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ウサギってかわいいよね

1nanashibanana:2006/04/16(日) 23:36:36
私的なメモ帳
授業のことや興味ある事柄を忘れないようミーがメモしていく。

http://www.littera.waseda.ac.jp/index.html

2西洋古典文学1:2006/04/20(木) 05:03:44
「西洋古典文学」(Classical Literature)

西洋古典文学とは、「古典古代」のギリシャローマ文學

古代ギリシャ文學は古代ギリシャ語(ancient Greek)又は
古典ギリシャ語(ClassicalGreek)によって書かれた文學

ローマ文學はラテン語(Classical Latin)によって書かれた文學

3万葉集:2006/04/22(土) 20:11:00
20寒
4500首
〔いつどこで誰が〕
 奈良後期
  大友家持 新しき初めの初春の4516  天平宝宇3年 759年

 平城京

 ? 大伴家持?

現存する最も古い写本
 13世紀

古い歌
 磐姫皇后 雄略天皇

信用できる最も古い歌
 舒明天皇7世紀前半
最も新しい歌
 大伴家持

4万葉集:2006/04/22(土) 20:14:52
第2章 書き伝えられた『万葉集』

 今から約1200年以上前に成立したと思われる『万葉集』だが、
原本はすでに失われてしまった。
現在、我々が読む『万葉集』は、後の人が何段階にもわたって
書き写した写本によっている。
もっとも古い写本でも、原本の成立から200年ほど後のもので、
かつ全体のほんの一部分にすぎない。
全文が揃った写本で最古のものは、さらに時代が下って、
原本の成立から500年も経過した後に写されたものである。
原本から遠く隔たれば隔たるほど、写し誤りが多くなる。
したがって、原本の姿を復元しようとする場合、
さまざまな古写本を参照して、本文の検討をする必要があるのである。
ここでは、『万葉集』の本文を検討するときに重要視されている古写本の
いくつかを、インターネット上の画像によって閲覧してみることにしよう。

 古写本の多くは、優れた古人の筆跡(これを「古筆(こひつ)」という)
として、美術的な価値も充分に備えている。料紙の色や模様などともに、
見た目の美しさを味わってみよう。

 

「e国宝」というサイトでは、日本の国立博物館所蔵品の
鮮明なカラー画像が閲覧できる。
コンテンツの中身には、「万葉集」の古写本も含まれる。
http://www.emuseum.jp/

・ここでは、藍紙本万葉集(平安中後期書写)の画像が閲覧できる。
http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=5&ID=w032&SubID=s000

・ここでは、元暦校本万葉集(平安中後期書写)の画像が閲覧できる。
http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=4&ID=w105&SubID=s000

5万葉集:2006/04/22(土) 20:19:09
第4章 『万葉集』の表記

 『万葉集』が成立した奈良時代には、
まだ平仮名・片仮名が使われる以前であった。
とうぜん、『万葉集』の原文は本来、当時の日本で通用していた
唯一の文字である、漢字のみで記されていた。
1000年以上に及ぶ『万葉集』の研究史の積み重ねによって、
漢字ばかりの原文を、和歌としてふさわしいかたちに読み下しているのである。
 当授業は、あまり専門的な分野に深く踏み込むことは意図しないので、
『万葉集』の原文をことさらに取り上げることはしないが、
ここで、ごく簡単に、『万葉集』の表記について、説明しておくことにする。


 第3章で話題にした、『万葉集』の巻頭歌である雄略天皇の
歌の冒頭2句の原文は、下記のようになっている。

籠毛与 美籠母乳

これを現在のほとんどすべてのテキストが

こもよ  みこもち

と読んでいる。なぜ、そう読めるか?を説明するとなると、
かなり込み入ったハナシになるので、興味のある人は、
沢瀉久孝『万葉集注釈』(中央公論社)の該当箇所など、
いくつかの『万葉集』の注釈書を読んでみることを勧めることにして、
ここでは、それぞれの原文の漢字が、どうのような原理で和歌としての訓に
対応しているか、について説明しておくことにする。
 漢字の原文と、読み下しの仮名の文字数を比べれば分かるように、
この場合、一つの漢字がそれぞれ一つの音に対応している。
しかし、それぞれの対応の仕方がさまざまなのである。
まず、第1字目「籠」を「こ」と読むのは、古い日本語で、
竹などで編んで作ったカゴのことを「コ」と言っていたことによるもので、
歌の意味の上でもカゴを意味している。つまりこれは、
現在の漢字の訓読みと同じ使い方、ということになる。
 次の「も」も「よ」も、意味は詠嘆を表す助詞なのだが、
いずれも漢字「毛」「与」の音を、日本語の助詞の表記に利用したものである。
漢字が持っている意味はまったく無視され、発音だけが利用されているわけで、
現在の平仮名・片仮名に等しい表記である。
(よく知られるように、平仮名・片仮名も、
漢字をくずしたり省画することで成立した。簡略化されているか
どうかの違いこそあれ、『万葉集』でも漢字を表音記号として利用する、
「仮名」はすでに成立していた。これらを「万葉仮名」と呼んだりする。)
 第2句の1字目「美」を「み」と読むのも、
同じく漢字の音を利用した仮名としての用い方。
ただし、「み」は美称の接頭語なので、
この場合、まったく漢字の意味が無視されているとは言えないかもしれない。
第2句2字目の「籠」も、第1句の場合と同じ用法。
次の2字「母乳」は「もち」と読ませて、「持ち」の意味を表している。
「母」の方は、漢字の音を仮名として用いているのだが、
「乳」の方は、古い日本語で乳を意味する「チ」(「乳飲み子」「乳兄弟」の
チとして、現在にも残っている)を、意味はまったく無視して、
仮名として用いているもの。万葉仮名には違いないのだが、
これまでに見えた「毛」「与」「美」「母」が、
すべて漢字の音を利用した仮名であったのに対し、
この「乳」は漢字に対応する訓を仮名に利用している。
このように、万葉仮名とは言っても、2種類あり、
前者を「音仮名」、後者を「訓仮名」と呼んで、区別することができる。
(現在の平仮名では、圧倒的に音仮名が多いが、
「め」は「女」が元字なので、訓仮名である。)

 わずか7音節の表記であるが、その中に3種類の異なる表記原理に
基づく漢字が使い分けられていることになる。

6万葉集:2006/04/22(土) 20:23:07
00004 (8): さっそく質問です  
○○○  早稲田大学   2006/04/19 22:15:56 この意見に関して

これから半年間、よろしくお願いします。
今日の授業で疑問に思ったのですが、今までの写本に載っていない万葉集の断片が
発見されたら「新発見だ!」と思うよりもまず、「ニセモノじゃなか?」「違う
歌集のものではないか」と考えると思うのですが、何か「絶対万葉集の一部である」
と言う根拠があったのでしょうか。

7万葉集:2006/04/22(土) 20:26:34
⇒ 00004-1 (9): さっそく回答  
たかまつ  早稲田大学   2006/04/19 23:00:41 この意見に関して

学問において、「疑う」ことはとっても重要なことです。
ですから、「そう簡単には信用しないぞ」という さんの態度は立派です。
じゃァ、根拠をいくつか挙げてみましょう。
・まず、わずか数行ですが、あのように漢字ばかりで和歌(らsきもの)を
記した文献というものは、そう多いわけではありません。
傍書された訓を解読すると、ちょっと和歌を専門に読んだことがある人であれば、
平安朝以降の和歌とは言葉遣いが異なる、古そうな歌だ、という見当も
 つきます。ことによると『万葉集』の断簡かな?という推理が
そこではたらきます。
・で、『万葉集』の各種索引などを利用して、解読できる本文や訓などを
たよりに検索すると、たしかにあの断簡は『万葉集』巻三の261番〜270番の
本文に一致することが確認できます。

それでも厳密に言えば、『万葉集』そのものではなく、
『万葉集』の上記一部分を抜書きした別の文献である可能性が
まったくゼロというわけではないのですが、実は、この断簡とまったく
同筆で同じ料紙に書かれた別の部分の断簡が、
すでに古くから知られているんです。
『校本万葉集』などでは「柘枝切」などと呼ばれている切ものがそれ。
私にはそこまでの鑑識眼はありませんが、見る人が見ると、
紙の質・筆遣いの様子などから、南北朝ころの写本であると
判断できるもののようです。
まァ、だいたいそんな手続で『万葉集』の断簡であると
判断してよいと思われます。
現在でも数年に1枚か2枚、知られていなかった『万葉集』の切が
古書店の目録に出たりすることがあります。
1巻だけでも、まるごと新たな写本がみつかったりすると、大騒ぎになります。
(実際、10年ちょっと前に、20巻揃いでまったく知られていなかった写本
(現在「広瀬本」と呼ばれるもの)が出てきたときには、
朝日新聞のトップ記事になりました。

8万葉集:2006/04/22(土) 20:27:47
● 00003 (4): はじめまして  
  早稲田大学   2006/04/18 15:25:10 この意見に関して
一文二年の です。とてもわかりやすくて楽しく授業を受けられました。
ひとつ質問なのですが、万葉集切の「切」ってなんですか?
断片って意味なんでしょうか。つまらない質問で申し訳ないです。

9万葉集:2006/04/22(土) 20:28:38
⇒ 00003-1 (7): 「切」  
たかまつ  早稲田大学   2006/04/19 00:01:54 この意見に関して

そうですね、「切」というのは、ちょっと専門的な用語ですので、
説明が必要でしょう。
お察しのとおり、断片・断簡のことを指す文献学の用語です。
「古筆切(こひつぎれ)」とも言いまして、完全な冊子や巻物のかたちではなく、
一部分が切り取られて伝わっているものがけっこう多いのです。
断片的な資料ではあっても、いろいろと重要な情報が読み取れることも多く、
研究にとって重要な材料となっています。

10西洋古典文学1:2006/04/22(土) 20:44:28
「古典古代」(classical Antiquity)とは?

・ギリシャ・ローマは近現代ヨーロッパ、もしくはその影響を受けた
 現代社会に規範を提供し、手本となったと考えられたので、
 古代の中でも特に「古典古代」と称する。

・その時代は紀元前8世紀から、紀元後5世紀(西ローマの滅亡)、
 または6世紀(プラトン創設のアカメディアの閉鎖)くらいまでの
 1300年から1400年くらいの期間


古代ギリシャ文学≠現代ギリシャ文学

・現代でもギリシャ共和国が存在し、キプロス共和国とともに、
 それは現代ギリシャを話すギリシャ民族の国家である→
 「現代ギリシャ文学」も存在しノーベル賞作家も輩出

・古代ギリシャ語にも方言的多様性が見られ、
 古典古代も長いので時代によって、言語上の特徴は異なる。

11西洋古典文学1:2006/04/22(土) 20:53:07
古代ギリシャ文学の概要

・現存する最古の文学は前8世紀頃の詩人ホメロスの叙事詩
 『イリアス』と『オデュッセイア』
・前7世紀から6世紀までは「合唱叙事詩」がある
・前5世紀は「ギリシャ悲劇」の時代で、同時に喜劇も栄えた。
・前4世紀から前2世紀は「ヘレニズム時代」で「ヘレニズム文学」が栄えた。
・ローマ時代にもギリシャ語文学は存在した。


ローマ文学の概要

・ローマ建国は前8世紀とされるが、文学の本格的形成は
 ヘレニズム文学の影響を受けた前3世紀から
・前1世紀の後半が「黄金時代」と言われ、多くの作家を輩出した。
・後1世紀から2世紀初めまでが「白銀時代」でやはり多様な文学が花開いた。

12西洋古典文学1:2006/04/22(土) 21:08:48
古典文学とその影響関係

ホメロス(前8世紀)

ギリシャ古典文学(前5世紀が中心)

ヘレニズム文学(前3世紀が中心)

ローマ文学(紀元前後が中心)

後世のヨーロッパ文学
(古代末期・中世・ルネサンス・近現代)


古典古代の主な作家1

・ホメロス、叙事詩『イリアス』/『オデュッセイア』
 (前8世紀)
・ヘシオドス、教訓的叙事詩『労働と日々』
 (他にギリシャ神話の重要資料『神統記』など)(前8世紀から7世紀)
・女流詩人サッポーなどの叙事詩人(前7世紀から6世紀)
・ピンタゴロス、合唱叙事詩
 (古代オリンピックなど4つの競技会の勝利者への賛歌など)
  (前5世紀)

13西洋古典文学1:2006/04/22(土) 21:18:14
古典古代の主な作家2

・三大ギリシャ悲劇詩人:アイキュロス/ソポクレス/エウピデス
 (前5世紀のアテネ)
・アイキュロス:『オレステイア三部作』/『アンティゴネ』など7作が現存
・エウリピデス:『メデイア』/『ヒッポリュトス』/『トロイアの女たち』
 など19作


古典古代の主な作家3(喜劇)

・「古喜劇」のアリストパネス:妻たちが夫に対して
 夫婦関係を拒否することで戦争をやめさせようとする『女の平和』
 などの反戦劇その他を書いた。
・「新喜劇」のメナンドロス:恋愛などを扱った風俗劇で、
  ローマ喜劇への影響を通じて、西洋演劇史においては重要な意味を持つ。

14西洋古典文学1:2006/04/22(土) 21:29:07
古典古代の主な作家4(前5世紀から4世紀の散文作家)

・ヘロドトス『歴史』:ペルシア戦争
・トゥキュディデス『歴史』:ペロポネス戦争
・哲学者プラトン:『全集』が現存・・主としてソクラテスを主人公にした
 哲学的対話篇
・哲学者アリストテレス:公刊した著作集は散逸し、
 講義メモのような著作集が残っている。
・デモステネスなどの弁論家の法廷弁論等の原稿も重要な散文作品


古典古代の主な作家5(ヘレニズム文学)

・カリマコス:学識を重んじ、彫琢を施し、都会風に洗練された小規模な作品
       繊細さを重視
・アポロニオス・ロディオス:叙事詩『アルゴナウティア』(アルゴ船物語)
・テオクリトス:後世に流行する「牧歌文学」の祖として知られる。
ローマ文学に関しては次々回

15nanashibanana:2006/05/29(月) 12:17:58
慶應義塾図書館稀覯書画像
http://www.humi.keio.ac.jp/jp/treasures/index.html

16第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 04:53:58
前回

ルネサンス期から啓蒙主義時代古代史研究の囘顧
       ↓
「古代ローマ」及びその研究の再検討

17第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 04:58:04
今回の講義

『ローマ帝国衰亡史』における
エドワード・ギボンのローマ観

近代ドイツ歴史学における古代史研究の動向

18第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 05:09:47
エドワード・ギボン

ギボンの半生

1737年 ロンドン南西部のパドニーにて七人兄弟の長男として誕生
    病弱のため正式の教育受けること出來ず

1749年 母と死別。英国議會トーリ党の議員だった父隠居
    彼の教育は叔母と祖父に委ねられる。

    叔母の指導下、祖父の蔵書を通じて膨大な知識を獲得
        ↓
    後に膨大な諸作品を生み出す原動力

1752年 15歳のとき、健康状態の好転を機に、
    オックスフォード大学モーダリンカレッジに入学
    周囲との軋轢から一年余りで退学

19第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 05:15:50
波亂に滿ちた人生

 カトリックへの改宗
 ローザンヌ滞在
 ヴァルテールとの
 父との確執
 スザンヌ・キュルショとの恋愛
 プロテスタンティズムへの再改宗

20第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 05:27:09
著書
 『ローマ帝国衰亡史』
  (History of the Decline and Fall of the Roman Empire)

非凡な叙述力と深い歴史的判斷が結合する、
最初の偉大な歴史記述の試み

その眼差し

ローマ帝国の沒落へ

21第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 05:50:43
『ローマ帝国衰亡史』の精神的背景

 18世紀中頃、イギリスで流行していた
 沒落したものへの懐古的感傷主義

『自叙伝』(Memoirs of My Own Life,)

「1764年10月15日、カピトルの廃墟の中にたたずんで物思い
  ふけっていたときに、洗足の托鉢早たちが夕の祈祷唱え
  つつあった状況の中で、この都市の衰亡を描こうとする心
  が初めて心の中に起こってきた」

この言葉でわかること
彼の描きたかったもの

 × ローマ帝国の衰亡史
 ○ ローマ市の衰亡史

ローマ市の廃墟に対する実感に裏付けられている

22第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 06:02:04
マルクス・アウレリウス帝の死(後180年)から
コンスタンティノープルの陷落(1453年)までの長大雄渾の衰亡

実現要因
 青少年時代に身につけた古典的教養
 東方世界への関心と知見

著述にあたり参考にした資料
 ドゥ・ティユモン(Le Nain de Tillemont)
 六世紀間に統治した君主その他の君主達の
 利用
 彼自身の博識考証の資料文献研究

問題点
 根本資料の徹底的批判の不充分さ
 非文献資料利用の欠如

評価
 研究未開拓の時代
 (ローマ帝国末期、中世ビザンティン帝国)の全体的な歴史像を構成

 彼の努力は高く評価されるべき

23第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 06:08:02
「ローマ帝国衰亡史」の有名な言葉

「もし人が世界史上、人類の状態が最も繁榮していた時代を定めよと
 云われ多ならば恐らく躊躇することなく、ドミティアヌス帝の死から
 コンモドゥス帝の登位までの間の時代を挙げることであろう」。

第二世紀のローマ帝国
 法制
 平和
 寛容
 自由
 行政
 知惠
 道徳
 思想

24第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 06:22:09
第二世紀は理想的な文明状態

この価値基準は啓蒙主義の影響

ギボンの態度
 「ローマの衰退は節度無き偉大さの自然、不可避な結果であっ
  は腐敗の原理を成熟させた。破壞の原因は征服の拡大と
  ともにそして時または偶發事件によって人為的な多くの
  支柱が取り外されるやいなや、その膨大な建物は、
  その時代の重圧に押しつぶされるのは当然だ
  それ故に我々は何故にローマ帝国が滅びたかと
  問う代わりに、むしろ如何にしてあのように久しく
  存續しえたかに驚くべきである」

モンテスキューと共通する発想
根本的に楽天的な姿勢

啓蒙史学の象徴

25第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 06:30:24
ギボンは厳密な意味での歴史學者ではない

マイネッケのギボン評価の結論
  「感傷性と精神の力強さとが一緒になって
   この作品を生み出しているのであって、
   決して魂の深さがこれを生み出していたのではない」

 ギボンが自らの作品を囘顧した際に感じた不安
  
 啓蒙主義の限界を認識し始めた兆候

とマイネッケは評した

26第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 06:43:05
しかし「五賢帝時代」に対する評価無批判ではない

コンモドゥス帝の治世(ad180-192)
 抑えがたい沒落過程での恐ろしい悲劇の序曲

ローマの国家理念とキリスト教の闘争

 帝政末期におけるキリスト教の臺頭
 ローマ帝国沒落の最終的な要因の一つ

巨大な崩壞過程にあって、歴史的に破壞にこう非難を向ける

キリスト教はローマ帝国沒落の唯一に原因ではないが
既に衰退に向かいつつあったローマ帝国の政治的、社会的構造に、
毒素として進入して、これを破壞しただけでなく、
ローマの病患から大きな利益を引き出した

ただし、ローマ帝国衰亡とキリスト教の関係を
過剰に強調した点は否めない。

27第二回西洋古代史:2006/05/31(水) 06:51:25
ローマ史家マンニの評価

「我々はギボンとともに、前ロマンティシズムの
 風土に立っている。つまり、ローマ史はもはや
 西洋文化の獨占敵な中心的な関心事ではなく
 いたのである」

28万葉集2ー1:2006/07/13(木) 21:34:35
第1章 「舒明天皇国見歌」語釈

万葉の作品の中でも、もっとも古い時期のものの1つと考えられる「舒明天皇国見歌」を取り上げ、その性格を考えてみる。
まず、「舒明天皇国見歌」(2)の、本文解釈をしておこう。

 

(本文は『古代和歌 万葉集入門』120ページ参照)

 

【語釈】
○高市岡本宮(たけちおかもとのみや)―舒明天皇の皇居。現在の奈良県高市(たかいち)郡明日香村岡寺付近か。
○息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)―舒明天皇の国風諡号。舒明天皇は、第34代の天皇。593-641(在位629-641)。
○香具山―畝傍(うねび)山・耳成(みみなし)山とともに大和三山の一つ。天香久山。(地図はここ。)
○望国―題詞原文のこの語を、現在のほとんどの注釈書・テキストは、「くにみ(したまふ)」と読んでいる。和歌本文に「国見をすれば」とあるのによっている。「国を見る」ではなく、「国見をする」という言い方に、ただ単に山の上からあたりの景色を眺めるというだけではなく、特定の目的や意味をもった行い(儀式・儀礼)として、この歌が詠まれた場が存在していたことを窺わせる。今回の授業は、この上代独特の「国見」儀礼の意味と、その中における「舒明天皇国見歌」の意義について考えてみることが、話題の中心になる。
○大和には―「大和」には、1)現在の奈良県の旧名、2)日本の別名の二つの意味があるが、この場合、前者か。
○群山あれど―多くの山々があるけれど。「むらやま」の「むら」は「むらがる」などと同根のことば。
○とりよろふ―語義未詳。文脈からすれば、「(多くの山々があるけれど)中でも特別(神聖)な」といった意味で、香具山を讃美するかと思われる。
○天の香具山―山名「香具山」に「天(あめ)の」をかぶせるのは、香具山が神聖な山であることを強調する修辞。また、香具山は天上からこの世に降ったものとする伝承が『伊予国風土記』(逸文)に見え、『万葉集』には、「天降(あも)り着く天の香具山」という表現も見える(巻三・257)。
○国原(くにはら)は―大地には。
○煙(けぶり)―人家から立ち昇る炊煙のこととする説や、大地の霊力そのものの姿とする説などがある。
○立ち立つ―盛んに立ち昇る。同じ動詞を連続させるのは、その動作が盛んに繰り返されることを表わす。
○海原―香具山からは実際には海が見えない。実景と考える立場からは、当時明日香のそこここに存在した溜池のことか、とする説が唱えられたりしている。
○かまめ―カモメのこと。
○うまし国―シク活用形容詞「うまし」には、「素晴らしい」「立派だ」の意味があった。
○あきづ島―日本(大和)の別名。ここでは「大和の国」の枕詞のようなはたらきをしている。
○大和の国は―この最後の「大和の国」は、「国原」「海原」を包括する大きな地域としての「大和」なので、日本の別名として使われているのだろう。

【大意】大和の国には多くの山々があるけれど、中でもとりわけて神聖な天の香具山。そこに登って国見をすると、大地からは煙がさかんに立ち昇り、大海原にはカモメがさかんに飛び立つのが見える。素晴らしい国だ。この秋津島である大和の国は。

29万葉集2ー2:2006/07/13(木) 21:47:40
高市岡本宮に天の下治らしめしし天皇の御世
〔息長足日広額天皇〕天皇、香具山に登りて
望国したまふ時の御製歌

大和には 群山あれど
とりよろこふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 
国原は 煙立ち立つ 
海原は かまめ立ち立つ 
うまし国そ
あきづ島 大和の国は

30万葉集2ー2:2006/07/13(木) 22:05:55
国見という行事をして
「国原は 煙立ち立つ 
 海原は かまめ立ち立つ」
という景色が見えたと書いてある。
何か重要なこと


 =(1)炊煙  仁徳天皇の逸話の連想
         栄えてることの象徴
  (2)大地の霊力  水蒸気
            力をみてる
どちらの説でも豊かであることの象徴している

かまめ(鴎)
   =(1) 海の幸の暗示
        鴎の下に魚が群れてる 鳥山が立つ
    (2) 海の霊力
どちらが正しいというより滿ちてることを簡潔な言い方で表してる


香具山から海は見えない

               耳成山
     山    
大    脈  畝傍山    明日香      香具山


         

実際見えてる光景を描いてるのでなく、
こうあればいいという理想を歌っているに止まる

31万葉集2ー2:2006/07/13(木) 22:22:43
この歌は言葉の力を意識してる。

 忌み言葉  今でも言葉の力を意識している
 新年の挨拶 「おめでたい」希望をこめて斷定

いいいみにつけ悪い意味につけ今でも感覚もってる

言霊 万葉にすでに出ている。

磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ
   (万葉集巻13 3254)

叙明天皇
 実際のこと度外視して、国見して言葉で宣言するころに意味がある。
 そして現実に引き出そう

応神記(記=古事記)

 ある時、天皇、近つ淡海の国に越え幸ましし時に、
 宇遅野の上に御立たしまして、葛野を望けて歌ひたまひしく、

千葉の葛野を見れば
百千足る家庭も見ゆ国のほも見ゆ

応神記の歌も国見の歌の一種と言われている。
比較しながら叙明天皇の国見の歌をみてみる

32万葉集2ー3:2006/07/13(木) 22:24:16
第3章 「応神記歌謡」語釈

ここで、第2章の最後に出てきた「応神記歌謡(千葉の葛野を…)」の本文解釈をしておこう。
ここでとりあげた歌謡は、応神天皇が近江国に出かける途中で、一人の乙女(矢河枝比売やがわえひめ)に出会い、彼女を妃として迎える、という物語の発端の部分に組み込まれている。

 

(本文は『古代和歌 万葉集入門』120ページ参照)

 

【語釈】
○近つ淡海の国(ちかつあふみのくに)―近江国。現在の滋賀県に相当する。「淡海」は淡水の海の意味で、琵琶湖をさす。
○宇遅野(うぢの)―「宇遅」は現在の京都府宇治市のあたり。(地図はここ。)上代で「野」というと、単に平坦な地ばかりではなく、なだらかな丘陵地も含んでいたらしい。『万葉集』巻3・372歌の題詞には「春日野に登る」という表現がみえている。『古事記』の当該部分でも、「宇遅野の上に御立たしまして…望け」と言っているのは、見晴らしのいい丘陵地の上から周辺を眺めたことを言ったものだろう。そのあたりに、国見儀礼にかよう状況をみてとることができる。それだからこそ、国見歌謡の発想に基づく、当該歌謡が、効果的なものとして、『古事記』のこの部分に挿入されているのだろう。
○葛野(かづの)―現在の京都府宇治市宇治山本から長岡京市あたり。
○千葉の―千葉は多くの葉の意味。たくさん葉が生い茂っている、として、地名「葛野」の「葛」(=つる草)に掛かっている。枕詞ということになるが、地名「葛野」を、青々とした葉が生い茂ったつる草と結びつけることで、葛野が生命力に富んだ優れた土地であることも暗示させ、讃美の表現になっている。
○百千足る(ももちだる)―百も千もいずれも程度の甚だしいことを言っている。たくさんに満ち足りた、の意味。
○家庭(やには)も見ゆ―家々が見える。
○国のほ―「ほ」は、一番目立つところ、秀でたところ、の意味。たとえば、稲の穂、炎(ほのほ)などの「ほ」などに見られる。「国のほ」と言った場合、国土の中でも特に優れたところ、というような意味か。


【大意】(千葉の)葛野を眺めると、充分に満ち足りた家々や、優れた土地が見えることだ。

33万葉集2ー4:2006/07/13(木) 22:33:59
千葉(ちば)の葛野(かづの)を見れば
百千足る家庭も見ゆ国のほも見ゆ


大和には 群山あれど
とりよろこふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 
国原は 煙立ち立つ 
海原は かまめ立ち立つ 
うまし国そ
あきづ島 大和の国は

特殊な儀礼の中で何が見えたか歌ってる

構造

大和には 群山あれど
とりよろこふ 天の香具山
  
    儀礼が行われてる場所 取り分けて重要な山

登り立ち 国見をすれば 

    儀礼の内容  眺め回してるんでなくて重要なことしてる

国原は 煙立ち立つ 
海原は かまめ立ち立つ 

    儀礼の成果  理想的な情景がみえたと断言することに意義  

うまし国そ
あきづ島 大和の国は

    儀礼の成果の意味   大和は素晴らしい国
     
小さな歌だけど異なる要素の情報をコンパクトに入れてる

34万葉集2ー4:2006/07/13(木) 22:47:53
助命の4つの構造にあてはめて応神みる

時の文
 
 儀礼の場

千葉(ちば)の葛野(かづの)を見れば

 儀礼の内容

百千足る家庭も見ゆ国のほも見ゆ

 儀礼の成果   何が見えたか
         この部分が表現されていれば
         国見の核心いいんだけど

 成果の意味書かれない。

万葉集は情報を過不足なく盛り込んでいる。
古事記は重要な部分のみ書くに止まる。

国見という呪術的な歌ではあるが、
万葉の歌は儀礼の一部の歌に止まらない。
表現で全体を表現しようとする歌

歌だけで全体を表現しようということは
求められない。だから古事記

しかし、万葉は言葉の表現だけで
儀礼を過不足なく描いてしまう。
言葉だけで世界を描く、言葉だけで完結

歌謠と歌の違い。

万葉の古い歌にもみてとれるのは興味深い。


うまし国そ
あきづ島 大和の国は

大和は奈良のみならず、日本全体の意味合いで表現されている
言葉の表現だけで完結してしまう和歌の方向性が示されている

35万葉集2ー5:2006/07/13(木) 22:51:33
5章 「舒明国見歌」と人麻呂の「吉野讃歌」


「国見歌」として非常に高度な完成度を有する「舒明天皇国見歌」は、後世の万葉歌人にも影響を与えたと考えられる。
下に掲げる柿本人麻呂の「吉野讃歌」も、影響が指摘される作品の一つ。人麻呂の「吉野讃歌」(テキスト37〜38頁参照)は、長歌とその反歌都合4首(36〜39)から構成されるが、中でもここに掲出した38歌は、かなり濃厚に「舒明天皇国見歌」との類似が見て取れる。


上の2つの作品を比較して、次の点について、各自で考えてみよう。1)「吉野讃歌」の、どんなところに「国見歌」からの影響が見て取れるか?

36西洋古典文学2:2006/10/05(木) 19:38:24
★「西洋古典文学2」はローマ文学を中心に学んでいくが,
「西洋古典文学1」から「古典文学におけるエロス」というテーマを引き継ぎ,
主として恋愛に関わる文学作品を取り上げ,その思想を分析する.

 さて「西洋古典文学」を考えるときの基本構造は,

ホメロス→ギリシア古典文学→ヘレニズム文学→ローマ文学→ヨーロッパ文学
(前8世紀) (前5世紀が最盛期) (前3世紀)   (前1世紀が最盛期)

であった.以下で紹介するテオクリトスはヘレニズム文学の代表的作家,
ウェルギリウスは前1世紀に活躍したローマ最大の詩人ある.

繰り返しになる部分もあるが,まず文学史を復習しながら,
主要な流れを整理してみる.特にローマの作家については,
次回以降文学史上のそれぞれの位置付けを含めて詳しく紹介していく.

 ホメロス:前8世紀頃の詩人とされる.
線文字Bなどかつて使用された文字は途絶え,
フェニキア文字を参考に作られたギリシア文字はまだ使われていない
「無文字時代」に口誦詩(oral poetry)としての叙事詩(epic)『イリアス』,
『オデュッセイア』の二大作品を集大成したとされてきたが,
現在では『イリアス』,『オデュッセイア』を統一的作品にまとめたのは
それぞれ別の詩人であったろうとされ,それぞれ「『イリアス』の詩人」,
「『オデュッセイア』の詩人」と言われることが多い.
しかし,この授業では一貫して『イリアス』,『オデュッセイア』の作者を
ホメロスと称している.
 →ピュゲ,「ホメロス胸像」

 ヘシオドス:ホメロスよるやや後輩にあたる詩人で,神々の系譜『神統記』,
自伝的要素を含む教訓叙事詩『労働と日々』が代表作.
後世,ホメロスと並び称された.
 →モロー「ヘシオドスとミューズ」(1857)

 サッポー(サッフォー)とアルカイオス:
前7世紀に流行した独吟抒情詩の代表的詩人たち.
主として「恋愛詩」を書いた.サッポーはレスボス島生まれの有名な女性.
 →アルマ=タデマ「サッポーとアルカイオス」
 →モロー「サッポー」

 以上の時代の詩人たちは現在のトルコ共和国の西岸
(島嶼部はギリシア共和国の領土)にあたる地域(本土からの植民都市)の
出身とされることが多い.
 →エーゲ海沿岸地図

 ピンダロス:前6世紀から5世紀にかけて流行した合唱抒情詩の代表的詩人.
世代的には前5世紀の中盤に活躍した作家.
ギリシアの有名な4つの競技会
(オリュンピア競技会/ネメア競技会/ピュティア競技会/イストミア競技会)
の勝利者を讃える「祝勝利歌」(賛歌)が現存している.大詩人だが,
授業では取り上げない(ただし,神話・伝承

37nanashibanana:2006/12/30(土) 14:47:12
江戸の都市作り
 結界を作る 道はまっすぐに作らない。
 木割法   柱の大きさなどを豫め作っておく

アンドレ マルロー

 美術館とは全ての絵画がある・・・×
 
 芸術とは何か
  運命を変えるものとして藝術があるんだ
       ↓
     うそつけ
       ↓
  インドシナで爆弾から私を守ってくれた。

 ☆藝術には運命を変える物を持っている。

38西洋古典文学2-1:2007/01/31(水) 14:18:41
「西洋古典文学2」(10月2日〜10月8日)
お断り:動画を収録した時点と,ウェブテクスト(アップ直前まで更新)の
制作時に時間差がありますので,若干の矛盾があります
(たとえば,動画の中で「ウェブテクストの掲載」と言い,
パワーポイントもそうなっていながら,ウェブテクストでは「教科書を参照」
となっている場合など)が,ご海容をお願いします.

 ★授業の方針

  ・オンディマンド授業:基本的に,正規の授業はすべて大学,
および学部の定めるオンディマンド形式で行う

   1.ウェブ上のテクストによる情報提供,問題提起
   2.BBSによる問題討議

  の二つを柱とし,必要に応じて,理解度を確認する簡単な報告を求め,
前後期のレポート試験もこの場で提出する

  ・全受講者に強制するものではないが,都合のつく人たちで,
授業で扱う題材の理解に有効と思われる映像資料を見て,
それについて考える場を設ける(以下,用語は適切ではないかも
知れないが,便宜上「自主講座」と称する).
ただし,その場での問題は正規の授業の
BBSでの討議に反映させるようにしたい.

教科書:宮城徳也,『ギリシャ・ローマ文学必携』,
早稲田大学文学部/トランスアート,2006(文学部生協扱い)

★講義予定

  次回提示

★「自主講座」鑑賞映像予定:基本的に土曜日の2時間目
(10時40分から33号館6階の英文学専修室で行う)

 1.10月 7日:ウェスウィウス(ヴェスヴィオ)火山の噴火で埋没した
地方都市ヘルクラネウムの紹介映像
(ポンペイが有名だが,ヘルクラネウムから出土したものも,
特に図書館がギリシャ・ローマ文化を深く考えさせる.)
 2.10月14日:ロバート・ワイズ監督,
映画「ローマで起こった奇妙な出来事」

39西洋古典文学2-1:2007/01/31(水) 14:19:30
以降の予定は,参加者と相談の上,次回以降提示

★「西洋古典文学2」はローマ文学を中心に学んでいくが,
「西洋古典文学1」から「古典文学におけるエロス」という
テーマを引き継ぎ,主として恋愛に関わる文学作品を取り上げ,
その思想を分析する.

 さて「西洋古典文学」を考えるときの基本構造は,

ホメロス→ギリシア古典文学→ヘレニズム文学→ローマ文学→ヨーロッパ文学
(前8世紀) (前5世紀が最盛期) (前3世紀)   (前1世紀が最盛期)

であった.
以下で紹介するテオクリトスはヘレニズム文学の代表的作家,
ウェルギリウスは前1世紀に活躍したローマ最大の詩人ある.

繰り返しになる部分もあるが,まず文学史を復習しながら,
主要な流れを整理してみる.特にローマの作家については,
次回以降文学史上のそれぞれの位置付けを含めて詳しく紹介していく.

 ホメロス:前8世紀頃の詩人とされる.線文字Bなどかつて使用された文字は
途絶え,フェニキア文字を参考に作られたギリシア文字はまだ使われていない
「無文字時代」に口誦詩(oral poetry)としての叙事詩(epic)
『イリアス』,『オデュッセイア』の二大作品を集大成したとされてきたが,
現在では『イリアス』,『オデュッセイア』を統一的作品にまとめたのは
それぞれ別の詩人であったろうとされ,それぞれ「『イリアス』の詩人」,
「『オデュッセイア』の詩人」と言われることが多い.

40西洋古典文学2-1:2007/01/31(水) 14:19:54
しかし,この授業では一貫して『イリアス』,『オデュッセイア』の作者を
ホメロスと称している.→ピュゲ,「ホメロス胸像」

 ヘシオドス:ホメロスよるやや後輩にあたる詩人で,神々の系譜『神統記』,
自伝的要素を含む教訓叙事詩『労働と日々』が代表作.
後世,ホメロスと並び称された.
 →モロー「ヘシオドスとミューズ」(1857)

 サッポー(サッフォー)とアルカイオス:前7世紀に流行した独吟抒情詩の
代表的詩人たち.主として「恋愛詩」を書いた.
サッポーはレスボス島生まれの有名な女性.
 →アルマ=タデマ「サッポーとアルカイオス」
 →モロー「サッポー」

 以上の時代の詩人たちは現在のトルコ共和国の西岸
(島嶼部はギリシア共和国の領土)にあたる地域
(本土からの植民都市)の出身とされることが多い.
 →エーゲ海沿岸地図

 ピンダロス:前6世紀から5世紀にかけて流行した合唱抒情詩の代表的詩人.
世代的には前5世紀の中盤に活躍した作家.ギリシアの有名な4つの競技会
(オリュンピア競技会/ネメア競技会/ピュティア競技会/イストミア競技会)
の勝利者を讃える「祝勝利歌」(賛歌)が現存している.大詩人だが,
授業では取り上げない(ただし,神話・伝承

 三大悲劇詩人:三人とも前5世紀に活躍した作家たちだが,
アイスキュロスが世代的に先行していた(ペルシア戦争に従軍)ことは
銘記しておいて良い.これらの詩人に関しては今までも言及してきたし,
今後もその作品とともに詳述して行く.

 ・アイスキュロス:
  →肖像/紹介ページ

 ・ソポクレス:
  →肖像/紹介ページ

 ・エウリピデス:
  →肖像/紹介ページ

 アリストパネス:前5世紀から前4世紀に活躍した喜劇詩人.
ペロポネソス戦争に対する反戦劇はインパクトがあり,
『蛙』に見られる文芸論に関しては,授業でも扱いたい.
前4世紀のメナンドロスの新喜劇が,後世の喜劇との関係では重要.
 →肖像付き紹介ページ

 ヘロドトス/トゥキュディデス:前5世紀の歴史家.前者はペルシア戦争,
後者はペロポネソス半島を叙述した.
 →ペルシア帝国の版図
 →マラトンの戦いの地図
 →サラミスの海戦の地図
 →デロス同盟(アテネ側)とペロポネソス同盟(スパルタ側)に別れた
ペロポネソス戦争時の地図

 プラトン/アリストテレス/デモステネス:前4世紀に活躍した哲学,
弁論の散文作家たち.プラトン,アリストテレスは「文芸論」でも大事な役割を
果たしているので,随時言及する.

 ヘレニズム文学:前334年にマケドニアのアレクサンドロス大王が東征を
始めて以来,プトレマイオス朝エジプト,セレウコス朝シリア,
大図書館で有名なペルガモンなどのヘレニズム諸国家が繁栄し,
ギリシア語は世界語,ギリシア文化が世界文化となった時代の文学で,
主としてエジプトのアレクサンドリアと中心に栄えた.
  →前3世紀のヘレニズム世界の地図

 ・カリマコス(c.305-c.240 B.C.):キュレネ出身の学匠詩人で,
プトレマイオス朝治下のアレクサンドリアで活躍.「洗練」と「彫啄」を重んじ,
「統一感」のある小規模の作品を主唱した.読者にも教養を要求する
「ヘレニズム文学」の方向を確定した重要な作家で,
ローマ文学に大きな影響を与えたが,現存作品に関しては,
下記に二人の詩人ほどには読まず,鑑賞より研究の対象である.
 →カリマコスの紹介ページ

41西洋古典文学2-1:2007/01/31(水) 14:20:17
・アポロニオス・ロディオス(c.295-? B.C.):
前期に扱った叙事詩『アルゴナウティカ』の詩人.アレクサンドリアの出身で,
その大図書館を根拠地として活躍した.
師であるカリマコスと対立する文学観を持ち,発表した作品も不評でロドス島に
隠棲.ここで改訂した作品が好評を博し,アレクサンドリアにもどり,
感謝の意をこめて「ロドスの」と称した.
  →アポロニオスの紹介ページ

 ・テオクリトス(生没年不詳だが,前3世紀前半に活躍):
シチリア島の大都市シュラクサイの出身で,アレクサンドリアやコス島で詩作.
「牧歌文学の祖」として知られる.
  →テオクリトスの紹介ページ

 このヘレニズム文学の影響を受けてローマ文学が形成されていく.
主な作家と時代は次の通り.

(前古典期)
 →イタリア歴史地図
 →現代イタリア地図

 ・リウィウス・アンドロニクス(c.284-c.240 B.C.):
南イタリアのギリシア人都市タレントゥムの出身で,
奴隷としてローマに送られ,後に解放されてギリシア語教師となった.
作品は断片しか現存しないがラテン語で『オデュッセイア』の翻案を書き,
悲劇や喜劇を創作し,ラテン文学の基礎を築いた.

 ・ナエウィウス(c.270-c.201B.C.):
第一次ポエニ戦争の従軍体験をもとにした叙事詩『ポエニ戦争』,
悲劇,喜劇を創作した.

 ・プラウトゥス(c.254-184 B.C.):ウンブリア地方の生まれ.
21篇もの作品が現存する喜劇作家.ギリシア新喜劇を翻案して
ラテン語で多くの傑作を残した.後世の喜劇文学に多大な影響を
与えた重要な作家.拙訳(『ロバ物語』,『トルクレントゥス』)も
収められている,京大学術出版会の西洋古典叢書「ローマ喜劇集」を
参照されたい.
  →紹介ページ

 ・エンニウス(239-169 B.C.):南イタリアカラブリア地方の都
市ルディアエの出身.大カトーに見出されてローマに出,
ギリシア語の教師をして詩作活動をした.ローマの偉大さと
その使命を謳い上げた叙事詩『年代記』(韻律はホメロスと同じ長短短六歩格)
を書き,「ローマ文学の父」と言われる.彼の書いた悲劇も重要だが,
現存作品は引用断片のみ.彼がウェルギリウスに与えた影響は測り知れない.

 ・パクウィウス(c.220-c.130 B.C.):悲劇詩人.エンニウスの甥で,
断片が現存する.

 ・テレンティウス(c.195-159 B.C.):5篇の作品が現存する喜劇作家.
カルタゴ出身の解放奴隷で,ヘレニズム文学受容に大きな役割を果たした
スキピオ(小アフリカヌス)の文学サークルに属し,
洗練された文体と上品な作風は後世の文人に激賞された.
  →紹介ページ

 ・アッキウス(c.170-c.80 B.C.):悲劇詩人.断片が現存.

 これら草創期の詩人たちの活動が次の時代の文学隆盛につながる

(古典期・・共和制末期)

 ・キケロ(103-43 B.C.):ローマ南方のアルピヌム出身の政治家,
文人(法廷弁論,哲学,書簡).この作家の偉大さと後世への
影響に関しては, 簡単には語れない.今後,随所で言及する.
上記の詩人たちの断片もキケロに引用によって伝わっている場合も多い.
彼自身,詩も書いた.
プルタルコスに伝記がある.
  →キケロのHP

 ・カエサル(100-45 B.C.):ローマ史上最大の政治家で将軍.
『ガリア戦記』は単に戦記文学であるにとどまらず,
散文で書かれた文学の最高峰に位置する.『内乱記』(ともに講談社学術文庫)
もある.プルタルコスとスエトニウスに伝記がある.
  →日本語で読めるカエサルのHP

 ・ルクレティウス(c.94-55 B.C.):エピクロス哲学を叙事詩の韻律で書いた
『事物の本性について』を書いた哲学詩人.
ウェルギリウスにも影響を与えたが,彼自身の作品の文学的価値も重要.
  →ルクレティウスのリンク集

 ・カトゥルス(c.84-54 B.C.):北イタリアウェロナ(現在のヴェローナ)
出身の詩人.113篇の作品からなる詩集が現存.年上の既婚女性レスビアとの
不倫の恋愛を中心とするその作品にはヘレニズム的な基盤にローマ独自の詩風
を盛り込み,ローマ文学史のおけるその重要性は測り知れない.
永遠の「青春詩人」.
  →カトゥルスの紹介ページ

(黄金時代)

42nanashibanana:2007/03/04(日) 12:56:46
死を恐れる気持ちがあるから、緊張と警戒が持てる。

死んでしまっては過ちから学ぶ機会がない。

43nanashibanana:2007/07/05(木) 02:56:45
人は未知を怖れ、未知に憧れる。
(俺様)

44nanashibanana:2007/07/08(日) 14:35:12
江東ケーブルネット
中国残留婦人 栗原○○さんに話を聞く。

「満洲での生活で楽しかったことはありますか」
「野の花。
 野原一面に花が咲いてるの。
 それを見るのが楽しかったよ」

45nanashibanana:2007/07/08(日) 15:29:32
ウイーン
 ムジール
 シュリッリター
 カール クラウツ
 クリムト
 アドルフホーフ
 ミュハエル シュタルツ
 ホーフマンスタール
 アルテンハリル
建築家
 ワグナー       中枢
 ヨーゼフ ホフマン  ファッショナブルな建築
 アドルフ・ロース   建築家の息子
            「装飾は犯罪である」
             装飾=見せるもの
              当時ウイーン中に溢れてた。
            建築は合理的に使えればいい。
ハウス・ファライン

46nanashibanana:2007/08/22(水) 19:15:19
昭和の道具
和 
一つ強烈なものおく
古い物で揃えると汚い センス
箪笥、ベルト

見せる道具(一生物)と見せてはいけない道具(消耗品)

25歳すごい方と会った、ベルト職人

47nanashibanana:2007/08/29(水) 08:09:02
289 :名無しさん@八周年:2007/08/29(水) 07:47:11 ID:2MXblJ+oO
こうやって死刑が廃止される事は無くなっていったとさ。
法律を侮辱しつづけていたサヨク弁護団が、今度は法律に助けを求める。

本当に法律ヤクザだよ。
弁護の本質は被告の罪を軽くする事じゃない。
事実に基づかない罪を拭い、不当な量刑を廃すること。
司法が死刑を決めた話に真実をねじ曲げて政治活動するのは基地外サヨク。
仮にドラえもんが真実なら最初の弁護団が基地外。同じ穴の狢だが。

48nanashibanana:2007/08/29(水) 19:35:56
裁判官を庇う訳ではないが、この判決は仕方が無い。

ます民事訴訟だから、「疑わしきは罰せず」とかは関係ない。
それは刑事訴訟の話で、きっちり嫌疑不十分で不起訴(つまり無罪)になってる。
その点では検察はちゃんと仕事してる。

で、民事訴訟の場合は証明責任というものがあって、
給付を求める者(だいたい原告)が損害賠償の原因の有無を
証明しなければならない。つまり男性側が「女性は嘘つきだ」と
証明しなければならないのよ。はっきり言って、誰がやってもほぼ無理。
「本当の状況がわからない」のは俺らも裁判官も同じ。
そのときでも何らかの答えを裁判では出す必要があるから、
このような証明責任という制度がある。
証明責任を負うというのはかなりな負担なのよね。

訴訟のルールはきっちり決まっているから、裁判官が誰でも、
多分ルールがわかればオマイラも多分どうしようもないと思うぞ。

49nanashibanana:2007/09/01(土) 09:48:04
532 :名無しさん@八周年:2007/09/01(土) 09:04:26 ID:233C1Kh60
母語が身についてない人で、外国語にふれてしまうと、アイデンティティー(だったかな?なにか大事なものw)がうまく形成されないという問題がおきるらしい。
小さい頃は母語をしっかり身につけさせるべきなのは、常識みたいだな。
先日のアメリカの大学であった大虐殺の朝鮮人犯罪者も母語を身につける環境になくて、それが原因の一部とか何かで読んだ記憶がある。


537 :名無しさん@八周年:2007/09/01(土) 09:09:40 ID:3/yb/3zC0
>>532
単語と語彙の関係(ボキャブラリーのことかな?)がめちゃくちゃになっちゃうんだよね。
例:「好き」という感情を表す単語として「このクソ野郎」が対応してしまうような感じ

511 :名無しさん@八周年:2007/09/01(土) 08:02:05 ID:PuLtHzg40
先行して小学校で週1英語を取り入れているところがあるから、
その子たちの中3時点での英語力の追跡調査をして、それを公表するべきなんだよ。

おそらく結果は英語はその他の子たちと差が無い、
かつ国語数学力が下がっていると思う。

どっかでそういう情報見た。ほんとに文科省はバカ。

50【コラム・断】呉智英:2007/09/01(土) 10:30:55
新聞では、多数派読者を敵に回したり、不快にさせるような話は書けない。
それをあえて書きますから、該当する方は、これは自分のことではない、
ほかの誰かのことだと思って読んでください。

私は複数の大学で講師を務めている。毎年学生名簿を見るたびに、
読めない名前が増えたなと思う。特に女子名。子(こ)や枝(え)で終わる
読みやすい名前が少なくなり、画数が多く無理読みの漢字を使った名前が多くなった。
暴走族のグループ名に多い方式なので、私は「暴走万葉仮名」と呼んでいる。
まあ、娘にどんな名前をつけようと親の自由ではあるのだが、面白いことに気づいた。
暴走万葉仮名の女子学生が多い大学は、あのー、偏差値がね、ちょっと、あれなのですね。
難関の某国立医大の教授である友人にその話をすると、うん、うちの女子学生に
暴走万葉仮名はまずないな、と言う。超高学歴者ばかりの某有名全国紙の女性記者(子がつく)
に同じ話をすると、ああそう言われてみればと、同僚たちの名前を思い起こしてくれた。
やはり暴走万葉仮名の女性記者はほとんどいませんね、と言う。

私は、俗流伝統主義者と違って、子のつく女子名は日本の良き伝統だと言いたいのではない。
庶民の女子名に子をつけるようになったのは、明治半ば過ぎ、すなわち二十世紀に入ってからだ。
皇族華族の女子名に子がつくのに憧れたのだ。その憧れの是非は今論じない。
ともかくも「目標」があった。一方、昨今の暴走万葉仮名の女子名はどうか。
独自性・独創性(ホントに独自・独創かどうかはともかく)の追求の果ての「俺様(おれさま)化」
である。むろん実績の伴う俺様ならけっこうだが、そうでないことを私は体験的に知ったのだ。

三浦展『下流社会』で下流の指標の一つとして「自分らしく生きる」が挙げられているが、
暴走万葉仮名にもその「自分らしさ」が感じられてならない。

(評論家・呉智英)


産経新聞/IZA

51nanashibanana:2007/09/06(木) 21:08:04
928 :名無しさん@八周年:2007/09/06(木) 20:58:01 ID:wKI5PL8P0
ウィンストン・チャーチル「対日世界大戦回顧録」より
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。
しかし、これでは困る。
反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。
すると議会は、いままで以上の要求をしろという。
無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人ががまったく別人の顔にな
って、
「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話のわからない人だ。
ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
英国はその後マレー半島沖合いで戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、
シンガポールを失った。
日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。


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