど肝っ玉の座った渡部氏に将来性と魅力を感じ、娘(長女・麻子さん)の伴侶になってくれればと二人を引き合わせたところ、たちまち意気投合して8ヵ月後にはゴールイン。4年前には東京と旭川の2ヵ所で晴れやかな披露宴と祝賀会を開いている。

 旭川での披露宴はもちろん実家の花月会館で行なわれたが、この時出席した旭川経済人の間からは「康人君は役人にしておくのはもったいない人材だ」といった声も聞かれ、何がしかの形での政界進出に期待する空気も漂っていた。

 こうした“旭川の宝”とも言える人材が、この後も財務官僚として将来が約束される堅実な人生を歩み続けるのか、それとも選挙という修羅場を体験しながらも政治家の道を求めるか、次の衆院選到来の時期を待ちきれないかのように市民の関心は日増しに高まりつつある。


佐々木秀典氏の決断がカギ

 選挙が終わったばかりのこの時期に、早くも次の候補者が取り沙汰されるのには次のような理由があると思われる。

 一つには小選挙区比例代表の選挙制度により、旭川からは当分3人の候補者が当選する可能性が高いということが分かったため、対立する政党の候補者を話題に出してもさほど抵抗感が生まれないという理由。

 これまでのように、旭川からは一人の代議士しか送り出せないという状況では、一方の候補者を話題にすれば、必ずもう一方の候補者を刺激することになっていた。しかし2大政党時代の到来を予感させる中で、自民・民主の2人の候補者が仲良く当選できる状況が生まれてきたとなれば、共同戦線を引くことさえ可能になってくる。

 自民党支持者が民主党に気配りしたり、逆に民主党支持者が自民党に寛大になっているのである。出馬があるとすれば民主党からという路線が敷かれている渡部氏に対して、一市民として待望論をぶち上げたとしても、政党関係者や一方の熱烈支持者をさほど刺激しないで済む環境になっている。つまり、狭い街でも周囲を気にせず自由に話ができるということである。

 もう一つは、民主党代議士の佐々木氏が現在69歳で、次の選挙では確実に70歳を超えるという状況がある。前身の社会党には70歳定年制があったが、民主党には定年制が敷かれていない。佐々木氏自身もこれまで勇退の時期について触れたことはないが、父の秀世氏も70歳を前にして政界から身を引いている。

 護憲という佐々木氏のライフワークはまだまだ不安定な状態で、いま国政から離れることには抵抗もあるだろうが、佐々木氏には弁護士活動という生涯の仕事もある。今期限りで代議士バッチをはずし、後進に道を譲っても決して悔いは残らないのではないか、という周囲の見方があることが第2の理由である。

431とはずがたり(3/3):2004/02/28(土) 11:51
民主党後継の可能性は大?

 佐々木氏の後継という話になれば、巷間ウワサされる人物が何人かいる。

 順当なところで言えば旭川市選出の道議・三井あき子氏と木村峰行氏。さらに自由党が民主党に合併したため今回は無所属で戦った西川将人氏。あるいは現在参議2期目の小川勝也氏(和寒町出身)を6区から衆院選に出馬させるという話も出ている。

 中でも最も有力とされるのが三井氏だが、国政に送り出すにはまだまだ政治家としての力不足が指摘されており、労組出身の木村氏では選挙戦の基盤が作りにくい。また本来は民主党に合流するはずの西川氏は、連合を中心とする労組からの抵抗感があり、実現までには曲折がありすぎる。可能性としては旭川北高出身の小川参議の方が高いが、現職の国会議員が危険を冒してまで衆院に鞍替えする可能性があるのかどうか。

 その点、まったくの初挑戦となる渡部氏なら分かりやすい。本人自身の知名度は薄いにしても、旭川の老舗・花月の4代目で、ミスター円として全国的にも知られる榊原氏の息子という背景があれば、管内有権者の注目を引くことは間違いない。

 また、佐々木氏と花月の渡部武一社長とは小学校〜高校の同級生で、幼なじみの関係。気心の知れた友人の息子ということであれば、佐々木氏としても後継者にすることに不満はないはずだ。それに何よりも、財務省の役人である渡部康人を一番高く評価しているのが佐々木代議士であるとも言われている。

 民主党の場合は社会党時代から、代議士自身が後継指名を行なった例はない。あくまでも機関決定が優先される仕組みになっているが、民主党が政権を取った時には財務大臣就任が予定される榊原氏の立場もあり、本人が希望すれば後継者として推される可能性は極めて高い。


「苦難の道を選ぶ姿は尊い」(渡部氏)

 さて、去就が注目される渡部氏だが、本誌の電話取材には和歌山市内の自宅で次のように話している。

 「私のことが旭川で話題に上がっていることは友人を通して聞いています。まだ、この先どうするということを具体的に言える状況ではありませんが、花月の4代目という立場もあり、郷里に対する思いが年々強くなってきていることは自分でも感じています。

 中小企業の息子であるにもかかわらず私が公務員になったのは、国の大きな仕事の役に立ちたいという思いがあったからです。しかしこの10数年、財務省本省や海外の国際機関で働いてきましたが、これで本当に貢献できているのかな、という気持ちももちろんあります。国のことを真に心配して高い志から政治の世界に飛び込み大変な苦労をしている財務省の同僚もいます。公の目標のために、あえて苦難の道を選ぶ姿は尊いものだと思います。

 私自身については、期待をかけていただけるのは大変ありがたいことだと思います。しかし、現在具体的にどこかからお話をいただいたという事実は全くありません。

 また、(出馬するとすれば)民主党か自民党かという話にもなっているようですが、私は自民党にも民主党にも日頃からお世話になっている先生がおられます。同世代で親しくさせていただいている先生もいらっしゃいますが、『6区で出馬』というようなお話をいただいたことはありません」

 話の節々に、政界への転身をうかがうニュアンスは感じ取れたが、まだ確信的なものにはなっていないようだ。しかし旭川の友人の話では、

 「彼は今回の衆院選で、財務省の同僚だった北神圭朗氏が、あの野中広務氏の京都4区から立起したことに、強い感動を受けたようです。その北神氏が敗れて彼も相当のショックを受けたようですが、義父の榊原氏からは『同僚のことを考えるより自分のことを考えろ』と諭され、彼自身の選挙についての話にも及んでいるということです」

 民主党内閣の財務大臣予定者・榊原氏の後押しもあって、渡部氏の次期衆院選立起の話は、今後具体化していく可能性が高そうだ。街の中では早くも「渡部が民主党から立てば、自民党の金田英行も、その次出る今津寛もうかうかしていられないだろう」という話まで飛び出している。


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