したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

資料集 Part2

207アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2013/03/27(水) 22:04:19
>>192->>206

教団は信者の洗脳状態を維持するために、日頃から教祖の言行や教団の方針に対して疑問を挟まないよう躾けています。そのような疑念は悪魔の誘惑とされて、阿鼻叫喚地獄への道との擦り込みから、信者は考えること自体を恐れて教団の教典を繰り返し唱え、自分の思いに無理矢理蓋をするようになります。こうしたことの習慣化が、教祖からの支配とは別の、自分で自分にかける呪縛となって、他者から教祖について合理的な批判を受けても、考えること自体の恐れから、急に喚いて怒り出したり、あるいは表情を凍らせて黙りこむなど、まったく聞く耳を示さずにコミュニケーションが成り立たない状態になります。

そればかりか、批判者は悪魔と植え付けられ、強度な自縛になっている状況では、せっかく説得しようとしても、その直接的な批判が却って洗脳や教団への帰属を悪化させることになりかねません。いかにカルト宗教と謂えども、現時点ではその教団に対して精神的に依存している以上は、洗脳状態にある信者としては当然の反応と考えられます。

ですので、個々の信者への脱会支援という観点からは、まずそのセルフコントロールを解いてあげる必要があります。信者が過剰な拒否反応を示さないで済むよう、頭ごなしの直接的な批判は抑えて、それ以外の当り障りのない無難な対話から根本的な人間関係を構築し、徐々に教団中心の生活から普通の日常へと物理的に引き戻しながら、日常生活の諸活動を通じて、その歪な自己規制のおかしさを本人自身に気付かせることが大事です。

また、価値観の再構築は、断じて再洗脳であってはならないと思います。カルトに属した期間と同じくらいの時間が必要になることもありますが、慌てずに、素朴な矛盾を指摘しながら、本人の考える力を蘇らせていくしかありません。

そして、相手がそうした時期に至ったと見えたら、自分の内側に意識を向けるように導いてあげると良いと思います。
ただし内側に意識などと言って、くれぐれも霊道修行と勘違いさせないで下さい。それでは元の木阿弥です。
これは「自分研究(当事者研究)」といって、この状況であれば、日常生活の中で自分が内なる声に従っているのか、それとも外部から誘導されているのかを観察することです。


世や人生の意味を探って、自己の外側に答えを求めた結果、自らを疎かにしてカルトの罠に落ちたのです。そこには何の真実もなかったはずです。

答えは自らの内に求めるべきです。自分から逃げず、自分自身とトコトンと向き合い、今度こそ自燈明を灯すのです。




※参考文献紹介(敬称略)

「マインド・コントロール」(紀藤正樹)

「あなたの子どもを加害者にしないために」(中尾英司)

「モラル・ハラスメント」(マリーフランス・イルゴイエンヌ)

「精神の生態学」(グレゴリー・ベイトソン)

「メランコリー」(フーベルトゥス・テレンバッハ)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板