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少林寺拳法or丸廉への批難・文句受容スレ
818
:
ビスキュイ
:2004/03/03(水) 19:54
さてさて,話が少々(かなり?)ズレてしまいましたが…では休眠拳士さんがおっしゃってる
「Aという動きは法形として名前がつけられておりその変化にもA'という名前が付けられてい
る。しかし同じような変化であるのにBという動きはAの応用と言うだけで法形にはなっていな
い。何故だ?」についてですが…何故でしょうね〜?正直分かりません。ただ私見ですが,開祖
が技術体系を作り上げていくときに法形を定めていく時の判断基準は統一的な一つの判断基準だ
けではなかったのではないか?と考えてます。例えば今回通りすがりの休眠拳士さんがおしゃっ
ている
「例えどのような武道・流派であっても、1つの技には、その類似系や変化形、
応用形は存在するものです。その変化技に、別個の名前をつけるのか、あるいは
元の技の応用ということで括るのかについては、何らかの納得のいく理由が
あって判断がなされるべきではないでしょうか?」
は「技の用法」に基づいた基準だと思うのです。これはもちろんあると思います。
しかしそれ以外にも(ここからは完全に推測ですが)「体育的な判断に基づいた分化
(「一方向への動きだけでは体に悪いから反対の動きも作ろうかな〜」)」とか「学
習課題としての分化(「技が少ないと興味が持続しないかもしれんな〜。もう少し増
やすか」)」などもあったのではないか?と思うのです。ここで昨日の私の書き込み
とつながります。すなわち「法形の意味(役割)は一つじゃない」と。
「そんな体系わかりにくいわ!」とお思いでしょうか?しかし私はこの多面性こそが
非常に少林寺拳法らしくかつ利点でもある点だと思うのですよね〜。武術でもあり宗教
でもあり健康法でもある,一粒で二度も三度を美味しい,ああ素晴らしき少林寺拳法♪
…思いっきり後付けかな?
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