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歴史・政治経済スレ〜居酒屋政談

51COZY:2009/05/17(日) 23:21:33
どうりで検索しても似た名前の戦国武将しか出てこないわけだ(笑)>須田満

>漢民族にとって「漢王朝」というものの意義は?
漢朝寄りと見られる人間でも、
心から漢や儒教の枠組みに寄り添っている者もいれば、
漢朝へのノスタルジーのような者を利用した者もいたり。
ジュンイクは前者でしょうし、諸葛亮は後者だと思います。
民衆にとっての漢王朝は……どうだったんでしょうね。

徳間書店の「三国志5・不服従の思想」は読んだかなぁ…
書き下しと和訳がセットになった物を図書館で読んだような気が…
句読点もない原典を読んだ(読まされた)インパクトがでかいんで、
あまり覚えてなかったり。
和訳だと、やはり今鷹さん・井波さんの物が必須ですね。

>僕が考えるとすると、平和なときと戦乱の時と、思想の傾向の違いは
>どういう風になるか?などと考えてしまうかも知れません
大雑把には戦乱の時ほど思想は自由なんだろうと予想はできますが、
そういえば同じ乱世でも五代十国や元末、明末などの思想史は考えたこと無かったです。
春秋戦国は儒教以前だから、中国史の中で最も思想的自由があった時代ですね。
今よりも自由かもしれない。

>仏教
三国時代の仏教と言えば、サク融ですね。
略奪行為など平気でやっていたので、純粋に仏教に帰依していたとは思えませんが、
何千人も収容できる寺をつくるなど、功労者と言えば功労者です。
紀元前後に伝わった仏教が魏晋南北朝期に広がっていくのは、
やはりその時期に儒教が廃れて重しが無くなったからでしょう。
随唐は、たしか仏教勢力と道教勢力の争いが皇族の勢力争いと絡んでいた
と聞いたことがあるんですが?

沙摩柯は演義だと凄まじいインパクトですね。
鉄疾黎骨朶なんて、すごく痛そう。


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