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歴史・政治経済スレ〜居酒屋政談

1COZY@管理人:2003/08/17(日) 21:58
歴史だけでなく、
政治などに関する話はここで。
「貞観の治」に対する意見は、
世迷い言スレでもここでも、どちらでもお好きな方で。

4COZY:2003/08/21(木) 23:58
人の国の治安を守るのが、
逆に日本の立場を良くする面もありますしね、
(武器使用基準をもっと緩和して)世界で活躍してほしいものです。

芦田均は、芦田修正でも有名ですな。
その涙したエピソード、
首相を辞めた後の話でしょうか、
首相の時にはまだ自衛隊はなかったと思いますので。

5最後のmother:2003/09/20(土) 10:57
野中氏は長くないかもしれません。
死ぬ前の疲れ果てた生理がああいう行動に繋がったのではないか。
最後の計略にしては間が抜けすぎているし正直過ぎる。
鳩山内閣の重光外相と微かにダブる時があるんです。

最も、彼にはもっと生きていて欲しいと思うのも事実。
私は彼こそ思想的には偏りがあるとはいえ国士であると思っています。
遺骨採集とか靖国とかの言動に関しては心からの衝動であると。

6COZY:2003/09/20(土) 23:08
確かに、以前のような覇気はありませんね。

私は野中を国士とは思えません。
蜷川陣営を行ったり来たりしたコウモリぶりや(元共産党員という話もありますし)、
北朝鮮との繋がり、派閥でのボスぶりなど、
スケールの小さな金丸、と私は思っています。
遺骨採集などについては私はよく知らないのでいかんですが、
「国のため」に動いてきた人間とは考えられません。
依然世迷い言で書いたように、「えせハト派」です。


重光葵は国士ですな。
日ソ国交回復、国連加盟など、外交で戦後日本を支えた大人物ですね。

7COZY:2003/09/21(日) 00:29
政治とは関係ないかも知れないが、
一応、ここにメモ。
http://usembassy.state.gov/tokyo/wwwhj20030401d1.html

劣化ウランに関して。

8最後のmother:2003/09/22(月) 23:31
新人事で気になるのは安倍氏が内閣から党務に抜けて福田氏と川口氏が残った事ですな。
石波氏はいるのだが外交姿勢は軟弱になる気がします。
経済閣僚はどっこいどっこいですな。

しかし青木氏も野中氏も森氏でさえ小泉総理に翻弄されている。この内閣は結構続くかもしれませんな。
昔の「三木おろし」を思い出します。
福田・大平・保利・椎名を始めとする挙党協が三木一人に振り回されたあの時を。

9COZY:2003/09/22(月) 23:45
安倍氏の抜擢に惑わされてしまいますが、
私としては、それと石破の残留とあわせても、
川口の残留で、差し引きゼロです。
安倍氏の件を除くと、あとは石原国土交通相が目を惹くくらいで、
あとは気抜けした感じです。

小泉氏の翻弄も、
結局は選挙のたび、人事のたびに起こる物で、
時間が経てばまたまわりが騒ぎ出す。
でも、その頃にはまた選挙で…という感じですかね。
小泉らしさが出るのは、結局は人事と選挙前だけのような気がします。

三木の振り廻しは、
結局大平死去の辺りまで尾を引きましたなぁ。
というか、昔の政局にお詳しいですね。

10つよぴ:2003/09/27(土) 00:11
「貞観の治」読みますた。
歴代総理の採点が下に行く程下がっていくのには笑いました。

過日読んだあるヲヤヂ系週刊誌によると、小泉氏の支持層は60過ぎたオバちゃん達だそうです。
曰く「彼女達は年金制度に於ける“逃げ切り世代”で既に恩恵を充分蒙ってるので
現状維持を望んでいて、自分に火の粉が降りかからなければ、子や孫に“痛み”が
降りかかろうが知ったこっちゃないと言う人々が現政権(≒小泉氏)を支えている」そうです。
私はこの記事に妙に納得してしまいました。

「民度以上の政治は出来ない」は名言ですな。

11COZY:2003/09/27(土) 00:28
私は村山や細川を否定してますからねぇ。
小渕さんは、なかなかに侮れない人物。

私は、その意見には賛同できないですね。
若者でも、改憲論を支持する考えの人間には小泉支持は多いですし、
いわゆる右翼的思想の持ち主も、野党の力不足を理解しているゆえに、
小泉支持層は多いと感じています。
その週刊誌の記事も、「小泉支持層=無責任なヤツら」という偏見が感じられます。

「民度以上の〜」はその通りですね。
ただ、「軽佻浮薄な人間が小泉や安倍を支持してる」という
あほマスコミの論調はどうかと思います。
小泉がポピュリストか名宰相か、これからの問題でしょう。

12つよぴ:2003/09/28(日) 02:19
>>10
週刊誌…私も心の片隅で「ちょっと(意見が)偏ってるなぁ」と思いながらその記事を読んでましたが、
書かれてる「支持層」と、一国の総理大臣を「純ちゃん(ハァト)」と呼ぶ
ウチの親がダブって見えたので「そんなもんかなぁ」と思った次第です。

私見ですが、一般に、ヲヤジ系週刊誌の政治ネタはネガティヴな方向で書かれる事が多い様です。
これもある種の「メディアによる洗脳」かも知れませんな。
そんなあほマスコミに見事に絡め獲られた私(--;)

13つよぴ:2003/09/28(日) 02:21
リンク先間違えたかな??

14COZY:2003/09/28(日) 03:20
小泉氏の場合、支持率が高いですので、
当然支持する層も、政治に関心がある人もない人も、
雑多に含んでいますから、
一部のみを取り上げれば「ただのミーハーが支持をしている」と取ることは
簡単なことです。

消去法で小泉以外にないというのは事実だと思いますしねぇ…


「批判」の方が、耳目を惹きやすいですから>週刊誌
まぁメディアの仕事は権力批判とも言えますから、
それはそれで必要な論調でしょう。
論拠がなかったり、代案のない批判はどうかと思いますけど。

15COZY:2003/09/28(日) 16:38
「ダボハゼからの返事」

拝啓 石原慎太郎様
外務省の田中均外務審議官の自宅で発火物が見つかった事件について、
あなたが「爆弾を仕掛けられて当たり前」と述べられてからしばらくたちました。
いまだ取り消しや謝罪をされていないところをみると、あのお考えに変わりはないのでしょうか。
「テロを容認するわけがない」とおっしゃったのには少し安心しました。しかし、最初の
発言が生きている限り、犯人や暴力を好む人たちを勇気づけていることに変わりはありません。
先日は都議会で「片言隻句に飛びつくばかなメディアがダボハゼのごとく食いつく」と、
あなたを批判するメディアにも矛先を向けられました。そこまでいわれて引き下がるわけにはいきません。

田中氏ら外務省の対北朝鮮外交がよほどお気にめさないのか、あなたの批判の言葉は
「万死に値する」「売国だ」と穏やかではありません。しかし、日朝首脳会談を目前に
控えた昨年9月6日の記者会見で、首脳会談を「とてもいいことだと思う。
失うものは何もないね」と評された。それと最近の批判はどう整合するのでしょう。
もちろん外務省の対応にも問題はあります。しかし、首脳会談によって、北朝鮮が拉致を
認め5人の被害者の帰国が実現したのです。あの首脳会談がなければ、いまだに事実は
ベールに包まれていたでしょう。そのことは正当に評価した方がよいと思います。それも否定するのですか。
(中略)
ところであなたはどうでしょう。25年間にわたって国会議員を務められましたが、
本会議や委員会の議事録を検索する限り、拉致問題に関する発言は見あたりません。
99年に政治活動を回想した「国家なる幻影」を出版されましたね。そこにも拉致問題への言及はありません。
ともかく、いたずらに社会不安をあおるような言動はおやめになり、住民が安心して
住むことのできる社会を作ることに専念していただきたいと思います。それが知事の最大の仕事ですから。


9/28付朝日社説

16COZY:2003/09/29(月) 15:44
朝日は、「ムー」の位置も狙っているのか?

http://www.asahi.com/science/update/0929/001.html
(雪男の足跡発見か?)

17最後のmother:2003/10/07(火) 13:32
http://www.dpj.or.jp/faxnews/html/20030918172842.html

↑これはこれで耳障りが良すぎるし国家百年の計とは言い難いが、
優先順位をどうつけるかで政権担当能力が浮き彫りになる、と。
当面の課題は誰の目にも明らかなんですからな。

18最後のmother:2003/10/07(火) 13:36
後藤田正晴や野中広務など、戦時中に中枢兵士ではなかった人間ほど
「愛国的左翼」という奇怪なる部類の人間になる傾向が強いそうですな。

19COZY:2003/10/08(水) 00:49
後藤田はまだしも、
野中は「愛国的」ですかね?
というか、「愛国的左翼」は別段、不思議な存在ではないと思いますけど。
国を思うゆえに左翼的思想を抱く、というのもアリだと思います。
私は、愛国的であれば、左翼でも受け入れられますし。

20COZY:2003/10/08(水) 01:09
>>17はリンク切れてました。

21COZY:2003/10/10(金) 03:12
「貞観の治」更新。
今回は中曽根まで。
いずれ全総理について書けたらいいなぁ…

22つよぴ:2003/10/10(金) 15:48
「貞観の治」読みますた。
竹下さん、カネに関しては意外とキレイだったのですね。

吉田茂から先、戦後歴代首相の“ご主人様”アメリカにとって、
誰が一番評価が高いor低いのか気になる所ですな。

23COZY:2003/10/11(土) 00:34
他の方の意見も求めたいところです。
竹下は、政治に関わる金は汚かったでしょうが、
身辺の金はきれいでしたね。そこは田中と大違いです。

アメリカに高評価…岸・吉田あたりでしょうか…

24COZY:2003/10/23(木) 03:23
http://www.asahi.com/politics/update/1023/001.html
中曽根、宮沢、引退の方向だそうな。

25つよぴ:2003/10/24(金) 02:00
大勲位閣下は過去の「比例終身1位」の約束を楯に抵抗してる…と、
ラヂヲのニュースでは聴きましたが。

それとは対照的に宮沢さんはエライあっさり引きましたなぁ。
議員をやる上での旨味がもう無くなったんでしょうかね。

26COZY:2003/10/24(金) 02:04
ヨーダ宮沢は潔い引き際で男を上げた…
と言いたいところですが、
実際にはそれだけの気力がないだけかもしれません。
元々定見のある人間には見えませんでしたし。

大勲位、これからどう行動するか見物です。

27つよぴ:2004/03/14(日) 18:24
政治ネタなのでこちらに…( ..)φ

韓国の歴代大統領って、図ったよ〜ぅに退任後に疑惑が発覚・追求され、
処罰されてますな。全斗煥に至っては(後に恩赦ながらも)死刑判決まで喰らってるし

日本で同じ事をやったら、自民党員の、少なくとも大臣経験者の大半は消えそうな気が…(--;)

28COZY:2004/03/15(月) 09:52
韓国では言論の自由の歴史が短く、
マスコミと権力のもたれ合いが今も続いています。
(独裁時代は言わずもがなですな)
で、権力にある時代はいいのだけど、
権力から離れると、マスコミなどからのバッシングがすさまじくなる、
で、引退後の不幸がもたらされる、という仕組みです。

かの国の場合、それに北朝鮮とのせめぎ合いorもたれ合いもあり、
かなり特殊な状況にあるのは確かです。
日本や欧米では考えられないことです。

29つよぴ:2004/04/28(水) 00:14
久しぶりにコッチをageませうか。。。

我思うに…例のイラク人質事件ですが、
あれだけ同情されない「被害者」も珍しいですな。
極端な(私的)喩えですが、世間および政府の彼らに対する目は893やオウム信者、
あるいは戦前で言う「アカ」に向けられるソレと同じ様なものだったのでしょうね。
(実際の彼らは極めて普通の考えの持ち主かも知れない可能性はありますが。)

とにかく無事生還し、自衛隊も撤退せずに済んでよかった、と個人的には思います。

30COZY:2004/04/28(水) 10:33
オウム信者やアカほどの物ではないと私は思います。
共産党系団体と関係があるとか、募金ネコババ人間とつながりがあるとか、
裏を知っていればそういう見方も出来ましょうが、
多くの人はそういう事情を知らずに反感を持っています。

反感の原因は、捕まっておきながら政府が悪いと責任転嫁したり、
政治思想の主張に利用した家族の様子が異様だった、
ということに対する嫌悪感が主ではないかと思っています。
要するに、「なんて世間知らずな」というような感覚。
挨拶しても返さない、ゴミは真夜中に出す、そんな近所の人に対する目に近い気もします。

4/30に今井くんと郡山さんが記者会見します。
そこで何か見えてくるかも知れません。

31COZY:2004/04/28(水) 17:59
菅直人………( ´Д⊂ヽ

自分が年金未納だったのを棚に上げて「未納三兄弟」と揶揄していたのか…

32つよぴ:2004/05/11(火) 13:35
「貞観の治」読ませて戴きますた。
福田さんの辞任は「珍しく潔いな」と思ってましたが、やはりそういう裏事情があるのですね。。。
中国・ロシアが「北寄り」なのは昔からのしがらみもあるんでしょうな。たぶん。
今回は慎重なテーマ故か、いつも以上に適切なコメントが浮かばなひ。

年金未納問題>
今いわなきゃ損損と言わんばかりに、猫も杓子も告白しよるなぁ(--;

33COZY:2004/05/12(水) 09:39
そろそろ疲れた、というのもあるかもしれませんけど、
政治的なプラスがないのに辞任はあり得ません。

朝日新聞、テレビ旭、TBSなどが、
これから「北朝鮮問題解決の方向へ」というスタンスでしばらく報道するはずです。
国民大集会を扱わなかったようなマスコミが、
本気で拉致問題を心に留めているとは思えませんし。

残りの拉致被害者の情報が出るという確約為しに
小泉訪朝となれば、選挙対策と確定。
目先の餌で釣られないように気を付ける時期です。

34COZY:2004/07/11(日) 23:41
もしかして2ちゃんの
「出口調査は民主党に一票を」キャンペーンは
かなりの効果があったのかな。

出口調査結果がどの局も崩されていく。
結局は、共産20議席を食った民主は確かに議席をのばしたが、
けど自民はあんまり議席をへらしてない、と。

35つよぴ:2004/07/12(月) 11:58
選挙>
自分は選挙区・比例ともに非自民系の候補及び政党に投票しましたが、
選挙区の候補は最下位。比例は何とか勝った模様ですた。

共産や社民はもう解散しても良いのでわ??と
ここ最近の選挙の開票結果を見るに付けそう思ふ。。。

36COZY:2004/07/13(火) 10:47
私は両方自民。
てか消去法で選ぶのはいやだほ。

共産はまぁ、理想主義なりに筋が通っているから
存在すること自体はいいかなぁ、と思ってます。
政権を執る可能性がないから、
自民にも民主にも入れられないときに利用できますし。
社民は……議席確保しただけでも驚きです、
まだ支持する人がいるのかと。
二大政党制は既定路線になりつつありますね。

37鄭士平:2005/05/11(水) 09:21:58
楊儀とは反りがあわなかったとあるが
魏延と諸葛亮の反りがあわない描写は無謀な作戦立案を却下されたところのみであり
諸葛亮が死ぬまで魏延は諸葛亮の作戦に忠実に従っている。
蜀ナンバー1不精になって、慢になっていた魏延を諸葛亮だから扱えたと言っても過言では無い。
正史においても彼は嫌われるに足る晩節をおくってしまった。
王平に一喝されて、兵が去るなんてのは褒められた話では無い。

38COZY:2005/05/11(水) 10:05:36
性格があわないであろうことは、その作戦立案の対立から推測できる範囲であり、
慎重な諸葛亮と大言壮語型の魏延の間に、
劉備と魏延のような信頼関係があったとは考えにくいです。
諸葛亮の作戦に従ったことが、すなわち反りが合わないことはない、
という根拠にはできないでしょうし。
諸葛亮だから扱えたというのは、確かにそうかも知れません。
しかし、劉備ほど魏延を巧く扱っていたとは思えず、
相対的に諸葛亮は魏延を扱いきれなかったと私は述べました。

234年頃の面子では、魏延が慢心するのも無理からぬような気もしますが。

39鄭士平:2005/05/12(木) 00:20:15
魏延と劉備は君臣ですから、上位とはいえ同僚の諸葛亮とは忠誠度は違うでしょう
それに劉備は部下の扱いや忠誠心のくすぐり方だけで伸し上がってきたという当代一流の君主です。
同じように扱えないからダメだというのはあんまりな批評かと。
仮に諸葛亮、劉備以外に彼を使えこなせる人材がいるかどうかを考えれば相対的に
よく使いこなしたと言わざるを得ないと思います。

ひとつ仮に長安強襲が迂回策と同じ程度の理があったとしても
組織を考えれば司令官が否を唱えた事を後々になっても恨みがましい言葉を吐く事は
逆に魏延の狭量さを示すものでしか無いと思います。

さらに総司令官の遺命に逆らってはみたが着いてくるものはおらず
讒言を吐く楊儀討伐を敢行しても部下の兵達は魏延に非があると逃げ去った等の展開をみれば
勇将猛将ではあっても名将と批評するには無理がなかろうかと私は思います。

という意見で。

40COZY:2005/05/12(木) 10:51:18
ダメと扱き下ろしているわけではないんですけどね、
あくまで「少なくとも劉備ほどではない」という書き方をしてますので。

魏延の性格に問題があったことは確かで、
諸葛亮・劉備以外に、蜀に彼を使える人間はいなかっただろうというのも、
実際に諸葛亮死後の魏延の行動を見れば分かります。
使いこなせる人間がいれば、魏延はおとなしかったでしょうから。
(諸葛亮は使いこなしきれなかったから、魏延は文句を言い続けたとも考えられます)
ただ、いくら新参者にも出世の機会があると知らしめるための漢中太守抜擢とはいえ、
張飛らに準じるような功績無く太守に任命されるとは思えません。
「名将」という主観的な語なので明確な基準があるわけではありませんが、
魏延は関張馬趙黄に準じるような将軍であったとは、私は認識しています。
部下の兵に逃げられたという話も、楊儀が孔明側の人間で、
孔明の人望>魏延のそれ、と考えれば致し方のないこととも考えられます。




4年前の文なのではっきりとは覚えていませんが、
確かそのころは、諸葛亮に対する幻想を壊そうと考えていた頃です。
なので、諸葛亮に対して厳しい言葉が使われていたのかもしれません。

あと、正直に言えば、かなりの魏延好きだったり。

41COZY:2005/05/12(木) 10:57:22
鄭士平さんの仰ることはよく分かります。
諸葛亮を評価する際に、
劉備を基準に置くか、他に基準を置くかで、見方は変わってきますから。
一般人を基準にしたら、袁術だって傑物と言えるかも知れない゚∀゚)

魏延を重鎮として扱わざるを得ないところに、
結局は蜀漢の人材難という問題が大きくはだかりますね。

42けん:2006/07/21(金) 16:54:21
諸葛亮は既に命運の尽きた旧体制に固執し、新体制の構築を邪魔した。
内戦の長期化・国力の低下・異民族の侵入を招いたという意味では、漢王朝にとっては忠臣でも中国という国家にとっては忠臣と言い難いですね。
北方謙三の「三国志」を読んで気づいたことですが。

43COZY:2006/07/22(土) 00:11:14
結果のみ見ればそういう部分もあるかもしれませんが、
諸葛亮が「本気で」漢朝復古を望んでいたというより、
そのアナクロニズムを利用する気持ちの方が強かったかもしれません。
建前はともかく、やってることは曹操のやり方とかなり似通ってますし。

異民族の侵入に関しては、諸葛亮の責とするのは可哀想かな、と。
魏が異民族を返り討ちできるほど強力な国家になっていたかは疑問ですし、
蜀漢との争いで兵が鍛えられていてもなお異民族にやられたと
考えることも可能ですし。
(蜀の存在によって対異民族への軍備がどう変化していたかは調べておく必要がありますが)

漢がボロボロになった時点で国力低下や異民族流入は決定的で、
その点に関する諸葛亮の影響はあまり大きくないのでは、
というのが私の感覚です。

44けん:2006/07/22(土) 11:17:28
諸葛亮が劉備に従わなかったら劉備は蜀を取れず、呉も赤壁の戦いで圧勝できなかった。
史実より何十年も早く中国全土が統一された・・・と思うんですが、諸葛亮を過大評価しすぎでしょうか?
漢王朝復古は建前というのは、考えませんでした。確かにそういう考え方もできますね。

45COZY:2006/07/23(日) 20:57:05
赤壁の戦いにおける諸葛亮の役割は微々たるもので、
戦勝の功績の殆どは呉軍によるものです。
曹操の書状など戦端の原因を考えても、
諸葛亮がいなければ呉は戦わなかったとも考えにくいです。

ただ、劉備が蜀をとらなければ鼎立状態にならず、
呉が早々と魏に併呑される可能性はあります。

しかし、私の持つ先入観に過ぎないのかもしれませんが、
中国は膨張と収縮を繰り返す、安定と混乱を繰り返すものゆえ、
儒学思想衰退や農村共同体の解体、
西晋以降の異民族の流入という大きな流れを
諸葛亮がいなかったらというifで防ぎうるかどうか疑問だ、というのが正直な感覚です。

46佐倉純@さくら日和:2009/05/11(月) 22:35:56
いつも世迷い言拝見しています。
つたない拙ブログなども紹介していただき恐縮です。

三国志ですと、2006年に出版された須田満著「三国志〜正史と小説の狭間」なんてのが面白いですね。
(元々はブログでつながりのあるだっしーさんに教えていただいたものですが)
三国志の時代ってのは、黄巾賊の残党をどう扱うかが大きな主題だった、とか、ぱっと見だけではトンデモに見える理屈も実に理にかなった説明をしてくれて、
三国志研究に新たな視点を投げかけてくれます。

古いレスをサルベージあげしてみました(笑)

47COZY:2009/05/12(火) 07:57:06
はじめまして。
こちらこそ、さくら日和は欠かさずチェックさせてもらってます。

例の映画のせいでうちに辿り着く人が増え、
私もまた最近三国志への関心が頭をもたげてきていたので、
書籍のご紹介はとてもありがたいです。
ここ数年は三国志から離れていたんで、だいぶ知識も抜けていそうですけど。

三国時代を思想史から捉えるというのが私の学生時の研究テーマだったので、
黄巾党=道教勢力へのアプローチという観点は、あまり違和感がないですね。
ただ、曹操はともかく、呉や蜀漢と黄巾残の繋がりは
ピンと来ないところもあるので、そこがどう書かれているかは気になります。

また、「製鉄による環境破壊」という視点から三国志を捉える
という考え方をどこかで見たことがあります。
食い尽くされた感のある三国志ですが、まだまだ食べる余地はありそうです。

48佐倉純@さくら日和:2009/05/16(土) 03:43:10
早速のお返事ありがとうございます。

>三国時代を思想史から捉えるというのが私の学生時の研究テーマだったので

おお、そんな面白い研究をされていましたか。私は実利を取って工学系に進学しましたが、
哲学とか思想とか好きでしたので、そういうアプローチは畑違いながら、興味が無いわけでないので、楽しそうに見えます。

件の書物では、黄巾党(道教)と各三国との関係がこの書物の主題ではないので、触れ方としては浅いですが、たとえば蜀の主戦力になる劉備の基礎兵力も黄巾党の残党を巻き込んだり、
あとは異民族との戦いとかもありますし

三国志は実体は魏 呉 蜀だけで争った訳じゃなくて、海やら山やらやってくる蛮族と三国志勢力とのたたいがあって、という視点で書かれた
「もう一つの「三国志」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%80%8E%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%BF%97%E3%80%8F-%E2%80%95%E3%80%8C%E6%BC%94%E7%BE%A9%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%95%B0%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84%E2%80%95-%E5%9D%82%E5%8F%A3-%E5%92%8C%E6%BE%84/dp/4780703352/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1242412777&sr=1-2
なんかもお勧めですね。これの時に登場する華外の少数民族が五代十国の形成に大きく影響するので、マクロ的に見ていても面白いでしね。

49COZY:2009/05/16(土) 08:39:33
400年続いた国が滅びようとするとどんなイデオロギー転換があるだろうか、
という疑問からの出発でした。
実際、漢の衰退に伴って儒教道徳も衰退し、代わりに道教が力を付けていきます。
黄巾党や五斗米道はもちろんのこと、建安文学やら竹林の七賢も、
儒教的全体主義の否定から生まれたと言えます。
逸民という世捨て人がブームになったり、面白い時代です。

>蜀の主戦力になる劉備の基礎兵力も黄巾党の残党を巻き込んだり

曹操も黄巾党の残党を吸収して、兵力の基盤を作ってるんで、
袁紹、袁術や劉表なんかも同様かもしれないですね。
「蛮族と三国志勢力」の話にも関わってきますが、
異民族は蜀や呉の兵力供給源だったようです。
蜀漢は南蛮を制圧して物資や兵士を補給して北伐を可能にしましたし、
呉は山越という蛮族を制圧しつつ、それを兵力に組み入れていたみたいです。
「海からやって来る蛮族」は記憶にないですね……興味深いので調べてみます。

隋や唐も北方騎馬民族の系譜なので、
純然たる漢民族の国は、魏晋が滅んだ後は宋まで600年待たなきゃいけない。
そんな異民族流入の元になったのが三国時代辺りなので、
世界史の教科書に載っている以上に異民族の影響は大きかったのでしょう。


異民族との戦いと言えば、
三国志のシミュレーションゲームで、
はじめて南蛮のπ突骨(ゴツトツコツ)の名を見たときに
「いかにも蛮族」な名前に大笑いした記憶が。

50佐倉純@さくら日和:2009/05/17(日) 01:29:16
ちょっと冒頭から訂正で。
最初にご紹介した「三国志〜正史と小説の狭間〜」の著者は満田剛という方でした(汗)
なんで須田満なんて書いたのかわかりませんが。。寝ぼけていたのかも知れません。失礼しましたm(__)m
あと、眠剤を飲みながら書いたので、ボーッとしていたのかも知れません。
ついでに満田先生はブログもお持ちですので、ご紹介なぞ。。
http://tmitsuda.blog112.fc2.com/
三国志ネタは
http://mitsuda.blogtribe.org/
で書かれていますが、デザイン修正中なのか、読みづらい状態です。。

>400年続いた国が滅びようとするとどんなイデオロギー転換があるだろうか、という疑問からの出発でした。

なるほど。。。。たとえば戦国→秦になる時や、新の王莽の時代の反動的な動きなどは読んだ記憶がありましたが・・。
確かに、大きく変動する時期ですので、興味深いテーマですね。
漢王朝が滅びる際のイデオロギー転換を考えるというのは、広く考えるならば、漢民族にとって「漢王朝」というものの意義は?ということにもなりますね。

ご存じかも知れませんが、竹林の七賢の辺りや、当時の風流人や思想家については、徳間書店の「三国志5・不服従の思想」という資料は読み物としていいかも知れません。
(この徳間のシリーズは、正史派にとってのバイブルかも知れません)

僕が考えるとすると、平和なときと戦乱の時と、思想の傾向の違いはどういう風になるか?などと考えてしまうかも知れません。
三国時代よりは春秋戦国時代の縦横家や百家争鳴の時代がサンプルになりましょうか。

>隋や唐も北方騎馬民族の系譜なので、
>純然たる漢民族の国は、魏晋が滅んだ後は宋まで600年待たなきゃいけない。
>そんな異民族流入の元になったのが三国時代辺りなので、
>世界史の教科書に載っている以上に異民族の影響は大きかったのでしょう。

この辺りは思想世界としては、仏教が広まった時代ですね。
今その辺りの本を読み中だったりします(^^;
三国時代にも仏教はあったけれど、扱いはどうだったか?みたいなことも、どこかで読んだ記憶があるのですが・・。

僕は異民族といえば、ゲームだと「沙摩柯」などが印象深いです(笑)
ゴツトツコツもインパクト大ですね(笑)

51COZY:2009/05/17(日) 23:21:33
どうりで検索しても似た名前の戦国武将しか出てこないわけだ(笑)>須田満

>漢民族にとって「漢王朝」というものの意義は?
漢朝寄りと見られる人間でも、
心から漢や儒教の枠組みに寄り添っている者もいれば、
漢朝へのノスタルジーのような者を利用した者もいたり。
ジュンイクは前者でしょうし、諸葛亮は後者だと思います。
民衆にとっての漢王朝は……どうだったんでしょうね。

徳間書店の「三国志5・不服従の思想」は読んだかなぁ…
書き下しと和訳がセットになった物を図書館で読んだような気が…
句読点もない原典を読んだ(読まされた)インパクトがでかいんで、
あまり覚えてなかったり。
和訳だと、やはり今鷹さん・井波さんの物が必須ですね。

>僕が考えるとすると、平和なときと戦乱の時と、思想の傾向の違いは
>どういう風になるか?などと考えてしまうかも知れません
大雑把には戦乱の時ほど思想は自由なんだろうと予想はできますが、
そういえば同じ乱世でも五代十国や元末、明末などの思想史は考えたこと無かったです。
春秋戦国は儒教以前だから、中国史の中で最も思想的自由があった時代ですね。
今よりも自由かもしれない。

>仏教
三国時代の仏教と言えば、サク融ですね。
略奪行為など平気でやっていたので、純粋に仏教に帰依していたとは思えませんが、
何千人も収容できる寺をつくるなど、功労者と言えば功労者です。
紀元前後に伝わった仏教が魏晋南北朝期に広がっていくのは、
やはりその時期に儒教が廃れて重しが無くなったからでしょう。
随唐は、たしか仏教勢力と道教勢力の争いが皇族の勢力争いと絡んでいた
と聞いたことがあるんですが?

沙摩柯は演義だと凄まじいインパクトですね。
鉄疾黎骨朶なんて、すごく痛そう。

52佐倉純:2009/06/29(月) 00:08:58
こっちの書き込みは最近できてませんでした。。すみません。

原典の訳を読まれたとなると、徳間版云々は余計でした。まさしく孔子に論語でしたねw
この時代は仏教は小さいですが、大きくは宗教戦争でもありますよね。
儒教はじめ道教(五斗米)だったりその他の宗派だったり。。

>随唐は、たしか仏教勢力と道教勢力の争いが皇族の勢力争いと絡んでいた
と聞いたことがあるんですが?

その辺は表面的な歴史は、小説などでなぞったことはありますが、後のことは調べていませんでした。
また調べて見る機会があれば調べてみます。

53COZY:2009/06/29(月) 10:51:28
いろいろご都合もございましょうし、
書き込みは義務でないので、お気になさらずに…

原典も、だいぶ記憶の彼方ですけどね。
三国志のいちばん難儀なところは、演義と正史の区別が時々分からなくなること。
演義の創作ならまだしも、脚色の場合は、どこからが作り話か混乱することしばしばです。

隋唐の仏教・道教の状況については、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-5.htm
が分かりやすかったです。
唐初の状況は、政治的な宗教戦争と呼んでも差し支えない状況ですね。
これと比べると、漢末の儒教の衰退は、ゆるやかな物です。


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