したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

地域綜合スレ

1とはずがたり:2003/10/24(金) 14:51
市町村合併情報
http://www.glin.org/prefect/upd/index.html

スレッドの進行方法などは>>2

329無党派さん </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2004/06/09(水) 12:21
ふるさとは今…04参院選 (1)地域振興
高速道路出来て町寂れ
〜刑務所誘致に望みつなぐ〜
http://mytown.asahi.com/shimane/news01.asp?kiji=4109
 西中国山地を南北に貫く浜田自動車道の旭インターから車で数分の旭町今市。人口3千人余りの町の中央の通り約1キロ沿いで洋品店や食料品店などの閉店が続く。浜田道が全線開通した91年、町内には95の商店があったが、02年までに39店が閉店した。全従業者数は4分の3に減った。未整備地域が熱望する高速道路が県内で最も早く開通しても、過疎化は止まらなかった。そして今、迷惑施設として敬遠されてきた刑務所の誘致に地域振興の望みをつないでいる。


◇   ◇   ◇


 50年近く家族を中心に経営されてきた食料品店は5年前、町がひっそりする日曜を休業日に変えた。店主の妻(62)は「高速道ができて、週末にレジャーで町外へ人が出ていく。広島へ行くのに高速を使うようになり、人が通りを通らなくなった」と嘆く。町の人口は、この40年余りで半減した。41%の高齢者比率(00年度)は県内トップ級だ。

 県と町は浜田道の開通から6年後の97、98両年にかけて、旭インター沿いに計22・6ヘクタールの県営旭拠点工業団地を造成した。総事業費36億円。「高速道路へのアクセスの良さ」を売り物にして雇用増加や地域振興をもくろんだ。県内主要工業団地の中で最も安い土地単価を設け、固定資産税も優遇した。町の担当者は毎年、企業誘致に全国の20〜30社を訪ね、韓国や台湾にも出かけた。だが、これまでに開業したのは隣の瑞穂町の建設業者1社だけ。広大な団地には、ひざ丈まで雑草が伸びている。


◇   ◇   ◇


 町民たちはもともと企業誘致に冷めていた。町内で30年間、理容店を営む女性(54)は「ほかの工業団地も企業誘致は進んでないから期待していなかった。(造成費が)もったいないと思った」。今では岩谷義夫町長も失敗を認める。「旭インター近くにつくったこと以外にメリットはなかった。できた時点で広島県内に8カ所の工業団地があった。初めから無理だった」

 企業誘致の不調に加え、浜田道開通の3年後にオープンしたリゾート施設「旭テングストン」を経営していた第三セクターが01年夏、44億円の負債を残して自己破産した。高速道路にかけた夢はことごとく散った。そして、浜田など4市町村との合併を前に、町が地域振興の最後の望みを託したのが、工業団地への刑務所誘致だった。
 
 受刑者の急増で法務省が03年度に新設を決め、旭町を含む全国51自治体が誘致に名乗りを上げた。選ばれたのは山口県美祢市で、今年度も1カ所の新設が予定されており、刑務官やその家族が住むことで地元への経済波及効果が大きいとみられている。


◇   ◇   ◇


 合併すれば町は新市の東端になる。衰退への危機感は他市町村以上に強い。今年4月には岩谷町長が上京し、青木幹雄・自民党参院幹事長ら県選出国会議員に刑務所誘致への協力を求めた。
 
 今年度に入り、仁摩−温泉津、浜田−三隅、三刀屋木次−広島県境で相次いで高速道の本格着工を意味する「くい打ち式」があった。道路公団改革で建設が一時危ぶまれただけに、出席した澄田信義知事や竹下亘衆院議員ら県選出議員らは胸をなで下ろし、「地域経済や広域観光の活性化への大きな効果」「ふるさとの悲願」と口にした。
 
 「インターチェンジがなければ、(この10年間は)どうにもならなかった」と言う岩谷町長は「今やインターチェンジは全国どこにでもある。それだけではだめだ。地域に風穴が開き、過疎化を促進する心配もある。住みやすい環境をそろえないと人口増にはつながらない」と続けた。
 

◇   ◇   ◇


 98年の参院選から6年。3選後の青木氏は小渕・森両内閣の官房長官や自民党参院幹事長に就くなど中央政界で力を伸ばしてきた。その実力は、故竹下登氏が首相になった翌年の88年度から県民1人当たりの公共投資額が��年連続で全国1位、山陰道・仏経山トンネル西工事の事業継続などで裏付けられた。だが、深刻な過疎化、基幹産業である農業の不振が続くなど島根の空洞化が進む。県選出議員が中央で階段を駆け上がる一方で、ふるさとはどう変わったのか。その現場を探る。

330無党派さん </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2004/06/09(水) 12:22
ふるさとは今04参院選(2)ふるさと創生
膨らんだ期待かすむ理念
県内「再編」過疎化加速の恐れも
http://mytown.asahi.com/shimane/news01.asp?kiji=4113
 「都市と地方の対立(構図)を県内に持ち込むのは得心がいかない」
 
 4月20日、浜田市内で開かれた県幹部と市町村長が意見を交わす県市町村長会議。町内の警察署と高校分校、農林振興センター普及部の廃止が県の再編計画に盛り込まれた掛合町の影山喜文町長は、澄田信義知事や市長らを前に訴えた。「島根の将来ビジョンなくして、住民の納得のいく再編ができるのか。今こそ、ふるさと再生を果たすべきだ」


◇   ◇   ◇


 故竹下登・元首相が生涯の政治目標とした「ふるさと創生」。その理念が、元首相のふるさとで問われている。
 
 「ふるさと創生事業」は竹下氏の発案で実施された。89年に全国約3300の市町村に使い方を限定せずに1億円ずつ配ったことで有名だが、正式名称は「自ら考え自ら行う地域づくり事業」だった。

 当時、掛合町には報道各社の取材が相次いだ。「首相の地元は1億円をどう使うのか」。当時の町長落合良夫さん(78)は、竹下氏から「全国の市町村長の中で最も大きなプレッシャーを受けるが、じっくり考えなさい」と直接助言された。「中央集権じゃなく、地方で考え、発信することを町民に植え付けることが竹下さんの目的だった」と振り返る。
 
 町は「1億円」をきっかけにまちづくり計画をつくった。1億円の大半は基金で残し、一部を町内7地区のコミュニティー協議会に100万円ずつ配って地域づくりや過疎対策について意見を求めた。


◇   ◇   ◇


 各地区からの報告書をもとに91年、「好老の郷づくり」を目指す「掛合町ふるさと創生事業」をまとめた。「好老」は、竹下氏が首相就任時に発表した「ふるさと創生論」の中の言葉を引用した。計画に基づき、テレビ放送難視聴地域の対策として、ケーブルテレビ放送局を県内で初めて設置した。広島市へと続く国道54号沿いには、特産品販売店とレストランに緑地公園や交流・情報発信施設を加えた複合施設「掛合の里」を整備した。それが「道の駅」のモデルとなり、全国に広がった。町企画開発課の課長補佐だった朝山哲助役(餬)は「1億円を起爆剤にいい計画をつくることが(首相の地元として)恥ずかしくない使い方と思った」と言う。

 戦後、軍隊から帰郷した竹下氏が「国破れて山河あり」と実感し、政治家を志したという話は今も地元で語り継がれる。だが、竹下氏の衆院議員1期目の1960年に7千人以上いた町人口は、03年に4千人を割った。「ふるさと創生事業」は少子高齢化や過疎化の歯止めにはならなかった。
 
 市町村合併と同時に県の行政施設が廃止されれば、現町域の人口減少はさらに加速する恐れが高い。竹下氏の実家の造り酒屋「竹下本店」がある商店街への影響も必至だ。町議の一人は「これからはここにいるものが助け合い、住み良い地域にするしかない」と決意を示す。落合さんは「国にも金がなく、�Cばらまき�Dによるふるさと創生は難しくなった。それでも地方には地方の分担業務がある。これからは市町村が本当に必要なことを見極めないといけない」。


◇   ◇   ◇


 「ふるさと創生」とは何だったのか。影山町長は「地方の大切さを全国に訴えることでもあった。その点では都市と地方が対立するいま、日本全体に『ふるさと創生』(の理念)は根付かなかったということだろう。自治体がハコモノに走り過ぎた欠点もあった。都市と地方がお互いを理解し、もっと優しい日本をつくるという課題が残った」。

331無党派さん </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2004/06/09(水) 12:24
>>329-330
参院選の話題の枠にとどまらない良記事だと思います。
こんな日本に戻ることはありえませんね。

332とはずがたり:2004/06/09(水) 13:15
情報提供感謝です。
地域振興の為に高速道路が欲しいというのはウソでありただの地元のエゴで,あんなものなくても過疎地は衰退するし,ひょっとしたらストロー効果で却って衰退が加速するかも知れないと云うことが何故コンセンサスにならないのか不思議です。

過疎過密問題は,社会問題ではなく(通常の)経済問題であると自分は認識しております。辺鄙な山の中に人が住んでいるのは炭焼きや狩猟など山奥が良い稼ぎ場だったから人が住んでいるのであって,そこでの暮らしが儲からなくなったら人が出ていくのは当然です。
それを踏まえて中山間地は地域づくり事業を行って欲しいものです。
合併→周辺部の衰退は或る意味望ましい方向性でそれを無理に周辺部を維持しようとしない方が良い様に思われます。地方都市・中心市街地の整備をした方が良いように思えます。地方のインフラ不足は越えるのも難儀するような山道ではなく地方都市の脆弱な都市基盤にあると思う。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板